大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2008年07月

期待の旅立ちが家族争議に発展し

 明日は夜から息子と3人で岡山(大学のオープンカレッジ)に出かける予定であったが、犬の世話が出来ないと留守番の母親が言いだした事から雲行きがおかしくなってきた。

 「犬も一緒に連れていけば良いだろう」と言う私に、「犬が可哀想」と息子が言い、「一緒に行った方が喜ぶ」と言う私と議論は平行線である。朝と晩の食事の世話と散歩とフンや小水の問題等、家で満足に世話ができないのであれば、我々と一緒の方が良いと思うが…。

 「犬は車に酔うから苦しむ」との言葉に、先日名古屋まで一緒に連れ出した際にも犬は喜んでいたと言う私の言葉は否定され、インターネットから「30分乗って酔わなければ大丈夫」のコメントを紹介しても『馬の耳に念仏』状態である。

 結局は帰宅した次男に犬の世話を依頼したが、今度は岡山行きの目的を巡って泥沼の議論に発展する事となった。その後息子は香川県に入って、プロの自転車選手と一緒に練習する予定を立てていた事から、当然私も自転車を乗せて香川県に行くものと考えていたら、息子とは岡山で別れ、そのまま帰って家内の姉のいる大阪に寄ってくるとの話ではないか。

 「おれは、大阪なんか行かないぞ」と香川行きにこだわるも、「何のために」と反論され、四国遍路や善通寺の名前は出せないが、夜行で走って翌日帰ってくる話に、「じゃー、おまえ一人で行ってこいよ」となり、「そもそも、岡山行きには反対だ」との息子の進路への批判に発展させてしまったのである。

 岡山は大反対であるが、今回の岡山行きを、ついでに四国へとの感覚で納得させようとしていた私の堪忍袋は簡単に切れ、勝手に決めこんだ息子と家内に「お母さんに仕送りしてもらえ」と言ってはならない言葉を出してしまったのでもあった。

 こうなると収拾がつかず、元々は犬の世話の出来ないと言う母親が原因と母親ともケンカになり、「犬の心配はしても親は無視か」と家じゅうが混乱となる。こうなると勝手に岡山行きを考えている三男と家内にも腹立たしく、「俺の通帳から学費は一切出さない」と通帳と印鑑、カードまで取り返したのであった。

 完全に家族争議である。「岡山に行って何になるんだ」と次男も一言。順調に進んでいた息子の進路も今晩の混乱から白紙である。しばらく時間を置くと冷静になり、「犬を連れていけば全部収まるのに」と息子に伝えるも無言のままで、この結末をどう打開するのか思案の夜となりました。
                            7月31日の一言

永遠に残したい鶴田浩二(さん)のセリフ

 太平洋戦争を扱うDVDの宣伝を見た母親が「買ってみよう(欲しい)か」と話したものの、「我家ではDVDは見れないんだ」、「なーんだ、そうか(残念)…」の一言になりましたが、このDVDは横井庄一記念館では既に購入してあり、今週は1巻目が披露されていました。8月が近づき、そんな話題が増えそうです。

 本日は久々に「鶴田浩二さん」を想いおこし、多くの持唄の中から本人の作詞による戦争を偲ぶ唄と、本人の性格を垣間見る曲(こちらは近いうちに)を転載していきたいと思います。

 戦友(とも)よ安らかに 吉田正作曲・編曲 小野栄一作詞
「この歌を…
こよなく祖国を愛し、肉親を愛して、かけがえのない青春を、南の空に散らした今は亡き、戦友(とも)たちに捧げます」

年に一度の 靖国詣で
集る仲間は 少ないが
遠い遥かな 特攻基地で
眠るか友は 安らかに安らかに

若い生命(いのち)を 燃やして消えた
あの友あの声 あの瞳
一足先に 三途の川で
待っているぜと 別れたが別れたが

あいつが散った 南の空も
今日の青さに よく似てた
無理に笑った 涙の顔が
浮かんで見える 雲の果て雲の果て


 鶴田浩二の台詞(セリフ)は同期の桜の台詞版や、傷だらけの人生(藤田まさと作詞)の唄い出しなどが有名であるが、多くの曲の中で本人が作詞した曲は紹介した「戦友(とも)よやすらかに」と、「おとこ゛藤゛」寺岡真三作曲・編曲(小野永一朗作詞)など限られている。

 映画でのセリフについても、我々は本人の想いで話されているように錯覚してしまうが、監督や脚本に一字一句忠実に演じられていた事から、歌のセリフについても俳優の鶴田浩二が演じていたものであり、本人の作詞した曲は貴重と私は思っている。

 私がとりわけ本人の心情と一体感を感じるのは、「名もない男のブルース」で、作詞家の宮川哲夫氏と鶴田浩二、本名小野栄一(永一朗)の区別もつかない詩に思われてくる。本日は下記↓のHPページも見て、鶴田浩二さんを偲ぶ一日とします。
http://sennarikai.fc2web.com/miki01.htm
                            7月30日の一言

過去に遡って

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鶴田浩二さんの本名「小野永一朗」から検索された資料です。
下記のホームページを参照してください。

http://sennarikai.fc2web.com/miki01.htm

とりあえず、ホッと一息

 自分が会長を務める神守中学校同窓会報が完成し、本日午後から中学校区内にある43町内会の会長宅に全戸配布をお願いに伺い、会報を8月1日付の市役所の広報と一緒に配布してもらうように置いて廻ってきた。

 今年で21年目の発行となり、毎年の慣例として「はい、判りました」と気持ち良く配布していただける町内がほとんどだが、一町内会については町内の同窓会役員に依頼してもらっても「絶対に配布しない」と、町内会で協議する事もなく、町内会長の一存で断られ、私が166軒のお宅に直接配達するのであるが、「そんな町内には配達しなければ良い」との声も聞きながら、卒業生だけでなく、在校生への情報提供にも不公平が生じるために個別配布に走るのでもある。

 この私の訪問を「この機会に」と、私が議員の立場にある事から地元の問題を訴える町内会長もある一方で、議員ゆえに毎年の配布に疑念を唱えて配布そのものの善し悪しを論ずる会長も存在する。

 それぞれの町内や会長の性格の違いもあるが、配布をお願いに伺っている立場から、言われ放題の中にも依頼されれば何事にも応えたい気持から、地域の困り事を言って私を使った方が得策で、応対上手な会長と「お代官様」のような応対とは大きな差にもなってくる。

 さて、同窓会報は協賛していただける商店や企業の広告収入によって発行されており、その残った差益が盆過ぎの日曜日に開催される総会と物故者法要に費やされているが、後継者難によって閉店したり、主が亡くなったり理由は様々だが、新たな広告主を探す仕事も会長の職務として大きく圧し掛かり、今では半数近くが「大鹿銘柄」になりつつある。

 こうなると自分の引退後が心配にもなる。広告を依頼した広告主に挨拶もなく辞めるのも失礼だし、引退後まで広告をお願いするのも酷で、44ある町内会への会報配布だけでも会長一人には押し付けられない。私が一人で孤軍奮闘してきたのは前会長が一人で実践されていた事によるが、参加者も少ない同窓会活動の課題は多い。
 
 一方で、同窓会の存在しない学校に比べて、同窓会の存在が確実に学校のプラス面となっており、このあたりを認識されている人は少ないが、とりあえず私の責任が一つ消化され、身軽になった余裕から遅れている仕事と、予定された行事を盛り上げていきたいものでもある。
                            7月29日の一言

歴史書から四国につながり

 「大鹿さん、津島はお祭りだったんだねー」と言われ、お祭りがあった事すら忘れていたように思われそうだが、土曜日は知人の葬儀があり、日曜日は横井庄一記念館の留守番で一日が経過し、お祭りとは縁のない毎年になっている。ここでは「店長の独り言」「ユカの女装日記」からお祭りを体感して下さい。

尾張天王川祭りを紹介されたブログ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/eye_bridge_week/22700889.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yukari_tanimura2000/42140078.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yukari_tanimura2000/42186306.html
勝手に掲載してすいません

 さて、津島の川祭りと言っても、私の住んでいる地域は現在は津島市になっているが、昭和30年までは海部郡の神守村であった事から、川祭りを地元の祭りと思っている人は少なく、未だに「津島まで行って来る」との言葉が飛び交うのでもある。

 二週間ほど前に津島市がテレビで紹介され、800年前に創建されたお寺の住職が「我が寺が津島市で一番古いお寺」と発言した事から、京都より人口比率でお寺の多いと言われる津島市の寺院が、800年の歴史しかないのかとの問い合わせが続いた。

 これについての真意は専門家に任せたいが、私は「その発言は勝手な間違い」と答えている。古文書を読んでも、歴史のありそうな寺の多くが「創建の年月詳ならす、知られす」と記されており、1千2百年前に創建された寺が多く存在する四国と比較をしてもおかしいのである。

 津島神社が鎮座されたのが欽明天皇(539~571)元年と伝えられており、神社の社僧とある賨相院が尾張誌に「創建の年月詳ならぬ」と記されながら、寺を開基した定圓法院の承和元年(834年)と記された位牌があると記されている。

 同じく神社と隣接する宝寿院の歴史は津島神社との神仏分離令はあったものの、1千2百前の弘法大師との縁が残されており、津島市の寺院の歴史は800年のテレビ報道より古い事は間違いがない。
〇宝寿院のHP http://houjyuinn.net/annai/history.html

 我家からは津島神社より近く(約2キロ位)に位置する蜂須賀蓮華寺は、嵯峨天皇の代の弘仁9(819年)年に弘法大師が開基しており、阿波蜂須賀公の出身地としても歴史を刻んでいる。軽薄なテレビ報道の一言によって津島市の歴史が誤解されたとすれば残念でしかない。

蓮華寺HP http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/owari/owa076.html
蜂須賀HP http://www2u.biglobe.ne.jp/~vespa/vespa061001.htm

 当地方のお寺の多くは、度重なる水害や洪水によって、多くの記録が散逸したとも言われているが、こんな問い合わせから、私と弘法大師との距離(年月)も縮まり、9月の巡拝前に何とか四国に上陸しようと考えていることは暫くの封印としておきたい。
                           7月28日の一言

政治家の無力感(自身も)を実感

 本日は久しぶりに横井庄一記念館の一日となったが、朝から体が重く、寝起きが悪いだけでなく、体が眠ったままでボランティアのTさんを乗せて、役務的に記念館の開館を迎えたが、こんな日には来客の人々へのサービス精神も湧いてこない。

 一昨日の「朝まで生テレビ」で、司会の田原総一郎はコメンテーターから北朝鮮の拉致問題解決策について問われ、「福田首相がアメリカのブッシュ大統領に応援を頼み、直接北朝鮮へ出向いて交渉すべき」と発言した。

 これに対して、「そんな成果が判らない事の実現は難しい」と自民党の国会議員平沢、山本両議員が異論を挟んだが、何もせずに物事の先送りを続け、何ら成果も出ないままに六カ国協議においても存在感すらなくなった日本の現状は、結論も出せず物事の決断もできない政治の無力感を実感させられた。

朝まで生テレビが記されたブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/master3511/23581908.html
http://blogs.yahoo.co.jp/catcat31964/41770302.html
http://blogs.yahoo.co.jp/someday_somewhere_someplace7/13221464.html

 何とかするには何らかの行動が必要で、何もしなければ何一つ前進せず結果は伴わない。私の会報も忙しさにかまけて「そのうち」と言いながら、4ヶ月が経過しているが、「会報は?」と問われて「近いうちには」と答えると、8月1日発行の中学校同窓会報の話であった。

 自分の事だから「そのうち」と仕事の後回しにしているが、自分の事が出来ないのに他人の事が出来るものではなく、改めて自身の結果にこだわりたいと思う。人間は(特に私は)ナマカワなもので、後ろから厳しい視線を感じないと動けない。

 8月は地方議員にとって(津島市の場合)は議会日程の空白月にあたり、毎年4日間の夏休み(上高地)を家族でとってきたが、今年は委員会や行事によって難しく(家内は仕事、息子は競技)、高校野球とオリンピックのテレビ鑑賞の夏となりそうでもある。
                           7月27日の一言

葬儀中に代表校(高校野球)が決まり

 愛知県の高校野球代表校に本日東邦高校が勝ち残り、昨日東愛知地区を制した大府高校との2校が甲子園での頂点を目指す。

 本日の夕刊では西愛知大会は5回で11対0と東邦がコールドゲームのような途中経過となっているが、6回に対戦相手の啓成が8点をあげ、結果は12対9の打撃戦となっている。夕刊を読むと東邦のワンサイドゲームと思えるが、直後に逆転も可能な逆襲が起こっていたのである。

 さて、高校野球の歴史は主催する朝日新聞社の歴史でもあり、私も朝日の販売店主としてとりわけ写真展なども主催した事と地元球場の設営に関わった事から、多くの試合と名選手との出会いを経験したが、高校野球から離れて9年が経過し、過去の記憶も薄れており久々の高校野球観戦となったぱかりか、久々に熱い夏を体験できたと感謝している。

 それにしても、情報化社会の中で、朝日新聞社は新聞だけでなく電子情報についても見事な対応をしており、高校野球についても全国の試合結果を把握するだけでなく、参加する全国の高校の戦績やデータまでまとめ、我々が一瞬にして検索できるシステムを構築していた事を評価したい。

高校野球アサヒコム↓↓
http://www2.asahi.com/koshien/

 高校球児ではじめて身近に声をかけてくれたのが、池田高校水野投手(元巨人)やPLの桑田や清原と同時期の甲子園で活躍した中京高校の野中投手(元阪急)で、杉浦監督のもとで主将として活躍するばかりでなく、我々の一言にも「ありがとうございました」と立ち止まって真面目に答える姿が昨日の事のように思い出され、今でも会いたいと思う選手でもある。

 今となっては一瞬の出来事だが、後に野中投手がプロ野球に進んだことから、「あの時に写真でも残しておけば…」の反省を残し、その後春の選抜優勝投手となった東邦の山田投手(元中日)とは天理高校との練習試合の後に写真を残し、現在も事務所に残してある。

 一言が長くなったが、過ぎた過去については記憶もあいまいとなり、年数についても思い出せない事が多く、前記の高校野球アサヒコムについては、過去の試合の結果が残され、当時の記憶がよみがえってくるが、ここに出場選手の情報もリンクさせれば最高とは身勝手な一言に。

 本日は知人の葬儀に出かけ、故人の出身地が私の叔父と縁がある事から、参列者から叔父の姿がないことのささやきが聞こえ、不調とは知りつつ、近況を知らない自己反省ともなる一日となった。
                           7月26日の一言

教員汚職事件は社会全体の体質改善から

 大分県の教員採用試験や昇進に伴う不正事件は、全国各地に飛び火するとともに、教師の昇進には金品がやりとりされるのが当り前のような印象すら与えている。

 とりわけ、不合格とされた本来の合格者の時間的空白を埋める事は難しく、不合格者を担任とした児童への対応を考えると、ただ単に正当な評価による解雇や採用では解決とはならず、不正を正すのは当然だが、教育を受ける立場の生徒への対応を急いで欲しい。

 大分県の例では昇進のお礼に数十万円の商品券が贈られていたようだが、同じ学歴からスタートするだけでなく、授業内容の評価や力量の比較がしにくいところから、盆や暮れに上司へお歳暮などを贈った方が昇進には手っ取り早いのかもしれない。

 とにかく学校に校長は1人しかなく、ほとんどの教員が校長にはなれないのが当り前であるが、この中から確実に階段を上っていく教員もあり、このあたりは理解ある上司と巡りあうかどうかの運不運もあるだろうが、新規の採用から不正が行なわれていては腐りきっているとしか言い様がない。

 私も自分の同級生については何とか出世して欲しいと名前を挙げて話した事はあるが、これからはこんな一言にも注意が必要となるのかもしれない。

 私は勤めた経験がなく、自分の利益のために人に金品を贈る習慣がないが、一生をサラリーマン生活とした私の父親は金品の贈答を当り前に思っており、私が大学を受験した際にも知人の教授が存在した事から、確実に合格するために学部を代えて受験するように勧め、どうやら(確実に)裏口入学を画策した事が嫌で、合格確実の受験を放棄し、(教授との関係から)親とは大喧嘩(暫く絶縁)になった経験がある。

 民間会社では上司等への贈答は当り前に行なわれており、私もアルバイトで働いた観光バス会社では、私の父親が関連会社の燃料を担当していた事から、仕事にも破格の扱いを受け、旅先でも取引相手から土産を手渡されていたが、父親には盆暮れに金品も届けられていた。

 学歴の無い父親にとって、上司への付け届けや同僚との交際は当り前で、「給料全額を家に入れないつもりでないと課長にはなれない」と聞いた事があり、この父親の恩恵で私の弟や妹はほぼ無試験状態で入社したのでもあった。

 実際に大企業の重役や人事担当部署の管理職の家には、盆や暮れに贈答品を届ける宅配便が連日止まる。こんな慣例が嫌いで我が道をすすみ、議員の立場からは尚更厳しい戒めが必要だが、挨拶に業者が持参する手土産を断り、「今後こんな事をしないで欲しい」と伝えたところ、「議員全員でそのように取り決めて欲しい」と反論された事もある。

 盆や暮れの贈答が全て悪いとは思わないが、少なくとも利益供与となる役職への贈答には、教員や公務員ばかりではなく、民間企業においても目を光らせ、社会全体で不公平な判定や評価がなされない対策を講ずる必要がある。
                              7月25日の一言

あの笑顔の裏側の苦痛までは判らず

 「大鹿さん、○△さんが亡くなられたわよ」が、本日の朝一番の電話であった。「えッ、○△さんが…」と言った記憶はあるが、後に続けた言葉の記憶がなく、日中は仕事に追われており、市役所からの帰りに自宅を覗いて現実を目の当たりにする事となった。

 死因を聞くと肝臓ガンを告知されており、以前に今から50年ほど前の出産の際の輸血でC型肝炎ウィルスに感染したらしいと医師から告げられ、「心配する事はない」との話からそのままにし、今年2月に体調が好転しない事から病院の診断を仰いでガンが発覚したとの話だが、ここでも「一度に進行する事はない」との話から、(本人の希望で)治療をせず様子を見ていたとの話に、数年前からC型肝炎については何度も議会で質問をして、肝蔵ガンへの危険を指摘していただけに、病院の対応に疑問だらけの帰宅となった。

 ガン治療の選択は本人が納得したものであったが、厚生労働省が数年前から薬害によるC型肝炎ウィルス対策として、全国の対象医療機関を新聞に公表するとともに、肝ガンに移行する危険性も指摘し、裁判でも国が患者に謝罪して話題になったばかりだが、〇△さんは何も対処されないままにガンを発症して亡くなっている現実。

 「C型肝炎ウィルスによるガンだから手術をしても…」と、ガン治療の限界も聞かされたとの話だが、今年2月まで通院していた開業医は、大きな病院への紹介状をなかなか書いてくれず、体調の限界からケンカ覚悟で訪れた病院でのガン告知だけに悲しい現実でもある。
 
 さて、私はこんな状態の〇△さんを先月の20日に湯治とは言え、郡上八幡への街歩きに「旅に出ると元気になる」と誘い、仲間の手助けはあったものの一日を過ごしていた。本人と家族以外は肝臓ガンとは知らず、「絶対に病院に行ったらダメよ」と入院も口止めされ、退院が近いと信じていただけに突然の訃報が未だに信じられないくらいである。

 一週間前に富山から持ち帰った霊水を知人が届けた際に、「美味しい」と言って全部飲まれたとの話に、「全部って10リットルも?」との話になったが、2月に病名が判り「これで悪い原因が判って良かった」と語られていただけに、皆が全快目前と思わされており、私はこの2月の最悪の時に会報の配布まで依頼していたのでもあった。

 〇△さんとは、平成13年から四国遍路を廻り、西国、坂東、秩父の百観音も17名の仲間と廻りきり、四国は2回目の巡拝も一緒に満願としているが、私と一緒に巡拝した五十数名の仲間では2人目となる訃報に家内もショックを受けている。

 朝日旅行友の会は昭和63年より旅行を続けているが、この歴史から必然的にメンバーの高齢化はすすんでおり、会員も1人2人と仲間の訃報が続き、主宰する私は淋しさを実感し続けるとともに、先月の旅先の笑顔が信じられなくもなってくる。
                                7月24日の一言

連続する無差別殺傷事件に

 またもや東京八王子で通り魔事件が発生し、アルバイト店員の大学生が死亡し客の一人も軽傷を負ったが、犯人は「無差別に人を殺そうと決意し、包丁を購入して書店に行き、刺した」と自供しており、秋葉原無差別殺傷事件と変わらぬ事件の発生と連続に対策は急務でもある。

 新聞報道によれば、通り魔殺人事件は未遂の2件も含めて今年で8件目となっており、昨年の一年分の事件件数が半年で起こった事になる。
 警察庁の発表したダガ-ナイフの販売禁止などの厳しい銃刀法改正についても、生活に必需となる包丁も武器となる事から、販売方法の改善が必要とのこの一言欄↓に先週記したばかりでもあった。
 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/34573241.html

 犯人は33才の青年で、高校を中退後に職を転々として、5月から採用された金属加工会社で入社早々に右手を負傷(骨折)して休業中だったとの話であるが、親元を離れ女性と結婚から離婚を経験し、親との交流どころか会話もほとんどなかったとの話に、犯行に走った環境に過去の事件との共通性も感じるものでもある。

 「おとなしく気が小さく、内向的な性格」と報道されているが、学歴もなく友人も少なく、相談できる恩師や友人どころか、親族や家族との会話すらなかった事から、休業中の不安定な経済状況や今後の人生への展望も見出せないまま自暴自棄となった犯行と思われる。

 それにしても犯人がどんな環境で育ったかは別として、まともな人生を積み重ねてこれからの人生に期待されていた被害者とその家族にとっては、反省しても許す事のできない犯行であり、成人した大人とは言え、犯行に走らせた環境を作った家族の責任にも言及が必要である。

 かつては犯罪を犯すと、その家族はもちろん、その親族や一族まで世間の厳しい視線と責任まで問われており、犯罪を犯すと家族親族までが一生肩身の狭い思いや生活を強いられていたが、最近では親族や家族どころか犯人自身も刑期を終えると野放し状態になっており、経済的賠償責任を果たしていない例も多い。

 前時代的とか民主主義に反する全体主義と言われるかもしれないが、人の命を奪ったり危害を加えた犯罪については、犯人自身のみならず、その家族や親族も責任を問われる位にもどさないと、凶悪な犯罪は後を絶たないのではないか。
                           7月23日の一言

家族のプライバシーに希薄の反省

 本日の一言が書き終わっていると勘違いして、午前0時を廻る瞬間に書き込んでいない現実を認識して慌ててパソコンに向かうも、3分差で翌日となっていました。こんな勘違いをするのも老化現象かもしれないが、一日中パソコンの前に座ってHP「朝日旅行友の会」の整理や、原稿を書いていただけに間の抜けた顛末でもあります。

 さて、8月1日に発行(地域に全戸配布)予定の中学の同窓会報が印刷前の校正段階に入っており、学校と我家を行ったり来たりの印刷業者を尻目に、昨年度に依頼してあった別の印刷物がよりによって当然のように事務所前に山積みされていた。

 この横に春から置かれたままの会報印刷用の用紙が山積みされ、来週に届けられる同窓会報の置き場所もない現実に、明日の最終校正後には事務所の大移動も必要となり、今年は汗と縁のある夏になりそうです。

 昨日の一言が原因で息子と家内に厳しいブーイングを浴びた。決まってもいない微妙な進路問題を実況中継してしまい、息子が人から色々と言われて帰った事から、家内も一緒どころか、自分の事のように私の書き入れた一言に対する厳しい批判が繰り広げられた。

 しばらく針のムシロ状態であったが、「おい、何か勘違いしているんじゃないか」と腹から怒りがこみ上げてきた。いくら子供の進路と言えども、少なくとも親の気持ちの確認はあるべきで、学費など仕送りも必要なら経済状況の確認が必要ではないか。

 「自宅から通える大学でないとダメだ」と、県外の学校を希望しながら親の経済的理由で諦めた自分の過去から、長男には東京へ7年間も学費を仕送る事となったが、次男には2人同時期の仕送りが不可能な事から、「自宅から…」と親と一緒の言葉で不本意な進路(結局中途退学)を選択させた苦い反省もある。

 親の希望していない進路でも、子供の選んだ進路を容認しようとしているのに、家内からガミガミ言われ続けた事から、「じゃー、オマエが学費分働いて仕送ってやれ」と開き直りの一撃。ただし、これから決めていく息子の進路問題を実況中継してしまったのは、家族のプライバシーを侵害してしまったと反省しても手遅れで、素直に「申し訳ない」と言えない自分が情けない。

 家族のプライバシーは守られて当然だが、私の昨日の一言を面白可笑しく思われた方ばかりではなく、息子の進路に対して真剣にコメントを寄せていただいた人々の存在から、あらためてこの一言に対する反省と同時に、世の中を一人で生きているわけではないと心強く感じたのでもありました。
                          7月22日の一言

息子の進路(岡山へ)に議論白熱

 本日は息子(三男)の進路について、私の一言が家族全員の議論となり、息子の本意も図りかねるが、どうやら岡山の大学に進路を決めており、8月の始めには岡山まで自転車を持ち込んで出向く予定まで立ててあり、反対の私とは長男も一緒に大激論となった。

 岡山県にある大学は、開校して二年目の新設校であるが、スポーツに関しては一流の指導者を揃えており、自転車競技についても元早稲田大学の指導者をスカウトしており、高校の監督から薦められたのか、直接会話も交わしている様子からここ一本に絞っている様子でもある。

 地元にも自転車競技部のある大学はあり、親としては距離的に近い地元を選択してもらいたいが、大学四年間を自転車に専念するために選択している様子から、大学卒業後の進路までは考えていないものの、人々の考える競輪と決めていない事には安心でもある。

 親としてはなるべく近くの大学に通学を希望したいが、スポーツ選手は寮生活との話から、できるだけ歴史のある大学を薦め、新設二年目の大学は敬遠してもらいたいが、息子は自転車の指導者を大学選択の理由にあげており、埋めようのないギャップに話は平行線で、息子は無言となった。

 さて、どうせ寮生活なら家からの距離は関係ないかとも思い、元々競輪選手に育って欲しいとは思ってもいないので、最後の息子ゆえに好きな道を選択させてもよいかと、大学のホームページを開き、岡山への交通アクセスを調べていると、岡山県と近い四国遍路が頭をよぎってきた。

 愛知県から岡山県までは遠く感じるが、300キロ以内の距離にあり、高速道路のETC通勤割引を3枚利用すれば半額ですみ、岡山に立ち寄る度に四国遍路に足をのばせば、四国もかなり廻れそうである。
 「月1回ずつ、米を運ぶか」との私の一言から雲行きが変わってきた。「ついでに四国に行けば良いものなッ」の一言に家族の反論は誰もない。

 こんな事から深夜になってから、パソコンから家内のETCカードを申し込む事に発展した。もっとも、息子は岡山に移動しているロードのプロ選手と落ち合い、勝手に指導してもらう約束までしており、引き止め様もない現実も実感している。

 四国に出向く事を思えば岡山は途中であり、これも身勝手な解釈だが息子の運命なのかもしれない。ただし、卒業後は確実に家に戻る約束を取り付けないと、三男を頼りにしてきた私の老後が心配となり、岡山行きの条件にするのは親のエゴとは思うが…
                              7月21日の一言

遥かなる甲子園を実感す…

 本日は高校野球の応援に岐阜県の長良川球場に走りましたが、応援する大垣日大高校は美濃加茂高校に6対5で敗退してしまいました。

 先行され同点打を放ったのは私の母校神守中学出身の平野壱成選手(2年生)でした。逆転に成功したものの終盤に勝ち越しを許し、9回の2死1塁の打席に立ったのが平野君でした。ここで再度同点打かと期待していると、ランナーが2塁に走りゲームセットに。

 打席でバットも振れずに終わった無念さは、最後のシャッターチャンスを逃した私も同じで、来年の活躍と甲子園出場に期待して再度応援したいと思う。
 さすがに梅雨明けした夏の日差しは強く、肌が焼け付くように痛く、この試合だけで5本のペットボトルを空にしたが、全てが汗となってしまったようである。

 さて、母校出身で活躍する卒業生に津島北高校の伊佐地投手がおり、彼はプロ野球も注目する逸材だが、こちらも本日の試合で甲子園出場経験のある愛知啓成にサヨナラ負けを喫しており、私に残された応援は息子3人が世話になった愛工大名電のみとなってしまったのでもある。

 ただし、日頃外に縁の無い生活を送っている事から、数回の高校野球観戦で顔は皮膚が突っ張り、手も腫れあがっており、このまま観戦すると日焼けを通り越してヤケドとなりそうな様相でもあれます。
 こんな炎天下で走り回る高校球児の姿に、目的に向かって一直線に走る純真さを思いだすとともに、明日からの肥やしにしたいと思う。

 明日一番の仕事は、8月1日に発行予定の神守中学校同窓会報の原稿変更に印刷所に走る事となった。この会報の巻頭文に、「甲子園へのバスを考えて」と記されており、残念ながら来年の楽しみと変更する必要が出てきました。思い込みは禁物で、すっかりと甲子園に行っていた気持も切り替えが必要となる一日となりました。
                            7月20日の一言

我家の実り

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 我家のブルーベリーが最盛期を迎えています。サクランボの後に、2本のアンズがたわわに実り、貰ってくれる人を探し、家内が連日ジャム作りに追われ、庭じゅうが甘すっぱい香りに包まれていましたが、最近ではブルーベリーが実りだし、老眼の始まった私には有難い実りを実感です。

 この木を植えたのは私ですが、もともと果物が好きではなく、ブルーベリーも好きではありませんでしたが、毎年実をつける事と、最近では目の疲れに効果がある事から、老眼のすすんだ私が優先して食する木になっています。

 もっとも低木で存在感のないブルーベリーの木は、日頃から忘れられた存在になっていたが、今年は実の数がびっくりするほど多く、枝が小さな実の重さで垂れ下がるほど実っている。私の目のためには、少しずつで良いので、一年中実って欲しいと思うのは贅沢か。
                        7月19日の一言

追加
 本日出かけた先で、年齢と衰える目が話題となった。大型自動車免許を持っていると視力だけでなく、深視力(遠近感)の検査があり、中年から高年になるとこの検査に引っかかる人も多く、私も前回の書き換えで苦労したが、知人も次の書き換えにはメガネが必要と語っていたと聞いた。

 確かに年齢を重ねるとともに視力の低下は否めないが、近くのものが見えにくい老眼にとって、警察での小さなボックスでの検査に疑問があり、老眼鏡をはめて深視力がクリアすれば、検査方法の再考も必要ではないか。

 老眼鏡そのものが必要な人でも、老眼鏡をはめて遠くを見る運転は不可能で、老眼鏡をはめて深視力をクリアすれば、運転に老眼鏡が必要となるのだろうか。このあたりをクリアするメガネがあるのか判らないが、運転免許証の試験場では深視力の検査が小さなボックスではない事から、一度比較してみたいものでもある。


 

地域住民に背を向けてはいないか

 本日は愛知県庁に出向いていると、「西尾張地方に大雨洪水注意報が発令されました」とのアナウンスが鳴り響いてきた。申請書類の説明を受けていた職員には申し訳ないが、繰り返されるアナウンスが気になって説明が聞き取れません。

 「大丈夫でしょうかねェー」、「えっ?」
 「洪水と言っているけど」
 「あっ、放送ですか」、「警報じゃないから大丈夫でしょう」
 
 どうやら県内で注意報が出ると県庁内にアナウンスが流れるようだが、応対した2人の平静な反応と違い通いなれない場所にいる事から、出かけた時の天候から予想もしないアナウンスに驚かされた。留守中の地元は雷雨による洪水の危険性まで出ていたのか。

 しかし、地元に帰ると何ら変わらぬ様子でもあった。雨は降ったのだろうが、本当に洪水の危険性があったのか疑問だが、この情報が津島市民の一人一人に伝わらないと、いざと言う時の備えにもならず、高齢化がすすんだ社会だけに今後の対策が急務でもある。

 さて、今晩は久しぶりとなる「交通問題勉強会」に名古屋まで出かけたが、東海市から来られたNPO関係者の現状報告に、ボランティア活動や法律を守って活動する矛盾など、当方も大きなカベを感じているために少し脱線するも議論が盛り上がった。

 ボランティア活動も、よりレベルアップを図ろうとすると、法人化を図らないと何もできないと錯覚して法人化への道を進めるが、法人化によって関係行政に提出する書類が多くなり、法律の枠に縛られて思うような活動ができないジレンマも感じるのである。

 「人のために」とのボランティア精神が、当初は地域住民の方を向いているが、組織化や法人化により行政と協働を進めるうちに、知らぬ間に住民に背を向け、行政の方を向いてはいないかの自問自答は重要である。

 こんなボランティアの原点を思い出す勉強会となり、次の勉強会では各地のアンケート調査の比較や、住民の意向調査の方法から勉強しなおす事にもなった。公共交通の原点は住民のためである事の再認識ともなった。
                          7月18日の一言

身近なところから危険防止へ

 本日の夕刊(朝日)にも大きく報道されていたが、秋葉原無差別殺傷事件に使われたダガーナイフの所持禁止など、警察庁が銃刀法の改正に乗り出し、猟銃の所持についても厳しい規制がなされると新聞に報じられている。

 ダガ-ナイフについては、外見だけでなく、ナイフの目的が人を刺す武器として製造されており、今までに何らかの対応がされなかった事自体が不思議で、腕力のない人が使用しやすく刃先に血が付きにくく何度使用しても殺傷能力が落ちないと言うから、人殺しの武器そのものと言っても過言ではない。

 一方では、昨日発生した14才の少年によるバスジャック事件においても、家出した山口県から前日名古屋に来た少年が、事件当日の朝に2本のナイフを購入しており、手に入れようと思えば誰もが簡単に入手できる事と、料理用の刺身包丁でも立派な武器となる事から、規制ばかりではなく販売方法の見直しも重要と思われる。

 さて、秋葉原の事件では現行法で規制されている刃渡り15センチ以下の刃物が使用されたが、本日の午前中には同じく愛知県新城市において、日本刀のようなものを持った男2人が押し入り立てこもる事件も発生しており、偶然とは言え今後の取り締まりは急務でもある。

 ただし、いったん市中に出回ってしまっているダガ-ナイフやサバイバルナイフについてはどうやって回収していくのか、現実面においては難しい問題も横たわっている。

 又、刃物の産地である関市などに限らず、全国各地の観光地においても伝統技術品として包丁や出刃包丁が売られており、これら生活用品との境目をどのように区別するのかにも難しい現実がある。

 本日の夕刊には来月8日に開幕する北京オリンピックのリハーサルが行なわれ、「五輪の地、天に大輪」として、会場周辺から打ち上げられた花火の写真も掲載されている。花火に使われる火薬についても、小さな線香花火については人々の心を癒してくれるが、戦争で火薬は武器として使われている。

 「馬鹿とハサミは使いよう」と言われるが、多種多様な製品が世の中に出回っており、ナイフに限らず生活用品から農薬や殺虫剤まで、犯罪への使用を抑止する販売方法も含め、身近で発生する事件の抑止にも議論を高めてもらいたいものでもある。
                           7月17日の一言

富山の名水と山岳信仰を巡る旅

 本日は朝日旅行友の会の日帰りバス旅行で、今月5日に開通した東海北陸自動車道を通り、「富山県の名水と山岳信仰を巡るいやしの旅」に21名のメンバー(マイクロバス使用・運転手は私と一部分は家内)で行ってきました。

 津島市7時30分発…稲沢(弁当の積み込み)…尾西IC…(東海北陸自動車道)…郡上八幡IC(8時55分)…ひるがの高原SA(休憩)…五箇山IC…呉羽PA(休憩)…滑川IC…上市町
 々伊∥膸佞寮郷(昼食)…眼目山立山寺…B膣篁各﨨仍犾牒し蠅涼霊場・霊水

 帰途・上市町…滑川IC…砺波IC…燃料給油…砺波IC(午後4時20分)…城端(じょうばな)SA(休憩)…荘川IC…関SA(休憩)…尾西IC…津島市(午後8時)着

〇弘法大師の清水
 ※とやまの名水に選ばれている。水の持ち帰りは自由。弘法大師ゆかりの清水で、飲むと頭がよくなるといわれています。
 護摩堂が建ち、清水の水源に弘法大師像が立つ。途中の道幅が狭いのは四国遍路と同じですが、ほとんど車が通っておらず、路肩が軟弱で、落石の危険もある。早朝や夕方は熊の出没に注意が必要とのたて看板がある。立山寺の住職によると「マイクロバスが入れるの」の言葉が返ってきたが、観光バスでの訪問は厳しそう。

〇眼目山立山寺(がんもくさん りゅうせんじ)
 ※禅宗曹洞派の名刹として知られる眼目山立山寺は建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山総持寺第二祖峨山禅師の高弟宗門五派の随一である大徹宗令禅師により創設されました。
 山門前の参道には見事な「とが(栂)並木」が続いており、本堂脇にも大きな駐車場があるが、ここは参道前の駐車場から歩いて参拝すべき大寺院である。ただし、寺には住職一人のため納経帖の朱印も印刷したものしかありません(もったいない)。

〇大岩山日石寺
 ※大岩山日石寺は真言密宗の大本山として知られ、行基菩薩が大岩川の岩に不動明王を刻んだことが起源と伝えられています。
 高さ3.46mの本尊不動明王像のほか四体が凝灰岩の巨石に半肉彫りで彫り出され、中部地方の最高傑作として高い評価を受けており国指定重要文化財となっています。
 ここには滝に打たれて修業できる六本滝があり、滝から舞い上がる水蒸気で霊気と錯覚しそうな雰囲気と、三重の塔など寺の格式も高く、周りに旅館や売店も多い。

〇穴の谷(あなんたん)霊場・霊水
 ※参道から約30m階段を下った谷間に薬師観音堂があり、 そこにまつられた薬師如来右横から湧き出る水は環境庁指定名水百選に選ばれています。
 また霊水として古来から難病に効くといわれ、全国から多くの人が訪れます。近年でも明治三十年、能登の雲外悟道禅師が三年修行して真の解脱を得てから、「行者穴」とも呼ばれてきました。
不治の病が治った例は全国に限りなく、日々参拝者の絶えることはありません。
 駐車場の入り口に大小各種のポリタンク売り場があり、20リットルタンクも台車を貸してくれ、道路が舗装され広くなっているので、以前のように狭い山道を一輪車で運ぶ苦労は皆無で、階段もリフトが設置されていた。

 さて、これまでは、日帰りで今回の行程をこなす事は考えもしなかったが、高速道路の全面開通により可能になった企画でもありました。高速代が中型で往復1万250円かかっていますが、ETCカードを2枚使う事により、通勤割引サービスで6千50円の節約になっています。行きの郡上八幡や五箇山、帰途に砺波や荘川のインターを通過しているのはそのためです。
                            7月16日の一言

忙しい日にパソコン不調が重なり

 我家にはパソコンが3台あり、親機の不都合に備えて事務所の2階の予備機と、ノート型に無線で飛ばしている。

 早朝に使用していたノート型が突然不通になり、原因が判らず2階と1階を行ったり来たりの連続だが、涼しげな1階とサウナ状態の2階に、汗と冷や汗を繰返したものの、結局は専門家のTさんに依頼して、当分は親機の使用と決めていたが、仕事帰りに寄ってもらい見事に復活となりました。

 プロだからできる芸当だが、素人には案内書を見ても、電話のアドバイスでも何ともならず、当面の使用を諦めていたが、私のようにプロの専門家がいなければ、電気店を通じて修理に出すしかなく、以前に電気店で高額な料金が要ると言われた故障が、プログラム上の不具合で故障ではない事があった。

 こんな時に、人々の話を聞いていると、電気店に預かり修理まで長期間を要しているようだが、私は今までに一度も故障でパソコンを出した事がなく、すべてをTさんの即日対応で乗り切っており、仕事なら決められた出張料が必要だろうが、我家の対応は無償のボランティアと感謝してもしきれないのでもある。

 それにしても過去何回ものパソコン不調や、インターネットとの断線も、知人から「ウイルスに感染している」とか、電気店への電話でもパソコンの故障と言われたが、今まで一度もパソコンの故障ではなく、Tさんの画面からの対応で乗り切っている事から、故障でもないのに修理費を取られている人も多そうである。

 さて、明日には今月全線開通した東海北陸道を通って、富山県の名水と山岳信仰の名刹を訪れる日帰り旅行を予定しており、本日は参加者22名分の傷害保険を契約し、マイクロバスを自宅まで持ち帰っており、今夜開催の書道会とその後のパソコン修理を済ませ、午前様を控えて書類を一枚仕上げて市役所に送る必要もあり、睡眠不足は免れない旅行となりそう(確実)でもある。
                           7月15日の一言

何でも報道する価値があるだろうか

 久しぶりにテレビのワイドショーを見ている(昨日の暑さで疲れました)と、巨人の二岡選手とキャスターの不倫報道が始まり、二軍の試合で「モナオカ」とか「フリン」と言われて打席に立ち凡退する映像が流れてきた。

 元は巨人のファンであったが、内野を守り余力を残して引退した元木選手や、理不尽とも思えるトレードで横浜に移った仁志選手の隙間を生き残った二岡選手にも嫌悪感が残り、今回の事件では自業自得との印象しか沸かず、引退した桑田投手や再起をかける清原選手の顔が思い出されてきた。

 もはやプロ野球には、汗と涙の甲子園の延長線にはなく、札束と力によるチーム編成で、同じ釜の飯を食ったチームワークや同期の桜など微塵も感じさせないし、今回の事件にも最近の巨人や原監督のイメージそのもののようにも思えてきた。ここまで思うと「憎さ百倍」でもある。

 この件には下記の人々のブログ↓を参照していただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/43485113.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sotozen7676/34485833.html
http://blogs.yahoo.co.jp/donald13ck/12850975.html
http://blogs.yahoo.co.jp/aibaiipo1970/12196433.html
http://blogs.yahoo.co.jp/satoshi760503/12181357.html

 しかし、こんな事なんかを面白可笑しく一日中報じるテレビもどんなものか。今日は新宿の無差別殺傷事件の現場に置かれた「献花台」前に並べられた缶ビールやジュースが持ち去られる現場を映し、持ち去るホームレスや若者を追いかけ、持ち去る理由を身勝手に聞き出そうとしていた。

 こんな理由は聞かずとも想像でき、どんな理由を聞き出そうとしていたのか。事件の犠牲者を悼む人々の気持は十分に理解できるが、無数に並べられた缶ジュースが犠牲者や家族の心を癒すとは思えず、本来は公道のスペースだけに配慮すべき対応があったと思われる。

 犠牲者は犬やネコではなく、人間であると思うと、ホームレスが持ち出す一本の缶ビールに複数の取材陣が目くじらをたて追いかける報道に、犠牲者の人々の尊厳まで無視されているように思えてきた。
 缶ジュース一本でも人の善意には違いないが、供えられた後の処理方法を考えると、置く人々にも配慮が必要で、「何故、缶ジュースなのか」と問いたくもなってくる。

 私の祖父も御嶽山に石碑(霊神場)が立っているが、缶ジュースを供えることはなく、先祖の墓にも残されればゴミとなる缶ジュースを置いてくる事はない。

 我家の前の道路にも、交通事故の犠牲者となった人の家族が供える花が置かれた時があり、少年時代だっただけに、夜は異様な雰囲気(霊気)を感じていたが、花は枯れ、しばらくして供えられる事もなくなった。数年前にも交通事故(暴走事故)で亡くなった若者の事故現場に花や菓子、ジュースが供えられ、片付ける人もない事から、腐って異臭を放ち住民の困り事ともなっていた。

 話が支離滅裂となってきたが、テレビの取材や報道がすべて正しいわけではなく、表現の自由の中でも触れなくてもよい(見せない方が良い)映像もあるのではないか。前記した不倫騒動の主役がテレビキャスターと思うと皮肉にも思うが、缶ジュースを1本持ち出し「生きるために見逃してくれ」と話す人を追及する取材に気分の悪い一日となった。
                            7月14日の一言

高校野球観戦(写真撮影)に抜け出し

 9時半に横井庄一記念館を出発し、東名阪と名古屋都市高速を乗り継いで一宮市からは国道を走り、約一時間で岐阜市の長良川球場に到着したが、駐車場が満杯で車が入れる様子もなく、迂回して駐車場を探しているとオバサンの手招きがあった。

 こんな近くに駐車場があったのかと喜んで入れていると「千円」の看板が置いてあった。11時の試合開始時間も迫っており、それでも有難く球場に走っていくと、前の試合が遅れており熱戦の最中ではないか。しかも、私の観戦する大垣日大と郡上の対戦は、11時50分開始とのアナウンスが流れてきた。

 11時50分に開始された試合はワンサイドゲームで、大垣日大が10点をあげ5回コールドの完封勝ちで1時間半の試合時間である。次は来週の試合で、甲子園出場までは4試合を残す。

 しかし、高校野球の地方大会で千円の駐車場はいかがなものか。周りにはいくらでも駐車できるスペースがあり、これに目をつけた商魂を誉めるべきかとも思うが、これでは競輪場やプロ野球に便乗した高利の駐車場と同じである。

 私のように県外から訪れた観客は、球場の駐車場そのものの場所すら詳しく判らず、並んだ車の渋滞が目的地かどうかも判らずに、案内もないままに並んだ挙句の顛末だが、今まで愛知県では経験した事のない(高校)野球観戦となった。

 さて、横井記念館の留守番を抜け出しての観戦(写真撮影)だけに、少しでも早く帰りたいために高速道路を経由して帰る事とした。

 岐阜市⇒岐阜各務原IC…(東海北陸道)…一宮JCT…(名神高速)…一宮IC(600円)⇒(名古屋高速)…清洲JCT(350円)…(東名阪)…大治南IC(500円)

 1時間半で到着する目的地に高速はもったいないが、横井記念館が大治南インターから五百メートルの位置にある事から、高速の乗り継ぎで高速の所用時間は約20分のスピード移動が実現した。3900円(入場券は600円)の高校野球観戦も贅沢で、母校の後輩の活躍で甲子園まで続くと大変な夏にもなりそうな予感である。
                            7月13日の一言
 

 

明日も記念館を脱走して野球観戦へ

 一週間の経過は早く、明日は横井庄一記念館の一日だが、一週間前に観戦した高校野球で勝ち残った大垣日大の2回戦が午前11時よりあり、開館直後に脱出して、岐阜市の長良川球場に走る予定であるが、どんな言い訳で脱出するか思案の夜でもある。

 夏の高校野球は朝日新聞社の主催で、地方大会の球場設営(と言っても、朝日の社旗などの飾り付けであるが)を仕事として毎年観戦していた高校野球が、議員になってから9年間は無縁となっており、久々の観戦で、しかも入場料を払っての観戦は新鮮なものであった。

 一週間前に半年分の汗をかいた観戦は、かつては東邦高校の監督で甲子園で実績も十分に残された阪口監督が、新天地の岐阜県で頑張って指導されている姿に感動させられた。
 
 「おい、大鹿君。そろそろ何か結果を残す事を考えろよ」とは、本日参列した葬儀場で出会った引退した元議員の一言であった。「おまえは書けるから、これからは書く事を実現させろ」との助言と、「おれも力になるから、今期かぎりのつもりでやれ」とは、本人も不本意な引退(他人の選挙違反)だっただけに心に響くものがあった。

 この先輩議員とはPTA役員の先輩にあたり、学校は違うものの議員になる前から親交があり、引退後も違和感無く話せる関係が残されており、日頃疎遠にしているが、私を理解してくださる数少ない政治関係者でもあった。

 議員は生活のための職業ではなく、政治目標の達成が重要であり、昨年にNPO法人が認証され、具体的な行動が求められており、行政と協働する体制がスタートしており、改めて姿の見える結果を残すべき責任を実感する一日となった。

 さて、数時間後となる明日の野球観戦へ脱走する言い訳は何としようか。
                            7月12日の一言

ボランティアの成長を待ってはくれない

 朝から約束した仕事が続き、昨日の疲れと睡眠不足が昼前に襲い、昼食前後は睡魔との戦いであったが、午後の仕事を済ませて市役所を出て、待ち合わせた知人と遅れた珈琲タイムとしていると、もう一つの約束を忘れており、1時間遅れで慌てて訪問する事となった。

 日の入りが遅くなり、時間の感覚が多少狂ってきたのか、帰宅も遅れ気味になっており、夕食後には睡魔が襲って転寝をする事が増え、これを我慢すると翌日に確実なるツケが廻ってくる。
 昨晩は転寝の中で、「毎日書き入れる必要はない」と、この一言を役務的に書き入れる事の意味の無さを指摘する夢まで見ました(笑)。

 さて、本日は国の施策が次々と変更される中で、ボランティア活動について、都市部と農村部(言い方を代えると町と田舎)の温度差の違いと、地域住民の関わりに大きな差を生じる事を実感した。

 都市部や福祉の先進地では、ボランティアから発展したグループや、NPO法人が行政に代わって市民サービスを提供している事例をしばしば見かけるが、田舎や後進地ではボランティア活動や市民活動が根付いておらず、指定管理者や事業者の募集についても、書類申請の巧みな大規模な事業者や、他地区に既存の施設運営者が勝ち残る可能性が高い。

 地域住民のコミュニケーションや地域力に期待が集まる半面で、新規事業については過去の実績が伴わない事から、特定の団体を除いて地域外の既存組織や営利を目的とする施設などが占めてしまっている。

 市内のある障がい者の通所施設についても、この春から指定管理者が選定され、市内の福祉法人の運営となったが、これまで施設を利用していた市民が市外の施設に入所したとの苦言が市民より届けられた。
 法律の枠組みが存在するとは言え、これまで利用できたものが利用できないようでは、指定管理者のやる気は感じられず、津島市の経費削減は果たせても、市民サービスの低下は否めない。

 そんな中で、昨年より図書館の指定管理者となったNPO法人が、来月8月より月曜日の休館日も開館する事が決まり、議会での条例改正も済んでいる。月1回の整理休館日と年末年始の休みはあるものの、事実上の「年中無休」に期待し、各種事業のサービス拡大のシンボルとしていきたい。
                            7月11日の一言

高速道開通で身近な日本海に

 毎月実施を公言している朝日旅行友の会の旅行企画が、半年をすぎ七ヶ月目に入ったが、人が少なければ確実に私の懐がダメージを受けるが、幸いにも人の参加によって救われ、今回は少なくとどめたかったものの満席となってしまった。

 7月5日に全線開通した東海北陸道を通って、日本海の富山県に走る企画は、新鮮でタイムリーな企画と思う(自己満足)とともに、今まで日帰りが難しかった企画を実現させ、16日に「富山県の名水と山岳信仰を巡るいやしの旅」に出発する。

 『弘法大師の清水』は富山の名水に選ばれた弘法大師ゆかりの清水で、飲むと頭がよくなるといわれており、『穴の谷(あなんたん)霊場・霊水』は古来から難病に効くといわれ、全国から多くの人が訪れ、環境庁指定名水百選にも選ばれています。

 「少なくとどめたかった」理由が、持ち帰る水のポリ容器を置くスペースで、私は15年前に穴の谷の霊水を20リットル容器に5缶を持ち帰ったが、今回も何とか多くの水を持ち帰ろうと思っており、参加者の中にも容器を買い求めた人もあり、水のために参加する人も存在する。

 旅行に参加する人が少なければ私の懐が痛むために、何とか満席にしたいと考える人も多く、先週には人がなく私のストレスとなりそうだった企画が、予定する座席が埋まり一段落していると、「席は空いている?」との伝言メモが電話機の横に置かれ、「満席です」とも言えずギリギリの暑い北陸行きとなりそうでもある。

 今回は2ヵ所の名水と、2ヵ所の寺↓(下)↓を行程に入れてあるが、今まで若狭経由で出向いていた石川県や富山県が高速の開通によって、余裕で2時間代で到着するようになった。観光だけでなく、日本海の海の幸が身近になり、物流の交流に期待する意見も多い。

 私の息子3人が世話になったイチローの母校「愛工大名電」と、大リーグヤンキーズ松井の母校「石川星陵」の練習試合を、岐阜県の郡上八幡を会場に観戦する企画も可能で、今回の東海北陸道の全線開通による楽しみは当分尽きそうにもない。(前記の試合は私の空想です)

 〇眼目山立山寺(がんもくさん りゅうせんじ)禅宗曹洞派の名刹山門前の参道には見事な「とが(栂)並木」が続き、ここからは富山平野から遠く能登半島まで望むことができます。
 〇大岩山日石寺は真言密宗の大本山として知られ、行基菩薩が大岩川の岩に不動明王を刻んだことが起源と伝えられています。

                            7月10日の一言

知らぬ間に使い走り役にされて…

 「明日までに学校に提出したいから今日中に間に合わせてくれ」と言われ、前日私が持ち帰った市役所の課税証明書をカバンに入れたまま、息子は東北の地に(大会に)行ってしまったと言う。

 「今から市役所に行ってきて」との家内の電話は、この件で一度ならず3回も市役所に走らされる事となり、「使い走り」の典型に、「おまえだけが働いているわけじゃないぞッ」と怒り心頭であるが、前日と同じ書類を申請し、速達で学校に送付する事となった。

 余裕のない手続きも問題なら、届けるべき書類を持ったままに試合に行ってしまった息子。こんな事が今までも行なわれていたのだろうが、今までは家内がやっていたから何も感じなかったが、私が走らされる事から苦痛となる。

 同じ証明書を連日申請する事、しかも家内の課税証明書の申請は不自然で、私学助成の課税証明書と説明しても、「何か裏がありはしないか」と思われるような展開である。

 市役所では笑い話とされるようなお粗末な申請理由にバカらしくなるとともに、忘れ物が多い息子の懲りない体質も、こうした家内とのやりとりが原因かと腹立たしい夕方となった。

 さて、この展開が夜にまで継続する。夜に開催された中学校の同窓会役員会にも、家内からの電話の呼び出し音が鳴り響く。

 「今どこにいるのー」
 「うるさい、学校で会議中だッ」
 「あのー」
 「今は話せないのッ!(プチッ)」

 場をわきまえない電話に怒りで電話を切り、会合が終わって帰宅すると家には誰もおらず、犬だけが留守番である。

 どうやら息子の不在を理由に母親と食事に出たらしく、「お父さん、今から帰るから晩飯たのむ」と帰ってきた次男の食べるものもなく、電話をかけ続けるものの反応なし。日中あれだけ身勝手に電話をかけておきながら、こちらからの呼び出しには無反応。

 無反応の携帯電話は家に置いたままだったらしく、私に持ち帰った夕食分とカップめんを次男と分け合う事になったが、家内と三男のズサンさに振り回される怒りの一日も、怒りをぶつける相手は就寝してしまい、パソコンのキーボードに怒りをぶつける一日となった。
                             7月9日の一言

温故創新が話題になり

 北海道洞爺湖サミットで主役を演じている福田康夫首相が、昨日の七夕の笹に「温故創新」と書き込んだと、私の選挙対策のコーディネーター役Sさん(一宮市在住)より連絡があった。

 Sさん「フクダヤスオさんが…」
 「えッ、誰ですか?」(私)
 Sさん「なんで、福田さんじゃない」
 「あー、福田さんね」(私)

 総理大臣の名前すらピンとこず、かみあわない会話で始まったが、「大鹿さん、すごい事じゃないの」と言われてもピンとこなかったが、「温故創新」の言葉は、私のホームページのキャッチフレーズとなっており、議員になった直後(平成11年頃)に私が考えて創った言葉でもあった。

 私はホームページの表紙に、温故創新を掲げ、「温故創新とは、温故知新(昔を知り新しい道理を見つける)ではなく、古きを知り、新しいものを新たに創造していくと言う造語で、これは私がスローガンとして掲げている事です。」と記してある。↓参照
http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/

 議員になってから、私がSさんと政治談義をする中で、あれこれ語りながらこの単語が出来上がり、2回目の15年の選挙からは私の選挙公報にも「温故創新」が掲げてあり、Sさんは単語誕生の現場に居合わせた事から、「温故創新」から私の顔が浮かんだと言う。

 ただし、この「温故創新」なる言葉は、私が温故知新と比較して作ったものではあるが、私が使用するようになってから、他の人々にも使われている事実を知り、自分が初めて使った専売特許ではないと思っていたので、今回の福田さんの報を聞いても自分の占有意識はまったくなかったのでもあった。

 「いや、あれは大鹿さんの創った言葉だから」と、Sさんが繰返し私に言い聞かせるものの、新聞報道でも平成6年5月の衆院予算委員会で民主党の羽田孜元首相が、「私はよく頼まれると下手くそな筆で『温故創新』と字を書きます。古きをたずねてから新しさを積極的につくり出すという言葉です」と述べており、羽田孜元首相が座右の銘としていて、繰り返し遣ってきた言葉でもあると報じられている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080707/plc0807072350020-n1.htm

 「温故創新」は新しい造語ではあるが、私も引用や盗用ではなく、自分のキャッチフレーズをSさんと議論する中で作り出した言葉であり、私より早くから使われていた事実から、むしろ公的な熟語として存在すべき言葉だったと思っている。

 さて、本日の夕刊に、「歌詞盗作疑惑、出廷し対決」と題して、漫画家の松本零士さんと歌手の槇原敬之さんが裁判で争っている事が記されている。↓参照
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080707/trl0807071937006-n1.htm

 前記した「温故創新」についても、誰が最初かは判らないが、同じような発想で使われた言葉であり、何も問題とはされていないが、これに占有権とか著作権を主張されたら自由な発言や寄稿もできなくなる。盗用は問題だが、表現の自由を束縛する言葉の占有には警鐘を鳴らしたい。
                           7月8日の一言

夕方から仕事のハシゴと化し

 本日は昼間の余裕がウソのように、夕方から深夜(?)まで家に帰れない一日となりました。

 「お客さんだけど、今どこにいるのー」と留守番の母親からの電話に、「何事か?」と問うと、何か判らないが帰ってきてくれと留守番にならない伝言に、あわてて市役所を後にすると来客は帰宅された後で、電話で用件を聞き明日に先送りし、午後の珈琲タイムに知人を誘うと、家内からの緊急電話である。

 三男の購入した自転車を引き取りに走る約束を忘れており、これも慌てて帰宅すると息子はおらず、来客が事務所に存在し母親が応対中であったが、息子を優先するため会話に加わらず待っていると、知人が知人を伴って相談事にのって欲しいと新たな訪問である。

 これも市役所に連絡したものの、担当者は帰宅しており、明日に先送りで日中に詳細を手配して夕方会う約束としたが、自転車を引き取りに行く三男は帰ってこず、7時半から約束した会合が近づく中で、待っていた三男は学校から直接自転車屋に着いているとの連絡である。

 息子と自転車を積んで家に帰り、そのまま会合に走り、もうすぐ終わりとなった時に、家内から緊急連絡で、知人の家族から知人が入院中であり、「遅くなっても今日中に来て欲しい」の伝言であったが、既に時計は9時半となっており、しかも自転車で出向いていた事から、家内に車を持ってきてもらい、自転車とのリレーで病院に走った。

 「◎△さんは何号室ですか?」と夜間受付の警備員に問うと、嫌々と思える応対に、消灯は何時かを問うと、消灯は9時との話で、病室の号数についても確認して判っても教えてはくれず、詰め所の看護師に聞いてくれとの話であった。

 10時を廻り真っ暗の廊下を進み、消灯後の病室に案内され、知人が一ヶ月も前から入院している事と、首の簡単な処置(カテーテルによる血管拡張)と説明されたものの、未だに手術の日程が決まらず、他の病院に転院してから日時の定まらぬ手術を待つ説明を受けた不満を聞かされた。

 確かに簡単と説明された処置を待ちつづけた一ヶ月の経過と、日程も決められぬ手術のために転院する不安は当然で、「何故に今更」との不満も当然だが、治療は医師に頼るしか方法がなく、無責任な発言もできない事から、2日後に再度連絡しあう事となった。

 さて、人脈も多く、相談できる相手がありそうな事から、今までに何とかならなかったかと問うと、入院してしまうと連絡のとりようもなく、すぐに退院できると聞いているから、外部との連絡もないままに月日が経過し、他の病院に診断と処理を仰ぐ事もできなくなり、何ともできなくなった顛末が語られてきた。

 それにしても、病院からの帰宅が11時になったのは久しぶりの事で、「失礼します」と言っても返事もない看護師や、出入り自由の夜間受付など、時間外ゆえに病院のズサンさを感じる深夜の帰宅ともなりました。
                            7月7日の一言

高校野球・卒業生の応援に岐阜県関市まで

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 愛知県でも夏の甲子園を目指した地方大会が開催されていますが、本日は岐阜県の関市営球場まで足をのばして、大垣日大高校と関商工の対戦を観戦してきました。

 本日は自分の母校も地元の津島球場で対戦しているが、東海北陸道を利用して岐阜県関市まで他県の高校野球を観戦したのは、大垣日大高校の遊撃手で2年生ながら主力メンバーとして活躍する平野選手が、私が同窓会長を務める地元神守中学校の卒業生で、活躍する母校のOBを追っての観戦です。

 試合は日大の投手が不調で緊迫する試合展開となったが、平野選手はチーム初ヒット(写真中)と一点目のホームを踏む活躍を見せてくれ、試合は2対1の接戦ながら大垣日大の勝利となった。
 
 「おい、入場券はいるのかね?」とは、私が長年朝日新聞の販売店を営んでいた事から、無料の入場券でしか観戦した事のない知人の一言で、私自身も入場券(写真上)を支払って高校野球を観戦したのは、昭和48年に名古屋瑞穂球場で東邦高校と西尾高校が対戦した試合までさかのぼる。

 この試合では後に早稲田大学から巨人に進み、正捕手として活躍した東邦山倉選手がランニングホームランを放った試合で、私は2回戦で母校と戦った西尾高校への返礼の応援に行き、この試合から山倉選手のファンとして巨人時代まで応援する事となったのでもあった。

 今から30数年前の話となるが、当時の東邦監督で「鬼監督」と言われた阪口監督が、数年前から大垣日大の監督となっており、試合終了後の取材陣に答える姿を頭上から見ると(写真下)、かつて青年監督のイメージとは大きな時の経過を実感した。

 阪口監督と津島市との縁は深く、20年ほど前に東邦高校が日本一を達成した当時は津島市で合宿し、奈良天理高校との練習試合にも津島球場が使われ、次の夏の大会も津島からのスタートとなり、勝利後に私とのツーショットを撮影してもらったが、撮影者の不手際に鬼監督の鼓動が聞こえるような緊張感があったのを覚えている。

 さて、当時の監督の写真と対比しようと探すものの、大量に撮りだめ山積みされた中からは見つからず、半年分の汗をかいた試合観戦と同じくらいの汗をかいたものの、発見には至らなかった。私と阪口監督の写真も、撮影する私の写った写真は珍しく、撮影してもらった仁村さんも今は天上にある。

 さあ、来週は長良川球場で対戦との事である。試合後に平野選手とお父さんに「甲子園が決まったら地元神守からバスを出そう」と約束したが、3人の息子が世話になった愛工大名電高校が甲子園を決めたら、三男が最後の在校生のために甲子園にバスを出す事を決めている。大変な夏になる期待と、一生の記憶に残る夏になりそうな期待は実現するだろうか。

 ガンバレ!大垣日大高校 ガンバレ!愛工大名電高校
                            7月6日の一言

土地を売る決断を迫られて

 本日は地元の工場が工場を拡幅する計画をたてており、隣接する水田を駐車場として買収するために、地権者十数人と初会合が開かれました。

 工場の拡幅に期待する市役所の担当職員と、工場を建設する大手建設会社と、土地の収用をとりまとめる不動産屋が立会い、肝心の工場の幹部は挨拶だけで退席し、具体的な土地の価格については十万円は出したいとの抽象的発言にとどまり、今月末までには契約を取り付けたいとの話は、あまりにも地権者の都合や先祖伝来の土地との認識が希薄で、最後は「金額の上積み」程度に考えているのかもしれない。

 我家も地権者の一人となっているが、私自身は親から土地を相続する15年前に、20年間は土地を売らない宣言をして納税猶予を受けており、今回の買収が決まると15年前に猶予された全ての土地の相続税に15年分の利息をつけて請求される事から、価格によっては翌年の税金に化けてしまう可能性も高い。

 「そちらの都合で発生する税金だから、そちらで持ってくれないか」の発言に、相続時に支払っている人もあるから、該当する土地は別としても他の土地は自分持ちが当然との声があがった。
 しかし、20年経過すれば支払う必要のない税金だから、今回の買収話がなければ数年で不要となる出費の自己負担には納得できるはずもない。

 しかも、我家は子供の分家用の土地として考えていた事と、2面を道路に接している事から農地としての価値観とは違い、ゆくゆくは息子2人分の宅地でもあり、後継者もなくいつまでも農地のまま維持する地主との感覚の差も大きい。

 ただし、農地の価格は下落を続けており、坪1万円や2万円で売買されている現実があり、今回の価格提示は恵まれたチャンスかもしれず、買い換えればより大きな土地を入手できる可能性も高い。しかし、水田を維持するのは赤字となる現実を考えると厳しい選択を迫られているのでもある。

 名古屋駅から30分の距離にある土地の話ですよ。宅地となれば魅力一杯の土地が、先人達のとりわけ農業による利権と結びついた政治関係者や農業族によって、家の建てられない農業振興地として、未だに国の巨額の補助金が農業のために支出され、土地の有効活用の障壁となっている。

 先祖伝来の土地を売るか断るかの選択も自由だが、我家1軒の反対でも進捗しない話だけに、売りたい人が多そうな雰囲気から、自分の土地であっても納得できる結末となるかははなはだ疑問となる初会合となった。
                           7月5日の一言

まだまだ行政の不備は多い

 家内が勤めている事から、今年は(と言うよりも、3人も私学に通いながら初めて)三男の私学助成の手続きのために市役所の課税証明書をもらいに走りました。

 つい、数日前の事であるが、母親の難病申請のために毎年納税証明書が必要な知人と市役所で会い、毎年同じ事の繰り返しに市役所に走る矛盾と、手数料について知人から苦言をもらっていたが、本日は自分がその身になり、身元が判っている事から手続きは簡単に済み、課長と雑談していると「300円必要です」と請求された。

 各種申請書の手数料は行政としては当り前の事かもしれないが、民間感覚で考えれば支払った料金の領収書を無料で手渡すのは当然の事でもあり、一年に何度も発送される納付書や督促状の工夫でムダを省き、課税や納税証明書は一元化して一枚は無料で配布する努力が必要ではないか。

 つい先日には9年前に廃業した新聞販売店で使用していた単車の軽自動車税が、5台分の滞納請求を受け、所有する自動二輪や残した単車のほかに、9年前に廃車したと思っていた2台分が含まれている事が発覚した。

 「5台あるんじゃないの?」
 「どこの家に単車が5台もあるの」
 「廃車届けが出されていない」
 「9年前に出したはずだ」
 「いつから請求(登録)されているのか」
 「さあー、昔の事は判らない(記録がない)」

 などと、担当者が同級生のために本音でやりとりしたものの、大家族で各種の税金の請求書がくるために、どうやら廃車したつもりの2台分(50ccの千円と80ccの千2百円)が毎年課税されていたようで、税金に占める金額が少額のために今まで支払われてきたようである。

 それにしても支払う必要のない税金を支払っていた事は確実で、廃車届けを出してないと言い切る行政と、出したはずと言う当方とは平行線だが、それではいつから課税されていたのかは行政にも記録がなく、廃車届けの控えも行政には存在しない。

 「存在しない単車の税金は支払えない」と言う当方と、「昨年まで支払ってきた事実が存在を認めた事になる」と、手続きの不備があったとしても、現状課税の建前から存在しない単車への課税には納得できないが、すでに滞納の督促状を発行された事と、当方の確認不足のために渋々ではあるが支払う事となった。

 こんなズサンな例は我家の恥かき話ではあるが、次々と請求書が届き、遅れてまとめて支払うようになると、中身の確認が希薄となり、今回の軽自動車税については実際に税金を支払う家内には存在すら認識していなかった。縦割り行政を批判する前に、家庭内の無関心を反省したい。
                               7月4日の一言

新聞記事「ネコの郵便屋さん」

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僕はネコの郵便屋さん 2軒の飼い主結ぶ 7月3日朝日新聞
写真上 手紙を首に下げて魚本さん方を出るネコ=熊本県天草市倉岳町棚底、全日写連梅戸吉伸さん撮影

写真中 魚本ツヤ子さんに抱かれたネコ。首輪から下げた袋に手紙を入れる=熊本県天草市倉岳町棚底、全日写連梅戸吉伸さん撮影

写真下 ネコが山本さん方に運んできた魚本さんからの手紙=熊本県天草市倉岳町棚底、佐藤幸徳撮影


熊本県天草市に手紙を運ぶネコがいる。首輪に手紙をぶら下げ、かわいがってくれる近所の2軒を行き来し、もう20通ほど「配達」した。朝出した手紙はその日に届くことが多く、時には1、2時間で着く「速達」になることもある。ネコの郵便屋さんのおかげで、飼い主同士の交流も始まった。

 ネコは天草市倉岳町棚底のアルバイト山本光広さん(69)方で3年ほど前に生まれた雄の雑種で、名前は「たま」。生後半年で姿を消したが、昨年秋に帰ってきた。手入れされ、毛並みがきれいだったため、妻の幸子さん(68)が「どなたかこのネコを飼っているんですか」と書いた紙をたたみ、首輪にくくりつけた。数日後、首輪に「大人の方ですか。字がきれいですから」との返事を下げてきた。
 ネコの首に袋をぶら下げ、何度か手紙をやりとりしたところ、相手は近所に住む県立苓明(れいめい)高校1年生の魚本奈実さん(15)=当時は中学3年生=とわかった。
 魚本さん方では一昨年夏、家の前にいたネコに祖母のツヤ子さん(74)が気づき、餌をやったらそのまま居ついた。魚本家では「小豆のようにかわいい」と「あずきち」と呼び、奈実さんと姉の英里さん(17)=同高3年=が風呂に入れ、ブラシをかけ、添い寝をしてかわいがった。
 2軒の飼い主を二つの名前で行き来するネコが運ぶ手紙は「きょうは元気でしたよ」などとネコの話題が中心。幸子さんが首輪にリボンをつけて送り出すと、奈実さんが「首飾りをありがとうございます」と返事をよこす。高校受験を控えた奈実さんが「高校で一生懸命勉強したい」と抱負を書いてきたこともあった。
 2軒の距離は200メートルほどだが、ネコを見た近所の人の話では、犬を飼っている家を避け、塀の上や農道を大回りして500メートルほど歩いて往復しているらしい。
 奈実さんは勉強や部活動で忙しいが「これからもあずきちのことを手紙に書いていきたい」と言い、幸子さんも「せっかくネコを通じて知り合ったので、やりとりはできるだけ続けたい」と話した。(佐藤幸徳)

 一昨日、昨日と人のブログの引用が続きましたが、本日の夕刊に記された「ネコの郵便屋さん」は最近聞いた事のないほのぼのとした話題で、記事を忘れないためにもコピーしました(これだけ引用すると著作権違反でしょう)。

 さて、自分の飼いネコと思っていたネコが、近所の知らない人にも飼いネコとして飼われていたとしたら、自分ならどんな気持になるのだろうか。今から30年ほど前に、父が車で連れ出したネコが途中で車から逃げ出し、探してもみつからず、半年かかって家に戻ってきた感動劇があった。

 さすがに家に戻るまで半年の生活は厳しかったらしく、泣き声が「ガラガラ」になっていたが、家に帰った感動から大声で家族全員を呼び続ける姿に自然と涙が流れてきた。この時のネコの声を考えると、飼い主と飼いネコの個人的愛情に入り込むスキはなさそうだが。

 しかし、我家のネコや犬が、知らない人も飼い主としていたら許せるだろうか。我家の愛犬についても誰に一番なついているかさえ気になるものである。私が一番と思っていても、毎日の食事をもらう家内とは以心伝心のようだし、三男については兄弟のような雰囲気も感じさせられる。

 ただし、我家の愛犬は気が小さく、我家の人間以外には馴染めないが、そもそも放し飼いすれば車に轢かれてしまう環境では前記の話題は成り立たない。けたたましいパトカーのサイレンが鳴り、高速で走っていく騒音が前記の環境をうらやましく思わされた。
                           7月3日の一言

エッ、500円玉じゃないのッ

 数ヶ月前の話となるが、どこからか百円玉と間違えて入ってきたと思われるコインが入り込み、貨幣と間違えて入ってきただけに捨てるのももったいなく、間違えて使ってニセ金使用で捕まっても困る事から、その処理に困って所持していた事が(今では所在不明)あった。

 そんなある日、知人のサイフから隣の韓国の貨幣らしきコインが出され、「これ、どう思う」と問われた貨幣は、日本の10円玉と間違えて混入したらしく、買い物に行った大手のスーパーの釣り銭から入ったらしいが、捨てることも使う事もできず未だに所持していると言う。

 本日立ち寄った先で見た500円とよく似たコインは、前記した100円玉や10円玉と違って、500円の価値がありそうな類似品だけにびっくりし、混入した経緯や使用目的など自分なりに思う事はあるものの、所有者も自身のブログに書き入れたと聞き、写真の転用も考えたが、そのまま紹介することとした次第です↓。

 http://blogs.yahoo.co.jp/takatoshi4057/54646253.html

 さて、我家にも使えない貨幣が存在する。昭和47年にグアム島で横井庄一発見の報に、現地に飛んだ私の父親が記念に持ち帰ったアメリカの紙幣で、当初は額に入れられてあったが、最近はどこかに入り込んで所在不明となっている。これは永久にお蔵入りと思われるが、私自身が残した紙幣も存在する。

 帰宅後に引き出しを開けると、私が意識していた板垣退助の100円札が見つからず、意識していなかった伊藤博文の千円札と岩倉具視の5百円札が数枚残してあった。探せども、捜せども「板垣退助」は見つからず、発見のためには事務所の大掃除が必要となりそうだが、新札に移行する際に残された紙幣が眠る家庭(家内も残している)も多いと思われる。

 本日は韓国の500ウォンらしき貨幣を見た事から貨幣の話題が続いたが、高速道路の料金所で、何かの記念に発行された10万円玉がビニールに入ったまま差し出され、この扱いに困って右往左往して車を渋滞させた話も耳にした。
 記念に残した紙幣についても、当初は絶対に使わないとは思って残したわけではないが、年月の経過によって行方不明になるばかりか、使えるものの使いづらくなっている現実を実感する。

 一方で、紹介した韓国製と思われる貨幣は、間違いよりも犯罪目的で残された可能性が高く、自動販売機ではなく直接手渡されても間違って受け取る可能性も高く、受け取っても使えば犯罪人とされる可能性からも注意が必要であろう。
 過去の一言にも記したが、貨幣に限らず、図書券やテレホンカードなど、換金すれば価値のある品々が、当初は大切に保管されたものではあるが、忘れられて死蔵されている自己反省ともなる一日となった。
                               7月2日の一言

ガソリン値上げの波及が怖い

 昨日夕方の帰宅途中に、平生は渋滞もしない道路に車が列となっており、その先を見るとセルフのガソリンスタンドがあった事から、ガソリン値上げ前の駆け込み客と判ったが、私は追い越しながら「明日は自動車に乗らずにおこう」と思い、健康のためにも自転車にしようと納得して帰宅したが、本日もしばらくすると恩師の送迎に車を走らせる事となり、車のない生活は考えられない事を実感する。

 しかし、明らかに値上げに乗じた便乗値上げも存在していそうで、消費者はそのあたりに厳しい視線を光らさなければならないと思う。ガソリンや原油の値上げは、運転手だけでなく、商品の原材料費を底上げし、輸送コストもかかる事から、社会生活の全般に影響し、買い物客の話では連日何かが値上げされているようでもある。

 そんな中で、コンビニの深夜営業について、省資源の立場から自粛するようなコメントが流れてもいるが、私自身はほとんどコンビニに立ち寄る事もなく、利用者とは言えないが、今ではコンビニが社会生活の重要な位置を占めており、公共料金の支払いや切手の販売から小荷物の受付など、住民にとって必要不可欠な存在になっていることを自覚すべきでもある。

 家庭の主婦や昼間働いている若者にすれば、日中に忘れた支払いや買い物にコンビニが役立っており、コンビニに対する公的な社会的保障は何もなく、倒産している店もあるのに、政治家や評論化が偉そうに理屈を述べるべきではないと思っていたが、何事にも長短あるものの、今や夜には留守ばかりの警察の駐在所よりは住民にとっての灯火と化している。

 そんな中で、コンビニの深夜営業に賛成とのブログがあったので(まったく無断で)添付しました。コンビニの深夜営業に賛成 http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/22585028.html

 今でこそ何所にでも当り前となったコンビニも、出始めた頃には色々な障壁があり、不良の溜まり場のように言われた時期もあったが、最近ではトイレも完備され、誰もが自由に出入りできる環境になっており、コンビニを話題にする前に、遊戯施設などもっと先に話題にすべき対象は多い。

 さて、今から二十年前の話になるが、コンビニに新聞1部売りのスタンドを出す事について議論となった。コンビニで1部売りをすると、自宅での購読率が減り、宅配制度のマイナスとなる意見も出たが、本社はコンビニが将来は鉄道駅に代わって地域のステーションになると説明して、販売店の反対意見を封じ込んだが、結果はそのとおりになっている。

 ガソリンの値上げから、様々な商品の値上げになっているが、新聞も地方紙の値上げが報じられている。考えてみると、私が廃業した平成11年の数年前から購読料は値上げがされておらず、燃料費の値上げによって新聞までもが値上げとなると、歯止めのきかぬ値上げラッシュともなりそうな気配である。
                                7月1日の一言

四国遍路関係ブログ・HP

四国お遍路

千のゆるりアンテーク着物生活  http://blogs.yahoo.co.jp/thanks_always   
ことししさんちって こんなとこ  http://blogs.yahoo.co.jp/romorin_tomo
四国八十八ヶ所霊場へ http://blogs.yahoo.co.jp/fymkt160
四国(`Д´)ノお遍路(ノД`)ほぼ歩き  http://blogs.yahoo.co.jp/lindberg1229anna
四国遍路 ぶらり旅  http://blogs.yahoo.co.jp/musasi1233
区切って区切って四国遍路  http://blogs.yahoo.co.jp/ornneh
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四国88箇所歩きお遍路1400舛領后 http://blogs.yahoo.co.jp/makotonodabi
こんなところに行ってきました http://blogs.yahoo.co.jp/hibari_20012001
切画師 風祭竜二の世界 http://blogs.yahoo.co.jp/kirigakiri/folder/501711.html
あくびちゃんのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/officeyumi0928

悠々自滅・四国ツーリング http://blogs.yahoo.co.jp/fujiizudesu2004

15歳の「お遍路」 http://88.air-nifty.com/88/2008/week20/index.html

美有桃の遍路閑話 http://miyumo.fc2web.com/henrokanwa-awa.htm
四国自転車遍路旅行記 http://kazu88.fc2web.com/
大倉野さんの歩き遍路 http://www4.ocn.ne.jp/~ohkurano/sub1-henrokotei.html
休日に歩いて遍路 http://blogs.yahoo.co.jp/daboshin1957

弘法大師の年表
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四国関係
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四万十の樵  http://blogs.yahoo.co.jp/sansansanta3
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