大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2007年05月

選挙違反事件の取材を受け…

 昨日の一言にも記したとおり、予定では今晩から四国遍路に出向く予定であったが、NPO法人の申請手続きが順調に進んだ事から中止に至ったのであった。

 しかし、本日になって四国巡礼などとは言ってはおれない大事件が発生した。この4月の統一地方選挙の市議会議員選挙で3位で当選した井桁議員の夫で元市長の克氏が選挙違反で逮捕され、井桁議員が辞職届けを提出したとの事である。

 本日は午後から海部総合庁舎において防災ボランティアの打ち合わせ会があり、夜にはNPO法人の申請について打ち合わせをした後に、友人の病気見舞いから帰宅したのが深夜11時を廻っていた。慌ててパソコンの前に座り、この一言を記しかけたところ、ひと気のない真っ暗な事務所で物音がしたのである。

 「あのー、すいません」と小さな声の主は、選挙違反の取材のために私を待っていた日本経済新聞社の記者であった。電話で選挙違反の情報は入っていたものの、状況が飲み込めず、テレビで事件が放映されていた事も知らず、記者から聞くのが初めての情報のようでは、数時間も我が事務所前で待っていた事が無駄足のような取材でもあった。

 明日は午後から選挙違反による辞職について議会の各派代表者会議が召集されている。昨日の私の一言に対するコメントに「お大師さんのお手引きが無かったのだから」との書き込みがあった。まさにその通りと言うよりも、のんびりとお遍路に出かけておれる状況ではなく、まさに「弘法大師のお導き」とも言える展開にびっくりでもある。

 さて、津島市では4年前にも前市長陣営の組織的選挙違反で多くの人々が取り調べを受け、選挙違反により2人の議員が逮捕され辞任する事件が起っている。毎回のように起こされる選挙違反について、現職議員としては弁解する言葉が見当たらない。
 私自身については、過去においても違反は犯しておらず、今回の選挙に至っては告示日まで選挙の事前運動は一切しないとの公約により、政治活動の延長のままで選挙を迎えてり、取材を受けて、内容を聞く事だけでも嫌悪感があるが、自分の所属する市議会に起こった不祥事だけに、「私は知りません」とは言えない恥ずかしさを実感する。

 名古屋で発行されている『知命』という会報には、『買収、利益誘導の公職の候補者は、終身被選挙権を剥奪』(当り前のこと)と記されている。まさにその言葉を実感する事件の再現でもある。
                                   5月31日の一言


荷物をまとめて車に積んだのに…

 本日は、地元でNPOとしてボランティア活動を続けてきた団体を、NPO法人化(特定非営利活動法人)するための関係書類を持って愛知県の担当部局を訪れた。

 「何度か来ていただく事になると思います」と事前に聞いていただけに、毎日日参して書類を作成する覚悟であったが、本日の数十ヶ所のチェックと指導により、「次回には受理できそう」との担当者の言葉から、帰宅後にはゆっくり休憩する予定が一変し、夜まで休憩する事なく書類作成にかかったのである。

 愛知県が発行する『特定非営利活動法人の手引き』を参考にしているものの、申請書類の一字一句の間違いを訂正し、その都度印刷をし直していると、司法書士に代筆を頼む団体が多い現実を実感させられる。

 さて、次回の予約を入れている6月2日に愛知県が書類を受理してくれれば、設立認証申請書に記載された事項が愛知県公報で公告され、申請書類が2ヶ月間一般に縦覧される事となる。決定通知は申請後4ヶ月以内という事から、認証されるとしても9月までかかるのである。
 また、認証されれば、認証後2週間以内に法務局に出向いて設立登記を済ませ、愛知県に設立登記完了届出書を提出し、税務署や中部運輸局などボランティアが関係する法令に基づく許認可の手続が待っている。

 ボランティアで役員全員が無報酬である事を考えると、これだけ面倒な書類や手続きが必要かと疑問にもなってくるが、最近ではNPO法人を隠れ蓑に利益をあげる悪徳団体の存在がささやかれており、規制緩和の中でも仕方ない事なのかもしれない。

 さて、私の予定表では、6月1日から3日は『四国八十八ヶ所』への巡礼が記載されていた。昨晩開催された書道教室「神守丈友会」の席上で、この事が発覚し、家内がまったく聞く耳を持たないヒステリー状態で教室を出ていった。
 「先生、どう思いますか?」、「男と女では考えが違うからナァ」、「先生ならどうします?」、「叱られても行くしかないわナァ」と恩師に同調を求め、教室の女性軍に同情の支援を求めていたが、行ってしまえば仕方ないと悪役を覚悟で心に決めており、本日より人気挽回のサービスを一生懸命考えていた。

 本日の想定外の進捗状況から、それどころではなくなったのである。県庁から帰る車中で「四国に行けなくなった…」の報を入れたNさんは、「荷物をまとめて車に積んだのに…」とがっかりの様子が伝わってきた。「昼からでも会いましょう」と電話を切ったが、昼から訪問された時には申請書類の修正作業により相手にもなれず、一人淋しく帰宅という最悪の結末を迎えてしまったのである。

 冷静に考えれば、(Nさんを除けば)最高の展開と思うしかない。家内安全とはこの事である。御仏の導きと考えれば毎日がお遍路を実感した一日となった。
                                      5月30日の一言


(遺書に)内情は家内が知っています

 昨日の松岡農水大臣の自殺に引き続き、本日早朝には旧森林開発公団元理事がマンションから飛び降り自殺を図り命を絶った。数日前より官製談合事件にからんで東京地検特捜部の取り調べを連日受けており、松岡農水相の自殺が呼び水になったもようである。

 間近に迫った参議院選挙を控え、朝日新聞社の行なった世論調査によると、安倍内閣の支持率は36パーセントで、不支持率の42パーセントを下回った事が本日朝刊に報道されてきた。与野党に対する支持率についても拮抗した結果となっている事から、二人の自殺の大きな原因となったと思われる疑惑の解明について、安倍首相の事後処理が政局に大きく影響する事は必死の状況でもある。

 しかし、国会で追求が続いていた政治資金収支報告書については、後戻りのできない国民周知のウソの証言を続けてきたとは言え、自らの命を絶つ決断をした事から、緑資源機構の官製談合事件についても大きな疑惑を残す結果となり、元理事の後追い自殺にも発展した。

 新聞報道によれば、松岡農水相の残した遺書の一枚に「内情は家内が知っています。あとどこに何があるかは探さないでください。そっとしておいてください」との内容があったと言う。国会議員として、国民の公金に関係する不祥事を犯し、内情は家内が知っているの文言を残した事にはびっくりである。

 気丈にも残された夫人が弔問客に挨拶する映像がテレビに放映されていたが、自分の自殺によってすべてが解決すると思っていたのか、それ以上に死んで口をつぐむ事が必要となる大掛かりな組織的犯罪だったのかと思わざるをえない。

 さて、小泉前首相は、靖国参拝問題が他国より批判されると、「日本は死んだ人は悪人でも皆神様になって祀られる」との珍問答を繰り返していたが、今回の事件を死をもって幕退きにする事は許されない。
 落語家や歌舞伎役者が所得を隠し、税務署の追及に身勝手な弁解をしていたが、今回の問題は個人の資産やへそくりではなく、国民の税金や公金に関する疑惑であり、国民の信頼を回復し、国民の不信感を払拭するためには、死者にムチ打つ事となっても、安倍首相自らの手で真相を明かす事が求められている。
                                      5月29日の一言


何とか還元水から自殺に…

 「何とか還元水」で話題となっていた松岡農林水産大臣が、本日議員宿舎で首をつって自殺した。自らの命を絶った人を批判するのは気がひけるが、ウソは正論にならない見本で後味が悪い結末でもある。

 元々が、電気代も水道代もかからない議員会館を事務所にして、政治資金収支報告書に2千8百万円を超える光熱水費を事務所費として計上し、「還元水」とか「暖房費」とごまかし、最近では「法律の定めに従って適正に処理している」と、白々しい答弁を続けていた事を放置していた事が問題でもあった。

 さて、「死人にクチナシ」で、一連の疑惑がうやむやにされては困る。松岡氏が大臣に就任する前から金銭にまつわる疑惑がささやかれ続け、大臣就任後には次々と疑惑が浮上し国会で追求が続けられてきた。大臣になったから問題にされたのではなく、すべての国会議員から我々地方議員に至るまで、金銭にまつわる疑惑は解消したい。

 名古屋市議会や愛知県議会においても、政務調査費の公表や領収書の添付をめぐって、市民の厳しい批判がある中で公明正大な対応がなされず、新聞などから顛末が伝わってくる。金額の多少はあっても、国政も地方も根本は同じではないか。

 頭を丸めて四国八十八ヶ所の遍路を歩きかけた国会議員もあったが、すべて住民騙しの宣伝活動でしかなく、その行程は半分にも達していないままだが、松岡農水相も自殺して自らの命を絶つくらいなら、大臣だけでなく議員も辞職して四国遍路でも歩いて欲しかった。

 自殺の心境が判らないが、自らの命を絶つくらいなら、何でもできたのではないか。元々が優秀な経歴を持ち、期待されて国政に身を置いた人物だけに、62年という人生で終らせず、辞職してからでも世間のために貢献し、世間の汚名も晴らす機会があったのではないか。

 さて、これは自分でも同じ事である。他山の石としたい。
                                   5月28日の一言

松の幼木を植えて

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 本日は来客が続き、このまま一日が終ると思っていたが、机に置かれた観葉植物を見ているうちに、『松を取ってこよう』と来客のNさんと意気投合(私だけかも)して車を走らせた。

 一週間前の日曜日の話になるが、植木処の稲沢市の植木センターまで、盆栽を観賞しに出向いた。京都から発行されている月刊誌『茶の間』5月号の中に、「盆栽に心惹かれて」なる記事があり、「小さな鉢に広がる雄大な世界」とか、「緑の美しさ、木肌の力強さ」などの言葉に感化されたのであった。

 さて、稲沢市は植木処と言われるだけあって、大きな盆栽から苗のような植木鉢まで並んでいた。小さな松を見ていると、300円から700円の苗も鉢植えになっており、同行の知人に一緒に買うよう勧めるが「枯れたらおしまいだ」との返事が返ってきた。確かに珈琲一杯分とは言え、素人には難しいであろう。「それじゃー、今度、養老か多度の山に取りに行ってこよう」と言う話になった。

 先週の火曜日の事であるが、松の盆栽を趣味としている書道の恩師に、「先生の松はどのくらい経っているのですか」と問うと、30年前に瀬戸の山で採ってきた松との話であった。「500本採ってきて、30本残った」との話で、その年数では自分の命もないわなとの話となった。

 「最近は安いから買ったら」と勧められたが、そうして買ってきた植木鉢の多くは枯れ落ち、残った木々が庭をジャングルと化し、大きなアンズなどは2階の屋根を越しており、我家では木は絶対に買ってきてはならないシキタリとなっているのである。

 さて、採ってこようと言ったものの、時間が午後4時になっており、養老や多度の山々まで出向く時間もなく、私の出生地でもある祖父江町(現稲沢市)の木曽川の堤で3本採取してきたのである。はたしてこの3本の将来はいかになろうか。早速植木鉢に植えたものの、昨年次男が持ち帰った松が枯れた事を思い出し、しばらくは様子をうかがうしかないのに、気になって何度も足を運んでいるのである。
                                     5月27日の一言

旅行ばかり行っているくせに…

 6月議会を控え、NPO法人の申請、四国遍路、防災ボランティア、中学の同窓会報発行などと仕事が続くため、自分の時間が取れないジレンマを感じている。

 自分の趣味として記してある『旅』と『写真』については、ここ数年間まったくの無縁と言うと、「旅行ばかり行っているくせに」と言われそうでもある。ただし、私の趣味とする『旅』と、『写真』は、自分一人の好みであり、人々と一緒に出かけている旅行とは全く異質である事を断っておきたい。

 最近は旅行ブームで、テレビでも豪華な宿や温泉が写しだされるが、これらの多くはシニアを意識した観光旅行であり、私は旧友との再会や、筋書きのない想定外の旅を好みとしているのである。

 人々からはどうでも良い出会いも私にとっては重要な目的となる。現在でも、旅先のいくらかには私のお気に入りの場所や人々がある。「何度も行けば当り前」と言う人もあるが、何度行ってみても観光地は金を落としてもらえば良いだけで、旅先で「おいッ、久し振りだね」とか、「昼飯はどうしたの?」と旅人とは違った扱いを受けるようになると、心中たまらなくなってくる。

 「また、ここかァー」とか、「もっと違う所へ」などと言われると、自分達で行ってくれッと言いたくなってくる。とりわけ京都や飛騨路とか信州には私にとっては特別の場所が多い。人々は自分達が特別に扱われている事にも気づかず、それが当然と思っている事が多い。

 四国にも私のこだわりは多い。最近は毎日一枚の写経をノルマとしているが、一緒に四国に行く予定の知人が訪問し、「何やってるのー」、「般若心経(見て判らんの)」、「そんなもの後にして珈琲屋でも行ってこようかッ」と平然と言われるのである。「渇ッ」と言いたいところである。

 さて、家族や廻りに気遣う事のない『一人旅』に憧れる。そろそろ、自分のこだわりに拘り、自己満足のできる『旅』に出かける時間が欲しいと熱望の日々でもある。
                                5月26日の一言

家内への点数稼ぎの一週間に…

 5月には臨時議会が開催されたが、6月の定例本会議を控えて、手帳のスケジュール表は空白がほとんどなくなり真っ黒になってしまっている。

 「お父さん、3日は予定ある?」と家内に問われて聞きなおすと、三男の自転車のロードレースがあるとの事であった。「ところで、ケイリンの東海大会はいつだ?」と問うと、6月の15日から17日まで、静岡県の修善寺で開催されると言う。「温泉でも入りながら行こうか」と家内。「よしッ、オレ会社休んで行くぞッ」と次男が続く。

 行きたいのは山々だが、議会中であり、休会中とは言え真っ黒のスケジュールでは何ともならないのである。「インターハイに出られたら行くぞッ」と言うと、今年は7月に佐賀県の武雄競輪場で開催との事である。(「言わなきゃ良かったなァ、武雄は遠いぞォー」私は飛行機に乗らないので大変である)

 さて、黙っていたものの、6月5日に開会される6月議会の前に3日間の空白の日程がある。「ある」と言うのは正直ではなく、何とか3日間の空白を死守してあったのである。実際には『四国遍路』を予定してあり、声がかけてあるのである。

 選挙直後に「四国へ行ってくる」と語った時には何の異論もなかったのであるが、その後の様子は逆風が吹きそうな雲行きなのである。「なんで、秋にまた行くんでしょう」と家内のガードは固い。息子の自転車の合宿や部品の注文などに大金がかかり、勝ち進めば遠征費もかかってくる。

 「野宿だぞッ」と言っても、「ダメ-」と顔が引きつっている。本当に野宿と車中泊であるが、高速代や燃料費(目的は愛媛県から)もかかり、朱印も数が多いため意外に四国遍路には金がかかるのである。

 予定では1日から3日間だが、残された一週間の行動が大きく影響する。「おい、修善寺は良いなあー」、「オレも行きたいなあー」、「佐賀県も良いぞォー」と、全く心にもない話をしていると、「ところで、今度の日曜日は?」の言葉が返ってきた。日曜日も予定がある。来週も目一杯のスケジュールをこなし、家内のイメージアップ(サービス)を図らないと四国行きは地獄の出発に変わってしまう。しばらくの辛抱が続く。
                                  5月25日の一言

75才以上の高齢者の負担増に…

 来年の4月1日より、75才以上の人は『後期高齢者医療制度』として、新たな独立した医療保険制度で医療を受ける事になるとの説明会が、本日開催された津島市議会厚生委員会であった。

 この制度は県内すべての市町村が参加する「広域連合」が、保険料の割賦や医療給付を行い、市町村は保険料の徴収と申請・届出の受付、被保険者証(保険証)の引渡しなどの窓口業務を行なう(案内書そのまま転載)との事である。

 制度そのものについては時代とともに変更があってしかるべきとは思うが、この制度への移行が、75才以上の人々に新たな保険料の支払いを求めている事は、いくら高齢化社会を迎えているとは言え、現状の老人保健制度で受けている条件と同じ給付だけに納得がしてもらえるか疑問である。

 つまり、来年4月から75才以上の人々は、現在加入している家族の保険制度から外され、新たに保険料の支払いが必要となり、年額18万円以上の年金を受け取っている人は、年金から一方的に差し引かれるとの内容が発表されたのであった。

 かつては無料で医療が受けられた高齢者の人々だが、現在では自己負担が必要となり、さらに来年からは家族とは別に新たな保険料も請求され、年金から一方的に差し引かれるのである。

 これが安倍首相の言う「美しい国」と言えるのであろうか。資産や所得のある者からは実業より引退した高齢者になっていても公的負担が増え、低所得者への社会保障も後退する。健康で医者にかからなくとも負担は増え、病気で苦しむ人々についても安心して医者に通えぬ気配が感じられるようになってきた。

 もちろん、制度改正は現状の改善にもなっているが、これだけ複雑な制度や改正が続くと、サービスを受けられる事も知らないままに年月が経過してしまった人々も存在する。介護保険や来年からの『後期高齢者医療制度』についても、住民の年金から一方的に天引きされていくが、住民に支払われる『出産育児一時金』や『葬祭費』などは、住民が自ら関係書類を揃えて、自分で申請しないと支払われてはこない。行政サービスやシステムの見直しも急務である。
                                   5月24日の一言

ここから飛び降りてみたら…

 本日も夕刊に目をやると、昨日のウミガメに関する続編が記されていた。朝日新聞『素粒子』には、「いのち」3話として記載されている。

 第1話・中国で食われる寸前に救われ海に返されたウミガメが、約3千キロ離れた父島に来て産卵。
 第2話・神戸の児童殺傷から10年。「悲しみは時が癒してくれるものではない」と犠牲者の父。
 第3話・脳死の人の呼吸器を外した医者を殺人容疑で送検。君ならどうする。私なら外してもらう。

 わずか10行たらずのスペースだが、人の生命に対する大きなインパクトを感ずる記事ともなった。しかし、一方で、大阪エキスポランドで起きたジョットコースター死傷事故後に、国土交通省が全国約300基のコースターを調査したところ、約4割が年1回の検査を怠っていたとの記事が大きく一面をかざり、社会面にもスペースを割いて掲載されている。

 驚くのは、数年前(記憶が定かでなく申し訳ありません)にジョットコースターの部品落下事故を起こしたナガシマスパーランドの垂直落下型のコースターも、2年前から検査がされていない現実には驚きを隠せない。

 名古屋市では一年間に5百人程度の自殺者があり、10年計画で300人以下にするためカウンセリング事業などの対策を発表した。
 全国で3千人を超える自殺者がある現実を考えると、本日の「いのち3話」と比較してあまりにも人の生命が軽んじられているのかと思わざるをえない。

 私も少年時代には、「死んだ方がマシかな」と思った瞬間があった。高校受験前から毎年再発し、毎年手術しても完治しない『骨髄炎』に、高校の落第(高校5年生)生活については、非行に走る事で対抗していたが、「真面目にやり直そう」と思った直後の再発は気力も失せてしまった。

 この時には病院の屋上から、「ここから飛び降りてみたら…」と思って眺めていた事もあった。ハッとすると、病院の前を走る名鉄電車の音に、鉄道員だった父親の顔が浮かんできた。「苦しみが大きければ大きいほど、私にはより大きな事が期待されている」と身勝手に解釈できるようになったが、健康が続く今だから言える事で、一人の命ははかないものでもある。
                                    5月23日の一言


ウミガメに学びたい…

「はい、大鹿です」と、慌てて走ってきて受話器をとると、「こちらはヤフーBBを担当する者ですが、インターネットはお使いですか?」、「はい、有線で」と答えた瞬間に「プチッ」と電話が切れた。

 さて、ヤフーについてはこのブログをはじめ無料のサービスを受けてはいるが、昨日よりこのブログも文字が小さくなり、老眼世代にとっては「やめてくれッ」と言われているような気分になっており、人との会話を打ち切って走ってきただけに怒りと不満のみが残される(来客も帰宅された)恰好となった。

 さて、本日の朝日新聞夕刊に、「ウミガメはるばる3000キロ」と題して、中国広東省で食用としてレストランに売られようとしていたウミガメを、中国の尼僧が皆でお金を集めて買い取り、一晩保護したうえで海に放流した話が記事となってきた。
 
 今年1月に中国広東省の港で放流されたこのウミガメが、小笠原諸島父島の砂浜に今月の14日に上陸し、16日に77個の卵を産んだとの報道である。1月の救出劇を中国の現地新聞社が報道しており、今回の産卵により甲羅に赤く記された漢字から問い合わせて本日の報道に至っている。

 竹島や尖閣諸島など、国境をめぐる国と国の関係は波風が高いが、動物や自然界にとっては境界線もイザカイも関係なく、人と人との関係についても、本質的には国とは関係なく、同じ気持ちを共有している事を実感し、前記の怒りや不満も封印する事としたが、世の中はこのようにありたいと願うものである。
                                 5月22日の一言

空海の十善戒について…

 数日前から空海(弘法大師)の説いた『十善戒』の必要性を記しているので、本日は『十善戒』について記しておきたい。

 十善戒 
弟子某甲 盡未来際 (でしむこう じんみらいさい)
不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 
不悪口 不両舌 不慳貪 不瞋恚 不邪見

不殺生(ふせっしょう)とは、「殺生をしない。命あるもの全てに対し、恐れることは何も存在しないと示す。(無畏)を施与します。」
不偸盗(ふちゅうとう)とは、「盗まない。理由のないものを自分のものにしたいと思わない。」
不邪淫(ふじゃいん)とは、「異性に対する邪まな行為に耽溺しない。」
不妄語(ふもうご)とは、「誤った言葉や、悪意や敵意をもって言葉を使わない。」
不綺語(ふきご)とは、「無駄な、飾った言葉(綺語)を使わない。へつらわない。」
不悪口(ふあっく)とは、「人を傷つける言葉を言わない。口には人を傷つける斧があるといわれます。」
不両舌(ふりょうぜつ)とは、「二枚舌を使わない。誰に対しても真実のことを喋ります。人々の間に誤解と、波風がたたないようにします。欺かない。」
不慳貪(ふけんどん)とは、「貧りを離れ、少なきを分かちます。」
不瞋恚(ふしんに)とは、「瞋りを離れ、高ぶる心を捨て、人を慈しみの心で見ます。」
不邪見(ふじゃけん)とは、「邪まな見解を離れた者は、物の本質をありのままに観ます。」

 この十善戒は、四国八十八ヶ所霊場第一番『霊山寺』で戴いた冊子の転載ですが、古代イスラエルにおけるモーゼの『十戒』と通じるもので、信仰生活の中心を家庭や社会の道徳においている点に注目したい。
 モーゼの十戒は、キリスト教だけでなく、回教のコーランの中にも取り入れられており、全世界的規模の訓えともなっているが、時代は変わっても普遍的に護るべきルールは護られなければならない。新ためて空海の十善戒を読み直してみたい。
                                5月21日の一言

市民運動の展開ミスに…

 本日は横井庄一記念館の当番日であったが、午後からは名古屋で開催されていた『東海自治体学校』の分科会「住民の足゛バス゛をどうする」のため途中退出となった。

 公共交通機関の衰退は激しく、当地方でも電車やバスの利用者は減少し、特にバスに関しては路線バスの路線がほとんど廃止され、交通空白地域への対策として、コミュニティバスを自治体が主導しているものの、多くの住民の足となっていないばかりか、赤字に対する自治体からの支出に住民の批判も多く、4人に1人が60才以上という高齢化社会の中では、10年後の公共交通を考える事は極めて重要と思っている。

 今回は、稲沢市の巡回バス実現を目指す市民の会の報告があり、近くの自治体のために期待して記念館を退出したのでもあった。
 しかし、報告を聞く限り、切実な声で全市的運動を展開してはおらず、「あれば便利」程度の市民運動としか映らず、報告書にも共産党や関連組織を中心とした活動が記され、津島市より財政的にも勝っている自治体だけに、市民運動の展開ミスによる公共交通対策の遅れが残念でもあった。(自治体学校そのものが共産党系の組織による企画であり、私は共産党とは無縁である事をことわっておきたい)

 自動車大国と言われる愛知県ではあるが、トヨタ自動車のお膝元である豊田市で『脱・車社会』の実験が展開されており、車がなければ生活できない環境は、10年後や20年後を考えた時に自分達が生活に困る事は必死であり、今こそ公共交通や公共交通空白地域を解消すべき重要な時と思っている。

 名古屋市の栄地区の人口が増加中との事である。かつては、都心部は人の生活できる環境ではないと、郊外に人々が転出していたものが、最近では高齢者を中心として、病院への通院や買い物に便利で、バリアフリーの施設が整った都市部へ人々が集中し始めている。

 本日の報告を聞き、都心部の人々の感覚と、郊外の農村部の人々との感覚の大きな違いも気になった。「自分達のためにどのように実現させるか」を、具体的に自分達の手で実現させようとする街の人々と、行政や自治体、議員に訴えて実現を期待する農村部の人々との感覚の違いでもある。

 現在、住民の足確保のためにNPO団体の法人化を展開中であり、自分達の手で自分達の生活を考える気運を津島市に展開していきたいと考えている。
                              5月20日の一言

この身体が健康に動く限り…

 あなたの願い事は成就します…。「世のために、自分を大きく生かしたい」と、お願いして下さい。その願いこそ、私たちが生まれてきた理由です。この身体は借りものです。自分のことだけを祈るのでは決して霊験はありません。

 前記した文章は、四国八十八ヶ所霊場の第1番「霊山寺(りょうぜんじ)」内にある『百万人にお遍路を伝える会』から戴いた「四国遍路」の1ページ目に書かれた『発願(ほつがん)』に記された文章である。そして、次のように続けられている。

 自分のために、この一生があるのではなく、
 人の為に役に立てるためにこの身体がある。
 この身体が健康に動く限り、最後の瞬間まで、仏様に代わって働く。
 その誓いが、私たちを仏様やお大師さんに近付けてくれるのです。

 「この私の願いがかなえば、必ず、仏様に代り、衆生(世の中の人々)の為に尽くします」という願いは必ず成就するものです。

 昨年11月から封印(4月の選挙のため)してきた『四国遍路』への道が、急に身近に感じられるようになってきた。昨日の一言にも記したが、凶悪事件が連続する中で、空海(弘法大師)の唱えられた『十善戒』の重要性を感じて、久し振りに四国関係の資料や本に目をとおしたが、一番寺でパンフレットのように手渡された24ページの入門書を、あまりにも粗末に扱っていた事を反省したい。

 わずかな文字数の挨拶文に大きな意味が込められている。「この身体は借りものです」、「誰の?」、「自分のために、この一生があるのではなく」、「誰のために?」と真剣に考えてみたい。
 「この身体が健康に動く限り、最後の瞬間まで、仏様に代わって働く」とは、我々議員にとっては一番の目標となる言葉でもある。

 「政治に関わるものがお遍路とは何事か」と批判を頂いた事もあるが、自分自身を反省し、あらためて遍路の意味を自覚し、自分の為にも四国を訪れ、1千2百年前の偉大な政治家でもあった空海の教えを噛み締めてみたい。
                               5月19日の一言

林住期の前に空海の十善戒…

 昨晩は久し振りに飲みました。店主とは昭和55年頃からの付き合いとなる、岩倉市の店(以前は津島市で営業)まで乗せていってもらった事から、遠慮なくイキツケの人々と美味しい酒が飲めました。

 津島市と岩倉市は、夜でも車で50分ほどの時間がかかるものの、地元でもそれだけ旧くから出入りする店がなくなっている事から、近所から歩いてきたかのように会話が弾み、『飲兵衛』達は住まいの距離を忘れてクダをまき続けたのである。

 ここの親父も今年は60才を迎えたとの事で、最近では仕事一筋で『稼ぐ』とのイメージが薄れ、温泉めぐりをするようになり、客の年齢層も高い事から『鶴田浩二』の話題でも花が咲くのである。

 さて、こんなにタラフク飲んで食べて雑談している間にも、県内の長久手町では元妻を人質に取り、警察官を拳銃で射殺した元暴力団員の立てこもり事件が発生し、地域住民も避難する騒ぎになっていたのである。

 数日前に作家の五木寛之氏による『林住期(りんじゅうき)』について記した。50歳からを『布施行』として、食べていくために働くというよりは、人間らしく生きるために働く、仕事のなかに生きる喜びを見いだす生き方が勧められている。

 現実には、この事件の犯人も人質も50歳の『林住期』にあり、地域周辺の大学や全小中学校が休校となり、バスまで運休する騒ぎを起こしたのである。数日前には高校生が母親を殺害してバラバラに切断する事件が発生しているが、このような殺戮事件が連続し、かつての交通事故のように新聞やテレビを通じて報じられてくる。

 『林住期』をどのように生きるかを真剣に考えていたが、このような世情を考えると『林住期』よりも千二百年前に説かれた空海(弘法大師)の『十善戒』の徹底が先決で、久し振りに来客と四国遍路を話題にした次第でもある。
                                5月18日の一言

あんたも親父サンと同じで…

 日頃と違う行動をすると「雨が降る」のである。昨日も、議会終了後の夕方に自転車で遠出をしたら、夜には土砂降りであったが、本日も議員生活の中では珍しく自転車で愛知県の海部事務所に出かけようと決めていたら大雨である。

 大雨どころか、雷雨と雷鳴が響く合い間に自転車出勤となったのである。「お父さん、何でこんな日に」と問われても、ここで妥協すれば『なし崩し』となってしまうのである。自転車と写経を毎日のキーワードに決め、当分はこのままでいきたいと思っている。

 さて、自転車ゆえに、普段は通り過ぎる家も停まって訪問する事が可能となる。選挙の御礼というよりも、親の同級生で私の応援をいただける方は数少なくなり、訪れると今は亡き親父の思い出話に発展する。
 最近では親の同級生や、職場の仲間だった人々から声をかけてもらう機会が多くなったが、肝心の親父が亡くなって14年も経過すると、私を親父と同じように錯覚されていないかと思う事もあるのである。
 「あんたの親父さんは…」との会話が、「おい、あの時は…」となっているように感ずる事も多い。知らぬ間に私が知っているとの錯覚から、私の知らない親父との会話に発展しているのである。

 「あんたも親父サンと同じで…」と言われると、「いえ、いえ、私は親父とは違い…」とムキになって反論するものの、どうやら人々には私と親父が重なって映って見えているようでもある。こうなれば細かい事は封印して、親父の思い出話の聞き役に徹するのみである。

 こんなことが実感できるのも、親と一緒に同居していたからでもある。ただし、親父が生きていたら日々の生活はどうなっていたのであろうか。勤めた経験がなく、自営業であった私と、一生をサラリーマンで定年をむかえた親父とは、定年後の一日一日が衝突の繰り返しでもあった。一旦衝突すると、一週間は家族の会話が途切れ、母親も家内も私に我慢を強いたのであった。

 家内も母親も親父が亡くなってからも誤解している事は、私も親父も亡くなる一年位前からは、会話は別としてもお互いに『アウンの呼吸』になっていた事である。発言は別としても、お互いの腹の底が手をとるように解っていたように思う。

 臨終の前日であったが、死を宣告されながら病院にこない私を叱る親族に、「あいつはPTAで忙しいから…」と死の淵にある親父が弁解していたのである。遅れて到着した私を見た父親の目から、ひとすじの涙が頬をつたった。

 本日限られた時間ではあったが、訪問した親父の同級生のお宅で、久し振りに親父を思い出させてもらった。こんな温かい気持ちは久し振りである。とりとめの無い話だが、自動車では体験できない体験を自転車にもらったような気がする一日となった。
                                5月17日の一言

本日で写経は12枚目

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 平成6年より毎週火曜日に続けてきた書道会『神守丈友会』であるが、昨年より恩師の体調不良により指導者抜きの日々も多くなってきた。

 そのためもあって、最近では般若心経の写経を一日一枚のノルマと課し、本日12枚目に至っている次第であるが、恩師の後藤毅(緑風)先生は先週より入院となり、復帰までは各自の判断で練習し、私は写経に決めたのである。

 大阪から発信された見事な書のブログ『書道家・皇雲の「書道」「フットサル」「グルメ」エトセトラ』http://blogs.yahoo.co.jp/takashi_kounを拝見し、13年間も書道を習う機会をもらいながら、真剣に向かい合ってこなかった反省をしても過ぎ去った日時は取り返しがつかないのである。

 平成6年秋の事であったが、せめて恥ずかしくない記帳ができるようにと、中学時代の恩師で書家でもあった長谷川丈夫(錦波)先生にお願いに伺った。恩師は、「地域に多くの書家があるから…」と頑として固辞され続けた。地域の校長会長も歴任され、おかしな小遣い稼ぎはしたくないとの気持ちと、書を生業としている人々の邪魔はしたくないとの意向でもあった。

 「先生、なんか勘違いされているんじゃないですか」、「何が?」、「私は先生に1円も出しませんよ」、「なんだ-?」、「先生、多くの書家があっても、タダで教えてくれる人は先生しかありませんヨ」、「どういう事だ?」、「だから、先生はタダで教えるんですよ」、「?…△…?!…〇…」、「ヨシッ!、良く判った。じゃー、1銭の金も受け取れんぞ!」と、まったく身勝手で図々しい説得を受けてもらい、恩師の一字をとって『丈友会』がスタートした。

 教え子を中心に集まったメンバーは、謝礼は出さないが会費を集めて恩師とともに旅行や食事会を楽しんできたのである。
 3年後に弟分の後藤先生が引き継いで現在に至っているが、数回の書道展を開催し、新聞に掲載された事も数回あるが、最近では書道よりも旅行や食事会に関心が移っており、5月には一泊旅行を予定していた矢先でもあった。
 現在では、長谷川先生は施設に入所され、後藤先生は病気と闘いながらの指導となり、進歩のない腕前を悔やんでも遅い現実を味わう事となっている。
                                5月16日の一言

五木寛之氏の言う林住期にありて…

 議員にとっては議会が仕事場であるが、議長や委員長などの役職にこだわり、多数派工作や人の取り込みを見ると、私は議会には不向きな性格なのかもしれないと思った。

 作家の五木寛之氏の著書に『林住期』という本がある。人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の4つに分け、25年ずつに区切り、「林住期」は50才から75才までの期間として記され、50才以上は「食べていくために働くというよりは、人間らしく生きるために働く」「仕事の中に生きる喜びを見いだす」という生き方を人生の後半にしたいと記されている。

 これから(50才以上)の労働を食べていくための労働ではなく、人々にご恩返しをする労働であって欲しいとも話されている。
 まったくそのとおりと思うが、最近の世情がそれを許してくれず、50才どころか60才を超えても生活のために働く人々の姿が見慣れた光景となってもいる。

 若い時から働き続けて、土地を買い、家を建て、資産を貯えた人々は、仕事のリタイヤを向かえた歳になっても、資産のある者には行政から税金を請求され続け、若い時から浪費を続けて何も資産を有しない人々は、税負担も少なく、困った時には「生活保護」によって生活が支援されている。
 まったくの矛盾であるが、真面目な人は働き続けて、最後まで自立を求められ続け、逆の行き方には世の中の支援で扶助されていくと、五木氏の言う言葉を素直には聞けないのではないか。

 社会の二面性の中で、どちらを選択するかは人それぞれであるが、私は五木氏の主張に耳を傾けてみたい。議員の多くが、五木氏の主張するようにはなってはいないと思われるが、議員が本来あるべき理想の中から、人々に恩返しのできる労働を模索してみたい。
                               5月15日の一言

10分で終るタイヤ交換に3時間

 毎日自転車で名古屋まで15キロ位を通学し、一日に百キロから2百キロを自転車で走る息子(高校生の三男)に触発され、自分もの気持ちが芽生えてきている。

 日曜日には名古屋競輪場で大会があり、息子は東海大会にコマを進めているが、全国大会には依然として厳しい戦いが続きそうである。

 今から30年ほど前の話となるが、昭和55年の秋に私の店に勤めていたM君が、ブリジストンのユーラシアという高価な自転車を購入した。記憶が定かではないが、十数万円していたと思う。しかし、一年もしないうちに自動二輪の免許をとり、400ccの中型バイクを新車で購入し、仲間と遊び回るうちに家を飛び出して行方不明になってしまったのである。

 「おい、あの自転車をどうしようか?」と、M君の同級生だったI君に問うと、「そのまま置いておけは戻ってくるかもしれないから」との返事から、M君の母親に話してそのまま我家の倉庫に眠ったままとなったのである。
 それから30年ちかくが経過しているがM君は表れず、家も引っ越していったためにそのままとなり、時々自転車を引っ張りだすとタイヤがひび割れしてパンクしており、その都度タイヤを交換していたが、タイヤの交換にも費用がかかる事から、最近では放置されたままになっていたのである。

 昨年から息子が自転車競技をはじめ、簡単にタイヤを交換している事から、自分でもできると思ってホームセンターに出かけたのである。もちろん反対する家内に、「おまえの自転車も直してる」と言ってタイヤやチューブを買ってきたのであった。

 しかし、素人でもできるとは言うものの、交換したものの最初から空気が抜け、やり直しの連続となり、息子の力を借りる事となったのだが、ホームセンターで安価で購入できるものの素材が悪いらしく、何度もキズをつけてバンク修理や交換のやり直しとなったのである。

 「餅屋は餅屋」の言葉どおり、自転車屋が10分で終るタイヤ交換に3時間もかかったのである。しかも、何とか乗れるものの心配はつきない状態である。ところが、試乗した息子が「古いけど乗りやすい。良い自転車だ」と語った事から、乗りたいのは山々ながら、明日からの議会を控えているため暫しの休眠である。ただし、30年の歳月は後戻りができず、ザビ付いた車体の掃除が先決でもある。
                                5月14日の一言

古い奴だとお思いでしょうが…

 本日早朝のテレビ番組『歌謡塾』で、昭和の歌謡曲として(鶴田浩二の)『傷だらけの人生』が歌われた。

 ただし、歌ったのは鶴田浩二ではなく『タマちゃん』なる人物であった。曲としては確かに『傷だらけの人生』に違いないが、「古い奴だとお思いでしょうが…」のセリフについても全く別物の読み聞かせであり、鶴田浩二の唄った曲とは似ても似つかぬ代物であった。

 この曲は、昭和46年1月に藤田まさと作詞、吉田正作曲で発売され、昭和46年7月に公開された映画『傷だらけの人生』の主題歌である。

 作曲家『吉田正』は、さすらいの舟唄(昭和27年)から昭和62年に発売された『望郷歌』まで、鶴田浩二の歌を103曲(全部で151曲のレコード発売)作曲している。鶴田浩二のヒット曲『街のサンドイッチマン』(昭和28年)、『赤と黒のブルース』(昭和30年)、『好きだった』(昭和31年)はすべて吉田正の手によるものである。

 その鶴田浩二のこだわりは、歌そのものがプロではないと自分に言い聞かせ、ステージで歌う場合は必ず冒頭に、「映画俳優の鶴田浩二です」と挨拶を入れていた。
 この事に対して、「鶴さん、もう止しなよ、鶴さんは立派な歌手なんだから」と吉田正は言い、二人はこの事で大ゲンカをしたが、鶴田浩二はその哲学をあくまで貫き通した。

 鶴田浩二と吉田正の関係は、歌い手と作曲家の関係を超えた縁(えにし)とも言える付き合いで、ただ単に作られた唄を口ずさんだものではない。鶴田浩二は「歌は人間の心を伝えるものだ。人間の肌の温かさを感じさせるものだ。生身の人間の愛おしさを感じさせるのが歌だ」と言い、自分の歌についても最後の詰めの部分で納得していなかったと聞く。

 初めてのヒット曲『街のサンドイッチマン』は、吉田正がダメな曲として聞かせた曲であったと言う。鶴田浩二はこの曲が気に入り「この歌はいい歌だ」と引っ張り出したと言う。そして、酒の飲めない吉田正を酒に誘った。堅いばかりでは流行歌は作れない。そんな私生活まで及ぶ関係から鶴田浩二の曲は出来上がっているのである。

 二人の関係を簡単に記すことはできないが、鶴田浩二のために吉田正が作った曲を、『歌謡塾』としてタマちゃんなる人物がいとも簡単にセリフを語り歌った事(素人の鶴田ファンが歌ったのであれば何も思わないが、プロとして歌った事に対して)には、期待していただけに個人的にはがっかりした。しかし、「死人にクチナシ」とは良く言ったものである。鶴田浩二が健在であったらどのような感想が返ってくるか聞きたい心境となった。
                               5月13日の一言

何もない一日

 2日前の真夏日から一転して昨日は寒さが戻り、何も予定がなかったから良かったものの、本日は体調のすぐれぬ一日となった。

 来客はあったものの、議員として対応する事もなく、頭痛とともに体中がだるく、着替えることなく仕事の合間に横になりながら一日が終了した。夜型ゆえか、夜になったら元気が出てきたものの、夜にできる仕事は限られている。

 やりたい事はいっぱいあるが、本日は何もない一日であった。過去の一言にもこんな短い記載は一度もないが、本日はここまでである。
                               5月12日の一言

プロ野球の後遺症から…

 高校野球連盟は昨日の全国理事会において、日本学生野球憲章に違反するとして厳しい処分を発表していた『野球部員の特待生制度』の処分を緩和することを決めたと発表した。

 突然の厳しい発表により、特待生制度を打ち切られた生徒が、経済的な理由から退学や転校せざるをえないケースも多い事から、見直しを訴える声も多く、今回の処分緩和につながったものと思われるが、学校教育の関係者でありながら、特待生が学校生活すら継続できないケースも想定せずに発表されていたとすれば、高野連幹部の責任も重大である。

 今回の見直しについては、現在の在校生が卒業するまでの暫定的措置との事であるが、該当する生徒に与えた精神的ダメージは大きく、現在開催中の各地方での大会に出場できなかった選手や、出場を辞退した学校もある事から、遅まきながらも夏を目指してこの問題については封印すべきだと主張したい。

 近年では、冬の雪の影響で勝ち進む事が難しかった東北地方や北海道の高校においても、練習環境が整った事から活躍し優勝する事も可能となってきた。練習量の差によって西高東低だった高校野球の格差が無くなったようにも思われるが、現実には資金を投入した私学だけの話で、多くの公立高校においては雪によって泣かされたままでもある。

 一方においては、少子化傾向による生徒数減少を見越した私学の生き残り対策として、手っ取り早く知名度を上げる事が可能な『高校野球』への偏重報道にも苦言を呈しておきたい。同じ高校生でありながら、テレビや新聞に取り上げられるスペースが格段に違う事から、高校野球にかけられる私学の予算は格段に多い。

 今回の騒動の源は、プロ野球側から選手や監督に渡っていた『裏金問題』であり、過去の反省もなく旧態依然のままであるプロ野球の責任を問わなければならない。私の個人的偏見かもしれないが、このような金銭にまつわる問題が続くと、プロ野球だけでなく、汗と涙の高校野球までもがひじょうにダーティーなイメージに変わってくる。

 かつての夢と希望で憧れたプロ野球選手や、真夏の厳しい大会を勝ち進んだ甲子園大会の栄冠は見事に崩れ去ってきた。密約と裏金を払拭し、心を揺さぶられる試合を観戦させて欲しいものである。
                                 5月11日の一言

今日はヒマなはずだ

 「お父さん、何やってるのー?」と、携帯電話から不機嫌な家内の声が聞こえてきた。「今は、ちょっと…」、「何ッ?」、「会議中」と言って電話を切ったが、休憩時に電話をかけ直すと、「今日はヒマなはずだ」と言って訪問された来客があったようである。

 忙しいと思ってはいないが、予定の行事に参加中でも「ヒマな筈…」と言われ、「何をしているの」と不機嫌に問われると心中複雑なものがある。

 県の海部総合庁舎を出る頃には、市役所も終わりに近くなっており、この際だからと昨年市役所を退職した知人(管理職)と珈琲屋で落ち合い、津島市政に対する考えや津島市の問題点を議論する事とした。

 公務員と言うと目の敵のように話す人もあるが、さすがに30数年も行政マンとして培った知識を無にする事はない。一般市民と語るのも重要だが、元市職員の言葉には「さすが」と思わせるヒントが多く、巡りの悪くなった頭を整理する必要性を実感させられた。

 国や県では『天下り』が問題とされているが、地方都市には無縁の話で、退職した職員の蓄積された知識がまったく活用されていない。来週開会される臨時議会に提案される『副市長』のプロフィールが本日送られてきたが、立派な経歴を持った人も重要だが、退職した多くの職員の知識と経験を生かす事も重要である。

 さて、自分では予定を立ててあるものの、相手の都合や体調の良し悪しもあり、次第に締め切りに追われた生活が迫りつつある。本日は同級生の父親の訃報も届けられた。多くのことを考えていても、限られた時間の中では無力でもある。時間に追われる予感がする。
                               5月10日の一言

大鹿さん、元に戻ったンと違う?

 本日は各地で『真夏日』を記録し、愛知県でも5月時では過去最高の気温であったような報道がなされていた。

 そうとは知らず、過去にもあまりやった事のない、徒歩による市役所行きを決めた事から、午後は汗を流して上着を持っての帰宅となった。しかも、カバンの中にはパソコンが入っていた事から、普段より重いカバンを持っての歩きでもあった。

 「大鹿さん、元に戻ったンと違う?」と、昨日の訪問者から言われた言葉が気になっての徒歩通勤であるが、選挙から半月が経過し、運動不足は確実にリバウンドの方向を示し、体重こそ1キロ程度しか戻っていないが、顔は明らかに元に戻っている事が実感されるための徒歩通勤でもあった。

 あまりの汗に途中休憩しようにもコンビニや珈琲屋では目的に逆行する事から、靴の量販店に買う気もなく入ったものの、あまりの安さにびっくりして見ていると、以前に比べて客足の少なさが気になり、店員も一人である事が判り、冷やかしもできない雰囲気から買う気になって選びだした。

 さて、びっくりする安さに驚いていたが、実際に買う気になると、欲しい品物はそれなりの値札がついており、あまりの値段の格差に店員に問い合わせたものの、選択後になっても安い正札が後ろ髪を引っ張るし、「そのままで良い」とは言ったものの、店員が箱入りにして手渡した事から、暑い日中に荷物を増やして『旅行帰り』のようないでたちの帰宅となってしまったのである。

 さて、3日前から久し振りに般若心経の写経をはじめ、今後の空いた時間を費やそうと思っているが、毎月届けられる知多の『洗い観音・宝珠寺』からの手紙に、壱萬巻の写経の最後の三百巻を届けられた信者の話が記されている事を今日の夜になって目にしたのである。

 私の中学時代の恩師で、書道の師でもある長谷川丈夫先生から、千枚の写経を見せてもらった事があるが、この壱萬巻の写経には30年の歳月がかかったとの事である。本当に3日目で『三日坊主』に終らなければよいが、自分の体重とも重ね合わせて考えさせられたのである。
                                5月9日の一言

惰性のままの一日

 本日は早朝よりぴっくりする電話を受け、その惰性で一日が経過してしまったような気がするし、市役所に出向いても仕事の進展が皆無となった。

 4年前の選挙では、前市長の陣営から組織的選挙違反が摘発され、多くの関係者が取り調べを受け逮捕に至り、前市長自身も連座制により辞任再選挙に至った事で、津島市政に対する市民の信頼は著しく失墜し、合併を含めて隣接市町村に対しても大きなダメージを残したことは間違いがない。

 早朝の電話は、今回も市議会議員選挙において、一部の議員関係者が実際に警察の取り調べを受け、辞任をする可能性もあるとの愕然とする内容で、議員の一員として発する言葉が見つからず、仮に関係者の逮捕や議員辞職になった場合の市民への説明はもちろんだが、津島市民としても恥ずかしい心境になってきた。

 厳しい財政状況下にあり、財政の立て直しと、医師不足の市民病院の改革を控えて、仮に逮捕者が出ないとしても、こんな恥ずかしい内容を耳にするとは思ってもおらず、4年前の反省が活かされていないとすれば、議会で市民の期待に応えていけるか疑問にもなってくる。

 さて、市民病院の経営改革は待ったなしであり、本日は新しく選出された伊藤市長の訪問も受け、市民病院に対する市長のやる気を垣間見た事から、自分の知りうる限りの協力を申し出た次第である。議員や首長は選挙のために頑張っているのではなく、地域社会のためにある事から、信頼に答えるべく議員活動に頭を切り替え、惰性のままの一日は今日限りとしたい。
                             5月8日の一言

一度は好きなようにさせないと…

 本日は、空白の一日と言うか、来客はあったものの、市役所には家内が代理で用件を済ませたため、歯医者に通っただけの珍しくヒマな一日となってしまった。

 予定していた仕事はあったものの、肝心の相手が現れず、歯医者の終った後で電話すると、カゼをひいて寝ていたとの事であった。「それでも、せっかくだから…」と珈琲屋に出向く事になり、健康を意識して自転車で出向いて帰宅した。

 そんな事から、自分の体験を通じての記載は何もない訳ですが、今月よりアパートを借りた次男がこまめに荷物を持ち出す姿に、子離れができない自分を実感するものの、一抹の淋しさと今後の展開を考えさせられている。

 普通に考えれば長男が後を継ぐのが自然であるが、婚約している相手が外国人であるために、生活習慣の違いを考慮して一度は家を出る予定になっており、そのまま帰ってこないと4人も子供があっても三男しか残されない可能性が高くなっている。

 親としては矛盾だが、長男と次男の時と違い、その三男には自分のやりたい事を好きなようにやらせてやりたいと思っており、子供全員が出て行く可能性も現実的な気配になってきた。
 今まで8人の大家族であったものが、娘は別としても次男の引っ越しから、一度に半減し、近い将来は親だけになっているかもしれないのである。

 「一度は好きなようにさせないと…」と家内は言うが、そのままとなった場合に我家の将来はどうなるのか…。今さら田んぼを耕作せよとは言わないが、家や田畑は引き継いでもらわないと我家の歴史が止まってしまう。

 私の希望は長男が家を引き継ぎ、次男と三男の新家をトナリ同士に建て、私は二人の家の真ん中に部屋を建てて隠居生活を送りたいと考えていた。こんな事は有り得ないとしても、長男はアメリカ人と婚約しており、我家の将来に暗雲立ち込めるような気持ちで次男の引っ越しを連日眺めている。もっとも、引っ越したと言っても、毎日夕食は我家に戻ってくる約束ではあるが…。「じゃー、引っ越すなよ」と言っても無視である。
                               5月7日の一言

やっぱり似ているわッ

 本日は久々の『横井庄一記念館』の一日となった。実際には、3月の地域行事と重なっていたため2ヶ月ぶりの留守番でもあった。

 4月の選挙による空白で、来月には記念館が開館して1年を迎える今になって、忘れていた継続中の仕事が話題になってきた。一年前の開館を機会に、横井記念館のビデオ撮影と編集が続けられており、来月には完成させる予定になっている事と、不足する案内表示のカンバン設置が必要とされ、来場者に配布するパンフレットも本日で品切れである。

 「ところで、記念館のホームページはどうなっているの?」と問われ、3月末より無料のサイトが有料化された事で閉鎖されたままになっている事が思い出されてきた。
 「ホームページが消えたままだと記念館も閉鎖されたと思われるから…」と言われ、早急の対応が求められてきた。ただし、無料で開館を続けている中で、駐車場を確保した事などで経費が増大するばかりの現状から館長のフトコロが心配にもなってくる。

 「横井庄一の作った抹茶茶碗でお茶でも出したら良いナ」と話していると、そのとおりにお茶が出されてきたが、来館者全員に出そうと考えると大変な事になる。新たなボランティアを発掘する必要性にも迫られている事も実感する。

 「やっぱり似ているわッ」とは、横井庄一の母親の遺影と私の顔が似ていると来館者の声である。「初めて言われましたが似てはいないでしょう」、「いやいや、目鼻がそっくり」と言われていると、「横井さんにも似ている」と、ありもしない声まであがってきた。「この人のお父さんは似てましたよ」と館長の助け舟があったが、こんな和やかな一日を送ったのは久し振りの事でもあった。

 さて、明日からは久々の議員活動と、設立予定のNPO法人の手続きも待ち受けている。選挙時の気持ちを持続させる一週間としたい。
                               5月6日の一言

高校に直接頼んでみたら

 本日は早朝より電話や冠婚葬祭、来客が続き、予定していた洋服選びに出かけたのは午後2時を廻ってからとなり、約束してあった人々は朝からシビレを切らして不満顔の出発となった。

 さて、本日は高校野球の特待生問題に関連して触れてみたい。
 2年前の事であるが、全国優勝を飾った事によって『愛工大名電高校』に進学を希望する生徒が急増し、当校へ進学を希望する三男の事が心配になってきた。わが家は長男と次男が陸上部と相撲部でそれぞれの監督より勧誘を受けて当校に入学している。とりわけ長男は、熱心に誘われインターハイや国体で入賞し、中央大学進学時には次年度の生徒の入学まで確約されて進学している。

 高校との関係を知る現役教師から、「高校に直接頼んでみたら」と言われてその気になっていると、「絶対に止めて下さい」と三男の中学校の担任から子供を通じて話があった。その後、三男は『愛工大名電高』一本の進学希望であったが、担任の勧めで私学のスベリ止めの高校を受験させられたうえ、公立高校2校の4校受験する指導を担任から受けていた。

 結果的には希望どおりに入学を果たしているが、公立高校に合格すると愛工大名電には入学できず、希望する科目も受験しておらず(息子の成績不足が原因だが)、入学後になって希望の科目が選択できた(中学の指導に疑問)次第である。

 「愛工大名電高で運動だけ頑張れば良い」との親の希望も、長男と次男に続いて進学したい三男の希望も、公平性の視点から無視される指導を担任から受けていたのである。三男は進学後になって、兄を指導した高校の監督から自分のクラブへの勧誘を受けてもいる。

 三男は結果的には『自転車競技部』を選択し、全国大会を目標にして頑張っているが、子供によって高校の選択肢にも色々な考えがありながら、希望を無視した学校の安全策で進学指導されている現実と、結果的には我家は直接交渉した方が良かったと思ってもいる。

 我家の感覚では、長男も次男も全国大会を経験しているが、『愛工大名電高』に進学したからできた経験であり、近くの公立高校に進学していれば経験はできなかった事である。特待生制度についても、金で生徒を買い集めるような仕組みは問題であるが、生徒が希望する自由な選択であれば、すべてが問題とは言えないのではないか。

 三男の場合でも、活動に使用する自転車は自家用車並みの値段である。ヨーロッパで試合を転戦している高校生も存在する。今回は高校野球だけの問題ではあるが、生徒によって様々な条件がある事が理解されていないように思われる。

 ルールを侵した処罰は必要だが、ルールが示されていななった現状をいきなり処分するやり方は問題ではないか。プロ野球の不祥事が原因で、悪気がなかった純粋な高校球児の将来の希望や将来性を抹殺する可能性に、高野連の選択を批判し再考を促したい。
                                 5月5日の一言

我家に停められたパトカーに

 連休中ではあるが、親族の法要があり参列した。1キロ程度の距離にある事から、前日より自転車で出かけると決めてあったが、お供え物もある事から、家内が先に自動車で届けることとなった。
 法要後の昼食も、私以外は皆が自動車で来ているため、気前良く抜かれたビールも私のためだけにあるようなものであるが、一人で3本はサービスのし過ぎでもあった。
 さて、帰ろうとするとお返しの品々があり、自転車では持てないとの事から、後から自動車で届けてもらう煩わしい展開に、自己満足の自転車が廻りに与えた迷惑を実感しての帰宅となった。

 帰宅直後に4月の選挙で新たに当選された新市長と前市長二人の訪問を受けた。新市長は前任者の仕事を継承する後継者であるが、私と同年である事から、長期的展望にたった市政運営を要望した。
 話の主題は当然の話題として『市民病院』である。市長の初登庁に合わせたかのように、医師不足から診療現場の受け入れ制限と経営難が大きな記事となって報道されている。

 議会では質問や要望を続けてきたが、医師の確保には政治的な限界もあり、先進地の具体例を拾い、地元開業医との連携により、不足分をカバーするため、新市長とは建設的議論を踏まえた議会活動を展開していきたいと考えている。
 厳しい財政状況下にあり、私自身が箱物行政に否定的である事と、自分の体を投入した具体策や展開を考えている事から、新しい市長には『新鮮なやる気』を持ち続けていただきたい。

 夜になっての来客は、近所で自動車に追突されて逃げられた被害者である。私の次男の同級生だった事から、ぶつけられた直後に我家に停められたのである。幸いに逃げた車のナンバーが記録されており、捕まるのは時間の問題と思われるが、びっくりしたのは帰宅した息子達でもあった。

 駐車場の入り口に停められた2台のパトカーにびっくりして息子の車が通過していったのである。「選挙違反で親父が逮捕か?」とは思わなかったようだが、連休とは思えない慌ただしい一日が深夜まで続いたのてあった。
                                5月4日の一言

痩せたことによる新たな悩みに

 本日は4年に一度の選挙時しか活躍しない自転車に10日ぶりに乗り、市内を走って行きつけの珈琲屋まで出かけた。

 選挙以来の自転車は体に心地よく、車では見かける事のない津島市の風景を見させてくれる。「あれッ?」と言われながらも、マスクとジャンバー姿に選挙時の面影はない。ここにカメラがあれば20年前の自分と同じであるが、先々の景色は様変わりしている。

 さて、このブログにも記してきたが、体重が減り痩せてきた事が行く先々で話題となる。「体重を10キロ減量したい」と、数年前の会報『津島の風』に記した事があるが、現在の体重73キロは10キロ減量した事になる。

 「おい、選挙のポスターと違うじゃないか」と笑われるが、今回のポスター撮影時の3月と体重は変わらないものの、顔形や体形は大きく違っていることが自分でも判るほどである。「あれっ、大鹿さん痩せた?」とかかりつけの医師から言われると、「糖尿病でしょうかねッ」との冗談にも医師が真剣に反応し「数値は異常がないけどネー」との返事がもどってきた。

 どうやったら痩せられるのかと諦めていた体重が、いとも簡単に減り続けているが、管理栄養士の先生の指導の影響が大きく、1月から3月にかけて会報を配布した事もと思っても、8年前から同じ行動をとっており、選挙中に一日60キロから70キロ自転車で走り続けた事が原因のようでもある。

 こうなると70キロのカベを超え理想体重まで減らしたいが、重大な問題が起こりつつあるのである。それは着る洋服やズボンのサイズである。今までバンドも必要がなかったズボンが、ベルトをしても下がっていき、地面にまで到達するのである。

 昔の洋服が着れるようになったものの、色がくすんでいるために、新しいスーツを買い求める予定ではあるが、さて、サイズをどのように予測すべきかが思案でもある。なんせ、20年ほど80キロを超える体重であった現実から、現状の体形がいつまで続くか判断もつかず、ダブダブとなった洋服と、若かりし時代の洋服を取り出して見比べる毎日でもある。
                               5月3日の一言

笑っている場合か

 ゴールデンウィークではあるが、長男と次男は仕事があり、三男は明日から6日まで一宮競輪場で合宿との事で、家内が早朝より競輪用自転車を車に積んで高校まで運んで行った。

 本日の朝刊を見渡すと『津島市民病院』の記事が大きく掲載されてきた。内科医が大学病院へ引き上げられ不足するために、診療や救急に影響が出ることと、医師不足から今年度中の赤字解消が達成困難とも報じられてきた。
 昨年外部から専門家を招いて開催された『経営改革委員会』で、本年度収支の均衡が達成されなければ津島市は公設公営を断念するとの答申が出されていたが、本日初登庁した新市長は「20年度には収支均衡を達成したい」と、赤字解消の先送りを述べている。

 今年の市長選の大きな論点とされた市民病院の経営改善だが、新市長の初登庁初日より医師不足を原因とする内科の救急患者受け入れができなくなるとは皮肉でもある。

 「赤字のくせに、高級車の公用車で来るとは何様だ」と、本日の市民病院の苦しい記事のトナリに掲載された市長の写真を見た市民の声は大きく響いて聞こえてきた。「笑っている場合か」と手厳しい。

 経営改革委員会の答申は、前市長の任期中に出されたものかもしれないが、半年もしないうちに先送りでは「前市長の路線を継承する」との公約はどのように解釈すれば良いのか。又、一方で、市長選の前から判っていた医師の異動だけに、選挙中の公約やマニフェストの意味が疑問となってくる。「本当に大丈夫」と問いたくなる市民に何と答えるつもりであろうか。
                               5月2日の一言

若き新人議員の登場に心機一転

 4年に一度の選挙ではあるが、選挙用に事務所を模様替えするために、私の私物はダンボール箱に詰められて山積みにされている。私にとってはそれぞれの資料に思い入れがあるが、それでは片付かないので文句なしで人任せの結果だが、この際古い資料は大胆に破棄する決断をした。

 議会関係だけでも全部残していると資料の山と化し、過去の議案などはほとんど見ない資料である事と、簡単にゴミとして出せない資料も多い事から、必要な資料は議会事務局に保管されているため、心機一転と大胆な決断でもある。

 8年の議員生活の中で、過去に一度だけ資料を破棄したところ、再度資料の入手に苦労した事から、総てを山積みでも残してきた。ただし、山積みでは必要な時に探す事もままならず、参加する勉強会やボランティアも増えた事から過去の資料は切り捨てなければ手がつけられない惨状となるのである。

 「おい、砂九さんの手拭いはどこにいった」、「おい、〇×は?」が口癖のような毎日が続く。年齢のせいにすると皆さんから叱られるが、自分で置いておいた物の行方不明のために毎日のように貴重な時間が費やされる。昨日から『老眼鏡』が行方不明だが、本日は数日間探し続けていた『横井庄一』が戦地から我家に送ってきた手紙が見つかった。

 山積みしたままにするから家内が仕方なく箱に入れて片付けるから、自分の物でも家内に聞かないと判らないし、家内には私の思い入れはないので、自分で発見するしかないのである。掃除でもしようと古い遺物でも置いておくと捨てられてしまう運命にあり、私の親父が満州から持ち帰った水筒も「ゴミだと思った」と捨てられた事も知らずに黙々と探していた事があった。

 さて、本日は議会活動の居場所となる新しい会派の届けを済ませてきた。今回の選挙で29歳の若さでトップ当選を果たし、各会派からの勧誘が続いていた上野議員が、身勝手で一匹狼と言われる私の続けてきた『無所属の会』で一緒に活動する事となった。しがらみのない若さは魅力がある。彼が市民の視点で活躍し、多くの市民に親しまれ、私の老後を支えてくれる事に期待するとともに、彼の若さに負けない体力で頑張りたい。
                                5月1日の一言

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