大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2006年12月

平成18年最後の一言

 いよいよ年末の大晦日となって、午後には京都に出発する約束がしてあるにもかかわらず、仕事が残されていた事が、依頼した恩師の訪問で発覚した。
 たかだかと言うとお叱りを受けるが、横井庄一記念館の玄関に飾る『謹賀新年』の書が私の責任で残っており、恩師が書き入れた後で届けるのである。
 そうなると、自分の事務所にも掲げたくなるが、これは明日の自分の初仕事にしたい。
 本年最後の朝になって、昨日記したフセイン元大統領の死刑が執行されたとの報道を目と耳にした。絞首刑であったと言うが、目隠しを拒否して刑を受けた元大統領には、一国の元首としての誇りを感じ、アメリカのブッシュ大統領と帝国主義に怒りを覚える年末となった。
 18年を振り返ると、明るい話題がなかったように感じ、事件や事故とともに、社会のひずみが噴出し続けた年であったように思われる。
 政治についても、県知事をはじめ多くの首長の不祥事が発覚し、小泉首相から安倍政権に代わったものの、小泉時代の負の遺産の清算が続いている。
 一方で、教育については学校での『イジメ』や『自殺』が問題となったが、受験対策から高等学校において必修科目の履修漏れが全国で表面化した。受験を目前にした高校生が、冬休みも受験に無関係な教科の履修に学校に通い続けている。
 こうなると、増加の一途をたどる中学生の『不登校』も、野放しにはではない問題であり、一日も学校に登校していない生徒に教員が卒業証書を届けている現状にも、義務教育だけに厳しい対応が必要であり、義務教育も受けていない生徒に卒業証書を渡している現状は、世の中を騙して社会に生徒を送り出している事でもある。義務教育と教育現場の限界を見る思いがする。
 その一番の原因が家庭の崩壊でもある。親が子供を殺害し、子供が親を殺す事件が続いた。学校は「家庭が原因」と、家庭に責任を押し付けるが、家庭ばかりでなく、それぞれの社会の責任も忘れてはならない。
 議員の立場としては、身勝手な離婚や、行政の仕組みを逆手にとる人々へのチェックが必要になっていると痛感する。増加の一途をたどる離婚にも公的援助が支払われ、戸籍を形式的に操作している家庭も存在している現状から、まともな生徒が育つ環境とは思えない。
 平成19年は、総選挙の年でもあり、微罪であっても選挙違反に厳罰を課し、議員が社会の規範となる事から、社会のひずみやネジレの解消を果たしていきたい。
                                12月31日の一言

フセイン元大統領の死刑執行に無力感

 死刑判決を受けていたイラクのフセイン元大統領が、近日中に刑が執行されるとの報道があり、アメリカのNBCテレビは48時間以内、ロイター通信は数日中と報じ、30日か31日の可能性があると伝えている。
 フセイン元大統領については、82年にシーア派の住民148人を殺害した罪によって死刑判決があり、今月の26日に刑が確定しているが、日本とは事情が違うとはいえ、これほど急いで刑の執行をする必要性がどこにあるのか疑問でもある。
 元々が、核兵器の存在を疑われ、アメリカの『9.11』同時多発テロとの関連を指摘してアメリカ主導の国連軍派遣となったのであった。
 結果として核兵器の存在はなく、テロ集団との関係も公式に否定された今となっては、アメリカによる身勝手な『内政干渉』によるイラク戦争であり、国連に名をかりたアメリカ軍の占領によってつくられたのが現在のイラク政府でもある。
 言い方を代えれば、フセイン元大統領はアメリカ軍によって大統領の座を追われたばかりか、自分が大統領であればけっして罪とならない『冤罪』によって死刑を執行されようとしているのでもある。
 26日に死去したフォード元米大統領(共和党)はイラク戦争を「大きな間違い」と位置づけ、ブッシュ大統領をはじめフォード政権の首席補佐官だったチェイニー副大統領、国防長官だったラムズフェルド前国防長官の3人を痛烈に批判していたと、ワシントンポスト紙は報じている。
 結果論だが、独裁体制とはいえ、フセイン大統領がそのままイラクを統治していた方が、多くの戦死者を生む事もなく、国としての体制も整っており、間違った戦争としたらアメリカのブッシュ大統領だけでなく、日本の小泉前首相の責任も免れない。現実にはフセイン体制よりも残虐な国家も野放しにされており、フセイン元大統領の死刑を急ぐ理由が見当たらない。
 国際的バランスがあるとは言え、外国人を拉致し、核を堂々と開発し、他国を標的としたミサイル実験を続けてきた北朝鮮の金正日総書記については、武力に頼る事無く、対話を続けようとしている矛盾を感じると、フセイン元大統領の死刑執行には強い抵抗感と悲哀を感じるが、津島市の一地方議員の声が届くものではなく、年内に刑が執行されるのであれば、アメリカ合衆国と渡り合った政治家として哀悼の意を表しておきたい。
                                12月30日の一言

飲酒運転の車に同乗も懲役刑に

 飲酒運転の車に対する厳罰化を盛り込んだ『道路交通法改正試案』が、警察庁から28日に発表された。連続した飲酒運転の事故やひき逃げ等に対する罰則の上限を上げるとともに、運転者に酒や車を提供した者にも、運転手並みの罰則を課し、飲酒運転の車に同乗した者にも懲役刑となる厳しい内容である。 試案によると、飲酒運転でひき逃げ事故を起こした場合には、最高15年の懲役となるが、これは01年に道路交通法が改正された後も、ひき逃げ事故が約2割増加した事の反省にたったものという。
 ただし、15年の懲役によって逆にひき逃げが増加するのではないかとの意見もある。一方では、全ての家に車のある車社会ゆえに、事故の可能性は誰にもあり、飲酒運転以外の罰則について報道されてこない事に不安をもらす声も届く。
 最近のブログに、「我々自転車人の間ではある危機感がある」とのブログが記されていた。それによると「改正法案では老人と子供の自転車歩道走行を認め、それはやがて拡大解釈されて、幹線道路の自転車の車道走行も禁止される恐れがあるそうである」(詳しくは次のブログを読んで下さい http://blogs.yahoo.co.jp/kohsakujp)と記されていた。
 改正試案の中には、シートベルトの着用義務を後部座席にまで求めておるが、前記されたように歩道を子供や高齢者が自転車で通行する事については、本来の歩行者にとっては非常に危険でもあり、高齢化社会の中では電動三輪車の通行や、障がい者の車イスの通行まで考えると歩道本来の目的についての議論が必要である。
 我家の息子も高校の自転車競技部に籍をおき、競輪場ばかりでなく一般道路も練習の場にしているが、自転車と言えどもスピードは車と遜色なく、自転車も車輌としての議論が必要で、国会の中で満足な議論もなく通過していく事だけは回避してもらいたい。
 さて、飲酒運転やひき逃げに対する厳罰化には何も異論がないが、肝心の道路行政において、交通安全に対する対策が重視される事を要望したい。歩道のバリアフリーも立ち遅れており重要だが、『自転車人』達にも車のひき逃げにあう危険も多く、我が息子も二度のひき逃げ事故に遭遇している。事故の厳罰化と同時に、事故防止策が進んでいない現状の改善も急務である。
                               12月29日の一言

今年こそは、持ち帰りたい

 仕事が遅れているために机に座ったものの、来客が続き、昼食から夕食前までの貴重な時間が過ぎ去っていってしまったのである。
 四国八十八ヶ所の巡礼や、西国、坂東、秩父の各観音巡りも、時間が経過すると詳細があいまいになり、記憶をたどっても話がかみ合わない。記録としていたノートをめくっても、参考にした本やガイドとなる資料を見ても、巡礼中のように頭がはたらかず、相手の間違った話にも反論もできず、過去4回にわたる『お遍路』の経験はあまり生きていない事を実感させられた。
 さて、忙しい日々が続いていたが、会報など仕事の結果が伴っていない事から、いっその事『お遍路旅』にでも行っておけば良かったと思うのであるが、過ぎ去った日々に遡る事はできず、12月の初めに善通寺で開催された『四国八十八ヶ所公認先達』の認定講習会にも、ムリをしてでも参加すべきであったと反省しつつ平成18年が終わりそうである。
 もっとも、大晦日の31日には、恒例(自分の慣例)としている京都行きが残っている。年末の大晦日の京都行きも9年目となるが、8月16日の大文字送り火(平成3年から)と並んで、自分の年中行事と決めている。
 「何で京都ばっかり?」と笑われるが、実は新婚旅行も京都であったと言うと人々はびっくりするが、人間として生きていく中で、忘れてはならないものが京都の行事にはあり、大晦日には八坂神社の『おけら詣り』と、新年の午前0時には一番目に『拍手』をうつ神社がある。
 神社については秘密だが、八坂神社の『おけら詣』については、大晦日の夜から元旦の朝にかけて参拝し、灯篭から移しとった火を吉兆縄で家まで持ち帰り、神棚の灯明にしたり、お屠蘇や雑煮の火種にすると一年の無病息災が叶うと言われているので、今年こそは方法を考えて持ち帰りたい。
 元日は、狛犬のかわりに狛亥(こまいのしし)があり、足腰の神様として崇められている『護王神社』にも参拝したいと思っている。座席が空いているので、希望者の名乗りを待っています。
                                 12月28日の一言

国政は不正の連鎖か

 佐田行革担当大臣が、実体のない架空事務所を政治団体の所在地として届けていた問題から、政府与党内からも事実なら辞任となる厳しい進退を迫られていると報じられている。
 伝わっている情報では、自身の政治団体を親族の経営している佐田建設の入居するビルの住所で届け、政治資金収支報告書には10年間で7千8百万円を事務所費として支出しており、実体のない事務所費だけに、政治資金規正法に反する虚偽記載による資金流用の可能性が極めて高い。
 国に限らず、全国の自治体で行政改革が叫ばれ、苦しい財政運営からの脱却を課題にしている事から、時効とは言え、行政改革の旗振り役となる行革担当相の責任は極めて重く、辞任となれば先週の政府税調会長の辞任に続き、安倍首相の責任も含め政権の求心力は低下し、辞任を先延ばしにすれば国民の政治資金に対する不信感を増幅させる事にもなり、批判は免れない問題でもある。
 さて、政治資金と一口に言われるが、問題となる事件の金額が地方議員とは段違いな格差がある。事件が報じられるたびに、地方議員には無縁の世界を実感させられる。名古屋市でも議員に対する政務調査費の領収書の公開が議論され、一部議員の報告した金額に対する疑惑が問題になっている。
 ただし、名古屋市の政務調査費は年間660万円支給されており、月額の55万円という数字は、津島市の議員報酬をうわまっている。この金額が議員報酬のほかに使用ができ、その報告書には領収書を添付しなくても良い(愛知県では県会議員と名古屋市のみ)という感覚にはびっくりでもある。
 ちなみに、津島市の政務調査費は年間15万円であり、条例では調査に必要な人件費や事務機器の購入も可能になっているが、この15万円そのものの存在についても不必要との市民の批判もある。
 地方議員のグチはこのくらいにするが、金額の多少にかかわらず、政治家の受け取る報酬や各種手当は国民の税金であるとの認識が希薄になっているのではないか。次々と発覚する政治家の不祥事の根底に、国民の税金によって政治活動ができているとの認識がなく、国民の存在が忘れられ、時代劇の悪代官のようになっている姿の反省を求めたい。
                               12月27日の一言

歴史を歪曲した番組は問題だ!

 18年も残りが少なくなり、テレビ番組も年末から正月をひかえた特別番組が多くなった。ただし、マンネリ化をふせぐために、歴史を直視せず、憶測や可能性から事実と違う放映や、歪曲した番組は問題でもある。テレビ東京では、超歴史ミステリーとして徳川9代将軍家重が女性であったとの仮説から、警視庁のOBや学識者まで登場させ、仮説の裏付けとしたのはどういうものか。ここまでやるなら、事実を科学的に実証すべきでもある。
 さて、気にもとめないような事でも、テレビや週刊誌から受ける影響は大きく、憶測や仮説でおもしろ可笑しく報道されると、一般視聴者にはそのものが真実として伝わり、間違った認識のままに会話が交わされている事も多い。
 とりわけ、最近では人の弱点を見つけて放映する事も多く、芸能界のみならずスポーツや皇室まで、世の中全てにおいてその風潮を感じるものである。
 政治の世界においては、法を犯したり、倫理観に欠ける行動は報道されて再発を防ぐ必要もあるだろうが、巨人軍の桑田投手のようにスポーツ選手の場合には、結果を見守る必要も重要である。
 一方で、芸能界に限らず『離婚』に関する報道が慢性的に多く、離婚に対する罪悪感が何も感じられない報道には、首をかしげるだけでなく、厳しい反省と指摘も必要である。
 離婚率の増加は全国的な傾向であるが、離婚が家庭の崩壊につながり、学校での不登校や非行問題に影響を与え、母子家庭に対する自治体からの公的扶助も増加させている。問題は、離婚も当たり前なら、公的扶助も当然の権利として勘違いしている親も多い事で、家庭の崩壊は、指導する学校教育の現場にも大きな影響を落としている。
 テレビや週刊誌などの影響力を考える時、家庭を省みずに離婚したり、愛人との密会が発覚した有名人等は厳しい糾弾と同時に、それらを当たり前としない厳しい排除によって、最低限の倫理観を維持するための改善が急務でもある。
                                12月26日の一言

行政と市民の意識格差を感じ…

 本日は津島市長と来年度予算に関する会派との意見交換が行なわれ、苦しい財政状況ながらも住民に伝わっているイメージとの違いを実感した。
 市民に対する各種の補助金を削減したり打ち切っていく中で、「津島市の財政状況の悪さ」を理由として説明するあまり、市民には市役所の幹部や財政担当者の思っているイメージより、極度に悪化したイメージを抱かしているのかもしれない。
 議会の一般質問や市長答弁の中に『赤字再建団体』の名称が登場した事があるが、最近の北海道夕張市の厳しい実例から、津島市も同程度の財政状況と思っている市民も案外多い。
 市民病院の経営改善を図るために設置された、専門家に依頼した経営改革委員会での発言も報道される中で、総合的な実態を把握せず、悪い部分だけの指摘を聞き『全てが悪い』と思っている市民も多いが、委員会の答申は市民病院に対して意外に寛大な内容になっている。
 最近では静岡県熱海市の市長が、財政再建を訴えた事に対して地元観光業者からイメージ低下との批判も出され、ワイドショーでの議論の的にもなったが、現在は黒字であっても5年後の財政状況を考えるともっともな措置と思われるものの、現実には市民との意識の差があるのである。
 さて、いくら最善の措置を考えても、全ての人々には対応ができず、現実の壁に悩まされる事がある。津島市の厳しい財政運営の源が、政治家による住民へのサービス精神の延長としたら、お互いの反省と理解も必要となる。
 来年は統一地方選挙の年にあたり、選挙対策で語られる一言にも注目と厳しい視線が必要となる。いくら住民のためと言っても、何かを提案すれば資金が必要となり、最後は市民の負担になる事から、無責任な発言には注意したい。そうなると、議員をはじめ、首長や政治家の役割は何か。議員も市民も既存の考え方を捨て真剣な議論が必要ではないか。
                                12月25日の一言

本日は実に身勝手な一言

 横井庄一記念館のボランティアも今年は最後の日曜日となった。開館して半年が経過し、訪れる人々の数は減ったが、物見遊山の訪問がなくなり、本日も滋賀県や岐阜県、県内でも豊橋市からの訪問を受けたが手抜きの出来ぬ対応におわれている。
 開館当時とは多少でも内容に変化があるが、その事を伝えるべきホームページが更新されておらず、パソコンの容量拡大が成し得た事から、最近の様子や来年用に少し改善をきしたい。
 さて、こんな抱負を記しているが、年内に終わるべき仕事が手付かずになっており、今週はまさしく『師走』の体現となりそうである。同じ事を、続けて継続していく事は非常に苦痛があり、新たな約束を次々としてしまう事から、仕事が貯まって二人分の行動が要求される結果を招いているが、二人分の仕事は消化しようがなく、よくよく考えてみると家内が代行しているのである。
 本日も、町内の行事は家内任せにしており、疲れて帰宅したものの、視線は非常に厳しいのが現実で居場所すら無さそうな雰囲気であった。何とかなっていると思っても、家族まで仕事が年越しをしそうな現実を実感する。
 今年もあと一週間となった。一年の経過すら早く感じる中で、残り一週間は一瞬であろう。手抜きではないが、この一言も八分目にとどめ、本日は短めに終りますが、皆さんの情報も書き込んでいただき、賑やかなブログにご協力とは虫が良すぎるか。
                                 12月24日の一言

訴訟に訴えるNHKに異議を

 NHKの受信料未払いが訴訟になり、33件のうち5件が催促に対する異議を申し立てたとの報道があった。こうした強硬な対応をどのように受け止めればよいのか、支払いに疑念をもつ当方には他人事とは思えない動きでもある。
 NHKが公共放送である事と、公共放送の必要性を否定する気持ちはまったくないが、公然と支払いを拒否する人々の真意に真正面から対応する事無く、司法の手を借りて強制的に受信料を徴収する事に、権力や政治から独立した報道や放送がなされているとは思えず、よけいに反発したい気持ちである。
 何でも支払う事自体が嫌と言う人々は別として、NHKに対して政権政党との癒着や、職員の不祥事、経費の乱用などから批判し、支払いの拒否によって批判の声を訴えている人々と正面から議論し、番組の評価と信頼によって支払いを求める姿勢がない事が残念でもある。
 数年前に番組の放送内容を自民党の有力議員に事前に報告し、その放送内容が変更された事件では、明らかに放送や報道に対する政治力の介入事件であり、公正な報道や放送とは思えないNHKの体質が露見した。
 一方で、職員の不祥事や使い込みが発覚し、多くの人々の反発が受信料の支払い拒否となったのでもあった。当方もその一人で、自動的に引き落とされる銀行口座を閉鎖したところ、職員が集金に訪れるようになった。
 ここで問題が起こった。受信料を支払った後で、それらの意見を述べていると、受信料の支払いについては「受信契約書がある」事をタテに支払いを当然と発した。そして、「受信料を支払わない家にはテレビが映らなくする事も技術的に可能」との説明があった。
 「受信契約書があるなら見せてみろ。今度持ってこなかったら支払わない。テレビが映らないようにできるならNHKの電波を停めてくれ」と押し問答となった。結果的に、放送局から受信契約書が無い事と、電波の停止はできないとの謝罪の電話があった。
 ただし、その後に訪問した集金人からは謝罪もなく、反省する態度もない事からそのままになり現在に至っているのであるが、本来はテレビの存在そのもので受信料を徴収するのではなく、番組を視聴した結果から徴収すべきであり、公共放送として中立で公平な報道や放送に努力すべきである。
 そして一番重要な事は、支払っていない家庭をそのまま放置している事から、全ての国民に不公平のない徴収をすべきであり、「取れる所から取り続ける」片手落ちをそのままにせず、裁判所に訴えて徴収する前に、NHK自身が早急な改善をすべきでもある。
                                 12月23日の一言

取っ掛かりが遅いからだ

 12月議会が終り、会報の発行が迫ってくるが、ワープロもパソコンも不調で印刷が出来ない事を口実にしたように、来客との雑談やコーヒー屋行きで一日を消化してしまった感がある一日である。
 一週間前に、旅行の参加者不足でストレスを溜め込んでいた事がウソのように、明日は満席での北陸行きとなるが、「人が無いので…」とお願いした人たちに、「本当に人が無かったのか」と問われそうな嬉しい悲鳴である。
 「取っ掛かりが遅いからだ」とは、本日の来客の一言。まったくその通りで、3日前には20人しか参加者がおらず、瀬戸際でお願いに走ったのである。
 主催する名鉄観光の担当者もヒヤヒヤであったと思うが、募集のPRが遅いだけでなく、「朝日旅行友の会はいつも満席」との意識も強く、「申し込んでも満席で断られる」と勘違いされる人々も多いため、申し込みの出足が悪いときは最後まで苦悩する日々となる。
 普通なら旅行業者でも旅行企画そのものを中止にする状況のようで、そう考えればストレスも溜まらないが、朝日旅行友の会は参加人数の多少に関係なく、中止をしない事を伝統にしてきた。そうして20年近くも経過して、100回を超える企画とともに参加者の多くが高齢化し、亡くなった会員も多い。
 昭和63年11月に実施した『湖東三山と永源寺』が第1回目の企画で、当時は私も34才の若さであった。最近は日帰りバス旅行だけでなく、20人程度のグループによる四国遍路や、宿泊を伴う企画が増えているが、会員の高齢化は旅先での事故や病気など、企画にも深刻な影響を与えている。
 ただし、体に障害や病気があっても参加できる旅行会は、高齢者や障害を持つ人々と、53才の私の旅行へのこだわりとの大きな障壁ともなり、私がサービス精神を旺盛にすればするほど、参加者は「ひー、ひー」と悲鳴をあげる結果にも成りかねない。
 先回11月の奈良行きで、35ミリカメラのストロボを破損し、部品がなく修理不能となった。人間に置き換えると大変な事であり、デジタル化で利用者の少なくなったカメラのフイルムに、一人でも多くの会員の姿を焼き付けて残したいと思う。
                                12月22日の一言

品格も世界チャンピオンへの成長を

 本日は議会終了後に、『人にやさしい街づくり』連続講座の反省会で名古屋に出向き、その後の忘年会を終えて帰宅はやっぱり午前様になっていた。仕事の遅れは免れないが、前日までに旅行会の参加者が出揃った事から、精神的には余裕の名古屋行きとなった。
 さて、昨日のボクシング、亀田選手の試合は圧倒的勝利でチャンピオンのタイトルを防衛し、前回の試合の汚名を完全に払拭した。本人だけでなく、父親の発言をめぐり、世間から多くのバッシングを受けながら、自らの主張や発言を曲げず、試合の内容で結果を出した事は立派と言わざるを得ない。
 ただし、私は亀田親子が『大っ嫌い』であり、彼らを中心に試合時間まで設定して放映するテレビ局や、試合の企画段階から亀田選手を主役とした試合そのものに不満がある。
 そもそもリングに上がる前から、亀田選手のために時間を調整し、登場の方法も明らかに不公平な格差があった。これを公平な世界タイトルマッチと言ってよいのだろうか。
 ボクシングは格闘技であるから、強ければ良いとの見方は当然であるが、一方でスポーツとして考える時に、相手選手をバカにした発言や挑発だけに止まらず、先輩選手や引退した選手まで愚弄した発言は許されるものではない。
 もちろん、他人は誰も助けてくれない事から、勝つ事を目標に頑張る事は当然であるが、勝つことや強い事だけを考える格闘技として考えれば、体重が48.8キロしかないボクシングでは迫力に欠け、一発のパンチで勝敗の決まるウエルター級やミドル級の試合の足元には及ばない。
 今時珍しい親子の絆を賞賛する意見もあるが、所詮は家族の金儲けにお付き合いさせられているだけであり、ボクシングをただの殴り合いだけでなくスポーツとして考えると、不完全な人格の成長がなされる事を期待したい。
 ピンぼけ発言の多いガッツ石松や輪島功一だが、対戦相手や先輩をバカにした発言を耳にした事がない。時代の変化と言えばそれまでだが、相撲界の横綱に要求されるような品格も兼ね備えて、誰もが尊敬できる世界チャンピオンに成長を期待したい。
                                12月21日の一言

人々の温情に涙(ちょっと大げさだが)した一日

 人間は一度にアレもコレもと同時進行には限界があり、成るようにしかならない現実と、やった事はやった分だけ終わっていく(同窓会の会報広告料の集金が本日終りました)事実を実感する一日となった。
 さて、土壇場で知人に頼み込んだ旅行も、人々の温かい助力によって何とか定員の格好がついた状態だが、こんな時にも平然と自己都合で断りが入ると、空しくなってくる。おまけに昨年は大雪でキャンセルとなったが、今年もまったく同じ企画でありながら、旅行日が土曜日や日曜・祭日は料金が高い事が昨日になってから連絡があった。気分は「何故、最初に言ってくれなかったのか」と怒り心頭であるが、私のためにお骨折りいただいた人々の顔を思い浮かべ、開き直りで封印する事としたい。
 そんな事より、週のはじめに20名しかなかった参加者が、会員の皆さんのお蔭で本日40名を超えた事に、朝日旅行友の会の底力を感ずるとともに、皆さんの私に対する温情に感謝の一言である。
 遅れている会報やアンケートの印刷に入りたいが、前回の会報からワープロの不調により、記事の保存ができず、パソコンでの編集に移行したいものの、数日前からプリンターとの連携ができず、こちらも印刷できない事から、これから年末にかけては大変な作業となる事が必至でもある。
 明日は議会の最終日であるが、夕方には名鉄観光との最終打ち合わせがあり、直後に参加者への配車場所や時間の連絡をする事が決まっている。
 ただし、午後6時から、今年開催した『愛知県人にやさしい街づくり連続講座』の反省会と忘年会が名古屋市であるとの事から、家内の協力を仰がないと消化できない一日は確定的でもある。
 一日一日の手抜きはどうする事もできない現実を実感し、人間一人の限界と同時に、人々の温かい温情を実感する一日となった。
                                12月20日の一言

苦しい時に人間の性が表れる…

 本日は、不足する朝日旅行友の会の会員募集の穴埋めに走りまわる一日となった。こういった苦しい時に、突然の訪問を受けた相手の対応によって、相手の真心が知れるのである。
 日程が数日しかない中で、約束事や予定がある事は当然であり、断られても当然であり、その事には何も腹もたたないが、旅行の価値観から、行先や料金から判断して迷った挙句に断られると、ボランティア精神や過去の努力が無力となり、何のための朝日旅行友の会だったのか、過去の行動まで無力感に襲われてきた。
 こんな状況下にあって、私の事情に同情し、仲間を誘って参加していただける人々も存在する。今回の苦悩は、最近まで旅行の募集そのものがされておらず、先週末となってから、行先どころか旅行の企画自体が知らされていない事が発覚した。
 広告をうつ事もできず、旅行友の会の会員に声をかけて凌ごうと考えていたが、決まっている予定までは変更がきかず、知り合いを頼る事となった。
 元々が、旅行屋のように利益が目標ではなく、旅行を楽しんできたつもりだが、旅行屋などと比較して参加されていた人々も多く、地元である津島市の自宅近くからバスに乗車できる事から参加している人々も多かった。
 ここまで来ると、利益は度外視であり、何とか人員の確保を目標としているが、理解もされないままに断りが続き、議員としての無力感にもさいなまれていた。
 夕方になって、私が困っている事から、知人に電話をかけて参加していただける人や、夫婦で参加をいただける人からの連絡をいただいた。
 議員の立場を考えると、困り事の相談は続くものの、自分の困り事への協力は返ってこない矛盾を感じる中で、私への純粋な協力をいただく人々の存在も実感した。人間の本性を知る良い機会になったと思うが、不特定多数の誰でも良い旅行ではなく、今後の企画や呼びかけを考える良い機会ともなった。今後は広告や参加依頼ではなく、参加したい企画と実行に心がけていきたい。
                                12月19日の一言

時間にルーズな自分を棚にあげた話

 本日は、私にとっては53回目の誕生日である。ただし、誕生日そのものを夜まで忘れており、友人の訪問を受けて、コップ酒を飲んだ後に、記念すべきケーキ!?が友人と半分に分けられて出され、本格的なケーキは25日のクリスマスに持ち越しとなったようである。
 一日を積み残した仕事に追われ、本来なら仕上がっている仕事が仕上がっておらず、ストレスをためているが、ここに津島のいい加減さを自分を含めて実感させられた。
 会報やアンケートの印刷のために、印刷に要するインクや印刷用紙が注文してあったのだが、夕方暗くなって帰宅した際に、現物が届いていなかった事に、自分の仕事が手付かずになっている事から、一抹の安心感すら感じていた。
 ただし、夜になってから、名古屋のメーカーに依頼してあったインクは、約束どおり届けられていた事が家人から告げられた。届ける約束になっている事から当然と言えば当然の事だが、市内の文具店に依頼してあった印刷用紙は届いておらず、仕事の遅れから気にもとめなかったどころか、逆に安心感すら覚えていた自分の勘違いで、いつもルーズな津島時間を実感させられた。
 予定どおり仕事が進行していたら、印刷用紙の遅れは致命的となり、利益目的の仕事であれば『損害賠償』となるか、取引の停止が当たり前となるであろう。こんなルーズな関係が今まで何年も続いており、当方の仕事のルーズさから問題にもならなかったが(近くだから取りに行った事もあった)、こんな事では商売は成り立たない。
 そもそも、印刷機が名古屋のメーカーになっている原因は、地元の文具店が十分なメンテナンスを実行できなかった事にあった。個人とは取引しないメーカーが、廃業後の自分と引き続き時間厳守で取り引きを続け、約束を厳守している事と比較すると怠慢な商売としか言いようがない。
 もっとも、予定どおりに仕事を消化せず、慢性的に遅れている自分にも反省は多いが、地元優先にしたいとは思っても、地元の甘えがあるとしたら問題でもある。さて、明日の仕事は津島時間を脱却できるかどうか。こんな事を記すると、時間を厳守している地元の人々から、ルーズな自分自身が批判されそうでもあり、反省としたい。
                                  12月18日の一言

余裕から一転ストレスが圧し掛かる

 今週の土曜日にバスが一台借りてあるが、肝心な募集が口コミ程度しかしてないために、半数しか集まっておらず、ここまでくると明日から何人の参加があるのか絶望的心境でもある。
 議会が21日まであり、約束した忘年会が2日あり、会報やアンケートの印刷など仕事も考えると日程にムリがあり、先月の日帰りバス旅行の余韻もさめていない中では回避すべきだったと反省してももう遅い。開き直りの心境でもある。判りきっていた事だが、今年の年末は一つのミスやロスが決定的な限界を生みそうである。
 さて、そんな年末を昨日の疲れから中身のない一日としてしまったのである。取り返しのできない一日だが、前日に慣れない仕事で早朝から深夜まで動いた疲れが残ったままである。
パソコンの不調からパソコンのプロに容量を増やしてもらったところ、本体の不具合が発覚し、同じパソコン本体を拝借して見事に復活したと安心し、余裕で一言を記してから印刷しようとすると、ウンともスンとも言わないのである。
 こうなると仕事が進まない。プリンターが応答せず、専門家に電話で聞いても、当方がパソコンオンチであり、印刷機も複合機のために立ち上げができなくなったままとなった。
 これまで何ともなく続けてきた仕事が、容量不足と素人ゆえに間違った使い方で肝心なファイルが削除されており、修復してもらうと他の一部が不調になりと、本日も深夜までパソコンに振り回される事となった。
 テレビや広告で新しい機種の宣伝が次々と流れてくるが、不調になったパソコンを前に試行錯誤も当方の知恵では全くの無策で、前記した旅行会の日程とともにストレスとして重く圧し掛かってくる一日(深夜)となった。
                                 12月17日の一言

村の行事(秋葉様)に参加して

 本日は町内で秋葉神社の祭礼があり、早朝より神主による祭事の準備と秋葉神社の旗を立て、神主の祭事の後には夜の焚き木の準備から、夜に配布する握り飯の用意に入った。
 今夜は秋葉様とも『あきや様』とも言われる、神社で町内の火事を防ぐための祭事だが、我々の子供時代には、夜から朝まで火を炊き続けていた。吹き荒む12月に、たき火に身を寄せ合って早朝まで語り合いが続いていた。
 最近では、明々と照明の電気を点灯させ、イスまで用意してあるが、人出も少なくなり、午後9時には終了して後片付けとなる。昔の人々の苦労と比較すると有難い世の中になった反面で、町内のコミュニケーション不足も実感する。
 さて、最近ではウィルスの感染が問題になり、本日の握り飯にも人の手が触れないように、サランラップとビニールに乗せてから丸めるのである。これは清潔であるが、スマートすぎて酒好きの酔っ払いには似つかわしくない。もっとも、本日は接待役であり、たき火を絶やさないために断酒での作業である。
 一方で、役員になった時の煩わしさから、『秋葉様を止めたい』との声もあり、実際に脱退する人々も存在する。気持ちは誰でも一緒で、突然の役員との話に無責任な声を発すると、「そんな不謹慎な事を言って、町内に火事があったらどうする」と母親の声があった。どうも過去にそんな事例があったらしい。
 ただし、本日も神主から、「静岡県の秋葉神社に参拝せずに、お札だけを送ってもらっている町内もある」との話があり、いつかは簡素化されていくのであろう。せっかく朝から設営して、酒とツマミを用意してある事から、より多くの人々に寄ってもらいたいが、役員は20年は廻ってこない事から、責任を果たすだけのやりっぱなしとなるのである。
 農作業も業者に委託し、日ごろ顔を会わせる機会も減っている事から、今風のコミュニケーションにより新たな楽しい行事の設営も重要である。
                                12月16日の一言

風化する病気が治ってしまった記憶

 今月の18日がくると53才の誕生日となる。子供の頃には誕生日がくるのが楽しみであったが、これぐらいになると楽しみではなく、成人病の影に怯える事ぐらいしかない。
 健康であると病気の苦労や苦痛が記憶から薄れ、理解しているつもりでも他人の痛みに鈍感になっている事すら気がつかない。足を痛がる母親に冗談でからかっているが、本日訪問した相談者も同じように足を引きずり、苦痛に顔をゆがめる姿を見ると、医者でもなんともならない現実が見えてくる。
 右大腿骨の骨髄炎。私が14才から19才まで苦しめられ、三度の手術と落第によって『高校5年生』を経験させられた病気である。しかも、治まったものの、医師の手によって「完治しました」と言われないままに現在に至ったのである。つまり、最後は医学だけの力で治まったとは考えられず、『神がかり』完治としか言いようがない経験をした。
 今にして思い返してみても、記憶が薄れているが、病院の医師の指示に反して、自己流の回復法と『約束』によって完治しづらい骨髄炎は治まっていったのである。病院の医師が三度も全身麻酔で大手術をしても治らなかった病気が、医師の指示に反する行為と、処方された薬を一切飲まないで、病魔は去っていったのである。
 『約束』とは何か。これについては語れない。語っても信じてはもらえないであろう。しかし、当時は『約束』をひたすら信じて、神がかり的に回復してしまったのである。
 後に、心療内科の草分け的存在であった九州大学の池見酉次郎教授の『心療内科』を読んで、自分にあてはまる事はあったが、『神がかり』については、意識モウロウとした幻想かどうか。とにかく、足が悪かったのが治ってしまったのである。
 足を痛がる母親や、本日の人にこの経験を話しても、老化による痛みにはたぶん効果は無いと思われる。ただし、病気と闘う人々の中には、私の経験した『約束』による神がかりも効果があるのかもしれない。少なくとも池見教授の『心療内科』を読めば、効果も期待できると思われるが、かんじんの本が行方不明となっており、当時の記憶も鮮明ではなくなりかけているのである。
                               12月15日の一言

記憶に残る12月14日の一言

 個人的には時間はあるものの厳しいスレスレの毎日を送っている。正直な話が、先月24日に突然にして、飲酒運転の車によって、私より3年も若い命を散らした『浪漫亭砂九』こと、纐纈彰良さんの事を思うと気力も減退し、毎週書き入れている『天聖人誤』への書き込みも、「パソコンの限界」を理由に筆を折っている現状である。
 ただ呆然としてパソコンに座り、自分へのメールを確認し、復活した砂九さんのホームページを開き、過去を思い出していると深夜になり、何とか一言を書き入れる時は日時が代わっている。
 「パソコンが限界なら何とかしたら」、「一八さんの人生は一八さん。私は私の勝手でしょ」などと、砂九さんに笑われる事は承知であるが、気力が出ないのである。
 「私を理由にしたら迷惑だ」とも言われそうであるが、幼馴染でもなく、知り合って数年であるが、親の家業のために落語の道を断念したものの、セミプロとして本業の落語家以上に活躍する砂九さんの存在が、私の地方政治に踏み出す一歩一歩の大きな力になっていたのである。
 さて、最近の不安材料の一つが、私の裏番組である『ほっこり庵の独り言』が更新されてこない事でもあった。『昭和一桁生まれ』と記す主だけに、体調の不具合もありそう(大変失礼な話)だが、この一言への訪問者履歴に記されている事が安全の確認でもあった。
 本日久々の連発記事と言っても、当たり前の記載であるが、元気を頂いた気がする。それは、「古い奴だとお思いでしょうが…」の鶴田浩二の名セリフも忘れられかけた時勢にあって、鶴田浩二の生年月日まで記されていた事である。芸能界はスキャンダルまみれで、スター性をもった俳優が不在で、政治も汚れっぱなしの中で、私が尊敬する鶴田浩二の人生は汚れのないものでもあった。
 最近親族として、横井庄一記念館の中で、横井庄一の生年月日や亡くなった年月などを尋ねられ、そんな事で頭がいっぱいであったが、鶴田浩二の人生62年を回顧する事は私の励みとなる事必至でもある。早速遅ればせながら鶴田浩二を『天聖人誤』に書き入れ、私の人生のカンフル剤としたい。
 さて、本日12月14日は、赤穂浪士の討ち入りで有名だが、私が経営者として初めて従業員を交通事故によって亡くした日でもある。平成元年の事であるが、高校生の娘さんを残しての死亡事故当時を思い出すと共に、私の父親も交通事故によって学校就学前の幼少期に母親を亡くして苦労している事から、交通事故についての再認識と貢献についても考えて奮起の材料にしたい。
                                12月14日の一言

さて、何から手をつけて良いやら…

 議員になって8年が経過するが、常任委員会の審議が長引いたり、時間の延長は経験したが、後日改めての継続審議は経験した記憶がない。
 津島市では公の施設を指定管理者に委ねる制度への転換を図っているが、選考委員会の選考結果が発表前に市民に漏れていた疑いから、昨日の文教経済委員会と本日の建設委員会が15日に延期され、改めて審議される事となった。
 選考に不正があったわけではないが、こうなると事の真意を確認するとともに、議会として公正な審議と、今後の対策を議論する必要があり、何でもかんでも多数決次第にはできない案件でもある。
 こうなると、年末まで綿密に決めてあったスケジュールも変更を余儀なくされてくる。アンケートの印刷と会報の発行、来年3月に実施予定の地域セミナーの講師依頼。そして何よりも間近に迫った23日の日帰りバス旅行の募集が済ませてないのである。
 「おい、年末には京都に行くのか?」、「うーん」、「毎年行っているから、行くんだろー」、「行くは行くけど…」、「マイクロバス?」、「うーん」、「どうするの?」、「ちょっと待ってよ、23日が先決だから」と、ついつい言葉も荒くなる。
 毎回の事であるが、仕事に追われてどこかにムリが表面化してくるのである。みんな自分の事ばかりが先行してはいまいか。議会が優先する事から、他の予定が先送りとなるが、会報やアンケートの印刷には用紙の注文と、印刷に使うインクの注文が必要となり、これらの配達は当方の都合ばかりとはいかず、突然舞い込む相談も正月を控えて日程の空きすら無くなってくる。
 こうなると約束した忘年会までが苦痛になってくる。楽しい筈の約束まで苦痛になるようでは問題であり、家内は母親の体調不良に振り回されている。毎年やってくる正月だが、今年は特に慌ただしく迫ってくるようにも感じる。そういえば、空きの無くなったパソコンに領域不足の表示がでるようになり、こちらも待ったなしを実感する日々となった。
                                12月13日の一言

通院も苦痛が増すだけでは…

 「足が痛くて、痛くて適わない」と、近くの整形外科に通い続けても、「あなたは腰からきている痛みだから」と、痛み止めの座薬を渡されるだけで、痛みはとれずに激痛が走る。
 「堪らんから病院に連れてってくれ」と深夜に言われても、遠くの有名病院に伝はなく、救急車を呼ぶような緊急事態とは思えず…
 こんな繰り返しから、名古屋の総合病院(中村日赤)に出向くと、「腰の治療はどこで受けたの」と過去の治療歴を聞かれ、結論は「その病院に行ったら」と言われたそうである。
 「そこに行ってもカルテは残っていますかね」、「もう無いかもしれないね」、「それならここで検査してもらえませんか」、「やらん事はないけど…」、「お願いします」、「どこで検査しても一緒だから…」、「とりあえず、MRIの予約はしておくけど、断ってもらっても良いからネ」と、ここでも近くの整形外科と同じように座薬を貰って帰ってきたが、痛みは気まぐれに繰り返し、好転の兆しもなく、次に通院する気持ちにもなれない診察となった。
 期待ももてないまま、結局は近くの整形外科に通うしかないのか。こんな家族の顛末を話していると、まったく同じように腰痛に悩み、診察を受けた病院で「最初に治療を受けた病院に行きなさい」と言われ、適切な医療機関にも遭遇しないままに、自宅に『あんま』を呼んで凌いでいる知人があり、医師の患者に対する感覚を疑りたくなってきた。
 過去の通院歴や、治療や手術を受けた病院に関係なく、痛みを訴える目前の患者の痛みを改善する事が医師の使命ではないのか。20年前や35年前に治療や手術を受けた病院に行けと言う医師の説明は、転勤する勤務医ばかりの病院にいる医師の言葉とは思えぬ言動だが、現実の言葉であり患者は救われないままに帰宅するしかないのか。
 健康な今のうちに、病気になった事を想定して、生活スペースの改善や信頼できる医師や医療機関の予備知識を仕込んでおくべきと実感する。
                                 12月12日の一言

老眼鏡で議会に立つ日も近い?

本日から常任委員会が始まったが、昨晩には母親の体調不良(足が痛いとの事)で、早朝より家内が名古屋の病院まで走る事となった。家には昨日より庭師が入っており、市役所と家とを往復し、約束した市民の方々との家に走りまわる一日となった。
 さて、運転免許証の更新時期となっているため警察署に出向いたが、思わぬ事態のために足止めを喰らう事となった。思わぬ事態とは、視力には問題が無かったものの、大型自動車免許に必要な『遠近感』の検査に難航する事となった。原因は判らないが、パソコンと寝不足の影響か、目がかすむために直前に目薬をさして、目をマッサージしたためか、物が二重に見え、遠近感を計る最中に片目をつぶったりしていたら何も判らなくなってしまったのである。
 「しばらく休憩して下さい」と言われ、気分転換して再検査では問題なくクリアしたが、老眼の影響か近くの細かい物が見づらくなっているためか、自分でも原因は判らないが、一度は目医者に走る必要性を感じた瞬間でもあった。
 「老眼の影響でしょうかね」との問いに、「だいぶ苦労されましたね」と言われ、「何が原因でしょうかね」、「そんな事もありますよ」、「5年後の検査が心配だ」、「一度もメガネをかけた事が無いでしょう」、「はい!」、「乱視かもしれないし、一度目の検査でもしたらどうですか」の問答をして警察署を後にした。
 免許の条件は人それぞれで、大型免許を持っているために、普通免許ではやらない『遠近感』の検査だが、隣に座ったお爺さんに『老眼の同類』と思われ、慰めか同情の声をかけられたのは情けなかったものの、目は自慢の一つだっただけに、明らかな老化現象を実感した。
 この一言の文字も小さいために、目を大きく開けないとよく見えないが、そんなプレッシャーが検査直前の目薬やマッサージにつながり、今にして思えば、遠近感を計るのに片目では無理な事すら気付かず、大目を開けたり細くしたりと試行錯誤の検査でもあった。今になって、どうやら寝不足の疲れ目が原因かと思われるが、老眼鏡をはめて議会に立つ日も遠くはないと思われる。
                               12月11日の一言 

本来の予定を思い出しながら

 本日は、横井庄一記念館で『オカリナ』による演奏会が開催され、久し振りに満員で身動きならぬ盛況となった。名古屋でオカリナを教えている芹沢公大さんと教え子の人々で、『よっこいサート』と名付け、平和への祈りをこめて演奏会は実施された。
 さて、本日は昨晩の私のメールに、大阪のPL教団からグループで記念館を訪問したいとの連絡が入っていた。来年1月にグアム島の慰霊碑清掃奉仕に出発するメンバーで、戦争に対する事前勉強のために訪問したいとの内容であり、ビデオカメラを持ち込んで熱心な調査に、あまり戦争そのものの展示がない記念館ゆえに恐縮でもあった。
 本日は早朝より、放送局のOBが見学に訪れたり、帰国直後の新聞を持参された方もあり、久し振りに熱心な訪問客が多く、一日中密着取材中のテレビ局制作プロデューサーまでが、記念館スタッフに交じって接待する混雑振りとなった。
 しかし、情報化社会である事も実感する。横井庄一記念館のホームページは、私が我流で作ったものであるが、このホームページを見て全国各地から訪問があり、遠くはアメリカのハワイからの訪問も受け、国外までメールで情報交換をしていると、パソコンの容量不足から中身の更新や新たな補充ができない現状にも恐縮至極である。
 さて、さて、本来ならば『浪漫亭砂九』の出前寄席が本日開催予定であり、私は記念館には居れない日程でもあった事から、亡き砂九さんを思い出すと素直にオカリナの演奏を聞ける雰囲気にはならず、私は玄関の入り口で記念館の係員になりきっていた。記念館でも砂九さんの落語を予定していたが、本人不在となっては計画さえも夢物語としか言いようがない。まだまだ、立ち直れないが、悲しみは嫌だから、連日の忙しさによって忘れるしかないのかもしれない。
                               12月10日の一言

冷汗と脂汗の入り混じった一日

 本日は、議会中ながら、暫しの休息となったか。朝から仕事に出向く家内の代わりに、町内の農業関係の役員会に出席する事となった。本来なら、自分が一年間出席すべき役目であったが、私の代わりに家内が一年間出席し、田んぼの水まわりから、除草など全てをやってくれており、任期の終り(12月末まで)に一度だけの恥ずかしいような顔出しでもあった。
 おまけに、仕事前にコーヒーをいただく事となり、何もしていない立場では申し訳ないようで、「こんな事なら無理にでも出れば良かった」と反省しても、後が無いのである。
 さて、今年は町内の『役』の当たり年で、本日の『土木』のほかに、2年間つとめた4町の祭壇組合の会長は10月に引き継いだものの、伊勢神宮の役と、最近になって秋葉神社の役にも当たっている事が判り、年末の『あきや様』から、新年の『伊勢参り』が続き、4月までには静岡の『秋葉神社参拝』が残っており、「火事の神様」だけに代役もままならぬ様子である。
 本日も、参加者の一人から、「選挙の年だから縁起が良い」と言われたものの、私はそういった役を利用する事が大嫌いであり、本来は人前に立つ事自体が大嫌いな事から、つくづく損な性格だと思い知ったのである。
 さて、町内の農業関係は『自民党』を推薦しており、本日は来年の知事選の現職パンフレットを町内の担当分預かってきたが、本来はポストに投函するだけの役にもかかわらず、私が議員の立場である事から誤解されないように、家内が「村から預かってきた」と断りながらの配布となる。
 自分は選挙用パンフレットを配布しない方針であるのに、県知事選とは言え、家内が他人のパンフレットを配布する矛盾と、今月23日の旅行の募集もこれからと思うと、冷汗と脂汗の入り混じった夕方を迎え、メールや電話の約束から、明日も身動きのできない一日となりそうである。
 ちなみに、明日は『横井庄一記念館』で、オカリナの演奏会(午後3時から)が開催されますので、時間のある方は遠慮なくご来場下されば幸いに思います。
                                12月9日の一言

留守中の我家で(珍)騒動が

 議会の一般質問が終ったが、市長の任期が来年4月までと決まっており、直接の後継指名もされていない事から、議員から市長への要望に対して、「引き続き(議員として)実現に努力下さい」と市長が議員に答弁する場面もあった。
 選挙まで半年を切り、新規に立候補予定の候補者の動きは速く、現職の悲鳴も聞こえてくる中で、首長である市長に名乗りを上げる候補者の名前は一向に聞こえてこない。
 本日は、議会中であり、私が留守の我家では珍騒動が。来客があり、家族が表に出ると、車に轢かれたネコの死体が事務所前に置いてあったという。慌てて市役所に電話をすると、「敷地内の死体は自分で処理して下さい」との返事だった。道路から人が我家に置いたと説明すると、「轢かれてから歩いてきて死んだ可能性がある」と、(そっ、そんなー馬鹿なと思われる)市役所職員の説明だったという。
 「どうしたら良いのか」と問うと、「可燃ゴミの袋に入れてゴミの日に出して下さい」の説明に、びっくりして、「えっー!可燃ゴミで出すんですか?」と問うと、「それか、火葬場に持って行って下さい」との返事が返ってきたそうである。しばらく珍問答の後、「今回は特別に引き取りますので、道路際に出しておいて下さい」となった。交通量も多く、小学校から下校する小学生もある事から、お願いして敷地内の死体を引き取ってもらったのである。
 顛末を聞くと笑い話のようだが、ネコの死体を置かれた家内もびっくりだが、市役所の職員(女性)も無責任に何でも対応はできず、『可燃ゴミ』や『道路際』なる珍問答となったようでもある。議員の家と判った上での配慮とは思いたくないが、珍問答の後は、男性職員が素早く訪問して、手際よく処理してくれたと感謝の電話が入り、明日であったら(市役所は休み)私も大変であったであろうと感謝の一言。
 市役所も規則があり、何でも喜んで「ハイ」とは言えないものの、道路沿いの家々には迷惑な事も多く、投げ捨てられるゴミや空き缶だけではなく、今回のような動物の死体や、以前には『引越しの荷物』と思われるゴミが放置されていた事がある。
 さて、一番可哀想なのは、轢かれた子ネコである。捨て猫らしいが、最近道路を渉る姿を度々見かけており、以前飼っていたネコに似ている事から、我家に「入って来ると良いな」と話していた矢先の事故でもあった。我家のネコ達は全員が庭先に埋められており、捨て猫とはいえ、車に轢かれ、手際よく処理されたものの、孤独な死に合掌である。
                                12月8日の一言

明るい話題を提言したいが…

 議会の一般質問が始まり、一日目で6人の質問が終わった。明日の5人とあわせて11人が一般質問の壇上に立つ。財政が厳しい事から、質問内容も目新しい新規事業を期待するものはなく、財政のチェックや制度の中での要望が多く、議員になって8年間の様変わりを実感する。
 さて、自治体が倒産すると『赤字再建団体』に指定される。最近の事例では、北海道の夕張市が有名であるが、国の強い指導力によって赤字体質からの脱却を目指している。市民の中には、出来の悪い議員や首長が、政治公約によってムダ使いを続けるよりも赤字再建団体になって、自治体のムダを削ぎ落とした方が良いとの発言も耳にした事があった。
 しかし、最近になって、夕張市の再建の様子が報道され、赤字分が市民に割り振られ、税金や使用料の値上げによる市民の負担増が伝わり、市外に転居したいとの市民の声も報じられ、赤字再建団体になる事がいかに厳しい選択かを知ることとなった。
 ただし、厳しい現実には変わりないが、津島市の状況は夕張市と比較されるようなレベルではなく、選挙公約とは言え、市民サービス向上のために作られた市民病院や公共施設の建築費の返済が厳しさの原因でもある。財政豊かな自治体の多い愛知県ゆえに厳しさが目につくが、東北や日本海側の自治体には津島市と比較できない台所を抱えた自治体も多く、合併することによって今まで通りの地方交付税や補助金をもらい、未だにハコモノ行政を継続している自治体も多い事から、早期の財政再建によって健全経営から街づくりを提言したい。
 最近、愛知万博を記念した県内自治体間の駅伝競走が行なわれ、津島市は最下位に近い順位に低迷し、「自治体の財政状況を見る思いがした」との発言を耳にした。スポーツまで財政と一緒にされては適わないが、元気な津島市も紹介していきたい。
                               12月7日の一言

私の12月議会一般質問

…電膸圓琉緡鼎砲弔い董鳥毀栄賊_?廾儖?颪療晳修鮗?韻
・具体的な改善策について・現在の医師不足数は?・定年後の医師の採用について
・診療科目や病床数を具体的に見直す考えはあるのか?
・外科や救急の縮小や休止が委員長試案の中にあったが、市民にとっては外科や救急への期待は大きく、当局の考え方はどうか?
・夕方診療(午後5時ないし7時から10時まで)の薦めが答申にあるが、当局の考え方は
・休日診療所を市民病院内に設置し、開業医と連携した休日・夜間診療ができないか?
・答申にある19年度末までの収支均衡は、18年7月に全稼動した状態では不可能と思われるが?
・経営評価委員会の人選と、経営改革委員会委員の今後の関わりは?

交通事故への保険適応について…中学生・高校生等への自動車当て逃げが多発している中で、単独事故として診察を受けている事例から、当局の考えを問う。

3惺散軌蕕砲弔い董追堙亶察Εぅ献瓠θ鷙堙銈悗梁弍
・不登校児童生徒の実態と対応策についてどのように考えているか?
・イジメ対策についてどのように考えているのか?
・怠け・非行児童生徒の実態と対応について
・退職した職員のボランティアによる登用による生徒指導は可能か?
・図書室に適応指導教室を併設してはどうか?
・事件を起こした児童生徒の警察署への呼び出しは、授業時間を外せないか?

私の質問は、7日(明日)4番目(午後)です。今議会は11人が質問に立ちます。

相手のキレが悪いと

 12月議会における一般質問の通告と、行政からの質問要旨の聞き取りが行なわれた。実際には、この時点で、当局の考え方や答弁の限界もわかってしまうために、あまり議論や質疑まで進めると議会での新鮮さが薄れてしまうのである。
 このあたりに、聞き取り役の職員の出来の良し悪しが表れる。聞き取り役であるから、当方の質問要旨を確実に理解して担当する職員に報告するだけの事なのに、一つひとつに答えられると、事実上の議会答弁となっていってしまうのである。
 仕事に精通した職員は、議論にはなるものの、当方も行政の限界が解って議論ができるが、仕事に不勉強で経験不足の職員と、答えを知りながら知らぬふりで議論していくと、つい熱くなって踏み込んだ話となっても、議論はかみあわない。
 当方の頭も難く、回転も悪い事から、相手のキレが悪いと無駄な時間を浪費する事となる。現代は情報社会になっており、パソコンで検索してもほとんどの答えは出るのに、国の制度や答えを知らず、調べる事無く、アレコレと知らぬ相手に説明するバカらしさはない。
 行政の窓口に報告されてくる数値と、現実の社会で起こっている事実とは異なる事も多い。現実社会の矛盾や悪しき慣習を改善するための質問であっても、行政の把握する認識をタテに議論すると平行線のままである。
 さて、3月に実施が決まっている愛知県の『人にやさしい街づくり地域セミナー』の概要もほぼ決まりつつある。ただし、県との交渉は自分一人で進めても、セミナーの運営は市民の力で実施していかなければ、私の政治活動や選挙用のPRとなってしまい、市民の手による真のボランティア活動には育たない。
 現在2つの新しいボランティア活動の立ち上げにかかわっているが、2期目の議員在職中に市民による独り立ちを図り、昨年から名前だけで、ほとんど活動実績のないNPO『ひとまち生活ネット津島』の法人化を実現にこぎつけたいと思う。忙しいぞ。
                                12月5日の一言

古い奴だとお思いでしょうが…

 本日より12月議会が開会されたが、並行して締め切りに追われる仕事があり、議会後の朝日旅行友の会や、会報の発行と同時に実施するアンケートの印刷など、毎日のスケジュール管理を怠ると大変な正月になりそうでもある。
 仕事と言うと、不況の中では感謝すべきと言われるが、私の仕事は一円の利益も生まないどころか、出費が増える仕事ばかりなので、家族の顔も曇ってくるばかりでもある。過去の慣例のままにスケジュールをこなすと、年末年始は京都に行き、1月3日は新年交流会の予定になるが、忙しさを引きずったままに正月を迎えると、大きなストレスにもなりかねない。
 あげくにパソコンも限界に近く、会報の印刷に使う印刷機も古い事から、動かなくなれば一大事でもある。先回の会報までワープロを使用していたが、原稿の保存が不調になり、予備のワープロも何故か同じ状態になっていた。3台もありながら、時代には逆らえないのである。
 さて、先月の奈良への旅行の帰りにカメラを落とし、ストロボが破損したため、メーカーに持ち込んだところ「もう、部品がありません」と断られたのである。「全国に問い合わせてくれ」と依頼すると、「あったとしても修理代は1万円以上しますよ」と受け付けない。「いくらかかっても良いから」と無理に依頼して帰ったが、修理するよりも安い中古品が出回っており、愛着だけでは損だと実感している。
 ただし、これで諦めたら、このストロボと対のカメラより古いカメラを、オーバーホールして一番の愛機としている事から、意地でも引き下がれないのである。もっとも、昔のカメラは丈夫であり電子部品も使われていない事から、修理は可能と思われ、流行に追随するしかない現代社会に矛盾も感じている。
 「古い奴だとお思いでしょうが…」鶴田浩二の名セリフであるが、いつまでも変わらずファンであり続ける事で、新しい携帯電話の待ち受けメロディーに、息子達が自発的に鶴田浩二の2曲を入れてくれた。良いものは永遠に良いのである。
                               12月4日の一言

(死ぬまでに)一度は訪問したかった

 手話や要約筆記の記載をしていたら、偶然にも本日一番で『横井庄一記念館』を訪問されたのは、長野県松本市より訪ねられた聴覚障害の若いご夫婦であった。
 私は玄関でその事に気付き筆談していたところ、館長もボランティアの案内人Tさんも気付かないままに応対しており、しばらくして気付いたものの、今度は珍妙な手話とは言えない『合図』で説明がはじまった。
 しかし、合図では説明にならず、途中からは私の筆談となった。ただし、恥ずかしい事に、正確な言葉や漢字が書けない自分の現実を知る事となった。幸いにして、記念館には横井庄一発見当時の週刊誌や本がある事から、一般の訪問者には中身まで見せていないが、1枚ずつページをめくりながらの説明で事なきをえた。
 ボランティアのTさんが一生懸命に説明をしようとするものの、相手の背後からいくら熱心に話し掛けても相手には伝わらない。これなどは、愛知県の主催する『人にやさしい街づくり連続講座』のお陰で、相手の正面から話す事や、筆談で自然と対話が交わせられた。
 熱心に見学し記録に撮られ、記念撮影ではデジタルカメラを否定する当方が使い方が解らずに、合図で説明を受ける側になったのである。こんなに遠くから記念館を目標に訪ねていただいた事に感動であり、館長も心配気味に見送ったのである。
 記念館の訪問者には聴覚に障害を持つ人も多く、せっかくの訪問を最大限有効にする工夫や改善も必要である。横井記念館には色々な人の訪問があるが、年老いて一人で歩く事もできない元日本兵と思われる人が、「一度は訪問したかった」と、家族につれられて仏壇に手を合わせられる姿をみると、心を鬼にして涙を隠し、歯をくいしばるのみである。
 開館から半年が経ち、訪問者の数は減ったものの、感動し印象に残る訪問者は多くなった。来週は『オカリナ』の演奏会が催されるが、いつかはと『浪漫亭砂九』さんの落語会も勝手に予定していたので、本日も亡き砂九さんの思い出話で閉館時間を迎える事となった。
                               12月3日の一言

友達だから大丈夫が…

 一昨日の手話通訳と要約筆記の不公平な扱いを記した一言に対するメールをいただいた。同じボランティアとして、一緒に活動してきた事から、同一の扱いを求める人も多いが、格差を現実のものとして格付けとしている手話通訳者もあるようである。
 さて、この日の『ほっこり庵の独り言』に、自らを聴覚障害4級と記した体験談が記されていた。聴覚障害イコール手話の感覚があるが、手話が解る障がい者はごく少数で、高齢になって聴覚障がい者になった人々には手話はまったく解らず、言葉を書き映す要約筆記の方が意味がある。また、障害とは言わないものの、耳がとおくなった高齢者にとっても要約筆記は役に立ちそうでもある。
 こんな一言を記していられるのも、実際にセミナーを企画している中で見えてきた真実でもある。自分が直接係わるか、当事者にならないと解らない事は多い。
 さて、さて、もう一件、身近で問題が起きていた。精神障害によって障害年金を受給している友人があり、仕事こそ無いものの普通の生活をおくってきたが、最近様子がおかしくなっていた。自宅を空ける事が多くなり、電話が次々とかかってくる。
 あげくに、多くあった筈の預貯金が無くなっており、親族も乗り出したものの、ついに入院する事となった。半月ほど前に会った際も、頻繁に電話がかかり、貯金を下したと返信していた事から、「誰かに脅されているのか」と問い質したが、「友達だから大丈夫」と話していた。
 真相は本人と身内しか判らないが、本日友人が病院に見舞いに訪れ、「親族から連絡がなければ面会させられない」と言われて帰ってきた。1ヶ月前までは普通に生活していた筈だが、交友関係によって精神状態がおかしくなったとしか思えない。
 明らかに交友関係から『脅迫観念』を受けており、入院する前に助けられなかった事に悔いが残るが、早期の社会復帰に期待したい。
                               12月2日の一言

心に沁みる手紙

 昨日で会報『津島の風』の配布が終了し、朝早い起床が必要なくなった安堵感からか、本日は今までの疲労が一度に襲ってきたような一日となった。
 こんな日にかぎって電話が多く、しかも過去にさかのぼる話が多いために、余裕でパソコンの前に座ったものの落ち着かないままに単語を打ち、余裕で友人の誘いで出かけたのであった。しかし、帰宅後には全ての文章が消えていた。原因はマイクロソフトの自動更新で再起動されていたのである。
 久し振りに酒が骨身に沁みた。体調不良のために、わずかの酒が酔いを助け、途中からの記憶がとんでいる。ほんの少し前に書き込んだ文章の内容が思い出せず、書き込む手が止まる。そして、何も書き込めないままに時間が過ぎた。
 もう、12月である。あと1ヶ月で来年となる。本日は、この一言のウラ番組でもある『ほっこり庵』から、新しい会報12月号が届けられた。確実な浸透と支援者はあるものの、他人事ながら台所は苦しそうにしか思えず、助けたいものの、こちらの台所も悲鳴をあげている。
 ほっこり庵の会報『ほっこりー』を読んでみたい方は当方まで申し込んでいただきたい。また、ほっこり庵の著作で、命の尊さを記した『奇跡はあなたの中にある』は、イジメや自殺の多い世情の中で貴重な本でもあるので是非ともお奨めしたい。(こちらも当方まで)
 さて、こちらも毎月送られてくる南知多の『洗い観音様』宝珠寺からの会報も本日届けられた。今年は一度も訪問しておらず、手紙の一方通行になっている事を反省したい。この中に、毎月参拝していた信者の姿がみえなくなった淋しさが記されていた。一週間前の『浪漫亭砂九』さんだけでなく、朝日旅行友の会の会員にも多くの物故者があり、心に沁みる手紙でもあった。
                               12月1日の一言
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