大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2010年10月

悲しく辛い現実と反省の一日

乗用車が電柱に衝突、運転の男性ら2人死亡

 30日午後11時55分頃、愛知県津島市牛田町の県道で、乗用車が道路左脇の電柱に衝突した。
 
 乗用車を運転していた同県愛西市根高町、会社員梶浦哲也さん(27)と助手席の津島市葉苅町、会社員加藤弘高さん(26)が、出血性ショックのため間もなく死亡した。
 津島署の発表によると、梶浦さんは自宅へ一度帰宅した後、友人のところへ行くと外出したという。現場は緩やかな右カーブ。かなりのスピードが出ていたとみられ、同署は、曲がり切れずに電柱に衝突したとみている。
                                   (2010年10月31日09時13分  読売新聞)
 
 本日の早朝よりテレビニュースで地元の交通事故の報があり、我家の近くで起こった事故ゆえに場所が話題となっていましたが、起きてきた次男と年齢が同じ事から話しているとしばらくして2人とも息子の知人と判明しました。
 
 しかも、次男は昨日の午後4時頃に2人から誘いの電話を受けており、先約があった事から断ったとの話に、他人事ではない話となるばかりか、次男は2人の家に走っていきましたが、本日と明日は連続の通夜となりました。
 
 市内の知人は中学時代の同級生で、亡くなる前日までインターネットを利用して一緒にゲームをしていた仲間と聞くと、誘われて出かけていると息子も当事者になっていた可能性もあり、息子が出かけていれば2人は事故に遭わなかった可能性もあるから複雑な心境にさせられる一日となりました。
 
 息子にとっては身近な知人を一度に2人も失う事は初めての経験で、仲間でおこなっていたゲームも亡くなった同級生を中心にしていたことから、しばらくは悲しい日々をおくることとなり、私もご両親の心情を考えると心が凍る心境です。
 
 さて、本日はそんな心情のままに横井庄一記念館に出かけましたが、午後に来館した30代の女性の口から、「世の中何も良い事がない」とか「結婚もできない」など館長と国に対する不満を聞いているうちに、「頑張ればなんとでもなる」と会話に割り込んでしまいました。
 
 「我家は先祖代々小作で家も何も無い」との発言もあり、それでも頑張って家を建てて頑張っている人もあると話していると、「もう、いい」、「ウザッ、ウザッ、聞きたくない」、「来なければ良かった」と、玄関のドアをバターンとしめて走り去りました。
 
 女性の家庭環境は判りませんが、記念館で自分のグチを語り、社会に対する不信感を館長に語り続けており、私が余分な口を挟まなければ良かったと後悔しましたが、館長から今の若者と私には大きなギャップがあると言われ…
 
 横井庄一さんは、戦後28年間グアム島のジャングルの洞穴に潜んでいましたが、発見されて帰国後は国の補助は一切受けておらず、講演やテレビなどに出演して立派に自立して家も残しています。
 
 過去の来館者には記憶のない社会への不満とグチの連続に口を挟んでしまいましたが、来館者に不快感を与えてしまった事には反省するしかありません。私の方が「来なければ良かった」と思う一日となりました。
                              10月31日の一言

故人との約束を思い出し

イメージ 1
 本日の朝日新聞に私の住む津島市の旧神守村に残された「郷土研究」をもとに、「神守のむかしばなし」が発行されたとの記事がありました。
  
「生きるヒントある」津島・神守の伝説、創作民話に 朝日新聞10月30日
              http://mytown.asahi.com/areanews/aichi/NGY201010290025.html 
 
 この「郷土研究・神守村」は、昭和14年に発行されたもので、今から20年ほど前の話となりますが、神守町にある「養源寺」の先代住職(故人)が復刻され、当時ミニコミ誌で郷土史を紹介していた私にも「絶対に次に引き継いでもらいたい」と渡された冊子が残されています。
 
 本来はもっと多くの資料が存在し、ガリ版刷りではなく本格的な郷土史を目標にしていたらしいが、何らかの障壁が発生し、せっかく集めた資料を眠らせないために手作りで即興の発行となったようで、旧神守村の中でも神守学区と比較すると、蛭間学区と高台寺学区の資料は尾張名所図会などからの引用も多い。
 
 この冊子は貴重なもので、私の町内の古老が養源寺の住職に所望したところ、貴重な物だからと断られ、私に渡してあるから見せてもらうように言われ、貸し出してあった事もありますが、託された目的は果されておらず反省するばかりです。
 
 今回の「神守のむかしばなし」発行は、これまで旧津島地区(神守村は昭和30年に津島市と合併)の歴史ばかりが脚光を浴びていたことを考えると、合併後も余所者扱いだった旧神守地区の歴史の経過を感じさせられます。
 
 さて、旧神守村の資料については、合併後に散逸し、神守支所(旧村役場)の新築移転によって多くが破棄されたと聞きますが、この「郷土研究」が発行されて70年が経過しており、その後の歴史が記録されておらが、戦争中の米軍機の墜落事故や、伊勢湾台風、塩害を防ぐための「百間堀」など残すべき歴史が欠けています。
 
 私が議員になって12年近くが経過し、昭和48年当時に当地方では歴史の第一人者であった樋田豊先生と一緒に地域を廻った資料や写真を含め、ミニコミ誌のためにランカ堂写真の高橋さんに戴いた写真など、山積みとなった事務所の下敷きとなっています。私もこれからは人生の最終章を迎えており、過去の整理も必要と思う一日となりました。
                                    10月30日の一言

寒波で引きこもり状態です

 私のお気に入りとしているブログの中には、自身のホームページを開設されている方も多く、本日はその中からお薦めの5点を紹介(私の勝手ですが)させていただきます。
 
和久 料理・京都 http://www.ryourininn.com/waku.html  
月光山洗心庵 寺院・栃木  http://nisou.com/
浄性山清雲院 寺院・三重 http://seiunin.ddn-jp.com/ 
心の小箱 教会・香川 http://www.geocities.jp/meil4jp/index.html
100万本の桜プロジェクト 景観・愛知県  http://www.sakuraproject.net/
 
 さて突然の寒波到来のあとは大型台風の襲来となり、自然環境の変化に身体がついていかないのは、もう若くないためかどう判りませんが、動く事がストレスとなって人に誘われても引きこもり状態です。
 
 やるべき仕事が目前にありながら、自発的に動く気力も湧かず、このまま手をつけずに仕事が遅れる事が、今後の自分にとって大変な事態を招く事を自覚しながらも、身体が言う事をききません。
 
 自己分析ですが、急に寒くなった環境に身体が順応しないだけでなく、外出時の衣服も未だに夏の延長となっており、秋を通り越したような寒波に、夏、秋、冬の衣類が全部山積みされた状態となりました。こんな事も外出する気分を阻害しているのかも知れません。
 
 事務所も山積みなら、衣服も山積みで、仕事も山積みと何から手をつけて良いのか考える気力も湧きませんが、会報や来年2月の地域セミナーの準備など締め切りが迫り、税務署にも出向かないと払いすぎた税金は戻ってきません。
                                    10月29日の一言 

久々に鶴田浩二さんの映像を

 私の乗用車には鶴田浩二さんのテープが入っており(と言うよりも、鶴田さんのテープしか入れてありません)、日常の運転時は勿論ですが、遠出や旅行に運転するタクシー車両やマイクロバスの音楽も鶴田浩二リサイタルと化してしまいます。
 
 「我々の年代にはぴったりだ」の一言には救われますが、「いつも鶴田浩二だから…」との意味深の言葉には、久しぶりに鶴田さんの声を聞いて「感動されている」と勝手に解釈していますが…
 
 「お父さん、眠くなったの?」との一言は、助手席の家内の言葉で、運転中に私が眠気防止に使用する音楽のテープが入ったための確認で、私は長距離運転で眠気に襲われると菓子などの飲食の後に、鶴田浩二さんのテープが入ります。
 
 もっとも、鶴田浩二さんの音楽なら何でも良いと言う訳ではなく、テープの唄声によっては子守唄となってしまいますから、私が絶対に眠気を遮断する音楽は決まっており、これで居眠り運転をしたら運転の引退を意味する頃かもしれません。
 
 さて、私は鶴田さんのどんなテープを聞いて眠気防止に役立てているか判りますか? 昭和57年9月15日の記録で、これが判る人はかなりの鶴田通か大鹿通とも言えるでしょう(笑)
 
 今年の9月までは忙しく、長距離運転も上高地か京都くらいでしたが、先月からは四国まで足を延ばしており、来月も愛媛県西条市の先達研修会や2回目となる遍路は高知県高知市からスタートし、この距離は1回で1千7百キロに及びます。
 
 しかも、深夜の11時に自宅を出発し、僅かな仮眠はするものの現実には徹夜状態で午後5時まで巡拝し、一日目の宿まで走るのですから眠いのは当り前で、この状態でも眠気をシャットアウトするテープが存在します。
 
 そんなことから久しぶりにYouTubeを覗き、鶴田浩二さんの唄声と映像を探して聞き続ける一日ともなり、私のブログにも保存(下記に添付)しましたが、昭和62年に亡くなったにも関わらず多くのファンの存在が嬉しく思われます。
 
 
 日々の経過は早く、積み残してあった仕事の締め切りに追われる週末となりますが、そんな事情も忘れさせてしまう寒波が襲来し、外出して仕事に手をつける意欲すら忘れる凍れる一日となりました。
                               10月28日の一言

久々の鶴田浩二さんを

 
名もない男の詩   http://www.youtube.com/watch?v=df2PokRsRps
名もない男の詩   http://www.youtube.com/watch?v=etQJVE0lGqw
 
街のサンドイッチマン   http://www.youtube.com/watch?v=ZnHwgI9UJPw
赤と黑のブル-ス  http://www.youtube.com/watch?v=rEu--ON3MLk
  
同期の桜 ~ セリフ入り ~ http://www.youtube.com/watch?v=YybVe_-RXbk
 
 
 
美空ひばり‧鶴田浩二のツーショット
ドラマ「婦系図」湯島境內 http://www.youtube.com/watch?v=OA-lP8r3U7Q

紅葉の上高地へ日帰り旅行

イメージ 2 本日は上高地への日帰り旅行に出かけました。昨晩から朝にかけて飛騨地方に初雪が舞い、上高地周辺の山々も真っ白になっており、ジャンパーを着込んでも寒々としていましたが、午後には雲のない晴天となりました。
 
  感度の悪い私の携帯電話の写真では判りづらいものの、大正池から見える山肌は全体が真っ白になっており、昨日からの急な冷え込みが上高地にも初雪をもたらしたようです。
 
津島市(午前6時半)…尾西IC…ひるがのSA…荘川IC…飛騨清見IC…縦貫道・安房トンネル…釜トンネル…大正池ホテル前(20分散策)…上高地バスターミナル駐車場(午前10時半)…自由散策
 
 ちなみに10月の初雪は珍しいことではなく、11月の閉山前でも釜トンネル内が凍結するとチェーンを装着しないと上高地に入れないこともあるそうです。当地方の初雪の舞う日に訪れたのは二度目となりました。
 
イメージ 1 本日は8名で出かけており、5名が明神池まで歩き、2名が河童橋周辺の散策となりましたが、集合時間の午後2時まで余裕の散策となりました。朝の冷え込みと初雪の日ではあったものの、終日天候には恵まれ、最高の紅葉時期から今後は落葉を迎えていきます。
 
 私は小梨平にある私の指定席に座る一日となりましたが、背後のカラマツ林(写真右)は太陽の陽射しが差し込み、落葉する葉が黄色のシャワーのように輝き、このカラマツの落葉は上高地では一年中で一番木の香りを発散させており、この香りを吸い込むだけでも上高地に来たかいがあります。
 
 午前中から雲に覆われ寒々とした北アルプス穂高連峰も、我々が上高地を後にする午後2時頃には晴れ上がり、私はこのまま日没まで滞在したい気持ちですが、山の天候は変わりやすく、「最高の時に来れた」と感激する同行者の声とともに退散です。
 イメージ 3                                                                     バスターミナルは観光バスで満車となっていたものの、昨日までと比較すると少ないそうで、上高地にとっては紅葉の最盛期でありながら、駐車場に収まり観光バスの渋滞は見られませんでした。
 
 もっとも、上高地の紅葉はこれから落葉になっていくものの、上高地よりその周辺の平湯や乗鞍の紅葉の方が見事で、東海北陸道周辺の山並みの紅葉はこれからが最盛期に向かいますから、来月13日に予定する「最後の上高地」行きは途中の風景に期待したいと思います。
 
 さて、上高地を後にした我々は、途中で板蔵ラーメンで休憩の後、飛騨の名刹「千光寺」に立ち寄りました。ここでは拝観料も取らず、突然の訪問した我々のために「般若心経」の読経と解説をしていただきました。
 
飛騨千光寺のホームページ http://daien.senkouji.com/
 
 この千光寺は今から1600年前に開山され、約1200年前に真如親王(弘法大師の十大弟子の一人)が建立された古刹で、「円空仏の寺」として知られる高野山真言宗に属する密教寺院です。海抜900メートルの袈裟山には(四国)八十八ヶ所巡りもあり、国の天然記念物五本杉など立ち寄りたい名所です。
                                  10月27日の一言
追伸
上高地…板蔵ラーメン…千光寺…飛騨清見IC…荘川IC…関SA…尾西IC…津島市(午後7時半)

知らない若者が社長と言われて

 先週の四国遍路中に奄美大島では大変な水害に遭遇していましたが、幸いにも我々はカサを必要ともせぬままに巡拝を続けたものの、行き先の天候によっては旅は台無しになってしまいます。
 
 今年の秋は、毎週のように上高地へ出向き、時には3日間太陽が姿をみせない事もありましたが、明日に予定している上高地への日帰り旅行は、上高地が初めてという人もある事から天候が気になって仕方がありません。
 
 我々の住む津島市の天気は何とか晴れマークとなっており、上高地のある長野県松本市も曇りではあるものの雨マークがありませんが、岐阜県高山市は今夜に雨が降る予報となっており、微妙な天候となりそうで、私一人ならば一日順延したいところですが…
  
愛知県津島市の天気
長野県松本市の天気
岐阜県高山市の天気
 
 上高地は来月の15日が閉山となっており、釜トンネルが閉鎖されてしまう事から、私にとっては来月の13日の日帰り旅行が今年最後の上高地行きとなりますが、私の希望では閉鎖後の釜トンネルを歩いて、雪の上高地入りを果たしたいと思っています。
 
 もっとも、四国での先達研修会や仲間との遍路も残っており、会報発行や議会日程を考えると難しい現実ともなります。
 
 さて、今回一緒に巡拝しているTさんは、自動車整備や販売会社を主としながらも、全国に営業所を持ち、各種車両のレンタルを手広く展開されており、本日訪問すると自社の案内までされた事から、新車のマイクロバスを借りる事や、来春の選挙時の街宣車の打ち合わせまで話が進んでしまいました。
 
 一方で、本日訪れた市外の運送会社では、社長を呼んでもらったところ、予想もしない若い青年が出てきた事から、「社長って○○さん?」と問いなおす事となりましたが、私と同年であった社長は既に7年前に亡くなり、息子さんが社長になっていました。
 
 この運送会社は、創業した社長(今の社長の祖父)と私の父親が親しくしていた事から、学生時代の私が旅行の添乗員で浮ついた根性を変えるために半年間ゴミ収集車のアルバイトに通った会社です。
 
 久しぶりに出向いた先で聞いたまさかの訃報にびっくりとなりましたが、私の長男より若い社長になったものの、私が通った当時の社員や親族が残っており、当時は数台だった車両が30数台に増えていたのは救いでした。
 
 秋田県から単身名古屋にやってきて、名鉄百貨店のゴミを一手に引き受け、地元自治体のゴミ収集で事業を拡大した創業者(現在の社長の祖父)は働き者で、こちらも早く亡くなっておられ、私は父親と一緒に通夜に出向きました。
 
 こんな悲しみの繰り返しが続き、私は何一つ知らなかった事にもショックで、この運送会社の創業時に名鉄に勤務していた私の父親も深く関わっていた事から、一度に歴史が変わってしまったと愕然とさせられました。
 
 56歳になりながら、まだ父親の息子の気分で、創業者の息子が社長となっているはずの会社を訪れたのですから、身近に感じていた人々の存在がない事は会話にもなりません…
 
 前記したTさん(社長)もこの運送会社の社長を知っておられ、四国遍路中にも偶然の共有にびっくりして話していた事から、社長の訃報を聞いたTさんも「なにー、本当か…」と訃報を共有する一日ともなりました。
                                 10月26日の一言

旅は「出会いが魅力や」に

 今年に入ってから旅先や出かけた目的地で知り合った人との感動秘話(私の直感ですが…)に酔いしれています。
 
 土曜日の午後5時に四国遍路で出会った自転車の青年に話し掛けたところ、「前に何処かで出会っていません?」と問われ、「さあー?どうだったかなー」と記憶にありませんでしたが、「前にも同じ話を聞きました」と言われ、「何所でかなー?」と思い出せませんでしたが、感動の再会でもありました。
 
 今回の遍路で出会った広島市の小野さんから戴いた手書きの封筒と納め札を見て、今後は旅先で出会った気の合う人々に気軽に手渡す事ができる、堅苦しい名刺に変わる物(プロフィールを記したポケットティッシュなど)を考えていました。
 
 昨日のブログにも記しましたが、オートバイにテントや寝袋を積んで遍路中の福島市の鹿間さんから、70の年齢を感じさせぬ若々しい新鮮な風を覚えましたが、新聞紙面からは一年のほとんどを自転車で日本一周している79才の木原さんの記事を見つけました。
 
                      http://www.asahi.com/national/update/1022/OSK201010220175.html
 
 不景気で年金の少なさや行政への不満を聞く事がありますが、木原さんは旅をするようになってから人生観も変わり、将来への不安、世間への気負い、ストレスなどがなくなったと記されています。
 
 私の旅先で再会を待っていてくださる方は勿論ですが、偶然に出会った人との会話は新鮮で、「いろんな人との出会いがあるのが旅の魅力」との木原さんのコメントに共感させられます。
 
 高齢化社会の不安や問題点を議論する事も職務上多くありますが、健康維持のために年金の範囲内で自由に旅が楽しめれば、老人施設の待機者も減る事は確実で、「早く死にたい」とは思えなくなります。
 
 さて、昨日の早朝に四国から帰ったばかりですが、明後日には上高地に行く約束がしてあり、閉山が近づいているだけに、天気予報のカサマークが気になる一日となりそうです。
                                 10月25日の一言

四国遍路は出会いを実感し

 四国遍路8巡目 第1回目・夜行2泊3日(男3名女2名)
 
津島市20日23時発…弥冨IC…(東名阪自動車道)…御在所SA…(新名神高速道路)…(名神高速道路)…(中国自動車道)…(山陽自動車道)…三木JCT…淡路SA…(神戸淡路鳴門自動車道)…鳴門IC
 
10月21日(木)
 第1番 霊山寺(午前7時スタート)~2番-3番-4番-5番~別格1番大山寺~6番-7番-昼食・やまじゅう-第8番~9番-10番-11番~別格2番童学寺~12番焼山寺まで(午後5時)
 
10月22日(金)
 第13番大日寺(午前7時)~14番-15番-16番-17番-18番-19番ー                                     
 別格3番慈眼寺・穴禅定~昼食・コンビニ弁当-20番-21番-22番平等寺(午後5時)
 
10月23日(土)
 第23番薬王寺(午前7時)~24番-25番-26番-27番-28番-29番-30番善楽寺(午後5時)
 
高知IC(午後6時)…(高知自動車道)…(高松自動車道)…(瀬戸中央自動車道)…与島PA・夕食…(山陽自動車道)…三木SA…(中国自動車道)…(名神高速道路)…(新名神高速道路)…(東名阪自動車道)…御在所SA…弥冨IC…津島市(24日午前1時)
 
 私にとっては8回目の四国遍路となりますが、他のメンバーは初めてなので、今までのメンバーには細かい事まで言いませんでしたが、今回は19日に先達大会に参加していたことから、最低限必要と思われる備品と巡拝の作法や流れを説明して時間をかけて巡礼を進めてきました。
 
 今回も四国八十八ヶ所霊場別格二十霊場を一緒に巡拝し、同行者にはさい銭の入れ方や夕方のロウソクや線香まで手抜きのない指導に心がけていますが、そんな我々を横目に賽銭箱に乱暴に投げ銭をする人や、他の参拝者の迷惑を考えない姿が気になります。
 
 そんな中で知り合った四国霊場会公認先達で広島県の小野さん(小野大師会代表)は、高齢のお母さんを伴って遍路を続けておられ、17才となった愛犬も一緒に廻っておられた事から、まるで旧知の友のように語りながら遍路を続けられた事や、仕事を後継者に任せてオートバイに荷物を載せて巡拝されている福島市の鹿間さんなど、人に誇って紹介できる人柄を持った人々と会えた事が今回は特に印象として残りました。
 
 
 さて、納経所が開く朝7時から午後5時まで目一杯の参拝を続けていますが、時間配分が出来ない平成13年頃には、午後3時頃から最終に参拝する寺を計算して、それから宿泊場所を探していましたが、最近は時間配分の経験から午前中には宿に連絡を入れており、このことが思わぬハプニングにもなります。
 別格3番慈眼寺穴禅定(写真左)については、初めての高齢者にとっては身体に堪え、21番太龍寺は午後4時を過ぎることから、徒歩で挑戦する予定でしたが「ロープウェーの方が良いなぁ」の連呼となりました。
 
 ロープウェーは身体には楽ですが、2千400円と高いことと、行き帰りの待ち時間と乗車している時間は短縮ができず、搭乗してガイドに聞くとこのままでは予定する次の寺に間に合わない事から、私が全員の朱印帳を預かり、メンバーは本殿に参拝するだけとなり、次の平等寺には納経締め切りの5分前の到着となりました。私たちの会話を聞いていた北海道の青年も慌てて走り出し、我々の車の後を必死に平等寺にたどり着きました。
 
 物見遊山と観光気分で四国をスタンプラリーで廻った初期から、白衣や金剛杖など身だしなみと巡拝作法を厳格に守る巡礼とは雲泥の差がありますが、そのことが出会った人との会話にも発展し、遍路が新たな出会いの機会となっている事を実感する3日間となりました。
                                   10月24日の一言
追伸
本日は午前中は横井庄一記念館、午後は市役所で議会行事と現実の世界に戻りました。

四国遍路三日目







三十番まで巡礼し、来月に出直しです。
詳細は深夜に

四国遍路二日目









本日は第十三番大日寺から二十二番平等寺まで巡礼しました。
写真はバイクで巡礼中の茨城県の鹿間さん。バイクの一人旅はあこがれです。
太龍寺はロープウェイで
最後の平等寺のとなりには、コスモスが咲き誇っていました。

四国お遍路から







個人的な遍路は別として、グループでは今年初めての巡礼となり、五人のメンバーで四国をまわりはじめました。
本日は12番焼山寺まで廻り、名西旅館に宿泊です。
写真は熊谷寺と、私のお気に入りの昼食場所と、杉の巨木の奥にある最後の焼山寺です。

漫画の教育的効果に感心して

イメージ 1
 
 添付した漫画は週間漫画サンデー(火曜日発行・実業之日本社)に連載中の「Very坊主(ベリー ボンズ)」の主人公で、人一倍暴れん坊の少年が、余命いくばくもない僧侶(彼女の祖父)のために、お寺に入門して修行していくいる物語です。
 
 漫画とは言え、教え子の問題行動に「警察に通報してください」と言う、我が母校の中学教員よりは明らかに教育効果がありそうで、僧侶を目指す人ばかりでなく、我々にも人との接し方や生き方を訴える久々のヒット作と思います。
 
イメージ 2 漫画サンデーは添付した表紙にあるような、ヤクザの親分が下着会社に勤める「静かなるドン」や、一流料理人を目指す若者を主役とした作品など、漫画とは言え侮れない作品が多く、最近の漫画雑誌の中では「ビックコミック」などと並んで私が愛読する雑誌で、確実に大人向けにお奨めの雑誌と思います。
 
 とりわけ新しく連載が始まったベリーボンズは、最初こそ破天荒な若者の行動だけが描かれていましたが、老師の弟子の大所帯のお寺に入門し、先輩僧侶や指導者に反発しながらも、病に侵されている住職の後継者に認められるために我慢を重ねて修行していくという漫画の域を超えた作品です。
 
 Very坊主(ベリー ボンズ) 原作 桜小路むつみ 作画 市川智茂 
 
イメージ 3 さて、本日は市役所の仕事を終え、ボランティアの車に同乗して海南病院まで会員さんのご夫婦を出迎えに走りましたが、長寿社会となり高齢と思っていないうちに病気となり、病院にいく貴重な車も運転できなくなると、近くとも離れて生活する子息を頼る限界から、我々移送サービスを頼らざるを得なくなります。
 
 一方で、ボランティアとは言え、入会金をいただき、有償で移送サービスを行っている責任感から、突然の電話にもびっくりして連絡を取り合い、ボランティアの域を超えた会社のような対応が必要となってきました。
 
 先週末は上高地に滞在する私しか電話に出なかった事から、携帯電話の電波も届かぬ場所から、休日で出掛けているボランティアに必死で連絡しあった苦い経験から、私が不在でも連携して対応する体制を確認しました。ボランティアに漫画を読めとは言えませんが、漫画の主人公にあわせて精進に励みたいものです。
 
 明日からの3日間は四国遍路のスタートとなりますが、自身の無事故は勿論ですか、同行者5名の安全が私の肩に圧し掛かっており、初めての人ばかりゆえに四国八十八ヶ所巡礼の魅力と同時に、弘法大師(空海)のすばらしい教えを感じてもらいたいと思っています。しばらくは四国からの発信となります。
                                10月20日の一言

四国八十八ヶ所先達大会のため奈良市へ

 本日は得意な朝3時起床から、奈良市のJR奈良駅の前に建つ「なら100年会館」で開催される四国八十八ヶ所霊場会「全国先達大会」を目指しました。
 
 津島市(3時半)~弥富IC~亀山IC~山添IC~奈良100年会館(5時半)
 
 会館駐車場が午前6時まで開かないため、時間調整後に入館し、9時まで車中で仮眠し、受付開始の9時半に会館受付けに並びましたが、世間の規範となるべき先達にあるまじき、割り込みが堂々と行われます。
 
 午前中が先輩先達さんの慰霊法要と表彰式、午後が特別講演の後に解散です。
 
  さて、準備万端で出発した直後に携帯電話を忘れた事に気付きましたが、一日くらいは携帯電話の無い生活も必要と思い、そのまま走り続けましたが、久しぶりに利用した公衆電話も遠距離は料金が高く、持っていた十円玉は一気に無くなり通話も途切れました。
 
 また、最近は携帯電話が写りは悪いもののカメラの役割を担っている事から、本日は様子をお伝えすることができませんので、早速公開されていたブログを勝手に引用して様子をお知らせした次第です。
 
本日の大会を記したブログです。(勝手気ままな おっさんの一人歩き) 
             http://hakuji.blog.eonet.jp/default/2010/10/post-ed16.html
 
 特別講演の講師は名古屋市の僧侶で、真言宗豊山派特派布教長と布教研究所所長を務められる吉田敬岳僧正で、「生命を伝える事」を演題に、2時間半の講演でしたが、昼食直後の睡魔を見事な法話で払拭されました。
 
講師が理事長を務められる名古屋市の幼稚園
 
 久しぶりの奈良行きでしたが、四国や上高地を当り前に行き来している事から、余裕の帰路に感じ、奈良市から山添村、京都府南山城村経由で三重県の上野市まで走り、走りついでに大鹿一族発祥の地である鈴鹿市の「伊勢国分寺跡」や「長者(大鹿)屋敷跡」などにも立ち寄る帰宅となりました。
 
鈴鹿国分寺関係資料    http://red.ap.teacup.com/oshika18/18.html
 
 早朝よりそんな一日を送っていた事から、夜の書道会にも身が入らず、人々が散会して一人になって、やっと自分のやるべき仕事に手をつける夢幻のような一日となりました。明日の深夜には四国遍路(今年初めて)がスタートします。
                              10月19日の一言

何事も後の祭りとなって

 最近は機会があるたびに上高地へ出向いている事から、昨日に上高地に居たことすら当り前のように、旅の余韻を感じることもなく、早朝より普通の生活に戻りましたが、日頃の疲れのせいか奥歯が疼き歯医者さんに走りました。
 
 イメージ 1本日は近所の空き地に大型トラックが突っ込み、車体を道路に突き出したまま身動きが取れなくなり、警察官が交通整理にあたり、レッカー移動の車両が来たものの引き上げられず、新たにバスやトラック専門のレスキュー大型車両が到着しましたが、クレーンやワイヤーを使っても動かせず応援の大型レッカー車が来るのを待つ事となりました。(奥がトラック)
 
 この土地は数ヶ月前まで大手ラーメンチェーンが出店していましたが、不景気と不人気で閉店となり、店舗を解体するとともに、アスファルトを剥がして駐車場下に設置してあった大型浄化槽を撤去したために、更地になっているものの、見た目と違って軟弱で、普通乗用車も何台かはまり、JAFの救援が何度もあったとの話です。
 
イメージ 2 こんな時に地元なら簡単ですが、大型レッカー車を名古屋の運送会社に依頼していることから、我々遠目で見守る「野次馬」も進捗しないまま我慢の数時間となりましたが、さすがは大型レッカー車だけあって到着直後に大型トラックを楽々と吊り上げ、これを赤いレスキュー車両が引っぱり出して救出成功です。
 
 こんな大掛かりな救出劇が展開されるとは想像もできない運転手の行動は、県道主要道路の大渋滞を巻き起こし、警察官の誘導や、レスキュー、更に本格的な大型レスキュー車の出動でも打開できず、最後に大型レッカー車まで動員する展開となりました。
 
 これも他人の事ゆえに野次馬で済ませましたが、自分の身に置き換えて、予定通りに事を進行しないと次の仕事がマヒして、多くの人々に迷惑をかける事になります。今夜のうちに奈良市に到着し、しばしの仮眠後に研修会に参加し、夜に我家で開催されている書道会に間に合うように帰宅し、翌日の深夜には四国遍路行きとなります。他山の石とします。
                                10月18日の一言

もはや旅とは言えない上高地行きから

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 本日は上高地の一日となりました。昨日の夕方に家族とともに到着し、小梨平キャンプ場のケビンで一泊しましたが、温泉とか行き先を考える家族とは違って、毎週訪れている私にとっては、梓川沿いのベンチで物思いにふける一日となりました。
 
 添付した写真は昼頃の河童端ですが、観光バスも入れない状況下にも関わらず、多くの観光客で゜満杯となっており、上高地の名物となっている「渡辺画伯」が不在の北アルプスに多くのキャンパスが並んでいたした。
 
 私は今月の27日(水)と11月の13日(土)にも上高地を訪れる計画を立てていますが、紅葉に関しては明日から来週にかけてが最高と思われ、上高地を後に通過した大正池から眺める焼岳に未練を残しつつの岐路となりました。
 
 さて、帰宅した翌日となりますが、明日には19日に開催される四国八十八ヶ所霊場会主催の「全国先達大会」に参加するため、会場となる奈良市に出掛ける必要があり、日中に仕事を消化した後に出発となり、帰宅した翌日の深夜に新規に参加される人々と新たな四国遍路(2泊3日)への旅立ちが待っています。
 
 本日は日曜日のために3時間での帰宅とはならず、大渋滞の渦の中を帰宅した我々を、昨晩から心待ちにしていた愛犬のリマ(オス2才・ポメラリアン)とモモ(メス8才・雑種)が悲鳴をあげて待ち受けており、どちらの名前を先に呼ぶか困ってしまいました。置いて行かれたリマ(私の相棒)は今も私の膝の横から離れません。
 
 予定では次々と旅の日程を予定していましたが、さすがに旅三昧とはいかず、月末から3日までの休日は仕事となりますが、ソフトバンクで貰ってきたデータ通信サービスのカタログを見ると、旅先でもパソコンを使って仕事ができるようにも思い、明日にでも出向きたいと反省も不足がちではありますが…
                                10月17日の一言
 
 

行事のハシゴから上高地へ

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本日は地元の小学校区のコミュニティーフェスティバルから午後には他の行事に参加した後に家族と上高地へ走りました。
写真はコミュニティーフェスティバルの様子ですが、上高地も早ければ絶好の天候でした。
明日まで滞在です。

大村衆院議員の知事挑戦実現を期待する

イメージ 1 本日は津島市総合計画審議会最後となる審議会が開催され、岩崎恭典会長(四日市大学教授)より審議会でまとめられた「第4次津島市総合計画案」が伊藤文郎津島市長に答申されました。
 
 この計画案は本年12月の市議会に提案され、審議され議決された後に製本される予定ですが、平成23年からの10年間の津島市の各種施策の基本となるもので、過去の計画倒れの反省から、目標値を設定し、必要に応じて計画を見直すなどの意見をつけて答申されました。
 
 さて、本日の朝日新聞夕刊一面記事には、愛知県にとっては重要となる、来年2月に予定される愛知県知事選挙の候補者として、自民党衆院議員の大村秀章氏の名前が報じられています。
 
 仕掛け人は名古屋市の河村たかし市長だが、これまで名前の挙がった候補者は県民に馴染みの無い人物ばかりで、出馬に意欲的であった石田民主党衆院議員(元犬山市長)の出馬も封じ込めた民主党は、「脱官僚」を掲げながら元官僚を候補者としており、今回の党派を超えた出馬要請を大いに歓迎したい。
 
 民主党は元総務省審議官で愛知県に出向していた御園慎一郎氏を推し、自民党に至っては民主党政権下で事業仕分けに関わった現総務省課長補佐の重徳和彦氏を推しており、みんなの党は衆議院選に落選した医師の薬師寺道代氏を擁立予定と報じられており、3者とも県知事として神田現知事を上回る人材とは思えず、私の個人的私見としては大村氏の決断に期待したい。
 
 今回の大村氏の擁立を河村市長のパフォーマンスのように評したコメンテーターもあるが、これまで名前が挙がった人物から地元に対する郷土愛が全く感じられず、行政能力や経験だけなら学者が適任とも思われる。
 
 引退を表明しているが、宮崎県の東国原知事には行政経験どころか政治経験も皆無であったが、郷土愛と行動力によって、宮崎県の地域振興に貢献するとともに県民から圧倒的支持を得ていた。
 
 そもそもが、政党の支持が無ければ立候補を決断しない候補者に期待はできないし、名前が挙がっていた3者には仕事を投げ打ってでも県知事に挑戦する気持ちもない事から、河村氏の狙いは別として、大村氏の県知事挑戦によって地方から政治改革を果たしてもらいたいものである。
                                 10月15日の一言

リニア新幹線への乗車を目標に

 昨日から本日にかけては、日本の裏側チリの鉱山落盤事故で地下に閉じ込められていた33人が全員無事に救出され、アメリカの月面着陸成功時のようなニュースが世界中に発信された。
 
 落盤事故は8月5日に発生してから70日ぶりの救出となり、地下700メートルの位置で起こった事故から全員が救出されたが、救出された作業員の最高齢者が63才とあり、薬を常用する我が身に当てはめると、全員無事の救出は奇跡的に思われます。
 
 限られた食料の分配や、救出後のメンバーの公平な対応など、暗黒の地下で冷静な判断と行動が70日も持続した事は、自分本位の日本では考えられない美談だが、明日からの社会復帰には厳しい現実が待ち受けてもいます。
 
 さて、本日私が一番関心を持った記事は、リニア中央新幹線が、東京と名古屋を直線で結ばれるルートに決定し、計画どおりに進捗すれば2027年(17年後)に名古屋から東京まで40分で到着する事になります。
 
 17年後と考えると、健康であれば私は73才となっており、父親の亡くなった65才が脳裏から消えず、ガンや脳卒中などは勿論ですが、車での遠出が趣味となっている事から、無事にリニア新幹線に乗車できる事を目標にしたいと思います。
 
過去のリニア関連の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/37565782.html
 
 本日は議会の協議が終わった午後3時から、知人のTさんの協力で会報配布へと出ましたが、街角で出会った人と「県会議員」が話題となり、現職に対する不満と、民主党から出馬が予定される候補者にも不満を訴えられました。
 
 「大鹿さんはどうするの?」
 「私は現職しか話した事が無いから」
 「そうじゃなくて、出る気持ちは無いの?」
 「えっ、私ですか?」
 
 考えてみると、私には具体的な政治的目的よりも、自分の公約した目標への責任として会報を配布したり、ボランティアからスタートしたNPO法人の運営や、地域セミナーの開催など実務に追われて生活しており、日程をこなすのに精一杯です。
 
 「議員なら議長を目指すのは当り前」との発言も耳にした事がありますが、私の政治目標である「議会での市民の代弁者」を忠実に守れば、議長や副議長は議会の質問ができない事から、私には絶対に有り得ない話です。
 
 来年1月に開催が決まっている「写真展」や、2月の「人にやさしい街づくり地域セミナー」をはじめ、人生のテーマとしている「四国遍路」など、政治だけが私の人生とは思ってはおりません。それどころか、選挙の事前運動はしない事も公約としており、現状維持にも来年4月の選挙では尻に火がついています。しかし、久しぶりに新鮮な気持ちにはさせていただきました。
                                10月14日の一言

心癒される意外なお寺の存在に

 本日は成り行き上でしたが、書道の恩師が檀家総代を務めておられる旧美和町花正(現あま市)にある、浄土真宗の光照寺を訪れることとなり、住職(老祖)と息子(現?住職)さんに多大なるご接待を受けました。
 
 ここを訪れた理由は、叔父のお寺の説教所玄関に、「阿弥陀堂」の看板を恩師に依頼したことから、恩師の揮毫したお寺の本堂前に掲げられた書を「一度見てから…」となった次第でした。
 
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 恩師には母校の中学校の武道場が建設中であることから、武道場の入り口に掲げる看板「至誠館」と、武道場の正面に飾る「心・技・体」の書を木に揮毫するように依頼してあり、前々からこのお寺の書を見せたいと言われており、見れば無責任ではおられない事から固辞していましたが、難病で出歩く事もままならない叔父の依頼だけに、「行きたくない」とは言えずに同行した次第です。
 
 私は浄土真宗のお寺があまり好きではありません(我家は浄土宗)が、訪れた光照寺の本堂は10年程前に立て替えられていますが、隣接する住まい(庫裏)は、古刹の雰囲気が漂ういかにも質素倹約な佇まいで、お寺の歴史を伺うと元は天台宗の寺院との話でした。
 
 さて、叔父は難病である首の横縦靱帯骨骨化症に悩まされ、日常的な痛みと同時に歩くのもままならない状態で、若い頃は写真やアマチュア無線を趣味とする「生臭坊主(教員)」でしたが、昨年叔母を亡くした事から「早く死にたい」が口癖となり、叔母の京都への納骨と家の行く末だけが生きる望みのようにも感じます。
 
 そうやって考えると、我家の親族には跡継ぎの無い家も多く、主が不在になった先を真剣に考える必要に迫られる半面で、「おまえは4人も子供があるだろう」と言われても、情けないことに子供さえ説得できる力がありません。
 
 本日訪れた花正の光照寺の近く(隣)に、まるで四国遍路にでも訪れたような錯覚を受ける小さなお寺(観音堂・無人)が存在し、かつては浄土宗の尼寺だったとの話ですが、定年後に僧侶になる人が増えている半面で、深刻な後継者不足の解消には大きな難題が立ち構えていることを実感させられました。
                                 10月13日の一言

思いつき(実は用意周到)の上高地行きへ

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  本日午前8時12分、上高地・大正池に映る北アルプス穂高連邦です。
 
 日曜休日の高速道路1,000円の恩恵にありつくため、昨晩の夜11時に家を出発し、午前2時頃には平湯の安房トンネル前に到着し、車中で仮眠後の午前6時に釜トンネルから上高地大正池ホテル前に到着しました。
 
 ここに一日中居座ってカメラを構えるのも一考ですが、本日は次男も同行している事から、上高地バスターミナル駐車場に移動して、河童橋から小梨平、明神池へと足を運び、観光バスが続々と到着する午後には上高地を後にしました。
 
 我家から休憩なしで走れば3時間、休憩しても3時間半あれば到着する事から、天気予報と前日の星空を見てから出発するか、朝一番の気分で走っても十分に上高地を堪能できる時代になりました。
 
 私の学生時代には高山まで夜行列車に乗り、駅から新穂高まで登山者とタクシーを相乗りしたり、列車で松本から新島々経由のバスで上高地に入った頃とは大きな差を感じさせられます。
 
 もっとも、現代はマイカー規制がされており、上高地だけでなく乗鞍岳を走る乗鞍スカイラインもバスかタクシーしか走れないようになりましたが…
 私の学生時代からのこだわりの場所だけに、このこだわりが青ナンバーのタクシーまで購入して自由な上高地入りを果たしたのは間違いがありません。
 
 さて、9月の初めに小梨平キャンプ場を仮の住処とする千葉県の渡辺氏のテント宛てに手紙が届けられましたが、配達した郵便局の人を見つけ、当方の「遊び心」に応えていただいた御礼を伝えました。閉山まで1ヵ月となり、紅葉が落葉となり、鮮やかなカラーの世界から白黒となるのも間近です。
                               10月12日の一言
追伸
突然の上高地入りですが、家族の反発も強く、「来週は家族も一緒に連れて行く」約束で実現した上高地です。

先輩の主催する絵画展を訪問し

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 本日は見事な秋晴れの一日となり、昨晩に「上高地」に行くか行かないか迷った挙句に取りやめた事を後悔する朝となりましたが、午後になって高校時代の大先輩が仲間と開催されている「2人展」(日本画と洋画)な顔を出す事ができました。
 
 この先輩は現役を退いておられますが、一宮市を中心として教員をされていた方で、学生時代から現在に至るまで洋画を続けておられ、今年は年内に数ヶ所の個展や出展が続くとの話でした。
 
 妙香園画廊 名古屋市中区栄2-14-14
 
 あまりにも見事な秋晴れに「大失態」と思った上高地断念でしたが、この先輩は今年1月に私が開催した写真展を新聞紙面を見て津島市まで来ていただいた大恩があり、先輩の開催される個展への訪問を約束していただけに、個展が明日で終わる事から大切な約束を守れたことに安堵する夕方となりました。
 
 さて、どうやら明日の天気は最高とは思えませんが、今後も上高地行きの予定は立ててあるものの、紅葉の微妙な変化を我が庭として記憶するために、今晩にも出発し、明日の午後には予定した約束と夜の書道会があることから、午前中の散歩となりそうです。
 
 「昨晩に上高地に行っていたら来れませんでした」と話し、上高地で70日間もテント生活をおくって油絵を描いていた千葉県の渡辺氏との出会いや、旅先での知人との出会いに花を咲かせました。
 
 「ところで、上高地はそんなに簡単に行けちゃうの?」
 「高山市まで高速がつながったので3時間あれば…」
 「それでも、バスに乗り換えたり大変じゃないの?」
 「直接入っちゃうんですよ」
 「えっ? 車は入れないでしょう?」
 
 先輩には、私が個人でタクシーを所有している事が不思議そうでしたが、そんな説明をしている時間もなく、先輩の絵画に対する真剣な思想と、過去の絵画の流れに真剣に聞き入っていました。
 
 こんな本音を記すと私の写真展が台無しになってしまいますが、学生時代から絵画を一貫して続け、30年前の大きな作品から年代順に残されている話を聞くと、安易には展覧会はできない雰囲気となりますが…
                                  10月11日の一言

他人行儀の法要が終わり…

 本日は朝から曾祖母と祖父の五十回忌法要ですが、今年五十回忌を迎えるのは昭和36年に亡くなった人が対象となり、これからは平成5年に亡くなった私の父親以外は先祖代々となります。
 
 我家では久しぶりの法要となりましたが、集まる親族の顔ぶれがほとんど代わり、主人が夫人や子供に替わっており、その為か集まる時間が早く、「そろそろ始めようか」と言われても来るべき人の姿がありません。
 
 我家の一族では最長老となる叔父は浄土宗の僧侶ですが、昨年12月に叔母を亡くし、自身も難病である後縦靱帯骨化症により身体中が痛み、歩行も困難な事から毎回私が送迎しているものの、今回は放置したままでした。
 
 
 「身体が痛くて動けない…」
 「迎えに行きましょうか」
 「来てもらっても、動けるかどうか…」
 
 「一番来て欲しい人なのに…」(母親)
 「体調の良い時に来てもらったら」(住職)
 「迎えに行ってもらえないか」(母親)
 「あんたが行ったらどうするの」(住職)
 
 こんなやりとりで、叔父が不在のままで法要が始まり、途中休憩の後にまもなく読経が終わる頃になって、叔父が長女に支えられて玄関に到着し、私に両手を差し出し、仏壇の前に案内しました。
 
 カバンの中には煌びやかな法衣が入っていますが、着替える時間もなく衣だけの読経となったものの、自分の祖母と父親の五十回忌だけに、来てもらっただけでも幸いでしたが、話す間もなく我々は叔父を残して食事会場に向かいました。
 
 「ところで、あんたは何所の人?」
 「〇〇の家内です」
 「〇〇さんはどうしたの?」
 「亡くなったんだわッ」
 「フーン、亡くなったのか…」
 「ところで、お宅はどういう関係?」
 「ワシは▽△の…」
 「なにー、〇〇ちゃんの旦那さんかね」
 
 こんな調子で、お互いの家の存在は判っていても、伴侶の死によって初顔合わせも多く、かつての法要のような当り前の親戚関係とは違う、余所者の寄せ集めのような感覚の法要となりました。
 
 もっとも、次は我家の訃報で集まる可能性も高く、その時には本日集まった親族も健在とは言えず、親族の顔ぶれが大幅に変わっていく事が実感される一日となりました。唯一の救いは、長女の連れてきた子供(私の初孫)の元気な姿で、一族に一筋の光明のようにも感じられました。
                                10月10日の一言
追伸
夕方に覗いた叔父の家で、後継者のない家(寺)の将来について切実な会話となりましたが、「阿弥陀堂」の看板を玄関に付ける約束をして、なんとか笑顔での別れとなりました。

曾祖母の五十回忌を明日に控え

 明日は私の曾祖母(祖母の母)と祖父の50年の法要があり、親族が集まって供養するとともに、場所を代えて食事の後に散会の予定となっていますが、日頃から掃除もろくにしていないため、本日は一家総出(とは言えませんが)の大掃除です。
 
 曾祖母は昭和36年10月に亡くなっていますが、祖父は養子婿で昭和8年に妻(祖母)を交通事故で亡くし、しばらくして幼い子供達を置いたまま失踪したため、昭和36年8月に死亡するまで所在も判りませんでした。
 
 正確には判らないのではなく、会おうと思えば会えたそうですが、曾祖母は自分が死んだ後に私の父親が祖父を我家に連れてくる事が一番の心配事だったようで、私の父は会いたくても親に会えないまま、三重県川越町より死亡の連絡をもらいました。
 
 何の利害関係もない私だからこんな記述をしておれますが、曾祖母は60才を過ぎてから3人の幼子を残され、野菜や花の行商をして孫を育て、叔父は幼くしてお寺に小僧に出されたのですから、祖父は憎悪の対象でしかなかったようです。
 
 その祖父が亡くなった事を見届けるかのように曾祖母は2ヵ月後に亡くなっており、我家では祖父の話題も出ませんでしたが、祖父を知る人々の話では、酒好きではあったものの人一倍の働き者だったようです。
 
 祖父は昭和初期の限られた年月でしたが、家の前の小屋に「弘法様」を奉って加持祈祷をしており、「婦人病」に効力を発揮して、遠くから人力車で信者が参拝していたとの話です。
 
 もっとも、祖父を知る横井庄一(グアム島元日本兵・祖母の従姉妹)さんに言わせれば、「インチキ宗教」との話でしたが、見た事もない祖父だけに「弘法様」の因縁は判りませんが、四国遍路を生甲斐とする私には興味はつきません。
 
イメージ 1 さて、我家の仏壇に奉られている「弘法様」は、今年7月に佛師の手で修復してもらいましたが、過去に佛師による修復歴があり、曾祖母のまた従姉妹が町内の真言宗の先代住職だった事から、祖父の持ち込んだ仏像か、先祖伝来の仏像なのか出所が判りません。
 
 昭和初期までさかのぼり、祖母が交通事故に遭遇して亡くなる前の、曾祖母や祖父が一緒に生活していた時代まで年月を巻き直すことができれば、「弘法様」の由来だけでなく、我家の歴史も記録できるのでしょうが…
                                   10月9日の一言

外科医に歯を診てもらい

 本日の朝日新聞朝刊に「事故 防げなかったか」と題する記事が掲載され、先月に私の地元で起こった交通死亡事故に関連する記事が、写真だけでなく見取り図まで付けて大きく紹介されていました。↓↓
 
2010年10月08日 朝日新聞 『事故 防げなかったか』 
                                               http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001010080002
 
 この記事は、先月9月に私が記したブログを読んだ朝日新聞記者が、関係する各所に取材してまとめたもので、この記事を読んだ読者から私にも電話があったことから、私自身は自分本位に思いのままに記しておりますが、ブログによる効果も捨てたものではない時代になっている事も実感させられました。↓↓ 
 
2010年9月18日 私の一言 『地元の事故だけに後悔する事が』
                        http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44019211.html
 
 この記事によって状況が改善されれば幸いですが、多くの読者の目には触れたものの、具体的には一度で画期的な改善は難しく、私も予定通りに12月議会の質問項目には入れていますが、人の命に関わる事だけに今回の新聞報道を最大限生かす真剣な訴えを続けたいと思っています。
 
 さて、本日は久しぶりに出会った同級生と会話をしている時間が無い事から、知人の目的地である名古屋市まで高速道路を利用して送りながら、最近の仲間の動向など車中の情報交換としましたが、時間的には計算上成り立つ行動も、予定外の行動は午後のスケジュールの足かせとなり、夜に名古屋市で開かれた交通問題勉強会には疲労の蓄積から欠席となってしまいました。
 
 こんなときに限って天候も災いし、明日の一日はは雨と予想され、朝日旅行友の会の案内を配布する予定としていましたが、日延べは避けられず、決められた日程は変更ができない事から、仕事の遅れは致命的となります。
 
 これも先月から記してきましたが、歯の治療中にも関わらず、歯医者さんに歯の痛みを理解してもらえず、他の歯医医院にも行けない事から、本日はかかりつけ医としている外科の先生に歯を見てもらい、薬を処方してもらうという周りから見たら異常な診察を受けてきました。
 
 本来は歯科医が患者の痛みを解消するのが本当なんでしょうが、外科を専門とする医師が診ても歯肉が炎症を起こしていることが判るのに、何ゆえに「何も悪くない」と治療がされないのか不思議ですが…
 この顛末を聞いた知人や家族からは、笑われる対象とされました。
 
 そんな医療現場で、たまたま医院を訪問中の市役所の保健師さんと顔をあわせ、歯の治療については津島市の保健センターでも対応できると聞き、知っているつもりでも知らない制度の再確認も実感させられました。
                                  10月8日の一言

弁護士までが貧困ビジネスに

 財産管理を任されていた東京都内の女性(96)から不当に高額な報酬を受け取り、当初は6千万円以上あった預貯金のうち約4千万円を顧問料として受領し、入院費も支払えなくなったという弁護士による事件があった。
 
入院の高齢女性から弁護士が高額報酬 預金ほぼゼロに 
                       http://www.asahi.com/national/update/1005/TKY201010050393.html
 
 これは私の作り話ではなく、福祉に携わる責任ある立場の人物から聞いた真実であるが、この真実を発した人物の特定でもされれば迷惑な事から、私の独り言か作り話と思って読んでいただければ結構だが…
 
 最近では生活保護の申請に依頼人と訪れる弁護士があり、本来なら支給が厳しい事例の人に受給を指南し、受給が決まると毎月の生活保護費から弁護士費用を分割で受け取っている弁護士が存在するのです。
 
 本来は頑張って自立できていた人が、弁護士に相談する事で生活保護の受給者となっている例が増加し、この基準で総ての申請を認めれば国や地方財政は破綻しかねず、弁護士でない私がこの指南を代行して手数料を取ると罰せられるのである。
 
 さて、最近は消費者金融で借金した人に、「借金を取り戻せる」とか「支払い過ぎていませんか」と、テレビや雑誌で宣伝する弁護士事務所や司法書士会の名前を日常的に目にします。
 
 これは消費者を守る法律に基づき、法定金利以上の支払額を取り戻せる「過払い金」の返還であるが、元々は銀行が相手をしてくれない人々が高金利を承知で消費者金融から借りた借金であり、その後の改正貸金業法により条件が変わったものの、本来はその時の契約に基づいて借りた借金を約束どおり返さない事と思うと、大手を振って「返せ」と言える立場とは思えません。
 
 大手消費者金融の武富士が経営破綻に陥っていますが、改正貸金業法が施行されるまではグレーゾーンとは言え、法律の範囲内で資金を用立てており、この借金によって一時的にも救われた人々も存在するはずが、借金を返し終わっていない人まで「過払い金」を求めている現実は正常には思えない。
 
 
 最近では貧困ビジネスが話題となる事も多く、本来はボランティアが支えてきた貧困層をメインのターゲットにして、短期的な利益を追求するビジネスが問題にもなっていますが、司法書士や弁護士にもそれらしい事例を耳にします。
 
 本来は全ての国民が平等であり、同じサービス提供や公的負担を負うべきですが、情報不足により免除されるべき負担を知らずに支払ったり、受けられるサービスを受けていない住民も多く、判っていても市役所は自主的に教えてはくれません。
 
 そんな知識を悪用する事例が後を絶たず、行政の窓口も善意の解釈で対応していますが、窓口を訪れるのは全員悪意を持った住民との疑いを持たないとならないほど、世の中の倫理観が低下しているのかもしれません。
                               10月7日の一言

中学生の非行現場に急行して

 地元の中学生が橋の下でタバコを吸っている現場に到着したのが午後5時頃の事で、異様なハンドルの自転車などが数台置かれ、125㏄のピンクのナンバーが引きちぎられたスクーターが1台堤防上に置いてありました。
 
 場所は津島市と愛西市を結ぶ狭い橋で、車がすれ違えない事から、もう一度引き返して自転車に張られたシールとカゴに置かれたヘルメットで学校名を確認し、私の母校である事を確認してから学校に連絡しました。
 
 もっとも、母校の校長は私の同級生である事から、校長の携帯電話に連絡したものの不通だった事(来客に応対中)から、学校に直接電話して事の次第を伝えるとともに、担当の教員(教務主任)に代わってもらいました。
 
 「お宅の生徒が数人タバコを吸っているが…」
 「そうですか」
 「自転車だけでなく、ナンバーの無い単車もある」
 「それなら警察に電話して下さい」
 「えっ?警察!?」
 「ナンバーの無い単車となると不法行為ですから」
 「それは判るけど、お宅の学校の生徒なんですよ」
 「場所は何所ですか?」
 「〇〇の△▽の橋の下だけど」
 「それなら、昨日も電話があって」
 
 5分程度の会話ですが、「今すぐ行きますから待っていて下さい」とか、詳しい場所でも聞かれる事を期待していましたが、全くそんな応対ではなく、あくまで警察への通報を主張する学校に、とても母校の生徒を通報はできず携帯電話で写真だけでもと現場に戻りましたが、生徒と目と目が合って…
 
 私を車に乗せて同行してくれた知人に、「もう一度戻って」と言うと、「戻ってどうするの?」と問われ、「しばらく様子を見る」と言うと、「直接乗り込むんじゃないのか」と言われましたが、中学生とは言え10人近い不良を相手に単身で乗り込む度胸はありません。
 
 「じゃー、あんたも付いてきてくれるか?」
 「…」
 「中学生でもナイフでも持っている可能性もあるだろ?
 「…」
 
 私が現場の中学生と直接対決するのを期待されても、橋の下で刺されたり、川に落とされる可能性もあり躊躇していると、「そんなら何にもならないから帰ろう」と知人は車を戻しはじめ、しばらくして現場にあった単車に2人乗りの少年が我々を追い越していきました。
 
 通報を受けて現場に走りながら、何の行動もできないままに現場の子供達が解散していく可能性に、警察には通報できなかったものの、教育委員会の教育課長に事の顛末を電話し、帰宅後に1人で現場に戻った時には誰もおらず、学校の関係者も来た様子がありません。
 
 母校であるだけでなく、同窓会長でもある事から、何とか現場で解決したいとの思いで学校に連絡したものの、その後に連絡が取れた校長からも、「(予想される生徒達が)どうしようもなく警察に相談している」との一言が聞かされました。
 
 その警察は「現場を押えない事には何ともできない」と言っているらしく、「ほんの一部の生徒だけなんだが…」と言われても、市民目線では過去と比較して「かなりひどい」と思われており、学校の泣き言を聞いても同情には限界があります。
 
 「じゃー、大鹿は現場で何をしたの?」
 「ナイフでも持っていたら危ないから何もできなかった」
 「そんな生徒ではないから」
 「我々では生徒の事は判らないから…」
 「判らないのにアレコレ言われても」
 「じゃー、何で警察に事を預けてるの?」
 「一部の生徒だけなんだけど…」
 「そんな事は過去も今も一緒だッ」
 
 他人のことに首を突っ込んでケガでもすれば堪りませんが、匿名とは言え厳しい通報を二度ももらい、現場で中学生の姿を確認しながら無力となった現実に、「お父さん、大声は出さないで…」と家族に釘を刺される夜となりました。
                                10月6日の一言
追伸
市民からの通報や、自分で現場を直視したことから、学校と『地域力』で解決に向けて協力すると話しましたが、生徒の卒業まで半年となった今、自分に何ができるか自問自答ともなります。

喫茶店ではありましたが…

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 本日はNPO法人のボランティアとして、福祉有償運送の送迎の役割を担った事から、朝から出動するとともに、午後からも昨晩遅くなって依頼のあった病院から一時帰宅される会員さんをメンバーと共に迎えに走りました。
 
 ただし、当初は退院と聞いていた事から、今後の送迎に関わるメンバーを同伴したものの、午後の診察後の退院である事から時間が確定しておらず、病院の近くの喫茶店で待機と決めたものの、不案内の他市の事だけに入った先は大音響の「カラオケ喫茶」でした。(弥富市役所前です)
 
 「入っても良いだろうか?」
 「しまったなァ」
 「コーヒーだけですが良いですか?」
 「うるさくても良ければどうぞ!」
 
 どうやらこの喫茶店は午前中は普通のコーヒー屋さんですが、午後はカラオケ喫茶となっており、雑誌を読んでいても大音響が気になり、治まっていた歯までうずきだす始末でしたが、久しぶりのカラオケ会場だった事と、私より高年の婦人たちが元気に唄う姿から、こんな時間の費やし方もあるかと参考になりました。
 
 さて、感心していても、こんな大声の喫茶店で電話を受けるのも不謹慎な話で、慌てて病院に駆けつけましたが、退院と聞いていたものの、手術前の一時帰宅との話で、金曜日の午後には再度病院に送る事となりました。
 
 私は議会が優先のため、本格的な移送ボランティアではなく、事務局が主な役目となっていますが、送迎の車中で病気の深刻な話や、医師とのやりとりを聞く機会となる事から、今までとは違う病院のあり方について大いに参考となっています。
 
 幸いにして会員の利用者の多くが現状維持か快方に向かっており、「元気になって利用が減った」とボランティアのボヤキが聞こえてきますが、高齢者や病気の人々の移送だけに病気ではなく元気で外出してもらう事は重要です。
                                 10月5日の一言
追伸
 「大鹿さん、今日はお休みだったかなァ」
 「申し訳ありません!今から走ります!!」
 疲れが蓄積し、夜の書道会前にパソコン前で居眠りし、恩師の電話で慌てて走る夜の不始末となりました。

知らぬ間に同級生が亡くなっており

 民主党小沢氏の政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑について、先月末に東京地検特捜部は改めて不起訴(嫌疑不十分)処分にし、特捜部の一連の捜査は終結したが、東京第五検察審査会は、小沢氏を政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で強制的に起訴すべきだとする「起訴議決」を決めた。
 
小沢氏、強制起訴へ 検察審査会2度目は「起訴議決」
                  http://www.asahi.com/national/update/1004/TKY201010040184.html?ref=reca
小沢氏を不起訴処分 07年の虚偽記載容疑、捜査終結
                  http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY201009300337.html
 
 第五審査会は1度目の審査で4月に「起訴相当」と議決したものの、東京地検特捜部が二度にわたって「不起訴」とした小沢氏を、第五審査会が2度目の審査で11人の審査員のうち8人以上が「強制起訴」に賛成したと報じられている。
 
 現実問題としては、東京地検特捜部が有罪とする決定的証拠が存在しない事から不起訴としている事から、今回の強制起訴によって市民の期待する明確な司法判断が出されるとは思えないが、11人の審査員のうち8人以上が強制起訴に賛成した現実を考えると、小沢氏を未だに総理候補と発言する国会議員は勿論だが、小沢氏も政治家としての責任を考えるべきではないか。
 
 日本の裁判では「疑わしきは罰せず」として、事件の状況や捜査から容疑者が犯人として有罪と思える場合でも、確実な証拠が示されない場合には容疑者に有利な判断が下されるが、今回の事件は意図的な証拠隠滅や仲間内の口裏合わせがあって当然と考えられ、政治家の疑惑については司法判断とは別に、市民への疑惑を完全に払拭できなければ自発的責任を負うべきと私は思います。
 
 さて、昨日の話となりますが、私の同級生は同じ町内に男子7名と女子が6名ありましたが、市内に嫁いでいた女性が亡くなっているとの話が伝わり、6名の女子のうち4名が亡くなっているとの話にびっくりです。(男は全員健在です)
 
 私の町内の同級生の間では、同級生の訃報には必ず集まって葬儀に参列する暗黙の決め事ができていましたが、地元を離れて嫁いでいることから、女子については突然に2人の死亡を聞かされる事となりました。
 
 そのうちの1人については、嫁ぎ先が津島市内にあり、選挙の際にも事務所に親とともに顔を出してくれていただけに、「死んだ」との報が信じられず、嫁ぎ先の町内の知人に連絡して確認までしましたが、今年の7月末に亡くなっていました。
 
 4名が亡くなったと記しましたが、そのうちの1名は実家に残った事から、私の選挙の際には自発的に電話番へ駆けつけてくれ、2度目の選挙の際には医師から死の宣告を受けた身でありながら、苦痛を隠して何事もないように事務所に来てくれていた事から、女性の強さと思いやりを実感するとともに、彼女の葬儀を一緒に見送っていた市内在住の同級生の死すら知らなかったことに議員として無力感でいっぱいです。
 
 長寿社会となり、長生きが当り前のように感じていましたが、町内から6名の女性の同級生のうち4名が50代にして亡くなっている現実は信じがたい話で、当分は死なないと思っている自分も判らないと思う一日と化しました。
                                  10月4日の一言 

ボランティアの狭間で

 本日は横井庄一記念館の一日でしたが、団体の予約が入っているだけでなく、私の説明役も指名されていたことから、朝からの記念館行きとなりましたが、私の地元の津島市では秋祭りが開催されている事から、本来なら地元が一番なんでしょうが、お祭りのため県道が通行止めのため、迂回して孤立無援の記念館に走りました。
 
 団体の予約は勿論ですが、私の指名も珍しい事で、出掛けやすい気候になったのか、本日は滋賀県や三重県松坂市など、遠方からの来館者も多く、閉館後の車中で初めて昼食を摂っていない事に気付き、久々に忙しい一日となりました。
 
 さて、前記したように地元の行事も予定通りに遂行されていく中で、市民の自主的な地域コミュニティー活動や市民参加の行事についても案内状が届けられて来ますが、この中で気になる事は、議員は来賓として参加する事が当り前と思われている人々の存在です。
 
 気になると言うのは、その行事の役割分担表の中に、都合の悪い私の名前が堂々と記されて印刷されていることで、朝から晩まで催される行事に一日中参加しないとその役割は果たせない事で、それぞれの議員の立場や環境は違うものの、他の行事と重なる日程やボランティアとして参加している行事がある事は考えられていない事です。
 
 もっとも選挙を来年に控えて、そういった行事に呼んでいただけるのは有難く思うべきなんでしょうが、日曜日の横井記念館についても、手弁当で無報酬のボランティアですから休んでも良いものの、83歳の館長(横井夫人)独りですから親族としてなるべくは休めません。
 
 「○△日は○○に行かないとならない」と言われる人があり、市役所の担当窓口に○○について問い合わせると、「その日は▲▽に行かないとダメでしょう」と言われ、「いや、○○に行くよ」と伝えたものの、午後にも議会日程が重なっており、そうなると横井記念館どころの話ではありません。
 
 議員活動のほかにボランティアやNPO法人の仕事も抱えており、自分の優先すべき仕事ははっきりとしていますが、ボランティアに確実に手足として身を投じておれば、他の団体の来賓に出掛ける余裕はなく、身勝手な批判や「欠席裁判」は辛いものを感じます。
 
 とんだ愚痴の一言になりましたが、何も考えずに一日が経過した事は珍しく、横井庄一記念館の存在価値(戦争平和とか自殺者の防止など)を来館者から訴えられる頼もしい日曜日でもありました。
                                   10月3日の一言

大喧嘩の家庭争議に発展し

 本日は隣の尼寺の秋の永代経が行われ、朝から受付役で昼過ぎまで座っていましたが、私が初めて受付に座った平成5年当時と比べると、参詣される人々の顔ぶれが随分と代替わりしたことに驚かされます。
 
 受付けには私を含めて3人で対応していますが、かつては親の年代ばかりで年長の婦人を頼りにしていましたが、最近では親の供養に代替わりした若い人々が増えた事から、「あの人は何処の人」と私に聞かれる事が多くなりました。
 
 田舎のことですから、「お宅は何処の人ですか?」と聞く事は大変失礼な雰囲気となり、知らぬままでは受け取った金額の記帳ができない事から、必死で台帳を探して何事もないように振る舞っていますが、私が議員だけに知っていて当然の雰囲気に緊張感も走ります。
 
 さて、旦那寺と違い尼寺ですから、浄土宗の檀家と親族の婦人だけで食事の準備をしていますが、全員が腰が曲がったり、足を引きずったりの高齢者ばかりで、(大変失礼な本音ですが)数年後には確実に鬼籍に入られると思われる人も多く、こちらの代替わりも急務です。
 
 こうなると若い者の負担が大きい事から敬遠され、高齢の夫婦だけの家は代替わりができない事から、代替わりできないお付き合いで、住職を筆頭に80前後の老婦人(失礼ですが…)だけの応対がいつまで続く事やら…
 
 受付役だけの私は午後1時半には開放されましたが、帰宅後は娘から孫と愛犬の不調から留守番役の電話があったことから、家内を巻き込んで家族争議と化し、私が気持ちよく出向かなかった事から夜まで混乱です。
 
 こんな雰囲気を払拭しようと、家内が家族と靴を買いに走った際に、私の革靴を買ってきた事から、火に油を注ぐ騒動に発展します。
 
 「お父さんの靴も買ってきてあげた」
 「買ってきたは良いけど、これは違うぞ!」
 「一緒だがね!」
 「違う!違う!!俺はクラリーノと決めてるから…」
 「せっかく買ってきたからこれにして!」
 「嫌だ!絶対に履かない!」
 「どっちも一緒だがね」(母親)
 「要らない。履かない。勝手に人の靴を買ってくるなッ!」
 
 まさに泥沼の展開となり、家内が交換しに走りましたが、靴だけは勝手に買ってこられても履けなく、過去にも埃を被った革靴が並んでいますが、クラリーノと言っても私は軽量の靴でないとダメで、幸いにも希望通りの靴に替わった事から騒動は鎮火したものの、今度は治まっていた歯の痛みが襲ってきました。
 
 「何でも一緒じゃないか」の長男の言葉も許し難く、危うく長靴の先のような革靴で納得さらせれそうな展開ですが、私の好みは偶然にも息子たちの卒業した高校(3人とも愛工大名電)の革靴と一緒な事から、「こんなのは高校生の履く靴じゃないか」と言われたい放題です。
 
 幸いにも、「靴だけは履き慣れた物じゃないとダメだ」の三男の一言が慰めとなりましたが、娘からの電話以降は、離縁して一人だけ家出したいような険悪な夕方となりました。明日は私を指名される団体が横井記念館を訪問される事から午前中の出勤(?)となります。
                                  10月2日の一言

自身は報酬に相応しい仕事をしているか

 本日の報道では名古屋市議会に対する解散を求める直接請求(リコール)の署名が、目標を上回る43万4千人を超えたとの報道があった。
 
                   http://www.asahi.com/politics/update/0930/NGY201009300004.html
 
 この数字はあくまでリコール運動を進めてきた河村市長の支援団体「ネットワーク河村市長」の発表した数字で、3日後の選挙管理委員会に提出された後に署名の審査が待っているものの、リコール成立に必要な36万5795人を大幅に上まっている事から可能性は高そうだ。
 
 何故にここまで固執して議会と対決するのか河村市長の真意は測りかねるが、議会側もたった一人の河村市長と対決しているつもりが、その背後にある市民の存在と、多数の議員の存在そのものについて自問自答してみたい。
 
 私が議員になってから11年と半年が経過しているが、津島市も議員定数が25人から20人(来年4月の総選挙から)に削減され、議員報酬と政務調査費も減額が続いただけでなく、老後の支えとなる議員年金も廃止との議論がすすんでいる。
 
 今回のリコール問題は名古屋市だけの問題ではなく、私も削減続きと報酬の減額を嘆く前に、現在の報酬が自分自身に相応しいか、自身の仕事と重ね合わせて考える機会としたいと思っています。
 
 さて、夏休みが取れなかった反動から、上高地と四国遍路を次々と空白の手帳に書き入れましたが、深夜や明け方に帰る四国遍路の翌日や、愛媛県で夕方まで開催される先達研修会の翌朝に議会日程があるなど、自らの運転だけに苦行の秋ともなりそうです。
 
 昨日の一言に、痛む歯について書き入れましたが、柔道整復師の専門学校に通う三男の施術と痛み止めにより、偶然でしょうが一時的に歯の痛みが消え、このまま睡眠後の明日に継続することを祈りたいと思います。
                                  10月1日の一言
追伸
明日は隣のお寺の永代経の受付役で、明後日は横井庄一記念館の説明役が続き、来週からは連日の特別委員会と雑用が続きます。
ギャラリー
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