月日の移り変わりは速く、本日で9月が終わり、明日からは10月に入ってしまう現実にびっくりですが、忙しい日々のスタートにあたる1日は、高野山の結縁潅頂 (けちえんかんじょう) に出向く事となっており、私が5月に出かけた体験談から家内も迷わず会社を休み、人々にも呼びかけての日帰り旅行となりました。
高野山では5月に「胎蔵界結縁潅頂」、10月に「金剛界結縁潅頂」を大伽藍・金堂にて開壇されており、今回は金剛頂経(こんごうちょうぎょう)系思想を根本として、大日如来の智の表面を表現するとして、我々の菩提心と仏の智慧を示すのを目的とされています。
結縁潅頂とは、仏様(密教の尊い教え)と縁を結ばせて(これが《結縁》の意味)いただき、阿闍梨様から大日如来の智慧の水を頭の頂より注いで(これが《潅頂》のこと)いただくことによって、我々の心の中に本来そなわっている仏の心と智慧を導き開く儀式だそうです。
※詳しくは金剛峯寺の結縁潅頂↓↓を参考に
http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/event/kechienkanjo.html
さて、四国遍路にしても、四国八十八ヵ所霊場の本堂や大師堂を巡拝する事よりも、納経帳への朱印と白衣や掛け軸への朱印の完成に目を輝かせる人が多く、別格二十霊場についても各寺院で賜る念珠を集めて仕上がるのを楽しみとしている人もあり、せっかく廻っても般若心経すら覚えない人すら存在します。
ただし、四国遍路にしても修業の場に入ると身体が悲鳴をあげ、明日の結縁潅頂についても印と真言を面授されると真言密教の神秘さに感動させられ、大伽藍・金堂の中で両目を覆われ、導かれた曼荼羅に花を投じて、阿闍梨様より如来の智慧の水を注いでいただくと生命の起源すら実感させられます。
明日の同行者はいずれも四国遍路を複数回経験した人ばかりですが、私が遍路を始めた当初のスタンプラリーの経験者もあり、明日の体験から煩悩の闇をさまよっている私たちへの道しるべとなり、本来私たちの心の中に備わっている、仏の「眼」を次第に開くことが出来るとの説明が現実のものとなる事を期待した旅立ちです。
明日の一言にご期待下さい。
9月30日の一言
高野山では5月に「胎蔵界結縁潅頂」、10月に「金剛界結縁潅頂」を大伽藍・金堂にて開壇されており、今回は金剛頂経(こんごうちょうぎょう)系思想を根本として、大日如来の智の表面を表現するとして、我々の菩提心と仏の智慧を示すのを目的とされています。
結縁潅頂とは、仏様(密教の尊い教え)と縁を結ばせて(これが《結縁》の意味)いただき、阿闍梨様から大日如来の智慧の水を頭の頂より注いで(これが《潅頂》のこと)いただくことによって、我々の心の中に本来そなわっている仏の心と智慧を導き開く儀式だそうです。
※詳しくは金剛峯寺の結縁潅頂↓↓を参考に
http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/event/kechienkanjo.html
さて、四国遍路にしても、四国八十八ヵ所霊場の本堂や大師堂を巡拝する事よりも、納経帳への朱印と白衣や掛け軸への朱印の完成に目を輝かせる人が多く、別格二十霊場についても各寺院で賜る念珠を集めて仕上がるのを楽しみとしている人もあり、せっかく廻っても般若心経すら覚えない人すら存在します。
ただし、四国遍路にしても修業の場に入ると身体が悲鳴をあげ、明日の結縁潅頂についても印と真言を面授されると真言密教の神秘さに感動させられ、大伽藍・金堂の中で両目を覆われ、導かれた曼荼羅に花を投じて、阿闍梨様より如来の智慧の水を注いでいただくと生命の起源すら実感させられます。
明日の同行者はいずれも四国遍路を複数回経験した人ばかりですが、私が遍路を始めた当初のスタンプラリーの経験者もあり、明日の体験から煩悩の闇をさまよっている私たちへの道しるべとなり、本来私たちの心の中に備わっている、仏の「眼」を次第に開くことが出来るとの説明が現実のものとなる事を期待した旅立ちです。
明日の一言にご期待下さい。
9月30日の一言