大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2008年11月

四国遍路は心の修業を実感する

 四国の3日間は早いもので、札所から札所を目指して一目散に走るため、四国の風情や温かみを実感している余裕もなく経過し、あと一日もあれば八十八ヶ所も結願となり、高野山を残すのみとなった八十番札所まで辿り着きました。

 津島市を26日夜11時出発、弥富IC…大津SA…吉備SA…(しまなみ海道)…来島海峡SA…今治IC27日午前6時着
1日目・56番泰山寺から65番三角寺(別格10番~13番) 宿・白地温泉小西旅館
2日目・別格14番から70番本山寺(別格は17番まで) 宿・善通寺
3日目・71番弥谷寺から80番国分寺(別格は18番)
 坂出IC…(瀬戸中央大橋)…鴻池SA…吉備SA(夕食)…西宮名塩SA…弥富IC…津島市・30日午前1時到着

 四国遍路は体力と時間とお金が三要素と言われている。遍路にも観光バスやタクシーの高額旅費を要する旅ばかりでなく、マイカーや自転車、そして究極の歩き遍路など、格安な遍路も可能ではあるが、歩き遍路は約50日の時間を必要とし、宿泊費を考えるとタクシー以上の高額となり、勿論体力は言うまでもなく限界を実感しながらの巡拝となる。

 私のジェット巡拝は1回(3日間)の旅費を3万円程度として、4回で高野山まで参拝するが、ここに3百円の朱印が110程(88ヶ所と別格20ヶ寺、その他奥の院など)必要となり、余裕を感じて札所で土産や巡拝用品を購入していると財布は空っぽとなっていく。

 「財布が無い」と73番の出釈迦寺を前にしてOさんの一言に大騒動。いくら最終日とは言え、数万円が紛失すれば遍路の気持も暗くなる。
 「カバンの中は?」「そっちの袋には?」「ポケットは?」と、最後は勝手にOさんのカバンや手荷物を開けて探しても見当たらず、前の札所の門前の茶屋で紛失したとの結論となった。

 店主に問い合わせても無く、店先や門前を探すも見当たらず、店主も一緒に探してくれたが見つからず、「もう良いわ…」のOさんの一言で、疑心暗鬼のままに立ち去ろうとした瞬間、「あったー」と車中を探していたメンバーのYさんから一言が…

 遍路は修業の旅でもある。私の心の片隅に「もしや、店主の懐に…」の気持があったのは事実で、貧しい私の心の奥底から言葉にはならなかったが、一瞬でも善良な店主を疑いの目で見た自身を反省したが、善意ばかりでは騙される社会と遍路とのギャップも実感させられた。

 七十番本山寺の駐車場の真中にあるブロックに気づかず、車を後退させブレーキランプを破損した。「しまった」と思うとともに、前日よりかなりのスピードで走らせており、ここには対向車や歩行者の存在が忘れられていた反省をしていると、「昨日は気づかなかったのでゴメンナサイね」との一言が…

 「修理代は皆で出す事にしたからネ」と、宿でメンバーは相談していたらしい。勿論、全てが私の責任で、いただくつもりもありませんし、弘法大師の警告と受け止め、「他人にケガをさせずに済んで良かった」と思っているが、メンバーの一言は心の救いとなり、これこそ遍路を実感する。

 善通寺で記念写真を撮る写真屋さんには宿泊すると必ず撮影してもらうが、「あなたの分は貰えません」と今年は先達になったためか私の分は無料(固辞したんですが)となった。四国では「お接待を受けたら他人にそれ以上のお接待しなさい」の教訓があり、浮いた写真代を四国にと思っていると、財布の中身は空っぽになっていたのでもありました。
                              11月30日の一言

四国遍路第三日目

本日は善通寺にて朝の勤行に参加し、巡拝し、出釈迦寺の奥の院まで、登りました。
写真上はのどかな風景ですが、実際は岩場を鎖につかまって登りましたが…
それは下の写真で判ってもらえるでしょうか。

今回は、3日間で第五十六番泰山寺から第八十番国分寺まで巡拝できました。(別格は10番から18番まで)
次回は来月で満願です。

四国遍路第二日目

本日は、失敗が多く、別格の箸蔵寺へ朱印帳を忘れ、一時間かけて取りに戻るハプニングとなりました。
主人に忘れられた朱印帳は、主人も乗らなかったロープウェイで下まで戻ってきました。
さて、本日は善通寺にて宿泊していますが、夕食後にメンバーが部屋に戻り、一人残された私は、孤独に歩くお遍路さんと話が終りません。
こんな様子で、明日の最終日を迎えましたが、あと一日あれば満願になるんですがねー
満願は来月にお預けです。

四国第一日目

昨日の深夜津島市を出発し 、朝6時半までかかる徹夜で今治市まで到着し、本日は午後五時まで巡拝しました。
今日は、五十六番から、六十五番まで巡拝しました。
さて、写真は私の携帯電話の待受画面ですが、一体どこか判りますか?
これが判る人は、かなりの四国病と思われます。
なんせ、本人が忘れているくらいですので…
ヒントは本日回った別格です。
ちなみに今日は白地温泉小西旅館に宿泊しています。

今晩からは遍路の旅立ちヘ

 今晩から(と言っても11時からですが)四国遍路の旅に出発する事から、帰ってくる翌日は日曜日のため、今月の仕事は実質本日が締め切りとなり、朝から仕事に精を出したものの、我家の三男のために今月中に市役所へ提出する書類だけが、書類不足で出直しである。

 まったくもって家内の鈍感で確認不足に泣かされ、不完全な形での帰宅となったが、仕事に出たままで家内は電話にも出ず、三男との連絡が取れた事から、明日にでも知人を通じて提出してもらう事で何とか切り抜けたものの、今月中に議会事務局に提出する予定の書類だけは、師走の一日目の仕事で何とか間に合わせである。

 さて、こんな展開では、明日からのお遍路の下準備はできず、過去の経験と現地の成り行き任せとなってしまうが、宿泊予定地への土産は急いで購入してきたものの、明日と明後日の宿についても、巡拝の進捗状況によって変わるため、予定した宿まで辿り着けるか、宿の空き部屋があるかどうかも判らず、私の段取りどおりに巡拝できるかどうかも神頼み、いや、弘法大師様に委ねる無責任な旅立ちでもある。

 夕方には旅行社から先日のバス旅行の請求書が届けられ、支払いを済ませた事から、少しは肩の荷を下ろした気がするが、中学校の同窓会の支払いが未だに済ませてはおらず、これも忘れないうちに届ける必要があり、こういった期限が定まっていない仕事が積もり積もっており、昨晩の書道会では忘年会の予約もしたものの、私が無事に戻ってこないと大変な事になる事から、夕食後には暫しの仮眠が必要と思われます(帰ってこないと日曜日の横井庄一記念館の当番が不在となります)。

 もっとも、私の運転に身体を預けている同行者6名に、こんな顛末を話すと心配させる事から、今晩から「忙しい」の一言は封印とすべきでもあるが、帰宅後の仕事は詰まっているものの、巡拝に専念し、20年選手の愛車共々に無事な帰宅を果たしたいと願う。明日からはピンぼけの携帯カメラからの発信となりますのでお許しを…
                                         11月26日の一言

 

まさかの『ツクシ』発見に

イメージ 1

 携帯電話のカメラのピンぼけ画像ですが、間違いなく春に出るはずの『つくし』を写した写真です。まさか、冬を迎えようとする今の季節に、ツクシの頭を見るとは思ってもおらず、写真もピンぼけですが、ツクシもピンぼけのままに生えてきたのでしょうか。

 2日前の事ですが、道路で轢かれた動物を見た家内が、「今日家に来ていたネコちゃんだ」と叫んだが、実際には丸々と太った『イタチ』らしき動物である事が本日判明し、我家に行き来するネコではない事に一安心であったが、これだけ大きく成長したイタチの存在に、貴重な存在の死を悼む気持ちと同時に、まだまだ自然環境が残されているとの安心感も実感させられました。

 私の少年時代には、こんなイタチを目にする機会も多かったが、最近では都市化の影響で見る事も少なくなり、今でも河川の改修が続けられている事から、川一面を覆っていた水草も皆無となり、両岸に生えていたヨシやススキの代わりに、今では鉄の針金で組んだフェンスが立てられており、こんな環境下で生き続けていたイタチの仲間が気になるところでもある。

 もっとも、イタチの毛は、書道に使う筆には最高の材料であり、本日夜開催される書道会を指導する恩師に言えば、きっと「何処にあった?」との言葉が返ってくる事は必死なのかもしれない。元は小学校の校長を務め、地元で教育委員長まで務められた恩師ではあるが、最近では高齢のためにボケも始まり、自分の杖を作ったり、何かを制作する意欲が旺盛で、冗談のつもりでも本気となる事から、イタチの話は書道会がすむまで封印である。

 さて、明日の深夜には四国に向けて出発する事から、12月議会に向けたスケジュールも満杯となり、私が委員長を務める決算の特別委員会の議会報告書を早急にまとめる必要があり、担当する市職員も気が気でない様子だが、こんな時に限ってパソコンに書き込み中の報告書の保存に失敗し、書き込んだ文章が一瞬にして皆無となってしまったのでもあった。

 こんな失敗の後に気を取り直して書き入れても、チンプンカンプンの文字の羅列となる事から、「議会前には持ってくるから」と、本日伝えて市役所を後にしたが、議会が始まれば自分の一般質問もまとめる事も先決であり、四国での3日間も気忙しいままで12月の『師走』を迎える事となりました(議会は2日からです)。

 この師走も年々忙しくなり、掃除もできないままに仕事まで年越しとなっている事から、仕事を精査して身軽になる事も課題となっていますが、嬉しい便りは、先月四国遍路で出会った若者から手紙が届けられた事でした。隣町に住む若者ですが、人が信用できない物騒な世の中で、四国行きを明日にひかえて、温かい風が届けられました。
                                   11月25日の一言

浪漫亭砂九さんの三回忌は雨に

 2年前を思い起こすと、前日の23日に朝日旅行友の会で奈良に出向き、「久々に満足する旅行会に」と題する一言を記しているが、その翌日の早朝には、知人から親しくしていた落語家の「浪漫亭砂九」さんこと、纐纈彰良さんの訃報を聞く事となった。

平成18年11月24日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/7220601.html
平成18年11月26日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/7408415.html

 さて、本日は「砂九」さんが亡くなり2年目(三回忌)の命日となったが、昨日の好天が一転して、同じ読みでも天候は雨降りの荒天となり、寒さが身体に凍みる一日ともなり、昨日の旅行気分も吹っ飛んだ憂鬱な一日となっていました。

 砂九さんを偲んでみえる人も多く、数日前に訪れた砂九さんが兄貴分と記した西愛宕のマスターとも砂九さんの話題となったが、「後ろ向きの性格」と言われる事から、多くは語らなかったものの、寂しさを共有している事が実感させられた。

 こんな日ぐらいはと、一日を偲ぶだけでなく、気持も淋しいものがあり、胃の調子も悪いように感じながら、砂九さんのホームページを開けるものの、掲示板への誰からの書き込みもないままに一日が経過しようとする現実から、私は日が代わったら一言書き入れたいと考えている。

砂九さんのホームページ↓
      http://www.clovernet.ne.jp/~sunamaru/

 子供の頃からの友人はたくさんあるものの、大人になってから仲間と呼べる友人と出会う機会は、極めて難しく、人見知りをする私にとって、浪漫亭砂九さんの存在は極めて稀で、それも自然と素直に話し合えた事から親しくなり、仕事が一段落して、落語を本業にしたら、私もドサ廻りの私設秘書として一緒に旅回りをしたいと話していた事が懐かしくも、実現できない現実にも苦しめられている。

 政治に関係すると、社交的で話し好きと思われがちだが、私は話し好きではあるが、人見知りが激しく、外に出るのに人の後押しを必要としており、地域を何十回と廻った「まちかど座談会」は、途中から「出前寄席」として同行してくれた、彼の存在を無くしてあり得なかったのかもしれません。
 
 こんな情けない一言は砂九さんに笑われそうだが、そろそろ砂九さんから自律して、街角に出るのも、私が議員としての生活を続けるいじょうは、必然的な事かも知れませんね。2人で廻った会場と思うと、悲しくもなりがちだが、近いうちにそれも払拭して、座談会再デビューを果たします。本日は纐纈彰良さんに合掌し、浪漫亭砂九さんの夢を見たいと思っています。
                                 11月24日の一言
追伸 改めて合掌

京都栂尾の里から嵯峨野清凉寺へ

イメージ 1

京都へ来ています。写真は清凉寺本堂前から見る阿弥陀堂です。

 朝日旅行友の会の日帰りバス旅行は、世界文化遺産に指定されている京都栂尾(とがのを)山・高山寺から嵯峨野・清凉寺の紅葉散策をした後に、京都の伝統産業である西陣織会館を訪れました。参加者41名・名鉄観光バス(運転手金平・ガイド佐藤)

 津島市~弥富IC…(御在所SA)…(大津SA・弁当積み込み)…京都南IC(京都東の予定でしたが、渋滞して動かないために京都南へ)~栂尾の里へ11時40分着
 高山寺・石水院(国宝の鳥獣人物戯画のある堂)…開山堂…佛足石…金堂~バス駐車場・車中で弁当

栂尾の里~嵐山パークウェー(有料)~嵯峨野・清凉寺へ1時20分着
 本堂(釈迦堂)で僧侶より法話を聞いてから、庭園鑑賞

 西陣織会館(3時40分~4時10分)…井筒八ッ橋本舗(買い物)~京都東IC…(御在所SA)…弥富IC~津島市8時30分着

 数日前の寒波の影響で天候の心配をしていましたが、絶好の行楽日和となり、高速道路は大渋滞となっていたものの、車の並ぶ京都東ICを避けて京都南ICから目的地を目指したため、京都市内では渋滞にかからず目的地に到着しました。

 栂尾の高山寺から嵯峨野・清凉寺までを、有料の嵐山パークウェーを使用したのも渋滞と無縁で、嵯峨野での渋滞も比較的やりすごして清凉寺に到着しました。
 西陣織会館では外国人の観光客ばかり(中国人?)で、写真などマナーの悪さが気になったものの、伝統工芸師の話を聞きながら細かい技法にびっくりさせられました。

 予定した行程では、最後に浄土宗総本山の知恩院の門前にある和順会館の売店とレストランで、買い物と珈琲タイムを設けていましたが、夜のライトアップのため、客が引いていく時間に逆に車が殺到して動きません。電話で確認したところ、到着しても駐車場に入れない事が判明し、京都東ICに近い井筒八ッ橋本舗に目的地を変更しました。

 紅葉の最盛期の京都行きだった事から、もっと遅くなる覚悟はしていましたが、渋滞する前に栂尾に入り、渋滞の流れとは逆コースのため、嵯峨野から西陣織会館までは順調でしたが、この時期の京都はライトアップにより夜になると更に渋滞となっていました。天候に恵まれ、事故もなく帰れた事に感謝です。
                                  11月23日の一言

欽ちゃんが伊勢文化村の村長に

 欽ちゃん ドンと再生!の見出しが新聞の一面を飾り、入場者の減少に悩む三重県の「伊勢・安土桃山文化村」(元・戦国時代村)の再生に、タレントの萩本欽一さんが立ち上がっているという記事が報道されてきた。

関係記事・朝日新聞夕刊
http://www.asahi.com/culture/update/1122/NGY200811220014.html

 伊勢の戦国時代村は平成5年にオープンし、オープン直後に朝日旅行友の会の日帰りバス旅行を企画したが、当時でも最低4千円の入場料が必要であり、限られた小屋しか入れなかった事と、雨のために散々の旅行となった記憶が残っている。

 オープンしたばかりであったが、雨の中で一日を過ごすには足元が軟弱で、仕方なしに手近な小屋に入ったものの、メインとなっている黄金の城(安土城を模した城)には入場もできず、遠くから眺めるのみであった。
 ただし、時代劇の小屋にはお調子者役の「一八」と言う役者がおり、同じ名前ゆえにテッシュに五円玉を包んで舞台に投げた懐かしい記憶は残っている。

 さて、新聞を読んで、開業した年には約180万人あった入場者が、昨年には約10万人に落ち込んでおり、人件費や広告費を切りつめ、施設の一部を休業状態としながら何とか維持している様子に、欽ちゃんの「村長」就任を追い風にしたいものでもある。

 欽ちゃんの登場で、やはり高い入場料は4,900円から2,500円に下げられ、芝居小屋を充実させ、入場者の参加できる芝居体験も加えられ、アイデアだけでなく本人も月に何度かは訪れて、客にも直接声をかけているというから、欽ちゃんの本気に期待して一度訪問してみたいと思っている。
                               11月22日の一言

ともに寒波(カンパ)の話題に

 突然の寒波は岐阜市に25年ぶりという雪を降らしたようだが、当地には初雪こそ舞っていないものの本日の朝には水溜りが凍っており、午前中の市役所会議室も冷え切っており、昼休みには着替えに帰ることとなりました。

 こんな日に限って午後にも仕事が続き、夜には名古屋で勉強会(公共交通問題)がある事から、明後日の京都行きの打ち合わせも旅行社とはバトンタッチのような待ち合わせとなったが、高齢者の多い旅行だけにこの寒波の影響は避けられず、満席だったバスの座席に空席ができた。

 今までなら空いた空席を埋める必死の抵抗をするところだが、今回の厳しい突然の寒波襲来には誘った人の寿命を縮めそうで、明日と当日の朝までキャンセルの電話が鳴らない事を祈るばかりでもある。

 さて、愛知県新城市にある私立黄柳野(つげの)高校で、一年生の男子生徒が上級生から集団暴行を受け、5人が傷害容疑で名古屋地検に書類送検されたとの報道があった。

 黄柳野高校は全国から不登校や学校生活に挫折して中退した生徒などを受け入れており、「教育は死なず」の著書のある長野県篠ノ井旭高校の校長だった若林繁太先生を迎えて12年ほど前に開校した。

 この高校は、市民の力で設立するために、全国の人々からカンパを募りながら開校した。私がPTA役員を引退した平成6年に熱心な知人に推され、この地区の代表として開校に協力した事があり、若林先生を迎えて講演会を開き、地元で映画「学校」を放映した収益や、フリーマーケットに参加して売上を学校設立基金に送金した事があった。

 当時中学生だった長男が30才になっている事から、かなりの歳月が経過しており、開校までの必死の努力や協力も、開校後数年で連絡も途絶えており、時々流れてくる生徒の不祥事は気になるものの、年月の経過とともに存在すら忘れた存在にもなっていた。

 今回の事件についても詳細は判らないが、開校の精神が守られていれば、他の学校のように見捨てられて退学とはならないだろうが、学校の情報が限られており、開校までの市民の熱い視線に応える学校からの発信も不足しているのが残念でもある。
                                  11月21日の一言

首相の発言より医師会に問題では

 麻生首相の「医師には非常識な人が多い」との発言をめぐり、全国の医師会から反発の声があがり、本日は首相官邸へ日本医師会の会長が乗り込み、首相の謝罪をもらって退出したが、全国の医師会の理解を得られたと言えないと発言する医師会幹部の声をテレビから聞き、自民党の集票マシーンと言われて自惚れてはいないかと思った。

 そもそも、選挙の際に、医師会のメンバーである近所のお医者さんたちが、「自民党」と言って走り回っている姿を見た事がなく、少なくとも私の住む地域の開業医から自民党に投票するように言われたとの言葉を、私は過去に一度も聞いた事がないばかりか、私の近所の開業医の半数以上は自宅が他所にあり、医院のある地域に住んでいないのである。

 選挙を控えており、国会議員の発言の一語一言が注目されているが、「医師に非常識な人が多い」との言葉を、私は現職の医師から耳にした事があり、医師になるために子供の頃から勉強一筋で、地域の同級生や知人と遊んだ経験や、社会人として一般人と接した経験が不足する事から、純粋すぎたり、何が普通かが判らず、理不尽な発言をする医師も存在するようである。

 津島市民病院の一例を挙げると、自分が勤務する条件に新しい医療機器の導入を約束として転勤してきたものの、半年で他の病院の誘いで転勤していった医師があり、数千万円の医療機器が導入後に使われないままになってしまった。こんな医師に私なら損害賠償を起こしたいと思うが、どんな理由があるにせよ、民間人としては許されぬ無責任な行為でもあった。

 一方で、病院にとってはなくてはならぬ医師も多数あり、一日の勤務後に当直や夜勤を勤め、翌日も平常どおりに勤務して、その午後には手術までするといった医師も存在し、医師の勤務状態も様々であり、多くの外来患者を受け持ち、休日も病棟にいる医師もある事から、「非常識」の一語でひっくるめられる事は問題だが、医師不足からやる気のない医師まで注意が行き届かない現実は改善も必要であろう。

 政権の維持が難しい局面を迎えている自民党であるが、選挙の弱味で力にならない医師会にしがみついていても、肝心な選挙での集票には結びつかず、かつての集票マシーンと言われた郵便局長たちを敵にまわして圧倒的な勝利とした小泉郵政改革の学習ができていないばかりか、小泉改革に逆行の動きさえ見せはじめている。

 既存の組織に頼るばかりに、国民の声や国民の生活が忘れられ、一時のバラマキ程度で民意が戻ると考えてはいまいが、首相の失言とは言え、首相官邸に乗り込み、謝罪させて意気揚揚と引き揚げる医師会長の姿に、問題発言の出た状況と、首相の伝えたい真意は全く理解されていないようにも感じさせられた。
                                     11月20日の一言

雑踏の中に心温まる手紙が

 何時間も書き込み中のままにしてあると、「見事な絵ですねー」と言われそうですが、これは四国遍路の大先輩である徳島県の権中先達・中尾さんよりいただいた手紙に記された、中尾さんの手による第47番八坂寺ですので、決して私が書いたものではございません。

 新聞記事には凶悪な事件や事故が続き、ポストに投函される手紙の多くが請求書や通信販売の分厚いカタログと思っている中に、旅先や遍路中に出会った人からの手紙には心温まる温もりを感じるものでもある。

 本日は日本各地に寒波が襲来し、10日前に訪れた上高地はもちろんの事、各地より雪のニュースが届けられたが、四国でも雪化粧となっており、本日はブログ内に私の気になる各地のライブカメラを設定し、四国の別格15番箸蔵寺(徳島県)の参拝風景と、長野県の北向観音のある別所温泉駅の様子(音声付)を流し続けてあった。

 こんな日は来客もなく、やっと夕方訪れた知人は風邪をひいており、仕事に出かけた家内も風邪なら、留守番の母親も体調不良で病院に出かけるなど、風邪になるのが宿命のような一日であったが、あえて夕方も暗くなってから自転車にまたがり、近くの農道を走り続け、三日坊主にならぬ努力をしたが日曜日の京都行きを控えているだけに空が気になる一日ともなった。

 さて、家に居ながら全国各地の様子を眺める事が可能な事から、我家から見える風景を一日中流し続ける事も可能なわけで、以前にそんな事が簡単にできると語っていた知人がいたが、機会があれば我家でも挑戦したいと思うものの、まったく余裕のない日程の中でそんな一言は禁句なのかもしれない。

 夜には市外の人々の相談事が電話からもたらされたが、市内の人々の相談事も12月議会の終了まで待ってもらっている現状から、非情なようだが断りながら、「間口を狭めるな」と言っていた親族の一言が思い出されもした。ただし、狭めなくとも広がる一方で、何も手につかないのと同時に無気力になる現実から、早期の立ち直りも急務となっている。
                                  11月19日の一言

本日の映像・ライブカメラから実況

信州安曇野 http://www.city.matsumoto.nagano.jp/azumi/live/live.html 動画実況中

木曽流域市民放送局  http://www.kiso-ryuikinet.jp/

笠ケ岳ライブカメラ http://homepage2.nifty.com/kasagatake/live.html

上高地 http://www.gosenjaku.co.jp/kamikochi/livecamera.html
上高地 http://www1.neweb.ne.jp/wa/kamikochi/contents/d/dmenu.html

別所温泉駅 http://live.ueda.ne.jp/bessyo.html 動画音声実況中

北向観音 http://live.ueda.ne.jp/kouyou5.html

開田高原 http://www.kaidakogen.jp/livecamera/index.html


長谷寺 http://mysv.dip.jp/~livecamera/index.html 動画実況中


四国は全て動画実況中

四国箸蔵寺護摩堂 http://mgis.city-miyoshi.jp/mgis/mgs/lc_jv.php?lcid=8&id=453
四国箸蔵寺本堂 http://mgis.city-miyoshi.jp/mgis/mgs/lc_jv.php?lcid=9&id=453&m=start
小歩危展望台 http://mgis.city-miyoshi.jp/mgis/mgs/lc_jv.php?lcid=14&id=443
吉野川ライブ http://www.toku-mlit.go.jp/streaming/streaming_index.html
高松港 http://www.shikoku-np.co.jp/camera/sunport_east.htm
津嶋神社 http://www.city.mitoyo.lg.jp/mino/live/lv_tushima.html

津島市出身の日進市副市長登場に

 昨日に大阪で起こった16才の新聞少年を引きずって死亡させた事件をここに記したが、本日の夕刊には警視庁の警視が飲酒運転で車に当て逃げし、追跡された被害者に小道で脱輪したところを捕まり、茨城県警が現行犯逮捕したと大きく報道されている。

 報道によれば、茨城県内のキャンプ場で開催された、警視庁総務部施設課のレクリエーションに参加し、飲酒した後に自家用車を運転し、警察官が駆けつけた時には、酒臭いだけでなくフラフラとした足どりだったと報じられている。

 逮捕された警察官は、東京都で交通安全対策担当課長も歴任しており、飲酒運転防止のステッカーを作り、安全運転を呼びかけていたというからビックリの逮捕劇でもある。一方で、職場の課全体としてバーベキューで飲食していた事から、常識で考えれば、誰一人として知らなかったとは思えず、知っていたら問題であり、知らなかったのも警察官としは問題ではなかったか。

 本日の夕刊に目をやると、元厚生次官夫妻の殺害をはじめ、殺害や事故による死亡など、目を覆いたくなるような事件が報道されているが、横浜刑務所の刑務館が受刑者をいじめたり、愛知県職員が女子高生の下着を盗撮したり、新聞記者が他の新聞記事を盗用するなど、あってはならない事件も報じられている。

 さて、本日は10月にオープンしたばかりの日進市の図書館へ、津島市図書館の図書館協議会委員を中心に訪問し、新しいゆえにパソコンによる高度な検索システムや人員配備を拝見し、時代は常に動いている実感と、津島市図書館は新築されて約10年が経過しているが、愛知県で一番古く設置された歴史のある図書館としての誇りも感ずる視察となった。

 一方で、途中から歓迎のため参加された日進市の副市長が、津島市出身(藤浪中・津島高校卒)である事が判り、津島市の副市長が岡崎市の人である事から、かつての保守的な発想ではなく、適材適所で有能な人材は活かされている実感と同時に、県内ぐらいはもっと積極的な人材交流と連携が可能との認識も感ずる視察となりました。

 津島市の図書館も、昨年より指定管理者としてNPO法人が運営にあたっているが、本年8月よりは休館日となっていた月曜日も開館しており、私流の表現では「年中無休」体制となっており、所蔵する歴史的文書も含めると、県内有数の図書館となっている現実を、意外にも市民が実感していないようにも感じる次第である。

 新しく建設された施設の目新しい機器には対抗のしようがないが、確実に歴史とともに蓄積されてきた伝統と知恵は、担当する職員の努力と工夫により、間違いなくカバーできると確信し、年中無休の図書館の存在が他の施設にも波及して市民へのサービス拡大に至るため努力したいものである。
                                  11月18日の一言

またもや大阪で7キロを引きずり…

 何キロも人を引きずるひき逃げ事故が相次ぐ大阪で、本日の早朝にも新聞配達の少年を轢いた41才の大工が7キロも引きずったあげくに死亡させるという事故が発生した。

 被害にあった少年は16才の若さで命を奪われる事となったが、過去の事件同様に、直後の救護活動や救急車や病院の手配が整えば、失う事のなかった命かもしれない事から、今回の事件を過去の繰り返しの事故とせず、救護もしないひき逃げによる死亡事故そのものについての厳しい法的対応も考えるべきであろう。

 道路交通法の厳罰化により、危険運転致死傷罪が新設され、飲酒運転などによって人を死亡させた場合に、最高20年の懲役刑(併合加重の場合は最高30年)となった事で、飲酒運転そのものや、飲酒による事故が減少した一方で、飲酒の事実を隠す事と、事故そのものから逃避するひき逃げ事故が増加しているのも見逃せない。

 人の命を何とも思わない非道な行為であるが、交通事故の厳罰化が叫ばれ、厳しい実刑判決が下されるようになったものの、人の命を意図的に奪った殺人事件の実刑判決より、長期の禁固刑になる例もあり、逃げ切った方が得策との考えでひき逃げが続いていると考えると、新たな対応も必要ではなかろうか。

 逃げて行く(逃げたい)犯人の心情は、同じ運転する立場から理解はできるものの、迷う事も無く逃げ通そうとする心境はまったく理解ができない行為でもある。

 ずいぶんと以前の話になるが、夕刊を配達中の大学生の単車を追い抜こうとした高校生の単車が、接触してケガを負う事故があり、前を走っていた大学生は無傷であったが、救急車を呼ぶ事故となった。大学生は新聞配達中であり、まったく事故の責任が無いと思われた事(警察の判断)から、雇用主の私が病院に走ったのであるが、ケガをして入院となった高校生の親が駆けつけたあたりから雰囲気は一変した。

 「申し訳ありません」と言う私に、次々と苦言と要求が続き、挙句には「加害者はどうした」と罵声が浴びせられてきたのであった。「今すぐに連れてこい」などと言われ、しばらくは辛抱して聞いていたものの、終る事のない罵詈雑言に、「車体には十分な保険がかけてありますから…」と言う私に、「保険だけで済まそうとするのか」と大声が病院に轟いた。

 前を走っていた単車を無理に追い越そうとして、スピードの出しすぎにより自分で接触してケガとなった事から、明らかに自分に責任のある自損事故と思われるが、事故の相手であり親切心から聞いていた私も、「じゃー、保険も一切使わないから勝手に処理して下さい」と言って、帰ってきてしまったのであった。

 ケガをして入院しているから被害者と思って対応していても、自分の子供の責任を認めず、無関係の相手を加害者と認識して続く苦言は、親切心は吹っ飛び、喧嘩別れとなったが、後日になって相手の保険会社から「せめて、強制保険だけでも使わせて欲しい」とお願いの連絡が入った。

 こんな顛末を経験すると、相手の気持ちを思いやる気持ちも無くなるが、好きで起こす事故では無い事から、こんな小さな事故こそ「お互い様」の気持ちで接していきたい。大阪の何キロも被害者を引きずり、遺体を放置するような事件は、もはや交通事故とは言えず、厳しい断罪が待っていなければならないが。
                                  11月17日の一言

体調は絶好調になりつつあるものの…

 本日は早朝より雨が続き、開催された地元の自主防災会の訓練も、小学校の校庭から体育館に移しての訓練となりました。

 朝8時に町内の役員や班長による町内での訓練ですが、これも雨のため集会所に集まって、町内にある消火栓や消火器の場所の確認にとどまり、その足で主会場の神守小学校に集合ですが、各町内から人々が続々集まり、地域にこれだけの人が居たのか(当り前ですが)と思うような盛況です。

 ところで、私は最後まで居られず、10時半には迎えの車で次の会場に移動です。静かに姿を消して会場を後にする気持は淋しいものがありますが、身体は一つしかなく、移動中の車にも電話で、運転手役の知人と話すひまもなく次の会場入りとなりました。

 さて、一ヶ月前には走ると身体と足がアンバランスで、腹がおどり、道路を横切る際にも「これが年齢か…」と自問自答していたものが、先月の四国遍路から、先週は上高地で歩き廻り、以後連日の自転車乗り(夜10時半から今晩も走りました)で、走られる足が戻ってきました。

 不思議な事に、体調どころか、体力が戻ってくると、四国遍路の資料を見ていても、白衣からアウトドアのリュックサックや寝袋に目が移り、禅澄法話(善通寺管長・法主)を見ていても、会場となっているアウトドアショップの品揃えに関心が移ります。

 本日はNPO法人「ひとまち生活ネット津島」のボランティアからも1名が、県内大府市で開催された福祉有償運送の安全運転講習を受講に派遣されており、2日間の講習を終了した報告を受け、来月の申し込みも急ぐよう(来月は私が受講です)先輩風を吹かせます。

 さあ、こんな一言を書いている余裕も、今週は市役所の日程が続き、来週の日曜日は旅行会の京都行きが迫り、月末には四国遍路があるものの、空白の無いままに12月議会から年末までスケジュールが続いており、手帳を見る限り、一年が終わったような気分としかならない現実が続きます。
                             11月16日の一言

30年前の自転車にまたがって

 数日前より自転車にまたがるようになり、30年近く前の自転車とは言え、当時では人々が買わないような20万円近くした「ユーラシア」という自転車であるが、車体にサビが浮き出てはいるものの、愛用の電動自転車よりは楽に走れてスピードも出る事から磨きながら走らせている。

 もっとも、この自転車は私の物ではなく、独立開業してまもなく親から預かって雇用していたM君が買ってきたもので、私は大反対であったが、彼は母子家庭であった事から、それまで欲しいのを我慢していたらしく、自分の働いた金で当時の月給より高い自転車を買ってきてしまったのであった。

 挙句に誕生日が来るとオートバイの免許を取り、最初は原付きバイクで我慢していたものの、大型二輪を購入して仲間との遊びに精をだすようになり、そのまま我家に置いたままになったのが前記した自転車で、10年ほど前にタイヤを換えて私が乗ろうとしたが、結局乗る事もなく放置してあったのでもあった。

 不思議な事に、この自転車に乗り出してから、日頃からの運動不足で足は筋肉痛となり、頭のコメカミや首から身体中が悲鳴を挙げているが、腰の辺りの違和感が無くなり、血が身体中を循環している実感があり、これが続いたら私のメタボリックな身体も少しは改善されるとは思うものの、いつまで続けられるものなのかどうか…

 早朝から自転車の練習に出て行った三男が、雨のためにしばらくして帰ってきた。本日は朝から天候がすぐれず、雨は降ってはこないが何時降っても不思議でない天気に、午後から三男と家内の在所(約15キロ)まで走って行こうかと話していると、午後からは私へ訪問の約束があったらしく暫し待機となった。(私への用なら先に言っておくべきだが…)

 そんな訳で、本日は暗くなってから、サドルの位置を上げ、ハンドルの位置を一番低くするように息子に言われ、苦戦しつつも息子が試走したところ、自分のロード車と変わらぬスピードが出るとの話から、息子に30キロのスピードで走り続けるよう依頼して、町内を追走してみたが、欲を言えばキリがないもののこれで結構走れるものかもしれません。

 「それでも十分に戦える」との息子の言葉に感化され、「まさかー」とは思いつつも、ペダルを換え、ハンドルのテープを巻き直せばと考えると、M君の高いと思われた買い物も、「安物買いの何とか…」よりも息の永い価値が見いだされそうにもなり、しばらくは走ってみようとの気持ちにさせられるのでもある。

 ただし、持ち主であるM君の消息は、同級生で親しかった知人達にも判らないもようで、「大鹿さんなら調べられるんじゃない」、「いや、いや」と、議員に期待されても何ともならず、当時の懐かしい従業員と一同に会したい気持ちを持ちながら、それすら実現できない淋しさも感じているのでもある。
                                    11月15日の一言

こんな候補者に国を委ねられるのか

 本日の朝日新聞夕刊の投稿欄「ナゴヤマル」に、下記のような書き込みがあったので紹介したい。

『来年9月の演説会 奇妙な選挙ポスター』
 私の選挙区内の道路沿いに最近、自民党演説会と題したポスターが張り巡らされている。弁士麻生首相とあり、地元から立候補しようとしている衆院議員の顔写真が並んでいる。
 首相が来るのなら聞きに行こうと思って日時を見てみると、下のほうに小さな字で「平成21年9月10日」とあり、場所は議員の事務所となっていた(編注 9月10日は任期満了日)。まだ10ヶ月近くも先の話だ。本当に来年の9月に首相演説会があるのだろうか。
 総選挙もささやかれている折でもあり、違反ではないとは思うが、あまりにも奇妙なポスターではないだろうかと思う。
 選挙戦術とはいえ、こんな手段で選挙民に訴える予定者に私は不信を抱く。 愛知県 団体職員(69)


 選挙が近づき、私の地元でも衆議院選挙を意識したポスターが張り出されているが、我々地方議員が自分の名前を印刷したポスターを張り出せば、公職選挙法に触れる違反行為となるが、政党の活動として中身に名前を入れる場合には許される事から、今回のような奇妙なポスターが誕生したと推測できる。

 それにしても、顔と名前を売り込むためとは言え、国の首相の名前と、実際に開催されるかどうも判らない1年も先の演説会をうたうとは、選挙民(国民)を馬鹿にしているとしか思えない。

(この記事から珈琲タイムで)
 A「おい、こんな奴は選挙違反じゃないのか」
 私「違反にはならないんだ」
 A「それなら、来年の9月に演説会をやらなければ罪になるだろうが…」
 私「それよりも来年9月まで麻生さんが首相かな?」
 A「それなら余計に詐欺じゃないか」
 私「首相が代わるかどうかより、いつ選挙かも知れないだろ」
 A「こんな奴が当選したら日本も終りだなー」

 新聞の投稿記事にもあったが、選挙戦術としても「ヒドイ」の一語であるが、先の事は判らず、本当に来年の9月10日に候補者の事務所で麻生首相の演説会が開催されれば問題ないが、新聞社の注釈のように、任期満了日に演説会が開催される可能性は皆無に近い事から、こんな手法は厳しく断罪されるべきと思うが、私の知人(メタボリックの標本)から「こんな奴」と言われるようでは国会議員の資質まで疑われそうである。

 新聞の投稿者の住所が「愛知県」となっているが、新聞の投稿規程では、新聞紙上の匿名は自由だが、投稿には自分の住所、氏名、年齢、職業、年齢を記名とある事から、地域名の特定がされない配慮は新聞社か投稿者の機転かは判らないが、公衆の公道に疑わしきポスターを張り出す神経は市民感情も逆なでし、政治の信頼を低下させる行為でもある。
 
 今から30年ほど前に、江川投手と巨人軍の「空白の一日」が大きな社会問題として報道され、当時は国会議員の名前も調停の場に登場したが、世が変わり、国の指導者たるべき国会議員自らが、人々をたぶらかすような時代になったようで、地方議員としても恥ずかしい限りでもある。
                                 11月14日の一言

山道の通行は危険との認識不足が

 岐阜県海津市南濃町のガケから車が転落し、3日ぶりに運転をしていた58才の人が救助され、その際に近くの谷底でも全焼した軽自動車と男性の遺体が発見され、新聞やテレビで全国的に報道されている。今回の事故により、岐阜県や警察関係者によって全ての待機所にガードレールを設置する模様であるが、この峠は過去にも事故が多発しており、早急の対応に期待したいものでもある。

 さて、この県道は私の三男が自転車の練習コースにしている峠道でもあり、本日の夕方に30年近く前の自転車「ユーラシア」号にまたがり目的地を目指したものの、志半ばで引き返して喫茶店行きとしてしまったが、私も30年前にはオートバイでツーリング中にガケに接触して左足を亀裂骨折した場所でもあった。

 その当時は、オートバイでも走りやすい環境ではなく、車の通行もほとんど無かった道であったが、現在では自転車の練習コースとしてプロ選手でも走るというから驚きでもある。
 今回の事故では、飛び出してきたウサギを避けて谷底まで落ちたとの話であるが、寒さをしのぐために積んであった雑誌を燃やして暖をとったとの教訓から、タバコを吸わない私ではあるが、ライターと雑誌くらいは携帯したいと思った次第でもあった。

 事故そのものは本人の自覚が欠如した結果であり、事故後の岐阜県や警察関係の事故防止策は必要ではあろうが、この防止策を四国の山道に当てはめればキリがなく、高齢者の車が多い四国遍路には莫大な安全対策費が必要となる事から、改めて地域格差を実感させられると同時に、国中を捜せば転落してそのまま放置されている車や被害者が存在する可能性も実感した。

 偶然にも最近三男が自転車の練習に利用する道路であるが、私の若かりし頃はオートバイでこの二之瀬越えや、一之瀬、三之瀬と挑戦し、養老山脈の裏側を走り、三重県から滋賀県まで林道を走り回っていた懐かしい新鮮な場所でもあった。若き頃には何とも危険とも認識していなかった道が、今回の被害者の年齢を聞くと自身の淋しい現実も実感する。

 一方において、四国の遍路道や林道には、行政による安全対策は確実に不足しているものの、地域住民や遍路関係者の自発的な整備や目印も多く、仮に事故が発生しても比較的早く発見され、救助される可能性が高いのではないか。そもそも今回の被害者も、この道路を通る目的がないままに走っており、我が息子達も自転車の練習の場としている事から、今回の事故はきっかけとはなっても、地元の人々の生活道路としての安全対策を徹底して欲しいものでもある。
                                  11月13日の一言

フイルムカメラの苦難は続く

 「ミニアルバムのサービスは先月で無くなりました」と、カメラの大手チェーンの窓口で店員が張り紙を指さし、今まで写真の現像と同時プリントに付いていたアルバムは今後30円が必要になったと告げた。「近いうちに安売りのフイルムも無くなりますよ」との一言も加えられた。

 数年前まではフイルムを現像と同時プリントすると、1本のフイルムがサービスで付いていたものが無くなり、今年の9月までで200円引きのサービスが廃止され、追い討ちをかけるようにアルバムが無くなり、近いうちに格安のフイルムも無くなると聞くと、フイルムカメラが瀬戸際になった事を実感させられる。

 富士フイルムはフイルムの製造を続けると発表しているものの、このままでは高価なフイルムしか無くなり、カメラ店のサービスもデジタルカメラのみとなると、確実にフイルムカメラの利用客は減少し、特殊な撮影やこだわりの利用客(何のメリットも無くなりつつあるが)でもデジタルカメラに移行していくのではないか。

 さて、今年の夏に、久々に高校野球を撮影した際に、カメラの電池が切れて撮影ができず、予備のカメラを使用した事から、電池やカメラの調子に関係なく、確実に一枚一枚撮影できる、かつての機械式カメラの魅力を再認識し、2年前にオーバーホールしたカメラを机の上に置いたが、いずれはデジタル化への流れには逆らえない運命なのか。

 しかし、時代の流れに逆らってみても、機器の近代化はカメラをより身近な存在とし、最近では携帯電話のカメラでも事足りるようになっているが、フイルムカメラでも自動式カメラに慣れた事から、機械式カメラではシャッターチャンスにフイルムが巻き忘れてあったり、フイルム感度(ASA)が換えてなかったりと不便な事は間違いがなく、何度も撮り直しのきくデジタルカメラが便利と言えば便利には間違いがないのだろうが。

 昨年の春にカメラのストロボが壊れ、メーカーに出したものの部品が無いと修理ができず、代わりのストロボを入手したものの、カメラでも自動式カメラは部品がないと修理はできず、不思議な現象ではあるが、それ以前に製造された機械式カメラは修理ができるのである。

 頑強な金属を使用し、一生使えるカメラと性能抜群のレンズも、使用者がフイルムのハイリスクを覚悟しないとならない時代となりつつある。かつて小さなカメラ屋に電池を購入しに入ったところ、「そんな旧い物は無い」と迷惑そうに言われたが、当時は品揃えが悪かっただけだったが、現在では完全に製品そのものが製造されずに無くなっているのである。

 学生時代に白黒フイルムの暗室作業に熱中し、何とかカラーフイルムにも挑戦しようとした経験は何だったのか。印画紙に文字を写し込んで自慢していたのは誰だったか。遥か昔の時代話のようでもあり、あえてサービスの悪くなるフイルムをいつまで使えるのであろうかと…
                                   11月12日の一言

信頼されない政党の公約に

 「おい、ガソリン代が日に日に安くなるが、軽油は安くならないのは何故か?」の一言は、本日訪れた知人の発した言葉で、彼はディーゼル車に乗っている事から、ガソリン代と軽油代の差がなくなった事に疑問のようだが、「軽油を下げるとストーブの灯油代に影響するから下げないのではないか」の私の一言は、勝手な勘ぐりか的を得ているのかどうか…

 本当に最近のガソリン代の値下げは著しく、一日の朝と晩で値段が引き下げられる例も多く、値上げのように各スタンドが申し合わせたように同じ値上げをしたのとは違い、近所でも10円近い開きがある例があり、日曜日に給油した高山市では139円で入れた直後に130円のスタンドがあり、知っていればと思っても後の祭である。

 我家の近所で私が入れているガソリンスタンドでは本日130円の看板が出ているが、果たしてストーブが必要な頃に灯油代はいったいいくらの値段となっているのだろうか。

 さて、新聞社の世論調査によれば、3年後の消費税の値上げに国民は肯定的になっている反面で、各家庭に支給されてくる給付金には、選挙目当てのバラマキとして過半数の人々が反対の意向を示しているが、本日の珈琲タイムでは高速道路の値下げか無料かを巡って激論となった。

 自民党や民主党が、高速道路の値引きや無料化を叫び、このままで推移すれば自民党でも値引きが確実で、民主党が政権をとれば完全無料化となる訳だが、そうなると高速道路の料金所で働く人々は失業となるが、そんな事まで考えた発言なのかどうか知りたいものでもある。

 全国の料金所に勤める人々が何人になるのか把握はしていないが、この料金所の機械のメンテナンスを専門にしている会社の一社だけでも800人近くの社員が勤務していると言い、料金所窓口の人々も含めるといったいどれだけの人数になるのであろうか。

 一方で、高速道路を利用してこの恩恵を享受できる国民の比率はどのくらいになるのか。一部の人々しか利用しない高速道路だとすれば、無料化による道路の補修費や維持管理費はどこから調達してくるのか。また、割引や無料化により、道路の通行量はどのようになるのか…

 私自身も、高速道路をよく利用する立場にあるが、無料化によって料金は安くなっても、現状の大型貨物の無秩序な通行から、一般の乗用車が安全に通行できるものかどうかも検証された公約なのか気になるところである。

 私は以前の一言でも記したが、高速道路の割引や無料化を図るより、鉄道やバスなど公共交通機関の割引や、サービス向上を考えた方が燃料も必要とせず合理的で、過疎地で路線廃止や便数減らしが続いている歯止めにしたいと考えるが、この問題も国民的な議論が必要でもあろう。
                               11月11日の一言

閉山間際の銀嶺上高地へ

イメージ 1

 昨日の上高地行きは突然の決定となり、前日の夜10時に津島市を出発し、尾西インターから東海北陸道に入り、長良川のサービスエリアで持参する土産物を買い、ひるがの高原サービスエリアで休憩後に、飛騨清見インターから中部縦貫道に入り高山西インターにある道の駅で仮眠の休憩です。ここまで我家から2時間もかかりません。

 さて、仮眠と言っても夜型の私は眠くもならず、家族のいびきで眠れませんので、一足飛びに平湯温泉まで走り、バスセンターと目と鼻の先にある足湯の駐車場に停めて、とにかく仮眠です。上高地行きの始発は午前7時で、約30分で上高地のバスセンターに到着です。とにかく3時間で到着して早いものです。

 私の目的は写真家の中沢義直さんのカレンダーで、例年は明神池にある穂高神社奥の宮で購入してきましたが、今回は河童橋の前にあるホテル白樺荘の売店にある事が判ったので、昨年夏に登山中の事故で亡くなられた愛知県の作田さんの供養と思って、家内と母親を連れて明神池を目指します。

 途中の小梨平の売店も閉鎖され、明神館も閉店で板が打ち付けられ、冬季用のトイレが一つあるだけで、夏と違って途中でも人とはすれ違う事もありません。昨年も同時期に上高地へ来ていますが、今年は小梨などの果実が見当たらず、昨年よりは冬の訪れが早いようにも感じられます。

 明神池も奥の宮に参拝後は夏には人で賑わう嘉門次小屋にも客がなく、入ってみようとも思えず、一目散に河童橋まで戻りましたが、今年は道路に動物のフンが多く、歩くのも要注意です。それでも11時には河童橋に到着し、予約してあったカレンダーを購入した事から何もやる事がありません。

 「大正池まで行こうか」と言ったものの、家内と母親は歩けないと一歩も譲りませんので、私のお気に入りのレストラン「小梨」でちょっと早い昼食です。
 「あれッ、大鹿君じゃない」の一言は、中学時代の同級生で、河童橋で偶然に出会いました。「よく解ったねェ」「どうも声からそうじゃないかと」のやりとりに、「お父さんの声って特徴があるのかしら」の家内の声ですが、私はこの河童橋で昔から多くの知人と出会う事があり、ここにいればまだ誰かと会えそうに思えてきます。

 しかし、さすがに朝から歩いていると、歩く事しか何もない場所ゆえに、今回はビジターセンターで上高地の自然の映画で転寝です。私にとっては春や夏以上ににおう木々の香りや、刻々と変わる山の景色など一日が足りない位の上高地が、家内にとっては帰った後の心配で、早く帰りたいのが見え見えで手袋が必要な寒さも帰宅を促します。

 バスに乗った上高地入りは学生時代以来であったが、かつての松本から電車やバスを乗り継いでの上高地入りの習慣で、今でもわざわざ安房トンネルを通過し、松本側の沢渡方面から上高地入りしていた車のトンネル通行料や駐車場代ばかりか、時間についても飛騨側からの上高地入りの合理性に気づかされた。

 一方で、飛騨側の旧丹生川村には、学生時代からスキー(朴の木平)で訪れ、最近ではマイクロバスで訪問しても千光寺へ案内するなど、一時は格安で居住できる施設を捜していたくらいの場所で、昨日も地元の人間のような気分で知人を訪ねたが、蛇口より流しっ放しの水(清水からの井戸水)を見ながら、改めて自然の魅力に惹かれるのでもあった。

 昨年も同時期の11月10日に上高地に一泊しているが、このときはマイクロバスで出向いており、自然の魅力は人それぞれ感じ方と楽しみ方が違う事から、改めて自分の居場所探しがしたい心境となる上高地の一日となりました。昨年の上高地の様子と、私の居場所についての一言を下記に添付しました。
                               11月10日の一言
昨年の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27383512.html
私の居場所 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/27346998.html

本日は上高地に発って(立って)いました

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

河童橋から望む北アルプス(写真上)明神池と河童橋の間で出会ったサル(中)北アルプスと私(写真下)

 昨晩の夜10時に出発し上高地を目指しましたが、私の上高地行きの際には必ず立ち寄る場所があり、その立ち寄る場所の主に持参する土産をこの時間から買い求めようと走りましたが、さすがに夜の事とあって思うような土産が見当たらず、サービスエリアでの物色となってしまいました。

 「何が良いだろうか」
 「何でも良いんじゃない」
 「そんな訳にはいかない」
 「じゃー、事前に買って置くべきじゃない」
 「これにしようか」
 「あちらにもあるんじゃないの?」
 「あれも捨てがたいし…」

 なんて顛末で、一つに決めかねて、名古屋名物を二つにしました。さて、私の選んだ名古屋名物は何だったんでしょうか。
 一方で、私が立ち寄る場所が判りますか?これが判ればかなりの大鹿通です(笑)ヒントは旧丹生川村にありますが、正解者には豪華名古屋名物が(笑)
 でも、このクイズ正解者には本当に送りますよ(真剣)

 ところで、上高地からの帰り道に立ち寄った知人宅(?)は全くの留守状態で、何でも持って帰って頂戴状態で、清水から引いた水道は流しっぱなしで、コップに汲んで飲みながら携帯電話で連絡です。

 「今何処に居るんですか?」
 「今ー、高山」
 「高山は判ってるけど、自宅ですか?」
 「いや、いや、違うけど何で-?」
 「渡しておきたい物があるんで」
 「そうかー、じゃー奥の机の上にでも置いといて」
 「今年はもう来れないから…」
 
 こんな顛末でしたが、「泥棒さん、いらっしゃーい」状態の知人宅は、都会人には魅力たっぷりの水(無料の井戸水)が流しっぱなしで、名物の赤カブが漬け込みを待ち、冷蔵庫には自慢の果樹酒が「飲んでいってー」と並んでいますが、今日は運転手ですから…「ここに引っ越してきたい」

 上高地の様子は翌日の報告として、河童橋では中学時代の同級生と偶然出会うなど、日帰りとは言え朝7時半から居た事から、記憶に残る上高地行きとなりました。
                              11月9日の一言

本当に突然の上高地行きに

 何年前からの習慣かははっきりと判らないが、私の机の前(現在はパソコンの前)には、上高地のカレンダーが張られており、このカレンダーで季節の移り変わりを実感してきたが、このカレンダーも今年はあと一枚となってしまい、上高地も一週間後には閉鎖されてしまうのである。

 「おい、明日上高地に行かないか?」の一言は、私に似て物好きな娘が昨晩帰宅した事から突然の言葉となっていた。

 「えっ?明日って…明日?」
 「そう、明日だッ」
 「一泊するの?」
 「明日の夜に出発して朝一番で上高地へ」
 「行きたいなァ」
 「じゃー、行け、行け」
 「やっぱりダメだわー、予定があるから…」
 「そこを何とかならんかナ?」
 「来週にしたら、どお?」
 「来週はダメなんだナ」
 「来週なら行っても良いんだけど」
 「来週は公的な用事があるからダメなの」
 「そんな自分勝手なー」

 本当に自分勝手な思いつきなんですが、夏の上高地行きが実施できず、何とか秋までにはと思いつつ本日を迎えている次第で、早々と発言すると反対の嵐が予感され、最後の最後になっての発言は、ダメなら一人でも行ってしまう私の性格を知る家内と直談判となった。

 「日帰りでは疲れるだけじゃないの?」と問われても、私の目的は明神池にある安曇野神社奥の宮で販売されている「カレンダー」である事はお見通しで、「カレンダーくらい何でも良いんじゃない」の言葉が返ってきます。
 「たかがカレンダーと言うが、一年間だぞッ」と必死の私に、足手まといとなる母親も一緒なら行く事となり、明日は(と言うよりも今晩の深夜から)上高地行きが実現する事となりました。

 さて、私のこだわりのカレンダーは、「中沢義直」さん撮影の上高地で、上高地でも奥の宮でしか販売されておらず、かつては破って捨てていましたが、ここ数年間はそのまま保存してあり、見事な北アルプスの一瞬はいつ見ても新鮮な気持ちにさせてくれます。

 さて、さて、困った事は、上高地に行く際には素通りできない人物が(旧丹生川村に)おり、夜行の出発で夜帰る行程での訪問は厳しいものがありますが、今年最後になる事から土産だけでも届けたいと思いますが…
                               11月8日の一言

筑紫哲也さんの訃報を聞いて

 ジャーナリストでテレビキャスターであった筑紫哲也さんが亡くなった。73才の年齢を聞くと、2日前の一言の繰返しで「あと19年か」と淋しい気持になるが、テレビでガンを公表して闘病生活を送ったものの、所詮ガンに対しては無力だったのかと実感させられる。

 かつて愛知県はオリンピックの誘致に名乗りをあげ、あたかも誘致に成功したかのように浮かれていた時期があり、地元の有力企業を中心としてオリンピックの声が最高潮だった時、当時は朝日ジャーナルの編集長の立場で名古屋に入った筑紫哲也さんは、「絶対に無理だ」と地元に水をさすびっくりの発言をしたのであった。

 書店の〇善で開催されたブックフェアに招かれた際の一言だが、当時の愛知県が地元企業を中心として誘致へ一丸となっている時に、愛知県だけ盛り上がっていても、全国的には何ら関心も高まっておらず、東京に本社を置く大企業との連携もなく、愛知県だけで独善的に進めている姿勢を批判し、実現の可能性が低いとの発言をした。

 当時は愛知県内でのオリンピック熱は最高潮になっていたものの、地元の新聞が書き立てているだけで、全国に名古屋オリンピックが浸透していない現実を、あえて発言したジャーナリスト精神に対して、批判する声もあったものの、その後に誘致失敗の責任から愛知県知事が自殺する事態に至った事から、朝日の記者魂を見せられた気持ともなった。

 私は筑紫さんの健康管理については何も知りえないが、ジャーナリストとして煙草が必需品というような発言を聞いた記憶があり、健康管理に対する甘さとか、「まさか自分が」との思いからガンの早期発見が遅れたのではないかと勝手に推測するものでもある。

 私にとっては、地元紙が圧倒的シェアを占める名古屋で、あえて「朝日新聞」の看板をあげたのは、学生という身分もあったが、記事内容や取材精神を評価して決断したものの、なかなか普及しない紙面を勧める上で、筑紫哲也さんは朝日のシンボル的存在でもあった。

 柔和な表情と、相手の意見も聞きながら、冷静で公正な視点を持ち、時には厳しい批判も淡々と語りつづける筑紫さんであったが、かなりのストレスがたまっていたのだろうか。筑紫さんは煙草をガンの理由にはされたくないと思うが、ガンには早期発見しか対抗できない事と、改めて嫌煙運動を世界レベルまで引き上げる必要性を実感させられた。
                               11月7日の一言

ボランティアもままならない

 情報化社会の中で、多くの振り込め詐欺の被害が報道されながら、警察が金融機関に出向いて被害者を阻止しようとしても、なおかつ多くの人々が被害に遇い、多額の被害総額が報告されてくる。

 被害に遭うのは現金を持っている人だから、貧乏人の私には関係ない話と思われるが、これだけ騒がれている中で何故に騙されるのか不思議に感じるが、我々にも根は一緒と思われる情報の伝達や錯覚による損害を被っている場合がある。

 細かい中身までは語れないが、国の規制緩和が進められる中で、民間に運営や講習などが委ねられた案件が、委嘱された民間の団体が十分に対応せず、対象となる講習が人が集まるまで開催されなくなっており、この講習を受けないとボランティアへの参加もできない事から、機能不全となったものが国には把握されないばかりか、民間の仕事と割り切られてしまっている様子に、これこそ詐欺と同じ体質を実感させられた。

 「講習はいつ開かれるのですか?」
 「当分は開催されません」
 「講習を受けないとボランティアに参加できないんですが?」
 「受講する人が集まったら開きますが…」
 「受講したいんですが?」
 「何人ですか?」
 「2人なんですが」
 「10人は集まらないと、せめて7、8人参加されれば出向きますが」

 こんなやりとりで、1万5千円もかかる講習に、自分達で新たに人数を集めないと開催されない実態を国の監督省庁に相談するも、何ともならない実態と同時に、民間任せで委嘱した団体が何も実施していない実態を知りながら、何もしない横着な対応と、開催されない講習を受講しないとボランティアに参加する許可も出されないのである。

 さて、こんなやりとりをして、何ともならない応対や、他県の情報まで入手しているのに、同じ県内でも真面目に毎月講習を開催している団体もあり、国の民間任せの無責任な対応と、真面目な団体名すら公平性の面からか伝えない対応は、他県まで出かけて受講した場合は詐欺に遭ったのと同じではないか。

 一年前に設立し、愛知県の認証を受けたNPO法人であるが、ボランティアだけに仕事の後回しにしてなかなか進捗していない現状に、ボランティア意識以上に仕事として意識改革をしないと、人の輪も拡大していかない実態から、当面はこの活動だけに専念したいと考えている。これも、このままでは詐欺と同じとなってしまうのでもある。
                               11月9日の一言

オバマ氏47才の大統領誕生に

 アメリカの大統領にアフリカ系のオバマ氏が当選した。アフリカ系(黒人)と言っても、オバマ氏はケニア人の黒人の父親と、カンザス州生まれの白人の母親の子供で、完全なる黒人ではない事と、過去の黒人指導者のような白人社会への挑戦者ではない事から、国民の過半数の支持を得たものと思われる。

 オバマ氏の年齢は47才と、私よりも8才も若い指導者が大国アメリカのトップに就いた事は、わが国の政権交代が叫ばれる中で、自民党の麻生首相は68才の年齢で、挑戦する民主党の小沢一郎代表が66才の年齢を考える時に、アメリカのダイナミックな政権交代には驚かされる。

 長寿社会になったとは言え、70才に近い年齢は(大変失礼な言い方だが)亡くなっていく人も多く、俳優の鶴田浩二は62才でこの世を去っており、私の父親も65才で鬼籍に入っている事から、私の人生設計でも終末期(希望している訳ではないが…)となっている。

 わが国に置き換えても40代の指導者が待たれるものだが、二大政党政治になったとは言え、首相を国会議員から選出している現在の制度では難しい現実があり、国民によって国のトップが選ばれる公選制とならなければ、オバマ氏の再来は難しいと思われる。

 さて、本日亡くなった町内の人は75才で、喪主を務めた息子さんが37才と聞き、私の54才の年齢と長男の年齢31才を考えると、頑張ってみても残された年月は限りがあり、「生きても20年、早ければ8年(鶴田さんの享年から)か」と、つい悲観的なつぶやきとなってしまった。

 そうやって世の中を悲観的(後ろ向き)に考えると、49才で逮捕された小室哲哉氏の人生は、たった1回の過ちから再起もままならず、大阪の3キロも人を引きずって死亡させた犯人は、22才の年齢でまともな人生から転落したようにしか思えない。

 それにしても、人を死亡させておいて、ホストに転職していた事から、「自分なら四国遍路にでも出るがなー」の一言に、「生活資金が無いだろう」と反論が返ってきたが、人を殺しておいて幸せは実現できず、罪を償っても故人の命は還ってこない事から、一生が罪を背負った遍路になりそうでもある。我が身、我が息子と思うと複雑な心境でもあるが。
                            11月8日の一言

立ち止まる勇気があれば…

 音楽プロデューサーの小室哲哉氏が自分の曲の著作権をネタに5億円を騙し取った疑いで逮捕された。自作の曲や歌詞806曲の著作権を10億円で売買する約束で、その前金の五億円との事だが、海外での音楽事業の失敗で数十億円の借金があり、著作権そのものは他人に移っていたと伝えられている。

 誰しも失敗はつきもので、思わぬ借金を背負う可能性はあるものの、その時点での対応が重要であり、借金を背負って這い上がる人もあり、前者のように人を騙して自分の責任を回避しようとする人もあるが、人を騙せば一生を逃げ回るか司直のお世話になる運命となる。

 9月に愛知県一宮市で発生したクレーン殺人事件の犯人も、被害者は遺産相続や借金問題をめぐるトラブルから、近所に住む32才の自分のオイに殺害されていた。加害者は被害者の兄弟となる親とともに総額3億円の借金があったと言い、被害者にも数千万円の借金があったと言う。

 不幸な事件である。57才で命を奪われた被害者には85才になる母親が健在であり、犯人はその孫にあたることから、祖母は孫の逮捕に否定的なコメントを寄せているが、我が子を孫に殺されたショックは計り知れないものがある。

 本日のニュースでは大阪で3キロも人を引きずって殺害した車輌が特定され、運転していた若者が行方不明になっていると伝えられてきた。この事件については、事故発生時に犯人が逃げようとせず、被害者を救助にあたっていれば殺人事件にならずにすんだと思われ、一瞬の悪意が被害者だけでなく加害者の一生も台無しにしてしまったのでもある。

 さて、借金についても、自分の意志とは関係なく、予想しない結末と思われるが、自分の限界を超えた借金について立ち止まる判断が必要である。自分の年収は確実に予測できる事から、返済能力を超えた借金は立ち止まり、万が一の場合に備えた保険も有効だ。

 前記した小室哲哉容疑者にしても、莫大な借金を背負っても、人を欺く犯罪に走らなければ、やり直す事も可能であり、最悪の場合でも破産宣告から再起する可能性もあるが、詐欺事件で実刑判決を受けた前科者になってからの再起は難しい。数十億円単位の金を動かせた人物だけに。軽率な行動が残念に思われてならないのは自分だけではないと思われる。
                            11月4日の一言

高速道路の値下げより公共交通への優遇策を

 政府自民党や民主党幹部から、高速道路の減額や無料化が発言されているが、一方では全国各地で建設された高速道路や有料道路の利用量が低く、愛知万博に向けて作られた鉄道や道路が当初予定された利用に至っていない現状が、本日付けの朝日新聞に掲載されている。

 愛知万博は大成功と言われ、予定された収益より大きな利益が出たと発表されているが、万博のために建設された『リニモ』や地下鉄、有料道路やアクセス整備に費やされた費用は莫大で、万博閉幕後の利用は低く、各種のイベントを企画してみても利用拡大には至るはずもない。

 高速道路の建設と整備が利用者にとってはひじょうに便利で、長距離となる旅行にも大きな武器となっているが、現在でもETC車載車にとっては通勤時間帯の割引や深夜割引があり、これ以上の割引が必要とは思えず、今後更に必要となる道路の補修費を考えると国会議員の発言は選挙目当てで無責任と言わざるを得ない。

 テレビでは評論家が、「輸送業者への割引を」と提案していたが、これなどは深夜の高速道路の現状を知らない発言で、深夜の高速道路では大型トラックが連結でもされたように走り、乗用車などの安全を考えると無法状態の通行は限界ではないか。

 どこまで走っても無料とか千円の高速代金は魅力だが、観光地へ車が集中すれば、車の渋滞によって結局は旅の魅力も半減し、高速道路の補修にあてる財源は絶対に必要な事から、最終的には国民への税負担が求められる事になるのは必死でもあろう。

 自民党や民主党が流通の活性化による景気回復を真剣に考えているとすれば、私はむしろ公共交通機関である鉄道やバスへの優遇策を考えて発表すべきと思う。鉄道や長距離バスの利用者が増えても、車の増加に伴う排気ガスの増加にはならず、路線廃止や便数減らしとなってる公共交通の現状と地方の足を確保する意味でも効果は大きいと思われる。

 国会の早期解散説から先送りが予想されているが、選挙目当ての減税や新たなバラマキを発表したところで、国会議員が自ら金を作るわけではなく、財源となるのは企業や国民の税金にあるところから、最後には国民の負担増となる事に厳しい視線が必要でもある。
                           11月3日の一言

遠方よりの来客が続いた記念館

 本日は町内の水路清掃が開かれ、今年は我家が字の班長になっているのでホースなど備品を持って一番に駆けつけました。「こんな連休の合間にやるかなー」の、本音は私の心に封印して、とにかく早く終わらせる事のみです。

 こんな中年となり、日頃の老化現象を嘆いている私でも、こんな時には一番の若手となるのが不思議ですが、見渡してみると若手そのものが町内に存在していないのです。

 さて、本日はこの後で横井庄一記念館の留守番となり、午後には一時的に地元の行事に顔を出す予定でしたが、この日は地元だけでなく横浜や京都、大阪など遠方からの来客が続き、昼食時間どころか閉館の4時30分まで一歩も記念館を出られぬ一日となりました。

 それにしても京都からは熟年のご夫婦にもかかわらず車で高速道路を使って来館され、大阪の人は近鉄特急とタクシーでの来館に、暇つぶしやついでの訪問とは違う、目的を持った真剣な訪問から、果たして自分にそんな熱意があるのか疑問にもなりました。

 館長の横井庄一夫人によれば、若かりし日に訪問した京都の陶芸家河井寛次郎記念館の印象が忘れられず、横井記念館もそんなイメージとして後世に残したい希望のようですが、もっと見せるために改造すれば、表に出ていない遺品もある事から楽しみな半面で、あと一ヶ月で81才となる館長の年齢を聞くと大変な話でもあります。

河井寛次郎記念館のホームページ↓
http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/

 本日には午後より東海テレビの特別番組に横井庄一が取り上げられ、年内にはフジテレビ「エチカの鏡」でも撮影が予定されており、マスコミに紹介される事から、はるばる遠方からの来客も続き、無料のボランティアとは言え、真剣な迎え入れが必要となっています。
                             11月2日の一言

四国遍路の余韻に浸る一日に

 昨日と言うよりも、本日の午前0時半頃に四国遍路より帰り、このブログに携帯電話から送った写真を確認してから眠ったものの、まもなく朝となり、ゆっくりと眠っていたいものの、昨日の車中への忘れ物やら、届けられた我家の今年の新米の後始末など、眠いままに一日が経過した。

 我家への来客者にも昨日までの四国遍路の影響で、聞きたくない人にも話すばかりか、何度も繰り返す事から「さっき聞いたわッ」と言われる始末であるが、月が変わり四国霊場会から会報「へんろ」が郵送されてきた事から、家族にも四国尽くしの一日ともなった。

 私の着ている白衣に関心を示す三男に、「着てみろ」と持ってくると、「かっこ良い」の言葉があり、白衣の上に着る袖なしの笈摺(おいずる)が気に入った様子で、「これ着てみようかな」となり、「オレも四国にはまりそう」の言葉が返ってきた。来月に背中に金の刺繍の入った笈摺を買ってくる事となったが、自転車の練習時の護身にもなりそうと思う。

 さて、2日前に宿泊した愛媛県久万高原町の『古岩屋荘』の夕食時に、食堂の中に家内の2年前に亡くなった父親とそっくりの人を見つけ、言葉を交わそうかと思った位だったが、偶然にも温泉の浴場で2人だけで一緒になり、言葉が発っせないでいると相手から声がかかってきた。

 その人は和歌山県橋本市の人で、遍路の話をしただけだったが、一人で(車で)巡拝中の人で、偶然にも翌日の朝食でも挨拶を交わし、出発時には順番とは違うが宿に近い第四十五番岩屋寺を先にするように教えると、行く先々で会話を交わすようになった。

 それにしても、家内の父親とはじっくりと話した事もないままの別れとなったが、この出会いは何か因縁のような気がするとともに、「もしかしたら」との思いもあり、親しみを感じながらの巡拝は、過去の遍路とは違った経験でもあった。

 いつまでも一緒になる事は不可能のため、お互いの「納め札」を交換した。今までに百回以上巡拝された方々の錦の納め札には注目してきたが、受け取った白の納め札(私は緑の札)に、これこそ納め札本来の使われ方を実感し、これからは納め札を名刺代わりにしようかと思った。

 五十一番石手寺で、私の住む津島市とは隣町の美和町から遍路中の32才の若者と出会い、満願後の御礼参りに逆打ち中と聞き、ここでも納め札を交換する事となった。どこにどんな縁があるか判らないが、今後は遍路の人々との縁を特に大切にしていきたいと思った。
                            11月1日の一言
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ