断捨離のため捨てる予定の箱の中に混ざっていたプレートですが、間違って(と言うよりも未練が募って)混入していたため本日取り出しました。
このプレートは朝日新聞社から頂いたもので、平成9年度に新聞社へ情報提供した件数と特ダネが存在したため翌年編集局長から特別に表彰された時の副賞です。
私は大学時代の昭和52年に朝日新聞の販売店を起業しました。
今にして思うと、新聞配達すらしたことのない、海のものとも山のものとも判らない学生の私を販売店の店主として指名した社員と英断した上司の正直な心境を知りたいものです。
一方で、経営者とは言え、休みの無い新聞販売店を躊躇なく決断した当時の心境が今現在の私にも信じられません。
しかし、やる気とは恐ろしいもので、数年後には地方紙の強い東海地区の朝日新聞販売店としては珍しい新聞の普及率3割を達成していました。
そのためには朝日新聞社が主催する高校野球や大学駅伝などはもちろんですが、朝日旅行友の会の企画旅行や、水郷釣り大会を開催し、昭和63年から平成5年まで地域のミニコミ誌「ふるさとアサヒ」を発行するなど販売店店主としては横道にそれた仕事が多かったことが結果的には良かったのかもしれません。
そうやって考えると議員になるためとは言え、議員との兼業禁止によって新聞販売店を廃業したことは一生の後悔にもなりますが、現在上高地や四国遍路をセカンドライフにしている起点ともなりました。
6年前に三男が接骨院を開業したため、事務所を2階に追われて朝日新聞社に関係する品々の大半を破棄しましたが残された物の整理も急務と思う一日となりました。。












