大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2007年09月

先祖の出身地探しに同行して…

 「自分の先祖や宗旨は何処に?」と、四代前の先祖の戸籍謄本に記された「海東郡宇治村」出身の記載を頼りに、自身の先祖探しをしてみえる名古屋の大鹿さんの訪問を受け、「故郷」である津島市宇治町を訪ね歩く一日となった。

 四代前とは言え、記された宇治村が明治17年までの呼び名であり、江戸時代の年号までさかのぼるような先祖探しだけに、訪れた家々からは「私ではわからんわー」との言葉しか返ってこなかったのである。

 さて、津島市に多い大鹿姓であるが、今から千五百年前の天皇家と縁続きとなる「伊勢の古族・大鹿氏」とのゆかりが記されている下切町の大鹿家が存在し、宇治町が隣町に位置する事から、その関係から探せば何とかなると考え、関係する浄土宗の寺院に確認すると、「宇治町に大鹿の檀家は一軒も無い」との返答が返ってきた。

 前記した下切町の大鹿家も浄土宗で、その親族や周りの大鹿姓の家々(我家も)も浄土宗であるが、今回の訪問で隣村でありながら宇治町の大鹿一族は浄土真宗であり、お寺もまちまちである事と、かつては名古屋の寺の檀家であった事が判明し、過去には浄土宗であった可能性まで伝わってきた。

 「市役所に聞いたら判らないの?」の声も出たが、何度も確認されたものの四代前の宇治村だけでは探し様もなく、本日の訪問で「おばあさんから聞いた様な気がするが、何処の家かは…」の言葉は返ってきたものの、判らない現実を思い知らされた訪問になったのかもしれない。

 ただし、訪れた氏神様の鳥居や石碑に、名前こそ違うものの「名古屋 大鹿○○○」の記録が複数残されており、家紋も一致する事から、間違いなく大鹿さんのルーツが宇治町にある事は確信されたものと思っている。

 私の先祖探しは、平成5年に父親が医師より死の宣告を受けた事を契機に、お寺の過去帳を調べなおして三百年前までの系図が出来上がったが、昭和47年にグアム島から横井庄一が発見され、我家が母親の在所であった事と、横井庄一が生まれた直後より小学校5年生まで「大鹿庄一」として我家で生活していた事から、当時の市役所から明治までさかのぼる戸籍謄本が届けられていた事が大いに役に立ったのである。

 この過去の戸籍謄本については、人が亡くなって80年経過すると破棄されると言い、原本は家族にも貰えないとの事から、家族の家宝として引渡しを希望する意見もある。しかし、今回訪問を受けた名古屋の大鹿さんも、今から30年も前であれば古老から何らかの手掛かりがあったのではないか。
 私が起業した昭和52年には「宇治町はあんたの親戚ばかり」とか、「私はあんたの新家の御婆さんと従兄弟」など、私の知らない親戚廻りを教えて下さった宇治町の人が存在した事から、時間の経過が口惜しく思う訪問でもあった。

 一週間前の一言に、全く偶然であったが、私の父親と生き別れた父親(私の祖父)の在所の知り合いの人が横井庄一記念館を訪問され、あとを継ぐ人へ我家の存在を伝えていただいた。http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/25547245.html 
 ホームページを開設し四年が経過し、今回の大鹿さんのほかに、四国の大鹿さんや神奈川の大鹿さんから問い合わせがあった。それぞれのルーツ探しから先祖を偲び、後世に書き残しておきたいと改めて実感した日曜日となった。
                        9月30日の一言

最後にしたい相撲界の醜聞

 大相撲の序ノ口力士斉藤俊さん(時津風部屋17才)がけいこ中に急死した問題では、新たな真実が報道される中、相撲協会にも国の文部科学省の指導が入り、遅まきながら問題意識を喚起すると同時に、改めて理事長をはじめ協会そのものにも批判が集まっている。本日は朝日新聞の最新ニュースを添付した。

北の湖理事長、文科副大臣に陳謝 力士急死
http://www.asahi.com/sports/update/0928/TKY200709280113.html

天声人語
http://www.asahi.com/paper/column20070928.html

「社説」新弟子リンチ―「国技」が泣いている
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu2

文科省、相撲協会を指導 検討委に外部識者 力士急死
http://www.asahi.com/national/update/0928/TKY200709280350.html

瓶殴打、時津風親方が弟子らに口止め 「警察に話すな」
http://www.asahi.com/national/update/0928/NGY200709280014.html

 事件から三ヶ月が経過しているが、遺族が告発していなければ稽古中の急死として事件として捜査もされなかった可能性があり、この事件によって相撲界の悪しき体質改善を図り、近代スポーツと呼べるレベルまで改善される事を熱望する。

 ただし、文部科学省の松浪健四郎副大臣から北の湖理事長に対して厳しい指導があったと言うが、その後面会した渡海大臣との面会を報じる写真では、大臣が腰をおるように深々と頭を下げており、初めての大臣経験と、自身にも不適切な金銭問題を抱えるだけに説得力のない面会を印象づけた。

 さて、そんな中で、謹慎中の身であり、モンゴルに帰国してリハビリ中の横綱朝青龍が「完全に治ったと思う」と担当医に語り、10月中旬にも日本に戻る見通しが報じられている。

 この件でも協会の体質と親方の指導力に疑問の声があがっていたが、その前に報道されていた八百長疑惑も含めて、閉鎖的な相撲界と協会の体質を改善し、今回の事件についても責任を明確にしたうえで、開かれた部屋の運営と現代的な弟子育成に転換しなければ、日本人からの入門は先細りの一途をたどり、国技とは呼べない存在になりそうである。

 しかし、さすがに横綱朝青龍である。モンゴルでも実業家として各種のビジネスを展開中との話であるが、モンゴル大統領から直接の激励をもらい、今回の事件のドサクサにまぎれて帰国を画策中とは頭脳明白である事は確実で、精神疾患を理由に帰国させた親方や協会より一枚上手を実証した。

 伝統に逆らい、新しい部屋運営を発表した貴乃花親方について、当時は相撲界もマスコミも世論までもが寄ってたかって批判を続けたが、相撲界を一般市民に近づけ、誰もが参加できる相撲部屋を目指した事に注目し、メッセージを添付して筆(指)を休めたい。
                          9月29日の一言

貴乃花部屋後援会では、大相撲の世界に触れていただき貴乃花部屋のこれからを皆様と共に共有できることを念頭に置き組織・運営して参ります。活動内容としては季節を通して旬の食材を共に楽しんだり、心のリフレッシュを皆様とご一緒する様々な催しを企画して参ります。貴乃花本人も参加し、今まで以上に交友の場を増やしていきたいと思っております。皆様のご参加、お待ち申し上げております。 
貴乃花部屋ホームページ http://www.takanohana.net/

やっぱり役所と市民のカベは大きい…

 情報化社会となり、自宅に居ながらにして希望する情報を取り寄せられるようになっているが、意外にも身勝手に都合よく発信されたものが多く、特に政治がらみの情報は選挙用PRと思い、真意の確認が重要でもある。

 昨日の事であるが、今月法務局に登記したNPO法人ひとまち生活ネット津島の設立登記完了届出書を、役員のWさんが愛知県へ提出に出向いたところ、当方の提出した定款に記された団体の目的と、法務局の記録した登記簿に記された目的の中身に2ヶ所の間違いが発覚した。

 これまでにもこのブログに記してきたが、ひとまち生活ネット津島は、本年6月7日に愛知県へ設立の認証を申請し、2ヶ月の公告・縦覧を経て8月24日に県の正式認証を受けた。その後、9月7日に地元の法務局に登記の申請を済ませていたが、登記簿謄本を見るかぎり明らかに目的の記載が誤って記録されている。

 「法務局で訂正してもらって正しい謄本を提出して下さい」と、愛知県の窓口で言われてWさんは帰ってきた。「訂正は良いが、新しい登記簿謄本にまた手数料がいるのか?」の質問に、「法務局の間違いだからいらないと言われてきた」と言いながら、怒り心頭でWさんは本日法務局に出かけて行ったのであるが…

 しばらくしてWさんから、「こちらの申請書が間違っているから再申請してくれと言っているが…」と携帯電話から連絡があった。「間違っている訳がないから、直してもらえッ」と電話を切ると、直後に携帯電話から、「間違っていると言っている」との返事であった。「それじゃー、提出した申請書を見せてもらえッ」と言うと、「見せられないと言っている」、「バカなッ」、「見せるには手数料がいると言っているけど…」、「ウーン、…、それじゃー、もう何でも良いから早くやってもらってくれー」と電話を切った。

 しばらくして、「再申請すると謄本は来週まで待ってくれと言っている…」との電話が入った。「おい、おい、間違いを百歩譲っても来週まで待たされるのかい?」と怒り心頭の私の言動に、「電話を代わるから直接話してくれ」との展開になってきた。

 「間違っていると言われるが、申請書に添付した定款を見直してもらえますか」、「定款を細かく見て書き写せば良かったのですが…」と、提出の際に1枚1枚に割印を押した定款がまったく見られていない事が発覚した。百歩譲って、当方が提出した登記の申請書に間違いがあったとしても、法務局は申請書ではなく添付した定款を見て書き写す必要があったと思われる。

 「とにかく早く処理して下さい」と、返却されてこない愛知県の法人認証書の引渡しも求めて電話を切った。怒り心頭で出かけたはずのWさんであったが、ため息をついて「謄本もらうのにまた手数料がいるけど…、月曜日の朝一番に間に合わせると言ってくれた」と疲れきっての帰宅である。
 「やっぱり議員だと態度が違う」との一言であったが、法務局の職員は私が議員とは認識していないので、法務局に出入りする人々の態度と内容も判らず代役できょろきょろと出向いたWさんの態度の違いに、法務局は自分達のミスを認めずに穏便に事を収めた様子でもあった。

 しかし、市役所の窓口で他人の家の住所番地に無断で住所が転入できる事といい、国の法律に携わる法務局のズサンな窓口対応に、一抹の不安と確実に不法者に悪用されている可能性を確信した一日となった。
                                 9月28日の一言

相撲の暴力事件に過去の自己反省も…

 昨日の一言に「相撲部屋の暴行に鉄槌を」なる一文を書き込んだが、新たに兄弟子が「斉藤さんを金属バットで殴った」と供述している事が本日報じられてきた。

 死亡する前日の夕食中に時津風親方から殴られたビール瓶も、師匠である親方の飲んだ空き瓶としたら(憶測だが)、酔っ払いに殴られたにすぎず、部屋ぐるみの暴力事件であり、死亡後に火葬してから遺骨を遺族に渡そうとしていた事からも、明らかに死亡原因が自分達にある事を承知で隠蔽しようとしており、司法による厳罰だけでなく、相撲協会による部屋の取り潰しも含めた厳しい措置を求めたい。

 さて、偉そうに記しているが、私も同じような失敗談があり、当時を回顧して自己反省をすると同時に、三男が高校の自転車競技部に在籍し、猛スピードで転倒や落車事故の危険もある反面、一般道では通行人を傷つける可能性もある事から、他人事にはせず周りも見直してみたい。

 私は昭和52年1月に朝日新聞の販売店を地元で創業した。当時私は大学に在学中であったが、3年後の55年4月からは隣町の販売店も吸収して複数の店舗を経営する事となった。当然の事として大量の人材が必要となり、学生気分が抜けきらなかった事から多くの若者を集めたが、その中には高校を辞めたり遊び仲間を住み込みの寮に連れ込む者も存在した。

 時には寮が非行少年の溜まり場と化し、部外者は締め出し、従業員の指導はするものの、多くの少年に対して確実な対応は難しく、仕事を無断で休んだり、放浪する者には親への責任からも見つけ出し、二度と繰り返さないために私が率先して暴力も振るい、従業員までもが一緒に制裁を加えた事もあったのである。

 そんなこともあって、私の店では厳しいものの若者が頑張ってくれたおかげで、数年後には店舗の新築や増築もでき、怖いものなしで仕事を続け、若者を引き連れては遊びにも出かけていた。多くの若者の力は、何でも思い通りに仕事をこなせる事から、やりたい放題の経営でもあった。

 そんな状況下の平成1年12月の早朝に事件は起きたのである。正確には事件ではなく、交通事故であったが、創業以来勤めていた主婦のMさんが朝刊の配達後に車で跳ねられて数時間後に息をひきとったのであった。交通事故の相手があり、相手が悪質で反省もなかった事と、私が複数の保険をMさんにかけてあった事から、私自身に対する批難もなく過ぎ去ったが、高校生の娘を残して亡くなったMさんの事故は、私にとっては大きなショックと影響があった。

 事故そのものに私の責任はないように見えるが、私が若い従業員の仕事量とペースを当り前としておった事から、少なからず仕事や労働時間に無理を強いていた可能性もあったのである。若者のペースでどんどん仕事をこなす姿を当り前として、Mさんも頑張っていたのである。経営者として女性や中高年の従業員への配慮が明らかに不足していた事は否めない。

 そんな反省から、その後は労働時間に余裕を持たせ、従業員本位の仕事に転換した事から、新聞社の方針と対立する事から新聞社の見込みは悪くなったが、その後議員転出で廃業するまで人手に困った事がなくなったのでもあった。

 経験のない若い経営者ゆえに、少年の指導に暴力を使い、家出とシンナーを繰り返す従業員を縛って監禁していた事もある。今にして思えば、今回の相撲部屋とは暴力の力加減が違うものの同一であり、事件にならなかっただけかも知れないが、今から20年も前の私の反省材料を、57才になっても続けていた時津風親方と相撲界には、命への償いは勿論だが、黍して外部からの監視と監督が必要ではないだろうか。
                                  9月27日の一言

相撲部屋の暴行に鉄槌を…

 大相撲時津風部屋の序ノ口力士で、新潟県出身で17才だった斉藤俊さんが、今年6月の名古屋場所前のけいこ中に急死した事件は、師匠の時津風親方や兄弟子数人の暴行があった事から、愛知県警は傷害や傷害致死の容疑で立件する方針を固めた。

時津風親方を立件へ 力士急死巡り傷害容疑 愛知県警 ○朝日新聞の抜粋 2007年09月26日06時05分
 新潟市出身で大相撲の序ノ口力士、斉藤俊さん(当時17)=しこ名・時太山(ときたいざん)=が名古屋場所前の6月、愛知県犬山市でけいこ中に急死した問題で、師匠の時津風親方(57)=本名山本順一、元小結双津竜=が同県警の任意の調べに対し、斉藤さんへの暴行を認めていることが25日、わかった。兄弟子数人も「集団で暴行した」と供述しているという。県警は現在、死の直接的な原因を特定するため遺体の組織検査中で、結果を待って、同親方を傷害、兄弟子らを傷害致死の各容疑で立件する方針だ
指導をめぐって親方が刑事立件されることになれば極めて異例の事態で、角界全体の体質が厳しく問われそうだ。
 時津風部屋の県警への説明によると、斉藤さんは6月26日午前11時40分ごろ、犬山市犬山の寺院敷地内にある同部屋のけいこ場で、兄弟子とのぶつかりげいこ中に倒れた。搬送先の病院で午後2時10分に虚血性心疾患による死亡が確認された。
 県警は、親方や同部屋の力士ら関係者から、任意で事情を聴取。死亡前日の25日午前、斉藤さんは部屋を逃げ出そうとして兄弟子らに連れ戻された。こうした斉藤さんの態度に腹を立てた親方が、力士らとの夕食の席上、ビール瓶で斉藤さんの額を殴り、切り傷を負わせていたことがわかった。その後、けいこ場の裏手で兄弟子数人が斉藤さんを取り囲み、数十分にわたって殴るけるの暴行を加えたことも、親方らは認めているという。
 26日は午前7時半ごろからけいこの予定だったが、斉藤さんは起きてこず、午前11時10分ごろ兄弟子とぶつかりげいこを開始。約30分後に土俵上で倒れたが、119番通報がされたのは午後0時50分ごろで、それまでは近くの通路に寝かされていたという。

 行き過ぎた指導や兄弟子の稽古中のシゴキならいざ知らず、師匠である親方がビール瓶で額を殴ってケガをさせた後の暴行とは、相撲部屋の本質を見せつけられた気がすると同時に、横綱朝青龍の問題とは違って絶対に許す事のできない事件であり、警察と司法の厳正なる判断を期待したい。

 夕刊では、事件の一週間前に部屋を逃げ出し自宅に戻ったものの、「もう一度頑張る」と部屋に戻り、事件当日の朝に「やめたい」と電話し、数時間後にも「おとうさん、僕、いい子になるから迎えにきて。何でも言うことを聞くから。兄弟子が怖い」と連絡をしている。この時、父親は「もうちょっとがんばれ」と言い、「逃げろとは言えなかった。私が殺したようなものだ。なぜ、逃げろ、帰ってこいといわなかったのか」と自分を責め続けているという。

 事件の3日前には「もう一度頑張る。もうあまり電話もしないようにする。携帯電話も兄弟子に預けた」と公衆電話から連絡があったと言うが、この携帯電話は真っ二つに折られた遺品として見つかったとある。時津風部屋は名横綱双葉山の開いた名門であるが、親方も所属力士もこの責任を免れて部屋が存続されては堪らない。

 私の三男も今月29日で17才になる。同じ親の立場として、朝刊では感じなかったが、夕刊の記事を読むにつけ自然と涙が溢れてきた。私も長男が陸上選手で、次男が相撲部へと運動能力を評価され学校に進学した。斉藤さんと同じように「頑張れ」の一語で泣き言を「本人のため」と思い聞く耳を持たなかった。幸いにして、高校や大学ではこんな非常識な仕打ちはないから良かったものの、同じ親の立場として心情が伝わってくる。

 さて、本日の夕刊には、愛知県一宮市の中学生が3年前の部活動中に「熱中症」で倒れて死亡した事故に対して、「学校に熱中症予防を怠った過失がある」として、総額4千5百万円の支払いを命じた判決が報じられている。そこまで学校に責任があるのかと思われるような判決だが、この判決と対比して考える時、相撲が国技と言うのであれば、横綱朝青龍問題などを論ずる前に、前時代的とも言うべき相撲部屋と相撲協会に対する国の厳しい監督も必要であろう。
                                 9月26日の一言

不名誉な第一号では…

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改正道路交通法が施行され、愛知県で初めて検挙された飲酒運転の事故現場(津島市大坪町地内)です。

○新聞報道の抜粋
一斉取り締まり:県内77カ所、酒気帯び運転72件検挙--県警 /愛知
 飲酒運転の罰則強化など道路交通法の一部が改正されたことを受け、愛知県警は19日夜から20日早朝にかけて県内で一斉取り締まりを行い、酒気帯び運転72件を検挙した。県警は21日から交通指導課や交通機動隊の隊員ら15人による特別捜査隊を編成し、飲酒運転による事故が多発する年末に向けての取り締まり強化や、県内各署への捜査指導を徹底する方針だ。

 特別取り締まりは19日夜から20日午前6時までの間に、繁華街周辺や高速道路出入り口付近など県内77カ所で行われた。

 このうち、津島市内では19日午後9時半ごろ、パトロール中の警察官がふらついて走行している軽乗用車を発見。運転していた建設業の男(50)を道交法違反(酒気帯び運転)容疑で現行犯逮捕した。男は居酒屋でビールを中ジョッキ1杯と焼酎の水割りを2杯飲んだという。

 道路交通法が改正され、県下一斉に飲酒運転の取締りが行われましたが、改正後の飲酒運転による逮捕者の第一号が津島市との不名誉な記録が、新聞やテレビで繰り返し報道されました。

 報道では酒気帯び運転の現行犯逮捕となっていますが、現地では収穫を間近に控えて実った稲がなぎ倒され、田んぼに十メートル以上も車が飛び込んだ痕が大きく残されています。警察から逃げた挙句に田んぼに突っ込んで逮捕されるという極めて悪質な事件でした。

 さて、地元住民の話では、道路からそのまま田んぼへ突っ込んだのではなく、道路に平行して走る用水路で行き止まりとなっている対岸の舗装されていない道路から、用水路と道路を飛び越えて直接突っ込んだとの事で、報道されたような酒気帯び運転だけでなく、完全な暴走事故のような現場であった。

 逮捕された当事者を追い詰めるようだが、酒を提供した居酒屋についても厳正な取締りを徹底し、飲酒運転は勿論だが、地域ぐるみで飲酒運転を絶滅させるため徹底した対策を訴えたい。
 さて、津島市にとっては不名誉な事件だが、追跡され現行犯逮捕された現場は津島市であるが、酒を提供した居酒屋と逮捕された人物が津島市民との報道は耳にしていないので、この事で津島市のイメージを悪化させる世間話にはされない事を願いたい。

 これだけ厳しくなった飲酒運転であるが、飲酒運転をしてしまう社会環境については、当事者達だけの問題ではなく、行政も真剣な議論が必要である。つまり、公共交通網の不備や、安易な営業許可は結果的に店を廃業に至らしめるため、公共交通の足の確保についても「絶対に無理」と先送りしない議論と、市内の飲食店の廃業を個人の問題とせず、生き残りのためのアイデアぐらいは議論して、殺伐とした街のイメージは払拭していきたいものである。
                          9月25日の一言

指定管理者と公共サービスについて

 本日は名古屋で開催された「委託・指定管理者制度問題学習会」に参加した。津島市でも既に多くの「公」の施設が指定管理者によって運営されているが、名古屋大学の市橋教授によって地方自治法の基本から解説を受け、改めて潜在する問題点の検討も必要と感じた一日となった。

 公の施設とは、地方自治法244条において「地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設(これを公の施設という)を設けるものとする」と定められている。
 指定管理者制度は、行政が担っていたこの公の施設を、民間企業や団体、組織に管理運営を行なわせる事であるが、利点として行政組織のスリム化が図られる事から、人件費など行政の経費削減が図られ、民間の競争原理や感覚による住民サービスの向上が図られる事などに期待が持たれている。

 指定管理者の選定においては、管理者の募集から申請を受け付け、選定基準を設けて選定委員会が審査し、候補団体を決定した後に議会の議決を必要としている。
 法律を読む限り、複数の申請者から一番相応しい組織を選定し、議会で3分の2以上の同意を必要としていることから、住民サービスの低下はないように思われるが、現実には議会においての議論はまだしも、一旦選定した組織に反対する事が難しくなっている現実が見えはじめてきた。

 そもそも、行政の経費削減によって出された予算で公の施設を委託されたり指定管理者になった民間組織が、満足なサービス精神を発揮できるとは思えない。津島市のなかにも、町内組織や老人会などが指定管理者となっている公の施設が点在するが、元々施設のカギの番人程度の感覚でしか考えられていないケースが多い。サービスの向上を求めて外部から新たな参入希望があっても、実際に地元地域の組織が選挙権を有する住民である事から、住民を敵に回してまで議会の議論には至らないのが実態である。

 本年4月から津島図書館の指定管理者として地元のNPO法人が運営管理を行なっている。しかし、市民の中には、このNPO法人があらかじめ行政と癒着して決められたとの疑念を持つ人も多い。図書館の指定管理者の選定については、私も議会選出の図書館協議会の委員としてこのNPO法人の決定を支持した立場にあるが、新たな陣容になった事から早急の協議会開催を議会で発言したものの、未だに協議会は開催されておらず、館長の顔や名前すら紹介がない現状からは、指定管理者制度の問題点についても議論が必要と考えている。

 図書館を指定管理者に移行する事自体にも反対の声があるが、2年前に視察した岡山県新見市の哲西図書館では、NPO法人が「年中無休」を原則に図書館の指定管理者として夜8時まで図書館を開館している。経費を削減する事も地方自治体にとっては緊急課題となっているが、住民サービスの向上を第一として指定管理者制度を考えないと、制度が行政の責任転嫁となるばかりか、公共サービスの意識を持たない公の施設ばかりになる危険性も危惧され、改めて施設の実態調査と聞き取りを実施したいと考えている。
                                  9月24日の一言

横井庄一記念館の一日

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記念館の庭にある鶴です。横井庄一さんの母親の名前が「つる」と言うので、母親を偲んで庄一さんが置いたとの説(夫人の話)ですが、二羽のツルが飾ってあり、空に向かって声をあげているようにも見えます。

 さて、お彼岸との事であるが、昨日の「嫌だなぁー」と言っていた記念館の一日が、ビックリする出会いによって急展開である。本日、三重県のいなべ市から訪問された5人組があり、会話をすすめるうちに偶然とは言え「赤い糸」で導かれたような話に発展した。

 私の父親は5才であった昭和8年に母親(私にとっては祖母、横井庄一の従兄弟)を交通事故によって亡くし、養子で入籍していた父親(私にとっては祖父)は家におりづらくなり、しばらくして子供3人を残したまま家を離れ、60才を過ぎた祖母(私にとっては曾祖母)の手によって育てられた。この事から、我家は叔父が寺に出されたり、祖母の働きを頼りにするどん底の生活に陥っていったのであった。

 14才から中国に渡り満州鉄道に勤めていた父は、兄が戦死したために我家の跡取となり、名鉄電車の運転手として勤務していた昭和36年8月に、三重県の川越町から「実父死す」の電報をもらい、すぐさま駆けつけたが既に火葬されており、小さな骨壷のみを持ち帰ったのであった。

 この年の10月に曾祖母はる(庄一の母の姉)が亡くなった。自分が先に死ぬと、私の父親が実父を家につれてくるのではないかと心配していた事から安心した大往生(87才)でもあった。何度も「父親に会わせてやろうか」と言う人々の言葉を断っていた父親にとっては、この年に生き別れたままに実の父親を亡くし、親がわりだった祖母も失ったのであった。

 年月が経過し、本年10月が曾祖母の47回忌にあたり、内輪ではあるが法要が予定されている。ただし、同じ年に亡くなった祖父については、毎月の供養はお願いしてあるものの、子供を置いたまま家を捨てた罪によって法要は行なわれないが、祖父が真言宗の弘法大師を信心していた事から、数年前から私のわだかまりになっていたのである。
 
 さて、さて、前記したビックリとは、この祖父の親族と極めて近く親しい間柄にあたる人物が、本日記念館を訪問されたのである。戸籍謄本に記された員弁郡神田村大字六把野新田六百〇〇番地、父〇〇〇京次郎、母あまの記録から尋ねると、この地域に〇〇〇家は1軒しかないとの話からどうやら間違いがないらしい。

 昭和36年に遺骨を引き取った際に、「自分によく似た親族(祖父のオイで私の父のいとこ)で、近鉄に勤めていた」との父親の話から、記念館に残る私の父親の写真を見せたところ、どうやらよく似ている様子で、近鉄に勤めていた人も存在する事から、びっくりする偶然の出会いである。年齢的にも時間の経過を考えると、まったく判らなくなる可能性もある事から調べていただく事でわかれたのであった。

 記念館が閉館時間となり自宅に帰ると早速の電話である。本日出会って依頼した人物が、定年後は地域の要職を務められ、現在も老人会の会長にある事から話は早く、早速〇〇〇家を訪ねていただいたのであった。事情も確認され、昭和36年に私の父親と会った親族は病床にあるとの事であるが、〇〇〇家は次男の方が跡を継がれ、ご子息も立派に活躍されている様子を聞かせていただいた。

 亡くなってはいるが私の父親にとっては親の在所であり、私にとっても親の従兄弟や、「また従兄弟」が存在することから、早期の訪問を実現させたい。「今頃何のために…」との声もあるが、他人でも親しく交流する豊かな時代にある事から、間違いなく存在する私のご先祖様たちに手を合わせてみたい。生き別れたまま、親の在所も知らず亡くなっていった父親にも早く報告したいと考えている。
                                  9月23日の一言

寄り道

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祖父江町善光寺 
  ホームページ http://www.zenkoji.com/

 明日を投票日にひかえた稲沢市議会議員選挙も、本日が選挙戦の最終日となり、11人のうち5人が落選する旧祖父江町では街宣カーから必死の声がこだましていた。

 私の戸籍謄本に記された出生地は、この祖父江町であり、出生届も津島市ではなく母親の出身地である祖父江町役場に届けられている。また、家内も祖父江町の出身であるが、この旧祖父江町と合併する前の旧長岡村の出生となっているから歳月の経過を実感させられる。

 そんな事から今回の選挙にも多くの知人が立候補しており、「一票かニ票が当落を分ける」との電話をもらったことから、懐かしい「第二の故郷」を廻る土曜日となった次第である。

 添付した写真は、長野や甲斐、飯田の元善光寺とならび四善光寺の一つとして数えられる、祖父江町の善光寺である。
 久しぶりに通りかかったところ、大掛かりな改修工事がなされており、青いビニールが張られていた大屋根も見事にふせ直されている。総工費五億円(?)とも言われた大工事がはじめられ、参拝客も訪れており、やる気になった僧侶の意識改革の成果を実感するとともに、かつて買い物客でにぎわっていたむかえの八百屋や饅頭屋の廃業した町並みを見ると、高齢社会の光と影を見る思いがする。

 いつのまに日本全国に多く存在する善光寺の四つの一つに数えられるようになったかと思われ、売名行為と揶揄する声もあるが、れっきとした四善光寺の一つで、この善光寺のおかげで全国の善光寺のネットワークが結集できたと飯田の元善光寺の僧侶から聞いた事がある。

 さて、この善光寺の住職の弟が、私の同級生で京都大原の宝泉院の住職である。こちらは度々テレビにも紹介され、最近では日本を諸外国に宣伝するため海外にまで紹介されている。
 宝泉院のホームページ http://www.hosenin.net/

 人の縁とは判らないものである。この善光寺と親戚にあたり、京都の化野念仏寺とも親戚となる祖父江町出身のSさんが、私の選挙に深く関わり、本日も津島市内で待ち合わせ、私が祖父江町を廻っている間待たせていたのである。

 「明日は嫌だなぁー」と、横井庄一記念館の留守番となる一日をぼやくと、「それも何時か廻り廻って返ってくる」と待ち合わせ場所のマスターの声。久しぶりの「里帰り」で、親族や知人と旧交を温める一日となった。
                         9月22日の一言

バリアフリー検証会やセミナーの日程

 本日で9月議会の本会議が終了した。当初の予定では今週末までに自分の会報「津島の風」を印刷し終わる計画であったが、激戦の稲沢市議会議員選挙の応援依頼によって土曜日が潰れ、日曜日は横井庄一記念館、月曜日は名古屋で公共交通問題会の学習会があり、8月に終えていなければならない中学校同窓会の集金も残している事から、一週間前に重要な一週間と記したが、この一言は来週に先送りとなった。

 さて、来年1月に津島市文化会館で予定している「人にやさしい街づくり地域セミナー」について、本日の夜に開催した津島市の人にやさしい街づくりアドバイザー会議によって大まかなスケジュールが決定した。地元はもちろんであるが、幅広い地域からの参加を期待している事からここに記しておきたい。

〇バリアフリー検証会
  (ここでは津島市内各地から病院へ行くための交通手段とバリアを確認します) 
・10月23日(火) 午前10時津島市保健センターへ集合
  車イス4台によって津島神社から市民病院を目指します。巡回バスや名鉄バスも利用
・11月21日(水) 午前10時から、集合場所旧神守村地区 
  自転車を利用して、3校区(蛭間・神守・高台寺)から市民病院や医療機関を目指します。雨天の場合は29日(木)に順延
・11月24日(土) 午前10時旧市街地から市民病院
  全盲の障がい者と一緒にガイドヘルパーの協力で市民病院を目指します。

 市内各地からバリアフリーを検証していきますが、本年は自宅から病院への交通手段や、危険個所を車イスや自転車で検証し、1月の地域セミナーに報告するとともに、役に立つ資料も完成させたいと思っています。
参加者募集中・希望者は(0567)-28-0383オオシカまで連絡を下さい。
 
〇人にやさしい街づくり地域セミナーin津島
 20年1月27日(日)午後1時から 津島市文化会館小ホール
 愛知県主催(津島市共催)の行事です。現在講師に桜花学園大学の森田優巳教授を予定し、パネラーには津島市民病院神谷里明副院長を中心にお願いし、内容は病院や医療機関へ通院するための交通手段や公共交通問題を主テーマとして準備をすすめています。(愛知県に報告がしてありませんので、あくまで津島市の予定です)
参加希望者は(0567)-28-0383オオシカまで連絡を下さい。(一緒にボランティア活動をしたい人も大歓迎です) 

 本日の会合は場所こそ珈琲屋であったが、1月のセミナーを目標に、始めの一歩から積み重ねて議論できた成果は津島市内にも多くのボランティア団体がある中で、8名の少数精鋭(?)ではあったが、行政と連動した協働作業として確実な一歩を記したと思われ、私一人で独善的にテーマや日程を決めた、前年とは違う裾野の広がりを実感しての散会となりました。(尚、会合はこれまで3回開催しています)
                               9月21日の一言

拡大される被災者の支援策に…

 自然災害に対する被災者の再建に対して、自民党は被災者生活再建支援法の改正案をまとめ、これまでは住宅の解体や撤去費用などに限られていた支援金を、住宅本体の再建や購入まで踏み込んで拡大した案を議員立法として今国会に提出する予定で、民主党も対案として自民党より200万円多い500万円を支給金額としており、両党の発表により今国会で成立する可能性は極めて高いと思われる。

 突然の災害により、家や財産を一瞬にして失った人々の再建に、公的支援策を補強することに私は異論はないが、こういった支援策がすべての国民に公平に扱われない可能性から、災害の規模や被災者の年収などに関係なく、すべての国民へ公平に対応させる事を熱望する。

 これも参議院選挙で自民党が惨敗したことが原因とすれば、災害被災者にとっては朗報であるが、小泉内閣の三位一体改革により、全国の地方自治体への地方交付税や補助金が削減され、厳しい財政運営が図られている現状を忘れ、自民党と民主党の二大政党による国民の支持率を意識したバラマキ行政に逆戻りすることを警戒したい。

 地方自治体の厳しい財政状況の中でも、多種多様なサービスが実施されている。ただし、その対象となる人々の意識の違いにより、公平とは思えない支給や、理不尽なサービスも現存する。

 福岡県で生活保護を打ち切られた人々が、餓死したり自殺する事件が続いている事から、本日のテレビのワイドショーでも問題にしていたが、生活保護受給者や母子家庭の援助のために戸籍を粉飾している事例も現存する。

 「すいません、お願いします」との生活保護を意識した電話が時々入ってくる。内容を聞く限り明日からの生活が成り立たないことから連絡先を聞くと、正確な住所地番や電話番号が応えられない人があった。詳しく問いかけると、隣の愛西市で生活保護を打ち切られ、津島市で生活保護を受けるために転居してきたばかりの人であった。
 「オオハシ先生、お願いします」、「いや、私はオオシカですよ」なんてお粗末な顛末も現実であり、生活保護のために離婚したことにしたり、世帯分離によってサービスを受けている家庭も現存する。

 働かざる者喰うべからずの言葉もあるが、制度を悪用する輩も多く存在する事から、前記した被災者支援策についても十分な議論が尽くされる事と、不公平な補助金支出についても、個人情報保護のために地域住民が知らない事も多く、弱者になりすます輩の一掃も急務である。
                                 9月20日の一言

学校から消えた連絡網に…

 本日の夕刊に「学校 消えた連絡網」なる記事が掲載されていた。学校のクラス別連絡網が個人情報の秘匿によってなくなり、台風や災害時の緊急連絡ができずに教育現場が困っているとの報道である。

 個人情報の保護については、情報公開が叫ばれるのと並行して各地で問題になってもいるが、最近では学校の卒業アルバムから住所録を消した学校まで登場し、年月の経過によっては卒業生同士の連絡すらできない事例も考えられる時代になってきている。以前の事だが、学校のクラスの連絡網が次に連絡する生徒の電話番号しか知らされておらず、電話連絡がその家でストップして運動会の中止連絡が止まってしまった事例もあった。

 最近では、同窓会の卒業者名簿についても、発行すると名簿を利用した商品販売や勧誘に悩まされる事から、ほとんどの学校から同窓会員名簿が姿を消している。役員にとっては、名簿の発行は莫大な労力と費用を必要とする事から、発行できない事がありがたくもあるが…。
 又、ボランティアの養成講座などでも、修了後の連絡先については各自の承諾を得て名簿が作成されているが、住所や電話番号などすべてを秘匿する人物にボランティアを依頼するはずもない。連絡先も公開できないボランティアに公費を負担してまで、講座を受講させて養成する必要はないと思うが…。

 かつては秘匿する家もなかった電話帳であるが、最近では電話帳に公開されていない家も多く、不都合を感ずる事もあるが、個人情報の保護はどこまで必要なのかを考える時期が到来しているのではないか。
 災害時の救助を必要とする災害時要援護者についても、行政から積極的な情報公開ができず、個人の自主申告に頼っていることから、実際の被災時には間に合わず、災害弱者の確認についても今一度再考を要すると思われる。

 元々が、住所氏名や連絡先を秘匿する必要があるのだろうか。個人情報の保護については、個人の病歴や家庭環境、銀行口座などプライバシーの侵害や経済的損失を伴う危険性もある事から重要であるが、災害時や緊急時の連絡すら取れない危険性を考えると真剣な議論が必要と思われる。

 そう言えば、小学校の入学式に名前を正確に公表できない生徒が存在した。理由は忘れたが、特殊な事例を基準にする必要はない事から、学校のクラスくらいは情報を共有するべきと思う。そもそも、クラスの連絡網すら無くして、真剣な指導を教師に求められるだろうか。
                               9月19日の一言

相変わらず

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 改善ができず、歩道は走れません。

6月12日の一言
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/21140917.html

 久しぶりに自転車通勤を続け(先週から)、歩道の行き止まりや、本日のようなゴミが道をふさいで走れない現実を久々に体験しました。こんな時に歩道から車道に車線を変更せざるをえませんが、普段自家用車を運転する立場からすれば、突然の飛び出しは危険極まりない行為でもあります。

 ゴミの指定場所をめぐっては、自宅の隣は迷惑なために、どうしても道路になりがちですが、辺りを見渡すとゴミが置けそうなスペースがある事から、交通安全の立場からも、地域の話し合いによって歩行者や自転車の通行の妨げとならない場所への移動が必要と思います。

 しかし、現実は難しく、朝一番に回収される場所なら話し合いの余地がありますが、この場所のように午後にならないと回収されない所は、夏場などの腐敗も考えると厳しいと思われます。
 久々の自転車で、なんら改善されないままの現実と、「臭い物にはフタをする」ことわざどおりの社会を実感した次第です。
                       9月18日の一言(本日は二言)

新日光橋

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 橋部分は完成し、トラックが通行できるまでになりました。

 本日は、新日光橋に工事のための資材をつんだトラックですが、2台が渡ってとまりました。来春の開通との事ですが、残された工事が道路との取付け部分だけですので、素人考えでは年内にも開通ができそうに思えますが…。

 ただし、この橋の架け替えによって、多くの店や施設の営業に多くの影響があり、その中で残った店や施設だけに、開通後の市民の便利さ以上に期待したいと思います。
                            9月18日午前中のひとコマ

病院の受け入れ体制の違いを実感し…

 せっかくの祭日ゆえに、山積した仕事をこなそうと考えていたが、来客の応対で一日が終ろうとしていた夕方になって、突然と家庭内が慌ただしくなってきた。

 「病院に行きたいんだけど」と、三男が言い出した。
 「どこが悪いんだッ?」、「足の痣(アザ・内出血)がガンだと困るから」
 「えっ、ガン?」、「皮膚ガンかもしれないと…」
 「そんな事はないだろう」、「テレビでやっていたのと同じだから…」

 どうやら、長男に脅されて心配になったようだが、祭日ゆえに医者も休日でこんな症状では救急医療の対象にもならず、「明日にしたら」と言ったものの、明日は学校もあり、「放っておいて手遅れになったら」との長男の言葉から、父親として無視もできない情況となった。

 幸いにも訪問していた来客が元消防署幹部であり、「とりあえず、23-0119に電話してみたら」の助言であったが、やはり紹介されたのが津島市民病院であった。息子の症状を聞いて、返ってきた言葉が「診られる医師がいないので、明日来院して欲しい」との内容であった。

 しかし、心配になった三男には明日が待てない。新聞の休日診療所を調べたり、医療情報の連絡先へ電話するも、祭日ゆえに思うようにならず、行き着いた先が海南病院であった。次男の経験から、海南病院に行けば何とかしてくれるとの一言が影響したようである。しかし、救急患者とは思えない事から、電話をしてから行くように勧めると、津島市民病院とはまったく違う電話の応対があった。

 「皮膚科の医師はいないが、どうしても心配なら外科の医師が診ますよ」との応対に、父親の私は「明日にでも皮膚科に行けば良いのに」と思ったが、行かざるを得なくなってきた。到着した海南病院では次々と患者が訪れ、津島市の救急車まで患者を搬入してくるのを眺め、電話応対の大きな違いを実感させられた。

 専門医師の不在から明日に来院するように対応した市民病院に対して、専門医師の不在を断った上で「心配なら来て下さい」と対応した海南病院。こんな事例を過去に何度も聞かされてきたが、自分の息子への対応から医療の根本から考え直す必要を実感した。

 生命にかかわる重篤な症状から救急車で運ばれる患者は別として、休日や祭日の医療に高度な専門的治療を期待して走る患者はいない。明日までが待てない痛みや心配のために頼りとして走るのであり、平日であれば診療科目に関係なく個人の開業医が対応できる程度の診療である。

 息子の結果も、「ただの内出血で心配ないと思うが、心配なら念のため皮膚科で調べては」との診断で、忙しい休日診療にメイワクをかけた医療相談でもあったのだ。帰宅中の車内で「ところで診察代はどうした?」の問いに、「タダじゃないの」との息子の言葉が返ってきた。何も治療がなかったとはいえ、診察して無料はありえないが、何も請求されなかったとの話に、相談だけでは金も取れぬかと思ってもみたり…。どちらにしても、患者を迎え入れた海南病院と断った市民病院との、患者(市民)に与える信頼感には大きな違いが生じたのは間違いがない。
                                 9月17日の一言

雨中の出陣式へ…

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稲沢市議会議員選挙告示

 世間では自民党の総裁選挙や連休の行楽が話題になっている時であろうが、隣の稲沢市では合併後初となる市議会議員選挙が告示され、過去にない厳しい選挙戦が激しい雨の中でスタートした。

 今回の選挙は稲沢市と旧平和町、旧祖父江町のブロックに別れて選挙が行なわれるが、34の議席に46人が立候補する激戦で、特に旧祖父江町については6人の議席に11人が立候補しており(稲沢24議席に29人、平和4議席に6人)、1人を覗いてすべて現職(平和町はすべて現職)の戦いだけに厳しさが実感できる。

 選挙となると我々議員は自然と盛り上がってしまい、仕事が山積している自分の置かれた厳しい状況を自覚しながらも、「困っている」との一言で、朝の出陣式だけでなく夜の個人演説会は選挙区をまたいでハシゴとなった。どうしても旧交のある現職には勝ち残ってもらいたいし、救いを求められる新人にも当選してもらいたい為に、自分の親類や知人にも声をかけてしまうと抜き足がとれなくなる。

 ただし、選挙はあくまでも本人の実績と、選挙前に歩いた距離が確実に当落に直結する。私が初めて立候補した際に、「当選したかったら、靴を3足履き潰すまで歩け」と、海部代議士の実弟である尚樹氏より言われた事がある。昔と違って靴の品質も良くなっているので、中々3足を履き潰すまでに至らないが、現職は4年間の実績も重要だが、選挙区に名前が知らされていなければ誰も記名すらしてもらえない。結果は一週間後の投票日まで判らないが、本当は既に大方の決着がついているのかもしれない。朗報を待ちたい。

 さて、自分の足元に目をやると、議会が21日まで続いており、NPO法人については愛知県への登記完了届けの提出から、税務署、津島市への届け出も済ませていないし、その後に運輸局への難しい申請手続きが待ち構えている。
 会報の発行と配布はもちろんだが、再開する「四国八十八ヶ所めぐり」の募集や、愛知県に名乗りをあげている「人にやさしい街づくり地域セミナー」の打ち合せと、バリアフリー検証会の日程など、この一週間が今年中の日程を左右する。自分に徹する一週間にしたい。
                                9月16日の一言

三男の坊主頭に

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  早朝より息子の運転手で、競輪の競技用自転車を名古屋まで運んで帰ってきた。息子の自転車もプロ選手の中古ではあるが、相当な値段で購入しており、この毛布で包まれた車体とタイヤはどれほど高価なものだろうか。いずれは必要になると相当な覚悟が必要となる。

 その息子がこれまで長髪にこだわっていたが、昨日には丸坊主にして帰ってきた。「やっぱり坊主にすると速い」と言っているが、見慣れないためについつい頭が気になるのである。「どうしたの?」、「いやー、見事だなァ」と言いながらも、また気になって見上げてしまう。「なにーッ?」、「いや、よく輝いているな」

 予想もしなかった坊主頭に目がクギ付けである。思えば自分の中学時代には強制的に坊主頭にされ、嫌でしようがなかった悪夢が甦ってくるが、長男の中学入学前に時の教育長に、「絶対に反対、どうしてもと言うなら教育長自らバリカンを入れて下さい」と直訴した事もあった。そんな影響もあってか、長男の入学する直前に強制的な坊主頭はなくなり、頭髪は自由になったのであった。

 私のそんなこだわりを無視するかのように、息子達は坊主頭にしてしまうのである。長男はインターハイが終わり国体の直前に坊主頭にして帰ってきた。その「かっこ悪りー」顔で、津島市の広報に載せられている。
 次男は相撲部ゆえに、高校入学から坊主頭であり、以来9年間社会人となった現在もそのままである。確かに理髪店代がいらず、頭の洗髪も簡単である。

 最後の三男だけは自転車のロードや競輪のためにヘルメットを被る為、まさか坊主頭になる事はないと思っていた。それが突然の坊主頭であり、ピカピカに光る頭を自慢して見せているが、どうみても私には高野山を歩く若い小坊主にしか見えないのである。
 「坊主にしたら速くなった」と言う自転車も、ヘルメットをかぶるのに速くなるとは思えず、「なぜ速くなるんだ」と疑問だが、「本人がそう思っているんだから」と家内の声で封印である。

 しかし、三人の坊主頭は記憶では全部同じように見えてくるが、写真を見比べると3人それぞれ形が違い、三男については体格が小ぶりで後頭部が突き出ている事から、「記念に撮らせてくれ」とお願いしたのが掲載した写真である。見慣れるまでは笑いを堪える必要があるが、初々しい気持ちにもなれそうである。
                                9月15日の一言

昼休みの遠出

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矢合観音の小玉食堂へ


 本日は自分の所属する総務文教委員会が開催され、午前中に終了したことから、昼食は稲沢市にある矢合観音に参拝してから門前の小玉屋ですませました。
 ここ矢合観音の井戸水は、腫瘍に効能があるという事から、月に一度は訪れて一杯の水を飲んでからの昼食をここ数年続けています。私がガンにならなかったら、ここの効能は本物でしょう。

 小玉屋では入ると同時におでんの皿に「こんにゃく」と「揚げ豆腐」をのせ、「みたらし」を一本もらい、「おーい、こっち、こっち」と主人に大声で命令されて座ります。注文は「中華そば」が定番です。掲載した携帯の写真が悪いので、イメージを悪くしていますが、昔から変わらぬ味です。

 かつては、土曜日曜ともなれば行列ができた矢合観音も最近は人出が極端に減っており、まわりの店にも影響は必死ですが、(ここは宗教法人ではなく、一般の民家です)先代から代替わりしてからは、決まった時間に読経がされず、信者が多く集まるまでされない事や、読経される「般若心経」はとても乱雑で心がこもっておりません。こんな事から信者が減り続けています。
 「そうでしょう。もっと言ったってちょー。わしらも言っとるんだけどー」とは地元の郵便局長さんの話でありましたが、もっとも私は参拝後の一杯の水が目的ですから、人出が少ない方がありがたいのですが、生活のかかっておる地元では困っておられる様子であります。

 稲沢市では、矢合にある観音様のほかに、「国分寺」と、萩で有名な「円光寺」、歴史のある「安楽寺」を組み合わせた新たな観光コースを設定し、近々パンフレットもできあがるようですが、肝心の「観音様」のもてなしが良くならないとダメでしょうねー。しかし、ここは水が目的ですので一度覗いて下さい。

 小玉食堂は4代目となり、約100年続いている食堂ですが、多くのメニューと昔から変わらぬ味がお薦めです。有料駐車場がありますが、小玉食堂の駐車場(無料)に停めて、ごへい餅を食べるか、向えの土産物店や珈琲屋(共に小玉食堂)を利用した方が得策です。
                                   9月14日の一言

アベのおかげで水戸黄門が…

 9月議会の真っ最中のために、世の中の情報どころか、人との約束も日延べになっており、2日前に約束をしてあった知人との約束が、「翌日に」となり、その翌日にあたる本日も市役所から戻れないために、夕方になってしまった。

 「忙しいとダメだな(私)」、「テレビも何もやっていないし(知人)」、
 「今年から巨人ファンを辞めたから野球も見ないし…(私)」、「昨日もアベのおかげでダメだったし…(知人)」、「そうか、最近のアベはどうなの?(私)」、「ダメじゃん、おかげで見れなかったゾッ(知人)」、「ウン? 今年からオレは巨人戦はチャンネルを切る事にしているから(私)」、
 「水戸黄門が見られなかった…(知人)」、「そうかッ、水戸黄門は月曜日か?(私)」、
 「昨日じゃん(知人)」、「えっ?月曜日だろゥ?(私)」、「何言ってるの、昨日、昨日じゃん(知人)」、「????(私)」、「…」

 「ところで最近の巨人はどうなのッ?(私)」、「巨人戦なんか中継もしやしないし(知人)」、「????(私)」

 珈琲屋へ走る車中で、それまで噛み合っていた話が途中で可笑しくなり、つじつまが合わなくなってきた。私は昨年までは巨人ファンであったが、2年前の元木選手の引退や清原の扱いに不満があり、今年からは桑田や仁志選手の放出で巨人ファンを辞めました。(知人は相変わらず巨人ファン)

 「ところでアベはどうしたの?(私)」、「引退じゃん、お宅の方が詳しいでしょう(知人)」、「引退?ケガでもしたの?(私)」、「なにー言ってるのー?(知人)」…(この後の会話は詳しく覚えていないが…)

 まったくの見当違いの話であった。知人は昨日の安倍首相の辞任により、テレビ番組が突然ニュースに差し替えられ、夕方に再放送されている「水戸黄門」が見られなかった事に腹をたてて話しており、私は安倍首相ではなくプロ野球巨人軍の「阿部慎之助」捕手の事と思って聞いていたのであった。

 笑い話のようであるが、毎日がヒマでしようがない知人には、楽しみにしている夕方のテレビ番組「水戸黄門」の放映の邪魔となった安倍首相辞任を「アベのおかげで…」とこき下ろし、私は国の一大事である安倍首相の引退と、巨人軍の阿部選手の引退と勘違いして会話を交わしていたのである。

 考えて見ると、国の総理大臣が辞任した話題が、テレビの再放送「水戸黄門」と対比され、プロ野球選手と勘違いして話されていたことから、安部首相の信頼どころか存在感も失せていたのかもしれない。(我々の会話がボケていたとは思えない)

 自民党にとっては後継問題で国の一大事となっているかもしれないが、辞任劇も後継選びにも国民の存在が完全に忘れられており、与野党逆転を叫んでいる民主党から伝わってくる報道にも、国民の支持によって参議院の圧倒的勝利になった事が完全に忘れられている。これだけ軽んじられた国政が過去にあったであろうか。二大政党論も結構だが、無党派層が圧倒的に多い中で、無党派層の代弁者の感覚が完全になくなっている現実に気づいているのだろうか。
                                 9月13日の一言
 

形容しようのない首相退陣に…

 惨敗して与野党が逆転した参議院議員選挙の歴史的大敗結果を受けても、辞職の気配すら見せずに「反省すべきは反省し…、改革の足を止めずに、総理の責任を果たしていく」と語り、2日前には「職責にしがみつく事はない」と、臨時国会召集を前に語っていた安倍首相が、突然の辞任を発表した事で「政治的空白をつくらない」との言葉どころか、衆議院本会議の当日に流会の事態となり、政権運営どころか政局の行方すら行き詰まったような状況に追い込まれてきた。

 昨年9月に第90代内閣総理大臣となった安倍政権は、今月26日の一年目を待たずして崩壊することとなった。先月末に発表された新閣僚についても不祥事続きとなったばかりか、何の働きもしないままに安倍首相の道連れとされ、安倍首相の批判を言い続けて厚生労働大臣に抜擢され、厳しい内部改革を突きつけていた舛添要一氏には現在の心境を聞いてみたいものである。

 さて、地方自治体の首長でもこんな幕切れはないのではないか。昨年の総理就任以来、閣僚の問題発言から支持率は低下の一途を走り、閣僚の不適切を通り越した不法なる公金の悪用から、松岡農相の自殺など『美しい国』どころか、汚すぎる政治の歴史を残しての退陣である。

 国民の声どころか、国会議員の意識すら読めず、ボロボロになりながら再出発した直後の、誰にも理解しようのない突然の辞任劇を理解できる国民は皆無ではないか。不良に変身した少年が、仲間と次々と罪を重ね、逃げ切れない状況下から、親や親族に責任をかぶせて突然家をとび出してしまったような展開である。
 こんなレベルで日本の国の舵取り役を担っていたとは信じ難いが、考えてみれば私より1年若い昭和29年生まれの52歳であり、14年の政治経験しかないのでもある。

 小泉首相の後任について、派閥の親分にあたる森元首相は、安倍首相とは違うシナリオを語っていた。明らかに大人(政治屋)の考えそうなシナリオと思っていたが、その声には一切の耳を貸さず、小泉後継でありながら、改革の言葉を繰り返しただけで、小泉さんとは全く異質のツギハギだらけの政権運営に陥っていた。

 一国の首相がこんなていたらくであれば、地方の首長は怖いもの無しではないか。しかし、こんな状況下で小泉首相の推し進めた三位一体の改革が頓挫したら、地方交付税や補助金を打ち切られ、厳しい財政運営を強いられている地方自治体はたまったものではない。小泉さんが「ぶっ壊した」自民党は、修理するのではなく、新たな新車に改造されるか買い換えるべきであったと思われる。こんな哀れな引退劇から、我が市の首長の方が心強く思われるとともに、何でもできそうな自信を持った首長も多いのではないか。
                              9月12日の一言

地域廻りが不足する反省とともに…

 議会の一般質問が終わり、明日からは常任委員会が開催される。同時進行でNPO法人の設立登記完了の届け出を認証を受けた愛知県や、活動の拠点となる津島市に提出し、議会最終日の21日夜にはボランティアである「人にやさしい街づくりアドバイザー」による車イス体験の打ち合せが予定されている。

 ただし、これはあくまで私の予定であり、割り込んでくる予定は身勝手なものである。来週16日には近くの稲沢市の市議会議員選挙が告示され、私のような者にも複数の応援要請があり、本日夜に開かれていた書道会「神守丈友会」の終了後に、会の旅行の行き先等を話し合うつもりであったが、選挙打ち合せの来客のために来週まで先送りとなったのである。

 簡単に記しているが、一つひとつに付帯する諸条件を満たして望む必要があり、先送りは日程的になんともし難い状況に追い込まれそうでもある。8月後半にとった4日間の夏休みの浮かれた気分のツケが大きく圧し掛かってきたようでもある。

 さて、本日の市議会では午前中の2番手(9月議会最終質問者)として質問に立った。昨日の一言に「雑念が」とか「気力が乗らぬ」などと記していたが、議員生活8年間の蓄積した経験のお陰か、背伸びしない普段の勉強そのままに質問した事からか、「手抜き」ではないが、今一つ沸き立つ闘志が不足したものの、行政の噛み合う答弁と、再々質問への最後の市長答弁では、私の想いと目的が当局と共有できている考えが示されてきた。

 無党派無所属の議員として、身勝手な発言や我が道を行く行動を続けてきたが、最近では愛知県や津島市と連携したボランティア活動や、市民病院の医師も巻き込んだ行事など、行動が行政と連動しているものも多く、私の情報の中には国や県から入手したものや、大学教授から学問的に指導されたものもある事から、議員になった駆け出しの頃とは違った行政からの答弁を実感した。

 議員は議会がすべてと記した事もあるが、議員は日頃の行動そのものが大切である事を、厳しく目まぐるしい日程の中で実感した次第である。ただし、私の原点は「市民の声を代弁する」事にあり、会報の配布によって地域を廻る事を暫し忘れている現状への反省も重要である。明日からもうっかりミスによる日程先送りを厳禁し、確実に仕事を済ませないと次に進めない行動が求められている。
                                9月11日の一言

 

気力が盛り上がらないままでは…

 9月議会が開催中であり、本日は一般質問がはじまりました。10人の議員が質問に立ち、8人が終ったことから、明日は2人の質問となり、その最終の登壇が私となりました。

 今回も3件の質問が通告してありますが、過去の一般質問と比較して、実際の本音を語りますと緊張感が不足しすぎています。登壇する前からこんな一言を記すと、『手抜き』と誤解されそうですが、1件目の質問である「公共交通について」は、本年5月に公布されたばかりの「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」に関する質問ですが、大学の先生による勉強会や現地調査に参加した事からか、質問が抽象的で地域性が不足する将来像について質問している事から、当局から具体的な答弁が戻ってくるとは思えません。

 2件目の質問についても、「交通安全対策として、歩道と自転車道の整備」についてですが、これも道路交通法の改正に関して質問している事と、財政状況厳しい地方自治体への質問に、具現性の高い答弁は戻ってこないと思われます。

 3件目の市民病院の経営改善については、6月議会でほとんどの議員が発言し、市議会でも「市民病院調査特別委員会」が設置されておる事から、厚生労働省の新しい施策に関して質問する事と、医師の勤務体制については、厳密に言えば「労働基準法」に触れる可能性が高く、医師不足の現実を前にとことん追求する事ができない事があります。

 こんな本音と同時に、愛知県から認証されたNPO法人の登記が議会と同時進行となり、登記の締め切りが議会とまったく同じ11日になっていた(実際には先週末に済ませ、13日に完了予定)事や、議会前日が横井庄一記念館の当番日となって、ヒマな一日を持て余したことなど、緊張感がそがれ、アドレナリンが上がらないのでもある。

 さて、10月に予定してあった車イスによる「市内バリアフリー検証会」について、早朝より参加メンバーから連絡が入っていたが、議会中のために夕方の連絡となってしまったのである。しかも、一旦決めてあった日程に我家の法要があった事を忘れていた事から、仕切り直しであるが、休日の日程表に空きは12月までない事から、既に車イスを手配してあったメンバーには申し開きのできない四苦八苦である。

 そして、この秋から(忙しさから9月から10月に先送り)は、新たな四国八十八ヶ所巡礼の旅がスタートします。マイクロバスは手配してあるものの、参加希望者への連絡や新規募集が何もされていません。このまま放置すると私の完全なる赤字となりますので、この件についても必死な働きが必要です。「じゃー、会報はどうするの?」、「選挙の告示が来週に迫ってきたので…」と、関係のある議員の訪問の声にも応えていこうとすると、明日の議会のことが眼中から飛び出すのも自然と言っては無責任でしょうか。
                                 9月10日の一言

横井庄一記念館のなが~い一日

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記念館の柿が大きくなりました。
子供時代に柿が実るのを毎日楽しみにして、まだ青いうちに口にした経験をお持ちの方もおありではないでしょうか。
あの渋さが懐かしい思い出です。

 本日の記念館は、座禅でもしたいような一日となりました。「先週は5人しかお客さんがなかったから、今日も昼までは暇かも」との館長の言葉とは裏腹に、午前中に5人の訪問があったものの、午後は誰一人訪問のない、ながーい一日となったのであった。

 私は洞穴の中で一瞬ですが熟睡です。こんな事なら枕でも持ってこればよかったと思える長い一日に、明日から始まる議会の一般質問については、まったく眼中にない一日を過ごしてしまいました。これからはこんな事も覚悟でしょうね。
                          9月9日の一言

3年ぶりにJR高山線が復旧し…

 三年前の平成16年10月から台風23号による増水により線路や鉄橋が流され、一部が不通となっていたJR高山線が本日午前から復旧し、3年ぶりに全線が開通した。

 まさか復旧に3年の歳月がかかるとは思いもしなかったが、この年は台風が繰り返しのように全国各地を襲来し、多くの市町村が河川の氾濫によって被害を受けた年でもあった。
 「大鹿さん、一緒に被災地へボランティアに行きましょう」と誘われ、「はい、ハイ、行きますよ」と応えたものの、肝心の被災地へ連絡すると、我々ボランティアを必要とする状況ではなく、我々ボランティアを必要とする地域は道路が寸断されて危険な状況にあり、ボランティアが入れる状況にない事が判明した。

 「現地では対応できないと言っているが、それでも行くの?」の問い合わせに、「バスの手配もしてあるし、その日しか行けないから」との返事があり、名古屋からバスでボランティアを募った団体は出発していったのである。

 ボランティアが現地でどんな仕事をしてきたのか確認はしなかったが、バスが入れるところでは土砂が側溝に入っており、やれる事はその土砂を土嚢袋に入れる事くらいしか仕事がなく、偶然にも台風の半月前に市役所を視察しておった事から連絡したのであるが、「落ちついたら観光で来てください」との返事でもあった。

 考えてみたら、不摂生で成人病予備軍の中年男に肉体労働は限界があり、「ボランティアを断られた」との一言と、それでも市民団体はバスでボランティアに出発していった事を話した事がきっかけとなり、「勉強してみたらどうですか?」と紹介されたのが、愛知県の主催するボランティアコーディネーターの養成講座であった。
 
 この講座を終了し、防災訓練に参加した時に勧められたのが、防災リーダーを養成する「防災カレッジ」の受講であった。私がかかわるようになった防災ボランティアのきっかけが、高山市や飛騨地方が被災となった台風23号であり、それから3年の歳月が経過していた事となる。

 さて、行政が主導してではあるが、市内全小学校区に自主防災組織が組織され、住民主体の防災訓練が実施されるようになってきたが、地域によっては議員が政治に利用していたり、ボランティア団体も一部の仲良しクラブとなって、裾野が広がらない現実の反省も必要である。一方では、国や県が心配する東海沖地震や南海、東南海地震の連鎖による大規模災害より、身近な水害や、日頃の近所の心筋梗塞を心配したAEDの設置など、今一度防災訓練と災害ボランティアの認識を再確認する時期にきているのかもしれない。
                                9月8日の一言

NPO法人の登記申請が完了し…

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 特定非営利活動法人ひとまち生活ネット津島の法人設立登記に、法務局の窓口相談に通い続けていたが、掲載した法人印の完成とともに、窓口にて受理されるまで進展した。

 書類の中身に問題がなければ、今月13日(木)に登記が完了する予定になっている。ただし、これまでの一言にも記してきたように、法務局の登記が完了した後の方が、愛知県や関係市町への届け出や関係する所轄庁への申請が続き、その後は法人の目的とする活動が控えている。

 さて、添付した法人印は、私の中学時代の恩師で、毎週火曜日に開催されている書道教室『神守丈友会』の指導をされている後藤(緑風)毅先生の手による大理石への篆刻(てんこく)によるものである。
 非営利のボランティア団体の法人化であるが、6月に設立申請を出したあとに複数の営業用バンフレットが送付されてきた。行政への申告や経理の代行を勧める税理士や司法書士、法人の印鑑やゴム印などの販売であった。

 中には格安な案内も存在したが、有償のボランティアとは言え、利益を求めない無報酬の役員をお願いし、施す側にいるボランティアや役員からも入会金や年会費を徴収する事から、何でも自前を貫きたいと考えて法人印も手作りに徹した次第である。(現実には専用電話の設置やゴム印の作成など、必然的に必要な経費はかかってくるが…)

 もっとも現状においては設立する事のみに燃えているが、病院や買い物への付き添いについても、移送については運輸局への申請と認可が必要となり、障がい者や高齢者を対象としたボランティアだけに、保険をはじめ慎重で万全な対応が必要となってくる。
 現在無償で試験的に実施しているが、病院まで10分の距離であっても、待ち時間も含んで診察が終了するまで3時間もかかるなど、判っているつもりでも実践する現実は厳しいものがあり、果たして新たなボランティアの名乗りがあるかも心配になってくる。

 そうやって考えて話していると、まだまだ働き盛りの50代のためか、利益目的の起業の方が簡単に思えてくる。しかし、このボランティアの法人化によって、少なくとも愛知県や市町村の対応にも変化が見られ、いずれ来る我が身の高齢化を考えると、たかだか法人印ひとつに込められた人の善意も忘れたくないものである。
                                9月7日の一言

息子(三男)の写真発見

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息子の写真を見つけました。8月25日に鈴鹿サーキットで開催された自転車競技「最高速チャレンジ」の走行シーン(記録60,453キロ)です。

理不尽な事を許さない…

 台風9号が接近し、各地に大雨の予報が出されており、東海から関東地方に上陸の可能性が高い事から警戒が必要である。

 しかし、今回の台風については朝から晩までテレビで繰り返し放映され、番組によっては今までの台風では報じられないような予防のマニュアルまで伝えられると、今回の台風が首都圏を直撃する可能性が高いことから、他人事ならぬ報道が東京を中心とするテレビの系列局から地方まで伝わっているとの意識を持たざるを得ない。

 過去の台風においても、台風接近の報道はされてはおるものの、本日の報道を見る限り、沖縄や四国、九州に接近する台風の報道と比較すれば、明らかに放映時間の差があり、人口比がある事から、影響を受ける人々の規模に格差がある事を差し引いても地域格差と言うよりも、東京偏重の報道を実感する想いがした一日となった。

 さて、地方分権が叫ばれ、地方の時代と言われるようになっても、伝わってくるニュースや番組は東京発が多く、社会問題においても感覚や意識の違いを実感する事も多い。
 例えば、高齢者の問題を考える時に、田舎の発想では「子供達が帰ってきてくれれば」済む問題であるが、東京発は高齢者は子供達をあてにできないコメントがかえってくる。

 さて、さて、大阪弁護士会の橋下(はしもと)弁護士の発見をめぐり、広島弁護士会所属の弁護士4人が提訴したとの報がある。山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、過去の議会証言を覆して死刑回避を訴える弁護士の戦術を批判した発言が問題とされているが、弁護士のつとめとは言え、事の真実を追究せず、事実を歪曲したり変節させても残虐な加害者を救う事が司法に携わる者に許されて良いものだろうか。

 一人で受けてたった橋下弁護士のストレスを考えると、このブログに記した内容から議会の批判を受け、一人で質問を受けて追求された過去の記憶がよみがえってきた。

 真実と本音の発言が、公の立場にある事から、言葉尻を問題とされ、批判の対象とされる可能性も高い。
 自分には何の実利も無い事から、「あそこで止めておけば良かった」と、後悔する気持ちも出てくるが、あえて自己主張して真実の叫びを訴える事も重要である。弁護士の悪知恵で、極悪非道の犯人を救う弁護は、世の中の真面目に生活する人々の敵であり、批判した橋下弁護士にエールを送り続けたい。
                               9月6日の一言

9月議会の一般質問と法人登記について…

 本日は、議会での一般質問の通告と、NPO法人の登記の相談で、市役所と法務局窓口を往復する一日となった。意外なことは、書き直しが必要と思って出向いた法務局の申請が、印鑑と印鑑証明を持参すれば済んでいたかもしれない事にあった。ここには外見から予想したお役所仕事のイメージは残るものの、相談窓口の対応によって随分と親切になっている事が実感された。となると、いまだに完成していまい法人の印鑑が気になるところでもある。

 さて、9月議会の一般質問に通告した質問内容を下記に紹介いたします。尚、一般質問は10日(月)と11日(火)に開催され、私は10人の登壇の中で最終の10番目となりました。したがって11日の昼頃の登壇予定となります。

 1件目 公共交通問題について
      地域公共交通の活性化及び再生に関する法律の成立を受けて

 ここでは、本年5月に成立した法律の活用について、新たな展開を期待するととともに、地域の足となっている電車やバスの事業者との風通しと連携を良くする事で、バスなどの路線廃止や便数減らしを防ぐためにも、地域の根本的な生活の足を確保するために検討する場所(機会・委員会)が必要ではないかを問います。
 また、現在地域で実施されている高齢者へのタクシーの割引券や、定期バス路線において実施されているサービスについて、市役所が事業者と協議して市民へ情報提供する必要性についても要望いたします。

 2件目 交通安全対策として、歩道と自転車道の整備について
 
 本年4月に道路交通法改正案が参議院本会議を通過した事から、自転車に対する規制が厳しくなる事に対して、津島市では自転車道どころか歩道すら十分に整備されていない事から質問する。
 ・津島市で歩行者と自転車が関係する交通事故の実態について
 ・歩道の整備について、市内全域での整備状況と計画などの進捗率は?
 ・自転車の通行区分についての整備状況について
 ・道路標識(頭上の誘導カンバンや路面表示板などについて)
 ・人にやさしい街づくりについて、基本計画策定から10年が経過した現在の現況について、県で要請しているアドバイザーなどへの来年度からの活用する具体策は?

 3軒目 市民病院の経営改善について

 ・西病棟の有効活用について、厚生労働省の施策の転換により、多種多様な対応ができないか?
 ・医師の当直や夜間勤務などへの労働環境の改善について
 ・議会や委員会などで提案された事柄について、病院内ではどのように報告され、協議されているか?
 ・病院のPR不足を解消するために病院の積極的営業を求める提案

 9月議会では、国の法改正に伴う対応を質問するため、抽象的な質問で具体案とは違いますが、津島市の方向性を質問したいと考えています。
 一方で、人にやさしい街づくりについては、市民レベルでの市内バリアフリー検証会や地域セミナーの実施、NPOの法人化によって市民活動やボランティアについて愛知県の援助や、津島市のバックアップ体制が確立されつつありますので、引き続き継続した活動が続けられる体制整備の確立を目指し、11日までに法人登記を済ませたいと考えています。
                                  9月5日の一言

おたくら(議員)は大変だねー

 最近は涼しくなっていたが、本日は久々に猛暑がぶり返してきた。「おたくらは大変だねー」とは、本日ひらかれた葬儀会場で霊柩車を見送った直後の一言であった。

 「えっ、えー?」と言葉に窮したが、どうやら葬式のハシゴを予想した言葉に、「いえッ、私は月に1回程度ですよ」と言わずにはおれなかった。本日は9月議会の初日にあたり、議会が終ってから葬儀に駆けつけたが、式が終了する間際に駆け込んできた議員がとっくに終った焼香を最前列の祭壇前で行なった事から、葬儀を議員の大切な仕事と思ったような発言でもあった。

 葬儀があれば何所にでも出かける議員の存在があり、一般の住民の中にもそれが当り前と思っている人々があるが、以前には議会の本会議中に葬儀に出ていた議員がおり、昼休みに挨拶を済ませ議場に戻った私に怒鳴り込んできた人もあった。
 「何故帰ったんだ!」、「議会ですから…」、「〇×議員は出ていたぞッ!」、「それは知りません」、「オレが恥をかかされた!」、「それは申し訳ありませんでした」との電話に、調子にのって議会から帰った自宅まで押しかけて私に言いたい放題である。

 「ちょっと、いい加減にして下さいヨ!」、「何ィー?」、「議員に議会をすっぽかせと言っておられるの」、「いや、そんな事は言っていないが、〇×は居たんだぞッ」、「議会に出て怒られて、議会に遅刻した議員が誉められるんですかッ」、「じゃー、皆にそう言ってくれ」、「遺族の方には伝えましたヨ」、「皆は知らないじゃないか」…×…×…

 こんなやりとりをした過去を懐かしく思い出した。本日の葬儀はとなり村の81歳の男性であったが、2年前に亡くなった私の後援会長と親しく、となり村の推薦を頼りに出ていた先輩議員がいる中で、私の事務所をこまめに覗いていただいた恩人で、この人たちの存在によって、私はとなり村の人々と定期的に落語会や座談会を開き、一泊旅行も企画して一緒に出歩く関係にもなっていたのである。

 どんな人望のある人でも、選挙に投ずる票は一票しかない。一票しか投じられない人の葬儀に議員が何人も参列する。過去の一言にも記した事があるが、私は自分が世話になった人か、知人の身内の葬儀しか参列していないが、すべての葬儀に顔を出している議員も存在し、人々から「あの人は何所でも」と言われても、平然と顔を出して、それが得票を増やしているから私の支援者の苦言にもなってくる。

 さて、人の事はさておき、議員にとって葬儀は特に淋しいものがある。なぜならば、自分を応援してくれる人が減っていくばかりなのである。葬儀を宣伝の場と考えている人は別だが、葬儀に参列する数がそのまま自分の票の減少になっていると思うと、その代わりを見つけるのは容易な事ではない。そんなことより、「おいッ、そのうちにオレたちだなー」との言葉を実感した一日となった。
                               9月4日の一言

息子の写真が欲しいものの…

 家族の夏休みで上高地で自由気ままな生活をおくっている間に、三男は人に誘われて鈴鹿サーキットを会場にした自転車競技(8月25日・26日)に参加していた。

第24回シマノ鈴鹿ロードレース
http://www.shimano-event.jp/suzuka/top.htm

 三男の夏休みは新城サイクルターミナルでのジュニア選手強化合宿で始まり、名古屋競輪場から一宮競輪場を舞台に強化合宿が続き、盆には東海選抜に選ばれたツール・ド・とうほくで仙台・秋田・岩手を転戦し、例年一緒に出かけている上高地の夏休みも地元の先輩に誘われて鈴鹿へ出かけていった。

 「絶対に勝負を挑まないこと」が、高校の監督から鈴鹿に参加する条件として出されたのは、半月後には高校生としての新人戦を控えてケガが大敵であったからであるが、さすがに競輪の一流選手を前にして息子は燃えたのであった。最高速チャレンジ順位決定戦では予選で8位に入り、決勝でも18位に入ったとの連絡があった。(オープンIII・Aは21位)

最高速チャレンジ順位決定戦
http://www.shimano-event.jp/result/07suzuka/result080-1.html

オープンIII・A 5周(29.105km)
http://www.shimano-event.jp/result/07suzuka/result012-1.html

 賞品に米をもらい、「一表は背負えないので10キロをもらってきた」との報に、一安心するとともに翌日への期待を込めて、電波が微弱でクマとの遭遇を心配しながら上高地から電話を切った。しかし、翌日は電波が届かない場所にいたこともあったが、息子からの連絡もなく心配しているとその心配が的中した。レース中に自転車から落車していたのである。(完走はしていました)

オープンIV・B 5周(29.105km)
http://www.shimano-event.jp/result/07suzuka/result037-1.html

 「おい、ケガは大丈夫か?」と気にはなるものの、離れた上高地からは何ともしようがない。翌日帰宅後に息子を見ると、尻や背中に大きな擦傷を負っており、「こんなもの大丈夫」という息子を外科に連れていくと、「今日一番の大怪我だ」との話である。まともに見れないほど大きな傷が体液でベタベタに光っていた。

 「息子さんの試合結果が見れますよ」と、親切な人から本日連絡をいただいた。早速パソコンを開き、家内と一緒にビデオを見つめるものの、どれが息子かが判らない。
 「おい、写真を買ってやるぞッ」と帰宅後の息子に話すと、「そんなものはいらない」との返事である。「せっかくの記念だから」、「いらない」のやりとりも、親バカな私が記念に欲しいのであるが、息子の姿が息子しか判らないために、無念の想いでただ画面を眺めるしかないのであった。
                                 9月3日の一言
追伸 ケガの翌日から自転車に乗って競輪場を走り、ケガは完治(若いから早い)していますのでご安心を。

屋根裏の運動会に悩まされ…

 2日前にネズミを捕まえた事から安心していると、今夜になってから屋根裏ではかつてないネズミの運動会となって、我々人間を挑発しているかのように思える様相である。

 仲間がいなくなった事から暴れているのか、屋根裏の出来事だけになすすべもなく、番犬になるべく我家の犬も我々以上に悲鳴をあげているのである。しかも、暴れた直後に何かに捕まったかのようにネズミが泣き叫ぶ事から、家族総出でネズミ捕りの強力粘着剤へ確認に走っているのであるが、もしかしたら「…」と余計に恐ろしい事態が想像されると、家族の話題は末恐ろしくなってくる。

 我家には私が子供の頃から代々ネコが買われていたものの、4年前に最後のネコ「ミミちゃん」が交通事故で亡くなって以来ネコ不在が続いており、今年の3月までは「ミミちゃん」のトイレのザンガイがそのまま残してあったものを、選挙前に家内が片付けた事からネズミが侵入した模様である。

 ネコがいなくなって4年間もネズミが来ない事から、まさかネコのトイレの恩恵とは思わず、私は更に恐ろしい「…」事を想像していたのである。
 平成5年に亡くなった私の父親が元気な時に、ネズミの開けた穴に「杉の枝」を突っ込んで、「これでネズミが入ってこない」と言ったことがあるが、まさに先人の知恵となり、杉の枝は青から茶色に変色したものの、未だにネズミが侵入してこない。これだけネズミが活動すると新たな侵入口をふさぐ必要もある。

 ただし、今回のネズミ騒動は、7月末で仕事を解雇され、我家の物置同然の古屋に住み込んだOさんの住み込んだ時期と同じことから、ナワバリをとられた影響かもしれないが、気持ちの悪い生活が続きそうでもある。もしかしたら「…」と余計に恐ろしい事態については、皆さんの想像にまかせてタネあかしは後日にまわしますので、皆さんの想像とネズミ対策についてのコメント書き込みを期待して本日の一言といたします。
                                 9月2日の一言

ボランティアは仲間が大切を実感した一日

 本日は久々に名古屋で開催されている愛知県主催の「人にやさしい街づくり連続講座」に、津島市の講座修了生である愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー4名とともに顔を出した。

 もっとも、この日の講師を務められた桜花学園大学教授の森田優巳先生を、津島市で開催予定の「人にやさしい街づくり地域セミナー」の講演とパネラーに依頼する目的もあり、途中からは退出して秋に開催予定の「車イスによるバリアフリー検証会」の日程と、地域セミナーの段取りについての打ち合わせも兼ねての参加であった。

 NPO法人の認証が届き、法務局への登記が課題になっているが、ボランティア活動は既に始まっており、詳細が決められていない事から無償のボランティアになっているが、サービスの受けてにあたる高齢者から「次に依頼しづらいから、料金を決めて欲しい」との声があがり、昨晩には役員に集まってもらって詳細を決めたばかりであるが、この件についても本日に紹介し説明した事から賛同を得て協力がいただける方向性が見出せる事となった。

 さて、津島市も名古屋市から30分の距離にあり、山間部や離島のような過疎に悩んでいる地域ではないが、公共交通であるバス路線は次々と廃止され、津島市のコミュニティーバス(巡回バス)は運営させているものの、歩行が困難な高齢者にとっては使い勝手も悪く、病院や買物に自由に行ける環境ではなく、自家用自動車がなくては生活が不自由な地域にもなっています。

 若い人々や、夫婦健在な人や親子同居の家庭にある人たちには、公共交通機関についても真剣な議論も不必要なものかもしれませんが、車を運転できなくなった高齢者や、運転のできるご主人を亡くして独り暮らしとなった人々には、通院どころか買物にも自由に行けない現実が存在しています。
 鉄道やバス路線の廃止や便数減や、中心市街地の空洞化と大型ショッピングセンターの郊外立地などにより、自動車が利用できないと10万人未満の市町村では、4人に1人が買い物に行けないとの報告があります。

 我家においても、高齢の母親だけが通院するかかりつけ医が違い、その理由は「他の病院には自転車かバスでは行けない」のが理由であります。公共交通とか移動の問題については、目的地にアクセスする事だけではなく、人間が目的を持って行動する時に移動手段がなかったら、目的が喪失する事から最終的には社会的疎外になるとの基本的人権にかかわる問題意識を持った議論と、多種多様な検討が今求められています。

 交通事業者の頑張りにも限界があり、国の地方交付税や県の補助金が削減されつつある行政による対応にも限界がある事から、今こそボランティアの出番ではないかと考えています。「ボランティアでは飯が食えぬ」との声もありますが、5人に1人が60才以上の高齢社会の中では、元気な高齢者にも働く目的を持ってもらう事も社会参加であり、地域で支え合うとの認識も今後は重要と思われるが…
                                   9月1日の一言
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