明神館前から見える明神岳

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。
明神館前から見える明神岳
10年前にはさくらんぼ狩りに孫も来ていましたが、最近は鳥のギャング「ムクドリ」の貸切状態になっており、赤く熟す前に食べ尽くされてしまいます。
2012年5月12日
かつては赤く熟して 枝から垂れ下がっていたサクランボですが、最近は熟す前の黄色いサクランボのうちから ムクドリに食べられてしまい、我々が口にすることもなくなりました。
今年は 一度に暖かくなり サクランボもアンズも一緒に開花しましたが、十分に 熟する前に色づきを始めており、早々に 目の良い ムクドリ たちの標的になってしまったようです。
明後日から上高地へ行くことが決まっていますが、帰ってくる1週間後には サクランボが全てなくなっていると考えると寂しいものがあります。
萬葉公園 一宮寺萩原町
名鉄尾西線
環境省のパークボランティアとして、本日上高地で活動している「流山のおっさん」が発信した穂高連邦とニリンソウの写真です。
雲ひとつない青空の上高地は珍しく、昨日は暖かかったと の話に行っておればよかったと思っても後の祭りです。
今年は3月に続いて 今月にも四国遍路へ出かけており、外出が続いたことで、上高地はゴールデンウィークまで お預けと決めていましたが、何よりも私の身体が寒い冬用に戻ることができません。
さて、写真にあるようにニリンソウの花が開花しており、そのことからも 今年は一気に 春がやってきたことを実感させられます。
そうなると 例年より早い花の開花が見られそうで期待が高まりますが、上高地のシーズンオフに出かけていた四国遍路にも熱が入っており、身体は一つしかないことから 贅沢な選択に悩まされる一年となりそうです。
10日前に四国遍路から帰ってから、一週間前には同級生と滋賀県に出かけていたため、やり残していた雑用と身体の静養に心がけていると、今週月曜日に上高地へ入る釜トンネルが開通し、毎年参加してきた上高地のボランティアが週末から始まるものの、雑用すら済ませられない現状から今年の上高地行きは一週間遅れとなってしまいました。
本日添付した藤棚は、かつて「東洋一」と宣伝されていたものの、行政の財政不足が確実に影響して藤棚の長さが短くなり、枝に隙間が空いて青空が見えていますが、「あしかがフラワーパーク」や「はままつフラワーパーク」を視察して最高の藤棚を目指していた先人の努力が忘れられていると思うと寂しい現実です。
この朴の木は、
「平成14年の話となりますが、宿の裏庭(山)に生えていた朴の木をいただく約束から、自分で掘ろうとしていると、雨が降り続ける中をご主人がずぶ濡れになりながら、スコップで掘り起こしてくれた50センチ位だった幼木が、現在では私の事務所の2階の屋根を越えそうな大木に成長し今年は次々と花を咲かせ、新たに蕾も出ている事からしばらくは花が見られますが、ご主人が亡くなられた年に見事な花を咲かせた朴の木に丸山さんと何かの因縁を感じずにはいられません」と、過去のヤフーブログに書き残しておりました。
本日の釜トンネル
新型コロナの感染拡大によって3年間中止されていた開山祭が今年は実施されます。
山の日が制定されて初めての信州四方山祭りが開催されました。女湯の小林綾子さんが気軽にカメラへ応じてくれました。
今年は毎月訪れることを目標にしていますが、年々低下する体力と体調を考えると天候に恵まれることを祈るしかありません。
それでも、正真正銘の大鹿三宅神社ではありましたが、20年前に訪れた場所を探して再度ネット検索すると、鈴鹿市国府町の三宅神社が表示され、「国府」ということで椿大神社から走ってきた道を戻って三宅神社へ走りました。
大鹿のルーツを調べている人が、現地に問い合わせると「愛知県の大鹿さんが詳しい」と言われて全国から連絡を受けていた時期もありましたが、私の発信した「大鹿一族の歴史探訪」は最近全く更新されておらず、私自身も過去の記憶は全く喪失してしまいました。
一方では、かつては皇學館大学だけと思っていた伊勢大鹿氏の研究も、各地の大学関係者や鈴鹿市の考古博物館など研究者によって大鹿廃寺や古墳が調査されており、これからは鈴鹿市へ足を運んで伊勢の大鹿氏の全体像を勉強したいと思います。
また、一時は全国で活躍される大鹿さんとの交流も心がけていましたが、複数の先輩たちが鬼籍に入ってしまわれ、新たに活躍される大鹿さんの存在も把握していきたいと思います。
椿大神社の後で訪れた大鹿三宅神社は、およそ20年ほど前に訪れた場所とは大きく離れており、住宅地で規模も小さい神社だったため、再度ネット検索して別の場所にある三宅神社を訪れたものの、こことは違うため更にネット検索して3ヶ所目の神社を訪ねました。ここも大鹿由縁ではあるものの、20年前に訪れた大鹿神社とは違いました。
さて、20年前に訪れた大鹿三宅神社は何処にあるのでしょうか?
顛末は明日以降に転載したいと思います。
最初に挿し木をスタートしてからのブログと写真です。
コップに入れました
発根しました
さて、ネットでもパイナップルの挿し木について写真つきで発信されていますが、簡単に見える挿し木も失敗する人は多く、私自身も過去に何度も挿し木に挑戦したものの、一度として成功したことはありませんでした。
今回の挿し木については、ホームセンターで購入した発根促進剤にパイナップルの茎を1時間ほど漬け、その後はコーヒーカップの水の中で発根するまで待ち、十分な発根を確認してから鹿沼土と赤玉土を入れた植木鉢に移しました。
これまでパイナップルを土に挿して挑戦して失敗してきましたが、土に挿すと発根しているかどうかが判らず、これまでは茎が腐って失敗しているため、発根が確認できるコップの水の方が確実と思われます。
一方で、これまでは普通の庭や畑の土に挿し木していましたが、発根後は水はけの良い鹿沼土や赤玉土を使用しないと腐ってしまうと思われます。
愛知県社会福祉会館
名古屋市中区白壁一丁目50番地
目的地は四階愛知県社会福祉協議会総務部です
見事な玄関屋根
ジャン・アンリ―・デュナン像
国際赤十字社のルーツ
四日市市のFさん
8日(土)午前6時 神戸淡路鳴門道淡路島南PA
約3時間の仮眠でした
第9番法輪寺の猫 午前10時27分
第11番藤井寺の藤 午前11時42分
道の駅公方の郷なかがわ 9日(日)午前6時5分
徳島県阿南市那賀川町工地803
トラックがいないので静かな環境で眠れます
日中の買い物も魅力ある道の駅です
車中からの景色 午前6時55分
車中泊による四国遍路は、明るくなれば自然と目が覚めるため、朝7時から開くお寺の納経所に確実に到着でき、午後5時まで巡拝した直後に入浴施設が存在することから快適なお遍路となります。
またコンビニの中でも「ローソン」は wi-fi 環境が良好なことから、道の駅の微弱な wi-fi 環境よりも快適なブログや Facebook の発信が可能で、今回は自炊はせずにコンビニ弁当や飲食店を多用してしまいました。
もっとも、今回はギガ数無制限のスマホを利用したため、時間が大幅に短縮されました。
予約した宿を中心に巡拝スケジュールを立てたり、現地で宿を探す苦労もなく、私自身は車中泊に勝るお遍路は考えられなくなりました。
3年前から新型コロナウイルス感染拡大によって中止されていた上高地開山式が今年は例年通りに開催されることになり、ぜひとも一緒に連れて行って欲しいとの連絡をいただきましたが、翌日が日赤の通院日となっているばかりか、当日にも早々の予定が入っており残念ながら行くことができません。
2019年4月27日の一言
この日は雪の開山式となり、午後には吹雪の上高地となりました。
本日の君子ラン
2020年4月8日の一言
我が家の君子蘭は、平成16年に亡くなられた水野静江さんから頂いた花で、年々株を増やして毎年花を咲かせてくれます。
ハナニラ
事務所横のまさき
日曜日に戴いた法螺貝
立派な法螺貝です
大法院一心寺
三重県四日市市笹川一丁目156
一方でお寺の墓じまいとか檀家離れが社会的な話題となりますが、先祖供養や葬式だけを生業とするお寺と違い、真言密教では自分自身を見つめ直したり、個人的な祈願を目的とする参拝が多いためか、昨日 訪れた一心寺からもその熱気を実感させられました。
自分のご先祖や親族の供養も大切とは思いますが、弘法大師空海が目標とした生きたまま仏になる 「即身成仏」に間違いがないことを実感させられる 四日市行きと なりました。
三重県木曽岬町の桜並木
平成5年に他界した父親が私の長男に残したサクランボ
2012年(平成24年)5月12日
平成直後に揖斐高原で入手したオニユリ
22年(昨年)7月5日の一言
本日の夕暮れ 午後6時12分
3月19日(日) 第二日目
第39番延光寺から第48番西林寺まで巡拝
第39番延光寺で法螺貝を吹く青年と出会い、第43番明石寺まで一緒でしたが、偶然にも我が家と近い三重県四日市の人物と分かり、四日市のお寺で再会する約束をしました。新鮮な出会い でもありました。
入浴 古岩屋荘の温泉 愛媛県上浮穴郡久万高原町
車中泊 天空の郷 さんさん 愛媛県上浮穴郡久万高原町
3月21日(火) 第四日目
松山市内の路面電車
第49番から65番まで
入浴 湯あそびひろば 三島乃湯 愛媛県四国中央市三島中央一丁目
車中泊 道の駅とよはま 香川県観音寺市豊浜
3月22日(水) 第五日目
第66番雲辺寺から見える雲海
高松北警察香西派出所 午前6時03分
前日マックへジャンパーを忘れており、早朝から警察派出所へ受け取りに走りました。
第11番藤井寺から第17番井戸寺まで巡拝で結願(満願)
道の駅くるくるなるとで土産物(買い物)午後4時08分
四国鳴門市から大鳴門橋を渡り、一般道で淡路島を走った後、東浦インターチェンジから高速道路へ入り淡路サービスエリアで夕食休憩。そのまま明石海峡大橋を渡り、山陽道から新名神、西名阪を利用して愛知県の自宅へ午前0時30分到着しました。
今回のお遍路は軽自動車を利用して、毎日必ず入浴することと、必ず三食の食事を摂る車中泊でしたが、日頃車中泊に利用するキャラバンと違い、座席に寝たままで総ての物に手が届き、高速代金や燃料費は半額程度に抑えられたため、自炊は一日だけでコンビニと弁当や外食となり、睡眠時間が十分に取れました。
ブログやフェースブックの発信は、ワイファイ環境の悪い道の駅ではなく、郊外ではコンビニのローソン前の駐車場と、市街地ではマクドナルドの店内を利用しました。ワイファイ通信が途中で途切れてスマホのデータ使用量が増大した道の駅は利用しませんでした。
今回のお遍路中に、徳島市のイベントで宿が何処にも取れず、通しの歩き遍路を断念して途中からスタートしたお遍路さんと遭遇しましたが、明るくなれば自然と目覚め、次のお寺の近くに駐車することで車中泊に勝る効率の良い四国遍路はないことを確信した次第です。
私にとっては当り前の車中泊ですが、宿代が不用なため金銭的な余裕があり、これまで入浴代金や駐車料金などを全く記録していないため、今後のためにも記録しておきたいと思った次第です。何と言っても、今回もびっくりさせられる素敵な出会いに恵まれる四国遍路となりました。
白衣と山谷袋 遍路必需品を積み込みました
昨年12月に十四巡目の遍路から帰り、18日に雪の高野山へお礼参りの参拝をして以来となる15巡目の四国遍路へ今晩9時に出発します。
「予定はずっと」
体調が許せば満願を果たしてから帰ってきますが、昨年発症した膠原病の身体だけに家族は心配しており、最近は随分と体調が戻ってきているものの、起床時間は午前8時過ぎに設定して体調が整うまで外出しておらず、午前7時から参拝して午後5時まで廻れるかは未定です。
さて、満願までと記しましたが、四国各地の知人とら再会も遍路と同じように重要で、満願にこだわらず四国各地を楽しんできたいと思います。
木曽路は木曽11宿といわれ、江戸と京都を結ぶ街道の1つであった中山道のうち、急峻な木曽谷を通る街道部分にある11の宿場町の総称として使われています。
街道の別去れ
慶長18(1613)年に、下諏訪宿から小野宿・牛首峠経由で贄川宿に至る旧中山道が廃止された翌年、塩尻峠経由の路線が新たに中山道として設定された際新設された宿場です。
宿場の北方は中山道と北国脇往還(善光寺街道)の「別去れ」で道が左右に分かれ、「右中山道 左北国脇往還 善光寺街道」の道標が建っており、中山道を進むと桔梗ケ原を経由し塩尻宿へ、善光寺街道を進むと郷原宿へと向かいます。
塩尻市から木曽路を目指す旧中仙道初めての宿となる洗馬宿です。観光客であふれる奈良井や妻籠のような華やかさはありませんが、ここから中山道と北国街道が分岐する追分となり、東国を目指す人と善光寺参りの人々が別れていく重要な宿です。
観光施設もないため観光客は一人もありませんでしたが、昔ながらの街道を歩いてJR洗馬駅の改札口からホームまで、まるで大正時代から昭和初期へ戻ったような感覚を入ってきた中央線の列車の音が現実に戻してくれました。
道の駅きそむら 3月10日
木曽路で一番Wi-Fi境環境の良い道の駅です
これで十分眠れました
道の駅賤母
道の駅大桑 午後6時08分
オートレスト木曽路
午後7時51分に到着です
ラーメン萬年家
ここで車中泊です
21年3月4日
2020年3月11日
華去三年間の開花を調べると、今年が特別に早いとは思えませんが、一気に温かくなったことで全ての花が一斉に開花してしまったのかもしれません。
サクランボは平成5年に他界した私の父親が孫の木として植えたもので、私が事務所前に長野出身の知人から頂いて植えたのを見た父親が、事務所裏にどこからか買ってきたアンズの木を植えたもので、現在では2階建て事務所の屋根を越える大木になっています。
さて、添付した記事は10年前に発信された知人のブログですが、2年前に他界した一年違いの知人氷室さんが我家のアンズについて記したもので、10年前に我家の前に自転車を停めて写真を撮っていたと考えると感慨深いものがあります。
この記事も11年前のもので、我家へサクランボ狩りに来た知人がお土産にお菓子を持参して訪れた懐かしい記録が残されており、最近はフェースブックを通した交流が続けていることに月日の移り変わりの早さと同時に、これからの一年一年の重みも実感させられました。
15年3月18日
12年3月25日
09年3月12日
我家のサクランボとアンズの開花は、その後に花から果実が実ることから、サクランボやアンズジャムによって多くの人々との交流が継続しており、そういうことでは我家にとって大きな貢献をしてきたサクランボとアンズの木となります。
私がこの世に存在しなくなっても、これらの花が長く開花続けることを祈るばかりとなります。
三岳黒沢口から見る御嶽山
4合目付近から見える御嶽山
百間滝やロープウェイへの道
数年前から上高地の帰り道に毎月訪れている御嶽山ですが、観光目的ではなく霊神場と弘法堂への参拝に訪れており、これまでも観光目的で訪れたことはありませんが、日の出滝と大祓の滝、松尾の滝も霊神の石碑と鳥居の奥に存在することから、偶然でも行者の滝行に出くわすことになりました。
そんな感覚で中で訪れたこもれびの滝と不易の滝は、完全なる自然環境下にあり、休憩できるベンチや道標も設置されており、雪のない冬季以外ならそのまま歩いて百間滝まで散策できる魅力ある登山道になっていました。
ちなみに、私は子供の頃から祖父が先達だたため、御嶽山での石や植物を持ち帰ったり、虫すら捕獲することを厳しく禁止されており、参拝以外の御嶽山登山は考えたこともありませんが、信者の夏山登山だけでなく、観光客も激減しているものの心の静養のための登山は効果的な環境が整っていると思います。
一方で、霊神場の霊神碑や石柱が地震によって倒れたり傾いたままになっており、このまま放置しておくと益々参拝者が減り、霊峰とか霊山と呼ばれた御嶽山のイメージを低下させてしまうことは心配です。
毎月訪れている田中旅館に隣接する弘法堂にしても、屋根が朽ち欠けており、雨水によって堂内もカビや汚れが激しく、堂内に入るのも怖い環境にあり、その連絡先すら記されておらず、四国遍路のようにお遍路やボランティアによって遍路道や参拝する環境が維持されている気配すら感じられません。
こんな怖くなるような現状を、見事な自然環境にある滝めぐりなどを宣伝し、信者だけでなく観光客も手を合わせて参拝できる参拝環境へ改善していきたいものです。
霊峰 御嶽山
道の駅きそむら 木祖町
せせらぎ
百間滝への道標
御嶽ロープウェイと開田高原への分岐点
本日は道の駅きそむらで目覚めましたが、御嶽山の霊神場へ参拝後に馬篭宿か妻籠宿の五平餅を食べてから自宅へ帰ろうかと考えていました。
御嶽山の霊神場は毎月の行事にしており、道の駅日義木曽駒高原から御嶽神社の里宮から霊神場に参拝し、最後の弘法堂に参拝して車に戻ろうとしていると、遠方から大声の叫び声が聞こえ、辺りを見渡すと大祓の滝からの発声と思われたためため訪れました。
御岳教の信者が激減している中にあっても、参拝する信者は真剣な先達や行者が多く、雪が残り凍りつく御嶽山の極寒の滝に4人の行者が大祓の滝に入り、大声で般若心経を唱えて止むことなく読経は続きます。
そんな訳で、黒沢口にある滝巡りとしましたが…
ガッ、コーン カタカタカタ…
落石です。人間の頭くらいの石が落ちたようですが、これまで経験したことの無い迫力に、まるで大砲が打ち込まれたようなどうすることもできない自然の脅威を実感されられた中を、積雪と凍結した登山道を登って「こもれびの滝」と「不易の滝」までたどり着いたものの、下山は滑って降りられないため、四つんばいとなって足から後ろへ下ってきました。雪の装備も無く登る危険を実感させられました。
その滝めぐりの顛末は後日に添付します。
西国4番施福寺への参道です
稲葉地公園 名古屋市中村区
動画
岡崎サービスエリア 新東名高速道路
牧之原市資料館
静岡県牧之原市相良275−2
日曜日でしたが偶然休館していました
相良城址と田沼意次の銅像
本日の写真です。
本日は名古屋市にある中村日赤の泌尿器科の診察でしたが、2番目の診察となったため9時前に診察が終わり、10時前には自宅へ帰ってきました。
2ヶ月前までは病院前の薬局で薬を処方されていましたが、待ち時間が1時間ほどかかっていたことと、スマホのバッテリー交換によってスマホ内にあったおくすり手帳のデータが全て消えてしまいました。
そんなことがあって、昔から利用している地元のかかりつけ薬局で全ての薬を受け取る事にして、病院内でスマホから処方箋を送信して帰宅後に薬を受け取ることにしました。
これによって病院からの帰宅が1時間短縮され、薬局に行くと薬が出来上がっています。便利な世の中になったものです。
そんな訳で午前中のボランティアにも少し役に立つことができました。
私自身の病状が安定して落ち着いていることもありますが、朝一番で中村日赤へ搬送する患者さんたちの診察が終わるのは昼を回りますが、主治医のご配慮によって朝一番診察のため、待ち時間が大幅に短縮されています。
さて、病気を持つ患者にとって厳冬期の通院は辛いものがありますが、添付したように寒桜が咲き誇り、暖かい日差しを感ずる春のような通院 ともなりました。このまま体調が安定してくれれば幸いです。
事務所の入り口にも貼りました
2019年12月8日に和歌山の串本を訪れた際に眺めた橋杭岩が印象に残り、翌年5月に天国へ召された相棒リマの写真を合成してスマホの壁紙にしました。
以来、毎日眺めてきた橋杭岩の景色ですが、ここへ夕日が沈む風景を見るため土曜日に訪れました。
安濃サービスエリア 伊勢自動車道
獅子岩
三重県熊野市井戸町
道の駅パーク七里ヶ浜
七里ヶ浜
那智の滝
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
那智大社
春の息吹を感じます
串本橋杭岩と紀伊大島
和歌山県東牟婁郡串本町
橋杭岩
別世界です
橋杭港
夕暮れの漁船
道の駅くちくまの 休憩
和歌山県西牟婁郡上富田町
道の駅四季の郷公園
和歌山県和歌山市明王寺
土曜日の車中泊場所
道の駅のキャラクター
和歌山市で初めての道の駅となる四季の里公園は別名をフードハンターパークと呼ばれています。
今回は車中泊の場所として選びましたが、駐車場とトイレの距離が遠いだけでなく、夜間の移動は向いていないと思われ、日中のバーベキューやレストランなど食事をテーマに選んだ方が良さそうですね。
西国第2番紀三井寺から見える遠景
山門
参道
受付
大谷川にかかる伝法橋
石標
大伝法堂(本堂)
案内板
大塔
大師堂
根来の無縁仏
六地蔵
案内板
龍見橋
本坊入り口
本坊寺務所
光明殿
渡り廊下
聖天池
聖天堂
名勝庭園
裏庭
大広間
大黒天
客間
聖天池
聖天堂(左)と行者堂
鐘楼門
参道
2021年2月7日
2021年2月4日 私の残した記事
Google 検索で出た記事
2016年4月22日の一言
2016年4月22日の一言
最近はブログだけではなく Facebook や Instagram など多種多様なネット配信が存在しますが、過去のブログに発信されたような時間をかけた研究論文のような発信が減ってきました。
最近になり NHK の大河ドラマでは、織田信長の出生地を那古野城として放送されましたが、織田信長の出生地については、愛西市と稲沢市にまたがる勝幡城というのが定説となっています。
最近のネット発信を見ると、稲沢市の城跡を示す石碑たけが勝幡城の城跡のように添付されていますか、正確にはそこだけが城跡ではなく、愛西市にも石碑が残されています。そして、推測される城の中心地には現在入れません。
蜂須賀小六の生誕の城
木曽川の川並衆であった蜂須賀氏の城で、蜂須賀小六(正勝)の生誕地と云わります。
小六は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、最後は阿波徳島藩の藩祖になっています。
本日は蜂須賀子六の居城だったあま市の蜂須賀の郷を訪れました。3日前の日曜日に娘の家族に誘われてニッポン城めぐりのアプリを入れましたが、近くのお城や城址くらいは訪れてみたいと足を運びました。
蜂須賀村由来記によると弘法大師が菅安の地で白山大権現に会ったことにより白山社を祀ったのが始まり。昭和29年に現在地に遷り、菅安社と改名され今に至る。村社。
池鈴山蓮華寺 真言宗智山派
愛知県あま市蜂須賀大寺1352
新たな堂が造営中
蜂須賀家の菩提寺である蓮華寺
ミニ四国八十八ヶ所霊場
甲冑劇
羽島市歴史民俗資料館
私の祖母たちが若い頃は、自宅前の小屋で機織りをしていたと聞きましたが、毛織物の産地であった津島市にはそれらを伝承する資料館が存在しません。
羽島市には歴史民俗資料館が存在し、かつての生活環境や漁具や農機具が展示されており、交流センターでは実際に機織り機が展示され実践できる女性スタッフが案内されていました。
さて、資料館の2階には映画資料館が存在し、かつて使用された映写機やカメラが展示されており、映画スターや俳優の映ったポスターが展示されています。
ここでは、毎月第2土曜日に一日2回、映画を上映しており、私が大好きな鶴田浩二さん主演の映画も昨年上映されていましたが、当面は鶴田さんが出演する映画の上映はないそうです。残念(笑)
私が議員時代に津島市にも歴史資料館を建設するよう質問したことがありましたが、当時の市長は「そんなもん造ってもガラクタの物置場になってしまう」と全く関心も示されませんでした。
木曽三川を挟んだ岐阜県側では地域の歴史やかつての生活環境を記録する資料館が点在していますが、羽島市の映画資料館の上映と美濃縞の機織り機は現役で稼働しており、市民参加型の施設だけに継承されていくことに期待したいものです。
真宗大谷派 福束山福満寺 安八郡輪之内町福束926
学生時代の昭和52年に朝日新聞販売店を起業したため、それ以来、毎日目にしてきた朝日新聞についても、最近は91歳となった母親の独占状態となり、私はデジタル新聞と紙面ビューアーから視聴していましたが、スマホからアプリが消えているためニュースからも遠ざかってしまいます。
今にして思うとスマホの朝日新聞とともに、連日視聴していた Yahoo ニュースも見ないため世の中の出来事や事件にうとくなっています。
そして、何よりもかつての Yahoo ブログ時代からのお気に入りブログについても、アメーバ以外のブログがつなげにくくなっています。
矢島さんのブログは、現在 Goo BLOG から発信されていますが、私より一回り年長に当たる元フジテレビの記者だった経験から毎日発信されています。
私のスマホにはこのようなお気に入りブログが直接検索できるようになっていましたが、私のスマホが戻ってくるまではしばらくのお預けとなります。
さて、こんなことがあってお気に入りブログを探すうちに、随分と発信が滞ってしまっているブログや、ご本人が亡くなられたため更新が止まってしまったブログや Facebook が存在します。
特に自分自身の闘病生活や治療体験を発信されていたブロ友が新たな記事を更新されない寂しさとともに、Yahoo ブログのサービス停止にって全てが消えてしまったブログは読み直すこともできません。
2013年03月16日