あと3個で1本無料

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。
あと3個で1本無料
誰かがお花を供えて下さっていました
高知市では23日、明け方に雨が雪へと変わり、高知地方気象台によると、午前8時には観測史上最高となる積雪14センチを観測した。
高知城の天守も雪で覆われ、路面電車は一部で運転を見合わせた。市中心部では、車輪が空転する車を数人で押したり、転倒したミニバイクを通行人が助け起こしたりする様子がみられた。雪は夕方まで降り続く見込みという。 朝日デジタル新聞引用
奈良公園の鹿
奈良県警によると、京奈和自動車道の県内区間では午前6時~8時半、積雪や凍結が原因の交通事故が少なくとも5件相次いだ。このうち午前6時20分ごろに発生したトラック2台が絡む事故で、それぞれの車両の運転手2人が軽傷を負ったという。23日午後5時現在も御所南IC―橋本東IC間の上下線で通行止めが続いている。奈良国道事務所によると、通行止め解除の見通しは立っていないという。
【速報中】ヤマトと佐川、クリスマスを前に配達に遅れ 大雪の影響:朝日新聞デジタル (asahi.com)
先週日曜日(18日)の高野山は降雪に見舞われ、真っ白になるだけでなく道路が完全に凍結しており、あわてて下山して奈良県橿原市へ移動し、翌日は雪をさけて橿原神宮と大神神社へ参拝しましたが、本日の報道では奈良県も雪によって交通事故が相次ぎ、道路の通行止めが続いており、しばらくは外出を控えたよさそうですね。
慈尊院山門
慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。
土塀
多宝塔と鬼子母神
弥勒堂
香川県善通寺から我が子、空海を訪ねてこられた弘法大師空海の御母公、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山上へ大師を尋ねようとされましたが、当時、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられました。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を❝九度山❞と称されるようになりました。
詳しくは→ 女人高野について | 慈尊院 (jison-in.org)
ゴンの碑と弘法大師像
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬がおりました。誰が教えたわけでもないのですが、不思議なことにその犬は高野山への参詣者の道案内をするようになったのです。当院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになりました。
詳細は→ 高野山案内犬「ゴン」 | 慈尊院 (jison-in.org)
本堂
大師堂
多宝塔の奥が町石道入り口
狩場明神と空海の出会いの図
丹生官省符神社 正面参道119石段 一ノ鳥居
二の鳥居
拝殿
丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)弘法大師(空海)によって創建されたお社であります。空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。
2015年06月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 慈尊院から丹生都比売神社へ (livedoor.blog)
2014年10月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 町石道を金剛峯寺まで (livedoor.blog)
さて、高野山まで町石道を歩く人々を案内していた「ゴン」についても、1200年前に空海を高野山まで案内した2頭の犬の再来としか思えず、教えもしないのに高野山まで案内していた犬の本能と、女人高野と言われていた慈尊院へ病気治癒を祈願する女性が手を合わせている現代社会と、空海が存在した時代と目に見えない糸で結ばれているようも思えてきます。
今から15年ほと前の先達となる以前の話となりますが、空海が修行したと伝わる四国各地の修験場で空海が発したと言われるご真言を唱えていたことがあります。九度山の慈尊院のゴンと、丹生官省符神社の2頭の犬から当時の想いをよみがえらせてくれたように思います。
高野山奥之院 一の橋
あ、同期の桜
同期の桜の塔
高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」で、昭和42年に大圓院墓地内へ建立されました。
毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられる(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。
お墓の詳細については過去に何度も書き残しているので、下記に添付した私の過去ログをご覧下されは幸いです。
2021-11-26
高野山 あゝ同期の桜之塔と鶴田浩二さんのお墓 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2017年04月03日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓 (livedoor.blog)
今年6月に膠原病(関節リュウマチ)の診断を受け、これからは身体と相談しながらの生活となりますが、8年前には歩き遍路の仲間と麓にある九度山町の慈尊院から奥の院まで一日かけて歩いており、リーダーであった上野さんも他界している現実を考えるとこれからの時間は大切にしたいものです。
仲間がお墓とツーショットの写真を残してくれました。
2014年10月21日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山町石道から帰りました (livedoor.blog)
初めて鶴田さんのお墓と出会った時の書き込み
2008年05月29日
大鹿一八「本日の一言」 : 本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い (livedoor.blog)
平成13年に四国遍路をスタートし、翌年5月に高野山へ御礼参りに訪れ、ああ同期の桜の塔にもその後毎年訪れるようになりましたが、この塔と鶴田さんの関係を知って訪れていたものの、塔の後ろに建立されていた鶴田さんのお墓には平成20年まで気づかなかったことも今となっては不思議で可笑しな笑い話となりました。
生前の鶴田浩二さんは大スターであり、私なんかは会いたくとも会えないような有名人でしたが、そんな私が突然に訪れて墓前で勝手に手を合わせて、好き勝手なことをつぶやいていますが、ご本人が顕在なら「礼儀も知らない無礼者」と叱られるだろうと思いますが、今では我が物顔で勝手に訪れる親のような存在となっています。
鶴田さんの残した映画と全く同じイメージが一の橋の塔やお墓にはあり、私自身の生活を反省して見直す機会ともなる聖域でもあります。ここだけはお大師様と同行二人ではなく、鶴田さんと同行三人になるように感じ、しいては国のため若き命を散らした多くの戦没者も一緒になったように思えてしまいます。
12月20日の一言
昨日の凍結した高野山の道路
快活CLUB奈良橿原店 本日午前5時53分
受付カウンターで清算
店内のコミック
鍵付き個室のブース
スペース
車は真っ白です
今年になって最強の寒波と予報されている中で高野山に参拝して、道中の坂道と高野山の凍結したツルツルの道路を走り、長居をしたい心境を殺して急いで高野山から下り、道の駅九度山や御所南パーキングで買い物や食事を楽しみ、奈良県橿原市の橿原ぽかぽか温泉で入浴後に快活CLUB奈良橿原店へ到着しました。
快活CLUBは私のお気に入りで、旅先でもパソコンが置かれたブースで眠れることは、最高の環境となり、何よりもゲストハウスより定額で宿泊でき、鍵付き個室は完全に隔離された自分だけのスペースとなり、昨晩は家内と妹と隣同士で三部屋利用しました。
朝マック 午前6時14分
自宅では朝8時過ぎに起床し、午前中は役立たずの爺さんですが、上高地と四国遍路では早朝の起床も苦にならず、24時間営業しているマクドナルドは有り難い寄り道となりますが、wi-fi 環境を無くしたコンビニがある中でwi-fi を維持していることも魅力です。
橿原神宮へ
第一鳥居
神橋と第二鳥居
参拝所前の広い境内
本殿
JR桜井線 三輪駅
愛知県への手紙
ただし、1年前は現在と違い血圧の薬を1錠飲むだけの健康体で、不調と言っても現在とは比べようもありませんでした。
週末に予定する高野山行きのため、本日は冬用のスタッドレスタイヤに交換しました。
昨年は冬用タイヤから夏用タイヤに交換する5月と、12月に夏用から冬用に交換しましたが、ともにタイヤ交換後に体調不良に陥りました。
2021-12-22
タイヤ交換でめまいと吐き気 今年2回目です | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2021-05-03
2台のタイヤ交換でめまいと吐き気が | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
さて、本日はタイヤの小さい軽自動車だったので昨年のような悪夢とはなりませんでしたが、福祉有償運送の主役となる私のキャラバンと家内のセレナのタイヤ交換が終わっていません。
添付した過去のブログを読み直すと、まだタイヤ交換の済んでいない2台の交換後に体調不良に陥っており、今年は膠原病に罹患して昨年より 体調や体力も低下しているため、自分で交換する場合は覚悟も必要となりそうです。
2020-12-05
スタッドレスタイヤに交換して | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2018年12月24日
大鹿一八「本日の一言」 : 冬用タイヤに交換しました (livedoor.blog)
2016年12月29日
大鹿一八「本日の一言」 : 冬用スタッドレスタイヤへ交換 (livedoor.blog)
過去のブログを読み直すと、知人の応援を受けてもいますが、歳を重ねるとともに年々体力が衰えているのは確実で、闘病中の今年はさらに衰えてしまいました。
毎日同じような生活を続けていますが、過去の一言を読み直すと確実に老人になってきたことを実感させられます。
2021-12-12
歩いただけで飲料水をゲットしました コークオン | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
冷静になって考えてみるとCoke ON対応自販機のあるスーパーで低額なコーラ製品が販売されており、店員さんから「店内で買った方が安いよ」と言われたこともありましたが、わざわざ車のガソリンを使って自販機へ行くのは健康にも良くはありません。
それでも Coke ON 対応自販機で購入してしまうところにスタンプの魔力がありそうです(笑)
1年前のコークオン記事から、かつては一日五千歩のノルマを歩き、一週間に一個のスタンプを獲得しており、ドリンク一本を獲得するために約3ヶ月要していた不調と言いながらも元気な私の姿がありました。
最近は膠原病に罹患しているため、歩かずしてスタンプを貯めようとしており、本来の目的とCoke ON の原点を見直す反省が必要なようです(笑)
2011年08月20日
市役所1階ロビー
今年 令和4年12月4日の写真です
2019年7月15日
第71番弥谷寺の駐車場
令和1年10月13日
第73番出釈迦寺・捨身ヶ嶽禅定
名古屋市中村区稲葉地町付近 鳥居西通
処方箋
「血液検査の結果が良くなっているね(笑)」
「えっ、そうですか」
「これなら上高地も大丈夫だよ(笑)」
「身体も随分と回復してきました」
6月に膠原病(関節リウマチ)と診断され、投薬によって身体の痛みは減ったものの、先月の診察では血液検査の結果は改善しておらず、身体の動きは軽快になっても体内の血液や免疫細胞は思うように改善せず、本日の診察でやっと改善を実感することができました。
「前回も身体は良くなっていたからね」
「前回の数値は何故悪かったのでしょうかね」
「心配していたけど良かったね」
「心配されていたんですか…」
身体の痛みは減り、確実に快方に向かっているのに血液検査の結果は改善しない怪現象に主治医も首をかしげますが、心配していたとの言葉に、毎月薬の処方を代えながら思うように改善しなかった医師の苦悩を理解していませんでした。
本日の検査でやっと数値の改善が見られ、処方されているステロイドを少しづつ減らしていくことになりましたが、毎月増えていた薬の量が今回の診察で初めて減ったことは嬉しい半面で、減らされて1か月後は大丈夫か心配にもなってきます。
今年6月の血液検査で関節リウマチの根拠とされた3種類の異常を示す数値
6月から12月までの推移
CRP(基準値 0.00ー0.14) 体内の炎症や組織の一部の損壊の有無を診断する検査
(6月)4.85→ (8月)2.32→ (9月)2.89→ (10月)3.78→ (11月)3.69→ (12月)0.50
MMP-3(基準値 35.2ー123.8) 関節リウマチ患者の関節には大量にMMP-3 が含まれており、関節破壊の指標とする検査
(6月)162.4→ (8月)212.3→ (9月)213.3→ (10月)231.9→ (11月)201.7→ (12月)153.0
RF(基準値 20未満) 血液中のRF(リウマトイド因子)という物質の量を調べる検査
(6月)24.5→ (8月)26.7→ (9月)45.1→ (10月)67.8→ (11月)63.6→ (12月)36.8
3種類とも正常な基準値の範囲内にまでは入っていませんが、本日の血液検査で先月や先々月よりかなり改善された事がはっきりと判ります。
参道
伊藤萬蔵寄進の道標
伊藤 萬蔵(いとう まんぞう、1833年(天保4年) - 1927年(昭和2年)1月28日)は、尾張国出身の実業家、篤志家。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第71番弥谷寺の香炉
私が過去のアメーバブログ(2019年以降)に記した伊藤萬蔵さんの記事一覧
四国各地においても、私の生まれた愛知県の大先輩たちの名前を見つけると、歩くしか無かった四国遍路の厳しさと同時に、名古屋から四国へ行くこと自体が大変だったお遍路の先輩たちの苦労も偲ばれ、私のジェット巡拝も笑えてしまいます。
ただし、一年前は15%の割引券を落としたため引き返していましたが、一軒のドラッグストアに5種類の割引券があるだけでなく、支払い方法についてもドラッグストアのポイントだけでなく楽天のポイントカードにもポイントが貯まっていきます。
昨年はスマホの中に割引券があることも知らずに引き返していましたが、最近はスマホを使いこなす生活に慣れたためスマホ内のサービスを有効に利用するようになりました。
もっとも、スマホを持ち歩く前からJAFの会員でありながらカードを持参せずサービスを受けられなかった事も多く、行き当たりばったりの生活の見直しも重要と思います。
過去のブログを読み直すと、上高地や四国遍路など全く過去と同じような生活を繰り返していることを実感させられます。
一方で、一年前のブログには「コークオン」と「あいち健康プラス」によって、毎日の目標を立てて歩くことが記されていますが、今年は膠原病に罹患したことで目標を立てた無理なウオーキングはノルマにしなくなりました。
年齢を重ねることで身体の不調部分が増え、同じことをしていても行動範囲や中身が少しづつ変化していることも見逃せません。
早朝 ↓
↓
21年11月25日 一年前の一言です
閉山式が終わったといっても、釜トンネルの入り口までバスは走っており、釜トンネルを歩いて行けば上高地へ入ることは可能で、ライブカメラにも河童橋を通過する登山者や仕事で入ってくる車の姿が眺められます。
昨日のライブカメラ 人が居ます
さて、体調不良もあって身体を休めていると余計に身体が重くなり、不調であっても外出する目的を作らないと身体が鈍ってしまうことが自分でも実感させられます。
もっとも、有償とは言え低額のボランティアしか仕事が無い年金受給者ゆえに、外出すればするだけ出費が増えるため、動いたら動いただけ年金が減っていくことになってしまいます。
セカンドライフは上高地と四国遍路としているため、しばらく上高地は行かないものの、体調維持と健康のためとは言えお金のかからない外出も考えてみたいと思います。
21年7月15日
久々の個展 よったりの5日間展へ 愛知県一宮市 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
今にして思うと、車椅子で会場に居られたことから、個展が最後の顔合わせになることを周りは予感されていたのかもしれません。
かつての喪中はがきは両親や年長者の案内でしたが、最近は同世代の知らせも届く為そのたびに心が滅入るようになりました。
昔ながらの田んぼ道
かつては当たり前の田んぼ道が最近では珍しくなりました。
さて、昨日から体調が不調に陥っており、身体を休めても一向に回復せず、風邪とは思うものの何が原因か判らず、コロナ禍であることと膠原病を罹患していることから行くべき病院の選択すらできません。
そんなわけで身体を奮い立たせて外出したものの、体調が悪いと気休めにもならず、明日の起床時に回復していることを祈るしかありません。
名鉄勝幡駅から 12:40
須ヶ口駅で乗換 12:50
お寺でリラックス
上高地:日本一美しい自然の聖地 上祐史浩オフィシャルブログ http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-11915696228.html
上高地の下見:自然の中での体験と陰陽の自然 2011-08-26 http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-10998562440.html
私は上高地で穂高連峰から降りてくる霊風を吸い込む阿字観を理想としていますが、私と同じ感覚で上高地を訪れていた上祐さんによって、上高地と真言密教の聖地高野山や四国遍路の延長線上にあることを確信させられました。
抹茶とお菓子
祐専寺
少年時代に佐藤まさあき氏の漫画を見ると時々祖父江町と思われる風景が登場しました。
そして漫画の画風について、氏の疎開時代に受けた理不尽な生活が大きく影響していたことも「夕映えの丘に」を読むとよく理解できます。
さて、氏の書き残した漫画の風景を今でも残す山崎地区ですが、戦中や戦後に疎開した子供たちを受け入れぬ封建的な土地柄だったことを考えると、この地区が祭り会場になっていることに違和感も覚えてしまいます。
祐専寺門前
山崎駅と名鉄電車
ぎんなんの里
銀杏の実
津島市南新開の紅葉
絵画展へ
津島市児童科学館玄関
稲沢市のひまわり畑
まだ残っていました
となりのコスモス畑
〒492-8409 愛知県稲沢市井堀橋下町62−2
名鉄森上駅前ロータリー
バス停
名鉄森上駅
駅前の記念碑
内閣総理大臣安倍晋三氏の揮毫です
旧のんき屋隣のたこ焼き屋
会場のイチョウ
コセンダングサ
コセンダングサは、キク科センダングサ属の一年草。道端や空き地などに生える雑草。 和名は、センダングサより小さいという意味だが、実際はセンダングサより小型ではない。
21年6月28日の一言
上高地と思って近所を歩いて | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
上高地のパークボランティアの仕事の一つとして外来植物の調査があり、私は田代橋から河童橋まで梓川両岸と小梨平までのセンダングサの関係植物を担当しています。
センダングサは全国各地の空き地や道路に群生し、花が終わると種子が衣類やズボンにくっついて取れない厄介な外来植物です。我が家の周辺にも多くのセンダングサが群生しています。
もっとも、昨年から私が担当する上高地では一度も目撃しておらず、担当地域には生えていないものと思います。私としては上高地にセンダングサが侵入するのを阻止する任務でもあります。
梓川左岸
梓川右岸
小梨平で巡視中の私
現役をリタイアするまで私自身は植物や草花には全く無関心でありましたが、上高地の外来植物を除去したり調査する活動により、愛知県に帰ってからも雑草の名前やセンダングサが我が身のように感ずるようになりました。
上高地が閉山となってからまだ二日目にもかかわらず、随分と時間が経過したような錯覚と同時に、まだ閉山になっていないような気持ちで自宅周辺の植物を眺めてしまいます。
まさに上高地病ですね。
本日は高校時代の友人と共に一宮市に住まわれる恩師を訪れて懐かしい昔話に花を咲かせてきました。
地元に帰り自分のやるべきボランティアに専念し、上高地のシーズンオフの間にセカンドライフとする四国遍路や、懐かしい知人を訪れるなど上高地を忘れて日常生活に戻して生活したいと思う一日ともなりました。
田代湿原
愛知県愛西市で今月5日に実施された新型コロナワクチンの集団接種で、40代女性が接種後に体調を悪化させて死亡した、と市が10日までに明らかにした。県医師会の柵木充明会長は同日、朝日新聞の取材に「(強いアレルギー反応の)アナフィラキシーの可能性が考えられる」と述べた。 朝日新聞引用
4日(木)の写真です。
3日(木)の写真です。
松尾寺公園入口
長野県安曇野市穂高有明7327
案内板
藤棚
紅葉したドウダンツツジ
山門への参道
山門
参道
本堂への石段
鶴王山松尾寺本堂
案内版
長野県の松本市や安曇野市に、こんなに歴史のある古刹が残されていることには驚きで、参拝する人の姿は無かったものの、参拝できる環境が整っており感動の参拝となりました。
3日はその後午前中に上高地へ入り、田代橋から小梨平まで巡視した後の午後は、環境省ビジターセンター前で望遠鏡を出して定点解説中の先輩ボランティアを手伝って一日の活動を終えました。
昨日の写真ですが、上高地の定例会に参加する前の早朝に、新島々駅から波田駅まで松本電鉄の列車に乗って波田地区の文化祭に行ってきました。
昨日にも記しましたが、その中の昔の写真展を鑑賞した際に昔の新島々駅の様子や、波田駅から就職のため旅立つ生徒の姿に感動させられ、とりわけ大正時代の葬式の様子から、地域全体で葬列を作って送った日本の原点のような写真を添付するため昨日を補完する書き込みとなりました。
コロナ禍により町内どころか近所の訃報にも無関心な世の中になりましたが、大正時代には村の住民総出で葬列を組んだ写真は日本人の忘れてはならない風景だと思います。
まるで極寒のように感じた冬の上高地から愛知県へ帰り、環境省や多くの仲間たちの顔を思い浮かべると虚脱感すら感じられる一日となりました。
4月に開山した上高地も、来週15日には閉山となりますが、美しい上高地の風景に慣れすぎて最近は雑に発信している感があります。
上高地の素晴らしさを、下記に添付した私の発信した今年の過去ログからご覧いただければ幸いです。
3日から5日まで訪れていた安曇野の真言密教の古刹と、上高地の様子を明日からも添付します。
桑名市 大福田寺
本堂への参道
聖天尊への参道
聖天尊本堂
大福田寺の縁起
当山は神宝山・法皇院 大福田寺と称し、今より約千四百年前、用明天皇(在位585~587)の皇子 聖徳太子(574~622)が伊勢の山田に御創建されたお寺です。
天武天皇(在位673~686)、持統天皇(在位686~697)、聖武天皇(在位724~749)、淳和天皇(在位823~833)各天皇の御臨幸あり、聖武天皇勅して大神宮寺と称され、淳和天皇時代に勅願寺に指定されました。
三重八十八ヶ所霊場 一番札所、伊勢西国三十三所観音巡礼 番外、伊勢七福神 大黒天。各札所となっています。
毎月1日に行われる聖天祭で、年に一度の大祭が4月1日と11月1日に行われ、この日は修験行者による柴燈護摩が焚かれ、参詣者も参加できるる火渡りが行われます。
そんなわけで本日は桑名市まで行ってきました。
法螺貝の音色と共に護摩壇へ点火です
今週の3日から5日まで上高地でのボランティア申請をしましたが、病気療養中につき8月から家内の運転で四国遍路や上高地を訪れていたものの、今回からは自分一人の旅程となります。
そんなわけで、本日のボランティアから一人で患者さんを送迎することになりました。
もっとも、膠原病に罹患しており、体調も不安定なため上高地の活動も午前中のボランティアを避けて、比較的体調が落ち着いている午後のみの活動を申請しました。しかも、自分のペースで歩ける巡視としましたが当面は半人前しか間に合いません。
問題は上高地の寒さで、上高地から発信されてくる美しい紅葉が最近は白い霜や雪景色に変化しており、膠原病患者の私にとっては寒い冬は初体験となるため、着ていく衣類も心配となってきます。
さて、明日に搬送予定だった糖尿病の患者さんが通院する開業医が新型コロナに感染したため、10日間医院が閉鎖されるとの話が飛び込んできました。
ただし、毎日の飲んでいる薬が3日分しかないため、明日は以前通院していた市民病院の診察を受けることになりました。
この開業医は今年市民病院から独立したばかりで、自分の診ていた患者をほとんど連れて開業していたものの、コロナで医院を閉鎖しても他の病院への手配とか薬の処方は全くしないため、患者はその間の治療や投薬を自分で確保しなければならないと言う可笑しな話です。
こんなところから医師の良し悪しと良心が判ります。
医師の病気は致し方ないとしても、患者にとっては主治医の不在が命に関わってくるため、一時的とは言えこんな無責任な医院閉鎖は許されません。
膠原病の私でも患者さんを搬送しなければならない現実と、万が一搬送が滞ると患者さんの生命に関わる責任を実感させられる一日ともなりました。
久々のみたらし団子
道の駅立田ふれあいの里 愛知県愛西市
出店です
五平餅200円 みたらし団子100円