大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2009年12月

平成21年最後の一言を

 年越しそばを食べて、さて、そろそろ八坂神社に向かい、オケラ火を手にして除夜の鐘を撞いて、建勲神社に初詣をしてから帰るのが例年の決め事としてきましたが、今年はおとなしく我家に冬眠の大晦日となります。

 昨年は事務所の大掃除もしないままに元旦を迎えた事から、家内に言われて嫌々事務所に出ていると、私の姿を見かけた知人の訪問が続き、結局は掃除は出来ぬままでしたが、カレンダーだけは新年の装いを整えました。

 今年はホームヘルパーの資格や、タクシー事業認可やボランティアの福祉有償運送事業のために多くの講習や試験を受けましたが、組織的な骨組みができてスタートはしたものの、目標とする仕事には至ってはおらず、議員の立場では中途半端な関わりよりできず、ボランティアの補充もままならずにNPO法人も金欠のまま年越しとなります。

 10月に実施したバリアフリー検証会は、津島秋祭り当日に実施したものの、参加者不足と予定したスケジュールをこなす事ができず、翌年に報告会と講演会を先送りとし、1月には「人にやさしい街づくり地域セミナー」と同時開催となり、予算も余分に必要となりました。

 一方で、朝日旅行友の会の企画は不発に終わったものの、個人的には四国別格20霊場会の公認先達の推薦を受け、9月には7回目の結願となり、春と夏の高野山結縁灌頂とともに授戒も受け、四国の人々との関係も遍路から、議員としても「街づくり」を課題として関われもできました。

 平成21年最後の一言となりますが、明日からは22年の一言が始まります。思いつきやグチの多いブログでしたが、訪問していただいた皆さんに感謝するとともに、御礼を申し上げて21年最後の一言とします。有難うございました。
                            平成21年12月31日
 

犬よりも劣る人間の行為に

 明日1日で平成21年も最後となりますが、餅つきで朝から忙しい中を娘と家内が電話でやり合っており、最近は午後に愛犬のリマちゃんと娘の家を訪れ、昨日は娘と孫と愛犬2匹を我家に連れ帰っていた事から、娘に加担した事から昼食もバツが悪く食べられません。

 最近は犬とともに娘のアパートを訪ねるのが日課(本日で4日目)となっているため、家内とのイザコザで午後の楽しみが減っては堪ったものではなく、家に帰っていた妹を送るついでに立ち寄り、本日も犬とともにドライブです。

 訪問される娘の愛犬はストレスを溜めているかもしれませんが、我家(3ヵ月の預かりですが)のリマちゃんは、私の助手席を自分の指定席と思ってか安心して眠っており、フランスに帰ったという飼い主と離れた淋しさも忘れているのかもしれません。

 預かってきた長男の話では、「何もシツケもされていないバカ犬」と言われていましたが、私のシツケで菓子の「お預け」が我慢できるようになり、所構わずフンやオシッコをしていましたが、最近では家の中で我慢ができるようになりました。犬の学習能力はバカにできません。

 この犬も2月には元々の飼い主のもとに帰っていってしまうわけですが、その時点で飼い主より好かれていれば別れが辛く、私を振り向かずに飼い主との再会を喜べば淋しいものがあり、どちらにしても私は飼い主の顔も住所も知らないので、長男が連れ帰る時は悲しい事は必至です。

 「人間の相性ってやつは、なれるものはなれ、なれないものはどうやってもなれません」と鶴田浩二さんが語っていましたが、今までの人生で出会った犬には無い第一印象と相性に、「何とかならないものか」と思案しますが、さて、どうなるのでしょうか…

 悲しいと言えば、年末のアルバイトに精をだしていた三男ですが、夜になって近所のコンビニに出かけたところ、雨のために差していった傘が、帰る時には無くなっており、探したものの見つからず、僅かな買い物の間に盗まれて雨に濡れて帰ってきました。

 たかが傘くらいと思った持ち去りかもしれませんが、盗まれた三男が雨に濡れて帰る姿を考えたら、微罪とはいえ許す事のできない非情な行為であり、こんなことが日常茶万事のように起こっている社会との関わりすら嫌な気分にさせられます。

 最近は私の助手席を指定席としている愛犬リマちゃんが、私が仕事や打ち合わせで待たされている時には、まん丸の眼で運転席から私を見つめ続けていますが、人を人として信用できない裏返しによって、最近のペットブームとなっているのかも知れないと思う夜となりました。
                                 12月30日の一言
 

仕事は残っているものの…

 御用納めと聞くと、正月の休み明けまで総ての仕事がストップしてしまうようですが、私のように年内に済ますべき仕事を終わらせていないままに年末を迎えると、やるべき仕事にも手をつける意欲もないままに正月を迎える事となります。

 年末に済ませられない仕事は正月明け早々の仕事となり、1月に予定されている行事は正月気分に浸っていると弾丸のように迫ってくる事は確実で、一年ぶりの正月も半分は仕事気分を引きずったままに過ごしてしまいそうな予感です。

 「お父さん、迎えに来てくれない」と、娘の電話を受けて車を走らせましたが、私の助手席には預かった愛犬リマちゃんがおり、娘と孫と、愛犬テツ君を乗せて帰りましたが、家に到着したものの孫は眠ったままで、娘は犬の散歩にでかけたためにエンジンも止められません。

 やっとのことで犬と孫を降ろしたものの、我家には留守番の愛犬ももちゃんもおり、娘だけでなく孫と犬2匹の登場に大変な事態となり、一匹に声をかけると他の犬が叫び、一匹を可愛がると隣で悲鳴をあげる繰返しに、孫は二の次にされて夕食は済んだものの、3匹の犬の公平な扱いに家中が大忙しの夜となりました。
 
 さて、明日からは家内が正月休みとなる事から、朝から餅つきが予定されており、三男は年末までアルバイトに出かけてしまう事から、力仕事は私の役割と当然のように考えられていますが、議会最終日に痛めた右足も完治したとは思えず、何とか普通に歩けるようになっている事から、痛みを理解してもらえるか疑問の餅つきとなりそうです。

 「年末年始はどうするのか?」と問うと、「今年はゆっくりとテレビでも見ていたい」と、毎年続けてきた京都行きも難しい家族の雰囲気と、昨年に引き続き年末の大掃除も済ませられない現状から、今年は家の中に冬眠となる正月休みとなりそうな気配濃厚です。明日からの巻き返しは可能か…
                                12月29日の一言

淋しさを払拭してくれた初孫と愛犬たち

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 本日は行政にとっては御用納めで、ボランティアの仕事も午後1時過ぎには終わったことから、いつもなら知人と連絡を取り合って珈琲屋行きとなりますが、私を待つ愛犬リマちゃんが家で待っている事から、孫と犬の同居する娘の家に走りました。

 犬を連れては2回目の訪問となりますが、我家(と言っても3ヶ月の預かりですが)の愛犬「リマちゃん」も慣れたように、当り前に家に上がっていき、今日は2匹で張り合う事無く遊んでいます。

 添付した上の写真は、いかにも仲が良さそうに思えるリマちゃん(左・雄1才ポメラリアン)と、娘の愛犬テツ君(右・雄7才チワワ)のツーショットですが、実際は菓子を貰うときだけの仲良しで、未だに主導権争いに明け暮れ、疲れると2匹ともコタツで並んで眠ります。

 さて、前回同様に犬の写真に必死でしたが、私にとっては初孫となる赤ちゃんも隣で寝そべっており、こちらも何枚も写真を撮っている中で、テレビに投稿したいような見事な笑える写真が撮れた事から、リマちゃんと入れ替わって私の携帯電話の待ち受け画面となりましたが、これは公開できません。

 唯一公開してもよいと娘公認の孫の写真が撮れましたので、下に添付しました。8月に生まれた初孫ですが、やっと寝返りができるようになり、オモチャにも興味を示すようになった事から、偶然にも公開できる写真の誕生となりました。

 昨日の一言で悲しみと淋しさに溢れる一言を記しましたが、こんな新たな楽しみで気分を変えて行く事もできると思う一日となりました。

 本日は、仕事は御用納めとなりましたが、NPO法人「ひとまち生活ネット津島」の会計担当者と、財政状況の確認と事業打ち合わせを夜に行いましたが、私の建て替えた支払い分は当分戻ってこないばかりか、新たな会員獲得や財源確保を考えないと存続も厳しい現実の指摘にびっくりです。

 赤字は覚悟して、報酬は一切受け取らない覚悟での活動でしたが、集まった会費や予算は会計が持っていると安心していましたが、ボランティア団体にも法人税を課税する愛知県に支払う税金にも事欠き、分納をお願いするとともに、余裕のない現実を先週の役員会で役員にも説明できなかった会計担当者の心情を知らされる夜となりました。
                               12月28日の一言

仲間のボランティア引退に接して

 本日は今年最後となる「横井庄一記念館」の当番日となり、ボランティアのTさんとともに9時半には記念館に到着しました。

 そして本年最後の開館日であるとともに、ボランティアのTさんにとっては高齢(昭和4年生まれ)による記念館の案内を今年限りで引退するために、本日を最後にこの記念館に来ることはなく、来年から私は一人で記念館に通う事になるのです。

 Tさんが高齢を理由に引退となるのですが、館長(横井夫人)は昭和2年生れで、Tさんより年長である事を考えると、来年の記念館はどうなっていくのでしょうか。

 記念館は平成18年6月に開館しましたが、開館当時は近所のボランティアの人も存在し、入館者も多かったことから、昼食も満足にとれない忙しさであったものが、最近では一日に10人程度の入館者のために、雑談で時間の経過を待つ日も多く、来年からは雑談の相手もなくなるとなると、私の当番日は長く辛い一日となりそうです。

 さて、今年は知人の訃報も多く、一緒に四国遍路や上高地へ同行した人々も鬼籍に入っていかれましたが、横井記念館を定期的に訪れておられた人も、高齢が理由で姿を見なくなった人が多く、3ヶ月の約束で預かっている愛犬「リマ」ちゃんも2ヵ月後には飼い主のもとに戻っていく事を考えると、来年は悲しい予感しか思い浮かびません。

 一日にして非常に淋しい話題となってしまいましたが、誰もが迎える高齢はさけることができず、記念館の主であった横井庄一さんが亡くなって13年目を迎えており、いずれは関係者もなくなるのは自然なことで、こんな悲しみや淋しさを乗り越えていくパワーが今の私には考えられません。
                                12月27日の一言

鳩山内閣の様子を見る猶予は過ぎました

 本日添付したアドレスは、私がお気に入り(ファン)登録している豊田昭一郎さんのブログ「今日のエッセー」を並べ、鳩山内閣誕生前から現在までを批判的ではあるものの、私も同感と思う内容が多いため紹介したいと思います。

口から出まかせ鳩山氏が居直り! 12月25日
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/49931820.html
偽装献金が発覚したから、修正申告で済まされるはずが無い。12月10日
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/49852253.html
政権を担う能力を問われ始めた鳩山氏!12月7日
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/49839288.html
嘘つきの鳩山首相は辞任すべき!11月30日
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/49800800.html
民主党がまたまた公約違反!11月26日
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/49775601.html#49775601

※豊田昭一郎さんの鳩山首相(タイトルのみ)全記事・21年5月19日~
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/folder/1576307.html?m=lc&sv=%C8%B7%BB%B3&sk=0

 私は無党派無所属の地方議員ですが、民主党の公約や鳩山首相の公約違反に批判的な一言を記すと、あたかも私が自民党側の議員のような書き込みや、書き込まれるコメント数も多く、返信に充てる時間も限りがあるため、最近は民主党や鳩山批判は記しておりません。

※私が記した民主党や鳩山首相の含まれる一言一覧
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%CC%B1%BC%E7%C5%DE&sk=1

 ただし、過去の一言を検索してもらえば判りますが、民主党政権発足以前には自民党中川財務大臣や鳩山総務相をはじめ、地方議員として国政に対する批判的記載も続けており、そういった過去の記載を知らずに記されるコメントにうんざりしていたのも事実です。

 誰もが好き嫌いはあるものの、私の周りでは民主党や鳩山首相に対する厳しい記載が多く、これは一部の国民の意見ではないと思われる事から、あわせてここに添付した次第です。
※昭一郎さんのブログ以外はすべて勝手に引用したものです。お許しください。

総理大臣を騙してでも自分の意見を押し付ける小沢一郎の狂気
http://blogs.yahoo.co.jp/ilike_happyending_2/60123092.html
小沢、鳩山が拉致問題を潰しにかかっています!!
http://blogs.yahoo.co.jp/ilike_happyending_2/60113205.html
政治資金にしちゃぁ巨額だよねー
http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/22861114.html
いまからでも止めるべき 天皇の特例会見
http://blogs.yahoo.co.jp/ryuuzei/59264455.html
※勝手な引用をお許しください。

 ここに記すまでもなく、国民の総意については新聞社やテレビ局が実施する世論調査やアンケートによって数字となって現れますが、私も天皇陛下と中国首脳との会見のルール破りに対する小沢発言には嫌悪感を感じていますが、あえて自説から会見の正当性を説いたブログもあり、私にとっては感情にまかせた勝手な思い込みではなく、双方の意見を対比する必要性も実感しました。

天皇陛下の恩を仇で返した国 ―小沢バッシングは筋違いだ!
http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/34977594.html
首相配下の分際で辞職せずに楯つく宮内庁長官を即刻罷免せ
http://blogs.yahoo.co.jp/table09302008sound/23219343.html
※勝手な引用をお許しください。

天皇家や皇室に関する報道一覧
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/imperial_family/?1260878254

 まもなく鳩山内閣が発足して4ヶ月が経過する事から、しばらく様子を見るとか、前政権の自民党に被けたような弁解は許されず、来年4月からは地方自治体の財政運営に関わる重要問題も存在する事から、私も「反権力」の立場から心情を記していこうと思っています。
                              12月26日の一言
追伸
本日は写真展へ愛犬を伴って鑑賞に出かけました。明日は今年最後の横井庄一記念館の一日です。

本日も仕事に犬が同伴です

 本日は仕事の相棒に、3ヶ月の約束で預かっている愛犬「リマ」ちゃん(雄・ポメラリアン)を連れまわし、市役所を後にする午後3時には車の助手席の留守番にストレスを溜め、布いてあった新聞がビリビリに噛み切られていた事から、犬に理解のある娘に連絡して名古屋まで出向く事としました。

 「えっ、今から来るの?」
 「リマちゃんを連れて行くから…」
 「リマちゃんって?」
 「犬のリマちゃん」

 娘は犬を預かった事は知っているものの、名前も知らず、私が「犬々病」にかかって、片時も犬のリマちゃんと離れられなくなっているとは知らず、私が犬を車の助手席に乗せている事は予想もできず、犬のために訪問する私にびっくりです。

 娘の家にも7才の愛犬「テツ」くん(雄・チワワ)がおり、犬も一緒に入居できるアパートに住んでいる事から、犬を連れてはコーヒー屋にも入れず、散歩するにも足を負傷している事から、娘の家を目標としましたが、玄関には娘とテツが出迎えてくれました。

 我家では散歩から帰っても足も洗いませんが、娘の家では足を拭かないとあげてもらえず、万が一の粗相(オシッコ)を心配して、犬用のオムツとパンパースをつけられ、リードからも開放されて部屋中を二匹の犬が走り回りますが、リマは遊び馴れていない事から大騒動です。

 さて、娘の家には8月に生まれた長男(私の初孫)が寝かされていますが、しばらくは放置されたままに犬が主役となって運動会となり、赤ちゃんの上で2匹が張り合ったり、頭上を飛び越えていく始末で、孫の世話を頼まれた私は、満足に抱く事もできないうえに足を負傷している事から大変です。

 娘も2匹の姿をカメラに収め、人形やオモチャを与えて世話をしていましたが、2匹とも疲れて眠ってしまった事から、やっと娘が私に茶菓子を出してくれましたが、我家の(3ヶ月の預かりですが)リマは食べる事が命ですので、菓子の音からまたまた大騒動となりました。

 しっかりと時間が経過し真っ暗となり、帰りの車中で「ホッと一息」と缶コーヒーのフタを開けて運転席横の缶入れに置くと、私が飲んでもいないうちにリマが舐めています。怒ろうにも何も理解しない子犬ですから、「エーイ」と口にしての帰宅となりましたが、帰宅後も犬の食事が待っており、犬優先の一日が本日も深夜まで続きました。
                               12月25日の一言
追伸
「リマちゃんが起きちゃうから、あっちには行かないでね」と家内から言われましたが、その犬が寝ているのは私の事務所の机の前だけに、完全に我家の主役となってしまっています。

夜も刻々と時間が経過していきます

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 本日は今夜開かれたNPO法人「ひとまち生活ネット津島」の役員会の後で、メンバーとともに夕食を兼ねて私の馴染みの店に出向きました。

 店は大治町にある「正ちゃんラーメン」で、ここの店主が津島市で屋台の店を出していた30年ほど前からの付き合いとなり、最近は店が遠い事と、夜の外食はほとんどしない事から顔を出せませんが、かつての屋台に頻繁に訪れていた縁から、今でも時々訪れています。

 店主の野杁さんも、今でこそ息子さんの出した店の手伝いで一宮市の自宅から通っていますが、かつては津島市の交差点で雨の日も休むことなく屋台のラーメン店を営業し、目標とする売上に達するまでは朝まで帰らない根性で頑張り、市内の障がい者施設や老人ホームに無償のボランティアでラーメンを差し入れし、何度も新聞に紹介された名物ラーメン店主でもあります。

 今年は還暦を迎えた事から、休みなしの根性店主は卒業し、夜も11時には閉店となりますが、景気の悪さが影響したのか夜には客足も淋しく感じます。添付したオジサンのようにビール瓶片手に景気の良いお客さんも訪れ、店主との雑談ができるのもこの店の魅力です。

 さて、年末が迫りますが、今年中に終わらせるべき仕事が山積し、年末年始は市役所も休みとなる事から、明日と来週は駆け込みの仕事となりますが、右足の負傷は行動範囲を狭め、愛知県庁に出向く仕事は年越しとなりそうです。

 前記したNPO法人の活動についても、1月には愛知県のセミナー事業を受託している事から、正月返上での準備が必要で、28日の御用納めの夜にも改めて打ち合わせとなりましたが、組織的連携と役割分担を徹底して、私が不在でも活動が滞ることのない団体への変身も急務です。
                                12月24日の一言

私のこだわる不買運動を話題に

 議会が終わって一息の一日としたかったものの、右足の不調によって自由に出かけられない事から、家内が町内行事から帰った午後になって、次男の運転によって家族揃って買い物に出かける事となりました。

 3日前に記した、我家から1時間もかかるスーパーで、「近くに何処にでもあるじゃないか」と言う家族に、近くのショッピングセンターとは違う事を証明するためでしたが、安さだけを考えれば新聞の折込広告を見て近くの店舗に走った方が得策です。

 私の地元にも愛知県の西尾張地方を中心に31店舗を展開する大型スーパーの本社と3店舗があり、地元ゆえに人々の多くが利用しているものの、私は子供の教育上の問題から昭和から平成に元号が変わった頃から「不買運動」を宣言してきました。

 「何故に、そんなバカな事ばかり言うのか?」と子供達に問われ、今から20年ほど前の話となりましたが、小学校低学年の少女2人がこのスーパーで万引き事件を起した後の処理の仕方に納得ができず、それ以来は人々にも公言している事を話しました。

 このスーパーで「消しゴム」など数百円を万引きした小学生は、通報された警察から到着したパトカーに乗せられ警察署に連れていかれましたが、1人は連絡を受けた保護者が連れ帰ったものの、1人は保護者が働いている事から夜まで警察に留められ、警察が小学校に連絡した事から引き取りを巡って学校と保護者の揉め事に発展し、周りの生徒(親)にも知れわたった事から後日学校から相談された事がありました。

 小さな小学生でも微罪とはいえ罪は罪ですが、私は地元に本社まで置くスーパーゆえに、警察に通報する前に保護者に連絡すべきと考え、むしろ多くの子供や少年も多く買い物に出向く事から、青少年の反省を求める対策室を設置して再犯を防ぐ努力が重要と考えます。

 「そんなものはパトカーに連れて行かれて当然」と言い放った長男に、「そんなら、お前の〇〇の時も警察だったのか」と長男の子供時代の間違いを指摘すると、「お父さん、何もそんな事を…」と家内が止めましたが、子供の間違いや悪気のない罪は警察まで必要とはしていません。

 実は昨年に記した一言(下に添付)もこのスーパーが舞台となっており、大人の犯罪ゆえに許されるものではありませんが、弁護士が20万円を提示して(求められれば更に10万円上乗せする予定で)示談を申し込みに出向いた時、この店の副店長から「10円でも被害を受ければ告訴は取り下げない」と声高々に断られ、「話も聞かない非常識」な対応に弁護士がびっくりした事もありました。

まさかの事件発生に http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/35374681.html
魔がさした後処理は大変 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/35457437.html

 「罪を憎んで人を恨まず」の言葉もありますが、魔が差した事件でもその人は職を失い、長年の信用や家族までどん底の生活に落としいれます。
 ※事件は初犯で反省している事から裁判所が起訴猶予としましたが、弁護士費用は60万円必要となりました。

 さて、私が言いたいのは、かつては子供達の万引きなどについては、本人に直接注意して帰すか、親を呼んで諭して済ませていた事から、最近では何でも警察に通報して他人事としているが、子供の中には裁判に至っている例もある事から、地元の顧客の犯した犯罪だけに店としての社会的責任が希薄と思います。

 岐阜まで走る車中からそのスーパーの支店が見え、「私が引ったくりに遭ったのはあの辺り…」と家内が話した事から、「その時、スーパーは何かしてくれたのか」と話すと、事件後に携帯電話で警察に通報し、遠くの稲沢警察署まで出向いて何時間もかかって被害届けを出し、新聞にも報道されたものの、事件現場に再発防止の張り紙すら出されていない現実と、「この店には絶対に行かない」と家内が語った事から、「全店に行くな」と伝えました。

 罪を犯せば罰を受けるのは当然と思いますが、犯した人を警察に通報するだけではなく、罪を犯さない対策や、買い物客が被害に遭わない対策は当然の責務で、罪を犯した人も更生する可能性と、家族や親族が地元に顧客として存在している事の認識を持って欲しいものです。
                                12月23日の一言
追伸
右足は違和感は残るものの見事に回復しました。買い物の後で、明日発表のロトシックス(私が初めて買った2枚と次男の10枚)の当選をお千代保稲荷で祈ってきました。

突然の足痛に汗だらけの議会に

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 昨晩と言うよりも、本日(22日)午前1時頃ですが、トイレに行こうとあぐらをかいたまま立ち上がろうとすると、右足の関節内側に痛みが走り、足をつく事ができないために湿布をして眠りましたが、朝になっても足をのばすと痛みます。

 幸いにも曲げる事には痛みも感じず、車の運転には何も支障がないので、医療専門学校の柔術整復科に通う息子にテーピングを施してもらって出かける事になりましたが、玄関から車までが痛くて歩く事ができず、杖を探したものの四国の金剛杖(写真下)しか見当たらず、入り口にあった木の枝を持って市役所に出かけました。

 本日は市議会の最終日にあたり、委員長報告がある事から、私の自席から議長前の壇上に3往復する必要があり、私の控室から議場まで杖を使用する事を伝えて、自席から壇上までは自力で歩いて報告書を読み上げていましたが、議長より「大鹿議員は足の負傷により杖の使用を許可いたしました」と議場に伝えられてしまいました。

 杖と言っても、写真上の左側に移っているように、本当に家の木の枝を持っていっただけで、杖と言うよりも木の棒か枝でしかなく、壇上までは杖を使わず歯を食いしばって歩いていただけに、失笑をかった事が残念でなりません。隣に座る一番若いU議員から「行動派は引退です」と冗談で語られましたが、議会は勿論のことですが、人の移送に関わっているだけに身体のストレッチは重要です。

 さて、朝一番の登壇よりも2回目、そして午後の登壇には痛みがかなり増幅した事から、帰宅後に馴染みの接骨院に出向き、治療して湿布とテーピングの上に包帯を巻かれて(写真上)大げさに思いましたが、本日夜に開かれた書道会忘年会から帰宅する頃には杖なしでも痛みは感じなくなってきました。

 日頃の運動不足のままに長時間足を組んだまま座っていた事から、突然立ち上がった事で関節を痛めたようですが、身体全体が強張っている事から、明日も接骨院で身体をリフレッシュさせてから年末の仕事をこなしたいと思います。

 私は少年時代に右足の骨髄炎を患っているだけに、日頃から身体全体のストレッチや軽い運動を心掛けないと、体力に任せて徹夜や不摂生のままに仕事を繰り返してきた事から、生活習慣病対策だけではなく、身体全体のストレッチと確実な休養を必要としている事を実感する一日となりました。
                               12月22日の一言

知人の新聞記事の記録と全国に発信を

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 恒川一三さん(59)写真上=津島市 2009年03月20日 朝日新聞
「6時間耐久マラソン落語会」を主宰
「演じる人によって落語のおもしろさに違い」
 「尾張津島藤まつり」が、津島市宮川町の天王川公園で4月25日~5月6日に開かれる。まつりを盛り上げるさまざまなイベントも期間中に併せて実施されるが、その中の一つ、津島神社に近い舟戸町にある瑞泉寺の本堂では5月4日に、「6時間耐久マラソン落語会」(入場料千円)が今年も開かれる。
 落語会では、常滑市や半田市など県内各地や三重県や大阪府のアマチュア落語家約10人が午前10時から午後4時まで、1人で1~2話を休憩時間もなく演じ続ける。長時間なので観客は出入り自由だ。おやつや清涼飲料水を自前で持ち込む人もいる。今年で5回目を迎え、「ぶっ通しで演じるので聴衆も大変ですよ。販売する弁当を食べながらビールや酒を飲んで最後まで聴き入る人もいる」という。昨年は13人が演じ、延べ約400人の観客でにぎわった。
 「出囃子(で・ばや・し)」はこれまでCDで流していたが、今回からは太鼓と笛、三味線の生演奏で気分を盛り上げることにしている。「やっぱり、『生』はいいですよ。演じる方も聴衆も独特で軽快なお囃子に乗りますからね」と話す。問い合わせは、恒川さん(090・3256・0438)へ。

写真中・下は落語家「浪漫亭砂九」さん 
〇砂九さんから受け継がれる灯に↓↓4月12日の私の一言
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/39861992.html

 過去に報じられた朝日新聞の記事を探していたが、日時の経過によって削除されており、いつか紹介しようと考えていただけに残念と思い、今年の地域版を検索していたところ、添付した恒川さんの記事を見つけ、記録しておかないといずれは削除される事と全国への発信のためここに添付しました。

 私と恒川さんがいつ頃に知り合ったのかは定かではないが、私がかつて発行していた朝日新聞のミニコミ誌「ふるさとアサヒ」20号(平成2年12月発行)の人物紹介に登場しており、当時から風貌は変わらぬものの、立派はヒゲは当時は真っ黒だった事から歳はごまかせない(笑)

 当時の記事には印刷屋さんの二代目として紹介していますが、当時から「お祭り好きだし、何でもおもしろい事をやってみたい」と語り、「バカと思われてもいいじゃないか。何かとっぴょうしもない事をやってみたい」と取材時に語っていた。

 恒川さんのお祭り好きとレパートリーの広い交友関係が、最近では地元のケーブルテレビ局でも名物となるコーナーを持ち、真面目なゴミ環境問題から観光ボランティアやイベントにまで重要な人物となり、私もエールを送った事はないが、過去に記事にした人物だけに活躍を誇らしく思っています。

 添付した朝日新聞の記事も、彼と落語家「浪漫亭砂九」の出会いがあって発展したイベントだけに、更なる活躍を祈るとともに、もう還暦を超えておられることから健康で「名物爺さん」になるまでの長寿を願いたい。

 淋しい事は、ミニコミ誌に紹介した当時には、同世代で色々なジャンルで活躍する若者が多く存在していたが、最近では仕事や商売ぬきにイベントを企画する若者が出現していない事でもある。そんな私も当時は大金を投じてミニコミ誌を発行し、釣り大会やイベントを企画していたんですが…
                                12月21日の一言
追伸
明日は議会最終日です。老眼のため委員長報告の原稿が気になります(メガネをかければ済む事ですが、かけない事もこだわりです)
 

田舎ゆえに出店の発想とは

 本日は家族全員が数日前の寒波によって風邪ぎみの中を、次男とともに我家から1時間ほどかかる岐阜県瑞穂市にあるスーパーまで車を走らせました。目的は普段着のズボンとオーバーなどを購入するためでしたが、オーバーとズボン2本と防寒スパッツを購入し5千円で釣り銭がありました。

 議員にとっては仕事着となる背広も、格安の広告を出してはいるものの、中年のメタボリックな体系と、議員の立場を意識してか、薦められる背広は割高感を持って購入していましたが、背広を消耗品と考えられるような安価で購入できるのが目的地のプラント6です。

プラント6 瑞穂店 http://www.plant-co.jp/shop/shop15.html

 わずか3回目の買い物ですが、周りに家もない田舎の広大な駐車場は満杯で、交差点まで渋滞している様子は都会の大型ショッピングセンターと変わらず、広大な店舗内には食料品から生活用品に至るまで多くの低価格の商品が溢れています。

 本日はこの店舗についてインターネットで検索したところ、中心市街地はシャッター通りと化し、過疎化した農村部の高齢者が買い物に行く店舗もなくなっている地域にとっては、明るい希望とも朗報とも思えるメッセージが記されていました。ここに記すと同時に、私の頭も逆転の発想でリフレッシュし、新たな街づくりを考えてみたいと思います。

トップメッセージ 
 小売業は近年競争激化やオーバーストアー等と言われ、実際に日本の一流と言われた企業が整理・淘汰されているのが現状です。商業施設の立地それは都市部や郊外であることが今までの小売業の誰もが考えた“常識”の立地でありました。しかしながら視野をもっと大きく考えた場合に近代的な小売業が不足している為にそこに住む人々は遠くはなれた都市部や郊外に買物に出掛けて行かなければならない田舎と呼ばれる人口が少ない地域が数多く存在しています。しかしその様な地域でも国民消費統計によれば日常生活必需品の国民一人当りの年間消費額は50万円と推計されます。たとえば車で片道20~30分の3万人商圏では150億円の需要がその地域には埋もれているのです。この需要を効果的にすくい取れる唯一の業態こそが当社の開発したスーパーセンターなのです。すなわち一たび当社のスーパーセンターが出店することにより今まで生活に不便であったその地域は便利な町に一変し活性化するのです。この様に当社のスーパーセンターは生活上なくてはならないインフラでもあるのです。
                 株式会社PLANT代表取締役 三ッ田 勝規


 私の住む津島市でも、かつて街の隆盛に貢献した毛織物産業が衰退し、多くの工場が撤退や閉鎖により更地になったり、スーパーマーケットやホームセンターと化しているが、都市近郊で都市型を志向する商法ではなく、「田舎」を目的とした店舗は存在していない。

株式会社PLANT会社概要
■都心や郊外から離れた場所に生活のよりどころとなる店舗づくり
一般的に“ルーラル(いなか)”と呼ばれている地域にはこれまでスーパーがなく、日用品を買いに行くにも遠出が必要となり、大きな苦労を伴っていました。ならば「不便を強いられている人たちのために、あらゆる生活必需品を取りそろえた店舗を、人々が通いやすい場所に開店すれば喜んでもらえるのではないか。『スーパーセンター』ならば可能だ!」。そんな発想ではじまったのが当社のビジネス。“大規模な店舗で”“多彩な商品を”“いつも低価格で”ご提供する。それがスーパーセンターPLANTです。

■地域住民のためのコミュニティ施設としても欠かせない存在
スーパーセンターPLANTの役割は商品を売るだけではありません。お子様連れのお客様のためのキッズルーム、お茶菓子の無料サービスが好評な高齢者サロン、障がい者の方のお買い物をサポートする車イスや電動カートなどをご用意。お客様の立場から店舗のつくりを考えています。さらに、行政や金融・医療機関と協力して、年金相談、健康相談、労働相談なども開催されています。地域の暮らしをより向上するためのコミュニティ施設でもあるのです。


 もう手遅れかもしれませんが、こんな発想を持った企業の存在すら知らなかった反省と、企業の進出を他力本願のようにしていた反省から、都市近郊や田舎を利点とした発想を持ち、今後の街づくりを考えてみたいものでもある。
                               12月20日の一言

希望の旅立ちを遮った富士登山

 富士山に登山していた元F1レーサーの片山右京さん(46)と一緒に登山をしていた男性2人のテントが飛ばされ、2人の遺体を捜索中のヘリコプターが発見して回収した。

富士山で遭難・朝日新聞↓↓
http://www.asahi.com/national/update/1218/TKY200912180142.html

関連するブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/onagawakentarou/58459569.html
http://blogs.yahoo.co.jp/hakata2003/10643705.html
http://blogs.yahoo.co.jp/skdfhsodjfosjfihsa/5201106.html

 事件や事故が起こればマスコミは殺到し、しばらくはワイドショーの格好の話題とされるが、亡くなった宇佐美さんの履歴を見ると、片山右京さんの裏方というよりも、一人の登山家としても華々しい登山歴を残されている事と、写真家としても実績を残されているだけに志半ばの訃報に冥福を祈りたい。

亡くなった宇佐美さんのブログ⇒ http://xcr.at.webry.info/
写真家「宇佐美栄一」の事務所⇒ http://photo-step.com/aboutus.aspx
宇佐美さんのプロフィール⇒ http://profile.biglobe.ne.jp/id/xcr/index.do

 F1レーサーの片山右京さんとの出会いにより、山岳カメラマンからドライバーまで行動範囲を広げており、プロフィールの最後に、『片山右京チャレンジスクールの開校に向け準備中』とあるので、この事故に遭遇しなければ43才という年齢を考えると惜しい人材を失ったものでもある。

 事故の詳細が判らないが、二人三脚で活動した仲間の死亡を確認(確信)して下山しているだけに、片山右京さんの心痛を考えると取材にも配慮し、興味本位の取材と報道は遠慮してもらいたいものである。

 私も彼らのような固い友情に結ばれていた訳ではないが、仲間を亡くして言葉を失った経験があるが、この事故は片山右京さんの人生にも大きな影を落とす。事故の反省も重要だが、亡くなった2人の命を無にしない片山右京さんの再起に期待したい。
                                  12月19日の一言

臨死体験の記事を目にして

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誕生日のささやかなケーキでした。

 交通通事故に遭い内臓破裂で生死の堺をさまよっているとき臨死体験し、生きることの価値観が変わってしまいましたそれは痛くも痒くもない自分が冷静にふわふわと病院icu天井から白いベッドで寝ている自分を見下ろしているような感じでした。その日実家で17年飼っていた九官鳥が亡くなったのでした。

金沢尼僧の山寺日記↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/nisou5

 右大腿骨の骨髄炎。私が14才から19才まで苦しめられ、三度の手術と …(中略)… 最後は医学だけの力で治まったとは考えられず、『神がかり』完治としか言いようがない経験をした。…(中略)…
 病院の医師が三度も全身麻酔で大手術をしても治らなかった病気が、医師の指示に反する行為と、処方された薬を一切飲まないで、病魔は去っていったのである。
 『約束』とは何か。これについては語れない。語っても信じてはもらえないであろう。しかし、当時は『約束』をひたすら信じて、神がかり的に回復してしまったのである。


風化する病気が治ってしまった記憶↓↓(平成18年12月私の一言)
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/9074873.html

 前記した記事は、本日私のブログに訪問されたブログ主のホームページに記されていた一文ですが、私も三度目の手術の際に同じような体験をした事(下の添付)がありました。私も手術の時の様子を部屋の天井から見ていたのでした。全身麻酔で記憶もない手術が見えていたのでした。

 もっとも、麻酔をかけられる際に数を語らされますが、私の記憶は5か6までしかないものの、手術後の医師の話では50以上まで数えて声を出していたと聞き、麻酔による意識もうろうとする中で、耳に入ってきた物音から天井から見えていたと錯覚したものと思うようにしてきました。

 しかし、この臨死体験のような後で、私は医師から処方される薬も飲まず、禁止されていた体育もやり、電車とバスで通学していた高校まで自転車で通い(悪くなるまでに体力を回復させるため)、『?』との10の約束によって、何年も苦しんだ病には悩まされなくなりました。

 週刊誌やテレビでも時々臨死体験を扱ったものがあり、「川の対岸で、こっちには来るな」と言われたとか、私のような手術中の姿を見ていたなどが報じられてくるが、科学的に意識もうろうとした中での物音が映像として記憶されていたとしても、その後の自己流の療養生活は『?』との約束なくしてはあり得ませんでした。

 『?』については表現できませんが、人々の言う神仏ではなく、この時は完全に宇宙や天とつながっている事を意識していました。苦しい時の神頼みと言いますが、頼むだけでは一方通行のため、この手術時の体験から『?』に治してもらいました。この時の記憶が、添付した一言と同質と思い、久々に当時の苦しい闘病生活が思い起され、こんな体験を家内や子供達には話した事もない(親は解かっているかも知れません)ので、真面目に伝えておきたいとも思います。
                               12月18日の一言

本日も続・『犬々病?』の一日です

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 本日も『犬々病?』の一日です。
 今月11日に開催された経済建設委員会の会議録を昨日もらい、本会議最終日の委員長報告を「明日までには仕上げて欲しい」と言われ、まとめていましたが、犬を一人(一匹)置いていくのが可哀想な事から、長い原稿を電子メールで送る怠慢行為としてしまいました。

 もっとも、印字された原稿を持ってこられるよりも、メールで送信された文字データの方が、受け手の議会事務局も引用が簡単であるとは思います(私の勝手な言い分です)が、朝から犬と一緒の生活のため、背広に着替えて出かける必要がある事から、電話と電子メールで済ませてしまいました。

 昨日には車の助手席に乗せて出歩きましたが、市役所では約半日近くも車中に置いたままとした事から、本日は一日中一緒ではないものの、いつも目の届く場所に犬を連れ出し、仕事にも同伴のような関係で一日を経過させてしまいました。完全に病気です。

 さて、添付した写真は、私の手元のリードを引っ張り、散歩をねだる「リマちゃん」ですが、10日前に来て3ヶ月間だけ預かった犬とは思えない関係となってしまい、家内の携帯電話の待ち受け画面まで孫の写真を押しのけて使われる始末です。

 こんな気分に浸っておられるのも限界があり、年内に済ませる必要のある仕事が山積されており、自分の会報も発行する必要と、1月に実施予定の地域セミナーなど愛知県の主催事業も2つあり、中旬には自分の写真展(テーマは上高地)も開催予定のため心を鬼にしたいと思います。
                                 12月17日の一言
追伸
明日は私の誕生日となります。偶然にも祖母(母方)の命日でもあり、簡単な供養も行なわれます。

 

委員長報告 21年12月

おはようございます。
 経済建設委員会に付託されました案件は、議案第70号「津島市水洗便所設置資金貸付条例の廃止について」他3件と請願1件であります。
 本委員会は去る12月11日に開催し、審査を行いましたので、その質疑・応答の概要を申し上げます。

 初めに、議案第70号津島市水洗便所設置資金貸付条例の廃止について、現在の、貸付残はどれくらい残っているのかの質疑に対して、平成21年11月末現在において、2人分で531,500円との答弁がありました。

 この答弁に対し、この条例を廃止することによって、何の効果等があるか説明願いたいとの質疑があり、この条例による貸付制度では直接市がその貸付するための資金を自前で用意しなければならないが、これが民間の金融機関から供給されるということである。新たに流域関連公共下水道が供用開始されると、対象となる人が大幅に増えると予想され、例えば、20人で上限70万円とすると1,400万円の原資が必要となり、これが民間の資金でまかなうことが可能となり、津島市が用意するのは、利子補給分のみとなるとの答弁がありました。

 更にこの答弁に対して、1軒の貸付上限が70万円ということかとの質疑があり、当局からはそのような素案を考えているとの答弁がありました。

 次に採決結果を報告します。議案第70号津島市水洗便所設置資金貸付条例の廃止については、賛成者全員で、可決しました。

 次に、議案第72号「平成21年度津島市一般会計補正予算について」のうち、当経済建設委員会の所管に係る予算について、その質疑・応答の概要を報告します。

 初めに、歳入について、第14款第2項3目衛生費県補助金生活環境課の所管中、グリーンニューディール基金事業費の補助金は、具体的に何に使われるのか説明願いたいとの質疑に対して、具体的には、市役所電算室の既存の空調機2機を省エネタイプ空調機と入れ替え、その電源として太陽光発電の装置を1階の屋上、食堂の屋上へ設置をするとの答弁がありました。

 この答弁に対して、それに対する歳出は、どこに出ているのかとの質疑があり、生活環境課は、歳入だけで、総務文教委員会で財政課と総務課が歳出の説明をすることになっているとの答弁がありました。

 次に、歳出について、第7款第1項1目、商工観光課の所管中、商工総務費について、商工課の共済費は、何名分なのかとの質疑に対して、商工観光課の商工費については、8人分との答弁がありました。

 この答弁に対して、給料に比べて共済費が高く感じているから、何人分の共歳費が変更によって増額になったのか説明をしてもらえると理解ができるのだが、あまりにも数字が大きいから、共済費は給料のほかにどれほど出すのかなと言う感じが出てくるので、そういう説明を入れてもらうと解りやすいのではないかとの質疑があり、もう少し詳しい資料を提供するか、或いは、説明の際も、本当にわかるような説明をするということで、指導していきたいとの答弁がありました。

 次に、第8款第3項3目、都市計画課所管中、公園費について、公園の環境整備の件は、緊急雇用創出の補助金が来なくても津島市として実施したかったのか、実施したいけど予算がないから出来ないとか、そういう計画があったのかどうか。補助金を貰ったからやろうかという発想なのか、その辺はいかがとの質疑があり、公園遊具等が特に老朽化して、塗装が落ちてさびがきており、そういったところを日常的に点検いたしており、通常予算の中で少しずつ修繕をしているが、まとまってはなかなか出来なかった事から、今回こういった緊急雇用創出事業に合わせて行うものとの答弁がありました。

 次に採決の結果を報告します。議案第72号「平成21年度津島市一般会計補正予算について」のうち、当経済建設委員会の所管に係る予算については、賛成者全員で、可決しました。


 次に、議案第75号「平成21年度津島市流域関連公共下水道事業特別会計補正予算について」その質疑・応答の概要を報告します。

 初めに、第2款第1項1目、建設費中、委託料について2億4千9百万円もの減額について、入札でこんなにも差額が出るものか説明願いたいとの質疑に、9月補正で認められたた委託料で、入札したところ低額の入札結果となったとの答弁がありました。

 この答弁に対し、当初見込みの何パーセントで落札したのかとの質疑があり、当初の設計額と比べると落札率は、43.8パーセントとの答弁がありました。

 さらにこの答弁に対し、これは、業者が安いのか、設計したときの単価が高いのかどちらかとの質疑があり、落札した以外の業者については、ある程度のパーセントの率で、もう少し高い率との答弁がありました。

 次に関連して、これだけ単価の違うものを提案したのは、それ以外に何か大きく変わる原因は無かったのか質疑があり、それぞれ10社ずつで8件の入札を行い、たまたま落札した業者の落札率が、43.8パーセントということで、ほかの部分を見ると設計額に対して100パーセント、120パーセントというのが中には8社とか6社・3社とかいう入札もある。平均すると6・7割のところは、設計額に対して100パーセント前後の額で最初の札を入れており、金額的にはおかしい設計をしたのではないとの答弁がありました。

 この答弁に対して、それだけ違うということは、まともなものが出来るのかという心配が出てくるわけだが、その部分は十分吟味されているのかとの質疑があり、入札前に、設計の中身については入札に参加する業者に提示しており、どういった額で入札されても、その設計書に基づいた執行管理は当然のこととの答弁がありました。

 さらにこの答弁に対し、落札した会社は、過去に津島市の事業をやったことがあるのかとの質疑があり、あるとの答弁がありました。

 次に採決結果について報告します。議案第75号「平成21年度津島市流域関連公共下水道事業特別会計補正予算について」は、賛成者全員で、可決しました。

 次に、議案第79号「指定管理者の指定について」その質疑・応答の概要を報告します。

 初めに、津島市農業文化センターの利用状況について説明願いたいとの質疑があり、20年度1年間で629件の利用があり、70万4千340円の収入があったとの答弁がありました。

 この答弁に対し、この施設の設置目的は、主にどういうことを中心にしているのかとの質疑があり、コミュニティを形成するための施設との答弁がありました。

 さらにこの答弁に対して、指定管理者にして使いやすくなり、経費を安くできるようになったと解釈して良いのかと質疑があり、18年度の実績と比較すると使いやすい状況が出来上がっており、利用率が高くなっているとの答弁がありました。

 次に採決結果について報告します。議案第79号「指定管理者の指定について」は、賛成者全員で、可決しました。

 次に、当委員会に送付されました請願1件について、審査結果をご報告申し上げます。

 請願者は、名古屋市熱田区新尾頭橋1丁目12番3号、愛知県司法書士会、会長磯貝勇壽(ユウジ)外2団体で、請願趣旨は改正貸金業の完全施行の先延ばし、金利規制の貸金業者に対する規制の緩和は、再び自殺者や自己破産者、多重債務者の急増を招く事から、改正貸金業法を早期に完全施行し、相談体制の拡充、セーフティネット貸付の充実及びヤミ金融の撲滅を求めるよう求めた内容のものです。

 ただいま議題となりました請願第6号「改正貸金業法の早期完全施行を求める請願」は、12月11日開催の経済結節委員会において審査し、採決した結果、全員一致で採択すべきものと決しました。

 以上、ご報告申し上げます。

※この報告書は22日に議会で報告し、ここには24日まで公開していませんでした。

『犬々病?』の日々となりました

 10日前に来たばかりで、3ヶ月という期限付きで預かっている犬(雄・ポメラリアン)ですが、(外で良いとの話でしたが)外では可哀想なので私の事務所にドームベッドを置き、目覚めると顔を見に出向き、出かける時には散歩に出かけてから外出する始末です。

 帰宅すると散歩に連れ出し、夕刊を読む時にはソファーに座らせ、犬のために暖房を入れ、夜は内緒でコタツに入れてパソコンを打つ始末で、家内の座るコタツの向かえから顔を出しても、叱られるどころか「リマちゃん」と家族の人気者となってしまいました。

 本日も留守の事務所に置いていくのが可哀想で、車の助手席に乗せて外出してしまいました。これは完全に『犬々病?』にかかってしまいました。我家には生まれてから現在まで、一度として犬の居なかった時期はありませんし、現在も愛犬もも(雌・雑種)がいますが、こんな経験は初めてで、3ヶ月後の別れが今から心配です。

 本日から議会最終日までは休会中となっていますが、開催された委員会の報告書を求められ、「今週中」から「できれば明日中に」と言われると、明日の予定もキャンセルせざるを得ず、来週には祭日もある事から仕事は年越しとなりそうな危機を迎えます。

 さて、私がインターネット上でこの一言を記したのは平成16年2月13日からですが、18年11月からはこのヤフープログに移して記してきました。まもなく6年近く経過する事になりますが、ここに移動してからは記した記事を保存がしてありませんので、ヤフージャパン(ブログ)任せとなっています。

 いまさら記した文章に未練はありませんが、読み直す必要に迫られる事もある事から、毎日蓄積した過去の一言が気になるようになりました。携帯電話から送信した写真(ピンボケですが)はパソコン内には保存されておらず、ヤフージャパン頼りの危うさも感じる事があります。

 実際に無料のホームページを提供されていたサイトの閉鎖によって、朝日旅行友の会のホームページが消えてしまった経験があり、毎日の積み重ねで残してきたブログについても、そろそろ考える時期がきているのかもしれません。このまま無料が続けば幸いですか、無料ゆえにヤフー任せでもあり、一方的有料化や廃止も困る事から…
 さて、どうなる事やら
                                  12月16日の一言

店と勘違いして住宅に入っては

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 本日は午前9時から会派(と言っても2名ですが…)と市長との懇談会が開催され、来年度の市政運営や予算などについて、本音で意見交換を行いました。もっとも、この直後に市民病院に通院する患者さん(と言っても、私はこの人だけの担当ですが…)をボランティアで移送した時は昼が近づいていました。

 「大鹿さん、穴場のような珈琲屋を見つけました」
 「じゃー、行ってこようか」と、意気投合して目指したのは、私の行動範囲でありながら、見た事も名前を聞いた事もないお店で、同じ会派の若手U議員と共に目的地に着いたものの、駐車場もなく遠くに車を停めて訪問しましたが全くの間違いのようです。

 「ここじゃないようです。隣かなぁ?」と言われ、入ろうと思いましたが、こちらは完全なる住宅のようで、私が前記の店らしき扉を開け再度訪問して尋ねました。

 「ここは珈琲屋ではありませんね?」※全く違い、女性が事務的な仕事をしてみえます。
 「違います!」※ちょっと怒ってみえます
 「この辺りにこんな民家のような珈琲屋はありませんか?」
 「知りません!!」※表情に怒りが感じられます
 「オレンジ色の屋根の小さな店のようなんですが…」
 「…」「…」※これ以上質問すると怒鳴られそうです
 「ご存知ないようですね…、申し訳ありませんでした」

 考えて見れば、入り口に珈琲屋らしき看板どころか気配は何もなく、キャリアウーマンそのものの女性が事務をこなしておられ、一度ならずも店の名前も判らずに私が入って行った訳ですから、怒られるのは当然の事ですが、全く悪気もなく無知でなければできない行動でした。※我々が津島市議会議員と判ったら信用を下げた事は間違いのない笑い話のような顛末です。

 その後もU議員が一生懸命走るように探すので、私も工場や街角を歩く人々に聞くものの、店の名前も判らない問いかけでは判らず、周辺をウロウロ探しましたが見つからず、さすがは津島市議会一番の若手だけに執念で見つけてくれました。それが添付したピンボケ写真です。

 普通の住宅地に存在し、5人しか入れないお店ですが、珈琲マニアには注目のお店との話でしたが、カウンターに座り、美味しい珈琲だけでなく、こだわりの器や陶器について若いママさんと話に熱中させられましたが、「まさか」と思われるような場所にあり、車では通り過ぎてしまうお店です。

 初めてお邪魔したお店ですが、これこそ穴場のようなお店であり、女性には魅力一杯の手づくりの品々も展示されており、私のブログでは初めてとなる珈琲屋の紹介です。近くの方は是非とも一度尋ねて欲しいお店です。久々に新鮮な気持ちになれました。

zakka et petit cafe Sawa-Sawa 愛西市勝幡↓↓
http://park23.wakwak.com/~sawa-sawa/index.htm
                                  12月15日の一言

例年の事なんですが…

 本日は総務文教委員会が午前中に終わったので、かかりつけ医に走ったところ、10月に受けた津島市の健康診断の結果を聞いていなかった事から、医師からいきなり血液検査による特定健康審査の結果が刻々と語りはじめられました。

 「大鹿さん、昨年より体重は減っているものの、お腹のまわりが太くなっているから、内臓脂肪が増えているねぇー」
 「はー、そうですか」
 「それから、肝臓がちょっとね」
 「悪いんですか?」
 「うちの検査基準では許容範囲だけど、国の基準ではちょっと高いね」

 通知表を見ると肝機能検査のALT(GPT)が46/ULあり、基準値では30以下となっており、かかりつけ医の検査機関の基準では基準値がもっと甘いそうだが、私の肝機能検査では毎年高い事から、心配性の脳裏に肝臓ガンの心配がひらめきました。

 「肝臓ガンは大丈夫でしょうか?」
 「えっ、肝臓ガン?」
 「超音波なんかもできるんでしょう?」
 「できるけど、何故?」
 「最近、肝臓ガンで亡くなった人があるので…」

 どうやら肝臓ガンは飛躍しすぎではあったものの、数値の高さが気になった事と、かつてC型肝炎の検査をしたところ、B型肝炎の抗体が発見され、自然治癒していたものの一度はB型肝炎ウイルスに冒されていた事から、その後の変化を検査する事となりました。

 ただし、私は人以上に医者嫌いで、その一番の原因が注射にあり、超音波は痛くもないと聞いていたものの注射(採血)を受ける事となり、指のケガを治療中の人の隣に座って採血を受ける最悪の事態となりました。

 その他の異常は見当たらず、各種のガン検診も異常がなかった事から、肝機能ALT(GPT)の改善が今後の課題となりますが、LDLコレステロール(基準ギリギリ)も改善が必要です。

 『軽く汗をかく程度の運動は生活習慣病の予防及び改善につながります。まずは歩くことから始めてみましょう。夜食は内臓脂肪の蓄積につながります。夕食後の間食は控えましょう。お酒の適量は1日1合といわれています。適量を目安に飲酒量を減らしてみましょう』

 検査通知表のアドバイスに記されていた内容ですが、最近では酒をほとんど口にしていない事から、軽い運動と夜の間食がとりあえずの課題となりそうです。本日届いた喪中の手紙に56才の御主人をガンで亡くされたものがありました。「大鹿さんもガン年齢なんですよ」と言われた奥さんの言葉を思い出しました。
                                12月14日の一言

若者と話題が共有できる一日に

 本日はボランティアのTさんが豪華客船のクルージングを楽しんでおられる事から、私と館長(横井夫人)で横井庄一記念館の案内となりましたが、記念館や横井庄一さんの説明を終えたあとも雑談に花を咲かせたために、開館から閉館まで休憩のない一日となりました。

飛鳥のクルージング↓↓
http://www.asukacruise.co.jp/schedule/091211.html

 本日の訪問客は横井庄一さんが発見された昭和47年以降に生まれた若い人々の訪問が続き、余程の関心か興味を持った訪問で、神戸から訪れた昭和58年生まれの青年は、愛知県甚目寺町に住む友人を伴って青春18切符を利用しての訪問であった。

 2人は大阪の出身だけに、私とのながーい雑談の後で、京都から横井家に嫁いだ館長と、京都の話にも花を咲かせており、サバイバルの雑誌から記念館を知って訪問しただけに、見つかれば殺される事から夜間しか行動しない中で、安全な食料を調達して病気も自分で治して生き延びた生活に興味を示していた。

 最後の訪問者は一宮市から訪問してくれた昭和55年生まれの青年であったが、非日常的なテーマで小説を書いているそうで、食料も道具もない状態でグアム島のジャングルで生き延びた生命力に関心を示していたが、私の悪いクセで一宮市の地域を話題としてしまった事から、再度友人を伴って訪問すると言って帰っていかれました。

 本日はサバイバルの原始人生活の本と、東海珍名所九十九ヶ所巡りや、朝日新聞の蟹江販売店のミニコミ誌などを見て訪問された方が多く、親子づれや青年など私より若い人々ばかりだった事と、日頃ボランティアのTさんの説明が長いと思いながら、私の雑談で全員を引き止めてしまった反省の一日ともなりました。

東海珍名所九十九ヶ所巡り↓↓
http://www.chukei-news.co.jp/publication/others/040/

 明日からも総務文教委員会や市長と会派の懇談会などに続き、議会最終日までに委員会の委員長報告をまとめる必要があり、自身の一般質問の議会だよりの原稿をまとめると、師走も一週間を残すのみとなり、個人で発行している会報「津島の風」の印刷にかかると大晦日と元旦が迫ってきます。
                            12月13日の一言
追伸
今週には誕生日を迎え、5?才となってしまいます。

私とともに歳を重ねた愛機たち

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 今年もあとわずかとなりましたが、夏には整備が終わって車検を受ける予定だった愛車の自動二輪が、いまだに戻ってきません。車検が切れてもう十数年経過していますが、いつでも車検を受けられるために自動車税はそのまま払い続けてきました。

 昭和60年に登録した自動二輪ですから、来年で25歳になるわけですが、議員になったことから周りから危険を回避するため封印されており、そのためにキャブレターなど修理が必要になり、知人に修理を依頼したままで現在に至りました。もう私も若くはなく、このままでは車庫で朽ち果ててしまう事から、再度の整備により愛車での四国行きを決めました。

ホンダVF400F
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/35914883.html

 デジタルカメラ全盛の中にあってフイルムカメラは少数派となっていますが、昨年夏に久々となる高校野球を撮影した際に、使っているイオスが電池不足となり、予備のイオスキスで撮影はできましたが、こんな事から改めて電池がなくても手動で撮影できるキャノンAEー1プログラムを取り出し、フイルムを装填した次第です。

 こちらは前記した自動二輪より更に旧く、昭和56年に購入したカメラですから30年近い愛機となりますが、数年前にオーバーホールして新品と同じ状態になっており、故障しても部品不足から修理がきかないイオスと違って、機械式ですから生涯現役を貫けるはずと思います。

キャノンAEー1プログラム
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/35783230.html

 そうやって考えると、来年1月の車検で21歳となる愛車ライトエースはまだまだ若く、とことん修理のできる整備工場と整備士を見つけた事から、しばらくは現役が続けられそうですが、前記した二輪やカメラは不調でも人に迷惑をかけませんが、車は同乗者や道路渋滞を起す事から不調が続くと限界となりますが、当分は大丈夫と思われ四国遍路の貴重な足となります。

トヨタライトエース
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/36017088.html

 さて、何でも大切にするのは性分ですが、東京オリンピックの頃に建てられて我家だけはリフォームが急務となっており、これだけは息子達の協力なくしてはできない事から、来年は我家のリフォームを課題にしたいと考えますが…
                                 12月12日の一言
追伸
明日の一日は横井庄一記念館におります。

下水道事業の現地視察に参加して

 本日は前日の厚生病院委員会に引き続き、経済建設委員会が開催され、午前中の議案審議に続き、午後には愛知県が来年3月の完成を目指して建設を進めている日光川下流流域下水道の「日光川下流浄化センター」を現地視察しました。

 もっとも、現地視察といっても浄化センターの見学程度に思っていましたが、市役所から佐織ポンプ場、津島ポンプ場、弥富ポンプ場を経由して弥富市の浄化センターまで視察する3時間半の行程で、雨が降りしきる事からヘルメットを被る現場は車中見学となりました。

 議員としては了見が狭い反省となりますが、議員の中でも私だけが下水道の対象地域に入っている事から、来年3月に完成すると1孱苅娃葦(宅地の面積分)の工事費の受益者負担が発生し、下水道に接続するためには家庭内の大規模な配管工事が必要となるとともに、今後は下水道料金が上乗せされる事から、利用する市民の立場として行政の説明を批判的に見ていました。

 現実には各家庭には浄化槽が設置されており、現在建築中の住宅にも高額な合併浄化槽が備え付けられている事から、市民の立場としては現在でも下水にはきれいな水を流しているわけで、高額な負担金や工事費が必要となる下水道は迷惑と思っている市民も多い。

 実際には家庭から流される悪水により、川は汚染され、排出される河口から海に流される悪水が環境を汚染するだけでなく、漁業まで影響していることから、都市化された地域にとって下水道は必要不可欠な存在で、津島市の単独公共下水道への接続率20%、海部郡に至っては4%の下水普及率を考えれば建設は急務でもあります。

 さて、我々は先祖伝来の地にそのまま生活してきましたが、かつては井戸水で生活し、ゴミは堆肥化したり燃やす事で、現在のような公共料金の負担も必要がありませんでしたが、都市部で生活していくためには好むと好まざるにかかわらず、自給自足は不可能で働いて生活費を稼ぐ必要がでてきました。

 本日の現地視察を通して、議員として個人的な都合を優先して発言していたことを反省するとともに、地域が広域化して成り立っている現実を自覚する中で、下水道については浄化槽が使用不能となれば自然と利用する事から、行政の都合ではなく市民生活を優先する事も忘れない議員でありたい。
                             12月11日の一言

四国とつながったままの日々が

 9月に7回目となる四国遍路結願を香川県で迎え、10月には四国別格霊場会の先達研修会が高松市の香西寺で開催され夜行で走り、11月22日に善通寺管長の法話を聞きに高松市に出向き、宿泊を善通寺としました。

 さて、四国の情報には敏感になっているものの、最近では一緒に八十八ヶ所霊場会の公認先達となったIさんのブログ(下記)から四国の様子を見ていますが、関心を持っていると縁もできるから不思議なもので、先月末に霊場会から遍路の新しいポスターが届けられました。これで正月には新しいポスターを事務所前に掲示できます。

四国の霊場へ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fymkt160

 11月最後の日曜日は横井庄一記念館の当番日で、普段なら閉館まで淡々と時間が経過して自宅に戻りますが、この日は偶然にも香川県三豊市から2人の訪問があり、記念館の説明もそこそこに四国の話題で盛り上がりました。

 「善通寺の近くに噛めないほど硬いカタパンがある」との話から、私の住む津島市にも「弘法大師」ゆかりの硬い「あかだ」があるとの話をしましたが、翌日が議会開会日だった事で案内できないため、夜になっていましたが津島神社に案内し、名物の「くつわ」を大量に買っていただきました。

 毎月1日には四国霊場会から会報「へんろ」が届けられますが、今週初めに私のお気に入りブログとしているタムさんから、「私は79番札所の近くに住んでいます。また覗いてみてくださいね」と書き込みがあり、私はタムさんが四国との認識もありませんでしたが、場所を確認して「今度は是非立ち寄ります」から「は~い!お待ちしていますよ~!」となりました。

タムさんのひとりごと↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/mei141944

 その間にも前記した三豊市のMさんから電話が数回入り、昨日には三豊市の「高瀬の銘茶」が届けられ、仲間ともう一度訪問するとの記載があり、電話では「善通寺の街づくりについても案内しますよ」とのお話をいただいていました。

Mさんの所属する香川近代史研究会↓↓
http://www.niji.or.jp/home/akagaki/index0

 話が長くなりましたが、こんな顛末から昨日津島市観光交流センター(愛称まつりの館)を覗いて仕事の打ち合わせをしていたところ、偶然にも2ヶ月前に善通寺市議会から津島市と交流センターの視察に訪れていた事が判り、善通寺と津島神社と神仏の違いはあるものの、空洞化した商店街の復興は共通の課題と認識し、館長と近々に四国を視察する話に発展(全額自己負担ですが)しました。

 私が遍路ではなく街づくりの検証に行こうと考えていた善通寺市ですが、善通寺の議員団も津島市を視察に訪れていた偶然にびっくりし、私の遍路で訪れる個人的趣向ですが、関心を持っていると末広がりに交流が深まっていく事を実感するとともに、いつまでも若くはありませんからこんな機会と時間を大切にしたいと思ったしだいです。
                                12月10日の一言

一般質問が終了して

 津島市議会では本日で2日間の一般質問が終わりました。質問に立った議員は10人で、普段の議会より少なく、体調不調で2人の欠席があった事から、本日は20人の議会運営となり、10年前に25人だった議席と比較すると寂しさも隠せません。

 さて、私自身の勉強不足についても反省すべき事はありますが、平成11年から1年に4回の議会で毎回質問し、必ず3件以上の質問内容をノルマにしてきた事から、質問した内容については過去の自分への答弁くらいは記憶しており、他人の質問に対する答弁そのものが判っている事も多くあります。

 質問内容のレベルについては別として、毎議会に必ず質問する事は必ず議員活動の中で知識や知恵として蓄積されており、これは自分より新しい議員を見渡して見ても、質問をしていない議員と質問を続ける議員の格差は非常に大きいものがあります。

 若い議員が議会の一般質問のために3ヶ月かかって一生懸命に新しい質問の勉強と調査を繰返している姿を見ると、過去の蓄積した質問と知識を元に過去の資産を小出しにするような質問には限界もあり、私自身がボランティア活動に時間を割かれる時間を勉強に廻す必要も実感させられてもいます。

 特に今回の議会については、先月中に事務所に届けられた13通の手紙と電話に加え、出先で市民の人々から直接訴えられた要望の代弁に徹した事から、私自身の気迫が不足している質問もあったように感じ、代弁だけの質疑としてしまった反省も大きい。

 ただし、市民の方から届けられた手紙をそのまま議場の壇上で読み上げた事で、テレビの議会中継を視聴していた手紙の差出人から、議会終了直後に電話をいただいた事は、それなりの効果があったとも思います。

 一方で、最近では毎日の時間不足から、このブログは連日記してあるものの、私のホームページ本体が更新されていない事と、ホームページに政治内容が希薄になっているとの市民の方からの指摘も無視できない問題と実感させられています。

 つい数日まで、9月議会の報告を兼ねた会報「津島の風」を配布していましたが、まもなく12月議会の議会報告を発行する必要から、会報配布が連続する事となり、これは肉体的にも悲鳴をあげるようになりましたが、メタボ解消と思い続けていきます。
                                12月8日の一言

体調不良は本人しか判らない

 先週の一日に議会の一般質問通告書を提出した翌日から、病院へ付き添いに出かける叔父に同行し、意識のないままの叔母の病室で夕方を迎え、3日はそれまでの昏睡状態がウソと思えるような回復から会話もできたものが、翌朝には静かに亡くなって昨日の葬儀に至りました。

 本日から一般質問が始まりましたが、昨日までの慌ただしい毎日とは全く違う静かな世界を実感して議席に座っています。本日は7名の議員が登壇し、明日は3人のうち2番目が私の登壇時間となっていますが、昨日までの慌ただしさから2日目であった事は幸いでした。

 さて、議事進行をすすめる議長も体調がすぐれず、開会日の30日も途中で議事を副議長と交代し、本日も午前中の議事進行は務めたものの、午後は体調不良にて病院に走る事となったが、不調の原因が判らないままに日時が経過している事から、私は高度医療施設に診断を仰ぐべきと話しました。

 議員が病気になったり入院すると面白可笑しく話す市民の存在もあるが、議会日程や公的行事を意識していると治るはずの病気が重症化したり、病気によっては手遅れとなった事例も知るだけに、人目を気にせずに検査を受けて欲しいと願う。

 議長を務める加藤忠篤さんは、私が小学校時代の「珠算教室」の先生で、当時は学生あがりで小学生の女子に「ただあつー」と呼ばれるような話しやすい性格のままに議員となり、議長になっても権威の象徴とは程遠い人柄だけに、今回の体調不調は気がかりに思います。

 私も年齢を重ねた事と、不摂生と運動不足の肥満体質でかかりつけ医のお世話になっていますが、私の長男も今年の春に交通事故に遭遇した事から、首や腰の不調が回復せず、仕事も続けられず医者(私のかかりつけ医)からも「何処も悪いところは無い」と言われ、保険会社からも相手にされなくなっていたが、津島市民病院の若い先生によって徹底的に検査をしたところ、原因となる悪い箇所が見つかったと本日聞かされました。

 交通事故の被害者になっても、治療が長引くと医療費目当てのように思われ、保険会社に相手にされなくなり、通院や痛みから仕事も辞める事となり、医師も原因が判らずマッサージ程度となり、痛みを訴えても信じてもらえなくなり、親の私も長男のわがままと思っていました。

 半年以上経過しても痛みが引かず、保険会社と示談は済んでいないものの、今回の検査や治療費も自己負担となっており、若い医師のお蔭で原因と治療の方法は判ったようだが、明らかに事故の後遺症ではあることから、行政書士に依頼して保険会社と再交渉となりました。

 身体の不調は本人しか判らず、明らかに相手による一方的な被害者であっても、外見から相手や医師からも見放され、我々家族も「ナマカワ病」と批判していただけに、こんな息子のために原因を突き止めた若い医師に感謝するとともに、長引くと言われたようだが完全復調を目指して我々を安心させて欲しい。
                                 12月7日の一言

沈んだ気持ちを払拭した子犬

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 犬だワン!

 本日は叔母の葬儀のため、帰宅したのは午後6時を廻っていましたが、帰宅した我家には飼い主が3ヶ月ほど預かって欲しいと長男が預かってきた犬(ポメラリアン・雄の子犬)リマちゃんが屋外で寒さに震えており、急いで家の中に抱えられてきました。

 ところが我家には見た目は黒く逞しいものの、人間より過保護に育てられて極めて気が小さい愛犬「もも」(写真下)がおり、他所の犬を抱えた家内を見て、ひがんでうずくまって背中を向けてしまう事から、私が付きっきりで相手をしますが、どうしても人懐っこく小さいリマちゃんが珍しく、家族が相手をする事から大変な事態となりました。

 「もも」の朝食はドックフードですが、夜は味噌汁かけご飯で、リマちゃんはドックフードだけとの事で、お互いの晩ご飯が違う事から、お互いの食事が気になって張り合いますが、身体の大きい「もも」が威嚇するとリマちゃんは後ずさりします。

 こんな関係も犬の本能でまもなく立場が逆転しており、居候であるはずの小さいリマが吠えて、我家の一員である「もも」が、居場所を追われて台所から土間の入り口に避難しています。

 ただし、怖がりで小心者の「もも」は脅威を感じると必死で逆襲し、飼い主の私でも脅かしたりイタズラをすると噛まれて痛い思いをする事から、安全な距離を確保するとともに、両者(両犬)の仲を取り持つのに必死の夜となりました。

 さて、葬儀から家族中が沈んだ気持ちで帰宅しましたが、新たな家族の登場で慌ただしく夜が経過していきます。(現在11時20分)

 明日からは議会の一般質問ですが、今週は質問を通告したままで、叔母の見舞いや仮通夜、通夜、葬儀と議会がある事も忘れたような一週間でしたが、今回の質問は市民の方々より私に届けられた手紙の代弁としており、頭をリフレッシュして臨みたいと考えています。
                                12月6日の一言

12月議会大鹿一八の一般質問

1件目 津島市の道路行政について
 要旨1 日光川にかかる橋周辺の冬季凍結防止策について
    2 歩道や生活道路の危険箇所の検証と対策について

2件目 公共施設の駐車スペースについて
 要旨1 市民病院及び市役所の駐車スペースについて

3件目 市役所の喫煙場所について
 要旨1 喫煙場所のあり方について

本日は悲しみの中にも温かいものが

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 本日は叔母の通夜が津島市の愛昇殿で開かれました。叔父は難病の手術を受け大きな声が出にくいために喪主を長女に頼んだものの、多くの知人に駆けつけていただいた事に感動し、通夜の御礼に自らマイクを持って挨拶に立ちました。

 独り残された叔父は、「これで独りぼっちになってしまった」と呟いていたが、叔母は姉をはじめ、兄弟が健在で残されているものの、叔父は兄弟がすべて亡くなっており、私にとっても父親の兄弟や先祖は叔父が唯一残された存在のために今後の生活が心配です。

 叔父や私の父親は幼くして母親を交通事故で亡くしており、叔父は幼少時にお寺に貰われていくなど人に言えないような苦労をしており、この当時の苦しかった経験は子供にも語られておらず、叔父や父親には戦死した兄が存在しているが、2人いる娘達にも兄の存在すら語られておらず、今回の叔母の葬儀のために葬儀場に家族環境を問われて初めて兄の存在が判った様子でもあった。

 この事は、かつて我家で大鹿庄一として生活していた「横井庄一」さんも同じで、苦しかった幼少期の記憶は自分の胸に収め、夫人にも語っていなかった様子で、在所の跡取である私には当時の苦しかった思い出を語っているものの、夫人や知人には絶対に話さなかったのでもあった。

 もっとも私が大正から昭和初期の我家の苦難の歴史を知ったのは、平成5年に父親が死の宣告を受けたことから、父親から色々と聞き出し、親が亡くなってからは横井庄一さんや叔父から記憶する当時の家庭環境をできるだけ聞き出して記録しておいたもので、父親や叔父の幼少期の悲しみは語ると涙が出てくるような内容ですが、肉親としては絶対に忘れてはいけない事ばかりです。

 「お父さんは、何でもかずやが、一八がばかりだから…」と叔父の長女が語っていましたが、これは私が在所の大鹿家の長男だからと言う事ばかりではなく、苦しかった叔父たちの幼少期の記憶を聞きとめ、先祖を守っているからだと確信します。

 さて、そんなにあてにされているにも関わらず、私は母親や家内を早くから通夜の会場に走らせた事から、訪問する必要のあった知人宅に「顔を出すだけだから…」と言って寄り道しましたが、共通する知人の話などお話に夢中になってしまい、3時間近くもお邪魔してしまいました。

 これも私の悪いクセで、再訪問すれば良かったものを、応対されたご夫婦にも辛い思いをさせ、手作りとは思えないお土産(添付したケーキ)までいただいてきました。この事は通夜の受付を依頼した知人達には秘密ですが、通夜から帰宅後に家族で美味しくいただきました。

ケーキについては下記のブログをご覧下さい。↓↓
http://blog.goo.ne.jp/sugiura57/e/2529d7303a67c7bfa0df107919521cd1
ありがとうございました。

 明日は叔母とは最後の別れとなる葬儀ですが、あの世には私の父親も曾祖母も、横井庄一さんも叔母も叔父もと、多くの肉親や知人や仲間たちも渡っており、別れは悲しいものの、あの世がつながっていると思えば残された者が助け合って後悔のない交友に務めたいと思っています。
                                 12月5日の一言

昨日の笑顔と元気さは何だったのか

 昨日の一言に市民病院の緩和ケア病棟の「お茶会」の様子と、叔母の看病を知り合いの看護師さんにお願いした顛末を記しましたが、昨日の様子がウソのような悲しい結末を迎える事となりました。

 「おい、容態が急変したので急いで病院に連れてってくれー」
 「はい、じゃーすぐに行くので」と、叔父から電話を受けたのが午前7時12分。慌てて車のエンジンをかけて上着を羽織っていると、「父は私が乗せていくから」と叔父の娘から電話で、「じゃー、頼むよ」と電話を切りました。

 叔母は今週初めには昏睡状態となり意識もなくなっており、家族とともに医師から「今週いっぱいが山」と聞かされていたが、戻る事のないと思っていた意識が昨日は完全によみがえり、個室から緩和ケア病棟に移された1日目が「お茶会」にあたり、お茶どころか菓子も口にして、カラオケのマイクも握っていたのである。

 ありえないほどの復調に18日のクリスマス会どころか、年内は大丈夫かとさえ思っていたものが、翌日の朝にはひっそりと息をひきとったのである。眠ったまま意識のない時に見舞った私の母親に話しても信じてもらえない昨日の回復は何だったのか。

 トイレも娘の介助とはいえ立って歩き、車イスではあったが「お茶会」の会場に行き、病院の周りの風景を案内してもらい、私なんかの世話まで心配していたのである。
 病棟を移って1日目で、私の知り合いの看護師さんは昨日が休みで、早めに出勤して病室を覗いてくれた時には既に亡くなっていたのである。

 ただし、この訃報が判ったのは昼になってからで、私はそれまで連絡がない事から小康状態を保っているものと思い込んでおり、昼になって叔父から「なんだ、知らなんだのか」とびっくりの展開で、親族への連絡をすませて葬儀場に走り、叔父の着替えに付き添い、仮通夜のあとに明日からの段取りを終えて帰ると時計は11時を示していた。

 さて、叔父は我家の生れで、本籍地は80才になった現在も我家に残されていると本日知った次第だが、住まいは愛西市(旧佐織町)にあり、40年以上前から津島市民ではないが、葬儀会場が津島市に建っている事から、選挙管理委員会に問い合わせると、私は叔父の本家の長男で跡取でありながら、私が議員である事によって葬儀場に私の名前で花やお供えを出してはいけないという事である。

 父親の葬儀にも叔父から花やお供えをいただいており、本家の長男の私はお返しの意味でも花やお供えは当然の責任とも思われるが、公職選挙法ではこのような行為を厳しく禁止しており、一般市民の常識である儀礼も果たせないのである。

 もっとも、私の名前でなければ良いので、私は「越津町大鹿家」として親族と同じように体裁を整えたが、選挙目的でもなく、売名行為でもないのに、親族のお付き合いもできない法律には矛盾があり、親戚付き合いばかりか、お寺や近所の当り前の付き合いができない現実を久々に実感させられました。
                              12月4日の一言
追伸
葬儀のある12月6日は私の結婚記念日にあたり、私の誕生日である18日は祖母(母親の母)の命日に当たります。年齢を重ねるとこんな偶然も増えていきます。

本日も病室の中から

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 本日は叔母の付き添いに出かける叔父の運転手役で津島市民病院まで走り、叔母の体調が少し回復したと聞いたので病室まで一緒に出向いたところ、叔母から昼食の心配まで受け、そのままレストランで食事をすませて帰る予定であったが、本日緩和ケア病棟で開催された「お茶会」を勧められ、固辞したものの叔母の希望でお茶とおやつまでよばれてきました。

 この「お茶会」の会場でピアノを演奏するボランティアの女性を見つけ、ピンボケの携帯電話ですが撮影して添付した次第です。厳しい状況にある患者や家族にとっては、涙がでるようなボランティア精神であり、こんなピンボケではピアニストには申し訳ありませんが勝手に添付してしまいました。

 「何かリクエストはありませんか?」と問われたものの、鶴田浩二さんの唄しか聞かない音楽音痴ではリクエストもできず、「海ゆかば」なんて曲しか思い浮かばず、「どんな歌い出しでした?」と問われ、「海ゆーかば、みいずーくかばねー、山ーゆーかーばー、」なんて音痴な声で伝えます。

 「この曲は海軍の死者を水葬する時の歌なんですね…」と、病院には似つかわしくない曲と思いましたが、「今度までに覚えてきますねッ」と言われて、ピアノらしい曲が思い出せない自己反省と同時に、リクエストに応えようとするボランティア精神に脱帽です。

 今度は18日のクリスマス会に演奏されるとの話ですが、叔母が元気でこの場に臨めることを祈るばかりです。こんな時に男性は情けなく、医師の構えるカメラに叔父は叔母の手をさすって涙で嗚咽をこらえるのに必死で、隣のイスに座る私も必死で笑顔をつくります。

 幸いにして私の知人(書道と朝日旅行友の会)の看護師さんがこの病棟に勤務している事が判り、本日は休みとなっていたものの、電話で叔母の看護をお願いしましたが、こんな時に知り合いの存在は心強く、日頃は疎かにしている人間関係の重要性も実感させられました。

 さて、私は来週には議会の一般質問を控えており、本日も愛知県に提出するNPO法人の報告書を知人のボランティアに依頼しましたが、こんな寄り道もボランティア活動にとっては全員参加の機会となれば幸いですが、辛い日々がしばらく続きます。
                                12月3日の一言

鶴田浩二 デュエット曲

美空ひばり、鶴田浩二   "頬寄せて"
http://www.youtube.com/watch?v=fqDjO_hk4Wg

鶴田浩二/三沢あけみ 想われ人は想い人
http://www.youtube.com/watch?v=5rXn8MwkrX4

夢の花かげ/鶴田浩二・美空ひばり
http://www.youtube.com/watch?v=YdGBQkShSsw

彌太郎旅唄 鶴田浩二 榎本美佐江
http://www.youtube.com/watch?v=8MbvH_Okrqk
http://www.youtube.com/watch?v=KHe0WYlF-oY&feature=related

酒は涙か溜息か 鶴田浩二・美空ひばり
http://www.youtube.com/watch?v=UJXRAAAxVLo

悲しい酒/他    鶴田・ひばり共演
http://www.youtube.com/watch?v=OfO5xXdfcdw

鶴田浩二さんの本当の唄声を

 今年は高野山へ3回訪れていますが、高野山奥の院の入り口となる一の橋の左に「ああ同期の桜」の慰霊碑があり、その後ろに「鶴田浩二」さんのお墓があります。私はこのお墓の存在を知ってから、高野山に行った時は必ず訪れています。

 もっとも、最近では一緒に訪れている仲間を一の橋前の土産物店に案内して、1人で慰霊碑とお墓に参拝していますが、四国遍路と高野山行きに鶴田浩二さんの唄は欠かす事のできない存在でもあります。
 理由は運転手である私の眠気防止で、眠気が襲う前にテープを入れ、眠気が最高潮になる頃には「歌手生活30周年記念コンサート」に入れ替えます。

 「歌手生活30周年記念コンサート」のテープは、昭和57年9月15日に大阪フェスティバルホールで録音されたもので、舞台の上で立ったままマイクを持って休まず歌う「鶴田浩二」さんを想像して、このテープが終わるまでは頑張ろうと運転しているのです。

 さて、日曜日に高野山を訪れた際に、私の車に鶴田浩二さんのテープがある事(鶴田さんのテープしかありません)を知らない初めて参加された人の口から、「鶴田浩二」さんの名前が出され、物真似のコロッケが歌う「鶴田浩二」さんはそっくりだったとの話で盛り上がりました。

 「鶴田浩二なら、大鹿さんが詳しいよ」と、四国遍路の同行仲間が発した事から、テープを入れたところ「一四四のブルース」が流れましたが、コロッケの歌を聞いてきた人にはピンとこないらしく、「これは若い時の曲だね?」と問われました。

 次に鶴田さんにとっては最後に発売された「望郷歌」が流れたところ、「私たち(68才)の知っている鶴田浩二より、もっと古い頃の曲だから声が若いね」との会話が交わされました。

 「一四四のブルース」は昭和60年の発売で、「望郷歌」は晩年となった昭和62年の作品ですから、鶴田さんの60才(享年62才)前後の歌声のはずですが、コロッケの歌を聞いてきた人は昭和20年代の鶴田浩二さんの歌声と錯覚して聞いていたのでした。

 私からこれらが晩年の歌声と聞かされ、「コロッケの声は似ていました?」と問うと、「だいぶ違う」との返事がありましたが、ほとんどの人が「鶴田浩二」さんの歌声を記憶しておらず、左耳に左手を当てて似かよった声を出せばそっくりとなり、私の全く似ていない歌声ですら「そっくり」と言われる始末ですから、似ていない物真似のコロッケの歌も聞いてみたいと思った次第です。

 もっとも物真似でもコロッケはプロ中のプロですから、「そっくりだった」と言われるほど似ていたのでしょうが、この舞台に鶴田さんの三女である「鶴田さやか」さんが出演していたと聞き、「鶴田真由」と勘違いして語られていた事に淋しさを覚えるとともに、偉大な父親に近寄れぬばかりか、親の七光りで舞台に立つ事と、鶴田浩二さんが生きていたらコロッケの物真似も絶対に許されなかったと思うと淋しさよりも悲しくなりました。

 さて、しばらく鶴田浩二さんのブログを見ていなかったためか、過去に掲載したYouTubeの画面から鶴田浩二さんの姿がほとんど消えていました。新しいYouTube再生リストを添付するとともに、久しぶりにパソコンから俳優の鶴田さんの唄声を聞く事としました。
                              12月2日の一言

鶴田浩二 YouTube再生リスト
http://www.youtube.com/results?search_query=%E9%B6%B4%E7%94%B0%E6%B5%A9%E4%BA%8C&search_type=

〇望郷歌
http://www.youtube.com/watch?v=0M3KZDOmNW0&feature=related
〇無情のブルース  
http://www.youtube.com/watch?v=TgffKjNB5zA
〇美空ひばり、鶴田浩二  "頬寄せて"
http://www.youtube.com/watch?v=fqDjO_hk4Wg

ドッキリ冷や汗の電話に

 本日の正午が、来週開かれる市議会一般質問の質問通告書の締め切り日で、深夜に質問要旨を所定の様式に書き入れ、市役所に電子メールで送信しようとしたら通信不能で送る事ができず、契約しているケーブルテレビ局に電話する事になりました。

 「…サポートセンターです。ただいま電話が大変混みあっております。このままお待ちになるか、しばらくしてかけなおして下さい」のテープが流れ、何度かけ直してもこの繰返しで、待ち続けてもテープが回り続けるばかりで、メールを送信したのは午前3時を経過していました。ケーブルテレビ局の不具合やメンテナンスで深夜は通信不能が連続します。

 暫しでも睡眠をと熟睡していると、7時前にけたたましく電話の着信音が響き、携帯電話に転送されてきた電話の主は、日曜日の夕方に津島神社や土産物の買い物に案内した香川県の人で、当日の礼と翌日に紹介した目的地に入れた事のお礼の電話でした。

 もう少しは眠りたいと1時間後の起床を予定していると、また相談の電話が入り、応対後に再度コタツに入ると、今度は議会事務局から深夜に送信した質問通告書の確認です。

 「こちらには何時に来られます?」
 「できるだけ早く行きます」と答えて、頭を洗っていると、直後にまた電話です。

 「知人が市民病院に行って…」との内容で、一宮市民病院に入院している人を近くの津島市民病院に転院させたいとの話ですが、生命の限界を示された事から緩和ケア病棟を希望されている話ですが、頭も議会事務局も待っている状態のため、医事課に連絡してケースワーカーに対応を依頼しました。

 さて、出発という時には病院から詳細説明の連絡が入り、ありがたいはずの連絡ですが、相談者に返信していると時間はどんどん消化していきます。市役所に到着し、質問通告書の説明を担当者としていると、命の最終章を迎えている叔母に付き添っている叔父から電話で、病院と自宅の往復ですが私に時間の余裕がない事から、ボランティアの福祉有償運送の出番です。

 こうして仕事を終えてボランティアの対応を確認して、お礼にコーヒー屋へ到着して手帳を見ると、約束した予定が書き込まれており、慌てて帰宅し対応し、歯医者に通院していると市役所から電話で、自宅事務所で打ち合わせのため帰宅です。

 本来なら火曜日は書道会の日ですが、本当に運の良い恩師の都合で休みでしたが、休みを知らないメンバーが訪問した事から夕食も中途半端となり、一日を振り返ると朝食も昼食も取っておらず、やっと落ち着いて食卓を前にしていると、本日最高にびっくりする電話が残されていました。

 「大鹿さんのお宅ですか?」
 「ハイ、大鹿です」
 「こちらは彦坂外科ですが、検診の結果について…、一八さんはご在宅ですか?」
 「ハイ、ハイ…」

 「おとーさん!!大変!!大変!!」
 「なんだ?」
 「彦坂さんから電話だけど…」
 「…」
(『どこが悪いんだろう』『ガンかなー?』と家族と家内の会話の声が)
 
 「はい、大鹿です」
 「10月に受けられた健康診断の結果ですが…」
 「どこが悪いんですか?」

 大袈裟かも知れませんが家内の言葉に一瞬は深刻な病気かと冷や汗です。結果は、検査を受けたままで検診結果を聞いていない人に事務的に連絡をされていただけでしたが、「悪い場合は連絡があると思って」と放置してあったバチが当たりました。事務長さんの声が小さく低い事から、家内は深刻な病気と勘違いしており、叔母が深刻な状況だけにびっくりの下地もありました。

 夕方に叔父と「万が一の時は頼むぞ…」と連絡しあっていただけに、家族の話題も一瞬にして暗くなる環境にある事が実感させられました。
                                 12月1日の一言
 
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