大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年07月

福祉輸送開始も最終章に入り

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 本日は6月8日付けで申請してあった「一般乗用旅客自動車運送事業(福祉輸送事業限定)」の「許可証」が7月28日付で下りた事から、中部運輸局愛知運輸支局(名古屋市中川区)まで出向いて許可書の授受と今後の段取りについての説明を受けた。

 この許可書は私個人に対する営業許可(青ナンバー)であり、その前日の27日に開催された海部西部圏域福祉有償運送運営協議会では、NPO法人ひとまち生活ネット津島に対して、「当該地域における地域住民の生活のために必要な旅客運送を行なわせることが必要であるとの合意に至った」として、運送の対象区域を津島市と愛西市に限定してボランティアによる低価格の旅客運送が可能となり、二つが同時進行で1ヶ月後には法律に認められた旅客運送がスタートする見込みとなりました。

 ただし、福祉タクシーと福祉有償運送(白ナンバー)は同じようであっても基本的に全く別物で、許可される条例も目的も違う事から、二つの違いを明確に区別して利用者に説明する事と、私自身の意識も明確に区分する中でも、ボランティア精神は共有していかなければ当初の目的が果たせません。

 前記したように福祉有償運送は、津島市と愛西市においては公共交通機関やタクシー事業者だけでは住民全ての移動の足とはなり得ない事から、ボランティアによる白ナンバーでの有償運送が認められたもので、協議会で認められた概ねタクシー料金の半額程度で会員を運ぶ事になります。

 さて、結果だけ聞くと簡単な手続きのようですが、本日受け取ってきた運輸局の許可書については高額なコンサルタントや行政書士に委託してあり、全てを自分達で進めてきた福祉有償運送については、2年前に愛知県より認められたNPOの法人化以前からの取組で、運輸局にも2年前に連絡したものの、市役所も初めての事例ゆえに今日まで手続きが遅れてきた経緯がありました。

 今回の運営協議会で認定された運送の対価(料金)は、1,3キロ以内350円で、2キロ以内470円、3キロ以内600円で、3キロ以上は500メートルごとに50円の加算となっており、これらの料金も我々ではなく運営協議会での協議と認定が必要になります。

 「こんな料金ではタクシーが困るんじゃない」の市民の声も耳にしましたが、あくまでタクシーを利用できない人々が対象であり、運営協議会には津島市と愛西市から委嘱された委員に加えて、タクシー協会や運輸局も含めた協議で認定されたものだけに、早期のスタートを目指します。
                                 7月31日の一言

忘れていた少年時代が

 本日は8月1日の発行日となっている「神守中学校同窓会報」を、校区内にある四十数軒の町内会長さんのお宅に配送し、津島市の広報と一緒に全戸に配布していただくようお願いして廻りましたが、久々に天候に恵まれた事と、会社を休んで同行してくれた役員のお陰で、昨年一人で廻った時より楽に配布が終了しました。

 ただし、一町内だけは数年前より町内会長の独断で配布がお願いできず、役員会にも諮ってもらえない事から、約170軒のお宅を私が配布する事になりますが、「そんな町内は配布するな」とか、回覧板で1部だけ回して希望者は学校まで取りに来てもらえ等との意見はありますが、広告主のためにも会長の責任で汗をかく事となります。

 帰宅後にパソコンの前に座ると来客があり、話していると表に訪問者らしき車が停まり、悪徳○○○屋のような恰幅の良い人から、「お久しぶりです」と言われても暫し判らず、気がつけば高校時代の同級生(年齢は2歳下)でしたが、我々の年代の数年ぶりは風貌が一変してしまいます。

 しかし、私の家を記憶していてくれて、わざわざ名古屋から来てくれるのは有難く、昔話と近況の世間話で気がつけば夕食の時間も過ぎており、「夕食でも」と言えれば気が利きますが、珈琲一杯でこんなに積もる話があったとはびっくりです。

 私は高校生活が5年間にわたった事から、「この人の同級生は多いから」なんて一言をよく耳にしますが、本来の同級生も2歳年下の同級生も「おい」の一言で会話がスタートするものの、一学年下の同級生だけは私の不良時代の影響でほとんどが近寄ってきません。

 こんな話をしても2年後れて一緒に卒業した同級生には、不良の片鱗は残しても悪い事はしてないために理解されていない様子ですが、そもそもが3年目は学校から退学する見込みをされ、学校の全クラスの名簿から名前を消されて、不良を通り越して任侠の一歩手前まで陥っていたのでした。

 そんな迷惑な退学していく生徒に「怒ったような行動は本当にやりたい事ができないからじゃないのか」、「もし僕のクラスで良かったら一からやり直してみないか」、「僕にも教員としてチャンスをくれないか」と言ったのが生涯の恩師となる「馬郡(まごおり)武久」との出会いでした。

 この恩師と出会わなかったら高校中退は確定的であり、卒業後の進路を巡って親と対立していた時に、「残された大学への受験を」と、私が怒ることを想定したかのように母親に「受験料くらいは私が出しても良いから」の一言は私を未来へと導いてくれました。

 私の不良からのカムバックには中学時代の恩師達も自分の事のように語られる事から、私も高校時代の思い出を語る事も忘れていましたが、久々の来客により当時の生々しく苦々しい非行経験と、回復しない右足の骨髄炎との闘いを思い出させてくれました。

 こんなどん底の14歳から20歳までが私の人生に大きく影響し、当時の恩師たちとの出会いが今までの人生を導いてくれましたが、恩師の多くが鬼籍に旅立っており、残された私はこの経験を語ることによって、同じような境遇にある若者の立ち直るきっかけに生かさなければバチが当りそうです。

 もっとも一番の親分だった中学時代の教頭「長谷川丈夫」先生は亡くなったものの、馬郡先生は定年から十年ほど経ちますが、未だ現役で県内一の名門校で夜間の教員を続けておられます。こんな恩師の恩や思いでも本日の同級生が思い出させてくれました。
                                  7月30日の一言

孫との初対面と握手も忘れる夕方に

 本日は午後から2日前に産まれたばかりの孫の姿を見るために、娘夫婦と待ち合わせて入院中の病院まで走りました。家内とは夫婦喧嘩中のため、別々の登場で視線も合わせません(笑)

 難産で出血が多かった影響から、産まれた直後の呼吸が弱く、出産した産婦人科から専門病院に救急搬送された事で心配していましたが、3080グラムで49センチの丈夫な男子で、搬入後は順調に成長しており、搬入についても搬入先の病院の専門医師が救急車に同行した受け入れと聞き、名古屋市の医療連携に安心と感謝をした次第です。

 対面前には両手を石鹸で丁寧に洗い、その後は消毒液によって爪先から指の隙間まで徹底的に処置した後での入室となり、その手で衣服や髪に触れると消毒し直す徹底ぶりで、娘の次に私も孫に触れましたが、看護師さんが私の指を小さな手で握らせてくれました。だけど、我が子たちも産まれた直後はこんなに小さかったんだ。

 しばらく様子を見てから退院となりますが、両親以外の私(祖父)はガラス越しの対面は自由ですが、孫に直接触れる対面は週1回となっているようです。何事もなく母子ともに早期の退院を願っておりますが、孫は我が子より可愛いと聞いていたものの、実際には実の子供の時のような感動はありませんでした。

 一方で、肉親が増える事は、何事が起こっても心配となる事から、これから心配の種が増える事となり、成長すれば喜びもあるのでしょうが、我家には3人の息子もいる事から、全員が結婚して孫が生まれると心配の種ばかりとなりそうです。もっとも、学生結婚の私にとっては遅れ過ぎた初孫でもありました。

 さて、今は元気で「おじいさん」と呼ばれることに抵抗がありますが、私の父親の事例からは今後は病気やケガに悩まされる可能性も高く、子供たちの世話になる可能性も強いのでしょうが、今年は10年ぶりに事業主として復活し、車検切れになっていた自動二輪もまもなく帰ってくる事から、最後の悪あがきが続きます。

 帰宅後には新たな宿題が届けられており、来月には臨時議会も開催される事から、四国遍路の出発も一週間遅らせる必要にも迫られており、こうなると盆休みどころではなく、その後の行事から9月議会まで日程が詰まっていく事にもなり…
                                  7月29日の一言

何事も無責任すぎる現代に

 衆議院の総選挙を控え、テレビやマスコミの話題が選挙一色となっている中で、かねがね国政への転出がうわさされ、「2期8年」の公約どおり、来年4月に引退予定であった横浜市の中田市長が本日辞職願いを出し、市長選は衆議院と同日選となると報じられている。

 新聞報道によれば、選挙を前倒しして衆議院選挙と一緒に選挙を行なうことで、約10億円の選挙費用が浮く事から「すべては横浜市のことを考えた」と発言しているが、こんな論法が正当化されれば市長選も県議戦も市会議員も同一選挙にすれば事足りるし、国政選挙の間際の選挙は全て同一とすれば良い事になる。

 もっとも、2期8年の公約は勝手だが、10ヵ月も任期を残した突然の引退は身勝手すぎ、引退後の市長についても自分の考えに近い後継者の選定を進めていると聞くと、満期の来年4月を目標に立候補を予定していた候補者の出馬機会も奪い、自分の意中の後継者への禅譲を意味するのでもある。

 こんな身勝手な辞任が許されて良いとは思わないが、多数の議員で構成する議会とは違い、自分一人の首長であり、辞任に反対する方法はなく、市民の声も反映されているとは思えず、国政への意欲が伝えられると国政と国民との大きな距離を感じずにはおられない。

 さて、愛知県警では高齢者の交通事故死に対する専門チームを作り、道路環境や高齢者の行動調査を進めることで、全国ワースト1の返上につなげようとの試みを発表した。

 今年上半期の交通事故死者数の約半数が65才以上の高齢者で、その半数が歩行中の事故で、かつての若者が多数を占めた交通事故とは環境も変わっており、事故防止には事故後の検証だけでなく、高齢者が犠牲になりやすい行動調査も重要な事から期待と成果が待たれるものである。

 私の知人にも足が悪い事から自転車を頼りにし、歩道橋が渡れないことから交通量の多い危険な県道交差点を渡る人があったが、数年前に事故の犠牲となった人があり、近所には腰が曲がって歩くのも苦痛な高齢者が車を頼りに時々道路で車が立ち往生している姿を見かけるものの、免許証の返上を伝える事は農業を止めさせる事になる事から難しく、我々にも反省すべき問題も現存する。

 高齢者の死亡事故のキーワードに、「農村部」、「軽トラック」、「シートベルト」があるらしく、この3点に絞った指導でも確実に死亡者数を減らせそうだが、親の行動にも無関心な家族や子供にも反省が必要だ。
                                   7月28日の一言

私も本日からお祖父さんになりました

 本日のテレビを見ていたら、静岡県の選挙区で自民党の片山さつき氏と無所属の城内実氏の因縁の選挙戦を取り上げていたが、この中で片山さつき氏が自分の名前を大きく記した赤い大量の「ウチワ」を有権者に手渡している光景が目に入ってきました。こんなのは選挙違反(地方議員候補なら完全な選挙違反)じゃないのか。(国会の候補者は)ウチワ程度は有権者に配っても違反じゃないというのか。

 一方で民主党新人候補も、自分の名前を大書きした「ノボリ」を多くの支持者に持たせて堂々と宣伝に廻る光景も写されたが、こんな事を我々地方議員が行なうと完全に「公職選挙法」に違反となり、事務所の外面に自分の名前を記す事も禁止されている事から、同じ選挙とは言え地方議員との矛盾を感じずにはおられませんでした。

 この選挙区は前回の郵政民営化選挙で、民営化に反対する自民現職の城内氏に対して、小泉チルドレンの片山候補を自民党公認候補として送り込み、僅差ではあったが落選した城内氏は4年間に渡って、無所属候補として一人で地域を歩いてきたのであった。

 城内氏の活動は支援してくれる政党もない事から、自分の足で歩く事と、自分の知恵と経験で訴える事しかありませんが、同じ無党派無所属議員として、城内候補から大きなヒントとアイデアをいただいたが、内容についてはここには記しませんが、私も10年前に合法的に行なった事の延長であった事から個人的に善戦される事を期待したい。

 さて、本日の午後には、津島市役所で、海部西部福祉有償運送運営協議会が開催され、津島市と愛西市にとっては初めての協議会であり、タクシー協会関係者から事務的不備は指摘されたものの、選出された委員の任期を決め、今後はNPO法人等による「福祉有償運送」を認定し、障がい者や移動に支援を必要とする人々に対するボランティア運送の第一歩が始まりました。

 本日は私個人にとっては娘が早朝より(私の運転で)入院し、昼頃には男の孫が誕生していたようですが、出産の際に仮死状態だった事から、産婦人科から総合病院に救急車で搬送され、家内が付き添って大騒動だった事が帰宅後に判明し、私が午後に協議会に参加している事への配慮であっても連絡がなかった事が腹立たしくも思えました。

 幸いにも搬送されてから元気な泣き声をあげて動いているとの連絡があり、体重や身長も標準以上ある事から、五体満足である事を祈るばかりですが、一瞬でも障害の異常を覚悟しただけに、しばらくは母と子が別々の病院となるものの、元気な孫との対面を心待ちにしたいと思います。

 一方で、奈良県や東京都であったような搬入拒否がなく、孫が最善の医療を受けられた事に感謝するとともに、搬入されてからとりあえず危機脱出の連絡があった数時間の心の痛みを考えると、安心して眠られる夜に感謝の一日ともなりました。
                                7月27日の一言
追伸
「お父さん、嬉しいでしょう」と次男がビールを買いに走ってくれましたが、資金は私の財布の中身で、家内は病院ですので、本当の喜びはしばらくお預けです。

旅行を趣味にしながら地元の名所も示されず

 本日は横井庄一記念館の一日でしたが、久々となる昼食も取れないほど入館者が続いたばかりか、中学生の夏休みの課題研究については、彼らが横井庄一さんを知らない事から、自分が発表するような気持ちで新鮮な気持ちにさせられました。

 埼玉県からは宿泊した名古屋のホテルに置いてあるタウンガイドに横井庄一記念館の名前を見つけて訪問されたが、これは以前に記念館へ取材に訪れて大々的に特集を組んでくれたライターが、記念館についてコラム化して記していただいたお蔭で、忘れていた人々の支えを実感させられました。

 数日前には中日新聞系の折込ミニコミ誌が記念館を大きく取り上げてくれたのも、訪問者が続いた理由になっていたようで、開館(午前10時)前から入館者があり、閉館(午後4時半までの入館)時間を大幅に越えた入館者に時間を忘れて説明を続けました。

 開館から6月で満3年が経過していますが、当初の物珍しさで来館者が溢れるような満員となった状態では、満足な説明もしておらず、一日中しっかりと(3人が連携して)休みなく説明をし続けたのは初めてと言っても過言ではなく、久々に充実した記念館の一日となりました。

 さて、静岡県富士市から訪問されたご夫婦は、徳川園を訪れた後の訪問でしたが、「この後、何処かお勧めの場所はありませんか?」と問われて、いざ薦めるとなると言葉に困りました。

 地元意識を発揮すれば、津島市の津島神社を薦めたいものの、川祭の朝祭りが終わった直後だけに推薦ができず、コンクリート製の名古屋城は味気なく、地元と言っても名古屋も尾張地区にも「絶対にここ」と言える場所がありません。

 常滑の「焼き物散歩道」や「セントレア」は趣向に合わないらしく、蟹江町にある温泉も特別に変わってもおらず、私のお勧めしたい犬山城や明治村は距離が遠く…
 なんて考えていると、お勧めできる場所が見つからず、時間ばかりが経過する事から、同じ中川区にある荒子観音寺と周辺の犬千代ルート(織田・豊臣に仕えた前田利家公の出生地や名所を歩くコース)をお勧めし、案内地図を差し上げました。

 こうして考えて見ると、県外から愛知県を訪問された方々に「どこか行くところは?」と問われると、何でも知っているはずなのに、何処も推薦できない事は、他県の京都や奈良なら答えられるお薦めのスポットがある事から、愛知県の名所が示されない自分にびっくりするとともに反省となりました。

 来週末には四国遍路に旅立ちますが、岐阜県や長野県、京都府などの名所に興味津々な半面で、地元である愛知県内の魅力ある場所を示されない事から、しばらくは地元の名所や観光地を整理し直し、このブログでも発信する必要も感じる一日となりました。
                                 7月26日の一言

一年に一度の祭りを雨が直撃して

 西日本地区を襲った豪雨被害は深刻で、各地で多数の被害者が出ているが、私の住む津島市でも天候が不順で、夕方よりは豪雨とは言えないものの、地表のゴミを全て洗い流すような強い雨が降り注ぎ、本日開催予定の「尾張津島天王川祭」に致命的なダメージを与えそうな勢いである。

 この調子では中止するより選択肢は見つからず、数年ぶりとなる花火の打ち上げどころの騒ぎではなく、花火を上げれば雷鳴と勘違いするような雨足です。

 数日前より多くの人々が祭の準備風景をブログに紹介されていますが、準備に携わった関係者は何とか船を出したいと祈る心中が察せられるものの、国の重要無形民俗文化財の祭ゆえに、中途半端な見世物に終わらせず、明日の天候回復を祈り「朝祭」の開催に期待したいと思います。

尾張津島天王川祭関係のブログ
   http://blogs.yahoo.co.jp/ns727272/41447275.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/oz1958oz/4135406.html

 さて、明日の天気も微妙な天気で、雨の可能性も高いので何とも言えませんが、私も津島市民の一員でありますが、市民の立場ではこの川祭は夏の夜に黙々と歩くだけで、子供の頃から近くの川の堤防まで歩いて花火を見た経験の方が印象に残っています。

 もっと言うならば、私の住む地域は昭和30年に津島市と合併した旧神守村のために、「祭りに来てちょうだい」と言われる立場にあり、最近は繊維産業の衰退から屋形桟敷も減少の一途をたどっているが、私が屋形桟敷に参入しようとした25年前には「権利」をたてに断られた経験がある。最近になって、繊維産業の衰退から屋形桟敷は減少を続けているが、一晩のために高額な負担(20年前に45万円と言われました。屋形桟敷は4畳半程度)は現代には馴染まなくなりつつあります。

 合併から50年が経過しているものの、伝統ある祭については津島は津島であり、神守は神守のままなのであり、桟敷で優雅に座る人々の後ろや足元を蚊に刺されて歩くのは相変わらず、そんな市民の姿を見ながら知り合いの桟敷で優雅に酒を飲む気分にはなれず、飲んで汗を流しながら帰るには遠くもあり、足取りは重くなります。

 夜になり、雨も止んで、犬の散歩に出かける頃には花火の音が四方から聞こえ、どうやら津島以外の花火が大きく聞こえてきます。さて、さて、問題は我家の犬で、花火の音が鳴り出すと散歩もできず、怖いために悲鳴をあげ続ける癖があるのです。最近は土・日曜日は息子の自転車レースが続いており、会場となる長野県の天気も気になりますが、私には家内が同行のために祭りや犬よりも晩御飯の確保が先決でもあります。
                                  7月25日の一言
追伸
こんな大変な雨をしのいで、尾張津島天王川祭が見事に開催されていました。関係者の熱意とご努力に敬意を感じずにはおれません。そして客足を止めた雨が残念でもあります。
尾張津島天王川祭の関係ブログ↓
   http://blogs.yahoo.co.jp/jm8783jp/4284634.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/ame_cal/41462181.html

身勝手なアナログ放送休止実験に抗議したい

 ヘルパーの養成研修会や同窓会報の原稿締め切りなど、連日続いた過密日程が昨晩で一段落し、本日は議員本来の活動で市役所や関係機関を訪れる一日となりました。ただし、来週も「福祉有償運送運営協議会」から、同窓会報の地域への配布手配に追われ、日程を変更した「四国遍路」にはかろうじて31日の深夜に出発する事になっている。

 今年は経済建設委員長の職責をいただいた事から、各種の審議会や協議会への参加が続いてきたが、衆議院が解散した国会の置き土産で、来月早々に臨時議会が開催され、そのための議会運営委員会が四国遍路と重なることが本日発覚した。

 国は選挙一色となっていくが、政府の思いつきのような法案によって地方議会の予定は8月も左右され、例年訪れる「上高地」の夏休みも絶望で、8月の手帳まで真っ黒と化しつつあるが、日程変更をした四国遍路についても、個人の趣向と言われるかもしれないが、同行する4人の市民は仕事の休暇届けも出してある事から、議会とは言え私の勝手に振り回す限界もあり、信用丸つぶれでもある。

 さて、本日の一言は、夕刊の片隅に掲載された小さな記事であったが、地デジ化によって2年後に廃止されるアナログ放送について、石川県珠洲市では本日の午前中にアナログ放送の休止実験が行なわれ、1時間にわたってアナログテレビの映像が止められたと報じられている。

地デジ化まで2年、アナログ休止実験↓↓ (朝日新聞24日夕刊)>
http://www.asahi.com/national/update/0724/TKY200907240144.html

 報道によれば今後も電波の休止時間を延ばして実験を続け、来年には珠洲市のアナログ電波を完全に止める方針と記されているが、2年後の7月24日まででアナログテレビ放送は終了と決まっているものの、実験とは言えなぜ来年に一方的判断で完全に止めるのか疑問でならない。

 そもそも実験とは言え、一部の地域で電波を完全に止める行為が許されるものかどうか。数年前の事となるが、NHKの受信料を巡り、集金人が我家には存在しない「受信契約書がある」とか、支払わない家庭への電波は止める事ができる(スクランブル)とのウソが原因で「それなら我家のNHKの電波を止めろ」とトラブルになっているが、そもそもテレビ受像機を買った時点でNHK受信料が必要となる法制度にも疑問である。

 今回の実験で、1時間とは言えアナログ電波が送信側の都合で止められた事は、デジタル化されるのを機に希望しないNHKの電波は届かぬようにして欲しいし、「絶対に見ない」と宣言している家庭への受信料の請求は廃止すべきである。

 私の支払い拒否は、津島市内全世帯に漏れなく受信料を請求すれば支払う(地域的に全く支払っていない地域が存在する事と、特定の報道機関には請求すらしていない)とも伝えたが、集金人のウソに対する局から謝罪はあったものの、その後何の連絡も訪問も無くなり、請求書だけが自動的に送付されてくるが、実験の名のもとに2年後の7月までにアナログ波を止める行為を正当化する事は横暴ではないか。

 一方で、私の近辺では、アナログ放送からデジタル放送に移行する関係から、アンテナではなく有線テレビ放送局によってテレビ放送を視聴していた人々に、NHK衛星放送の受信料を上乗せ請求されるようになり、有線テレビとの契約はしたもののNHK衛星放送の契約はしていない事から問題となっている。

 NHKによれば「衛星放送を受信できる設備をお備えの場合は衛星契約が必要です」と規約している事から、有線テレビの視聴者全体に請求しているようだが、有線テレビ局側の設備変更は施設の勝手な改善であり、「NHKとは契約していない」と支払いを拒否している人も多い。

 こうなると有線テレビの受信料に衛星放送分を上乗せされた請求書の支払いをした視聴者は腹を立て、支払いを拒否した家庭にNHK職員が請求に廻る事態となっているが、国民は一方的に送られてくる電波を視聴するだけで高額な請求書になっていては堪りません。今回の身勝手なアナログ休止実験も、受け手は文句も言えないだけに注視したいものでもある。
                                   7月24日の一言

深夜の電話は深刻で眠れぬ夜に

 本日はホームペルパ-2級の養成研修会最終日で、早朝より在宅での入浴サービスに出かけるメンバーに同行しましたが、車に浴槽から資機材一式を積み、運転手兼設営役の男性職員と、看護師と女性スタッフの3名で、木曽三川を越えて多度大社の近くまで出張しました。

 手際よく進められる段取りを見ていると簡単に思われるが、寝たきり状態の利用者のベッドの真横に浴槽を運び入れ、車から電気と水道へ配管し、排水用のホースまで組み立てるのは大変で、一つ間違いがあれば座敷や寝室が水浸しにもなりかねず、毎日の仕事とはいえ何の支障もなく進められる事に感心させられました。

 さて、本日は何の役にも立たないのに、3人に同行の私でしたが、最後に入浴サービスに訪問している利用者の居宅支援の相談会に、愛西市の社会福祉協議会の施設にも付録でついて行ったところ、デイサービスで受け入れている施設も出向いていたが、約束の時間になっても津島市の訪問看護ステーションの担当看護師が遅れており、待ち続けたものの結局は欠席で不在のままに相談が進められた。

 対象者の病状や介護支援を考える中で、担当する看護師の欠席は、日頃の医療や介護の連携ができているとは言うものの、利用者や家族の立場を考えると納得ができず、欠席の理由を問うと「ウチも欠席する事があるから」と、同行した男性職員が弁護したが、朝から汗だらけで入浴サービスを続け、訪問中の岐阜県から戻ってきた民間業者(私も)と、行政職員は一緒には語れず、無責任の反省を求めていく事は重要と思う。議員の身分を隠した研修生の同行ではあったが、津島市の失態だけに怒りがこみ上げてきました。

 私が5月よりホームヘルパーの研修を受けていたのは、愛知県の北名古屋市に本社がある「福祉の里」と言いますが、訪問介護と訪問入浴など居宅介護支援を行なっており、600名の職員が連日在宅の支援に走っておられる事に、本日の同行した私の疲労度からもお世辞抜きで賛辞を送っておきたい。

福祉の里⇒http://www.fukushinosato.co.jp/

 さて、さて、本日もパソコンの前に座って、このまま一言に決定ボタンを押そうとしていると、携帯電話がけたたましく鳴り響きました。夜の11時に鳴る電話は深刻な内容で、私と親しい知人の息子さんからであり、突然入院した知人だけでなくご主人も病状は深刻で、複数の病院と市外のケアマネージャーが関係している事と、病院にはご主人のこだわりがあり、息子さんも心労から睡眠薬をもらっているとの話に、帰宅は午前様となってしまいました。

 自分なりに最適の医療条件や連携を考えるものの、過去からの病歴や医療機関がからみ、親だけでなく子供も3兄弟がそれぞれの意見を持っている事から、「大鹿さんが説得してくれれば…」と言われても、命の尊厳に関わる重大問題だけに、明日以降の大きな宿題となりました。
                                 7月23日の一言

早朝の血の気の失せる一言に

 早朝よりの開口一番、「判らないのなら聞いてこい!!」の怒鳴り声は、特別養護老人ホームのホームヘルパー養成研修会実習最終日に訪れたデイサービス利用者の男性からの苦言で、一瞬にして血の気がうせる一言でもありました。

 デイサービスで自宅から車で到着された人々がテーブルに座ると、オシボリを手渡した後で、それぞれの利用者の手を消毒液を持って廻りますが、素直に手を出される人ばかりと思っていると、無言のままに身動きされぬ男性が存在し、私は何らかの障害をお持ちかも知れぬ事から、「どうしたらよろしいですか?」と尋ねた際に返ってきたのが冒頭の一言でした。

 言葉だけであれば幸いですが、気持ちが顔に表れ、怒りの心中が容易に察せられました。担当職員が「○○さん、どうしたの?」と言って私の代わりに消毒を済ませましたが、こんな事は日常茶万事で、もっと大声で叱り飛ばす人や、嫌な事があると必ず市役所に通報する人もあるそうです。

 考えてみれば、私は福祉や介護の勉強とボランティア意識でヘルパー養成研修会に臨んでいますが、利用者の人々はたとえ自己負担は一割と言えども、利用料を支払って通所しているお客さんで、受け入れる私が一日の勉強であっても、サービスが提供できないのは失態でもありました。

 冷静に記すとこんな顛末ですが、私の心中は穏やかではなく、ほとんどの人たちが穏やかな人達ばかりの中で、この男性とは関わりたくない心境でしたが、女性スタッフには笑顔を見せられる事から、男として情けない心情となり、その後に各テーブルにお茶や飲み物を届ける際にも、家内や母親の顔を思い浮かべると淋しい心境になってきました。

 ただし、私にも歳を重ねた経験と土地勘があり、利用者の人達の住んでみえた地域の土地勘がある事から、利用者の人々にとっては懐かしい昔話ができる事は、認知症にかかった人たちにとっては、薄れかけた記憶の回復につながる「回想法」を自然に行なっており、私にも役に立つ仕事はありました。

 この朝の出来事は、昼休みの休憩時に話題とした事から、いまだにデイサービスの研修を済ませていない女性軍に動揺を与えたようですが、こんな事でへこたれていてはダメと前記した男性と話していく事から、帰宅される頃には笑顔で挨拶を交わしてもらいました。

 さて、明日は早朝から在宅の入浴サービスに同行する事になっていますが、私と連絡を取りたい市役所の関係者や、中学校の同窓会報が最終段階を迎えた印刷屋さんや学校などの電話履歴が残され、住まいの問題を相談したい稲沢市民の方の電話で稲沢市議へ連絡し、校正の原稿を印刷屋さんに渡したのは、夜11時半となっていました。明日で研修は最終日となりました。
                                  7月22日の一言

国会の空白期間も災害対策に力を

 衆議院が解散し4年ぶりの選挙戦をむかえる事となったが、西日本一体に大規模な土砂崩れなど自然災害が発生しているものの、新聞休刊日と重なった事からか新聞報道では選挙一色で、テレビから流れる現地のニュースが気がかりな一日となりました。

 毎年の事ではあるが、梅雨明けの前後には必ず日本のどこかで雨による土砂崩れが起こり、間違いなく誰かが犠牲になっており、連休で昨日の夕刊がなく、休刊日のため本日の朝刊が発行されていなかった事から、私は夕刊記事に注目していたものの、19日の岡山の竜巻について9行記されているだけであった。

 勿論、夕刊に間に合わなかった記事もあるものの、インターネット上での朝日新聞記事一覧には下記のように多くの記事(一部省略)が掲載されており、政権交代の可能性のある衆議院解散があったとは言え、岡山の竜巻に限らず、秋田や多くの死傷者を出した山口の水害記事が何も掲載されない事を疑問に思う。

朝日新聞asahi.com インターネット上の災害記事(一部省略)
山口土砂崩れ http://www.asahi.com/national/update/0721/SEB200907210005.html
山口 http://www.asahi.com/national/update/0721/SEB200907210036.html
新幹線 http://www.asahi.com/national/update/0721/SEB200907210017.html
鳥取 http://www.asahi.com/national/update/0721/OSK200907210052.html
岡山竜巻 http://www.asahi.com/national/update/0721/OSK200907210008.html
岡山突風 http://www.asahi.com/national/update/0720/OSK200907200004.html
秋田大雨 http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200907190384.html
西日本大雨 http://www.asahi.com/national/update/0719/OSK200907190031.html
岡山突風 http://www.asahi.com/national/update/0719/OSK200907190076.html

 山口県の土砂崩れについては、テレビを通じてリアルタイムで映像が流されている中で、新聞紙面の限界と時間の限界はあったにせよ、衆議院解散に関する記事が12ページ中4ページも充てられる中で、水害について一行も触れられていないのはどうか。

 さて、新聞紙面への苦言はここまでにして、毎年各地で発生する大雨による土砂崩れの予見はできないものか。山口県防府市の特別養護老人ホーム「ライフケア高砂」では、土砂崩れで3名が死亡し、4名が行方不明となっているが、施設長は県が山の木々を伐採した事による保水力不足の人災と語っており、直後にこんなコメントが出たことは前々から現地で心配されていた事が現実となったようにも思われる。

 高速道路の無料化や国公立高校の授業料無料化など、選挙公約が続々と報じられてくるが、放置されたままの山林や災害防止など毎年全国で多数の犠牲者が出ている自然災害対策については、選挙効果が薄いためか具体的公約が見えてこない。

 かつての一言に、災害時には全ての仕事を中断して災害地へボランティアに入りたいと記したが、愛知県の防災カレッジやボランティアコーディネーターを無償で修了させてもらったものの、何も恩返しがなされておらず、私の公人としての公約として身体を生かして貢献したいと思っている。

 これから本格的な台風シーズンも迫っており、九州や四国では毎年どこかが被害に遭っている事から、衆議院は解散したものの、自民党の立候補者からの応援依頼もないと不人気が伝わる麻生首相には、国のトップとして総理大臣の空白期間を作らず是非とも全国の防災対策に努めて欲しい。
                                  7月21日の一言

命をかけた演説も届かなかった時代から

 私が訪問するブログ「矢嶋武弘のページ」に記されていた内容が気になったので、下記にそのまま添付しましたが、数日前の朝日新聞に「三島由紀夫」についての記事が掲載され、当時の時代背景と現代との大きな意識の差を感じるとともに、矢嶋さんのブログについても同時期だっただけに興味深く拝読しました。

fuakiの日記・三島関連の記事
      http://d.hatena.ne.jp/fuaki/20090718/1247915525
三島由紀夫 自決の現場写真
      http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2006/09/post_72b3.html

矢嶋さんのブログ
「君が代」は国歌にふさわしくない。新国歌の制定を望む
      http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/33574510.html
君が代行進曲
      http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/33564518.html

 三島由紀夫さんが自衛隊員の前で演説して自決した昭和45年は私の高校時代であったが、当時の学生運動は左翼思想が中心であり、三島由紀夫さんの命をかけた演説や自決に対して、自衛隊員ですら同調するコメントはなく、衝撃的な事件ではあったが世論に感化を与えるものではありませんでした。

 事件から38年が経過し、当時ではさほど問題にもされなかった憲法改正が、最近では国会で堂々と議論されるようになっており、命まで賭した三島由紀夫さんに生きて立ち会って欲しかったとも思うが、矢嶋さんのブログに記された内容も、かつてなら記す事を躊躇したような内容が、当たり前に堂々と記されるとともに、的を得たコメントが寄せられている事から添付した次第です。

 憲法改正はさておいて、国歌と国旗についてもっと議論されるべきで、矢嶋さんのブログに記されたように、スポーツ大会や試合前に演奏される君が代が、他国の国歌のように選手の闘志に火をつけているとは思えない事から、国際大会用の応援歌の導入には大賛成である。

 私は矢嶋さんのブログと三島由紀夫を対比させるつもりはなく、引退されたとは言え、フジテレビの要職にあった矢嶋さんが自分の正直な思いを堂々と記されている事から添付しましたが、個人のブログとは言え国民の正論が国会でも取り上げられて具現化されるように期待もしたい。
                                 7月20日の一言
追伸
命をかけた演説に、当時の首相・佐藤栄作は「気が狂ったのか」と言ったと記されているが、命をかけた演説が理解もされなかった事と、不安定な政局から国民の声が簡単に届く現代に、年月の経過も実感させられます。

セールスの悲哀を感ずる連休に

 世界的不景気の風は地方の町々まで浸透し、倒産や廃業となったお店や事業所も多く、8月に発行予定の母校の同窓会報の広告スポンサーにも影響し、本日は不足分の穴埋めに廻る事となりましたが、断りを覚悟の訪問だけに第一歩が進まず、仲間の応援を依頼しました。

 訪問先は私の懇意とする事業所と、第三者から薦められたお店でしたが、年数を重ねることによって会報の4割が私の開拓した広告主となっており、不足分を一人で穴埋めする事も可能かもしれませんが、これ以上の獲得は私の会報のようになってしまう事から、第三者の推薦にも期待していたんですが…

 さて、中学校区の約七千世帯に全戸配布される会報(A4-12ページ)に対して、約70件の広告主(一件5千円)で印刷代と総会費用を捻出してきたが、この広告代の効果や断りの理由には矛盾する理由も多く、自発的に協力をいただく事業主のためにも記しておきたい。

 「生徒の通学用自転車がパンクしたら広告主の〇〇さんに頼むよ」と、同窓会役員会で中学校の教頭先生に話したところ、立場上返事に困っておられたが、これらの広告収入によって他の同窓会費や部活動支援基金等が在校生のために運用されている事から、学校への協力者として学校の仕事くらい優先されなければ理不尽です。

 「絶対に〇〇には頼まないでよ」と学校への念押しは、学校の仕事を市役所から貰いながら、「学校なんか世話になっていない」と言われた建設関係者で、仕事の依頼主は市役所であっても、仕事は学校が必要とした案件であり、厳しい社会状況ゆえに学校関係者に仕事は廻して利益を還元させたいと思う。

 地元商工会議所の会報に定期的に広告を入れている事業所の主人から、「広告の効果がない」と言われるのも理不尽で、七千部の全所帯配布は商工会議所の会員数とは比較にならず、ローカル新聞に定期的に広告を入れる旅行社が、「うちは宣伝しない事にしている」なんて返事は公益性のかけらも見られず、こんな会社の手配した観光バスに乗る中学生の姿は見たくもない。

 どちらにしても広告を入れてもらわないと同窓会は成り立たず、頭を低くして訪問するのみですが、前記したような理不尽な断りを受けると、学校関係から出る仕事は善意で協賛された事業主に優先してもらわないと堪りません。

 同窓会役員会でもこんな話を繰返しますが、不足分の穴埋めは会長一人の仕事ゆえに、役員ですら他人事のように聞いており、広告代のために「大鹿さんの顔で仕事を紹介してよ」なんて言われると、依頼より大きな仕事を背負っての帰宅ともなります。

 本日の私は怒っています。断りを覚悟の訪問ですから、断られても腹は立ちませんし、誰もが喜んでスポンサーになっている訳でもありませんが、学校の仕事を請け負いながら無関係を装ったり、自分の意志で「申し訳ない」と一言で済む断りを、もっともらしく理由付けした「やらない事はないが」との断りはストレスとなります。

 「大鹿さんは慣れていると思っていた」なんて同行者の一言も、私はセールスマンの経験もなく、断られれば大きなストレスとなり、原稿締め切りが迫る中の連休ゆえに、閉められた訪問先のシャッターが振り続ける無情の雨と重なる一日となりました。
                                  7月19日の一言

自然を人間は超えられない

 本日から学校が夏休みに入り、連休と重なったことから全国各地の高速道路で渋滞が発生し、関越自動車道の藤岡ジャンクション(群馬県付近)が先頭の57キロの渋滞を最大にして、全国各地から渋滞情報が伝わってきた。

関係する情報元↓↓
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009071801000520.html

 我家も昨晩から三男のロードレースが開催される福島県石川町まで家族が走っており、各地で渋滞に巻き込まれながらも到着した模様だが、明日のレース後にはトンボ帰りとなる事から、深夜に出発した昨日よりも更に厳しい渋滞に巻き込まれそうでもある。

 さて、昨日の事件であるが、大雪山系の登山ツアーに参加した人々などが10名死亡する遭難事故は、旅行を主催した旅行会社に警察の捜索が入ったようだが、悪天候から頂上を目前にしながら登山を中止した旅行社もある事から、案内したガイドと主催旅行社の責任は免れないであろう。

 今回の参加者は60代の中高年がほとんどだが、予測できない天候とは言え、参加者の体力がまちまちであり、ハイキング程度の感覚で多数の中高年を引率する事の限界と、団体ゆえに宿泊地の変更が難しい事や、航空機のチケットなどの変更が難しい事もあり、行程日時を決めた登山ツアーには無理もある。

 私も学生時代に西穂山荘から上高地に下るときに土砂崩れで道が判らず迷った事や、御嶽山頂から雷鳴(雷光)轟くまっただ中を金属製のピッケルを投げながら下山した事もあったが、若かったから何事もなく済んでいるが、現在の体調から10年後を考えると、今回のツアーには参加したいとは思えない。

 毎年出かける上高地で、時々岳沢登山口から入りたい誘惑に襲われるが、家内や子供達とは体力の差がある事から、「いつかもう一度」と思うだけだが、数年前に焼岳に登った時に、同行した私より体力自慢の高齢者が動けなくなり、「あと5分」を繰り返して下山した苦い経験もあった。

 もっとも、登山どころか四国遍路であっても、階段から転倒して病院に運ばれた人があり、参加する中高年のほとんどが持病の薬を持参している現状から、私の夜行で徹夜となる行程には無理があり、登山となれば尚更に個人差を考えた行程が必要と思われる。

 そうやって考えると、私の祖父達は御嶽教の先達として、バス3台分の高齢者の信者を3千メートルを超える御嶽山頂まで引率していた。プロスキーヤーの三浦雄一郎さんもエベレスト登頂を果たすなど、年齢による限界もなくなりつつあるだけに残念な事故となりました。
                                7月18日の一言

特別養護老人ホームの二日目

 北海道大雪山系に出かけた登山ツアー客の遭難が相次ぎ、10名が死亡する事故が報じられてきた。猛暑や真夏日のニュースが続く中で、北海道では残雪が残り、体温の低下によって多数の死傷者が出た事と、参加者の年齢が高い事から、日程に無理がなかったか検証が重要だ。

 さて、私は昨日に続き社会福祉法人の運営する特別養護老人ホームでホームヘルパーの養成研修会に参加していたが、昨日の肉体労働とは違い、本日は外出願望が高く、常に外に出歩く事を考えておられる認知症のKさんの見守りなど、話し相手やボール渡しやカラオケなど精神的作業の一日となりました。

 Kさんは津島市や天王川公園の昔話を時々され、年代や家族構成は意味不明なものの、自分の筋書きはしっかりとしており、話を聞いていると信じてしまうが、むかえに座るSさんとの会話になると、2人は近所の知り合いで何でも知っているような会話がかみ合っていくのである。

 Kさんの話を「うん、うん」と聞いていたSさんであったが、Kさんが突然に「ところで、あんたは誰-?」と私の存在が判らなくなり、「私は大鹿だったでしょう」と言うと、「大鹿さんと言うと、〇〇の大鹿さん知っとるー?」との一言がSさんから飛び出してきた。

 私は大鹿姓について研究している事から、〇〇の大鹿さんについて判っており、「学校の校長先生だった大鹿さんですか?」と問うと、「そう、そう、あんた知っとるの?」の返事が返ってきた。

 「Sさんの家は〇〇なの?」と問うと、「そうだよ」と返事があり、「それじゃー、お寺の〇〇もあるでしょう」と問うと、「〇〇さんはまだ元気かなー」と会話がつながり、「昔は店もあって」、「それは〇〇の店ですか?」、「そう、今でもやっとるかなー」、「今は止めてしまったけど」と、稲沢市(旧平和町)の話ですが、私が詳しい地域のため、かなり細かい話となりました。

 「Sさんの認知症は軽いんですか?」と、担当する職員に確認したほど正しい認識で会話が続きましたが、昔の記憶は正確に残されているためで、今までの事は忘れてしまい、「忘れてしまうでいかんわー」と、本人も自覚があるものの、Kさんが語りかけると仮想で会話が始まるのである。

 ただし、Kさんの津島市の話に幼馴染か近所の人として会話がかみ合うSさんであったが、私とSさんの稲沢市の会話についてKさんに問うと、「わしには、さっぱり解からんわー」と、これは解からない事が正常なので、期待した仮想の会話には至りませんでした。

 第三者から見ると、本日の私の研修を仕事として考えると、遊びのように見えるかも知れませんが、私の見守りが無いとKさんはイスから立ち上がり歩いていってしまうので、担当職員の仕事が中段してしまう事と、ボール渡しについても、車イスでオムツをした人にとってはかすかに動く手を瞬間的に動かす貴重な機会ともなったようです。

 私の現場研修もあと2日間となりましたが、自分の親ですら抱かえた事がないのに、老人ホームでベットから車イスに移動させるためにほとんど動けない入所者を抱かえ、自分で食事ができない人の口にコップを当てて、飲み込むのを確認した経験は、我が子ですら家内任せだった私には緊張の連続でした。

 家内の父親は家族の名前も判らない重度の認知症でしたが、身体が健康だった事と、食事と排尿などは自分でできた事から90才を超えても自宅で生活し、亡くなる前に3日間だけの入院で済んだ事から、私の認知症の在宅に対する大きな影響を与えていましたが、家内の里は専業農家であった事など、極めて稀な例であった事も実感させられました。

 夜になり、日曜日に福島県石川町で開催されるロードレースのために、次男の運転する車に自転車を積み込んだ三男と家内が出発していきましたが、出発間際まで高速道路の経由についても確認されておらず、「3人寄れば」とは言うものの、知識もないままでは認知症よりひどいと家族のノー天気にびっくりさせられました。
                                   7月17日の一言

特別養護老人ホームでの出会いに

 本日はホームヘルパー養成研修会の実習があり、愛西市にある特別養護老人ホームで介護実習を受ける一日となりました。施設内の状況を知らずに訪問したために、早朝より精神的プレッシャーを受けるとともに、昼休み以外は座る事もない現場の環境に肉体的苦痛も感ずる一日でもありました。

 朝一番で配属されたフロア-全員で前任者からの引継ぎとミーティングがあり、担当する部屋に戻って入所者の各部屋の掃除を済ませてからシーツ交換とオムツ交換を終えると昼になっていました。
 はじめに担当するフロア-の皆さんに私の紹介があったものの、担当する方々の状況についての説明はなく、作業する中でどうやら全員に認知症(もの忘れ)がある事は判ってきました。

 ただし、どの程度の認知症かについては全く判らず、担当する入所者8名と2日間のデイサービスの2名の相手をするうちに、ほぼ全員がかなり大きな認知症であることが認識されたものの、担当される職員の方々のように毎日接していないために、会話すらどこまでが本当の話なのか判りません。

 「〇〇さん、何処に行くの?」、「うん、娘が来るから見にいくの」、「娘さんはまだ来ないよ」、「それでも判らんといかんから…」、「いいわ、来たら呼ぶから」なんて2日間のデイサービスのおばあちゃんと職員の会話が繰り返される。

 精神的プレッシャーと前記しましたが、忙しい介護現場の中で、研修とは言え私が何も間に合わない見物人である事と、自分の両親ですら肌を洗った経験もない私が、認知症の高齢者とは言え、目前でオムツを交換されていく現場では、入所者の方々と目を合わせる事もできませんでした。

 午後はミーティングの後で入浴介助の現場に立会いましたが、全員が車イスでオムツを着用されている方々でした。寝たままで風呂に入れる最新機器とは言え、車イスから衣類の着脱とベッドへの移動は女性2人の細腕が頼りで、力を持て余す私も入所者に万が一のケガでもあったら困るため、ベッド周辺の雑巾がけと下働きが延々と3時間続き、これでも肉体的苦痛と感ずるのに、担当する3人は黙々と仕事をこなしていかれます。

 「〇〇さん、何処に行くの?」、「嫁さんは来ているか…」が繰り返され、「昼過ぎにならないと」が「2時に」から「4時にならんと」となり、たえず外が気になるおばあちゃんですが、本日の朝来たばかりで明日までは帰れないのです。

 一番元気で歩けるこの人でも、「おばあちゃんは何歳ですか?」と問うと、即答ができずに「この人と同じだわ」の返事に、「じゃー、28歳」と言うと、「私はもうちょっと若いけど」なんて言葉が真面目に返ってきます。

 十年ほど前の話となりますが、認知症の始まった私の恩師が毎日施設に通所する事になりましたが、自宅に訪問した私に「ワシは相談役で顔を出すだけだから」と、施設に出向く理由付けがされていた事に、地元の大物校長だけにさすがの理由と感心した日々が蘇えってきました。

 さて、認知症の高齢者になると私のように男性とか女性なんて意識もしておれませんが、90才を超えた男性入所者が介助者を大声で怒鳴り、食事も不味いと投げ捨てる行動には、家族でも手に負えない現実と、それに対応していく施設の女性軍の逞しさを感じずにはおれませんでした。
                                  7月16日の一言

直すより買った方が安い矛盾に

 我家には家庭用(100ボルト)の電源が自宅と事務所の2ヵ所にあり、事務所には事業用動力(200ボルト)の電源が引かれている。我家のエアコンは全てが200ボルトの動力から引かれていたが、どうやら1つのエアコンが故障したらしく時々ヒューズの安全器が切るようになってきた。

 本日は久しぶりとなる同級生の電気屋さんに来てもらい、故障個所の特定と修理を依頼したが、1つの屋外器のモーターが故障しているらしく、希望する修理よりも安価な家庭用エアコンを購入した方が低価格になるらしく、個人の電気店よりも大手量販店の製品の安さから、売り込む事も無く帰っていきました。

 一方で、貸し店舗で7年間使われたエアコンが2台取り外したまま残してあったが、私の常識としては十分に使えると思うものの、設置する費用を考えると、これも新しい製品を購入した方が安くなるとの理屈が中々理解できなかった。

 我家のエアコンが全て動力になっているのは、当時の電気工事業者が家庭用よりも動力の電気代が安く済む事から設置したものだが、最近では家庭用のエアコンが低価格になった事から、大きな店舗や工場は別としても我家では高額な動力用エアコンは経費面でもメリットが無くなっている様子である。

 私に電気工事の技術があれば、残された2台のエアコンを使用すれば安上がりと思われるが、工事費を業者に支払ってまで古くなった機器を使うメリットは無さそうで、早速家内が量販店で購入し来週に取り付けられる事となりました。

 さて、家族からも廃車せよとの声が上がる平成1年製の我が愛車についても、車体の発する騒音を解消するためにハブベアリングの交換をする事にしたが、トヨタディラーの整備士に確認したところ、その他の部品も悪くなっている可能性から、あれもこれもと交換する必要があると言われ、廃車の声が高々と発せられる車に20万円ほど必要かもしれないと告げられた。

 これだけ古くなると部品を交換しても修理した周りが故障するのでしない方が良いとも聞こえてきたが、20万円で展示される私の愛車より新しい中古車を見ながら、このまま直して乗り続けようとする私の気持ちは全く理解もされていない。

 こんな伏線のある愛車を所用で通った小さな車屋さんに見せると、炎天下の車のエアコンを切って私の運転する助手席に座って体感した後で、原因をリア・ハブベアリングと示し、トヨタの話をすると「とりあえず悪い所を直せば良くなると思う」と、3万円程度の金額が提示された。

 車があっても同乗する事もなく、私の話を聞くだけで故障の可能性から多くの部品交換を伝えたトヨタの整備士と、暑い車に同乗して自分の耳で判断した街の小さな車屋さん。本日から2日間のドック入りだが、物を直そうとする気持や大切にする気持に期待したい。
                                 7月15日の一言

歌手に変身した知人と再会し

イメージ 1

 添付した写真は歌手の『広畑あつみ』さんの写真(レコードジャケット)ですが、彼女は堀越高校在学中に「秋桜街道」でデビューした演歌歌手で、私が出会ったのは平成8年頃の話になりますが、私の人生では初めて知り合った歌手でもありました。

広畑あつみさんについて記した私の一言↓↓
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/15768085.html

 さて、私は「鶴田浩二」さん以外のファンになった事もなく、今でも「鶴田一筋」でありますが、紹介した「広畑あつみ」さんは私の長男より1才上(昭和52年生まれ)であった事から、親のスネをかじって学生生活をおくる息子と比較して、一人で頑張る姿に感動して家内と応援していました。

 それも10年前に議員になってからは会う機会も無いままに、最近では消息すら聞かなくなり、亡くなった「鶴田浩二」さんの歌以外には全く歌手や歌とは無縁の生活を続けてきました。

 「なにー、久しぶりだねー」と半年ぶりに入った喫茶店でママさんに言われると、「大鹿さん、私を覚えています?」とカウンターに座る男性から声がかかりました。こんな時に「知りません」と言うのは議員の立場上不信を買う事となりますが、顔には見た記憶は残るものの思い出せません。

 「歌手の〇〇さん」とママさんに言われると余計に記憶が蘇えらず、しばらくして15年位前までは高校野球などを通じて親しくしていた太田さんと判り、「痩せて顔が変わっちゃったね」と言うと、「昔は太っていたの?」とママさんに過去を教える事となりました。

 歌手の「あき保(たもつ)」さんは、私の出生地と同郷で、ふるさとの知人を通して知り合い、当時はカラオケ好きの先輩でしたが、我家の近くの商店に養子に入っていたものの、歌手になって家を捨てて出て行ってしまったと人から聞かされていました。当時は野球で鳴らした巨漢のスポーツマンでしたが、今ではスリムな演歌歌手に様変わりです。

 現在は私の近所に住み、プロの歌手として御園座や木曽岬温泉で歌謡ショーに出演しているとの話に、突然に歌手になった知り合いと再会です。出演したプログラムを貰い、ポスターを私の事務所に張り出す約束で別れましたが、私の生活圏の中で全く知らないままに活躍を続けていた知人との再会は、多くの亡くなった知人や前記した「広畑あつみ」さんまで懐古する夜となりました。

 私の古くからの知人で、歌手となって6年目の「あき保」さんの登場に、嬉しさからしばらく行った事もないカラオケ行きの約束をしてしまい、本職とカラオケの身のほど知らずも忘れ、しばらくは会場に顔を出して応援したいと考えています。皆さんも津島市の歌手ですので応援してくだされば幸いです。
                                    7月14日の一言
歌手「あき保」さんのプロフィール↓↓
http://www.zen-on-ren.jp/log/singer/eid107.html 

民主党候補者も自民秘書の経歴に

 麻生首相は衆議院の解散を今月21日とし、来月の18日に公示、30日投開票とする意思を表明し、与党の自民党や公明党も受け入れたとの報道があった。首相だけの持つ衆議院の解散権だったが、東京都の都議選惨敗を受け、首相の権限も皆無に追い込まれた様子である。

 私は地方議員であるが、無所属無党派へのこだわりを持って議員となり、その後も政党とは無縁の活動を続けてきたが、国政は小選挙区制度によって、二大政党しか生き残れない仕組みとなり、無党派層が大部分を占める国民までもが二つの政党から投票の選択を迫られる矛盾を強要されるようで不快でもある。

 最近の自民党は地方選挙でも惨敗を続けており、選挙前に記す事は不謹慎かも知れないが、衆議院選挙の結果は民主党の圧勝しか予想できず、政権交代も現実的になりつつあるが、選挙区に一人しか当選しない小選挙区により、立候補する候補者も思想や理念よりも二者択一を迫られ、候補者の考えが政党のマニフェストの陰に隠れて見えなくなりつつあるのも現実である。

 最近の首長選挙においても民主党系の候補者の当選が続いているが、当選者の過去の経歴を見ると自民党代議士の秘書経験者も多く、二大政党のそれぞれの理念とか思想に何の違いがあるのか理解も難しく、候補者も選挙に勝つための政党選択と所属としか思えない。

 さて、自民党の凋落について、東国原宮崎県知事との密約とか、麻生首相の能力不足などと人々は勝手な事を評論家として語っているが、前回の衆議院選挙では小泉首相のもとで圧倒的勝利を収めており、その後の安部、福田両首相の政権投げ出しによって、組織としての求心力が完全に崩壊した結果とも言える。

 同じような状況下で誕生したのが小泉首相であったが、今の自民党には桝添さんや東国原知事など、とても国の将来を託すには無理のある人物しか人材がなくなっている。一方で、民主党の鳩山代表の政治資金問題についても、少額の不正でも議席を失う地方議員の存在を考えると、政略ではなく真剣な検証を経ずして首相候補は禁物でもある。

 昨日の選挙では、奈良市長に民主系の33才の候補者が当選したが、全国に続々と登場する若き首長誕生についても、全く政治経験がなくても務まると思われている事からも、地方議員の努力や経験は報われるとは思えなくなってきた。若い首長誕生が、現状への一過性の不満であれば幸いだが、支持政党によっては経験と実績を積んだ政治家が簡単に姿を消す事にもなりかねない。私も何のための議員か判らなくなってきました。
                                   7月13日の一言

虫のお蔭で仕事から放免され

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、前回の当番日に四国遍路に出ていたために、1ヶ月ぶりの記念館となりました。その四国遍路すら忘れてしまう忙しさで、我家の仕事や訪問している庭師を残しての留守番は、来客が少ないと何のための一日だったかと思う日々も存在します。

 本日は午後からではありますが、関心の高い人々の訪問が続き、閉館時間を大幅に過ぎても話に花が咲く盛り上がりとなりました。

 さて、記念館にはグアム島で横井庄一さんが衣服を作るために作った「機織り器」が展示してありますが、本人が機織りを再現している写真を見ていると、展示してある「機織り器」の位置関係に矛盾があり、夫人に確認すると亡くなった本人しか判らない事が判明しました。

 この「機織り器」を使えば芸術的な布や、実用に耐えうる布地が完成する筈ですが、記念館に展示はしてあっても使い方す判らない現実に、本人が亡くなって12年(今年は13回忌)の歳月の経過と、本来の主の不在を実感させられました。

 こんなやりとりを見ていた来館者から、「これはこうして使うんです」と言われ、この一言を発したのが昭和58年生まれの若者(男性)である事から、「詳しいね」と訊ねると、「東南アジアで見た事がある」と、自身が旅行したインドやスリランカの話となりました。

 そうやって考えると、グアム島での生活も、昭和初期の横井庄一さんの生活知識も東南アジアと共通するつながりがあるものの、現代の日本ではこれを再現するためには、趣味で手織りを楽しむ人や、京都の西陣織などの技術者に聞かないと判らない時代の変化も実感させられました。

 久しぶりに充実した記念館の当番でしたが、充実感を持って帰宅すると、後片付け中の庭師さんの中に帰宅した家内の姿があり、「お父さんも手伝って」との一言があり、剪定して山積みとなった木や枝の現実に唖然とさせられました。

 ただし、明日も庭師さんの訪問が続き、後片付け中の家内が「オコゼ」に刺され、痛みが激しい事から私も仕事から放免される事となりました。こんな事で喜んでいては一家の主としては無責任と言われかねませんが、明日からも仕事が続きます。
                                    7月12日の一言
追伸
乗鞍スカイラインサイクルヒルクライムに参加していた三男は24位の結果でした。元々が短距離の競輪系で、山登りを苦手としているだけに好結果と思います。

手術予定の庭師さんの話し相手の一日に

 本日は3年ぶりに庭師さんが入り玄関前の庭が刈り込まれたが、家内は午前中に三男を乗せて明日ロードレースが開催される乗鞍スカイラインに出かけてしまい、私は予定していた仕事を休んで庭師さんの相手をする一日となりました。

 「おい、明日行くから」
 「えっ、行くって誰が?」
 「〇〇さんと△△さんの2人」
 「2人って言われても、明日は誰もいないよ」
 「大丈夫だわー」
 「大丈夫ッて言っても、天気は大丈夫?」
 「大丈夫、大丈夫」

 前夜にかかってきた電話のやりとりだが、家内が午前中に出かける事と、私も午後には予定した仕事があり、「急に言われても」の言葉も、「もう、道具も積んでしまったから」との言葉に、断りたい本音も電話の主が昨年9月から春まで入院し、現在も1日おきにヘルパーの訪問を受け歩くのがやっとの人だけに、「行ける時に行かないと」の言葉に縁起も考えさせられてしまいました。

 我家の庭師は20年ほど前から「小界(こさかい)園芸さん」に依頼しているが、最近は家内が勤めている事と、私自身は木を刈り込む事が嫌いなために、3年ぶりの仕事となりましたが、玄関の松がのび放題となっている事から、「今年の秋には」との思いで数日前に訪問しました。

 前記したように、昨年から入院し、訪問時もヘルパーが付き添い、玄関まで歩くのがやっとの姿にびっくりでしたが、我家の庭が気になっていたらしく、一緒に来ていた仲間に声をかけてもらう約束をして帰った次第ですが、本日はろくに外出もしていない小界さんも見物ではありますが同行にびっくりです。

 歩くのもやっとの病人の登場に、私も話し相手となっていましたが、名古屋の総合病院の病室が空きしだい肝臓の手術が予定されていると聞き、私が相手をしていないと庭でハサミを手にされる事から、午後からも話し相手の一日となりました。

 もっとも、玄関の門柱の上を屋根のように横切るマキの枝の支柱が折れている事から、私自身も竹を持ち出したために小界さんもハシゴに登って庭師となってしまい、「仕事は厳禁」の病人だけに一仕事の後は慌てて休憩に入りました。

 「出来る時にやっとかないと」の一言は、「もう二度と出来ないかも知れない」を予感させ、奥さんを亡くして43年との話から「あと、7年は生きないと」と話したが、子息も無く私と知り合った30年前から独り暮らし(現在78歳)のため次の目標は重要です。

 「小界さん、四国遍路はどう?」、「行ってみたいけど行けるかな?」、「行ける、行ける」の会話となりましたが、健康になれば仕事を捨てられない人だけに、四国遍路はこれからの手術が無事成功するための暗示として話し続けました。

 さて、明日は朝から横井庄一記念館に出かけてしまう事から、仕事厳禁の小界さんがハシゴから落ちても困りますので途中で様子を見にこないといけませんが、同行した〇〇さんも腰が悪く、時々腕や足がしびれるとの話から、これからは私の手伝いも必要になりそうとの予感がしました。
                                 7月11日の一言

ヘルパー仲間との共有に驚きの一日

 本日はアイプラザ津島(旧勤労福祉会館)を会場として5月より開催されていたホームヘルパー養成研修会の座学と実習が終わり、来週から始まる介護施設やディサービス等の現場研修を終えると晴れて2級のヘルパーとなる。

 私の場合は6月議会と日程が重なった事から、一宮会場にも足を運んだ研修会となったが、9月末に開かれる修了式の後には津島会場で一緒に研修を受けた受講生が揃って昼食会を開く事となり、メンバーの連絡表まで作って配布された。

 今まで会った事もない初対面の人たちばかりであったが、2ヶ月間にわたって一緒に研修を受け、グループで実習を続ける中で、お互いの携帯電話の番号を教えあい、全員のメンバー表まで印刷して渡された事は、最近の個人情報の流出を嫌う社会の中だけに、いかにお互いの目標や課題が共有された結果と驚かされている。

 愛知県が大会場で大々的に主催する研修会や講演会なども開催されるが、終了後は参加した隣の人の名前すら判らないままに散会したり、長期にわたる研修会を修了後に電話番号どころか名前の公表すら拒否する例を見てきただけに、この信頼感はこれからの人生の中で味わえない経験となる可能性も高い。

 私にとっては、この研修によって勉強した事と、介護の現場を一時でも体験する事によって、今まで行政の説明や議会で説明を受けてきた介護保険制度とは違い、新たな課題と問題点や改善点も感ずるものがあり、これからの活動や勉強の大きなヒントにもなってきた。

 さて、今回の研修会には既に福祉の現場で働いている人もあるが、これから福祉現場で働こうと考えておられる人々もあり、参加の理由は様々ではあるが、今後の高齢者社会の中で絶対に必要とされている仕事である反面で福祉現場の報酬は極めて低い。

 一方で、ツクシのように設立された介護や福祉の相談所についても、今回の研修会を主催した「福祉の里」のように、長年の経験とノウハウを蓄積するだけでなく、大量のヘルパーを養成し続けてきた信頼できる本物と、相談する事が必ずしも利用者のプラスにならない会社との見極めも重要である。
                                   7月10日の一言
福祉の里ホームページ↓↓
http://www.fukushinosato.co.jp/

高速道路割引制度の陰で

 高速道路の休日「千円乗り放題」が、8月には平日にも拡大されるとの事であるが、選挙を前にして民主党は高速道路の完全無料化を公約としており、マイカー族には嬉しい話題のように思われるものの、道路の渋滞で車は動かず、必ずしも有効とは思えない問題も指摘されている。

 一方で、高速値下げがJR各社に深刻なダメージを与え、各社とも大幅な減収となる中で、JR四国については、、5月の鉄道収入(定期券を除く)は前年同月と比べ5億1200万円減(17.4%減)。阪神大震災があった95年1月(39.2%減)に次ぐ落ち込みと報じられている。

朝日新聞関係記事↓
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK200907080075.html

 また、フェリーや航海路の苦境は全国に広がっており、瀬戸内海では4月以降、3社3航路が廃止・休止され、広島県三原市の1社が今後、2航路を廃止する予定で、広島―愛媛間の呉・松山フェリーは6月末に廃業に追い込まれたと報じられている。

 我が身において考えると、休日の四国遍路の高速道路通行料は大幅な割引になったものの、休日を日程に組み込むと思わぬ渋滞に巻き込まれ、宿泊施設で休日割増料金を取られる事と、休日にはバス団体の朱印に待たされる事も多く、平日の四国行きは今までの高速代にも割高感を実感するようになった。

 私が昭和63年から続けてきた「朝日旅行友の会」についても、昨年は毎月マイクロバスの旅行を企画し、観光バスでも日帰り旅行を実施してきましたが、今年は私自身が忙しいとの事情もありましたが、高速道路の渋滞により例年より目的地までの距離に限界がある事から企画は立てたものの中止を選択する事としました。

朝日旅行友の会の行き先リスト↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage102.htm

 こうやって考えると、高速道路の割引や無料化が車の渋滞ばかりか、他業種の廃業と離職者も生む可能性と、環境面でも大量の排気ガスを放出する事と、維持費は今まで以上に必要になる事から、以前のこの一言でも指摘したが、地域の足となっている公共交通機関を守るためにも、列車やバスなどへの割引を考えた方が環境面も含めて有効と訴えていきたい。
 
 同時に、列車やバスなどについても企業の枠を超えた連携や、フェリーについても仮眠がとれる事から、既存の交通手段を総合的に議論しなおし、マイカーよりも有効な利用条件やアイデアにより、廃止を決断する前に企業だけでなく地域全体の問題としての議論に期待したい。
                                    7月9日の一言

無責任なトヨタのF1開催権放棄に

 富士スピードウェイの加藤裕明社長は7日の記者会見で、経営環境の悪化を開催中止の理由に挙げ、親会社のトヨタはF1参戦を継続させるために子会社である富士スピードウェイでのGP開催を手放したと報じられている。

朝日新聞の関係記事↓
http://www.asahi.com/sports/spo/TKY200907080105.html

 世界的な不況は言うまでもなく、世界有数のトヨタでさえ厳しい現実を迎えているわけだが、今回の富士スピードウェイでのF1GP開催権を放棄する行為は、F1参戦に巨額の資金が必要とされている現実は判るものの、企業としての責任としては無責任と言わざるをえない。

 トヨタは9年前に富士スピードウェイを買収するとともに、巨額な改修費をかける半面で、それまで日本のモータースポーツ界の発展と、F1人気を築き上げてきた、ホンダ系列の鈴鹿サーキットから2年前に開催権を奪い取る戦略に出た。

 まさに、トヨタの社運を賭けて、巨額の費用をかけた誘致運動から、モータースポーツの創生期からF1の世界一まで登りつめたホンダの歴史でもある鈴鹿サーキットから、F1の開催権を奪い取り、トヨタの世界戦略としてF1に参戦していたのである。

 結果的には、ホンダも鈴鹿サーキット改修に巨額な資金をかけ、開催権契約の巻き返しを図り、一年ごとの交互開催となり、本年と再来年のF1は鈴鹿サーキットで開催されるようになったが、トヨタの身勝手な開催権放棄で、来年は開催を熱望している韓国などに開催地を奪われる可能性もでているのである。

 F1参戦には百億円とか、開催には数十億円などと巨額な資金が必要と言われているが、ホンダは創業者の本田宗一郎氏の時代から若い技術者の技術力向上のためにモータースポーツの最高峰を目指し、トヨタは販売の世界戦略としてF1への参戦を選択した。

 ホンダはオートバイだけでなく、F1についても相思相愛の人気ドライバー「アイルトン・セナ」によって世界一の座に登りつめたが、世界的不況の中で、F1から撤退するばかりか、他チームへのエンジン供給も断念して企業の生き残りを図り、鈴鹿サーキットでの開催は続ける模様である。

 一方で、日本のモータースポーツの聖地ともなっている鈴鹿サーキットから会場を奪ってまでF1に参戦したトヨタは、いとも簡単に富士スピードウェイでの開催権を放棄し、販売の世界戦略の広告塔としてF1参戦を続けていくが、先行きは不透明でもある。

 企業の繁栄は厳しい販売競争にあり、企業戦略は重要と思うが、トヨタによる巨大資本にものをいわせた開催権略奪によりホンダも予想しない巨額な改修費が必要になったと私は思う。こんな身勝手な横槍でモータースポーツに対するホンダイズムが後退したとしたら哀しいものがある。

 もっとも、F1への参戦と撤退は自由と思うが、F1会場となる開催権については、関係する関係自治体や地元に及ぼす影響も大きく、業種によっては廃業も招く死活問題となる事から、トヨタの開催権奪取や身勝手な放棄は、世界的企業としは無責任との批判は免れない。
                                    7月8日の一言

徹夜で組み立てられた自転車が届き

 「おはようございまーす」の大声に飛び出していくと、宅配便の車が止まっており、日曜日のロードレースで三男は先頭集団の転倒に巻き込まれ、自転車を引っ張ってゴールしたものの、全損となったためにチームの監督さんが徹夜で仕上げた自転車が届けられたのであった。

 三男のチームは横浜を本拠としている「コムレイド」で、今回は本拠地に近いために先頭集団の絶好の位置にチームの5人が揃い、ゴール前2百メートルで飛び出そうとした瞬間に、転倒した自転車に巻き込まれて4人が転倒し、2人は救急車で運ばれる事態となったそうです。

 幸いにして三男の自転車は壊れたものの、身体は軽傷であった事から、リタイヤではなく引きずってでも完走はできましたが、チームプレーで誰かがトップを狙えただけに、日頃から単独のレースが多い三男にとっては絶好の機会が残念な結果となってしまいました。

第5回全日本実業団富士スピードウェイロードレース大会
平成21年7月5日(日)富士スピードウェイ
ER・124位 http://www.jbcf-net.org/result/20090705_fujiSW_result.htm

 さて、全損と言うと簡単な一言のように聞こえますが、競技用自転車の値段は高く、これまでも落車するたびに修理を繰り返してきましたが、今回は監督さんが壊れた自転車を持ち帰り、殆んどが新品に組替えられて送られてきました。

 もっとも、今までにも連絡すれば部品の提供は受けられたようですが、三男が悪いと思って親のスネをかじっていたようで、今回は徹夜で組み上げたコムレイドの監督さんと、スポンサー企業の恩恵によって、来週も安心してレースに参加できる事となりました。

 来週は乗鞍スカイラインでレースがあり、翌週は福島県石川町、その翌週は長野県小川村と、三男は学生の身分でありながら、チームの監督さんやスポンサー企業のお蔭で、プロと同じようなレース環境をいただいており、家族の悲鳴は嬉しい悲鳴と割り切り、感謝しなければならないと思う一日となりました。
                                  7月7日の一言

ストレスを与える人と癒す人

 本日は中学校の同窓会報のスポンサー廻りをはじめ、知人より紹介のあった開業医に出向いたところ、「うちは卒業生じゃなく、他所から来たから」と会話にもならずに、私はかなりのストレスを貯め込んで退出しました。

 実はこの医者は私と親しい知人の身内のため、2日前に私の訪問を伝えてもらってから出向いたのであるが、当方の説明を一言も聞く耳すら持ってもらえず、自分は地元とは関係なく、医院を宣伝してもらう必要もないとの一方的な言葉に、行けと言われた人すら信じられなくなり、「行かなければ良かった」とさえ思えてきました。

 こんな気持を引きずって広告主を続けてもらっている隣の珈琲屋さんに出向いたところ、「うちも結構です」の返事が自然に発せられ、「とにかく珈琲を…」と注文して座ったものの、出だしからこんな事でどうなるのかと自問自答して、満席の人が引くのを雑誌を読んで待ち続けて帰ろうとすると、「ハイ、これ」と広告代が差し出され、最初の一言が冗談と判りホッとさせられました。

 「いや、いや、今日はお願いに来ただけで…」と、集金は発行後に伺うと伝えて話し込むと、相変わらずいつもの会話が続き、隣の開業医でのストレスも飛びましたが、何処にどんな縁があるかは判らず、私もこの開業医を知人に勧めた事があり、人を人と思わぬ言動は自分に還っていくぞと自分に言い聞かせました。

 実は隣の珈琲屋さんこそ宣伝する必要もないのに、善意から同窓会にご協力を戴いており、同窓会が縁で私の同級生も通い続けている事と、数日前に地元から発信されるブログにも紹介されており、人を馬鹿にした言動や扱いは反感もあるが、人に親切にすれば知らぬところで得をしている事を実感させられた。

 「数日前にお宅の店が紹介されてましたよ」と伝えましたが、「エッ、本当?」と本人も知らぬところで宣伝となる店の紹介をされていた事から、謙虚な気持と、傲慢な対応の大きな結果の差を実感し、自分の肥やしにしたいとも思いました。

紹介されていた珈琲屋さんのブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/nouminn26327/30021638.html
 
 夜に開催された中学校の同窓会役員会で、訪問した開業医が学校医でない事を確認し、「絶対に他を利用してよ」と声を大にして叫んでいました。これこそ腹いせかもしれませんが、同窓会も自腹付きのボランティアだけにスポンサーの利益優先です。

 さて、夜の役員会との合間に訪ねた知人から、「絶対に身体に良いから」と勧められた飲料水をいただきました。「今度は本当に効くから」との一品(下記参照)は、「母成(BONARI)」と言い、必須ミネラル水との事ですが、目にも「加齢臭」にも効果ありとの話に、しばらく試用することになりましたが、こんな親切な先輩の存在も私のストレスを癒してくれました。

「母成」の製造元・株式会社飛騨國
http://www.hidaguni.com/set-company.html
http://www.mahounohanaya.com/new/mineralclub.php
                                   7月6日の一言

連続するひったくり事件について

 テレビから流されてきた名古屋市の広報番組を見て、ひったくりが連続して社会問題となっているとは言え、放映された内容は極めて街のイメージを低下させ、判りやすい演技のためとは思うものの、キャッチフレーズが良いだけにもったいない映像でもあった。

名古屋市の防犯キャッチフレーズ
『ひったくり被害にあわないために、いま一度「Bag(バッグ)・Back(バック)・Bike(バイク)」の“3つのB”に気をつけましょう』

 3つのBについては、Bag(バッグ)はカバンを道路側に持たない事、Back(バック)は自分の後方に気をつける事と、バイクに注意する事の3つであるが、バイクのほとんどは犯人ではなく、後ろをキョロキョロ見て歩くのも不審人物と思われ、犯人がお構いなしに犯行に走ると危険なため抜本的な解決策を議論する必要に迫られている。

 ひったくりは連日のように起こっており、本日の朝刊にも名古屋に隣接する尾張旭市で発生した昨日の事件が報じられているが、「黒っぽいバイク」に乗った白いヘルメット、緑色のジャンパー、黒いズボンなどと犯人についても記されているものの、連日の事件から犯人が逮捕されたとの記事は見当たらない。

 やりたい放題の犯行はほとんどが若者の犯行で、複数の犯行もある事から、同世代の若者の情報から犯人を絞り込む事も可能と思われるが、未解決のままにひったくりを繰り返させる事は、より悪質な犯行に発展させる可能性もあり、犯罪の抑止のためにも全力での捜査に期待したい。

 しかし、現実は警察の捜査もひったくりについてはほとんが実施されておらず、交通違反などで取り調べた若者に尋問する程度で、間違った尋問や取調べは人権問題に発展する可能性から、ほとんどの捜査が進捗しておらず、被害者の中には調書の時間が長い事や犯人が捕まらない事から無届けとなっている事件も存在する。

 一方で、自転車の盗難も増加の一途をたどっているが、これについても警察は具体的な捜査を行なっておらず、捕まらないことから一度が二度になり、犯罪の意識も希薄となって自転車の盗難が罪の意識もなく続いていると思われる。

 微罪で警察が後回しとしている犯罪が大きな事件に発展する可能性と、転勤が当り前となり、かつての警察のように地域と顔馴染の警察官もいない事から、情報不足を補う事と、事件が増加して軽微な犯罪に手が廻らぬ現実を解消するには地域の人々の協力が欠かせなくなっているのではないか。

 かつて大型オートバイを盗まれた同級生が、警察に届けたものの探してもくれない事から、私に犯人探しを依頼した事があり、当時は若者の情報によって一日で探し出した事があった。自転車の盗難についても、駅やバス停を調べ廻して探し出した事もある。地域力には可能性も高い。
                                   7月5日の一言

息子に行動の手足をもがれて

 私の移動(行動)手段である車が、三男が明日開催される自転車レースに出場するために会場の富士スピードウェーまで家内と走っており、日頃オンボロと言われている我が愛車が必要とされる半面で、私にとっては手足をもがれて本日は事実上休養となった次第(夜の会合はありますが)でもあります。

 会場となる富士スピードウェーであるが、受付は前日の本日中に済ませる必要があり、会場の駐車場が朝の午前4時に開門となる事から宿泊しても夜中に起きる必要があるものの、レースも朝の9時には終わってしまう事から、足を伸ばして仮眠のできる私の車で十分との話となった。

 ただし、私の行動に制限ができる事から、昨日には息子が自転車のタイヤを修理するのに同行し、パンクしたままとなっていた私の電動自転車も修理に持ち込み、本日の足用として備えたものの、雨は上がったものの暑さと日焼けのため眠らせたままとなりました。

 さて、昨日訪れた自転車屋さんは、ロードレースを愛する愛好家たちで40数年続く愛好会を続けられており、私が頭の中に思い描いている地元津島市での自転車大会を今秋に開催する話をしたところ、メンバーの会長さんに話して前向きに検討していただける事になりました。

 私自身も、教育委員会の幹部や道路担当者にはこの構想が話してあり、愛知県の自転車連盟の会長(前犬山市長)にも先輩議員を通して支援の依頼がしてある事から、今年の11月には公式レースは無理であっても、模擬レースと自転車の安全講習や健康のための教室を開催したいと考えており、息子を縁にして実現に一歩近づいたように思います。

 これが回数を重ねる事により、全国から自転車のロードマンが津島市に集まるようになれば最高で、人が集まれば宿泊の必要性とか、観光についても光明が見出せるようになると思います。忙しいとは言いながら、新たな企画には目が移ってしまう悪い癖ですが、久しぶりに明るい話題が提供できそうです。

 今年は10月4日(日)の秋祭りにも市外各地の障がい者に呼びかけ、障がい者が当たり前に参加(鑑賞)できる祭りを愛知県に提案して予算が獲得してあり、ここに自転車によって県内各地から人々を呼び込めれば、私個人の働きとしては合格点をいただけるのではないだろうか。
                                   7月4日の一言

簡素化した父親の17回忌を終え

 本日は父親の17回忌であったが、来年には私の曾祖母の50回忌を迎えるため、家族だけの法要としたものの、法要の始まる前から市役所職員の訪問を受け、戻った時には半分が終わって中休みとなっており、終了後は僧侶3人と家族4人で昼食に出かける簡単な法要でもありました。

 私の父親は平成5年に亡くなっているが、16年も経過すると親を話題にする事も少なくなり、今年は先祖の墓がお寺の改築によって場所を移動する事から、遺骨の移動も必要となり、仏壇に残された分骨についても本日の話題となりました。

 「本山に収めてもらえば故人も喜ぶ」との住職の一言があったが、我家が檀家となっているお寺の本山は浄土宗の「知恩寺(京都・百万遍)」で、私の父親は訪れた事もなく、自分の祖母の遺骨を総本山の「知恩院」に収めてきたくらいで、(住職も当時は知恩院が本山と思っていた)知らないお寺に収めても喜ぶとは思えない。

 「死んだら全部入れてあげるからね」の一言は、私が四国遍路に持ち歩く朱印帳や白衣や輪袈裟などの一式であるが、私は自分が死んだ時にこれらを棺桶に入れて欲しいとは思ってはおらず、むしろ後々まで残して欲しいと思っている。

 「そのために廻っているんでしょう?」なんて一言を聞くと、同じ家庭に住んでいても「浄土真宗」の家から嫁いできた家内や母親の感覚はそんなものかと悲しくさえなってきます。
 「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば天国に行けるとでも思っているかもしれないが、私は死んだ後の事を考えて四国に出向いてはおらず、朱印帳についても重ね印によって真っ赤にして末代まで残したいと考えています。

 本日の法要では、仏壇の片隅でススで真っ黒になり、ネズミにかじられた「弘法大師」坐像の修復も話題となり、9月に住職により「お精抜き(おしょうぬき)」が行なわれる事が決まりました。

 この坐像は、私の父親と生き別れたまま亡くなった祖父が、我家に養子に入った時に持ち込み「弘法様」として加持祈祷に参拝されていた仏像で、近所の古老から聞いた話では「婦人病に効く」と評判で、昭和初期に人力車で人々が訪れていたとの因縁が残されています。養子とは言え、幼い子供達を残したままに家を出た祖父ですので、幸せな人生ではありませんでしたが…

 私には何も「法力」はありませんが、祖父が残した事から肩身の狭いままの坐像を修復する事から、私の人生の後半戦に臨み、私のライフワークとしている四国遍路の素晴らしさを近隣の人々にも発信したいと考えています。
                                   7月3日の一言

県内各地に拡大した新型インフルエンザに

 新型インフルエンザの感染者について、愛知県では前日1日間に14人もの感染が発表され、本日の新聞紙面からは患者総数を探しても見つからず、県内ほとんどの市町に蔓延している状態で、私の住む津島市には感染していないものの、感染は時間の問題となってきた。

 感染は学校を通じて感染し、大学のように県内各地から生徒が集まってくる事から、感染者は県内各地に新型インフルエンザのウイルスを持ち帰り、持ち帰った地域で感染者が増加し、自治体も感染者の把握すら難しく、体力があり市販薬で済まされると、感染は拡大の一途をたどることとなる。

愛知県での新型インフルエンザ発生状況
        http://www.pref.aichi.jp/0000025799.html

 私自身も6月議会の一般質問で新型インフルエンザや結核等の感染症対策について質問したが、今回の新型インフルエンザが重症化しないこともあり、小中学校の修学旅行も予定どおり実施され、特別の対策は皆無であったが、最近になって教育関係者からスポーツ大会の運営などをめぐり、感染力が強い事から深刻な問題として議論がささやかれだした。

 感染した人に責任は無いものの、「まさか自分が」との思いから、感染の危険性のある地域に出向いてウイルスを持ち帰った人も多く、こんな一人ひとりの甘い考えが「囲い込み」を不可能にし、大学から広範囲に蔓延し、休校中の学校も増加するばかりである。

 さて、四国遍路への道中だが、通常では徳島県までに大津と兵庫の2ヵ所で休憩しているが、今回は新型インフルエンザへの感染を防ぐために近畿圏では休憩を取らなかった。しかし、こんな努力も無力となる位にウイルスは我家の近くまで簡単に侵入していたのである。

 本日参加していたヘルパー養成研修会にも、感染者が発表された市町からの参加者が存在し、現状では感染防止策は自分自身のウガイや手洗いしかなく、夏にマスクも現実的ではない事から、感染したら一刻も早く病院に出向く事しかありません。

 人によっては感染によって命に関わる人もあるが、自分自身が感染すれば多くの公的スケジュールにも穴を空けるだけでなく、公的行事そのものの中止や延期となる事から、感染しても病院に行かないとなると更に被害を拡大させる事となるが…
                                   7月2日の一言

今年も半年が経過してしまい

 今年も半年が経過し、あと半年すれば大晦日がやってきて、元旦は京都からスタートなんて考えると、1年の経過が早く、気がついた時は死期を悟ったベッドの中なんて事が現実のように思われ、平成16年から書き続ける一言なんて一瞬の事ですが、これを読み直す時間すらありません。

 昨日の奇跡的な試験合格は、今後の日程にも大きく影響し、9月か10月にスタートさせる予定が7月中には事務処理が完了してしまい、私の身体が予定したスケジュールから自由にはならず、プロのコンサルタントに任せた事務処理の早さに戸惑っています。

 さて、5月から続いていたヘルパー養成研修会は、本日より身体を張った実習が始まり、冷房が効いた会場内でも汗をしたらせる一日が経過し、今月は施設に出向いたり、在宅へのサービスに同行したりの日程が続きます。

 「大鹿さんはやる事は無いだろうね」とは、本日のオムツ交換の実習中の一言でしたが、その後に「やってもらう側だろうな」の一言は、若い受講生と違って的を得た言葉とも思えました。子供の養育経験を持つ女性と違い、男にとっては大変な仕事で、これを自然にこなす女性には脱帽です。

 そもそも、冗談を言える雰囲気ではなく、注目の中でオムツをして取り替えてもらう役は、男性は男性を相手にして実習しているものの、注目する女性軍が笑ってくれないと気恥ずかしく、逆に女性の実習風景は目のやりばに困り、冗談は人を傷つけそうです。

 こんな一日が終わり、会場を出たとたんに8月1日に地域へ全戸配布する予定の同窓会報の印刷業者が待ち構え、6日の役員会までに30件程度の広告スポンサーを訪問する仕事がある事も実感し、大変な現実が目前に迫ってきています。

 もっとも月末には2回目の四国遍路を控える中、1日に配布される同窓会報を地域の50軒近い町内会長宅まで私が配達する必要があり、今月は身体を張った1ヶ月となりそうです。初めに年末の話を記しましたが、来月16日の京都大文字の送り火も私の恒例行事だけに、会員の皆さんへ知らせる仕事にも迫られています。これって、先月より苦しいのではないだろうか。
                                   7月1日の一言
追伸
身体ばかりではなく、会報への原稿書きや編集も済んでおらず、明後日の父親の法要すら眼中から消えており、行政への仕事も夜に書類を作成してメールで送っている有様です。
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