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昭和52年から平成11年まで朝日新聞販売店主。
平成11年から31年まで議員生活を送り、令和元年5月からはボランティア生活となりました。
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NPO法人の主宰者として、平日は福祉有償運送のボランティアで、
週末は大好きな上高地のために、環境省のパークボランティアとして頑張ります。
人生最終章は、誰もが「行きたい時に、行きたい場所へ」をテーマに全国各地を暗躍します。
私の履歴書 http://s281218.livedoor.blog/archives/2805678.html
3月6日(水) 道の駅ながお 香川県さぬき市
四万十川の夕暮れ
第3日目
車中泊場所 うみてらすほりえ 松山市
第53番円明寺から第39番延光寺まで巡拝
入浴場所 四万十のいやしの湯 高知県四万十市
3月9日(土)↓
入浴場所 神山温泉 ※施設整備中で宿泊者しか利用できなかった
第12番焼山寺から第1番霊山寺まで巡拝 21回目の満願
3月5日に愛知県を出発 6日から11日まで逆打ち6日間で結願
上高地開山式
アルプホルン
穂高神社の神事
お祓い
祭囃子
獅子舞
昨日開催された上高地開山式は、コロナ禍が収束した翌年は道路のがけ崩れで中止になり、昨年参加しなかったため個人的には久しぶりの開山式となりましたが、たった一日の滞在のためビジターセンター前のボランティアとしました。
かつては開山式の最高の観賞場所を求めて9時頃から座っていたこともあり、周りも上高地好きの人ばかりでしたが、最近は団体観光客が押し寄せ、何よりも一等地と思っては早くから陣取っていても、テレビ局や新聞記者が後から大きなカメラや三脚を設置して前を遮ってしまいます。
そんなわけで、何時間も待っているよりも五千尺ホテルのライブカメラや、本日引用した上高地公式YouTube チャンネルをゆっくりと視聴した方が最高の式典を味わえるようになりました。
2022年4月27日
1500円のトートバック
開山式が行われる前の河童橋には長蛇の列が出来ていましたが、その先にあったのが貼付したトートバックで、中には上高地の一合枡とピンバッチに、上高地限定のクッキーや日本酒など、4千円相当の品々が入っておりすぐに売り切れてしまったようです。
幸いにも我家は2人の家族が並んでおり、貴重な上高地グッズを見ることができました。
第一日目
淡路サービスエリアで仮眠 1月30日23時21分
31日午前7時 第18番恩山寺
午後4時42分 第28番神峯寺
仮眠場所 淡路サービスエリア
第18番恩山寺から第27番神峯寺まで巡拝
入浴 ヘルストン温泉「元気風呂」 高知県安芸市寿町1-7
車中泊の場所 道の駅やす 高知県香南市夜須町千切537-90
第二日目
道の駅 やす
第39番延光寺から第53番園明寺まで巡拝
入浴 清正乃湯 愛媛県今治市高橋1350-1
車中泊の場所 第54番延命寺の駐車場
第四日目
午前6時51分
三島乃湯
第54番延命寺から第65番三角寺まで参拝
入浴 湯あそびひろば三島乃湯 愛媛県四国中央市三島中央一丁目
車中泊の場所 道の駅 豊浜 香川県観音寺市豊浜町箕浦
第五日目
第69番観音寺の町並み
第83番一宮寺から第80番国分寺を参拝し、第84番屋島寺から第88番大窪寺まで巡拝し、12月に1番から17番まで巡拝してあった分と併せて満願になりました。
午後2時30分に徳島県板野インターから愛知県の自宅へは午後6時40分到着。
今年初めてとなる四国遍路は、1月30日の夜に愛知県を出発し、昨日2月5日に結願して帰宅しました。天候不順で連日の雨マークでしたが、傘をさしたのは昨日早朝の2寺院だけで、白い防水ジャンバーと菅傘をかぶってしのげました。
冬季閉鎖中となっている横峰寺の林道も雪は皆無で山頂まで行くことができ、千枚通しを購入するために別格12番延命寺にも立寄りました。太龍寺と雲辺寺はロープウェー利用。
我家のヒマワリ
本日は午前5時に起床して愛鳥の日光浴に付き合い、福祉有償ボランティアの合間に同級生と昼食とマックへ出向き、午後は福祉有償運送の関係書類を受け取りにあま市市役所を訪れ、その足で私の高額療養費の申請に津島市役所へ訪れて一日の終わりです。
ここからは土曜日の上高地明神から河童橋への足取りです。
明神館前の道標
明神岳
明神館のメニュー
明神館
岩魚
ソフトクリーム
明神橋
明神岳
梓川と明神橋
奥穂高神社
嘉門次小屋
十日後には再び上高地を訪れますが、一日だけは自分自身の楽しみの日としてのんびりしたいと思います。
本日のパイナップル
親のパイナップルもスーパーで購入したパイナップルの挿し木ですが、2年で実が熟して今年6月に収穫して食べましたが、2年前にスーパーで購入したパイナップルよりも美味しく、果実の東部にあったクラウンも青々としています。
6月15日の一言
今年4月15日の一言
ネット情報ではパイナップルは挿し木して果実が実るまで3年はかかるとありましたが、2年目の今年に結実してスーパーで購入した親よりも大きくなりました。真冬でも20度以上に設定した部屋に置いてあったことが2年で結実した大きな理由と思われますが、親の茎から出た吸芽は結実が早いようなので、順調であれば来年にも結実し、子供のクラウンが再来年に結実するようならば毎年パイナップルを収穫できるかもしれません。
ただし、パイナップルの葉は大きく先が尖ってギザギザのため、育てるためには大きなスペースが必要となり、増やし続けると置き場所に困るようになり、冬の暖房も負担が大きいため私自身が元気で自立していることが前提となります。
現役の時よりも四国遍路や上高地へ行くための費用や医療費が増大しており、年金だけで生活しているものの、どんどん増えていく植物やペットのためには、ボランティアだけでなく週に2日くらいは働かないと、好き放題の生活は続けられない現実も、身体の維持とともに実感させられるようになりました。まだまだ働ける体力を残していることから、年金だけの生活の限度も考えてしまいます(笑)
本日の写真です。
本日の愛知県は午後になってから雨が降り出し、各地で雷鳴が轟き、テレビ画面から竜巻注意報が流される中を、福祉有償運送の申請書類をあま市市役所に届け、ボランティアに参加を希望する人と打ち合わせに走りました。
さて、2日前の土曜日に病院から退院したばかりなのに、翌日となる昨日に城めぐりで遠方まで走っていることに驚いておられる人も多く、「大丈夫なの?」と複数の知人から電話をもらいましたが、手術と言っても結石を取り出すだけで、身体を切る手術ではないためダメージは何もありません。
むしろ、2年前の手術の時には、下半身麻酔の背骨へ打った注射の痛みが一週間ほど続きましたが、今回は最初の局所麻酔の注射を射した注射針の痛みだけで、麻酔が覚めても何処に射したか判らないほど痛みは皆無でした。今回は明らかに上手かったですね。
さて、明日に津島市役所と保健センターの雑用を済ませると、週末の三連休に出かける四国遍路の準備と段取りに頭を切りかえたいと思います。
愛知県犬山市へ
本日の写真です。
退院1日目のリハビリは小牧山城のある愛知県小牧市から、大口町、犬山市の国宝犬山城まで走り、木曽川の対岸となる岐阜県各務原市を訪れ、現存する城だけでなく城址や館の八ヶ所の城を攻略してきました。スマホのアプリ「城めぐり」です。
小牧山城 上末城 楽田城 小口城 羽黒城 犬山城 伊木山城 野口館
午後2時過ぎに自宅を出発して最初の小牧山城に到着した午後3時頃は、城まで歩く予定でしたが激しく振りそぞぐ豪雨によって車を降りることもできず、当初の目的は小牧山城だけでしたが犬山市から各務原市まで走ることにしました。
犬山市にある国宝茶室如庵は私が家内と訪れた大学時代には、私の住む津島市の隣町であった佐織町から庭師に通う人もあり、有楽苑を管理されていた女将さんが名古屋鉄道中興の祖土川元夫(社長)さんの縁者であったことから、私が高校時代に入院していた名鉄病院で、病院を住まいがわりにされていた土川さんにお世話になった話をしたことで、普段は公開されていない茶室を開けてお茶を入れていただきました。
今にして思うと、私が名鉄病院で土川さんと出会った時に同行されていた着物姿の女性が女将さんと思われ、「この茶室のいわれを知ってるか」と問われた際に、私の口から出た「土川さん」の言葉と、病院で言葉を交わしていたことに大変喜ばれたようでした。
懐かしい思い出話ですが、名鉄の社員は家族という土川さんの偉業も、二代続いた日銀出身の社長によって、グループの分社化や合理化が進められ、社員の士気が低下して愛社精神も低下すると社業も衰退していったように思います。
私にとって「有楽苑」は懐かしい想いが残る場所でもあり、新しく整備された旧犬山ホテルを見て昔の思い出がよみがえってきました。
本日午前中に日本赤十字愛知医療センター第一病院(中村日赤)を退院しました。
入院前から3日間の入院となっていましたが、手術後2日目がもっとも短い退院だそうで、退院が一日延びたものの昨日から退院が決まっており、昨日からは三食付のホテルに滞在しているような入院生活となりました。
これは2年前の退院の日の一言です。
2021年10月17日の一言
私は退院していく身ですが、土曜日の本日も病院へ搬送されてくる患者さんを乗せた救急車が続々と中村日赤へ入ってきました。
気楽に退院していく私と違って、同室の患者さんの様子は深刻で、カーテンで仕切られていることと、四日間だけの入院でほとんど顔を合わせなかったものの、早く退院して下さいと挨拶でもしたい心境で病室を後にしました。
今朝の救急車
主は不在でも、我家(私)の花々は確実に成長して花を咲かせ、ミニトマトとブルーベリーは熟した実を付けていました。
本日午後6時57分
本日のパイナップル
茎から新しい芽が出てきました
吸芽(きゅうが)
このままでも成長すると実をつけます
本日の発根状態
2022年7月6日の親株となった冠芽の発根
先月6日に収穫し、15日に食べたパイナップルの実の上の葉(冠芽)をコーヒーカップに入れたところ、一週間後には根が生えだし、本日では複数の根が2センチほどに成長しました。2年前に発根した親株程度の根になるのをもって植木鉢に植え替えようと思っています。
実を収穫した親株には茎から新芽(吸芽)が出ており、このまま成長を見守って大きな植木鉢に植え替える予定ですが、この新芽だけならこのままですが、新たな新芽が出てきた場合は、この新芽(吸芽)を取って植え替えることになり、今年は2本だけでなく3本のパイナップルに増えていくかも知れません。
2年前の親株は店頭に並べられ、購入時には葉の先端が枯れかけており、実も食べられた代物では無かったものの、今年収穫した子供の実は甘く、真冬の夜でも20度以上に管理してきたためか2年で実を付けました。
さて、新たな冠芽と吸芽ははたして2年先に実をつけるのか期待は大きく膨らみました。
本日の写真です。
2022年7月25日の一言
一年前に開花したオニユリも大きなツボミを付けており、事務所横のオニユリはすでに開花していますが、30年前に他界した父親の生前から当り前に継承していく花に、私が鬼籍に入っても咲き続けてくれと遺言を伝えたい心境です。
7月1日(本日)の発信
3月以来となる桑名市大福田寺の「桑名聖天祭」に訪れました。4月は四日市市の一心寺の春の大祭(火渡り)に誘われ、5月のゴールデンウィークは上高地におり、6月も所用で行けなかったため4ヵ月ぶりの参拝となりました。
「この護摩木は何時に焚かれますか?」
「今日中に炊き上げましょうか」
「有難うございます」
ご住職はこの時ご不在だったものの、納経所には受付の男性と揮毫する僧侶がおられ、聖天堂では別の僧侶が護摩木を焚いて読経中で、本日は雨の日でも参拝する人が訪れており、私の住む愛知県津島市や近隣では見られない身近に祈願のできるお寺です。
参拝者は自分の家のように本堂内へ上がって参拝でき、自分の願い事を護摩木に書いて炊き上げてもらう女性も多く、観光目的とは違う参拝する人のためのお寺と言えます。個人的には高野山や真言宗のお寺に多い、鳥居のある神社を境内に奉る神仏習合のお寺は魅力を感じさせられます。
聖天さまは仏さまである十一面観世音菩薩さまが化身され、大聖歓喜双身天とならせられた神で仏さまのご慈悲と神様の威徳とを兼ね備えられるお方なので、特に「天尊」と申し上げます。
お聖天さまは秘仏中の秘仏とされ、皆様の目に触れることを許されていないのです。
一般的に三大聖天には埼玉県熊谷市の妻沼聖天(歓喜院)、東京・浅草寺の子院である待乳山聖天(本龍院)、そして奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)を数えますが、三重県桑名市の桑名聖天(大福田寺)を加える場合もあり、定かではありません。
さて、本日は…
竜泉寺 名古屋市守山区
本日は午後からNPO法人の活動報告書を愛知県へ提出するため名古屋市まで出向き、せっかくだったので尾張旭市の新居城跡まで足を延ばし、名古屋市守山区の竜泉寺(尾張四観音)へも立寄ってから自宅へ戻りました。
三宝荒神社へ 金剛峯寺の西隣です
高野山の荒神様
朝一番の参拝
高野山入口 女人堂前
護摩祈祷の案内
日曜日の写真です。
志賀弘法会はメンバーが高齢化していますが、高野山参拝の前には必ず慈尊院を訪れ、金剛峯寺と奥之院のほかに、添付した三宝荒神社と女人堂、波切不動尊へは必ず立ち寄って参拝してきました。
かつては大所帯で八十年以上の歴史を重ねてきましたが、最近は高齢化だけでなく車イスも必要になり、今回の高野山は2台の車イスと同行する参拝となっており、運転手の私だけでなく家内の介助も必要になってきました。
四国遍路も参拝時は午前中は何も口に入れてはならず、帰宅する最終日の午後にならないと買い食いやお土産も購入できない厳しい巡礼でしたが、最近は私が良いと言えば代表から許しがでるようになりました。
そんな訳で、奥の院一の橋にある「あゝ同期の桜」の塔に立ち寄り、私個人が尊敬する鶴田浩二さんのお墓に参拝する間も全員で待っていただけるようになり、志賀弘法会の高野山の巡拝日程にも入っています。
時々ですが参拝中に、高野山を案内するガイドさんから「この奥に鶴田浩二の墓があります」との声が聞こえることがありますが、敬称の有無は別にしても、お墓は指さすものではなく手を合わせるもののため、せめて「合掌」でも薦めて欲しいものです。
奥の院には戦国武将から有名人のお墓も奉られていますが、「織田信長の墓」とか「上杉謙信」と敬称もなく呼び捨てにされるのを耳にすると、慰霊のために建てられた先人のお墓がないがしろにされているようで一抹の寂しさを感じさせられます。
明日は金堂で催されていた弘法大師生誕1250年法会や、壇上伽藍、御社、六角経蔵、宝亀院の参拝を貼付する予定です。
2022年12月22日の一言
コロナ禍で2年ぶりとなる志賀弘法会の高野山でしたが、車イスが2台必要となり奥之院の駐車場から参道を押していくことが困難になったため、宿泊場所となる総持院さんのご配慮によって、奥之院納経所横に車を停めることができました。
2021年11月22日の一言
「ここは撮影禁止なんですよ」と言っても、無視して御廟橋の奥でカメラを構える観光客と、注意もしない旅行社の先導役に、世界文化遺産になりコロナが沈静化して参拝客は増えたものの、燈籠堂奥の大師御廟前にも参拝しない物見遊山の観光客が増え、読経中の参拝客の横で遠くから神社のように投げられる賽銭が音を立てます。
志賀弘法会では数十年前から御廟前で豆を持って7回往復して参拝してきましたが、観光客の多さから高齢のメンバーでは危険なため今年は断念しました。ましてや、参拝目的でない団体の観光客と遭遇すると車イスは御廟前に行くことも困難となります。
宗努所へ
高野山は土曜日と日曜日に参拝を続けましたが、奈良県内で京奈和道路の整備が進捗したため、愛知県から大幅に時間短縮ができたことと、今回は奥之院の奥まで入れたことで参拝にかかる時間も大幅に短縮されました。
高齢のメンバーで、2台の車イスと同行する高野山ですが、納経所の温かい対応や案内によって日曜日は1250年を記念する法会の僧侶の行列も見物でき、総持院のスタッフの協力によって観光客では判らない名所まで足を延ばすことができました。
昨日の様子は明日に貼付します。
名古屋第一赤十字病院 中村日赤
「痛みは無いけど尿路結石のようです」
「内視鏡で診てみましょう」
「えっ、今からですか…」
「あったら取った方が安心でしょう」
9時から余裕の診察だったものの、急遽処置室で検査を受けることになり、結石が外来で対応できる大きさより大きかったため、無理すれば取れそうな雰囲気でしたが、万が一の痛みを考えて改めて手術で取りだすことになり、2週間後に入院することが簡単に決まりました。
医師の話では太い内視鏡で外来でも処置できそうな雰囲気でしたが、「痛いのは嫌でしょう」の一言に、手術の前日入院して手術の翌日に退院する予定で7月5日の入院が決まりました。
これからが大変です。入院前検査で血液の採血と心電図、レントゲン検査があり、その合間に入院手続きと、看護師さんと薬剤師さんの説明と案内があり、普段は10時には自宅に帰っているものの、本日は昼を過ぎても帰れないばかりか、予定しない検査で支払い金額も心配になる通院となりました(笑)
「経尿道的膀胱結石摘出術」は2年前にも受けていますが、身体に傷は残らないものの、下半身麻酔で生々しい手術室の様子が判るため、痛みよりも手術の怖さとその日までのストレスは大きく、ガンとか心臓や脳内の重大な手術ではないものの、手術の2日後に予定していた上高地行きは文句無く断念となりました。
さて、70歳を前にして病院への通院が必須となっており、上高地や四国遍路に行くために健康管理をしているような状態ですが、私よりも体調が悪いのに診察も受けていない知人が存在することを考えると、何か異変が起きるか痛くなるまで病院へ行かないくらいの性格になれたらとも思う一日ともなりました。
さて、明日から2日間は久しぶりとなる志賀弘法会のメンバー10人との高野山行きとなりますが、メンバー全員が重篤な病気か高齢者ばかりのため、私の身体の心配をかけ私への加持祈祷になってしまうのを避けるため元気印で旅立ちたいと思います。
最近のクマ目撃情報
小梨平キャンプ場へ
2020年8月9日の一言
三年前の8月に上高地の小梨平キャンプ場でクマによる人的被害が起こり、小梨平キャンプ場周辺のササが刈り取られ景色も一変してしまいました。
三年前の事故についても、元々は県外へ出てはならない外出自粛中の東京都の女性がテントに匂いがする食料を持ち込んでいたことが原因で、これまでクマの人的被害の無かった上高地はこれによりキャンプ場は休止となりました。
日曜日は偶然にも取材を受ける野生動物香取専門官と出合い、取材する記者が元朝日新聞社の山岳専門記者だったことから、ずうずうしくも同行させてもらいました。
三年前の事故当日も現場近くにおり、事故後の対応も見てきたわけですが、外から見ただけでは判らないキャンプ場内で改善された対策を細かく聞くことができ、クマの生息地である上高地へ人が入っていくという現実を改めて実感させられました。
もっとも、上高地で半年間テントを張ってきたホームレス画伯こと渡辺さんは、一度もクマの脅威を感じないままに生活しており、適切な行動によってクマの被害に遭わない対応が重要です。
現実には三年前の事故によって、それまでのように家族とテントを張って楽しむ気分にはなれませんが、人の居ない離れた場所へ一人だけでテントを張っている人を見ると、クマの被害を起こさないため観光客への啓蒙の重要性を実感させられる同行となりました。
大胆に刈り取られたササ原によって、小梨平の風景は変わってしまいましたが、キャンプ場で実施されていた細かいクマ対策を聞くことができ安心感も実感させられました。
水の美しい梓川 河童橋と穂高連邦
岳沢湿原の水
小梨平を流れる中川
明神館近くの水
一年を通じて約6度の水温
上高地を訪れる観光客の多くは透き通る梓川の水に感動させられますが、上高地で一番綺麗な水は清水橋の下を流れる清水川で、六百山から湧き出した水が毎秒1トン流れ、一年を通じて約6度の水温は夏に涼しく冬でも凍りません。
2022年8月17日の一言
そして、上高地の帝国ホテルや各施設の飲料水は清水川の水が利用されており、六百山から湧き出してわずか300メートルで梓川と合流するため、清水橋で飲む水は安全と言われており、私も過去から現在まで何度も口にしてきました。
「清水川の水は安全ですね」
「飲んではいけないよ」
「えっ、飲んでも大丈夫でしょ?」
「良いとは思うけど、もっと綺麗な水があるよ」
これは日曜日にボランティアの先輩との会話です。
そして、一番綺麗だと言われた場所が下記に添付した場所です。
現在地は河童橋の近く
添付した場所は、河童橋からバスターミナル方向へ30メートル歩いた場所で、特別名勝天然記念物の碑の道路沿いに湧き出る水路で、近くに公共トイレが存在するため排水路のようでイメージは悪いものの、確かに山から湧き出てくる湧き水でした。
わずか湧き出して300メートルでも清水川にはマガモが泳いでいたりニホンザルも生息しているため、100パーセント安全とは言えませんが、ここから汲んできた水を飲み忘れていたことがあり、半年後に飲んでも何も体調異常は起こりませんでした。
かつて、小梨平から明神まで梓川左岸側に湧き出ている水を飲んで、「美味しい」と感じたことがありますが、その場所が何処だったか思い出せないため、今年は上高地から湧き出る美味しい水を探してみたいと思っています。
新宿行きの高速バス 停留所
奈良井大橋
ダイナミックです
大橋東側
奈良井川 上流木曽方面
昨日の写真です。
5月31日に記した奈良井宿の一言
先月上高地の帰り道に訪れた奈良井宿ですが、昨日は展示保存されているSLを国道19号線から道の駅奈良井木曽の大橋から奈良井川を渡って訪れました。
観光地である奈良井宿は中仙道を行き来した江戸時代までタイムスリップしたような感覚に浸れる宿場ですが、 その裏側でごく普通に生活する 地元の人たちの生活を垣間見ることもできました。
奈良井宿に展示 保存されている 蒸気機関車の横を走るJR中央本線を、長野行きのワイドビューしなのや、中津川行き普通列車が音を立てて走っていくことにも時代を感じさせられます。
個人的には 奈良井宿と薮原の宿場をつなぐ 鳥居峠へ行きたいものの、車の通行が禁止されており歩いて行くことはできても時間の余裕がない 生活が残念です。
2日前に家族で食したパイナップルのヘタの部分を、本日は2年前と同じコーヒーカップの中に入れて、挿し木にするための発根を待ちます。
2年前にスーパーで購入したパイナップルは食べられる代物ではなく、収穫から日数が経過して葉の先が枯れかかっていましたが、その子供にあたる2年後のパイナップルは親よりも大きく甘くなり、葉の先も青々としています。
過去に何度も失敗したパイナップルの挿し木も、直接土に挿さず水の中で発根したのを確認してから植えると成功する可能性が高く、植えつける土に水はけの良い鹿沼土や赤玉土を混ぜ、冬は温かい室内に入れると大きく成長して実をつけます。
もっとも1回だけの成功例ですから、本日からまた2年か3年先の結実を目標にしていますが、収穫後の親株の葉の脇から生えるくるる吸芽(きゅうが)も次の果実を成らせることができるので、しばらくは親株の成長にも期待しています。
ただし、パイナップルは葉(冠芽・かんが)が尖っており、大きく成長すると通るたびに突き刺さって痛いため、置く場所も考えると大きなスペースが必要となります。
昨日のパイナップル
先週収穫しました 6月6日
先週収穫した我家のパイナップルですが、一週間の経過によって黄色に色づくだけでなく、甘い香りも発するようになってきたため、昨日包丁を入れて食べることにしました。
可哀想ですが…
台湾から輸入されるパイナップルは、完熟前の青い時に収穫され、スーパーに置かれて売れるまでに時間が経過するため、完熟間際で収穫した我家のパイナップルは甘いだけでなく、挿し木用に残した挿し穂も青々としています。
3年以上かかると思っていた結実が2年で収穫できたことから、2年前のパイナップルの孫にあたる挿し穂の発根を待って2年後の収穫を目標に育てていまきす。
八事山興正寺 中門
愛知県名古屋市昭和区八事本町78
茶堂竹翠亭への入口
墓地と奥之院への道
尾張徳川家の祈願所として、歴代藩主とそれに連なる人々と深い縁を結んできた興正寺。その関係は、開山天瑞圓照和尚が八事の地に草庵を結んだことに始まります。
長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り、豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は西山普門院と東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ、諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。
時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています。
長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り、豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は西山普門院と東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ、諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。
時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています。
本日は NPO法人の運転履歴という申請書類を受理するため 名古屋市天白区平針にある 愛知県運転免許試験場の安全運転センターを訪れました。
わずか10分の仕事で駐車料金 500円は高いと実感すると、数日前の西国巡礼の 高額 駐車料金が脳裏に浮かびました。
基本的に真言宗のお寺は駐車料金とか拝観料とは無縁のお寺が多く、そんな反動から帰り道に存在する八事山興正寺へ参拝することとし、本堂だけでなく奥之院や山内総てのお堂にお参りしてきました。
興正寺は高野山真言宗のお寺で、歴史は新しいものの愛知県では真言宗を代表するような存在で、誰もが本堂の中の御本尊の前まで進んで手を合わせられる庶民的な寺院です。
西国巡礼の観光客のような巡拝とは違う四国遍路の感覚で参拝してきました。久しぶりの感覚です(笑)
裏庭のアンズ
2020年6月13日の一言
2018年6月1日の一言
2013年6月9日の一言
三日前の土曜日の朝、西国巡礼に出発する前にかつては我が家のアンズの木に登って アンズを収穫し、毎年アンズジャムを届けてきた恩師のお宅に立ち寄りました。
しばらくして、涙を流した 家内が戻ってきて、恩師の奥様が 昨年8月に亡くなり、恩師も今年5月に亡くなられていたことを告げました。
今にして思えば、お二人とは平成13年に一緒に 四国遍路へ旅立ち、西国 、坂東、秩父の百観音も一緒に巡拝したことから、家内は恩師の奥様とは親子か姉のように接してきただけに、家内は親を亡くしたかのようなショックを受けていました。
我が家のアンズを通じて、多くの交流が続いてきましたが、毎年同じように当たり前のように熟するアンズとは違って、多くの知人が鬼籍に入って行きました。
そんな想いを懐古しながら本日もアンズジャムが作られていました。
第10番寺から第15番今熊野観音寺まで
昨日訪れた今熊野観音寺は京都の泉涌寺の中にある弘法大師が開基したお寺です。泉涌寺の山内にあるため、泉涌寺の塔頭寺のように思われますが、空海がここで熊野権現に授けられた十一面観音を自ら彫った観音像の胎内に納め、嵯峨天皇の勅願で堂宇を建立した歴史あるお寺です。
新那智山観音寺 鳥居橋 通称名は今熊野観音寺
京都市東山区泉涌寺山内32
観光寺院の多い西国三十三所の中で唯一拝観料も駐車場も無料の寺院で、開基した空海が熊野権現に授けられた観音像を本尊の胎内に納めたお寺だけに、修験者や山岳信仰の流れを残しており、本堂前の境内には神様の熊野権現の社が奉られています。
「西国の二ヶ寺で一万円近くかかって」
「うちは駐車場も拝観料も無料だから」
「やっと四国遍路のような雰囲気で参拝できました」
「秋のモミジの紅葉の時にも寄ってよ」
「はい、勿論ですね」
土曜と日曜日の2日間で初めて大きな声で読経し、納経所でゆっくりと会話を交わすことができましたが、西国だけでなく拝観料と駐車料金が当り前の京都市の中で、何度訪れても賽銭だけで巡拝できる環境と、真言密教と山岳信仰の雰囲気を残す雰囲気は西国巡礼で私が一番好きな環境にあります。
昨日に引き続いて西国観音巡礼です。
開門前から長い行列です
第10番三室戸寺
山門まで行列が続きます
やっと石段へ
本堂境内
アジサイ鑑賞の観光客
本日最初に参拝した三室戸寺の納経時間は8時30分からで、30分前に駐車場に到着したもののすでに駐車場は満杯状態で、開門を待つ人々で長い行列ができていましたが、覚悟して納経所を訪れると朱印を待つ人は殆ど無く、本堂へ参拝する人も皆無の状態でした。
ただし、西国三十三所会の監修した「西国巡礼」には500円と記された拝観料が千円になっており、わずか30分の駐車場の料金も千円徴収され、家内と2人の参拝で3千円と納経料の出費は参拝の対価としては「ぼったくり」としか思えない朝になりました。
第15番今熊野観音寺
大師堂
そんな中で次に訪れた第15番観音寺は、四国遍路と同じように拝観料や駐車場は無料のままで、観光客のいない雰囲気から久しぶりに「弘法大師」を身近に感じ、「秋のモミジの時期にも来てください」の一言に「はい、必ず」と素直に応えていました。
第11番醍醐寺 五重塔
大師堂
醍醐寺の駐車場自動清算機
「紙幣が飛んでいく」西国巡礼の典型は次に訪れた「醍醐寺」で、本来の参拝場所である上醍醐寺(拝観料無料)への厳しい山道が麓の醍醐寺観音堂で済ませられるものの、かつて千五百円だった拝観料が千円で澄んで喜んでいると駐車場の清算機が示した2千円の料金の高さにびっくりです。
門前にある民間の有料駐車場に一日最高六百円の看板があり、1時間程度で2千円もの駐車料金をお寺の運営する駐車場が徴収する現実は、観音堂巡拝だけに訪れる参拝者としては「お金持ちの西国巡礼」を象徴するような参拝です。
先に添付した三室戸寺と醍醐寺だけで家内と一万円近い出費は切実で、「貧乏人はお寺に来るな」と言って欲しい心境になってきます。
貧乏人を実感させられる本日の西国巡拝となりましたが、本日は六ヶ寺のうち四ヶ寺が真言宗のお寺で、それぞれに大師堂が存在したことから、弘法大師と一緒に歩く「同行二人」のような自分に正直な巡拝になりました。
そして、ここから滋賀県を東向きに一直線で、永源寺から三重県いなべ市経由で一般道の運転を楽しみましたが、かつて自動二輪で走っていた当時とは道路環境が大幅に改善されており、まだまだ未踏の地が存在することから足を向けたいと思います。
こんな元気なままに「お大師」と行動できる日々が続いて欲しいものです。
愛知県警察運転免許試験場
玄関前
中央ホール
自動車安全運転センター
本日は福祉有償運送ボランティアに参加するメンバー全員の運転履歴証明書の申請に愛知県天白区にある安全運転センターを訪れましたが、申請代金だけでなく新装となった駐車場代金500円も必要となり、昨年度は赤字のNPO法人だけに私の出費となっていきます。
もっとも、元々が利益を期待しないボランティアだけに、こんな気持ちになるのは私自身が年齢を重ねた老化が原因と思いますが、そろそろ自分自身がサービスを受けられる体制への改善は急務で、今年は少し頑張ってみようと思います。
本日提出した申請書は、来週火曜日の夕方以降に受理できるとの話で、再度出向くことが必要となりますが、どうせ車を走らせるのであれば名古屋で寄り道できる楽しみを見つけて走りたいと思います。
裏庭のアンズが当たり前に熟して家内がジャムにしていますが、同じくオニユリも毎年同じ場所で大きく成長して、たくさんの花を咲かせます。
2022年7月25日の一言
2013年7月15日の一言
植物にも病気はあり、枯れてしまうこともありますが、自分たちに適した場所で毎年繰り返される世代交代はひじょうに強く、私が植木鉢やプランターに植えた草花とは違い、毎年同じ場所で花を咲かせるオニユリは今年も昨年より太くなって成長しています。
今から10年前に「二十年来のオニユリ」と記していますが、今年は「三十年来のオニユリ」として、私の父親が健在だった頃と同じ花を咲かせると考えると感慨深いものがあり、私が鬼籍に入っても咲き続けてくれるものと思われます。
ミニきゅうりが続々と…
では、また明日へ
私のかかりつけ医 津島市東愛宕町
健康診断へ
かかりつけ薬局へ
本来の予定では火曜日の夜に四国へ出発する計画でしたが、ボランティアの福祉有償運送の申請書や納税を済ませたものの、来月開催される運営協議会の日程を逆算すると、本日は自分の健康診断を受けて、警察に提出する申請書を届け、明日名古屋市の運転免許試験場にある安全運転センターへメンバーの運転記録証明書の申請に訪れることにしました。
三年に一度開催される運営協議会ですが、三年前に次の協議会に役立つようにパソコン内に整理して記録したことが逆にアダになって、過去のように文書として紙に記録して残した方が年寄りには楽なことを実感する一日ともなりました。
逆に、それは仕事を後回しにしていると大変な来週を迎えていたことになり、出発を断念したことでゆっくりと明日以降の段取りが進められました。
本日はパソコンと格闘する一日となりましたが、有償運送の申請書類は特殊な仕事で、誰でもができない専門知識を必要としており、当たり前に続けてきたNPO法人を移送サービスを維持するためには責任を分担して維持する必要性も感じさせられます。
今回作成中の申請書類を司法書士に依頼すると20万円を提示されたことがあり、利益を求めない福祉有償運送を維持するためにも目に見えない苦労があることは、参加しているボランティアにも理解されているとは思えず、これまで当たり前に行ってきた活動にもストレスを感ずるようになりました。
明日も今日の続きとなりますが、週末は完全なる解放感を実感したいと思います。
本日の写真です。
2年前にコーヒーカップで発根したパイナップルの実が熟し、実の重さで倒れたままとなたため、本日覚悟を決めて収穫しました。
まだまだ青いと思っていましたが、下部は黄色くなっており、切り口からパイナップルの甘い香りがただよってきました。挿し木することを決めた時は、まさか熟して食べられるとは思ってもおらず、3年はかかると思っていましたが、2年で購入した親よりも大きく成長しました。
真冬でも夜間も20度以上に温めた私の事務所で育てていたことが、他のミニトマトやブーゲンビリアとともに部屋を彩ってきました。
今年4月15日の一言
さて、しばらくは皿の上で鑑賞し、切なくて切って食べたいとは思えませんが、2年前に購入した親は腐って食べられなかったため、家族全員で食してから再度孫となる上の葉を挿し木して次世代へ引き継いでいきます。
津島税務署
本日の写真です。
福祉有償運送はボランティアですが、低額であっても移送の料金をいただいて活動しているため、税務署の確定申告が必要となり、料金はそのまま運転者に支払われ、NPO法人としての利益は1円もないため基本的に税金の支払いは発生しないものの税務署への申告は必要なため本日訪れて手続きを終えました。
その税務署の申告済みの控えを持って県税事務所に出向きますが、津島市にある愛知県の海部事務所でも申告は可能なものの、法人税に手馴れた職員が不在で手続きが面倒なため、一宮市の県税事務所まで直接出向きました。
NPO法人としての利益は無いどころか、必要となる経費を差し引くと赤字となりますが、法人として最低となる定額の法人税は支払い義務があり、愛知県の手続きと納税を終えてから津島市の税務課に出向いて、こちらへは法人税の納税猶予を申請しました。
毎年のことゆえに簡単にいきますが、法人の手続きとしては3月に愛知県社会福祉協議会へボランティア保険を契約し、確定申告後に愛知県へ活動報告書や収支報告書を提出すると書類の申請は終わります。
ただし、ボランティアとは言え有償で活動しているため、運輸局の許認可が必要で3年に一度開催される運営協議会へ提出する書類は50ページ以上となり、毎年報告する運行実績表は集計には数日かかります。
ボランティアの高齢化は深刻で、利益にならないのに責任のある移送ボランティアは不足し、何よりもタダ働きとなる一連の書類作成と各種の行政への申請や報告は、私が不在となれば大変なことになり、先のことを考えると大きなストレスとなってきますが、とにかく今年の半分は済ませたためホッとする一日とはなりました。
我家のミニきゅうり
キュウリの花
本日の写真です。
2年前にプランターのイチゴから出たランナーによって、昨年は20本以上のイチゴに増えていましあが、真夏に放置してあったことから全滅してしまいました。
ところが、全滅したと思っていた中に1本だけ芽を出していた苗があり、大切に冬を越させたところ5月には甘いイチゴをたくさん実らせました。
2020年7月25日の一言
2018年5月10日の一言
2017年2月13日の一言
そんな我が家のイチゴのルーツを調べてみたところ、6年前にホームセンターで購入したイチゴであることが判りました。
ブログに貼付してきたことで読み直して判ったものの、畑のイチゴはいつからあるものかルーツも判りませんが、身近なプランターゆえに継承して我が家の家族のような存在になっていました。
本日、愛知県は朝から晩まで激しい雨が降り続ける一日となりました。
貼付したアンズジャムは、我家に2本のアンズの木があるため今から二十年以上前から当たり前に作られてきました。
2020年6月7日
事務所前のアンズは長野県更埴市出身の知人からいただいた樹木で、この木に咲く花が綺麗だと地域で評判になったため、私の父親が何処からか購入してきたのが裏庭のアンズの木です。
2014年6月7日
同じアンズの実ではありますが、花も結実も事務所前のアンズが一週間ほど早く成熟し、事務所前のアンズは黄色で柔らかく、裏庭のアンズは大きく桃のように赤みがさしますが、今年は一気に温かくなったため、同じように成長しておりまもなく裏庭のアンズも熟してきます。
さて、しばらくはアンズが熟してジャム作りが続きますが、5月のサクランボからアンズ、そしてこれからブルーベリーが実をつけますが、年齢を重ねたことで月日の移り変わりが早まっており、気がつくとあっという間に秋の柿が終わっているのかも知れません。
旧中仙道奈良井宿
日曜日の写真です。
日曜日に訪れた奈良井の宿を添付しましたが、三ヶ所の資料館と10軒の宿泊施設があり、五十軒以上の土産物店と食事処のある木曽路を代表する宿場町です。
木曽11宿には奈良井から次の塩尻方面の宿場は贄川宿となっていますが、奈良井と贄川の間には木曽平沢宿が存在しており、今回は通過していますが贄川宿より昔ながらの建物が残されており、次回の上高地の帰り道に立寄ってみたいと思います。
奈良井宿から木曽平沢宿は徒歩で30分程度の距離にあり、木曽路の難関となる鳥居峠から薮原の宿場まで三時間程度で歩けると案内されていることから、JR木曽平沢駅から奈良井の宿を通ってJR薮原駅まで歩くと江戸時代の雰囲気が味わえる魅力を感じます。
車は国道19号線で鳥居トンネルを通過してしまいますが、車で鳥居峠を目指すのも道中の一里塚や茶屋等の存在から魅力あるコースで、先週立寄らなかった奈良井宿に保管されたSLとともに訪れてみたいと思います。
奈良井宿の看板
日曜日の写真です。
木曽路では妻籠の宿と同様に規模の大きな宿場町で、過去に何度も訪れていることを買ってきた傘や杖とともに、団子屋さんの店頭で実感しましたが、無人駅の多い木曽路のJR中央本線の中で駅員さんの居ることでも宿場の存在感を実感させられます。
奈良井宿には複数の寺院や神社が存在しており、それらについては後日の添付とします。
28日(日)午前6時30分
車載の食料と調味料など一式
朝はヨーグルトにバナナと調理パン
夕食前の赤ワインも積んできました
グレンパークさわんど
前日の土曜日(27日)は午前5時15分に愛知県を出発し、高山市経由で8時前に釜トンネルを通過しバスターミナル駐車場に愛車を停めましたが、この時期の夜の上高地は非常に寒いため、夕方に沢渡まで移動して温泉に入り、グレンパークさわんどを車中泊の場所としました。
午前7時13分
大正池
バスターミナルへ
基本的にボランティアに参加する時は、さわんど足湯公園前の駐車場に車を停めますが、今回は同行するボランティアメンバーが大きな荷物を持参したことと、上高地で半年間生活する渡辺画伯へ生活必需品を届けるため愛車で上高地へ入りました。
もっとも、上高地はマイカー規制で自家用車は入れないため、青ナンバーのタクシーを所有する私ゆえに可能なことで、上高地内で車中泊ができるのは私だけかも知れません。
2日前の写真です。
週末2日間の天気は快晴に恵まれていましたが、翌日となる昨日は一転して激しい降雨によって落石事故が起こり、落石の除去等の作業により上高地公園線は午前10時から午後1時まで通行止めになりました。
29日(月)午前10時のFacebook
しかし、通行止めが解除となった直後に、今度は雨量が多く午後4時30分から再び通行止めが決まり、バスやタクシーも4時からは運休となりました。
午後1時18分のFacebook
そんな散々な天候となった月曜日でしたが、翌日の本日早朝には快晴の上高地の写真が発信されてきました。
本日(30日)朝のFacebook
ただし、午後には昨日の降雨により焼岳小屋近くの登山道が土砂崩れによって通行ができないことと、復旧の見通しが立っていないと発信されてきました。ネット社会になっても上高地の電波状況は悪く、時間に遅れると上高地から出ることもできず、土砂崩れの現場より上にいる登山客は上高地へ戻ってくることもできません。
5月も明日で終わり、6月は四国遍路と高野山行きを予定しており、上高地行きは17日までお預けとなりますが、河童橋にある五千尺ライブカメラと、インフォメーションセンターが連日発信する映像や写真によって愛知県に居ながら上高地にいる臨場感を味わえることに便利な世の中も実感させられます。
昨日の写真です。
私は昭和49年に初めて上高地を訪れましたが、平成11年からは小梨平で長期滞在するようになり、今から二十数年前からは河童橋で油絵を描き続ける渡辺画伯のテントの隣に家族でテントを張るようになり、千葉県のお宅を訪ねるほど身近な存在となりました。
そして、渡辺さんを通じて上高地で多くの人たちと出会いました。かつてはテントに「世界の交差点」と記されていましたが、私がブログに発信した「ホームレス画伯」を見た外国人も訪ねてくるようになり、まさに世界の交差点にもなりました。
4月29日(土)
環境省のボランティアMさんと
ビジターセンター前で一服です
今年の渡辺画伯は4月22日に千葉県旭市の自宅から上高地へ入っていました。
4月30日(日)
5月2日(火)
ここだけは 時間が停まっています
イギリスの親子と
学生時代に英語をまったく勉強しなかったため、外国人には声も掛けられませんが、画伯は日本人でも判らない千葉なまりが強いものの、外国人観光客とも気軽に(勝手に)話しかけられる神経と言葉が通じなくても相手が喜んている現実は見習いたいものです(笑)
5月3日(水)
5月13日(土)
はい、チーズ
かつては私より背が高かった画伯も84歳となり、永いテント生活で背中が曲がって小さくなりました。
しかし、ストレスの無い上高地の生活は半年間医者とは無縁となり、84歳とは思えない薬も飲まない健康な生活を続けてきました。
「お茶でも飲んでくかい」が口癖ですが、画伯の部屋に入るのは危険で、気をつけていても座ったおしりに絵具が付くので要注意です(笑)
さて、こんなストレスの無い交流が続いて欲しいものです(笑)
観音正寺
滋賀県近江八幡市安土町石寺2
観音正寺は、滋賀県近江八幡市安土町石寺にある天台宗系単立の寺院。山号は繖山。本尊は千手観音。西国三十三所第32番札所。観音寺城跡の、琵琶湖の東岸、標高433mの繖山の山頂南側の標高370m付近に位置する。
険しい石段です
久しぶりの西国巡礼と言うよりも、四国遍路も共通して言えることは、二十年前の若い時のイメージをそのまま引きずっているためか、七十歳を間近に控えた体力の衰えを実感させられ、観音正寺の石段も辛く四国よりも辛くなってきました。
もっとも、辛いのは体力の低下ばかりではなく、駐車場や拝観に必要な料金も年金受給者となった現在では二十年前とは違って大きく感じてしまいます。
観音正寺の林道についても、初めて訪れた二十年前だけでなく6年前にも麓から当たり前のように登りましたが、今回は歩く気力が湧かず山上駐車場を目的地にしたところ、登り口で600円の通行料が必要で、やっと登った境内入口では500円の拝観料が求められ、「志納」とは記されているものの当たり前に徴収となります。
最近では四国遍路でも道路の通行料や駐車場代を求められるお寺がありますが、基本的に駐車場や拝観料は無料で、世界文化遺産となった高野山でも駐車場は無料で、特別な庭園などへ入らなければ無料で参拝が可能です。
さて、3日前の西国巡礼では白衣姿の巡礼者とは一人も会わず、読経する声や線香の香りもない孤独な巡礼だったことも私の疲れを大きく増幅させたように思います。
明日からの2日間は上高地のボランティアに出かけますが、明日は笹原をかき分けて湿地に生える「ミズバショウ」の除去が予定されており、観光地では人気のミズバショウも上高地では外来植物となり、「長靴と汚れてもよい服装」での参加が求められています。
家族から「遊び、遊び」と言われていますが、「沼地のミズバショウ除去」は大変な作業で、過去の体験から「2度と参加したくない」と冗談を飛ばした作業は人目にはつきませんが、こんな作業が上高地の環境を維持しています。不思議なことは、昨年膠原病に罹患していても四国遍路と上高地だけは「疲れた」と言わないことに、我が身の不思議を実感させられています。
長命寺は推古天皇27(619)年に創立された天台宗系で聖徳太子が開基した西国観音巡礼第31番のお寺です。
長命寺の建つ奥島山はかつて山そのものが神の宿る御神体として信仰されており、本堂奥の山腹には多くの巨石も残されており、神仏混合の歴史をとどめていました。
かつては歴代天皇の健康長寿が祈願されたことが長命寺の由来とのことですが、近江商人や奉公人の出世と長命も祈願する観音様として信仰を集めたお寺で、境内の鳥居をくぐると稲荷大明神や太郎坊大権現が奉られていました。
長命寺から眺める琵琶湖や麓の近江八幡の街並みから、いわゆる日本の山寺らしい雰囲気を実感する参拝となりました。
本日の写真です。
本日は当初予定していたスケジュールが空いていたため、鉛色の空模様を眺めて突然西国三十三観音へ行くこととし、三重県いなべ市の石榑(いしぐれ)トンネルから滋賀県へ入って三十一番長命寺と三十二番観音正寺を参拝してきました。
かつては関ヶ原経由か西名阪自動車道の高速道路が当たり前だった滋賀県行きも、いなべ市経由の石榑(いしぐれ)トンネルが開通したことで、一般道から簡単に訪れることができ、本日のように10時近い出発でも気軽に巡拝できるようになりました。
また、本日は2カ寺だけの巡拝ですが、境内すべてのお堂を訪れて参拝できたのも自分一人の行動ゆえの結果で、長命寺の太郎坊大権現にも参拝できました。
長命寺と観音正寺の詳細については後日に添付していきます。
本日の写真です。
私にとって毎月21日はお大師様の日で、何事もなければ町内のお寺の本堂で「阿息観」という瞑想法の座禅を組んでいます。もっとも、かつては名古屋市北区で開催されている志賀弘法会の代表を送迎していましたが、現在は家内に任せて阿息観だけの一日となっています。
身体中の空気を細胞を絞り出すような感覚で掃き出し、深く吸い込めるだけ空気を大量に吸い込み、一時息を止めた後に、ゆっくりと時間をかけて吐き出す呼吸サイクルの繰り返すのが阿息観という瞑想法です。
阿息観は今から千二百年前に空海が中国から持ち帰った「阿字観」の一つで、真言密教の僧侶だけに引き継がれてきた真言宗の瞑想法ですが、現在は一般の信者にも広く開放されるようになり、私も最初は高野山まで行って参加していましたが、地元のお寺で開催されていることを知ってから参加するようになりました。
それが今から12年前の話となり、私が四国遍路に行くようになって22年も経過している現実にも驚きしかありません。
2011年7月21日の一言
数年前には、自己勝手流の瞑想ですが、目をつぶって自分が座っている場所を高野山奥之院の御廟前と、上高地の小梨平で穂高連峰を望む場所に設定し、我が身が現地へ転送されたような錯覚を感じて座っていたこともありますが、体力的に衰えたためか最近は現地と同化することができなくなりました。
前記したように空海によって伝承されてきた真言宗の瞑想法ですが、最近は健康法としてテレビで専門家によって同じような呼吸法が案内されており、医師や学者も科学的に紹介するようになりました。
仏教嫌いの人や、四国遍路や真言密教を邪教と言う新興宗教も存在するため、この阿息観が医学的にも有効な呼吸法として理解してもらうため、アメリカアリゾナ州立大学の先生が提唱する呼吸法を添付します。
アメリカ・アリゾナ州立大学のアンドルー・ワイル博士が提唱する「4-7-8呼吸法」と呼ばれる瞑想呼吸方法
息を吐く
息を深く吸うためには、まず息を出し切らなければなりません。姿勢はできれば楽な姿勢で背筋を伸ばして床に座るのが理想的ですが、仰向けでも構いません。
1 息を吸う
口を閉じて、静かに鼻から息を吸います。心の中で数える4秒間のうちに息を吸います。
2 息を止める
7秒間息を止めます。
3 息を吐く
1番のように再び舌の先端を前歯の付け根に触れるようにカールさせ、8秒間で口から息を吐き切ります。シューッという音がすると正しく息を吐いている証拠です。息を吸う2倍の時間でゆっくり息を吐き切ります。
1〜3までが1つのサイクルで、1回と数えます。この呼吸法により酸素が肺一杯に吸入され全身にくまなく酸素が行き渡るので、体がリラックスするのです。1〜3までが1つのサイクルで、1回と数えます。この呼吸法により酸素が肺一杯に吸入され全身にくまなく酸素が行き渡るので、体がリラックスするのです。
仏教も究極の目標は人間の幸福(真言宗の目標は生きている間に仏様になる即身成仏)にあり、幸福の源となる健康は生きていく上での第一歩となり、これからも健康で四国遍路や高野山に行ける体調管理に努めたいと21日になると実感させられます。
本日午後6時41分
本日の写真です。
2月の西国巡礼から、3月と4月は四国遍路に出向き、5月には上高地のボランティアが始まり、今週やっと自宅でゆっくりとした週末を迎えましたが、周りは夏のような暖かい 環境になっていました。
5月になっても上高地の朝晩は冬のように寒く、先週まで雪でも対応できるように衣類を積んでいましたが、数日前から動くと汗が滴るようになり、身体が暑さを実感するようになりました。
そんなわけで 遅れていた車のスタッドレスタイヤを夏用の普通タイヤに交換しました。
さて、明日21日は月に一度となるお寺で阿息観の一日となります。
木曽11宿 宮ノ越の宿場
巴淵
巴淵
長野県木曽郡木曽町日義
木曽川上流
木曽川下流
木曽川が巴状に渦巻く渕であったことからこの名がある。巴御前がここで水浴をしたという伝説が残る。
日曜日(14日)の写真です。
木曽義仲
源 義仲 は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。 ウィキペディア
先週日曜日に訪れた中山道 宮ノ越の宿場の写真を添付しました。
木曽義仲公が亡くなってから1000年以上経過していますが、この地から遠く離れた京の都まで、戦い抜いて進軍していったと考えると感慨深いものを覚えます。
宮ノ越を流れる木曽川を眺めて、川の流れと水の清らかさは当時と変わらないと考えると、今でも義仲公の姿が拝めそうな気持ちになってきます。
何よりも本陣等の歴史的な史跡が無料で開放されていることと、観光資源に頼らず自立して生活する 宮ノ越の人々の自尊心を感じずにはおれません。
この地の木曽川に流した木の葉が、何日で私の住む 愛知県に到達するかは分かりませんが、投じた木の葉を何日でも待ち続けてみたい心境と、川の流れに身を任せて自宅へ帰りたいと思わされました。
2013年11月
添付した写真は、今から10年前に歩き遍路友の会東海のメンバーとともに「讃岐7ヶ所まいり」で、JR 海岸寺駅に降り立った際の集合写真です。
この時に先頭を歩いた上野会長も鬼籍に入られ、メンバーの高齢化により今では四国にすら行けないお遍路も存在するようになりました。
2013年11月21日の一言
昨日12時51分の写真です。
名鉄勝幡駅
午後3時20分の写真です。
来年には70歳となり、昨年膠原病に罹患した私ですが、友の会では若手になることと、四国へ頻繁に訪れていることから、メンバーに新風と四国遍路の新鮮な情報を提供するため 新たに Facebook のグループを立ち上げて発信することになりました。
昨日に開設したFacebook です。
そんなわけでメンバー3人でスタートしたFacebook に、招待したお遍路のベテランが加入していただき 本日 4人のメンバーとなりました。私自身が昨年からFacebook で新鮮な出会いが続いていることから、新たなお遍路の出会いにつながることを期待しています。
日曜日(5月14日)の写真です。
辰野町にある花街道は日本の原風景と言える綺麗な里山風景を残していました。
下飯沼地区の花街道
横川川
道端の道祖神
横川ダム堰堤
ダム本体
ダム湖
放水中
蛇石キャンプ場
案内板
横川渓谷
蛇石?
大蛇のようです
蛇の骨格のようです
恐竜の化石?
随分と長い蛇石です
地元の川島地区には、次のような民話が伝えられています。
横川川の上流で兄弟竜がけんかをし、川が氾濫して下流の村が鉄砲水に襲われそうになりました。それを母子2匹の大蛇が、自分たちの身を犠牲にして救いました。それに感心した熊野権現が、この母子を蛇石に変身させ、兄弟竜を二度とけんかが出来ないように、上流にある大滝に閉じ込めたといいます。
科学万能の現代社会においては、黒色の粘板岩の岩脈に白い石英の岩脈が蛇のような模様を残していると理解できますが、横川の氾濫を救った2匹の大蛇を熊野権現が蛇石に変身させたとの伝承や、太古の時代に存在した恐竜の骨格の化石と言われても疑うことができない蛇石の存在感と、国の天然記念物に指定されていることに納得させられます。
木地師の墓の道標
南無阿弥陀仏
山の仕事を生業としていた木地師の墓が日陰の道路端にひっそりと存在していることに、現代社会のように車で何処にでも行き来できる社会との大きな世相の違いを感じさせられます。
白鳳山瑞光寺
辰野町横川2063
参道
山門
本堂
山門の鐘楼
瑞光寺は、人皇88代御深草院の正元元年(1259)、鎌倉建長寺の開山大覚禅師が、諸国行脚の際、この地に建立した一宇が起こりである。古くは鎌倉に属し、大いに盛んになるが、時代の変遷により衰退した。永禄元年(1558)、武田信玄が、京都妙心寺より周峯和尚を中興開山に招いて、堂宇は悉く旧に復された。また、武田信玄は、周峯和尚に深く帰依し、横川谷を残らず寺領として寄進した。このころより、京都妙心寺派に属するようになり、寺運は栄え、人々の深い信仰をうけて今日に至っている。同寺の庭園は、画聖、雪舟の作である常栄寺庭園の写しである。雪舟庭は、今より500年前に築かれ、その原形がよく保存されていることから史跡名勝に指定、この庭は、雪舟庭の池の部分のみを写したもので、別名「禅苑」とも言い、悟りの境地を表現したものとも言われている。
私の住む愛知県津島市には多くの寺院が存在しますが、長野県の安曇野や松本だけでなく、添付した辰野町や木曽路に存在するお寺は、過去に実在した歴史上の人物や歴史と直結したお寺が脈々と残されており、現代社会で葬式商売と揶揄されるような寺院とは違う、地域と一体となったお寺本来の姿も感じさせられてしまいます。
日曜日は、ここから伊那市を経由して権兵衛トンネルから木曽路へもどり、木曽11宿の宮ノ越の宿場を歩きました。木曽義仲ゆかりの宿の様子は明日に添付します。
善知鳥(うとう)峠
日曜日(2日前)の写真です。
日曜日の天気予報は午前中から雨の予報でしたが、雨どころか薄日がさしていたため、そのまま塩尻市から木曽路へ走る予定を変更して、塩尻市から伊那路の辰野町や伊那市に向けて車のハンドルを切りました。
善知鳥(うとう)峠の分水嶺に立寄り、ここに降り注ぐ雨がたった1メートルの差で北に降った雨は犀川から信濃川へ注いで日本海へ流れ、南に降った雨は天竜川から太平洋に流れる自然界のドラマチックな現実を実感させられます。
さて、上高地ではクマ目撃情報も発信されていますが、塩尻市の蔵造川水路橋を見に行く入り口で、直前にイノシシがエサを探すため道を掘り起こした跡を見つけ、里山においては当り前に動物と遭遇する危険性も実感しながら足を進めました。
下飯沼沢 花街道
建物内
伊那市へ向かう途中の辰野町で「かやぶきの館」の看板を見つけ、車を走らせると「花街道」の看板とともに日本の原風景とも思える里山の川やススキに、横川渓谷の存在とともにダムや蛇石の存在が判り更に車を走らせることとなりました。
さて、「かやぶきの館」の看板から、私は白川郷や高山市の合掌造りを想像していましたが、今までに見たこともない大きな茅葺の建物であることと、宿泊できる施設で蕎麦打ちやはた織り体験、草木染め体験などができる体験型施設であることが判りました。私とは無縁の施設ですが、こんな環境でゆっくりと滞在することもしてみたいですね。
ここから先は、明日に続けて添付していきます。
津島名物あかだとくつわ
本日の写真です。
本日は知人から東京から訪れた知人の案内を依頼され、上高地や四国を案内するガイドブックは多量に存在するものの、地元を案内するパンフレットは皆無で、尾張名所図会を持ち出して自宅を出発しました。
今から30年前に地元の歴史研究家から、津島を案内できる人物としてテレビ局に推薦されたこともありましたが、今では何も案内する資料が無く、50年前に恩師の樋田豊先生に連れられて津島市内を廻った郷土史の資料と、所蔵する尾張名所図会しかありませんでした。
その上で案内を始めた直後にボランティアの福祉有償移送の患者搬送の連絡が入り、病院から自宅へ搬送後に再度津島神社で合流したものの、十分な案内には程遠く、資料無しで案内できる上高地や四国との大きな違いを実感です。津島市の案内もと思ってしまいましたが、身体は一つしかありません。
もっとも、同じ案内でも国立公園の上高地や世界文化遺産登録を目指す四国遍路道のような資源ではなく、人が居ないばかりか現地で勧められた津島神社に隣接する神宮寺は、香炉に参拝した線香のあとも無く、本堂に寺の人も居ない状態で、最後に訪れた観光センターで知人が求めた「何処にでもあるような津島市が判るパンフレット」も無い状態ではガイド以前の問題となります。
さて、明日は早朝から上高地を目指し午後に開催されるボランティアの定例会に参加予定ですが、天候は明日から明後日にかけて雨予想で、日曜日には上高地を出て中山道の宿場を訪れる予定も再考が必要かもしれません。
4月28日夜から5月2日までの4日間は、上高地のパークボランティアのため沢渡足湯公園駐車場に停めた愛車と上高地をバスで往復し、夕方さわんど温泉梓湖畔の湯に通う生活でした。3日から5日は家族と合流して上高地から木曽路へ移動しました。
ちなみに、足湯公園駐車場の料金は1日700円、梓湖畔の湯の入湯料は730円で、今年から足湯公園にはフリーwi-fiが整備されており、無料の足湯は24時間開放されています。
過去にバスターミナル駐車場で車中泊をしたこともありましたが、上高地は標高1500メートル付近にあるため、下界より約10度ほど気温が低く、雪の残る連休中の車中泊は冬の装備が必要となります。もっとも、上高地 へはマイカーが入れないため、タクシーを愛車とする私だけの体験となります。
ちなみに、沢渡の標高は約500メートル低く(標高1010メートルと)なります。
4日 オートレスト木曽路 塩尻市
ゴールデンウイークの写真です。
サービスエリアや道の駅の駐車場で車中泊をすることの是非がネット上でも話題になりますが、松本市から愛知県までの木曽路では唯一仮眠だけでなく 車中泊 大歓迎の施設がオートレスト木曽路です。
建物内は深夜でも明々としており、コインランドリーとシャワーだけでなく、マッサージ器や自販機も置いてあり、明るいロビーで夕食や朝食が食べられるばかりか、外に出なくても通路のあるコンビニで冷えたビールを買ってくることもできます。
私の連休最後となる5日は、御嶽山へ参拝するだけでなく 5ヶ所の滝巡りを家族で楽しんできました。
近鉄電車 愛知県弥富市の高架橋から
本日は早朝から患者さんを弥富市の病院へ搬送し、家内も市内と市外の医療機関へ人を搬入しており、久しぶりにボランティアに徹する一日となりました。昨年膠原病に罹患したため早朝の行動は自粛していましたが、連休の上高地では毎日午前7時のバスに乗っていたことと、来週も上高地へ行くためには頑張るしかありません(笑)
本日の写真です。
添付したイチゴは今年は五年目(?)となるプランターのイチゴで、昨年は二十株ほどに増えていましたが、家内が畑で大量に育てていたことと、昨年は私が膠原病に罹患したため夏の手入れが全く出来ず、たった1本だけになってしまった私の最後のイチゴです。
幸いなことに熟した実はひじょうに甘く、ランナーが多く出ているため、来年には5鉢以上に増やして再来年に繋げていきたいと思います。
さて、ボランティアの一人が体調を崩しており、明日は三人分の仕事を家内と2人で分担することになり、病気持ちの私も複数の患者さんを搬送する事態となりました。
我家は私が膠原病に罹患した昨年からボランティアを加減してきましたが、体調を崩したボランティアは口コミで患者が増えており、ボランティアが高齢化する中では真剣な対応が急務となります。
明神館前から見える明神岳
5月4日の写真です。
6日間ボランティアのために滞在したゴールデンウィークの上高地で、唯一紹介して来なかった明神方面と岳沢湿原の写真を添付しました。
大正池から河童橋まで(約1時間)歩く観光客は多いものの、明神まで歩く人は更に1時間(往復2時間)歩くことから、日帰りツアーの高齢者には大変な旅程となり、魅力ある環境を楽しむ余裕すら ありません。
上高地は大正池から河童橋、 そして小梨平から明神池まで全てに魅力ある環境となりますが、明神からさらに 徳沢まで足を伸ばすと、自然そのものの環境とともに居場所とするニホンザルの行動にも変化が見られます。
今年は一気に 暖かくなり、すでにニリンソウが咲いていますが、天候に恵まれ過ごしやすい環境下で時間を忘れてニホンザルを眺めていたいと思う 上高地 滞在となりました。
今年3月に開花したサクランボが赤くなってきました。
2023年3月14日
10年前にはさくらんぼ狩りに孫も来ていましたが、最近は鳥のギャング「ムクドリ」の貸切状態になっており、赤く熟す前に食べ尽くされてしまいます。
2013年5月10日
2012年5月12日
かつては赤く熟して 枝から垂れ下がっていたサクランボですが、最近は熟す前の黄色いサクランボのうちから ムクドリに食べられてしまい、我々が口にすることもなくなりました。
今年は 一度に暖かくなり サクランボもアンズも一緒に開花しましたが、十分に 熟する前に色づきを始めており、早々に 目の良い ムクドリ たちの標的になってしまったようです。
明後日から上高地へ行くことが決まっていますが、帰ってくる1週間後には サクランボが全てなくなっていると考えると寂しいものがあります。
萬葉公園 一宮寺萩原町
ニッポン城めぐりの攻略地図
愛知県西尾張地方にある城や城跡は全部攻略することができました。
名鉄尾西線
本日は 統一地方選挙の投票日だったため、家族で投票を済ませた午後からニッポン城めぐりで愛知県北西部に位置する城跡を目指して走りました。
道中の一宮市で万葉公園に立ち寄り、木曽川の左岸(愛知県側)に位置する岐阜県川島町の松倉城跡を攻略後に、国営木曽三川公園のフラワーパーク江南を訪れました。
さて、これからは愛知県の尾張東部や知多半島から、三河地方の城や城跡を回って行きたいと思っています。
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