大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2010年03月

慌ただしい3月も本日で終わり

 行政の年度末と新年度の間で、教員や公務員の異動が連日のように新聞紙面に掲載されているが、我々の年齢となると同世代の知人の動向が気になり、大量に記された名前の中から関係者の名前を針のように探してしまうが、そんな中で自業自得ではあるが自ら外れていった知人も存在する。

市の指名業者から4千万円詐取の罪 桑名市前課長を起訴
http://www.asahi.com/national/update/0331/NGY201003310003.html
〇私の一言・3月10日
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42997105.html

 忙しさから事件そのものも忘れてしまっていたが、事件発覚当時は新聞やテレビによって全国に発信された話題が、新聞の片隅の話題としてその動向が伝わり、事件の主役が私にとっては和少ない大学時代の親しい同級生でもありました。

 私にとっては30数年の間、近くに存在しながら会う事もないままになっていた大学時代の同級生の起した事件であったが、罪は罪として大きな責任が伴うと思う半面で、被害者となっている公共事業の指名業者についても、市役所の仕事を獲得する下心があった事は否めず、名前を出せない同僚や部下の被害者とは一線を引く必要もある。

 実は後日談であるが、この指名業者は津島市の仕事にも関わっており、津島市の職員に被害者として事件の顛末を話していたと聞き、胡散臭い気持ちを持つとともに、この事件について自らの反省は全くないものか直接聞いてみたい心境にもなりました。

 さて、昨日の一言の中に、愛知県の手際の悪さ(健康福祉部)に同行していただいた親しい幹部(建設部主幹)の顛末を記しましたが、本日は世話になりっ放しの住宅計画課から津島市役所に、我々NPO法人のために出向いて来てくれると聞き、昨日まで連日県庁に出向いていた事と、全く他人の私のために他の部署まで同行してくれた主幹(明日からは建築指導課へ異動)への恩からも、当方から出向くと連絡しました。

 個人的には世話になった御礼に津島市の名物でも持参したい心境ですが、私には何も利益のための下心はないものの、前記した事件や人事異動の時期だけに、個人としては自然な行為からも人に後ろ指を指されかねませんので、手ぶらでの訪問となります。

 日本人が昔から築いてきた「心遣い」や、客人への「思いやり」は素晴らしい伝統や歴史と思いますが、国民の税金を扱う公的機関においては、何らかの利害が発生する可能性から、例え下心が無くとも個人との厳しい区別が必要です。これも前記したような事件や悪人の存在が前例を作ります。

 私は議員になってから市の指名業者に限らず、個人からの手土産も厳しく固辞してきましたが、議員生活が11年も経過した事から、法に反する事ではありませんが、旅行の手土産の返礼などあまり厳格に考えていない面もある事から、公人としての厳しい自省も必要と今一度の戒めにしたいと思います。
                               3月31日の一言

同級生が母校の校長となって

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 年度末で市役所や教員の人事異動が新聞に掲載されてくるが、本日の朝刊に私の母校の中学教頭がそのまま校長に昇格したと報じられてきた。私にとっては同級生で唯一の校長誕生となるが、この事は我々の恩師にとっても同じで、今晩開催された書道会で恩師からお祝いの電話を入れて欲しいと依頼され、本当に嬉しい祝電となりました。

 もっとも、歴代校長に卒業生は一人もなく、学校始まって以来となる事と、両親や兄弟が校区内に居住している事から、我々同級生や恩師は嬉しいものの、本人には今までの校長とは違った地元ゆえの気苦労も待ち構えているのかもしれません。

 幸いにして本日の電話では、卒業生ゆえに学校に対する熱意溢れる言葉が続いた事から、嬉しい半面で、彼が教頭で赴任する前まで、私はいかにして同窓会長を辞めようかと発言しており、赴任後には彼の任期中で次の会長に引き継ぐとなったものの、しばらくは全力での応援する事を約束しました。

 母校では現在新しい武道場の建設が予定されており、彼が校長として完成を迎えることから、恩師や我々にとっては地元の総力を挙げて協力できる可能性も高く、新たに着任する教頭と縁のある恩師からも激励の電話があった事から、今までとは違う盛り上がりに期待したいと思います。

 さて、年度末にも関わらず、愛知県から委託されたNPO法人の契約が済んでいない事から、昨日は信頼する建設部の管理職に違う部署まで同行してもらって、年度内に完了するように「指導」してもらったが、畑違いの部署に同行するのはかなりの苦痛と思われ、不在だった管理職に連絡してくれた事から、滑り込みですが本日契約が終了しました。

 契約が無いままに年度末を過ぎると、本来は愛知県が負担すべき予算が全部自己負担となり、こんな例は無いとの話だったが、こんな苦痛を伴う依頼に付き合っていただき、津島市の職員の信頼も極めて高い管理職だが、課長確実と期待していたものの、主幹のままで異動らしく、人の評価は難しいと実感です。

 しかし、地方自治体とは無縁の県職員も多いなかで、地方自治体の職員と熱い信頼関係を持っていることは人間的魅力があるからで、私にとっては困り事を相談できる大物県議も存在する中で、あえて困り事を相談し、断りたいと思われる依頼に付き合っていただいた人柄が、今後の栄転に結びつくように期待しています。

 4月は学校も新学期を迎え、進学や新入社員など新鮮な気持ちになりますが、3月は卒業や定年退職など中高年の私にとっては淋しい話題の方が多く、愛犬との別れが迫っていることから、今年は余計に暗く悲しい話題ばかりが気になる年度末となっています。
                                 3月30日の一言
追伸
添付した写真は、ピンボケ状態ですが、(名鉄バス)バス停の時刻表に太陽電池の夜間照明が付けられていた事から、「さすがー」と、久々の明るい話題として掲載しました。

政治資金収支報告書を提出し

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 本日は愛知県庁に政治団体の収支報告書を提出するために出かけましたが、政治団体と言っても政党や組織を背景にした政治活動ではなく、総てが自分の自己資金による活動であり、団体というよりも個人活動でしかなく、公職選挙法を犯しておれば問題だが、政党交付金など税金を活動費に充てている国会議員と一緒の扱いを受ける矛盾も感じながらの提出となった。

政治資金収支報告書↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E8%B3%87%E9%87%91%E5%8F%8E%E6%94%AF%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8

 政治資金規正法においては、政治団体に対し、収入や支出が全くない場合でも政治資金収支報告書の提出が義務付けられており、提出すべき収支報告書を提出しなかった場合や、記載すべき事項の記載をしなかった場合、虚偽の記載をした場合は罰則が科せられる。

  私の長年の悪い性格で、自営業時代でも領収書を受け取らず、金庫番は家内任せとなっていたが、議員になってからは議員報酬から所得税を差し引かれて受け取る事と、確定申告の必要がないために、経費として領収書も減税には生かせない事から益々ズサンとなっていました。

 一方で、政治活動は政治団体としての活動なのか、政治家個人の議員活動になるのか確実なる区別は難しく、市民の意向をアンケート調査したり、議会報告会や会報の発行については政治団体というよりも議員個人の活動となり、今年度を振り返ってみると選挙区内に12枚張り出せる個人名の看板一枚を作り直した以外は総てが個人の議員活動でありました。

 この看板についても、申告して認められた12枚以外に私の名前を選挙区内に張り出すと公職選挙法に違反となりますが、政党をバックとした国会議員については数え切れない大量のポスターが市街に溢れており、矛盾だらけに思われますが、本来厳しい審査が必要な国政が抜け穴だられである現実の改善を期待したいものです。

 さて、本日の県庁行きには数日で別れが迫っている愛犬リマちゃんも同行させ、随分と待たせてしまったことから、娘の家にも立ち寄って最後(とは思いたくありませんが…)の別れとしましたが、私もそろそろ気持ちを切り替えて飼い主に気持ち良く送り出す心構えが必要と思います。
                                   3月29日の一言
※添付した写真は、西尾張中央道・国道1号陸橋上の車中から夕陽を眺めるリマちゃんです。

 

久しぶりに充実した横井記念館で

 本日は横井庄一記念館の一日でしたが、本日の訪問者は記憶に残る人々ばかりで、福岡から訪れた方は循環器の医師で、名古屋で医師会の研究発表に出席した機会に立ち寄られたが、横井さんがグアム島のジャングルで「無塩生活」を28年送っていた事から、昭和47年に発見された当時から注目されていたようで、報道された記事から自分の専門である血圧の数値を記憶されており、帰国後の健康管理について館長(横井夫人)に熱心に尋ねられ、「6月に横井さんの発表をすれば、名古屋の連中もびっくりするだろうな」と語って帰られた。

 若い時に「無塩生活」を続けた人は、中高年になっても血圧が低い人が多いらしく、帰国後の横井さんの血圧も低く、低血圧だったとの説得力のある話に、名前を記帳して帰られたが、スポンサーとなっている薬品会社の社員が随行していた事から、医学界では名のある医師と推測された。

 その他の人々もついでに立ち寄った訪問ではなく、浜松から訪問した若者は平成元年生まれながら、中学時代から各地の記念館や史跡を巡っているとの話に、簡単な説明では済まぬものの、発見された当時の様子を全く知らない世代だけにどこまで理解されたかは解かりません。

 帰宅後にも本日の訪問者から電話があり、私が津島市の「大鹿」姓であった事から、記念館で自分の小学校時代の恩師であった津島市の大鹿先生(女性)の話題となり、帰宅後に新たな情報を調べて連絡されてきたが、偶然にも来週にお会いする機会がある事から伝えることとなりました。

 不思議に思われるかも知れませんが、私の苗字である「大鹿」は、全国的にも珍しいものの、私の住む地域に限っては多くの大鹿姓が集中しており、私のかつての仕事が新聞販売店であり、その後に議員となっている事から、住まいと名前を聞けば同族の家くらいはほとんどが記憶されています。

大鹿一族の歴史探訪↓
http://red.ap.teacup.com/oshika18/20.html

 さて、閉館まで1時間で客足が止まり、館長と雑談していると、私の預かっている愛犬リマちゃんの話題となり、私の切ない心情を館長がまん丸の瞳で聞いてくる事から、リマちゃんのまん丸の瞳が思い起こされ、涙混じりの話となってしまい「50を過ぎた男の涙は重症だ」と言われましたが、80を超えた館長の機転で、記念館の配置代えにより悲しみを忘れた帰宅となりました。
                                  3月28日の一言
追伸…本日も一緒の夜が迎えられました。タイムリミットは3日?

結局、本日も犬の悲しい話題に

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 今月の17日で満百歳になられた町内では最長老となるおばあさんがなくなり、本日は葬儀が執り行われましたが、グアム島で発見された横井庄一さんが幼少期に親切にしてもらった幼馴染で、明治・大正・昭和・平成と逞しく生きられたが、横井晩年のベッドで「ユキちゃんには…」との話を聞きながら、ご本人とは横井さんの話をしなかった事が残念でもあります。

 祭壇に飾られた遺影を見て、故人は我家の隣(西)のおばさんと仲が良く、かつては2人の姿を見かける事も多く、十数年前に2人一緒のところを写真に収めた記憶が甦り、それならば百歳とは言え「おばさん」だったんだと思うとともに、長寿にあやかりたいものです。

 ご冥福を祈るとともに、残されたご家族も悲しみから早く立ち直っていただきたい。

 さて、私自身が愛犬リマちゃんとの別れが刻々と近づき、毎日がこの事ばかりが気になり犬の顔を覗き込んでいますが、私と犬との関係は完全に「相棒」となっており、家族がいる時はコタツの上には絶対に上がりませんが、夜になって私と2人だけになるとコタツに上って、私のパソコンを見ています。

 もっとも、こんな特別な行動を語ると「そうやって、甘えさせるからダメだ」と、家族から非難の大合唱となり、私だけでなくリマちゃんまで叱られますから、リマちゃんも私との関係は食べる事から寝る事まで一緒と思っているようで、家族が居ないときはやりたい放題となります。

 本来なら既にお別れとなっていましたが、私が親子の生き別れのような心境となっている事から、月末まで別れが延びましたが、確実に別れの足音が近づいてきています。

 「お父さん、遼真がいるから…」と娘から電話があり、孫が私を気に入っていると歯の浮いたような電話ですが、家内から様子を聞いた様子で、「モモちゃん(我家の愛犬)がいるでしょう」とか、「ウチに来ればテツ(娘の愛犬)がいるから」などと言われると、余計に悲しみが増していきます。

12月6日の一言
 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42392809.html
12月16日の一言
 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42458241.html
12月17日の一言
 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42466204.html

 昨年12月6日が初対面で、10日後に「犬々病」にかかった一言が続き、それが現在まで4ヵ月近くも続いてきました。まもなく終焉を迎える宿命ですか、しばらくは私の心情を察してお付き合い願いたいと思います。
                                   3月27日の一言

意外な出会いに忙しさを忘れ

 本日は市内の社会福祉法人が新たに手がけた、ケアホームの竣工式に参加しました。ここでは知的障害を持つ若者7名がグループで生活する施設で、子供の行く末を心配するご両親にとっては朗報となるが、8人しか生活できない事と、毎日4.5人以上の介助職員を必要とする事から厳しい台所が続きそうでもある。

 さて、この施設を建設したのは地元の建設会社であるが、設計を担当したのが名古屋市の中村建築設計事務所で、法人から感謝状を受け取られた際に、我々に向かって愛知県の「人にやさしい街づくり条例」を紹介され、バリアフリーの先進的施設の建築に携われたことに感謝の言葉を述べられたのであった。

 愛知県にこの条例があることはあまり知られておらず、津島市にも条例が制定されているが、平成19年に制定されて10年が経過した事から、翌年から愛知県からの補助金が打ち切られ、それによって津島市の予算から項目自体が廃止されて、事業としては名前すら存在していない現状があります。

 ただし、津島市においても「人にやさしい街づくり事業」として愛知県の補助金によって、平成17年に名鉄津島駅にエレベーターとバリアフリー対応のトイレが完成しており、それ以外には条例本来の目的とする事業はほとんど進捗していないのに、条例だけ残して予算は途絶えてしまったのです。

平成17年10月2日の一言↓↓
http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/contents18.htm#17101

 当時の愛知県と津島市の事情を知る市長も引退し、無情にも予算すら無くなった事業の存在となっている中で、来賓に現市長も座る竣工式の場で、設計者にとってこの条例と目的がいかに重要で、設計者として素晴らしい仕事ができたと発言があったのであった。

 竣工式が済み、別のフロア-で簡単な懇親会があった事から、設計事務所の中村氏と歓談していると、意外な偶然と言うか、接点があることが判りびっくりさせられました。

 中村氏が関わった名古屋市守山区の施設建設には、三笠宮寛仁殿下が関わっておられたとの話に、昨年9月の出来事が思い浮かぶとともに、守山区との話に愛知県の人にやさしい街づくり連続講座の運営に関わる守山区の建築士の顔が浮かび、その場で電話して紹介するお人好しと化してしまいました。

昨年9月18日の一言↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/41842619.html

 人との出会いは妙な因縁もあります。夕方訪問を受けた稲沢市の知人(徳島県出身)と、四国遍路の話題で盛り上がりましたが、3月議会が開催されていた事と、スケジュールに余裕がない中で、愛犬リマちゃんとの悲しい別れを惜しんでばかりの日々に、四国のお寺の名前や知人の名前が出てきません。

 これは認知症の予備軍を予想させられますが、最近は何か行動すると何かを忘れ、持ち物の置き忘れも多いことから、四国を忘れていた事より、物忘れの防止とメモ帳への記録は重要です。そういう間にカギもかけない車中にカードや現金の入ったカバンが忘れてあり、取りに走る深夜となりました。
                                 3月26日の一言

全てが別れと涙しか浮かばない心境に

 平成22年度予算を決める3月議会が本日閉会となりましたが、午後には津島市職員の人事異動が発表され、明日の新聞にも管理職については掲載されると思いますが、議会終了直後には今年定年退職となる管理職職員が議員各派控え室に挨拶に訪れていました。

 市役所職員として毎日顔を合わせていた同期の仲間と、今月末を最後にそれぞれの第二の人生を歩むことになりますが、再任用として引き続き勤める職員は別として、学生時代から毎日家を出て夕方に帰ってくる生活パターンも最後となります。

 私は議会終了直後に福祉有償運送のボランティアに走った事から、同僚議員のU議員から連絡が入り、市役所に戻って異動の内示を見ましたが、抜擢されて昇進した職員も存在するものの、中には意外な人事と思われる異動も存在し、今から苦汁を噛み締める職員もあると思います。

 さて、本日は朝から市役所に出向き、帰宅したのが夜7時となっていましたが、数日前から記しているように間もなく別れが近づいている愛犬リマちゃんが居る事から、家に帰ると悲しみがこみ上げてくることから、本日のように仕事で外出して忘れるしかないようです。

 夜になり家族がそれぞれの部屋に出て行くと、台所にはリマちゃんと私だけが取り残され、私の膝の上にやってきて安心して眠っていますが、数日後には本来の飼い主の元に帰っていく運命も知らず、親元からペットショップ、飼い主と預かり人の私へと、小さな(ポメラリアン)身体でありながら、人間の都合で勝手に移動させられると思うと、本日の人事異動まで一緒に感じてしまうところに、最近の私の犬への異常さも実感させられます。

 「孫でも可愛がってあげたら…」の一言もありましたが、娘が嫁いでも悲しみも感じなかった私と、我家にも愛犬モモが居ながら、リマちゃんとの別れがこれほど堪えるとは思いもしませんでした。
 こんな事では先が思いやられますが、新たな希望とも思える新年度の人事異動まで、定年で職場を去っていく最後の別れとしか感じられない心境で、時間が止まらないかと思える愛犬との夜を迎えています。
                                3月25日の一言

民意をどのように解釈すれば良いのか

 政権が民主党に代わり、自民党との政策と一線を画すことには異論がないが、本日の報道では亀井静香郵政改革相と原口一博総務相は、小泉首相時代に民営化がスタートした日本郵政グループを官業として政府が関わる路線転換を発表した。

郵政グループ非正規10万人の正社員化めざす 改革法案
http://www.asahi.com/politics/update/0324/TKY201003240164.html

 新聞報道によれば、株式の3分の1以上を政府が保有し、派遣を含めた非正規社員(20万人以上)の希望者を正規社員に登用するとされるが、株式の保有に必要な資金は勿論だが、正社員化に要する資金について、朝日新聞では今より3千億円から4千億円程度に膨らむと報じている。なぜ、現状で維持されている人件費へ税金を投入する必要があるのか。

 民主党になり多くのバラマキ政策が次々と発表される半面で、多くの事業の選択と見直し作業によって打ち切られた補助金も多く、何も支障もなく進捗していた郵政民営化を転換して、多額の税金を湯水のごとく支出する政府の強権政策には疑問を持たざるを得ない。

 全国各地を見渡せば、確かに過疎地などには不便となった一面もあるだろうが、我々の住む地域では民営化による支障よりも、手紙や小包の夜の再配達など便利になった事しか映らず、新聞が1日遅れで配達される過疎地を対比し、最近の通信技術の発達を考えれば、郵政民営化の見直しは的を得た施策とは思えない。

 むしろ、小泉劇場と批判はあったものの、4年前には「郵政民営化」の是非を問う衆議院選挙が実施されて、自民党と小泉改革は国民の圧倒的支持を得た選挙結果を、我々はどのように受け止めれば良いのか。

 地方自治体の財政再建や行政改革により、民間に事業を委ねた施策は多く、確実に地方自治体のムダが省かれ、公的資金の運用に国民の厳しい視線と民意が反映されている中で、数人しか国会議員がいない国民新党の亀井大臣の聞く耳を持たぬ公費投入に民意が反映されているとは思えない。

 今回の路線転換により、新たに必要となる国の税金は勿論だが、4年間に民営化を推進するために投資した資金もムダ使いとなる事を考えると、今回の発表は無責任極まりなく、これまで自民党や小泉首相の責任と主張するのは、当時の国民の民意に逆行する悪政としか思えない。

 さて、新政権が過去の施策を転換する事は、私も過去の自民党の施策に反対したい案件も多かった事から何も異論はないが、明らかに国民の民意で決まった郵政民営化だけは、政治家の身勝手で転換すべきではなく、国民の税金支出となるだけに、選挙結果ではなく国民投票でも実施して是非を問うべきと考える。

 圧倒的多数を占め、野党となった自民党を無視するのは結構だが、国民の民意を無視した民主党や鳩山政権は、秘書が政治家のために逮捕されても責任すらとらずに居座り、議員の自由な発言も制約されるなど、自民党以上に強権的手法が多く、こういった人を人とも思わぬ手法に腹をたてて、迫り来る愛犬リマちゃんとの別れを忘れたい心境で夜を迎えます。
                                   3月24日の一言

愛犬との最後のドライブかもしれず

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 今週中には別れとなる愛犬リマちゃんですが、よもや数日後には我家を去って元の飼い主の家に帰るとは知らず、私が外出しようとすると一緒に車に乗りたがり、私の助手席を自分の席として外の景色を見ていますが、こんな相棒とのドライブも明日からのスケジュールを考えると、これが最後になるかもしれません。

 「何とかならないものか」と預かってきた長男に問いますが、元の飼い主と変わらぬ4ヶ月も一緒に寝食を共にした私には、無情な返事が返ってくるばかりで、本日の空模様のように曇った気持ちで一日を終え、夜の書道会でも最後の挨拶とは知らずにメンバーの足元に擦り寄っていきます。

 もっとも、書道会の終了を待って同級生の父親の通夜に走り、葬儀場で認知症の母親が急病となり通夜の最中に救急車で運ばれていったと聞かされると、同級生の辛さに私の愛犬との別れの辛さを重ね合わせてしまい、明日以降の彼の生活はどうなるのかと心配になってきます。

 たかだか愛犬一匹との別れについても、第三者は「代わりの犬を買って返したら」とか「同じような犬を買ってきたら」などと、いとも簡単に会話がはずみますが、困っているからと言って簡単に預かってきた長男も罪作りで、愛情を込めて4ヶ月も寝食を共にすれば生き別れは人間と同じく辛く、しばらくは食欲も湧きません。

 判っていた事なんですが、他人から預かった犬に一目惚れと言うよりも、運命的な出会いと言うか、私の小学生時代に飼われていた愛犬マル(スピッツ)がリマ(ポメラリアン)となって、我家に戻ってきたような心境となり、こんな話をしても家族には誰一人として理解されません。

 しかし、これは私の勝手な言い分であり、元々の飼い主にしてみれば可愛い子供のような存在とも思われる事から、私は一日でも引渡しを遅らせる事と、定期的にホームスティーのように愛犬の顔を見せてもらえるように依頼することに微かの望みを持って愛犬の寝顔を見ているのですが…

 さて、こんな感傷的な話題を続けていますが、明日は同級生の父親の葬儀があり、午後はホームページの消えたカウンターの修復に訪問があり、明後日には議会最終日を迎える事から、委員長報告の最終打ち合わせと、連休中に寄せられている市民の方からの要望を伝えるため市役所にカンヅメ状態となり、こんなスケジュールが来月の初めまで続く事から、愛犬リマちゃんとの別れにも浸っておられないのかもしれません。
                                  3月23日の一言

ついにやってきた愛犬との別れが…

 梅から桜へと春の気分に浸っていましたが、目覚ましで目が覚めたものの身体がうごかず、風邪の初期症状か頭が痛く、早朝の会報配布を休みましたが、どうやら家族が床暖房のスイッチを切っていたようで、起床時にもに頭痛は回復していませんでした。

 幸いに頭痛薬の効果で何事もなくなりましたが、昨日の雨や舞い落ちた黄砂で車は真っ白になっており、自分の車はさておきタクシー車輌だけでもと、脚立を持ち出して洗い始めましたが、しばらくは黄砂が飛んでくるくる可能性からワックスだけはしばらく延期としました。

 さて、久しぶりにのんびりと愛犬リマちゃんと一緒の一日を満悦していると、夜になって預かってきた長男から「一週間後に返すから…」の一言が返ってきました。

 「おい、何とか話をする筈じゃなかったのか…」
 「だって、むこうが飼い主なんだから」
 「それにしても、今まで何も連絡もなく…」
 「帰ってきたから、返すのが当然だろ」

 それにして、12月に3ヶ月の約束で預かり、いつかは別れの時が来るとは判っていたものの、何の連絡もないままに日延べになっていた事から、本日も日中は私の相棒としてこれからも一緒と信じていたのですが、厳しい現実がやってきました。

 我家には犬が居なかった事はありませんが、今回のリマちゃんのように見た瞬間に相棒として感ずるものがあり、以来毎日の寝食を共にしてきただけに別れは辛く、居なくなってから我家の愛犬モモちゃんと散歩にも行く気にはなれません。

 「せめて、半月に一回はホームスティで貸してもらってきてくれ」
 「そんな事は言えない」
 「じやー、住所だけ教えてもらい、時々会えるように頼んでくれ」

 「そんなことしたら、リマちゃんに飼い主か判らなくなるでしょう」と家内に言われ、生まれて一年の間に人間の身勝手でペットショップで売られ、飼い主に慣れたところで、四ヶ月も他人の我家に預けられてきた犬が可哀想に思えて涙を堪えるのに精一杯となりました。

 そうは言っても我家は預かっただけで、寝食を共にしたのは私の勝手である事から、本来の飼い主が都合が悪い時に預かりながら、手放す機会があれば買い取る期待を胸にしまい、別れとなる一週間後までリマちゃんと有意義な時間を費やしたいと考えていますが…
                                    3月21日の一言

本格稼動となる下水道通水式が行なわれ

イメージ 1 本日は神田愛知県知事をはじめ、地元下水道推進協議会長を努める伊藤津島市長、吉川県会議長、地元の県会議員や各市町村の首長、議長、関係議員が一同に会して、当地方全体の下水道の第一歩となる「日光川下流流域下水道」の通水式典が開催されました。

 この下水道は日光川の下流域全体を対象として、愛知県が主体となって建設が進められ、海部地方全体の幹線水路が完成し、来月からは一般家庭からの雑排水が弥富市の日光川下流浄化センターまで運ばれ、浄化処理された後に伊勢湾に排水されるようになります。

イメージ 2 もっとも、長年の習慣や生活様式を変えることは大変で、当地方は海抜0メートル地帯ですが、全ての家庭に水路(かつての小川)が張り巡らされており、これまで長年にわたって家庭で発生する風呂や洗濯で発生する雑排水は水路を通って主要河川に流されてきました。

 つまり、家庭の建物の構造や配置は全てが水は高い所から低い水路に流れるようになっており、今後の下水道の排水路が幹線道路の下に配置されている事から、家庭内の排水路を全て変更する必要があり、ほとんどの家庭内の床下にある排水管を逆方向に配置しなおす必要に迫られてきます。

 莫大な予算(借財)を投入して建設を進めている事から、来月の本格稼動からはいかに多くの家が下水道に排水するために管を接続してもらえるかが課題となり、初年度は対象地域の20パーセントの接続を津島市は予定していますが、担当する市議会の経済建設委員長の立場にある私は、一軒でも多い積極的な推進を進める立場にあります。

 ただし、受益者負担が面積割(1㎡400円)となっている事から、宅地面積の大きい農家の負担金は大きく、宅内配管工事も面積の広い分費用もかかります。受益者負担は5年分割も可能で、一度に支払うと17パーセントの完納奨励金があり、担当部署は初年度の一括支払いを全対象者の50パーセントと見込んでいます。

 問題は、対象となる地域には、分譲住宅が10軒以上建設できる広大な敷地に独りだけで住まわれる高齢者(農家)も存在する事で、後継者もない家の改修や受益者負担に数百万円も必要となる事から、行政の都合だけで強引に進める事は難しく、他の自治体の例では地域や町内会で強制的に接続を進めた事例が存在する事から注意も必要です。
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 さて、左の写真は津島市の樹に選定された「黒松」を記念植樹する津島市の伊藤市長と、それを見守る津島から訪れた市民の方々であります。センターには津島市以外の市町村の樹もそれぞれに植樹されましたが、今回の対象となる地域の人口が32万人と言いますから、いっそのこと全体を一つの市として合併してしまえば、行政としてはより効率的なのかもしれません。

 現実には難しいハードルがあり、津島市は合併すら実現しないまま現在に至っておりますが、今回の下水道事業のように愛知県の意向に反対すれば取り残されてしまう事から、有無を言わさぬ計画が実現した事から、合併を市町村の小さな損得勘定で協議させず、国や県の大局的指導があれば海部群の市町村は一つになったと本日の通水式典から私は実感しました。

 しかし、私自身は今でも合併には反対する立場にはかわりなく、政治に関わる一人としては不謹慎な一言かも知れませんが、合併は政治主導で進めるべきではなく、対象となる市民全体の大勢によって決めるべきで、合併することで少数意見や弱者が切り捨てられる事には政治の出番があると思っています。

 今回の下水道に限らず、ゴミの焼却処理についても広域で連携が図られており、いずれは下水道だけでなく上水道についても広域化が課題となる可能性も高く、防犯や防災についても広域化の利点も多いと思いますが、議会の議論でも隣接市町との連携すら語られてきません。
                                 3月21日の一言

連休気分とは無縁の生活が続き

 本日も朝3時起床の会報配布となり、あと1回の配布で2月発行分の会報が無くなるまでに至りましたが、明日は雨のために明後日の22日で終了となりそうです。ただし、開催中の3月議会が25日に閉会となる事から、次の会報の記事の編集と印刷が待ったなしに続きます。

 本来なら3時起きの日程は、午前7時から10時を仮眠に充てていますが、本日は家内が三男と埼玉県まで競技会に出向いている事から、家内の代役で娘の歯医者の診察中の子守りに名古屋まで出かける事となり、留守中の孫の面倒を見ている事となりました。

 孫の子守りといっても、家内のように抱っこする事も出来ず、自分の子供ですら満足に世話をした事がない事から、眠っていることを幸いとして、このまま起きてこない事を祈りながら、自分の仮眠にもしようと静かに時間の経過を待ち続けました。

 実際には寝起きは機嫌が良いのか私の足の動きや留守番の犬の動きに救われ、泣く事もないままに娘の帰宅を迎え、このまま昼食後に帰宅の予定でしたが、私の車中には我家の(3ヶ月限定)愛犬リマちゃんが待たされている事からこのまま帰宅する事となりました。

 さて、本日は町内の親睦会の総会兼懇親会が開かれましたが、元々は町内の若者の集まりであったものが、会員の定年55才を60才に上げたものの、会員は減り続けて現在33名となり、3年後は一度に8名が定年を迎え、会の維持が難しい状況のようです。

 この親睦会もかつては町内の長老や役員に政治利用されており、反発して入会しない人も多く、政治力を排除して全ての対象者に呼びかけた事から、一時は会員が増えたものの、新たな若者の入会が一人もないままに中年の会となりつつあります。

 そういう私もかつての定年であった55才を超え、あと4年で定年の60才となってしまいますが、元々の政治利用が私が議員になってからも私以外にあった事から、入会はしているものの積極的な参加は一度もないままに定年を迎えてしまいそうです。

 定年後は60才以上を対象とした「老人クラブ」の会員となりますが、企業の定年が先送りされている事から、60才以上が老人クラブの感覚は再考の余地がありそうですが、最近では地域のコミュニティー活動が課題にされており、その中での親睦会の会員減少は地域の本質を見極める上での注目でもあります。
                                   3月20日の一言

何でもかんでもやって来る依頼に

 長い冬が過ぎ、自転車レースが開催される春が到来し、三男も今晩から家内の運転で埼玉県熊谷市まで走り、21日の大会(全日本実業団)に出場するようですが、詳細について私には説明もなく、カーナビの設定だけ依頼されたものの、私は明日も明後日も地元の行事がある事から、留守番だけでなく相棒の愛犬「リマちゃん」と一緒の生活となります。

第1回全日本実業団クリテリウム in 熊谷 詳細情報
http://www.jbcf.jp/docs/info/guideline_kumagaya2010.pdf

 昨年も忙しさから息子には同行もできず、「来年は行くからナ」と叫んでいましたが、シーズンが到来しても相変わらずの繰返しで、地元にへばりつく日々が続きそうです。
 もっとも、今年の日曜日は横井庄一記念館が毎週の日課となっており、私の代役を依頼しないと一度も行かれない可能性も高く、全国各地の大会へ参加する三男の無事を祈る事になりそうです。

 さて、本日は愛知県内の小学校の卒業式が開かれ、私も地元の小学校へ出向きましたが、10年一昔とは良く言ったもので、ビデオカメラを撮影する父親が大挙する卒業式から、母親がビデオカメラを持って席に座ったままで撮影する姿に変貌を遂げていました。

 フイルム写真からデジタルカメラに変わり、ビデオ撮影も小型化したことから、席に座る母親の後ろに三脚を立てて父親が並んで撮影する卒業式は、過去の風情となりつつあるとともに、その事によって卒業式が厳粛にも感じられるようになりました。

 「大鹿さん、車を頼みたいんだけど…」とは、卒業式のために自宅を出る直前の電話で、前々から当日の依頼には応えられないと伝えてあるものの、当日しか連絡のない依頼人から福祉有償運送の申し込みとなりましたが、ボランティアを依頼しようにも式が迫り連絡も取れません。

 「申し訳ありませんが、今から小学校の卒業式に招かれているので…」と伝えると、「用事が終わってからで良いから」との依頼でしたが、午前中の診察時間は限られているため式終了後に慌てて走ると、「大鹿さんは、他の議員の三倍は忙しいね」と言われ、忙しくなっている原因すら感じられていない依頼人に、呆れるのを通り越えて笑えてしまいました。

 たかだか350円のボランティア代金とは考えず、「まあ、珈琲代にはなったか」と気持ちを切り替えて帰宅すると、事務所のファックスには年度末のために締め切りの迫った請求が並び、5月の行事まで入っており、横井庄一記念館すらまともに務められない現実が正に実感の一日となりました。
                                    3月19日の一言

大混乱の1日が夜明けまで続きます

 本日は午前3時に起床し、会報「津島の風」を配布し、新聞販売店時代と同じスケジュールの生活となりましたが、引退して11年の体力の減退は著しく、疲れがとれないままに仕事に取り掛かりました。

 しかし、明日は小学校の卒業式の来賓に出席し、明後日は予定行事が複数存在し、日曜日は日光川流域下水道初めてとなる通水式の来賓が続き、そのまま横井記念館の一日となる事から、1月より伸び放題となっていた頭髪の散髪に走る慌ただしい一日となりました。

 もっとも、今週は週末が連休となっている事から、来週の担当職員のやりくりがつかない事態を招き、議会最終日に発表する「経済建設委員会」の委員長報告の報告書を本日中に書き上げる必要に迫られており、このブログの画面に非公開で書き入れていたところ、五千字を越える文章は送信ができない事が判明し、あわや全滅の危機に一瞬びっくりの夜となりました。

 こんな時の浅知恵は無駄な作業を作り、半分ずつコピーしたために完成品の確認が必要となり、コタツの上での娯楽の延長ではなく、事務所で仕事として集中して作業しなかった反省も時既に遅く、この一言の書き込みも含めて頭が混乱するばかりです。

 さて、最初に記しましたが、大学時代に起業した新聞販売店ですが、引退して11年が経過したことと年齢が56才になった事から、23年間に渡ってく苦もなく続けた朝の起床も辛く、配布して帰宅した後の仮眠後の体力が戻らず、確実に身体が老化現象を起している事を実感させられました。

 最近では議員に対して仕事が怠慢とか軽薄な扱いを受けていますが、私は議員だけを専業として「頑張っている」と主張してきましたが、今にして思えば、平成5年にPTA役員として、津島市の連合会長や愛知県の役員を務めていた頃の方が忙しく、毎日PTAの仕事が入りながら、新聞販売店の仕事も当り前に続けていた事を考えると、議員の平均年齢が高い事から、忙しいものの体力的にはかなり低いレベルである事も実感させられます。

 起業する際に、休みもなく早朝の仕事のために、周りから続かないと言われましたが、夜型の学生生活の延長で、朝は早いものの、仮眠も自由に取れたことから、朝から晩までのサラリーマン生活を送る父親と比較して、自由で楽な生活と思っていましたが、新聞社の都合で議員との兼業は認められなかったが、兼業ではとても務まらない事も、最近の体力から実感です。

 明日以降も公的行事が連続し、議会終了日が済んでも残務処理を考えると、年初めに描いていた年間スケジュールは壊滅的で、3月末には旅立つ予定だった「四国遍路」も、昨年と同じように先送りが確定的で、手帳が空白だからと安易な約束は厳禁の一年となりそうです。
                                    3月18日の一言

釣り人の言い分も聞いてみたい

 「ここには入っていけません!」と言われて、渋々でも従う人や、取材するテレビカメラに向かってくる人、逃げる人などが夕方の特集で取り上げられていたが、立ち入り禁止区域の堤防で魚を釣る人は後をたたない。

 何ゆえに立ち入り禁止にされて、柵まで設置された場所にハシゴまで持参して入ろうとするのか。撮影された映像を見て、対象となる人々の横着な所業に呆れていたが、過去の自分を思い起こしてみると、海岸で釣りをするのに禁止されていた記憶はなく、現在禁止されている場所についても、かつては当り前に入って釣りができた場所ばかりではなかったか。

 我々の少年時代においては、海岸に行けば何所でも釣りは可能で、立ち入り禁止で制約された覚えはなく、木曽川河口や鍋田干拓地で勝手に釣り糸をたれており、それを咎められたり禁止の立て札を見た記憶もないが、最近では海岸そのものに人が立ち寄れなくなってしまっている。

 今では信じられないような話であるが、我々の地域から南下した弥富や飛島の海岸線においても、戦後になっても知多半島と同じように海苔が養殖されており、海岸線に生活する人々は漁業を生業としていた事が、杉浦明平氏の「ノリソダ騒動記」にも記されていた。

ノリソダ騒動記・杉浦明平氏↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%B5%A6%E6%98%8E%E5%B9%B3

 昭和34年に愛知県を直撃した伊勢湾台風の被害が大きく、海抜0メートル地帯ゆえに、高い防潮堤も必要不可欠とは思うが、最近では木曽川河口から名古屋港にかけて、海岸や海の見える風景はほとんどなくなり、防潮堤の上に上らないと海は見えません。

 一方では、最近の海岸線は大企業の輸出する車の大駐車場などに変貌をとげ、海の香りどころか海岸の生活様式や風景も皆無となり、釣りを趣味とする少数の人々しか出入りもしない、コンクリートの塊と化してしまっているのである。

 今から20数年前の話とあるが、津島市にも釣りを趣味とする先輩議員が存在し、国道23号付近の河口で釣りをされる姿を何度も目撃していたが、その議員が亡くなられて姿を消すと、その付近一帯の川での釣りが禁止されてしまい、締め出された釣りファンからその議員の存在感を聞いた事があった。

 大物が釣れる絶好の場所だったが、釣りができる川は無料では釣りができなくなり、海岸線には近寄れぬ現実を考えると、本日放映された地域とは事情は違うかもしれないが、横着に思えた釣り人の意見や過去の経緯も調べた放映がなされていたか疑問に思えます。

 私の住む地域も釣りの穴場として雑誌に紹介されているようですが、残念なことは地域本来に生息した魚の釣り場ではなく、外来種のライギョの釣り場として紹介されており、川と道路を仕切る金網のフェンスの上からルアーを投げなければ釣りができず、鉄板とコンクリートの川が釣りの穴場となっている現実もより淋しく思えてきました。
                                   3月17日の一言

孫のワクチン接種に同行して

イメージ 1

 本日は朝からケーブルテレビ局のシステム更新で不調となったホームページのために、朝から担当職員を待っていたところ、約束してあった担当職員が休んだ事から、パソコンに詳しくない職員が代理で派遣され、説明する当方も専門職と思って説明を続けていたものの、何も解決しないばかりか、時間の無駄遣いとなり後日の約束として市役所に滑り込みました。

 さて、午後には孫の定期診断のため病院に出向く娘の運転手役で名古屋まで走りましたが、大量の患者を見事に裁く病院の受診システムには感心させられましたが、駐車場は産婦人科や幼児の拠点病院のため、幼児を伴った女性の運転手が多く、隣の車の出入りに冷や汗を流すとともに、無理やり駐車していく事から緊張の駐車場待機となりました。

 添付した写真は、輝く太陽光を後光のように受けていますが、運転席のハンドルを持つ孫と、孫の頭が気に入り舐め続ける愛犬リマちゃんと、私のスリーショット写真です。

 本日は名古屋市立城北病院の検診とヒブワクチンの接種のための受診でしたが、城北病院は名古屋市における出産時や幼児期の緊急時の拠点病院となっており、建物は老朽化して駐車場も狭いものの、医師の診療体制は充実しており、ここの診療体制を見たら津島市民病院への受診は絶対に薦められません。

〇名古屋市立西部医療センター城北病院↓↓
http://www.jouhoku.hosp.city.nagoya.jp/hospital/gaiyou.html
〇ヒブワクチン↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/Hib

 津島市民病院は医師不足から、産婦人科での出産も一時閉鎖となっていましたが、現在は医師が補充されて再開されているものの、難産や出産の緊急事態に対しては運を天に任せるレベルとしか思えず、娘と孫も昨年の出産時には難産のため大変な思いはしましたが、「ふるさと出産」を熱心に薦めた私の意見を聞かず、名古屋市で出産した事から、何事もなく本日が迎えられた事は幸いでした。

〇大変だった孫との初対面・昨年7月のブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/41491471.html

 津島市の市議会議員が、地元の市民病院を否定して、名古屋市の医療機関を評価して薦める事は市民感情としては不謹慎に思われるかもしれませんが、出産時の緊急事態は一刻を争うとともに、場合によっては生まれた子供の一生に関わる事から、最高の出産環境と体制の確認は重要です。

 津島市の厳しい財政を左右するのが市民病院の経営改善のために、医師の確保と同時に患者の獲得も至上目標となっているものの、経営改善よりも大切な事は、医療レベルの向上にあり、診察を受ける患者にとっては最高の治療を受ける事が重要で、このあたりについてはシビアな選択が重要です。

 私は子供が4人もおりますが、最後の三男以外は出産時には家を空けており、何事もなく近所の産婦人科医院で出産し、それが当り前のように思っていましたが、娘の出産を経験してから万が一の体制も考える事の重要性も訴えています。

 診察後に孫と娘を家まで送り、コタツに入っていると寝不足から寝入ってしまい、「お父さん、今晩は習字があるでしょう」と、家内から緊急の電話が入ったから良かったものの、慌てて名古屋から帰宅して恩師を迎えに走る展開となりました。
                                    3月16日の一言

朝から晩まで通信社会を意識させられて

 早朝より事務所の電話が鳴り響き、今度は事務所から転送された私の携帯電話が鳴り出し、出ようとしたら切れてしまい、留守録への録音を待って電話に出ると、無言のままに録音テープが残されています。

 「私、私だけど…」
 「どちら様ですか?」
 「〇△だけどネー…」
 「何所の〇△さんでしたか?」
 「〇△の…」

 時計は朝の6時を示しており、こんな時間の電話だから緊急の要件と思ってかけなおすと、確かに大変な問題ではあるものの、朝6時からでは対処もできず、「今来てもらえば…」と言われてもこちらにも予定があり、「何とかします」と応対すると、「警察でも何ともしてくれないから…」の一言が返り、期待された私は非常に高いハードルを乗り越えなければなりません。それよりも、頼られるのは嬉しいものの、「これって私の仕事なの?」との疑問と、「何故に私へ電話を?」と首を傾げたい依頼です。

 本日は福祉有償運送のボランティアについて、メンバーへの依頼が重複した事から借り出され、「11時に〇△病院に行ってくれ」と言われて10分前に到着して待機したものの、待てども待てども依頼主は現れず、当方の連絡ミスかと恐る恐る受付を覗いて確認しました。

 診察が終わっていないとの話に安心して待っていると、時計は12時となっており、再度の確認に受付を覗くと「まだ診察が終わっていないの…」とご家族が申し訳無さそうに言われ、「大丈夫です、待っていますから」と、人相の悪い顔で笑顔で応対したものの…

 結局1時を廻ってから自宅へ走る事となり、家を出てから3時間のボランティアとなってしまい、これは過去最高の待ち時間だったようで、昼休みを挟んでいたのが幸いでしたが、私より依頼主が恐縮してしまう事態となり、朝8時に出発して午後1時半の帰宅は患者としても苦痛となる病院行きです。

 さて、昨日のインターネットのサーバとの不具合ですが、ケーブルテレビ局から連絡があり、昨日の顛末を説明するものの、ホームページの開設は第三者に依頼しましたし、昨日もシステム更新の案内どおりに操作して、連動しない事から知人に訪問してもらい担当者の指示どおりに操作しましたが、当方の操作ミスでカウンターが削除されたとの応対です。

 「私は素人だけど、そちらの指示で操作した者はパソコンの玄人ですよ」と、テレビ局の指示ミスと訴えたところ、操作した知人に代わって欲しいと言われ、「彼は会社で仕事中です」と身勝手な応対を批判すると、「ホームページを最初に立ち上げた人に来てもらって下さい」の一言が返ってきた。

 幸いにも私はパソコンの専門家が廻りに存在し、無料で応対してくれるものの、本業なら来るだけで1万円以上と聞いている事から、マニュアルどおりで更新できず、電話とは言え担当者の指示どおりの操作で不調になった事から、「カウンターが消えたのは勝手なシステム更新が原因」と訴え、最後には明日専門の担当者が出張してくる事となりました。

 最近はこのヤフーブログの更新が主体となっており、ホームページの更新はあまり気にはしていませんが、平成16年に開設してから日々更新してきた訪問者数が消えてしまうのは残念の一言で、「営業のホームページなら損害賠償もの」と言いたい心境を抑えて、明日の訪問を待つこととなりました。
                                  3月15日の一言
追伸
昨日応援を依頼した知人も、「昨日はよく眠れなかった」と語っており、パソコンやインターネットの不具合は不眠と体長不良をもたらします。

サーバのシステム変更により眠れぬ夜に

 本日は横井庄一記念館の一日でしたが、電話で依頼された案件も多く入り、出先で聞いた事は忘れてしまうので、明日から要注意となります。

 さて、夕方は横井夫人と記念館の30年後を話題にして盛り上がってしまった事と、親族とは言え夫人の在所の家族環境までは聞いた事がなく、今月は夫人が頻繁に京都へ出かけて「疲れた」との一言を耳にする事も多かったが、今月の7日に夫人の実の妹が亡くなっていた事を聞き、妹の存在を聞いたのも初めての事で、7日は私も記念館に居た事から、何事も無かったように振舞っていた夫人の気丈さと、高齢で独り暮らしゆえに大変な心境を実感させられました。

 記念館は4時30分で閉館となりますが、こんな話題で盛り上がっており、部屋が冷えてきた事から夫人が暖房を入れようとした事によって、閉館時間を1時間以上も過ぎている現実に、慌てて閉館に取り掛かるとともに、日照時間が長くなった事も実感です。

 問題は帰宅後で、余裕の帰宅と明日の段取りを済ませ、事務所のパソコンの前に座った事から、知人も巻き込んで長い夜を迎えることとなりました。

 私のインターネットやホームページは、地元のケーブルテレビ局を通じて発信していますが、先月末に機器のシステム変更が実施されたことから、ホームページのアドレスや接続方法も変更されており、先月から更新しないままとなっていたホームページビルダーに手を出した事から大変な事態となっていきました。

 新しいログインIDや新サーバー名を書き込んで送信したものの、肝心のホームページは過去の書き込みのまま何も変わらず、夕食も食べずに何度も打ち直しましたが、送信は完了するものの中身が変わらず、結局はパソコンに精しい知人の手を借りる事となったものの、結局は何も進展しない事からケーブルテレビ局に連絡する事なりました。

 「電話が大変混雑しているため、改めてかけなおすかそのままお待ち下さい」のテープが流されていますが、パソコンに精しい知人が帰ってしまうと、私では指示されても満足に触れない事から、電話代はかさむとは思ってもそのまま待ち続けて、何とか知人の手によって更新までたどり着きました。

 しかし、開設以来毎日刻みつづけてきた訪問者のカウンターが表示されません。再度、電話をかけなおして担当者の応答を待ちつづけたところ、「カウンターについてはそちらの問題です」と言われ、開設時の記憶もないことから不都合のままに我慢する事となりましたが、検索しているうちにケーブルテレビ局から提供されたカウンターである事が判明し、改めて電話のかけなおしです。

 元々が、ケーブルテレビ局のシステム変更による障害で問題が発生し、案内された手順どおりで改善されない事から知人に来てもらって対処しているのに、電話の待ち時間が延々と過ぎた挙句に、「明日に連絡し直してください」との結論になりましたが、何ともならない事から文句も言えません。

 こんな顛末で、今晩の私の睡眠時間は2時間となり、明日の午後に仮眠を取るまでは我慢の一日となりますが、午後にも予定が組み込まれている事から、仮眠もままならず、今晩の問題については明日連絡を取り合う約束となったものの、パソコンの前にも座れないのに改善は図れません。久しぶりにパソコンによる眠れぬ夜となりました。
                                    3月14日の一言

さすがにビートたけしは天才だ

本日のテレビニュースから 、懐かしい列車の映像が流され、このまま姿を消してしまうと考えると一抹の淋しさも実感した事から転載して添付した次第です。先週から続く恩師の追跡と、三十数年ぶりに大学の同級生へ連絡するなど、過去への郷愁の延長です


イメージ 1上野~金沢間を結ぶ寝台特急「北陸」と急行「能登」が、3月13日のダイヤ改正をもって定期運行を終了する。車両は、旧信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠越えのため開発された489系電車で、運転席前方が大きく出っ張っているボンネット型。同型は、現在定期運行されている唯一の車両だった。

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 東海道新幹線が開通して新しい「新幹線ひかり号」が登場するまでは、今回添付した車輌と同じような「特急こだま号」が鉄道や特急列車の花形スターでしたが、昭和40年代に突然に姿を消してしまったSL機関車同様に、今後は全ての懐かしい車輌が姿を消してしまうのではないでしょうか。

 私の父親は戦前に中国の満州鉄道に入社し、敗戦後に帰国して名古屋鉄道(名鉄)に入社して、駅員から車掌、運転手となり、登場したばかりの名鉄パノラマカーの運転を経験した後に、名鉄グループのサービス部門に転出しました。

 今にして思えば、我家には旧満州鉄道の機関車や駅舎の写真から、名鉄の乗務員の使用した(切符を切る)ハサミや制服、制帽なども残されていましたが、子供の私たちが持ち出して「電車ごっこ」に使って廃棄してしまい、平成5年に父親が亡くなった事から、昭和20年代の名鉄電車や駅舎を写した写真アルバムも行方不明となっており、探して紹介でもできれば貴重な記録となるとは思いますが…

深夜に放送されたテレビ・ニュースキャスターでは、ビートたけしさんが毒舌を発しながら、このダイヤ改正から消えてしまう車輌については、「全部を北海道に持っていって走らせたら良いのになァ」と呟きましたが、観光資源としても真剣に考えると的を得たコメントだけに、真剣に考える関係者は存在するかどうかが気になりました。

 さて、こんな過去に浸ってばかりでは仕事が停滞したままとなり、旧友たちとの会話から心の静養にはなるでしょうが、そろそろ新しい気持ちに切り替える必要を感じながら、後ろ向きの性格ゆえに前向きに方向転換が必要です。3月は年度末となり、定年で去っていく人も存在するものの、新たに空席となったポストに昇格する人材もあり、私の同級生も校長先生へ昇進する可能性が極めて高い事(もう、決まっているでしょう)から朗報も報告できる事を祈っています。
                                            3月13日の一言

旧友の変わらぬ性格に接して

 本日開催された総務文教委員会を最後に3月議会の常任委員会が終了し、最終日の25日までに各委員会の報告書をまとめれば一段落となるが、今月は行政の年度末となっている事から、自身の政務調査費や政治資金収支報告書の提出も締め切りが迫り、しばらくは自宅と役所の往復が続きます。

 「〇〇なんだけど…」
 「えっ?、どちらさんですか?」
 「オレオレ、〇〇だけどナ…」
 「あー、おれ大鹿なんだけど…判る?」
 「昨日電話くれたろー。何か、あったんか?」
 「あー、ありがとう…」

 30年の時を越えた大学時代の同級生の声に早朝よりびっくりだが、卒業以来一度も会話すら交わしていない友の声は、なんら曇る事もなく、当方の身に何か重大な事があったかと心配するような電話で、昨日留守中に私が電話した事への返信だったが、私に「何か、あった」としたら「火中の栗を拾う」ような返信だけに、学生時代と変わらぬ応対と同時に、何者とも判らぬ当方の電話を取り次いでくださった奥さんに感謝するとともに、彼の誠実な性格が変わっていなかった事が嬉しい電話でもありました。

 電話の主は広島県福山市出身の同級生で、ゼミが一緒だけでなく、学籍番号が隣だった事から一緒に講義は受けていたものの、私は独立心旺盛でアルバイトに走り、彼はバレーボール部にスカウトされた全国レベルの選手だった事から、講義を聴くよりも机で一緒に寝ていたような学生生活だったが、私に大学時代の友人が少ない事から貴重な存在でもありました。

 彼と同じバレーボールの選手だった同級生が名古屋に存在したが、転居したらしく電話が不通になっていた事から、このままでは一生連絡が取れないと30年ぶりに電話を取ったのだが、愛知県の私が判らないのに広島県にいる彼に聞くのも無理があり、本日の夜は勤務先に連絡して転勤先を聞き出して本人にたどり着きました。

 幸いな事は、不通になっていた電話は、東海市に家を新築した事が原因で、不審な電話が多いことから公開していなかったようだが、彼らはスポーツを通じて大学の知人が多いと思っていましたが、全国から集まって寮生活を送っていた(電話の相手は名古屋出身ですが)事から、私と同様に知人が少ないとの一言にびっくりとさせられました。

 「おれ、昔から話好きじゃなかったからナ…」
 「そんでも、よくしゃべっとるじゃないか」
 「おい、おまえ今は何やっとるんだ?」

 なんて調子で、会社から帰宅準備中で、話好きではないと言う同級生と長話となりましたが、会社の位置まで教えてくれたので、ついでの時に訊ねる約束をしました。私だけが友人が少ないと思っていた大学生活は、意外にも私の周りの連中も同じように思っていた様子です。

 同級生の不祥事から突然に旧友が懐かしく思えてきましたが、日頃の忙しさから音信不通となっている知人や恩人も多く、これだけ便利な情報社会になっている半面で、いつでも連絡ができると思っている知人と永久に音信不通となる危険性も感じる一日となりました。明日も旧友探しは続きます。
                               3月12日の一言

忘れていた同級生の存在に…

 先週の土曜日の一言に、10代の頃に病院でお世話になった恩師に連絡がとれた話を記しましたが、その前日には昨秋出会った四国遍路関係者からの手紙が届いており、翌日の月曜日には母校である中学校の卒業式で同級生の教頭と出会っていた事から、過去を回顧(懐古)する心境になっていたのか、(昨日記した)大学の同級生の不祥事もあった事から、旧友の近況が気になり本日の夜は大学の同級生達に電話をかけまくっていた。

 卒業して30年以上が経過しており、突然の電話は最近ではオレオレ詐欺が多発している事から、何らかの意図や不安を感じさせないか心配していたが、電話口に出られた奥様たちは、ご主人となった同級生の青春時代の話題に温かく応じていただき、久しぶりに心が和む夜になりました。

 世の中には浮き沈みもあり、莫大な借金を抱えて全ての資産を奪われた同級生や、ここには記す事もためらうような行動に走ったり、家庭崩壊となった同級生もあるが、事故や病魔によって若くして鬼籍に入った同級生たちの事を思えば、生きていれば立ち直る事も可能と前向きに考えたいものです。

 今回の不祥事も、同級生が仕事が出来た事から重要なポストに昇進しており、公職の責任ある立場との認識が不足していたと思うが、詐欺事件となったのも人を騙して金を巻き上げる意図ではなく、借金や遊行費の自転車操業で被害が表面化した事件でもあった。

本日の中日新聞朝刊↓↓
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010031102000135.html

 そもそも、これだけの巨額の金額を詐欺であっても知人から借り出せたのは大きな人望があったわけで、私なんかは知人どころか銀行でも貸してくれない金額だけに、それだけの人望と地方自治体の信用を著しく低下させた責任は極めて大きい。

 同級生だから見方が甘いように感じられるかもしれませんが、本当の悪党であれば詐欺ではなく個人的に借金して「返す金が工面できない」と泣きついて踏み倒す事も可能で、詐欺ではあるがあくまで返す前提で資金を手にしている事から、馬鹿としか思えないが、人としての良心も存在すると信じたい。

 新聞報道を目にしたショックは大きいが、被害者にも常識から考えれば下心もある事から、後始末は司法判断を待ってからとなるが、一から出直し責任を果たして完済に務めて欲しいと期待したい。

 本日開催された津島市議会経済建設委員会では、私の同級生も複数が課長となっており、若かりし頃には委員会室に委員長(議員)と課長として同席するとは思ってもいなかった事から、「お互い年をとったなァ」との一言が自然と発せられました。
                                   3月11日の一言

同級生の顔が新聞に掲載され

 本日の新聞に大々的に報道されているが、三重県桑名市の課長が公共工事の指名業者から4千万円をだまし取ったとして愛知県警に昨日逮捕されている。桑名市では昨年にも職員の不祥事が起きており、本日は市役所の家宅捜査が行なわれる様子がテレビ映像から流されてきた。

業者から4千万円を詐取容疑 三重・桑名市課長を逮捕 朝日新聞10日
http://www.asahi.com/national/update/0309/NGY201003090009.html


 残念な事は、逮捕された課長が私の大学の同級生であるとともに、同じ教授の下に集ったゼミの仲間であり、私が学生時代からアルバイトや起業を目指していた事から、大学の仲間は少なかった中で、帰る方向が同じ事から一緒に帰った事のある、数少ない友人でもありました。

 卒業から30年以上が経過しており、卒業後に出会ったこともない事から、出向いてもすぐには判らないと思うが、私は議員になった11年前から各地に同級生を訪ねており、彼の勤務する桑名市役所にも電話を入れたものの連絡が取れなかった事から今に至っているが…

 報道によれば「馬を所有するまで競馬にのめり込んだ」と記されているが、彼は学生時代から親の持ち馬が笠松競馬場で活躍するとポケットに札束を入れており、当時から競馬とは縁があるとともに、員弁町の角栄と言われた大田町長の縁者ゆえに桑名市役所に入った可能性も感じていた。

 会おうと思えば30分もかからぬ距離にありながら、彼がどのような生活を送ってきたか判らないが、競馬や遊行費によって所有する土地まで売って返済に充てたと記されており、仕事が出来たと報道されているだけに、残念と言うよりも学生気分の延長で現在に至ったような気もします。

 さて、私の弟も彼と同じように遊行費のために多額の借金を背負い、名鉄系の部長職に昇進しながら退職して、親の残した土地と家まで失っている事から他人事には思えず、取り返しのつかない罪を犯し、罪を償う事は勿論だが、閉鎖的な農村地域で再起を図るのは容易ではなく、こんな時にこそ面会に出向いて励ましたいと思っている。

 私は高校を5年も経験していた事から、大学の同級生とは2年の年齢差があり、真剣に学生起業を考えていた事からアルバイトに精を出しており、在学中に独立して仕事を始めた事から、友人と時間を共有した事もなく、年月の経過は数少ない友人に連絡すらとれないのが現実となっている。
                                 3月10日の一言

自分の事を考えないと大変だ

 本日は市議会の厚生病院委員会が開催され、周りが真っ暗となった午後6時30分になっても委員会は終了せず、夜の書道教室の準備と恩師を迎えるため休憩の宣言時に退出してきましたが、員外で傍聴する立場とは言え最後までおれなかった事は残念だが、こんなに遅くまで委員会が続いたのは私が議員になって初めての事でした。

 8人の委員は勿論だが、午前中に自分達の報告が終わっても職場に返れず、夜まで委員会室待機となった市役所職員はひたすら座るだけの一日となり、その事は傍聴する私たちも最後まで見届けなかったものの、朝から晩まで無言で座っているのは苦行とも言える一日となりました。

 さて、私は明日が今議会開催中で唯一の休会日となる事から、本日中に来週月曜日が最終日となる確定申告の書類を書き入れる必要があり、午後の休憩中に抜け出して市役所内の相談窓口に走りましたが、時間がないことから明日は税務署に現金を持参して納付する事となりました。

 議会が開会するまで私自身の中に時間的余裕が漂っていましたが、これは大きな錯覚であり、積み残したままの仕事は山積されたままに残されており、最近の天候不順によって前議会の議会報告の会報配布も滞っており、議会最終日までに滑り込みの配布となりそうでもある。

 今月は国会でも記載漏れが問題となった政治資金収支報告書の提出も必要であるが、我々地方議員にとっては政治献金や公的資金はほとんどが無縁となり、何も活動していないと選挙時以外は0円で提出される議員もあるが、自分のポケットマネーを活動資金にしている事から報告には疑問でもある。

 記してから考えると、久々に日頃のグチがそのまま一言となりましたが、脱税と言われぬために真面目に税務署に出向きますが、重税をヒシヒシと感じながら、市議会議員が市税を滞納してはいけないと今月中に残された市税を支払うと、タンス預金は日に日に底が見えてきます。

 束の間の一日が済むと、明後日は自分の所属する経済建設委員会が迫り、25日に議会最終日を迎えますが、決算月の最終日まで忙しいスケジュールは容赦なく続いていきます。しばらくは横着に自分のために動きたいと思います。
                                    3月9日の一言

イルカ漁が食文化と言えるのか

朝日新聞夕刊に「イルカ漁反対にお墨付き」と題した記事が掲載され、「太地町に戸惑い」のサブタイトルがあり、和歌山県太地町で行なわれているイルカ漁を取り上げたアメリカ映画「ザ・コーヴ」のアカデミー賞受賞と、映画上映に抵抗する太地町や同町漁協の対応が記されている

〇イルカ漁告発の米映画、アカデミー賞 「ザ・コーヴ」
http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY201003080166.html
イメージ 1 この映画の撮影をめぐって、イルカ漁を行なう和歌山県太地町や関係者と、撮影するスタッフとの間にトラブルが起きており、昨年10月に開催された東京国際映画祭に対して太地町や漁協関係者は映画の上映中止を訴えたものの上映され、世界にショッキングな映像が配信された。

 今月上旬に映画の上映を予定していた立教大学では、同様の抗議を受けて上映を中止したが、ルイ・シホヨス監督は日本国内での上映を目指しており、すでに配給元も決まっているが、上映にあたっては配給元が漁師や関係者の顔にモザイクを入れるなど、肖像権への侵害を防ぐとともに、字幕によって誤解を与えない配慮も見せているといいます。 
〇米のイルカ漁糾弾映画の上映中止求める 2009年10月21日5時48分
http://www.asahi.com/national/update/1020/TKY200910200206.html
〇イルカ漁「隠し撮り」、予定通り上映 2009年10月21日17時26分
http://www.asahi.com/national/update/1021/TKY200910210329.html
〇イルカ漁批判映画「ザ・コーブ」に賞 2010年1月17日
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201001170174.html

イメージ 2 映画を撮影するスタッフと和歌山県太地町とのトラブルについては、当時の報道によって知らされ、地元に同情的に感じていたが、今回の映画上映に抗議して反対する太地町や漁業関係者の発言によって、私は今までの理解とは違う違和感を感じずにはおられなくなりました。

 太地町町長は、「作品には事実誤認がある。正確な内容でないのに受賞したのは驚きだ。常識があるところは(上映を)取りやめてくれるだろう。町として、イルカ漁の正当性を国内外に主張していきたい」と語り、和歌山県知事も「長いあいだ太地町で行われてきた生活を守る営みを、一方的な価値観や間違った情報で批判するのは紳士の道に反する」と話したとある。
〇ザ・コーヴ 太地町長「作品には事実誤認がある」2010年3月8日21時12分
http://www.asahi.com/national/update/0308/OSK201003080097.html
※右上の写真は、受賞当日、映画「ザ・コーヴ」の舞台となった入り江で撮影時について話す、関係者のハンス・ピーター・ロス氏=8日午後、和歌山県太地町、伊藤恵里奈撮影
?H5>しかし、私はイルカを食する事が「食文化」とは思えない。映画撮影の際には漁業を守るための害獣駆除として認識していたが、町長の「(イルカの)食文化は地域における長年の伝統や実情」との発言や、地元の主婦(35才)の「私たちは昔からクジラやイルカを食べてきた。なぜイルカだけ悪く言われるのか分からない」の言葉には理解したいとは思わないし、戦後の食糧難には必要だったかもしれないが、クジラの食肉についても現代社会には不必要であり、イルカについては論外と思われる。  静岡県伊東市で約30年間イルカ漁の経験がある石井泉さん(61)は、「イルカを殺して肉を生計の一部とする需要が今あるのか。そういう時代は過ぎ去った。受賞はこれ以上イルカを捕るなというメッセージだ」と語っており、現代社会においてイルカ漁には反対するのが常識ではないか。また、イルカを殺して食べる事に国民の理解は得られない。
〇捕獲から解体まで ニュース報道より(TBSニュースの森)
http://www.linkclub.or.jp/~orcinus/futo/keika.html

 一方で、何故に映画撮影を頑なに妨害し、上映にまで抗議して弁護士を代理人として上映中止を求めているのか。本当に食文化が伝統とか歴史と言うのであれば、無視して今までどおりに生活すれば良い話であり、過度な反対は余計に胡散臭くなっていく。添付した写真やTBSニュースの内容を見ると、日本人のイメージを低下させ、最近深刻となっているクジラの捕獲にも影響しそうである。
                                                 3月8日の一言

記念館の一日が当り前となる中で

 最近続く天候不順の雨とぶり返した寒さに震える一日は、予想したとおりに朝こそ東京から訪れた若い女性3人の訪問があったものの、午後は顔馴染の御夫婦が立ち寄られた事から、「横井庄一記念館」ではなく「大鹿独演会」と化してしまう一日となりました。

 もっとも、雨と寒さから時間を持て余す予想ができた事から、四国遍路の資料を大量に持ち込むだけでなく、3時の休憩用にプリンを持ち込み、ポータブルナビのテレビも用意していたことから、人の訪問を静かに待つのとは違い、あっという間の一日となってしまいました。

 さて、顔馴染の御夫婦と記しましたが、ちょうど1ヶ月前に初めて訪問された大治町の御夫婦で、私と旧知の先生へ連絡をしていただいたのが縁で、住まいが記念館から歩いて近い事や、毎日御夫婦で散歩するのを日課とされている事から、戦死された父親とダブらせて横井さんの仏壇に手を合わせられます。

2月7日の一言↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42806204.html

 独演会の内容は勿論「四国遍路」で、四国や真言密教の魅力に花を咲かせますが、横井夫人はあまり宗教の話が好きではなく、四国だけは私の感化もあって理解がありますが、横井庄一さんが帰国後に多くの新興宗教や団体が利用目的に近づいた反動から、未だに警戒心が消えず、宗教団体の関係者と判ると強いガードで無言と化してしまいます。

 とは言う私も、最近では我家の宗派である浄土宗や浄土真宗の僧侶から葬式や寄附の話しか出ない事や、日々の修行もしていない事から、真言宗や曹洞宗、天台宗のように僧侶自らが修行を続け、生きている我々に生きる道しるべを示す宗教しか関心もありませんから、私の推薦するお寺には魅力も多く、「四国もいきたいなァ」の一言が返ってきます。

 議会中の忙しいスケジュールの中で、毎週日曜日の記念館行きには私自身にもストレスを予感していましたが、毎週顔を出す事が判ってから私の存在を意識して訪問いただける人もある事や、頭を真っ白にして新たな展開を考える貴重な日曜日になりつつあります。

 明日は中学校の卒業式に来賓で出席し、依頼された案件にも市役所や地元を走る事となりますが、今年は確定申告の必要があり、愛知県の行事や報告も残している中で、事務所の机の上には未だに配布していない3千世帯分の会報が残っており、雨の続く夜空を眺める日々が続きそうです。
 ※前回の議会報告が記されていますが、25日には今議会も終了し次の会報が迫ってきます。
                                 3月7日の一言

恩人の医師へ連絡がとれて

 私の中学から高校、大学に至る少年時代においては、日頃の不真面目な行動に右足大腿部骨髄炎による入院や手術が重なり、高校の落第やら非行経験など(高校5年生)を経験する事となりましたが、そんな人と違う少年時代だった事から、世話になった恩師や恩人も多い。

 今にして懐古すると「あの人も、この人も…」となり、記しだすとキリがなくなりますが、今までに人に語った事もない恩人に、骨髄炎の治療をお願いした名鉄病院の主治医であった世古口先生が存在し、この先生がいなかったら今の私は存在していなかったと言えるような恩人でもあります。

 骨髄炎を発症したのは中学2年の昭和43年3月で、当時は近所の開業医の見立て違いによって高熱が続き、間一髪で名鉄病院に入院したものの、その時は簡単に治まってしまった事から、右半身の筋炎か骨髄炎の疑い程度しか診断されませんでした。

 私だけでなく家族も病気の深刻さもなく、再発する事も眼中になく、処方された薬も飲まないままに一年が経過したが、高校に入学して間もない5月のゴールデンウィークには右足が痛くて歩くのもままならぬ状態となり、この時の入院で病名が診断され、手術を避けたい私の希望で抗生物質の投与が続いたものの、高校の出席不足で留年が決まった10月には手術を受ける事となりました。

 私と世古口先生との出会いは、この手術後のことで、親不孝にも名鉄病院で一番部屋代の高かった5階の特別病棟(土川元男社長の部屋の近所)から、4階の整形外科病棟に移ってからの事と思われ、医師や看護婦の顔を見るのも嫌でしようがない環境下で、唯一の救いが世古口先生の笑顔であった。

 落第して不真面目が不良少年に化した翌年も病魔は再発し、再び半年の入院や手術によって再度の落第が決定し、荒む心にこの主治医の笑顔は唯一の救いであったが、病気は完治するどころか翌年にも再発し、高校の担任から退学を勧められる絶望的な状況と化していきました。

 一年生を3回もやり直す事態となり、その直後に入院や手術となった事から、私の人生の中でも最悪の事態とも思いますが、こんな時に出逢った高校の恩師とともに、世古口先生の笑顔が病気を自分の力で治す気力につながり、綱渡りのようでしたが高校を5年間で卒業する事となりました。

 さて、そんな時に「世古口先生の笑顔」や病院を忘れないと病気は治らないと思うようになり、自分勝手に通院も止めてしまった事から、人づてに他の病院で病院長になられたとは聞いていたものの、連絡先も知らずに今日に至ったわけですが、2年前に世古口先生と親しい人物が亡くなった事と、先生の年齢を考えると感謝の意を伝えるのは今しかないと本日思い立ち、住んでみえると記憶する刈谷市に存在する全ての「世古口さん」の電話番号を調べて連絡をしてみました。

 「たぶん、うちの主人だと思います」の一言に、実に三十数年ぶりに電話での会話が交わせましたが、恩師は80才になって医療の第一線は退いてみえるものの、半田市の老人保健施設の施設長として、週3回は顔を出してみえる事が判りました。

 多くの患者を治療した恩師にとっては一瞬の出会いかもしれないし、街角の開業医とは違い病気が治れば縁が消えてしまう病院の医師だけに、感謝する機会も無いままに年月が経過したと思います。「ところで、足の調子はどうなの?」と、私の具合を尋ねられ、改めて恩師の存在をありがたく思う一日となりました。
                                    3月6日の一言

ゆうゆうの里(世古口先生の挨拶)
http://www.i-koyu.or.jp/yuyunosato/goaisatu/goaisatu.html

四国からの手紙に春と幸せを実感し

イメージ 1

 2日間にわたって開催された津島市議会一般質問は、14人の質問が全て終わり、来週からは月曜日の中学校卒業式をはさんで各常任委員会が開催され、最終日の25日まで続きますが、帰宅後の郵便ポストには四国からの便りが届いており、春の到来を実感するとともに連日溜め込んでいたストレスが緩んだ気がしました。

 手紙の差出人は、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の事務局長を務める森さんで、最新の会報「ヘンロ小屋だより」が同封されていましたが、昨秋の「東海地区歩き遍路友の会」総会に活動状況を報告され、会の案内を届けるとの約束で届けられた手紙です。

 「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会は、近畿大学の歌一洋教授が提唱されている、歩き遍路が腰をおろし、足を休ませる休憩所を、四国4県に89棟建設するのを目標としており、地元の土地提供と、寄付金集めと労力奉仕などボランティア精神で達成しようとしているプロジェクトです。(精しくは下記を参照して下さい)

「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会
http://www.geocities.jp/henrogoya/

 平成13年に四国遍路を始め、当初は身勝手な観光気分だったものが、何度と足を運ぶうちに知人も増え、四国八十八ヶ所霊場会のみならず、別格霊場会からも公認先達の辞令をもらい、一緒に同行した人々も50人を越え、最近では議員と同じような責任も感じながら四国を目指すようになりました。

 我家には月初めに四国八十八ヶ所霊場会より会報「へんろ」が届けられており、インターネットを通じた四国情報も参考になりますが、最近では四国遍路とは無縁の四国との縁も増えて、「今度はいつ来るんですか?」と携帯電話がかかり、「何所でも案内しますからね」と、街づくりを通じた議員活動とも重なるようになりつつあります。

 議員活動が忙しくなって、自由な行動に制約ができつつありますが、朝から晩まで一つの現場を離れられない仕事と違って、日々の中での自由時間はあります。ただし、相談や依頼された案件へのストレスは大きく、時として「自分が弁護士だったら」と思う場面も増え、胃が痛む感覚も増加中ですが、そんな私がホッとできるのが本日届いたような便りです。

 さて、議会開催中のために3ヶ月限定(できれば譲ってもらいたい)の愛犬「リマちゃん」も、相棒の私がいない事からストレスを溜めており、私の帰宅を心待ちとしているようですが、我家本来の愛犬「モモちゃん」もリマちゃん人気にストレスを溜め込んでおり、久しぶりに散歩に連れ出したところ、私の事務所にはリマちゃんが「ウンチ」を撒き散らしていました。
 明らかに私への嫌がらせなんですが、我が子の世話もしなかった私が犬の後始末をする展開を子供に笑われ、私自身にも犬臭さを自覚しながら、私の傍らで眠る愛犬を見ながらキーボードを押している事に幸せを実感する一日ともなりました。
                                    3月5日の一言
追伸
「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の事務局は大阪にあり、差出人は奈良県が住まいです。

四国巡礼

四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ
http://www.88shikokuhenro.jp/

四国別格霊場会
http://www.bekkaku.com/

四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会
http://www.geocities.jp/henrogoya/

議員として地域格差を考えると

 本日は津島市議会の一般質問が開催され、7人の各派代表者による代表質問が終わったのは午後5時を大幅に廻っていたが、今回の議会には14人の議員が質問を通告しており、明日も7人の質問が残っており、私が議員となってからは珍しい事でもあります。

 市議会は現在22議席(1名欠員)で、ここから正副議長(副議長も質問はできますが)を除くと質問に立たないのが6名だけとなり、このように質問が続くと2日間の日程を考え直す必要にも迫られそうですが、6月議会にこの展開が続けば幸いと思います。

 さて、本日の質問の中にも入れてありましたが、津島市で生まれ育った若者が、大学から社会人になる段階で市外に出たままとなり、残された両親が高齢となり病気に苦しめられたり、独居老人となって行政の福祉制度に頼る姿を見るのは忍びないものがあります。

 「いつかは戻ってくるだろうから仕方がない」と言って、家の後継者となるべき子息を仕事のため市外で生計を構える事を容認する親は多いが、私は子供達が市外で結婚すれば、新たに誕生した子供達がその土地を故郷として成長する事から戻って来るのが困難になると思っています。

 そんな訳で、私は子供達を大学までは容認したものの、就職は自宅から通える範囲で探す事として家に帰らせましたが、娘だけは名古屋市に出て結婚してそのまま生活しており、近いうちに津島市に戻ると語っていた事もありましたが、子供が誕生してからは医療とか買物などを理由に戻る気配は無くなりました。悔しい現実ですが、実際に名古屋市に住むと津島市より医療や生活面では恵まれています。

 最近のことですが、津島市を出て名古屋市に居を構える若者が、「津島市の建売住宅は名古屋のアパートの家賃より安く買えるから…」と、津島市に戻ろうかとの相談を受けました。
 ただし、家賃より建売住宅が安いとしても、購入すれば固定資産税なども発生する事や、通勤時間や子供の医療もあることから安易に飛びつくのは考えもので、「帰ってきたら」との気持ちを封印して、「ご両親と相談して決めたら…」と伝えてしまいました。

 街づくりを考える中で、若者が魅力を感じて戻ってこないと、高齢者ばかりで行政や人に頼る地域になってしまいますが、津島市の現状を考えると若者に里帰りを推奨できる環境には至っておらず、そんな課題を真剣に考えないと年代の空洞化を作ってしまいます。

 名古屋市のアパート代より安く自宅が購入できる事は魅力で、そんな若者が里帰りできる環境を考えれば前途洋々ですが、実は名古屋市の中心部となる栄地区には、郊外で生活していた高齢者がマンションを入手して人口が集中しており、買物や通院にも便利と聞かされると、先祖伝来の土地を抱えて津島市しか眼中にない私の意識改革が先決かもしれません。
                                    3月4日の一言

米上院でブレーキ装置優先の法制化へ

アメリカ上院の商業科学運輸委員会の2日の公聴会で、委員長のロックフェラー上院議員は、アクセルよりもブレーキを優先する装置を義務づけることを法制化する方針を明らかにしたと夕刊に報じられている。

 昨晩のテレビ朝日ニュースステーションで、米中訪問から帰国したトヨタ自動車の豊田章男社長が出演し、今回のリコール問題に至った車内状況の説明を行なっていたが、アメリカ上院委員長にブレーキ優先の法制化を表明される以前の問題として、快適に走る事より人命優先のためには急ブレーキによる急停止の実現は優先されるべきではなかったか。

米、ブレーキ優先装置を義務づけへ 上院委員長が方針(朝日新聞3日夕刊)
http://www.asahi.com/business/update/0303/TKY201003030232.html

 一方で、昨年8月にアメリカカリフォルニア州で起こった、トヨタ自動車レクサス暴走事故によって乗っていた4人が死亡した事故で、遺族がトヨタ自動車を相手取って損害賠償を求める訴訟を起した事についてもアメリカメディアが報じている。

 この事故は、ブレーキではなく、アクセルペダルが戻らず高速道路の終点に激突した事故で、通報した当局と運転手の会話がアメリカ全土へ実況中継のように報じられ、今回のリコール問題のきっかけになった事件であったが、アクセルが戻らないと止まらない事も異常である。

 省資源とかエコ生活などと言われているが、車の原理はアクセルを踏めば走り、ブレーキを踏めば停まる単純な原理であるばかりか、ギアをニュートラルに入れるとか、最悪の場合にはエンジンキーをオフ(切る)にすれば、エンジンの回転は停止するとともに、エンジンブレーキやサイドブレーキで何とかなった筈ではないか。

 レクサスの問題でも、フロアマットが引っかかってアクセルが戻らないとしても、ギヤチェンジやキーを切ってエンジンを停止できれば暴走する事は阻止できたと思うが、私が22年選手の愛車を運転している事から、最近の自動車事情に疎いとしても、安全対策が車の電子制御任せでは危険極まりない。

 昨晩の豊田章男社長の話では、電子制御によって、多少は(70センチ程度)停止距離が長くなっても、車の横滑りによる被害は防げるとの一長一短のような説明があったが、目前の歩行者を前にしても急ブレーキが効かないとしたら欠陥車と言われても仕方がないし、横滑りしない安全走行が前提であるべきだ。

 幸いにして豊田章男社長は「技術屋ではないがテストドライバー」と自己の立場を表現した。車が快適な生活空間と化した社会で、車が危険な凶器となる意識が希薄になっているとしたら、車を運転する立場で最高の車つくりに邁進してもらいたいものでもある。
                                   3月3日の一言

本当に反省しているとは思えないがー大阪3キロ引きずり事故

 大阪・梅田の国道交差点で2008年10月、会社員の鈴木源太郎さん(当時30)がワゴン車に約3キロ引きずられて死亡した事件で、殺人と自動車運転過失傷害、道路交通法違反(無免許運転、ひき逃げ)の罪に問われた住所不定、元ホストの吉田圭吾被告(24)の初公判が2日、大阪地裁であった。被告は「頭が真っ白になり、引きずりに気づかなかった」と殺意を否認したうえで「ご遺族に心からおわびします」と謝罪した。(朝日新聞)

 本日の新聞報道ですが、昨年10月に大阪で起こった3キロも人を引きずって死亡させ、その後も平然とホストの仕事について飲酒していた被告が、「引きずりに気づかなかった」と殺意を否認したばかりか、大阪地検は、事故当時のアルコール摂取濃度が立証できないとして、飲酒運転での起訴は見送っていたと言うから、他人事ではありますが、本人は勿論だが、弁護する弁護士も含めて、遺族の心情を思うと許される所業ではなく怒りを覚えます。

ひき逃げ・Yahoo!ニュース↓↓
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/hit_and_run/


〇梅田3キロ引きずりひき逃げ 初公判で元ホスト殺意否認
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201003020063.html
〇女性600メートル引きずり? タクシーひき逃げ容疑・2010年3月1日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201003010016.html
弁護士 谷原 誠 ブログ↓↓
http://blog.giron.jp/archives/51477146.html


 確かに殺意を持って事故を起したわけでない事は、殺人を目的として車を運転した者以外は誰しも不慮の事故となるのだが、事故後に3キロの道程を被害者を引きずった事実は悪質で、ひき逃げ以前に無免許運転である事や、検察側の調べで事故前夜から飲酒していた事実がありながら、事故後の飲酒によって飲酒運転で起訴できないとしたら、これからも悪質な運転者の悪例となることから、絶対に事実を解明して起訴すべきで、反省しているなら飲酒の事実も認める必要性があると思われる。

 交通違反や事故の厳罰化が図られた事で、暴走運転やひき逃げが減少すべき筈であったが、厳罰になった事で飲酒の事実を逃れたり、長い刑罰を逃れるためにひき逃げが続いている現実は、早急に関係法令を見直す事と、酒を提供した飲食店にも条例による脅しではなく、加害者と共に法廷に座らせる危機感が必要でもあろう。

 添付した新聞記事にも記されていますが、前例のある大阪でひき逃げ事故が連続し、先月末にも車の運転を職業とするタクシー運転手が女性を300メートルも引きずって重症を負わせており、「人をひいたと思わなかった」と供述している事からも、逃げ得を許さぬ対策は急務でもある。

 こんな一言を記しているが、政権与党となった民主党の鳩山首相や小沢幹事長を筆頭に、選挙違反で逮捕者が出ても自らの責任を認めないどころか陳謝もしない国会議員や、本人が逮捕されたにも関わらず議席に居座っている現実から、世の中に正しい秩序を求めても説得力もありませんが。                                               3月2日の一言
飲酒運転とひき逃げ・参考になるブログ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/tom_w224rafa/27938704.html

行列のできるラーメン屋に走り

?H3>本日は津島市制63周年記念式典が文化会館で開催され、特別表彰1名、永年勤続表彰27名(私も表彰されました)、一般表彰7名(団体2)と、今年金婚式を迎える御夫婦71組が集い、表彰式と記念品贈呈が行なわれました。

イメージ 1 添付した写真は、津島市外で名古屋市中川区(春田1丁目)となりますが、式典終了後に私と同会派のU議員が名前を挙げた「つけ麺」のお店で、いつも乗せてもらうばかりである事と、かつては私の庭のようにしていた地域だった事から、私の22年選手の愛車でU議員の道案内で出かけました。

 津島市からこのお店に行くには、津島市から七宝町を経て東名阪自動車道名古屋西インターの近くを南下していった訳ですが、午前11時30分にもかかわらず店の前には行列ができており、店の近くにあるスーパーアブヤスの駐車場に無断で停めて(申し訳ありません)、歩いて行列の最後尾に並びました。
イメージ 2
 私個人は並んでまで食事をするのは好きではありませんが、人が並ぶのはそれだけの魅力があるか、顧客の評価が高いはずだと自分に言い聞かせて待っていると我々の順番となり、注文だけを先に店内で決めてから、再び店外で並んで席があくまで待たされますが、通行する車の運転手が何事かと覗き込んで徐行していきます。

 「大鹿さん、何を食べます?」とU議員に問われましたが、ラーメンと言えば「ミソラーメン」の感覚か「中華そば」しか思い浮かばず、「つけ麺」が有名と聞いてきたものの、何を選んで良いか判らないので一番人気と記された「つけ麺」を注文しました。

 店内は20人も入れば満席となりそうな狭さですが、我々はカウンター席だったものの隣とは余裕のある席で、届けられた「つけ麺」の麺は、ラーメン嫌いでも食べられそうなうどんに似た食感で、「つけ汁」についても中身が濃厚で具も沢山入っています。
イメージ 3
 うどんにはサービスでオニギリかご飯が選択でき、我々はオニギリを選択していましたが、カウンター前に「おにぎり・持ち帰り不可」、「ライス・大盛り可」の張り紙があり、そこには「ただし、ご飯類を食べ残されたお客さまは、100円頂戴させていただきます」とあり、ホリュームがあるだけに注意も必要です。

 店を出てこの張り紙の謎解きとなりましたが、このお店は元々が米屋さんで、隣にはオニギリのお店が営業しており、オニギリも品数が揃っており、米にはこだわりがあるはずで、我々が店を出た時にも店の前には行列ができていました。もっとも、行列が出来ていても多くの店員さんが働いている事から儲かるかどうかは判りませんが…

 私の近くにも「ネギラーメン」で人気のあるお店がありましたが、私の知人が並んで待っていたところ「本日はこれで売り切れ」と言われ、さんざん待たされた挙句に食べられなかった事から、抗議したものの無視同然の態度だったと聞かされていましたが、本日一緒に同行したU議員の話では、味そのものも良くなかったとの話に、世の栄枯盛衰と「お客様は神様」との気持ちが一番重要とも思いました。
※このお店は、客が勝手に行列ではなくその都度店員さんが出てきて案内していました。

 さて、私の庭のようにしていた地域と前記しましたが、私が庭としていた20年前とは町並みが様変わりしており、「大鹿さん、本当に精しいの」と疑惑の視線を浴びましたが、11年前までは私の営業エリアとなっていた七宝町とは隣接しており、走りなれた道路も街の景色も一変しており、浦島太郎のような心境で市役所に戻りました。
                                                 3月1日の一言
追伸
お店はJR春田駅に近い丸和米穀店 です
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