大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年11月

正論を吐くつもりがグチ話と化して

 親族の見舞いに訪れ、深刻な病状に涙する親族の姿と、私自身にとっては16年前の父親の最後の病状を聞かされた時以来となる、医師から患者に対する厳しい説明を親族と共に聞き、後戻りでは検査を受けられぬ現実と、引き返す事はできない過去を実感させられました。

 本日から12月議会が開会しましたが、議事進行をしていた議長が体調不調を訴えて突然降板し、急遽副議長が議事を進行させましたが、何事も無く進められていた議事には見えたものの、テレビや市民が注目する中で降壇を決断するまでには、我々には言えぬ苦痛が議長の身体を貫いていたのかもしれません。

 忙しいスケジュールの中で、私が独断で四国や高野山に突如出かける事から、家族の中(母親ですが)にすきま風が吹き、それが私の子供達の行動にも影響し、必ずしも家庭円満と言える状態ではありませんでしたが、親族の見舞いに走り、親族とともに悲しみを共有し、親族への連絡をしていく中で、我が家の揉め事にも終止符が打たれました。

 本日から議会が始まり、明日の午後が一般質問の通告締め切りとなっているが、親族の問題だけでなく相談を受けている案件も考えると、質問内容は決まっているもののまとめる時間が刻々と経過し、同時に締め切りが迫っている愛知県へ提出する書類も宙ぶらりんとなったままである。

 あれもまだ…、そう言えば電話は…、あれはどうなっているか…、今日も過ぎてしまったと、物事に考えを巡らすと混乱し、一週間前に四国や高野山に出かけた事も不思議に思われ、時間の経過に焦りの冷や汗となってきます。

 本日の議会終了後には、議員の全員協議会で「議員年金」の存続案と廃止案について議論が進められましたが、私も3期目で議員年金の需給資格者となる事から、きれい事や理想論ばかりでなく、今から老後の年金を考えるには早いものの、今までの人生設計が根本的に崩れていく現実と、廃止と堂々と言える1期目の議員との温度差も実感させられました。

 議員にも老後の経済設計は重要で、私は年金について真剣に考えた事はありませんでしたが、初当選した直後から強制的に高額な年金分が天引きされており、4割の公費負担分はあったものの、国の市町村合併などのツケにより、一方的に年金を廃止する乱暴な議論には納得ができません。

 さて、本日も私のグチで埋め尽くしてしまいましたが、私が本日一番の話題にしたかったのは「政党ビラ配布罰金確定へ」の記事で、政党のビラを配布するためにマンションに立ち入った住職に最高裁が上告を破棄し有罪となった裁判でした。

今後もビラを配り受け取る権利守る」上告棄却の被告 朝日新聞↓↓
http://www.asahi.com/national/update/1130/TKY200911300263.html

 この件については、私も全世帯を対象にして会報を発行しているため、政党とは無縁と言うものの、支援して配布に協力いただく人のためにも、一般の商業広告が堂々と配布されている中で、政党ビラが住居侵入罪とされた事には納得がいきません。

 実際には、政党ビラの内容も判りませんし、訴えられた背景や状況を詳しくは知り得ませんが、犯罪として司法判断された事に表現の自由への危機感も募らせています。この件については後日にも…
                               11月30日の一言

記念館より四国談義に発展し

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、訪問者数は少なかったものの午後には香川県から訪問された人々があり、三重県四日市で開かれていた全国大会(下記)に参加され宿泊先の名古屋駅前から訪ねられた方々であったが、平和をテーマにして記念館まで足を運んでいただきました。

第61回全国人権・同和教育研究大会
http://www2.ocn.ne.jp/~sandokyo/event_mass_meeting_43th.html

 さて、記念館では横井庄一さんについて問われたものの、先週の連休に香川県を訪れていた事や、四国遍路で土地勘もある事から、訪問された方々が三豊市から参加されていたと聞き、四国の世間話で盛り上がってしまいました。

 香川県と愛知県はかなりの距離があるものの、四国遍路の中でも香川県は23ケ寺と別格霊場の5カ寺が県内全域に散らばっている事から、他の3県に比べて地理的にも覚えやすい事から、四国の話はとどまる事をしらず、記念館が四国の情報交換の場と化してしまいました。

 訪問された1人は第71番弥谷寺の近くの出身であった事から、70番本山寺で昨年車を後退させた時に駐車場にあるブロックにぶつけた話もブロックの存在も知っておられ、別格の海岸寺や、一年に一日しか列車が停車しない駅にある「津嶋神社」も話題となり、私の住む津島市にも「津島神社」がある事から、愛知県の見所も聞かれる事となりました。

香川県津嶋神社ライブカメラ
http://www.city.mitoyo.lg.jp/mino/live/lv_tushima.html

 私は四国を訪れる際に、津島名物の「あかだ」と「くつわ」を持参する事にしており、この菓子はひじょうに堅く、「歯に気をつけて下さい」と断って手渡しているが、こんな特異な土産の印象は強く、手渡した人々の記憶に残る事を話すと、善通寺の本堂の近くにも「かたパン」がある事を聞かされ、今度訪れる事となりました。

 お二人は明日も名古屋に滞在し、レンタカーを借りておられる事から、津島を訪問すると言われましたが、明日から議会の本会議が開会される事から、記念館の閉館も近づいていたため、急遽案内する事で話がまとまり、普段でもシャッター通りとなっている商店街から津島神社まで走り、門前の土産物店に案内したところ、「くつわ」を大量に買い込んでいかれましたが、食した人々の反応が聞きたいものです。

「あかだ」と「くつわ」
http://www.trad-sweets.com/wagashikaido_12/pg107.html

 相手は私が議員である事も知らず、私も相手が何をしておられる方か全く知りませんでしたが、「香川県」と聞いた事が縁で話が弾み、夕方から夜になりましたが、記念館から津島神社を案内し、名古屋駅前のホテルまで街道の見所を案内したところ、「茶」の世界では有名人らしく香川の新茶を送っていただける事となりました。四国での縁を大切にするとともに、知人を増やしていきたいとも思う一日ともなりました。
                               11月29日の一言
追伸
思いつきの案内により、急いで家に送ったボランティアのTさんは老眼鏡を車に忘れ、私は昼食の残りかすやゴミまで記念館に置き忘れてきました。

遍路の御礼参りに授戒も受けて

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 本日は今年9月に四国八十八ヶ所と別格20霊場を結願した同行者と一緒に高野山へ参拝しました。

 津島市7時半(我家は6時40分発)出発…弥富IC…亀山…天理…五條…かつらぎ町…高野山12時10分…金剛峯寺・朱印…高野山大師教会・授戒…(昼食)…奥の院・朱印…大門…帰路へ

 四国遍路の御礼参りに高野山の朱印を受けるだけではもったいないので、全員(と言っても5人ですが)金剛峯寺に参拝後に高野山大師教会・授戒堂(写真上)で「授戒(じゅかい)」を受けてきました。

授戒
http://www.koyasan.or.jp/taiken/jukai/index.html
菩薩十善戒
http://www.koyasan.or.jp/taiken/jukai/know_juzenkai.html

 懺悔文(さんげもん)…三歸(さんき)…三竟(さんきょう)…十善戒(じゅうぜんかい)…發菩提心真言(ほっぼだいしんしんごん)…三昧郰戒真言(さんまやかいしんごん)…御宝号(ごほうごう)…光明真言(こうみょうしんごん)…回向文(えこうもん)

 扉が閉められ真っ暗になった授戒堂で、僧侶について御宝号(南無大師遍照金剛)を繰返し唱えて阿闍梨様を迎え、前記した懺悔文から回向文を唱えて授戒の儀式が終わり、阿闍梨様からお言葉と「菩薩戒牒」を授かって儀式が終わりました。
 
 今年は春と秋の結縁灌頂を受けましたが、高野山には本日受けた授戒のほかにも多くの儀式や行事があり、観光客が団体で説明を受けて観光として歩くのは別としても、せっかく高野山に参拝する信者や、四国巡礼の人々についても、朱印のスタンプラリーに終わらせず、厳かな行事にも目を向けたいものでもあります。

 もっとも、今までの私の御礼参りは、限られた時間に追われて参拝して納経帳に朱印を受けて一目散に帰っており、本日は日が暮れるまで奥の院に座り、大門から夕陽が沈む山並みを見てからの帰路となりましたが、反省するとともに今後はそうしたいと思います。

 下の写真は、奥の院を流れる玉川にかかる御廟橋のたもとに並ぶ7体の「水向地蔵尊」です。人々は地蔵菩薩や弥勒菩薩などの金銅佛に水を手向けますが、菩薩の顔や頭をめがけて水をぶっかける人も多く、それでも何も言わずに佇む仏様のような気持ちになりたいものです。

 本日の授戒堂で、阿闍梨様から「身を削って火をともすロウソクのように、周りの人々の灯りとなってください」の言葉を噛み締め、明日からの限られた年末までを日時を、弘法大師に見守られている気持ちで正直に行動していきます。
                                 11月28日の一言

朝から電話が連続する一日に

 本日は早朝から電話の多い一日となりました。

 「○○ですが、本日は親が立てたので結構です。いざと言う時、またお願いします」

 この一言は、親の体調が悪く、起き上がれないと市民病院に行けないので、前日に予約の連絡があった人ですが、起き上がれれば家族が付き添うと聞いていたものの、起き上がれない人を私一人では大変な事から、出動となればボランティア2人で向かう予定を立てており、8時前からの待機も無駄足になりました。

 しかし、歩けないような悪い時のみの送迎ではボランティアとは言え大変です。

 「市民病院を退院する事になったので、利用したいんですが」

 この電話は、退院を一週間後に控えた福祉タクシーの依頼でしたが、詳しく説明を受けると、退院するご主人は「寝たきり状態」で、車イスに座れるかどうかも判らない状況のため、我々では対処できないと伝えましたが、寝たきり状態での退院とはどんな状態なのか。

 「それじゃー、どこに頼んだら良いか」と、問われましたが、これは病院側の手配が必要ではないか。

 こんな状況の中へ、市役所からの連絡は議員として当然ですが、銀行や「インターネットは…、ADSLは○○…」なんて電話も舞い込み、これが全部金儲けの予約なら有難いものの、ボランティアで大変な仕事ばかりでは長電話の携帯電話(転送なので私持ちになります)代金のみが増えていきます。

 「今、市民病院に入院しているんだけど…」

 朝から大変な電話が多く、この知人の声にも一瞬びっくりとさせられましたが、この人は一週間後には退院する事が決まっており、「病院にお世話になったのでお礼に寄付でもしたい」との清々しい電話で、「いくら位、寄付したら良いだろうか」との相談でした。

 この人は、戦後苦労した人ですが、幸いにして亡くなられたご主人が基礎を築き、息子さんも事業を営んでおり、独り暮らしの母親に息子さんが雑用係まで配置されており、近々年金が入るから寄付を思い立ったそうでしたが、「いくら位…」と問われても、「気持ちだから」としか答えられませんでした。「病院で話をしたら、○○さんが取りに来ると言っていた」との、あまりにも看護士の事務的な寄付の受け取りに、退院後に私が立ち会って寄付する事を約束しました。

 さて、電話での医療相談はこのままでは終わらず、夕食前に私の知人の息子さんから電話で、「ウチのカミサンが入院しちゃったんで…」との連絡が入りました。本人は名古屋市に勤務しているものの、幼い子供を抱えて、在所の母親は入院中で、ガンの宣告を受けている父親もいる事から、経済的にも先が心配となるが、明日から市役所が休みのために相談は月曜日となり、その月曜日は議会の開会日のため、尋ねるべき職員に連絡して取り次ぐ事となりました。

 さて、さて、実はその後もう一件電話があり、こちらは更に深刻な内容でしたが、私の親の治療経験から「私なら」と思う病院があり、ホームページを見るように勧めましたが、埼玉の病院のためにうまく事が運んでも大変ですが、後悔だけはしたくない私の父親の反省もあるが、来週からは議会活動で時間的余裕はありません。

 こんな中を、明日は急きょ和歌山県の「高野山」に走る事となりました。9月に四国を満願となった人々の高野山御礼参りが済んでおらず、突然にこの世を去ったKさんを考えると、万が一を考えると先送りは無責任とも思われる事から突然の日帰りとなった次第です。
                                 11月27日の一言

遍路の雑談

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 一昨日より記しておりますが、私と4回(4巡)にわたって四国遍路に同行されたKさんの葬儀が本日あり、私の貸した白衣とともに旅立たれていきました。もっとも、ご本人なら「そんな事してもらわんでもいいよ」と言われたでしょうが、私の押し売りの貸りを残したままの別れとなりました。

 78歳でしたが、昨年には一緒に四国に同行した1歳違いのTさん(女性)が亡くなられ、今年はOさん(8?歳・男性)も亡くなっておられる事から、同行した人々の訃報は悲しいものがありました。3人とも四国、西国、坂東、秩父を一緒に参拝した仲間です。

 さて、昨晩の事でしたが、棺に一緒に入れる品々が話題となり、四国八十八ヵ所の納経帳もその中に入っておりましたが、納経帳にも色々な種類があり、必ずしも本人が棺に入れるために残していたとは限らない事から、その納経帳は残して息子さんやお孫さんに朱印を引き継ぐように勧めました。

 本日添付した写真は、私が四国八十八ヵ所霊場会と別格霊場会からいただいた先達用の納経帳ですが、朱印が4回分重ねて押してあります。(80番国分寺)

 四国に限らず、各地の朱印帳がありますが、四国霊場では納経帳は礼拝の対象である事から、スタンプ帳、写真帳、ハガキ、案内記、色紙などには納経ができない事となっており、納経は厳密に言うと写経したお経をお寺に奉納し、その証として朱印をもらうものでもあり、現在は札所をお参りした証として朱印をもらっていますが、遍路したことを証明する重要な証でもあります。

 「お父さんが死んだら全部入れてあげるから」と、家内や家族が大声で合唱することがありますが、私は添付した四国遍路の納経帳などを棺に入れて欲しいとは思っておらず、(縁起でもありませんが)万が一の際には棺に入れる納経帳(朱印帳)は別に4冊分(私と家内、母親と義母分)残してあります。

 「入れてあげる」の一言は、一見すると親切な言葉にも聞こえますが、内心では難しい物を残してもらうと後々の処分に困るのが本音でもあり、「金剛杖も入れてあげる」なんて一言は、金剛杖への認識不足もはなはだしく、金剛杖は弘法大師の象徴であり、遍路の精神的支柱や護身用で、燃やすのではなく札所に戻してやって欲しい。

 Kさんは納経帳の他に、絹製の納経掛軸にも朱印を揃えて全てを表装してあったが、家族や親族は中身を見た記憶がない事から、今後は家宝としてお盆や命日に飾って故人を偲んで欲しいと願うものだが、「納経帳の朱印を子孫で引き継いで欲しい」とは我ながらの名案と思う。(家族にも理解されたと思います)

 ちなみに、白衣については、浄器(浄い体)になることを意とし、遍路でこれを着用するのは、聖なる世界を歩むものの象徴と考えられており(霊場会先達教典参照)、Kさんにも元気な遍路中に白衣の着用を勧めれば良かったと思うとともに、借り物でも私の白衣で天国で奥様と再会して私を見守って(待っていて)いただきたいと思います。
                               11月26日の一言

子孫による朱印帳の重ね印を勧め

 束の間の余裕を会報配布と四国行きなどに充てていたが、30日に開会となる12月議会を控えて、やっぱり予測以上の慌ただしい日程が迫っている事の自覚が不足していました。議会の日程として、自分の一般質問と委員会を中心に考えてきたが、今回は本会議初日に10月に実施した行政視察の委員長報告があり、一般質問や委員会を挟んで、議会最終日にも委員会に付託された案件の委員長報告がある事から、ただでさえ忙しい「師走」が慌ただしくなってきました。

 明日が1月に発行される津島市の広報の原稿締切日となっており、1月末に実施予定の愛知県が主催する行事の業務を私の参加するNPO法人が受託している事から、募集要項だけでも提出する必要があり、講演を依頼してある大学教授との打ち合わせを済ませていない中での提出だけに気にかかります。

 そういった事情の中に、NPO法人で実施している「福祉有償運送」や、私個人が事業主となっている「福祉タクシー」を利用したい人々からの申し込みが舞い込んでおり、NPO法人の事業報告についても愛知県から8日を最終にして提出するよう手紙が届けられ、遅れると罰則もあると記してある事と、この締め切りが議会の一般質問と重なっている事から、私1人で孤軍奮闘している活動をメンバーに委ねる事となります。

 一方で、夏頃から忙しさから後回しとなっていた雑用についても抜き足ならぬ状況になっている。雑用といえども後回しにしておいた事から、NPO法人の銀行口座や受付電話、領収書のゴム印など、一つ一つは簡単そうでも法人ゆえに勝手に進められない面倒な作業が大量に残されていました。

 さて、昨日記した知人の葬儀を明日に控えて、一緒に四国遍路を廻っていた事から、故人の家族から棺に入れるべき故人の身の回り品などの問い合わせがあり、故人は78才とはいえ健康すぎる人であった事から「仏ほっとけ」と冗談を言い、白衣もわざと着ない遍路であった事から、私の着用している白衣を一緒に収める事になりました。

 「白衣まで貰ってすいません」
 「いや、差しあげたのではなく、お父さんに貸しただけですよ」
 「?…?」
 「天国で返してもらいますから」

 通夜の会場に置かれた故人の撮影された写真と四国の納経帳と一緒に私の白衣も飾られており、明日にも燃やされてしまう事から名残もありますが、遺族や兄弟との会話から信心深い振る舞いはなかったものの、4回も四国を廻られている事から、四国や旅行が自身の健康法だと言う話だけでなく、16年前に先立たれた奥さんの慰霊であったのかもしれません。

 早くに奥さんを亡くされたものの、息子夫婦やお孫さんに囲まれた生活だっただけに、飾ってあった納経帳は棺に入れずに、故人が残されていた納棺用の納経帳を家で探してもらい、この納経帳は息子さんやお孫さんが四国を廻られる可能性もある事から、子孫による「重ね印(朱印)」で家宝とされる事を勧めると悲しみが込み上げてきました。
                                  11月25日の一言

悲しみも最大級の訃報に

 本日は議会運営委員会が開催され、12月議会の日程や議案説明に続き、請願などの委員会の付託先を決めて散会したが、国からの方針で議員年金の廃止も含めて議会で意見集約も求められており、廃止になるのは公費負担を考えて個人的に異論はないが、国の都合で廃止となるのに、今までに支払ってきた年金負担分が全額返還されない事には絶対に納得ができない。

 このあたりの温度差は、年金受給資格となる3期以上議員を続けた者と、初当選したばかりの議員とは感覚が大きく違い、今議会には議員の期末手当の減額も議案として提案されているが、平成11年に議員になってから報酬も含めて減額だけが続いている。

 国会議員は地方議員とは桁違いの報酬を受け取り、政党助成金も自由に使える立場にあるが、このままでは地方議員は副業か定年後のボランティアしか成り立たなくなるのではないだろうか。
 一方で、廃止となれば、現在受給中の元議員についても全額支払いを停止すべきであり、駆け込みの引退による年金受給も絶対に見逃さない必要がある。

 さて、数日前に一緒に旅行に出向いていた知人の訃報を知らず、喪中の手紙で知った悲しみを記しましたが、本日は更に私の家族と一緒の上高地行きだけでなく、私が7回巡拝した四国遍路のうち4回も一緒に結願を果たした知人の訃報がご家族よりもたらされました。

 本日の午前2時頃に亡くなられたとの話に、私が四国から自宅に到着した頃に亡くなられていた事と、今回の四国行きの案内を投函しただけで、直接声をかけなかった事が残念でならない。もっとも、家族の話では、声をかけても体調不調だったようですが、10月の高野山行きが最後となり、その時はお元気だっただけに悔いが残ります。

 「投函された写真のお礼も伝えないままで…」との家族の言葉に、もっと早く持参して本人に直接手渡さなかった事の反省と、本人が昭和5年生まれであった事から、こんな日が突然に訪れる事も考えてお付き合いすべきだったとも思われます。

 事務所の入り口には瀬戸中央大橋から撮影した夕陽の大きな写真が置かれていますが、最後の四国遍路から帰った直後にいただいた写真で、役務的に写真を配布している私とは違い、運転手の私が景色を見られない事から助手席から撮影されて届けられた写真で、改めて親を亡くしたような気持ちにもなります。

 息子さんは私の妹と同級生で、お孫さんは私の三男と同級生だっただけに、親と同年代でありながら体力自慢の人だっただけに年齢差をあまり考えた事もありませんでしたが、四国、西国、坂東、秩父と一緒に寝食を共にしてきた知人だけに悲しみも最大級の訃報となりました。
                                11月24日の一言
追伸
偶然にも本日は、私の盟友であった落語家「浪漫亭砂九」さんの命日でもあり、四国で家内とそんな話をしていたのでしたが…
まだ、3年しか経過していないのに、はるか昔のように思えてきました。

四国二日目

別格二十霊場第3番慈眼寺の、穴禅定を終えて、四国を後にして帰ります。

 3回目にして、やっとすんなり穴禅定がくぐられましたが、同行の同級生は入り口から1メートルでリタイヤ(太りすぎで通れません)して戻って帰り、日頃病院で患者さんを見下ろしているM先生は、穴禅定の女性先達河野さんの指示に最初こそは口答えしておられたものの、最後は言われるままに素直で従順な赤ちゃんとなり、奥さんの手を借りて下山となりました。
ここでは屁理屈や言い訳を言っても、身体が挟まって身動きがとれず、案内の一言一句に耳をすませ、記憶した案内を次の人に伝えないと、通れないばかりか時間も浪費してしまいます。
 「オレはこんなはずじゃなかった」と思っても、身体は老化しており、肥満は取り返しのしかない(入れないか、岩に挟まります)事を自覚もします。

 穴禅定は来年3月までお休みとなりますが、「連絡してくれれば案内するよ」と言っていただいたので、機会を作って行きたいとは考えるものの…

次の四国遍路は来年3月から新たなスタートとなる予定です。

四国二日目

朝の善通寺御影堂です。

観光とは言えども

本日は、7時に第74番屋島寺からスタートし、高松市で善通寺管長・樫原禅澄法主の法話を聞き、栗林公園、かずら橋まで足を延ばして善通寺で宿泊しています。
 
予定では、明日の朝も善通寺で管長のお話を聞こうと思っておりましたが、今晩は帰らず自坊の所用を済ませて9時頃に到着するとの話でした。こんなに偉い位に就かれても、前と変わらず気さくな性格のまま笑顔の会話ができるのも有難く思います。

※禅澄法話
  「仏教日常
  法話あれこれ」
,△Δ(阿・ア・最初の字)
    (吽・ウン・フーン・最後の字)
△Δ蹐Δ蹇爾垢
     有漏(うろ)
ゆだん(油断)
いらんどう(伽藍堂)
イ椶鵑ら(盆暗・盆蔵)
三人寄れば文殊の知恵
  文殊菩薩…マンジュシュリー・妙徳・妙吉詳

法話
Х觝Я蠎
┫衙召鬚なえるために
行動なくして運は良くならない

明日は、穴禅定から渦潮見物の後で帰宅の予定です。

今回は遍路ではなく観光へ

 本日は深夜より四国に走るために、休養の一日としたかったものの、娘が孫と犬を連れて帰ってきたため、「じいさん」と呼ばれて「おじさん」と抵抗していたものの、孫の相手をしていると時間の経過も忘れます。

 そんな一日が一変したのは、名古屋から帰宅した三男の忘れ物に名古屋まで走る事となったからで、四国へ持参するお土産も購入してなかった事から、津島名物の「あかだ」と「くつわ」を買いに走り、帰宅したら7時を廻っていました。今夜は徹夜の運転だけに、少しは睡眠をとりたかったのですが…

 ※21日夜11時発…(車中仮眠)…高松
 22日--(屋島ドライブウェー)…第84番屋島寺…高松・ベースキャンプ高松店で禅澄法話(22日午前9時-10時)…栗林公園(入園)…かずら橋…大歩危・小歩危峡…善通寺

 23日--別格3番慈眼寺・穴禅定(入洞)…鳴門うずしお(観光船)…

 さて、最近は簡単に四国に行くと記していますが、それでも5時間は走り続ける距離があります。明日は屋島の山頂で日の出から一日が始まり、ベースキャンプ高松店で禅澄法話を聞き、栗林公園からかずら橋までの日程です。

樫原禅澄(かしはらぜんちょう)先生のプロフィール
昭和15年生まれ。志度の自性院常楽寺住職で、四国霊場第75番善通寺の執行長・宗務総長を勤められ平成20年3月より法主・管長に就任。
 また、四国少年院教誨師・社会福祉法人讃岐学園理事長も勤める。善通寺での朝の説法を続けられて早十数年。その魅力的な声と話のおもしろさからファンも多い。

 明後日は別格3番慈眼寺で穴禅定に入洞し悲鳴をあげ、鳴門の渦潮見物から帰宅する遍路と言うよりは観光旅行です。

※穴禅定(あなぜんじょう)とはお大師様(弘法大師空海)御修行の鍾乳洞を、ローソクの明かりだけで穴禅定先達に案内され、とても狭い穴を通り抜けていく修行です。「とても簡単です」と同行者には伝え、入洞後の悲鳴を聞くのを楽しみとしてきます。
                                  11月21日の一言

運転の適性診断を受けて

 本日は独立行政法人自動車事故対策機構(名古屋)による適性診断(自動車運転)を受けてきました。福祉タクシーに限らず、パスやタクシーを運転する者にとっては、絶対に必要な検査のようで、「初任診断」を受けて「適性診断票」を受け取ってきました。

 説明書によれば、「ドライバーの心と身体の安全チェックです」と記されており、「人は誰でも長所と短所を持っており、…(中略)…、適性診断では、このような長所と短所(くせ)を見いだし、安全運転に役立てていただくための一つの手段です」と説明があります。

 陸運事務所から診断票が必要と知らされ、申し込んだものの予約がいっぱいで、申し込んでから一ヶ月後の診断となりましたが、運転の適性検査については警察や自動車学校でも良さそうですが、この機関の診断を受けなければならず、独立行政法人は天下りの温床との批判も耳にしますが、初任診断は4千6百円もかかる事と、この診断票で「運転不適格」の烙印を押される事はない様子から、官僚によって作られた売上(集金)システムのようにも思われます。実際に国土交通省の天下り先となっています。

 ただし、2時間半にわたって実施された適性診断は、車の運転を職業とする者にとっては必要不可欠であり、心理適性診断や視覚機能診断の結果により総合所見が書き込まれているが、これこそ最近話題となっている「事業仕分け」によって、民間の自動車学校や地方自治体に移管し、診断結果をより安全運転につなげるべきではないか。

 さて、私の診断結果については、「現在のところ、注意していただく点はあまりありませんが…」とあるものの、視力や動体視力は普通ではあるが、「安全運転のための適正な眼鏡の使用をおすすめします」とありました。

 この点について、私はかつてから警察署などの視力検査に異論があり、老眼がすすんだ中高年にとっては近くの物が見えにくく、視力検査から運転に眼鏡は不要であるが、検査の際には老眼鏡を付けないと記号がはっきりと見えない矛盾があります。勿論、老眼鏡をつけて運転はできません。

 小さなボックスの中での視力検査では、深視力(遠近感)のピントが最初から合わないままに、免許証の更新に苦労した事がありますが、運転免許試験場の大きな検査機器では簡単に合格する事から、検査方法にも改善が必要と思うのは私一人ではなさそうでもある。

深視力検査↓↓
http://www5.ctktv.ne.jp/~stone-i/src/drivinglisence/shinshiryoku/shinshiryoku.htm

 私自身の事となりますが、警察署の運転免許更新で深視力検査がまったくできず、検査は「お情け」で何度目かに通過しました(実際は見えていません)が、せっかく持っている大型免許のために真剣に目の治療を考えた時期もありましたが、運転免許試験場の検査機器や本日の検査機器でも「一発合格」となる事から、検査機器にも確実なる問題があります。

 長々と記しましたが、どちらにしても安全運転を心掛け、交通事故を回避しない事にはプロドライバーとしては失格となりますので、視力の衰えや反射神経の遅れは、スピードや車間距離を考えた運転を心がける必要があり、生涯無事故を目指したいものです。
                                11月20日の一言

寒波は悲報も持ってくる

 本日は朝の朝日新聞を読んでいて、久しぶりに的を得た社説が掲載されていたので、あまり意識する事無く、このまま記録しておきたいことからアドレスをコピーし、パソコン上からはしばらくすると記事が消されてしまうために、とりあえず記事も残しておいたところ、普段の私の一言には無い反応の良さでコメントが書き入れられていました。私の一言は無用なのかもしれません。

 さて、数日前の事でしたが、パソコンの画面と私の顔面の間を、垂れ下がった私の頭髪の1本の白髪がフラフラするために気になって集中できず、何とかどかそうと髪を上げますがすぐに下りてくる事から、家内に切ってもらいましたが、「お父さん、1本でなく全部切る事になるよ」と言われ、白髪が増えたと言うよりも、白髪だらけとなった現実を実感させられました。

 会報を一般家庭に配布しているために、私への受取人払いの手紙が返信されてくる事から、帰宅するとポストの不在票の有無を確認する日課になっていますが、本日のポストには今年で一番淋しくなるような手紙2通が届けられていました。

 一通は喪中の手紙で、亡くなられたRさんは、私が昭和63年に始めた「朝日旅行友の会」の最初からの参加者で、数年前には夏休みの上高地へ連泊で出かける間柄であったが、昨年からは病気のために闘病生活をおくっておられただけに、10月に亡くなられていた現実と、奥様はすでに桑名市に移られていた現実には本当にショックを受けました。家は現在もそのままだったのですが…

 Rさんは喉頭がんによってノドに機器を付けないと会話ができず、旅行会を始めた直後はその事が判らず、全く会話もない状態で私の父親の隣の座席に座られ、どうやって話をしたらよいか判らず困りましたが、その後の旅行会の常連となるばかりか、数年前は私のプライベートの家族旅行にも一緒に出かけるようになり、上高地では私の三男がトランプや花札を教えてもらっていました。

 考えてみれば平成になって21年も経過している事や、私の父親も平成5年に亡くなっている事から、別れは人間の宿命と思うものの、亡くなられた事すら知らなかった事が残念です。

 もう1通は、私のお気に入りとしていた白馬の旅館の休業の知らせです。10年ほど前に当日の宿に困り、白馬駅の紹介で宿泊した宿でしたが、地元で旬の野菜や山菜が食事に用意され、ご夫婦での一生懸命のもてなしにその後何度も訪れる事となったのでしたが…

 手紙には健康上の都合で12月から休業と記されていたが、休業は廃業ではない事に再開を期待したいものだが、高齢だけに心配です。ご主人はアルペンスキーの現役シニア選手だっただけに、奥さんの健康問題かも知れませんが元気に回復してもらいたいものです。
                               11月19日の一言

本日の社説(朝日新聞)から

朝日新聞19日社説
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

党首討論―情けない首相の逃げ腰
 政権交代から2カ月あまり。鳩山政権は10年度予算編成に向けて、自公政権下でとられてきた政策を次々に見直そうとしている。
 麻生政権による補正予算の全面見直し。八ツ場ダムの建設中止。行政刷新会議の事業仕分け。米軍普天間飛行場の移設についても、日米で合意した計画の見直しを含めて「検証」を進めている。
 なぜ、政策の大規模な変更なのか。どう実現するのか。鳩山由紀夫首相は説明責任を負っている。
 下野した自民党の谷垣禎一総裁はどう反論するのだろうか。過去の党の政策をどう評価するのか。自民党の新しい道は何か。今ほど、有権者が両氏の主張のぶつけ合いを聞きたいと思っている時はないだろう。
 ところが、両氏による党首討論がこの国会で開かれるのかどうか、怪しい状況になってきた。当初、与野党は初の討論をきのう開く方向で話してきたが、結局、政府与党が応じなかった。谷垣氏の自転車事故の前から、きのうの党首討論の可能性は消えていた。
 一部の閣僚が公務で出席できないから、というのが言い分だ。確かに、討論には全閣僚の出席を原則とするという与野党の申し合わせがあるが、拒む理由としては納得しがたい。
 党首同士がやりあうのに、なぜ全閣僚の出席が必要なのか。与党は申し合わせをたてに討論を避けた、と言われても仕方あるまい。
 討論は原則として水曜日に開くという申し合わせもある。そうすると次の機会は25日だが、自民党の開催要求に政府与党はまだ応えていない。政府与党は30日までの会期中に開かなくてよいと考えていのだろうか。
 閣僚が欠席したとしても何の不都合もないし、開催日をずらす手もある。野党時代、民主党は討論の開催を強く要求してきた。与党になったとたんのこの不熱心さは、なんとも説得力を欠く。政府与党は速やかに党首討論を実現させるべきだ。
 予算編成に集中するため国会の会期延長は避けたい。法案処理が最優先なので時間がとれない。そんな解説は理由にならない。討論はわずか45分間という慣行なのだから。
 自らの政治資金疑惑や政府内の足並みの乱れを突かれたくないからではないか。討論を避ければ避けるほど、そう言われるのを首相は覚悟しなければならない。
 所信表明演説で「真に国民のためになる議論を力の限り、この国会でぶつけ合っていこうではありませんか」と呼びかけたのは首相だ。
 この国会を逃すと、党首討論の機会は来年の通常国会までなくなる。歴史的な政権交代を果たしたというのに、そんな怠慢は情けない。

全く知らなかった高速道路の厳罰化

 高速道路で車間距離を取らない車が多く、車間距離を取らない車が数珠つなぎになっていたり、大型トラックがぶつかる限界まで近づいてスピードを煽り、後続車にあおられた車が直前に割り込み危険を感じた事も多い。

 本日の夕刊報道から、今年10月から道路交通法の改正により「高速道路の車間距離不足」について、罰則が強化されている事を知りました。違反点数が1点から2点となり、反則金も6千円から9千円(普通車)に引き上げられていた。

 知らないままに高速道路を利用していたが、法律の厳罰化によって車間距離不足が改善されたとは思えず、休日の割り引きによって高速道路は一般道のように渋滞するようになっており、10月からの改正が周知徹底されておらず、私のように知らないままの人が多いのではないだろうか。

 高速道路の車間距離不足は重大事故に直結し、車間距離を取っていれば割り込まれる事から、誰もが危険と判っていながら限界スレスレの車間距離となっていると思われ、改正によって取り締りを強化しているというが、通行する車輌数のどれだけに浸透しているのだろうか。

 現実に取り締まる方法は白バイや警察車輌に頼るより方法がなく、違反車の摘発はごく一部の「見せしめ」にしかならない事から、割り込まれたり、後続車に接近されて危険を感じた車からの通報でも認めないと抜本的改善は難しいのではないか。

 もっとも、通報されても取り締まる警察車両や人員の増員ができない事から現実的ではありませんが、高速道路を通行すると必ず危険と思われる車が存在する事から、通報でもして注意を促さないと事故に巻き込まれる可能性も高い。

 さて、私は昨年末の大晦日に、京都市内で駐車違反で摘発され、反則金1万5千円と減点2点の処分を受けたが、止まっている車でも1万5千円の反則金だった事から、車間距離不足は高速での死亡事故にも直結する違反である事を考えると、反則金の引き上げを考えるべきではないか。

 週末は夜行であるが再び四国の高松市まで走ります。知人も同乗している事から、事故は勿論ですが違反についても、今年からはタクシー事業主となっている事から注意したいと思います。
                                11月18日の一言

甘い囁きと甘い贈り物から厳しい現実へ

 本日の起床は午前3時でしたが、起きて事務所の前に立つと路面は濡れていないものの、顔に雨の気配を感じながらも、新聞配達は休みも無い事から、この位でへこたれてはならないと会報配布の準備をしていると、雨粒を感じるようになりました。

 まだまだ4千世帯ほどの未配達地域がある事から、次の12月議会が近づいており、これくらいの雨はマンションなどへ配布に出向かないと終わりませんが、身体は正直なもので、「今日は休みだ」との甘い囁きによってパソコンの前に座ったまま朝を迎えてしまいました。

 結局何もしないままに朝となり、いつもどおりに一日が始まりましたが、前日に約束してあった時間が一部重複する事が発覚し、何とかしたいものの連絡が取れず、綱渡りではあったが仕事を終わって余裕でパソコンの前に座っていると、昨日訪問した人との約束が残されていました。

 この約束が、私のためにケーキを(ババロア)作るから、「夕方に取りに来て下さい」という甘い(笑)約束で、図々しいような話ですが、作られているのに行かないのも問題だし、とうに時間は経過して真っ暗になっていることから、慌てて訪問する事となりました。

 さて、約束してあっても訪問しない私を、ケーキを作る奥さんと御主人がアレコレ言いながらお待ちいただいたようですが、待ちくたびれた御主人が外出されており、週末の四国行きも一緒の約束になっている事から、御主人の帰宅を待ち会話を続けていると、本日は定例の書道会の日である事を忘れていました。

 書道会は我が事務所の2階が会場ですが、電気も点灯されておらないばかりか、本日は厳しい寒波が襲来しておりストーブに点火も必要です。しかも、恩師は私が車で迎えに走っている事から、私が到着しないと自宅前の寒風の中に佇む事となります。

 「おい、今どこにいるの?」と家内に事務所の準備を頼み、出来たてのケーキを積んで恩師の家に向かい、メンバーの待つ我家に到着しましたが、スズリに水を入れて筆を立てると雑用に走り、ろくに書を書く事もないままに書道会は終了し、手帳を見るとまだまだ積み残した仕事を残していました。

 仕事・夕食を済ますと時計は11時です。それから書き込み中のままとなっている事務所のパソコンを放置して、コタツの上でノート型パソコンを相手にして(現在午前0時20分です)、意味もない書き込みが終わりそうですが、まもなく起床時間の3時が迫ってきます。風呂は?

 甘い囁きに甘えた朝から、夕方の甘い贈り物の一日となると思いましたが、その後に甘くない夜と、寒風吹く早朝が待ち構えていました。
                              11月17日の一言

本日は1歳若返りました(笑)

 本日は1歳若返りました。このブログのプロフィールが55歳になっており、何とか56歳に直したいと試行錯誤するものの、直す手立てが無い事から考えていると、生年月日によって自動的に年齢が表示される事から、手帳の年齢求年表を確認すると、私の正しい満年齢は55歳であり、随分と前から56歳と錯覚して、各種の申請書類にも記入している事にびっくりしました。

 自分の年齢を1歳だけとは言え錯覚していたために、随分と60歳に近いイメージを持ち続けていたものが、わずか1年の違いとは言え、随分と損をしていたように思われ、私は今年の早い時期から市役所や行政の申請書類に56歳と書き込んでおり、自分の年齢すら間違えていた事に苦笑いです。

 もっとも、来月には誕生日がくることから、本当に1年歳を重ねる事になりますが、家内や家族が冗談で年寄り扱いをすることから、自分の年齢を間違えていたと考えられ、1年の若さに感謝してしばらくは若い発想で衣服や行動に心がけたいと思います。

 こんなことを書き入れる必要は無かったのかもしれませんが、50代になると誕生日も嬉しいものではなく、早生まれの同級生が語る年齢の影響を受けていたのかもしれませんが、まだまだ若い気持ちで当面は体力勝負に徹したいと思います。

 それにしても自分の年齢を間違えていたとは恥ずかしいような話ですが、原因を色々と考えると家内の誕生日が5月のために、家内と3歳の年齢差がある事から、家内が56歳と言い出したものと考えられ、春から56歳と勘違いしていたと思われます。それにしても市役所だけでなく、今年は国土交通省や愛知県にも各種の申請をしていますが、誰も間違いに気付かれなかった事に淋しさも覚えます。

 さて、まもなく夕食ですが、この1歳の若返りをどのように伝えるべきか。「どっちも変わらないでしょ」と言われそうですが、こんな間違いに今まで気付かなかった私自身も、確実に脳の老化が進んでいるのは間違いがなく、人の名前や過去の口約束が判らない事もある事から、手帳の活用も重要です。
                                11月16日の一言

記念館の柿の実を収穫し

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 本日は町内の排水路清掃に参加した後に横井庄一記念館の一日となりました。行事や観光葬祭によって休みが続き、完全なる一日中の留守番は久々で、日頃の休みを払拭するために庭にある柿の実も夫人には高くて取れないとの話に、脚立を出して取り残された実を収穫することになりました。

 「5、6個はあるでしょうか」と言われた柿は、木に登ってみると意外に残っており、結局は大柄の柿が15個にもなり早速仏壇に供えられました。

 亡くなった横井庄一さんも柿は大好物だったと言う話と、「人に取られるといけないからと早くから採っていた」との話に、幼少時をおくった我家には4本の柿ノ木があり、当時は柿くらいしか食べる物がなかった事や、今のように甘くもない柿に群がった子供時代が蘇えってきました。

 鳥のために1個だけ残された柿ノ木(写真)ですが、2週間後に訪れるときには葉が落ちて1枚も残っていないと考えると淋しさも感じました。まるで横井庄一さんを知る人が1人、また1人と亡くなられていくようにも思われます。

 さて、最近の記念館で特に気になるのは、訪問された人々との意外な縁で、一昨年は私の父親と生き別れとなった祖父の在所と親しい人と出会い、最近では私を目的に訪問される方も存在するようになり、夫人(館長)が81才になる事から、この記念館の将来が心配となりつつあります。

 明日からは再び会報の配布が始まり、来週には四国の穴禅定に走り、京都に行く約束もしてあるが、その頃には12月議会が始まるとともに年末が迫っており、正月になれば新たな会報配布とともに月末には上高地の写真展や地域セミナーが予定されており、仕事の輪廻の中に巻き込まれている事と、のんびりともしておられない時間の経過にびっくりする日々になってきました。
                                11月15日の一言

イベントからお見舞いに走り

 本日は愛知県消防連合フェアが津島市文化会館で開催され、愛知県知事をはじめ県内各地の消防関係者が集まる大々的なイベントだったが、さすがに愛知県全体の行事ゆえに表彰者の数だけでなく、地道に活動を続けられた団体や個人の体験談を聞くことができました。

 この中で印象に残ったのが、阿久比町立東部小学校の少年消防クラブの活動報告で、同じような活動が県内だけでなく全国の小学校で展開されていると思うが、指導する教員の指導する考え方一つで、割り当てや順送りの持ち回りで活動する名ばかりの活動から、中身のある地域の役割も担った活動に至るという実績を見せられました。

 一方で、活動報告に立った津島市消防団のS団員の親子4代にわたる消防団員としての活動を聞き、背後に映し出されたスクリーンに、かつて津島市の消防団長を四期も務められ、数年前に不慮の事故で亡くなられたご尊父の姿が写し出され「ガンバレ」と叫びたいものの、嗚咽になりそうな心を落ち着けましたが、嫌々に一年間だけ団員を務めて辞めた自己反省も身につつまされました。

 さて、私はこの後で市民病院に入院する知人の見舞いに家内と訪れたが、入院直後の病院の対応に不満があるらしく、さかんに病院への不満を聞かされたが、入院の必要はあったものの、命に直結する瀕死の状態で入院したわけでない事から出る不満でもあった。

 「こんな事なら出るところに出るぞ!」
 「出るとこって何処なの?」
 「そんなものは無いけど言ってみただけだ」
 「そんなむちゃな」
 「それでも、医者がすぐに走ってきたぞッ」

 朝から伝えてあった結果が伝わらなかった事から発せられた言葉だったようだが、裏付けのない「出るところに出る」の一言で、朝から放置したままの応対が一変して、慌てて走ってくるところに病院の看護師の反省材料があり、言われて慌てて走ってくる位なら言われる前にすべきでもあったと思われる。

 こんな捨て台詞のような言葉を発しないと患者の希望が届かないとしたら問題で、新型インフルエンザが蔓延しているものの、特別の対応があるとも思えず、土曜日や日曜日の通用口は危険なために、薬局でマスクを手に入れてのお見舞いとなりました。
                                11月14日の一言
追伸
明日は横井庄一記念館の一日です。

真実と具体的説明が不足すると

 昨日の一言に弁護士の事件を記しましたが、本日の夕刊には愛知県警の職員(41)が登校途中の女子高校生の後姿を盗撮したとして、9月に現行犯逮捕された事件に、愛知県警は減給処分6ヶ月の懲戒処分にした事と、本日付けで職員が依願退職したと報じられてきました。

 新聞の見出しだけを見ると、警察職員の「盗撮」の言葉が印象に残って、卑猥なイメージを抱いてしまうが、記事内容を読んでみると「高校生の制服姿に興味があった」と語っているものの、駅のホームで女子生徒の後姿をビデオカメラで隠し撮りしているところを周りの男性に取り押さえられたとある。

 盗撮をしていたとはあるが、駅のホームで女子生徒の後姿をビデオカメラで撮影する事は罪となるのであろうか。そんな風景はテレビからも放映されてくるし、通行人を撮影した位では法律に触れるとは思わないので、今回も盗撮でなく堂々と撮影していれば取り押さえられる事もなかったのではないか。

 この新聞記事を読み、本当はセーラー服だけではなく卑猥な撮影をしていたのが警察発表に隠されているとすれば問題だが、記事どおりであれば退職する必要もなく、むしろ自由な撮影機会が阻害され、それが当り前とされていく事が問題とも思う。

 かつては高校野球の試合会場でも自由に撮影ができたが、女子高生の下着を狙う不届き者の出現から自由な撮影が難しくなり、海水浴場での撮影は犯罪のような視線を浴びるようになった事から、今回の盗撮についても犯罪と言える具体的説明が欲しかった。

 こういった事件が起こると、警察官の規律の乱れを感じ、本日は鳥取県でも警察官の事件が報じられているが、最近は警察官の不祥事は減少傾向にあるようだ。

警察官が恐喝未遂容疑 鳥取県警 13日朝日新聞↓↓
http://www.asahi.com/national/update/1113/OSK200911130059.html 

警察の不祥事 Yahooニュース↓↓ 
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc%2Fdomestic%2Fpolice_scandal%2F#backToPagetop
※2008年に懲戒処分を受けた警察官と警察職員は252人。1999年以降最少となっている。

 むしろ、今回の事件で退職した職員が「依願退職」である事から、懲戒免職と違い一般の自主退職と同じ扱いであり、主席監察官が謝罪して「再発防止に努める」とコメントしているにも関わらず、今回の職員に再就職先を斡旋するような警察の甘い慣例がなされている可能性も高い。

 一方で、通勤途中に後ろの車に追突され、追突された車の運転手に「酒臭い」と指摘された事で、酒気帯び運転で退職を余儀なくされた警察官も存在する。前日の夕食の飲酒によって、一方的に追突されて酒気帯び運転とされ退職となった不幸な例も多い。事実内容の具体的説明が欲しい。
                             11月13日の一言

弁護士が戦う相手と通じているとは

 学校の教員が児童買春で逮捕されたり、警察官が飲酒運転や下着泥棒で逮捕されるなど、常識では図れない事件や事例が発生してくるが、本日の夕刊によれば愛知県弁護士会に所属する弁護士が、弁護を依頼された人の相手側から200万円を交渉取りまとめの謝礼として受け取った疑いで逮捕されたと報道されている。

関係記事・朝日新聞↓↓
http://www.asahi.com/national/update/1112/NGY200911120003.html

弁護士事務所のHP↓↓
http://www.skr-law.jp/profile/index.html

 弁護を引き受けた土地の総額が判らないが、弁護士を依頼するためにはかなりの覚悟で相談したと思われ、頼りにしたはずの弁護士が争う相手方と通じていては、依頼主は何のために相談したのか判らないどころか、結果的には損をさせられていた可能性が高く、今回は相手方が関係する土地取引の売れ上げをごまかし法人税法違反の罪で起訴されている事からも、実態を解明して損失を補填すべきと思われる。

 最近では行政の守秘義務が厳しく問われる時代となっているが、市民の味方として弁護してくれるべき弁護士が、守秘義務どころか裁判で争う相手と通じて謝礼まで貰っていた事は、相談するべき人々にとっては安心して相談もできない事から、逮捕容疑が事実としたら弁護士資格も剥奪されるべきと思う。

 さて、同じことは行政や政治家にも当てはまる問題で、特に我々のような地方議員においては、限られたごく狭い地域の中での問題を相談される事も多く、相談者が対象とする相手の事も相談者以上に親しい可能性も高く、相談されて対応に困ることも度々存在します。

 知らぬ振りをして相談にのっていても思うような結論は導けず、そのまま導けば親しい知人を窮地に追い込む可能性があり、板ばさみとなって悩んだ事もありますが、こんな場合は正直に関係を話して、両者が納得する妥協案を導き出すしか方法はありません。

 中には他の議員が関わって困難な問題となった相談もありますが、こうなると結果は正しい正論に基づいて結果を導くしかなく、本来は市民と市民の争い事に首を突っ込みたい議員はおりませんが、頼まれれば避けて通る事はできません。

 今回の事件でも土地の賃借を巡って、借り手側が弁護士に相談した事案であるが、隣の住民との土地の境界線を巡る争いとか、隣に建てられる建物の日照権などを相談されるケースは多く、当方が法律に基づき行政と正当な対応を模索している間に、不法に事を進められる人も存在し、土地や建物については神経を使います。

 どちらにしても、不法な行動を許す事はできないが、良くしたもので、今回の弁護士についても、相談者から弁護士報酬を受け取り、訴訟相手からも謝礼を貰えば、「一挙両得」で笑いが止まらなかったかもしれないが、「天網恢々疎にして漏らさず」のことわざどおり、悪いことをすれば必ず天罰が下る見本であった事は救いとも感じました。
                                11月12日の一言

卑弥呼時代最大の建物が発掘され

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 本日の朝刊は市橋容疑者の逮捕が大々的に報じられていましたが、朝日新聞の一面には「卑弥呼時代最大の建物」と題して、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の中から邪馬台国の可能性を示す大型建物の遺構が見つかった事が報じられてきた。

纒向(まきむく)遺跡・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%8F%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1
朝日新聞関係記事↓↓
http://www.asahi.com/culture/update/1110/OSK200911100082.html

 この遺跡には卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳など国内最古級の前方後円墳が6基存在し、今回の発掘された遺跡が同時期の建物としては国内最大の規模である事から、九州説と二分される邪馬台国論争に大きく影響する可能性も高く、新たな出土品や遺構の発掘に期待がかかる。

 関係者の発表した内容ではかなり邪馬台国との関係がありそうに思われるが、その後の大和朝廷の存在を考えると邪馬台国が近畿地方(畿内説)に存在した可能性は高く、今後続けられる発掘により「親魏倭王の金印」など邪馬台国の確証となる出土品の発見に期待したい。

 さて、邪馬台国の女王卑弥呼は250年頃に死去したとされているが、卑弥呼イコール神功皇后との説や、天照大神と対比されるなど確実な実態が定かではないが、都市化に伴い遺跡の上に住宅が建てられたり、発掘が難しくなる可能性は高く、是非とも今回の発掘から邪馬台国の全体像に迫る発掘が続けられる事にも期待したい。

卑弥呼・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
古墳時代・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%99%82%E4%BB%A3

 中大兄皇子(のちの天智天皇)・中臣(藤原)鎌足らが蘇我氏を打倒して始めた古代政治史上の一大改革、大化の改新が645年の事である。

 大鹿関連では、第30代敏達(びだつ)天皇の夫人(采女から夫人)となった菟名子が伊勢の大鹿首小熊の娘で、敏達天皇との間に生まれた二人の皇女のうち糠手姫皇女(田村皇女)の生んだ子供が第34代舒明(じょめい)天皇で、(593年?~641年没)で、その先代は推古天皇というから、遥かな古代の話とは言え、邪馬台国の歴史と卑弥呼に関する新たな発見が身近に感じられてきます。
                                11月12日の一言
※昨晩から午前5時まで、インターネット(有線テレビ会社)がメンテナンス中で「書き込み中」のまま送信どころか原稿が消えてしまいました。ご迷惑をかけました。

行政視察

経済建設委員会行政調査視察の概要

石川県白山市 10月29日(木)
 白山市議会副議長前多喜良氏より歓迎の挨拶及び、白山市議会事務局議事調査課長より市の概要説明を受け、下記の調査事項について都市計画化とまちづくり課の担当職員より説明を受ける。

調査事項
 ○美しいまちづくり条例について
  \定の経緯について
  地区計画・まちづくり協定の現状について
  今後の見通しについて
 ○松任駅南地区土地区画整理事業について

 白山市の美しいまちづくり条例については、住民自らが、自分たちの住む地域の目標とする「まち」の将来像を描いて、まちづくりのルールを実現していく仕組みを定めたもので、市と市民の協働によるまちづくりの推進を図り、もって都市機能と自然が調和した都市機能の創造に資する事を目標としている。
 具体的には、町内会単位などで組織する「まちづくり団体」が主体となって、自分たちの町の将来像を定めた「まちづくり計画」をつくり、市とともに実現していくもので、行政の補助金を必要とせず、確実に町並みが美しくなっている事から津島市にとっても参考になると思われる。
 条例の構成として美しいまちづくりにおける基本理念と、住民による美しいまちづくり、開発事業を行なう場合、美しいまちづくり活動への支援、白山市美しいまちづくり協議会の5点からなり、基本理念では、市の責務と市民等の責務と開発業者の責務を定めている。
 市とまちづくり協定を結んだ団体は現在5団体あり、基本的なルールとしては〕囘咾離襦璽襪砲弔い討蓮地区の環境を維持、形成するための建物の用途を制限し、建物の用途の混在を防止、∧斌未琉銘屬砲弔い討漏放性ある道路空間を確保するため、建物の壁面位置を道路から一定距離後退させ、火災、震災などによる建物の倒壊や屋根雪の落下による道路への影響を低減させる、7柀の形のルールは、地区の景観の維持、向上とまちなみの調和のため建物の形や色彩、屋外広告物の制限を定め、こ精などのルールについては景観の向上や緑の確保と防災面から位置、高さ、構造などを制限し、イ寮験萋始などのルールと、Δ領于修篆匿絛?屬覆匹離襦璽襪砲茲蝓安全で快適な生活環境と、水と緑豊かな住宅環境を実現しようとしている。

 次に松任駅南地区土地区画整理事業については、昭和62年頃から駅前の活性化が課題となり、賑わいの創出を実現するため、駅前の7.5ヘクタールを対象にして、平成14年度から平成27年度までの事業内容となっている。
 事業の目的としては、市の中心市街地として古くから賑わいを見せ生きた地区でありながら、近年では人口の減少や高齢化、さらには商業施設の郊外への移転などによって空洞化する市街地に対して、地区の特性を生かした市街地の再整備が求められ、駅前広場やシンボルロードなど都市基盤整備を行い、中心市街地としての機能強化とともに、魅力ある都市景観の創出を図るなど、吸引力のある都市づくりを目指している。
 実際に広々とした駅前周辺には、多くの車を収容する大駐車場を確保し、松任城址公園を中心に美術館や文化会館、俳句館、ふるさと館など公共施設や観光施設が立ち並び、都市型ホテルも存在するなど「歴史・文化と活力を感じる庭園都市の顔づくり」のテーマが確実に動き出していることを実感さらーせられました。
 

富山県高岡市 10月30日(金)
 視察当日が高岡市において市議会議員選挙の最中であった事から、高岡市議会榊原事務局長より歓迎の挨拶があり、議事調査課職員島田氏の概要説明を受け、下記調査事項については都市経営課と都市計画化の担当職員の説明を受ける。

調査事項
 ○歴史と出会えるまちづくりについて
  ‥垰垪得献皀妊訥敢(回遊性創出実証実験)結果について
   ・調査結果の活用方策について
  高岡市町並み保存・都市景観形成に関する条例について
   ・景観計画について
 ※高岡市の空き店舗や商店街も視察    宿泊 高岡駅前マンテンホテル 

 高岡市の回遊性創出実証実験については、中心市街地の空き店舗が増え、商店街がシャッター通りとなっている現状を、オープンカフェの出店などを実証実験し、歩行者の通行量調査やアンケートなどを実施し、平成18年に46件あった空き店舗を20年には29件まで減らすとともに、残された空き店舗の見栄えを良くする工夫も参考になると思われた。

 事業は都市再生モデル調査として、高岡市の豊富な歴史・文化遺産を活用し、中心市街地のにぎわいにつなげるため、国からの事業委託金を得て、高岡古城公園を拠点としたまちなかの回遊性創出実験を行なうとともに、古城公園の活用策などについて調査・検討し、新たな都市モデル像の構築を図ることを目的として、平成19年10月から平成20年3月末まで実施され、総事業費は615万円。
 回遊性創出の調査メニューは、実証実験と歩行者通行量調査とアンケート調査の3点からなり、回遊するモデルルートを2ルート作成し、モデルルート上の路面に9メートル間隔で誘導プレート、分岐点上の路面には案内表示プレートを貼り、散策マップによりモデルルートをわかりやすく紹介するとともに、ルート上に休憩スペースとしてオープンカフェを設置(実施期間中の催事に9日間)し、観光客や街を訪れた人々の意向調査(アンケート4ヶ所)と、通行量調査(8ヶ所・3日間)が実施された。
 期間限定の実験のために、地域への告知不足や、オープンカフェについても目標とする利用には至らなかったとの報告ではあったが、この実証実験を踏まえた再生プログラムにより、FMラジオ局の開局や、富山大学の学生の出展するスペースなども含めて、平成18年度に46件あった空き店舗が20年度には29件まで減らし、今なお空き店舗となっている商店の見栄えを良くするために、シャッターの前にきれいにデザインされたノレンをかけるなど、シャッター通りのイメージを払拭するためのアイデアは津島市にも参考となる施策と思われた。

 次に高岡市町並み保存・都市景観形成に関する条例については、伝統的な町並みを保存するとともに、緑と水に恵まれた美しい自然や風土がつくる景観や、歴史と文化がつくる景観を、魅力ある市街地と特徴のある産業の場及び交流の拠点がつくる景観などを調和させ、高岡らしい景観をまもり、そだて、つくりだす事を目標としており、平成21年10月から施行された。
 基本理念として々皺市の美しい景観資源を保全し、及び後世に継承していくこと、県西部の中核都市として、魅力ある景観を創り出していくこと、H?靴し粉僂砲茲辰董∋毀韻慮悗蠅醗γ紊魄蕕爐海函↓ぬノ呂△觀粉僂鼎りをとおして、まちを活性化することの4点を挙げ、市の責務と市民の責務、事業者の責務、専門家の責務を条例に盛り込んである。
 高岡市の景観計画は、高岡市と旧福岡町が合併した平成17年を契機に始まっており、景観計画地域を高岡市全域としているものの、景観形成重点地区を設定し、重点地区と全体との格差を是正するために重点景観隣接地区を設けて全体のバランスを保っている。

 今回の視察で両市とも課題となっているのは中心市街地の空洞化で、高齢化と後継者難でシャッター通りとなっている商店街の再生が大きなテーマとなっており、美しい自然や、歴史・文化を財産として街の再生と都市計画が図られている事や、市民との協働がテーマとなっている点でも津島市とも共通した課題として参考にしたい。

 両市に共通して言える事は、町の中心がJRの鉄道駅となっており、白山市は駅前整備に余裕のある道路幅と駐車スペースが取られ、観光資源となる施設や図書館なども駅に近く、高岡市も駅舎こそ老朽化しているものの、駅前に集客力のある複合施設が建ち、駅周辺に1000台を超える駐車場が整備されている事から、路面電車・万葉線を地域住民の足とした街づくりに希望が見出せると思われる。両市とも電柱の地中化が進んでおり、町並みがすっきりとしている事も印象に残る視察となった。

加害者と被害者の両親の心痛に

 埼玉県でも34才の女性のまわりで複数の男性が不審死に至っており、鳥取県でも35才の女性によると思われる男性不審死が連続しており、島根県では女子大生が連れ去られ、殺害されバラバラに切断されて捨てられる猟奇事件が起きている。

 そして今夜は千葉県市川市でイギリス人女性を殺害して2年前の3月から逃亡を続けていた、市橋達也容疑者が大阪のフェリー乗り場で身柄を確保され、大阪から千葉県まで取材のマスコミ陣も一緒になった大移動がテレビから生々しく放映されてきました。

 2年以上にわたる逃走生活だったが、顔の整形を繰り返して逃げ延びたものの、最後は整形手術に訪れた医療機関の通報と、その際に残した整形後の顔写真が決め手となり、大阪で土木作業員として働いていた職場からの通報など捜査網が狭まっていった。

 不謹慎な話となりますが、私は過去2年間の逃亡生活と同時に、これだけ大々的に顔写真が公開された社会の中を、市橋容疑者はどうやって逃げようとするのか、自分ならどのようにして逃げる方法があるのかと真剣に考え、犯罪の時効撤廃も叫ばれる中で、逃亡することの難しさを実感させられていました。

 一方で、被害者のイギリス人女性の父親のインタビューがリアルタイムで報じられた事と、身柄が確保されて移送される際に容疑者のご両親もテレビカメラの前に立ち、取材するインタビューに対して逃げる事無く応じていた姿が印象に残りました。

 自分の事として考えた場合に、子供の犯した犯罪でも公職にある事から辞任となる事は当然と思うが、市橋容疑者のご両親のように家内と2人でカメラの前でインタビューに応ずる事ができるとは思えず、「子供とは言え、もう立派な大人だから…」と逃げて隠れ続ける可能性が高い。

 さて、あれだけ大々的に顔写真が公開された中を、市橋容疑者はフェリーによって沖縄に渡ろうと考えていたようだが、都市部の移動や公共交通機関を使った逃亡は確実に防犯カメラによって捕らえられる事が実証された。

 毎日のように繰り返され、内容がエスカレートする一方の殺戮事件に、時効制度の撤廃や刑の厳格化も有効とは思われるが、動物でも同種の命を意図的に奪わない事から、幼少時からの道徳教育の抜本的改革など、犯罪の抑止を真剣に訴えたい。
                                   11月10日の一言

犬知恵(?)に翻弄された早朝の散歩

 本日は月に一度の新聞休刊日のため、私の会報「津島の風」の早朝配布もお休みとしました。「新聞屋を辞めたのに何故?」と問われた事もありましたが、新聞休刊日の会報配布は新聞が届いたと勘違いされる事や、新聞休刊日に何故配達人がと誤解を与えるために休む事と決めています。

 もっとも、新聞が配達された後のポストには会報を入れるスペースがなく、新聞休刊日の会報は配布がしやすいために、かつては喜んで配布に走ったものですが、早朝のバイクの音がありながらポストに新聞が存在しない事は新聞の入れ忘れと勘違いされる可能性と、私自身が不審人物と勘違いされては困る事から現在は配布を休んでいます。

 さて、人間はこんな事も考えるわけですが、我家の愛犬「もも」に至っては、人の行動を観察しているのか、最近は私が3時に起きてくる事を身体で覚えているのか、起きてこない私に催促の声をあげ、あまりのしつこさに4時頃から散歩に付き合う事となりました。

 さて、さて、犬によって起されてしまったためパソコンの前に座っていると、6時頃には起きてくる次男にも犬が声をあげたため、事務所の横を次男が犬に引っ張られて散歩に出て行きました。問題はこの後で、次に起きてきた家内にも犬は散歩をせがんでいたのでした。

 さすがにこんな作戦は見破られたものの、犬によって我家は3人も散歩に引っ張り出されたばかりか、早朝に散歩に連れて行った私が家内に叱られ、「まさか、カリカリもやってはいないでしょうね」と、私がドッグフードも与えた疑惑の声を聞かされるはめになりました。

 しかし、考えて見ると、我家の愛犬「もも(雑種メス)」は、私が寝食を共にする犬が飼いたいと貰ってきた「先代もも(13年3月3日生まれ)」が、平成13年7月の私の留守中に家を飛び出して車に撥ねられ死んだ事から、翌年に生まれた妹にあたり、過保護のため自分を人と勘違いしていると思われるくらいで、家族での会話にも無視されると悲鳴をあげてくるのです。

 犬と家族のキャッチボールに驚いていると、事務所に飼われているコイについても、十数年前に川で私に釣られた悲しい立場ですが、年月の経過によって私への恨みをすっかり忘れたかのように、私の姿を見つけるとエサをせがんで私を見ながら泳ぎ続けます。

 コイにも私と家内の違いは判るのか、私と家内とでは態度が違う事から、家内から「可哀想だから逃がしてあげなさい」の言葉を何度も聞かされましたが、あまりの人懐っこさに川に逃がすと釣り人に釣り上げられるのは必死で、私の大切なパートナーになっています。コイは勿論ですが、愛犬も7才になっている事からそろそろ健康管理も一緒に考える必要も実感してここに記しています。
                                  11月9日の一言

束の間の上高地へ

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 本日は朝6時半に津島市を出発し、途中の板蔵ラーメンに立ち寄り、上高地に到着したのが午前10時(途中二ヶ所で休憩)。緑ナンバーの営業車だけに、マイカー規制は関係なく、そのまま釜トンネルを通過して、大正池で休憩後に上高地バスターミナル駐車場に横付けです。

 五千尺ホテルで特製ケーキと飲み物で休憩後に、恩師ら2人を河童橋に残し、6人は明神池まで足を延ばしましたが、体力は確実に落ちているものの、地理に詳しい事から、かつての遥か遠かった目的地があっと言う間に到着です。

 私は明神池にある穂高神社奥の宮社務所で販売されている写真家「中沢義直」氏のカレンダーを毎年購入しており、今年も閉山間際となりましたが目的を達して、暫し明神池で休憩後に河童橋まで戻り、これも私のお気に入りとなっているホテル白樺荘の小梨で昼食です。

 この白樺荘は写真家の中沢氏と縁があり、小梨では「上高地」の写真展が開催中でしたが、同じテーマで来年1月に写真展を開催する予定になっているものの、こんな立派な写真展を見てしまうと、氏のカレンダーを展示した方が良い位に思われるが、私の上高地の10年として割り切りたい。

写真上は大正池、中・明神池、下・河童橋

 さて、上高地は自家用車に対してマイカー規制が行なわれており、上高地に入るには観光バスかマイクロバスで訪れるか、高山市からは平湯温泉、松本側からは沢渡から路線バスかタクシーに乗り換えないと釜トンネルを通行できませんが、今年からは私個人がタクシー車輌を所有していることから直接入れるため、例年よりは1時間の時間短縮となりました。

 もっとも、この1時間の余裕は、私が旧知の仲となっている旧丹生川村の養魚場(釣り堀)琴水苑に立ち寄った事から、炭に着火して岩魚の塩焼きや燻製を食していると、見上げる空は真っ暗となっており、星がくっきり輝く時間となっていました。

 かつての上高地と京都を中心とした旅行目的地が、四国遍路が加わった事で確実に訪問する機会が減りつつあるが、かつての旅先には「大鹿さん」と呼んでいただける知人が存在し、その知人達が私と旅先をつなげており、こんな縁も忘れる事無く持続していきたいと思う一日となりました。
                                 11月8日の一言

日帰りで明日は上高地へ

 明日は我家の2階で開かれている書道会、「神守丈友会」の親睦(恩師には慰安)旅行があり、この9月に我家の一員となった「タクシー車両」がボランティアで利用され、運転手が私であることから行き先は運転手の疲労に配慮して決められたものの、私自身は「上高地」と内心決めているのでもあります。(メンバーには当日の発表です)

 上高地は15日に釜トンネルの閉鎖が決まっており、本当に閉山間際の訪問となりますが、例年なら夏休みに訪れているものの、昨年からは忙しさのために閉山間際となっており、こんな時期にでも訪れるこだわりは私の机の真ん前にある写真家の「中沢義直さん」のカレンダーが必要なためでもあります。

 毎年使われたカレンダーはそのまま保存してありますが、このカレンダーを見れば「上高地」の魅力は説明も必要とせず、私はこの写真とともに一年の経過を実感する毎日で、来年の1月に開催予定の私の写真展のテーマを「上高地」と決めてあるものの、このカレンダーを見れば恥ずかしくて展示もできません。

 さて、本日ははるばる一宮市から訪れた知人に誘われて、写真展の会場となる珈琲屋に出向きましたが、知人の娘さんのピアノコンサートも5月に決まっており、そろそろカレンダーが必要となる時期を実感するとともに、しばしの余裕を感じていたものの、12月議会も迫っており、今月中に京都と四国に訪れる予定を立てている無謀さも感じさせられます。

 本日は朝の会報配達から、午後には家内の買い物や雑用に同行し、夕方から会報の増刷にとりかかりましたが、明日の出発は6時30分になっている事から、急いで防寒具の用意とカメラの準備も必要であるが、未だ仕事も残しており必死の準備がこれから始まります。
                                   11月7日の一言

2人の送迎で昼食抜きでは

 昨年から仕事に追われて日程に迫られていたが、今年に入って朝日旅行友の会の企画を全て休み、ボランティアもNPO法人に関する物のみとし、一市民として関わってきた防災ボランティアなどは市外行事のみの参加とした事から、議会報告の「津島の風」を発行して全戸配布する本来続けてきた活動が戻ってきました。

 ただし、「姿が見えなかったが」と、防災関係の職員や仲間から声がかかり、(市民の)自主防災についても欠席していても私の名前が呼び上げられているとの話に、「欠席扱いは堪らん」と顔を出せば元のモクアミとなり、今年は経済建設委員長の職責にある事から欠席が許されない行事も増えています。

 さて、ここで余裕を感じて手を広げると大変な事態となりかねず、今回発行した会報にNPO法人の「福祉有償運送」や「福祉タクシー」を紹介した事から、実際の利用者は少ないものの、電話での問い合わせや将来的な心配から「いざという時は」との口約束も増えている事から、早急に役員会を開く必要に迫られてきました。

 「福祉有償運送」については、私の住む津島市だけでなく、隣の愛西市も含めた運営協議会の審議を経て陸運局の認可が下りている事から、本来であれば愛西市についても紹介していく必要がありますが、専業で取り組めるボランティアは現在1名しかなく、私が補助役になっているものの議会行事が優先のために全く充てにはなりません。

 「今日は忙しくて昼飯も食べられなかった」とボランティアのW氏が戻ってきましたが、移送する人が病人のために2人の送迎(病院⇔自宅)だけでも午前中は精一杯の様子で、「有償」と言ってもそれで2千数百円(ガソリンは自分持ち)では、ボランティアを勧めるのも躊躇してしまいます。(朝は早く、診察が終わる時間が判りません)

 前記したように、津島市は鉄道やバスと巡回バスが全町内に(何とかですが…)走っていますが、隣の愛西市に至ってはバス路線は皆無で、農村地帯は病院に行くのも大変なようで、陸運局の認可が下りたら利用するために連絡が欲しいと複数の福祉施設から声がかかっています。

 もちろん、津島市の施設からも複数の声がかかっており、これは公共交通機関までの距離が遠い事と同時に、タクシーを利用する経済負担が難しい人々も多く、安いと宣伝はできないものの、施設の要望に応えると施設の丸抱えとなってしまう事と、多数のボランティアが必要となり、5台以上になると「運行管理者」など専業の事務担当者も必要となってきます。

 本来なら、もっと要望に応えられる対応を目指すべきですが、補助役となっている私の「おおしか福祉タクシー」に至っては、私の余裕を良い事に「上高地」や「四国」への同好の人々のボランティアとなりそうで、もっと営業活動に徹するべきですが…
                                  11月6日の一言

ヤンキ-スの松井選手がMVPに

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 アメリカ大リーグのワールドシリーズはヤンキ-スが9年ぶりに優勝し、先制ホームランなど1試合6打点をあげた松井秀喜選手が日本人として初となる最優秀選手(MVP)となり、渡米して7年目にして初のワールドチャンピオンに輝いた。

関係記事↓↓朝日新聞
http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200911050116.html
松井選手に関するブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/49666173.html

 今年は足のケガもあって守備に入れず、指名打者として4試合ぶりの先発出場となったが、代打となった試合でも一度しかないチャンスを確実に生かした成果が本日の結果となり、来期はヤンキ-スから解雇されて日本に帰る報道もあった事から松井ファンとしては溜飲を下げました。

 ヤンキ-スタジアムが日本の球場と間違えるほど球場全体からマツイコールが湧き上がり、インタビューで来期の進退を問われて「僕はニューヨークが好き」と答えた表情と、ヒィーローインタビューも日本語で淡々と答える姿に巨人時代と変わらぬ松井秀喜の魅力を見た。

 日本でも巨人と日本ハムが優勝を争ってシリーズが開催されているが、私は数年前よりアンチ巨人となっており、余所者を集めて試合をする巨人には魅力が感じられず、9回の奇跡的とも思える逆転で勝利を得たものの、大リーグの魅力には程遠い姑息なイメージしか湧いてこない。

 もっとも最近の国会審議を見ていると、政権与党となった民主党や鳩山首相は、野党時代や選挙前の公約や発言を翻して、説明すらしないばかりか亀井大臣については質問に罵声を浴びせており、自民党の麻生首相の正直さが懐かしく思われていただけに、松井選手のMVPは暗い話題を全て吹き飛ばす位の久々のニュースにも思えました。

 さて、今季で契約の切れる松井秀喜選手であるが、本人の希望するようにヤンキ-スとの再契約が続くように期待したいが、大リーグの大選手になっても、日本時代と変わらず黙々と自分の野球を続ける松井選手の姿に、日本人の多くが感動させられたのではないか。
                                 11月5日の一言

昔から朝は早かったんですが…

 突然の寒波で会報の配布を一日休んだが、本日の朝も風はないものの寒く、明日も寒そうな気配だが、こんな環境の中で23年間も新聞販売店を営んでいたのだから、起きる事と寒さも苦にはならない筈だが、それなりの防寒衣が用意されていない事から寒さが身に堪えます。

 さて、朝の会報配布も久々(1年ぶり)で、10年前の衣装で突然現れた配達人に新聞配達の人々も何処の新聞かと気になり覗き込みますが、元々は私が縄張りとしていた配達地域で、昔の衣装のまま時間が停まってしまったようにも感じます。

 10年前に議員に転出していないと今でも新聞配達を続けていたと思われますが、私の場合は経営者であった事から、休んだ人や突然の急病による配達の代理が多く、一度に3人が休んで代わりに配達した場合は必死で走りましたが、引退後にも突然の休みで配達する家が判らずハッとする夢も見ました。

 最近ではそんな夢を見る事は無くなり、私が雇用していた人々は全てが他の職業に転職していますが、あのまま私が販売店を続けていたら従業員の生活はどうなっていたのだろうか。何人かは今でも配達を続けていたのではないか。

 いつも寝過ごして配達に遅れる事から、何度も起こしに走った学生アルバイトの家に会報を届け、当時のようにこのまま起しに入ったらどうなるのかと庭先で考えてしまいますが、10年の歳月は家庭環境も大きく変えてしまっています。

 不思議なことに、ポストの位置は10年前とほとんど変わっていませんが、存在したはずの愛犬が空白になっている家には淋しさを覚えます。飼われている犬についても品種や血統は変わっても、飼い主の飼い方や応対が同じ事からか、人懐っこい共通にはびっくりです。

 そうやって考えると、我家の愛犬は人が訪問した場合に吠え続けますが、犬の居場所が土間と台所と決まっている事から、外からの進入に敏感になっていると思っていましたが、飼い主の我々が犬を第三者と接触させていない飼い方にも原因がありそうです。

 そこまで考えると、私の職業選択によって家内は突然新聞販売店を生業とし、4人の子供を育てて安定したのも束の間に、突然の議員転身に議員の妻となり、生活苦から働きに出るなど、私の身勝手に翻弄された挙句に、娘から孫の「お婆さん役」とされている事に責任も感じさせられます。

 もう時間です。朝3時に起きるためには限界です。10年前には面倒なため徹夜にした事もありましたが、私の身体は確実に10年の歳月を刻んでおり、一年前に消化できた会報配布に遅れが出ていますが、かつては走ってでも済ませてしまった気力も喪失しているようです。
                                11月4日の一言

寒波が休みを与えてくれて

 昨晩からの冷え込みは全国各地から初雪や降雪の知らせが届けられたが、愛知県西部においても冬の伊吹降しのような寒波が昨晩から襲来し、朝は3時に起きて会報を配布する予定であったが、用意した防寒具では不十分と思案していると、さすがに寒さが堪えたのか愛犬が悲鳴をあげはじめました。

 毛色は黒でも女性(雌)ゆえに、おしっこが我慢できない様子で、私を頼りにして悲鳴を上げる事から、早朝と言うよりも深夜の散歩となってしまい、このわずかな時間に身体が冷え切ってしまった事から、本日は会報配布を見送り手帳の日程表とにらめっこの朝となりました。

 「こんな事で休んでいては…」という気持ちと、「ムリをして風邪でもひいては…」の気持ちが共存したものの、こんな日程表をじっくり眺める時間は貴重で、今年になって封印していた朝日旅行友の会の企画が頭を巡りだし、一杯に詰まっている日程の中を、「自分の楽しみ」のためにも早速実施する気持ちとなりました。議員が人のために働くのは勿論の事ですが、自分の楽しみも見い出さないとやってはおれません。

 さて、1日のレースで上級クラスへの昇格を決めた息子は、高校時代の仲間と一緒に早朝より自転車の練習に出かけましたが、今日は高校に立ち寄って後輩たちと一緒に瀬戸方面まで走り、夕方まで帰ってきませんでした。わずか一年の事ですが実業団の選手として走った経験は格段に成長しており、その余裕が仲間や後輩との練習にも生かされているようです。

 自転車レースも寒波の襲来とともに終わり、来春までは大きな大会もなさそうですが、本分は学生ですので進級のためにも頑張って欲しいものです。こんな余裕を持ってパソコンの前に座っておられるのも本日のみで、明日からは会報配布と市役所や学校、愛知県へとめまぐるしいスケジュールが続き、12月議会から年末と毎年の事ですが「師走」となるものの、本日早朝の休憩が確実に肥しとなる一日となりました。
                                 11月3日の一言

公約違反の新規国債44兆円までに

 自民党が衆議院で圧倒的多数を占めていた時に、「国民の信を問うべきだ」と衆議院の解散を再三迫っていた民主党だが、本日の衆議院予算委員会で鳩山首相は「マニフェストは4年間の業績を見て判断いただきたい」と、今後4年間は解散・総選挙を行なわないと答弁した。

 私は民主党が政権をとってから、国民だましのような公約破りを次々と犯している事から、このブログでも数回批判じみた記載を続けているが、発足直後の公約破りを任期いっぱいの4年後まで先送りする手法は、自民党より確実にひどい。

 そもそも国民の痛みを伴う改革を訴えた自民党小泉改革に対して、「増税なき財政再建」を公約としていた民主党が、発足直後にマニフェスト実現のため増税は必然とした事と、このままでは現実に私の家計に税金の増税となる現実から改めて公約違反を訴えていきたい。

 一方で、本日の予算委員会で新規国債44兆円という巨額の借金を増やす事が公然と答弁されており、国民をバカにしたような亀井発言などを聞かされると、元自民党の金権体質や密室政治を引きずる小沢氏の「案山子内閣」として鳩山首相の顔が悪魔に思えてくる。

 本日の新聞報道では鳩山首相の7200万円の株売却益の税務申告漏れが発覚し、以前から問題となっている政治資金団体の2億円近い偽装献金など、資産家とはいえ麻生前首相に置き換えたらマスコミは今回のような報道のままでは済まされない問題となっていただろう。

 議員に転出直後の話となりますが、愛知県では自民党の重鎮である寺西県議に、自民党志向の高かった井桁県議の前で、「反自民」と宣言した私ですが、今回の政権交代によって公約どおりであればあるはずも無い我家への増税が迫りつつある事から、民主党の公約違反が4年先まで先送りされる事には無力感すら覚えている。

 政権が発足し国会論戦がスタートしたが、無力の私はかつて「反自民」と叫んだ自民党の厳しい批判と質問に期待する立場に置かれており、無党派が大多数を占める国民が、こんな政党によって生活を左右させられる現実が腹立たしくも思える一日が突然の寒波とともにやってきました。
                                  11月2日の一言

三男の初めての土産に

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 本日は朝から防災訓練が開催されていたが、私は名古屋市の叔母の十三回忌法要に出向くために、当番日であった横井庄一記念館もボランティアの送迎のみとなり、休みっぱなしのため記念館前に置く宣伝板を持参しました。

 法要から帰る頃には雨が激しく降っており、記念館に到着した時には閉館時間になっていたが、会館前に持参した宣伝板を見て訪問した来客があったとの事で、記念館の休みが続いているものの、少しは貢献できたとホッとした次第でした。

 さて、添付したビールは昨日から長野県の駒ヶ根方面で開催された自転車レースに出向いていた三男が私の土産に持ち帰った地ビールで、息子から貰ったはじめてのビールだった事から写真に収めましたが、仮眠後には栓が開けられた空瓶となっており、どうやら次男に飲まれてしまったようです。

 ただし、今回のレースで三男は1位となっており、来期を待たず上のクラスへの昇格が決まったとの話で、一緒に出かけたものの1日目に帰らず、一泊して1人で楽しんできた家内も三男の朗報に救われて、私に非難される事なく試合経過を語っていました。

 今日から11月に入りましたが、昨日中にひとつの仕事を済ませたため、しばらくはすっきりとした日々が送れそうです。
                                  11月1日の一言

 

 
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