大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2007年10月

内緒のヘソクリで送金する…

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 四国八十八ヶ所霊場会事務所から届けられていた『先達補任内定通知』に同封されていた、公認先達研修会の補任礼録(費用)五万円を本日振り込んできました。
詳細は下記ことししさんのブログをご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/romorin_tomo/23724561.html

 私の金庫番は家内で、自営業時代から私自身は銀行にも行った事がなく、何でも「おい、〇×代を…」で済ませてきたが、この先達研修会についてはあくまで私個人の我侭である事から、家内にも言えず、内緒で隠してあった「ヘソクリ」を出して送金を済ませました。

 研修会そのものは一日で終わるものの、開催される12月が定例議会と重なるために半ば諦めていたが、7日は偶然にして議会開催中の休会日にあたる事から、参加はできる見通しであるが、身動きのできない日程ゆえに宿泊する余裕もなく、夜行で出向き閉会後の夜行帰着が濃厚である。

 さて、名古屋から四国4県には長距離バスが運行しており、今回は深夜発の高松行きで丸亀市まで乗車する予定であるが、徳島、高知、松山と行き先を工夫すれば、歩き遍路も可能で、折りたたみ自転車を持ち込めば四国も身近な存在となる。

 ところで無所属の地方議員が議員専業で生活していく事はひじょうに厳しい現実があり、現在発行している会報についても、議員になる前から印刷機を使っていた事から続けられる現状にあり、かつての自営業時代のように予期せぬ収入が全く見込めぬ事から、このままではヘソクリどころか老後の生活資金も蓄えられず、何らかの対応が必要になりつつある。

 四国行きについても行くだけで高速代がかさみ、「一度は行って下さい」と人々に薦めるものの、私のオンボロ車では心配なためにレンタカーを借りれば割高となる。

 札所の納め札入れから金や銀の納め札を見かけるが、白いお札は4回までで、青札(現在の私)が5回以上、8回以上が赤札、25回以上が銀札、50回以上の金の納め札や100回以上の錦のお札に到達するまでにはいったいいくらの予算が必要であろうか。

 「一度は四国遍路に行きたいなあ」と、昨日の葬儀の後に家内の姉達がつぶやいた。しかし、「行きたいなあ」と言っているうちは行けないのである。何度も四国に走る私に母親が、「私だってお父さんが生きて居れば行きたかった」と愚痴をこぼし、私は嫌々ながらも母親と一緒に一巡した。

 せめて銀の納め札までを目標に元気に遍路を続けたいものである。
                          10月31日の一言

自転車の少年は損ばかりか…

 一昨日の日曜日の話であるが、帰宅した三男が名古屋で自転車(ロード)の練習中に、自転車の若い女性に横からぶつけられ、右腕を腫らして帰宅してきた。

 信号で止まっていたところに信号無視をした自転車がぶつかってきたようだが、相手の前輪が壊れて、相手が転んでいたために、「おい、弁償してやれッ」と若い男性が怒鳴ってきたとの話である。
 「そっちの人がぶつかって来たんですけど…」と言っても、相手は引きさがらないので、「それじゃー、警察を呼びましょうか」と言うと、何も言わなくなったとの事である。

 腕が晴れ上がっている事から、新聞に記された医療情報センターに連絡し、休日に対応している外科を聞くと甚目寺町の病院を紹介された。

 「津島市にはありませんか?」と問うと、「津島市民病院も外科が対応と聞いています」との話である。「それじゃー、市民病院で良いですね?」と聞くと、「診てもらえるか電話で確認してから行って下さい」との返事が返ってきた。

 何故に電話確認が必要かと思ったが、家内が電話をするのを引き止め、直接市民病院に三男を連れて行くように指示した。
 「もし、診てもらえなかったらどうするの?」と問う家内に、「父親から絶対に市民病院で診てもらえと言われてきた」と言うように伝えた。

 実は9月17日の祭日にも三男が救急の夜間診療で、市民病院に断られて弥富市の海南病院にかかっているが、目視だけで触診もないままに「大丈夫」と言われ、薬も何も治療もない事から「無料だ」(そんな事はありえないが)と息子は言っていたものの、後日になって2570円が請求されてきた。
 9月17日の一言(http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/archive/2007/9/17)

 相談に乗るだけで何もしなくとも2570円支払った事から、今回は何としても経営危機の市民病院に連れて行くように指示したのであるが、医師の直感したとおりにレントゲンによって腕の骨にヒビが入っている事が発覚した。

 相手が悪いのは当然だが、腕を亀裂骨折し、自転車のホイールにもガタが発生し(息子の自転車は極めて高額)、病院には5200円の治療費を支払ってと踏んだり蹴ったりの事故である。

 一週間後には大会にエントリーしており、こんな程度で練習を休む事もないが、被害者でありながら泣き寝入りばかりの自転車事故に矛盾を感じてばかりであるが、他所に流れそうな治療費が津島市に入った事をせめての救いと考えたい。
                             10月30日の一言

会報発行と突然の訃報と…

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 会報津島の風(第32号A4版8ページ)が完成し、本日の早朝(3時半)より戸別配付をはじめました。

 出会った人々から「久しぶりだね」には気恥ずかしいが、「来月の旅行は何処に行くの?」には今年に入って企画をしていない事から、議員活動とは一線を引いている『朝日旅行友の会』については、会員独自への全く別物の案内と報告が必要と実感させられた。

 さて、本日は朝一番で親族の訃報の連絡である。家内の在所の母親からの電話は、家内の姉のご主人(私にとっては義兄にあたる)が肺がんにより66才で亡くなったとの連絡であった。
 私にとっては初めての兄弟間の訃報であるが、家内の親族ゆえに状況も詳しく判らず、夜に訪問した通夜で見た死顔にびっくりである。

 昨年に在所の父親が亡くなった時にも具合が悪いとは聞き、その後に入院されて家内らは見舞いにも訪れているが、その後の容態については悪いとは聞きながらも、絶望的とは最近まで知らされず、抗がん剤と食事も取れなかった事から、骨と皮だけで、90才をこえて亡くなった在所の親よりも老けて見えたのである。

 私の父親も胃がんによって65才で亡くなっているが、がん患者の最悪の状況を見せ付けられたような気分で、改めてガンの厳しい現実を見せられたと思うのと、34才で家を離れて生計を営む息子さんにも、将来計画を語り合う事もなく亡くなった現実が淋しく感ずるものである。

 こんな突然の訃報に接して、先週末の胃がん検診や、明日には基本検診を控えている自分であるが、自分が発病した時に家族はどのように対応するかによっては、健康診断の意味も無い社会の現実を本日の通夜で聞かされてきた。

 「主人は医者嫌いだったから…」は誰しも同じであるが、亡くなった当事者が家族の経済的負担と、見舞いにくる家族の足を考えて、十分とは思えぬ治療を自覚しつつ入院治療していた現実である。
 「何処で治療を受けても料金は同じだから…」と、手術を必要とする人々にはできるだけ高度な病院を薦めているが、レベルの低さを知りながら、付き添いにくる家族や仕事を考えて病院を選択している人々は結構多い。

 昨年すい臓ガンで亡くなった叔父にも、埼玉県の医療機関を薦めたが、「そんな所まで行けないだろう」と、本人にも情報が伝えられず、「せめて名古屋の大学病院に…」と伝えたが、「どこでも同じ」として、治る可能性も低い手術を受けて他界していった。

 百歳を超えた老人が水泳の日本記録を樹立したとの報も伝わる中で、田舎では随分と命が粗末にされて若くして命を散らしている現実を実感する。義理とは言え、初めての兄弟の葬儀を経験し、自分にも差し迫りつつある寿命の短さも実感させられた。
                            10月29日の一言

仕事と運動の両立に向けて

 昨日の管理栄養士さんとの話は以前にも記し、今年の4月には「大鹿さん、痩せたんじゃない?」と、8キロの減量に成功した事を記してありました。(下を参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/17963806.html

 そのコメントには大変な誉め言葉も続いているので、今の状態はひじょうに恥ずかしいかぎりであるが、最後のコメントに「リバウンドに気をつけましょう」と記されており、このままでは本当に元通りになってしまう瀬戸際での踏ん張りが試されるところでもある。

 本日は早朝より胃がん検診のため昨晩から食事を制限されていたが、水の制限時間の午前0時にはコップに3杯半の水を飲んだ事から、朝まで満腹のままにバリウムを飲む事となった次第である。

 来週の月末までの3日間に基本検診と肺がん、大腸がんの検診と、日頃の診察が残されているが、バリウムの朝食後にコーヒー屋で落ち合った知人は、「もう2年もしていないなァ」と全く無関心な様子である。

 私の父親は65才で胃がんによって亡くなっているが、定年前の50代に膀胱がんを発症しており、本日の問診表にも家族の病歴を問う欄があり、父親の胃がんを書き入れたが、実は私と同年代の頃にはがんの治療をはじめていたのである。

 もっとも神経質になったのは議員になったからで、在職中に入院して世間から色々言われたくない事が大きく、家内にも勧めているものの一度も健康診断を受けた事がなく、それでも家内の両親は長寿である事から人の健康や寿命は天のみぞ知るということかもしれないが…

 さて、私の生活習慣病を予防するには第一に肥満の防止と思われるが、その課題は食事よりも運動にあると自覚している。しかし、確実にその時間が取れないのが悩みだが、昨日の管理栄養士の竹内先生の指導の中で、「いつも会報を配布できないの?」と問われたのである。

 本来、我々議員は住民の声に耳を傾け、議会報告を届けるのも貴重な仕事である。会報の発行は議会後と固定観念を持っていたが、日常的に配布するようにすれば適度な運動が確実に確保できる事となり、仕事と健康が両立できるのである。わざわざ運動をする時間は無くとも、仕事となれば一挙両得である。参考にしたい。
                           10月27日の一言

管理栄養士の指導を受けて

 昨晩の印刷機の故障は、本日の午後にメーカーの担当者が訪問してくれ即座に修理してくれたが、これもメーカーとの長い付き合いのたまもので、新機種を売りたい営業マンには申し訳ないが百万円を超える買物だけに「当分は大丈夫と思います」との心強い一言に安心させられた一日となった。

 本日は市民病院調査特別委員会が開催されたが、出口の見えない医師不足に打開策は見当たらず、質問するも特効薬のない議論に、市の財政当局者まで呼んでの委員会となった。
 半月ぐらい前からパソコンの画面が消えるようになり、先週に代替えを依頼したが、昨日は健康診断が満杯のために苦労し、主治医の厚意で明日の検査となったが、夜には印刷機の故障と、たて続けに暗い案件が続いている。

 さて、以前の一言にも記した事があるが、津島市の健康推進課の担当する施策に「栄養相談」があり、管理栄養士の竹内先生が市民の相談にあたっている。栄養相談と言うと女性専門のように聞こえるが、私のように慢性的な肥満に悩む人間には心強いアドバイスとなる。

 「食事はエサじゃないんですよ。だって人に良しと書くでしょう」と、二年前に「どうせ食べるなら美味しいものを食べましょう」と、主食の重ね食いの防止と、間食の菓子や珈琲に入れていたミルクや砂糖の制限だけで、食べる量を制限せずに減量に導いていただいた。

 当時は80キロをはるかに超えていた私の体重が、今年の四月には72キロまで下がり、「この様子だと60キロ代まで下がる」と思われる反面、「大鹿さん、どうしたの?」と病気を心配する声に、「少し食べたら太るだろう」と余裕を持った気持ちの反動で5キロの体重増となり、この5キロが中々落ちないのである。

 こんな事から申し込んだ栄養相談であるが、減量に成功して忘れていた過去の悪しき食習慣が蘇り、無意識に繰り返していた事を専門家は見過ごさなかった。
 本日の指摘から、菓子パン(あんパンやクリームパンなど)を食事と考えて(菓子類)食べない事と、夜型人間のために夜に食する菓子やパンの代わりに、キャベツをバターで炒めて冷蔵庫に保管して、ロールパンに挟んでホットドックとして2個までは食べても良いとの指導があった。

 そもそも、こんな指導を受ける精神面の弱さが問題であるが、ご親切にも12月と来年2月(共に4日間分)の食事メニューを記録して報告し、2月末にも再度の指導を受ける事となった。年末と2月がミソらしいが、一番不足している事は運動である事は言うまでもない。

 この栄養相談の効果は抜群で、私も多くの人々に宣伝しており、張本人のリバウンドは情けないが、病院に行く前に訪れ、管理栄養士の指導とその効果を実感してもらいたいと熱望している(問い合わせは保健センターまで)。ただし、これは津島市の施策ゆえに他都市の人々はそれぞれの市町に問い合わせて効果を実感して下さい。
                           10月26日の一言

かかりつけ医の存在から…

 「もう満杯で引き受けられません」と、今月末が締め切りの津島市の健康審査を申し込んだところ、私がかかりつけ医にしている開業医では胃がん検診を受けられない事が発覚した。

 毎年一回受診している検査であるが、「一年くらいは…」と思う反面で、早期発見が課題の胃がん検診を休んで手遅れになるのもかなわない。あれこれと開業医の受付と話すものの、制度そのものについては議員として熟知しており、時間ばかりが経過するのみである。

 希望する開業医が満杯の場合に市民病院では受診できないかと、市の健康推進課に問い合わせると、「今日の朝食は摂られましたか」と問われた。最後の胃がんの集団検診が本日実施されていたらしいが、朝食を口にした後の話で、「他の開業医で問い合わせて受診して下さい」との返事である。

 忙しさにかまけて本日まで放置した自分の責任ではあるが、制度上どおりに簡単に他の開業医を選択する事は難しく、何処を選択してもかかりつけ医との連携は図れないし、今後通わない開業医で検査して診断を仰ぐのも現実的とは思われない。

 「いっその事、市民病院で人間ドックでも受診するか」との気持ちにもなったが、かかりつけ医としている医師以外には判らない「胃の中のカゲ」が私のレントゲンには写る事を思い出した。
 この検診は複数の医師が診断する事から、開業医の医療機器の更新時に再検とされ、胃カメラを飲んだ事があり、やはりかかりつけ医と無縁の検査では困る事から、連携できる開業医を紹介してもらう事として再度連絡する事となった。

 長々と受付と話すもラチがあかず、看護士に代わってもらって事情を伝えるも当方の真意が伝わらない。こんな時に患者の立場は弱く、情けない心境で訴えていると、「ところでどちら様ですか?」と問われて名前を告げると、「なーんだ、大鹿さんですか。先生と代わりますね」となった。

 結局は院長判断で満杯の中を引き受けてもらい、明後日に検査を受ける事となったが、市の制度が市内全ての医療機関を対象にしており、かかりつけ医と患者の関係をあまり重要視していないのではないか。医療機関も電話での申し込みを市の制度として事務的に受け付ける事から、自己の患者としての認識が希薄でもある。

 こんな顛末を議員だから特別と思われては困るが、私は個人的にかかりつけ医を自分の主治医として伝えてあり、定期的に検査を受けている関係を前提として欲しいが、医師と患者のかかりつけ医の関係を第一に考えると、申し込み方法にも改善が必要と思われる。

 18年度を例とすると、津島市内で2318人が胃がん検診を受け5人のガンが発見されている。大腸がんは3700人から5人、前立腺ガンは325人から2人、乳がんについては474人から3人、肺がんは3376人から2人のガン患者が発見されている。

 市民の命を第一と考える時、制度上の改善も必要である。一方では医療間の連携についても、医師会任せではなく、行政の真剣な検討も重要である。

 さて、パソコンが寿命と伝えたが、本日の会報印刷中には、印刷機が悲鳴をあげ「サービスマンに連絡して下さい」のメッセージが表示され動かなくなった。とっくに買い換えの年式となっているが、幸いにも買い上げ時からの担当者がおり、こちらも明日に診察を仰ぐ事となった。人間に限らず、機械もかかりつけ医の存在が重要と実感する一日となった。
                        10月25日の一言

市役所職員の逮捕

 国の大臣や国会議員の不祥事が日常茶飯事のように報じられてくる中で、わが津島市においても全国に配信される事件で、市役所職員が逮捕された。

事件については、新聞記事をそのまま添付します。
恐喝未遂:容疑で津島市職員逮捕 /愛知 毎日新聞 2007年10月20日
 県警捜査1課と西署は19日、津島市百町宮跡の同市役所水道局主査、〓山(くわやま)一三容疑者(45)を恐喝未遂の疑いで緊急逮捕した。
 調べでは、〓山容疑者は19日午前、風俗店で知り合った女性(32)の携帯電話に「300万円用意しなさい。家族に仕事のことを話す」などと電話をかけ、金を脅し取ろうとした疑い。受け渡し場所の名古屋市中村区名駅の路上に現れたところを警戒中の警察官が逮捕した。津島市役所によると、〓山容疑者は〓山昇市議の息子。【式守克史】

 市役所の職員であるばかりか、市議会議員と同居する息子である事から、市役所の対応を巡って、複数の市民の方から批判と問い合わせが我家にも届けられた。また、市役所職員からも議会側から厳しい処分を求める電話が入った。

 本日開催された市議会各派代表者会で事件の顛末が報告されたが、行政側の淡々とした説明に、厳しい厳正なる処分を求める意見が相次ぎ、閉会後に議員の親族である事から処分に手加減の無いよう議長から市長に伝えるよう求める意見が出された。

 市民の批判は大きく、議員辞職を求める市民の意見も紹介したが、本人の起こした事件ではない事から議員辞職を勧告する事はできないとの説明があった。ただし、この説明を納得して聞いてもらえる市民は少ないのではないか。

 市役所の財政状況の厳しさから、北海道の夕張市と比較され、選挙の度に繰り返えされる選挙違反の逮捕に続き今回の事件である。恥ずかしい話題ばかりが発信され、正論を吐いたところで信頼してもらえるとは思えず、津島市の市議会議員として恥ずかしいかぎりである。

 事件の結果は警察の取り調べを待たなければならないが、こんな事件を起こしても「懲戒免職」にできないようなら、議会の信頼は失墜し、我々も身内をかばう同類と批判にさらされると思われる。議員である事にも嫌悪感をいだくような心境である。
                         10月24日の一言
 ちまたのブログや意見も添付しておきます。

〇【愛知】「家族に風俗勤めを話す」と300万円要求/津島市職員を恐喝未遂で逮捕 http://news21.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1192805009/
〇市職員、恐喝未遂で逮捕 http://blogs.yahoo.co.jp/justice2003tikyuusaisei/26550479.html
〇「風俗勤め話す」女性恐喝未遂逮捕  http://blogs.yahoo.co.jp/hikikomogura/24298462.html

岡崎の天野さん

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携帯電話の感度が悪く写りが悪いですが、天野さんとヘルパーの2人です。

バリアフリー検証会

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本日バリアフリー検証会を実施しました。途中の様子です。

市内バリアフリー検証会

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 車イス三台によるバリアフリー検証会を本日実施しました。本日の検証会は、昨年に引き続き「愛知県ひとにやさしい街づくりアドバイザー」の津島市のメンバーの主催で、津島市保健センターを出発し、津島神社から天王川公園、図書館を経由して、巡回バスに車イスで乗車して目的地の市民病院に到着しました。

 今回の企画には、岡崎市から電動車イスのユーザーである天野裕史さん (http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26673434.html) が介助者同伴で駆けつけてくれ、名古屋市の港区からも視覚障がい者の稲垣さんが参加され、津島市職員も同行して実施しました。車イスを彩雲館から3台借り、天野さんと4台での検証です。

 私も車イスを自力で押して参加しましたが、保健センターから津島神社までの道の傾斜が強くて一人では通行できません。おまけに津島神社にはスロープがなく、車イスの人は参拝もできません。幸いにして、現在神社の各所が改修工事をしていることから、工事車両用の通行帯から参拝を果たしました。

 さて、今回の検証に天野さんと稲垣さんが参加された事で、図書館のトイレの形状と市民病院の視覚障がい者の誘導に問題がある事が発見された。これなどは我々が真剣に検証しても、まったく気づかない部分だけに、当事者を交えた検証が有効であることを実感した。

 稲垣さんに言わせれば、市内のヨシヅヤ本店についても、視覚障がい者の誘導案内が正面玄関しか存在せず、建物が旧いためと勘違いしておられたが、新しい建物であっても建築基準を満たすためだけで、誘導案内のその目的が完全に忘れ去られているのである。

 さて、一行は再度巡回バスに乗り、津島駅で乗り換えて保健センターを目指す事と(天野さんとはここでお別れ)なったが、乗り換える巡回バスのスロープが故障して下りてこないために車イスでは乗車できないハプニングとなった。幸いにして我々は歩ける事から乗車ができたが、電動車イス一台の乗車が限界であり、車イスが複数となったらどうなるのかと心配にもなった。

 最後になるが、来月にも2回のバリアフリー検証会を実施し、来年1月に文化会館で開催予定の「地域セミナー」で発表する予定である。又、岡崎の天野さんには、当日のパネラーとして、障がい者の視線で地域社会の改善点を発表してもらう予定でもある。彼らの社会参画が確実に社会を変えていく事を実感する一日ともなったのである。
                            10月23日の一言

聞いてからでも良かったと思うものの…

 遅れに遅れていた会報『津島の風』の印刷が開始できるところまでたどり着き、本日の夜から印刷をはじめました。

 「いつも読んでいるよ」と、出会った人々に言われると、「最近は遅れているので…」と口を濁して言葉を返しているが、「遅れてるけど、今度はいつ頃発行するの?」と言われると、「近いうちには…」と言いながら、日時が経過し過ぎて焦りさえ出てきたのである。

 本日の印刷も片面4ページ分しかできない為に、明日の晩に残りの片面を刷ると、折って挟み込んで完成し、実際に配布するのは週末になってしまうのである。しかも、明日は終日市内を車イスによってバリアフリー検証を行う日程があり、明後日は各派代表者会が開催されると指を折っていくと、今月も終わりとなってしまうのである。

 予約を忘れたままの歯医者は勿論だが、一年に一度実施している胃ガン検診と基本検診も今月末が締め切りとなっているが、予約すらしていない状況にある。11月には四国遍路の2回目もあり、一年に一度の書道教室の旅行、20年間続けてきた23日の朝日旅行友の会の日帰りバス旅行など、家を空ける予定も目白押しのため、毎日の繰り返しが年末から正月に継続しそうである。

 さて、私は自分の趣味を写真と旅行と記しているが、旅行は小遣いがかかるばかりか、自分一人の趣味としては忙しさから億劫となり、他の人々と約束してある事から続いているように思われる。ただし、他の人々も一緒となると責任ばかりか、行き先の決定にも決断がつかなくなる。

 目的地選定については私のこだわりが強い事もあってか、先週末にはプランを届ける事になっていた旅行社の担当者も一向にやってこない。しかし、来月の23日まで一ヶ月を切る事から、自分なりに行きたい場所を考えていたところ、京都の洛西にある善峯寺の紅葉がよみがえってきた。

 夕方訪問した旅行社の担当者も私の京都好きを見越して多くのパンフレットと資料を持ち込んできたが、まさか洛西の善峯寺とは思ってもおらず、場所は確定したものの詳細は明日へ持ち越しとなったのである。しかし、多くの資料を持参した担当者は、京都の何処を勧める予定だったのか、聞いてからでも良かったと思うも後のまつりである。
                            10月22日の一言

お寺から横井庄一を発見し…

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 本日は隣の尼寺「空巌院」の永代経があり、朝から受付係に出かけた事から、横井庄一記念館は午後まで遅刻となりました。

 さて、今月7日のブログ( http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26099806.html )にも記しましたが、横井さんの従兄弟に「大島定造」なる人があり、横井さんが帰国後は嫌って遠ざけていたと書きましたが、本日の永代経の席で、横井庄一さんが戦死した慰霊として隣の寺に永代供養がされている台帳を見つけ、隣に大島定造さんの名前も仲良く記されていました。

 永代供養は、横井さんの母親「つる」さんが依頼したもので、写真では見づらいですが戦死した戒名の下に「千音寺横井つるノ息子」と記されておりました。その隣には大島さんの母親「たき」さんの永代供養を息子の定造さんが依頼していました。

 当時の状況から、横井さんの母親と大島定造さんが一緒に出向いて依頼しており、たきさんは横井さんの母親の姉になることから、伯母と甥が揃って我家に来て、隣のお寺に出かけた模様である。

 「つるさんと定造さんは仲が良かったのでしょうかね?」と、記念館で横井婦人に問われたが、現在は名古屋市に住む大島家も、元々は旧佐屋町の本部田にあったことから、我家を中心に日常的に出会っていたものと思われる。そして、大島さんの母親は私が生まれてから亡くなっている事と、横井さんの母親は昭和32年に亡くなっている事から、永代供養を依頼したのは昭和30年前後の話と思われる(受付の仕事があり、そこまで詳しく見ておれませんでした)。

 横井家には戦死した横井庄一の立派な墓がある。「息子は生きている」と、母親つるさんは息子の戦死を最後まで信じていなかったと、横井庄一さんが発見された当時の人々が語って新聞や雑誌にも記されたが、戦後10年も経過し、自分の姉も亡くなった事から、墓ばかりでなく、息子の永代供養も依頼する心境となっていた様子が偲ばれる。

 昭和47年に横井が発見された時、私の父親は自分の兄も生きていると真剣に思うようになっていたようである。本日帰宅後に大島定造さんの戸籍に母親の嫁ぎ先が記されていた。「どこなのか調べてみようか」とつぶやくと、「何のために?」と家族の声が聞こえてきた。こんな処でも私だけが家族から浮いている事が実感されてきた。
                           10月21日の一言

矢合観音と3ケ寺めぐり

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 毎月の定例コース「矢合観音」へ出かけたところ、新たに矢合観音と3ケ寺めぐりのパンフレットが作られていたので、小玉食堂で昼食後に『国分寺』を覗いてきました。

 ただし、立派なお寺の本堂はしっかりとカギがかけられ、庭先から覗いてみても誰一人出てこられません。看板には鎌倉時代の文化財が四点記されていますが、これなどは頑丈な倉庫にしまわれているのかどうか、拝観ができないのでさっぱりと判りません。

 山門の外に矢合城址の石碑が…。これによれば、「戦国時代に一色城主橋本伊賀守道一の弟、大膳の居城であったが、後継がなく廃城となった」とある。そして「追善のために一本松から移したのが円興寺(国分寺)である」と記してあるが、ひと気もなく説明もないのでそのまま帰宅となった。

 立派なパンフレットを作った事は稲沢市の観光協会を評価したいが、印刷した五千部を配布し終わった後をどうするのか、増刷であれば協賛した七件のスポンサーにも十分な説明が必要であり、肝心のお寺の受け入れ態勢がないばかりか、案内板も不備のままでは地に足がつかぬ思い付きとしか思えない。

 一緒に並べてあった「善光寺だより」第1号には同じB4版のパンフレットに19件(20件分)のスポンサーがあり、受け入れ態勢だけでなく継続していく意欲が感じられ、これこそ「お役所」と「民間」の違いを実感させられた。

 さて、石碑にあつた「一本松」とは何か? 戦国時代の城主の追善に一本松から移したのが円興寺(国分寺)とすれば、鎌倉時代の文化財四点の存在は何故か? 
 忙しい中ではあるが帰宅後に尾張史を見ると、円興寺については「鈴木山と号し、永和元年妙興寺滅宗和尚開基」とあり、「当寺釈迦堂に国分寺の本尊薬師如来を安置せり」と記されていた。
 尾張地名考に目を通すと「続日本書紀聖武天皇の天平13年の…」となり、旧字体の本から他の市町の歴史まで調べるのは億劫となるので、深くは詮索しない事とする。

 ただし、稲沢市史の中には「矢合観音」の論文があり、この中にも橋本伊賀守道一についての記載があり、豊臣秀吉などの記載も見られ、国分寺についても「国衙と国分寺」に詳しい歴史が解かりやすく書かれているので、関心のある方は図書館で調べていただきたい。

 こんな本が簡単に出てくるのは学生時代の財産であるが、この資料を眠らせたままにしており、自身の頭も目覚めなくなった現実に歳月を感ぜずにはいられない。
                           10月20日の一言

知らされなかった半年前の死亡

 四国から帰って一日が経過しましたが、「どうしても欲しい」と依頼されていた別格霊場での数珠玉を取り分け、過去の巡拝者から依頼されていた朱印の採り忘れを代行した朱印帳の届けと、肝心の足であったレンタカーの返却とで午前中が消化されてしまいました。

 四国巡拝中に連絡があった案件もあり、長男が私の実弟より被った個人的案件やら、帰宅後には忙しい現実が待ち構えていた。

 「○×○×さんをご存知ですね?」の電話に、「はい、??、判っていますよッ」と、一瞬顔が浮かばなかったが、聞きなれた名前に答えると、「ここ一週間ほど連絡をとっているが連絡が取れない」との事で、銀行からの連絡であった。

 「大鹿さんが連絡先になっていたので…」と。私の名前が読めずに「いっぱ…」との連絡だが、当人は年金を担保に金融機関への借金が先行しているだけに、市役所への支払いも含めて相談にのっていたのだが、最近は何も音沙汰がない事に一抹の心配が募る。

 連絡がとれず(銀行が一週間取れないので当り前であるが)、対応していた市役所の担当者に確認すると、「ご存知無かったんですか、亡くなっておみえですよ」との返事である。「息子さんから何も連絡はありませんでした?」との事であるが、聞き直すと今年の5月に亡くなってるおられたのである

 私は連絡が無い方が有難かったのではあるが、どうやら金融関係や市役所の支払いも済ませぬままに他界され、離れて九州に住む息子さん達もそのままにしてある様子である。年金の支払いが続いていると大変であり、市役所に確認を依頼したが、遺族ばかりか銀行もいいかげんなものである。

 一番淋しい事は、何も連絡が無かった事である。借金とか支払いの相談が主であったが、その都度連絡があった人の子息からは何一つ連絡がなく、議員として支持者を減らした事よりも、本日まで健在と思っていたことが悲しい現実である。

 さて、一大事と思って連絡した銀行(三菱東京UFJ銀行)も無責任なものである。電話帳を調べて津島支店に電話するとテープによるアナウンスの案内で、該当する案件がないため9番を押すと、コールセンターへ廻されたのである。

 津島支店から、どこかのセンターに廻され、詳しく内容を聞かれて、「取り次ぎます」の返事から待たされる事5分。「はい、津島支店です」との返事に、再度詳しく内容を伝えると「担当者に代わります」と待たされる事3分。「はい」の返事に「先ほどの人ですか」と問い、当人が5カ月前に亡くなった事を伝えると「あっ、そうですか」で一瞬にして終わりである。

 津島支店が直接電話に出れば済んだ簡単な事が、何度も何分も待たされ転送されたシステムに腹立たしさを覚える夕方となった。ただし、年金の後始末や不払いのままになっている案件など、本来は多くの問題が残されたままとなっているのであるが…
                         10月19日の一言

四国遍路第三日目(最終日)

 本日より高知県の巡拝です。写真は室戸岬にある最御崎寺の「鐘石」で、空海の七不思議の一つに数えられ、叩くと金属音がします。

 今回は3日間で、30の寺と別格霊場の4ケ寺を廻り、高知市の第30番善楽寺まで巡拝し、午後3時から帰途につきました。

○第一日目・午前7時より第1番霊山寺から第12番焼山寺まで、・別格1・2番、宿泊・(徳島市大日寺門前)民宿・名西旅館
  一日目のブログ
   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26424186.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26427006.html
○第二日目・第13番大日寺から第23番薬王寺まで・別格3・4番、宿泊・(高知県東洋町)ホワイトビーチホテル
  二日目のブログ
   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26463553.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26464673.html
○第三日目・第24番最御崎寺から第30番善王寺まで、午後3時から帰途・瀬戸中央大橋経由、午後10時半津島着

 一日目の昼食場所「やまじゅう」はお奨めの店(板野郡土成町水田)うどんと寿司各種・ランチ680円
 電話(088)695=5511

 参加者8名・車ニッポンレンタカー(ニッサンセレナ8人乗り)

太龍寺に向かうロープウェイから…

残念な事は、本日の宿ホワイトビーチホテル(高知県東洋町白浜海岸)の経営者が代わっていた事です。
やっぱり、どこも大変なんですネ…

発見

別格3番慈目寺から第20番鶴林寺に向かう途中で見つけた木のオブジェです。
写真では判りづらいですが、支えの貧弱な事と、あまりにも大きな建物にびっくりです。

四国霊場第二日目

本日は第13番大日寺からスタートです。

悠久の息吹

焼山寺の杉の大木から空を仰ぐ

昼食場所 やまじゅう(徳島県板野郡)

9番寺と10番寺の間のお薦めの店
うどんと寿司の『やまじゅう』
ランチが680円で食べきれないボリュームです。
来客した人の錦の納め札が額に入れてあります。
板野郡土成町水田字堂が池1359 電話088-695-5511

四国霊場第一日目

本日は午前7時から第一番寺霊山寺で巡拝をはじめ、第12番寺焼山寺まで巡拝しました。
別格は二番寺童学寺まで巡拝。
写真は一番寺にて



http://blog.livedoor.jp/s281218_hobby/archives/2590345.html

四国遍路への出発を控えて…

 本日の深夜より四国八十八ヶ所霊場への旅立ちである。個人的には6月と8月に四国に出向いているが、グループでの巡礼は一年ぶりとなる。

 今回の『お遍路』は8人であり、マイクロバスを運転して出かけた過去の巡礼に比べて、少人数ゆえに宿泊などの心配が少なく、精神的には気楽な面があるが、バスのように運転手の代わりがいないことから体力との勝負でもある。

 さて、旅立ちと気楽に記しているが、人々から依頼された仕事を放置するわけにもいかず、本日は市役所や出先機関を走りまわり、NPOについては役員の1人に全責任をかぶせ、電話で手配を済ませての帰宅となったが、借り上げた車を引き取りにいく足がなく、これも知人のご厄介になる騒々しい顛末である。

 本日の夜行と、二泊三日で徳島の第一番霊山寺から、別格二十霊場も含めて高知県の南国市辺りまで巡拝して帰る予定であるが、四国に行けない人から依頼された用件も積んでの巡拝である。
 四国の魅力は語っても理解できない人には蛇足となるので語らないが、愛知県の場合には近くに「知多新四国八十八ヶ所霊場」があるために、四国に対する感覚の違いを実感する事も多い。

 「四国は行ったから」と言われる人々の中には、四国ではなく知多の霊場を巡拝した人も多く、参拝の形式は一緒でも四国と全く違うことの説明が難しい。「何が違うの?」と問われても説明が難しいが、受け入れるお寺の姿勢そのものが全く違うのである。

 観光目的であれば一緒かもしれないが、四国の場合には全てのお寺が午前7時から午後5時までは必ず朱印の納経所が開いており、一年間無休での応対である。しかも、朱印を押すばかりではなく、1人1人の納経帖に墨が入れられる。四国だけではないが、西国、坂東、秩父には留守がなく、予告せぬ参拝客に毎日応対されているのである。

 「とりあえず、知多でも行ってみる」と言う人もあるが、とりあえずとは思わず本物の四国に挑戦して欲しい。「本物」と言うと、「本物と偽者」の議論となるが、四国霊場は四国4県しかないのである。
 「そのうちに連れてってもらうわッ」と言われながら、そのまま天上に旅立った知人も多く、機会があれば1人でも多くの人々に同行し、四国と弘法大師の魅力を紹介したい。

 遍路はスタンプリレーではないと自身を戒め、新たな体験と出会いを求めての旅立ちの一片を、明日からの一言で紹介していきたいと思っています。
                          10月15日の一言

市民ボランティアに徹した一日

 本日は19年度の津島市総合防災訓練が蛭間小学校を会場にして開催され、私は防災ボランティアコーディネーターとして参加しました。

 もっとも、本日はとなり村の椿市町で、60年に一度と言われる「御鍬祭」も開催されており、防災訓練の前に訪問して、参加できない旨を伝えて会場を後にしたが、紅白の幕が張られて立派な祭会場が設営されており、今後60年後と言われると見られないだけに、後ろ髪引かれる複雑な気持ちにさせられた。

 さて、防災訓練も各小学校区に自主防災会が組織され、各地でそれぞれの訓練が実施されているが、本日の訓練は津島市の総合訓練だけに、市の総力を挙げての行事だが、会場の狭さと地域優先のためか、こじんまりとした感は否めず、住民のボランティア意識の高まりの割には盛り上がりに欠ける訓練ともなった。

 要綱を見ると、主催は津島市と蛭間校区自主防災会の共催となっているが、津島市の一年に一度の総合防災訓練だけに、自主防災会とのはっきりとした区別が必要で、各自主防災会の訓練の延長ではなく、全市内の住民を対象とした大掛かりな企画と発想が必要ではなかった。

 今回から住民ボランティアとしてあいち防災リーダー会も参加し、災害被災地の写真や地震の際に起こる液状化現象の実験道具なども持ち込まれ、津島市外からのボランティア参加があった事は、隣接市町村と連携した広域でのボランティア活動を実現していく上でも有効な一面もあった。

 「大鹿さん、忘れられているかと思ったよ」との言葉は、消防署長から消防学校の先生をつとめ、現在は自主防災会などで活躍されるTさんの一言であった。Tさんとは原付バイクなどを使ったボランティアグループの設立が話しあったままになっている。

 個人的には防災ボランティアだけでなく、愛知県の認証を得たNPO法人の手続きは完了したものの、具体的な仕事をするうえで各種の手続きを残しており、主題とする「人にやさしい街づくり」を中心に、自分のボランティアとしての限界もあるが、一市民としてボランティアの中で自分のポジションを確立させていきたい。
                           10月14日の一言

 

 

せっかくの施設だけど…

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 都会には行き場のない中高年の人々が、駅の通路やベンチに寝込んでいる風景も珍しくないが、上記の写真は愛知芸術文化センターの玄関脇にあるベンチである。

 ただし、断っておきたいのは、ここで横になる御仁は浮浪者ではなく、れっきとした元教師であり、我々の中学時代の恩師であり、現在は書道の師匠であるばかりか、数年前まで某教育委員会の委員長を務めてみえた人の食後の休憩姿でありました。

 昨年5月に胃がんのため胃の全摘手術を受けられており、現在も食後に30分ほど横にならないと体調管理が難しいとの事で、本日も名古屋の中心部で昼食を取り、愛知県芸術劇場で開演された教え子の出演する演劇が始まるまでの間に見つけたベンチでの休憩姿である。

 「ここに入れてもらえないですか?」と必死で頼んだ会場で、「あと30分まで入れません」と関係者から無常な言葉が返ってきた。演劇会場にあるベンチが目的であったが入れてもらえず、受付の案内係に聞いても横になれる場所はなく、やむおえず正面玄関のベンチでの休憩となった次第である。

 しばらくして、玄関にはハカマと花嫁姿で結婚式の新郎新婦がタクシーから降り立ち、このベンチの脇を正装した親族が続いて通って行った。この人達にとってこのベンチは何と映ったのか。私は笑いをこらえきれずに一団を見送り、そのまま携帯電話を取り出しての一枚となった。

 この建物は愛知県の芸術文化の中心であるばかりか、バリアフリーにも対応した建物であるが、広大な空間と不必要と想われるような広い通路があるものの、腰掛けるイスやベンチはほとんど無い。
 横になれるベンチまで必要とは望まないものの、入館者の多くに高齢者の姿がある事からイスやベンチの配慮が必要と思うのは私だけではないであろう。

 さて、本日は山本周五郎原作の「いのち ぼうにふるう」が演目であったが、会場の小ホールの座席も小さく、最前列に陣取ったためか、3時間近い熱演を鑑賞するには苦痛を伴い、間近で繰り広げられる熱演にも顔を向けるのも苦痛である。寝不足の個人的体調もあったが、終了直後に飲んだ頭痛薬が効いたのは帰宅間際となった。
                          10月13日の一言

一宮市中2熱中症死の控訴について

 三年前の夏の部活動中に熱中症で死亡した、一宮市立北部中学校の当時2年生の事故に対して、名古屋地裁一宮支部の一審判決は、生徒に対する学校と教師の配慮が不足していたとして、両親ら原告の主張を全面的に認める判決が先月26日にあった。

この事件の新聞報道
http://www.asahi.com/national/update/1010/NGY200710100009.html

 我が子を亡くした親の心情は理解できるが、この判決がこのままに結審となれば、中学校のクラブ活動の顧問となる教師は安心してスポーツの指導もできず、今まで普通に行われてきた学校での部活動そのものについて大幅な見直しが必要ともなる。

 放課後のクラブ活動において、教師による生徒の肉体的限度を超えた指導でもあれば問題と思うが、生徒の自主的な運動まで教師の責任が問われれば、ほとんどの部活動が対象となり、生徒が完全に下校するまで教師の責任を問われる事となる。

 一審判決の後で、両親は谷一夫市長を訪ね、「控訴しないように」と訴え、弁護団からの申し入れもあったと報じられていた。
 しかし、この裁判で学校と一宮市は、事故の原因を亡くなった生徒の体質として、学校や教師の指導に問題があったとは認めず争ってきたのでもあった。そんな状況下で、市民としての原告の訪問を受けた市長の心情は複雑であったと思われる。

 この件について、一宮市は控訴する事を10日に発表し、谷市長は「この判決を認めると、今後の教育活動や部活動のあり方について学校現場としての対応が難しい」と述べ、「判決で指摘された個々の生徒の判断や性格まで配慮するのは現状では困難」と馬場教育長も発言している。

 学校内で起こった事故ゆえに、学校に何も責任が無かったとは思えないが、生徒の自主的な運動による事故の全責任を教師や学校に求める事には無理がある。この件では、原告市民の訪問を受けた後で、上級審に控訴を発表し会見に臨んだ谷市長にはエールを送っておきたい。

 我が身に置き換えた時、果たして控訴に踏み切れたかと思うとはなはだ疑問である。金銭的な問題については、スポーツ保険が存在する事から、ややもすれば人情に流されやすいものである。ここで、教育現場の指導の限界をはっきりさせておく事は重要でもある。
                          10月12日の一言

夕暮れの田園風景

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 最近の一言の内容が、「忙しい」とか「住民の横着」、「厳しい財政運営」など、辛くて厳しい内容が続いていましたので、我家周辺の農村風景を添付しました。

 名古屋から30分とはいえ、昔のままの市街化調整区域になっている事によって、農家の子息の分家か主要道沿いに「沿道サービス」となる店舗の建設しかできないために、街とはいっても一歩入れば農村そのものの風景がそのままに残されています。

 意図的ではないものの、道路沿いにコスモスが花咲き、色づいて収穫を間近にひかえた稲が、まさに銀秋の風景を演出しています。

 来週には本格的な稲刈りがはじまり、黄金色の田園もここしばらくで灰褐色の田に変身します。いまとなっては、専業農家がほとんど無くなり、かつての農村風景には戻りませんが、せっかく都会の近くに残された田園風景なので、あぜ道に四季折々の花を植えるなど、人々が立ち止まるような演出が必要かもしれません。

 こんな風景の中で、かつては老人が座り込んで話し込む光景も見られましたが、最近では抜け道として高速で走り去る車も多いために、安心して話し込む事も難しくなりつつあります。やや固定化しつつある議会活動や、NPOなどボランティアに投入する時間を、かつての美しい故郷や、我が村が発祥の地である「越津ネギ」にも向けていきたいと思っている。
                          10月11日の一言

息子に託された請願書から…

 本日で決算審査特別委員会が終了した。たかだか5日間の事ではあったが、決算書の小さな数字を追っていた毎日から開放され、明日からは積み残した仕事に専念したい。

 数日前の事になるが、高校に通う三男から「署名用紙」を預かった。息子が私学に通う事から、私立高校に対する私学助成の拡充を求める署名であり、今までは議員である事から私の記名はした事がなかったが、最後の息子ゆえに一番上に記名して、20名分の署名2枚の書き入れを約束した。

 たかが署名と思っていたが、裏面を読むと請願書となっており、県議会議長宛てと衆議院議長宛てと2通あり、請願者代表の上には「紹介議員」の欄がある。
 裏面も確認せず引き受けたが、特定の政党(特に共産党など)の活動としたら堪らない。早速取り扱い団体として記された「愛知私学助成をすすめる会」に電話で確認すると、「特定政党の議員の紹介ではありません」の応答が返ってきた。

 職業病であろうか。津島市議会では陳情や請願書への紹介議員の政党名によっては、中身の内容が良いか悪いかに関係なく、不採択になる事が慣例のようになっており、不採択となる可能性の高い請願書に人々の署名を依頼するのも忍びない。依頼して記名を断る人も無い事から、誰もが簡単に記名されているが、こんな事だから署名の価値も低く、慣例化して緊張感が不足しているのかもしれない。

 さて、夕方のテレビニュースでは、愛知県議会の政務調査費の領収書問題が久々に報道されていた。しかし、いまだに結論が出せない事から、政務調査費本来の目的が忘れられ、議員が個人の自由にできる報酬と勘違いされているとしか思えないのである。

 国会議員の政治資金に対する不祥事が続き、議員とカネが問題とされているが、政務調査費についても市民の税金を使う事から、1円たりとも不透明な使途を認めず、領収書の添付も当り前の事である。
 この問題から、我々地方議員が迷惑を被るのは、政党助成金の交付も受けず、寄付や会費収入もなく、政治資金規正法の範囲内の自己資金で行われる政治活動についても、同様な報告を求められる事である。

 又、政務調査費や議員年金について報道される内容と、地方議会の現状とは金額的に大きな差がある事が市民に伝わらず、まるで一緒のように非難される事からはなはだ迷惑な事でもある。
 愛知県や名古屋市では月額50万円を超える政務調査費が話題にされているが、我が津島市議会では年額15万円の政務調査費に領収書添付が義務付けされており、この金額であってもオンブズマンの指摘を受ける議員も存在する。当り前の事だが、税金の不正は1円でも許さない厳しさが必要である。

 国の三位一体の改革は、地方自治体の財政を圧迫しているが、市民に課せられる公的負担の増加により、地方議会において議員を専業として生活する身にも厳しさが一段と増している。議員との兼職を真剣に考えないと税金も支払えず「滞納者」になる可能性もある台所から、このことを国政に訴えていきたい心境でもある。
                           10月10日の一言

議員も我が身となれば必死だが…

   本日も先週に引き続き決算審査特別委員会が開催されており、明日一日の市民病院と上下水道の事業会計分を残すのみとなったが、議員と言えども自分の身に降りかかる事かどうかで、質問にも真剣さに大きな差がある事を実感した。

 本日の特別会計分の決算書の中に、『津島市(日光川)流域関連公共下水道事業』があった。委員の中から、実際に稼動する日時の確認と、「住民の利用料金はいくらになるのか?」の問いがあり、現在工事中の神守・唐臼地区は平成21年度末までに配管が完了し、稼動は22年4月1日からとあったが、「料金については今後検討していく」との答弁であった。

 委員の1人から、市内の公共下水道やコミュニティプラント等との料金差は好ましくない事と、「何も考えていない筈がないだろう」との再三の質問に、稲沢市の例から料金の説明があった。
 下水道が完成してこの下水道に排水すると、平均家庭(25立方メートル使用)で2,992円の利用料(あくまで稲沢市の場合である)が水道使用料金に加算されてくる。今まで必要がなかった支払いだけに誰も歓迎する市民はいない筈であるが、「関係住民から早期実現の声がある」と、まったく現地住民にはない的外れな意見がベテラン議員の口から発せられた。

 もっとも今回の質疑は3年前から現地説明会でも住民に示されている事であるが、現職議員でこの下水道の工事区間に住む議員は私1人であり、この工事区間に住み4月で引退したベテラン議員さえ、最後の議会で中身が判らないと発言し、間違った認識を語っていたくらいなのである。

 快適な都会生活をおくるためには必要不可欠な下水道整備ではあるが、現在も水田に清流を流すパイプラインの工事が続けられ、農業振興地域に指定されている集落への下水道工事で、しかもその対象地域に住む人々の家庭だけでなく、所有する農地である田畑の面積に応じた工事の受益者負担金も必要になっているのである。

 議員の多数には、「下水道に流すだけ」と簡単に思われているようだが、完成すると同時に受益者負担金(稲沢市は1孱毅娃葦)が請求され、その金額は我家でも50万円に近くなり、多い家では500万円以上必要な事が確認されている。しかも、今まで水路に流していた下水を、全く逆の道路下の下水道につなぐためには、大がかりな宅内配管工事も必要となる。

 我家を試算してもらったところ床下のコンクリートや庭石、門柱も関係する事から500万円位とも、家の改造まで考えると算定できないとの業者の話であった。
 従って、下水道本官の配管工事は完了しても、負担の大きさから即配管とはいかず、行政は「そのように説明しないと誰も流さない」と、強制的とも思える現地説明(実際は強制できない)を行っているが、経済的に先送りの家庭が多いと思われる。

 ただし、本官完了後の受益者負担は、下水に流す配管をするかどうかに関係なく、2年後には請求されてくるが、地域にとっては厳しい支出を迫られている事に気づかない人も多い。
新人議員から「農地にも下水道工事をするのか」との質問が出たが、「現地の住民に早期実現を託された」などと、まったく現地の市民とは無縁の話がベテラン議員から出た事からも、他人事のような議会を実感し、自分に関わる事ゆえに身につつまされた一日ともなった。
                          10月9日の一言

田んぼの草刈も私の仕事に?

 本日は内輪だけではあるが、僧侶3人を迎えて曾祖母の47回忌を行った。曾祖母は横井庄一の母親の姉にあたり、戸主として幼少の庄一が横井家の養子に入る小学校5年生まで一緒に生活していた。

 本年4月に庄一の母親の50回忌が行われており、3年後には曾祖母も50回忌となるのである。こんな話が判る親族もほとんどが亡くなっており、叔父と母親が亡くなると誰も語る相手が無くなってしまい、高校生の三男には「横井庄一」そのものが判らない時代なのでもある。

 さて、こんなことばかりで日時が経過し、会報の印刷も進捗せず、やる事ばかりが山積している。「あー良かった、こんな時間なら居られると思って…」と、昨晩11時頃にかかってきた電話はボランティア仲間のKさんであった。

 今月23日に車イス4台による「バリアフリー検証」を実施する予定であるが、参加者がつけるゼッケンを作成されており、連絡もない当方にシビレを切らした深夜の電話であり、本日は早朝から訪問してもらう事となった。これについても、私が提案者であるのにKさん1人が奮闘中となっており、参加者の募集と当日の行程については私の責任であり、いつも土壇場で決めている自分勝手は許されない雰囲気である。

 残された2日間の委員会の後に会報を完成させ、来週の四国行きの準備となるが、年中行事としている朝日旅行友の会の行き先と行程を決めないと会報は印刷ができず、印刷が済めば戸別配布が待っている中の四国行きと、予定する日程との噛み合わせは最悪となるが、ここ3ヶ月はこんな繰り返しばかりで一向に仕事がはかどらない。

 「今日は出来ないから来週か再来週にも…」と、次男から電話が入る。早朝からの降雨に田んぼの草刈ができない事から先送りであるが、「来週では稲刈りが終わってしまうが…」との祖母の声にも、仕事を持つ次男に頼るのは限界である。いつもは家内の仕事だが、仕事に出るようになった事から、まさか、(やらないと宣言している)自分しか… 
 さて、会報、四国、バリアフリー検証、旅行友の会…、NPOも視察も、そうすると、昨年の一言と同じく、次の議会が迫り、正月となり、1月には県の「地域セミナー」と…

 こうした状況下でも次々と電話が入る。「はい、判りました」と簡単に応答しているが、車中の携帯電話で受信する事も多く、忘れてしまう失敗もある事から、新たな日程表に書き込んだ行動の必要に迫られている最後の休日となった。
                           10月8日の一言

横井庄一記念館の3

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 横井庄一記念館の玄関には、三枚の写真が展示してあります。前のページの写真は50代の写真ですが、反対側には晩年の写真が2枚あります。
 前ページ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26099936.html

 携帯電話の写真では見づらいですが、晩年の写真に発見から数年後の50代の写真が反射して映っています。どう見ても同じ人物とは思えないような顔に、20数年の人の歴史を感じるとともに、記念館の中で身勝手に語られる自分に対して、本人は何と思っているのか聞きたい心境から添付しました。

 さて、横井さんは夫人(館長)に自分の生い立ちをどのように語っていたのか。人には言いたくない事もあります。ましてや、幼少時より離婚した母親に在所(私の家)へ預けっぱなしにされており、居心地の悪い面もあったと思います。学校でも悪口を言われて口惜しい思いもあったと思います。

 この苦しみを共有した私の父親との対話には、私も違和感があったものの、横井さんの存在(発見)から我家の歴史がさかのぼり、私と先祖とのつながりも深くなりました。

 発見直後の兄貴分のような態度から、先輩面して大鹿家の家長のような私の結婚式での仲人。そして、晩年を迎えて、寡黙だった我家の昔話を私には自然と口にした横井さん。我家の先輩として、今の私に何かささやいてくれないものかと思うのが、この玄関に立って、両方の写真に挟まれている瞬間でもある。
                           10月7日の一言

横井庄一記念館の2

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 記念館の玄関に展示してある写真。はにかんだ表情から人柄がにじみ出ています。

横井庄一記念館の1

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 この写真は、横井庄一記念館に保存されている注文帖であります。戦前洋服屋を開業していた横井さんは、注文をもらった人の名前と、品物と金額が几帳面に記されています。私の父親の名前もあり感動しましたが、添付した写真は、横井庄一さんの従兄弟大島定造さんの名前です。

 自営業で、大金を浪費して飲み屋の女性と酔っ払って訪問する大島さんを、帰国後の横井さんは嫌って遠ざけていましたが、さすがは従兄弟だけに戦前は仕事も頼まれており、故人たちへの皮肉を込めて添付しました(笑)
 尚、店名は豊橋で奉公していた「花井屋洋服店」の横井庄一と印が押されています。

地域間格差を新聞報道から…

 連日の委員会から久しぶりの三連休となるが、日曜日が横井庄一記念館の当番日となっているために、休み気分にはなれず、初日の本日も公共工事の不満の電話から現地に走り、明日が秋祭りになっている事すら忘れていた。

 さて、この欄で、先月29日に「最後にしたい醜聞」として記した大相撲であるが、時津風親方を解雇し、理事長ら協会幹部は給与の一部を返上し、このまま幕引きを図りたいようであるが、はたして世論はそれを許して良いのであろうか。

 本日の夕刊によれば、幕内の現役である時津海を引退させて後継親方として部屋を存続させる意向のようだが、今回の事件には多くの兄弟子が関与しており、双葉山の創設した名門部屋とはいえ、名前だけで完全に中身の違ってしまった部屋を存続させる事に、それだけの価値が見出せるか。

 今後の相撲界の動きは下記のブログを参考にしていただきたい。
ドクター・マリオの気ままなひとり言 http://blogs.yahoo.co.jp/doctor_supermario/4316806.html

 本日の夕刊一面には「企業続々飛島村リッチ」なる記事が大きく報じられ、「税の恩恵 財政力日本一」とか、「中3まで医療費無料」、「百歳誕生日に百万円」など、恵まれた飛島村の状況が記されている。名古屋市に隣接する臨海工業地帯であるが、人口は五千人にもみたないのに、多くの企業から入る税収により、日本一の行政サービスが実施されている。

 議員になった直後に、飛島村のプールなど近代的な施設を訪問したことがあるが、「村民か村の企業に働く者しか利用できない」図書館などに違和感を感じたが、国や県からの支援を何一つ必要としない財政力のために、近隣市町村との連携や協力が必要ないと言うより、迷惑でしかないのが本音であろう。

 本日の夕刊では、宅地開発が規制された市街化調整区域ゆえに、アパートやマンションはほとんどなく、住みたくても住めないと記され、村は人口を増やしたいと話すと記されているが、「役場も村民も皆顔なじみで、知らない人に移り住んで欲しくない」と、当時の職員から聞いた一言がよみがえってきた。

 本日の社会面には「滞納金回収、民間助っ人」と題して、公営住宅の家賃や公立病院の未収金など、自治体の集金を民間に委託する例が増加している記事も報道されている。

 数日来記している住民の横着は、津島市だけの問題ではなく、全国共通の問題となっている現実を実感させられた。民間委託と言うと聞こえは良いが、この例では回収した金額の6割しか自治体に戻らない事から、身勝手な市民の存在が他の住民にとってもいかに迷惑になるかを訴えたい。もっとも、民間委託しなくては1円も回収できない「横着市民」の存在も現実であるが。

 最後になるが、情報公開が叫ばれ、行政や政治家の不祥事が次々と報じられるが、横着市民は「個人情報保護」を隠れ蓑にして、限界まで滞納すると雲隠れで行方知れずとなる。この事こそ、行政は勿論だが自治体が連携して情報を共有すれば逃げ得は防ぐ事が可能で、「横着市民」は責任を果たさなければ、行政サービスは一切受け付けない厳しさも必要と思うものである。
                           10月6日の一言

本日も委員会(私は傍聴)が続き…

 本日も決算審査特別委員会が続き、総務文教委員会所管の14課の決算が審議されたが、津島市の財政や税制、企画や人事の後に教育各課もある事から、午後5時を経過してからも議論が白熱した。

 昨日の一言には、市民の税金や使用料の滞納を載せ、一部の市民ではあるが横着の度を越すと思われるものを紹介したが、本日も全国的に問題とされた小中学校の「学校給食費」の未払いが問題とされた。これなども教育現場の学校に直接尋ねると、「うちの学校にはございません」との言葉が返された事があったが、津島市にもやっぱり存在しました。

 本日の報告では、18年度で39万3千978円の未払いがあり、17年度が13万9千830円、16年度が11万400円あり、三年間の合計(市内12校と幼稚園も含む合計)は64万4千208円の未収金となっている。意外に少ないと思われるかもしれないが、1食250円程度の給食費からすれば裾野は広く大問題でもある。

 もっともこの数字自体が正しいとは限らず、私と親しい教師の話では、「保護者の支払いが期待できず、(わずらわしさから)自分のお金で立て替えた事がある」との言葉を耳にした事があるが、「そういう事はありません」との教育現場からの報告であり、正直な実態把握と同時に、子供の教育上でも問題が多い事から、真剣な議論が急務でもあろう。

 さて、理不尽で横着な市民の一端を記したが、本日はちょっと変わったデータを添付したい。津島市に登録されている外国人の数は、18年度が775人となっている。年々増加する外国人を国際化と言えば聞こえが良いが、国籍別に比較すると興味深いものがあった。

 津島市において一番多い国籍はブラジル国籍で207人となっているが、16年度の筆頭で197人あったフィリピンが157人と激減し、16年度92人だった中国が、17年度99人から、18年度は123人に急増しているのである。ここにも国情が反映している事から興味深いものがある。

 ただし、不法滞在者の存在については、存在そのものが犯罪であり、市役所のデータでは0となっており、質問しても答えも返ってこないが、地域に増えた外国人の存在が、ゴミの搬出によるトラブルや、住民にも存在の実態が判らずに苦慮している現実がある。

 ちなみに18年度津島市の外国人の国別では、1位が207人のブラジルで、2位が韓国の174人、3位がフィリピンの157人、4位中国123人、5位はベトナムの28人と続いている。
 国会で日米協力とか日米同盟と声を大にして叫ばれている米国人は4人で、英国は1人である事から、滞在する外国人の居住する理由もおのずと推測されるものがある。

 最後になるが、増え続ける外国人については、交通事故など日常生活の中で地域住民とのトラブルに発展しているものも増加している現実がある。不法就労や不法滞在については、国の入国管理局や警察の問題とされているが、地方自治体の対応も必要に迫られてくるのは必死である。
                          10月5日の一言

国も地方自治体も議員も批判されるが…

 国民年金を着服した地方自治体の職員を刑事告発すると発表した桝添厚労相に対して、半数の自治体が既に処分したとして告発しない方針を示し、マスコミの取材を通じてヒートアップする対応が伝わっている。

 「地方自治体の窓口は信用できない」との、大臣の発言に地方の反発があるのは当然の事と思うが、国の公金を着服していた自治体が「告発する」との大臣の言葉に、地方の事情を理由に異論を唱えるのは本末転倒であり、犯罪との意識も希薄であることから、厳しい告発をあえて課すべきと感じるものである。

 さて、昨日から開催されている津島市議会『決算審査特別委員会』においては、住民の税金や利用料の滞納に対する行政の対応に、厳しい質問と議論が続けられている。こちらは、昨年度の決算書の中身についてであるが、犯罪とは言えないものの、住民の未払いが生活苦か横着な対応かで机をはさんで議論が続けられている。

 昨日の委員会では、保育園の保育料の未払いが問題となり、56万4千円を未払いのままに保育園を卒園し、小学校に進んだ事例が報告された。母子家庭との事であるが、市民税や国民健康保険税も支払っておらず、今後は祖父母などの保証人をつけるなどの対応策が議員より求められた。
 保育園は義務教育ではない事から、保育料を支払えない場合は通園しない事が一般市民の常識と思われるが、「通園する希望を断る事はできない」との行政の甘い言葉に、横着な住民が付け込んだ結果としか思われない。

 本日も、市営住宅の家賃の滞納について議論が白熱した。この件では毎年の事であるが、行政がいくら積極的に対応していると説明しても、滞納額として示された数字が桁外れで、最高に家賃をため込んでいる家庭は47ヶ月分滞納し、合計額が118万4千円の未納と発表された。

 公的負担が増え、生活が苦しいとは言え、民間アパートに比べて格段に安い家賃の未納で残された金額だけに、差し押さえの検討よりも「強制退去」との市民の声も耳にする。ただし、市営住宅が生活困窮者の生活確保も目的としているだけに、担当窓口から個人情報保護の観点から具体的な状況が示されず、住民の実態が計り知れないだけに、委員会での議論も毎年の繰り返しとなりつつある。

 さて、明日は総務文教委員会の所管する各課の審査となり、この中には税務課や収納課が存在し、厳しい財政運営ゆえに議論が白熱する可能性も高い。さらに来週は、赤字を抱える市民病院や、企業の廃業や撤退により大幅な収益減となっている下水道事業、収納率の低下している国民健康保険税などが残されており、担当する職員の心臓も高鳴りつつあるのかもしれない。
                           10月4日の一言

先輩議員のアドバイスを思いおこして

 本日より市議会の決算審査特別委員会が開催され、平成18年度津島市一般会計歳入歳出決算および特別会計などの決算書に対する審査がはじまりました。
 
 津島市議会には厚生病院委員会と経済建設委員会と総務文教委員会の三常任委員会と、本年より設置された市民病院調査特別委員会と決算審査特別委員会がある。昨年までは四常任委員会であったものが、議員定数の削減により、常任委員会が三つとなり、二つの特別委員会の構成となっている。(この他に議会運営委員会と各派代表者会もあります)

 八年前に初めて議員になった時、先輩議員より「絶対に特別委員会は決算を選択するように…」との助言があった。その意図するところは、この決算審査特別委員会が市役所の全ての部署を審査する事から、全ての部署に質問と発言ができる事と、行政の全ての状況が見渡せる事から、新人議員にはこの委員会が大変勉強になる事にあったと思っている。

 以来八年間、私はこの委員会に所属してきたが、本年からは一緒に活動する会派の唯一の議員が新人であり、しかも一番若い事から、厳しい財政状況にある市民病院調査特別委員会に所属し、傍聴席に座る員外の参加となり、発言できないもどかしさも実感する一日となった。

 さて、委員会の一日が終了したが、本年より議席に座る新人議員にとっては、辛くて長い一日となり、「来年からは変わって下さいよ」なる発言が返ってきた。この言葉を聞き、初めて委員会に臨んだ当時を思いおこすと、前年度以前の行政の動きが理解されていない新人議員にとっては、前年度の決算を審査する事には限界がある事を思い出した。

 これも先輩議員として三期目の経験からアドバイスが必要で、添付資料にある前年度の事業実績に目を通す事と、判らない事と、必ず一つは質問する事を提言した。かつて自分がアドバイスを受けた事ではあるが、本日も新人議員達から何一つ質問が出されない現状から、そうした気配りができなかった事を反省もしたい。

 本日は厚生病院委員会の所轄する各課の決算を審査したが、議員の不勉強は問題だが、説明する職員の内部異動による不勉強な説明や、議会の本会議で答弁した内容と矛盾する説明や答弁も目立った。結果論では済ませないが、市民の横着による未収金も多い。明日からの委員会(決算審査特別委員会は10日まで)の進展にも耳を澄ませ、皆さんに報告したいと考えています。 
                             10月3日の一言

過去の記録と現況を比較して想う…

 昨日の一言は、津島市の面積と人口を添付し、地続きとは言え隣接する市町村とはそれぞれに中身が違う事を理解して欲しいと思って記しました。

 我々議員に対しては、議会事務局が毎年「市政概況」なる小冊子を発行して配布されています。A5版71ページのコンパクト版でありますが、この一冊の中にも「えッ?」と思うような津島市のデータも含めて、津島市の姿が凝縮されて記載されている。

 例えば、産業別人口構成(平成17年度)の中に、林業に1人の就業者数があり、5名の漁業就業者数が記載されている。もっとも平成12年には、林業が2名で、漁業が11名となっている事から、貴重な存在となっているが、漁業についてはまだしも、林業についてはどんな仕事か想像する事すら難しい。

 ただし、本来はこんなデータを過去から引っ張り出して、津島市の10年後から50年後の街づくりが議論される必要がある。はたしてこんな研究がされて津島市の将来像や都市計画が策定されているのか、私は疑問に思っている。

 この中で、農業にかかわる就業者数は、12年度まで1039人あったものが、5年後には793人に激減し、人口に占める構成比も2,5パーセントまで落ち込んでいる。我家の廻りを見渡すと多くの田畑が存在するが、津島市の人口比から見ればわずかな人数であり、津島市の多くが農業振興地域となっているために宅地とならない矛盾も感じずにはおられない。

 さて、最後に津島市と合併する前の旧神守村の昭和14年の記録までさかのぼると、全戸数が1,050軒となっており、そのうちの802戸が農業となっている。当時は人口比で77パーセントの人が農業であり、前記した2,5パーセントとは大きな相違がある。

 ただし、町内運営や土地政策についても戦前とは言わないものの、前時代的因習を引きずっている面もあり、現代の数字を認識した上での街づくりや、町内運営を考える事も重要である。こんな内容を記しだすときりがないので、本日はここまでとしたい。
                         10月2日の一言

隣の市民とは知らずに批判にさらされて

 津島市の現況について
●位 置:名古屋市(名古屋駅)から西に約15キロ
      (電車や車で約30分)
●大きさ:東西 7.30km
      南北 7.25km 
     面積 25.08k
●人 口: 66,711人
  男 : 32,739人
  女 : 33,972人
 世帯数: 24,444世帯
(平成19年9月1日現在)

津島市 http://www.city.tsushima.lg.jp/
愛西市 http://www.city.aisai.lg.jp/
弥富市 http://city.yatomi.aichi.jp/
稲沢市 http://www.city.inazawa.aichi.jp/

 久しぶりに出かけた市内で、市民の方々より厳しい市政批判を浴びせられて帰ってきた。財政状況の厳しさや、市民病院の医師不足もあり、我々議員に対する批判は当然であり、批判を受け止める事は当然であるが、隣接する市町村の現状を何も把握することなく、津島市と比較して批判される事に対しては大いに異論があり、本日の一言に現況の一部を添付しました。

 市町村合併が進捗しなかった事から、国の地方交付税や補助金が削減され、厳しい財政運営を強いられている中で、増築・増床した市民病院が医師不足のために計画どおりに稼動していない事から、津島市の財政はより厳しい局面を迎えています。

 しかし、合併を果たした近隣の市町村を比較する時、私は国からの補助金が減らされた事は別として、安易な合併はしなくて良かったと思っています。添付した各市のホームページを参照してもらえば判る事であるが、合併した各市は現在も箱物行政が続けられている。

 津島市には建設する予算も無いのが現状だが、各市が建設を予定している施設が津島市には既に整備済みとなっており、「市民病院は建設しない」と宣言する愛西市などとは比較する事自体がナンセンスである。厳しい経営とは言え、同じ市民病院を持つ稲沢市とは格段に規模もレベルも高い津島市の市民病院が津島市民に認識されていない事が悲しい。

 そんな訳で、本日は各市のホームページを添付したが、地理的に面積と人口比などから考えると、津島市の未来にも明るい展望が多い。高齢化社会を前提として街づくりを考えると、添付した市街では一番福祉都市の実現が可能である。

 批判だけでなく、課題も多いが、津島市は市全域に巡回バスが整備され、公共交通の空白についても対処がしやすい。この事だけでも広い面積を有する各市が津島市の現状になる事は、各市の面積から考えて至難の業である。救急車の到着時間についても津島市が一番早く到着する。「五万人以下」の人口が福祉の理想と言われており、津島市は津島市にあった計画と、将来像が必要である。本日は一部分ではあるが、他市と比較した一言になってしまいました。
                         10月1日の一言

 追伸 「あの時には言えなかったけど、病院と図書館の文句を言っていた人は愛西市の人だからね」と、夜に電話があった。隣の市民とは知らず、一方的に批判を聞いていたが、津島市の施設を利用されて批判にさらされていたのであった。
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