大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2007年11月

8月の集金を今頃廻りながら…

 本日もあと数時間で11月が終わり、明日からは12月が始まるのであるが、忙しさの中で11月が過ぎ去ったという印象も湧かず、月日の移り変わりの速さにびっくりである。(今まで何度も記した一言です)

 本日は、夏の8月に発行した地元中学校の同窓会報のスポンサーで、集金を済ませていないお店を廻る約束が役員としてあり、約束した午後3時が近づくにつれ、「来なきゃいいのに…」と時間が過ぎ去ることを願ったが、約束どおりに車が到着し、役員の監視付きで集金に廻る事となりました。

 夏に廻るべき集金に今頃廻るのは苦痛だが、「申し訳ありませんが」と廻っていると、運転している役員も苦痛らしく、私のおしゃべりが長い(待たされると)と不機嫌になり、相手が不在だと「どうなっているんだ」と顔が怒りだし、「そんなら、お前が行ってこいよ」と言いたいのを我慢しつつの訪問となった。

 一緒に廻った役員は私の同級生であるが、ここには大きな誤解がある。それは、だぶんに彼は私が『営業上手』と思っている事であるが、私がかつては新聞販売店を経営し、それなりの営業成績を残していた事や、話し好きな事もあり、多くのスポンサーを探し出している実績から、こういった仕事を「水を得た魚」のように思っているのである。

 誰しも頼み事が好きな人間はいない。ましてや、議員の顔を持って頼み込んだ相手を集金に回っていると、自分のためにやっていると思われそうで、車を降りる足の一歩が重くなっていくのである。
 営業する人間を雇用した事はあるが、私は営業向きではなく、営業に行くと相手の商売の客となってしまうために、引き受け手のない集金は別としても、「お父さんはダメだから」と家族公認で集金はした事がなかったのである。

 そんな私が地域を廻るのである。ストレスが無いわけではないが、会長という立場上怒るわけにもいかず、役員の車に乗せられて急かされて集金に廻ったのであった。

 「おい、ちょっと一服しようか」と喫茶店で休憩したが、私の集めた広告費を集計して勝手にブツブツ言っている。どうやら、うっとおしいので早く全部済ませたい様子がありありである。「おい、中に入っていくオレの身にもなってくれよッ」とは言わず、雑誌を読みふけっていると、役員の不機嫌は益々増長し、愛用のタバコをふかし続け、その煙が私の鼻から入ってくる。

 「おい、いい加減にしろよッ!」、「オレはお前の臭いタバコの臭いが大嫌いなんだよッ!!」
と言ったらおしまいである。
 せめて、ここの支払いだけはするものかと戦法を変えた。辛い集金ではあるが、私にとっては商売を辞めて久し振りに廻る地域は暖かく、旧交を温める月末となった。結局のところ、本当に辛かったのは沈黙のまま私を待ち続けた役員であったのではあろうが。
                                11月30日の一言

本年3回目のバリアフリー検証会

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 今年度3回目となる津島市内のバリアフリー検証会を本日実施しました。今回は自転車による検証で、午前9時30分に私の事務所に集合し、架け替え中の日光橋の新歩道を通り、市役所から津島駅を通過して文化会館へ到着してミーティングを行いました。その後は東愛宕の彦坂外科まで走り、昼食後事務所に戻り散会とした。

 今回は昭和4年生まれの戸辺さん(百島町)に日頃の体験を踏まえて参加してもらいましたが、歩行者とは違った危険個所が多く、自転車がなければ買い物や病院にも行けない土地柄の中で、歩道の不備が交通事故やケガに直結する危険な体験を肌で感じる一日となりました。

 10月と11月に、車イス体験、視覚障害体験、自転車体験の3回の検証会を実施しましたが、それぞれの体験で改善すべき問題点と危険個所も浮き彫りとなってきました。1回目の車イス体験と今回の自転車体験には津島市の職員も同行しており、1回目の参加で指摘された問題点が2回目の開催時には既に改善されていました。

 添付した写真でも判るように、今回の検証会でも歩道上に障害となる鉄棒があったり、駐車した車によって車道を走る事によって、車イスや歩行者とは全く違う一触即発の危険に遭遇し、警察署から100メートルも離れていない場所にも、歩道が途切れて車道に飛び出すか転ぶしかない危険な交差点を発見しました。

 日頃車で通行する場合には感じない危険を、自転車に乗ることで改めて感じる一日となりました。この3回の体験については、来年1月27日に実施予定の「人にやさしい街づくり地域セミナー」で報告し、行政と一緒になって改善の方向にもっていきたいと考えています。

 さて、3時には市役所で市民と待ち合わせの約束があり、終了直後にメンバーに送ってもらい、市役所の相談案件が終ると外は薄暗くなっており、改めてメンバーに迎えをお願いし、珈琲屋経由で帰宅すると足はガクガクである。

 このバリアフリー検証会も、「何のためになるの?」との声もあったが、市職員の同行があり、報告する1月の地域セミナーの主催が愛知県と津島市である事から、数少ない市民と行政が協働したボランティア活動になっていると思われる。
 これも継続が課題で、予算もなく全額自己負担の活動がいつまで続けられるかがカギでもある。
                                     11月29日の一言

東国原宮崎県知事の発言から…

 宮崎県の東国原知事が地元の若手建設業者との懇談会で、「徴兵制あってしかるべき」と発言し、真意を問われた記者団にも自分の持論として撤回もしなかったと報じられている。(下記参照)

「徴兵制あってしかるべき」 東国原知事が持論展開
2007年11月28日20時53分 朝日新聞 http://www.asahi.com/politics/update/1128/SEB200711280014.html
 宮崎県の東国原英夫知事は28日、宮崎市の知事公舎であった若手建設業者らとの懇談会で「徴兵制があってしかるべきだ。若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなくてはいけないと思っている」と述べた。記者団に真意を問われた知事は発言を撤回せず、「若者が訓練や規則正しいルールにのっとった生活を送る時期があった方がいい」と持論を展開した。
 懇談会には県建設業協会青年部の地域代表ら12人が参加。若手の育成方法などが議論になり、知事が個人的意見として語ったという。
 懇談会の終了後、知事は「道徳や倫理観などの欠損が生じ、社会のモラルハザードなどにつながっている気がする」と言及。「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で教育することは重要だと思っている」と語った。

 あまりにも突発的に思える発言だが、真意は「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で教育する事は重要だと思っている」の部分から、「徴兵制」を差し引いてもそれなりの評価をしたいと思う発言でもある。

 今更、自分の過去を振り返ったわけではないが、私は高校時代に財団法人道徳科学研究所(現モラロジー研究所)が開催した2週間の概要講座(合宿生活)を2回受講している。近所に熱心な関係者があり、再三の勧めによって受講したのだが、当時の受講資格が20歳以上になっていたものを、当時の関係者のはからいで年少のまま参加させてもらっており、最近になって母親から「何としても参加させて欲しいと頼んだ」結果である事が告げられた。

 当時の自分は、毎年繰り返される「右足骨髄炎」の再発で、高校を落第し続けるだけでなく、非行に走り、舞台を高校から社会に求め、日中から遊んでいる友人から暴力団に関係する先輩や、任侠の道にあった大人に憧れており、学校からはみ出し暴力や単車の無免許運転、タバコ、ボンド(シンナーと同じ)と親を困らせ続けていた。

 落第して、有り余る時間があった事からこの講座を受講し、高校2年目が終わり、反省もなく退学が確定的と思われていた時、「大鹿の怒りは何かを訴えたくての行動ではないか。もし、やり直す気持ちがあるのなら、ボクのクラスで一からやり直してみないか」と言ってくれた恩師と出会い、ここから高校5年生が始まったのでもあった。

 この講座を受講し、自身を省みる事がなければ、屈辱の高校1年生からのやり直しはありえず、子供の処遇に困っていた親や、近所の人々の救いが今となっては有難く感じるものであるが、この経験は今の若者にも生かしたい。

 私の父親は満鉄から戦後は名鉄の鉄道員であったが、私には経験がない「同期の桜」と言うか、「同じ釜の飯を喰った」仲間が多く存在した。若い時期に一緒に汗を流した仲間の存在は一生の宝となり、個人の身勝手な行動に走る前に良き相談相手ともなる。

 今回の東国原知事の言葉とは意味も違うが、無秩序に人が殺され、高齢者が騙されて金を奪われる世相にあって、何が善で何が悪かとまでは言わずとも、世の中の規律や秩序を学ぶ場所は重要でもある。現代の学校教育ではこのような機会はなく、罪を犯さないと学ぶ機会もない現状から、発言だけに終らせず宮崎発で是非実現させてもらいたいものである。
                                 11月28日の一言

タレントのブログ休養宣言を聞いて…

 タレントの若槻千夏さん(私はあんまり知りませんが)がブログの休養宣言をした事から、芸能界から引退まで囁かれるような報道がテレビなどから報じられている。(下記参照)

若槻千夏 突然の「ブログ休養宣言」

 ブログ「マーボー豆腐は飲み物です」が人気のタレント、若槻千夏(23)が、26日に更新した同ブログで、突然「ブログ休養宣言」をした。
 「今」のタイトルで「頭の中がごちゃごちゃしていて、自分らしいblogが書けそうもないので、少しblogをお休みさせて頂きます。楽しみにしてた人も、そうでない人もごめんね。時間ください」と書かれている。
             [スポーツニッポン 2007年11月26日 14:10 速報記事 ]

 立場は違うものの、忙しい環境の中でブログを書き続ける事は大変な作業で、私自身は自己の身勝手な日記か主張と思っているが、16年2月より毎日一言の更新を続けてきた中には、浴びるほど酒を口にした後に記した一文もあり、意味のない一言に「何の意味があるのか」と自己嫌悪に陥った事もしばしばである。

 議員ゆえにブログを通じた活発な意見や批判の応酬もありと考えていたが、市民から「ホームページくらい当り前で遅れている」と言われてはじめたホームページが地方議会では第一号の現状にあり、議員の中には議員全員がやらないホームページで身勝手な主張は公平でないとの全時代的発想が正しいように語られた事もあるのである。

 今回の「ブログ休養宣言」について、私も他人事ではなく、自分らしく書き込むためには時間的余裕を持ち、新聞各紙を読み比べられる時間もない中での一言は、実に中身がなく自己嫌悪に苛まれるのでもある。そして、昨年まで毎週書き込んでいた『天聖人誤』についても、毎日の忙しさの中で本年は休眠状態のままに推移しているのである。

 さて、貧乏臭い話であるが、忙しさから新聞の隅から隅まで読んでいる時間が不足しがちとなるが、読もうと思えばいくらでも読む時間はあるのである。出かけた先や珈琲屋だって読む事は可能だが、家にあるからと手にしない習慣が身についており、ここにも「もったいない」の心境が存在した。
                                 11月27日の一言

市民病院・何もせずに倒産では済まされない…

 本日は二回目となる市民病院評価委員会が開催されたものの、議員の傍聴は四名と少なく、医師や看護士の傍聴は前回より多くなったが、委員会で使用されている資料が議員だけで、医療関係の傍聴者には提供されておらず、本来は一番関心を持ってもらうべき病院関係者への周知徹底が軽視されている現実を実感させられた。

 今回提供された市民病院の資料からは前回より改善された数字が何もなく、医師不足によってより経営が悪化した数字しか見当たらないことから、委員から評価するどころか、経営改革行動計画そのものの見直しを必要とする意見が出され、再度の仕切りなおしをするに至ったのであった。

 稲垣委員長(トヨタ記念病院院長)より次回の開催日を問われた市役所担当部長から、来年の5月か6月の開催を予定しているとの悠長な説明に、委員長から「今年度内の来年1月には開催した方が良い」と意見が出され、「皆さん忙しいお立場だから…」と言う職員に、先送りでは取り返しのつかない結末から、1月か2月には三回目の委員会を開催することを決めて散会となった。

 さて、このままでは一年間に二十億円の赤字が予想され、苦しい津島市の財政状況の中では「公設公営」の存続は難しく、公設民営や独立行政法人への見直しは必死の状況にあるが、個人的には6月議会や9月議会で私が指摘した項目に前向きな答弁があったにもかかわらず、何も進捗しておらず、何もしないままに見直すことには無念でもある。

 9月議会の再質問で私が提案した、「町内会とか老人クラブに職員や看護士を派遣し、健康相談等も通じて市民病院のPRを行ったらどうか」の質問に、病院からは「極めて困難」との答弁があり、現状の中で充実させるとの説明があったが、本日の委員会で委員長より私とまったく同じ提案が出された。

 又、末永委員(小牧市民病院院長)から、「患者を増やすには昼間の診療以外の患者をいかに受け入れるかが重要。救急部門の充実を図らないで患者は戻ってこない」との指摘もあった。これについても、過去の議会で何度も指摘してきた事であるが、何もせずにこのまま市民病院の道連れで津島市まで倒産では堪らない。

 医師不足は現実の問題ではあるが、津島市民病院にかぎった問題ではなく、全国で共有する深刻な問題でもあり、医師の不足する診療科目へ他の診療科目から応援してでも乗り越えて、今こそ市民にとって何が求められ、何をする事が病院にとって一番重要であるかを考えていきたい。
                         11月26日の一言

防災訓練

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 本日は早朝より地元小学校区の自主防災会主催の防災訓練が行なわれました。私は来賓の議員として紹介はされましたが、自身が所属する「津島防災ボランティアコーディネーター」の一員として、地域住民のボランティア参加を受け入れる支援本部の受付や送り出しの任務にあたり、毛布と竹2本を使った仮設担架のデモンストレーションに参加しました。

 市内すべての小学校区に自主防災会が組織され、行政とは一線を画した活動が実施されるようになってきたが、活動の中に国や県が心配する東海沖地震や東南海地震の意識が薄れ、地域のコミュニケーションや町内の責任から参加されている人の存在もうかがわれる。

 かつて地域では地域の運動会が実施されていたが、参加者にケガが発生することからほとんどの地域から姿を消したが、その代わりが防災訓練に成り代わったように思えてならない。
 訓練会場に集まる人数が多い事から盛大な印象を受けるが、地域住民の総数からすればごく一部の町内会役員が参加しているにすぎず、ほとんどの住民や家庭については全くの無防備にある事は間違いがない。

 防災ボランティアの一員として、毎年の訓練に参加するようになったが、参加する住民の意識は低く、訓練というよりは見学会のようでもあり、参加者の危機感は低く、地域の婦人会や赤十字の会員が早朝より準備した『炊き出し訓練』の食事を摂って解散となるが、これは訓練というよりも毎年の大変な役務ともなっており、自主防災会と言うのであれば自前の炊き出し訓練が必要でもある。

 さて、一人の人間として一人の身体で参加できる仕事には限界がある。愛知県の人にやさしい街づくりアドバイザーとしての仕事がNPO法人の活動に進化し、新たな仕事が待ち構えているが、今回の訓練にも市外の防災ボランティアの参加があり、地域エゴでは申し訳ない気持ちから「防災リーダー会」への入会も約束してしまった。「あれはどうなったの?」と参加者に問われ、頓挫している防災組織がある事も確認する一日となったのでもあった。
                           11月25日の一言

本年2回目の市内バリアフリー検証会

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 本日は愛知県人にやさしい街づくりアドバイザーの津島グループによって、視覚障害のある人の市内バリアフリー検証会を実施しました。当事者となる市内在住のMさん(全盲)と前回の車イスによる検証会にも参加していただいた名古屋市港区のIさん(全盲)を中心にして、二人の擬似体験も含めて、津島市内のボランティア団体であるガイドヘルパー「くわがたの会」のKさんとTさんの協力をもらって開催しました。

 コースは津島神社に集合してから、津島市民病院まで全員徒歩で目指しました。途中の道路環境の不備は10月に実施した車イスによる検証会と同じですが、視覚障がい者にとって貴重な目安となる交差点の点字ブロックの不備が指摘され、点字ブロックの指示どおりに進むと建物に突き当たったり、商店の店内に入ってしまう事を実際に確認しました。

 又、せっかくの点字ブロックのつながりがなく、あてにならない事や、点字ブロックの案内する目的地が何であるのかが判らない現実は、実際に生活する当事者しか判らない子とであり、前回の車イス体験の結果から改善されていた市民病院のイスの配置には感心したものの、玄関付近の新たな意味不明の点字ブロックも指摘された。

 さて、このあとに新しく開店した愛西市の大型ショッピングセンターに足を進めましたが、周辺道路のバリアフリー対策は皆無であり、店内に座って休憩できるスペースもなく、喫茶店や食事のできる店舗もないことから、店内入り口でUターンとなり、道路沿いにある喫茶店で昼食を兼ねた休憩をとりました。

 さあ、疑似体験の二人はそのままで食事を採ることになりましたが、箸に挟んだものが何かも判らない食事は大変で、あまりの苦痛そうな顔に免じてアイマスクを外させてもらえました。
 食事後に出発した津島神社に戻って解散です。名古屋のIさんとは津島駅でお別れですが、ここからは介助もなく一人で電車を乗り継いでの帰宅となりますが、何も見えない状態で帰れることが驚異に思われました。

 本年のバリアフリー検証会は、29日に自転車を利用して旧神守地区から市内の施設や医療機関を目指します。3回の検証会の結果は、来年1月27日に津島市文化会館で実施される愛知県主催「人にやさしい街づくり地域セミナー」の中で発表し、改善に結び付けたいと考えています。
                                   11月24日の一言

京都西山の紅葉散策に出かけて

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 本日は朝日旅行友の会の日帰りバス旅行で、京都の洛西の紅葉散策として大原野と善峯寺(よしみねでら)を目指して出発しました。紅葉の最盛期のために渋滞を避けるために食事を弁当にして、弁当の受け渡しのために京都の業者が多賀サービスエリアまで出向く念の入れようだったが、渋滞のために業者が送れてくるハプニングとなった。

 名神高速の東行きは渋滞で車が並んでいたが、西行きの当方は順調にバスを進め、京都南インターから11時過ぎには目的地の善峯寺に2.5キロ地点まで進んだが、ここでハプニングが起こった。すれ違いのできない迂回路のない1本道の先で観光バスが故障して動かないために善峰寺に入れないとの事で通行止めとなっていたのである。

 それでは先に大原野へとコースを変えて、大原野神社のパーキングにバスを停め、「花の寺」勝持寺を参拝してから2時間の自由行動として大原野神社や正法寺などを散策した。ここでの紅葉も見事であったが、善峯寺はもっと素晴らしいと期待してバスに戻ったのであるが、善峯寺に確認するとバスの故障が直らず、依然と通行止めが続いているとの話であった。

 今回のメインとしていた善峯寺に入れないではどうしたものかと思案していると、「光明寺に行ったらどうか」の声があり「以前に行った人の話では良かったと聞いた」との言葉が続けられた。この光明寺も西山浄土宗総本山で、3年前に発行された雑誌「サライ」の京都特集で、私だけの紅葉名所として紹介された6ヶ所のうちの一つでもあった。

 本日の23日は地元の浄土宗の寺でお十夜があるから参加できない人があったが、そんな日に浄土宗の総本山に行くとは思いもしていなかったが、とにかくすごい人出で人の行列である。
 ここの紅葉も見事で、もみじの参道(写真3枚目)は赤、黄、緑のもみじのトンネルで、多くのカメラマンが並び、茶店も多くの人で溢れていた。一番上の写真は釈迦堂(方丈)前の信楽庭(しんぎょうてい)

 さて、待ち合わせした弁当屋がいないのにも驚いたが、目的地である善峯寺に入れなかった事はガッカリとし、故障して道を塞いだバス会社に損害賠償を求めたい気持ちだが、それにも劣らない光明寺に変更できた事と、故障したバスの前に善峯寺に入っていた観光バス3台は帰るどころか、善峯寺に足止めされて食事もとれないでいる事を聞き、故障したバスの先に進んでいれば大変な結末を迎えたと胸をなで下ろした次第でもある。

 しかし、善峯寺は西国三十三観音の第二十番札所である事から、ここで半日以上も足止めされた巡拝者の日程は大幅に狂い、宿の予約にも大変な影響が出ていると思われる。

 帰路は渋滞を避けるために京都南インターより大阪寄りの大山崎インターから京滋バイパスを経由し、多賀サービスエリアで休憩し渋滞にあうことなく津島市に到着した。昨日には旅行保険の掛け金を倍額にしたが、参加者49名全員が無事帰れたことと足止めされなかったのもご利益と考える事としたい。
                                  11月23日の一言

帰る場所の心配も明日は我が身かも…

 今年の春から市役所より配備されている電話ファックスが交換されて新しくなったものの、紙送りに若干の不調時がある事から、連絡ミスによる行事への欠席を防ぐために『念のため』に走る事が数回ある。

 本日も市役所に所用がある事からついでと言えばついでであるが、念のために議会事務局に顔を出すと当方の勘違いであったが、文明の利器とは言え物言わぬ機械ゆえに送信されなかった日程もれがあるような気がしてならないのである。
 電子メールで送って欲しいとも思うが、インターネットをつなぐ地元有線放送局のメール受信箱には有害な迷惑メールが大量に送りつけられ、毎日が役務的な削除に追われるのみで役にたっていないし、ヤフーメールは市役所の自主規制により情報が伝わらないのでもある。

 さて、人々は「まさか自分が」と思って、自己判断で無理を重ねたり、行政不信を口実に果たすべき責任が果たされていない人も存在する。それでも困った時には何とか対応していく行政には問題もあるが、好きなように生活して果たすべき責任が果たされていないと、「まさか」が現実になった時に家族は狼狽する事となる。

 事故や病気で突然の入院となると予期せぬ出費が必要となり、行政の各種補助制度を活用しようとすると「健康保険が滞納したままでは…」と後手に廻り、障害年金を確認しようとすると「主人は年金をかけていない…」となっては相談も何もできないではないか。

 生活保護を検討すると「資産価値のあるものの処分」が先決となり、働き盛りの年代では家族が働きにでる必要に迫られ、「借金があり儲かっていない」と言われても、前年度は高額所得者のランクに位置して「高額療養費」の負担額も多く、頼るべき病院には「早く次の病院を捜して欲しい」とせかされては寝たきりの状態では行き場もない。

 脳梗塞の場合においては早期に治療してリハビリに励めば社会復帰も可能と言われるが、発症してから2ヶ月以上経過した患者を受け入れてくれる病院の門戸は狭く、病院のたらい回しの挙句に病院内で感染症まで拾っていると益々受け入れ先は先細りとなっていく。いずれは障がい者の認定を受け、国の補助も考えられるが、それまでの行き場すら見出せない。

 リハビリに励んで家庭で生活させたいと思っても、リハビリの効果は不透明で、肝心の家族が在宅で面倒が見れないとなると、帰り着く場所すら見出せなくなっていく。こんな愚痴を記すると「議員は一票のために大変だ」と言われそうだが、こんな時に役に立てないようでは役立たずの税金泥棒にも思えてくる。

 さて、さて、どうしたものか…。こんな心境の時に訪れた旅行社の担当者に「旅行保険はいつもの金額で良いですね?」と問われて、「大丈夫?」と念を押すと「大丈夫と思います」の返事が返ってきたが、前記の案件も頭をよぎり、「念のために増額してくれる」の言葉となった。楽しい旅行が一瞬にしてなんて事も考えると思い通りの企画も立てられないが、そんな心配をする年代になった事も実感の一日である。
                                 11月22日の一言

寒波に身体が悲鳴の赤信号を…

 毎日が寒いとしか書きようのない日々が続き、どうしようもない難解な相談を引きずり、一日が消化していく中で、ついに鼻水から風邪の初期症状のようであるが、ここしばらく酷使してきた身体は休養を欲しがっているようでもある。

 夕方を待って訪問された来客に応対し、置いたままの携帯電話に残された通信履歴から連絡していると、時計は10時を廻っていた。こんな時には電話にも出たくはないが、朗報も届けられる事と、話し出したら止まらない性格ゆえに、パソコンの前に座るのも遅くなる一方である。

 おかしなもので、世の中は上手くできており、潮の満引きのように悪い事があっても良い事も起こってくる。23日の京都行きの会員募集についても早々と満席となり、多くの参加申し込みを断ってきたが、直前になってからの断りはそれぞれの理由はあるものの、受け付ける側にも申し込みを断った人々の顔が浮かんでそれなりの苦痛は伴ってくる。

 しかし、それも何事もなかったかのように人々が埋め合わせてくれる。今晩になって申し込みされた人も、昭和63年に旅行友の会が発足した当時からの参加者であるが、「欠員が出たと聞いて〇△さんから誘われたので」との申し込みで、「満席」とも言えずに引き受けたが、本当に何とかなっていくから不思議なものである。

 議員の立場にあると選挙対策用に実施される旅行会と混同される事や、他の議員の旅行会と比較される事も多いが、朝日旅行友の会については、20年前からの歴史があり、ここ数年間はお遍路や宿泊を伴うグループ旅行も増えているので、同窓会的な雰囲気もあり、私にとっては久し振りの旧交を温める機会ともなっている。

 さて、しばらくは自業自得(ムリな旅行を続けた)のための愚痴が続いたが、個人の問題ではなく、市民からいただいた宿題や12月議会の日程を控えて、計画的な事務処理と行動が求められてくる。明日は午前中が市役所の議会日程があり、午後には福祉施設へ市民の代役での訪問となる。

 鼻水をたらしたままでは困るので、このまま休養したいと思っていると、天気予報とは若干違うが小雨が降り注いでおり、明日早朝の会報配布は止めなさいとの天の声と解釈して朝まで眠りたい。こんな自分勝手な顛末を記していて良いのか自問自答は残しているが…。
                                 11月21日の一言

追伸 昨晩は書込み中のままに朝まで更新処理がされていませんでした。訪問された方々には申し訳ありませんでした。

一抹の淋しさも寒波とともに…

 本日は久し振りの日差しが差し込んだが、午後からは膝が痛くなるような寒さの一日となった。「おい、こんな暖かい日に何をしてるのッ」とボランティアを送り出したが、配布して帰る頃には日差しが消え、寒々とした夕方を迎えていた。

 今晩開かれた書道教室「神守丈友会」には、指導する後藤先生が急遽欠席となり慌てて手本を取りに走ったが、その際に10日前に行った上高地の写真を置いておいたところ、戻った教室から写真が消えていた。
 「先生が目にされたら困るでしょう」と、先生の欠席を知らないメンバーが慌てて隠したのであったが、そもそも恩師に言わずに出かけた事がうしろめたい心境にさせられ、悟られないようにするのは大変でもある。

 もっとも、私はこの一言に写真まで掲載して詳細を記しているので、後日談として語っても差し支えがないし、元々が恩師の体調を気遣って話さなかったのであるから、判ったところで何ら困る事ではないのだが、もっと困るのはメンバーの全員に伝わっていなかったことである。

 毎週の書道会で「何所かに行こうか」と話しながら、今回の上高地行きが決定したのであるが、恩師にも知らさない企画ゆえに、長期欠席のメンバーにも伝えておらず、このことがメンバーからメンバーに伝わっていたとの話に、今となって後悔の念を残すところとなったのである。

 平成6年に始まった書道会であるが、病気で去ったメンバーや家族の介護が必要になったメンバーもあり、はじめに指導を仰いだ長谷川先生は介護施設にあり、現在の後藤先生が昨年ガンの手術を受けられたことから、指導者なき教室の出席は悪くなり、半年後に復帰はされたもの数人の固定メンバーで会が存続している状態にある。

 我家の2階を使っていることから、忙しくても欠席することなく続けられてきたが、そろそろ今後の展開を検討すべき時期になったのかもしれない。もちろん存続を前提にしての話であるが、かつては人を募って観光バス一台で出かけたことを考えると、淋しさばかりではなく、趣味として書を続けるためにも幅広い人への呼びかけが必要でもある。

 せっかく10年以上も続けられた会であるから、より永続性のある書道会として充実させていかないと、書道と一緒にした会の目的である旅行や食事会も淋しい慰め会のように感じられてしまうのである。高齢で病気と隣り合わせの恩師に今以上を期待する事は難しく、恩師が不在でも熱心に続けられる会への変革が求められているのかもしれない。

 ただし、恩師の不在を材料に早々に珈琲屋に移動することも神守丈友会の魅力かもしれず、それよりも出かけた近所の珈琲屋の淋しさの方が気にかかり、何度も経営者が代わっていることから「貸切だなあ」とは言いながらも、寒さも手伝って淋しさばかりを感じる一日となった。
                                    11月20日の一言

真冬の対応を求められる晩秋の一日に

 昨日の一言に、「本日は冬のような厳しい寒さとなりました」と記しましたが、本日は昨日を上回る厳しい寒さが襲来し、一週間前に訪問し紅葉を楽しんできた高山市の飛騨の里の雪化粧の写真が夕刊の一面に掲載されてきた。

 新聞報道によれば、この冷え込みは今季一番と報じられ、名古屋での初霜、初氷が観測され、気象台によれば初霜は平年より5日早く、初氷は平年より13日早いと記されている。こんな日とは知らずに、10日ぶりに会報配布に出かけたが、冷えた身体が帰宅後にも温まらず、身をもって寒さを実感する一日ともなった。

 津島市の天気 http://www.so-net.ne.jp/weather/pinpoint/view_point.cgi?city=23208

 さて、上高地や四国に出かけ続けていた事から、今後の日程は厳しい毎日を迎えているが、綱渡りの日程の中で人と約束してあった案件が『待ち人来ず』の状態で、会報配布のボランティアはこんな寒さの中でもあり、私自身の仕事と割り切れるものの、23日に迫った旅行会の打ち合わせに訪れる筈の旅行社の担当者も来ないどころか連絡もなく、家族の一大事の相談と対応が約束してあった人については、そんな事で良いのかと当方の心配が馬鹿らしく思われてくるが、当方の不在を考慮されている可能性も考えて明日へ先送りと考える事にした。

 しかし、久し振りの事務所の留守番で、いかに多くの電話が我家に届けられているかを実感した。そしてほとんどが我家の金運につながるどころか、苦痛とストレスを与えるものが多く、早朝より家内へのボランティアの依頼については、ボランティアである事は間違いがないが、自発的なボランティアが役務的になっている現実を感じさせられた。

 又、23日の旅行会についても、体調不良や都合が悪くなった不参加は何とも思わないが、「都合が悪くなったので参加を取りやめます」との簡単な一言は、満席のために申し込みを断った人も多い現実と、参加できなくなった代役の参加者を捜して連絡された人もある事から、世の中の非情さ(明暗)も味わう事となった。

 久し振りに出向いた珈琲屋のマスターに、「あんた、今度は自転車に乗るんだって?」と問われ、21日に予定されているバリアフリー検証会が巷のウワサにされている現実から、「その場で考えれば良し」とした場当り的で無計画な対応への反省する事しきりでもある。

 明日の朝も寒そうである。真冬の対応をするとともに、風邪をひいたつもりでの生活をしないと、空きのない日程の消化に大きな穴をあけそうでもある。
                                  11月19日の一言

横井庄一記念館の一日

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 本日は冬のような厳しい寒さとなりました。横井記念館の門の西側にある山茶花(サザンカ)が咲き、香りをはなっていますが、庭師の剪定が終ったこともてつだって、庭も冬の様相となってきました。

 さて、肝心の記念館ですが、ボランティアも同行しての留守番ですが、来館者がなくとうとう本日は一人だけの訪問となり、開館以来の珍記録となりました。それでも一人あっただけでも救いですが、今後はこうした事も増えていくと、私は(不謹慎ですが)私用の仕事がはかどるものの、案内役のボランティアは世間話のみとなってきます。

 午前9時半に自宅(ボランティアはその前に我家に到着)を出発し、10時の開館から午後4時30分の閉館まで、まるで昼食(持参です)を食べに出向き、3時のおやつを出してもらって帰るようでもあり、記念館の庭や廻りを歩いてみても何も変わった事はなく、山茶花の薫りに気づいた次第でもありました。

 「記念館が存在するだけでも良い」と言う人もありますが、80歳に手が届く館長(横井夫人)の年齢を考えると、恒久的に続けられる仕組みと対応を考える限界にきているのでもある。
                                 11月18日の一言
横井庄一記念館のHP http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage201.htm


 

四国遍路の残像

 四国から頭を切り替えて、やるべき仕事に励むつもりであったが、朝から四国行きに使用したレンタカーを一宮市まで返却に走り、知人に帰りの足を依頼してあった事から、お礼のコーヒータイムの話題が四国遍路になってしまい、「四国の別格二十霊場だけを企画して欲しい」の一声で四国のぶり返しである。

 しかし、今回の遍路でも四国の高知県の海岸ぞいから愛媛県まで廻った事から、3日間の走行距離は1千765キロに及び、ガソリンは180リッターも要したのである。
 別格二十霊場は20ケ寺とは言え、四国四県を一周する行程だけに、3泊4日は必要と思われるとともに、一ケ寺ごとの距離が離れているために、運転手の苦痛は八十八ヶ所以上に苦しい事は間違いがない。

 四国を走る車に乗せられ、二十ケ寺だけの巡拝は単調ゆえに、弘法大師ゆかりの地を組み入れるとか、観光名所にも足を運べば日数はかさみ、あれもこれもと言い出すとキリがなくなり、「どうせらなら、八十八ヶ所と一緒に」となってしまうのである。知人は二十霊場を廻った仲間から二十霊場の念珠を見せられ、どうしても手に入れたいのである。

 .「マイクロの運転は厳しいからなァ」と言うと、「なーんで、8人乗りで良いだろう」との返事である。「それなら、あんたの車でどうだ」と言うと、「二人では淋しいだろう」と言う。「じゃー、どうやって誘うの?」と問うと、「今回はどうやって誘ったの?」と言葉が返ってきた。

 今回は8人で巡拝しているが、参加希望者はマイクロバス程度あったものの、日程の都合もあり参加できない人があり、不足分を募集する事無く一台で廻っているが、20人を募集するよりも数人を誘う方が声をかける人選が難しく、「じゃー、誰か行く人はあるのか?」と問うと、「誰も無い」との返事で、私自身は『般若心経』も読まない人々と、観光気分で行く気持ちは持ち合わせてはいないのである。

 ただし、来年は『週末遍路』に挑戦する話があり、月曜日か金曜日が祝日の場合の三連休を利用した四国遍路に参加したいとの声があり、週末には議会の日程はないため現在検討中であるが、過去の遍路で50人を超える人々と同行している事から、「同窓会」的な企画として別格二十霊場も悪くないとは思っているのではある。

 さて、明日は「横井庄一記念館」の一日となる。会報の未配布も残り、21日と24日はバリアフリー検証会があり、23日には朝日旅行友の会の京都行きと家を空ける日々が続く。22日の代表者会に続き、再来週には12月議会の日程が始まり、四国の残像に浸ってはおられない現実が迫ってきた。
                                11月17日の一言

四国遍路第三日目

 火曜日の夜に出発し、本日の夜10時半に四国遍路の旅より津島市に帰りました。今回は高知県の第31番竹林寺から始まり、愛媛県今治市の第59番国分寺までと、別格二十霊場は5番より11番まで巡拝しました。

13日・夜11時半に津島市を出発、高知市到着は午前6時15分頃。
14日・第31番竹林寺から第39番延光寺までと別格5番、宿泊は40番門前旅館山代屋
15日・第40番観自在寺から第45番岩屋寺までと別格6番7番8番、宿泊は松山市権現山荘
16日・第53番円明寺から46番浄瑠璃寺まで逆ウチして第59番国分寺までと、別格9番10番11番まで巡拝し、午後4時より帰路につく。伊予小松ICから高速、途中与島PAで休憩し、西宮名塩SAで夕食後は羽島ICから津島市まで休憩なしの強行軍。

 最終日の本日は、第47番札所八坂寺で四国霊場を132回目巡拝中の四国八十八ヶ所霊場会公認先達中尾敏男氏とクマノご夫妻と出会い、錦の納め札をいただく幸運に恵まれた。
 反省点も多い。過去の巡拝から蓄積された遍路メモを持ちながら、人の意見に惑わされ、二日目の巡拝に若干の遅れが出た事と、別格11番生木地蔵では前回に聞いて訪問しているものの、今回も聞かなければ行かれなかった事である。

 四国も高速道路網が拡大され、古い地図帖や記憶だけではなく、寺の位置関係から順番にこだわらなければ、かなりのスピードアップが可能となりつつある。ただし、初日の夜行から仮眠も無いままでの巡拝はそろそろ体力の限界が訪れる事が予想され、今後は見直していく必要もあろう。

 さて、明日からは空白の3日間の影響で、地獄の週末から過密な一週間となりそうである。しばらくは地に足がついた行動に徹していきたい。
                                  11月16日の一言
追伸 第47番八坂寺で出会った公認先達徳島県の中尾さんご夫妻と私。二人一緒に132回も巡拝とは尊敬と目標となるお二人でした。

http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_hobby/67938730.htmlへ転載しました。

四国遍路第三日目

 写真は松山市にある第51番石手寺の本堂前に置かれた『たのも舟』です。人々の祈願が寄せられていました。

四国遍路第二日目

 本日は、愛媛県の第四十番観自在寺より、四十五番岩屋寺まで巡拝しました。(別格は六番から八番まで巡拝)
 雑音もあり、私の考えを封印しましたが、そのことによって四十七番までは巡拝する予定が、岩屋寺で終り、宿泊地の権現山荘まで走る事になりました。有料道路が整備され、愛媛県も高速を使えばスピード遍路が可能になりました。ただし宿の温泉の泉質と見晴らしが良く救われました。
 写真は、岩屋寺本堂横のハシゴを登った金剛界峰(岩屋)の上からの景色。

四国遍路第二日目

 第四十五番岩屋寺です。

追伸、携帯のカメラの写りが悪いので、岩屋寺の紹介を添付しておきます。http://www.nbn.ne.jp/~club88/0145.htm

四国遍路第二日目

 別格8番十夜ケ橋の下の、弘法大師像です。川にはエサを求める丸々と太った鯉とハトが待っていました。このように橋の下で野宿された弘法大師を偲んで、四国遍路では金剛杖を絶対に橋の上ではついてはならないと言われています。

追伸 十夜ケ橋の下で、エサを奪い合うコイとハトの写真を添付しました。

四国霊場第一日目

 昨晩十一時に愛知県を出発し、本日は高知県高知市にある第三十一番竹林寺から、宿毛市の第三十九番延光寺まで巡拝しました。別格は5番大善寺を巡拝。
徹夜から午後五時までの運転は堪えました。
写真は朝日を浴びる早朝の竹林寺の大師堂と五重の塔です。
転送された電話から多くの用件が届けられましたが、四国からは何ともなりません。

追伸 高知県竹林寺の日の出と、愛媛県の夕暮れの写真を添付しました。

四国遍路への出発を前にして…

 今晩の11時から四国の高知県に向けて出発します。「またー、四国かァ」と朝の訪問客に言われたが、私にとっては計画どおりの行程で、今回は高知市にある第31番竹林寺から、愛媛県の第60番横峰寺あたりまでを目標に巡拝予定を立ててあります。

第31番竹林寺 http://www.nbn.ne.jp/~club88/0131.htm  
第60番横峰寺 http://www.nbn.ne.jp/~club88/0160.htm

 さて元気な人ほど自分の体力を過信し、病気や事故によってとんでもない人生を送る人も多い。私の三年先輩で、15年ほど前には学校は違うものの、PTA役員として一緒に活動し、その後も私個人とは親しくしていた人が外傷性の脳内出血により寝たきりとなり、名古屋市内の病院から行き場を探すため家族が奔走されている。

 「津島の人間だから、なぜに津島市民病院に入れないの?」と素朴な疑問を感じるものの、医療制度の狭間でリハビリで在宅の可能性は高いと思われるものの、療養型の施設しか紹介されない現実が立ち塞がっている。

 紹介された施設では車イスも使えず、ベットに寝たきりの条件での入床となっているが、医師の書き示した医療情報報告書には、「マヒの程度は高くない」と記され、家族の話では両手でバンザイもでき、両足も動くために車イスから立ち上がろうとして転倒したり、医療機器を取り外そうとしたりして病院に困られている様子がうかがえた。

 しかし、医療現場では動ける患者は目を離せない事から、事故を防止するために患者が動かないようにする事が多く、この知人も現在ベットに縛り付けられているのである。名古屋でも指折りの大病院でもそんな状況にあり、ここから紹介される病院はリハビリに励んで在宅に導くものではなく、療養型の永久に寝たきりになる可能性の高い施設で、50代にして介護保険による生活となるのである。

 もっとも、本人の不摂生が重病を呼び込み、その後も止められない『酒』の魔力により、一日中が酔っ払ったような状態が続き、私の7月6日付けの一言に「バカな事聞くな!」と一喝され…と記した知人でもある。 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/22266861.html

 依頼された仕事の現場で倒れ、頭を打ち付けて現状に至っているが、重病後にもかかわらず止められなかった酒と、その酒に頼らざるを得なかった面倒見の良い地域の兄貴分としての存在が、酒の苦労が続いた家族に理解されず、困った親父として見られている事が仲間として淋しさを通り越し、悲しくなってくる。

 「おい、5千円もらってないけど」と、地元の中学校の同窓会に協賛してくれたお金を請求したい心境だが、言って理解でき元気になるのであれば請求するが、それもできない淋しさを仲間として実感する。酒を酌み交わし、一晩中彼の好きなビートルズの話をした頃が懐かしく、月日の経過の速さと残酷な現実を痛感せざるを得ない。

 今晩から週末まで四国遍路となるので、来週早々に家族と病院に出向く約束をしたが、「そのうち…」と四国遍路を笑う人々に、「あの時行けば良かった」との言葉をもらう事も多い。代参を依頼された人々の分と、この先輩の祈願も含めて朗報が聞けるようになりたいと思う。
                                 11月13日の一言

身も凍る一日に

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  本日は愛知県でも冬を思わせるような天気となり、昨日訪れていた上高地から寒波をそのまま持ち帰ったような一日となりました。
 毎日汗を流してみえる方々には申し訳ない事ですが、明日の夜からは四国遍路のため、日中に相談されている案件や、会報の増刷などを済ませてからの出発になります。本日は手抜きですが、昨日の上高地の様子を写真で添付して、徹夜にならないよう仕事を終らせたいと思います。

写真上から、明神館前の小梨の真っ赤な実、夏の樹木からは想像できない美しさです。
2枚目、明神橋から望む明神岳、雨のためにかすんでいますが雪まみれです。
3枚目、明神池のマガモ、静寂な白黒の世界で心なしか淋しそうに見えます。
4枚目、紅葉する梓川のオノエ(?)ヤナギと雪を抱く穂高連峰、雨間の一瞬の光で撮影です。
5枚目、梓川ぞいの小梨平・カラマツの落葉のじゅうたん。日本で唯一落葉する針葉樹です。
6枚目、雨降る河童橋を渡る観光客、身も凍る寒さに夏の賑やかさはありません。

 激しい雨と身も凍る一日でしたが、本日は上高地だけでなく、高山市にも激しい雪が降ったとのニュースが流れました。
                              11月12日の一言

四日市での息子(自転車)

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11月4日に四日市市で開催された「第3回全国ジュニア自転車選手権」での息子(三男)の写真です。私の初観戦と撮影です。
ゼッケン8番の紫のユニフォームが息子です。

土産

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 いわなの里『琴水苑』完熟とまとジュース(本日のいただき物です)

 下の写真は琴水苑全景といわな(今夏撮影)です。飛騨高山市(旧丹生川村)周辺で、山菜取りやキノコ狩りを所望する人はここで紹介もしていただけます。山ぶどう酒や薬味など販売もされていますので、通られた方は是非立ち寄って下さい。

琴水苑 岐阜県高山市丹生川町根方528 電話0577-79-2506

本年最後の上高地

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 本日は早朝より土砂降りの雨の音で目が覚めた次第です。こんな中での上高地入りは最悪ですが、8時には宿を出発し、安房トンネルをくぐり9時には上高地へ到着です。

 「こんな雨で、何時までいるの?」の声が車中から漏れてきましたが、「明神池まで行ってくる」との当方の声で、「それまで何をしているの?」の質問となり、「河童橋のたもとで珈琲でも」と答え、「何なら帝国ホテルにでも下しましょうか?」と言っても、土砂降りで誰も降りる気配なくバスターミナルに到着です。

 バスターミナル2階の村営食堂でモーニング珈琲となりましたが、「せっかく来たのだから」との私の言葉で、私を含めて7人が明神池まで足を延ばす事となりました。
 「せっかく」の言葉に同調したのは良いが、足元は水たまりばかりの行程で、途中の小梨平アルプス観光のケビンは閉鎖され、1時間後に到着した明神館も板が打ち付けられて既に冬季閉鎖をされていました。(写真は明神館前です)

 幸いにして、明神橋をわたり、明神池に到着する頃には雨もあがり『穂高神社奥宮』に参拝し、各自はそれぞれが写真を撮ってから皆の待つ河童橋を目指します。昼前に到着しましたが、気温は5度以下で指先が冷たくなったものの、夏とは違って汗もかかずに快適なハイキングである。

 ここで残った人々と合流し、私のお薦めのホテル白樺荘にあるレストラン『小梨』で昼食タイム。私はこだわりの地があるので、昼食はとらずに別れました。
 しかし、山の天候は気まぐれで、雪を抱いた穂高連峰が姿を現し、カメラポジションを捜していると既に雲に覆われ、梓川の河原の木々に太陽がまぶしく降り注ぎ、カメラを向けると灰色の世界の繰り返しであった。上高地は今週で閉鎖となり、4月末まで閉鎖となる。

 さて、このままに素直に帰る訳がなく、私のイキツケのイワナの里『琴水苑』に電話する。実は昨日にも電話がしてあったが、こんな土砂降りの雨では営業をしているとは思えなかったが、どうやら私達のために待っていてくれたようである。
 「おーい、こっちに来る手前の旗鉾郵便局の30メートル過ぎで上を見てみてくれ」、「えっ、何ッ?」、「こっちに着いたら話すから」と折り返しの電話である。

 見上げると大きな新築中のロッジ風建物である。商売ではないがどうやら来年には知り合いには貸してもらえるそうである。13匹のイワナを注文したのに20匹位焼かれている。「これは〇ービス」らしい。「これ飲んでみやァ」と「山ブドウ酒」や「梅酒」、「トマトジュース」も振る舞われた。

 「大鹿さん、これ持っていってくれゃー」、「いや、いや、もう十分だから」、「おい、オレにハジかかせるなゃー」と言って無理やりのようにいただいたのが、天然の完熟トマトジュースである。http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27346998.html 私にとって、この辺り(旧丹生川村)は近所付き合いのできる場所でもあり、心休まる場所でもあり、来年の再会を約束して帰路に入った。津島市到着は約3時間後の午後6時。休憩を2回もしての時間だけに近くなったものである。
                                   11月11日の一言
 

久しぶりの奥飛騨

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 本日は神守丈友(書道会)の会の親睦会で高山市に寄り、平湯温泉に宿泊しています。(私の運転するマイクロバスで15人の旅です)

 添付した写真は、高山市にある『飛騨の里』での写真です。国指定の重要文化財が保存され、週末には各屋内で手織りや屋根板づくりが実演されているが、これも今週を最後に、来年4月まで冬季はお休みになるとの事でした。

 宿泊は平湯温泉「山荘 湯乃里」です。http://www.sanso-yunosato.com/

 明日は、上高地に入り、私は明神池まで足をのばす予定ですので、天候が気になるところです。

明日と明後日のみが天候不順とは

 二年ぶりとなる書道会(神守丈友会)の一泊旅行を控えて、岐阜県高山市や長野県の上高地を目指して明日早朝より出発するが、たまたま明日と明後日の天候が良くないのである。

 目的地が山の丘陵地であり、上高地は標高1500メートルにあり、こちらより温度が約10度ほど低い事を考えると、厳しいというよりもひじょうにもったいない旅行となりそうでもある。ただし、平湯温泉に宿がとってあり目的地を変える事もできず、本日は夕方から明日利用するマイクロバスを知人と引き取りに行ってきた。

 しかし、文明の利器であるカーナビが今まで使った事のないタイプで、自宅に戻ってから必死に解説書を読み漁ることになったが、それでも実際に使ってみないと判らない状況にある。私はこういうのが大嫌いなのでもある。

 「お父さんなら大丈夫、大丈夫」と家内が言い、「そうー、なら良いけど」と知人は言うが、家内はどうせ私が決まり決まった場所しか行かない性格を皮肉っており、どうやら知人もその事を知って知らぬふりをして相槌を打っている様子である。

 「おい、あんたは焼き魚は好きかな?」と知人に問うと、「えっ、なんでッ?」、「食べないの?」、「いや、好きだよ」の言葉に、「じゃー、明日は寄ってみようかな」と言うと、「やっぱりナ」と知人は笑っている。

 「だってー、もう何度も行ったじゃないのー」と知人も呆れ顔であるが、高山市の旧丹生川村には『琴水苑養魚場』があり、私はここが養魚場から客用に営業を開始して一番ではないが5人目以内に訪問し、主人と意気投合するだけでなく、けしかけ持ち上げどんどん施設を拡張してきた「化石的お客さん(主人の言葉)」なのである。

 8年ほど前からの付き合いであるが、何度も訪問するだけでなく、初雪の日の突然の訪問に靴下を借りた事もあり、鍋に満載のキノコを出してもらったり、ニジマスの刺身をサービスされたりと商売抜きなのでもある。こうなると観光客ではなく、近所の人が戻ってきたような応対となり、それが私にはたまらないサービスなのでもある。もっとも、私に付き合う家族や知人には、「またかーッ」の溜息ともなってはいるのであるが。

 さて、便利になって目的地の天気が自宅から検索できるが、明日と明後日の天候はどこも同じのようで、高山市と上高地と地元の天気予報を眺め続ける一日となり、変わらぬとは思うものの、再度見直したくなっているのである。これだけは、私の思い通りとはいかず、参加する15人の意向を最優先させたいと思う。
                               11月9日の一言

高山市の天気  http://www.so-net.ne.jp/weather/pinpoint/view_point.cgi?city=21203
松本市の天気  http://www.so-net.ne.jp/weather/pinpoint/view_point.cgi?city=20202
津島市の天気  http://www.so-net.ne.jp/weather/pinpoint/view_point.cgi?city=23208

月面を眺めて気分転換に

 自民党と民主党の大連立構想は、民主党の小沢代表の説明にならない謝罪会見から続投が決まったが、政権を投げ出した安倍前首相や国の将来を左右する人物の不可解な行動が、世の中の乱れを象徴しているように思えてならず、防衛庁元幹部との結びつきの深い商社幹部の逮捕により、新たな全容解明が待たれるところでもある。

 又、福田新内閣の足を引っ張るための発言としか思えない、鳩山法相のアルカイダ発言にも民主党が究明チームを立ち上げて国会で追求していくらしいが、我々地方議員からは遠くて会うこともできない政府の要職にありながら、あってはならない発言が続き、問題となりそうな久間元防衛相は入院中である。

 政府の乱れは国の乱れにつながり、佐賀県では入院していた男性が拳銃で撃たれて死亡し、長野県からは24歳の女性が自宅で首を切りつけられて殺されたとの報道が伝えられている。
 食品の偽装事件は、赤福餅から三重県の食品会社すべてと思われるように偽装が発覚し続け、いずれは愛知県や全国の菓子や食品メーカーにも波及が確実と思われてくる。

 さて、物騒な事件や不正な行為ばかりが新聞紙面を飾る中で、「ハイビジョン月面に迫る」のタイトルで、月探査機「かぐや」が高度約160キロからハイビジョンカメラで撮影した月面映像が公開され、本日の夕刊に写真が掲載されており、その隣りには国際宇宙ステーションの準備にあたっていたスペースシャトルが帰還したとの記事を見つけた。

 今月23日に予定している朝日旅行友の会では、かぐや姫伝説の残された京都大原野を訪れるが、こちらも出発の半月前にも関わらずバスが満席の申し込みとなり、例年には今頃から募集を開始して出発間際までストレスを溜め込むが、これからは断りのために溜息をつく日々を迎えそうである。

 IT時代になり、パソコンの画面から知人の家々を宇宙から眺められるようになっているが、本日は月探査機「かぐや」の送ってきた映像を眺めながら、社会の騒々しさを忘れてみたい。
                                  11月8日の一言
月の動画が見られるサイト http://www.jaxa.jp

追伸 月の表面を眺めていると、月面に墓地を造成して一儲けしようか(これも暗いアイデアですが)と思っちゃいました(笑)。

市民の厳しい批判にさらされて

 過密なスケジュールとなっているが、本日は早朝(と言うより深夜か)より会報を配布し、日中にボランティアで配布をして下さる会報を折り込んで、そのまま9時から市役所で開かれた各派代表者会に出席した。

 この各派代表者会については、昨日開催された経済建設委員会の時点では開催が決まっておらず、事務所のファックスに受信している事を確認したのは、昨晩の深夜になってからの事であった。

 協議事項には「職員の不祥事に伴う懲戒処分について」と記されており、先月に女性から現金を脅し取ろうとして恐喝未遂容疑で逮捕された市職員が、5日付けで懲戒免職処分になった事に関する協議であった。
 事件については10月24日の一言を再掲しました。 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/26724335.html

 この事件については、逮捕された職員が現職議員の子息であるために、私宛にも匿名のメールだけでなく、実名をあげた市民や市職員からの訴えも届き、事件に関係のない教育関係者からも、別の案件について批判が寄せられており、本日開催された代表者会でも市長をはじめ行政や市議会議長に寄せられた市民の手紙も回覧された。

 逮捕者が現職議員の子息だけに、該当議員に対する市民の責任追及や批判は当然だが、市民の手紙からは我々議員に対する不信感や、何ら動きがないことから、市議会の一般質問についても批判が及び、子息が懲戒免職になったものの公職にある議員としてのケジメがないと市民の信頼は回復できない厳しさを痛感している。

 市民感情からすれば、同居する子息が犯した恐喝事件ゆえに、親の議員辞職を求める要望は当然のようでもあるが、地方自治法によれば今回の事件では該当しないとの事である。

 地方自治法の中で『議員が身分を喪失する条件』については
’ご鐱?察´議員辞職 死亡 そ鑅(議会内の不祥事に限られる) ト鐐挙権の喪失 Ψ鷽Δ魘愡澆気譴真Δ悗僚⊃Α´Х鷽Χ愡澣定への抵触 選挙の無効又は当選の無効確定 住民による議員解職請求による解職 住民による議会解散請求による解散 不信任決議に基づく長による議会の解散 議会の自主解散 廃置分合による議会の消滅等が記されている。

 しかし、私に寄せられた手紙には、「子供が恐喝で逮捕された議員に辞めろと言えない議員が、議会で何を偉そうに発言できるか」と記されていた。同様の手紙が市長や議長に多く寄せられている事からも、法律論議だけではなく議員の道義的責任は勿論であるが、このままでは我々の議会での質問にも支障があり、「他人事」では済まされない状況にある事を改めて実感している。
                             11月7日の一言

趣向の違いにストレスを溜めて…

 今週末の話だが、毎週火曜日に開催されている書道会『神守丈友会』のメンバーを中心にした一泊旅行を計画し、マイクロバスで平湯温泉に宿泊し上高地や高山市を訪れる計画が立ててある。

 ただし、直前になって都合が悪くなる人が続出し、本日の書道会終了後に集まって再度の確認におわれたのであるが、指導する後藤先生には内緒での企画だけに、声を大にして相談する事もできず、土壇場で苦戦する人の募集となっている。

 指導する恩師に内緒での旅行は不謹慎かもしれないが、恩師は昨年に胃がんの手術を受けた後、再発を防ぐために時々抗がん剤の投与を受けられており、今春には食事後の不具合で腸閉塞の手術を受けられ、半月前には柿の木から落ちられてろっ骨が2本折れているとの事で、メンバーの一人である看護士さんの助言から、聞けば参加されたがる事から内緒になっているのである。

 元々、隠してまで行きたいとは思っていなかったが、元来の会の趣旨が書道のかたわらで旅行や食事会も目的としており、恩師の手術によって昨年は中止となっていただけに、本年最後のタイムリミットの企画であり、私自身はその前年の旅行日が後援会長の葬儀と重なった事から、3年ぶりの参加でもある。

 さて、この旅行が済んで2日目の夜から3日間の四国遍路の日程が組んであり、23日には観光バスによる京都洛西への日帰りバス旅行が組み込んである。
 「大鹿さん、年末の買い物ツアーもやってよッ」と、声を大にして叫ぶ人たちもあるが、料金は激安でも年末の一日は厳しい日程をより厳しくする事から、「今年はやりません」と宣言してあるが、大晦日の京都行きは中止にできそうもない。

 今回の目的地である上高地は、書道会のメンバーが私の上高地好きを承知で選択した感もあるが、私の上高地行きとは若干趣向が違う事から、周りの人に声をかけたものの、気がすすまない部分もあり、人集めに苦慮している感もある。そもそも、上高地と温泉の組み合わせが気に食わない。

 本年8月の一言に、「上高地・光と影」(8月28日分 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/24510022.html)と題した一文を記し、8月26日に起こった登山者の事故を論じてある。同郷の登山者の死に哀悼の意を表した上高地行きとして、私は明神にある穂高神社の山岳事故犠牲者慰霊碑まで足を延ばしてみたい。
                                11月6日の一言

小沢個人商店の限界か…

 連休で外出する人も多い中で、国政を揺るがす大事件が起こっていた。昨晩からテレビは民主党の小沢代表の辞任発言から、特別番組まで組んで深夜まで放映されていた。

 テレビから流されてくる情報が頼りであったが、本日の新聞各紙の報道によって大まかな背景が浮かびあがってきたが、「連立急ぎ孤立」とか、「大連立ありきの誤り」など、どれもが小沢一郎氏にとっては厳しい内容で、朝日新聞の社説では「政権交代は偽りだったのか」と題して、「無責任な投げ出し」とか「政治が劣化している」と記されている。

 突然の辞意表明だけで、事の真実が見えてこないが、先日の福田首相と大連立を含めた党首会談の結果が尾をひいており、民主党の問題ではあるが今後の一日一日の動きから目が離せない状況が続く。党首会談や今回の辞意表明が密室の中で決められている事から、今回の一連の顛末と真意を正確に公表する事が責任政党として求められなければならない。

 ただし、今回の大連立問題だけでなく、政策協議そのものにも民主党の幹部は反対の大合唱であったが、大連立は別としても政策の協議については、現状の衆議院と参議院のネジレによって何も進捗しておらず、この状態が続けば日米関係や国際関係だけでなく、いずれは国内の諸問題から国民生活に影響する事は必死であり、私は批判の多い小沢一郎氏の行動に理解を示したい。

 哀しいのは、民主党の幹部たちの言動で、国民の声を身勝手に解釈している点である。国民は本当に民主党を国の政権を託せる政権政党として認めてはいない。今夏の参議院選挙の大勝についても、民主党の支持よりも安倍政権と自民党への批判票と、反省を促す意思表示の可能性が高く、本当に民主党を政権政党として評価した結果ではない事である。

 むしろ、今回の小沢騒動では、当初は反対と小沢批判の大合唱が、小沢氏の辞意表明から一転して、小沢続投で進もうとする民主党の現状は、国の舵取りとなる政権政党との基礎すら備わっておらず、突然に首相のイスを投げ出した安倍政権の後を何事もなかったように着々とすすめた自民党とは、小沢個人商店と福田上場企業との大きな違いを見せつけられたように思えてならない。

 又、最近のテレビ討論などからは、本来は何ら違いのない組織が、主導権を握るために無理に政策の違いを強調し、真の理想とは程遠い発言がなされているような気がしてならない。小沢氏の発言にもあったが、二大政党の中では、野党の立場でも目的とする政策実現を果たす事も重要で、対立ばかりで何も実現(進捗)しない現状の反省も重要と思われる。

 国民の生活に直結する諸問題について、愚作については将来の選挙で信を問うより、与野党で愚作を作らせない議論を展開し、総意で良案を可決してもらいたい。今はそのためには良い環境でもある。
                                  11月5日の一言

横井庄一記念館に残された一言

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 本日は朝から町内会の水路清掃が実施され、終わりを待って10時に開館する名古屋の横井庄一記念館に走り、午後から三重県ま四日市市で開催されていた自転車の「全日本ジュニア選手権」に出場する息子を(記念館には内緒ですが)応援をした後に、名古屋に戻る強行日程となった。(写真はゴール付近の私)

 息子の参加する姿ははじめての観戦で、カメラを持ち込んで構えていたが、必死で走ってくる選手達の後方を笑みを見せて走ってくる姿にはガッカリであったが、その分だけ写真もバッチリと撮れた(と思うが)ので、結果が楽しみでもある。

 肝心のレースは散々なものであったが、「転ぶといけない」とロード用のヘルメットでなく、一人だけ競輪用の大きなヘルメットをかぶって走った体調を考えると、「ケガなく良かった」と考えるべきか。来年春の小倉競輪場で行なわれる選抜大会に結果は先延ばしにしたい。

 さて、朝に顔を出し、閉館間際に戻った『横井庄一記念館』の方も、来場者こそ少なかったものの、九州や高山、大津と遠来の人々との心温まる交流が残された事で、最近では記念館を空ける事が多く心苦しい心情が少しは救われた気持ちにさせられた。

 本日残されたコメントを紹介すると、北九州市八幡区のHさんと共に訪れた中川区運河町のMさん夫妻から「戦争のないさん平和な世界になります様に」と記され、大津市際川から来られたYさんは「生きる知恵に感動した。戦争の無い世界を祈る」とコメントを残していただいた。

 一週間前に訪問された豊川市西口町のMさんは「心のこもった説明ありがとうございました。生かされているんだと言うことを心にとめ、精一杯生きていきたいと思います」のコメントが残されていたが、何もないように感じる記念館から、生きていく気力を感じていただいたとしたら、ボランティア冥利につきるのでもある。

 今年の春から『記念館』のホームページが消えたままになっており、次の当番日である二週間後までには専用のブログかHPの表紙くらいは復活させたいと思って帰宅したものの、あまりの忙しさと新規の仕事が舞込んだ事と、来週はほとんど家を開けている現状から苦しい展開が続く…
                                  11月4日の一言

明日は走り回る一日に

 「夕刊が来ないぞッ」と新聞受けを確認し、念のためにポストを確認し、家内に販売店に連絡をさせるも、電話が通じず、配達人の事故かと心配したり、販売店の怠慢かと通じない電話を廻しつつ夜を迎え、本日が祭日である事をはじめて気がついた。

 土曜日とばかり思っていたが、祭日とは思いもよらず一日が経過してしまったのである。明日は早朝より町内会のドブ掃除があり、午前10時からは名古屋の横井庄一記念館の留守番日となっているが、三男の自転車ロードレースが四日市である事から、昼前には記念館まで知人が迎えにきて、皆には内緒で抜け出す手はずになっている。

 ただし、肝心の三男の体調は最悪のようで、一週間前に腕の骨にヒビが入り、足も重いとの事で絶不調の様子のため、私達が行く事も内緒であるが、二年前に自転車競技を始めて一ヶ月後の姿を豊橋競輪場で見ただけで、最近の様子は勿論の事、ロードレースを見た事もないので楽しみでもある。

 体調は最悪でも監督から「手抜きはするなッ」と厳命されているらしく、結果にも期待したいが、来年には全国大会の出場権も得ている事から、事故や落車のない事を願いたい。

 さて、明日は名古屋の熱田神宮と三重県の伊勢神宮までの8区間をつなぐ『全日本大学駅伝』が開催される。8年前までは毎年主催する朝日新聞社の第一中継所付近の設営と後片付けに出かけ、平成8年からは長男が中央大学の陸上部(走り高跳び)に所属した事から、我が母校の応援から息子の学校の応援に切り替え、早朝より出かけていたのが遥か昔のように思えてならない。

 明日のドブ掃除には、津島市の上水道につながれる以前から使用されていた『簡易水道』の消火栓の水を拝借するが、この消火栓を利用して地域で簡単に初期消火できるように、現在の水道では使われていない小口径のホースを集めていた。

 これが中々集まらなかったが、町内から一宮市の消防本部に勤務する先輩に話したところ、破棄される物ではあるが十分に使用に耐えうるホースが2本見つかり、ホースの先につける『カンソウ』と呼ばれる部品が見つかりしだい、地域で使用できる長さが確保されてきた。地域のドブ掃除が消化訓練に変わるのも近そうである。
                             11月3日の一言

食べられないと食べたくなる…

 食品の賞味期限切れで高級料亭「船場吉兆」が菓子を偽装販売していた事が問題となっているが、いつも利用した事のない店だけに批判する気持ちも湧かず、その前に問題が発覚した「赤福」については、販売されていないと思うと無性に食べたい気持ちと、同時に胃液まで湧いてきそうな心境となってくる。

 本日はアメリカの『ひとりごっちinUSA』さんの8月のブログから発信された「赤福餅」の写真を思い出し勝手に添付しました(すいませ~ん)。
ひとりごっちinUSA http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/15/6e/hitorigottchin/folder/476718/img_476718_35413535_0?1187005912

 しかし、大好物の赤福餅が売れ残りを再処理された物だったとは思いたくないが、家で食する赤福餅はもらった物がほとんどで、美味しく食して文句をいう立場とは思えず、伊勢神宮の直売所で直接食べた物にも満足しているので、早期に改善して正常業務に移行して欲しいと思っている。

 こんな擁護するような一言を記すと批判されるかも知れないが、元々が食品とはそんな物であり、私の子供時代にはカビの生えたモチでも親に「大丈夫」と言われて食していたのである。もっとも、私は食べる物にはコダワリがあり、漬物についても製造段階の様子から見た目で食しないし、酒の杯の回し飲みも大嫌いなのではある。

 ただし、私の悪い癖である「好物を最後まで残す」性格では、添付された賞味期限が改ざんされていると、とんでもない事態が想像できる。そんな失敗談も多い。

 京都の漬物「千枚漬け」を大量に買い込んで新婚旅行の土産にしたが、漬物は腐らないとの誤解から、世話になった恩師達にも随分遅れて配布した事があり、自身で食した際には既に味が変質しており食べられず、後年になってから恐る恐る聞いたところやはり変質していたようである。

 15年ほど前の話だが、防腐剤の入っていない「ういろう」を買い込み、一ヶ月ほどしてカビ臭いと思いながら食べた事もあった。これも、店に聞いたところ、夏場は3日以内には食して欲しいとの代物を、一週間ほどしてから恩師にも渡してあったのである。

 さて、食べる側と売る立場では責任が違うが、時代とともに衛生状態が改善され、関係機関によって厳しい規制を設けたものの、食品の製造現場の意識が変わっていないのではないか。
 現実に食べられる物を捨てるのはもったいなく、飢餓に苦しむ国々の人たちを見れば、矛盾を感ずるものでもあるが、美味しい物であればあるほど捨てがたい気持ちとなる。

 このあたりを正直に販売に生かせないものだろうか。「先代から継ぎ足したタレです」と、名物店のオヤジさんがテレビで堂々と語り、案内人も感嘆の声を上げるが、これこそ何が入っているのか判らないのに問題にもなっていない現実がある。

 赤福の会長の引退が報じられ、創業家の経営に対する批判も報じられるが、今から三百年前に創業した老舗だけに、マスコミの批判に惑わされず、確実に歴史を継続できる経営改革を断行するとともに、早期に販売できる体制を築いて欲しい。「早く食べさせて下さ~い」
                              11月2日の一言
 「頼めば鬼も人食わず」鬼のような人情のないものでも、頼めば人を食ったりはしない。まして、ふつうの心をもった人に頭を下げて頼めば、けっしてむちゃなことをするものではない。「鬼の目にも涙」、謝罪して出直して欲しい。

ヤフーブログに移動して一年が経過し…

 毎日の繰り返しが本日より11月となり、日時の経過の早さにびっくりしています。本日の一言については平成16年2月より始めていますが、パソコンの不調から昨年11月よりこのヤフーブログに移動させました。

 改めて一年前の一言を読んでみると、全く今年と同じであり、昨年の本日は遅れた会報の印刷をしている最中だったようで、間近に近づいた旅行の案内の遅れを必死に取り戻しつつある現状と、今年と一緒で忙しさに追われる様子が記されてあった。

 そして、一年が経過し、再度のパソコンの不調に、本日夜に新機種が持ち込まれたが、完全復旧とはいかず、持ち帰って日曜日までの持ち越しとなった。幸いにして、会報と旅行の案内を送付する封筒の宛名印刷が済ませてあったのが救いでもある。

 こうして一年前と比較すると何も進歩のない生活を実感させられ、新鮮味もなくただ何となく日々が経過しているだけに思われてくる。
 ただし、確実な事は、自分は勿論だが、周りの人々も確実に年齢を重ねるだけでなく、多くの人々が黄泉の世界に旅立っており、過去の若さは戻ってこない現実である。

 昭和63年の11月に朝日旅行友の会として初めての会員募集を行い、湖東三山と永源寺の旅を挙行しているが、当時のミニコミ誌・ふるさとアサヒに残された写真を見ると、バス一台中から確実に12名の方々が亡くなっており、淋しい現実を実感するが、20年の歳月を考えると当然の事でもある。

 さて、今月は過去にない忙しさである。過去からの継続している仕事に新たにNPO法人の仕事が加わり、関係する行政への届出は済ませたものの、実際に地域の中でボランティア活動をするための条件には至っておらず、地域へのアプローチまでには進捗していないのが実情である。

 これだけ仕事量が増え、新たな案件も増加する中では、発想の転換は急務であり、毎日のように街角に出かけられる仕組みを考えないと、市民派としての議員活動まで圧迫しそうである。ただし、一年前の一言を読み、比較できる事を財産として実感した。
                            11月1日の一言
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  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
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  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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