大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2008年12月

大晦日のをけら火

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 八坂神社のをけら火を津島市まで持ち帰ります。
はたして成功するか楽しみにして下さい。

追伸(元旦)…
31日=津島市(12:00)…蟹江IC…御在所SA…(新名神)…京都東IC(14:30)…

御寺・泉涌寺(15:30)…大徳寺…細見酒店(16:30)…寺町商店街(夕食18:00)…
 知恩院…八坂神社(20:00をけら火)…百万遍・智恩寺(お勤めと除夜の鐘)…

元日=船岡山・建勲神社…北野天満宮…京都南IC(3:00)…大津SA…弥富IC…津島神社(午前5:00)

参加者9名 ニッポンレンタカー使用 「をけら火」は津島市各家々まで持ち帰りに成功です。

 さて、京都から愛知県まで石油ランプで「をけら火」を持ち帰りましたが、持ち帰った火をどのようにして自宅で点火するかで車中で激論になりました。
 ガスレンジは自動点火で、ストーブは温風器では、持ち帰った火を移せません。我家はロウソクからストーブに点火し、その火からガスレンジに移して雑煮と昆布茶を食しましたが…

 火は風でも一瞬にして消えてしまうので、移し代えは慎重を要しました。実際にストーブに移した炎は、昨晩に使いきった灯油のせいで、すぐに消えてしまい、種火のランプを消していたら今年も失敗となるところでした。

追伸(1月2日)…
ビデオで放映されていました。↓私も登場(27秒後に一瞬)します。
http://jp.youtube.com/watch?v=WfysDj_L4P0

 

雪模様の天気予報に不安な出発となり

 平成20年最後の大晦日を迎え、天気予報を見ると本日より元旦に向けて、雪の気配に困惑しています。本日は(数時間後)昼には京都に向けて出発する予定ですが、借りてくるレンタカーのタイヤやチェーンまで確認しておらず、本日は起床後の連絡が必要になりそうです。

 天気予報のあたる確立は高くなっていると思うが、今年の年末年始の天気が雪となりそうな予報は、一週間前の新聞の週間予報からは見当たらず、昨日になって大晦日から元日にかけて雪が舞う予報から、行きは良いものの帰りの高速道路の心配からレンタカーのタイヤが気がかりの夜となった。

 この十年間に1回だけ雪による大晦日の京都行きを断念したが、今年は微妙な予報で、夜までは大丈夫なものの、夜から朝にかけて1ミリ程度の雪となると、高速道路はどうなるのか。自分の車ならスタッドレスとチェーンを積んでいるものの7名しか乗車できず、10名のためにチェーンを積む28人乗りマイクロバスを借りるのも不経済だし…

 さて、そんな天気予報の心配までして、何故に京都行きにこだわるかと思われるが、とにかく八坂神社の「をけら火」を家まで持ち帰り、この火によって昆布茶とお雑煮を食べると、来年一年間の無病息災が約束されると聞くと、一度は実現したい(3回目の挑戦)と思います。

 本日は昼に出発し、まず真言宗の本山である泉涌寺に行き、その後に大徳寺門前の細見酒店により、年越しそばを食してから、浄土宗大本山知恩院に車を停め、八坂神社で参拝後に「をけら火」を持ち帰り、浄土宗本山の智恩寺で参拝後に除夜の鐘をつきます。
 その足で船岡山の建勲神社に参拝し、牛と縁のある北野天満宮に参拝して帰宅の予定です。

 できることなら、このブログを訪問される方々に、「をけら火」をおすそ分けしたい心境ですが、科学が発達した現代でも、電波で火を贈る事はできませんので、本日は(感度の悪い)携帯電話のカメラから「をけら火」の映像は送ろうと考えています。

 これで本当に今年最後の一言になります。訪問された方々にとって、来年が幸多い年になる事を祈願するとともに、来年にも変わらぬ交流をお願いし、パソコンの指を止めます。ありがとうございました。(午前10時00分)
                                 12月31日の一言

息子をダシに外出に成功したものの

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 「お父さん、今日は頑張ってねッ」と、午前中から家内に言われていましたが、午後になってから自転車のローラーに乗ると言う三男に、「お父さんを30キロで引っ張ってくれ」と言った一言から、息子も外出して木曽川に近い農道でアップする事で合意しました。

 さすがに私へは鬼面の家内も、子供の練習について行く馬鹿親父までは引き止める事ができず、私はまんまと外出に成功しましたが、これからが大変な展開となり、寒風に向かい逆風の北西に向けて自転車を走らせるものの、息子ははるか彼方に消え去り、風に向かう坂道はペダルを踏んでも自転車が走りません。

 「頼むから25キロで走ってくれ」と言ったものの、それでも息子の姿は遠くなり、「たっ、頼む、20キロにしてくれ」と言っても強風に立ち向かうとついていけません。何度も息子が戻ってきながら、息子がアップに利用している木曽川沿いの農道まで辿り着き、自動販売機をさがすものの周りは田畑ばかりで見当たりません。

 黙々と自分の練習を繰り返す息子を尻目に、自分はある自転車乗りのブログにいつも写されてくる場所まで走りましたが、木曽川の堤防の上に出たのが失敗で逆風は今まで以上に強く、足の痛みよりも涙で前が見えない位の風を黙々と走って、辿り着いたのが上の写真です。(携帯の感度が悪いですが、温度計の電光掲示板です)

 自転車を降りた私の足は、まるでペダルを回すように勝手に走り出し、今にも転びそうな状態で、自転車を杖がわりにして移動して記念撮影です。この傍らを見慣れたユニフォーム姿のペアが津島市の方へ走り去っていきましたが、ヘルメットもなく白いジャンパー姿のマスク人間を走り屋とは認識もされず、次々とロードマンが走り去っていきました。

 ただし、ここからの帰路は追い風となり、スイスイと自転車は走りますが、寒さに手が強張る展開となり、息子の練習場所に戻ったものの、息子の姿は見当たらず、それでも親馬鹿で万が一と待ち続けましたが、どうやら行方不明の私をおいて帰った様子から、ついでに市内散策を兼ねて走る事とし、元旦を迎えて露店が建ち並ぶ津島神社(写真下)にも立ち寄り、馴染みの喫茶店経由での帰宅となりました。

 これでも限界で精一杯の私ですが、帰宅後の私を待つ息子の言葉は容赦なく、「あれじゃー、ママチャリのお母さんより遅いわ」と言われる始末で、いくら頑張っても高校生の息子の前を走る可能性は皆無で、年相応の走りに徹して来年8月を目標に走ります。もっとも、4月からは息子が毎日早朝練習をはじめますから、練習する機会は増えますが、問題は私の3日坊主にありそうです。
                                     12月30日の一言
追伸
カメラのお蔭でユーラシア号(昭和55年製)も輝いてみえるでしょう。

20年もあと2日間と溜息が

 まさに年末となり、あと2日間で新しい年に突入するに至り、仕事ははかどらず、会報の編集も進捗せず、新年を迎える現実と、来年の行事そのものの準備が必要となり、市役所をはじめ正月休みに入っている中で、孤立無援の仕事を消化する現実に、予想はしていたものの(予想通り)大掃除もないままに元日を迎えそうになってきた。

 本当に月日と言うよりも時間の経過は早く、正月が私を迎えにくるように差し迫って来て、大晦日と元旦の京都行きから帰ると、休みなしで仕事が迫り、特に12日に予定している地域セミナーへの参加者の心配をしていると、不眠状態となり、身体も寒さから硬くなり、頭痛も感ずるようになると軽いストレスとなりつつある。

 自分の仕事だけに徹して、議員としての効果的な行動に徹すれば、かなりの自由と時間の余裕も取れそうだが、地域セミナーは愛知県からの受託事業であり、責任が伴うばかりか、決め事も多く、その上で会場を満席にする事は容易ではなく、この辺りから精神的プレッシャーを受け、胃腸にも悪そうな実感がある。

 さて、新聞販売店から届けられた「高島暦」を見ると、私の「二黒土星」は円が真っ白(○)の「喜悦運」になっており、「忙しく働き続けてきたご褒美が与えられるような、人間関係や金銭面での喜び・祝い事のある年です」と記されている。ただし、腹八分に心掛ける計画的行動も求められています。

 一方で、家内の「八白土星」も真っ白(○)の整備運と記され、私よりも運勢の年回りは良さそうで、「伸長・整う・信用・遠方」の象意があり、周囲との調和を図り将来を見据えて丁寧に物事を整える年と記されています。こちらは、建築、開業、長期旅行も吉との事であり、限界スレスレの私より将来の展望が望めそうな暦である。

 ともあれ、真面目に生活しなければ得られる幸せもなく、私が憧れる「四国歩き遍路」などは、前記したストレスやプレッシャーから逃避したい精神の表れである可能性が高く、一度は思う存分自由気ままに家出したい願望も高くなり続けている。
 「あれッ、大鹿さんじゃない?」と、見知らぬ土地で呼びかけられたい心情が現実になるかならないか判らないが、なりかけた時は鬼籍に足を踏み入れた時では淋しいものがあり、今一度環境を一変させたい願望も強くなりつつある。

 数年もすれば母親も亡くなり、子供達もそれぞれの道へ進み、私は胃癌か脳卒中で苦しむ日々を迎えている可能性も高く、こんな暗い予想を払拭するためにも、本当に自分のしたい事に向けて、確実な舵取りとなる21年としたいものでもある。
                                      12月29日の一言

愛知県も冬の時代到来か

 莫大な借金を累積した大阪府に橋下徹知事が誕生し、幹部職員や組合と衝突するばかりでなく、市町村の首長ともきわどい議論が報道されていたが、厳しい状況の中から明るい兆しが見え始め、その蔭に巧みなメールなどによる指示で幹部を掌握していたとの報道があった。

 一方で、好調なトヨタ関連の豊かな税収をバックにして、愛知万博を成功させ、日本で唯一元気な地域として話題を発信していた愛知県が、国からの交付金の不正流用が報じられ、トヨタの減産体制により来年度の莫大なる税収不足が現実となりつつある。

 トヨタの不振による税収不足は、お膝元の豊田市をはじめ県内の自治体の来年度予算に影響を与えているが、工場の減産体制により仕事を離職させられた派遣社員や期間従業員の生活にも直撃し、職にあぶれた人々への対応も考えると、愛知県の来年度は最悪となりそうでもある。

 企業の社会的責任が問われる事となるが、生産に必要な人材を身分保障が必要となる正社員ではなく、派遣社員や期間従業員、臨時職員などに求めてきたが、仕事を失っても住居まで移動はできず、家族の生活する地域では学校や病院など公的負担は続く事から、企業の勝手では済まされない現実もある。

 かつて奴隷としてアフリカ大陸から連れられてきた黒人がアメリカで市民権を得たように、愛知県内においても労働力として集まってきた日系ブラジル人や中国人などが集団化しており、仕事がなくなったから後の事は知らないでは済まされないのは現実問題だ。

 さて、厳しい舵取りからスタートした大阪橋下知事がであったが、予算の削減や経費削減から教育問題まで、厳しい対立や議論を繰返しながらも、行政にもなんとか橋下流が浸透し、府民の支持も得て建て直しの方向性が示されつつある。

 トヨタは無借金の堅実経営によって世界一の企業になったが、トヨタ関連の企業のある地方自治体は果たして健全経営と言えるのか。トヨタの好調に支えられてきた愛知県にとって、来年度は厳しい舵取りが現実となり、企業の社会的責任も問われる年となりそうでもある。
                                 12月28日の一言

時代とのギャップを感じる一日に

 今日は与えられた自由時間を自分の会報(津島の風と旅情)に費やす予定であったが、雑用の連絡と対応をして理髪店に出向いただけで、一日が経過してしまったのでもあった。

 夜になって家内の同行で稲沢市まで(補助席ですが)走り、珈琲でも連れていってもらえるかと思っていると、明日の食料をコンビニで買い込んで、私には120円の「おしるこ」1本が褒美となった。こんな物で喜んで付いていったのかと思うと情けないが…

 さて、コンビニの外から店舗内を眺めながら、店内に銀行のATMや郵便ポストがある事にも驚かされるが、コンビニがかつての商品を売買する「よろず屋」ではなく、情報の中継点となっており、鉄道の駅に代わる道路のステーションとして定着している事を実感させられる。

 「お父さん、ガソリンも入れていくわッ」とセルフのスタンドにはいったが、私には料金の支払いシステムが判らないため利用しないが、利用者の多くが女性である事に驚かされ、手馴れた手つきでガソリンを入れる家内の姿に、金銭感覚に敏感な女性向きと実感する。

 この夜の対応だけでも、私の頭は前時代的となっており、安いと判っていてもカード音痴では利用もできず、買い物も一人では行けず、時代の流れについていってない事を実感させられます。
 
 今年は後半になってから世界的な不況から、工場の閉鎖や職を失う人々の話題が多くなっているが、地方自治体の税収も大幅に減収となる中で、元々工場も少なく企業からの税収に頼らず、細々と厳しい財政運営を続けてきた我が津島市にとっては、他の自治体と比較すればダメージも少なく、来年は苦難を飛躍とするチャンスも可能ではないか。

 かつて訪れた東京都の三鷹市では、行政を支えているのは企業からの税収ではなく、高収入の優良住宅であると耳にした事があったが、今回の不況では低賃金の派遣社員に頼った企業の人員削減から、税収の減少だけでなく、低所得の離職者を大量に抱えた行政も多い。

 それにしても、愛知万博以後も、日本で一番元気な地域とされていた愛知県も、トヨタの減量経営によって、日本で一番厳しい地域に陥り、企業に頼りきっていた行政も、日本で一番厳しい財政運営を強いられる丑年になりそうでもある。
                                   12月27日の一言

一足早い正月の香りに

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 私にとっては毎年の慣例になっているのが、一年最後の買い物として、大晦日に京都紫野大徳寺門前の山国屋・細見酒店で、日本酒「雪紫」を買う事です。

 毎年同じ反復行動で、特別に意味はありませんが、2年前までは私の座談会へ無料で出演し続けてくれた「浪漫亭砂九」さんへ一年に一度だけのギャラとして、この店で日本酒を一本購入して、3日の落語会で渡していたものの、渡すべき相棒がいなくなり、淋しく購入する私の心境を察したかのように、早々と本日の宅配便にて届けられていました。

 この店にいつ頃から訪れるようになったかは定かではないが、朝日旅行友の会では平成3年に大徳寺の大仙院を初めて訪れており、平成5年からは泉仙大慈院店の鉄鉢料理に毎年訪れてきた事から、こんな頃から覗くようになり、平成11年に議員になってからは、夏の8月16日と大晦日には必ず訪れており、以来我家の冷蔵庫には必ず「雪紫」が置かれています。

 山国屋・細見酒店のHP
 http://www6.ocn.ne.jp/~kitaru/

 今年も数日後の大晦日には訪れる予定ですが、「へんくつ親父」と記されている店主も「お爺さん」になり、店頭には息子さんが立つようになっていますが、自らを「へんくつ親父」と称しているものの、その「へんくつ」を「普通」としか思わない私も、かなりの「へんくつ親父」なのでもある。

 わざわざ京都に行かなくとも、地元にも魅力ある酒屋が存在している中で、わざわざ京都まで行って日本酒を買う習慣は、この「へんくつ親父」との相性もあり、「私は雪紫しか飲まない」と宣言までしているのである。もっとも、こんな宣言をしているのを知っておりながら、わざわざ高山の酒を届ける「へんくつ親爺」も地元にはいるのですが。

 さて、本日届けられた「しぼりたて雪紫」は冬季限定の酒ですが、私のお勧めは「にごり酒」で、これは年によって多少の甘味や酸味が違うところが魅力でもある。
 それにしても、「何故、行く前に届いたのだろう?」の疑問を残すが、この店も最近では「へんくつ親父」から世代交代が始まっており、年末年始は定休日とされている不安を感じる京都行きとなりそうでもある。
                                 12月26日の一言
 雪紫総本舗のHP
 http://www.rakuten.ne.jp/gold/yukimurasaki/

議会中継を見て走ってきた知人から

 本日の午後に、津島市議会第4回定例会(12月議会)が終了いたしました。過去の市議会の慣例から、(不謹慎にも)「昼には終るかなー」と知人に話しておりましたが、実際には午後2時を大幅に廻っおり、今回の議会では野党の反対討論ばかりでなく、それぞれの議案にそれぞれの議員が賛成の立場で討論に加わった事が、時間だけでなく目新しく感じました。

 「いや、いやー、あんたの委員長報告が長すぎたんだ」と、決算審査の委員長報告の長さを皮肉る一言もありましたが、昨年の委員長報告よりはかなり短く仕上がっているものの、一時間の報告は最低限必要な削りに削った報告で、私と昼食を一緒に期待していた知人の昼食は、午後3時過ぎまでお預けとなりました。

 それにしても、津島市議会は地元の有線テレビ局から議会が実況中継されており、議員の発言や質問がリアルタイムで放送されており、知人も議会が終了するのを待って一目散に走ってきましたが、議会中継を見ている市民の数はどのくらいになるのか判りませんが、増えている事は確実です。

 このテレビ中継も、私が議員になる前から実施されており、我々は当り前と思っておりますが、近隣の市町村の多くが放映されておらず、市外在住の人々から軽々しく批評されると、地元の議会を見てから言って欲しいと反論したい事も多く、情報開示も含めて意外にオープンとなっている津島市の現実が市民の多数に理解されていない事には淋しさも感じます。

 このあたりの温度差が隣接する市町村とは根本的に違い、議会の本会議は完全公開になっている事と、各委員会についても市民の傍聴を断る事は基本的にない事から、情報の公開度は高く、市外の人々から同レベルで市政が語られ、一緒にされる事に議員として嫌悪感も感じさせられます。

 さて、本日の夕刊では、修学旅行で乗船したフェリーで、財布の金が無くなったとして茨城県の高校生53人の指紋が採られたものの、犯人の指紋と一致しなかったとの記事があった。この指紋採取によって予定していた目的地に行けなかったとあるが、酒に酔った客の証言で、53人もの高校生の指紋が採られた事には驚きで、船内に犯人が存在していたとすれば、乗船した客全員の指紋を採取すべきで、果たしてそれが出来たかどうか…。

 高校生と思い、高校生だから指紋を採取したとしたら、前時代的な大人の対応と同時に、一人の酔っ払いの証言によって指紋が採られている事から、証言した酔っ払いの責任として、指紋を採取された茨城県の高校生に謝罪させるべきではないかと不愉快にさせられた。
                               12月25日の一言

町内のゴミ当番に立って

 本日は三男が風邪で学校を休む事となり、毎日6時の起床時間になっても起きてこないため、家族の起床時間も遅くなり、余裕で目を覚ますと、「お父さん、今日はゴミ当番の日だよッ」と、町内のゴミ集積場に立つ町内の班長の役を当り前のように押し付けられた。

 家内が働きに出ているものの、私も昨日の旅行に借りたマイクロバスを一宮市まで返しに行く予定があったのだが、7時30分から1時間はゴミ集積場に立つ役目を押し付けられ、時間厳守で出向いたものの、時間になっても2人立つはずの係りの人も1人しか現れず、年末のわりにはゴミも少なく、寒さに震えながらのゴミ当番(立っているだけで何の役になったのか?)となった。

 帰宅後に慌てて一宮市までマイクロバスを走らせていると、「何時になったら帰ってくるんだ」と、病院に連れていって欲しい三男から横着な電話で、帰宅後に息子を病院に運び、明日の議会本会議閉会を前に残された仕事に走っていると、一日も終わりとなり、久々となる知人との珈琲屋行きで今日の仕事は終わりです。

 それにしても、今まで家内に任せていたとはいえ、朝の一時間をゴミ集積場の当番に立つのは大変な事で、仕事を持っている主婦は仕事を遅刻して立つ必要があり、代理で立つ男の私ではゴミの分別内容まで詳しくは解りません。
 議員として、議会の委員会で事前に説明をもらってはいるものの、集積場に置かれたゴミを前にして、何が何だか判らないばかりか、実際に家庭のゴミを出す立場の主婦でないと、指定日についても判らず、一緒に立たたれた当番の人に聞かされる話は新鮮です。

 一方で、1年半後には稼動する下水道の具体的予定や対応について、行政の説明不足は明らかで、集会所で説明会を開いてはいても、他の市町村から移り住んだ人々は、本音で聞きたい事があってもほとんど聞く事もできず、肝心の先祖代々住んでいる地元の人々の大半が役所任せで知っているフリをしているだけなのです。本日のゴミ当番での限られた会話から、改めて市民への説明不足を実感させられました。

 さて、平成20年も残りわずかとなり、来年1月12日に予定されている地域セミナーの準備が現実に差し迫っており、こうなると年末年始とは言ってはおられず、年内から1月1日、2日、3日と淡々と仕事を進める事が必然的となってきますが、今年は綱渡りでも日程をこなしてこれた事を奇跡のように思うしかありません。
                                   12月24日の一言
追伸
明日の本会議では、決算審査特別委員会の委員長報告を残しており、今回だけは最終日まで緊張の一日となりそうです。

余裕の温泉湯治の旅に

 本日は、温泉湯治と買い物の日帰り旅行に知多半島まで出かけてきました。

 津島市(8時発)…弥富IC…知多半島道路…半田IC…ミツカン・酢の里…内海天然温泉・白砂の湯(昼食と温泉入浴)…山海・宝珠寺(洗い観音)…豊浜・さかな広場…美浜・えびせんべいの里…美浜IC…大高IC…湾岸自動車道大府IC…湾岸弥富IC…津島市

 予定では常滑の焼き物と、ジョイフルファーム鵜の池も行程に入っていたが、高齢者が多数を占めるメンバーから回避する意見が多数となり、上記の行程で一日を過ごしました。

 20人の定員に対して25人の参加があり、マイクロバスの補助席まで溢れる旅行となり、車内は賑やかになったものの、買い物した商品の置き場に困る半面で、知多半島と近くを目的地としていた事から、余裕の出発と帰宅になりました。

 土曜日には四国遍路から高野山まで千キロを越える行程をこなしてきた事から、知多半島は近所に出かけたようなもので、有り余る時間の余裕を感じる一日となりました。

 さて、今回出向いた山海の宝珠寺には、霊験新たかな洗い観音様があり、この観音様は東京巣鴨の高岩寺にある洗い観音様の分身であり、医者に見離された人の病気が治ったとの伝説があり、私を含めて数珠玉に住職の祈願を求める人があり、本日は住職不在のために後日配送となりました。

 今年は3回の湯治の旅を企画しましたが、今回は食事内容も良いゆったりパックを選択していた事から、バスタオルや歯磨きセットも付いており、一日中温泉に浸かっておれただけに、急ぎ足の行程がもったいなくも思えました。
                                12月23日の一言

明日のために走り回る一日

 「今日は何時に出てみえますか?」は、朝一番の市役所からの電話で、催促されるまでもなく市役所の各課に所用があり、次男の税金納付も依頼されており、市議会事務局から建築課、生涯学習課、税務課と用事を済ませて、同窓会の仕事を残した中学校に駆け込んだ。

 夏に開催した総会以来の訪問となったが、母校の教頭には私の同級生が赴任しており、早くも来春の卒業生への対応を考えての対応を議論したが、「早くも」と言える余裕はなく、気がついた時は卒業式が現実ではないかと思われる。

 私が母校のPTA会長を務めたのは13年も前の話で、4人も子供がありながら最後の三男も3年前に卒業しており、学校の先生の名前どころか顔すら判らず、同窓会長であるために学校を訪れる機会もあるが、議員の立場としてはずいぶんと距離を感じずにはいられない。

 小学校の同窓会やPTAから、中学校のPTAから同窓会まで、平成に入る前から学校との関係が続いているものの、やはり子供が在学していた頃に比べて情報量は極端に減少し、世間は私に対して学校との縁を感じているようだが、実際には過去の人となっているのでもある。

 さて、明日は今年の公約として毎月旅行を実施する最後の企画となるが、幸いな事に満席どころか補助席に溢れた企画となり、夕方にはマイクロバスを引き取りに走ったが、旅行保険を掛ける旅行社は休みとなっており、一抹の不安を抱えた日帰り旅行となりそうである。

 バスには保険が掛かっているが、高齢者が多い旅行だけにバスを降りたあとのケガも心配となる。勤めている知人達からは、私の旅立ちの機会の多さを羨ましく語られる事もあるが、参加者の年齢が高齢化している事から、個人の身勝手旅行と違った主催者としての責任感が重圧にもなりつつある。

 今年最後(新年初)の企画は、大晦日から元旦にかけての京都行きであるが、これは3年越しとなった八坂神社の「をけら火」を自宅まで持ち帰る事でもある。こんな楽しみがあるから旅行は止められず、来年も毎月の企画が公約となりそうでもある。
                               12月22日の一言
追伸
本日は書道会の忘年会があり、久々に大酒を飲みました。

娘の衣装選びに同行して

 「お父さん、行って来るからねッ」の言葉に、「まてッ、俺も行く」と慌てて起きて家内の車に同乗し、「忘れ物だッ」と引き返しながら娘に連絡すると、「なにー、お父さんも付いてくるのー」との言葉が返ってきた。

 本日は娘の結婚式の衣装選びに同行して、私が写真を撮る事になっており、私の都合を聞いて日程を決めたはずなのに、知らぬ間に私を不必要とする予定となっており、写真撮影は後日の話となっている事を知らず、約束を反故にすれば一大事と遍路の疲れを残した体で早朝より出かけたのであったが…

 それにしても私の時代とは違って、何でも良い時代から、多種多様の中から選択する結婚式となっており、衣装選びにも時間がかかり、座っていると疲れからつい不機嫌な顔となるのを自覚するのも、会場の四方がガラス張りになっているからでもあった。

 「お父さんのモーニングはどうするのッ?」
 「いやッ、オレは着ないから」
 「何を言ってるの」
 「そんな事まで決められるのは嫌いだ」
 「それが普通なの」
 「燕尾服なんか嫌いだ」
 「〇△の義兄さんも着ていたから」
 「とにかく、オレは嫌だ」「モーッ」「嫌だ、絶対嫌」「…」 以上は家内との会話

 「お父さん、恥ずかしいから普通にモーニング着てよッ」との娘の一言で、普段着る事のないモーニングを着る事になり、着たくもない燕尾服を借りる事となったが、嫌でしようがない衣装だけに、「どれになさいますか」との問いかけに、「とにかく一番安いやつで良い」の一言となりました。

 「ロイドメガネに燕尾服」は、鶴田浩二さんの街のサンドイッチマンの歌詞であるが、何故に父親が嫌な衣装を着て、娘のためとは言え来客をもてなすビエロ役にならなければならないのか疑問である。
 そもそも、高額な結婚式場にも反対だが、私の感覚では白馬の教会か上高地の河童橋での挙式を夢みていただけに、世間の常識を当てはめられる事が嫌でしようがない。

 昨日高野山の鶴田浩二さんの墓の前にいたが、鶴田さんの長女の回顧録に、「お父さんの言う事を聞かなかったからだ…」と、自らの結婚を反省するような一文があり、父親至上主義の小野(鶴田)家でも結婚を巡り父親は置き去りとされた例を思い出した。

 自分らしさにこだわりたいが、世間常識に反する気持もなく、自然体でありたいが、家内や娘たちからは私の理想や存在感は無視された格好に、内輪もめする気もないものの、普通と言われ燕尾服で来客に酒を注いで廻れとの家内の一言に癇癪の一日となりました。
                            12月21日の一言

四国遍路を年内に終えて

    四国遍路結願と高野山の旅
18日 午後7時津島発…蟹江IC…西宮名塩SA(休憩)…吉備SA(給油)…(瀬戸中央大橋)…坂出北IC(午前0時30分)…瀬戸大橋四国健康村(仮眠)

19日 午前7時81番白峯寺…88番大窪寺(満願)…別格20番…脇IC…土成IC…別格1番…須見光栄堂(念数注文)…旅館かどや椿荘

20日 1番霊山寺(8:00)…鳴門・渦の道(10:00)…鳴門北IC…西宮名塩SA(休憩)…(近畿道)…藤井寺IC…河内長野市…橋本市…高野山金剛峯寺(3:00)…奥の院(4:30)…
 …一の橋・ああ同期の桜の碑(鶴田浩二のお墓)…衣かけの岩…橋本市…五條市…天理IC…(国道25号)…針・道の駅(夕食)…亀山IC…弥富IC…津島市(午後10時)

 私にとっては6回目の結願となり、今回は別格霊場の穴禅定や出釈迦寺奥の院捨身ケ嶽など修業の場所にも足を延ばし、ロープウェーを使わずなるべく歩く事に徹しましたが、元々がジェット(スピード)巡拝ですので見落とした穴場も多くありました。

 四国霊場会の公認先達としては反省すべき事も多く、自分のこだわりが捨てきれず、初めて巡拝した同行者への配慮に不足する点もあり、観光を求める要望に四万十川の屋形船にも乗船しましたが、四国の魅力を十分には伝えられなかったと思います。

 さて、深夜に出発し、徹夜のままに巡拝を進める事の限界も考え、今回は深夜に到着して入浴仮眠を健康ランドでとりましたが、四国から高野山への道程も遠く、今後は2泊3日にこだわらない行程の企画も有効に感じる遍路となりました。

高野山へ四国満願の御礼

 写真上 夕暮れの高野山奥の院参道

 写真下 鶴田浩二さんの墓の背後から「ああ同期の桜」の碑を望む
           12月20日午後5時 高野山奥の院

四国遍路の結願寺と私

 写真上 源平の合戦で有名な屋島にある第84番屋島寺です。

6巡り目の四国遍路満願となり、明日は高野山奥の院まで巡拝の予定です。

誕生日が一番忙しい日に

 議会の最終日は来週の25日(木)であるが、今月のカレンダーを見直すと、明日の金曜日で市役所は2日間休みとなり、月曜日の22日の次の火曜日が祭日で休みが続き、25日(本会議最終日)を除くと、24日の一日と26日が金曜日のために、この日が市役所最後の仕事納めとなってしまうのである。

 こうして27日から新年の4日まで市役所は休みとなり、翌週の末には消防出初め式や成人式と続き、12日には愛知県から委託を受けた地域セミナーが文化会館で開催され、その主催が私の関わるNPO法人となっている事から、市役所の休みとなる年末年始の9日間が仕事のピークとなる事は必死でもある。

 こうなると綱渡りどころではなく、地獄のような日々の繰り返しとなるが、私の年末年始は積み残した仕事の最後の仕上げと化し、1つの間違いやミスが致命的な結末を招きそうな気配も濃厚となっている。

 さて、何でも私では行動範囲が限られ、ボランティアの活動も思うように進捗しない事から、本日は来春から正式に組織として事業許可を受けて、障がい者や足腰の不自由な人々を病院や施設などに移送するため、明日の午前中から私の代役として役員となっているWさんが市役所に出向く段取りで手配を済ませてきた。

 「Wさんで大丈夫か」との一言も耳にしたが、全く行政音痴のWさんだから、行政や業界筋の壁は厚くとも、粉飾や詭弁などのごまかしがない交渉となり、現実にボランティアを実施している本人だけに、正々堂々とした協議がすすむとの期待もあり、これが成功すれば私の仕事も一段落する事となる。

 それにしても、中心に座る私が身動きがとれぬ事から、周りで余裕のある関係者もヒマを持て余しており、私と心中で仕事に向かう羽目になるのである。

 本日は、市長との懇談会が午前中にあり、津島市に元気の出るイベントとして、自転車競技やボクシングのイベントなど自分勝手な思いを発言した。さあ、発言だけでは終らない。来年は汗もかく年となりそうだが、来年の話が間近に忍び寄る年末を実感する一日となりました。
                                   12月18日の一言
追伸
今日から55才となりました。

親の葬儀にも参列できない宗教観とは

 本日の仕事は四国や百観音を同行したOさんの葬儀参列となってしまいました。葬儀は自宅ではなく、セレモニーホールで開かれ、一緒に遍路道を同行した仲間もかけつけ、私は持参した納め札をそれぞれに渡し、それぞれが記名して棺桶に花と一緒に入れました。

 私は四国遍路に持参する数珠と、四国霊場会からいただいた輪袈裟をかけ、真言宗の経本を持って参列しましたが、本日の葬儀は浄土真宗の葬儀で執り行われたものの、Oさんの長男はキリスト教の信者のため、葬儀には参列せず控室で待機し、嫁いだ娘さんのご主人を喪主とする最後の別れとしては首をひねる葬儀でもありました。

 そもそも、亡くなったOさんは一人暮らしで、子供達は外に出ているため、数日前に脳梗塞で自宅で倒れたものの、近所の人が発見するまでかなりの時間が経過した事から、意識不明の状態で病院に搬入されており、発見が早ければ命が助かるどころか、社会復帰も可能だったと思うと複雑な思いが残される。

 一方で、Oさんの家の宗派は浄土真宗で、先立たれた奥様も仏壇に奉られており、葬儀会場の隣室まで来ていても、葬儀に参列しないキリスト教の長男は、親の供養どころか、残された家や仏壇をどのようにしていくのだろうかと、参列した知人の心配の一言が聞こえてきた。

 それにしても親の葬儀に参列せずに隣室で待機するとは、よほど熱心にキリスト教を信心してみえるのであろうが、それなら長男としてキリスト教でも可能な葬儀にされればとも思うが、真言宗は他宗派に対して寛容で、総本山の高野山には我家の宗祖である浄土宗の法然上人の墓もある事から、八百万の神々が混在する日本と、宗教の違いが戦争ともなる外国との宗教観の違いも実感させられた。

 家内の話では、子供達の宗教がそれぞれに違う事から、「私が死んだらどうなるのでしょうかね」と、本人も本日の顛末を予測した一言を残されていたようであるが、戦争で生き残り、一生懸命に働いて子供達を育てられたものの、最後は一人ぼっちの生活を我々はどのように受け止めれば良いのか。

 口うるさい親との同居が嫌な事は当り前であろうが、同居する親も死するまで子供や孫の心配をし続ける事を考えると、別れた方が簡単だが、そこはプラスとマイナスを打算的に計算し、経済的にも合理的な同居を考える必要があり、不景気だけに経済効率の良い親子同居を推進する国策も重要に思われてくる。
                                     12月17日の一言

遍路仲間の訃報を聞いて

 久々の訃報である。平成13年から四国八十八ヵ所を巡拝し、その勢いにのって西国33観音、坂東33観音、秩父34観音の日本百観音を達成し、三年前には再度の四国巡拝(逆打ち)を一緒した人で、今年夏に亡くなった人に続いて3人目の訃報(四国のみは他に1人)である。

 四国88ヶ所と百観音を一緒に達成したメンバーは17人おり、その中で3人の方が亡くなられた事になるが、一緒に寝食を共にして巡拝した仲間の訃報は悲しさとともに淋しさも実感する。
 もっとも、私は6回の巡拝で50人ほどの人と巡拝しており、亡くなられた人も大正生まれである事から、むしろ長寿に感謝してあやかりたい葬儀と思うべきかもしれないが、元気な姿を見ていただけに残念で仕方がないとの思いが強い。

 さて、議員にとって、(私にとって)選挙の際の大きな支えは60才を越えた人々が大半で、10年前に頑張って走っていただいた方々の多くが亡くなられており、それらの人々に代わる人々の支持を拡大させない事には、議員活動は続いていかないのである。

 現実面として若い人々との接点も多いが、若い人が議員を訪問する理由は、行政に対する不満や、自分の生活を護るための自己主張によるものが多く、人として付き合っていく上では歓迎できないものも多く、明らかに議員を利用するために近づいたとしか思えないものも存在する。

 そういった意味では、自分の利害に関係なく応援いただける定年を終えた高齢者の支持が、我々議員の活動を支えており、そういった人々の訃報は、より淋しさを実感する事が多いのは当然でもある。

 四国遍路に大きく片足を突っ込んでいる事から、仲間の訃報を聞いた際に、「いい時に連れていってもらった」との一言をもらう事が多い。

 「ちょっと待って下さいよ」
 私は皆さんを安らかに冥土へ送るために四国に行っているのではありませんよ。「四国に行けば元気になれるでしょう」と叫んでも、所詮は年齢をさかのぼって若くなる事は不可能である。
 「じゃー、何のために四国へ?」
                                 12月16日の一言
 

家内は仕事を休んで税金納付へ

 議会中ではあるが、久々に空白の2日間となり、のんびりしたかったものの、やりのこした事も多く、家内が休みをとってまで出向いた市役所への税金の支払いに同行した。税金をため込んでいるのも問題かもしれないが、支払い金額の多さにはうんざりさせられる。

 決められた課税とは言うものの、どうやって考えても取れる者から取る仕組みとしか思えず、先祖が細々と苦労して残した資産への課税についても、数百年前から先祖代々住んできた土地を削られ、その県道沿いを理由に固定資産税が町内で一番高くなっている事にも不満は募る。

 そもそも我家は、村落の北の端に位置し、裏を田畑に囲まれていたが、私の小学生時代に我家の田畑や裏庭を削って県道(名古屋津島線)が通り、家の裏側が道路から丸見えになり、玄関を北側に替えて家を建て直し、その後の歩道拡幅で更に垣根が削られて現在に至っている。

 見方を変えれば、家のまん前にバス停があり、我家の敷地から直接バスに乗降でき、商売をやるには一等地ともとれるが、我家にとっては先祖伝来の家であり、バスを利用するものは一人もなく、商売をしているわけでもなく、何度となく我家のネコ達が車の犠牲になっているのである。

 公共の利益のために、何度となく土地が削られた挙句、主要道沿いのために土地の価格が勝手に上昇し、その課税価格も年々高くなり、税金だけで借地に住んでいるのと変わらぬ現状から、固定資産税と国民健康保険税だけで月に10万円程度の負担は、我が子に引き継げない負の遺産ともなっている。

 年金や後期高齢者の医療保険に対する国民の不満は大きいが、8人家族の中で三男と私だけ2人分の国民健康保険税が最高限度額というのは明らかに不公平で、母親の後期高齢者分と5人が支払うそれぞれの社会保険料を考えると、支払うために仕事をしているような錯覚に襲われる。

 一方で、市民の税金で建てた市営住宅の家賃を100万円も滞納している輩が存在し、子供の保育園の保育料を支払わない保護者が野放しにされており、生活保護の申請が認められないと裁判で訴える市民も存在し、その裁判に支払う津島市の弁護士費用が70万円と聞かされると、納税者として怒りさえ覚えるのである。

 我家も子供の頃は水道代は井戸水のために無料であったが、水道代は今後高くなるばかりで、2年後からは下水道代金も加算されるようになる。「井戸を掘ろう」と閃いたが、行政の許可をとって安全な水を確保する事は至難の業でもあった。

 先月訪れた岐阜県丹生川村(現高山市)の知人宅では、全ての蛇口から無料の自然水が無造作に流され続けてあり、口に含むと我家の水道とは比べ様もない絶品であった。四国でも四国88ヶ所の霊場茶が販売されているが、何でも金と引き換えとなる社会に矛盾は隠せない。
                                12月15日の一言

20年前の死亡事故の悪夢が

 「あッ、今日は14日か…」と、忠臣蔵のドラマが終わって家内と顔を見合わせた。「もう20年かァー、早いもんだなァ」と、毎年12月14日がくると悪夢が思い起こされてくる。

 平成1年の本日早朝に、新聞配達を終えたM・セツヨさんは自宅から2百メートルの道路交差点で乗用車にはねられて救急車で病院に運ばれていった。直後に、「今、お母さんが事故に遭って救急車で運ばれていった」と息子さんからの電話があった。

 私は、まさかMさんが命をおとす重大事故とは思わず、新聞の配達が終わっているかどうかが気になり、不謹慎にも仕事の確認を第一として事故現場に走り、ここで初めて生命に関わる大事故と認識し、幸いにも新聞は予備紙だけが残っていた事からそのまま病院に走った。

 搬入先の病院では対応ができず、市民病院に運ばれており、病院の廊下にはご主人が座ってみえた。「どうもダメらしい…」との話で、「まさかー」「何とかならないか」とは思いながらも、午前中にはご主人と二人で最後を見取る事となった。

 昭和52年に開業して初めて経験する死亡事故に、雇用主としての責任も痛感しながら葬儀の準備をし、残された家族にはまだ高校生の娘さんもおり、自分はどうするべきかと自問自答していると、すべてが吹っ飛ぶような事が通夜で起こった。

 事故の相手が登場し、「そっちが飛び出してきて、自分は悪くない」と、遺族や近所の人々の前で平然と言い放ったのであった。人の命が奪われた事故で、相手が死亡した事故の運転手が放った言葉に、私は悲しみよりも相手への怒りがこみ上げてきた。そんな私の拳を引きとめたのは、被害者のご主人であったが、奥さんの親族も静かに見送られ、その事が私を余計に苦しめた。

 Mさん一家は私の少年時代からの知り合いであった事もあって、この事故が私に与えた衝撃は大きく、その後の雇用方法にも影響し、1時間の労働でも15分を差し引いた労働時間で雇用をすすめ(人件費は高くなりますが)、この事が人不足に悩む業界にあって私は廃業する平成11年まで人に困る事がなくなります。

 奥さんを亡くしたMさん一家は、自動車保険の他に労災保険と新聞社でかけていた交通傷害保険、私が雇用者全てに別個の傷害保険をかけていた事から莫大な保証金を手にされたが、一家の要となっていた奥さんの死亡によって、転出して購入した家も現在は人手にわたり、一家離散のような状況に陥った。

 昭和のはじめ、我家の祖母(父親の母)も交通事故で命をおとし、幼少の叔父(父の弟)は旦那寺にもらわれていき、養子だった祖父は家を出て行き、60才を越えた曾祖母(父の祖母)が野菜を売り歩いて生活を支えたが、働き手の両親が不在となった我家はどん底の貧乏生活を強いられた。

 最近では損害保険が完備され、金銭面での心配は何もなくなったが、突然の事故は当事者の家族や親族の生活に大きな影響を与え、間違いなく不幸になるのである。20年も前、もう20年と、年月の経過が信じられず、昨日の事のように思い起こされるが、12月14日は翌年も、そして次の年もと3年連続で同じ道路で大事故が起こり、この日はこの道路を絶対に通ってはいけないと周りに言い続けてきたが、20年の歳月はそれも風化させてしまった。
                                12月14日の一言

ボランティアの最前線に

 本日は名古屋市内で、安全運転教育・認定講習を受けてきました。これは今までボランティアで行なわれてきた障がい者などの外出移送サービスを、国や地域の法的基準をクリアすれば、自家用車(白ナンバー)でも有償で移送できるかわりに、絶対に受講しておかないとならない講習です。

 自家用乗用車(白ナンバー)を使った有償運送(いわゆる白タク)は道路運送法で禁止されていますが、交通バリアフリー法や介護保険制度がスタートし、高齢者の通院や通所の移動ニーズが顕在化し、タクシー事業者の介護保険参入(介護タクシー)や、施設による車輌運行が各地で見られるようになりました。

 四年前国土交通省がNPOなど非営利法人による自家用車(白ナンバー)による移動サービスに許可基準を示し、2年前の10月に道路交通法が改正され、自家用車(白ナンバー)による有償旅客運送の登録制度が施行されました。

 つまり、白ナンバーの乗用車でも、タクシーを運転できる二種免許を持たない人でも、地方自治体を主体にした運営協議会が開催され、推薦されて、運輸局の許可を得た団体に所属し、国土交通大臣の認定を受けた講習を修了しておれば、移動サービスの運転者として自分の車でも有償ボランティアとしての参加が可能となっています。

 ただし、乗せることができる人に制限があり、全ての人々を乗せられるわけではなく、身体に障害があるか、介護認定を受けている人、要支援者などに限られており、高齢者でも元気な人は対象とはなってはいませんが、介護保険の対象者はかなり幅が広い事から、病院への通院などはほとんど対応できると期待できるものです。

 さて、私の修了を待って、ボランティア2名と、二種免許とヘルパーの有資格者で、津島市役所との協議を進め、協議会の推薦が下り次第、国の認可を求めて、来年の4月を目標に市民の皆さんへのサービスを開始していく予定ですが、他の事例を聞くとかなり大変な壁も存在しています。

 明日は三男が高校生最後の自転車レースに臨み、家内は早朝の4時から会場の犬山市へ同行し、私は朝から終日名古屋市の講習会場の一日となるが、どうやら天候には恵まれず、双方とも雨中での行動となりそうな気配が濃厚となった事が残念でもある。
                               12月13日の一言

人の醜さを実感させられたチョウの飛翔

 政局が不安定なだけなら救われるが、経済状況の落ち込みが著しく、好調さが全国に発信されていた愛知県でも、トヨタ関連の工場から人の姿が消えゆく報道が目立ち、人の削減だけでなく地域社会での生活にも影響が出始めている。私の住む津島市には、トヨタをはじめ大きな工場がほとんどなく、企業に依存していない事は救いとも思えるが、下請けの家内工業やトヨタ関連の職員も多く、本日はシャープのイメージ戦略の先進地であった三重県の亀山工場からも人員整理の報が伝わってきた。

 こんな暗い社会の中で、小さな記事ではあるが、10月下旬に長崎県で捕獲して放たれた「アサギマダラ」という蝶々が、はるか彼方の台湾で再捕獲されたとの報道があり、私はこの記事に心から感動させられました。雨や強風をかいくぐり、すぐにでも折れそうな羽で、よくぞ台湾まで洋上を飛んでいったものである。

 かつて、片道切符の燃料を積んだ鉄の塊が、必死に敵を求めて飛んでいった太平洋を、チョウはヒラヒラとマイペースで飛んでいったのである。人間が必死になっても国境を越せないでいるが、もしかしたら、日本のチョウたちはいとも簡単に北朝鮮に飛んでいっているのでしょう。

 そうやって考えると、人間の行ないの汚さや醜さに反吐が出るような怒りを覚える報道もあり、愛知県内で43才の無職男性が、女子大生宅を訪問して、「水子の霊がついている。除霊しないとガンになる」と霊媒師を装って強姦する事件があり、自治体職員を名乗って2回にわたって性的暴行を犯していたとの記事も掲載されてきた。

 この男性は同様な手口による前科が2件あると報じられており、仕事とはいえこんな男を弁護する弁護士に同情したい心境だが、無罪の主張に対して名古屋地裁は懲役5年の判決を下しており、身柄が拘束されるしばらくは安心でも、刑期を終えた後にも同様な事件を犯す可能性は高く、釈放後の地域での監視が必要でもあろう。

 さて、私にとっては6回目の四国遍路が、来週には結願を迎えようとしているが、偶然とは思われるが今回の遍路では娘に代わった深刻な祈願から不思議な体験にも接しており、こんな偶然を霊力と信じきっている娘を見ると、霊媒師を装った犯罪は後を絶たないようにも感じられてくる。

 護摩に祈願した張本人の私が偶然と言うのは、祈願したご本尊様や僧正様に対する罰当たりな言葉ではあり、娘のために必死に祈願して、同行した周りの人々も内容を知っており、結果は本当に神がかり的な事と思う反面で、やっぱり偶然だろうと自問自答するしかないが、神や仏を騙った犯罪には厳しい天罰が下される事を期待したい。
                                 12月12日の一言

わずかな安息のひと時に

 「今日はテレビには出ていないのかい」と、思いもよらぬ言葉が知人から発せられ、地元のケーブルテレビ局の画面に、議会では自分の一般質問の登壇だけでなく、他の議員の質問時にも自分の座る座席が一日中映っている事を知らされた。

 偶然にも私の座る議席が、議会正面を放映するカメラの線上の間近にあり、私の中途半端な白髪がたえずカメラに写されている事は、知人に聞かされるまで意識した事もなく、アクビや居眠りをしていれば津島市議会全体のイメージを低下させる事から、今後は背後を意識させられそうでもある。

 本日は委員会が昼に終了し、午後には限られた時間ではあったが、旅行会で撮りだめてあった写真を配布に周り、久しく顔を会わせていなかった人々との会話は、ひと時であっても私のストレスを発散させてくれました。

 さて、明日の総務文教委員会が終わると、議会は束の間の一息となるのであるが、私は週末の安全運転認定講習から継ぎ接ぎだらけの一週間が始まります。そして、以前の一言に「年末から一月のスケジュールが続く」と記しましたが、どうやら春まで続く様相でもある。

 来年は父親の17回忌もあり、娘の結婚式から、上手く運べば本当の「おじいさん」にもなりそうな雰囲気と、「死んだ時の写真がない」と口走る母親や、進学して自転車競技を続ける三男など、大家族ゆえに家庭の問題でもバラエティーにとんだ話題が続く。

 母親は今年で77才になったが、最近の言動を聞いていると「おかしい」と思う事が多く、仕事が安定しない私の長男に甘く、年金は長男に費やす半面で、長女や次男とは折り合いが悪く、三男とは会話がかみ合わず、「金がない」と嘆き続けるのである。

 おかしなもので、自分の生活を志向する長女や次男は親と距離をおき、高校生の三男は別としても、不安定な長男と母親が家に居座り、家内は仕事に外出し、忙しいはずの私が板ばさみになり、わずらわしい仕事も担うようになってきた。色々と考える日々です。
                              12月11日の一言

25年完成とは何時の事か

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 最近の新聞やニュースを聞きながら、年号が平成か西暦か判断がつかない場合が多くなってきた。現在のアナログテレビがデジタル化され観れなくなる11年は、平成が20年に至っている事から西暦と判るものの、新聞に25年と記されていると、西暦か平成かの判断がつきにくい。

 JR東海は、名古屋駅に現在のセントラルタワーズを大幅に上回る、中部地区最大の名古屋ターミナルビルを建設するとの報道が本日の夕刊に記されてきたが、完成予定が25年と記され、「あと5年か」と思っていると、リニア中央新幹線(名古屋東京間)が開業すると記されており、どうやら西暦の話だと判断したが、最近では年号を巡り判断に困るケースも多い。

 最近の不景気風は世界のトヨタも直撃し、トヨタの城下町豊田市では年間600億円の税金が減収となり、来年度の予算を減額する必要に迫られているが、名古屋ターミナルビルの建設には数千億円の資金が必要とみられ、資金はJR東海と日本郵政などで調整を進めると聞くと、過疎化で便数を減らされたり、路線そのものが廃止となる地方には夢のような話でもある。

 もっとも、JR東海は、東京と名古屋を結ぶ超伝導リニアによる新たな「中央新幹線」の建設費約5兆1000億円を全額自己負担することを決めたと昨年発表している。あまりにも大きな数字ゆえに私の頭では実感もわかないが、時速500キロのスピードは国内については飛行機による旅客を不要と化しそうでもある。

 ただし、こうなると飛行機と同じで、万が一の事故が起これば運を天に任せるしかなく、飛行機嫌いの私とは無縁の話にも聞こえるが、実は8年前に山梨のリニア実験線にて乗車体験をしており、空中に浮くのは飛行機と同じだが、リニアの500キロにも全く列車との違和感はありませんでした。

 莫大な資金を聞くと浮世離れした話にも聞こえ、そんな金があるならと思ってしまうが、脱車社会を想定するとリニア効果による公共交通網の整備にも期待を持ちたいが、果たして25年まで私の命が持ちこたえるかどうかが大問題でもある。
 「えっ?」、平成25年の話ではありませんよ、念のために…
                                    12月10日の一言

土曜日の食い意地が禍して

 今月の18日がくると、私は55才になります。「あッ、そうか!それで一八なんだッ」なんて、今頃言わないで下さい。そんな年齢からか、日曜日の息子の観戦と、徹夜のような議会準備の疲れが、本日になっても取れません。
 いや、実のところは、その前日に、我家に泊まった息子の後輩と息子を連れて、家族で出かけた夕食が、そもそもの原因かもしれません。

 出かけた先がバイキングのレストランで、初めて出かけた店でしたが、一人2000円近い値段で、90分食べ放題とのシステムに、「もとは取らないと…」と、食べなきゃ損とばかりに次々と寿司や焼肉を食べ、満腹の上に好物のプリンを4個も平らげ、店を出る時には腹が痛く、主役である息子達が試合を控えて自重しているのに反して、私は何十年ぶりの食欲を発揮してしまいました。

 このツケは大きく、翌日も、昨日に続き本日になっても胃に違和感を残しており、当分は食事も自重して体調管理に徹しないと風邪と隣り合わせのような日々が続きそうな気配です。

 こんなところに田舎物で貧乏人の根性が出て、せっかくの食事を「餌」のようにしてしまいました。こんな日に限って知人から頂いた饅頭の期限切れが近づき、期限切れ間近では人に差し上げる事もできず、食べるのも苦痛で、昨晩に眠ってしまい残されたままの私のオカズが夕方まで残されています。当分は胃が黄色信号です。

 さて、議会も一般質問が終り、明日からは常任委員会へと舞台が変わります。一年の経過の早さに驚いていましたが、師走に入ったばかりと思っていると、今週末には半月が経過し、来週の日程を消化すると慌ただしい年末となり、今年こそは10年ぶりに年賀状をと思ってみても、書き込む余裕すらなく、毛筆で一枚一枚書いていた過去が懐かしい昔話になってしまいました。

 本日の朝刊に、日本で最後の『雪駄』職人となった、津島市の故木村輝夫さんの遺作展が開催されていると報じられ、亡くなってからも偉業が称えられる大先輩と、共通の恩師であった長谷川丈夫先生を偲びながら、本日夜の書道会に筆を走らせながら、「わしもそろそろ卒業か…」との恩師の一言に、必死に否定し続けるのは私だけではなかった。
                                   12月9日の一言

寒暖繰り返す環境が身体に堪える議会に

 本日は市議会の一般質問が開催され、今議会に質問を通告している11人のうち、8人の議員が質問に立った。私は8番目の質問のため、本日の最終質問者となったが、毎回の仕事とは言え、前の議会から一問一答式とともに1時間以内の時間制限ができ、スタート時間が確認してなかった事から、時間切れから終盤は駆け込みの質問となりました。

 「これは一問一答式じゃなく、三問三答式だったなッ」と、答弁する市役所幹部に言われましたが、一時間という限られた時間の配分が十分でなく、前半の一問一答に時間を掛けすぎて、三件目の質問が制限時間間際のため質問の羅列となってしまいました。

 一問一答式や1時間という時間の制限は、議会改革の中から導かれたもので、一問一答方式は、質問に対する答弁漏れや、あいまいな答弁を最後まで質問し続ける事ができる半面で、毎回三項目(3種類)の質問を自分のノルマとしている私には、一つの答弁の言葉や解釈にこだわると時間が超過するので今後の課題ともなりました。

 さて、我々議員は質問する側ですが、答弁する相手は行政の専門家ですので、内容の無い質問や、勉強不足の質問では何も明るい展望が見いだせませんが、答弁する幹部も質問に答えられないと大変な事から、議会前の聞き取りや説明に必死となり、ある面では議会がセレモニーと化す危険性も感じますが、議員は行政のチェック機関と同時に、市民の側で市民の代弁者の認識が改めて重要と思います。

 前日は息子の試合観戦で一日を寒い長良川堤防と、暑い車中での休憩を繰返し、本日の議会は午前中はオーバーが必要と思われるほど議場が寒く、休憩中の控え室は太陽の陽射しを浴び暑いくらいで、午後には暖房が効きだしたものの、終了後は寒風吹く市役所を後にして帰宅すると、昨晩はほとんど寝ていない事からコタツに入ったまま夕食があった事も判らず、気がついたら家族が就寝した夜中となっていました。寝不足と寒暖の繰返しは身体に堪えます。

 明日は3人の質問ですから午前中には議会が修了し、午後には山積した仕事を消化できそうですが、そのためには本日の議会終了後に準備すべく仕事があり、眠ってしまった事から明日の仕事内容が代わるばかりか、残された仕事は根本的に残り続けます。年末どころか、来年一月に開催予定の地域セミナーにも尻に火がつきかけています。
                                12月8日の一言

寒風吹く長良川でロードレース観戦

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 本日長良川の木曽三川公園で開催された、自転車レース(冬の長良川クリテ)に息子が出場するために、朝7時から車で出発したが、前日から我家で泊まって当日参加を目指していた息子の後輩は、当日の受け付けが認められず、息子のサポーター役の一日となってしまった。

 来週にも犬山でロードレースを控えているが、息子にとっては来週が高校生最後のレースとなり、来春からは実業団チームのユニフォームを借りて走る事になるが、本日も来週も会場となるコースが狭く、全力発揮とは思えないが、実力のあるプロ選手と互角に競ったと思ったが、息子はプロとの実力の差を実感した様子でもあった。

 さて、最近ではアマチュア選手でも高価な自転車を使用しているが、プロ選手の使用するホイールやタイヤには、息子の自転車では太刀打ちができず、本日のレースも友人のタイヤを借りて参戦したが、高校生のギヤは枚数が少ない事から、逆風では力で先頭に迫っても、追い風では追いつかれるレース展開だったが、一度はプロを先行した事が本日の収穫だったようでもある。

 夏の鈴鹿ロードの活躍から、親バカで少しでも好結果を期待して、早朝より息子達と自転車を積み込んで、寒風が吹きっぱなし(本日は少しは温かかった)の長良川堤防に立ち、夜までかかって息子の後輩を名古屋まで送りつけての帰宅となったが、競輪学校を選択せず、ロードのプロを目指す息子に将来の勝算は立っているのだろうか。

 それにしても本日の大会に集まった車のナンバーは、近隣の県ばかりではなく、遠方からの参加者もあり、こんな寒風吹く中でのレースに薄いユニフォーム一枚で走るロードマンたちのやる気がどこから起こってくるのか不思議に思われる一日となりました。
                               12月7日の一言
追伸、見苦しい携帯電話での写真は近々取り替えます。

本日は讃岐うどん風の店へ

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 名古屋市に美味しい讃岐うどんの店があると聞き、たまたま車のディーラーの近くにあった事から、私の車のオイル交換をかねて推薦者と二人で出かけたのが、上に掲載した写真で、丸亀製麺の讃岐うどんの店である。(名古屋市中川区松葉公園のとなり)

 推薦者が自慢する讃岐うどんの店だが、讃岐うどんと言うには少しだが価格が高く、讃岐うどんはブームではあるが、実際の四国のイメージとは何かニュアンスが違うものがあり、食後の帰りがけに「この店は丸亀市が基なんですか」と聞くと、ニャリとした店員の表情から、四国とは違うように感じて帰宅した。

 「じゃー、讃岐うどんはどんなのですか?」と問われると答えに窮するが、以前に四国で入ったうどん屋で、名古屋とは全く違う代物にてこずった経験から、私は「讃岐うどん」の店では、麺とツユを必ず確認して注文する事から、四国の人々が推薦する「やまうちうどん」(三男も連れていってもらったようです)などとは違うのである。

 帰宅後にパソコンから検索すると、この丸亀製麺は焼き鳥ファミリーダイニング店などを運営する会社で、讃岐うどんを名乗ってはいるが、麺は手打ちではなく製麺機で作られ、平成12年に兵庫県加古川市に開店したのが第1号店で、四国の丸亀市はもちろんの事、香川県に店舗がない讃岐うどん風の店である事が判ってきた。

 先月末に、香川県のまんのう池周辺で現地で聞き込んだ店を捜したが見つからず、行き当たりバッタリで入った店ではあったが、素朴でも四国らしく、何となく納得して食してきたが、本日の丸亀製麺の讃岐うどんは、あまりにも都会人を意識して作られているようにも感じられた。

 明日の自転車ロードレースを控えて、三男は高校の後輩を我家に連れてきているため、夜は食べ放題のバイキングの店に出向く事となり、食べ放題の言葉を意識して、寿司から焼肉まで手当たり次第に食べまくり、歩くのも苦痛となる有様だが、意外に試合を控えた息子達が控えめにしている事から、「しまった」と思っても後の祭となる食に因縁のある一日となりました。
                                     12月6日の一言

ホンダF1撤退のニュースに

 日本の自動車レースを世界へ牽引してきたホンダが、F1レースから撤退すると報じられてきた。二輪だけでなく、四輪においても世界の最高峰レベルで戦ってきたホンダの撤退は、モータースポーツの終焉となる可能性も高く、五十代半ばとなった私の身体と重ね併せると淋しさを実感する。

 報道によれば、チームを売却するか、売却先が見つからなければチームを解散し、完全撤退を発表し、エンジンだけの提供も考えていない事から、企業としてのホンダの名前は来年のF1から消えていく。
 国内では唯一残されるトヨタは当面撤退しないと発表しているが、そもそもF1参入の動機も違い、モータースポーツに対するこだわりも低い事から、ホンダの撤退は日本のモータースポーツの終焉と言っても過言ではない。

 サブプライム危機や車の北米市場の冷え込みは、確実に日本の企業にも影響し、減収減益となり、人員削減を断行せざるを得ない状況下において、1年に数百億円も必要とされるF1レースを継続する事は不可能で、この事はF1に参戦している全てのチームにも共通する問題だけに、ホンダの撤退は人気の高いF1レースそのものの危機でもある。

 来年のF1開催までに200億円をかけ大改修が進められている鈴鹿サーキットであるが、過去20年も続いた鈴鹿サーキットでのF1開催が、トヨタの横槍で2年前から富士スピードウェーに会場を奪われ、来年からは1年交代での開催が決まっているものの、会場奪還への余分な出費も今となっては悔やまれる。

 さて、世の中の移り変わりで、かつての馬力やスピードを競うプロ専用のサーキットではなく、一般人も参加できるモーターサイクルへも転換が図られており、鈴鹿サーキットでは自転車のロードマン達にも身近に出場できる聖地とされ、私も出場する息子に触発され、来年の出場(参加するだけですが)を健康のために目標としている。

 こうなると、車検復活を目指す二輪(ホンダVF)を早期に復活させ、こちらでも鈴鹿で走る機会をうかがってみたいと思うが、かつての一言にも記しているが、大企業の販売戦略で国内で争っている場合ではなく、目的を共有して最後の砦だけは死守してもらいたいものでもある。
                                   12月5日の一言

ペダルを回すとコメカミが悲鳴をあげて

 今度の日曜日に、岐阜県の木曽三川公園周辺で自転車のロードレースがあり、私の三男も出場するが、明日の晩から一緒に出場する高校の後輩を我家に泊め、土曜日には我家から練習に出かける事から、家内は汚しきった我家の掃除を夜まで続けており、私の手荷物も邪魔物扱いを受けている。

 今まで息子のレースを観戦した機会は少ないが、日曜日は議会の一般質問前日ではあるが、会場まで複数の自転車を運ぶ必要もあり、忙しいのを承知で出かけて行きたいと考えている。そのためには、明日と明後日には議会の十分な準備を済ませておく必要があり、今月23日と年末の旅行企画も発表する前から参加予定を立てておられる人があり、併せて手配しないと大変な年末を迎える事にもなりそうである。

 さて、来年の夏の鈴鹿ロードを目指して、私も健康維持(回復)のために、半月前から自転車にまたがるようにしているが、忙しい日々が続いた事から、しばらく自転車が物の陰に追いやられており、本日は久し振りに津島市内までではあるが、ペダルを踏む力を増やして我家を出た。

 日頃から運動不足が続いているが、五十半ばとなった身体で、若者を抜き去るように走り続けると、足だけでなく、手の平から肩を通り越し、頭のコメカミまで重くなり、身体が悲鳴を上げているが、体力が回復していく実感があり、仕事場となっている市議会の構成メンバーの年齢が高い事から、気持ちだけでなく身体も自分の年齢よりも若返りが必要と実感する。

 昨日には津島市議会の現職である先輩議員が病気で死亡され、5日に葬儀が予定されているが、議員には熱いファンもあれば、反対派となる市民も存在し、「議員歳費が減って良かったじゃないか」との市民の一言を聞き、同じ議員の職にある私に対する気持ちはどうかと、計り知れない市民の声に考えさせられてもいる。

 これには、最近の無責任な政治家の発言や、倫理観の不足する国会議員の行動が、議員そのもののが尊敬されないばかりか、議員の信頼感が無くなっている事への反省と同時に、地方議員の存在も不必要と思われている人々の存在から、政治の信頼回復は急務でもある。

 議員ゆえに死しても厳しい声を聞かされるとしたら哀しいものがあり、先輩議員の享年まで14年と考えると、自分の議員生活は勿論だが、今後の生活そのものを後悔のないものにしていきたい。
                            12月4日の一言

12月議会の私の一般質問の内容

 12月議会一般質問の内容

1、市役所の窓口業務について
 要旨 土、日の窓口対応、本人確認、住民基本台帳など
 ・土、日曜日の窓口対応とサービス拡大について
 ・各種証明書申請時の本人確認について
 ・住民基本台帳の閲覧と住基カードの利用状況について

2、津島市の救急体制について
 要旨 救急搬送の現状と対応について
 ・AED自動体外式除細動器の津島市での配備状況と民間への配備の働きかけなど
 ・消火器の点検や民間の保有されている事が外から判る表示など
 ・火災報知器の普及状況と高齢者や一人暮らしの人への働きかけについて
 ・救急車の搬送状況や救急救命士の対応について
 ・市民病院の救急対応について

3、市民病院について
 要旨 精神科専門医師の配備を求める
 ・10月に開催された市民公開講座の講師を務められた埼玉医科大学の大西教授から、ガン患者の約半数が精神科医の診察が必要で、診察すれば抗がん治療を中止する事なく治療ができる事と、家族にも精神的ケアが必要との講演から、専門医の確保と診療窓口開設に向けた質問
 ・市民病院として初めて実施した市民公開講座を今後継続していくための質問

 12月議会では、一般質問は8日(月)と9日(火)に開催され、11人の議員が一般質問に立ち、私は8番目の登壇ですので、8日午後の質問となりそうです。
 委員会は10日に厚生病院委員会、11日に経済建設委員会、12日に総務文教委員会が開催され、一般質問は市民に限らず、誰でも当日出向いて傍聴する事ができます。
                             12月3日の一言

亡くなった人に救われた命に

 病院の医師不足は各地で問題となり、東京や大阪の受け入れ拒否が大きく報道されたが、一年前に札幌で未熟児が7病院に拒否され、1時間半の搬送後に死亡していたことが報じられてきた。

 医師不足が叫ばれ、医師がいなければ病院も受け入れができない事は当然の事であるが、我が身を当事者に置き換えてみれば、過ぎ行く時間の中で必死で子供の救命を祈り、対応した救急車の隊員の一挙手や会話に耳をすませ、必死の願いの中で我が子の死を見取ったと思われる。

 医師の過重労働の実態や、徹夜で勤務を続ける医師に対して、感情的な思いでの発言はしづらいが、専門外の医師であっても良いから必死での救命活動をして欲しいと思う。
 ただし、札幌の場合には、かかりつけ医では手がおえぬ症状から、搬入先を探したものの、1時間半後に新生児集中治療室のない病院に搬入されて死亡している。

 人の生命には運もあり、倒れた場所が偶然にも病院の真ん前であったり、医師が居合わせた事から、本来なら亡くなったと思われる命が救われる例も多い半面で、まったく人のいない場所で倒れて手遅れとなる不運な人も存在する。

 さて、本日は議会開会日のために、町内の葬儀に参列できなかったが、この葬儀の連絡のために隣家に出向いた遺族が、植木の剪定中に足を切り、血の海の中に倒れていた隣人を見つけ、救急車で運ばれて一命が救われたとの話が伝わってきた。

 亡くなった人に救われたとの話であるが、これだけ通信機器が発達した社会にあっても、突然の事故や病気では第三者の力を借りなければ、自分の命も救われない事を実感し、周りの人々や知人との関係を大切にしておきたいと思った次第でもある。
                                12月2日の一言

師走を実感するスタートに

 本日より12月に入り、明日からは12月議会が開催され、明後日には一般質問の通告締切日となっているが、決算審査特別委員会の委員長報告のたたき台となる原稿締め切りが11月末となっていた事から、一日遅れとはなるものの未完成ながら原稿を仕上げたが、自分の一般質問の要旨は考えてあるものの準備不足は否めない議会となりそうでもある。

 今回は一般質問を見送ったらどうかとの意見もあったが、これは行政側の都合の良い思惑であり、質問をしないとなれば過去10年間と9月議会以後の活動は何だったのかとなり、市民オンブズマンの中には、議員の一般質問の回数ばかりでなく、内容にも目を光らせている人々もあり、明日以降も厳しいスケジュールが続いていく。

 「おい、23日は何処に行くんだ?」との、当方の内情も考えない質問だが、23日にも日帰り旅行の企画が公約してあり、年末の京都行きについても勝手に行く算段を立てている知人がある。
 さて、議会日程の終了を待って、四国最後の満願を目指そうとしていたが、メンバーの中に身内の病気により、都合が悪い人が出現し、残りわずかの巡拝のために、どうしても年内結願を果たしたく、休日を利用した年末巡拝に発展した。

 「そんな無理をしないで、来年4月にしたら…」と言う、厳しい視線の家内の説得は極めて難しいが、「いいわッ、私がするから」とのメンバーの声を頼りにして、12月は隙間のない厳しい日々の連続となりつつある。
 さて、以前の巡拝で「願が適った」との同行者の一言を記した事があったが、私が願をかけて参拝していた娘の祈願が適った可能性があり、確定した事ではないが嬉しい悲鳴となりそうでもある。

 何でも神がかり的や、科学的でない神仏の恩恵としてはいけないとは判っているが、真に摩訶不思議な展開に私自身が戸惑っている状態で、今後の巡拝にも注意が必要かとびっくりする一日となった。「まさかー」とは言ったものの、「絶対にそれしか無い」との娘の一言に、祈願した自分が信じられないでいる。

 この顛末については、個人情報になる事と、確定もしていない事からここには記さないが、宗教の神秘的な現実は、非科学的とは思いながらも、少年時代に経験した医学の常識に挑戦した非科学的な病気の治癒を忘れかけていた自分に、「もしかしたら…」との実感を思い起こさせる一日となりました。
                                12月1日の一言
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