「大鹿さん、議員をなされていますが、もしかして4月が選挙ではありませんか」との電話が昨晩届けられてきた。電話の主はNHKBS放送で「横井庄一」関係の取材を依頼されていた制作会社の職員であった。
「はい、4月が選挙ですよ」、「そうですか、そうなると出演が難しいかも知れません」、「えっ、どういう事ですか」、「NHKの内部規定で議員の出演は…」などと、当初から3月議会と重なり、忙しいからとの断りを入れていた私に出演依頼をしておきながらの断りであった。
私の出演が選挙結果に影響する可能性(と言うよりも指摘があっては困るからであろうが)から、3月7日に予定されていた俳優中村獅童から私へのインタビューは幻に終わったのである。
「それで、大鹿さんの代わりが必要なんですが」、「はあッ」、「誰か、大鹿さんの親族で代わって話せる人はありませんか」、「私しかいないと夫人に言われて私に依頼されたのではないですか」、「はい、そうですが、誰かおられませんか?」、「親戚はあっても、血縁者は限られているし」、「それで、47年当時に横井さんが書かれた書をお借りしたいので…」とまったく勝手な話でもあった。
「47年秋」と記名された書は、すでに先週の日曜日に記念館に届け、私の証言がなければ何ともならない話でもあり、戦地から横井庄一が我家に差し出した手紙も提供しようと考えていたが、他人に貸すつもりも失せてきた。
マスコミの身勝手で、取材に協力してもまったく放映されなかった人や、横井庄一発見当時に我家からマスコミが借りていった写真や資料の多くが返っておらず、こんな繰り返しから取材拒否の人もあり、関係者もほとんど亡くなっている。「親戚といってもあなたの代わりに話せる人は無いのにねェ」と、本日横井夫人から連絡があり、苦肉の策で代わりの人選が行なわれた。
私は議員でもあるが、横井庄一にとっては、自分が幼少期を大鹿庄一として育った在所の跡取であり、私と横井庄一の関係に割り込める人はいない。せっかくの3時間番組(横井分は約20分)が、間に合わせの撮影では情けない事と、無理矢理依頼しておいてハシゴを外された怒りが湧く一日となった。もっとも、半年前からNHKとは受信拒否、受信料不払い宣言中でもあり、議会中の忙しい合間の撮影だっただけに、冷静に本来の仕事に没頭したいと思っている。
2月28日の一言
「はい、4月が選挙ですよ」、「そうですか、そうなると出演が難しいかも知れません」、「えっ、どういう事ですか」、「NHKの内部規定で議員の出演は…」などと、当初から3月議会と重なり、忙しいからとの断りを入れていた私に出演依頼をしておきながらの断りであった。
私の出演が選挙結果に影響する可能性(と言うよりも指摘があっては困るからであろうが)から、3月7日に予定されていた俳優中村獅童から私へのインタビューは幻に終わったのである。
「それで、大鹿さんの代わりが必要なんですが」、「はあッ」、「誰か、大鹿さんの親族で代わって話せる人はありませんか」、「私しかいないと夫人に言われて私に依頼されたのではないですか」、「はい、そうですが、誰かおられませんか?」、「親戚はあっても、血縁者は限られているし」、「それで、47年当時に横井さんが書かれた書をお借りしたいので…」とまったく勝手な話でもあった。
「47年秋」と記名された書は、すでに先週の日曜日に記念館に届け、私の証言がなければ何ともならない話でもあり、戦地から横井庄一が我家に差し出した手紙も提供しようと考えていたが、他人に貸すつもりも失せてきた。
マスコミの身勝手で、取材に協力してもまったく放映されなかった人や、横井庄一発見当時に我家からマスコミが借りていった写真や資料の多くが返っておらず、こんな繰り返しから取材拒否の人もあり、関係者もほとんど亡くなっている。「親戚といってもあなたの代わりに話せる人は無いのにねェ」と、本日横井夫人から連絡があり、苦肉の策で代わりの人選が行なわれた。
私は議員でもあるが、横井庄一にとっては、自分が幼少期を大鹿庄一として育った在所の跡取であり、私と横井庄一の関係に割り込める人はいない。せっかくの3時間番組(横井分は約20分)が、間に合わせの撮影では情けない事と、無理矢理依頼しておいてハシゴを外された怒りが湧く一日となった。もっとも、半年前からNHKとは受信拒否、受信料不払い宣言中でもあり、議会中の忙しい合間の撮影だっただけに、冷静に本来の仕事に没頭したいと思っている。
2月28日の一言