大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2010年01月

津島市の玄関口で起こった転倒事故に

 新年に入り、忙しさに毎日がめまぐるしく過ぎ去り、気がつけば本日で1月最後の日を迎えており、明日からは2月です。本日は横井庄一記念館の一日で、昨日まで写真展や地域セミナーが開催されていために、館長は私が休むと思っていたようでしたが、一連の行事が一段落した事は心の余裕となりました。

 さて、昨日に人にやさしい街づくり地域セミナーが開催されている文化会館を目指してした春日井市のS君は、自分1人で車イスで津島駅まで到着したものの、改札口を出て駅から道路に出る坂に耐え切れず、転倒するとともに止まっていたタクシーにぶつかり、救急車で市民病院に搬送されました。

 偶然にも救急車に搭乗していた救急救命士が我々NPOメンバーTさんの息子さんだった事から、会場に連絡が入り、マイクを持つ私が対応できない事から、S君を知るTさんと私の家内が市民病院へ走りましたが、S君の気持ちの中に自力で到着して私と再会する事を楽しみにしていたと思われる事から、親に連絡され迎えに来られる事を残念に思うとともに、会場に立ち寄れぬ事と事故となった事にショックを受けているものと思われます。

 せっかく津島市まで到着しながら、私の目と鼻の先に存在しながら、声をかけることもなく、姿を見せる事もないままに帰宅したS君を考えると、津島市の玄関口となる津島駅での事故だけに、市議会議員としても大きな責任を感ずるとともに、改善に向けて微力ながら頑張る必要性を感じました。

 一方で、午前中のテーマが津島市の観光とバリアフリーだった事と、午後は「人にやさしい街づくり」のセミナーだっただけに、車イスにとっての危険なバリアの存在は残念でなりません。又、津島駅に設置されたエレベーターやトイレは愛知県と津島市の「人にやさしい街づくり事業」の予算で完成しているだけに、改札口の外への配慮が不足していた事と、他人事と思っている管理者の名鉄にも訴えていく必要性を感じます。

 我々でも電車を乗り継いで春日井市まで行くのは大変な事から、転倒したS君の行程はさぞや大変と思われ、このままで終わらせるのは淋しすぎる事から、春の藤まつりに招待して楽しみたいと思います。一方で、メールで訪問を知らされておりながら、自分の忙しさで駅で待ち受ける余裕も無かった事と、バリアフリー検証会を常時開いてきた事で危機感が不足していた反省から、今後は電車の到着時間を確認しあうなどの対応を確認しあいました。

 今回のセミナーには私と親しい岡崎市のA君も車イスで参加しており、彼は昨年のバリアフリー検証会や過去に何度も津島市を訪問しており、「津島に馴染みの珈琲屋でも…」なんて冗談も話したが、車イスでの行動には大変なバリアがある事から、私もS君とともに岡崎市を訪れる位の気持ちを持ちたいと思います。

 セミナーとしては盛況に終わったものの、そもそも津島駅にエレベーターが設置された原動力は、名古屋と尾西市からエレベーターのない津島駅に車イスで降り立った2人の勇気ある行動にあり、その原点ともなる津島駅で起こったS君の転倒事故を無にしてはならぬと思い、元気な再会を果したいと思います。
                                 1月31日の一言

地域セミナーが無事に終わり

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 本日は午前9時に津島市文化会館に集合し、午前中に開催される愛知県心のバリアフリー推進事業「観光とバリアフリーを考える」と、午後に開催する人にやさしい街づくり地域セミナーin津島「災害発生時における高齢者や障がい者の生活支援」の会場設営に取り掛かりました。

 今年で4年連続となる地域セミナーですが、受託した我々NPO法人「ひとまち生活ネット津島」よりも、津島市建築課職員と愛知県建設部住宅計画課職員が率先して手際よい設営にかかり、私の胸の内にある構成を語っているうちに立派な会場が出来上がりました。

 午前中は参加者こそ少なかったものの、津島市観光交流センター館長若山聡さんによる「津島市の観光とバリアフリー」の講演に続き、パネラーとしてお願いした社会福祉法人しらさぎ福祉園施設長沢田一郎氏と、名鉄観光一宮支店岩田茂夫さんによるそれぞれ立場から事例報告がありました。

 津島神社の歴史と、信長も見たという夏の川祭りから、近隣地域の水郷の美しさを若山館長の講演から知り、沢田さんから障がい者の立場に立った地域参加や外出に対する障壁を聞き、岩田さんから観光や旅行の現状からバリアフリーに対する旅行業界の取組を聞きました。

 さて、今年で4年連続となる「人にやさしい街づくり」地域セミナーは、会場がほぼ満席となり、午前と午後で参加者が半減する心配を払拭する盛況で、極めて自己中心的に企画した私としては、昨日までやるだけやったものの、やりっ放しだっただけに一安心の開会となりました。

 日本福祉大学の児玉善郎教授による「災害弱者に配慮した防災まちづくり」の基調講演のあと、津島市民病院救急部長の松永宏之医師による災害時の対応や、広域救急連携や対応などの現状を聞き、医療と連携する救急体制や災害時の具体例を救急救命士の安川和宏さんから報告を受けました。

 パネラーの紅1点、津島市の保健師岩田和子さんは学生時代に名古屋市枇杷島地区の水害や中越地震へボランティアに出向いた経験を持ち、保健師として海外までボランティアに出向いた体験談を踏まえて、災害時に保健師としての役割を伝えていただきました。

 児玉先生は昨年に続いて講演とパネルディスカッションのコーディネーター役をお願いすることになりましたが、専門の住宅問題や都市計画を社会福祉学部の教授として、ハード面だけでなくソフト面からも語れる県内屈指の講師で、災害時の諸問題と課題を提起され、参加者からも例年以上に熱心な質問が続き自画自賛と言われるかもしれませんが「大盛況」に終わりました。

 ただし、人にやさしい街づくりについては目標には程遠く、合格点とならないばかりか、春日井市から参加するため電車で訪れた車イスのK君は、名鉄津島駅に到着したものの、駅の出口で車イスが転倒して救急車で運ばれるアクシデントです。この顛末は明日に先送りしますが、バリアフリーについては問題山積を実感した一日となりました。
                                    1月30日の一言
追伸
私の写真展「上高地の十年」も本日修了しました。

写真展から新たなスタート台へ

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写真は中沢義直さん(プロカメラマン)

 明日には準備を続けてきた「人にやさしい街づくり」地域セミナーが開催されますが、私の写真展も明日が最終日で最後の土曜日である事から、主催者の不在は心苦しいものがあります。

 本日も横井庄一記念館の館長(横井夫人)が午前10時に訪れるとは聞いていたものの、私の訪れる午後2時か3時まで待たせてはいけないと昼に訪れると、やはり予感どおりに私を待つつもりで近くの親族とともに会場に座っていました。

 上高地の写真については、私の大好きな写真家「中沢義直」さんが、毎年見事なカレンダーを発行されており、私のパソコンの前に張り出されているだけでなく、過去の分も全てが保存(100枚以上)してあり、このカレンダーを頼りに撮影すれば見事な上高地が撮影できそうです。

中沢義直↓↓
http://www.shirakabaso.com/nakazawaprof.html

 しかし、私が写真展の作品に選んだ14点の写真は、そんな絶景とは程遠く、よほどの上高地通の人でないと撮影した場所すら判らない地点から撮影されており、来場者の多くが私と共に上高地を訪れた経験があるものの「これは何処なの?」との質問となります。

 つまり、人に見せるために撮影された写真ではなく、私の上高地のこだわりの行動の中で写った景色で、上高地を代表する「大正池」や「河童橋」とは無縁の森や川で、私の大好きで居座る場所から写った景色ばかりでした。こんな私の上高地のこだわりやクセを知る金久さんは昨年秋に亡くなりました。

 今回の写真展は昭和63年からスタートした朝日旅行友の会の同窓会のようなもので、上高地のこだわりから、最近の四国遍路に飛び火して、新たな旅の話題に発展し、私の新たな目標や心のリフレッシュになりました。
                                  1月29日の一言
追伸
5月3日(月)から8日(土)まで恩師や仲間と書道展開催も決まりました。

■略歴 中沢義直(なかざわ よしなお)
 1992年(大正11年10月1日)、安曇野、梓川村、倭(現:安曇野市梓川)に生まれる。1950年頃から山岳、スキー、風景などのプロカメラマンとして活躍。シャモニ世界スキー選手権、インスブルックおよび札幌冬季オリンピックの取材特派員のほか、ヨーロッパ各地、カナダ、アメリカ、東南アジア、南太平洋などで写真や映画の取材を多く重ねる。 在京40年の写真生活の後、大好きな常念山麓の堀金村において写真と映画制作のかたわら、中沢写真学校を開設、後進の指導、育成をしている。信州映像舎代表。主な著書に、『堀金村生活記』(山と渓谷社)、『安曇野の風』(プラルト)、『長野冬季オリンピック白馬村記録写真集』(白馬村)、『上高地永遠』(信濃毎日新聞社)、『回想 茅葺の家』(プラルト)などがある。 記録映画としては、『わが山常念山脈』が代表作。

セミナー開会前の独り言

 30日(土)に開催されるセミナーの講師やパネラーから、当日参加者に配布する資料が届き、今晩から未明にかけて印刷することとなりますが、当日に聞く事ではありますが、届けられた資料を見て勉強にもなります。

人にやさしい街づくり地域セミナーin津島↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage7.htm

 DMAT(災害派遣医療チーム)の活動 (Japan Disaster Medical Assistance Team)

 災害派遣医療チームのことですが、大きな大地震や台風などの水害については、地域に存在する大病院と言えども救急車すら到着することは不可能で、こんな経験から現在では広域緊急医療として被災地から被災地外の拠点に大型航空機やヘリコプターによって患者を運び、待機している救急隊によって救命救急センターへ運ばれる高度な医療連携が実施されるようになっています。

 現在では平常時でも救命医療に精通した医師と看護師を乗せたドクターヘリが飛来する世の中となっていますが、現実には県内でも救急車の到着に30分近くかかる地域が存在(津島市は平均6分以内ですが)し、救急救命士すら乗っていない地域(津島市は必ず乗車しています)が存在しています。

 ドクターヘリは津島市まで10分もあれば飛来し、到着した時点から搭乗している医師の治療が開始される事から、6分で到着しても医療機関まで30分かかる救急車より便利ですが、県内に1機しか配備されていない事から現実的でもありません。

 さて、今回のセミナーのパネラーをお願いした津島市民病院の松永医師は、現在救急部長の要職にありますが、何回となく救急車に乗って救急現場に走った経験があります。
 もっとも、これは公に公表していることではなく、津島市民病院と救急車が配置されている消防本部が隣接している事からできた事ですが、発展すればドクターカーにもなる事から私は松永医師には大きな期待をしています。

 こんなことは広く市民に訴えたい医療行為ですが、津島市の救急車は医師が乗ってくると勘違いされると困ることと、市民病院は現在も医師不足で厳しい経営状況にあることから、救急救命士のレベルアップの指導としての搭乗ですが、医師となって津島市民病院一筋の松永医師のやる気に期待したいものです。

 一生懸命に企画して、講師やパネラーに対する謝礼が極めて低いことから、肩身を狭くして依頼し、準備に大幅な時間をかけた割には、肝心のセミナー当日の参加者をやっと集めている現状ですが、依頼した講師やパネラーの存在が確実に津島市の街づくりの礎になると確信する開会前のひとときです。
                                   1月28日の一言

束の間の一服となる一日です

 本日の予定では30日(土)のセミナーの資料作りの予定を立てていたが、パネラーが自前で資料を完成させたり、資料の提出がなかったことから、昨日までの徹夜のような忙しいスケジュールがウソのような一日となってしまいました。

 明日には基調講演とパネルディスカッションのコーディネーター役の講師(大学教授)から参加者用の資料が届くことから印刷も必要となりますが、パネラーとの打ち合わせも終わり、会場の大看板も仕上がっており、本日に続き明日の朝刊には最後の折込チラシも入る事から「まな板の上の鯉」の心境です。

 今年で4年連続の地域セミナーとなりますが、私自身の能力と体力では精一杯の準備と案内をしたことから、当日の参加者数の大小は考えないこととしていますが、最高の講師とパネラーを配した行事だけに1人でも多い参加を願うものの、これは天のみぞ知るの心境です。

 一方で、市内の珈琲屋さんで開催中の私の写真展ですが、昨日と一昨日には人があったものの、本日の午後は人の訪問が少なく、車には愛犬も待っていることから帰ろうとすると、無視はできない知人が訪れたことから、忙しい知人に私の長話で引き止めてしまう顛末に至りました。

 こんな嵐の前の静けさも明日からはセミナーの資料作りと、当日使用する視聴覚機器の借り出しに走る必要がある事から、余分な事は考える余裕もないでしょうから、今晩はゆっくりと熟睡して明日に備えたいと思います。

 さて、国会では民主党小沢幹事長の政治資金を巡って激論が続いているようですが、司法が法的に責任を問える違法行為かどうかは判りませんが、国民に誇って語れる好ましい行為でない事は明らかで、鳩山首相が野党時代に発した発言は、自分も首相だけでなく政界引退となる内容だけに無視はできません。これも天のみぞ知る事ですが、こんな顛末は確実に政治の汚さを増幅させていきます。
                                  1月27日の一言

私の写真展は知人と談笑の場に

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 本日は週末開催するセミナーの新聞折込用チラシを印刷するために、昨夜から印刷機を回しており、終了して風呂に入って愛犬の散歩を終える頃には、新聞配達のバイクの音が聞こえるような時間になっていましたが、連日の疲れですぐに熟睡となりました。

 「10時までには持ってきてよッ」と、朝日新聞の販売店主に言われていた事から遅れぬように持込みましたが、大量に配送をお願いする中日新聞には、あまり早く届けると朝早い仕事だけに仮眠の邪魔になるかもしれず、時間を見計らって出直しましたが、さすがに圧倒的シェアを誇る地元紙だけあって、朝の9時から専属の受付嬢(?)が配置されていました。

 さて、昨日から私の写真展が開催されており、午後に所用を済ませて会場の「茜屋」さんへ走ると、稲沢市の知人が訪れておられ、その後も続々と朝日旅行友の会の会員や、はるばる一宮市から高校の大先輩が奥様と来場され、上高地へ訪れた際の思い出話から、四国遍路の珍道中に花が咲きます。

 初めて上高地に入ったのは昭和50年の夏で、結婚前の家内と飛騨側から西穂山荘や独標を経て上高地へ下っていきました。その後も私の主催する「朝日旅行友の会」や書道仲間と何度も訪れ、議員になった平成11年からは夏休みとして毎年4日間滞在し、昨年秋にはタクシー車輌を所有したことからフリーパスで上高地に入れるようになりました。

※上高地と乗鞍スカイラインはマイカー規制で自家用車は入れません。

 今回の写真展によって、鬼籍に入られた仲間を話題にして、年齢を重ねて運転免許証を返上した人々と新たな旅立ちを話題に花が咲きます。
 写真についても、高校時代からの趣味で、人に見せるために撮影したものではありませんが、偶然に撮影された写真ではなく、通い続けないと撮れないシーンが多いのを救いとして、新たにレベルアップを図りたいと思います。

 携帯の程度が低いので判りにくい会場風景ですが、四つ切写真を14点展示してあります。下の写真は、穂高神社奥の宮(明神池)の鳥居の上で、嘉門次小屋から盗んできたリンゴを食べる猿で、猿にとっては神様も菊の御紋章(天皇家)も関係なく、人間より堂々としています。
                                  1月26日の一言

委員会(議会)と写真展と徹夜の印刷に

 本日は私の所属する議会日程としては久しぶりとなる「第4次総合計画策定調査特別委員会」が開催されました。

 本日の議題は、「第4次総合計画基本計画(案)」について、総論について担当部局の説明を受けて、所属委員(議員)の質疑応答となったが、私の個人的意見としては、津島市の都市計画も含めて津島市の将来人口を、平成32年に6万6千人と設定していることに異論があります。

 このことは、都市計画マスタープランを設定する際だけでなく、昨年3月議会の一般質問でも将来人口についての異論を述べたが、現在でも6万6千人を超える人口(20年に6万6千949人)がありながら、名古屋の中心部まで30分の距離にある津島市の10年後の人口が減っているとの予測は、いくら今後の高齢化率が高まっても納得ができません。

 市役所の説明では、市の過去の人口動向や将来の高齢化率を専門家に予測してもらったと言いますが、我が家の近所にある大型パチンコ店が閉鎖された跡地だけでも、20世帯ほど新たな分譲住宅やアパートが建築され、あまりの広さに大部分は手付かずになっており、旧知の不動産関係者によれば「葬儀ホールができるか、分譲住宅なら25棟、14階建てマンションなら200世帯」と大雑把に語られていたことから、空き地の有効活用によっては人口は変動します。

 この空き地と川を隔てた工場は、閉鎖とか移転などとのウワサが飛び交っていますが、ここの広さに至っては分譲住宅が150世帯以上は建ちそうな面積があることから、行政や政治の展開によっては街の将来像は大きな変革が起こります。

 財政状況が厳しい現実の中で、名古屋市に近い位置関係から、いくら子育て支援や病院経営に力を入れても、成人となって便利な都市部に出て行かれれば、それこそ高齢者ばかりの街となり、目先の税収目当てに工場誘致に走れば殺伐とした街へ変貌する可能性も高まります。

 津島市の市街化区域は、市全体の26,6パーセントしかなく、市街化調整区域(農地)が73,4パーセントを占める事も考えると、後継者もなく農業による利益を考えていない兼業農業の意向を調査する事も重要で、地域住民が会社に勤めて地元に無関心であった間に、勝手に農業振興地とした政治や行政、農家から利益を上げる農協の餌食にされてしまった感も強い。

 さて、本日は30日開催の地域セミナーの新聞折込チラシを印刷する必要に迫られ、夜を徹しての印刷作業となりますが、委員会が終了した後も市役所の雑用が多かったものの、本日から私の写真展が開催されている事から、仕事を先送りして会場に走ると、有難いことに私の写真展を目当てに来場されている人々が存在した事から、我が家に残した愛犬の存在も忘れて夜まで雑談に花を咲かせる一日となりました。
                                   1月25日の一言

グチと反省を繰り返す日々に

 本日は横井庄一記念館の1日でしたが、今年からは開館以来から続いたボランティアのTさんが引退したために、2週間に1度の当番日から、私の都合を優先するかわりに毎週空いた時間に出向く約束とした事から、都合が良さそうでも今後の日曜日は休みなしという事でもあります。

 さて、記念館の目的は、グアム島で28年ぶりに発見された「横井庄一」が主題である事は当然ですが、訪問される人の住所や出身地によっては私が勝手に話題を変えてしまい、旅行や四国遍路をテーマに長話にするのは大きな反省材料で、昼食前に訪問された28才の若者2人と3時まで雑談です。

 縁側には午前中に飲もうと買ってきた缶コーヒーと菓子が置いたままで、3時から昼食ですから一緒にいる館長(横井夫人)まで道連れで、最後のお客さんが帰られてから亡くなった横井さんの思い出を語るものですから、閉館時間を大幅に越えて外の暗さから閉館を実感です。

 今まで存在した親族外のボランティアが不在なために、記念館に関係のない親族や知人の話題にも会話が波及し、時間から時間への事務的な記念館ではなくなるので、帰宅時間が遅れてしまう弊害(私の口害)にも要注意の記念館です。

 明日は9時から議会日程が定まっているので徹夜の作業は出来ませんが、月末の30日に迫っている地域セミナーの宣伝に利用する新聞折込用チラシは、全部で2万枚以上印刷して新聞販売店に持ち込む必要がある事から大変です。

 大変と判っていても帰宅後の貴重な時間をやるべき仕事に充てず、家族との雑談やパソコンの前に座ってしまった事から、家族が就寝した今から(22時30分)印刷を開始して、とりあえず配送をお願いしてある販売店分のみでも済ませて持ち込もうと思っています。

 皮肉なことは、かつて自分の生業としていた朝日新聞販売店よりも、ライバルであった市内の中日新聞販売店の店主の方が頼みやすく、中日新聞のシェアが圧倒的に多いことから、シビアに中日新聞だけに折り込みを依頼したところ、自分が23年間お世話になってきた朝日新聞の愛読者から厳しいお叱りを受け、朝日新聞にも持ち込むようになったものの、未だに依頼の電話がしていない現実です。

 もっとも、こんな一言を発すると、関係する行政やボランティア仲間も心配しますので、明日の私の仕事のノルマとなりますが、印刷には印刷する枚数分の時間がかかり、新聞折込についても販売店に持ち込むだけでなく、持ち込まれた販売店も私のために他所の販売店に配送する突然の仕事となりますが、こんな裏話はここ(ブログ)だけのグチとなります。

 明日から一週間は私の写真展も開催される事から、午後には会場に出向く必要もあり、印刷する時間も夜になることから、数日前に一段落と記して一息ついていた自己反省も日常的となりつつあります。
                                 1月24日の一言

写真展の作品を搬入して

 本日は来週月曜日から土曜日まで開催される私の写真展「上高地の十年」の飾り付けに、会場となる西愛宕町にある茜屋(あかねや)さんに作品14点を搬入しました。

 私にとっては仕事の延長で「高校野球写真展」を開催して以来十数年ぶりとなる写真展で、今回の写真展のため久しぶりに前回の写真を取り出そうとすると、額のガラスと写真の表面が引っ付いてしまっており、残念に思いましたが全て破棄することになりました。

 さて、何度も経験した高校野球の写真展と違い、風景など芸術的な写真とは無縁で、今回の作品も発表するために撮りだめた写真ではなく、平成11年から続けている上高地行きで趣味で残した作品で、芸術センスの無い自覚から写真経験豊富な知人に選択してもらいました。

 「茜屋さんに行くにはどうしたら良いのですか?」
 「保健所はご存知ですか?」
 「津島の駅の近くですか?」
 「天然温泉の湯楽はご存知ではないですか?」
 「????」
 「ところで、どちらから来られるのですか?」

 地元紙中日新聞の催しガイドに紹介された事から、一宮市に住む上高地ファンという人から問い合わせがあり、はじめて写真展として来場される人への責任を感じるとともに、黙々と私の写真を展示されていく茜屋のマスターの背中を見て、有る物から選ぶだけでなく、もっと真剣に四季のバランスや、作品の構成を考えるべきだったと思っても、時すでに遅し…

 「おい、何で看板にあんたの名前が書いてないの?」
 「売名行為みたいでしょう」
 「だって、来た人に誰の作品か判らないだろう?」
 「そうだけど…」

 議員が公然と名前を出すのは厳しい制約があるのでマスターに説明していると、「そんな能書きは世間には関係ないの」と、展覧会の看板に私の名刺を貼り付け、お店の前にある作品展の看板に「大鹿一八写真展」とマジックで書き入れられました。

 写真展は来週からですが、写真展を勧められた茜屋のマスターは勿論ですが、本日の作品搬入に至るまで複数の知人に多くの写真からリストアップしてもらい、本当に安い写真屋さん(トリミングした四つ切が540円)へ付き添って紹介してもらって本日に至りました。そして、30年前に仲の良かったライオン写真館の長谷川さんによって、安価に40本もの額を入手していた事も気軽に作品展の決断となった事から、作品としては未熟でお粗末ですが、多くの人々の存在を実感して茜屋の会場を後にしました。

 一方で、写真については高校時代から暗室作業までしていた衆人承知の趣味でありながら、仕事の高校野球写真展以外では初めての写真展となる事から、これからは趣味として旅先や四国遍路の素晴らしさを芸術作品として紹介したいと、新たな楽しみももたらしてくれました。
                                 1月23日の一言
上高地の十年↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage109.htm

情けない痴漢の被告にされて

 身近な愛知県の事件と司法判断だが、電車内で痴漢行為をしたと逮捕され、被告となった52才の男性に、18日名古屋地裁の伊藤納裁判長は「女性のひざ周辺に足が接触したが、故意とは認められない」として無罪を言い渡した。

 私が通勤電車に乗車したのは今から30年以上前の学生時代まで遡り、社会人になってから電車に乗る事もほとんどないままに現在に至っているが、今回の被告となった男性が全くの無罪とするならば、52才で愛知県の主幹という立場を考えると、逮捕から1年以上にわたって理不尽な思いに拳を震わせていたものと思われます。

 新聞記事によれば、被告は現行犯逮捕されたが、「足が触れたかもしれないが、破廉恥な行為はしていない」と一貫して容疑を否定していたと記されている。一方で、唯一の証拠として、女性と婚約者の目撃証言で、痴漢被害を受けていた女性が痴漢をつかまえようと婚約者に乗車を依頼していたと記されている。

 司法の判断は無罪であるが、事の本質は被告とされた本人しか判らない。しかし、全く微塵にもそのような痴漢行為の意識がないままに逮捕されたとなると、衆人の中で痴漢を捕まえようと婚約者まで連れた女性に今までの社会的信用を全て奪われるような屈辱を体験させられたことになる。

 我が身に置き換えれば、全く身に覚えのない罪でも、今回のような状況になれば現在の議員の職を失う事となり、仮に今回のように無罪判決が出たところで、議員辞職は免れるとしても地域住民の持つ疑いの目までは払拭できるとは思えません。これでは責任ある立場にある人は満員電車には乗れません。

 公共交通機関の先行きは厳しく、専門家による将来予測は確実に利用者減を予測しており、いずれは運行する便数の削減や、地方のバス路線の廃止に至る可能性も考えると、こんな痴漢行為が続く環境の改善はレベルの低い案件ですが急務とも思われます。

 被害者となった男性は52才で愛知県の主幹となっているが、職員の中でも優れており課長も目前と思われる立場にあることから奮起を願うとともに、女性の行為も痴漢の被害にあった事から訴えており、こんな事件を生んだ名鉄電車に本気で改善する姿勢を持ってもらいたい。
                                1月22日の一言

忙しさも明日で一段落となりそうで…

 月末に開催する「心のバリアフリー推進事業」と、今年で4年目となる「人にやさしい街づくり地域セミナー」のチラシが完成し、本日は案内する約300軒分の郵送作業に取り掛かったが、宛名はパソコンで迅速に印字できるものの、封筒への3種類のチラシ入れは人力のため確実に時間が経過していきます。

 とりあえず予定した分を郵便局に持ち込み、講師との打ち合わせも昨日に大学へ出向いて済ませた事から、明日に過去3年分の参加者分の案内チラシを郵送すれば、後は大量に印刷する新聞折込用のチラシを印刷し、直前に当日配布する資料と看板を用意すれば準備は終わりとなります。

 さて、自転車操業ながら順調に進んでいると一安心していると、講師やパネラーと打ち合わせに使っていた資料が全部行方不明になっている事が発覚し、ゴミ捨て場状態となっている事務所は勿論だが、自宅の居間にも見当たらず、カバンの中にも存在せず、先週末の打ち合わせ以降の記憶がなく、どうやら出かけた先で置き忘れてきた可能性が高くなってきました。

 打ち合わせも終わり、当日の案内チラシも出来ていることから、資料が無くとも何とかなっていくと思われますが、よく考えて見ると、講師やパネラーは勿論ですが、要約筆記をお願いするボランティア団体の代表者の連絡先なども資料の中に記されており、事前連絡も不通となっては大変です。

 夜になって慌てて連絡を入れて確認しましたが、昨年に認可を受けた「福祉有償運送」や「福祉タクシー」などの資料一切が事務所に積み置かれたままとなっている事から、事業が終わったら年末にも出来なかった大掃除が急務となってきました。

 今晩は明日までに残りの宛先を印字してチラシを詰め込み、明日はまだ配布がされていない公共施設へチラシを配置する事と、新聞折込に使う印刷用紙を購入し、NPO法人の銀行口座開設や各種の振込み手続きを予定していますが、私個人のお金と事業のために立て替える費用の区別が難しく、愛知県からは1月の事業の費用が5月になるまで支払われない事からヘソクリのやり繰りが私に残ります。

 さて、さて…
 車検が済んだ車も整備工場に置いたままとなっており、明後日に展示する写真の1枚が現物と色合いが違っており、これも含めると明日は大変な一日となりそうですが、一つの山を越えた事は間違いがなく、来週は写真展の会場で親しい人々との再会が果たせそうです。
                                1月21日の一言

総てに公平で平等な社会に

 本日、私が一番興味を持った新聞記事やテレビニュースは、「貴乃花親方」に同調する親方6名が二所ノ関一門を破門になり、貴乃花親方と行動を共にするという大相撲理事選の行方で、6名の親方の元の力士名を見て、同じ釜の飯を食って競い合った仲間同士の絆と、初代若乃花が築き、貴乃花親方の父親が引き継いだ二子山部屋の力士たちが一緒に行動する姿に、改革派と言われる貴乃花親方の存在が異端ではなく、6名全員が貴乃花親方より年長で、間垣親方(2代目若乃花)に至っては私と同年である事から、人と人との友情と仲間意識をうらやましく思うとともに、今回の貴乃花親方の行動は我々地方議員にとっても、信念に基づく行動を見習いたく、今後の動向に注目してエールを送っておきたい。

 さて、本日はこのまま貴乃花親方を話題にしたいものの、昨年の「定額給付金」以来、民主党だけでなく全国の地方自治体においても、医療費や保育料などの減額や無償化が続いていることから、本当の意味で将来の肥やしになる施策と違い、選挙の勝敗のために公約された不公平で理不尽なサービス拡大には警鐘を鳴らしておきたいと思います。

○年収400万円以下世帯の保育料無料化へ 渋谷区条例案↓
http://www.asahi.com/national/update/0120/TKY201001200008.html

○保育料無料枠を拡大↓
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001001130003
○「子ども手当」どう使う? 7割は教育、3割は生活に↓
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201001120131.html

 最近の事ですが、私の住む津島市民の方から、「生活保護世帯の障害を持つ子供が、障害を持つ相手と結婚したが、生まれてきた子供も障がい者だった事から、生活保護世帯が2軒に増えただけでなく、生まれた子供の一生を国が面倒を見る事になるが、大鹿さんはこの事についてどのように思うか?」との質問がもたされました。

 何時間も何日かに及ぶ会話の内容を、断片的に記すると大きな誤解を生ずるのでここには記しませんが、真面目に働いても添付した渋谷区の400万円の年収に届かず、夫婦2人が必死で働いてもそれ以下の家庭も身近に存在しています。

 我が家も家内が働きに出ていますが、家内は借金をして建てた貸店舗が空いた事から、返済の意味でも働きにでていきましたが、生活に必要だから働き、我が家は4人の子供を育てましたが、今までに一度も児童手当などを受給する対象になる事はありませんでした。

 だからと言う訳ではなく、嫁いだ娘は「子供手当てが出れば、2人目も考えてみようか」と語っているので、目的がしっかりとして公平な施策については反対でもありませんが、夫婦2人が働く家庭と1人しか働かない家庭では所得に差が出るのは当然で、所得を区切った補助金は、その狭間にある人々の働く意欲を減退させていきます。

 私の同級生でも、病気の家族を抱えて大変な家計をやりくりしている知人が存在しますが、この知人より健康で恵まれた環境下でも生活保護を受給している人が存在し、私の知人は医療費に悲鳴を上げていますが、生活保護を受けて医療費全額が免除されている人と、公開で対比させてみたい心境になってきます。

 名古屋市が市民税の1割減額を打ち出していますが、減額すればどこかにしわ寄せが出るのは必死で、年末年始の「避難所」で交通費をもらったら行方不明となった東京都の例ではないが、真面目な納税者が損をしない公平な施策を遵守したいと思います。
                                   1月20日の一言

受刑者が犬との別れに涙して

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写真 修了式で盲導犬候補と別れを惜しむ受刑者たち

 本日の夕刊に報じられた記事であるが、「盲導犬巣立ち・受刑者涙の別れ」と題して、島根県の刑務所で受刑者が生後2ヵ月のレトリバーを1才になるまで育て、3頭の盲導犬候補となる犬を日本盲導犬協会に引き渡したとある。(詳しくは下記をご覧下さい)

朝日新聞記事↓↓
http://www.asahi.com/national/update/0119/OSK201001180171.html

 この試みは国内初の更生プログラムと記されており、受刑者の量刑が定かではないが、今春には5頭を受け入れて30人の受刑者が面倒を見るとあるが、今回の引渡しにあたって受刑者たちは、犬をさすって別れを惜しみ、「ありがとう」「頑張ってナ」と声をかけ涙をぬぐっていたとある。

記事と関係するブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/MYBLOG/category_complete.html?pid=42684918&cat_id=555021726

 我家には私の生まれた時から犬がいなかった事がなく、現在も7才になる愛犬「もも」(雌・雑種)がいる中に、12月の初めに3ヶ月の約束で生後一年の「リマ」(雄・ポメラリアン)を預かり、目があった瞬間に、まるで昔から出会うべくして出会った相棒のような感覚に襲われた。

 そんなことは有り得ないであろうが、私の小学生の頃に飼っていた愛犬「まる」が長い年月を経て戻ってきたような感覚を覚え、それ以来寝食を共にして(夜も一緒に寝ています)、車での外出にも補助席を指定席として、1ヶ月後の別れを考えると悲しくて堪りません。

 「鬼の目にも涙」のことわざがありますが、罪を犯して刑務所に禁固刑となっている受刑者たちが涙を流して犬と別れる姿を想像すると、私まで涙が流れてくる顛末に、刑務所だけでなく少年院や学校教育にも生かせば効果的と思う半面で、保健所で薬殺処分となる犬たちも救いたい心境にさせられました。
                             1月19日の一言

仕事が重なり事務所は被災地のようです

 昨日の一言にも記しましたが、月末に私が全責任を負う愛知県の事業が二つあり、個人的には今週の土曜日に展示の飾りつけをする写真展も重なっており、本日はそれぞれの印刷物をパソコンに座って作っていましたが、何種類も作ると老化した脳がマヒを起こしてきます。

○私の写真展 「上高地の十年」↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage109.htm
○人にやさしい街づくり地域セミナーin津島↓↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage7.htm
○心のバリアフリー推進事業↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage110.htm

 さて、3種類の行事の案内チラシを作り、印刷機にかけることについても、刷り終わってから細部の間違いが発見されて刷り直すなど、同時進行の作業は若い時のように簡単には捗りませんが、問題は刷り終わったチラシを郵送や配布する作業が残されています。

 写真展は私個人の問題ですが、二つのイベントについては愛知県建設部と津島市建築課の関わる事業ですので、私一人に任せた作業は不安もあるのでしょう。先週末に県と市の担当者と津島市役所で打ち合わせを終えましたが、開催当日の準備は大勢の手伝いがあるものの、それまでの準備は私一人の作業となります。

 もっとも、写真展にしても、二つの事業についても、事前の準備は大変なものの何とか収まりがつきますが、一番重要なことは、開催するイベントに参加をいただく「お客さん」が不在では、全ての準備や要する費用に対する効果を無にすることからこれからが重要です。

 写真展まで一週間、愛知県の委託事業まで二週間の日時が残されており、この間に講師やパネラーとの打ち合わせや資料づくりが必要となりますが、事務所での作業のために私の姿を見て訪問された人や、電話での応対も必要となり作業は捗りません。

 今晩中に三種類の印刷物を完成させるものの、その後の配送には人の助けが必要となり、助けてもらう人にも細かい指示が必要となると、仕事が増えてしまい、「面倒だから、自分で…」となると、1人で仕事を抱え込む顛末となっていきます。

 明日は市民病院の経営改革評価委員会を傍聴する必要もあり、月末の議会資料も議員控え室に配布される事から、本日から明日未明にかけての作業もその後一時中断となりますが、無駄の無いスケジュール管理に徹しないと大変な後始末が起こりそうです。
                                  1月18日の一言
 

我家の苦難を思い出し

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 本日は12月に亡くなった叔母の49日法要がありましたが、叔父は娘が2人だった事から葬儀後は1人での生活となっており、難病指定されている「後縦靭帯骨化症(OPLL)(こうじゅうじんたいこっかしょう)」を抱え、80才の年齢になっての独り暮らしは大変と思われる。

後縦靭帯骨化症について↓↓
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/034.htm

 人間であれば誰もが経験することだが、その身になってみなければ辛さや苦しみは判らず、叔父は本日の挨拶で「今まで3回辛いことがあったが、今回が一番悲しい」と語っていたが、叔父は3才となった昭和8年に母親を交通事故で亡くし、お寺に小僧としてもらわれていった経験があり、現代社会では想像できぬ体験もしている。

 私の父親にとっては5才の時の話で、母親を亡くして養子だった父親は子供たちを置いて出て行った事から、私の曾祖母は60才を過ぎてから野菜や花を手押し車に乗せて売り歩き孫を育てたのである。幼少の2才の年齢の違いは大きく、叔父は父親が憎くて仕方なかったようだが、私の父親は出て行った父親と一緒に生活したいと考えており、祖母や叔父の存在が最後まで生き別れとしたのである。

 私にとっては祖父にあたるが、私が祖父の実家(三重県東員町)を調べ訪ねようとすると叔父から涙を溜めて引き止められた。幼い子供達を捨てて出て行った事になっている祖父だが、出て行かざるを得ない状況となって出ており、何度も我が子に会いにきていたのでもあった。

 出て行かざるを得ない状況について、私は父親や横井庄一さんらからなんとなく聞いているが、お寺に出された叔父は今でもそのことを知らず、今また一人ぼっち(嫁いだ娘達が覗いていますが)になってしまったと嘆いているのかも知れません。

 出ていかざるを得ない状況は、幼なくして母親を亡くした我家にとって唯一の働き手を無くす事となりましたが、他人の不幸を面白可笑しく話す田舎の噂話がもとで、昭和初期の貧しい農家を遠慮なく襲う当時の悪口は現代社会では語っても理解すらされないでしょう。

 さて、そんな感傷に浸っていたものの、現実は休みもない日々が続き、本日は22年目となる愛車が車検を受けるため、3ヶ月限定の愛犬リマちゃんと一緒に修理工場まで走りました。本日も私の傍らで朝まで眠りますが、親や叔父の子供時代は生きるために余裕は何もありませんでした。こんな話をしても子供達には理解もされない現実に、現代の幸せを感じさせられます。
                              1月17日の一言

人にやさしい街づくり地域セミナーin津島↓↓
http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage7.htm

人の事を言っておれない自覚を

 民主党幹事長の小沢一郎氏の元秘書で、現職国会議員の石川衆議院議員と元会計責任者など複数の関係者が逮捕され、新聞やテレビの一面やトップニュースとして報道されているが、政権与党となって「地検特捜部のでっちあげ」なんて被害者意識は説得力に欠ける。

〇昭一郎さんの今日のエッセー↓
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/50054874.html
〇aki**etur*200*さんのブログ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/23207976.html
〇朝日新聞関係記事↓
http://www.asahi.com/national/update/0113/TKY201001130315.html

 私がここに記すまでもなく、多くの人々がブログに記し、新聞にも継続して報じられているので追記はしませんが、政権中枢にある国会議員ゆえに司法も礼儀正しく下手に出ているが、法律に反すれば交通違反でも即検挙となる市民感覚とは程遠い横暴としか思えません。

 「これがまかり通れば、日本の民主主義は暗澹たるものになってしまう」と、強制捜査や関係者の逮捕を小沢氏は批判し、鳩山首相は「小沢幹事長を信じています」と発言しているが、本来なら国権の最高責任者として司法による早期の事実解明を指導すべきではないか。

 名古屋市の河村市長のキャッチフレーズは「総理を目指す男」だったと思いますが、何事にも賛否両論はあるものの、河村市長は物事から逃げずに住民の前で語ります。総理には大きな壁がありそうですが、河村市長の仲間だった人材の民主的行動に期待したいと思います。

 さて、新聞に目を通すと興味は尽きませんが、我が身にはここに記す時間も許されぬような締め切りに終われるスケジュールが続きます。

 来週の土曜日には25日から始まる私の写真展「上高地の十年」の展示が迫り、昨日に愛知県の担当者と最終確認を済ませたものの、二週間後の30日に開催される地域セミナーの資料作成や講師との打ち合わせが続き、写真展の案内やセミナーへの参加募集も瀬戸際です。

 新年が始まったばかりで反省していても後ろ向きと言われそうですが、これからは苦痛(ストレス)を感じない、自己満足で行動できる活動に徹して、安易に先の約束をしない一年にしたいと思うとともに、月末まで継ぎ目のないスケジュールを頑張るしかないと奮起です。
                             1月16日の一言

ハイチ地震救援金


ハイチ地震救援金
日本赤十字社
この募金のブログパーツへ2010年1月12日の現地時間午後5時(日本時間13日午前7時)頃、カリブ海地域のハイチ(人口1,000万人)で、マグニチュード7.3の大地震が発生しました。
現地政府からは まだ詳細な被害状況についての発表はありませんが、同国首相は10万人以上が死亡したとの見解を表明しています。

日本赤十字社では、被災された方々を支援するため救援金の募集を実施しています。
ご協力よろしくお願いいたします。
※このページでの救援金の受付期間:2010年2月12日(金)まで。
(現地の状況などにより期間が変更になる場合があります)

この募金の使途

ハイチ赤十字社のボランティアは、けが人を介助したり、大災害に十分な対応ができていない病院をサポートする活動を行っています。
国際赤十字は、被災地の状況把握やニーズ調査に当たるための調査チーム及び広報担当者・ロジスティクス(物流)担当者・災害保健担当者を、隣国ドミニカ共和国から陸路で被災地に緊急派遣。また、救援、ロジスティクス、給水・衛生、通信機器、病院、基礎保健の各種ERU(緊急対応ユニット)を計9基派遣することを決定しました。

日本赤十字社では、ハイチ赤十字社及び国際赤十字による救援活動・早期復興活動を支援するため2,000万円の支援を決定しました。
また、事務職員1名がマイマミ経由で現地時間の14日午前中に首都ポルトープランスに到着後、現地の被災状況の調査や関係機関との調整にあたる予定です。しかし、現在空港が使用不可能となっていることから、ハイチへの他の入国方法も含めて検討中です。
今後の要請に備え、医師・看護師、事務職員の派遣準備を進めており、引き続き国際赤十字と連絡を密にとっているところです。

皆さまからの救援金は、被災地における救援活動等を支援するために活用させていただきます。

国政の乱れが人的支援を遅らせる

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 ハイチ大地震の悲惨な情報が次々と入ってくるが、私自身にとっては「ハイチ」という国名を聞いても国の位置やイメージが何もなく、隣国のドミニカ共和国についても不勉強で西インド諸島程度の知識しか無かったことから、国名から調べた次第です。

〇ハイチ共和国↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81
〇ハイチで大地震、数千人生き埋め情報 大統領官邸も倒壊↓
http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201001130122.html?ref=reca
〇ハイチ地震、死者数万人の恐れ 刑務所倒壊し受刑者脱走↓
http://www.asahi.com/international/update/0114/TKY201001140174.html?ref=reca
〇ハイチ、迫る「発生後72時間」 救援活動は難航↓
http://www.asahi.com/international/update/0115/TKY201001150175.html?ref=reca


ハイチ地震のウェブ全体検索結果↓↓
http://www.google.co.jp/search?cf=all&hl=ja&q=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81%E3%80%80%E5%9C%B0%E9%9C%87

 世界中で発生する想像を絶する大地震や津波被害に地震国の日本国民として無関心ではおれないが、今回の災害は国の政府機能や国連の建物や職員も壊滅的打撃を受けており、アメリカや中国など各国の救援チームが続々と到着する中で、我国の動きが見えづらい。

 明後日には阪神大震災(平成7年1月17日)から15年が経過するが、東海沖地震や東南海地震が発生すれば阪神大震災クラス以上の可能性が指摘されており、過去から蓄積した技術や救援活動を世界各国に先駆けて発揮すべきではなかったか。

 北沢防衛相は本日(15日)午前に、インド洋で展開していた海上自衛隊による補給支援活動に、期限切れとなった補給支援特別措置法に基づき撤退命令を出した。自衛隊の活動範囲を巡る国内の法的判断があるものの、国際貢献として考える時、今回の地震には他国に先駆ける積極的な人的派遣が必要だったのではないだろうか。

 小沢4億円疑惑に対する強制捜査や元秘書である現職衆議院議員の逮捕など、政権与党となった民主党の一部に非民主的な言動や疑惑がある事から、政府が一枚岩になっているとも思えず、そのことが他国に遅れをとる対応となっているとしたら厳しい総括も必要だ。
                                  1月15日の一言
追伸
12月から3ヶ月の約束で預かった愛犬と寝食を共にしていますが、人間の息子達の世話も出来なかった私が、犬が叱られぬために夜に粗相したオシッコを拭いています。信じられない話ですが、犬の瞳を見ていると本当は自分と兄弟ではなかったかと思うほどバカな展開です。

性同一性障害に対する法相発言に

 昨日の新聞報道であるが、性同一性障害で女性から男性に戸籍上の性別を変えた夫が、第三者の精子を使って妻との間に人工授精でもうけた子を法務省が「嫡出子」と認めなかった問題をめぐり、千葉景子法相は12日の閣議後会見で、「早急に改善に取り組みたい」と述べ、現行の取り扱いを見直す方針を表明したとあり、「嫡出子」として認める方向で検討を進めると報じられている。

性同一性障害の夫の子「嫡出子」認定へ 法相見直す方針↓↓朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0112/TKY201001120341.html

 性同一性障害について下記の性同一性障害理解マニュアルを読んでもよく理解ができないが、人間として単純に生物として考えれば、男性は男性であり、女性は女性でしかないと思われる。
 今回の千葉法相の発言は、法務省の「生物学的に父子関係がないのは明らか」として、嫡出子として認めないとの判断に対するものであるが、現実に実弟の精子を提供を受けて父子関係がない事実を曲げる事が許されて良いものか。

性同一性障害理解マニュアル↓↓
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/7835/gid/rikai/rikai_0.html

 千葉法相は、「これだけダメというのは、差別というか無理がある」とか、「法の下の平等に反する」と発言しているが、私は添付した性同一性障害理解マニュアルを読んでも、最近では女性が1人で子供を産んで育てている時代ゆえに、戸籍上の性別を変えることすら違和感を感じられます。

嫡出子と非嫡出子とは?↓↓
http://123s.zei.ac/souzoku/tyakusyutusi.html

 添付した嫡出子と非嫡出子の違いは、解かり易いために相続問題から記されたものを引用しましたが、今回の兵庫県の事例は市役所に非嫡出子を嫡出子として出生届を出しているが、これを認めれば他人の精子で体内受精した出産も同様の扱いとせねば「法の下の平等」とならず、法相の安易な発言によって法を見直すことに懸念を感ずるものでもある。

 政権交代によって見直すべきは見直し、今までの封建的な慣習や政治風土を変革することは大いに結構なことと思うが、政治家の不用意な発言によって、守られるべき日本の伝統や慣習まで変えられるべきではなく、小沢氏への政治資金疑惑に対する捜査が進捗しない現状では説得力もない。
                                 1月14日の一言

市街地でライフル銃が発射されて

 大阪府羽曳野市の居酒屋で、大阪市の職員がライフル銃を発射し、3人を殺害して自分も銃によって自殺する事件が起こった。殺害されたのは離婚問題でもめていた妻の母親と、居酒屋の大家さんと、23才のアルバイト店員で、妻は逃げて無事と報じられている。

 その後の報道では、犯人の男性は自宅に散弾銃を3丁とライフル銃2丁を所有し、昨年6月に大阪府公安委員会から狩猟用ライフル銃の所持更新を受けており、この際に羽曳野署の警察が調査して問題なしと判断しているが、犯人の妻が事件前に「何かあったら撃たれる」と語っていた事を考えると、未然に防ぐ事ができなかった事を問題としたい。

居酒屋の家族と離婚めぐりトラブル 羽曳野の発砲容疑者
http://www.asahi.com/national/update/0112/OSK201001120155.html

 かつて銃によって名古屋の高校生がアメリカで銃殺され、アメリカの銃社会に反対する運動も続いているが、日本は銃砲刀剣類所持等取締法によって銃の所持が基本的に禁止されているものの、現実には狩猟、有害鳥獣駆除などを理由に普通に生活している人なら誰でも銃の所持が可能なのでもある。

鉄砲所持の方法↓↓
http://kaz89074.hp.infoseek.co.jp/gun/gun2.html

 ここ(上)に添付したホームページを見れば、誰もが必要と感じなくとも趣味や付き合い程度の感覚で、いとも簡単に散弾銃やライフル銃まで堂々と所持できる事が判るが、最近のイノシシの暴走についても最後は警察官の発砲で仕留めている事から、有害鳥獣駆除としても余程限られた職種の関係者を除いて、現代社会では銃の所持が必要とは思われません。

銃砲刀剣類所持等取締法↓↓
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/oto/otodb/japanese/houseido/hou/lh_05050.html

 テレビから放映されてきた犯人の自宅には、狩猟に使う猟犬も数頭飼育されていたが、放された猟犬が学校内に侵入したり、人や犬を噛み殺す事件も頻発していることから、狩猟については必要とされる本職とする人以外は禁止しても良いのではないか。

 凶悪事件が続くことから、サバイバルナイフなど刀剣類の所持を見直し、エアーガンの破壊力が大きいことから所持できないように条例が改正されている中で、警察署に出向いて許可を受ければ誰でも簡単に鉄砲所持の許可が下りる事は、暴力団などの拳銃を厳しく取り締まっている現実とも矛盾する。

 そもそも、現代社会においては有害鳥獣駆除としても鉄砲を利用する必要はないのではないか。芸能人の覚せい剤や大麻が大きく報じられてくるが、一般社会の住宅地に、散弾銃やライフル銃が警察や公安委員会の許可を得て堂々と保持されている現実にもびっくりさせられる事件ともなりました。
                               1月14日の一言

営業に人の温かみが感じられず

 昨日から続けて私と契約する携帯電話のソフトバンクから電話があり、新しい携帯電話への無料の買い替えを勧められますが、当方の利用金額まで知っていることから、適当なセールスとは思えないものの、電話は東京からのため勧められた機種や契約内容が判りません。

 一方で、昨年秋頃から定期的にソフトバンクから「第3世代携帯電話機お取替えキャンペーン」の案内が郵送されており、近くの販売店に出向こうと考えていたが、「販売店では希望する無料の機種が無い」とか「充電器が無料にならない」と電話で言われると、何を信じて良いのか判らなくなります。

 数日前からは固定電話の勧誘電話もかかっており、本日はNTT西日本から「基本料金が安くなるご案内です」との内容でしたが、「安くなるなら案内する前に安くできないか」と答えたものの、我家は遠距離はKDDIになっている事から、それを止めなければ安くならないようです。

 ただし、せっかくの電話も我家に固定電話が3台ある事を把握しておらず、電話から携帯電話へ転送している事や、1台はファクス専用となっている事も判らず、身勝手な都合を押し付けられても当方の損得やサービス拡大につながる確証が持てません。

 携帯電話のカメラの画素数が低いことから、レベルの高い携帯電話に交換したいと考えており、固定電話から携帯電話への転送料金が高いことや、携帯電話から携帯電話へ自動で転送できないかなど、電話機について知りたい事は多くあるものの、勧誘電話はそれに答えてはくれないのです。

 このあたりに、かつての販売セールスマンの顔が見えた時代とは違って、質問する事もできず売りたい目的だけで一方的話された上で、当方の質問が面倒と思うと「それじゃー、また…」と電話が切れてしまう理不尽さが、「またかー」と電話を早く切る事だけとなっていきます。

 車の車検切れについても、毎回車検を受けてきたトヨタの営業所からは電話で「いつ持ってきてもらえますか」と連絡があったものの、半年前にキャブレターの不調を調整して欲しいと車を持って行った際には、「もう部品すら入手が難しい」と高額な提示を受け、修理はされずに遠くの修理工場を探して直した事を知らないのである。今年で22回目となる車検だが、こんなに旧くなると我家に5台の車がある事も考えず、勝手に持って来いのような対応となる。

 前記した電話機や車検だけでなく、薬や健康食品などの電話や手紙の勧誘が連日のように続いていますが、実際に我家を訪れる営業はほとんど無く、政権が代わり、「コンクリートから人へ」と叫ばれたが、世の中は「ひったくり」やコンビニへの強盗のニュースが続き、セールスさえ人と人との信頼関係が無くなっている現実を淋しく実感しています。
                                 1月12日の一言

希少魚密猟で3人逮捕の報に

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 愛知県一宮市内の木曽川で、国の天然記念物で環境省から絶滅危惧種に指定されているイタセンパラなどを密漁して飼育するとともに、他人に販売していたとして文化財保護法違反と種の保存法違反で、愛知県警は51才の会社員を逮捕した。

関係新聞記事↓↓(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010011002000100.html
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010011102000141.html

 報道する新聞各紙を見ると、「1200匹密漁」とか「1日100匹密漁」などと報道されており、自宅のベランダや庭で大型の水槽で飼育していたとある。今回の事件ではイタセンパラだけでなく、ネコギギやアユモドキも捕獲して、大分県や岡山県の淡水魚販売業者に売り渡していた。

 現実には、木曽川で釣り糸をたれれば釣れる可能性も高く、私もかつては各地に釣りに出かけて、名前も判らない魚を捕獲して持ち帰って飼育していた事がありますが、世の中には釣った魚が希少価値のある絶滅危惧種とは知らずに持ち帰られる例も多いのではないか。

 さて、新聞に掲載されたイタセンパラ(写真上)については、コイ科のタナゴの一種とされているが、私の少年時代には「トウギョ」と呼んでいた七色に輝く同じようなタナゴが存在していました。
※トウギョは正確な名前ではなく、子供の勝手な呼び名でした。

淡水魚については下記を参照して下さい↓↓
http://www.hpmix.com/home/katuuya/katuuya2013/T1.htm

 子供時代には近くの河でいくらでも捕れた魚ですが、同じように小川でバケツですくえるように繁殖していたナマズについてもほとんど存在せず、最近では大きなライギョの釣り場として遠くから釣り人が訪れ、50センチ以上のコイが悠々と泳いでいきます。

 ナマズについては隣町との境界を流れる用水の排水場近くで釣られ、タナゴの一種については我町とは水系の違う排水場で採取したことがありましたが、川や用水を稲の運搬に使っていた水郷地帯だった事から、今では見なくなった「ウグイ」や「ウナギ」も生息していました。

 もっとも、近所を流れる2級河川日光川についても、戦後に上流で染色工場が操業するまではシジミがいくらでも採れたそうですから、戦後60年の間に自然界から多くの動植物が消え去り、中には希少価値のある水生動植物も存在していたと思われます。

 前記したナマズについても、アメリカザリガニや田んぼのタニシについても、バケツに溢れるように捕れて食材にされ、トンボのタケヤンマやギンヤンマが夕暮れの空を真っ黒にしていたかつての自然は戻る事は不可能ですが、存在した事自体の記録は重要と思います。
                               1月11日の一言

厳粛な消防出初式から騒々しい成人式へ

 本日は津島市の消防出初式が天王川公園で開催され、天候には恵まれて例年になく暖かい朝ではありましたが、今年は経済建設委員会の委員長ために来賓席に座る必要があり、消防団員が規律正しく整列している中で、マフラーやオーバーは許されぬ事から、暖かいといっても真冬の朝の1時間を壇上に座ったままでいると、身体が自然に震えるのを堪え、最後は足の震えが止まらず、胃も痛くなってきました。

 来賓挨拶の中には、寒さに声が震えて挨拶原稿が途切れて失笑をもらう人もありましたが、壇上は高いために風が吹き込み、一枚多く着ていくとしても、来賓が着膨れしているのも無様な事から、座って動かないままの来賓席は予想以上の寒さが堪えました。

※出初式の様子は下記をご覧下さい。
〇気まぐれ散歩道さんのブログ↓↓(勝手な引用をお許しください)
http://blog.goo.ne.jp/mako_2006/e/891d133ed1493f0c7470516a4985aeb5

 さて、本日は出初式が終わったあとで津島市の成人式も開催される事から、慌てて会場となる文化会館に走りましたが、今年の会場は騒々しく「今年の成人式は荒れる」との声も耳にしましたが、最前列に派手なハカマ姿の男子が足を組んで陣取っており、進行に合わせて出席者をあおります。

 幸いにして騒がしいだけで、かつて持ち込んだ酒を回し飲みし、騒いでヤジを飛ばしたり、会場を勝手に歩き回るような悪質なものではありませんでしたが、最初の開会セレモニーが終わって、我々来賓が退出するために緞帳が下りきる寸前でしたが、舞台にペットボトルが投げ込まれました。

 最近は成人式の内容や進行をすべて新成人が運営しており、若者に受け入れられる身近なイベントと化しているが、成人した責任と祝いの儀式として考えると、厳粛な式典であっても大多数の新成人は納得してくれると思いますが、一部の騒いで暴れたい新成人の存在が娯楽や同窓会の延長のイベントとしていたら残念な事でもあります。

 議員として、新しく成人となった若者の前途を祝うのも仕事かもしれませんが、ペットボトルを投げ入れられる舞台に、現職国会議員や県会議員と我々市議会議員が座っているのは情けなく、新成人に「選挙の宣伝のために出席している」と感ずる人がいれば議員の参加の方法を考え直す事も必要です。

 もっとも、大人でも犯罪人や酔っ払いは存在する事から、わずかな時間を座っているだけと割り切って、無関心で考えなければ問題でもありませんが、両親や周りの人々のお蔭で新成人となった事と、ただ座っているだけの来賓の我々にもそれぞれの貴重な時間という認識は持って欲しいと思います。
                               1月10日の一言

37才の貴乃花親方にエールを

 力士の大麻吸引事件や親方や兄弟子による力士暴行死など、不祥事が相次いだ相撲界において、37才の貴乃花親方が相撲協会の改革を目指して理事に立候補を表明し、所属する二所ノ関一門による会合で一門から離脱して今月の初場所後の理事選に立候補すると報道されている。

〇理事選、角界に風吹くか 貴乃花親方が立候補表明
http://www.asahi.com/sports/spo/TKY200912150120.html?ref=reca
〇貴乃花親方、年功序列の角界に反旗 無所属で理事選へ
http://www.asahi.com/sports/update/0109/TKY201001080460.html

 2年に1度の理事選挙は、五つある一門で話し合って理事を選出し無投票になるのが慣例で、二所ノ関一門の理事は3人だが、新たに貴乃花親方の立候補により4人の候補者となり、年功序列の話し合いに反旗を揚げ「このままでは面倒をおかけする」と告げ、途中退席したとある。

 他の3人の理事候補者は現職であるとともに、放駒親方(61才・元大関魁傑)と二所ノ関親方(61才・元関脇金剛)、鳴戸親方(57才・元横綱隆の里)の年齢を考えると、65才の定年まで有終の美を飾りたい2人と、更なる上を目指すためには3人とも降りられない。

 現在の貴乃花親方は37才でありながら理事待遇に処されており、将来の理事長候補とウワサされてきた事を考えると、共鳴する若手の親方も存在するものの、今後の切り崩しによって協会で孤立する可能性もある事から今回の行動は諸刃の剣でもある。

 現状では1人の関取も育てていないと批判する声はあるものの、親の貴乃花や伯父の初代若乃花など名門二子山部屋の流れをくみ、自身の大横綱としての知名度もある事と、他の部屋のように有力な支援者を頼らず、サポーター制度の導入など部屋経営としては自立しているが、共鳴する若い親方達にとっては死活問題となる可能性からどこまで支持が広げられるか疑問だが、先輩理事の定年を待っておれば40才を超える事から「無記名投票」ゆえに純粋な賛同者に期待したい。

 見方を変えると、議席にしがみつき、なりふり構わず政界復帰を目指す自民党の長老議員と、改革を訴える若手議員の構図のようにも見えてくるが、我々地方議員にとっても最善の策とは思えなくとも打ち破れない慣例が多いことから、我が身に置き換えて理想と目的のためには純粋に行動する若き貴乃花親方の行動を他山の石としてエールを送りたい。
                               1月9日の一言

小沢氏4億円と200円に期待する自分を対比させ

 私は過去に一度も「宝くじ」を購入した経験がなかったが、年末に次男の運転で買い物に出向いた際に、宝くじに興味を示す次男に付き合い、宝くじを購入したいと思ったものの、1枚だけの購入ができず、10枚買わないといけないと聞かされた。

 「宝くじは1枚300円じゃなかったのか?」
 「そうだよ」
 「じゃー、何故に1枚だけ買えないのか?」
 「そんなこと知るかッー!」
 「10枚買ったら、絶対にハズレが出るだろー?」
 「1枚買っても当たらないだろーが」
 「じゃー、ハズレると思って買うのか?」
 
 今まで宝くじを買わなかったのは、絶対に当たらないと思っていたからだが、1枚だけなら珈琲代か捨てると思って買う気にもなれるものの、10枚の3千円も支払って例え1枚当たったとしても、残りの9枚はハズレ券となってしまう事から、金を巻き上げられたような気分となる。

 1枚の購入ができなければ、次男の買う中から1枚だけ欲しいと訴えると、「その1枚が当たったら悔いが残るから」と、息子は自分で10枚買うと言い張る事から諦めていると、「1枚でも買えるくじがある」と聞かされたのが「ロトシックス」であった。

 そんな顛末から1枚200円の券を2枚買って、帰宅後に息子の購入した券と一緒に仏壇の先祖の位牌の傍らに置き、1億円当たったらお互いに1千万円を譲りあう約束をしていたが、双方とも見事にハズレていました。

 さて、前置きが長ーくなりましたが、宝くじで1億円当たったらどうするか市役所に勤める同級生達と話していると、「1億円当たったら今すぐ退職する」と言う意見と、「うーん、1億かー、迷うところだなー」の意見もあったものの、1億円は定年退職までの4年間分より魅力があることは間違いがありません。

 年末に、こんな庶民のささやかな会話をしていた事がバカらしくなるのが、民主党の小沢幹事長が4億円にも上る大金を、いとも簡単に秘書に命じて台車に乗せて運ばせていた事で、政治に関する資金疑惑にも報道陣のインタビューを意にも介さず無言で立ち去る姿であった。

小沢氏の4億円問題についての記事↓↓
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100108AT1G0701I07012010.html

 こんな横着な対応が許され、あいまいなままに幕引きとなれば、わずか数千円の違法行為によって新聞紙上に名前が載せられ、議員辞職や政界引退となった地方議員も浮かばれない。民主党とか自民党の政局とか駆け引きとは別に、政治家個人として公正な判断と対応を望みたい。
                               1月8日の一言

笑えない淋しい現実に

夢路いとし・喜味こいし 「七十才からの挑戦」
http://www.youtube.com/watch?v=5JnNDOGIsT0&feature=related

REDカーペット ビーグル38
http://www.youtube.com/watch?v=9EO45cUders&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fjz45yZntQ8&feature=PlayList&p=8376A3159A72A963&playnext=1&playnext_from=PL&index=5

東京都の派遣村200人、無断外泊 交通費2万円受給後・朝日新聞↓↓
http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201001070240.html

 職を失い、住まいもない人々に、年末年始の宿泊場所を東京都が提供していたが、6日から仕事や住まいを探すために、2週間分の交通費と食費分2万円を国の財源で支給したとこる、支給した542人のうち200人が外出したまま無断で戻っていないとの報道があった。

 東京都は昨冬の「年越し派遣村」の再現を避けたい国の要請で、4日まで生活総合相談を実施してきたというが、年末年始に限らず失業中の人々の中には、本当に働く意欲があるのかどうかを確認もせずして、公的援助を当り前とする事には再考も必要ではないか。

 住まいについても同様に、企業の突然の身勝手な解雇による住宅の退去については、公的な支援も一時的には必要かもしれないが、働く意欲もないままに一年を過ごし、年末年始には公的宿泊所が当り前のように集まり、公的扶助を求めるのも限界がある。

 中高年になってからの求職活動には厳しい現実があり、希望どおりの職種に就くことは難しいものの、それ以前の問題として、求職する人に住むべき住居がない事が就職の大きなネックになっており、かつては住み込みが容易であった新聞配達においてさえ、住所不定者の採用は二の足を踏む現実から、これまでの生活保護の延長線上の施策を見直す必要も現実的と思われる。

 難しい議論となるが、現在の日本国憲法の中には、義務教育とともに、勤労の義務と納税の義務が明記されている。権利ばかりが叫ばれる傾向が強いが、不登校によって義務教育すら修了せぬままに卒業する若者が増加し、保証人もない身元不明者を採用する企業はない。ましてや、年金どころか健康保険もないままに、納税した事もない人物を善良な国民の納税によって成り立つ行政が救うのには矛盾もある。

 本日の朝日新聞を読み、国から支給された2万円を持ったまま無断で姿を消した人物が、542人中で200人(連絡のあった人はごく一部)も存在したことは、今後の「年越し派遣村」や生活援助について、行政の関わり方を根本的に見直す必要を感ずるものでもある。

 さて、こんな理不尽な社会にあっては、冒頭に添付した実績のある漫才師の物真似で、高齢者をバカにしたような若い芸人の漫才が受けている現実にも淋しい現実を実感させられます。
                                1月7日の一言

16年以上も毎月の手紙が届き

 我家には平成5年の秋から毎月届けられる手紙があり、数えてみると16年以上になるとともに、195通も手紙が届いた計算となり、切手代だけでも1万5千600円かかっている事から、有難いだけでなく送り手の善意に敬服するしかありません。

 昨日届いたその手紙に「和尚さんが、テレビに出ます。時間があれば見て下さい」と書いてあった事から、早速娘に連絡してビデオ録画を依頼したが、手紙の主は知多半島の先にある「宝珠寺」から送られてきたもので、名古屋テレビの「旅してゴメン」の中でウドちゃんが立ち寄ったとの話でした。

ウドちゃんの旅してゴメン
2010年1月9日(土)朝9時30分~放送(名古屋エリア)
「波音ささやく 冬の海岸物語 愛知・南知多内海」

新年1本目は「愛知・南知多内海」を旅してゴメン!
夏の賑わいとはチョット違う“冬の内海”の魅力に迫ります♪
新鮮&絶品の海の幸グルメを堪能したり、
温泉に入りながら水平線に沈むサンセットに酔いしれたり♪
また、何とも可愛らしい内海駅の人気アイドル登場!お楽しみに!

旅してゴメン・名古屋テレビ↓↓>
http://www.nagoyatv.com/tabigome/index.sms

南知多町山海・宝珠寺↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/35964221.html

 私がこのお寺を知ったのは、私の父親が末期ガンで死の宣告を受けた平成5年1月の事で、聞いた相手は朝日新聞の記者だった事から、「ガン」の治る方法として新聞記者が当り前のように口にした事から不思議な印象が残り、現実には父親を連れていく事はなかったものの、父親の亡くなった後に訪れた事が始まりでした。

 お寺でガンが治るなんて非科学的と思われ、親しい医者に話しても「絶対にありえません」と言われるが、現実に何度も手術を受けて、医師から見放された女性のガンが治って現在も私の隣町(愛西市)に実在しているから、新聞記者も口にしたのであった。

 さて、そんな話は別としても、ここの住職は檀家もない貧乏寺から、巣鴨の高岩寺に住み込んで駒澤大学を卒業し、アメリカに仏教の開教師として渡った経験を持ち、当時は高岩寺から分身として「洗い観音」様を建立した直後でした。

 前記したガンの治った女性は現在も元気ですが、「和尚も一生懸命にお婆ちゃんの事を観音様に祈るから、朝の5時からこっちを向いて一緒に手を合わせて祈ってよ」の一言が、医師から見放された女性の命を救い、何事にも一生懸命に相談にのる和尚の姿から、私も心のよりどころとしているお寺です。

 一口に平成5年からと言いますが、よくも毎月手紙を届けていただいたと思います。過去にも何度となくテレビに登場し、小学生の一人息子を一年間北海道のお寺に預かった番組では涙が止まりませんでしたが、今回は楽しく見られそうな番組のため皆さんにも紹介した次第です。
                               1月6日の一言
「ウドちゃんの旅してゴメン」は、現在全国9局にて絶賛放送中!!
メ~テレ(名古屋テレビ)土曜9:30~10:00
TVS (テレビ埼玉)水曜19:00~19:30
HAB(北陸朝日放送)月曜10:00~10:30
SUN((神戸)サンテレビ)日曜18:30~19:00
eat(愛媛朝日テレビ)土曜15:55~16:25
YTS(山形テレビ)金曜16:00~16:30
YBS(山梨放送)木曜16:23~16:53
KBS(京都放送)木曜20:55~21:25
RKC(高知放送)土曜10:25~10:55

全国各地の先進事例を参考にしたい

 本日は毎週火曜日の夜に我家の2階で開かれている書道会「神守丈友会」があると勘違いしていた事から、暖かかった一日が夕方より寒くなっていた事と、我家の広く冷え切っている事務所を暖めるため1階から温め、2階の大型ストーブに火を入れて準備していたが、全てが無に終わらせてしまいました。

 夜7時半には恩師宅の門前に送迎の車を走らせており、車も冷え切っている事から温めていたが、平生なら出発前に誰かが到着しているのに、本日は誰も現れない事から、確認の電話を入れて正月休みとなっていた事が発覚した次第です。

 結果論となりますが、最初から休みと判っていれば私の夕方の予定も変わっており、最近の日課となっている愛犬との散歩についても無くす代わりに、書道会の間を広い会場でボール遊びさせようとフロアを掃除していたのも無に終わらせてしまいました。

 さて、本日の朝日新聞一面に「住民の足自ら担う」と題して、神戸市北区淡河町のNPO法人の活動が紹介され、補助金ゼロで地域の人々の住民を運賃200円で運ぶ「過疎地有償運送」の記事が掲載されていました。

関係する資料↓↓
http://www.care-news.net/hyogo/2008/03/19/550533.html
http://www.geocities.jp/straphangerseye/transport/busjikken/ogo.html

 昼間に使用されない福祉施設の送迎バスを借りて、住民の移送に生かす発想で、町内を走る路線バスが年間2千万円の補助金を兵庫県や神戸市から受けているのに対して、NPO法人を設置して行政から補助金を受けずに頑張っている姿は全国各地の先進事例として注目したい。

 我々の住む地域には、名鉄電車やバス路線が存在し、津島市の巡回バス(コミュニティバス)も名鉄バスによって運営されているが、莫大な予算を必要としているだけに、地域に存在する送迎バス(企業や学習塾など)の空白時間を活かした移送を考えれば、住民の痒い所にも手が届けられそうでもある。

 方法は違うものの、我々の展開する「福祉有償運送」と意識を共有している事から、今までの何でも行政に要望する体質から、住民の手によって有る物を低経費で運用して、更なるサービス拡大も可能なことを確信し、赤字に悩んでいた心に力強い新風となる記事でもありました。
                              1月5日の一言
 

短い正月休みが終わり

 今年は3日が日曜日のために、4日から仕事のお店や会社も多く、家内も本日から仕事のために出勤していったが、6日が日曜日であったなら正月気分もひじょうに長く感ずる事ができたのではないでしょうか。

 来年は2日が日曜日となっており、6日が日曜日になるのは3年先の事となりますが、この年の12月28日が土曜日のため、市役所は1月5日の日曜日まで9日間の休みとなる事から、勤める職場の労働環境によって、祭日の曜日は大きな影響を及ぼすように感じます。もっとも、3年後までに議員の任期が切れることから、私の3年後の身分は不確定でもありますが…

今年のカレンダー↓↓
http://www.himekuricalendar.com/calendar.cgi?year=2010&weekstart=0

 さて、本日から市役所の業務がスタートしましたが、本日正午が「議会だより」の原稿締切日となっている事から、原稿は電子メールで送信してあったものの、その基となる会議録は届ける必要があり、本当に私の正月気分も本日で消え去りました。

 今月は議会としての日程は消防出初式や成人式など行事参加程度でほとんどありませんが、私個人にとっては23日から「上高地の十年」と題する写真展が迫っており、30日には午前と午後に愛知県のセミナー事業を2件抱えている事から、議会開催月よりも忙しい1月となりそうです。

 もっとも、写真展にしてもセミナーについても、実施すること自体は難しいものではなく、準備や打ち合わせの忙しさはあっても、その日までに間に合わせれば済む問題であり、一番肝心で難しいことは実施する会場までいかに一人でも多くの人々に来場してもらうかにあります。

 特に地域セミナーについては、テーマが「人にやさしい街づくり」とか「心のバリアフリー推進事業」だけに、興味本位で参加してもらえるテーマではなく、案内する対象すら見極めが難しく、参加人数にこだわると役所関係者の「やらせ」参加者によって席を埋める不本意な運営となってしまいます。

 写真展にしても、過去に「高校野球写真展」は数回開いた経験がありますが、この時は趣味というよりも主催する新聞社の都合で開催しており、趣味としての写真展は初めての経験となり、どんな人に案内するのか見当もつかず、案内しても会場に居れないことから頭を痛めます。

 本日の夜には、定年退職後の第二の人生をスタートした知人の訪問をうけ、特定非営利活動法人「矢作川自給村稲穂の里」事務局長との名刺を渡され、私の憧れのような活動だけに羨ましく思うとともに、私の悪い癖で、自分自身を忙しくしてしまう思いも頭をめぐらせてしまいました。
                              1月4日の一言

正月休みも本日で終わり

 今年の元日は私が出かけなかった事から、家族全員が勢揃いする年初めとなりましたが、次男が風邪のために体調を壊しているため、感染を恐れた家族は時間差の生活となっており、昨日に続き本日も「休日診療所」に走る事となりました。

 簡易検査によって次男はインフルエンザではなかったようですが、「熱が下がらなかったら明日も来てください」と言われた事から、昨日に薬を処方されても何も体調が改善しないために、本日も「休日診療所」のお世話になりました。

 日曜日や祭日についても診察が受けられる「休日診療所」は、こんな時には便利で患者にとっては大変助かる存在ではあるが、診察する医師が毎日変わる事から、昨日の検査や処方の記録が完全に申し送りされずに、本日も昨日と同じ検査と薬の処方で高額な治療費がかかったと言う。

 「何で市民病院に行かなかったのか?」と帰宅後に長男が呟いたが、今回訪れている「休日診療所」は海部郡の医師会の運営で、津島市には津島市医師会の運営する「休日診療所」も存在し、長男の言う市民病院の時間外診療もある事から、選択肢を多角的に考えればよかったと反省である。

 それでも2日間とも簡易検査によってインフルエンザではないと診断された事から、効果は期待できないものの処方された薬と、我家の伝統的風邪対策で早期の回復を図らないと、大家族だけに風邪のリレーとなれば大変です。

 さて、毎年正月は出かけることを当り前としていましたが、次男のお蔭で家にカンヅメとなっており、私の存在を確認した知人の訪問を受け、自宅で元旦を迎えるのは久しぶりとなったが、それはそれで結果良しと思われ、3日間とはいえ寝て食べるだけの生活も本日限りとなります。

 明日からは家内の仕事が始まり、私も明日を締め切りとする議会の仕事もある事から、正月気分も本日限りで、御用納めから本日までの空白が、明日からのスケジュールは年末より更に忙しい日々となりそうでもあります。
                                 1月3日の一言

元日の折込広告にウソはないと思うが…

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 年末から元日にかけて愛知県も吹雪のような天候となり、元日の初詣も躊躇する年明けとなりましたが、本日は元日に新聞に折り込まれた「初売り」の電器量販店の広告を見比べた我家の家族が、考慮に考慮を重ね、議論に議論を重ねてテレビを買いに走りました。

 「せめて、正月のテレビ番組を大きいテレビで」という我家の切ない願いも、「広告はウソばっかりじゃないか」と、三男と家内は怒りを口々に発しながら帰ってきました。
 まさか全部ではないだろうが、先着5名と言う安売り商品が、開店間際にもかかわらず品切れとなっていたようで、展示してある商品には広告とは段違いの高い値札がついていたと言う。

 事の真意は定かではないが、多くの客が広告を片手にウロウロし、お互いが文句を言いながらも「安物買い」の格安テレビだけに、大量に展示された大型テレビの高額料金との差額を指摘するまでもなく退散していたらしいが、いまだにこんな子供騙しの商法とは信じがたいものの、結局は私が推薦するジャパネットタカタに注文となりました。

 さて、前記したように大晦日に吹雪いた事から例年の京都行きを断念した事が正解だったかのように家族から言われましたが、毎年訪れている大徳寺門前の細見酒店から、元日の午前中に必着と指定された日本酒「雪紫」が宅配(贈答)されてきました。

私のお気に入りの店⇒ http://www6.ocn.ne.jp/~kitaru/

 本当に新年早々の有難い気持ちを頂いた事からここに添付するとともに、量販店とは違う人と人との信頼関係が受け継がれていくためにも、京都を訪れた際には是非立ち寄っていただきたいお店として紹介させていただきました。

 本日も私の助手席を温めたのはリマちゃんで、家内の買い物に同行した私(と言うよりも残念な事に家内を)を待って運転席から家内の姿を探す姿は、子供が大きくなった我家には貴重な存在にもなっています。今年もバカな一日からスタートとなりました。
                               1月2日の一言

謹賀新年

明けましておめでとうございます

旧年中は大変お世話になりました。
今年も宜しくお願い申し上げます。

         平成22年 元旦
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