大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2011年01月

「ページでエラーが…」繰り返して

 「ページでエラーが発生しました」の表示が続き、何度試みても画像の取り込みができないため、とりわけ寒い夜にも関わらず熱い汗を感じながらパソコンの前に座っています。
 
 もっとも、入れようとした画像は、私が一日中目にしていた印刷機の印刷風景ですから、表示したところで珍しい物でもなく、回り続ける印刷機から新鮮さも目新しさもありませんので一向に構いませんが、明日以降も同じでは苦しいものがあります。
 
 もう一つの心配は、昨日に無線ランで連動したプリンターが入った事で、パソコンの相談役Tさんに整理したもらった、当方の意図しないうちに入ってしまった各種の無料サービスの表示を消してもらった事が原因ではないかということです。
 
 とにかくパソコンは我流どころか、確認せぬままにクリックを押していることから、訳の判らない画面が出てくる事はしょっちゅうで、消して欲しいと訴えても、何をやって現れた画面かも説明ができませんから、元に戻すほうも大変と思います。
 
 さて、画像の取り込みができず、「ページでエラーが発生しました」の表示が続く中で、コタツの上のパソコンにメモリーを差し込むと画像が取り込める事から、何かが障害となっているものの判りません。しばらくは不便ですが、画像だけなので使い分けで乗り切るしかありません。
 
 明日から3日間は名古屋市中消防署に出かけて「患者搬送乗務員」の養成講座を受講しますが、通勤時間に名古屋まで出かけるのは30数年前の大学以来で、結局はバスではなく車で走る事となりました。
 
 名古屋まで車で走ると気になるのが高額となる駐車場の料金ですが、これについても昨日にTさんからパソコンで情報をもらい、改めて情報化社会の利便性を実感するとともに、私のホームページにも旅の情報小屋があることから早速「名鉄協商パーキング」を追加しました。
 
 忙しい事から、しばらく目にしていなかった「朝日旅行友の会」のホームページも、新たに更新していなかった事から、検索できない項目や記録が滞っており、本日は間に合わせですが追加しました。 
 
 明日は講座の様子を報告します。           1月30日の一言

作業が日時をまたいて継続し

 本日は朝から2月6日に開催される地域セミナーの案内広告を印刷し始め、途中で所用を済ませ、また印刷を再開し、所用に出かけ、印刷をしながら訊ねてきた娘夫婦と孫の相手をする事となりました。
 
イメージ 2 ただし、印刷する輪転機は回し続けないと、2万枚の案内チラシの印刷は終わらず、途中の中断によりなかなか進捗しませんが、事務所には増刷中のアンケート用紙も片面が印刷されたまま(A3版5千枚が2種類)で、セミナーの印刷を終えた直後に印刷を開始し、この2種類を二つ折りにして2枚を折り込むとA4版8ページのアンケートが完成となります。
 
左の奥2列がアンケート、手前がセミナーチラシ
 
 セミナーのチラシは印刷後に、地元の中日新聞販売店とは言っても、かつては商売敵となる朝日新聞販売店の店主であった事から、「持って行きにくいでしょう」と津島販売所の店主さんが各販売店に届けていただく事になっています。もっとも、これは私の甘えでもあり、廃業して12年も経過している事から自分で届ける気持の切り替えが急務かもしれません。ただ、ただ感謝するのみです。
 
 本来であれば来週になってから取り掛かれば間に合う仕事ですが、来週の月曜日からは名古屋市中消防署で民間救急の搭乗者養成講座が3日間開かれる事から、明日までに印刷を終了させないと大変な事態を招きます。
 
 さて、本日は来週月曜日から土曜日まで開催される私の写真展「上高地と私」の作品を会場となる茜屋へ搬入し、展示はマスター任せでしたが、16点の写真の展示が終了しました。
 
 ありがたい事は、金曜日の中日新聞の催しガイドに写真展が紹介されたことで、私が作品を搬入する前から、日程を確認せず私の写真展を鑑賞に訪れていただいたご婦人があり、写真展には人と人とをつなぐ効果が起こります。
 
イメージ 1
 
 会場にも同行した娘夫婦でしたが、うれしいことは孫が私を認識しており、1ヶ月前には人見知りが激しかった孫が、マスターやママさんと笑顔でコミュニケーションが図れた事で、判らないものの私の写真を私として指を指します。
 
 帰宅後には家族は揃って食事に出かけましたが、私は新しいプリンターが届けら、パソコンの相談役Tさんの設定を見守るだけでしたが、これからは印刷に移動しなくとも座ったままでの印刷が終了します。暫しは操作ガイドが必携となります。
                             1月29日の一言 

交通基本法の解説を聞きながら

 3日前に「続きは新聞紙面で」との記載で一言に記しましたが、本日のアサヒコムには「子の送迎 救う手 「孤族の国」家族代行『全文』」として、全ての記事が掲載されていました。
 
子の送迎 救う手 「孤族の国」家族代行
               http://www.asahi.com/national/update/0127/OSK201101270110.html 
親孝行請けます 「孤族の国」家族代行 
               http://www.asahi.com/special/kozoku/OSK201101270031.html
 
 本日の夜は、名古屋市北区で「交通問題勉強会」が開催され、交通基本法を考えるとして、来月6日に地域セミナーの講師を依頼してある桜花学園大学教授の森田先生より解説と意見交換がおこなわれました。
 
 交通基本法は民主党政権によって来年度に制定される法律ですが、野党時代に訴えていた内容よりも一歩後退するものの、国民の「移動に関する権利」が規定されており、「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営むために必要な移動を保障される権利を有する」と記されているようです。
 
 国土交通省の基本的な考え方も、「交通基本法の根幹に据えるべきは『移動権』だと思います。まず、私たちひとりひとりが健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な移動権を保障されるようにしていくことが、交通基本法の原点であるべきです。とりわけ、お年寄りや体の不自由な方々にとって、移動権は極めて重要です。」と、移動する権利を交通基本法の機軸となる理念としている。
      「交通基本法を考える」交通権学会編 かもがわ出版から引用しています。
 交通権学会 http://www.kotsuken.jp/
 
 添付した「子の送迎・救う手」や「親孝行・請けます」の記事は、共稼ぎ世帯が当り前となった子供の問題と、4人に1人が60才以上となる高齢社会の現実問題として、無視できない社会問題となっています。
 
 さて、本日の勉強会で、勉強会参加メンバーによる現地調査として、3月に岐阜県可児市を訪れて、街づくり協議会やボランティア団体が「買い物難民」となった住民の足を確保しようとしている事例の実態調査をする話となりました。
 
 「3月はなァ…」と、心境は議会開催中よりも、4月に選挙を控えた立場で参加していて良いものかと一瞬躊躇しましたが、買い物に行けない人々や、高齢者の足の確保は私のボランティアの主題となっている事から参加を申し込みました。
 
 冒頭に添付した「子の送迎」については、学校で体調を崩した子供のために、職場を休んで帰宅が続き、職場を退職せざるをえなくなった女性が多数存在していることから、こんな問題も私の課題となっており、そのためにも4月は試練の時となります。
                              1月28日の一言

忙しさから世間と遮断されて…

 忙しいと新聞を読んではいるものの、世間で起こっている事件どころか、地元愛知県で発生した鳥インフルエンザについても、事件の存在そのものを知らずに「そんな事が起きていたのか」の一言に、「昨日から大騒ぎになっていた」との家族の言葉にびっくりとさせられました。
 
 愛知県では現在知事選挙の真っ最中で、我家の前の県道を選挙の街宣カーが声高々に走っていきますが、発生した豊橋市の関係者や近隣自治体は被害の拡大防止と、新たな感染に戦々恐々とする日々が続きそうです。
 
                    http://mytown.asahi.com/areanews/aichi/NGY201101260019.html
 
 県内では昨年2月現在、221戸の農家が745万羽の卵用の鶏を飼っており、飼育数は全国3位だけに、2009年に豊橋市のウズラから高病原性の鳥インフルエンザウイルスが検出され160万羽が殺処分された悪夢が頭をよぎりました。
 
 さて、こんな大変な事件が発生して思い起こす事は、私の住む津島市も今では養鶏とは無縁の地域となりましたが、私の子供時代にはほとんどの農家が鶏を飼っており、サラリーマンであった私の父親は母に餌や水やりを任せて、3百羽程度の鶏を近所と競い合って飼っていました。
 
 当時に撮影された記録フイルムによれば、津島市に隣接する愛西市(旧佐織町)も養鶏を主要産業にして広報されており、当時は養鶏業者が必ず各村々に存在していました。
 
 過去の歴史まで調べて記しておらず、私の勘違いか知識不足で記しておれば申し訳なく思いますが、前記したような「160万羽が殺処分」なんて記憶はなく、人ばかりでなく黄砂も飛んでくる中国からの被害妄想に思えてなりません。
 
 本日は、朝から印刷した案内チラシの封筒入れ作業が夜まで続き、知人の応援があったものの作業は明日まで続き、何とか午後には郵便局に届けたいと思っていますが、アンケートの印刷(五千枚裏表)と、セミナーの新聞折込用チラシ(二万枚)を今晩から印刷に入っており、我が事務所は完全に印刷所に様変わりです。
 
 明日起きたら…
                               1月27日の一言
追伸
眠る前に雪で道路は真っ白に… そして深夜の救急車のサイレンが隣のお店に…

大変過ぎる波乱含みの週末へ

 写真展「上高地と私」
 
          開催日時 1月31日(月)~2月5日(土)まで
          展示場所 茜屋
津島市西愛宕町2-66
                              電話・0567-25-6583 
                      (津島保健所の500m南・温泉湯楽の西側)
 
イメージ 1 昨年に引き続き、今年も上高地の写真展を開催することとなりました。

 今年は、9月から閉鎖される直前まで「上高地の野宿者」として毎週訪れ、閉鎖後の12月末まで訪れましたが、写真よりも上高地での人との出会いや、無心で佇んでいたために、元々が未熟な私がお誘いできる作品ではありませんが、上高地の魅力を少しでも感じていただけたら幸いです。
 写真展開催中は受付の記帳簿裏に、コーヒーチケットを添付しておきますので、仲間の皆さんを誘い合って足を運んでいただければ幸いです。
 尚、午後には私も会場におりますので、皆さんとの再会を心待ちにしたいと思っています。
※31日から2日までは公務のため家内の代理です。

                       大 鹿 一 八
 
 本日は、ボランティアの代役に走りながら、上記の写真展に使用する写真(四つ切り16点)が出来上がったため、額に入れようとしたところ、以前に高校野球写真展のために使用した額のガラスと印画紙がこびり付いていた事から、大変な作業となり、結局は諦めて昨年の「上高地の十年」に使用した額に入れる事となりました。
 
 私は土曜日にこの写真を会場に届けて、展示は店のマスターに任せる無責任な感覚しかありませんでしたが、一宮市の知人が「それぞれのテーマを」と、夜に駆けつけてくれただけではなく、明日には一枚ごとにテーマを印刷して持ってきてくれるとの話だけでなく、汚れた額を拭き直して入れなおしてくれました。
 
 さて、それはそれで結構な話ですが、私は明日までに「地域セミナー」の宣伝チラシを印刷することと、過去四年間に参加していただいた人々への案内用に、封筒への宛名印刷(約500軒分)も完成させる必要があり、一段落した時にはこのブログの書き込み時間を経過しており、左のカレンダーを空白にしてしまいました。
 
 こんな時に限って印刷するプリンターの調子が今ひとつで、富士ゼロックスがサポートを終了したプリンターしかハガキの印刷をした事がなかった事から、このままでは4月の選挙に使えないために、新しい複合プリンターを購入する依頼をしました。
 
 そして写真展とセミナーの案内チラシはそれぞれ印刷し終わっているものの、私個人の挨拶文が未完成のため、これから未明にかけて原稿書きと印刷が必要で、現在配布中のアンケート用紙もまもなく無くなる事から、明日から五千部印刷(A3版2枚裏表印刷・A4版折込8ページ分)を再開となります。
 
 こんな状態で週末を迎え、月曜日からは名古屋市の消防局で救急搬送の訓練が3日間続きます。翌週にセミナーを控えて、新聞折込用案内チラシの印刷も必要となり、大変な一週間となりました。
                                  1月26日の一言

続きは新聞紙面での記載に

 「続きは朝日新聞紙面でお読みください」の一言は、昨日の「親孝行の家族代行」に関するアサヒコム(パソコン)の記事の末尾で、私は昨日の一言に「新手の新聞勧誘かと」記しましたが、下記に添付した本日の「子の送迎…家族代行」の末尾にも、「新聞紙面で」の一言が記されていました。
 
子の送迎 救う手 「孤族の国」家族代行 
 
 考えてみれば、新聞定価は朝夕刊月ぎめ3千925円の購読料を愛読者は支払っており、私が新聞販売店を廃業した平成11年から変わっておらず、一部売り朝刊価格こそ110円が150円に値上がりしているものの、新聞購読料は平成9年から変わっていません。
 
 パソコンのインターネットを通して、全ての情報が無料で入手されてしまっては、全国各地に新聞記者を配置して情報収集している新聞社の利益は図れませんから、当然と言えば当然の話ですが、購読者としては既に決まっている記事だけに翌日への先送りはじれったいものです。
 
イメージ 1
 さて本日は、バリアフリー検証会の資料を整理するために、愛西市の名鉄佐屋駅と巡回バスの佐屋駅南バス停をカメラに収めに走りましたが、セミナー当日に発表する資料としては、過去4年間よりも中身の濃い検証会になりました。
 
 そして、自分の住む地域以外の愛西市の巡回バスを利用したことで、100円の運賃を必要とする津島市の巡回バスと無料の愛西市の巡回バスの、僅か100円の差とは言え、利用者の大きな意識の違いと、旅客のプロであるべき名鉄バスに業務を委託しながらも、津島市の巡回バスの冷たい雰囲気と、行政の抱える愛西市の運転手と乗客の温かい関係に目を見張りました。
 
 本日は電車との縁の深い一日で、午後に我家へやってきた娘と孫の姿に、「電車を見に行こうか」の不用意な一言に、我家や私に慣れてきた孫が反応し、2人を乗せて線路沿いまで走ることになりました。
 
 話が二分してしまいましたが、朝日新聞に連載中の「孤族の国」シリーズは、我々が関係するボランティア活動と共通する内容だけに、明日の朝刊に掲載されてくる「子の送迎…家族代行」の続編に期待したいと思います。
                                  1月25日の一言

親孝行の代行サービスにびっくりと

イメージ 1 「親孝行請けます」のアサヒコムの記事にびっくりし、記事を読むと「親孝行代行サービス」を立ち上げた内海実さん(右)と妻茂野さんとあり、写真にも「親孝行代行サービス」とある事から、興味深く読んでいると、かんじんの親孝行代行サービスに関する記載はなく、
「続きは朝日新聞紙面でお読みください」と結んであり、これは新手の新聞勧誘かと思ってしまいますが、明日の新聞が楽しみな題目と序章が記されていました。 
 
親孝行請けます 「孤族の国」家族代行 
                http://www.asahi.com/national/update/0124/OSK201101240095.html
 
太平洋を望む伊豆半島南端。地元スーパーから商品を配送する仕事で、内海(うつみ)実さん(60)が山あいの集落を回っていると、お年寄りから声がかかる。配達先は、買い物が重くて持ち帰れない高齢者がほとんどだ。
 ぽつんと佇(たたず)む一軒家に、独り暮らす老女たち。世間話をしていると、5年前に亡くした故郷の母の姿が重なる。
 
 記事から想像するに、過疎地へ配達する中で、故郷へ残してきた母親の姿を思い出し、親孝行の代行がビジネス(ボランティア)として成り立つヒントとなったように思いますが、これは過疎地に限らず、我々の住む津島市にも当てはまる話のように思います。
 
 「車を頼みたいんだけど…」
 「ハイ、判りました。いつ行けば良いんですか?」
 「今から来てくれる?」
 「エッ、今からって、何時までですか?」
 「5時にアンマが予約してあるんだけど…」
 「5時って?、今が5時なんですが…」
 
 私たちは自家用車による福祉有償運送をボランティアで行なっていますが、事前の予約を原則としているものの、突然しか依頼のない人も存在し、子供に乗せて行ってもらう予定が外れて切羽詰って電話がかかります。こんな電話が上高地や四国遍路の私の携帯電話に転送されて、「今すぐに」と言われるとボランティアの居場所探しで必死となります。
 
 ご本人は家族に期待していたものの、子供の機嫌が悪く乗せてもらえないために突然の依頼となり、慌てて走ると家族の声がするものの、我々は裏口から依頼のあったお婆さんを車に乗せて走ります。
 
 本日の記事を読んで、「我々も親孝行の代行かな」と家族と話しましたが、そう言っている私も母親の頼み事は無視しており、家内や孫が乗せて行く事がほとんどで、他人には親切にできても実の親にはなかなか親孝行ができません。
 
 外出が難しくなった高齢者の買い物や通院をお手伝いするために、平成19年にNPO法人の認証を受けましたが、我々のボランティアも子供さんから依頼された「親孝行」の依頼はごく稀で、ほとんどは高齢になって外出が困難になった本人からの依頼がほとんどです。
 
 高齢になったご本人が必死で連絡してくるよりも、「親不孝」であっても子供さんから「親孝行の代行」として依頼されたほうが、家庭内の関係は上手くいくはずですが、「親孝行の代行」についてはびっくりとさせられる夜になりました。
                            1月24日の一言

地下水に魅力を感ずる報道に

 私の住む津島市は海抜0メートル地帯のため、かつては水郷地帯で農家には必ず水路が引かれ、稲や藁などは舟を使って運ばれておりましたが、私の少年時代にはリヤカーに代わっていました。
 
 そして簡易水道が引かれてはいたものの、各家々には井戸があり、我家では井戸水が洗濯だけでなく飲料水としても使われていました。
 今でこそ冷房も空調機となっていますが、私の学生時代には地下水を利用した冷房も多く、我家でも地下水による大型空冷器があり、父親が素人作業で設置していたのを覚えています。
 
 そんな身近であった地下水の汲み上げが厳しくなったのは、上水道の整備と同時に、汲み上げによる地盤沈下が社会問題になったことが大きいと思いますが、最近では地下水を大量に利用していた工場が閉鎖や撤退した事により、津島市の地下水汲み上げ量は最盛期の2割程度と言われ、地盤沈下も治まっています。
 
 こんな中で、水道料金の値上げや下水道料金の連動により、地下水を利用したいとの声を時々耳にする事と、地下に無尽蔵に眠る地下水に対する過去の郷愁を覚え、我家に残されている地下水の管から汲み上げたいと何度も思いました。
 
地下水人気、自治体困った 病院やホテル、次々乗り換え
                      http://www.asahi.com/national/update/0123/OSK201101230004.html
                      http://www.asahi.com/national/update/0123/OSK201101230004_01.html
 
 さて、添付した新聞記事にも記されていますが、技術革新によって民間でも地下水が安心して利用できるようになり、かつての工業用ではなく飲用のための地下水汲み上げが話題になりつつあります。
 
 津島市もかつては水道水の主役であった地下水から、愛知県から供給される水道水の依存が増えていますが、飲料水は行政の思いのままでいられるかどうかは、民間の技術革新によって変わる可能性も考えられます。
 
 恵まれた地下の天然水による珈琲や抹茶なんて考えたら魅力を感ずる人も多いと思いますが、掘削した井戸が汚染されていたり、危険な細菌が混ざっている可能性から二の足を踏むものの、浄水メーカーの技術革新により我家の地下水が自由に飲める時代がやってくる可能性も高いことを実感させられる記事となりました。
                                1月23日の一言

バリアフリー検証会を実施して

 本日はバリアフリー検証会を実施するため、午前9時に市役所に集合し、愛西市の巡回バスと津島市の巡回バスを乗り継いで、愛西市民が公共交通機関を利用して津島市民病院に通院するための実証をしてみました。
 
①コース 永和台南バス停(愛西市巡回バス)9:42…袖木火の見北10:00
 …(徒歩1,2キロ約25分)…南本町(津島市巡回バス)10:30…市民病院10:38
 料金200円(愛西市バス無料・津島市バス100円×2)
 帰路 市民病院14:04に乗車し、逆コースで永和台南バス停到着は17:14分
 
②コース 永和台南バス停(愛西市巡回バス)9:42…ラビデンス日比野10:00…
 …名鉄日比野駅10:09…津島駅10:11…駅バス停10:34…市民病院10:38
 料金520円(名鉄電車160円×2・津島市バス100円×2)
 ※帰路は佐屋駅まで乗車し、佐屋南バス停から乗車すると午後4時5分に永和台南バス停到着は午後4時5分に到着します。津島駅~佐屋駅は220円
 
 愛西市の永和団地住民が9時42分に巡回バスにのり、津島市の巡回バスに乗り継ぐと途中1200メートルを歩く必要があり、②コースのように名鉄電車を乗り継ぐと歩く事は必要がありませんが、共に到着時間は同じです。
 
 ただし、診察後の帰路については、①コースで帰ると市民病院バス停を2時4分に津島市の巡回バスにのり、南本町バス停に3時に到着し、袖木火の見北を3時34分に愛西市巡回バスに乗車できるものの、市内を約1時間40分巡回後に永和台南バス停に到着し、その時間は午後5時14分となります。
 
 ②コースの名鉄電車の利用を帰路は津島駅から佐屋駅として、佐屋駅南バス停で乗車すれば、午後4時5分に永和台南バス停に到着しますが、巡回バスの都合で津島駅か佐屋駅で約1時間の時間待ちが必要となります。
 
 もっとも、こんな検証をしたのは、愛西市の住民から「愛西バスが津島市民病院に停まってくれない」との指摘がもとで、愛西市の巡回バスのバス停と、津島市の巡回バスのバス停の距離をもっと近く設置すれば便利になる事は確実なんですが…
 
 この巡回バスの乗り継ぎは2月6日の愛知県主催「人にやさしい街づくり地域セミナー・津島」で発表しますが、実はこの後にバリアフリー検証会としてはびっくりの事態が起こります。
 
 本日の検証会には、岡崎市の天野さんも参加予定で、電動車イスの天野さんは午前11時55分に介助者と津島駅に到着予定となっており、我々が津島駅に到着すると、かんじんのエレベーターが点検中で利用できません。
 
 「何時に利用できますか?」
 「4時まで利用できません」
 「それじゃー、どうするんですか?」
 「隣の藤浪駅で降りたらどうですか」
 「そこから目的地までどうするんですか?」
 「車で移動したら」
 「車イスを乗せる車の手配は?
 「… … …」
 「これではエレベーターの意味がない」
 「車イスは3ヶ月に一度位しか利用がないから…」
 
 ここで私の頭の回路が壊れ、天野さんが乗車した東岡崎駅から関係する各駅に連絡が入り、車イスの天野さんが津島駅で降車する時間まで判っていながら、当方がエレベーターが利用できない事を指摘するまで駅員が知らなかった事と、利用者が少ないとか、隣の駅に降車しては目的を果せない事に対する駅員の自覚が全くなかった事に抗議です。
 
イメージ 1 結局は、天野さんは介助者と駅員に抱き抱えられ、80キロある電動車イスは4人がかりで高架駅から降ろし、市内のバリアフリー検証をスタートしましたが、偶然とは言えエレベーターが利用できないハプニングを検証会の報告として、市内各地で食事や買い物を楽しむ事とし、午後4時の電車に乗り岡崎市に帰っていきました。
 
 名鉄電車の対応の悪さを実感したものの、駅員さんは一生懸命対応していたので、天野さんを見送った後で確認すると、助役さんだった事から名刺を差し出すと、「もしかしたら、よっちゃんのお兄さんですか」と言われ、助役さんは名鉄に勤める私の妹と一緒の職場にいた知り合いと判り、知り合いならもっとやさしく抗議したのにと思っても後の祭りです…
 
 ただし、こんなケースは現実に起こりうるため、こんな時にはどうするかの対応策を考えていく必要があり、障がい者が利用しない夜間にエレベーターを点検するか、人力による打開策を検討し、今後の糧としたいものです。高齢者や障がい者にやさしい街づくりを私のテーマとしていく意欲が湧く一日となりました。
 
天野さんの市内散歩コース 
津島駅…文化会館(昼食)…観光交流センター…津島神社…松儀商店(買い物)…津島駅…岡崎市へ ※写真は津島神社へ参拝する天野さんと介助者の中根さん。
                              1月22日の一言

身近な環境のギャング襲来に

イメージ 1
 
 本日の写真は、好物のキャベツを狙う相棒リマでもなく、リマの食いちぎったキャベツでもありませんが、畑で鳥に突付かれて大きな穴が開けられたキャベツで、これは何とか使えそうなキャベツですが、ほとんどのキャベツは外皮を残して中身は食い荒らされているとの家族の話です。
 
 厳しい寒波と残雪の影響かどうかは判りませんが、鳥による畑の被害は年々大きくなっており、一年を通して作物が食い荒らされ、畑を耕して苗を植えている高齢の婦人たちは悲鳴をあげています。
 
イメージ 2 もっとも、我家は母親の趣味程度の畑である事から、笑い話として記しておれますが、土を耕してタネをまいて育てた作物がやっと収穫できる時を見透かしたように襲来する鳥の集団は、畑だけでなく、我家の庭に植えられた果物も餌食としており、春のサクランボからアンズ、秋の柿まで熟した一級品から順番に我々よりも早く食べてしまう事から、我々人間は熟す前に収穫するか、鳥と競争で口にするか、今回のキャベツのように、鳥の食べ残した残りを持ち帰るかと考えると、実に理不尽な環境になっており、怒りに震えた家内は全部収穫して知り合いに分配する一日となりました。
 
 笑い話と前記してしまいましたが、鳥によるインフルエンザが各地で報告されている事や、襲来する鳥の種類が我々の少年時代とは変わっており、「愛鳥週間」などとは言っておれない現実は、害鳥として駆除を真剣に考える必要に迫られています。
 
 さて、病院の検査も何事もなく済み、市役所とボランティアの代役に忙しい一週間となりましたが、昨日には娘が孫を連れて家に戻ったので、孫に気にいられるために電車を見に連れて行きましたが、私にとっては20年以上も忘れていた行動で、寒風吹く線路沿いの道路に車を停めて電車を待ち続けました。
 
イメージ 3 孫は4月から保育園に入る予定ですが、まだ2歳にもなっておらない事から可哀そうで、我家に預かっても良いと思いますが、私自身は子供の世話をした経験もない事から、実質的に孫の面倒を見る事となる家内の心境までは判りませんが、娘の住まいから我家まで30分はかかる事から、毎日送り迎えする事も苦痛となります。
 
 現実には、私は孫とオモチャの車で遊び、何処かに連れ出す程度しかできず、ストーブや熱湯でヤケドをさせないようにしたり、食事やオムツの世話までできませんし、昨日も遊び疲れた孫と一緒に寝ている姿を、私の携帯電話で撮影されていました。
 
 「子供は男だけで良い」と言い、3人の息子に恵まれましたが、長男も次男も自立には程遠く、結婚したいとも思っていない現実から、しばらくは娘の子供しか相手になれませんが、こんな時間がいつまでも続いてくれる事を祈る一日となりました。
                               1月21日の一言

根高の釜地蔵寺の前に立ち

イメージ 1
 
 写真は愛西市根高町にある治療院まで会員を移送した私の営業車ですが、見てのとおり道路は車の轍を除いて雪景色のままで、この雪が残る間は当地方も冷蔵庫の中で生活しているようなものです。
 
 この治療院の前に、無住ではありますが由緒がありそうなお堂があり、石塔や案内板から釜地蔵大菩薩とあり、この寺が尾西弘法二十一大師第六番「釜地蔵」であると判りましたが、この寺は海東西新四国八十八ヶ所の第六十六番と、尾張六地蔵の五番寺であるとの表記がありました。
 
釜地蔵寺【かまじぞうじ】   http://www.aruku88.net/tera/302aisai/kamajizouzi-nedaka/index.html 
海東西新四国八十八ヶ所 http://www.aruku88.net/kobo/bisai88/memo/list.html
尾西弘法二十一大師霊場 http://www.aruku88.net/kobo/bisai21/index.html
 
 添付した資料は、愛知札所巡りというホームページを貼り付けただけですが、このお寺の建つ場所は、添付した写真でも判るように、車のすれ違いも難しい細い街道(上街道)沿いに建っておるものの、複数の霊場に名を連ねていることから、かなり遠くまでその名は知られていたと思われます。
 
 お寺にも住職が存在せず、寺の運営を支える信者(檀家)が少ない事から、荒れ放題となっている風景にも出くわしますが、釜地蔵大菩薩像は1653年に制作されたと表記されており、無住にもかかわらず地域の人々の手厚い力で守られてきた事が実感させられるとともに、裏には多くの墓が建ち並び、墓地とされてしまっている事が残念です。
 
 さて、この釜地蔵については、私の叔父のホームページにも札所が表記されていた事から、久しぶりに叔父のホームページを検索すると閉鎖されており、難病を患い、一年前に叔母を亡くしている事から消されている事が判明しました。
 
 叔父の住んでいる住居も浄土宗のお寺の説教所となっておりますが、法人化されていない事から、叔父が亡くなると空家となり、供養を続けてきた墓標や仏像の行く末を心配して「阿弥陀堂」の看板を玄関に掲げましたが、後継者不在は身近な問題と実感させられる寒い一日となりました。
                               1月20日の一言

津島神社に立ち寄って

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本日の津島神社本殿と楼門(右)
 
 「西の祇園社(八坂神社)、東の津島社」と言われ、牛頭天王信仰の東日本を代表する古社であり、全国に末社が3千社(実際に記録が残っているのは全国に約1千5百社)と言われた津島神社ですが、このブログには一度も紹介した事がありませんでした。
 
 今でこそ近隣の神社と同じように紹介されていますが、その創祀は欽明天皇元年(540年)と伝えられ、戦国武将織田信長の氏神として、豊臣秀吉は社領を寄進し、徳川幕府寄進の神領地として明治維新まで続いた神社です。
 
イメージ 3 本日は神社の近くにある「伝承の館」に出向いた際に、雪の残る津島神社にも立ち寄りましたが、残雪により閑散とした中でも熱心に参拝する地元の方の姿と、中型観光バスが1台駐車していました。
 
 本殿は慶長10年(1605)に、徳川家康の四男松平忠吉の妻が、夫の健康祈願のために寄進したもので、楼門は豊臣秀吉の寄進で桧皮葺きの屋根と朱塗りの柱が残雪の中で鮮やかに映えます。本殿正面の南門は秀吉の病気平癒のため、慶長3年に秀頼が寄進しています。
 
 津島市と言えば、夏7月に開催される日本三大川祭り「尾張津島天王祭」が有名ですが、年の初めの「歳旦祭」から、4日に輪くぐり神事「茅の輪くぐり(蘇民祭)」、2月からは5月にかけて「烏呼神事」、「春縣祭」、「闘鶏転供祭」、「花の撓」など五穀豊穣を祈る祭りが続きます。
 
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 左のポスターは今年3月5日に開催される津島神社開扉祭 「おみと」 の案内ですが、津島神社でも勇壮な「火祭」が毎年行なわれています。
 
 この祭りに使われた燃え盛る大松明の灯りの中から、松明の燃え残りを持ち帰って家に納めると田の虫除け・雷除け・歯痛除けに効き目があると、参拝者は顔を焦がして争って持ち帰ります。
 
 
祭りの様子は下記のブログを参考にして下さい。
 ブログ 鉄火お嬢が行く! 
 
 
  さて、本日訪れた伝承の館は、旧図書館の建物を利用して高齢者のために各種事業を展開しており、ここには津島市老人クラブ連合会の櫻木会長が施設の責任者として務めておられ、2月6日に開催予定の「人にやさしい街づくり地域セミナー」のパネラーを依頼してある事から当日の打ち合わせに訪れました。
 
 ここで語り合った内容は内密ですが、名誉職としてではなく、ご自身が名古屋市職員として勤められた行政経験を踏まえた発言ですから、4月の選挙を勝ち残ったら自分も長寿を目指すために、是非とも協力したいと思う訪問となりました。
                                 1月19日の一言

これでもタクシー事業主なんですが…

 昨日と一昨日に降った雪が本日も道路に残っており、主要道は大丈夫と思われるものの、路地裏の小道は凍結してアイスバーンとなっている事と、「具合が悪い」と言うボランティア(福祉有償運送)の声に、こんな時こそ活躍すべきと、本日は朝から夕方まで運転手役の一日となりました。
 
 もっとも、一日と言っても2人の病院の送迎だけで、聞く人には「2人だけかッ」と思われるでしょうが、この2人の運転手役で朝8時から午後5時まで拘束されており、ボランティアの打ち合わせを終えて帰宅した時は真っ暗となっていました。
 
 津島市内のAさんは朝8時30分に自宅を出発し、約4,1キロ離れた市民病院まで(運賃750円)送り、診察が終わったら自宅まで送る予約で、愛西市のBさんは、午前9時30分に自宅から安藤病院まで(運賃470円)送り、診察後に自宅近くの福祉施設まで(運賃350円)まで送るのが予定でした。
 
 これだけなら午前中に終わるはずでしたが、午前10時前に診察が終わったAさんから「このまま大橋眼科に行って欲しい」と(約1,3キロ・運賃350円)言われ、「1時間位はかかるだろう」と言われ、凍結した道路を自宅に帰るのも危険なため近くの喫茶店に入ると、モーニングサービスのトーストが焼きあがる前に診察が終わったと連絡が入り、立ち食い状態で戻って自宅まで(4,9キロ・運賃8百円)送迎しました。
 
 そして慌てて約8キロ離れた安藤病院まで走ってBさんを出迎えたところ、「隣人の入っている老人ホームまで行って欲しい」と言われ、途中のスーパーで贈答品を買い求められるのを待って施設まで送り(4,1キロ・運賃750円)ました。
 
 ただし、2時間か3時間位後に連絡すると言われ、話し中では困ると思い携帯電話も使わず2時から事務所に待機していたものの、4時を廻っても連絡がなく、催促は迷惑と待ち続け、施設から自宅へ送った(5,9キロ・運賃9百円)時に時計は5時近くなっていました。
 
 このまま今週末(土曜日)に実施する「バリアフリー検証会」の打ち合わせや連絡をし終えて帰宅すると6時を大幅に過ぎており、普通ならこのままコタツに入れますが、本日は夜の書道会がある事から、会場の掃除と暖房を入れて仕事の後始末をしていると恩師を迎えに走る時間となっていました。
 
 本来はAさんが往復で1,500円、Bさんが往復820円の合計2千320円のボランティアが、4千20円もの運賃(ガソリン等は自己負担)を貰ってしまい、困った時の代役運転手の私には大きな運賃となりましたが、青ナンバーのタクシーを所有している事と、朝8時から夜9時半(恩師を送り終えた時間)まで考えると疲れる一日となりました。
 
 明日もボランティアの依頼がありますが、明日は議会日程がある事から、仕事を休んでいる家内がボランティアに走る事となっており(運賃は往復1,500円)、しばらくはセミナーや写真展の準備も必要な事から、家族を巻き込んで忙しい日々が続き、腰痛となったボランティアの早期復帰を願う夜となりました。
                               1月18日の一言

診断は無罪放免でした

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雪の舞う津島市民病院 (正面玄関・昼)
 
 昨日から降り続いた雪が本日も振り続け、早朝の道路は真っ白で、各地で車が道路を飛び出したり標識にぶつかり、行く先々で道路に車が放置されたままとなっており、こんな時こそ役立つべきとの責任感から「福祉有償運送」のボランティアに出かけました。
 
 朝8時30分の約束で走り、普段なら10分で到着する眼科医に9時に到着し、雪道を帰ることもままならず、近くの喫茶店で待機して診察後に帰宅すると時計は10時20分を回っていました。
 
 さて、本日は市民病院で膀胱の内視鏡検査が11時に予約してあり、何とか断る理由を考え続けながらも、「逃げたな」と言われる訳にもいかない事から、家内の付き添いは情けないものの時間までに出向きました。
 
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 「大鹿さん、ズボンとパンツを脱いで、ここに座ってくださいね」と言われ、左に添付したイスに座ると、勝手にイスが回転してから上昇し、目の前のカーテンが下ろされ、今度は背もたれが倒れて、両足が徐々に開き出し、大股開きの状態となります。まさに「まな板の鯉」状態です。
 
 最初にバスタオルが掛けられているものの、女性のお産風景と同じ体勢で、男性のシンボルにゼリー状の麻酔薬が注入され、このまま15分ほど待たされます。
 
 「緊張してますね。フーと息を吐いて」、「フー」
 「肩の力を抜いて」、「はい、はい」
 「足も震えてるよッ、もっとリラックスして」、「やっぱり…」
 「今日は寒いでしょう?」、「寒さよりも痛くないように頼みます」
 
 「看護婦さん、ここで悲鳴をあげた人はありますかね?」
 「今までは無いけど」
 「もし、悲鳴をあげたら宜しくねッ」
 「途中で苦しくなったら言ってよ」、「エッ、エッ?苦しいんですか?」
 
 とにかく下半身丸出しで沈黙する事も孤独で看護婦さんと会話を続けると、担当医が登場していよいよ内視鏡の注入となります。
 
 「はい、今から入ります。力を抜いて」、「ハイ、ハイ」
 「もっと力を抜いて」、「ウッ、ウー」
 「ウー、まだ入りませんかね」、「今、入りましたよ」
 
 こんなやりとりから、やっと自分の膀胱内の様子を画面で確認できるようになりましたが、私の下半身はかなり強力な力で捻られ、押されて引っ張られ、痛みは何も無いものの違和感に苦痛を感じながら検査は終了です。
 
 「今回は無罪放免です」が検査後の診断で、ガンや結石の心配は皆無で、1ヶ月におよぶ検査の結果、閉鎖された上高地の雪中を7時間も歩いた事から、顕微鏡で見ないと判らないような結石(砂粒程度)が下りたことによる血尿だったようです。
 
 それにしても人の話では、「ものすごく恥ずかしい」とか、「今までにない激痛が走る」などと、検査前に恐怖感は最高潮に達し、「やらない方が良い」などと無責任な入れ知恵が多かったものの、本日の一番の痛みは検査後に打たれた感染防止の注射で、恥ずかしいと考える余裕もありませんでした。
 
 もっとも、検査後のトイレでは小便に血が混じり、ポタポタと血がこぼれ、これが帰宅後の夜まで続きましたが、徹底的な検査によって「何も異常なし」と判り、「結果はどうでした?」と心配した電話に、「何も異常なし」とも言い難い私の大人げない心配性の反省となりました。
                                 1月17日の一言

久々の雪景色に白銀の世界へ

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 本日は気象情報どおりに私の住む津島市も銀世界となり、事務所前のアンズの木も白黒写真の樹氷のような風景となりました。
 
 さて、こうなると困るのが車による外出で、昨年から今年の冬までスタッドレスタイヤを履き続ける予定でしたが、過去3年間に一度も使用する事もなかった事から、普通のタイヤに交換しており、チェーンを装着する必要ができました。
 
イメージ 2 青ナンバーのタクシー車輌もスタッドレスタイヤを買いに走りましたが、サイズが稀少であまりにも高額なため、雪が降る事が少ないことからチェーンの携帯で済ませており、しばらくは雪を乗せて休業が安心です。
 
 ただし、明日はボランティアで朝から病院に移送する人が存在し、こんな時にボランティア任せにはできない事から、私がスタッドレスタイヤを装着した家内の車で走る事となりました。
 
 もっとも私自身も明日の11時に病院の検査が予約してあり、男性にとっては屈辱的とも言われる膀胱内の内視鏡検査である事から、本日から心中は複雑で、久しぶりの積雪を理由に断ろうかとの邪心がのぞきます。
 
 この内視鏡検査については、聞く人によっては「恥ずかしい」の一言は共通ですが、痛みについては様々で、「全く痛くなかった」と言う人と、「激痛が走り二度としたくない」と言う人が存在します。
 
 本当はどうなのか? これまでの検査で何も異常がなかっただけに複雑ですが、明日の昼には体験談が語れることは確実です。
 夜になっても雪は降り続いており、道路が真っ白になっており、明日は他人を運ぶ半面で、検査には家内同行となりそうです。南無阿弥陀仏…
                            1月16日の一言

名古屋水族館にシャチは必要か

 名古屋港水族館(名古屋市港区)で飼育されていたシャチの「ナミ」(雌、推定28歳)が14日に死んだと報じられた。記事にもあるが、「ナミ」は昨年6月に和歌山県太地町立くじらの博物館から5億円で譲り受けたもので、シャチの雌の寿命は平均でも50才、最高寿命は80年と言われる中で、1年も経たずに28才で死んだことはどのように考えれば良いのか。
 名古屋に来たばかりなのに…シャチの「ナミ」死ぬ
              http://www.asahi.com/national/update/0114/NGY201101140031.html
 
 名古屋港水族館では、2003年から雌のシャチ「クー」を5年間で2億5千万円の契約で太地町から借りていたが、08年に推定18歳で病死しており、「ナミ」の早すぎる死と併せてシャチを名古屋に連れてくる事と、飼育する環境に問題があるとしたら、そこまでして「繁殖の学術研究」を理由に飼育する必要があるとは思えない。
 
シャチのペア、名古屋にレンタル移籍 新しい家族誕生目指す
              http://www.asahi.com/eco/TKY201011120134.html
 
 一方で名古屋港水族館は昨年11月に、鴨川シーワールド(千葉県鴨川市)から、シャチの雄雌ペアを5年契約で貸し出すと発表している。レンタル料は5年で計4億8千万円と発表されているが、レンタルされるシャチの雄雌ペアは1998年以降、4頭が生まれ、うち3頭は今も元気に育っている事から、鴨川シーワールドでこのまま飼育した方が子孫繁栄が期待され、「クー」と「ナミ」の二の舞になれば責任は重い。
 
イルカ漁が食文化と言えるのか 2010/3/8  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42985139.html
 
 さて、昨年の3月に米映画、アカデミー賞 「ザ・コーヴ」の撮影をめぐって、イルカ漁を行なう和歌山県太地町や関係者と、撮影するスタッフとの間にトラブルが起こった事から、私はイルカ漁とイルカを食する事を日本人の伝統文化と主張する和歌山県太地町や関係者に異論を記しました。
 
 今回のシャチの問題も、死んだ「ナミ」が和歌山県太地町立くじらの博物館から5億円で譲り受けていることから、改めてシャチやイルカだけでなく、クジラについても真剣な議論とあるべき環境を求めたいものである。
                                  1月15日の一言

おめでとう-小川大地選手

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 今月の12日から本日まで開催されていた大垣競輪場で、私の三男の同級生であり練習仲間の小川大地君がデビューし、本日の第2レースで見事1着の成績を残している事が判りました。
 
 添付した写真は「キラ散歩ブログ」さんのブログに掲載されていた過去の写真を勝手に拝借しましたが、1日目は2着で、2日目は落車して最下位でしたが、3日目の最終日は1位に輝いておりました。
 
 
 本人は忘れてしまっているだろうが、3ヶ月前に「デビューしたら、オジさんが横断幕くらいは出してあげるから」と調子の良い話をしていたが、本日の夜に息子が話すまで試合があった事も知りませんでした。
 
 「おい、なんで言わなんだッ」
 「俺は行かんて言ってあるから…」
 「そんでも、何で俺に教えないんだッ」
 「連絡も無いし…」
完全に名古屋弁の会話です
 
 もっとも三男は成人式当日(9日)からインフルエンザに感染しており、学校も休んでいる状態で、私も年末年始は病院の検査が続いており、完全に1月にデビューすると聞いていた小川君の事はすっかり忘れていました。
 
 一方で、競輪ではなくロードの世界に進んだ三男は、昨年の秋からは一年後に控える国家資格を優先して、自転車よりも学業を優先して大会にも参加しておらず、最近では自転車の話をする事も少なくなっているものの、明日は地元の自転車さんの誘いで練習に出かける様子です。
 
 家も近い事と日頃から息子を車で誘ってくれる小川君を応援していますが、彼の勇姿をギャンブル場の競輪場で直接見る事は、涙腺の緩んだ私には大変かと思いますが、4月の総選挙で生き残って「横断幕」を持って走りたいと思う夜となりました。
                             1月14日の一言

自分のペース配分を外れると

 朝3時に起床して会報を配布し終わったのが6時40分。慌てて風呂に入り、昨晩に電話をもらったものの、時間切れとなった人と待ち合わせの喫茶店に走り、帰宅したのは11時を大きく回っていました。
 
 個人的な都合を言えば、この時間を朝の仮眠時間として、市役所に走ってから午後にも会報の配布に走りたかったのですが、喫茶店から帰宅するのが精一杯の睡魔がおそっており、昼食も口にせず布団に入りました。
 
 朝3時に起きることには身体が慣れて、会報配布当初に起こった身体の痛みもなくなり、このまま新聞販売店の仕事に復帰しても続きそうな雰囲気ですが、3時間以上も配布を続けてそのまま出かけた事は身体が順応できません。
 
 平成5年にPTA会長を務めた時は、こんな不眠の状態のままで一日を乗り切ってしまいましたが、当時の40才程度の年齢との格差は大きく、仮眠後にも身体が思うように動かず、夕方の約束を果すのみとなりました。
 
 さて、4月の選挙を控える立場で、新たなボランティア組織を立ち上げる人々の相談にのっておれる余裕はありませんが、午前中の喫茶店と同じく時間の超過を忘れて時計だけが刻々と過ぎていきました。
 
 しばらくは会報配布に専念する日々が続きますが、そろそろ写真展の案内や2月6日開催の地域セミナーの資料や広告印刷も必要となる事から、月末にはとんでもなく忙しい日々を迎えそうです。まもなく就寝です。
                                 1月13日の一言

検査を断れない人間の弱さに

 本日は市民病院で泌尿器科を受診し、膀胱エコーの検査を受けました。この検査は昨年12月22日にCT検査、27日に尿検査と血液検査、1月4日に腹部造影検査とレントゲンに続くものでした。
 
 本日の診察で、「癌の心配はない」事と、「前立腺の異常もない」、「結石が見当たらない」事が医師から伝えられたが、そうなると自覚症状がなかった事から、何が原因で血尿が出たのか判りません。
 
 「石が下りた感覚はなかった?」
 「全く何もありません」
 「その後血尿が出た事は?」
 「2日間だけで、後はありません」
 「オシッコの出方に変化は?」
 「まったくありません」
 
 結局、何も悪い原因が判らない事から、たとえ2日間でも僅かな血尿が出た原因は何かが判らず、医師は「数値や外からは判らない事もある」と、「膀胱内の内視鏡検査」を提案されました。
 
 この検査については、多くの人から「ものすごく痛い」とか、「大変恥ずかしい」などとの経験談を聞いていた事と、最悪の心配事であった癌の心配がなかった事から、「何故、やる必要があるのか?」と質問しました。
 
 「何も原因が判らないままて良いの?」
 「それは、そうですが…」
 「もし、先になってあの時に検査しておけばと後悔しないためにも」
 「それって、すごく痛いんでしょう?」
 「大鹿さんは今までに何が痛かったの?」
 「足を打った事かなぁ」
 
 こんなやりとりから、「最後は自分で決断して下さい」と言われ、万が一を考え「検査のついで」と来週月曜日に検査をすることになり、予約してから看護師さんの説明を受けて診察室を後にしましたが、家内しか見せた事のないオチンチンの検査なんですが…
 
 もっとも、検査や診察に入るまでの時間が長く、膀胱のエコー検査は尿がたまっていないとできない事から、「尿意をもよおしたら教えて下さい」と受付で言われ、「出そうになりました」と訴えてから待たされる事1時間近く。
 トイレに行ったら検査ができない事から必死で我慢する事となり、「これ以上我慢ができない限界」と怒り心頭に達してからの診察で、検査後の説明や決断が長かったことから、診察室前で待つ後の患者さんも怒り心頭で私の診察終了を待っていたと家内から聞きました。
 
 とにかく最悪の事態どころか、悪いところが何もなかった事から、「それじゃー今までの大げさな検査は何だったのか」と思う半面で、2日間とは言え血尿が出た事から何も悪くないとも言えず、「もう結構です」と来週の検査を断る決断もできない自分の決断力のなさを実感する一日となりました。
                                  1月12日の一言
追伸
前向きに考えると積極的な検査しかありません。

少数意見ですが胸が痛む返信に

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 本日は連休明けのため、地域に配布しているアンケート調査の返信が多く、18通もの封筒(受取人払い)が一度に届きました。
 アンケートの中に記入された内容は、私の議会(議員)活動にとって極めて重要な資料になっており、過去に3回実施した調査と、具体的な要望や提言は行政に事実として訴え、議会の一般質問にも引用してきました。
 
 ただし、私の反省すべき材料も多く、約1万2千所帯に配布する用紙(A4、8ページ分)や添付する封筒印刷にかかる費用と、受取人払い(1通95円)に要する金額は巨額となるものの、返信者に対するその後の展開の説明不足が大きい事を実感させられます。
 
 その中でも、実際に要望や提言を市役所に伝えたり、議会や委員会で発言していても、返信した人への十分な説明と、状況が知らせてない事から、アンケートそのものや私への不信感になっている返信が存在しています。
 
 多くは対応しているものの、記名が不正確で連絡ができなかった人や、説明するまでもないと思われる批判も存在し、私自身の反省としては、議会で発言したり市役所に伝えた事で責任を果たしたと錯覚していたと思われます。
 
 手間隙とお金もかけたアンケートですが、返信された人の中には、多くの要望を届けていただいた人も多く、それらの人々のアンケートと私に対するご厚意を裏切っていたとしたら、意図していなかった事とは言え大変なショックを受けました。
 
 さて、それでもアンケートには様々な意見や提言、要望が記されており、任期の残された3月議会までに全てを伝えて、議会でも取り上げようと考えています。
 
 そして、津島市議会は有線放送で実況中継されていることと、2年前から議会だよりが発行されている事、そしてこのブログなどを通じて、私の議員活動も伝わっていると勝手に思い込んでおり、現実は市民のほとんどに伝わっていない事から、今後はより議員活動の内容を知らせる必要性を実感する一日となりました。
                                1月11日の一言

3時起床に悲鳴をあげながら

 本年はじめての連休により、まるで正月休みのような時間の錯覚を覚えましたが、元旦が土曜日で短い正月休みだった事から、土曜日から三連休の今回も同じように思えたのかもしれません。
 
 ただし、時間的余裕を感じたものの、私の身体は筋肉が悲鳴をあげており、こんな一言を記すと年末年始の病院の検査と関連した印象を与えてしまうものの、この疲労は先週から再開している午前3時からの会報配布の影響です。
 
 私は昭和52年の元旦から朝日新聞の販売店を開業し、この日から廃業する平成11年2月まで、朝の3時に起床することが生業となり、開業当時は大学生だった事から朝3時から夜まで身体を動かしていましたが、配達による疲労を感じたこともありませんでした。
 
 もっとも、3時間も配達するのは人が休んだ時くらいで、毎日同じリズムで生活していたので疲れなかったのでしょうが、何よりも年齢の違いは大きく、廃業して12年が経過している事から、しばらくは苦しい起床が続きます。
 
 私の場合は若い頃から3時起床を続け、朝食後の仮眠を経て午前10時半から仕事の再開としていたので、早朝に起きることに苦痛は感じませんが、3時間の会報配布は全戸配布であり、バイクを使っているものの実質には歩き続ける配布は大変です。
 
 私の感覚では身体の悲鳴が消えるまで一週間程度はかかると思いますが、朝の空気は凛として清々しく、運動と思って会報配布に徹すれば、確実にメタボリックな身体の改善につながり、夜明けの東の空を眺めると写真機を構えたい心境に襲われます。
 
 現在配布している会報は6ページ分が返信用のアンケートとなっており、一方的に配布するだけでなく、日中に郵便配達によって返信されてくることから、郵便配達の人へ受領書へのサインが必要となり、配達の時間が一定でない事から朝の仮眠が脅かされます。
 
 さて、明日から3時起床で、議員としての活動とNPO法人のボランティアが続きますが、明後日の病院の結果が残っており、何事もない事の確認となることを祈りながらの行動となります。
                                     1月10日の一言

息子がキーワードの一日に

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 写真は本日開催された津島市消防出初式の中で、天王川公園の池に向けて一斉放水される光景を見守る消防関係者の後姿で、比較的穏やかとは言え寒風吹く早朝より多くの関係者や市民が集まりました。
 
 毎年のこととは言え、消防団員は仕事を持って働くボランティアであり、火災発生時だけでなく、台風や災害時にも出動する事が当り前のように思われているが、貴重な休日や夜間の訓練に借り出される一般市民であり、職業でもないのに命令に従って寡黙に行動する姿は自分には堪えられぬように感じます。
 
 消防団員の活動は、災害時に機敏に行動するために団員の上下関係で規律正しく訓練されており、訓練時に雑談や身勝手な行動は一切なく、「国旗に対して注目」と言われて、「自分は君が代なんて認めない」なんて政治的理屈は通用しません。
 
 私も一年間だけですが、町内から無理やり指名されて団員を務めた事がありますが、年齢が高くなってからの指名であった事と、仕事や与えられた公的役職が多い中で、新人として雑兵のように扱われる消防団の体質が肌に合いませんでした。
 
 自由と平等が当り前となった現代社会において、何事も上下となる団員の関係とか、上の命令に絶対服従の体制は受け入れられないものがあるが、災害時や火災発生時にはこんな理屈よりも、上下伝達により効果的な行動が求められます。
 
 今更やり直す事は不可能ですが、来賓ではなく団員と一緒に整列して身体を張ったボランティアに徹したいと思う心情から、本日は来賓席のあるテントには入らず立ったまま訓練の終了まで参加しました。イメージ 2
 
 さて、本日は成人式も開催され、消防出初式から慌てて会場となる津島市文化会館に走りましたが、今年の新成人の中には私の三男も含まれており、会場で息子の姿を探したものの見つからず、携帯電話も不通になっていた事から、同じ会場におりながら会わぬままに会場を後にしました。
 
 
 寒風吹く消防出初式から、暖房の効いた成人式に移動となり、帰宅して着替えていると動くのも億劫となり、このまま家で休息しようと考えましたが、先週の日曜日が2日であった事から、年末から横井庄一記念館に足を向けておらず、慌てて記念館に走りました。
 
 「今日来なかったら電話しようと思っていた」との館長(横井夫人)の一言は、年末年始に私が病院の検査を受けていることから、姿を見せないことが重病ではないかとの心配をかけており、足を運んだことは正解でした。
 
 一方で、記念館を訪れておられた若い御夫婦が自転車競技を趣味とされており、乗鞍ヒルクライムの優勝経験者と聞き、自転車競技の話にも花が咲き、帰宅後には久しぶりに三男と自転車競技の話で盛り上がる一日となりました。
                                 1月9日の一言

ローン社会の光と影に

 文部科学省が大学生らへの奨学金事業について、日本学生支援機構は新年度(4月)より貸与基準を厳しくするとの新聞報道が、本日の朝日新聞夕刊の一面記事として報じられている。 
 
奨学金貸与基準、厳格化へ 文科省、両親の年収を合計
 
 これまでの親の年収について、「主たる家計責任者」の収入の申告で良かったものが、新年度からは両親の収入金額の合計に変更し、年収を証明する書類の提出が必要になるという。
 
 当然と言えば当り前の話であるが、大学進学が当り前に増加したことと、働く女性の増加による共働き世帯の増加が理由に挙げられている。
 
 一方で、本日の報道では大学生の3人に1人が奨学金を利用しており、10年度は118万4千人に貸し与えられており、進学率の上昇と景気低迷により増加傾向にある事は容易に想像がつく。
 
 さて、報道では貸し付け基準の厳格化が記されていますが、奨学金には無利子の貸し付け制度もあることから厳しくて当然であり、これまでは父母の収入の少ない方を「主たる家計支持者」とする不適当な申請を受理していた無責任な対応が問題でもある。
 
 実は我家も昨年に三男の学費のためと金融機関の教育ローンを借りましたが、実際には家内の所有する貸店舗の内装資金を借りる予定であったものが、店舗の改装資金よりも教育ローンの方が審査が簡単との金融機関からの情報でした。
 
 現実には、三男の保護者が私である事から、家内名義ではなく私名義のローンとなり、私と家内の収入が合算されると借りる必要がないと判断され、いかに我家の家計が苦しいかとの説明から際どい審査となりました。
 
 家内は貸し店舗を所有しているものの、建築資金を借りて返済を続けており、空家となった店舗を抱えて働きに出ていることから、共稼ぎとか両親の収入金額だけでの判断は疑問にも思います。
 
 もっとも、最近では小学校の給食費を払わない家庭や、保育園の保育料も支払わない家が存在し、奨学金を全く返済しない学生の存在が報道されており、資金を借りるローンが当り前の社会にあっても、返済をしない横着者を許さない社会的仕組みが重要になっている現実も忘れてはなりません。
                               1月8日の一言

継ぎ接ぎのような行動へ

 昨日からアンケート調査用の会報を配布し始め、本日は久々となる午前3時起床から午後6時までバイクによる配布を実践し、午後には知人の手伝いを求めて約1時間程度配布したところで津島市消防本部からの電話です。
 
 1月31日から2月2日の3日間ではありますが、名古屋市中消防署において「患者等搬送乗務員適任者講習」が開催され、我がNPO法人から2名のボランティアと私の3名が参加する予定になっており、当日持参する書類が届いたとの事でした。
 
 幸いと言うか、昨日の会報配布と、本日の早朝と午後の配布で、私の肉体は限界になっており、この電話から市役所経由で珈琲タイムとしましたが、会報配布以外にも1月31日から一週間は「上高地の写真展」も開催予定である事から、写真の選定と引き伸ばしも急務です。
 
 この写真展と前記した消防署の講習会の日程が重なる事から、せっかく開催しても自分は3日間しか会場におられず、来られた人々の応対もできません。
 
 一方で、写真展の最終日翌日の2月6日には、「人にやさしい街づくり・地域セミナー」が文化会館で開催される事から、当日の資料印刷や機材の借り出しも必要となり、開催日前に新聞に折り込む宣伝広告の印刷と配送も残されており、何か手違いがあれば取り返しのできない事態も考えられます。
 
 もっとも、このセミナーの資料となるバリアフリー検証会は、来週末にも実施する必要があり、事前準備を考える時間的余裕もない現実の中で、刻々と時計だけが時間を刻んでいきます。
 
 こんな状態の中へ、「〇〇議員が住宅を全戸訪問していた」とか、「△△議員から年賀状が届いた」と、行動を評価する一言が届けられ、「戸別訪問」や「年賀状の差出」は公職選挙法に違反する違法行為でありながら、世間には罪の意識どころか「努力」を評価する雰囲気にストレスがたまります。
 
 さて、明日も3時起きで会報配布に走ります。正月気分は皆無です。
                                   1月7日の一言

街ネタを拾う会報配布へ

 本日はアンケート調査をするための会報を配布したところ、わずか百件程度の配布にもかかわらず、出会った人との会話が長くなり、帰宅するまでに2時間もかかり、予定していた市役所行きが遅れて帰宅も夜となりました。
 
 出会った人と言っても寒風吹く中では3人だけでしたが、その3人との会話の中には、それぞれの立場で問題提起となる内容があり、特に高齢者とは言えない年齢でありながら老後が心配となる点で共通していました。
 
 一方で農家(兼業の小規模農家ですが)の息子さんの婚期が大幅に遅れているものの、息子さんにその気がない事から、このままでは家の後継者がなくなる可能性については、東北や過疎地ではないものの、現実問題として実感させられました。
 
 私は学生生活が長かった事と、大学在学中に起業していた事から、学生時代に結婚することになりましたが、我家も長男が30才を超えており、次男は結婚なんて無縁の行動をしていることから、明日は我が身の問題でもあります。
 
 今から12年前、議員になった直後に、進まぬ縁談に困った人から結婚相手の紹介を依頼され、見合いのための履歴書や写真を預かった事がありましたが、双方の希望が噛み合わず、預かった写真が重荷になって返却した経緯があります。
 
 このことについては、学生の就職問題も共通ですが、最初から希望どおりでないと見向きもされず、無駄骨となるばかりか、舞台裏の苦労が全く理解されていない事から、かつての「お節介」とも思えるボランティアの仲人も減りつつあり、少子化の解消に「結婚」について議員も無関心ではおれません。今後の公約にも入れたいと思います。
 
 さて、最近では私の相棒「リマ」ちゃん(ポメラリアン・雄2才)についての掲載がありませんが、「お父さん、リマのオシメを買ってきて」と言われ、一度は帰宅前に買い求める約束をしたものの、リマのオシメは人間の女性の生理用品である事を思い出し、犬と一緒に物色した一年前が懐かしく思われるとともに、変態と勘違いされる事から慌てて断りの電話を入れる夕方となりました。
                                  1月6日の一言

無料通話のスカイプへのお誘い

 友人に誘われ、年末よりスカイプに加入し、パソコンを利用して無料の会話を楽しむようになりました。時間にして30分もあれば会話が可能となり、パソコンに差し込めるマイクがあれば、話し続けても完全に無料です。
  
 
 もっとも、仲間がなければ会話もできない事から、数日前より知人を誘い、現在は同級生3人ですが、電話の代用として3人同時に会話を楽しむようになりました。 私のスカイプ名は『 s281218 』ですが、関心のある方は加入して私に呼びかけて下さい。
 
山陰大雪でコンビニ配送ドライバーがとった素晴らしい行動
             http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/37712030.html
 
 さて、私がファンになっている矢嶋さんのブログに、心温まる美談が取り上げられていたので添付しましたが、災害時に『Twitter』や『Mixi』が有効に活用されている現実から、行政も予算を必要とする自前の対策にとらわれず、民間との共有は急務です。
 
 一方で、広島市の秋葉忠利 市長の退任表明が、『 Youtube 』 (ユーチューブ)動画を通して不出馬の理由を自らの動画会見で発表されました。テレビ報道ではこの発表方法に異論を挟むコメントがありましたが、マスコミのおごりを感ずるとともに、情報文化の変化は止められない現実を実感です。
 
秋葉忠利 市長の退任表明
 
 矢嶋さんの添付ついでの書き込みとなりますが、私と矢嶋さんの小沢一郎氏と菅首相に対する人物評(好き嫌い)は正反対となりますが、いくら市民派出身で応援したいと思っていても、菅首相の最近の発言には国のトップとしての自覚を疑います。
 
 新年早々から小沢氏の自発的辞職を求める発言は、自分の足元である民主党を揺さぶるだけで、国の将来展望や国民の生活が後回しにされており、政権与党のトップとしての自覚が足らず、数合わせで野党に擦り寄る前に民主党の団結を図れない行動にはがっかりとさせられました。
                                  1月5日の一言
 

検査でも大騒動の末に

 本日は実質的に平成23年がスタートし、私は8時半より津島市民の方を名古屋市の日赤病院まで送迎し、夕方には自分自身の腹部造影検査を受けるために、津島市民病院に走りました。
 
 こんな時には情けないもので、自分一人で行けるものの、家内の運転する車に乗せてもらい、予約時間より随分早く到着したところ、「大鹿さん、それじゃーまず点滴をしましょう」と看護師さんが出てきました。
  予約時間より20分も早く、「まだ、心の準備が…」と心中では呟きましたが、言われるままに処置室に入り、今から始まる検査の説明と段取りを聞き、担当する看護師さん(男性)は2年前に息子が自転車転倒事故で世話になった人で、まずは御礼から…
 
 
 こんな笑顔のやりとりが私の心を随分と和ませましたが、「大鹿さん、血管が出ないですね」と、差し出した左手を右手に代えて、腕から手首まで血管を探しますがなかなか適当な血管が見つからず、「もし、1回でできなければ、温めてからやり直しますから」の一言で、緊張は最高潮に達します。
 
 幸いにして1回で済みましたが、このまま点滴を点滴台にぶら下げて、脱いだ衣類を抱えて看護師さんについてCT室まで行きましたが、ちょうど直前に患者さんが入ったことからしばらく廊下で待たされます。「手は下げて良いですよ」と言われても、針が刺さったままである事から下げられず、「ソファーに座って下さい」と言われても座る余裕がありません。
 「〇〇さーん、〇〇さーん」と、書道会で一緒の看護婦さんを見つけ必死にガラス越しに叫び、身の上話に花を咲かせていると検査の開始です。こんな時に知り合いの姿は心強いものです。
 
 CT室で検査台に横になり、点滴に造影剤を注入して数回の撮影となりましたが、事前に説明があったとおり、造影剤注入後に身体が熱くなり、薬が身体中を廻っていることが実感させられます。時間にして15分位で検査は終わり、別室で腹部のレントゲン撮影で本日の検査は終了です。
 
 12月22日にCT検査を受け、27日に血液検査、尿検査、レントゲン検査をし、本日の腹部造影剤検査ののち、12日に腹部のエコー検査を受けて、最終的な検査結果と診断が下されます。
 検査の原因となった微妙な血尿は2日間で消えており、具体的に痛みや症状はないものの、痛みが無い事が私にとっては心配となり、朗報が伝えられる事を願っています。
 
 さて、過去の市議会で市民病院の質問を繰り返したことがありますが、実際に患者になったことがなく、今までは患者さんやご家族の代弁でしかありませんでしたが、実際に自分自身が患者になった事から、診察の待ち時間など患者でなければ判らない問題点も実感させられました。
 
 私の尊敬する「鶴田浩二」さんは、自分の病状を絶対に周りに知られることなく、映画スターとしてのイメージを残したまま他界されましたが、小心者の私にはとても真似はできず、人と話すことで知恵を借り、ストレス発散となっています。
 
 「先輩、検査は大丈夫でした」の一言は、年末に実母を亡くし、大晦日に葬儀を終えたばかりの知人の電話で、本来は私が励ます立場にありながら、私のために電話をかけてくれました。
 
 来月6日に開催される地域セミナーの要約筆記のボランティアの依頼も、こんな顛末から忘れて遅れていましたが、気持ち良く引き受けていただき、必要な視聴覚機器についても仲間が手配してくれました。
 
 沈んだ正月気分を、仲間や人々の温かみによって払拭し、明日からの励みとなる一日となりました。
                                    1月4日の一言

交通事故死ワーストワンを返上

 本日は休養と思っているとボランティアの受付から、「福祉タクシーの依頼がある」との連絡が入り、慌てて出動しましたが、正月早々のお年玉だけに独り占めは悪いと受付係を珈琲屋さんに誘い、「バカじゃないの」と子供に言われましたが、損して得取れと無欲のスタートです。
 
 正月早々の新聞報道によると、豪雪被害とスポーツの話題は別とすると、「バイク王価格競争装う」と題して、インターネットの悪用により顧客を騙していた事件が報じられるとともに、「テロ捜査情報流出」、「共同購入2百人におせち届かず」と、インターネットに関わる事件や不手際が報じられています。
 
 私はこの一言についても本名で記しておりますが、インターネットの時代と言うものの、相手が特定できないことと、目に見えない関係にあることから、悪意を持ってすれば詐欺や犯罪の可能性もある事から、安心できるネット社会を構築するためには、この手の事件にはより厳しい厳罰を処するとともに、迷惑メールやコメント欄の迷惑書き込みも一掃する仕組みが必要と思います。
 
 さて、新年早々にイメージの悪い一言は後回しにして、明るい話題として「愛知、交通死ワースト返上」と、昨年の交通死亡事故が全国で51人減少し、愛知県も6年ぶりに全国最悪を返上した報道がありました。 
  
 
 愛知県の昨年死者数は197人で、前年より30人減少し、全国では10年連続の減少となっており、かつては1万人以上あった交通死亡事故が昨年は4863人となり、年々減り続けたことに警察や関係者の努力を称えたいと思います。
 
津島警察署管内死亡事故発生マップ http://www.pref.aichi.jp/police/koutsu/map/26_tsushima.html
 
 ただし、愛知県の交通事故死者数は減少したものの、人身事故の件数は200件以上増加していることから、この件数の詳しい分析を進めないと次年度もワーストワン返上とはならない危険性もはらんでいます。
 
 私の住む津島警察署管内では7人が交通事故で亡くなられておりますが、その中の3人が私の知人や次男の友人であったことから、添付した事故発生マップの認識と、専門家の意見も訊ねたいと考えています。
 
 一方で、ボランティアとして「福祉有償運送」や、「福祉タクシー事業」を運営しており、今年は民間救急の患者等搬送乗務員適任者講習も受講予定となっていますが、車を運転する立場からは加害者となる可能性も高く、より一層の安全運転が求められてきます。
 
 本年が交通事故による津島市民の被害が減少し、死者が1人も発生しない地域社会になる事と、自分自身も交通安全の役に立つ存在として、一年後のこのブログに朗報を記せる事を夢見て本日の一言といたします。
                                  1月3日の一言
追伸
明日からは平常の生活がスタートします。

犬とテレビと眠りだけの一日に

 朝はコタツの中で、愛犬の舌で顔を舐められて目覚め、朝食と連続した昼食後に箱根駅伝が終わって眠りに陥り、気がつけば夕方ですが、着替えてまで出掛ける気力も湧かず、愛犬の散歩に出掛けただけで本日は終わりです。
 
 起床…眠り…朝食・昼食…眠…眠り…散歩…犬・眠…夕食…就寝
 
 新しい年を迎え、報道では各地から雪による被害が伝わってきますが、年末も元旦も雪や寒波の影響を理由に家に篭もっており、私の目で見たものは愛犬との散歩で眺めた夕暮れ風景だけです。
 
 家内は私の配布する会報を折り込みだし、子供たちは何処かに出掛け、夕食は3人だけの寂しさで、新年早々の明るい一言が記せませんので、本日は本当に一言で終わります。明日は明るいか…
                                   1月2日の一言

一年の初めに

謹 賀 新 年
 
      本年もよろしくお願い申し上げます
              平成23年元旦
 
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 私の今年の課題(キーワード)は、『笑』にしたいと考えています。
 
 1月末には私の写真展「上高地」を開催し、同時に名古屋市消防局で開かれる民間救急搭乗員の養成講座に参加し、2月には「人にやさしい街づくり地域セミナー」を主催し、3月議会が終わると4月には任期満了による市議会議員選挙が迫ってきます。
 
 上高地や四国遍路は勿論ですが、私の行動の源が議員活動であり、その活動の裏には今まで何事もなかった「健康な身体」がありました。昨年末に遭遇した健康不安は、正月早々の検査によって命運が分かれますが、そんな一年を『笑い』をキーワードにして走りたいと考えています。
                                  平成23年元旦
追伸
添付した色紙「笑」は四国霊場七十五番善通寺法主樫原禅澄さんに頂いたものです。(下記は説明文)
 
(わらう。わらい。)には
 笑顔に反抗するものなし。笑門来福。
 一笑一若。一笑一少(年が一つ若くなる)。一怒一老。
 幸運は笑う人にやってくる。
 活性化とリラックスをもたらす。脳の血流量を増やす。
 認知症予防。血液がサラサラになる。血糖値下がる。
 元気になるし癒される。痛みを抑える。アレルギーも改善する。
 「ありがとう」ということばには、笑顔がよく似合う。
 等いろいろながあります。
                              樫原禅澄
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