大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2010年02月

50年前の悪夢再びの津波に

 冬季オリンピックに世界の注目が集まっていたが、閉幕を迎えるのに併せたかのように南米チリでマグニチュード8・8の強い地震が発生し、地球の裏側から大きな津波が日本各地に押し寄せてきた。

 本日の朝刊では122人の死亡記事が報道されているが、被害総数は更に拡がると思われ、今年に入って1月12日に発生したハイチ地震も、オリンピックの開幕と同時に報道されなくなり、人々の関心は次々と移ってしまう事から、世界中のオリンピックへの関心をチリ地震に注いで欲しいと願う。

 1月に発生したハイチ大地震では22万人が死亡し、30万人がケガをしたと発表されているが、昭和35年にチリで発生した地震はマグニチュード9・5と今回の地震より規模も大きかったが、日本に押し寄せた津波で142人の日本人が死亡または行方不明となっており、その反省が生かされテレビは全社が津波情報を流し続けました。

 私の意識の中では、日本こそが世界有数の地震大国と思っていましたが、2000年以後に世界中で46ケ所もマグニチュード7・5以上の大地震が発生しており、死者不明者28万人以上となるインドネシア北西部(スマトラ北部)地震や、8万7千人以上の中国四川省中部など、世界中に共通する大問題である事は間違いがありません。

 日本では90年代に4ヵ所の大地震(7・5以上)が発生しているものの、2000年以後の大地震は03年に十勝沖地震が起こっているだけで、台風や水害による大災害が続いた事から、地震に対する意識が薄れている可能性も高く、1月のハイチ大震災や今回のチリ地震を他人事にしない警戒が必要に思います。

 「災害は忘れた頃にやってくる」と言いますが、災害だけでなく人的事故も同様に、災いは突然に発生して驚かされます。それにしても地球の裏側から一日で津波がとどく事にも改めて驚かされました。
                                2月28日の一言

四国椿堂ゆかりの椿が花を咲かせました

イメージ 1

 昨年9月21日に四国別格20霊場第14番椿堂を訪れた際に、ご住職より「ご接待」と言っていただいてきた椿の苗が、昨日から花を咲かせ、今週からは一緒についている17個の蕾も一斉に花を咲かせてくれそうです。

四国別格20霊場第14番椿堂↓↓
http://www.tubakidou.com/index.html
http://www.bekkaku.com/map/14.html

 寺の縁起に記されている由来については、「弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています」とあります。

 「この椿も弘法大師ゆかりの椿なんですか?」との私の問いに、「はい、そうです」との明確な返事はご住職から返ってきませんでしたが、「違います」と否定もされなかった事から、我家では「弘法大師ゆかりの椿」ではなく、「椿堂ゆかりの椿」として大切に育てていきたいと考えています。

 もっとも、椿の花は縁起が悪いと話す人もあり、花や樹木の価値観は人それぞれ違いますが、我家には横井庄一さんと私の祖母が一緒にタネを蒔いた「マキ」の木も多数存在しています。

 不思議な事は、私の父親の亡くなった通夜の日にその木から落ちたタネを玄関前の受付の机の下に発見し、そのままにしておくと直後に発芽して成長を続け、現在は4メートルほどになっていますが、父親の死んだ時に母親達(この時には横井庄一さんは存命でした)の植えた親木からタネが落ちて成長した事から、庭としては不自然ですが私は親木の枝と子供の枝を玄関前で交差させました。

 父の母親(私の祖母)が亡くなって80年近く経過し、今年はその母の母親(祖母の母親)の五十回忌を迎えますが、我家のマキ(横井庄一記念館にも2本植えてあります)も植えた人が亡くなっても存在し続けており、添付した椿の木も含めて永遠に受け継がれていってもらいたいものです。
                                 2月27日の一言

3月議会一般質問の通告が終わり

 本日は3月議会の一般質問の通告締切日となっており、質問通告書を正午までに提出する必要があり、昨晩仕上げた通告書をパソコンから探すと見当たらず、午前3時頃に議会事務局に送信したはずの通告書も見当たりません。(つまり、送信されていなかったのでした)

 確かに通告書を仕上げて送信したと思っていたのですが、仕上げたものの送信されずにパソコンの何処に保存されたのかも判らず、こんな場合に備えてパソコンは3台体制となっているものの、保存先を探すのも一苦労で、新たに書き上げてメールを送信して市役所に走りました。

 通常の議会の一般質問については、かつては質問の順番を正副議長がくじ引きで決めていましたが、2年前からは通告書の提出順となっており、3月議会だけは会派の代表質問がある事から、代表者質問が優先となり、その後に一般質問となります。(一般質問は4日と5日)

 私は6番目の登壇となり、4日の夕方4時頃の質問となりそうですが、今回の議会には14人が質問を通告しており、22人(欠員1名)の議員数としては過去にない登壇となりましたが、これは議会で質問や意見を発しない議員への採点(通知表)を市民団体が行なったとの報道があったからとの噂話です。

 津島市議会は大きな会派が2つ(7人と5人)あり、残りの5会派はすべて2人会派となっており、私は最年少のU議員との会派ですが、代表者となっているだけで、若いU議員に触発される事も多く、対等の立場で会派を組んでおり、代表質問といっても個人の質問です。

 さて、3月議会の私の質問内容を添付しておきます。質問日は4日(木)6人目(午後4時前後)の予定

1件目 巡回バスの広域連携と公共交通について
 要旨、隣接市町との連携と協力による利便性の向上について

2件目 津島市民の税負担と行政サービスについて
 要旨、他の市町村との比較や格差是正について

3件目 医療連携について
 要旨、海南病院との関係や救急体制について

 1件目については、津島市の巡回バスと隣接する市町の巡回バスの連携と、新年度に予定されている巡回バス検討委員会の内容を問い、地域公共交通会議の設置や、隣接市町との協議の場を求めて質問します。
 2件目は、家の後継者となるべき若者が故郷に戻ってこないと、老人だけが残された街になってしまう事から、行政負担やサービスの格差についての現状と検証をこめた質問です。
 3件目については、隣接する5市町村が海南病院に財政支援する事から、津島市民の利用も多い事から今後の連携について質問し、海南病院が6月からドクターカーを導入するとの情報がある事から、津島市の対応についても併せて質問いたします。

 一般質問については、質問ですから何でも質問できますが、何も調べずに判らないから質問を続けても質問は成り立ち、質問する議員が大量の資料を持ち合わせても、内容を熟知すればするほど質問は簡単になる事から、こんな事情についても理解してテレビを視聴していただければ幸いです。
                                  2月26日の一言

私の生活を変えた相棒の存在

 朝日新聞の夕刊に『かぞくの肖像』のコーナーがあり、本日は作家の北方謙三さんが愛犬のレモン(ジャックラッセルテリア・雌5歳)とともに「人に話せないこと相談」と題して、犬との日常生活が紹介されている。

北方謙三↓
http://www.shueisha.co.jp/suikoden/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E8%AC%99%E4%B8%89

 プロフィールを見ると、「昭和56年『弔鐘はるかなり』を集英社より出し、肉体を中心にした新しいハードボイルド小説を目指す。 昭和58年には『眠りなき夜』(集英社)で第一回日本冒険小説協会大賞・第四回吉川英治文学新人賞を受賞する。 ...」とあり、私とは無縁のハードボイルド作家のイメージが強かった。

 北方さんと愛犬の日課は、夕方に赤いスポーツカーへ乗せて近くの公園を散歩する事だそうで、「あいつを殺した方がいいかな」と、小説の登場人物となって愛犬と会話をするのだそうだ。そして。朝、昼、晩と食事に呼びに来るのが愛犬の仕事と記されています。

 さて、昨年12月から再三記してきましたが、3ヶ月の約束で預かった愛犬「リマ」ちゃんに一目惚れして、以来一日に何度も近所を散歩する事が日課となっていますが、この事によって今まで一度も会話を交わした事のない近所の人々が愛犬を連れて走り寄ってこられます。

 我家では生まれてから現在まで犬が必ず存在していましたが、愛犬と言っても我家につながれる番犬が役目で、一緒に参歩してすれ違う愛犬家と会話を交わすのは初めての体験で、「頭が下がらない」とか「愛想が無い」と議員にとっては極めてイメージの悪い私でも自然に会話が交わせます。

 本日は3月議会の本会議が開会し、私とリマちゃんにとっては久しぶりとなる朝から夕方までの長ーいお別れとなりましたが、帰宅後に散歩していると一年ぶりの再開となる犬を発見し、飼い主が一年前に遭遇した交通事故の話となりました。

飼い主の事故現場から戻った愛犬・昨年2月14日の一言
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/38868896.html

 飼い主は私が事故後に関わった事はご存知でしたが、事故の記憶が一切なく、事故後も事故の状況と同時に、一緒に事故に遭遇した愛犬は私が飼い主宅へ連れ帰ったと思っておられたようで、事故の様子は本日まで知らなかった様子だった。

 こんな会話も愛犬「リマ」ちゃんがいるから出来た展開に、3ヶ月の期限が近づいており、飼い主がフランスから帰国すると帰っていってしまいますが、今では朝、昼、晩と寝食も一心同体となっている相棒の存在に、不在となった日々を考えると心臓に寒風が吹き込む心境です。
                                2月25日の一言

町内で一ヶ所となった竹薮です

イメージ 1

イメージ 2

 私は完成した会報「津島の風」の配布を先週より続けており、目覚まし時計は午前3時15分に設定し、3時半よりバイク(ヤマハメイト)で配達に出ますが、23年間続けた新聞販売店の仕事柄から今まで苦にならなかったものが、最近は少し苦痛になりつつあり、「このまま眠り込んでしまおうか」との悪魔の囁きが頭を過ぎります。

 会報はボランティアで配布を手伝ってくれる仲間や大先輩の応援もありますが、家々が建ち並ぶ住宅地の配布をお願いして、私は旧来の農村部や距離の離れた一軒屋などを配布し、午前中は仮眠の前後に行政の仕事を済ませ、午後は会報の折込作業(A3版裏表印刷2枚をA4番8ページへ)と、空いた時間を配布に歩きます。

 さて、本日の午後は本来ならば一番最初に配布している私の町内(越津町270世帯)を配布しましたが、かつては町内に多数存在した竹薮(やぶ)が(近所だけでも3ヵ所ありました)今では一ヶ所だけになっており、春のような暖かさも手伝って日当たりの良い南側と北側から撮影しました。

 この竹薮は淡竹(はちく)でしたが、かつては孟宗の竹薮が多く、ほとんどが人が入らない環境だった事から、私たちは勝手に入り込んで『隠れ家』を造ったり、勝手に切り出して竹バットにしたり、弓の材料にして我が物顔で遊んでいました。
 
竹のホームページ(勝手な借り物です)
http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/iwanohim/take.htm

 地震の時には竹薮に非難せよとは言われるものの、庭に植えると家の床下まで入り込むため竹は嫌われ、家内の在所も裏の竹薮が増えすぎた事から、義父が亡くなった後に切り倒したようですが、切るのも大変で根を張っているので掘ることもできません。

 添付した竹薮も、いずれ気がついた時には無くなっている可能性も高く、竹薮の繁殖で荒れ果てて困っている山は多いようですが、平野部(市街地)の竹薮は風前のともし火になりつつあります。こんな希少となった竹薮には環境保護の観点からも残すべきではありませんかね。
                                  2月24日の一言

弱り目に祟り目より泣き面に蜂

 警視庁は1月26日に万引き容疑で逮捕した40代女性に対して、本日真犯人を逮捕したことから、誤認逮捕だった事を認めて弁護士を通じて謝罪したと報じられている。

万引き容疑で女性を誤認逮捕 警視庁が謝罪↓
http://www.asahi.com/national/update/0223/TKY201002230479.html
TBSテレビニュース↓
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4363448.html

 各社の報道から、事件当日スーパーから逃げた犯人が放置した自転車から犯人の女性に接触しながら、警備員の証言や店内の防犯カメラの映像などをもとに、全く事件と無関係の女性を今年1月26日に逮捕した。女性は一貫して容疑を否認したものの、警視庁西新井署は女性を約22時間にわたり拘束した後、逃亡のおそれがないとして釈放したという。

 事件は昨年12月20日に発生し、犯人の放置した自転車について犯人や家族を捜査しながら、間違って先月23日に女性を逮捕しており、本日の誤認逮捕を認めるまで1ヶ月以上も経過している事から、誤認逮捕された女性の心情を考えると、謝罪程度では済まされぬ責任問題である。

 犯人はスーパー店内でアイロンなど15点(約3万2千円相当)も手提げ袋に入れており、これは万引きと言うよりも窃盗罪と言った方が良い悪質な犯罪行為で、放置された自転車の持ち主である犯人の自宅まで捜査の対象にして、犯人の家族のウソを信じて、無関係で犯行を否認し続ける女性を逮捕しており、こんな間違いは許されるものではない。

 報道からは判らないものの、間違って逮捕された40代女性の家族関係を考えれば、両親の存在や夫と多感期の子供の存在も考えられ、仮に独身者ならば尚更の事となるが、誤認逮捕されてから本日までの日々を考えると、怒りや悲しみは想像を絶する屈辱だったと思われる。

 本来なら否認し続ける女性が犯人としての確証がなければ「逃亡のおそれがなく」ではなく、「証拠不十分で」帰宅させるべきで、間違って逮捕した警視庁の警察官は勿論だが、犯人だと証言したスーパーの警備員と経営者や、犯人の女と犯行を隠したその夫の責任は大きく、私が当事者であるならば、関係者全員の顔写真と名前を新聞公表して責任が果されなければ絶対に許せない間違いである。

 「疑わしきは罰せず」の言葉があり、本当は犯人と思われても証拠が無ければ罪にしないのが現代では当り前となっているが、今回の間違いは否認だけでなく何の証拠もないままに逮捕されており、この理屈で言えば話題となっている国会議員は今すぐに逮捕すべきともなる。本日は愛知県警でも話題にしたくないような不祥事が起こっているが、こんな警察官は名前を公表すべきでもある。
                                   2月23日の一言

暴走族に無力な警察も一因だ

 昨日の北九州市小倉南区で、暴走中のオートバイに腹を立て、「蛇行運転や爆音をあげていたので頭に来た。殺してやろうと思って追突した」として、自分の乗用車を追突させて運転していた少年を死亡させ、同乗の少年にもケガを負わせて、34才の男性が殺人で逮捕される事件が発生した。

「蛇行バイク頭にきた」 車で追突し少年2人死傷の疑い
http://www.asahi.com/national/update/0221/SEB201002210015.html

 新聞報道では各社が隣同士で報じているが、昨年末に暴走族の車に混じって57才の男性が自分の軽トラックで一緒に走り、道路交通法違反で愛知県警に逮捕され、「昔、暴走族に入っていた。たまたま暴走族を見かけたので、つい一緒になって走ってしまった」と供述しているという。

「昔、暴走族でつい一緒に」 軽トラ57歳、暴走容疑
http://www.asahi.com/national/update/0221/NGY201002210002.html

 一方で、福岡市で19日夜から20日早朝にかけて、交番や信号待ちのタクシーに生卵が投げつけられる事件が相次いだとの報道もあり、犯行は2人乗りのバイク2台が走り去る姿も目撃されていたとある。

交番やタクシーに生卵投げつける バイクで逃走? 福岡
http://www.asahi.com/national/update/0220/SEB201002200002.html

 記事の内容は全く違うものの、3件とも暴走族や暴走行為が共通する事件である。1件目の暴走族のオートバイに追突させた男性の心情も、我家の前の県道を占拠して爆音とともに走る暴走族の後ろを、路線バスやトラックも含む一般車輌が五百メートルも連なって追従して走る姿を見ると、「殺してやろう」の一言は問題だが、横着者には鉄槌の必要性から同情してしまう。良い事とは思えないが、私自身も深夜に地響きのような爆音で近づいてくる暴走族に対して、「正面からヤリでも持って退治してやりたい」心境になる事があります。

 2件目の57才の男性が若き頃を思い出して、若者と走った心情も軽トラックと聞くと滑稽だが、自転車や一般人に対しては厳しい警察官も、暴走族には無力で放置している現実から、ストレス解消になるのかもしれないと同情してしまいます。

 地域を歩くと、暴走行為に使われていると思われるオートバイが民家に置かれている風景を見る事がありますが、本来ならこの時点で警察に通報して不正改造車として排除してしまえば、暴走行為もいくらかは防げると思えますが、家族でも注意できない現実に淋しさを実感させられます。

 さて、警察についても、指定暴力団については厳しい対応を強めているが、地域や一般人を無視して不法行為を続ける暴走族が放置されている現実から、前記したように走る前に家庭や地域に置かれた不正車輌の摘発を強め、暴走族を一網打尽にしていく必要性を実感させられます。
                                2月22日の一言

犬の心情から話す私の刹那さに

イメージ 1

 本日も昨日に引き続き「横井庄一記念館」の一日となりましたが、今年から毎週日曜日は通うようにしているものの、私が居ない方が来館者が多いようで、開館(午前10時)時から15人の訪問があり、私が到着した時には帰られた後でした。

 ただし、二週間前に訪れられたご夫婦が私の到着を待っておられ、本日はイチゴ大福のお土産まで持参していただき、到着と同時に食させていただきながら、まるで珈琲屋のモーニングサービスではありませんか。

二週間前の関係ブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42806204.html

 添付した一言にも記してありますが、この御夫婦は初対面の私の話をメモして帰られ、私とは旧知となるW先生との縁を取り次ぎ、偶然ではありますが我々が昨日訪れた名古屋市博物館に昨日訪れられていたとの話に、博物館行きを勧めた館長から「一緒に誘えば良かった」の一言が発せられました。

 さて、本当に偶然とは判っているものの、私が居ない方が来客が多いように感じ、本日も午後には館長と2人で雑談の一日と思っていると、昨日の私の一言(このブログ)を読んで、私の存在を知ったY先生にわざわざ訪問していただき、貴重なお話を伺うとともに私のグチにもお付き合いいただけました。

Y先生のブログ↓↓
http://blog.goo.ne.jp/comano/

 さて、添付した写真は12月から3ヶ月の約束で預かっている愛犬リマちゃんですが、私の留守中にペットの美容院に連れていかれて、サッパリした姿になっていましたが、家族の誰もが気づかないものの、強い精神的ショックを受けたようで私への対応がおかしく、私とは寝食を共にしているだけに家族は私が嫌われていると笑っていました。

 この美容院では気づいていないようですが、愛犬を持ち込んだ家内に2時間はかかる事から時間を指定して引き取りに来るようにしたようです。私が犬の反応がおかしいと言っても家族には理解されなかったものの、夜になって家内が犬の美容院からもらってきたカレンダーを取り出した事で、見た目は綺麗になったものの愛犬は強いストレスを感じていたらしく、このカレンダーに向かって激しく吠え続けました。

 飼い主から3ヶ月の約束で我家の長男が預かり、家の軒先で寒さに震えていた姿を見て、私が寝食を共にすると宣言して一緒に生活するようになりましたが、飼い主から他人の我家に連れられてきたストレスは大きく、最近になってやっと我家を自分の家と思っていたのが、本日の美容院行きでこの時の悪夢が甦ったのでしょう。

 「そう言えば、引き取りに行った時にオリの中でおとなしくしていた」と家内が言いましたが、最近はネコと変わらぬようにジャレる横着坊主ぶりを発揮していただけに、「今度はここに置いていかれるのか」と思っていた可能性が強く、約束の返還時期が近づいているだけに犬が可哀想になってきました。

 「オシッコは大丈夫だろうか?」と、こんな顛末から今晩はじめて一緒に寝る決断をした三男が聞きましたが、「粗相したら拭けば良いだろう」と送り出しました。預かってきた長男が「何もシツケされていないバカ犬」と言っていたリマちゃんですが、今は食事の「お預け」から「お座り」や「お手」もできるようになり、暴れていても「待て」の一言で素直に言いつけを守るようになりました。

 別れが近づいてきた今となって、学校や仕事に出かけて夜しか顔を合わせない家族と、寝食を共にして日中も車の助手席に愛犬を待たせる私との大きな違いを実感するとともに、人間の身勝手で何所に連れていかれるか判らない犬の気持ちになると、しばらくは辛い日々が続きそうです。
                                 2月21日の一言

名古屋開府400年記念特別展へ

 本日は名古屋市博物館で開催されている「名古屋開府400年記念特別展」(3月7日まで開催)の中に展示されている、「横井庄一」コーナーにグアム島から持ち帰った洞穴生活での生活道具を見学するために出かけました。

 本日は横井記念館の館長(夫人)と、我家の分家にあたる2人(共に大鹿さん)と、昨年までボランティアを務めたTさんの5人で出かけたが、横井さん以外の展示品から故郷との縁を探す私たちを待ちきれず、横井さんの生活用品だけが目的の館長は時間ばかりが気になります。

 横井さんがグアム島で使っていた生活用品は、半分をグアム島に残し(記念館があります)、自分で持ち帰った半分(衣類やナベなど)を名古屋市に寄贈したため、横井記念館にはグアム島での生活用品は残されておらず、保存する博物館も常設展示しない事から、親族でもこんな機会しか見ることができません。

 さて、横井記念館にも帰国後に本人が複製した機織り器がありますが、当初複製して博物館に寄贈した機織り器に不満があった横井庄一さんが作り直して交換して持ち帰った物だけに、博物館の機織り器は見事で機織りの原理も説明する必要がなく見るだけで判ります。

 「こんな物を見てしまったら、明日からは説明ができません」の一言が出ましたが、記念館を自分達で開館していく計画があったならば、名古屋市博物館には寄贈はしなかったと思うとともに、一旦寄贈を受けたら夫人にも現物を見せない事から夫人は何度も足を運びます。

 見学が終わり隣接する休憩所で珈琲を飲み、帰りは早く帰りたい事から都市高速を走り、わずか15分で記念館に到着となりましたが、「上がってお茶でも…」の一言が、「大鹿さんの好きなバナナ」から「ヨーグルトも…」となり、津島市に帰った頃には日が落ちていました。

 実は明日も記念館は開館となりますが、議会の開会も近く、市民病院の講演会もある事から、途中退出する予定を立てていたものの、珈琲からバナナ、ヨーグルトとなり、「なんなら、うどんでも…」となった事から明日は記念館にカンヅメの一日となりそうです。
                                2月20日の一言

殿様のハプニングに悲鳴が…

イメージ 1

  バンクーバーオリンピックで18日(日本時間は本日)、フィギュアスケートの男子フリーがあり、高橋大輔(23)=関大大学院=が3位に入り、この種目で日本初のメダルを獲得した。SP4位の織田信成(22)=関大=は7位。小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=も8位に入賞した。

 私の期待と注目は一昨日にも記したように、SP4位につけていた織田信成選手で、テレビ画面を通じて放映された、靴ひもが切れた事を審判にアピールする姿に涙を堪える事もできず、信長公と縁のある清洲城で声援を送る人々も同じ心境だったと思います。

靴ひも切れ致命的な中断 
織田、手拍子に押され演技再開
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201002190263.html
織田、靴ひも「自分の責任以外ないですね」
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201002190267.html
武者姿の「織田」応援団 「フレフレ信成!」
http://www.asahi.com/sports/update/0219/NGY201002190009.html?ref=reca

 さて、期待したメダルには届かなかったものの、ハブニングにもめげず最後まで一生懸命競技を続けた織田選手の将来にエールと期待を送るとともに、競技後のインタビューに答えて見せた本人の涙に昭和62年生れの22歳の若者の素顔も見た。

 8位に入賞した小塚選手も名古屋市の出身で、祖父の代から続くスケート一家と聞くが、500年の時を越えて今年1月に清洲城の名誉城主となった織田選手のような地域との強い絆は見受けられず、悲運の最期を遂げた織田信長公に対する尾張の人々の気持ちが信成選手と故郷を結びつけたようにも感じます。

 今回のオリンピックはメダル数こそ少ないものの、人間として感動させられる場面も多く、世が世であれば近づく事もできなかった織田信成君と清洲城や尾張地方との縁に期待するとともに、明日から次期オリンピックまで期待して応援してみたい。
                              2月19日の一言
追伸 偶然ブログを見つけました
織田家と津島港(湊)↓
http://blogs.yahoo.co.jp/kazusa567/60944557.html

中村主水(藤田まことさん)逝く

 名古屋地区ではチャンネル11番の名古屋テレビで、午前10時から必殺仕事人の「中村主水(もんど)」として、午後には「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事として、「藤田まことばかりで見飽きた!」と言われるほど昨年までは放映されていたが…

俳優の藤田まことさん死去↓↓
http://www.asahi.com/obituaries/update/0218/OSK201002180059.html

 「てなもんや三度笠」のあんかけの時次郎から「必殺」シリーズの中村主水(もんど)まで、幅広い芸域と深みのある演技で人気を集めた俳優の藤田まこと(ふじた・まこと、本名原田眞〈はらだ・まこと〉)さんが17日午前7時25分、大動脈からの出血で死去した。76歳だった。朝日新聞夕刊

「警察官は60で定年ではなかったのか?」と思えるほど、少年時代に「てなもんや三度笠」を見ていた年代からすれば、年齢を感じさせない藤田まことさんの若々しさを羨ましく思っていたが、人間の死亡率100%を実感させられる一日となりました。

 さて、私にとっては「てなもんや三度笠」で、あんかけの時次郎として、白木みのるの「チンネン」とのコンビが忘れられず、奥さんの作った莫大な借金も全て返済された事から、シリアスなドラマばかりではなく、バラエティ番組で腹から笑える出演も見せて欲しかったが…

 一方で、藤田まことさんが、海軍に入隊した実兄を戦場で失うなど、戦争体験者として反戦、平和への願いが強く、映画「日本の青春」や「明日への遺言」などの映画に出演されていた事も、02年に紫綬褒章を受章されていた事も訃報により初めて知りました。冥福を祈りたいと思います。

 藤田まことさんの訃報を知り、精しい情報が知りたいためにアサヒコムを検索すると、ニュース一覧に訃報が多いことに驚いてびっくりしていると、訃報・おくやみ情報の一覧を見ていたためと判ったものの、実に多くの人々が亡くなっている事にも実感させられました。

訃報・おくやみ情報
http://www.asahi.com/obituaries/

 「人間の死亡率は100%」と声高々に法話で語っていた高僧もやっぱり亡くなっており、誰もが迎える死期ですが、自分の死期を考える余裕もないままに死んでいく人が多く、藤田まことさんも3月からは本格的に復帰すると語っておられた様子でした。
                                   2月18日の一言

スケート・信成選手から織田信長公を偲ぶ

イメージ 1

イメージ 2

 織田信長から数えて17代目の末裔となる、スケート選手の織田信成選手(関大)がバンクーバーオリンピック・フィギュア男子シングルSPで4位の好位置につけており、明後日のフリー演技でメダルの可能性も見えてきました。

 バンクーバー冬季五輪第5日は16日(日本時間17日)、フィギュアスケートの男子シングルのショートプログラム(SP)があり、日本勢は高橋大輔(関大大学院)が自己最高得点の90.25点で3位、小塚崇彦(トヨタ自動車)が8位につけたと報じられています。

織田4位 フィギュア男子シングルSP
http://www.asahi.com/sports/update/0217/TKY201002170209.html

 さて、戦国乱世の武将として一番輝くとともに、全国統一の礎を築いた織田信長公であるが、明智光秀の謀反によって本能寺で夢破れ、織田の名前は歴史の表舞台より消え去ってしまうが、17代の時を経て現代に織田の名前が甦ってきました。

 戦国時代に尾張でも弱小であった織田信長公の下に、結束して尾張から全国へ出て行った津島の先人達を思うと、今回の快挙に次のフリーでメダルを期待するとともに、報道される織田信成選手の顔が織田信長公のように思え、今回のオリンピックでは私の一番の夢ともなっていました。

 しかし、血筋と言うのは間違いなく系統するもので、添付した競技中の信成選手の姿が、「人間五十年…」と能を舞う信長公のように見えてしまうのは、私一人ではないと思います。改めて織田家の家系を紐解き、今から500年前の故里や先人達を偲びたいと思います。

「織田氏 織田信高系統」
織田信長 - 初代:信高(七男) - 2代:高重 - 3代:一之 - 4代:信門 = 5代:信倉(養子) = 6代:信直(養子) - 7代:長孺 - 8代:長裕 - 9代:信真 - (10代から13代は不明)- 14代:重治 - 15代:信義 - 信成(次男)

織田 信成
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%88%90
織田 信長
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

 明後日の結果を楽しみにしたいと思いますが、私自身は明日から3月議会の議会運営委員会が開催され、会報「津島の風」も印刷が終わった事から、折込作業と地域への配布が待っており、オリンピックどころではなく、暖かい晴天が続く事を祈りたいと思います。
                                  2月17日の一言

印刷機の回る音を聞きながら

 本日は昨晩の深夜から印刷機が回り続け、新聞配達の足音を聞きながら仮眠した後、再び印刷機を回し始めましたが、私が印刷機を回している事を誰も知らずに電話が入り、私の事務所への存在を知った知人の訪問を待ち、私を待ち続ける市役所に立ち寄って…

 こんな一言は以前にもあったと思いますが、1万五千枚の印刷には1万五千回分(7千五百枚×2種類)の回転が終わらなければ終了とはならず、本日印刷した裏面に明日も引き続き印刷を繰返し、明後日に2枚を二つ折りにして1部にして重ねるとA4版8ページの会報が完成となります。

 簡単に思えますが印刷後の折込についても、11年前に廃業したものの、かつての新聞販売業の広告折込の経験があるから簡単にできる事で、7千五百部(希望としてはあと2千5百部印刷)を地域に配布するのも、新聞販売店時代の単車が残してあるから大量に配布が可能となります。もっともA3版まで印刷できる大型印刷機がある事自体も珍しいのです。

 会報を発行して議会報告を実施する事は、私が議員になった11年前からの公約ですが、早朝の新聞配達の時間帯に配布するのは、この時間でなければ全世帯を目標に配布はできず、「昼間に配布すれば良いだろう」と言う人もありますが、昼間に黙って家庭へ会報を配布する事は難しく、会話を交わしていると配布は進みません。

 さて、議員に当選直後からしばらくは、北海道にフェリーで出かける位の時間的余裕があったわけで、今でも同じ議員生活でありながら何ゆえに時間が取れないのか不思議ですが、自由な時間があっても自由になっておらずストレスを溜め込んでいます。

 「議員の報酬は高すぎる」とか、「議員の数が多すぎる」と言う声が各地から飛び込んできますが、名古屋市の河村市長の提案する「議員は800万円程度で十分」と言う金額にも満たず、この十年間で5人の議員削減を(定数20人)決めている現実と、「議員年金の廃止」と簡単に言い切る国の動向を考えると、真面目に活動するほど資産の食いつぶしとなっていきます。

 グチとなってしまいましたが、会報を配布しようと印刷が佳境に入っているものの、明後日には3月議会の議会運営委員会が開催され、来週には本会議が開催されると、会報を配布している余裕はなくなり、次の議会報告の印刷が迫ってきます。

 余裕で議会の一般質問の段取りを考え、近隣の市町村へ出向く予定を立てていましたが、そんな余裕も完全に消失し、電子情報や紙情報を頼りの質問に変質し、今月も既に後半戦に入っている現実にびっくりさせられる一日となりました。
                                 2月16日の一言

今は虫も冬眠中なんでしょうが…

 「こんな事も解決できないで、議員と言えるか」の一言は、昨日自宅まで送った叔父の発した一言であるが、叔父の次女が私と同じ町内に住んでいるが、昨年夏に隣の休耕田から大量の虫が発生し、消毒や休耕田の所有者との交渉に苦しんだ事から出た一言であった。

 偶然にも休耕田の所有者が私の後援会長(故人)の土地であった事と、我家もその休耕田より荒れ果てた休耕田を所有している事から、板挟みになった事もあったが、市役所や関係行政に通報して見守る事にしたものの、私や我家の感覚からは大量と言えども、一時的な虫そのものに嫌悪感がわかず、大量の殺虫剤をまいて一匹もいなくなるまで殺虫剤を購入し散布し続ける姿こそが異様に思えた。

 事態は市役所の担当職員の予測したとおり、解決するどころか殺虫剤によって体調が悪くなったとして、庭全体の土地を掘り起こして土を入れ替える事態となり、土地所有者の家に何度も足を運んで窮状を訴えた事から、土地所有者から私も相談を受けたが、農村では今まで問題にもならなかった事で、所有者と私は対応しようがなく、行政も沈黙するより方法が見つかりません。

 私の本音の中に、土地所有者が後援会長の家と言うよりも、何度となく対策を講じてその都度被害が改善する事から、我家の休耕田はその土地以上に放置して雑草にまみれている事もあって、そこまで虫を一匹たりとも無くそう殺虫剤を蒔き続ける執念というか対応が異様で理解できないものでもあった。

 私の少年時代には、夏の夕焼け空を真っ黒になるほど虫が飛び、その虫を食べるために大量のトンボが飛来していた記憶が甦るが、元々叔父の次女の住む土地も、我家で農地として受け継いできた先祖伝来の土地で、元々が住宅地ではなかった事は理解されていない。

 そもそも、この問題は私が議員であるから議員の仕事のように思われているが、自然発生する虫に対して休耕田の所有者も対応しており、お互いが理解しあって話し合うより問題は解決せず、一方的な抗議を続けたり、私に苦言を呈しても解決する問題ではありません。

 それこそ自然保護団体や、農業団体からすれば土地に大量の殺虫剤を必要以上に散布する事に問題があり、最近では地域全体で実施されていた農地の殺虫剤散布も廃止されている。矛盾するのは、名古屋から30分の距離にあり、住宅地と思われている地域が『農業振興地』である事で、本来であれば農地の農業への有効活用を考える土地が、宅地並みの税金を負担させられる事と、土地の所有によって農家の公的負担も増加している事など、農家にとっては踏んだり蹴ったりになっている現実がある。

 さて、議員として無力と親族に吐き捨てられるようでは議員失格であるが、寒さに堪えて春の到来を待っているとこの問題が再燃する可能性も高く、両者と接触するとともに、我家の放置してある休耕田についても草刈りが急務となりそうである。
                                2月15日の一言
追伸
会報『津島の風』の印刷(A4版8ページ9千部発行)を始めました。数日後には地域へ配布に走り回る日々となります。

上村愛子さん、ありがとう

イメージ 1

 バンクーバー五輪フリースタイルスキー、女子モーグルの決勝が13日に行われ、日本期待の上村愛子選手は第2エアの着地でわずかに板が流れ、28秒88、得点24・58で4位となり、またも悲願のメダルには手が届かなかったのである。

4位、涙の上村「なんでこんな一段一段なんだろう」
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201002140139.html
地元白馬、上村4位に大声援「五輪目指したくなった」
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201002140224.html
上村愛子・オフィシャルブログ
http://blog.excite.co.jp/aikouemura
上村愛子・フリー百科事典『ウィキペディア』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E6%84%9B%E5%AD%90

 18歳で出場した長野オリンピックで7位入賞。二度目となるソルトレイクシティオリンピックは6位入賞。三度目のトリノオリンピックは5位入賞。一昨年には日本人モーグル選手として初めてのFISワールドカップ年間総合女王となっている事から、メダルへの期待は高かった。

 メダルを簡単に手にしたように見える選手も多いが、4回にも及ぶ挑戦をしながら、あと一歩での足踏みにいかにメダル獲得が難しいかとの現実と同時に、笑顔で頑張り続けた上村選手が見せた涙に、日本のためというよりも本人のためにもメダルを獲得して欲しかった。

 しかし、上村選手の残した記録と同時に、上村選手の地元をはじめ日本の少年少女や後輩選手に残した功績は大きく、優勝したり金メダルを獲得した選手以上に頑張ってきた姿にエールを送りたい。国民栄誉賞なみの活躍ではないか。

 一方で、上村選手のオフィシャルブログには、4位に終わって涙を見せた直後に、今回のオリンピックで世話になった恩人や知人、ファンに向かって感謝の挨拶が記されていた。こんな気遣いができる心境に驚かされるとともに、上村選手の今後に明るい光明が差すのを期待し、彼女の美しい心根と笑顔に「ありがとう」の一言を贈っておきたい。
                                  2月14日の一言

※上村選手のブログに記されていた挨拶文

皆さん、沢山のご声援
ありがとうございました!

今回のオリンピック、最高の環境のもとで
試合に望む機会を与えてくださった
すべての皆さんに心から感謝いたします。

チームの、高野さん、ヤンネさん、岳さん
飯田さん、寒川さん、吉田さん、まゆみちゃん
林部長、ドクター、本当にありがとうございました。

雨晒しのなか、ずっと応援してくれた
皆さん、本当にありがとうございました!

しばらくは健康なんでしょうが…

 昨年の10月に受けた津島市の健康診断だったが、結果を聞かぬまま、年末にかつてB型肝炎に感染していた事から肝臓の検査を受け、それも結果を聞かぬままに昨日まで放置してあった事から、昨日は「かかりつけ医」とする彦坂先生より、全部の検査報告の説明を受ける事になりました。

 「すべて異常はありません」の結論(基本検診、胃ガン、肺ガン、大腸ガン、前立腺ガン)となりますが、胃ガン検診については一ヶ所チェックが入り、他所の医療機関で受診すると「胃カメラを」となりますが、過去二度行なった再検査では胃潰瘍の痕らしく、今回も同じ陰影のようです。

 肝臓についても異常はありませんでしたが、治療歴はないもののB型ウィルスに感染して自然治癒していた過去がある事と、私の父親は肝臓ガンで亡くなっており、末期ガンが発覚する3ヶ月前に人間ドックを受けても末期ガンが発見されなかった事から、「異常なし」と言われても気になります。

 「すべて異常ありません」とは言われたものの、特定健康診査結果通知表の最上段にある「メタボリックシンドローム」判定には、『予備群該当』と記されており、既往歴には『高血圧』と記されて服薬を受けている事から五体満足ではありません。

 170センチから1センチ縮んだ身長と、76,7キロの体重は、BMIが27の肥満であり、96センチの腹囲は改善が必要で、運動不足は否めません。

 こんな状態では「異常なし」であっても、内臓の異常を示す数値は異常がない事からひとまず安心ですが、運動不足から血管年齢は高い事が予測され、脳梗塞か脳溢血などに陥る確立も高く、気温や室温の変化によっては心筋梗塞の危険性もある事から健康体とは言えません。それを認知しながら徹夜を繰り返して、身体を酷使していますので悪質です。

 一週間前にバッティングセンターに出向き、身体への心地よい痛みが残った事から、定期的に通おうと思っていると、家内や家族から「お金がもったいない」と言われ、何事も三日坊主だけに自然に永く続けられるスポーツ探しは難しいものがあります。

 昨年の今頃となりますが、管理栄養士の竹内先生に「当分は自転車に乗ります」と運動不足解消を誓っていただけに、有言不実行のため毎年通った『栄養相談』も申し込みませんでしたが、栄養相談は今年が最後になる事から、暫らく身体を絞って訪れたいと考えています。
                                  2月13日の一言

金メダリストの思いやりに感動です

イメージ 1

 本日午後のワイドショーのテレビ画面に、バンクーバーオリンピックの会場からスケートの金メダリスト荒川静香さんの実況中継の声が届けられたが、全くムダのない言葉使いと、後輩選手に対する思いやり溢れるコメントに驚かされた。

 テレビのワイドショーの中では、「日本選手は何個のメダルが獲得できるか」との生々しく、現実的な解説や多くの酷評を聞かされてきた。確かに、バンクーバーにおいて確実に金メダルが取れると思われる選手は見当たらないと思うが、彼女の発言は全く違っていた。

 「荒川さーん、日本はメダルを何個とれるでしょうかネ?」
 「私は10個としておきます」
 「本当に10個もとれますかネ?」
 「世界選手権を制した人は金メダルの実力は持っていますし、何よりも目標を10個とする事で、その中には私も入っているのかなーと頑張ってくれる選手もいると思うので、私はいつも10個としてきました」

 私の記憶から記しているので、一言一言の表現は間違っているかも知れませんが、メダル10個の内容は若い後輩選手達への思いやりと期待を込めたもので、現実は厳しい競技生活を送り、選考やプレッシャーの中で頂点に達した経験に奢らず誇らず完璧で文句のつけようの無いコメントでした。

荒川静香・フリー百科事典『ウィキペディア』↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D%E9%9D%99%E9%A6%99


 添付したウィキペディアには「荒川家は一般的なサラリーマン家庭で、費用が多く掛かるフィギュアスケートを続けていくためには、母親が衣装を手作りするなど、両親の支えがあった」と記されているが、普通の家庭に育った人ゆえにこんな思いやりのある言葉が出るのかもしれない。

 愛知県からは女子フィギュアスケートの3人を占め、フィギュア大国と言う人もあるが、安藤選手も浅田選手もスケートでは恵まれた練習環境にあるものの、普通の学生生活すら経験しておらず、普通の一般人としても人を思いやれる荒川さんを目標にして欲しいと思います。
                                  2月12日の一言

永い夜になってしまいましたが

イメージ 1

 今晩は「お父さん夕飯だよー!」の声を聞きながら、事務所でパソコンを見ていたところ、日頃からパソコンの不調時にはボランティアで駆けつけてもらっているTさん親子(愛西市)の訪問を受け、津島市と愛西市の街づくりについて熱心に議論していたら、時計は12時近くになっていました。

 2人を見送ってから台所に行くと、家族は全員が就寝や部屋に戻り、私に残された夕食の前に愛犬リマ君ひとりが留守番ですが完全に眠っています。

 ただし、私の登場で私以上に食欲をみなぎらせ、私がハシを使うと催促し、黙々と食していると「ワン、ワン」と吠え立てるために、家族の批判を恐れて内緒で与えながら一緒に食事を終わったものの、リマちゃんは元気一杯となっています。

 私とリマちゃんは朝から、昼間も、夜の寝床も一緒に生活しており、家族全員でいる時は私の言いつけを厳守(私しか聞きません)し、食事にも手を出しませんが、私と2人だけになると私の食べる物も自分の物となり、茶碗も箸も遠慮なく手を出しまるで暴君のように豹変するのです。

 犬が夜のうちにオシッコなど粗相すると私が身代わりに始末して家族に隠していました(最近は粗相はしません)が、家族の一緒の時には私の存在をたよりにして私の子分のようにしていますが、家族が眠った夜になると態度を一変させ、私が間食すれば一緒に食し、思うようにならないと思うようになるまで自己主張を続けます。

 3ヶ月の約束で長男が預かってきたリマちゃんですが、毎日一緒に生活している事で、リマの考えている事も判るようになったものの、リマも私の着替えや行動を察知して行動をはじめます。預かって2ヵ月が経過し、あと1ヶ月もすれば飼い主のもとに戻される運命ですが、こんな関係になってしまうと複雑で、私との運命の出会いと思いながらも、リマちゃんが飼い主を思っている気持ちも無視はできません。

 こんな顛末で夜が進み、散々と暴君ぶりを発揮すると勝手に眠り、間食の菓子に手をのばせば見過ごされず、私が眠ろうとすると私の上にやってきて猫のようにじゃれてきます。こんな一心同体の愛犬は56年にして初めての経験で、我家の愛犬「ももちゃん」には出来ません。

 さて、2人のこんな関係はどうなるのでしょうか?離れ離れは切ないし、代わりの愛犬を探すのもリマちゃんに悪いし、私の手の上で眠る寝顔を見ながら、神様が存在するならば、と…
                                   2月11日の一言

四国に行かなくても四国の御利益が?

 「大鹿さん、四国まで行かなくても、一日でご利益があるらしいよ」と聞かされていましたが、本日の地方紙・中日新聞に「四国八十八ヶ所砂踏み御利益を」なる記事が掲載され、明日から17日まで中部空港で開催されると報じられていました。

 「お砂踏み」については、一ヶ所の場所で四国八十八ヶ所の各寺院の砂を全部踏みながら巡拝することで、四国遍路を結願したのと同じ御利益を得られるとして、各地のお寺やイベントで開催されていますが、今回のお砂踏みについては旅行社が主催するイベントです。

中部空港イベント情報⇒http://www.centrair.jp/event/ev-title/1183222_3676.html

 もっとも、本当に「お砂踏み」によって四国巡礼と同じ御利益があるとは思えず、人によっては10分もあれば全ての砂を踏んで一周してしまい、一ヶ所づつ「般若心経」を唱えて熱心に廻っても1時間もかからず、そんな熱心な人もほとんどありません(人が並ぶので出来ません)。

 さて、過去の一言にも記してありますが、愛知県では知多半島に「新四国八十八ヶ所」と呼ぶ霊場がある事から、四国遍路に行ったとか満願となったと言う人の多くが知多半島を廻って、四国遍路を経験していると思っている人も多く、四国も知多半島も同じ遍路と思っている人も多い。

 一方で、空海が四国霊場を開創されたのは今から1千2百年も前(弘仁6年・815年)の事と伝えられていますが、現代社会において語られる史実とは思えない話や営業上の一言が、あたかも本当の史実として思われるだけでなく、公的な記録のようにして残ってしまう事は情報の混乱をきたします。

弘法大師・空海の年表↓
http://kobodaishi.xrea.jp/nenpyo.html
四国八十八ヶ所霊場会↓
http://www.88shikokuhenro.jp/index.html

 我家から3キロも離れていないが、戦国武将の蜂須賀小六の生まれた場所(美和町)に蜂須賀「蓮華寺」があり、蓮華寺は,818年(弘仁9年)に弘法大師が熱田神宮の神託により創建したと伝えられている。そして由来として、「この地には毒蜂が多く,その害を受ける人が多かった。そのため,弘法大師が法力をもって蜂を封じ塚を築いた。それ以後,害はぱたりとやんだと言う。これによりこの地を蜂須賀にしたと言われている」と記載されている。

 前記した知多半島の四国八十八ヶ所でも、「その昔、弘法大師(空海)が東国ご巡錫の途中に上陸された聖地であります」と記され、「弘仁5(814)年、弘法大師が諸国行脚の途中、三河から舟路で知多半島を南下、南知多町大井聖崎に御上陸され」とも公表されている。

空海『フリー百科事典ウィキペディア』⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

 添付した「弘法大師・空海の年表」や、上の「ウィキペディア」を見ても、四国八十八ヶ所霊場会の発行する「先達教典」の年賦を調べても、「蜂須賀・蓮華寺」や「知多八十八ヶ所」に登場する空海の行動には無理があり、地元の専門家も懐疑的発言をしている。

 世の中が便利になったとは言え、何事も手抜きはできても、四国遍路は四国に行かなくては経験はできないが、報道や宣伝によっては「間に合わせ」で終わってしまう事から、今回の報道とイベントが四国遍路の魅力と発願のきっかけになればと願っている。
                                   2月10日の一言

そんな馬鹿なと言われそうな話ですが

 今年で56才になった私が語るべき話ではないかも知れませんし、学生時代に起業して複数の銀行から融資も受けた経験もありますが、銀行の窓口に行って振込みや引き落とし等は昨年までやった事がなく、カードでの決済どころかカードそのものがありません。

 生活環境としては、我家から30メートル歩けば中京銀行があり、500メートル先に名古屋銀行と簡易郵便局があって便利なものの、今までは全てを家内の仕事として出向いた事もありませんでした。
 昨年から、本人確認が必要なことと、通帳から垂れ流しのように預金が減っていく事から、本来は通帳を2通は発行しないそうですが、総合口座とは別に私個人の普通預金と定期預金を特別に作ってもらいました。

 さて、本日のことですが、本来はNPO法人の会計から支出すべき法人の振込み金ですが、NPO法人は赤字で通帳には私が通帳発行の際に入れた千円しかなく、私個人の通帳より1万8千円を振込むために中京銀行に出向きました。

 前記したように、間違いがあっては困る事からカードがなく、銀行窓口に依頼したところ、ATMから振り込んだ方が振り込み料が安いと言われ、「お教えいたしましょうか?」と言われたものの、私より高齢者が一人で操作している事から、「勉強のつもりでやってみます」と初挑戦です。

 ボタンの押し間違いや、やり直しはあったものの、何とか送金処理が済み、今後のためにカードの発行手続きをしている時に、ふと不思議な気持ちになりました。

 「銀行のATMは何故に私の振込先が判ったのだろうか?」、「何かおかしくないか?」と考えましたが、振込先を指定してないのにATMに振込先が判るはずがありません。

 「じゃー、今振り込んだお金は何処に行ってしまったのか?」と、一瞬ですが冷や汗をかいて窓口に走り、先客の応対が済むのも待ちきれない心境でしたが確認してもらうと、私はATMを通じて自分の銀行口座に振り込んでいたのでした。

 ただし、この時点でも、私は大きな錯覚をしており、窓口の女性の立会いのもとでATMの前に立ちましたが、自分の通帳から自分の同じ口座にお金が振り込まれていると思っていたものの、私は無意識のままに自分のカバンから現金を取り出して振り込んでおり、その事にも気づいていなかったのでした。

 結局、振り込んだ口座から振り込む1万八千円と振り込み料を引き出してもらって、ATMで振込みが済みましたが、自分の現金を口座に振り込んだ手数料100円は戻ってこず、「こんな事なら窓口でお願いした方が良かった」と思うとともに、高齢者の「振込み詐欺」を笑えないお金の錯覚と、自分が本来手持ちとして持っている金銭がまったく判らなくなるハプニングです。

 帰宅後に持ち帰った利用明細書を見て、受取人と依頼人が自分の名前になっている事も知らずに振り込んだと錯覚していた事と、今になっても何故に現金を振り込んだのに、自分の通帳をATMに投入したのか判らない事を不思議に思いながら、自分の時代遅れにびっくりする経験となりました。
                                   2月9日の一言

家庭でできる漢方 

薬草ネット
http://yakusou-s.sakura.ne.jp

イイ・薬草・ドット・コム
http://www.e-yakusou.com

薬草酒の作り方
http://cookpad.com/recipe/111763

ナンテン・薬効
http://www.e-yakusou.com/yakusou/540.htm

薬草の育て方・ナンテン
http://yakusou-s.sakura.ne.jp/nanten.htm

ひじょうに嬉しい鶴田ファンのコメント

イメージ 1

 本日は鶴田浩二さんのファンの方(かとさん)からコメントが入っており、ご自身の開設されたブログの「お気に入り」の第1号に選んでいただきました。高野山奥の院と鶴田さんの墓を添付し、鶴田さんを偲ぶ夜とする事にしました。

 一方で、コメントに「カーナビのハードディスクに、鶴田さんの歌を一杯溜め込んで、明日じっくり聞きながら遠出の出張に出掛けます」と書き込んでありましたが、私の車も総てが鶴田浩二さんの曲ばかり(最近は高野山真言宗在家勤行も加わりました)で、四国遍路はもちろん旅行は鶴田さんの唄声とともに走っている事から、我が事のように感じた次第です。

はみ出し人生劇場↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ikatojp
09年12月5日開設

 私は高野山に参拝したときに鶴田さんのお墓に必ず参ることから、忘れた頃に鶴田さんを題材に記してきましたが、このコメント(下記に全文添付)を読んで、書きっ放しで過去に添付したYouTubeが削除されて歯抜けのようになっている現実から、過去の一言の読み直しと書き直しも必要と反省させられた次第です。

YouTube 鶴田浩二さん検索↓↓(下をクリック)
http://www.youtube.com/results?search_query=%E9%B6%B4%E7%94%B0%E6%B5%A9%E4%BA%8C&search_type=&aq=1r&oq=%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%9F


残念ながら、たんぽぽの花もさすらひの灯りも「利用規約に違反しているため、この動画は削除されました。」
鶴田さんのデビュー曲「男の夜曲」も、youtubeで初めて通しで聞くことが出来たのですが、これもまた同様の運命を辿りました。
鶴田浩二さんが段々今の世の中から遠ざかっていくような寂しい気持ちです。
大鹿さんのような方の存在が、ますます重要になってきます。これからもお元気で、鶴田浩二情報を発信し続けてください。
カーナビのハードディスクに、鶴田さんの歌を一杯溜め込んで、明日じっくり聞きながら遠出の出張に出掛けます。 2/8(月) 午後 5:30 [ かと ]


 鶴田浩二さんの情報と言っても、かつては100本(正確な数は判りません)を超えるビデオテープ(生テープやテレビからの録画)を収集していましたが、作品の多くは音声が不鮮明になったり、所々映像まで映らなくなったテープもある事から、最近は見る機会も減りました。

 一方では、マイクロバス(レンタカー)もDVDが搭載され、ビデオテープが使えない事も多い事から、いつかはDVD化しようと思いながら日時が経過してきました。私自身がDVDを使わない事から余計に時代遅れとなっていますが、改めて収集したいと思います。

 また、発信したい情報についても、過去のスポーツ紙や出版された本が頼りのため、著作権を侵害する事から書き込みもままなりません。このあたりは、「鶴田浩二さんが段々今の世の中から遠ざかっていくような寂しい気持ちです」と記された「かと」さんと同じ心境を実感させられます。
                                2月8日の一言

人との縁に感謝の一日に

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、散歩中に近所の大治町から訪れてこられた方があり、私が平成5年に中学校のPTA会長を務めた時のW校長先生と住所が近いため訊ねたところ、全く名前もご存知なくメモして帰られましたが、しばらくしてわざわざ調べて連絡してみえました。

 しかも、私が午後4時半までは記念館にいることを電話で伝えて、訪ねられるから宜しくとの連絡で、偶然にも時間に余裕のあったW先生が早速記念館に走ってみえました。

 「まさか、こんな近くに大鹿さんがいるとは知らなかった」の一言は、目と鼻の先に居りながらも連絡しなければ判るはずもなく、近所であっても記念館は名古屋市中川区であり、道路の向かえ側の家は海部郡大治町となり、W先生は定年後も多くの要職に就かれているものの、名古屋市民にとっては大治町の事情は何一つ伝わってこないのである。

 記念館で午前中に初めて出遭って長野県が出身地と言われた事から、長野の上田市や小諸、別所温泉などを話題に花を咲かせたが、まさか私が呟いたW先生の名前から電話帳で調べて連絡までしていただき、再度W先生が訪ねられたかの確認まで出向いていただいた。

 今時こんな几帳面と言うか、人との会話を真剣に聞いて行動までされる方は珍しいが、実は横井記念館においてはこんな人と人をつなぐ関係が多く、私自身に私の父親と生き別れて音信不通(絶縁)となっている亡くなった祖父の在所(三重県)に連絡をとっていただいた人も存在した。

 今年から時間が空けば毎週出向く記念館であるが、親戚とは言え自分で行く決断をしたものの、忙しいとつい不満やグチが出てしまいますが、本日W先生に連絡をとっていただいたSさんの存在から、「もう、とっくに閉館時間がすみましたよ」と言われるまで花を咲かせ、「横井庄一記念館」ではなく「横井庄一さんの家」を私の社交場としてしまった反省の一日となりました。
                                2月7日の一言

息子とバッティングセンターへ

 本日は昼間から雪が舞う厳しい寒波が私の住む地域にも襲い、コタツの中の一日になりそうでしたが、三男がバッティングセンター(野球です)に行くと言った事から、久しぶりに私も同行する事になりました。

 「ところで、お父さんって打てるんかなァ」と、三男が家内に確認していましたが、よくよく考えて見ると三男は平成2年生れですが、私も昭和50年代には軟式野球チームを作り、バッティングセンターではホームラン王を何度も取っていたことが理解されていません。

 チームの道具一式が我家にあった事や、メンバーの半分が我家の従業員だった事から、毎日のようにキャッチボールをして、深夜まで各地のバッティングセンターに出かけていましたが、私が大学まで進学させて将来を期待していたK君が平成3年に交通事故で亡くなった事や、平成5年にはPTA連合会の会長になった頃からは、バッティングセンターとは無縁の生活となっていた事すら本日まで忘れていました。

 本日訪れたバッティングセンターは、私にとってはPTA役員の大先輩となるだけではなく、議員としても議長を務めた大先輩となり、現在は引退して大規模な老人福祉施設の経営に専念されているが、かつてはこのバッティングセンターの経営者と客の立場で身近に会話を交わしていました。

 そうやって考えると既に20年近くもバットを振っておらず、久々のバッティングセンターとなりましたが、意外に身体が感覚を覚えており、若い時の全力のバッティングはできませんが、素直に当てることから空振りはなく、力は衰えたものの打力はまだまだ若い者には負けません。

 さて、こんな事も今週限りで、来週からは入っている仕事と、残っている仕事があることから、まさしく今週は一年で一番時間的余裕のある一週間となったような気がしますが、考えてみると最近は風邪で休養した記憶もないことから、こんな事も休息のない原因だったのかもしれません。

 今更風邪をひきたくはありませんが、コタツや事務所の中で休養ばかりではなく、日頃使わない筋肉も使って身体を痛めておかないと、身体の隅々まで血が通っていないと自覚するようなバッティングセンター行きだったのかも知れません。
                                  2月6日の一言

浪費した一週間を実感し

イメージ 1

 今年は相撲協会の話題に併せて全国各地より節分の豆まき風景が報じられてきましたが、我家は家内がスーパーで買い求めた豆だけで何事もなく過ぎ去ってしまったと思っていたところ、本日になって旧知の京都宝泉院の住職から節分の豆とお札が送られてきました。

京都・宝泉院の住職↓
http://www.hosenin.net/aisatsu/index.html

 この手紙がいつから届けられるようになったのか今となっては判りませんが、この手紙によって節分の存在を思い出すとともに、一緒に送付されてくるお札についても、私は今まで一度として燃やしたり処分した事がないことから、不謹慎ですが事務所に眠っているから罰当たり者かもしれません。

過去の記事⇒http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/30062434.html

 先週の土曜日は私が主導する愛知県の主催行事があった事から、当日まで徹夜のような日々が続いていたものの、翌日からは自由に開放された安堵感もありましたが、貴重な時間を浪費してしまったのかもしれず、忙しくなりつつあると反省しても経過した時間は戻りません。

 「いつになったら高知へ行くんだ?」の一言は、私の次男の発した言葉でしたが、2月には四国に行きたいと昨年の秋に語っていた事から、一緒に行きたいと思っていた息子からの催促よりも、約束が伴わない私への批判を込めた一言でもありました。

 よく考えて見ると、私は昨年11月に「四国へ行こうと思っている」と議会事務局にも伝えてあり、四国遍路とは一切関係なく、10月に善通寺市の市議会から津島市の街づくりについて視察があった事から、私は逆に善通寺をもとに街づくりを考える善通寺市の街づくりを視察したいと考えていました。

 3月には定例議会がある事から、議会日程や公的な行事を考えると先月か今月が視察するには最高の環境と思っていましたが、1月までの忙しさがそれすら忘れさせていました。未だに自身の会報も完成しておらず、久しぶりに与えられた自由時間を浪費しない戒めも重要です。
                                2月5日の一言

朝青龍より危険なトヨタ車の報に…

 一昨日から大相撲について記してきましたが、相撲部屋や一門に対する自分の考えを記している間に、知人に暴力をふるったとして問題となっていた横綱朝青龍が、協会から辞職勧告を告げられ、自ら引退することを発表する大ニュースとなりました。
朝青龍、引退を表明 高砂親方が協会に引退届提出↓↓
http://www.asahi.com/sports/update/0204/TKY201002040279.html?ref=reca
http://www.asahi.com/sports/update/0204/TKY201002040320.html

 相撲協会の厳しい判断に注目していたものの、まさか引退に至るとは予想もできず、29才という年齢を考えると、自分の子供達の年齢である事から、個人的には問題があっても「横着」でも自分の道を切り開く朝青龍を応援していただけに残念な気持ちとなりました。

 こんな個人的なファン意識からすれば、自分の秘書だけの責任で自分の身の潔白を図った民主党小沢幹事長や、アメリカの自動車暴走事故をきっかけに始まったトヨタ自動車のアクセルやブレーキの不具合隠しなど、大きな問題がそのままにされている現実にも厳しいメスと判断が必要ではないだろうか。

直すより買った方が安い矛盾に・09年7月15日↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/41384604.html 
最後の一台になるまで・09年10月14日↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42030676.html

 さて、添付した2つの記事は、昨年に私が記した一言ですが、登録から21年にもなる自動車に乗り続けようとする私も変人かも知れませんが、運転する私の注文にも高額な修理代を提示して修理しないトヨタの営業所と、町工場の小さな修理工場がトヨタの提示する2割以下の料金で、私の希望する修理を済ませてしまった顛末を記しました。

 1つ目のハブベアリングの交換については、数年前から車検の度に修理を依頼したまま「高額」と「他の部品も交換が必要」を理由に修理が行なわれず、年々車の騒音が激しくなった修理の顛末ですが、2つ目のキャブレターの不調については、修理しないと事故に至る可能性もあり、トヨタが修理しなかった事で廃車も覚悟した一言も記しました。

快調だった21年選手(車)にも限界が↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/41997893.html

 この時に、「今ではキャブレターの車は無くなっている…」とトヨタの営業所は修理もしなかったが、キャブレターの不調は最悪の場合は事故に直結する事から、修理もせずに帰したことと、その後も何事もなく車検の誘いが続いた事や、本日も「ご来店プレゼント」の手紙が届いている事に、かつてのトヨタには感じなかった営業の怠慢が実感させられます。

 今にして思えば原因も判らない電子機器の異常がトヨタ車の危険性として指摘されている事に皮肉を感ずるとともに、旧い車については不調でも修理もせずに帰してしまう現実は、車が道路を走り歩行者や行き交う人々の生命に危険を及ぼす事から、車の販売だけではなく安全対策についても真剣に見直して欲しいと願うものでもあります。
                                 2月4日の一言
追伸
旧い車ゆえにメンテナンスに注意しないと乗れない現実と、注意しても何ともならない電子機器任せの現代社会を天秤にかけている心境です。

伏線…大相撲の裏側と絆

イメージ 1

 貴乃花親方に投票された一門外の3票を巡り、2日に開かれた立浪一門の会合で、自ら造反を名乗り出て、同席した親方衆から「家族の和を乱すのはどうか」と問責され、相撲協会から退職すると安治川親方(元幕内光法)が記者会見を開いた。(下記参照)
【大相撲】安治川親方の人生を狂わせた一門制度・産経新聞↓
http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/100203/mrt1002030106001-n1.htm

 監督省庁の文科省が指導した公明正大な選挙制度は何だったのか。何と理不尽な世界なのかと思うとともに、自分も独立開業した当時には同じような不法でもまかり通る理不尽な壁に歯を噛み締めたことを思い出したが、さすがに協会も世論を無視はできず、退職については説得されて踏み止まったものの、安美錦の持つ年寄株を借りて年寄安治川を襲名している事から今後も厳しい立場は変わらない。

年寄・安治川(元幕内光法・本名は峯山 賢一)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%B3%95%E8%B3%A2%E4%B8%80

 さて、今回の一門への造反については、貴乃花親方の訴える相撲協会の改革だけではなく、安治川親方の現役時代に力士として指導を受けた宮城野部屋の部屋継承の歴史と、現在は宮城野部屋の部屋付き親方となっている熊ヶ谷親方の扱いを見れば自然な行為でもあった。

年寄・熊ヶ谷(宮城野部屋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E8%91%89%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E9%82%A6

 現役時代の安治川親方を指導した熊ヶ谷親方(元竹葉山)は、「宮城野」の年寄名跡が借株であった事から、北の湖部屋の十両・金親が先代宮城野親方の娘と結婚して娘婿となり年寄宮城野を襲名した事から、それ以後は部屋付きの熊ヶ谷親方となっており、横綱となった白鵬を育てたにも関わらず理不尽な扱いが何度もマスコミに取り上げられていた。

 今でこそ立浪一門の宮城野部屋で年寄・宮城野を名乗っている宮城野親方であるが、自身の出身である北の湖部屋は出羽海一門である事から、現役時代の宮城野親方は宮城野部屋どころか立浪一門の力士ではなく、横綱白鵬が誕生した後にも白鵬の実質的指導者であった熊ヶ谷親方を粗末に扱ってきた。

 こんな過去の経緯を見れば、立浪一門どころか宮城野部屋そのものが、全くのよそ者に乗っ取られていたようなもので、一門の伝統とか絆という言葉とは無縁であり、先代宮城野親方の娘や養子となった現宮城野親方の生活のために部屋が継続されているようなものでもある。

 そうやって相撲部屋を見ていくと、伝統や一門の絆を「改革」という言葉で裏切ったように思われている貴乃花親方であるが、阿武松親方(益荒雄・押尾川部屋)以外の音羽山(貴ノ浪)、常盤山(隆三杉)、大嶽(貴闘力)、二子山(大竜・大鵬部屋)、間垣(二代目若乃花)は、父親や伯父(初代若乃花)の築いた二子山部屋の絆で強く結ばれている。

 一方で、貴乃花の兄弟子にあたる大嶽(貴闘力)親方は、大鵬親方の娘と結婚して大鵬部屋を継承しているが、義父の大鵬親方とよく相談している事がうかがわれ、大鵬親方は義理の息子大嶽親方や貴乃花親方の今回の行動について、二所ノ関一門の歴代親方の墓参を重ね、不義理をわびたと産経新聞は報じている。

 大相撲の伝統とか改革など、賛否両論の意見が飛び交いますが、私は貴乃花親方の今回の行動について伯父や親の代からの師弟関係や、部屋の仲間意識が強く結びついている事から、日本に残すべき良き伝統文化や人間関係として見届けてみたいと思っています。
                                  2月3日の一言

見苦しい選挙後の角界に

 大相撲の理事選で貴乃花親方が予想を覆して当選したが、「改革派」と呼ばれるまでもなく、相撲協会が一般社会から考えると信じられないほど全時代的感覚であったことが、今回の当選を後押ししたのかも知れません。

 スポーツ紙のスポニチは『正真正銘「無記名投票」が“造反劇”生んだ』と報じていたが、これまでの選挙は投票箱の目前に5人の立会人(一門を代表する親方)が座り、投票用紙に記入された名前を一字一字チェックしていたと言う。

 一門外の名前を書かせない打ち合わせを耳にした監督官庁である文科省から、公正な選挙の実施を指導され、筆跡鑑定などで造反者の特定ができないように、候補者の名前を書き込む従来の方式から、既に書かれた立候補者の名前に「○」をつけ、2つ折りにして投票する方式に変更された。

 当選するはずであった立浪一門の現職理事・大島巡業部長(元大関・旭国)が落選した事から、一門内の造反者探しが始まり、開票終了後に伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)ら9人は会場の大広間の横にある別室に集まって約40分間、緊急会合を行ったとスポニチは伝えている。

 貴乃花親方に入った10票は、貴乃花グループの7票に落選した大島親方に入る予定の立浪一門の2票と、二所ノ関一門の1票が加わっており、立浪一門と二所ノ関一門は急遽会合を開いているが、立浪一門の関係者は「貴乃花親方に投票したのは立浪親方(元小結・旭豊)と伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)ではないか」と疑いの声を上げたとある。

 別の親方は「宮城野親方(元十両・金親)が怪しい」といぶかしんだと報じられているが、立浪一門の造反者として立浪親方の名前が出ている事から、立浪親方は否定しているものの一門の固い絆は完全に崩壊しており、二所ノ関一門でも造反者が出た。

 結束力が固いと言われていた二所ノ関一門だが、最終的な票の分担が行われた前日の会合では大関の琴光喜と秀ノ山親方(元関脇・琴錦)が途中退席する場面があり、親方衆の間では「貴乃花親方に投票したのは秀ノ山親方」と指摘する声も出ているもようである。

 さて、私は「花のニッパチ」といわれた北の湖親方と同年の昭和28年生まれであり、現役時代から応援してきましたが、親方が理事長時代に起こった不祥事に対して、何も対応できない事や危機意識が軽薄な事から、中学校を卒業して角界に入った特殊な環境から別世界の人と感ずるようになりました。

 今回の理事長選挙の顛末から、30代には現役を引退して親方になった若い人材が多い事から、37才の貴乃花親方の行動が角界に火をつけると期待していたが、選挙後の造反者探しの顛末を見て、改めて前時代的な相撲協会の体質を見せ付けられたように感じます。

 現代社会では若者のフリーターが増加しているが、大相撲の世界では関取と呼ばれる十両に昇進しないと給料が全く出ない事と、ケガをして幕下以下に降格すると30代になっても無給となり生活保障も皆無の環境や、強力な支援者を頼るタニマチ制度といい、親方を絶対的権力として起こる兄弟子の暴力など、変わって当然と思われる現実を貴乃花親方には期待をしたい。

 無謀と思われた貴乃花親方の理事選立候補は、当選しても1人では何も変わらない可能性も高いが、選挙権を持つ親方の多くに共鳴を起したことは確実であり、モンゴル力士や外国人力士の台頭する相撲界だけに、もっと日本人に身近となる大相撲観戦などから協会改革を果たしてもらいたい。
                                  2月2日の一言
追伸
無所属無会派で自分だけが頼りの自分を、37才の貴乃花親方に重ね合わせているとしたら、「花のニッパチ」と呼ばれた昭和28年生まれの私も、すでに56才となっているだけに情けないですね(笑)

我が身として考えたい事件

 昨日の一言に、津島駅で車イスが転倒した事故の顛末を記しましたが、この駅にエレベーターが出来たのが平成17年10月のことで、今年で5年を迎えますが、当時の記録を私の一言から振り返ると、当時の慌しい日程も懐かしく思いおこしました。

17年10月2日(エレベーター開始の日)の一言↓↓
http://www.clovernet.ne.jp/~oshika18/contents18.htm#17101
最後のチャンス、四国暗転…9月30日
明日は行きませんよ…10月2日
ほっこり庵エド、知事に物申す…3日
故郷に帰れない現実を実感した日…4日


 エレベーターが披露される直前に私は四国遍路から帰っており、この遍路では旅行友の会を始めて初めての経験となる同行者の転倒事故から旅先での入院を経験し、エレベーター披露の翌日は私の知人の大川さんが愛知県知事に直接物申す機会を聞かされ、その翌日には名古屋市在住の車イス利用者の故郷(岐阜県各務原市)を目指したものの、雨と歩道のバリアのために自宅直前でリタイヤした現実の厳しさが記されていました。(添付アドレスをクリックしてご覧下さい)

 コメントの書き込みにも記されていましたが、点から線へとバリアフリーを広げていく事が重要と思うと共に、現場に立って改めて検証したいと考えています。

 さて、本日は気になっていた相撲協会理事選挙で貴乃花親方が当選する朗報を目にしましたが、愛知県では名古屋市で深夜に盗難車によるひき逃げ事故が発生し、交差点の歩道で信号待ちをしていた市民3人を死亡させ、外国人らしい4人組みが逃走したとの事件が報道されています。

名古屋3人ひき逃げ死、はねた車は盗難車↓
http://www.asahi.com/national/update/0201/NGY201002010013.html
パトカーが追跡、見失った直後事故 名古屋3人ひき逃げ↓
http://www.asahi.com/national/update/0201/NGY201002010015.html

 人の存在や命を無視した事故(犯罪)現場と、事故車両が盗難車で、乗っていたのが外国人と聞かされると、突然命を奪われた3人の家族は怒りをどこにぶつければ良いのか。警察の一刻も早い犯人検挙に期待したいものだが、外国人の不法滞在や不法就労が野放しにされている現状の反省と、地域をあげた犯人検挙にしたいものだ。

 歩道のバリアフリー?

 私達の少年時代には、車の運転手が犬や猫を撥ねても立ち停まり、死なせた際には埋葬や供養までしていた事から、人を撥ね殺しても平然と逃げ去る事をうやむやにする事は、日本人の美しい心や伝統文化まで破壊する行為で複雑な心境にさせられる。

 こんな事件が発生した際には、地域全体で悲しみを共有し、事故の再発を防ぐとともに、反社会性の強い犯人だけに仕事を全休にしても追求する位の気持ちになりたいものである。3人の犠牲者の冥福を祈るとともに、犯人には厳しい鉄槌を与えるためにも警察と地域の情報提供に期待したい。
                                   2月1日の一言
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ