大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2010年05月

民意は選挙結果でなく集約する制度で

 昨日に町長選挙の投票が実施された大治町で、みんなの党が推薦した岩本氏が現職町長と27才の若き新人候補を破って当選した。7月の参議院選挙をひかえ、みんなの党が単独推薦していた事から大きく取り上げられている。
 
 日曜日には道路の反対側が大治町となる横井庄一記念館に通い、知人も多く存在するものの、選挙が行なわれていた事すら知らず、当選した岩本氏が元中日ドラゴンズの選手だったと言われても中日嫌いの私には判らず、報道では2年前に飲酒運転で書類送検され辞職勧告を受けていたとあり、前途多難にも思えます。
 
 岩本氏は、名古屋市の河村市長と同じ「町民税10パーセント減税」と、名古屋市への編入合併を公約としており、本日の夕刊では河村市長の好意的なコメントが報じられていますが、落選した2人の得票数は岩本氏を大幅に上回り、当日の投票率が43パーセントしかなかった事から町民の総意の確認が必要だ。
 
 以前の一言にも記したことがありましたが、大治町については名古屋市の浄水場が存在し、名古屋市と同じように名古屋市交通のバス路線が走っている事から、名古屋市との合併については隣接する「あま市」とは名古屋市の対応も全く違い、好意的な話を名古屋市議から聞いた経験もあります。
 
 さて、娘が名古屋市港区に住む事から実感した事ですが、私の住む津島市よりも緊急時の医療対策は充実しており、田舎の町村の合併にこだわるより名古屋市と協調した方が得策に思えますが、市町村合併については経済的損得だけでは決められません。
 
 私が日曜日に通っている横井記念館についても、現在は名古屋市中川区に編入されていますが、かつては海部郡の富田村であった事から、合併したことから封印された過去との断絶も存在します。
 
 もっとも私は、市町村合併については元々反対であり、30万人以上の大きな合併なら真剣に考えますが、数万人から10万人程度の町村の合併は弊害も多く、津島市が合併できなかった事を被害者意識から話す人もありますが、当時話題となった愛西市となった2町2村との合併は破談になって良かったと確信しています。
 
 昨日の一言にも居住福祉について記しましたが、市町村合併が国からの補助金頼みで、市独自の街づくりの指針が共有されていないと、未だにハコモノ行政(愛西市は市役所庁舎建設や火葬場建設)に走り、住民の福祉やサービス向上には至りません。
 
 住民を主役として考えると、減税は勿論ですが、医療や教育など市民が安心して生活できる環境を第一として考える必要があり、そのためには候補者の優劣に左右される選挙の公約によって決めるのではなく、住民投票制度の制定や意見の集約ができる環境整備は急務でもあります。
 
 沖縄県でも米軍基地問題で民意が大きな視点となっていますが、選挙結果は立候補者の総合的資質が反映され、今回の選挙でも単独公約の一騎打ちではないことから、当選した町長の勘違いは注意も必要だ。
                                  5月31日の一言

部屋にカンヅメで居住福祉を考える

 本日は横井庄一記念館の一日でしたので、パソコンを持ち込んでいたものの来客のために使用できず、天気の良さと清々しい外の風を感じながら、暗い館内で来客を待つ一日となりました。じっと待っている仕事は性格上無理があります。
 
 さて、前日の土曜日は「人にやさしい街づくり」で世話になっているNPO法人の総会と、「居住福祉と人にやさしいまちづくり」について、岡本祥浩中京大学教授の勉強会に参加してきました。
 
 過去に何度か講演を聞き、津島市で実施した「人にやさしい街づくり」の地域セミナーの講師をお願いした事から、歪になった私の頭の回路修正と復習のつもりで参加していましたが、居住福祉から教育に対する新鮮な話を耳にする事となりました。
 
 不登校や怠学(たいがく)だけでなく、仲間とともに非行に走る生徒の問題を地域で耳にする事も多く、学校の現場に足を運んだ事もありますが、教育現場で「家庭内の問題」として原因にもたどり着かぬまま終わってしまいます。
 
 家庭の問題となると、家族や家庭環境も判らないことから、そのままにされてしまいますが、家の建物やスペースが子供の成績や行動に影響する事から、家に住んだ時点で予想される問題だったのかも知れません。
 
 学校で問題とされる生徒について、素人考えでは単純に両親の仕事が子供の環境に大きく影響しているように考えてしまいますが、住んでいる家や部屋の影響は大きく、勉強のできない環境では成績も上がりません。
 
 子供では何ともしがたい建物ですので、場当たり的ではなく10年後や次世代までつながる住宅政策を基本に、国や行政が真剣に議論する事が不足しており、不動産屋任せとなっている現状の反省は重要です。
 
 最近は国が選挙目当てとなりそうな場当たり的な公約を出しますが、人々が無理のない経済的負担で、総ての人が利用できる居住空間を保障する事が重要で、この上に地域社会のコミュニティー力が発揮できれば…
 
 教育や学校問題を考える時、「道草をせずに早く帰りなさい」は共通でも、我々の子供時代は道草ができる環境があったものの、現代社会では道草どころか事故が事件に巻き込まれる可能性から、子供の生活環境は大きく変貌しています。
 
 住居の福祉面ばかりでなく、安全な道路空間についても考えてみたいと思います。
                                   5月30日の一言

同じ由紀夫さんでも首相の発言は国益を損なう

 
 沖縄の米軍基地問題は昨年登場した民主党鳩山首相の発言によって、米国との信頼関係を悪化させ、沖縄県民に期待を持たせただけで自民党政権時より後退させ、県民の意思を無視して米国との合意を優先させる最悪のシナリオとなりつつある。
 
 鳩山首相が日本の防衛や米軍の持つ防衛上の抑止力を勉強中(こんな事は首相として許せませんが)に、広大な領土を持ちながらも中国の日中境界線への感心は高く、日米の不協和音に乗じて沖縄近海へ潜水艦や艦船を繰り出し一触即発の報が伝わってくる。
 
 私も以前に尖閣諸島や沖縄近海での中国の動きを憂慮する一言を記してきましたが、鳩山首相が全国知事会で東京都の石原知事から尖閣諸島について問われ、「日本と中国の当事者同士でしっかりと議論して、結論を見いだしてもらいたい」とのびっくり発言が飛び出しました。
 
 「馬鹿」とか「腹を切って死ぬべき」の一言は、地方議員のブログやメールの炎上を招きかねませんので記しませんが、日本固有の領土である尖閣諸島について、近年自国の領有を主張しはじめた中国と話し合ってきめるなどとの発言は、〇〇の一言や「腹を…」の記載しか思い浮かびません。
 
 無益な選挙公約や公約違反は勿論だが、不勉強というより〇〇な発言によって、沖縄県民だけでなく日本国民の利益を損なう鳩山首相については即刻退陣すべきと思うが、このままでは他国に占有されてしまった竹島や北方領土の解決には程遠く、日本の将来を憂いて自らの主張に腹を切った三島由紀夫さんも浮かばれない。同じ由紀夫さんだが、鳩山さんの言葉は軽率で、主張と命を引き換えにした三島さんを見習いたい。
 
 さて、昨日から明日までの3日間、三男は紀伊半島熊野の自転車レースに出かけていますが、家内がついて行かなかった事から結果が判らず、「どうなっているのかなァ」の一言を繰り返しています。
 
 もっとも、昨日に車で連れまわした孫の体調が不調で、本日は娘と一緒に病院に出向く事となり、息子の心配から孫の心配と変化していくのも自然の流れで、私も自分の楽しみにも視線を移したい心境でいっぱいです。
                                 5月29日の一言

行基菩薩が開基した南濃臥龍山へ

 昨日の一言に、「明日は乗鞍スカイラインへ」と言って家内に無視された話を記しましたが、私がすっかりと市役所の仕事を忘れており、早朝の電話によって市役所に走った事から、「スカイラインは無理でも知多半島なら…」なんて思惑も一瞬にして吹き飛んでしまいました。
 
 ただし、午後からは孫を連れて娘が帰ってきていたことから、「良いところに行こう」との甘い言葉で誘いに成功し、木曽川(立田大橋)を越えて三重県の多度山から岐阜県の南濃町まで車を走らせ、家内の在所に立ち寄ってから帰宅となりました。
 
イメージ 1 さて、目的地とした「行基寺」は岐阜県南濃町(海津市)にあり、今から1千2百年前(天平16年)に行基菩薩によって開基された古刹で、庭園からは木曽三川を越えてはるばる尾張平野が見渡せ、名古屋駅周辺の高層ビル群に手が届きそうな見晴らしです。まさに絶景です。
 
 びっくりとしたのは行基寺の入り口の国道258号(大垣と桑名の結ぶ)線にある「南濃ドライブイン」が休業状態で、かつては必ず観光バスの休憩場所として立ち寄った場所が閑古鳥が鳴いています。名神高速と東名阪道路の開通により、完全に寂れてしまいましたが、新たに足湯のある道の駅「月見の里」が完成し、学校の遠足の観光バスがトイレ休憩に立ち寄っていました。
 
 本日立ち寄った「行基寺」は、歴史が古いだけでなく、美濃高須藩松平家の菩提所で、徳川家康公の曾孫松平摂津守源義行公を藩祖として、松平家の菩提寺として境内や全伽藍を改修し、城郭に模して再興されてきた事から「隠れ城」とも言われています。
 
 本日は私一人で立派な庭園まで入れてもらい、久しぶりにお寺らしい雰囲気と見事な庭園を鑑賞させてもらいましたが、現在は浄土宗のお寺で、徳川家の葵の紋があるものの、菩提所だけに一般の檀家がない事からお寺としての維持が大変と語っておられました。 (ちょっと協力しましょうかネ)
 
 私たちはここから東海大橋を渡り、家内の在所へ立ち寄りましたが、親不孝の私は何年ぶりか判らぬ訪問で、家内や娘と義母の会話にも立ち入れず、一緒に抱えて連れていった相棒リマ(愛犬)だけが頼りのひと時となりました。
 
 本来なら土曜日と日曜日の明日以降が楽しみな週末ですが、明日は名古屋に出かけ、明後日も横井庄一記念館となりますから、今月末まで有効となっている名鉄の乗車券を活かそうと考えると苦悩する月末となりました。
                                    5月22日の一言

息子のためなら運転していくのに…

 本日は朝から携帯電話が鳴るものの、出る頃には切れてしまい、留守録のテープを聞いて電話をかけなおす繰返しでしたが、連休中に配布した福祉有償運送のチラシの注文が入ってきました。
 
 ボランティアにとっては有り難い注文ですが、使用する自家用車は運輸局に登録した車である必要があり、新しいボランティアの人はとりあえず私の車を使用する事から、私の外出はタクシー車輌が頼りとなっています。
 
 さて、今では固定電話に代わって生活の中で重要な役目を担っている携帯電話ですが、本日は着信音が鳴り続けず切れてしまう事から直そうとしましたが、取扱説明書が見つからない事から自己判断で操作しましたが…
 
 夕方になって携帯電話の待ち受け画面を見ると、多くの着信履歴と留守録が記録されており、発信者に連絡して確認すると、コールと同時に録音の案内になってしまうようになっていた事が発覚しました。
 
 携帯電話が代わる度に説明書がついてきますが、最初こそ必要に迫られて中身を読みますが、使い慣れた事から説明書を見る事もないまま放置され、自己流の操作はとんでもない設定にしてしまいます。
 
 「明日は電車で遠くまで行ってこようかな」と、今月末まで使用可能の乗車券が多数残っている(名鉄に勤める妹の家族券と株主優待券)事から、昨日知人に伝えていましたが、朝からの電話で仕切りなおしとなりました。
 
 本来なら今晩から紀伊半島の熊野まで息子を乗せて走る予定だった家内ですが、息子がJRに自転車も携帯して行ってしまった事から、わざわざ会社を休んできたものの明日は用無しとなりました。
 
 息子の自転車レースを見られず落胆する家内に、「おい、乗鞍スカイラインまで行ってこようか?」の一言も、「そんな遠くまで嫌だ」の一言で、一瞬にして私の気力も喪失し、明日は成り行き任せの繰返しとなりそうです。
                                    5月27日の一言

新聞の一面を飾るような大事件とは思えない

                   http://www.asahi.com/national/update/0525/TKY201005250535.html
 
 本日の報道では大相撲の本場所に暴力団幹部が観戦していた事が問題となっているが、どんな事情があって相撲協会の親方が便宜を図ったかは推測の域を得ないが、私個人は法を犯せば問題だが、暴力団の看板によって全てを批判すべきとは思えない。
 
 「インテリが作ってヤクザが売る」の一言は、私が23年間関わった新聞業界を象徴する言葉で、一流大学出身の新聞記者が取材して書き入れた新聞も、所詮はヤクザと変わらぬ人々が販売しているという意味で使われた言葉です。
 
 実際に私が販売店主を務めた時は、多くの新聞拡張(営業)員を店に迎え、法律に反する拡販品(サービス)を持たせ、地域へセールスに送り出しており、購読契約を巡る揉め事は新聞社は知らぬ顔で販売店に被けていました。
 
 「無理やりハンコを押していった」とか、「勝手にサービス品を置いていった」と契約者からのクレームを販売店主の私が受け、「はい、判りました」なんて地域住民を庇うと、「どんな思いで契約を取ったか判らないのか」と怒鳴る者や、暴力団との関わりを口にした拡張員も存在しました。
 
 私の場合は生まれ育った地元ですから、揉め事は自分が泣かされる事が多かったものの、相手に落ち度のある契約も多く、購読する気もなく契約してサービス品を返さない相手も存在し、泣き寝入りもできずに矢面に立たざるを得ない場面もありました。
 
 問題は、売り手の販売事情もありますが、地域には暴力団紛いで話も出来ない輩も多く、正当な手続きで成立した契約を無視するばかりか、サービス品は使われて回収の価値もなく、新聞を配達しても購読料を一切支払わない家庭も存在しました。
 
 一番印象に残る揉め事は、横着な契約不履行に抗議した当方へ、ヤクザ風若者が車を連ねて押しかけ、駐車場前の道路に車を停め、我家の訪問者が車を出せないようにした挙句に、店舗の扉を開けたまま道路に向かって大声で叫んで暴言を続け居座った事でした。
 
 「契約した本人を今すぐ連れてこい」と無理な注文に、夜まで膠着状態が続き、警察も仲裁には入ってくれない事から、拡張員の派遣会社に連絡すると、東京より電話が入り相手は素直に帰っていきました。
 
 この仲裁に入った関係者は大手暴力団の幹部(定かではありません)で、名前を出せば誰でも知っている有名タレントを電話一本で呼び出せる人物でしたが、良い事とは思えませんが、警察でも嫌がる揉め事を電話だけで収めてしまったのです。
 
 ただし、電話の内容は何も判らず、私は何も見返りを求められておらず、この恩人は暴力団関係者ではあったものの、私が新聞販売店を廃業した後も暫くは年賀状が届いていました。
 
 何事も奇麗事や法律だけでは解決できず、頼るべき警察ですら「民事の事は…」と逃げてしまう現実があり、「蛇の道は蛇」の諺があるように、良策とは思いませんが悪には悪を持って対処するしかありません。
 
 私は暴力団が良いとは思いませんが、公権力によって暴力団を全て排除する事で、暴力団の紛い者やチンピラが世間で横着の限りを尽くしている現代社会は新たな問題に思えてなりません。
 
 テレビや新聞で正論を吐いているマスコミも、全く暴力団とは無縁とは思えず、「必要悪」として、悪人には更に上をいく悪人の存在も重要で、私は暴力団というだけで排除する奇麗事の社会の方が好きになれません。米軍の武力を日本の抑止力と発言した鳩山首相も同一です。
 
 今回も昨年の名古屋場所が問題とされており、名古屋の暴力団が対象となっているようですが、社会の裏側では何事が起こっているか判らず、刑務所で刑務官に殺害された服役者もあり、任侠の人に救われた人もある事から、今回の報道には違和感を覚えずにはおられません。
                                    5月26日の一言
追伸
本音で記しましたが、この一言だけで暴力団擁護とは思わないで下さい。

大阪でひき逃げ(引きずり)事故が発生し

 今年は春らしい日が無かったと聞き、自分自身で感じていた日時の経過の早さが実感として納得させられました。
 
 数日前までコタツが必要となるような朝の冷え込みもあり、天気が良ければ車中は夏のような気温となり、上着を着ていくのか持っていくのか迷う日も存在し、本日の報道によって今年は春らしい行動も抜けていた自分を実感しました。
 
6~7月、列島広域で低温の恐れ 北日本は冷夏予想も 朝日新聞夕刊
 
 さて、本日の報道では大阪でまたまたひき逃げ事件が発生し、トラックが自転車を330メートルも引きずったまま走り、40代から60代とみられる白髪交じりの男性が死亡する交通事故が起こっています。
 
路上で男性死亡、330メートル引きずられた痕跡 大阪
 
 これだけ悪質な交通事故に批判が集中し、大阪では過去に何度となく被害者を引きずったまま死亡させるひき逃げ事件が起こっているのに、まるで躊躇する事もなく被害者を引きずったまま死亡させる事件が起こるとは信じられません。
 
 加害者がトラックである事と、現場ちかくの防犯カメラに自転車を引きずるトラックの映像が記録されていたとある事から、逃げているトラックと運転手を早期に見つけ出し、殺人犯として厳しい断罪を下し、同様の事故の後発を防ぎたいものです。
 
 本日の報道を見渡していると、人の命がいとも簡単に奪われており、新潟県では殺害した死体が切断されて側溝に捨てられるという無残な事件も発生していますが、かつて存在した「ノーカーデー」のように、せめて一日は罪を犯さない日を設定してもらいたいような社会となってきました。
 
本日の朝日新聞・社会記事一覧
 
 6月まで一週間を切りました。明日には明るい話題が報じられる事を期待して、パソコンの前から離れたいと思います。
                                     5月25日の一言

鶴田浩二さんにぴったりの夕陽に

イメージ 1
茜色の夕暮れ 5月24日午後7時06分
 
鶴田浩二さん 同期の桜(台詞版)                                          
                    http://www.youtube.com/watch?v=sB19zr6GFWc&feature=related
 
 雨が降り続く一日となり、稲沢から名古屋へと外出が済んでパソコンの前に座ろうと作務衣に着替えると、わざわざ一宮市から知人が訪れ、近所の珈琲屋で雑談後に表に出ると、久々に見事な夕景(添付した写真より見事)に出くわしました。
 
 一瞬にして鶴田浩二さんの同期の桜が脳裏に浮かび、帰宅後にパソコンに携帯電話で撮った夕陽を添付し、画面を見ながらUチューブの同期の桜の音声を聞きながら時間が経過していきました。
 
 「俺はまだ今日も生き延びている。だが、雨があがり、虹が橋をかけ、茜色の夕焼け空が拡がるときに俺は必ず行く。後に続く事を信じて。俺たちの死を決して犬死にしてもらいたくないのだ…」 
 
 私は美しい夕陽を見て携帯電話に収めるとともに、今度はカメラに収めたいと思ったが、敗戦濃厚となった昭和20年には、同じ雨あがりの夕焼け空を見ながら、「死んでいく自分」を想像していたのである。
 
 
 さて、私の個人的趣向ではありますが、添付した写真を見ながら、上に添付した鶴田浩二さんのリストの中の映像と唄声を聞いているのは最高で、私の雑文で綺麗とか見事と言うよりも説得力があります。
 
 今晩は残された時間をこのままのムードで継続していたいと思います。
                                   5月24日の一言

このまま一生の相棒となりそうな雰囲気に

イメージ 1
 
 最近は登場していなかった愛犬リマちゃん(雄・ポメラリアン)ですが、昨年12月に3ヵ月の約束で預かったものの、私にとっては別れられない相棒になってしまい、何とか暫くはと返す日々が延び延びとなっていました。
 
 もちろん、私が別れたくないと言っても飼い主の意向が優先し、時々ホームステーで戻してもらうとか、相手が外出する際に預かるなど、最悪の生き別れは避けたいと思っていましたが、3ヶ月が4ヵ月となり、ついに半年を超えてしまいました。
 
 預かってきた長男には、「もう、どんな事があっても返さない」とか、「○○万円まで出しても良い」と、犬の相場を無視した大金を提示したりしていましたが、触れる事が別れにつながる可能性から、最近はこの話を封印していました。
 
 添付した写真は両手(前足)を揃えて『合掌』をするリマですが、「南無大師遍照金剛」を三遍唱え、「リマちゃんとお父さん(私)が幸せになれますように」と祈り、「お大師様お願いします」となる芸ですが、この効果があったかどうか、どうやらこのまま私の相棒でおられるようになりそうです。
 
 息子はフランスの留学生より預かってきましたが、留守が長くなったことからアパートの家主とトラブルとなり、新たなアパート探しに愛犬リマちゃんの存在がネックになり、新たな住居が定まらないことから、このまま預かることになりそうな雰囲気です。私にとっては幸いですが、こうなると元の飼い主が可愛そうにも思えてきます。
 
 さて、本日は名古屋大学を会場とする「東海自治体学校」に参加し、私は分科会の「住民、自治体、事業者が連携してつくる地域交通」の中で、津島市の地域交通の現状と課題について報告してまいりました。
 
 この分科会では岡崎市の地域交通の取り組みが発表され、三重県津市のNPO法人で巡回バスを運営している人や、インターネットで「路線図ドットコム」を運営しておられる伊藤さんなど、交通問題に精通した人との出会いがあり、私にとっては自分の発表以上に得るべきものも多く、久しぶりに有意義な一日となりました。
                                 5月23日の一言

口蹄疫に人知は無力だったのか

                      http://www.asahi.com/national/update/0522/NGY201005210037.html
 
 本日の新聞報道であるが、四日市市議が「不謹慎な発言」と自身のブログの内容を謝罪するとともに、書き入れた記述を削除したとある。民主党に所属しながら宮崎県や国をバカと表現したのは問題とされるかもしれないが、私は批判メールやネット上の掲示板の批判にさらされて記事が削除されたとしたら残念で堪らない。
 
 「腹を切って死ぬべき」との記述は鵜呑みにすれば問題かもしれないが、市議の記したブログ本文を読んで、私は共感する部分もあり、特に市議が畜産の牧場主の子息であり、自らも大学の獣医学部の卒業生であることを考えると、貴重な発言とも思えてくる。
 
 国は口蹄疫(こうていえき)に犯された牛を食べても害はないと言っており、感染しても治るとの記事を見た事から、「なぜに殺す必要があるのか」との疑問を私は持っていました。
 
 確かに畜産業全体の損得勘定では、感染地域の牛を全頭薬殺して埋めて封じ込めば簡単であろうが、数十万頭と言われる牛や豚をそのまま埋めた土地の将来の環境を考えると、ブランド牛や豚の感染を防ぐためとは言え、国に問題がなかったとは思えない。
 
 本日の報道では宮崎牛のエース級種牛の一頭も感染し本日中に薬殺されるとあるが、薬殺処分される牛にもワクチンを接種して感染を遅らせようとしているが、何ゆえに感染する前の元気な牛にワクチンを接種してこなかったのか疑問で、本日の報道でも「ワクチン接種は補償の面で交渉が難航していた」とあり、畜産業界のことが判らない私には疑問だらけである。
 
 本年3月の事ですが、このブログで和歌山県のイルカ漁について取り上げた事があり、私のブログにしては珍しく10人のコメントが寄せられていましたが、過去の一言でニワトリ一羽が殺せない我が家(養鶏)の記憶も記しており、想像できない大量の牛や豚が殺されて埋められる事の理解すらできません。(下記参照)
 
○昨年2月のニワトリの記事⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/39130442.html
 
 そんな事も回顧しながら、今回のブログ削除に至った記述内容を読みましたが、この記述に対して一千通を超えるメールが殺到したことと、その内容についても批判ばかりだったとは思えない事から、自由な発信や表現のためにも検証が必要と思われます。あえて削除された記述をここに添付して、皆さんにも考えて欲しいと願います。
 
2010/05/20 21:42 四日市市議会議員 諸岡覚 公式ブログ 「戦ふ最前線DX」
 こうていえきと言えばおじさん世代はユンケル黄帝液を思い浮かべる。私も昔はよくお世話になっていた。あれは効く。二晩くらいは徹夜ができた。最近徹夜することもないので、飲まないが。
 さて、最近話題の「口蹄疫」。オフィシャルサイトには時々書いているので、ご存知の方も多いと思うが、私は牧場主の息子であり、日大農獣医学部の卒業である。よって、非常に興味深くニュースを見ている。はっきり言って、県も国も最悪だヽ(`Д´)ノ
 第一義的に県が悪い。本来、病畜の監督責任と処置権限は県(知事)にある。第一号の感染牛を見逃して一ヶ月近くも放置した県は、万死に値する。2月から国が警戒注意を呼びかけている最中に、畜産業が盛んな県の保険所が、あんな判りやすい病気を「ただの発熱」と処理をした。バカじゃないかと。そして気が付いたときには県の手に負えなくなっていて、なすすべもなく国に対して援助要請。
 ここまで放置していた県もバカであるが、県から要請を受けても放置していた国は同等のバカだ。パンデミックが始まっているという認識がまるでない。マスコミは国が悪いとか県が悪いとか言っているが、私の感性ではどっちもバカだ。畜産農家はやってられない気分だと思う。畜産業界のはしくれにいた立場の人間として、大きな声で言いたい。
県知事と農水大臣は腹を切って死ぬべきである!!
 
 何が最善か私には判りませんし、ニワトリ1羽を殺して食べた光景が未だに忘れられずに鶏肉も食べない私とは考えも違うとともに、生まれたばかりで母親の乳を飲んでいる子豚も殺してしまう事が最善とは思えません。
 
 もちろん苦汁の選択で好んだ選択でない事は十分に理解できますが、全ての牛や豚を薬殺して埋めるしか方法がないとは思えず、人間に食べられる運命にある家畜とはいえ牛や豚が品物のように殺されて埋められるのを見たくはありません。
 
 国の補償なんて事が前提となっているようですが、私の素人考えが正しければ、健康な牛や豚にワクチンを予防接種しておけば口蹄疫は防げたのではないか。もし、そうだとすれば、添付した記述の批判より畜産業界の本音が聞きたいものである。
                                  5月22日の一言

議会の合間にそよ風が吹きました

 本日は午前と午後に経済建設委員会と総務文教委員会の所管事務概要説明会が開催され、私は員外であることと、毎年そんなに市役所の仕事内容に大きな変化はありませんが、議員になってから「一人会派」が続いた事から、自分の耳しか信用ならず傍聴の一日となりました。
 
 そんな中で、昼の休憩時間が一時間以上空いた事から、知人の紹介で福祉有償運送の利用をいただける方の自宅をメンバーとともに訪問したところ、我が家に帰ったような「あれッ?」と思う雰囲気に一瞬びっくりしました。
 
 私の携帯電話の着信音は、俳優の鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」と、「街のサンドイッチマン」が肉親や親しい友人の電話には流れるため、一瞬電話があったと錯覚しましたが、鶴田浩二さんの他の曲が訪問先の奥から聞こえてきました。
 
 「あッ、鶴田浩二(さん)だ!」と、一瞬大声を出してしまいましたが、会話を続けていると次々と鶴田浩二さんの唄声が聞こえてくる事から、「ラジオですか?」と問うと、「ファンだからテープを聴いているの」と返事がありました。
 
 「最近まで入院していて、病室でも聞いていたけど、貸してあげた人がダメにしてしまったの」と、多くの鶴田さんのテープを所有しておられ、「私たちの年代は皆んなファンが多いの」と言われて嬉しくなりましたが、訪問先の女性は大正10年生まれですので、「私もファンです」とは言えませんでした。
 
 もっとも、私の自家用車ばかりか、昨年から導入したタクシーも搭載するテープは「鶴田浩二」以外にはありませんので、利用される時になって「あれッ?」と思われれば幸いです。
 
 さて、昼休みも時間が限られており、私の写真展や書道展を開催した「茜屋」に立ち寄り、トーストが昼食となりましたが、今度は数日前に記した「朴の木」の花が飾られており、「アッ、朴の木だッ」と叫ぶと、ママさんから「これは大山蓮華」との一言が返ってきました。
 
 「大山蓮華と朴の木は一緒なんだワー」とママさんに言われ、マスターから「そうなの?」と問われても、飾られているのは我が家の朴の木の花と一緒で、「違うと思うけど…」とは呟いたものの、「一緒、一緒ッ」とのママさんの大声に寄り切られました。
 
 
 帰宅後に調べると、やっぱり朴の木と大山蓮華は違っており、添付した上の資料を見ると大山蓮華の花は下向きに咲き、朴の木は上向きに咲くとあります。もっとも双方の雑種もあるとの事から、正確な区別も難しそうです。
                                   5月21日の一言

私の所属委員会(議会)について

 本日は厚生病院委員会が開催され、平成22年度の委員会の関係する市役所の所管事務概要の説明が行われました。明日の午前中と午後に経済建設委員会と総務文教委員会も開催され、新たな委員会がスタートします。
 
 私は平成11年に市議会議員になってから10年間総務と文教委員会に続けて所属してきましたが、昨年経済建設委員会に転出したことから、今年は一度も所属した事のない厚生病院委員会を希望しました。
 
 もっとも、常任委員会については、議員になってから総ての委員会を傍聴することに決めてきたことから、どの委員会でも良かったのですが、関係する議会以外の審議会などがある事から、今年は厚生病院委員会の国民健康保険運営協議会にも参加させてもらう事となりました。
 
 一方で、津島市議会には特別委員会が2つあり、これまた一昨年までは決算審査特別委員会一筋でしたが、昨年から第4次総合計画策定調査特別委員会に所属し、今年は委員長を拝命する事となりましたが、本日当て職で津島市総合計画審議会委員も委嘱されると報告がありました。
 
 これについても、昨年拝命した経済建設委員長の当て職で、都市計画や下水道、農政協議会などの委員に所属したことが活かせそうで、自分の好みだけで選ばなかったことが良かったと思われ、結果良しのスタートとなりました。
 
 さて、関係するNPOだけでなく、防災ボランティアや書道の出展など厳しいスケジュールが続く中で、今度の日曜日には私が源となったピアノコンサートが津島市内で開催されますが、名古屋大学で開催される地域交通分科会で、「津島市の地域交通の現状と課題」と題して報告する事が決まっており、ピアノ関係者には欠席する事すら伝え辛い心境で、横井庄一記念館も無断欠場となります。
 
 前記した書の出展(6月25日~27日開催)についても、今月はじめに所属する書道会の展覧会に出展した事から、新たな分野の作品が必要となり、今月中に仕上げないと表装も間に合わない危険性があり、6月には議会の定例本会議も始まる事から質問要旨の調査と裏付けも限界スレスレの日程となっていきます。
 
 ゴールデンウィークにNPOのメンバーと余裕でチラシ配布に出ていた事が夢のような忙しさに、乗鞍スカイラインや白山スーパー林道などとは夢の夢となり、今年は四国遍路すらままならない日々が続きそうです。
                                   5月20日の一言
追伸
忙しくても行きたい所には行ってしまう覚悟でおります。そうでもしないと、気がついた時には病院なんて事が現実となることを、私の父親が身を持って示してくれた事が無になってしまいます。

本日は昼休みに『お砂踏み』へ…

イメージ 1
稲沢市・せんき薬師のお砂踏み
 
 本日は昼休み直前に福祉輸送のボランティアのTさんが帰ってきた事から、行き先を告げずに車を走らせ、稲沢市大塚町にある西福院で開かれている『お砂踏み』に参加してきました。
 
 通称せんき薬師と言われる西福院では、毎年5月18日から21日まで四国八十八ヶ所霊場の『お砂踏み』が行なわれており、本日は臨時の貸切バスも走らせており、雨中ではありますが各地から多くの参拝客が訪れていました。
 
 突然のひらめきによって車を走らせ、「ところで、何所に行くの?」と言われながら走って行ったような展開のため、輪袈裟と数珠は持ったものの、目的地に着いてから教典か経本を持ってこれば良かったと思いましたが、会場内に一番寺から全ての「真言」が記されていた事から救われました。
 
 この『お砂踏み』に参拝すれば、四国を全て巡拝したのと同じ御利益があると言われますが、四国では本堂と大師堂で般若心経だけでなく、「開経喝」から「回向文」まで読み上げている事から、できれば同じように廻りたいと思いますが、多くの参拝者が行列で続いている事から簡略です。
 
 さすがに最後の高野山ぐらいはと簡略せずに参りましたが、これとて後に続く人には迷惑な存在で、「せめて逆打ちで…」なんて事は出来ません。もっとも、本日は雨で自由に行動できず、偶然にもTさんが昼休み直前に戻ってきたから出来た参拝ですから、多大な『御利益』を求めては罰当たりかもしれません。
                                5月19日の一言
※逆打ち?
順打ち(1番寺から順番)の逆に(88番寺から)遍路すること。右衛門三郎は21回目を逆に遍路して、弘法大師に会うことができたとされることから、大師が順打ちなので、順打ちよりも逆打ちのほうが大師に会える機会が増す、という人もいる。引用…四国八十八ヶ所霊場会先達教典

本日のニュース一覧から

朝日新聞記事へリンク
              http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY201005180420.html
 最近では法的根拠のない各種の治療院が多種多様に開業し、3年間学校に通学して接骨院の資格やマッサージの資格を取得した人々からの批判を耳にした事があるが、資格はなくとも実際に治療効果を出している場合、逮捕され利用できない人々はどう救っていくのか。
              http://www.asahi.com/national/update/0518/SEB201005180030.html
 大量に薬殺される牛や豚とともに、生活の全てが無になる畜産業者を考えれば、陸上競技なんかは後回しでも仕方がなく思われるが、中学生や高校生の中には、中止された大会で活躍して将来を見いだされる選手もある事から、若者の人生にも大きな影響がありそうだ。
              http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY201005180395.html
 さて、融資に融通を利かせても、借りた借金が無くなるわけではなく、返済の猶予を与えられても最後は返済を迫られ、無一文になって返すあてのない畜産業者や農家はどうなっていくのか。
              http://www.asahi.com/national/update/0518/NGY201005180015.html
 まとまった収入のない高齢者に金を貸す一方で、貸した相手の年金手帳や銀行の通帳を預かって確実に返済分を引き下ろしていたとのだが、違法とは言え高い利息を承知で年金手帳や通帳を差し出して借りた者の自業自得とも思われるが…
              http://www.asahi.com/national/update/0518/SEB201005180009.html
 被害者もホテルへ派遣される風俗店員の女性ということから、警察に行きづらい立場の女性から金を巻き上げるだけでなく、暴行した疑いから強盗強姦(ごうかん)の疑いで逮捕されており、犯人の経歴は判らないものの許される所業ではありません。
              http://www.asahi.com/national/update/0518/OSK201005180047.html
 対象とされる参議院議員は、事業仕分けを切り盛りする「仕分け人」の中心議員の一人で、事業仕分けの対象になりかねないと示唆して調査の実施に「圧力」を加えていたと言うが、民営化された会社へ圧力をかけたとすればヤクザと変わらぬ所業ではないか。
              http://www.asahi.com/national/update/0517/SEB201005170037.html
 中学時代の同級生3人で出かけた顛末だが、20才とは言え警察官の友人の立場は考えなかったのか。しかし、もっと驚くのが府警免許課職員が酒気帯び容疑「前夜に焼酎4、5杯超」の報道である。
 ただし、前夜11時までの飲酒により、翌朝7時過ぎの逮捕である事から、我々も注意が必要だ。
              http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY201005180177.html
 何と言っても、本日の報道で一番許せないのがこの事件で、妻がありながら独身として同僚の看護婦さんを妊娠させ、「ビタミン剤」と偽って薬物を投与し、陣痛を誘発する薬剤を点滴して流産させたとして警視庁に逮捕された36才の医師である。
 人の病気を治し、人の命に関わる医師が、交際相手をだますだけでなく、自らの手で生まれてくる子供を始末した罪は大きい。
 毎日のように流れてくるニュースは暗いだけでなく、許されぬ理不尽な犯罪が多く、こんなニュースを目や耳にしない一日であってほしい。
                                    5月18日の一言

やはり愛用機は頼りになります

 昨日の夜にノート型パソコンの代替え機が届けられ、新しいゆえに私流に操作していたところ、昨晩に記した昨日分の『本日の一言』が消えてしまい、昨日の一言には防災訓練の写真を携帯電話で加工して添付してあった事から、思わず気力喪失となり書き直す気にもなれません… (今朝の午前4時頃の話です)
 
イメージ 1 平成16年2月から、パソコンの使用不能時も綱渡りであっても毎日記してきた一言でしたが、さすがに朝の4時になってから消えてしまった記事を思い出して書きなおす事は辛く、半ば諦めの心境となりました。
 
 ところが、新しいパソコンで削除してしまった昨晩の一言が、隣に置いたままとなっていた今まで愛用していたパソコン(画面右)には、そのまま書き入れた画面が表示されており、改めて「決定」ボタンを押したところ、消えた昨晩の一言は見事に復活です。(言い換えればバックアップですね)
 
 添付した画像でも判るように、今度のパソコンは画面も大きく、容量も大きくなっていますが、さすがに小型で頑強な今までのパソコンは頼もしく、昨日に不必要に登場して困っているデータを消して、正常なスタイルとしてもらった事からスピードも速さが戻りました。
 
 私は信頼できる知人が(ボランティアで)パソコンを保守してくれており、新品ではありませんが主となるデスクトップの予備が事務所2階に無線ランでつながり、予備のノート型パソコンがコタツの上で主役となってきました。
 
 新たな機種は珍しいものの、やはり今まで使っていた物が一番頼りになり、最近不都合を感じていた操作も、昨日の微調整で今までどおりになり、今晩からも暫くは活躍していく事になり、今後は役割分担で使用していきます。
                                  5月17日の一言

広域防災訓練に参加して

イメージ 1
防災訓練の整列風景-白い帯はテントですから規模の大きさが判ります
 
 本日は国営木曽三川公園を会場とした東海三県による広域防災訓練の中で、私たちは住民の防災ボランティア活動として、ボランティア支援本部の立ち上げと実際の災害時を想定したボランティア受け入れ訓練を実施しました
イメージ 2
 
 以前のブログにも記しましたが、私が防災ボランティアとして参加するようになって最大規模の訓練ですが、参加団体と参加人数が大きいだけで、会場が広いために同時進行の訓練は何も見る事ができません。
 
 しいて言えば、愛知県知事や来賓となった市長や議員たちが見学できるだけで、災害時に第一線で活躍すべき消防隊員や防災関係者個々は短時間で訓練が終了し、我々住民ボランティアが訓練している現場に、赤十字や婦人会の人々が用意した炊き出しのカップを食しながら見学される始末です。
イメージ 3
 
 まさに本末転倒の防災訓練で、訓練開始から集合間近まで時間いっぱいに訓練をしていたのは住民だけで、行政関係者や防災関係職員が手にした炊き出しのカップは底をつき、我々の訓練が終わった時には片付けられており、訓練終了後に関係者のテントに入った時の涼しさと、用意された冷水を口に含むと『自己完結』とボランティアが自前で用意する環境との大きな格差を実感させられました。
イメージ 4
 
 もっとも、津島市では本日午後に交通安全推進市民会議が津島市文化会館大ホールで開催される事から、来賓とはいえ市長はじめ関係職員は大変な一日となったと思われ、私は午後に横井庄一記念館に走った事から偉そうな事は言えませんが、防災服のままに一日が経過しました。それにしても、一番真面目に考えるのは一般住民である事を実感させられた防災訓練でもありました。
 
 さて、数日前から家内の姉達がパソコンを使い始め、お互いにメールの交換を始めましたが、お互いに慣れていない事から苦戦しており、今まで携帯メール専門だった家内もパソコンに悪戦苦闘するようになりました。
 
 メールを送信する以前の問題として、自分のメールボックスにたどり着く事すら苦しい事や、思うように書き入れられない事から、今までは私が家内の代役でメールを送っていましたが、本日からは独立してもらいましたが、何もできないはずの家内がローマ字打ちで書き込むのに対して、私はカナ打ちですから情けない先生役だった事を自覚する事にもなりました。
                                  5月16日の一言

家内とカラスに追われて草刈りを

イメージ 1
草刈り終了後に、除草剤散布の家内と争ってエサを探すカラス
イメージ 2
 
 本日は私の苦手とする農作業で、もう何年も水田として稲作をせずに、休耕田としている田んぼの草刈りに出かけました。出かけたと言うと普通ですが…
 
 「お父さん、いつからやってくれるの?」
 「早いと近所に迷惑だから…」
 「もう、お昼になってしまうでしょう」
 「その前に、ガソリン買ってこなきゃ行けないぞ」
 「何時になると行くの?」
 
 こんな展開で昼食も済んだ午後2時過ぎになってから出かけましたが、何年間も放置したままの農地は草が溢れ、法律によって認められた野焼きをする算段でしたが、あまりにも多くの草だけに野焼きもできず、市役所指定のゴミ袋にも入るレベルではありませんでした。
 
 私の父親が存命なら、朝から晩まで田んぼから帰ってこないでしょうが、「ナマカワ」な私ですから、ここだけでも大変な労働で、終了後には手が震えてジュースも飲めません。
 
 添付した写真は私の草刈り後にできた草の山ですが、草が生えないように除草剤を散布する家内と私の間には、まるで一緒に出かけてきた家族のように歩くカラスがおり、私の草刈りで住処を追われたカエルやバッタを探して歩き廻ります。
 
 こんな状態で放置しておくのはもったいない話ですが、水田に戻しても人に耕作を依頼すれば赤字になり、転作して何かをしようとすれば、私の身体と引き換えになる事から息子達の将来に託すしかありません。
 
 本日は早朝より、リュックを背負った小学生の家族がサクランボ狩に来られたそうで、下校中に黙ってサクランボを採っている所を見られて、一斉に逃げていった子供達に「食べても良いよ」と言った事から、母親とともに訪れたようです。
 
 明日の午前中は木曽三川公園で大規模な防災訓練があり、午後は横井庄一記念館の一日となります。            
                                5月15日の一言
追伸
多くのカエルやバッタなど、私の放置した田んぼの多くの住民に障がいを与え、カラスの犠牲者にした事から合掌の夜です。

我家に自販機がやってきた

イメージ 1
我家に設置された自動販売機
 
 数日前より我家の一角に飲料水の自動販売機が設置されました。この自販機は私の次男が業者と契約して設置されたものですが、これからは我家で好きな時に飲料水が手に入ります。
 
 たかが自販機と思っていましたが、29種類の飲料水が入っており、最高で36種類の飲料水が入り、設置した次男もこんなに大きな自販機とは思ってはいなかったようですが、この自販機のために専用の電柱と電線まで引いた大がかりな設置です。
 
イメージ 2 次男は自分の飲む分で採算が取れるとノー天気な発想ですが、隣に置かれた福祉タクシーも私がボランティアの福祉有償運送のついでに購入しただけに、発想のお粗末さは一緒ですが、100本売れると電気代がクリアできると言うものの、自分で買っていては元も取れません。
 
 ただし、息子達の買ってくる缶ジュースの量は多く、「他所で買うよりは得だ」なんて言っている事から、これからの季節を考える時、来客のもてなしには珈琲屋よりは安上がりと思えば気が楽です。
 
 さて、夜になって表に出ると、自販機の前は赤々と輝いており、自販機がバス停のイメージ 3隣にあることから、これまでの真っ暗な歩道の照明役としてバスから降りた人々の足元を照らす役目を担うと考えれば、立派な社会貢献になり、「まァ、良いか」と暫くは売れる事を祈る事としました。
 
 バスを降りると自宅の敷地となり、飲みたい飲料水が何でも自宅で購入できると考えると、こんな便利な環境に感謝すべきで、バスに乗れば名古屋一の繁華街「栄」に直接到着し、雨でも傘の心配なく行動が可能です。
 
 ただし、名古屋市と津島市を結ぶ主要道だけに税金は高く、相棒となった犬の散歩も四方の車に目を配り、飼い続けてきた猫も車に撥ねられる事から飼う事もできません。便利な半面で失った物もありますが、私ではなく子供によって我家の環境が変わっていく事に親としての喜びも感じさせられる一日となりました。
                                    5月14日の一言

咲き続ける花に因縁を感じて

イメージ 1
我家の朴の木の花
私の5月2日の一言(朴の木について)⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43301830.html
 
 5月2日の一言に、我家の朴の木の花が咲いたと記しましたが、その後も花は咲き続けている事から、雨の中を一生懸命に裏山からこの幼木を掘り起こしていただいた「ラベニュー栄」のご主人の顔が浮かび、何度も連絡したものの不在が続き、本日やっと電話がつながりました。
イメージ 2
 
 昨年にも数個の蕾が出来たものの、虫の発生によって花は完全には咲きませんでしたが、白馬から移植して8年目にして花が咲き乱れ、本日も数個の蕾がついたことから連絡していたのでしたが…
 
 昨年の11月に宿を健康上の理由で休業する手紙が届き、私の一言にも記しましたが、冬のスキーシーズンもすんだ事から、宿の再開と体調の回復も含めて連絡したわけですが、ご主人は1月に亡くなっておられました。
 
 この宿は私の居場所としていた宿で、最後は平成20年5月に宿泊したのが最後となりましたが、昨年7月に宿泊した家内と三男にも元気で対応され、自転車選手の息子を励ましていただいたと聞いています。
 
 ご主人の丸山武さんはスキーのアルペン競技の現役選手で、表彰台に立った自身の写真を見せてもらった事もあり、スキーの指導や地元の民生委員など精力的に頑張られる健康で頑強な身体を持つスポーツマンでした。
 
 昨年秋に体調不良を訴えられ、病院で検査した時には「すい臓ガン」が進行していたとの話で、不本意にも77歳で他界されましたが、今年3月の大会にも出場する意欲を持っておられたようで、スキーのシニア選手として目標とされる人でもありました。イメージ 3
 
 
 8年前の平成14年の話となりますが、宿の裏庭(山)に生えていた朴の木をいただく約束から、自分で掘ろうとしていると、雨が降り続ける中をご主人がずぶ濡れになりながら、スコップで掘り起こしてくれた50センチ位だった幼木が、現在では私の事務所の2階の屋根を越えそうな大木に成長し、今年は次々と花を咲かせ、新たに蕾も出ている事からしばらくは花が見られますが、ご主人が亡くなられた年に見事な花を咲かせた朴の木に丸山さんと何かの因縁を感じずにはいられません。
 
 我家には約90年前に横井庄一さんが私の祖母と種をまいたマキの木が現存し、父親の形見や先祖伝来の木々が庭をジャングルのように成長していますが、雑木でもそれぞれの由来がある事から、自分の万が一を考えるとそれぞれの木に由来を残しておく必要も感じます。
 
 そして、添付した朴の木の成長を見守り、それぞれの木々を子供から子孫に引き継いで欲しいと考えますが、とりあえずは成長した朴の木の写真を携え、白馬村の丸山さんの仏壇に手を合わせたいと思います。
                                  5月13日の一言

43歳の英国新首相誕生に刺激され

英保守党、13年ぶり政権 自民党と戦後初の連立
 
 イギリスで13年ぶりに政権交代となる連立政権が発足し、43歳のキャメロン氏が新首相に任命された。総選挙で第一党となった保守党は、第三党の自由民主党と連立し、同党のクレッグ党首(43歳)を副首相に指名した。
 
 イギリスでは第2次世界大戦以後で初めての連立政権で、キャメロン首相の年齢は2百年前から最年少と報じられていますが、同年のクレッグ党首との連携は、旧態依然とした日本から見ても新鮮で、選挙改革や財政再建など課題は多いものの期待して見守りたいものです。
 
 津島市では本日臨時議会が開催され、正副議長を選出し、明日には各委員会の割り振りが決定しますが、私はこれまでの総務文教委員一筋から、昨年は経済建設委員会に転出し、本年は過去に経験した事のない厚生病院委員会を選びました。
 
 さて、津島市も来年には市議会議員選挙が行なわれますが、巷では20代や30代の若者が複数立候補を模索しており、ここに40代の議員も誕生すれば若者から高年までバランスの取れた議会が誕生しそうです。
 
 私も議員になった時は45歳でしたが、11年が経過し涙腺がもろくなり、孫や愛犬の相棒が心のよりどころになるとともに、体力に任せた行動派にも陰を見せ始めたことから、よほど初期の志を強く思い起こさないと存在する価値がなくなります。
 
 明日から6月議会まで公的日程が続き、対外的にも責任ある案件も含まれている事から、空白の一日は完全休養日に充て、その休養日は家を出る事で心のリフレッシュに務め、英国のキャメロン首相の笑顔にあやかりたいと思います。
                                  5月12日の一言

久しぶりに矢合観音へ

          地震情報 [発表時刻] 2010年5月11日 18時22分 気象庁発表
                  5月11日18時18分ごろ地震がありました。
        [震源地] 新潟県下越  [最大震度] 3  今後の情報に警戒してください。詳細
 
 本日開いたヤフーメールの上に地震情報が添付されていました。自分本来のメールがあり、ホームページもありながらも、最近ではパソコンそのものが無料のヤフーブログ頼みになっており、ヤフージャパンの存在が生活の中で極めて重要になっている現実を実感させられました。
 
 
 さて、明日から臨時議会が開催されますが、昼のひと時を稲沢市にある矢合観音イメージ 1に参拝し、昼食をとってくる事として、最近淋しい環境にある知人を誘って出かけました。
 
 この観音様の力を信じているわけではありませんが、この観音様は病に効力があり、私は1ヶ月に一度位は訪れたいと思っていながら、今年になって初めての訪問となりました。
 
 この観音様はお寺ではなく、一般家庭に鎮座されており、ここの井戸水を飲むとガンやデキモノに効力があると言われており、私は参拝後にこの井戸水を、胃の隅々までいきわたるまで飲んで帰ってきます。
 
イメージ 2 お寺でもない一般家庭の観音様に多くの人々が参拝し、地元特産の植木屋さんや土産物店が軒を連ねていますが、何もない田舎へ観音様が多くの人々を導き、生計の糧としているのは当地方でも珍しい存在です。
 
 この観音様は2百50年ほどの歴史があり、私は観音様に「般若心経」を唱え、一杯の水を飲んで帰ってきますが、本来は水を汲んで観音様に供え、紙に住所氏名を記入してくると当主が一週間ほど祈祷してくださるそうです。イメージ 3
 
 そんな話を聞きながら私は入り口にある小玉食堂で、「おでん」と「みたらし団子」を食べ、昔ながらの「中華そば」を食べて帰りますが、知人は私の運転である事からビールと熱燗を一杯となりました。
 
 さて、参道にも飲食店や土産物店がありますが、小玉食堂のむかえに同店の土産物店があり、地元特産の土産物が多く並ぶとともに、昔ながらの駄菓子も多く、私は「納豆豆」と「ポン菓子」と「草餅」を買い込んでの帰宅となりました。
 
 最近ブログには登場していない愛犬「リマ」ちゃんも当然一緒でしたが、私の助手席は自分の席と思っているらしく、助手席に座る知人に吠え続けますが、知人を降ろす頃には別れを嫌って鳴き続けます。
                                   5月11日の一言

雨間に庭のサクランボ採りへ

イメージ 2
本日は庭でサクランボ狩です
 
 本日は天候と同じように体調も優れず、半分休養の一日としていましたが、当方の都合まで来客には解からず、中途半端な一日としてしまいました。
 さて、二日前の一言に我家のサクランボを話題としましたが、天候が良くないことが幸いとなって鳥のギャングの襲来数が少なく、本日も残っていました。
 
イメージ 1 もっとも、晴天が続くと完熟する前に鳥の餌食となってしまいますが、今年は木の上部はほとんど食べられているものの、我家だけでは食べきれないサクランボが残っており、雨間に脚立を出して収穫しました。
 
 ただし、脚立に乗っても届かない大木となっており、収穫できるのはごく一部分である事と、私自身はサクランボが好きではないので、採った経験もほとんどありませんでしたが、知人に差し上げるのに味も判らないのでは失礼と試食してみました。
 
 いつ頃からサクランボが嫌いになったのかは判りませんが、私は梅干が嫌いな事から、梅とおなじような桃も嫌いで、特に中から出てくる種が嫌いな事から、実の中に種のある果物全体が好きではありません。
 
イメージ 3 特に十年ほど前に知人が持ってきた枇杷の実を食したところ、実はほとんど無く、口の中に大量の種だけが残り、実も石鹸を食べたような食感だった事から、果物そのものを食べなくなりました。
 
 最近になって判りましたが、毎年熟して大量に実るアンズも、人に差し上げるために試食してみると、甘酸っぱいものの美味しく、本日食したサクランボも真っ赤に熟した実は甘く、私自身は果物が嫌いなわけではなく、人が食べ残して皿に残された種を見るのが嫌いで、果物が特別好きではない事から食べず嫌いになっており、果物嫌いの元凶となっている梅についても、自分の植えた木に熟したた実を焼酎付けとした時の美しさから、梅干嫌いも種が無ければ食べられるようになりました。
 
 さて、添付した写真でもお判りのように、脚立に乗っても木の半分程度の高さより上には手が届かず、襲来する鳥のギャング達を必死で追い払っても、いずれは鳥しか食べられない事から、気持ち良く鳥にあげても良さそうにも思いますが、木の下の地面を見ると、私の大嫌いな種が散乱しており、改めて横着な鳥の所業に腹がたってきます。
 
 あと半月もすればアンズの実が熟し、採りようもない大量の実が地面に落ちて庭は甘酸っぱい香りで一杯になります。サクランボもアンズも同じ二十数年前に植えており、サクランボは父親の形見であり、アンズは2階の屋根も越す大木が2本も競い合って成長しており、いずれは売りに行く覚悟をしないと家族の怒りが私に向いてきそうで、本当は鳥に感謝すべきかもしれません。
                                     5月10日の一言

母の日どころか家内の誕生日を忘れて

 毎週日曜日は横井庄一記念館の一日となり、本日は知人宅の葬儀に記念館から出かけましたが、昼食が取れなかったことから途中のコンビニに入り、3時のオヤツとして館長(夫人)の分もシュークリームを買い込んでから戻りました。
 
 「あらッ、今日は奥さんに買っていかなきなゃー」
 「何故?」
 「今日は母の日でしょう」
 「そッ、そうなんだー」
 
 久しく母の日なんて意識した事もありませんでしたが、かつては高校の同窓会が母の日に開催されており、自然にカーネーションを持ち帰る日もあったものの、最近は縁がないばかりか、「母とは誰か、家内か母親か?」なんて屁理屈を言いそうです。
 
 「おい、今日は母の日なんだぞッ」と、帰宅後に得意気に三男に伝えると、「へぇー、そうだったんだ」と感心するように聞いていたものの、「それだけかナー?」と家内に問われ、三男も笑っています。
 
 私はすっかり忘れていましたが、本日は母の日であるとともに家内の誕生日でもあり、そのことを全く眼中になかった事と、昨日が愛犬「モモ」の誕生日である事を話していただけに本末転倒のバカ親父です。
 
 私が家を空けている間に、家内は水田に肥料を撒きに行っていたようで、村の長老に仕事のやり方で注意を受けていたと聞きました。「いらんお世話だ」と私なら無視するでしょうし、私の父親が生きていたらこんな事も言われないでしょうが、田舎では女が頑張って働く時には嫌な話が多そうです。
 
 「あんたの娘(婿も)は、水田にも来ないだろう」と、私なら一言言い返しますが、「そんな事言っても何にもならないでしょう」と家内の一言が…
 一番の問題は、長男の私が草刈り以外は何も農作業ができない事で、私が頑張れば余分な出費も節約となるのは判っていますが、とにかく私一人が家族の足を引っ張っていたりして…
                                     5月9日の一言

ボランティアで親の死に目に会えた偶然に

 本日は地元小学校区の自主防災会とコミュニティ推進協議会の総会が、アイプラザ津島(愛知県津島勤労福祉会館)で開催され、地域の役員が勢揃いするとともに、形式だけでなく具体的内容に踏み込んだ質問が出され、自主的な住民参加型活動が根付いてきた事を実感(少しですが)させられました。
 
 ただし、今週開催していた神守丈友会(書道会)の作品展も本日が最終日となり、午後四時の集合時間に間に合わず、私が到着した時には作品が降ろされ、散会した後でしたが、一人残っていたSさんと店主の3人で世間話に花を咲かせて帰宅しました。
 
 さて、昨日の午前中に津島市から弥富市にある海南病院まで、福祉有償運送のボランティアで運転していったTさんのお母さんが亡くなられ、本日は通夜が執り行われましたが、偶然にも昨日に海南病院で亡くなられており、昨日の顛末が気にかかっていました。
 
 前日に病院から明日か明後日が山と連絡があったらしく、昨日の朝に通院する患者さんを運び込み、その合間に母親の病室に見舞いに訪れた際は息があったものの、兄弟とタバコを一服に出た時に息を引き取られたとの話だが、Tさんは母親が亡くなった後で患者さんを家まで送り、私の事務所に戻ってから病院に引き返しており、ボランティアの依頼によって親の死に目に会えた事は幸いでしたが、その心情は図りかねないものを感じます。
 
 しかし、偶然とは言え、母親の最後を迎える直前にボランティアで病院に出向いた事と、このボランティアの依頼が、連休中に私と2人で配布したチラシを見て依頼があった事を考えると、単なる偶然とは思えない因縁を感じさせられてしまいます。
 
 明日は途中で葬儀に抜け出しますが、横井庄一記念館の一日となります。
                                   5月8日の一言

一年振りにサクランボが結実し…

イメージ 1
本日の我家のサクランボ (明日には完熟です)
 
 本日は一年に一度だけとなる「サクランボ」の話題で、明日から明後日にかけて真っ赤に実ると思われますが、私は二日とも家を空けることから、明後日に帰宅する頃には「空のギャング」に丸裸にされていると思われます。
 
 自然というものは我々人間(特に最近の国会議員)と違って、確実に正確な歯車の回転によって花を咲かせ、間違いなく実を熟成させると同時に、その情報は確実に「空のギャング」達に伝わり、明日には大挙して押し寄せてきます。(最近は熟する前からやってきます)
 
◎21年(昨年)のサクランボ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/40250416.html
◎20年(一昨年)のサクランボ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/32772187.html
 
 昨年の一言を読み直すと、5月6日には「空のギャング」に食い尽くされたサクランボがわずかに残っていたようだが、一昨年前には7日に完熟しており、今年は少し熟すのが遅れているようですが、四年前には5月17日に「残り十数個」と記している。
 
 ともかく、花が開花して実が熟成するまで、鳥たち「ムクドリらしい」は確実に情報を共有しながら、地域のサクランボを確実に食べ尽くしてしまうから、場当たり的な行動とは思えず、実が熟する順番を把握しているのかもしれません。
 
 一年の経過はアッという間である事を実感するとともに、この一言を読み直す事によって、数年前の行動が遥か昔の思い出のように感じられ、平成16年2月から毎日書き残してきた一言を読み直す時間が欲しいとも思います。
 
 3月に記した恩師(医師)や、大学の同級生を訪ねる予定も先送りが続いており、書き残した一言の「不実行」部分の洗い直しも重要です。
 
 さて、本日は出向いた稲沢市で知人と入った珈琲屋に携帯電話を置き忘れましたが、携帯する機器が増えたことから同様の失敗に気をつけたいと思うとともに、本日から2日間孫を預かる事から名古屋まで迎えに走り、我が身可愛さから「書道展開催中」すら忘れており、明日が最終日となってしまいました。
                                   5月7日の一言

鳩山首相の墓の警護こそ事業仕分けだ

〇民主党が政権を奪取する目的で付いた嘘!⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/50616488.html
                http://www.asahi.com/national/update/0506/TKY201005060024.html
 
 女性スキャンダルで首相を退陣した宇野首相と対比させる気はありませんが、政治家としての能力と責任は歴代首相では過去最低としか思えない鳩山首相について、私のような泡沫地方議員が語るべき問題でもありませんし、最近の報道を読むと記す気持ちにもなれませんが、沖縄県民だけでなく国民の怒りは頂点に達しており、添付したように首相の祖父母の墓まで汚される事件まで発生しました。
 
 鳩山首相も直ちに現場へ駆け付け、手おけから水をすくって墓石にかけて手を合わせたと報じられていますが、我が身に至っては即日行動した気持ちを、何故に沖縄県民に向けられなかったのかと、我が身しか考えていない首相にうんざりとさせられると同時に、何を思って手を合わせていたのかさえ理解できません。
 
 こんな顛末となると、首相就任時に対比された麻生前首相が哀れとなり、麻生首相を無能呼ばわりしていた民主党は鳩山首相を何と評価するのか。無能以下の表現する言葉が思い浮かばない。
 
 もっとも、厳しい政権運営が続いた麻生首相においては、先祖の墓が汚される事はなく、首相として厳しい評価を受けながらも、若者やマンガファンなど愛される一面もあったが、鳩山首相には愛される要素は何もありません。
 
 一方において、墓まで汚す犯罪は許されませんが、鳩山首相が誕生した昨年9月から、貴重な税金を受け取っている警察官が、鳩山一族の墓を1~2時間おきに巡回しており、この日も『5日午後11時40分ごろ、警戒中の同署員が異状のないことを確認。その後6日午前0時すぎと同3時すぎの2回、署員が現場前を自転車で通ったが異状に気づかなかった』と報じられており、いくら首相と言えども先祖の墓まで巡回する必要があるのか疑問となる。
 
 国レベルでは無駄な公共事業の仕分け作業が続けられており、金銭的には比べようがないものの、無人の墓の警護まで人を配置する異常さを首相自ら自覚すべきであり、国民を第一に考えているならば、自身の警護を半減して国民の前に出てもらいたいものでもある。
                                 5月6日の一言

家族が眼中になかった反省も…

イメージ 1
 
 本日は子供の日ですが、我家には三男が今年二十歳になる事から、「鯉のぼり」や「五月人形」とも無縁の生活が続いておりましたが、今年は娘夫婦が孫を連れて帰ってきた事から、武者飾りの前で記念写真です。
 
 我家に「鯉のぼり」がやってきたのは、今から30年以上前の話になりますが、家内の両親に「どこよりも大きいのが欲しい」と、既製品ではなく特別に仕立てた「鯉のぼり」だったものの、隣の家の松の木に引っかかって、風の強い日は上げられない事と、上げ下ろしが大変な事から次男が誕生した頃にはお蔵入りとなってしまいました。
 
 今回久しぶりに飾られた武者飾りについても、孫のために久しぶりに出したものの、娘のアパートには置くスペースがない事から、我家に飾って我家に出張してお祝いで、家族で昼食を一緒し書道展を開いている茜屋で珈琲タイムとなりました。
 
イメージ 2
 さて、私は決められたままにNPO法人のチラシ配布に出かけましたが、昼に腹一杯定食を詰め込み、珈琲タイムの後だけに身体が動かず、今年に入って最高となった気温の中では、苦痛となるチラシ配布となりました。
 
 「まず、珈琲でも…」とのメンバーの一言に、「最初から一服では」と返答すると、「今日は長ーいから…」の一言が返り、「今まで珈琲屋に居たから」、「なーんだァ」と正直に申告しましたが、本日配布に入った団地は、津島市ではなく愛西市の団地で、団地の草分け的存在だけに歩き続けても終わりが見えず、持参したチラシが足りなくなり車に戻るはめになりましたが、車も遥か彼方で見えません。
 
 やっと終了した時は足が棒になっており、迷わず近所の珈琲屋さんに飛び込みましたが、時間を見ると閉店時間まで10分しかなく、休憩後に再び車を運転して帰宅となりましたが、車を入れると同時に娘一家が帰り、せっかくのゴールデンウィークだけに家族全員で出かければ良かったと思ったものの、本日で黄金週間を終わりです。最近は時間的余裕を感じていましたが、実際には余裕は無かったのですね。
                                5月5日の一言

行楽には必ず大事故が起こり

 本日も昨日と同じ生活パターンで、午前中が書道展の会場で来場者をもてなし、午後は福祉有償運送のチラシ配布に歩く一日となりました。
 
 数日前までの寒気が嘘のような晴天で、汗をしたらせて団地のポストにチラシ入れですが、新聞が入ったままとなった留守の家も意外に多く、最後となる可能性の高い高速道路の千円サービスを意識しているのであろうか。
 
 明日がゴールデンウィーク最後の一日となりますが、明日も本日と同じスケジュールで、子供の日のために娘が孫を連れて帰ってきますが、明後日からは議会の日程が続いていく事から、楽しみとは無縁の連休となりました。
 
 もっとも、昨年も4日に高野山に一人で参拝はしたものの、過去二十年間続けてきた4月29日の「朝日旅行友の会」の企画を断念しており、先月末には薗原や上高地へ出向いている事から、事故に遭わずに帰宅した事に感謝すべきかもしれません。
 
 さて、本日の報道では山陽道で事故が発生し、3人の死者も発生しているが、最後尾でトラックに追突され炎上したワゴン車の映像から、四国遍路では利用するトンネルだけに、ワゴン車に同行者と乗る我が身として実感です。
 
山陽道トンネルで多重事故 3人死亡 兵庫・姫路↓5月4日・朝日新聞↓
Uターンラッシュ本格化 鉄道や高速、5日も混雑予想↓5月4日・朝日新聞↓
名神41キロ、阪神27キロ 西日本も高速道路が混雑↓5月2日・朝日新聞↓
              http://www.asahi.com/travel/news/OSK201005020101.html
 
 それにしても高速道路の事故は減る事を知らず、渋滞した最後尾の車輌に追突するトラックが後を絶たず、火災をともなう多重事故となっている事から、メーカーには乗用車の事故回避対策よりも、業務用トラックの安全対策が急務と思われます。
 
 最後になりますが、鳩山首相や民主党の無責任な対応は、日米よりも隣国の中国と際どい状況に陥っており、このまま迷走政権が続くと、我国の置かれた環境は極めて厳しい局面を迎えそうです。
                                   5月3日の一言
 
中国船、海保の調査船に接近 日本のEEZ内↓5月4日・朝日新聞↓
支那の魔手は刻々と伸びる⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/24617932.html

楽しみかが消えた連休ですが…

イメージ 1
 
 本日より我々「神守丈友会」の作品展が開会し、早朝より恩師・後藤緑風(毅)先生(写真上)と会場を訪れて、芳名録に記帳し、不備のあった名札を貼り付け、メンバーと雑談後に帰宅となりました。
 
 会場は珈琲屋さんのため、午前中はモーニングサービスがついており、お昼はランチサービス、午後は「カッパえびせん」しかありませんが、書を通して知人との会話も久しぶりとなり、貴重なゴールデンウィークですが恩師は満足しておられました。
 
 さて、市内でも藤まつりが開催されており、各種のイベントが目白押しですが、私は午後からNPOのチラシ配布(福祉有償運送の利用者募集)が待っており、本日は2つの団地を500枚程度配布しましたが、行楽には最高の天気も仕事には一汗かき、日頃ナマカワした身体は悲鳴をあげました。
 
 ただし、配布直後に注文が入り、1軒だけではありますが、効果が出ると疲れは取れないものの、明日への活力になったのはまぎれもなく、明日も明後日もチラシ配布は続きます。
 
 明日は晴天で行楽日和となりそうですが、キャンセルしたものの予定では高野山の結縁灌頂授戒に出向く計画を立てており、本来なら今夜は早々に就寝して明日に備えているはずだったのですが…
 
 「大鹿さーん、書道展には何時に会場におられるんですか?」と、明日のスケジュールを電話で問われ、午前中は寝ていますとも言えず、明日の午前中は書道展の会場で、午後はチラシ配布の一日となりそうです。
 
 ともかく、連休が終わると議会の公的日程が続く事から、連休はチラシ配布に専念することとしましたが、今月の15日には乗鞍スカイラインも開通するので、後々の楽しみに期待して汗をながすこととします。
                                 5月3日の一言

我家に咲く花 朴の木

イメージ 1
 
 私の事務所の2階から見た「朴の木」の花です。この朴の木(ほうのき)は、我家では二代目となり、最初の木は事務所の2階より高くなりましたが、真夏の強い陽射しで熱せられた事務所の壁の熱によって片面が枯れ、台風によって倒れました。
 
  〇山本 純士 (やまもと あつし)さん 東京都狛江市のHPを引用させていただきました。     
 
 この朴の木は、平成14年6月28日に長野県白馬村にあるラベニュー栄のご主人が裏庭から掘り出してくれた朴の木で、8年の歳月をかけて事務所の2階を越えるまでになりました。
 
 ちなみに、朴の木の花は、日本では一番大きい花と記した本を見た事もあり、元々が山間部に生えている樹木だけに、夏場の建物の照り返しに弱く、最初の木も大木になってから枯らしており、これからが要注意でもあります。       
 
久々に感じた旅の新鮮な出会い…18年7月17日の一言
                     http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/contents20.htm#18717
 
ラベニュー栄⇒ http://www.happo.net/hotels/ha024/
 栄・休業の知らせ(昨年11月19日)⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42282466.html
※当時の一言を読んで、人と人との縁を改めて感じました。
 
 実は昨年にも花を咲かせましたが、アブラムシがついており完全には咲きませんでした。今年は4個の花を咲かせており、先代の朴の木には至らないものの、来年以降が楽しみになります。願わくば花だけでなく、真っ赤な実を付けるまで成長して欲しいと思っています。
 
 我家には朴の木の他に、サクランボやアンズの木など、長野県や岐阜県で入手した木が存在しますが、それぞれが大木に生長しており、いずれは庭の限界が迫ってくるのは必死で、子供達が新たな家を分家として構えてくれないと木が悲鳴をあげそうです。
                                      5月2日の一言

書道展の飾り付けへ

イメージ 2 我家の2階で平成6年から続いている書道会、神守丈友会の作品展が来週3日より8日まで開催される事から、本日は夕方にメンバー全員が会場となる津島市西愛宕町にある茜屋に集まり飾り付けです。
 
 茜屋は写真(右)のように、建物全体が緑のツタで覆われた珈琲屋さんで、最近では各地に画廊や展示のできるスペースが登場していますが、津島市では40年近く続いている画廊喫茶の草分け的存在でもあります。
  
イメージ 3 この神守丈友会は平成6年秋に、私の中学時代の恩師で教頭を務めていた長谷川丈夫先生に指導をお願いに伺いました
 
 神守中学校では我々の教頭であった恩師も、各地で校長を歴任し、当地方の校長会長まで務めた大物校長でしたが、私にとっては叱られてばかりの中学時代に唯一信頼して頼れる先生で、在学中から横道に反れた私にとっては、職員室で座らされていることが多く、「おい、今度は何をやったのか」の恩師の一言によって、自由の身になる事も多く、卒業後の不良と化した私の姿を見て見ぬふりをして通り過ぎる教師の多いイメージ 4中で、「おい、おまえは一八じゃないか」と避けて通られる事はありませんでした。
 
 そんな関係が卒業後の高校、大学時代から社会人になっても続き、食堂から居酒屋にも同行する関係となり、一方は大物校長となり、不良だった私がPTA会長となり、恩師の長い教員生活で教え子も多い中で、恩師と言えば大鹿と言われるような関係になっていました。
 
 「先生、書道を教えて下さい」
 「ダメだ。そっちにも書の大家が多くいるだろう」
 「いや、多くても、タダで教えてくれる人はありません」
 「なにーィ、タダー?」
 
 頑なに固辞する恩師は、退職後にかつての勤務地まで、小遣い稼ぎに出向くような考えはなく、商売で看板を出しておられる書家に配慮した断りでしたが、私の全く無償で教えに来いとの話に興味を示され、「じゃー、ビタ一文貰わんぞ」の一言で、恩師の丈夫の「丈」の一字をとって「神守丈友会」がスタートしました。
 
イメージ 1
 
 書道会よりも終わった後の「ちょいと一杯」が好きだった恩師は、数年後に教員仲間だった現在の恩師・後藤毅先生に指導を託して引退され、数年前に他界されましたが、私にとって恩師では一番因縁の深い教員であり、「白い物も黒」とか「右と言えば左も右」の親分子分の関係でした。
 
 さて、日頃の練習不足をタナに上げて、「見事」ととは言いがたいものの、全作品を展示した会場の雰囲気は過去最高で、30近い作品のレベルはけっして高いものではありませんが、久々に壮観となる作品展に仕上がったと思います。
 
 4日には高野山行きを予定していましたが、「連休中にビラを配布終えたい」と言うボランティアの声に、3日からは「福祉有償運送」のPRチラシを配布する事となり、自身の会報もできていない事から、行楽とは無縁のゴールデンウィークとなりそうです。
                                      5月1日の一言
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ