今年は大丈夫そうです。
2007年12月
今年は大丈夫そうです。
平成19年もあと数時間となりました。皆様にはこのブログに訪問いただきまして有難うございました。本日は3時より京都に向かって車を走らせますが、今年こそ八坂神社の火を自宅まで持ち帰りたいと考えています。
八坂神社、大徳寺・細見酒店、知恩院、船岡山・建勲神社、大豊神社から地元の津島神社を参拝して帰る予定です。携帯電話の画質は良くありませんが送信したいと考えています。
12月31日の一言
八坂神社、大徳寺・細見酒店、知恩院、船岡山・建勲神社、大豊神社から地元の津島神社を参拝して帰る予定です。携帯電話の画質は良くありませんが送信したいと考えています。
12月31日の一言
本年もあと一日を残すのみとなったが、毎日の一言を通じて全国の人々と交流でき、多くの出会いがあった年にもなりました。
振り返ってみると、4月には統一地方選挙がありましたので、事前運動は一切しないとの公約ではありましたか、選挙によって20年前から毎年実施してきた4月の朝日旅行友の会の旅行を中止し、8月の京都送り火や上高地は個人で出かけました。
そんな状況の中で、私個人のこだわりから四国遍路を続け、前々から公認先達の推薦を約束していただいていた松山市の第52番寺太山寺のご住職より推薦を受けて今月7日に善通寺で開催された先達研修会に参加する事ができました。
今年は夜行日帰りで松山市まで出かけたり、高松市で野宿して警察に声をかけられたこともありましたが、距離的に遠かった四国が近く感じられるようになりました。9月よりは8人の仲間で新たな巡拝を始め、十月には59番寺(別格は11番まで)まで巡拝を終え、来年の春には満願を目指しています。
さて、本日のポストに四国八十八ヶ所霊場会より機関紙の「へんろ」が届けられていました。来年も心新たに四国を目指したいと考えていますが、オートバイを使った遍路を勧めていた知人が、「自転車で廻った方が良いのではないか」と話し、週末遍路や逆打ちなど四国漬けの一年になりそうでもあります。
巻頭に多くの出会いがあったと記しましたが、旅先の出会いは勿論ですが、このブログを通じた出会いも多く、私は本名から全てを公開していますが、本名や素顔を教えていただいた方との交流も増え、ブログを通じた新たな出会いにも期待したいと考えています。
本年は訪問していただいて本当に有難う御座いました。来年も全国出場を決めた息子の自転車競技や、旅をキーワードに四国遍路や京都、上高地などを発信し、生涯のファンである鶴田浩二や、親族である横井庄一からも新たな出会いを期待していきたいと思っています。
12月30日の一言
振り返ってみると、4月には統一地方選挙がありましたので、事前運動は一切しないとの公約ではありましたか、選挙によって20年前から毎年実施してきた4月の朝日旅行友の会の旅行を中止し、8月の京都送り火や上高地は個人で出かけました。
そんな状況の中で、私個人のこだわりから四国遍路を続け、前々から公認先達の推薦を約束していただいていた松山市の第52番寺太山寺のご住職より推薦を受けて今月7日に善通寺で開催された先達研修会に参加する事ができました。
今年は夜行日帰りで松山市まで出かけたり、高松市で野宿して警察に声をかけられたこともありましたが、距離的に遠かった四国が近く感じられるようになりました。9月よりは8人の仲間で新たな巡拝を始め、十月には59番寺(別格は11番まで)まで巡拝を終え、来年の春には満願を目指しています。
さて、本日のポストに四国八十八ヶ所霊場会より機関紙の「へんろ」が届けられていました。来年も心新たに四国を目指したいと考えていますが、オートバイを使った遍路を勧めていた知人が、「自転車で廻った方が良いのではないか」と話し、週末遍路や逆打ちなど四国漬けの一年になりそうでもあります。
巻頭に多くの出会いがあったと記しましたが、旅先の出会いは勿論ですが、このブログを通じた出会いも多く、私は本名から全てを公開していますが、本名や素顔を教えていただいた方との交流も増え、ブログを通じた新たな出会いにも期待したいと考えています。
本年は訪問していただいて本当に有難う御座いました。来年も全国出場を決めた息子の自転車競技や、旅をキーワードに四国遍路や京都、上高地などを発信し、生涯のファンである鶴田浩二や、親族である横井庄一からも新たな出会いを期待していきたいと思っています。
12月30日の一言
本日からは夕刊も休みとなり、車の流れにも変化がみられるが、年末年始の天候は寒波が襲来して雪に見舞われるとの予報に、慣例の京都行きを断行すれば波乱は必至の状況にある。
さて、欲を出して、今でも会報「津島の風」の発行を遅れながら続けているのに、今度からは「朝日旅行友の会」の会報も発行する予定をたてているが、やる気で座ると来客となり、気分を変えて事務所の掃除にかかると同様に中途で終わり、移動した写真やビデオで事務所の2階は溢れ返っている。
2階に上がると懐かしい写真が気になり見ていると時間は経過し、鶴田浩二や四国八十八ヵ所霊場、京都の魅力「みやびと伝統(28巻)」などとビデオを整理していると、確認しているだけで片付けにはならず、むしろ広がってきたようで、結論は不必要なものを捨てない限り掃除は終らないのである。
数日前に亡くなった知人を思い出し、万が一のことも考えた身辺整理も必要と思うと、思い切った廃棄が必要だが、学生時代にほとんど読まなかった高価な本を捨てるのは忍びなく、愛読していた「アサヒカメラ」などは十数年分はあるが、一年分だけでも重くて移動もままならず、23年間分の週間朝日百科も読みもしないのに随分な場所を占めているのである。
そうこうするうちに置いたままになっていた「鶴田浩二」のテープが発見され、パソコンの前に持ってきたのが命取りで、流れてくる唄声に気をとられると、この一言も気が散って書き込みができません。
明日は餅つきとの事だが、便利な機械があるために他人事で済まされるが、家内は明日の用意で夜遅くまで働いていると思っていたら、長女とともに珈琲屋に行っていたとの事である。
「なんだッ、こんな時間に!」が命取りである。
「コーヒーくらい行って怒られたら堪らんなー」と長女。
「自分は毎日朝晩行っているのに」と家内の声。
「なッ、何ー、誰がー」、「お母さんが言っていたわよッ」
「バカなッ、オレは行ってないぞー」と叫んでも信じていない様子で、仕事については母親に何も言わずに出かけているために、母親はどうやらいつも遊んでいるくらいに思っているらしく、悪く言われているのは承知しているが、こうなると堪ったものではない。
母親の一言や電話応対の悪さによって、嫌な思いを随分としてきたが、家族にも告げ口のように「悪口」が言われている様子に、家内が働くようになって半年が経過しており、専業主婦だった今までのように何の説明も必要としなかった頃とは違う対応が必要である事を実感した。
言いたい事は一杯あるが、二人を相手にしていては敵わない。気が散って書き込みができなかった「鶴田浩二」のテープを聞きながら、鶴田浩二の心情に浸る事となった。
鶴田浩二のヒット曲に「好きだった」という名曲があるが、亡くなってから17回忌の平成14年に、三女の鶴田さやかとのデュエット曲として改めて発表されている。死しても尊敬される父親でありたいと改めて鶴田浩二の魅力を噛み締める一日ともなったのでもある。
12月29日の一言
さて、欲を出して、今でも会報「津島の風」の発行を遅れながら続けているのに、今度からは「朝日旅行友の会」の会報も発行する予定をたてているが、やる気で座ると来客となり、気分を変えて事務所の掃除にかかると同様に中途で終わり、移動した写真やビデオで事務所の2階は溢れ返っている。
2階に上がると懐かしい写真が気になり見ていると時間は経過し、鶴田浩二や四国八十八ヵ所霊場、京都の魅力「みやびと伝統(28巻)」などとビデオを整理していると、確認しているだけで片付けにはならず、むしろ広がってきたようで、結論は不必要なものを捨てない限り掃除は終らないのである。
数日前に亡くなった知人を思い出し、万が一のことも考えた身辺整理も必要と思うと、思い切った廃棄が必要だが、学生時代にほとんど読まなかった高価な本を捨てるのは忍びなく、愛読していた「アサヒカメラ」などは十数年分はあるが、一年分だけでも重くて移動もままならず、23年間分の週間朝日百科も読みもしないのに随分な場所を占めているのである。
そうこうするうちに置いたままになっていた「鶴田浩二」のテープが発見され、パソコンの前に持ってきたのが命取りで、流れてくる唄声に気をとられると、この一言も気が散って書き込みができません。
明日は餅つきとの事だが、便利な機械があるために他人事で済まされるが、家内は明日の用意で夜遅くまで働いていると思っていたら、長女とともに珈琲屋に行っていたとの事である。
「なんだッ、こんな時間に!」が命取りである。
「コーヒーくらい行って怒られたら堪らんなー」と長女。
「自分は毎日朝晩行っているのに」と家内の声。
「なッ、何ー、誰がー」、「お母さんが言っていたわよッ」
「バカなッ、オレは行ってないぞー」と叫んでも信じていない様子で、仕事については母親に何も言わずに出かけているために、母親はどうやらいつも遊んでいるくらいに思っているらしく、悪く言われているのは承知しているが、こうなると堪ったものではない。
母親の一言や電話応対の悪さによって、嫌な思いを随分としてきたが、家族にも告げ口のように「悪口」が言われている様子に、家内が働くようになって半年が経過しており、専業主婦だった今までのように何の説明も必要としなかった頃とは違う対応が必要である事を実感した。
言いたい事は一杯あるが、二人を相手にしていては敵わない。気が散って書き込みができなかった「鶴田浩二」のテープを聞きながら、鶴田浩二の心情に浸る事となった。
鶴田浩二のヒット曲に「好きだった」という名曲があるが、亡くなってから17回忌の平成14年に、三女の鶴田さやかとのデュエット曲として改めて発表されている。死しても尊敬される父親でありたいと改めて鶴田浩二の魅力を噛み締める一日ともなったのでもある。
12月29日の一言
本日で市役所も御用納めとなったが、最終日まで市役所や文化会館、保健センター、市民病院と市内の施設を走りまわる一日となった。
「お呼び出しいたします。名古屋ナンバー〇〇〇のお車でお越しの…」病院のアナウンスの声に、裏側の通用口に車を止めた事から、アナウンスばかりか病院職員からも携帯電話に連絡をもらって走ると、トラックが荷物を降ろしていた。
「邪魔して申し訳ありません」と丁寧に謝って走ると、「おうーッ、邪魔だぞー」と言葉から怒りが伝わってきた。しかし、邪魔とは言え車を停めて荷物が降ろされており、「いったい何所が邪魔なのか」と言いたい状況からの言葉だけに、役務的に連絡され、奥には他の車も堂々と置かれている事から「こっちも病院に仕事で来ているんだぞッ」と言いたい心境を封印したが、乱暴な言葉がいかに反感を生むのかを実感しての帰路となった。
ここで言葉だけでも「ハイ、ハイ」と言われれば、素直に「すいません」の言葉になったと思われる事から、売り言葉に買い言葉を実感した。悪いと思っていても、相手の言葉によっては「何だッ、その言葉はッ」と逆切れとなる事から自身の反省材料にもしたい。
今年から指定管理者に委託された公の施設で、「大鹿議員ですね」と問われた。指定管理者になった事から市役所の職員が不在で、誰も知らないと思っていただけに意外な呼び掛けで、しかも本日訪問した用事が既に他の施設から伝わっており、これは市の職員よりも民間人の方がサービス精神が旺盛な事も実感した。
さて、年末年始を控えているが、事務所のど真ん中には会報を印刷する用紙が高々と山積みされており、事務所の整理をしないと仕事もできない展開に、1階にあった撮りだめた写真を2階に上げていると、20年分の歴史がひろがり整理に数日かかるどころか、一枚一枚を確認していくとキリがない展開に墓穴をほった一日となったようでもある。
12月28日の一言
「お呼び出しいたします。名古屋ナンバー〇〇〇のお車でお越しの…」病院のアナウンスの声に、裏側の通用口に車を止めた事から、アナウンスばかりか病院職員からも携帯電話に連絡をもらって走ると、トラックが荷物を降ろしていた。
「邪魔して申し訳ありません」と丁寧に謝って走ると、「おうーッ、邪魔だぞー」と言葉から怒りが伝わってきた。しかし、邪魔とは言え車を停めて荷物が降ろされており、「いったい何所が邪魔なのか」と言いたい状況からの言葉だけに、役務的に連絡され、奥には他の車も堂々と置かれている事から「こっちも病院に仕事で来ているんだぞッ」と言いたい心境を封印したが、乱暴な言葉がいかに反感を生むのかを実感しての帰路となった。
ここで言葉だけでも「ハイ、ハイ」と言われれば、素直に「すいません」の言葉になったと思われる事から、売り言葉に買い言葉を実感した。悪いと思っていても、相手の言葉によっては「何だッ、その言葉はッ」と逆切れとなる事から自身の反省材料にもしたい。
今年から指定管理者に委託された公の施設で、「大鹿議員ですね」と問われた。指定管理者になった事から市役所の職員が不在で、誰も知らないと思っていただけに意外な呼び掛けで、しかも本日訪問した用事が既に他の施設から伝わっており、これは市の職員よりも民間人の方がサービス精神が旺盛な事も実感した。
さて、年末年始を控えているが、事務所のど真ん中には会報を印刷する用紙が高々と山積みされており、事務所の整理をしないと仕事もできない展開に、1階にあった撮りだめた写真を2階に上げていると、20年分の歴史がひろがり整理に数日かかるどころか、一枚一枚を確認していくとキリがない展開に墓穴をほった一日となったようでもある。
12月28日の一言
本日は朝から議会の委員会があり、昼の休憩中に先輩の葬儀に走りました。先輩というよりも同期の桜のような存在で、忙しい日々の中を一緒に学校のPTA活動(学校は別々でした)に走り、私が津島市の連合会長時代には会場の中に紛れ込んで私の応援に来てくれていました。
当時は一緒に飲む機会も多く、朝まで彼の好きなビートルズの話を聞かされて別れた事も今では懐かしい思い出ですが、本日の出棺もビートルズの曲に送られての旅立ちとなりました。
私が議員になっても、「おいッ」と言う関係は変わらずにお付き合いが続き、困り事には深夜でも連絡が入り、こちらも市民からの依頼や同窓会活動にはスポンサーとして力を貸してもらっていました。
永遠の別れに際して、私は自分の四国霊場での納め札と大先達からいただいた金の納め札を棺に入れましたが、今後の四国お遍路の中で彼も一緒の巡拝と思って廻ろうと思います。
以前なら「なにーッ、四国?オジン臭い話はいらん、いらん!」と言われたでしょうが、今日に至っては「オレも一緒に行っておけば良かったなァ」と言ってくれたと思います。
みんなそうなんです。まさかこの歳でと思われる(若い)人は、いずれそのうちと思ったまま無関心に終わったままの別れに淋しさが募ります。
彼は倒れるまで現役の消防団員で、本日は津島市長(代理)や消防長、消防団長から仲間の分団員の整列する中を旅立っていきましたが、自分だけ若い姿のままで、後の家族の段取りもつけないままに去っていってしまいました。辛い別れとなりました。
さて、午後は市長との懇談会に臨みましたが、年明け早々に明るい話題も提供できるかもしれないとの締めくくりで散会となり、本日が今年最後の市役所と思っておりましたが、やりのこした仕事があり、明日も市役所や関係各所を走り廻る一日となりました。
12月27日の一言
当時は一緒に飲む機会も多く、朝まで彼の好きなビートルズの話を聞かされて別れた事も今では懐かしい思い出ですが、本日の出棺もビートルズの曲に送られての旅立ちとなりました。
私が議員になっても、「おいッ」と言う関係は変わらずにお付き合いが続き、困り事には深夜でも連絡が入り、こちらも市民からの依頼や同窓会活動にはスポンサーとして力を貸してもらっていました。
永遠の別れに際して、私は自分の四国霊場での納め札と大先達からいただいた金の納め札を棺に入れましたが、今後の四国お遍路の中で彼も一緒の巡拝と思って廻ろうと思います。
以前なら「なにーッ、四国?オジン臭い話はいらん、いらん!」と言われたでしょうが、今日に至っては「オレも一緒に行っておけば良かったなァ」と言ってくれたと思います。
みんなそうなんです。まさかこの歳でと思われる(若い)人は、いずれそのうちと思ったまま無関心に終わったままの別れに淋しさが募ります。
彼は倒れるまで現役の消防団員で、本日は津島市長(代理)や消防長、消防団長から仲間の分団員の整列する中を旅立っていきましたが、自分だけ若い姿のままで、後の家族の段取りもつけないままに去っていってしまいました。辛い別れとなりました。
さて、午後は市長との懇談会に臨みましたが、年明け早々に明るい話題も提供できるかもしれないとの締めくくりで散会となり、本日が今年最後の市役所と思っておりましたが、やりのこした仕事があり、明日も市役所や関係各所を走り廻る一日となりました。
12月27日の一言
何も変化のない変わりばえもしない一日が終わり、上高地の夕暮れを(パソコンから)最後まで見て一日を終えようと思っていると、思いもよらぬ訃報である。
「おおしかさ~ん」までは一緒だったが、「主人が亡くなっちゃったんだわー」の言葉に、返す言葉を失った。今年八月に建設現場で倒れ、クモ膜下出血の後遺症で入院中ではあったが、着々と回復しており何とか自宅まではと、市役所や病院、施設と交渉中だっただけに「2階に上がって階段を外された」心境でもあった。
高齢社会の中で57才の訃報は早すぎるだけでなく、今年の夏までは元気で仕事をしていただけに信じられないばかりか、「オレはオマエの事なら何でも応援する」と言ってくれていた先輩(3才違い)だけに、淋しさよりも悲しみが襲ってきた。
こんな結末を想像した事もなく、7月には知らなかった事とは言え、朝から飲酒運転(の疑い濃厚)らしき車に乗せられてびっくりした一言(下記参照)も記している。
「バカな事聞くな!」と一喝され(7月6日) http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/22266861.html
今月の初めに高校時代の同級生が亡くなり、年末には兄貴分にあたる知人の葬式が今年最後のイベントになりそうである。
「おぅー、わかった!」と口癖のように何でも快諾してくれた。「おー、おはよー」と街角で会うと声を出し、「おー、オジさんに任しとけッ」とのキップの良さも聞くことはもうない。
四ヶ月に及ぶ入院により日焼けした顔は真っ白になり、武闘派の菅原文太から知性派に変身しての旅立ちである。ホームページを開設して4年になるが、この間に身近な知人の訃報が増えここへの記載も増えている。生きている事自体に感謝する年齢になっている事を実感させられる。
12月26日の一言
「おおしかさ~ん」までは一緒だったが、「主人が亡くなっちゃったんだわー」の言葉に、返す言葉を失った。今年八月に建設現場で倒れ、クモ膜下出血の後遺症で入院中ではあったが、着々と回復しており何とか自宅まではと、市役所や病院、施設と交渉中だっただけに「2階に上がって階段を外された」心境でもあった。
高齢社会の中で57才の訃報は早すぎるだけでなく、今年の夏までは元気で仕事をしていただけに信じられないばかりか、「オレはオマエの事なら何でも応援する」と言ってくれていた先輩(3才違い)だけに、淋しさよりも悲しみが襲ってきた。
こんな結末を想像した事もなく、7月には知らなかった事とは言え、朝から飲酒運転(の疑い濃厚)らしき車に乗せられてびっくりした一言(下記参照)も記している。
「バカな事聞くな!」と一喝され(7月6日) http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/22266861.html
今月の初めに高校時代の同級生が亡くなり、年末には兄貴分にあたる知人の葬式が今年最後のイベントになりそうである。
「おぅー、わかった!」と口癖のように何でも快諾してくれた。「おー、おはよー」と街角で会うと声を出し、「おー、オジさんに任しとけッ」とのキップの良さも聞くことはもうない。
四ヶ月に及ぶ入院により日焼けした顔は真っ白になり、武闘派の菅原文太から知性派に変身しての旅立ちである。ホームページを開設して4年になるが、この間に身近な知人の訃報が増えここへの記載も増えている。生きている事自体に感謝する年齢になっている事を実感させられる。
12月26日の一言
昨日の夕方に東京外環道で、走行中のマイクロバスから転落して小学校五年生の児童が後続のトラックに轢かれて死亡する事故が発生した。
走るバスのドア開き、小5転落 ひかれ死亡 都内高速道
24日午後6時10分ごろ、東京都練馬区大泉町4丁目の東京外環道内回り大泉ジャンクション付近で、走行中のマイクロバス(定員29人)のドアが開き、埼玉県ふじみ野市の東原小学校5年吉崎健さん(11)が車外に投げ出された。吉崎さんは路上で、後続のトラックにはねられ、まもなく死亡した。県警高速隊はドアが開いた原因などを調べている。
調べでは、乗っていたのは同県川越市を拠点に活動する少年サッカーチーム「川越福原サッカークラブ」の小学5年生を中心とした男児24人と引率役のコーチ引地功一さん(33)の計25人。バスはクラブ運営会社の所有で、引地さんが運転していたという。
バスのドアはスライド式で、車体左側の中央付近にある。開閉は自動と手動を切り替えられる型で、切り替え装置はドアの昇降口付近と運転席にあるという。
県警の聴取に対し、引地さんは「自動に切り替えていなかったようだ」と話しているといい、手動になっていた可能性が高い。死亡した吉崎さんはドア付近にいたらしい。
吉崎さんらは、茨城県かすみがうら市で練習試合をしてから地元に帰る途中だったという。
一帯は片側2車線と大泉の出口に向かうための側道のある区間で、バスは右側の本線を、トラックは左側の本線をそれぞれ走っていた。トラックを運転していた埼玉県入間郡内の会社員男性(25)は「バスから物が落ちてきて、トラックに当たったと思った」と大泉料金所の社員に通報してきたという。
(朝日新聞)2007年12月24日23時14分
本日の朝刊で「さん」付けで記載されていたマイクロバスの運転手でコーチの会社員は、後続のトラックの運転手とともに過失致死の疑いで逮捕されたと本日の夕刊では報じられている。
亡くなった児童や遺族の悲しみは勿論だが、チームメートへの影響とボランティアに支えられている少年スポーツの関係者に与えた衝撃も大きいものがあり、過失とはいうものの逮捕された2人の運転手にも同情を感じずにはおられない事故でもある。
さて、今回の事故原因について、ドアが手動になっていた事から、手動から自動への切り替えミスが問題であるように報じているマスコミもあるが、マイクロバスを運転する立場からすれば、自動での開閉も高齢者には安全とは言えず、私も手動にして使用しており、事故防止策として走行中にドアが開閉しない対策が不足していた事も問題として提起しておきたい。
今回の事故原因を考えると、ドアの開閉以外にも反省すべき事も多い。事故現場は時速40キロ規制とあり、バスの70キロとトラックの80キロは明らかにスピード超過であり、後続のトラックも避けようもなく思われるが、高速での車間距離の不足も重大な過失である。
本日の夕刊には、一面に「危険運転認め懲役18年」との酒気帯びによって昨年2月に春日井市で起こった事故の判決が報じられているが、今回の事故は被害者の児童はもちろんだが、マイクロバスの運転手も、後続のトラック運転手にとっても不幸と思える事故だけに、同乗していたチームメートのためにも最善の後始末を導いて欲しいと願うものである。
12月25日の一言
今回の事故を記したブログも多く、参考のために添付しました。
〇http://blogs.yahoo.co.jp/yamado2005emata2000/51099706.html
走るバスのドア開き、小5転落 ひかれ死亡 都内高速道
24日午後6時10分ごろ、東京都練馬区大泉町4丁目の東京外環道内回り大泉ジャンクション付近で、走行中のマイクロバス(定員29人)のドアが開き、埼玉県ふじみ野市の東原小学校5年吉崎健さん(11)が車外に投げ出された。吉崎さんは路上で、後続のトラックにはねられ、まもなく死亡した。県警高速隊はドアが開いた原因などを調べている。
調べでは、乗っていたのは同県川越市を拠点に活動する少年サッカーチーム「川越福原サッカークラブ」の小学5年生を中心とした男児24人と引率役のコーチ引地功一さん(33)の計25人。バスはクラブ運営会社の所有で、引地さんが運転していたという。
バスのドアはスライド式で、車体左側の中央付近にある。開閉は自動と手動を切り替えられる型で、切り替え装置はドアの昇降口付近と運転席にあるという。
県警の聴取に対し、引地さんは「自動に切り替えていなかったようだ」と話しているといい、手動になっていた可能性が高い。死亡した吉崎さんはドア付近にいたらしい。
吉崎さんらは、茨城県かすみがうら市で練習試合をしてから地元に帰る途中だったという。
一帯は片側2車線と大泉の出口に向かうための側道のある区間で、バスは右側の本線を、トラックは左側の本線をそれぞれ走っていた。トラックを運転していた埼玉県入間郡内の会社員男性(25)は「バスから物が落ちてきて、トラックに当たったと思った」と大泉料金所の社員に通報してきたという。
(朝日新聞)2007年12月24日23時14分
本日の朝刊で「さん」付けで記載されていたマイクロバスの運転手でコーチの会社員は、後続のトラックの運転手とともに過失致死の疑いで逮捕されたと本日の夕刊では報じられている。
亡くなった児童や遺族の悲しみは勿論だが、チームメートへの影響とボランティアに支えられている少年スポーツの関係者に与えた衝撃も大きいものがあり、過失とはいうものの逮捕された2人の運転手にも同情を感じずにはおられない事故でもある。
さて、今回の事故原因について、ドアが手動になっていた事から、手動から自動への切り替えミスが問題であるように報じているマスコミもあるが、マイクロバスを運転する立場からすれば、自動での開閉も高齢者には安全とは言えず、私も手動にして使用しており、事故防止策として走行中にドアが開閉しない対策が不足していた事も問題として提起しておきたい。
今回の事故原因を考えると、ドアの開閉以外にも反省すべき事も多い。事故現場は時速40キロ規制とあり、バスの70キロとトラックの80キロは明らかにスピード超過であり、後続のトラックも避けようもなく思われるが、高速での車間距離の不足も重大な過失である。
本日の夕刊には、一面に「危険運転認め懲役18年」との酒気帯びによって昨年2月に春日井市で起こった事故の判決が報じられているが、今回の事故は被害者の児童はもちろんだが、マイクロバスの運転手も、後続のトラック運転手にとっても不幸と思える事故だけに、同乗していたチームメートのためにも最善の後始末を導いて欲しいと願うものである。
12月25日の一言
今回の事故を記したブログも多く、参考のために添付しました。
〇http://blogs.yahoo.co.jp/yamado2005emata2000/51099706.html
3連休とは言え、時期が年末のために連休との意識も感じられないままに3日間が過ぎ去ったが、明日から大晦日までは地獄の一週間になりそうである。
こんな瀬戸際にありながら連休の3日間は、「休みだから…」と、最低限のやるべき仕事は済ませたものの、「せっかくの3日間だから…」と意欲的に予定していたスケジュールはほとんど消化できず、足や腰の痛みを理由にしても戻ってこない時間と、今後の限られた時間に反省する夜となった。
さて、明日は朝一番で市役所へ残した仕事に走り、午前中にはお寺から依頼された3月に使われる大型バスの手配に走る事から一週間の仕事が始まります。そして年末年始の休みも考えると、来月27日に開催される地域セミナーの会場で使用する視聴覚機器の手配や設営の打ち合わせも急務となり、会報(津島の風・朝日旅行友の会)についても年末年始に印刷をする事態だけは避けたいのは当然の事ではありますが…
本日夕方の知人との珈琲屋行きの車中で、親しい同級生が仕事が不調のために、日雇いの仕事で日銭を稼いでいるとの話を耳にした。私自身は議員報酬があるものの、公的負担の増加から生活の見直しに迫られており、他人事とも思えない話だが、自分にできる仕事も限られており、一度は会って直に話したい心境でもあった。
それにしても、周りの知人や同級生から伝わる話に明るい話題がほとんどなく、ボランティアの継続から本年は愛知県からNPO法人の認証を受けたが、人のために働く前に自分の生活を考える事も先決だったと後悔していては遅いのでもある。7月から正社員として仕事に出るようになった家内に至っては、それまで続けてきたボランティアに仕事を休んで参加しており、これもおかしな話ではあるが、どうやら私も一緒の運命が近そうでもある。
しかし、我家では母親と高校生の三男は別としても、私以外に家内と3人の子供が働いており、同一住所の妹も含めるとかなりの収入がある筈であるが、子供は我家の助けにはなっておらず、期末手当も一瞬の喜びだけで一瞬にして消えていくのでもある。お金の心配の無いままに経過した自営業時代は遥か昔の話となり、細々と生活する一年が最近では年々厳しく感じるのは自分だけではないと思いたいが…
12月24日の一言
こんな瀬戸際にありながら連休の3日間は、「休みだから…」と、最低限のやるべき仕事は済ませたものの、「せっかくの3日間だから…」と意欲的に予定していたスケジュールはほとんど消化できず、足や腰の痛みを理由にしても戻ってこない時間と、今後の限られた時間に反省する夜となった。
さて、明日は朝一番で市役所へ残した仕事に走り、午前中にはお寺から依頼された3月に使われる大型バスの手配に走る事から一週間の仕事が始まります。そして年末年始の休みも考えると、来月27日に開催される地域セミナーの会場で使用する視聴覚機器の手配や設営の打ち合わせも急務となり、会報(津島の風・朝日旅行友の会)についても年末年始に印刷をする事態だけは避けたいのは当然の事ではありますが…
本日夕方の知人との珈琲屋行きの車中で、親しい同級生が仕事が不調のために、日雇いの仕事で日銭を稼いでいるとの話を耳にした。私自身は議員報酬があるものの、公的負担の増加から生活の見直しに迫られており、他人事とも思えない話だが、自分にできる仕事も限られており、一度は会って直に話したい心境でもあった。
それにしても、周りの知人や同級生から伝わる話に明るい話題がほとんどなく、ボランティアの継続から本年は愛知県からNPO法人の認証を受けたが、人のために働く前に自分の生活を考える事も先決だったと後悔していては遅いのでもある。7月から正社員として仕事に出るようになった家内に至っては、それまで続けてきたボランティアに仕事を休んで参加しており、これもおかしな話ではあるが、どうやら私も一緒の運命が近そうでもある。
しかし、我家では母親と高校生の三男は別としても、私以外に家内と3人の子供が働いており、同一住所の妹も含めるとかなりの収入がある筈であるが、子供は我家の助けにはなっておらず、期末手当も一瞬の喜びだけで一瞬にして消えていくのでもある。お金の心配の無いままに経過した自営業時代は遥か昔の話となり、細々と生活する一年が最近では年々厳しく感じるのは自分だけではないと思いたいが…
12月24日の一言
今年もあと一週間となり、連休のために一瞬の余裕を感じていたが、カレンダーを眺めると依頼された案件のほかに会報(津島の風33号と朝日旅行友の会1号)が仕上げるのは大変と思えてくる。
先月末に痛めた右足ふくらはぎ(軽度の肉離れと自己判断)の痛みも数日前には消えた為、3日前の夜に固くなった筋肉を揉み解していた事が原因で、翌日には足を引きずる結果となり、しばらくは無理ができず、年末年始の京都行きを人に勧めなかった事が幸いでもあった。
明日中に印刷を仕上げる必要がある市内回覧版用のセミナー広告の用紙を購入に行き、購入した一箱をぶら下げて帰る姿は、今年の大河ドラマ風林火山の山本勘助と同じで、痛む右足を引きずっての帰宅となった。
さて、田舎の付き合いは大変であり、本日は早朝から地元農業団体の総会があったものの、連日仕事に出ている家内は疲れて「行きたくない」と言うし、私は原則としてそういう場には出席しない事としているので、我家は欠席を決め込んだが、この事で母親と大喧嘩の午後となってしまったのである。
そもそも、私が議員の立場にある事から、母親には周りから雑音が入るのであろうが、私自身が地元の町内会や農業団体の推薦や応援も依頼しておらず、市内全域を対象とした無党派無所属の市民派を目標に活動している事から、地元推薦を頼りとする議員の動向は参考にならないばかりか、あえて違う道を歩いているのだが…。
こうなると家内も巻き込んで家庭内争議となり、収集のつかない事態になり、「もう、オレは全部辞める」と、普段から言っている持論と農協の組合員脱退など、言いたい放題である。議員ゆえに尼寺の講組も欠席せずに家内も出ているが、他の家からは老婆しか出ておらず、今後は出ていかないと宣言したので、今夜の講組には母親が黙って出ていったのでもあった。
こんな気持ちで約束がしてあった旦那寺に出向いたが、家庭がこんな具合では心も落着かず、境内の先祖の墓で「何とかして欲しい」と父親頼みでもある。しばらくは会話のない生活が続くが、元々が母親とは考え方も大きく違い、地域の誰もが議員の母親とは意識していない事が本人には理解されていないのである。
燈台下暗しのコトワザがあるが、母親には私の行動や心情が何も理解されてはおらず、田舎の老婆たちのウワサ話しか耳に入らない現状に、一つひとつに説明する気にもならずに月日が経過してきた事も大きな原因ではなかろうか。年末のこの時期にこんな顛末はうんざりではあるが…
12月23日の一言
先月末に痛めた右足ふくらはぎ(軽度の肉離れと自己判断)の痛みも数日前には消えた為、3日前の夜に固くなった筋肉を揉み解していた事が原因で、翌日には足を引きずる結果となり、しばらくは無理ができず、年末年始の京都行きを人に勧めなかった事が幸いでもあった。
明日中に印刷を仕上げる必要がある市内回覧版用のセミナー広告の用紙を購入に行き、購入した一箱をぶら下げて帰る姿は、今年の大河ドラマ風林火山の山本勘助と同じで、痛む右足を引きずっての帰宅となった。
さて、田舎の付き合いは大変であり、本日は早朝から地元農業団体の総会があったものの、連日仕事に出ている家内は疲れて「行きたくない」と言うし、私は原則としてそういう場には出席しない事としているので、我家は欠席を決め込んだが、この事で母親と大喧嘩の午後となってしまったのである。
そもそも、私が議員の立場にある事から、母親には周りから雑音が入るのであろうが、私自身が地元の町内会や農業団体の推薦や応援も依頼しておらず、市内全域を対象とした無党派無所属の市民派を目標に活動している事から、地元推薦を頼りとする議員の動向は参考にならないばかりか、あえて違う道を歩いているのだが…。
こうなると家内も巻き込んで家庭内争議となり、収集のつかない事態になり、「もう、オレは全部辞める」と、普段から言っている持論と農協の組合員脱退など、言いたい放題である。議員ゆえに尼寺の講組も欠席せずに家内も出ているが、他の家からは老婆しか出ておらず、今後は出ていかないと宣言したので、今夜の講組には母親が黙って出ていったのでもあった。
こんな気持ちで約束がしてあった旦那寺に出向いたが、家庭がこんな具合では心も落着かず、境内の先祖の墓で「何とかして欲しい」と父親頼みでもある。しばらくは会話のない生活が続くが、元々が母親とは考え方も大きく違い、地域の誰もが議員の母親とは意識していない事が本人には理解されていないのである。
燈台下暗しのコトワザがあるが、母親には私の行動や心情が何も理解されてはおらず、田舎の老婆たちのウワサ話しか耳に入らない現状に、一つひとつに説明する気にもならずに月日が経過してきた事も大きな原因ではなかろうか。年末のこの時期にこんな顛末はうんざりではあるが…
12月23日の一言
本日の各地の映像 http://oak.zero.ad.jp/~zad23743/livecam/
上高地(河童橋の風景・松本市安曇支所、白骨温泉、鈴蘭、稲核も含む)
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/azumi/live/live.html
ユキイロのライブカメラ
http://www.yukiiro.com/livecamera/
奈良・長谷寺(画面左のライブカメラをクリックしてご覧下さい)
http://mysv.dip.jp/~livecamera/index.html
本日は早朝より三男の合宿の集合先(道の駅平田・練習の中心は大垣競輪場)まで自転車を積んで走ったため、普段とは違うスケジュールとなり、朝から知人とモーニング珈琲行きとなりました。
息子は他の高校と合同で厳しい練習が続きますが、午前中には雨となり、どうやって移動したのかは判りませんが、出鼻をくじかれる初日となってしまったようです。
さて、私は雨を理由に本日は休養日と決め、午前中から上に添付した上高地の風景を眺めていました。しかし、釜トンネルが閉鎖された今でも上高地に入る人々があるんですね。何も変化がないと思っていた河童橋の風景に小さく動く人々の姿が。
全ての施設が閉鎖された静寂の上高地を行き来する人々に感動です。雪の上をここまで歩いて来るのは想像以上に苦痛と思います。最近では閉鎖された釜トンネルから上高地に歩いて入るツアーもありますが、素人の個人行動はかなり危険を伴い、途中でケガをしても救助すら期待できないと思われます。
冬の上高地行きも私にとっては数年来の希望で、白と黒だけの静寂の世界に一人で入り、深々として音のない世界で愛用のレンズからフイルムに光を通したい(カメラが凍りつくような体験が随分とありません)と思っています。その場がパソコンで眺められるので、行けそうで行けない現実から四国へと目的を変えましたが、お遍路気分が実感できるカメラはなく、見つけたのが西国巡礼で思いもよらぬ打ち留め(足止め)を体験した長谷寺でした。
こんな旅気分も夕方には打ち消されて現実の日常と、痛めている右足が夜の冷え込みとともに痛み出し、空虚のままに一日を消化したようでもありました。
12月22日の一言
上高地(河童橋の風景・松本市安曇支所、白骨温泉、鈴蘭、稲核も含む)
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/azumi/live/live.html
ユキイロのライブカメラ
http://www.yukiiro.com/livecamera/
奈良・長谷寺(画面左のライブカメラをクリックしてご覧下さい)
http://mysv.dip.jp/~livecamera/index.html
本日は早朝より三男の合宿の集合先(道の駅平田・練習の中心は大垣競輪場)まで自転車を積んで走ったため、普段とは違うスケジュールとなり、朝から知人とモーニング珈琲行きとなりました。
息子は他の高校と合同で厳しい練習が続きますが、午前中には雨となり、どうやって移動したのかは判りませんが、出鼻をくじかれる初日となってしまったようです。
さて、私は雨を理由に本日は休養日と決め、午前中から上に添付した上高地の風景を眺めていました。しかし、釜トンネルが閉鎖された今でも上高地に入る人々があるんですね。何も変化がないと思っていた河童橋の風景に小さく動く人々の姿が。
全ての施設が閉鎖された静寂の上高地を行き来する人々に感動です。雪の上をここまで歩いて来るのは想像以上に苦痛と思います。最近では閉鎖された釜トンネルから上高地に歩いて入るツアーもありますが、素人の個人行動はかなり危険を伴い、途中でケガをしても救助すら期待できないと思われます。
冬の上高地行きも私にとっては数年来の希望で、白と黒だけの静寂の世界に一人で入り、深々として音のない世界で愛用のレンズからフイルムに光を通したい(カメラが凍りつくような体験が随分とありません)と思っています。その場がパソコンで眺められるので、行けそうで行けない現実から四国へと目的を変えましたが、お遍路気分が実感できるカメラはなく、見つけたのが西国巡礼で思いもよらぬ打ち留め(足止め)を体験した長谷寺でした。
こんな旅気分も夕方には打ち消されて現実の日常と、痛めている右足が夜の冷え込みとともに痛み出し、空虚のままに一日を消化したようでもありました。
12月22日の一言
昨日の会合で詳細を詰め、細かい要綱を本日愛知県に提出したばかりであるが、チラシについては年内にメドと気軽に構えており、突然の仕事に余裕も吹っ飛ぶ事となった。さて、この事についても、事務所に印刷機があり、HPに掲載された内容を修正して印刷する程度ではあるが、普通なら間に合わない展開である。
これが外出先で相手と相談している間は何とかやりくりがつき、次々と入ってくる仕事に対応していると、働いている実感を肌で感じているが、事務所に戻って一人でイスに座ると、積み重なった仕事の何から手を付けてよいのか判断もつかず、ついつい後回しにして仕事がたまり苦境に陥るのである。
明日からは本年最後の連休であるが、早朝より高校自転車部の合宿に向かう息子を岐阜県まで送り、印刷用紙を買い求めてチラシの原稿を作り、積み残された案件に手をつけ、議会後の会報づくりと今回からは「朝日旅行友の会」の会報も別刷りで発行する予定である事から、慌ただしい年末を迎えるのである。
さて、年末年始を京都で迎える事が恒例となっており、本日は京都で干支にちなんだ狛犬がネズミとなっている大豊神社のチラシが知人より届けられた。あまりの忙しさから、本年は家族だけで出かける予定を立てているが、毎年一緒に出かけている知人だけに自分も行くつもりでいるのかが気にかかる。
「○▽さんから届けてくれと頼まれたので」と、知人が知人から託された封筒を届けて下さった。中身は四国八十八ヵ所霊場の金の納め札が5枚入れられており、隣接する市町の大先達様の名前が印刷されていた。わざわざ私のためにいただいて届けていただいたものであった。余計なお世話のようでもあるが、こんなことがお遍路仲間の有難いところで、この縁も大切にしていきたいと思う。
「おい、お寺から電話があったから」と留守番の母親の声。連絡して日曜日に出向く事になったが、「何だったのか?」と気になる様子に、「宗派の違うお遍路ばかりやってるから檀家を破門になった」と冗談で答えたが、最近出かけた近所の無常講から帰宅後に浄土宗の経本が行方不明となっており、これも無信心の親父の形見となる物だけに、先祖をないがしろにしている反省を促されているのかもしれません。反省…
12月21日の一言
本日は津島市図書館の図書館協議会が開催され、本年4月にNPO法人が指定管理者になって以来はじめての会合でもありました。
図書館の指定管理者については、指定管理そのものが問題とする意見や、NPO法人の選定についても疑問を投げかける意見がある中で、昨年の総務委員会の視察先をNPO法人が運営する岡山県新見市の哲西図書館を選んで、年中無休で開館している現状も目にしてきました。
個人的には、この年中無休の哲西図書館から受けたイメージが強く、NPO法人の運営に期待するものが多く、本年10月に車イスで訪れたバリアフリー検証会でも、図書館長の耳元で声を大にして「年中無休」やサービス拡大を訴えてきました。聞き役の相手には嫌な存在であったかもしれません。
しかし、本日の協議会の中で、図書館長の個人的意見ではあったものの、月曜日も開館したいとの思いが語られ、予算的な試算(現状の予算でやりくりする)もされている話が伝わってきました。
もちろん、大歓迎となる意見で協議会の委員も歓迎する意向が伝えられたものの、市役所担当部所の管理職からは条例改正も必要となる事から、慎重な意見が出されましたが、公の施設を指定管理者へ任せることで、サービスの低下を心配する意見も出始めた中で、「さすがは利益を追求しないNPO法人」との意を改めて実感しての帰宅となりました。ぜひとも実現させたい案件です。
さて、NPO法人については、弥富市を事務所とする団体役員と本日の夜に会合を持ちました。これも来年度の話となりますが、同じNPO法人として「ひとまち生活ネット津島」と一緒に連携してイベント(内容は決まるまで秘密ですが)を開催する話で、市町村のワクを飛び越えた連携が実現できそうでもあります。
これについても法人としての活動が愛知県の認証を受けた今夏からスタートしたばかりで、行政との連携も協議中でありますが、当分は私がいないと軌道にのらない事から、まずは来年1月27日の地域セミナーの成功が大切にもなってきます。こうなると正月気分も返上でしょう。
「おい、ピアノも忘れてはいかんよッ」とは、出向いた市内の珈琲屋のマスターの一言であった。これも私がきっかけで始まったコンサート(来年2月24日)であり、3月(16日)には私をマネージャーに指名していた「浪漫亭砂九」さん(故人)が築いてきた落語会も開催される。そう、もう頭は来年ではなく、目前との切り替えが必要なのである。それにしても、本日はボランティアの底力を感ずる一日ともなりました。
12月20日の一言
図書館の指定管理者については、指定管理そのものが問題とする意見や、NPO法人の選定についても疑問を投げかける意見がある中で、昨年の総務委員会の視察先をNPO法人が運営する岡山県新見市の哲西図書館を選んで、年中無休で開館している現状も目にしてきました。
個人的には、この年中無休の哲西図書館から受けたイメージが強く、NPO法人の運営に期待するものが多く、本年10月に車イスで訪れたバリアフリー検証会でも、図書館長の耳元で声を大にして「年中無休」やサービス拡大を訴えてきました。聞き役の相手には嫌な存在であったかもしれません。
しかし、本日の協議会の中で、図書館長の個人的意見ではあったものの、月曜日も開館したいとの思いが語られ、予算的な試算(現状の予算でやりくりする)もされている話が伝わってきました。
もちろん、大歓迎となる意見で協議会の委員も歓迎する意向が伝えられたものの、市役所担当部所の管理職からは条例改正も必要となる事から、慎重な意見が出されましたが、公の施設を指定管理者へ任せることで、サービスの低下を心配する意見も出始めた中で、「さすがは利益を追求しないNPO法人」との意を改めて実感しての帰宅となりました。ぜひとも実現させたい案件です。
さて、NPO法人については、弥富市を事務所とする団体役員と本日の夜に会合を持ちました。これも来年度の話となりますが、同じNPO法人として「ひとまち生活ネット津島」と一緒に連携してイベント(内容は決まるまで秘密ですが)を開催する話で、市町村のワクを飛び越えた連携が実現できそうでもあります。
これについても法人としての活動が愛知県の認証を受けた今夏からスタートしたばかりで、行政との連携も協議中でありますが、当分は私がいないと軌道にのらない事から、まずは来年1月27日の地域セミナーの成功が大切にもなってきます。こうなると正月気分も返上でしょう。
「おい、ピアノも忘れてはいかんよッ」とは、出向いた市内の珈琲屋のマスターの一言であった。これも私がきっかけで始まったコンサート(来年2月24日)であり、3月(16日)には私をマネージャーに指名していた「浪漫亭砂九」さん(故人)が築いてきた落語会も開催される。そう、もう頭は来年ではなく、目前との切り替えが必要なのである。それにしても、本日はボランティアの底力を感ずる一日ともなりました。
12月20日の一言
間近に迫った来年のカレンダーは例年どおりに届けられているが、スケジュールを書き込む手帳については今まで使ってきた物が無くなった事から、書店に出向いて似た物を買い求めたところ872円(これでも安い方)もしたのである。
一緒に同行した知人はもらい物で済ますとの話であったが、今までもらっていた手帳もそれだけの値段がしたのかと思うと同時に、今年からは朝日新聞社の発行していた現代用語辞典の知恵蔵も廃刊となり、付録となっていた手帳もなくなっておる事から、今まで使わずに置きっぱなしにしてしまった手帳の存在感についても考えさせられた。
市議会から市議会手帳は配布されてくるが、私は胸のポケットに入らない事から一度も使った事がなく、津島市の職員に配布されていた手帳を使わない職員からもらって重宝していたが、これも数年前から配布されなくなっており、新たな手帳の選択もこの時期の恒例行事ともなっている。
さて、新たに入手した手帳に来年の行事を書き入れてみてびっくりの事態である。前々からこの一言に記してある1月の「人にやさしい街づくり地域セミナー」と同じ日に、知人から誘われて申し込んだ「伊勢神宮初参り」の日程が記されていたのである。こんな重要な予定が重なっているとは知らず、あわてて断りに走り出してから思いとどまり足を止めた。
自分だけ断ったら知人は一人で参加となる事から、知人と親しい友人を代役にお願いして事なきをえたが、年の変わり目にあり、あらたな手帳との交換前には先の事と考えて安直に引き受けた用件も多く、一週間おきではあるが横井庄一記念館の当番日との重複も存在する。
今年の手帳も残りわずかとなっており、先月ぐらいから来年の予定や想いが空いたスペースに記されていることから、当面は2冊の手帳を胸に入れ、間違いのない日々をおくりたい。
夕方には市役所の収納課職員の訪問を受けたが、市民税や国保税の支払いが遅れており、議員としては情けない限りであるが、家内が仕事に出てからは地元の銀行に走るヒマがなく、私は大の銀行嫌いであるばかりか、銀行には行かない事にしている事から、各種の支払いが滞っており、昨晩に支払い方法を相談していたところでもあった。
現在津島市では職員総動員で年末の特別徴収を行なっており、連日夜8時過ぎまで居残りで収納活動が続けられている。昨晩の話からとりあえず30万円が現金で用意してあったから良かったものの、突然訪問されて支払える家は少なく、翌日や後日となるケースも多いようである。
娘にも残金があり連絡すると、「支払ってある」と大声で怒り、娘の勘違いから親子喧嘩に発展しそうな気配に職員もびっくりとなるが、親子でもこんな顛末から職員の苦労を垣間見る事にもなった。それにしても税金や公的負担の高さも気になるところで、我家の支払い総額を聞くと議員専業の限界すら感じる一日となった。
12月19日の一言
一緒に同行した知人はもらい物で済ますとの話であったが、今までもらっていた手帳もそれだけの値段がしたのかと思うと同時に、今年からは朝日新聞社の発行していた現代用語辞典の知恵蔵も廃刊となり、付録となっていた手帳もなくなっておる事から、今まで使わずに置きっぱなしにしてしまった手帳の存在感についても考えさせられた。
市議会から市議会手帳は配布されてくるが、私は胸のポケットに入らない事から一度も使った事がなく、津島市の職員に配布されていた手帳を使わない職員からもらって重宝していたが、これも数年前から配布されなくなっており、新たな手帳の選択もこの時期の恒例行事ともなっている。
さて、新たに入手した手帳に来年の行事を書き入れてみてびっくりの事態である。前々からこの一言に記してある1月の「人にやさしい街づくり地域セミナー」と同じ日に、知人から誘われて申し込んだ「伊勢神宮初参り」の日程が記されていたのである。こんな重要な予定が重なっているとは知らず、あわてて断りに走り出してから思いとどまり足を止めた。
自分だけ断ったら知人は一人で参加となる事から、知人と親しい友人を代役にお願いして事なきをえたが、年の変わり目にあり、あらたな手帳との交換前には先の事と考えて安直に引き受けた用件も多く、一週間おきではあるが横井庄一記念館の当番日との重複も存在する。
今年の手帳も残りわずかとなっており、先月ぐらいから来年の予定や想いが空いたスペースに記されていることから、当面は2冊の手帳を胸に入れ、間違いのない日々をおくりたい。
夕方には市役所の収納課職員の訪問を受けたが、市民税や国保税の支払いが遅れており、議員としては情けない限りであるが、家内が仕事に出てからは地元の銀行に走るヒマがなく、私は大の銀行嫌いであるばかりか、銀行には行かない事にしている事から、各種の支払いが滞っており、昨晩に支払い方法を相談していたところでもあった。
現在津島市では職員総動員で年末の特別徴収を行なっており、連日夜8時過ぎまで居残りで収納活動が続けられている。昨晩の話からとりあえず30万円が現金で用意してあったから良かったものの、突然訪問されて支払える家は少なく、翌日や後日となるケースも多いようである。
娘にも残金があり連絡すると、「支払ってある」と大声で怒り、娘の勘違いから親子喧嘩に発展しそうな気配に職員もびっくりとなるが、親子でもこんな顛末から職員の苦労を垣間見る事にもなった。それにしても税金や公的負担の高さも気になるところで、我家の支払い総額を聞くと議員専業の限界すら感じる一日となった。
12月19日の一言
昨年8月に福岡市で起こった幼児3人が死亡した飲酒運転について、検察側は加害者に危険運転致死傷罪と道路交通法をあわせた最高刑25年を求刑していたが、福岡地裁は危険運転致死傷罪の適用が困難として、検察側に罪名の変更を求めたと報じられている。
センセーショナルに全国へ発信され、飲酒運転による悲惨な事故として人々の記憶にも残る交通事故ではあったが、事故直後に実施された警察による飲酒の検知結果が飲酒運転ではなく、酒気帯び運転の水準にあった事から、罪名が変更されると求刑の25年が3分の1以下の7年6ヶ月の最高刑となる模様でもある。
被害者やその家族や関係者にとっては許しがたい事故には違いなく、この地裁の判断にも異論を唱えたコメントが発せられたが、冷静になって考えてみると、事故現場が橋の上という最悪の条件にあり、亡くなった幼児3人の死因も、交通事故よりも水死の可能性が高く、橋の上でなければ死亡事故にまで至っていない可能性も高いと思われる。
さて、2年前の11月に浜松市で起こったレストラン店主強盗殺害事件で、母国ブラジルに逃亡していた日系人に、ブラジルの地方裁判所が禁錮34年5ヶ月の判決を言い渡したとの報道もあり、被害者の妻は納得のいく年数ではないと記者会見で語ったとの報も記されている。
記者会見で被害者の妻は、「34年は主人の命の重さに比べれば納得のいく年数ではない。判決が出ても主人が姿を現すことはない」と述べられているが、被害者の家族はいったい何年の刑であれば納得ができるのであろうか。事件であり、事故であっても、被害者や遺族に納得のできる年数はないのではないか。
4日前には長崎県佐世保市で猟銃乱射事件によって2人の命が奪われているが、拳銃を使った殺人事件などが度々起こり、人の命が軽視されがちな世情ゆえに、厳しい断罪も必要と思われるが、マスコミ報道による被害者の声で冷静な判断に影響がでるような錯覚にも歯止めが必要と思われる。
少なくとも、悪意がある計画的犯罪か、不可抗力で起こった事故かの見極めも重要であり、飲酒運転の厳罰化によって飲酒運転や飲酒による死亡事故が減った実績から、銃の所持や麻薬など薬物の販売などの規制を強め、多発する事件や事故の防止策を考える事の重要性を訴えたい。
12月18日の一言
センセーショナルに全国へ発信され、飲酒運転による悲惨な事故として人々の記憶にも残る交通事故ではあったが、事故直後に実施された警察による飲酒の検知結果が飲酒運転ではなく、酒気帯び運転の水準にあった事から、罪名が変更されると求刑の25年が3分の1以下の7年6ヶ月の最高刑となる模様でもある。
被害者やその家族や関係者にとっては許しがたい事故には違いなく、この地裁の判断にも異論を唱えたコメントが発せられたが、冷静になって考えてみると、事故現場が橋の上という最悪の条件にあり、亡くなった幼児3人の死因も、交通事故よりも水死の可能性が高く、橋の上でなければ死亡事故にまで至っていない可能性も高いと思われる。
さて、2年前の11月に浜松市で起こったレストラン店主強盗殺害事件で、母国ブラジルに逃亡していた日系人に、ブラジルの地方裁判所が禁錮34年5ヶ月の判決を言い渡したとの報道もあり、被害者の妻は納得のいく年数ではないと記者会見で語ったとの報も記されている。
記者会見で被害者の妻は、「34年は主人の命の重さに比べれば納得のいく年数ではない。判決が出ても主人が姿を現すことはない」と述べられているが、被害者の家族はいったい何年の刑であれば納得ができるのであろうか。事件であり、事故であっても、被害者や遺族に納得のできる年数はないのではないか。
4日前には長崎県佐世保市で猟銃乱射事件によって2人の命が奪われているが、拳銃を使った殺人事件などが度々起こり、人の命が軽視されがちな世情ゆえに、厳しい断罪も必要と思われるが、マスコミ報道による被害者の声で冷静な判断に影響がでるような錯覚にも歯止めが必要と思われる。
少なくとも、悪意がある計画的犯罪か、不可抗力で起こった事故かの見極めも重要であり、飲酒運転の厳罰化によって飲酒運転や飲酒による死亡事故が減った実績から、銃の所持や麻薬など薬物の販売などの規制を強め、多発する事件や事故の防止策を考える事の重要性を訴えたい。
12月18日の一言
安部首相より福田首相に代わり、強硬路線から対話路線に変換されて少しは政局が改善されるものと期待していたが、最近では公約をめぐる無責任な発言により支持率の急落が続いている。
本日の朝刊には「ねんきん特別便のお知らせ」という2枚折れの政府広報が全戸に配布され、問題となる1千110万件へはすべて郵送するとの発表であるが、この新聞広告の印刷代と新聞折込料(2枚折れ5円)についても新聞発行部数(朝日新聞公称八百万部、読売新聞公称1千001万部。日本新聞協会の調べでは、全国紙、地方紙合わせた発行部数は、2002年10月データによると、一般紙が4739万27部)からして膨大な予算がかかり、郵送料も(1件80円×1千110万件)考えると膨大な経費がかかる事が理解されているのだろうか。
この年金問題についても住民からの問い合わせで、初めて問題と感じた行政職員が適正な対応をしていればここまで大きな大問題には発展せずに済んでいた可能性が高い。事務処理の間違いだけであればまだしも、デタラメの会計管理を自覚した上で、公金を横領していた地方自治体の職員まで存在していた事は許しがたい事でもある。
こんな大問題が潜んでいるとは知らず、数年前に市民の年金相談を受け、市役所は過去の厚生年金の記憶が市民にない事から国民年金を支払えないと主張し、社会保険事務所まで足を運んだものの、自己管理もできない市民のような扱いを受け、月々数百円分の厚生年金ではあったが支給を辞退する事により、国民年金の支払いを求めた市民も存在した。
今にして思えば、国民年金が支給されない事から支払った厚生年金を辞退して目先の国民年金の支給を求めたわけだが、こんな問題が発覚すると「あの時の対応は何だったのか」と言いたくなってくるが、こんな思いを持っている国民も多いのではないか。
市民が行政と対座する場合、自分の主張が「自分だけではないか」との思い込みも多く、行政も他の事例を知らせない事から、批判の矛先を収めたり、請求を取り下げているケースも多い。「他にはありません」の言葉に惑わされず、自分の問題は多くの市民の問題でもあるとの自覚を持つ事が必要でもあろう。
しかし、社会保険庁の不祥事によって国民の多くに被害者を作り、後始末どころか調査にも膨大な予算を湯水のように使われていく現実に、国の一方的な政策変更によって明日の見えない経営危機にさらされている地方自治体はたまったものではない。
12月17日の一言
追伸 明日18日は何の日か判りますか(笑)
本日の朝刊には「ねんきん特別便のお知らせ」という2枚折れの政府広報が全戸に配布され、問題となる1千110万件へはすべて郵送するとの発表であるが、この新聞広告の印刷代と新聞折込料(2枚折れ5円)についても新聞発行部数(朝日新聞公称八百万部、読売新聞公称1千001万部。日本新聞協会の調べでは、全国紙、地方紙合わせた発行部数は、2002年10月データによると、一般紙が4739万27部)からして膨大な予算がかかり、郵送料も(1件80円×1千110万件)考えると膨大な経費がかかる事が理解されているのだろうか。
この年金問題についても住民からの問い合わせで、初めて問題と感じた行政職員が適正な対応をしていればここまで大きな大問題には発展せずに済んでいた可能性が高い。事務処理の間違いだけであればまだしも、デタラメの会計管理を自覚した上で、公金を横領していた地方自治体の職員まで存在していた事は許しがたい事でもある。
こんな大問題が潜んでいるとは知らず、数年前に市民の年金相談を受け、市役所は過去の厚生年金の記憶が市民にない事から国民年金を支払えないと主張し、社会保険事務所まで足を運んだものの、自己管理もできない市民のような扱いを受け、月々数百円分の厚生年金ではあったが支給を辞退する事により、国民年金の支払いを求めた市民も存在した。
今にして思えば、国民年金が支給されない事から支払った厚生年金を辞退して目先の国民年金の支給を求めたわけだが、こんな問題が発覚すると「あの時の対応は何だったのか」と言いたくなってくるが、こんな思いを持っている国民も多いのではないか。
市民が行政と対座する場合、自分の主張が「自分だけではないか」との思い込みも多く、行政も他の事例を知らせない事から、批判の矛先を収めたり、請求を取り下げているケースも多い。「他にはありません」の言葉に惑わされず、自分の問題は多くの市民の問題でもあるとの自覚を持つ事が必要でもあろう。
しかし、社会保険庁の不祥事によって国民の多くに被害者を作り、後始末どころか調査にも膨大な予算を湯水のように使われていく現実に、国の一方的な政策変更によって明日の見えない経営危機にさらされている地方自治体はたまったものではない。
12月17日の一言
追伸 明日18日は何の日か判りますか(笑)
本日は今年では最後となる横井庄一記念館の当番日となりました。一年の経過は早いもので、来週の日曜日で記念館も新しい年を迎えようとしています。
さて、本日の訪問者は、現在千葉県と岐阜県にお住まいの青年であったが、一人は高知県土佐市出身で、横井家と親交があった家のお孫さんとの話から、館長が昼食に寿司まで注文されてのもてなしとなった。岡山の旅先で一緒になり、声をかけられたのが縁で、土佐からは度々農作物を届けられていた人の孫にあたり、一度訪問したいと考えておられたとの事である。
昨日の一言に、「何事も遍路やお大師様に…」と記していたが、出身が高知県の土佐市と聞いてしまっては、早速「四国は…」となってしまい、大学から四国をあとにした青年に、故郷と親元の良さの押し付けである。
人と人との縁は、不思議な出会いがあり、私も旅先で知り合った多くの知人があり、「ところで、いくらにすれば良いのかなァ」と宿泊代まで私に聞かれるほどの宿主との関係までに発展する。
ついでに言えば、こじつけのようにも思われるが、朝日新聞がアスパラクラブの会員に発行している「ネクストエージ」最新号の中心記事が「宿坊で、美味しい修業してみませんか」となっており、忙しさからしばらく封印しようと思っていた『旅心』がくすぐられている。
昨年の大晦日には京都八坂神社の「おけら参り」の火を、養老サービスエリアまで持ち帰りながら、ドアを開けた瞬間の強風によって消されてしまった苦い思い出が甦ってくる。「今年こそは…」の思いを封印していたが、帰宅後の夜になって、「バスはいくら位するのか?」との問い合わせを我家のお寺よりいただいた。
我家の浄土宗の宗祖「法然上人」に関する舞台が来年3月に名古屋の中日劇場であるとの事で、お寺からも40人位はつれていきたいとの話に、他人事から私の旅心にも火がつきそうでもある。
四国霊場会のポスターには、「人生は遍路なり」と記され、四国巡拝・魂の旅の一言が寄せられている。本日出会った青年も、横井庄一が岡山の赤穂浪士の史跡を訪ねたのが縁となっており、身勝手だが「人生は遍路なり」を旗印に、議会終了後の日程を考えて、貯まりに溜まっているストレス発散としたい。
12月16日の一言
追伸 法然と親鸞
http://www.jodo.or.jp/onki800/event/honen_shinran/
http://n2cool.way-nifty.com/nagoya/2008/03/post_705f.html
さて、本日の訪問者は、現在千葉県と岐阜県にお住まいの青年であったが、一人は高知県土佐市出身で、横井家と親交があった家のお孫さんとの話から、館長が昼食に寿司まで注文されてのもてなしとなった。岡山の旅先で一緒になり、声をかけられたのが縁で、土佐からは度々農作物を届けられていた人の孫にあたり、一度訪問したいと考えておられたとの事である。
昨日の一言に、「何事も遍路やお大師様に…」と記していたが、出身が高知県の土佐市と聞いてしまっては、早速「四国は…」となってしまい、大学から四国をあとにした青年に、故郷と親元の良さの押し付けである。
人と人との縁は、不思議な出会いがあり、私も旅先で知り合った多くの知人があり、「ところで、いくらにすれば良いのかなァ」と宿泊代まで私に聞かれるほどの宿主との関係までに発展する。
ついでに言えば、こじつけのようにも思われるが、朝日新聞がアスパラクラブの会員に発行している「ネクストエージ」最新号の中心記事が「宿坊で、美味しい修業してみませんか」となっており、忙しさからしばらく封印しようと思っていた『旅心』がくすぐられている。
昨年の大晦日には京都八坂神社の「おけら参り」の火を、養老サービスエリアまで持ち帰りながら、ドアを開けた瞬間の強風によって消されてしまった苦い思い出が甦ってくる。「今年こそは…」の思いを封印していたが、帰宅後の夜になって、「バスはいくら位するのか?」との問い合わせを我家のお寺よりいただいた。
我家の浄土宗の宗祖「法然上人」に関する舞台が来年3月に名古屋の中日劇場であるとの事で、お寺からも40人位はつれていきたいとの話に、他人事から私の旅心にも火がつきそうでもある。
四国霊場会のポスターには、「人生は遍路なり」と記され、四国巡拝・魂の旅の一言が寄せられている。本日出会った青年も、横井庄一が岡山の赤穂浪士の史跡を訪ねたのが縁となっており、身勝手だが「人生は遍路なり」を旗印に、議会終了後の日程を考えて、貯まりに溜まっているストレス発散としたい。
12月16日の一言
追伸 法然と親鸞
http://www.jodo.or.jp/onki800/event/honen_shinran/
http://n2cool.way-nifty.com/nagoya/2008/03/post_705f.html
今月7日に四国の善通寺に出かけてから一週間が経過したが、見るもの全てが真言宗やお遍路になってしまい、「お父さん、いい加減にしたら」と家内に言われ気分を変えようとするが…。
本来なら在所である当方から訪問すべき叔父からお歳暮が届けられ、今年収穫された新米を届けに(足の肉離れのため知人の助けで)お邪魔すると、元々が僧職にあるためか自然と四国遍路や先達の話に発展し、我家の仏壇に座する『弘法大師』などの由来も話題になった(と言うより私が聞いたと言うのが正確であるが)。
我家の仏壇には正面に『阿弥陀如来』が収められ、左に『法然上人』、右に『伝導大師』が奉られており、法然上人の足元に由来不明(叔父の話では「誰かが修学旅行で買ってきたもの」母親は「誰が置いたか判らない」)の仏像があり、その一段下に『弘法大師』の坐像が鎮座されている。
弘法大師様と言われる坐像は、ロウソクのススで真っ黒になり、顔や手をネズミにかじられた痕があり、顔からはお大師様とは思えぬ変わりようで、一度専門家に修復してもらう必要がありそうだが、土産物屋で買われてきたと言われる仏像より低い位置に置かれ、とても大切にしてきたとは言えない(が文句も言われない)のが申し訳ない事でもある。
さて、この大師像は、養子で我家に入った私の祖父(父の実父)が、庭先に堂を建てて加持祈祷に使っていたものらしく、交通事故で妻(祖母)を亡くした祖父が実子の父たちを残して家出してしまった事から、亡くなってから仏壇に入った祖父同様に肩身の狭い思いをされていたようであるが、実は大変ご利益のある仏像である可能性も高いのである。
祖母(明治38年生まれ)は昭和8年に交通事故で亡くなっているが、それまで祖父は酒好きではあったが真面目に働いており(2年前に他界した私の後援会長の話では人一倍の働き者)、庭先の堂で『弘法様』を奉って加持祈祷を行なっていた事と、近所の老婆(故人)から「遠くから人力車で人々が沢山集まっていた」と子供の頃から聞かされていた。
この堂の中でどんな加持や祈祷が行なわれていたかは判らないが、この弘法様は『婦人病』に効果があったとの話でもあり、宗旨も違う事から仏壇の中でも懐中電灯で照らさないと顔が拝見できない状況であったが、来年からは祖父の命日(隣の浄土宗の尼寺からは毎月来てもらってはいるが)ぐらいは、真言宗の僧侶にも来てもらおうと思っている。
現在でも旦那寺と尼寺から毎月来てもらっている事から、「お父さん、いい加減にしてよ」と家内と母親に言われたが、「オレの小遣いに文句あるかッ」と昨晩決めた事でもあった。数年前の話となるが、吉野の金峯山寺の蔵王堂で僧侶や雲水の護摩行にあわせて般若心経を唱えていたところ、人には説明不可能な不思議な体験があった。
私は、それ以外には思い当たる不思議体験は皆無だが、御嶽山の先達であった(母方の)祖父達の目に見えていたものがあるのなら見て語りたいと考えている。吉野も四国も弘法大師の先人であり、修験道の祖とされる『役行者小角』ゆかりの地でもある。最近ちょっと影響されすぎかもしれません(笑)が…
12月15日の一言
追伸 平成1年の昨日、私の雇用していた本二日市セツヨさんが、仕事中に交通事故で亡くなられた日でもありました。その時の悲しみを忘れず、故人を想い冥福を祈りたいと思います。合掌
本来なら在所である当方から訪問すべき叔父からお歳暮が届けられ、今年収穫された新米を届けに(足の肉離れのため知人の助けで)お邪魔すると、元々が僧職にあるためか自然と四国遍路や先達の話に発展し、我家の仏壇に座する『弘法大師』などの由来も話題になった(と言うより私が聞いたと言うのが正確であるが)。
我家の仏壇には正面に『阿弥陀如来』が収められ、左に『法然上人』、右に『伝導大師』が奉られており、法然上人の足元に由来不明(叔父の話では「誰かが修学旅行で買ってきたもの」母親は「誰が置いたか判らない」)の仏像があり、その一段下に『弘法大師』の坐像が鎮座されている。
弘法大師様と言われる坐像は、ロウソクのススで真っ黒になり、顔や手をネズミにかじられた痕があり、顔からはお大師様とは思えぬ変わりようで、一度専門家に修復してもらう必要がありそうだが、土産物屋で買われてきたと言われる仏像より低い位置に置かれ、とても大切にしてきたとは言えない(が文句も言われない)のが申し訳ない事でもある。
さて、この大師像は、養子で我家に入った私の祖父(父の実父)が、庭先に堂を建てて加持祈祷に使っていたものらしく、交通事故で妻(祖母)を亡くした祖父が実子の父たちを残して家出してしまった事から、亡くなってから仏壇に入った祖父同様に肩身の狭い思いをされていたようであるが、実は大変ご利益のある仏像である可能性も高いのである。
祖母(明治38年生まれ)は昭和8年に交通事故で亡くなっているが、それまで祖父は酒好きではあったが真面目に働いており(2年前に他界した私の後援会長の話では人一倍の働き者)、庭先の堂で『弘法様』を奉って加持祈祷を行なっていた事と、近所の老婆(故人)から「遠くから人力車で人々が沢山集まっていた」と子供の頃から聞かされていた。
この堂の中でどんな加持や祈祷が行なわれていたかは判らないが、この弘法様は『婦人病』に効果があったとの話でもあり、宗旨も違う事から仏壇の中でも懐中電灯で照らさないと顔が拝見できない状況であったが、来年からは祖父の命日(隣の浄土宗の尼寺からは毎月来てもらってはいるが)ぐらいは、真言宗の僧侶にも来てもらおうと思っている。
現在でも旦那寺と尼寺から毎月来てもらっている事から、「お父さん、いい加減にしてよ」と家内と母親に言われたが、「オレの小遣いに文句あるかッ」と昨晩決めた事でもあった。数年前の話となるが、吉野の金峯山寺の蔵王堂で僧侶や雲水の護摩行にあわせて般若心経を唱えていたところ、人には説明不可能な不思議な体験があった。
私は、それ以外には思い当たる不思議体験は皆無だが、御嶽山の先達であった(母方の)祖父達の目に見えていたものがあるのなら見て語りたいと考えている。吉野も四国も弘法大師の先人であり、修験道の祖とされる『役行者小角』ゆかりの地でもある。最近ちょっと影響されすぎかもしれません(笑)が…
12月15日の一言
追伸 平成1年の昨日、私の雇用していた本二日市セツヨさんが、仕事中に交通事故で亡くなられた日でもありました。その時の悲しみを忘れず、故人を想い冥福を祈りたいと思います。合掌
本日の夕刊(朝日新聞)ナゴヤマルに、「敬老パス不可・案内分かりやすく」と題して、名古屋市内での名鉄バスに市バスの敬老パスで乗車して、運転手から大声で注意されている場面についての記載があった。
「降りる時に呼び止められ、運転手にきつく注意されている場面に出くわします。マイクを通して大きな声になるので不快感を覚えると同時に、高齢者の方がふびんです。分かりやすく案内表示してほしいと思います」と、41才女性から投稿された投稿であった。
ずいぶん前の話となるが、私もこういった場面に遭遇した事があった。「お客さん、その券は市バスしか使えません」と、名鉄バスを降りる客に話す運転手に、自分の正当性と自己主張を続け、結局は求められた料金を払う事なく勝手に降りて行ってしまった高齢者の姿に、こんな理不尽な事が許される高齢者の不可解さを感じていた。
こんな場面が起こるのも名古屋市内の名古屋在住の高齢者ゆえに起こる問題であり、名古屋市外の高齢者はすべてが料金を支払ってバスに乗る事から、こんな場面には出くわす事はない。むしろ、名古屋市で間違って市バスに乗車して料金の支払い方式に戸惑う市外の高齢者の姿が自然でもある。
さて、バスや電車など公共交通については、障がい者についても対応が千差万別の実態がある。1ヶ月前に津島市で実施したバリアフリー検証会に名古屋市から参加されたIさん(全盲)の乗車券を購入する際に、健常者と同じ一人分の料金が必要と知らされ、「半額じゃないんですか?」と聞き直した事があったが、一人で乗車すると一人分だそうで、介助者と二人の乗車でも一人分で良いとの話でもあった。
しかし、かつて同じ駅から乗車した知人(車イス)は、半額分の子供料金の切符を購入して改札を通過しており、実質的に障がい者は半額がまかり通るとも思われるが、その真相は名鉄に確認した事がなく、利用者も少ない事と自動改札機を通過する事からどうやら徹底されていない(黙認されている)気もするのである。
障がい者の中には、交通費が全額無料となる名古屋市に移転していった知人も存在するが、名古屋市の地下鉄や市バスの対応と名鉄など私鉄との制度の違いがあり、今回の高齢者の投稿された事案も制度の違いが原因でもある。「障がい者であっても、半額にする必要はない」と主張する知人も存在する。
「障がい者には国から手当が出ているだろう」と、料金の格差をつける必要はないとの主張にも一理がある。ただし、県内ぐらいは制度の統一を図り、誰もが安心して利用できる事と、高齢者に不快な思いをさせない配慮は必要であろう。ひしひしと感じるようになった年齢から、『ふびん』との言葉も他人事ではなくなってくる。
12月14日の一言
追伸 記事の送信が実行されないままになっていました。4時間おくれの発信となりました。
「降りる時に呼び止められ、運転手にきつく注意されている場面に出くわします。マイクを通して大きな声になるので不快感を覚えると同時に、高齢者の方がふびんです。分かりやすく案内表示してほしいと思います」と、41才女性から投稿された投稿であった。
ずいぶん前の話となるが、私もこういった場面に遭遇した事があった。「お客さん、その券は市バスしか使えません」と、名鉄バスを降りる客に話す運転手に、自分の正当性と自己主張を続け、結局は求められた料金を払う事なく勝手に降りて行ってしまった高齢者の姿に、こんな理不尽な事が許される高齢者の不可解さを感じていた。
こんな場面が起こるのも名古屋市内の名古屋在住の高齢者ゆえに起こる問題であり、名古屋市外の高齢者はすべてが料金を支払ってバスに乗る事から、こんな場面には出くわす事はない。むしろ、名古屋市で間違って市バスに乗車して料金の支払い方式に戸惑う市外の高齢者の姿が自然でもある。
さて、バスや電車など公共交通については、障がい者についても対応が千差万別の実態がある。1ヶ月前に津島市で実施したバリアフリー検証会に名古屋市から参加されたIさん(全盲)の乗車券を購入する際に、健常者と同じ一人分の料金が必要と知らされ、「半額じゃないんですか?」と聞き直した事があったが、一人で乗車すると一人分だそうで、介助者と二人の乗車でも一人分で良いとの話でもあった。
しかし、かつて同じ駅から乗車した知人(車イス)は、半額分の子供料金の切符を購入して改札を通過しており、実質的に障がい者は半額がまかり通るとも思われるが、その真相は名鉄に確認した事がなく、利用者も少ない事と自動改札機を通過する事からどうやら徹底されていない(黙認されている)気もするのである。
障がい者の中には、交通費が全額無料となる名古屋市に移転していった知人も存在するが、名古屋市の地下鉄や市バスの対応と名鉄など私鉄との制度の違いがあり、今回の高齢者の投稿された事案も制度の違いが原因でもある。「障がい者であっても、半額にする必要はない」と主張する知人も存在する。
「障がい者には国から手当が出ているだろう」と、料金の格差をつける必要はないとの主張にも一理がある。ただし、県内ぐらいは制度の統一を図り、誰もが安心して利用できる事と、高齢者に不快な思いをさせない配慮は必要であろう。ひしひしと感じるようになった年齢から、『ふびん』との言葉も他人事ではなくなってくる。
12月14日の一言
追伸 記事の送信が実行されないままになっていました。4時間おくれの発信となりました。
本日は私にとっては唯一残された(全て断りました)神守丈友会(書道会)の忘年会であったが、予め予定してあった約束があり遅刻して電話をもらう顛末となったが、議員としての今後にも明るい希望をもらう遅刻でもあった。
遅刻した理由は、来年1月27日に津島市文化会館で開催される『人にやさしい街づくり地域セミナー』のパネラーに予定してある、市民病院の副院長との打ち合わせのためであったが、本年のセミナーにもパネラーを依頼してあった実績から、アウンの呼吸で打ち合わせは終ったのでもあった。
この後が私の悪いクセで、来年3月に定年を迎える病院幹部と四国遍路や京都への旅の話に熱中していたのである。しかし、副院長との僅かな時間で経営危機にある津島市民病院の将来に明るい展望も感じて帰る事ができ、細かい裏側までは聞く事もなく語られる事もなかったが、心配する悪い話ばかりではなく、何とかなりそうな期待(無責任ですが)を持たされて帰れた気もするのである。
さて、そんな事よりも、私の右足の状態は極めて悪く、足を引きずって歩いているが、病院の副院長と打ち合わせをしていたのに「何故、診てもらわなかったの?」と言われるのが世間常識でもある。この辺りが世間常識と違うところで、市民病院は近所の開業医の手に負えない患者を診察する機関であり、会っていた医師は外科の先生でもあった。
こんな場合は整形外科の先生の担当であり、近くのかかりつけ医の仕事と思われるが、医師でもない病院幹部との話で『肉離れ』と自己判断しているが、明日にでもかかりつけ医に行く必要は感じるものの、元来の医者嫌いから当分は様子見となりそうでもある。こう言って半月が経過してきたのでもある。
ただし、こんな状態が続くと、年末の京都行きも赤信号となり、議会後に発行予定の会報の配布にも影響は必死でもある。肝心の忘年会については、会場の主となっている私が遅刻するだけではなく、書の指導をされている恩師も忘年会そのものを忘れて夕食を済ませられたというから最悪である。
しかし、多数を占める女性軍と分かれた後に、男性軍は久し振りの二次会に走り、永らく足を向けていなかった店に出向いた事から、限界を超えた飲酒と会食により、足の痛みと何とか治まった風邪をどうのと言ってはおられない帰宅となった。ひじょうに苦しい体調ではあるが、それでもパソコンの前に座らなければとの思いが、何とか正気でここに座っている原動力ともなっており、今晩は皆さん(家内にも)にお詫びする事しかない結末ともなっての今がある。
12月13日の一言
遅刻した理由は、来年1月27日に津島市文化会館で開催される『人にやさしい街づくり地域セミナー』のパネラーに予定してある、市民病院の副院長との打ち合わせのためであったが、本年のセミナーにもパネラーを依頼してあった実績から、アウンの呼吸で打ち合わせは終ったのでもあった。
この後が私の悪いクセで、来年3月に定年を迎える病院幹部と四国遍路や京都への旅の話に熱中していたのである。しかし、副院長との僅かな時間で経営危機にある津島市民病院の将来に明るい展望も感じて帰る事ができ、細かい裏側までは聞く事もなく語られる事もなかったが、心配する悪い話ばかりではなく、何とかなりそうな期待(無責任ですが)を持たされて帰れた気もするのである。
さて、そんな事よりも、私の右足の状態は極めて悪く、足を引きずって歩いているが、病院の副院長と打ち合わせをしていたのに「何故、診てもらわなかったの?」と言われるのが世間常識でもある。この辺りが世間常識と違うところで、市民病院は近所の開業医の手に負えない患者を診察する機関であり、会っていた医師は外科の先生でもあった。
こんな場合は整形外科の先生の担当であり、近くのかかりつけ医の仕事と思われるが、医師でもない病院幹部との話で『肉離れ』と自己判断しているが、明日にでもかかりつけ医に行く必要は感じるものの、元来の医者嫌いから当分は様子見となりそうでもある。こう言って半月が経過してきたのでもある。
ただし、こんな状態が続くと、年末の京都行きも赤信号となり、議会後に発行予定の会報の配布にも影響は必死でもある。肝心の忘年会については、会場の主となっている私が遅刻するだけではなく、書の指導をされている恩師も忘年会そのものを忘れて夕食を済ませられたというから最悪である。
しかし、多数を占める女性軍と分かれた後に、男性軍は久し振りの二次会に走り、永らく足を向けていなかった店に出向いた事から、限界を超えた飲酒と会食により、足の痛みと何とか治まった風邪をどうのと言ってはおられない帰宅となった。ひじょうに苦しい体調ではあるが、それでもパソコンの前に座らなければとの思いが、何とか正気でここに座っている原動力ともなっており、今晩は皆さん(家内にも)にお詫びする事しかない結末ともなっての今がある。
12月13日の一言
本日は議会の厚生委員会が開催されるために、葬儀に出席できないため朝一番で町内で亡くなられた95歳の方の祭壇に出向いたところ、棺桶の上に見慣れた白衣が置かれてあった。
「これは御嶽様の白衣ですね?」と聞くと、最近は先達が不在で奉られていないが、昔から御嶽山の信者である事を遺族より聞かされた。我家にも昔から御嶽様が奉ってあり、新屋のお爺さんも先達であり、我家のご先祖様である横井庄一は、グアム島から発見された直後の記者会見で、「おまえは御嶽様の申し子と母に言われていた」と延べている。
偶然ではあるが、私の母方の祖父も御嶽山の先達をしており、西尾張地方では知らない人がいないくらいの熱心な先達であった事から、現在もその関係の先達さんに時々来てもらってはいるが、親族に白衣を着る後継者はおらず、御嶽山に残された石塔にも時々出向く程度になっているのであった。
かつては母親の在所で毎月人が溢れていた信者も今は皆無となり、バスを何台も連ねていた夏や冬の御嶽山行きも中止せざるをえない状況であるが、御嶽山がスキーやハイキングで開発されるのと反比例して、信者が細る一方となった現実は止めようもなく、四国遍路の人気と比較すると時代の移り変わりを実感せずにはおられない。
白衣と言えば四国遍路と同じであるが、御嶽山の先達の修行は厳しく、真冬でも水をかぶって神前に向かう姿は、ハイキングとアルプス登頂くらいの違いがありはしないか。そんな厳しさから白衣を着る先達の後継者ばかりか信者まで激減させ、御嶽山にある霊神場の石塔も歯抜けのようになりつつある。
さて、棺桶の上に置かれた真っ白な白衣も一緒に火葬されたようだが、「お父さんも入れてあげるから」と言われて、自分の集めた収集品が気になり、「絶対に捨ててくれるな」と言うと、「亡くなる前に自分で処分しといてよ」との言葉が返ってきた。家内は白衣や遍路関係品を思い浮かべた言葉だったが、三男が「上高地に埋めてやる」と言った物はカメラだった。
私自身は鶴田浩二のコレクションを思い浮かべており、三者三様の思い違いは滑稽だが、事務所の2階には親父の残した絵画や書が多く残されており、親父の日本画の先輩の家族から託された多くの書物も残され、ご先祖様である横井庄一の遺品もミニ記念館とよべるほど残されており、私の死後は大変な仕事が残される事は確実であろう。
12月12日の一言
「これは御嶽様の白衣ですね?」と聞くと、最近は先達が不在で奉られていないが、昔から御嶽山の信者である事を遺族より聞かされた。我家にも昔から御嶽様が奉ってあり、新屋のお爺さんも先達であり、我家のご先祖様である横井庄一は、グアム島から発見された直後の記者会見で、「おまえは御嶽様の申し子と母に言われていた」と延べている。
偶然ではあるが、私の母方の祖父も御嶽山の先達をしており、西尾張地方では知らない人がいないくらいの熱心な先達であった事から、現在もその関係の先達さんに時々来てもらってはいるが、親族に白衣を着る後継者はおらず、御嶽山に残された石塔にも時々出向く程度になっているのであった。
かつては母親の在所で毎月人が溢れていた信者も今は皆無となり、バスを何台も連ねていた夏や冬の御嶽山行きも中止せざるをえない状況であるが、御嶽山がスキーやハイキングで開発されるのと反比例して、信者が細る一方となった現実は止めようもなく、四国遍路の人気と比較すると時代の移り変わりを実感せずにはおられない。
白衣と言えば四国遍路と同じであるが、御嶽山の先達の修行は厳しく、真冬でも水をかぶって神前に向かう姿は、ハイキングとアルプス登頂くらいの違いがありはしないか。そんな厳しさから白衣を着る先達の後継者ばかりか信者まで激減させ、御嶽山にある霊神場の石塔も歯抜けのようになりつつある。
さて、棺桶の上に置かれた真っ白な白衣も一緒に火葬されたようだが、「お父さんも入れてあげるから」と言われて、自分の集めた収集品が気になり、「絶対に捨ててくれるな」と言うと、「亡くなる前に自分で処分しといてよ」との言葉が返ってきた。家内は白衣や遍路関係品を思い浮かべた言葉だったが、三男が「上高地に埋めてやる」と言った物はカメラだった。
私自身は鶴田浩二のコレクションを思い浮かべており、三者三様の思い違いは滑稽だが、事務所の2階には親父の残した絵画や書が多く残されており、親父の日本画の先輩の家族から託された多くの書物も残され、ご先祖様である横井庄一の遺品もミニ記念館とよべるほど残されており、私の死後は大変な仕事が残される事は確実であろう。
12月12日の一言
昨日から続いた議会の一般質問が終わり、明日からは常任委員会が開催される。しかし、師走の土壇場にきてスケジュールは空白もなく悲鳴をあげており、うっかりすると行事を忘れてしまいそうなところに、町内の講組(大鹿姓)の訃報が舞いこんできた。
家内が仕事に出かけ、市役所に出かけようとした矢先の電話であった。本日の通夜と明日の葬儀であるが、議会開催中である事から急遽私の母親の出番となった。私も時間を外しての参列であるが、通夜の後には夜の書道会のために恩師が私の到着を待っておられ、明日は委員会の合い間に市民の方とともに弁護士の無料相談の約束がしてあり、車中から交通違反覚悟の連絡である。
迎えに走った恩師は、2日前に依頼した弘法大師の座右の銘(昨日の一言)を色紙12枚に清書されており、お披露目されると内容の説明が必要となり、自然と四国の話になり、本日も先週の公認先達研修の影を引きずり、明後日に予定されている書道会の忘年会(今年はこれだけです)の手配となったが、メンバーの車の手配は済んだものの、私自身は開始直前まで市民病院の医師と約束があり、会場までの足の確保ができずにいると、夜の10時半に連絡のつかなかった知人から間の悪い電話である。
本日は母親も家を出入りしているので、家庭と事務所の電話すべてが私の携帯電話に転送されてくる。暗い車中では連絡もできず、日曜日が当番の横井庄一記念館の連絡も、ボランティアに依頼する本末転倒の事態となり、夕食は10時を廻っていた。
こうしてこのパソコンの前に座ったわけであるが、明日の朝は地獄である。市役所に一番で走り、確認した案件を連絡し、葬儀前に焼香を済ませて9時からの厚生委員会を傍聴し、市民の方と合流し弁護士との対座となる。明日中に1月の講演を依頼した大学教授に連絡する必要に迫られているが、既に冬休み中の気配濃厚?で苦しい予想が…。
まさに行事と約束の繰り返しが続く。さて、地元のシキタリでは、葬儀から初7日までは毎晩同じ講組のメンバーの男で念仏を唱える事となっており、夜の約束どころではないが、変更する隙間もなく来週から年末まで日程が詰まっている。判っていた事でもあるが、過去にない苦しい展開が正月まて続く。(なんか最近はこんな一言の繰り返しですが、過去にない苦しい展開に、ついつい実況風となり)
12月11日の一言
家内が仕事に出かけ、市役所に出かけようとした矢先の電話であった。本日の通夜と明日の葬儀であるが、議会開催中である事から急遽私の母親の出番となった。私も時間を外しての参列であるが、通夜の後には夜の書道会のために恩師が私の到着を待っておられ、明日は委員会の合い間に市民の方とともに弁護士の無料相談の約束がしてあり、車中から交通違反覚悟の連絡である。
迎えに走った恩師は、2日前に依頼した弘法大師の座右の銘(昨日の一言)を色紙12枚に清書されており、お披露目されると内容の説明が必要となり、自然と四国の話になり、本日も先週の公認先達研修の影を引きずり、明後日に予定されている書道会の忘年会(今年はこれだけです)の手配となったが、メンバーの車の手配は済んだものの、私自身は開始直前まで市民病院の医師と約束があり、会場までの足の確保ができずにいると、夜の10時半に連絡のつかなかった知人から間の悪い電話である。
本日は母親も家を出入りしているので、家庭と事務所の電話すべてが私の携帯電話に転送されてくる。暗い車中では連絡もできず、日曜日が当番の横井庄一記念館の連絡も、ボランティアに依頼する本末転倒の事態となり、夕食は10時を廻っていた。
こうしてこのパソコンの前に座ったわけであるが、明日の朝は地獄である。市役所に一番で走り、確認した案件を連絡し、葬儀前に焼香を済ませて9時からの厚生委員会を傍聴し、市民の方と合流し弁護士との対座となる。明日中に1月の講演を依頼した大学教授に連絡する必要に迫られているが、既に冬休み中の気配濃厚?で苦しい予想が…。
まさに行事と約束の繰り返しが続く。さて、地元のシキタリでは、葬儀から初7日までは毎晩同じ講組のメンバーの男で念仏を唱える事となっており、夜の約束どころではないが、変更する隙間もなく来週から年末まで日程が詰まっている。判っていた事でもあるが、過去にない苦しい展開が正月まて続く。(なんか最近はこんな一言の繰り返しですが、過去にない苦しい展開に、ついつい実況風となり)
12月11日の一言
2日前に記した弘法大師の座右の銘と言われる中国後漢の崔子玉について記しておきたいと思います。
無道人之短 (ひとのたんをいうことなかれ) 他人の短所や過失、不得意なことをいってはならない。
無説己之長 (おのれのちょうをとくことなかれ) 自分の長所や手柄ばなしをして自慢してはならない。
施人慎勿念 (ひとにほどこしてはつつしんでおもうことなかれ) 他人へ施与したり、世話をしたことは口に出さず、いやしくもいつまでも心の中に思うてはならない。
受施慎勿忘 (ほどこしをうけてはつつしんでわすれることなかれ) 他人より施与をうけたり、世話になったことは決して忘れてはならない。
世誉不足慕 (せよはしたうにたらず) 世の中の名誉は、之を慕い追いかけたりするものではなく。
唯仁為紀綱 (ただじんをきこうとなす) 世に対するには、唯ひたすらに仁道(おもいやり)をもってするのがよい。
在涅貴不緇 (でつにありてくろまざるをとうとぶ) 黒泥の中に在りて、そのどろに汚れないのが貴い。
曖々内含光 (あいあいとしてうちにひかりをふくむ) ぼんやりとかすみ、底光りがして見える如き心を有せねばならない。
慎言節飲食 (げんをつつしみいんしょくをせっし) 言語をつつしみ、飲食もほどほどにして多くむさぼらず。
知足勝不祥 (たるをしればふしょうにかつ) 物事をかんがえて、七、八分目にとどめたならば、災難や不幸にかかることはない。
行之苟有恒 (これをおこないいやしくもつねあらば) 前に述べたことを実行して、かりそめにも忘れることなく守り通すならば。
久々自芬芳 (きゅうきゅうおのずからふんぽう) 一生一代事跡は芳しく(すぐれた功績)名は後世にまで及ぶであろう。
先週の金曜日に四国善通寺の宗務総長(真言宗善通寺派)である樫原禅澄僧正よりいただいた書です。1200年前に弘法大師が座右の銘にされた言葉であるが、国や年代を越え教えは永遠である事を実感し、書き写すだけでなく、今後の生活の中に活かすとともに、自身の指針にもしたい言葉でもある。
12月10日の一言
追伸 樫原禅澄僧正関連の記事
http://osaka.yomiuri.co.jp/ritsumei/rs51207a.htm
http://www.sikoku-basecamp.co.jp/work/report/event/zentyo/zentyo.htm
無道人之短 (ひとのたんをいうことなかれ) 他人の短所や過失、不得意なことをいってはならない。
無説己之長 (おのれのちょうをとくことなかれ) 自分の長所や手柄ばなしをして自慢してはならない。
施人慎勿念 (ひとにほどこしてはつつしんでおもうことなかれ) 他人へ施与したり、世話をしたことは口に出さず、いやしくもいつまでも心の中に思うてはならない。
受施慎勿忘 (ほどこしをうけてはつつしんでわすれることなかれ) 他人より施与をうけたり、世話になったことは決して忘れてはならない。
世誉不足慕 (せよはしたうにたらず) 世の中の名誉は、之を慕い追いかけたりするものではなく。
唯仁為紀綱 (ただじんをきこうとなす) 世に対するには、唯ひたすらに仁道(おもいやり)をもってするのがよい。
在涅貴不緇 (でつにありてくろまざるをとうとぶ) 黒泥の中に在りて、そのどろに汚れないのが貴い。
曖々内含光 (あいあいとしてうちにひかりをふくむ) ぼんやりとかすみ、底光りがして見える如き心を有せねばならない。
慎言節飲食 (げんをつつしみいんしょくをせっし) 言語をつつしみ、飲食もほどほどにして多くむさぼらず。
知足勝不祥 (たるをしればふしょうにかつ) 物事をかんがえて、七、八分目にとどめたならば、災難や不幸にかかることはない。
行之苟有恒 (これをおこないいやしくもつねあらば) 前に述べたことを実行して、かりそめにも忘れることなく守り通すならば。
久々自芬芳 (きゅうきゅうおのずからふんぽう) 一生一代事跡は芳しく(すぐれた功績)名は後世にまで及ぶであろう。
先週の金曜日に四国善通寺の宗務総長(真言宗善通寺派)である樫原禅澄僧正よりいただいた書です。1200年前に弘法大師が座右の銘にされた言葉であるが、国や年代を越え教えは永遠である事を実感し、書き写すだけでなく、今後の生活の中に活かすとともに、自身の指針にもしたい言葉でもある。
12月10日の一言
追伸 樫原禅澄僧正関連の記事
http://osaka.yomiuri.co.jp/ritsumei/rs51207a.htm
http://www.sikoku-basecamp.co.jp/work/report/event/zentyo/zentyo.htm
人間の身体は生身であり、いくら日程的にクリアできても、機械やロボットのようには身体が言う事を聞かないとの実感をヒシヒシと感ずる一日となった。
明らかに11月の後半からはオーバーワークとなっており、会員募集の京都行きのために風邪ぎみの体調を整えても、前後したバリアフリー検証会は外のために体調を崩し、議会開会を控えて風邪を治した中で、休会日の7日には前後を夜行バスで四国の善通寺まで移動したために完全なる体調不良である。
昨日の夕方も「お父さん、本当に行くの」と家族に言われながら、知人に依頼された日程に参加して帰宅したものの、体調は極限状態である。よくよく考えてみると先月21日に「寒波に身体が悲鳴の赤信号を」なる一文 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27684007.html を記しており、薬で身体をごまかしてみても、この時から何ら回復しないままに本日を向かえていたのであろう。
「お父さん、ご飯」と再三催促されても身体が受け付けない。食べると吐きそうでもあり、寒気がして歩くのも辛い。3日前からは右足も痛く、昨日は足を引きずっての参加となったが、本日は目眩までする有様である。こんな中で遅れていた明日の議会の一般質問をまとめてみるが、両目を開けているのもつらく、質問を行政側に通告した当時の新鮮な気持ちも湧かず、やっとのこと筆を置いたような顛末であった。
私にはこれまで特効薬があり、体調が少し悪い(風邪ぎみ)と『ジキニン』を飲み、頭痛や頭がはっきりとしない場合には『ケロリン』を飲めば大抵が治まってきたのであるが、今回はこれを繰り返しても治まるどころか、最後に胃腸薬も必要になりそうな気配でもある。
これから暖かい風呂に入り、十分な睡眠をとってから明日2番目に登壇する質問をこなすわけであるが、正直なところ過去最悪の体調の中での質問となるのは必死である。今まで不摂生な日程でも苦も無くこなしてきただけに、知人どころか家族でも体調不良を信じてもらえない事が辛い夜となった。
12月9日の一言
明らかに11月の後半からはオーバーワークとなっており、会員募集の京都行きのために風邪ぎみの体調を整えても、前後したバリアフリー検証会は外のために体調を崩し、議会開会を控えて風邪を治した中で、休会日の7日には前後を夜行バスで四国の善通寺まで移動したために完全なる体調不良である。
昨日の夕方も「お父さん、本当に行くの」と家族に言われながら、知人に依頼された日程に参加して帰宅したものの、体調は極限状態である。よくよく考えてみると先月21日に「寒波に身体が悲鳴の赤信号を」なる一文 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27684007.html を記しており、薬で身体をごまかしてみても、この時から何ら回復しないままに本日を向かえていたのであろう。
「お父さん、ご飯」と再三催促されても身体が受け付けない。食べると吐きそうでもあり、寒気がして歩くのも辛い。3日前からは右足も痛く、昨日は足を引きずっての参加となったが、本日は目眩までする有様である。こんな中で遅れていた明日の議会の一般質問をまとめてみるが、両目を開けているのもつらく、質問を行政側に通告した当時の新鮮な気持ちも湧かず、やっとのこと筆を置いたような顛末であった。
私にはこれまで特効薬があり、体調が少し悪い(風邪ぎみ)と『ジキニン』を飲み、頭痛や頭がはっきりとしない場合には『ケロリン』を飲めば大抵が治まってきたのであるが、今回はこれを繰り返しても治まるどころか、最後に胃腸薬も必要になりそうな気配でもある。
これから暖かい風呂に入り、十分な睡眠をとってから明日2番目に登壇する質問をこなすわけであるが、正直なところ過去最悪の体調の中での質問となるのは必死である。今まで不摂生な日程でも苦も無くこなしてきただけに、知人どころか家族でも体調不良を信じてもらえない事が辛い夜となった。
12月9日の一言
6日(金)夜、家の前にあるバス停から名古屋に向かったが、勤めた経験が一度もない人生で初めて家内に見送られて10時頃のバスに乗ったのであった。名古屋に30分の距離とは言え、その先の道中の長さを心配しての見送りであろうが、こちらは家内の左腕の方が心配な旅立ちでもあった。
名古屋を23時10分発の長距離バス高松行きに乗車すると、偶然にも隣りの席はお遍路姿の人で、目的も私と同じく善通寺の先達補任の研修を受けられる人で、早朝の7時前には丸亀駅に到着し、7時22分の電車で多度津駅に到着すると、善通寺から迎えのバスが待っていてくれた。
そして、朝から夕方までの研修がすみ、先達補任の辞令と先達の金剛杖を手に善通寺駅まで歩く。そして丸亀駅まで移動して夜10時25分発の名古屋へのバスを待ち、名古屋には午前6時前には到着し、本日朝一番のバスでの帰宅となった。家の前がバス停のためか、四国から直接降り立ったような錯覚すら覚え、数日が経過したように感じられる一日となった。
さて、昨日は終了後からバスの発車まで有り余る時間があり、頂いた『先達教典』を目に通して時間の経過を待ち続けたが、愛知県には愛媛県と大阪府に次いで公認先達の数が多く、実績を残された大先達の存在が記されており、改めて自身の未熟さを実感するとともに責任の重大さも感じた次第である。
昨日の研修会の最後に特別講演として「お遍路さんで感じたこと」と題して話された、真言宗善通寺派宗務総長の樫原禅澄僧正様より、無財の七施と一緒に記された弘法大師の座右の銘には感激した。5文字12行からなる中国後漢の崔子玉との事であるが、本日一緒に出向いた書の恩師に早速手本を依頼した。わずか60文字ではあるが、意味を噛み締めて座右の銘として記せるようになれば、少しは先達らしくなれるのかもしれません。
ただし、無財の七施のうち眼施(やさしい眼で人にせっする)、和顔施(にこやかな顔で接する)、言辞施(やさしい言葉でせっする)すら満足にできないのが現状であり、これらもひじょうに難しいと思われるが、せめて行動くらいは大師の座右の銘に心がけて生活していきたいものである。
12月8日の一言
名古屋を23時10分発の長距離バス高松行きに乗車すると、偶然にも隣りの席はお遍路姿の人で、目的も私と同じく善通寺の先達補任の研修を受けられる人で、早朝の7時前には丸亀駅に到着し、7時22分の電車で多度津駅に到着すると、善通寺から迎えのバスが待っていてくれた。
そして、朝から夕方までの研修がすみ、先達補任の辞令と先達の金剛杖を手に善通寺駅まで歩く。そして丸亀駅まで移動して夜10時25分発の名古屋へのバスを待ち、名古屋には午前6時前には到着し、本日朝一番のバスでの帰宅となった。家の前がバス停のためか、四国から直接降り立ったような錯覚すら覚え、数日が経過したように感じられる一日となった。
さて、昨日は終了後からバスの発車まで有り余る時間があり、頂いた『先達教典』を目に通して時間の経過を待ち続けたが、愛知県には愛媛県と大阪府に次いで公認先達の数が多く、実績を残された大先達の存在が記されており、改めて自身の未熟さを実感するとともに責任の重大さも感じた次第である。
昨日の研修会の最後に特別講演として「お遍路さんで感じたこと」と題して話された、真言宗善通寺派宗務総長の樫原禅澄僧正様より、無財の七施と一緒に記された弘法大師の座右の銘には感激した。5文字12行からなる中国後漢の崔子玉との事であるが、本日一緒に出向いた書の恩師に早速手本を依頼した。わずか60文字ではあるが、意味を噛み締めて座右の銘として記せるようになれば、少しは先達らしくなれるのかもしれません。
ただし、無財の七施のうち眼施(やさしい眼で人にせっする)、和顔施(にこやかな顔で接する)、言辞施(やさしい言葉でせっする)すら満足にできないのが現状であり、これらもひじょうに難しいと思われるが、せめて行動くらいは大師の座右の銘に心がけて生活していきたいものである。
12月8日の一言
本日は四国善通寺にて公認先達研修会が開催されました。
問題はどうやって帰るかですが、明日には所用があるため、今晩中には帰らなくてはならず、今晩も夜行バスですが、あと四時間をどうやって過ごすか、忍耐しかありませんが…
丸亀駅のベンチにて発信です。
当日の様子は、一緒に参加された「ことしし」さんのブログ(下記)を参照して下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/romorin_tomo/27736552.html
http://blog.livedoor.jp/s281218_hobby/archives/2590347.html
問題はどうやって帰るかですが、明日には所用があるため、今晩中には帰らなくてはならず、今晩も夜行バスですが、あと四時間をどうやって過ごすか、忍耐しかありませんが…
丸亀駅のベンチにて発信です。
当日の様子は、一緒に参加された「ことしし」さんのブログ(下記)を参照して下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/romorin_tomo/27736552.html
http://blog.livedoor.jp/s281218_hobby/archives/2590347.html
「左腕が痛くて上がらない」との一言は、昨晩遅くなってからの家内の発した言葉であるが、痛いと言われても医者でもない私には原因も判らず、「明日にでも医者に行けよ」と言う事しか言葉が見つからなかった。
それでも朝になったら痛みもなく仕事に出ていったが、昨晩の痛そうな表情からは尋常ではないと思われる。「帰りに医者に行けよ」とメールを送っておいたが、明日は家を不在とするために気になってくる。
左腕と言われても思い当たる病名もなく、万能であるパソコンで検索しても当人でなく判らず、家内は以前に手のシビレから頚椎の牽引を受けていたために、そんな関係かとも思われるが、心筋梗塞でもそんな痛みがあると聞き、とにかく早急に専門家の診断を仰ぐしか方法はない。
しかし、昨晩の痛み具合が続くと、やる気を見せている仕事どころではなく、家族の生活にも影響が出るのは必死であり、年齢から簡単に『五十肩』とは言えない状況にある。
結婚して30年近く経っているが、幸運にも子供の出産以外に入院もなく、趣味の旅行にもマイクロバスを使用する事が増え、万が一のために私の助手として大型免許まで取らせているが、全ての見直しが必要となってくる。
「おい、年末の買物ツアーはどうされるの?」と、旅行の写真を届けた知人からの問い合わせである。「今年はやりません」と答えたものの、かなり期待されていた様子がうかがえ、大晦日の京都行きの旅行を口に出しそうになってから、その一言を飲み込んで言葉を発しなかった。とにかく家内の容体次第となりそうである。
昨日届いた同級生の訃報も重ね併せるとそろそろ年齢を考えた行動が求められているのかも知れないが、孤独が嫌いで人恋しい性格ゆえに、次の企画や仕事を引き受けてしまうのである。
さて、今晩は夜11時に名古屋を発車する深夜バス高松行きに乗車し、早朝到着する丸亀駅から善通寺駅に移動して、善通寺で開催される研修会に参加する予定である。そして、夜には夜行バスで帰宅となり、翌日の行事が待っている。「せっかくだから、温泉でも入って泊まってきたら」との家内の言葉が、体力面から現実となる日も遠くはないのかもしれない。
12月6日の一言
それでも朝になったら痛みもなく仕事に出ていったが、昨晩の痛そうな表情からは尋常ではないと思われる。「帰りに医者に行けよ」とメールを送っておいたが、明日は家を不在とするために気になってくる。
左腕と言われても思い当たる病名もなく、万能であるパソコンで検索しても当人でなく判らず、家内は以前に手のシビレから頚椎の牽引を受けていたために、そんな関係かとも思われるが、心筋梗塞でもそんな痛みがあると聞き、とにかく早急に専門家の診断を仰ぐしか方法はない。
しかし、昨晩の痛み具合が続くと、やる気を見せている仕事どころではなく、家族の生活にも影響が出るのは必死であり、年齢から簡単に『五十肩』とは言えない状況にある。
結婚して30年近く経っているが、幸運にも子供の出産以外に入院もなく、趣味の旅行にもマイクロバスを使用する事が増え、万が一のために私の助手として大型免許まで取らせているが、全ての見直しが必要となってくる。
「おい、年末の買物ツアーはどうされるの?」と、旅行の写真を届けた知人からの問い合わせである。「今年はやりません」と答えたものの、かなり期待されていた様子がうかがえ、大晦日の京都行きの旅行を口に出しそうになってから、その一言を飲み込んで言葉を発しなかった。とにかく家内の容体次第となりそうである。
昨日届いた同級生の訃報も重ね併せるとそろそろ年齢を考えた行動が求められているのかも知れないが、孤独が嫌いで人恋しい性格ゆえに、次の企画や仕事を引き受けてしまうのである。
さて、今晩は夜11時に名古屋を発車する深夜バス高松行きに乗車し、早朝到着する丸亀駅から善通寺駅に移動して、善通寺で開催される研修会に参加する予定である。そして、夜には夜行バスで帰宅となり、翌日の行事が待っている。「せっかくだから、温泉でも入って泊まってきたら」との家内の言葉が、体力面から現実となる日も遠くはないのかもしれない。
12月6日の一言
本日も寒さを実感する一日となり、見苦しいのを承知で首巻(ネックウォーマー・一応Mizunoと書いてありますが)を付けたまま夜を迎えた次第であります。
12月議会の一般質問は、来週10日(月)と11日(火)に開催されますが、私は初日の2番目の登壇となりました。有線テレビの中継をご覧いただくか、議会を傍聴いただければ幸いです。下記が質問の要旨です。
1件目 市民病院の経営改善について
ここでは、夜間・休日の受付や救急患者の受け入れ等と、病院収益を上げる方策について質問の予定です。
2件目 津島市の救急体制について
救急については、5年前と比較して出動件数や内訳、搬送時間の短縮などについて質問します。
3件目 道路(歩道)のバリアフリーについて---歩行者と自転車の安全確保の視点から
歩道上にある点字ブロックの改善や、歩道の危険個所、電柱・標識の改善について質問します。
さて、本日は同級生の訃報があり、一宮市役所に勤める同級生が肺がんで亡くなったとの話である。私の同級生では一番出世が早く、2回ほど職場を訪れた事があったが、「おいッ」と手で合図して高校時代と変わらぬ対応に親近感を覚えていたが、春に人間ドックで異常が見つかり闘病生活をおくっていたとの話を聞いても、あまりにも早い他界に言葉もでない。
「そういえば、タバコが好きだったからなァ」の言葉に、知らせてくれた知人が「それならオレも肺がんじゃないか」の一言がかえってきた。
もうそんな年になっているんだと実感してしまいそうだが、53や54才の他界は早すぎ、時間的余裕もないために疎遠になっている知人も多く、あらためて同級生との時間の共有について考えてみたい。
12月5日の一言
12月議会の一般質問は、来週10日(月)と11日(火)に開催されますが、私は初日の2番目の登壇となりました。有線テレビの中継をご覧いただくか、議会を傍聴いただければ幸いです。下記が質問の要旨です。
1件目 市民病院の経営改善について
ここでは、夜間・休日の受付や救急患者の受け入れ等と、病院収益を上げる方策について質問の予定です。
2件目 津島市の救急体制について
救急については、5年前と比較して出動件数や内訳、搬送時間の短縮などについて質問します。
3件目 道路(歩道)のバリアフリーについて---歩行者と自転車の安全確保の視点から
歩道上にある点字ブロックの改善や、歩道の危険個所、電柱・標識の改善について質問します。
さて、本日は同級生の訃報があり、一宮市役所に勤める同級生が肺がんで亡くなったとの話である。私の同級生では一番出世が早く、2回ほど職場を訪れた事があったが、「おいッ」と手で合図して高校時代と変わらぬ対応に親近感を覚えていたが、春に人間ドックで異常が見つかり闘病生活をおくっていたとの話を聞いても、あまりにも早い他界に言葉もでない。
「そういえば、タバコが好きだったからなァ」の言葉に、知らせてくれた知人が「それならオレも肺がんじゃないか」の一言がかえってきた。
もうそんな年になっているんだと実感してしまいそうだが、53や54才の他界は早すぎ、時間的余裕もないために疎遠になっている知人も多く、あらためて同級生との時間の共有について考えてみたい。
12月5日の一言
議員になって9年も経過すると、議会の一般質問も仕事として淡々と事を進めているが、問題は来年1月27日(日)に予定している『人にやさしい街づくり地域セミナー』についても、来年の事と思っていると手遅れになり、基調講演やパネラーを依頼してある人々には早急の打ち合わせが必要であり、津島市の1月1日号の広報に掲載するにはタイムリミットが迫っているはずである。
現実にはセミナーの内容については主催する愛知県やメンバーに報告してあるものの、実際のテーマの題名や、役割分担は何もすすめてはおらず、セミナーで報告する『バリアフリー検証会』のみが終っただけで、会場の予約以外は何にも終ってはいないのである。
さて、諦めていた7日(金)が議会の休会日にあたり、6日の夜に深夜発の夜行バスに乗って四国の善通寺まで行ける事となったが、翌日の土曜日の夜には私をあてにする知人がおり、7日の深夜便で帰ってくると2日間の睡眠はバスの車中のみとなってしまい、時間的には何とかなるものの私の身体が悲鳴をあげそうでもある。
さて、さてと…。定期的に連絡のある市民の方と今(午前0時15分)話が終わり電話を切った。3時間の長話であるが、そのほとんどが市民病院の問題が中心であった。
この前(書込み中)に記そうと思っていた事は、よりどりみどりの旅行の話であった事も忘れてしまう時間の経過であり、明日に通告する議会の一般質問すら気力をなくすほど津島市の財政は厳しい現状である。万が一、津島市が夕張市のような結末を迎える可能性も否定はできず、そうなった時に議員としての責任はと考えると、行く末は前途多難にも思われる。
書き込む一言が、3時間の長電話で分断され、中途半端になってしまったが、書こうとした旅行については後日記す事とし、明日は明日通告した議会での質問内容について記したいと考えています。
12月4日の一言
追伸 本日より津島市の12月議会が開催されています。
現実にはセミナーの内容については主催する愛知県やメンバーに報告してあるものの、実際のテーマの題名や、役割分担は何もすすめてはおらず、セミナーで報告する『バリアフリー検証会』のみが終っただけで、会場の予約以外は何にも終ってはいないのである。
さて、諦めていた7日(金)が議会の休会日にあたり、6日の夜に深夜発の夜行バスに乗って四国の善通寺まで行ける事となったが、翌日の土曜日の夜には私をあてにする知人がおり、7日の深夜便で帰ってくると2日間の睡眠はバスの車中のみとなってしまい、時間的には何とかなるものの私の身体が悲鳴をあげそうでもある。
さて、さてと…。定期的に連絡のある市民の方と今(午前0時15分)話が終わり電話を切った。3時間の長話であるが、そのほとんどが市民病院の問題が中心であった。
この前(書込み中)に記そうと思っていた事は、よりどりみどりの旅行の話であった事も忘れてしまう時間の経過であり、明日に通告する議会の一般質問すら気力をなくすほど津島市の財政は厳しい現状である。万が一、津島市が夕張市のような結末を迎える可能性も否定はできず、そうなった時に議員としての責任はと考えると、行く末は前途多難にも思われる。
書き込む一言が、3時間の長電話で分断され、中途半端になってしまったが、書こうとした旅行については後日記す事とし、明日は明日通告した議会での質問内容について記したいと考えています。
12月4日の一言
追伸 本日より津島市の12月議会が開催されています。
本日は普段より30分早くから議会運営委員会が開催されたため、この30分の大きさを実感した次第であり、写真の引き伸ばしが依頼してあったカメラ屋も、自分にあった来年度の手帳を探そうとした書店も開店しておらず、そのまま家に帰る事となったのである。
昼には先週やり残した同窓会報の広告代の集金にスポンサーの開業医のところに出向いたところ、津島市の医療について立ち話で1時間もの長話になってしまったのであるが、先週に引き続き役員の知人が運転手役で待っており、1時間も待たされて顔が引きつり、「いい加減にしてほしいわッ」との一言には言葉も出せなかった。
このままでは『アッシー君』となってしまうため、愛知県庁に提出する重要な書類を届けてもらう大役も依頼し、遅れた昼食をおごる事となり、先週の意地におごらせたコーヒー代が無意味にもなってしまう顛末である。
しかし、今日の会話の相手は定年まで大学病院に勤務され、最近になって親の開業医を継がれた経歴をお持ちになるだけに、大学の医局や勤務医と開業医の双方に理解を持っておられる事から、津島市の医療を考えるうえで、私にとっても大きなヒントをいただき、相手にも少しは津島市の現状が提供できたのではと勝手に思っている。
さて、待たされた知人は怒り心頭で、「おまえらは知り合いだから良いけど…」との愚痴は当然だろうが、実はこのお医者さんと私は過去2回しか会った事がなく、初めて会った小学校の卒業式の後で意気投合して長時間話し込んだものの、2回目は今年の同窓会報のスポンサー不足で無理矢理のようにお願いしただけの関係なのである。
そんな罰の悪い訪問である事を知人は知るよしも無く、「これからは一人で行ってくれ」とえらい剣幕である。「おい、お医者さんと仲良くしておくと良い事があるぞッ」と言っても、「そんな心配は無用だわッ」と会話もかみ合わず、「来年は辞やめなきゃいかん」の一言が返ってきた。
「おい、せっかくお願いしたスポンサーだから」と言うと、「何を言ってるんだッ、役員を辞めるんだ」と益々鼻息が荒くなっている。私も会長を拝命して10年の歳月が経過しており、辞めたいのは山々で、先輩会長たちにも相談を持ちかけてあるが、日頃の役員会すら出席者が少ないうえに、会長職は『スポンサー廻り』のようなもので、大変さが判っているから後任探しは過去から難航していた経緯がある。
2年前に「今年で辞めたい」と発言し、後任が定まらない事から恩師に厳しく注意された事があるが、苦痛を共有する役員に辞められると益々苦しくなるから引きとめると、「そんな事だから辞めれないんだッ」と厳しい一言が返ってきた。今年の安倍首相が政権を投げ出し、無責任と批判されていたが、投げ出しても後任のある自民党がうらやましく感じる一日となった。
12月3日の一言
昼には先週やり残した同窓会報の広告代の集金にスポンサーの開業医のところに出向いたところ、津島市の医療について立ち話で1時間もの長話になってしまったのであるが、先週に引き続き役員の知人が運転手役で待っており、1時間も待たされて顔が引きつり、「いい加減にしてほしいわッ」との一言には言葉も出せなかった。
このままでは『アッシー君』となってしまうため、愛知県庁に提出する重要な書類を届けてもらう大役も依頼し、遅れた昼食をおごる事となり、先週の意地におごらせたコーヒー代が無意味にもなってしまう顛末である。
しかし、今日の会話の相手は定年まで大学病院に勤務され、最近になって親の開業医を継がれた経歴をお持ちになるだけに、大学の医局や勤務医と開業医の双方に理解を持っておられる事から、津島市の医療を考えるうえで、私にとっても大きなヒントをいただき、相手にも少しは津島市の現状が提供できたのではと勝手に思っている。
さて、待たされた知人は怒り心頭で、「おまえらは知り合いだから良いけど…」との愚痴は当然だろうが、実はこのお医者さんと私は過去2回しか会った事がなく、初めて会った小学校の卒業式の後で意気投合して長時間話し込んだものの、2回目は今年の同窓会報のスポンサー不足で無理矢理のようにお願いしただけの関係なのである。
そんな罰の悪い訪問である事を知人は知るよしも無く、「これからは一人で行ってくれ」とえらい剣幕である。「おい、お医者さんと仲良くしておくと良い事があるぞッ」と言っても、「そんな心配は無用だわッ」と会話もかみ合わず、「来年は辞やめなきゃいかん」の一言が返ってきた。
「おい、せっかくお願いしたスポンサーだから」と言うと、「何を言ってるんだッ、役員を辞めるんだ」と益々鼻息が荒くなっている。私も会長を拝命して10年の歳月が経過しており、辞めたいのは山々で、先輩会長たちにも相談を持ちかけてあるが、日頃の役員会すら出席者が少ないうえに、会長職は『スポンサー廻り』のようなもので、大変さが判っているから後任探しは過去から難航していた経緯がある。
2年前に「今年で辞めたい」と発言し、後任が定まらない事から恩師に厳しく注意された事があるが、苦痛を共有する役員に辞められると益々苦しくなるから引きとめると、「そんな事だから辞めれないんだッ」と厳しい一言が返ってきた。今年の安倍首相が政権を投げ出し、無責任と批判されていたが、投げ出しても後任のある自民党がうらやましく感じる一日となった。
12月3日の一言
私は津島市のボランティアTさんを伴って、ニ週間に一度の当番ですが、この間にも多くの人々が遠くは北海道からも訪問されており、記念館のノートにも寄せ書きが残され、お礼の手紙や電話ファックスも届けられており、私達が休んでいる間にも記念館を訪問している人々の足跡を実感されられる一日となりました。
先週の11月25日付けの寄せ書きを紹介すると、
横井庄一さん本当に長い間御苦労さまでした。
とても言葉にあらわせません。
よくぞお元気で戻って頂けてこんな嬉しい事はございません。
又、奥さまと御縁がございまして何より心がなごみました。本当にありがとうございました。
どうか横井様の代わりにいつまでもお体を御大事にあそばれて横井様をお守りしてくださいませ。
本日は本当にありがとうございました。
名古屋市港区のご夫婦より
また、27日付けの手紙(名古屋市中区の女性)には
街路樹がきれいに色づいてその見事さにうっとりとしています。
先日は楽しいひと時をありがとうございました。
若いお方が来館されて嬉しく思いました。
お風邪を召されませぬよう、またお目にかかれまい日を願って!
と記されておりました。
添付した写真は解り辛いですが、大阪府吹田市の編集者より、グアムライフの編集のために記念館を訪問したお礼と、グアムライフに掲載する記念館の地図の確認がファクスで送られていました。
横井庄一が不在でも、夫人の存在によって、あたかも横井庄一が生きているかのような錯覚におちいる手紙などが今も届けられており、本日も訪問者の中には何度も訪問を続けておられる方も存在し、一個人の小さな私的記念館でありながら、戦争のない平和のためには存続の意義を実感する一日となったのでもあった。
12月2日の一言
明日は12月と期した昨日から1日ではあるが、本日よりは12月となり、テレビからもお歳暮商戦の話題が報じられるなど、確実に師走に入った事を実感させられる。
来週に入れば12月議会がスタートし、議会が閉会される頃には年末となり、大晦日と元旦が迫ってくる。12月議会の一般質問でも市民病院の問題には触れるので、過去の経過と現在の状況について本日のブログ上に添付し、皆さんには現代の状態に至った経過から理解してもらい、私自身の気持ちの切り替えにもしたいと思う。
現在の厳しい経営状況を招いた原因は医師不足の一言に尽き、これが解消すれば全てが解決に導かれるが、全国どこの病院でも抱える問題ゆえに簡単な事ではないが、こんな瀬戸際だからこそ市民の声によって、何が求められ何をすべきかの原点から掘り下げ、市民の声が反映される医療へと打開したい。
病院改築・増築の経緯等 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27984311.html
津島市民病院経営改革の流れ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27984478.html
さて、深刻な話題からテーマを旅に移すと不謹慎と言われるかもしれないが、津島市においては旅行を取り扱う旅行業者も撤退が続き、名鉄観光をはじめ鉄道系の大手の営業所は皆無となり、地元の個人業者のみが細々とカンバンを残しているような現状にあるが、今日の現状を20年前から見越していた人々があった。
「津島市の人々は農協や郵便局をはじめ、旅行は商店のサービスで連れていってもらうものとの感覚が強く、会費を払ってまで参加しない」との指摘を、旅行会社のベテラン社員が話し、当時でも旅行好きな人々は津島ではなく、名古屋まで出向いてツアーに参加したり、旅券を買い求めている現実を聞かされたことがあった。
世の中か厳しくなり、農協や郵便局がオマケで旅行に連れて行く余裕もなくなり、最近では老人クラブが津島市の補助によって無料バスを提供しているが、これも時間の問題となるのは必死で、対象者の7割以上が加入していない老人クラブへの補助金は不公平との対象者からの指摘も出されている。
20年前に実費の会費制で朝日旅行友の会をはじめた私には、サービスで連れて行く旅行の体質が大きな障壁と感じられたが、最近では格安パックや議員の旅行と比較される事が多くなった。しかし、旅行に関して言えば、どこかに連れて行ってもらう時代ではなく、自分で行きたい場所にバラエティーに富んだ行き方ができる時代になってきている。
医療についても同じ事が言える。市民病院の医師不足で困る事は、夜間の急病や事故での救急搬送の患者であり、現在深刻に困っている人々の多くは、かかりつけ医を持たない人であり、金がかかっても良い医者や医療機関を探す気持ちに欠けている場合が多い。
私の四国遍路に4回も同行するKさん(76才)は神仏への信心は皆無と言う。「では、どうして?」と問うと、「四国は階段や坂道が多くてキツイが、行くと1ヶ月は体が軽い。病院代を払うよりマシだ」との言葉が返ってきた。 生命保険に大金をかけている人も多いが、健康チェックにかかりつけ医を選択し、病気にならない方策に金をかける時代でもある。
12月1日の一言
来週に入れば12月議会がスタートし、議会が閉会される頃には年末となり、大晦日と元旦が迫ってくる。12月議会の一般質問でも市民病院の問題には触れるので、過去の経過と現在の状況について本日のブログ上に添付し、皆さんには現代の状態に至った経過から理解してもらい、私自身の気持ちの切り替えにもしたいと思う。
現在の厳しい経営状況を招いた原因は医師不足の一言に尽き、これが解消すれば全てが解決に導かれるが、全国どこの病院でも抱える問題ゆえに簡単な事ではないが、こんな瀬戸際だからこそ市民の声によって、何が求められ何をすべきかの原点から掘り下げ、市民の声が反映される医療へと打開したい。
病院改築・増築の経緯等 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27984311.html
津島市民病院経営改革の流れ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27984478.html
さて、深刻な話題からテーマを旅に移すと不謹慎と言われるかもしれないが、津島市においては旅行を取り扱う旅行業者も撤退が続き、名鉄観光をはじめ鉄道系の大手の営業所は皆無となり、地元の個人業者のみが細々とカンバンを残しているような現状にあるが、今日の現状を20年前から見越していた人々があった。
「津島市の人々は農協や郵便局をはじめ、旅行は商店のサービスで連れていってもらうものとの感覚が強く、会費を払ってまで参加しない」との指摘を、旅行会社のベテラン社員が話し、当時でも旅行好きな人々は津島ではなく、名古屋まで出向いてツアーに参加したり、旅券を買い求めている現実を聞かされたことがあった。
世の中か厳しくなり、農協や郵便局がオマケで旅行に連れて行く余裕もなくなり、最近では老人クラブが津島市の補助によって無料バスを提供しているが、これも時間の問題となるのは必死で、対象者の7割以上が加入していない老人クラブへの補助金は不公平との対象者からの指摘も出されている。
20年前に実費の会費制で朝日旅行友の会をはじめた私には、サービスで連れて行く旅行の体質が大きな障壁と感じられたが、最近では格安パックや議員の旅行と比較される事が多くなった。しかし、旅行に関して言えば、どこかに連れて行ってもらう時代ではなく、自分で行きたい場所にバラエティーに富んだ行き方ができる時代になってきている。
医療についても同じ事が言える。市民病院の医師不足で困る事は、夜間の急病や事故での救急搬送の患者であり、現在深刻に困っている人々の多くは、かかりつけ医を持たない人であり、金がかかっても良い医者や医療機関を探す気持ちに欠けている場合が多い。
私の四国遍路に4回も同行するKさん(76才)は神仏への信心は皆無と言う。「では、どうして?」と問うと、「四国は階段や坂道が多くてキツイが、行くと1ヶ月は体が軽い。病院代を払うよりマシだ」との言葉が返ってきた。 生命保険に大金をかけている人も多いが、健康チェックにかかりつけ医を選択し、病気にならない方策に金をかける時代でもある。
12月1日の一言
津島市民病院経営改革の流れ
平成18年4月 津島市民病院経営改革会議設置要綱制定
(改革会議構成メンバー)
・リーダー 参与
・サブリーダー 市長公室長、総務部長、市民病院事務局長
・市長公室企画政策課・人事課、総務部財政課、市民病院事務局管理課・医事課の長
・上記の課に属するグループリーダーのうち長の推薦を受けたもの
平成18年4月 津島市民病院改革委員会設置要綱制定
(委員会構成メンバー)
・長 隆 ⇒総務省地方公営企業経営アドバイザー
(東日本税理士法人 代表社員)
・稲垣 春夫 ⇒トヨタ記念病院 病院長
・小山田 惠 ⇒(社)全国自治体病院協議会 会長
・松崎 安孝 ⇒津島市民病院 病院長
・村田 利郎 ⇒津島市参与
平成18年7月11日
第1回津島市民病院改革委員会開催
平成18年10月6日
第2回津島市民病院改革委員会開催
平成18年11月6日
第3回津島市民病院改革委員会開催
(答申)
1 収支均衡
2 予算編成
3 人事
4 給与制度
5 経営形態
6 経営評価委員会による評価と開示
平成19年2月 津島市民病院経営改革行動計画(アクションプラン)策定
平成19年2月 津島市民病院経営評価委員会設置要綱制定
平成19年4月 津島市民病院行動計画実行計画策定
平成19年7月2日
第1回津島市民病院経営評価委員会開催
(委員会構成メンバー)
・稲垣 春夫 ⇒トヨタ記念病院 病院長
・末永 裕之 ⇒(社)全国自治体協議会愛知県支部長
小牧市民病院 病院長、
・太田 賢一 ⇒公認会計士
平成19年11月26日
第2回津島市民病院経営評価委員会開催
平成20年の1月か2月に3回目の委員会開催予定
平成18年4月 津島市民病院経営改革会議設置要綱制定
(改革会議構成メンバー)
・リーダー 参与
・サブリーダー 市長公室長、総務部長、市民病院事務局長
・市長公室企画政策課・人事課、総務部財政課、市民病院事務局管理課・医事課の長
・上記の課に属するグループリーダーのうち長の推薦を受けたもの
平成18年4月 津島市民病院改革委員会設置要綱制定
(委員会構成メンバー)
・長 隆 ⇒総務省地方公営企業経営アドバイザー
(東日本税理士法人 代表社員)
・稲垣 春夫 ⇒トヨタ記念病院 病院長
・小山田 惠 ⇒(社)全国自治体病院協議会 会長
・松崎 安孝 ⇒津島市民病院 病院長
・村田 利郎 ⇒津島市参与
平成18年7月11日
第1回津島市民病院改革委員会開催
平成18年10月6日
第2回津島市民病院改革委員会開催
平成18年11月6日
第3回津島市民病院改革委員会開催
(答申)
1 収支均衡
2 予算編成
3 人事
4 給与制度
5 経営形態
6 経営評価委員会による評価と開示
平成19年2月 津島市民病院経営改革行動計画(アクションプラン)策定
平成19年2月 津島市民病院経営評価委員会設置要綱制定
平成19年4月 津島市民病院行動計画実行計画策定
平成19年7月2日
第1回津島市民病院経営評価委員会開催
(委員会構成メンバー)
・稲垣 春夫 ⇒トヨタ記念病院 病院長
・末永 裕之 ⇒(社)全国自治体協議会愛知県支部長
小牧市民病院 病院長、
・太田 賢一 ⇒公認会計士
平成19年11月26日
第2回津島市民病院経営評価委員会開催
平成20年の1月か2月に3回目の委員会開催予定
病院改築・増築の経緯等
平成2年7月 津島市民病院経営再建委員会を設置
病院改築を含む短期・長期の経営再建を検討し、医療体制の確立と財政の健全化を諮るための、市長に対する諮問機関。
平成3年5月 第1回答申
現在地での建て替え建築が可能であるか調査し検討を進めるようにとの答申。
平成4年3月 名工大教授監修による建設基本調査策定
平成4年5月 第2回答申。建物が古く狭隘で効率の悪い点に重点を置き検討を進めた結果、
現在地での建設に取り組まれるようにとの答申。
平成5年2月 (株)東海総合研究所による「津島市民病院経営診断書」策定
平成5年7月 院内に病院再建推進会議及び各検討部会設置
平成6年7月 病院再建対策担当者配置
平成6年11月 津島市民病院経営再建委員会に整備計画概要説明
(委員会解散)
平成7年1月 議会都市政策特別委員会に整備計画概要説明
平成7年4月 病院再建推進室設置
平成7年11月 第四次病院事業経営健全化措置団体の指定を受ける
(病棟の建て替え整備を計画に盛り込む)
平成8年3月 病院建て替え基本設計策定
平成9年3月 病院第一次(病棟)工事実施設計策定
平成9年5月 常任委員会に第一次改築工事概要説明
平成9年8月 病院改築工事(第一次)着工
平成11年3月 病院改築工事(第一次)南病棟完成
平成12年11月 病院改築工事(第一次)北病棟完成
平成13年3月 病院改築工事(第一次)完了(病床289床)
病院第二次(外来)工事実施設計策定
平成13年5月 常任委員会に第二次改築工事概要説明
平成13年7月 津島市民病院改築工事(第二次)着工
平成13年12月 病院増床整備計画書提出(平成14年3月愛知県医療審議会において承認される)
平成14年3月 増築工事基本設計策定
平成14年4月 病院等開設許可事項一部変更(許可)
10月 第二次(外来棟)完成
平成15年1月 市長に病棟増築概要説明
平成15年3月 病院改築工事(第二次)完了
病院増築工事実施設計策定(常任委員会に病棟増築工事概要説明)
平成15年8月 病院増築工事着工
平成17年3月 増築棟(西病棟)完成
11月 既存施設改修工事終了(厨房、健康管理室・職員更衣室・ICU・CCU、診療局) 附属棟(託児所・研修医宿泊施設)完成
平成18年7月 緩和ケア病棟の開設
平成2年7月 津島市民病院経営再建委員会を設置
病院改築を含む短期・長期の経営再建を検討し、医療体制の確立と財政の健全化を諮るための、市長に対する諮問機関。
平成3年5月 第1回答申
現在地での建て替え建築が可能であるか調査し検討を進めるようにとの答申。
平成4年3月 名工大教授監修による建設基本調査策定
平成4年5月 第2回答申。建物が古く狭隘で効率の悪い点に重点を置き検討を進めた結果、
現在地での建設に取り組まれるようにとの答申。
平成5年2月 (株)東海総合研究所による「津島市民病院経営診断書」策定
平成5年7月 院内に病院再建推進会議及び各検討部会設置
平成6年7月 病院再建対策担当者配置
平成6年11月 津島市民病院経営再建委員会に整備計画概要説明
(委員会解散)
平成7年1月 議会都市政策特別委員会に整備計画概要説明
平成7年4月 病院再建推進室設置
平成7年11月 第四次病院事業経営健全化措置団体の指定を受ける
(病棟の建て替え整備を計画に盛り込む)
平成8年3月 病院建て替え基本設計策定
平成9年3月 病院第一次(病棟)工事実施設計策定
平成9年5月 常任委員会に第一次改築工事概要説明
平成9年8月 病院改築工事(第一次)着工
平成11年3月 病院改築工事(第一次)南病棟完成
平成12年11月 病院改築工事(第一次)北病棟完成
平成13年3月 病院改築工事(第一次)完了(病床289床)
病院第二次(外来)工事実施設計策定
平成13年5月 常任委員会に第二次改築工事概要説明
平成13年7月 津島市民病院改築工事(第二次)着工
平成13年12月 病院増床整備計画書提出(平成14年3月愛知県医療審議会において承認される)
平成14年3月 増築工事基本設計策定
平成14年4月 病院等開設許可事項一部変更(許可)
10月 第二次(外来棟)完成
平成15年1月 市長に病棟増築概要説明
平成15年3月 病院改築工事(第二次)完了
病院増築工事実施設計策定(常任委員会に病棟増築工事概要説明)
平成15年8月 病院増築工事着工
平成17年3月 増築棟(西病棟)完成
11月 既存施設改修工事終了(厨房、健康管理室・職員更衣室・ICU・CCU、診療局) 附属棟(託児所・研修医宿泊施設)完成
平成18年7月 緩和ケア病棟の開設
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