大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年04月

本日は私だけ肩身が狭い

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家族全員が仕事に行く中で、私だけが何も仕事がありません。
唯一の出番は知人に誘われた珈琲タイム(この店はコーヒーにシュークリームのサービスが付きます。本日はシホォンケーキ)の一日で終りそうです。

 何事もない生活もつまらないので、帰宅は知人の車と別れて2キロを歩く事としましたが、夕日を浴びた草花は新鮮で、持参しているカメラ(キャノンAE1-P)にフイルムを装填し、強い風に吹かれるタンポポの綿帽子を堤防の斜面で踏ん張りシャッターを2回。

 「大鹿せんせーい!」、なんて大きな声をかけていただくのは気恥ずかしいが、「最近は旅行やらないの?」と言われると、ついつい安易に考え話し込んでしまい、帰宅後に家内から「その日は町内の○×があったでしょう」と言われると、「俺は町内とは関係ないぞ」と怒鳴る事になります。

 私は町内の推薦で選挙に立候補したのではなく、むしろ10年前に立候補を決断した際には、町内の有力者は私に立候補の辞退を促しながら別の人を立候補させようとされた経緯があり、自力で立候補して当選を果たし、2度目の選挙は町内会長から推薦の話を受けながらも、あえて「無党派」にこだわって辞退してきた経緯を家族は忘れてしまっているとしたら哀しさがあります。

 以来、町内行事には一住民としては参加するものの、議員としては一切の関係を断ち切っているが、田舎の慣習では議員より町内会長や農協の役員の方が名誉職のように思われており、私自身も個人的に依頼される人々の困り事には積極的に相談に乗りますが、町内役員が市役所との交渉で苦戦していたとしても静観しているのみです。

 かつては地域にも市役所に意見が言える人々が存在しましたが、専業農家が無くなり、町内役員も定年退職後の人々が努められる事から、役員の同級生も市役所を定年で去っている事から、市役所には知り合いがおらず、名誉職と思っていてもかつての役員のように「顔パス」は通らず、町内会長などが一市民と同じく窓口に立つ姿は個人的には「何とかしてあげたい」と思うものの、他の町内の事も考えると公平に対応するしかありません。

 「町内で毎年決まっている事だから!」と昨年身勝手に言われた用水の清掃も、家内がうるさいから20年も続けた4月29日の旅行会を回避したら、今年は別の日に行われ、私にとっては町内の事情よりも自分の政治日程とか二十数年も続けてきた「友の会」が重要なんですが…

 「何でこんな連休中にやるのか」と、町内の用水と側溝の清掃が連休中に2回も実施される事から、若い人々から不評の声が伝わりますが、「連休なら仕事が休みだから」と日程が決められているとしたら、「休みだから何所かに行きたい」と考える住民の民意は何も考えられていません。

 私が地域を歩いて語り合った内容から進んだ話を、家内の一言とは言え「町内行事」を優先して回避する事は、私の議員としての仕事がいかにも軽視されているようで、家庭内の問題ですが議員の家族としての認識に欠け、共稼ぎの夫婦の会話ではありませんか。

 さて、今年は「ヘルパー2級」の資格に挑戦しますので、明日は講座の説明会に参加いたします。ボランティアに生かすための資格に数万円も要する事は矛盾も感じますが、今年はボランティアの範囲を限定したことから政治と同格で考えていきたいと考えています。
                                 4月30日の一言

四国も知多も一緒に話していると(遍路)

 数日前に四国の地図を購入した事から、地図の上から四国遍路が始まりましたが、実際には6月下旬から出発する事が決まっているものの、知人が四国を巡拝する情報を耳にすると今からでも飛んで行きたい心境におそわれます。

 今年は5月3日から5日に高野山で行われる『春季結縁灌頂』に参加する予定を立てておりますが、家庭内の温度差が高くなり、私が真言密教に魅かれれば魅かれるほど、家内は逆に「貴重な休日だから…」と連休で交通渋滞が予想できることから敬遠気味でもあります。男女同権とか女性の勤めが当たり前の世の中になっていますが、仕事に疲れて考える気力も無くしている位なら、仕事を辞めても良いように感じるのですが…

 さて、私が四国遍路を心のよりどころにし、平成13年から巡拝を始めて19年に四国霊場会から「公認先達」の補任を受けているにもかかわらず、これはあくまで私個人の事柄ゆえに、そのこと自体を知らずして私に四国遍路のウンチクを話し続けられる人も存在します。

 知らずして意気投合して話していると、あまりにも簡単な四国巡拝に「なんだかオカシイな?」と感じはじめると、相手の四国遍路は四国ではなく、愛知県の知多半島を巡拝する「知多四国八十八ヵ所」の話で、今年開創200年(実際には1824年開場)を迎えていることから話題を耳にする事が増えました。

 「四国は大変だから」の言葉は共通であるが、私は愛知県からは四国自体が遠い事と、四国4県と広い範囲に点在する寺(全行程約1450キロ)そのものの参拝路の厳しさに、昨年から加えた修業の厳しさも含めて語っていると、知多は1時間もかからない知多半島内にある事から、「車の乗り降りが続くので大変」なんて言葉が返りあきれてしまいます。

 愛知県は知多半島の八十八ヵ所が近い事から、「四国にはもう行って来たよ」と既に四国遍路を経験済みとの声をよく耳にしますが、「新四国」や「知多四国」と題する霊場名から、本物の四国遍路も同じように話される人が多い事が残念でもあります。

 かつては、「知多は四国じゃありませんよ」と全てを否定していましたが、近くゆえに参拝は容易であり、全行程は約200キロとの事ですので、歩き遍路や自転車による遍路も可能な事から、最近では健康のためにもぜひ体験してみようかと考えるようになりました。

知多四国八十八ヵ所⇒ http://sinzo.web.infoseek.co.jp/aruku/tita/tita.htm

 本日は久しぶりに『納経帳』を持ち出し、『先達経典』や『檀信徒必携』を読み直し、パソコンの前に置いたラジカセから高野山真言宗在家勤行次第を流し続けた事から、この書き込みまで日時をまたぐ展開となり、朝までが限られた時間となってしまいました。
                                 4月29日の一言

河村名古屋市長にあやかりたい、豚インフル防除

 本日は明日から始まる連休の合間のため、市役所の仕事にとっては貴重な一日となりましたが、名古屋市の新市長に当選した河村たかし氏の行動が連日リアルタイムで報道されてくる事から、小さいとは言え同じ愛知県の市町である事から感化させられています。

 公約とは言え、自分の報酬(年収)を800万円に減額する事は自分の意志を貫けば済む事ですが、市民税の10パーセント減額については、昨年からの厳しい財政状況下で大変な公約ですが、市長の高級公用車の売却や裏金の再調査など精力的な行動が目につきます。

 「日本減税発祥の地ナゴヤ」と「日本民主主義発祥の地ナゴヤ」の2種類の垂れ幕が披露されたが、明らかに当選する前から用意してあったとしか思えず、非公開であった市の幹部会を急遽公開にするなど、マスコミと市民をバックにやる気満々の様子が伝わってきます。

 さて、私は3日前にメキシコやアメリカへの出入国を規制すべきと記しましたが、豚インフルエンザは感染が世界に拡大し、アメリカ大陸からヨーロッパに飛び火すると共に、韓国でもメキシコから帰国した女性にインフルエンザの疑いがあると発表されている。

 メキシコでは現時点で1995人の感染者数と149人の死亡者数が発表されており、世界保健機構(WHO)は渡航制限や国境を封鎖しないように勧告していると言うが、我が国への侵入を防ぐためには「渡航を延期するよう(麻生首相)に」ではなく、早急なる「渡航禁止」を打ち出し、在留邦人には退去命令を出すくらいの警戒が必要と思われる。

 幸いにして現状ではアメリカなどメキシコ以外の国々では、抗インフルエンザ薬などの治療によって死亡者は出ていないようだが、後進国に飛び火すれば対処できないばかりか、我が国にもウイルスが侵入すれば薬に抵抗力をもった強力なウイルスに進化する可能性も否めない事から、外国人の来日にも検疫だけでなく入国前に検査して侵入を防ぐ厳しさを決断すべきである。

 もっとも、地方議員の私などが声を大にしても効果はなく、前記した名古屋市の河村市長のように即断即決でリーダーシップが発揮できる総理大臣や厚労相であったらと思わされた。人の目に見えないウイルスだけに、入国後の人々についても追跡は重要で、こんな時に人権などとは言わないで欲しい。
                                4月28日の一言

久しぶりに鶴田浩二さんの墓前へ

 例年であれば4月29日は20年前から『朝日旅行友の会』のバス旅行を企画してきたが、今年は何の予定も立てなかったので、個人的には5月3日から5日に開催される高野山の「春季結縁潅頂(しゅんきけちえんかんじょう)」に参加したいと考えている。

 最近では高野山に行くと必ず「ああ同期の桜」の慰霊碑と、「鶴田浩二」さんの墓参りを日程に入れているが、こんな話をすると「鶴田浩二は鎌倉じゃなかったの」と問われる事もある。これも私が「いつかは鎌倉のお墓にお参りしたい」と口癖にしていた事を知っている人の一言である。

 以前の一言に高野山のお墓については記した事があるので、下記を参考にしてもらいたいが、鶴田浩二さんのお墓は高野山と鎌倉の他にも東京にも存在するので、本日は私の復習を兼ねて記していきたい。
08年5月 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/33376125.html
08年12月 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/37760513.html

 鶴田浩二さんの没後10年を記念して出版された杉井輝応氏執筆の「鶴田浩二」の中には、高野山のページがあり、9月の第2日曜日の慰霊祭に鶴田さんが毎年参加していた事が記され、高野山と鶴田さんの縁について次のように記されている。

 高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢は鶴田浩二と同期の桜である。鶴田は、藤田真言宗大僧正から、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かり、先に行った戦友と三途の川原で、いつでも話し合えることと夢みていた。

 さて、鶴田浩二さんについては、末娘の女優「鶴田さやか」さんも『父・鶴田浩二の影法師』を記しており、この中には「鶴田家の墓」と題して詳しく記されている。この中には、鶴田浩二さんの複雑な家庭環境が記され、東京都港区の四ノ橋にある鶴田浩二さんの実の父親の眠る「大島家」の墓と、実の母親の眠る東京都練馬区にある「小野家」の墓が記され、共に生前の鶴田浩二さんが世話をした事が記されるとともに、自分の代でこのあらゆる因縁を断ち切りたいと思っていたと記している。

 そして神奈川県の鎌倉霊園には、本人の生前からの希望もあって、鶴田浩二さん個人の独立した墓が建っている。さやかさんは、「父の墓のある鎌倉霊園は、生前より本人の強く希望する場所だった。美しいロケーションに恵まれ、心地よい深い緑に囲まれている」と十三回忌に記している。

 最後に最近流されている唄を添付して一言を終わらせたい。
                                4月28日の一言

同期の桜 http://www.youtube.com/watch?v=9xMpTN2aabk
       http://www.youtube.com/watch?v=qXt_7yJWZf4
戦友よ安らかに http://www.youtube.com/watch?v=sB19zr6GFWc

戦友の遺骨を抱いて http://www.youtube.com/watch?v=3ylrwdRwNyE

たんぽぽの花 http://www.youtube.com/watch?v=oDkh73AByHo

さすらひの灯り(昭和29年) http://www.youtube.com/watch?v=q7-vPFn7hO8

地域のゴミ清掃が続きます

 本日は町内の農業用水の掃除があり、長男が3千円もらえれば私の代わりに出かけるととの一言に期待したものの、今年は土木の役員になっている事から家族の猛反対にあい(当然の事ですが)、午前中はこの日のために新調した長靴で出かけました。

 近所の班で8軒の農家があり、例年は主人の代理の女性の姿もありますが、本日は全員が働き盛りの男性が出席したことから手抜きもなく、担当された区域の用水沿いのゴミや空き缶を拾い集め、他の班と合流後に散会となりましたが、私は班長のためにしばらく集まったゴミの分別に残りました。

 本日の清掃は、あくまでこれから始まる農業の水田作業のために農家だけで行なった訳ですが、拾い集めるゴミは生活する家庭ゴミがほとんどで、家庭から排出される汚水によって用水も臭く、ゴミの中には本来家庭の生ゴミとして出すべき物が捨てられています。

 川に捨てられて腐敗した生ゴミは、ゴミ袋に入れるだけで臭気が身体中を包み、丁寧に洗ったものの一日中臭いが身体に染み込み、大量に捨てられた酒のビンは明らかに同一人物が車で投げ捨てていったと思われ、腐って残された残汁を捨てるものの臭いは身体に染み付きます。

 来月早々には住宅地の側溝の清掃が行なわれ、これは住民全員の参加となりますが、自分達の生活する住宅地から外れた農地や用水、道路は、ゴミと犬の散歩によるフンや空き缶が散乱し、足元を見て散歩すれば不快感をもよおす事は確実です。

 こんな汚い道路から水田に下りて作業をする気持にはなれず、パイプラインによって木曽川の飲めるような水が水田に引かれているのに、生活廃水やゴミが農地を汚染しており、今年は私も自分の手で休耕中の土地を耕そうと考えていましたが、ちょっと考えさせられる一日となりました。

 さて、夕方には珍しく家内の買い物に同行しましたが、買い物には関心もなく自分の趣味の旅行のために本屋を覗いていると、日頃厳しい家内から私が常々欲しがっていた四国の地図を買う許可が下り、喜んで購入したものの、帰りには畑に同行を求められ過酷な労働が待っていました。

 「そんなもの見なくても判っているでしょう」と、口癖のように言われて購入しなかった地図ですが、車のカーナビの時代となっても、改めて見ていると参考になるとともに、四国を歩いているような錯覚に陥り、検索のためのラベル張りは深夜まで続く事となりました。忙しささから延ばし延ばしとなっていた四国遍路も6月から再開が決まっており、心強い武器が加わった一日でもありました。
                                  4月26日の一言

豚インフルエンザ・メキシコへは渡航禁止にすべきだ

 愛知県でウズラの鳥インフルエンザ感染が問題になり、感染経路も対策も進まぬうちに話題にもされなくなっていたが、今度はメキシコで豚インフルエンザが発生し、メキシコ国内で62人が死亡し、国境を接するアメリカにも患者が発生しており、今回は人間の生命に直結する事態だけに、日本にも深刻な問題となる事は必死でもある。

 メキシコでは幼稚園から大学まで休校になっており、行政機関の中には「外部の会合に出て感染しないように」と指示が出され、街を行き来する人々の多数がマスクを着用しているとの報道だが、対処方法の確立していない新種のウイルスだけに、連休に両国へ出国する日本人への規制も必要ではないか。

 メキシコ政府の保健相は「抗ウイルス薬は十分な量がある。豚肉を食べても感染しない」と市民に冷静な対応を呼びかけているとあるが、世界保健機関(WHO)は現地に専門家を派遣して警戒を呼びかけており、今回のウイルスの発生経緯すら不明では全世界に波及する危険性も否めない。

 我々の子供時代から存在するインフルエンザであるが、人類の英知によって駆逐する新薬が登場するたびに、その薬を上回る強力なウイルスが誕生し、常に新薬の開発との競争となっているが、今回の豚ウイルスは患者の多くが元気な若者と言われるだけに予想を超えた拡大も懸念されている。

 さて、以前にも記しているが、「現代では怖い病気ではなくなった」と言われる結核菌についても、怖くないからと治療が遅れると、抗生物質に強い抵抗力を持った結核菌になっている事から、体力の弱った高齢者には感染が死に至る可能性も高く、今回の豚ウイルスについても日本の裏側の事とは言え警戒は重要である。

 新種のウイルスや薬の効かない病原菌に感染すれば、感染する事が治癒しない事を意味し、人権問題から一般に公開されていないエイズ患者についても、知らずに接触して感染すれば、処置方法は大幅に改善されたとは言っても現状では感染して発症すれば死と隣り合わせの生活となる。

 かつてのライ病も完治する病気になったが、かつては強制的に隔離されて家族とも会えないばかりか、地域からも抹殺されたような扱いを受けていたが、エイズ患者については増加の一途をたどっているものの、患者は野放し状態となっており、今こそインフルエンザや結核とあわせて、感染防止の観点から国の積極的な対応を求めたい。
                                4月25日の一言

鳩山「最低の人間」発言の意見集

『最低の人間』はないでしょう! http://blogs.yahoo.co.jp/dbhkg638/26302958.html

鳩山発言に思う。 http://blogs.yahoo.co.jp/kata9kata9/15655013.html

発言を撤回しても言ったという事実は残る。鳩山総務相が「最低の人間」発言を撤回 草なぎ容疑者逮捕で   http://blogs.yahoo.co.jp/honkesuisei/31715382.html

鳩山さんの発言撤回? http://blogs.yahoo.co.jp/dane_ev/29031456.html

草彅さん逮捕に伴う鳩山大臣の発言 http://blogs.yahoo.co.jp/mitu0579/58563184.html



石原都知事のコメント
 --SMAPの草なぎ剛が公然わいせつで逮捕されたことについてどう思うか

「裸だと公然わいせつなんですか。ぼく、それを聞いてね、なるほどな、国によって違うなと思った。アメリカはね、ちょうど沖縄返還の時に竹下総理についていったんだけど、最高裁が非常におもしろい判決を出した。人間の肉体の一部が他の部に比べて醜いということはない。とたんにね、セックスも写っている全裸の写真がね、アメリカで解禁になったんですよ。性行為を写すんじゃないんですよ。要するに日本とだいぶ考えが違うんだろうけれどもね。まあ、なんか、やっぱりフラストレーションがあったんだろうね。裸になりたい気持ちがわからないでもないね、おれも。ちょっと騒ぎすぎじゃないですか。他にもっと大事な問題がありますよ」

私も一緒に酔って騒ぎたい心境(草なぎ君)

 昨日逮捕された草なぎ剛君は本日に釈放され、弁護士とともに謝罪会見を行ったが、人気者ゆえに多くのマスコミが駆けつけ、犯罪人のような扱いでカメラが向けられているものの、起訴されて裁判になる可能性は低く、起訴猶予で罰金もないのではないか。

 刑法第174条に記された『公然わいせつ罪』では、「公然とわいせつな行為をした者は、6ヶ月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する」と記されている。

 しかし、公然とは大衆の面前で、少なくとも5人から6人以上の人々のいる事が前提となり、今回の事件(事件とは思えないが)は、一人で酔っ払って深夜の公園で裸になって騒いでいただけで、公然とわいせつ行為をして人々に見せつけていたわけでもなく、逮捕容疑の公然わいせつ罪そのものに疑問が残される。

 大声を上げた事で近所の人々に対する迷惑防止条例違反は仕方ないとしても、誰一人として騒いでいる草なぎ君の裸を見た人はなく、警察が来なければそのままであった事から、あえて迷惑をかけた近所の人々への迷惑防止程度の逮捕と言うよりも酔っ払いの保護が適切ではなかったか。

 今回の行動は、酒を飲みすぎて酔っ払い、本人も意識が無いと言っているが、例えば家に帰って風呂に入っている気分だったとすれば、大声を発して近隣の人々に迷惑をかけた事は反省も必要だが、公然わいせつ罪で逮捕する必要もなく、家宅捜査までした警察の真意がわからない。

 私の考えでは今回の逮捕劇は、現場の警察官の裁量で、身柄を保護して一晩寝かせてから放免する酔っ払いの扱いで十分と思われ、現場で抵抗したとしても暴力を振るったわけでもなく、家宅捜査は明らかに芸能人の麻薬か覚せい剤を疑った捜査と思われる事から、あまりにも個人の尊厳を傷つけてはいまいか。

 さて、あまりの酷さに昨日の一言にも記しただけでなく、追伸まで記した「最低の人間」と発言した鳩山総務相だが、本日早々に発言を撤回するとともに、地上デジタル放送の新たなキャラクターの起用について、「できるだけ安上がりな方法を考えたい」と発言したと伝わっている。こんな人間に「安上がりな…」と言われて、喜んで登場するような芸能人も情けない。

 昨年から大臣や国会議員の不祥事が続いたが、今回の発言は過去の大臣や議員への発言とは大きく豹変し、芸能人や一般国民を上から目線で「こき下ろした」鳩山氏自身の日頃の性格が露見したと思われ、有権者や国民を下僕のようにしか見ていない事を実感させられた。

 人気者で有名な草なぎ君ゆえの騒動ではあるが、こんな事が犯罪として堂々と公衆の面前で連れ回された事は、理不尽な扱いで尋問され、素直に従わずに抵抗すると「逮捕」との前例にもされかねないと心配だが、それならば夜中に爆音を発する暴走族の音が聞こえたら遠慮なく110番へ通報し、徹底的に取り締まってもらう事も必要である。

 暴走族が通過しても沈黙する派出所や、暴走族の後ろでサイレンも鳴らさないパトカーを見るたびに、今回の事件は相手が無抵抗で裸の酔っ払いなだけに、情けない気持ちにさせられるとともに、弱い者には強い警察官と政治家を重ね合わせてしまったのでもある。
                                   4月24日の一言

叫ぶほどの事件とは思えないが…

 テレビから絶叫のように伝えられる「草彅剛容疑者逮捕!」の声に、何をやったのかとびっくりさせられる一日となったが、有名人ゆえの報道であろうが、酔っ払って全裸で騒いでいたものの、公然わいせつ罪とは思えないし、本来なら一晩警察のお厄介になり情状酌量のケースではないか。

 新聞の夕刊に記された「逮捕」の記載についても、「殺人犯」でも「強姦罪」でも同じ「逮捕」であるが、今回のケースでは近所の住民には騒音となったものの、全裸とは言え公園で一人で騒いでいた事が「公然わいせつ罪」とすれば、世の中は犯罪だらけとなるのは必死でもある。

 一方で、朝日新聞の夕刊によれば、警察の発表した飲酒の検査結果が掲載され、道路交通法が酒気帯びと定めた値の5倍以上にあたると報道されているが、草彅容疑者は車を運転していたわけでもなく、飲酒のレベルを比較する対象には当たらず、記事の表現にも疑問を呈したい。

 こうなると桜の樹の下で花見に浸り、酔っ払って全裸になって騒いだ人は全員が逮捕となるが、今回の事件の報道を見る限り、裸を見たのは警察官だけであり、本人は見せようと思っていた訳でもない事から不起訴は確実であり、テレビの人気者ゆえに格好の餌食とされた感も強い。

 草彅容疑者がテレビのデジタル放送移行の宣伝に努めた実績は実に大きいと思われるが、関係する省庁の大臣である鳩山総務相は、今回の事件に極めて厳しいコメントをテレビのインタビューに語ったが、そうならばローマの泥酔行動で世界中の笑い者(物)になるばかりか、日本の国益と信用を著しく低下させた中川前財務相へのコメントは何だったのか。

 さて、そうは云うものの、起こした出来事の不始末は自分に返ってくる事から、自分の関係する仲間やイメージを損なうコマーシャルに出演する企業への責任は免れず、芸能人としての自覚不足は否めず、しばしの謹慎生活は致し方ない大きな代償となったものでもある。

 また、ファンの人々の中にはショックを受けている人もあるかもしれないが、34歳の若者に完全なる聖人のような行動を求めることに無理があり、ひと時の憂さ晴らしと容認し、こんな一瞬の行為によってスポンサーを降りるような企業は企業としての理念も責任も希薄で信用もならず、私がスポンサーなら一緒に謝罪して一緒に再起を図るような関係でありたいものだ。

 男が裸になって一人で深夜の公園で騒いだら「公然わいせつ罪」で逮捕となれば、警察の取り締まる犯人は無数に膨らみ、都会の繁華街で公然と行われる不法な風俗関係店や、週刊誌に掲載される卑猥な広告主も現場は日常的に取り締まる必要があり、地方のわが町でも法に触れる深夜営業の飲食店が野放しとなっている事はどのように対処するのか。

 民主党の小沢代表の失態から、麻生首相に関係する政局がらみの話題もしばらくなかった事から、久しぶりに新鮮な話題となる事件だったかもしれないが、こんな事を事件のように「逮捕」と絶叫するようでは、世の中犯罪だらけとなり、起訴されなければ被告人でもない事から、今後の展開を待ち続けたい。
                                 4月23日の一言
追伸
 自民党の鳩山総務相が、「めちゃくちゃな怒りを感じている。 (中略) 恥ずかしいし、最低の人間だ。絶対許さない」と深夜のテレビ番組にも放映されていた。
 こんな発言ができるなら、政治家の失態には何と答えていたのか。こんな発言の方が国民を馬鹿にしているのではないか。軽薄な大臣発言こそ非情で最低な発言としか思えず怒りさえ覚えてくる。

タイヤだけが残されていた部屋に

消えていた一言…
 送信ボタンを押してから、一眠りしてコタツの上で確認すると「書き込み中」のままで、昨晩に記したはずの一文が掲載されていません。事務所で記したものの、久しぶりの冷え込みから確認しないままに家に入った私のミスではありますが…

 それよりも、熟睡した後になってから昨晩の一言を思い出しても正確には思い浮かばず、さて、さて、昨日は何を期したかと考えると、日曜日に時速50キロのスピードで転倒したものの、異常な早さで回復する息子を記しておりました。

 日曜日の事故直後や救急外来での様子から、一週間は松葉ツエの生活で、今月中は練習も無理かと勝手に予測するとともに、三男自身も「今季はダメ」と発言していた事から、私が送っていくはずの学校に出かける時間になって、息子の姿が消えていた事からびっくりです。

 探していると自転車の置いてある場所には大会に使用していたタイヤが2本残されているだけで、自転車が無いことから、タイヤを交換して学校に向かったことは確実で、早朝に出かけた外科での消毒の際に練習再開のスケジュールを立てていたのかもしれません。

 「3日も休んだから走ろうかな」
 「大丈夫か?」
 「骨に異常がなかったから」
 「筋肉はどうだ?」
 「肉離れではないから」

 そんなやりとりはしていたものの、まさか10キロ離れた学校まで自転車で出かけるとは思ってもおらず、本日(昨日)の午後に愛知県庁に出かける私の予定を伝えていた事も原因かもしれませんが、常識では考えられないスピードで回復している事は間違いありません。

 ケガの個所が多く、左腕の傷は皮膚どころか肉が盛り返すまで病院通いは続きますが、骨と筋肉に異常が無いことを確信した事から、「こんな傷で休んでいたら」と、日曜日や月曜日とは発言の内容が一変し、しばらくは大会こそ出場しないものの練習再開は間近となりました。

 こうなると落車して傷ついた自転車が気になるらしく、学校から自転車屋に寄り道して修理の段取りを立てて帰ってきましたが、修理には大金かかり、破損したキシリウムのタイヤホイールは試合には使えない事から大会用には買い替えとなりそうです。

 今回の事故は勝てると確信し、ラスト1周でスパートをかける瞬間に転倒に巻き込まれており、実業団と言っても趣味の延長で出場する選手が多いERではこんな危険も多く、伊吹山、大阪と続けて転倒に巻き込まれており、レベルの高いBR1に昇格しないと転倒の危険も伴います。

 さて、未だに放置したままとなっている定額給付金であるが、我家には10万円の給付金が下りてくる事から、早急に手続きを済ませて息子の軍資金にと考えていると、家族全員の給付金である事が忘れられており、私に対する不審の視線も感じながらの食卓となりました。
                                4月22日の一言

かつての公務員から葬儀会社へ?(学生の就職活動)

 昨日の一言に「好きやから…」と38歳になっても現役を続けるボクサーの辰吉丈一郎選手を取り上げ、最後に不況下で来年の就職先に葬儀会社の会社説明会に殺到する若者を対比させたが、もちろん必要な仕事とは思いますが、私は自分の子供だけでなく知人の子息が希望しても絶対に薦めません。

 昨日の夕刊によれば、名古屋市の葬祭会社「ティア」の会社説明会にリクルート姿の学生たちが殺到し、同社への採用エントリー数はこの日で285人となり、昨年の同時期と比較しても135人も多いとある。(昨年の最終エントリー数は180人)

 葬祭会社の社長が、「きれいごとだけの仕事じゃないが、大きなやりがいを感じることができる仕事でもある」と語りかけると、参加していた学生たちは深くうなずいたとあり、採用する担当者は「この不況下で、安定している業種というのが大きな理由と思う」と語っているが、この会場で就職を希望する学生たちの親や家族の反応が知りたいものでもある。

 一方で国立社会保障・人口問題研究所によると、日本の高齢者社会の中で、2年前には40年前の約1.5倍の死亡者数(約111万人)となっており、30年後には166万人に達すると報告が記されているが、「絶対に無くならないビジネスであり間違いなく成長産業」と前記の社長が語ったとある。

 言葉のアヤとか、表現の方法の違いかもしれないが、「ビジネス」とか「成長産業」と説明する葬祭会社の社長の言葉には、アメリカのアカデミー賞を受賞した映画「おくりびと」とは程遠いものがあり、葬祭屋を仕事に選択した学生達の親は今までどんな思いで学費を仕送ってきたのであろうか。

 私には何もかもが異常にしか思えないが、「公務員」の待遇を魅力として、津島市役所の所有する霊柩車の運転手になったものの、家族や知人との付き合いもできない事から、数年で転職した知人も過去に存在し、一昨年にも運転手が辞めて穴埋めに四苦八苦している。

 又、突然に隣が葬儀場となり、周りが廃墟となった街角も存在する。仕事に善し悪しは無いと言われるが、本当に学生達は『やる気』や『好きやから』と思っているとは思えず、元々が地域で送るのが葬儀の理想と考える私には疑問だらけでもある。

 最後になるが、前記した葬儀会社の応募人数は1社だけの数字であり、愛知県の大手から個人の葬儀会社も含めると、膨大な採用人数となる事から、(毎年こんなに採用する事は)葬儀会社がいかに長続きしない仕事であるかが判る。

 また、高齢化社会と言っても、寿命が延びて死期が先送りされるだけで、死ぬのは順送りで、死ぬ人口は定まっている事を彼らは知らないとは思えないが、彼らの『やる気』を生きた人の救いとなる仕事に向け、生きる者に必要となる仕事でも人材不足の現場がある現実も知らしめたいものである。
                                4月21日の一言

好きやからやってんねん (辰吉語録)

 本日の朝日新聞夕刊一面に掲載されている、ニッポン人・脈・記に「君はジョーを見たか」の連載が始まり、主題は漫画の『あしたのジョー』であるが、1回目をボクシング元チャンピオンで現役選手の辰吉丈一郎(38歳)選手の拳へのこだわりについて記されている。

 三度の世界王者に輝いた辰吉選手については、網膜剥離だけでなく、日本のボクシング界から年齢を理由にライセンスを受け付けられず、日本では試合ができない現状の中で、海外に闘いの舞台を求め、3月8日にはタイのバンコクでタイ・スーパーバンタム級1位の選手に惜しくも敗れ(完敗)ている。

 ただし、この試合の直後に「応援に来てくれた人に申し訳ない。またやり直しや」と発言し、帰国した翌日には朝6時に起きて40分のロードワークを再開したと言う。

 「好きやからやってんねん。まず、あのタイのやつと再戦せなあかん。辰吉の名を辱めてくれたからな」と発言し、「どうして燃え尽きないのですか?」との朝日新聞記者の質問に次のように答えている。

 「燃え尽きるて、どういうこと?」
 「ボクシングはおれの趣味や。仕事やない」
 「なんでやめなあかんのん?」

 さて、私は辰吉丈一郎の大ファンで、彼の発言内容を新聞やテレビなどから聞くたびにしびれているが、もし私と対面して「あんただれ? 関係ないやん」なんて言われたら、社会人なら「この野郎」と言いたくなるのであろうが、彼はボクサーであり、私なんかでも「なにォー」と思わせてくれる事から魅力も感じ続けているのでもある。

 辰吉丈一郎選手については下記へ↓
走れジョー http://blogs.yahoo.co.jp/joe_foreverjoe (私のお気に入り)
辰吉家公式サイト http://joe-tatsuyoshi.com/ (動画もあります) 

 本日の夕刊のどうでも良い記事に、「葬祭会社の人気急上昇」と題して、映画の「おくりびと」の影響によって、若い学生が来年の就職活動のために葬儀会社に殺到している現場がリポートされているが、育ててもらった自分の親の面倒や相談ができない若者が、不況とはいえ死んだ人間を相手にする仕事に夢を語るという現実に、現代社会の異常さを実感させられます。
                                  4月20日の一言

巻き添えの落車も自分の実力のうちです(息子の一言)

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 朝一番のレースで、最高の位置に付けていましたが、最終コーナーで隣りの選手の落車に巻き込まれタンカの上で応急処置の最中です。
 
 大阪舞洲で開催された第10回クリテリウムの実業団ER予選第1組に出場した三男は、前半にはトップで引っ張る試合展開に、「コムレイドの大鹿選手」とアナウンスもされ、13周までは10位以内の外側につける絶好の試合展開でしたが、最後の1周という時に姿がなく、もちろんゴールにも戻ってきません。

 息子の話では、最終コーナーで膨らんだ左側の選手の転倒によって車輪をすくわれ、空中に吹っ飛ぶ落車となり、息子の上で数台の自転車が転倒したとの話で、左側の背中から肩、腕、肘、腰、膝を裂傷し、反対の右足ふくらはぎが痛くて立ち上がれません。

 タンカの上で応急処置を受け、大阪の救急病院を聞いて走りましたが、地理不案内で場所が判らず「愛知県まで帰ろう」と痛がる息子に話し、「えっ、大丈夫?」と心配する病院関係者の声を無視して、2時間後には津島市民病院の救急外来に到着となりました。(21年選手の愛車も頑張れる事を実証しました)

 現場で「救急車」の声もあったようですが、息子の意思で救急病院へ走る事となりましたが、時速50キロでの転倒ですので、私なら1ヶ月の入院加療となる事態でしょうが、毎日鍛えた身体ゆえに明日から通院となり、歩けないのでしばらくは松葉杖の生活です。

 来週に予定されている群馬県の試合はもちろんですが、「これで今年はダメだ」の息子の言葉からダメージは過去最高のようで、試合前から絶好調(前日に頭も5厘刈りにしました)で表彰台を狙っていただけに、身体と車体にも大きなダメージとなる試合となりましたが、息子を転倒させた選手が最後まで付き添っていた事が息子にはよほど嬉しかったようです。

 さて、絶好調のまま入賞して、来週の群馬県についていく私の予定も暗転し、明日からは学校まで車で付き添いとなり、家内は慌てて保険証と診察券を持って走ってくる事となりました。ただし、手前味噌ではなく、津島市民病院の対応は最高で、偶然にも診察した研修医が私や息子の「かかりつけ医」の息子さんで、「こんな親切な診察は初めて」と息子が話したが、こんな偶然も巡り合わせか…

 昨晩から出向いて、本日は大阪の一日となる予定が、試合開始1時間半後には病院を目指す一日となり、「入賞したら京都に寄ってくれ」と、京都への寄り道を決め込んでいた私の思惑も一瞬の幻となりました。しかし、前記したように、市民病院の対応が余程良かったようで、医療専門学校に通う息子のためには貴重な体験と明日からの肥やしとなった事が幸いでもありました。
                                  4月19日の一言

今晩は大阪に向けて発車です

 本日は、隣のお寺の「春季永代経」が催され、私は住職より個人的に依頼された受付係として、家内はお寺(尼寺)の講組の当番として台所に入り、母親は信者として先祖供養の参拝に出向き、隣で家が見えていると言うものの完全なる留守と化した一日となりました。

 さて、新しくなって使い勝手が悪く苦戦中のパソコンですが、出発間際まで詳しい知人が訪問してくれ、夜10時頃までパソコンの先生も訪問してくださるようですが、私自身は明日に大阪で開催される息子のために、ただいまから息子と自転車を乗せて出発(午後9時)です。

 到着後に車中で仮眠をとり、明日一日の息子の試合を見届けてから、明日の夜には一緒に戻ってきます。朗報を記したいとおもいますが、息子の活躍をただただ祈るのみです。試合については下記を参照してください。

全日本実業団自転車競技連盟 http://www.jbcf-net.org/
第10回クリティムin舞州 http://www.jbcf-net.org/entry/20090419_maishimaCrite.pdf
組み合わせ表 http://www.jbcf-net.org/entry/20090419_maishima_list.htm
 
 さて、出発時間10分前のため、本日のブログはここまでです。明日は現地から送信します。
                                  4月18日の一言

灯台下暗しと現場百回を実感

 前日の留守中に来客があり、留守番の母親に「奥さんは?」、「先生は?」と若い女性が大声で訪問されたと聞いていたが、若い女性とはあまり縁もなく、名前が判らず誰かも判らないままになっていたが、本日の早朝にそっくりそのままの再現となりました。

 「おはようございまーす」、「ハイ、ハイッ」、「良かった、早いけど車があったから」と私の存在を喜んでいただいたのは有難いが、私の子供の同級生だけに「頼みたい事があるんですけど…」と言われても、中年のオジサンで役にたつのか考えてしまう年齢の差でもある。

 現実には私の想像した身の上相談ではなく、子供達が小学校へ通う通学路の危険個所の改善を求める相談であったが、市役所に直接電話しようとしたところ、父親から私を訪ねた方が良いと言われて、私の事務所を覗いていたらしい。これが私の本来の仕事なんですね。

 事務所から地図を持ち出して場所を確認し、相手の話を聞いていましたが、心中では「何故にこの場所が危険なのか?」と思うほど私が知り尽くした場所でもありました。こんな気持で市役所に出向いても相手の熱意が代弁できない事から、本人の前で直接連絡する事にしました。

 危険と言われる場所は数十年も前から通学路になっており、私の感覚では危険とは思った事もなかったが、市役所の職員から「現地を見に行ってきます」の言葉に、普段なら担当者が現地を見てからの話となりますが、心中に「何故にあの場所が?」との思いがあった事から電話が切れません。

 「僕も現地へ行きたいから」の言葉が、「今すぐに市役所を出ます」の返事となり、相談者とともに現地に走る(私の近所です)事となりました。

 さて、警察の捜査には「現場百回」という言葉がありますが、本日は我々議員や市役所職員にとっても、やはり「現場百回」の言葉が共通する事を実感するとともに、「灯台下暗し」のコトワザではありませんが、何も問題とも思われないような所に危険個所が存在する事も実感させられました。

 子供達が通学する時間と、通勤に走る車が迂回路として大量に通行するようになった事から、朝のほんの一瞬の偶然が重なると、左折する車に行く手を阻まれた子供達が膨らんで、わずか2メートルの隙間ではあるが、用水の深みに落ちる可能性が起こり、こんな事は日中に何度通行しても考えられない危険です。

 今回のように連絡してその場で関係者が現場に揃う事は難しく、時間的な都合から電話による連絡となるとこんな簡単に対処法は示されず、代弁する議員としても先入観を捨てる事と、改めて新鮮な気持をもって臨まないとならない事を実感する早朝となりました。
                                4月17日の一言

ボランティアでの激論は成長の証し

 平成1年に販売されたトヨタのライトエース(7人乗り)を愛用しているが、私にとっては三代目となるライトエースであり、年数だけをみると限界が近いと思われるものの、子供が自転車競技を続ける上では貴重な戦力となるばかりか、代用となる新車が無い事から意地でも乗り続けたいと感ずるようになってきました。

 ただし、この車に使用されているタイヤのホイールは珍しいらしく、大手タイヤ店でも見つからず、冬を前にしてスタッドレスタイヤに交換した事から、普通のタイヤに交換するにあたり、ホイールが解体屋でも見つからず、トヨタに注文すれば新品のホイールが入手できるとは言え、20年選手の車ゆえに思案の日々となりつつある。

 タイヤに記された「185-70R13」の記号から、「これなら一緒」と立派なホイールとタイヤが届けられたが、取り付けたもののハンドルも切れない代物で、「今度は大丈夫」と届けられたタイヤは記号と外観もそっくりだが、タイヤそのものがはまりません。(タイヤがこんなに大変とは初体験です)

 こうして今年の冬から2種類の8本のタイヤが集まってしまったが、装着できるホイールは見つからず、このままスタッドレスタイヤをはき続けるか、14インチのホイールに代えてタイヤを交換するか、車が古いだけに暫しの思案が続きます。

 本日はNPO法人「ひとまち生活ネット津島」の役員会が開催され、現状報告と来年度(4月決算・5月1日から22年4月30日)の活動方針を確認する事となったが、福祉有償運送(自家用車による人の移送)について書類が役所に提出(一部不足)されている事から、担当するボランティアが退席した後になって大激論となりました。

 現状ではボランティアとして活動した人には、利用者から直接に費用が支払われていますが、このままでは法人は通信費など経費が赤字になり続ける事から、ボランティアから経費分は差し引くとの提案ですが、ただでさえ安い報酬から差し引かれたらボランティアの心情はどうか…

 「ボランティアのための活動ではなかったでしょう」との一言は、法人の存続に関わる重大な理念ではあるが、少しずつでも利用者が拡大している事から、現存のボランティアの維持と同時に、必然的に増員が必要な事から、理想と現実の間で自分の肉体的限界から言葉が返せません。

 もっとも、福祉有償運送は、陸運局やタクシー業界を含めた津島市と愛西市の『福祉有償運送運営協議会』が開催され、当法人の計画が正当と理解されて推薦を受け、国土交通省の認可を受けなければならず、その敷居はかなり高いばかりか、提出する書類すら素人には大変なバリアとなります。

 愛知県から法人の認可がおりて2年となりますが、激論となった事は初めての経験で、私の独壇場で廻っていた法人が、役員それぞれが法人の役割と存在価値を認めて、それぞれが責任を持ち合う雰囲気となっていた事に、最近の漢字検定の団体とは違うボランティア意識の存在に心強く感じる一日ともなりました。
                                4月16日の一言

不慣れなお金の扱いに翻弄され

 3月に郵便局の簡易保険(学資保険)が満期となり、契約者の私が郵便局に出向けば現金が直接受け取れると家内に言われて、そのお金で息子の進学する専門学校の学費を振り込みに出向いたが、満期返戻金が窓口では判らないと言われ、確定して口座に振り込まれるまで半月が経過した。

 満期で受け取った返戻金から息子の学費を支払う予定が外れたばかりか、昨日引き落としに出向いた家内には「全額引き出すのには本人の委任状が必要」と言われ、本日になって私が直接郵便局に出向く事になったのだが、わずか5人のお客さんのために1時間も待たされる事となりました。

 こんなに時間がかかったのには、難しい手続きが必要な顧客があったのでしょうが、通帳から現金を引き出すだけの私は5分とかからず、久しぶりに手にする帯封付き札束を前に、後ろに待つ顧客が多い事と大金を見たひったくり犯から狙われても困ると思い、金額も確認する事無く平然と窓口を離れました。

 50半ばの中年になるまで銀行には家内が出向いてきた事から、こんな時の対応がどうして良いのか判らず、受け取った金額の確認は絶対必要とは思うものの、背中に多くの視線を感ずる窓口で紙幣を数えるのも不自然と思いつつ、窓口を離れてから金額の不足を発見しても遅い事から、こんな客への配慮が不足していると感じるとともに、民営化されたものの銀行の手際良さと比較すれば横着としか思えません。

 この一ヶ月間に息子の学費の支払いや、娘の結婚式場への支払いに出向き、先祖伝来の土地の売却益で得た小切手の預金で銀行に出向いたが、元々は振込み詐欺や振り込め詐欺による影響と思われるが、高校生の息子の支払いや、娘の代役の振込みすら簡単に出来ない現実に理不尽としか思えません。

 知人の郵便局職員に依頼されて契約した簡易保険であったが、満期の連絡と支払いについては当方が窓口に出向いてから受け取るまで約半月が経過しており、契約は家内が自宅で書き込み、毎月の支払いは家内が済ませてきたものの、契約者である私が郵便局の窓口に直接出向かないと支払われません。

 満期の期日が近づいたら手際良く郵便局員が訪問して、満期には小切手でも持参してくれたら「引き続きの契約」なんて展開も考えられ、不慣れな私が窓口に出向く必要もありませんが、民間の保険会社のようにはいきません。

 昨日は、「私だけの口座を作りたいのだが…」と銀行窓口に出向くと、既に私名義の口座がある事から「1人で2通の口座はできません」と断られ、存在する口座は家庭の生活費の出し入れに利用されているから、「生活費と違う貯蓄用に私個人の口座が欲しい」と伝えると、支店長から「議員の大鹿さんですね?」と確認される始末で、口座は開設できたものの、政治の良からぬ金との疑惑でも感じさせたのかもしれません。

 さて、議員には定年がありませんが、同級生が定年を迎える頃には同じような退路を考えていますが、私には退職金がありませんから、これから老後の生活資金を備蓄していく必要に迫られます。さて、さて、どうしたら良いのでしょうか。明日は私が無報酬と声高々に宣言しているNPO法人の役員会ですが、無報酬も哀しいものの、現実は持ち出しとなっており、知恵を働かせる必要にも迫られています。
                                4月15日の一言

墨俣一夜城は存在しなかったのか

 朝日新聞の夕刊学芸欄に『東海の古戦場をゆく』のコーナーがあり、本日は織田信長が岐阜の斉藤龍興を攻めた際に、家来の木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が長良川のほとりに一晩で築いたと言われる「墨俣一夜城」について、史実として事実か偽作かとする記事があった。

 一晩で築いたとの話は別としても、常識としてハリボテの砦程度はあったかと思っていたが、専門家の間では史実そのものを否定する考察もあり、その根拠として信長の信頼できる史実である「信長公記」に墨俣一夜城の記載が一切存在しない事が記されている。

 大河ドラマの太閤記でも、秀吉の出世する手柄話として欠かせない場面であるが、歴史の中で本当にあったかどうかが定かでないとすると、近年再建された「墨俣一夜城」の天守閣に輝く黄金のシャチホコも色あせ、各地で続々と建てられている城も滑稽に思われてくる。

 織田信長が尾張を統一するまで大きな影響力と関係のあった津島地区にあって、信長が生まれたと言われている勝幡城跡については、30年前には木々に覆われていたが、最近になって木々が伐採されて石碑だけが残され、間際まで新築された住宅が建てられている。

 さて、私の住む越津町については、越津ネギ発祥の地である事はまぎれもない事実であるが、この越津ネギを栽培して生業としている農家がなく、主な生産地は他の市町村に移っている事から、越津町の存在を知らず、「我が町が越津ネギの故郷」と語った人と遭遇した事があった。看板でも掲げておかないと歴史は変えられてしまう可能性もある。

 越津町にはかつて古墳があり、愛知県の西尾張地方では一番南限の古墳と言われ、「六畳敷きの石」が存在したようだが、昭和40年代の耕地整理以後は場所が確定できず、農具が当たったといわれた石も所在が判らず、場所を示す古い地図が残されていた家も、探しても地図すら発見できないでいる。場所を特定できないばかりか、新築された分譲住宅の下敷きになっている可能性も高く、古墳の存在を知る人すら地元に存在しなくなっている。

 我家で生後3ヶ月から小学校5年生まで生活していた「大鹿(横井)庄一」についても、10年前までは幼馴染も存在し、我家が実家であった事も当然の事実であったが、今では我家の家族すら他人のように「お父さんの親戚」程度しか思われていないのでもある。(夫人が居なくなったらどうなるのか…)

 我家の2階には、横井さんの遺品である書や陶器が展示され、横井さんが戦地から我家に送ってきた直筆の手紙も展示(ミニ記念館にしてあります)してあるが、これも私が死ねばゴミ扱いとされる可能性も高く、我家の現実からも正しい歴史を残す事の難しさを実感させられています。
                                4月14日の一言

カメラ・視度補正レンズを装着し

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 話題にするテーマがカメラの視度補正レンズなのに、携帯電話の性能が悪いために判りづらいピンボケの添付写真ですが、上がキャノンのイオス55用視度補正レンズで、下がキャノンAE-1プログラムの視度補正レンズです。

 前記したカメラはいずれもフイルム用カメラの年代物ですが、新しいイオス55でも15年前の製品で、AE-1プログラムは30年前の製品です。私はこの他にも昭和43年に叔父に購入してもらったミノルタハイマチック9も存在し、いずれもオーバーホールして現役で使えます。

 さて、娘の結婚式の前撮り写真を依頼され、イオス55とAE-1(P)を持っていったのですが、本当に写したいAE-1(P)はピントが手動のため、老眼でありながらメガネが嫌いな私にはチャンスにシャッターが押せず、オートフォーカス(自動)のイオス55しか使えません。

 2台も持ち込んだ弊害ですが、プロのカメラマンの合間に撮る写真ゆえに、老眼で時間をかけてピントを合わせる事は難しく、簡単にイオス55のシャッターに頼りましたが、撮影後の写真が出来上がった時に娘から、「旧いカメラの方が写りが良かった」との感想が返ってきました。

 これは一緒に写して比較すれば判りますが、イオスには28ミリから105ミリのズームレンズがついているためで、AE-1(P)には50ミリ(F1.4)の単焦点レンズがついており、ズームでは単焦点レンズには敵いません。

 ただし、生涯で一番の愛機と思われるAE-1(P)ではあるが、老眼鏡越しではシャッターチャンスも逃し、イオスではピントもカメラ任せで、購入直後は劇場(御園座)のプロカメラマンより「写りが良かった」と言われたセミプロの自己嫌悪しか生まれません。

 実は、今年になってAE-1(P)の視度補正レンズを購入したものの、装着すると装着前よりピンボケとなり使えないままでしたが、「視度補正レンズ」と言ってもカメラ店の店員にも理解されず、注文と違うレンズが届き、何度も確認して届いたレンズでしたが、カメラ店では旧いカメラには対応ができず、メーカーのキャノンで確認済みでしたが、「部品が在庫切れかも知れません」の一言が返ってきました。

 こうして購入した結果的には使えない補正レンズでしたが、娘の「旧いカメラの方が…」の一言で、名古屋のキャノン営業所まで出向いて、私の視力に合う補正レンズ(+1)を確認して、メーカーでは直接販売しない事から、カメラ屋から再度の注文で届けられたのが添付した補正レンズです。

 これで自分の目でカメラのピントが合わせられますので(カメラ本体に付いているシャッター速度や絞りの数値等は老眼鏡で確認しないと見えません)、初めて暗室で現像したフイルムから、印画紙に浮かび上がってきた影像に感動した学生時代の心のままにシャッターを押したいと考えています。
                                 4月13日の一言

砂九さんから受け継がれる灯に

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 今年で12回目となる茜屋寄席が津島市西愛宕町の茜屋(珈琲屋)で本日開催されました。出演は竜宮亭無眠さん、南遊亭栄歌さん、若井家かもめさん、若鯱亭夢輔さんの4名でしたが、開演の1時間前から満席状態で、関係者は立ち見状態での盛況ぶりでした。

 この茜屋寄席(あかね寄席)は、3年前に亡くなった故・浪漫亭砂九さんが茜屋のマスターとの出会いによって始まり、9回目までは砂九さんをリーダーとしていましたが、砂九さんが亡くなったあとは盟友の竜宮亭無眠さんをリーダーとして今年に至っています。

 5月4日(祝)には竜宮亭無眠さんをリーダーとする社会人落語「落語の会」のメンバーを中心として、14人のメンバーが出演する『六時間耐久マラソン落語会』が、津島市舟戸町にある瑞泉寺本堂で開催されますが、これは津島市の「尾張藤まつり」の行事に組み込まれています。

 砂九さんは不在となりましたが、砂九さんがたった一人ではじめた落語の灯が、仲間の参加によって年々盛況になり、幅広い活動や企画が登場しますが、私は砂九さんが亡くなる年に個人的な相談も受けていた事から、未だにその陰を引きづり参加への一歩が踏み出せません。これが私の性格なんですが…

 「おい、これから隣へ行くから」、「えっ、私も?」、「そう、そう」、「次の予定が…」、「何をごちゃゴチャ言っとるの」、「何も手伝っていないのに」、「黙って来れば良いの」と、茜屋のマスターの一言で、私も隣にある津島唯一の天然温泉での打ち上げに参加させていただきました。

 見事な落語会の後だけに私の心の中にある「砂九さん」を封印していましたが、さすがに一緒に落語を競っていた仲間だけに、砂九さんの生前の思い出話となり、砂九さんが目指していた落語の話となった事から、砂九さんの語った言葉が話題になり、私の時間も3年前に引き戻されました。

あかね寄席関係の私の一言
17年3月20日 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/contents17.htm#17320
18年3月19日 http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/contents19.htm#18319
19年4月8日 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/17657255.html
20年3月16日 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/31293526.html

浪漫亭砂九さんのホームページ・勉強会、周りの人々などに私の足跡も…
http://www.clovernet.ne.jp/~sunamaru/

私と歩いた出前寄席の記録
http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/newpage14.htm

 さて、出演者で紅一点のかもめさんを除く3人と、運営に関わった4人(私はオマケ)を残して、マスターは明日の仕事の準備のため先に退席。そう、今日は今日で、明日からは仕事が待っている。こんな割り切りができない反省と、砂九さんを回顧する一日となりました。
                               4月12日の一言

死んだ命は戻ってこないから…

 今月の25日が来ると、JR宝塚線脱線事故から4年が経過する。多くの犠牲者を出した衝撃的事故であったが、この列車に乗務していた車掌が会社側に元の車掌への復職を求めて裁判所に提訴するとの新聞報道を読み、2年間も適応障害で入院し、現在も自宅待機中との事から、事故の衝撃の大きさもさる事ながら、このまま自分の希望する復職のために裁判までおこす心境が理解できない。

 JR西日本と休職している車掌の関係については何も議論する気持もないが、犠牲者となった人々や遺族の感情を考えると、会社そのものの責任とは言え乗務していた車掌の責任は亡くなった運転手の次に重く、会社任せで遺族に直接面会もせず謝罪もないままでの復帰画策には違和感すら覚えずにはいられない。

 そもそも、事故後に4年間も職場に復帰できないままでいた人物を、そのまま元の職場に復帰させられる筈もなく、精神的疾患により自宅待機中であった人物が、多くの人命を預かる列車に乗務させる事には、遺族ばかりではなく電車を利用する乗客も拒否反応を示すのではないか。

 こんな当り前の心情が理解できないとすれば、この車掌には多くの人命が自分の列車に乗車した事から亡くなった事への反省も感じられず、現実には最後尾に乗車する車掌は運転者任せであったとしても、事故の伏線となった事故直前の駅でのオーバーランなどの嘘偽報告などからも、乗務員としての安全意識は希薄であったと言わざるを得ない。

 さて、空海の教えである『不殺生』について、真剣に考えると困り者のネズミや夏に出没する蚊についても、振り上げた手を下ろすのを躊躇させられるが、我家でも実に多くのペットを自分の不注意で死なせてきました。

十善戒・不殺生
「生きとし生けるものを殺さない」ということですが、すべての生けるものはみな同じ命を持ち、同じ命を皆が分け合っているのだということです。その生命をより良く生かしていこうと教えます。一方でわたしたちは日々、多くの生きものの命を戴かなければ生きていけぬ存在です。その事実をしっかり見つめなめればなりません。

 春となり暖かい日々が続いているが、3月に飼っていたカメを私の不注意で死なせてしまいました。考えて見ると、今まで自然界で自由に生存していた魚や鳥などを、私の飼いたい欲望によって多く死なせており、最後に残された『コイ吉』(鯉・10数年前から居ます)だけは守りたいと水槽を慎重に入れ替えました。このコイ吉についても、飼い主の私と家族の区別はつくようです。

 我々が生きていくためには、多くの動植物の命をもらって生きており、ペットについては可愛がってはいるものの、彼らの命は我々の不注意によって一瞬にして死なせてしまう事から、最近ではむやみに自然界の鳥や魚を飼わないようにしていますが、こんな心境で何事も考えれば世の中はもっと思いやりのある社会になるのではないでしょうか。
                                 4月11日の一言

喧嘩の方法から学び直したい外交

 日本が厳しく批判していた北朝鮮の人工衛星発射問題は、日本が頼りとしていた米国も拘束力のない議長声明で中国と一致し、日本を除く関係各国は受け入れを表明しており、更に厳しい制裁を発表する日本政府の国際社会での孤立を実感させられる。

 この問題について書き続ける気持は持ち合わせていないが、人工衛星がミサイルの発射訓練と共通した実験となるのは当然だが、日本も人工衛星を発射し続けており、防衛に限定されるもののミサイルを発射する能力は十分に持ち合わせており、核の脅威についても中国やロシアだけでなく、日本に入港する米軍の艦艇にも核が搭載されているではないか。

 報道されている北朝鮮への厳しい追加制裁は、日朝間の緊張をより高めるだけでなく、武力行使がなされていないだけで、事実上の冷戦状態となっており、世界を相手に姑息な批判を続けて他国の力に依存するよりも、私は防衛力の強化を図り、批判する位なら断交して黙して語らない方が効果的と思う。

 そもそも数年前の小泉首相の訪朝は何のために行なわれたのか。両国の平和を実現するための訪朝によって、拉致被害者の一部の生存が確認されて帰国した事から、残された拉致被害者の安否や生存をめぐり非難の応酬となり、訪朝前より厳しい関係に陥っている。

 さて、喧嘩は両成敗と言うが、弱い者イジメをした経験は思い出すだけで恥ずかしい記憶として消え去る事はないのである。高校を落第して、非行に走っていた時、「おい、自分より弱い者だけには手を出すなよ」と、かつては大阪の暴力団事務所に殴りこんだ武勇伝を持つ元ヤクザの先輩に言われた事があった。

 自分より強い相手と喧嘩をする事は得策とは思えないが、強い相手(例えば暴力団組長)に向かっていって負けても人は笑わないが、弱い相手でも相手が死ぬ気でこれば(例えば目でも刺されれば)負ける事があり、弱い相手に勝っても自慢ともならず、負けると任侠の道では生きてはいけないとの忠告であった。

 親にも困られていた非行少年であったが、この元ヤクザの大先輩の言葉は説得力があり、私のその後の人生に大きな影響を及ぼした言葉でもある。最近の世情を見ているとヤクザの道にあった先輩の言葉より非常識な事例が多いように思えてならないのでもある。
                                  4月10日の一言

3人乗り自転車認可は軽率ではないか

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 本日の新聞に3人乗り自転車が今年の夏から認められ販売されると報道され、割高になる事から自治体の助成が必要と警察庁の検討委の意見も記されているが、本当に3人乗り自転車が必要とされ、自治体の助成まで必要としているのか議論が不足しているのは否めない。

 3人乗り自転車があれば便利とは思うが、同じ道路を同じ車輌として車で並走する立場とすれば、自転車用の通行路を確保するのが先決で、歩道から車道に飛び出してフラついた3人乗り自転車と接触する危険性を考えると素直には喜べない人も多いと思う。

6歳未満の子どもを自転車の前と後ろに乗せる「3人乗り」について、警察庁は、車体に十分な強度があることなどの要件を満たせば認めることを決めた。今後、都道府県の公安委員会規則の改正作業に入り、夏には実際に乗れるようになる。ただ、メーカーなどが開発中の専用車は通常車より割高になる見通しで、自治体の助成などが普及のカギになりそうだ。
朝日新聞記事全文↓
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY200904090051.html

 報道された写真を見る限り、転倒に対する安全対策には二輪の限界があり、3人乗りを認めるのであれば三輪車の方が安全で合理的と思うが、深夜のニュースでキャスターが「主婦の声に耳を傾けた決断を評価する」と語っていたが、私は発売の前提となる道路などの安全対策が何も語られない事から、最近の市民受け狙いの行政にも疑問を呈したい。

 さて、3人乗り自転車が発売され、車と衝突すれば一度に3人の命が一瞬にして奪われる危険性もある。道路交通法が改正され、自転車に対する罰則規定が強化されたものの、車道と歩道を交互に走る自転車のあいまいな環境は変わってはおらず、3人乗り自転車は法律で厳禁されている自転車の2人乗り以上に危険であろう。

 最近の定額給付金や、高速道路の低額通行など、国の巨額な債務を残した財政状況の中で、政権の不安定な状況から生まれる軽率な(人気取り)施策は、我々にひとときの喜びを与えるが、いずれ巨額に膨らんだ借金のツケを支払わされるのは国民であり、今回の3人乗り自転車も利用者には慎重な判断を求めたいものでもある。
                                  4月9日の一言

肺結核・一年前の体験を振り返り

 人気お笑いコンビ、ハリセンボンの箕輪はるか(29)さんが肺結核で入院したことが6日判り、新聞やテレビのワイドショーでも報じられているが、私自身も一年前に近親者に肺結核患者が発生した事から慌てた事があり、改めて当時を思い出す事となりました。

一年前に私が記した結核関係の一言
入院直後の手続き  『この部屋の中が一番危険と言われて』
            http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/31969060.html
感染疑惑  『近々保健所から連絡がいくから…』
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/32120862.html
保健所から連絡・検査  『病院でも歓迎されぬ自分の身体に』
            http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/32143130.html
検査翌日  『明日まではハリのムシロ』
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/32183135.html
安全宣言  『目に見えぬ結核菌に怯えた3日間』
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/32199100.html
本人外泊  『石の上にも3年と言うから…』
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/33088237.html
退院  『館長の退院と実兄の訃報が重なり…』
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/33443524.html

 さて、一年前に保健所から連絡があった時、私の検査は1ヶ月以上先になるとの事から「すぐにも医者に行って検査を受けたい」と言うと、保健所から「それだと自己負担になるから…」と1ヶ月後の公費負担による検査を勧められ、私は感染していた場合に多くの方々に迷惑と考えて、電話を切った直後に自己負担で検査を受けた。

 今回の事件が発覚した直後のテレビニュースで、すぐに対策を講じた東京都の対応に、「大げさすぎる」と発言したコメンテーターがいたが、愛知県のように感染した可能性のある人物の検査を1ヶ月後に先送りしている例からも、私は結核が完治する病気になっているものの、感染して発病すると翌日には強制的に隔離されて長期入院させられる現実から、東京都の対応を評価するとともに、感染した関係者を野放しにする事で、体力の弱った高齢者に感染すると命の危険も伴う事から、改めて警鐘を鳴らしたいと考えている。

 今回のケースでは、結核の当事者が人気者で、テレビや舞台で多数の人々と接触している事から、東京都が素早く不特定多数を対象に対応しているが、身近に目を移しても、多くの人々と対面する我々議員や、学校の校長先生、市役所の窓口の職員などが感染して発病すれば大変な事態も考えられ、かつての生命に関わる怖い病気ではなくなったものの、多くの人々に感染させる可能性からも、患者と接触した人々の検査は即日公費負担として早急に検査を受ける体制を訴えたい。

 昨年の6月に開催された津島市議会の一般質問において、私はこの結核への対応に対する改善を求めて質問に立ったが、担当する部局は愛知県であり、津島市としては対応する決定権もなく、「保健所に聞いてから…」とか「保健所に伝える…」などとしか職員も答えません。

下記から20年6月議会をクリックしてご覧下さい↓
          http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage401.htm

 「今や結核は怖い病気では無くなった」と簡単に言われますが、感染して発病すれば翌日から短くとも2ヶ月以上の長期入院となり、家の仕事によっては死活問題となるばかりか、家族や近親者の心労も考えると改めて体制改善の発信をしたいと考えています。
                                  4月8日の一言

テレビの水戸黄門から学びたい

 水戸黄門に切りかかった息子を切り、敵討ちの娘に我が息子のトドメを刺させ、息子の悪行と親の責任から腹を切り、藩に類が及ばぬよう依頼して息を引き取った郡奉行…
 本日の水戸黄門を見て、テレビ放映とは言え、正道と武士道の厳しさと清々しさを感じ、地方議員の我が身に置き換えて考えていくと、最近の無責任な親子関係や、理不尽な事でもまかり通る最近の世情の反省もさせられる心境にさせられました。

 数日前の一言にも記しましたが、北朝鮮の主張する人工衛星発射に対して、国連の安全保障理事会や6ヶ国協議に訴えて厳しい批判を続ける日本政府であるが、盟友である米国は別として、ロシアや中国の同意まで取り付ける事はできず、冷静な外交もできない日本の現状も露呈してしまいました。

北朝鮮に踊らされてはいないか (3月31日の一言)
         http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/39651464.html

 現実には人工衛星かどうかは明確ではなく、北朝鮮の主張する衛星の打ち上げには成功はしていないようだが、国際法上で冷静に考えると、日本の上空とは言え、大気圏の遥か上の宇宙空間を通過している事と、世界各国に打ち上げの予告までしている事から、日本の外交は近隣諸国ですら支持されず、主張する厳しい制裁はとられそうもない。

 地方議員の私が記すような問題ではなく、国会議員に正確な国際情勢の把握と、本当に平和を願って主張しているのか疑問が涌いてくるが、今回の打ち上げが確実に北朝鮮のミサイル技術の向上を裏付けた事から、「日本も核武装すべきだ」との国会議員の不謹慎な一言が報道されている。

 こんな顛末を記しても無力感が漂うが、国会議員の無責任な発言や、日本政府の挑発的行動は、朝鮮半島の38度線で対峙している韓国や米国との軍事境界線を、確実に日本海や日朝間まで引き伸ばし、日本国民の危険を増幅させている認識はあるのだろうか。

 自らの戦争体験と反省から、国の核武装を容認する発言や、自衛隊の海外派兵など軍隊まで保持しようとする考えに疑問を示し、自民党の要職にありながら野中広務さんは衆議院議員の引退を表明し、政界から引退(裏の行動までは知りませんが)した。

 前記したテレビドラマ・水戸黄門の中で、郡奉行が自分の藩への影響まで心配しながら自分の命を絶った場面と比較するのは軽薄かもしれませんが、日本の良き正道とか良識まで忘れられ、「平和」を題目としながら日本国民まで危険にさらしている発言には警鐘を鳴らしたい。
                                  4月7日の一言

地域の温かさを実感させられた恩師の葬儀

 本日は愛知県内の公立小学校の入学式が催され、来賓として出席させていただきましたが、息子達が大きく成長した我家との違和感が強く、小さな新入生を前に来賓として紹介されても、普段はお喋りの口が緊張からたどたどしくなります。

 30才になった長男が独身のため、長女の結婚によってお祖父さんの仲間入りが近づきましたが、学生結婚だった私を当てはめてみると、既に小学生の孫が居てもおかしくない年齢となっていますが、我家には子供が居ない事から、「おめでとう」の一言が懐かしく思われました。

 本日は正午から母校である神守中学校で長く教鞭を執られ、同窓会の物故者法要では僧侶としてお世話になってきた恩師(満90才)の葬儀が行なわれ、私達の大先輩達の恩師である事から、地域の重鎮となられた先輩達が多く集まられて別れを惜しみました。

 私は同窓会長として毎年物故者法要をお願いに走り、直接の教え子ではないものの、恩師の教員生活の中でも一際思い入れの強い学校だった事から、教え子のように接していただき、訃報を聞いて駆けつけた時も当り前のように枕元まで案内され、恩師の語られた法話を昨日の事のように回顧してみた。

 私にとっては足元にも近寄りがたい先輩達であるが、本日は中学生の悪ガキに戻ったような会話が交わされ、70前後となられた教え子達が少女のような涙で見送られ、同じ母校を卒業した先輩達ばかりであるが、会長という職にある事からこんな素晴らしい先輩達と一緒に恩師を送らせていただいた事に感謝したい気持ちでもあった。

 さて、葬儀が終わり、霊柩車を見送った後で、先輩会長と会話を交わしていると、恩師と同時期に勤務された恩師(女性)が立ち寄られ、「あんた見た事があるわね」と問われ、恩師は私を教え子と勘違いされており、毎年同窓会総会で顔を合わせている事からの勘違いとは思うが、同行した女性から大変な話を耳にする事となりました。

 恩師は昨晩の通夜に4時間半をかけて隣町から自転車でお寺を探したものの見当たらず、本日も自転車で2時間以上の時間がかかったとの話です。「そうなのよ、今日も10回位転んでねッ」なんて言われると、そのまま別れる事もできず、私も自転車での参列のため送る事もできません。

 花屋さんや葬儀関係者にも断られ途方にくれていると、長年地元で消防団長を務められた先輩の姿が見えました。
 「〇神さん、お願いします」と突然のお願いに、「うん、良いよ」と事務所に戻って車を回していただき、恩師の自転車を積んで送る事ができました。

 「おい、最近は暇でいかんわッ」と、不景気が建設業界にも影響している話を帰りの車中で耳にしましたが、今時こんなに気さくに突然の依頼を引き受けていただける先輩は珍しく、私のような後輩にも同じ視線で語ってもらえる幸せに感動し、母校の発展はもとより、議員の立場では地域貢献も考える責任を気持ち良く感ずる一日となりました。

 亡くなられた恩師に感謝し、夏の物故者法要には恩師を偲んで、一人でも多くの会員に集まっていただく宿題と同時に、多くの先輩や恩師達とともに地域が構成されて社会が成り立っている心強さと温かさも実感する一日となりました。
              恩師に合掌
                                    4月6日の一言

留守でも誰かに居てもらえる心強さも

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、はるばる広島県呉市より訪問されたご夫婦(娘さん親子もご一緒)があり、ご主人は海軍に志願された元少年兵で、奥さんは女学校時代に海軍の挺身隊として働き、戦艦大和の出港を見送った姿が記録フイルムに残され、大和ミュージアムでも映されているとの話を涙ながらに語られた。

 こうなると物見遊山の見学とは違い、戦争当時の話となり、横井夫人も鳥取県米子市(少女時代)の出身である事から、知人や友人の被爆体験や、空襲の話がつい最近のように語られ、案内ボランティアのTさんも海軍に志願した少年兵だった事から話は尽きません。

 「どうしても来たかった」との言葉は、帰られた後の仏壇に志が置かれてあった事から、記念館の見学ではなく、仏壇にある位牌に手を合わせるのが目的であったのかもしれません。こういう人たちの存在が記念館の支えでもあります。

 さて、本日は朝から三男がロードレースに出場する伊吹山へ家族も一緒に出かけていましたが、結果は先頭集団で走っていたものの、前走車が転倒した巻き添えで落車し、自転車のギヤが壊れて途中棄権したとの事で、ベストテン入りを狙って出ていきましたが、考えてみるとこんな事の繰返しです。

 2週間後は大阪に出向き、3週間後は群馬県入りとなりますが、今度は私が同行となりますので、息子の写真も持ち帰りたいと思っています。ただし、来週からは新たな学生生活が始まりますので、3年間はセミプロの実業団生活となりますが、自転車の練習環境を考えた進路ですから、家族のフォローは大変になりそうです。

 こんな顛末から判るように、本日は愛犬が我家の留守番役となりましたが、私の代役として訪問された方々が留守番役のように来客の用件を聞き(ご本人も来客ですが)、私の携帯電話まで連絡をいただき、夕方からはパソコンの増強に留守中のパソコンで深夜まで作業が続けられ、周りの人々の力強さも実感させていただきました。

 さて、さて、明日は小学校の入学式があり、昼には母校の恩師の葬儀が続き、本業である市議会の議会だよりの原稿締め切りが迫っており、やるべき仕事が連続しますが、数日前までの『不調』を封印し、会報や朝日旅行友の会の準備に取り掛かります。
                                   4月5日の一言

本日だけの幸せに浸り

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長女の結婚式で、ビデオを撮影する三男です。

 昨晩帰宅すると訃報の連絡が入っていた。訃報の主は私の母校で長年教鞭をとられ、毎年同窓会の総会と同時に催している法要をお願いしているお寺の住職で、母校にとっては創設から高度成長期まで陣頭指揮を執られた恩師であった。

 私が同窓会長を拝命して十年が経過しているが、最初は総会にも出席され、慌てて寺に戻っていただいて卒業生の法要をお願いしていたが、数年前からは法要だけとなり、最近は法要後の食事会も不参加となっていたが、法要後の説法については年々心を打つ内容となっていました。

 人間はいつかは死を迎える訳ですが、死を先に控えた先人が語る一言には重みがあり、恩師が教え子を思って発する言葉は感動を覚え、昨年や一昨年の恩師の説法は見事で、こういう悲しい結末が判っていた事から一言一言をもっと鮮明に記録しておくべきだったと思います。

 さて、本日は娘の結婚式と披露宴が名古屋で開催され、新婦の父親の涙は見苦しいと思っていましたが、娘の幼馴染の涙のスピーチによって貰い泣きした涙が止まりません。ビデオ撮影初体験の三男にとっては格好の素材とされ、見苦しい姿は最後まで止まりません。

 幸いな事は、新郎の父親とは歳が同年で、考え方や趣向が似ている事から、披露宴終了後に場所を代えて両家の家族で二次会となりました。世の中には良い事ばかりではありませんが、結婚式は暗い心境を一心してくれ、曇りのない明るい環境に導いてくれそうです。

 こんな心境に浸っていても、数時間後には横井庄一記念館への出勤時間が迫り、議会の締め切りを迫られた仕事は待ってはいてくれません。心機一転とします。
                                   4月4日の一言

考えなくとも群馬行きとなりそうです

 昨日の一言に、20年来続けてきた『朝日旅行友の会』の企画を先送りした顛末を記しておりましたが、夕食時の会話から三男が月末に参加する大会は、群馬県が会場となっている事が判明し、私が車に自転車を乗せて走らせる事となりました。

 息子は明後日にも伊吹山で開催される大会がありますが、私は横井庄一記念館の留守番があり、家内が自転車と息子を乗せて走りますが、目的地が群馬県では家内もお手上げで、私が運転手となりましたが、目的地となる群馬サイクルスポーツセンターが何処にあるのかも判らず、かつて巡拝した坂東33観音や秩父34観音の地理を目安に行程を考えていると私の楽しみになってきました。

4月25日(土):第1回群馬CSCグランプリ
4月26日(日):第43回全日本実業団東日本サイクルロードレース大会
主催・全日本実業団自転車競技連盟 (群馬県利根郡みなかみ町)
会場・群馬サイクルスポーツセンター http://www.gummacsc.com/

一宮IC -> [名神] -> 小牧 -> [東名] -> 小牧JCT -> [中央道] -> 岡谷JCT -> [長野道] -> 更埴JCT -> [上信越道] -> 藤岡JCT -> [関越道] -> 月夜野IC
424.6km 9,000円 5時間05分 ⇒1,000円

 数日前の一言に、高速道路の休日割引はあまり効果がないと記していましたが、この場合には前日の金曜日の夜に出発するものの、到着時間が土曜日になる事から、本来なら片道9千円する高速の通行料金が千円で済む事となり、早速の効果を実感する事になりそうです。

 さて、6月にも岡山県か広島県の大会があるとの話から、私は息子と自転車を運ぶために全国へ走る事となりそうですが、そうなると地域の皆さんと旅行に行く日程も難しくなり、個人的に出向きたい四国や上高地などを考えると嬉しすぎる悲鳴となりそうな雲行きです。勿論、四国や乗鞍岳の大会は大歓迎ですが、今年はこんな顛末も紹介できそうになりました。
                                   4月3日の一言

元気回復の一言でなきゃーねッ

 最近の私の無気力は男の更年期症状かと勝手に記した事もあるが、周りの環境に左右されるばかりか、世間の暗いニュースまで引きずっていたようだが、本日は朝から久々に仕事に追われて市役所の一日となった事から、心が晴れて心機一転となるばかりか、周りの人々との会話不足も無気力の要因かと悟る一日ともなりました。

 首長(市長)は勿論だが、市議会議員と言えども、施政方針の過ちから市役所(市民)に損害を出した場合には、個人資産を献上してマイナス分を取り戻す位の責任と自覚が必要との市民の言葉に、今までの愚痴や不平不満は議員として恐れ多いと反省させられる午前中ともなりました。経営難の市民病院についても万が一の事態には公人として責任が問われています。

 公人として、無気力なんて記している場合ではなく、残された仕事を全部済ませて、何時でも市民の要望に応えられる体制と、その中で過去に経験して忘れている議員ゆえに経験できた新鮮な体験や、新たな希望と心の静養を見いだしていきたいと実感です。

 「おい、4月29日は何所に行く事になったの?」とは、私の親しい同級生から発せられた一言で、「うん、今年は先送りにしたいと思っている」と言うと、「○○さんにも言われたし、△△さんにも聞かれるし…」との言葉が返ってきた。「長年ずっと続けてきたのに…」

 今年は家庭の事情(娘の婚礼や三男の試合)が続き、町内会行事も29日にある事から先送りを内心で決めていたものの、これはあくまで私個人の事情であり、それならば20年前から毎年29日に参加されている会員のために予定の変更を発信する責任が忘れられていました。

 議員のもとに寄せられる用件は、一生懸命に尽くしても簡単に裏切られる事も多く、そんな影響から自分を護ろうとする意識が、何でも新しい事に挑戦してきた過去を忘れ、意欲を減退させていたのかも知れません。

 帰宅後に家庭のポストを見ると、6月に開催される展覧会への出展案内(昨年は書を出展)と、四国八十八ヶ所霊場会の会報『へんろ』が投函されており、私の停滞した気持ちとは無縁のように、新たな作品への取組みと、会報から心洗われる元気の源(私の反省点)を示されているようにも感じました。

 『へんろ』の内容については後日の記載として、最近の暗い記載の反省と、元気回復でなきゃーここにも記す事無かれと思う一日となりました。
                                  4月2日の一言

エイプリルフールの話ではありません

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 添付した写真は、四国第51番石手寺(松山市)の参道にある土産物店で「これは、ご接待ねッ」と、わずかな土産物のオマケとして戴いた「石手寺」と焼印したせんべいです。昨年10月31日に戴いてからパソコンの近くに置いてありましたが、本日私の胃袋に入ってしまいました。

 本来なら、3月末か4月始めには四国遍路への旅立ちを予定していましたが、忙しい日程と仕事がはかどらない事から一ヶ月先送りしましたが、その中でも長男が二度も交通事故に遭遇し、二度目は相手との示談交渉に神経をすり減らした事から、月末には御嶽山の先達さんに家の祈祷とお祓いをお願いする事にした次第でした。

 一度目は仕事中に停めていた車に相手が衝突してきた被害者側であったが、二度目は当方が追突する事故となり、軽微な事故だった事から事故直後に相手と示談となったものの、相手の同乗者から「人身事故なら免停」と言われた事や、「首が痛い」と電話があった事から、地元の津島警察署に私が相談の電話を入れ、私も同伴で所轄の警察所に出向く事となりました。

 息子が脅されたと言っていたものの、警察所での相手は物腰も低く、事故そのものの傷すら判らないほどの事故だった事と、「穏便に済ませてあげたい」との相手の言葉から、警察官から事故そのものとするかどうかも相手次第となって別れてきたのですが…

 そんないきさつから保険会社を通じて「物損事故」として処理されていると思っていたのですが、どうやら保険会社から人身事故として処理した方が良いと連絡があったようで、私や警察に対する相手の応対と、息子から聞く相手の対応とは大きく違う事から、私は息子の対応を叱っていたのですが、どうやら示談交渉ではかなりの高額を要求したい様子が判ってきました。

 息子とは言え30才にもなっており、息子の責任として堂々と処理すれば良いと思いますが、傷すら判らないような事故であっても相手が痛いと言って病院にかかれば、人身事故として免許証の停止処分や罰金が科せられる事には大きな疑問と怒りすら覚えてきました。

 事故そのものの責任は免れないとしても、事故を検証した警察の写真等から判断すれば、人身事故とするには無理があり、示談交渉(高額な要求)がうまく進まない腹いせに相手が人身事故としたように思われ、それでも加害者は無力とすれば私まで同伴して警察や相手に謝罪したのは何のためだったのか。

 息子の話も聞かずに、息子を叱りつづけ、相手にひたすら謝罪をした私の心情は、息子の免停や罰金を心配して謝罪したものだが、息子の言葉すら聞く耳を持たない理不尽な父親としての結果を残しただけで、相手には何も伝わっておらないばかりか、謝罪する必要もないような結果だけが残された。

 私の個人的経験からは明らかに人身事故とは思えず、弁護士と相談して事故そのものの司法による正確な判断を示して欲しいと思うが、そんな大げさな事故でもなく、息子も相手と交渉するよりも保険会社に任せて行政処分を受ける気持になってはいるが…

 さて、こんな心境を味わうとは思ってもおらず、子供達の行いによっては私の議員としての社会的責任にも至るなどと、余分な事ばかり考えていましたが、起きた事の処理は最善を尽くすしかなく、最近の無気力となっていた自分の立ち直りを期すしかありません。

 家のお祓いを依頼した御嶽山の先達さん達は、31日から四国遍路に旅発たれており、崇高な志と清々しい気持の人々と視線を同一とするためにも、遍路の日程を早々に発表し、心新たにして家族の精神的レベルの向上を図るしかありません。
                                  4月1日の一言
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