大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2007年07月

愛工大名電三年連続甲子園へ

 夏の高校野球愛知大会は、本日岡崎球場で決勝戦が行なわれ、逆転勝ちで愛工大名電が3年連続9回目の甲子園出場を決めた。

7月31日:決勝(岡崎球場) 愛工大名電 × 中京大中京
     1 2 3  4 5 6  7 8 9  計
名電  0 0 0  1 4 0  0 0 2  7
中京  1 1 1  0 2 0  0 0 0  5
投手 名電 :細江-高須-柴田章     中京 :井藤-細川
本塁打 中京 :都築1、2号


愛知大会の全試合の記録は、下記の『甲子園に、恋をした』メーテレをご覧下さい。
http://www.nagoyatv.com/base2007/aici/

 試合後のインタビューで愛工大名電の倉野光生監督は、「いまだに信じられない。夏の甲子園では(監督が)一勝もしていないので、選手達が是非一勝をプレゼントしたいと言っている」と答えたが、大量失点を跳ね返す逆転勝ちの試合が続き、最後まで諦めない堂々とした試合運びには、名監督としての貫禄もうかがえる優勝でもあった。春の甲子園では準優勝・優勝と2年続けて経験した実力監督の謙虚な言葉に、絶対に甲子園に応援に行くぞと思わずにはいられない。(ただし、涙、涙のオヤジの出現はメイワクかも)

 「何ーッ、何でオヤジが名電を応援しているの?」とは、数日前の次男の一言であった。まるで部外者のような意地の悪い言葉ではあったが、3人の息子が世話になった高校ゆえに、親バカでも私が応援している次第である。長男と次男の在学中にも何度か甲子園に出場しているが、息子たちも陸上や相撲で全国大会に出場した中で、子供の応援にも行かないのに甲子園へ行く事も出来ずに今日に至っている。

 三男は2年生に在学中であるが、自転車競技の全国へのカベは厚く、8月にやっと東海地区の選抜選手として「ツール・ド・とうほく」に出場を決めたが、夏休みは合宿の連続で顔を見ない日々が多い。息子のスケジュール表に、「東海選抜というブロック代表です。ぶざまなレ-スはできません。狙うのは団体優勝・個人総合優勝です」と監督の言葉が記されていた。

 私にとっては最後の息子であり、この機会に是非とも甲子園に行ってみたいが、息子のスケジュール表に記された言葉に息子も応援に行きたいと思えてくる。ただし、勤めに出た家内の事や、家族の夏休みも考えると難しい選択である。飛行機に乗れない自分にも秋田や岩手、仙台の地名は大きなハンデとなるが…
                                7月31日の一言

自民党への逆風の強さに…

 民主党の圧勝によって、与党である自民党と公明党は参議院の過半数を維持できず、衆議院では安定多数を有するものの、今後は難しい政局運営を強いられる事となった。それにしても、選挙後の安倍首相の発言は、あまりにも軽薄であり、信頼できる参謀と相談役の不在を感じるとともに、囲碁か将棋でも指南される精神的余裕が欲しい。

 選挙から一日しか経過していないが、この一日の違いで安倍首相は天国と地獄の違いを実感しているのではないだろうか。しかし、国民の立場になって考えれば、今までのような自公連立政権による強行採決が許されず、野党が参議院の過半数を占めたことから、独善的手法を阻止し、参議院の存在そのものの価値も見出す事ができたのではないか。

 一方で、今回の選挙では、「自民党への逆風」が吹いたのであって、民主党政権を期待するのは時期尚早ではないか。難しい評論は専門家やマスコミが研究して発表されると思うが、私の周りの声をひろうと「誰に入れて良いのか判らなかった」との声が多く、比例区で当選した民主党議員の最下位は6万7千612票の得票であるのに対して、自民党の最下位当選者が20万1千294票もあり、自民党で落選した15人が民主党最下位当選者の得票を上回っているのである。

 すなわち、候補者一人一人の資質は別として、今回は「自民党以外に」と自民党批判から民主党に廻った票が多かったと私は考えている。あまりにもひどすぎる安倍政権を支える大臣や閣僚の失言。あまりにも国民と乖離した金銭感覚の批判と改善が国民から求められていると思う。

 さて、現実問題として、小泉政権から続けられた構造改革が頓挫することは好まない。国民に痛みを求めた改革ではあったが、今回の選挙結果によって流れが変わる事無く、この改革のみは結末まで導いて欲しいものである。結果論ではあるが、政治の二極化によって、セレモニーと化していた国会での議論が高まる可能性も高い。今まで目標として語られてきた政権交代が確実に現実味を帯びてきたが、重要な事は自民党の反省はもちろんだが、民主党の明日からの行動を見定める事も必要であろう。
                                7月30日の一言

 


お祭りも参加できない忙しさに…

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 仕事に追われてお祭りどころではなかったが、津島市では昨晩と本日の早朝に日本三大川祭りに数えられる『尾張津島天王祭』が開催されました。(掲載した写真は過去の写真・引用した資料は不明)

今年の様子は、天王祭りに関するブログを参考にして下さい。
花鳥風月 http://blogs.yahoo.co.jp/niriknai/23238889.html
生きてる証・窓際日記 http://blogs.yahoo.co.jp/pahuwaseda/35177390.html
毎日ガンバロ!!! http://blogs.yahoo.co.jp/htskm245/50072770.html 
   http://blogs.yahoo.co.jp/htskm245/50093083.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/htskm245/50099608.html
お気軽主婦のきまぐれ日記 http://blogs.yahoo.co.jp/mippi951/14530837.html 
   http://blogs.yahoo.co.jp/mippi951/14553531.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/mippi951/14611711.html
茂の安楽椅子 http://blogs.yahoo.co.jp/mayumao_oya/23244279.html
自転車生活習慣病 http://blogs.yahoo.co.jp/hirorover200vi/50028210.html
皆さん、身勝手な転用をお許し下さい。誠に申し訳ありません。

 「おいッ、今日はお祭りじゃないのー?」と言われても、お祭りを観覧している余裕がなく、本日も家を外出したまま一日が経過してしまいました。(選挙は行ってきましたので念のため)
 津島市にとっては一年でもっとも大きなイベントである川祭りであるが、私の住む地域は昭和30年に合併した旧神守村ゆえに、未だに津島市とは若干違う感覚が残り、川祭りも地元ではなく、「見に行く」とか「見てくる」といったお客さんの立場が強いのでもある。問われて「そうですねー」とは他人事のようであるが、正直な心境である。

さて、本日は早朝より、かつて雇用していたOさんの訪問から一日が始った。

 今月いっぱいで働いていた会社の仕事が閉鎖されるため、住み込みのOさんは仕事と住居を探す日々が続いている。私と同年である事や、学生生活が長かった事など共通点も多く、私の廃業後も時々私の家を覗いているのである。
 「来週からは野宿だナ」との言葉に、「失業保険はどうなるの?」、「貰えるけど、貰わんのや」、「何故?」などのやりとりをしていると、「住所が定まらないと失業保険はもらえんのやッ」との返事が返ってきた。

 彼は、我家にいる時から住み込みで仕事を続けており、離職後に住まいが確定していない事から、今まで一度も失業保険を手にしていない事をはじめて聞かされた。確かに、住居が定まらない人には連絡もできないが、失業保険本来の目的を考えると理不尽な事ではないだろうか。
 住所が定まってから請求したらどうかと問うと、失業後2週間以内に申請しないと支払われない事と、住所を定めてから仕事を探すよりも、仕事が決まってから住居を探したい現実と、無職の人を入居させてくれる大家はいない現実など、早朝より厳しい現実の話ばかりを聞かされる事となった。

 「よしッ、じゃー、我家に住所を移したらどう?」、「だけど、立場上(議員として)困るだろう?」、「困らないけど、住所が我家になっている間は、税金は必ず支払ってよ」との合意と、もちろん我家の主人公である家内の同意の上で、津島市民が来月から一人増えそうな気配になってきた。

 しかし、失業保険も貰わずに、住む家もなくどうするつもりだったのか。Oさんは思いつきの旅が好きで、野宿もいとわない性格であったのだった。ただし、私と同年でもう若くはないのである。今でも学生気分のままであるが、家族もなくこの先どうしていくのか、他人事ながら将来が心配でもある。私にとっては『同期の桜』感覚であるが、「そんな甘い事では何もできない」との長女の一言を、Oさんはどのように聞いたいたのか…。
                                 7月29日の一言

パンツまて濡らして採ったシジミに…

 2日前に満潮でシジミが取れなかったと、本日の干潮である午前11時頃に来客である。本日は寝たのが午前5時頃であり、新聞を2紙読んでから眠った直後に家族が起きてきて一緒に朝食となった。

 「オレは寝ていないから」と眠ろうとすると、家内が「田んぼの消毒に行く」と言い出し、私は家内任せで田んぼは何もできないが、毎日勤めに行くようになった家内の言葉ゆえに、運転手役でも付き合う事にしたのであった。
 シジミの来客は農作業から帰った直後であり、断りたいものの、私が「いくらでもいる」と言い出した話ゆえに、知人2人に同行する事となったのである。

 木曽川に着きびっくりした事は、あまりにもシジミ採りの人の多い事で、家族連れではなく『本業紛い』の人々が、採りカゴを持ち腰まで水に入って採っている姿であった。中には木曽川の真ん中あたりまて入り、首が出ているだけの深みで採っている姿も目に入った。

 木曽川のこの辺りでは、一年間に複数の水死者が出ているが、これでは事故があっても不思議ではない。しかし、大きなバケツに何杯ものシジミを採っている人は、シジミを売りにでも行っているのだろうか。そんな事を考えながら、ズボンをまくり上げ岸辺で採っていると、「良かったらあげましょうか」との親切な声がかけられた。

 「えッ、本当に良いんですか?」と、採りカゴに入ったシジミをもらい、知人に差し出すと、「良かったらカゴを使って下さい」との言葉が続いた。有難い事だが、これだけ多くの人々の前ではパンツ姿にはなれず、覚悟を決めてズボンのままで腰まで浸かってシジミ採りとなったのでありました。
 わずか15分位でナベに一杯のシジミが採れ、売っているシジミ400円分の5倍ほどの量があると知人が言った。車で10分のところに金になる卵が存在していたのである。ただし、ズボンだけでなくパンツまで濡れ、何もしなかった知人に全部あげたところ、「なんだー、ちっちゃいのが多いなァ」との言葉が返ってきた。

 「おい、おい、採ったのはオレだよ」と持ち帰りたい心境だったが、田んぼにも入らないのにシジミ採りでは家内に申し開きができない。「有名人は得だなァ」と知人に言われたが、相手は私を知っていてシジミをくれたのかもしれないが、私がパンツまで濡らして採ったシジミである事が忘れられている。
 さて、帰宅した事務所には、7千部印刷された神守中学校の同窓会報が完成し山積みにされていた。本日の夜は川祭りであり、明日は参議院選挙の投票日であるが、会報を明日中に約50件ある町内会に配布する必要があり、祭りどころではない現実が待ち受けていた。
                               7月28日の一言


真夏の貴重な一冊…

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 梅雨が長引いた事により、涼しい毎日を送っていたが、これからは30度を超える真夏日が連続しそうな気配である。ただし、愛知県から甲子園を目指す高校球児にとっては、限られた日程の中での試合調整は厳しい現実でもある。

 本日掲載した写真は、昭和59年夏の甲子園大会を記録したアサヒグラフ増刊号の表紙を飾った桑田真澄投手と、ホームランを打った清原和博選手を固い握手で出迎え、自分の打席に向かう桑田選手。(二人とも2年生時)
 この年のPL学園は、決勝戦で取手二高と延長10回まで戦ったが、惜しくも準優勝に終った。高校野球の記録は、愛知大会と甲子園大会のグラフが(毎年)全て保存してあったが、議員に立候補(平成11年)する際に「こんなのはゴミだ!」と言われ、事務所を整理するため総てが破棄されてしまったので、桑田ファンの私にとっては貴重な一冊となった。
                                7月27日の一言



行政サービスの電子化の陰で

 津島市議会での議事録が電子化され、8月からはパソコンから検索が可能となるため、本日は議員を対象とした説明会が開催された。

 今までにも議会議事録は市役所のホームページに添付され、議会ごとに一冊ずつの議事録が発行されていたが、これからは発言の一語一句や検索項目について過去10年間までのやりとりがリンクするため、便利である事は間違いがないが、一方では電子化によってパソコンを持たない人々へのサービス低下が忘れられてはならない。

 図書館には過去数十年(正確でなく申し訳ありませんが)の議会議事録が並べられている。当面は一冊ずつの本形式の議事録も続けるとの事であるが、電子化と製本化は二重のムダ使いでもあり、いずれは無くされる可能性が高いため、市民への情報不足やサービス低下を懸念するものである。

 電子化は時の流れと言うよりも、自宅に居ながらにして行政の情報が入手できるために、幅広いサービスである事は間違いがないが、津島市の例規集から窓口対応、議会議事録と広汎になる反面で、インターネットの普及率も確認されないままに電子化されている事は問題としていきたい。

 半年前の話だが、市民病院の医師の状況を聞いたところ「それはホームページを見て下さい」との言葉が返ってきた。しかし、私の知りたい事は病院のHPには紹介されていなかった。市民への情報提供が増えた背景に電子化の存在があった事は間違いがないが、電子化によってパソコンを使えない人やインターネットができない家庭への配慮も重要である。

 さて、私のホームページについても、トップページは市役所内でも閲覧できるが、情報流出を防ぐ為に各種の規制がかけられており、ヤフーサイトが閲覧できなくされている事から、このブログもメールについても確認ができないのである。電子化の限界とともに、市民サービスのあり方について再検討も必要である。
                                   7月26日の一言


ヤゴからとんぼへ

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 携帯電話のカメラの性能が悪く、判り辛い事が申し訳ありませんが、木曽川の岸辺でヤゴからふ化したばかりのトンボです。ぬけがらの隣りですが、前の記事の写真とあわせてご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/23083797.html(本当に写りが悪くすいません)

 川で泳いだり、水辺で遊んだ子供時代には見慣れたヤゴであるが、木曽川の岸辺には多くのヤゴが泳いでおり、ふ化したばかりのトンボに遭遇した。

 「シジミが300円で売っていた」との知人の一言が午後の予定を大幅に変えることとなった。「そんなもの、木曽川で取ってこいよッ」、「木曽川で取れるのか?」、「取れる、取れる、〇×さんがバケツに一杯取ってきたぞッ」と、知人二人が取れないと思っている事から、予定どころかバケツも道具もなく、昼食の後に走っていった。

 車で10分で到着したが、やはり思いつきではダメで、満潮で岸まで水に浸かっていた。「何所で取れるのか?」、「やっぱり無理か?」の知人二人の言葉に、「川に入ればいくらでもいるわ」と言ったものの、長袖のカッターシャツに革靴姿ではどうしようもない。

 「えいッ、こうなったら」と、パンツとシャツになりバシャ、バシャと川に入る。考えてみれば満潮で砂州でもなく、直前まで砂浜だったところにシジミがいる筈はない。しかし、後に続く知人の手前止める訳にもいかず、しばし運動と考えて四つんばいになって20年ぶりのシジミ取りである。もちろん収穫は0である。

 しかし、可笑しいなァ。昔はいくらでもいたのにと思っていると、木曽川の愛知県側はすべて防災対策で造成した岸辺ばかりである。干潮になってもよほど沖まで入っていかないとダメであろう。「最近はシジミ取りはいないの?」と釣り人に聞くと、対岸(三重県側)にはシジミ取りの人がいっぱいで、(迷惑な釣り人は)対岸に行けと言われてこっちに来たとの話である。

 岐阜県の関市からやってきた釣り人は、「ハゼを取りに来たがエビが釣れる」と大喜び。ふと岸辺に手をやるとトンボがいた。逃がさないようにソーッと手をやり捕まえると、「まだ飛べないよ」と釣り人の声。ヤゴからふ化したばかりであり、川面を見ると多くのヤゴが泳ぎ、ふ化したばかりのトンボが岸にしがみついていた。「やっぱり自然は良いナァ」との知人の一言でシジミ取りは仕切り直しとなった。
                                   7月25日の一言
それにしても解像度の悪いカメラにがっかりした一日でもあった。


ヤゴからとんぼへ

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本日の一枚です。

誰に投票して良いのか判らないし…

 まもなく参議院選挙の投票日を控えているが、「誰が立候補しているのか、どの党に、誰に投票して良いのか判らないし…」の声が多く耳に入ってくる。

 「大鹿さん、今は忙しくないんですか?」、「そう、そう」、「そうでしょう、来週だもんねェー」とは、午前中に訪問された建設会社の経営者の一言であった。
 「いや、いや、そっちの方は何もないけど…」、「それでも忙しいでしょ」、「いえいえ、無党派無所属だからまったく何もないですよ」と、選挙で忙しいのとは違う説明が必要であった。

 我家の家族と、私自身も声がかかったのは公明党の候補者名だけで、二大政党とは言われていても、公明党の支持者だけが一生懸命声をかけてくるだけで、何のアプローチも無いのは、地方議員と言えども存在感が不足しすぎているのか自問自答が必要か。
 「お父さん、誰に入れてこれば良いの?」と、娘に言われても名前が示せないでいると、「じゃー、やめとこうか」の返事が返ってきた。「そう言えば、4月の選挙の時に自民党代議士から当選御礼の手紙をもらっていたなー」、「でも、自民党はダメでしょう」との返事に返す言葉がみつからない。

 本日の朝刊に各党のマニフェストが載っていた。医師不足に関してひろってみると
〇民主党・特に産科、小児科の不足解消・女医、看護士服飾支援へ院内に保育所整備・各診療科の必要医師数を明示
〇共産党・先進国最低レベルの医師数を抜本増
〇社民党・医師の地方勤務を評価する制度の創設
〇国民新党・偏在解消のため、臨床研修医制度の早期見直し
〇日本新党・子供の心の専門医の分野に税金を投入

と記されている。

 新聞記事では、民主が医師不足解消へ先手と報じられているが、津島市の場合で考えると、産科・小児科の医師不足解消を唱えてあるだけで、具体的解決策が示されておらず、野党に期待しても何も実現しそうにもないのである。

〇自民党・緊急臨時で医師を派遣するシステムの構築・不足地域、診療科で勤務する医師の養成増・臨床研修病院の定員見直し
〇公明党・産科、小児科などの診療報酬引き上げ

など、与党には「医師を派遣」など具現性があり、私は与党に軍配を上げたいが…

 本日の朝刊には、自殺した松岡農水相が官製談合事件を受けて発表した閣僚給与3ヶ月分の返納について、後任の赤城農水相はこれを断って給与を返納していない事が報じられてきた。副大臣や事務次官が返納している中で、前任者のイスを引き継ぎながら返納しない赤城農水相を見ると与党の危機感にも疑問を感じ、安倍首相だけが頑張れば頑張るほど不人気となる自民党の恥部の改革が先決ではないかと思われてきた。
                               7月24日の一言



犬(モモちゃん)の世話はどうするの…

 普通の人は土曜日と日曜日の休日に身体を休め、月曜日の本日より仕事に走り出すのであるが、私は休日に疲れ、休日で市役所が休んでいたために仕事がたまり、本日より疲れた身体で歩き出すのである。

 子供達だけではなく家内まで仕事に出かけ、唯一暇な筈の母親までコーヒー屋に出向き、一人残された自分には早朝より来客や電話が殺到し、外出は昼直前になってしまった。しかし、市役所で必要な仕事を終えて帰る前になって、我が家の健康保険の変更手続きが済んでいない事が判明した。

 結婚して30年近くが経過しているが、家内が私の健康保険から外れるのは初めての事である。9人の大所帯から父親が亡くなり、妹がマンションに暮らし、娘と次男がアパートを借りて出ており、普通なら夏休みの三男は、本日より愛知県の鳳来寺山合宿で夏休みの多くは試合と合宿で不在との事である。一家の大黒柱であるはずの私が家の留守番とは不思議なかんじがしてならない。

 さて、毎年8月16日は京都の送り火を観賞に出かけ、盆過ぎの4日間を夏休みとして上高地で過ごすのが我家の恒例行事であったが、今年は家内が仕事につき、三男は東北まで試合に行く事から、私を中心にした日程では誰一人参加が見込めず、「日程を教えて」と家内から仕事を休む段取り上から迫られ、上高地を3日にしたいと言われると、土・日曜日が行事でつまっている現状から夏休みとは思えない心境になってくる。

 「いっその事、二人で四国に行こうか」と提案すれば、「お母さんはどうするの?」と問われ、「上高地は4日間に」と言うと、「モモちゃん(犬)の世話はどうするの」との返事が返ってくる。家内は休みを取った分を休日出勤する必要がある事から、土・日曜日を中心にしたいらしいが、私の土・日曜日は既に埋まっており、このままでは家族円満な夏休みは見込めない。

 一週間おきに出かける横井記念館や、8月中に認可のおりるNPO法人の段取り、中学校の同窓会報と総会と物故者法要などと考えていると、私にとって一番重要な政治報告「津島の風」が発行どころか配布する時間も限られてくる。こうなるとエアコンの前で寝ているのが一番の休暇ではないか。しかし、家族に内緒にしてある愛媛行きや、昨年から顔を会わせていない高山市(旧丹生川村)のオヤジ、白馬の親爺さん、京都の酒屋のオヤジ、大原宝泉院の住職、知多半島山海の洗い観音様などの顔が次々と浮かび、妙案の出ないままに夜を迎えたのであった。
                                   7月23日の一言

 


横井庄一の残した秘話…

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 本日は朝から終日『横井庄一記念館』の一日となり、午前中こそ人の訪問が少なかったものの、天気予報に反して雨も降らなかった事から、入れ替わり立ち代りの来客となった。

 本来はボランティアの説明係があるが、本日は訃報により欠席のために、私が説明役になっているものの、「何故に本人でもないのに、適当な事が言えるか」と、日頃から横井さんのように寡黙になっているから急にはサービス精神が発揮できず、館長の横井夫人が説明役となり、話すわ話しだしたら止まらない。ただし、館長が話していると来客にお茶のサービスが出せないのである。

 それにしても横井庄一の幼少の頃の話となると、それぞれが適当な説明をしているが、小学校5年生までは「横井」ではなく、「大鹿庄一」として我家に住んでいた事と、幼少の頃の苦しかった生活については他人どころか夫人にも語っておらず、それを知る我家の父親たちも亡くなっており、私が聞いたり記憶する我家の歴史と、本人が私に語った思い出だけが頼りであるが、「何故、そんな事話さなきゃ-いかんの?」と本人に言われそうで口も堅くなってくる。

 さて、掲載した写真は、横井庄一が作ったグアム島で小魚やエビを捕獲するための竹製のカゴと、ヤシを割ったオワンである。この竹製のカゴについても、ボランティアは「幼少の頃、大人が使っていた物を記憶していて作った」とか、「海部地方は水郷地帯で、竹製のカゴが使われていた」などと推測で語られているが、実際は事実とは違っているので私は話さないのである。

 実際には、幼少の頃の記憶ではなく、グアム島に潜伏中にジャングルで突然出会ってビックリして逃げて行った人物(旧日本兵と思われ、お互いがビックリしたようである)が残したカゴを拾ってきてから作るようになったようである。お互いが日本兵同士なら逃げる必要もないが、敵であれば殺されてしまうために、お互いが逃げたのである。
 グアム島の現地人はこんなカゴを作らないため、旧日本兵の落としていった物と思われ、この竹製のカゴは横井庄一が発見当時にも手にしており、生活必需品であったことは間違いがないが、このカゴを残した人は発見されておらず、現地人に殺されてしまったか、グアム島に眠ったままになっている可能性も高いが、このカゴのお蔭で横井庄一は命を生き永らえたのでもあった。
                                7月22日の一言


旧日本兵70遺体発見の記事に…

 本日の朝日新聞夕刊に、『旧日本兵70遺体発見』なる見出しの記事が掲載されてきた。インドネシアのビアク島で63年間野ざらしとの副題もついている。

http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY200707210053.html

 連日新聞記事を引用した一言になるが、記事によると鉄カブトをかぶったまま63年間放置された全身骨格が発見されており、遺留品から東京で編成され、昭和19年6月に現地に入った「歩兵第219連隊西原大隊」とみられている事から、少なくとも国による本格的な遺骨収集の必要性を痛感する。

 昨年3月に民主党の管直人代議士が「戦没者遺骨収集は、当然国家の責任」との過去の国会での厚生大臣答弁に関連して質問しているが、小泉首相は国としての責任は認めつつも、具体的対応については示さぬままに終っている。
 この中で、インドネシアを含む南方の遺骨収集については下記のように答弁が残されている。

いわゆる南方地域からいまだ送還されていない戦没者の遺骨の情報収集事業については、厚生労働省においては、戦後既に長い時間が経過し、戦没者の遺骨に係る情報が減少してきており、できるだけ早期かつ集中的に情報収集を行う必要があることから、おおむね三年間をかけて民間団体等の協力を得ながら実施することとした。その後の情報収集についてはその実施状況等を踏まえつつ、改めて検討したいと考えている。

 しかし、一方では
「厚生労働省においては、従来の戦没者の遺骨収集の取組に加えて、平成十八年度からは、新たにいわゆる南方地域について民間団体等の協力を得て派遣団を編成する等により、海外からいまだ送還されていない戦没者の遺骨の集中的な情報収集事業を実施するなど、戦没者の遺骨収集に積極的に取り組むこととしているところである」

の答弁がされながら、実際には一歩後退して民間団体やNPO団体頼みの遺骨収集になっていたのである。

 今回の遺骨発見についても、NPO法人・太平洋戦史館代表の岩渕氏が主催した民間慰霊団8人によるものである。これこそ、年金以上に遺族や関係者が少なくなっており、宇宙探索まで視野にいれた国策や、国際交流が叫ばれる社会の中では、参議院選挙の舌戦を忘れても即断すべき事案ではないか。

 明日は横井庄一記念館の留守番である。今一度戦争について瞑想してみたい。
                                7月21日の一言


問題発言より中身の議論を…

 麻生外務大臣が「アルツハイマーの人でも分かる」と発言した事が、問題発言として本人の謝罪があったものの、野党の攻撃材料にされている。(下の記事,19日20時16分発・△20日13時44分発・が20日19時45分発の朝日新聞の記事である)


麻生外相は19日、富山県高岡市内で講演した際、国内外の米価を比較する例え話の中で「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」などと発言した。
 麻生外相は、国内の農産物が高いと思われがちだとしてコメの価格に言及。1俵1万6000円の日本の標準米が、中国では7万8000円で売られているとしたうえで「どっちが高いか。アルツハイマーの人でもわかる。ね。こういう状況にもかかわらず、中国ではおコメを正式に輸入させてくれませんでした」などと述べた。
 参院選富山選挙区(改選数1)に立候補した自民の野上浩太郎氏の総決起大会に出席するため、同県を訪れていた。

麻生外相は20日、富山県高岡市で前日に講演した際に「アルツハイマーの人でも分かる」と発言したことについて「不適切なものがあった。発言を撤回し、不快な念を持たれた方々と関係者の方々におわび申し上げたい」と陳謝した。外務省内で記者団の質問に答えた。
 また、塩崎官房長官は20日午前の記者会見で麻生氏の発言について「的確性を欠いていた」と述べた。

麻生外相が講演で「アルツハイマーの人でもわかる」と発言したことについて、社民党の福島党首は20日、参院選の応援で訪れた福岡県久留米市で会見し、「人権感覚が全くない。アルツハイマーの人を侮辱する発言で許せない」と批判した。


 自民党の閣僚の問題発言が次々と問題になっているが、私は自民党の党員でもなくシンパでもないので、弁護するつもりは少しもないが、あまりにもエスカレートして、マスコミの恰好の話題と野党から政争の材料にされ、問題がより大きくされているように思われる事から異論を唱えたい。

 昨年から一連の問題発言は、それぞれに発した言葉に問題がある事は間違いがないが、それぞれの弁解を聞く限り、説明不足や表現や説明の仕方が不適切なものが多く、必ずしも女性を蔑視したり、戦争や原爆を称えた発言ではなく、発言の意図や弁解にも一理あり、すべてを否定して批判し続ける問題でもないように思われるのである。

 確かに、今回のアルツハイマー発言は、当事者や家族にとっては堪えられぬ人もあり、配慮に欠けた反省は必要だが、この一言で麻生外相が「人権感覚が全くない」と批判され、全てを否定されるべき問題であるのだろうか。もちろん、内閣の主要閣僚としての失言ゆえに、過ちの謝罪は必要であろうが、柳沢発言についても失言ではあっても、発言の意図と内容はそれなりの意味と評価があり、久間発言にしても長崎県選出の国会議員の発言とは信じられないが、原爆を容認した意図で発言されたものではなかった。

 最近は「差別用語」とされ、使ってはならない言葉が多く存在するが、単語を問題として相手に解らない可笑しな表現をする事により、相手により差別を意識させている場面にしばしば遭遇する。私は数年前から障害のある人を「障がい者」と表現しているが、私の発言を記録した議会議事録には従来から「障害者」と記されており、訂正を求めると同時に「害」を「がい」と改めるよう指摘したが、あまりにもこの一言にこだわるのもヤブヘビとなる場合がある。

 さて、何でも自由に発言できない事から休筆した作家も存在したが、相手を思いやる心があれば、悪意のない発言や表現は許容すべきではないだろうか。と言う私も、地方議員の立場を強調し、多くの問題ある言葉や、明らかに相手を特定できる批判も続けてきた。これだけ問題発言が続く内閣も疑問ではあるが、言葉尻ではなく発言内容の批判や議論を展開して、国民に中身で評価できる激論を交わしてもらいたいものである。
                                  7月20日の一言


最後はタヌキ親爺か…

 村上ファンドの前代表村上世彰氏が、ニッポン放送株をめぐる証券取引法違反で、懲役2年、罰金300万円の実刑判決と、11億4900万円の追徴金を東京地裁から言い渡された。

 裁判が閉廷された後に村上被告は検察施設に留置されたとの事であるが、ライブドアがニッポン放送株を買い集める情報を知っていたとしても、当事者ではなく第三者の立場にある村上氏が株の売買で利益をあげた事がインサイダー取引となるのか、素人考えではあるが私は疑問に思う事と、巨額の投資が必ずしも利益に結びつくものではなく、巨額な損失も伴う可能性もあった事から、ライブドア-の堀江被告と同様に、出る杭は打たれるのことわざを思い出さざるを得ない心境でもある。

 判決では、犯罪による利得が保持されており、追徴によってその一部を剥奪しうるにとどまるとしているが、約30億円と言われる利益の多くは村上ファンドへの出資者にも分配されており、一般投資家の中にも一連の流れを読んで利益を上げた者もあり、摘発がなければ一般株式市場への影響もなかったのではないだろうか。そして11億円を超える追徴金の行方にも疑問が伴う。

 時代の寵児と言われたライブドアの堀江被告や村上ファンドの村上被告が、法廷で裁かれている中で、楽天の三木谷社長は堀江氏が熱望したプロ野球球団を手に入れ、最近ではマスコミのTBS株を買い占め、株主が絶対的な経営者と勘違いしたような敵対的買収を仕掛けている。

 権力に背を向け、自己主張した堀江氏や村上氏は徹底的に排除され、権力にすりよりもっともな理屈をこねている三木谷社長の一人勝ちの様相を感じると淋しさを感ずるのは自分だけではないと思いたいか…。

 愛知県はかつて織田信長と豊臣秀吉、徳川家康の三英傑を輩出しているが、時代を先取りして切り開いた信長が倒れ、ドブネズミの秀吉が天下を取り、最後にタヌキオヤジの家康が全てを手中にしてしまったのである。村上ファンドの判決から、こんな嫌な歴史を思いだした一日でもあった。
                                7月19日の一言

新潟県中越沖地震義援金に協力を

 7月16日に発生した新潟県中越沖地震は、本日新たな遺体が発見され、死者数は10名になった(負傷者は1165人)との報道がありました。私もボランティアとして、要請があれば走っていく志は持っているが、今できる事として私のお気に入りブログ四国の「ことしし」さんのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/romorin_tomo/13386998.html を転載し、皆さんの協力を仰ぎたいと思います。

インターネット募金
新潟県中越沖地震 義援金
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301004/index.html

 数年前に、全国各地を台風が襲い、岐阜県の高山市周辺も水害による道路や鉄道の寸断が今も続いています。「ボランティアに行きませんか?」と知人に誘われ、「よしッ、行きます」と答えたものの、現地に連絡すると、被災直後だった事もあり、「気持ちは有難いがボランティアに構っていられない状況」との話で、私は参加を断ったが、「この日しか行けない」と名古屋の市民団体は観光バスで現地に出発した。

 この時の結末は聞いてはいないが、ボランティアは必要とされる時には有効だが、何が必要とされているかも確認しないままの身勝手な参加や、生活習慣病で薬が手放せないボランティアでは足手まといになる事も考える必要がある。
 その経験から、その年に防災ボランティアコーディネーターの養成講座を受講し、翌年には愛知県の防災カレッジも受講しました。その後実際に被災地に出向いた事はありませんが、必要とされれば参加する気持ちで、各地で参加要請のあった「防災訓練」には参加を続けてきました。

 今回の地震についても、現在も余震が続き、梅雨前線の活動により、現地は危険な状況を脱してはおらず、とりあえずできる事として「こととし」さんのブログと、ヤフーのボランティア基金を転載し、皆さんの協力を呼びかけたいと思います。「明日は我が身」の気持ちで協力したいと考えます。
                                  7月18日の一言


新兵器の登場に

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 毎週火曜日の書道教室「神守丈友会」をはじめて13年の歳月が経過するが、人の書を見てうらやましく思っていたのが『下敷』の存在であった。(感度の悪い写真で申し訳ありませんが)

 高い代物ではないが、かつて仲間たちがこの下敷を買った時に「自分には必要ない」と偉そうにして買わなかったのである。私は、平成5年に亡くなった父親が日本画を趣味としており、書道道具にしても高価な品々が多く残してあった事から、親のスズリと筆などにこだわって使ってきた。

 しかし、いくら多くの道具があるからと言っても、スズリやブンチンなどと違って、消耗品の筆は明らかに使用限度を超えて、筆先が割れるなど、写経にしても無理を承知で書き続けていた。(筆は50本ほど残されていましたが…)そのために、本日からは大筆と小筆を新調し、ついでに写真の下敷も購入した次第である。

 見て解るように、下敷に6文字のワクが入っており、裏側は4文字用のワクが入っている。子供の頃の書道教室では、書道用紙を文字分に折って書き入れていたが、この下敷は紙を折る事なく文字配分の目安となるのである。この下敷があるのと無いのでは明らかに文字を書き入れた際に差がでるのは当然の結果でもあり、前々から人の下敷をうらやましく眺めてきたのでもあった。

 今回は全ての書道用品が4割引きとの話で、この下敷きも840円の物が588円との事であった。大筆3150円が1890円で小筆2625円が1575円である。四国遍路の際に一番寺で「これは安い」と買い求めてきた『写経用紙』に至っては1050円が735円で入手できた。本当なら7665円の品々が4788円で済んだが、書道道具には値段の高い物が多く、親の残した筆などは5000円の値札がついており、スズリや石のブンチン等は数万円の代物が残されていた。

 やはり書道用品の専門店だけに安いだけでなく、写経用紙も30枚入っていた。四国で安いと買い求めた写経用紙は「なぞり書用和紙」が7枚もあり、写経用和紙は14枚しか入っておらなかった事から、写経を三日坊主にしており、明日からの再開に言い訳はできなくなった。
                                    7月17日の一言


消防署で活躍する同窓生を訪ねて…

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 本日は、自分の母校である神守中学校の同窓会報の取材で、津島消防署で活躍する卒業生6人(神守中の卒業生は総勢13名)を訪問し、救急現場や消防など、現場の声を聞いてきた。

 現在津島市には13名の救急救命士がいるが、薬剤や気管挿管など医療行為ができる救命士3名は、いずれも神守中学校の卒業生との話に、これから救急のお世話になる年代を迎えていることから、後輩達の活躍が心強く感じる一日となった。

 掲載した写真は、母校の卒業生で一番若い入署3年目の榎並克浩さん(24歳)が、地上10メートルのロープを渡る訓練の実演を見せてくれたので掲載しました。高倍率の募集枠に合格した新進気鋭の隊員ゆえに将来が楽しみです。また、とかく批判されがちな公務員の中でも、身体を張って市民の安全を守るために頑張っている消防隊員の姿と、純粋な声が聞けた事は貴重な訪問になりました。

 この取材は、8月1日に発行され、地域に全戸配布される同窓会報のために実施しましたが、皆さんの参考になる事から本日の一言で紹介しておきます。

 いざという時の119番通報の仕方
 通報者・119番をダイヤルする
 消防署・「はい、119番。火事ですか救急ですか?」
 通報者・「火事です。 (救急です)」
 消防署・「今かけている電話番号は?」
 通報者・「〇〇―〇〇〇〇番です。」
 消防署・「住所、氏名は?」
 通報者・「〇〇町〇丁目〇番地の〇〇です。」
  ※住所がわからない場合は、近くの目標物を伝える。
 通報者・「〇〇店の前です。」「〇〇交差点の南〇メートルです。」

 解りきった事のようですが、災害場所をいち早く把握する事が、早い指令と迅速な出動につながります。消防署では電話番号でほとんどの場所を特定できる事から、状況の説明や用件よりも先に場所を知らせることが先決です。少しでも速い出動が救命率を向上させ、火災の延焼拡大防止につながります。実際には、通報者の慌てた説明が場所の特定を遅らす場合も多いようです。

 携帯電話による119番通報では、場所と携帯電話の番号を伝え、場所がわからない場合は、近くの公衆電話か民家を探して、かけ直すか住所を聞いて伝える必要があります。そして、その場所を動かないで欲しいとの話でした。

 119番をタクシーがわりに使う不届き者もあるようですが、119番への通報を遠慮して、家族やタクシーを使って病院に走り、命を落としている人もあります。いざという時は、一刻も早い通報をして下さい。
                                 7月16日の一言


雑誌の占いの効果は…

 「休日返上で仕事の成果が」と、雑誌の占いコーナーに記されていた。普段、私の言う事を適当に聞いている知人には「週の前半は忙しく仕事が…」とあり、「本当だ!」と実感している様子である。

 本日は連休を返上して、中学校の同窓会報の協賛スポンサーの不足分を穴埋めするために走りまわってきた。突然の訪問にも、学校と縁のある所だけに「解りました」とご理解いただけるのであるが、「ダメ!ダメ!一切やらないから!」と猫の子を追い払うように対応されると気持ちが萎えてくる。

 学校との取り引きがある業者を聞いて訪問したのであるが、内容も聞く前に断られると「こんな所には一切仕事は注文しないで欲しい」と、同行した知人の一言に納得させられた。せちがらい世の中だけに、同窓会とはいえ学校に協力した事業所へ仕事は優先するように訴えていきたい。公立学校とはいえ、同窓会に限らずPTAや民間の金銭的応援も存在しており、協力者の気持ちを無にしないためにも、非協力な事業所の排除を求めていくつもりである。

 さて、占いどおりに、明日は朝から津島市の消防署で活躍する母校の卒業生達を訪問する。「仕事に邪魔にならぬ程度で話を聞くから」との話に、「勤務時間中では出動する可能性が高いから」と、わざわざ連休中に6名の卒業生が出向いてくれるのである。
 これも同窓会報に掲載する「活躍する卒業生」の取材であるが、公務員に対する風当たりは強く、「職員の削減」とか「給料の減額」などと、市民の公務員への批判を耳にする事は多いが、消防や救急で深夜でも出動している卒業生や後輩達が存在している事と、休日返上で職場に出向いてくれる心意気に感謝と心強さを実感する。

 ただし、原稿の締め切りは明日一日となっており、彼らの瀬戸際の協力を無にしない編集が必要である。そして、もう1件の不足する協賛者を探すのも残ってはいるが…
                                7月15日の一言


人の心配より我家の心配が先かも…

 本日の一言を書き入れて、決定ボタンを押す前に、台風情報が気になり見ていたところ、画面にもどってきたら書き入れ前の白紙の状態に戻っていた。痛ーッ、またやってしまったと後悔してもおしまいである。

 気を取り直して書き直しとなるが、別室のパソコンに表示した台風状況を参考に、数字を入れて記していた事から、時間の差がでて書き直しである。1時間前には室戸岬の西南80キロとなっていた事から、現在は40キロ付近まで近づいているのだろうか。
 私の住む愛知県には、明日(本日)の早朝8時頃に到達する予報であるが、現在も風は静かになったが、雨足は激しくなる一方で、ここに風が加わればいったいどんな結末を迎えるのか、いささか心配な状況どころか、数分前からは豪雨に風も加わり唸り声まで聞こえてくる。

 現在の気圧が960ヘクトバスカルと表示されているが、数日前からニュースで大型台風と報じられているとおりに、半日も前から我家の倉庫のトタン屋根やカベは吹き飛びそうな勢いに悲鳴をあげている。
 こんな心配をしていても、家族は全員が就寝しており、明日の朝目覚めた時に「台風一過」となっておれば幸いでもある。はたして半日後の結果はいかに…

 さて、本日午後には雨の中を久し振りに旧市内を車で通過したところ、道路に水が溢れて冠水状態になっており、車を降りられない現実にびっくりさせられた。同じ津島市にあっても、私の住む地域は水田がほとんどで、いくら雨が降っても道路が冠水する場所はほとんどないが、旧市街地には雨の流れていく水の落ち口がなく、このまま明日まで雨が続くようだと、床下浸水とか床上浸水の被害が出ても不思議でない降水量でもある。

 それはさておき、私の知人に、四国を野宿して遍路中の人物があるが、ラジオも持っていない孤独な遍路で、果たしてこの台風情報が伝わっているのか心配にもなってくる。四国の何所にいるのかさえ解らないが、こんな台風下で安全に待機しておれるのか、台風から遠く離れた我家の悲鳴を聞くと、生きた心地もしないのである。家内には内緒ではあるが、月末か月初めに愛媛県まで走る予定が立ててあり、偶然でも知人との出会いがあれば劇的と思うが、他人の心配をしている場合ではないような、激しい風雨に見舞われるようになりつつある。知人の安否と我家の安全を祈願して、この場を離れてタヌキ寝入りで朝を迎えたい心境である。
                                  7月14日の一言

 半日後に到着の台風であるが、現状からタダでは済まぬ気配が…

 追伸 益々風雨が強くなり、家が壊れそうな勢いです(15日午前2時45分)


久々の大型台風襲来の予報に…

 高校球児にとっては地方大会(愛知県は明日開会式)を週末に控え、また一般人にとってはせっかくの3連休となるはずが、大型台風の接近によって全てがキャンセルとなりそうな気配である。

 本日のテレビによる沖縄の映像では、非常に大きな台風で、大きな被害もでている様子が映しだされていた。現在は奄美大島の西180キロに位置し、15キロのスピードで北に向かっており、九州に上陸後日本列島を縦断する予報が出ているが、中心気圧が945hPa、中心付近の最大風速45メートルと聞くと、梅雨前線と連動した記録的な災害となる可能性も高い。

 これまでも梅雨前線によって、土砂崩れや水害による避難生活を余儀なくされている九州地方はもちろんだが、半月前までは日照り続きで、給水制限の出ていた四国も豪雨災害が心配になってきた。明後日に接近する予想の東海地方においても、今から大々的に台風のニュースが流れており、台風が予報どおりに進むと大変な事態となりそうである。

 さて、台風の存在まで想定せず、3連休に仕事の予定が入っているが、予定のスケジュールがこなせないと、期限が決まった仕事だけに大変な事態を迎えそうである。三男は明日が国体の予選となっており、早朝から豊橋競輪場まで家内が自転車を積んで行くことになっているが、こんな天候でも開催されるのか。順延となると月曜日に開催となるが、家内も私も仕事が入っている事から大変な事となる。もっとも、監督から8月のツール・ド・とうほくの選手に選ばれている事から、「全力では頑張るなッ」と言われているようだが、家族としては頑張って欲しいだけに気になる台風の進路である。

 数年前、全国を多くの台風が襲来し、各地で水害が起こった時に、ボランティアの参加を断られた経験から、防災ボランティアコーディネーターの養成講座や防災カレッジを受講して、災害時に役立ちたいと考えていたが、局地的な災害と違い、全国規模での台風にはボランティアの無力感も実感する。地震に対しても心配な我家(築45年)であるが、台風については地震以上に気にかかる。このまま平穏な週末を願いたいが…
                                 7月13日の一言

参議院選より我家の一大事に…

 本日はついに第21回参議院選挙が公示された。新聞報道では年金問題が最大の争点と記されているが、本日の豪雨のように国民の台所まで訴えが伝わるであろうか。

 数字の上だけでマスコミの世論調査を参考にすれば、現状においても大差のない状況から、与党である自民党にとってはひじょうに厳しい現実に直面していると思われるが、攻める野党についても政策が解りづらく、与野党逆転となっても一枚岩で団結が続くのか不透明のままでは信頼できるか疑問にもなってくる。

 昨日の新聞にもタレント候補についての記載があったが、騒がれていた割には存在感が感じられぬ。新聞報道の言葉を借りれば「小粒化」と言われているが…。

 さて、本日は早朝より長男の一言で慌ただしい一日となってしまったのであった。今年の3月に、両親とともにアメリカからルーマニアに移住した息子の交際相手が、今月末には来日し、息子とともに東京のルーマニア大使館で入籍手続きに出向く予定を立てていたが、日本への渡航を斡旋する業者によって、入籍のための短期ビザではなく、労働目的で来日するビザが発給されている事が発覚した。

 この契約の解除を訴えたところ、業者が違約金として168万円支払うよう請求してきたと言うのである。名古屋での労働ではあるが、中身が解らない仕事で6ヶ月も制約を受ける事には納得できない事から、現地でトラブルとなっており、早速関係機関に連絡する事となった。

 しかし、名古屋にある領事館に電話すると、大阪の領事館を紹介され、大阪ではルーマニアの日本大使館へ連絡してくれと言う。日本との時差が6時間あり、連絡がつかないことから、東京の大使館へ連絡すると片言の日本語で担当者は大阪の領事館を紹介といった顛末で、最後は日本の外務省へ連絡を入れる事となった。
 親切な応対と説明を受けたものの、現地での契約関係については日本大使館も立ち入れない事から、トラブルを解消して半年遅れを覚悟の来日となりそうである。
 理不尽な契約で、日本の常識では考えられない国情だが、未来の家族の一員を、解らない就労目的で来日させるわけにはいかず、言葉も解らず連絡もできず、ただ、ただ、平和的解決を祈るのみである。

 国際化とか国際交流が叫ばれているが、日本とルーマニアの関係の歴史は浅く、友好協会なども有名無実の状態で、悪質な斡旋業者も暗躍している様子である。留学から帰って3年の歳月が経過している事から、我々は一刻も早い家族への仲間入りを熱望しているのであるが。
                                  7月19日の一言


駅員への暴力・最多は酒を飲んだ50代…

 大リーグのオールスター戦で、イチローがランニングホームランを打ち、日本人初のMVPに輝いたと報道され、来季から5年間で122億円の契約延長も報じられている。ランニングホームランは大リーグのオールスター戦史上初めてとの報道よりも、俊足のイチローのランニングホームランが初体験との報にびっくりさせられた。

 さて、本日の夕刊には参議院のタレント候補や、高校野球など大見出しの話題が多い中で、見過ごしてしまうような小さな記事ではあるが、他人事とは思えず、身につまされる記事が掲載されていた。

 『駅員への暴力・全国で665件』…(昨年度、最多は50代)なる記事である。記事の書き出しには「駅員への暴力が一番多いのは酒を飲んだ50代」と書かれている。大手私鉄16社とJR3社など全国21鉄道事業者を対象に集計された数字であるが、乗客に殴られるなどのトラブルが対象で、駅員への暴言などは含んでいないとある。

 「最近3年分の傾向をみると、忘年会シーズンの12月が186件と最多。特に週末の夜間、深夜(午後5時~翌日午前5時)に集中していた」と記されている。飲酒、泥酔状態だったケースが約8割を占めたと結ばれている。

 この記事を読んで、昨年10月28日に暴力や暴言を言っている暇もなく帰宅したが、時間があったら自分もそうしたい心境にあった事を思い出し、当日の一言を読み直してみたのである。

(下がその顛末を記した一言です)
http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/contents20.htm#181028

 この時、最終電車も近いと記してあるが、実際には私の住む津島方面行きの最終電車はトイレを探すうちに発車してしまい、岐阜方面行きの急行列車で終電に追いつき、帰宅していたのである。私は泥酔状態ではなかったが、若い駅員の不適切な説明によって最終列車に乗り遅れた事から、一瞬怒鳴り込んで居座ってやろうかと思ったのであった。

 この時には、乗り遅れた終電に追いつく手段があったから、苦情を言う暇もなく後続の列車に飛び乗った次第であるが、完全に乗り遅れていたら、私は間違いなく駅の事務所に乗り込んでいたと思われる。若い駅員にとっては酒臭い「酔っ払い」は迷惑な存在かもしれないが、企業や社会の中で、それなりの指導的立場や管理職が多い50代にとって、若い駅員の不適切な説明や、言葉使いが気にさわるのかも知れない。そのあたりの原因も気になるところであるが、泥酔の50代が最多と書かれるのは気分も悪く、歳相応の落ついた対応も求めたいと思う。
                                7月11日の一言
 


名古屋市まで20分の地にありて…

 本日は午前中に市議会の市民病院調査特別委員会が開催され、午後には息子の高校の3者懇談があるために名古屋まで雨中のドライブとなった。

 「おい、〇×で大きな事故があったぞ…」と電話口に出た知人と、「おい、今何やってるのッ?」とノー天気な電話をかけてきた知人も、「今から車で行くから」と言う私の道連れで、行き先も知らずに同乗となってしまった。(こんなヒマな人もあるから心強い)

 心配した学校周辺での駐車場は、正門前にも横にも用意されており、駐車場探しが必要なくなり、予定より早く学校に到着し、息子を携帯電話で呼び出し、同乗の二人は喫茶店へと。(後日談だが、学校の正門前に車を止める人は無いそうで、息子はびっくりしたようである)

 さて、息子がどんな学校生活を送っているかは解らないが、良き恩師に恵まれ、息子の将来を考えた恩師の言葉が聞けた事は、家内でなく父親が出て行った価値はあったのかと自己満足の帰宅となった。同乗した知人は、子供の事に無関心な父親の懇談会参加を「学校謹慎」か、生徒指導で呼び出されたと思っていたらしい。

 天気でも良ければ久々の名古屋見物も可能だが、天候不順のために一目散での帰宅である。「ところで、オレたちは何だったんだ?」との知人への答えは、学校が名古屋市内のため駐車違反対策で車の留守番役を期待していたのである。こんな意味もないようなお付き合いができる人々の存在が心強い(まったく身勝手な発想ではあるが)

 本日の夕方に医師不足を話題としたNHKテレビに津島市民病院が放映されたとの事である。内容が判らないので、無責任な事は言えないが、あくまでも津島市民病院の医師が不足して、経営状況が悪化しているのであって、津島市全体として民間開業医も含めて考えると、「医師は充足している」と発言する医療関係者もいる。

 本日夜の書道会で、テレビを見た婦人から「病気になったらどうなるの?」と心配の声が出されたが、突然の発病や事故に備えて夜間診療や救急医療を確保なり他病院と連携しておれば、津島市の医療はけっして心配ではない事が伝わらず、医師不足の話題によって市民の不安や心配が増幅されている事が気にかかる。なんと言っても、名古屋まで30分以内の環境下にあり、多くの大病院や高度医療機関がある事を忘れないで欲しいものである。
                                 7月10日の一言

 

国民とかけ離れた議論に…

 エラーが発生しました。処理中にタイムアウトが発生したか、不正な処理での入力の可能性があります。このコメントにより、昨晩は2回も原稿を書き直しました(笑)。

 参議院選挙が始ろうとしているが、無党派無所属の地方議員にとっては、まったく無関係の話で、昨日のテレビによる党首対談についても、政党生き残りのための都合の良い議論としか思えず、国民不在の感想を覚えるのは私だけであろうか。
 与党と野党に色分けははっきりとしているが、政党の主張が判りにくく、お互いの批難ばかりが目につくのである。今回の選挙で野党が過半数を取れなければ、責任をとって党首だけでなく政治の舞台からも引退を表明した民主党の小沢一郎氏についても、民主党として独自のケジメを示して欲しかった。

 さて、今年から公的負担が増え、県市民税や各種税金の請求額が増えており、生活する市民の台所は悲鳴をあげているが、国会や選挙の論戦の中に、国の財政を支えている国民の存在が全く感じられず、年金や政治と金などが論点とされているが、国民の生活とかけ離れた議論ばかりではないか。

 明日は津島市議会では、市民病院調査特別委員会が開催される。これについても、市民病院には改革委員会から昨年答申された答申書に基づき、本年2月に経営改革行動計画が発表され、今月より経営評価委員会が開催されている。こういった状況の中で、市議会に設置された市民病院調査特別委員会に求められる使命は何かが重要となり、議論を続けているだけでは市民の声に応えた事にはならないとの責任を実感する。

 政治が国民(住民)にとって身近な存在となり、政治によって生活が向上すれば結構な事だが、最近では政治の失政によると思われる財政の建て直しに対しても、国民(住民)の負担が求められ、国民(住民)への公的サービスは切り捨てられていく。政治の失政のツケは確実に国民(住民)に回される事を、国民(住民)も実感している事を忘れてはならない。

 最後に個人的(家庭)な事だが、明日は午後から息子(三男)の高校の3者懇談に出席する。4人目にして初めての経験だが、家庭の事も判らずに政治が語れないと思い、初々しい気持ちで参加したい。
                                 7月9日の一言

 


目撃者の存在にホッとした被害者

 本日は終日横井庄一記念館の留守番だけの一日となった。「もしかしたら、一人も入館者のない一日になるか」と心配したが、午後には来館が続き記録は持ち越しとなった。入館者が多すぎるのも疲れるが、誰もこない記念館でヒマをつぶすのはそれ以上に苦痛となり、疲労で身体が悲鳴をあげる。

 昨日の一言に記したように、交通事故を目撃した証人へ通報と介護のお礼と、事故状況の確認に訪れる約束があったため、帰宅直後にこの一言を書き上げ、夜は余裕でコメントを返信しようと考えて『決定』ボタンを押して席を離れた。
 ところが、席に戻って一言を確認すると送信した記事は画面になく、バスワードの確認画面となっていた。せっかく書き込んだ記事はどこにもなく、改めての仕切り直しとなった。

 さて、交通事故のあった直後は、警察の現場検証や目撃者の証言も記録されているが、事故後の被害者と加害者の交渉となると、交渉にあたる保険会社の調査員が、被害者から聞き取りをして、事故の状況を書き入れるが、本来は事故直後の警察の調書が存在することから、この調査書は何の意味があるのかが疑問になってくる。

 今回の事故は、明らかに相手側の信号無視による過失のため、被害者は自分の保険を使わず、相手側の保険会社に医療費と車の修理代を要求しているが、保険会社双方の交渉となると、被害者の過失割合もあるとの話に、「相手が信号無視をしなかったら起こらなかった事故」として、被害者は加害者に対して全面保障を求めている。

 しかし、事故直後には、加害者の信号無視による交差点事故であったものが、双方が赤信号で交差点に侵入して起こった事故と、加害者や保険会社の主張が変わっており、被害者の不信感は日に日に増幅されてきた。
 相談されて疑問に思うのは、何故に被害者の保険会社は中に入って調整できないかという点であった。これを保険会社に確認すると、被害者が加害者に全面保障を求めていることから、加害者の保険会社との交渉になり、立ち入れないとの事であった。

 第三者からすると、事故後に謝罪にも訪れないトラックの運転手と会社の対応も理不尽だが、そしてその交渉をする保険会社も一緒になって事故状況を歪曲しているように思えてならない。「加害者の信号無視を証言した人がある」との話にも、相手が特定できない事から、お互い様の事故のような対応である。

 さて、それらについても昨日記したように、目撃証人を探し出し、本日確認と介助のお礼に訪問した。「相手の完全な信号無視ですよ」の言葉と、その証言が警察に伝えてあるとの返事が返ってきた。内容を聞けば、被害者の車と一緒に並んで信号が青になるのを待っていたとの事で、運が悪ければ自分が犠牲(証人はバイクの新聞配達)になっていたとの話である。被害者は救急車で運ばれると、事故後の状況は何も判らない。ケガと精神的ショックの中で、相手側の保険会社の都合の良い交渉の場に引き出されていたのであった。
                                    7月8日の一言

天網恢々疎にして漏らさず

 忙しいと、その場その場で受け答えした内容の結末に至っていない事が多く、何時の約束かと日時も忘れており、不自然なやりとりが連続するのである。

 本日は朝より知人の娘さんの交通事故を巡り、保険会社から派遣された人との交渉の場に同席した。信号のある交差点の早朝の事故で、青信号で走り出した乗用車に信号無視のトラックが突っ込んだとの話であった。実際に事故を目撃した人も、トラックの信号無視と証言していたのだが、加害者の保険会社に連絡した辺りから風向きが変わってきた。

 トラックの運転手も事故後には自分の信号無視を認めていた様子だったが、会社や保険会社によって、「お互いが赤信号で交差点に進入した」との話が出てきたのである。つまり、信号が青になったから走り出したと言う乗用車も、青信号を予測して赤信号のうちに交差点に進入したのではないかとの主張をはじめ、そうなるとお互いが赤信号同士の事故となり、トラックの信号無視による事故ではなくなってきたのである。

 当初からトラックの信号無視による事故と言う前提で、相手側の保険会社と交渉していた乗用車の家族は怒り、全面的な相手の謝罪を求めるとともに、一度も謝罪に訪問しないトラックの運転手に怒り心頭で膠着状況に陥ったのである。こうなると両者の主張は平行線である。

 ただし、この事故を見届け、警察と消防署に連絡し、被害者に「トラックの信号無視」を証言してくれた「新聞配達」の人の存在があった。ただし、その後問い合わせたもののその人物の特定ができないままに本日に至っていたのである。この人の証言があれば全てが解明されるのである。

 考えてみると、私も8年前までは新聞販売店主の立場にあった。保険会社の調査員が帰った直後に各地に連絡を入れていたところ、見事にもその証人を特定し、明日の夜に会う約束を取り付けたのであった。こんな簡単な事が、何故今までに解決できなかったのか不思議でもあるが、とにかく一歩前進となり帰宅となった。

 死人にクチナシの言葉があるが、被害者が救急車で病院に運ばれている間にも、加害者たちは知恵をしぼって対策を考えていると思うと、被害者はたまったものではない。「天網恢々疎にして漏らさず」のことわざがあるが、この件も明日以降立ち会う事となり、忙しさからの出口が見えなくなってきた。
                                   7月7日の一言

追伸 日曜日(本日)は終日「横井庄一記念館」の留守番です。
 


「バカな事聞くな!」と一喝され…

 本日市役所より、9月議会の日程票がファックスで送られてきた。「えっ、もう9月のッ」とびっくりしたが、「どうせなら、年内の予定くらい年頭にたててくれ」と要望した事もあり、自分の身勝手を実感させられた。ただし、個人的には、中学校の同窓会報(8月1日発行)の原稿が未完成となっており、6月議会の議会報告を含めた会報「津島の風」も手付かずになっておる事から、9月議会の予定表から大きなプレッシャーを感ずる一日となった。

 本日の報道によると、30年間も無免許で車を運転していた群馬県桐生市の消防署職員が、道路交通法違反で逮捕されたと報じられている。無免許で救急車や消防車を運転していた事から、行政の監督責任も問われそうだが、30年間『無事故無違反』の優良運転手であった事でもあり、皮肉な結末でもあった。

 さて、昨日の朝の事件(?)であるが、数日前に住宅の外壁の修理ができる人の紹介を依頼され、やっと連絡がついた旧知の業者の車に乗せられて現地を訪れ、仕事の段取りを決めて帰宅する途中の顛末である。

 「〇△さん、シートベルトが背中の後ろになっているよ」
 「これは(警告の)音がしないためにしてあるだけだ!」
 「そんなんじゃ、警察に捕まっちゃうでしょう」
 「大丈夫!捕まりっこないわッ」、「いや、いや、最近は取締りが厳しいから」
 「絶対に捕まりッこない」、「…」、「シートベルトぐらい」、「…」、「大丈夫!大丈夫!」
 「この先の×〇橋辺りは、日中に何時も検問しているよ」
 と会話中に、突然〇△さんが一生懸命に背中のシートベルトを身体の前に付け替えはじめ、必死のジグザグ運転になったのである。

 「〇△さん、突然にどうしたの?」
 「シートベルトぐらいは何ともないが、飲酒運転が怖い!」
 「えっ、??…」
 と言って、次の言葉を一瞬飲み込んだのであった。酒好きで、アル中のあだ名で通ってはいるが、まさか早朝より飲んでいるとは思えない。確かに酒臭さはあるが、前日の酒が身体に染み込んでいるのではないか。なんせ〇△さんは何時も酒臭いので、そんなことは考えた事もなかったのである。

 「現職議員が飲酒運転の車に同乗」などとなっては一大事である。しかし、「〇△さん、飲んでいるの?」などと聞く事も失礼だし、想像もしなかった事態に、ただただ安全に我家に到着する事を祈っていた。別れ際「ありがとうなッ」と言う〇△さんに、「飲んではいないわなー」と問うと、「バカな事聞くな!」と一喝された。

 『バカな事』の真相は如何に。酒が離せぬ先輩ではあるが、PTAや消防団など人一倍ボランティアとして頑張ってきた人だけに、大病(ガン)を経験しても離せぬ酒による不始末が心配となってくる。この人から酒を取り去る事は至難の業であろうが、酒を止めることも寿命を短くしそうな雰囲気があり、このままでは済まされない顛末を想像すると、落語の主人公そのものであり、久し振りに『浪漫亭砂九』さんの顔が浮かんできた。
                                 7月6日の一言 


貧乏臭くない政治家って?

 東京都の副知事に就任した作家の猪瀬直樹氏の言葉に共感するものがあった。小泉首相に請われて、「道路公団民営化」のために持論を展開して、改革派の論客として知られるが、今回の石原知事から請われた副知事就任に異論を述べる評論家も存在する。

 この事について、本日の朝日新聞夕刊の窓欄(論説委員室から)に、興味深い内容が記されている。

 (前略)…
 就任を前に、心境を聞く機会があった。…(中略)…
 面白かったのは猪瀬氏の挙げた、小泉氏と石原氏の共通点だ。
 「2人ともわりと素直でさ、貧乏臭くないんだよ、わかります?」 
 続けて、名の知れた自民党参議院議員を物欲しげで貧乏臭い、と断じた。…(後略) 
  
 自分も時々この一言に「貧乏」との表現を使用している。しかし、金銭的・物質的に貧しい事を卑下する気持ちは全くなく、むしろ心の貧しい人にはなりたくないと思っている。「貧しい」とか「貧乏」と断定してしまうと、本日の夕刊に記されていたように客観的な基準が求められるのかもしれない。

 「貧乏臭い」との表現はさすがに作家らしい言葉で、小泉前首相と石原都知事を貧乏臭い参議院議員と比較させ、「自身は貧乏臭くはなりたくない」との意思表示のメッセージと受け取れる。

 「貧乏臭くない政治家って?」との見出しがつけられている事から、記者の坪井ゆづる氏の心情も聞きたいところではあるが、社会大衆の感覚はまさにほとんどの政治家を「貧乏臭い」と思っているのではないだろうか。「貧乏臭い」でなければ「ウサン臭い」のかも知れない。

 孟子の言葉に「心を養うは寡欲(かよく)より善きはなし」がある。守屋洋著・中国古典「一日一話」には、「貧しくても豊か」の副題がつき、欲望は、たしかに社会を進歩させる原動力になってきたことは事実だが、また、なかなか歯止めがきかないものだということも事実だろう。欲望のままに突っ走り、結局、自らを滅ぼすことになった例はいとまがないと記されている。噛み締めてみたい言葉でもある。
                                    7月5日の一言

続・高齢者の悲哀に…

 昨日の一言に高齢者のローンの記載をしたところ、偶然にも本日出向いた理髪店でも、同じような問題を耳にする事となり、日頃から高齢者が理不尽と思われる仕打ちに遭わされている事を実感した。

 本日の話は住居の問題で、息子達が生活する東京に移り住もうとアパートを探したところ、高齢を理由にどこも借りられなかったとの話であった。高齢者では火事を出されても困るとの理由から、親子の同居でないと借りられなかったらしい。当方に財産も有する人らしいが、自宅を売り払ってまで移り住む覚悟でもなく、そのままになっている様子である。

 さて、企業や地域で立派な地位も築き、社会的信用も有していた人々が、やがて定年を迎えて隠居の身になるのは自然の成り行きであるが、一見して悠悠自適の年金生活として羨ましく思えたが、ローンが組めず、アパートが借りられないとなると、頼りは貯蓄した現金だけと言う事になってくる。

 年金があてにならないとは言われてもいるが、毎月天引きされる掛け金から当然老後の生活設計には入れてあると思われるが、自分の寿命までもは誰も予測ができず、多額の貯蓄があっても自分の為に生かされるかどうかも判らない。

 しかし、ある程度の年齢に達すると、今まで当り前として参加していた社会から、階段を一歩ずつ外されていくようになるのである。何年生きられるか判らない高齢者に、ローンを組む事は企業としてはリスクを負う事は間違いのない事実ではあるが、決まった年金収入が見込める事と、若年層のローンでも生命保険をかけてある事や、若年層の方が経済的苦境も多い事から、高齢者用の対応があっても良いはずであり、現実にはあるものと信じたい心境である。

 さて、さて、本日は私がブログを始めて最初に「お気に入りブログ」としたMさんから久々の訪問を受けた。直接会話する間柄ではないが、家も近く、なんとなく解ったような関係になると、音信不通は日に日に心配が増幅され、病気で入院の可能性まで考えると苦しい心情になりつつもあった。久々にブログが更新され、かつての懐かしい人々のコメントで賑わっており、安心と元気をもらった心境となった。最近では、ブログで交信する人々の存在が、私の生活の中で大きなウェートを占めるようになっており、お互いの(私の)心を癒すためにも引き続きの交信をお願いしたいと切に願っています。
                                   7月4日の一言


高齢者はローンが組めないのッ…

 人間は誰もが歳を重ね、いずれは好むと好まざるを問わず高齢者になっていきます。高齢になって肉体的な衰えは当然の成り生きですが、年齢によって信頼されない場面を見せられると他人事では済まされなくなってきます。

 70才になった知人が、車を買おうと親しくしている自動車屋を尋ねた場面に同行した。さんざん話をして、「どうせなら高くても良い車を」と、ローンで買おうという話になった時、「保証人が必要」との返事が返ってきた。「どうして?」との問いに、「無職ではローンが組めない」との返事であった。

 確かに無職では無収入扱いにされ、銀行は相手にしてくれないかもしれない。しかし、確実に入ってくる厚生年金があるので、収入よりも「寿命」が問題にされるのかと思われてくる。

 「車を買うのに保証人?」と首をかしげる知人。息子さんも独立して自営業であるから、保証人になってくれる人はあるものの、この歳になって息子に保証人を頼む気持ちにはなれそうもない。「なんで?、オレ一人じゃダメかい」と、買う気満々の気分を害して帰宅したが、テレビで「金利、手数料は一切いただきません」と、長期ローンを宣伝するメーカーが多い社会の中で、現実に仕事を引退した高齢者には無縁な話であるかも知れず気になっている。

 ローンが組めず、現金でしか売買できない事例は、裁判所から破産宣告をされた人や、多重債務者の場合に見られるが、高齢者も同じ扱いとすれば問題(現実はこんな事例ばかりではないと思うが)でもある。

 実際には、仕事を退職や廃業した高齢者にならないと判らない淋しい話であり、こんな話はなかなか人に話す話題にもしたくないために問題にもされないが、いずれは我が身となる現実の問題でもある。定年退職し、退職金を元手に立派な豪邸を新築した人もあるが、80歳以上まで生きる前提で考える時、一抹の不安材料でもある。

 老後の生活を支える年金すら不安視される中で、これからその年齢を迎える我々にとっては、死を目前とするまで自律した生活をおくるためには、それなりの備えが必要になりそうでもある。長年の経験と蓄積された信用が無にされる瞬間を考えると、地獄の沙汰も金次第のことわざが頭をよぎってきた。
                                   7月3日の一言

病院経営評価委員会が開催され…

 昨年に開催された市民病院改革委員会の答申書を受けて、本年2月に発表された「市民病院経営改革行動計画(アクションプラン)」に基づき、本日第1回津島市民病院経営評価委員会が開会された。

 稲垣トヨタ記念病院病院長を委員長に選出し、小牧市民病院病院長と地元会計士の3人の委員と、津島市からは正副市長、正副病院長と事務局長はじめ病院幹部が出席して「公設公営」を柱にて委員会を運営していくことと、今後の見通しについて議論が交わされた。

 「民間への売却」とか「民営化」、「公設民営化」などと、4月の市長選挙において市民病院の今後について、候補者の公約やマニフェストが発表され、現市長のみが「公設公営」を公約としてきたが、本日の委員会でも「公設公営がなぜいけないのか」と、過剰投資との批判はあるものの、公設公営として過去に蓄積されてきた病院の評価が委員から述べられた。

 現実に、突然の事故やケガなどに対応する救急については、医師不足を理由にして休む事ができない事と、医師がいなければ診察もできず診療報酬も上げられない現実について具体的な議論がでた。地元会計士からは、「外科の先生でも内科など何でも診察できるのではないか?」との素朴な質問も出されたが、一般開業医とは違いよりレベルの高い治療を求められている市民病院の立場について説明があった。

 しかし、医師不足が解消できない場合には、民間開業医で対応できる診療科目については、民間開業医に任せて閉鎖する英断も必要であろうが、公立病院には不採算部門への対応が求められている事から、赤字に対する市民の厳しい認識や一般会計からの繰り入れに対する批判には説明が必要である。

 医師不足については全国的な問題であり、全国の約75パーセントの公立病院が赤字を抱えている現状から、これと言った妙案が出せる可能性は低いが、少なくとも病院関係者だけでなく、議員も市民も一体となった検討と、赤字についても市民が納得できる説明と理解が必要と思われる。

 「市民病院の改革は市長の公約」との厳しい批判も耳にするが、少なくとも過去に市民病院の増床増築を議会で審議し、賛成票を投じた我々市議会議員については、現市長以上に責任が重いとの認識が必要である。議会での議員の発言に、市民病院の増床計画の前提とされていた「市町村合併」を実現できなかった責任を問う市民の声も耳にする。4年前に多くの議員が口にした「市町村合併」の公約を市民は忘れてはいない。
                                7月2日の一言
 

見失っていた物の本質

 忙しい事は自分自身が判っている事だが、忙しいと外部からの新鮮な情報や知識が入ってこず、仕事と生活に引きずられる事から、「こんな事ではダメだ」とは思いながらも、寝転んで読書三昧の一日にしてしまったのであった。

 視察中に金儲けの本を入手したが、久し振りに「サライ」を読んで、双方の価値観の違いを実感した。サライ最新号の特集は「自分の心の中の仏心に目覚めよ」として、『禅』をテーマにして構成されている。

 四国ジェット遍路(笑)を実践中であるが、せっかくの自分探しの機会が、金や時間などの『俗世』にあまりにも毒されており、ものの本質が見えてこないどころか、役務的では人生の向上も望めないと実感する。
 数日前のコメントにも記されていたが、車で道の駅やコンビニを重宝にして廻っているようでは、ダイエットどころかものの価値観まで低下させてしまうのである。

 ともすると、日本中が観光地化されている中で、本物の価値が見逃されている事も実感する。団体旅行を主催しようとすると、旅行業者の格安パックに影響されて、ついつい料金が気になって、料金から行き先が影響される事もある。これこそ本末転倒である事をサライの『精進料理』によって知らしめられた。

 自分の主催する「朝日旅行友の会」についても、料金の高さが売物でもあった。それなりの行き先と料理から、高額なる事は結果として当然でもあったが、参加が少なければ自分の懐が淋しくなる事と、商売を辞め議員専業になった事から、誰もが参加できる条件として、会費の低価格化に毒されていたように思われる。物事を金額の高低でしか比較できない人々のレベルに毒されて、自分の趣味としている『旅』そのものの本質を見失っていたように思われる。

 精進料理の価値観が理解されない人には、「何でこんなに高い」と叫ばれそうであるが、小さな『胡麻豆腐』ひとつにかけられた手間と時間を考えると、食べ物は空腹を満たすだけのものではなく、「食も重要な修行である」(本の受け売り)との言葉に説得力を感じるものである。

 「次はいつ行くの?」と尋ねられる事も増えてきたが、今一度「旅」の魅力を再検討して、役務的な企画を見直して新たな旅の企画を考えてみたい。
                               7月1日の一言

 こんな事を記しても、残された仕事は消化されず、明日からの生活を益々厳しくしてしまった日曜日となった。


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