大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2008年01月

毒見役は愛犬かお父さんか…

 夜型の生活は変わらないが、昨晩は風呂にゆったりと浸かっていたら身体中が温まり、普段なら活躍する午前様の時間帯に朝まで熟睡することができた。

 永年の習慣で新聞配達中の時間帯には目が冴えわたり、朝刊を熟読した疲れで眠気がおそってくるのだが、本日は早朝から事務所にこもって仕事と(無用な事ばかりではあったが)なった。風呂に対する再認識ではないが、世間の人々への身だしなみやエチケットから、温まる事よりも洗う事しか眼中になかったが、気のせいか半年前より痛み出した右の腰まで調子が良い。

 昨日のニンニクとショウガが効いたとは思えないし、昨日初めて飲んだアリナミンの効果とも思えない事から、ぬるま湯に汗がしたたるまで風呂に入っていた効果としか思えないのである。我家の造りが古く、風呂に入るまでの着替えが寒く、寒い日にはムリに入らず朝のシャワーか入浴で済ませてきたが、これが続くようなら生活習慣を見直してみたいと思う。

 さて、昨日報じられたギョウザの食中毒事件から、本日は我家の冷蔵庫を点検すると、冷凍食品の半分は中国原産か輸入されたもので、「中国製は捨てろ」と家内に言ったものの、半分が中国製とは思っていなかった事から、現物を消費してから買い控えるように伝えた次第である。もっとも、こんな「もったいない」との気持ちでは、食中毒にならないと判らないのかもしれません。

 数日前より、我家の愛犬「モモ」ちゃんの体調が悪く、下痢を繰り返している原因として、置いてあるサツマイモが齧られたり減っていく事から、生のイモを食べて腹をこわしていると言われていたが、本日の夜にイモの近くに仕掛けられたネズミ捕りに大きなネズミが引っ掛かっており、どうやらイモ泥棒はネズミの仕業であり、卑しく言われていたのは誤解であった事が判明した。

 もっともこのサツマイモは我家の畑の産で、食べても農薬の影響はありませんが、気の小さい「モモ」ちゃんはネズミの侵入が気になって神経性胃炎か腸炎になっていたとは人間の身勝手な憶測でしかないが、とにかく気が小さくカミナリや花火の音が怖くて散歩にも行けないくせに、抱き上げられるのが嫌で抱くと私にも噛み付く怖さも併せ持つ愛犬である。

 「これからはモモちゃんに毒見してもらおうか」と、我々より先に犬の食事とする冗談も聞かれたが、本日の朝日新聞の素粒子には「これからは最初に食べてはダメよ。まずお父さんに食べてもらいます。なにごともなかったら食べるのよ」との小学生の作文からの引用文が記されていた。これは皮肉とは思うが家族には読んでほしくない一文でもある。
                                 1月31日の一言

ギョウザ中毒事件は外交問題である…

 スーパーで購入した中国製冷凍ギョウザを食べた千葉県市川市の家族5人が食中毒によって入院しており、兵庫県でも今月のはじめにこのギョウザを食べた家族3人が食中毒で入院していた事が発表され、この2件以外にも同様な事件が起こっているとの報道もある。

 このギョウザには有機リン系農薬「メタミドホス」が混入しており、毒性が強く日本では使用されていない殺虫剤を、中国では当り前に使用しているとの報に、改めて食品や輸入された野菜などへの検査の徹底を訴えていきたい。
 今回の商品は日本たばこ産業(JT)の子会社であるジェイティフーズが輸入し、「CO・OP冷凍食品手作り餃子」としてスーパーの店頭に並んでいたとの事から、我家の冷蔵庫に眠る類似の食品も気になるところでもある。

 さて、中国や北朝鮮から輸入した野菜や海産物が危険との認識は定着しているものの、購入する際に細かく調べて買われているとは思えず、最近ではほとんどの野菜が輸入品とは思っても、自分の家庭に置かれた食材が危険との認識を持っている人は少ないのではないか。

 本日は私のお気に入りブログにある『安全な美しい地球と健康を未来の子供たちのために…』http://blogs.yahoo.co.jp/pcpapa_okudo/5844081.htmlの中から、「老化の防止のためにすること」を読み直し、「ニンニク、ショウガを毎日の食事に取り入れる」を参考に、ショウガと普段は臭う為に全く口にしていない「ニンニク」にタマネギと大根の葉を一緒にスープとして飲んだ。

 タマネギと大根は我家の畑の産であるが、ニンニクとショウガに関しては生産地不明の食材であり、身体に良いと信じて摂取する食品も今回のような食材であったならば逆効果ともなりかねない。

 本日は消費期限を偽装していた赤福餅に対する営業禁止が解除されたとの報もあるが、誰一人として健康被害も食害も出していない『赤福』に対して、昨年10月19日より3ヶ月以上も営業禁止処分が取られていた現実から、今回の食中毒で入院にまで至り生命にかかわる食害事件への行政の対応に注目したい。
                                 1月30日の一言
追伸 帰宅後の家内の話ではニンニクは中国産。「安いのでウラを見たら中国産と書いてあった」との事でした。ショウガは?怖いですねー。

眠らせていたホームページへ…

 先週のことであったが、私のホームページから資料を見る必要が生じたため、出かけた先でアクセスを頼んだところ、私が予想もしなかった方法で私のホームページが開かれたのであった。

 私には平成16年2月から地元有線テレビ局の中に開設した『津島の新しい風』がホームページとして存在しているが、その後にパソコンの不調や運営サイトの不具合から、私に投稿された手紙を18年2月からはヤフーのジオログに移し、その関係でヤフーの中にも私のホームページが作られていたのであった。

 その後18年11月からは旅先からも書き込めるヤフーブログに毎日の一言を移し、津島の新しい風とリンクして書き込んできました。そして、『朝日旅行友の会』や『横井庄一・明日への道』、『ひとまち生活ネット津島』などとホームページを分化させた事により、まったく忘れた存在になっていたのがヤフーに開設したホームページであった。

 そんな忘れてしまっていた『ヤフー』のホームページから、リンクする私の『津島の新しい風』にアクセスして『朝日旅行友の会』のホームページが開かれる行為を見て、びっくりしたのと同時に、このヤフーのホームページのみが私のホームページと勘違いされて「中身の更新が無い」と言われた人の存在に想いあたったのでもあった。

 「毎日一言を更新しているのに何故か?」と思っていたこの一言は、この忘れたように眠っていたホームページを指しており、私が「ヤフーで検索して下さい」と言えば言うほど、その人には理不尽な言葉に映っていた可能性は高い。
 久し振りのために自分自身でもアクセスができず、2年前からまったく書き込みもない中身は勿論だが、細かくて老眼の私には見えない文字の修正すら方法が判らないのであった。

 他人が勝手に書き込める「ゲストブック」には多量の不快(迷惑)な書き込みが続けられ、存在そのものを削除しようかと思ったものの、「困った時の神頼み」で開設したホームページゆえに、今後もヤフーに感謝して使用を続けるため表紙の文字を大きく編集し直し、受信専用に衣替えしたた次第です。

 ただし、本来の目的であった「市民からの手紙」の紹介について、1年前から一切書き加えておらず、手抜きとの反省は免れないが、何でも書き込むことにも問題があり、選挙時に書き入れようのない私への賛辞の手紙が続いた事も原因であり、書き込む中身を検討して皆さんに意味のある紹介に心がけたいと思っています。
 本日は大反省を込めた一言です。
                                1月29日の一言
ヤフーの受信専用ホームページ
http://www.geocities.jp/s281218/

昨日の余韻に浸る一日に

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 本日は昨日セミナーの反省と後始末に明け暮れ、来客の応対のため事務所で一日が経過してしまいました。

 さて、自画自賛で盛況と評価していてはダメだが、夕方に昨日参加された人から、「昨年より良かった。弥富市との連携も結構だが、津島市で継続していく事の方が重要」との電話をいただいた。
 昼間に連絡した市民病院関係者からも、「セミナーが終わった直後に、病院の本当の姿が見えて安心した」とセミナーを評価する伝言が伝えられていたと聞いた。

 近隣の都市との協力も大事だが、盛り上がった津島市での灯を、主催する愛知県や津島市に予算の心配をかけずに自前で継続できる体制に転換する目標は達成しておらず、予算があるから実施する旧来のセミナーに新風を送りたいと思う。

 ただし、現状では一人だけ苦痛やストレスを抱え込む事になるので、続けるためには早期にメンバーが集まり、役割分担と計画的行動が課題になるのであろうか。

 さて、昨日は地元から伊勢神宮にバスが出発しており、我家も母親が(私のセミナーに無関心で)誘われて出かけてきた。写真は赤福餅が販売されていないため、御福餅と神代餅が土産になったが、「なんだー、味は変わらないナ」と息子がつぶやいた。

 赤福餅の記憶と御福餅の違いを比較するとアンの甘味と餅の固さにあるが、昨日の御福餅と本日開いた御福餅の餅の固さが変化し、本日の餅が固くなった(それでも赤福より柔らかい)事から、やはり冷凍保存の影響で赤福餅の餅は固かったのかを販売再開の際には比較してみたい。

 「お父さんは赤福餅しか食べないのじゃなかった」と、過去の発言が家族の話題にされたが、私にとっては饅頭と団子は主食のような存在で、置いておけば無くなってしまう可能性から、家族一斉に食べ尽くしてしまい包み紙のみの紹介となった次第でもあります。
                         1月28日の一言

盛況に終わった地域セミナー

 愛知県が主催し、津島市の共催行事『人にやさしい街づくり地域セミナーin津島』が本日文化会館を会場にして無事終了いたしました。

13:30 開会あいさつ 伊藤文郎津島市長 稲垣英雄愛知県建築指導課課長補佐
13:40 講演「移動について」 森田優巳 桜花学園大学人文学部教授
14:30 報告「津島市内バリアフリー検証会」19年10月23日、11月24日、11月29日
       久納尚子 愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー
    (休憩)
14:50 パネルディスカッション
 パネラー 神谷里明 津島市民病院副院長兼統括外科部長
        天野裕史 愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー
        前野桂一 ガイドヘルパーくわがたの会会長
        森田優巳 桜花学園大学人文学部教授
 司会進行 大鹿一八 愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー 
16:40 閉会 

 昨年3月に続く行事であるが、昨日の夜まで資料の印刷と綴込みにおわれており、コーディネーターとしてのイメージや進行について考える余裕もないままに本日を迎えた。この一週間はパネラーや講師との打ち合わせは勿論だが、当日の参加者数が気にかかり、案内チラシを持って住宅地を歩いていた。

 そういった今までの努力が報われ、会場は満席となり、開会後に机とイスが増やされ、用意した資料が足らなくなる盛況ぶりであった。テーマとして掲げた『家から病院まで、どうやって行こうか?』について、私の描いていたイメージとは違ったが、病院と家庭との距離を縮める効果は十分ではなかったかと思う。

 さて、来年の話は早すぎるが、弥富市のボランティア団体から一緒にセミナーを開催する話があり、閉会後に県職員に主旨を伝えた。家庭から病院への足を確保するためには、現在津島市と隣の愛西市とNPO法人とで具体的な協議も始まっている。

 パネラーをお願いた神谷副院長とは、家庭に往診する専門の医師を確保(海部地域で最低3名必要)し、在宅医療を充実させたい旨の話をしている。今回のセミナーと併せ、どうやら私のやるべき仕事も姿が見えてきたような気がする。
                           1月27日の一言

セルフのガソリンスタンドから事件が…

 本日の午前中の事件であるが、愛知県安城市のガソリンスタンドで、ストーブの燃料として販売した灯油にガソリンが混入しており、42人の客が購入したとの報道があった。

 通報を受けた地元消防局が12台の消防車を出動させるとともに、愛知県も防災ヘリコプターを飛ばして購入者に使用の中止を呼びかけているが、24時間営業のセルフサービスのガソリンスタンドとの事から、販売した購入者の特定も難しく、火災などの被害が起きない事を祈るばかりである。

 タンクローリーが間違って灯油の貯蔵タンクにガソリンを注入したようだが、セルフサービスではなく普通のガソリンスタンドであれば、家庭用ポリタンクに移しかえる時に色か臭いで判った可能性が高く、誰でも気軽に利用されるようになったセルフのスタンドの安全管理に警鐘を鳴らしたい。

 私の父親も名鉄電車の運転手から出向した先がガソリンスタンドの所長で、私の少年時代には我家にも仕事のついでに置かれた会社のドラム缶が置かれているのは当り前の光景でもあった。

 そんな訳で、なんの恐怖心もなく灯油やガソリンをさわっていた私は、学生運動のニュースに影響されて、コーラのビンにガソリンを入れて「火炎瓶」を作って部屋に置いていた事が父親に発見され、こっぴどく叱られるだけでなく、ゴミの焼却炉にガソリンを1滴か2摘落として爆発する様子を見せて、ガソリンと灯油の違いを教えられた事があった。

 我が町内にも2件のガソリンスタンドがあるが、カード音痴の私は隣の有人スタンドしか行かないが、家内は安いセルフのスタンドに走り、ポリタンクの中身も確認することなくストーブに注ぐ事から、元々がまちがっていたら大変な事になる。

 さて、我家では新聞販売店時代からガソリンがポリタンクに入れてあり、現在でも私がバイクに乗ることからそのまま置かれていたが、今年からは金属製のタンクに交換した。ただし、ガソリンを置く事自体が危険との認識も必要かもしれないが…
                             1月26日の一言

約束を忘れる大失態に…

 本日は午前中は市民病院調査特別委員会と各派代表者会があり、午後は日曜日の準備と仕事を終え、明日の仕事を依頼してある知人を見送り、午後6時半より名古屋で開催される交通問題勉強会に出かけようとしている時に電話である。

 「大鹿さん、日曜日のOHP(要約筆記に必要となる機器)はどうしたの?」、「えッ」

 シマッタ!!、日曜日のセミナーに使用する機器を今日借りに行く約束になっていたが、時計を見ると午後5時半を廻っており、相手の社会福祉協議会は閉まっている。とんでもない失態である。

 「あッ、忘れていました、今からでも…」、「電話があったので私が借りてきたワ」、「そうですか、助かりました」、「他は大丈夫なのッ?」、「と、思うけど…」、「昨日も来られなかったし…」、「すいませんネ」、「どうしてたのッ?」、「…」(弁解の言葉も出ない)

 今週は月曜日からパネラーとの連絡や、新聞折込のチラシを印刷したり、戸別配布をしたりと連日綱渡りで走り回っており、昨日もメンバーが集まっている同時間にパネラーをお願いしてある市民病院に出かけており、帰宅した後にも出かけて連絡もできていなかったのである。

 まったく信用無しのような行動である。言い訳をしても仕様がないが、電話をして説明している時間もなく慌てて名古屋に走り、勉強会の終了後に日曜日の講師である桜花学園大学の森田教授から当日の資料を34枚分手渡されたが、パネラーの資料分も含めて明日中に120人分用意しなくてはならないのである。

 簡単に手渡されてきたが、中身を見るとカラーで見事な内容に、年代物の我家の印刷機でどこまで再現できるか疑問だが、明日は印刷屋のような忙しさが予想される。

 そうして何とか当日は迎えられそうだが、肝心のパネルディスカッションでは私がコーディネーターを務める事になっており、これも当初は森田教授に期待していたのであるが、「大鹿さんがやってよッ」の一言によって引き受けたものの、私の出来不出来ではセミナーが台無しとなる事から、これは精神的にも堪えているのでもあるが、我が心中の理解者は皆無のようでもあり…
                         1月25日の一言

医療現場の限界と私の病気…

 昨日の一言『都会で起こる救急患者搬入拒否から 』について、的を得た見事なブログが『マスコミと国民の「医者いじめ」で医療が「自殺」する』http://punigo.jugem.jp/?eid=441 トラックバックされてきました。

 現象面から医療現場の不備が指摘され、何か問題があると批判の的にさらされる医療機関ですが、医師にもできる仕事の限界があり、手術中の患者を抱えて新たな患者を診ることは不可能である事や、マスコミ報道が事実を性格に伝えていない現実についても記されている。

 言葉の使い方は難しく、今回の救急患者の受け入れ拒否についても、拒否したのではなく、受け入れができない医療現場の事情については報道されておらず、治療もできない現場に搬入しても患者の改善にはならず、万が一受け入れた患者が死亡すれば担当した医師の責任問題として報道される事にもなる。

 人間は誰しも最高の受け入れを期待するが、いくら立派な会社の大社長であっても、たとえ大きな影響力を持った政治屋であっても、手術中の患者の手術を中断したり、同時に治療をはじめることは不可能であり、医療には特別待遇はなく、また世界一の名医をもってしても全員の命を救う事は不可能である現実を知るべきでもある。

 さて、私の限られた人生は何年の寿命が残されているのか判らないが、議員になった行きがかり上からではあるが、何とかしたいと思っている事がある。その一つは、病院に行けない人々の手助けをする事であり、この事はNPO法人を立ち上げて、現在地元の津島市と隣の愛西市と協議して何とか手助けできるボランティア活動が進められそうになってきた。

 もう一つの希望は、人生最後の瞬間ぐらいは病院ではなく自宅で迎えたいとの想いである。このことについても、理解ある市民病院医師の存在から、地元に往診してもらえる医師を増やし、できれば往診によって在宅専門に地域を走る医師に誕生してもらいたい事でもある。

 勿論、人生の最後は遅いにこしたことがなく、元気な人だけでなく歩ける人は四国遍路に誘い、石段で足腰を奮い立たせ、温泉で疲れを癒してリフレッシュする『旅』に同行することが現実的であり、当面はそんな展開を夢見たいが、「何度も行かなくても」と家族の厳しい視線が注がれ、「これは自分の病気」という事にしておきたい。
                               1月24日の一言
追伸 私のお気に入り昭一郎さんのブログも関連記事です(下記をクリック)是非ご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/39811665.html

都会で起こる救急患者搬入拒否から

 救急病院の患者受け入れ拒否によって患者が死亡する事件については大阪市が大きく取り上げられたばかりだが、今月8日には東京都でも95歳の女性が11病院に受け入れを断られ、12番目の病院で応急処置を受けたがまもなく死亡したとの報道があった。

11病院が搬送断る 胸の痛み訴え95歳女性死亡 朝日新聞 2008年01月23日12時17分
 東京都清瀬市で今月8日夜、自宅で体調不良を訴えた無職女性(95)を清瀬消防署が救急搬送する際、近隣の11の病院に受け入れを断られていたことが分かった。女性は12番目の病院で応急処置を受けたが、まもなく死亡した。通報から病院到着まで52分かかっていた。
 東京消防庁などによると、女性は胸の痛みを訴え、8日午後9時34分に通報があった。救急車が通報の3分後に女性宅に到着し、病院の選定を始めたが、清瀬市や小平市などの病院から「満床で対応できない」などと断られ続け、選定開始から38分後に12番目の病院に決定。病院に到着したのは午後10時26分だった。女性には心疾患の既往症があったという。
 受け入れを断った病院の一つの公立昭和病院(小平市)は、生命の危険のある患者を処置する3次救急医療施設だが、「要請があった時は担当の医師が別の患者の処置中で、待たせては命にかかわると判断し、他の病院への搬送を求めた」と説明している。


  医師不足から全国から同様な事件が伝わってくるが、大都市と呼ばれる大阪や東京で事件が起こっていることから、全国へ与える影響は大きいと思われる。以前には奈良で妊婦がたらい回しにされ死亡する事件も起きており、人々の関心や心配も高い問題と思われる。

 果たして我が地域は大丈夫かと思ってしまうが、今週月曜日に別の用件で津島市民病院を訪問した際にも、救急を担当する医師との話題にこの搬入受け入れ問題と、最近問題となっている産婦人科の出産受け入れ拒否の問題がつい口に出てしまったのであるが、夜間などでは病院の態勢にも限界がある事と、最近では一度も病院(どこにも)に診察を受けていない妊婦が出産のため運ばれてくる事例など、それぞれの事情もある事を聞かされた。

 患者と医師の立場の違いはあるが、医療については医師不足を理由にする前に、行政から医療制度や病院の役割などの説明が不足しており、人々も日頃から自分の『かかりつけ医』を決めておくなどの対応も重要であるが、万全の体制であっても一人の医師が診られる患者には限界もあり、万が一の場合に備えた各自の心構えも重要である。

 さて、2年前に視察した岡山県新見市の哲西診療所について、「ここは365日24時間体制だ」との言葉を合併する前の哲西町長から聞かされてびっくりした。こんな小さな診療所が「どうやって?」と問うと、「いざという時は裏の家から医者を呼ぶだけだから」といとも簡単な言葉が返ってきたが、この町も7年前には『無医師』が一年以上続いた歴史があり、言葉どおりではないが医者の精神は見習いたい。また、役場の中心に診療所を設置した行政も評価しておきたい。

 最後に、こんな問題も含めて津島市民病院では副院長が日曜日に文化会館で開催される地域セミナーに出席してくれます。是非とも参加されて耳を傾けて下さいと身勝手なPRと、哲西診療所のホームページを添付して本日の一言を終わります。
                                     1月23日の一言
医療法人哲西会
http://www.okayama.med.or.jp/niimi/html/byouinhtml/tetusei.htm

忙しさの中で見る夢多し

 来週日曜日のセミナーを控えて、土壇場になっても満足に仕事が消化できず、ストレスも抱え込んでいたが、本日は案内チラシを持って団地に配布中のボランティアの知人について歩く事にしたところ、忙しい中でも身体を動かしておればストレスは感じない事を実感した。

 昨日の一言では一人で慌ててストレスを感じていたが、昨年の経験から市役所の担当する職員もそれぞれに動いており、当日の参加者数こそ予測はつかないものの、やるべき事をやった結果だけに、残している当日の資料作りに取り掛かって安心した当日を迎えたいと思う。

 ただし、協力をいただける事になった新聞販売店への折込チラシを印刷するために、今晩の睡眠は諦めていたところ、毎週火曜日の夜に開催している書道会が中止となり、自然の成り行きとはいえ「成るように成っていく」不思議さを感じているところでもあります。

 さて、昨日夜に、名古屋市の牧さんのブログ「愛知限定 歴史レポ」を拝見させていただきながら、自分にも昭和40年代に撮影した尾張地区の写真が多く保存してある事を思い出し、手近にあったスライド(36枚撮り昭和48年8月撮影)13本を持ち出して眺めていると、外から朝刊を配達するバイクの音がしたのであった。

 置きっ放しのために一部にはカビもついていたが、私の撮影した昭和48年の尾張各地の風景は、現在とは全く違って建物が一切無く、たかだか35年の歳月が全く違う世界のようにも思われた。

 当時は写真の暗室作業に凝っており、白黒フイルムがほとんどであったが、発表するために珍しくカラーフイルムを使用してあった事から、今年はこのスライドの現地に立って、現在の写真と対比させて皆さんにお見せしたい。そう考えると、15年程前までは夏の高校野球を撮影して写真展を開催していた事も脳裏に浮かび、ムラムラとしてきたのであった。

 ただし、4月には書道展も予定されており、議員になって10年目の上高地もまとめてみたいと考えると、忙しい事を忘れて今晩も眠れぬ気配濃厚でこの一言を書き終えるのでもある。
                                    1月22日の一言

「愛知限定 歴史レポ」
織田信秀、信長、の出生の勝幡城址レポNo1 http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/52293512.html
勝幡城址レポNo2 http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/52295786.html

老眼から時間を勘違いして…

 本日は朝から予定どおりに行動していたが、午後になって『老眼』が原因で時間を間違えて走り回る事となりました。

 午前中に市役所に出向いておりながら、午後になってから議会事務局から電話をもらい、届いていない行政からの手紙があり必要な案件があるとの話に、自分の関係する議会事務局をほとんど覗いていない事を実感させられた。

 本日は3時から市民病院の医師と約束があり、持て余した時間に市役所に残した仕事を思い出して車を走らせていたが、信号待ちに手帳を見ると「2時」と記してあるではないか。

 すでに15分経過していたが、忙しい副院長が仕事の合間に取ってくれた時間ゆえに、そのまま行き先を市民病院に替えて慌てて走り込み、「遅くなってしまったけど、今到着したから…」と連絡すると、「今日は3時からでしょう」との返事に、「やっぱり、3時だったわなァ」と手帳を見直すとやはり3時と記されていた。自分の書き込んだ文字が見えないようでは記憶より性質(タチ)が悪い。

 「もう一度市役所に行ってくるわッ」と出直したが、中途半端な時間では仕事も終わらず、再度市民病院に戻って打ち合わせを終えたが、この中途半端に戻った市役所のやりとりが明日への仕事の積み残しをつくり、何もできない夜間の心配材料ともなった。

 さて、開き直りも重要である。日曜日のセミナーの参加者の多少は私一人の責任ではなく、主催が愛知県ゆえに、共催する津島市の責任もあるはずであり、この段取りを進める中で「自分が事故にでも遭えば」と責任逃避を考える必要もないのだが…

 これも人に仕事を依頼するタイミングが苦手で、何でも自分が決断を求められる体質に問題があり、当日の会場設営も資材の借り入れや持込、資料の作成も自分一人で抱え込んでおり、今後はこんなところを改善しないと心臓が持ちそうもない。
                                  1月21日の一言

寒波は夢の中まで降り込んで…

 今年で2回目の横井庄一記念館の一日となりましたが、厳しい寒波の影響か入場者が来られず、午前中は沈黙のままに昼食となりました。

 さて、午後にやって来られた人々(5人組)は全員が聴覚障がい者で、それぞれが手話で語り合い、手の合図での質問が続き、案内係のTさんも身振り手振りで説明するものの伝わらず、ついに紙切れに書いて説明をはじめましたが、それでも間違って伝わっている様子に記念館に展示してある書物や雑誌を持ち出したところ、説明もいらずに『紙芝居』風でページをめくるだけで説明役となり、人々は声をあげて納得していただけました。

 過去にも何人もの聴覚障がい者の訪問を受けていますが、誰か説明できる人や家族に伴われての来場で、全員が聴覚障がい者だけでの訪問は初めての経験となり、これだけ映像技術の発達した中では何らかの対応が必要と思う反面で、音声がなくとも『紙芝居』が役にたつ事の再認識もした次第です。

 さて、さて、これだけ寒いと待つ方も大変で、居眠りするものなら身体が寒く、会話がないと沈んだ雰囲気で時間も経過が遅く、若い(記念館では)私が声を出さないと記念館は幽霊屋敷のようになってしまいます。そして、やっと閉館時間を迎えて帰宅となりましたが、これからはヒマな時間の有効活用も考えないと化石のような一日となりそうでもあります。

 さあて、明日からは大変です。帰宅後にコタツで居眠りしていると悪夢です。来週の日曜日に開催予定の「人にやさしい街づくり地域セミナー」への来場者がなく、身体が眠くて動けない私の代わりに見知らぬNPO団体が代役で行事を進行しているではありませんか。

 お願いしてある講師やパネラーとの打ち合わせも満足に済んではおらず、この一週間が正念場となり、肝心の入場者が少なくても講師やパネラーに失礼となるので、悪夢の後で早速チラシを印刷したものの、自分が率先して配布するしかなく、昨年の盛況から主催者となる行政にも危機感が不足しており、これからは心臓と胃に良くない一週間となりそうな予感となる悪夢でもあり、正夢にはしたくないとは考えておりますが…
                                     1月20日の一言

知人達の出世した朗報を耳にして

 日本中が寒波の襲来の話題が届けられる中を、好天に恵まれた大阪行きを済ませられ、本日は借りていたマイクロバスを返却に一宮市まで走りました。

 「そんなもん、近所にレンタカー屋があったでしょう」との声もあるが、テレビでは安いとか24時間営業と宣伝されているものの、それは名古屋市内に限定され、出発2時間前からバスを取りに走り、帰宅後に掃除してガソリンを満タンにして返すと帰宅は深夜になってしまいます。

 本来ですとレンタカーは当日借りて、使用した日に返却するのが原則ですが、名古屋市外の営業所は午前8時に開き夜は8時までで閉まってしまうため、この時間で借りたとすれば行き先が限定され、借りてから地元に戻って出発すると、名古屋からは京都や奈良まで企画する事は不可能です。

 そこで特別に借りる前日に車を預かり、使用した翌朝に返却する約束で借りており、これなら朝7時に出発する事も、道路が渋滞して帰宅が遅れても慌てることなく安心です。又、当日の出発前と帰宅後に2時間ずつの引取りと返却も運転手には苦痛となります。

 そんな顛末から前日に借りて、翌日返しの特例で借りているが、借りていない日の運転で事故があっても困るだけでなく、翌日マイクロバスを借りる人があれば代わりの車が時間に間に合わない事から責任は重大ではあり、念のために知人を誘って珈琲タイムとしています。

 さて、昨日は留守中に稲沢市から訪問していただいた知人があり、ここに立ち寄っての珈琲タイムとしましたが、知人は朝日新聞社に仕事で出入りしている事から、私の知る人々の様子を聞くと、それぞれがそれぞれに栄転されておりびっくりの思い出話に盛り上がったのである。

 廃業して9年間が経過するが、私の学生起業に関わった社員が関連会社の社長になり、私が販売現場を指南(ちょっと偉そうですが)した社員も重役になるなど、自分の年齢と重ねると当り前とは言え、久々に会いたい心境となったのでもあった。
                                 1月19日の一言

追伸 一言の発信が『決定』ボタンを押しておらず、カレンダーの19日が3分遅れの空白になってしまいました(悲)

本日は大阪七福神へ

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 本日は朝日旅行友の会のメンバー21名とともに、マイクロバスで大阪七福神に出向きました。

行程
津島市(各地で乗車)---羽島IC---多賀SA---栗東IC(ETC通勤割引のため一旦出て入る)--(京滋バイパス経由)--豊中IC---大阪七福神(〇宛?声辧寿老人---長久寺・福禄寿---K^道犾κ杠眦---ぢ臂菲掘θ益嗣臈---ヂ膵饉膺声辧β膵饋---今宮戎神社・えびす大神---Щ妖群寺・布袋)---住吉大社---藤井寺IC--(西名阪)--(天理PA)--天理IC--(名阪国道)--亀山IC--(東名阪)--(御在所SA)--弥富IC---津島市

 日本中が厳しい寒波襲来の中、雪に関しては大丈夫との情報から名神高速道路を選択して行程を進め、順調に車は進行し、大阪市内は渋滞の繰り返しとなったが、午前11時には三光寺に到着(津島出発は午前8時)し、五番目の大国主神社前で弁当の昼食。

 奈良の大和七福神や京都の都七福神めぐりと比較すると、大阪の七福神は歩いても4時間で廻れる近距離ではあるが、道路も狭く、繁華街に近い街中で駐車場も無いために、マイクロバスでの巡拝は大変であり、四天王寺以外はどこにもある神社や寺のようで物足りないのが本音。

 3時前には巡拝が終わり、時間の余裕から帰路に立ち寄る場所を奈良や京都で意見の集約を図ったが、大阪の住吉大社を選択して参拝に立ち寄った。さすがに全国的に名を知られた住吉大社だけに、社の規模も大きく、朱塗りのたいこ橋は一見の価値あり。

 順調な巡拝と車の進行に、帰りの休憩が御在所サービスエリアまでとれず、家族の土産物を買いたい参加者の人々に奈良の香芝サービスエリアか上野ドライブインに立ち寄れなかった事が反省点か。大阪までの距離はあるが、時間がかからない事から、皆さんには『なにわ七幸めぐり』と一緒に廻るコースをお勧めしたい。

 本日は携帯電話を自宅に忘れて出発したが、帰宅後には12件の履歴が残り、遠来の訪問者もあったとの事から、明日からは仕事の挽回が必要と思われるが、深夜番組で4日間で四国遍路を全て巡拝してしまう『どうでしょうリターンズ』なる番組に見入ってしまった。
                                1月18日の一言

テレビ番組どうでしょうリターンズの『四国八十八所』についてのブログ(下記が参考になります)
http://plaza.rakuten.co.jp/xb70a/diary/200712140001/
http://udon.cocolog-nifty.com/kagawa/2006/01/_r141_026f_1.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9B%9C%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86

阪神大震災から13年が経過し

 阪神大震災から13年の歳月が経過したが、意識していた地震の発生時間に目を覚ましておりながらその瞬間を忘れていた事に、当事者の人々との大きな意識の違いを実感した。
 一年前の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/11809992.html

 私にとっても遠く離れた愛知県での阪神大震災が過去最高の地震体験ともなり、地震発生時に屋外に居たこともあって鮮明な記憶となって残っている。当初は被害は少ないとの報道が、午前中には神戸の町に炎と煙が立ち昇り、街の姿を一変させて大震災となった。

 本日の新聞報道から、当時小学生で被災した子供が小学校の教壇に立ち実体験を語る様子や、小学生の息子さんを亡くした女性に初孫が生まれた事など明るい話題も記されているが、6千434人の犠牲者に関係する人々の数を考えると、13年経過してもいまだに悲しみと苦しみを引きずっている人々の存在が意識させられる。

 これも平和で健康だから言える事で、家族に重い病人を抱えたり、身近に不幸や不安材料を抱えていれば考える余裕もない。過去に記した一言を読み直し、2年前の今日は幼馴染(同級生)の女性の葬式に参列し、3年前には身内に泥棒が侵入した事件が記されており、こんな事が起こると地震の事すら眼中から消えている。

 我家に目を移すと、老朽化した家は悲鳴をあげており、親の残した遺産でも子供まで無事に残せそうもなく、修理を続けないと床下が腐り土台も軟弱な事から、地震では我家だけが倒れて報道されそうな気配を感じているのでもある。

 親が家を残してくれたから、私の代では家の心配はいらないと思っていたが、親が死んで15年も経つと建物のいたるところにガタが出て、広いだけで使い勝手も悪く、息子達は住み続ける限界を感じており、せめて地震でも倒れない補強は急務と思われるが…
                                 1月17日の一言

反省もないのに執行猶予つき判決は甘い

 三菱自動車のクラッチの欠陥によるトラックの死亡事故に対して、横浜地裁は元社長ら4人の元役員に対して、執行猶予つきではあるが禁錮3年の有罪判決を下した。

元社長ら全員に有罪判決 三菱車欠陥死亡事故 横浜地裁
2008年01月16日13時46分朝日新聞
三菱自動車製大型車のクラッチ系統の欠陥で02年に山口県で起きた死亡事故をめぐり、業務上過失致死罪に問われた同社の元社長河添克彦被告(71)ら元役員4人の判決公判が16日、横浜地裁であった。鈴木秀行裁判長は元社長を禁固3年執行猶予5年(求刑禁固3年)とするなど、全員に執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。被告側は全員が無罪を主張していた。  

 三菱自動車の欠陥車による事故は、この判決のほかに2件存在し、1件は被告側が東京高裁に控訴しており、もう1件は横浜簡裁で無罪とされ、現在も審理中との事である。今回の判決は、平成14年10月に山口県で起きたトラックの死亡事故に対するものであるが、公判では元社長の指示に部下が背いて不具合を隠したと弁護側は無罪を主張していた。

 日本中で大問題となり、企業としての三菱自動車の存続の危機まで招いた欠陥車問題であったが、対象となる車輌の数や規模を考えると企業としての責任は大きく、事故件数そのものは数件でも、三菱のバスやトラックの占めるシェアを考えた時に、直接の担当者ばかりではなく、企業ぐるみで隠していた経営者への執行猶予つきの判決では運転していた39才の運転手や遺族も浮かばれないのではないか。

 確かに、大企業のトップに座る社長が、企業全体の何から何でも全てを把握する事は不可能ではあろうが、無罪を主張するだけでなく、執行猶予がついた判決では実質的になんら身体の拘束もされないのに、当り前のように判決を不服として控訴する姿には、被害者の存在は忘れられており反省の色は見られない。

 事件が起こると必ずマスコミの前で「申し訳なかった」と頭を下げる経営者の姿が当り前のように映しだされるが、今回の裁判などからも判るように、これは企業存続のための儀礼的なものでしかなく、文句も言えない被害者の存在を考えると、企業の最高責任者にも執行猶予のない厳しい厳罰があってもしかるべきと私は思う。
                                   1月16日の一言

書道会から遍路話に発展し

 本日は底冷えがするほど寒く、こんな日に出向くとロクな事がないと思っていると、「今日の都合は?」と朝一番で役所からの電話である。

 「何時でも良い」と言われても、電話で済みそうな用件に、「今日は行かないから」と頑固に断ったものの、出向くとついでにあれもこれもとなり、話し好きな事から寄り道にもなり、電話でとりあえずの用件を済ませたものの、18日の大阪行きの資料や弁当の手配と、なさそうでも仕事は残されているのである。

 よくよく考えてみると、27日の地域セミナーについても、講師やパネラーとの打ち合わせも十分とは言えず、当日の参加者についてもクチコミすら進んではおらず、来週は大変な一週間となりそうな気配である。
 気がつくと先月の中旬から日々の行動がホームページに記録されておらず、一月も随分経過しておるものの、仕事の修正程度が追い着かずにそのままになっており、今更思い出しても判らない日もあるが、とりあえずは書き込みも必要となる。

 そして夜には毎週火曜日に開催されている書道教室『神守丈友会』であるが、会場としている我が事務所2階も暖まらず、人々の上達ぶりと反比例で満足に筆が走らないままに終わり、元気に舌が廻り出したのは恩師が帰宅後に雑談で『四国遍路』の話題になった時であった。

 「今年は是非とも行ってみたい」とのメンバーの話から、居残った数人の会話となったのであるが、問われる当方が四国遍路の基本的な心構えや装束から話しはじめると、「格好は何でも良い」との家内の一言が入ってきた。
 「姿形よりも参拝する心が大切」とは、家内と廻った過去3回の私の口癖でもあったが、後の2回の巡拝で私自身の考えにも多少の変化ができ、それなりの姿形で巡拝しないと普段と気持ちの切り替えができないと思うようになってきた。

 「白衣だけでなく、『すげ笠』と『金剛杖』に『袈裟』も必要」との言葉に、家内は反論したい気持ちで一杯であったと思う。何故かと言うと、私自身が誰からも帽子が似合わないと言われており、すげ笠どころか杖に対しても「必要ない」と若さと反発心から姿形にはこだわってこなかったからでもある。

 関心のない人からは田舎役者のように思われるかもしれないが、寺の山門をくぐる時には巡拝の姿形から整えて参拝したいと現在は思っている。

 さて、四国遍路の人気に便乗した誘いも多い。「四国に行く前に新四国へ」との誘いが愛知県では多く、知多半島の八十八ヵ所と「四国は一緒」とまで言われると詐欺と言いたくなってくる。「どっちでもお参りは一緒」と言って、「ナンマイダブ、ナンマイダブッ」と念仏を唱える人も存在する。

 しかし、いつかは四国にと思われる人には、「いつか」ではなく、「行ける時」に出かけて欲しいと願う。「なにーッ、四国、おじん臭い事言うなッ」と言っていた知人も年末に57才で他界した。死ぬ事が判っていたら、「行っておけば良かった」と思ったであるうが、人の寿命は判らない。ただし、どんな人でも死亡率は百パーセントである事の自覚も重要と思うようになってきた。
                                   1月15日の一言

静かな成人式と満員御礼の初場所

 本日は津島市でも成人式が行われたが、私が議員になり八回目の成人式で一番真面目でまともな式典ではなかったか思う。

 昨年の成人式に関する私の一言を読み直すと、『式典が始まっても席につかず、来賓が挨拶している最中に、髪を金髪に染めた赤いハカマ姿の男と、きらびやかでケバケバしい女のカップルが、手をつないで入場し最前列に座った。おまけに、周りの知人と大声で談笑し、参加者の視線も一斉に集中していく』と記されており、一昨年には、『最前列でビール瓶を回し飲みし、市長の挨拶にバカにしたような野次を飛ばす』と記してあった。

 市長や来賓の挨拶にもヤジひとつ飛ばず、落ち着いた式典は成人式が終了した後も同様に、静かな一日となったようで、毎年のように起こされる成人式後の新成人による事故の報道が全国から流れてこない事を願いたいが、若者が静かすぎるのも逆に心配になってくる。

 さて、大相撲初場所が開幕し、初日こそ横綱朝青龍が勝ったものの、本日は簡単に寄り倒されてしまい、2場所続いた出場停止処分のブランクによるものか、復調して優勝を飾るのかファンの関心も高く、明日からも朝青龍には試練の13日間となる。

 半年前の朝青龍によるモンゴルでのサッカー事件から、マスコミや関係者の視線には厳しいものがあったが、実際には朝青龍不在となった場所の不人気から、今場所は観客が戻り『満員御礼』が続きそうな気配と、実際に朝青龍目当てとテレビのインタビューに答えるファンの声があった。

 やはりファンあっての大相撲であり、好き嫌いは個人の勝手だが、相撲人気を支えるのは横綱をはじめとする相撲をとる関取の存在にあり、私は朝青龍に厳しい発言を続けている横綱審議委員の内館牧子委員などの発言は相撲の魅力を低下させていると思い、不快感を感じつづけてきた。

 そもそも、横綱と言えども20代の若者の事であり、日本人ですら軽薄になっている現代社会で、完成された品位を外国人の朝青龍に求める事に無理があり、内館牧子委員の女々しい発言から世間を騒がせることよりも、寛大に見守って大横綱に育ててもらいたいと思う。朝青龍には残りの13日の結果でそれらの雑音を払拭して欲しいと願う。
                               1月14日の一言

消防出初め式に参加して

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 本日は津島市の消防出初式が市内の天王川公園にて実施されました。毎年の年中行事となっており、全国各地で開催される大掛かりな仕掛けや、ハシゴを使った伝統技の披露などと比較すると地味な印象はぬぐえませんが、消防団では日頃から訓練が続けられており、市民生活を守る地域の消防団の底力は十分に発揮されていました。(上は愛知県から派遣された防災へり、下は観閲風景)

 さて、本日の消防出初式の中で、短い挨拶ではありましたが、津島警察署長の来賓挨拶には現代社会の問題として気になる言葉が含まれていました。それは現場で起こっている「宅内事故」の問題を取り上げられ、風呂場での高齢者の死亡事故が多発している報告と問題提起でありました。

 消防出初め式での警察の挨拶を考えれば、火災や防災に目が行き、警察としては交通事故も気になる問題とは思いますが、ここで家の中での事故死が警察署長の口から出された事に、我々も注目して行政も真剣な対応が必要である事を実感しました。

 最近の詳しい数値は持ち合わせていませんが、数年前に出席した勉強会の中では、報告されているだけでも全国で年間に約2万人が宅内事故で命をおとしており、当時は交通事故死者数の倍以上ある事と、報告されてこない件数を含めるとさらに多い事が報告されましたが、年々減少を続けている交通事故の死亡者数は昨年5千人を下回った事から、交通事故以上に現代社会の問題となっている認識が必要である。

 昨年の出初式の後で、永年消防団員を務めている知人から、「議員の先生は楽で良いね」と来賓席のテントでストーブを囲んで座っている姿を皮肉られる言葉を耳にしました。言われて反論もできませんでしたので、今年はテントのあたりで立っている事を内心決めていると、議員最年少の上野議員はオーバーやコートもなく背広姿で立ち続けており、これにはオーバーを着て、モモヒキをはいていても凍える私の身体に30才の彼の若さが羨ましく思えました。
                                     1月13日の一言

今年は愛車も成人式(満20年)に…

 正月休みがすんで仕事に追われるようになってきたが、元々年末から仕事が残ったままになっており、片付けてないから忙しいのは当り前だが、正月ボケのため本日が土曜日である事も、今日から三連休である事も忘れていた。

 今月18日に企画した旅行友の会の大阪行きと、27日に地元で実施される愛知県の「地域セミナー」の準備ばかりが頭にあり、その他の行事が眼中から消えており、それまでに会報を完成させる段取りであったが、明日は消防の出初式があり、明後日は成人式と行事にも追われる日々が続くのであった。

 過去の一言に目を通すと、昨年の今日は議会委員会後に大先輩の葬儀に参列し (http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/11395391.html)、その前年は「たかだか役人の思い上がり」なる一言を記し (http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/contents19.htm#18112)、その前年の17年の今日には、当日届けられたアンケートの内容について[差別用語の指摘] (http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/contents15.htm#17112)なる一言が記してあった。

 しかし、前後の一言を読み直すと、毎年同じようにスケジュールに追われる日々を送っており、変わりばえのしない繰り返しの連続で歳月が過ぎ去ってしまう現実に、今年こそは歯止めをかけたいとは思うものの、余計な仕事は年々増加しており、変えようのない現実を悟ってしまいそうでもある。

 さて、今年の新成人の生まれた年に初年度登録された我が愛車もまもなく満20年を迎えるのである。数日前に車検を済ませた際に、2年前の車検の際に言われたタイミングベルトの交換がしてない事から、大丈夫かと尋ねると、「この車にはタイミングベルトはついていない」との言葉が返ってきた。

 「旧いからベルトが切れた時には廃車」との覚悟でそのままにしてあったが、「全く悪いところは見当たりませんよ」との言葉から、「心配して乗っていたこの2年間は何だったのか」の言葉を返すと、「営業の連中は知らないから」との言葉が戻ってきた。長距離もOKとの話である。

 実は私は車検や整備に車を持ち込んだ事がなく、訪問する営業マンまかせにしており、今年は家内に言われて嫌々出向いたのであったが、そのおかげで幸いにも今後は安心して走れそうである。ただし、20年の経過は我が身と同じで無理は禁物である事を忘れると大変にな事になりそうでもあり、「壊れたら廃車」のいたわりが必要である事には変わりがないが…
                                 1月12日の一言

衆参のネジレは国民の利益に…

 本日の参議院本会議で、薬害C型肝炎の被害者救済のための特別措置法が全会一致で可決され、15日には政府と原告団が和解に向けた基本合意書を結ぶ予定で、永い間苦しんできた患者にとっては病状の回復には至らぬとも、国の責任が認められた事から最大限の治療にあたってもらいたいと願う。(下記に関連記事)

薬害肝炎救済法が成立 http://www.asahi.com/health/news/TKY200801110046.html
薬害肝炎救済法の要旨 http://www.asahi.com/politics/update/0111/TKY200801110231.html


 こんな時になって、「私もC型肝炎については頑張ってきました」と言うと、「宣伝」とか「集票活動」などと批判されるかもしれませんが、津島市議会の過去の議事録によれば、私は平成13年12月議会に初めて質問し、以後も14年3月議会、14年12月議会、16年3月議会、16年6月議会、17年3月議会と肝炎に関する質問を続けており、国に関する問題として具体的対策までは導けなかったものの、他人事ではない問題でもありました。

津島市議会議事録へリンク http://asp.db-search.com/tsushima-c/dsweb.cgi/query!肝炎と記入して検索して下さい

 「大鹿さん、C型は良かったけど、実はB型がちょっとね」と思ってもいないビックリの言葉を聞いたのは、質問するばかりでなく、実際に自分の検査も受けておこうとかかりつけ医としている彦坂外科で、C型肝炎の検査を受けた結果を聞いた時であった。

 「えっ、感染しているんですか?」と、顔面蒼白の私に、「過去に感染した痕が残っているけど、抗原ではなく抗体だから心配はいらないから」、「えっ、それでも感染しているんですね?」、「だからー、過去に感染したということで、今は心配いらないんですよ」と説明されても私には理解できず、医師が紙に図を書いて「感染したウイルスを駆逐した」結果が抗体である事と抗原でない事から安心である事を教えてくれた。

 しかし、自分はウイルスを駆逐したものの感染した可能性を考えると、家族にも影響があるで心配したが、どうやら自分だけのようであり、そうなると原因は高校時代に手術を受けた際の輸血の可能性が高いが、この検査によってC型肝炎やB型肝炎は誰でも感染する可能性がある事を自覚した事から、何度も市議会で質問したのでもあった。

 当時の議会では、津島市の複数の医療機関で感染の元となった血液製剤フィブリノゲンの使用は認めたものの、カルテの破棄や国の動向を見守るとの答弁で終っており、今回の特別措置法の成立により、地元での関係者の確認作業や対象となる人々への対応も求められてくると思われる。

 特に女性に関しては、出産時に止血剤としてフィブリノゲンが使用されている可能性も高い事から、一度は検査を受けるべきと思われるが、今までは肝硬変や肝炎の人でも血液製剤からの感染を前提にはしておらず、調査すれは対象者の拡大も予想されるものと思われる。

 さて、参議院を民主党をはじめ野党が多数を占めている事から、早期の衆議院選挙によって民主党の政権を期待する人も多いようだが、現在の政治バランスは政権としては不安定であっても、今回の特別措置法などの成立をみると、政権与党の独走も許されず、参議院の機能も発揮され、野党の意見も十分に反映するところから、私は当分はこのままの方が国民にとって利益となる事を確信する一日となった。
                                    1月11日の一言

過去の本日の一言への部屋

過去の一言をまとめてみました。過去のタイトルにもお気軽にコメントをいただきたいと思っていますので宜しくお願いいたします。

2010年

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2004年
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平成16年11月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log1611.htm
平成16年10月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log1610.htm
平成16年 9月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log169.htm
平成16年 8月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log168.htm
平成16年 7月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log167.htm
平成16年 6月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log166.htm
平成16年 5月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log165.htm
平成16年 4月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log164.htm
平成16年 3月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log163.htm
平成16年 2月 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/log162.htm

久々に感じた永年の仕事の経験と特技に

 平成16年2月13日に私のホームページ津島の新しい風 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/ に『本日の一言』を初めて書き込んでから、その後毎日書き続けて本日に至っており、時にはパソコンの不調時もあり、必死で知人に応援を頼んで対処して書き入れた事もありますが、まもなく満4年目を迎えるのでもあります。

 本日のメール受信箱に、「せっかくコメントを書き入れようと思うと、次の話題になっているので、しばらく間隔をおいて欲しい」との内容の書き込みをいただきました。私自身が気にもしなかった事ですが、確かに毎日更新しているために、過去の記事へのコメントには時差ボケのような感も否めません。

 元々は私の意見を毎日記す事にこだわりがあった訳ではありませんが、「どうせ毎日は無理ムリ!」との知人の意見に反発して、あえて「毎日書き入れる」と宣言して始めており、この習慣を私が議員である間は変えるつもりはなく、この一言欄は私の身勝手な一方的発信でもあります。

 ただし、指摘されるように、社会生活の中で永遠のテーマとなるタイトルもあり、このブログに場所を代えてからはコメントも書き入れる事が可能な事と、コメントの存在は貴重な意見も多い事から、古い過去のタイトルについてのコメントも大歓迎である事を記すだけでなく、過去のタイトルへのコメント専用のコーナーについても考えてみたいと思っております。

 (しかし、設置しても誰の書き込みも無いのでは淋しすぎますので、過去のタイトルに対するコメントの書き込みもお願いいたしておきます)

 さて、昭和63年に開始した『朝日旅行友の会』の会員向けに単独の会報『旅情』を発行する事も決めましたが、議員になってからでも会員は300人(1度参加された方は総て会員とみなし)を超えており、郵送すれば簡単ですが、3万円近くの料金がかかる事から、かつての仕事である新聞配達の経験から、直接自宅に配布する事に決めました。

 しかし、これも大変で、かつてのお客さんだけではないために、家を探しながら真っ暗な早朝の2時間を3日続けて本日配布が終りました。全ての家に配布する議会報告『津島の風』とは違い、宛名も書いてある事から間違いがゆるされず、新聞とも違う久々の配達の感触を味わいました。

 「大鹿さん、朝刊だけで1日2万円でどうだッ?」と、突然の人不足から臨時の配達(代配要員)を依頼された事も廃業後にあったが、まだまだ新聞配達では役にたつ実感と、金欠病の今こそそんな話を持ってきてくれたらと、永年続けた仕事だけに何よりも慣れた仕事である事を思い出す一日となりました。
                                   1月10日の一言

 

安易に考えられる御垣内参拝について…

 今月27日に財団法人モラロジ-研究所の地元支部が主催する伊勢神宮参拝に参加する知人がおり、この団体の同行者は御垣内参拝ができる事から、知人も垣内参拝が当り前の感覚を持っており、「そんなもんは金を払えば誰でも入れる」との横着な言葉に、知人を誘った事に対する反省と後悔(今回は誘った私が行けません)が湧いてきた。

 そもそも、垣内参拝ができる事は、この団体が永年伊勢神宮との間で築いてきた信頼関係があり、多くの人々のつながりがあって許されているものであり、わずか4000円の参加会費(バス代など総額)を払って「当り前」と思っている知人と、「安いから得」との参加理由に腹立たしい気持ちがたってきた。

 安い料金だから伊勢神宮に参って、参拝後は近くの店先で酒を飲み、赤福餅を食べてくると言う知人の参加理由も一理はあるが、彼はいったい伊勢神宮に何を祈ってくるのであろうか。

 この御垣内参拝については、原則として男女とも正装が基本となっており、セーターやジャンパー姿では一般参拝の所までで垣内には入れてもらえません。団体となると中には入れない対象者が存在し、垣内への入り口で神官に止められる姿を見かけますが、最近では神官の制止を振り切って無理矢理入っていく団体の一員も存在します。

 個人では考えられない行為ですが、そもそもお金を出せば『御垣内参拝』ができる事にも再考の余地があると思われる。伊勢神宮では平成25年に20年に1度の『式年遷宮』を控えており、この式年遷宮に奉賛金を出した人に対して、金額相応の『特別参宮章』を配布しているが、横着な地域では地域全員から強制的に奉賛金を集め、地域全体に参宮章を配布している現実もある。

 1300年前の天武天皇から始まった儀式との事であるが、最近では権利意識が強く、誰でも入れるようになっているものの、国の根源である『天照大御神』が祀られている神聖なる社の垣内に、酒の臭いをさせた人や、地域社会に背を向けた犯罪人でも誰でも入れる現実に改めて改善を求めたい。

 知人の不謹慎な言葉から話を大きくしてしまったが、自身の先祖や一族の先人を偲び、そして国の先人から国家安泰を祈る気持ちぐらいは持ち合わせて参拝して欲しいと願うものである。
                                    1月9日の一言

福岡地裁の判断に賛否両論が…

 本日の話題はなんと言っても2年前の夏に福岡市で起こった『幼児3人が死亡した飲酒運転事故』の判決が福岡地裁であった事ではないだろうか。

 判決のニュース (朝日新聞夕刊)
幼い3人の命を奪った飲酒事故は「危険運転」ではなく「過失」と判断された。福岡市で06年8月に起きた3児死亡事故で、8日の福岡地裁判決は危険運転致死傷罪の成立を否定して業務上過失致死傷罪を適用。そのうえで量刑は道路交通法違反罪との併合で上限となる懲役7年6カ月とした。(下記に全文)

http://www.asahi.com/national/update/0108/SEB200801080009.html


 この裁判には懲役25年を求刑する『危険運転致死傷罪』は適応されずに、7年6ヶ月の懲役と示された判決の量刑をめぐって賛否両論がテレビでも報じられている。

 飲酒運転の厳罰化によって、酒気帯び運転であっても甘い情けは許せないが、私は今回の裁判所の判断は警察の実施した飲酒検査の数値を冷静に判断したものと思っている。3人の命の価値判断ではなく、事故の状況と過失を冷静に判断されないと、全くの不可抗力で起こった事故や事件に対しても、全てが被害者側を意識した厳罰が多発する可能性も高い。

 ただし、本日の新聞にも報じられているが、加害者は事故の直前に時速100キロ程度のスピードを出しており、事故後には逃亡を図ろうとしており、たとえ飲酒運転でも事故後に救助は可能だった事から、この点では人間性を疑い許しがたい行為であった事は間違いがない。

 さて、交通事故による死亡者数は年々減少を続け、昨年は五十数年前の死亡者数になったと報道されたが、当時は現在のような事故に対する保障制度もなく、一家の大黒柱を失うと生活そのものが成り立たない厳しさがあった。現在では万が一のために自動車保険をかけており、誰もが被害者だけでなく加害者になりうる可能性も含めた議論が必要に思われる。

 自己反省にもなるが、かつては自動車による飲酒運転も「地域のお付き合いで仕方がない」との感覚もあり、かつて私自身も午前様まで飲んでいても、新聞配達の時間には堂々と車や単車を運転して仕事をこなしており、飲酒に対する罪悪感もなかったが、何事もなく済んできたから良いものの、『酔っ払い』の犠牲になった家族の心中を思うと複雑なものがある。

 そういう我家では昭和8年に交通事故で4人の幼子を残して母親(私の祖母)が亡くなっている。当時は何の保障もなく家族は人に言えない大変な辛苦を味わってきた。飲酒は勿論だが、ひき逃げなど反省のない諸行にも目を光らせ、危険運転致死罪そのものを減らしたいものである。
                                    1月8日の一言

参議院議員の資産が公開されて

 昨年7月に行なわれた参議院選挙で当選した参議院議員の資産が本日公開され、夕刊の一面と社会面を使って大きく報道されている。

参院議員資産公開、トップは舛添氏 TBSニュース(07日11:12)
 去年7月の参議院選挙で当選した議員、120人の資産報告書が7日、公開されました。資産総額の平均は、過去最低の2378万円、トップは舛添厚生労働大臣でした。
 去年7月に当選した参議院議員の株式を除く預貯金などの金融資産や土地、建物などを合わせた資産総額の平均は2378万円で、過去最低だった前回2005年を更に200万円余り下回りました。
 去年の参議院選挙で民主党の新人が大量に当選し、世代交代が進んだことが平均を押し下げたと見られます。
 7日、公開の議員の中で資産が最も多かったのは、自民党の舛添厚生労働大臣で3億3999万円でした。
 「別に何の感想もありません。一生懸命仕事をした結果ですからそれだけのことなので、それで自分の政治活動が左右される事であればそれは問題ありますけど、信念に基づいてきちんと仕事をしている」(舛添要一 厚生労働相)
 逆に、資産ゼロと報告した議員は、「さくらパパ」として知られている民主党の横峯議員ら14人でした。

ヤフーニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080107-00000027-jij-pol

それによると資産がまったくなく、借金生活の議員も多数存在しており、昨年の選挙で民主党の議員が多数当選した結果とも言えるが、資産そのものの算定基準があいまいであり、資産の多い国会議員よりも少ない議員のイメージが良く見られるような報道に疑問を呈したい。

 一方では、女性スキャンダルが発覚した横峯議員が依然議員と存在していた事も疑問だが、この人が資産なしと言われても自分の身勝手としか思えず、大金を賭けたゴルフ報道などや豪遊の報道からして、資産なしという事自体に疑問符もつく。
 また、6年前に借金のあったツルネン・マルティ議員は6年間で1746万円の貯金を残し、老後の貯えにしたいと答えているが、国会議員は資産問題以上に議員報酬の高さにもメスを入れるべきである。

 そもそも、借金だけで何も資産の無い国会議員に日本の国家の方向を託す仕事が期待できるのかと言いたい。資産の有る無しはその人の考え方もあり、親を扶養して先祖伝来の資産を有する人もあれば、議員になりたいために借金生活を続けてきた人もある。

 我々の住む地方では、高大な宅地に住む農家が普通の姿であり、その資産に関する各種の税負担に悲鳴をあげる人々が多く、資産はあっても後継者も離れて土地活用もできないと、所得がない中で土地の切り売りしか生き延びる手立てが見いだせない人々も多い。

 さて、貧乏より金持ちの方が良いに決まっており、我家も今年度から増税された税金や公的負担に悲鳴をあげており、何とか所得を増やさないと支払いが不能になる直前にあり、老後の貯金どころか目前の生活に追われる地方議員には羨ましいかぎりの話題ではあるが…
                                        1月7日の一言

赤福餅の販売停止の影で…

 暖かい日曜日となり、横井庄一記念館の一日も過ごしやすく昼食後には縁側の日差しを受けてつい居眠りをする始末でした。

 正月に伊勢神宮にツアーの募集で参加した人の話では、観光バスが近くの駐車場に入れないために、遠くから歩くことになり、足の限界から参拝もせぬままに諦めたとの話であった。これからも多くの団体が伊勢行きを計画しているが、こういった人々の存在が現地に伝わっているのかが心配である。

 さて、伊勢神宮といえば『赤福餅』のイメージが強く、昨年の不祥事によっていまだに営業は再開されておらず、訪れた人々をがっかりとさせているようだが、訪れた人々を驚かせているのが『赤福餅』と類似の『御福餅』の「ここぞとばかりの営業」だったようである。

 ツアーのバスに出張した販売に、「オレは赤福餅が食べたいんだ」と叫んだ人もあったという。又、インターネットにも「東海道新幹線の車内販売で売られている伊勢土産は、何故「赤福(あかふく)」ではなく「御福餅(おふくもち)」なのですか?」 の質問も流されていた。

 それだけ伊勢と赤福の固定したイメージは強く、これから出向く人々も「せめて本店だけでも再開できないか」の声も聞こえてくる。そんな人々の思いを無視して、『御福餅』の一人舞台が続くが、この『御福餅』にも不祥事は発覚していた。

伊勢名物"負の食物連鎖"「御福餅」も製造日偽装
http://www.sponichi.co.jp/osaka/soci/200710/31/soci211879.html

御福餅本家が40日ぶり販売再開、伊勢市内の2店で
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe8200/news/20071205i504.htm

 世間に及ぼした影響は大きいが、『赤福餅』によって食品の被害を被った人はなく、客からの苦情で事件が発覚したものでもない。処分の基準もよく判らないが、同じ偽装事件を起こしていた類似商品が堂々と売られている現実から、せめて私の知人が訪問する月末までは営業再開を果たして欲しいものでもある。
                                     1月6日の一言

友人の買った宝くじに期待している私…

 昨日の一言に、「週末までは正月気分が許されるのであろうか」と記していたが、明日が横井庄一記念館の当番日である事を忘れていたために、明日は一日中事務所を不在にする事となり、予定していた仕事も先送りとなりそうである。

 決まっていた事とはいえ、自分の予定に入れてなかった事に身体を取られる時間は、一日が2日にも3日にも感じられ、そのしわ寄せが自分に降りかかってきそうに感ずるのはあまりにも身勝手ではあるが、元旦を含めた一週間まで仕事のスケジュールに入れて計算していた自分を反省したい。

 さて、家内が私に内緒で購入していた『宝くじ』は、無念にもハズレばかりで、年末からのイサカイから口を聞かない母親の持っていた『宝くじ』もすべてハズレ券に終ったようである。
 「そんなもの当たるはずがないから買うなッ」が口癖の私の思ったとおりの展開であるが、当たる人には当たっているのであるから、万が一の可能性も捨てがたいものではあるが…

 この宝くじを毎回百枚単位で購入し、今回も三百枚購入している友人(同級生)は、今まで一度も万単位の当たり券がなく、「当たる訳がない」と言って買い続け、未だに自分の買った券を確認していないが、この券に当たり券が混ざっていたら、私との運転手役で定期便の珈琲屋行きもできなくなるのかもしれない。

 「おい、当たったら頼むなッ」と、私はこの友人が億単位で当選したらマイクロバスを買ってもらう約束がしてあり、当たりハズレが気になるところであるが、実はもう一人約束してある友人(同級生)がある。
 その友人は市役所に勤めているが、タバコを禁煙する事で浮いたお金を宝くじの購入資金にしており、こちらも1億円当たったら1割の1千万円をくれる約束ではあるが…

 他力本願では何とも言えないが、実際に当選する人もあり、名古屋駅前の売店では5人の当選が報道されており、身近に『億万長者』が存在している可能性もなきにしもである。
 以前の話らしいが、近所の宝くじ売り場で売れ残った券を購入した売り場のオバちゃんの券が当選したとの話である。このオバちゃんは正月から職場に全く出てこなくなったとの話である。

 こんな顛末を聞くとあやかりたい気持ちと、今のままの人間関係であって欲しいとの気持ちで揺れ続けるが、それも当たってからの話であり、こんなめでたい話は今年も無縁とは思いながら、購入した友人以上に私が期待を寄せているのでもあるが…。
                                          1月5日の一言

空回りの正月休みから…

 本日より日常の生活が始動しはじめているはずであるが、明日から土曜日と日曜日が続く事から、週末までは正月気分が許されるのであろうか。

 ただし、最近では新聞にも日曜版だけでなく土曜版も入っており、テレビも季節の変わり目に特別番組が放映されている事からか、特別注目したい番組もない事から、正月気分を感じないままに一週間が経過してしまいそうである。

 しかも、この一週間によって昼夜が逆転してしまい、夕方から夜に仕事をして朝刊を読んでから眠り、昼間はコタツでゴロゴロして食べている姿ばかりを子供に見られて、「こんなオヤジにはなりたくないナ」と言われる始末である。

 こんな生活も来週からは許されず厳しい日々が続くのではあるが、自営業時代のように働いた結果によってお金が1円も入ってこない事から、仕事が仕事と思えず、ボランティアの延長を続けているだけのように思えて気が入っていないのかもしれません。

 公的行事については議員としての責任から参加しているが、自分が関わっている18日の旅行会にしても、27日の地域セミナーについても、主催する責任は重大であり、参加者も最低限必要となるどころか、参加者が少ないと自身の持ち出しになり、プレッシャーはあるものの成功しても利益は1円も出ない事も仕事の遅れになっているのかもしれない。

 さて、今から(時計は午前1時を過ぎました)会報を配布する前段階の、封筒への詰め込み作業をするものの、間の悪いことに明日から郵便局が休みなのである。やはり、今週いっぱいは正月休みと諦めての仕事となりそうである。
                                   1月4日の一言

元旦から掃除はダメと知らされて…

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 1月3日は毎年新年交歓会を事務所の2階で開催していたが、この会で落語を披露してくれていた『浪漫亭砂九』さんが、平成18年11月に交通事故で亡くなった事から、昨年から中止としてこの気持ちを引きずったまま今年に至っているのである。

 本来であれば、大晦日に京都で買い込んできた日本酒を開けて、賑やかな一日になっていたのかもしれないが、砂九さんばかりでなく亡くなった人々の顔を思い浮かべると、とてもそんな気持ちにもなれずに、「来年は再開します」と言っていたものの静かな一日としてしまった次第である。

 先日山積みされた写真を移動する際に、浪漫亭砂九さんの落語中の写真も次々と発見され、懐かしさと同時に今でも声が聞こえそうな気がしてならず、いまだに砂九さんのホームページの掲示板にはファンの声が届けられている事から、しばらくは生きているものと勝手に解釈し、砂九さん不在の落語は封印を続けたい。

浪漫亭砂九さんのHP (掲示板以外は18年11月のままである)
http://www.clovernet.ne.jp/~sunamaru/

 上に添付した写真は平成16年の姿で、下の写真は1月3日に私の2階の事務所で落語中の砂九さんである。こうして過去ばかりに気持ちが戻ってしまうのが私の欠点らしく、砂九さんのホームページの「周りの人々」の中に、3人のマネージャーの1人として私の名前がある事から、過去の足跡に目がいってしまうのでもある。

 「あんたは後ろばかり見て暗いなァ…(笑)そんなんでよく議員が務まるわァ」と、悲しみを隠して強気で語っているのが、砂九さんのマネージャーで総合プロデューサーと記している兄貴分の茜屋のマスターの口癖である。

 彼は「大鹿寄席」として勉強会と称して一番多くの回数を通ってくれたが、彼が私から手にするものは何もなく、唯一の報酬にあたるのが1月3日の落語の後に手渡す日本酒1本だったのである。そんなバカなと思われるかもしれないが、彼は私から交通費すら受け取らずに無償で出演を続けてくれ、私は1年に一度だけ手渡す日本酒1本を買うために大晦日の京都行きを続けていたのでもある。
 
 こんな心境の時に年末に亡くなったばかりで、私の兄貴分とも言うべきHさんの奥さんの訪問を受けた。悲しんでばかりはいられない。「さあー、頑張ろう」と旅行友の会の会報を印刷したが、今年も私には福の神はこないらしい。元旦より掃除をすると福の神を追い出すと夜のテレビで語られていた。忙しさから年末には何もできず、元旦から少しずつ事務所を片付けている有様であるが、貧乏神にも出ていってもらいたい心境の一日となった。
                                       1月3日の一言

朝日旅行友の会の会報 http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage110.htm

正月気分にもなれない現実に…

 最近では毎月1回の新聞休刊日が定着しているが、休刊日にも夕刊が発行されており、新聞配達にとっては一年で唯一の完全なる休養日が本日なのである。

 私が新聞販売店を創業した昭和52年頃には一年に10回の休刊日しかなく、しかも新聞の配達ミスもある事から店を不在にはできず、一年に一度の完全休業日は1月2日しか無かったのでもあった。そんな生活を23年も続けていた事から、廃業して8年が経過した今となっても今日だけは特別の想いが捨てられずにいる。

 しかし、特別な想いを持っていても24時間にはちがいなく、あっという間に一日が経過してしまい、振り返ると無駄に一日を経過した感が強く、時間が自由にならない販売店時代の方が一日が有効的であったような反省をしても、過ぎ去った時間を戻す事はできないのである。

 学生時代の創業であったが、創業前には観光バス会社の車掌兼添乗員のアルバイトをしており、年末どころか元旦から家に帰れない生活を送っており、正月に家でゆっくりできるようになったのは議員となった8年前からの事であるが、今年ほど感慨の少ない元旦も少なく、子供達はそれぞれの道を行き、唯一扶養家族の三男は元旦から自転車競技の練習に出かけ、本日は明日から仕事の家内が迎えに走っていくような展開である。

 「正月なのにおせち料理もないのか」と次男が訴えたが、その次男も帰ってくるかどうかも判らず、長女は静岡方面へ旅行中で、それぞれがそれぞれの道を歩き、「お年玉」を必要とする子供や親族もいない現実から、世代交代への移り目になっているのかもしれないと実感する。

 さて、他業種ではあるが、同時期に創業して今年には60才になる事から、「そろそろ、仕事を減らしていきたい」と語っていた知人が、息子の店が不調なために、好調な自分の店を閉めて、息子の店で再出発を図るとの話である。3軒も家を建て替え、豪華な和風の自宅を構えているが、ここも息子が自立できずにいる。

 我家の支払う税金の高さを考えると、税金対策を考えないと世代交代も難しい現実から、他人事には思えないが、先祖代々住み慣れた土地に住むだけで「財産がある」と言われても、故郷を捨てて東京で生活する官僚の身勝手な解釈としか思えず、親の家や財産を引き継ぐ子供は減少するばかりではないか。そんなグチしか思い当たらないが、正月気分にも浸ってはおれず、迫りくる行事に向けたラストスパートが求められている現実から、正月気分も本日で封印する事にしたい。
                                        1月2日の一言

朝日旅行友の会

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朝日旅行友の会のホームページです。
http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/newpage201.htm

        上記アドレスをクリックしてご覧下さい


いざという時に役立つ「旅の情報小屋」
    http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/newpage203.htm


 巡礼の記録
    http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/newpage204.htm

 過去の旅行履歴
    http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/newpage202.htm

謹賀新年

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 明けまして
       おめでとうございます
 

 昨日から京都に出向き、大徳寺門前の細見酒店で日本酒「雪紫」を4種購入し、年越しそばを食べてから知恩院に出向き、八坂神社のおけら参りの火をもらい、今回は百万遍「知恩寺」へ参拝し、除夜法要のあと79番目の鐘を撞かせてもらい、その後に船岡山の建勲神社に参拝し、ネズミにゆかりある大豊神社に参拝して京都をあとにしました。

 一昨年に引き続き、八坂神社のおけら参りの火を持ち帰るために、昨年はローソクで養老サービスエリアまで持ち帰りながら、強風により消えてしまった失敗から、昨日の大晦日は香取線香によって持ち帰ろうとしましたが、車中が煙で目もあけられない顛末の後、無常にもトランクに入れた火は八日市あたりで消えてしまったようで、残念ながら来年に持ち越しとなりました。

 帰宅前に立ち寄った地元の津島神社は人影もほとんどなく、境内には呑み捨てられたビールの缶が乱暴に投げ捨てられ、ガードマンも配置されながら京都では考えられない様相です。
 人がいないうえに、門前の道路には普通とは思えない若者達と車が並び、参拝客の行く手を阻んでいるようでもあり、賑やかな京都と比較すると毎年淋しさを実感しての参拝です。

 さて、事前の天気予報では年末年始は寒波が襲来し、雪が舞うとの予報でしたが、そのためか車も少なく、予報に反して星が輝く月夜の晩となり、幸いにもスムーズな京都行きとなりました。
 ただし、北アルプスでは雪崩が起き、岐阜県北部では90センチの積雪があるとの報に、幸運な年始となった事に感謝しつつ、紙一重では危険もはらんでいる現実から、気を引き締めた行動に徹する一年にしたいと思います。

 毎日とりとめのない一言ではありますが、訪問していただく方々に感謝するとともに、皆様のご多幸をお祈りし、平成20年の元旦の一言といたします。本年も変わらぬご指導を賜りますように宜しくお願い申し上げます。
                                平成20年元旦
              
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