
本日は私の住む愛知県西部地方も大雪に見舞われました。動画は我家の駐車場です。
午前5時頃に降りだした雪は道路を真っ白にしましたが、午前中から雪は溶け出し夕方には道路の雪はほとんど無くなったため、お墓掃除とお花を供えに名古屋市にある横井庄一さんのお墓を目指しました。
誰かがお花を供えて下さっていました
本日の写真です。
平成9年に亡くなった横井さんにはお墓が2ヶ所あり、死後横井夫人が建立した千音寺霊園のお墓と、横井家の菩提寺となる行雲寺には横井さんの母親が昭和32年に建立した「陸軍軍曹」と刻まれた横井さんのお墓があります。
横井庄一記念館が開館してからお墓の場所を問い合わせてお参りくださる方もできましたが、千音寺霊園のお墓には小動物を慰霊する碑もあり、夫人は横井さんから行雲寺のお墓には入りたくない事と、グアム島で殺生した小動物の慰霊碑を一緒に立てて欲しいとの遺言であったとして建立されました。
夫人が鬼籍に入った今となっては事実を知ることはできませんが、生前の横井さんから「生きとる自分が入るお墓までおふくろが残してくれたから」と私と私の父親の前で笑って語っていたことを考えると、横井さん自身はわざわざ二つ目のお墓を建てて欲しいとは思っていなかったと思います。
私の推測では、行雲寺のお墓は母親の横井家が建立したお墓で、横井さんの死後在所となる横井家から色々言われることを嫌った夫人が、自分の兄と相談して小動物の慰霊碑という理由と話題性を考えて建立したものと思います。
今となっては、子供の無い横井さんのお墓は夫人が他界したことと、夫人が横井さんの在所や横井家の親族と懇意にしていなかったと言うよりも、横井さんは小学校五年生になってから我家の大鹿庄一から母親の再婚によって横井姓になっており、血縁者の居ないお墓に共通した現代社会に共通する社会問題でもあります。
私自身も我家の先輩としての横井さんのお墓掃除には訪れるものの、二ヶ所のお墓掃除を子供たちにまで託すことはてきず、我家のお墓やお寺とは別に、横井さんのお寺とお付き合いしていく気持ちも無いことから、こんな生活がいつまで続くかを考えると苦痛です。
本日早朝に岩屋寺から発信されたFacebookの写真です。
岩屋寺は愛媛県にある四国八十八か所のお寺ですが、標高八百メートルの久万高原にあるとは言え、高知県境に近い四国の中央部に位置しており、まさかこんなに雪が積もるとは思えない場所だけに驚きの写真として眺めました。
そして、雪は高知県でも…
高知県桂浜の写真
高知市では23日、明け方に雨が雪へと変わり、高知地方気象台によると、午前8時には観測史上最高となる積雪14センチを観測した。
高知城の天守も雪で覆われ、路面電車は一部で運転を見合わせた。市中心部では、車輪が空転する車を数人で押したり、転倒したミニバイクを通行人が助け起こしたりする様子がみられた。雪は夕方まで降り続く見込みという。 朝日デジタル新聞引用
そして、徳島県でも…
徳島地方気象台によると、徳島市では23日午前10時までの24時間の降雪量が10センチに達した。2013年に統計を取り始めてから最高の降雪量だという。
高知県で積雪を記録したということは四国全体が降雪に見舞われており、この日から四国遍路を始めたとFacebookに発信していた人や、現在巡拝中の歩き遍路には大変な試練となりますが、突然の寒波襲来とはいえこんなに厳しい降雪はお遍路の足を鈍らせてしまいます。
もっとも、コロナ禍においてはコロナウイルスに感染したり、濃厚接触者となって閉鎖される納経所も存在し、何も知らずに訪れて朱印がもらえないお遍路も多く、リアルな天候や道路状況と併せて納経所の閉鎖状況など四国の情報を集約するサービスが必要ですね。
奈良公園の鹿
奈良県警によると、京奈和自動車道の県内区間では午前6時~8時半、積雪や凍結が原因の交通事故が少なくとも5件相次いだ。このうち午前6時20分ごろに発生したトラック2台が絡む事故で、それぞれの車両の運転手2人が軽傷を負ったという。23日午後5時現在も御所南IC―橋本東IC間の上下線で通行止めが続いている。奈良国道事務所によると、通行止め解除の見通しは立っていないという。
【速報中】ヤマトと佐川、クリスマスを前に配達に遅れ 大雪の影響:朝日新聞デジタル (asahi.com)
先週日曜日(18日)の高野山は降雪に見舞われ、真っ白になるだけでなく道路が完全に凍結しており、あわてて下山して奈良県橿原市へ移動し、翌日は雪をさけて橿原神宮と大神神社へ参拝しましたが、本日の報道では奈良県も雪によって交通事故が相次ぎ、道路の通行止めが続いており、しばらくは外出を控えたよさそうですね。
18日の高野山
四国60番横峰寺に通じる有料道路は、12月末から2月末まで冬季通行止めになっており、冬季は雪を覚悟する必要のある高野山と併せて、冬のお遍路をシーズンオフとする人も多く、冬のお遍路は注意が必要です。
慈尊院山門
慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。
土塀
多宝塔と鬼子母神
弥勒堂
香川県善通寺から我が子、空海を訪ねてこられた弘法大師空海の御母公、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山上へ大師を尋ねようとされましたが、当時、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられました。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を❝九度山❞と称されるようになりました。
詳しくは→ 女人高野について | 慈尊院 (jison-in.org)
ゴンの碑と弘法大師像
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬がおりました。誰が教えたわけでもないのですが、不思議なことにその犬は高野山への参詣者の道案内をするようになったのです。当院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになりました。
詳細は→ 高野山案内犬「ゴン」 | 慈尊院 (jison-in.org)
本堂
大師堂
多宝塔の奥が町石道入り口
狩場明神と空海の出会いの図
丹生官省符神社 正面参道119石段 一ノ鳥居
二の鳥居
拝殿
丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)弘法大師(空海)によって創建されたお社であります。空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。
真言密教の聖地となった高野山ですが、今から1200年前にこの地で空海は漁師(高野明神)と出会い、山上に霊地(高野山)があることを教えられるとともに、連れていた二頭の犬を案内役として現在の高野山まで連れて行かれたと考えると感慨深いものがあります。
そして、善通寺から空海を訪ねて高野山へこられた母親の玉依御前(たまよりごぜん)を、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としていたため、この地で迎えられるだけでなく、月に九度は必ず高野山から会いに来られたと伝承されています。
八年前の話となりますが、この慈尊院から7時間かけて高野山まで歩いたことがありましたが、当時でも悲鳴をあげた町石道を今は歩く気力も沸かないことを考えると、大師は月に九度も往復していたという体力と強い精神力にも驚かされます。
2015年06月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 慈尊院から丹生都比売神社へ (livedoor.blog)
2014年10月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 町石道を金剛峯寺まで (livedoor.blog)
さて、高野山まで町石道を歩く人々を案内していた「ゴン」についても、1200年前に空海を高野山まで案内した2頭の犬の再来としか思えず、教えもしないのに高野山まで案内していた犬の本能と、女人高野と言われていた慈尊院へ病気治癒を祈願する女性が手を合わせている現代社会と、空海が存在した時代と目に見えない糸で結ばれているようも思えてきます。
今から15年ほと前の先達となる以前の話となりますが、空海が修行したと伝わる四国各地の修験場で空海が発したと言われるご真言を唱えていたことがあります。九度山の慈尊院のゴンと、丹生官省符神社の2頭の犬から当時の想いをよみがえらせてくれたように思います。
高野山奥之院 一の橋
あ、同期の桜
同期の桜の塔
高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」で、昭和42年に大圓院墓地内へ建立されました。
毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられる(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。
高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓ですが、私が高野山を訪れた際には必ず立ち寄っているものの、今年は10月に予定していた弘法会の高野山参拝が中止になったため、半ば諦めていましたが何とか年内に訪れることができました。
さて、昭和62年に亡くなられた鶴田さんには、東京都の港区にある父方「大島家」と練馬区に母方「小野家」のお墓があり、神奈川県の鎌倉霊園には生前の本人の希望から夫人によって建立された本人のお墓があります。
この高野山のお墓は、高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢が鶴田浩二と同期の桜であったことから、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かっており、先に逝った戦友と三途の川原でいつでも話し合えることと夢みていたことから、鶴田さんの死後夫人によって建立されました。
お墓の詳細については過去に何度も書き残しているので、下記に添付した私の過去ログをご覧下されは幸いです。
2021-11-26
高野山 あゝ同期の桜之塔と鶴田浩二さんのお墓 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2017年04月03日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓 (livedoor.blog)
今年6月に膠原病(関節リュウマチ)の診断を受け、これからは身体と相談しながらの生活となりますが、8年前には歩き遍路の仲間と麓にある九度山町の慈尊院から奥の院まで一日かけて歩いており、リーダーであった上野さんも他界している現実を考えるとこれからの時間は大切にしたいものです。
仲間がお墓とツーショットの写真を残してくれました。
2014年10月21日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山町石道から帰りました (livedoor.blog)
初めて鶴田さんのお墓と出会った時の書き込み
2008年05月29日
大鹿一八「本日の一言」 : 本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い (livedoor.blog)
平成13年に四国遍路をスタートし、翌年5月に高野山へ御礼参りに訪れ、ああ同期の桜の塔にもその後毎年訪れるようになりましたが、この塔と鶴田さんの関係を知って訪れていたものの、塔の後ろに建立されていた鶴田さんのお墓には平成20年まで気づかなかったことも今となっては不思議で可笑しな笑い話となりました。
生前の鶴田浩二さんは大スターであり、私なんかは会いたくとも会えないような有名人でしたが、そんな私が突然に訪れて墓前で勝手に手を合わせて、好き勝手なことをつぶやいていますが、ご本人が顕在なら「礼儀も知らない無礼者」と叱られるだろうと思いますが、今では我が物顔で勝手に訪れる親のような存在となっています。
鶴田さんの残した映画と全く同じイメージが一の橋の塔やお墓にはあり、私自身の生活を反省して見直す機会ともなる聖域でもあります。ここだけはお大師様と同行二人ではなく、鶴田さんと同行三人になるように感じ、しいては国のため若き命を散らした多くの戦没者も一緒になったように思えてしまいます。
12月20日の一言
昨日の凍結した高野山の道路
快活CLUB奈良橿原店 本日午前5時53分
受付カウンターで清算
店内のコミック
鍵付き個室のブース
スペース
車は真っ白です
今年になって最強の寒波と予報されている中で高野山に参拝して、道中の坂道と高野山の凍結したツルツルの道路を走り、長居をしたい心境を殺して急いで高野山から下り、道の駅九度山や御所南パーキングで買い物や食事を楽しみ、奈良県橿原市の橿原ぽかぽか温泉で入浴後に快活CLUB奈良橿原店へ到着しました。
快活CLUBは私のお気に入りで、旅先でもパソコンが置かれたブースで眠れることは、最高の環境となり、何よりもゲストハウスより定額で宿泊でき、鍵付き個室は完全に隔離された自分だけのスペースとなり、昨晩は家内と妹と隣同士で三部屋利用しました。
朝マック 午前6時14分
自宅では朝8時過ぎに起床し、午前中は役立たずの爺さんですが、上高地と四国遍路では早朝の起床も苦にならず、24時間営業しているマクドナルドは有り難い寄り道となりますが、wi-fi 環境を無くしたコンビニがある中でwi-fi を維持していることも魅力です。
橿原神宮へ
第一鳥居
神橋と第二鳥居
参拝所前の広い境内
本殿
予定では長谷寺と室生寺へ参拝する予定でしたが、奈良県の南部では閉鎖された道路もあったことから、本日は久しぶりに雪の橿原神宮と、今まで一度も訪れたことのなかった大神神社と、身体健全と病気平癒にご利益のある狭井(さい)神社に参拝しました。
JR桜井線 三輪駅
本日の写真です。
冬の高野山は雪を覚悟して訪れる必要がありますが、今回の大寒波の中で坂道だけでなく、真っ白に凍結した高野山へ参拝した経験は、最近忘れていた若かりし頃は苦にもしなかった雪道の運転を思い出し、これまで回避していた冬の四国遍路への希望ともなりました。
とりあえず、電車で訪れる予定だった1月と3月の松本行きも車で訪れ、体調が許せば四国遍路にも行く可能性を実感できる2日間となりました。
本日の写真です。
本日は朝8時に愛知県を出発して、西名阪自動車道から国道25号、天理市から京奈和自動車道へ入り、かつらぎ西インターから高野山を目指しました。
道路は途中から真っ白となり、高野山が近づくと凍結状態となりました。
高野山の大門から中門の道路はツルツルの状態となり、金剛峯寺、奥の院御廟へ参拝を済ませました。
本日は一の橋にある同期の桜の塔に手を合わせ、私の尊敬する鶴田浩二さんのお墓にお参りしてから高野山を降りました。
本日は九度山町の慈尊院へ参拝を済ませ、これから橿原神宮の近くまで移動します。
愛知県への手紙
明日の誕生日で孫は5歳となり、私は69歳になりますが、明日は私が外出を予定しており、一日早い誕生祝いになりました。
5年前に私の誕生日と同じ日に孫が生まれると言う奇跡のような誕生日となり、それまで忘れ去られていたような私の誕生日も、その後は孫と一緒のため祝ってもらえるようになりました。
もっとも、孫だけの誕生祝いではなく私も一緒に祝って欲しいと家族に言ってはいるものの、孫と違って私自身の誕生日は余命を減らし、棺桶に近づくだけですから「おめでとう」と言われても素直に嬉しい気分にはなれません。
ただし、孫と一緒に食事をとる喜びと、食事後に孫のプレゼントを一緒に買いに行く時間は、孫の喜ぶ顔と私の記憶に残る貴重な空間となっています。
こんな時間が永く続き、孫に私の遺言を直接伝えられる年齢まで生き永らえるまで、次の誕生日を楽しみにしていきたいと思います。
金曜日は一週間に一度処方されている免疫抑制剤が朝4錠、夕食後に3錠処方されており、朝食後に11錠の薬を飲みました。
これでも今月からステロイドの量を減らされており、これからも順調に減っていくことを祈るばかりとなります。
本日の朝、Facebook の画面に1年前の記事が現れ、二日前にブログに記した「かかりつけ医」の内容と全く同じような内容にびっくりさせられました。
2日前のブログです
ただし、1年前は現在と違い血圧の薬を1錠飲むだけの健康体で、不調と言っても現在とは比べようもありませんでした。
本日の写真です。
息子の接骨院で足の大腿部の筋肉を回復させるためミニバイクを回しました。
このミニバイクはべダルの強弱が調整でき、少し強めに設定して20分回し続けましたが、足腰の疲労よりも息苦しく頭がボーっとして痛くなってきました。
息子の話では、このバイクは足腰だけを鍛えるものではなく、心拍数を高める目的で使用するもので、運動不足と病気療養中のため心臓に負荷がかかったようです。
これまでは Coke ON のスタンプ目的で、ウォーキングを意識してきましたが、これからは雨天時や荒天の外出できない日のウォーキング代わりに使用したいと思います。
週末に予定する高野山行きのため、本日は冬用のスタッドレスタイヤに交換しました。
昨年は冬用タイヤから夏用タイヤに交換する5月と、12月に夏用から冬用に交換しましたが、ともにタイヤ交換後に体調不良に陥りました。
2021-12-22
タイヤ交換でめまいと吐き気 今年2回目です | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2021-05-03
2台のタイヤ交換でめまいと吐き気が | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
さて、本日はタイヤの小さい軽自動車だったので昨年のような悪夢とはなりませんでしたが、福祉有償運送の主役となる私のキャラバンと家内のセレナのタイヤ交換が終わっていません。
添付した過去のブログを読み直すと、まだタイヤ交換の済んでいない2台の交換後に体調不良に陥っており、今年は膠原病に罹患して昨年より 体調や体力も低下しているため、自分で交換する場合は覚悟も必要となりそうです。
2020-12-05
スタッドレスタイヤに交換して | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2018年12月24日
大鹿一八「本日の一言」 : 冬用タイヤに交換しました (livedoor.blog)
2016年12月29日
大鹿一八「本日の一言」 : 冬用スタッドレスタイヤへ交換 (livedoor.blog)
過去のブログを読み直すと、知人の応援を受けてもいますが、歳を重ねるとともに年々体力が衰えているのは確実で、闘病中の今年はさらに衰えてしまいました。
毎日同じような生活を続けていますが、過去の一言を読み直すと確実に老人になってきたことを実感させられます。
もっとも、この方位学にこだわると、次に高野山(南西方向)へ行ける吉方位は来年9月8日から10月7日となっており、10月8日から翌月の7日まで吉方位が続くものの、その次は2年先の6月7月(6月5日~8月6日)となり、その次は3年先の3月と12月にならないと吉方位はありません。
ちなみに、特定の(日盤)日の吉方位は、今月18日、19日と28日の次が、1月5日と6日、1月15日と23日、24日、2月2日と10日、11日、19日、20日と28日、3月は1日、10日とありますが、上に添付した図からも判るように、「暗剣殺」などいかにも縁起が悪そうな方位も同じように存在します。
そうなると高野山だけでなく、同じ南西方向に位置する四国遍路も1年に一回とか2日間隔だけしか行けませんから真剣に考えたら行動もできず、現在はシーズンオフとなっている上高地の北東方面にも安心して行けませんが、こんなアプリを見てしまうと気になってしまいます。
さて、
さて、問題は…
本日の予報です。
高野山の天気予報は土曜日こそ雨のち曇りですが、日曜日と月曜日は雪マークがついています。標高が高いため高野山は雪になりそうです。
以前の私ならわずかな降雪など気にすることもなく目的地まで走ってきましたが、膠原病と言う持病持ちの老人になっていることから考えさせられてしまいます。
せっかくの高野山行きとなるので、雪道を無理して走らず、麓となる九度山町に車をおいて久しぶりに九度山駅から電車で高野山を目指した方が安全かもしれません。
四国遍路や高野山への参拝が後々後悔することのないようにしたいものです。
最近の我が家では、月曜日の午前中は必ずコカコーラの Coke ON 対応自販機まで走ってドリンクを購入することが日課となっています。
月曜日の午前中に Coke ON の自販機でドリンクを購入するとスタンプが2個もらえます。そして購入したジョージアをスキャンするとさらに一個のスタンプがもらえ、本日は3個のスタンプをゲットしました。
偶然にも自販機の前でスマホ画面に一年前の記事(一言)が現れ、一年前にもCoke ONの記事を残していた事にびっくりさせられました。
2021-12-12
歩いただけで飲料水をゲットしました コークオン | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
冷静になって考えてみるとCoke ON対応自販機のあるスーパーで低額なコーラ製品が販売されており、店員さんから「店内で買った方が安いよ」と言われたこともありましたが、わざわざ車のガソリンを使って自販機へ行くのは健康にも良くはありません。
それでも Coke ON 対応自販機で購入してしまうところにスタンプの魔力がありそうです(笑)
1年前のコークオン記事から、かつては一日五千歩のノルマを歩き、一週間に一個のスタンプを獲得しており、ドリンク一本を獲得するために約3ヶ月要していた不調と言いながらも元気な私の姿がありました。
最近は膠原病に罹患しているため、歩かずしてスタンプを貯めようとしており、本来の目的とCoke ON の原点を見直す反省が必要なようです(笑)
地泉院 愛知県稲沢市祖父江町神明津231
昨日の夕暮れ時に愛知県で一番西に位置する祖父江町の地泉院を訪れました。家内の在所から近く、住職は書道の大家で家内たち兄弟の書の先生だったこともあり、以前は家内が毎年節分に訪れており、住職が私の叔父と同級生だったことから身近に思っていましたが、最近は素通りばかりでした。
過去のヤフーブログ(現ライブドア)を読み直してみると、孫の安産祈願と御礼にも訪れており、書道仲間と祖父江町の七福神を歩いて訪れたことなど懐かしく思い出されました。
2011年08月20日
017年07月22日
2017年12月26日
2018年04月07日
かつては私の住む津島市から地泉行きの路線バスが走っており、書道でも有名となっていた住職の商売上手と言われていましたが、お寺だけでなく地域住民にとっても貴重な交通の足となっていたことはバス路線が廃止してから実感させられることとなりました。
さて、参道入り口には2年前に建立された大きな寺標(石柱)が立っておりびっくりとしましたが、お寺の参拝は自分の都合や気分しだいで訪れており、これからはお寺の年中行事にあわせて参拝することも有効と思う一日ともなりました。
市役所1階ロビー
本日の写真です。
さて、私の住む津島市は海抜ゼロメートル地帯にあり、子供の頃は小川や水田の細い江には多種多様の小魚が生息していました。
最近は、小川とは言えない生活排水の悪水路と化しており、魚の姿すら見えませんが、懐かしい小魚を見つけて飼育することにしました。
そんな訳で、早速アマゾンから…
「そんな虫取りの網では魚は撮れないぞ」
「冬の間は水も無いのに…」
「それでもそんな子供用の網では」
「これでやってみてからにしたら…」
よくよく考えてみると、過去に何度も高額な四手網を買ったものの、一度も継続して使わないままに捨てられてきた自身の性格を実感させられ、とりあえず家内の言うように子供用の網ですくってみることにして購入してきました。
4月まではセカンドライフとする上高地も閉鎖されており、その間のリハビリを兼ねて小川程度の川を散策するのも良しと考えることにしました。
本日の写真です。
孫の幼稚園の生活発表会が開催され、家内とともに鑑賞に訪れましたが、私には4人の子供がありながら一度も発表会を訪れたことがなく、孫のためなら何でも参加するリタイヤ後の現在と現役時代を対比させてしまいました。
今年 令和4年12月4日の写真です
相棒が逝って2年半が経過しましたが、四国遍路の巡拝中には至るところで相棒リマの元気だった姿を回顧してしまいます。
2019年7月15日
第71番弥谷寺の駐車場
令和1年10月13日
第73番出釈迦寺・捨身ヶ嶽禅定
名古屋市中村区稲葉地町付近 鳥居西通
処方箋
「血液検査の結果が良くなっているね(笑)」
「えっ、そうですか」
「これなら上高地も大丈夫だよ(笑)」
「身体も随分と回復してきました」
6月に膠原病(関節リウマチ)と診断され、投薬によって身体の痛みは減ったものの、先月の診察では血液検査の結果は改善しておらず、身体の動きは軽快になっても体内の血液や免疫細胞は思うように改善せず、本日の診察でやっと改善を実感することができました。
「前回も身体は良くなっていたからね」
「前回の数値は何故悪かったのでしょうかね」
「心配していたけど良かったね」
「心配されていたんですか…」
身体の痛みは減り、確実に快方に向かっているのに血液検査の結果は改善しない怪現象に主治医も首をかしげますが、心配していたとの言葉に、毎月薬の処方を代えながら思うように改善しなかった医師の苦悩を理解していませんでした。
本日の検査でやっと数値の改善が見られ、処方されているステロイドを少しづつ減らしていくことになりましたが、毎月増えていた薬の量が今回の診察で初めて減ったことは嬉しい半面で、減らされて1か月後は大丈夫か心配にもなってきます。
今年6月の血液検査で関節リウマチの根拠とされた3種類の異常を示す数値
6月から12月までの推移
CRP(基準値 0.00ー0.14) 体内の炎症や組織の一部の損壊の有無を診断する検査
(6月)4.85→ (8月)2.32→ (9月)2.89→ (10月)3.78→ (11月)3.69→ (12月)0.50
MMP-3(基準値 35.2ー123.8) 関節リウマチ患者の関節には大量にMMP-3 が含まれており、関節破壊の指標とする検査
(6月)162.4→ (8月)212.3→ (9月)213.3→ (10月)231.9→ (11月)201.7→ (12月)153.0
RF(基準値 20未満) 血液中のRF(リウマトイド因子)という物質の量を調べる検査
(6月)24.5→ (8月)26.7→ (9月)45.1→ (10月)67.8→ (11月)63.6→ (12月)36.8
3種類とも正常な基準値の範囲内にまでは入っていませんが、本日の血液検査で先月や先々月よりかなり改善された事がはっきりと判ります。
本日の写真です。
3月末に追突事故で頚椎を痛め、6月から膠原病に罹患して一時は起き上がることもできず、やっと先月から体調が戻ってきたものの、血液検査の結果が伴わないため体内で膠原病が進行していく心配もありましたが、本日の検査結果と医師の「心配していた」との過去形の言葉から明るい兆しを感ずる一日となりました。
本日の写真です。
本日は朝から福祉有償運送のボランティアで、患者さんを市外の医療機関まで送迎するとこれだけでお昼になってしまい、昼食後に家内は名古屋市の病院まで搬送した患者さんを迎えに走り、私は理髪店経由で家内と合流して珈琲店に行くと夕方になりました。
何か仕事をしたという感覚はなく、出費するために外出しているような生活ですが、年金暮らしのボランティア生活のためこんなものでも普通なのでしょうか。
添付した「へんろ」は四国八十八か所霊場会が監修する情報誌で、毎月1日付で発行されて発送されているため、今月は四国遍路から帰宅した翌日5日に取り出しましたが、四国から日常生活に入ろうとする気持ちが四国へ戻っていってしまいました。
今年は3月に逆打ちで香川県からスタートし、4月から毎月上高地と四国遍路に行くことを目標にしていたものの、3月末に交差点で追突事故に遭って首を痛め、その後6月に膠原病に罹患して6月と7月はドクターストップがかかりました。
8月から上高地行きが解禁になり、四国遍路は9月から再開して10月と先週末にやっと訪れることができました。しかし、上高地の滞在時間を半分として松本市や安曇野市に点在する真言宗の古刹巡りや京都の三弘法などへ行ったことで、違った角度から密教のすばらしさを体験できまる機会ともなりました。
さて、明日は膠原病の主治医の診察を受けるため名古屋市の中村日赤へ通院となりますが、生活する上での体調は随分と回復しているため、診察前に受ける血液検査や尿検査の結果も前回より改善していることを願うばかりの診察となります。
6月から手首や指の痛みからブログの発信もスマホの「音声入力」としていましたが、パソコンで打ち込んでも苦痛にならないため本日はパソコンで打ち込みました。
体調の回復によって、昨年の目標だった「毎月遍路」も開始できると幸いですね(笑)
第56番泰山寺前の寺標
駐車場から見える参道
参道
伊藤萬蔵寄進の道標
四国霊場の寺院では至る所で「伊藤萬蔵」さんの名前を見かけますが、本堂や大師堂前の香炉など参拝前に必ず目にする場所と違い、お寺へ急ぐ参道や道路に残された寺標や道標に残された「伊藤萬蔵」さんの石は見落としてしまい、泰山寺前の寺標は今回初めて目にしました。
今回のお遍路は2日間だけでしたが、2日目は昼まで巡拝してから愛知県へ帰る余裕の行程だったこともあり、本堂と大師堂だけでなく薬師堂や不動明王へも参拝し、樹木や草花などを眺めていると午前中に終わるはずだった巡拝は午後3時までかかってしまいました。
伊藤萬蔵さんは愛知県一宮市で生まれ、名古屋へ奉公に出て米や相場で財をなした実業家で、それらを原資として多くの寺社に石造物を寄進、現在関東以西約400余ヶ所が確認されており、四国八十八か所のお寺の香炉などに「名古屋市塩町」の住まいも刻まれています。
伊藤 萬蔵(いとう まんぞう、1833年(天保4年) - 1927年(昭和2年)1月28日)は、尾張国出身の実業家、篤志家。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「石の語り部」として全国各地の寺社に香炉や道標など石の寄進を繰り返したことで知られる。寄進した石には「名古屋市塩町」と「伊藤萬蔵」の印が入っている。今回は第56番泰山寺前だけでなく第71番弥谷寺と第60番横峰寺でも寄進された香炉を見かけました。
さて、昭和2年に亡くなっておられる伊藤萬蔵さんの偉業についてはさておき、何よりも名古屋から遠く離れた四国各地へ寄進した石を見るため、萬蔵さんが現地まで来られた旅程を考えると鉄道や道路が整備された現代社会とは全く違う白黒の景色が思い浮かんできます。
第71番弥谷寺の香炉
私が過去のアメーバブログ(2019年以降)に記した伊藤萬蔵さんの記事一覧
四国各地においても、私の生まれた愛知県の大先輩たちの名前を見つけると、歩くしか無かった四国遍路の厳しさと同時に、名古屋から四国へ行くこと自体が大変だったお遍路の先輩たちの苦労も偲ばれ、私のジェット巡拝も笑えてしまいます。
全国を寒波が襲来すると予想される天候の中を、今年最後となる四国遍路に行きたいため、体調不良という言葉は封印して移送ボランティアに励む一日となりました。
毎週1回だけ金曜日の朝と晩に膠原病の免疫抑制剤を処方されていますが、薬効が切れてくる木曜日と金曜日は体調不良になり、週末から週明けにかけて体調が回復する生活になっています。
「体調が悪い」と言うのは嘘ではありませんが、膠原病の影響で罹患前のようなスッキリとは言えないものの、「本当に悪かったら上高地なんか行かないもんね」と主治医が言うように、外出意欲は満々で、外出するために体調を整えて行きます。
医師から十分な睡眠をとり、身体を休めるように言われていますが、横になって休めてばかりいると身体が重くなり余計に身体が強張っていきます。
さて、今回の遍路は愛媛県今治市の54番寺から香川県三豊市の71番寺までを目標として、一泊二日のお遍路となります。
我が家から愛媛県の第60番横峰寺までの距離は425キロあり、車で約6時間かかり、前日である今晩深夜の旅立ちとなりますが、多少の仮眠は必要なため香川県三豊市の第71番弥谷寺を明日一番の目標として走ります。
ちなみに、我が家から弥谷寺までの距離は341 キロあり、 約5時間かかります。
先月15日に閉山した上高地のインフォメーションセンターから本日のFacebook に久々の発信がありました。
閉山後も毎日五千尺ホテルのライブカメラを視聴していますが、本日までは閉山前と変わらぬ雪のない風景が続いてきました。
インフォメーションセンターの Facebook は下記のリンクをクリックしてご覧ください。
やはり現地からの発信は新鮮ですね。
さて、本日は早朝から町内の簗川(やながわ)八幡社で毎月1日に開催されている宮年番と神主さんによるお参りに参加してきました。
お宮の年番にならないと全く判らないことですが、月始めの1日は毎月町内から神主さんをお願いして月参りが行われています。
来年は私の住む地域が当番になっているため、見物を兼ねてお参りに参加した次第ですが、過去に体験済みなのに完全に次第を忘れて何も覚えていません。来年は覚悟が必要です。
本日は津島市民生児童委員の全員協議会が津島市文化会館で開催されました。
昨年の全員協議会は新型コロナの感染拡大によって開催されておらず、久々に全民生児童委員が集いましたが皮肉にも過去最高の感染状況になってしまいました。
本日の夕暮れ 16:57
本日帰宅後に一年前のブログを読み直すと、全く同じ場所まで買い物に出向いていたことが判りました。
ただし、一年前は15%の割引券を落としたため引き返していましたが、一軒のドラッグストアに5種類の割引券があるだけでなく、支払い方法についてもドラッグストアのポイントだけでなく楽天のポイントカードにもポイントが貯まっていきます。
昨年はスマホの中に割引券があることも知らずに引き返していましたが、最近はスマホを使いこなす生活に慣れたためスマホ内のサービスを有効に利用するようになりました。
もっとも、スマホを持ち歩く前からJAFの会員でありながらカードを持参せずサービスを受けられなかった事も多く、行き当たりばったりの生活の見直しも重要と思います。
過去のブログを読み直すと、上高地や四国遍路など全く過去と同じような生活を繰り返していることを実感させられます。
一方で、一年前のブログには「コークオン」と「あいち健康プラス」によって、毎日の目標を立てて歩くことが記されていますが、今年は膠原病に罹患したことで目標を立てた無理なウオーキングはノルマにしなくなりました。
年齢を重ねることで身体の不調部分が増え、同じことをしていても行動範囲や中身が少しづつ変化していることも見逃せません。
本日の写真です。
膠原病と診断されて(今年6月)から早朝の体調不順が多かったため、自分が代表となっている福祉有償運送のボランティアも午前中は家内に任せて避けてきました。
もっとも、6月と7月は車の運転は全くできず、10月まではほとんど家内の運転で上高地も出かけていました。
今月から一人で上高地へは車で出かけるようになりましたが、朝起きてみないと判らない体調から午前中のボランティアは家内の仕事としてきました。
本日はその家内が体調不良のため、私が頑張ることになりましたが、元々車の運転が苦痛には思わないこともあって終日雨の中で無事に活動を終えました。
患者が患者を搬送すると冗談で話してきましたが、膠原病は一生完治しないと言われており、患者と思えは元気でも何もできません(笑)
さて、何事もなく一日が終わり、毎週火曜日の夜に開催される書道会の準備と、民生委員として担当している地域の人へ応対しているとびっくりの情報が飛び込んできました。
私の知人が新型コロナに感染しているとの情報で、私自身は一週間ほど顔をあわせておりませんが、それでも心配すれば全く安全とは言えずに心配となってきます。
無症状でも感染していることがあると聞くものの、何の症状もなくては病院へ行くこともできず、夜の書道会では元気に顔を出したメンバーと筆を置いたままコロナ談義となってしまいました。
知人の感染については感染前に市民病院と市役所を訪れているとの話ですが、わが家でも家内が市役所までマイナンバーカードの申請に度々訪れており、公的な施設については職員の感染状況についてもっと詳しく公開しないと怖くて近寄れません。
最近はいつ何処で感染するか判らないと言われていますが、高齢者施設や児童施設から感染する話が伝わってきます。
最近のコロナは重症化しないと言われるものの、感染者が出た幼稚園や学校が休校や閉鎖されないことは、無症状で家庭に持ち帰ったウイルスが家族を感染させる可能性も否めす、持病を持つ立場からは安心して外出もできません。
感染した人が再度2回目に感染となった話は、感染した抗体を持ってしても無力であり、ワクチン接種の効果にも疑問が湧いてきます。
コロナのワクチン接種をしないように呼び掛ける宗教団体もあると聞くと、まさに神頼みしかないようにも思われてしまいました。
本日、私の相棒だったリマへ予防接種の手紙が届きました。残念ながらリマは2年前に天国へ召されており、生年月日まで記された手紙が届いたことでリマの存在が公的に残っていた喜びの半面で、我が子を亡くしたような当時の悲しみがよみがえり涙がとまりません。
リマの生年月日2008(平成20年)年7月11日
リマの没年 令和2年5月25日
2011年04月12日
予防接種に訪れたリマとモモ
わが家では私が生まれた時から愛犬が飼われており、愛犬と共に生活するのは当たり前の環境でしたが、リマの登場から寝食を共にするような生活をしており、私の大好きな上高地や四国遍路も一緒に同行させていました。
小梨平キャンプ場の相棒リマ
2020-05-27
私の少年時代には犬は屋外につながれるのが当たり前でしたが、リマの先代となるモモがやってきた平成14年からは台所で生活させるようになり、リマは寝る時にはケージに入れましたが私と3メートル離れた場所で眠り、家の中で全く我々と同じように生活させていました。
そんな訳で、リマは現在でも庭のお墓でそのまま眠っていると思うようにしており、上高地や四国遍路に行く車の助手席にはリマのウエアをかけ、後部座席にはケージとリマが我が家へ一緒に持って来たストレス解消に振り回していた人形を同行させています。
我家にとってリマの存在は大きく、家の中だけでなく車の中で家内と口論になると自分のケージに入ってしまうため、リマが存在することで大声による口論も自制していました。
その反動は大きいですね。自分の父親が亡くなった時でも感じなかった悲しみがずいぶんと続き、私と家内はリマの後継となる愛犬は一生飼わないことにしており、リマが居ないことで家庭内の和やかな環境はずいぶんと減ってしましました。
2011年04月28日
こんな心境になったのは、リマの先代となるモモが人一倍人恋しく、雷が鳴っても悲鳴をあげ、私たちが上高地や四国遍路に行って不在の時は食事を一切口にせず、一晩中ヒーヒーと鳴いていたことから、小さなリマは完全に我が子のように生活させた反動と思います。
久しぶりに過去の懐かしい生活環境を懐古する一日ともなりました。
「今日の○○は何時だったかな?」
「えっ? なんですか?」
「花見に行くんじゃなかったかな?」
「花見って?」
「花見じゃなくイチョウかな?」
2年ほど連絡のなかった恩師から突然の電話ですが、元気な様子は判ったものの周りから聞こえる雑音から介助施設内からの電話でした。
自由に外出できないはずの恩師からの電話を施設へ再確認すると、現在は老人ホームに入居中で、面会はできないものの本人が電話をかけることは可能との話で、多少の認知症があるとの話でした。
本人は外出意欲満々ですが、家族の同意なくして施設から出ることはできず、施設での面会も禁止されているため会いに行くこともできません。
住宅型有料老人ホームのため、庭先から声をかけることはできそうですが、恩師の居場所が判ったので手紙や差し入れ位はできそうです。
それにしても、現役時代には校長まで務められた元気な人で退職後に立派な自宅を新築しておられるものの、高齢になると希望もしない老人ホームへ入らざるをえない現実には寂しさを覚えます。
さて、先週木曜日から続く体調不良のため何もしないまま夕方を迎え、身体に喝を入れるため家内とともにウオーキングへ出かけました。
本日はもう1件リハビリ病院へ入所中の知人からも電話がありましたが、電話を受けている私自身が膠原病の患者のため明るい話題も提供できません。
今週は公的な外出予定も多く、週末は2日間ですが四国遍路を予定しているため、明日から体調を回復させていくことになります。
断捨離のため捨てる予定の箱の中に混ざっていたプレートですが、間違って(と言うよりも未練が募って)混入していたため本日取り出しました。
このプレートは朝日新聞社から頂いたもので、平成9年度に新聞社へ情報提供した件数と特ダネが存在したため翌年編集局長から特別に表彰された時の副賞です。
私は大学時代の昭和52年に朝日新聞の販売店を起業しました。
今にして思うと、新聞配達すらしたことのない、海のものとも山のものとも判らない学生の私を販売店の店主として指名した社員と英断した上司の正直な心境を知りたいものです。
一方で、経営者とは言え、休みの無い新聞販売店を躊躇なく決断した当時の心境が今現在の私にも信じられません。
しかし、やる気とは恐ろしいもので、数年後には地方紙の強い東海地区の朝日新聞販売店としては珍しい新聞の普及率3割を達成していました。
そのためには朝日新聞社が主催する高校野球や大学駅伝などはもちろんですが、朝日旅行友の会の企画旅行や、水郷釣り大会を開催し、昭和63年から平成5年まで地域のミニコミ誌「ふるさとアサヒ」を発行するなど販売店店主としては横道にそれた仕事が多かったことが結果的には良かったのかもしれません。
そうやって考えると議員になるためとは言え、議員との兼業禁止によって新聞販売店を廃業したことは一生の後悔にもなりますが、現在上高地や四国遍路をセカンドライフにしている起点ともなりました。
6年前に三男が接骨院を開業したため、事務所を2階に追われて朝日新聞社に関係する品々の大半を破棄しましたが残された物の整理も急務と思う一日となりました。。
五千尺ホテル河童橋ライブカメラから
早朝 ↓
↓
21年11月25日 一年前の一言です
閉山式が終わったといっても、釜トンネルの入り口までバスは走っており、釜トンネルを歩いて行けば上高地へ入ることは可能で、ライブカメラにも河童橋を通過する登山者や仕事で入ってくる車の姿が眺められます。
昨日のライブカメラ 人が居ます
さて、体調不良もあって身体を休めていると余計に身体が重くなり、不調であっても外出する目的を作らないと身体が鈍ってしまうことが自分でも実感させられます。
もっとも、有償とは言え低額のボランティアしか仕事が無い年金受給者ゆえに、外出すればするだけ出費が増えるため、動いたら動いただけ年金が減っていくことになってしまいます。
セカンドライフは上高地と四国遍路としているため、しばらく上高地は行かないものの、体調維持と健康のためとは言えお金のかからない外出も考えてみたいと思います。
私は20年以上前から年賀状を出していないため、届けられる年賀状も限られていますが、そんな中に高校の大先輩でありながら無礼な後輩のために毎年年賀状をいただいていた貴重な先輩の奥様から喪中のハガキが届きました。
はがきに記された年齢を見れば驚くことではないかもしれませんが、昨年7月に個展を主宰されていたことを考えると想像できない便りでもありました。
21年7月15日
久々の個展 よったりの5日間展へ 愛知県一宮市 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
今にして思うと、車椅子で会場に居られたことから、個展が最後の顔合わせになることを周りは予感されていたのかもしれません。
かつての喪中はがきは両親や年長者の案内でしたが、最近は同世代の知らせも届く為そのたびに心が滅入るようになりました。
昔ながらの田んぼ道
かつては当たり前の田んぼ道が最近では珍しくなりました。
さて、昨日から体調が不調に陥っており、身体を休めても一向に回復せず、風邪とは思うものの何が原因か判らず、コロナ禍であることと膠原病を罹患していることから行くべき病院の選択すらできません。
そんなわけで身体を奮い立たせて外出したものの、体調が悪いと気休めにもならず、明日の起床時に回復していることを祈るしかありません。
午前中の河童橋
本日の愛知県は午前中から雨の一日となり、夕方には激しい雨が音を立てて地面を叩きつけました。
閉山式から一週間が経過した上高地も本日は吹雪かと思いましたが、ライブカメラを確認すると上高地も終日雨の一日となったようです。
18日のライブカメラ
閉山式から来年4月まで上高地へ入るためには釜トンネルを歩いて行かなければならず、以前ならどうやって行こうかと考えましたが、膠原病に罹患した今となっては自宅のパソコンからライブカメラの映像を眺めるだけになってしまいました。
さて、上高地の帰り道に立ち寄ることにしていたさわんど温泉「梓湖畔の湯」が本日紹介されていたものの、温泉の写真が一枚も無いため11月14日の写真を添付しました。
さわんど温泉郷には多くの温泉があり、日帰り温泉も複数存在しますが、気軽に利用してゆっくりできるのが梓湖畔の湯です。
冬期も週末は営業していると聞きましたが、私は上高地が開山する来年4月までは暫しのおあずけとなります。
名鉄勝幡駅から 12:40
須ヶ口駅で乗換 12:50
本日の写真です。
本日の名古屋行きは同窓会の打ち合わせが目的ではあるものの、孫が大判焼き「御座候」が大好きだと、出かける前家内に聞いていたことからこちらが主目的になっていました。
現実には待たされることが大嫌いで、普段なら行列に並ぶ気持ちにもなれませんが、大好きな孫のためですから喜んで並びます。
「おーい、御座候を買ってきたぞ」
「今は食べられません」
「えっ、なんでー」
「今パンを食べたばかりなんで…」
「ガーン!!」
孫のために買ってきたお土産ですか、喜んで食べる孫の姿を見れないと何のために買ってきたのかわかりません。 がっかりです。
ただし、夜になってから孫が空になったカラ箱を持って見せに来たため、「まだあるぞー」と心にもない言葉が出るところに孫の可愛い存在があります。
さて、今までは孫の好き嫌いや好みを聞いてお土産を購入していましたが、最近になって私の好物であるみたらし団子や大判焼きなど孫の好物も私に似ていることも分かってきました。
本日のように行列に並んだ買い物や、ケージで飼われているニワトリ
のようで大嫌いだった回転寿司も孫のためなら行けるようになりました。
孫が一人前の大人になるまでは死ねませんね。
毎月21日はお寺の日と決めてあるものの、上高地や四国遍路ばかり考え不在が続き、本日は久々に町内のお寺を訪れることができました。
久々に訪れてお寺の境内を見渡すと、私が四国別格霊場の椿堂さんから頂いて持ち帰った弘法大師ゆかりの椿の木が主を待つかのように迎えてくれました。
改めて案内板を読んで、この椿は弘法大師が地域で流行していた病を封じ込めたと言う伝説の椿で、町内のお寺でも病気平癒の案内が出されていました。
今年7月に膠原病と診断され、四国霊場や真言密教のお寺に病気平癒と手を合わせながら、町内のお寺だけでなく我が家にも一緒に持ち帰った「病気平癒」の椿があることを改めて認識させられました。
写経道場
さて、本日は阿息観に参加するためにお寺へ向かいましたが、ちょうど若い女性達が写経を始める時に訪れたため私も写経に参加することになりました。
2010年06月03日
かつては般若心経や座右の銘を書道展に出品しており、複数の知人から作品を所望されていたことを考えると今年になって膠原病を患ったとはいえ随分と書の腕が低下したことを本日の写経で実感させられました。
お寺でリラックス
真言宗のお寺のありがたみは、本堂でもリラックスしてくつろげる環境があることで、月に1回はお寺に座ってゆっくりすると心が落ち着きます。
阿字観掛軸ご本尊
阿字観道場 (本堂)
阿字観(あじかん)とは、真言密教の瞑想法の一つであり、瞑想により「世界と自分はひとつである」ことを実感することです。 密教の根本経典の一つである「大日経」で説かれ、平安時代に弘法大師空海によって日本に伝えられた瞑想法です。
2011年07月21日
本日開催された阿息観は阿字観の入門編とも言える瞑想法ですが、過去のブログを振り返るともう11年も前からこのお寺に足を運んでいたことにびっくりさせられました。
上高地:日本一美しい自然の聖地 上祐史浩オフィシャルブログ http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-11915696228.html
上高地の下見:自然の中での体験と陰陽の自然 2011-08-26 http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-10998562440.html
私は上高地で穂高連峰から降りてくる霊風を吸い込む阿字観を理想としていますが、私と同じ感覚で上高地を訪れていた上祐さんによって、上高地と真言密教の聖地高野山や四国遍路の延長線上にあることを確信させられました。
抹茶とお菓子
我が家は浄土宗の檀家ですが、かつてのお寺では当たり前だった環境が真言宗のお寺には存在し、私が元気で外出できるうちは四国のお寺や高野山だけでなく、各地の真言宗のお寺を訪れていきたいと思っています。
本日は久しぶりにリラックスできる一日となりました。
祐専寺
佐藤まさあきは昭和12年生まれの漫画家ですが、小学校3年生の時に大阪から父親の生家であった祖父江町山崎(現在の稲沢市)に疎開し、祖父江中学を卒業するまで生活しています。
添付した「夕映えの丘に」は、昭和45年に少年サンデーへ自分を主人公として祖父江町で生活した少年時代を連載しています。
少年時代に佐藤まさあき氏の漫画を見ると時々祖父江町と思われる風景が登場しました。
そして漫画の画風について、氏の疎開時代に受けた理不尽な生活が大きく影響していたことも「夕映えの丘に」を読むとよく理解できます。
さて、氏の書き残した漫画の風景を今でも残す山崎地区ですが、戦中や戦後に疎開した子供たちを受け入れぬ封建的な土地柄だったことを考えると、この地区が祭り会場になっていることに違和感も覚えてしまいます。
祐専寺門前
見事な黄葉
山崎駅と名鉄電車
ぎんなんの里
銀杏の実
農家の即席販売
添付した写真は私の高校時代の写真ですが、樋田先生は校長のため担任や授業に出ないために生徒との縁が少なく、私を探して私のクラスの近くまで来ては「大鹿君、今度の週末はどうかな?」と毎週のように誘われ、祖父江町の旧家や郷土の歴史を調査する先生に連れられて各地を歩きました。不良で落第生の私を恥ずかしいとも思わず、何所にでも連れ歩いてくださいました。
郷土史の大家であった樋田先生は、その後祖父江町史も執筆されていますが、自分だけでなく私が同行することで地域を廻りやすかったようで、住まいが私と同じ津島市だったこともあり、地元の旧家も同行したため高名な先人との知遇を得るとともに、私の結婚式には校長会を欠席してまで出席して頂いた大恩ある恩師です。
もちろん銀杏の歴史についても詳しく調べられていました。
そんなわけで祖父江町には多くの恩師や先輩に恵まれていましたが、多ければ多いほど訃報も続き地域を廻ると寂しさも否めません。
津島市南新開の紅葉
絵画展へ
案内板
津島市児童科学館玄関
神野大地くんです。私の母校である神守中学校の後輩にあたり、私が同窓会長時代には活躍する青山学院大学の彼を応援するため大学駅伝の三重県の中継店を訪れたのも懐かしい思い出になってしまいました。
神野くんのお兄さんが私の三男の同級生にあたり、神守中学校陸上部からインターハイの走り高跳びで入賞した長男や、相撲部や自転車競技で全国大会に進んだ次男や三男を彼の存在から思い出す貴重な存在にもなりました。
神野君の頑張っている姿からも元気がもらえます。
さて、ここからは祖父江町へ移動します。
稲沢市のひまわり畑
まだ残っていました
となりのコスモス畑
〒492-8409 愛知県稲沢市井堀橋下町62−2
道草です
名鉄森上駅前ロータリー
バス停
名鉄森上駅
駅前の記念碑
内閣総理大臣安倍晋三氏の揮毫です
旧のんき屋隣のたこ焼き屋
会場のイチョウ
本日訪れた旧祖父江町の黄葉まつりについては明日以降に添付します。
コセンダングサ
コセンダングサは、キク科センダングサ属の一年草。道端や空き地などに生える雑草。 和名は、センダングサより小さいという意味だが、実際はセンダングサより小型ではない。
花と種子の混ざったセンダングサ
本日の写真です。
21年6月28日の一言
上高地と思って近所を歩いて | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
上高地のパークボランティアの仕事の一つとして外来植物の調査があり、私は田代橋から河童橋まで梓川両岸と小梨平までのセンダングサの関係植物を担当しています。
センダングサは全国各地の空き地や道路に群生し、花が終わると種子が衣類やズボンにくっついて取れない厄介な外来植物です。我が家の周辺にも多くのセンダングサが群生しています。
もっとも、昨年から私が担当する上高地では一度も目撃しておらず、担当地域には生えていないものと思います。私としては上高地にセンダングサが侵入するのを阻止する任務でもあります。
梓川左岸
梓川右岸
小梨平で巡視中の私
現役をリタイアするまで私自身は植物や草花には全く無関心でありましたが、上高地の外来植物を除去したり調査する活動により、愛知県に帰ってからも雑草の名前やセンダングサが我が身のように感ずるようになりました。
上高地が閉山となってからまだ二日目にもかかわらず、随分と時間が経過したような錯覚と同時に、まだ閉山になっていないような気持ちで自宅周辺の植物を眺めてしまいます。
まさに上高地病ですね。
本日は高校時代の友人と共に一宮市に住まわれる恩師を訪れて懐かしい昔話に花を咲かせてきました。
地元に帰り自分のやるべきボランティアに専念し、上高地のシーズンオフの間にセカンドライフとする四国遍路や、懐かしい知人を訪れるなど上高地を忘れて日常生活に戻して生活したいと思う一日ともなりました。
毎年のことではありますが、今年は上高地の閉山式まで我慢していたかのように、本日は真っ白の冬景色となりました。
本日から4月の開山式まで、上高地ファンは五千尺ホテルとビジターセンターのライブカメラから上高地の様子を眺めるしかありません。
閉山中でも施設には電気がつながっているそうなので、ライブカメラの映像が途絶えることなく流されてくることを祈るばかりです。
昨日の河童橋
昨日はこんなに人で賑わっていたのですが…
釜トンネルが閉鎖された上高地はしばらくすると真っ白な白銀の世界となりますが、人が全く出入りしない上高地は、カラーではなく白と黒の全く雑音のない無音の世界となります。
閉山中の上高地も魅力がいっぱいです。
さて、昨日訪れた上高地帝国ホテルは陽が当たらない早朝のため、見た目の悪い写真を添付してしまいましたが、帝国ホテルのイメージに近づけるため本日も写真を添付しました。
残念ながら私は一度も宿泊したことはありません(貧乏人です)が、私の主催する朝日旅行友の会の観光バス全員で珈琲とケーキを楽しんだこともあり、家族やグループでは10時から先着20名限定のケーキセットを目的に訪れたりランチを楽しんできました。
個人的な話となりますが、私の所有するジャンボタクシーを玄関に横付けすると、制服姿のホテルマンが一斉に乗客を出迎えてくれ、一緒に同行した人々は感激で、ホテルの正面横に車を駐車すると日頃のストレスがぶっ飛んでしまいます。
しばらくは過ぎ去った上高地を懐古する私の一言を我慢してご覧いただければ幸いです。
本日の写真です。
昨日道に迷っている間に何度も通ったコスモス畑が気になり、本日は家内と一緒に弥富市の旧十四山村の鮫ケ池地区を訪れました。
これまで何度も各地のコスモス畑を紹介してきましたが、こんなに大きいコスモス畑は海部郡では一番ではないでしょうか。
もっとも、先月の20日頃が見頃だったとの話で、最盛期の朝や夕方のコスモスは輝いて綺麗だったと思われ、来年には元気で訪れてみたいと思います。
ここからは上高地です。
上高地ビジターセンター
河童橋
上高地の平山式までカウントダウン3日となりました。
環境省ビジターセンターを中心として、パークボランティアの先輩たちがネイチャーガイドや設置した双眼鏡の前で定点解説をしていた姿も懐かしい思い出となりました。
本日の写真です。
今年始めて上高地へ入った4月の大正池です。
4月23日の大正池
田代湿原
映像
4月27日に開山した上高地もあっという間に半年が経ち、気が付くと15日の閉山式まであと4日になっていました。
今年は膠原病に罹患したため、ドクターストップによって6月と7月は上高地へ行けませんでしたが、一年間に撮りためた写真の多さから目的とする写真がなかなか見つかりません。
本日は大正池から田代橋周辺までの写真を眺める一日となりました。
8日夜の天体ショーについて、私自身は直接見ることもありませんでしたが、複数の知人から LINE やブログへ写真が送られてきました。
そんな中で、上高地のビジターセンター職員により複数の写真が発信されており、遅ればせながら LINE に発信すると、月の皆既月食よりも上高地そのものの夜空の星の素晴らしさに多くの意見が寄せられました。
そんなわけでここにも夜空の写真を添付しました。改めて上高地の自然環境に感謝です。
愛知県愛西市で今月5日に実施された新型コロナワクチンの集団接種で、40代女性が接種後に体調を悪化させて死亡した、と市が10日までに明らかにした。県医師会の柵木充明会長は同日、朝日新聞の取材に「(強いアレルギー反応の)アナフィラキシーの可能性が考えられる」と述べた。 朝日新聞引用
さて、私の住む隣町で新型コロナのワクチン接種により40代の女性が亡くなったとの報道が全国へ発信されています。
状況からアナキラフィシーショックによって亡くなられたと思われますが、何よりも問題なことは接種会場で対応に当たっていた医師や看護師がアナフィラキシーショックになった患者に対応したことがないとの報道が出ていることです。
万が一を想定して摂取後に接種者を会場へ止めているにもかかわらず、万が一の事態に対応できない医師や看護師しかいなければ意味がありません。
自分自身が接種を受けた状況を振り返ってみると、万が一のショック状態に陥った時に果たして医師は対応できたのかと考えさせられ、あまりにもずさんなワクチン接種の環境でしかなかった現実に驚きです。
持病を持った患者は積極的にワクチン接種を受けるように宣伝しながら、接種を受けてショック状態から命を落としても、死因を自ら持つ持病のせいにされたらたまりません 。
安易に考えられがちな新型コロナワクチンや、インフルエンザに対するワクチン接種ですが、重篤な病気を持つ患者については主治医のいる病院で接種するなど安全対策を考えないとこれからの接種は受けられません。
そしてなによりも悲しいことは事故の起こった愛西市には万が一の場合に搬送される病院すら存在しない環境にあることです。そんな環境下で亡くなられた今回の事件を、徹底的に検証して二度と繰り返してはなりません。
本日の写真です。
「調子はどう?」
「随分と良くなりましたよ」
「でもね、数字が良くなってないんだよネ」
「身体は良くなっているんだけど…」
「だよねェ、悪かったら上高地なんか行かないもんね」
本日訪れた中村日赤の主治医との会話ですが、身体は確実に軽快になっているのに、膠原病の血液検査の数値は改善していないことに、私だけでなく主治医も首を傾げたものの原因は判りません。情けない話ですが、自分の身体のなかで起こっていることすら判りません。
「上高地が原因なんてことはないでしょうね?」
「ない、ない」
「良かったぁ」
上高地のボランティアは1日2万歩ほど歩いてしまうため、先週末に訪れた今回の上高地は午後から半日だけの活動に徹していました。
もっとも、午前中は安曇野の古刹を訪ねて歩いていたので身体を休めていたとは言えませんが、適度な運動になり私のストレス解消となる上高地は主治医からドクターストップになることはなくなりました。
待ち時間が少ない9時からの予約になっており、あっと言う間に診察が終わったため、名古屋市内に居た家内を呼んで合流後に中村公園へ移動です。
ランチに訪れたチェリーは、中村公園に近い名古屋では老舗のコーヒー店ですが、先代は私と同じ津島市の旧神守村出身で、亡くなられた奥様は私と同じ越津町出身で私の父親とは小学校の同級生でした。
ここで家内はナポリタンを注文し、私は懐かしいオムライスを食べました。まさに昭和の雰囲気です。
そして、車をそのまま置かせてもらい、豊臣秀吉が祭られている秀吉生誕の地「豊国神社」を久しぶりに参拝しました。
再度チェリーで珈琲を飲んでから家内とは別々に自宅へ帰りました。
その前に…
豊国神社方向
中村公園では豊国神社の参道両側に毎月9の付く9日と19日、29日に「九の市」が行われており、多くの出店が軒を並べ人々が集っています。
偶然にも中村日赤への通院日が九の市と重なり、通院していたことを忘れてしまいそうな一日となりました。こんな通院ならストレスは溜まりません。
4日(木)の写真です。
仁王門
参道
太子堂には聖徳太子が祀られています
富貴を授けるという大聖歓喜天尊が祀られており、商売繁盛を祈願する人々に信心されているようです
参道
大杉
大銀杏
本堂
本堂前
高野山真言宗の寺院である長尾山平福寺は、千年以上の歴史を持つ安曇野屈指の古刹です。その開基は不詳ですが、諏訪大社下社にあった神宮寺の僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされます。
長徳年間 (995年~99年) の創建と伝わり、本尊の木造聖観音菩薩立像は平安末期の作風を残し、鎌倉初期の重厚さがにじみ出ていると言われる長野県安曇野市では最古の仏像だそうです。長尾の観音様と昔から庶民に親しまれてきた広大な境内を持っていた古刹ですが、明治初期の廃仏毀釈によって観音堂を残して廃寺となったことは残念の一語です。
平福寺を訪れる前日に参拝した満願寺 (725年創建) と松尾寺 (651年創建) も真言宗のお寺ですが、先月参拝した松本市の真言宗山派の牛伏寺 (ごふくじ756年創建) も含めて、弘法大師空海の真言密教が高野山から遠く離れた信州で伝承されてきたことに驚きです。
牛伏寺では毎日護摩木を焚き上げる密教伝来の祈願が僧侶によって行われていますが、平福寺では地域をつなぐ交流施設が新たに建てられており、ダンスや武道だけでなく宿泊もできるうえに葬儀や通夜もできるという現代風の魅力あるお寺でした。
上高地の行き帰りの道草ですが、信州には歴史のある古刹が点在することから、四国や高野山から遠く離れていても弘法大師空海の近くに居るような同行二人を実感させられるようになりました。これも来週15日の上高地閉山式が最終日となります。
3日(木)の写真です。
満願寺駐車場
長野県安曇野市穂高牧1812
お経橋のたもとには地蔵堂が建ち、中には500体に上るお地蔵さまが祀られている。子授け地蔵として古くからの信仰を集めており、この地蔵を借りて行って添い寝すると子宝に恵まれると言われると発信されているが、残念ながら山門は訪れておらず、何よりも“安曇野の名水”として知られる標高900mの境内から湧く湧水を知らずに参拝してしまいました。
ここからは松屋寺です。
松尾寺公園入口
長野県安曇野市穂高有明7327
案内板
藤棚
紅葉したドウダンツツジ
山門への参道
山門
参道
本堂への石段
鶴王山松尾寺本堂
松尾寺は 長野県安曇野市穂高有明に在る高野山真言宗の寺院。山号は医王山。院号は常楽院。本尊は薬師如来。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『長野県史』では本尊を安置する薬師堂を造営したのが支族の古厩氏である盛政で、創建自体は白鳳2年(651年)までさかのぼるとしているが、信府統記によると1528年、仁科盛政を開基として中興されたとされたともある。本尊は薬師如来。
どちらにしても残念なことは、満願寺と同じく明治の廃仏毀釈によって、薬師堂(本堂)と仁王堂を残してすべて取り壊されてしまったことで、お寺周辺には、桜、水芭蕉、カタクリ、藤棚、ボタンなど、季節によっていろいろな花が楽しめると言い、大規模に藤棚や公園内には郷土資料館もあるのでゆっくりと訪れたいお寺です。
案内版
弘法大師空海が誕生したのが774年のことで、高野山開創が勅許されたのが816年であることを考えると、715年に池から出現した仏像を堂宇に安置したとされる満願寺の歴史は古く、松尾寺が651年に創建された(1528年創建との説もあり)とすればとてつもない歴史を有していることになります。
長野県の松本市や安曇野市に、こんなに歴史のある古刹が残されていることには驚きで、参拝する人の姿は無かったものの、参拝できる環境が整っており感動の参拝となりました。
3日はその後午前中に上高地へ入り、田代橋から小梨平まで巡視した後の午後は、環境省ビジターセンター前で望遠鏡を出して定点解説中の先輩ボランティアを手伝って一日の活動を終えました。
松本電鉄波田駅
昨日の写真ですが、上高地の定例会に参加する前の早朝に、新島々駅から波田駅まで松本電鉄の列車に乗って波田地区の文化祭に行ってきました。
昨日にも記しましたが、その中の昔の写真展を鑑賞した際に昔の新島々駅の様子や、波田駅から就職のため旅立つ生徒の姿に感動させられ、とりわけ大正時代の葬式の様子から、地域全体で葬列を作って送った日本の原点のような写真を添付するため昨日を補完する書き込みとなりました。
コロナ禍により町内どころか近所の訃報にも無関心な世の中になりましたが、大正時代には村の住民総出で葬列を組んだ写真は日本人の忘れてはならない風景だと思います。
ここからは昨日の上高地です
雪をかぶった穂高連峰
まるで極寒のように感じた冬の上高地から愛知県へ帰り、環境省や多くの仲間たちの顔を思い浮かべると虚脱感すら感じられる一日となりました。
4月に開山した上高地も、来週15日には閉山となりますが、美しい上高地の風景に慣れすぎて最近は雑に発信している感があります。
上高地の素晴らしさを、下記に添付した私の発信した今年の過去ログからご覧いただければ幸いです。
3日から5日まで訪れていた安曇野の真言密教の古刹と、上高地の様子を明日からも添付します。
昨日の写真です。
昨日訪れた三重県桑名市のお寺の門前に出店していた団子屋さんです。
高山団子と五平餅の看板の通り、飛騨の味と朴の木平スキー場のある旧丹生川村の味との話ですが、店主は愛知県犬山市から来た人だそうです。
テレビで何度も紹介されたと聞きましたが、確かに味は美味しく私好みの団子でした。
毎月1日に桑名市大福田寺へ出店しているとの話ですが、私の住む地域へは、9日に中村公園で開催される九の市の珈琲店前に出店しており、5日と13日には八事の興正寺に出店するとの話でした。
五平餅餅が250円、3玉五平餅120円、みたらし団子が80円で大福餅も売られていました。
次は愛知県で出会うことを約束してお店を後にしました。
桑名市 大福田寺
本堂への参道
聖天尊への参道
聖天尊本堂
大福田寺の縁起
当山は神宝山・法皇院 大福田寺と称し、今より約千四百年前、用明天皇(在位585~587)の皇子 聖徳太子(574~622)が伊勢の山田に御創建されたお寺です。
天武天皇(在位673~686)、持統天皇(在位686~697)、聖武天皇(在位724~749)、淳和天皇(在位823~833)各天皇の御臨幸あり、聖武天皇勅して大神宮寺と称され、淳和天皇時代に勅願寺に指定されました。
三重八十八ヶ所霊場 一番札所、伊勢西国三十三所観音巡礼 番外、伊勢七福神 大黒天。各札所となっています。
毎月1日に行われる聖天祭で、年に一度の大祭が4月1日と11月1日に行われ、この日は修験行者による柴燈護摩が焚かれ、参詣者も参加できるる火渡りが行われます。
そんなわけで本日は桑名市まで行ってきました。
法螺貝の音色と共に護摩壇へ点火です
本日は桑名市の大福田寺で聖天祭が行われ、4月と11月は火渡り儀式が開催されると教えていただいたので朝一番で出かけました。
膠原病患者は朝や午前中が不調の人が多く、私自身も起床後の2時間程度は動くのも億劫ですが、本日は痛む右膝も傷まず、一人で桑名市まで運転して行きました。
甲高く鳴り響く法螺貝の音色と点火された護摩壇から立ち上る煙の中で、僧侶や行者の般若心経の読経が続きます。
住職を先導にして行者や信者が次々と火の中を渡って行くのを見て、歩くのも苦痛であるものの、自分もと思って靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ捨てていました。
足元の炎と赤い炭の上を歩いたものの、幸いにして雨も降っており程よい心地いい火渡りとなりました。
午前中の儀式でしたが午後3時になっても足の裏が温かく感じられる一日となりました。次の火渡りが行われる来年4月まで頑張ります。
今週の3日から5日まで上高地でのボランティア申請をしましたが、病気療養中につき8月から家内の運転で四国遍路や上高地を訪れていたものの、今回からは自分一人の旅程となります。
そんなわけで、本日のボランティアから一人で患者さんを送迎することになりました。
もっとも、膠原病に罹患しており、体調も不安定なため上高地の活動も午前中のボランティアを避けて、比較的体調が落ち着いている午後のみの活動を申請しました。しかも、自分のペースで歩ける巡視としましたが当面は半人前しか間に合いません。
問題は上高地の寒さで、上高地から発信されてくる美しい紅葉が最近は白い霜や雪景色に変化しており、膠原病患者の私にとっては寒い冬は初体験となるため、着ていく衣類も心配となってきます。
さて、明日に搬送予定だった糖尿病の患者さんが通院する開業医が新型コロナに感染したため、10日間医院が閉鎖されるとの話が飛び込んできました。
ただし、毎日の飲んでいる薬が3日分しかないため、明日は以前通院していた市民病院の診察を受けることになりました。
この開業医は今年市民病院から独立したばかりで、自分の診ていた患者をほとんど連れて開業していたものの、コロナで医院を閉鎖しても他の病院への手配とか薬の処方は全くしないため、患者はその間の治療や投薬を自分で確保しなければならないと言う可笑しな話です。
こんなところから医師の良し悪しと良心が判ります。
医師の病気は致し方ないとしても、患者にとっては主治医の不在が命に関わってくるため、一時的とは言えこんな無責任な医院閉鎖は許されません。
膠原病の私でも患者さんを搬送しなければならない現実と、万が一搬送が滞ると患者さんの生命に関わる責任を実感させられる一日ともなりました。
本日の写真です。
本日もせっかくの日曜日にもかかわらず体調は不良のままで、身体を休めても身体がこわばるばかりのため、家内に急かされてウォーキングに出ました。
膠原病の初心者のため病状や体調の変化についてよく分かりませんが、最近の急激な温度の低下が大きく影響していると思いますが、不調の原因がよく分かりません。
右膝が不調なため左足首も不調となり、足を休めていると身体全体が不調になって行きます。
さらに最近の急激な温度低下が確実に身体を強張らせており、不調だから身体を休めていると身体全体が重くなっていきます。
ただし、11月は一日から予定が入り、週半ばからは上高地を予定しているため、明日からは身体を奮い立たせて行動する必要に迫られています。
久々のみたらし団子
道の駅立田ふれあいの里 愛知県愛西市
出店です
五平餅200円 みたらし団子100円
愛西市の道の駅にある団子屋さんで、久々にみたらし団子を口にしましたが、昨年8月に訪れたときと比較すると美味しいのでびっくりしました。
昨年8月に訪れた時には…
「ここの五平餅と団子は美味しい団子を作ろうというよりも、商品を売るために業者から仕入れて焼かれた五平餅とみたらし団子ですね」と作り置きの雑な団子に対して最低の評価をしていました。(下記参照)
2021-08-23
そんなわけで期待もなく家内が買ってきた団子を食べた次第ですが、今年2月に新しいお店に変わっていたそうで、美味しいので五平餅とみたらし団子を追加して注文することになりました。やっぱり美味しい。
チェーン店ですが団子を焼く店員さんの丁寧さが味を変えます。この味なら次にも食べてみたいと思います。
本日の写真です。
本日も体調不良の一日となりました。せっかくの土曜日も外出意欲がわかず、明日も自宅でくすぶる一日となりそうです。
本日の写真です。
先週末に上高地から愛知県へ帰って以来、家内と久々のウォーキングに出かけました 。
家の周りの放置されたままの畑や道端には雑草ではあるもののセイタカアワダチソウが見事に花を咲かせています。
さて、私が上高地で外来植物調査の担当となっている「センダングサ」ですが、本日はいたるところに繁殖して群生しているセンダングサの中に美しい花を咲かせる「キクザキセンダングサ」を見つけました。
放置された耕作放棄地には外来種の雑草が伸び放題となっていますが、雑草といえども一斉に花を咲かせるとそれは見事に輝いて見えます。
もっとも、センダングサは種子がズボンや衣類にひっついて取れない迷惑な植物で、せめて道路の路肩に生えるセンダングサは除去してほしい雑草です。
10月22日の渡辺画伯
今年9月13日の記事 信濃毎日新聞
詳細は下記をご覧ください
9月11日
9月11日
誰とでも談笑します
渡辺画伯のテント生活もクマ騒動によってこの年が最後となりました。
2017年05月28日
2014年08月21日
2010年09月05日
ホームレス画伯は私の命名で、私の Yahoo ブログで発信を続けるうちに海外にも伝わり、海外からも画伯に会うため上高地を訪れる観光客が存在するようになりました。
私自身は昭和49年に初めて上高地を訪れましたが、画伯は私が生まれる前の昭和25年の高校時代に上高地を訪れてからの上高地ファンの大先輩となります。
来年も元気で再会できることを願っています。
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