大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年01月

頑張れ河村たかし議員

 本日は強風が吹き荒れた事と、体調不良の一歩手前のような状態から、出かけると風邪でも貰いそうで、名古屋の研究会に参加するのを回避し、明日の名古屋で開催される愛知県の行事に備えるため休養の一日としました。

 ただし、NPO法人の昨年度の報告書が未提出なため、役員各自の家々に愛知県の督促状が届いた事から、問い合わせや対応に慌ただしい午後から夕方となりました。迫ってくる締め切りまでにしばらく走り廻る事になりそうです。

 さて、名古屋市の市長選挙に立候補を表明している河村たかし衆議院議員に対して、民主党市議団の支持が得られず、民主党県連は別の候補者を推薦候補として党本部に上申しており、河村氏は「不退転の決意」で立候補すると後援会に語ったと言うが、選挙権のない津島市では応援にも限界があるが、市民の目に見える候補者として是非とも最後まで信念を貫いてもらいたい。

 今回の市長選には自民党も独自候補を擁立する予定のようだが、政党の都合で選ばれた候補者が必ずしも市民の支持を集めるとは思えず、民主党県連の推薦する弁護士には政治的経験もなく、民主党市議団や県連への出馬に向けた意思説明はしたものの、市民に向けた発信が後回しにされており、政党から選ばれた候補者には宮崎県の東国原知事や大阪府の橋下知事のような新鮮な期待は持てないと私は思う。

 そもそも河村氏への反発材料の中に、議員の報酬削減など議員にとって厳しい発言があり、現体制とは違う発信がなされている事もあるが、豊かと言われた愛知県政と同じく名古屋市政にも、職員の不祥事や事件が続いている事を考えると新しい風が必要ではないか。

 「総理を狙う男」の市長選転出を軽薄とする人もあるが、過去の発言内容が政党の枠に収まっていない事と、元々が政党の組織的支援を頼りに国会議員になったわけでもない事を考えると、私は市民の代表として市民派の市長を目指すには名古屋では唯一残された最高の人材ではないかと思う。

 名古屋市に限らず、愛知県でも政党の相乗りで首長が選出されており、過去の候補者擁立についても組織への説明が優先され、市民や県民への発信が後回しとされてきた。河村氏にはガラス張りの市政実現と、市民と身近に語れる市長を目指して最後まで挑戦を続けて欲しいと願う。
                                1月31日の一言

ビートたけしの一言に魅せられて

 夜の番組で「たけし誰でもピカソ」がかかっており、心に染みる泣ける歌をテーマに放映されていた。私は鶴田浩二さんの唄しか興味がなく、この番組には何も関心がなかったが、歌手が「母さんが夜なべをしてー」と真面目に歌っていると、ビートたけしが「弟を作ってくれた」と一言。

 さすがにビートたけしである。番組表では「号泣」などの文字が記されていたが、私はビートたけしの心から笑えるジョークによって、全く歌番組には興味のない私の心をつかみ、ジョークに期待して番組に見入ってしまう事となった。

 その後は期待したジョークも出ず、真面目な歌番組となっているが、たった一言のジョークによって私の心を30分以上もひきつけた「ビートたけし」の才能に改めて乾杯(完敗)である。
 こうして私の心が離れようとした時に、「この後、ビートたけしが大暴走」のテロップが入った事から、チャンネルもこのままと思っていると番組は終了となりました。

 さて、私はテレビの前で、ノート型パソコンから書き込んできたが、事務所のパソコンにも書き込み中の一言が残されており、両立する内容ではないので書き入れてあった一言はボツとなりました。

 実は、本日もNPO法人の市役所に提出する申請書を行政音痴の知人が持って走っており、彼は行政音痴ばかりでなく、書類の書き入れも苦手なうえに、公務員は税金泥棒と堂々と公言するような性格のために、私が決めた事ではありますが、あまりの空回りに「馬鹿」と言いたい一言を飲み込んでいるのです。

 さすがに55才ともなると、何を言っても「馬の耳に念仏」で、何も判らないのに自分の間違った判断で伝言を伝える事から、仕事を依頼した私が各地へ無駄足を延ばしたり、市役所への申請書類を中部運輸局に問い合わせる矛盾に、人を使う人々の苦労を久々に実感しています。

 ただし、私の欠点が自分一人で仕事を抱えて、人との分担が苦手な事から、厳しくも他人面をして任せている訳ですが、人のためになるボランティアに何でこんな複雑な書類が必要かと、任せた本人が腹を立てており、市役所の同級生に手助けを依頼するなど、適材適所とはいえない仕事は仕事量を増やします。

 こんなストレスは、私以上に本人がため込んでおり、来週中には目鼻を整えないと、対応する市の職員も手助けする職員も限界となり、公的な審議会の承認が必要な事から、3月の年度末までのタイムリミットも迫りつつある。出来ない知人に託した私が「馬鹿」の元凶なのだが…
                                 1月30日の一言

子供に戻って知人へ悪戯を

 天気予報によれば今晩から雨となり、明日から明後日まで雨が残りそうであるが、そのためか久々に温かい一日となり、健康のために始めた自転車乗り(距離は短いですが)も連日の疲れが太ももや膝の関節から首や肩までに至り、風邪となると大変ですので、本日は知人宅まで珈琲を誘いに歩く事としました。

 しかし、子供時代には、ほとんどの家に塀や門扉はなく、近所の家を横切って歩いていけましたが、最近ではブロックや垣根でしっかりと覆われ、中学時代には冬は田んぼの中をまっすぐ横切って目的地まで行けましたが、家が建った事だけでなく、こんな事をしていると変人と思われる雰囲気になっています。

 私の家から知人宅までは約1キロありますが、55才になっても同級生は少年時代の行動が通用する事と、知人は現在独り暮らしのために、久し振りに悪戯(イタズラ)目的の訪問です。(お薦めはできません)

 まずは、携帯電話を使って携帯電話を非通知で呼び出し、相手が出るとともに電話を切り、今度は家の固定電話にワン切りです。これを繰り返して、知人宅に到着し、門扉を開けて勝手に進入(泥棒みたいですが)して知人の様子を覗うと、ストーブの灯油を給油中で、私の電話コールに慌てて戻ります。勿論、携帯電話を手にした瞬間にコールは切れ、知人は怪訝な顔をしてあらためて灯油を入れますが、ここで改めて電話のコールを入れます。

 こんな繰り返しをガラス越しに楽しんでいると、電話機に走る知人とあっけなくも目と目が合ってしまいました。楽しみはここまでではなく、知人が着替えている間に通路に置いてあった鉄の棒を勝手口に止めましたので、知人は出て来れず、私を見ながら頭をひねって玄関の入り口に向かいました。ここで、勝手口のタネ明かしをすると、次回からの楽しみが減りますので、慌てて鉄の棒を外して知人が出て来るのを待ちました。

 さて、こんな日に限って、もっと面白いイタズラのチャンスを逃しており、いつもはしっかりとかけてある車のカギが忘れてあり、「アレー、どうしたんだ」との私への疑惑の視線から、こんな事なら知人の車に乗って電話で呼び出すか、気がつくまで隠れたままでいるのも傑作と思ったが、これは後の祭りでもあった。

 もっともこんな行動は隣の家や道路から丸見えですので、相手が同級生や親友であっても、知らぬ所でやりますと通報されてパトカーが走ってくるので要注意のイタズラですが、仕掛けた私も、仕掛けられた知人も、久しぶりに童心に戻って腹から笑える夕方となりました。
                                 1月29日の一言

もう後のない清水健太郎に

 俳優の清水健太郎が、昨年10月に起こした交通事故のひき逃げ事件によって、東京地検から本日懲役7ヶ月の実刑判決を言い渡された。交通事故については、自転車の男性をはね軽傷を負わせたとあるが、逃げた理由には過去4回にわたり大麻や覚せい剤の所持で逮捕されて二度も収監もされている事から、芸能界活動の支障になるためと思われる。

 彼は私より一歳年上で、歌手としても活躍しているようだが、それらについては全く記憶していないが、私は鶴田浩二さんのファンである事から、テレビドラマ「男たちの旅路」の中で、北海道に流れ着いていた鶴田浩二扮するガードマンが、東京に戻る時に妹役の岸本加代子と一緒に上京して、水谷豊の弟分としてガードマン役で登場している事から鮮明に覚えている。

男たちの旅路が記されたブログ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/kk12120928/32752460.html
http://blogs.yahoo.co.jp/brucewi35/51629856.html

 彼の履歴を見ると、大学時代にスカウトされ、紅白歌合戦にも出場しているが、昭和58年に大麻取締法により検挙され、4回にわたり大麻や覚せい剤取締法で逮捕され、最後の平成16年には2年4ヶ月の実刑判決により、刑務所に収監され、やっと昨年1月31日に芸能界への復帰を表明したばかりだけに、被害者を放置したひき逃げ事故は残念としか言いようがない。

 交通事故の内容を聞くと、全治10日間程度の軽傷であった事から、その場で被害者を救護して病院に運び、警察に正直に申告していれば、道路交通法としては罰金刑程度に終ったと思えるが、覚せい剤によって過去に2回も刑務所に収監されていたことが理由で逃げて、罪を重くするばかりか、今度は被害者もある事から芸能界への復帰は絶望的と思われる。

 さて、大麻や覚せい剤については、犯罪ではあるが、タバコを禁煙(嫌煙)している私から見れば、タバコの喫煙の延長線としか思えず、自分の身体を蝕む点では被害者は本人だけであるが、軽微でも交通事故は相手に被害を与えている点から、大麻や覚せい剤より罪が大きくて当然と思え、被害者を放置した罪は極めて大きい。

 しかも、検察は清水被告が20歳だった昭和48年にも、運転中に当時23歳の女性を死亡させ、業務上過失致死で罰金刑になっていた前科にも触れて公開された事で、今回の交通事故は不運と思っていた私も、反省しても救いようのない過去からの人生に、関わった人々の落胆も大きいと思われる。
 
 私は大学時代に芸能界にスカウトされた事が、清水健太郎の人生を狂わせたのかと思ったが、芸能界に入る前から事故とは言え、人を殺めており、反省する間もないままに芸能界で人気者になり、その裏表が大麻や覚せい剤となり、今日まで尾を引きずっていたとしたら残念で堪りません。
                                       1月28日の一言

犯人探し・クラス全員から指紋採取とは

 三重県四日市市にある私立海星高校で、体育の授業中に生徒の携帯電話のメモリーカードが紛失した事から、57才のベテラン教師によって担任するクラスで事情を聞く中で、全員の指紋を採取して犯人を特定しようとしていた事が報じられている。

朝日新聞の記事↓
 三重県四日市市追分1丁目の私立海星高校で、授業中に生徒の携帯電話のメモリーカードが紛失し、1年生の担任の男性教諭(57)が事情を聴くためにクラスの生徒23人から指紋を採取していたことが、27日わかった。会見した西田秀樹校長は「学校としてやってはならないことだった。指導を徹底し、二度とないようにしたい」と陳謝した。
 同校によると、今月21日、1年生の体育の授業後の昼休みに男子生徒が「携帯電話のメモリーカードが取られた」と担任の教諭に相談した。携帯電話は授業前に生徒全員分が貴重品などと集められ、授業があった柔道場に置かれ、授業後に返された。
 教諭は、メモリーカードに電話番号など個人情報が含まれていたことから、放課後に27人の生徒全員を集め、「知っていることがあれば書いてほしい」と紙を配った。
 その後、男子生徒の携帯電話を預かり、出席番号を書いた紙を回して朱肉で生徒に指紋を押させたという。この際、教諭は別の問題ですでに指紋を採っていた4人の生徒からは採らなかったという。
 教諭はクラスに盗んだ生徒がいると思いこみ「重大な雰囲気を出せば自ら言ってくれると思った」と学校側に説明。「生徒に不愉快な思いをさせて本当に申し訳ない」と話しているという。
 同校は2月13日に懲戒委員会を開き、教諭の処分を決定する。

 さて、皆さんが担任の教師ならどうされますか?
 私も中学2年生の時に、担任の教師から「A組の教室に行ってこい」と(怒られて)言われ、A組の教室に行くと、A組のA君のお金が紛失した事から、犯人探しを行なっており、私の他に数人の生徒が教壇の前に並んで、それぞれのアリバイと前日の行動を聞かれていた。

 「昨日の授業後はどうしていた?」 「さあー、覚えていません」
 「昨日の事だよー」 「うーん、何をしていたのか?」
 「君の姿を見た者があるんだが…」 「そうですか」
 「昨日の行動を証明できる者はいないのか?」 「さあー、そんな事より何故なんですか?」
 「昨日の放課後にAのお金が無くなったんだ」 「オレは知りませんよ」
 
 そんな会話を繰り返している時に、その教室でイタズラをしていたS君が注意され、手に持っていた大工道具について、「それはどうしたんだ?」と問われ、S君が「昨日拾ってきた」と答え、担任の「ウソつけッ」の言葉に、「そうだよなー、かずや君」と私に同意を求めてきた。

 「それは本当か?」 「そうです」(そうだッ、そうだった)
 「それじゃー、お前達は昨日一緒にいたのか?」 「そうだった」
 「何故最初にそれを言わんのだ」 「忘れていました」
 「じゃー、何のためにこの教室に来たんだ?」 「担任が行ってこいと言ったから…」
 「何も知らずに来たのか?」 「そうですよ…」
 
 こんな偶然のような顛末で、私の疑いは晴れたものの、犯人探しをしている全生徒が座っているA組の教室に行かされた事自体が私の心を傷つけ、行くように命令した担任については未だに恨みが晴れず、こんな悲しい顛末は親にも友人にも言えず、私は何事も無かったようにしていましたが、この事から私の嫌なウワサを耳にして、行動も悪くなり、どんどん成績は落ちていきました。

 こんな恨み話を今になって恩師達に言うと、「あんな小○なんかの言う事を気にしていたのか」と、私を犯人と思って他のクラスに行かせた担任の悪口が恩師達の口から発せられ、担任も教員達から孤立していたのかと同情したい有様で、最近の私の行動(議員活動)を「テレビで見て応援している」とこの担任から言われると、恨みも忘れる事としましたが、私にとってはこの担任による2年間の成績悪化や非行歴までは消す事ができません。

 自分の過去の経験から、人に対する間違った中傷や疑いは、その人の人生に大きな影響を与える事から、今回の三重県の事例を聞いた時に、私にも同じような記憶(その時は警察でしたが)がよみがえり、その場は駐在所で父親に殴られて帰宅したが、後に犯人が特定されたものの謝罪もありませんでした。もっとも、学校をサボり、行動に問題ありの自分にも責任はあったと思いますが、少年の心を傷つけるこんな繰り返しはなくして欲しいものです。
                                      1月27日の一言

定額給付金の支給を喜べないのか

 本日のワイドショーやスポーツ新聞は、昨日の大相撲朝青龍の優勝と、隠された舞台裏やエピソードを大々的に報道しているが、新聞については過去の記載も残されているが、テレビのコメンテーターの無責任な発言は、我々視聴者が記憶して判断するしかなく、過去の発言やコメントへの矛盾や、成り行き任せの発言を検証してみたいものである。

 さて、最近の厳しい不況の中で、ホームレスの視線に立った発言が尊ばれ、権力に対する厳しい批判はマスコミにとって重要とは思うが、本当の国民の多数意見が正しく報道されているとは思えず、定額給付金についても、財源の有効活用は色々あるとは思うものの、国民の多くが貰ってうれしくないとは思えず、私は良策とは思ってはいないが、個人に堂々と貰えるヘソクリとしては大変嬉しく思っている。

 「あんたは、そんなお金を貰ってうれしいの!!」と昨日も言われたが、選挙前のバラマキと国民も承知しており、税金も払った事のない住所不定で無保険無年金のホームレスと一緒の扱いには不満が残り、給付金を支給するため必要となる仕事や経費が莫大な事を考えた時、給付金よりは減税の方が得策と思うが、とにかく我々の年代は年金にも程遠く、行政からの案内は税金の請求ばかりである事から、子供時代の「お年玉」のようにも思えて、私は嬉しくてしようがないのでもある。

 地方議員と言えども、政治に関わる立場から真面目に判断すれば、今回の定額給付金には賛成したくはない。しかし、国の借金が莫大に膨らんだ事から、小泉首相による国の三位一体改革や、ムダを省くための市町村合併が強硬に進められ、地方自治体も厳しい財政運営を強いられてきたが、最近では厳しい財政改革がなし崩しと思われるような、バラマキとしか思えない改革に逆行する動きが当り前となってまかり通っている。

 今までの改革は何だったのか。厳しいながらも国の借金を減らし、国の経済を正常に戻すため、国民は増税にも耐え、郵政民営化にも理解を示し、国からの地方交付税や補助金が減額され、厳しい地方財政から個人の公的負担が増えてサービスが低下しながらも国民は耐えていたのではないか。

 小泉改革に反発する国民の声や、昨年から導入された後期高齢者の医療費負担についても、我々は正常な財政運営を目指して市民の批判に答え、自身に課せられる公的負担にも耐えてきた。自民党の党首が国民の信託(選挙)を受けていないとの声もあるが、小泉改革については選挙の洗礼を受けている。

 小泉政権以後の安部、福田、麻生政権の一貫性のない政策と、最悪とも思える支持率低下。不安定な国会運営の中で、民主党との政権交代への瀬戸際から誕生した定額給付金かもしれないが、官僚のムダ使いや流用防止のための減税と思えば、後ろめたいものでもない。

 定額給付金が最善の策とは思えないが、国民全体に公平に支払われるものであり、一度でも期待を持たせた以上は気持ち良く国民(私)に渡るようにするのが、首相のリーダーシップではなかろうか。
                               1月26日の一言

記念館の開館から三年が経ち

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、今年は記念館が開館して6月に3年が経過する事から、記念に残る行事を開催する事となり、私がアイデアをひねり出す事と、9月には13回忌の法要が執り行われる事が決まりました。

本日は私の政治活動や選挙公報とPRを担当する知人が記念館に訪れた事から、私の怠慢で記念館で配布しているパンフレットが品切れとなっているため、新たなパンフレット作りも話題となり、無料で開館している記念館だけに、高価な記念品を手渡す事もできず、先々の運営に関わる資金にも話が及び、無料では困られる来館者もある事から、ささやかな記念品の販売も視野に考える事になりました。

 さて、記念館を訪れる人が記念館の場所が判らず、複数の人に聞いて到着したり、なかには数キロ先の駅から何時間も歩いて訪問される人もあり、本日も記念館の前を通りながら1キロも離れた場所に車を停めて歩いてこられた人があった。

 場所が判りづらい原因は、開館する日曜日しか記念館の看板を出さない事と、年月の経過によりタクシーの運転手でも場所を知るベテランが去り、商売目的の会館では無いために、目立ちやすい看板も(私の怠慢で)先送りとしたままとなっている事が考えられる。

 こんな話題になると、決まって話題になることがホームページで検索して訪れる人々の苦言で、「地図が判りづらい」の一言から、私のホームページの中身に問題ありと思われるような内容となります。
 判りづらいだけなら電話の問い合わせで対応できますが、問題は記念館から1時間では絶対に到着しないような距離にある近鉄の八田駅から歩いてこられる人達です。

 「大鹿さん、何とかして下さいよ」と横井夫人に言われますが、私のホームページには電車の八田駅そのものが掲載されておらず、アクセス方法にも記されていない事から、記念館を歩いて訪問された人の体験記のホームページを見て、その通りに歩いてこられているようです。

 館長もボランティアの人々も、「ホームページを見て…」と言われると、全てが私のホームページと思い込み、「(あなたが原因だから)何とかして」の一言となりますが、多くの人々がそれぞれに記念館について記されている事を説明しても、80歳の後期高齢者には理解がされません。

横井庄一記念館・明日への道⇒ http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage201.htm
記念館のブログ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/oshika59/folder/1023074.html

 問題は、自分のホームページやブログと違って、記念館のホームページがまったく更新しないまま放置状態になっており、当初の予定どおり書き込んでいない事にもありますが、亡くなって12年も経過すると記憶も風化し、無関心になっている現実と、やる気を出すと全て若い私の仕事を増やす現実を実感する一日となりました。
                               1月25日の一言

批判よりも育てる気持に

 本日も横綱朝青龍は大関魁皇を寄りきり14連勝となり、明日の横綱白鵬との一戦に優勝がかかりますが、こんな活躍を場所前に予想した評論家があったでしょうか。報道では、かつて朝青龍のマゲを結っていた床山さんが、唯一13勝2敗(もしくは12勝3敗)の予想を立てていたようだが、とにかく見事に周囲のを引退のうわさを払拭する大活躍をみせた。

 私がここで問題にしたいのは、人の能力や可能性は他人がとやかく言えることではなく、横綱の品格や行動の問題から引退に誘導するような無責任な発言は、その人物の可能性を奪う事にもなり、品格や行動も経験をつむ事から自然に備わってくる可能性もある。

 確かに朝青龍の行動には問題もあるが、相撲の取り組みが終わった後の行動に注目していると、同じモンゴルからきた力士達が、勝って引き揚げる際に朝青龍とすれ違うと必ず拳と拳を突き合わせており、これは模範生と言われる白鵬とはしない事から、こんなところも朝青龍の隠された魅力と思われる。

 場所の序盤戦で後輩の日馬富士が連敗した時の朝青龍のコメントには後輩思いの心情がにじみ、昨日はモンゴルの先輩格の旭天鵬が朝青龍と拳を重ねて引き揚げた。我々は報道やテレビに映しだされる姿しか判らないが、限界は本人が一番判ると思われる事から、温かく育てる環境が重要でもある。

 最近の風潮は、とかく批判する側に理(利)があるように思われがちだが、年配者は若い人々の可能性を引き出してやれる思いやりも必要と思う。実は、私は2年程前に隣町の蟹江町で朝青龍と遭遇した事があり、かつて同じように蟹江町に部屋を置きながら、挨拶どころか我々を無視する貴乃花や若乃花を見ていただけに、気軽に我々の会話に応ずる朝青龍にびっくりした経験がある。

 さて、本日はこの蟹江町で56才の若さで亡くなった現役教師の葬儀に参列した。ガンの闘病後に亡くなられたが、私は故人の奥様から相談を受けた事があり、何一つ貢献できないままに月日が経過し、来賓として呼び上げてもらった事から、余計に自分の無力感と行動不足が情けなく、多くの教え子や仲間に送られるご主人の棺を見るのが耐えられなかった。

 教員として一番油が乗った時期でもあり、仕事や趣味でやりのこした事や、家族の主としても今後の楽しみを残したままの旅立ちに、最後まで燃焼できなかった空しさは他人事ではなく、改めて自分の仕事と手抜きへの反省をする一日ともなりました。
                                1月24日の一言

突然の家族紛争を相談され

 昨日の一言で一番大切となるべき横綱の「朝青龍」の名前が「青赤龍」となっており、親切に間違いを教えていただいた「朝青龍ですよ」のコメントの意味にも気づかず、書き入れた矢嶋さんの朝青龍や大相撲に対する考えを氏のブログを読んでから、コメントの返事を長々と書き入れていた。

 投稿する直前になって、私が朝青龍の名前を間違えたことを教えていただいている事に気づき、なんて回転の悪い頭かと自己嫌悪に陥るとともに、氏のブログを読んだことで、大相撲の外国人力士でもハワイ勢とモンゴル勢の民族や人種の違いからくる違いや、大相撲がスポーツか格闘技かなどと真剣に考えさせられたため、朝青龍の千秋楽を見届けてから改めて書き込みたいと考えています。

 さて、本日は市民の方から親族が投資に失敗して高額な借金を背負い込み、借金の肩代わりとして親の住む土地と建物の権利証を貸して欲しいと訪問された事への対応を相談され、私自身も実弟が同じような失敗をして夜逃げしたために複数の債権者に訪問された経験から、司法関係者に問い合わせするものの、「実は私も同じ事が」と話さずにはいられない相談事となりました。

 この中で気になった事は、親から資産を相続する時の対応に大きな違いがある事でした。私は親族から将来の問題回避のために全ての遺産を私名義にする事を勧められたが、相続税の金額をいかに安く済ませるかを第一として母親名義の資産も残したが、節税よりも家族紛争を避けるための相続や、子供に見捨てられないために親が遺産を堅持するなど対応が千差万別となる。

 今回も自宅が親と長男の共同名義となっており、私は節税対策かと思っていると、親族の中に父親の残した資産を全て子供に譲ったために、老後の生活で息子の嫁さんにイビリ続けられた人があり、自分の老後の保険がわりに共同名義にしたと聞き、このことが今回は次男の家族から頼られる原因となっているから世の中は皮肉な巡りあわせでもある。

 「大鹿さんのお宅ですか?」(女性からの電話) 「ハイ」
 「私は名古屋の〇△と申しますが」 「ハイ、何ですか」
 「投資についてのご案内ですが」 「興味がありませんが…」
 「有利な資産運用についてのお話です」 「資産もありませんが…」
 「年金の活用は考えておられませんか?」 「えーッ、年金ですか…」
 「?大鹿さんはおいくつになられます?」 「えッ、何ですか?」
 「??大鹿さんは、まだ仕事か何かされていますか?」 「えー、まだ…」
 「まだ現役ですか?」 「ハイ、そうで…『申し訳ありませんでした』(プチッ)…??」
※実際にはもっと長ーい会話でした

 実は、早朝からかかってきた電話の中にはこんな勧誘の電話もあり、私が引退した年金暮らしと思って勧誘され続けたものの、私がまだまだ働く年齢の現役と判ると電話が切られた事から、明らかに仕事を引退した人の年金や退職金が対象と思われ、前記した相談事も他人事ではありません。

 「そんな者の相手をしているからだ」と言う人もあるが、議員の立場上では何も聞かずに電話を切る事はできず、中年とは自覚しているものの、早朝の声は老人と同じようにしか聞こえないのでしょうか。最新のニュースに、税理士と兼業して問題となっている市長さんがあったが、私も弁護士だったらと思われるような相談が多く、相談窓口だけでなく自分自身の勉強も重要と思う一日となりました。
                                 1月23日の一言

朝青龍の12連勝にも(オバマ氏とは比較できないが)感動である

 今月の7日に両国国技館で行われた大相撲横綱審議委員会によるけいこ総見で、横綱白鵬に6連敗し、16番の取組みで6勝10敗となった横綱朝青龍に、審議委員から厳しい意見が相次ぎ、休場を奨める委員の発言がある中で、背水の陣で出場を断行した朝青龍は、場所直後は緊張から際どい取り口もあったものの、本日12連勝で単独トップとなって頑張っている。

 日頃の稽古不足は否めず、このまま簡単に優勝できるとは限らず、逆転で優勝を逃す可能性もあるが、引退を覚悟した背水の陣で臨んだ場所だけに、まずは合格と言うよりも期待以上の活躍で、しばらくは横綱として相撲人気を引っ張る相撲界での主役が続きそうでもある。

 さて、今場所を迎えるにあたり、相撲協会の関係者以外の評論家や横綱審議委員などで、日頃から朝青龍を快く思っていない人々の発言のほとんどが、ケガの回復が遅れて稽古不足では勝てないとの内容に集約されていたと思うが、本日までの12連勝に対しては何と言い訳をするのか。

 それよりも、相撲協会内部の親方の中からも朝青龍の限界説や、今場所を休場した方が良いとの発言が横綱審議委員の中からもあり、本人も「貯金をつかい果たした」と自覚した中で、よくぞ自分一人の判断で出場を決断したものと思う。苦渋の決断だったとは思うが、ここに勝負師としての英断があり、結果を出す事で総ての雑音を封印させた事に拍手を贈りたい。

 私個人は、朝青龍が相撲だけでなく各界のスポーツ選手と交友があり、母国モンゴルにおいてのビジネス感覚など、問題行動や発言を含めても相撲だけでなく才覚があると思って応援しており、28才と言う若さで引退させるのは惜しいので何とか踏みとどまって欲しいと考えていたが、テレビや雑誌などへの批判(漫画家のやくみつるや横綱審議委員会の内館牧子など)が当り前に報道され続けており、反論できない事からストレスを溜め込んでいた。

 今場所が始まる前に彼らが発言していた内容は、本日までの青赤龍の踏ん張りによって、総てが間違いであったか、実は朝青龍の力の評価そのものだけでなく、相撲そのものを評価する眼を持っていなかったと言われても仕方なく、弁解と言うよりも発言したりコメントした一言への反省と弁解をするべきではないか。

 人にはそれぞれに好き嫌いがあり、朝青龍を嫌いな人はあって当然と思うが、横綱の28才という年齢を考えた時や、彼が日本の高校に留学していたものの、モンゴル人の彼に完全なる横綱の品格を求める事自体に無理があり、朝青龍の出場によって今場所はチケットが完売される現実から、ヤンチャではあるが朝青龍が多くの相撲ファンから愛されている事を証明する場所ともなった。

 その都度の思いつきや感情的な発言はお互い様(批判者も横綱も)として、昨年一年間の朝青龍の行動や言動に対する相撲協会や関係者の発言、ニュースを順番に読み直すとひじょうに興味深く、朝青龍の性格(悪い面だけでなく良い面も)も何となく理解ができ、朝青龍というキャラクターを見る見方も変わるのではないかと思い、下記に添付しました。

スポーツ報知(新聞)の朝青龍関連の記事(過去)1年分です↓
http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/sports/20070808-427537/index.htm

 昨年8月に大成功となった大相撲モンゴル場所についても、朝青龍の果たした役割は大きく、多くの著名人(占い師の細木数子さんなど)がモンゴル入りし、モンゴルと日本の二国間交流に貢献したばかりではなく、この時の言動を見いてると主催者意識の責任からか、後輩力士などへの応対なども大人の行動に徹していた。

 今場所の残りは3日間である。3日後にどうなっているのか私には判りません。勿論、優勝となれば大いに結構だろうが、朝青龍の左腕の古傷を考えると、日頃の稽古不足を反省して、自己流でも良いから万全の体調に復調し、30才を越えるまで横綱として千代富士の優勝記録に挑戦して欲しいと願っている
                                    1月22日の一言
追伸
最近のテレビのCMに、朝青龍が学生服を着た転校生役となり、「怖い」と言って逃げる生徒や先生を、「せんせーい」と言って追いかけるシーンがあります。本当は良い奴なのにと動物が集まってくるシーンで終りますが、責任ある横綱と言っても、我々議員や公務員と違って、税金で生計を立てている公人ではないので、批判ばかりせず、CMのような結末に期待したいものですね。

オバマ大統領の演説に全てが吹っ飛ぶ一日に

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 歩行者を遮る横着な運転手や、自転車が鼻をかすめたなどと、何と小さな出来事を連日記してきたのかと自己嫌悪に陥るような衝撃を、本日早朝にリアルタイムで発信されてきた、アメリカの新大統領となったオバマ氏の就任式と演説から感じ、全米から約200万人の国民がワシントンに終結したというスケールの違いに何も記す元気が湧きません。

 新聞やテレビの報道から、第16代リンカーン大統領や、第32代フランクリン・ルーズベルト、第35代ケネディ大統領など歴史上に残る人物と対比され、アメリカ合衆国にとっては44代目にして初めてとなる黒人大統領の誕生を、アメリカ国民だけでなく、全世界の人々が見守るだけでなく、今後の国際関係にも大きな転機が訪れた事を実感させられた。

 私が物心がつく前にケネディ大統領は凶弾に倒れ、以来9人目にして初めて衝撃を受けた就任式となるが、アメリカの人口が約3億人と言われている中で、ワシントンに全米から約200万人の国民が集まったという現実に、日本では考えられない国民性と同時に、国の歴史は短くとも多民族国家の中での黒人の苦難の歴史を払拭する就任式ともなった。

 「なぜあらゆる人種と信仰の男性と女性、子供がこの広大な広場に集い、共に祝えるのか。そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ」の言葉が演説の終盤にあった。

 さて、去りゆくブッシュ大統領の存在が哀れとも思えるようなオバマ人気だが、日本の政権交代や首相就任と確実に違う事は、明らかに演説がアメリカだけでなく、全世界に対して発せられた演説の中身で、ブッシュ大統領によって進められた「強いアメリカ」による強硬路線から、確実に国際協調路線に転換する内容が発せられた。

 アメリカの顔色を見て、自衛隊の派遣や憲法改正を議論する日本の政治家の何と小さい事か。歩道を走る中学生の自転車に鼻の頭をかすられたと愚痴をこぼす私などは虫ケラのようにも思えてくる。そして、47才の若さも魅力的だ。60才定年の多い日本で、年金を受給する年齢に達する自民党と民主党の指導者による政権交代を見守るだけの日本国民は哀れだ。

 私が本日一番感動した事は、就任式が行なわれた連邦議会議事堂からホワイトハウスへ向かうパレードの途中で、オバマ大統領が暗殺の危険から護るためにバズーカ砲でも破損しないと言われる専用車から降りて、沿道の国民に手を振る瞬間であった。

 初めての黒人大統領を快く思わない人々の存在を承知で、自らの身体を大衆の前にさらして手を振るオバマ夫妻の姿に、アメリカ国民だけでなく、私も歓声を上げたい心境にさせられたが、日本の国政を担う人々にも感動は伝わったのであろうか。
                                 1月21日の一言

鼻をかすめて走り去った自転車

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津島市の中心市街地の歩道が、こんな有り様では…

 昨日の一言に歩行者無視の迷惑を記しましたが、本日の夕方には知人の車から降りて我家に入るために歩道に出ると、中学生の自転車が私の鼻の頭をかすめて(風圧か紙一重)走り去っていきました。本日の一言には、連日あわてて帰宅する理由となっている大相撲と朝青龍(応援しています)を取り上げたいと思っていたものの、こんな顛末から、昨日に引き続き歩道を取り上げます。

 実は、息子が高校の自転車競技を第一とした生活を送り、今春からはプロチームのユニフォームで走り続けるために、感化された私も古い自転車を持ち出して、11月頃からは短距離ですが走り始めており、⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/37068061.html 12月⇒http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/37946235.html 自転車の立場でも車道と歩道を混在して走る事から危険を感じておりましたが、改めて歩行者の立場から自転車の危険を察知した次第であります。

 さて、車を運転する立場から、道路へ進入する場合に、歩道の手前に停止線がある事を忘れて、歩道の上や先の道路まで進んで停止している人も多く、本来は歩道の手前で一時停止をして、安全確認をした上で歩道を進んで、左右の安全を確認して道路に進入するという、一時停止でも二度停止する必要がある事を忘れがちでもある。

 一方で、自転車が車輌扱いとなっている事を忘れている人も多く、歩道は歩行者が優先である事は承知していても、歩道をフルスピードで走りゆく自転車が多いだけでなく、車輌は左側通行とすれば、自転車の通行方向が確実に徹底されてはおらず、歩道の有無や走れない歩道は車道に飛び出したり入ったりの危険も伴う道路環境があります。

 自転車専用の道路スペースが確保されておれば幸いだが、現状では歩道も無い道路もあり、歩道を走る自転車も歩行者が邪魔で車道に出たり、歩道がガタガタで走れずに車道に出たりでは危険極まりなく、車と自転車の危険だけでなく、前記したように歩行者と自転車の危険度も高く、市内全域の改善は難しくとも把握は急務と思われる。

 我々の子供時代とは違い、車道と歩道が確立された現代社会において、車輌となる自転車の扱いは中途半端で、歩道を走る場合の自転車の通行方向(右側か左側か)が徹底して教育されておらず、車の運転手からは本来通行すべく車道を走る自転車は邪魔者扱いをされている現状から、安全面での改善も急務とも思われる。

 本日(昼)は我家の私の目前で車の追突事故が起こり、夜には隣町の交差点でも警察が事故の処理をしており、夕方私を降ろした知人は午前中にも事故を目撃したと言っていた事から、軽微な事故であっても歩行者があれば大惨事を招く可能性から、自分自身の運転の反省も含めて、道路の安全対策にも注意を払いたい思っています。
                                      1月20日の一言

歩行者無視の運転手に

 息子の郵便物を持って郵便局に歩いていると、目前の日産自動車の営業所の駐車場から突然車が飛び出して、私の進路を塞ぎました。

 車は歩道に頭を出しただけではなく、車道にも少し頭を出すようにして道路へ出ようとしていますが、車が続いて走ってくるために出られず、運転手は車の方ばかりを見て、歩行者の私の存在どころか、全く私の方向の確認をしないままに時間が経過して、私は完全なる足止め状態です。

 私は性格的にこのような状態で待たされる事が大嫌いなんですが、行く手を阻まれており、私の存在に気づいていない車の前を歩くのは危険なために、寒風の歩道で震えながら待っていると、やっと運転手がこっちを見て私の存在に気づきました。

 さて、問題はここからです。

 普通の運転手なら後ろに後退するか、「申し訳ない」と合図でもして出ようとするのが常識と思いますが、この運転手は私をまったく無視して、反対の車の方に視線を戻してそのまま居座ったのでした。

 こんな時、皆さんならどうしますか?

 これも人生、辛抱が大切と無言で立ち尽くすか、窓を叩いて注意して後退させるか…。はたまた、車の後ろに廻って駐車場に入ってから歩道に出て歩いていくのか、大声で「馬鹿野郎!」と怒鳴って後退させるか…
 私は好ましいとは思いませんでしたが、こんな横着な運転手は許せないと、わざわざ車の前に出て、対向車が走ってくる車道に出て歩きました。万が一車が発車したら巻き込まれる可能性もあり人には勧められる行為ではありませんが、それでも車は後退する事無く居座りました。

 それにしてもなんとふてぶてしい運転手だろうか。私が議員でなく、非行に走って高校を落第していた頃なら、間違いなく車を蹴っ飛ばしてしたと思うと、こんな運転手が野放しとなっている現代社会の危険性も実感させられます。

 郵便局の帰りにこの営業所を通ると、今度は車を載せたキャリアカーが車道を片側塞いで車を降ろしていたが、時には暗くなった夕方にも行なわれており、営業所そのものの問題とは思えず、日産自動車全体の問題として安全対策への改善を図られるように望むものである。(議員の立場で希望ばかりではいけないので、直接伝える事にします)

 地元ゆえにヒイキで記す訳ではありませんが、年末にオイル交換をしたトヨタネッツ(旧トヨペット)店では、帰るお客さんの車の誘導を行なっており、不景気で新車の販売が落ち込んでいる時期だけに、顧客の安全対策やサービスに務め、企業のイメージアップを図る事も重要と思いました。
                                       1月19日の一言

自分も迷惑をかける立場になりつつ

 私へのファン登録は現在34名。そのうち18名は本名(偽名で無ければ)が判り、その中の12名は電話やメール等で連絡ができる。

 ネットカフェやブログ、メール等の弊害が語られる中で、一番の問題は相手が特定できない事から、他人になりすましたり、相手の迷惑を考えない書き入れや、悪意を持った書き込みがまかり通り、私の本来の受信トレイは大量に届く迷惑メールの削除だけで、事実上は閉鎖状態となっている。

 私はブログやホームページの上に、住所、氏名、電話番号から、家族関係や生年月日まで公表している事から、第三者からの危険性を指摘される事も多いものの、自動的に送付されてくる迷惑メールぐらいしか目に見える被害はなかったが、最近になって自分のメールアドレスと同じアドレスから送付されてくる迷惑メールの多さが気になっている。

 自分の受信トレイには入らないようにしているが、自分と同じアドレス名で多方面に迷惑なメールが送付されていると考えると、他人になりすました行為への規制を訴えていきたい。もっとも、このヤフーブログでも身元が判らなくとも簡単にメールアドレスが作れて参加できる事から、このあたりへの制限が必要ではないか。そもそも、身元が判って困る事とは何か。

 さて、本日は稲作の終わった田んぼに残されたワラくずを燃やしに行ったが、声をかけて始めたものの隣地の人から「ススが落ちてくる」との苦言を受けた。隣地は市街化区域ではなく、自由に家が建たない調整区域であるが、宅地が転売されて建て替えられ、あたかも住宅地の視点からの苦言に、本来は農業振興地と正論を吐いても迷惑をかけた当方の立場は弱い。

 元々は田んぼばかりの中に家が建ち、田んぼのワラを燃やせばススが飛ぶのは避けられず、水路には生活廃水が流されてくるものの、水の管理も農業従事者によって行なわれている認識もなく、「迷惑だから来年からは止めようか(家内の一言)」となると、永遠に止める事を意味するのである。

 知人のブログに、『よい女房をもらおうと思ったら、ダンスの輪の中から選ばずに、畑で働いている女性の中から選ばなくてはならない』との一言が記されていたが、農業振興地の畑や田んぼでも働きにくくなっている現実を感ずる一日となった。
                                 1月18日の一言

阪神大震災から14年が経過し

平成20年1月17日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/29428147.html
平成19年1月17日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/11809992.html

 本日の朝、偶然にも午前5時46分に起きており、テレビの映像によって阪神大震災から14年が経過した事を知った次第で、私の記憶違いによって阪神大震災は19日と錯覚して記憶していたのでもあった。

 私の住む愛知県においても、私の人生の中では最大と思える揺れを感じた事から、その日のその瞬間の自分の行動がはっきりと記憶されており、本日の一言に記そうと考えたが、実は前記したように昨年も一昨年も阪神大震災について記しており、同じ内容を繰り返して記すところでもあった。

 しかし、完全に復興したと思われる神戸の街角の姿とは裏腹に、建物を再建した被災者の生活も14年では余裕はないのが当然で、自治体は復興事業で多額の借金を抱えており、この不況による減収が更に被災地を苦境に立たせているのでもある。

 考えてみれば、私は一度も家を建てた事もなく、親の建てた家にそのまま住んでいるが、2階建ての事務所兼店舗と平屋の貸し店舗を建てただけで、家庭は精一杯の生活となっており、自宅を再建した人の中には2軒目の家を新築した人もあり、見た目には判らない苦労が続いているのは当然でもあろう。

 さて、父親が亡くなって16年近くなるが、死を宣告された当時の日々の葛藤や、死後の悲しみが時間の経過とともに風化しかかっており、明日は我が身の心配をする世代交代が起こっているが、事故や事件で不慮の死を迎えた人々の怒りや悲しみは風化させられない。

 阪神大震災によって、今後起こりうる地震に対する各種の対策が推進され、万が一への対応は確実に進んだと思われるが、その後にも全国各地で地震が起こっており、被災地にその教訓が生かされていたかと言うと疑問でもある。被災地へ走るボランティアは増えたものの、自分が被害者となる可能性も呼び起こしたいものである。
                                 1月17日の一言

二輪関係HP・ブログ

二輪関係HP・ブログ

田中健二郎さん(私の少年時代の愛読書)
走り屋一代 http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-a.html
走り屋一代◆http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-b.html
走り屋一代 http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-c.html
走り屋一代ぁhttp://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-d.html
走り屋一代ァhttp://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-e.html
偲ぶ会 http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-sinobukai-2008.html

往年のライダー関係・HP http://www.iom1960.com/linkpage.html

生沢徹 http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/Tetsu2.html
帰ってきたTETSU http://www.mmjp.or.jp/60srace/COMEBACKTETSU.html

ハドソン川の奇跡は続かない

 ロケットが火星に到着し、地球の周りを長期滞在する宇宙ステーションが廻っている時代に、飛行機は危険だからと乗らない事を笑う人が多いが、本日のアメリカの旅客機の不時着事故は、全員が奇跡的に救助されたものの、自然(引力)に反する原理そのものが危険と再認識させられた。

 今回の事故は、ニューヨーク州知事が「ハドソン川の奇跡」と表現したが、乗客155人全員が救出されたものの、国土の狭い日本に当てはめて考えてみると、街中に大型旅客機が不時着できる川もなく、不時着できてもそこに救助できる船舶がなく、今回と同じケースの事故が起こった場合には奇跡は起こらない可能性が高い。

 「ハドソン川の奇跡」とはまったく的を得た表現であるが、鳥がジェット機に飛び込む可能性はいつでも起こり、街中に墜落すれば大惨事となり、海上に不時着しても救助ができず、全員が無事に救助された事は、航空機事故の歴史上での奇跡というべきものかも知れません。

 私が飛行機に乗らないと宣言してから30年以上が経過しているが、この事から人に冷やかされるばかりでなく、北海道への仕事にフェリーを使って何日もかかったり、グアム島と縁のある「横井庄一」の身内でありながら、一度もグアム島に行った事もなく、見方を変えればチャンスを大幅に縮めてきたのかもしれません。

 こんなことを記すと笑う人も多く、そんな事ぐらいはと思われるかもしれませんが、旅行関係の仕事を希望し、学生時代のアルバイトにも名古屋観光バスを選んでいた事から、年末年始の帰省バスに乗車して、九州から飛行機で帰ったり、乗っていったりの生活の中で、空中を飛ぶ事の「万が一」を感ずる事がありました。

 常に飛行機を仕事として搭乗する人には「そんな事ぐらい」の笑い話かもしれませんが、元々が嫌な上に、たまたま乗った飛行機がエレベーターのような揺れに遭遇し、アルバイトは断れるものの、本業とすれば飛行機が必然となる事から、私は好きな旅行業界への進路を断念したのでした。

 統計的に7年(?)に一度は大きな飛行機事故が起こるとの事ですが、あと20年もすれば東京と30分で行き来できるリニヤモーターカーが走る可能性があり、こんな狭い日本ぐらいは飛行機を必要としない時代が早く到来してもらいたいものである。
                                  1月16日の一言

本当にホームレスなのか

 昨年からの不況は新年になっても続き、職を失い住む場所のないホームレスの無料宿泊所が満杯になり、「これ以上は限界」という名古屋市に対して、支援団体は年末年始に受け入れた施設の再開放を要請しているとの報道があった。

 一方では、職を失った人を対象とした愛知県の公営住宅57戸の抽選会に215人が殺到したとの報道もあるが、この中でもトヨタ自動車の本社に近い県営保見住宅28戸に134人が応募し、このうちの119人は外国人だったと聞くと考えさせられてしまう。

 職を失い、行き場のない無料宿泊所に集まった人々へ批判的な発言をして問題とされた国会議員も存在したが、不況から首切りとなった人々には同情もしたいが、そもそも行き場のない事自体には、それまでの環境に問題はなかったかとの検証も重要である。

 2ヶ月ほど前の話だが、「仕事をクビになった人へ仕事先を紹介して」との電話が入り、詳しく聞くと日系ブラジル人との話しに、「私の息子も現在失業中です」と話して断ったが、日本人でも仕事がないのに日系人の世話をする人もあり、派遣社員などと一くぐりの言葉の中身にも説明が必要と思う。

 さて、名古屋市内でもブルーシートの小屋に住むホームレスが存在するが、新聞に報道されてくる住処のないホームレスはいったいどんな環境の人たちなのか。新聞報道でも、失業して他市から名古屋に来て休職中の人も名古屋市が対応しているが、厳しい時こそ名古屋市に籍を置く市民が優先されるべきで、果たしてそうなっているか。

 我家にも休職中の息子がおり、私を頼って居候を決め込む知人(元従業員)は仕事こそ行っているものの、低賃金から我家の居候のままに春を迎えそうな暗い雰囲気が漂うが、市役所に籍を置き、税金や年金、健康保険などを正しく納めている人と、住所不定で公的負担をしていない人との区別は重要である。

 不況のドサクサから、求職どころか住居まで求める人々の存在と、あたかも当り前に対応を求められる行政から、派遣社員や契約社員の解雇は必然としても、行き場が定まらぬままに住居まで退去させる企業の社会的責任を問う事も重要で、このあたりの採点を購買時にも生かしたい。
                                 1月15日の一言

事件・公園の松210本がバッサリと

 私の息子が尊敬し、香川県まで出向いて自転車の練習に参加させてもらったロードのプロ選手である、真鍋和幸選手のブログ「サドルの上からこんにちは」を覗いてビックリする四国での事件を知る事となりました。
真鍋選手のブログ↓
http://ameblo.jp/manabe-kazuyuki1970/entry-10190360120.html

より詳しいブログ『kaguraの独り言』(勝手に引用してすいません)↓
http://d.hatena.ne.jp/kagura-may/20090110/p1

 私の心のよりどころとなっている四国でも、こんな乱暴な出来事が起きていたんですね。12月の四国遍路では、近くに位置する健康ランド『四国健康村』を目標に車を走らせ、夜でも輝くゴールドタワーから現場周辺も通りましたが、恋人の聖地とも言われ、臨海公園や道の駅もある名所での事件だけに驚きの出来事でもある。

 上に添付したブログの内容そのままであるが、風光明媚な名所で起こった事件だけに驚きを隠せないが、近くに多くの結婚式場が存在していることから、生き残りをかけた所業かとも思われるが、人生の門出を祝うはずの結婚式をこんな無神経な式場であげたいとは思わないが、はるか彼方の四国の話であるばかりか、結婚式と無縁のお爺さんの域に入る私の語る事でもなさそうでもあり…

 それにしても、計画的な街づくりを進めてきた行政が、年月をかけて育てた松の伐採に対して、喜んで許可を与えたとは思わないが、許可を得た式場の対応は常識を外れすぎており、瀬戸大橋の展望や夕陽の名所として人々を集めている宇多津町にとっては、正月早々にして全国に恥ずかしい話題を提供してしまったのが残念でもある。

 さて、切られた松は210本で、約20年前に臨海公園の防風林として植えられたとあるが、我家で庭木を切ると家内が体調を壊す事が多く、家内の在所では年末に大木を大掛かりに枝打ちをしたところ、家内の母親と姉が体調を崩したため、近くの真言宗の寺院にお祓いをしてもらったら回復したと言う。

 愛知県ではこんな事を『おとがめ』と言います。

 こんな感覚に敏感な私には、無残にもバッサリと切られた成長盛りの松の写真にびっくりだが、松に魂があるとしたら大変な事でもあり、こんな無神経な結婚式場が人気が殺到して栄えない事だけは祈ってやまないものでもある。
                                1月14日の一言

発表した計画書の説明ができないとは

 本日は津島市議会厚生病院委員会が開催され、津島市第4期(平成21年度~23年度)高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画の素案が担当部署より発表されたが、説明された中身の数字目標に対する議員の質問に十分な説明ができず、見直しと追加説明を求められる顛末となった。

 質問する議員のレベルアップもその要因であるが、一方では国の方針や制度が次々に変更されて、よほど同じ部署で精通した職員を育てないと、成り行き任せや他の自治体の先例に横並びとなり、地域特性や過去の経験や学習が無となる可能性も否めないと実感させられました。

 この事は、医療の現場でも同じような事が問題となっており、国の制度が次々と変化し、医療技術を磨いて患者を早期退院に導いても、退院後のバックアップが十分とは言えないケースも多く、医療連携や制度が十分に機能しない事も多く、複雑な制度を整理して運用する役割を必要としている。

 さて、本日は市民病院の公開講座が開催され、「最近のお産事情」をテーマとして、助産師さんから最近の出生状況と分娩状況の説明から、患者の意向を重視した病院の対応と、出産後のインファントマッサージ(乳幼児へのマッサージ)の方法と効果などについても説明があった。

 津島市民病院も一時期であるが医師の退職により産婦人科が休止されていた事から、分娩患者数が完全に回復していないが、医師の補充とともに助産師のレベルアップが図られており、最近では妊婦が親の在所に戻って子供を出産する希望を断る自治体や病院が話題になっているが、出産間際になって急遽親の在所に戻って出産したい妊婦も受け入れられる体制となっている事が披露された。

 一度失った信用を取り戻す事は難しく、当地方では最高と思われる産婦人科の環境をどのように伝えるのか。今回の公開講座のPRが行き渡らず、私の一行3人が訪れないと、2人しかいなかった参加者の現状を教材にして、多くの患者を受け入れるPRを考える事が先決でもあった。
                                  1月13日の一言

地域セミナーが終わり、清々しさを貰いました

 本日は愛知県の心のバリアフリー推進事業「地域セミナーin津島」が開催され、日本福祉大学社会福祉学部教授の児玉善郎先生による「障がい者の自立を支えるバリアフリー」についてと題した基調講演のあと、パネラー3名を加えたディスカッションが夕方まで続けられた。

開催要項は下記↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage7.htm

 セミナーは、「人にやさしい街へ」のテーマで、障がい者から高齢者まで誰もが安心して地域で生活できる街づくりと、いざという時に困らない社会の仕組みについて、3年前から連続して開催されており、過去2年間は愛知県の「人にやさしい街づくり」地域セミナーとして、今回は心のバリアフリー推進事業として開催しました。

 パネラーには、津島市で知的障がい者施設「しらさぎ福祉園」の園長を務める沢田一郎さんから、現在の取り組みと障がい者が地域で生活していく上での課題と、福祉施設やケアホームの今後の課題について話され、施設に通う園生が地域で生活していく上での問題点が披露された。

 次に、平成10年に交通事故によって車イス生活となった尾西市の三好宏和さんから、健常者から障がい者になって感じた病院の対応や自分の障害を受け入れていく上での心の葛藤や、自立して生活していく上で苦労話を聞いた。

 最後に、地元津島市民病院の副院長で統括外科部長の神谷里明先生から、入院患者を在宅に導くための医療面の対応と、同行した病院のソーシャルワーカーからの実例報告を交え、医療現場の医師不足の実態と勤務医の環境など、患者への責任ある対応が語られた。

 それらを児玉教授のコーディネートでディスカッションを進め、一日の日程を終えましたが、今回のセミナーはNPO法人ひとまち生活ネット津島が単独で企画運営したものの、愛知県の資金支援とともに、津島市の建築課職員や市民病院職員と一体となった準備により開催されており、県と市と市民活動が一体となった事業として津島市では貴重なイベントとなっています。

 今から来年の話は早すぎますが、児玉教授から「是非とも来年も続けていって下さい」との言葉や、パネラー役の神谷副院長からも引き続いて参加していただける事から、今回のセミナーの中で問題となった災害時の障がい者や高齢者の対応などテーマを絞って早期から準備にかかりたいと考えています。

 さて、以前の一言にも記しましたが、ここ数年間は誘われるままに、何でもボランティア活動には一市民として参加を続けてきましたが、私の身体が一つしかない事から、これからは自分の限定したポジションから市内外のイベントに積極的に参加していきたいと思います。

 NPO法人についても、現実に困っている人の存在から、人の手足となれる活動に徹して、私も人の手足となれる実践を残す事を課題に、ボランティアを必要とする人と、身体に余裕がありボランティアに参加できる人を加えた目に見える活動に発展させたいとの意欲をもらえるセミナーとなりました。
                              1月12日の一言

久々となる横井庄一記念館にて

 本日は寒風で雪が舞う(チラリとですが…)中で開催された消防出初式に参加し、そのまま冷え切った身体で津島文化会館で開催された成人式の来賓として参加し、「ちょっと珈琲でも」との声を聞こえぬふりをして、12月からサボりぎみとなっていた横井庄一記念館に走りました。

 ただし、不謹慎にも明日に文化会館で開催される地域セミナーの資料とする印刷物を綴じるためにホッチキスを持参した当番で、こんな天気では人も来ないものと明日の準備を続けていると、はるばる岡山県から家族4人の訪問を受けました。

 話を聞くと学校の先生で、平成9年に放映された横井庄一の「知ってるつもり」のビデオを教材として、授業で生徒に見せて使っているとの話から、我家に保存してあったビデオ集とDVDを取りに走り、今後の教材用に使ってもらうとともに、記念館の撮影と説明に久々の熱が入りました。

 ともすると入館者が減り、天候の悪い時などは役務的に時間の経過を待ち続けている事もありますが、全国の遠くから真面目に記念館を目指して訪問される人の存在は、戦争の悲惨さや平和を訴えるため、記念館を維持させていく必要性を感じさせられます。

 館長(横井夫人)の話では、開館してから3年目の記念館が今後の展望に大きく影響するとの一言から、今年は正念場ともなりますが、記念館の存在意義を今一度かみ締めて、訪問された方々に何かを持ち帰っていただける事を考えたいと思いました。

 忙しい中で、平成9年に亡くなった横井庄一さんを忘れずにいていただける事に感謝し、人間の心の優しさと美しさを感じさせられる一日となりました。
                                 1月11日の一言 

個人と公人の間で

 本日は娘が結婚する相手のご両親と、はじめての顔合わせと食事会があり、本来なら飲酒はしないはずであったが、父親が私と同学年であり、共通する話題が多かった事から、アルコールが入って時間を大幅に越える初対面となりました。

 初めての経験で、なんと切り出したら良いか判らず、私の馴染みの寿司屋さんを会場としたものの、相手の顔どころか経歴も判らず、ぎこちない足取りであったが、普段姿で語れた事から、今後の結婚式や付き合いについても安心できそうでもある。

 それにしても年月が経過し、私は相手の父親の高校に知り合いがあったものの、今となっては名前が思い浮かばず、その高校に進学した私の中学時代の同級生の名前は相手が判らず、もつれ合った糸が解ければと思いながらも、思い出す事のできないのがもどかしかった。

 さて、3時には来週月曜日のセミナーの準備に、市職員がボランティアで来てくれる事になっていた事から、話の半ばでの別れとなりましたが、堅苦しい四角四面の両親でなく、ざっくばらんな会話のできる相手だった事は私にとっては幸いでした。

 帰宅後は、私のために来てくれている事から、アルコールが入っている事は一切封印して、パソコンの前で真剣に画面を見つめ、彼の手腕に期待するのみと思っていましたが、発表するのは私自身のために、大幅に時間が延長となる作業となりました。

 ここからも私の悪い癖で、仕事の御礼に「珈琲でも行こうか」と誘った事から、気がついた時には夕食時間を大幅に上回り、夜の9時になっていました。ここからが大変です。私は当日の基調講演に使用される資料や、パネラーから預かった資料の印刷が残されており、終わったのは深夜となっていました。

 明日は早朝より消防の出初式があり、引き続いて成人式となり、帰宅後に印刷した資料の綴込みとなりますが、ここで私が倒れたらセミナーはどうなるのかと思うと、段取りは全て出来ているものの、全ての内容と中身を私の胸の内にしまい込んでいる現実に高いストレスが感じられます。

 現実には、私がいなくともスケジュールが決まっている事と、立派な講師とパネラーにより何事もなく進んでいくのでしょうが、パソコン以外は視聴覚機器の置き場所や、当日の演題を記した横幕や資料は全て私の手中にあり、やはり危険を感じずにはおれません。
                               1月10日の一言

NPO法人の些細な舞台裏

 新年早々の忙しかった第一週が終りました。ただし、月曜日の地域セミナーを控え、当日用の資料を数点印刷して綴じる事と、記録した写真をパソコンから表示させるため、明日には休み返上で職員の協力をもらって整理するなど、新年になって初めの連休も仕事となるのは必死でもあります。

 今回のセミナーには、大学教授1名とパネラーにも医師などを3名お願いしているが、セミナーの目的が障がい者や高齢者の地域支援となっている事から、それぞれがボランティア意識を持って参加してもらっている。

 さて、こうして参加してもらう講師やパネラーに出す少額の謝礼を巡り、行政の立場と税務署、そして我々NPO法人との間で感覚の違いがあり、手渡した謝礼の領収書を貰うべきか、領収書を求めずそのまま気持で手渡すという私の主張との間に大きなカベが存在する。

 もちろん、主催者であり費用を支出する愛知県が領収書を欲しがるのは当然であるが、講師をお願いした講師やパネラーに支払う謝礼は、講師を依頼する側の目安にされる事から、私が低い謝礼でお願いした金額が表に出る事は、講師らを低くランク付けされる事にもなりかねない。

 行政や団体が講師へ支払う謝礼は高額であり、金額を聞くとびっくりとさせられる例が多く、ボランティア活動の謝礼は極めて低額であり、今回の講師は博士号を持っておられながらもボランティア精神で参加を快諾いただいており、私は低額の謝礼を領収書として残したくないのでもある。

 「それで、税務署は大丈夫?」となるが、複数の役員の確認によって明細を示して、それで文句があれば私の自己責任とする覚悟だが、そもそも利益を目的としないNPO法人からも税金を支払わせようと再三連絡がくる税務行政にも不満がつのる。

 今年で3回目となる地域セミナーであるが、裏側ではこんな些細な問題が議論され、当日の参加者の多少についても組織的動員は好ましくない事から、配布した宣伝チラシの結果待ちとなるが、数日後に迫った本日は終日雨が降り続き、チラシ配布にも出られない現実が堪える一日ともなりました。
                               1月9日の一言

世の中は多種多様である

 朝日新聞の夕刊に「議会未来形」として、シリーズで議会の先進的事例や議会改革の具体的内容が記事となって伝わってくる。本日の記事の中に、「仕事は口利きと言われてきた議会が変わりつつある」との一文があり、見方を変えると口利きは前時代的で悪のようにも取れますが、改革の言葉に隠れて議員が住民の生活とかけ離れた存在になるのも問題と思います。

 そもそも、口利きと言う言葉の意味が抽象的であるが、議員が選挙の集票を目的としたり、金銭的な見返りを期待した場合に問題があるのであって、議員が持つ行政とのパイプや企業などへの関係が、口利きと言われる行為であっても、理不尽にも相手にされない人々や、相談相手のない人々の役に立つのであれば意義も見出せるものでもある。

 市民が訴えても全く聞く耳を持たない行政の窓口にも問題があるが、議員がパイプ役になる事で地域社会の生活に役立ったり、個人の問題でも市民生活が改善される事は大いに結構だし、我々が議員であり続けるためには、良い意味で口利きのできるような人脈やパイプ役になる努力も必要と思われる。

 問題は公正であり、特別な計らいではなく、総ての人々にあてはまる対応である事が重要となるが、地域社会や組織の中では何ともし難い問題も存在し、家庭内の問題まで踏み込むと、我々議員のもとには、まるで弁護士か警察の仕事と思われるような相談も多く、どこまで関わって良いのか考えさせられる問題も多い。

 本日は子供(40代)の暴力に耐えかねた母親から相談を受け、家庭内の様子が判らない事から身の上話に始まり、深刻とは思うものの子供も知っている事から、警察沙汰にもしたくないし、万が一を考えると放置もできない問題だけに、知り合いの警察官に相談する事で別れたが…

 高齢となった親の金をあてにして、貸さないと暴力では堪らない話だが、同居していないとは言え親子の問題だけでなく、可愛い孫も存在する事から、何とか穏便に済ませたいが、話では何度も繰返し続いている事と、暴力による体のダメージも大きく放置できない問題であった。

 口利きの解釈を善意として考えるか、悪意で考えるかによって違うが、困って何ともならない問題を解決するためには必要な口利きもあり、議会の改革や議員の理想像からこういった問題を封印してしまう事は議員の存在価値もなくす事になりはしないか。
                                  1月8日の一言

地獄の忙しさからも一抹の元気を

 本日は車イス2台によるバリアフリー検証会(車イス2人と補助員2名、記録役の市職員1名参加)を実施しましたが、集合時間とした10時30分では、近くのコミュニティーバスのバス停を10分前にバスが通過していってしまう事から、「予定より早く集まってちょーだい」と急かしてのスタートとなりました。

 今日の検証会は津島市の西部地区にある障害者授産施設である「彩雲館」から、津島市で一番南に位置する「神島田祖父母の家」までバスを乗り継ぎ、現地で昼食後に出発地点まで戻るという簡単な行程ですが、バスに乗り遅れると1時間待ちとなり、乗り継ぎにも30分待ちとなる事から、乗用車なら15分の目的地に到着したのは最高に上手く乗り継いだものの1時間10分後となり、食事場所はここから更に1キロも歩く事になります。それでもここまで100円で来れるのは行政のお蔭でもあります。

 本日の検証会は2人が数年ぶりとなる馴染みの寿司屋さんに行きたいという目的を達成する事はできましたが、昼食までは順調に進行したものの、帰りのバスは午後1時59分まで一本もなく、このバスを待ってバスを乗り継ぐと帰宅は昼食のために半日がかりとなり、地方都市の厳しい現実も実感しました。

 さて、昼食場所から歩いて戻るのには距離がありすぎ、バスを待つのも時間的に大変なために、地元を中心に最近一生懸命頑張っておられる「介護タクシー」をお願いして帰る事としました。

 これは快適で車イスを2台乗せられるタクシーが1時に横付けされ、ヘルパーさん同伴で社長自ら運転してもらって全員乗車して出発地点の「彩雲館」までアッと言う間の到着となりました。バスを乗り継ぐと4時近くとなりますが、介護タクシーは15分後には到着してあっけなく検証会は終了です。

 便利な時代になった事は確実ですが、ここで問題となるのは必要となる金額で、介護タクシーは3600円もかかる事から、一度の昼食に5千円近く必要となり、とても現実的とは言えず、2百円で往復できるコミュニティーバスも半日がかりの昼食では現実には出かけられません。

 こんな体験を来週月曜日に開催される地域セミナーで発表して、来月には更に大掛かりなバリアフリー検証会を開催する予定としていますが、この経験からNPO法人の活動によってバリア解消のために活かしていきたいと考えています。

 本日も忙しさは相変わらず、パネラー役を依頼してある市民病院医師や、基調講演をお願いしてある大学教授を訪ねる事前打ち合わせだけでなく、当日の横断幕の演題書きの依頼に恩師宅に出向いたり、新聞折込を依頼した販売店にも走り、車には使用した車イス2台を乗せたまま孤軍奮闘の一日でした。

 忙しさは更に増し、週末は抜き足ならぬスケジュールとなりますが、忙しい中をボランティア精神で参加していただける病院医師(神谷副院長)や、日本福祉大学の児玉教授とのすがすがしい会話から、明日からも頑張れる元気をもらっての帰宅となった事も付け加えておきます。
                               1月7日の一言

日に日に暗くなる心の中身を

 昨日は一日中外出するとともに、目まぐるしいスケジュールから、パソコンで鶴田浩二さんの映像と唄声に浸っていたが、来週開催予定の新聞折込用のチラシの印刷が終ると、朝刊を配達するバイクが店先を通過していき、読みたい心境を抑えて仮眠を取ると、朝一番で市役所や市民病院からの電話が続き、新聞を読む時間も無いまま外出となった。

 さて、明日も午前中より車イスによるバリアフリー検証があり、夕方からはセミナーの講師やパネラーとの事前打ち合わせがあり、夜は名古屋まで走る事から、休憩は今しか無いと知人を誘うと、セミナーの広告を公共施設に配布中であり、終了を待って珈琲屋行きとなったが、この休憩も本日は書道会の書初めがあり、新聞折込も数千枚残している事から、本当の休憩は連休の出初式や成人式を終え、最終日の地域セミナーが終らないと来ないらしい。

 それも、セミナー用に借りた車イスや視聴覚機器の返却を済ませ、自分の会報と旅行会の新年号を発行しない事には心が収まらず、セミナーの全費用も開催後に愛知県から支給されるものの、支給されるまでは私のヘソクリで立て替えとなる事から、春が来るまでは気候と共にフトコロも寒いままの生活となりそうです。

 こうなると私の金銭と戻ってくる公金の境目が判らなくなり、自分のお金が戻ってきても公金を使っているようで気が治まらず、ヘソクリはボランティア用に封印されたままにしてあるが、こんな時に国からの交付金を愛知県の各部署が不正流用したり、裏金としていた事から、せめてボランティア用には直ぐに費用が支払われるようにして欲しいと願う。

 正月が来たらとか、来月になったらとか、自分が伸び伸びと自由気ままに旅先で寝そべってみたいと考えるが、積み残した仕事は残ったままで減らない事から、私の行動範囲は大幅に見直して行動しないと、「何をやっていたのー」とお叱りを受けることとなり、議員専業ではやりくりのつかない家計と、無償の仕事との狭間に悩まされる。

 「来年からはお父さんも働くから」と、息子の進路と自転車競技への応援を力強く語っていたが、春には娘の結婚式も迫ってくることから、議員専業も風前の灯火となるか、「貧乏人は麦を食え」の精神で堪えしのぐか、人生の際どい選択のようにも感じられるが、家内の働きを頼りにしては亭主としては情けないばかりでもあるが…

 「ところで、働くって何をするんだ」との知人の一言に、「?」返す言葉も出せず、「朝の新聞配達ならできそうだ」の言葉に、「そこまでするのか」の言葉が返り、自分にできる事が見いだせず、議員になって先祖伝来の遺産を減らしたとは言われたくないと思うと…、つい「税金が高すぎる」との社会への怒りへと発展する。

 こんな顛末ばかりの一言となると、読まれる皆さんにも苦しみと惰性の暗さを与えそうですが、新聞をじっくりと読む事もできない状態ではご勘弁をいただき、明るい光明を見出すように祈って下されば幸いです。ちなみに光明真言は「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」です。(暗ーい)
                                     1月6日の一言

鶴田浩二さんと共に休養から徹夜へ

 本日は行政の仕事始めであり、私も年末年始に残した仕事に朝から晩まで走りまわる一日となりました。明日も明後日も同じ展開の中で、久し振りにパソコンを開くと「鶴田浩二」さんの映像が増えており、私もビデオテープでは保有しているものの、パソコンから消えないうちに保存しながら、本日はしばらくの間下記の映像と声を聞いて心の休養とする事としました。

歌手デビュー秘話~男の夜曲 http://www.youtube.com/watch?v=bCQAScksK2Y

鶴田浩二、二つの疑問に答える http://jp.youtube.com/watch?v=Vi-T_hrAi8s&feature=related

好きだった~街のサンドイッチマン~赤と黒のブルース
               http://jp.youtube.com/watch?v=MgKUo1hitm4&feature=related

名もない男の詩 鶴田浩二 1977年 http://jp.youtube.com/watch?v=O_pzuffl5fg&feature=related

 昨年12月に高野山で鶴田浩二さんのお墓に参拝し、無言にたたずむ墓石ばかりが頭に残っていましたが、前記したデビュー曲の秘話から4つの録画は20分程度であり、私も個人的に所有している映像ではあるが、YOUTUBEに投稿される人によって、パソコンから聞く事ができ、私にとっては一番の休養である事を実感させられました。

 過去にも何回かは映像の保存のためにここに記録した事はあるが、鶴田さんの唄声を聞きながらこの一言に鶴田さんの事を記す経験は初めてで、忙しいから「ちょっと珈琲屋へでも…」と知人を誘うより、私にとっては心が落着く休養になります。
 私にとっては未だに現役である「鶴田浩二」さんを、高野山にたたずむ墓石の記憶から、過去に追いやってしまっていたようで、全国から投稿される映像を随時保存しながら、しばらくは鶴田さんの隣りに座っている気持ちに浸りたいとおもっています。
                                        1月5日の一言
追伸
しばらく休養と記しましたが、明日までに新聞に折り込む広告を印刷しなければならず、印刷機の回転は一定の為にしばらくは眠れない事が確実で、今晩は鶴田浩二さんと一緒に午前様となります。それにしても、最後の名もない男の詩のラストシーンは最高で、涙で寒さも忘れさせてくれます。こんな魅力ある男になりたいものです。

旅役者の舞台裏のような忙しさに

 今月12日(祝)に開催される地域セミナーの宣伝です。↓
      http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage110.htm

 朝からセミナーの印刷を開始したものの、昨年の参加者や関係者に送付するとなると、およそ300件程度の封筒が必要となり、一部新聞販売店の折込の協力ももらうと(まだ、連絡がしてありません)すると、印刷ばかりか封筒の宛名書きから袋詰めも必要となり、知人に連絡したものの作業は暗くなっても終らず、家内の協力も得て夜なべ作業となりました。

 さて、印刷したばかりであるが、元旦付けの市政のひろば(広報)に掲載されているとは言うものの、人目にも付かぬスペースと詳細が記されていない事から、本来であれば昨年末までには市内の各施設にパンフレットとして配置されておるべきものであるが、私一人の労力に頼った作業のために、本日となった次第で遅れは必死でもあります。

 ただし、必死と感じているのは私一人であり、手伝いの知人も仕事を残したまま帰宅し、市役所は年末年始は休日となっており、明日に郵送の手続きを済ませ、当日までにテーマを記した横断幕を完成させ、当日の資料(講師も冬休みです)も連絡して入手後に印刷が必要となります。

 一方で、当日にボランティアで協力をいただく要約筆記の人々の使うOHP機材の確保と返却も私の仕事となっており、本来なら分担すべき仕事が、私が忙しくて対応できない事から、差し迫ってから問い合わせとなり、自業自得ですが、私が即答して総てをやるしかなくなってしまったのでもありました。

 今年で3年連続の行事となりますが、元々は愛知県の推進する「人にやさしい街づくり」の一環として、愛知県から津島市で地域セミナーを開催して欲しいと依頼され、昨年も連続して開催したものの、今年度は愛知県の予算があてにできず、自力での開催を考えていたところ、愛知県の健康福祉部の心のバリアフリー推進事業として予算の割り当てをいただいたセミナーです。ただし、費用が下りてくるまでは私のヘソクリで立て替えとは厳しいと思いませんか。こんな状態のNPO法人にも税務署の目が光っているとは皮肉としか言いようがありません。

 さて、さて、明日はどうしたら良いのか。市役所に走り、パネラーの関係する施設と市民病院に走り、7日に報告用に開催する車イスのバリアフリー検証会の準備…、?、新聞販売店への連絡も…、講師の大学への連絡と、…、郵便局へ市内特別便の依頼と、勿論7日に参加してもらう人への依頼も必要となる。この一言もメモ代わりとなりそうな日々がしばらくは続きそうである。
                                  1月4日の一言

ボランティアよりも娘の一言に走る

 本日からは仕事再開となり、印刷用紙を買いに走るものの文具店は正月休みのままであったが、ホームセンターを覗くと印刷用紙が山積みとなっており、大量の用紙を買い込んで帰り、元日より待ち続けたカメラ屋も本日より営業をはじめており、「時間がかかります」の一言があったが、2時間後には写真が出来上がってきた。

 さて、このまま印刷となる予定であったが、娘から電話があり、4月に予定されている結婚式に使う写真をスキャナーからパソコンに取り込んで欲しいとの話から、深夜までかかって新郎新婦の幼い頃からの写真をパソコンに取り込む作業に関わる事となり、肝心の私の仕事は(親バカから)明日へ後回しとされてしまったのでした。

 そうなると、明日には年始直後の日曜日にもかかわらずボランティアとして仕事を依頼してある知人は、何も知らずにやってくる事から、私が朝から頑張ってみてもそれは長い一日となる事は必死で、私の親バカの理由では許されないと思われるが…

 朝一番で親の月参りに訪れた住職から、「お墓の場所を移動させなければならない」と言われ、今後計画されている本堂の建て替えによって、我家の先祖代々の墓を移設させて欲しいとの話を聞かされた。
 全く納得はできないものの、年末に京都の本山でお世話になってきた事と、今年は父親の17回忌と来年は曾祖母の50回忌が予定されている事から無言のままとなったが、こんな事は建て替えの寄附の説明をする前に話すべきであり、墓があるから平均とされる寄附金額よりわずかでも余分に提示した気持は寺側に理解されているとは思えない。

 四国遍路や京都のお寺からすがすがしい気持をいただいて帰ってくるが、地元のお寺は「先祖供養」のお勤め役のみとなっており、寺から示された代替地は本堂の裏側の日陰のような口ぶりから、道路拡幅に引っかかって用地買収される土地のように先祖の墓が思われているようでがっかりとさせられた。

 先祖代々にわたり、我家の供養をお願いしてきたお寺であり、私の叔父も出家してお世話になったお寺ではあるが、私が生きていく中では先祖供養のみで、私自身の精神的支えとする寺ではないだけに、先祖の墓の事務的な移設から、先祖の位牌の精についても疑問を感じさせられてしまう。

 「お寺は檀家の物」との発想から、事あるごとに寄附の話が当り前のように出されるが、こんな事はいずれ通用しなくなると思われる。少なくとも、私は四国遍路や訪れたお寺からすがすがしい気持をもらいながら、その恩を無にしてきてはいない。

 「お寺は檀家の物」とは言え、お寺の考えで運営されており、檀家は言われるままである現実と、生きる者に対する精神的支柱となろうとする寺院も存在する事から、改めて四国88ヶ所霊場会からいただいた先達教典を読み直す深夜となった。
                                  1月3日の一言

完全休養日(ただし、家内は仕事へ)

 本日は完全休養日でした。

 と、言うよりも年末年始の徹夜の疲れが抜けきれません。家内は当り前のように仕事へ出かけたものの、私は情けなくコタツでパソコンを覗くものの眠ってしまい、午前中に私の姿が映る八坂神社の映像を発見したものの、再び深い眠りに入り、気がつくと箱根駅伝もゴールが近づいていました。

 発見した映像です⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/38003968.html

 働く家内を尻目にして、本日の仕事は知人と珈琲屋行きのみです。こんな顛末を聞かれると家内に申し訳が立ちませんが、明日からは仕事の再開となり、印刷用紙の仕入先の営業が心配となります。

 さて、テレビのデジタル化も宣伝されていますが、カメラのデジタル化も今や総てがデジタルカメラのような対応で、昨年からフイルムに付いていたサービスや割り引きが無くなりましたが、こんな時代の影響かカメラ屋も正月休みとなっており、「万が一」と思って昨日より電話するものの本日もお休みです。

 フイルムカメラを使用する者にとっては、年末年始に取りだめたフイルムを少しでも早く現像してプリントしたいのは当然の心情で、かつては元日も写真屋の稼ぎ時となっていたものの、最近では少数派となったフイルムのカメラマンのために店を開けていてくれる事は無いのも当然の流れとは言え淋しさが募ります。

 そんな中で、ブログにも綺麗な写真が掲載され、今ではビデオ映像まで発信され、年末の私の姿まで発信されている現実から、私の古臭いこだわりや感覚も一新が必要となっているのも現実です。携帯電話をはじめ、買い替える製品ばかりが目白押しですが、今年はちょっと稼いで考えましょうか。

 こんな一言を記して、やる気になっても稼ぐ方法を考えないと…
 金のためにこだわりを捨てるのも嫌だし…
 カメラ(フイルム)も現役バリバリだし…
 印刷機も何とか使えない事もないしなァ…

 何も進歩のない私の自問自答は続いています…       
                                         1月2日の一言

京都八坂神社 おけら詣り 映像に私の顔も…


私も27秒から撮影を待つ新聞記者にまざり一瞬でも写りました。撮影者に「ここに写ると全国に流れますね」と冗談で話しましたが、人相の悪い私でも写っていました。今年の「をけら参り」を記録する貴重な映像です。

こちらでは大きく写ります⇒ http://jp.youtube.com/watch?v=WfysDj_L4P0

新年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。

 平成21年の元日も例年どおり京都の地にて始まりました。百万遍智恩寺で除夜の鐘をつき終わり、船岡山の建勲神社に参拝し、その後に牛と縁のある北野天満宮に参拝してから、雪できわどい名神高速から愛知県に帰りました。

 さて、三年越しで続けてきた八坂神社の「をけら火」を愛知県に持ち帰る試みは、やっと3年目にして達成し、朝一番で「をけら火」による雑煮餅と昆布茶を食し、借りたレンタカーを返しに走ったあとは帰宅して爆睡です。

 忙しさから、年末年始も黙々と約束した予定をこなすだけで、大晦日も寝る事無く元日の朝まで走り回り、事務所も昨年の残骸そのままに新年を迎えましたが、10日後には予定した主催行事も迫っており、年末と変わらぬプレッシャーが続きます。

 そんな中でもNPO法人「ひとまち生活ネット津島」は新しい展開に入ろうとしており、私自身の役割も歯車の一つとして確実なポジションに納まる必要性もあり、組織的な広がりを模索すると同時に、役割分担も急務となっています。
 議員としての仕事も、ただ「忙しい」だけではなく、昨年は市民の代弁こそは続けているものの、市民の意向調査や情報収集の機会が狭まっている事から、本年はその辺りの改善と、2年前から途絶えている「まちかど座談会」の復活も教務になっています。

 一人の人間の行動範囲と行動力には限界があり、最近のライフワークとしている「四国遍路」が増え、一緒に同行する人々の問題まで抱え込むようになると、楽しいはずの旅行が役務的となり、昭和63年から続いている「朝日旅行友の会」にも影響する事から、自分の仕事を四捨五入して、全力で対応できる環境への改善も急務です。

 自分の行動を振り返り、更なる飛躍の年とするためにも、自分の正直な行動や考えをここに記し、厳しい批判や考えも集約できるブログ運営に心掛けますので、今年も変わらぬ交流と返信をお願いし、皆様にとっても幸多い年になる事を祈願して、新年のご挨拶といたします。どうか今年も宜しくお願い申し上げます。
                                     平成21年元旦
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