大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2008年02月

日常生活にも淋しさが迫る

 2日も続けて葬式となったのは珍しいが、本日は私の父親と親交のあった方の葬儀のため、葬儀場に参列した人々の中に父と親交のあった人々の顔を探していた。

 本日の葬儀は浄土真宗の導師であったが、真宗にしては珍しく僧侶の多い葬儀で、真宗の僧侶2人と、同じ宗旨でも町内の住職が加わり、町内の浄土宗と真言宗の僧侶に加えて、市外からの真言宗の僧侶も含めて6名の僧侶による葬儀であった。

 市外からの真言宗僧侶は、戦国時代の武将で四国に渡り阿波徳島の城主となった蜂須賀小六の出生地に建つ、蜂須賀蓮華寺の住職で、私の叔父(浄土宗僧侶)と親交もあり、かつて四国霊場の知恵をかりたこともあったので、葬儀後に御礼と報告の会話となった。

 本日の葬儀には私が学生時代に家庭教師で教えていた僧侶も来ており、葬儀後には檀家の少ないお寺の維持の大変さを珈琲屋で聞くこととなった。
 「檀家が少ない事は時間の束縛がない」とか、「宗派を超えた発信をしたら…」などと、いまだに教師役の関係は続くが、小さいお寺の維持管理の厳しさは、我家と同じく奥さんを勤めに出している様子から協力を約束する。

 さて、葬儀後には遅れていた地元町内への会報配布に出発したが、一年に4回は配布に歩いているが、家庭環境は様々に変わり、家族の不幸を経験したり、病気で入院した人も多く、久々の会話は寒風の中でもつい長話となった。

 びっくりとしたのは、私の地元町内の中に存在すら知らなかった家があった事で、議員になって9年間一度も会報(33号まで発行)を届けた事がなかった家が存在していたのである。新しく分譲された住居ではあるが、初めて存在に気付いた次第で、地元町内だけに恥ずかしいかぎりでもあった。

 淋しいことは会報を発行する度に廃屋とされる住宅の存在である。3ヶ月に一度の訪問であるが、盛大に商売をしていた家が更地にされ分譲されていたり、高齢の一人暮らしになり施設か親族に引き取られて不在になった家も存在し、届けたくとも配布できない淋しさも実感させられる。
                            2月28日の一言

葬式嫌いが連日の参列となり…

 「20年とか30年生きたいとは思わないが、できればあと10年は生きたかった」の言葉は、本日行なわれた葬儀後の出棺時に喪主が参列者への挨拶として語った病床の妻の言葉であった。

 平均寿命がどんどん伸びている中で、55才の年齢はあまりにも若すぎるが、これも現実の光景である。「せめて、息子に嫁さんでも貰ってからだとなー」とは、近所に住む同級生の言葉だったが、私の小中学校の同級生で亡くなった者も増えたが、奥さんを先に送った例は初めてであった。

 同級生と一緒に庭先に立っていると、「おい、かずやー、ここに来てくれッ」と、喪主が大声で私を来賓席に呼び寄せた。そうして座っていると忘れていたが、喪主とは2人で名古屋の私立高校を受験しており、結果的には高校は別々になったが、若かりし頃はよく酒を飲み歩いたことが走馬灯のように蘇ってきた。

 田舎の葬儀には複数の議員が駆けつけて、来賓焼香で順番に呼び上げられる光景が私は嫌いで、葬儀の案内をいただいても公務優先としてきたものの、最近では欠席が許されぬ葬儀も増えており、ここに参列して隣には行かないことも失礼となりと考えると葬式ばかりとなってしまう。

 地域的な慣習であるが、私の住む地域では、葬式の来賓として市長や議員の名前を呼び上げる慣例があり、全く知らない家でも自分の名前が勝手に呼ばれる事が当り前とされており、議員になった当初に参列しない葬儀での私の来賓呼び上げに対して葬儀屋に抗議して止めてもらった経緯がある。

 私は葬儀参列の目安を決めており、自分の同級生と父親の葬儀に参列してもらった人以外は、自分の町内以外への参列を断っており、葬式嫌いの本音で議員になって9年が経過したが、参列する機会が増える一方で、悲しみを引きずっての帰宅となる。

 葬儀後に同級生と珈琲屋で雑談していると、我家とは懇意で父親も家内も親しくしていただいた方の訃報を聞かされた。隣の町内の方で、地元推薦の先輩議員が存在する中で私を支援いただいた方だったが、葬儀の欠席を決め込んでいると、母親が「お父さんも親しくしていた人だから」と言い、夜になって家内からも「息子の中央大学の先輩(80代の大先輩)だから」との言葉が返ってきた。

 考えてみると、名古屋では苦戦中の朝日新聞でも23年間お世話になり、議員になってからも応援していただいた方の葬儀の欠席ははなはだ失礼でもある。「また葬式かァー」との知人の言葉を聞かされる明日の珈琲タイムとなる。

本当は殺人犯か冤罪か…

 日本では無罪が確定したロス疑惑の三浦和義元社長が、81年の殺人事件の容疑で88年に発布されたロス市警の逮捕状でサイパンで逮捕されているが、ロス市警は三浦容疑者の行動を把握して、日本国外にあらかじめ網を張って逮捕の機会を図っていたと言われる。

 実は、私のホームページにも毎日の行動と、月の予定を公開していたことで、政治にはつきものかもしれないが、明らかに悪意による足手まといを経験した事から、今年に入ってからの活動報告が最近は空白(2月は予定も空白)になっているのでもある。

 自分の行動や予定を公開することで、私の活動内容を理解をしてもらうとともに、私の政治志向の理解に期待したものであったが、悪意を持って行動と予定を確認されては実害とは言わないものの、総てを正直に報告する気持ちはそがれていく。

 三浦被告には油断もあったと思うが、何故に殺人犯で逮捕状が発布されているアメリカの自治領であるサイパンに出向いたのであろうか。報道される最近の発言内容や、度重なる万引き事件などを考えると、尋常とは思えぬ行動と心理状態の理解に苦しむ。

 しかし、アメリカでは殺人犯や殺人の容疑者に対しては日本のような時効がないことを今回の事件から初めて知った次第である。殺人犯は徹底的に取り締まるアメリカの執念を感じるとともに、死ねば権悪人でも仏とされる日本との意識の違いを実感する。

 さて、本日は同級生の奥さんが亡くなる訃報から通夜に出向いてきた。食道ガンとの事だが、今日までの数ヶ月は家族も大変な心労があったものと推測される。1人の人間の死が及ぼす家族への影響は大きく、慰めの言葉すら思い浮かばなかった。

 人の死が近づいてきたことを実感させられるが、明日は我が身との感覚は希薄であり、年老いた母親も同居することから、少しは家族を思いやる気持ちも必要と思って帰宅した。それにしても、ロス疑惑の三浦被告は本当に無罪であったのであろうか。アメリカでの裁判で真実が明かされるのを期待したい。そうでなければ、被害者は浮かばれない。
                          2月26日の一言

ボランティアの財布を見つめて…

 昨年8月に愛知県の認証を受けた『NPO法人・ひとまち生活ネット津島』は、先月の地域セミナーも愛知県より受託したが、活動は始まったばかりで、細々と高齢者や病人を医療機関や買物に付き添う活動をしており、本日は初めて複数の人から同時間に移送を依頼されることになった。

 会員制で会費や入会金を払って会員になってもらう必要があるが、行政と協議中で正式な認可を受けていない事から、低額の利用料だけで試行運営中だが、地域セミナーの費用も愛知県からは5月頃しか支給されず、電話連絡や各種の雑費も現在は私の立替になっており、連絡先も我家や私の事務所となっておる事から、政治と混同されないためにも早急の役員会と会費徴収が必要になっている。

 「600円で市内全域どこまでも走ります」の宣伝を始めたが、現状は毎日が待機中であり、一日に3人位は依頼が欲しいが、運転手のW君は「2人同時はできない」と言い、1人では一日の仕事として考えるとかわいそうなボランティアとなり、現実に2人の注文で一日が経過してしまったのである。

 病院の予約時間は決まっているが、診察が終わり薬を受け取り、会計を済ますと昼を過ぎることが多く、本日は昼食も抜きになったとのグチを珈琲屋に出向いて慰めようと家を出ると、2人目の注文が入り珈琲タイムが急遽変更となってしまったのである。

 「有難い事だ」と私は思って話していると、「もう1人探してくれ」の返事に、いざという時は私も運転手の予備役となりそうだが、「議員だから依頼しづらい人もあるから…」と言うと、「だから、安心して依頼されている」と言われ、本日は助手での出動となった。

 ただし、送迎後の珈琲タイムの料金を支払おうとすると、「今日は2人もあったから…」とW君の支払いとなり、彼のボランティア代は2人の珈琲代に代わってしまったのである。
 こんな展開が週に一度あるかないかの活動だが、税務署と県税事務所からは何度も連絡があり、あまりのしつこさに「無報酬の私に二度と電話してくるな」と税務署に怒り、県税事務所には届け出すら放置してあるが…。

 さすがに地元の津島市は法人市民税の猶予となりそうだが、非営利の看板を上げるNPO法人に、株式会社や有限会社と同じ感覚での届出を求める税務署や県税事務所には矛盾を感じ、W君の財布を見つめながら、ボランティアの継続の厳しさと責任を実感する一日となった。
                             2月25日の一言

街角のピアノコンサート

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 本日は津島市西愛宕町にある茜屋珈琲にて、五回目となる佐藤由美ピアノコンサートが開催され、2時間をこえる演奏会を指先まで見える目前で鑑賞した。

 佐藤由美さんは一宮市(旧尾西市)出身。東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校、同大学音楽学部器楽科を経て、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。杉浦日出夫、橋本三恵子、多 美智子、渡辺健二の各氏に師事。

 中学時代の全日本学生音楽コンクール中学校の部全国1位入賞から、第8回日本モーツァルト音楽コンクール第1位入賞などや、ザルツブルク・モーツァルト国際音楽コンクール派遣者選考演奏会の最優秀賞により、モーツァルト国際音楽コンクールに派遣されるなど活躍。現在、リサイタル、室内楽のほか、オーケストラとの共演などで活躍中。

 大きなコンサートホールでピアノを弾く姿を知りながら、地方都市の街角の珈琲屋のグランドピアノでコンサートを聞く事になったのは、由美さんの父親に私の選挙イメージのコーディネーターを依頼しているのが縁で、茜屋のマスターと引き合わせたのが始まりとなり、今年で5回目の演奏会となった。

 もっとも私は全くの音楽音痴で、音楽は鶴田浩二しか縁のない人生のため、プログラムを見ても、モーツァルトやベートーヴェンなどの名前は解かるものの、曲目や内容はさっぱり見当もつかず、終演後の雑談でも何も解からずにうなづくままで、本日は会場設営と入場者のチケット切が役目である。

 さて、ギターやバイオリンなどと違い、ピアノの演奏会はグランドピアノが置いてある場所でないと開催できないことから、身近なようで目前での演奏を聞く機会は中々ないと言われる。
 ここ茜屋では、絵画や写真展などが常時開催され、街角で人々が交流する貴重なスペースとして歴史を刻んできた。来月は今は亡き「浪漫亭砂九」さんの仲間による『あかね寄席』も控えているが、来年もグランドピアノの出番を確実にした本日の演奏会となった。
                           2月24日の一言

親離れとは素直に喜べないが…

 早朝より天候が悪いため、三男の自転車の練習場所まで家内が送迎役で走ったが、帰りにはロード用の靴を買ってきて、「これでも安い」と言う値段を聞くと「4万円」との話に、一同「高~い」のハーモニーになった。

 「これがあれば、競輪学校まで使える」の言葉に、祖母が「受かるのか?」の一言。「700人受けて合格は1割かな」、「それでスベッたらどうするの?」、「半年待ってまた受ける」、「それよりも、念のため大学に行ったら?」、「そんな気持ちでは受からない」の一言。

 もっともな話で、大学に行きながら合格するほど競輪学校の門戸は甘くなく、「二兎を追うものは一兎を得ず」のことわざどおりと思うが、合格するとは決まっておらず、仮に合格しても大ケガでもすればそれまでとなってしまう。

 三男は学校の練習の中でも、既にプロ選手の助言や指導を受けはじめており、その気力は買いたいものの、人生の楽しみも考えると冷静で多様な選択を願いたいものではあるが…。
 「そうなったらお父さんはどうなるんだ?」、「えっ?お父さん?」、「家には帰られるのか?」、「ムリ、ムリ」と一蹴である。

 まだ一年間の高校生活が残っており、来月に開催される全国大会での結果によっても流動的な進路とは思うが、次男もアパートに出ており、残されるのは親2人の結末を覚悟かと淋しく思う。

 さて、結婚を前提に数年間付き合っている娘が、「結婚式を挙げたい」と今晩2人で訪ねてきた。いつかはと思っていたが、聞けば「来年の秋までには」との話で、「今年にしろよ」と今後は会場探しとなる。こちらも私の考えはまったく無視と親の淋しさばかりの一日となった。
                           2月23日の一言

深夜に娘からのメール

今夜、午後11時47分に(現在午前1時45分)に私の娘よりメールが届き、人の命に関わる内容だったので、ここに添付し、皆さんのご協力をお願いいたします。
                2月23日深夜  大鹿一八

深夜のメールにびっくりして、人命にかかわると添付したのにこれはウソだったのですね。
コメントいただいた方々に感謝するとともに、娘の携帯メールから届けられた迷惑メールに抗議するために、携帯電話番号のみ消して、(青色部分がチェーンメールです)そのまま添付します。下記の病院長の添付は本物です。私の軽率な添付で心配された方にはお詫びいたします。
                23日午前3時45分 大鹿一八


当院の名前が記載されたチェーンメールについて

 現在、「B型RHマイナスの血液が緊急に必要な患者さんが昭和大に入院しているので、該当する血液の人は献血所で献血をしてほしい」という趣旨のチェーンメールが出回っておりますが、このメールは当院と一切関係がございません。
 この件に関しまして、「本当にこういう患者さんがいらっしゃるのか?」というお問い合わせを多数頂いておりますが、このことについては法に則りお答えできません。
 なお、この不審メールに対応したことで何らかの被害を受けても、当院では一切責任を負うことができません。
 以上、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

                            平成20年2月21日
                      昭和大学病院院長 飯島 正文
**転送元のメール**

お願いします。**転送元のメール**
>友達から がまわって来たので、協力してあげて下さい!

至急できるかぎりまわしてくださいm(_ _)m
知り合いからきたメールです[↓]
**転送元のメール**

私の知人の三歳の子が急性リンパ性白血病になってしまって、昭和医大に入院してるそうです!
RHマイナスB型の血液不足にて手術受けれない状態で、誰かRHマイナスB型の方いませんか!?
是非協力おねがいします!
1人の幼い子の命がかかっていて、とても危険な状態だそうです!
最寄りの献血センターで献血できるようなので、是非是非協力おねがいします!
分からないことあればいつでも連絡ください!
よろしくおねがいします!! 

私の携帯
××××××××
友達にまわしまくってもらって結構です。
是非そうしてください!
なかなかない血液みたいで、私だけの人脈だと間に合わないのでおねがいします!
桑野友季子

ノルマ10枚の演奏会が3日後に迫り…

 昨晩の11時になろうとした時、手帳の予定表に目を通すと、3日後の日曜日に「ピアノ」と記されていた。まだ先の事と思い、まったく忘れていたピアノコンサートであったが、私に与えられていたノルマが10枚だった事から、落ち着いては眠れない事となった。

 そもそもピアノ奏者の父親が私の知人だった事から、私の紹介で始まった珈琲屋を借り切ったコンサートだっただけに、主催者であるマスターから「おい、あんたは10枚だよッ」と言われた言葉は忘れていないものの、3日後に迫ったコンサートの時間も料金も知らずにどうすべきか。

 「おい、日曜日ヒマないかなァ」、「えっ、何かあるのか?」、「実はピアノコンサートがあるんだけど…」、「ナイナイ(手をふりながら)」、続ける言葉も出てこない。

 昼になって奏者の父親から料金の2千500円と、日曜日の2時開演までは判ったものの、薦めるにも私自身がピアノどころか音楽そのものに無縁の生活から、薦める相手すら想像もできず、旅行のように高齢者に勧めても押し売りとしかなりません。

 10枚で2万5千円の自腹は覚悟しても、肝心の会場に空席をつくっても失礼だし、誰に声をかけるか考えて午後の日程を上の空ですごしたが、「もしかしたら、チケットが完売されているかもしれない」との期待と、「参加者少数で延期」も期待しながら、会場となる閉店間際の珈琲屋へ。

 後片付け中のマスターを覗くと、「オー、覚えていてくれたかー、〇△さんが『きっと忘れとるわー』と言っていたぞー」との言葉が返ってきた。「実は、昨日の夜まですっかりと忘れていてびっくりして飛んで来たんだわ」、「やっぱりー」との笑顔に救われたが、予定通りの開演である。

 もっとも、チケットの売れ行きは今ひとつだったが、「無理はダメだよ、次につながらないから」とのマスターの言葉に、明日一日頑張って人に薦める気力とともに帰宅した。「病気で入院にでもなれば」と後ろ向きだった気持ちが前向きになった瞬間だったが……。
                              2月22日の一言

大型事故には無力となる命

 本日の午後、岐阜県瑞穂市の県道交差点で、路線バスとトレーラーが衝突し、バスの運転手は車外に投げ出され、バスに轢かれて死亡し、無人のバスは13人を乗せたまま走りつづけて道路沿いの鉄柱にぶつかって止まったが、乗客は重傷の1人をはじめ全員が負傷する大事故となった。

 事故のニュース 毎日新聞http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080221-00000009-maip-soci

 まったく減速することなく走ってきたトレーラーと激突し、運転手が投げ出されて無人となった事も知らずに乗客が「運転手さん、バスを止めて」と叫び続けたとあるが、電柱や街路樹にぶつかりつづけ、窓ガラスは割れつづけ止まるまで街中に大音響が響いたのである。
 
 事故の原因はトレーラーの信号無視のようだが、こんな形で命を落とすことになった運転手は48才とあり、残された家族の心境を想像すると、人生何が起こるか判らないとは言うが、まさか公共交通の路線バスの運転で命を落とすとは思ってもいなかったのではないだろうか。

 さて、突然の事故といえば、太平洋上で自衛隊のイージス艦と衝突したマグロ漁船についても、あれだけ広い海上でよくも真っ二つに折れるような事故が起こったものである。結果論だが、衝突を回避しようとしなければ、そのまますれ違った可能性も高い。

 今回の事故についても、被害にあった漁船が仲間の船と一緒に船団を組んで行動していたことから、死人にクチナシとはならなかったが、相手が大きいとまったくの無力となる事を実感させられた。

 大きいゆえに命の心配もなく、漁船のような事故を回避する危機感も不足し、こんな事で国の一大事に役立ったか疑問となり、まさにお役所仕事の典型のような事故だが、こんなことで突然に命を奪われた被害者や家族は堪らない。

 二つの事故は道路と海と場所こそ違うが、交通事故の場合には小さいほうが被害者になる可能性が高いことから、大型船や大型車の運転者には今一度の注意と責任を促し、事故と事故による被害の再発を減らしたいものである。
                             2月21日の一言

テレビの珍名紹介に我が身をふり返り

 本日のテレビで「八月一日」の表札で「ほづみ」と読む苗字の紹介があった。この頃に穂を摘むことから「ほづみ」となったらしいが、出演者の話では鳥遊と書いて「たかなし」さんという知り合いがあったとの話もあった。(テレビ朝日・珍百景)

 世の中には色々な名前があるもので名前が読めずに困った経験もあるが、私の名前「一八」も普通ではなく、当事者として困ったことや恥ずかしい思いをしたことも多くある。最近では、木村一八(横山やすしの息子さん)の出現によって「かずや」と呼ばれやすくなったようです。

 「大鹿いっぱちさーん、イッパチさ~ん」と病院の薬局のマイクを通して、スピーカーから大音響で呼ばれると、大勢の視線が集中しているようで、しばらく時間をおいてから取りにいっていた思いも少年時代にはあった。

 私の少年時代には「一八うどん」の看板も多く、最近は減ってきたようであるが、遠足などで見かけるとからかわれたことも多い。恥ずかしいから知ろうともしなかったが、何故にうどん屋に「一八」が多かったのか、減ってきた今になってからは知りたいくらいになった。

 幸いにして私は「イッパチ」を学校のあだ名にされた事がなく、むしろ高校や大学になってから「イッパチ」ゆえに教頭や校長先生にも可愛がられ、社会人になってからは「かずや」と知りながら、わざと愛着を込めて「いっぱちさん」と呼ばれる事も多くなった。

 私の名前の由来はあまりにも簡単で、誕生日が18日だったことから、母方の祖父が命名し、反対する父親に有無を言わさずに決まったようだが、「一は一番やはじめで縁起がよく、八は末広がりで」との説明も後から考えた言い訳のようである。

 個性を大切にする多種多様な社会になった事と、名前の呼び間違いのないような仕組みやシステムが定着し、名前で嫌な思いをする事もなくなってきたが、前記した八月一日(ほづみ)さんのように、説明が避けて通れない名前は子孫まで続くのである。

 「なんで、こんな名前にされたんだろう」と子供時代に思わされた私の名前も、変わっていることと珍しさから忘れられない恩恵も多く、最近では間違って発音されても苦にならなくなったが、そういう私も自分の子供には全員「一」をつけており、子供のことを思って付けられた事だけは間違いがないが、苗字だけは永久だけに逃れ様もないようだ。
                              2月20日の一言

久々の鶴田浩二を顧みて…

 本日は久々に鶴田浩二にしましょうか。浜松市の鶴田浩二ファンという高校生からコメントをもらい、生前の鶴田浩二の姿を知らない若きファンの存在に、うれしいだけでなく、鶴田浩二の想いを後世に伝えて欲しいと思いました。

 鶴田浩二の本名は小野栄一。大正13年12月6日に浜松市に生まれたが、離婚して大阪に行ってしまった母にかわり、母方の祖母に育てられている。本日は、浜松での幼少期の母親との思い出である『かくれんぼ』(日刊スポーツに連載された夕焼けの詩)を紹介したい。母親と会えるのは十日か半月に一度という中での思い出である。

 「久しぶりに母が戻り、お土産の菓子類を手にして、私はすっかり有頂天になっていた。遅い昼食を母の手づくりの料理で済ませると、母は私のハダ着のつくろいを始めた。一針一針ていねいにつくろっている母を、私は動物絵本をみながら、時々そっと盗みみていた。
 時間は容しゃなく過ぎ母は立ち上がった。そして身支度を始めた。私は例の通り母に武者ぶりつき『行ってはいけない』と何度も何度も繰返し駄々をこねた。
 私の肩に置いた母の手が小刻みにふるえていたのを私は今でもはっきりと覚えている。
 私は『きょうはどうしても泊まっていってくれ』と、身をよじらせてせがみ、ますます母を困らせることになった。
 母は、しばらく私をみて考えていたが『じゃあ、かくれんぼしよう』といった。母と『かくれんぼ』などをして遊んだこともなかった私は、奇声をあげて喜び、手を打ってはしゃいだ。
 最初は母が鬼になり、私がかくれた。その次は私が鬼になり、母がかくれる。次はその逆に……、そしてその次は……。
 階段のうらで、障子のかげで押し入れのすみで、鬼になっていた母にみつけられて大声を張りあげながら逃げ回った……。遠い日の想い出。
 何度目かに鬼になった私が、さがしてもさがしても母はみつからなかった。母は出かけてしまったのである。
 はだしで表に飛び出し、母の名を連呼して泣き続けた私。涙をいっぱいためてだまって私の頭を撫でさすっていた祖母。
 路地のスミで、母もかくれて泣いていたのでは……。今になって何故か、私はそんな気がしてならない」

 昭和44年に記されたものだが、この文章から何度ももらい泣きさせられた事があり、父親は渡世家業の人と言われているが、最後まで家庭を大切にした鶴田浩二の原点を浜松での幼少期にみることができる。
                            2月19日の一言

香典返しに対する新聞投稿に

 本日の朝日新聞夕刊『ナゴヤマル』に、「香典返しの寄付、私は変だと思うが」との名古屋市在住62才女性の投稿があったので、読んでみえない方々のためにまず添付したい。

 『朝刊の声欄に、香典返しをやめて寄付したとありました。香典の全額を寄付するならまだしも、お返し分だけ寄付にするというのは変ではないかと思います。
 確かに、不要な品物が増えるのは困ります。知人のお子さんが入院された時、「お返しはいらないから」と少なめのお見舞いを渡しました。退院の知らせを聞いただけでうれしいものです』  2月18日・朝日新聞夕刊

 文面から、朝刊の声欄に投稿された内容も判ると思うが、最近は葬儀そのものが多様化し、セレモニーホールへの持ち出しが増え、隣り近所や地域ぐるみで亡くなった人を送り出した頃とは感覚も変わってきている。
 先祖代々お願いしているお寺の都合も確認せず、ホールと決めた葬儀時間に間に合わせの僧侶を頼み、近所の人々も知らなかったというような葬儀まで出現しているのである。

 そんな世情であるから、葬儀に参列した人への香典のお返しも様々で、私の町内のように翌日に香典そのものを一件一軒返しに回る風習も残り、ホールによっては葬儀会場で香典のお返しを済ませてしまう例もある。
 葬儀の翌日に返しに走るのも酷であるし、大変だからと葬儀会場で済ませてしまうのも淋しいものがある。

 香典を全額自治体や世話になった施設に寄付する話はよく耳にするが、新聞に投稿されたように、香典の全額ではなく、参列者への「お返し分だけ寄付しました」はいかがなものでしょうか。

 私の人生の中で、一番清々しい葬儀は、平成12年に引退して半年で亡くなった山田克巳津島市長の葬儀であった。自分の菩提寺を式場とし、参列者からの香典や花は一切を固辞し、葬儀後に遺族から図書館に1千万円が寄贈された。一方で、私の先輩議員には、家族葬として飾り立てることなく親を送った人もあり、これも家庭的な親しみが感じられるものであった。

 葬儀についてはそれぞれの考えで良いと思うが、葬儀は残された遺族ではなく、亡くなった故人に対して参列するものであるから、果たすべき儀礼を忘れると物言えぬ故人にとっては大変な事となる。

 もっとも、最近では隣り近所や地域との関係を嫌う遺族も多く、親と離れて生活する遺族も多い事から、儀礼の欠如が前例となり、地域の人間関係にも影響することが多い。こんな時に思い出すのが、草柳大蔵氏の記した『礼儀覚え書』であるが、せめて前記した投稿文のように、批判される事だけは避けたいと思う。
                                  2月18日の一言

本日の横井記念館

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 横井庄一記念館の一日でしたが、「先週は誰も来なくて」との言葉と同じく、本日は東京から訪れたテレビ局の撮影だけで来客がありませんでした。

 自宅を出る時には快晴だった天候は一瞬で、昨晩と同じく時雨だし午後には雪が降り注ぎ、人々の出足を阻み、取材がなければ一人の来館者もない一日となるところであった。もっとも畑で採れた野菜を持って訪問した知人は、取材と聞いて野菜を置いて帰ってしまいました。

 さて、今回は戦時中に横井庄一が私の伯父「大鹿英雄」に送ってきた手紙(下記添付)が取り上げられている。

 戦地からの手紙 http://blogs.yahoo.co.jp/oshika59/folder/1030701.html

 手紙を読んだだけでは内容が判らないと思うが、出征で不在の横井洋服店の仕事の材料となる布地を伯父が売り払ってしまい、伯父はそのお金で新品の自転車を買って走りまわっている事を知って、戦地から送られてきた手紙である。

 (テレビ局)「大鹿英雄と横井庄一の関係は?」 (館長)「いとこです」 (私)「いや、いとこの子供です」 (館長)「あっ、そうか。お父さんの兄弟だもんね」 (テレビ局)「遠い関係ですかね?」 (館長)「遠くはないわよッ、お母さんの在所だから」 (テレビ局)「どう表現すれば良いですかね?」 (私)「スジカイいとこらしい」 (テレビ局)「血のつながりはあるんですか?」 (館長)「そりゃーあるわよ、一緒に暮らしていたんだから」 (テレビ局)「えっ?」 (私)「大鹿庄一時代の同居人だから」 (テレビ局)「えっ?」 (館長)「弟みたいなそんざいかなッ」 (テレビ局)「えっ?」

 昭和47年に発見されてから30数年が経過し、当時を知る記者たちはほとんどが引退し、取材する記者達は横井庄一そのものも知らずに訪問するようなものだから、横井庄一の経歴どころか、性格や人柄もわからず、我々が語っても真意が伝わらない。

 本日添付した手紙には横井庄一の性格がひじょうに良く出ている。本来なら、自分の商売道具を売られて持っていかれた怒りがあるに決まっているが、手紙の文面では私の伯父を誉めて親元に渡すように求めている。「こらーッ、すぐに返せ」と記されていない事に横井庄一の生い立ちと性格を垣間見ることができるのである。
                              2月17日の一言
横井庄一の生い立ち http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/newpage8.htm

若かりし日に想いをはせ

 半月前から奥歯が痛み、先週からは両奥歯が痛みだし、噛むこと自体が苦痛となっていたが、それにも勝る食欲が災いして本日痛い歯のとなりにあった痛みの無い歯が折れてしまいました。

 二週間前に私の通う歯医者の先生から別の用事で電話をもらい、「私も歯を診てもらいたいので」とお願いはしたものの、診察への第一歩が踏み出せなかったが、歯が折れるに至っては考える余地もなく一目散に走る事になりました。

 折れてしまった歯は勿論だが、痛みつづけていた両奥歯も限界で、どうやら54才にして『入れ歯』を現実の話として考えることとなりそうである。

 今晩のテレビ番組「チューボー」で、ゲストの藤井フミヤ兄弟と堺正章さんが「さらば恋人」を熱唱した。ふだんは関心もない料理番組であったが、高校時代に「鶴田浩二」のファンになる前は「ザ・スパイダース」のファンで、全てのレコードを買い求めていただけに、3人の熱唱に久々に感動というものを味わった気がした。

堺正章・さらば恋人 
     http://jp.youtube.com/watch?v=tPlwMEkSPBo&feature=related
     http://jp.youtube.com/watch?v=Fz5oebjK35M&feature=related

ザ・スパイダース
 「夕陽が泣いている」 http://jp.youtube.com/watch?v=Alb7LJP59Wc
 「いつまでもどこまでも」 http://jp.youtube.com/watch?v=5_9nCwzyO-U
 「バン・バン・バン」 http://jp.youtube.com/watch?v=kpZHThhpf_g&feature=related
 「あの時君は若かった」 http://jp.youtube.com/watch?v=Ha87efdh694&feature=related

 歯が折れて「入れ歯」が確実になった日だけに、偶然に聞いた堺正章の歌声に若かりし頃が懐かしくなり、スパイダースの曲に聞き入っていた。時代の流れとはいえ、グループが解散し、堺正章の他のメンバー「井上順」や「かまやつひろし」など、単独で活躍する姿に応援しつつ、鶴田浩二に傾倒してからは久しく曲も聞いた事がなかったので本当に懐かしくてたまらなくなってきた。

 もっとも、私はメンバーの中でも井上順(さん)のファンだったので、司会役で成功したものの、最近の俳優や役者としての姿にはエールを送っている。本日は無性に懐かしくなり、歌手としての「ザ・スパイダース」の再現も期待したくなってきた。

 最後に井上順の姿を添付し、本日の一言を終わりたい。
                            2月16日の一言
井上順
 なんとなくなんとなく http://jp.youtube.com/watch?v=leVo-huGIU4&feature=related
 昨日・今日・明日 http://jp.youtube.com/watch?v=4-cYCuIqBx8
 あの時君は若かった http://jp.youtube.com/watch?v=TvlzFLq5lF8&feature=related
ムッシュかまやつ我が 良き友よ http://jp.youtube.com/watch?v=vtejwn6KYVs

奈良から来る薬屋は愛知県人だった…

 本日も日が暮れそうな夕方になって事務所に来客があり、用件を訪ねると家庭への『置き薬』の営業マンであった。

 「〇△薬品ですが」、「何でしょうか?」
 「うちの薬箱が置いてある筈ですが」、「うちにはありませんよ」
 「誰かわかる人はおられませんか?」、「自分が判らなければ、判らないでしょう」
 「奥さんはみえませんか?」、「まだ帰ってきませんが」
 「何度もお邪魔しているんですが…」、「何度来られても無いものは無いから」
 「〇△薬品、奈良の薬屋の…」、

 あまりのしつこさに、「奈良ならあるけど別の薬屋だから」と、家に入って薬箱を持ってくると…

 「そうです、その薬箱です」、「えッ、これは〇△じゃないよ」、「中身は〇△です。ほらッ」、「じゃー、いつもの人は」、「身体を悪くして、後任が私です」

 こんな訳の判らない押し問答が続いていたが、どうやら身体を悪くして代わりの人が頼まれて来たものと思っていた。

 しかし、使っていない薬が無くなっており請求の高さに、「おかしい、それは一つも使ってない筈だが」と中身と数字が合わず、納得がいかない展開になってきた。
 「前任者の事だから…」、「これはおかしい、あの人は今度は来るの?」、「実は、辞めたんです」、「えッ、じゃー会社が替わったの」、「いや、前から一緒ですよ」

 こんなにおかしく、訳の判らない話はない。親の代から通ってくる奈良の薬屋はどうなっているんだと思っていると、随分前に奈良の薬屋は辞めており、名古屋の薬品会社に権利を売り、ここの会社の社員が入れ替わって来ていたのであった。

 「それじゃー、奈良のあの人は?」、「あの人は奈良ではなく東浦(愛知県知多半島)ですよ」、「親の跡を継いで来ていたんじゃないの?」、「社長は奈良の出身で、私も奈良の出身ですが、名古屋から来ているんですよ」、「それじゃー、今まで聞いていた奈良の話は?」どうなっているのか…。

 薬の数が違うのはこの業界ではよくある事らしい。しかし、親の跡を継いで奈良から通ってくると思っていた薬屋は、まったくのデタラメで奈良とは縁もゆかりもない営業マンであったのである。

 どうやら奈良の薬屋から名古屋の薬品会社に替わった時に、昔から通っていた薬屋の息子になりすまし、会社が替わった事も伝えず、奈良の薬屋の二代目として奈良の話や我家の昔の話に合わせていたウソが、本日発覚したのでもあった。

 辞めるから薬の数をごまかしたとは思いたくないが、この十数年もの間、ウソをつきとおして長話に花を咲かせており、我家を最後に毎回奈良県の吉野まで帰ると言う話に、茶菓子まで出し、居合わせた私の叔父に「おばあさんの頃から来ている薬屋さん」と紹介していた事が全てウソから始まっていたのである。

 会社が替わって止められると困るから、奈良の薬屋の息子になりきり、奈良から通ってくるとのウソのままに私と会話を続けていたのであろう。しかし、そうとは知らず珈琲屋に連れていった事も、今にして思うと懐かしくも文句も言えないが、見事にウソを演じきって去っていた薬屋を誉めるべきかもしれないが…。

 日本の置き薬については、モンゴルやアメリカでも参考にしていると聞くが、奈良や富山から通ってきた伝統も今は昔の幻になっていたのである。それにしても、県内の東浦に帰る薬屋を、遠くの奈良まで帰ると信じて名残惜しく見送っていた自分が悲しい。
                            2月15日の一言

医療関係ブログ

医療関係ブログ

 医師は「魔法使い」じゃない。http://punigo.jugem.jp/?eid=425
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心拍数と運動 http://www.geocities.jp/jitensha_tanken/pulse.html

自分がやらない事を市民に相談され…

 本日も厳しい寒波が愛知県にも吹き込んでおり、雪にはなっていないものの今晩には降りそうな雰囲気の夕暮れとなった。朝になって、と言うよりも、深夜に目が冴えていることから、雪が降ろうものなら、明日の朝は私を『アッシー君』として期待する家内の送迎で大変な早朝となる。

 議員となって9年が経過しているが、それまでは多くの従業員が雪の中で仕事となる事から、前夜から雪の対策を万全にして仕事をバックアップするために、車のタイヤにチェーンを巻きつけて翌日まで眠らぬ夜を送っていた。
 こんな経験から、「雪道はお父さんに任せておけば」と信頼されるのは有難いが、最近では身体がナマカワになっており、前日からタイヤをスタッドレスに交換する気力も沸いてこないのである。

 労働意欲が低下しているとしか思えず、万が一の場合は早朝よりチェーンを装着して走る覚悟であるが、肝心のチェーンや新型のゴムチェーンは家内が片付けてしまってあり、懐中電灯で一苦労して見つけた頃に家内はもう夢心地で、台所は静まり返っていたのであった。

 さて、会報の印刷が本日終了するが、仕上がったものの天気が悪い中では戸別配布もできず、三月議会は迫ってくるから配布がプレッシャーとなるが、今年は私に税金の知識が皆無である事を知らずに、相談の電話が複数舞い込んでおり、かつての私なら「知らんふりで放置しておいたら」と脱税まがいも通用したが、議員の立場ではそれもできず、無い頭を知人に頼って処理しているのである。

 もっとも、私が23年間自営業者として税金の申告をする中で、一番間違いなく納税額が安く、一年を通して安心できたのは税務署に直接出向くようになってからで、各種の納税組合や専門家である税理士よりも、税務署の職員に相談するようになってからは税金で心配する事は皆無となった。

 「大鹿さん、経費で落とせるからと税理士に頼んでも、払ったお金は戻ってこないよ。その経費を利益として税金を支払った残りは全部大鹿さんの使い勝手だよ」と、査察に入った担当者がつぶやいた。税理士にたのんでも税務署から査察には来るし、「じゃー、今後は相談に乗ってくれますか」と、税務署を相談相手に決めたのであった。

 もっとも出向くのは会計担当者の家内ではあったが、それまで何度も税務署の立ち入り調査を受けていたのが、それ以降は納税額も安く(節税)なり、一度も税務署から訪問されることがなくなった。税務署に相談して書き入れた申告書は、よほど悪い事がしてなければ調べには来ないのである。

 「税務署に相談するのが一番」と、簡単に電話口で伝えても、相手は「税務署では取られてしまうから…」と言われるから、税務署にも聞けずに詳しい知人を頼るものの、また聞きでは何度もやりとりが必要となり、我家の申告は家内に任せ、NPO法人や私の後援会の会計報告もやらない私が他人の相談に乗っているのも滑稽ではある。

 税務署が怖いのは脱税となるからで、徹底的に節税(多少は○×も)で税務署に相談すれば、大手が振って歩ける事は間違いがないのであるが。
                                    2月14日の一言
追伸 税金の事を書きかけたらキリがなくなりました(笑) 突然税務署に来られて数百万円を請求されれば困ります。そんな経験からの一言ですが、他人事と聞き流してください。

印刷機の修理から過去を顧みる

 印刷機の故障のために、原稿の出来上がった会報の印刷ができず(2日間だけだが)にいたが、本日修理が済み夕方から印刷に着手することができた。この印刷機も議員の仕事として購入したものではなかったが、今では私の活動の主力になっており、家内以上に(こんな話は内緒ですが)重要なパートナーとなっている。

 さすがに11年目を迎えて故障が続いているが、ゴムやスポンジなどの消耗品の劣化が原因で、修理担当者の「まだ大丈夫ですよ」の言葉(営業担当者には聞かせられません)を頼りに、今晩は午前様で回転を続けさせるのである。ただし、私一人しか使わず、印刷を頼まれても他人には貸さず、必ず自分の手で印刷しているから長期間の使用に耐えているのであって、市役所や学校などのように多くの人々が使ったらこんなに長持ちはしないと思われる。

 「そんなに故障するなら買い換えたら」と言う人もあるが、地方議員の報酬では200万とも言われる最近の印刷機には手が出ず、「よかったら安い中古品がありますよッ」との他社の売り込みも、故障した後の保障は期待できず、修理すれば新品同様にしてくれる会社(デュプロ販売)との信頼関係には敵わないのでもある。

 これも新聞販売業の機械化の中でも、創業時からコストダウンにつながらない印刷機(ミニコミの発行のため)を優先して買い続けてきた歴史があり、コンピューターの導入時もメーカーが我家に通いながらソフトを組替えた歴史がある事を知る担当者もおり、利益にもならない廃業後もお付き合いが続いているのでもある。

 さて、印刷機も電子化の中では随分と進化し、最近ではカラーで大量印刷が可能となっているが、電子部分の故障には部品が無くなれば修理ができない事から、かつての機械式の印刷機や、「謄写版」と言われた『ガリ版印刷』が懐かしく思い出され、恒久的な機器の復活を望みたいのは自分だけであろうか。
 
 今年から議員としての議会報告と、議員になる前から続けてきた朝日旅行友の会の会報を分化させ、かつての趣味であった写真(今では写すだけ)撮影の復活を目指しており、撮りつづけた写真の整理と写真展の開催も目論んでいる。

 考えてみると、議員になってから自分の趣味までもが役務化していたり、地域で好評だった『水郷釣り大会』も、景品の関係から公職選挙法に触れる可能性を指摘され中止したままになっている。廃業当初は新聞社が継続の支援を約束してくれたが、あまりにも中断が永く復活は難しいが、4月の書道展出品を機に省みたいとも思っている。
                                 2月13日の一言

韓国南大門焼失を他山の石に…

 「ピッ、ピッ、ピー、ピッ、ピッ、ピー、…」家内からの携帯電話は非常用の着信音にしてあるから、状況に関係なくけたたましく鳴り響く。仕事に出ている事から『ご飯』の炊飯器のスイッチが入っているかを私に確認してくるのであるが、これではテレビで話題になった主夫と一緒である。

 しかし、私のように突然の電話や来客、不定期な議会日程が変更されたりすると、長期の予定は立てても変更の繰り返しとなり、金銭的にも恵まれていた『自営業』時代が懐かしく、忙しければ忙しいほど経費が増大して収入は減っていく事から、「今ならまだ仕事もできる」との夢を見る事も多い。

 さて、故障していた印刷機であるが、故障そのものはたいしたこともなかったが、部品が入らないために明日へ先延ばしとなり、どうせ出張料を払うなら他の劣化した部品も交換してもらう事となった。我家の印刷機は今まで故障もなく順調に使用していたが、昨年頃から故障も多く、来年2月には部品の供給も止まる事から、多少のオーバーホールでしのぐか、買い替えの決断も必要となってくる。

 買い替えとなると200万円くらいは必要との話から、数万で済むオーバーホールに期待したいが、オーバーホールをしても、直後に故障した場合に部品がないと買い換えになってしまう事から、思案のしどころでもあるが、平成9年に導入した時とは収入も4割以下に減っている事から、必要ではあるものの判断が難しい。

 韓国ソウルの国宝南大門(崇礼門)が放火によってほぼ全焼し、木造部分は崩壊する事件となったが、69歳の犯人を放火犯として緊急逮捕したとの報道があった。この南大門は韓国の国宝第1号といわれるが、創建から610年との事であり、日本国内にはこれより古い建物が多く残されている事から、同様な事件による火災は絶対に防ぎたいものである。

 今回の報道にはびっくりしたが、日本最古(世界一)の建物は法隆寺の五重の塔であり、現伽藍は711年(法隆寺西院伽藍は607年との説)に完成していたと言われ、五重の塔の心柱の伐採された年月が594年と測定されていることから、今から1400年前後の歴史を有するものだけに、今回のような事件や火災は絶対に阻止したいものでもある。

 国内には千年を超える歴史的建造物が多く残されているが、今回の事件のように一人の放火犯によって一瞬にして焼失してしまう可能性もあることから、今一度の管理体制の強化とさらなる防火対策に期待したい。千年の歴史を考えると、我が家の傍らの石も粗末には扱えない心境でもある。
                                    2月12日の一言

住民の民意は国には無力か

 自らの会報『津島の風』の原稿がほぼ出来上がり、いざ印刷を始めると不調である。何度も繰り返すものの事態は好転せず、インクだらけになったものの、明日一番でメーカーに修理を依頼する事としたが、遅らせてきた日々に感じなかった断崖絶壁のような追い詰められた心境となった。

 運良く先月のセミナーなどには故障もなく動いていたが、肝心の自分の仕事に不調とは皮肉なものだが、十数年も使ってきた印刷機だけに、プロなら直せるとは思うものの、復活を願いたい一心である。

 10日の投票によって岩国市に米軍移転容認派の市長が当選し、今後は国による再編への動きが加速されるとの報道もあるが、2年前の住民投票では87パーセントの住民が反対の意思表示を示しており、接戦となった選挙結果だけで再編が進められる前に、再度の住民の意思を問うべきではないか。

 それにしても衆議院議員を立候補させるとは形振りかまわぬ気もするが、住民の9割近い反対がありながら、国の方針に反するために、隣接する市町村には支給される交付金を凍結され、地方自治体の財政運営から絞り上げられ、結局は国の言いなりとは前市長の心中に同情したい。

 現実にマスコミによる投票所の出口調査でも、米軍再編容認派の市長に投票した人の3割しか国の方針に賛成していないとの報に、反対を示した民意が変わっているとは思えず、僅差の選挙結果だけで民意が変わったような政府の対応には疑問が残る。

 さて、どちらにしても国からの交付金があてにできる環境は、国の補助金や交付金が廃止や削減され続けている地方自治体からはうらやましいかぎりでもある。愛知県は財政が豊かな自治体が多いが、これもトヨタ関連の企業頼みでもあり、豊かゆえに国からの交付金が減らされていく。

 今回の選挙結果は、国によって国に異論を唱える首長と住民も含めた地方自治体を痛めつけられ、住民投票による住民の意思表示を封殺した結果のように思われ、住民の無力感とともに、地方の時代といわれた地方分権に逆行している世情を実感させられたような気がしてならない。
                                2月11日の一言

旅行をキャンセルする事になり…

 雪による道路状況が悪く、行動そのものに制約が出ているが、数日前から奥歯が浮いて噛めば痛むために横になるようにしていると、今度は寝ボケのように頭まで重くなってくるのである。

 そんな私が立ち上がると、気配を察した愛犬が私を呼び続け、留守がちになっている事務所には、私だけを頼りにしている水槽のコイとカメが、私の姿が判るのか(私と家族の判別はつくらしい)必死にこちらに寄ってくるが、犬のように声を出せないために必死に泳いで待っている。

 家族は私をあてにはしていないが、コイやカメは私がいないとエサが貰えないから必死である。考えてみると、コイやカメは水槽の中におり、直接触れ合う機会がないので存在感は犬には勝てないが、コイに至っては10年以上前から水槽におり、カメについてはエサよりも私の親指を噛み付くことが好きなようでもある。

 私が立ち上がる度に犬が声をあげると、「お父さん、いい加減にしてよッ」と、まるで私が犬をけしかけているように言われるが、昨年7月より家内が仕事に出てからは、日中の犬の頼りは私に比重が移っており、コイやカメなどは私が冬の命の生命線でもある。

 さて、来週には淡路島と四国への一泊旅行を企画していたが、週末のファックスから議会の日程が両日とも重複する事となり、バスをキャンセルするとともに参加者へ中止の連絡をする事となった。
 今年は旅行を毎月企画すると宣言しているものの、突然に割り込んでくる日程でも公職ゆえに優先せざるをえなく、周りの人々には迷惑をかけ、それまでの準備も無とせざるをえないのである。

 ただし、今回の中止の連絡をする中で、企画した私の思い入れと参加する人々の期待の若干の違いを感じさせられた。私の考えとは違う期待を聞き、今後は参加者の期待や希望する目的地に耳をすませ、自分本位で決定してきた旅行を見直したいと思う。
                                2月10日の一言

情報化社会の中での着眼点に感心

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 写りの悪い携帯の(夕暮れの)写真ですが、本日は久々の大雪となり、玄関前や歩道の雪どけが必要になりました。久々の雪でバスや公共交通も大混乱のようですが、幸いにして三連休のため救われた人も多い半面で、連休の客足を期待する飲食店には大打撃にもなりそうです。

 さて、本日の夕刊にガソリンスタンドの店頭販売価格の安さのランキングをつけているインターネットのホームページが紹介されており、しかも全国レベルで検索できるシステムに、サイトを立ち上げた管理人の目のつけどころに感心するとともに、私の旅行友の会のホームページにも早速リンクさせたいと思っている。

ガソリン価格比較サイト (全国)
http://gogo.gs/


 「そんなもの調べても、お父さんは入れにいかないでしょう」と家内に言われ、「そこまで行くだけでガソリンが減ってしまうじゃない」と言われると、返す言葉も出てこないが、サイトを立ち上げた東京の小川さんの着眼点には敬服の一語である。

 確かに近くに安いセルフのスタンドができたが、私は近所のスタンド以外では入れないし、旅行先においても私の住む津島市が本社となる宇佐美鉱油の出光を探して入れるコダワリがあり、安いからと順番を待ってまで走る可能性はないのである。

 しかし、私も旅行会のホームページの中で、道路の通行料の検索や、格安の長距離バス等をリンクさせているものの、自分の行動範囲に限られ、自分の記録と検索が主目的となっており、小川さんのように自分の利害に関係なく立ち上げた心意気に感心しているのである。

 インターネットを利用して迷惑なサイトが次々と送りつけられてくる中で、久々に情報社会の英知と人間の善意を感じさせられる話題でもあり、私も自己満足だけのホームページではなく、人々の役にたつ情報提供に心がけたいと思わされた。
                                  2月9日の一言

発言の責任と結果について

 女性の戦いと言われた岐阜1区の公認問題が決着し、佐藤ゆかり議員は出身地である東京都に選挙区を移すこととなり野田聖子議員とともに本日夕方に記者会見が行われた。

 私のお気に入りにある昭一郎さんのブログには、この問題と北海道1区から出馬を目指す杉浦大蔵議員を対比させるとともに、歌手の倖田來未(こうだくみ)さん(25)の問題発言も掲載されていたので添付するとともに、言葉や発言について考えてみたい。

「杉村太蔵議員の失言は事実上の命取り」 http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/40158851.html
「倖田來未さんを寛容の心で温かく見守って上げましょう」 http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/40145703.html

 佐藤議員と杉村議員については、議員になる以前の経歴や議員としての資質そのものに格段の違いがあり、杉村議員にとっては自業自得としか言い様がないが、年齢の若さを考えると一緒に比較する事自体に無理があるのではないか。

 しかし、資質や経験と同様に歳の若さは言い訳にはならず、公人としての発言の重みや影響力とともに責任も問われるのは当然の事でもある。
 国会では大臣や議員の失言問題が続き、マスコミの行き過ぎとも思える糾弾を受けているが、本日の書き入れについても参考になるブログが紹介されていたので添付しておきたい。

新潟県議会議員が問題発言 http://blogs.yahoo.co.jp/u_ya0429/50393860.html
民主党末松義規議員の問題発言 http://blogs.yahoo.co.jp/naojuv/50856060.html

 私も議員として公人の立場を意識しない発言が多いので、反省すべきことも多く、指摘を受けたこともあるが、発言の真意が伝わらずに言葉の単語だけを問題にされると辛いものがある。一方で、公人である議員は名指しの批判も受けて立つ必要があるが、公人には名指しで堂々と批判する表現の自由がある認識のない人々も多い。

 一言が長くなったが、公職者である議員と、いくら有名人とは言え若い芸能人の発言を一緒にして、その発言の責任をとって仕事まで休ませる必要があるのだろうか。

 本日のテレビのワイドショーでは「倖田來未の反省が足りない」と言われていたが、発言内容に間違いがあったとしても、間違いは謝罪すれば済む問題であり、発言の責任は彼女のファンが下すもので、私のように彼女の名前すら知らなかった者には責任を求める権利すらあるのか疑問でもある。

 さて、芸能人についても、今回の発言が仕事を外すほどの問題であるなら、深夜番組で「やしきたかじん」が発する言葉や、ビートたけしの司会番組などで交わされる言葉の中には、もっと問題のある発言も多く、人によって違うマスコミの対応にも反省を求めたい。
                                    2月8日の一言

障害者手帳の矛盾報道に…

 本日の朝日新聞(夕刊)に、心臓手術を受けた後の身体障害者等級についての記事が掲載され、それまで等級どころか障害者手帳すら無かった人が、心臓の手術を受けて症状が改善された後に、障がい者としては最高に障害の重い一級の認定がなされている現実に疑問を呈する専門家の意見を紹介している。

 2年前の話になるが、津島市民病院で心臓ペースメーカーの埋め込み手術を受け、治療費を70万円ほど請求された知人がおり、その後に市役所で国民健康保険の高額療養費からの還付手続きと、身体障害者手帳の申請手続きに同行した。

 「心臓ペースメーカーの埋め込み手術は無料」との話を耳にしていた事から同行したのであるが、身体障害者福祉法の更正医療制度が適応されると、手術そのものの費用は全額助成され、手術を受けた日から身体障害者手帳一級に認定され、市役所に出向いて申請する必要もなかったのである。

 この制度を知らなかった病院関係者は、「高額療養費で還ってくるから」と説明したが、津島市民病院では心臓手術の更正医療の指定医療機関の認定を受けておらず、私が手術を薦めた更正医療機関の病院で診察を受けながら、「簡単な手術」との医師の説明から地元での手術を選択したのであった。

 これこそ「知らぬが仏」であるが、高額療養費でも7万2千3百円(当時)は自己負担となり、医療レベルの高い病院で無料の手術が可能なところを、手術経験数の少ない病院で手術代まで支払って手術を受けていたのである。

 この事は市議会の一般質問でも追及したが、何事も無かったような答弁が返ってきただけで、同じ手術を受けながら、病院の選択によってはこんな医療費の不公平も存在するのである。この人は幸いにして現在健康であるから良いようなものの、手帳が交付されるまでの翌月の治療費も支払っていたのである。

 さて、はじめに記した新聞報道であるが、障害者手帳4級の人が心臓ペースメーカーの手術を受けて症状が改善された後に、審査もなく自動的に1級にされるのは疑問が残る。ペースメーカーの助けは必要となるが、障害者手帳1級の年金制度を受け、命に関わるガン患者が高額な医療費を工面している現実と比較すると、国民の公平性の見地からも制度の隅々の見直しと改善が必要である事には間違いがない。
                                2月7日の一言
 

《公営企業決算》朝日新聞から

《公営企業決算》 朝日新聞1月30日付

●06年度 交通は黒字転換
 県市町村課は、県内市町村・団体が経営する病院や水道、交通などの公営企業事業の06年度決算をまとめた。実質的な収入から支出を引いた総収支を分野別でみると、病院事業が唯一、計約101億4千万円の赤字となった。
 全246事業のうち、34事業が赤字だった。この赤字事業数を分野別にみると、最も多いのが病院事業の18=表参照=、次いで上水道事業11、下水道事業4、交通事業1。
 病院事業は、収入が2019億8800万円(前年度比0・7%減)だったのに対し、支出が2121億2800万円(同0・7%増)で、前年度に続く赤字。このため、累積赤字は前年度比17・7%増の670億2100万円に膨れた。
 半田、小牧、東海、高浜、三好の5市町は黒字から赤字に転換した。県市町村課は「入院や外来などの収入減が響いた」とみている。
 また、名古屋市営バスと名古屋市営地下鉄、一色町営渡船を合わせた交通事業は総収支でみると、赤字から黒字に転換した。市営地下鉄事業は赤字だったが、市営バス事業で土地売却による特別利益が大幅にあったことなどから、交通事業全体の収入を押し上げた。

■病院経営する県内市町・組合の06年度決算総収支■

市町・組合名     総収支
豊橋市      ▼5億7974万円
岡崎市     ▼10億1811万円
一宮市     ▼11億8308万円
半田市       ▼2億589万円
春日井市     ▼5億1217万円
豊川市       1億2673万円
津島市     ▼12億9214万円
碧南市      ▼5億2551万円
西尾市      ▼3億1878万円
蒲郡市      ▼6億5060万円
常滑市         2130万円
小牧市        ▼8332万円
稲沢市      ▼9億6416万円
新城市     ▼11億3116万円
東海市      ▼1億1072万円
知多市        ▼9169万円
高浜市      ▼2億2651万円
三好町        ▼1175万円
東栄町         8438万円
公立尾陽病院組合 ▼3億1930万円
公立陶生病院組合    3188万円
名古屋市    ▼11億7957万円


(注)県市町村課まとめ。▼は赤字。1万円未満は切り捨て。一宮市は市民病院・今伊勢分院・尾西市民・木曽川市民の計4病院を、名古屋市は東市民・守山市民・城西・城北・緑市民の計5病院を合計。

目的と結果の大きな違いを自覚して

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 数日前にお気に入りにあるブログから、中高年には「ショウガ」や「ニンニク」が良いとの事から食する事にしているが、ついでに15年ほど前に話題となった『野菜スープ』も作ることにしたが、日頃台所に立った事もないために大変な作業となった。

 毎日の食事の邪魔にならぬようにナベを探すとホコリにまみれ、奈良で買い求めた私の名前が刻印された高価な包丁に至っては、家の勝手口の外に置かれ、畑から持ち帰った野菜を切る専門にされて柄の部分は朽ちかけているではないか。

 地元の鍛冶屋で買い求めた出刃包丁も錆びついており、一緒に砥石を持ち出して研いでいると、安物の家内の包丁とは違ってびっくりとする切れ味を見せた。こうなると切りたくなるのが人情で、家族が寝静まった台所で野菜探しに必死となる。

 ただし、日頃立たない台所だけに、野菜や食材探しも大変な作業で、冷蔵庫や流し台は片付けられないくらいの様相で朝の家内を迎える事となる。

 こうなると料理人を目指そうかと思うような雰囲気(笑)で、静かな夜の台所に立つのであるが、食材のひとつ一つを探し出すだけで無茶苦茶な作業の後、野菜スープが出来上がるまでの一時間を持て余し、半年前にお気に入りブログで教わった『ういろう』を作るに至ったのである。

 小麦粉と砂糖と水だけで出来る簡単レシピであるが、肝心の量の配分を忘れており、毎日書き入れられているブログの中から探すのも大変な作業(ついでに簡単な整理もしました)となった。そして、抹茶を加えて見事な「ういろう」が出来上がったが、こうなると食べる物ばかりとなり、減量が命題の私にとっては、食べ過ぎと夜なべ仕事が加わり不健康極まりない結果となる。

 これでは健康どころか病気の基となりかねず、月末には管理栄養士の竹内先生(名古屋では有名な先生)の面接を控えて、絶食を覚悟しなければならない始末である。

 さて、野菜スープはガンへの効能はインチキと烙印を押されたが、健康には良いので皆さんにもお勧めしたい。ダイコンとダイコンの葉、ニンジン、ゴボウにシイタケを加えて一時間ほど煮込むだけの簡単レシピである。『ウイロウ』については、千さんのブログを参照されたし。http://blogs.yahoo.co.jp/thanks_always/33803417.html

 記し終わってから気がつけば、最初に大変有難い『お札』が添付してありました。京都大原にある『宝泉院』の住職から届けられた節分の豆とお札であるが、昨年は一度も訪問しておらず、神仏の加護も忘れてはならないと思った次第でもあります。合掌
                                     2月6日の一言
京都・宝泉院 http://www.hosenin.net/

旅行関係ブログ

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食べ物

〇ういろうの作り方 (千のゆるりさんの知恵)
    http://blogs.yahoo.co.jp/thanks_always/33803417.html
「水無月ういろうの作り方」(6人前くらいできる)
必要なもの
大き目のタッパー(20cm×16センチ×6センチくらい)泡だて器 茶漉し

A 小麦粉..160グラム 砂糖..160グラム 水..600cc

B ゆでた小豆・・手のひら分くらい もしくは買ってきた甘納豆の砂糖を水で洗っておとしたもの。

Aを泡だて器でよく混ぜて、茶漉しでこしてダマをなくす。
それを、タッパーに入れて電子レンジで12分かける。
Bをその上にひろげて、さらに3分レンジにかける。
冷えたところで、包丁で三角形にきってできあがり。

効果のない育毛に4年が経過し…

「必ず毛が生える」薄かった効果 リーブ21と男性和解 

 「必ず毛が生える」との勧誘を信じ、育毛ケアを4年間受けたのに効果がなかったとして、大阪府内の男性会社員(58)が業界最大手「毛髪クリニック リーブ21」(大阪市)に対し、施術代や慰謝料など860万円の損害賠償を求めた訴訟が大阪地裁(平林慶一裁判官)で和解した。同社が施術代の約9割にあたる430万円の解決金を支払うことで合意した。  02月05日朝日新聞

 テレビコマーシャルで、和田アキ子や島田紳助が「生えてくる」とさかんに宣伝しているリーブ21の効果に水をさす訴訟と和解であるが、私はそれ以上に4年間で支払った施術代490万円とサブリメントなど補助食品の190万円の金額に驚きを感じてしまいました。

 施術代490万円は週1回2時間で4年間の料金であるが、1年間に約52回で122万円の出費となると、1回の施術代は2万円以上になる計算となる。そして効果があれば納得もできるが、新聞に掲載された写真からは効果は認められず、素人の知恵と自分の努力と変わらぬ結果と、サプリメントまで買わされていた結果だけに淋しいものがある。

 報道によれば「個人差あると伝えた」とあるが、テレビコマーシャルを見るかぎり、「生えてくる」としか思えず、宣伝とは言え、人に相談したり話せる話題ではない事から、この58歳の会社員だけでなく、多くの効果無しと思われる人々(被害者?)の存在が想像されてくる。

 それにしてもこの人は1ヶ月に15万円程度の費用を頭髪だけに負担しており、金がかかっている事にはびっくりであるが、こんなに費用がかかるものであれば頭髪専門の医者があっても結構繁盛しそうな気がしてならないのに、私の地域ではそういった話題を聞いた事もない。

 さて、本日は広島県のスキー場で行方不明になっていた男性7人が無事救出されたとの報道もあった。まさか行方不明になるとは思ってはいなかっただろうが、携帯電話を持っての消息不明だけに、何らかの対策が可能ではなかっかと思いたくなってくる。繰り返される山の遭難に、命に関わることゆえに決定打となる妙案を期待したい。
                                     2月5日の一言

不快なコメントの排除は

 最近になり、不快な迷惑コメントに困っています。
このままにしておくのも無力感があり、ただ単に削除を繰り返すだけでなく、排除したく皆さんのお知恵を借りたいと思っています。訪問された皆さんの声をお聞かせ下さい。

 下記は参考にしたいヤフーブログ入門書の中にある『荒らしやアダルトサイトなどの業者からのコメントスパムやトラックバックスパムの対策 』です。
http://blogs.yahoo.co.jp/net75301/folder/1471178.html

 下記も参考になるブログ『ブログの『荒らし』対策。転載をお願いします。【コメント増加につき再アップ】 』です。
http://blogs.yahoo.co.jp/hierozoikonn/20602807.html

 さて、コメントばかりが気になっていたら、ゲストブックやトラックバックにも不適切(希望しない迷惑)な書き入れがあり、削除の繰り返しが続きますが、かつて関心のあった真面目な掲示板に迷惑な書き込みが集中し、掲示板そのものが廃止となったHPを見てきただけに、何とか対策を講じてブログを継続していきたいものである。

 メールの受信欄にも迷惑メールや意味不明の外国からの書入れが大量に届けられているが、通信の自由はあるとしてもそろそろ厳しい対策も必要と思われる。

 こんな相談をした知人から、「あんたが変なHPばかり見ているからだ」と言われた事があり、相談もできないと思っていたが、最近では見慣れたブログのコメントにも迷惑な書き入れを見る事もあり、コメントからも多くの人々が声を潜めている気配も感じるようになってきた。

 「相手になると、かえって大量に送りつけられる」との声もあるが、良識ある通信や発言の自由の障害となっており、自分のコメントを見るのにも嫌悪感を感じる前に何とかしたいものである。
                              2月4日の一言
関連記事
http://blogs.yahoo.co.jp/gindama52000/40438231.html
http://blogs.yahoo.co.jp/stylefree48130/54148691.html

暇にならないと判らない淋しさ

 つい先日と思われる正月が既に節分を迎えており、本日は各地で節分の豆まきが行われたが、荒天の雪空から雨の冷たい一日と化し、横井庄一記念館も午前中は来客があったものの、午後は誰一人も訪問のないお茶会の一日で閉館となった。

 午前10時に開館し、オープンして半年は昼休みも取れぬ忙しさが、ここ半年ほど前からは早すぎるような昼食となり、ここから閉館する午後4時半までは時間が停まったような空間で身体を持て余しぎみとなっている。

 昼食の場所も開館当初は人目につかぬ応接間で声を潜めていたものが、いつしか日当たりの良い縁側となり、最近は来客をもてなす仏壇前の座卓で主人公のような昼食となった。それでも昼食後に来館者があれば救われるが、誰も訪問がないと昼食後は睡魔が襲ってくる。

 そして暖房がしてあるとは言っても、うっかりと居眠りでもすれば風邪となりかねず、居眠り中の私一人にストーブが3台も向けられ、座布団が足元にかけられていた。私一人の居眠りが記念館をより静寂にして、館長とボランティアのTさんが私を起こさぬため静かに座っている様子が想像できるでしょうか。

 「こんな事ではいけない」と、来館者に期待してストーブを切り、展示室のエアコンのスイッチを入れたが、結局は3時のお茶と、お別れのティータイムのみでの閉館となってしまった。
 三人でも一日の経過がこんなに長いのに、館長である夫人は毎日一人で何をしているのかと思ってしまうが、開館当初は来客の多さに悲鳴をあげていた事が、思い出せないくらい暇な留守番となりつつある。

 さて、報道では大阪府の知事に当選した橋下弁護士が岩国市の住民投票制度に批判の声をあげている。住民の意見より国の方針を優先するような考えは、地方分権に逆行し、地域住民の生活が忘れられているようだが、発言した内容は後戻りができない。

 大阪府民がこんな考え方を理解して一票を託したとは思えないが、圧倒的得票により当選した新知事には住民の生活どころか民意にも関心がなかったのかもしれない。
                             2月3日の一言

要するに何でもありって事か…

日教組、全体集会開催を初めて中止へ ホテルが使用拒否 朝日新聞から一部抜粋

 日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が会場の使用を拒んでいた問題で、日教組は1日、使用できるめどが立たないとして、2日午前の全体集会を中止することを決めた。1951年に始まった日教組教研集会で、全体集会が開かれないのは初めて。
 東京地裁、高裁が使用を認める決定を出しているにもかかわらずホテル側が従わず、開催できない異例の事態となった。ホテル側の企業倫理が問われるのは必至だ。
 記者会見した日教組の森越康雄委員長は「法律を守るということさえできないのか」と話し、民事訴訟での損害賠償請求だけでなく、行政処分や国政の場などあらゆる手段で責任を追及する方針を明らかにした。
関連するヤフーブログ
 日教組、ホテル使用拒否で教研集会「全体集会」を中止。このホテルは最低だ http://blogs.yahoo.co.jp/youtayouta100/31879554.html
 日教組集会、プリンスホテルが拒否 http://blog.yahoo.co.jp/nipponko2007/13371334.html

 半年も前に予約したホテルから突然利用を拒否され、裁判所が使用を認める判決を出しても従わないホテルと交渉する日教組の幹部の心中やいかに。日教組の開催を巡って毎年問題となっている事も知らなかったとは思えないが契約して前金まで取っていたホテル。

 今回の是非について、私はホテルが最初から契約しなければ良かったと思うが、地裁や高裁の判決に背いても拒否するホテルの強硬な姿勢に、バリアフリーに関する違法改築でマスコミの総攻撃を受けた東横ホテルの事が思い浮かんできた。

 利用するかしないか判らない車イスが利用できない事が社会問題とされ、社長が涙を流して謝罪会見を行った東横ホテルだったが、今回の利用者は当日2千人から3千人とも言われており、司法の判断を無視した行為だけにプリンスホテルの責任の取り方に注目したい。
                              2月2日の一言
追伸 関連する主張
言論の自由vs市民の安全 http://blogs.yahoo.co.jp/kaijin130mensou/1827795.html

落葉しないカラマツに暖かさを感じて…

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 日本中に寒波が襲来しているようだが、我々の住む愛知県はまだまだ暖かいことを証明するのが、写真の『カラマツ』の子供である。

 マツ科に属する針葉樹のカラマツが落葉するのは意外だが、日本で唯一落葉するのがカラマツで、我家で植木鉢に植えられているカラマツも、上高地では高さ30メートルにも達する大木(写真中)となり、11月には落葉し(写真下)、春の新緑と黄葉も楽しめる味わいのある木です。

 カラマツが立ち並ぶ小梨平は大正時代に植えられた人工林との事ですが、焼岳などへの登山道にも大木があり、不謹慎にも学生時代にラクガキを残した大木が見事に私を迎えてくれています。

 最近では全国各地から雪の話題が届けられているが、冷静に考えてみると確実に暖かくなっており、雪で関が原の名神高速が通れないとの話は久しく耳にしておらず、我家の周りでも川や水たまりの凍結は久しく見た事もなく、少年時代には当り前であった霜柱を踏みしめた記憶も永らくないのでもある。

 話を戻すが、落葉する筈のカラマツが落葉しないとどうなるのであろうか。初めての越冬ゆえに落葉しない方が安心感はあるが、落葉して新しい新芽が出てくるのが自然であり、暖かい愛知県でカラマツは育つのだろうか。
 もっとも、上高地のように30メートルもの大木になっては植え替える場所も考えないといけないが、落葉する種類の植物が落葉しないでそのまま成長が続くのか疑問でもある。

 やはり、育つべき環境の中で育てられるのが一番なのであろうが、今更何所に戻すのか検討もつかず、植える場所も我家がジャングル状態のために難しい選択を迫られそうでもある。

 さて、私の父親が亡くなった平成5年に、玄関の前で発芽したマキの木は、大正末期に横井庄一と私の祖母達がタネをまいたもので、因縁を感じた私が玄関前にそのままのばし放題にしているが、親木から伸びてきた枝と枝がもうすぐくっつきそうになってきた。因縁を考えると縁起でもないが、カラマツもまだ見ぬ世代まで引き継げたらと思ってみたり…
                                   2月1日の一言
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