大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年03月

北朝鮮に踊らされてはいないか

 北朝鮮の人工衛星の打上げをミサイル発射と決め付け、日本政府と国会は本日の衆参両院で『長距離弾道ミサイル発射について自制を求める決議案』を全会一致で採択した。近隣諸国や米国などと明らかに違う過剰反応にも思えるが、本当に人工衛星ならばどうなるのであろうか。

産経新聞の記事⇒ 参院は31日午前の本会議で、北朝鮮に対し長距離弾道ミサイル発射について自制を求める決議案を全会一致で採択した。午後の衆院本会議でも採択された。
 決議は、ミサイル発射を「わが国のみならず北東アジア地域の平和と安定を損なう行為」と指摘し、「断じて容認できない」と抗議の意思を表明。北朝鮮に対して「国際社会の声に真摯に耳を傾け、発射を自制することを強くもとめる」としている。
 自民、公明、民主、国民新の各党が当初、合意していた決議の原案には「国連安保理決議に明白に違反する」と明記してあったが、30日の野党国対委員長会談で共産、社民両党が難色を表明。与党や民主党も全会一致で速やかに採択することを優先させ、削除した。


 北朝鮮の今回の行為が国際協調時代の中では決して普通とは思えないが、この問題については一貫して人工衛星の発射実験と宣言しており、自衛隊のミサイル迎撃ミサイルを各地に配備した事は自国を守る防衛上当然の措置としても、北朝鮮のミサイル発車を決め付けたような批難を続けるばかりか、国会での決議については過剰反応と思えてならない。

 我国は今回の発射について、「発射は国連安保理決議違反」として、米国や世界各国に訴えると同時に、6者協議の議長国である中国に対しても協力を要請して、現在継続している経済制裁の延長と、更に厳しい経済制裁の強化ついて麻生首相が言及している。

 しかし、世界の流れは日本とは違い、北朝鮮に対する制裁決議に疑問を投げかけるばかり、隣の韓国ですら季明博大統領が「北鮮のミサイル発射に軍事的に対応することには反対だ」と語っており、本当に人工衛星の発射実験であった場合を考えると我国の対応には言い訳すらできないものがある。

 こんなことで世界中を相手にリーダーシップが発揮できる外交とは思えず、我国もロケットを発射し続けておるばかりかミサイルも保有しており、訓練では発射し、米国や韓国とも共同で軍事訓練を行なってきた。ミサイルが発射されて我国の領土に被害が起こるのを防ぐ為に高額な迎撃ミサイルが用意されており、万が一の場合には自衛力の発揮で国の威厳を保つべきである。

 政権が不安定な事から、与党も野党も冷静な議論が出来ないとは思いたくないが、今回発射される人工衛星がミサイルであり、我国の領土に被害が及んだ場合には、日米安保条約の存在や国連安全保障理事会の存在から、北朝鮮自身が窮地に陥るのは必死で、仮に威嚇行動としてもそこまでは馬鹿ではない。

 「阿呆に法なし」とか「阿呆に取り合う馬鹿」などのことわざもあるが、今回の問題に対する対応を見る限り、阿呆は北朝鮮とは限らず、数日後に迫る人工衛星の発射実験を見守ってみたい。
                                  3月31日の一言

森田知事誕生は地方政治の現実だ

 千葉県知事に元衆議院議員で俳優の森田健作さん(59才)が当選した。我々の少年時代に剣道を愛する熱血漢の高校生を演じた健作さんであり、その後の俳優生活や政治活動にも世代を代表する模範生を実践した人生だけに心から祝福したい。

 衆議院議員を経験したものの、4年前の県知事選に6千票差とは言え落選し、その日から再挑戦を宣言して県内各地でミニ集会を続けた結果だけに、宮崎県の東国原知事や大阪府の橋下知事などのタレント候補とは違う、政治家としての当選として評価したい。

 森田氏が自民党に所属した事から自民党県議の応援もあったが、政党色を封印して無所属の県民党での当選は、国政では自民党と民主党が対比されているものの、現職知事の後継候補として民主党をはじめ野党各党の推薦を得た対立候補に圧勝した結果はマスコミにも検証を求めたい。

 国政では自民党と民主党の支持率や不支持が比較され、マスコミは麻生首相と小沢代表の支持率の変動に解説を加えているが、国民に自民党と民主党の二者択一を迫る事自体に無理があり、国民の過半数以上は支持政党を持たない無党派層のままなのである。

 国会では自民党と民主党が数字の上で拮抗しているが、地方政治ではほとんどが無所属議員が占め、その多くは自民党系統の議員が占め、民主党議員はわずかしか存在していないのは、国政選挙は小選挙区となっても地方までは二者択一や政党による選択となっていない現実がある。

 今回の千葉県の知事選挙の結果は、森田健作さんの知名度の高さと四年間の地元での努力がそのまま結果になったと私は思うが、選挙結果から民主党の小沢代表の進退問題がささやかれたり、国会の解散時期に影響を与えたと考える事自体が国会議員の思い上がりではないか。

 そもそも、国民にとって国会議員は遥か遠くの世界の問題で、決まった政党を支持していない無党派の国民が多数を占めており、どこが政権をとっても何も期待はしていないのかもしれません。ただし、選挙目的と言われながらも、定額給付金やETCの高速道路割引は国民の行動に即効性のある影響を与えており、国民の生活に直結する国策の実施を是非望みたいものでもある。
                                 3月31日の一言
千葉県知事選挙に関するブログ↓
        http://blogs.yahoo.co.jp/gravelhirayanagi/30421745.html

先祖供養と家族の清めの一日に

 慌ただしい一日が経過したと言っても、叔父の家(寺の説教所・浄土宗)の春の永代経と我家の御嶽教によるお祓いと加持祈祷の往復であったが、朝8時に所用に出かけてから帰宅して落ち着いたのは午後8時近くになっていた。

 悪い事が続くと人間は気弱になり、何から何まで悪く感じだし、生えている樹木まで悪い原因にあげて「お父さんが木を延ばし放題にして、屋根より高くしているからだ」と、私の事務所の木々まで悪者にされていたが、御嶽様の先達さんから問題なしとの言葉が出た。

 むしろ、「切る方が大変」として、その年によって樹木を切って良い方角と悪い方角があるので、気になるならむしろそっちの方が重要との話でもあった。

 我家と事務所のお祓いと、家族一同へのお祈祷の後で、不運続きの長男個人への御加持が続けられたが、家族一同が揃って仏壇や祭壇に参ったのは久しぶりで、本当に困った時の神頼みだが、これからの気分を切り替えて幸運を導きたい。

 かつては愛知県の尾張地方は御嶽教(御岳山)の信者が多く、我家に奉られている祭壇がいつの時代から存在するのかは定かではないが、グアム島で28年ぶりに発見された横井庄一さんが、「自分は御嶽教の申し子と言われた」と発言して、当時のマスコミでも報道され、今年1月の朝日新聞にも御嶽山の見事な写真と横井庄一の言葉が記されていた。

 御岳山の申し子と言われた横井庄一さんの横井家には御嶽教の祭壇はなく、横井さんがそのように言われていたとは思えないが、言われていたとするならば、横井さんが生後3ヶ月から11才まで我家で「大鹿庄一」として生活していた事から、我家に奉られている祭壇がその対象となるのである。そうして考えると日頃の信心が希薄でもあった。

 我家の新家(分家)にも御嶽教が奉られており、三代前の先祖が先達を務められており、御嶽山にも霊神の石碑が残されている事から、当時はそういった関係から信心されており、偶然にも戦後に嫁いできた母親の父親も御嶽教の先達であった事から、祖父の存在した30年前までは時々先達さんたちが我家に寄り集まってお参りが催されていた。

 さて、「これだけお父さんに頼んでいるのに…」との一言は、毎日御嶽教の祭壇と先祖の仏壇に御経を唱えている母親の言葉であるが、そもそも「お父さん」とは母親の父親(先達)の事か、私の父親の事かが判らないが、どうやら私の父親らしいので、我々や子供たちの奮起がないと親(先祖)も浮かばれない。これからの奮起のきっかけとしたい一日になった。
                                  3月29日の一言

急遽御払いと御加持をお願いする事に

 我家には御嶽教(御岳様)が奉ってあり、かつては御嶽教の先達になっていた祖父(母親の父)達が集って祈祷や御加持が行なわれていたが、祖父が他界した30年位前からは、祖父とも親交があり津島市で御嶽教の先達をしてみえるKさんに時々お願いしてきた。

 そのKさんが毎年四月には四国遍路に出掛けられるとの話が夕飯の場で話題となり、最近長男の仕事が不安定で事故にも度々遭遇する事と、三男も自転車競技そのものが危険と隣り合わせのため、お払いと祈祷をお願いしたいと連絡すると、今月の31日から四国に発たれるとの話から、急遽明日の3時からお願いする事になりました。

 さて、明日は叔父の家でも毎年春に開催される永代経が営まれる事から、終了と同時にとんぼ返りとなりますが、数日前に不調となったパソコンの完全修復も午後に約束してある事から、「先に延ばしたら…」との家族の声もありましたが、私の感ずる不吉な予感から無理を承知の実行です。

 不吉な予感(胸騒ぎ)は、不運続きの長男が一番の原因であるが、「ただいま絶好調」と毎日頑張っている三男や、幸せの絶頂期にある娘達まで心配となるばかりか、私の仕事にも減退感を及ぼし、家内の職場への足取りも重くするのである。

 30才になっても一人前に自立できない長男には何が原因か判らないが、7年もの間甘やかせて東京に仕送りした大学生活と、その後勤めたスポーツ関係施設の倒産によって、自分自身を見失っており、我家の居候的な立場から仕事に出向く事から安定が伴わない。

 目的もなく出歩く事から交通事故に遭遇し、相手との交渉術も伴わない事から揉め事となり、そんな困った時だけしか私との会話もなく、弟たちが頑張ればよけいに居場所がなくなり、大黒柱に成長できる素振りは見られない。

 高校時代にインターハイで表彰台(陸上・走り高跳び)に立ち、広島国体では優勝候補とアナウンスされ感動させられた姿は微塵もない。行く先を心配して御嶽教の先達さんを頼るのは他力本願ではあるが、心配な芽は摘み取っておきたく御祓いと祈祷を依頼した次第でもある。こんな情けない顛末を記してしまいましたが、あえて記した心情を汲み取り成果を祈って下されば幸いです。
                                  3月28日の一言

批判される立場にある自覚も

 愛知県内では、低所得の人々や解雇されて住居の無い人々も満杯で入居できない市営住宅や県営住宅に、堂々と入居して居座っている市議会議員の存在が報道されており、テレビを通じて高給取りとか1千万円以上(豊田市)と伝わっている事について、同じ議員でも報酬の低い地方都市で高額な保険税や高負担に悩まされる立場から矛盾を感じる反面で、「議員達はけしからん」と大声で話す(本日)知人から、我が身に振り替えて考える事も必要と思わされた。

朝日新聞の報道↓
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000000903270004
http://www.asahi.com/national/update/0323/NGY200903230012.html

 個人的には地方都市で副業を持たず、議員専業で生活していく経済的苦しさを味わっているが、こんな時には大黒柱のご主人を持つ女性議員は、我家の共稼ぎの年収を大幅に上回る事から、男の私が働いて家内が議員であったらと考えると羨ましく思うが、家内どころか子供達も全員が政治とは無縁の生活から無駄な話でもあります。

 ただし、私自身も先祖伝来の農地が(地域全体の)工場拡幅によって買収される事から、まとまった金額を受け取る事となっており、個人的には納税猶予を受けている土地のために不満も多いが、不景気な時代で身を削って生活されている人々の存在を考えると、報酬が低いとか高い保険税などの公的負担の不満ばかりを口にするのは身勝手かもしれず、名古屋市長選ではボランティア議会も公約に上がっており、今回の報道を耳にして改めて金銭感覚を研ぎ澄ます必要性を感じています。

 さて、世間では暗い話が多い中で、明日から高速道路がETCを使えば土曜日と日曜日は千円で何所までも通行できるようになります。こんな時に、私の個人的趣向で考えると、四国遍路や京都、信州や飛騨路しか考えない為に、通行料は割安とはならず、休前日は宿泊料も上乗せされる事と渋滞を考えると、従来どおりの通勤割り引きや深夜割り引きしか利用は出来ないでしょう。

 しかし、利用の方法によっては青森県まで行ける事から、目先を変えて考えると、政治目的と言われてきた定額給付金と同じく、少しは楽しみも享受できる事を実感させられています。これが昨年の話しならば、毎月目的地を決めて旅行を企画していたので有難くもありましたが…
                                   3月27日の一言

故障はパソコンより自分が深刻かも

 本日は夕方に帰宅後に事務所のパソコンに貯まった迷惑メールを削除していたところ、パソコンの調子がおかしくなり、強制終了させて再起動させたものの、選択画面まで立ち上がらなくなった事から、パソコンの救急車(個人的に頼るプロです)に連絡する事となりました。

 幸いにも会社の帰りに立ち寄ってもらえる事となり、パソコン本体には異常がないとの事ですが、ウィルスチェッカーと何らかのソフトの噛み合わせが悪く、復旧するのに12時近くまでなり、再度週末にレベルアップしてもらう事となりましたが、彼はパソコンのプロであり、仕事として依頼しても当日夜に来てもらえる事は難しく、本来なら金額も相当覚悟が必要と思われるが、私は彼のボランティア精神に感謝するしかなく、真っ暗な道路を感謝して見送りましたが、感謝と言うだけでは感謝の表しようがありません…

 こんな時にも以前のように困らないのは、無線LANで2階にディスクトップとコタツの上にノート型パソコンがあり(これも彼のおかげ)、私自身も一台しかない時と違い格段に精神的余裕があり、ノート型でメーカーのトラブル対処法を見ながら修理できるため、プロの腕もより即効性が発揮されます。

 ただし、私にはいったい何が起こっているのか判らず、話せば邪魔となるので話す事もできず、悪戦苦闘する後姿を眺めて立ち続けるだけですが、彼らのようにパソコンのハードもソフトも対応できるプロを行政が直接採用するか養成したら何億円もの電算委託料が浮く事は確実と思うが、行政は僅かなトラブルでも責任問題となり、新聞沙汰となる事から、委託された方が楽ではあるでしょうが、私が首長なら真っ先に手をつけたい仕事です。

 さて、今年の春から四国遍路に出かける約束がしてある人々から、旅立ちの日程を問い合わせる電話が一ヶ月前から続いているが、「来月には」との返事が、本日の朝には「来月は難しく…」と、5月に先送りとしてしまってから、行くべきだったかと自問自答するものの、心に余裕が無いのか切実感のない余裕なのか強い気力が不足ぎみです。

 巡拝回数を重ね、白の納め札を緑にして、四国公認先達の補任を受け赤の納め札になったものの、次の銀の納め札は25回の満願が必要となる事から、回数を重ねる事に対する意欲は減退し、苦しい修業体験もした事から同行する人々への事故などの責任も考えると足が重くなっていく。

 本当は一人で歩くか、自転車やバイクで走りたいと思うが、一人だけの抜け駆けもできず、しばらくは遅れた仕事を済ませて身体の自由を確保するのが先決です。男にも更年期があると言われますが、もしかしたら、もしかしたらかも…、なんて思ってしまう心境です。
                                  3月26日の一言

消えた昨日の感激を振り返り

 本日は津島市議会の本会議の閉会日となったが、日本中を感動されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の優勝が昨日であった事すら忘れられたような現実に、一日の経過の大きさと昨日の感動がウソのような現実に襲われた。考えてみれば、市役所も会社も仕事中であった事を考えれば当然かもしれないが…

 昨日の一言に私は『10回に招いた走者2、3塁のピンチに、2死であった事を考えれば、打者のイチローを敬遠するのが定石とも思われたが、正々堂々と勝負した事を評価したい。敬遠してこの回をしのいでおれば、勝利の行方は判らなかったと思うが、イチローを封じて「世界一」を目指した采配に対しては評価したい』と記した。

 本日の報道によれば、「韓国、イチローと勝負悔やむ」として、ベンチは敬遠の指示は出さなかったが、際どいコースをついてうまくいかなかったら、歩かせる指示が捕手に伝わっていなかったとあり、このミスがなければ展開は不透明となり、勝敗は逆になっていた可能性も否めない。

 ただし、韓国の金監督は「選手は最後までよく戦ってくれた」とコメントしており、日本の15安打に対してわずか5安打で延長まで互角に戦った事を考えると、戦力を有効に使いきった監督采配を評価するとともに、韓国のブーイング報道も予測されるが、明らかに劣る戦力で互角に戦った韓国チームを称えたい。

 一方で、3倍の安打数を残しながら日本は何故に最後の土壇場まで際どい結果しか残せなかったのだろうか。いかに原監督や選手達に対するプレッシャーが大きかったのかが予想され、週刊誌などにも「原監督」や「侍ジャパン」への批判が記されていた事から、結果が悪いと叩かれる最近の日本の風潮や、批判をする事が当り前となっている報道への警鐘を考えてみたい。

 仮にイチローの殊勲打が出ず、韓国に逆転負けで優勝を逃していたら、原監督やイチロー、ダルビッシュ選手らに対する報道の扱いはどうなっていたか考える時、昨日の9回と10回の攻防は、まさに天が与えた試練としか思えず、瀬戸際の一打を放ったイチローは神業である。

 昨日の試合を振り返る時、終盤の試合展開が我々に与えた緊張感と感動を、今後はスポーツによる人々への人生の肥やしとなることに注目し、結果によっては批判が付きまとう日本の風潮を反省し、スポーツによる国際交流へと発展させていきたいものである。
                                   3月25日の一言

両国で分け合いたい優勝の感動

 今日の話題は誰が何と言おうと野球しかありません。キューバを2試合完封し、アメリカと韓国に勝利した今年のWBCは、前回の運も味方とした栄冠とは違い、実力とチームワークで勝ち取った勝利であり、不振で苦しみながらも最後のチャンスに活躍したイチロー選手をはじめ全選手に感動させられた。

 野球に関しては、新聞や専門のスポーツ紙に記されているとおりであるが、最後の9回で同点に追い着かれたダルビッシュ投手についても、今回は絶不調だったイチロー選手の10回の一打によって、最後のマウンドを守りきれた事と、勝った事で何も批判を受けないですむ原監督など、負けた場合に必ずおこる第三者の批判をシャットアウトする意味で本日の勝利は最高の試合となった。

 「世界のイチロー」は、「日本のイチロー」であり、愛知県や私の息子達の出身校「愛工大名電のイチロー」であるが、試合をテレビ観戦していた三男が、「やっぱりイチローは母校の誇りだ」と叫び、イチローの活躍によって「愛工大名電」の後輩達は全国を目指し、日本一を目標に掲げるようになっている。

 さて、今回の優勝は、日本の実力と言えばそのままであるが、隣国である韓国も優勝と変わらぬ活躍を続けており、本日の試合においても9回に同点に追い着き、10回に招いた走者2、3塁のピンチに、2死であった事を考えれば、打者のイチローを敬遠するのが定石とも思われたが、正々堂々と勝負した事を評価したい。敬遠してこの回をしのいでおれば、勝利の行方は判らなかったと思うが、イチローを封じて「世界一」を目指した采配に対しては評価したい。

 アメリカで開催されている割には、アメリカが本気となっていない点には不服だが、日本と韓国でこれだけ国民の注目を集めた事から、「宿敵」などとは言わずに、春のキュンプや、シーズン後の優勝決定戦だけでなく、日本のセリーグやパリーグがシーズン中に行なう交流戦のように、日頃から交流する機会を作るのも名案ではないだろうか。

 最近ではサッカーや野球の試合を通じて、韓国とは好試合や緊張感のある接戦も多く、映画などで進んだ韓流ブームのように、スポーツを通じた真剣な交流が進めば、より両国の親密な関係に発展するのではないだろうか。今後の両国のスポーツにおいて「宿敵」という言葉が無くなる日に期待したい。
                                        3月24日の一言

銀行と郵便局で3時間が経過して

 日頃から私とは縁のない札束ゆえか、携帯電話のレンズが曇ってしまったような写りですが、私の娘の結婚式の支払いに銀行へ持ち込む前に名残を惜しんでの一枚です。かなり長い間冬眠していた帯封つき札束のためか、新しい認証シールのない旧一万円札ですが、永遠の別れのためか中々離れられない一日となりました。

 たかだか一瞬の結婚式に費やすのは本当に勿体無く、私なら簡素化して残していきますが、この金の怨念から娘夫婦の貧乏生活が続く事にもなり、さりとて「今日が締め切り」と家内から何度も催促されで渋々出向いた銀行で、現金を持ち込みながら振込みさえ簡単にできない現実に同行した知人もびっくりです。

 結婚式場から届けられた振込用紙に娘婿の名前が記されていた事から、本人との関係を問われ、新婦の父親と名乗ったものの、本人の同意書か証明できるものが必要と言われ、支払うのは私と言ったものの、銀行から次々と質問され、知人が「カードで振り込めば」との声に、「10万円以上はカードで振り込めません」との話である。もっとも、私は銀行のカードを一度も使った経験がなく、暗証番号も使い方すら判らないのですが…

 何度も娘や結婚式場と連絡を取り合う姿を見て、銀行の案内係の女性が、振込み人の欄に私の住所氏名を加える事で銀行の同意を取り付けてくれたものの、連休後の月曜日のためか銀行は利用者で満杯となっており、現金を振り込むのに1時間半を超える展開となりました。

 さて、本日はこの他に、郵便局で満期となった三男の学資保険の受け取りにも出向く事となっており、受け取った満期返戻金で進学する学校の学費を振り込む役目も言い付けられており、銀行から郵便局に走ったものの、貯金の窓口は複数あるものの、保険の窓口は一つだけで、客との応対が延々と続いており、待たされる事30分で私の番になりましたが…

 契約が私の名前になっている事から、何も判らずに出向いただけでしたが、途中で保険金の出し入れがあったとの事で、理由を聞かれても判りません。家内に電話をいれて聞き、窓口と協議となりますが、結局は満期返戻金は2週間から3週間ほと先に口座に振り込まれる事になり、それでは息子の学費が支払えません。

 娘の代役で出向いた銀行での出来事は当方の問題であり、最近の振込み詐欺の多発から当然の措置かもしれませんが、毎月保険料を払い込んだ郵便局の簡易保険は、元々が職員の熱心な勧誘によって契約したもので、本来であれば契約した職員が満期となった現金を持って来ても良いと思うが、窓口に本人が出向かないと支払われない事から私が出向いたのであるが、本人が出向いても現金がもらえない現実に…

 「どうなっているんだッ」と大声で怒鳴り倒したい心境だが、私の後に続く人々の存在からそのまま郵便局を後にしたが、保険の満期の支払いがこんなに時間がかかって面倒な事とは、今まで他人事として聞いていた現実を我が身で体験する一日となりました。
                                      3月23日の一言
 

今日も体調不良が続きました

 風邪による体調不良で外出を控えていたが、本日「横井庄一記念館」へ出かけようと表に出ると、雨によって地面一面にアンズの花びらが散らばっており、今年は是非ともフイルムに一枚収めようと考えていたが、もはや手遅れである事と一足早い春を実感させられました。

 現実は出かけようと言うような体調には回復しておらず、一緒に同行するボランティアのTさんを記念館に降ろしてから自宅に戻る腹づもりであったが、車中の会話から連休中の最終日は記念館への訪問が少ないとの話から、帰る機会を逸したままの一日となりました。

 「少ない」との予測は大きく外れ、浜松市や県内各地から訪問が続き、多いとは言えないまでも閉館まで来客が続き、我家の事務所で約束してあった知人にも記念館まで足を延ばしてもらい、風邪とは言えないままに閉館時間を迎えた事から、帰宅後のノドの痛みなど体調は最悪となりました。

 ただし、明日からは風邪とも言えない予定が入っており、3日間の連休は何もできなかったとは言え、私にとっての良き静養となりました。この3日間が連休でなく、議会の一般質問であったならと考えると、予定とは大幅に違いながらも救いの休みとなりました。

 さて、明日は残されている仕事と、依頼された仕事に走り、息子や娘の雑用にも私が走る事となっており、議会の閉会日も迫っている事から、風邪はしばらく封印した行動が求められています。

 昨年は毎月続けてきた旅行の企画も、今年は元旦から一度も企画をしておらず、本来なら3月から再開する予定だった四国遍路も日程を示せず、20年前から続けてきた4月29日の会員募集も、目的地が思い浮かばないばかりか選定する意欲も涌いてきません。あまりのオーバーワークから、最近は気力と体力も不足して、予定した仕事も遅れて貯まり続けている現状の打破も課題となっています。
                                  3月22日の一言

風邪で絶不調な私に相談されても

 風邪でダウンです…

 それでも訪問される方は判らないので仕方ありませんが、本日は「風邪で寝込んでいるので…」と、後日にしてもらい電話をかけると、後日は後日の再訪問ですが、まるで今日中に全てを聞かされてしまったような展開に至ります。市政に対する不満は先送りがききません。

 「〇〇市の〇〇議員を紹介して欲しい」とは、娘の嫁ぎ先の市で、自宅前の工事に対する交渉が上手くいかない事から、自己主張に対する行政との仲介役となるべき議員の紹介を頼まれた電話ですが、事細かく説明を受けても他都市の内容は何も判らない事と、風邪で返事にも力が入らない事から繰返しの説明が始まります。電話口では風邪とは判らずとも、無気力は伝わるようです。

 さて、一番困るのが市民病院に対する不満で、確かに市民病院の対応の悪さは判りますが、私自身が議員になって一度も市民病院で診察や治療を受けていない現実が理解されていません。
 一昨日近くの開業医に診察を受けた事から、簡単に風邪が治ると思っていましたが、本日は一日中寝転んだままですが、背中まで痛む始末です。

 これだけ苦しい体調で電話を受けても、相談内容や、訴えたい事に対して気力がみなぎりません。ましてや、自分でもかからない市民病院の苦情は、身体を治してもらうという感謝の気持ちが不足しているとしか思えず、「もっと良い医者を見つけたら」とさえ言いたくなってきますが…

 市民病院は二次医療機関となっており、開業医の治療ができない病気や診療が対象となっている事が理解されず、私が一度も診察を受けた事がないとの言葉に、「津島市の議員でありながら…」と、市民病院にかからない事を批判される事もありますが、私は市民病院の治療対象になった事がなく、市民病院への貢献は駐車場代金を支払う事しかできません。

 確かに市民病院は全ての診療科目が揃っている事から、何でも診察が可能で便利とは思いますが、元々が診療対象となる症状ではなく、本日の私の体調を考えたら、私がかかりたい心境である事が、電話口からは理解されていない事が辛く苦しい一日となりました。
                                  3月21日の一言

息子は決勝5位へ家庭内はマスクだらけ

イメージ 1

写真前列中央が息子

 昨日大阪に出かけた三男ですが、大阪万博の会場跡で開催された自転車レースの予選を2位で通過して、決勝で5位の記録と賞金千円を獲得して帰ってきました。高校を卒業して初めての大会でしたが、展開によっては優勝も狙えた事と、3位以内で上級への昇格を目標にしていたので、喜びも半分のようでしたが、実業団の選手と互角に戦える自信も持ち帰った様子でした。

第1回サイクルロードレース大阪in万博公園2009↓↓
           http://osaka-cf.com/yoko/1st-banpaku-yoko.pdf
組み合わせ表⇒ http://www.jbcf-net.org/entry/20090320_banpakuRoad_list.pdf

レース結果⇒ http://www.jbcf-net.org/result/20090320banpaku_result.htm
レース記録⇒ http://www.cyclowired.jp/?q=node/3314
レース写真⇒ http://www.cyclowired.jp/?q=image/tid/409&page=1

 四月からは専門学校に通いながら、コムレイドという実業団チームのユニフォームで走るわけですが、昨日も3時間をかけて在来線を使って自転車と荷物一式を持ち立ったままで大阪に向かっており、記録に期待するためには会場や宿泊への親の協力が重要となるのかもしれません。

 さて、家中に蔓延していた風邪の猛威も、最後に感染した私が医者に出向いた事で終息になると思われますが、季節の変わり目の風邪は外気温への対応が難しく、寒いのか暑いのかも体が感知できず、汗が噴出しそうになったり、咳が止まらず苦しい思いをしましたが、今年は風邪にはならないように思っていただけに残念に思います。

 「もうすぐ帰ってくるから」と、帰りは新幹線の車中となった息子の帰宅を前に、全員がマスクを探しながらの待機となりました。

 スポーツ選手が家族にいると、薬物検査(ドーピング)に引っかかる可能性から、風邪をひいても薬が服用できない事により体力の回復に時間がかかり、競技成績に及ぼす影響も大きい事から、風邪を移さないために周りの我々も全員がマスクをつけた生活を強いられます。

 三男も花粉症に悩まされ、呼吸も苦しそうですが、それを負けた理由(言い訳)にできない事と、風邪などは自分の体調管理もできないと言われる事から、息子が競技生活を続けていく間は我々家族の体調管理も重要となる事を久しぶりに実感させられました。
                                  3月20日の一言

風邪の包囲網につかまり

 本日は愛知県内の公立小学校の卒業式が開催されましたが、家族中が風邪の症状の中で昨日から今年初めての風邪に感染した模様で、式が終了した直後に学校の近くにある診療所に立ち寄る事となりました。

 この診療所は一年前に開業しましたが、かつてはご両親によって内科と眼科の診療所が開かれており、眼科を担当されていた奥さんは私の父親の同級生であり、ご主人は私の父親のホームドクターでもあった事から、再開の際には親子で挨拶をうけたものの、私には診療所閉鎖中に新たなかかりつけ医が存在する事から中々足が運べませんでした。

 全国から医師の不足が伝わってきますが、幸運にも私の住む津島市においては、市民病院に勤務する医師こそ不足しているものの、地域で開業する開業医の数は多く、全体として考えると地域の医師は充足しており、贅沢にも医師の選択に困るような現実があります。

 私にとってはこの診療所は親の関係ばかりでなく、私自身もかつてはかかりつけ医としていましたが、現在は閉鎖中に受診した医師をかかりつけ医とするばかりではなく、他人の困り事にも紹介するような関係となっており、この信頼関係を壊す事は不可能です。

 さて、明日に大阪の自転車競技に参加する息子も土壇場になってから、契約している実業団チームのユニフォームが到着せず、運送会社に連絡して、宅配する車を追いかけてユニフォームを入手してからの出発となりましたが、風邪を理由にはできない事からボロボロの旅立ちともなりました。こんな時に風邪薬も飲めない事は競技者にとって厳しい現実となります。

 週末の三連休は心の余裕となり、明日は息子を出迎えながら大阪から京都へと考えていると、町内の古老の通夜と葬儀の案内が入り、風邪を治す事に専念すべきとの天の声と解釈する事としました。
                                  3月19日の一言

死刑と無期懲役の違いが納得できない

 今週の初めに『「終身刑」を導入すべきだ』なるブログの一文を読んで、死刑と無期懲役の間に大きな落差がある事を実感していたが、平成19年8月に名古屋市で起きた「闇サイト・女性拉致殺害事件」について、死刑を求刑された3被告に対して、本日の名古屋地裁は、2被告を死刑にする一方で、自首した被告を無期懲役とする判決を下した。

「終身刑」を導入すべきだ…矢嶋武弘さんのブログ↓↓
             http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/30742312.html

 この事件は、名古屋市千種区で帰宅途中の女性が拉致され殺害された事件で、闇サイトで知り合った3被告が現金やキャッシュカードを奪った挙句に、頭部をハンマーで数十回叩き、ロープで首を絞めて窒息死させた事件で、殺害された場所が私の住む津島市と隣接した場所だっただけに記憶に残る事件でもあった。

 最近の新聞報道を読んでいると、今回の事件の焦点は被害者が1人であった事から、被害者1人の事件に死刑判決が出るかどうかが焦点となっていたが、同じ犯行でありながら1人だけに自首した事を考慮して無期懲役の判決を下しており、死刑によって確実に死に至る2被告との刑量の差が際立った判決ともなった。

 紹介した矢嶋さんのブログにも記されているが、無期懲役と言っても20年から30年で出所できる事から、この事件はまさに天国と地獄ほどの量刑の差となり、殺害された場所が死刑を免れた被告の過去の生活圏であった事を考えると、私はこの被告が主導して起こした事件との印象が拭えず、幼くして父親を亡くして母1人、子1人で頑張って成長し、結婚を控えた交際相手も存在した無縁の被害者を殺害した罪は3人とも許される余地もない。

 金やカードを奪われるだけでなく、全く見ず知らずの3人に車中に夜中中閉じ込められ、「殺さないで」との悲鳴を無視して殺害した残酷な行動だけでなく、元々が闇サイトを通じて計画的に集まった事や、法廷での3被告は謝罪する事もなく、罪のなすりあいを続け罵声を上げたとの報に、残された母親の無念は他人事とは思えない。

 さて、こうなると死刑と無期懲役の間に終身刑が存在しないと、3人の格差は計り知れない量刑の差となる。自首した事で犯した罪が軽くなるとは思えず、死刑となる2人の立場とすれば、勝手に自首された事で逮捕され死刑となるのに、1人だけ抜け駆けして生き延びる事には納得もできないに違いない。

 私は不可抗力の事故での殺人(交通事故やケンカの末の殺人など)は別として、意図的や計画的に他人を殺害した犯人は全て死刑にすべきと考えるが、今回の判決は被害者の遺族だけでなく、被告同士も納得できるとは思えず、改めて上告して審議すべきであり、死刑を免れてもよほど(死刑より)苦しい役務を与えて犯罪の連鎖を止めるべきではないだろうか。
                                      3月18日の一言
追伸
被害者が自分の妻や娘だったら許せますか…

市民病院改革プランが発表され

 本日は市民病院調査特別委員会が開催され、今月末に発表される『津島市民病院改革プラン』の説明と、質疑や答弁が交わされました。この内容については、3月31日より市民病院のホームページ上に全てが発表され、4月1日発行の広報「市政のひろば」にも概要が公開されますので、本日は目次のみここに記しておきます。

第1章 改革プランの概要
 1 津島市民病院の沿革 
 2 津島市民病院の経営状況 
 3 津島市及び津島市民病院独自の経営改革(平成18年度~)  
 4 公立病院を取り巻く環境と公立病院改革ガイドライン 
 5 改革プラン策定の趣旨・期間

第2章 津島市民病院の果たすべき役割
 1 自治体病院としての津島市民病院
 2 津島市民病院の果たす役割
 3 一般会計による負担の考え方

第3章 経営効率化
 1 経営目標
 2 目標達成のための取り組み
 3 取組の進行管理

第4章 再編・ネットワーク化
 1 津島市民病院の基本的な考え方
 2 地域医療を守る観点から注目すべき政策医療(有識者会議「中間とのまとめ」より)
 3 海部圏域の再編・ネットワーク化における津島市民病院の位置づけ
 4 海部圏域の再編・ネットワーク化に向けた津島市民病院の取組内容

第5章 経営形態の見直し
 1 現在の経営形態
 2 経営形態に関する方針

第6章 外部評価組織
 1 有識者による外部評価組織
 2 改革プラン策定に関する助言
 3 改革プランの点検・評価、公表

 さて、私の個人的考えは、市民病院が公設公営である事から、市民の安全と安心して生活するためには、夜間や休日の医療を充実させる事と、誰しも予期せぬ事故や急病に対する救急体制を充実させ、市民が納得できる医療機関となれば、市税の投入もやむなしと考えていますが、改革プランの第3章には基本目標に平成25年度に経常黒字化を実現すると記されています。

 改革プランには過去10年間の状況と、平成25年度までの収支計画が記されていますが、「本当に黒字化が実現できるか」との議員の質問に、「絶対実現する覚悟でなければ意味がない」と、市長の改革プランと心中するかのような強い抱負が述べられた。

 来月より医師が7名増員され、地元の津島医師会と海部医師会との夜間診療などの協力関係も今秋には増強される予定があり、確実に経営改善は図られているが、一度低下した評判を回復する事は大変な事でもあり、医師や看護師の意識改革にも期待したい。
                                  3月17日の一言
津島市民病院HP http://www.tsushimacity-hp.jp/
市民病院アクションプラン http://www.city.tsushima.lg.jp/rk/files/tm_dl2/pdf/AP.pdf
経営評価委員会 http://www.city.tsushima.lg.jp/index.php?pid=531
市民病院改革プラン 3月31日発表
        http://www.city.tsushima.lg.jp/index.php?pid=595

久々の自転車に身体が悲鳴をあげ

イメージ 1

 本日は3月議会の中で貴重な空白時間が出来た為、久し振りに自転車で外出したものの、運動不足から自転車に乗る尻が痛く、気候の変わり目で体温が気温に順応できずに、汗が噴出しそうになるものの寒風も身に凍みていると、私のためとしか思えない雨が降り出し、知人宅に寄り道して珈琲屋タイムと化してしまいました。

 さて、添付した写真は息子に貰ったお古のヘルメットであるが、喜んでかぶった姿を見た家族に笑われて、自分の顔には帽子が似合わない事から、ヘルメットも同様であると自覚させられ、本日は同じく息子に貰ったサングラスのみで外出したものの、これを被るにはかなりの度胸が必要とされます。

 昨年夏の鈴鹿サーキットでの息子や出場した人々の姿に感化され、今年は自分も出場したいと思ったものの、体力も度胸も自信がない事から、仲間を誘って参加を予定していますが、現在3人しか揃っておらず、しかも1人は自転車に乗った事も記憶にないほどで、「私で大丈夫でしょうかね?」と問われて、私より下手な人は重要なために「大丈夫、大丈夫」と言ってあるものの、出場する自転車すら無い現状は、そろそろタイムリミットを迎えそうでもある。

 自転車を降りて、珈琲屋へ移動する知人の車中では、中々出なかった汗がにじみ始め、もう少し走ったら身体中の古い体液が汗となって噴出したかと後悔するも、太ももが限界と言うよりも、肩や腕が筋肉痛で、昨年末に続けた運動の成果は皆無となっている現実も悟らされました。

 「まだまだ若い…」と言っても、息子について行けば足手まといとなり、独りで走るのも中々第一歩が踏み出せず、やっと手に入ったヘルメットを被れるのは何時の事になるのやら…。
 ちなみに、ヘルメットには息子の高校の先輩である、中日ドラゴンズの堂上選手と、楽天の山崎選手のサインが入っており、「練習ガンバレ」と記されているのも気恥ずかしいが、これを身につけられる脚力がつくのであろうか。

 息子は週末に大阪の大会を控えており、朝から自転車の練習に出かけていたが、私が帰宅するとツクシが山となっており、木曽川の堤防で摘んできたとの話に、自分なりの楽しみ方を考えるのも一考かと考え、カメラにフイルムを装填しましたが、一枚目のシャッターチャンスも何時になる事やら…
                                    3月16日の一言

地域優先が忘れられている

 世界的不況による企業の業績悪化は、愛知県内の企業城下町の自治体の税収にも影響し、数百億円から数十億円の減収が相次いでいるが、ソニー一宮工場は6月に生産を停止する事が発表されており、ここで働く人々の失業も考えると影響は今年にとどまらない。

 自治体の税収を上げる方法として大きな企業を誘致する事は有効であったが、今回のような世界的不況や生産停止が現実となると、企業に頼らぬ計画的で長期的な増収を考えていく事が重要と思い知らされる。

 「そんな簡単な方法があったら知りたい」との言葉が、市役所で将来の街づくりを考える立場の一人より発せられた。私は津島市が名古屋駅から30分の距離にある事から、企業誘致よりも優良住宅による計画的な街づくりが有効と考えるが、家の建てられない土地規制や、土地所有者の都合は待つ余裕もない。

 さて、前記した一宮市のソニー工場であるが、工場が建設された当時に転職し、新興企業ゆえに心配する私に「家族的雰囲気の会社だから」と話した知人があったが、最近のリストラを見ていると家族的なんて言葉は企業にとって死語になりつつ感がする。

 私の父親は中国の満鉄に勤務し、戦後は名鉄の運転手から関連企業で定年を迎えたが、かつての名鉄も家族的なイメージの強い企業で、長男の私には高校卒業時や大学卒業時にも就職の案内書が届き、親子で勤務する人も多かったが、最近では親子よりも実力主義に転換されている。

 しかし、国の官僚OBをトップに迎えるだけでなく、家族的な企業体質は一新され、泥臭さは無くなったものの、地域との関係は完全に冷え切り、関連各社の中に存在した地域有力者の株主や役員も無くなり、行政との連携も減るばかりか、地域との縁は皆無になりつつある。

 かつては地域のイベントや祭りにも交通機関として連携してきたが、最近では顔の見える関係がなくなり、地元で唯一の鉄道会社でありながら、地域から利益をあげる機会を逸するばかりか、サービスを低下させながら地域にタカル存在を見せるようになってきた。

 さて、企業と行政や地域社会の関係を回復し、企業と地域の利益を共有できる関係を築きたいものである。「どうしたら」ではなく、公平とは思えなくとも、地元優先で採用するかわりに、商品の販売や購買では利益を共有するなど小手先からできる施策も多い。

 勿論、こんな話をすれば、地方自治体の職員も地元優先で採用すべきであり、少なくとも地元の職員であれば通勤手当だけでも削減でき、近所の行政窓口として使い走りも仕事とすれば、市民サービスになるばかりか、地域と一体となった行政が運営できると確信する。

 「そんなバカな」と思われそうだが、最初からそんな条件を前提に採用すれば簡単な事でもあり、この不況を肥やしとして考えてみたいものでもある。
                                   3月15日の一言

書き込む意欲が涌きませんが

  昨日の一言の後日談として記しましたが、一度記して送信したはずの文章が画面から消えて、白紙の画面が残されていた時のショックは大きく、気を取り直して書き込んだものの、その後遺症を引きずり本日まで書き入れる気力が失せているのかもしれません。

 過去にも何度も経験した事ではあるが、睡眠不足の中で、仕事は絶好調で手抜きもなく続けてきた事から、書き直しとなる虚脱感も大きく、「今日くらいは、このままお休みにしようか…」なんて気持ちを封印して書き直したのでもありました。

 それに輪をかけたのは、朝日旅行友の会のホームページに利用している掲示板に書き込まれた情報で、クリックすると女性の裸体が登場し、削除に必要なパスワードを忘れた事から、消しこむのに手間取り、中学校の同窓会のホームページに使用してきた掲示板(Infoseek)は、今月末で利用が停止されると記されており、大量に書き続けてきたこのブログの将来も同様な可能性を考えると無料のサービスゆえに無力感を実感します。

サービスの停止の記事↓↓
《サービス終了のお知らせ》
2009年3月3日(火)をもって、レンタル掲示板の新規投稿を終了させて頂きました。
《今後の予定》
2009年3月31日(火)14時をもって、Infoseek レンタル掲示板 を 終了させて頂きます。
 ※必要な掲示板データにつきましては、ユーザ様のパソコン等に保存していただきますようお願いいたします。

 ↑↑サービスの停止はヤフーではないが、過去の記録を全て保存する事は不可能に近く、無料ゆえに簡単にホームページから移動してきたものの、こんな顛末にならぬ事は勿論だが、ボタンを押した瞬間に過去の記録が全て消えてしまう可能性も考えると、お気に入りのブログが閉鎖された瞬間が脳裏に浮かんできました。

 最近では寒い事から、コタツに入ってこのブログを記していますが、事務所のパソコンを開くとメールボックスは迷惑メールが大量に蓄積されており、ホームページや掲示板が休眠状態になっている事から、ツクシの心境となって明日から出直しです。
                                  3月14日の一言

総務文教委員会も議論白熱し

 市議会の一般質問に続き、各常任委員会が続きましたが、本日は私の所属する総務文教委員会が開催され、やはり市役所の閉庁時間を超える審議となり、最近は欠席続きとなっていた事から、名古屋市内で開催された交通問題勉強会(桜花学園大学森田教授を中心とした勉強会)にそのまま走り、帰宅は深夜に至る事となりました。

 本日の委員会議案審議終了後に、津島市の学校給食共同調理場の整備方針が発表され、これまで示されていた大規模な共同調理場を建設して、市内の小中学校全校に給食を配送する方式から、現在4校で実施されている単独調理場を3校(西小・北小・南小)残し、残りは藤浪中と神守中、暁中学校の3校の敷地内に建設した調理場から近くの学校に配送する「ミニ共同調理場方式」が示されました。

 この方針は議会の議決や審議を経たものではなく、教育委員会の考えた方針案ではありますが、経済効率一辺倒で、大規模な共同調理場を建設するこれまでの計画が大きく見直され、全校ではないものの生徒の目に見える場所で調理され、温かい給食が配食できる事と、地域色のある食材も使用できる可能性から私は大いに評価したいと考えています。

 さて、本日の夜に交通問題勉強会がある事に関連するかのように、来年度の予算案(21年4月から1年間)の中で、巡回バス(コミュニティバス)に必要となる予算が大幅に増額されており、便数を増やすとか市民サービスを拡大する話が無いのに増額される事は不自然なために質問しました。

 津島市の巡回バスは、かつては空気を運ぶ「エアーバス」の皮肉も聞かれたが、検討委員会の開催や利用者増を図った事から、年々利用者が増加している事と、2年前にバス車輌のリース期間が経過した事から、車輌のリース代金500万円程が今年度には減額されていたが、来年度はそれを上回る金額が増額されています。

 市側の説明では、道路交通法の改正や、乗合バスの料金設定の変化を名鉄が説明し、それまでシニア(退職者)の運転手で計算していた人件費が、勤務時間の関係から一般乗務員の価格で設定された事や、名鉄津島駅に待機するスペースの駐車料金も新規に加えられていた事から、津島駅への固定資産税の徴収状況まで確認する議論となりました。

 要するに企業利益の確保が目的で、廃止論も聞こえなくなり、交通弱者にとっては必要不可欠となった巡回バスだけに、名鉄しか交渉相手のない地域性から取れる者から取る税金のように、文句を言っても代替企業もない現状では泣き寝入りとは言わないものの、無力感は否めません。

 ただし、今晩の交通問題勉強会には、巡回バスの導入を行政に訴えておられる常滑市の関係者や、昨年からコミュニティバスを導入された稲沢市(9人乗り3台体制)の関係者も参加されており、比較をすればいかに津島市が「人にやさしい」行政かを実感できますが、この巡回バスの問題は、今後の地域交通を考える際に避ける事のできない問題である事や、数年後には確実にバス車輌の更新時期が迫ってくる事から真剣な議論が急務です。

 国の法律では、このような公共の交通問題について、住民1人であっても「地域公共交通会議」の開催を要求できる事となっていますが、現実には住民1人の声で開催は不可能で、津島市だけでなく隣接する市町で問題を共有して議論する必要性が論じられた事もありません。(津島市では19年に一度開催されてはいますが)

 かつては名鉄の中興の祖と言わせた土川元男会長が、津島市の竹内元市長と京都大学の同級生であった事から、津島駅には名鉄の先陣を切って高架事業や自動改札機など先進的に導入され、名鉄ストアーや名鉄観光など関連企業が多く存在しましたが、現在はバスの営業所も郊外に移転し、残っているのはタクシー乗り場だけで関連企業もすべて撤退しています。

 百年前の名鉄創業時においては、津島市の初代岡本町長が当時の県知事の命を受けて、愛知馬車鉄道の設立委員長になっていた現実を考えると淋しいものがあり、戦後の高度成長期にレストランやガソリンスタンドの建設に名鉄職員として関わった私の父親を思うと、私の無力感も実感させられます。

 1人では何もできませんが、元気の出る施策と同時に、問題の起こる前から地域の企業の利益と住民の利益も共有しながら話し合う場所を作る必要を感ずる一日ともなりました。
                                 3月13日の一言
後日談
 ガーン、「モー、ブログなんか辞めちゃおう」なんて思う夜になりました。書き込んで送信したはずの一言が存在せず、画面は書き込み中のまま白紙になっていました。せっかく記した文章が消え、わずかとは言え睡眠後には中々記憶がよみがえりません。
 久しぶりに2日分の書き込みとなりましたが、どうやって考えても私の操作ミスとは思えず、毎日同じ繰返しの中で、消えた文章はよみがえる事もなく、それでも諦めずに画面を戻してみたり…
 こんな顛末も本日の夜にあったんですね。

本日の花模様

イメージ 1

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我家のさくらんぼの花(写真上)と、アンズの花(写真下)です。

 忙しい日々の繰返しの中で、庭の木々の様子を見る事もなく、気がつけばサクランボの花は満開となっており、アンズは蕾が多いものの今週末には満開となりそうで、朝の出勤前に車をおりてツーショットとなりました。

 アンズは長野県出身の知人に貰った30年選手となっており、サクランボは私の父親が孫のために植えたものですが、アンズは我家のトレードマークのようになっており、木は大木となっているものの、花はか弱く一瞬に開花が終わります。
                                 3月12日の一言

市役所に缶詰の一日となり

 本日は厚生病院委員会が開催され、市役所の閉庁時間を経過する審議となり、市民の方と約束した案件を休憩中には済ませられず、員外傍聴のために途中退席して県道の問題場所を職員と同行しましたが、戻ってからも余りある審議時間が続きました。

 県道の問題場所は、マンホール周辺の舗装の継ぎ接ぎによって、深夜の大型貨物の通過時に振動から家を揺するようになっており、以前にも同様の現象が発生して修繕したものが、次第に元通りになっている事から視察したが、夕方で小学生が歩道に溢れて下校する事から、車は安全に道路中央を進む事と、肝心の大型車は全く通過せず、改めての検証をする事となりました。

 そもそも、大型車が通行して道路沿線の家々を振動させている場所は多く、マンホールがあれば大抵は振動が起こるが、その振動を起こしている場所を特定するのは難しく、よほどひどくならなければ目視では判らず、県道であれば確認した市職員が県の担当職員に伝えて確認後に善後策が決まり、善後策で補修を施しても、補修後のわずかな段差が次第に広がり、繰返しの苦言となります。

 問題となるのは、人間の起きている日中はまだしも、深夜の眠っている時間帯に通過する猛スピードの大型車によって、音と振動によって道路沿線の住民の目を覚ましてしまう現実である。深夜の事だけに職員の確認も不可能で、深刻でありながら住民の苦悩は伝えにくい現実がある。

 もっとも暖かくなると登場する暴走族の爆音はもっとひどく、雷鳴より大きくひびく爆音は確実に住民の目を覚まし、道路に出るとパレード中の暴走族の後ろを、警察のパトカーと大量の乗用車が従うように続く姿は不法がまかり通る矛盾を実感させられます。

 こんな微妙な問題を行政に伝える事は難しく、議員であっても「こんな事ぐらい」と思われそうで伝えにくい事から、地域住民が抱える諸問題も多くある事が予想されます。
 「先生に行ってもらうから…」と、住民から我々議員を権力者のように思って名を挙げ予告して行政に訴えて期待され続けられるのも困り、「先生ってオレの事?」、「はい、そうです」なんて照れくさい会話が行政と交わされる事となります。

 さて、明日も経済建設委員会が続き、明後日が私の所属する総務文教委員会となりますが、こんな繰返しが月末まで続く事と、4月の月初めまで行事が連続して予定されている事から、当初は予定に入っていた「四国遍路」も翌月まで封印となりましたが、今週末に四国遍路に行く(バスツアー)市職員の話を羨ましく聞かされる事となりました。
                                   3月11日の一言

言葉尻より事件の解明を急げ

 本日は議会終了後に名古屋市にある愛知県の健康福祉部まで走ったが、昨晩は徹夜同然となっていただけにNPO役員の車に乗せてもらった瞬間に睡魔が襲ってきた。しかし、テレビで議会中継を見ていた役員の眠らせない一言、一言に目薬を差しながらの車中となりました。

 私は議会に出席した姿そのままのため、同行した役員も背広姿で同行してくれましたが、最近では私の代行で役所に出向く事も多く、役所の雰囲気には慣れる半面で、公務員の対応にはゲンナリとしており、1階ロビーで「ここで待っている」との一言が返ってきた。

 「おい、おい、ここまで来てから…」とは思いましたが、数点の申請書や報告書の記載に自信も無い事から一人で入っていくと、やはり間違いが複数指摘され、一枚は訂正ではなく書き直しが必要となりましたが、最近では愛知県の裏金など不祥事が報じられている事から、昨年までのような甘い対応は許されない事を実感しました。政治資金の収支報告書の提出も迫っている事から再度の出直しです。

 さて、民主党小沢代表と西松建設をめぐる政治資金規制法違反事件は、捜査の対象が自民党議員にも飛び火し、「自民党側は立件できない」との政府高官の一言は、参議院での質疑に発展し、麻生首相の発言訂正を繰り返す不手際も見せてくれる事となりました。

 だが安心して発言したオフレコの発言が、国会で名指しされて議員から追及され、記者団と対座させられて報道されると、今後は何を聞かれても口を真一文字にするしかありません。麻生首相や内閣関係者の不適切な発言が続き、アラ探しのような報道が続きますが、今回は選挙も近づいている事から、事件の本質に迫り、早期の事件解明に徹して欲しいものでもあります。

 民主党の言う国策捜査は問題だが、一番重要な事は不正な手段で企業の良からぬ大金が小沢代表に渡っている現実で、「間違った事はしていない」と発言した以上、「秘書のした事で知らなかった」との逃げ口上は許されず、不法であれば責任回避は免れない。

 元々が、田中角栄から金丸信への金権体質を継承する流れだけに、民主党とか自民党とかの問題ではなく、政治家への献金やパーティー券購入が公共工事の入札や企業選定に影響したかどうかを徹底的に調査して、政治と金の疑惑を一掃すべきである。

 不幸な事は、国政は二大政党時代になっていても、その二大政党が信頼できない無党派層が過半数を占める現実と、信頼できない政党の2人の候補者に貴重な一票を投ずる選挙の空しさである。右か左か、白か黒かの二者択一は日本の社会風土には馴染まず、政治と金の疑惑だけでなく、選挙制度そのものまでメスを入れてもらいたいものである。
                                 3月10日の一言

欲張りは結果を残せずの反省

 二兎を追うものは一兎を得ずと言うコトワザがあるが、本日の議会一般質問は完全にそのコトワザが当てはまり、通告した質問項目が多すぎて、最後まで質問ができたのは定額給付金のみで、通告してあった教育行政や、都市計画、下水道事業なども質問項目が多すぎて1時間の持ち時間は半ばで過ぎ去っていきました。

 1問1答方式によって質問に対する答弁漏れはなくす事ができるようになったが、1時間という時間制限が設けられた事から、過去の議会のように時間を無視して質問を続ける事はできず、今回の質問は完全に欲張りすぎてお腹を壊したバイキングの食べ放題のようで、1時間を必死に質問し続けたものの反省を残す議会となりました。

 「おい、病院が無かったじゃないか」とは、私が毎回のように病院や医療問題を質問する事から、テレビを視聴されていた市民からの電話であったが、冗談半分の言葉とは言え私のイメージとして病院の質問が浸透している事も実感させられた。

 実は、元々は、医療問題と医療保険制度の質問は今回の質問の予定に入っており、医療関係者から資料を入手しており、それなりに準備をしてあったのですが、市民の方から要望のあった教育関係の項目を入れるために外した事から、資料提供を受けた人にも連絡が必要です。

 一方で、教育関係の質問についても、質問を通告しながら出せなかった質問が積み残され、「教育長の答弁は長いから…」と発言して後回しにしたものの、質問そのものまで時間切れで出せず、下水道関係については行政にとって都合の悪い質問も通告したあったものの時間切れの結末に、行政はホッとしたのではないだろうか。

 議員になって10年になるが、議会には必ず三項目の質問をする事を自分のルールとしており、今回は四項目となってはいるものの、1問1答方式になった事から、この自分のノルマとしてきたルールには今後はこだわらない方が良さそうです。

 さて、私は議員になってから議会終了後に必ず会報を発行してきましたが、昨年からの一年間は封印しており、旅行友の会の会報のみを一部の会員へ配布してきましたが、今後は市議会として議会だよりが発行される事から、今議会終了後から改めて会報を発行する事となります。

 これは私が会報を発行する事で、対抗上のように会報が発行され、議員の宣伝物の乱立に対する市民から苦言もあり、発行を封印していた事によるのかどうかは判りませんが、最近は誰も会報を配布しておらず、私自身も市民の方々の声を集約する必要にも迫られ、印刷され山積みされたままの返信用手紙を配布するためにも、明日からは会報の発行が急務となります。

 ただし、国会で問題となっている政治活動の収支報告書やNPO関係の報告書も提出の締め切りが迫っており、明日が締め切りの書類もある事から、本日は今から徹夜で書類を作成し、明日は議会の終了と同時に法人役員と県庁まで滑り込む予定となっていますが、催促の電話のため本日は電話機も冬眠中となっています。
                                  3月9日の一言

ホームレスの知恵も新鮮に映り

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、本日は今まで経験した事のない57才のホームレスの人が訪問し、多少の違和感を感じながらも、話し好きな人柄と同時に、私達の思っているホームレスの生活とは全く違う事から、途中からは日常の生活について質問を続ける事となりました。

 彼は関東出身で東京のホームレスを経て、現在は名古屋でホームレス生活を続けており、全く身元不明の状態ではなく、定住している場所は記念館の近くであるが、地元の派出所の警察も存在を認知しており、ここでは布団もあり暖かい生活(彼にとっては)が送れるらしい。

 毎日の食事は毎日どこかでボランティアの食事の提供場所があり、曜日ごとに場所は変わるものの、名古屋市内ではホームレスが食べ物に困る事は無いとの話であった。ただし、彼のようにラジオを持ち、ホームレスのベテランゆえの話で、地理不案内のホームレス初心者はその場所を知るだけでも大変と思う。

 日常生活は金属類をゴミ集積所などから拾い歩いて金と交換し、若い頃に電気関係の工場に勤めていた事から、使えそうな物をひろい集め、拾った骨董品や貴重品などは大須観音で開かれる骨董市などに持っていって買ってもらうと言う。

 彼は手提げ袋だけで貴重品を拾い歩く事から、本人が言わなければ「ちょっと不潔なオジサン」程度のようにしか思われない(臭いは強烈)が、毎日提供される食事場所にあわせて、歩くコースを変えているために、名古屋市内だけでなく郊外の地理は我々より詳しいのには驚かされた。

 拾い物から大金(彼の感覚)を得て、名古屋競輪場に居ると警察がやってきて、「そのお金はどうした」と職務質問されたと言う。ホームレスからの通報で、持ちなれない金を持っているとそんな仕打ちを受けるらしく、警察も金の出所を確認するまで解放してくれないと言うから、彼が郊外に住まいを移したのはそんな人間関係が嫌だったのかも知れません。

 さて、新聞報道から伝わってくるホームレスの情報とは違い、年末年始は名古屋市が借り上げた宿舎が提供され、故郷に帰りたい人には受け入れ先の同意を得れば、名古屋市が列車の切符を用意してくれると言い、その切符は片道で払い戻しのできないようになっており、片道切符では戻ってこれないから行政も考えたものと感心していると、戻った先の行政窓口に出向けば同様に対応すると言うから、ベテランホームレスにはお手上げかもしれません。

 昨年からの不況によって、派遣切りと言われて住む場所も無い人々の存在がクローズアップされ、派遣村や住まいなどの手当てが充実した事から、本物のホームレスにとっては天国のような環境となっているようだが、昨年末には近所のホームレスが凍死したと言い、不慣れな初心者には厳しい現実もある。

 彼の住まいは中川区にあるが、彼の正式の住所は中村区にあり、これは定額給付金をもらうために登録してあると言い、毎日の食事の心配が無い事から、ホームレスもかつての乞食とは違い、ホームレスとして完全に存在が社会に定着しているのかもしれません。

 もっとも、これは本日のホームレスの場合で、聞きたい事は山ほどあったが、次の来館者の存在から彼の名前と住まいを聞き出したので、もう少し温かくなったら訪ねてみたい。グアム島で28年生活した横井庄一とは環境が違うが、彼らの生きていく生活術には学ぶものがあるのではないか。
                                 3月8日の一言

過去の恩までは消し去れない

 本日は市内の社会福祉法人の設立30年記念式典に招かれ、同じ壇上ではあったが来賓挨拶を聞いていると、参加した民主党国会議員の口から、「小泉改革の批判」と同時に、障害者自立支援法の見直しに関して、これからは民主党が改革するような話が出された。

 来賓といっても発言できる立場とは違い、我々はお飾りの来賓ではあるが、県会議員はじめ多くの地方議員が居並ぶ前での発言だけに、我々も同じ考えでは無い事と同時に、対抗馬である自民党の海部代議士が不在での発言だけに、不快感を感じながら座っていたのは私だけでは無いだろうが、国会議員だけに致し方ないセレモニーの現実を実感していた。

 私自身はこの社会福祉法人のために大した働きをした事がないが、法人設立者で先代理事長の奥さんは私の小学校一年生から三年生までの担任であり、娘婿の施設長とは長年の交友があるばかりか、PTA役員としても一緒に活動していた事から、国会議員と言えども我々より政治活動が短く、法人に無関係の話は自己宣伝でしかあらぬ事に不快感を感じたのでもあった。

 ただし、この後に挨拶に立った県会議員(自民党・元県会議長)の挨拶を聞き、法人設立時より先代理事長と関わり、法人の幼稚園や障害者授産施設を設立する際の事情にも関わった話が披露され、私自身は自民党員ではなく、議員になった直後に親戚廻りとなる県会の重鎮に「反自民」と口走った事もあるが、最近は不人気となっている自民党とは言え、地域社会の中ではしっかりと根をはって活動してきた過去まで封印する事はできない事を実感した。

 さて、私の恩師はお孫さんの付き添いで車イス姿であったが、89歳の年齢を聞かされると多少の物忘れはあるもののしっかりとされており、同級生の訃報を伝えると「どうして…」と他人事ではない反応を示され、立ち上がって答えようとされた姿は恩師時代のままだが、かつての背の高かった先生ではなく小さなお婆ちゃんの姿に、永い年月の経過を実感させられる事となった。

 数日前にも高校時代の恩師と出会ったが、こちらは79歳になっても未だに現役で車を運転して家の仕事である僧侶を続けられており、10年の年齢の違いは大きいと実感するものの、多くの恩師達が他界されている現実から、今後は世話になった恩師を訪ねてみたいと思う一日ともなりました。
                                 3月7日の一言

住民と行政のカベは厚い

 3月議会 私の一般(代表)質問

1件目 津島市の教育行政について
 ・国の実施した学力検査及び体力検査について
 ・不登校への対応及び復学状況について
 ・進路指導及び卒業生への対応について
 ・学童保育と放課後子ども教室について
 ・災害時や学級閉鎖等(インフルエンザ等)の生徒指導について

2件目 都市計画と街づくりについて
 要旨 マスタープランと緑の基本計画に関して
 ・市街化区域について
   (人口動向・予測について・都市公園の確保・工場跡地の活用など)
 ・市街化調整区域について
   (優良農地の考え方)
 ・農業に対する津島市の考え方は
   (農協への丸投げか担当部署の増員か)
 ・道路整備について
   (県道名古屋津島線・橋詰見越線について・日光川両岸の整備など)

3件目 日光川下流流域関連公共下水道について

4件目 定額給付金の市民への支払いに関して

 今回の質問は4項目を通告しています。事前に質問内容を通告しましたが、下水道については津島市には津島市が単独で建設して使用されている公共下水道と、団地単位で建設されたコミュニティプラントが存在し、新たな県が広域で展開する日光川流域下水道が来年には完成して稼動しますが、工事の受益者負担の有無や、利用料金に格差があり、料金格差を残したままでは市民に公平とは言えない事から質問します。

 行政の理想や都合は、住民にとっては勝手なお節介もあり、行政によって公共料金の負担が増える事から、本来は計画を決定する前に住民の意向を確認して、施策への理解を得る事が重要で、決まった事を説明会で知らせる事ではない事が行政側には理解されていません。
 議会で議決したとか、住民への縦覧期間を設けてあったとしても、住民にとっては現実には勝手に決められた事でしかないのですが…
 これを代弁するのが私の使命ですが、行政の施策を率先するのが議員のリーダーシップと言われ、行政と住民との大きなカベを久しぶりに実感させられました。
                                 3月6日の一言

同窓会入会式に参加して

 本日は母校である神守中学校で、今年度卒業生の卒業式の予行練習と学年の修了式の後に、同窓会への入会式が実施され、今年から初めての儀式ゆえに会長でありながら、自分に学校側から何が期待されているのかも解からずに出向いた事と、PTA会長を引退して16年も経過しているために、子供との距離がありすぎて話す言葉の違和感を感じる一日となりました。

 元々が私が同窓会長として呟いた一言が入会式の発端だが、時代の移り変わりの中で、戦後に現在の中学校が新設されてから現代まで延々と続けられてきた同窓会への慣例で、卒業生全員から同窓会への入会金を自動的に入金されてきた事の見直しの中で考えられました。

 これまでの慣例で、保護者の学校に支払った学校への月々の負担金から同窓会入会金分を自動的に積み立てて、卒業時に同窓会へ入金されていたが、保護者に認知させる事無く慣例として当り前に負担させる事はとんなものかとの議論があった。

 同窓会活動そのものは会報発行時に協賛していただける地元のスポンサーからいただける広告料を主体にしているが、卒業生が卒業時に1人千円の入会金を負担しており、それには手を付けぬように同窓会を維持しているものの、同窓会の無い学校もある事から見直す事となりました。

 今年度の卒業生は204名であるが、同窓会への入会金の支払いを確認する文書を配布したところ、176名の保護者から理解をいただき、卒業生の会費徴収に理解をいただいた。勿論、卒業生全員が同窓会員であり、会費の納入の有無によって区別はしないが、非加入となった28名が次年度には減少するように活動で理解を深めたい。(この数字は、一見して残念にも思われるが、不登校の生徒の存在や、外国人の生徒も存在する事から考えると、学校と保護者の連携が図られている事を確認できたと思います)

 1年に一度ではあるが、同窓会報を発行して、総会と物故者法要を開催しているが、同窓会の存在によって、在校生のクラブ活動で全国大会に勝ち進む際の移動費を捻出したり、学校に必要な備品購入時に資金が不足する際にも会費が充てがわれている。

 そんな同窓会の存在意義を会報で手前味噌に宣伝した事はないが、本年からはPTAと一緒に卒業生一人ひとりに印鑑を記念品に贈っており、今後はPRにも務めたい。
 さて、会長を引き継いで10年以上となり、引退を公言しているものの、今年度から母校の卒業生で私の同級生が教頭で赴任してきた事から、最後のご奉公と思い、引退はしばらく封印して次代へ同窓会を引き継いでいきたい。
                                  3月5日の一言

前門の虎後門の狼状態ではないか

 本日は朝10時から稲沢市の議員のご尊父の葬儀があるために、毎回締め切り直前の昼前に届ける事にしている一般質問の通告書を朝一番に届けてから、稲沢市(旧祖父江町)を目指したが葬儀場の近くから県道まで車が渋滞して近寄れません。

 私の人生経験の中でこれほどの生花が並び、参列者が渋滞して動けないのは記憶がなく、受付も黒山の列をなして、「来賓席が用意してあるので…」と言われても葬儀場の入り口まで人が溢れて近寄れず、無理に進むと人を押し倒しそうな状態です。

 亡くなられたご尊父は建設業一筋の人でしたが、地元の高校のPTA会長を務められたり、子供達のためにボーイスカウトを立ち上げられ、青少年の育成のためばかりではなく、人一倍面倒見の良い性格から、議員の息子以上(失礼)に人望を持ち合わせた人であった事を再確認させられた。

 国会議員や県会議員と地元の議員の来賓席の隣に、お互いに選挙時に助け合う議員仲間の席が用意されており、喪主の(私より8才も若いのに)行き届いた配慮に感心させられたが、一宮市でトップ当選を繰り返すYさんや、同じく一宮市の旧尾西市地区でトップ当選のWさんなど、喪主の目のつけどころにも感心させられたり…

 私も議員に転進した直後は元総理の海部代議士に若手として期待され、尾張各地の若い彼らとの勉強会などを経て現在まで関係が続いているが、私は一人だけ地元から県知事選挙に出馬した井桁君との関係が断ち切れず、破門(私が勝手に)状態となっているが、こんな機会でしたが他都市の若い議員との再会は心の静養となりました。

 さて、本日の朝刊によると、最近逮捕された仏像盗難事件の仏像の中から、私の同級生が住職を務める京都(大原)宝泉院の韋駄天像が含まれていたと報道されていましたが、本日の葬儀には住職とも共通の恩師となる高校時代の私の恩師が僧侶として参列されていました。

 恩師は喪主のご尊父とも、私の母親とも同級生であり、この地域(旧祖父江町)は母親の在所(私の出生地)があるだけでなく、家内も出身地である事から、私にとっては津島市以上に地元のような存在で、葬儀終了後には恩師と久々の会話となりましたが…

 さぁー、それからが大変です。午後は市役所に缶詰(質問要旨の説明)となり、愛知県への提出書類も締め切りが迫っていますが、明日は地元中学校の同窓会入会式が開かれるため会長として参加し、明後日は卒業式がある事から、来週開催される議会の一般質問の答弁を考える市役所幹部を思いやると、私は名古屋に出向く余裕もありません。

 正月からのび放題の頭髪は見苦しく、閉店間際の理髪店に飛び込むと日頃の睡眠不足から暴睡となり、何とか帰宅したものの夕食も口を通らず暴睡継続です。土曜日(地域行事)、日曜日(横井庄一記念館)と考えると、月曜日の質問をまとめる時間すら捻出できません。できません。できません。

 明日は生徒に何を話すか…、県庁へは遅延の電話で…、と考えていくと、「こんなに沢山の質問で1時間で終わりますか?」との市職員の一言が重く圧し掛かり、反省しても遅く…、今から朝まで頑張るしかありませんが…、頑張れば身体が悲鳴をあげ…
                                  3月4日の一言

墓穴を掘るのは私だけではなかった

 3月議会が本日開会し、25日まで来年度(21年4月~22年3月)予算案の審議を中心に35議案と請願や陳情、人事案件などの審査が繰り返されるが、初日の本日は市長の施政方針から担当部長による議案説明が続いたが、事前に予算案の説明会があった事もあってか、まるで予算書の朗読のように夕方まで時間が経過していった。

 10年もこの日を経験しているが、どのくらいの時間がかかるのか全く記憶にもなく、知人に「昼には終わるだろうから…」と不用意な一言を発した事から、仕事の手を休めたままの知人は夕方までテレビの議会中継に見入る事となり、テレビで議会が終了したのを見届けた他の知人が珈琲タイムで割り込んでくるハプニングです。

 さて、ここで珈琲屋に行った事が更に大変な事となり、本日火曜日の夜は毎週我家で開催されている書道会があり、恩師は私が車で送迎する仕事が待っており、それも眼中から忘れているばかりか、本日は親しい稲沢市議会議員のご尊父の通夜もあり、雨中を走り廻る夜となりました。

 昨日の一言に「徹夜になりそうな日々」と記しましたが、自分自身の無計画な行動によって、本当に徹夜のような夜になりました。

 本日は総選挙の結果によってはもっとも総理に近いと言われていた民主党の小沢一郎代表の事務所に東京地検特捜部の捜査があり、側近の公設第一秘書が政治資金規正法違反で逮捕される事件が発生した。
 西松建設からの献金問題では、長野県知事の関係者が自殺する事件も起こっており、今回の事件に対する東京地検の捜査を待つ前に、小沢代表による説明と解明が必要となってきた。

 民主党幹部は(政権による)政治的な策略のようなコメントをインタビューに発していたが、元々は自民党の金権体質の中枢にあった経歴と、解党した自由党時代の政党助成金の疑惑が報じられた事もあり、私の知人も自由党に関係して自己資金を投入しながら、民主党に走られて裏切られた(本人の弁)過去もある事から、公正な捜査と微罪も許さぬ自己説明に期待したい。

 そもそも無所属の私達には一円も廻ってこない政党助成金や、公平であるべき選挙においても政党所属議員は優遇されている面もあり、準大手ゼネコンと政治家との献金疑惑ばかりでなく、政治と金の疑惑を断ち切る意味でも早期の解明が待たれるものである。

 注目される人材も見当たらず、限界とも思える自民党政権の支持率と、政権政党に代わるべき民主党代表の金銭疑惑から、国民の期待する民主党にも日本を託すには限界と同時に、主義主張の違う政治のごちゃ混ぜでは国の舵取りは無理があり、国会の権威と信頼を回復するためには選挙よりも政界再編が急務ではなかろうか。
                               3月3日の一言

人の危機管理より自分が心配となり

 豊橋市で発生したウズラへの鳥インフルエンザは、発生直後に愛知県知事が現地視察して、極めて毒性が弱くて心配がないとPRに務めていたが、近くの別の飼育場でもウイルス遺伝子検出検査で陽性反応が出た事から、インフルエンザと確定したわけではないが、感染源を突き止めると同時に、国や愛知県はもっと広範囲を対象とした検査と予防に努めるべきではないか。

 愛知県の農林水産部は「疑いの段階で、ウイルス感染が確認されたわけでない」と強調し、鳥インフルエンザの風評被害による生産者の被害を心配した談話を出しているが、感染していたとすれば、金網に囲まれたウズラが媒体ではない事から、広範囲を対象とした検査と予防に徹して欲しい。

 国の農林水産副大臣も現地を訪れ、「国として最大限の後方支援をする」と述べたと報じられているが、「正確な情報を流して市の産業をつぶさないようにしたい」と語ったのなら、愛知県の東三河事務所で説明を受け、被害農場の百メートル手前で視察を終えずに、現地に立つ危機管理意識を見せて欲しかった。

 それにしても感染が見つかった農場の28万羽のウズラを殺して埋める作業をテレビ映像から目にしたが、生き埋めと薬殺の方法以外に処理する方法は無かったのだろうか。毒性が弱く、卵も食肉も加熱すれば大丈夫と専門家のコメントもあったが、本当に安全ならこんな処理は残酷でもある。

 さて、今年は暖冬で、梅だけでなく桜の開花も伝えられているが、つい最近まで人間のインフルエンザが猛威を振るっている中で、我家も家族が鼻水やクシャミに悩まされており、本日高校の卒業式に出るのがやっとの三男の姿に、3月議会を明日に控えて風邪への感染阻止が難問となっていた。

 ただし、卒業式から帰って医者の診察を受けた結果は「花粉症」との診断で、医師の処方で鼻水も止まり、20日に大阪で開催されるロードレースにプロ選手とともに出場するため明日から練習を再開する。
 三男の診断に安心したのか「命は大丈夫か」と高齢ゆえに勝手に命の心配をしていた母親も、明日には医者に行くとの言葉にまずは一安心となった。

 明日からは議会の本会議が開会し、明後日は一般質問の通告と職員の聞き取りも予定されているが、稲沢市の議員より父親の訃報が届けられ、明後日が葬儀との話である。私の出生地である旧祖父江町の議員で、亡くなったご尊父は私の母親と小学校の同級生である事から義理は欠かせないが、仕事が遅れており徹夜の一日となりそうでもある。自業自得とは言え、断崖絶壁の日々を迎えるばかりか、その後の体調維持も課題となってきました。
                                   3月2日の一言

津島市表彰式と金婚式典に参加して

 本日は市政施行62周年記念津島市表彰式が開催され、22人の方々と5団体の関係者が表彰され、その後に金婚夫婦を祝う記念式典が開催された。

 津島市の表彰条例では、特別表彰と永年勤続表彰、一般表彰があるが、特別表彰については公選によって同一の公職に20年以上在職するか、小中学校の教職員に至っては津島市内の学校に30年以上勤務し成績優良の人物が対象と記されている。

 この特別表彰には、昭和34年から老人ホーム天王川荘で月1回理容のボランティアを続けてきた理容奉仕グループと、昭和33年から年1回うどんやそばの出前慰問を続けてきた麺類食堂生活衛生同業組合の2団体と、軟式野球連盟の役員として野球の普及に努められたSさん(愛西市在住)が表彰された。Sさんには高校時代から世話になっており、高校野球の審判でも活躍されており、式には欠席であったものの感慨深いものがありました。

 さて、世の中は不況の声が溢れているが、一般表彰の中には100万円以上津島市に寄附をされた2名の方と2団体も含まれており、社会状況が悪化しているだけに、個人で寄附をされたお二人の清々しい気持が市民に伝わると幸いである。

 今年金婚式を迎えられた人々は、昭和34年に結婚式を挙げられた人々で、この年には現在の天皇陛下も結婚式を挙げられている事と、当地方にとっては甚大な被害を被った伊勢湾台風が襲来した年にあたることからも、50年の重みを実感する一日ともなりました。

 50年と簡単に口にするが、50年の繰返しを10回繰り返すと郷土の偉人である織田信長の活躍する時代となり、信長は天文8年(1534年)に勝幡城(現在の愛西市)で生まれており、当時の商都として津島で得た資金と津島衆と呼ばれる家来(側近)とともに全国に船出している。

 津島市が市政を施行して62年となるが、本日の朝日新聞の日曜版には恐竜の写真が掲載され、白亜紀は今から1億2千五百万年前とか、9千4百万年前と記されているのを考えると、比較しても実感も涌かない地球の歴史と人間(私)の小さな存在も実感させられた。
                                 3月1日の一言
織田信長と津島関係のHP
http://www.prof-tt-publichealth.com/jiku/index2.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/4125/FAVORITE/NOBUNAGA/TSUSHIMA.html
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