大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2010年11月

12月議会における私の一般質問

12月議会の一般質問
 今議会の一般質問は12名で、私は10番目の登壇です。一般質問は12月6日(月)と7日(火)に開催され、10番目の私は7日の午前中の登壇となりそうですが、市民の声を代弁する質問を通告しました。
 
私が今議会に通告した質問内容
 
1件目 津島市の交通安全対策について
 要旨 ・新日光橋東にあるトンネル通路の閉鎖について
     ・県道甚目寺佐織線の交差点について
 
2件目 市役所の窓口対応について
 要旨 ・市民の説明ミスや説明不足について
     (説明間違いによって保険料が高額となった市民の事例から)
 
3件目 津島市の水道の官民連携の報道に関連して
 要旨 ・勉強会の内容と今後について
 
 さて、財政難と不景気風によって、議員は勿論ですが、市役所職員についても、高度成長時代を知る人々には信じられないような、報酬削減と定員管理の中で、先進地の行政を直接目にする機会もなく、夢のある話を語る機会も少なく、我々議員が先進地で視察した内容についても夢物語とされるような雰囲気があります。
 
 今議会には、来年度から10年間にわたる津島市の将来像を示す、「第4次津島市総合計画」(案)が上程されていますが、過去の達成もできない夢物語の計画とは違った現実版になっています。
 
 世間の厳しい行政に対する視線の中で、職員を先進地に派遣しても、「慰安旅行」と混同される可能性もあり、声を大にしては叫べませんが、職員が視察に同行した事が、津島市図書館の月曜開館(年中無休体制)になった事も見逃せません。
 
 かつてのように、市役所職員がコーヒー屋行きを慣例化したような悪例は別として、時間的余裕を与えて、全国の先進地へ派遣して、先進地事例を津島市で展開するような余裕も必要と思うこの頃です。
 
 議員の任期も今議会と3月議会を残して、来年4月には統一地方選挙となります。議会やボランティアでいくら頑張っても、選挙に落選となれば発言の機会もなくなり、私は4期目となりますが、新人のような積極的選挙運動ができないと思う事自体に、自分の限界を作っているとの指摘は判ってはいるものの…
                               11月30日の一言

久々の愛犬リマの登場です

 「最近犬の話題が出ないねー」と言われ、私自身も気がつきませんでしたが、昨年12月に3ヶ月の約束で預かった愛犬リマも、我家の一員となってまもなく一年が経過します。預かってから別れとなる3ヵ月目が近づく頃は、このブログも愛犬リマ一色で、携帯電話の待ち受け画面もリマだった事が懐かしく思われます。
 
イメージ 1
 幸いにして、リマは私の相棒として、今も事務所で私の横に座っていますが、当初はコタツで一緒に寝ていたのが最近はゲージの中に入れられ、夕食時も私の横に座ると一緒に食べる癖が出るので、家族から私と一緒に叱られて、ゲージに入れられ、深夜になって私と2人だけにならないと私と相棒が自由奔放に行動することは許されず、深夜真っ暗な家の周りを散歩しているのは内緒です。(私が何度も散歩に連れ出していると判ると、家内に連れていってもらえません)
 写真は本日の真っ赤な夕陽を浴びるリマです。
 
 リマとの初対面は、昨年の12月議会で一般質問の前日であったことを、添付した過去の一言で再認識すると、本日から市議会の本会議が始まり、今週末に叔母の一周忌があり、来週は一般質問を迎える事など、まるで一年間が前日の事のように重なってしまいます。
   
知人の愛犬の訃報が伝えられ 8月19日  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43870871.html
私と相棒の9ヵ月の記録  
 
 さて、一年も経過すると我家の主君のように君臨し、我家で8年前から飼われているモモが私に呼びかけると、「ダメだ!」とでも言うように吠えて威嚇し続け、自分が我家では一番小さい事も、新参者である事も判っていないようです。
 
 はじめは居候の立場が判っていたのか、誰に抱かれても文句も言いませんでしたが、最近では家族以外には吠え続け、夜になるとゲージに入れられる事から、家内が抱こうとしても暴れます。こんな時でも、私には素直ですから、リマが何か粗相でもするものなら、「お父さんが甘いから…」と批判の的は私になります。
 
 最近はブログの一言から姿を消しており、今年の1月から3月頃に訪問されていた方々にとっては、愛犬を主体にしたブログのイメージがあったのかも知れませんが、3ヵ月後に元の飼い主のもとに帰ってしまっていたら…
 
 当時は出かける時には必ず愛車の助手席に座っていたリマが、愛車がNPO法人の移送サービスに使われる事から乗せられず、私の生活習慣にも大きな違いができた事と、ブログのイメージが大きく変わっていた事も実感させられました。
                              11月29日の一言

心定まらず、議会が迫りつつ…

 我家は昨日から庭師さんが2人来ているので、午前中の休憩だけでも珈琲屋まで一緒に行くように言われ、帰宅すると「何時まで休憩してきたの」と言われ、私の長話で休憩が長いと言われてから横井庄一記念館に走りました。
 
 暖かい夏から冬のような天候になっており、記念館を訪れる人が少ないと館長が私のために暖房を入れてくれているようで、寒さを堪えて「大丈夫」と言ってはいますが、寒風が身にしみります。
 
 幸いにして本日はウォーキング中の皆さんが多く訪れていただき、何度も来ている人が自発的に案内役となり、最近グアム島に行ったと言う若者が訪れて、横井庄一さん抜きにして会話に花が咲きます。
 
 さて、明日から津島市議会の本会議が開会し、来週には一般質問が始まりますが、質問する内容は決まっているものの、質問する見出しが決まらず、本日の記念館でゆっくりと考える予定でしたが、午前中はテレビが流されており、午後は来客によりまとまらないままに帰宅となりました。
 
 一般質問の通告は、明日の本会議の翌日の正午までに提出すれば良いのですが、9月議会中から決めてある質問と、市民の方が市役所の間違った説明で損害を被った案件など、質問内容は決まっているものの、提出する「題名」が定まらないままに明日の本会議を迎えます。
 
 議員になって12年目になっていますが、題名を決められない事は初めての経験で、内容が決まっていても質問する題名が定まらないと、通告して行政に説明するのにも苦労する事は確実で、こんな気持で眠れぬ夜を迎えています。大変な一日になりそうですが、時間は刻々と迫り、心中穏やかではない時間となりそうです。
                                  11月28日の一言

津島市と善通寺市の固さ比べです

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 添付した写真は、私の住む津島市の名物である「あかだ」と「くつわ(写真右)」で、「あかだ」については『弘法大師が悪疫退散を祈願した際,お供えしたお米のお下がりで作ったのが始まりとされていて,仏教の「阿伽陀(不老不死の薬の意)」という意味がある』と紹介されているが、両方ともひじょうに固く、「歯に注意して下さい」と伝えないと歯が折れてしまう代物である。
 
 弘法大師による由来については、弘法大師が津島市に立ち寄った史実が残されていない(言い切る事はできませんが)事から、あかだがどのように伝わってできたのかは判りませんが、固さでは間違いなく全国有数の菓子と言えます。
 
弘法大師空海の年表 http://kobodaishi.xrea.jp/nenpyo.html
 
イメージ 2 偶然ではありますが、弘法大師の生まれた善通寺の御影堂と本堂の間にある道路にも、津島市の「あかだ」に負けない固さを誇る「堅パン」を販売する店があり、地元では知らぬ者がないと聞かされ、一度訪問したいと考えていました。
 
 ただし、先を急ぐ四国遍路では「堅パン」を探す余裕もなく、何度となく素通りしていましたが、書道会の慰安旅行で善通寺に宿泊し、翌日も半日滞在したことから「堅パン」を売っている熊岡菓子店を訪れ、私でも食べられそうなパンを買ってきました。
 
堅パン / 四国 善通寺 熊岡菓子店 http://nojee.livedoor.biz/archives/54805387.html 
 
 さて、津島市の「あかだ」と「くつわ」は、地元の名産品として土産物に持参すると珍しく思ってもらえますが、日常的に食べる菓子ではなく、今回訪れた熊岡菓子店の「堅パン」は石のように固いものの、創業当時は「兵隊パン」と呼ばれ、軍事食糧として考案されたようですが、保存がきき砂糖や生姜がまぶしてある事から土産よりもオヤツとしてお薦めの一品となります。
 
 四国には「瓦せんべい」や、善通寺にも「大師せんべい」など、柔らかくて美味しい菓子も沢山ありますが、今では珍しく懐かしい熊岡菓子店の紙袋に一枚ずつ入れてもらった「堅パン」も魅力の一品です。我家では、今晩「あかだ」と「堅パン」を家族で食しました。
                                   11月27日の一言

河村氏の姿に織田信長を重ねて

 最近「フゥー」とため息をつく事が多く、仕事にも今一つ気力が沸かない無気力な生活が続き、過去からの宿題を消化する締め切りに追われ、23日の奈良行きの寒風に吹かれた後遺症で風邪が余計に無気力を増幅させている。
 
 本日の新聞各紙が報じる名古屋市の河村市長の辞職と再出馬の記事を読んで、手法の善し悪しは別として、同じ一人の人間として私にはあれだけのパワーは存在しない事と、人間として信念の曖昧さを自覚さぜられます。
 
 今回のリコール不成立については、選挙管理委員会の審査に問題を感じるものの、不成立の責任をとって辞任する河村市長の行動にも名古屋市民の存在が忘れられた、独善的な政治の私物化を感じずにはおれない。
 
 しかし、自分の掲げた市民税の減額や、市議会議員の報酬削減など、主張した志を断行するために、過去の人間関係も封印し、市民の支えとは言え、孤立無援の中で次々と行動するパワーは国のトップにある菅首相よりも間違いなく強い。
 
 人間には体調不良の日もあるだろうし、感傷に浸りたい日も存在すると思われるが、河村市長の行動や新聞に連載される「河村語録」からは、そんな弱みは微塵も感じさせられてこない。
 
 最近訪問したブログに織田信長が尾張地方を統一していく内容のものがあり、圧倒的に不利な状況下から信長が勢力を拡大していく様子が記されていますが、イメージと手法は違うものの河村市長の行動が重なってきます。
 
MIN​AMO​TOのブログ・信長とその家臣団 ~尾張統一~ http://blogs.yahoo.co.jp/inoko15di
 
 政治思想や政治の目的が私とは全く違うものの、唯我独尊で目標に一直線に進む河村氏の姿を目標に、無気力な自分の魂を鍛えなおす必要を感ずる一日となりました。その前に風邪を治す必要がありますが…
                                 11月26日の一言

政権にもアドバイザーを

 奈良に参拝客が押し寄せ、月に10人程度しか人が訪れなかったお寺に約2千人が殺到したとの記事が朝日新聞に紹介されています。
 
奈良、参拝ラッシュ 平城遷都1300年で特別開帳
                        http://www.asahi.com/national/update/1122/OSK201011220221.html
 
 平城遷都1300年が大々的に宣伝され、全国から観光客が訪れるとともに、各種団体も奈良で行事を企画しており、世界文化遺産となった吉野や高野山も休日は車が殺到して渋滞が続いています。
 
 私自身は、10月に四国八十八ヶ所霊場会の全国大会が開催され、JR奈良駅の前に建つ「なら100年会館」に出向き、2日前に平城京後に建つ朱雀門と大極殿から、薬師寺、春日大社を訪れました。
 
 新聞報道では、「参拝ラッシュ」と記されていますが、薬師寺を例にすれば駐車代金500円と拝観料800円を出して本尊に手を合わせる事は考えられず、参拝ではなく「観光ラッシュ」と呼ぶべきかもしれません。
 
 特に遷都1300年の目玉として秘宝や秘仏の特別開帳が相次いで観光客を集めているが、特別開帳を仕掛けたアドバイザーは「地域ごとにまとまって開帳できれば、今後も奈良ファンを増やしていける」と意気込んでいるようだが、秘宝や秘仏の開帳は一度しか通用しない。何度も訪れたいイメージへの転換が必要だ。
 
 さて、北朝鮮による韓国砲撃に驚かされているが、攻撃された韓国も北朝鮮を挑発する米国との軍事訓練を行なうなど、北朝鮮だけでなく周辺諸国も含めた微妙なバランスの上にあることが実感させられる。
 
 本日の国内では、北朝鮮の砲撃後の情報伝達と政府の危機管理が問題となり、自然災害などにも政府の素早い対応ができるか心配となりますが、奈良の例に学べば「政権のアドバイザー」が必要になっているのかもしれません。
                              11月25日の一言

結果は無視できないものの

 名古屋市議会の解散請求(リコール)運動で、名古屋市選挙管理委員会は支援団体が提出した46万5600人分の署名のうち、有効数は35万3791人分と、解散の是非を問う住民投票に必要な36万5795人分を下回ったと発表した。
 
 審査結果に対する異議申し立てが25日から来月1日まで受け付けられ、無効とされた署名が有効となる可能性もあるが、必要数には約1万2000人分足りず、住民投票の実施は困難と新聞各紙は報じている。
 
名古屋市リコール関連記事  http://www.jiji.com/jc/zc?k=201011/2010112400713&rel=y&g=soc
 
 河村市長の描くシナリオとは異なる結果になっているが、解散請求に必要な数に足りないとしても、限られた期間内に35万人を超える署名を集めた市民運動は無視できず、連携する大村衆議院議員の知事選出馬につなげてもらいたい。
 
 さて、本日の中日新聞の記事に、民主党から出馬予定の御園慎一郎氏は、「知事選に名古屋の名物市長さんが顔を出すようになってきたが、混乱は停滞をもたらすだけだ」とのコメントを出しているが、そもそも現職でもない立候補予定者が「名物市長さん」と話した事自体が河村氏だけでなく、市民運動を馬鹿にしているようで無視できない発言ではないか。
 
 本日は市議会全員協議会が開催されていましたが、控え室に置いたままの携帯電話(議会や委員会には携帯電話は持ち込めません)が鳴り続けていたようで、福祉有償運送にとっては私も貴重な戦力になっている事を自覚すると同時に、いざと言う時に役にたたない自分の情けなさと、私を必要としたメンバーの時間との戦いも実感させられました。
 
 来週からは12月議会も始まりますが、自分の事で精一杯で、関わるボランティア活動まで手が廻らぬ現実を実感させられるとともに、時間の配分と仕事の消化について情けないものの第三者の厳しい監督が必要と実感する一日となりました。
                              11月24日の一言

今年二度目の奈良行きとなり

イメージ 1イメージ 2           平城京大極殿
   (写真左)
 
 
 
 
薬師寺白鳳伽藍
    (写真右)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        本日は6名で奈良まで足を延ばし、遷都千三百年の会場となった平城京跡の朱雀門と大極殿から、薬師寺、春日大社を訪れました。
 
 今年最後となる(?)旅行会ですが、朝方まで雨が降り続け、天候は回復したものの激しい寒風が吹き続いた事から、喉の調子が今ひとつとなり、明日からの仕事に影響することは必死です。
 
 さて、紅葉が見事な奈良公園周辺は車の渋滞で身動きもできず、帰路も高速道路の渋滞情報によって、時間差と一般道を利用しての帰宅となりました。
 今年は春から夏にかけて時間が取れなかったことから、この3ヵ月間は上高地と四国の往復を続け、本日の旅がおそらく今年最後の遠出となりそうですが、さすがに身体を休める休日がなかった事から疲労は限界に達してきました。
                                 11月23日の一言

久しぶりの雨にポストが…

 最近は天候が安定しており、本日は久しぶりの雨となりましたが、我家のポスト(郵便)係りが私になっている事から、四国遍路に出ている時などはポストが満杯になっている事が多く、本日も溢れた郵便物がポストからはみ出して濡れています。
 
 問題は当然の事として、投函された郵便物を毎日取り出さない我家にあるものとは思いますが、大型のダイレクトメールによってポストの裏ブタが開いたり、乱暴に投函された事によるポスト外に散乱する郵便物は、郵便配達の配達方法に問題があり、中身によっては責任問題になるケースも考えられます。
 
 最近では近所のコミュニケーション不足により、回覧板が手渡しでなくポストに差し入れるケース(私もやります)もあり、はみ出した回覧板から雨が降り注ぎ、ポスト内がびしょ濡れの経験もあります。
 
 本日は、ポストに差し込まれた来年のカレンダーによってポストが水浸しとなっており、郵便物もプールから拾い上げたような状態で、差し入れた業者に連絡して現場を見せたい心境を堪えて開封した次第です。
 
 世の中が便利となり、公共料金をはじめ集金が口座振込みや自動振替になっているケースが多く、カレンダーも手渡しでなくポストにねじ込んだ状態で置かれるケースがあり、せっかくのサービスが無になるどころか、顧客に迷惑となっている事を経営者が知らないとしたら不幸な事でもあります。
 
 第一に、いくら丸めてあるとは言え、大型のカレンダーを普通のポストに入れる事には無理があり、丁寧にビニールに入れてあるものの、はみ出した部分から雨が進入して郵便物を濡らす事まで気が廻らないとしたら配慮が足りません。
 
 もっとも、こんなことはガスや競争に無関係となる業者にとっては無縁の話なんでしょうが、最近ではカレンダーでも経費削減とする世情の中で、台所にでも張り出してもらえれば一年間にわたって自社の名前が見てもらえる訳ですから、もっと大切に配布されるべきとも思われます。
 
 さて、久しぶりの雨によって寒波が余計に身にしみるように感じますが、「えっ、また行くの?」とびっくりされた方もあるものの、明日は奈良に向けて車を走らせます。
 
 11月23日は「朝日旅行友の会」が会員募集を始めた記念すべき日で、今から23年前の昭和63年のスタートから、一年の中で私が一番意識している日でもあります。天候が気になるところです。
                                11月23日の一言

心配が満足感となった四国行き

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真言宗善通寺派管長の樫原禅澄大僧正より頂いた「笑」の色紙です。
 
 善通寺の朝の勤行が終わり、朝食後の記念撮影に向かう道中の会話で、「何人で来ているの?」と樫原管長に問われ、「8人です」と答えると、「色紙が1枚しか用意してないから後で送るわ」と言われたものの、我々が本日開かれている「写経会」に参加していた事から、急遽したためて渡していただいた1枚です。
 
 「大鹿さん、管長さんから事務所に寄るように伝言がありました」
 「えっ、事務所ですか?」
 「渡す色紙が預けてあるそうです
 
 静寂な写経会場に受付の事務員さんから樫原管長の伝言が伝えられましたが、写経会に参加するために8人の書道会のメンバーと善通寺に宿泊していたものの、筆以外は何も持たずに訪れていた事から、写経用紙と硯と墨が必要と判り、恩師が怒って「ダメだ、帰ろう」と帰り支度となったものを、事務員さんのご厚意で硯と写経用紙を提供してもらって参加していた事から直接手にする事ができました。
 
 この樫原管長と事務員さんのご厚意を無にしないため、写経後には鳴門の渦潮見物に訪れる予定を取りやめて、御影堂で開かれていた弘法大師の命日の法要に参加し、管長の法話を朝に続いて二度聞く事となりました。
 
イメージ 2 私が樫原管長と初めて出会った当時も宗務総長の要職にあられましたが、善通寺法主(真言宗善通寺派管長)となられても気さくな性格は変わらず、親しみやすい「禅澄さん」のままで会話が交わせることに、遠方からもファンが駆けつける「禅澄法話」の魅力と説得力を実感させられます。
 
 短気は損気と言われますが、「写経ができない」と怒って帰ってしまっておれば、色紙は送ってもらう手間をかけることとなり、忙しい中でしたためていただいた管長のご厚意を無にしてしまうところでした。
 
 実は昨日も、行楽の車による渋滞と、別格3番慈眼寺の穴禅定で時間がかかり過ぎた事から、善通寺への到着が大幅に遅れて8時近くなり、宿坊の関係者の皆さんの仕事を遅らせて迷惑をかけましたが、誰一人として嫌な顔をされなかった事と、本日頂いた「笑」の色紙の妙に感心させられました。
 
 今回の四国行きについては、「あまりにも遠すぎる」と心配する声が書道会メンバーにもありましたが、昨日の穴禅定と、本日の写経会とあわせて、樫原管長の法話と会話により、「貴重な体験をした」と全員が満足する帰宅となりました。
                                11月21日の一言

書道会慰安旅行

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消灯後の善通寺宿坊の受付とロビー

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疲れた白衣と携帯仏具もお休みです

神守丈友会の慰安旅行で、またまた四国へ来ています。
西国三十三観音勝尾寺から、四国別格三番慈眼寺穴禅定。
宿泊は善通寺ですが、到着時刻は夜七時を廻り、夕食と風呂で消灯時刻になっていました。
明日は朝の勤行と写経の後、鳴門の渦潮見物の予定です。

法相の問題発言は問題だ

 「個別の案件についてはお答えを差し控えます」と、「法と証拠に基づいて適切にやってる」の2通りの言葉を覚えて、解からないことに答弁すれば簡単に法務大臣は務まるとした柳田法務大臣の発言が国会で問題となっている。
 
 そして現実に何回もこの方法で切り抜けてきたと発言し、この発言と国会での答弁内容がマスコミにも保存されて放送されている事から、言い逃れもできないばかりか、自民党は参議院に問責決議案を提出する方針であり、他の野党も賛成して可決される可能性が高いが、菅首相は問責決議案が可決されても柳田法相を続投させる意向と報じられている。
 
 明らかに大臣になってから誰かの指南を受けた発言と思われるが、同じような発言は地方議会にも共通するもので、的確な回答を答弁できない時や、年月を特定できない答弁には、「検討します」などの曖昧な答えが返ってきます。
 
 「それはいつ頃までか?」にも、「先ほど答弁したとおりです」とか、「検討してやる気はあるのか?」には、「とりあえず検討してから…」などと、具体的中身の伴わない答弁も多く、本当に真剣な答弁なら救われますが、柳田法相と同質の可能性も実感するだけに、国の最高決議機関だけに真摯な対応を求めたいものです。
 
 さて、不適切な発言は柳田法相だけでなく、仙谷官房長官をはじめ大臣にも連鎖して、国会での謝罪が続いているが、かつて失言によって自民党政権下でも大臣の辞任が続いたことの再現のような様相となっている。
 
 自衛隊を暴力装置と発言した仙谷官房長官の言葉も、これが本音としたら失言とは言えない事件で、言葉による謝罪だけで済むとは思えないが、民主党には発言による失態程度は責任をとる必要がないと思っているのか、責任をとって辞任をする事が他の事例に波及拡大する事を恐れているとしたら重大問題でもある。
 
 津島市議会も本日議会運営委員会が開催され、29日の本会議開会から年末まで12月議会が続きますが、過去に発言した言葉や、市民の皆さんと約束した案件や、このブログに記した内容を振り返ってみたいと思います。
                              11月19日の一言

四国八十八ヶ所と別格二十霊場

四国遍路2回目 22年11月15日から17日 参加者5名
 
第1日目
津島市14日23時発…弥冨…大津SA…龍野西SA…瀬戸中央大橋…南国SA…高知IC…竹林寺午前7時…
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 深夜11時から車を運転し、途中2ヵ所でトイレ休憩はあったものの、高知直前の南国サービスエリア到着直後一瞬にして睡魔に襲われ、約1時間の仮眠後イメージ 2に高知インターから竹林寺に到着しました。
 
 時期的に紅葉は最高になっており、竹林寺の五重の塔の朱は朝日に映えて(写真右)鮮やかに染まっていましたが、早朝の冷え込みは厳しく、温かい車中から飛び出したメンバーは写真を撮る余裕もなく、参拝後は早々の退散となりました。
 
イメージ 3 36番青龍寺(写真上)から別格5番大善寺まで、距離にして20キロ程度しかありませんが、カーナビは大回りして高速道路を利用する指示を出し、高速の無料化もある事からそのまま従ったところ、須崎市の出口の指示があいまいで行き過ぎ、戻ったものの今度は間違えて高速に乗ってしまい、土佐まで戻る大誤算に終わりました。
 
イメージ 4 この日の最後は、四万十川の川下りを予定に入れてあり、「日本一の清流」に参加者の期待は高いものの、私自身は過去の川下りで四万十川が綺麗と思ったことがなく、木曽三川の木曽川の水の方が綺麗と思っていましたが、夕陽に照らされた山々と、水の透明度の高さにびっくりとして感動させられる川下りとなりました。過去は大雨や台風後だった事から、水が濁ったりゴミが散乱していた事が原因で、四万十川が日本一とは思えませんが、有数の清流である事は間違いがないことを実感させられました。
 
第31番竹林寺…32番…33番…34番…35番…36番…別格5番…37番…四万十川下り…足摺岬(宿)
 
第2日目
イメージ 538番金剛福寺…39番…40番観自在寺…別格6番…41番…42番…43番…別格7番…別格8番十夜ケ橋…長珍屋(宿)
 
 宿が近いことから38番金剛福寺の参拝は一番乗りとなり、綺麗に清掃された中を清々しく参拝する一日のスタートとなりました。
 さて、この日もカーナビ頼りに運転していると、40番観自在寺を大幅に通り越していることに気付かず、慌てて逆戻りするハプニングとなりましたが、車中の会話がはずんでおり、間違えても気付かない失態はいつも携帯している「詳細地図」すら目にしていない気の緩みは否めません。(写真は別格7番金山・出石寺)
 
第3日目
第46番浄瑠璃寺…47番…別格9番…45番…44番…48番…49番…50番…51番…52番…53番…54番…55番南光坊…今治城…帰路へイメージ 7
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 宿が第46番浄瑠璃寺(写真左)の門前の長珍屋であった事から、この日も一番乗りの参拝となり、私の朝一番で燈したロウソクの光が不思議な輝きをした事から、携帯電話に収めましたが、収まった写真(写真右)も不思議な輝きに反応するかのように残されていました。
 
 最終日となったこの日は、順路こそ変則的となりましたが、順調に巡拝が進み、45番岩屋寺ではハシゴには登りませんでしたが、本堂の下に位置する「穴禅定」に進んだところ、洞内の奥は真っ暗で、手探りで進んでいったものの、奥行きが判らない事から最後の到着地点が判らず進むと、「ガターン」と左手が何かに触れ、慌てて右手を出したところ何かを倒した感覚があるものの、倒したものが何かが判らず、手探りで起そうとしたものの直せないままに退散です。(全く罰当たりです)
 
イメージ 8 今度は遅れてやってきたメンバーとロウソクを灯して進み、ロウソク台に灯して「般若心経」を唱えて罪滅ぼしとしましたが、心落ち着けて体験したい穴禅定でした。紅葉も最高(写真左)です。
 
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 さて、この日(17日)の最後は55番南光坊となりましたが、先週訪れた際に大師堂の落成式と晋山式が19日に行なわれるものの、17日の午前中に大師堂の引っ越しが終わっている事を聞いていた事から、真新しい大師堂への参拝(写真右)となりました。
 
 
一年ぶりの再会となった納経所のひら田さんと談笑後に先週訪れた今治城に出向きましたが、大手門を車で入城しイメージ 10て夕陽が沈む様子を城郭の上から今治の町を眺めて3日間の遍路を終えました。
 
 八十八ヶ所の55番までと、別格二十霊場の9番まで終わり、次回の段取りとなりますが、参加者は一刻も早い結願(満願)と高野山を希望されていると思うものの、冬季は雪や凍結による道路の心配もあり、4月には自分自身の選挙を控えていることから、決断が鈍ります。
 
 今年は忙しさから春の巡拝予定が10月にずれ込み、個人的な四国行きも重なり、年に一度の約束となっている書道会の慰安旅行(今週の土・日曜日)も四国の穴禅定と善通寺に宿泊して写経会に参加する予定を独断で立てました。9月10月の上高地行きと、最近の四国行きが続き、仕事に遅れが出てストレスで眠れない事や、身体が悲鳴をあげるのも自業自得ですが、3日間で千八百キロを超える走行は愛車へのいたわりも必要と感ずる遍路となりました。
                                             11月18日の一言

四国遍路最終日

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第四十六番浄瑠璃寺のロウソク台
この日初めての参拝者となり、最初に燈したろうそくの光です。

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岩屋寺の本堂横のハシゴです。
本日は、この下にある穴禅定に入りました。

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今年最後の四国遍路となりました。
最後は五十五番南光坊で、先週に会えなかった納経所のひら田さんと会い、最後として先週にも訪れた今治城の大手門から城内に車で入り、城主藤堂高虎像と城を背景にした我愛車です。

四国第二日目

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四国第二目は、三十八番金剛福寺から四十三番と別格八番まで廻り、松山で宿泊中です。
明日5時まで巡拝して帰宅となります。

四国遍路一日目

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第三十一番竹林寺からスタートです。
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青龍寺の石段です。
横綱朝青龍が高校時代に稽古した場所です。

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四国第一日目の最後は、四万十川の川下りとなりました。
この日は三十一番から三十七番と別格5番を巡拝し、足摺観光ホテルビロー園に宿泊です。

横井記念館で孫と一緒になり

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 本日は地元の自主防災会の主催する防災訓練が実施された事から、午後からの横井庄一記念館行きとなりましたが、本日は娘夫婦が我家への忘れ物を取りに来るよりも記念館が近い事から、親子3人で記念館を訪れてくれました。
 
 添付した写真は、記念館の玄関に並んだ私と孫の靴ですが、1才3ヵ月となりやっと歩けるようになった孫の小さなクツは、記念館が開館してから一番小さい(歩けない赤ちゃんは別ですが)訪問者となりました。
 
 娘夫婦が買ってきてくれた「たい焼き」を囲んで、館長(横井夫人)と5人の家族団らんのような雰囲気は、子宝に恵まれなかった横井家では珍しい風景で、先週に私が登って取った柿とお茶で暫しの雑談となりました。
 
 さて、今晩の深夜には私が四国に出発することを忘れて、館長が持ち出してきた多くの横井庄一さん直筆の書を前にして、この書をどうするか相談していると外は真っ黒になっており、慌てて閉館して帰宅となりました。
 
 私にとっては、数日前からとんほ帰りのような四国行きですが、今回は遍路仲間が一緒のことから、準備不足は迷惑をかけることから、仮眠する予定もキャンセルとなりました。
 
 明日から3日間の四国行きは、高知県高知市の第31番竹林寺からスタートし、数日前に訪れた第55番南光坊から国分寺辺りをノルマとし、別格霊場も一緒の巡拝ですが、天候も良さそうなので安心しての旅立ちとなります。
                                11月14日の一言

地方まで官僚政治はうんざりだ

 来年2月に実施される愛知県知事選挙に、自民党現職衆議院議員の大村秀章氏に河村名古屋市長が出馬を正式要請し、本人も出馬に意欲的である事が本日の新聞各紙が報じている。
 
 脱官僚を訴えてきた民主党であるが、総務省出身の元官僚候補者を擁立し、自民党も元総務省出身者を候補者に選定しており、世界のトヨタをはじめ元気な愛知を発信しながら、官僚経験者しか知事候補が出なかった中で、初めて県民に顔が判る候補者だけに党派を超えた支援の広がりを期待したい。
 
 名古屋市の河村市長と言えば減税が旗印となっているが、自らの報酬も800万円程度に減額しており、市議会とは報酬削減や定数削減を巡って対立しているものの、市民の支持も高いことから、県政と一体となった経費削減に努め、愛知県独自の経済振興策を民意の延長線で進めてもらいたい。
 
 さて、沖縄尖閣諸島沖で起こった中国漁船衝突事件の映像を流出させた海上保安庁職員の処遇が大きな問題となっているが、本来は最初にビデオを公開して事の真意を国民や諸外国に訴えるべきことで、職員の行為は国家公務員として相応しいとは思えないものの、漁船の乗組員釈放についても司法の基幹を曲げている事と、ビデオ公開が日本の国益を損なうものではない事から、不問に付す位の政治的対応に期待したい。
 
 
 私はビデオ流出事件を私のお気に入りブログによって知り、流出ビデオの削除が続いた事から、コピーを探して私のブログにも添付しましたが、「削除した方が良いのでは…」と、添付した私の行為が不正のような反応を示した公務員がありましたが、世の中で起こった事実を隠す必要はなく、情報元のビデオも削除されずにそのまま公開されています。
 
 新聞報道によれば、今回流出したビデオ映像は海上保安庁の職員であれば容易に見られ、機密的な秘匿状態ではなかった事と、国家公務員として行為そのものは問題だが、自ら名乗らなければ判らなかった事から、国の対応の悪さが今回の事件を起こした張本人である自覚が先決ではないか。
 
 最初に記した愛知県知事選に話題を戻すが、国の中枢にあるべき官僚が簡単に職を辞して政治に転出する事も問題で、国に必要な人材なら転出させるべきではなく、都落ちした官僚に頼る地方政治の反省も必要と思われる。
                             11月13日の一言

人には理解されないこだわりに

 来週月曜日から3日間(出発は日曜日深夜)四国遍路に出かけますが、昨日の早朝に四国から帰ったばかりである事から、「どうせ行くなら、1回で済ませば良かったのに」と言われた人があります。
 
 たしかに、トンボ帰りのような四国行きは不合理に思われますが、来週は先達として仲間と四国遍路巡拝(四国八十八ヶ所と別格二十霊場)の旅であり、今週は先達研修会に参加するのが目的の四国行きでした。
 
 「一体、何が違うの?」と関心の無い人には説明しても判ってもらえないですが、別格二十霊場の先達研修会では、今年「護身法ごしんぼう」と、「九條錫杖くじょうしゃくじょう」を指導してもらいました。昨年の「延寿法」と「護身法」に続く教授です。
 
 限られた時間で、印刷物を用意して指導されても、簡単には覚えられませんが、密教で自身の身を護る印法、護身法で、下記に添付した道陽ブログを参考にしてもらえば、師僧に伝授されるもので、素人が意味も知らないでやるものではないようです。(詳しくは下記へ)
 
 
 四国遍路をウォーキングの延長として「健康法」として考える人もありますが、私は真言密教に触れる機会として「延寿法」や「護身法」の伝授の場となる先達研修会は重要な存在となっています。
 
 昨年の研修会で提供された「延寿法」と「護身法」の印刷物を見せると、大抵の人は半信半疑でもコピーを欲しがられたものですが、しばらくして訊ねるとコピーは紛失されており、関心もない人に勧めるものでもありません。
 
 さて、予定では明日に上高地に出向く予定を立てておりましたが、天候は快晴のようですが、周辺は雪景色となっており、本日は慌てて車のチェーンを用意しましたが、四国遍路を控えた厳しいスケジュールの中では見送った方が良さそうです。これは私の直感です。
                                11月12日の一言 

四国一人旅の3日間

津島市(7日・23時発)…蟹江IC…東名阪…新名神…中国・山陽…明石海峡大橋…淡路SA…鳴門IC
 
1日目・8日 四国霊場第1番霊山寺…第86番志度寺…第75番善通寺…第74番甲山寺…出釈迦寺イメージ 1
 
 本日の目的地は出釈迦寺の奥の院となる我拝師山に登り、「捨身ケ嶽禅定」を体験する事でしたが、遍路癖というのか霊山寺駐車場で朝を迎え、志度寺から善通寺経由の到着となりました。
 
 2年前にも奥の院を訪れたものの、捨身ケ嶽禅定については強風と高所恐怖症により断念した経緯がありますが、この時は車で奥の院まで登りました。今回は出釈迦寺で「車が大きいので危険」と言われ、以前なら強攻したと思いますが、今回は素直に徒イメージ 2歩で歩く事としました。
 
 さて、この日は奥の院が不在で、朱印はできませんでしたが、捨身ケ嶽禅定は家から軍手持参で臨んだだけに、強風の中を登り弘法大師が7才の時身を投じたと言われる「聖地」を通り越して山頂部まで歩きました。
 
 山の標高については481メートルと低いものの、岩肌は粗くて垂直にそそり立ち、強風が強いため、過去に死者が出たと聞くと足がすくみます。ここで夕暮れを迎えました。
 
 本日の目的は捨身ケ嶽禅定でしたが、途中で立ち寄った善通寺では、過去にお世話になった写真屋さんの広瀬さんに会え会話が交わせました。
 
イメージ 3 車はこの後愛媛県を目指し、四国中央市のおいしい広場「三島乃湯」で入浴し、研修会会場となる西条市を通り越し、松山市に入ってからコンビニ駐車場で車中泊となりましたが、強風と激しい雨により安眠とはなりません。今は車に携帯ガスコンロと水を積んでいるため、休みたい場所でコーヒータイムとなり、夕食はコンビニで購入したビールと肴でそのまま熟睡です。
 
2日目・起床…第51番石手寺…第52番太山寺…
 
 太山寺に第55番南光坊大師堂落成の看板を目にしたことから、南光坊納経所の平田さんを思い出し連絡したところ、本人は不在でしたが、イメージ 4この日は午後1時までおられるとの話に、「1時ではちょっと無理かな」と思いましたが、「タイサン寺なら大丈夫」の声により、「じゃー、今から走ります」と目的地としたものの、車は予想通り午後1時を廻り、平田さんは帰られた後でした。
 
 今にして思えば、南光坊のある今治市には第56番泰山寺が次に存在し、電話口から「タイサンジ」と聞けば、歩いても1時間程度で到着しますが、私が連絡した「タイサンジ」は松山市の第52番太山寺であり、お互いに勘違いした結果のすれ違いでした。
 
 ただし、応対されたのが住職の娘さんで、来週の19日には落成式が行なわれ、新住職として弟さんが披露されるとの話と、来週遍路仲間と訪れる17日の前日にお大師様の引越しが終わっているとの話を聞き出す事が出来ました。
 
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 さて、遍路ではない事から、普段は眺めて通り過ぎている今治城に立ち寄り、城内まで入りましたが、勇ましい藤堂高虎像と、コンクリート製の復元ではあるものの、堀に囲まれた今治城の雄大さから久々にリラックスした気分にさせられました。
 
第55番南光坊…第56番泰山寺…第57番栄福寺…第58番仙遊寺…第59番国分寺…しこくや
 
四国別格二十霊場先達研修会 22年11月10日(水) 愛媛県西条市・りんりんパーク-「しこくや」
 
 3日目の10日は午前8時から受付が始まり、午前中が「お砂踏み」と「大般若転読法要」と「祈祷」が行なわれ、午後は「お大師さまの祈りと救い」と題した、別格10番興隆寺名誉院家・大澤自聚僧正の法話となりました。
 
 私は霊場会会長である別格9番文殊院住職による「護身法ごしんぼう」が魅力で参加していましたが、先達の「老害」による指導中の雑音(知ったかぶりの解説)により、十分に聞こえず、居眠りのイビキとイスしか座れない先達の介助の雑音に悩まされました。人の介助を必要とする先達を「先生」と呼び、雑音とイビキを撒き散らす先達集団の存在は恥ずかしい現実でもあり、自戒にしたいと思います。
 
 ただし、先達として遍路の大先輩となる福井県越前町の高山福氏より各種の錦の納め札をいただき、遍路の案内では尊敬する個人タクシーの中村氏による遍路情報もいただいた事から個人的には収穫の研修会とはなりました。仲間との遍路は来週に旅立ちとなります。
                                 11月11日の一言 

先達研修会

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四国別格二十霊場会先達研修会に参加し、ただいま帰宅中です。
明日は9時から市役所で委員会です。

四国第二日目

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本日は石手寺から太山寺に参拝し、南光坊に出向き、今治城から国分寺まで参拝しました。
明日は先達研修会です。

四国一日目

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本日は善通寺などにも立ち寄りましたが、目的は出釈迦寺の奥の院である捨身ケ獄に登りました。
写真は車中伯、奥の院です。

秋の水路清掃が行なわれて

 本日は私の町内会の水路清掃が行なわれましたが、私の近所の班は旧来から使われていた簡易水道の消火栓が残してある事から、この水源を利用した側溝の清掃のために中高年でも楽な清掃となります。現在は本格的な消火栓があり、簡易水道の消火栓は無用な存在とも言えますが…
 
 この簡易水道の消火栓は、かつて老朽化した水道菅の更新が行なわれた際に廃止される運命にありましたが、隣の町内会は簡易水道の消火栓を残すだけでなく、蛇口も新品に更新されていた事から市役所に残すように要望しましたが、町内会長が残さず廃止するよう指示し、町内にあった簡易水道の消火栓は全て破棄されましたが、近所の消火栓は民間消化のために残してもらいました。
 
 ただし、簡易水道と現在の上水道は配管の口径が違う事から、簡易水道の消火栓は消防車の消化活動には利用できませんが、津島市だけでなく一宮消防本部に勤務する先輩の協力もあり、今では消火栓から100メートル程度は消化活動のできるホースと筒先が集まりました。
 
 最初は「水泥棒」と冷ややかな一言を発する人もありましたが、班の全員が集まる水路清掃で春と秋の2回ではありますがホースを接続し、清掃後はホースを切り離して乾燥させて保存する行為は消防の消化活動とも共通していることから、火災発生時にも経験が生きる可能性があります。
 
 もっとも、万が一の消火用のホースと筒先は我家の事務所に厳重に保管されていることから、火災の場合には誰でも持ち出せる仕組みと、清掃作業ではなく消化活動の訓練も必要となっています。
 
 さて、町内には10程度の班がありますが、簡易水道の消火栓があるのは私の班だけとなっており、隣の班が側溝の重いフタを上げている姿を見ると、参加者が中高年だけに見るだけで苦痛を感じ、残す提案をした私と市役所に対して、当時の町内会長が誰に相談する事もなく会長権限で消火栓を破棄した後遺症は大きいと思います。
 
 さあ、まもなく私は四国に向けて出発となりますが、明日からの孤独な3日間にどんな出会いが待っているのでしょうか。
                                 11月7日の一言

演劇鑑賞に出かけて

 本日は知人が出演する愛知県芸術劇場の演劇鑑賞に6人(現地で7人に)で名古屋市まで出かけました。
 
 演目は「雨」で、井上ひさしさんの作品ですが、江戸時代の藩と大店を守るために、風体の似た人間の欲につけ込んで、大店の主になり代わらせる筋書きで、大店の主になった偽者は必死に主になりきる努力をするものの、主は元々切腹する事が決まっており、自分を偽者と証明できる人々は全て自分の手で殺しており、最後は殺されてしまう結末です。
 
 今の世の中ならば携帯電話やインターネットの情報社会となっており、科学的にはDNA検査もある事から有り得ない話ですか、自分の弱みや悪事を隠すために邪魔者を殺したり、悪事を重ねると最後は首も回らぬ結果となる事は共通です。
 
 井上ひさしさんは今年4月に亡くなっていますが、死後も自分の作品が演じられて観客を魅了する事は、ショパンやベートーベンの音楽と共通し、作品が良ければ作者の魂は永遠となる事を実感させられます。
 
 さて、明日は町内の排水路清掃の後に横井庄一記念館行きとなりますが、深夜には四国別格二十霊場会の先達研修会のために四国行きとなりますが、この四国行きが1200年前の弘法大師の心境に近づけたら最高なんですが…
                                11月6日の一言

歯痛と我が町並みを重ね合わせ

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夕陽(逆光)を浴びるコスモス (歯科医院の前で)
 
 最近の体調不調の一因は歯の痛みで、1ヶ月前に歯をかかりつけ医の外科医に診てもらった顛末を記していますが、薬の処方でしばらくは治まっていたものの、昨晩からの歯の痛みに堪らず歯医者に走りました。
 
外科医に歯を診てもらい http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44120107.html
 
 昨日の中国料理店での経営相談(雑談)もそうですが、我家の周りを見渡すと外見から(お客の車)も厳しい経営が想像され、このままでは倒産や閉店に至る可能性の高いお店が数件存在します。
 
 その多くが貸店舗で、本格的なチェーン店もありますが、多くは個人経営の飲食店であることから、開店前のリサーチ不足は否めず、不景気でリストラされた人の出店もあるものの、不景気でシャツターが閉まったままの貸店舗を所有する地主と、開店後の経営予測をしない不動産業者の責任も大きいと思います。
 
 我家も家内名義で貸店舗を所有していますが、倉庫を壊して借金して店舗を建てたものの、借金の返済が済まぬままに契約者であった金融会社が撤退し、それ以来家内は働きに出ていますが、この夏に数年ぶりに借主が現れました。
 
 ただし、家賃は半額となっており、内装をやり直したことから今後一年以上は利益とはなりませんが、土地だけ貸して我家より高い賃料を取っている地主が多く、売上減で家賃の支払いも大変な店舗が存在します。
 
 歯が痛くて食べ物を噛む歯がない状態に、「ちょっとは痩せるんじゃない」と冗談を言われますが、我家の周辺の店舗も私の歯のような状態で、歯医者の治療のような回復策を考えないと、赤々と明るかった道路が真っ暗になっていきます。「あそこが危ない」と茶飲み話とされていますが、自分達が不便になる事が忘れられています。
                              11月5日の一言

流出ビデオ 尖閣諸島中国漁船衝突事件

尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 転載 1/6 http://www.youtube.com/watch?v=7t1Z7CuFWxI
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 転載 2/6 http://www.youtube.com/watch?v=fPN7nlPCdSo
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 転載 3/6 http://www.youtube.com/watch?v=uPq7PeoX3wg
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 転載 4/6 http://www.youtube.com/watch?v=1Di8406Z474
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 転載 5/6 http://www.youtube.com/watch?v=M3H-A7rB3wo
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 転載 6/6 http://www.youtube.com/watch?v=ymdtwN-nh4c
 
 
 
 
 
 
 
 
削除の可能性から転載しておきます。
尖閣諸島 中国漁船衝突事件 流出ビデオ 1回目の衝突の瞬間
                           http://www.youtube.com/watch?v=bCMbbuKC8pQ
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 5_6   衝突場面有り
                           http://www.youtube.com/watch?v=tAucv0KF7mc
 
尖閣諸島 中国漁船 衝突事件 海上保安庁 ビデオ NO1
                           http://www.youtube.com/watch?v=YdH4-1dsZdw
尖閣諸島 中国漁船 衝突事件 海上保安庁 ビデオ NO2
                           http://www.youtube.com/watch?v=UOCUR421xkM
尖閣諸島 中国漁船 衝突事件 海上保安庁 ビデオ NO3
                           http://www.youtube.com/watch?v=p-rKNgAXDJc

情けない親父で円満とは…(トホホ)

 「あれー、どうなったんだ?」と、違和感を覚えていただければ幸いと言うか、何も感じてもらえないとしたら淋しい話でもありますが、左のカレンダーの4日分を空白としてしまいました。
 
 こんな事は過去にもありますが、このヤフーブログに移行した当初はヤフーの不具合と思われる時もありましたが、最近はそんな不具合は存在せず、書き込み側の事情ですが、昨日は書き込み中の一言を送信せぬままに眠ってしまいました。本日と言うか、昨日分の一言としてその顛末を記します。
 
 「お父さん、仕事で遅れるから先に食事(夕食)に行って」 (家内)
 「俺は待っているから良いぞ」
 「皆んな(家族)がいるから先に済ませて」
 「遅れても良いじゃないか」
 「私が苦痛となるから…」
 
 こんなやりとりで、家に居る母親や息子達(3人)に事情を話し、弁当を買いに走るか隣の中国料理店に行くか決める事となりました。
 
 「おい、弁当を買いに行ってくれんか?」
 「お父さんが行ってきたら」 (次男)
 「俺は弁当屋に行った事ないだろう…」
 
 「おい、隣に行こうか?」
 「回転寿司はどうだ」 (母親)
 「〇〇寿司か」 (長男)
 「〇〇寿司はダメだッ、△△寿司はどうだ?」
 「△△寿司は満員で入れない」 (長男)
 「ところで、裕一はどうした」 (母親)
 
 部屋に居た裕一(三男)に確認すると、三男には家内から遅くなると連絡があったようで、この事も長男と母親の反感となり、三男は「自分で何か作って食べるから」と戦線離脱となり、こんな事では父親の威厳もなく、家内でないとまとまりません。
 
 「じゃー、隣(中国料理)に決まりだ」
 「隣は良いけどお金はどうするんだ」 (母親)
 「どっかにあるだろー」
 「千円しか置いてないぞ」 (母親)
 「俺が払うから良いだろー」
 
 こんな顛末で隣の中国料理店に決まりましたが、家族にも相性があり、母親と長男はすんなり出かけましたが、私が頼りとする次男は「後で行くわッ」と居座り、家内の金魚のフンとなる三男は自分で何かを作りはじめました。
 
 隣の中国料理店には私は数回しか行った事がありませんが、食事を済ませた長男は勝手に帰り、「家内が来るまで待っている」と言う私を置いて母親も帰った所を見て次男が到着です。
 
 「おまえもビールを飲め」、「じゃー、生ビールを」なんて親子で飲んでいましたが、食べるだけ食べ終えて帰ろうとします。
 
 「もう、帰るから」 (次男)
 「まだ良いだろー」
 「お父さんは長いから…」 (次男)
 「じゃー、お母さんが来るまで待っていると伝えてくれよ」
 
 そんな顛末からビールを追加して家内を待ち続けていると、店主夫婦(中国人)から厳しい経営や高額な家賃について問われ、私の素人経営診断士でも存続は時間の問題です。それにしても、我家(家内の貸し店舗)の倍近い家賃で、住まいは別に借りている事から、現状では家賃を払うだけで利益はありませんが…
 
 「お父さん、何時まで居るの」 (家内)
 「お前が来るまでと言っといただろー」
 「だから、待たれると嫌と言ったでしょう」 (家内)
 「おい、文無しでは帰れないぞッ」
 「持っているくせに」 (家内)
 
 こんな展開で家内と食事を済ませ、「ワッ、お父さん何本ビールを飲んだの!」と言われて帰宅するも、私が一円も持たずに店に居座ったと聞いた母親も、「何で言わなかったの」と、情けない親父の笑い話で家族は円満解決となりました。
 
 ただし、家内が来るまで飲み続けたビールは尋常ではなく、このまま帰宅して事務所に戻らぬままに熟睡し、日時が入れ替わる事を承知していましたが、寒風吹き込む事務所のパソコン上で待つ書き込み中の一文はボツとなりました。
                                11月4日(分)の一言

本日が祭日と忘れて仕事に走り

 「パソコンの前にいるの?」
 「いないよ」
 「何処にいるの?」
 「今は実家だけど…」
 「えっ?今日は休んだの…」
 「何を言っとるの、今日は祭日だよ」
 「えっ?あッ、そうか…」
 
 体調不良により外出の足が鈍っていたものの、本日も午前中より約束した案件があった事から午前中は出掛けており、市役所が昼休みになっているものと思い込んで連絡(携帯電話で)していたら祭日でした。これから市役所に立ち寄ってと自分勝手に考えていましたが…
 
 そうやって考えると午前中に約束して立ち寄った津島市老人クラブ連合会の会長さんは、午前中でもなるべく早く訪問すると伝えてあったものの、市内施設に常駐されていると聞いていた事から、「午前中なら大丈夫」と随分お待たせしてしまったかも知れません。
 
 昨晩の恩師の出迎えの重複や、祭日を忘れた行動など、本来やるべき時に動かずに、休むべき祭日に動いている結果論に、いかに自分勝手で無計画かと自己反省するとともに、午後に予定していた仕事も進められません。
 
 来週から別格四国霊場会の先達研修会のために愛媛県まで往復し、議会の委員会が済み次第に最後の上高地入りを果たし、翌週には遍路仲間と2回目の四国遍路が高知県から再開します。
 
 こんな中で会報発行どころか、配布まで考えると、物理的に不可能としか思えませんが、それを実現して来月の12月議会まで続けると、昨年の大晦日に大掃除もしないまま年越しした再来としか思えません。
 
 さて、本日老人クラブ連合会の会長さんを尋ねたのは、来年2月に実施する愛知県主催「人にやさしい街づくり地域セミナー」のパネラーとして出席をお願いするためでしたが、高齢化が進む中で老人クラブの会員が減少する現実問題など、本来考えなくてはならない諸問題にまで話が発展しました。
 
 他人事のように感ずる話ですが、老人クラブは60歳以上が会員の対象となっており、若いと思っている私でも後3年もすれば老人クラブの会員と考えると、気持ちよく素直に入会するためには大きな課題も存在します。
                               11月3日の一言

動かない身体も動かされれば

 財政難と市民病院の経営難から、議員の立場としては明るい話題が提供できない淋しさを味わってきたが、愛知県内では一番古い歴史を刻む津島市立図書館が、その歴史に相応しい街の歴史を材料に注目を浴びています。
 
創立115周年の津島市立図書館 古写真収集、公開へ  朝日新聞 10月31日
                        http://mytown.asahi.com/areanews/aichi/NGY201010300027.html
 
 津島市立図書館は2年前よりそれまで休館日としていた月曜日も開館し、月に本の整理に要する1日と、年末年始を除いて「年中無休」状態で開館しており、経費削減のために導入した津島市の「指定管理者」制度の数少ない成功例でもあります。
 
津島市立図書館のホームページ http://www.justmystage.com/home/toshokan/
 
 図書館はNPO法人まちづくり津島が指定管理者として運営していますが、岡山県新見市の哲西図書館をNPO法人が運営し、年中無休で開館している現場を市議会総務文教委員会で視察した事もあり、指定管理者制度に移行後に図書館協議会委員として「年中無休」を訴え続けていただけに、図書館関係者の英断と、今回の話題にも身勝手に津島市の誇れる図書館としてエールをおくりたいと思います。
 
 さて、毎週火曜日の夜は我家の事務所2階で書道会が開かれており、恩師から「見せたい物があるから平常より5分前に来て欲しい」と連絡があり、余裕と思っていたら外出が長引き知人の車に同乗する滑り込みとなりました。
 
 ところが到着した恩師の玄関前に車が止まっており、「なんと迷惑な車だ」と感情をそのまま顔に出して素通りしましたが、呼び止められてびっくりしたのは、本来の予定では私が市内に不在のために恩師の送迎を依頼したメンバーの車でした。
 
 仕事が山積停滞した事から、市役所の仲介で明日の祭日も朝から人を訪ねる予定となり、明後日も来週開催される委員会の事前打ち合せが続く事から、津島市にとどまっており、恩師からの電話で送迎を依頼してある事も忘れて走っていました。
 
 もっとも、会場となる事務所2階のカギも閉じたままで、電気も点けてない事から、外出先から家族に連絡してギリギリで開ける顛末で、帰宅後も今後の予定や年に一度の慰安旅行を打ち合わせると、心定まらず筆も途切れて走りません。
 
 不調だとかストレスなどと家で伏せっていましたが、来客や仕事で連日暗くなってからの帰宅となりました。問題は、自分のやるべき会報発行(議会報告)が後回しになっている事で、議員としてはこれが一番の仕事であるべきですが…
                                11月2日の一言

身体は動いたものの、心は…

 身体が動かないとか、気力が湧かないなどと、ストレスまみれの一言を記していましたが、動かない身体を起して外出していると、市役所から連絡が入り、人と応対中だった事から、「後で連絡します」の一言が、出向いた方が早いことから出向くと、行く先々で仕事や相談事があり、結局は市役所の閉庁時間も経過し、駐車場に向かう前には入院中の知人のお見舞いに行く連絡が入り、市民病院経由の帰宅となりました。
 
 ここから数百メートル先のホールで、2日前に交通事故で亡くなった次男の知人(愛西市民)の通夜が行われており、息子の付き合いである事から訪れなかったものの、知人はご両親に次男を「議員の息子」と説明していたらしく、参列した息子に「議員さんの息子さん?」と問われたと聞き、息子の付き合う友人にもっと関心を持つべきだったと反省と悔やまれる夜となりました。
 
 一度に親しくしていた友人2人を突然失い、亡くなる数時間前にも携帯電話で話していた友人の死だけに、何かを話し掛ける雰囲気にもなれず、深夜族である息子も早々に寝床につきました。
 
 ご両親の心情は勿論ですが、本日葬儀となった友人(中学の同級生)は仕事でも人以上に能力を発揮していたと聞き、職場の人々のショックなど、有るべき人の存在が無くなった影響は大きな波紋を残しました。次男が連日深夜まで向かっていたテレビゲーム「プレイステーション」も、主人公となる友人の不在で今晩は真っ暗です。
 
 さて、病院のお見舞いに訪れた知人は、かつては一緒に中学校のPTA役員を務めた仲間で、パワーと行動力で私を上回るリーダーシップを発揮していた女性ですが、一緒に訪れた息子さんに涙を流して握手する姿に、涙を堪えるのが精一杯で、握手した手が冷え冷えとしており、かつての温かい手の温もりが脳裏に甦り、寂しさがこみ上げてきました。
 
 やる気が失せ、身体が動かない中で、外出したことで仕事に対応して身体が動きだしましたが、病院のお見舞いと、通夜から帰った次男の姿を見たことから、胃の辺りに違和感を覚える夜となりました。しばらくは…
                                 11月1日の一言
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