大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年08月

心機一転の切り替えに成功しました

 本日で8月が終わるとともに、明日からは9月になるだけでなく、議会の本会議が始まる事から、今までのシガラミは本日中に終えておきたい心境で、大型二種運転免許の試験に朝から出向きました。

 名古屋市の平針にある愛知県の試験場では、9時30分と10時30分と午後1時30分に学科試験が行なわれますが、私は9時には試験場に到着したものの、万全の状態で試験を受けるために10時30分の試験を選択して一緒に自動車学校を卒業した2人と教本の復習をしながら待ちました。

 そして、受付けに並んでいると、夏休みの学生が多いためか、中々受付けが修了せず、書類が受付けを通過したのが試験の10分前で、視力検査に入ると仲間の2人は終わったものの、私の前に並んだ中年の2人組が視力も深視力(遠近感)も受かりません。

 どうやら前の審査で不合格となり、メガネ屋で深視力用に新たな眼鏡を作ったものの、審査を合格できない代物のようで、担当の警察官と長々と応対が続き、私が終わった時には試験開始時間を経過してしまい、その顛末を見ていた警察官が「今なら何とかなるから急いで」と送り出してくれました。

 さて、2階の試験会場は扉が閉まっており、総合窓口に問い直して扉を開けると、満席で受験生が説明を受けており、扉を開けた私に「何ですか」と警察官から厳しい視線で詰め寄られますが、「下の警察官から急いで入れてもらえと言われて」と言うと、腕時計を凝視しながら渋々入室が許されました。

 「あッ、おい、何だー」と一番前の席に警察官の同級生がおり、懐かしい会話をしたいものの「急いで、急いで」、「荷物は足元に」、「携帯電話は電源を切る」と衆目の中で厳しく急かされましたが、滑り込みセーフで試験が受けさせてもらえました。

 この同級生は高校の同級生で、かつては警察学校の試験を前後で受けた事から、数十年ぶりにまた同じ会場で試験を受けるのは奇遇というしかありません。試験後の話では、4月から免許試験場に転属となり、全ての運転免許を取得するための受験との話でしたが、最近では行く先々でこんな再会が多いのも年齢のせいでしょうか。

 頭の回転が鈍くなったので、過去にない勉強(一夜漬け)を繰返し、寝不足で視力が定まらないような状態ながら、「満点はないわなー」とは思いましたが全問が理解されており、心配する事無く合格(結果は97点)でき、明日からは過去を封印して議会活動に専念できるようになった事は幸いでした。

 来週には議会の一般質問から常任委員会が開催されていますが、青ナンバーのタクシーも到着する予定となっており、NPO法人の福祉有償運送(白ナンバー)もあわせて役員会で説明後に営業の開始となっていきます。
                                   8月31日の一言
追伸
携帯電話の電源が切ってあった事から、午後は電話の嵐となり、市役所をハシゴする一日となりました。

パンクも良薬と解釈したいものです

 本日は三男の自転車レースのために、家内と次男とともに三重県の鈴鹿サーキットに午前10時には到着しましたが、息子の出場するレースは午後2時過ぎとなる国際ロードレースのために、観客席に座ったまま4時間も待つ事になりました。

 国際ロードレースはツールドフランスに出場した別府選手も出場するなど、多くのプロ選手が出場するメインレースで、息子はかつてのアトランタオリンピック代表の真鍋選手に「一緒について来い」と言われて意欲を見せておりましたが…

 4時間も待ったレースのセレモニーが終わり、息子の姿をカメラの望遠レンズにとらえていましたが、スタート直後から息子はずるずると後退し、最後尾につけるとスタートした選手から離れて、コースから外れて退出口に向かいます。

 パンクです。スタート時にパンクが発覚し、そのまま止まると他車の転倒になるために、そのまま後退してコースを外れたとの話に、たった1分で本日の我家の一日が終わりました。スタート前にチームのスタッフに念入りに自転車のメンテナンスを受けていたようですが、無情のパンクです。

 一緒に連携して走る約束をした真鍋選手や、一緒に先行しようと話していたチームの仲間とも話す事もなく、「真鍋さんはパンクしたとは知らず、今も走り続けているだろうな」と寂しさを残す結果となりましたが、パンクも良薬と思われます。

 さて、息子は実業団のコムレイドに所属し、現在ER部門の第2位にランクされており、9月の重要レースに出場すれば通算得点から上位のクラスに昇格が決まりますが、昨年までの短距離系からロードの長距離系選手に変身中ですが、昨年1位となった最高速チャレンジは、昨年の雨天時の記録より4キロも低かったものの、尊敬する真鍋選手から「やっとロードの選手らしくなった」と誉められたそうです。

 パンクは残念ですが、最高速で走る下りでのパンクは転倒して大怪我の可能性もあり、スタート時のバンクで全く走る事無くリタイヤした事は幸いで、次のレースにつながりました。

 「そう言えば、お父さんが来ると必ず…」と、私が同行した春の大阪での転倒大怪我が話題となり、かつて次男の相撲大会に伊勢志摩まで同行していった際には、車が廃車に至る顛末まで話題となりました。「元々三重県は縁起が悪いんだから…」と、家内から私のジンクスまで発せられました。

 こんな事が続くと本当に私が同行すると縁起が悪くなりそうですが、来週は新型インフルエンザが心配となる兵庫県に走り、飯田市では上位クラスでの出場も予定されており、「写真を撮らせてください」と言われるファンの出現にも親バカで同行が続きます。
                               8月30日の一言

試験から投票、祈願、レースまで

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 本日は早朝から三男と家内が鈴鹿サーキットのロードレースを目指して走っていき、私は自動車学校の卒業検定を受け合格した事から、明日は鈴鹿サーキットに同行していくために、総選挙の不在者投票に次男と市役所に出向きました。

 次男と選挙に行った経験はない事から、ついでに珈琲に誘ったところ、「津島神社に行きたい」と意外な言葉が発せられた。最近の運気が悪いから祈願したいとの話に、私も一緒に出向いて真剣に参拝し、ついででは申し訳ないものの、となりに建つ神宮寺「宝寿院」にも参拝してきました。

津島神社
http://www.clovernet.ne.jp/~m_hotta/
牛頭山・宝寿院
http://houjyuinn.net/annai/history.html

 津島神社は欽明天皇元年(西暦540)にご鎮座され、宝寿院は今から1200年前に津島を訪れた弘法大師により人々が疫病に苦しむを哀れみ薬師如来様を津島神社の弥五郎殿脇に奉安され、厄疫退散当病平癒の祈祷を勤修されたものが明治元年に神仏分離されたとある。

 真言宗の本堂と大師堂を訪れることから、忙しさからしばらく忘れていた四国遍路が蘇えり、心の静養にもなったように感じます。こうなると知り合いの土産物店も訪れ、名物の「くつわ」を買ったことから、かつての仕事の先輩を訪ねる気力が沸き、市外まで車を走らせました。

 さて、家内からの連絡では、三男は昨年優勝した最速チャレンジは3位となり、出場したレース(タイムアタック)も決勝に残り、景品の米を抱えて帰って(午後9時40分)きました。明日は私と次男も一緒に4人で鈴鹿サーキットの一日となりますが、私は仕事を持ち込んでの観戦となります。
                                  8月29日の一言
追伸
明日は午後の国際ロードレースに出場するとの事で、プロ選手しか走らないレースだけに最後まで追随していくのが目標との話です。

自動車学校でも話題は総選挙でした

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 添付した写真は(私の携帯電話が悪いのでピンボケですが)、自動車学校で大型バスの教習車の運転席に座る私です。明日の卒業検定を前に、私の苦手とする「鋭角」や「縦列」を最後に指導してくれた先生が記念になるからと撮影して下さいました。

 さて、自動車学校の(中高年の)先生が昼休みに休憩に集まる場所がありますが、総選挙の投票日が近いために政治に関する話題に花が咲き、学校のある大治町が隣接する七宝町や甚目寺町、美和町の三町の合併に参加しない事も話題となりました。

 「やっぱり、町より市の方がイメージは良いわナァ」
 「何故、一緒に合併しないのかなァ」
 「嫌われているのか」
 「名古屋市に色気を出しとるんかなァ」

 こんなやりとりに私も少し参加しましたが、かつては甚目寺町を除く三町が合併する計画で進捗していたものが頓挫し、今回は大治町だけが残されて来年の春を目標に合併が進められ、市役所の建設予定地も話題とされていました。

 合併の是非は私には判りませんが、合併した市町村の中から合併に対する後悔とか不満も聞こえ、合併によって以前よりハコモノ行政となって借金を増やした自治体も存在する事と、合併が最近批判の集中砲火を浴びる小泉改革の一環として考えると、政権交代によって小さな自治体に光があたる可能性も否めません。

 合併するメリットとして議員や職員の削減があげられますが、議員や職員の削減は合併しなくても実現でき、合併しなくても行政の横の連携は可能であり、合併によって地域の特産品となっている町の名前が消えるとマイナス材料ともなりかねない。

 もっとも、今回話題となっていた大治町は、名古屋市の浄水場が大治町地内にある事から、名古屋市の市営交通が名古屋市内と全く同じようにバス路線を走らせており、町と言っても名古屋市街の延長であり、名古屋市との合併を考えると他の市町村より有利な環境にある事から、今回の総選挙の結果を待った方が得策と私は思います。

 さて、誰もがお世話になる自動車学校であるが、免許取得後に学校を訪れる卒業生は少なく、路上でかつて教えた教習生と出会っても無視される事が多いとの話に、私は今回の教習が免許取得が目的ではあるものの、残された人生の中で「交通安全」とか「危険防止」のために大きな戒めになったと感謝し、交通事故防止のためにも自動車学校との縁を大切にしたいと思っています。

大治自動車学校のホームページ
http://www.oharu.co.jp/

 大型免許を取得して20年以上が経過し、久々の学科教習を受け、改めて自己流の運転や、道路標識や安全対策に無頓着だった自分の反省と、無事故のままに人生をまっとうできるための転機ともしたいと考えています。
                                  8月28日の一言

今年は試験が続きます

 自動車学校での二種免許の第二段階に入ると、文明の象徴とも言える教室内の「シュミレーター」に座って、雨天や雪道などの危険な走行や事故を回避する運転がありますが、40代から50代、60代の中高年になると、脳が対応できずに頭痛や吐き気をもよおす人が多いそうである。

 ただし、60代の人でも何ともない人もあるし、若い人でも稀にはそんな症状を訴える人があるとの話に、「ムリをしなくて良いですよ」と言う教官に、「やるだけやってみます」と時間一杯を真面目に座って年齢に挑戦しました。

 教習が終わって、自家用車で帰宅するために運転席に座ると、今までに経験した事のない吐きそうな予感と、頭が重くなってきた事から、30分ほど休んでから帰宅しましたが、帰宅して3時間くらいは夢遊病者のような感覚を体感さらせれました。

 そんな夢遊病者の運転する大型バスに乗って、名古屋市内の一般道を走るのも危険と思ってか、その後のシュミレーターは速度を極端に落として教習を受けていますが、いくら若いと思っていても、身体は確実に老化現象が進行している事を実感させられました。

 さて、老化現象は知能も低下させており(私の場合は)、学科教習のその場では理解していても、知識としては蓄積されておらず、勉強するにしても他事に気が散り、中々知識の蓄積ができないままに、試験前夜の一夜漬けで本を開くと、深夜にもかかわらず生活相談の電話が鳴り響きました。

 同じ二種免許でも、タクシー会社から派遣されてくる普通二種の教習生は、会社から日時を区切った早期の修了を求められており、学科試験についても厳しい学習が続けられているが、私は実地講習は厳しいものの学科は放任されている事から、中々学習が進みません。

 「万が一の不合格」を前提に考えていましたが、運良くギリギリの得点ではありましたが合格した事で、明後日の実地試験に合格すれば、とりあえず学校は卒業の可能性も出てきましたが、実技のハードルはかなり高く、技術的には課題も多いものの、大型二種の試験は私1人のため指導する教官からも真剣さが伝わってきます。

 明日2時間の教習を予約してあるので、最後の練習で2日後の合格を目指します。
                                    8月27日の一言
追伸、こんな顛末を記していると、毎日が自動車学校だけのように勘違いされそうですが、本日は午前中に都市計画審議会が開催され、明日も公的業務をこなす中での通学で、盆過ぎからの教習が半年も通学しているような錯覚すらする体験となっています。

高速道路の機能を失う無料化の公約

 民主党が公約としている高速道路の無料化に対して、中日本高速道路の会長が反対する意見をテレビニュースから目にしたが、無料化に賛成の立場の人からは会社の利権を守るための発言と批判されるであろうが、利用者である私も同感なので添付するとともに考えてみたい。

高速道路無料化に対する猪瀬発言
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090814/plc0908140745004-n1.htm

東日本高速道路会長の発言
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090812/biz0908121819016-n1.htm

中日本高速道路の会長発言を取り上げたブログ
http://minkara.carview.co.jp/userid/148722/blog/14363338/

 私も利用する側にあるから、高速道路の割引は有難いし、無料となれば尚更負担は無くなるわけだから経済的には恩恵を被る立場にあるが、今年の割引制度による休日の渋滞状況を見れば、高速道路としての目的である高速走行が不可能であり、無料化されれば高速道路としての機能は果たされない。

 高速道路関係者の指摘するのは道路維持に必要な財源は利用する受益者負担である事と、2万人以上となる料金所で働く中高年労働者の雇用問題と同時に、高速道路の機能を失う事などであるが、私は時間をかけて議論した猪瀬氏ら専門家の公団民営化は何だったのかと問いたい。

 無料化の是非については、添付した猪瀬発言の中に、無料化に賛成する山崎養世氏の主張も掲載されているので、比較して議論してくだされば幸いだが、私が19年間も続けてきた京都大文字送り火鑑賞を今年は断念したのは高速道路の渋滞が原因であり、山崎氏の主張では高速道路は自動車道と化し、一般道となるのは目に見えている。利用する立場では、有料でも目的地に早く到着したい。

 もっとも、こんな事に目くじらを立てて議論しても、私が長距離運転ができるのもせいぜい10年位が限度であり、現在取得中の大型二種の運転免許に至っては、旅客用の大型バスには一生乗らない可能性も高く、政治が何でも干渉できるのであれば、新幹線や鉄道、長距離バスの割引きか無料化を公約としてもらいたい。

 高速道路の無料化は国民の関心を引いたかもしれないが、私は政治家が専門でもない事を公約にする事よりも、専門家による審議会を国民に公開し、国民も参加できる議論の場を提供する事の方が先決と思うとともに、このままでは利用者の声は無にされたままに選挙公約として実施されるのも無念である。
                                8月26日の一言

大騒動の忘れ物は100円ショップの一品

 本日は議会運営委員会が開催され、9月議会の議案説明と請願や陳情書が読み上げられ、いよいよ本業の議会活動(本会議は1日に開会)がスタートいたしました。

 さて、久しぶりに出かけた馴染みの珈琲屋さんで、いつも家族で来られているお客さんと、経営改善が図られつつある市民病院が話題となったが、私の娘の出産時に名古屋市では救急車に乳児専門の医者が搭乗して迎えられたとの話に、まだまだ理想には程遠いとの話となりました。

 この人のお孫さんは、私の娘の出産時とほぼ同じような環境にあったようですが、地元の産婦人科医院から救急車が要請されたのは30分後で、しかも地元の津島市民病院ではなく遠くの稲沢市民病院まで搬送され、酸欠状態が長かった事から一生に介助を必要とする障害が残されました。

 診療体制の体裁がついた程度では開業医の延長の医療でしかなく、開業医の手に負えない医療を二次医療機関として担っていくためには、やっと登山口程度の状態であり、平常時は一般開業医に任せて緊急時や夜間に安心して任せられる病院への転換は急務でもある。

 日曜日に開催された中学校の同窓会総会に出席された恩師から、「扇子を昼食会場に忘れてきた」との電話があり、昼食をとったお店に連絡したところ、忘れられておらず、念のために後片付けをしたアルバイトに確認までしてもらったが、恩師の全くの勘違いで中学校の校長室に忘れてありました。

 私は食事会場へ連絡して、物故者法要の会場に確認してから、最後に学校へ連絡した事から、連絡された相手方にも迷惑をかけるばかりか、無駄な連絡に時間を浪費しましたが、最初に中学校に連絡をしておれば扇子は本日の夜には恩師に渡せたのでもありました。

 医療の連携をこんな事例と比較する事はできませんが、的を得た迅速なリレーが出来るか出来ないかの差は、出生時であればその子供の一生に影響する事になり、「大鹿さん、良かったね」との会話となりましたが、これが当り前となるように考えたいものですね。

 もっとも例え話とした扇子ですが、本日夜に行なわれた書道教室のために恩師を迎えに行くと、恩師が100円ショップで買ってきた物との話に、連絡した人たちとの通話料や探す労力の方が高くついたと思うとともに、自然に笑いがこみ上げてきました。
                                  8月25日の一言

私が議員を引退するとのデマを耳にして

 衆議院選挙の投票日まで一週間を切り、立候補者や政党関係者にとっては必死の選挙運動が続いていると思うが、明日に開催される議会運営委員会から9月議会が迫り、各種審議会や公的行事が続く中で、大型二種免許も最後の卒業が迫ってきます。

 本日は朝9時から夜7時過ぎまで自動車学校に缶詰の一日となりましたが、携帯電話のお蔭で電話リレーによって仕事がつながったものの、本日の大半は自動車の学科や運転教習ではなく、朝から4時近くまでは「応急救護処置」の座学と実習を受けていたのでした。

 私自身は何度か救急の講習を受け「普通救命講習」も修了している事と、今年はホームヘルパーの養成講座を受けてヘルパー資格も得ている事から、「何を今更…」の気持ちで臨んでいましたが、さすがに学校と言うだけあり授業料も取っているだけあって、事故現場に遭遇した場合の止血法や包帯法など、消防署や行政機関では教えない知識や指導が展開されました。

 タクシーや旅客自動車を運転しようとする者には必須の実技となっているようですが、最近は普通の自動車免許取得時にも応急救護処理を習得しており、私たちは更に詳しい固定法や包帯法から各種傷病に対応する指導が行なわれます。

 ただし、道路上で倒れた人を発見した時や、交通事故現場に遭遇しても、果たして教授されたような対応ができるのか疑問で、倒れている人に善意で応急処理を施しても、周りの人々に周知された場合でないと、交通事故の張本人にされかねず、被害者の家族にも恨まれる結果も想定され、見事な指導だっただけに生かすための条件整備が必要にも思いました。

 交通事故による人的被害には、一刻も早い救急車への連絡と同時に、救急車が到着するまで(連絡から約6分)の応急処理の有無は事故によっては被害者の人命を左右しかねず、心肺停止状況であればそのまま放置すれば救急車が到着時には手遅れとなってしまいます。

 事故に遭遇したり、倒れている人を発見した時に、指導を受けた応急処置が的確に行われるのは理想ではあるが、事故原因が確定していない場合には加害者とされる可能性もあり、応急処置にもかかわらす被害者が死亡した場合には家族は何と思うのか…

 一方で、出血を伴う場合にはC型肝炎などに感染する危険性から直接手を触れない工夫が必要となるなど、一昔前とは違った心配も必要となっており、むしろ交通事故よりも災害時などに怪我人がある場合に有効と思われるが、その前提にはガーゼや三角巾とまでは言わないがハンカチは必需品となる。

 さて、二種免許に挑戦しているのは、あくまでボランティアとして進めている福祉有償運送の延長で福祉タクシー導入を考えての事であるが、人には素直に伝わっておらず、私が市議会議員を辞めてタクシー会社を始めるとのウワサがとんでいる様子である。

 「おい、議員を辞めるのか」との母親の一言に、「馬鹿な事を言うなよ」と言うと、「コーヒー屋でウワサになっている」との言葉が返ってきた。「議員を辞めてタクシーをやるとパソコンに書いてあった」との言葉に、「そんな事一言も書いてないぞッ」と言ったものの、母親の仲間にパソコンに触れる人は見当たらない事から、断片的な一言の思い違いか、悪意を持ったウワサの流布か、誤った情報に腹をたてる夜となりました。
                                  8月24日の一言

同窓会総会と物故者法要が終わり

 本日は中学校の同窓会総会が開催されたものの、参加者が少なく会長の立場としてはいささか淋しいものがありましたが、少ないゆえに参加された恩師の先生方の近況報告が詳しく聞け、物故者法要も真剣に手を合わせる事となりました。

 本日の総会には私の恩師たちも毎年必ず顔を出されており、その関連から知り合いの教員も顔を出され、私がPTA会長を務めた当時の校長先生も毎年出席していただける事から、私は一年に一度の懐かしい恩師との再会の場とも思っています。

 ただし、同窓会役員の出席がほとんど見込めず、予め決まっている総会当日に、個人的な旅行に出かけてしまったり、出席の約束をしてあった知人の姿がなくても、会長として孤独に出席するのは精神的にも苦しく、一週間前には「インフルエンザにでもなって欠席したい」心境でもありした。

 本日は横井庄一記念館の当番日でもあり、総会後に到着したのは午後3時を廻っており、ちょうど記念館から帰られる人が京都から新幹線で来られた人であった事から、「バス停まで」が「名古屋駅まで」となって、豊臣秀吉の誕生した豊国神社や加藤清正公ゆかりの寺などを紹介しながら走りました。

 今月は2週間前に四国遍路中で欠席し、本日も遅れた登場に肩身が狭い私でしたが、私が不在の時には訪問客も多く、ボランティアのTさんは1人で案内が続き、昼食も満足な時間がとれない状態だったそうで、顔を出しただけの私はデザートとお茶を飲んで帰るだけの当番となりました。

 さて、来月には19日に横井庄一さんの十三回忌が執り行われますが、翌月には近所の新家の伯父さんの十三回忌があり、11月には私の叔母の十三回忌が行なわれます。
 偶然ではありますが、3人は毎月連続で亡くなり、新家の伯父さんと叔母は名古屋のガンセンターで一緒に入院して、続けて亡くなっていったのでした。

 お互いの幼少期を知る3人は偶然にも1ヶ月ごとにあの世に旅立っていったのも、あながち偶然とも思えず、私だけは三軒とも連続で葬式に出るとともに、横井庄一さんを知る親族は一度に全員が亡くなっていってしまったのも横井さんの道連れのようでもありました。

 明日からは自動車学校の卒業を目指しながらも、議会や公的会議が連続する事から、忙しい日々が連続していく中で、忙しいながらもささやかな一日となりました。
                                   8月23日の一言

やって見て判る話です

 昨晩から娘が赤ん坊を連れて帰ってきましたので、我家には久しぶり(18年ぶり)となる泣き声が響きますが、早朝より自転車の練習に出向く三男や、隣の部屋で眠る事になる次男には泣き声がうるさく、私は台所で眠る(普段も台所で眠ってしまいますが…)ことを強要されました。

 本日は土曜日にも関わらず、福祉タクシーへの事業資金を提供してもらう予定の政策金融公庫の担当者と打ち合わせとなり、「とにかく、二種免許を取得したら早急に連絡下さい」と言われ、初めて私の免許取得を待ってくれる人ができた事から、勇んで自動車学校へと車を走らせました。

 ただし、この打ち合わせに名古屋まで送ってくれる約束となっていた家内から、「1人で行ってくれると助かるんだけど…」の一言があり、「1人で行けば良いのに」の娘の一言で、私は孤独に資金繰りの相談から自動車学校に走る事となり、娘の里帰りのとんだとばっちりとも思わされましたが…

 さて、二種免許でも普通二種(タクシー)の人々は早々に卒業していき、本日も私と同時期に入校した2人が卒業試験に合格して笑顔の別れとなりましたが、大型二種(バス)に挑戦中の若者と初めて遭遇し、会話を交わすと私の家とも近く、津島市民で母校の後輩と判り、しばしの会話でしたが孤独な教習が少しは明るくなりました。

 大変なストレスとなっていた教習も2日前から路上教習に入っており、本日以後に3回の路上教習(シュミレーター運転や応急救護実習は別にあります)を終えると卒業の見極めを受ける事となりますが、こんな中年から老年を迎える私ですが、若者のような心境になれた事は良き経験になったのかも知れません。

 一方で、今まで無関心であった路線バスの運転手さんの苦労も少しは理解できた事と、2日前の夜に開催された「公共交通問題勉強会」で報告された、京都市営交通バスの民営化によって運転手さんの賃金が低くなる一方で、事故や乗客からの苦情が増えたとの話の一端を垣間見たような気がしました。

 私の大型バスでの路上教習は、名古屋駅の西に位置する中村区の道路が利用されていますが、この区間には私鉄の名鉄バスと名古屋市営バスが走っています。
 たった2時間の教習で遭遇した路線バスはわずかではありましたが、我れ関せずの名鉄バスの運転とは違い、名古屋市営交通のバス運転手さんからは、複数回にわたって「バス運転手の卵」のために道を譲ってくれたり、待機して待ってくれたりしていたのでした。

 これは一部の運転手さんの事例かもしれませんが、たった2時間の教習でも数台の市営交通のバスから配慮を受けた事から、これは間違いなく民間と公営の意識の違いであり、今まで当たり前と思っていた名鉄バスの運転との違いがあるのかも知れません。

 ところで、私が通う大治自動車学校には、連日のようにタクシー運転手を目指す人々が入学して巣立って行きますが、本日言葉を交わした人は2日前に福井市から出てきたといい、福井では愛知県のように免許取得や住まいまで手配してくれるタクシー会社はないとの話に、当り前に思っている愛知県人との地域格差も実感させられました。
                                  8月22日の一言

意外な所に魅力が潜む

 本日は「第4次津島市総合計画」に対する市議会の調査特別委員会が開催され、行政側の説明を受けたが、行政だけでなく、昨年には市民意識調査を2回開き、10回にわたって策定市民会議を開いて議論してきた結果だけに、委員会でも特別反対する意見は出ませんでした。

 しかし、この総合計画に記されている10年後の人口を現状と同じ6万6千人と想定している事に対しては、かつての委員会でも異論が出され、私も議会本会議で一般質問とした事があったが、たとえ人口減少が今後の日本の傾向とは言え、津島市が名古屋市から30分の距離にある事から、都市計画として考えれば街の規模として理想と思われる人口を設定してから、諸計画を肉付けすべきと私は思う。

 一方で、減少する人口分をカバーして新たな転入者で現状の人口を維持するとしているが、農家や分譲住宅に親だけが残され、子息が転出し続けて高齢者ばかりの地域となっている事を放置して、新たなマンションやアパートに若者を転入させて人口維持をさせても街は活性化しないと思われる。

 私は生まれてから一度も、育った地域を離れようと考えたことはないが、男子の同級生でも半数は市外に転出しており、戻ってくる気配はない。そうやって考えてみると、地元の市議会議員でありながら、転出した人々に転出先よりも誇れる魅力と経済的利点を示されない現実がある。

 公設公営にこだわって順調に経営改善が図られている市民病院も、名古屋に住む人々を満足させられるだけの医療機関や医療連携には至らず、公共交通の便についても自家用車が不可欠となり、子育て支援や教育環境が良いわけでもない。

 ここまで記すと魅力も味気もない街と思われるが、市内の大部分が家の建てられない市街化調整区域である事を考えると、都市型の街づくりとは違った魅力を考える必要がありそうである。

 「津島市には本当に感謝している」とは、津島市から名古屋に嫁いだ女性が発した一言で、津島市に1人残した母親への配食サービスなど、名古屋市のような大都市では考えられない手の届くサービスに感謝して、母親が亡くなった時には香典の一部を市に寄贈されたと聞いた。

 全てを優等生にするのは難しいが、何か一つだけでも他市より誇れる施策を考える事は可能である。私たちが市民主導で進めている福祉輸送もその一つになる可能性は高く、苦痛からグチとストレスを蓄えてきたが、しょせんは1人の力と背伸びしないこととしたい。
                                 8月21日の一言

こんな生活には限界が当然でしょう

 わずか一週間の話ではありますが、自動車学校の大型二種免許の教習が生活の中心となり、仕事と雑用を朝と夕方に集中させるも、限界スレスレで、本日の夜開催された「公共交通問題勉強会」(東海自治体問題研究所・名古屋市北区)にも高速道路を使っても30分の遅刻となりました。

 明日からは市役所の特別委員会や議会運営委員会、審議会などが続き、その合間が自動車学校となるものの、9月1日には議会の本会議が開会する事から、個人的な趣向は後回しにせざるを得ず、9月の18日に高知県で開催される「四国霊場会」の先達大会も、前日が市役所で、翌日が横井庄一さんの13回忌の中を参加する予定であったが、見送る事が自然と諦めました。

 もっとも、前夜からの深夜バスで当日に参加し、その日の深夜バスで翌朝に名古屋に帰る無理なスケジュールだけではなく、その2日後からの連休には「四国遍路」の予定が立ててある事から、経済的にも無駄使いとなり家族からも反対されていたのでもありました。

 さて、来週からは福祉タクシーや福祉有償運送などの最後の仕上げとなり、電話の新設や車輌への表示板の依頼など、仕事は山積みとなっており、自分の遅れが周りにも影響するものの、ふと考える時に、自分だけが走り廻っているのではと自問自答となる事も多い。今一度、議員活動だけに後戻りしたい心境にもなってくる。

 今度の日曜日には中学校の同窓会総会が開催されるが、地域の全戸に会報が配布されて総会と物故者法要の案内がしてあるので、人が集まるか集まらないかは無責任に構えればそれまでだが、それでは出席される恩師の先生方には失礼だし、総会後には広告のスポンサーへの集金も残されている。

 先の事を考えると夜も眠られぬ心境で、ここに孤独な大型二種免許がストレスを加算させていたが、大幅に遅れたものの本日前半の第一段階が修了となり、名古屋市内を大型バスで路上教習が始まりました。
 明日からの一週間が路上教習で、来週末には卒業予定となっていますが、第一段階で大幅に遅れている事と、仕事の合間の教習だけに前途多難の予感がします。

 「大鹿さん、おめでとう」と、路上に出発するバスに車を横付けしてくれた担当教官の笑顔に、今までの孤独の中で貯め込んでいたストレスが吹っ飛び、ミスを繰り返す中年挑戦者を見守っていてくれた教官たちの存在が実感させられ、世の中捨てたものじゃないと心強い帰宅ともなりました。
                                 8月20日の一言

新型インフルエンザの死者が名古屋に

 夏には終息すると思われていた新型インフルエンザだが、感染の拡大が継続するだけでなく、ついには感染者から死亡者が出て、本日は名古屋市から全国3人目となる感染による死亡者が発表された。

 新聞報道によれば80代の女性とあるが、13日に入院して一週間後に亡くなるまでに、入院先で治療にあたっていた医師1名と、看護師3人だけでなく、入院患者3名も感染した疑いが強く、病棟への新たな入院は中止されたものの更に拡大する可能性も高い。

 対象となる女性は海外渡航歴どころか、病院に搬入されるまで名古屋市内の介護施設に入居しており、介護施設では他に感染の症状を訴える入居者はいないとの報告だが、女性が感染したのは介護施設以外には考えられない事から、感染源の確認作業を怠ってはならないと思う。

 新型インフルエンザは感染力は強いものの、症状そのものは軽い事から、大阪府の橋下知事などが地域経済の落ち込みから規制の軽減を訴え、国の厚生労働省も規制と監視を緩めた事が、全国の地方自治体の対応にも影響し、私の住む津島市でも6月議会の私の質問に対しても、秋以降の問題として集団感染の恐れが強い小中学校でも何ら予防策はとられてこなかった。

 最近では感染した患者の情報もあまりの多さからか新聞にも掲載されなくなり、津島市内で感染した市民が2名あると報じられた後でも、感染を心配する市民の問い合わせにも、感染者の個人情報になるとの判断からか、感染者の住む地域すら説明がされなかったと聞いた。

 私が心配に思う事は、個人情報に敏感になる事によって、行政が感染者の情報を公開しないことから、不用意に感染源に近づき感染してしまう事で、夏休みには中学校や高校のスポーツ交流や大会がさかんに行なわれている事から、国が想定した秋に入るまでに大量な感染者が拡大し、心臓病や糖尿病の持病のある人や、高齢者や妊婦などに感染すれば命取りにもなりかねない。

 さて、全国的にはプロ野球の日本ハムの選手や、高校野球の選手にも感染して、対象者を欠場させるなど試合や大会にも影響が出ているようだが、例年より早い流行の可能性は高く、過去の慣例に惑わされず過去とは違う対策と対応を考えないと、私の母親や私自身も含め、家族や生れたばかりの初孫も被害者になりかねない。

 こんな時にも、「かかっても心配することはないんじゃないの」と、自分が健康で体力のある若者である事から、感染を心配しない人々の存在があり、こんな慢心から感染が拡大しない事と、感染後のリスクの高い人々への対応も急務である。
                                 8月19日の一言

免許取得や認可ばかりの日々に

 本日は自動車学校の一日の覚悟で家を出ようとしていると、中部運輸局・愛知運輸支局から連絡があり、福祉有償運送(白ナンバーの自家用車)による旅客運送の認可手続きが昨日に済み、「自家用有償旅客運送者登録証」を受け取りに来て欲しいとの連絡がありました。

 登録の期間は2年間で、運送の区域は津島市と愛西市に限られますが、両市から出発するか、両市以外からでも戻って来る利用者であれば、何処まででも旅客として利用が可能で、両市で構成された運営協議会で必要と認められた運送ですので、安心して利用して欲しいと願っています。

 「安いとか低料金との宣伝は控えてくださいね」と言われましたが、公共交通機関のバス停まで遠くて利用できない人や、タクシー料金の負担ができない人が対象ですので、安い事は必須条件であり、料金表の表示はできるため宣伝は自由ですが、宣伝してもボランティアの数が限られているため地道な活動からスタートとなります。

 運送の対価 (距離制対価)
  初乗り  1、3km以内 350円
        2、0km以内 470円
        3、0km以内 600円
  加算   3、0kmを越え500mごとに50円

 さて、実は既に認可を受けている福祉タクシー(青ナンバーの営業車)の申請してあった運賃と料金についても今月の10日に認可がおりており、こちらは一般のタクシーと同額の料金ですが、福祉の名前に恥じぬように一般タクシーとは違うケアに務めたいと考えています。

 問題は福祉タクシーについては、私自身が二種運転免許を取得中であり、本日も朝から夕方まで休憩や昼休みを仕事に充てて四苦八苦の一日となりました。談笑している普通二種の人々に近づきますが、大型二種は1人だけのため孤独と緊張の一日となります。

 それでも休憩しているとベテランの先生が声をかけて下さり、今から二十数年前にここで大型免許を取得したと伝えると、「それじゃー、オレが教えたんだなぁー」と、懐かしそうに当時の教習車の昔話となり、緊張する私にとっては一時の涼風となりました。

 何でもかんでも簡単に挑戦し、今年はタクシーの事業主もそうだが、ホームヘルパーから二種免許挑戦も無計画の挑戦でしたが、愛知県の事業請負も二件が申請してあり、私のハイテンションから周りにも迷惑をかけており、9月議会が迫る中で、議会活動よりもボランティアが重荷になるばかりか、事務所や書類も混乱させており、必要なものを探すのに一苦労する現実の改善は急務となりそうである。
                                   8月18日の一言
追伸
こんな混乱の一日が済み、夜には書道教室に座っていましたが、心が落ち着かないと筆も乱雑となり、男らしいと自己満足にもかなりの無理がありました。

無責任な挑戦に気づかされる

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 本日は午前中より自動車学校で大型二種免許の技能教習となりましたが、1日教習を受けただけで4日間の盆休みが入ったため、初日と同じような心境で運転席に座り、S字通行や坂道発進、鋭角通行、縦列駐車など、難度の高い指導を受けたものの、安全確認やスムーズな通行すらできない顛末でもありました。

 大型免許を持ってはいるものの、最近はオートマチックのマイクロバスしか運転したことがなく、マイクロバスはワンボックスの延長のような運転でもさほど困らないが、さすがに大型バスはそんな運転は通用せず、4時間目には教習官から指導のしようがないほど注意を受ける事になりました。

 「ブレーキを十分にかけてからクラッチ」
 「はいッ」
 「後輪の位置を基準にしてッ」
 「はいッ」
 「貨物を運ぶんじゃないよッ」
 「はいッ」
 「乗客は立っておられないよッ」
 「はいッ」

 新たな指導や注意を受けると、過去に指導を受けた記憶や安全確認が吹っ飛びます。大型貨物とは違い、乗客が立っていても安全に走行する事が二種免許に求められている事の自覚は正直な話ですが本日まで考えてもおらず、大型バスをコースからはみ出さずに走らせる事に精一杯の技量しかありません。

 新たに普通車の免許を受験する学生や、タクシー運転手を目指す普通二種免許の教習を受ける人々は、お互いに声をかけあい相談できる仲間がありますが、大型二種(バス)の教習生は誰もなく、慰めあう人もない事から厳しい指導を受けると後々まで引きずります。

 もっとも、厳しい教習官から厳しい指導を受けた方が身になりますが、比較する仲間のない孤独な教習は、普通二種の人々が笑顔で談笑している中に加わるものの、私の立場とは全く違う事から、参考にはならないばかりか、孤独な教習が続く明日以降が心配です。

 さて、新たな免許に挑戦することは久しぶりなため、久々の緊張感を感じていましたが、本日の教習の中で、安全に人を運ぶ事の難しさを感ずると同時に、人を安全に運ぶための責任感が欠如していた自分に気づかされました。

 仕事として(私は仕事ではありませんが…)人を運ぶ二種免許ですが、不況ゆえに多くの挑戦者があるものの、人を安全に運ぶ事の責任と自覚が不足していてはいまいか。多くの人を乗せるバスゆえに感じた人を乗せる責任だったが、責任よりも技量不足ではゴールは程遠いし、9月議会の足音が差し迫ってきました。
                                  8月17日の一言

この渋滞では何も考えられません

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 昨日の一言でもふれたが、私は平成3年から毎年続けて8月16日は「京都五山送り火」に出かけてきましたが、偶然にも今年は日曜日と盆が重なったばかりか、高速道路の割引制度によって高速道路の渋滞がこれまでの常識では計れない事と、高速道路としての機能も失った状態のために、一考の余地もなく断念した次第でもある。

 詳しく調べた資料がある訳ではなく、軽率な記載は問題となるかもしれませんが、高速道路の割引制度が始まってから、私が週末に通行する時には必ず交通事故の現場に遭遇するようになり、事故処理のための渋滞に巻き込まれる事も多く、マイクロバスを使用すれば割引は適用されずに、渋滞が増えた分遠距離の旅行が企画しにくくなっている感が強い。

 本来であれば、「送り火」には絶好な天気と思われ、ここに記している今頃には夜の鑑賞場所へ移動を考える時間であり、毎年顔を出している酒屋さんでお勧めの一本を購入している頃であり、今年もついでに購入して欲しいとの依頼もありましたが、今年は冷蔵庫を8ヶ月にわたり独りで占有していた「雪紫」を我家で味わう事とします。

開通前から車列 東名高速・袋井インター↓
http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY200908150348.html
淡路から本州へ「光の帯」 明石海峡大橋↓
http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK200908150176.html

asahi.comニュース社会記事一覧↓
http://www.asahi.com/national/list2.html

 さて、高速道路の渋滞ばかりではなく、盆過ぎの一週間は夏休みとして「上高地」行きも議員になってからの慣例としていましたが、今年は大型二種免許の教習と、新規に予定している福祉タクシーや福祉有償運送事業の認可が最終段階となっている事から、秋までお預けとなります。

 添付ついでにニュース記事一覧も掲載しましたが、世の中では盆休みと言うのに悲惨な事故や事件が相次いでおり、盆休みと終戦(敗戦)記念日が重なっている事から、今後は平和のためには車による盆の帰省もやめて、盆には日本中が仕事を休んで何もしない運動を推奨した方が良いと開き直りの一日となりました。
                                   8月16日の一言

敗戦から64年が経過して

 本日は64回目となる終戦記念日であるが、戦争を知らない私の脳裏には旦那寺で行なわれた施餓鬼法要に行く日であり、高速道路の過去にない大渋滞のニュースに、平成3年より続けてきた京都の大文字送り火の鑑賞を見送る事を考えていた。

 東京の日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が行なわれ、天皇、皇后両陛下や麻生首相などが参列する中で式典が開催され、6千人の参列者が約310万人の戦没者を追悼し、麻生首相の口から近隣の国々の被害者や損害に対する深い反省も表明されたと報じられている。

 数日前の一言のコメントにも戦争に関する投稿がありましたが、戦争の悲惨さや体験が語られ、それが大きく報道されてくるが、実際に自分の親や家族を失った人々の感想は聞けるものの、本当に戦争の犠牲となった旧日本兵や日本人の声は聞く事ができず、被害にあっても生き残れた人と、命を失った人では全く違います。

 グアム島で28年間敗戦も知らずに生き延びた横井庄一さんと言えども、帰国後は人間らしい生活を送っており、戦争体験者と言えども生き延びた日本兵は近隣の国々の人を虐待したり、殺戮した残酷な経験を持つ人も存在するはずで、殺人事件が起こると死刑を訴える最近の社会とは大きな隔たりがあります。

 こんなに経済的にも恵まれた社会になっても、国外の戦地で亡くなったまま朽ち果てて放置されたままの遺骨が残されている現実を考えると、戦争の反省と諸外国への謝罪が口先だけと言われても弁解すらできないと私は思います。

 古墳時代や縄文時代の遺跡を発掘する力や、太古の化石を発掘する予算の一部でも海外で放置されたままの遺骨収拾にあてれば多くの日本兵の遺骨が戻ってこれると思いますが、戦後から64年の年月の経過は戦死した親族の存在すら知らない家族となっており、国による大々的な施策に期待したいものです。

 さて、本日のお寺には我家から分家となった親戚も参列しており、我家から1キロ程離れた自宅からバスと電車とタクシーを乗り継いで来たとの話から、帰りは私の車で送る事となりましたが、到着した自宅で留守番の奥さん(82歳だが私の曾祖母と従姉妹にあたる)から戦前戦後の苦しかった日々の思いでを聞かされる事となりました。

 ここで共通する事は、家族の大黒柱を戦争で失った家々では戦後の混乱期を残された女性が生計を支えており、女性と子供だけの家々は地域の中でも、当然得るべき利益も後回しにされており、戦争から帰った人々の多くは戦争の反省どころか、戦死した戦友たちの家族への思いやりすら持ち合わせていなかったのでした。

 我家も沖縄で長兄が戦死し、私の父親は戦後しばらく満州から帰ってこれなかった事から、父親の祖母と十代の妹が家を守っており、国の実施した農地解放についても、「女では大変だから」と我家の得るべき土地は全てが町内の人々の手に渡っていました。(親戚も同様だったようです)

 とにかく、戦後の混乱期においては、戦地から帰った旧日本兵の多くは戦争の反省どころか、生きていくためには人を泣かせた人も多く、尊敬する鶴田浩二さんのように、遺骨収集や戦没者の慰霊に力を入れた人は稀な存在だったようです。
 
 我家の伯父も未だに戦死した沖縄から遺骨は還っておらず、戦死した場所すら特定できないばかりか、沖縄県に問い合わせても連絡すらない現実の中で、戦死した伯父を知る家族は皆無となっている現実と、我家の後継者すら特定できない現実から、風化した戦争や家族環境も実感させられます。
                                  8月15日の一言

山城新伍さんの訃報に接して

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 お盆の最中であるが、俳優の山城新伍さんの訃報が報じられてきた。晩年は糖尿病に苦しみ、華々しい芸能界とは無縁の生活が続いていたが、若き頃から俳優として活躍し、私が大好きな鶴田浩二さんの映画にも多く出演されていた事と、当時のキャラクターは任侠映画の中では貴重な存在だった事から、映画の一場面であるが「博奕打ち・一匹竜」の一場面(映画写真集・鶴田浩二から拝借)を追悼として添付(写真上)しました。

 「博奕打ち・一匹竜」昭和42年作品 鶴田浩二さんの後ろの若者が山城さん。
山城新伍・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E6%96%B0%E4%BC%8D#.E6.98.A0.E7.94.BB

 山城さんは私の子供時代の白馬童子の主役が有名だが、鶴田浩二さんらが活躍した昭和四十年代の任侠映画の中では、荒々しいヤクザの抗争の中で、茶目っ気のある笑いを提供し、その後のテレビでの活躍にも共通するが一流の俳優でありながら軽妙な笑いを提供できる貴重な存在であった。

 新聞報道によれば、一年半ほど前から特別養護老人ホームで暮らし、嚥下性障害による肺炎が死因とあるが、山城さんの軽妙なキャラクターとは違い、映画全盛期から多くの名優と共演した一流の俳優であった事から、今一度の復活を見てみたかったと思っている。

 数年前のテレビから知人の芸能人から本人の人格を侮辱するような話をされ、自分の身体が思うようにならず、反論どころか本当の姿を伝えられない不満を口にする報道を耳にしたが、多くの一流スターが鬼籍に入ってしまった事から、一流スターのように勘違いしている芸能人への鉄槌を芸能界に復帰して見せて欲しかった。

 さて、高齢になると嚥下性障害(食事が食道ではなく気管に入る)は危険と聞かされていたが、山城新伍さんも嚥下性障害によって肺炎に至っており、施設などでは十分に注意をされている中での死因だけに、在宅での老々介護や独居老人にとっては十分な注意が必要である。

 これは高齢者に限った話ではなく、中年の我々にとっても徹夜続きの食事が胸に詰まる事もあり、生きるための食事が命取りとなる皮肉な現実だけに警鐘としたい。
 私の尊敬する鶴田浩二さんの身近で共演していた山城新伍さんの訃報は残念であるばかりか、テレビの創生期から活躍した俳優の死去は、一時代の終焉のようにも思えてきました。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。
                                   8月14日の一言

民営化した高速道路に割引や無料は越権行為だ

 駿河湾を震源とする地震によって不通となっていた東名高速道路は、盆の帰省ラッシュに間に合わせるため昼夜の復旧工事を進めていたが、下り線は改修されたものの上り線は15日までずれ込む事になったと発表されている。

 磐石と思われていた東名高速道路の本線道路の崩壊を予想していた人はおらず、東海地震の可能性の高さから国家的規模で防災対策が進められていたが、今回の地震が国の想定する東海地震とは違うと同時に、東海地震の規模はさらに大きい想定を考えると大変な現実となりそうである。

 さて、今年から国の施策で高速道路の通行料が千円となり、盆の帰省ラッシュも過去とは比較できない渋滞が起こりつつあるが、東名高速の復旧工事に不眠不休で対応する中日本高速道路の幹部の心境はいかがなものか心境を聞きたいものでもある。

 今回の地震による復旧工事についても24時間体制で復旧作業が続けられているが、道路維持には莫大な財源が必要とされ、かつては高速道路を管理していた道路公団が、国によって東日本、中日本、西日本等の民間会社とされ、企業は利益があって成り立つ事を考えると、高速道路の一番の収入源となっていた通行料を国によって千円に減額され、民主党は通行料の無料化を公約としている事から、国の身勝手な施策や公約が企業の自立すら風前の灯火のようにしているように感じさせられている。この会社の関係者の存在は国会議員には見えていない。

 こんな中で、昨日には東京都内のホテルで麻生首相と民主党の鳩山代表による党首討論が開催され、それぞれの選挙(政権)公約に対する批判と反論が繰り返されたとの報道があるが、選挙を目前として選挙で盛り上がるべき時期ではあるが、7月から連続した水害や土砂崩れで西日本各地では多数の人命が奪われたばかりか、復旧も済んでいない事から、国と地方との大きな感覚の違いも実感する。

 私の妹は地元の鉄道会社に勤務しているが、新幹線の乗車券が入手できなかった若い国会議員が、「自分を誰だと思っているんだ」と、国会議員と名乗って怒鳴られ続けた経験から、「この人には絶対に投票しないで」と連絡してきた事があった。こんな話を思い出すと、総選挙より災害の後始末を優先させて欲しい。
                                   8月13日の一言

突然の自動車教習(大型二種)となりました

 月初めに自動車学校に出向き、「大型二種免許(バス)を申し込みたいんだけど」と窓口で訊ねると、「大型二種は20数人待ちです」の一言が返ってきました。

 「それで、入校はいつ頃になるんですか?」と問うと、来年の春頃になるとの話で、普通二種(タクシー)なら今週でも入校できるとの話に、私の希望は大型二種ではあったが、今月中に福祉車輌(タクシー)が届く事から、とりあえず普通二種を申し込みに出かけました。(昨日の話です)

 「普通二種を申し込みたいんですが…」
 「判りました」
 「ところで、大型二種も予約しておきたいのですが」
 「えっ、大型二種を取るなら普通二種はムダになりますよ」
 「だけど、来年まで大型二種は入れないんでしょ?」
 「そうですが…、ちょっと、待って下さい…」

 受付の事務員さんが管理職の男性に取り次いでくれ、「普通二種を取ってから大型二種はお金がもったいないから…」と、大型二種免許を担当する職員をしばらく待てないかと問われ、「何とかなるんですか?」、「何とかならない事もないような…」との話になりました。

 担当者を待って事情を聞くと、入校希望者は多いものの、入校まで半年以上かかることから、順番が廻ってきても仕事の都合で通学できなかったり、キャンセルも出る事から、予約順に電話や携帯電話に連絡し続けるものの、連絡がつかないと教習車を遊ばせる事も多く、いかに空白を減らすか検討中であったとの事でした。

 「盆過ぎからでも来れます?」、「ハッ、ハイ、明日からでも結構ですよ」、「エッ、明日も良いの?」、「明日も入校できるんですか?」、「じゃー、明日から来る?」、「良かったら来ますよ」、「じゃー、今から教習計画をたてようか」、…

 こんな顛末から、本日は全くの予定外で朝から夕方まで自動車学校の一日となりました。毎年の慣例ですが、盆過ぎの一週間は盆休みで上高地に行く事にしていたので、今年は夏休みを返上して、議員としての公的行事や議会活動の隙間を利用して、9月議会までに目星をたてたいと考えています。

 ただし、大型免許を持ってはいるものの、最近はAT車のマイクロバスしか運転しておらず、10メートルを超える大型バスには乗った経験もない事から、安全に動かす事が精一杯で久しぶりに緊張する一日となりました。

 もちろん、返上するのは夏休みだけでなく、予定していた日程への影響は免れないものの、福祉タクシーだけでなく、福祉有償運送の認可も迫っており、一つの節目となる8月になりそうです。
                                  8月12日の一言

本日の地震で災害の打ち止めとしたい

 西日本で続いていた豪雨による水害が、熱帯低気圧から発達した台風9号によって中国、四国地方に壊滅的な被害を与え、この台風が紀伊半島や東海、関東地方にも豪雨をもたらし、本日早朝の静岡県を震源地とする大地震によって、東名高速道路まで寸断する大災害へと発展した。

 私が四国遍路に旅立った6日には、中国大陸に上陸した台風8号の影響による雨が心配されていたが、日曜日には心配どころか存在も知らなかった台風9号によって、四国も日曜日には雨足との競争となり、午後には徳島県で自動車道や鉄道が不通となっているニュースを聞きながらの遍路となった。

 午後5時に今治インターからしまなみ海道に入ったが、岡山県に入った山陽自動車道では豪雨によって水たまりが発生し、滋賀県から三重県に走る新名神高速ではスピード規制ではなく、運転する安全性から50キロか60キロでしか走行できず、愛知県に入っても雨の激しさから自宅にも入れない状態での帰宅となりました。

 今にして思うと、この豪雨によって人的被害を出した岡山県や兵庫県を同時期に走行していたわけで、翌日には台風9号が東海地方に接近する可能性が心配されており、コースを外れた事から安心して昨日の夜を迎えていたが、本日早朝の地震は久々に家族全員がびっくりさせられる事となった。

 7月の梅雨時から西日本を襲った豪雨により、多くの洪水や土砂崩れが起こり、多くの人命が当り前のように奪われてきたが、この中で気になるのは被害者の多数が高齢者である事や、多くの高齢者を対象とした施設が被害に遭遇している事であった。

 地方の施設は必ずしも恵まれた土地環境に建てられてはおらず、施設が川の通り道のようになった映像が何日も流されていたが、施設ばかりではなく農村や山村に残された高齢者も豪雨の被害者となった現実を直視し、台風ではなく雨が続いただけで被害がでる山林の保水対策も急務となる。

 さて、早朝に突然の地震は我家の家族もびっくりとさせられたが、愛知県が本腰を入れてきた防災対策は我家には浸透しておらず、「地震だっ!」の大声にも、疲れからそのまま眠っていた私は論外だが、全員がバラバラに避難しており、学生である三男に至っては裸足で軒先に立っていたようだ。

 「そんな所に裸足では何ともならないだろう」、「何故?」、「ガラスが割れたら歩けないし、屋根から瓦が落ちてくるぞ」、「じゃー、どうすれば?」、「座敷の座卓の下に寝ていれば良かった」、「そんな所では生き埋めじゃないか?」、「おい、地震は土砂崩れじゃないぞ」、「それでも阪神大震災では…」

 こんな馬鹿げた会話が朝の食卓で交わされていたのであった。地震も台風も一緒にした息子の感覚は、我々が子供時代には海抜0メートル地帯に住み、台風の度に水が溢れた時代との経験や、「地震は竹やぶに走れ」と言われた竹やぶも、村から町に環境が変わって皆無となった現実から、改めて家庭内での防災対策の議論も必要となっている現実が実感させられました。
                                  8月11日の一言

四国から癒される会話

 「帰りに寄るからね…」、「ウン、待っとるワ」、第42番仏木寺(愛媛県宇和島市)の門前での会話。門前にはバラソルの下で、アイスクリーン(クリーム)を売る親爺さんがいるが、アウンの呼吸で山門をくぐって参拝後に立ち寄る。

 「ここで何年になるの?」、「ワシは12年、親父は〇〇年」、(中略)、「前に撮った写真インターネットに載せといたからね、今日も撮るワ」、「有難う、美味しいと書いといてよ」と言われて帰ろうとすると、足元から大きな菓子袋が出され、「2百円でこんなの貰っては」と固辞するものの、「ええから、食べて」と商売抜きの一言。

 別格5番の大善寺(高知県須崎市)では、参拝をしないままに朱印を求める参拝者に住職の注意がある。本来は本堂から大師堂に参拝後に納経所となるが、本堂が石段で上がる丘の上にあり、大師堂が下にあるため手抜きで逆の参拝とした。

 「しまった」と、先に本堂に向かった同行の3人を追い、本堂の網戸を開け、「入りますか?」と問うと、「いえ、いえ、ここで良いです」との返事。参拝後に納経所に行くと、「今日本堂に入ったのはあんただけだ」との住職の一言が。

 「朱印をスタンプラリーか、数珠球集めと思っている」、「ここでは厳しく注意されるからッ」、「最近は言うのもよそうかと、もうどうでもいいかッて」なんて世間話を続けていると、別格霊場会の公認先達推薦の話となり、「オレが信用してハンコ押すんだから」との約束となった。ただし、先に本堂に向かった3人は私が追いつく前に納経所でしっかりと注意を受けていました。

 「おい、あんた前に来たとき納経帳に名前入れてなかったな」、「さァー、どうかな?」、「いや、そうだ、そうだ」、「そうかなァ、でもどうして判るの?」、「判るさ、こんな珍しい名前は忘れないもの」、「じゃー、納経帳が真っ赤になるまで来るから記憶しておいてよ」、「うん、判った。だけどそれまでにオレが死んじゃうよ」、「僕の方が早いかも」なんて、健康話に発展する。

 「おい、気持ちいいから何か困った事があったら言って」、「じゃー早速頼もうかな」、「オレはひら田、ここにメモしといて」なんて「ご接待」を受け、落款を押した絵葉書まで戴いて愛媛県今治市の第55番南光坊の納経所を後にした。

 世間では酒井法子が覚せい剤で逮捕され、警察官や教員の語るのも恥ずかしいような事件が報じられていたが、私は四国遍路の3日間で四国の人々との会話によって清々しい気持ちにさせられ、改めて四国遍路の宣伝をする一日となりました。
                                   8月10日の一言
四国108ヶ寺(88ヶ所と別格20ヶ所)参り・2回目
8月7日から9日(6日夜出発・2泊3日)
高知32番から愛媛今治58番寺まで・別格5番~9番

四国遍路第三日目

石手寺です。
知り合いも出来、今度の遍路が楽しみです。

四国遍路第三日目

本日は四国は一日中雨模様でした。
遍路も一日中雨の中を巡拝しました。

四国第二日目

本日は第40番から43番までと、別格を4ケ寺廻りました。
最後の別格9番文殊院の写真です。
遍路の開拓者、衛門三郎さんと奥さんの石像です。

四国第二日目

四十二番仏木寺の前でアイスクリンを売るおじさん。
うまいと宣伝しといてと、アイスクリンより高い菓子をくださいました。
こんな事が四国の魅力なんですね。

四国遍路第二日目

とりあえず、おはようございます。
足摺岬から

一日目の付録

四万十川くだりも楽しみました。

四国遍路第一日目

本日は第三十二番から三十九番まで巡拝しました。
宿泊は足摺観光ホテルビロー園です。

市長との懇談会を終えて

 本日は会派(無所属の会)と言っても2名だけですが、市長との懇談会が行なわれ、当方から提出してあった要望書について意見交換を行いました。

 来年4月には新たな下水道が一部で稼動を始めますが、受益者負担金は決まったものの、水道料金等審議会で議論した下水道使用料については議会での審議が終わっていないものの、現状と予定について住民への説明が不足しており、このままでは説明なきままに稼動が始まりそうです。

 実際に、料金を議論した審議会でも、私だけでなく審議会の副会長にある前市議会議員の口から、住民への説明会を早期に実施して欲しいとの要望が出されました。
 この件に限らず、各種施策の住民説明が不足しており、そんな情報を耳にした地域の役職に就く市民がもたらす情報が、一般市民の不信感とか情報格差を作り出しています。

 本日の懇談会の中でも話題としましたが、市民への説明不足の原因の中に、我々議員の存在がある事が伝えられ、議会で議決していない施策や、議員に説明のない施策を住民に説明する事に対して、議会軽視との意見が寄せられている現状の説明がありました。

 確かに、案件の説明すら済んでいない施策や、議会の審議や議決によって確定するかしないか不明なものまで先行して住民に説明して、「住民に説明して理解を得ている」なんて議員への説明では議会軽視であり、問題と思われるが、現状や経過について市民に正直な説明をする事は極めて重要に思われます。

 現状では、市議会で議決を経た施策の説明会すらほとんどが行なわれておらず、決まってしまった案件の説明会では、市民の要望や意見は聞いたところで取り入れる事もできず、一方的な行政の説明に終わってしまうために、議会とは別に経過を説明し、住民の意見を集約する仕組みは重要と考えます。

 さて、本日は深夜に延期に延期を重ねた「四国遍路」に出かけますが、夜に市民団体と会派(2人で)との意見交換があり、仮眠も取れぬままの出発となりそうです。明日から3日間は感度の悪い携帯電話からの映像となります。
                                   8月6日の一言

恩を返せないのが心苦しい

 「大鹿さん、今度の選挙はどうされるの?」の一言は、本日出かけた歯科医師の言葉で、「私は無所属無党派ですからねェ…」と言葉を返すしかありませんでしたが、自民党現職の海部代議士の動きが全く無い事への質問が続きました。

 あと一年で代議士生活50年を迎える海部代議士であるが、体力の衰えは隠せず、今回の選挙では年齢制限によって比例代表に名前が無い事から、選挙区での敗退は引退となる瀬戸際にあるが、それにしては末端にある自民党系地方議員の動きも鈍く、このままでは不戦敗の様相すら漂います。

 私は政治の道に転じた11年前から無所属無党派であるが、初めて選挙に臨んだ時に海部代議士には我家の事務所前に立って熱心に応援演説をしてもらい、当選後には自由党(海部さんは当時自由党でした)の全国大会に若手として派遣してもらい、箱根のホテルで食事をご馳走になった事もあった。

 私の家内の父親もかつて海部系の地方議員であった事から、懐かしい話に花を咲かせていたが、こんな関係も1年後の市長選挙に海部代議士の応援する候補者を支援しなかった事から、地元の海部系関係者から落選の戦犯として批判の対象とされ、海部事務所にも足を運べなくなりました。

 もっとも後援会の幹部や市外の議員から「しばらくの辛抱」と言われていたものの、私と海部さんを結びつけていた海部さんの秘書で地元の番頭格であった弟さんも亡くなられ、津島市から最年少の県会議員となっていた盟友の井桁亮君が海部代議士とは反目する立場で、県知事選挙や衆議院戦に立候補した事から、私の意思とは関係なく海部系地方議員の選挙応援には出向くものの、海部代議士とは断交状態のままになっていきました。

 「おい、力が入りすぎ少し破れてしまったが…」と海部代議士が笑顔で語られた一言は、私の事務所に掲げてある「拓道在志」の書で、私と会った直後に東京に戻って書き込まれた大作で、こんな関係が続いて欲しかったが、地元の海部系後援会関係者と井桁君の行動がその思いを断ち切りました。

 10年の歳月はあっという間に過ぎ去り、元気だった海部代議士は見るからに足元が弱々しくなられたが、こんな時に受けた恩を返しに行けない立場に心苦しいものがあり、このまま不義理のままにするのは私の心情には反するが、それができない政治にも嫌悪感を感じさせられます。
                                  8月5日の一言

2人の国民のために動く米国に

 アメリカのクリントン元大統領が、アメリカ人女性記者の引渡しを求めて北朝鮮に到着したと報じられている。今回の訪問にはアメリカ政府当局者は同行していないというが、両政府の間で何らかの合意に至っている事は確実で、金正日総書記とも会談した事から米朝の関係修復が一気に進む可能性も高い。

朝日新聞関係記事↓↓
     http://www.asahi.com/international/update/0804/TKY200908040043.html

 夫人であるヒラリー・クリントン国務長官も北朝鮮の事情に理解を示すコメントを出しており、アメリカ政府としては、この問題での両国の交渉の前定条件として、人道的解放を要求していたが、クリントン元大統領の個人的行動が、2人の女性記者開放につながる可能性は強くなった。

 報道によれば、オバマ大統領の親書を携えている可能性もあり、今回の訪問が2人の解放だけでなく、非難を繰り返し冷戦と化していた両国の関係改善に至る可能性も高く、米中に続き日本とは無関係にアメリカと北朝鮮の関係修復が進められていく。

 我が国に置き換えて考えてみるが、このような個人的行動によって両国関係を一変させられる政治家や人材は見当たらず、多くの日本人が拉致されておりながら、小泉訪朝時のチャンスを逆に関係悪化としてしまった事から、関係修復どころか無視されて核兵器によって脅される立場に陥っている。

 米朝関係が今後どのようになっていくかは不明だが、2人の国民を救うために全力で対応するアメリカと、多数の国民が拉致されながら何ら対応もできない日本。この違いは日本の外交力だけでなく、世界一とも言われた経済力も今や過去の歴史となっている現実を実感させられる。

 かつて田中角栄首相は、台湾との過去からの関係を後退させても中国との国交回復を決断し、国交回復によって新たな日中関係が始まり、今では経済的にも無視できぬ両国関係に至っており、私個人は拉致被害者の家族の非難を受けても両国の国交回復を実現する事を優先させるべきと思っている。

 例え1人の国民でも全力で守るアメリカと、多数の国民が被害にあっても泣き寝入りの日本とは、外交の方法もおのずと違う。これは領土問題においても同じで、北方四島は勿論だが、日本固有の領土でありながら韓国に占有される竹島や、中国や台湾に領有を主張される尖閣諸島も同じである。

 戦後の日米関係や日米安保をよりどころに、アメリカとの連携や後ろ盾とする外交はもう過去の話で、アメリカも日本とは無縁の外交を展開していく。今こそ、場当たり的対応を反省し、日本の実利となる外交に務めてもらいたいものである。政権交代に目の色を変えている国会議員には、この期間が外交の空白となっている意識はあるのだろうか。
                                 8月4日の一言

水泳一筋のヒーローの殉職

 本日は議会運営委員会が開催され、11日に開催予定の臨時市議会の議案説明と運営に対する審議が行なわれました。例年は新年度の議会の役割分担のため1回しか開催されていない臨時議会ですが、今年は既に4回も開催される事になりました。

 委員会終了後に市役所の仕事を済ませ、福祉有償運送の申請書類に地元推薦書を沿えて名古屋市中川区にある陸運支局に走ったものの、担当者が出張中で改めて出直す必要があるものの、各種の資料に目を通していると、福祉有償運送(白ナンバーでの運送)の不足分を補うための福祉タクシー事業(青ナンバー)についても、利用者の利便を考えると、まだまだ考慮すべき事がありそうである。

 さて、本日の朝刊にも報道されているが、「フジヤマのトビウオ」と言われた古橋広之進さんが、世界水泳選手権が行なわれているローマで亡くなられた。私は古橋さんの現役時代には生れておらず、水泳選手として戦後の日本に希望を与えたという姿は見た事もない。

 古橋さんが日本水泳連盟の会長とか、国際水泳連盟の副会長の要職にあった事に対しては何も感慨もなかったが、本日行なわれた50メートル背泳ぎで100メートルの金メダルに続いて銀メダルを獲得した古賀選手は、そのレース前に古橋さんへの哀悼の意を示す黒い布を胸に握りしめていた。

 世の中には地位とか名誉職に目の色を輝かせる人が多く、会長とか名誉職に就くために事前工作をする例も多く、地域の小さな役職でも目を輝かす人を多く目にしてきたが、古橋さんは80歳で亡くなる当日まで現役選手の間近で、連盟の要職にはあるものの先輩選手として後輩達の水泳を眺めておられた事に感激させられました。

 組織には内紛も多く、スポーツ団体においても派閥とか内部抗争が報じられる事もあるが、水泳連盟について私は何も知識を持ち合わせていないが、国際水連の副会長としての仕事は別として、水泳の後輩選手達と嬉しそうに接する姿から、水泳一筋の人生に改めて金メダルを授与して欲しいと願うものである。

 それにしても人生の最後は判らないものである。亡くなる前日に「ちょっと熱っぽい」と語り、ホテルの部屋で水泳をテレビ観戦されたとの報道や、前夜の会食後に「胸がゼー、ゼーする」と語っておられる事から、80歳の年齢を考えると医師の診察を受けるという選択肢はなかったのだろうか。

 それだけ古橋さんが元気であり、年齢だけでは比較できない体力を持ち合わせておられた結果とは思うが、世界水泳が開催されているローマで亡くなられただけに、ホテルの一室でひっそりと息を引き取り、連絡がない事から関係者が訪れるまで一人であった事が淋しくもある。

 悲惨な戦争を体験し、戦後のどん底の中で「フジヤマのトビウオ」の活躍を知りうる同世代の高齢者に与えた影響は大きく、「小泉が一番いかん」が口癖となって批判癖のできた私の母親も、「亡くなられたのか…」の一言に心がこもっていた。ご冥福を祈りたい。
                                  8月3日の一言

住宅の汚水と枝に悩む農作業に

 2日前の話になりますが、田んぼの草刈りが必要との話が出て、草刈り機の刃が切れないと言って、家内と次男がホームセンターまで買いに走った事から、無責任にも2人が草刈りに出向くものと期待していると、刃は付け替えたものの私が出かけるまで誰も動きません。

 一家の主で私がやらない事には誰も動きませんが、我家の農作業は専業農家出身の家内任せで、「草は冬になれば枯れる」なんて屁理屈で、ここ数年間は出かけた記憶がないものの、家内は娘の出産によって当分は会社に休暇届けを出しており、逃れる事はできずに草刈りに出かけました。

 さて、昨日は一日中雨のために草刈りから逃れられましたが、本日の午前中には雨が降ったものの、午後には雨があがり、「草刈り」の大合唱が始まり、午後には家内と草刈りに出かける事になったものの、春から伸び放題の雑草は草刈り機と言えども容易ではありません。

 おまけに、田んぼに隣接する宅地の雑木の枝が田んぼまで侵入し、腰を曲げないと草刈りができず、そのまま進入すると草刈り機の刃で足でも切りそうです。何度も木の選定を依頼しますが、樹勢が強く放置されたまま伸び放題となっています。

 その隣の宅地の人には、昨秋の稲刈りの後に田んぼに切り刻まれたワラを燃やしていたら、大声でお叱りを受け、野焼きとは言え現地で出た枯草を燃やす事は法律で認められており、数年前に引っ越してきた人に叱られる事と、それらの宅地から田んぼの水路に生活の汚水が流されている事から、先祖伝来の土地ながら惨めな思いで農作業を続けるのは苦痛です。

 さて、田んぼにはそれぞれにパイプラインから取水が可能で、コックを回すと水が出る事から水を入れていると、「何でこんなに水があるのか」との家内の声に、慌ててコックを戻しましたが、この時期の水稲は水を必要としていない事すら判らない農業音痴は情けない限りです。

 かつては農地ばかりの地域が住宅地に変貌し、生活汚水によって汚れた水路に湧くやぶ蚊に刺される農作業がいつまで続くのだろうか。知人の休耕田は隣地の宅地から虫が湧くと訴えられているが、住宅地からの汚水は農用水路を汚し、やぶ蚊の大量発生となっています。

 まるでアメリカの先住民族インディアンと白人の戦いのようですが、農家が農地を放置すれば宅地並みの課税が待っており、水田のままでも農作業を委託すれば赤字となり、おまけに収穫した米も美味くないとなれば踏んだり蹴ったりです。

 世の中は良くできたもので、私の父親は太陽が沈んで暗くなるまで農作業を終えませんでしたが、私の家内も全く同じように明るいうちは田んぼから出てきません。反対に、私は早々に草刈りを終え、「もう帰ろうか」と言いながら帰宅をせがむのも一緒(情けない話ですが)です。
                                   8月2日の一言
追伸
本来の計画では、明日まで四国遍路の最中でしたが、突然の臨時議会開会により、一週間後の出発に変更したために生れた空白の3日間でした。ただし、この3日分と議会の日程が夏休みの「上高地」を遠ざけます。

選挙公約は出揃ったものの

 自民党のマニフェストが発表され、新聞やテレビ、雑誌なとで選挙公約の比較がなされているが、選挙の勝敗ばかりを意識するあまり、関係する国民の痛みについて議論されているのかどうかが疑わしく思えるのは私だけではなさそうである。

 前回の総選挙において国民の圧倒的多数によって小泉郵政改革が支持され、郵政民営化が実現されたが、今回の選挙公約においては自民党の現状の改善以外は、国民新党だけでなく各党揃って民営化の見直しを訴えており、見直しの一言は簡単だが民営化は既に断行されており、多くの職員のリストラや職場の配置転換など関係した職員には後戻りが許されず、過疎地については判らないが、私の住む地域にとっては配達や小包の配送が大幅に改善され、サービスは間違いなく向上しており、何を見直すと言うのか。

 一方で、民主党の高速道路の通行料の無料化についてであるが、私自身はその恩恵をこうむると思うが、道路維持に関する費用なども考えると、全く利用しない人の税金が充てられる可能性から、利用者の受益者負担は当然であり、小泉改革によって道路公団の完全民営化による大幅なリストラが実施されたが、無料化は各料金所に勤める人々の職を奪うだけでなく、それらの人々の多数が転職の難しい高齢者である事が国会議員に見えているのだろうか。

 郵政省の民営化についても、私の知人の中にも関係者が存在したが、国家公務員の試験に合格したものの、たまたま郵政を選択した事から、郵便局が民営化されたことにより、国家公務員から民間会社員になった人々の本音はあまり伝わってきませんでした。

 私も公務員試験や警察学校の試験には合格していたものの、大学進学のために公務員となる機会はありませんでしたが、国家が試験により採用した人々の処遇について、あまりにも関係者の生活や心情が無視されていた反省は必要と思うが、政権交代によって翻弄される国民の痛みは理解されているのだろうか。

 そもそもが、国民の痛みを求めた小泉改革は多数に支持されており、自民党の凋落は、小泉後の安部、福田放り投げ政権や、麻生総理による人気低迷による一貫性のない改革への逆行や場当たり的政策が招いたもので、国の莫大な借金を抱えた現状の中で、自民党は勿論だが、民主党や各党のマニフェストそのものに私は異論を覚えてならないのである。

 今後益々増加する高齢者に対する施策についても、家族状況は様々であり、私の母親も我々家族と同居していなければ、完全なる介護保険のサービス対象者となるが、家庭とか家族関係から見直せば、国の施策も大幅に変わってくる。

 いくら高校の授業料を無料にしても、大学を卒業して親元を離れていけば、新築したローンや家賃に苦しめられ、残された両親は死ぬまで自活を余儀なくされ、先祖伝来の土地や建物は相続時に他人に売却され、帰る故郷も無くし、育てた子供の故郷は住み着いた場所となる事から、家族の故郷も共有できない現状からは明るい未来も見出せない。

 家族には色々な環境と事情があるが、少なくとも家族が二世代、三世代と同居できる環境を考えれば、子育て支援や住宅ローンの負担も軽くなり、高齢者や独居老人に必要となる行政の負担も間違いなく軽減となる事は確実である。

 私の知人に大企業で出世した友人があるが、勤務先の近くに家を構え、住宅ローン等の負担に対する悲鳴を聞いたが、彼の実家は裕福な豪邸で、残された両親は独居老人となり、限られた年金で維持する事も難しく財産の切り売りを続け、行政の世話にもなっている。

 定年も近づく知人が実家に戻れば全てが解決となりそうだが、夫人と子供達が納得しないと言うし、親は子供の世話にはなりたくないと語り、「今まで税金を支払っているから行政が面倒をみるのが当り前」と聞かされると、矛盾を感じずにはおられない。

 選挙の目新しい集票にはならないが、崩壊したような家庭を基準としたマニフェストとすれば、真面目に親の扶養を続ける家庭は減少の一途を続け、最近認識され始めた地域の連携(コミュニティ)が不足する事の解決は永遠にないのではないだろうか。
                                   8月1日の一言
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