大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年09月

明日は高野山で結縁潅頂へ

 月日の移り変わりは速く、本日で9月が終わり、明日からは10月に入ってしまう現実にびっくりですが、忙しい日々のスタートにあたる1日は、高野山の結縁潅頂 (けちえんかんじょう) に出向く事となっており、私が5月に出かけた体験談から家内も迷わず会社を休み、人々にも呼びかけての日帰り旅行となりました。

 高野山では5月に「胎蔵界結縁潅頂」、10月に「金剛界結縁潅頂」を大伽藍・金堂にて開壇されており、今回は金剛頂経(こんごうちょうぎょう)系思想を根本として、大日如来の智の表面を表現するとして、我々の菩提心と仏の智慧を示すのを目的とされています。

 結縁潅頂とは、仏様(密教の尊い教え)と縁を結ばせて(これが《結縁》の意味)いただき、阿闍梨様から大日如来の智慧の水を頭の頂より注いで(これが《潅頂》のこと)いただくことによって、我々の心の中に本来そなわっている仏の心と智慧を導き開く儀式だそうです。

※詳しくは金剛峯寺の結縁潅頂↓↓を参考に
http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/event/kechienkanjo.html

 さて、四国遍路にしても、四国八十八ヵ所霊場の本堂や大師堂を巡拝する事よりも、納経帳への朱印と白衣や掛け軸への朱印の完成に目を輝かせる人が多く、別格二十霊場についても各寺院で賜る念珠を集めて仕上がるのを楽しみとしている人もあり、せっかく廻っても般若心経すら覚えない人すら存在します。

 ただし、四国遍路にしても修業の場に入ると身体が悲鳴をあげ、明日の結縁潅頂についても印と真言を面授されると真言密教の神秘さに感動させられ、大伽藍・金堂の中で両目を覆われ、導かれた曼荼羅に花を投じて、阿闍梨様より如来の智慧の水を注いでいただくと生命の起源すら実感させられます。

 明日の同行者はいずれも四国遍路を複数回経験した人ばかりですが、私が遍路を始めた当初のスタンプラリーの経験者もあり、明日の体験から煩悩の闇をさまよっている私たちへの道しるべとなり、本来私たちの心の中に備わっている、仏の「眼」を次第に開くことが出来るとの説明が現実のものとなる事を期待した旅立ちです。
 明日の一言にご期待下さい。
                                   9月30日の一言

公務員が頼もしく思われてきては

 世の中は(意外と言うのは不謹慎だが)真面目な人々が多く、来月4日に予定している津島秋祭りの街歩きについても、私一人が走りまわっているのかと心配していたが、祭りを担当する商工観光課の課長さんより連絡をもらい、十分すぎるほど観光ボランティアの方々と連絡されている事から、私はしばらく頭が上がらない心境となりました。

 「4日は大丈夫ですか?」の一言は、過去3年間実施してきた「人にやさしい街づくり地域セミナー」を担当した建築課の職員で、愛知県の健康福祉部の管轄のイベントであり、津島市の健康福祉部の職員が県との連携が希薄で、何一つ行動がない中で、建築課からは日曜日にも関わらず誰かは参加しなければとの頼もしい言葉がありました。

 考えて見ると、地域セミナーは行政(愛知県と津島市役所建築課)との協働を旗印にして進めてきた歴史があり、地域セミナーの成功が、小さなボランティア団体からNPO法人に成長した原点だった事から、最近のNPO法人で勝手に走ってしまう事への反省も必要です。最近はNPO法人のボランティアのウエートが急増しています。

 何かを催すと、主催者が気になるのは参加者の総数であるが、これについては結果論であり、目標とする人員が集まるにこした話はないが、純粋に行事の目的を果たしていれば、体裁を整えるために意図的に参加者を集めた場合より尊いのではないか。

 こんな考えは人の寄らない企画の弁解に過ぎないかもしれませんが、真剣に考えた企画ではあるものの、障がい者の参加に期待して、障がい者の視点で街のバリアフリーを考える事は、元々が難しい課題を無理に企画していたと思わざるをえません。

 昨日に呼びかけた高野山行きは、2日後の平日の日程にもかかわらず乗車定員の10人が集まり、こんな事ならマイクロバスを用意すれば良かったと思いますが、楽しみが主眼にない企画は苦行ともなりかねず、間際に迫った秋祭りを前に自然の成り行きに任せてみたいと思いました。

 さて、立ち寄った先で「あまりにも何でも手を出しすぎ」との指摘を受け、議員活動だけに徹していれば、2年後の選挙も四国遍路にも自由に行けるのにと言われると、私を知る人物の言葉だけに、忙しさから自由に行動できなくなった今日の反省と、何でも手を出しても結果伴わずではと自己嫌悪の一日ともなりました。
                                 9月29日の一言

留守宅の電話で都合を聞く集金人に

 昨晩は来月4日に津島市で開催される秋祭り当日の「バリアフリー検証会」の案内を印刷して封筒に入れ込んでいたところ、約300通の宛先に2枚の案内分を入れる単純作業ではあったものの、時計は午前4時近くをさしていました。

 それから静かに入浴して眠りにつきましたが、目覚ましを設定した8時に起床できず、郵便局に到着したのは9時を廻っており、このままNPO法人の仲間を誘って「福祉タクシー」と「福祉有償運送」で使用する車両に添付する表示の依頼のため看板屋に走りましたが、運転が辛く一度帰宅しました。

 わずかでも仮眠したいと考えた帰宅でしたが、近所で倒産したパチンコ屋の解体作業の振動と、容赦ない電話によって眠る事もかなわず、約束してあった所用に走り、午前中に引っ張り出した仲間との珈琲タイムの約束は遅れに遅れて午後5時近くになっていました。

 さて、ここで一息と考えたのも甘い考えで、愛知県の担当者から連絡が入り、4日のバリアフリー検証会の仕様書と予算の概算要求を求められ、今晩には仕上げてメールで送ると答えたものの、議会に提出する9月議会の原稿も明日が締め切りとなっており、今晩も徹夜の様相を帯びてきました。

 そして、パソコンの前に座ると来月25日に開催される「東海歩き遍路友の会」総会の案内が届けられ、今月末が出欠の締め切りとありましたが、近況を添えて出席の報告をしようと考えていたものの、書き込む余裕すらありません。

 個人的には今週の木曜日(1日)に高野山で開催される結縁潅頂(けちえんかんじょう)に10人で参加する予定を立ててありますが、連日の公務と集まった相談事により、身体にゆとりがないままの旅立ち(日帰りですが…)は、帰宅後の焦りと苛立ちを増幅する事間違いなし。

 知人とのわずかな珈琲タイムの終焉は、自宅からの電話でした。携帯電話に自宅から電話が入り、予想もしない声にびっくりすると、新聞の集金人からで「何時に来たら良いのか」との内容ですが、電話は私の事務所の電話を使用しており、緊急用の連絡方法を見てかかった電話でした。

 それにしても不在とは言え、不在時の市民の緊急連絡用に置いた事務所の電話機を使って、しかも我家に電話されて携帯に転送されてきただけに、一度も不払いをした事もないのに居留守と考えたのか、「何所にみえます」の一言には怒りがこみ上げてきました。

 私が23年間も続けた朝日新聞販売店の後任の販売店ですが、従業員とは言えこんな非常識な訪問では「もう二度と配達するなッ」と断られても不思議ではなく、部数が減り普及率を下げているのも当然かもしれません。
 こんな怒りを正論で論じても何にもならず、我家の電話で長話しをすれば、時間と電話代がムダに経過するだけでなく、同行する仲間にも苦痛となる珈琲タイムと化してしまいました。
                                   9月28日の一言

日本人力士のふがいなさに

 大相撲千秋楽において、横綱朝青龍が白鵬に負けて14勝1敗どうしになったものの、優勝決定戦で白鵬を下し、北の湖に並ぶ24度目の優勝を飾りました。もっとも、私は所用で出かけており、決定戦になった事から帰宅後に優勝の瞬間を見る事ができました。

朝日新聞関係記事↓
朝青龍、決定戦で白鵬下し優勝 北の湖に並ぶ24度目V
http://www.asahi.com/sports/spo/TKY200909270106.html
朝青龍、また「ガッツポーズ」 親方が陳謝
http://www.asahi.com/sports/spo/TKY200909270122.html
朝青龍に鳩山首相「優勝おめでとう、誕生日おめでとう」
http://www.asahi.com/sports/spo/TKY200909270121.html

 テレビでの観戦ですが、前々から朝青龍を嫌っている母親がテレビの前にいた事から、朝青龍ファンの私は冷静を装って優勝の瞬間を見届け、本人の喜びのインタビューと、優勝賜杯を贈るために待機する鳩山首相の登場を待ちましたが、時間切れで感激はお預け状態となりました。

 今回も優勝直後のガッツポーズが問題となりましたが、私もガッツポーズをとりたい心境で、花道でハイタッチするファンの姿をうらやましく見ていました。日本の国技とか神技とか言い、横綱朝青龍の行動が時々問題となりますが、私はむしろふがいない日本人力士を問題とすべきと思うとともに、勝ち越すのがやっとの大関を問題とすべきでもあります。

 ただし、24回も優勝しているとはいえ、最近の横綱朝青龍も年齢とともに衰えは隠せず、確実に横綱白鵬の実力が勝り、いずれは引退を迎える運命には逆らえず、いつかは引退となるものの本日で29歳となる年齢はまだまだ若く、ケガに注意して精進し数年は頑張ってもらいたい。

 さて、ふがいない日本人力士と記しましたが、私に就職を依頼している学生から、私が知人の勤める会社の社長に頼んでもらった就職の面談を断る電話が入りました。理由を聞くと、大学の先生から行かない方が良いと言われたとの話ですが、そうであれば大学で責任を持って就職させるべきであろう。

 知人の会社は私の少年時代からテレビコマーシャルを流す中堅の建設会社で、主力となる営業ではなく事務職で特別に紹介していたのに、断るのは簡単だが、知人が社長直々に依頼した話だけにこのままにはできず、私だけでも訪問する必要があるが、こんな事では話すらできず、多方面に依頼した求人の依頼も無力感に襲われてくる。

 議員ゆえに人をあてにした依頼は多いが、依頼された当人がどんな行動や思いをしているのか理解されているとは思えず、大学生を指導する立場にある教授であっても、子供を相手にしている事から、断るべき社会の儀礼すら知らずにいるとしたら淋しい現実を実感させられました。
                                9月27日の一言

伊勢湾台風から50年が経過して

 本日は愛知県を襲った伊勢湾台風から50年目にあたる事から、県内各地で追悼式や慰霊祭が行なわれたが、私は飛島村の中央公民館で開催された「海部地域伊勢湾台風50年式典」に参加し、議員として過去の歴史を語り継ぎ、今後の防災に役立てる責任も実感させられました。

 式典には現在衆議院議員となられている旧山古志村村長の長島忠美さんによる、「大規模災害への対応」の講演があり、実際に大地震を経験した後に、村民と一緒に対応した経験談が語られ、体験した者しか知りえぬ話だけに、貴重な提言やヒントとなるばかりか、この体験が国政に生かされる事にも期待したいと思いました。

 さて、伊勢湾台風は愛知県に多大な被害を与えましたが、運良くと言うか、私の住む地域には道路が水没した程度で、牛舎や小屋などが倒壊した家は存在するものの、親族に負傷者も存在しなかった事から、下流の弥富町から流されてきた金魚に目を輝かせた程度の認識しかありません。

 本日の式典で、当時の伊勢湾台風を報じる愛知県ニュースが上映され、海抜0メートル地帯と言うよりも0メートル以下の土地だけに、防波堤や川の堤防が決壊すれば、海になってしまうのも当然で、当時とは違い防災対策も万全と言うものの、人間の限界も感じさせる教訓としたい。

 時代の変化は致し方ないが、今回の式典には伊勢湾台風を知らない民主党国会議員だけとなり、途中で退席して空席となった座席を眺めると、無所属議員として今まで対極にあると思われていた、自民党大物県会議員の涙混じりの挨拶を聞き、地域と一体となって歩んでこられた功績は無視できぬとも思いました。

 50年という歳月は確実に世代交代を起しており、不幸にして伊勢湾台風で尊い命を散らした人々の供養についても、「50回忌」は仏教では「弔い上げ(とむらいあげ)」「問い上げ(といあげ)」とする例が多い事から、確実に風化する歳月の経過も実感させられる一日ともなりました。

 伊勢湾台風で命をおとされた人々に対して合掌するとともに、復興するために命がけで作業にあたられた先人の地域愛に対して、一地方議員ではありますが、郷土愛の不足を反省し、地域の礎となる責務も痛感させられました。
                                   9月26日の一言

農協に泣かされる人々の多さに

 「やっぱり、農協はダメだなあ」とは、私の珈琲タイムに同行する知人の一言で、知人が毎朝通っている珈琲屋のママさんが交通事故を起して任意保険をかけていた農協に電話をしたら、「契約が切れている」と言われ、全額自己負担になったとの話であった。

 確かに保険の契約を継続して保険料を支払ってなければ保険金の請求はできないが、それまで毎年農協側から継続の手続きにきており、自分から出向いて保険の契約をした事がなく、事故後にも自分の保険が切れているとは知らずに連絡したと言う。

 私に伝えた知人もそうであるが、私の任意保険についても、契約が切れる前に書面の連絡が郵送されてくるものの、必ず保険代理店から電話が入り、担当者が直接訪問してくるから、今まで一度も保険が切れたままになった事はないし、それが当り前となっている。

 今回の当事者もまさか自分の車の任意保険が切れているとは思わず、事故後に保険切れが発覚し、農協の対応には納得できないものの、あまりにも腹がたったために他所の保険代理店と契約した言う。

 冒頭の「やっぱり、農協は…」の一言は、農協と契約していた我家の建物共済の契約更新を巡るゴタゴタから、私が共済会から脱退した経緯を知る事と、私の同級生が自分の責任ではあるものの、農協から借金したものの返済が滞り、担保物件の田ではなく、裁判をかけられ父親名義の自宅を競売された事を知っているからでもあった。

 農協の農家へのたかり商法は伝統で、私の家内の実家でも認知症が進んだ義父が必要以上に多額の保険料を農協に支払っていた事から、家内と義兄が農協に出かけて解約の手続きをした事があったが、義父は専業農家であるばかりか、かつては村会議員をしていた事から、農協と聞けば信頼して断れなかったらしい。

 農協によって親の自宅を競売された同級生は、自宅が5軒の分譲住宅となり、近所では体裁が悪い事から市外の借家に間借りしているものの、地元に残した田畑がある事から、自宅を競売された農協の組合員を続けているが、自宅のない組合員は不自然でもある。

 もっとも、この同級生も当初は顛末を隠しており、今でこそ理不尽な思いを語るようになったが、今では農協は農業の振興や農家の手助けにはならず、農家の資金を頼りに利益をあげるばかりか、農家が農協からの補助金と思っている地域への財源の多くは行政からの補助金である事すら知られていない。

 今回の一件についても、一人の任意保険の契約ミスではあるが、こんなズサンな体質が農協のすべてであり、農家からたかる農協の役員になる事を名誉と勘違いしている人々の存在も問題で、こんなミスによる痛みを救うのが役員の務めとの認識も皆無であった。
                                   9月25日の一言

自分の意志の無さへの反省の日

 本日は5月から7月にかけて研修を受けたホームヘルパー2級の修了式がアイプラザ(勤労福祉会館)津島で行なわれ、修了証書を受けた後に簡単な実情報告とテータイムがあり、参加者全員で場所を移して近くの木曽路で昼食の後に散会した。

 受講前の説明会には失業した熟年男性も多く、労働条件や賃金を質問したことからびっくりさせられたが、受講は大多数が女性で、最後まで残った男性は若者が多く、資格を生かして施設や福祉関係の仕事に就いたり、新たな展開を夢みている様子が伝わってきた。

 実際には女性の決断力は抜群に早く、一緒に机を並べていたのに既に仕事を決め、資格を生かしている姿には男性より女性の生活力も感じ、勉強のためとはいえ学んだ知識に感心している自分の甘さも実感すると同時に、これだけヘルパーが養成されても障がい者の生活を援助するヘルパーが不足している現実にも矛盾を感じさせられた。

 さて、四国八十八ヶ所霊場の公認先達になって3回目の巡拝が昨日終わりましたが、今回の巡拝はお寺からお寺を一目散に目指し、予定よりも一日早く満願としてしまった事から、巡拝した印象として残る残像が薄く、一緒に同行した人々にも四国の魅力を伝えられたか疑問を残す遍路となりました。

 残した高野山への参拝についても、来月に満願としてから立ち寄る予定を立てていた事から、日帰りで簡単な行程とはなったものの、「大鹿さん、いつにしますか?」と問われても片道4時間はかかる事から、高野山の朱印が済めば、運転して帰る私には大変な苦痛ともなります。

 しかも、私自身は10月1日には「結縁灌頂」のために高野山を訪れる事から、この日に同行してくれれば一度に済みそうに思えるものの、朱印だけのために走る私は運転手役でしかなく、朱印だけであれば四国遍路がスタンプラリーにも思えてくる始末である。

 何も判らず次の寺を目指した初期から、せっかくだから観光もと名所も巡り、観光気分の反省から礼拝を重んじ、結局は同行者の声でスタンプラリーになったと思うが、私自身も弘法大師ゆかりの史跡や修業の場を案内する気持ちが希薄すぎたと反省の遍路ともなりました。

 明日は議会最終日となり、来月の津島秋祭りの街歩き(バリアフリー)の案内から、しばらく発行していない議会だよりの発行にとりかかるとともに、福祉有償運送の宣伝もしないと何も役立たずとされそうです。
                                    9月24日の一言

四国遍路満願に

 四国一番霊山寺の本堂です。満願の御礼に立ち寄りました。

四国遍路第三日目

 別格二十霊場20番大瀧寺です。本日は88ヶ所と別格も満願となりました。

四国第二日目

座長市川英儒さんの奥さんとツーショツトのサービスです。

四国第二目

本日は連休で宿泊する施設が満員で、四国健康村に宿を決めたところ、大衆演劇を見れました。

四国遍路第二日目

本日は六十六番雲辺寺から、七十八番まで巡拝しました。
写真は別格十五番箸蔵寺のロープウェイからの風景です。

四国遍路第一日目

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別格十四番椿堂で、椿の苗木をいただきました。
弘法大師ゆかりの椿だけに粗末には出来ませんが、家族の反応が心配です。

四国遍路第一日目

車でも大変な横峰寺へ、遍路道を山の麓から歩きました。
往復三時間の道程です。

四国遍路第一日目

しまなみ海道の日の出です。
今日から遍路です。

四国遍路にまもなく出発です

 本日は昨日の法要に続いて連日の横井庄一記念館の一日となりましたが、昨日の勘違いから家族や母親へのグチをぶちまける朝となり、まるで母親のように横井夫人が仲裁に入って家族の有るべき姿を話し合う出足となりました。

 考えて見ると横井庄一さんには学生時代に家内と結婚する際に、大反対の家族や親族を「こんなおめでたい話があるか」と説得してもらい、28年もグアム島の洞穴に入っていた事から、世間常識や儀礼的な事は私と同じ次元のため、夫人が仲人としての知恵袋役をしっかりと務めていただいた事から、今にして思えば私の良き理解者でもあり、母親のような存在でもある事が実感させられました。

 さて、本日は町内の長老の葬儀がありましたが、葬儀には誰でも出席できる事から参列は自由であるが、議員が並んで参列する事から、私と故人や家族との関係に関係なく、政治的義務として来賓席に座っているようで座り心地も悪く感じました。

 亡くなられた故人は、今から20年ほど前に私の父親と一緒に旅行に行った際に、我家の数代前の血族に関する情報を知る機会をいただき、横井庄一さんについても多くは語られなかったが、今ではわずかに残った幼少期を知る人でもありました。

 自身は戦争による傷痍軍人として映画の「病院船」にも姿が映像として残されており、津島市の傷痍軍人会の会長を務めてみえた事があり、生真面目で正直な性格から、高齢化によって会員が集まれなくなった事から、自分達にもらえる補助金の返上を当時の市長に伝えてくれと相談された事もあった。

 政治というのは地方でも人間関係が難しく、私が町内や地元の農業団体とは無縁で立候補している事から、事務所に顔を出すのも躊躇する長老が多い中で、同じ町内の親や先祖との関係から当り前のように事務所のイスを暖めていてくださった方だけに、親や先祖との縁も薄くなっていく事を実感しました。

 さて、さて、事前にあまり語りませんでしたが、実は本日のまもなく四国遍路に出発いたします。一緒の方々の要望を聞いて決めた日程ですが、さすがに5連休だけに明日の宿も目的とした場所は全滅で、順路を代えて巡拝する事になりそうです。明日からは携帯電話の一言です。
                                9月20日の一言

勘違いから家族に悪者とされ

 本日は横井庄一さんの13回忌が開かれました。ただし、持参する予定のお供え物を自宅に置き忘れ、引き返していた事から、「もしや、忘れてはいないか?」と心配した電話をもらう失態ともなりました。

 ただし、横井庄一さんの血縁者はほとんどが亡くなり、本日も血縁者は私一人となり、親族の亡くなった人々の思い出話に花を咲かせる展開となりました。命日は9月22日ですが、亡くなってから12年が経過し、横井さんの幼馴染は殆んどが鬼籍に入られています。

横井庄一さんの履歴↓
http://blogs.yahoo.co.jp/oshika59/folder/1134940.html

 さて、本日は私の町内に住む幼少期の横井庄一さんを知る長老の訃報があり、母親の知人から我家の固定電話を経由して、法要に参加している私の携帯電話に転送されてきました。

 「〇〇さんが亡くなったけど知ってる?」
 「そうですか、それで葬儀は?」
 「明日が葬式だけど、今日の通夜は(私の母親は)どうするのかな?」
 「判りませんが、今出ているので」
 「夜6時半に葬儀場のマイクロが来るから伝えといて」
 「いや、だから今は話せないので」
 「行くなら6時半に来てもらってよ」
 「だから、今は母とは話せないので…」

 相手は私の携帯電話につながっている事は判っていますが、私が自宅にいると信じ込んでおり、私は夜しか帰れない事から、知人から母親に直接伝えてもらうように伝えたのですが…

 夕方に帰宅すると、母親と家内が私の言動を巡って声高々に言い争っており、どうやら私が母親とは口をきかない親子喧嘩中と勘違いされ、知人から「あんたも大変だなあ」と同情して伝えられた事から、私の話した内容から大騒動になっている様子でした。

 私を悪者にした勘違いに事情を説明しても理解もされず、「法要で周りが聞いていたから聞いてみろ」と言っても、信じてもらえずに「それなら、これから一言も話さないから」と、怒り心頭で母親と別れましたが…

 明日は横井庄一記念館の一日ですが、途中で町内の葬儀に出席してから、夜に出発する「四国遍路」の準備をする暇もないままの旅立ちとなります。さて、こんな事で明日は大丈夫か?
                                   9月19日の一言

酒井法子・罪を償う姿を見守りたい

 覚せい剤取締法違反で逮捕され拘留されていたタレントの酒井法子(本名・高相法子)さん(38)が逮捕されてから40日ぶりに保釈され、当日のテレビは勿論だが新聞各紙も大々的に報道し、全国に酒井さんの謝罪会見と涙ぐむ姿が発信されてきた。

 前日に夫である高相(たかそう)祐一被告(41)が保釈されているが、何ら記者会見も行なわれておらず、有名人であるから当然との声もあるが、何故に夫人である酒井被告は涙まで見せてマスコミの前で謝罪する必要があったのか。

朝日新聞関係記事↓
http://www.asahi.com/national/update/0918/TKY200909170506.html

 罪を犯したとは言え、これだけ連日報道され、世の中の一番極悪人のように扱われ、所属していた事務所代表者から「解雇し、二度と復帰させない」と発言されたにもかかわらず、保釈後の記者会見に所属した事務所の副社長が同席したのは何故か。

 引退するのであれば精神的な苦痛を感ずる保釈直後に謝罪会見をする必要もなく、解雇したサンミュージックの相沢副社長が同席して謝罪するのは、復帰を前提にしているとしか思われず、まるで彼女は生活力のない道楽亭主のために働かざるを得ないかのように思われて哀れにも見えてくる。

 私は特別に彼女のファンでもなく、彼女の芸能界復帰に強い期待を持っているわけではないが、本人もテレビカメラから全国に涙の謝罪を行なっており、罪を償って反省してやり直せば復帰するのも自由であり、ましてや違法な犯罪とは言え、第三者に危害を与えた犯罪ではなく、自己破産して周りの人々に被害を与えても国会議員としてまかり通り、刑事被告人を国政の要職に就ける内閣を考えればマスコミの対応は異常としか思えない。

 清純派と言われた彼女だが、親や兄弟が暴力団関係者と報じられ、庇護すべき亭主には庇われることなく罪を拡大された挙句に、凶悪犯人でも顔を隠して移送されるのに、保釈を多くのカメラに待ち構えられ、今後の生活にもマスコミの監視が続くのである。

 私が亭主か親なら、法律によって司法の判断に従って罪を償わせるかわりに、引退させてマスコミには取材どころか写真も個人のプライバシーとして撮影させないと思う。もっとも、こんな話も赤の他人の私が論ずることではないが、マスコミにはもっと厳しく指摘すべき対象があり、有名人の犯罪と言えどもそろそろ見守る寛容さも必要ではないだろうか。
                                    9月18日の一言

自立から共に生きる社会に

 本日はタクシーの料金メーターの検査を受けるために名古屋の代理店で予備検査を受け、その後に東海市にある愛知県の計量検査場まで車を走らせました。とにかくタクシーを運転した経験もなく、メーターを操作した事もないので全てが初体験の事ばかりです。

 タイヤの空気圧を確認し、ローラーの上で言われたスピードまでアクセルを回し、料金メーターを作動させ正常に加算するか確認し、正常と確認されたメーターは検査官によって封印されます。これは一年に一度義務付けられており、今後は毎年の繰返しとなるそうです。

 さて、この間にも市役所だけでなく、名古屋にある政策金融公庫からも連絡が入り、帰宅後に名古屋市と津島市を2往復するだけでなく、夜には名古屋市にある芸術文化センターで開催された菅原洋一さんのリサイタルまで走る事となりました。

 このリサイタルは菅原洋一さんの「歌手生活50周年記念リサイタル」で、名古屋にある障がい者福祉施設AJU自立の家の主催で18回目のウェルフェアコンサートとなり、鶴田浩二さんしか眼中にない私にとっては、自立の家で働くM君から誘われたお義理の参加でしたが、まさかこんなに感動させられる夜になるとは考えてもいませんでした。

 AJU自立の家は愛知県の障がい者施設では草分け的存在で、専務理事の山田昭義さんは名古屋市長の河村さんの相談役に指名された障がい者のシンボル的存在でもありますが、この施設によってこんなにも多くの障がい者や関係者が集まり、見事な連携と感動を与えている事に感動です。

 国では政権交代や新内閣が誕生して話題となっていますが、社会の変動に関係なく、障がい者の自立の道筋は連綿と続けられており、今回のコンサートのために三笠宮寛仁殿下も臨席され、殿下によって神津善行さんや中村メイコさんを巻き込み、菅原洋一さんのリサイタルに発展した経緯を知りました。

 来年には喜寿を迎える菅原洋一さんですが、その歌声は衰えを知らず、俳優の鶴田浩二さんの唄声とは違い、本物の歌手としての声量に感動させられましたが、テレビや雑誌で拝見する寛仁殿下が私の手の届く距離で一緒に鑑賞される事がまるで自然である会場に、警護に仰々しい政治家や皇室とは違う殿下の魅力も実感です。

 名古屋市の芸術文化センターを満席としたのは菅原洋一さんの魅力もあるでしょうが、山田さんをはじめとする施設関係者の歴史でもあり、寛仁殿下も当初から施設の理解者として関わり、見事な挨拶文を寄せておられました。

 この挨拶文は見事で、機会があれば紹介したいが、天皇陛下と同じ血脈である三笠宮寛仁殿下が、障害をもつ山田さんと一緒の視線で年月を重ねられ、政権交代で突然国の首相となった鳩山さんとは違う、同期の桜のようにも思われ、こんなにも身近な皇族の存在に感激です。

 不謹慎なことに私はリサイタルに誘われたM君に、「とにかく安い方が良い」と空きのあった高額な客席をダンピングしており、音楽に興味が無かったとは言え、こんな立派な菅原洋一さんのリサイタルに対して申し訳なかったと反省の一日となりました。

 「長い間、障がい者の施設や組織は、健常者から様々な支援を受けて日常生活を営んで行くというのが当り前でありました」の一言は、寛仁殿下の挨拶文の一節ですが、今や健常者が心の支援と感激を受けている事に、障がい者の自立と「共に生きる」社会を実感させられる夜となりました。
                                   9月17日の一言
追伸
本日は朝から深夜まで身体を資本とする一日でしたが、書き込んだ一言が(送信が乱暴だったのか?)消えていた事から、絶望の書き直しとなりました。感動が絶望に変わる夜ともなりました。

埼玉県からタクシー車輌が届きました

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 本日は埼玉県の業者に依頼してあった福祉タクシーの車輌が、埼玉県から名古屋の陸運事務所の車検場に持ち込まれ、私の名前を意識した「い・・18」の青ナンバーを付けて、夕方になってから我家に到着いたしました。

 この車輌は5月の連休前から購入の第一候補としたものの、私自身が青ナンバーの営業車を運転する免許証を持っていない事や、タクシー事業主の法令試験や手続きに手間取り、ヘルパーの資格を取得するまで半年間も待ち続けていたのでもありました。

 もっとも、営業許可が出るまで埼玉県の業者が多くのアドバイスをくれた事から、この車が我家に届けられたのであり、埼玉県から持ち込んでくれた担当者のAさんには感謝するとともに、公共交通や障がい者の移動を考える上で、今後も連携を図っていきたいと考えています。

 「何で、そんな遠くの業者に?」と問われた事もありましたが、地元のトヨタ自動車の営業マンに聞いた際に、私が21年間も旧い車に乗っているためか真剣に聞いてもらえず、福祉タクシー協会の紹介によって知った業者で、埼玉県の業者ではありましたが、障がい者用車輌の販売を全国に展開している専門の業者でもありました。

 わざわざ埼玉県から来てもらう事から、夕食でも誘って名古屋駅まで送ろうと家族に話していましたが、Aさんの熱心なアドバイスを聞きながら、障がい者や高齢者が公共交通や福祉タクシーを利用して、全国どこでも気軽に移動できるために、東京では財団法人の設立が考えられているとの話に、私の活動や考えについて議論していると完全に夜になっており、珈琲屋から慌てて名古屋まで走ったような顛末で、帰宅しても私の夕食は用意されていませんでした。

 さて、福祉タクシーとは言いながら、この車は車イスを搭載する事ができない、10人乗りのステーションワゴンです。当初は車イス対応の車輌を考えていましたが、特殊車輌とか福祉と記載された車が家に着けられる事を嫌う人も多いとの話や、白ナンバーで営業許可を得た福祉有償運送との連携や、NPO法人に福祉車輌を寄贈するとの慈善団体の話もあった事からしばらくは様子見のスタートとなります。

 福祉タクシーも福祉有償運送についても、国土交通大臣や陸運事務所の営業許可は受けていましたが、この車の到着によっていよいよ実践あるのみと実感する事になりました。「一番に乗せるから」と調子良く語った知人が複数となり、一番目の客のように演ずるのも間近となりました。
                                  9月16日の一言

時間ばかりが刻々と経過して

 「朝一番で走るから…」と午前中に市役所に走る約束をしていたが、来客により出遅れたまま電話をしていると、名古屋市の叔父が訪れ「仏壇に手を合わせたい」との話に、家には私しか居ない事から応対していると仏壇の前で涙を流しておられるではないか。

 今年は叔母(私の父の妹)の13回忌がある事から案内をするための訪問であったが、我家の仏壇の前で肩を振るわせる叔父の姿にびっくりし、このまま一人で愛西市にある「さくら屋」のうなぎ丼を食べてから、叔父(父の弟)の家に寄ってから帰るとの話に「このまま帰してはならない」と直感しました。

 次に訪問予定の叔父に連絡すると、体調が優れないとの話に、市役所の仕事を済ませてから食事に付き合う約束をして、愛西市の叔父宅に寄って待っていてもらう事にしました。できれば二人の叔父と一緒にと思ったが、本当に体調が悪そうで、11月の叔母の法要も難しそうだ。今年で80才となるが訪問した1才上の叔父(叔母のご主人)が車を運転して来たのとは対照的である。

 叔父がわざわざ名古屋から来て立ち寄る予定だった「さくら屋」は、織田信長出生と伝わる勝幡城の近くにあり、うなぎ料理の老舗であるが、20年以上前に立ち寄った当時と全く同じたたずまいにびっくりし、わざわざ名古屋からでも立ち寄りたい心境が察せられた。

 そうやって考えると、私は名古屋では有名な老舗であった納屋橋のうなぎ屋「大友」に立ち寄るのを楽しみとしていたが、ご主人(私の同級生と結婚)が亡くなり閉店となっており、その後は立ち寄る居場所がなくなり、伝統ある老舗と言われる店には是非とも頑張ってもらいたいとも思いました。

 さて、明日には福祉タクシーが依頼してあった埼玉県の業者から我家に配送されて納車されるが、翌日にはタクシーメーターの計量審査があり、私が運転していくことから損害保険も必要となり、人を運ぶ車両ゆえに安全対策上の手続きや費用がかさむ事にびっくりする毎日となってきました。

 本来なら8月には開業できるスケジュールも、私が本業ではなくボランティアの延長意識から開業する事により、1ヶ月以上も遅れた納車ですが、こんな顛末では投資した予算の元がとれる可能性は低く、まもなく復元されてくる自動二輪車とともに、人生最後の浪費となりそうな雲行きである。

 もっとも、ヘルパー資格取得やタクシー事業主の法令試験、大型二種免許取得などにより、日程的にも苦しい半年が続いたが、議会活動も経済建設委員長になった事で次々と審議会の日程が増え、議員活動も忙しくなっている事が会報の発行が滞っている事から理解されておらず、議員にとっては自己PRも重要と認識する日々となってきました。
                                   9月15日の一言

頑張る人との出会いは楽しみです

 人と人の出会いは点と点が線となり、曲がり曲がってつながっている不思議な感激を味あわせてくれるものがある。

 本日は名古屋市にある障害をもった人たちが自立して働いている施設に知人を訪ねたところ、訊ねた知人は不在であったが、スタッフの人から私の住む津島市から通っている人があると紹介され、住まいを訊ねると数年前に私が訪れていた家で、お母さんからバリアフリーや就労について相談されていた青年であった。

 まさか知人の働く職場にいるとは思ってもおらず、自宅でも会わなかった青年と遠く離れた名古屋市で出会うとは思ってもおらず、障害を持ち電動車イスでの生活ながら、親の介助はもらうものの電車で一人で通う彼のパワーに改めて自分の甘さも実感させられました。

 同行した知人から、「あんたの知り合いは車イスの人ばかりだなー」と言われましたが、先天的であっても事故による障害であるにせよ、国や行政の救いを求めるのではなく、自分達でできる自立の道を探す彼らのパワーには学ぶ事も多く、私のやる気の原動力ともなっています。

 街づくりを考える時に彼らが安心して生活できる地域を目標として考えれば、我々が年齢を重ねて歩くのも苦痛になった時や、病気や事故により障害を持った時に何とか対応できる事から、私の街づくりの始点はこんなところから出発しているのでもある。

 今回訪れた理由も、来月の4日に開催される津島秋まつりに、車イスなど障害を持つ人や、高齢者が堂々と参加する事で、街の中心街のバリアフリーを検証するのが目的で、「車イスの人では危険でしょう」と、祭り見物は健常者だけとの行政の意識を変え、誰もが参加して当然の街づくりを目指したいと考えます。

 数年前に訪れた常滑市では、車イス利用者だけで年賀状の印刷や名刺の印刷を請け負っており、不況になって健常者でも仕事の奪い合いとなっているが、少なくとも障害を持つ人々が地域に顔を出し、点が線となり力を合わせれば津島市でも自立して生活できる可能性を感じます。私の残された人生もそんな人の力になれたらと感ずる一日となりました。
                                  9月14日の一言

自己破産の国会議員は辞職すべきだ

 衆議院選挙で圧倒的な勝利となった民主党の新人議員に、破産手続きをしている人物が判明し、「現時点では議員を辞める考えはない」と発言しているが、今年3月に自己破産を決めていたとの発言や、負債総額1億4千万円には被害を被る人もある事を考えると、このままでは済まされない問題と思われる。

 4年前の小泉チルドレンと対比され、小沢チルドレンとかガールズなどと呼ばれて話題となっているが、今回の選挙には現役フリーターや、ヌードを露出した過去が報じられた議員もあり、「これから勉強します」の言葉は地方議員にも厳しい批判となっている現実を聞かせたいものでもある。

 前記した自己破産の手続き中の議員については、選挙に立候補する事や、政治活動の制限は法的には何も問題がないようだが、破産宣告を進める人物でありながら、選挙に必要な供託金300万円(比例だと600万円かもしれません)をどのように工面したのか疑問となり、自己破産も認められた権利とは言え、人に被害を残したままで国会議員を続ける事が許されるのか。

 田舎の地方議員を続けていくためには自己破産は致命的となり、借金の穴埋めに苦労して借金のトラブルから法を犯したり、政治の世界から失脚した議員や首長も多い。
 今回の議員も公示前に破産手続き中である事を話せば立候補にマイナスになると考えて、立候補を打診した民主党本部に話さなかったと語っており、このままでは税金泥棒ではないか。

 私の周りにも自己破産を選択したり、自己の資産を全て処分して借家生活を送る同級生もあるが、自己破産して法的責任からは解放されたとしても、破産の巻き添えとなって借金を踏み倒された人や、破産の巻き添えで資産を失った人への責任意識までは放棄できないものがある。

 国会議員一人に「税金」から支払われる額は、およそ年間4400万円。さらに、国会議員一人あたり、3人の公設秘書の給料は全額税金で支払われ、3人あわせてざっと2000万円が支払われるが、自分の家庭の経済も自立できない議員に国政を託す事はできず、このままでは破産して周りの借金を踏み倒し、国の税金で立ち直るとしたら堪らない気持ちとなる。
                                9月13日の一言

救う対象より大きい犠牲に

 北アルプスの奥穂高岳で遭難者を救助に飛んだ岐阜県の防災用ヘリコプターが救助作業中に墜落炎上し、操縦士をはじめ搭乗していた3名が命をおとす事故が発生した。

朝日新聞の関係記事↓
       http://www.asahi.com/national/update/0911/NGY200909110008.html

 結果論であるが、登山中に心肺停止状態の64才の男性を救助に向かい、57才の操縦士と47才の整備士、34才の救助隊員が死亡し、高額なヘリコプターも大破した事から、命を損得勘定で図る事は不謹慎かもしれないが、心肺停止状況の1人を救うために失った犠牲は極めて大きい。

 最近の登山事故でも中高年の遭難は増加の一途をたどり、全国各地から事故や遭難の悲報が流れてくるが、今回の登山者も64才の男性で詳しい登山歴や状況が判らないものの、10人の登山グループから通報が入ったとあり、心肺停止状況の中で人工呼吸など救命措置が行なわれたのか登山者やグループの対応にも疑問が残ります。

 新聞報道によれば、登山グループから通報があったのが午後1時35分ごろで、防災ヘリが現地に到着して活動を始めたのが午後3時5分となっている事から、救助を要請した人々の救命行動や、遭難者の心肺停止状況が的確に通報されていれば今回の出動は不要だったのかもしれません。

 一方で、北アルプスにはヘリコプターの爆音が定期的に聞こえているが、今回の事故機が各務原市の航空自衛隊岐阜基地から飛来していたとの報道から、残酷なようだが貴重なヘリコプターの有効利用のためにも、無責任な登山の反省と戒めにしたい事故とも思います。

 そもそも生活習慣病や持病を持ち、薬を携帯しているような中高年は不用意に北アルプスに入るべきではなく、登山口には登山届けの提出ポストはあるものの、全く自由に入山できる現状は問題であり、簡単に救助を依頼する体質を改める必要も感じます。

 今から30年前の話となりますが、北アルプスのふもとの上高地で、頭痛のため診療所を訪れた時に「そんな事のための診療所ではない」と診察すらしてもらえませんでした。時代は変わりましたが、北アルプスの壁は高く、挑戦そのものに覚悟が必要です。
                                    9月12日の一言

市民といっても十人十色

 昨日の経済委員会の議案の中に、公営住宅の家賃を滞納し続けている4名を司法に訴える議案があり、この議案に氏名や住所がはっきりと記されている事から、周りの市民に知られる可能性から人権侵害になりはしないかと議論となりました。

 一方で、その前日に開催された委員会では、市民病院の医療ミスによって損害賠償が和解によって確定した人の名前は公表されていないものの、周りに知れ渡ってウワサにされている事から、議会の議案の中での市民の名前の扱いについて質疑が続いた。

 確かに過去の議案の中でも、市役所の公用車の起した事故などでは、相手側の氏名がはっきりと記されており、そのことによる風評被害は起こっていないが、今回は家賃の支払いを怠った例だけに、家族や子供達の地域の中でのイジメになりはしないかとの意見となった。

 もっとも、滞納といっても、市役所と話し合いに応じたり、経済的に困窮を極める例とは違い、支払う能力がありながら横着から支払わない4人が訴えられており、本来なら市役所の収入となるべき家賃の滞納は、財源不足から真面目に市税を納める市民へのサービス低下ともなる事から、自業自得との厳しい意見も多数を占めています。

 現在津島市で市営住宅の家賃を6ヵ月以上滞納しているのは43名(戸)あり、最も長く滞納している人は70ヶ月も家賃を滞納し、家賃滞納者の最高額は126万を越えている事から、滞納が当り前のようになっており、同じ催促により7名は応じている事から、今回の4名は余程悪質と思われるのでもある。

 ただし、津島市が津島市民を訴える議案だけに、司法の判断を仰ぐ前に和解する事に期待したいとともに、現在でも多くの民間アパートの空家が存在する事から、家賃の滞納が増え続けるのであれば、今後は生活困窮者用だけに限定して市営住宅は廃止してしまった方が公平でもあろう。

 さて、今晩には地元の小学校区のコミュニティフェスティバルの役員会が実施されたが、子供の安全対策を巡り怒鳴りあいとなる一場面にびっくりさせられました。地域の希薄となった交流を取り戻すためのコミュニティ活動だが、かつて参加者のケガで廃止された小学校区の運動会の例があるだけに、二の舞にならない事を祈ります。

 懸念すべきは、行事の中心となっている役員の中には、参加して当り前と思っている可能性があり、地域の行事は自主参加が基本である事や、上から目線では不愉快となる市民が存在する事が理解されていないと、参加させられる市民が存在するようになる。暫しの試行錯誤が続きます。
                                  9月11日の一言

不調だと話題も暗くなる悪循環に

 2日前に私の中学時代の同級生が津島市民病院に入院したと前日彼の義兄から耳にしたが、彼は既に10年以上前にはリストラされ(本人が待遇への不満から辞めたとも聞くが)、両親の残した資産や預貯金が多かった事から、「お大臣」と比喩されながらも職につかぬままに年月が経過した。

 彼は中学時代から勉強とは全く無縁で、自動車学校の学科試験に三十数回挑戦して卒業した逸話も残すが、見た目と違って体力もなく、ナマカワときている事からリストラ後は家でテレビを見て寝ているだけの生活を続けていたが、彼の資産を知った悪意を持った人々が大挙して寄り付き、そういった人と一緒にされるのが嫌で我々同級生は寄り付かなくなっていきました。

 さて、世の中は本当に悪い人間が多く、両親を亡くして独り暮らしとなった彼の家には、彼が多額の現金を持っている事を聞きつけたセールスマンが寄り付き、庭の木々を伐採すると言って親切に手伝うかわりに金をせびられ、地域の消防団長の地位にある先輩からも団員の夜の遊行費のスポンサーとされていた。

 夜の飲食店にキープしてあるウイスキーには彼の名前ではなく消防分団長の名前が記され、今でも世間体は立派で学校のPTA会長まで歴任した商店主には500万円を貸したものの、彼が何度となく交通事故を起こした事から事後処理をする中でうやむやにされてしまった様子でもある。

 親の残した豪邸は建てて20年程経過しているが、建てて10年も経過しないうちに瓦の業者に騙され、見事だった日本瓦がプラスチックの瓦になり、屋根のトイや外壁が入れ替えられ、そうして現金を使い果たし、預貯金も底をついた数年前からは人も出入りせず、寝たきりの生活から目が見えなくなり、耳も聞こえなく、歩く事さえ難しくなっていきました。

 最近は障がい者として行政の支援を頼りにヘルパーの助けで生きてきたものの、病院に外出する以外は四六時中テレビも無い部屋のベットの上だけの生活で、「何とか珈琲屋でも誘えないか」との問いにも、ヘルパーの手助けが要る事と経済的理由から無理とされ、「外出する意欲が無ければ死を待つのみ」と思い、市役所の関係者に打開策を検討してもらっていたのでもありました。

 今回の入院は、自分の意志で呼吸する事ができなくなったらしく、「今度は最後かもしれない」と義兄は語ったが、金の切れ目が縁の切れ目とは言うが、金がある事で良からぬ他人を招き、文無しとなってから最後まで訪れていたヘルパーも彼を人間として見ていたか疑問だ。

 彼の後半戦を見ていると、福祉も医療も彼の社会復帰を願っていたとは思えず、目前に存在する仕事を黙々とこなしていただけとしか思えない。

 本日は絶好調の体調で市役所に出向いたが、帰宅後には鼻声に戻っており、夕方連絡の入った議会事務局長からは何度も私を確認し直され、午前中とは全く違う声にびっくりされていたが、明日からは逆療法で身体をいじめて自転車通勤といきますか。
                                   9月10日の一言

身体は治ったが明日は気が重い

 風邪に罹ったか判らない状態で余裕で医者を訪ねたものの、熱もでないままに話し過ぎからノドが痛み、眠ると症状は改善するも、自宅を出る時には万全の身体が、帰宅時には鼻声になっており、どうやら原因は市役所で議会だけに入る冷房と、冷房のない現場との行き来にあるように感じます。

 本日も朝の目覚めは万全で出かけたものの、市役所の委員会室の冷房の風が直接当たる事から、午後からは鼻水が止まらず、帰宅後にマスクをしていると治ったが、市外から知人が訪れて冷房の効く珈琲屋に誘われた事から台無しとなりました。

 「インフルエンザは治ったかね?」の冗談が一週間も続きましたが、どうやら明日からは完全復調で委員会に臨めそうです。それでも、新型インフルエンザの集団感染で近所の高校が学級閉鎖されており、今頃になって感染させられると多くの人々を不安に陥れそうです。

 さて、明日の夜は来春の就職を目指す大学生の訪問を受ける約束となっていますが、多方面に働きかけてあるものの何も反応が返ってこず、本日も定年後の再就職を希望する人から声をかけられ、厳しい時勢ゆえに電話での相談にも安心して出られません。

 総選挙が終わり、景気は最悪のように伝えられていますが、私の住む地域では閉店された飲食店や貸店舗に大手の飲食チェーン店の出店や開店が続いており、地元トヨタ自動車も新たな人材募集をはじめている事から景気の好転を予感させられるものの、人を紹介する余裕はなく、厳しさはしばらく続きそうそうです。

 最近は体調不調の影響で、確実に一言の内容が暗くなっていますが、明日は万全な体調で委員会に臨み、新鮮な一言を記せる一日にしたいと思っています。
                                  9月9日の一言
追伸
本日は救急の日だそうです。ただし、09年9月9日は二度とやってきません。こんなやりとりから三男が02年9月29日(2929)生れで、今月が誕生日である事を思い出しました。

手帳を見ると夢もなくなり

 9月議会は議会の一般質問に8名の登壇しかなく、2日目の本日は午前中に余裕を持って議会が終了してしまいました。このまま市役所に残って仕事をとも思いましたが、連日の鼻声では相手も迷惑な事から昼過ぎには市役所を後にしましたが、予定のない帰宅には食する昼食も用意がされておらず、トーストと飲み物だけで夕方を迎える一日となりました。

 ただし、帰宅して積み残した仕事を消化しようと考えていると、電話や来客によって予定した仕事は何も手がつかないままに夜を迎え、火曜日は毎週開かれている書道会の一日のために、夕食も夜の10時までお預けとなりました。

 さて、市役所では10月末に予定されている経済建設委員会の行政視察の目的地の決定を迫られており、委員長として希望する自治体(複数)と施策を担当職員に告げるものの、相手の自治体が訪問時期に選挙期間中であったり、現在は議会開催中のために思うように決められないままに、2日後の委員会には発表の予定だけに明日は大変です。

 「何時にするの?」
 「24日かなァ」
 「その日は土曜日だよ」
 「ところで、大鹿さんはいつが良いの?」

 これも10月末の予定で、書道会のメンバーが劇団の演劇に出演する事から、揃って鑑賞に出かける日程を決める必要があり、手帳を取り出した頃から筆を持つ気力が失せ、一瞬の睡魔から瞼が綴じて筆が私の身体を支えておりましたが、10月の後は2ヵ月より無い事から今年も終わってしまったようにも感じられました。

 これからの予定表を見渡すと行事の重複も出始め、地域の公的行事の案内が隣のお寺の永代経の日程と重なっている事から、住職より「大丈夫?」との訪問を受けましたが、春から日程を決めて複数の僧侶に声がかけてある事から日程の変更は無理で、いくら議員と言えども春からの先約(私が受付です)を断る事はできず、行事の大小ではなく先約優先と決めました。

 昼間の市役所でも、夜の書道会でもポケットから手帳を取り出し、予定表の空白を眺めていると、空白は残されているものの、自分の自由が無いようにも感じられ、これが議員になる前には毎日が仕事であったにもかかわらず、精神的自由がふんだんにあったように思われてきた。
 
 国の政権交代のように、抜本的な行動改革を断行しないと、私も予定に埋没していってしまいそうです。
                                    9月8日の一言

あまりにもズサンな答弁を聞き

 9月議会には8人の一般質問が通告され、本日と明日の2日間が予定されているが、本日の一般質問は私を最後にして6人が登壇し、午後3時半には散会となりました。

 さて、私の質問した新型インフルエンザへの対応については、6月議会後に変更された対策と対応について質問しましたが、私より先に登壇した議員への質問に対する答弁を聞いていると、津島市の対応は6月とは内容が違うものの、何ら中身がなく国や県の指示待ちのように思えました。

 津島市民の感染者の数についても、私の登壇前に「数人」から「4人」の答弁が出ていましたが、7月以降は愛知県からの報告がなく判らないとの答弁や、本日までの津島市のホームページには新聞に報道された2人のままになっており、4人についても私が聞いていた中学生ではなく新聞報道された2人に小学生と幼児との説明に、実際には津島市が正確な感染者数を把握していない事が発覚しました。

 他の余病を持ち、感染すると重症化する対象者の把握についても、病名から患者数を羅列しただけで、その数字についても国民健康保険に加入する市民だけで、社会保険などの加入者については全く判らないとの答弁に民間医療機関頼りの津島市の無策ぶりが露呈しました。

 ただし、6月の質問時に新型インフルエンザに対する対策行動計画を平成22年度には策定するとしていた答弁が、本年9月中に策定をまとめると進展した事から、質問に答えられなかった項目についても、我々市民が目を光らせておれば、短期で改善できる可能性も実感させられました。

 とにかく、新型インフルエンザに限らず、結核などの感染症については国や県の指導のもとに対応する津島市の習慣がついており、あまりにも感染が拡大した事から、愛知県や保健所などの発熱外来もなくなっており、県からの情報が降りてこない事から津島市独自の対策は皆無と言っても過言ではありません。

 福祉や医療の手続きに精通した職員が多いものの、今までの仕事が国や県からの指示によって行なわれており、自分達で調査して被害を最小限にとどめたいとの自主的な行動が伴わないために、的を得た対策がとれず市民全体を対象としたさしさわりのない広報程度しかできません。

 もっともこんな偉そうな事を言っておれるのも、昨年4月に横井夫人が結核で入院した事から、濃厚接触者として検査対象者になり、国や県のズサンな対応を経験した実体験によるもので、病気などは自分自身や家族が対象者にならないと真剣になれません。

 尚、本日の議会でも指摘しましたが、市民に知らせるべき津島市のホームページから新型インフルエンザ情報を検索するためには、津島市HP⇒ http://www.city.tsushima.lg.jp/ から、 峪勸蕕董κ〇磧Π緡邸廚鬟リックし、ここの画面にある◆峽鮃・検診」をクリックした上で、この画面にある「緊急情報」をクリックすると掲載されていますが、情報は7月程度のままに静止したままです。
 
 こんなお粗末な感覚には真剣に資料を集めて質問して、真剣に答弁を求める自分も空しくなりますが、私が毎日記しているこの一言ぐらいの気持ちがあれば、行政の市民への情報は確実に改善され、市民生活を向上させる筈とおもいますが…
                                    9月7日の一言
追伸
 新型インフルエンザに関する情報がもっと簡単に検索できるように要望しましたが、改善がいつになるか皆さんも行政の動きを見守ってください。

 前記した津島市HPの△痢峽鮃・検診」画面の「緊急情報」に記されているのが、私たちが実践しているNPO法人の福祉有償運送に関する会議録です。インフルエンザより緊急とは思えませんが、興味のある方はご覧下さい↓↓
 http://www.city.tsushima.lg.jp/index.php?oid=1747&dtype=1013&pid=430

とんでもない勘違いに

 本日の横井庄一記念館のために昨日の一日を完全休養日としていた事から、余裕で到着したものの開館直後より来場者が続き、お客さんか休憩のようなつもりで参加している私まで説明に廻る事態に、風邪から回復しつつあった喉がつぶれていきます。

 まあ、こんな事も3年前に比べれば楽なものだと昼休みから話し続けていると、午後からも来客が続いただけでなく、一度に多くの人々が集中した事から、このまま朝から話し続けるのは限界と、うつむいたままで明日の議会へしわがれてしまった喉を温存する午後となりました。

 記念館が開館して3年が経過し、訪れる人の人数は確実に減っていますが、当初に多かった物見遊山の人たちとは違い、平和とか悲惨な戦争や歴史に関心を持つ人とか、生きる事に対する志を持った人などが増加している事を実感させられます。

 一方で、記念館の説明役には私と同じ津島市のTさんが、2週間に一度の間隔で通っていきますが、私の怠慢から追加せず品切れとなってしまった案内パンフレットについては、かつて地元の小学校で教鞭をとっておられたN先生が定期的に印刷して持ち込んで下さるようになりました。

 公的支援や寄附もあてにせず、「入場料は一切とりません」と言う横井夫人の個人資産だけを頼りにしていますが、気がつくと仏壇の線香の横にさり気なく置かれた志も存在し、迎える我々と訪問される方々の心のキャッチボールも増えてきました。

 座卓の上に置かれたノートには訪問された人々のメッセージや連絡先も残され、全国各地の遠方から近所まで住所や名前が残されています。

 「あッ、N先生だ」
 「エッ、本当だ」
 「わー、びっくりだね」

 親子3人(夫婦と娘さん)の会話から、前記したN先生の地元の教え子と判りましたが、全員が教え子のような会話から「娘さんの担任だったんですか」と問うと、「3人ともです」との返事に、親子3人が同じ恩師なんて珍しいと興味を持ってからハッとさせられました。

 「もしかして…、皆さんは同級生?」、「はい、そうですよ」の返事に冷や汗が出てきました。親子と錯覚していた3人は同級生だったのでした。女性の年齢は判り難いものですが、同級生を親子と間違えるとは大失態ですが、私の発した「娘さん」の一言は、私が白髪の中年ゆえに親子と間違えていたとは思われずに済んだものの…

 さて、この娘さんと間違えた女性は、今年から教員となり、私の住む津島市の小学校に勤務しているとの話にもびっくりしましたが、彼女たちは横井庄一がマスコミに登場しなくなってから誕生しており、何を求めて来館したのかを考えた説明が求められてくるようになりました。
                                    9月6日の一言

完全休養日

 本日は三男が出場する自転車レースが兵庫県で開催されるため、家内は昨晩から次男の運転する車で出かけており、本日は朝から晩まで一歩も外にでないままにベットの上だけの一日となりました。

 数日前からの風邪はほとんど回復したとおもいますが、出かけた先の冷房の有る無しによっては咳がでたり、身体中が汗だらけになったりと完全とは思えない事から、明日の横井庄一記念館、明後日からの議会活動のために完全休養としました。

 完全休養のために本日は何もなく、一言もありませんが、一日中寝ている事で、身体中の痛みも消え去っていったように思います。
                                  9月5日の一言

名古屋で利き水会が開催され

 名古屋市で東京と大阪、名古屋の水道水を比較する「利き水」会が実施され、僅差ではあるが33人の参加者は名古屋の水道水が一番おいしいと判断したとの報道があった。

 東京と大阪の水はペットボトルで市販されている水道水で、名古屋市の水は水道の蛇口から汲んだ水を利用したとあるが、河村名古屋市長は東京の水が一番おいしいと選んでおり、水道水については甲乙つけがたいのではないか。

 元々が、東京や大阪と愛知県の水を比較する事自体がナンセンスで、琵琶湖や利根川水系の水と、木曽川の水を比較すれば、明らかに木曽川の水は汚染が少なく、河口に近い木曽川の水を飲んでも腹を壊さないのだから、おいしくて当り前でもある。

 むしろ、同じ浄化技術であれば誰もが名古屋の水を美味しいと選ぶのが当然で、大阪や東京の浄水場の高度なレベルを視察して、もっと格段に美味しい水道水にすべきではないか。

 さて、美味しい水については富山の白山水系とか富士山の湧き水など全国に名のある名水も多いが、私が今までで一番美味しいと思った水は、上高地の梓川のほとりの小梨平の岸辺ですくって飲んだ水で、水たまりの底から黙々と湧き出していた水でした。

 この辺りの環境は決して名水と呼べるような状態ではなく、飲むのも躊躇するような場所でしたが、川の底から湧き出す水を見て、手にすくった一口の水の美味かった事は今も忘れられません。
 平成5年1月、ガンで「余命1ヶ月」と宣言された父親のために、私は雪の降る北陸自動車道を富山県の滑川インターまで走り、上市町にある穴の谷(あなんたん)霊場・霊水を目指しました。

 穴の谷の霊水は含まれるラジウムによって肝臓ガンが治癒するとの情報が週刊誌に掲載された事があり、ワラをもすがる思いでしたが、いくら名水と言えども薬にはならず、親にも富山県まで汲みに行ったとは言えませんでした。

 ただし、人間の身体は水分がほとんどを占めており、毎日飲用する水道水の善し悪しは間違いなく健康を左右する事から、美味しい水道水の味を競う企画は重要で、そんな庶民感覚に敏感な河村名古屋市長の存在は、政権交代した民主党よりも心強い存在なのかもしれません。
                                  9月4日の一言

マスク姿では冗談も通じません

 数日前より風邪の症状があり、熱はないが喉が痛むため2日前に医師の診断を受けたが、最近はやりの新型インフルエンザではなく、薬を処方されてきたものの喉の痛みがなくなったら、鼻水に悩まされるようになってきました。

 夏から秋への天候の変化が激しく、朝方は寒いくらいですが、日中は真夏のように暑く、市役所も議場は冷房が入っていたものの、9月からは冷房が止まっており、本日児童科学館で開催された循環システム促進審議会では微妙な環境ながら、背中は汗びっしょりで発言するのも苦しい参加となりました。

 もっとも、この委員会は17人の委員で構成され、名古屋から著名な委員を会長として向かえているものの6名の出席しかなく、委員が仕事を有している事から欠席は仕方がないものの、連絡もないままに無断欠席となった委員も複数あった事から議事録に加えてもらい散会となりました。

 私は今年から経済建設委員会の委員長になった事から、この審議会には初めての出席となりましたが、各種の委員会や審議会に顔を出しているものの、過半数にも達していない審議会は初めての経験で、一年前の審議会も9名の参加だった記録から、名目だけの委員の存在には再考も必要だ。

 さて、熱もなく風邪の症状そのものが軽いとは言うものの、こういった時勢ゆえにマスクを持参していますが、マスクをしていると「インフルエンザじゃありませんね」と問われる事があり、「実はそうなんですよ」と冗談で語ると、妊娠中の若い女性は後ずさりしていきます。

 冗談も通じないほど新型インフルエンザに人々は敏感になっていることを実感するものの、行政の対応はそれほどの危機感が感じられず、感染する人によっては生命にもかかわるだけに真剣な対応を求めていきたいと考えています。

 「えーッ、またやるんですか」、「6月にやったばかりでしょー」なんて雑音も耳にしましたが、6月の頃の予測を上回る感染力を見せており、秋から冬を考えると放置できない重要な案件と思います。

 一方では、数人の死者が出ただけでそんなに大げさに騒ぐ問題でなく、そんな事を真剣に議論する前に交通事故や自殺者の急増をもっと真剣に考えろとの意見もあり、そんな声にも真剣に考えて議会で発言をしていきたいと考えています。
                                    9月3日の一言

9月議会・私の一般質問の内容

 9月議会の一般質問・大鹿一八分

1件目 新型インフルエンザへの対応について
 要旨 6月定例会後の対応と変更された対策について
 ・現在の感染状況について
 ・医療費の公的負担…重症化した人に感染して入院に至った場合など
 ・医療機関の窓口対応について
 ・重症化の可能性の高い患者の把握と対応について
 ・ワクチンの投与と確保について行政の関与は
 ・感染した患者の情報…ホームページなど
 学校
 ・最近の状況から、イベント、大会などへの影響
 ・休校や学級閉鎖への対応
 ・学校内での感染防止策について

2件目 市営球場の運営について
 要旨 夏の高校野球地方大会の会場から外された経緯について
 ・外された原因…主催者側からの説明は
 ・来年以降への誘致や働きかけなど対応は
 ・球場の改善策はあるのか
 ・会場を外れた後の利用状況について

3件目 津島市の情報管理と情報提供について
 要旨 情報の管理と提供の考え方について
 ・嘱託名簿などの公表について
 ・回覧版などへの配布物について
 ・市政のひろばへの掲載基準

 一般質問は7日(月)8日(火)に開催され、8人の議員が質問に立ちます。私は6番目ですので、7日の午後3時前後の登壇となりそうです。
                                   9月2日の一言

明日からも大変なスケジュールが

 本日より9月議会が開催したが、昼には終わりそうな議案説明が、開会後に市民団体の提出した請願の紹介議員が紹介議員を辞めると決断した事から、その扱いを巡って昼休みも返上して議論する展開となり、結局は他の議員が紹介議員になる事になったが…

 議会は議会のルールがあり、過去の慣例や他の自治体の決め事が参考にされるが、請願を提出した市民団体は紹介議員の存在を支えにして請願主旨を提出しており、提出後に市民との連絡もないまま紹介議員を下りるという事は、議会全体に対する不信感ともなりかねません。

 さて、9月議会は25日まで続きますが、議会が終了した一週間後の土・日曜日には津島市の秋祭りがあり、私は土曜日は地元からの招待を受けており、日曜日は愛知県の心のバリアフリー推進事業として、市内だけでなく市外の障がい者の人々を招いて、催事に誰もが参加できる環境を検証したいと企画がすすめてあり、本日は愛知県や関係する行政や団体との打ち合わせに走り回る一日ともなりました。

 目標は大きく企画してあるものの、参加人員をやみくもに増やす事で、参加者に不快感を与えたり、ケガ人でも出せば企画そのものの価値もなくなる事から、参加者の安全対策と同時に、津島市の秋祭りの魅力も感じて帰ってもらいたいと思います。

 もっとも、本日の打ち合わせの中で、当日の観光ボランティアの人々の協力や、社会福祉法人が移送のマイクロバスを提供してくれる展開を見ると、津島市のボランティア意識は捨てたものではなく、当日の参加者数までは予測できないものの、企画した責任も痛感する一日ともなりました。

 明日は来週の月曜日と火曜日に開催される議会一般質問の通告書提出の締め切りが午前中となっており、今晩中に書き入れて提出する必要があり、午後には質問要旨を答弁する行政側に伝える必要がある事から、市役所にカンヅメの一日となりそうです。
                                    9月1日の一言
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