大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2008年05月

館長の退院と実兄の訃報が重なり…

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 添付した写真は、国立療養所東名古屋病院の外観であるが、本日の午前中に横井庄一記念館館長(夫人)が退院となり、知人のWさんの運転で出迎えに走った。

 約束のしてあった午前9時には利用した東名阪自動車道のリフレッシュ工事の影響で15分遅れ、玄関の外で待つ館長が身体をよじって待っている中、運転手役のWさんは「トイレ、トイレ」と、病院内に走って行った。

 「あのねー、荷物があるんだわー」
 「はい、はい、何処に?」
 「部屋に置いたままなの」
 「部屋って、病室の事?」
 「意外に多くなってて、一度には運べないの」
 「そォー、うーん…、…」

 今から2ヶ月前に入院の書類手続きに病室を訪れた際、「ちょっと、ちょっと」と看護師さんに制止され、マスクがないと結核に感染する可能性があると言われた悪夢が脳裏に浮かび、「それって、マスクがいるんでしょ」と言うと、「マスクはあるわよ」との都合の悪い言葉が返ってきた。

 ピンポーンと頭が冴え、
 「丁度良かった、Wさんがトイレに入っていったから」
 「Wさんに頼んで良いかなー」
 「彼も結核病棟を見ておくと良いから」
 と、自分が病棟に行きたくない事から、必死でWさんに仕事を被けた。

 想定外だったのは、玄関を入っていった館長と入れ違いに、荷物を取りに行くはずのWさんがトイレから車まで戻ってきてしまったのであった。

 「おい、横井さんはどうしたの?」
 「あれッ、あわなかったのか」
 「何処で?」
 「あんたを探しに入っていったぞッ」(プッ、可哀想)
 「ふーん」と言って病院に入るWさんに背を向け、玄関から遠ざかり、声が届かない場所に移動した私であった。ここで携帯電話の写真をパチリで、待つことしばらく…

 さて、やってきました。マスクをした2人が玄関から出てきました。心なしかWさんの顔が悲しげに見えましたが、帰りは名古屋高速であっという間に記念館に到着した。多くの患者さんがエレベーター前まで見送ってくださったようである。

 午後から名古屋に出かけ、伏見ライフプラザで開催されたひとまちNPO法人の総会後に「すべての人のための交通まちづくり」をテーマにした講演会に参加した。講師は中部大学の磯部友彦先生で、2年前に津島市の巡回バス検討委員会のアドバイザーを務めておられるだけに懐かしい再会となった。

 ただし、アドバイザーの立場では磯部先生の知識が十分に生かされているとは思えず、あらためて津島市と関わった知識を生かす機会を作りたいと思う。忙しさから、名古屋まで出向く機会が減っていたが、久しぶりに外からの情報に触れ、身体もリフレッシュされたようにも感じられた。

 会食後に深夜バスによる帰宅となったが、退院した館長の京都の実兄が亡くなったとの訃報である。退院するのを待っていたかように本日亡くなり、明日が葬式と聞いたが、深夜ゆえに連絡もできず、明日も館長不在の記念館の留守番となるが、不義理だけは避けたいが京都が近くて遠く感じるものでもある。
                               5月31日の一言

遍路はスタンプラリーじゃないが…

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掲載した写真は週間朝日百科「仏教を歩く」に掲載され、「七日で一県楽しく歩く四国遍路」(朝日新聞社刊)の著者である、写真家・小野庄一さんの写真を(無断)引用しました。

 静寂な高野山奥の院にある燈籠堂に一人座って、数百年受け継がれるろうそくの炎を眺めて一心に般若心経を唱えていると、背後に知人達の声がして、乱暴に投げ入れられる賽銭の音に、気をとられないようにする。

 ここではこうするんだ、ああするんだ等の講釈まで聞こえてくるが、果たしてここの主である「弘法大師」が眠られる御廟の前に立っているとの認識を持っているのだろうか。私をリーダーとして四国を巡拝した人々であるが、人々の心の奥底までは判らない。

 人はそれぞれのコダワリがあり、私にとっては四国遍路は納経帖や掛け軸への朱印が目的ではない。私は今回の巡拝中に四国霊場会から公認先達の補任を受けたが、経典に示された先達の任務を読みながら、巡拝者の意識に不足する物事を実感しながら、何ら語る事無く満願を迎えてしまったのでもあった。

 何でもお金を出せば思い通りになるように勘違いされているが、世の中はそうではないと信じたい。高野山一の橋で、「鶴田浩二」の墓に参拝して感動していると、高野山に建立されている墓標まで「金次第」との話題になった。

 「だって会社の立派な墓が建ってるだろう」と、高野山の墓が金で買えるような解釈に反論したものの、こんな会話が車中で出ること自体に「お遍路失格」と思いながら、遍路に旅立つ最初にお遍路と「同行二人」の意味が語られていなかった反省である。

 弘法大師は永遠に生き続け、今でも高野山奥の院の御廟で仏法修業をなされていると言われる。その膝元に眠ると、極楽往生できると信じる信者が多い。そんな奥の院の御廟の前で、素直な気持で手を合わせていたいが、観光客とガイドの声に惑わされてしまう現実に淋しさも実感する。

 四国遍路の三信条の一番目に、「摂取不捨の御請願を信じ、同行二人の信仰に励みましょう」とあるが、一人も漏らさず、弘法大師がつねに巡拝者の傍らに寄り添って、ともにその行いを見守っていてくださるという「同行二人」の説明不足と、弘法大師への信仰が何よりも先立つものとの認識のないままに遍路を終わらせてしまったのでもあった。

 さて、「次は6月から始めるんじゃなかったの?」との言葉も出たが、納経帳や掛け軸の朱印押しを主目的とする人々と歩く気持には当分なれず、般若心経ぐらいは覚えて、弘法大師の教えを理解しようとする人々と、新たな四国遍路を真剣に考えてみたい。
                              5月30日の一言

本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い

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 本日は高野山へ出向き、奥の院(写真上・御廟橋からの奥の院)を目指しました。

 空海(弘法大師)は、晩年に大法会を修し、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」(この世が存在する限り、生きとし生けるもののいる限り、私の衆生救済の願いは尽きることはない)との誓いの言葉を述べ、承和二年(835年)に高野山で永遠の命の本源に帰っていかれました。

 御廟の前に建つ燈籠堂に一人座り、何度も般若心経を読み、奥の御廟を眺めながら、蝋燭の炎からお大師様の姿を想像し、今から1千2百年前にも大師によって同じ「御経」が読まれていた事と、「56億7千万年後に弥勒菩薩とともに甦る」との遺言を思うと、自分のはかない命と同時に、いとも簡単にこの場に座らせていただける事に感謝するのみであった。

 さて、7名での高野山行きであったが、私のこだわりは一の橋のたもとに建つ「ああ同期の桜」の慰霊碑に参る事で、他のメンバーを車に残して小雨舞う参道を走った。この慰霊碑は海軍第14期生の戦没者を奉る慰霊碑で、私の尊敬する「鶴田浩二」さんは、毎年9月の第2日曜日に開かれる慰霊祭に欠かさず出席されていたのであった。

 何度も高野山に参拝しているが、今回は少人数であった事と、偶然にも本日3名が道に迷って遅れた事を逆手にとったように、「ちょっと待っていて下さい」と、車に人を残したままにここに走ったのであった。

 ただし、この慰霊碑と鶴田浩二(敬称略す)の関係は知っていたが、まさかその背後に鶴田浩二の墓(写真下)が奉られているとは本日まで知らず、私は鶴田浩二の墓は鎌倉にあると思っており、高野山での出会いにはびっくりと言うか感動である。

 この墓は鶴田浩二が亡くなった翌年の昭和63年3月16日に、妻の小野照子さんの手によって建立されており、小野家墓所と印されているものの、墓標には『鶴峰院栄誉誠純悟道大居士』と記されており、まさしく小野栄一さん(鶴田浩二)の墓である。

 恐れ多くも、この墓標に手を触れ、私の心情とともに「同期の桜」を口ずさみ、写真を撮りまくり、フイルムを入れ替えに走ってからも撮影し、「これで、本当に帰ります」と言ってから墓を後にした。今にして思えば、何故に同期の桜だったのか。何故に般若心経でも読み上げなかったのかと反省ばかりである。

 「おい、君は礼儀というものを知らないのか」と本人に言われそうな、大スターを前に舞い上がった子供のような振る舞いも、小雨舞う天候が幸いして、声をあげて語り、鶴田浩二を1人占めできたような気持ちでもあった。こんな幼稚な姿は今回だけにして、今後は真っ先に大人として手を合わせたいとおもっている。

 さて、高野山の弘法大師がかすんでしまい、鶴田浩二一色になってしまったようだが、これまで敬称略を当り前として鶴田浩二と記してきたが、墓前に立ったことで「さん」をつけたい心境になった。考えてみれば、生前中の本人を前に「鶴田浩二」と呼び捨てにはできず、今までの横着と無礼にも反省する一日ともなった。
                                 5月29日の一言

本日水曜日の参拝

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 本日は室生寺(写真上・五重塔)から、長谷寺(写真中・本堂)、吉野・金峯山寺(写真下・蔵王堂)に出向き、和歌山県橋本市にある紀伊見温泉「紀伊見荘」に宿泊しました。

 大本山室生寺・真言宗室生寺派 女人高野
 総本山長谷寺・真言宗豊山派 西国観音霊場第8番
 総本山金峯山寺・金峯山修験本宗 修験道の根本道場

                              5月28日の写真

ブログ仲間の突然の閉鎖は悲しい

 「このたび突然ではありますが、ブログを閉鎖することになりました。」と、ゲストブックへの書き込みがあった。詳細については「内緒」で私に記されたものなので記せないが、私のお気に入りにも入っており、お互いのファン登録もしてあったのであるが、ブログが閉鎖されると自動的にファンの一覧から削除される事から、本日は余計に淋しさと悲しみすら感じるようになっている。

 ブログの閉鎖は初めてのことではないが、休止と違って閉鎖は過去の記録が一切なくなるだけでなく、これまでブログを通して交流してきたコメントややりとりも一切が「空」となり、私とその人をつないでいた連絡方法も、閉鎖した人が新たなブログを開設して連絡をくれないかぎり、永久の別れを意味するものでもある。

 中にはブログからメールを教わったり、手紙をいただいた人もあるが、これについても私が名前はもちろんであるが、個人的な経歴から、住所、電話番号、家庭環境すら隠す事なく公開しているからであり、ほとんどの人々については、ニックネームやブログ名での交流であり、ブログが閉鎖されればそれまでの関係も一切が「無」と化すのが現実でもある。

 「空」とか「無」と書いていると、弘法大師の教えを予感してしまうが、ブログが閉鎖される理由を考える時に、閉鎖が管理人の仕事や都合であれば、残念でも仕方がないと思えるが、明らかに第三者による「嫌がらせ」や、悪意を持ったコメントや書き込みが原因と思われる時、私は残念でならないのである。

 ブログが簡単に参加でき、ホームページも簡単に公開できるようになった反面で、書き込む内容によっては第三者も巻き込み、他人の著作権を侵している場合も考えられるが、書いた本人の意志に反して悪意から全く違う内容に解釈されたり、具体的な行動への妨げになると問題でもある。

 それは他人事ではなく、私が趣味で主催している「朝日旅行友の会」について、不特定多数を対象にして旅行業法に違反しているとの中傷を受けた事があった。現実には不特定多数を対象ではないとは言い切れないが、旅行会社の主催行事として企画しており、違法性はまったくないが、「金儲け」との中傷には相手が特定できない事から反論もできず、口惜しい気分も味わった。

 私が議員であるために、「選挙運動に利用している」との中傷もあった。議員になる十数年前から続けてきた趣味の旅行会を、見ず知らずの人から「選挙」や「金儲け」などと言われると、家族から「もう、止めたら」と言われたり、会報やホームページを特定の人より閲覧できなくしようと考えた事もあった。

 また、厳密には著作権を侵害している発信もあったが、資料の提供をお願いして快諾された引用に、「著作権を侵害した書き込みは…」との、的外れで嫌味なコメントをもらった事もあった。

 私のブログは、本音を隠さず、正直な書き込みをしたいと考えるが、その内容によっては第三者に迷惑をかける可能性もあり、その時は謝罪なり議論は徹底的に尽くせばよいと考えている。しかし、悪意を持った書き込みや中傷を止める事は不可能で、ブログやホームページを運営むしていく者には、それに対抗していく対応も不可欠である。

 さて、ホームページを開設して4年が経過し、ブログも18年11月より毎日書き込んできたが、閉鎖され消えたブログの名前をお気に入りから消すのも淋しく、名前はそのままに残してあるが、連絡する手段も持たない現実を淋しく思うと同時に、名前を公開している立場からは、メールぐらいは交換できる関係に発展できないものかと思うものでもある。

 連日送られる迷惑メールは後を絶たず、ブログにもおかしなコメントが書き込まれるが、その一方で、価値のあるブログや掲示板が消えていく現実を何とかしたい。どうか皆さん、仲間として励ましあい、仲間が去っていかないブログの交流を続けて下さいね。
                                    5月27日の一言

※閉鎖されたブログの再開と連絡を心待ちにしています。

七年ぶりに接骨院へ走り

 首、肩、背中から腰までに違和感があり、久しぶりに接骨院に出向いたが、しばらくどころか7年ぶりの通院であり、受付で診察券が有効かどうかを確認してから保険証を出したのでもあった。

 「どうしました?」
 「右の腰と、首と肩と背中と、とにかく身体中がバンバンなんです」
 「それじゃー、ここに横になってください」と言われ、しばらく腰と背中に電気治療器をあてがってもらってから、院長の治療が始まった。

 「夜は眠れますか?」
 「うーん、そう言えば、すぐに目が覚めるかな」
 「頭が痛いとかは?」
 「最近は頭も痛いし、首も痛く…」
 
 どうやら、自覚症状もあるが、過去最悪の筋肉の緊張があり、人より揉み解す時間も長く、力の入ったマッサージが続いたが、肩も背中も凝り固まっており、首を押されると気分も悪く、血行の流れも悪く最悪のコンディションが続いていた。

 「大鹿さん、しばらく通って下さいね」と言われ、背中に大きな湿布が張られたが、運動不足とか不摂生とか言える段階ではなく、力仕事は何もしていないが、空白のない日程から疲れが蓄積して、眠ったくらいでは回復しないのでもあった。

 とにかく出かけた先の部屋の温度差によって体調に不安を感じ、旅先にも風邪薬と頭痛薬を携帯しないと体調が維持できない状態は異常といわざるを得ない。風邪ではないが、風邪のような症状が続くのは何か重症な前ぶれの可能性もある事から、もしかしたら検査で異常なしと言われた結核に感染しているのか、なんて考えると完全な病人と化しそうだが、数日の通院で異常なしとなりたいものである。

 それにしても接骨院は高齢者の人々が満杯で、私のベッドの隣りには顔に覚えのある「お婆さん」が横たわっている。隣り同士で顔を向け合うのもバツが悪く、「なにー、大鹿さんじゃないの」と言われたくないために、目を閉じて眠ったふりをして時間の経過を待ったが、暫らくは体調のリフレッシュに努めたいと思う。
                              5月26日の一言

肩の荷を下ろして高野山へ

 本日は横井庄一記念館の一日となったが、雨のために午前中は訪問客もなく、疲れを蓄積して昼を迎え、本当は午後1時半より開催予定の「東海自治体学校」の分科会に参加する予定だったが、このままボランティアのTさんだけを残す事もできず欠席してそのまま留守番する事となった。

 幸いにして午前中に雨があがり、午後にはすがすがしい風が入り、天候の回復に比例して来客が続き、最後には5年前に記念館前(当時は記念館は開館しておらず夫人の住居)を通りかかり、夫人と言葉を交わした母娘の2人の訪問を受けた。

 持参された写真には当時夫人から贈呈された陶器の花瓶が2つ写っており、旧東海道を歩いている途中で偶然に出会い、会話を交わしただけでなく、初対面の人に陶器まで差し上げている事から、よほど話がすすみ意気投合した事がうかがえ、本日も館長が高齢な事から記念館の行く末を心配する声がもれた。

 今週中には館長(夫人)は病院を退院予定であり、これまでの記念館の開閉と施錠の責任から開放され、来週からは公的行事や、日曜日の行動に対する責任が半減する。4月から2ヶ月間だけであったが、毎週の記念館勤務がこれだけ行動と自由を束縛するとは思ってもいなかった。

 さて、四月に満願となっていた四国八十八ヶ所巡礼の御礼に、3日後の水曜日から一泊で高野山に出向く予定となっている。日帰りも可能だが、最後の思い出に長谷寺と室生寺、吉野蔵王堂にも寄りたいと考えており、今から楽しみにしている。

 昨年9月に遍路をスタートした時には8人だったメンバーが、体調不良から1人が脱落した。前回も16名でスタートして3名が中途となっているが、体調だけでなく満願を迎えるにはそれなりの熱意と志が必要でもある。

 七年前、私と四国遍路のスタート台にたった17名のメンバーは、その後西国から坂東、秩父の百観音も達成したが、その後も50名を超える人々と四国の満願を迎えた。何も判らず人々を連れまわしてきたが、高齢者の多い参加メンバーを考えると、悔いのない新たな遍路を演出していきたい。
                           5月25日の一言

雑誌から考える温泉の効能

 月曜日に宿泊した白馬の宿・ラベニュー栄でもらってきた(勝手に持ってきた)雑誌「こころ色」の特集゛新・湯治物語゛を読んで、自分がいかに温泉と縁がなかったのかを自覚させられた。

 国内には多くの温泉があり、隣の岐阜県には有名な下呂温泉があり、私の住む津島市にも温泉が存在するが、温泉の定義などは別としても、日本三大温泉については諸説あり、専門家でも簡単には名前が挙げられない現実を知らされた。

 さて、日本三大温泉はどこか? 自分なりでもはっきりと言えるようになりたいものである。以下は雑誌そのままの転載である。

 宿泊客数による三大温泉街 箱根温泉(神奈川)・別府温泉(大分)・熱海温泉(静岡)
 源泉数による三大温泉 別府温泉・湯布院温泉(大分)・伊東温泉(静岡)
 枕草子による三大温泉 有馬温泉(兵庫)・ななくりの湯(榊原温泉・三重)・玉造温泉(島根)
 林羅山による三名泉 有馬温泉・草津温泉(群馬)・下呂温泉(岐阜)
 順徳天皇による三御湯 秋保温泉(宮城)・別所温泉(長野)・野沢温泉(長野)
 日本書紀・風土記による三古湯 道後温泉(愛媛)・有馬温泉・白浜温泉(和歌山)
 
 三大秘湯 ニセコ薬師温泉(北海道)・谷地温泉(青森)・祖谷温泉(徳島)
 三大薬湯 有馬温泉・草津温泉・松之山温泉(新潟)
 三大美人の湯 川中温泉(群馬)・龍神温泉(和歌山)・湯の川温泉(島根)

 この中でも複数名前の挙がったのが、「有馬温泉」「別府温泉」「草津温泉」であるが、個人的には道後温泉や熱海温泉、下呂温泉も捨てがたいし、秘湯としては岐阜県にある「濁河温泉」も推薦したい。

 今年から旅行のテーマに「湯治」を入れ、3月には岐阜県の岩寿(いわす)温泉に出向いたが、まだまだ未体験の温泉が多い事と、高血圧の私にとっても温泉は有効な事から、次の旅行日程に入れるとともに、その効能についても期待してみたいものである。
                            5月24日の一言

県庁の敷居は高い(私の感覚)ものの…

 今年に入って一番の暑さを実感する一日となった。本日は私の所属する市議会「総務文教委員会」が開催されたが、春のスーツが暑苦しく、夏のブレザーを羽織って出かけたが、結局は上着を脱いでの委員会となった。

 午後に出向く愛知県庁への出発が同行する市役所職員の仕事で遅れ、午後に開催されていた「議会改革協議会」を2時半まで傍聴後に、職員とは別々に名古屋まで走る事になった。

 本来は一人で出向けば済む書類の届け出であったが、私も知らない愛知県の部署への敷居は高い事と、建築関係部署の届け出は、ついでに私が課長級に転進した旧知の職員を訪ねる事から、津島市と愛知県幹部との顔つなぎの意味での同行でもあった。

 津島市の建築関係の届け出は過去には愛知県庁に直接出向く事も多かったが、平成の大合併によって新しい市町が誕生してからは、津島市も市内にある県の出先機関に出向く事になり、県庁まで走る事がほとんどなくなっているとの事だが、出先機関には決定権がない事から、県庁に出向く方が効果的でもある。

 「直接出向いたらどうだ」、「それでは地元の職員の顔をつぶすから」とのやりとりをしていたが、重大な問題は出先機関ではなく県庁の判断を仰ぐ事から、県庁の幹部との顔つなぎは重要であるが、出向く用件がなければ顔つなぎにも限界がある。

 今回の届け出も県庁内部からの情報で、小額でも県の補助金が利用できる可能性から出向いており、出先機関からでは考えられない事で、手近で済ませるだけではなく、津島市職員には用件を作ってでも本元の県庁に出向いて欲しいと私は願うものである。

 市町村合併によって新たに誕生した新しい市にとっては、今まで出向いていた出先機関が身近ではあろうが、津島市にとっては近くで便利な面はあっても、直接の権限を有する県庁に出向く機会が減った事はプラスにはならないであろう。

 もっとも、今後は出先機関の仕事も減らされるようではあるが、同行した職員と顔見知りの県職員も多く、人間関係だけは長年の積み重ねが重要であり、公務員の仕事量や時間のムダ使いが批判される事も多いが、県や国の機関に出向く時間には投資との認識も重要でもある。
                              5月23日の一言

旅行の残務整理に

 今月もまだ10日間を残しているが、手帳のスケジュール表を見ると、6月議会の閉会するまで空白が全くなく、その中には四国遍路の完結として高野山に一泊する行程も残しているが、休日のない日程は身体の余裕がなく、そればかりか旅行会と議会の2種類の会報の印刷も必要であり、議会後の会報配布を考えると7月まで予定が続くのでもある。

 明日は愛知県庁に2種類の書類を提出する必要(1種類は明日が締め切り)があり、書類の作成に津島市職員の手を煩わせたばかりか、明日の市議会委員会閉会後に同行を依頼したが、ボランティア運転手のWさんにも同行を依頼してあったものの、病院まで付き添いで走る予約が入っており、私の20年選手の愛車での出動にした方が良さそうな雰囲気でもある。

 反省すべきは、身体を休める休日を旅行にあてており、全てが私の運転となっている事から、身体の疲れ以上に精神的余裕が不足しており、議会の一般質問にかける準備が不足しがちで、市民の声や自分の本音が優先してしまい、中立な第三者的立場や、専門家や行政担当者の声や知識まで把握した上での質問が難しい可能性が存在する。

 忙しいのは自分だけではなく、相手も仕事を持ち、それぞれの都合があるために、仕事に追われて時間的余裕がない事が、余分な仕事も必要としてしまう事もある。「いつでも来ますから」と言われていた旅行の団体保険も、連絡が遅れて気づいた時は営業担当者が休んでいる土曜日であり、旅行社の窓口のある一宮市まで走る事となった。

 「もっと早く連絡すれば良かった」と反省する事も多い。一日の遅れによって、連絡がつかずに、連絡どころか直接に訪問する必要もできる。もっとも、早く連絡すれば忘れてしまう人もあり、旅行友の会は前日のキャンセルがあり、その会費のしわ寄せを他の参加者に求めたい心境を封印すると自分のサイフが淋しくなる。

 「だから、旅行社のように前金を取らないから」と言われるが、そこまでやると趣味ではなく仕事と化し、会費を集める時間と、持ってきてもらえば留守番が必要となり、信頼関係から当日徴収を続けたいが…

 4月の会員募集は会費の設定ミスで満席にもかかわらず赤字を出し、今回は(前日キャンセルにより)「足りない分は請求してよ」との参加者の思いやりにも、「他人のツケは申し訳ない」と言葉に背を向けて赤字を出した。その上に、写真の出来栄えが良く、あれもこれもと写真代もバカにならない金額となった。(こんなグチが出るのも私の欠点であり、赤字でも次の企画を考えるところが長所かもしれない)

 「出費が重なるが、苦しい時ほど挽回のチャンス」が、今週(明日まで)の雑誌の運勢であったが、明日の結果が朗報となって戻ってくる事に期待したい。
                                5月22日の一言

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残雪の乗鞍・白馬・上高地

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 19日(月)20日(火)、残雪の北アルプスを訪ねて一泊旅行(参加者14名・朝日旅行友の会)

 写真上・乗鞍岳山頂
 写真中・白馬の山々
 写真下・上高地大正池

 写真下段・乗鞍スカイラインを走る大型観光バス、バスの屋根より高い雪の壁が判りますか。下の写真は北アルプス穂高連邦を背景にする上高地河童橋です。

本日は上高地へ

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 上高地の私の指定席(梓川沿い小梨平のカラマツ前)で

 本日の行程
白馬(9時出発)…道の駅風穴の里…上高地(11時半到着・午後2時半出発)…大正池…(安房トンネル)…千光寺(高山市・旧丹生川村・4時半まで)…高山(中部縦貫道)…飛騨清見IC…荘川IC…(関SA)…尾西IC…津島7時到着

 昨晩から台風四号が通過し、宿泊した白馬でも朝まで強い雨が降っていたものの、8時には雨が止んできたため、上高地を目指す事となった。
 途中まで太陽の日差しが差していたが、上高地到着目前に風雨が強まり、雨の散策も覚悟していたが、到着後には雨が止み、メンバーは河童橋の前のレストラン小梨で昼食後散策となった。

 私は毎年夏に早朝より陣取る梓川沿いのカラマツの立つ指定席に陣取り、日本アルプス観光の食堂で昼食後も午後2時までカメラを構えて居座ったものの、快晴とまではならなかった。ここから河童橋まで戻ったあたりから快晴に転じ、バスターミナルでは完全に快晴となった。

 あまりの天候の好転に後ろ髪を引かれる思いで、大正池にマイクロバスを停めて記念撮影。途中で千光寺に参拝し、4時半から帰途へ。2時間で愛知県へ到着したものの、市内で参加者を降ろして帰宅すると時計の針は7時半となっていた。

 旅の余韻に浸りながら、このまま7時半からは「書道教室」となったが、書道より旅行の顛末話のままに時間が経過し、終了後に電話があったため、夕食は夜10時までお預けとなった。明日現像に出すフィルムの結果を心待ちとしたい。
                             5月20日の一言

乗鞍岳山頂の私

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 本日は、雪の中の一日でした。顔が分かりませんが、乗鞍岳山頂での私です。雪のカベを通り到着した山頂は、吹雪の様相で完全に冬景色でした。

 朝8時津島市出発…尾西IC…荘川IC…飛騨清見~高山…板倉ラーメン…乗鞍スカイライン~山頂(12時半到着)……穂高神社…アートヒルズ…白馬(午後6時)

石の上にも3年と言うから…

 横井庄一記念館では久々に訪問客が続き、訪問者が少なくヒマで時間の経過をひたすら待ちつづけた日と比べて時間の経過も早く、疲れも感じない一日でもあった。

 本日は館長(横井夫人)の病院からの外泊を知った親族が、連絡しあって揃ってお見舞いに訪れ、家庭内の出来事や記念館の庭に植えられた木々のいわれなど、親達から聞かされた昔話に花が咲いた。「そんな事をされたら、見舞いを渡していない自分はどうなるの」、「いや、いや、あんたは留守番に来ているから」と、親族でありながら見舞いを考えもしなかった自分の立場がないのでもあった。

 午前中に様子を伺いにやってきた親族に、館長の退院が近い事と、本日は外泊中と伝えたことから、急いで帰宅後に連絡をして、外出中の親族は「急がぬと帰ってしまうぞッ」と、汗をたらしながら駆けつけた様子で、「今日は夜まで居たのに」、「何~だ、そうかッ、そうだったのか」の顛末だが、結核のため長期入院を想定し、「そのうちに覗こうか」となっていたらしい。

 こんな時に親族や近くの知人は有難い事を実感させられる。開館から2年が経ち、多くの来館者によって床が軟弱になっており、建築業の親族が近々補修する約束をしてくれた。親族の一人は親の代から造園業を営み、庭の配置から剪定や消毒を担当しており、帰宅後に館長と記念館入口の敷石の補修も依頼しようとの話になった。

 さて、館長は記念館閉館後に病院まで送ったが、月末には退院が予定されており、来月から私の負担も軽減されそうでもある。ただし、館長の81歳という年齢を考えると、その後の展開も考える必要があり、「石の上にも3年と言うから、3年間は自分で頑張ろうと思っていた」との言葉が重く聞こえてきた。

 今回は極めて軽度な老人性結核で、入院しても自由に歩きまわっており、持病もなく当分は大丈夫と思われるが、年齢を考えれば、縁起の悪い話もおのずと近づく現実から、車中ではその後の展開が話題にもなった。さあ、どうやって記念館を私の死後まで残せるのか。しばらくのテーマになりそうでもある。
                                  5月18日の一言

まさかバスに乗っているとは…

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 私の住む津島市は名古屋市の西に位置しているが、本日は早朝より名古屋市の東側まで横井庄一夫人を病院まで迎えに走り、帰宅後に各地に連絡をとり、午後の公的行事に来賓ではあるが出席し、その帰りに一宮市まで月曜日からの旅行の傷害保険を契約(支払い)に走り、夜には名古屋の中心地である栄に立っていた。

 「おい、今日と明日なんだけど…」と、午前中に同級生から連絡があったのは、同級生自らが出演する演劇の公演で、名古屋市の愛知県芸術劇場で開催されている「MUNEHARU」-夢、翔る-への案内であった。

 「オレはムリだと思うよ」、「判っているけど…、受付に券を2枚渡しておくから」、「ムリ、ムリ、1人でもムリなんだから」と電話では断ってあったものの、明日は家を空けるとは言え、横井記念館に一日座っているだけの事から、携帯電話を武器にして仕事の連絡をしながら会場に駆けつけた。(ピンボケ写真は帰りの空席だらけの深夜バス)

 早朝は名古屋の向こう側まで走ったものの、高速道路を利用したことから1時間半で帰宅し、一宮市も片道30分で用件を済ませてきたが、名古屋のど真ん中のために駐車場所の確保と睡眠不足からバスを利用したが、車で30分の距離が延々と1時間かかり、名古屋市内全域200円の料金が、市外から乗り換えて行った事から片道710円もかかったのである。

 おまけに鑑賞券が3千5百円もした事から、本日はお金を出費するために走っていたような一日で、公演が開始されるまでの時間に溜息をついていたが、最近持ち歩いている四国霊場会の「先達教典」を読んで、自らの視点と考えを改める事とし、せっかく誘われた機会を無にせず「生かそう」と、あまり好きでないが演劇の観賞に務めたのでもあった。又、バス停が自宅の前で、降りた足下が自宅の駐車場の環境にも感謝すべきものがある。

 さて、明日は座っているだけと記したが、夕方からは病院へ夫人を送り、その後で一宮市まで足をのばして、月曜日に使用するマイクロバスを自宅まで持ち帰るのである。このバスは水曜日の朝には返しに走る必要があり、その足で市役所に滑り込みと、明日以降のスケジュールが役務的に羅列されていく。

 考えを改めるきっかけとなった先達教典の中身は後日の紹介としたい。
                                 5月17日の一言

忙しいのに四国遍路を誘う私の矛盾

 本日は第1回津島市議会臨時会が終わり(昨日と2日間)、一年間の所属する委員会が決定しました。私は常任委員会は「総務文教委員会」に所属し、委員会から「図書館協議会委員」を引き続き務める事となりました。もっとも、議員になってから一貫して総務文教委員会の所属でしたが、この指定席も今年限りとなりそうです。

 図書館協議会委員としては、指定管理者の選定時の前後にかかわり、図書館の年中無休化を議会で訴えている事から、是非とも今年度中に月曜日の開館が実現されるように努力したいと考えています。特別委員会の所属については、昨年に引き続き「市民病院調査特別委員会」と、今年は一年ぶりに「決算審査特別委員会」にも所属する事になりました。そして会派代表者(と言っても2人だけの会派ですが)の立場から、議会運営委員会も任務となります。

 常任委員会はこの他に「厚生病院委員会」と「経済建設委員会」があり、特別委員会には今年から「第4次総合計画調査特別委員会」が加わり、同じく今年から「議会改革協議会」も設置されております。新たな役割分担が決まり、私自身はあまり変わらないポジションですが、メンバーが大幅に入れ替わっており、心新たに発言していきたいと思っています。

 さて、明日からも地獄のスケジュールが続き、早朝より病院を外泊する横井庄一夫人を病院に出迎え、午後は地元の防災関係の総会に出席し、夜までに今週の残された仕事の後始末をつけ、明後日は一日中横井記念館の留守番の後に夫人を病院まで送り、夜には月曜日と火曜日に出掛けるためのマイクロバスを引き取りに走る事となります。

 まだまだ先の事と思っていた一泊旅行が直前となっており、朝の集合場所や配車時間の連絡も済んではおらず、当日までに傷害保険の契約も必要だが、土・日曜を挟んで大丈夫かと夜に思っているような展開は、まさに綱渡りのスケジュールで、出発するまでにも仕事が残っている。

 来週は木曜日と金曜日に議会日程が組まれており、金曜日が締め切りとなっている愛知県への提出書類が複数あり、「連休空けに行きます」と伝えてあったNPO法人の税務手続きに走る余裕がない。「そんな時に旅行なんか行くからだわ~」と言われても弁解の言葉がないが、予定表どおりにいけば何とか廻るものの、相手のある仕事だけに宿命なのかもしれません。

 こんな展開で月末を迎えると、6月は月始めから定例議会が月末まで続き、NPO法人の法的諸手続きが正念場となり、具体的活動も公に展開予定のために、わき目もふれない状況下にあっても、各地からの遍路情報に心を惹かれ、「仕事が暇でしようがない」と、パソコンの環境改善に来てくれた知人の言葉に、「どうせ暇なら、いっそ四国にでも行ってみるか」と誘うところに私の欠点があった。
                                5月16日の一言

目覚めたら朝日がさしており…

 数日前よりパソコンに書き込んだファイルがホームページに転送できないとか、書き込んだ記事がどこかに消えてしまったとか書き込んできたが、しばらくこのブログに書き込むばかりで、ホームページや掲示板を覗いていなかった事から、何らかの操作ミスによって容量を越えた状態になっていると思われる。

 「おい、久し振りだね」と連絡したのは、ホームページを始めたときに知恵を借りた知人であるが、もう2年ほど連絡もしていなかったことから、いかにパソコンに無関心であったかが実感でき、早急の応援を依頼したものの、肝心の私の予定表が一杯で「明日にでも」と言いたいものの、それも言えずに早急の応援を依頼した。

 そうしてパソコンを試行錯誤すること4時間が経過し、結局何も進展せずにホームページに一行の書き入れもできない状況に陥ったままで、私は深い眠りについたのであった。目が覚めたのは午前5時で、久し振りの深い眠りに頭が働かず、昼夜の違いも理解できず、このブログを書込み中のままに終っていた事も忘れていた。

 私のパソコン音痴の頭でも、別々のホームページや掲示板がごちゃ混ぜになり、全てが一斉に一つのサーバーに送信されて容量オーバーを起こしているように思われるが、悲しいのは思ってもそれを修正する方法を知らず、素人の作ったホームページをパソコンのプロに説明するのも困難なのでもある。

 さて、この知人は屋根瓦の葺き替えを本業としているが、私の知り合いから依頼された仕事に関して困った実情を耳にした。それは一般家庭の屋根裏にアスベストが使用してあり、建築業者もそれを知りながら、アスベストを閉じ込めたままに増改築が施してある現実であった。

 新たにアスベストを除去しようとすれば多額の費用がかかり、隣近所に周知して工事をすればおおがかりであり、内緒裏で取り去った後で判って問題とされても困るし、アスベストの破棄には費用がかかるのである。公共施設のアスベストの除去が社会問題とされて久しいが、一般家庭の建物については未だに手付かずのままなのでもある。

 一般家庭ではそんな現実も知らないままの人も現存し、簡単な増改築程度に考えて業者に相談しているのであろうが、肝心のアスベストの処理を後回しにしてもいずれは除去が必要とされ、いつかは破棄される運命ではあるが、規模の小さい一般家庭のアスベストは解体業者が内緒裏で乱暴に処理している可能性も高い。

 さあ快晴で快適な朝を迎えてまもなく市役所に出掛ける時間を迎えるが、昨日と本日は臨時議会が開催されており、今年度の役割分担や委員会の所属が決定するが、微妙なパソコンを抱えて明日から今月末までは空白のないスケジュールが続きます。

 もっとも、来週の月曜日と火曜日は地域の皆さんと上高地や白馬に一泊で出掛ける予定も入っており、久々のリフレッシュと旅先の知人との再会にも期待しているのでもある。
                               5月15日の一言
※書き込みは16日ですが一応は15日分の一言です。

尾張弁辞典が届きました…

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 昨日の新聞に「尾張弁辞典」が出版されたとの記事が紹介されていた。筆者は隣の愛西市在住の伊藤義文氏で、私とは20年来の知人でもあり、懐かしく記事を読んでいると夜には事務所まで訪問を受けた。

 10年以上も会っていなかったが、旧知の人物が相変わらず頑張っている情報は心強く、発行された本を購入したいと考えていた所に、「大鹿さん、買ってください(笑)」と訪問され、「待ってました」と限られた時間ではあるが、懐かしさから暫しの談笑となったが、尾張弁辞典(写真の一番左の本)は我々尾張人にとっても忘れられている言葉が掲載されており、貴重な価値があるので是非お読みいただきたい。

 ※『精撰・尾張弁辞典』ブックショップマイタウン発行・定価2000円電話(052)453-5023

 20年来の知人と記したが、伊藤さんは平成元年にも「海部津島の方言」(非売品・写真中)を発行されており、その当時に私が発行していた「ふるさとアサヒ」に紹介するとともに、シリーズで方言を借用させてもらっており、平成8年に発行された「ザ尾張弁」(写真右)に続く3冊目の本の発行でもあった。

 ※ふるさとアサヒ・昭和63年9月から平成5年まで朝日新聞読者を対象に23号発行(一応休筆中・休刊)

 そうやって思い出していくと、私の発行していた「ふるさとアサヒ」には、当時活躍された人々の様子が記録されており、今となっては手元に1部ずつしか残されていないが、今は亡きランカ堂写真の高橋さんが所蔵された大正時代の写真から、高橋さんが津島市の人々を訪問されて残された記事や、「野武士」と言われた津島市議会の成瀬昇氏の回想録など、自己満足ではなく歴史の一瞬が散りばめられていた。

 「もうこの本で最後だよ」と言われたが、伊藤さんはまだ63才であり、更なる言葉の記録に励んでいただきたいと思うとともに、私も休刊中の「ふるさとアサヒ」を復刻したいと思えてくるのでもある。今年は、書道展への出品と、夏の高校野球の写真展も視野に入れてあり、「あんた、そんなに大丈夫」と知人に言われる一日となった。
                                5月14日の一言

愛知県海部総合庁舎で

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 災害時に活躍するべき防災ボランティアコーディネーターの訓練です。津島市をはじめ、海部地域の全市町村のボランティアが集まり、6月8日に予定されている海部地方総合防災訓練の中で、「防災ボランティア支援本部設置訓練」を実施するための訓練が続きます。

 3回の事前訓練の後、6月の本番を迎え、最後に反省会が予定されていますが、県の養成講座や防災カレッジを修了して毎年参加しておられる人々と、全く初めて参加される人との認識ができず、みんな出来るだろうとの思いから、ともすると全くの初心者の説明に質問が続き、もどかしさも感じる一日となりました。

 問題はボランティアとして参加される人々に高齢者が多く、若い人たちは仕事もあって参加できない事と、自主防災など地域に多くのボランティア組織が誕生していても、ほとんどが連携できていない現実であります。もっともその一番手が津島市との批判と自己反省もあるのですか…

 さて、ミャンマーでサイクロンによる大きな被害が出て、その支援策が検討されている最中に、トナリの中国でも死者が9千人を超え、6万人の連絡が途絶したとの大地震が発生した。名古屋大学の解析では、阪神大震災の20倍近い規模と発表されているが、毒入りギョウザ事件やチベット騒乱などへの、中国政府の高圧的で自分勝手な対応を見せ付けられた後だけに、素直に支援したいと思わない人々も多いのではないか。

 私も一連の事件や、オリンピックの聖火リレーにも組織的に動員された中国留学生の動きからは、動物のハゲタカやハイエナのようなイメージが強く、胡主席の訪日の際に訪問した早稲田大学の講演にも数百人の中国人留学生が動員されていた事実を知らされ、見舞金とか義援金と言われても素直に払う気持ちにはなれないでいる。

 ただし、私の父親は14才で中国に渡り、満鉄の職員として日本の敗戦を迎え、会社の定年後には中国語を覚えなおし、中国に渡航して、自分の住んでいた地域を訪問して、旧知であった中国の人々と手紙を交換したり、日本のラジオを送ったりしていたが、20年ほど前の中国の人々の対応とイメージは全く違っていた。

 父親が交流していた人々と、現在も人間として本質的には変わらないと思うと、外交的な手段や政治的圧力によって、中国の偏った部分のみが強調されている可能性もあり、中国の本当の庶民の姿や生活が公開され、お互いが本音で正直に交流できる事を望みたいものだが…
                                5月13日の一言

四国遍路便利帖 徳島(発心の道場)

四国遍路 徳島(発心の道場)

1番 霊山寺 088-689-1111 徳島県鳴門市大麻町板東字塚鼻126
 1番⇒(4分)⇒2番   ※別格本山、発願の寺         
  1番⇒2番 車4分 1.1(自転車10分) 徒歩18分 1.1

2番 極楽寺 088-689-1112 徳島県鳴門市大麻町桧字段の上12
 2番⇒(8分)⇒3番    ※大師お手植えの長命杉
   2番⇒3番  車8分 2.7(自転車15分) 徒歩40分 2.5

3番 金泉寺 088-672-1087 徳島県板野郡板野町大寺字亀山下66
 3番⇒(10分)⇒4番

4番 大日寺 088-672-1225 徳島県板野郡板野町黒谷字居内5
 4番⇒(8分)⇒5番

5番 地蔵寺 088-672-4111 徳島県板野郡板野町羅漢字林東5
 5番⇒(12分)⇒6番
 
 ※5番と6番の間に別格1番
  別格1番
6番 安楽寺 088-694-2046 徳島県板野郡上板町引野字寺の西北8
 6番⇒(3分)⇒7番

7番 十楽寺 088-695-2150 徳島県阿波市高尾字法教田58
 7番⇒(12分)⇒8番

8番 熊谷寺 088-695-2065 徳島県阿波市土成字前田185
 8番⇒(8分)⇒9番

9番 法輪寺 088-695-2080 徳島県阿波市土成字田中192-2
 9番⇒12分)⇒10番

10番
 10番⇒(35分)⇒11番

11番
 11番⇒(2時間)⇒12番

12番
 12番⇒(1時間)⇒13番

 ※12番と13番の間に別格2番
  別格2番
13番
 13番⇒(10分)⇒14番

14番
 14番⇒(4分)⇒15番

15番
 15番⇒(10分)⇒16番

16番
 16番⇒(18分)⇒17番

17番
 17番⇒(1時間)⇒18番

18番
 18番⇒(12分)⇒19番

19番
 19番⇒(50分)⇒20番

 ※19番と20番の間に別格3番
  別格3番
20番
 20番⇒(30分)⇒21番

21番
 21番⇒(30分)⇒22番

22番
 22番⇒(30分)⇒23番

23番
 23番⇒(1時間40分)⇒24番

 ※23番と24番の間に別格4番
  別格4番
24番
                            
       
 

一日の成果が皆無になった深夜

 一昨日の消えたファイルを探し出し、新たに書き直したファイルに引用(コピー)しようとしていたら、新たなファイルまでがホームページに転送できなくなり、理由が判らないままに試行錯誤を続けていたら、時計は深夜の11時40分を指していた。パソコンの前で4時間も格闘していた事になるが、成果は何もなく、あわててブログに「書込み中」と書き入れた次第である。

 成果がないどころか、正常であったファイルが正常でなくなり、根気良く書き入れたりコピーした資料がムダになるばかりか、破棄しないと転送もできずに、これでは恐る恐るの書き込みとなり、なんとムダな時間を費やして、不良品のファイルにしてしまったのかとパソコン音痴の書き入れだけに、時間の経過を嘆くばかりの一日となってしまったのである。

 さて、本日はボランティアのWさんにとっては、朝から大変忙しい一日だったとの話で、朝一番で甚目寺町の病院まで人を送り、迎えに走って帰る途中で2人目の人から送迎の依頼があり、午後にも一宮市の病院まで人を送る予約があり、慌てて昼食をとっていると、私が不在のために恩師が訪ねられ、知人の家まで送迎したとの話であった。

 「おい、一宮まで付き合ってくれるか」との言葉に、体調不良と運動不足から歩こうと外出したばかりの電話に、一瞬は断ろうとしたものの、困った時には運転手がわりに付き合せている事から快諾し、一宮市の病院で診察を終えたOさん夫婦を迎える車に同乗する事となった。

 「今日は大変だった」との言葉に、ボランティアの仕掛け人としては他人事では済まされず、大変な内容を聞いていたが、それだけ忙しいのであればお金にもなり、今日は5千円を超える新記録(3人運んだのも新記録)となったのでもある。ただし、Wさんは送った後に自宅に戻っており、一日中運転するばかりか、高騰しているガソリン代もバカにはならない。

 「一宮市まで1200円(片道)で良かったかナ?」と問われ、「そうかッ」と答えたが、一人の送迎に診察時間も含めると半日がかりとなり、手をひろげると一人では対応ができず、現状では1週間に1人あるかないかの状況に、1日に3人の送迎から、今後の対応も考えさせられる事となった。

 さて、迎えに走ったOさんは来週に入院(予定では心臓カテーテルで2泊3日の入院)が決まり、「行かなきゃ良かった」とグチが出たが、同伴の奥さんから「行かなきゃ悪い事も判らなかったじゃない」と叱られた挙句、帰宅後にはお孫さんが入院するお爺さんを頼って塾への送迎を期待しており、我々がついでに塾まで走る事となった。

 病気の診察も大変だが、知人の入院を送迎するのも辛いものがある。ただし、「大鹿さんがついて来てくれたの」と言われた病院で出迎えた時の笑顔は嬉しいもので、今後はできるだけ私も同乗していくべきかと思った次第でもあった。
                                5月12日の一言

伊右衛門(お茶)についた付録

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 本日コンビニで購入したお茶のペットボトルについた付録であるが、中身に期待する事なく置いていたが、期待しない付録と言えども、こんなに大きい「てぬぐい」が入っていたのにはびっくりしました。

 付録の中身を確認して購入したのではないが、この付録があった事から多くのお茶の中から選んだのであり、京都福寿園の「伊右衛門」の名前はテレビで知ってはいたが、この付録がなかったら多分購入していなかったと思われる。

 ただし、中身はテッシュか、お手拭程度と思っており、小さな付録(上の写真)を開けて、手ぬぐいを広げてみて(写真下)びっくりした次第でもあった。

 現在高校生の息子が中学時代に「伊藤園」のお茶の川柳に応募して入選した事から、多くのお茶のベットボトルが景品として届けられた事があり、投稿して入選した人々の名前がペットボトルのラベルに印刷される事から、意識的に購入するようになった。

 本日の付録となった「てぬぐい」は、全部で六種類あるようで、この際全部揃えてみようと思う事から、これから夏場を控えて多く発売されるお茶の中で勝ち抜くには、ささやかでも心に残る付録と思うのは私だけではないだろう。

 携帯電話から投稿して帰宅後にパソコンへ座ると、既にコメント(↓)があり、紹介されたブログには昨年から付録があり、付録の「てぬぐい」を集めて布団カバーを作られた写真が掲載されており、飛躍して考えれば「てぬぐい」を集めて「浴衣」も可能かもしれない。

 さて、こんな一言を書き込んでいるが、本日も愛知県内で殺人事件が発生している。日本で一番企業の活気がある地域との評もあるが、トヨタの膝元である三河部を中心に凶悪な事件が続いており、お茶どころらしく一杯のお茶のもてなしで一息入れたいものでもある。
                         5月11日の一言

消えた書き込みの書き直しは苦痛

 寒さと雨の土曜日となり、午後の来客の応対以外は四国遍路のための資料『四国便利帖』をパソコンに打ち込み、あわよくばホームページから観られるようにと、保存して送信しようとするがパソコンが受け付けず、最後は打ち込んだページが行方不明になり、どこかに存在するとは思うものの行方不明のままに新規作成からやり直す事になりました。

 せっかく見事に整理しはじめた資料(徳島だけでしたが)が消えてしまった原因は、ブログの更新ばかりで永らくホームページの更新をしておらず、「津島の新しい風」「朝日旅行友の会」「横井庄一」「ひとまち生活ネット津島」と、手を広げすぎた結果、ホームページビルダーのファイルが無茶苦茶に混在している事と、削除して空いたファイルに書き込んだ事にあるらしい。

 一度出来上がった資料が消え、その残像のままに書き直していく事は、自分のためのメモであり最初の試行錯誤もなく難しい事ではないものの、打ち込む事自体が役務的になり、書き入れる事が辛いものとなり、23番までの資料が1番目で終わってしまった次第である。http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/newpage29.htm

 ホームページからこのブログに重点が移り、人に見せる事から自己主張に内容が代わり、書きっ放しの状態で、開設してあった掲示板やファイルへのアクセス方法の変更や、パスワードが不明となっているものも多く、数日前にも苦戦していたのでもある。

 さて、明日は横井庄一記念館の一日となり、帰宅するまでパソコンとは無縁の一日となる。夕食後にしばしの休息を取ったので、しばらくパソコンの前に座る事にして、遍路の続きをしたいと思う。
                            5月10日の一言

塾を必要としない教育実現に

 愛知県豊田市で学校から下校中の女子高生が殺害され、いまだに犯人に結びつく有力な情報もないままに、県内の豊橋市でも自転車の少女をあぜ道に連れ込んで、わいせつな行為をしたとして31歳の会社員が逮捕されたと報じられている。

 少女に限らず人が殺害されて埋められたり放置される事件が日常的に伝わってくる。中国によるチベット騒乱での軍事力による人権侵害が国際的に叫ばれ、中国の胡錦濤主席の来日に抗議するデモも起こっているが、我々の身近なところにも人の自由を奪う卑劣で凶悪な事件が日常化している現実に注目したい。

 死刑制度に対する議論もあり、死刑を廃止するための運動を展開する人々もあるが、これだけ簡単に人の命が簡単に奪われる社会と、身勝手に奪われた被害者の人権を考えると、国ぐるみでの再発防止への長期的対策が必要ではないか。

 昼からのテレビ番組では、毎日必ず殺人事件を主題としたドラマが流され、テレビで人が殺されない日はないのではないか。これに若者達のゲームでも人が標的にされている現実がある。こんな事から考え直さないと収まらないのではないのか。

 さて、本日の夕刊には、この事件によって豊田市や岡崎市の進学塾や予備校の防犯対策や親の対応が特集されている。子供の居場所を特定するためのGPSや防犯ベルを貸し出す塾の対応や、送り迎えする親の車で路地に車があふれる様子が記されている。

 しかし、中学校の一年生が深夜の10時過ぎまでも塾に通う必要があるのだろうか。学校が週5日制となり、土曜日と日曜日が休みとなったものの、最近では学力の低下が問題とされるようになってきた。その一方で、夜の10時過ぎまで塾に通う現実をどのように考えれば良いのか。

 我家の近くにある県立高校では、20年ほど前には大学に進学するのも大変なレベルであったが、「予備校を必要としない指導」を旗印に、最近では国公立や有名大学まで合格者を出す成果まで、学校内の学習指導によって結果を残すようになったと聞く。

 週5日制と塾や予備校の存在。学校を下校した生徒が夜10時過ぎまで塾に通っている現実。いつ何所でも被害者になりうる社会環境。子供を深夜の塾に送迎する親の力で、地域社会や社会秩序そのもののあり方を考える時期ではないか。
                        5月9日の一言

サクランボの樹の下で

 本日の未明に関東地方を中心とした茨城沖地震は、テレビで緊急地震速報が流された後で、「現在揺れています」と報道されていたが、遠く離れた愛知県の我家でもドアのあたりからギシッと音がしたのにはびっくりした。

 まさかッと思い、古家ゆえに風の影響だろうと思っていると、東海地方や能登半島でも揺れが観測されたとの報に、あれも地震の影響だったのかと実感するとともに、本日の夕刊からは秋田県や青森県など東北地方でも大きな揺れが観測されていた事に改めてびっくりである。

 ただし、我家でこの地震を体感したのは私だけで、「大きな地震だった」と語っても誰も信用せず、本日の夕刊に名古屋市が震度2と記されてきた(我家では震度1も無かったとは思うが)事で、はじめて地震があったと信用された次第である。

 しかし、「そんな時間まで起きていたのッ」と言われ、地震が起きた午前1時45分に起きていた事がヤブヘビとなりそうな雰囲気であったが、それでも朝一番で市役所に出向いて議会運営委員会に出席していたのだからと開き直ってみても後のまつりである。

 それにしても、進捗していないと言われている地震予知は確実に進歩し、1分前では何の防御や備えもできないものの、深夜に地震の発生を予知し、世間に発表した気象庁担当者の心境はどんなものだったのか興味は尽きない。

 さて、本日は「いつも話だけで…」と言われている人々に、サクランボの宣伝をして市役所を後にしたので、誰が来ても良いように脚立を出し、続々と襲来するムクドリの群れを追い払っていたが、夕暮れまで誰も訪問せず、明日は鳥との最後の決戦となりそうである。

 それにしても真っ赤だったサクランボの木が、鳥によって確実に緑色に変化していく姿は、まるで一年が経過してしまったような淋しさもあり、かと言って一人で食べきれる量ではなく、明日には多くの訪問者に期待してみたいと思っている。
                           5月8日の一言

横井庄一記念館

横井庄一記念館公式ホームページ

明日への道 http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage201.htm

横井庄一記念館・明日への道 http://blogs.yahoo.co.jp/oshika59

横井庄一と私 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/newpage8.htm

サクランボに群がる鳥のギャングに

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 数日前から色づきかけていたサクランボが熟しました。ただし、昨日までは真っ赤ではなかったものが、本日には真っ赤になっており、昨日まで寄ってもこなかった鳥が集団で押しかけ、昨年までは我々が近づけば一斉に飛び立ったものが、今年は逃げずにそのまま様子をうかがう様子から鳥たちも学習したことがうかがえる。

 昼前には2階から見ると真っ赤になっていた木が、夕方には上部から食べ尽くされ、半分は食べられてしまった事から、明日にはほとんどが食い尽くされて、我々は下部に残された残り物をちぎって食べるのであろうが、今年は畑のキャベツなども鳥に食い尽くされており、年々増える鳥の被害に悩まされるのは他人事ではなくなっている。

 「お父さんはどうせ食べないんだから、放っておいたら」とは、「ギャ-、ギャ-」と騒ぐ鳥を追い立てる私に対する家内の言葉であるが、私自身はサクランボが好きではないので口にはしないが、何所からともなく表れて我家のように振る舞う鳥の姿はまるでギャングのようでもあり、私がいなかったら食い尽くされていたのかも知れません。

 前々からサクランボを狙う鳥の被害に悩まされ、2年前にも同じような一言(下記参照)を残しているが、ムクドリらしい鳥の集団は明らかに数が増加しており、畑の被害の多くがこの鳥の仕業であるが、畑の被害を嘆くのは高齢の女性たちのために、鳥と年寄りの笑い話にされがちだが、家庭に植えられる果樹も増えており対策も必要であろう。

http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/contents19.htm#18517

 さて、多くのギャングのような鳥に悩まされる中で、私の少年時代にはそれぞれの家に巣を作っていたスズメ(雀)については、家が新築されて巣を作る場所がないことから、集団での姿を見かける事がなくなり、正確に調べた訳ではないが減っているのではないだろうか。

 そうやって考えると、かつては学校や農協の倉庫にスズメが巣をつくり、小学生の私たちでもスズメのヒナを捕りに出かけたことがあるが、最近では公共施設の鉄筋化によってスズメの住処がなくなっているのでもある。我家だけでなく近所を見回してみても、スズメの巣は見当たらず、こうなると見慣れたスズメの居場所が気になるのでもある。

 ただし、秋の米の収穫期になるとどこともなく飛んでくるのであるが、子供の頃には必ず家の屋根で見られたスズメが遠い存在になりつつある現状に、一抹の淋しさも感ずるのでもあるが。
                             5月7日の一言

結論の前に十分な審議を

 中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が6日午後、専用機で羽田空港に到着した。明日7日には福田首相と日中首脳会談が行なわれる予定だが、中国の国家主席の来日は98年の江沢民氏以来10年ぶりという事から、会談の中身とその成果に期待をしたい。

 中国の食品の安全や日中共同資源開発など、両国の問題は勿論だが、チベット騒乱後初の中国首脳の外国訪問ゆえに、会談の内容に世界中の注目が集まっていると思われるが、本日のテレビ報道では評論家が「パンダも欲しい」などと真顔で発言するなど、支持率の低い福田首相ゆえに期待もされていない様子でもある。

 さて、本日の朝刊には、民主党の鳩山幹事長が「福田首相の問責決議案」を出さない事と、「徹底的に審議を尽くすことが我々にとってのぞましいのではないかという思いが強くなっている」との国会対応について語り、後期高齢者医療制度の廃止法案を早期に提出したいと発言したと記してある。

 「徹底的に審議を尽くす」の発言は、ガソリン税の復活する国会審議をボイコットした直後だけに、今こんな発言をするくらいなら、何故国会の審議を退席して審議に加わらなかったのか理解に苦しむと同時に、後期高齢者の医療制度についても「徹底的な審議をする」と言いながら、審議前から廃止法案を提出するとの発言は整合性がない。

 そもそも、後期高齢者に対する医療制度は、現状の保険制度のままでは医療費の高騰から制度の維持が難しくなっていることから、新たに導入された保険制度であり、社会の批判や不満は高いものの、今までのままでは保険制度が成り立たず、地方自治体の多くが悲鳴をあげていた問題でもある。

 我家においても、国民健康保険に入っていた母親が後期高齢者医療制度に移行したが、我家の健康保険税が最高限度額だけに、母親への請求分が新たな出費となり、年金より引かれる母親も批判の矛先を自民党や小泉元首相に向けているが、国保税の中での母親の負担分を見ると、後期高齢者医療制度よりも金額は高かったのである。

 母親が一人暮らしであった場合には、4月からの新制度の支払額より、3月までの国保税の方が支払額が高かった事を、国保税は息子の私が支払っている事から判らなかったのでもある。ただし、社会保険の扶養家族だった高齢者は半年先まで支払いが猶予された事から不公平と思うのも当然である。

 高齢者の多くは、子供の扶養家族になっていた事から、(特に女性は)自分の健康保険税の支払い経験がない。今回の新制度では、自分の年金から引かれる事から、誰もが引かれて喜ぶ人間はないのが当然と考えると、制度そのものよりも、支払額の実態を調査して、不公平のない請求と、高齢者だけでなく幼児から熟年世代に至るまでの医療制度の見直しも重要である。

 乳幼児の医療費無料化が当り前となった社会で、実際に必要となる医療費全体と保険制度を維持するための自治体の支出を考えて、高齢者にも応分の負担をお願いするとともに、国民全体の不満は解消できなくとも、せめて納得のできる制度への道筋を議論してもらいたいものである。
                            5月6日の一言

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連休の合間の勘違いに(笑)…

 ゴールデンウィークとは言え、本日から家内は仕事に出かけ、三男は合宿や練習が連日続いている事から、本日は私だけが雨を理由にひたすら眠る一日となったが、こんなに時間があるのであれば近くの温泉にでも行けたと思っても後のまつりである。

 ゴールデンウィークで11連休という人もあるようだが、議員という立場にあるために、公的行事はもちろんだが人からの相談もあり、合間には市役所に走るなどして、完全なる休みは今日と明日のみだったのでもある。

 連休の合間の3日間は市役所が開かれており、市条例の改正が必要となる案件の説明をするために、何度も連絡をして我家まで訪れた職員が存在した。事務所は不在で、机には「市内にいますので電話を下さい」の看板が置いてある。

 「大鹿先生、今どこにみえますか?」
 「何度もすいません、すぐにそちらに行くから」
 「今何所ですか?」
 「市役所の中にいるから」
 「実は我々は今お宅の事務所に来ていますが」
 「えッ、じゃー、そっちに戻ろうか?」
 「いえ、いえ、こっちが市役所に戻りますから、先生の部屋で…」
※私は「先生」とは呼ばないで欲しいと訴えていますが

 こんな顛末で市役所の中にいた私と、市役所から私の事務所に出向いた市職員が電話で連絡をして会う約束をしていたのだが、これを聞いていた高齢の母親の耳にはびっくりするような内容に伝わっていたのである。

 留守番役となっていた母親があわてて事務所に走ると、真っ黒の背広を着たいかつい2人組が電話をかけており、「取調室で話をする」などと、大声で会話中だったと勘違いして聞いた事から、警察か何かに私が取り調べを受けると勘違いして、私が帰った夜まで怖くて奥で隠れていたとの話であった。

 「何があったんだ…」
 「うーん…」
 「大丈夫か?」
 「しばらく家には帰れないかもしれない…」
 「警察か?」
 「うーん…」

 あまりにも馬鹿らしい勘違いにお付き合いして母親を冗談でからかっていたが、家内が帰ってきたから事からバカ話は修了したが、市役所では当り前の黒い背広姿も、田舎の高齢者にとっては警察か税務署の取調官のように思われ、市民には見た目で近寄りがたい存在にうつるようである。

 これは、選挙の際にも同じ事が言え、黒服で二人連れの訪問を受けると、警察の選挙違反の取り締まりじゃないかと思われるそうで、行政職員の一般家庭への訪問には服装も考えて訪問しないと、こんなバカらしい誤解もある事を母親の勘違いから実感した。
                         5月5日の一言

結核の早期発見と対応を求めて

 本日は横井庄一記念館の一日であったが、入院中の館長(横井夫人)が昨日より外泊しており、そのおかげで午前中は展示してあった書道展の片付けに出向き、仲間を引き連れて記念館に帰り、昼食後から閉館までが留守番になった。

 やはり家(記念館)の主人がいるのと居ないのとはまったく違い、館長不在の一ヶ月間とはまったく違う記念館を実感した。
 閉館後には津島市からボランティアのWさんの運転で、館長を名古屋市の東に位置する東名古屋病院まで送って帰宅したが、高速道路のおかげで30分で病院に到着した。

 さて、横井夫人は老人性結核で入院しているが、最近では結核で入院する人も減ると同時に、治療法の向上から簡単に治癒するようになっているが、いまだに結核に感染すると有無を言わさず入院となるだけに、結核菌の恐怖を忘れてはならない。

 また、減っているとは言え、高齢者には結核菌に感染する人も増加していると言われ、中途半端な治療をしたままで、薬に対する抵抗力を持った結核菌に感染すると、感染した人の治療にも薬の効果がなく、大変な治療と日時を必要とする事から注意が必要でもある。

 幸いにして入院はしているものの、夫人の結核は程度が軽かったようで、病院の外を自由に散歩しているようだが、結核で入院するまで半年以上の日時が経過している事から、改めてここに記して注意を促しておきたい。

 夫人の結核の兆候は昨年9月に発生し、夜になると咳が止まらない事から近所の開業医に通院をはじめ、それでも咳が止まらない事から胸部のレントゲンをとったところ、肺に異常がみられたが、医師は肺ガンの可能性を疑い、しばらく(3ヶ月ほど)様子を見る事となった。

 その後夫人は肺ガンの恐怖を抱きながら、三ヵ月後の再診を待ったが、冬に入り寒い日々が続いた事と、他人の風邪をうつされても困る事から、再診がのびのびとなり、開業医を訪れた時は3月になってしまい、レントゲンの結果から肺ガンか結核かが判定できず、大きな病院を紹介され結核が判明した。

 「ガンでなくて良かった」と思ったと言うが、翌日(4月2日)には結核患者を専門とする東名古屋病院への入院となった次第だが、結核の症状が出てから結核と診断されるまで半年以上経過しており、この間に他人に感染させる可能性もあった事と、感染者との接触者にも検査が必要となることから、感染者の早期発見に警鐘を鳴らしたい。
                           5月4日の一言
結核関係ブログ
 http://blogs.yahoo.co.jp/arc2life/36359508.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/moonbadman/7615640.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/qqz62ukn9/7526394.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/mitsuko123saito/37464132.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/z33takumi/46824952.html

津島・藤まつり

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 津島市では藤まつりが開催されており、家族が藤の花の写真を携帯電話から送ってきました。多くの人が訪れていますが、今後の課題は1回かぎりではなく、毎年のように訪れてもらえる仕組みと魅力づくりかと思います。

 最近では夏の尾張天王川祭りよりも多くの人を集めるようになっていますが、川祭りが「一度行ったから」と再び訪れる人が少ない事を他山の石として、東洋一と言われる藤棚へ毎年訪れてもらえるようにしたいものです。

藤まつり関係でお勧めのブログです。(勝手な引用をお許し下さい)
山野草と野鳥を求めて http://blogs.yahoo.co.jp/ayukiti8/42070124.html
庵主のつぶやき http://blogs.yahoo.co.jp/souann575/32498305.html
 ↑ スライドショー http://haiku575.fau.jp/08tusimafuzi/08tusimafuzi.html
真のさまざまブログ http://blogs.yahoo.co.jp/keisin3802/37397061.html
旅と花と http://blogs.yahoo.co.jp/aisunson09/41648732.html
ポポ☆City http://blogs.yahoo.co.jp/mypopomaru/22903678.html

 本日は家族が訪れた藤まつりの写真(他の人のブログも)を添付して終わります。
                            5月3日の一言

市役所の4連休を前に

 本日は連休の合間に市民の人達から年金や健康保険にはじまり、買い物ができる身近な商店の閉鎖による生活の足不足など、寄せられた質問や声に応えるため、明日から4連休になって市役所も休みになる事から、保険制度の知恵不足などを補いに出向きました。

 高齢者の保険制度を「後期高齢者」として、本年4月より別個の制度に移行させ、これまで子供の扶養家族として、保険税の請求をされていなかった高齢者も、年金より勝手に差し引かれることから、全国から不満の声があふれているが、不満の声を和らげるために社会保険の扶養家族だった高齢者は半年間税の徴収に猶予を決めたことから、高齢者の中から新たに不公平との批判も出ている。

 ただし、家庭環境や所得の有無については人それぞれであり、いきなり不満を並べられても明快な答えを返し様もなく、現実には国民健康保険税の請求額より請求が低くなっている人もあり、国保税の扶養者は4月より年金から税を差し引かれている現実から、税の公平性の面からも疑問が残る。

 我家を例にして考えると、8人の家族のうち5人が社会保険の加入者で、私の国保税には母親と三男だけが扶養家族となっており、その保険税についても津島市の最高限度額年額53万円の支払いが求められていた。
 これが4月から母親は後期高齢者医療保険制度に移され、母親は年金から保険料を引かれて不満をぶつけているが、私自身にとっても母親が扶養家族から外されても、昨年と変わらず最高限度額の請求が続く事と、近い将来に三男が自立しても最高限度額の支払いとなるから、税の公平性に疑問が募るとともに、このままでは真面目に生活する者が損となるような税の徴収方法には批判を続けていきたいと思う。

 しかし、高齢者の不満は理解できるが、実際に自分にいくらの医療費が公的負担されているかを考える人は少なく、高齢者の中にも健康で医者にかかった事がなく、介護保険とも無縁でありながら最高限度額の保険料を支払っている人も存在する事から、身勝手な不満や批判は自己の現状を把握してからにして欲しい。

 後期高齢者の医療制度に議会で賛成した立場にあるが、正直なところその時点で我家の保険税がいくらになるのか判らないままに賛成しており、制度が必要不可欠である事は間違いがないと思うものの、地域住民への説明不足を反省したい。

 もっとも、間際まで国の発表が遅れており、地方自治体の担当職員すら直前まで国からの発表をテレビや新聞の報道と一緒に耳にしているような現状から、地方議員のほとんどが実際の詳細まで判らないままに賛成した可能性が強く、その本家本元とも言える厚生労働大臣すら執行後に実態が判らないから調査すると言っている事からも、制度の見直しと改善は急務であろう。
                            5月2日の一言

温存したガソリンの値上げは違法ではないか

 昨晩に駆け込みでガソリンを購入して帰宅したものの、本日は早朝より息子の自転車が不調のため自転車(夕方の練習には必要らしい)を乗せて名古屋まで高速で走り、昨日の節約がまったくの無になるどころか持ち出しである。

 早朝の浪費を取り戻そうと考えた訳ではなく、運動不足の解消を含めて地元の所用を自転車で出向いていたところ、訪問先の家の外から雨の音にびっくりしての帰宅となった。

 「大鹿さん、カサは傘?」、「無しで大丈夫」、「でもッ、濡れちゃうよッ」、「自転車のカサは交通違反だから、心配しないで」と、暗くなった夜道(自宅からかなり遠い)を一目散で自宅に向かうが、雨のために日頃の運動不足が吹っ飛ぶような回転でペダルをこいて帰った。

 こんな時に父親の悲哀を感じる事になったのが、家内は雨のために三男を迎えに名古屋の中村競輪場まで走っていたのである。

 「おい、おまえならお父さんより早く走ってくるだろ」、「当然だろ」、「おいッ、お父さんは雨の中を走ってきたんだぞッ」と息子と話していると、「津島は雨が少なかったんじゃない」と家内の声である。「おいッ、そこのジャンパーを見てみろッ」と濡れたジャンパーを指差しながら、、「甘やかし過ぎ」と本当は自分も迎えに来て欲しいと思っていたが、それは封印である。

 さて、一晩で30円の値上げで、近くのガソリンスタンドには157円の看板が上がっていたが、市内の24時間営業のセルフのスタンドでは昨晩早々に在庫切れで、並んでいた車は他のスタンドに走ったとの話であるが、「どうやら在庫切れはウソらしい」との話であった。

 翌日に30円の値上げが決まっていた事から、在庫切れを理由にして残した分を本日の販売に廻したとの話であった。「売り切れとなっていたのに、早朝から販売していた」との話と、深夜に大型のタンクローリーが入ったとは思えず、一晩見張っていた訳ではないが、もし在庫切れで温存した安いガソリンに本日から導入のガソリン税を加算していたら、これは税金の搾取で詐欺ではないかとの知人の指摘に、もっともと思うと同時に、人との接点のないセルフスタンドゆえにできる荒業かもしれない。

 確かに知人の指摘のように、国会の議決によって本日からガソリン税分が増額された事から、税金の安い昨日までのガソリンに税金分を加算するのは、税金ゆえに法に反する可能性も高く、細かい金額とは言え業界や販売店任せではなく、政府の厳しい指導がなかった事は問題でもあろう。

 もっとも、今の自民党や政府に、法律や住民の意識を考えている余裕はなく、ガソリン税に国会の議席で反対の声をあげずに全員退席した民主党も、本気で反対して政府の責任を追及する意識は皆無で、国の財源としてガソリン税を容認せざるをえないなれあいと言わざるをえない。もう無茶苦茶で、国の秩序には期待できないのではないか。
                           5月1日の一言
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