大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

豊川市の進雄(すさのお)神社と祇園山徳城寺へ

弘法大師の錫杖井戸 愛知県豊川市


豊川稲荷楼門 豊川閣妙巌寺


↓ 👇 ↓


圓福山薬師如来堂 豊川市門前町7

豊川稲荷楼門から百メートル東

参道の千本のぼり

本堂

そして、豊川いなり表参道へ

表参道 もうすぐ駅という所

ここで…

弘法大師の錫杖井戸の看板を見つけました

百メートル歩くと突き当りです

神社の右隣のお寺です

錫杖井戸の案内

曹洞宗祇園山徳城寺 愛知県豊川市豊川西町151

本堂

本尊は阿弥陀如来、三河准四国八十八ヶ所13番霊場、穂の国三十三観音28番霊場

修行弘法大師像

井戸への入口です

曹洞宗のお寺に弘法大師の幟が延々と続いています

ずいぶんと立派なミニ八十八か所です

そして、その奥に…

錫杖井戸のお堂

堂内に井戸がありました

八十八番の石仏


 日本中に弘法大師の名前を冠した井戸や湧き水が存在しますが、豊川市にも弘法大師のお告げで掘られたと伝承される井戸が存在しました。

 豊川稲荷の表参道の角に立てられた看板を見つけて訪れた物見遊山の参拝でしたが、何よりも曹洞宗の大きな寺院の境内に、真言宗のお寺の境内にあるミニ四国八十八ヶ所よりも大きなミニ霊場が残されていたことに驚かされました。

 境内にはお寺の歴史を示す案内板が存在せず、帰宅後にネット検索したところ弘仁13年(822)年の創立と記す発信があり、空海(弘法大師)の年表を見るとこの年は49歳で、前年に四国の満濃池の改修を陣頭指揮されていました。

 どちらにせよ、曹洞宗は鎌倉時代に中国から伝わった宗派であることから、それ以前からお寺が存在しており、空海ではないものの真言宗の高僧とご縁があり、そんな関係から井戸が残されて伝承されてきたものと思われます。

 そんなことよりも、隣にも広大な敷地を有する神社があり、地形的にはかつて徳城寺と一体ではなかったかと思われ、となりの神社にも足を運びました。

それにしても何と読めばよいものか…

豊川進雄神社

広大な境内

本殿

案内板


 豊川進雄神社(とよかわすさのおじんじゃ)は、愛知県豊川市豊川西町134にある神社。明治期以前は豊川牛頭天王と呼ばれていたが、神仏分離によって進雄神社に改称されたとあります。

 大宝元(701)年の大干ばつの時、旧鎌倉街道沿いの元宮の地に牛頭天王をお祀りして、雨乞いのお祭りを行ったことが始まりと伝えられています。毎年、7月20日に近い金土日曜日には豊川連区内の26町を東と西に分けて行う例大祭が斎行されます。

進雄神社の奉納綱火  出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
1968年(昭和43年)指定[2]。例祭2日目の中祭で奉納される[2]。『花火縁起録』によると、万治3年(1660年)に小笠原四郎右衛門が長らく途絶えていた綱火を再興したという[2]明治時代までは境内ではなく本町で奉納されていた。拝殿から鳥居の間に、約120mの2本の麻綱を張り、麻綱に噴出煙火を仕掛けて走らせる[2]。なお、綱火のほかには手筒花火も奉納される[3]

 進雄神社は貞観十一年(869年)に各地で疫病が蔓延していた際、時の清和天皇の詔(みことのり・天皇の命令)により尾州(現在の愛知県西部)津島神社から神様をお招きして今の場所にお祀りしたのが始まりです。

 何も知らずに訪れた神社でしたが、進雄神社はすさのお神社と呼び、私の住む津島市の津島神社から神様をお招きしたと神社のホームページに記されており、明治以前は豊川牛頭天皇と呼ばれていたことから、となりの徳城寺とともに歴史を刻んできたことに間違いはありません。

駅前ロータリーのキツネ像

JR東海の豊川駅

先週土曜日の写真です。

 明治時代の神仏分離によって歴史が歪曲されたり、記録があいまいになってしまったことは残念ですが、豊川稲荷しか眼中になかった外出によって、いにしえの弘法大師や私の住む津島市とも行き来のあった歴史を感ずることができました。

 同じ仏教の中にも、自分の宗派以外は邪教と発する新しい宗派もありますが、私は神仏分離以前からの神様と仏様の境目のない参拝環境が大好きで、境内に大きな鳥居を有する豊川稲荷とともに、進雄神社や徳城寺の存在は久々に新鮮な外出となりました。
 

愛知県豊川市の豊川稲荷 

豊川稲荷楼門

境内の出店

鐘楼堂

山門

天文5年(1536年)今川義元公が寄進した建物で、当山の現存する中で最古の建物

鳥居と本殿

本殿

豊川稲荷は正式名を「妙嚴寺」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。鎮守は豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)


香炉台

大提灯

千本幟

本殿から奥の院参道、裏門にかけてぐるりとはためく幟は全国より参拝にみえた御信者方が奉納されたもので、その数の多さから通称千本幟と呼ばれています。

奥の院への参道

景雲門

奥の院参道の中間にあり、安政5年(1858年)の創建で、旧奥の院拝殿を昭和5年の大本殿の御開帳に際し、現在地に移転し、景雲門と名付けられた

納符堂

 奥之院
文化11年(1814年)の建築で、昭和5年の大本殿の新築に伴い、旧本殿の拝殿を奥の院拝殿として移築したものです。

弘法堂

万燈堂(禅堂)

霊狐塚への参道

霊狐塚に置かれた狐像

 もとは納めの狐像を祀る場所でしたが、祈願成就の御礼として御信者の奉納された大小、多くのお狐さんがお祀りされており、その数はおよそ一千体にものぼります。

霊狐塚

昨日の写真です。

 昨日訪れた豊川市の豊川稲荷です。私が主催していた朝日旅行友の会では昭和63年から各地へ観光バスの日帰り旅行を企画し、とりわけ多くが京都のお寺を目的地にしていたため、私自身を昔からお寺好きと言われる人は多くいます。

 しかし、平成13年に四国遍路を始めてから次第に空海の残した真言密教に魅了され、真言宗の寺院を中心に参拝するようになりましたが、自分自身に厳しい曹洞宗のお寺も大好きで、共に共通するのはお寺の中に鳥居や神社が混在していることです。

 つまり、信心には仏教も神教にも境目はなく、真言密教のご本尊は大日如来であり、空海は若い頃四国各地の岩窟や山の厳しい自然環境下で修行されていますが、大日如来は山岳信仰のシンボルともなっており、自然崇拝にはお寺も宗派や神社も関係ありません。

 豊川稲荷については、お寺のホームページにもはっきりと曹洞宗の寺院であることが記されていますが、境内に大きな鳥居が存在し、神社の楼門とお寺の山門が混在しているため、参拝客のなかには拍手を打つ人もあります。

 さて、豊川稲荷は愛知県内にありますが、私自身が唯一電車を利用して参拝するお寺で、年寄りになって本当にお参りに行ってきたような感覚にさせてくれました。そして、豊川稲荷に近い曹洞宗の寺院には、弘法大師のお告げで湧いたと伝わる井戸が存在し、お寺の境内にミニ八十八ヶ所が存在する姿は真言宗のようでした。昨日は感慨深い一日となりました。

新たな出会いと豊川稲荷の参拝

午前11時24分豊橋行き特急 金山駅

午前12時32分 豊川稲荷口

名鉄豊川稲荷駅(右)と豊川駅

豊川稲荷の参道商店街

昼食

シンプルです

団子屋の出店

豊川稲荷山門 午後1時24分

うん?

明らかにボランティアの人?

救助犬

トーマスさんと救助犬グーニー


「頭の白さは一緒だね」
   「そう言われれば…」
          「毛の量は違うけどネ」(同伴の奥様かな、女性の声)
「何歳ですか?」
   「69歳です」
「ボクよりも一つ若いね」
   「じゃー、1952年生まれですか?」
「そう」

 アウンの呼吸という言葉があります。多くの参拝客が通るなかで、目が合ったとは言え会話が始まり、私たちが同世代で1歳違いであることと、トーマスさんが熊本地震で活躍した救助犬による救助活動をしていたことを聞かされました。

手渡されたミニレター

 「トルコへは救助に行けないから支援金を」と手渡された紙には、在名古屋トルコ共和国総領事館の銀行口座が記されており、各種の支援団体経由の寄付は何処に行くか判らないが、ここは直接トルコの現地に届けられるからと聞きました。確かに…



 トーマスさんは昭和50年にデンマークから来日し、愛知教育大学付属岡崎小学校で英語の教鞭をとっておられたため日本語も流暢ですが、何よりも同じ頃に生まれて同じ世代を送ってきたことを語り合いたくなるような人柄でした。


 さて、帰宅後にネット検索したところ、トーマスさんは平成11年に愛知災害救助犬協会というNPO法人を設立されており、平成23年に腰の手術後に障がい者になられていることから、平成19年にNPO法人を設立したものの、ボランティアの高齢化と自身の体調不良に悩まされている自分自身を重ね合わせて、ボランティア共通の苦労も実感させられました。


 トーマスさんは豊川稲荷の門前だけでなく、名古屋の三越前でも募金活動をされているとお聞きしたので、名古屋なら再会ができるかもしれませんね。


境内の出店

鳥居と参道

本殿

霊狐塚への参道

無数の狐像

豊川駅前ロータリー

豊川稲荷駅ホーム

国府行き普通列車 午後3時06分

岐阜行き特急 国府駅午後3時23分

弥富行き普通 金山駅午後4時14分

本日の写真です。

 本日は豊川稲荷とその周辺に点在するお寺にも参拝しました。高野山から遠く離れた豊川市にも弘法大師由縁の場所が曹洞宗のお寺にあり、ミニ四国八十八ヶ所まで存在することに驚かされました。

 豊川稲荷と周辺のお寺は明日以降に添付します。

過去の書き込みを読み直す一日へ

本日のFacebookです


本日の写真です。

 最近のスマホのフェースブックから、「過去の思い出を振り返ってみましょう」の発信が続き、クリックすると3年前に記載した記事が現れたものの、勉強不足で過去1年前や2年前の記事を簡単に取り出す方法を知らず、ブログの1年前や過去の記載を見ていました。

2022-02-10
 何よりも驚いたのは、一年前の今日10日にも過去を振り返る発信があり、偶然にも本日と同じ画面を見ていたことですが、シェアしないと記事を探すのが大変です。

2021-02-10 
 2年前はまるでタクシー会社の運転手よりも忙しい生活をしていたようです。これも昨年私が膠原病に罹患したため、私をあてにしない2人で一人のボランティアとなっており、一寸先は闇のことわざを実感させられます。
 
2020-02-10
 昨年膠原病に罹患して、一時は握力ゼロになってしまいましたが、この当時は170や160台のスコアを出しており、更に高得点を狙っていたことを考えると3年前の記事とは思えませんか、これまで投げていた15ポンドのマイボールから8ポンドに替えてこれからカムバックしていきます。

019年02月10日 この年までヤフーブログです

2015年02月10日  平成27年

2013年02月10日

2010年02月10日 平成22年
2009年02月10日
2008年02月10日
2007年02月10日 平成19年

 歳とともに一言の話題も大きく変化しており、4年前にリタイヤして年金生活者となっており、公的な仕事や他人からの依頼が減って、個人の好き放題の生活になってきました。

ヤフーブログ以前の一言
2006 02 10
平成16年2月13日のつぶやき 
私の初めての一言です。

 平成16年(2004年)2月13日は、私が初めて地元のケーブルテレビのクローバーネットから発信した一言で、最初は「つぶやき」としてスタートしていました。こうして読み直すと感慨深いものがあり、この日以来一日も休むことなく、現在まで20年近く続けてきたことになり、多くの恩師や知人が亡くなっているばかりか、我家の愛犬や愛猫、小鳥だけでなく、亀やコイまで登場していました。

 毎日読み直しても20年分を読み返すまでに寿命がつきそうです(笑)

スマホの交換で四苦八苦しながら


本日午後5時40分の自宅前です
昨年11月29日午後5時42分

昨年11月30日午後4時57分


 随分と夕陽の沈むのが遅くなりました。
 
さて、本日は…

私のお薬手帳


 昨年3月末に交通事故に遭遇し、その後に膠原病に罹患したため、処方された薬は多種多様でしたが、本日かかりつけ医の診察を受け、隣のかかりつけ薬局へ処方された薬を受け取りに行くと、これまであったスマホ内のおくすり手帳が存在しないことが判りました。

 2日前に訪れたスマホショップでバッテリーの交換に出し、代替のスマホになったため2日かかってデータを復活させたものの、本日までお薬手帳も移行していると思っていたものの、アプリそのものが存在せず、ログインする情報にも無頓着だっため過去のデータに入れなくなってしまいました。

そんな訳で…

 新しいお薬手帳を作りましたが、数年前から利用していたスマホのお薬手帳は、そもそも不要と思っている時に勧められて作り、そもそもがログインできない状態で使用していたものの、最近は手書きの手帳は使わず完全にスマホの手帳に依存していました。


金曜日の薬

一週間に一度上の4錠が増えます


 そもそも、膠原病に罹患したことで、かかりつけ薬局ではなく、名古屋の中村日赤の前にある薬局から薬を受け取っていたものの、かかりつけ医から処方される薬は1錠だけで、かかりつけ薬局も私の情報は見せてはいましたが、スマホのアプリとともに全て消えてしまいました。

 今回の反省から、スマホだけでなく、今までどおりの手帳でも記録を続けていくことにしました。半月前から、スマホの不具合いで苦労していますが、スマホのお店も安いスマホを勧めるだけで、スマホ内の情報については個人情報を盾にしてしっかりと対応してはくれません。

本日の写真です。

先月再発行してもらった通帳です。


 そもそもは、先月6日の縁起の良い「一粒万倍日」と「天赦日」の日に、新しい通帳を作るとどんどんお金が入ってくるとのネット情報によって郵便局を訪れて通帳を作ろうとすると、無いと思って一度も使ったことのない私の通帳が存在し、再発行には1100円必要との話となりました。家内に確認したものの、郵便局には一度も行ったことが無いと言います。

そもそも無いと思っていた通帳ですから…

「その通帳は破棄して、新しい新規の通帳を作りたい」
      「解約した人は新たな新規の通帳は作れません」
「その通帳にはいくらの残高があるの?」
      「それは、個人情報だから教えられません」
「再発行に必要な1100円よりは多く入っていますか?」 
      「教えられません」

 こんなやりとりから、気分を変えて、縁起の良い日だから、意外に多くの残高が残って新年のお年玉になるかもしれないと、再発行された通帳が届くのを心待ちにしました。

そして、届いた手紙に同封された通帳を見ると…

通帳の中身です

ガーン

 再発行された郵便局の通帳には264円の残高しかなく、そもそも存在しないと思っていた通帳から電話料金が毎月引き出されて、残金不足で2年前からそのままになっていたことが判りましたが、264円の残金のために1100円の手数料を支払った新年早々の損失を受けました。そもそも、私だけでなく家内も一度も行き来したことのない郵便局に、いつ通帳が作られて、大きな残高の金額が眠っていたことにも驚きです。

 歳を重ねて終活に入った我が身も考えずに、金運にすがった大きなお年玉となりましたが、残金が判れば収入も限られた年金受給者が新たな通帳を作る必要もなく、こんな無駄使いも当たり前となった社会ルールとサービス精神皆無の社会を恨むしかありません。

 見方を変えれば、高齢者の孤独死や独居老親が増加する中では、存在すら忘れられた銀行通帳が所有者不在によって眠ってしまうため、今一度家の中を見直す必要も感じさせられました。

 この通帳がお金を残すことに期待したいと思います(笑)

スマホのバッテリー交換によりスマホ店に篭城して

本日の写真です。

 今日はスマホのバッテリー交換(修理)のため午後2時にソフトバンク店の予約がしてありましたが、修理中も同じ環境でスマホやネット発信をしたいため、同じ日に購入した私と同じ機種である家内のスマホにデータを移し替えたものの、まったく画面が違い操作不能に陥り午後7時まで店内に缶詰状態となってしまいました。

 そして、午後7時から毎週我家の2階事務所で開催されている書道会へ参加したため、ブログは午後9時過ぎから書き込むことになり、それもスマホから写真が発信できない環境下で、何とかブログを更新したところで本日は終わりです。

 書き込もうとしていた京都細見酒店は添付しただけで、明日補充して書き込むことに、と言うよりも書く時間がなくなりました。

昨日の写真です。

京都大徳寺門前 山国屋細見酒店


店内の様子

細見酒店のオリジナル日本酒

店の前に置かれた商品

大徳寺納豆

店内の書 大徳寺前管長の揮毫


2007年08月16日
2011年08月16日
2012年08月18日
013年12月31日
2016年12月07日


昨日の京都 大原宝泉院

本日の写真です。

 昨日訪れていた京都大原の宝泉院から、本日御札と福豆が同封された手紙が届き、昨日は住職と顔をあわせていなかったため、お礼の電話を入れました。

 毎年節分の直後に届けられる手紙ですが、住職のご厚意に甘えて何のお礼もしないまま年月が経過し、いつ頃から御札と福豆が届けられているかは不明で、私の過去のヤフーブログには平成20年に初めて写真を添付していました。

 朝日旅行友の会の日帰りバス旅行を昭和63年に開始し、平成3年に初めて京都大文字送り火を企画してから20年以上にわたって送り火へのバス旅行を企画しており、宝泉院へは平成6年の8月16日の送り火の日に初めてバスで訪れています。

 議員になった平成11年から5年ほど前までは、家族や知人と12月の大晦日に必ず京都を訪れており、宝泉院を訪れてから知恩院や百万遍で除夜の鐘を撞いてきましたが、節分の手紙がいつから届いているのかは住職に聞かないと判りません。

 まったく横着で無礼な性格ですね(笑)

朝日旅行友の会の行き先リスト

 さて、ここからの写真は昨日の雪の宝泉院です。過去の書き込みを見ても不思議なことに雪の宝泉院の写真はありませんでした。

宝泉院参道入口

山門

拝観受付所

境内

法然上人 衣掛けの石

五葉松

玄関への参道

玄関横の庭

手水石

額縁の間から見る五葉松

額縁の間から見る竹林

多くの観光客

ここでは自然と正座したくなります

ここで抹茶をいただきます

抹茶とお菓子

宝泉院のために作られたお菓子

竹林横の日本庭園

水琴窟

竹林と大原の借景

西方の鞍馬山方面

囲炉裏の間

北の庭


 宝泉院と言っても判らない人もあると思いますが、有名な三千院の奥にある勝林院の塔頭となるお寺で、JR東海が「そうだ京都へ行こう」のキャッチフレーズで初めて紹介されたお寺となり、女性が何度も訪れる人気のあるお寺です。

 厳冬期の大原で、しかも四方が開けっ放しの本堂ですが、ここに座っていると時間の経過を忘れてしまう居心地の良いお寺です。


隣の勝林院

三千院前


 久しぶりと思っていましたが、昨年9月にも訪れており歳のせいか3ヶ月の経過でも随分と昔のように勘違いしてしまいます。

2022-09-25 

2020-11-01 20 令和2年

滋賀県から京都大原まで | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


2008年02月06日 平成20年

大鹿一八「本日の一言」 : 目的と結果の大きな違いを自覚して (livedoor.blog)

 初めて宝泉院の御札と福豆の写真を添付した平成20年の写真です。


2010年08月16日 平成22年

大鹿一八「本日の一言」 : 大文字送り火に走り (livedoor.blog)

 送り火と宝泉院の書き込みです。


2012年02月06日 平成24年

大鹿一八「本日の一言」 : 京都より届けられた福豆に (livedoor.blog)

2019年02月06日 平成31年

大鹿一八「本日の一言」 : 京都から節分会の福豆が届いて (livedoor.blog)


 宝泉院の住職とは高校時代の同級生で、私の出生地である愛知県祖父江町の出身であることや、住職と親戚となる親しい知人が存在するため、京都でも数少ない居場所のように感じてしまうお寺です。


 さて、過去の書き込みを読み直すと、大徳寺門前の山国屋細見酒店には宝泉院よりも多く訪れており、先代店主が鬼籍に入っておられることから明日まとめて添付したいと思っています。


京都大原から東山の安井天満宮まで

京都大原に残る民家

大原は雪化粧

茅葺(かやぶき)の家

三千院への参道

魚山橋

道標

大原温泉湯元 芹生


京都大原三千院前に佇む、お料理と庭園が自慢の宿。露天風呂付客室もあり、山並みを一望しながら静寂さに心癒される寛ぎのひとときを。地野菜や旬野菜をつかった懐石が人気。 ホームページ:https://www.seryo.co.jp/index.html

勝林院への参道

三千院前の土井志ば漬本舗

明治34年(1901年)に創業をした土井志ば漬本舗


三千院山門

天台宗 京都大原三千院 (sanzenin.or.jp)

本堂へ

三千院山門から見えるお店

三千院から勝林院へ

末明橋 律川

  さらに歩きます

勝林院

 魚山大原寺勝林院は長和2年(1013)に寂源によって声明による念仏修行の道場として創建されました。約90年のちに来迎院が創建されると、二つの本堂を中心として僧坊が建立され、多くの僧侶が声明の研究研鑽をする拠点となりました。こうして勝林院と来迎院を中心とした大原東部の寺院群は、魚山大原寺と総称されるようになります。
 勝林院は火災や水害のたびに再建されてきました。現在のお堂は安永7年(1778)に再建されたもの。幅七間・奥行六間の総欅造りで屋根は木の板を重ねて葺いた杮葺です。欄間や蛙股などに彫り込まれた立体的な彫刻は当時の木彫技術の素晴らしさを今に伝えています。


ここは私の京都の立寄り場所

魚山 宝泉院

京都府京都市左京区大原勝林院町187

京都三大五葉(松)

額縁庭園

宝泉院は本日一番目の目的地で、本日の宝泉院については後日添付します。


参道を戻ります

法華堂 本尊は普賢菩薩

勝林院参道

魚山 実行院


後鳥羽天皇・順徳天皇 大原


三千院前

正面はかつて老舗料理旅館魚山園のあった場所

念仏寺

境内

出世稲荷神社入り口

参道

出世稲荷神社の標柱(しめばしら)

鳥居

出世稲荷神社

三石大神 勝負の神様

左が(禄石)打出し石 中央が(壽石)勝石 右(福石)取り石

その昔は、博徒や相場師に信仰され、現代も勝負の神様として強運を祈願されています。

向拝新築の鳥居

社務所


大原から大徳寺のある北区紫野へ

ここも京都の立寄り所 左の山国屋細見酒店


「先生(せんせ)ですね」
   「お久しぶりです」
「両親の所(仏間)までどうぞ」
   「…本当に…お久しぶりです…」

 今から20年ほど前の話となりますが、平成3年から平成17年まで毎年8月16日に、朝日旅行友の会のバス旅行で京都の大文字送り火を鑑賞に出かけ、私自身が船岡山が好きだったことから毎年大徳寺の駐車場に観光バスを停めていました。

 登山が趣味で北アルプスから帰った直後だった細見酒店の先代店主と店先で出会い、山の話から意気投合して、8月と12月の大晦日は必ず立寄っていたお店ですが、8年前からお盆は上高地に滞在しており、5年ほど前から大晦日も出かけなくなりました。

 「せんせ」は、先代に呼ばれていた呼称で、個人的に知人と訪れた送り火でも3階の屋上に招待されたこともある間柄でしたが、先代は7年前、翌年には奥様が他界され、親からの慣習で私にお奨めのお酒を差し出される若い息子さんの姿に、申し訳ないので足が遠のいていました。

 二十年以上前の親の代からお付き合いのあるお店で、商売(利益)にもならない私の来店を喜んでくださる姿に、案内された仏間でご両親と生前中とおなじように会話ができたことから、これからも忘れず訪れる約束をしてお店を後にしました。

安井金比羅宮 京都市東山区下弁天町70

縁切り縁結び碑(石)


京都で強いパワースポットとして注目される天満宮です。怖いくらい凄い縁切り神社として有名な安井天満宮についても後日添付します。


安井天満宮前の人力車「えびす屋」のお姉さん

「維新の道」高台寺方面でも出会いました

がんばってね


京都から帰ります

草津パーキング入り口

本日の写真です。

 リタイヤしたセカンドライフとして、上高地と四国遍路を挙げているものの、議員になる前から京都へ出かけ、知遇を得た多くの人たちと温めてきた交友関係が未だに存在することから、京都を上高地と四国遍路のように私の居場所にし続けたいと実感させられました。

 本日は次男の車に乗せてもらった京都行きとなりました。

国府宮はだか祭りの大鏡餅となおい布

古いなおい布の納め所

国府宮神社西の鳥居

参道の出店

楼門前

楼門

標柱(しめばしら)に触れる参拝客

尾張大国霊神社 本殿

重要文化財の高札

大鏡餅授け所入り口の看板

満員の行列

右奥が最後尾です

大鏡餅を授かるまで2時間かかりました

本殿前

昨日の国府宮はだか祭りに使われた「なおい笹」


本堂内では…

大鏡餅

大鏡餅が切り分けられています

なおい布をもらう行列

近づいてきました

なおいの授け所

神男と記念撮影

神男は41歳

今年の神男はあま市の矢沢謙二さん

古いなおい布の納め所です

昨年のなおい布を返しました

次々と納められます

帰ります

国府宮駅北踏切の名鉄電車

本日の写真です。

 昨日行われた国府宮はだか祭りに奉納された大鏡餅となおい布を授かるため稲沢市の尾張大国霊神社(国府宮神社)を訪れました。

 神社近くの道路は駐車場を探す車で大渋滞になっており、道路に停めた車によって行き来もできない状態で、近くのスーパーやドラッグストアの駐車場が空くのを待つ車が駐車場を占拠していましたが、名鉄国府宮駅周辺には有料ですが駐車場が点在しており、神社の境内では警察が取り締まりの予告をしていました。

 我家には6台の車があり、6本のなおい布が必要となり、車を持たない母親の自転車と妹、そして名古屋の娘に手渡すため10本のなおい布を購入しましたが、本日は昨日の国府宮はだか祭りで神男を務めた矢沢さんから直接手渡されるたる長い行列ができていました。
 神男は41歳で、私の子供たちと変わらぬ若者ですが、69歳の爺さんであることを忘れて、子供になったような気持ちで神男と握手し、肩を支えられて写真におさまっていましたが、今年一年間何事もなく生活できれば幸いです。

 さて、大鏡餅を授かるために行列に並んだ家内は、およそ2時間がかりで大鏡餅の切れ端を授かりましたが、行列に耐え切れぬ高齢者が多数行列から離脱し、救急車も2台走ってきたと聞くと、参拝者の多くが高齢者であることから何らかの対策は必要に思われます。

 仲間があれば一度くらいは「はだか祭り」に参加しても良いかなと思っていましたが、今では膠原病に罹患した高齢者になってしまい、参加もできない身体になつていることもどうしようもない現実です。

夕暮れのウォーキング

地域から見える伊吹山


目比川堤防

配水機場の工事現場

力強さを感ずる重機


 8年前から現在の管理栄養士さんの指導を受け、直後から月曜日と水曜、金曜に行きつけの珈琲店までウォーキングで約30分歩くことにした散策道ですが、何も変わっていないように見えるものの、実際には家が建て替えられたり添付したような工事がどこかで行われてきました。


 通り過ぎる家の中には今から40年ほど前、学生時代に起業した当時にお世話になった方々が多数存在するものの、その大半はすでに鬼籍に入っておられ、リタイヤして何も利害のない今こそ訪れて遺影に手を合わせたい心境にさせられます。


帰り道です

本日の写真です。

 午後4時過ぎに自宅を出発し、30分後に行きつけの珈琲店に到着し、ここで車で買い物に出かけた家内と合流し、5時30分になったら家内とは別々に歩いて自宅を目指します。

 一ヶ月前には真っ暗だった帰宅も、最近は日の入りが遅れて薄暗い中の帰宅となりましたが、西の山に日が沈んでいく環境の中を一人で歩くと、中学時代に学校をズル休みした当時の光景や、世話になった恩師や恩人の姿が瞼に浮かんできます。

 中学時代には腕時計を持っていないため、学校や塾をズル休みすると帰宅する時間が判らないため、西の山の日の入りや通りかかる家々から匂ってくる夕食準備の匂いによって家路を急いだ懐かしい思い出がよみがえってきます。

 本日の歩数は9千歩をこえましたが、毎日のノルマを5千歩とし、一週間に3万5千歩歩くとコークオンのスタンプ1個が付き、スタンプが目標ではありませんが、「明日に頑張ろう」と先送りすると週末の追い込みが大変なことになります。

 残念なことは、最近になり大きな工場が建てられるたびに子供の頃から見慣れてきた伊吹山や養老の山並みが見られなくなったことで、子供の頃には西の山に日が沈んだら家に帰っていた感覚が、街灯や時計をみて帰宅する時代になったことです。何よりも夕方のそんな時間帯に屋外にいる子供の姿もありません。

 さて、明日と明後日で1万歩歩くことになりますが、明日は国府宮はだか祭が行われた稲沢市の尾張大国霊神社を訪れ、日曜日は京都大原の宝泉院と大徳寺前の山国屋細身酒店に行きたいと思っていますが、京都は気まぐれの次男の機嫌しだいとなるため、さてどうなるのでしょうか(笑)

昨日訪れた桑名市の大福田寺と九華公園

神宝山法皇院 大福田寺

三重県桑名市東方1426

自由に参拝できます

本堂への参道

書初め大会の作品です

昔ながらの書初大会が継承されていました

本堂から見る境内

お寺の境内に神社の鳥居

聖天堂への参道

ご本尊 神宝聖天尊

日本三大聖天の一つです

昨日の桑名聖天祭




 毎月一日に聖天堂で開催されている聖天祭は午前中に護摩供養やお勤めが行われていますが、午前中は移送ボランティアがあるため午後の参拝となり、私自身は本堂のご本尊である阿弥陀如来像よりも弘法大師像の前へ近況報告に行く気持ちで訪れています。


 さて、大福田寺では明日の3日に節分と鬼負い祭りが開催されますが、昨日と同様に午前中は病院へ移送する患者さんがあり、夕方には車検に出した車を取りにいく必要があるため参加することはできませんが、本堂に置いてあった福豆をいただいてきました。


 大福田寺の福豆は黒豆で、家計が黒字になるように黒豆を使用しており、豆ご飯にしても美味しいとの案内がありました。


九華公園

公園から見える柿安本店

大きな店舗です

野菜や果物も

さすがに肉の種類は多彩です

常時入れ替えられるお弁当

人気コーナー

火曜と水曜はコロッケがどれでも100円

店前の小庭

創業者のプレート

初代桑名城主本多忠勝公の銅像
昨日の写真です。
  

津島町並ミュージアムから引用


 私がヤフーブログ時代からお気に入り登録していたブログですが、桑名市の情報とともに、本多忠勝公の書き込みが続いており、せっかく桑名市まで出向いておりながら、大福田寺の参拝だけで帰るのはもったいないため、今回は九華公園まで足を運びました。


岐阜県海津市の木曽三川公園でカップ麺とウォーキングへ

揖斐川と油島大橋 遠景は多度山


係留中のボート

漁船 岐阜県海津市海津町油島

県道桑名海津線 右は長良川

治水神社

社務所と神門

神門

拝殿

 本殿

千本松原

治水神社と木曽三川公園展望タワー

昼休みです

緑のたぬきと赤いきつね


 毎月一日(1日と16日)は桑名市の大福田寺で桑名聖天祭(月例会)が催されており、本日は移送ボランティアが終わるのを待ってから、家内と昼前に自宅を出発しました。


 目的地の大福田寺へは弥富市から尾張大橋を通るのが最適ですが、本日は愛西市から木曽川と長良川の立田大橋を渡り、木曽三川公園の駐車場に車を停めました。どうせ、自宅近くの犬の便所と化した道路でウォーキングをするくらいならと、三川公園や治水神社のある長良川や揖斐川沿いを歩いた方が健康的でもありますね。


岐阜県海津市の国営木曽三川公園は、公園内の散策も芝生が張られており、長良川沿いにある駐車場沿いは芝生になっているので、足に優しいウォーキングが可能です。


本日の写真です。

本日は、岐阜県海津市の木曽三川公園から三重県桑名市へ移動し、聖天祭(午前中)の行われていた大福田寺に参拝後に、九華公園を訪れお堀沿いを散策後に柿安本店で買い物をしてから帰宅しました。

まだまだ現役の杖コレクション

本日午後6時12分 我家まで200メートル


四国遍路と御嶽山(右2本)の金剛杖

左が別格二十霊場 右が四国八十八か所の杖

右が愛用の金剛杖です

御嶽山の金剛杖

私の初登頂時の杖 昭和36年8歳の時

本日訪れた一宮市の知人が、「杖が無いと歩けなくなった」との一言だけでなく、肩を貸そうかと口にでるようなぎこちない歩きに、数年後の自分を見るような気持ちにさせられ、実際に年長者の車に乗せてもらっていた姿にびっくりさせられました。

今にして思うと、昨年罹患した膠原病の関節リウマチを予感していたかのように、我家には多くの杖を集めており、帰宅後に置かれていた杖を集めてみました。

もっとも、歩行が困難となった時を想定して集めた杖ではなく、四国八十八ヶ所霊場会と別格二十霊場会から頂いた杖は、公認先達になった際に授けられた金剛杖で、御嶽山の金剛杖も参拝のため御嶽山山頂に登頂した時のものです。

御嶽山の金剛杖に押された焼印によれば、私が初めて御嶽山山頂に登頂したのは昭和36年の8歳の時で、新しい金剛杖は昭和52年8月の焼印が押されており、家内が初めて御嶽山へ登頂した時の杖でした。

一年に一度の御嶽山登頂ですが、小学校2年生の時から中学校3年生まで8年間使っていた金剛杖は、新しい杖よりも3センチほど短くなっており、並べてみると随分と見た目も違います。3本目の御嶽山の焼印は、平成14年に押されており、家族だけでなく知人も一緒だった登山で、杖は木曽川の川原で拾ってきた流木です。

さて、アカザという草でできた杖は、名古屋の叔父が私と家内に持参した杖ですが、草とは思えない硬さで、しかも超軽量のため、同じく軽い奈良井の宿で購入した檜の杖と、我家のアキニレの杖とともに10年後に利用したいと思います。

とにかく、現在はまだまだ元気なため、四国遍路や御嶽山にどんどん活用して、コレクションと言われないように使用していきたいと思います。

父親の遺品 特注のピッケル

父親が鍛冶屋さんに特注したピッケルです


今でも使えますが…


大鹿の大が刻んであります




富士山と御嶽山の焼印が残ります

かなり錆びついています


錆を削りました



私の父親が若い時に鍛冶屋さんに依頼して作ったピッケルですが、父親が他界した平成5年過ぎに綺麗に磨いて真っ白のペンキを塗ったものの、その後倉庫に放置していたため、本日手に取ると錆びだらけになっていました。

父親は私が生まれる前に富士山へ登頂するため作った物で、義父(母親の父)が御嶽山の先達だったことから毎年持参していた思い出のピッケルとなり、私も父親が他界後に御嶽山の山頂まで持って行ったことがありましたが、雷が鳴り響く荒天のためピッケルを投げながら下山した懐かしい思い出があります。

錆びているだけでなく、見た目も良いとは言えませんが、現代社会のように登山用品が簡単に入手できる時代のピッケルとは違い、近所の鍛冶屋さんに依頼して作ってもらった父親の遺品で、戦後間もない頃では自慢のピッケルだったと思います。

そして、何よりも錆びついても現役で使用できることに、戦後間もない頃の農機具を作る鍛冶屋さんの物づくりの職人の腕にも驚かされます。

私自身が歳を重ねてピッケルを必要とする登山とは無縁となっており、せっかくなので近所のウォーキングにでも使用しようかと考えていたところ、家族から「そんな物を持って歩いたら警察に捕まる」と心配するものの、これぐらいの物を持って歩かないと危険な世の中になっている現代社会を実感です。

節分会の御札と福豆が届いて

本日の夕暮れ

節分の御札です

福豆

本日の写真です。

今日は日曜日のため何所かに出かけようと思っていましたが、どうしても行きたいと思える場所がなく、軽自動車のタイヤ交換をして休んでいると体調も低下して、ウォーキングに出かけたものの途中で引き返して家内の車に拾ってもらいました。

どこかが悪いわけでもありませんが、休めば休んだだけ不調になり、何もしないままに夜を迎えました。

添付した御札と福豆は、本日町内の弘盛寺で開催された節分会でいただいたものですが、今年もコロナが蔓延しているため豆まきは行われず、仏前で祈願された御札と福豆を受け取りに訪れたものの、やはり賑やかな豆まきが懐かしいですね。

久しぶりに名古屋市でウオーキングへ

近鉄急行松阪行き

近鉄戸田駅

特急名古屋行き

近鉄アーバンライナー

準急四日市行き

特急名古屋行き

準急名古屋行き

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津島市から名古屋市港区へ移動中、近鉄戸田駅東の踏み切りで近鉄電車を眺めていると、普段眺めている名鉄電車とは違って遠くまで来た遠出の感覚を覚えました。


まさき動物病院 名古屋市港区春田野


かつては我家の相棒リマだけでなく、家族が拾ってきたヒヨドリのひな「ピーコ」の折れた足の治療にも訪れていた動物病院です。

まさき動物病院はこの近くに住んでいた娘の犬が通っていた病院で、この病院に私と親交のあった名古屋競馬場の獣医さんの息子さんが勤務していたこともあり、我家の相棒も通院するようになりましたが、その息子さんが弥富市で独立開業したため8年ぶりに病院前を通りました。

2011年09月12日
2014年04月17日
2015年12月19日

懐かしい思い出の詰まった動物病院です。

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久々の戸田川緑地です

農業科学館

花壇

ピクニック広場

羨ましい家族の姿


戸田川緑地公園も懐かしい場所で、娘や孫が近くに住んでいたことから、孫の相手を頼まれると時間つぶしに訪れていた馴染みの居場所でもありましたが、孫が小学校に入学する直前に引っ越したため、ここも久しく訪れていませんでした。


2012年07月03日

大鹿一八「本日の一言」 : ジジーは孫の子守役へ (livedoor.blog)

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イオン南陽店

キッチンカー

そして、マクドナルドへ


このマックも孫と一緒に訪れていた懐かしい場所です。


久々のキャラバン

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JR名古屋駅南口へ


大判焼 御座候

こちらは我家の孫のリクエストです

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中村公園の大鳥居

本日の写真です。

かつては毎週のように訪れていた名古屋市の港区や中川区ですが、コロナ禍になり3年前から参加していたコロナワールドのボーリング場への足が遠のき、横井庄一記念館も休館となったことで足が遠のいており、本日は久しぶりの外出となりました。

久々の港区で、保育園児だった孫か娘たちとの思い出と、我が子でもある相棒リマや保護したヒヨドリのピーコなど、懐かしい思い出もよみがえってきました。

雪にもめげずにウオーキングへ

全国各地の積雪とは違い多い所でこんな状態です

小筆から筆ペンへ

くれ竹筆 中字毛筆22号


弘法筆を選ばずと言いますが、硯と小筆にこだわって下手くそな字を書き続けてきたものの、お寺の写経に筆ペンが使われており、その使い勝手がひじょうに悪かったため、自分で良さそうな筆ペンを購入してきました。

かつて購入した筆ペンはサインペンの延長でしかありませんでしたが、最近の筆ペンは小筆の毛筆と遜色なく、むしろ墨の付け足しが必要なく、墨液の量が一定のため写経には向いていると思われ、とりあえず四国遍路の納め札は筆ペンを使うことにしました。

平成13年に初めて遍路を始めた時は、納め札どころか般若心経も唱えられないまま、人を追い越して納経帳へ朱印を受けるだけで良しとしていましたが、現在では徳島県の第23番薬王寺で販売されている納め札にこだわって使用しており、これからはボールペンではなく筆ペンで書き込むことにしました。

雪の中を無理して外出せず、「こんな時は家の中でやれることをやれ」との弘法大師の教えかも知れませんね。


自宅前は雪がありません

  少し歩くと雪が残っています

地域にはほとんど雪はありません

本日は長靴でウオーキングです

靴底が生ゴムのため長距離の歩行が可能です

本日の写真です。

「こんな雪で音をあげては何もできんぞ」の声も弘法大師の声で、四国の僻地にある岩窟や人も入らぬ山中で修行されたお大師様を考えると、あえて小雪(雨)の舞う中を長靴を履いて外出することにしました。

使用した長靴は、上高地のボランティアで使用している長靴で、上高地では一日中歩くと2万歩以上になるため、昨年はリハビリ中のため使用を控えていたものの、今年の上高地はすべて長靴姿で何でもできるボランティアとしてカムバックしたいと考えています。

問題は添付した長靴が私の生活圏のホームセンターや靴屋には見当たらず、ハイカラな見た目の良い長靴はあっても、靴底が生ゴムでできた添付したような長靴でないと、一日中履き続けると足腰が悲鳴をあげてしまいます。

本日の歩数は8千歩ですが、上高地が開山する4月までに、長靴で2万歩以上歩いても苦痛にならない身体に回復させていきます。

車載のカセットガスで珈琲タイムへ

東海大橋の対岸は岐阜県です


車で散歩 我家から30分

木曽川と養老山地

アフタヌーン珈琲

常時2日分の水と食料が積んであります

車中は春の環境です

東海大橋 木曽川と長良川に架っています

まもなく陽が沈みます

岐阜県との県境から見える濃尾平野

名古屋駅も見えます

本日の写真です。

本日は久々となりますが、岐阜県との境になる東海大橋まで出向いて、車内で水を沸かして珈琲タイムとしました。キャラバンの車内には数日間車中泊のできる食料と水が載せてありますが、軽自動車にも一食分の食料とともに、ドリップで摘出する珈琲も常時積み込んであります。

本日はインスタント珈琲にしましたが、温かい車内から眺める木曽川と養老の山並みを眺めながらの珈琲タイムは極寒の冬とは思えないホットタイムとなりました。

2020-11-18 
2020-10-15

2年前には生活習慣を見直すため朝5時30分に起床して、車で10分程度で到着できる景色の良い場所まで出向き、モーニング珈琲を楽しんでいましたが、昨年膠原病に罹患したこともあり、最近は朝の起床時間を遅らせ、8時15分に目覚ましをセットしてから気分で起きるようになりました。

せっかく飲料水が積み込んでありながら、外出する度に新しい水と入れ替えているばかりのため、これからは夕方のウオーキングと珈琲タイムを、時間があれば車で外出して周辺の散策と水を沸かして珈琲を楽しみたいと思います。

小回りがきき何所でも駐車のできる軽自動車は散歩の足代わりには最適で、車体の大きいキャラバンは駐車場の留守番が続きますが、しばらくは積極的に外出に心がけます。

雪のため事務所に山積したままの写真を整理して

プランターのダイコン 本日の写真です


本日は10年に一度の寒波により全国的に大雪となっており、私のすむ愛知県も早朝には道路も真っ白になっていましたが、午前10時頃には道路の雪は消え、午後3時頃には雪そのものも無くなりました。このままで終わって欲しいものです。

そんな中でも家内は移送ボランティアに出動し、私は約束のあった訪問者を待つだけの一日となりましたが、身体を持て余してやることも無いため、棚に山積み状態になっていた過去の写真を整理していると、昭和60年頃から撮りだめた学校のPTAや同窓会の写真から、主催していた朝日旅行友の会のバス旅行や、上高地と四国遍路の大量の写真があり、眺めているとあっという間に夜になってしまいました。

そんな中でも…

平成11年4月の写真 まだ片目も入っていません

今は亡き海部元総理にも応援をいただきました

私です

こんなに多くの運動員に支えられていました

雨の中多くの人に集まってもらいました

人、人、人

雨の中も自転車です


平成11年に初めて立候補した時の写真ですが、地域や組織の応援を求めず、5回の選挙を自分個人だけで戦ってきたと思っていたものの、初めての選挙は海部俊樹元首相に応援をいただき、今にして思うと多くの人たちに集まってもらっていたことにびっくりさせられました。

そして、ご支援いただいていた人の多くが鬼籍に入ってしまわれた現実も実感し、過去に撮り溜めた写真を年代順に整理して、朝日旅行友の会や四国遍路など一緒に同行した人や、ご遺族の方に届けられないかを考えたいと思います。

手渡す予定でプリントした大量の写真ですが、手渡す相手の多くが亡くなっておられる現実と、整理しても自分が懐かしく見るだけになってしまう現状の中で、少しでも多くの人々に届けるか見てもらいたいと思います。

3年前の写真がスマホに表れて



本日のスマホにフェースブックの3年前の記事が現れ、3年前と変わらぬ生活を送っているように思っていましたが、添付していた志賀弘法会もコロナ禍で巡拝の中止が続き、代表者の体調の悪化も重なり昨年は知多半島だけでなく高野山にも訪れていない現実を再確認させられました。

雨の中を巡拝していました


満願の御礼参り 名古屋八事興正寺




高齢化が行動するうえで大きな障壁となりますが、新型コロナの感染拡大によって高野山の宿坊へキャンセルを続け、四国や高野山への足が遠のいただけでなく、メンバーの家族や親族の訃報や、メンバー自身の体調不良も加わって次を見通せない状況です。

2016年11月03日

大鹿一八「本日の一言」 : 遍路の難所 車イス利用者と岩屋寺へ巡拝 (livedoor.blog)

2017年10月31日

大鹿一八「本日の一言」 : 志賀弘法会 四国遍路満願の一日 (livedoor.blog)


5年前には車いすに座る弘法会代表を、四国八十八か所総ての大師堂前まで腕を担いで参拝した私自身も、昨年罹患した膠原病によってメンバーに心配されるような体調に陥っており、自分のお遍路だけで精一杯になっているのも現実です。


さて、三年前のブログを読み直してみると、1月には叔父が他界しており、新型コロナが蔓延する前のため当時開館していた横井庄一記念館にも足を運んでおり、本日は昭和47年に横井庄一さんが発見された日に当たるものの、記念館は館され横井さんを語れる人も存在しなくなったのも寂しい現実です。


多度大社と門前の車久米穀店の団子

弘法大師とお地蔵様

弘盛寺 津島市越津町

津島市神守町 西向き

本日の写真です。             神守町 東向き


10年に一度の寒波が襲来すると気象庁が呼びかけていますが、ここ数年の間に過去最大との予報を何度も聞かされたようにも感じ、昨年末に今シーズン最大の寒波とも表現されていたことを考えると、信憑性には疑問もありますが、膠原病に罹患している我が身には足先の凍るような寒さから猛烈寒波の襲来を予感させられます。

ここからは昨日訪れた多度大社の写真です。

多度大社
三重県桑名市多度町多度1681番地  多度大社 (tadotaisya.or.jp)

石段

上げ坂 ここを馬が駆け上ります

上げ馬神事は5月4日

手水舎


於葺門(おぶきもん)

美御前社



別宮 一目蓮神社

御祭神 天目一箇命(あめのまひとつのみこと)

本宮 多度神社
御祭神 天津彦根命(あまつひこねのみこと)




参道に開花した桜

境内から見る門前



車久米穀店

メニュー

食べ比べセット(下)としょうゆマヨ

精米機

米の選別


全国各地の米




昨日の写真です。

2021-10-03 

過去に記した団子や五平餅の一言の一覧

2年前の夏から五平餅の食べ比べを始め、東三河や岐阜県や木曽路の五平餅を添付してきましたが、各地で一番美味いと宣伝されているものの、お店の対応が横柄であったり、大量に焼いて作り置きされていると味気なく2度と行きたいとは思えません。

過去に記したお店で何度も訪れているのは、個人的な趣向はあるものの、私自身が食べたいと思える団子屋さんやお店であり、昨日訪れた「車久米穀店」は餅米の団子ですが、何度でも訪れたいと思える名店です。

農家で生まれ育った私にとって、自家製の米はとても丹精込めて育てたとは言い難く、地域で味を自慢する人も存在しますが、最近ではほとんどの農家が耕作を営農専門業者に委託しており、味についても食べ比べると確実に劣ります。

そんな感覚を一掃させてくれるのが車久米穀店で、自家製米があるので買うことはありませんが、米を購入するならこんな米穀店で食べ比べみたいものです。

岐阜県南濃町の桜を見てミカンを買いに

春を予感する桜の開花

岐阜県海津市南濃町羽沢



まだ咲き始めです

道の駅月見の里・南濃

蔵出しの幟

南濃みかん

足湯

記念写真のコーナー


かつては岐阜県海津市南濃町の医療機関へ通院する人があったため、毎月訪れては近くの神社やお寺へ立ち寄り、当り前のように道の駅や農産物売り場を訪れていましたが、最近は訪れる機会も減っており久しぶりに足を運びました。

さて、かつては無くなるたびに訪れて購入していた南濃みかんですが、年末に訪れた和歌山県で買ってきたみかんの美味しさから、あまり期待はしていませんでしたが、本日のみかんは和歌山産のみかんと遜色なく、生産する農家によっては見事な味であることを実感させられました。

2021-01-28

多度大社

三重県桑名市多度町多度

上げ馬神事の場所

境内から見る門前

木曽三川と濃尾平野 多度山山腹から撮影

道の駅立田ふれあいの里

本日の鈴鹿山脈の夕暮れ

本日の写真です。

8年前から上高地のパークボランティアに参加するようになり、自分自身はそれまでと同じ生活のように思っていましたが、それまで人を乗せて走っていた四国遍路へ行く機会は大幅に減っていたように、生活環境は変わっていなくても行動範囲は少しづつ変わってきます。

かつてお盆の16日の「送り火」と、大晦日は必ず京都の「をけら火」と除夜の鐘に訪れていましたが、お盆は上高地に滞在し、年末は自宅に篭るようになり足が遠ざかってきましたが、それでもお盆と年末に立ち寄っていたお寺やお店から届く年賀状によって縁は切れません。

昨年9月に初めて訪れた桑名市の大福田寺は、初対面の私にご住職が境内を案内していただき、お寺の「火渡り神事」など紹介いただいたことで、その後毎月訪れていることを考えると、それまで度々訪れていた知多半島から毎月届けられていた手紙が滞っていることも足が向かない原因と実感させられます。

せっかくの土曜日と日曜日も、体調が今ひとつだったためコタツに篭っていると、家内から何所にも行かないのとの一言があり、目的も無いままに道の駅や多度大社へ走りましたが、昨年から時間があれば横になって身体を休めようとしている自分があります。

本人と特定ができない発信は禁止させるべきだ


スマホのSMSに繰り返し送られてくるGoogleからの連絡ですが、グーグルが何故に電話銀号を確認する必要があるのか理解もできずそのままにしてありますが、最近スマホの交換に販売店を訪れてからアカウントの変更が必要となったものの、送られてくる情報の何が本物か偽物かを見極めるため神経質にならざるをえません。


忘れた頃に届く詐欺メール


こんな馬鹿なメールが時々届きますが、連絡先も記されていない宅配便はありえず、確認もしていませんが、間違いなく偽物の詐欺メールとか思えないものの、野放しにされているのも不思議でなりません。



「国税庁」の名前まで利用した架空のメールは問題で、こんなメールの意図する目的は判らないものの、こんなメールは公的な機関によって厳しく取り締まる必要があり、相手の氏名を公表してネットから締め出すべきと思います。


フェースブックの記事ですが、日本人の名前を名乗り、アメリカ軍の医師との紹介でしたが、友達申請に応じて相手していると、添付したような知人の生死に関わるような書き込みがあり、航空会社へ誘導するQRコードが添付されてきました。

2022-08-25

ネット社会の中で、情報を必要とせざるを得ない時に、SMSから送られてくる情報の発信先が信じられない世の中になっており、ニックネームや架空の名前で発信できることが「なりすまし」や詐欺メールの温床になっているとしか思えません。

家内と二人がかりの車いす搬送へ

マック専用車と化した家内の福祉タクシー 午後4時21分


毎日の日課となっているマクドナルド通いですが、マックへ行くことを目的にしている訳ではなく、患者さんを病院まで搬送してから診察が終わるまでの時間が判らず、待機するのに好都合なマックで休憩し、一日の仕事と買い物が終わってホッとするのもマックになりました。


搬送する患者さんの自宅です

乗車中

午前9時30分 乗車しました

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午前9時41分 医療機関へ到着

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名古屋の高度な医療機関を利用される患者さんも多く、搬送する時間がかかるものの、診察が終了する時間が判らないため一旦は自宅に戻って待機しますが、本日の搬送は患者さんの自宅から近い医療機関までの搬送ですが、自宅の玄関が高いうえに、患者さんがほとんど歩けないため家内と両肩を支えて車イスまで降ろす二人がガリの搬送となりました。

半年前には罹患した膠原病によってほぼ寝てばかりの病人となり、痛みから握力ゼロだったとは思えない回復力によって、いまだ半人分ですが私が手を離したら患者さんが倒れてしまう現場では大汗をかいた移送となりました。完全復活ですね。
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そんなわけで近くのマックで待機
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治療が終わりました 午前11時33分

乗車します

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午前11時50分 送迎完了

本日の写真です。

「タクシーを頼みたいんですが…」
     「車いすを利用されている方ですか?」
「来週火曜日に雪が降るから病院まで行きたい」
     「雪が降ったら一般のタクシーを利用して下さい」
「電話したら雪は危ないと断られたので…」
     「うちだって雪なら危ないので…」
「役場に聞いたらお宅を紹介された」

本日送迎が終わって帰宅した直後にかかってきた電話です。我が家は自家用車でボランティアが移送する福祉有償運送と、青ナンバーの福祉タクシーは私が上高地や四国遍路へ観光目的で移送するジャンボタクシーに、添付した車いす移送のできる福祉タクシー(家内専用)を運営しています。

タクシーと一口に言っても、添付した記事のように歩けない患者さんを二人がかりでも搬送する福祉タクシーに、病院へ通院する患者さんとは言え、雪の移送が危険だと一般タクシーに断られた人からの依頼は腹立たしく情けない気持ちにさせられます。

一般タクシーに雪道は危険と断られた後で、市役所へ電話して相談する感覚も理解できませんが、そんな役場の紹介で連絡される私も情けないもので、現実には病院までの通院が困難なため、自宅に籠っている病人も多く、名古屋の病院で治療すれば救われる命が、町医者のレベル以下の医師が多い市民病院で失われていく現実をこれまで眺めてきました。

高額な福祉車両を維持するためには無償ボランティアではできませんが、もう少し頑張る必要があることを自覚する一日ともなりました。

膠原病の血液検査が随分と回復して

名古屋第一赤十字病院 (中村日赤)

日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院 (正式名称)


玄関前の庭園

ナイチンゲール像

立松子 二代目看護部長の銅板

寄贈者平木好子三代目看護部長のプレート

「数値がずいぶん良くなったね」

   「体調も良いですよ」

「明日からステロイドを減らそう」

   「減らして大丈夫ですか…」

「次の診察は二ヶ月後にしよう」

   「心配だから、もっと短くして下さい」


昨日の中村日赤の主治医との会話ですが、血液検査の結果が大幅に改善し、「CRP」という炎症や組織の損壊を示す数値は正常な基準値内に治まり、昨年6月に膠原病と診断されてから7か月目にして痛みは皆無となり、「MMP-3」という関節リウマチの数値は相変わらずですが、「RF」はあと少しで基準内に治まりそうな結果となりました。


今年6月の血液検査で膠原病と診断された3種類の異常を示す数値の変化

6月から今月までの推移


CRP(基準値 0.00ー0.14) 体内の炎症や組織の一部の損壊の有無を診断する検査

 (6月) 4.85→ (8月) 2.32→  (9月) 2.89→  (10月) 3.78→  (11月) 3.69→  

   (12月) 0.50→ (1月) 0.12


MMP-3(基準値 35.2ー123.8) 関節リウマチ患者の関節には大量にMMP-3 が含まれており、関節破壊の指標とする検査

  (6月) 162.4→  (8月) 212.3→  (9月) 213.3→   (10月) 231.9→   (11月) 201.7→ 

   (12月) 153.0→  (1月) 184.9


RF(基準値 20未満) 血液中のRF(リウマトイド因子)という物質の量を調べる検査 

 (6月) 24.5→   (8月) 26.7→   (9月) 45.1→  (10月) 67.8→  (11月) 63.6→  

  (12月) 36.8→  (1月) 21.7


昨年3月末に交差点で車に追突され、頚椎挫傷によって右手の指がシビレ、毎週病院へ通院する中で一ヵ月後のゴールデンウィーク頃に両手が腫れあがり、その後に両手と両肩に激しい痛みが走り、6月には膠原病と診断され県外の外出にドクターストップがかかりました。


6月と7月には車の運転もできず、歩くのも苦痛に陥りましたが、8月にはストレスが大敵なため医師から上高地への外出許可はでたのを機会に、9月からは勝手な判断で石段ばかりの四国遍路にも出向くようになりました。


12月になって検査結果がずいぶんと改善したことで、「これで上高地も大丈夫だね」と医師から言われた半面で、「心配だった」と私が思っていた以上に深刻な病状であったことが告げられましたが、私はノー天気に上高地と四国を走り廻っていました。


それでも四国遍路ではお大師様に病気回復を祈願し、上高地の帰り道に立ち寄る御嶽山の霊神場と弘法堂のお大師様に手を合わせてきたご利益としておきますが、私には同じ医師に診察を受ける膠原病の先輩が存在し、普通に生活するまで回復したその神様の存在が大きな希望となっていました。


発病直後に手の平の腫れた写真をこのブログに掲載したことで、その神様から「私の病気と一緒ではないか」との助言があり、早期の診断と治療が始まったことが順調な回復につながり、一年後には回復している神様によって随分と安心感をいただいてきました。


さて、私の住む津島市にも膠原病の患者が存在しますが、病状が随分悪化してから膠原病と診断され、診断後も専門医が一週間に半日だけしか診察しない病院に通っている現状があり、30分も走れば何時でも専門医の適切な治療が受けられる良き見本になりたいと思っています。


御嶽山の霊神の降霊神事に参加して

本日訪れた中村日赤

本日の一枚です。

ここからは日曜日の写真です。

御嶽山 午前6時46分 木曽町三岳

雪と凍結した道路

霊神場前に到着です

日の出滝旅館 長野県木曽町三岳屋敷野

祖父の石碑(手前)です

濃い霧のため弘法堂が見えません


御嶽山黒沢口(4合目)にある日の出の滝横にある明栄講(御嶽本教明栄分詞殿)霊神場に奉られている、御嶽山を開山した覚明霊神と講祖覚礼霊神に参拝した後、私の祖父の石碑や知人の碑に参拝してから隣にある「明栄講ろ組」の霊神場を訪れて、我家の分家や知人の石碑に参拝して、更に場所を移動して、真言密教の弘法堂に手を合わせるのを毎月の行事としてきました。

となりの「ろ組」の霊神場を訪れると…

護摩祈願へお誘いを受けました

組み上げられた護摩木に火が入ります

祈願の護摩木と木札が焚き上げられていきます

煙が立ち上ります

祝詞が唱えられます

次々と先達さんたちが祈願します


護摩祈願に参加した後、私は田中旅館の横に建つ「弘法堂」に移動し、真言宗の開祖弘法大師像に読経し、安置されている不動明王像や延命地蔵へ真言を唱えるのも御嶽山の日課にしています。この時の時間は午前8時42分。

田中旅館看板横にある弘法堂

田中旅館から見える御嶽山山頂


毎月御嶽山に参拝する習慣は、上高地のボランティアから帰る帰路に立ち寄り、今年5才になった孫の誕生を祈願して願が叶った御礼に毎月訪れるようになりましたが、上高地を午後に離れて沢渡から薮原経由で到着するのは夕方か薄暗くなります。

朝7時から訪れる御嶽山は新鮮でした。

そして、再び「ろ組」の霊神場へ…

明栄講ろ組 霊神場入り口

神事の準備中

神事が始まります

講祖像の前に教会長が座ります

2人が対座しています

降霊が行われています

講祖の霊が降りてきました

ここから先の様子は写真には撮れません。


私の祖父は昭和46年に亡くなりましたが、亡くなるまで毎月御嶽教の先達や信者が祖父宅の神前に集まり、その中では亡くなった霊神の霊を降ろす前座と、霊が憑依して降りてくる中座(憑座)の2人により亡くなった霊神の霊を降ろして教えを聞いたり、助言を受けたりしていました。

当時高校生になっていた私はこの降霊術が信じられず、非科学的なインチキとしか思えませんでしたが、50年ぶりに目の前で行われた降霊術に、今でこそ祖父を知らない先達さんによって祖父の霊を降ろしてもらい声を聞きたいと思います。

明栄講霊神場 午前10時01分

講祖の銅像前

陽がまぶしい快晴に

祖父の石碑です

明栄講の新しい霊場


毎月訪れている御嶽山の霊神場ですが、となりの「ろ組」の先達さん達とは過去に2回ほど出会って挨拶していたことから、護摩祈願と講祖前の神事へお誘いを受けて参加させていただけましたが、詳細をブログに添付したいものの、霊を降ろす神事(降霊術)や神事を写真に収めるのはさすがに無礼と言うより罰当たりと思いながらのギリギリの添付です。

日曜日に立ち寄った御嶽山黒沢口の里宮

本日午後5時26分の写真です。

日曜日午前6時46分の御嶽山
西野川

ほんしゃ橋

日野製薬里宮店 長野県木曽町三岳

御岳神社 社務所 木曽町三岳3793

鳥居

石段

本殿

本殿横の御嶽古道入り口 2合目付近

本殿境内から見る石段

降りてきました

元の道路と橋の遺構

その橋の右側の石段

平和観音

木曽御嶽本教の建物

太陽の丘公園 お祭り広場

日曜日午前10時21分の御嶽山


2日前の日曜日の話となりますが、御嶽山黒沢口4合目の日の出滝に隣接する明栄講霊神場へ午前7時に手を合わせたいと車を走らせると、目的地を目前にして道路は完全なる凍結状態で、まだ薄暗い道路を確認しようと車を降りると靴が滑って一歩も歩けない状態でした。

一瞬にして御嶽山は観光地ではなく多くの霊神の碑が居並ぶ霊山であることと、自分の都合だけでまだ陽も昇らぬ凍結した道路を進む私自身への神様と祖父(道成霊神)の戒めかもしれないと閃き、御嶽山の入り口となる里宮にも参拝していない無礼な自分への警鐘と頭に閃光が突き刺さったように感じました。

そんな訳で一度通った道路を戻って里宮の御嶽神社の社務所前に車を停めました。

そしてこれで今日の御嶽山も終わりかもしれないと思い、これまで急ぎ足で参拝を終えていた神社周辺を眺めると、社務所の裏側に石段があり観音像があるのを見つけましたが、観音像や祠に気がつく人は居ないと思われます。

西野川にかかる大社橋を渡ると、かつては現在の道路の北側に橋があった遺稿が残っていることが判り、私が初めて御嶽山へ訪れた際には通っていたことと、神社の本殿横から進む御嶽古道をかつては先達について歩いていたことも偲ばれてきました。

さて、御嶽山の頂上にある奥社は宝亀5年(774)に勅命を受けた信濃国司によって山頂に祈願したのが始まりと言われていますが、里宮となるこの御嶽神社も奥社と里社若宮とともに三社を以って御嶽神社と称されており、古い歴史を考えるとあまりにも疎かにしていたことが判ります。

かつては、御嶽山に参拝する人は限定され、しかも登拝する祭には「百日間精進潔斎」という厳しい修業をしていたことを考えると、観光やスキーで訪れる車と一緒になって自由に参拝できる現代社会の甘さも実感させられます。

私の祖父が大祭を前にして真冬に百日間も冷たい水を被って修業していた御嶽山の先達の厳しさを、何の修業もしないまま数回巡拝すれば先達となる四国や西国巡礼の甘さも、同じ先達という言葉は一緒でも全く次元の違う信仰の奥深さも思い知らされます。

そんな想いをめぐらせていると、鉛色で包まれていた御嶽山の霧が晴れて、わずかでも山頂の姿が拝めるようになり、輝くような陽射しによって立つことも出来なかった道路の凍結が溶け出し、神様の登拝の許しが出てきたように(身勝手に)悟り、再度霊神場を目指しました。

そして、到着後は濃い霧に包まれていた霊神場にも陽が射し、講祖覚明霊神や諸霊神に参拝していると、祖父の霊神場の隣にある「明栄講ろ組」の霊神場で、寒山登山の神事を準備中の教会長や先達さんから一緒に護摩行や神事に参加しないかとお誘いを受けました。

昭和46年に他界した祖父が生前中に行っていたお勤めや修業の回顧となる参拝となりました。護摩の焚き上げや神事は明日書き記します。

土曜日の松本街あるき

国宝松本城


松本市役所大手事務所

環境省上高地パークボランティアの勉強会


新聞販売店 信毎松本専売所

みどり町

1922年創業の小松パン店


松本市で100年続く老舗のパン屋さんです。ボランティアの先輩女性から、「美味しいから食べてみて」と差し出された「アンパン」の味に魅了され、案内していただいたパン屋さんですが、目的としたアンパンは売切れており、自宅へのお土産に各種の手作りパンを買ってきました。


松本市で絶対に行くべきパン屋さんの中に入っており、ガイドブックには「小松パンと言えば牛乳パン」と紹介されており、地元民が口をそろえて牛乳パンを挙げるというパン屋さんの老舗ですが、店頭に目立った看板もなく案内がないと探すのが大変です。


星3つの名店です。


蔵が魅力の街並み

上土通り

ガマ侍

松本縄手通り

魅力いっぱいの小路

四柱神社

おみくじ結び

本殿

神社内の松本市招魂殿

土曜日の写真です。

四柱神社(よはしらじんじゃ)のご祭神「天之御中主神」は、天の中央にある主の神として産霊神のはたらきを統一される神様と言われます。四柱神社には高皇産霊神と神皇産霊神は宇宙創造の根源の神様で、これら三神の神意を地上に具現化される天照大神の四柱が奉られています。

四柱神社

ナワテ通りは江戸時代にはただの土手だったようで、明治に入って四柱神社が建立され、お城の周辺に市役所や警察所などが建てられるのと平行して栄えていったと聞きます。


現在は魅力あるナワテ通りも、終戦直後は大陸から引き揚げてきた人や、都会から疎開していた人たちがテントを立て、闇市や祭礼に屋台を出すテキヤと言われる人たちが商いを始めたそうですが、汚水で汚れた女鳥羽川の清掃をすすめてテントからプレハブの店舗に変わっていったようです。


シンボルとなっているカエルについても、清流にしか生息しないカジカが再び生息されることを目標として、昭和47年に「カエル大明神」をお祭して、毎年1月2日と6月に開催される「松本かえる祭り」には神主による神事も行われています。


汚れたとは言っても、元々が美しい川であったことと、ボランティアの人々による清掃によって最近はカジカが戻ってきたとの話も聞きましたが、今では市町村合併によって松本市になった上高地のボランティアと共通するものも感じさせられます。


私の住む愛知県では、テレビ放送が東海3県を対象としているため、木曽路や松本市のある信州についてはあまり放送されませんが、木曽路から松本市には魅力ある自然環境と景観が多く、松本周辺の安曇野には愛知県より古い真言密教の古刹も多く存在します。


次の松本行きは3月に開催される上高地PVの定例会となりますが、私の大好きな上高地と併せて松本市や安曇野市なども廻ってみたいと思います。


凍結した御嶽山を行ったり来たりの一日に

本日午前6時46分の御嶽山

道の駅日義木曽駒高原 午前5時43分

今日のスタート

道の駅三岳 6時28分

完全なる道路の凍結です

どんどん進みますが…

黒い部分はツルツルの完全凍結です


四国遍路は納経所の朱印が朝7時に始まるため、お遍路の感覚として7時には参拝しようと道の駅日義木曽駒高原を5時45分に出発し、6時半に道の駅三岳でトイレや洗顔を済ませて日の出の滝にある御嶽山明栄講の霊神場を目指しましたが、道路は完全に凍結しており、車を降りると滑って一歩も歩けない状態です。

「出直せ」の言葉が一瞬脳裏に浮かびました。参拝にこだわって車が道から落ちたり、転んでケガでもしたら罰当たり者です。

午前6時51分 ここから引き返します

7時09分 ふもとの御岳神社まで戻ってきました

御嶽神社 里宮

御嶽神社 社務所

太陽の丘公園 7時40分


里宮で御嶽神社に参拝し、道路の反対側にある平和観音や祠に手を合わせてから、最後の御嶽山との別れを惜しんでいると、山頂方面のガスが晴れて青空が見えてきました。

今にして思うと、危険と隣り合わせの道路を進んだことと、里宮に参拝しないまま霊神場に進むことを神様と霊神(祖父)によって戒められたのかも知れず、厳冬期の御嶽山参拝は太陽が昇ってから登ることは先人の教えかもしれません。

途中で山頂が頭を出しました

日の出滝前 日の出旅館 8時05分

よく頑張りました

一番手前が道成霊神(祖父)の碑

霧に包まれた霊神場

田中旅館と弘法堂 8時52分

道路の先に御嶽山が見えます

田中旅館から見る御嶽山山頂

太陽に照らされた霊神場

太陽が射し霧も晴れました

午前10時25分の御嶽山
山頂の噴煙も見えます

さて、霊神場で明栄講の講祖覚明霊神から祖父や恩人の石碑に般若心経を唱え、となりの「明栄講ろ組」にある我家の分家や知人の霊神碑へ参拝に訪れると、ろ組の教会長や先達さんが寒山登山の神事を始める準備をしておられ、護摩の焚き上げとお勤めに誘われました。



明栄講ろ組の開祖「徳開霊神」は私の住む津島市のとなりにある七宝町の先達で、本日出会った方々は七宝町の霊神ゆかりの人たちで、昨年にも出会って挨拶していたこともあり、一緒に護摩の焚き上げに参加させてもらい、弘法堂参拝後に再度訪れて神事に参加させていただきました。

こんな出会いを考えると、早朝の引き返した参拝は御嶽様のお導きとしか思えず、毎月訪れている御嶽山と郷里の人々とのご縁に感謝する参拝ともなりました。

感激の詳細は明日以降の後日書き記します。

帰路

木曽駒ケ岳

三岳村から見る乗鞍岳

寝覚ノ床 上松宿

食事の中村 午前10時57分

店頭

店内

今日はかけ蕎麦を

木曽路で一番の五平餅

本日は自宅へお土産に

上松から見える木曽駒ケ岳

本日の写真です。

昨年と一昨年に愛知県と岐阜県や木曽路の五平餅を食べ歩き、その中で一番の味と評価している上松宿の中村さんですが、毎月上高地の行き帰りに通っているものの、行きは夜か早朝で、帰りは閉店後の夕方か夜のため、久しぶりの来店となりました。ご店主と世間話をしながらゆっくりできる居場所は味とともに貴重な存在です。

昨日から松本まで往復の走行距離450キロをガソリン22リットルの給油は驚きで、愛車キャラバンでは50リットル以上給油していることを考えると、軽自動車を利用すれば上高地も昨年の2倍は行ける勘定となり、車中泊の予定は無かったものの、幸いにして暖かかったこともあり、通常に積んでいる寝袋だけで温かい車中泊となりました。

昨日の一言です
上高地パークボランティアの定例会へ | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


明日は2ヵ月ぶりの松本行きです

寝袋と野宿資機材を積みました

薬など必需品も積みました

本日の写真です。

昨年11月15日に閉山となった上高地の環境省に所属するパークボランティアの定例会が松本市の市民活動サポートセンターで明日開催されます。

明日は早朝から車で出かける予定ですが、2年前はコロナ感染拡大によって中止となり、昨年も出席を予定していたものの感染拡大によって自粛せざるを得なくなり、今年は3年ぶりの参加となりますが年末の豪雪も和らいだため愛車キャラバンではなく、小回りのきく軽自動車で松本を目指すことにしました。

2022-01-13
2021-01-12

家族は長距離であることと、普段車中泊にも使用しているキャラバンで行って欲しいようですが、今年は軽自動車の車中泊で四国を廻る計画を立てていることから、雪で通行止めになっても取り回しのきく軽で行くことにきめました。

2年前の3月13日の木曽路
全国的に雨の予報ですが木曽路は雪かもしれません。
一年前の明日(1月14日)の写真

定例会は午後1時から3時までで終わるため、明日中に帰ってくることも可能ですが、天候を見ながら明後日の日曜日に帰ってくることとし、さすがに家族が心配する車中泊はしないものの、万が一雪で足止めになっても車内で籠城できる装備と、2日間は生き延びる食料や防寒衣を積み込みました。

2021-12-09  2年前の軽による車中泊

2年前の冬に軽自動車による車中泊で四国遍路へ訪れたことがあります。周りの知人からは多くの食料や荷物を積み込めるキャラバンの方が楽と言われますが、極寒となる冬季は車内空間の広いキャラバンは夜間の冷え込みが厳しく、狭い軽自動車の方が私の体験では楽でした。

狭い軽自動車の中に1週間分の食料や水を積んで、独りで四国を廻ることを考えると、明日の松本行きの楽しみが湧いてきます。

地元の場当たり的医療に怒り心頭ま一日へ

ジェームスで待機中


今年の運勢

本日の写真です。

本日は家内が一宮市の医療機関まで患者さんを搬送して行きましたが、私は市内まで一人の患者さんを送迎しただけで、遠方から訪れた知人と珈琲店へ出向いて昼食となり、午後4時に予約したジェームスの車検の見積もりに出かけて一日が終わりました。

さて、患者さんの病気の内容について詳しく語れないものの、本日もあまりにも無責任な市民病院の医療体制に腹立たしい話を聞くことになりました。

一宮市まで搬送した心臓疾患の患者さんは市民病院でカテーテルの処置を受け長期入院したものの、手術ができないため海南病院へ転院して手術を受け、その後の対応が十分でないことから、一宮市の総合病院を紹介されて本日訪れて相談したとの話です。

私の個人的な判断では、最初から私の通院する名古屋の中村日赤を紹介されておれば患者が転院を繰り返すこと無く治療ができた事例と思われます。

以前に市民病院ではカテーテルができないため名古屋市の病院へ搬送した患者さんがありましたが、一週間に一日だけ診察に訪れる大学病院の医師によって治療を受けても、その医師が居ない平常時は治療に限界があり、そんな体制でも患者さんを入院させることは問題です。

一週間に一度しか訪れない医師にとっては常勤の大学病院で日常の当り前の治療や手術も、この医師が不在となる市民病院においては、体調が急変しても専門の医師が居ないため患者は苦痛だけでなく、精神的にも大きな恐怖を味わうことになります。

こんな顛末になってから話を聞くことが多く、医療費や治療費は町医者でも大学病院でも一緒のため、ガンや心臓疾患など手術や高度な治療が必要と思われれる病気は迷わず大きな総合病院を訪れるべきですね。

私たちがボランティアで搬送する患者さんの中には、長年信頼して通院していた市民病院でなすべき治療が行われず病状が悪化し、手術が必要になってから中村日赤や名大付属病院などへ搬送した患者さんは多く、こんな繰り返しは減らしてもらいたいものです。

2022-01-12

一年前の記事を読み直すと、嬉しい手紙が届いた様子が記されていますが、今年は運勢も良く同じような環境には思えるものの、動けば動いただけ出費が重なることとを考えると出足が鈍ります。

スーパーへ水汲みに走る生活

夕暮れのマックから

夜のマックへ

夜のスーパーへ

現代版水汲みです

専用容器とカード

純水

夜間の割引品

よく売れています

本日の写真です。

本日は家内はボランティアに出かけて行きましたが、私は2階の事務所に篭り何もしないままに昼食をとり、テレビの時代劇「剣客商売」を見ていると歯医者さんの予約時間となり、まさかの1時間半以上もかかり、家内と約束していたマックは夕陽が沈む間際になってしまいました。

さて、私の住む津島市の周辺では腎臓結石の患者が多いらしく、私のかかりつけ医の勤務していた市民病院の医師の間で水道水が原因ではないかとウワサされ、かかりつけ医は水道水は飲用していないとの話を聞き、その後は2ヶ所のスーパーへ飲料水を汲みに出かけるようになりました。

簡単なことですが、家族全員の飲用水を汲んでくるのは大変で、純水のあるヤマナカとドンキホーテのスーパーで買い物と同時に水を汲んで帰る生活の繰り返しとなりました。

2021-04-14 
2021-04-15

過去の一言を読み直すと、2年前の4月から水汲みを始めており、私の膀胱結石によって始まった水汲みが連日の仕事となり、本日も陽が沈んだ夜にスーパーに走る一日となりました。

明日は家内が一宮市の医療機関まで患者さんを搬送し、私は市内の送迎となりますが、歳を重ねて自分の通院も必要になっており、車の維持費や燃料費も高騰し、運勢の良さに浮かれてはおれないボランティアのストレスを感ずるこの頃となりました。

新しいスマホをキャンセルして

母親に購入したシンプルスマホ

ソフトバンクの仕様書

買い換えた家内のスマホ

左がこれまてのスマホ


日曜日に新しいスマホエクスペリア「AceⅢ」に買い替えてきましたが、昨晩写真を見比べてみると、これまでのスマホ「エクスペリア8」の方が写真が鮮明であることが判りました。

どちらもソニーの製品で Xperia ですが、新しいXperiaは安くてバッテリーなど機能は良くなってカメラの画質は同じと説明を受けたものの、これまで使用していたXperia8の方が画質が確実に良いことが判りました。


左が新しいスマホの写真

右の方が鮮明です。

本日の写真です。

比較しなければ判らないでしょうが、添付した写真でもわかるようにこれまで使用してきたスマホより映りが悪いのは納得ができません。

他のソフトバンクのお店で確認したところ、新しい Xperia はこれまで使用していた Xperia8の半額程度の製品であることが判りました。

ガーン!!!

軽くなって性能も良くなって料金も安くなったと勘違いして、家内と二人で機種変更したものの全く裏切られたような気持ちになりました。

早速、稲沢市のワイモバイル店まで出向いてキャンセルし、元のスマホが使えるようにしてもらい、その足で近くの SoftBank 店で91歳になる母親の携帯電話を簡単スマホに変更してきました。家内はほとんど写真を撮らないため、小さくて軽い新しいスマホで良いとの話からキャンセルしませんでしたが、安い説明ばかりに気をとられると元の木阿弥となってしまうことを実感させられます。

91歳になった母親がスマホのインターネットを使用して、漢字やことわざを調べる姿を考えると今回の顛末を忘れて明るい気持ちになれるかと思います。

スマホを買い換えたものの

 いつものマックへ


 モバイルオーダーですが…



 毎日と言っても良いほどに居場所としているマクドナルドですが、スマホのモバイルオーダーのため現金もカードも持たないまま訪れたところが…

普段利用しているペイペイ払いにすると支払いができす、ペイペイにもログインができません。

とりあえずとクレジットカード払いにすると、今度はカード番号を記入するように求められ、カードは自宅のため番号が判りません。

結局、パスワードを忘れたとしてペイペイ払いをできるようにしましたが、スマホの買い替えは簡単なものの、スマホ内で設定してあったwi-fi や無線 LAN はすべて設定し直す必要に迫られました。

スマホの中にある paypay やショッピングセンターのアプリにある現金やポイントもログインできないと利用ができません。

やっと注文完了 

 新しく買い替えたスマホ

 帰宅時は真っ暗になりました

Ymobile稲沢店 

昨日にスマホを買い替えました

新しいスマホカバー 

 小型軽量になりました
本日の写真です。

スマホのバッテリーを交換(修理)するために訪れたYmobileの販売店で、新しいスマホにした方が低額になるとの説明から、家内と一緒に簡単に交換してきたものの、アプリへログインするパスワードと、スマホの壁紙にしていた相棒(愛犬)の写真と、電話の着信音にしていた相棒の声が消えてしまいました。

本日はそんな後始末で一日が過ぎてしまいました。

挿し木したパイナップルの花芽がついて

我家のパイナップル

茎が太くなってきました

かなり大きくなりました

そして、真ん中には…

実になる花がついていました

本日の写真です。

2年前の6月にコーヒーカップの中で発芽したパイナップルが、冬でも20度以上に空調管理している私の2階事務所で実になる花をつけていました。2年前も冬の間は2階へ移し、昨年は11月に二度目となる2階へ移動させていましたが、本日花がついているのを発見しました。

南国の果物であるパイナップルが、こんなに簡単に家庭で栽培できたことに驚きですが、我家のペットたちのための空調管理が、我家の2階ではブーゲンビリアやミニトマトなど真冬でも夏と同じように花を咲かせています。

発芽から現在までの記録を下記に添付しました。

2021-07-06
2021-10-02
2022-06-25

21年6月 ↓

6月20日 ↓

21年7月6日 ↓

21年10月2日 ↓

22年6月25日


本日の花が今後どのように成長するかは判りませんが、小さくても成長した実から次の世代まで再度挿し木で増やしていきたいと思うとともに、現在の茎からもわき芽が出る可能性もあり、私が存在する間は家族として見守りたいと思います。



今日から三連休なんですが…

ジェームスでバッテリー交換です 家内のセレナ


昔と変わらぬ雰囲気

今時では驚きのコーヒー代金です

私のキャラバンとセレナ

営業車は2台とも18番です


パソコンの横に置いたカレンダー

本日の写真です。

今年は正月休みが短く、正月の雰囲気を感じないような年明けになりましたが、意外なことに本日から3連休になっていることも、月曜日が祭日であることも本日まで自覚がなく、家内がボランティアの移送を受けていたことから普段と変わらぬ一日になりました。

持病を持つ高齢者にとっては正月休みや3連休より病院の診察日の方が重要で、長い正月休みは病院に行けず体調不良に陥っている患者も多く、重篤な病気や難病患者にとっては長い連休や祭日はストレスになっていきます。

そんな生活の中で、パソコンの横に置いたカレンダーから次の外出先や、上高地と四国遍路の予定を考えるとストレスだらけの地域生活を忘れておれます。

さて、私は学生時代の昭和52年に朝日新聞の販売店を起業しましたが、私にとってはその後の議員生活よりも長く関わったことと、政治との兼業禁止によって廃業しただけで、今にして思うとそのまま転業せぬまま引退を迎えたかったと猛省しています。

東海地区でシェアの少ない朝日新聞の販売店を起業するには覚悟も必要で、私は新聞配達人である地方新聞社の販売店とは違い、不偏不党で権力も恐れぬ朝日新聞記者の良識を地域へ届ける使命感によって販売店を始めました。

そんな何も判らない学生の私が営業する朝日新聞を購読していただいた愛読者は神様で、今でも縁側でお茶をいただいたお宅や、義理でもお付き合いいただいたお店は別格で、本日訪れた喫茶店「童夢」も居心地の良い環境のままで、何よりも権力に迎合しない喫煙可能(私は禁煙者ですが)の客席と、低価格のチケットなど末永く続いて欲しいと願っています。

残された人生は永くはありませんが、過去の恩恵を返しながらの生活を続けます。

天赦日と一粒万倍日の重なる最高開運日となり

ナイチンゲール像

名古屋第一赤十字病院(中村日赤)

寒桜

開花中

春を感じさせられます

自動支払機

診察が終わりました


本日は一昨年10月に手術を受けた中村日赤の泌尿器科の診察日で、最近トイレが近くなっている問題について、主治医が超音波エコーで検査した結果、腎臓にも膀胱にも結石は無くきれいで問題ないと言われ、私自身の精神的な部分が大きいと思われ、現実に診察前はトイレが気になっていたものの、診察後は何事もなかったようにトイレの心配がなくなりました(笑)

町医者とは違う大きな日赤病院の主治医がついていることだけでも気の病程度は治ってしまうような気がする診察となりました。

イオンタウン 愛知県弥富市

駐車場の一角にある宝くじ売り場

何処にでも居そうな吉本系お爺さん(笑)

宝くじや馬券は通、玄人です

一粒万倍日の看板

ちょっと寂しい宣伝実績

私が購入した3枚

本日の写真です。

一粒万倍日と天赦日が重なる今年最強の開運日は、本日と3月21日、8月4日の3日間ありますが、本日は私個人の運勢も良く、吉方位となる南西方向の宝くじ売り場となる弥富市まで宝くじに長年投資してきた知人とともに訪れました。

結果は判りませんが、関東と東北に私の住む中部地区の自治体くじであることから、購入したお金が些少でも地域のためになると思えば、当たるかもしれない初夢とともに悔いのない宝くじとなりました。

そして、昨日購入した宝くじは、本日名古屋市に住む孫(長女の子)宛にポストへ投函しました。ラインから孫へ写真で添付した宝くじが、実際に孫の手元まで郵送されていくことで、孫と楽しみを共有したような気分にもなりました。

一粒万倍日と天赦日が重なる今年最強の開運日なら、郵便局に預金口座を新設すればもっと金運が上がるだろうと孫の手紙とともに郵便局まで歩きました。

「口座を新規に開設したいのでお願いします」
   「すでに口座がありますよ」
「一度も利用したことは無いんですが…」

新規開設のため身分証明書まで提出したものの、すでに私の口座が存在することが告げられ、家内に確認しても通帳も存在しないため、再発行すると千百円の費用が必要になるとの話で、存在すら知らない口座にいくら入っているかも判らない(教えてくれません)のに再発行の手続きをして帰宅して通帳の再発行を2週間ほど待つことになりました。

帰宅後に、再発行のための余分な出費になってしまったと思った通帳についても、もしかしたら数万円入っているかも知れず、これも最強開運日のおかげで窓口に行ったことが宝くじのような金運になっていたら驚きです(笑)

もっとも、リタイヤした年金暮らしの生活のため、最強開運日といっても宝くじ程度しか楽しみはなく、通帳を再発行しても入れるお金はありませんね。

開運日の明日(1月6日)の予行演習へ

愛知県弥富市イオンタウン内宝くじ売り場


この2枚にご期待下さい(笑)

購入してきました


本日の写真です。


年末に高島暦の本と、六星占術の本を購入してきましたが、暦の上だけでなく私の運勢も最高になるのが明日1月6日で、明日は運勢の悪い人にとっても一粒万倍日と天赦日の重なる1年で一番最高となる開運日となっていたことから、方位の良い南西方向にある弥富市の宝くじ売り場を確認するため訪れました。

それでも、せっかく出かけたから…

本日も一粒万倍日で、私の運勢も良い日ですが、暦の上では不成就日という「何事も成就しない日」とされ、何をやってもうまくいかない日のため、明日のために方位の良い宝くじ売り場の場所を確認しながら家内と買い物に出かけました。

昨年の暦や運勢の悪さほ考えれば何事もどん底ではないだろうと、1枚づつ家内と購入することにしましたが、宝くじは1枚300円と思っていると、現在発売されている宝くじは「初夢宝くじ」が200円だったことと、1枚100円の長野県立美術館の写真付き宝くじがあったことから、1枚づつ購入してきました。

私の大好きな上高地のある長野県に少しは役に立つと考えれば初夢が外れてもまったく悔いとはなりませんが、一年で最高の開運日と言われる明日は朝9時から中村日赤の診察があり、宝くじは午後の購入になりますが、売り場の店員さんから開運日の明日は午前中から長い列が出来ると聞きました。

引退した年金暮らしの爺じいとなり、収入増のあては何もありませんが、明日は郵便局で新しい口座を開設して運勢の開運にあやかりたいと思います。

閉山式から眠っていた上高地の土産物

上高地ビジターセンターで販売されている竹フエ

河童のタケリナと言います

竹フエの解説書

演奏するための説明図も記されています

音を変える空気穴


上高地が閉山されて2ヵ月近く経過しましたが、新しい年を迎えてあと3ヶ月ちょっとで開山すると考えると、大晦日と新年の大きな心境の違いを実感させられます。

さて、閉山式から一年で一番厳しい厳冬期に入っても上高地の発信は続いており、上高地ファンの多さを実感させられますが、閉山式から帰ったまま置かれていたリュックを開けると、ビジターセンターで最後の客となって購入した「竹フエ」が出てきました。

この竹フエには「タケリナ」の名前が付けられていますが、環境省パークボランティアの竹重会長によって作られた竹笛で、ビジターセンターで販売されており、8月のお盆の頃にはクラフト教室でも竹フエや各種アクセサリーを作ることができます。

そんな訳で…

私が上高地で初めて作った竹フエ(鳩笛)

私の手作りです

本日の写真です。

6年前に上高地で初めて竹フエを作ったことが下記に添付した一言に記されており、たかだか二本の竹だけで作れる竹フエではあるものの、あまりにも私の手先が不器用なだけでなく、ノコギリや穴あけが危険と言われてボランティアの先輩に手伝ってもらっていたことが書き記されていました。

2017年08月14日
2018年11月18日

2022-08-13  昨年のクラフト教室

上高地のクラフト教室で経験した竹フエ作りは、不器用で物作りとは無援な環境にあった私にとっては感動もので、翌年に名古屋市内でも先輩ボランティアの協力によってクラフト教室を開催しており、我家には材料となる竹と工具も買い揃えました。

膠原病(関節リュウマチ)のリハビリも兼ねて竹フエにも挑戦してみます。

箱根駅伝をテレビ観戦する一日となり

 駒沢大学総合優勝

昨日4区の映像

駒沢、中央、青山のデットヒート

1位駒沢、2位中央、3位青山

本日のトップ

ゴールを待つ駒沢大学のメンバー

1位ゴール

胴上げ


ゴール間近

2位 中央大学

古豪復活


青山学院の選手と監督車

見事に盛り返しました


本日の写真です。

平成8年に長男が山梨で行われたインターハイ陸上走り高跳びで入賞して中央大学の監督から誘われて入学したことで、愛知県と三重県で行われる全日本大学駅伝では中央の旗を持って応援するようになりました。

全日本大学駅伝は朝日新聞社が主催しており、開催当日は近くの第一中継所の朝日新聞の担当になっていましたが、平成11年を最後に朝日新聞から市議会議員へ転身したため駅伝とは無援になっていきました。

そして、応援していた中央大学も古豪と言われながら低迷するようになり、応援する大学もなくなり駅伝そのものへの関心も薄れていきました。

ところが、平成27年頃から青山学院の神野大地選手が活躍するようになり、私の母校神守中学校の後輩であったことと、私自身が同窓会長であったことから応援に走るようになりました。

2016年01月02日
2014年11月02日
2015年01月02日

山ノ神と言われ日本中の人気者になった神野君ですが、同窓会から依頼した会報の原稿も丁寧に対応してくれ、彼のお兄さんが私の三男の同級生であったこともあり、彼が卒業した今でも青山学院を応援していますが、昨年から古豪と言われてきた中央大学が復活してきました。

優勝した駒澤大学の強さは勿論ですが、2位に入った中央と3位の青山も来年は優勝を狙える環境と実績を持っており、昨日から中央と青山の走りに期待して応援しました。復活した中央も勿論ですが、途中で失速した青山も最後は3位に入った強さには元気をもらえる箱根駅伝となりました。

今年の大学駅伝は現地で応援する気力をよみがえらせたいと思います。

ふるさとアサヒ




お千代保稲荷へ初詣

お千代保稲荷 岐阜県海津市


本日は岐阜県海津市のお千代保稲荷へ初詣に訪れました。

大渋滞からの参拝です

参道

やっと鳥居まで

境内入り口

まだまだ入り口

人、人、人

ろうそくの燈明場

境内も人、人、人

やっと拝殿へ

参拝

足止めに効果抜群?の礼拝所

精霊殿

出口の鳥居


人気店前の行列

お千代保稲荷の東側


弘法大師堂 美濃第31番札所 稲荷の西方にあります

南無大師遍照金剛 真言宗のお堂です


お千代稲荷の北にある社


車に戻ります

岐阜県から愛知県へ

本日の写真です。

子供の頃は父親の車に乗せられてお千代保さんへ参拝し、結婚直後は参道近くの駐車場が家内の伯母さんの嫁ぎ先のため無料で停めてもらい、その後は仲間と参道の居酒屋で飲み歩いて、最近では子供が独立して家内と二人で参拝するようになりましたが、私は神社の西方にある弘法大師堂と併せて参拝に訪れています。

お千代保稲荷は商売繁盛の神様ですが、最近の私は引退して年金生活者となっており、個人的な身体や困りごとは「お大師様」にお願いすることにしているため、「今年はお金に困窮しませんように」と全く地味なお願いをしてきましが…。

暦の中で「一粒万倍日」と「天赦日」に、私の運勢や吉方位占いが共通して縁起の良い日が近々あり、縁起の良い結果が出ることに期待することにします。

明けましておめでとうございます


昨年は私自身の暦の運勢が悪いだけでなく、春に追突事故に遭遇して頚椎挫傷で指がシビレ、その後は両手が腫れあがり両肩には激痛が走りだし、6月になって完治が極めて難しい膠原病と診断されました。

今年は幸いにして私の暦(二黒土星)による運勢は真っ白の発展運となり、「今まで何かうまくいかなかった事も一気に開花できる吉運年に入ります」と記され、六星占術も私の天王星人の(-)は「安定」となっており、「心身ともに充実した一年を過ごせるでしょう」と予想されています。

年齢(六十九歳)を重ねた老化による体力低下や、膠原病と共存する人生に変わりはありませんが、不調時ゆえに、私の最後の責務となるボランティア(福祉有償運送)と、セカンドライフとする四国遍路と上高地行きを、運勢の良さを信じて悔いの無い一年にしたいと思っています。

このブログを訪問される皆さんや、ずいぶんと長いお付き合いになったブロ友の発信は、病による体調不良等には随分と参考になり、生活体験は新たな楽しみを見出す指南役ともなっており、身勝手な発信を続けておりますが、私への苦言も苦痛とは思いませんから今年も遠慮なくコメントしていただければ幸いです。

本年も宜しくお願い致します。 

令和4年 大晦日



 👆ここに今晩の除夜の鐘の写真を添付予定です。
 今年(令和4年)は、3日前に鐘楼が完成して落慶法要が行われたばかりの桑名市の大福田寺の除夜の鐘を撞いてから、本堂で令和5年の元旦を迎える予定で、夜8時過ぎに自宅を出発し、車中で年越しそば(どん兵衛のカップ麺)を食べてから、お寺を訪れたいと考えています。

本日も普段と同じようにウォーキングに出ました。

 運送会社もお休みです


 大晦日に満開のたんぽぽ

 2日前の同じたんぽぽです


 今年最後のマクドナルド


スタンプ獲得です


3万5千歩を歩きました


15個ゲットです



大晦日にドリンク券獲得です

本日の写真です。

大晦日でも元旦でも何も変わることなく生活していますが、来年は真っ新な気持ちで健康でストレスを感じない一年にしていきたいと思っています。

平成16年から毎日ブログ発信することを前提にして生活してきました。歳を重ねるとともに体調の不調や病に苦しむ発信が増えましたが、今年もご覧いただいて有難うございました。

来年も休むことなく発信していきたいと考えておりますので、飽きる事なく訪問していただき、私自身への苦言も遠慮なくコメントして下さい。皆さんの体験や意見が私自身を鼓舞し励ましにもなりますので、令和5年も宜しくお願い致します。

                             

今年最後となるウォーキングへ

ウオーキングの目的地 スプーンベル津島市葉苅町


私が昔からお気に入り登録しているブログに、「久しぶりの1万歩超え」の記事を見つけ、のんびりと新年を迎える休息ムードに入っていた身体を奮い立たせて、私も久しぶりとなる「1万歩」ウォーキングへ出かけました。

上高地が11月15日に閉山となり、上高地では自然と2万歩も歩くことが私の体調維持にもなっていたため、最近の不摂生と膠原病からの回復には適度なウォーキングが必要で、来年からの目標とする毎月遍路の糧にしたいと思います。

午後3時50分 自宅を出発

歩道橋 津島市宇治町

県道あま愛西線

完全防寒です

県道を越えます

2年前まで叔父が生活していた施設

かつて叔父が住んでいたお寺 葉苅町

目的地へ到着です 午後4時28分

休憩です

午後5時21分 帰途へ

目比川 5時26分

歩道橋 午後5時41分

遠くに街の灯り 5時51分


本日の歩数

本日の写真です。

平成26年に初めて現在の管理栄養士さんの指導を受け、一年後に80キロから68キロまで減量した記録と、その後の健康診査の血液検査で全てが正常範囲に治まっており、歩くことと食生活の改善が健康診査の結果に有効である実体験でもあります。

2014年06月26日 初めての指導された日
 初対面の管理栄養士さんを信用できず、過去に指導を受けた管理栄養士さんでなければ「効果は出ない」ととんでもない言葉を発しているものの、この日から野菜摂取とエレベーターを使わない指導を受け、体重を記録するようになりました。
2014年09月04日 3ヶ月後の体重変化 途中経過
 体重を減らして10月に受診する基本検診の数値を改善することを目標にして、間食やアルコールの節制を管理栄養士さんから指導されていました。
2014年09月21日 3ヵ月で3キロの減量は実現
 日常生活を見直し、深夜族のため夜間の間食を減らすこととなどが指導されています。
2014年10月10日 80キロから74キロへ 4ヵ月で5キロ減へ
 この日の指導により、月曜日と水曜日、金曜日は珈琲店まで歩いて行く習慣が始まりました。指導されてから野菜の摂取量が増えたものの、糖分の摂取が減って体重が減っていることと、現状では主食となる「ごはん」が欠けている指摘もありました。
2015年01月16日 半年後に8キロ減量となりました
 8キロも減量して身体が軽くなったことと、シューズの中敷を換えたことで、小走りが可能になり、体重が減らない場合は500メートルほど走れば体重が落ちることが判りました。ウオーキングで体重が管理できるようになりました。
2015年04月12日 一年後の体重は68キロ台へ 12キロの減少
 あまりにも順調な体重減少によって、周りから別人と思われたり、私がガンか病気になって痩せたと思われている笑い話のような記載が残されています。
2015年08月28日 体重の安定から健康診査の数値の改善を目標へ
015年11月07日 医師もびっくりの健康体へ

今年は膠原病に罹患したことで6月と7月は完全休養(療養)となり、その後も上高地と四国遍路以外は身体を休めることばかり考えてきましたが、来年は暦や占いの運勢も良いことから更に外出機会を増やして、身体を動かすことで健康体へ回復を図っていきます。

餅つきと新年の準備の一日となり

 本日の夕暮れ

 ガソリン補給しました

木曜日はガソリンの低額サービス日のため、私のキャラバンと家内のセレナに給油してきました。年内最後の給油となります。

 餅つき器

 餅米です

 入れます

 蒸しあがりました

 まだ米が判ります

まもなく出来上りです

映像です

 映像です

 映像です

 餅になりました

飾り餅 

切餅用の餅です 

 きな粉餅

アンときな粉と大根おろし 

 本日の写真です。

本日は家内が餅つき器を使って餅をつきあげました。

私の少年時代の餅つきは石臼と杵を使った餅つきで、朝からかまどに薪を炊き上げて、もち米を蒸して一日かけて家の一大行事になっていました。

我が家で使用する餅つき器は、平成5年に他界した父親が生前に購入した時代物ですが、現在まで故障することもなく動いてきました。

もち米を餅つき機に入れるだけで機械が勝手に蒸して簡単に餅が出来上がります。

ただし、かつては大家族で、現在でも6人家族ですが、本日のお昼は私と家内と母親の3人しかおらず、あんこときな粉に大根おろしの3種類の餅が食べきれずに夜も残った餅の夕食となりました。

さて、明日も今年の残務処理の一日となります。

一年間の旅程をふりかえって

本日も一日が終わりました

本日の写真です。

今年は膠原病のため6月と7月の上高地にドクターストップがかかり、コロナ禍の中で外出が出来なかったと思っていましたが、上高地は4月から11月までに13日訪れており、四国遍路も3月、9月に2回と10月、12月に訪れていました。

そして、上高地と四国遍路しかないセカンドライフの中で、8年ぶりにご開帳となった善光寺と諏訪大社や、桑名では人生初体験となった火渡り神事も体験し、安曇野や京都の真言密教の古刹も訪れていました。

膠原病と共存していることで、出かけられる時に積極的に出かけるようにしており、結果的に2ヵ月のドクターストップはあったものの、コロナ禍で外出ができなかった昨年よりも多くの場所に出かけていたことになります。

本日は一年間の外出を読み直してみました。

2022-12-03
2022-11-15 
2022-11-01
2022-10-26
2022-10-10 
2022-09-18
2022-08-14
2022-07-02
2022-06-12
2022-05-21
2022-05-15
2022-04-23
2022-03-20
2022-02-13 
2022-01-23

来年はもっと外出したいと思っています。

高島易断と細木さんの六星占術の本を買いに走り

来年(令和5年)の暦 990円

私(昭和28年生)は二黒土星

来年は発展運 ○
九曜星(月曜星)も大吉 ○

私は天王星人(六星占術) 660円

来年の九星と九曜星の一覧表 ○ 
本日の写真です。

今年の私の運勢(下記に添付の暦)を見ると真っ黒でしたが、一年を振り返ってみると3月末に交差点で車に追突されて右手にシビレが残り、一ヵ月後には両手と両肩が激しく痛み出し、6月と7月は外出どころか車の運転もできない生活となり、病院で膠原病の診断を受けてステロイドと免疫抑制剤を飲み続ける生活となりました。

今年は真っ黒 でした。

結果論となりますが、まさに運勢どおりに真っ黒な一年となりましたが、かつては新聞販売店を経営していたため、年末には購読者へ配布する大量の高島暦を仕入れていましたが、これまで暦の運勢を真剣に見たこともありませんでした。

さすがに昨年10月に手術を受け、今年の事故による頚椎挫傷のシビレと膠原病が続くと無関心ではおられず、これまでは無料でもらう新聞店の暦だけでしたが、今年は書店まで高島の暦を買いに走ったばかりか、細木数子さんの継承者である細木かおりさんの六星占術による「あなたの運命」も購入してきました。

幸いなことは来年の運勢は良さそうで、高島易断によると私の「二黒土星」は発展運となっており、「今まで何かうまくいかなかった事も一気に開花できる吉運年に入ります。勢いに乗って、自分の夢や目的を実現させるためにスタートさせる時です」と記されていました。

そして、家内の「八白土星」の運勢も真っ白の光華運となっており、私との相性も良さそうなのでひとまずは安心となりました。生年月日から天王星人と判った細木さんの本を読むと、私の性格まで知っているかのようで引き込まれてしまいました。

もっとも、暦は生まれ年で全員が一緒の星まわりとなっており、同級生全員が一緒の運勢とは考えられないことから、本日購入した2冊の本を参考にして、共通して悪い日は注意して行動するなど生活の戒めにしていきたいと思います。


添付した吉方位サーチは同級生が信奉するアプリで、これも参考にすると良い結果が出ているとの話ですが、私は吉方位よりも悪い方位を避け、高島の暦や運命の本も併せて共通する悪い日や方位が重なる時に注意して、来年は平穏な一年にしたいと思っています。

タイヤ交換とウォーキングへ

        三日月↑   本日の夕暮れ

歩き始めです

ダイナミックな日暮れ

本日の写真です。

泣いても笑ってもあと一週間で令和四年は終了します。
今年は膠原病に罹患したことで、6月と7月は身体を横にして休めることに専念し、全く歩かない生活を余儀なくされました 。

8月から外出するようになったものの、未だに元の体調には回復しておらず、上高地と四国遍路に行くために体調を整えてきました。そんな中でCoke ONのウィークリーチャレンジのスタンプの存在は有り難く、そのおかげで不調時でも重い身体を奮い立たせてウオーキングに出たこともありました。

あと3個で1本無料



そんな訳で、残る3個のスタンプは2週間チャレンジで1本購入すると2個獲得でき、残された一週間で何とかノルマの3万5千歩を歩いてスタンプを1個獲得すれば15個のスタンプが揃ってしまうため、新年はまっさらのスタートするため、本日はノルマの5千歩を歩いてきました。

家内の車セレナ

タイヤ交換

夏用から冬用タイヤへ

十字レンチとジャッキ

今回からの新兵器です

春まで冬眠です


先週日曜日に高野山へ行くため軽自動車のタイヤは冬用に交換しましたが、家内のセレナと私のキャラバンはまだ交換が済んでいないため、本日は家内の車を交換しました。息子たちの油圧ジャッキと十字レンチを借りたためずいぶんと楽なタイヤ交換になりました。

最近では当り前となっているガソリンスタンドや車のディーラーに持ち込む人も多いようですが、我家には私の3台の他に息子たちの車も3台あり、以前は息子たちのタイヤ交換もしていましたが、最近は交換する度に体調不良となることから昨年は軽自動車以外は業者に依頼しました。ただし、今年は交換料金が高額になっていることからボツボツと交換することにしました。残るは一番大きいキャラバンだけとなりました

原稿 書き込み用

3月末に交差も

愛西市の八開村の中に
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