大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2011年02月

占いも体調も絶不調の月末に

イメージ 1 本日は雨の一日となりましたが、確実に暖かさが増してきており、このまま梅の開花から「つくし取り」、サクランボとアンズの開花と推移し、4月の統一地方選挙後にはサクランボ、アンズと結実した実の貰い手を探す春が当り前のようにやってくるのでしょう。
 
 母親が体調不良で昨日は市民病院の時間外診療を受けましたが、本日もかかりつけ医で点滴を処方してもらいに行きたいと訴えており、午前中に車で送りましたが、私自身も体調が万全でない事から横になっていると、迎えを求める電話が入ったものの動くのが億劫になり、運良く在宅中の次男に迎えに行ってもらうこととなりました。
 
 先月から寝不足による体調不良が続いていると自分自身でも自覚していますが、一方で月初めから処方されている高血圧の薬が代わった事が原因となっている可能性や、私自身は過去には自覚症状のない「花粉症」の影響を受けているのかもしれず、57才の年齢からくる加齢も含めて、暖かくなったものの環境の変化についていけない体調管理もしばらくの課題となりそうです。
 
 2月も本日が最終日となり、明日からは師走以上に忙しい3月が始まります。ちょうど一年前には、3ヶ月の約束で預かった愛犬リマの去就に心を痛めていましたが、リマは我家の先輩モモまで威嚇(小さいので鳴声だけですが)する暴君のように振舞っており、一年前から毎日の日課となってる散歩も私が疲れている事から、台所でストレスを発散させています。
 
 夕方になり、次男が外出に付き合ってくれましたが、私が信頼する雑誌の占いでは、今週は時間不足で絶対絶命のピンチに陥るそうで、それは議会の一般質問の通告か、公的行事への遅刻かと心配はすればするほど尽きませんが、体調不良を払拭しないと大変な春が訪れそうです。本日は体調に文字を合わせました(笑)
 
                                               2月28日の一言

薬が調剤できないハプニングにも

 本日は会報(アンケート)配布が最終日となり、起床時に身体が苦痛を訴えており、約3時間の配布終了時には足腰が悲鳴をあげていましたが、1月から続いた会報配布で1万2千世帯にアンケート用紙を配布し終えました。
 
岐阜飛騨地方で地震相次ぐ 国道に亀裂、学校の壁にひび
              http://www.asahi.com/national/update/0227/NGY201102270008.html
 
 本日は早朝から当地方でも身体に感ずる大きな地震があったとの家族の話ですが、屋外で会報配布をしていた事から何も感じられず、午前中は仮眠とは言うものの暴睡しており何も感じません。阪神淡路大震災については、外で立っていても身体が揺れたことから規模は違います。
 
 しかし、夜になって速報を読むと、私が学生時代からお気に入りの居場所としてきた旧丹生川村の国道に亀裂が入った写真が紹介されており、私が上高地入りした際に必ず立ち寄る養魚場の被害も気になるところです。
 
 さて、本日は早朝より母親の具合が悪く、普通なら休日診療所に走るところですが、万が一のケースも考えて家内に市民病院の時間外診療に行くように伝え、市民病院に走りましたが…
 
 帰ってきた家内が怒っており、院外処方で指示された薬局に走ったところ、休日は薬剤師が不在のため処方された薬がもらえなかったらしく、「怒るよりもどうしたらよいか連絡したら」と話すと、市民病院に苦情の電話をしています。
 
 「それは違うだろう」と家内に話すと、「病院が薬をくれれば済んだのに」と未だに怒りは収まっておらず、本来は薬剤師が不在の薬局に持っていくべき怒りによって、診察してもらった感謝の気持ちを忘れてしまっています。
 
 もっとも、本来は休日診療所に診察を受けるべき程度の病状を、高齢の母親ゆえに市民病院を指示した私の横着でしたが、考えてみると微妙な症状は経験豊富な開業医が診察する休日診療所に行った方が、的外れな専門医に診察されるよりも的確な診察となり、薬も簡単に入手できた可能性は結果論ですが…
 
 さて、2週間ぶりとなった横井庄一記念館では、本日の私が饒舌すぎる事から、「今日は話さないでおこう」と話していましたが、午後に訪問された御夫婦のあまりにも熱心な質問に立ったままで話し込み、横井夫人と閉館時間を過ぎたことも忘れて会話に熱中する一日となりました。
                                  2月27日の一言

久々に高校野球の昔話に花を咲かせ

~追伸
今日、審判仲間と打ち合わせをしていたところ、ブログで交流のある大鹿市議会議員と偶然お会いし、お話をする機会がありました。いろいろと面白い話をお聞きすることができ、楽しいお時間でした。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。     
http://blogs.yahoo.co.jp/ncwpw368/34153932.html
 
 添付した一言は、昨晩に一宮市から訪れた知人と近所の珈琲屋さんへ出かけた時に出会った大治町議会横井議員のブログに記された追伸ですが、打ち合わせ中の審判仲間のHさんというのは、夏の高校野球(甲子園)の愛知大会の会場となっていた津島市営球場で活躍された現役のベテラン審判員で、久しぶりに懐かしい高校野球の話に花を咲かせる事となりました。
 
イメージ 1 私と高校野球の出会いは、旧くは昭和48年の名古屋瑞穂球場で母校の応援団長としてスタンドに立ったのが始めで、偶然にも大学時代に朝日新聞販売店主の職を与えられた事から、夏の甲子園大会を主催する新聞社のPRのために地方大会の裏方として関わるようになりました。
 
 そして偶然にも、津島球場を新たに高校野球の大会会場にしたいと言う津島高校の剣先生(当時の高野連幹部)の、「高野連は何とかするが、朝日新聞社を何とかしてくれ」との依頼に、簡単にも「ハイ」と応えた事から大きく関わるようになりました。
 
 簡単に「ハイ」と言ってしまったものの、駆け出しの若造に朝日新聞社を説得する力は皆無で、色々と対応している中で「これこそ決め手」と思われる手を考えたものの、それは会場となった場合に朝刊を500部増紙するという無謀な方法でした。
 
 幸いにも、若造の私の発言に、津島市で戦前から朝日新聞専売店を営む老舗(朝日会会長も歴任)の永田実氏が、「大鹿君、いいよ。やろう」と言って下さり、夏の高校野球を主催する朝日新聞社と高校野球連盟は津島市で決着となりましたが…
                                     (昭和60年頃の話です)
 
 ただし、ここからが問題で、津島市営球場には近くにバス停どころかバス路線がなく、名鉄津島駅から遠いために県内各地から訪れる選手はもちろんの事、応援や観客の交通の便が悪いことも大問題となりました。
 
 紆余曲折の後、この問題は当時の津島市長の英断によって、津島市が津島駅から球場まで無料の名鉄バスでピストン輸送する事で解決し、豊田市や春日井市(私の勘違いかもしれませんが)など、人口では比較ができない大都市に競り勝って大会会場となりました。
 
 さて、こんな大変な誘致運動によって、津島市営球場が地方大会とは言え夏の甲子園につながる球場として運営されてきましたが、2年前から津島市営球場は会場から外れる事となり、津島市も「何とかしたい」とは全く思っていません。
 
 横井議員は高校球児から野球審判となって活躍しており、こんな昔話も語れるH審判とともに出会えた事から、久々に新鮮な思い出として野球の思い出話となり、再度高校野球の会場として名乗りをあげる意欲も湧いてきました。
 
 一方で、「500部の増紙」については、いとも簡単に記しておりますが、現在の朝刊購読料が1ヶ月3千円である事を考えると、当時でも大変な金額となり、この部数は一時的な数字ではなく、恒久的な部数増を約束した訳ですから、私だけでなく快諾いただいた永田大先輩も、津島市営球場を会場にするために大変な散財をした事が判ってもらえるでしょうか。
                                    2月26日の一言

ボランティアに身体も場所も提供し…

 本日は目覚まし時計の設定ミスにより、3時起床(アンケート配布)に失敗して慌てて目覚めると外は雨が貯まっており、偶然とは言え目覚ましが鳴らなかったために睡眠がとれ、これまた偶然ですが、朝からの電話や仕事には体調万全で臨めました。
 
イメージ 1 本日は神守中学校同窓会の会報が、岐阜県羽島市の製本所で完成し、印刷をお願いした知人の業者とともに、午前中から私の車で引き取りに走り、7千部の会報を約50軒の町内会分に仕分けして、各町内会長さん宅まで配送し終わると西の空は薄暗くなっていました。(予定より1日早く完成したため、明日の配送が本日となり、明日以降の時間に余裕ができました)
 
 地元に多くの印刷業者がありながら、羽島市まで会報の印刷や製本を依頼してあった理由は、昨年度まで依頼していた地元業者が不渡りを出したり、期限までに納品ができなかった事故により学校へ出入り禁止になったためですが、この業者の低料金を引き継げる業者が無い事から、はるばる一宮市の私の知り合いの業者を経由して、羽島市の業者で完成した次第です。
 
 「仕事の前に昼食でパワーを」と言う知人を無視して学校に走り、中学校の校区をすべて走りまわり、「やっと昼食が取れる」と顔を見合わせると、時計は午後5時を廻っていました。
 
 さて、明日は3時に起床する(アンケート配布)のは変わりがありませんが、同窓会報を配布し終わった事から間違いなく時間的余裕ができたように感じるものの、議会が月末まで続く中を、会報に協賛いただいたスポンサーから広告料を集金する仕事も残っており、私だけで40軒は担当している事から全く余裕はありません。
 
 4月から市内に建つ愛知県の勤労会館(アイプラザ)が閉鎖されますが、この会館の中で卓球を楽しんできた人々の練習ができなくなり、私の事務所が建設当初に2台の卓球台を開放していたことから、毎週月曜日に部屋を貸して欲しいと人々の訪問を受けました。
 
 もう30年も前の事ゆえに、年月の経過にびっくりするとともに、眠っていた卓球台を確認して貸す約束をしましたが、この話を聞いた別のグループが木曜日に貸して欲しいと訪れ、断れずに貸す約束となりましたが、我家は平成6年より書道の練習にも部屋を使用している事から、このあたりの連携は苦痛となる可能性も否めません。
 
 「大鹿さん、良かったじゃない」と、部屋の利用から少しは私のポケットマネーができると勘違いした知人がありましたが、「全く無料ですよ」と言うと、「そんな馬鹿なー」の一言が返ってきました。
 
 閉鎖は簡単な事ですが、この会館を利用していた人々の行き場を考えない愛知県の対応に、直接訴えることのできる津島市との大きな違いを実感するとともに、最後は地域で支えあうしかない現実も実感させられました。
                                2月25日の一言

事前運動はできません

イメージ 1
 
 日増しに寒波が緩み、オーバーを着込んでいると市役所内は暑く、ジャンパーを脱いでも気にならない一日となりましたが、帰宅後の庭には既に梅の花が咲き誇っていました。(建物の南側。北側の2本はまだツボミです)
 
 本日は津島市議会の議会運営委員会が開催され、3月3日に開会する議会本会議から25日(最終日)までの3月議会が実質スタートしました。
 
 さて、津島市では4月の統一地方選挙において、県会議員と市長、市議会の改選が行なわれますが、私のアンケート用会報を配布する際にもポストに選挙用パンフレットが入れられており、一緒に投函してくると問い合わせの電話が入ります。
 
 「大鹿さん、選挙用パンフが入ってなかったから届けてよ」
 「作ってないんですよ」
 「それじゃー、出来上がったら持ってきて」
 「いや、作らないんですよ」
 「なんで?選挙は4月でしょう」
 「私は選挙の事前運動はやらない公約なので…」
 「えっ?選挙は出るんでしょう」
 「ええ勿論、選挙中は頑張りますよ」
 
 津島市の選挙は4月に実施されますが、今月開催された県知事選挙や名古屋市長選と、住民投票によって解散が決まり、3月に行なわれる名古屋市議会の選挙に触発されているのか、早くも選挙ムードで市中からウワサ話が聞こえてきます。
 
 「あなたを紹介したい人があるから」との有難い電話も、「事前運動はしません」とか「パンフレットが無い」と言うと、明らかに相手の応援ムードが減退していくのが判ります。
 
 もっとも、4年前には事前運動をしない事が公約でしたが、今回は事前運動がやりたくても時間的にできないのが現実で、明日も印刷しあがった中学校の同窓会報を町内別に部数を仕分けて配布する仕事が入り、ツシマハイッパチ(28-0018)に入った突然の電話も新たな用件となりました。
 
 明日も3時起床の会報(アンケート)配布からスタートですが、雨を恵みとしたい肉体的警鐘も感じながらの暫しの就寝となります。
                              2月24日の一言

戦時中に供出した鐘が69年ぶりに戻り

 朝刊に掲載された天気予報は本日も明日も晴天でしたが、夕方から空が鉛色に変わり、夜には雨が降りだし、パソコンの天気図を見ると、今晩だけでなく明日も雨が降り続けるようで、確実に寒さが緩んできました。
 
釣り鐘69年ぶり帰郷 戦争で溶かされず 碧南の安専寺
              http://mytown.asahi.com/areanews/aichi/NGY201102220014.html
 
 さて、愛知県では、太平洋戦争中に国へ供出された釣り鐘が、69年ぶりにほぼ無傷で碧南市の寺にもどってきたとの報道がありました。
 
 鐘は銅製で、1776年に9代前の住職の依頼で、滋賀出身で現在の西尾市に住んでいた鋳物師、太田庄兵衛正次が鋳造したもので、戦時中の金属不足で1942(昭和17)年に供出されたものが、埼玉県熊谷市からもどってきました。
 
 資源として溶かされていれば、69年ぶりとか、2百年以上の歴史も跡形もなく判別もされなかったと思いますが、供出後に行方不明になったり、埼玉県の寺を転々としながらも、元の姿のままで愛知県に戻されてきました。
 
 戦争中の資源として国に供出された鐘は、溶かせば銅として戦争の道具や兵器になっていた可能性が高く、仮に兵器であれば海のモズクとなるか、銃の薬きょうとなって野原で朽ちかけていたものが、江戸時代に制作された時に残された銘の地名や寺名によりその時の姿のままで戻ることができました。
 
 この鐘も治まるべきお寺に戻り、江戸時代から変わらぬ音色を地域に響かせるかと感傷に浸っていると、西国二十八番札所成相寺の『撞かずの鐘』の悲しい伝承が思い起こされました。
 
 撞かずの鐘
慶長十四年(1609)山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鋳造するため、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、有福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳を澄ますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。(成相寺のパンフレットより)
 
 最近では近所迷惑を理由にして、早朝の鐘を撞かない寺院が多く、我家の隣の尼寺も高齢と足痛により鐘は春と秋の永代経の日しか撞かれませんが、我々は子供時代から意識する事もなく鐘の音を認識できている事から、地域共通の音色として私の祖母や曾祖母が聞き慣れた寺の鐘が鳴り響く事を望んでおります。本日はどうでも良いような一言ですが(いつもですが)、「山のお寺の鐘が鳴る」と歌われた日本の郷愁を感じました。
                                         2月23日の一言

民主党は政権運営の研修中か

 本日の新聞報道によれば、高速道路の利用量に応じて割引となる「マイレージサービス」について、国土交通省は来年4月からポイントの停止を検討していると報じられており、このまま停止となるとETC導入前から存在したハイウェーカードの割引制度そのものまで削減されそうである。
 
 民主党は前回の衆議院選挙のマニフェストとして、高速道路の完全無料化を公約に掲げていたが、結局は公約を実行せぬばかりか、岡田幹事長は今月20日に三重県伊勢市で開催された講演会の中で、高速道路の無料化と子ども手当の満額支給を断念すると話している事も報じられている。
 
 無料化断念の理由として、「実験を始めて分かったことは、あちこちで渋滞が発生したこと。渋滞してまで料金を下げる必要はない」と、我々素人でも高速道路を利用する者にはマニフェスト発表時から判っていた事を理由にあげ、渋滞して高速道路の役割を果たさなければ、値引きして当然の理由を無料化断念の理由とした、馬鹿らしくて話にもならないコメントと、それをそのまま報じる新聞記者の感覚にも驚かされました。
 
 「実験を始めて…」と発言しているものの、民主党政権になる前から、自民党麻生内閣によって高速道路は千円で利用できるようになっており、民主党としては公約である無料化を一度も実践せぬままに断念することは、国民や有権者を選挙目当てで騙した詐欺行為としか言えません。
 
 このことについて地元の中日新聞は、21日の社説で「無料化の撤回が先だ」として、政府の発表した4月からの高速道路新料金について論じているが、岡田幹事長の発言のように、公約を他人事のように都合良く変えてしまう民主党政権の責任を追及するのが先決で、撤回どころか1回も実践せぬままに変節させる政治手法を断罪すべきと思われる。
 
高速道路の機能を失う無料化の公約 09年8月私の一言
           http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/41690629.html
民営化した高速道路に割引や無料は越権行為だ 09年8月私の一言
           http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/41602252.html
 
 民主党のマニフェストはや公約は、実験しないと判らないようなものではなく、利用者の立場になって考えれば判ることや、財政的な組み立ての裏づけが無いままに発表された事は明白で、このことが国政ばかりでなく地方議員に対する地域住民の失望感になっているとすれば見逃すことのできない責任がある。
 
 一方で、バラマキとの批判を無視して実行した子供手当についても、一度手にした若い両親にすれば支給されるのが当り前として生活設計を立てており、一方的な減額や、地方自治体への身勝手な財源移管は許されない政治責任でもある。
 
 こんな報道ばかりが続くと、菅首相や岡田幹事長が政権中枢にあるよりも、私の大嫌いな体質を持つ小沢一郎さんに政権を委ねて、景気回復と公約実現に邁進させた方がまともに思えてしまうような滑稽な政権に思えてきます。
                                  2月22日の一言

またもや歌舞伎界の非常識が

 歌舞伎俳優の市川海老蔵さんへの暴力事件で、傷害罪に問われた解体業・伊藤リオン被告(27)の保釈が東京地裁により認められた。
 
伊藤リオン被告を保釈 海老蔵さん事件で東京地裁
               http://www.asahi.com/national/update/0221/TKY201102210282.html
 
 この保釈と被告側の事件当夜の裁判所への証言に関して、海老蔵の父団十郎は示談していることを理由として、息子海老蔵が記者会見で説明したことと違う内容の証言に、顔を強張らせて怒りの発言が続いたが、そもそも一方的な被害者面した息子や警察に通報した自分達の身勝手は自覚していないのか。
 
 さて、その暴行事件で舞台降板した海老蔵の代役を務め、全国区の人気者になった片岡愛之助に隠し子疑惑が浮上し、本人の口から「おおむね事実」として認めた事が報じられている。
  
〈速報〉隠し子…愛之助認めた「おおむね事実」
                http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201102170132.html
 愛之助“隠し子”認めた!認知せず
 
 さて、私は以前の一言でも歌舞伎役者の薄汚れた私生活について記した事がありますが、今回の隠し子騒動に対する記者会見で愛之助の口から出た言葉から、改まらない梨園の非常識さを実感させられました。
 
・養育費は支払っているといい、今後についても「必要なことはフォローしていく」
・公にしなかったことには、「(相手の女性と)2人で話し合って決めた。わざわざ世間さまに報告することではない」
・結婚に踏み切れなかった理由については、「当時は修業中だと思っていたので…。2人で考えて、それぞれの人生を歩もうと決めた」
・父親かどうか「知っているかは分からない」
・将来については、「父親が歌舞伎役者がいいのか、一般の方がいいのか、彼女と2人で考えて…、子どもが大きくなって、本人の意見も聞いて決められたらいい。必要なことはフォローしていく」
・「彼女とはもう何年も会っていない。会いたい気持ちもあるが、忙しくて時間が取れない」
・梨園の“浮世離れ”ぶりが目立つが、愛之助は「世間一般でもあること。職業柄、それが大きく取り上げられるだけでは」
 
 歌舞伎界の隠し子としては、97年に市川染五郎(38歳)に当時5歳の女児、03年には海老蔵に当時1歳の女児がいることが発覚しているが、それぞれの弁明を聞く限り反省は皆無で、お金で済ませてあるから問題なしと思っている可能性も高い。
 
 私は最後の「世間一般でもあること」との発言を聞いて、一般社会ではあり得ない非常識な行為との認識も皆無な言葉に、父親としての責任と自覚も放棄した無責任な行為と、女性を虐げたような行為は社会から断罪すべきと思っています。
 
 酒に溺れて暴力事件の罪人を作り、異性不純行為により父親のいない子供をつくり、この他にも中村福助の不倫騒動など、醜聞が続々と報じられる歌舞伎界だが、こんな輩は舞台の表舞台から抹殺するくらいの改善が必要です。
                                2月21日の一言
追伸
本日は高速道路の無料化公約無視ついて記そうと思っていましたが、テレビから流れる団十郎の親ばか発言を聞いて歌舞伎界への怒りが溢れてきました。

本日は結婚式と五十回忌へ

 本日は家内は姉の息子さんの結婚式で名古屋まで出かけましたが、私は我家の新家のお祖父さんの五十回忌に参列し、久々に先祖の曾祖母や横井庄一さんの昔話となり、私は横井さんに対する苦情まで聞かされる事になりました。
 
 「そんな事は生きている時に言ってください」
 「そんでも死んでまって、言う人もないから…」
 「第一、私は横井家でもないし」
 「そうだけど、今でも忘れられん…」
 
 横井さんは自分で記した「明日への道」でも、自分が豊橋市の花井洋服店に奉公に行ったのは、義父の紹介と記してありますが、本当は我家の新家から花井洋服店に奉公に出ていた親族の世話で働きに行っている事から、戦死した親族の妹にあたる当主の叔母にしてみれば、近くの我家(私の家)まで来ているのに、戦死した兄に横井さんが一度も手を合わせなかった事に不満は解消されません。
 
 現実には当時発行された「陸軍伍長 横井庄一」サンケイ新聞・フジテレビ特別取材班著(昭和47年2月発行)の中に紹介された、「花井洋服店の前で」と「同洋服店でタバコをすう横井さん」の写真は、我家の新家の提供したもので、その後に肝心の写真は戻ってきておらず、アルバムはその部分だけが空白になったままです。
 
 当時の新聞やテレビの無責任な体質も問題で、我家から〇日新聞の記者に提供した品々も戻ってきておりませんが…
 とにかく、それはそれとしても、今では80才を超えた人から語られる昭和初期の話は親族の話だけに新鮮に伝わり、当時を知る人は限られていることから、貴重な情報収集となる法要となりました。
 
 さて、忙しいと翌日の予定が的確に把握されておらず、娘婿が名古屋市から私の提供したバイクの修理に立ち寄りましたが、私だけでなく家内も不在で、長年の付き合いのあるバイク屋さんの機転で問題は解決しましたが。
 
 「来週の土曜日に〇〇」、「ハイ、ハイ」と、先の約束は簡単に電話を受けていますが、来週には完成した中学校の同窓会報を各町内会に届ける必要があり、翌週には議会が開会する事から大変な3月となります。
                                   2月20日の一言

織田信長のリーダーシップに

 本日は早朝3時半より3時間の会報配布の後仮眠。午前11時の約束は今年60才を迎える高校の先輩で、2年前にご主人を亡くされ、病歴があることから「安心のため」NPO法人の会員になりたいとの話です。
 
 私が入学した年の1ヶ月前に卒業された3年先輩にあたりますが、独り暮らしと言うものの近くに息子さんがおり、高齢者といえる年齢ではなく、サービスの利用も必要ないため、私は先輩からのボランティアへの賛助と思い、突然の困り事には役立つ約束で帰宅しました。
 
 さて、民主党の内紛について2日続けて記しましたが、私が愛読するブログの本日の新しい記事として、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取るシーンが記されてきました。リーダーシップを比較してみたいものです。
 
信長とその家臣団 ~尾張統一~
              桶狭間の戦い   http://blogs.yahoo.co.jp/inoko15di/folder/935586.html
 
信長は清須から熱田まで三里の道のりを一気に駆け抜けた。 …略…  この時、信長に従う者は馬上の兵五人と徒歩の兵二百人ほどであったという。
 この時、今川軍の陣城を攻めた者たちがいた。 佐々政次と千秋季忠が率いる兵三百であった。 この無謀とも言える行動から考えて、彼らは信長の正規兵ではなく、義勇兵であったと思われる。
今川方から兵が出撃し、佐々政次と千秋季忠を始めとして五十騎ほどを討ち取り、織田方の攻撃をはね返した。
今川方 総勢二万六千五百になる。
織田方 総勢二千である。      信長は各隊長を集めて「大高城を攻める」と打ち明けた。
“信長が何と言おう”と水野忠光、佐久間信盛、梶川重光の各隊長らはこの策戦を実行するのが困難であると考えていた。
「出る」と言うと、信長は陣屋を飛び出し、馬上の人となった。
各隊長らは信長の馬を押し止め、「お考え直しを」と口々にせまった。
 「私の命令に従えぬ者はここに留まれ」
信長にそう言われると、各隊長らは“いまは仕方なし”と各隊に戻り、馬に乗った。
 「門、ひらけ」
信長の命令が轟いた。 中島砦から信長が出撃し、織田勢がこれに続いた。
進軍している織田勢の上に“ポツポツ”と雨が落ち始めた。 …略…
丸根砦の鵜殿勢の視界からも、おけはざま山の今川軍の視界からも織田勢は消えた。(しめた)と信長は思ったことであっただろう。信長率いる織田勢は丸根山の麓を一気に通り抜け、信長は大高道を見通すことのできる林の中へ兵を入れた。
そこに第四報が入った。「大高城へ向かっているのは今川義元様の勢にございます」
信長は使い番を走らせて各隊長を集め、「あと四半刻(30分)もすると、おけはざま山から今川勢が来る。およそ三千、今川義元の勢である。これを討つ」と計画の変更を告げた。

義元は陣屋の内にあり、「雨が上がったら、大高城へ向かう」と諸将に告げていた。
「畏れながらお屋形様に申し上げます。中島砦から出た織田勢を見失っております。大高城に向かわれるのは、これを見つけてからの方が良いのではありませんか」旗本の山田新右衛門が異議を挿んだ。
「あの勢は丸根砦を攻めるため、どこぞで機会を窺っていることだろう。新右衛門、案ずることはない」
義元は自信を持って言い切った。
信長は槍を取り、「それ、掛かれ、掛かれ」と命じた。
織田勢二千が林の中から飛び出し、ひと塊となって今川の先陣を襲った。戦闘態勢が整っていない今川の先陣は織田勢を見て崩れ逃げた。
義元の旗本が五十騎ほどになった時、信長は馬を降り、清須から引き連れてきた二百ばかりの徒歩兵と共に義元の旗本を襲った。
 
 多くの記事をほとんど略しているので、詳しく知りたい方は下記のブログを読み直して下さい。  MIN​AMO​TOのブログ  http://blogs.yahoo.co.jp/inoko15di
 
 馬上の兵5人と徒歩兵200人の兵を率いて清須城を出兵した信長は、総勢2万6千5百人の今川勢の中で貴人の乗り物「輿」に乗る今川義元を、自ら馬を降りて清須から引き連れた歩兵とともに追っています。津島の先人も追随しています。この時に一瞬の判断ミスがあれば義元の首はとれないばかりか逆襲を受け、信長の紙一重とも思える決断力が戦いを有利に導きました。
 
 我家から3キロしか離れていない勝幡城で生まれた織田信長が、尾張を統一して天下に名乗りをあげた桶狭間の戦いまでを読んで、部下との信頼関係、情報収集、決断力にびっくりとさせられている。本日は織田信長の小説を「無断」転載利用の一言としてしまいました。
                                   2月19日の一言

国の混乱と地方の自立へ

 2月6日の選挙で新しい知事に就任した、愛知県の大村知事が17日東京を訪れ、中央省庁や政党幹部に就任あいさつをするとともに、知事選で大村氏を支援した国会議員らとも懇談した事が報道されている。
  
大村知事、東京であいさつ回り 省庁や政党幹部を訪問 
              http://mytown.asahi.com/areanews/aichi/NGY201102170015.html
 
 愛知県では豊橋市に続いて、新城市でも鳥インフルエンザが発生しており、国会議員として関係省庁との太いパイプが早速生かされるとともに、自民党や公明党幹部との懇談だけでなく、知事選では政敵となるだけでなく、名古屋まで出向いて直接批判した民主党の岡田幹事長や片山総務相も訪問しており、連携する河村名古屋市長に追随するだけでなく、自身のキャリアを活かし、反対派も訪問する行動力に、今後の期待を感じさせられます。 
 
「首相退陣と引き換えに協力を」民主幹部、公明に打診
              http://www.asahi.com/politics/update/0218/TKY201102180176.html
 
 一方で、昨日も記した民主党議員16人による会派離脱問題に続き、「首相のクビを代えてもいい。何とかならないか」と、民主党幹部が公明党幹部に働きかけ、新年度予算案等への協力を要請していた事も本日の夕刊に記されている。
 
 政権の中心であるべき首相のクビを代えてもよいと、野党幹部に持ちかける民主党幹部の動きは、会派離脱問題で「理解しがたい。国民にわかりにくい」と発言した岡田幹事長の発言よりも理解が得られない行動でもある。
 
 民主党執行部は、首相退陣や子ども手当法案の修正などの大幅譲歩案を公明党に示して協力を要請する動きが一層強まる可能性があり、 一方で管首相は続投の意思が固いと報じられており、予算案と関連法案の採決に向けて民主党の混乱が増幅しそうでもある。
 
 さて、本日は久々の雨と同時に、気温も上昇した事から、不眠と体調不良に悩まされていた私も快調な一日となり、体の強張りも消えて痛みが軽減しました。明日も3時からアンケート配布に走ります。
                                  2月18日の一言

民主党の獅子身中の虫に

 本日の報道では、小沢一郎元代表を支持する16人の民主党衆議院議員が、民主党の会派から離脱する意向を表明し、「無原則に政策の修正を繰り返す菅政権に正当性はない」と述べ、菅首相の退陣を迫っていると記されている。
 
 「民主党政権交代に責任を持つ会」との会派を立ち上げ、民主党は離党しないとしているものの、国会審議の中で与党の予算案や法案に反対の可能性も否定しておらず、党内から批判される状態を冷静に眺めると、菅政権はもはや末期的症状というよりも脳死状態と言えるのではないか。
 
 この動きに、岡田幹事長や枝野官房長官が会見し、「理解しがたい。国民にわかりにくい」と述べているが、国民よりも自分たちが蒔いたタネとも認識できない菅政権が国民の信頼を失っている認識は皆無か。
 
 朝日新聞夕刊では、同じく民主党衆議院議員である原口前総務相が、「菅政権は打倒せねばならない」との論文を近々発売される月刊誌に発表すると記されており、こんな状態で諸外国と対等に渡り合えるはずもなく、市民派出身の菅首相には個人的期待もあったが、政権与党でありながら党員を結集もできない現実に、退陣の流れは当然かもしれません
 
 さて、大村愛知県知事の「日本一愛知の会」と、河村名古屋市長の「減税日本」にくら替えして統一地方選挙を迎える民主党県会議員も名乗りを上げているが、民主党だった河村市長に対して、民主党幹事長や大臣が続々と名古屋市に立つばかりでなく、自民党と一緒になって批判して排除しようとした図式は、今回の小沢排除と共通する。
 
 「骨肉の争い」とか、「獅子身中の虫」の諺がある。
※ 【獅子身中の虫】(しし しんちゅうの むし)
 獅子の身中にすんで、これの恩恵を蒙っている虫が、かえって獅子の肉を食ってこれに害毒を与える意。仏徒でありながら仏法に害をなすもののたとえ。また、内部にいて恩恵をうけながら、害をなすもののたとえ。
                                        出典『梵網経』  《広辞苑》

 虎は死んでも、その姿を畏れるので他の動物たちはこの死骸を食い荒らすことがない。しかしその恐ろしい虎もやがてその身から現れた虫によって食い荒らされついには骨となってしまうことから、仏法を破るものは外道天魔と言った仏法の外にあるものではなく、仏法の内部に有るものだと言う意味です。

 組織を破壊するものは、組織の外にいるのではなくて、内にいるのだと言う諺をそのままに実践しているのが管政権で、非道理な判断や行動は、外敵ではなく身内から崩壊を招くことになりそうである。
 
 中東では、強大な米国の軍事力を持ってしても影響されない強権政治が、民衆とインターネットによっていとも簡単に崩壊していく。武力が排除され、平和である筈の日本の政治だが、議論ではなく中傷ばかりとしたら淋しい現実に陥りそうである。
                                2月17日の一言

ジャパネットの事故報道をよく読めば

 テレビの通信販売大手のジャパネットたかたの販売したテレビ台の天板や棚板の強化ガラスが突然割れる事故が、全国で66件(総販売数47万台のうち)起きていることがわかり、経済産業省が調査を始めたと報じられている。
 
ジャパネット販売TV台、ガラス破損66件 経産省調査
               http://www.asahi.com/national/update/0216/TKY201102150751.html
 
 私はジャパネットのファンとして、プリンターやテレビ、カーナビなど近くの大手家電販売店で売っている製品なら、ジャパネットを通して買うようにしていますが、昨年の元旦に大手家電のウソ広告に騙されて走った家族も最近はジャパネットファンになり、それまで私宛に届いていた手紙(広告)が家内宛に届くようになっています。
 
元日の折込広告にウソはないと思うが… http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42565525.html
 
 さて、私がジャパネットのファンになった理由は、プリンター(複合機)が不調になった祭に保証期間を過ぎていたものの、メーカーから新品のプリンターが届けられ、修理を依頼する予定だったプリンターが新品に交換された対応の良さでした。
 
 実際には私のパソコンの技能不足による設定ミスの可能性が高かったが、ジャパネットを通じて富士ゼロックスが無料の電話で応対し、カーナビの不調時には私の使用方法に問題があることが判明したが、ジャパネットは修理中(保証期間を過ぎていました)の不都合を解消するために代用のカーナビを送付する手配をしていました。
 
 今回の報道から、私のジャパネットファンを知る知人が、「やっぱり、通販は問題だな」の一言を発したことから、こんなジャパネット擁護の一言を記しておりますが、大手量販店にパソコンの修理を依頼して、代用品もないままに1ヶ月近く経過した例や、売りっぱなしの例を聞くと、電話応対とは言えジャパネットの苦情処理や対応は迅速である事をファンとして記しておきたい。
 
 本日は久々に市議会の代表者会が開催されましたが、市営住宅などの家賃を横着で支払わず、高額になっても支払う気持ちを持たない不良住人に対する、裁判所への提訴を議会に諮らずに先決処分として迅速に対応したいとの市長の提案に対する議論が展開されました。
 
 先決処分というと、鹿児島県阿久根市の市長が思い起こされますが、公営住宅や税金の滞納が増え、高額な支払いが不能になっているにも関わらず、市役所との話し合いにも応じず、職員の訪問も門前払いにしている市民が存在します。
 
 もっとも、税金を支払わずに得をする指南書や、行政の制度の裏をかいて支払いを逃れる手法が堂々と報じられる時代ゆえに、真面目な市民は損をしているように思えてしまう現実も見逃せません。
                                2月16日の一言

国府宮神社に同行して

イメージ 1 本日は昨日の一言に記したように、会員さんの要望で朝から国府宮神社に走る事となり、目的を尋ねると「神社でお札と『なおい』を買い求めたい」との話で、沿道に並ぶ屋台と人で一杯となった参道を国府宮神社の本殿前まで車を乗り入れました。
 
イメージ 4 移送を依頼された会員さんは、自分の厄年から40年近く毎年参拝されており、当初はフンドシ姿で「はだか祭」に繰り出しておられたとの話を聞きながら、買い求めた「なおい」(写真左)を神棚や車にお守りとして置いてあるとの話から、私もついでに「なおい」を買ってきてもらうように依頼しました。
 
 
 神社のまん前まで車を乗りつける人はほとんど無く、参拝客は近くの名鉄国府宮駅から歩いて参拝されていますが、こんな時にタクシーをお抱え運転手にした人は天国のような参拝で、私はタクシー料金でなく「福祉有償運送」で同行していることから、料金はタクシーの半額以下での利用となります。
 
イメージ 2 幸いなことに車の予備のカギを持ち合わせていた事から、私もエンジンをかけたまま車を降りて散策したところ、山門には托鉢の僧侶2人が向き合って立っておられたが、神社の神事当日に托鉢に立つ目的とか、人々が捧げた金銭をどのように利用されるのか聞きたいところです。
 
 不謹慎な気持ちかも知れませんが、顔は菅笠で隠れており、身なりは僧侶と思われるものの、宗派とか寺院名を堂々と示して立たなければ、戦後の乞食と同じであり、修行と言われればそれまでですが、疑ってみれば僧侶の偽者かも知れませんし、金稼ぎのアルバイトかもしれません。
 
 これらの僧侶の托鉢が、後日談でも施設の子どもや恵まれない人々に利用されておれば救われますが、当地方では初詣でも神社前に僧侶の托鉢がたっており、地元の僧侶ではない事から、おかしいと疑われるのは当然で、日頃の修行や活動で人々に感化して欲しいと願います。
イメージ 3
 
 さて、依頼主の参拝とお守りや「なおい」の授受は15分もかからず、依頼主は目的を果たせて戻られたため、私の散策もこれまでとなりました。
 
 山門と本殿の間に、過去にいただいた「なおい」を返納する場所が作ってあり、早朝にもかかわらず既に多くの人々の「なおい」が戻されており、私の運転席にも昨年家内から貰った「なおい」があったものの、私はお守りを返す習慣がなく、そのまま持ち続けていることから来年は一緒に返しに来て、新しい「なおい」を授かりたいと思い、「来年も一緒に来れると良いですね」と早くも予約の受付となりました。
 
 国府宮はだか祭は、午後になるとフンドシ一枚の裸男が街中に繰り出し、夕方にはこの本殿前は裸男が「神男」に触れようと殺到し、寒風舞うこの季節でも水をかけられないと倒れてしまうほどの人だかりとなります。
 
 依頼主の話では、昔(昭和四十年代)は、裸男にかぶせる水を近くの川から取っており、汚いだけでなく砂が混ざっている事から、最後はかけられた裸男の皮膚が赤くはれて痛かったとの思い出を聞かされました。
 
 とにかく、依頼主が40年近く続けてきた参拝が無事に終わり、あっという間に帰宅となりましたが、朝の参拝客の多くが高齢者である事を考えると、もっとやさしい参拝方法(移送)を考える必要もありそうです。
                               2月15日の一言

明日は国府宮はだか祭?へ

  本日は午後より雪が降り続き、一時は道路も真っ白になりましたが、夜になって雪は溶けだし、ミゾレから雨に変わったようですが、明日の朝の状態は心配で、凍結していなければ幸いです。
 
 
 明日は稲沢市で「国府宮はだか祭」が開催され、この旧暦正月13日は厳しい寒波がおそい、「はだか祭には雪が降る」の言い伝えが本当に的を得た言葉である事を実感させられました。 
 
 
 この国府宮はだか祭は天下の奇祭として伝わっており、私も数年前に一度だけ見物に訪れましたが、偶然に通りかかったふんどし姿の助役さん(現在の市長)から、御守りとなる「なおいぎれ」をいただきました。
 
 さて、明日は福祉有償運送の会員さんの依頼で、朝から国府宮を訪れる予約が入り、心配な天候と同時に「行き先」を巡って連絡が繰り返されました。
 
 「明日の国府宮だけど大鹿さん行ってよ」
 「いや、ちょっと都合が悪いんだけど…」
 「明日は予約が重複するので、頼むわー」
 「国府宮ってお祭に行くの?」
 「そうなんじゃーないの」
 「病人がどうしてお祭なんか行くのかな」
 
 3ヵ所の病院を定期的に通院している会員さんですが、とても「はだか祭」の見物に出かけるような元気な姿ではなく、何とか病院と自宅を往復するのがやっととの印象ですが、国府宮へ何の目的で訪れるのか判らない事と、明日の道路状況を考えると大変な一日となりそうです。
 
 日頃から「高齢だから」とか、「持病があるから」と家にこもらずに、自分の体調に合わせて旅行や外出することは健康維持の上でも重要と言い続けてきた事から、祭り見物なら依頼を断るのは手前味噌で、こんな要望に応えてこそボランティアかもしれませんが、本日は全国各地より事故の報が流れており明日も要注意の一日となりそうです。
                                   2月14日の一言

久々の横井庄一記念館にて

 先週はセミナー開催により欠席でしたが、先々週も横井庄一記念館を休んでいたので、本日は昼食用のパンやバナナを持参して出かけましたが、日本全体に冷え込んでいる事から来客も無いものと思って館長と話し込んでいると、訪問が閉館時間を超過するまで続きました。
 
 時間が超過するまで来客と会話がはずんだのは、千葉県八千代市や山梨県甲府市、三重県津市など遠方からの訪問か続いたためで、寒風が吹くこの季節にわざわざ遠くから記念館を訪れていただいただけに気力がみなぎります。
 
 どうやら最近公開された映画「太平洋の奇跡」を見て、横井庄一記念館の存在を思い出して訪れておられる可能性も高く、この映画の主人公とは全く戦場における環境も違うものの、訪れた人の真剣な表情が印象的でした。
 
太平洋の奇跡公式サイト http://www.taiheiyo-no-kiseki.jp/index.html
 
 こんな日にかぎって私の携帯電話が鳴り続け、ボランティアから身の上話まで連続し、帰宅前の訪問も約束した事から、帰宅は真っ暗の夜になってしまいました。
 ※記念館は午前10時から午後4時30分までです
 
 さて、明日からも寒風が吹き荒れそうですが、明日からは公的日程も続き、ボランティアの依頼も連続している事から、精神的には開放されているものの、しばらくは忙しい日々が続く事には変わりがありません。
                                 2月13日の一言

お寺の御忌(ぎょき)に参加して

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 建設中の本堂・右手前は鐘つき堂
 
 本日は我家のお寺の御忌(ぎょき・浄土宗の宗祖法然上人の忌日法要のこと)が行なわれ、この日は私の政治活動の報告をする事になっている事から、午後1時に滑り込みで到着しました。
 
 
 現在本堂を新築中ですが、8日から棟上げが始まっており、本日もクレーンが休む事なく音を立て、読経の間にも柱が組み立てられていきます。法要が終わってから黙って座っていると、「今年は選挙でしょう」と参加者から声があがり、私が話す事が慣例になっているとは言え、話させていただける事は当り前ではないと感謝です。
 
葬儀業者、僧侶から「仕事紹介料」 お布施の4割の例も
 
 さて、昨日の朝日新聞に「葬儀業者、僧侶から『仕事紹介料』」なる記事が掲載され、葬儀で僧侶に包む「お布施」の一部を、僧侶が葬儀業者に渡す仕組みがあると紹介されていました。
 
 檀家(だんか)が激減した長野県内の寺から、15年ほど前に東京に出て来た浄土真宗本願寺派の僧侶(65)は、葬儀業者から斎場に派遣され、読経をする「仕事」を週2~3回ほど請け負っているという。そのお布施から葬儀業者にリベートを支払う仕組みが記されているが、断ると仕事が来ない事から、僧侶が葬儀業者に「営業」をかけて、仕事をもらっているというから驚きである。
 
 実は私の住む津島市でも、葬儀場が勝手に葬儀の日時を決めてしまい、その家のお寺の都合がつかないため、全く知らない僧侶が葬儀場から手配されたものの、その後の供養をお寺から断られて困っている人の実例がありました
 
 こんな話を聞くと、死んだ人や先祖が浮かばれないが、お寺が死んだ人の葬式や先祖供養ばかりになっている現実も見逃せません。それにしても、こんな葬儀業者や僧侶が当り前となると、三途の川どころか無事に天国にも到達できません。
                                  2月12日の一言
追伸
朝から同窓会報の記事と協賛広告の確認が夜まで続き、午後9時に原稿渡しが無事終了いたしました。明日から少しは気楽になれます。

連休と寒波で仕事も大変です

 本日は久しぶりに朝3時に起床して6時半まで会報配布に走りましたが、忙しいさから十日ぶりの配布に身体がついていかず、配布時こそ雪は降ってはいなかったもののこの冬一番ともなりそうな寒波に私の身体は悲鳴をあげました。
 
 もっとも、3時間以上にわたる会報配布は、新聞販売店時代でも配達は2時間程度にとどめていたことから、57才となった私の身体が悲鳴を上げるのは当然で、日中に降り続けた雪が暫しの休息を与えてくれました。
 
 さて、明日は同窓会報の記事原稿と協賛スポンサー廻りの締切日となっていますが、約束した訪問時間が重複しており、朝からお詫びの連絡が仕事となり、次に中学校に走ることとなります。
 
 午後に訪れる会場(お寺)は、浄土宗のお寺ですが、私が議員になった12年前から毎年訪れる約束となっており、一年間の活動報告と津島市政について語ることとなっています。
 
 この行事も数年前には私の勝手な勘違いから、当時一生懸命廻りだした四国遍路や、吉野の蔵王堂での不思議体験があった事から、檀家の人ばかりではなく複数の僧侶を前にして真言宗や巡礼について語り、当初の目的を忘れていた恥ずかしい逸話が思い出されます。
 
 ただし、こんなに忙しいと何事も前もって考えておられずに、場当たり的になってしまうことから、せっかくの機会を無にしない注意が必要です。
 今週日曜日に愛知県の地域セミナーが終わり、暫し休息気分の一週間と思っていましたが、結局は忙しくめまぐるしい一週間となり、明日中に走り回る訪問先を考えると、身体にも強いストレスがかかる連休初日となりました。
                                 2月11日の一言

同窓会報の協賛企業を廻りながら

 3月1日付で発行予定となってる中学校同窓会報の資金となる、協賛広告の依頼に地元のお店や工場を訪問する一日となり、帰宅は午後6時を廻っていました。
 
 「おい、これは同窓会への寄附ではなく、お前への貸しだからな」と、先輩議員で現在は福祉施設の理事長に専念する先輩に言われ、一年に一度の訪問(実際は依頼と集金の2回)ですが、厳しい指摘とアドバイスを素直に聞きながら8年が経過しました。
 
 意外なことは指摘される私の悪い癖が的確に把握されており、私が議員になる前と言うよりも、先輩議員が議員になる前からの知り合いだけに、議員として参考になる話も多く、先輩が議員を辞めた直後は反発もありましたが、政治と縁を切って時間が経過しているだけに会話が新鮮です。
 
 私はこの協賛広告のために地域を廻りますが、広告とは言うものの宣伝効果は薄く、協賛主が卒業生であれば愛校心で、卒業生でなければ地域への貢献や、商売上のお付き合いの色合いが濃いものの、そんな人々である事から会話から受ける新鮮な空気を感じます。
 
 「こんばんわ、大鹿です」
 「あー、お久しぶり」
 「いつもの同窓会報の広告で来ました」
 「ウチも世代交代したから…」
 「ところで、社長は?」
 「… ↑ … ↑ …」
 「えっ?… 『↑?』…エッ…」
 
 奥さんの立てる指の合図が判らず一瞬あっけに取られましたが、地元では大きな自動車修理工場を経営されていた社長が、昨年11月に66才の若さで亡くなっておられ、地元だけでなく津島市の要職にも名を連ねておられた人だけに、亡くなっておられた事すら知らなかった自分にもびっくりの訪問となりました。
 
 私にとっては、PTAでは先輩にあたり、高校野球も有名高校に関係し、大混乱に陥っている大相撲についても、横綱武蔵丸や大関出島が活躍する当時の武蔵川部屋へ名古屋場所の宿舎として事務所を提供するなど、病気とは無縁で体力自慢の先輩だっただけに言葉も見つかりません。
 
 私は12年前まで新聞販売店店主で、地域を配達や集金に廻っており、この地域廻りはそんな当時の懐かしい気持になれる一瞬ですが、それも淋しい話題も増えるとともに、自分にとっては政治が第二の人生でしたが、今後は第三の人生も考える必要を実感させられています。
                           2月10日の一言        

政治が軽薄になっている

 東京都の都知事選挙の候補者に、みんなの党が飲食店チェーン「ワタミ」の経営者である渡辺美樹会長を擁立するために協議していると報じられ、同党幹部が選択肢としてありうると話した事が記されている。
 
 愛知県知事選挙においても、みんなの党は医師である薬師寺道代氏を擁立し、32万票を獲得しているが、立候補する自由は誰にでもあるものの、候補者が愛知県を経営していくレベルにあるとは思えない。
 
 東京都知事についても、蓮舫内閣府特命担当大臣の擁立が噂され、民主党は否定していないが、18才まで台湾と日本の多重国籍者で、父親が台湾人であった参議院2期目の元タレントに、東京都のトップが務まると思っていたら現職の石原知事も浮かばれない。
 
 愛知県の大村知事と河村名古屋市長の連携を、面白可笑しく批評する評論家や、本日の朝日新聞においても連携を「演出」として双方の相違を報じているが、共に地元出身の元代議士であり、それぞれの役職に相応しい経歴を持つ政治家であることがあまり意識されていない。
 
 さて、情けないのは政権与党である名古屋市の民主党市議団で、自民党の力を借りて市長選で河村市長に対抗し、河村市長と市議会の解散が決まった選挙直後に、今まで頑なに反対してきた議員報酬の半減を公約としたのである。
 
 まるで選挙公約を守らないのが公然となっている菅首相と同じく、民主党市議団に担がれた石田候補が、衆議院議員を辞職してまで市長選で訴えていた主張は何のためだったのかと呆れてモノが言えない。
 
 我々の少年時代や学生時代の政治家は、私は好きにはなれませんが偉大で近寄りがたい存在であったように思えます。これだけ言動に責任を持てない民主党政権が続くことは、民主党だけでなく政治に関わる者全員が国民から見放される危機感が、今回の愛知県と名古屋市の選挙結果から必要と思います。
                                2月9日の一言

狭い道路に困るのは共通だが

 本日は自宅周辺の道路が狭く、自家用車の出し入れが不都合な事から、近くの交差点の角地の地主さんと交渉して、畑の土地の一部を売ってもらえるなら道路として行政が管理して欲しいとの相談者と共に市役所に同行しました。
 
 昔から先祖代々生活する農家の入り口は狭く、大型化した乗用車の進行が大変な家は多く、今回の相談者も自宅正面の道路が狭いため、裏の畑や田を埋めたてて駐車場にしてあるものの、家の新築に伴い表の道路を拡幅したいとの希望です。
 
 ただし、この方が地主さんから土地を買うことができても、市役所が土地代や道路整備に要する経費を出すことは難しく、自分で道路として側溝も整備して市へ寄贈すれば市の道路として管理されますが、その土地の登記費用も当事者負担となります。
 
 もっとも、たとえ畑と言えども土地を譲ってもらえる確率は低く、道路の狭さは地域全体の不都合となっているものの、自分の宅地や土地を提供してまで拡幅したい地主はおらず、「この際、いっそのこと裏の田や畑を宅地にしたら…」と私はひらめきましたが…
 
 我々の住んでいる地域のほとんどの田や畑は市街化調整区域に指定されており、自由に家を建てることが規制されており、今回は息子さんが家を新築したいとの話から、法律によって認められる「息子さんの新家」として宅地に転用しようとする案です。
 
 この案に対していずれは親から土地を相続する息子さんの意向は、宅地が広くなると税金(固定資産税)が高くなるため、現在の家を壊したあとに家を新築したいとの考えであり、道路として整備して市へ寄贈することも、田や畑を宅地にして家を建てる経済的メリットはありません。
 
市街化調整区域については下記を参考にしてください 
私の親の田(市街化調整区域)に家を新築予定です http://okwave.jp/qa/q5825112.html
 
 結局は不都合な道路環境のままで家を新築するしかありませんが、この町内はかつて行った大規模な土地改良(耕地整理)の際に、「道を広げると自分の土地が減る」と訴えた事から全体に道路幅が狭く、車がすれ違える場所はほとんどない事から、車社会となった現代の子孫達が不都合を被っています。
 
 さて、我家は津島市と名古屋市をつなぐ県道沿いにありますが、20年前には1坪50万円で売買された土地が現在は売りたくても買い手がなく、県道から外れる農地は坪3万円でも買い手がなく、1坪1万円で売買されていく悲しい現実があります。
 
 家を自由に建てられないばかりか、工場をやりたくても面積の規制があり、農業を考えている地主はほとんど無いにも関わらず、農協や農業団体によって農業用水のパイプラインが高額な国の税金を使って埋設され、最近では農業の後継者難から土地の集約化を呼びかけています。
 
 「狭い道で子孫が不都合を被っている」と前記しましたが、農村の土地改良によって整備された道路は、元から公共の用地ではなく、それぞれの農家が供出した田畑である事を考えると、先人に感謝して道路を通行する気持ちも忘れてはなりません。
                                  2月8日の一言

選挙結果にマスコミの解説は必要なし

 地獄ではないものの、嵐のようなスケジュールも昨日のセミナーで終わり、今日からはゆっくりできると思っていたが、昨日のセミナーに使用したOHPやスクリーン等の返却や、関係者への報告で時間は午後に至りました。
 
 ちょっと昼寝でもしたい心境でしたが、4日前の案件が報告してなかった事から訪問し、留守のために玄関に名刺を残し、連絡が入った時間には市役所が閉庁された後だった事から明日に持ち越しです。
 
 さて、愛知県では知事選挙と名古屋市では市長選と市議会解散を問うリコールが実施されており、昨日に大村新知事と河村市長の再選と同時に、名古屋市議会の解散が決まりましたが、自分の忙しさばかりでなく、私の住む片田舎の津島市には候補者の熱き熱弁も響きませんでした。
 
 
 結果は報道されているように、河村市長と連携した大村前衆議院議員の圧勝に終わり、新聞やテレビが政党不信や「庶民革命」など、選挙結果を分析して勝因を論じていますが、元々が支持する政党を持たない人が過半数を超えており、マスコミが政権与党民主党や野党となった自民党を意識しているだけで、政党や組織選挙の限界は「河村・大村」の超有名人候補に通用しない事は判っていた事でもある。
 
 それよりも、知事選立候補に意欲を示した前回の知事選で神田知事に惜敗した石田衆議院議員を雑巾のように断念させ、民主党が候補者に選んだ御園候補は10年以上も前から知事選に意欲を見せる素振りだけの元官僚であり、県知事選を断念させた民主党一年生議員の石田芳弘氏を、候補者不在から元々民主党に所属した河村市長に対抗させた事と、市議会議員の権益を守るために自民党と組んだ選挙戦略では世間の理解は得られるはずもなかったのである。
 
 一方で、住民投票の結果から解散が決まった名古屋市議会についても、年収2千万円を超える報酬は住民の理解を得られるはずもなく、河村市長が自身の年収を800万円に減額している以上、河村市長の訴える年収半減と、市民税の1割減税に反対するだけでなく、議会解散に反対して市街地でマイクを握る感覚には驚きだ。
 
 私が現在実施中のアンケート調査にも、年収800万にも及ばない津島市議会議員の年収を大幅に引き下げることと、議員定数の半減や大幅減員を記した要望と提案が多く、市民に選ばれたと言っても、市民の理解を全面的に得ているとは思えない。
 
 このアンケートも現在7千世帯に配布しただけで、印刷が終わったものの5千世帯分の折り組み作業と配布が終わっておらず、今月中に配布を完了させるのは大変で、配布が終わり返信されてきたアンケートをまとめる日程も限られてきました。
                             2月7日の一言

地域セミナーが無事に終わり

 本日は愛知県が主催(津島市共催)し、私の所属するNPO法人ひとまち生活ネット津島が企画運営した「人にやさしい街づくり地域セミナー」が津島市文化会館で開催され、「地域の足をどうするのか?」をテーマに人々が集いました。
 
 桜花学園大学教授である森田優己先生の基調講演では、「なぜ、地域で公共交通のあり方を考える必要があるのか」を演題にして、高齢化社会の中で起こっている買物難民や、国の動きを踏まえながら判りやすい説明を拝聴しました。
 
 人が行きたい場所に、行きたい時に自由に移動できる権利(移動権)についてのバリアフリーや、女性として感ずる精神的バリアから、いずれは誰もが迎える高齢期を見据えて、今後は地域住民が声を上げて自分たちに都合の良い交通体系を作っていく仕組みについて考える講演となりました。
 
 パネルディスカッションではインターネットで路線図ドットコムを運営しておられる伊藤浩之さんが、当地方の公共交通の特性や、先進地事例を紹介され、県内の事例から行政間の連携や、市町の枠を超えた発想を持てば地域住民の要望に応えられる話が出されました。
 
路線図ドットコム http://www.rosenzu.com/
 
 パネラーの津島市老人クラブ連合会会長を務められる櫻木忠夫氏から、高齢者の声を代弁するだけではなく、アンケートを実施されて意見を出され、住民の足を確保する具体的プランも語られた事には驚かされました。
 
 津島市民病院副院長の神谷里明氏から、市民病院を受診される患者の具体的数字を挙げた話や、地域住民の声に応える対応などが語られ、救急車をタクシー代わりに利用する悪例から重症患者が利用できない問題などが語られ、高齢者にとっては関心の高い医療への理解が深められました。
 
 さて、このセミナーのために、我々のメンバーは愛西市の巡回バスの乗り継ぎ検証を実施し、地元紙である中日新聞が行事の案内記事を掲載してくれ、我々の宣伝チラシを新聞販売店に折り込んでもらった事で会場も盛況になりました。
 
 財政状況の厳しい津島市の現実を認識し、老人クラブ連合会もNPOも、本日ボランティアで参加してもらった要約筆記OHPつしまも、共に助け合い協力しあう認識を持てた事と、提案型の意見が集約できた事を、本日のセミナーの成果と記しておきます。
 
 本日実施された愛知県知事選挙では、再選された河村名古屋市長とタッグを組んだ大村秀章前衆議院議員が当選を果たしました。様々な意見があり、地方議員としては減税のしわ寄せが地方自治体の財政運営に波及するのは困りますが、一市民の立場となれば、重い税負担の軽減を考えるのは当り前の事です。減税を公約とした大村氏の前途は厳しいと思いますが、私は他の候補者が政党や組織頼みの選挙に徹して、県民目線で語られていない現実から、是非とも頑張って県民や名古屋市民も一体となった行政運営が図られる事に期待したいと思っています。
                               2月6日の一言 
追伸
本日のセミナーには、私が不義理をしたままに現職を退かれた海部俊樹代議士の秘書を務められ、私が初めて市議会議員に立候補した12年前に、海部代議士とともに激励の演説を頂いたSさんが、市民の立場として会場に姿を見せられた事と、お礼の電話に 「今日のあなたを見て、あなたが立候補した時に立ち会えた事を嬉しく思う」 と言われた言葉が、私にとっては涙腺が潤む嬉しい一言となりました。叶うなら、今からでも恩返しがしたいものです。

ボランティアにストレスを感じて

 本日は私の写真展の最終日のため、早めに会場に出かける予定を立てていたところ、朝一番で携帯電話の呼び出し音が鳴り、突然の体調不良で午前中に医者に行きたいとの電話です。
 
 午前9時には恩師のお宅に明日のセミナーの演題を揮毫した書を受け取りに行く約束があり、行けば「お茶でも」と時間が経過し、医者に行く時間を考えると恩師を待たせる事となり…
 
 結果的には病院に送り込み、9時に滑り込みセーフとなりましたが、ボランティアの受付け電話は他のメンバーが持っているものの、突然の電話は私に集中し、突然の取次ぎが難しい事から私自身が走るケースが増えています。
 
 ボランティアの予備役である私が主役のように走るようでは問題ですが、電話に出ないボランティアに文句を言ってもヤブヘビとなり、私が走って行くことが当り前となると精神的負担は増幅されていきます。
 
 結局いつものように午後2時に写真展会場に到着し、午後4時過ぎに作品を降ろして次の主催者と交代しましたが、ここでも地元新聞社の記者の取材からNPO法人の携帯電話につながらなかったため、明日の紹介記事には確実につながる私の携帯電話の番号にして欲しいと言われ、公にしたくない電話番号が公開されることになりました。
 
 こんな現実問題をとことん追求していくと、ボランティアの限界に追い込むこととなり、私が真剣に向き合うと本業の議員活動に影響する事から、突然の電話への対応はボランティアとはいえ有償ゆえに急務です。
 
 さて、明日は県知事選挙の投票日ですが、私にとっては午後に開催される地域セミナーの進行について、私一人に委ねられ代役が考えられていない事から、風邪や事故によるリタイヤが許されず、数日前から責任を感じて強いストレスを感じています。
 
 そして無事に明日が経過しても、週末までに同窓会報の原稿と、協賛していただける広告スポンサーを全部訪問する仕事が山積し、今月末までに5千所帯分のアンケート配布を残しています。そして3月議会へ…
 過去にない忙しい日々が続き、綱渡り状態で自身の選挙を迎えます。
                               2月5日の一言

五十数年ぶりに隣のお姉さんと再会し

 昨晩に日曜日のセミナーに使用する資料を昨晩に印刷した事から、ゆっくりと睡眠がとれると考えていましたが、寝た時間が新聞配達の音がする頃で、市役所の開始時間には連絡が入り、やっぱり睡眠不足の一日がスタートしました。
 
 午前中こそ、セミナー開催費用の半分程度しか予算のおりない赤字分の補填をめぐって、せめてNPO法人の唯一の収入源となる「福祉有償運送」の宣伝チラシを当日配布したい当方と、セミナーを自己PRとはさせられない行政の立場の違いで紛糾し、来年度も赤字の開催は今後の理事会で理解を得られない私は、強気で自己主張していましたが、打開策を考えた愛知県と津島市の行政の答えを聞いた時には、せっかくのセミナーを自己宣伝の場にしたくないと思っていました。
 
 「受付時に資料の横に、『ご自由にお取り下さい』と置いておけばOKという事で」
 「それではセミナーが宣伝の場となるから良いわ」
 「どうしたの? やれば良いがー」
 「いや、いや、もう良いわ」
 「あんなに強気だったのに、急に弱気になって、どうしたの」
 「本来の目的が大切だから」
 
 こんな顛末から、来年度の赤字はさておき、現状でも赤字で、法人の手持ちの資金すら私が立て替えた資金であり、平成19年度から愛知県の法人税が滞っており、分納で支払う約束となっている中で、自ら白旗宣言です。
 
 さて、こんな嫌な苦しい話はさておき、午後に私の写真展会場に出掛けたところ、懐かしい人々の顔があり、更に高校の先輩方が次々と訪れていただき、日曜日のセミナーで要約筆記のボランティアを依頼してある先輩が、高校の先輩であるだけでなく、妹さんが私と同じクラスの同級生である事が判り、お互いに本当にびっくりしました。
 
 更に、この方の同級生が、私の母の在所の隣の女性で、子供時代に行き来のあった人で、身近に住んでおられるばかりか、「今ここに呼んであげるわッ」との話となり、更に驚く事は、明日で最終日となる写真展の次に、同じ会場でこの女性が個展に絵画を出品されると聞き、とんでもないご縁と、知らない事とは言え、こんな身近なスレチガイにびっくりとさせられました。
 
 子供の頃の面影は皆無ですが、今日の50数年ぶりの再会がなければ、明日の午後4時に展示してある写真を取り外し、新たに作品を搬入される作品を、「何処かのオバサン」がやられると思っていたはずで、こんな偶然は作ろうにも作れない偶然「神業」としか思えません。
 
 こんな偶然があるから世の中は捨てたものではなく、私の写真展やセミナーを私の身近な人々が支えていて下さる感謝と、感激する午後になり、夜には私の母校の中学校に一宮市の知人に同窓会報の印刷を依頼した事から一緒に訪れ、日中には稲沢市から卒業記念品の打ち合わせに知人が訪れており、これも偶然とは思えないニアミスにびっくりとなりました。昨日も高校の先輩にあたる女性から連絡があり、2日続けて感動の一日となりました。
                               2月4日の一言

電話から電話と、終日続いた連絡に…

 本日は午前11時に市役所で6日に開催される「人にやさしい街づくり地域セミナー」の打ち合わせとなっており、その前に立ち寄る家の約束はあったものの、昨日までほとんど睡眠も取れないまま消防署の講習に参加していた事から、久しぶりにゆっくりとした休養と考えていると携帯電話が早朝から鳴り響きました。
 
 ただし、前日まで頭痛と吐き気を感じたこわばった身体は急には動かず、家内が手渡してくれた電話口から、「突然だけど…」と体調不良となり病院に連れていって欲しいとの会員さんからの電話で、「できるだけ早く行きます」と調子よく言ったまでは良かったものの…
 
 こんな突然の電話の場合は、私の議会日程で都合がつかない場合には、「今からボランティアに連絡するから、連絡を待って下さい」と、メンバーに連絡後に到着する時間を伝えますが、偶然にも私が空いていた事から慌てて顔を洗い、着替えて…
 
 「だけど、お父さん、約束の時間に帰ってこれるの」と家内に言われ、「とにかく行くしかないだろう」と事務所に出ると、地元の人からの電話で、難しい土地と道路の相談で、内容を察した家内が「私が行ってくるわ」と走っていってくれましたが…
 
 「大鹿さんですか?」と、続いてかかってきた電話は、本日の中日新聞に折り込まれたセミナーの広告を見た人で、「主人を亡くして病院に行く足がない」との内容で、その人が私の高校の先輩にあたり、広告の内容が「地域の足をどうするのか」ですから、そのままにはできず「直接お邪魔します」と家の住所氏名を聞いた事から…
 
 たった3日間の事ですが、名古屋市に出ていた事から電話の集中砲火で、市役所も立ち寄る部署が多く、打ち合わせを終えると昼休みとなり、偶然出会った知人が一緒に四国遍路に行った方だった事から食堂で花を咲かせていると、市役所内から電話です。
 
 とにかくそんな展開で市役所を後にして、朝の電話で「お邪魔します」と伝えた人の家を探して(車に住宅地図が置いてあります)訪問すると、私が高校に入学した年に卒業された先輩で、出身地も私の出生地(母の在所)と近く、担任も家内の恩師だった事から懐かしさで初めてお会いした人でしたが昔話に花が咲く一方で、私が議員である事と移送ボランティアが少しはお役に立てることから問題は解決しそうです。
 
 さて、こんなことで何とか写真展会場の茜屋さんに到着すると、私の地元の先輩方の訪問が続き、昼食もとれないままに長話の癖からお客さんの帰宅を遅らせ、わざわざ一宮市から訪れていただいた知人たちが最後のお客さんです。
 
 本日は電話との縁の深い一日で、ここでもお店の常連客の女性から、不法に津島市の資源ごみ(新聞紙)を持ち去る三重県ナンバーの車が指摘され、さすがにここまで立ち入ると明日の身動きがとれない事から、マスターに私の代役を依頼して市役所から直接聞き取る約束の電話をかけて何とか対応した次第です。
 
 一宮市からの訪問は、私が議員に立候補した12年前に、尾西市の現職議員として色々とアドバイスをいただいた市長選立候補の経験もある大物先輩議員で、惜しくも前回の選挙で失職中ですが、4月に再起を期しておられることから、「自分も」と元気をいただいた再会となりました。
 
 もっとも、前回選挙では、「選挙の事前運動はしません」との公約を出していましたが、今回は「事前運動ができません」という忙しい現実から、「こんな事で良いのだろうか」と心配になりますが、本日行われた近所の葬式には市役所の約束から欠席しましたが、地元の現職議員全員と、立候補予定者まで揃って参列していたとの報にびっくりとさせられる事にもなりました。
 
 明日は午前中がセミナーの配布資料の印刷と折込となり、市役所経由で写真展会場に走りますが、セミナーで要約筆記お願いしてあるボランティアの方との打ち合わせもあり、偶然にもこの方も私の高校の先輩にあたり、私への配慮から写真展会場に打ち合わせに走って下さるとの話に、明日の印刷を急遽本日の夜に廻しましたが、考えて見ると明日は初めて出向くボランティアに同行する約束もしてあり、明日も混乱が予想される夜となりました。今夜も四時間睡眠になります。
                               2月3日の一言
追伸
朝に電話があった土地の問題を明日訪問(市役所の報告)する約束もあり、中学校にも明日訪問する仕事が残されていました… あっ、アンケートの片面印刷も… 

患者等搬送乗務員の適任証を交付され

イメージ 1
 
 本日まで名古屋市中消防署で開催された「患者等搬送乗務員適任者講習」は、3日間の講習を終えて県内で40名の参加者に「適任証」が交付され、津島市からも私を含めて3名に適任証が交付されました。
 
 この適任証の任期は2年間で、以後2年ごとに定期講習を受ける必要がありますが、病院から病院への転院や、施設や病院へ患者さんの移送が適任者2名の乗務員で行えるようになります。
 
 ただし、患者さんが寝たまま移動するストレッチャーを使用できる車輌が現在ありませんから、車の入手が先決ですが、病院から病院や施設に移動するタクシーは料金が高額な事から、低価格で利用できる自家用自動車による福祉有償運送による患者移送の早期実現は早々に実現させたいと考えています。
 
 現実にはタクシー運転手は過酷な労働条件で働いており、低価格での利用を全面的に宣伝すると、理念の無いままの福祉団体が薄利多売の運送に走る危険性も否めず、私自身においても現在議員報酬を頂いていることからボランティアに徹しておれますが、落選して無職になればボランティアの継続は厳しく、福祉有償運送も極めて厳しい運営にあることは変わりません。
 
 今回の講習会に参加された事業者や運転手さんからは、それぞれの道での厳しい現実(報酬面)をグチとして聞かされましたが、好きで進んだ道ではなく、求職のために福祉の道に進んだり、運転手となった人々も多く、福祉本来の目的と、サービスの対象となる利用者の立場が忘れられている反省も必要に思われました。
 
 とにかく「適任証」を交付されたことで、明日からは6日の地域セミナーの準備と、アンケート用紙の印刷と配布に専念できますが、会長を務める神守中学校同窓会報の発行も3月1日に迫っており、明日から空いた時間に協賛スポンサーのお店や企業廻りは勿論ですが、原稿依頼や印刷屋との連絡も必要となります。苦難の日々は続きますが、幾分かは光明が差してきました。
                                2月2日の一言

急がば廻れ…慌てれば失態に

イメージ 1 本日も名古屋中消防署で開催されている民間救急を担う「患者等搬送乗務員適任者講習」の一日となり、午前9時から午後4時50分まで心肺蘇生法から応急手当や傷病者管理や搬送法について実務体験が続きました。
 
 私はこのような救命法について、防災ボランティアとして豊川市消防本部で「普通救命講習」を修了し、ヘルパー養成講座でも同様な講習を受け、愛知医科大学でも学習する(最近は二種運転免許でも救命の1日講習があります)など、各地で研修を受けましたが、本日の講習は防災や介護、消防とは若干違う組み立てで、医療・介護と移送を混ぜた患者搬送の目的に合致した実用的な講習となりました。
 
 明日の午前中に総合実習が行なわれ、午後の実技試験と筆記試験を経て「適任証」交付となりますが、五年前から参加した各種の研修から大幅な変更があり、人の救助法にも多種多様な方法があり、各部門の融合が重要と実感させられました。
 
 これまで参加した研修や講習は大人や高齢者を主体とした救助法ばかりでしたが、今回は小児(1才から約8才未満)に対するAEDなどの救命処置と、乳児に対する心肺蘇生や気道異物除去など救命処置もあり、我が子の世話すらした事がない私でしたが、子供や乳児の人形を私の孫と思うと今までにはない緊張感すら感じる実習となりました。
 
 本日は帰宅後に6日開催のセミナーのチラシを新聞折込していただく中日新聞販売店主を訪れたところ、私が議員転出により朝日新聞販売店主として中挫した地域行事の再開を話題にして再開の協力を依頼するなど雑談に花を咲かせてから帰宅すると、「お父さん、大丈夫」と言われてびっくりとさせられました。
 
 明日までの3日間の研修や、現在開催中の私の写真展と、今度の日曜日に開催されるセミナーの準備で、未だに済んでいない印刷物と資料の印刷と打ち合せで何一つ考える余裕がありませんでしたが、本日の火曜日は我家を会場にした書道会の日でもありました。
 
 恩師を寒風吹く庭先に待たせるわけにはいかず、大慌てで車に走ったところ、それまで手に持っていた車のカギが見当たらず、探しても見つからないままに予備のカギで走ったものの、書道会が始まってもカギが気になって墨すら磨れません。
 
 さて、カギ探しで必死のところに、本日電話で相談のあった理不尽な雇用に対する措置に、血がたぎって応じていたことから、相談者との約束も重なっており、「カギ、カギ」と言いながらの応対となり、知り合いの労務士さんに応援依頼となりました。
 
 家の主がこんな心境では全員の書に対する熱気も冷め、やっとのことで誤ってゴミ箱に捨てたカギを発見した時には、「今日は珈琲屋に行こうか」との話となり、忙しくて夕食も済んでいなかったものの、私の責任と感じて同行したところで、今夜も午前様の一日と決まりました。連日の4時間弱睡眠では血圧も上がります。
                                2月1日の一言

シロタク批判を聞きながら

 本日は名古屋市消防局の主催する「患者等搬送乗務員適任者講習会」に参加するために、午前6時50分にメンバー2人と3人で事務所を出発しましたが、心配した雪の影響もなく午前7時30分に中消防署に到着しました。
 
 ただし、開始時間の9時まで時間が有り余る事から、会場近くの珈琲屋さんに入って時間調整し、有り余る時間を潰してから会場に入りましたが、会場の寒さが気になり、わざと寝かせないためかと思うほど足元が冷え込みます。
 
 3日間にわたる講習は、1日目の本日は座学ばかりで、2日目に「応急手当」や「心肺蘇生法」、「AED使用法」、「異物除去」、「小児の心肺蘇生・異物除去」、「熱唱」、「止血・感染防止・包帯法。骨折手当」など、傷病者の管理と搬送法の実記が展開され、3日目の午後に修了考査の「実技試験」と「筆記試験」が行なわれて修了を迎えます。
 
 久しぶりの座学は午前中は睡魔との戦いとなりながら、愛知医大から派遣された講師の基礎医学や感染防止法などを聞き、後半は救急現場の体験を持つ名古屋市職員の搬送や患者等の観察など、実体験を持つ講師への質問に参加者の熱い質問が続きました。
 
 さて、この講習については、いわゆる民間救急の必然性から開催されているものの、参加者の仕事内容までは判りませんが、タクシー乗務員から介護職員、介護タクシーやら我々NPO法人まで幅広く、質問する内容にバラツキがあります。
 
 我々はあまりにも高額な患者搬送について、何とか低額な利用が実現できないかと模索中でありますが、最後は介護タクシー事業者の「シロタク」批判が続き、施設の違法搬送などへの批判と行政への注文が出されました。
 
 その「シロタク」には、我々「福祉有償運送事業」も含まれており、シロタクを放置する行政と「シロタク」の批判が続きましたが、本音は採算の取れない介護タクシーの泣き言で、名古屋市に存在する福祉有償の大組織「たすけあい名古屋」への批判だったのかも知れません。
 
 しかし、質問者の発した利用料金の高さに対して、障がい者団体や我々ボランティアがNPO法人を設立し、低額な利用料金で移送を開始した事情が理解されておらず、むしろ介護タクシーより歴史の古い福祉ボランティアの立場は無視されています。
 
 私個人はボランティアの福祉有償運送を主導しながら、個人的な出費で介護タクシー事業の認可も受けていますが、投資したタクシー車輌の元が取れるどころか、ボランティアの延長で投資している事から、利益は後回しですが、患者や利用者の立場を考えると介護タクシーの利用料金は高すぎ、ツクシのように介護タクシーが設立されていますが、大手タクシー会社が真剣に福祉参入を考えてくれるのが一番の得策かもしれません。
 
 明日は本日の反省から7時30分の出発となりますが、ストレスと疲労の蓄積により、血圧の調整がうまくいっていない事から、かかりつけ医から薬の処方が変えられました。週末に迫るセミナーの準備も夜の仕事となり、要約筆記のボランティアさんへの連絡は深夜のファックスとなりました。
                                 1月31日の一言
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