大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2010年09月

人のことは簡単に言えるものの

 突然に前歯が折れたのが今月5日の深夜の事で、翌日に歯医者さんに走り、仮の歯を入れてもらい、翌週の15日の診察に続いて22日に差し歯が完成したものの、その日の夜から歯が痛みだし、昨日の予約日まで我慢を重ねていました。
 
深夜の孤独なハプニングに (9月6日の一言)  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43961563.html
 
 「先生、上の奥歯が痛いのですが…」
 「おかしいな、何ともないけど…」
 「ずっと、痛かったんですが」
 「歯茎も歯も異常はないよ」
 「…痛いんですけどネ…」
 
 こんな展開で、痛む箇所の治療がされぬままに帰りましたが、やっぱり本日になっても痛みは残っており、「歯が悪くないのなら病院に行ったら」と知人に言われましたが、明らかに歯が痛くて堪りません。
 
 歯医者さんは異常なしと言われましたが、奥歯の歯肉の奥が炎症を起こしているのは確実で、頭痛薬を服用して凌いできましたが、数日で治まれば良いものの、このままでは仕事にも集中ができません。
 
 あくまで私の予見ですが、折れた差し歯の代わりの歯がしっかりと収まった事から、隣の歯から歯全体を圧迫して、弱い部分であった奥歯の歯肉が炎症を起こしていると思われますが、自信を持って「異常なし」と言われても、確実に痛いのは私自身ですから我慢にも限界があります。
 
 さて、本日は福祉有償運送の仕事で、会員さんの愛犬を獣医さんに連れていきましたが、獣医さん選びは大変なようで、何ヶ月にも及び高額な治療を続けても回復しなかった犬が、医者を代えたら低額な注射を2回打っただけで治ってしまったとの話です。
 
 人間のように痛いとも言わぬ犬や猫については、それこそ回復しなければ他の治療を依頼するか、他の獣医さんを受診しないと命取りにもなりかねません。
 
 もっとも、これは人間にも当てはまる話で、昨日訪問された知人の話では、私と同年であった弟さんが、津島市民病院に約1ヵ月通院したものの病名すら判らず、隣の海南病院を受診したら末期がんと診断され、まもなくして最近に亡くなっていたとの話です。
 
※議員として市民病院だけに自問自答したものの、「この事実は、今後私が話し続けるから…」と知人は言ってみえますが、旧知の人の訃報は辛いものがあります。
 
 これは昨年にも私の知人が病名は違うものの全く同じ展開で亡くなっており、病名も判らないままに1ヵ月も経過すると命にも関わる事例もある事から、他山の石として同じ徹を踏まぬようにしたいものです。
 
悲しみも最大級の訃報に (昨年11月24日の一言)
                            http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42310960.html
 
 ただし、歯の痛みでも一週間我慢して、未だに他所の医院に行く決断ができずにいる事から、当事者にとっては転院は重大な決断が必要で、歯だけに他所で治療すれば結果として残りますから痛みとの我慢比べがしばらく続きそうです。
                                9月30日の一言

息子の成人記念に回転寿司へ

                      http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201009280124.html
                           http://www.asahi.com/senkyo/news/NGY201009270031.html
                                            http://www.asahi.com/politics/update/0920/NGY201009200008.html
 
 名古屋市の河村市長の登場で地方議会が脚光を浴び、全国各地から注目を浴びるだけでなく、名古屋市政もリコール問題が成立するかどうかの最終章を迎えようとしています。
 
 ただし、河村市長の存在を心のよりどころとする首長の中には、全く理念や公約が全く異質であるばかりか、議会運営が混乱している事が共通するだけで、民主主義や市民の存在すら忘れられたような発信も多く、本日は阿久根市から議会の醜聞が届けられた。
  
                        http://www.asahi.com/politics/update/0929/SEB201009290002.html 
 
 阿久根市の竹原信一市長は、独善的とも思える専決処分で副市長に選任した元愛媛県警巡査部長、仙波敏郎氏(61)が自分を支える副市長に相応しいと思っているとは信じがたいし、こんな混乱が全国に発信された市民の心境が図りかねる。
 
                        http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100928-OYT1T00051.htm
                       http://www.city.matsusaka.mie.jp/oshirase/oshirase/hukusityou.html
                 http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/mie/100525/mie1005251239000-n1.htm
 
 一方で、全国各地から副市長を公募する自治体の話題も発信されてきますが、上に添付した南島原市などは「年収1千万円」の報酬で募集していますが、名古屋市の河村市長は自らの年収も800万円で十分としており、本当に1千万円も支出して全国から募集する必要があるのか疑問も感じます。
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 さて、本日は三男の誕生日で、本日で20歳となる事から、家内に勧められるままに家族で回転寿司に出かけました。
 
 私自身は回転寿司に出向いた事がなく、最近は金欠病で寿司屋さんとも縁がありませんが、最後の息子の成人位は黙って付き合おうと同行したものの、私の期待は簡単に裏切られ、家族に回転寿司のマナーまで指南される羽目になりました。
 
 大人になった記念にと、「おい、まずは一杯」とビールを勧めたところ、「試験中だからダメだ」と頑固な息子に、「少しだけでも」と勧めたものの、「試験だと言っているでしょう」と家内にも咎められ、挙句にカウンターのため家族の会話も無いままに食事がすすみます。
 
 「おい、テーブルもあるじゃないか」
 「テーブルだと全員が取れないでしょ」
 「ハイ、茶碗蒸」
 「俺はいらないよッ」
 
 こんな調子で、私を除く4人が食べ終わったら、「さあー、帰りましょうか」と酔っ払いの私は迷惑な様子に、子供の頃カゴ(ケージ)に入れられたニワトリがエサを突付いているような感覚を回転寿司から思い出した一日となりました。
                                  9月29日の一言
 

タバコの値上げが近づいて

タバコの値上げに関するニュース
 
 私はタバコを吸わないので、まもなくタバコが値上げされるという事に全く関心もありませんが、喫煙家にとっては毎日の出費増となる事から、10月1日がやってくる事が気になってしようがない様子です。
 
 「おい、○△の親父は50カートン買ったらしいぞ」
 「ふーん、そう…」
 「7万円の節約になるそうだ」
 「ふーん、それで…」
 「見せてもらったが、すごい量だったぞ」
 「それを10月から高く売ったら儲かるのになァー」
 
 吸わない私には何を言われても他人事で、現在のタバコの料金も判らない状態ですが、私が最後に買ったのは40年程前にさかのぼりすから、喫煙家と比べれば多額のヘソクリが残されていても良いはずですが…
 
 さて、健康問題とか、国の身勝手な増税とか言われますが、私の住む津島市においても、減ったとはいえ今年も3億6千万円程のタバコ税の税収を見込んでおり、議員の立場としては無関心とは言えない問題かもしれません。
 
 それにしても、覚せい剤や麻薬が厳しく取り締まられているにも関わらず、自宅やベランダで大麻草を栽培して逮捕される者が後をたたず、それならタバコを栽培する者が出てきても不思議とは思えないものの聞いた記憶がありません。
 
 タバコの栽培は禁止されており、近くで栽培している例も知りませんが、大麻草でも栽培して検挙されるのにタバコの記事は目にした事がないことから、インターネットで検索してみたところ、最近では栽培まで制限はされていない可能性が高いものの、喫煙すると違法となるのでは栽培する意味もなく、そのままでは喫煙できない代物のようです。
 
 
 ただし、健康被害は言うまでもありませんが、喫煙家を減らすためとか、喫煙者が少数だからと突然に高額な増税を課すとの考えや値上げには賛同できません。
 
 商品には生産する経費や販売経費による適正な価格があるはずで、比較はできませんが、デジタルカメラの普及により、フイルムが値上げされたりサービスが無くなるのと同じですが、国による増税で値上げとは納得がいきません。
 
 巷の声では、贅沢品にはどんどん増税されるとのウワサがあり、愛知県ではサービス合戦となっているコーヒーも珈琲豆への増税で値上げされると言う市民もありますが、国から生活保護を受ける人々が増加の一途となっているだけに、増税により国に摂取される人々との格差も真剣に考えてもらいたいものである。
                                  9月28日の一言

来年度からの総合計画案がほぼ完成して

 本日は家内が所有する貸し店舗の内装工事費用の支払いに不動産会社に出向きましたが、至急の連絡で立ち寄った市役所で、「そんな大金を持ったままでは危険」との指摘を受けたものの、カードとか振込みが苦手な現金主義だけに、危険と隣り合わせとの認識もありません。
 
 「このお金の出所をはっきりと奥様の記録に残しました?」と、不動産会社の事務員さんに問われましたが、家内名義とはなっているものの、実質は家族一体ですから、家内の税金の申告まで考えずに私の通帳から資金を出したことに反省しても時既に遅し。
 
 今年は土地が売れたことに関して税務署に申告漏れを指摘され、NPO法人の申告も催促を受けて出向くなど、久しぶりに税務署に顔を出しましたが、個人的には昨年からタクシー事業主にもなっており、今後は金銭の出し入れについての記録も重要です。
 
 さて、審議会委員の委嘱を受けていた「津島市総合計画審議会」が開催され、今まで検討されてきた第4次津島市総合計画の素案の修正が終わり、来月の最終審議会までに完成した計画案を市長に答申する運びとなりました。
 
 この基本計画は、来年度から平成32年度まで10年間の津島市の目指す将来目標や、目標を実現するための基本的方向を示すもので、今回の計画案には過去の「絵に描いた餅」の反省から、具体的目標値が入っており、必要に応じて見直すとの一文も入っています。
 
 個人的には財政状況が厳しい地方自治体が市民に夢を与える計画とは思えませんが、市民が一体となって街づくりに参画する「協働」が大きなテーマとなっており、厳しいながらも街づくりに市民が参加できる点では行政の押し付けとは違った価値が見出せるのかもしれません。
 
 ただし、これから津島市が議論して構築していく諸問題は、愛知県の中心となる名古屋市が既に先進事例を創っているものが多く、行政は比較を嫌がりますが、名古屋市を参考に議論すれば無駄な時間も削減できる現実を忘れてはなりません。
 
 かつて学校教育の先進事例として北陸の金沢市を視察した際に、「こんな遠くまで来られなくても、わが市は名古屋市を先例としたので…」と言われた事がありました。議員としては情けないと思いますが、市民活動についても、津島市民が一生懸命議論する内容の多くは、名古屋市で既に実施されているものがほとんどです。
 
 昨年は経済建設委員長として都市計画マスタープランの完成に都市計画審議会委員として立会い、今年は総合計画調査特別委員長として審議会で計画の答申まで関わることになり、偶然ですが津島市の将来像が見えたようにも感ずる一日となりました。
                                  9月27日の一言

日常の日々になって

 本日は昨日までの上高地の静寂な環境から、日常の生活にもどりましたが、私にとっては心地よい自然の環境(聖域)が、気のない観光客の雑音と、国立公園の中で決められた自然界のルールを破る人々によって変化していきます。
 
上高地公式サイト http://www.kamikochi.or.jp/index.html
 
 「まあー、可愛いーい」と言って、大正池で人に警戒心を持たない『マガモ』に近寄り、「やっぱり人に慣れてるわねッ」と言いながら、カバンから菓子を取り出す家族連れの姿。身勝手な判断は結構ですが、あなたが菓子を出すから近寄ってくるんでしょうが…
 
 私が初めて上高地に入った昭和50年頃は、猿の姿を見ることは稀でしたが、最近は日常的に群れで通り、明神池から大正池まで歩けば必ず親子連れの集団を目にする事ができます。これも人害なんでしょうね。
 
ペットは一緒に連れて行けますか?
上高地をはじめ、乗鞍など北アルプス地域では、盲導犬などを除いてペットをお連れ頂く事について、できるだけご遠慮頂くようお願いしております。
上高地など一帯には野生動物が数多く生息しています。それらの野生動物にペットが元々持っている病原体などが流行しないようにするためです。
ペットと野生動物では、病原体に対する抵抗力が元来異なります。これらのことにより、ペットの連れ込み自粛についてご理解とご協力をお願い致します。                 公式ウェブサイトから
 
 こんなお願いが各所に掲示されていますが、大きな犬を堂々と引っ張っていく若い女性の姿も見受けられます。しかし、可愛い小さな犬なら判りますが、人間の子供よりも大きい犬はタクシーも利用は難しいでしょうが…
 
 「○△a(4b@hf×▼○×!?」と、中国語らしき大声で仲間に叫ぶ引率者の姿に、「あれッ? 中国人は日本に行かせない筈じゃなかったのか…」と思うものの、静寂な凛とした空気と、自然に流れる梓川のせせらぎや、木々の香りを期待する私に日常の雑音が迫ります。
 
 さて、残念なことは、昨日までの急な寒波と不順な天候により、昨晩に帰宅してしまった事で、本日公開された写真は大正池の湖面に映る穂高連邦が写されており、予定通り滞在しておればと思っても時既に遅し…
 
 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、閉館間際に通りかかった若者の訪問があり、戦争や親子関係について熱く語り合っていると、「お時間は宜しいですか? 大鹿さんの話は長いから…」と館長の声が…
 
 幸いなことは、閉館後に娘のアパートに立ち寄る事になっており、愛犬が重症で病院に預かってある事から、引き取りに行く間の孫の子守役です。元気に戻ってきましたが、明日に再検査がある事から「明日のお父さんは?」と期待されても、明日は市役所の仕事が待っています。上高地や四国遍路が続いていますが、それ以外の日は仕事をやっているという認識が娘にもありません。
                                  9月26日の一言 

上高地二日目

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二日目の車中泊になり、気がつくと仲間が出来ていました。(写真上午前5時半)
さて、本日も天候がすぐれず、朝6時から大正池にいましたが、やった9時半にいい雰囲気になり(写真は午前9時半の焼岳と大正池)ましたが、その後は曇り空となり、午後は小雨混じりとなりました。
明日は朝の天候に期待し、写真撮影後に横井記念館に走ります。
ただし、家内には今夜帰ることにしてありますが
 
 本当に帰ってきてしまいました。期待した千葉県の渡辺(画伯)氏も、突然の寒気により2週間前に帰られたようで、ビールまで買い込んで行きましたが、再会は来年までお預けとなりました。明日も晴れそうですが、横井庄一記念館がある事を考えると、翌日の市役所に支障が出そうでした…
 
 我家から3時間で(途中休憩しても)上高地に着く時代(学生時代に松本から電車とバスを乗り継いだり、高山から夜行の登山客と一緒に飛騨側から山越えした時代とは雲泥の差があります)となりました。
 
 もっとも、マイカー規制に関係なく上高地に入れることも、タクシー事業主になった大きな要因ですから、11月15日の閉山祭までに、①紅葉の上高地、②晩秋の上高地、③今年最後の上高地に分けて行きますよ。
 
 「何故、明日まで居なかったの」、「また、半月後に行くから…」、「せっかく、行ったのに…」、「行こうと思えば何時でも行けるから」…
 家族は、まんまと私の作戦にはまっています。
                                 9月25日の一言

身が凍る上高地

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深夜1時に我が家を出発し、上高地を目指しましたが、強風と雨が止まぬため、平湯で仮眠と待機の後に上高地へ入りましたが、雨は止んだものの寒く曇り空のままの一日となりました。
本日は観光バスも規制されて入れないため駐車場も閑散としています。
楽しみは明日に順延です。
                                              9月24日の一言

愛犬と眺めて祈る天候回復

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 本日は早朝より激しい雨が降り出し、直後に厳しい雷鳴が轟くスタートとなりましたが、午後には小雨となり、西の空を眺めて天候の回復を祈りながら、相棒リマを連れ出して散歩を続け、旅立ちの機会をうかがう一日となりました。
 
 午後3時の時点では何とか西の山に青空の兆しが見えたものの、肌に感ずる小粒の雨が降っており、今晩の旅立ちをあきらめておりましたが、午後6時頃の西の空は茜雲が輝く見事な色彩に染まりつつあります
 
イメージ 2 こんな見事な夕暮れ風景は珍しく、明日の天気予報は優れないものの、明日には回復する可能性が高く、今晩には出発する覚悟を決めましたが、仕事を持つ家族は勿論の事ですが、暇を持て余している知人も誘いに乗ってこない事から、孤独な一人旅となりそうですが、一人なら全く自由な身勝手な行動ができるために、上高地と決めずに行き先未定でも文句を言う者は存在しない事から、酒を積んでいって、気にいった場所に留まる行き当たりばったりの旅立ちにする事としました。
 
 さて、春から四国遍路に同行する予定が延び延びとなっていましたが、再開しないと人々の年齢が高いことから、苦痛を伴うようになるために、来月に出発する連絡を始めました。(年内2泊3日2回と来春2回の予定)
 
 希望者全員の日程を合わせる事は、私の都合もある事から難しく、行ける人だけでも行って、都合の悪い人は来春で良いか…
 
 こんな自分本位の段取りですが、来春は自身の市議会議員選挙がある事から、候補者が遍路とは言え旅行三昧では廻りのイメージも悪く、昨年から私の相棒となっているリマの存在も大きな障壁となりつつあります。
 
 究極は相棒も一緒の旅行をと考えるものの、私の助手席を指定席としているだけでなく、最近では私の車を自分の縄張りとして意識しており、他人が同乗すると吠えるようになっている事から、相棒との2人旅になるのかもしれません。
 
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                       9月23日の一言

心はテントの画伯が待つ上高地へ

 本日は久々に早朝の会報配布から開放されましたが、有り余る朝の時間を新聞に注いでいたために、その余裕がかえって寝不足となり、明日からの自由を確保するために市役所への提出書類を書き上げて届けました。
 
 「おーい、今何処にいるの?」
 「市役所だけど、今は何処に?」
 「事務所だけど、誰もいないので…」
 「とにかく、今すぐに戻ります」
 
 ところが、帰ると言ってからの話が長く、遅れて市役所を出た矢先に市役所から電話が2件入り、あまりの遅さに待ち人からも「今は何処に?」と電話が入り、このままでは運転中の電話で警察のお厄介になりそうです。
 
 散々待ち人を待たせた挙句に、「今から歯医者に行くから…」と、同乗して助手席でテレビを見て待っていてもらう身勝手な行動も、明日からの3日間(土曜日まで)を「自由でありたい」一心の行動です。
 
 さて、歯医者に着いたところ、駐車場から老人がゆっくりと医院に向かって歩いておられ、本心では我先にと追い抜きたいものの、あまりにも大人気ないので後ろに追随して入りましたが、診察室に呼ばれた名前を聞いてびっくりです。
 
 かつて朝日新聞社の社員だったOBで、後姿を見送り隣を見ると、私の隣に奥様も座ってみえました。
 
 「お久しぶりです」
 「?どちら様?」
 「朝日新聞でお世話になっていた大鹿です」
 「?大鹿?さん、??もしかして、かずやさん」
 「そうです。大鹿です」
 「かずやさんと言われないと判らないわ」
 「本当にご無沙汰しています」
 「そう、前はスラッとして好男子だったのに…」
 
 聞けばご主人は94歳で奥様は88歳になっておられましたが、私を「好男子」とのイメージは有難いものの、「前は…」の話ですから、真っ白になった頭と、2倍に太ったような体型にびっくりされていました。
 
 この話をした助手席の知人が、「こうだんし?」、「うん、そう、好男子と言われたわ」、「なにー、大鹿さん、学生時代にこうだんしでもしてたの?」と問われ、「何ー、それ?」と問うと、講談師と勘違いしておりました。
 
 診察後のご主人とも僅かの会話で私の診察となりましたが、診察後に車に戻ってお二人の帰宅の方法を知人に聞くと、94歳のご主人の運転する車で帰られたとの話で、年齢を感じさせない行動に脱帽です。
 
 ご主人いわく、「80を過ぎてまでは働けないが、議員は70を過ぎても現役だ。ましてや60前は青年だ」の言葉に、私もまだ半分程人生が残されているように感じ、日頃のご無礼を反省するとともに、世の中捨てたものじゃない心境となりました。
 
 知人は明日は仲間と「ハゼ釣り」だそうですが、私は天候を見ながら「上高地」を目標にしていますが、果たしてそんなに旨く事が運ぶかどうか…
                                  9月22日の一言

一瞬はギョッとさせられたものの…

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 本日で議会報告となる会報「津島の風」の戸別配布が終了しましたが、8月6日に完成して10日から配布を始めており、猛暑の中を1ヵ月半かかってやっと終わったものの、「まもなく盆を迎えようと…」と記した会報配布だけに心苦しさも感じる終了となりました。
 
 猛暑は済んだものの、当地方への天からの恵みは少なく、多くの樹木が悲鳴をあげている事から夕方になって散水を始めたところ、異様な彩色に一見して「ギョッ!?」としましたが…
 
 一瞬は新種のヘビなんて思ってしまいましたが、私の親指の太さをした「イモムシ」で、多くの植物が犠牲になっていることから、摘んで捨てようかと思ったものの、ここまで見事に成長したイモムシを見たのは久しぶりで、このまま蝶になるまで見守ってやる事にしました。果たしてどんな姿に変身するのでしょうかね?
 
 さて、本日は3年ぶりとの話ですが、テレビに「細木数子」さんが登場し、民主党の国会議員一年生に対して「税金を使って、今から勉強しますとは何事か」との厳しい批判の一言を発し、民主党議員を素人集団と切って捨てられました。
 
 地方議員にも共通する一言ですが、住民の税金が議員の報酬として支払われている以上、報酬を貰って一から勉強するという甘い考えは許されず、少なくとも議員になる以上は知識だけでなく「胆力」も不可欠である事を改めて自覚させられる一言でした。
                                   9月21日の一言

四国の輪が拡がるのは良いものの

 本日は連休中ではありますが、家内は仕事がありますし、私も午前3時起床の会報配布ですから、連休気分は皆無ですが、天候の変わり目に身体が順応せず、エアコン依存症になっていることと、連日の早朝の仕事に身体が悲鳴をあげ始めました。
 
 それも、多分明日(起床まで3時間ですが…)には会報配布が終わる見通しとなり、ここで一息入れていると仕事がたまりますが、来週からは公的日程が続く事から、明日と明後日の頑張りが、週末の休暇が取れるかどうかの分岐点となります。
 
 さて、昨晩のことですが、「千枚通の護摩符が欲しい」と夜になって娘が婿や孫と一緒にやってきました。
 
 娘は婿さんの親族となる「霊媒師」の祖母の家を訪れた際に、持参していた千枚通を見せたところ、「4人分欲しい」と言われたらしく、「4個ちょうだい」と簡単に言いますが、持っていても四国に行かないと手に入らないため簡単にはあげられません。
 
 「簡単に言うけど、高いんだぞ」
 「ねー、いくら、いくらなの?」
 「いくらと思うんだ?」
 「5百円くらいかなあ?」
 「そんなに安いと思っていたのか…」
 「じゃー、いくらするの? 千円? 2千円?」
 
 私も千枚通の護摩符の効力については定かではありませんが、精神的安心にはなるようで、私の差し上げた人には好評ですが、電話でも注文はできそうなものの、それでは通信販売のようで、じかに行くとなると大変です。
 
 一方で、せっかく差し上げた千枚通がそのまま置かれている場合もあり、最近では誰彼となく差し出さない事にしているものの、孫の相手をしているうちに家内が勝手に渡してしまいました。
 
 娘は国立病院の医師から「子供が産めない」と宣言されたものの、この護摩符や善通寺で授かってきたお守りなどの効力かどうかも判りませんが、私にとっては初めての孫が誕生した事から、娘には弘法大師(四国)の霊力は偉大と思われているようです。
 
 私の手元には別格十二番延命寺の千枚通護摩符が一袋残されていますが、人に差し上げるばかりではなく、自分自身も利用しないとならないような体調となっており、来月からの新たな遍路のためにも明日(本日)と明後日は正念場の2日間となりそうです。
                                 9月20日の一言
追伸
書き入れ予定としていた別格大鹿メモの書入れを始めました。

82歳と上高地行きを約束して…

 本日は半月ぶりとなる「横井庄一記念館」行きとなりましたが、町内の葬儀があった事から到着したのは午後2時過ぎとなりました。
 
 手帳を見ると本日の連休も、次の週末も四国遍路と上高地が書き込んであり、仕事が順調に消化されておれば、人々と一緒に出掛けようと考えていたものの、未だに8月の会報を配布している状態で、議会中の休会日に四国へ一人旅に出向きました。
 
 遍路の一人旅は四国まで距離があることから大変ですが、四国では住職と時間を気にせず会話ができる事と、自分勝手に施設で見つけたパソコンに書き込みもできる事など、一人旅の魅力にもはまりました。
 
 「大鹿さん、四国はいつ行くの?」
 「近いうちに行きたいと…思っては…」
 「今度のお遍路は連れてってよッ」
 
 こんな会話を続け、昨年は3月の遍路が4月から5月、6月と順延し、3回の遍路で9月に満願となる急ぎ旅と化し、高野山を日帰りとする強行軍で終えましたが、初めて参加する人ばかりのため、私の都合で「ジェット巡拝」としても、「こんなに早く廻れるの」と感謝はされるものの、遍路本来の「自分探し」や、「真言密教」の奥義に触れる事も少ないと反省が頭をよぎります。
 
 ただし、平成13年に四国遍路をスタートした当時のメンバーは、私の運転するマイクロバスの赴くままにスタンプラリーで、四国から西国、坂東、秩父の百観音まで踏破したものの、「般若心経」もろくに読めないままの巡拝だった事から、雲泥の差はありますが…
 
 さて、来月から仲間を募って新たな四国遍路が始まりますが、その前に不義理となっている親族の訪問も済ませる必要があり、月末には横井(庄一)夫人と法要を欠席した親族に出向く約束をしました。
 
 ついでに、「上高地にも行こう」との話となり、「えッ?白馬でなく上高地」、「上高地には行った事がないから」、「上高地は歩かないとダメだよ」、「足はいたって丈夫だから」と、とても82歳のおばあさんとは思えない会話に発展しました。
                                 9月19日の一言

地元の事故だけに後悔する事が…

 本日も午前3時起床で会報配布のスタートとなりましたが、会報配布も連休とともにしばらく休止となり、連休後には新しくアンケート調査の原稿を作成して、10月から配布して返信を待つ事となります。
 
 議員になって3回のアンケート調査を実施しており、今年は4回目のアンケートとなりますが、同じ活動を続けていると設問もマンネリ化するために、第三者の意見も参考に調査用紙を作成したいと思います。(対象世帯約1万2千世帯)
 
 さて、昨日の早朝に町内の婦人が交通事故に遭い亡くなられました。詳しい内容は又聞きですが、自転車で畑に行く道中に、19才の若者の運転する車とぶつかり、頭を打った事が死因でした。ただし、事故現場について交通事故までは想定していなかったものの、自転車や歩行者が安全に通行できる近くのトンネルが閉鎖されている事について、次の12月議会で質問しようとしていただけに無念の気持ちに包まれています。
 
 現場は新日光大橋の坂を下りきった地点ですが、この付近には次々と粗大ゴミが放置される事から、市役所に直接改善を求めて訴えた人があり、この時(8月)に坂の下を通っているトンネルが金網で完全に封鎖されている事から、利用できるように要望しようと考えていました。
 
 この時は、ゴミの不法投棄が後を絶たない事から、市民からの指摘もゴミ問題であり、このトンネルの通行帯についても、壁一面に異様な落書きがされていた事と、閉鎖されたままでも電灯がついている事から、通行復活を議会で質問しようと思いました。
 
 議員にとっては議会が一番重要である事と、対象となるトンネルは県道の下である事から、議会での質問と要望が一番効果的と考え、9月議会の質問内容が決まっていた事から次の12月議会に先送りしていました。
 
 9月議会に取り上げても、県の管轄のため市の即応はなく、改善されるとしても昨日の事故には間に合わないものの、こんな不慮の事故は予測も立ちませんが、思った時に指摘して改善を求めないと不幸な事故は防げない事を実感する一日となりました。
 
 ご主人の話では、「視力が良い」のが奥さんの自慢であった事から、角膜を必要とする人に提供されたようですが、日頃から婦人会活動やボランティア活動に積極的に参加されている人だった事と、私個人にとっても良き理解者だっただけに信じられない訃報となりました。
                                    9月18日の一言
追伸
2週間続けて無断で休んでしまった「横井庄一記念館」ですが、明日も午後2時までは出向けませんが言い訳もできません。

目つきの悪い不審者は警察官だった

 本日は9月議会の最終日となりましたが、採決された議案はそれぞれの委員会で議論がされ、一部を除いてはほとんどが全員一致となっていた事から、なんら波乱もないままに午前中に閉会となりました。
 
 さすがに本会議の早朝まで会報配布はできませんから、本日は午後から14階建のマンションを3棟配布しましたが、マンション通路は陽が当たらず、清々しい風が吹いていた事から2時間程度で終える事ができました。
 
 さて、5時を廻ってから隣町の郵便局のポストまで、相棒リマちゃんを連れてハガキを投函しに歩きましたが、警察派出所の近くで人相の悪い中年男に睨みつけられ、久々の非行少年だった40年前の感覚に襲われました。
 
 ポストに投函後に引き返すと、その不審者は横目で当方を睨みつけ、当方も視線を合わせたまま睨み返しましたが、これが高校生なら完全なる喧嘩に発展する状況ですが、今の私は目つきの悪い中年男と喧嘩をすることはありえません。
 
 警察に通報したいくらいの心境でしたが、通り過ぎてから判ったのは、不審な中年男は警察官であり、シートベルトをしていない車を検挙するための見張りで、次々と違反者が派出所で停められていました。
 
 この見張り役は夕方の買い物客が集まるスーパーの向えの電柱に身を隠しており、違反者はスーパー駐車場の隣の派出所に入れられる訳ですが、こんな夕暮れの危険な時間帯に取り締まる非常識さと同時に、小さな愛犬を連れた善良なる歩行者(私ですが…)まで睨みつける警察官は人々を護る存在ではなく、市民を検挙する事に目の色を輝かせるハイエナのようにしか思えません。
 
 年齢を重ねると生き様により人相も様々となりますが、いくら警察官でも人々の安全に努める事を忘れて、人を罪人に陥れるために睨んでいたとすれば、その警察官の家庭はどんな環境かと淋しさを覚えました。
 
 交通事故死は減少しているものの、乱暴な運転や違反者は後を絶たない事から、交通取り締まりは必要不可欠とも思いますが、一人位は警察官の制服を着て、「シートベルト」と書いた看板を持って抑止に努めても良さそうに思える不快な夕方となりました。
                                  9月17日の一言

議会最終日を明日に控えて

 9月議会も明日が最終日となりました。8月から始まった議会は夏休みを奪われたように思えましたが、私も開き直って休会日や休日には、上高地や四国の旅に出た事から、静養にはなりませんがストレスは吹き飛びました。
 
 我々地方議員は、議会の本会議や各種委員会がない時は比較的自由となり、私は議会外で本年委嘱されている「津島市総合計画審議会委員」と「津島市国民健康保険運営協議会委員」が開催される時以外は自由です。
 
 ただし、この他に地元の同窓会会長とか、各種の行事の案内があり、NPO法人の仕事や愛知県との関係行事に、日曜日は「横井庄一記念館」の留守番もある事から、最近は来賓程度の役割は欠席するようにしています。
 
 もっとも、地域の要職にある人々や、地域の活動家にとっては、イベントしか議員と顔を会わす機会がなく、各戸に会報を配布して活動内容を報告しているにも関わらず、地域行事に無関心と映ってしまうので得策とは思えませんが、議員を来賓として座らせておけは良しとする因習もそろそろ改善が必要と思います。
 
 さて、本来なら8月中に配布済みであるべき会報が1千500部ほど残してあり、9月の連休までに配布を終わらせ、次に予定している津島市民を対象としたアンケート調査(約1万2千世帯程度分)の準備となり、来年2月に予定している「地域セミナー」の計画立案と、バリアフリー検証会の実施が迫ります。
 
 ここに、今年の春から順延を続けてきた「四国遍路」が来月より入り、新しいメンバーによる巡拝がスタートすると、アンケート配布や会報配布が迫り、「忙しい」の一言が連呼されだすと大晦日が迫っていることでしょう。
 
 そうやって考えて見ると、上高地で「時間に縛られない生活」を満悦している渡辺画伯はうらやましく思われるが、最近では定年後も働く人々が増えており、長生きで健康でなければそんな生活も考えられません。
                                  9月16日の一言

社説の指摘どおりの結果に

 民主党の代表戦は菅首相が大差で再選され、新聞各社の実施した国民の意識調査とのネジレは起きなかったものの、国民にこれだけ不人気だった小沢一郎氏の代表戦出馬は最後のあがきか民意への挑戦だったのか。
 
 民主党代表選の投開票がおこなわれた14日の朝日新聞朝刊の社説に、「再び民主議員へ」と題して、代表選への疑問を投げかけ、小沢一郎氏の出馬に対して、「小沢氏の立候補は理解しにくい」と論じている。
 
 わずか3ヶ月前に政治とカネの問題で、鳩山由紀夫前首相とダブル辞任したばかりだ。強制起訴となるか否か、検察審査会の判断を待つ身でもある。最高指導者たろうとするにしては、けじめがなさすぎるのではないか。
                                   9月14日社説
 
 社説では小沢氏への疑問だけでないが、明らかに小沢氏にとって不都合な記載の後に、「新しい政治とは何か。それを突き詰めて考え、投票すべきである」と記事を結んでいる。
 
 この社説を読めば明らかに小沢氏への投票を再考させる内容であるが、指摘される3ヶ月前の政治とカネでの辞任と検察審査会の結果待ちを考えると、余程の勝算がなければ立候補は政治生命の終焉と思われる。
 
 小沢氏の指摘する菅首相の指導力不足が続けば、このまま残された3年間を政権維持する事は難しい事と、民意は別としても国会議員の支持は高い事から、立候補を考えずに静観していればチャンスはあったのではないか。
 
 豪腕といわれた小沢氏も既に68才となっており、国会運営には影響力は残すものの、今回の敗戦で表舞台への復帰は難しいと思われる。仮に代表戦に勝ったとしても国民の批判は強く、国民の批判を知りながら、無謀な立候補を決断をした小沢氏の真意が私には理解しがたい。
                                  9月15日の一言

NPO法人にも色々とあり

 本日は目覚まし時計が午前3時に合わせてあったものの、全くアラーム音にも気付かなかったか、設定ミスかは判りませんが、目が覚めたのは午前5時半になっており、さすがに行き帰りが夜行で3日間の遍路は疲れが相当残っていたものと思われます。
 
 こんな日もあるかと朝食後にパソコンの前に座っていると、福祉有償運送の利用者の会員さんから、「担当者の電話が留守録になっている」と電話があり、突然の病院行きだけに「私が今から行きます」との話になりました。
 
 津島市の会員宅から弥富市の海南病院まで走り、ボランティアの家に立ち寄ると、こちらも突然の連絡で病院に走った後で、成り行きから私の運転で迎えに走ってから休憩することになりました。
 
 朝の会報配布に起き上がれなかった事から、本日は休憩の一日にしようと思っていたものの、午前中に税務署に立ち寄る約束を思い出し、あわてて走り込んだのが本日の象徴で、車の車検や、車の任意保険など午後の訪問者が続き、夜に開催される書道会にメンバーが訪れるまで休憩が取れず、夕食が済んだのは夜10時を廻っていました。
 
 さて、身体は脱力状態ですが、電話の主にはそんな姿は理解されず、話し好きなことから時間の経過を忘れて会話が弾んでいますが、夜になってから旧友のお誘いに出向きたいものの、仕事を残している事から外出もままなりません。
 
 今年の夏は金融機関である「とうかい労金」の助成金に応募するために、研修費を自己負担して事業型NPO育成支援講座に参加していましたが、一時審査となる書類審査に漏れたため、他人のお金を充てにする愚かさと、主催したNPO法人の資金稼ぎにまんまと利用されただけと思われてきました。
 
 知恵を売り物にするNPOと、身体を張ったボランティアに徹するNPOとの違いを実感し、NPOを指南するだけで収益を上げるNPO法人とは、今後一切関わりたくないのと同時に、6千円とは言え身銭をきったボランティア関係者の痛みが届いているのか疑問にも思われます。
 
 物の良し悪しはさておいて、この講座のために私が割いた時間は、確実に私本来の仕事を遅らせ、提出書類作成に割いた時間だけでなく、私の身体を確実に疲弊させているだけに悲しい選考漏れとなりました。
 
 本日は民主党の代表選挙があり、菅首相の続投が決まったようですが、そんな重大問題すらテレビに耳を貸せない忙しい一日となりました。
                                  9月14日の一言

留守中の我家は最悪になっており

 本日は四国から早朝(午前3時半)の帰宅となりましたが、こんな時間に堂々と入っていくと愛犬2匹が争って鳴き続ける事から、それまで事務所で仕事をしていたように振舞って家に入りました。
 
 それでも愛犬モモ(メス・8才)は私が家を空けていた事から、頭をなで続けるものの甘えて鳴きやまず、一方の私の相棒リマちゃん(オス・1才)は3日間も家を空けていた事に腹をたてて(?)無視です。
 
 この無視は厳しく、あたかも勝手に置いていってしまった事に抗議するかのごとく振る舞いで、一緒に散歩に出た夕方からは、今度は私の元を離れず、私は間食の菓子にも手を出せない監視体制のようになっています。
 
 さて、四国に滞在した3日間に、我家では母親が体調不良で連日病院(時間外診療)に運ばれ、娘は39度の熱を出して深夜まで病院で点滴を受け、家内は午前中(娘)、午後(母親)、夜(孫の世話)と深夜まで大変な状況にあったようです。
 
 母親は最近不調が続き、不仲な私にも「病院に迎えに来て欲しい」と言うようになりましたが、検査をしても原因が判らず、一日おきに点滴と注射を受けている状態で、79才になっている事から「不吉」な予感も頭をよぎり、別格十五番箸蔵寺では護摩木に病気平癒と記してきましたが…
 
 本日は当方の寝不足に関係なく、午前9時には病院へ母親を送迎し、市役所の仕事を済ませて午後は税務署の職員を待ち、知人と珈琲タイムを予定していましたが、身体が赤信号で事務所で居眠りです。
 
 あーあ、昨日までの行動がなかったかのような現実となっていますが、今回の四国別格二十霊場だけの巡礼は、ご住職や先達さんとの会話が十分にとれ、一度も訪れた事のない知人宅を3件も訪れ、それぞれがご本人が不在にも関わらず、ご家族の方々にとても良くしていただきました。
 
 このブログを通して知り合った「タムさん」なんかは、「ブログのタムさんお宅ですね?」なんてご家族に聞いて訪れましたが、私と四国との間には細いパイプがどんどん太くなり、「明日にでも行ってみようか」なんて思う身近な存在となりつつあり、訃報によって細る人脈を十分にカバーするようになりました。
                                  9月13日の一言

四国別格三日目





9月12日(日)
第十三番仙龍寺から第十九番香西寺まで巡拝
 
写真上 ところてん清水屋
写真下 香西寺本堂前
 
本日で四国別格が終わり、明日からは仕事に戻ります・津田の松原サービスエリアからの発信です

四国別格二日目







22年9月11日(土)
別格第五番大善寺から第十二番延命寺まで巡拝
 
写真上 十夜ヶ橋下の大師像
写真中 延命寺の大師堂・納経所
写真下 おいしい広場・三島の湯 四国中央市
 

夜行で四国遍路へ走る







 本日は議会の休会日と明日からの週末を利用して、3日間で四国別格20霊場の走破を目指して、昨晩の夜11時に愛知県を出発してきました。
 一枚目の写真は、別格3番慈眼寺にある潅頂の瀧ですが、水不足のために滝は頂に少し落ちているだけです。
 
 本日は、別格20番・大瀧寺から別格1番大山寺・別格2番童学へ。別格3番慈眼寺・別格4番鯖大師本坊まで参拝しました。
 
 二枚目と三枚目は鯖大師本坊と、今年完成した多宝塔の写真です。
 
 「大鹿さん、もう大丈夫でしょう」と言われても、身体が悲鳴をあげたのは別格3番慈眼寺の穴禅定で、本日は金児さんの案内となりましたが、最初の頃のような緊張感はありませんが、先達さんの案内なくしてはまだまだ入れません。
 
 さて、明日は5番大善寺から11番生木地蔵まで拝観し、3日目の日曜日に満願の予定としていますが、はたしてうまく事が運ぶでしょか。
 
 明日の予告は、愛媛県西条市に寄り道します。私の知人と思われる人は期待して待っていただけると幸いですが…
                                 9月10日の一言
 

税務署の調査は追徴となり

 本日も午前3時からの会報配布は同じですが、仮眠後に市役所に走るのではなく、税務署職員の訪問が約束されており、自宅で待機していましたが、昨年の申告時に福祉タクシー開業にかかった経費が申告してない事から、年末に戻ってくる税金を考えていたところ、昨年に企業の駐車場に売り渡した際の申告に不足があり、加算税と延滞金もかかるとの寝耳に水の話となりました。
 
 そもそも、土地を売買する気持ちがなかったのですが、私一人の反対でも企業誘致が頓挫してしまう事から、市役所に釘を刺され、地目が田であった事から、角地で一番資産価値の高い我家の土地も、一番奥地の田も同じ価格で団体交渉となっていた事にも不満がありながら、「議員」である事から歩調をあわせた売買でもありました。
 
 一方で、私は土地を売る気持ちが皆無であった事から、父親の相続時に「納税猶予」を受けており、今回の売買に関しても「納税猶予に関する税金は企業側で持ちます」との約束となっていましたが…
 
 確かに該当する税金は企業側が支払ってくれましたが、契約書の中ではこの税金は売ってもらうための「協力金」となっており、この税金に支払った税額は私に替わって支払っただけで、この金額は私の所得にあたると税務署が判断したようです。
 
 もっとも、今年の確定申告時に私は企業との契約書も持参して相談しながら申告しており、適正な指導がされておれば、不足分は別としても加算税と延滞金は支払う必要がなかっただけに無念の気持ちです。この事を税務署が電話でも伝えてくれれば、私は一ヶ月分の延滞金を支払う必要もなく、調査のための訪問も確実な追徴のためだったのですね…
 
 「それじゃー、タクシーの設備投資と赤字分の修正申告も一緒にやってよ」との一言には、「それは個人所得の担当で、我々は固定資産の担当だから」と、担当窓口を尋ねてくれとの返事です。
 
 大いに不満はありますが、不満の対象は税務署ではなく、企業と不動産屋にぶつけるべきで、この件は遅れれば遅れるだけ延滞金が増えていく事から、「一日も早く始末してよ」との別れとなりました。
 
 土地が売れたことで、国や地方自治体に譲渡価格の2割分の税金が必要となり、この一時所得が各種の公的負担にも直結する事から、私は先祖伝来の土地を売ったことで国や愛知県、津島市を太らせただけのようにも感ずる一日となりました。
                               9月9日の一言

上高地のテントに配達された手紙

 本日は台風9号が福井県に上陸し、岐阜県の南部となる岐阜市を通過したものの、幸いにして私の住む津島市への被害はなく、私は日常となった午前3時からの会報配布に出て、仮眠中に台風は通過・消滅していってしまいました。
 
 もっとも、午前4時頃には小雨が降り出し、空を見上げると土砂降りの可能性を秘めた真っ黒の雲と、雷光が光りだし、自分の身体よりも配布した会報が濡れてしまっては読んでもらえない事から、「もう少し」と「限界か」の自問自答はしましたが、幸いにして心地よいシャワー程度で帰宅となりました。
 
 仮眠後にびっくりした事は、この台風による激しい雷雨によって愛知県内の交通機関がストップし、岐阜県内でも多くの被害が報道されている事で、当初は能登半島か東北地方への上陸の可能性程度に思っていた事から、意外に近くを通過した事で上高地のテントを仮住まいとする「渡辺画伯」の安否が気になりました。
 
 とにかく大きく立派とは言えテントですから、多くの画材や製作中の油絵は大丈夫かと思いましたが、夜には心配した主から「おーい、手紙ありがとう」との電話がかかってきました。
 
 さて、手紙についてですが、日曜日に一緒に撮影した写真を同封した手紙を、月曜日の夕方に投函したわけですが、早くも本日水曜日に上高地まで配達された事にもびっくりするとともに、何よりも住所番地もない「上高地のテント」に配達された事にびっくりです。
 
 郵便番号と、長野県松本市上高地と記し、「河童橋近くで油絵を描かれている人・ビジターセンター近くのテントにおられる画伯」と説明書きを付け、渡辺○○様と記した手紙が見事に届けられたのでした。
 
 この手紙については、私の遊び心で渡辺氏と約束した差出しで、かつて津島市の大鹿一八様だけでも到着した手紙があった事から、届く可能性を信じて出したものの、問題は現地の郵便局まで手紙が配送されずに、「こんなのは問題外」と戻されてしまう事でした。
 
 上高地には住所に番地がなく(住民がいません)、ホテルや山荘なら確実に手紙が届きますが、小梨平の野営場のテントの住人の名前まで把握されてはおらず、郵便局か民間の宅配便か迷いましたが、宅配便では受付で断られる可能性があり、上高地内に郵便局がある事から郵送としたものの…
 
 「こんなもの着く筈がない(笑)」
 「テントじゃー、届かないでしょう(笑)」
 「戻ってくるから判るでしょう」
 「近くの施設に電話して渡してもらう約束をしてからでは…」
 
 等々、市役所の職員の考えそうな結論は絶望的でしたが、民営化された郵便配達が、私の遊び心に見事応えて届けてくれた事と、上高地と津島市と離れていても渡辺氏と友人のような会話ができる現実に、心も台風一過の夜となりました。
                                 9月8日の一言
追伸
上高地へ行かれる人は、河童橋か小梨平で「渡辺画伯」と声をかけて下さい。「お茶でも飲むかね?」なんて言葉が返ったら、人との出会いの魅力にはまります。

極めて黒に近い国民感情が支持率に

 本日の報道では、小沢氏は「検察の1年以上の捜査で何も不正はない、実質的な犯罪がないと実証された。私自身も何もやましいことはない」と語った事が記されているが、国民のほとんどが確固たる証拠が無いだけで、極めて黒に近いと感じている事が判っておられないようだ。
 
強制起訴でも「離党も辞職もしない」 小沢氏明言 
やましいことはない・審査会は素人…小沢氏「闘争宣言」
 
 一方で、「一般の素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」として、検察審査会について制度のあり方についても否定的な発言をされているが、裁かれる立場にあっての発言だけに、こんな人に国のトップを預けたら心配だ。
 
「首相は菅氏」65%、小沢氏17% 朝日新聞世論調査
                http://www.asahi.com/special/minshudaihyo/TKY201009050306.html
 
 添付した新聞記事を見ただけで、国民の大多数が小沢氏に嫌悪感を抱き、菅首相の続投を望んでいるものの、民主党の国会議員の多数が小沢氏を担ぎ、同じ民主党の菅政権を批判する小沢氏の発言は、完全に野党の発言となっていることから最悪のシナリオを国民は見せられているのかもしれない。
 
 菅内閣をかつての自民党と同じ官僚任せとこき下ろし、国民の多くが期待もしない大風呂敷を広げ、沖縄の米軍基地を改めて県外にとの発言は、時局をより混迷させるように時計の針を逆回ししているとしか思えない。
 
 疑わしきは罰せずの言葉があるが、本当は犯罪人であっても、確実な事実関係や証拠が存在しない場合には、被告人に対して有利に判断するのが司法の常識であり、「疑わしきは被告人の利益に」と表現すれば、有罪と無罪は表裏一体とも思えてくる。
 
 今回の小沢氏の疑惑についても、証拠となる資料を破棄して、関係者がウソでツジツマを合わせれば、確固たる証拠は存在せず、「疑わしきは被告人の利益に」どころか、「有罪と思われるが、証拠がないから起訴できない」のが本音ではないか。
 
 どちらにしても、国民から期待されていない候補者が、新聞社の世論調査とは言え、65パーセントの高い支持を受ける菅首相に成り代わったとしたら、国民は何を期待すれば良いのか…
 
 こんな横暴な候補者が党首選とは言え、立候補して選出されれば国のトップに座ることになり、それを阻止できない国会と、そんな疑惑の人物を担ぐ民主党国会議員や、批判もできない自民党にも淋しさを覚えます。
                               9月7日の一言

深夜の孤独なハプニングに

 本日は市議会厚生病院委員会が開催され、私も委員会の一員のため出席していましたが、深夜に起こった突然のハプニングのために、一言も発言をしないままに2時間の委員会が終了してしまいました。
 
 さて、突然のハプニングとは何か? 判りますか?
 
 このままにした方がクイズとしては面白いとは思いますが、明日に先送りする事は明日まで引きずりますので、白状してしまいますが、夜中に食欲に負けて間食をしていたところ、突然「ガリッ」と音がして真ん中上の前歯が折れてしまいました。
 
 カガミを見た瞬間に、人相の悪い歯抜けの老人顔が映りましたので、本日は市役所にマスク持参で走りましたが、マスクをしていれば「どうしたんですか?」と問われ、風邪を心配され、「前歯が折れた」と話し始めます。
 
 「コケたんですか?」
 「いや、夜に食べていたら…」
 「何を食べて折れたんですか?」
 「トウモロコシ」
 「えっ? トウモロコシって、あのう?」
 
 前歯が一本ないだけですが、口のしまりがなく、意識過剰のために余計に歯が抜けた口が目立ち、マスクをはめたり外したりしながら、結局は口を閉じたまま委員会を終えましたが、議員が一言も発しない事も大きなダメージです。
 
 議会終了後に一目散に歯医者に走りましたが、8日が締め切りとなっていた愛知県への申請書類も、いつもは直接届けていますが、今回は「銀髪の歯抜け爺」のため、郵便局に走って郵送としました。
 
 昨年の12月議会の最終日前日の深夜に、突然起き上がった際に右ひざを痛め、足を引きずって委員長報告に登壇した苦い経験がありますが、今回は委員会当日に歯が折れ、それでも一般質問当日でなかった事が幸いと思う一日となりました。
 
 「大鹿さん、これをどうぞ」と差し出されたビニール袋に入れられた前歯を歯医者で渡され、無くなった奥歯や前歯によって、満足に物が噛めない現実と、これから年々減っていく歯を考えると大きな痛手となる一日となりました。
 
 一週間後に新しい差し歯が出来上がるとの事ですが、空白となった4本の奥歯と、前歯は4本が差し歯で…
 
 なんて考えると全部総入れ歯にしないと満足に歯が噛み合わせられず、毎年1本ペースで折れている事から、しばらくは食事にも気をつけないとなりませんが、かつて差し歯が取れて無意識に飲み込んでしまった事を思えば幸いでもありました。
                                  9月6日の一言

旅は新たな出会いの積み重ねか

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  本日は上高地の一日となり、午前5時(いつもより30分遅い)に私の居場所(写真左・梓川)に到着し、快晴で輝くような焼岳と、未だに朝日が差し込まぬ北アルプス穂高連邦を眺めてから河童橋まで戻りました。
 
 そんな頃には本日の旅人が団体で押し寄せて、風景と言うよりも人の流れを眺めるような雰囲気に一変しており、私は軽い朝食の後に仮眠に入り、家族は勝手に散策に出掛けていきました。
 
 さて、天候に恵まれ快晴とはなりましたが、北アルプスは雲一つない頂とはならず、写真撮影はあきらめて前日約束した渡辺(画伯)氏が住まいとしている小梨平のテントを訪れることとしました。
 
イメージ 3 氏は71歳となり、千葉県で自動車板金業を永年営み、仕事を子息に任せて「上高地」を住まいとされており、初対面の人には「ホームレスの絵描き」のようにも見えますが、4月から6月まで、そして現在は9月末か10月4日まで、1年に200日を上高地で暮らす「超人気者」にもなっています。
 
 「時間に縛られたくない」、「人を外見で評価しない」などと、私と合い通じる事から、年齢差を忘れた会話となっていますが、もう一度年内に会っておきたい人です。
 
 「できたら写真を撮ってくれませんか?」
 「…ちょっと…」
 「迷惑かね?」
 「そうではないけど…」
 「嫌なら嫌と言ってくれれば良いんだよ」
 「じゃー、申し訳ありませんが…」
 「でも、撮って欲しいんだ…ケドネ」
 
 昨日の夕方に河童橋の前に座る私に執拗に写真撮影を頼まれる方があり、気分的に関わりたくなく独りに浸っていたかった事から無視していましたが、あまりにも熱心で執拗だった事から、「じゃー、撮りましょうか」とベンチを立ち上がりました。
 
 「できれば3枚ねッ」と、撮影した3人分を依頼されましたが、「送付先を教えてもらわないと送れませんよ」と言うと、差し出された名刺には滋賀県の○○会会長との立派な肩書きが印刷されていました。
 
 旅の恥はかき捨てと言いますが、どんな人と出会うかは判らず、こんな顛末を話していると渡辺(画伯)氏も、訪れた人にはマスコミから高名な方まで存在しており、出会いの妙に意気投合していました。
 
 さて、我々は昼には上高地を出発しましたが、観光バスか殺到して渋滞しており、出て行く事も難しい半面で、大正池周辺まで並んだバスの乗客は、降りて歩かない事には上高地のシンボル「河童橋」まで行けないものの、車窓に映る高齢者にそれが可能かどうか…
 
 日曜日や祝祭日に観光バスの日帰り旅行で上高地入りは大変と実感するとともに、昨年から私はタクシーを所有する事から、自由に上高地に出入りできる贅沢を実感し、本日は同じくマイカー規制で自家用車の入れない「乗鞍スカイライン」にも足を延ばしました。
 
 上高地入りの最後の定番は、高山市(旧丹生川村)の琴水苑です。
 
 ここも十年来のお付き合いとなっており、私は創業時からの古い客だそうですが、帰りの車中で「どうしても魚釣りがしたい」と言う三男の希望で訪れたのが最初と家族に聞かされ、現在の炭火焼きが始まる前からと思うと、時間の経過の早さと同時に、お互いの年齢の積み重ねも実感する帰路となりました。
                                  9月5日の一言

本日は上高地へ

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 今年は9月議会が8月に開会したことから、休会中の本日から時期遅れの夏休みで上高地へ出かけました。
 
 本当の事を言えば、私一人で夜中に出発し、御嶽山の霊神場から行場(先達が修行する沢)まで登ってから、天の声を聞いた後に、上高地入りする予定でしたが、家族の「行きたい」の声も無視はできず家内と妹に母親まで一緒の旅立ちとなりました。

 御嶽山の霊神場には母親の親が先達であった事から石碑が残され、祖父の石碑に参拝した後に、薮原から沢渡経由で、さわんど温泉・梓湖畔の湯に入浴後の夕方になって上高地へ入りました。
 
 2枚目の写真は夕陽を浴びる大正池で、最後の写真は上高地で知り合った千葉の渡辺さんで、上高地では有名となった画家です。明日はお茶をご馳走になる約束となり、小梨平のテントに訪れる予定です。
                                   9月4日の一言

無記名のお礼の手紙を手にして

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 昨日の一言に、水田の水不足を解消するために、十数年ぶりに親父の形見となったポンプを持ち出して、川から水田に水を引いた顛末を記しましたが、それでも私が農業に汗を流す事が信じられない知人には、信じてもらえません。
 
 本日は議会終了後に市役所の雑用を済ませ、午後4時半から3時間にわたってひび割れた水田に水を放水(写真上)しましたが、夕日の沈む景色を久々に水田から眺めることとなりました。水田の水不足は深刻です。
 
 さて、本日の議会は一般質問で、私は最後の11番目の登壇となりましたが、通告してあった『世帯分離』に関する質問は、市役所にとっては都合の悪い質問にあたる事から、なかなか当方の質問そのものを認めたくないために、答弁も「ありえない仮定では答えられません」と返ってきません。
 
 1件目 津島市の世帯分離に対する対応と指針について
  要旨・世帯分離で節税とする各種の出版物が発行されている中で、津島市の現状と今後の対応について
 
 この質問は、津島市の世帯数について、津島市の公表する世帯数(21年10月・25,266世帯)が過去の国政調査による世帯数よりも約3千軒多い事から質問しましたが、その原因に考えられる事は、一世帯を二世帯に分離する事で、世帯によっては国保税や介護保険、年金の支払いが安くできる事にもあります。
 
 現実に、世帯分離する事で税金が安くなる活用術や裏技とする出版物も発行され、テレビの特集でも放映されている事から、虚偽の世帯分離は別として、合法的に行われる世帯分離については断る理由もなく、一部の人々だけが世帯分離で課税が安くなっている現実は、法の上での平等にはならない事から質問しました。
 
杉並区議会議員太田哲二レポート http://ota-tetuji.jp/report-19004.html
                      http://ota-tetuji.jp/report-200808.html
家計を守る「世帯分離」活用術
             http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4502599301.html
 
 脱税は犯罪となりますが、節税は違法な行為ではなく、世帯分離についても、世帯そのものに対する確固たる法令上の定義がない事から、同居家族であっても家計が別となっておれば別世帯と判断され、現実に世帯分離するかしないかによって課税額が違う事は今後の課題とも思われます。
 
世帯分離関係資料一覧 ←参考にしてください
 
 さて、世帯分離については、市役所の一般窓口で職員からの知恵によって行われており、恩恵は一部の住民にしか及ばない事から、世帯とか課税方法について、今一度の検討と新たな指針づくりは急務とも思います。
 
 質問されることだけでも行政に都合が悪い内容のため、「公平性の意味でも全市民に知らせるべき」との私の主張もトーンダウンは否めませんが、税金の申告でも節税は当然の世の中になっている事から、一世帯を二世帯に偽装する世帯分離は違法ですが、合法的な世帯分離による節税となれば住民を咎める事はできません。
 
 その他の私の一般質問は、
2件目 津島市の学校教育について
 要旨・障がいのある生徒の学籍と、学校施設のバリアフリーについて
    ・不登校問題について
    ・学校支援地域本部事業について
3件目 選挙時における市内投票所のあり方について
 要旨・高齢者や障がい者に配慮した投票所のバリアフリーについて
 
 津島市議会議員になった平成11年6月議会より、私は議会の一般質問に3件のテーマをノルマとして質問を続けてきました。
 「毎回3件もやったら、すぐに品切れとなる」と、私のノルマに否定的な助言をされた先輩議員もあり、当初は私自身もその可能性を心配しましたが、議員を専業としていればこんなノルマも当然で、質問することで新たな知識も加わります。
 
 三期目も残された任期は一年を切りました。「先生には大変ご苦労をおかけしました」と、無記名で届けられた手紙を手に、行政に背を向けても、市民目線の質問と、市民の代弁者として質問を続けてきた生甲斐を感ずる一日となりました。
                                 9月3日の一言

明日は雨が降る…そんな事を言われる仕事をしました

 本日は、津島市議会の一般質問が開催され、7名の議員が登壇しましたが、明日は残された4名が登壇して2日間の日程が終了し、来週からは各常任委員会が開催されます。私は明日の最後となる11番目の質問となりますが、この質問順位はどのようにして決めているのか判りますか。
 
 こんな問題を出して、「例えば顔の良い順番」などと、ふざけた例題を記していると『議会軽視』と不謹慎な指摘を受けますので、正解をそのまま記しますが、津島市議会では本会議前の議会運営委員会が終了した直後から、本会議が開会された翌日正午までに質問の通告を受付け、その提出順に質問順位となります。
 
 かつては通告締め切り後の昼休みに、正副議長立会いの下でくじ引きで順位が決められていましたが、数年前からは通告順になった事から、私は2日目の質問を指定席としているものの、2日目は質問内容を先に登壇した議員に先取りされる可能性もある事から、問題意識を持たないとできません。
 
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 さて、昨日の一言の最後に少し触れましたが、水田の水が入らないことから、稲穂が出かかった時期だけに水不足は深刻で、私が議員になってからは一切の農業行為はしないと宣言している事から、家内の苛立ちと怒りはエスカレートを続けています。
 
 そんな事から、私の父親の遺品となりますが、我家に残された水を汲み上げるポンプを探し出し、幸いにもエンジンがかかった事から夕暮れの出動となりました。
 
 ただし、父親が亡くなった平成5年頃から使った記憶が無いくらい動かしておりませんので、現地でエンジンはかけたものの、なかなか水を汲み上げないために、導水(呼び水)のための用具もない事から、車中のビニール袋に川の水をかき集めるなど、休眠期間が長い分だけ一苦労しましたが、少しは(日没のため30分)用水の水で水田が潤い、明日の一般質問終了後に再度の出動となります。
 
 しかし、水田の水の問題は理不尽な事が多く、女性の家内が訴えた程度では水は廻してもらえず、昨年はいつでも水が出るように蛇口を開けたままにして叱られたり、水が溢れるような他所の水田を見ながら無念の思いを募らせてきました。
 
 本日もポンプのエンジン音を聞いた隣村の人が早速見回りに走ってきましたが、私が陣取っていたことから雑談で帰られましたが、これが家内ならば一言でも嫌味か苦言を言われていた可能性があります。とにかく水田にとって水は命です。
 
 もっとも、農作業については草刈も何もしない私が、20年近く眠っていたポンプまで探し出し、議会終了後の夜に汗と泥水にまみれて作業したのには確実なる狙い(下心)があります。その下心は何でしょうか?
 
 ① 家内を助けて安心させたかった(夫婦愛)
 ② 良質の米を育てようと考えた(愛情米)
 ③ ○○に、○○○へ、○○うと考えている
 
 回答は勿論①ではなく、②でもなく、明らかに③ですが、その内容については決行までの秘密となりますが、結果はこのブログに掲載してしまう事から、内緒ではなくなりますが… さて…
                                  9月2日の一言

汗と涙の悲しい話ばかりが舞い込んで

 本日は午前3時より会報配布に出発し、やっと終わる頃には身体中が汗だらけでシャツがまとわりつき、頭髪から汗がしたたり、早くシャワーを浴びたいと帰宅すると、事務所の駐車場に知人の荷物を積んだトラックが止まっていました。
 
 突然住まいを追い出され、自分の意地でも昨晩中に部屋を明け渡したため、家財道具を知人で分散して一時預かりするために、我家では冷蔵庫と事務机を担当する事になりましたが、汗でびしょ濡れ状態だけに運ぶのは苦痛です。
 
 理不尽な展開を説明したい知人と、一刻も早くシャワーを浴びたい私は、大きな荷物だけ移動させて、風呂場に走りましたが、どうやら知人は昨晩に荷物を積み込んだまま車中で早朝を待っていた様子です。
 
 シャワーを済ませて私はさっぱりとした気分ですが、知人は疲れと暑さでぐったりとしており、珈琲屋さんまで急いで走った次第ですが、以前は午前6時から営業していたお店が7時開店に替わっており、深夜1時までの時間も短縮されていました。
 
 最近は私の地域周辺のお店の閉店が続き、空き店舗もそのままとなっていますが、営業時間の短縮が閉店に至る気配もあり、閉店となると大きな珈琲屋さんだけに地域のイメージが低下するのは免れません。
 
 さて、住まいを追われた知人ですが、奥さんに謝って自分の家に戻れば全てが解決するようにも思えますが、「それはできない」と意地もあるために、しばらくは定住できる住まい探しとなりますが、年金暮らしですから簡単とは思えません。
 
 我家では、水田の水が無い事から、稲の稲穂が出かかっている時期だけに水不足は深刻で、地域全体の水不足なら仕方がありませんが、他の水田はなみなみと水がある事から家内は鬼の形相で怒っています。
 
 当地域では、水田にはパイプラインの蛇口がありますが、いくらひねっても水は出てこなくて、このままでは我家だけが水不足となる事から、「こんな事なら料金は払えない」と怒っても、我家だけの問題で廻りの笑い声が聞こえてきそうです。
 
 昨年は蛇口から少しずつ水が出るようにしてあった事から、家内は町内の長老に大声で叱られていたようですが、この水田は川を挟んで隣の町内側にあるために、隣の町内に依頼しないと水も入らないのか、こうなると自分で川からポンプで水を引くしかありません。それでは水利組合に支払う料金も馬鹿らしくて払えません。
 
 怒り心頭の家内の車に乗せられて深夜の水田に向かいましたが、誰かが水の止水口を開けたようで、これでは水は流れ落ちてしまい、真っ暗の水田で家内が一人怒って止水口に土を覆いますが、こうなると人間は無力です。
 
 高齢者が増加し、農業の後継者もない事から、農協や行政が「集団営農」を目的として機会あるごとに説明会が開かれますが、一軒の水が無い事が他人事とされている現状を実体験すると、集団営農なんて馬鹿らしいと我家は応じられません。
 
 まさに農業は多勢に無勢の強いもの勝ちとなっており、一人の農家の流す涙は省みられません。こうなると近くの家に頼んで水道水でも入れたい心境ですが、願わくは天からの恵みで、この問題が解消しないと週末の上高地にも出発できません。
                                 9月1日の一言
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