大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2007年03月

何かやる事はないかいッ

 早朝の会報配布から帰り、仮眠した後は来客の相手と、会報の発送準備や宛名書きで一日が終わってしまった。

 連日ボランティアで駆けつけてくれる同級生のW君も、「土曜と日曜日くらいは休みだ」と、本日は休養をとっているが、事務局長のTさんから「何かやる事はないかいッ」と連絡があり、会報の封筒詰めで夜を迎えてしまったのである。

 家内はと言うと、「オレが連れて廻ってやる」という支援者に無理矢理乗せられて出かけたままで、悲鳴をあげて帰ってきた。「明日も行くぞッ」と威勢が良いが、傲慢ではないが「票をもらいに行く」感覚が素直に受け入れられず、4年前には私を引っ張りだしたものの、3軒目で腹をたてて帰ってきてしまった事から、今年は家内が連れ出された次第でもあった。どちらにしても、他人の私達を思いやっての事だから感謝すべき事ではあるし、やる気を無くしてもらっても困るのであるが、選挙に対する感覚に大きな差がある事は間違いがない。

 さて、明日から(実際は5分後)は4月である。今年は暖冬の影響から春の訪れが早く、我家のサクランボやアンズの花も散ってしまったが、四季折々の変化に鈍感になっており、ツクシを実際に一本も見なかったのは生まれて初めての事ではないか。

 20年前には、子供達とともに桜の開花情報から岐阜県に走り、菜の花畑の中で昼寝したり、潮干狩りに出かけた記憶が、8年前の議員生活のスタートとともにぷっつりと切れてしまったのである。こんな日々の到来にも期待してみたい。
                                3月31日の一言

このまま帰ってしまうのッ?

 「今日の6時ですが、宜しかったですね?」と、夕方に確認の電話が入った。日程を忘れていた訳ではないが、人と出向いたまま時間の経過にびっくりして帰宅した。

 本日3月30日は、一般人にとってはただの一日であるが、公務員や行政に関わる職員にとっては18年度最後の勤務日となる。市役所の議会事務局からは、最近マスコミで話題になっている『政務調査費』の最終引き出し日にあたり、最後の確認があった。

 そう言われると、愛知県の主催行事のセミナーに立て替えた費用の入金がされていない。確認すると県の金銭の入金は4月や5月にずれ込むとの話である。「本当に入金されるの?」と心配する家内は、セミナーの講師謝礼や印刷費が立て替えてあり、「市役所職員が大丈夫と言っている」との当方の言葉にも説得力を感じてくれない。

 留守中の事務所には、4月1日から転任が決まった地元の中学校校長の名刺が置かれていた。同窓会長の立場としては、このまま定年まで居残って欲しかったが、無常の別れでもあった。4月には新任校長の挨拶もあろうが、本年は満足な挨拶を受けられそうにもない。

 「大鹿さん、印刷機を貸してもらえますか?」は、市外の懇意にしている議員仲間の電話である。「あっ、良いですよッ」と気軽に答えたものの、自分の会報の増刷が残っており、「おい、他人の選挙を心配している立場か」と支援者の厳しい視線である。

 冒頭に記した電話は、本日が最後の勤務日となった市役所職員の送別会の確認であった。定年を残して30年の勤続で退職する町内在住の市職員の送別会である。30年勤続すると表彰となるが、表彰日の来年3月に在職していないために表彰されないし、30年勤続すると受けられる『リフレッシュ休暇』や、有給休暇も無意味となってしまうのである。

 さて、送別会で飲んでいる場合ではないぞッ。ここには自分の心配は誰もしていないが、2週間後には選挙の告示が迫ってくる。「おい、本当にこのまま帰ってしまうのッ?」と、名残惜しく思っている自分にも、早朝3時起床の現実が待ち受けているのである。
                                 3月30日の一言

オレの車は平成元年だよ

 3月もあと一日となり、益々日時の経過の早さにびっくりとさせられる。忙しいと自分の視野も狭くなり、堅苦しい一言が続いているが、私のウラ番組的存在である『ほっこり庵の独り言』には多種多様な一言が記されているのでご覧いただきたい。
 『ほっこり庵の独り言』http://9016.teacup.com/hokkorians/bbs

 さて、日が暮れかかった夕方になって同級生から電話である。「車のバッテリーがあがってエンジンがかからない」の一言に、電話ではラチがあかないために緊急出動である。数ヶ月放置してあった親の車を移動させるために困っていたようであるが、私は車の整備とは無縁の生活ではあったものの、幸か不幸か現在の車が古いために、こんな状況は手馴れたもので一発解決となったのも皮肉ではあった。

 「もう旧いから…」の言葉に、「オレの車は平成元年だよ」と答えると、「えっ、何年?」、「平成1年だから、19年目だ」とやり取りしていると、彼の親の車が妙に新しく見えたから不思議である。19年の車からすれば、10年で4万キロは新車同様(ではないものの)に見え、「廃車してしまうなら声をかけてくれ」と言って家路についた。

 最近は午前3時起きを日課としているが、深夜の定期便のような電話があり、真面目に市政について議論していると日付が変わりそうになってくる。しかし、相手のペースでどんどん会話が続き、延々と3時間が経過し「書き込み中」のままの更新に、慌ててここに座ったのが顛末でもあった。
                              3月29日の一言


地震によるライフライン停止の危機に

 本日の夕刊に能登半島の地震に関して、石川県輪島市の市立病院が緊急の連絡もできず、一時的に孤立状態になっていた事が報じられてきた。

 偶然にして、地震による患者の9割がやけどや打撲等の軽傷者が多かった事は不幸中の幸いで、治療にあたる医師や看護師も救われたと思うが、心筋梗塞の疑いで緊急の措置が必要な患者を搬送するため、県の防災ヘリを要請しようと災害対策本部に連絡したが、電話が30分以上もつながらなかった事も報じられている。

 一方で、意外な落とし穴が『水不足』でもある。市立輪島病院には112トンの水が貯水槽にためてあったとの事である。素人目には十分とも思えるが、びっくりしたのは断水した地域住民が、病院内のトイレを利用したための水不足との情報である。

 そして、透析患者の治療に大量の水を使った事から、地震発生の翌日には貯水槽の水が底をつき、7台の給水車をビストン輸送しても、透析患者の治療分がまかなえず、市外各地の複数の病院に患者を搬送する結果に至ったとの事である。

 私も17年12月議会において、津島市民病院の災害時のライフラインについて質問したことがあった。当時の病院側の議会答弁を読み直すと、当時は納得していた答弁が改めて心もとない状況に思えるのと同時に、地盤が軟弱な0メートル地帯だけに上水道の断水の可能性は高く、地域住民のトイレ問題も含めて総合的な見直しが必要と実感した。

 議事録の答弁を読むと
 「市民病院におきましては自家発電装置の使用可能時間は8時間、生活用水、飲料水及び診療用に必要な水の供給可能時間は6時間でございます。また、備蓄につきましては、食料・飲料水が3日分、医薬品が7日分ということになっております」と記されている。

 「災害はいつどこで起こるか判らない」今、能登半島の人々が肌で感じておられる声に耳をすまし、津島市における災害対策の見直しを真剣に訴えていきたいと思う。
                                 3月28日の一言

創業家からの退任が続き…

 三洋電機の創業者の孫となる井植敏雅社長(44歳)の辞任が報じられてきた。筆頭株主であるアメリカ証券会社のゴールドマン・サックス社との路線対立が大きな原因と伝えられているが、松下電器と並ぶ老舗企業だけに、外国資本の言いなりになる前に、国内の企業や金融機関で支えられなかったかと残念に思われる。

 かつて三菱自動車も米クライスラー社と提携を結んでいたが、企業内の欠陥隠しが発覚するなど苦しい台所でありながらも、三菱グループなど国内の支援によって自社再建へ舵を切り直している。
 
 井植敏雅社長は2年前に社長に就任しているが、祖父の創業した三洋電機から父親で前会長である井植敏最高顧問とともに経営陣から退き、創業家と三洋電機の関係も断ち切れる模様である。

 創業家を弁護する気持ちは一切ないし、大企業に限らず、経営と資本の分離は、自由主義経済の中では当然の事であるが、前記したアメリカの証券会社が約33%の議決権を持ち、日本の大和証券SMBCと合わせて約66%に達する事から、三洋電機の進路を巡って、それら金融機関の意向が優先したと聞くと、企業の将来が金融機関の投資のエジキにされたようで悲しい同情を持たざるをえない。

 しかし、金融機関から、三洋電機で最大の収益をあげている充電池事業の売却を求められていると言うと、素人の私が考えるまでもなく、金融機関の投資に対する利益回収が目標としか思えず、企業の事業の後退も考えられる事から、こうなった原因をつくった経営陣の自業自得とも思われてくる。国際化も結構だが、日本の企業同士の連携と、愛社精神を持ち合わせない金融機関に牛耳られた企業の経営陣に警鐘を鳴らしたい心境である。
                                  3月27日の一言

家も身体も明日は我が身

 「大鹿さん、目線を上に向けて、顔を1ミリこっちに。ハイ、そして笑って、目だけでも微笑んで」と、本日は選挙ポスターの撮影に写真館に出向いた。

 無理に笑うよりもそのままで結構だが、やはり微笑んだ方が良いらしい。「胸を張って、顎を下にして、目はコッチへ」と言われていると、自分で自分の顔や身体が他人のように重くなっていく。髪を整え、化粧でもしていけば良かったが、地のままで予約もせずに訪れた結果、4年前より多少は減量の成果がある反面で、顔のしわが増えている事に気付く。

 自分では変わっていないと思うものの、50代に入った中年にとっては4年の歳月の大きさを自分の顔から実感する。
 さて、本日で古い会報が無くなり、明日からは3月議会の報告となる新しい会報の配布となっていく。ただし、選挙の告示までの日程が限られており、選挙用のパンフレットと違って選挙中の配布も許されているものの、余計な誤解を招くため早急の配布が求められてくる。

 ところで、能登半島では大きな地震が続いており、建物の破損が711戸となり、停電は復旧したものの、1万戸が断水したままになっている。こんな時のために、防災ボランティアを志願し、防災カレッジやボランティアコーディネーターの養成講座を受講したのであるが、20日後には選挙を控える立場では身動きもとれないために、不本意ではあるが報道を耳にしているのみである。

 地震の被害や自然災害は予測がたたないが、冬が雪に閉ざされる日本海側だけに、春を前にして厳しい現実がある。「今年は暖冬のため、除雪費用が削減できた」と自治体は喜んでいたが、スキー場や宿泊施設にとっては泣くに泣けない暖冬と地震災害である。

 さて、さて、こんな地震が到来する度に我家が心配になってくる。地震対策は皆無であり、家も築40年となっている事から明日は我が身を実感する。
                                 3月26日の一言

4月から入院費用の心配は減るが…

 病院に入院し手術を受けると、数十万とか百万円を超える入院治療費がかかるため、治療費の支払いが心配で入院や手術が遅れるケースを耳にする。

 実際には、高額療養費として、およそ8万円程の治療費より超過した金額が払い戻されてくるのだが、申請から払い戻しまで3ヶ月程度かかる事や、一時的に立て替えるお金がないケースもあり、金策に走ってから入院した人の例もある。
 特に若い女性においては、子供が小さく子育ての必要もあり、貯金など蓄えもすくないために、急を要する症状の場合に手遅れとなるケースがある事を、医療現場で治療にあたる医師から直接耳にした事もあった。

 実際には、病院窓口や市役所など行政窓口に相談すれば、貸し付け制度や『委任払い制度』があり、高額療養費の自己負担分を超えた分を無利子で借りたり、健康保険から直接支払ってくれる制度があるものの、厳しい財政状況の中では積極的なPRや啓蒙がなされていないのが現状でもあった。

 この制度が本年4月からは、事前の手続きをしなくても、個人負担分を超過した高額療養費の支払いが必要なくなるのである。この件については、従来と比較すれば大いに評価すべき事には違いないが、通院による治療費については、従来どおりに支払い後の申請と支払いとなる事から、入院日数の短縮傾向にある医療現場の現状や、末期ガン患者や、高度医療においても外来治療による在宅医療が叫ばれる現状から、更に通院患者についても適応範囲を拡大して欲しいと願うものである。

 さて、親切になったとは言え、病院や行政窓口の対応には、今一つ『真心』が感じられないケースが多く見受けられる。

 高額療養費が申請から3ヶ月程度で支払われると前記したが、いつまで経っても支払われてこない人が問い合わせたところ、『再審査』のため1ヵ月以上先の支払いである事が告げられた。市役所の説明は『再審査』と告げられただけだったが、詳しく追求すると書類に病名が記載されていなかった事が発覚した。「病院のミスで」との言い訳だが、申請は市役所で受け付けており、申請時に見過ごした責任は感じておらず、問い合わせなければどうなっていたのか。泣くのは市民である。

 新制度ではこんな心配もなくなるが、公立病院の場合には、患者に必要な行政手続きは病院内で総て代行するくらいのサービス精神を発揮すべきと訴えたい。
                                 3月25日の一言

あんたの親戚だから…」

 任期4年の最後となる会報『津島の風』31号が、ちょうど今完成しました。と言っても、印刷の途中であり、まだ終わるまで1時間はかかりそうであるのだが。

 ただし、現在、まだ30号が一部地域で配布中であり、配布は来週月曜日からになりそうである。もっとも、30号は2種類あり、31号は32号であるべきだが、そのあたりはご愛嬌で済ませたい。選挙を控えて、多くの選挙用チラシがポストに投函されており、平生の議会報告でありながら、一緒に比較されると我家で印刷されたものだけに、8ページもありながら見劣りするのは淋しいものがある。

 さて、明日は家族総動員でお寺詣での一日となる。私は隣の尼寺の永代経の受付で、家内は早朝より尼寺の掃除と食事の世話で一日仕事である。住職の高齢化で掃除が増え、出向く時間も早まっていく。
 ところが、明日の3月最終日曜日は、毎年の行事として、私の叔父が留守を預かるお寺でも永代経が催され、在所だけに不義理はできないが、隣のアンジュさんも後から割り込んで日程を決めたものの、私達の手伝いを当り前と思っておられ、都合が悪いと言うものなら、とんでもない事になるのである。

 こんな時にお寺の行事だけに母親が役に立つべきであるが、「なんで、私が…」とまったく役に立たないのである。まったく身勝手な母親で、4年前も8年前の選挙にも、今は亡き後援会長から「表に出てこない方が良い」と言われていたのである。
 毎日仏壇や神棚に手を合わせているが、何を祈っているのやら。

 結局は、長男も28才になっている事から、私の代理で叔父の家に行く事になったが、明日は身内となる『横井庄一記念館』も私の当番日となっており、ボランティアは出向いているために閉館までに到着するハードスケジュールとなる。

 「選挙は大丈夫?」なんてとんでもない話である。おまけに選挙の告示日の前日には、親族の法要があり、「あんたの親戚だから…」と母親は言い放つのである。横井庄一さんの母親の50回忌である。肉親の私が行かなくちゃと思うと、私はどうなるの。

 しかし、長男が私の代理で出向く事は初めてであり、跡取の自覚がと思うと無責任な母親への怒り以上に嬉しい気持ちにもなれるのである。
                                 3月24日の一言

三男…勉強なんかしなくても良い

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 最近は政治の生臭い記載が続いたので、私の三男のユニフォーム姿を送信しました。相変わらず写りの悪い携帯電話ですが、気休めにご覧下さい。

 私には3人の息子(1人は娘)がありますが、長男と次男は身長も高く、長男も次男も高校から誘いを受けて入学し、長男はインターハイや国体で走り高跳びの選手として活躍し、「オリンピック選手に育てたい」と誘われ大学に入学した。次男も体力を見込まれ、相撲部であったが全国大会に出場し、大学でも助っ人部員としてテレビに放映された事もあった。

 三男は運動神経は良いものの、身長不足が影響してか陸上部では際立った記録が残せず、自力で二人の兄と同じ高校に進み、入学後に自転車競技部に入ったのである。幸いにして自転車競技との相性もよく、中学の陸上経験が役にたち指導者達にも期待されている様子である。

 ただし、二人の兄達と違って親の心配は格段に大きいのである。まず心配は何と言っても交通事故である。実際に何度も電柱や標識に引っ掛かり、ひき逃げ事故にも遭遇している。
 又、事故以上に心配となるのが、親のサイフの中身である。競輪場で走る競輪用の自転車が中古で20万円。ロードで使う中古も30万円かかり、その後に自宅で練習用のローラーが欲しい、固定ローラーも欲しいと続き、最近では多くの部品を注文し、レースへの参加や新車にも目を輝かせているのである。

 「大鹿さん、息子さんにホイールを注文されたけど…」と本日は電話がかかってきた。息子が地元を意識して注文したと喜んでいると、十数万円の注文である。こんな顛末が続いているが、スポーツを通じた交流は心地よいものがある。こんな息子にもプロの師匠があり、年齢差を越えた交流があり、親バカが入り込めない世界にいる。

 「勉強なんかしなくても良い」と、汗を流すスポーツだけに期待する親バカを喜ばす事ができるかどうか。暫くはサイフと事故の心配が続きそうでもある。
                                 3月23日の一言

縁起でもない言葉に

 本日で任期4年最後の本会議が閉会しました。23人の議員のうち3人の引退が決まっているが、23人の定数に31人が立候補する激戦である。
 この選挙が曲者で、引退した議員に擦り寄っていく候補者や、首長や県議選への候補者にすがる議員も存在し、このあたりから選挙情勢は混沌としていくのである。しかし、間違いなく本日の顔ぶれでの議会は最後なのである。

 私は議員になって以来、昼休みに必ず市役所内の食堂に珈琲を誘う市職員がいる。中学時代に3年間一緒のクラスであったHちゃんである。私には多くの同級生がいるが、誘うのは彼一人である。
 職員にとって特定の議員と親しくする事はタブーとされており、Hちゃんのように必ず二人で一緒に行動する姿は他には有り得ない事だが、いまや当り前とされ、私と連絡が取れないと議会事務局の職員までもが彼のもとに走った事があるくらい有名な関係でもある。

 こんなタブーを犯しているから出世にも見放されている。京都の有名大学を出ているのに、高校卒の連中の後塵を拝している。「おい、一緒にここで珈琲を飲むのも今日が最後かもしれないなッ」と言うと、「とにかく〇〇〇〇票取れば良いんだから」と平然とした一言が返ってきた。無党派で一人の孤独を癒すのに彼は大きな存在であった。

 本日は大きなダルマとジャンパーが届けられた。支援者がはるばる縁起をかついで岐阜県まで行って買ってきたものである。ただし、自分は議会報告の会報に専念したく、昨日同様に話し掛けられて集中できない時間がもどかしかった。
                                  3月22日の一言

お父さん、間に合うの?

 本日が春分の日の祝日である事が実感できない一日となった。相変わらずの生活であるが、議会報告の会報が未配達の地区が存在し、早朝3時から久しぶりにに配布し、仮眠をとっていると来客である。

 「選挙のダルマはいつ買いに行くのか?」と、当方が忘れて考えてもいない心配からの訪問であった。2日前の一言にも記したように、選挙対策が何もできておらず、明日には最終日とは言え、任期最後の市議会本会議を残しており、議会終了後には新たな議会報告となる会報を印刷して配布する必要に迫られており、本日もボランティアのWさんは、未だに前回の会報を配布しているのである。

 ダルマは明日に家内が連れていってもらう事になったが、選挙ポスターや選挙公報、ハガキなどの事前審査が来週予定されている。このあたりについても担当する役割は決まっているが、今週末の土曜日に選挙用の写真を撮影する事になっており、間に合う筈がないのである。

 冷静に議会日程を考えると、3月議会が終わって一週間で選挙ポスターや法定選挙ハガキなどを完成させて審査する事は、議会に全身全霊を捧げていたとしたら物理的に無理が生じてくるのである。

 「お父さん、間に合うの?」と心配顔の家内だが、とにかく選挙の告示(4月15日)に規格内のものが完成していれば良いのである。私が「選挙の事前運動は一切しない」と宣言している事から、選挙の準備がすべて遅れており、周りをびっくりさせているようでもある。

 そして一番肝心な事は、私は過去2回の選挙を経験していても、選挙の舞台裏はすべて支援者に任せてあり、聞かれても何一つ判っていない事に周りが気付いていないのである。「そんなアホなッ」と思われるであろうが、前回も同じだったのである。
 人々から聞かされる選挙の動向も、立候補予定者が政治より選挙に走り、地域を戸別訪問(厳密には選挙違反なんですが)する事から話題になるのである。こんな正論を言い訳にしていても結果がすべてである。議員が議会開催中より忙しく走り回る事は、ある意味では批判される事でもあるが、明後日からは本当に地獄のような日々を迎えそうでもある。
                                 3月21日の一言

忘れていたアンズの転送

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 あんずが満開になりました。
 帰宅後にブログを見ると我家のアンズの写真が掲載されていた。もちろん、私が午前中に送ったものであるが、仕事の延長から送った事すらすっかりと忘れていた。

 しかし、なんと写りの悪い携帯電話であろうか。けっして古い機種ではなく、昨年11月に買い換えたものであるが、「カメラなんて要りません」と言って、ついでに付いてきたような顛末だから、今さら文句を言っても遅いのであるが、レンズが悪いのか私の手がブレているのか恥かしい代物である。

 さて、本日の夕刊に、愛知県議会での民主党の不可解な対応が報道されてきた。自民党との違いを出し「対立軸を鮮明にすべきだ」と予算案の組替え動議を提出し、動議が否決後にそのままの予算案に賛成したという事である。一旦反対を表明して提出した動議の否決後に、反対の予算案に賛成票を投じる事は説明がつかず、選挙民を意識したパフォーマンスとしか思えない。

 私が新人議員として『かけだし』の頃に、同じような失敗をした事がある。自分の所属していた委員会で反対をしておきながら、本会議では賛成の立場で起立していたのである。
 「あれは、何だッ!」と、ベテラン長老議員の厳しい批判が続いたが、議案の内容に関係なく、市役所職員の納得できない適当な答弁に、腹いせで反対したもので、その議案に特別の反対を意識していたものではないが、議員が一旦採決で示した事は簡単には取り消せないとの経験となった。

 こんな事ぐらいと思いがちであるが、どんな些細な事であっても、当事者となる住民や市民は見ているのである。
 この3月議会には『乳幼児医療費無料制度の拡充を求める請願書』が市民団体から提出され、委員会で採択されているので、最終日の本会議でも可決される可能性が高いと思うが、同じ請願が12月議会にも提出され賛成者少数(23人中の4人)で否決されているのである。
 この4人の1人が私であるが、共産党関連の団体が提出した請願に賛成するのには抵抗があった。ただし、請願の中身を読むと反対もできず、渋々起立したのでもあった。しかし、この事で、暫らくして「有難う」との手紙が市民から届いたのである。

 市民の視線が間違いなく議会に届いている。とかく批判され、存在そのものも否定される議会にも、市民の視線は届いているのである。今回の県議会の顛末に、市民の視線は全く意識されておらず、党利党略で無視されている住民の存在が気にかかった。
                                 3月20日の一言

こんなオレでも良いのかい

 統一地方選挙が間近に迫り、本日は選挙に立候補を予定する陣営に対する説明会が開催され、どうやら顔ぶれが決まったようでもある。

 もっとも、我々よりも選挙通の市民が多く、世間で語られるウワサ話によって、おおよそは判っていたのではあるが、改めて選挙が戦いとの心境になりつつある。
 「こんなオレでも良いのかい。目は見えないし、耳も遠いのに…」とは、家内と一緒に説明会に出向いた事務局長の一言である。未だに後援会の選挙対策の集まりが開かれていないが、前回の記憶を呼び戻して役割分担もこれからの事である。

 「もう満杯で出来ません」とは、本日電話した選挙用街宣車のカンバンとスピーカーを扱う宣伝会社の受付の一言である。「えっ、そうですか…」とびっくりしたが、過去2回の選挙で使っており、社長に代わって応対してもらったが、過去の付き合いから何とかギリギリセーフとなった次第である。

 さて、8年間の議員生活で確実に感じる事は支援者の高齢化でもある。世の中も高齢化の波が押し寄せているが、元々が選挙に関わる人々は時間に余裕のある会社を退職した人が多く、この8年間に動ける人々の顔ぶれも大きく変わってきた。
 肝心の後援会長も一昨年に亡くなり、「誰に頼むのか?」とのウワサ話が嫌で、不在のままになっており、会長の息子から「オレが退職したら…」との一言をもらったが、退職まで7年も残しているだけでなく、現職教員のために現在は一切の選挙活動が禁じられているのでもある。

 さて、さて、明日は小学校の卒業式であるが、議会終了日(22日)までにやるべき仕事が残されており、議会終了後には議会報告の会報配布も待っている。
 「大鹿さん、チョッと良いかなッ」との約束も多く、明日も午後は約束のハシゴとなっている。こんな時には忘れ物も多く、うっかりミスも多くなる。「しまった」と思っても、11時を廻った今では何ともならず、明日も明後日も地獄のスケジュールが続いていくのである。
                                 3月19日の一言

吹きっさらしの駐車場で落語ですか?

 本日は町内会の総会があり、予定が入っている事から欠席の予定であったが、ほとんどの地元行事を家内に任せており、「大鹿は地元を粗末にしている」との批判もある事から、1時間だけの腰掛けではあったが、家内と交代して約束の地へ走ったのである。

 約束と言うのは、市外の公民館の竣工式に、私の生涯の友であった落語家の『故・浪漫亭砂九』さんの代役として二人の落語家を依頼してあったのである。砂九さんの盟友であり、社会人落語「落語の会」代表の竜宮亭無眠さんと、道落亭かね平さんの二人が名乗りをあげていただき、依頼した当方ですら現場が解らないための道案内役でもあった。

 ただし、私が到着した時には、二人はすでに到着済みであり、この後とんでもないハプニングが待ち受けていたのである。

 会場内は地元の人々が出席する厳粛な式典が開かれており、入れる雰囲気もなく、車を停めた公民館北側の駐車場に戻ると、吹きっさらしの駐車場にテントが張られ、イスが並べられており、テントの下にはイスより低い机に大きな座布団(これじゃー、乞食じゃないか)が置かれてあった。おまけに隣は名鉄電車の線路があり、上下線を電車が風を舞い上げて轟音とともに走っていくのである。立っているだけでも凍るような寒風の露天の駐車場であるが、どうやらここが落語会場のようであった。

 「ここですか、ねェー?」と、不安顔の『無眠』さんが私を覗き込む。「そうみたい…、ですねェ」としか言いようがない。しばらく3人で会話するものの、心は天国の『砂九』さんに「どうしましょう」と問いかけ、依頼主と会うと「やっぱり…」なのであった。

 「電車が来たらどうするんですか?」と『かね平』さんが問うと、「その時は休んで下さい」との返事が返ってきた。「ところで、何時からやれば良いんですか?」と『無眠』さん。「今すぐお願いします」の言葉に頭が真っ白になってきた。「どのくらいの時間で演じれば?」、「30分の予定で…」と、一言一言返ってくる言葉に私の心臓はビクビクである。この時二人は洋服姿であり、着物はどこで着替えるのか。

 「とにかく、お願いします」と必死の依頼主に連れられ、二人は案内されて公民館の倉庫で着替えとなったが、部屋を覗くと「大鹿さんの紹介だから、やるはやりますけど、本当なら帰りますよ」と『無眠』さんの顔が泣いてみえたのである。これでは落語にならない。

 こうして裏口からこそこそと会場に出た二人は、ブルブルと震えながら紹介され、「社会人落語のチャンピオンで」と、これまた寒さに震える観客に紹介されたのである。「これは最悪だ」と観念し、まさに落語が始る瞬間になって突然にガラガラと公民館の窓ガラスが開けられた。

 一瞬、「これは中止しかない」と思うタイミングであった。ただし、「おい、中でやってもらったらどうだ」との一言が地域の代表者から返ってきたのである。渡りに舟とはこの事である。司会役の依頼主も困って「中でも良いですか?」、「もちろんです」と仕切り直しである。

 「時間なんか気にせずやりたいようにやって下さい」と、依頼主を無視して私の独断で二人に耳打ちし、落語会が始まったが、結果は爆笑と拍手の連続である。地獄から天国であるが、これも天国の『砂九』さんが縁での落語会で、「改めて落語会をお願いします」との言葉が依頼主より返ってきた。

 二人の見事な落語と、終了後の「砂九さんは封印しました」との『無民』さんの言葉から、いまだ砂九さんの悲しみから抜けられない自分も再出発である。砂九さんの足跡を消さないためにも「大鹿寄席」の復活と、二人の協力から今後の展開を話し合ってからの散会となった。
                                  3月18日の一言

高齢者の光と影

 本日は町内の仕事で、火防祈願に静岡県の秋葉神社に参拝する予定であったが、昨晩深夜遅くまで遠来の客があった事から、仕事が廻りきらないために家内が代理での参拝となった。

 おかげで一転して余裕の一日となったのに味をしめ、昼食時には友人を誘い稲沢市の矢合観音に参拝する事(カミさんには内緒です)となった。この矢合観音は、腫れ物(ガンや腫瘍)に効果があると言われ、多くの参拝客が訪れて、効力のある井戸水をもらって帰るのである。

 この観音様はお寺や宗教法人ではなく、一般在家に鎮座しており、僧侶ではない家の当主が祈祷をあげるのである。ただし、とても横着で雑な般若心経が読み上げられるだけなので、真心込めた自分自身の祈りと井戸水の効力に期待する事をお薦めしたい。(私は縁起かつぎで月1回参拝しています)

 この観音様の入り口に私の同級生の経営する『小玉食堂』がある。店主は親から店を引き継ぎ(3代目か?)、店主夫婦とパート5、6人を雇用して頑張っている。ここで食事をして、彼の母親が番をする向えの土産物店で「生姜入黒糖」を買って帰るのである。

 友人のWが、入り口のパート募集の張り紙をみつけ、「オレを雇ってもらおうか」と言うと、「70才以上でないとダメ」と冗談とも本音ともとれる返事が返ってきた。ここでは、70代のオバサンやお爺さんが現役として働いており、80才をこえているお婆さんも現役で給仕をしているのである。

 「年寄りを安くこき使う悪徳オヤジ」と冗談を叩いた事もあるが、これがまったく自然であり、とても高齢者と意識して遠慮する必要もなく、皆がキビキビとして我々と変わらぬ働きをしているのである。ここには介護保険の心配もなく、動けるうちは働く事で、高齢者も元気で健康を持続できる見本のようでもある。

 一見して、何でも有りの食堂に思えるが、ここにも歴史と伝統へのこだわりが強く、昔ながらの中華そばの麺の品定めに真剣な眼がよせられていた。聞けば、昔から取り引きしていた製麺所が、高齢により閉店する事から県内から多くの麺を取寄せて選考中との話であった。高齢者の光と影を見せ付けられた昼食となった。
                                 3月17日の一言

行政の思い入れ不足

 一週間前に終わった『地域セミナー』の残務処理に苦しんでいる。主催者の愛知県への報告も済ませてないが、印刷代と要約筆記に使った消耗品の支払いや、記録した写真やビデオの後始末も残したままで週末を迎えてしまったのである。

 「さすがに行政はしっかりしている」と感心していたが、記録したビデオは広報の使う特殊なテープで一般人には見られず、詳しい職員に個人的にDVD化してもらう事になり、きちっと記録されていたデジタルカメラは会場の最後部から写した「写っている」記録でしかなく、講師やパネラーに渡せる代物ではなかったのである。

 このあたりが『思い入れ不足』であり、行政のそつなくこなした程度で終わっている事が残念でもあった。旧式ではあるが、フイルム式カメラを持参していた事から、確実に撮影しておけば良かったと後悔しても遅いのである。それを言い出すと何でも自分でとなってしまうのでもある。

 「この歳までフイルムで頑張ったから、デジタルカメラは使わない」と宣言しているが、使わない事から記録したCDをもらってきても圧縮ができずに印刷ができない。慌ててカメラ屋に走りプリントにしてもらうと、写真を趣味にしてきた当方には不満足で、カメラ屋に並ぶ安いデジタルカメラに手が出そうになるのである。

 ここで手を出すと、学生時代から使ってきたカメラやレンズ一式がゴミとなる事は明白で、帰宅後にフイルムが入ったままのカメラを手にとると、4台のカメラにフイルムが入ったままになっており、何台持っていても使うのは1台である事を実感する。ウラの倉庫には30年前に叔父から貰った写真の暗室作業に使う現像や引き伸ばし機がそのまま眠っている。いまだ休止中だから現役であるが、使う必要もない時代になっており現実は骨董品を通り越してゴミなのである。真っ暗な暗室がなく、夜になるのを待って暗幕を張って作業した時代の記憶も過去の薄れた記憶となってきた。
                                 3月16日の一言

ホッと一息ができない忙しさに…

 「おい、今頃何やっとるんだ」とは、応援をいただく支持者の声である。「何って、今は議会中ですよ」、「一日もかかるのかッ」、「今日は昼過ぎには終わったけど」、「みんな廻って来ているんだぞッ」と心配の声ではあるが顔が怒ってみえる。

 どうやら、このまま4月を迎えそうである。私が企画した愛知県の地域セミナーが先週終りホッとしていると、土曜日は村の役割で防火祈願に静岡県の秋葉神社に代参し、日曜日は美和町の議員さんの依頼で、公民館の開館記念に落語家を依頼され、同席する事になっている。「お父さん、ちゃんと戻ってくるの?」、セミナーの報告書も提出しないと立て替えた費用が振り込まれてこない。

 「そんなもの代わりの者に行ってもらってこいッ」と言われても、私の都合も考えて調整した日程の代参であり、昨年から依頼された公民館の開館日で地元町内会の総会を欠席しての参加でもある。25日は隣のお寺の受付係も決まっている。

 まだ3月議会が22日まで残っており、議会報告の会報を発行すると同時に発送も残しており、3月で退職する人の送別会も残している。「一度は、廻ってくるわねッ?」とは、「立候補されるの?」と知人に確認された支持者から訪問の確認である。「ハイ、ハイ」と調子良く答えたものの、会報配布が限界のようでもある。

 「大鹿さん、理髪店に行ってきてよッ」とは、選挙ポスターを作るライターから写真の催促である。先週まで議会質問とセミナーの準備で限界の日程をこなしていたが、これからも地獄の日程が続きそうである。一度も地域を廻っていないのに、「大鹿さんは余裕だから大丈夫」とは大きな『ホメ殺し』となりつつある。選挙は戦いでもある。たとえ一票が足りなくても落選となる。忙しい事から肝心の選挙の協力を依頼している時間もないが、5月以降も現職として仕事が続けられるように、私自身のこれからの1ヶ月が正念場でもある。
                                3月15日の一言

60年前の空中写真から聞こえる息吹

 ずいぶん前に探し出した資料の事で忘れていたが、戦後まもない昭和22年11月に我が町の上空より撮影された写真が出現した。

 作業名「USA40KCB」地区:名古屋、と記された空中写真は、当時の米軍が高度6千705メートルより撮影した白黒写真である。昭和22年に私は生まれておらなかったが、この写真の中には私の父親の祖母も生きていた筈であり、今は亡き叔母も一緒に田畑を耕していたのかもしれないと、目を凝らして見つめると不思議な感覚が甦ってくる。

 この写真の下では、多くの人々が生活しており、昭和22年11月1日に我が町の上空にエンジン音を轟かせて飛ぶ飛行機を、我家の先人達は何と思って聞いていたのだろうか。ほとんど車も走らない当時のエンジン音は多くの人々の耳に届いていたと思われる。

 私の子供時代は遠くの鉄橋を通り過ぎる電車の音が聞こえていた。深夜の飛行機のエンジン音も長く遠くまで響いていた。いつ頃からだろうか。我々が気づかぬうちに音が聞こえない社会に変身した。いや、本当は周りの騒音によって、何も聞こえなくなっているだけの事であるのだが。

 毎日の早朝の寺の鐘の音も消え、電車や汽車の汽笛も聞こえなくなり、毎日のスズメの鳴き声も最近では聞いた記憶がまったくない。もちろん夕方の寺の梵鐘は何十年と聞こえてこない。一枚の上空から撮られた白黒の写真から、当時の会話や先祖の営みを想像している。

 最近では、近所を歩いていても人の声すら聞こえてこない。家々を仕切る塀や、密閉された部屋からは物音一つ漏れてはこない。さて、昔の大空の上から撮った写真からは、人々の息吹や叫び声まで伝わってきそうな妙な気分にさせられ、気持ちまで当時に遡った気分になった。
                                3月14日の一言

意外なエピソード 2

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 この写真は10年ほど前のもので、一緒に写っているのは歌手の『広畑あつみ』ちゃんであります。上の写真が「秋桜街道」でデビューして間もない平成8年1月で、下の写真は平成9年1月に名古屋で「ふるさとでもないのに」を披露した直後のツーショットです。

 最近の状況が判りませんが、彼女は東京都出身で平成7年5月堀越学園高校在学中にデビューしています。演歌歌手として有名歌手の前座で一生懸命に歌う姿と、年齢も私の長男の一つ上と近い事から、親のスネをかじる息子と比較していると自然に応援団になっていました。

 さすがに「愛知県」とは言えず、「海部津島地区の後援会長」と廻りに話していたものの、仕事に追われて「おっかけ」はできませんでした。中学2年から作曲家の市川昭介氏に師事していただけあって、歌唱力は抜群で、メインの歌手をしのく実力の持ち主です。

 10年前とはいえ、43才のおじさんに肩へ腕を回されても嫌な顔をせずに、笑顔でピースの合図をおくる「あつみチャン」を、ご両親の気持ちになって家内と応援していました。私は『鶴田浩二』一筋と言っていますが、ちょっとだけ寄り道したのが広畑あつみチャンでした。

 1月15日に記した「意外なエピソード」を今まで覚えていて下さったWさん(有難う)、この事が意外なエピソード(こんなシーンは二度とありません)で先送りした顛末でした。さて、最近の情報が乏しくなっており、新曲も2年ほど出ていないように思われるので連絡でもして近況をお届けしたいと思うが…
                                 3月13日の一言

我家の庭とは無縁の話に

 のどかな春の気分で一言を記していたところ、日本全土を発達した低気圧による突然の寒波襲来となり、我家にも伊吹おろしによって雪が舞ってきた。

 昨日の『地域セミナー』の余韻を感じるヒマもなく、朝から市議会厚生委員会を院外として出席し、夜になって帰宅したところ、我家は『冷蔵庫』になっていた。

 昨日の地域セミナーで、岡本教授が居住福祉の話から、「交通事故の死者数が減少する中で、住宅内における事故死は増加を続け、今や年間1万人以上が宅内事故で亡くなっている」との話をされ、居間は暖かくても風呂やトイレは冷え切っており、脳卒中や心筋梗塞で亡くなる人も多いとの説明を、我家の家内も母親も聞いていた筈であるが何も生かされていない(何も聞いていなかった)現実があった。

 テレビニュースによると、愛知県尾張旭市の空き地の土中より現金5000万円の入ったケースが見つかったとの報道があり話題となっている。
 さて、我家にもそんな大金がと思っても、埋めた記憶がないのでありえない話だが、この5000万円の所有者が数人名乗りをあげているとの事である。確かに誰かが埋めた大金には違いないが、埋めたのは一人であり、例えその人物が亡くなっていたとしても、数人もが所有者として名乗りをあげる事はありえない話でもある。

 最近では明らかにウソを承知で名乗りをあげる事例も多い。所有権の可能性から名乗りをあげるのは当り前としても、明らかなウソで名乗りをあげた人物を放任する事は、子供の教育上から絶対に許す事なく処理してもらいたい。

 本日の夕刊に、厚生労働省がリハビリの日数制限の不備を認め、見直しを検討する記事が掲載されていたが、本日の津島市議会厚生委員会でも、「リハビリテーションの日数制限撤廃を求める意見書」の提出に関する陳情書を全員賛成で採択している。以前にも国に意見書を提出しているが、地方議会でも国レベルの問題を真剣な議論がされている現実は伝えておきたい。
                                3月12日の一言

安心して住み続けるために

 本日開催された『人にやさしい街づくり地域セミナーin津島』は、津島市のボランティア自前の企画であったが、行政との連携協力のもと、参加者も定員100名を突破し、120部用意した資料が足りなくなる盛況で終わる事ができました。
 参加された方々や、講師やパネラー、コーディネーターの人々には、ただただ感謝の一言です。

 「住み続けたい街 安心して住み続けるために」をテーマに、中京大学総合政策学部岡本祥浩教授より「安心して住み続けるために」のテーマで、住宅は何のためにあるのか、地域や住まいのあり方を学問的に学ぶ基調講演をしていただいた。

 ディスカッションでは、街づくりの専門家であり、NPO法人『ひとにやさしいまちづくネットワーク東海』理事の浅野健さんをコーディネーターとして、医療現場で活躍される神谷里明津島市民病院診療局長から、現在の医療の現状と、自分らしく生きるために今後の課題などの説明があり、患者の立場から昭和47年に突然の交通事故によって障害をもった高尾豊美さんの体験と要望から議論が交わされた。

 会場からの質問も、自らがガンに冒された人の体験や、知人の闘病生活でおこった問題など、身近でおこりうる深刻な案件からパネラーとの質疑応答に発展した。

 さて、自己満足ではいけないが、皆さんから「この手の企画であの人数にはびっくり」の声があったように、多くの参加者によって次につながるセミナーとなり、次年度の開催まで約束して閉会となったが、次年度は公的援助が見込めず、すべて我々ボランティアの自前になる事をまったく心配させない反省会の会話に発展して散会となりました。
 ただし、忙しさから人に仕事を依頼する時間もなく、「これからは、一人で抱え込まないで」との慰労とも批判とも思えるクギをメンバーからさされたのでもあった。
                                 3月11日の一言

追伸 このセミナーの内容は、ビデオ撮影によって記録が残してあります。希望される方には貸し出しもいたしますので、私までお気軽に申し出てください。

早い春の到来に違和感が

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 あんずの花が咲いちゃいました。今週6日の一言に、「あと半月もすればアンズの花が咲き…」と記していましたが、既に咲き始めており、予想以上に早い春の陽気にびっくりである。

 今年だけの事であれば良いのだが、新聞やマスコミで話題となる『地球温暖化』の影響とすると、異常気象や大地震と並んで深刻な問題にもなってくる。北極やシベリアの氷河や永久凍土が融け続けているが、日本のシンボルである富士山の永久凍土も年々減少し、まもなく枯欠する状況にある。

 テレビや新聞で人口降雪や人工的に雨を降らせた報道も記憶に新しいが、半月以上も早まった季節の変化には我々人類の力も及びはしない。春が早まっても、秋や冬が早く到来する事はありえない。こうなると心配は、余分な心配かもしれないが台風の到来でもある。

 自然災害の恐ろしさは、都会化した現代では感覚がマヒしているようだが、科学が発達した現代社会においても一瞬にして大都市や街を飲み込んでいく。アメリカのハリケーンは街だけではなく州全体を破壊し、回復もまま成らぬ状況がある。
 国内においても、竜巻が頻繁に起こり、気象情報や天気予報が発達した現代においても、何ら対策が立てられない現状にある。

 我家のサクランボやアンズの開花は20年かかって半月早まってきたが、今年は一年で更に半月早まった感があり、これから実をつける楽しみは残っているものの、今から到来する自然災害の恐怖を予測するのは取り越し苦労であろうか。
                                3月10日の一言

そんな事では困りますよ

 「そんな事では困りますよ」とは、11日に開催する地域セミナーのディスカッションで4人のパネラーのコーディネートをお願いしたAさんの手厳しい一言であった。

 考えてみると私より19才も若いAさんに頼りきっており、講師やパネラーを勝手に依頼しておきながら、自分の考えがまとめられず、講師やパネラーとのヒヤリングまで付きあわせた挙句、パソコン音痴のために、本日も自分達の発表する写真の整理まで依頼しているのである。
 「当日はAさんが頼りだから」の一言に、返ってきたのが冒頭の一言であった。忙しさから裏方となる地元の『愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー』やボランティア各位を振り回し、当日の資料印刷を明日に残す以外は何とか恰好がついてきたが、自身の心はツギハギだらけの心境である。

 やはり、時間にせかされて実行を決断した企画には無理が生じてくる。地方の財政が厳しい中で、昨年11月にボランティアで開催した『津島市内バリアフリー検証会』の話題から、愛知県の思いやり予算的な企画となり、私一人で振り回して本日に至った反省がある。(開催前から反省では情けないが)

 ただし、この企画は、毎年開催されている愛知県が主催する『人にやさしい街づくり連続講座』への受講生を募り、講座修了生に与えられる『人にやさしい街づくりアドバイザー』を地元に増やしたい事から、貴重な第一歩となる企画でもある。又、依頼した講師やパネラーへのこだわりから、まさに『四番バッター』ばかりに依頼しており、当日の期待は大きいものの、3時間と限られた時間がもったいない事と、コーディネーターの苦悩が手にとるように感じてもいる。

 さて、一方で、当日の参加人数も気にかかる。しかし、この企画を通じて、アドバイザー仲間だけでなく、津島市の職員も積極的に動き出し、手話や要約筆記のボランティア、社協や文化会館などへの協力が広がった成果は大きいものがある。顔が強張っている本日だが、台風一過のような週明けにしたいと願ってはいるが。
                                  3月9日の一言

差し歯が取れるハプニングに

 本日の議会一般質問は、午後の一番手となったが、直前の昼食時に前歯の差し歯が取れるハプニングに見舞われ、壇上での発言中に取れては大変と、8年間で一番緊張する質問となった。
 幸いにして歯が落ちる事はなかったが、テレビで視聴していた人から「今回は迫力が無かった」と言われたのは歯のせいではなく、任期最後の質問くらいは時間を短くする(普段の質問が長くてくどいとの評判のため)事と、気分に任せた言いっ放しをしないと決めていた事にあるのだろうか。

 さて、議員にとって議会が一番重要である事は間違いがないが、11日に開催される地域セミナーも、私の個人的思い入れで講師やパネラーを選択している事だけでなく、チラシから会場の予約や機器の手配まで一人で済ませている事から、主催者の愛知県はもちろんだが、共催の津島市も当日が心配でならないようである。
 おまけに明日まで議会の日程が入っており、その後は土曜日を残すのみのために、本日の夜になって珈琲屋でメンバーと行政の打ち合せとなった。土曜日に資料を印刷する以外は、何とか無事に手配が終わっているようだが、お互いの食い違いもあり、何とかなっているようだとしか言いようがない。

 今までにも多くの企画や行事について中心的な働きをした事はあるが、自分の忙しさから人々に依頼する時間がなく、土壇場になって自分で走るしかない状況となっており、問い合わせを受けて確認すると既に手配が済ませてあり、自分自身の行動した事すら忘れる忙しさである。

 ただし、こんな忙しいスケジュールは今までにも経験がなく、土壇場まで追い詰められないと動けない性格から、このままゴールデンウィークまで突っ走るしかないのである。追い詰められないと力を発揮できない損な性格だが、忙しい事から気力が漲ってきたから不思議でもある。
                                 3月8日の一言

当選が確定したような立候補話にびっくり

 本日は公立中学校の卒業式が開催され、私は地元の出身校であり現在も同窓会長を務めている神守中学校の来賓として参加した。

 月日の経過は早く、一年前には私の三男も卒業生であった事が信じられないが、それよりも、あまりにも静粛で真面目な卒業式に驚かされた。しかし、感動で涙を流す卒業生の姿に惑わされてはならないのは、この中学校だけで昨年時点で22名の不登校(1ヶ月以上の長期間学校に登校しない)の生徒が存在し、このまま放置する事のできない現状にある事である。

 学校に到着して最初の話が、同窓会から学校の生徒へ援助している『部活動支援基金』が、生徒の活躍による遠征費のバス代がかさみ赤字に転落している事実であった。本来がPTAで負担して解決すべき問題と思うが、我々が役員を務めた15年前とは違って、自分達で何とかしてしまう気概が不足し、PTAに支援基金への寄附を呼びかけるよう求めたが、役員から積極的な返事は返ってこなかったのである。

 さて、式が終り帰ろうとしていると、「私の息子が立候補する事になったので色々と宜しく」と言われた来賓があった。親は老人クラブの会長や民生委員を務めてみえるが、息子さんは親の跡を引き継いで、市役所の税金の集金アルバイトを専業にしている人で、「突然立候補する事になった」とか「金をかけない選挙をする」とか言われても、私も同じ選挙に立候補を予定している競争相手であり、まるで当選後を想定したような話にビックリして帰ってきた。

 現状では、まったく人々のウワサにもなっていないが、1月に当人を知る消防団員仲間に語られており、親も団体幹部に漏らしており、既成の事実と思うが、当人は今年度に町内会長も務めており、まさかとは思うが、町内会組織や老人クラブ、消防団組織を背景に選挙を戦うつもりであろうか。まさしく、市議会議員立候補が就職活動としか思えず、「一緒に…」の言葉に不快感を実感した。

 さて、忙しさの中で明日は議会の一般質問である。夜には11日の地域セミナーの打ち合せがあり、翌日からは議会に出席しながら、徹夜覚悟で当日の資料印刷などの準備が待っている。人の動きは意識するが、自分には時間もなく4月に突入となりそうである。
                                   3月7日の一言

サクランボ

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 我家の庭に咲き誇るサクランボの花です。強風の中で画素数の低い携帯電話での撮影のためにピンぼけ写真ですが、雰囲気はご理解いただけるでしょうか。

 例年より半月早い開花ですが、1ヶ月もすればびっしりと真っ赤なサクランボが実る予定です。このサクランボの木は、私の父親が植えたものですが、28才になる長男が「自分の木」と宣言している事から、祖父から孫に「おまえの木だ」と言われて植えられたようである。

 その長男が近々結婚しようとしている事に、月日の経過の早さを感じるとともに、相手がアメリカ人(近々両親が祖母の看護のためアメリカから祖母の住むルーマニアに移住する事からルーマニア国籍からの入籍となるようです)である事を、天国の父親にはどんな心境かを聞いてみたいものでもある。この木にも歴史がある。

 私の事務所前には大きなアンズの木があり、通りかかる人々は桜と勘違いして眺めていかれるが、この木は長野県出身の知人に私がもらったもので、半月後には開花してその後に大きなアンズの実がなるのである。もっとも、このアンズの実は最近まで、家内の知人がジャムにしていたが、2年前から甘味が増して直接食べられる事が解ってきた。裏庭には父親の残したアンズの木もあり、こちらは2階を越える高さに成長し更に大きな実をつけるのである。

 さて、平成5年に父親が亡くなった時、受付の机の下に転がっていたマキの木の種が発芽し、現在は私の身長の2倍ほどに成長した。玄関前で「みっともない」と庭師が何度も口にしたが、この木の親となるマキの木は、大正末期に幼少の横井庄一(この時は大鹿庄一)が私の祖母達と一緒にタネをまいた木なのである。

 我家にはその時のマキの木が多く残っており、このうちの2本が横井庄一記念館にも移植されているが、父親の葬儀の際に落ちていた事が強く印象に残り、亡くなった祖母の子供への想いと勝手に解釈して伸ばし放題にしてあるのである。こんな気持ちで我家の樹木はどんどん生長し、新たに植える場所がないばかりか、庭師が数人入っても伐採作業だけで終わる顛末であるが、代々受け継がれる我家の歴史として木々が残される事をねがっている。
                                   3月6日の一言

行政の閉鎖性と情報

 本日は8日と9日に開催される一般質問の通告日であった。私は5番目の登壇に決まったので、8日の午後2時前後の登場になりそうである。

 まず1件目は、土木事業の進捗状況について、日光川流域下水道や日光橋の架け替えについての確認から、県道名古屋津島線のバイパス問題などの住民への説明不足について質問を予定している。
 2件目は、市民病院については、投薬に関して、院外処方と院内処方の利用者負担の差や、慢性疾患の患者に2、3ヶ月分の先まで薬を渡す事の問題から、在宅医療との病診連携について質問する。
 3件目は、学校の不登校・イジメ対策について、昨年の12月議会において質問に前向きな答弁があったものの、来年度の予算にそれらしい対策費が見当たらないばかりか、予算減額ばかりである事から12月議会後の動向と確認を込めた再質問でもある。

 市長が選挙違反により再出馬ができず、引退が決まっている事と、自身も2期目の任期最後の議会である事から、細かい指摘はしないものの、市役所の視線と市民の感覚には大きな違いが存在し、住民への説明についても、「現状の把握する情報の提供」は当り前と思うが、「県の事業については市では答弁できない」との返事ですれ違いの攻防をしている現状である。

 県の事業や、将来の計画によって、市民の商売に大きな影響が出たり、店舗の将来像が描けず廃業を視野にしている事例も存在している認識が行政には希薄でもある。細かい指摘から、納得はしたものの、議会質問は避けてほしい本音で平行線。

 慌ただしい一日が済んで帰宅すると、愛知県の管理職より電話である。次の日曜日に開催する地域セミナーについて主催者(愛知県主催)としての確認であるが、一つだけ県内部で決定している来年度の新事業の入れ知恵である。詳細については語れないが、市議会議員であっても県とのパイプの重要性と有難味を実感する事となった。
                                   3月5日の一言

誰も気づかないサクランボの満開

 議会が開会し、明日の正午が一般質問の通告期限となっているが、任期最後の議会ゆえに終わらせておきたい質問項目が多く、選択に苦慮している。

 過去の議事録から進捗しない現状を再質問したい心境だが、市長の引退が決まっており、トップの英断が望めない中での不用意な質問は、今後の質問の機会を潰す可能性も高い。医療問題にしても、都市計画にしても6月議会で新市長に長期展望を見据えて尋ねたい質問である。こうなると何を質問して良いのか選択に困り、多くの質問項目を目前にお手上げである。

 さて、その一方で、11日に予定されている『地域セミナー』も迫ってくる。会場の文化会館から打ち合せの連絡が入り、走り出す前には来客である。また、当日の予定では100人の定員となっているが、実際には何人集まるのか全くの手探りである。少ないとは思うものの、多ければイスも足らない事態となりかねない。

 忙しさからメンバーへ相談に走る時間もなく、自分の頭の中とメモだけが頼りだけに、議会質問とセミナーの設営と、参加者への呼びかけとで支離滅裂な一日となった。

 深夜になり、裏庭に出てみると『サクランボ』の花が満開となっており、半月早い春を実感する。家族の誰も気づいていないのであろう。外からの照明に輝くように咲き乱れ、花を見る余裕も無かった事を実感するが、今年は花見もありえない現状である。
                                       3月4日の一言

仲間の有難さを噛み締めた一日

 本日は名古屋で催されていた『パントマイム寄席』を観賞させてもらった。この寄席は、昨年11月に死去した『浪漫亭砂九』さんが一人で始めた落語会で、現在は仲間であった『竜宮亭無眠』さんをはじめ仲間のメンバーが会を継続させている。

 「大鹿さん、あの落語家に来てもらいたいんだけど」との声がかかったのは、今年に入った新年早々の話であった。「実は、その落語家は昨年11月に亡くなって…」との説明をしたものの、私の主催した『大鹿寄席』で見た砂九さんを指名しての依頼だけに、断わるのも忍びなく、無眠さんが代表をつとめる『社会人落語・落語の会』に代役をお願いしたのであった。

 気持ち良く引き受けていただき、竜宮亭無眠さんと『道楽亭かね平』さんの二人が、3月18日に開館する美和町木田公民館に駆けつけていただける事になった。(昼前に落語が披露されますので、関心のある方は出かけて下さい)
 話は決まったものの、肝心な私がいまだに『浪漫亭砂九』の影を引きずっているために、本日まで何の打ち合せもできないままになっており、期日が迫ってきたため訪問した次第でもあった。

 この寄席は、名古屋市の徳川園に近い珈琲屋『パントマイム』が会場となり、毎月第一土曜日の夕方から開かれているが、ここに落語の歴史を築いたのは『浪漫亭砂九』であり、古びれた壁や天井にも砂九さんの視線があったと考えると落語以上に気になってしようがなかった。
 ただし、見事な落語から悲しみ以上の笑いをもらい、仲間の落語家たちの力を借りて、浪漫亭砂九さんが種をまいた私の地域での『大鹿寄席』再開の意欲ももらって帰ってきたのである。

 さて、帰宅後の深夜になって珍客が訪れた。2年近く連絡をとっていなかった元県会議員『井桁亮』君であった。彼は4年前の県知事選挙以来、最後の国政選挙まで敗戦続きで、私はすべての選挙に大反対であったが、彼の本音も解っており、彼の選挙以外には誰も応援した事がないため、いまだに反省して立ち直るのを期待しており、久々の長話からお互いの信頼関係を確認するとともに、若い彼が暴走した原因となった市政を反省するとともに、市民の目に見える充電を勧めたが、久々にストレス発散となる再会となった。
                                   3月3日の一言

家の方が苦痛は少ない

 「あんな素晴らしいお医者さんがみえたんですねェ」の言葉が聞こえてきた。本日は、11日に予定している「人にやさしい街づくり」地域セミナーの、パネラーをお願いしてある市民病院外科部長の神谷先生を、当日コーディネーターをお願いしてあるAさんと、パネラーで参加のTさんとともに訪問した後の一言である。

 訪問の目的は、セミナー当日の打ち合せ程度であったが、終末期患者の治療について語られる神谷先生の話は、我々3人だけで聞くには勿体無いほど興味深く、価値のある内容であった。元々、神谷先生にパネラーを依頼した大きな理由は、末期ガン患者に対しても、患者の意志を考慮して、開業医と協力しながら在宅でも治療に応じておられる実績からであった。

 私の興味は、末期ガンなどで死の宣告をされた後の治療であったが、在宅であっても肉体的な苦痛は病院と同じである事が確認できたことが印象に残った。現在、市民病院にも緩和ケア病棟があるが、この病棟は「死を迎えるための病棟」ではなく、「自分らしく生きる」ための病棟である事が一般市民には理解されていない。
 一方で、家族にとっては大変と思われるが、食事の時間や消灯など規則が厳しい病院よりも、「家の方が苦痛は少ない」現実も考えてみる必要がある。現在も外来に通院して抗がん剤治療を受けている人も珍しくはない。

 さて、色々な選択肢があるが、すべてが万全ではなく、すべてに何かが不足している現実も見逃す事ができない。往診のできない病院の変わりに往診する開業医や、訪問看護ステーションが必要となる。本日の訪問で、一番印象に残ったのが、若い人の在宅治療の厳しい現実であった。
 高齢者に対しては介護保険や支援制度が確立されているが、若い人には支援制度がまったくなく、若い人は貯金も少なく、治療が高額となる事から選択肢も限られてくる。

 昨晩が当直で、本日も夜まで診察を続けられた後の訪問であったが、会話の中から新たなシステムや展開を考えれば、明るい展望の可能性を感じる訪問となった。(明るい展望については、後日の一言と議会発言で活かしてみたい)
                                   3月2日の一言

金婚夫婦の人々にあやかりたい

 本日は市政施行60周年記念津島市表彰式が開かれ、特別表彰2名、永年勤続表彰22名(市職員以外)、一般表彰7名の表彰が行なわれた。
 毎年の例年行事ではあるが、市民の中にはこの表彰に批判的な声も存在し、「大鹿さんは絶対に辞退してよ」との意見を聞かされた事もある。議員としては、「公選による同一の公職に10年以上在職した者」の項目が永年勤続表彰の条件となり、20年以上在職すると特別表彰の対象者となる。

 さて、「辞退してよ」の声は、そんな事に惑わされずに頑張れのエールとも思われるが、市政に批判的な市民の声には、市政のすべてに批判的で否定的な雑言も存在する。その場になってみないと判らないが、人にアレコレ言われて頭を下げてまでもらいたいとは思ってはいない。

 実は、私個人ではないが、平成4年に小学校の同窓会を代表して一般表彰を受けた事があった。この時の対応が面白く、滑稽であり未だに印象に残っているが、同窓会で石の記念碑を寄贈した事による表彰であったが、行政の担当者から寄贈した記念碑の費用が100万円を超えたかどうかをしつこく聞かれたのであった。つまり、「公益のため100万円以上の私財を寄附した者」との項目が一般表彰の条件にあり、「どうせなら100万円以上の寄附が良いですよ」との声があったのであった。表彰のために寄附をしたのではないが、この規定を意識した寄附があるとすれば滑稽でもある。

 本日は、表彰式の後に市内在住で結婚から50年が経過した「金婚夫婦を祝う記念式」も開催され、52組のご夫婦が出席された。今年は昭和32年に結婚されたご夫婦が対象との事であり、私はあと20年先の話となる。もっとも夫婦とも健在であっての話であり、むしろこの時に二人とも元気で「そんなものは辞退する」と言ってみたいものである。
 ちなみに私の両親は、父が65才で他界しており、「私だって行きたかった」と母親が話していた。現実は難しく、本日の人々にあやかりたいのが本音でもある。
                                    3月1日の一言

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