大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2006年11月

心強さを感じた一言への返信(コメント)

 12月議会を控えているが、来年3月に開催予定の『人にやさしい街づくり』地域セミナーの開催準備のため、各方面への連絡と走り回る日々となり、本日の愛知県庁への書類提出は終わったものの、肝心の講師やコメントをいただく人々への連絡は来週にずれ込みそうでもある。
 さて、本日の一言をこのブログに移行して1ヶ月が経過したが、本日は3人のコメントが返ってきた。今まで、自分勝手に書き込んできたが、返信があると視聴者の息吹が実感でき、特に心に痛みを感じている『浪漫亭砂九』さんの返信には、多くの人々が悲しみを共有している現実を実感し、少し心強く感じられた。
 24日の事故死以来、毎日思い出し、これだけ思い出して悲しんでいるのに、夢の中にも砂九さんの声が聞こえてこない現実に、化けてでも出て欲しい気持ちになる。こんな話を交信できるブログのありがたさを実感する一日となった。
 一方で、昨日記したボランティアの不公平については、本日複数の人々と連絡する中で、人のために役立とうとスタートしたボランティア精神に国や行政が格差をつくり、手話通訳者には報酬を求める一方で、要約筆記者は「ボランティアだから謝礼はいりません」と理不尽な不公平を助長している現実に矛盾を感じた事への共感をいただいた。
 同じ聴覚に障害を持つ人々に対するボランティアである。ボランティアの格差を作らず、より多くのボランティアが育つ環境に努力したい。私の周りにも『ひとまち生活ネット津島』があり、来年3月の地域セミナーを機にNPO法人化を目指したい。又、来年3月までに『防災ボランティア』のグループ結成がすすんでおり、津島市のボランティアの刺激剤としたい。
 こんな抱負ばかり書き込んで、肝心の選挙運動は大丈夫かとの心配も耳にする。議員に絶対はなく、「私がいなくても動けるボランティアの組織化を図る」と発言し、「縁起でもない」と真剣なお叱りを受けると、忙しい来年を予感する事となる。
                               11月30日の一言

ボランティア精神は同じでも

 来年3月に『人にやさしい街づくり』地域セミナーを実施するために走り回る一日となった。朝日旅行友の会の企画と募集にしても、40人の参加者が必要であり、セミナーの50人から100人という定員から同じような感覚を持っていたが、主催は私ではなく愛知県である事から、会場と資機材の確保にはじまり、手話や要約筆記者の確保、宣伝チラシの印刷など、理想ばかりでは予算内で収まらない厳しい現実を知る事となった。
 講師やパネラーについては身勝手に考えてはいるものの、相手にも予定がある事から、連絡するだけでも大変であり、構想は立ててあるもののテーマも確定していない事から、議会を控えて大変な師走入りとなりそうである。
 さて、耳の障害を持つ人のために、手話通訳と要約筆記者の手配を社会福祉協議会に依頼した際に、手話通訳については国の制度改正から報酬を支払う必要があると告げられた。もちろん、謝礼も予定していたので何も問題はないのであるが、要約筆記者についてはボランティアだから謝礼も必要がない旨の説明があった。
 ちょっと待って下さいょ。どちらも同じ目的でお願いするのに、手話は有償で要約筆記は無償なんですか。手話通訳も要約筆記者もボランティア精神は同じだと思われるのだが。
 ボランティア団体からの連絡をもらい、この問題点を話す中で、現実の理不尽さで意見の一致をみたが、「手話通訳の基準で双方に同じ謝礼を払います」と話すと、「基準のままだと高いですよ」と当方の心配をいただく事となった。同じボランティアであっても、国の身勝手な方針によって、仕事と奉仕に分岐していく現実に、ボランティアの人々の声も聞く必要性を実感した。
                               11月29日の一言

迷ってあの世に行かれない

 本日は議会運営委員会が開催され、午後は図書館協議会が開かれる中で、来年開催予定の『人にやさしい街づくり』地域セミナーの会場確保と連絡にあけくれた。
 さて、仕事に追われると悲しんでばかりはおられず、こうして心の痛みを忘れていくのかもしれないが、私の悪い性格で、過去に固執して『砂九さん』の影を求めてしまうのである。図書館の会議の後で文化会館に寄る予定であったが、砂九さんとの交流の場であった『茜屋』に足を向けてしまったのである。
 わざと砂九さんと座った席の後ろに座り、座席を眺めていると、もうダメである。堪えに堪えて話していると、壁に貼ってあった砂九さんのボスターが剥がされ、「悲しんでいると迷ってあの世に行かれない」の一言が。
 みんな関係した人々は悲しく、悲しみを堪えている事を実感した。人によって受け止め方は様々だが、私は砂九さんが生きている事にしていきたい。
 悲しんでいると励ましのコメントである。久し振りの書き込みに感謝したい。昨日訪問した叔父の家では「自分達も交通事故で親を無くし、兄弟は人に言えぬ苦労をした」との一言があった。私の父親は5才の時に母親を交通事故で亡くしている。養子であった父の父親は家を飛び出し、60才をこえた父の祖母が野菜を売りに歩き、叔父は寺に出され、兄のあった私の父親は14才で満州に渡っている。
 敗戦と兄の戦死によって父が我家を引き継いだが、親のない苦労から「なにくそ」と片意地をはった苦労が65才の早死になったのではないか。同じく名古屋に嫁いだ叔母も同様である。
 さて、私においても、平成1年に雇用していた女性が交通事故で亡くなった。平成3年には、私が大学まで卒業させた従業員が、高校時代にアルバイトで雇用していた友人と外出中に、暴走する車に激突され2人とも亡くなっている。この時の悲しみが風化していた感は否めない。
 予期せぬ事故によって突然に犠牲者となった人々の多くは、犠牲となった怒りを発する事無くこの世を去っている。怒りの代弁は勿論だが、二度と事故を再発させない事、事故後の救急搬送や医療体制の充実など、議員の立場で貢献すべき事は多い。
 忘れていたが、議員になる前年の平成10年までは、12月14日は『農面道路』(津島市の宇治町と百町を結ぶ道路)を走らないように、従業員や家族に徹底してあった。前記した平成1年の死亡事故(百町)の一年後、平成2年12月14日にも下切町で死亡事故が起こり、その翌年の12月14日には越津町で死亡にこそならなかったが、高校生が重傷事故に遭っている。改めてこの道路の危険性から注意していた当時がよみがえってきた。まもなく12月14日がやってくる。
                              11月28日の一言

砂九さんの原点って?

 昨日より降り続く雨と、砂九ショックから立ち直れず、無気力な一日となりそうであったが、明日に開催される議会運営委員会から12月議会が迫り、午前中から電話が連続する事により、夕方からは忙しくなり、訪問先にかかってきた電話によって、ボランティアの打ち合わせを忘れていた事が発覚した。
 同行する知人も迷惑なもので、『バリアフリー検証』に週末使った車イスの返却に付き合ったのが運の尽きで、私の車で出向いていた事により、夜までは束縛もできない事から、私だけを打ち合わせ場所において、私の車で帰る事となった。
 実は、本日中に愛知県から送られてくる書類があり、本日中に記載して送り返してほしいとの連絡があったものの、肝心の書類が到着せず、郵便の不在表も置かれていた事から郵便局に到着した頃には午後8時を経過しており、お願いして受け取った手紙は目的の物ではなく、『一八への手紙』であった。
 さて、『浪漫亭砂九』こと、纐纈彰良さんの家族や親族の悲しみは、私とは比較しようがないが、悲しんでいるばかりではすまないことから、新たな生活が始まっていくのである。学生時代から続けてきた落語によって、多くの人々と交流し、多くの人々に落語を語り上方古典落語を紹介した功績は大きい。
 しかし、こんなに早く、親より先に逝くのであれば、親の家業を捨ててでも、親不孝であっても落語専業で落語に専念しても良かったのではないか。プロの落語家より仕事の依頼が多く、休日は年中無休の落語生活でもあった。
 こんな事になることが判っていたら…。私にとっては、最後の落語となった喜多神団地での『看板のピン』と会話を思い出し、過去の落語や会話を思い起こすものの、彼の死に顔を見て送った葬儀の翌日になっても、彼の死が未だに信じられない心境である。
 高齢の父親の相談を受けても、何も力になる事もないままに、私の座談会に無償で落語を披露し、彼との口約束を果たす事もないまま、最後の挨拶もなく無言のままに去っていってしまった。彼から受けた借り分をどうやって返せば良いのか。半年ぶりに再開した『大鹿寄席』について、人生の最終期の掲示板に「自分の原点を思い出した」というような記載があった。砂九さんの原点は何か。自分の事ばかり話し、彼については何も知らないままの自分勝手を後悔するも、声も返らぬ現実が哀しい。
                               11月27日の一言

浪漫亭砂九と永遠の別れ

 本日は、49才の若さで去っていった落語家『浪漫亭砂九』こと、纐纈彰良さんの葬儀に参列した。あまりにも突然の交通事故死であり、本人もやり残した事ばかりと想う。
 テレビニュースでは、悲惨な事故の模様が映し出され、ペチャンコになった砂九さんの運転席も放映されたが、相手である28才の男は飲酒運転であった。しかも、直進中に突然右折してきた対向車との衝突だけに、相手を怒るどころか、家族への別れの言葉すら発しないままの別れである。
 勝手な事だが、これだけ飲酒運転に批判が集まり、連日のように新聞やテレビで報道されている中で、相手の男は事故直前の午前4時まで、中川区や中区で酒を飲んでいたとの報道から、厳しい厳罰は勿論だが、酒を提供した店への処分も絶対に必要である。
 彼と出会ってから数年であるが、私の主催した座談会と共催した『出前寄席』は36回を数え、勉強会から『大鹿寄席』と名称を代え、私と津島市民との対話の背中を押してくれる原動力にもなっていた。
 彼のホームページには、私(一八)を『周りの人々』の中にマネージャーとして紹介し、「津島市会議員だって。ちょっとかための真面目人間」と紹介してくれていた。同じマネージャーとして『兄貴分』と紹介されている茜屋のマスターも闘病中であり、最後の別れが出来なかった口惜しさを考えると涙が止まらず、帰宅後も『浪漫亭砂九』の残像を探して泣き続けている。
 「一八さん、泣いててもしょうがないじゃん」と彼が笑顔で話しかけてきそうでもあるが、茜屋のテーブルで日ごろのストレスから愚痴る私に、冷や水をかぶせるマスターのあとで、私に同情してフォローしていたのが砂九さんであった。
 最近は砂九さんの人気を理由にして、自分の忙しさから身勝手に半年間座談会を休止しており、今月から再開したばかりでの別離である。しかも、次がない永遠の別離である。
 出棺前、最後の別れとして、彼の右手あたりに『浪漫亭砂九私設マネージャー』と記した私の名刺と、遍路旅に使う『同行二人』の納め札に願意と記名をして置き、胸に置かれた彼愛用の『扇子』を握り締め、最後の別れとしたが、涙が止まらない。「それだけ泣き続ければ、きっと痩せられるでしょう」と、語りかけて欲しいが…
 ただし、一昨日から訃報と葬儀の案内だけになっていた彼のホームページが、息子さんの手によって今晩『会葬御礼』に更新されてきた。彼の残した足跡は確実に残されている事を、今晩更新されたホームページから感じるとともに、少なくとも私の2期目、ここ4年間は確実に『浪漫亭砂九』と二人三脚だった事を実感し、彼の冥福を祈り、彼の記憶と記録を永遠にとどめたい。
                               11月26日の一言

落語家・浪漫亭砂九の通夜の日

 本日は、市内で開催された『産業フェスタ』に、愛知県に登録された津島市の『人にやさしい街づくりアドバイザー』グループで、アドバイザーのPRと発信のためスペースを確保し、同時進行で、車イス4台を使って津島市内のバリアフリーを検証した。
 市役所を午前10時に発車する巡回バスに乗車するも、車イスは1台しか乗る事ができず、3台は折りたたんでの乗車である。車イスの4人と介助者4人、2人の同行者の10人の乗車である。(産業フェスタには2名配置) 行程は下記のとおり。
 市役所10時発の巡回バスに乗車---青塚南口バス停---名鉄青塚駅---(電車に4台乗車)---名鉄津島駅---文化会館(美術展観賞と昼食)----本町産業フェスタ会場到着・・・2時会場出発---(天王通り)---名鉄津島駅(乗車できる巡回バスまで時間があり乗車を断念)---ヤマナカショッピングセンター(トイレ体験)---3時過ぎに市役所へ到着
 アドバイザーの会議は続けてきたが、実際に行動するのは今回が初めてである。いわばボランティアのデビュー戦であったが、メイン会場に展示場所をとり、4台の車イスで人出の多い場所へ進出した事で、存在についてはアピールができ、三輪津島市長が車イスを押し、一緒に記念撮影するハプニングにも遭遇した。
 さて、肝心のバリアフリーについては、歩道であっても生活道路では、全く車イスでは通行できない現実を体験し、無人駅の踏み切りは車イスは危険で利用できない事も体感した。参加者から、「定期的に続けて街を良くして欲しい」との声があがり、初めての活動としては合格点をつけ、来年2月に津島市で実施予定の『人にやさしい街づくり地域セミナー』につなげたい。
 ただし、帰宅後は、落語家『浪漫亭砂九』纐纈彰良さんの通夜に名古屋まで走り、悲しい現実(飲酒運転の相手に殺された)に怒りと涙にまみれた締めくくりとなった。砂九さんの手帳には、12月10日の日程に『一八』と記されており、声を大にして「約束違反」と叫びたいが、『大鹿寄席』は全く無報酬の砂九さんに、年一度だけ、たった一度だけ1月3日に手渡す1本の日本酒が渡せない…
                              11月25日の一言

二度と会えなくなって…

 本日の夕刊に、『酒気帯び?衝突死亡事故』の記事が掲載されてきた。本日午前5時15分頃の事故であるが、酒気帯びと思われる車との事故によって尊い命を失った纐纈彰良さんは、私の主催するまちかど座談会に出前寄席として出演していた『浪漫亭砂九』さんであった。
 早朝から鳴り響く電話で、訃報が知人より伝わったが、まったく信じられない事だけに、間違いであればと思っていると、直後に鳴った携帯電話の発信者は『砂九』と表示され、一度は「良かった」と思ったが、受話器の相手は砂九さんではなく、息子さんの声であった。
 この頃から、本日は無気力な一日となり、何も手がつかずに経過したが、明日の『バリアフリー検証会』と、産業フェスタの展示品は待ってはくれないので、夜になって取り掛かっていると、再度『砂九』さんの表示であったが、電話の声は奥さんであった。声と言うより泣き声であった。
 連日のように、飲酒運転の事故が報道されてくるが、悲しみや怒りは、親しい人物が被害者にならないと判らない。49才の命…。家業の仕事はどうなるのか。親の体調を心配していたが…。まだ学校に通っている子供達は、と考えると涙が止まらない。
 最後に会ったのは、今月の11日に津島市の喜多神団地で開催した『出前寄席』であった。私と市民との意見交換のため満足な会話も無いままに別れ、その夜の電話で「来月10日の出前寄席にはゆっくりと話そう」と発した言葉が最後となった。今となっては、再会どころか、10日には実施どころではなくなり、「話そう」ではなく、話しておくべきだったと後悔の念のみが残る。
 過去を振り返ろうと彼のホームページを見ると、訃報と葬儀の案内に一新されており、自分の過去まで失ったようで気力も失せる。
 私の主催する『浪漫亭砂九』の落語会は15年2月8日が初めてである。以来、今月まで36回の勉強会を津島市で開催し、彼のホームページには私が『私設マネージャー』と記されるようになり、勉強会から『大鹿寄席』に昇格されていた。
 過去を振り返ってもしようがないが、突然の別れは後悔も多い。「いつでも呼んで下さい」と、気軽に落語をPRしていたが、これからは呼ぶ人がなく、こんな別れは予想もできなかったが、現実に起こった事件でもある。家族の心痛を想うと涙が止まらない…。
                              11月24日の一言

久々に満足する旅行会に

 天気予報によれば、本日は雨の可能性が極めて高く、しかも寒気が入り込むとの情報があり、旅行会へは傘を持参する参加となったが、寒気どころか一度も雨に降られぬ奈良行きとなった。
 紅葉は今が最高の時期だけに、道路の渋滞も覚悟しての行程であったが、こちらも肩透かしを食らったように余裕の運行となった。ただし、予期しなかった事は、参加者の高齢化によって、参加者の足取りが極めて悪くなった事で、昭和63年から続く『朝日旅行友の会』の歴史を会員の足どりから実感した次第でもある。
 100回を超える企画の中でも、久々に合格点をつけられる内容だったと思われる。前日までは、いつものバスと乗務員の確保が出来なかった事で、一抹の不安材料を抱えていたが、名鉄東部観光バスの運転手はベテランが配置され、ガイドさんも入社10年と最高の組み合わせではなかったか。
 興福寺から奈良公園には現地の観光ガイドを予約し、薬師寺にも事前に説法の依頼をしていたため、いつもの行き当たりバッタリとは違って手際良さだけでなく、拝観の価値観も高められたと思われる。
 特に仏教寺院を拝観しながらも、観光として通り過ぎてしまう拝観が多い中で、僧侶の案内と説法によって、自分自身を反省する気持ちにもなれたのではないか。説法を重視されていた薬師寺の先代管長からの伝統が確実に護られ浸透しているのである。
 多くの遺跡が発掘され、4年後をメドに進められている再建が完了した後の奈良の見どころは楽しみが多い。そんな時に、再募集をして、本日の何人の人が参加できるかと考えるのはタブーかもしれない。熱をおして参加された人があり、帰宅後に名古屋の大学病院まで送る事になった。一度は「えーッ」と思ったが、奈良に比べれば、名古屋は近く、豊田市から来た観光バスを思えば楽なもので、久々に(結婚以来かも)夫婦2人だけでレストランの夕食となったのである。
                                11月23日の一言

ストレスを背にした旅行き

 昨晩は就寝が午前1時をまわり、3時の目覚ましで起床し、会報配布から帰り、日中の会報配布分を折り込んで朝食をとると、時計は9時ちかくなっていた。
 さて、昼まで仮眠はとったものの、3時間づつの睡眠では疲れもとれず、25日のバリアフリーに使う車イスを引き取りに走った。簡単に車イス5台を予約していたが、車に載せられるスペースは限られており、応援の車を呼んでの移送となった。
 本来なら、車イスを車に積み込んだままで25日を迎えたいが、明日の旅行参加者をバスまで出迎える必要があるため、5台を降ろしたものの、置く場所にも困り、25日の展示物も何一つ整っていない事から、明日の夜から翌日は走り回る事になりそうである。
 忙しい時に、一日中家を空ける代償は大きい。翌日の限られた時間にかかるプレッシャーも大きいが、楽しいはずの旅行先で25日の参加者を募るようでは、明日の天候の悪い予報と比例して暗雲漂う旅立ちでもある。
 ただし、最近の旅行企画にしては珍しく、現地奈良を案内してくれるガイドを依頼し、薬師寺では説法の予約も確認するなど、準備は万全が期してあるが、今晩も十分な睡眠は取れそうもなく、明日のバス車中を貴重な安息にする事は、主催者としては不謹慎か。
 肝心の紅葉は時期的には最高との事で、心配は明日の天候のみでもある。こんなムダ話のような一言を書き込んでいるが、昨晩は人の人生を左右する危機感の回避に必死になっていた。相談を受け、何の改善策も示していない案件が多い事も、気にすればストレスとなる。
                               11月22日の一言

そちらこそ、なぜ津島市に…

 23日の日帰り旅行の手配が済み、一息つきたいところであるが、早朝の会報配布も日程や天候から限りがあり、25日に控えた車イスによる『バリアフリー検証』の準備も待ったなしである。
 名鉄青塚駅や周辺の写真を撮り、津島駅では昨年10月に完成したエレベーターとバリアフリーのトイレを撮影し、駅前の風景を撮っていると、『愛知県人にやさしい街づくり連続講座』を担当する愛知県建築指導課の幹部とバッタリ遭遇した。
 「今日は何ですか」と問われ、「そちらこみ、何故津島市に」と立ち話になった。海部建設事務所の防災訓練のための出張だったようで、25日の産業フェスタの準備中である事と、来年2月に津島市で実施予定の『人にやさしい街づくり地域セミナー』の開催を告げ、雑談後に市役所前の巡回バスを撮影に足を向けた。
 直後に、背後で「大鹿さーん」の声と、バタバタと大きな足音が響き、振りかえると、私と『鶴田浩二』で意気投合した I 課長補佐の姿があった。突然の予期せぬ顔に「おーおー、びっくりした」となったが、建築指導課の職員にしては意外にも「障がい者について語りたい」との言葉が返ってきた。
 これはセミナーのディスカッションにパネラーでもいけるなと思いながら話し込むが、相手は名古屋の県庁まで帰る時間が迫り、当方は市役所前の巡回バスの最終便が迫り、名残惜しい別れとなった。
 25日は、4台の車イスで検証を予定しているが、本日のバス車内で運転手さんと話しながら検証していると、3台の乗車が限界で、他の乗客の乗り降りを考えると2台しか同時には利用できない事が判明した。もっと問題な事は、当日に4台の車イスに座る人と、介助者の人数が揃うかの根本的な課題が残っている事をメンバー達は判っているのか心配も尽きない。
                               11月21日の一言
 

今度からそうしましょうか

 今年は役職の当たり年なのか、地元祭壇組合の会長は10月で交代(残務処理中)となったものの、町内実行組合の土木も当たっており(これは家内任せである)、伊勢神宮の役も1月に代参が決まっておる中で、本日は火防の秋葉神社の役にも当たっているとの連絡を受けた。
 「エーッ、伊勢もあるのに?」と、家内は不満顔(お札の集金は家内のため)だが、週末の役員会に続き、12月のアキヤ様も(握り飯の用意とたき火の番)近づいており、4月までに静岡県の秋葉神社まで参拝が必要との事である。
 神主さんのくじ引きとは言え、よくもこんなに重なったものである。伊勢神宮は赤福餅で、秋葉神社はウナギの蒲焼と考えれば気分も違うが、気のあった人ばかりとは限らず、「お父さんが行って来てよ」と言われると日程も厳しい現実となる。
 それにしても偶然としても不思議なものである。
 さて、間近に迫った奈良への日帰り旅行も迫っており、名鉄観光との打ち合わせをしていると、いつも指名している名鉄バスと運転手さんがダメとの報告で、担当者は平謝りであるが、10年以上続けてきた指名だけに淋しさも募る。
 いつものガイドさんに連絡すると、現在はバス会社を替わっており、私が学生時代に3年間アルバイトで添乗員をしていた観光バス会社に勤めている事から、昔の記憶をたどって話をするものの、当時の運転手さんは定年で去り、管理職は全員引退している事から、懐かしさだけでは会話もつながらない30年の経過を実感した。
 「大鹿さん、今度からは名古屋観光にしてよ」の言葉に、朝日旅行会20年の歴史と、懐かしい学生時代の記憶の狭間に揺れていると、平謝りの担当者から「今度から、そうしましょうか」の一言が、「値段は大丈夫か」と現実味を帯びそうになってきた。
                               11月20日の一言
 

終日、横井庄一記念館の中で…

 本日は終日横井庄一記念館の一日となったが、昼には小雨となった事もあって、6月に開館してから一番ヒマな一日となったのである。
 ただし、少ないながらも、遠くからの訪問も多く、東京や栃木県からはるばる訪れた人達には、物見遊山とは違った目的意識があり、説明にも戦争当時の状況や知識が必要とされ、あいまいな説明では許されぬ緊張感があった。
 さて、記念館は展示スペースはあるものの、庄一存命中と基本的には変わっておらず、現在も館長の夫人が生活しており、仏壇には位牌もお骨もそのまま眠っている。
 開館当時の人で溢れた時期には、仏壇の前をそのまま眺めながら通り過ぎる人が多かったが、最近の訪問者のほとんどが仏壇に手を合わせている。
 その姿から、様になって自然に振る舞う年配者に比べ、戦後生まれの我々の世代以降の若者の『礼儀作法』については様々であり、不自然な振る舞いから、自分自身も教えられた経験がなく、気持ちと行動のアンバランスにつながっているのかもしれない。
 最後の訪問者は安城市の若者であったが、横井庄一のグアム島ではなく、グアム島上陸前に転属された旧満州国が話題になり、当時の日本の状況や、戦後のシベリア抑留などの話で盛り上がったが、ネット社会だけにホームページに当時の戦況や資料の添付も必要と思われた。ただし、パソコンの起動すら限界に近い状況下では、何も言えないのである。
                              11月19日の一言

明日は日曜日だけど…

 一週間が瞬く間に過ぎ去り、来週は朝日旅行友の会の日帰り旅行と、津島市のバリアフリー検証を車イスで実施する事が決まっており、月末の議会運営委員会から12月議会に突入する。
 さて、昨日に続き、携帯電話の迷惑メール対策と、携帯電話からこのブログに直接書き込めるように悪戦苦闘し、やっと一段落したと思ったら、事務所の固定電話が不調なようである。1回ベルが鳴ると電話が切れてしまい、当初は誰かの間違いかイタズラかと思っていたら、どうやら故障のようで、NTTに問い合わせたところテープによる受付である。
  こうなると大変である。電話機の電池を交換したり、別の電話機を取り付けてもラチがあかず、何度も鳴る1回のコールに、相手を連想すればするほど必死になるものの、素人では何の改善も果たせぬまま、携帯電話に直接転送を決め込んだ。そうすると、電話がつながる度に携帯電話の通話料金が気になり、再び試行錯誤を再開したものの無駄足である。
 「連絡も無いままで」と書こうと思っていると、土曜日の夜にも関わらずNTTから連絡があり、明日の午前中に修理に訪れるとの事であった。
 「明日は日曜日だけど…」と、つい口に出したが、日曜日でも訪問するところに、民間企業となり競争著しいNTTの対応と、行政との対応の差を実感した。
 さて、会報を配布しはじめて10日が経過し、手紙の返信とともに電話の応対も増えており、新たな仕事が舞い込む事で、旧来の仕事を忘れそうな危険がある。効率のよい記録と、適切な対応を考えないと「言っても何にも動かない」と言われそうで、こうなると行政の応対に感化されて、民間の感覚を忘れている可能性を指摘されそうで反省材料にしたい。
                               11月18日の一言

笑顔で受け取り、支払いは渋い顔

 新しい携帯電話に代わって一週間が過ぎたが、使い方が判らないために不都合が多く、自分の携帯番号も記憶していないため、人に問われても答えようがない。
 せっかくの機能は死んだままで、帰宅した娘が携帯電話とパソコンを検索しながら改善を試みたが、迷惑メールによって複雑にした自分のアドレスが判らず四苦八苦し、やっと探り出したものの、必要とされる肝心の暗証番号については使った事がなく、思いつくままに押していると使用不能となり、結局は購入した店舗まで出向く必要に迫られてしまった。
 さて、数日前の話だが、郵便局の職員と簡易保険の加入者との間で、規則とはいえ納得のできないやりとりが展開された。
 自分の息子にかけていた保険が満期に近づいた事から、毎月の保険金を支払ってきた親が返戻金を受け取りたいのであるが、息子の健康保険証とか委任状が必要と言われた。契約時に学生であった息子は、30代になって独立し家を出て生計を営んでいる事から、親子でも金銭は別々であり、常識で考えると保険金を支払い続けてきた契約者がすんなり受け取れそうに思われ、局員も支払った事実を知っているものの、息子に知られずには無理との話であった。
 我家のように何人も子供があると、保険をかけ続けた子供と、途中で解約した子供があり、一軒の家庭でも波風が立ちそうでもある。又、親子でも絶縁状態の場合はどうなるのか疑問になる。
 さて、仕事を廃業して8年近いが、雇用主として従業員の名義で作った銀行の通帳が現存する。この通帳は、私自身のお金を私の知人が振り込んだ通帳だが、従業員の所在は不明となり連絡も取れないが、振り込んだ本人でも引き出せないと言う。
 じゃー、何で通帳が開設できたのか。開設時に持参した住民票や印鑑を持っていっても元金すら引き出せないとは理不尽でもある。便利な世の中になった反面で、詐欺やイカサマ氏の影響は否めないが、支払いは笑顔で受け取り、引出しは渋い顔をしているとしか思えないのだが。
                              11月17日の一言

そんなには食べきれない

 何事も動けば動いただけ成果が出る筈である。そうでなければ、真面目に働く人々が報われないだけか、何もしたくなくなってくる。
 会報の配布が出遅れ、来週23日の朝日旅行友の会についても、案内が遅れていたが、会報の配布と比例して申し込みが舞い込みだした。人に誘われて、人間関係や義理によって参加する旅行では、当日になってから「ところで、何処に行くんだったか」との会話もあるようだが、少なくとも自分一人でも行きたいという気持ちで参加を望みたい。
 こんなこだわりを持ち続けているために、年末に旅行を予定している『買物ツアー』についても、「大鹿さんのところは高いなぁ」と、他の議員の激安ツアーと比較して言われもする。ただし、当方は買物だけでなく、小浜の国宝めぐりに足をのばして拝観料まで含んでおり、解っていただける方々からは「こんな安い値段で行けるの」とびっくりされもする。
 朝日旅行友の会は、昭和63年から現在まで百回以上の旅行を企画しており、定員不足による中止は一度もしていないが、参加していただけるメンバーは大きく代わってきた。悲しい話だが、歴史と比例して高齢化が著しく、亡くなった人も数えきれなくなっている。
 亡くなった人だけでも観光バスを一台仕立てられるのである。亡くなった人の関係者に呼びかけて、追悼の旅を企画しようかと真剣に考えているくらいである。一番淋しい事は、病気や障害によって、「行きたくても参加できない」人々の存在でもある。
 さて、始めた当初は、老人クラブの旅行に参加した父親が、「安っぽい冷たい弁当はミジメだった」との一言で、料理にお金をかけた時代もあったが、会員の高齢化によって、「そんなには食べきれない」と言われるようになってきた。
 四国遍路や宿泊をともなうグループ旅行にマイクロバスを使う機会も増えた。久々に、観光バスの旅が続くが、電話が鳴る度にホッとするのは相変わらずでもある。
                               11月16日の一言

それは、歳、歳!

 以前の一言にも書き込んだ事があるが、議員になって8年近くが経過して、自分自身で確実に変わったと自覚する事がある。
 それは年齢からくる衰えであり、まもなく53才になろうとする現在と、当選直後の40代の体力とは明らかに変わっており、会報『津島の風』を配布する3ヶ月ごとに自覚させられる。一時期ではあるが、津島市の保健士さんや管理栄養士さんのご指導によって、8キロ程度の減量に成功し、四国遍路の石段の上り下りに足の軽やかさを実感できた。それも半減し、最近では足腰だけでなく、体そのものの疲労を実感する。
 ただし、早朝の仕事は23年間の経験から、会報を配布し始める数日は苦痛を感じるものの、一週間もすると体が自然と動き出す。本日は、目覚まし時計の間違いがあったものの目が覚めた。
 こんな事を書いていると、昭和一桁生まれの『ほっこり庵』の主に叱られるが、習慣は思い出す事ができても、体だけは確実に老化に向かっているのである。
 「それは、歳、歳!」の一言は、昨晩の習字教室でサン〇センパイの言葉である。最近の足の痛みから話をしていると、「歳をとれば誰でも!」、「本当に?」、「そう、私もそうだから」と、簡単に切り捨てられてしまったのである。 
 歳ばかりではなく、自身の不摂生も大きいと思うが、節制する事すら苦痛になり、せっかくの指導が無になりそうでもある。仕事の先送りも自身に関わってくるが、体の不摂生は先送りが寿命に影響する事から、年齢相応の手当も考える必要がありそうでもある。
 さて、西武ライオンズの松阪投手が、60億円の入札額で大リーグと交渉と報じられている。26歳で通算108勝の実績もすごいが、億万長者と云われた時代と比較すると、額の大きさと同時に、自分自身に対する漲る自信に期待し、私の励みにもしたい。
                                 11月15日の一言

自殺や虐待死を無くすには

 いじめによる生徒の自殺ばかりでなく、指導する先生のトップである校長先生までもが、仕事に関連して自殺する報道が続いている。
 こうなると、子供達の自殺を止めるどころか、自殺のブームに拍車をかけ、指導する方法すら見出す事が難しくなる。いっその事、報道されない方が自殺の連鎖を防げそうにも思われるが、そうなると、現在でも閉鎖性が強い学校や教育委員会によって、『イジメ』そのものの存在まで公表されず、事件が闇から闇へと封じ込められそうでもある。
しかし、何故こんなにも簡単に自殺が続くのか。死ぬ事への恐怖心は無いのか。このあたりの原因から考えていかないと、自殺者は減らないであろう。一方では、子供への虐待も増加していると報告されているが、親から受ける虐待によって命を落とす子供達の事件も連続して報道されてくる。
 この際、人権とか平等などに配慮して理想論ばかり語るのではなく、自殺や虐待を止める為にも本音による議論が重要である。
 子供への虐待については、両親の離婚による母子家庭の増加が影響していると思われるが、最近では離婚する事が当たり前のように語られるテレビ番組も多い。かつては、一度嫁いだら二度と戻ってくるなと言われていたが、最近では離婚を助長する親まで存在する。
 昭和のはじめ頃には、離婚すると『出戻り』と言われ、本人だけでなく親や子供まで肩身が狭い思いをしたが、最近では近所が配慮して何も言わなくなっている。ただし、我慢にも限界はあるが、親の身勝手な離婚によって子供達にも大きな影響があり、離婚した家族に配慮した過度な教育が普通の家庭の子供達にとっては、不自然になっている事は見過ごせない事実でもある。
 戦争で父親を亡くして苦労した家庭や、病気や事故で親を亡くした子供達の悲しみとは違う、親の身勝手が招く不幸は断ち切りたい。そのためにも、離婚して当然のように振る舞い、バツ一、バツ二と平然と語り、浮気や新たな色目を輝かせる芸能人達を、とりあえずテレビから締め出す事も提案したいが、こんな事を言うのも問題発言となるのであろうか。
                                 11月14日の一言
 

時代遅れの独り言

 遅れている会報配布であるが、ボランティアで配布していただける人々に、本日やっとの事で配布する事ができたが、今度は増刷する時期がきており、本日より印刷に入るものの、後は自分自身の体力と運動量にかかっており、配布遅れは23日の旅行の申し込みにも影響がでている。
 さて、裏番組にある『ほっこり庵の独り言』に、自分がカードを間違えて使いながら、他人の犯罪に巻き込まれたと勘違いして警察に通報した顛末が記されてきた。ガソリンの給油もカードなら、高速道路の料金所もカードで、夜などは間違える危険性は誰にもある。
 前時代的と言われる携帯電話を使っていたが、先週末から新しい携帯電話に機種が変わった。次々と送りつけられる迷惑メールに困り、電池の寿命も短くなった事から、新しい機種を所望したわけだが、長年使い慣れた機種と違って、使い方が全く解らない。
 インターネットも閲覧できるとあるが、自分のホームページは容量が大きく見れないとメッセージが出るし、この一言はつながらないらしい。おまけに、分厚い説明書を見る時間がなく、メールは受信できなくしただけで、このままでは前時代的な携帯電話と同じではないか。
 理由が解らず、やみくもに操作していると画面が戻らず、便利である事は間違いがないが、子供達のようには使いこなせない。
 次々と新しい商品やシステムがPRされてくるが、使いこなすまでに時間がかかり、使いこなせるようになると時代遅れで交換となる。新商品の販売競争も結構だが、古い機種の電池を提供すればムダな経費も削減できると思うのは時代遅れの独り言なのか。
                                   11月13日の一言

ツルツル頭の危なそうな人と

 昨日は早朝より雨が降り続き、会報の配布を休んだものの、朝から町内の水路清掃や行事で終日外出した事から、本日の早朝は突然の寒波を「天からの休養の合図」と勝手に配布をやめた。
 本日は午前中から町内の親睦会の行事があり、終了後は市内の温泉で昼食会が開かれた事で、ゆったりと温泉に浸かり、ビールを飲んで談笑して帰った事で、今までの体の痛みや疲れが一度に吹き飛んだような気がし、明日からは気分をかえて仕事に邁進できそうでもある。
 平生の生活の中では、風呂に入る事を止めても、深夜まで電話やパソコン、仕事を優先し、風呂はエチケットのために朝で充分と考えていたが、体の回復も考えた入浴の必要性を、本日の温泉行きの効用から実感した。
 「あれっ、見た事ある人だがなぁ」と思いながら、温泉に入って行くと、相手もこちらを見ているものの、「何だろう」という感じで、改めて見直すと、目と目が合い、「どっかで会った人だなぁ」と、相手が思い出せないままに『ツルツルに頭を剃った危なそうな人』に語りかけた。
 「なーんだ、センセイか」、と相手の言葉のナマリから思い出した。「いつから、こっちに」、「まだ、来たばかりなーんだー、おーい、こっち、こっち」と呼ばれた人は、青森県で80町分の稲作をしている大将である。毎年、稲刈りが済んだ今頃から、来年の3月4月まで津島市周辺に出稼ぎに来ているメンバーで、居酒屋で知り合った仲間である。
 彼らは集団でやってきて、集団で助け合っている。国際交流も結構だが、国内からも定期的に津島市へ来ている人々があり、彼らが町と町をつなぐ役割をはたす可能性は高い。米屋さんには叱られるが、彼らは米の名産地の農家から来ており、話せばおいしい米が安く直接手に入るのである。もっとも、市内の農家から直接米を手にしている人もあるが、農家にとっては損もなく、消費者には安い米が手に入る事から、『人見知り』をせず話す事も重要と思う。
                                  11月12日の一言

わしらは、よそ者だから…

 4月に開催して以来半年振りとなる『まちかど座談会』を開催したが、本日は愛知県の主催する防災セミナーが弥富市で同時刻に開催されており、留守中に関係者から案内とともに入場チケットまで届けていただいていた事から、訪問後のとんぼ返りでの会場入りとなった。
 一緒に開催する『出前寄席』も半年振りとなるが、天候も悪く、果たして何人の参加があるのか心配でもあった。出足が悪いと、「あの人に声をかければ良かった」と考えさせられるが、そうした人数集めをするとどうしても知人ばかりとなる事から、一人目の参加者が現れるまでは心配にもなってくる。
 さて、現在配布中の会報には、「まちかど座談会は、人数に関係なく出向きます」と記し、3人寄れば声をかけて下さいと書き入れた。本音は多いにこした事はなく、出演する落語家『浪漫亭砂九』さんのためにも満席の会場にして大笑いしたいところでもある。幸いにして10人を超える参加者があった事からとりあえずは合格点としておきたい。
 一人の質問でも次々と出されると時間が超過する事から、やはり10人程度が一番良いのかもしれないが、一年に1回では不足しているのかもしれない。
 選挙のために集められる人々と違い、参加者に問題意識がある事から、席を温めるだけでなく真剣なまなざしから言葉が返ってくるために、時間を超過しすぎ、砂九さんを前座にしてしまった事が反省でもある。
 さて、参加者の年齢が高いため、どうしても話題は巡回バスや道路の安全対策、医療問題が多くなる。入居から50年が経過し、現役時代には立派な仕事をされていた大先輩の人々から「わしらは、よそ者だから」との一言が心に響いた。
                                  11月11日の一言

忙しいの言葉は禁句か…

 『忙しい』と言う言葉は、普段から口癖のように使ってしまうが、忙しいと言う言葉によって、人と人との縁を遠くしている事を意識した事がなかった。
 昨晩は同級生3人で久し振りに出かけ、「忙しそうだから、声をかけられなかった」との話になった。確かにスケジュールは一杯であるが、1日24時間の中では時間は融通がきき、本日もまったく予定に無い行動ではあったが、一日が終了(まだ4時間ほどあるが)した。
 『忙しい』の感覚は、人によって千差万別である。本日についても、昨晩から付き合いで帰宅は午前様になったものの、目覚まし時計は午前3時にセットされており、会報『津島の風』を7時近くまで(行かないと自分勝手な放浪が許されなくなる)配布後に朝食をとった。
 予定では、午前10時頃まで仮眠となっていたが、行政機関から電話がかかって起きたところに、事務所に来客の様子であった。世の中うまくできたもので、留守の事務所では訪問した知人が応対しているではないか。
 「おい、留守番か」と冗談をとばすと、来客は木曽川に近い愛西市からで、古くからの(20年近い)朝日旅行友の会の会員で、わざわざ旅行の申し込みに来られたのであった。こんな訪問は時間に関係なく話に花が咲く。会報を折り込んでいると、昼食の約束をした友人達の訪問である。
 予定では午後にも会報を配布する筈だったが、あまりの苦痛に先延ばしにすると、前日の電話で催促された要件や所用で市役所に走る必要がある事を家人に告げられ、5時まで時間が経過した。予定にあった名古屋行きは中止になり、明日のまちかど座談会の準備で役員さんに会場のカギを借りに走り、新たな要件について連絡していると、「ところで、明日は行くんでしょ?」の一言が返ってきた。
 「明日は、砂九さんの落語が…」とは言ったものの、午後から弥富市で開催される防災セミナーにお誘いを受けていたのである。「顔だけは出します」となったが、明日も綱渡りの一日である。ただし、本人はこんな生活を30年近く続けており、新聞販売業のように休みもなく先送りできない仕事と比較すれば、議員の専業は自由すぎる事から、遠慮なくお誘いをいただきたいのて念のため。
                                  11月10日の一言

趣味の再考と自己嫌悪

 2日前より会報『津島の風』を配布し始めたが、2ヶ月前の会報配布で痛めた足が再び痛み出し、日ごろの不摂生と運動不足が原因とは思うものの、若くはない事も実感する。
 さて、趣味で陶芸を始めた地元の方が、本町にある『ギャラリー飛翔』において、手捻り急須展を開催されているので観賞に訪れたが、趣味とは言うもののあまりの多種にわたる作品にびっくりし、趣味の世界の奥行きの広さにびっくりした。
 市役所でも生涯学習として多くの講座を開催しているが、PRを見て市民が気軽に参加できる反面で、個人の思い入れを持って先生の門をたたいて始めた趣味とは比較できない事を感じとった。
 陶芸に関しては、近くに瀬戸市や常滑市があり、県外では多治見や美濃、四日市と、身近に大きな窯場がある事から、その気になれば絶好の地域に住んでいるわけでもある。陶芸に限らず、絵画や書道に関しても、そうなると演劇から芸術全般において、津島市にこだわる必要がなく、行政の担当者も市外に生涯学習の場を求めるのも一考ではないだろうか。
 さて、さて、そうなると趣味のない自分のつまらなさを実感する。自身のプロヒィ-ルに趣味は写真と旅行と記してあるが、写真に関して言えば学生時代の暗室に入った頃とは違い、ここ暫くはカメラを持ち歩いてもシャッターを切る事が少なく、時代はフイルムからデジタルに推移しており、旅行に関しては観光に毛が生えた程度ではないか。
 2階での書道教室も、開始されてから12年が経過するものの、他の人々の上達と比較すると一向に上達しないままに恩師は闘病中となってしまったのである。趣味については簡単には語れない事を実感するとともに、自身の趣味を再考すべきと思わされた。
                                    11月9日の一言

竜巻報道から無力感を

 昨日北海道で起こった竜巻は、9人が死亡し23人がケガと報じられ多くの人々が避難しているが、家そのものが吹き飛ばされ、大型トラックがひっくり返るなど、局地的ではあるが、一瞬にして台風以上のパワーを見せつけた。
 東海沖地震や東南海地震の危険性から、防災対策が叫ばれ、地震予知についても各地で海底のプレートを調査し、各地で調査体制が整い、住民に対しても防災訓練や組織化が図られているが、今回の竜巻については予測が難しいだけでなく、建物に対しては、台風や、地震の耐震対策を図っても、全くの無力としか言いようがない恐ろしいパワーを見せつけられた。
 外国での竜巻の仰天ニュースは、テレビなどて放映されてきたが、最近では日本でも度々起こっており、そのパワーも強くなっているように思われる。しかし、昔からの言い伝えで「龍が天に昇っていった」話は、日本各地に残っており、情報のない時代から各地で起こっていたのである。
 ただし、地球規模で異常気象が叫ばれ、アメリカのハリケーンでは州規模で廃墟となる大規模な被害が続き、自然災害の脅威が改めて指摘されている。
 地震に備え、基礎を強化し、建物の耐震強化をはかっても、今回のような竜巻が来れば一瞬にして破壊されてしまう事と、竜巻の発生を予測する事は不可能に近く、対策の立てようがないが、そうなると自然に身を任せるしか方法は無いのか。
 地震や台風の心配から、老朽化した自宅の強化も考えて(金が無いから何もできないが)いたが、今回の被害を見ると『開き直り』で放置するしか方法が見出せない。ただし、周辺で我家だけの倒壊では悲しいニュースとなる事と、生活していくための修理は急務でもある。
                                    11月8日の一言

地元企業との懇談会に参加して

 本日は、サカエ理研工業株式会社津島工場で、『化学物質に関する地域懇談会』が、愛知県と同社の主催で開催された。
 事業所で使用している化学物質の種類や量、環境対策などに関する情報を、住民や事業者、行政が共有し、意見交換などを通じてお互いに理解を深めたりするために行なう『地域懇談会(リスクコミュニケーション)』の普及・啓発を図るための愛知県のモデル事業との事である。
 内容は、化学物質に関する説明と、工場見学の後で、地元の町内会の代表らが日頃の問題点や苦情を寄せ、会社の説明を聞いた。施設の改善については、法律の改正もあるが、企業としても改善を重ねているが、悪臭に対する質問や、本年起こった同工場の火災については、地元への説明や謝罪が不足するとの苦言も呈せられた。
 自分個人としては、数年前の事であるが、地域住民の就職依頼に訪れ、採用していない中で社長自ら採用の決断をしていただいた恩義のある会社だが、実際には工場を訪れた事が一度もなく、仕事内容も知らなかっただけに、今回の訪問で仕事内容が解っただけでなく、地域住民の雇用について発言し、パート採用については地元の人々を積極的に受け入れたいとの言葉をもらい、このような地元との交流会を定期的に開催していく事が約束された事は、地域と企業が共存共栄していく上で、ひじょうに有意義な機会になったと思う。
 さて、企業に限らず、地元の商店の灯が消える事は、世間話としては面白いかもしれないが、現実には利用する客だけでなく、いざという時には不便をあじわう事となる。個人的にはコンビニを利用する事はほとんどないが、家族全体では結構利用しており、24時間飛び込めるのは地域に安心感を与える灯台のような存在である事を、近所のコンビニが先月末で閉店した事から痛感した。企業や商店と地域の連携の重要性も実感する心境である。
                                       11月7日の一言

市民病院改革委員会を傍聴して

 本日は津島市民病院の改革委員会が開催され、経営改革に関する答申書が示され、委員それぞれの意見で修正されながらまとめられた。
 前回の委員会で、委員長より約100床を民間に売り払うべきとの発言があった事で、今回の答申にも厳しい内容があるかと思っていたが、現状の公設公営で、収益を上げ、医師の確保につとめる事は今まででも当然の事だけに、究極的には病院と行政の責任で厳しい経営を改善するしかない事を実感した。
 改革会議のメンバーから、決定的な『特効薬』が出されるかと期待していたが、評価と批判はできても改善策は自らの努力しかないのは当たり前の事でもあった。
 さて、私の娘は最近『国立病院』ばかりに走っていくが、近くの医者や病院の紹介状を持って行くよりも、初診料が高くても直接国立病院に行った方が得だと話した。
 紹介状を持って行けば、待ち時間は少ないが、紹介状を書いてもらう費用と、開業医に無駄な診察を受けるより、直接国立病院で診てもらった方がムダがないのである。
 ただし、風邪でも何でも国立病院では病院と診療所の連携ができないどころか、国立病院の本来の対象となる患者の診療を妨げてしまうのである。
 そういう意味では、紹介状の費用を無くすとか、開業医と市民病院などの役割分担を明確にする事が前提になり、重篤な患者は名大やガンセンターに積極的に転送すべきでもある。
 地方の公立病院の維持は大変である。患者は勝手なもので、普段は近くの町医者ですませ、重大な場合は都市部の大病院を希望する。ただし、事故や夜間の救急は待ったなしである。津島市民病院の存在を示すべき役割ははっきりとしており、患者だけでなく津島市民の声を聞く事から新たな展開が開けてくるものとの自覚が重要でもある。
                                      11月6日の一言

新たな有志の出現に

 本日は地域の自主防災会の主催する防災訓練が開催された。元々は行政の主導する形で発足した防災会ではあるが、毎年の訓練を重ねる度にレベルアップし、町内会によっては独自にAED(自動体外式除細動器・心臓が停止した人に電気ショックを与える器械)を常備するところまで現れた。
 災害は何時何処で発生するかが判らず、訓練が役立つ事よりも災害が来ない事を祈るばかりであるが、地域全体が同じ目標を持って、一緒に行動する機会は貴重であり、地域のコミュニケーションが希薄になりつつある中で、新たな展開に期待するばかりである。
 さて、私は津島市の防災ボランティアコーディネーターとして、訓練があれば議員ではなく市民として参加しているが、前々から単車の運転ができる人々と、災害時に単車を使ったボランティアグループを結成するための話をしており、数名の同志も存在するが、本日の会場で知人に話したところ新たに参加したい人があったとの連絡を頂いた。
 災害が起こる日は判らない。ましてや地域全体が被災地になる大災害が起これば、ボランティアどころか、自分達がボランティアの世話になっている可能性も高い。訓練を繰り返すうちにマンネリ化し、一人減り二人減りしてメンバーの顔ぶれが代わった先進地の事例もある。
 新たな参加者の存在を無にしない展開と、平常時の活動に遊び心を持ち、グループ結成を前にして足踏みをしている現状から実現に踏み切りたい。
                                      11月5日の一言

座談会に呼ばれて…

 会報『津島の風』29号が完成し、本日より配布が可能になったが、スケジュールが一杯のために配布は来週の月曜日の早朝からになりそうである。やりかければ徹夜でも何とか印刷になるのだが、約束した相手だけでなく、突然の訪問者もあるために、「明日から頑張ろう」との連続で1ヶ月遅れの完成でもあった。
 本日は、旧市内から議員の話が聞きたいとの事で、日光橋を渡って座談会に参加した。座談会は50回ちかく開催しているが、日光川を渡った座談会は過去2回しかなく、当方の企画ではないために普段着のジャンバーをブレザーに替え、ウエストポーチを外しての参加でもあった。
 議会発言も、発行している会報やホームページでも、限られたスペースに書き込んでいるために、当方の真意が伝わらず、思わぬ誤解を与えている場合も多い。又、すべての会報やホームページの一言を読んでもらう事は不可能なため、断片的な一場面だけで自分を理解してもらう事は難しい。
 一方で、津島市や市政に関心をもつ市民に伝わる情報量は少なく、市民参加の機会も限られている。自分達の生活する地域の都市計画や、地域の方向性も知らされず、社会の理想像を語り学習を続けても、地域の特性や、法的な限界により無駄になる議論も多そうである。議員に限らず、行政と市民の対話の場所が重要だと痛感した。
 さて、来週からは本格的な会報配布が始まるが、政治活動と選挙活動の違いぐらいは市民に理解してもらいたい。最近では来年の選挙がコーヒー屋の話題になっているようであるが、私の会報は議会報告を兼ねた政治活動であり、粗品つきで戸別訪問している候補者の宣伝パンフレットと一緒に語られる事だけは勘弁してもらいたい。
                                       11月4日の一言

旧態依然の教頭の一言

 暗いニュースが多い中で、市内の中学校の女子バレー部が、新人戦の西尾張大会に優勝し、県大会に出場が決まったと報告をもらった。熱心にボランティアで指導している市民の話では、勝ち進んで来年3月の東海大会出場を当面の目標に置いているらしい。
 ここしばらくの様子から、来年は全国大会の可能性もあり、応援する一人としては自分が運動とは無縁であるにもかかわらず、勝つための方策をアレコレ議論し、自分も全国大会について行く事が当たり前のように話に花を咲かせた次第である。
 さて、勝ち進む事も簡単ではないが、勝ち進めば勝ち進んだ苦労も伴ってくる。「市役所にバスをお願いしたいんだけど…」との一言は、学校の教頭先生の「そういう前例が無い」との一言でかき消されてしまったようでもある。勝つ事と並行して、遠征にかかる交通費に頭を悩ます指導者。
 ここで気になるのは、全国のイジメ問題への対応と同じく、学校特有の慣例が存在する事である。このバスの話も、今年赴任した学校長に話したところ、「解らないから、教頭先生に聞いて」と言われた後の教頭の一言である。
 我々の市民感覚と若干違うのは、言うだけ言ってみたらとの感覚がまったく存在しない事である。民間企業と違うのは、学校長より教頭の一言に決定権がある事でもある。いくら勤務経験が少なくとも、学校のトップは校長であり、教頭の一存で決まってしまう事に市民は疑問を感じる。
 財政難で、市役所も期待には応えられないのが実情だが、聞くぐらいは市民として当然の行為ではないか。言う事で、新たな展開(今月の県大会にはバスの無償提供がある)が開けるのではないか。それをさせない、許さない学校の体質が残念でもある。
                                       11月3日の一言


 

一度覗いてよ

 私の親しい人が市民病院に入院している事を、先週末に聞いた。「ただし、見舞いには行ってはいけないとの事だけど」の一言があった。本人の性格で、『病人の姿を見せたくない』からか、家族の意向かは分からないが、判らないと『よほどの重篤状態か』と心配にもなってくる。
 「一度、病室を覗いてよ」とは、奥さんが入院中のご主人からの声であるが、こちらは病院の不適切な対応にシビレを切らして、議員として患者に直接聞いてくれとの要望だが、私は市民病院へのお見舞は原則として『行かない』事にしているのである。行くのは、見舞いではなく、冷やかしで覗ける仲間だけで、市民のお見舞には出向かない。
 「覗いてよ」との声をもらっている為、昨日は「行ってはいけない」と言われている家族に、様子を聞きに走ってきた。「見舞いがあると、元気に応対してしまう性格だから」と、見舞い客が帰った後で患者が疲れてしまう事を心配されていたのである。
 それでも、あまりにも「行っちゃダメよ」と繰り返されると、病状が心配になり「本当に大丈夫か」とよけいに知りたくもなる。こうなると冷やかし客となってしまう。
 市民のお見舞いに行かないのは、お見舞にいった病室や廊下で偶然に『知り合い』に遭遇する事が多く、お見舞に行く人と行かない人ができ、行かない人々に申し訳ないからである。
 ただし、私が入院した場合は多くの友人には病室を訪問してもらいたい。身勝手であるが、病人は心細いものである。近所や知り合い程度のお見舞は止めてもらいたいが、親しい友人の訪問は心強く、再起への励ましになる事は間違いがない。しかし、周りには多くの病人があり、見舞いには行かないものの、励ましになる事はないかと考えさせられる一日となったのである。
        11月2日の一言

思うようにはならない月初め

 昨晩は、終日来客が続き、最後の訪問者が帰られたのが夜11時を廻っていた。遅くなった事を幸いにして、発行が遅れている会報『津島の風29号』の印刷にとりかかったが、一度印刷に入ると大量なために朝刊が届く時間までかかってしまったのである。
 朝刊を読み終わり、家族が起きてくるのとは入れ替わりに睡眠に入ったが、これは寝るのが遅くなったのではなく、徹夜をした事になり熟睡をしたいものの、午前中の約束や電話もあり、ゆっくりと寝る事もままならず、一日がスタートした。(もちろん、昨日の一言も深夜に書き入れています)
 さて、会報の印刷は8ページのため、A3用紙2枚に裏表の印刷が必要となり、明日にウラの部分を印刷し、翌日には会報をおり込み、郵送すべき人々に送付しようと思うが、カレンダーをめくって初めて翌日の3日が祭日である事が発覚した。
 自分勝手の仕事であるが、相手までは自分勝手はまかり通らず、郵送は来週の月曜日にずれ込む事となる。週末も複数の予定が書き込まれている。自分勝手が一番の原因であるが、またしても地獄のスケジュール(本日も徹夜が決定)から月初めの一日が始まったのである。
                                      11月1日の一言
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