大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年06月

久々の試験に緊張はしたものの

本日は朝から津島市の農政協議会が開催され、「津島市農業振興地域整備計画の変更」が協議事項として6件に対する説明があったものの、特段の意見もなくわずかな時間で終了しました。経済建設委員長としての初参加で、委員は農業の専門家ばかりですので座を温めるだけとなりました。

 せっかくの参加でしたので、農用地区域からの除外(農地からの転用)の要件についてここに記しておきますので、参考にしていただきたいと思います。

1、当該農業振興地域における農用地以外の土地利用の状況から見て、当該変更に係る土地を農用地区域以外の土地をもって代えることが困難であること
2、農用地の集団化、作業の効率化その他土地の農業上の効率的かつ総合的な利用に支障を及ぼすおそれがないこと
3、農用地区域内の土地改良施設の有する機能に支障を及ぼすおそれがないこと
4、当該変更に係る土地が土地改良事業等の施行に係る区域内の土地に該当する場合にあっても、当該事業の実施後8年を経過している土地であること

 原則として、上記の要件をすべて満たす事が条件となっていますが、農地の転用を考えてみえる方は参考にしていただければ幸いです。

 さて、本日は午後から国土交通省の中部運輸局で福祉タクシーの事業主としての法令試験があり、六法全書から何でも持込みが許されているものの、全部に目を通していない現実から、不合格を覚悟して試験の体験程度と開き直って会場に入りました。

 「もし、不合格の場合は次の試験はいつになりますか?」なんて、試験の前に聞く人は無いでしょうが、一夜漬けにもなっていない事から、次回の開催日を調べてもらったところ、来月の試験日は公的会議で埋まっており、何とか打開策を考えながらの試験となりました。

 資料を持ち込みながらも、45分の時間では六法全書の何所に何が記されているのか全く判らず、時間に余裕がないことから半分は自分の経験と常識で判断しての回答でしたが、意外に法律は常識である事から、何となく判るため、「こんな事ならもう少し勉強すれば良かった」と反省しても、勉強できる余裕もなかった事が心残りでした。

 試験終了後に対面調査があり、完全に不合格覚悟の受験でしたので、次の予定を考えていると、「大鹿さん、合格です」と予想外の結果を聞き、間違った3問についても言葉や数字の「引っかけ問題」で間違えており、あわよくば全問正解だった可能性にびっくりです。

 「奇跡的な経験をする」との雑誌の占いはまさにこの事だったのかも知れませんが、自宅を出発する前には般若心経を唱え、試験後には光明真言と「南無大師遍照金剛」を唱え、四国遍路でこの試験の願を一度も唱えなかった反省は結果良しとなりました。

 予定では1ヶ月以内に「福祉タクシー」の営業許可が下りるそうですが、タクシーの名前も考えておらず、二種免許も暫らくは受験する日程の空きがありません。一方で、昨年10月から津島市に申請している「福祉有償運送」については、認可の前提となる津島市と愛西市の協議会すら開催予定の連絡がなく、これこそ「お役所仕事」の典型と腹立たしく思えてきました。
                                    6月30日の一言

四国遍路は出会いと反省の旅

 昨日までの四国遍路から帰って(帰宅したのが本日の午前1時30分です)、後片付けの後に風呂に入ってこの一言への返信を行なったのは3時近くなっており、いつもの生活パターンとは言え、朝7時から車の運転をして遍路を終え、高知県から6時間以上も運転をした疲れは取れません。

 昨日まで遍路をしていたのがウソのように、帰宅後の机には新たな書類が積まれ、明日から休みの無い日々が現実となりますが、何度も訪れるだけはあって四国では温かいもてなし(接待)を受け、多くの人々を受け入れて人の顔を覚えら切れない人から、「大鹿さん、覚えておくわナッ」と言われた関係は大切にしたいと思います。

 愛知県のお遍路さんは多いと言われますが、伝説的な先達である尾西市の水谷さん(故人)が残された石碑には地元の一宮市や尾西市の人々の名前が多く記され、身近な先人の存在には(会った事もない人ですが)涙が自然に湧き出してきます。

 さて、愛知県の先達ではどの寺に行っても名前を見る名古屋市の先輩先達さんがあり、同じ愛知県人として一度はお会いしたいと常々考えておりましたが、1日目の26日に第9番の法綸寺で遭遇し、気になったためお寺に確認すると○○○さんと判ったものの、後のまつりです。

 「今のご夫婦が○○○さんだった」との一言に、「大鹿さんに頭を下げてみえたから判っていると思っていた」と同行者の一言が返ってきました。徹夜で走ってきて、目的地まで同行者を案内する事に精一杯で、ろくに会釈を返したとは思えず、自分の事しか眼中にない反省です。

 ○○○さんは、名前を伏せても遍路の人々には判ってしまいそうな寄進を続けておられ、19年11月に112回目の巡拝が、今月には139回に増えており、私の1日目に宿泊した旅館には月に2回は訪れておられ、私の前日に宿泊され、逆打ちのために本当に貴重な出会いと言うよりもすれ違いでした。

 宿のお婆さんの話では、社会的な事業を盛大に確立され、後継者に仕事を任せた遍路だそうですが、まだ62才と歳も若く、寄進された石碑や奉納した幕などを見ると、貧乏人の私には真似はできないものの、一度ゆっくりとお話をお聞きしたいと思います。

 本日、知人と訪れた珈琲屋で雑誌の占いを見ると、今週の(先週の金曜日から今週の木曜日)私は「奇跡的な経験をする」と記されていました。これは何を意味するのか。まだ、奇跡的な経験をしたとは思っていないが、これから良い事があるのか、四国で済んでいたのか。どちらにしても明日からは奮起しなければなりません。
                                 6月29日の一言

四国遍路第三日目

さて、どこでしょう?

本日は23番薬王寺(徳島県海部郡)から31番竹林寺(高知県高知市)まで巡拝しました。別格4番のみ
※3日間で1番から31番まで、別格は1番から4番まで巡拝。

 上の写真は室戸岬にある御厨人窟(みくろど)です。空海がここにこもって「虚空蔵求聞持法」の苦行をしたと伝えられる洞窟です。

 2枚目の写真は室戸市の室津の港です。この港を見渡せる山に津照寺(しんしょうじ・写真下)があり、通称津寺と呼ばれています。津は私の住む津島市と同じく、港への船着場を意味し、この寺も港を照らす寺として、船の遭難を助けたり、街を火災から救うなどのいわれが伝承されています。

高知IC(17時30分)-南国SA(買物)-与島PA(買物)-龍野西SA(夕食)-土山SA-蟹江IC(午前1時)

四国遍路第二日目

第十八番恩山寺(写真上)
お寺の納経所で親切なお接待を受けました。お金を取って下さいと言っても取っていただけません。このままではと思っていると、安産のお守りがあり、この寺は弘法大師の母親の「玉依御前」とゆかりがあり、女性には縁起が良いと娘に買い求めました。

穴禅禅定(別格3番)
昨年の経験から入る事への恐怖感はありませんが、足腰が弱り、案内の河野さんの指示どおりに足が向いておらず、動かぬ方向へ動かしても動かぬだけでなく、太腿の筋肉が悲鳴をあげました。同行者にはかなりの圧迫感があったようです。

太龍寺へ歩く
今日は穴禅禅定だけでなく、太龍寺も歩く事としました。
初体験です。
ロープウェーの代表的な寺ですが、山道はきついものの、約千五百メートルを20分程度で登りきり、つらいものの時間と値段(2400円)を考えれば、今後は歩きです。
※私の足よりも21年目の愛車の方がタフです。

13番~16番-22番 別格3番・穴禅禅定
宿泊・弘陽荘(23番近く)

四国遍路第一日目

四国遍路第一日目(写真上)
八番熊谷寺と、私の金剛杖です。
見事に輝いています。出足好調です。

右衛門三郎と弘法大師像(写真中)
杖杉庵に立ち寄りました。
右衛門三郎は四国遍路の元祖と伝承される人物です。
弘法大師に無礼を働き、その後に不幸が続いたことから、大師に許しを請うために四国遍路に出たが、二十一回目の途中、焼山寺の麓のこの地で倒れ、この時大師に出会ったと言う場所です。

最後の寺(写真下)
本日は第十五番国分寺まで巡拝しました。

25日23時30分津島市出発-蟹江ICー草津田上SAー淡路SAー第1番霊山寺(午前4時)
1番から15番(13番除く) 別格1番2番
宿泊名西旅館

七度目の四国遍路に旅立ちます

 添付した写真は週間朝日百科仏教を歩くの創刊号「空海」に掲載されている写真で、撮影者の写真家・小野庄一さんは自身が著作した「七日で一県楽しくあるく四国遍路」にも使われておられるが、私が一番好きな写真なのであえて引用して紹介しました。

 四国遍路にもかつての厳しい僻地で野垂れ死にした時代とは違い、今でも約1400キロ以上となる遍路道を歩いておられる人々も多いが、地元の人々の温かいおもてなし(接待)の文化が根付いて、安全に安心して巡拝できる環境になってきました。

 今から1200年前に、道もない山を分け入り、空海(弘法大師)が修業した名所・旧跡を、私たちは車でスイスイと走っていくのですから、せめてロープウェー位は使わないようにしていますが、山道といってもほとんどの寺への道は舗装されており、10年前とは道路事情も格段に改善されています。

 大きなマイクロバスでは苦戦する道もありましたが、最近ではマイカーにしていますので、「ジェット遍路」と勝手な名前をつけておりますが、とにかく早いのが自慢の車遍路で、反省から修業の場や奥の院にも立ち寄っており、その事から巡拝当初とは全く違う遍路とはなっています。

 「大鹿さん、楽しかったね」と言われる仲間は、巡拝当初の遍路仲間であり、最近では苦行に悲鳴を上げ、参拝後に涙を流す事も多く、一方で未熟な先達のために「お叱り」を受ける事もしばしばあり、「かずら橋」や「鳴門の渦潮」見物に走った当初の仲間が懐かしく思われるようになりました。

 さて、車で走るのに頭に「菅笠」は必要なく、若い(と思っている)私には金剛杖も必要ないと思い、普段着の巡拝を続けてきましたが、先達の大先輩が車から降りて、全てを身支度して参拝される姿に、(未だに抵抗感はありますが)感化され、同行される方々にも身をもって示したいと考えております。

 朱印を続けるようになって7度目の遍路となりながらも、未だに道に迷い、地元の人々の助言をもらっての巡拝ですが、絶対的な必要アイテムだった「地図」が無くとも走れるようになり、心配はあえて限界まで遍路に使おうと決めている21年目の愛車に変わりました。

 信ずれば信ずるほど、祈りが通ずると思われる半面で、巡拝中のおかしな邪心や不心得な行動が身の回りに体現されるようになっており(そう思われます)、そういった反省をする必要のない遍路にしたいと考えています。
                                    6月25日の一言
追伸
25日深夜11時に津島を出発し、明日(26日)は7時に1番寺から13番寺(別格は1番と2番)まで巡拝予定としております。3日間で28番(別格は4番)まで巡拝の予定ですので、すれ違った方は是非とも声をかけて下さい。

益々予期せぬスケジュールに

 明日の深夜から四国に向かって車を走らせるのに、一緒に同行する人に時間も連絡していない事にハッとさせられ、連絡を終えてから保険証の写しなどの携帯を伝え忘れており、夜になって仕事も舞い込み、ここ(パソコン)に座るのも11時近くなっていた。

 遅れにおくれた四国遍路(3月の出発予定)であるが、我家では三男も週末(土・日)はロードレースが続き、今週末は富士山に走り、来週も富士スピードウェーに出向き、翌週が乗鞍スカイライン、翌週が福島県石川町、7月の最後は長野県小川村まで出場が決まっており、暇なら嬉しい悲鳴であるが、予定が詰まっていることから家内が本当に悲鳴をあげて走っていくことが決まっている。

 自分の四国遍路どころか、隔週の留守番が決まっている横井庄一記念館も全休となりそうで、人に誘われても簡単に返事ができない厳しい夏を迎えそうでもある。例年では議会が終了すればひと時の余裕が生まれるが、今年は空いた日がなく、地獄のように行事が続き、約束して期待を持たせた人々の期待を裏切り続けそうな雰囲気が漂ってきた。

 さて、本日の午前中は東国原宮崎県知事の国政への出馬について、ここに書き入れようと思っていましたが、三男のレース予定を聞きながら、富士山や乗鞍岳などは夏場の避暑地程度に考えていたが、長野県や石川県と聞いていた大会会場が、長野県は白馬より遠い小川村で、石川県と聞いていた会場は福島県の石川町と判り、家内一人に任せて大丈夫かと心配になってきました。

 かつての自分であれば喜んで走っていったと思われるが、毎週末に高速道路を太陽に向かって走り、息子の一瞬の試合の度に宿を探し、レースが終わるととんぼ返りでは私でも苦痛となり、これを家内一人に任せる事はできず、大変なやりくりが必要となりそうです。

 四国遍路についても、梅雨時にスタートし、真夏をまたいで満願を目指すのも苦行となり、来月からは心を鬼にして仕事に励むか、心を鬼にして1日の休日を設定でもしないと、昨年のように娘の願をかけて廻った神聖な巡拝は望めません。

 明日は出発前の貴重な1日ですが、帰宅後2日目に確実にやってくる国の法令試験の勉強も目が通していない有様から、四国でも法令集を持参の巡礼となり、こればかりは神がかり的な期待はできない事から、願よりも勉強に励む必要がありそうです。
                                  6月24日の一言

津島の名産品

長珍酒造 http://nihonshu.exblog.jp/
       http://www.yukinosake.com/02-12-chouchin.html

地酒の古川屋 http://www.clovernet.ne.jp/~furutama/

津島神社門前土産物店 http://www.trad-sweets.com/wagashikaido_12/pg107.html

あかだ屋清七 http://www.clovernet.ne.jp/~akasei/




津島の和菓子屋・茶舗
http://maps.google.com/maps/ms?msa=0&msid=106760356864663034846.00045fa2156d942b21549

津島市の名店 
機石荘 http://www.kisekiso.com/

警察官や裁判官の反省と謝罪が欲しい

 足利事件(幼児殺害)について、東京高裁は無期懲役とされていた菅家利和さんの再審を開始する決定を出した。裁判長は「菅家さんが犯人と認めるには合理的な疑いがある」と判断し、検察側も無罪か求刑を放棄する方針で、菅家さんの無罪判決は確定的と思われる。

 しかし、記者会見に臨んだ菅家さんは、「とりあえずうれしい。気分は少し晴れました」と話した半面で、「納得できません。一審から今まで関わった裁判官は私に謝っていただきたい」と関係した裁判官や関係者から直接の謝罪の無い現状への不満も述べられた。

 菅家さんが無期懲役になるためには、事件後に菅家さんを取り調べて逮捕した警察官も多く関与し、一審判決から最高裁の判決まで、多くの検察官や裁判官も関係しており、栃木県警本部長の謝罪を菅家さんは気持ちよく受け入れたものの、事件と直接関わった警察や検察、裁判官は誰一人として謝罪していない事は、本当に警察や検察、裁判官の反省があるとは思えず、17年半にわたって無罪の人を拘束した責任を問いたいものである。

 県警本部長は警察現場の最高責任者ではあるが、菅家さんが間違って無期懲役とされた一番の原因は、逮捕した警察署の警察官にあり、間違った反省と謝罪が一番必要と思われるが、最高責任者の謝罪の影に隠れてこのまま済まされる事は、人間としても許せず、このまま放置する事は警察の捜査そのものの信頼を裏切るものである。

 さて、再審によって菅家さんの無罪が確定するとしても、今回の事件は「DNA鑑定」の導入初期の信頼性を無くすだけでなく、菅家さん以外にも誤ったDNA鑑定によって有罪にされている受刑者の可能性もある事から、私は当時の他の事件の再鑑定と同時に、今回の事件の鑑定人や取り調べた捜査陣の再検証も必要と訴えたい。

 仕事の中で正しいと思って行なった結果とは思うが、このままで済む話ではなく、私が菅家さんの立場であったなら、国の補償の前に、最初に取り調べて犯人扱いをした警察官や、裁判に関わった一人ひとりに対して個人的に名指しした損害賠償を起したい。

 又、17年半の受刑者扱いの前に、逮捕時や判決の度に名前が新聞やテレビに犯人として公表された過去は消す事ができず、このまま済まそうものなら、警察官や裁判官などの名前を公表して社会的制裁を訴えたいと思うが、こんな行動も弁護士への懲戒請求をテレビ番組で呼びかけ、800万円の賠償命令を受けた山口県光市の母子殺害事件での橋下知事(大阪)の例からヤブヘビともなりかねない。

 何故に直接に関わり、間違った判決へ導いた警察官や裁判官は菅家さんに直接謝罪しないのか。仕事として正しいと思って行なった事ならば、過ちは過ちと認めて素直に謝罪するのが自然であり、公的立場にあって仕事を続ける上では当り前の行為でもあろう。

 私が何を言っても影響力はないが、この誤った逮捕と裁判によって、真犯人を野放しにしてしまった責任も重く、時効とはいえ新たなDNA鑑定によって真犯人を特定する事も、菅家さんだけでなく幼い子供の命を奪われた家族への使命ではないだろうか。
                                   6月23日の一言

コンビニにかつての仕事を重ね合わせ

 本日の話題
 コンビニエンスストア最大手・セブン―イレブン・ジャパン(東京)の本部が、傘下の加盟店に対する優越的な地位を利用し、弁当などの売れ残りを減らすために加盟店が値引き販売するのを不当に制限したとして、公正取引委員会は同社の独占禁止法違反(不公正な取引方法)を認定し、改善を求める排除措置命令を出す方針を固めた。

朝日新聞関係記事↓↓
http://www.asahi.com/national/update/0528/TKY200905280360.html

 コンビニ弁当の値引き販売に公正取引委員会が排除命令が出し、本日のテレビニュースでは店主が顔を出してインタビューに答えているが、私のかつての仕事であった新聞販売業界においても、本社からの「押し紙」が販売店の経営を苦しめながらも巨大な本社の前に無力であった。

 「押し紙」というのは、本社から示された販売店の目標部数で、実際の販売部数より多い目標数が設定されて実際に新聞が送られてくるため、日常的に残紙が残り、梱包を開く事無く新聞が積まれ、店舗の裏には多くの新聞が山積みされていた。

 この残紙を減らすために新聞の拡張員(セールスマン)の日程が組まれ、不当なサービスを提供して新聞を販売し、契約のトラブルは販売店が抱え込み、読者の立場を考えれば自分の首をしめ、拡張員を断れば本社からの補助金が減らされるのある。

 私が販売店を始めた昭和52年1月には部数が612部しかなかったが、真面目に頑張った事で3年後には960部となり、翌年の1月目標部数は1050(普及率3割)に設定され、表彰されるとともに不採算に陥っていた隣の販売店の経営も任された事から断れず、残った残紙をさばくために無理が続いた。(最終的には2店舗で2千五百部以上に増紙しました)

 拡張員を入れれば確実に部数は増えるものの、その経費は確実に重荷となり、そうして増紙した新聞は契約期限がくれば確実に減紙となる事から、維持するためには拡張員が慢性的に必要となり、本社の補助金も必要な事から文句も言えない関係となっていきます。

 店舗の裏に積まれるのは新聞の梱包だけでなく、新聞に折り込まれる広告についても、目標部数に上乗せされて広告会社から届けられるので、定期的に古紙回収業のトラックが回収にきますが、新聞の残紙は別としても広告の水増しは広告主への詐欺となるので心が痛みます。

 こんな話も私が平成11年に廃業しているので、それ以前の話でありますが、拡張員や販売を巡るハプニングは多く、台風や雷雨の中を配達に走ったことや、朝の仕事ゆえにびっくりした出来事など、苦しみだけでなく楽しい思い出もあるので、私の記憶維持のためには今後記録して残してみたい。

 さて、明日は6月議会の最終日となり、今週末には四国遍路に旅立ちますが、余裕がないと事前の準備ができません。予定表は来月10日まで空きがなく、余裕がないと何事も役務的となり、やるべき自分の仕事(会報や旅行会)が犠牲になるので早期の改善が必要です。
                                  6月22日の一言

実力差の前に思い入れ不足では

 本日まで開催されていた茜合同展が終わったが、これまで22年にわたって続いてきた歴史よりも、茜屋という一珈琲屋に毎週入れ替わり出展されてきた街の芸術家の層の厚さと、そのレベルの高さに驚かされている。

 かつては百人を超える参加があったと言うが、さすがに22年も経過すると亡くなる人も多く、昨年には私の書の恩師(中学校の恩師)と一緒に3人展を開いてみえた木村輝夫さん(日本一の雪駄職人)が病床にあった事から、マスターに出展を勧められ迷った挙句に出展を決めた。

 「それじゃー、写真を出します」
 「いやー、あんたは書でいいわッ」
 「えっ、写真なら何とかなるけど」
 「あんたは書で良いの」
 「書は下手だから…」
 「それで良いの」
 「えッ、それでは恥ずかしいでしょ」
 「あんたは書で恥をかいたら良いの」

 そんな理不尽な会話で書を出展したものの、マスターは口には出さないものの恩師や木村さんなど去っていった人の存在もあり、病気も体験したことから寂しさは隠せず、私のように芸術とは無縁でレベルも低い者に声がかけられたと思われる。

 さて、今回の作品は昨年に引き続き「写経」であるが、忙しさから筆が走らず、昨年より出来栄えが悪く、そのために写真も出展することとしたものの、何を出展すべきか迷い、写真の心得のある人に選択してもらった作品を出展した次第です。

 こんな間に合わせの出展は私の自己嫌悪を増幅させ、この日のために最高の作品を仕上げられる人との大きな差となり、普段どおりの書は勿論のこと、写真にしても最低の安い額に入れたこと自体に作者としての思いやりが不足していました。

 しかし、こんな私に出展を勧めてもらったマスターのおかげで、来年1月の上高地の写真展が決まりましたが、私にとっては十数年ぶりの写真展となり、これからは「書」と「写真」についても作品として仕上げる課題ができました。

 昨日から広島県三原市に出かけていた家内と息子が帰り、結果は19位と私の期待よりは低かったものの出場選手が多く(187名)、スタート時点で先頭集団にいないとコースが狭く、抜き去ることもできないため、息子の後ろにも強い選手が多かった様子です。

 それでも今回の成績によって9月の「全日本選手権」への出場が決まり、次の目標につながったのは幸いで、ケガもない事から来週も富士山へのレースが続きます。子供の心配より自分の心配の方が必要な現状なんですがね。
                                  6月21日の一言

道も知らずに広島に行った家内に

 本日は家内が三男をと自転車を乗せて広島県を目指しておりましたが、夕方には目的地に着いたものの、私の説明が悪かったために大変な遠回りになったと連絡がありました。

 「お父さんが名神はダメと言ったから」
 「そんなこと言った覚えはないが」
 「言ったから、名神へ入らなかったら25号線に入って」
 「じゃー、奈良から行ったのか?」
 「名神はダメと言ったから…」

 何度聞かれても言った覚えがなかったが、よくよく考えてみると、家内が「名神をずっと走って行けば着くね?」の質問に、「そうじゃなくて、中国自動車道から山陽道を走る」と答えた記憶がよみがえったが、家内は亀山から国道25号線に入り、奈良から大阪を経由して広島に走ったのであった。

 愛知県からは東名阪から第2名神へ入り、名神、中国、山陽道と走れば、5時間くらいで広島の三原市に到着する予定だが、親切に印刷した行程表も見なかった事と、判らないのに走っていく家内と三男の恐ろしさにびっくりである。

 今回の広島行きは、三原市で開催される三男の自転車レース出場が目的ですが、実業団の最新のランキング表では7位にランクされている事と、3位以内に入れば上級のクラスに昇格できる事から、家内も当たり前のようについて行ったものの、三男が自転車で現地を試走している間、家内は一人車内で今晩の宿泊場所の心配をしているのである。

第43回全日本実業団西日本サイクルロードレース大会(広島県三原市)
      http://www.jbcf-net.org/entry/20090921_hiroshimaRoad.pdf
実業団最新ランキング http://www.jbcf-net.org/ranking/ER.htm

 私の車であれば車内で寝る事も可能ですが、家内の車では自転車を積むとイスも倒すことができず、そんな状態で夜を明かしてレースには出られず、会場周辺のホテルは満杯のようで、我家で私が検索するものの、パソコンでは親子でラブホテルしか見つかりません。もっともガソリンスタンドで尋ねて一般のホテルを見つけられるから、男の私よりは何とかなるのでしょうが。

 さて、行っている本人達も大変だが、我家に残された私達も食事は何とでもなりますが、犬の餌と散歩は私の仕事と決められており、雨の中を傘をさして夜中に散歩は堪りません。
 我家の愛犬「もも」は、中型犬で色は黒色ですが、子供より気が小さく、足元のカエルや虫にも驚き、寝ているところに突然手を入れると噛む癖もあり、今晩も次男が噛まれて叱られて悲しそうな顔をしています。

 明日の朗報を心待ちとしたいものですが、「頑張れ」と言って落車してケガをされても困りますし、勝って生意気に振舞われるのも困り、今回も忙しいための留守番ですが、このままでは私の出番は皆無となりそうな雰囲気もあり、消化できない仕事の整理に光明が見えません。
                                  6月20日の一言

市民に伝わっていない審議会の存在

 本日は津島市水道料金等審議会が開催され、来年4月から日光川下流流域下水道が神守地区の一部で共用開始となる事から、旧来から続く津島市単独公共下水道の施設運営を含めて、健全なる経営基盤を確保するうえでの下水道料金の審議が続けられました。

 審議内容についてここに記す事はできませんが、愛知県の進める日光川下流流域下水道は該当する地域住民に多額の受益者負担を必要とする事と、旧来の下水道事業についても大口利用者であった工場の廃業などによって赤字に転落している事から、今後の社会情勢や経済情勢を見据えて使用料を決定する重要な審議となります。

 市役所の台所と住民の台所を考えると、その一員として審議会のメンバーに加わった責任は大きく、料金を低くしたいものの、低くする事は市政運営上多額の赤字を招く事となり、高く設定すれば市民生活を圧迫する事になる事から、「市民派」を旗印とする市議会議員の立場では、行政と市民の間で厳しい判断を迫られている事にもなります。

 議員になって十年が経過していますが、市民の視線で何でも言いたい放題に発言してきた経緯から、今回の審議にも市民の立場で発言したいものの、議会を代表する経済建設委員長の立場で市議会議長と共に参加しており、市の厳しい財政状況から無責任な発言はできない事と、我々が議員として蓄積している過去の経緯まで判らない一般使用者代表も複数委員となっている事から、今後相当数の審議を続ける事となるでしょうが、表にはでない審議会の開催がある事すら市民には伝わっておらず、議員だけでなく市民を含めた多くの議論を重ねた審議の結果が議会で審議されている事を市民に伝えていない反省も必要だ。

 さて、国土交通省に提出してある福祉輸送サービス事業関連から、今月30日に法令試験を実施するとの連絡が中部運輸局から届けられたが、これから10日間しか無いばかりか、現状でもスケジュールに余裕がなく、当日も午前中に重要な会議が開催される中でこれから勉強する一夜漬けが通用するとは思えない。

 試験科目となる道路運送法については未だ目にした事もなく、本当なら日時の延期を希望したいところだが、延期をすれば先送りとなる事から、本意ではないが試験に不合格を覚悟で挑戦する事としました。昨日より厳しい環境となりストレスもより大きくなる一日となりました。
                                  6月19日の一言

田舎では虫の発生も自然だったが

 昨晩の一言に「苦悩する問題」と記しましたが、本日は自分の身体がヘルパー養成研修会場にカンズメとなるため、朝から休憩時に市役所と連絡をとり続ける一日となり、電話のやりとりが聞こえた参加者より「大鹿さんの職業は何ですか?」と問われる事となりました。

 津島会場で申し込んだものの、6月議会と日程が重なることから、大半を一宮会場で受講しており、研修会の開始より1ヶ月が経過している今になって、「どんな人なんだろう?」と問われだし、言い出しづらくも「議員です」と小声で答えると、「議員が何故ヘルパーに?」と問われて言葉に困ります。

 さて、昨晩から「苦悩する問題」を本日の一言に先送りしましたが、問題と言うのは私と同じ町内に住む私の従姉妹(叔父の娘)の家に隣接する田の休耕田より、大量の虫が発生する事から、愛西市に住む叔父から何度も電話が入り、休耕田の所有者に虫の処理を促すように催促されていたのでした。

 ただし、この休耕田の所有者は私の後援会長の息子で、私の同級生の所有する土地であり、雑草が茂っていると言われても、我家の所有する休耕田にはもっと雑草が生い茂っており、被害をもたらす虫についても、何処から発生しているのか特定は難しい事と、私の所感からは「こんな事ぐらい」は今までの農村では問題とも思えない事から、本音を出すと「市民の苦しみを正すのが議員ではないか」と厳しい批判が返ってきます。

 私の動きの鈍さに、被害者から所有者に時下談判に至りましたが、打開策は見出せない事から、昨晩から市役所の環境課と農政担当者に連絡し、土地所有者と被害者が円満解決に向けて対応策を探る事となりました。しかし、これを問題にすると、市内に点在する休耕田を所有する地主全体に波及する問題となり、私の子供時代には村の行事として火を焚いて「虫追い」をしていた歴史から、新たな問題とも思えない一過性の虫の発生とも思えます。

 結果的に、地主が殺虫剤を散布し、草を刈って土地を耕しなおす事となりましたが、私の「これで何とか解決だな」との一言に、「いや、これでは収まりませんよ」との市職員の言葉に、親族と後援者の間でしばらくは事態の推移を見守る事となりました。

 この問題を農業振興地として考えれば、農業を主体としている地域では虫の発生も当り前の現象であり、環境問題を真剣に考える人々からは殺虫剤の人体へ及ぼす影響が問題とされ、かつては地域全体を集団で駆除していた殺虫剤散布が廃止された歴史まで遡ります。

 専門家の話では虫の発生は一過性との話であるが、現実に住民から苦情として持ち上がってくれば市役所は放置もできませんが、強制的には命令する事もできず、地主の善意に委ねるしかありません。土地の耕作を人任せにする中で、金を生まない休耕田に更に費用がかさむとなると農家には痛手です。我家の休耕田にも波及するだけに他人事ではありません。
                                 6月18日の一言

空白の一日も夜まで仕事になり

 数日前の一言にも記してありますが、6月議会最終日(23日)の前後に1日ずつ空白日(予備日)が作ってありますが、実は本日も万が一のために公表しない空白の予備日としてありましたが、朝から来客があり、帰宅と同時に行政職員の訪問を受け、暫し休憩をと考えていると市役所より電話である。

 「もし、もし、何か忘れていたかなー」
 「いや、最終日の委員長報告の件だけど」
 「うん、まだ何も手がつけてないけど」
 「そうだろうと思って(電話を)かけたんだが」
 「週末に仕上げようと思っているが」
 「来週の火曜日が最終日だから、できれば今週中には」

 なんてやりとりで考えていると、明日のヘルパー養成研修会に提出する添削課題が20ページ以上もの仕上げが残されており(今晩の夜なべ)、明日は朝から夕方まで研修会に出席し、帰宅後に展覧会場への作品(写真と書)納入に走り、次男の荷物運びを手伝った後の夜7時からもNPO法人の役員会が予定されているのである。

グループ茜合同展 http://blogs.yahoo.co.jp/myk_mnt/32103002.html

 市役所が土曜日と日曜日の休みと考えると、委員長報告の原稿は本日中に送付しないと、金曜日も日程的に余裕がなく、「今すぐに取り掛かるから」と、次の約束までの1時間の休憩時間が必死の報告書作りとなった。ただし、インターネットの普及で、作成と同時にメール送信で仕事が終わり、便利さも実感させられる。

 「〇△さんにつなげて欲しいが?」
 「時間給をとって病院に行きました」
 「どうしたの?」
 「昨日から足が痛いとの事で…」
 
 こんな手際良い委員長報告の仕上げだけに、「どうだ」とばかりにメール送信と同時に連絡を入れましたが、担当職員はかなりの激痛を我慢していた様子で、肩透かしでガックリする以上に、私とは同年だけに身体を心配する事となりました。

 さて、この後が大変な一日となりました。地元で写真を趣味としておられるSさんから、九月の大掛かりな写真展へ出展を依頼されて写真の話に花を咲かせていると、日中に電話のあった学童保育の役員さんが会報を持参され、学童保育の問題点がSさんと3人で議論される事となりました。

 こんな最中にも新たな来客ですが、2人の来客を無視することはできず、何も語らぬままに帰られました。しかし、私にとっては苦悩する問題のある所用であり、帰られたから知らぬままでは済まされず、電話での対応となりましたが、明日の約束が出来ない事から、夜になって市役所職員の自宅まで電話をする事となりました。

 苦悩する問題と言うのは、明日の一言に先送りしますが、夜になって仕事が忙しくなる顛末に、議員として報酬泥棒とは思わせない仕事で忙しい満足感を感じながらも、自分の仕事と明日の役員会の資料さえ揃えられない綱渡りに限界も感ずる一日となり(今から20ページ仕上げて風呂も…)ました。忙しいから「夜なら…」なんて一言も仕事を増やし続けます。
                                 6月17日の一言
 

ヘルパー仲間に後ろ髪引かれる

 今月より受講しているホームヘルパー養成研修会も座学から実地訓練に入り、本日はベッドのシーツ交換や救急救命訓練などが行なわれたが、女性の手馴れた手つきを見ながら、不況の影響で男性の参加が多いものの、女性の頼もしさばかりが目にうつりました。

 シーツ交換についても、自分のシーツもろくに交換しないのにそんなに重要な事かと考えていると、食事から排便までベッドで生活する場合には結構汚れる事を、家族を数年介護しているという女性の言葉に納得させられた。

 自分が寝たきりの障がい者役で介助を受ける立場になり、シーツを交換するヘルパー役の顔が間近に迫ってきた事から、照れくささから「キスでもされそうだ」と呟くと苦笑が起こったが、講師から「そんな人もあるんですよ」と言われ、他人の家に入って働く女性のヘルパーの逞しさも実感させられました。

 さて、かつて愛知県の防災カレッジに参加した事から、4年前に人工呼吸やAED(自動体外式除細動器)などの扱いも指導を受け、私は三河部の豊川消防署まで出かけて「普通救命講習終了証」の認定を受けているが、万が一の防災の指導とは違い、在宅のヘルパーは常時背中合わせで実践する可能性も高く、同じ動作でも心理的に大きな差がある事も実感させられます。

 一方で、本日の講師から「ヘルパーは家政婦とは違う」との一言に「ハッ」とさせられました。ヘルパーの訪問を受ける人から、ヘルパーを家政婦か掃除人のように思われている現実と、本当に必要とされる人だけでなく、1割負担で利用できる介護保険の矛盾も9割の行政負担を考えると再考が必要です。

 本日までお世話になってきた一宮会場は本日が最後で、これからは地元の津島会場だけになりますが、私だけが日程の都合で双方の会場に通ったものの、会場の違いだけでなく受講生の空気までが違う事による体験と、一宮方面にも同じ志を持つ知人ができた事は収穫です。

 「今日で最後かもしれないから」と別れの挨拶をすると、「こっちにも来たらええがな」との知り合った人の言葉は後ろ髪をひかれ、「津島市に来たら寄ってください」と、このまま別れるのが淋しく連絡先を告げましたが、こんな気持にさせられたのも久しぶりの体験です。

 気分的には最後のお別れぐらいは珈琲屋へとも思いましたが、明後日の役員会(NPO)の連絡や、夜には書道教室も迫っており、家路を急ぐ夕方となりました。日曜日に遭遇した七宝町の交通事故(死亡事故)も大きかったようですが、本日通過した稲沢市でも両車線を規制する大事故に遭遇しました。
                                   6月16日の一言

天台宗座主が高野山参拝の記事を読んで

  天台宗(総本山・比叡山延暦寺)トップの半田孝淳(はんだ・こうじゅん)座主(ざす)が15日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺を訪れた。天台宗開祖の最澄は晩年、経典の貸し借りをめぐって空海と疎遠になったとされ、両宗派の開宗以来1200年間で初めての公式参拝となった。

朝日新聞の報道↓↓
http://www.asahi.com/national/update/0615/OSK200906150041.html

空海 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

最澄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E6%BE%84

円珍 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%8F%8D

 天台宗のトップである半田孝淳座主が真言宗の総本山金剛峯寺を訪れ、空海入定の地とされる高野山奥の院を参拝し、真言宗の松長有慶(まつなが・ゆうけい)座主らと歓談した事が報じられている。

 日本史の中で「空海」と「最澄」は同時代に中国へ留学し、真言宗と天台宗を同時期に開宗している事から対比される事も多いが、2人の関係は晩年に悪化しているものの、空海の甥で弟子の円珍(智証大師)は天台宗で修行し、現在の四国八十八箇所第76番金倉寺から比叡山の山王院に住し、貞観10年(868年)延暦寺第5代座主となっている事から、今回の座主の訪問が1200年間で初めての公式参拝という事が信じられない事でもある。

 添付したウィキペディアを見れば判るように、年長の最澄より空海の記載は3倍にのぼり、天皇から25人の高僧に大師号が授けられているものの、大師と言えば弘法大師(空海)といわれるように、全国に大師信仰は広がっており、当時の最澄にも空海に対するこだわりがあったとすればこれを機に改善に期待したい。

大師 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B8%AB_(%E5%83%A7)

 自分のための勉強のような一言を記してきましたが、先祖供養だけを仕事にしている宗派が多い中で、僧侶自身が厳しい修行に務め、生きる者への指針を示している両派の交流は、単に座主の訪問だけでなく、自分自身の戒めとして四国遍路に生きがいを求める私には清々しい風が吹きぬけたような一日となりました。
                                 6月15日の一言

久々に就職先の相談に乗り

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、午前中の一番目に千葉県からの女性が訪れ、その後も東京都や岐阜県などからの訪問を受け、ボランティアだけでなく館長(横井夫人)も久々に忙しい一日となりました。

 さて、閉館後の帰り道に車が連なって動かず、遠くで救急車のサイレンが聞こえた事から、交通事故は予測できましたが、よくよく観察していると対向車線から一台も車が来ない事や、複数のサイレンやパトカーが続々と走る事からかなり大きな事故と判りました。

 同乗者のTさん(ボランティア)に、「せっかくだから見物しながら行きましょう」とのんびり待っていると、「そこで待っていても当分は通れないよ」と知人からの携帯電話です。

 迂回して戻った知人が私の車に気づいて連絡をくれましたが、それでも散々待った事から事故現場を一目見たいと迂回して事故現場に近づくと、複数のパトカーや消防車だけでなく、2台目か3台目の救急車も横付けされ、事故処理以前に救命行為の真っ最中の様子で、大破した自動車と単車が転がっています。

 怖いもの見たさとか野次馬根性が旺盛の私も、さすがにこの事故を見続けるのは心が痛み、我が子が被害者になっていたらとか、自分が当事者になったらと心配になるような悲惨な事故です。単車の運転者の安否を考えると身震いするような事故現場です。

 さすがに事故があったら必ず見に行くという知人にも電話する気持ちになれず、同乗者のTさんを自宅に届けて一目散で帰宅しましたが、我家では裏のアンズの収穫のためにハシゴをかけた家内が待っており、一汗も二汗もかく夕方となりました。

 さて、さて…。本日の仕事はこれだけでは終われず、夜になってから本当に久しぶりとなる来春の就職の相談を受けました。かつては頼まれた就職先は何とか見つけてくると豪語していた時期もありましたが、考えてみると男性の大卒でしかも新卒の紹介は成立させた実績がなく、自分の子供達ですら紹介できないのですから明るい話はできません。

 こんな時に頼りになるのが、かつて津島市でPTAの連合会長の職にあったことから、市外のPTA活動で関係したPTA関係の知人も多く、市内のしがらみから切り出せない本音で依頼する事ができ、今夜もその人脈に頼る事となりました。

 議員の力を信じて頼りにされる方も多いが、最近では市役所など公務員は公正で厳格に採用されており、口でうまく請け負っても二昔前の議員のようには縁故は通用せず、逆に縁故で無理やりに頼んだ企業に就職が決まったものの、職種の希望が伝えにくく逆に依頼者を苦しめる事にもなりかねません。

 私がかつて就職の実績を自慢できたのも、女性の新卒は募集していない会社や施設でも、とりあえず相手を訪問して、空きができたらいつでもと依頼しておくと、女性の職場は結婚やお産で空きができる事も多く、「何とかならないか…」と逆に頼まれた事も多くあり、議員の力より人脈を足で回った実績でもありました。

 問題は男性の就職で、男性は一生の仕事のスタートだけに、大卒の希望職種を聞いてしまったら中々口がきけません。「とんな仕事でもやりますから」は、かつての大卒は評価され通用もしましたが、今では使う方も使われる方にも聞く余裕がありません。

 さて、さて、さて、明日からも日程に余裕のない日々が続きます。「ぜひ、お訪ねしたいのですが?」、「しばらく時間に余裕が無いので…」、「夜に帰られてからでも無理ですか?」となると、夜なら空いており、まだまだ時間がありあまっていますが、夕食時間に家族の姿もありません。

 しかし、意外な事に、訪問される方は身近な人だけに、遅くなっても無駄話に花を咲かせ、無理な仕事を引き受けても元気ハツラツとなり、昨日までの不調がウソのような夜になり、このツケの蓄積にいずれ苦しむものの、新鮮な刺激になるから議員は不思議な職業かもしれません。
                                    6月14日の一言

俺は猪瀬にやられたの一言

 本日の血圧・「143-73」午前1時30分、「172-105」午前8時30分、「142-86」午後3時、「124-88」午後7時15分、「143-68」午後10時。
 朝一番の数値には驚きですが、本日は静養に務めたため正常のようです。
 

 郵政人事を巡り鳩山総務相が辞任し、しばらく安定していた麻生首相の国会運営が厳しい局面を迎えそうになってきた。鳩山前総務相は正しいと信念を貫いたと思っているようだが、民営化した企業の人事にこれほど固執する必要があったとは思えず、ここまで傷口を広げた麻生首相の責任も大きい。

 郵政会社としては多くの不祥事が噴出したが、これも民営化した事の自浄効果とも思われ、経済界の総意によって推薦された西川氏を第三者的な選考委員会が続投を決めただけに、いくら監督官庁の総務相としても一人の独断で民間の社長を辞めさせると言うのは政治の権力介入としか思えない。

 一方で、施設の譲渡問題や施設改築を巡る総務相とのバトルは別として、障がい者用の優遇措置を悪用した大量の不正郵送事件は内部の組織的関与があった事から、一般企業の常識で考えたらトップの西川社長自身の責任問題が浮上するのが当然だが、そのあたりについては疑問も残る。

 さて、麻生首相の能力ばかりが問題とされるが、鳩山前総務相についても、間近に迫った衆議院選挙を前にして、自民党という組織のリーダーシップ意識は皆無で、少なくとも政権政党の重責を担っている責任を自身の権力と勘違いしていたのではないか。

 ところで、郵政民営化の功罪がテレビでも議論されるが、分社化による不都合はあるものの、書留や小包については希望時間に夜9時まで再配達されるなど、民営化によるサービス向上が図られており、マンネリ化した現場職員の配置転換など目に見えない改善も見逃せない。

 「俺は猪瀬にやられた…」の一言は、道路公団の民営化によってファミリー企業を早期退職した知人の一言で、今は東京都の副知事になっている猪瀬氏を相当恨んでおり、猪瀬氏は恨まれている意識はないと思うが、責任ある立場の一言が多くの人生も変えてしまう自覚は必要だ。
                                   6月13日の一言
追伸
鳩山問題を記したブログを添付しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/32059118.html

血圧は正直かもしれない

 本日の血圧は「137-78」(脈拍77、午前11時23分・市役所内)で、私にとっては記憶にないほど稀な正常値でもありました。本日は6月議会最後の総務文教委員会と代表者会が開催されましたが、個人的には議会最終日に発表する委員会報告のまとめが残されています。

 さて、午後には名古屋市内に出向く必要があり、知人と午後1時に待ち合わせていたが、昼休みの一瞬に転寝したところ、目覚めても目がかすんで視力が定まりません。睡眠不足からくる疲れなんでしょうが物が二重にぼやけます。

 名古屋まで車に乗せてもらって仕事を済ませてから珈琲タイムとしましたが、右のコメカミがピクピクし、思わず頭痛薬を飲み込みましたが異常です。帰宅後に計った血圧は「122-56」(脈拍数81、午後7時・自宅)と、これは私にとっては記録した事のない数字です。

 血圧については5月20日から記録をはじめましたが、元々が血圧が高い事から記録を続けており、平均して「150~160(最高血圧)-80~90(最低血圧)」の数字が普通なんですが、本日のように血圧が低すぎると目の視力にも影響するのでしょうか。

 冷静に考えてみると、平成16年からこの一言を記してきましたが、最近の一言に血圧の記録や体調不良が続いている事は、私自身が自分の身体の変調を感じている結果であり、血圧を毎日記録するようになったのは初めての事で、この機会に医師と相談しないと大変な予感すらしてきました。

 ただし、今月から7月10日までで、空いているスケジュールは本会議最終日の前後2日のみで、重複して何ともならない行事が6件もある事は、過去に経験もない事態で、これは5月から経済建設委員会の委員長になり、次々と各種審議会委員への辞令が届けられている事も原因です。

 当初は3月から延期していた四国遍路(6月19日~21日)とも重なり、「その日は出席できません」とキッパリと断ったものの、この審議会が津島市の水道料金を決定する審議会(6月19日)のため、四国行きを一週間遅らせましたが、遅らせた日にも会長の私不在で同窓会役員会が開催されていきます。

 議員にとって議会活動と行政に関わる審議会や行事は欠かす事ができませんが、今年はNPO法人から申請している福祉有償運送や福祉タクシーの許認可を抱えており、自身の資格挑戦も先送りが許されず、愛知県の受託事業も計画的に申請している事から、身動きがとれません。

 NPO法人についても税務署や県税事務所などへの手続きが先送りされており、行政からの推薦が必要となる福祉有償運送の運営協議会も私のスケジュール待ちでは、一刻も早い認可を期待しながら、自らが足手まといとなっている矛盾に悩まされます。

 こんなグチの繰返しは本日で封印するものの、身体の不調だけは封印すれば病院のベッドでこの一言を記す事にもなりかねません。しばらくは睡眠不足を改善し、運動不足も不調の原因と思われるものの、休養第一に考えてしのぎたいと思います。
                                   6月12日の一言

回復していた同級生の姿に

 「144-89」、「154-89」は、昨日と本日の私の血圧(市役所内)です。こんな事を記したのは、家族で心拍数の数字が話題になったためで、心拍数の「40」を基本にしてスポーツマンの心拍数が話題となり、「86・昨日」、「114・本日」の私の心拍数は問題外との話です。

 こんな言われ方をされると病人のような気持になりますが、パソコンで検索↓↓したところ異常ではなく、本日の心拍数は運動後のために高く、さほど心配とは思えません。

心拍数 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E6%8B%8D%E6%95%B0
心拍数と運動強度 http://www.geocities.jp/jitensha_tanken/pulse.html

 さて、日曜日の一言に「足のむくみ」を記し、検索した対処法まで添付しましたが、足を少し高く上げて寝ていたところ本日には回復しており、よけいな心配をしたようでしたが、そろそろ心配する年齢になっている事は間違いがありません。

 本日は経済建設委員会が開催されましたが、昼には帰宅できる事となり、議会中に空いたわずかな時間に、同級生ながら独り暮らしで寝たきり状態となった知人の自宅を1年ぶりに訪問しました。もっとも、1年前の訪問時には寝たままで反応もなく、彼と話したのは数年前の事となります。

 彼は私にとっては貴重な支持者でありますが、2年前の選挙には投票も頼めない無反応状態に陥り、本日も生きている事の確認のような気持での訪問でしたが、無反応の玄関から勝手に寝室へ上がりこみ、無反応の身体を揺すったところ、元気に起きたではありませんか。

 声も大きく久しぶりの私に喜んでくれましたが、彼が訪問時に全く反応を示さなかったのは、彼は耳が全く聞こえない状態になっているためで、眼も満足に見えない事からテレビも片付けられていますが、見えなかった眼は見事に回復し、スポーツ新聞が開いてありました。

 本日は彼に指で指図され、広告の裏の白紙にマジックで筆談となり、月・水・金の午前中にヘルパー2人が訪問し、目と耳と内臓の治療には津島市民病院に通院し、週に一度はリハビリにも通っているために、以前の死人のような状態からは見事に回復(何とか立ち上がれる程度ですが)していました。

 訪問する度に無反応であったのは、大声で呼びかけても耳が聞こえないためで、これからは寝室まて入って布団の上から身体を揺さぶる必要がありますが、ヘルパーの存在によって身体も清潔で、病気で独り暮らしだった以前とは段違いで、頑張れば一緒の外出も可能かもしれません。

 ただし、職を失って10年以上となり、身体を壊しても家族は無く、一度は仮死状態の彼を病院に運んだ事もあっただけに、訪問する度に悲惨になっていた生活が、介護保険制度の恩恵から何とか向上していたものの、介護が必要な彼を訪れる友人は1人もなくなっている現実は変えようがありません。

 「おい、暇かッ」と、知人達と行き先も告げずに広島まで出向き(平成8年)、飲み屋の女性に宝石を買い込んだ姿を知っているだけに哀しい現実ですが、数年ぶりの会話となる私が唯一の友人と言われると、何とか自立できる身体になってもらいたいものでもある。
                                   6月11日の一言

野放し状態となった新型インフルエンザに

 厚生労働省は新型インフルエンザに対するワクチンを年内に2,500万人分用意できると発表したが、感染症の専門家のなかには医療現場の医師や看護師などを優先すると、一般市民まで利用できるか疑問の声もあり、旧来の強力な季節性インフルエンザのワクチン接種や、処方によって患者が異常行動を示すとされるタミフルの使用など、多くの問題点も山積する。

 新聞報道でも、数日前までは国内の感染者数が420人などと報じられていたが、千葉県や福岡県など全国各地に飛び火し、正確な患者数についても自信を持って記せないのではないか。
 愛知県においては、現在3名の感染発症が報告されているが、ウイルスに感染したまま野放しになっている人の可能性も否めず、神戸や大阪から発信された経済的悲鳴による国の規制緩和によって、このまま全国にウイルスが蔓延していく可能性も高い。

新型インフルエンザの報道↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/40827256.html

 国の規制が緩められた事から、私の住む津島市でも小中学校の修学旅行を中止や延期せず、予定通り実施すると発表して実施しており、私は延期や中止の議論や決行を発表した経緯について議会で質問したが、明らかに国の厳しい対応に反発した大阪府知事などの発言によって、新型インフルエンザに対する危機感は低下し、事実上蔓延することを前提としてしまっており、千葉県船橋市の中学校は修学旅行に出かけた岩手県で感染しており、健康で身体の頑強な人が感染すると、医療機関にも出向かないままに大量にウイルスがばらまかれ、全国に蔓延する日も近そうである。

 さて、添付した情報でも判るように、関西で新型インフルエンザが広範囲に拡大した理由は、5日に患者が受診していながら18日まで検体の検査もされずに野放しになっていた事が原因だが、感染して発症した患者がありながら、地方自治体は全くの無策であり、県や国の問題としか思われていない旧来からの対応への反省が急務でもある。

 私は風邪で病院に走った経験はほとんどなく、薬局の風邪薬「ジキニン」と頭痛薬「ケロリン」でほとんど治まるが、過去の経験からは風邪でも症状の自己申告で薬が処方された事から、薬局や開業医にも意識改革が必要かもしれません。

 一方で、全国には病気を抱えて苦痛の日々を送っている人も多く、患者の集中する病院の待合室で感染する可能性や、私の娘も妊娠中であるが、感染することによるダメージの大きい人々への配慮が希薄である認識は低い。

 愛知県では数年前から東海沖地震や東南海地震の危険性から、防災ボランティアの養成に大々的に予算を計上し、自主防災組織が各地に立ち上がったが、何時発生するか判らない自然災害への危機感を持続させる事の難しさが実感させられ、予算の先細りに悩まされている組織も多い。

 新型インフルエンザについても、自分の地域で発生していない事から、先の心配は「お節介」や心配性のように思われるが、病気で5年も高校に通った自身の経験や、昨年経験した結核患者との接触者でありながら放置されたままの保健所の対応を考えると、「自分の事は自分で守る」災害と共通する意識で臨むしかなさそうでもある。
                                 6月10日の一言

新型インフルエンザ

新型ワクチン、2500万人分確保と試算 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4153851.html

 新型インフルエンザのワクチンの製造を7月中旬から始めた場合、「年内におよそ2500万人分のワクチンが確保できる」という見通しを、厚生労働省が明らかにしました。
 現在、国内4社のワクチンメーカーは季節性のインフルエンザワクチンを製造中ですが、この製造ラインを7月中旬に全て新型インフルエンザワクチン用に切り替えた場合、12月末までにおよそ2500万人分が製造できることが厚労省の試算で分かりました。
 この場合でも、季節性のワクチンは7月までに準備されたものがあるため、厚労省は去年のおよそ8割となるおよそ4000万人分が確保できるとみています。
 新型インフルエンザのワクチンは10月中に接種が可能となり、厚労省は、接種対象者の順位や公費負担などについて今後検討することにしています。(09日20:38)



団感染、福岡市の初動に批判の声 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4153751.html

 新型インフルエンザの集団感染で、福岡市が最初の感染者を発表した1週間以上前に医師から集団感染の兆候を報告されていたにも関わらず、適切に対応していなかったことが分かりました。
 福岡市が、最初に「新型インフルエンザの感染を確認した」と発表したのは今月6日です。
 しかし、複数の医療機関によりますと、感染が確認された同じ板付校区内で、先月末から簡易検査で「陽性」と診断され、新型インフルエンザが疑われる小中学生や成人が相次いでいたことが分かりました。
 複数の医師が再三、市の保健所に詳しい検査を要請しましたが、市は検査を行いませんでした。医師の間からは「市の初動ミス」と批判の声があがっています。(09日18:03)



新型インフル、船橋の3小中学校休校 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4153436.html

 千葉県で船橋市の中学校の生徒7人が新たに新型インフルエンザに感染していたことがわかり、3つの小中学校が9日朝から休校となっています。
 新たに感染が確認されたのは、千葉県船橋市の同じ市立中学に通う中学3年生の生徒7人です。
 船橋市によりますと、7人は今月3日から5日まで岩手県への修学旅行に行っていました。このうち、1人の女子生徒が5日の夜に発熱し8日に感染が確認されたため、行動をともにしていた他の生徒らについても市が検査を行ったところ、さらに6人の感染が確認されました。
 船橋市は7人が通う中学校と同じ学区にある2つの小学校を9日朝から休校としましたが、さらに午後の会見で休校措置を今月15日までの7日間に延長すると発表しました。
 新型インフルエンザの影響で休校となるのは、千葉県では初めてです。(09日15:33)


神戸の高校生、5月5日時点で発症 http://news.tbs.co.jp/20090605/newseye/tbs_newseye4150200.html

 厚生労働省は国内での新型インフルエンザの感染者について、これまでより4日早い先月5日に、神戸市内の男子高校生が発症していたことを明らかにしました。
 厚労省によりますとこの男子生徒は先月5日、インフルエンザの症状を訴え、翌日に医療機関を受診しました。
 医療機関が男子生徒ののどや鼻からとった検体を保存していたため、改めて検査を行ったところ、先月20日に新型インフルエンザのウイルスが確認されたということです。
 国内で初めて感染が確認されたのはこれまで先月9日とされていましたが、それよりも4日早い時点ですでに感染者がいたことになります。
 厚労省は、この事実を4日まで公表していませんでした。
 男子生徒は海外への渡航歴がなく、厚労省は先月5日以前に国内にウイルスが入っていたとみて、感染ルートの調査を進めています。(05日03:13)

拡げた風呂敷に四苦八苦の道へ

 2日間の議会一般質問が(8日7人、9日6人の登壇)終わり、明日からは常任委員会が連日続きます。6月議会は議案数も少ないものの、議会の休憩中の舞台裏では議会運営委員会や各派代表者会が開かれており、中継される有線放送には休憩中は市役所から見える風景が流されていますが、そんな裏側の顛末が判らない事から、休憩ばかりとの苦言も耳にします。

 さて、今年は愛知県の募集した企画に複数の応募を申告しており、10月4日に開催される尾張津島秋まつりに市内だけでなく、市外からも幅広く障害を持つ人たちを観光客として迎え入れる企画が決まっており、本日の議会後に担当窓口を訪れたが、ただでさえ人で溢れる道路を車イスが安全に通行して楽しんでもらうためには準備は大変と思われる。

 来年の一月にも「人にやさしい街づくり」の地域セミナーを予定しており、こちらは愛知県にも津島市から名乗りを上げてもらっているが、県の応援が有る無しにかかわらず今から段取りが必要となり、同時進行でNPO法人の福祉有償運送と福祉タクシーの設立が進んでおり、私はヘルパーや二種運転免許とともに運輸局の法令試験も受験と目まぐるしい日々となります。

 ここに個人的な四国遍路や朝日旅行友の会などと考えると、昨年から途絶えている会報「津島の風」は延び延びとなり、既に配布用に印刷した私への手紙(市民の声の返信用)も事務所に置きっぱなしとなりますが、今年は旅行友の会の会報も発行されていない事から、発行の先延ばしは許されません。

 ここに8月1日発行の母校の同窓会報のスポンサー廻りと原稿集めが伴うと、考えるだけで地獄ですが、締め切りの先送りのできる自分自身の会報や約束が犠牲となりそうです。

 一方で、今年の夏は鈴鹿サーキットを自転車で走る予定を立てていましたが、仲間の人数不足と私自身の運動不足から、自分として関われる企画として、津島市内のロードレース開催を目標として、愛知県自転車連盟の会長との橋渡しを先輩議員に依頼した事から、今秋にはレースの前段階として健康のために楽しむ自転車大会も口火をきってあり、内輪で行政や議員との会話を今月中には具体化させる必要にも迫られます。(これについてはこのブログを訪問いただくウルトラGGさんにも必死のお願いです)

 さあ、こうなると新たな事は何もできません。厳しいのはそれらが自分の口先から出た企画である事から、他人任せにできず、日程に追われるプレッシャー(ストレス)ともなる事です。今晩の書道教室も右手に筆を持ち、左手には行政視察のために市役所から持ち帰った虎の巻では仲間の輪にも入れません。ただし、何かをする事で新たな協力者が出現しており、これを糧にしていくしかありません。
                                   6月9日の一言

名古屋弁の復権にも河村効果が

 名古屋市の市長に河村たかし氏が当選したことにより、名古屋市の動向が新聞やテレビを通じて伝わり、公約を着々と遂行していく様子や、市民と直接対話する姿が、県内の市町村にも確実に波及し、7日に当選が決まった半田市の榊原市長も市民税10%減税を公約としていた。

 しかし、地方自治体の財政状況は様々であり、地方の県規模の財政規模を誇る名古屋市だからこそできる事も、財政的余裕の全くない地方都市の限界もあり、今回の半田市長選のように選挙公約に減税や給食費の無料化が論点にされる風潮には疑問も感じさせられる。

 ただし、マスコミに公開され、難しいと思われた市民税の減税や各種の公約が果たされていく名古屋市の存在は、確実に今までの行政や首長の常識を変えつつあり、名古屋市の成功によって自治体の姿と行政の本来の目的が再認識される可能性も高い。

 そんな中で河村市長の使う「名古屋弁」が注目を集め出している。本日の朝日新聞夕刊の一面に大々的に記されており、河村市長の使う名古屋弁が愛知県人が普通に使用している日常言葉とは思えないが、確かに名古屋特有の名古屋弁であり、かつてのタモリに揶揄された名古屋弁とは違い、地元の誇りとして復権に期待したい。

 もっとも河村市長は「名古屋弁」ではなく、「名古屋ことば」と言い換えるこだわりがあるそうだが、タモリによって名古屋弁とは異なる「みゃあ」とか「にゃあ」が全国に発信された事から、これを機会に美しい名古屋弁(ことば)が紹介され、名古屋弁へのコンプレックスを払拭したい。

 新聞報道によれば、江戸時代には各藩の外交用語が尾張藩士の言葉だったと記されているが、織田信長の進出から、豊臣秀吉によって尾張の武将が全国の城主となっている事から、その後の徳川時代まで名古屋ことばが公用語のように使用されていても不思議な話ではない。

 さて、身近な郷土の偉人として織田信長や豊臣秀吉の使っていた言葉も気になるところでもある。名古屋弁(ことば)に忠実な太閤記が記され、正しい史実にこだわる歴史番組が作られる可能性にも期待したいものでもある。河村市長の名古屋弁については、地元にも批判的な声も存在するが、名古屋出身でも名古屋弁を全く使わない芸能人ばかりの中では貴重な存在でもある。
                                 6月8日の一言

不摂生から足がむくんでいるぞッ

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 最近のことであるが、医学の基礎知識について医師(医学博士)から聞く機会に恵まれ、しばらく大学の公開講座に参加していないことから、長いはずの2時間があっという間に過ぎてしまい、講師が時間延長して語られた一言に新鮮な感覚を覚えました。

 さて、この中で、「足がむくんでいれば心臓を疑い、顔がむくんでいれば腎臓を疑え」との一般論が耳に残っており、帰宅して足のすね部分(骨の上部分)を押すと、押した指圧がしばらく凹んだまま残り、自分の身体の異変にも気づいていませんでした。

 この症状に気づいたのは一年前の事で、年配の知人に尋ねると「歳をとると誰でものこと」と言われましたが、数年前に足が折れるほどの打ち身を経験した時に、患部とは違う足首から下が内出血で真っ黒になって医者に走った事があり、若い時には経験しない現象に悩まされています。

 もっとも、この足のむくみについては、昨年にはじめた(三日坊主ですが)自転車に乗ることで、足の血行が良くなり解消されていましたが、元通りになっていたとは今回の講義を聞くまで確認すらした事がなく、6月議会の最中ですが機会を見て外出したいと考えています。

 そんな私に次男が持っていた自転車(写真・マウンテンバイク)が「オサガリ」として持ってこられましたが、三男が持っていたタイヤのチューブに交換されている事から、普通の空気入れでは空気も入れられず、三男の空気入れを使っても入れ方すら判らず、本日やっと空気が入れてもらえました。

 これで知人に預かってある自動二輪が戻ってくると、サイクリングやツーリングなどと夢も膨らみそうですが、夏には本当のおじいさんになる予定を考えると、歳相応の健康管理を真剣に考える必要に迫られます。

 明日は議会の一般質問も控えていますが、前回の3月議会より事前の原稿は無しで日常の予備知識のみで登壇する事にしている事から、今夜は添付した資料を読んで、議場で倒れない健康な身体に回復させたいと考えています。
                                  6月7日の一言
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顔のむくみ http://kao-mukumi.bakky-info.net/

時効について思う・足利市幼児殺人事件から

 4日に釈放された足利市幼児殺人事件(90年5月12日発生)の犯人とされていた菅家利和さん(62)は、91年(平成3年)12月に逮捕され、00年(平成12年)12月に最高裁が無期懲役が確定する中で17年以上にわたって収監されていた。

 04年に国会に提出された「刑法等の一部を改正する法律案」によって05年1月からは、これまで死刑に当たる罪について15年の時効期間が25年に延長されたものの、今回の足利幼児殺人事件についてはそれ以前の事件である事から、既に時効が済み新犯人の特定にも至らないのである。

 「時効に関係なく、私は犯人を絶対に許しません」と菅家さんは記者会見で述べているが、事件の被害者のほとんどが時効の年限に関係なく、犯人の捜査を願っている事からも、時効についてもこの際に考えてみたいものである。

時効について・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%8A%B9

公訴時効の見直し、法務省が意見募集 5月12日15時33分配信 産経新聞
 重大事件の公訴時効の見直しを検討している法務省は12日、今後の検討の参考として、国民の意見募集を始めた。募集は6月11日までの1カ月間で郵送、ファクス、電子メールで受け付ける。詳しい募集要領や、勉強会の取りまとめなどは同省ホームページ( http://www.moj.go.jp/ )に掲載。

時効:撤廃を求め、遺族ら署名活動 「宙の会」協力を /広島 5月24日15時0分配信 毎日新聞
 全国17事件の遺族らでなる「宙(そら)の会」は時効撤廃を求め、署名活動を続けている。連絡先は〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3の1の1大雅ビル7階の同会(03・3292・4141、ファクス03・3292・4242、電子メールjikou74@nifmail.jp)。会員の北口忠さん(廿日市市)も自身のブログ「SA・TO・MI~娘への想(おも)い~」で、署名への協力を呼び掛けている。


 さて、足利市幼児殺人事件についても法的には時効が過ぎているものの、菅家さんの無期懲役が最高裁で確定した平成12年からは捜査は終結したままになっていることと、犯人と間違われた菅家さんは今月4日まで、犯人と間違われて17年半にわたって身柄を拘束されてきた事から、捜査関係者や国(司法)だけでなく、逃走中の新犯人に対して身体拘束された被害届を出すことにより、捜査を再開する事は可能と私は思う。

 一方で、本日の朝日新聞の夕刊には、「懲役5年の執行猶予よりも、執行猶予のない懲役6ヵ月ではどうか」との市民の発想に、新鮮な驚きと刑事事件に市民が参加することの意義を感じたとの名古屋地検判事の記事が掲載されている。

 罪を犯すとその罪は親子三代にわたると言われるが、少なくとも家族を殺害された被害者の親や子供が存在し、加害者に対して被害者意識が存在するうちは時効についても再考が必要ではないか。
 我家の祖母についても、昭和8年に交通事故で亡くなっており、加害者からは何も保証もないままだが、この悲しみと苦しみを体験したのは今では叔父1人となっており、その叔父ですら加害者の顔どころか名前すら知らず、年月の経過が恨みを払拭しています。

 人の感情は様々であり、悲しみや苦しみの度合いも違うと思うが、犯人と間違われた菅家さんの家族についても、亡くなったご両親は息子の無罪を知らぬままに他界されており、この事件の心労が間違いなく寿命を縮めたと思われる事からも、時効に関係なく真犯人を追求すべきと私は思う。
                                   6月6日の一言

三男が後輩とともに帰宅して

 本日は一宮市で開かれたホームヘルパーの養成研修会に参加しましたが、そろそろ座学(机の上の勉強)からグループワークへと移行しはじめ、夕方には一宮会場の受講生に混ざってグループ討議となり、「大鹿さんが発表役に」と言われて、「私は津島会場のよそ者ですが…」と言ったものの、津島でもよそ者のように一宮会場への参加が続いています。

 ただし、男が50代にもなると「自分の意見(固定概念)」を持つだけでなく、どうやら相手よりも自己主張してしまいそうで、相手の趣向や考えを聞く耳は持ち合わせても、心から納得できないままにグループワークに参加してしまいます。

 一方で、私の場合は「ハローワーク」や「求職」の資格取得のために研修会へ参加している訳ではありませんでしたが、議会の勉強を通り越して福祉の中まで足を踏み入れてしまったようで、介護保険や福祉計画など実践者の立場になって眺めている自分にびっくりさせられます。

 これも行きがかり上、私が介護保険のサービスの提供を受ける年代までは、ボランティアとしてサービスを提供する側での実践に生かし、NPO活動も将来の自分のためにと思って開き直るしかなさそうです。講師を務める女性軍の素晴らしさ(逞しさ)に脱帽です。

 さて、帰宅すると三男が高校の後輩を連れて帰宅し、明日は早朝より津島市の自転車愛好家たちの練習に参加するとの話ですが、後輩は高校総体の東海大会への出場を決めており、何とか全国大会まで引っ張っていきたい様子ですが、先輩と後輩のスポーツの持つ絆にも清清しさを感じました。

 そういう息子も、2週間後には広島行きが迫っており、下位クラスとは言え実業団では上位にランクされており、「おい、練習でナンマイダブーではいかんぞ」と、とても同行はできないことから息子たちの安全を祈るしかありません。

 リストラや失業でヘルパー研修会に参加される人々を見ていると、失うものの無い息子や後輩たちが自転車で頂点を目指して頑張る姿を見るのも私の健康法と思い、事務所の2階に団体で宿泊できるようにしてしまおうかと、何も知らない家内を横目に勝手に思う夜となりました。
                                   6月5日の一言

第43回全日本実業団西日本ロードレース大会(競輪補助事業)↓
http://www.jbcf-net.org/entry/20090921hiroshimaRoad.pdf

過ぎた年月と楽しみは返せないのに

 17年前に逮捕され、無期懲役の刑が確定していた菅家利和さん(62)が4日、収監先の千葉刑務所から釈放された。90年に栃木県足利市で当時4歳の女児が殺害された事件で、女児の衣服に残った体液のDNA型が、菅家さんの型と不一致だったとする再鑑定結果を受け入れた東京高検が、刑の執行を停止する異例の措置を取った。

朝日新聞の記事↓
http://www.asahi.com/national/update/0604/TKY200906040199.html
http://www.asahi.com/national/update/0604/TKY200906040181.html


 釈放されて記者会見した菅家さんは、捜査段階で自白はしたものの、裁判では一貫して無罪を主張しており、厳しい取調べによって犯人扱いをされた警察関係者や検察官などへの激しい怒りを述べていたが、このまま事件と無関係であった事が確定した場合、当時の捜査に当った警察官も公開の場で謝罪と弁解の会見をさせなければ、犯人として顔写真も公開された菅家さんの身になってみれば当然の事でもある。

 釈放はされたものの、世の中の国民の中には「灰色」の釈放と思っている人も存在する事から、改めて無罪を確認させるための再審を行うとともに、人間の一生の中では一番楽しい時期を過ぎ、これからは老後の生活に向かう菅家さんへの十分なる生活保障を求めたい。

 最近では電車内での痴漢と間違われて逮捕される人も存在しているが、こんな時には弁解より逃げた方が得策と答えた司法関係者の言葉から、理不尽に間違われた人々の無念さは計り知れないものがあり、自分の身や子供たちの身に起こった事件と考えると、安心して生活できる世の中とは思えない。

 一方で、街角で頻繁に起こる「ひったくり」事件については、ほとんどが被害者の泣き寝入りとなっており、被害者が捜査の進展を問い合わせても、犯人の捜査すら行われていないケースも存在する。
 これだけ情報化社会になっている事を考えると、地域ぐるみで情報を寄せ合うとか、携帯電話の写真を提供しあうなど、警察任せではなく事件の多発を防ぐ地域力も試されるべきでもある。

 さて、本日の夕刊には、リンチによって17才の弟子を死亡させた前時津風親方が、相撲協会に自身の退職金を請求した事が報じられている。この退職金を遺族に渡すくらいの考えなら理解できるが、こんな親方に子供を預けたご両親の心情を考えると悲しい世の中を実感させられる。
                                     6月4日の一言

6月議会での私の一般質問

 6月議会での一般質問

一般質問は8日(月)、9日(火)に開催されます。私の登壇は8日の6番目(午後3時前後)です。
一件目 津島市の感染症対策について
 要旨 新型インフルエンザや結核など、感染症対策全般について津島市の対応と今後の対策について
  ・昨年6月議会にも新型インフルエンザや結核の具体例を出して質問したものの、何も具体策がなかったが、再度津島市独自の具体策について問いたい
  ・新型インフルエンザ対策行動計画の策定はいつごろか?
  ・相談窓口や電話の設置についてどのように考えているのか?
  ・新型インフルエンザが当市で発生した場合の対応について?
  ・発熱外来などの設置、対応する病院や治療費について?

二件目 市民病院の医療について
 要旨 地域医療連携や外来の待ち時間など、市民サービス向上について
  ・経営収支について…財政面から、今後の見通し、また安定化のための改善策について?
  ・外来の待ち時間が長いことについて…予約患者、初診患者の平均待ち時間、その理由と今後の改善策について?
  ・市民サービスについて…障がい者手帳、高額療養費、限度額認定、市役所への支払いや手続きを病院職員が代行できないか?
  ・夜間診療の今後の体制について…今後、津島・海部両医師会による休日診療所の夜間診療が始まるが、現在火曜日に医師会の協力による市民病院の夜間診療はどうなるのか?
  ・腎臓内科について…現状と今後の体制について
  ・電子カルテの導入について
  ・医師の仮眠室の状況について
  ・産婦人科の受け入れについて…ふるさと出産について
  ・インフルエンザ等の感染防止策について

三件目 津島市の教育行政について
 要旨 新型インフルエンザなどへの対応を中心として
  ・市内に新型インフルエンザが発生した場合の対応について
  ・部活動や対外試合の参加に対してどのように考えているのか?
  ・修学旅行の実施について…どのように決めたのか?
  ・新型インフルエンザ発生による休校時の対応について
  ・不登校対策について
  ・高校退学生徒の防止対策として、サポート体制は?

本日より6月議会が開会です

 本日から第2回津島市議会定例会が開催され、会期を本日より23日までの22日間と決め、議案の一括上程、市長の議案大綱説明から各部長による議案説明、質疑と委員会付託を経て、暫時休憩となりました。

 休憩中に議会運営委員会が開催され、議員提出議案として「北朝鮮の核実験に抗議する緊急決議」が議論され、この決議案については既に全国市議会議長会も決議案を提出している事から、すんなり了承となるものと思っていたが、内容の文言を巡って議論が続いた。

 さて、津島市議会に限らず、全国の市議会から国に対して多くの意見書等が届けられているが、国はこの意見書をどのように扱っているのか気になるところでもある。

 津島市議会にも市民や各種団体などから多種の陳情や請願が届けられるが、紹介議員を必要とする請願書は別として、陳情書についてはかつては全てを各委員会で審議していたが、最近では議会事務局に直接持参された文書は常任委員会で審議するものの、郵送されてきた文書については審議をしておらず、各会派の控え室に届けられるのみとなっている。

 こんな事からも、津島市議会から送付された意見書の扱われ方が気になるのであるが、議会事務局によれば直接持参しないルールになっているらしく、郵送されて届けられてはいるが、この意見書の全てを国会議員が一字一句読んでいるとは思えない。

 さて、昨日の苦しい愛知県庁での審査状況を昨夜の一言に記しましたが、本日の夜9時になって内定の電話を県の担当者からいただきました。「審査から落選した方が私にとっても気も身体も楽ではないか」と記しましたが、楽はできない嬉しい悲鳴です。

 企画案では津島市民だけでなく、県内各地の障害を持った人々(車イス等)に呼びかけて、10月4日に開催される尾張津島秋祭りに街歩きを実施し、津島市の観光バリアフリーの実現と、障がい者と健常者のバリアを取り除くための企画です。愛知県の予算は確保したものの、議会と並行して明日からの段取りも大変となりそうです。
                                  6月2日の一言

おい、あんたでも緊張する事があるのかね

 「おい、あんたでも緊張する事があるのかねッ」とは、本日出かけた愛知県西庁舎10階の食堂で遅れた昼食をとっている時(午後2時過ぎ)に、同行した知人の発した一言でした。

 「なッ、何で?」と、聞きなおしましたが、まるで私の胸の内を見透かされたような感覚で、土曜日からは体調も悪く、昨日は書を夜まで書き続けたものの1年前より作品が悪く、本日午前中の市役所での議会質問の要旨説明をまとめて寝たものの、早朝より再び「写経」を書いてから市役所、県庁へとハシゴした後の休憩でした。

 本日は、愛知県の「心のバリアフリー推進事業」に応募したNPO法人の企画案の二次審査に出向いたものの、時間の15分前に集合場所の会議室に入り、審査される部屋に案内され、5分の企画提案説明と質疑応答で15分との厳しい時間(一方的に指示された日時で変更不可)で、「審査中及び審査後に、選定委員への質問や名刺の配布はご遠慮ください」などとの注意書きを送られた審査だけに、就職の面接会場のような緊張感です。

 直射日光が直接あたる縁側(横井記念館)で白い紙に向かって3時間も筆を走らせた結果か、帰宅後も目が疲れて視力も定まらず、早朝の写経も筆先が目視できぬままに書き上げました。このまま市役所に出かけて、昼休みに知人を伴っての県庁行きですが、目がかすんで書類がはっきりと見えません。

 審査前に頭痛薬を口にしましたが、たぶんこの時の血圧は高かった(帰宅後の血圧は162-91)のかも知れません。こんな中で、審査する選定委員の質問に的外れな説明も多く、時間を超過する質疑応答となりましたが、無責任に同行しただけで一言も発しない知人は私の異常も冷静に見ていたのでした。

 知人の一言から、初めての経験とは言え、今回の厳しい審査を通過するために、私の心に邪心が存在し、企画案を選定されるために余分な考えをしていたようです。「こんな事まてした何になるんだ」と付け加えた知人の言葉から、審査から落選した方が私にとっても気も身体も楽ではないかとさえ思われ、名古屋に来たついでに、本日早朝に書き上げた「写経」の表装を依頼し、展覧会に出展する書も普段どおりの書と決めたら気分が随分楽になりました。

 苦労しても自分の実力以上の結果は望めず、県の審査も「絶対に突破する」なんて意気込んでも、県内から多くの企画案が出されており、選考から外されたら自然体で休まないと身体がもちません。

 議会の一般質問についても、明日に本会議が開催され、質問通告書は翌日の締め切り間際に提出するのを私の慣例としてきましたが、今回は時間の余裕がまったくない(信じられないようなスケジュールです)事から先週に提出してあり、本日の聞き取りも要旨がバラバラです。議会でも自分の器以上の結果は残せない事から、心を落ち着けたいと思う一日となりました。
                                    6月1日の一言
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