高野山奥之院 一の橋

奥の院(弘法大師御廟)へ続きます

左を見ると…

白い大きな塔が…

あ、同期の桜

同期の桜の塔


高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」で、昭和42年に大圓院墓地内へ建立されました。


毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられる(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。


その後方右を見ると…

鶴田浩二さんのお墓です

小野家は鶴田さん(母方)の姓

大円院の住職と鶴田さんの夫人が建立されました

鶴田さんのお墓と同期の桜の塔

今年の18日は大雪となりました。

私の誕生日と大雪の高野山参拝は記憶に残る一日となりました。


高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓ですが、私が高野山を訪れた際には必ず立ち寄っているものの、今年は10月に予定していた弘法会の高野山参拝が中止になったため、半ば諦めていましたが何とか年内に訪れることができました。

さて、昭和62年に亡くなられた鶴田さんには、東京都の港区にある父方「大島家」と練馬区に母方「小野家」のお墓があり、神奈川県の鎌倉霊園には生前の本人の希望から夫人によって建立された本人のお墓があります。

この高野山のお墓は、高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢が鶴田浩二と同期の桜であったことから、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かっており、先に逝った戦友と三途の川原でいつでも話し合えることと夢みていたことから、鶴田さんの死後夫人によって建立されました。

お墓の詳細については過去に何度も書き残しているので、下記に添付した私の過去ログをご覧下されは幸いです。

2021-11-26

高野山 あゝ同期の桜之塔と鶴田浩二さんのお墓 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)

2017年04月03日

大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓 (livedoor.blog)


今年6月に膠原病(関節リュウマチ)の診断を受け、これからは身体と相談しながらの生活となりますが、8年前には歩き遍路の仲間と麓にある九度山町の慈尊院から奥の院まで一日かけて歩いており、リーダーであった上野さんも他界している現実を考えるとこれからの時間は大切にしたいものです。


仲間がお墓とツーショットの写真を残してくれました。

2014年10月21日

大鹿一八「本日の一言」 : 高野山町石道から帰りました (livedoor.blog)


初めて鶴田さんのお墓と出会った時の書き込み

2008年05月29日

大鹿一八「本日の一言」 : 本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い (livedoor.blog)


平成13年に四国遍路をスタートし、翌年5月に高野山へ御礼参りに訪れ、ああ同期の桜の塔にもその後毎年訪れるようになりましたが、この塔と鶴田さんの関係を知って訪れていたものの、塔の後ろに建立されていた鶴田さんのお墓には平成20年まで気づかなかったことも今となっては不思議で可笑しな笑い話となりました。


生前の鶴田浩二さんは大スターであり、私なんかは会いたくとも会えないような有名人でしたが、そんな私が突然に訪れて墓前で勝手に手を合わせて、好き勝手なことをつぶやいていますが、ご本人が顕在なら「礼儀も知らない無礼者」と叱られるだろうと思いますが、今では我が物顔で勝手に訪れる親のような存在となっています。


鶴田さんの残した映画と全く同じイメージが一の橋の塔やお墓にはあり、私自身の生活を反省して見直す機会ともなる聖域でもあります。ここだけはお大師様と同行二人ではなく、鶴田さんと同行三人になるように感じ、しいては国のため若き命を散らした多くの戦没者も一緒になったように思えてしまいます。

                        12月20日の一言