2日も続けて葬式となったのは珍しいが、本日は私の父親と親交のあった方の葬儀のため、葬儀場に参列した人々の中に父と親交のあった人々の顔を探していた。
本日の葬儀は浄土真宗の導師であったが、真宗にしては珍しく僧侶の多い葬儀で、真宗の僧侶2人と、同じ宗旨でも町内の住職が加わり、町内の浄土宗と真言宗の僧侶に加えて、市外からの真言宗の僧侶も含めて6名の僧侶による葬儀であった。
市外からの真言宗僧侶は、戦国時代の武将で四国に渡り阿波徳島の城主となった蜂須賀小六の出生地に建つ、蜂須賀蓮華寺の住職で、私の叔父(浄土宗僧侶)と親交もあり、かつて四国霊場の知恵をかりたこともあったので、葬儀後に御礼と報告の会話となった。
本日の葬儀には私が学生時代に家庭教師で教えていた僧侶も来ており、葬儀後には檀家の少ないお寺の維持の大変さを珈琲屋で聞くこととなった。
「檀家が少ない事は時間の束縛がない」とか、「宗派を超えた発信をしたら…」などと、いまだに教師役の関係は続くが、小さいお寺の維持管理の厳しさは、我家と同じく奥さんを勤めに出している様子から協力を約束する。
さて、葬儀後には遅れていた地元町内への会報配布に出発したが、一年に4回は配布に歩いているが、家庭環境は様々に変わり、家族の不幸を経験したり、病気で入院した人も多く、久々の会話は寒風の中でもつい長話となった。
びっくりとしたのは、私の地元町内の中に存在すら知らなかった家があった事で、議員になって9年間一度も会報(33号まで発行)を届けた事がなかった家が存在していたのである。新しく分譲された住居ではあるが、初めて存在に気付いた次第で、地元町内だけに恥ずかしいかぎりでもあった。
淋しいことは会報を発行する度に廃屋とされる住宅の存在である。3ヶ月に一度の訪問であるが、盛大に商売をしていた家が更地にされ分譲されていたり、高齢の一人暮らしになり施設か親族に引き取られて不在になった家も存在し、届けたくとも配布できない淋しさも実感させられる。
2月28日の一言
本日の葬儀は浄土真宗の導師であったが、真宗にしては珍しく僧侶の多い葬儀で、真宗の僧侶2人と、同じ宗旨でも町内の住職が加わり、町内の浄土宗と真言宗の僧侶に加えて、市外からの真言宗の僧侶も含めて6名の僧侶による葬儀であった。
市外からの真言宗僧侶は、戦国時代の武将で四国に渡り阿波徳島の城主となった蜂須賀小六の出生地に建つ、蜂須賀蓮華寺の住職で、私の叔父(浄土宗僧侶)と親交もあり、かつて四国霊場の知恵をかりたこともあったので、葬儀後に御礼と報告の会話となった。
本日の葬儀には私が学生時代に家庭教師で教えていた僧侶も来ており、葬儀後には檀家の少ないお寺の維持の大変さを珈琲屋で聞くこととなった。
「檀家が少ない事は時間の束縛がない」とか、「宗派を超えた発信をしたら…」などと、いまだに教師役の関係は続くが、小さいお寺の維持管理の厳しさは、我家と同じく奥さんを勤めに出している様子から協力を約束する。
さて、葬儀後には遅れていた地元町内への会報配布に出発したが、一年に4回は配布に歩いているが、家庭環境は様々に変わり、家族の不幸を経験したり、病気で入院した人も多く、久々の会話は寒風の中でもつい長話となった。
びっくりとしたのは、私の地元町内の中に存在すら知らなかった家があった事で、議員になって9年間一度も会報(33号まで発行)を届けた事がなかった家が存在していたのである。新しく分譲された住居ではあるが、初めて存在に気付いた次第で、地元町内だけに恥ずかしいかぎりでもあった。
淋しいことは会報を発行する度に廃屋とされる住宅の存在である。3ヶ月に一度の訪問であるが、盛大に商売をしていた家が更地にされ分譲されていたり、高齢の一人暮らしになり施設か親族に引き取られて不在になった家も存在し、届けたくとも配布できない淋しさも実感させられる。
2月28日の一言