大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2011年03月

次男と三男が地域を会報配布へ

 本日は朝の会報配布に使用しているバイクのサイドスタンドが折れ曲がってしまい、素早い配布が不可能となったことから、午前6時に配布を終了して帰宅し、工具箱の中を必死に探しましたが見つからず、バイク修理店の開店を待って連絡したものの、在庫どころか注文してもいつ入荷するのか判らないとの話です。
 
 バイクを10台以上使って新聞販売店を営んでいた頃には、部品はもちろんですが予備のバイクが数台置いてあり、自分で修理も当り前に行っていましたが、工具すら探さないと出てきません。
 
 新聞販売店を廃業して12年が経過していますが、倉庫の荷物を移動させると当時の品物が次々と出てくる事から、今でも当時の光景がよみがえり、バイクもかつての従業員の家に置いたままとなっている事から、部品を調達に行きたいものの、「ついでに全部持って行って」と言われかねず、最後は溶接のできる鉄工所に出向いて修理を済ませて帰宅しました。
 
 しかし、さすがは職人で、当方は品物が入荷するまでの一時的補強程度に考えてバイクを持ち込みましたが、折れ曲がったサイドスタンドを取り外し、バーナーと溶接技術により、新品と代わらぬどころか、新品より丈夫そんなスタンドに復活し、しばらくはこのまま使用できそうな仕上がりです。
 
 明日から愛知県議会選挙が告示される事から、会報配布も一時中断となり、本日は知人だけでなく、次男と三男も地域を配布に廻ってくれました。
 
 「あんたはイッパチ(一八)さんの息子かねー?」と言われ、途中で見知らぬ初対面の家人からお茶を差し出され、地域の温かさを少し味わって帰宅した三男でしたが、私は議員になる前の大学時代に起業して、23年間も廻っていた地域ですから、議員としてではないお付き合いも現存していることにホッとさせられました。
 
 さて、議員を4期務めて引退した先輩が経営(理事長)する施設に立ち寄り、津島市政について意見交換となりましたが、最近の議員は選挙を意識する活動に走っているだけで、地域全体を視野に入れた大きな将来像を描いているか疑問に思われてきます。毎日が綱渡りです。
                                   3月31日の一言

被災地に横行する空き巣報道に

 本日は私が配布する会報「津島の風」を、三男が自転車で配布に走ってくれましたが、昨日は次男が配布に歩いており、子供達の協力をもらいながら、私は中学校の同窓会報の協賛広告主へ集金に廻っていました。
 
 「お父さんは監視していて、見回りに来る」と三男に言われましたが、偶然にも広告主を廻っている事から、昨日は次男の慰労に走り、本日は息子に声をかけたくて立ち寄ったのでしたが…
 
 「思ったように配布できなかった」の三男の一言は、私が配布に要する時間に私の半分も配布できなかった事から出た言葉ですが、私は学生時代から新聞販売業を営み、地域の道を知り尽くしているだけでなく、家々のポストの位置を全て把握していることから、初めての配布とは大きな差となり、ぐうだら親父の存在感も感じてくれたかも知れません。
 
 ただし、私一人では配布も限界があり、2人の息子が地域へ配布に出てくれた事は、少しは私の仕事に理解を示していることと、好きではない人目につく仕事で地域を廻った経験が活きてくれる事を祈らずにはおられません。
 
 さて、地震と津波の被害から立ち直ろうとする被災地で、一億円にも達する窃盗や空き巣が起こっているとの報道がありましたが、被災直後には真面目な日本人の対応が世界各国に評価されていただけに悲しい現実です。
 
               http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY201103300195.html
 
 これは昔からあることで、昭和51年に当地方の目比川が決壊した時に、当時学生だった私は水に浸かった叔父の家の留守番役として、停電した家の2階に一人でいましたが、夜に舟に乗った人々が救助のように近寄りますが、誰もいない家々を泥棒も廻って多くの被害が出ていたようです。
 
 考えてみれば銀行も商店も全て壊れて流されているわけですから、悪意を持って被災地を廻れば金目の物がいたる所にある可能性も高く、一枚の写真から家族の存在を求めて探す被災者の心情を考えると、外部からの侵入者には厳罰が必要です。一方で、選挙を控えて、被災地に何も貢献できない自分にも自己嫌悪です。
                                3月30日の一言

腹立たしい農協を再認識し

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 本日は「福祉有償運送」の依頼が重なった事から、私が名古屋市にある中村日赤病院まで走る事となり、それを利用して愛知県庁まで「政治資金収支報告書」の提出に寄ることとなりましたが、仕事はあっさりと終わったものの、病院は正午を廻っても終わりません。
 
 津島市まで帰って仕事をしようかと思案しましたが、帰った直後に診察が終わった連絡を受けると、同じ道程を戻って走り続ける事になる事から、車中での待機を決め込みました。
 結局は車中で何もする事もできないままに帰宅は午後1時を過ぎていました。ここで自分の仕事に着手したいものの、今月中に廻る必要のある中学校の同窓会報協賛広告料の集金があり、「大鹿さん、こんなことしてて大丈夫?」と心配を受ける一日となりました。
 ※写真は県庁西庁舎駐車場に設営された、太陽光と風力を利用した発電装置です。
 
 一方で、三男が福島県の知人に送った救援物資が届いたとの連絡が入り、土曜日の夕方に近所の「ヤマト運輸」に出した品物が、もう届いたと驚いていると、日曜日には知人宅近くの「ヤマト運輸」営業所に届いており、携帯電話の電池切れなどで連絡が遅れて、本日営業所で引き取ったとの話です。
 
 さて、昨日は義母が亡くなった在所に家内が走り、義兄と各種の支払いや後始末に同行しましたが、専業農家の在所では義父が「認知症」になった時には、年間100万円を超える共済年金の掛け金を農協に支払っている事が発覚し、家内や姉妹が農協に抗議して契約を破棄したものの、90を超えた高齢者に多額の生命保険をかけさせる手法は農協職員の「タカリ」でした。
 
 昨日は、両親や夫人を亡くして独りになった義兄に掛けられた「農業者年金」が、後継者が不在の場合には受給ができない事が判明し、老後を心配して掛けた年金が受給できない事も理不尽だが、後継者を作っても義兄が農業を営むかぎり年金は支払われないとすれば、専業農家の義兄が「農業者年金」を受給することは難しいのではないか。先日亡くなった義母は91才となって倒れる前日まで畑に出ており、農業に年齢による引退はなく、後継者は無く、第三者に依託すれば農家は成り立ちません。
 
 家内の在所では農協の「建物共済」にも加入しており、これについても家内の話では在所の建物には不釣合いの契約だったようです。この「建物共済」については、我家の家内が所有する貸し店舗の契約を巡る当方が不利益を被る理不尽な説明に、私の名前で契約する我家の全ての「建物共済」の契約を破棄(組合員も脱会)する手続きを済ませていますが、肝心の家内名義の契約はそのまま残されており、契約は完全に切れているのに、家内への支払額が増大した請求書を受け取った悪夢が甦ります。
 
 もっとも、私は平成5年に亡くなった父親の財産を相続する中で、農協の組合員についても相続しておらず、誰の入れ知恵かは判りませんが、現在は母親が組合員になっており、市役所では私が農業後継者となり、母親が農協の組合員となる理不尽な関係になったままで、今すぐに脱退しても構いませんが、母親が他界すると我家と農協の縁は完全に断ち切れることとなります。
 
 現在の農協は、農業とは事実上無縁となっている兼業農家の高齢者の貯金や年金を吸い上げる金融機関となっており、津島市では行政が支出した農家への補助金が、農協経由で町内の「実行組合」から支払われ、ほとんどの農家は農協からの支出と勘違いして、義理を感じて薦められるままに保険や貯金に加入している人も存在します。
 
 悲惨な例は、私の同級生ですが、経済的苦境に陥った隣地の畑を農協に頼まれ、農協から借金して購入したものの、自身が経済的破綻を招いて支払いが滞り、農協との接触を避けているうちに、父親の実家を農協が競売にかけ、現在5軒の分譲住宅となり他人が住んでいます。
 
 彼は現在も津島市に住所は残っており、農協の組合員のままですが、住まいは市外の借家に住み、田畑が存在するために津島市に税金を払うだけの関係で、田畑は耕作を依託していますが、支払いが上回る事から米を買っています。
 「それは〇〇さんが悪い」と同級生は人々に言われますが、農協で借金をした時に彼は親の実家を担保にしておらず、彼の所有する農地が担保になっている(親は保証人)事から、彼の代弁で「担保の農地を優先すべき」と訴えたものの、「農地では借金の肩代わりにならない」と農協に一蹴されました。
 
 義母の入院時に、農協の母親の通帳から入院費用を引き出しに走った義姉が支払いを断られ、農協を頼りにしていた在所の「認知症」や「不勉強」を良い事に、農家のためにならない農協の体質が再確認され、農家の利益を吸い上げる「ハイエナ」ならおとなしいものの、農家のライオンのように君臨する農協に改めて腹がたちました。
                                               3月29日の一言
追伸
発信が本日未明になっていますが、29日深夜の書き入れです

救急隊員並みの搬送に出会い

 本日は昨日に引き続き午前3時の起床で会報配布に走り、帰宅後に会報の折り組み作業で500部程度の会報を完成させ、朝食後仮眠に入ったのが午前8時過ぎで、1時間もしないうちに電話が入り、再びコタツに入って仮眠となりましたが…
 
 「福祉タクシーでしょうか?」
 「…はいッ、そうですが…」
 「主人が昨日から動けなくなって…
          …近くの〇〇医院まで行ってもらえますか?」
 「私1人で大丈夫ですか?」
 「私もいますから…」
 
 話の内容から、私ではなく救急車の出番かとも思いましたが、宣伝せず口コミのタクシーゆえに、私へ連絡された事は私個人を知った上での連絡と思って確認すると、やはり私が学生時代から23年間お客さんとしてお世話になった方でした。
 
 「今すぐ向いますから」と慌てて着替えて走りましたが…
 
 83歳となられるご主人は寝床から動けず、奥様の背中の上になって四つんばいで玄関まで出るのがやっとの状態です。「私が背負います」と背負ったものの、身体が固く私に身体を預けられず、私が抱き抱えて奥様が靴を履かせ、2人で両肩を支えて車まで出ましたが、足が全く上がらず、座席に納まった時に私の身体は汗でびしょぬれになっていました。(私より体格の大きいご主人です)
 
 私は医者ではありませんが、この状態で依頼された開業医に行っても、検査も出来ないどころか、救急車で市民病院に転送されそうな状態で、それ以前に車から降ろして診察を受ける事も困難である事から、身勝手に市民病院を薦め、連絡したものの市民病院も迷惑そうです。
 
 とにかく開業医の診察を受ける症状ではなく、救急車の患者さんと思われますが、奥様から「救急車は出来るだけ使いたくない」の一言で、今年2月に消防長会より『患者等搬入乗務員適任証』の交付を受けている使命と考え、市民病院の診察を受け、4時間後に帰宅できるまで回復しましたが原因は不明です。
 
 これで私の仮眠どころか、日中の予定は全てキャンセルとなりましたが、当方はボランティア意識から、仕事の合間程度に考えておりますが、緊急の連絡をされる依頼者には必死の時間ですから、こんな時に「仕事がありますから…」とノー天気に構えていては失礼で、一度上げたボランティアの看板の重みを実感する一日となりました。
                                   3月28日の一言
追伸
本日は感動の高校野球と、私は義母の葬儀の関係で不参加であったものの、津島市議会で実施した街頭募金(スーパー前で17万3082円)を話題にしようと考えていましたが…
明日は朝から県庁行きとなりますが、こんな時の救急車代わりの依頼には大きな課題も存在します。

親族を後回しにし続け

 本日は隣のお寺の永代経(尼寺)があり、例年は昼食を挟んで午後も供養と説教が続きますが、住職が高齢による体力減退により、午前中だけで午後は中止となったものの、参拝者の名残が尽きず食事が長引き、裏方の我々の昼食が終わったのは2時近くなっていました。
 
 私は平成5年に父親が亡くなった年の秋から受付に座るようになりましたが、当時は高齢となった参拝客の顔と名前が判らず覚えるのに必死で、集まったお金の会計が合わずに必死で金銭の違いを追求していました。
 
 当時の受付は、私以外に年寄りの3人のお爺さんと一緒でしたが、3人は受付で参拝客に菓子を渡して話しているばかりで、ほとんどの参拝客が紙幣をそのまま渡される事から、誰からもらったか判らないのが当然で、金額が合わなくても「これだけしか無いから…」と、判らなくても当然の受付でした。
 
 3人は私の父親より年長者で、3人が亡くなった後に現在の婦人(現在は80近い)が加わり、昨年から私より2才上の男性が加わっていますが、最近は高齢者が亡くなった後に訪れる後継者の顔と名前が判らず、私がいないと受付と会計が出来なくなってきました。
 
 ただし、最近はお金を封筒(香典袋)に入れて参拝されることから、会計処理は間違いがなくなり、お金が合わずに間違い探しに要する時間は無くなりました。
 
 「おい、ウチは毎年3月末の日曜日と決まっているだろう」
 「そうだけど、隣のお寺のことだから…」
 「隣は行って、ウチは来れないか」
 「… … …」
 
 本日は私の叔父のお寺でも永代経が行われており、私だけでなく家内も隣のお寺の年番となっている事から、母親が代理で参拝しているものの、叔父にとっては在所の跡取である私が来ないことに不満がありありです。
 
 先週には義母の葬儀がありましたが、葬儀より議会日程を優先して葬儀を欠席し、今回は親族の叔父のお寺の永代経を欠席して隣のお寺の永代経に行くという、親族にとっては理不尽な行動が続きました。
 
 叔父のお寺が3月末の日曜日に永代経を行う事は周りのお寺も知っているものの、同じ浄土宗でも旦那寺の叔父たちと、尼寺の隣のお寺とは集まる僧侶が違う事から、こんなバッティングも起こるものと思われます。
 
 もっとも、午後には小さくなって叔父の家に入り込み、僧侶の説法を聞いていましたが、何も手伝いもしない引け目から、帰宅する親族と母親を送る名目で一緒に退散してきたことから、しばらくは気まずい雰囲気が残ります。
                                3月27日の一言

人間の行動力には限度があり

 本日は朝3時起床の会報配布は3日目となりましたが、来週月曜日が4月に行われる選挙の事前審査のため、選挙で利用するポスターの写真撮影と、街宣車や看板、マイクなど選挙一式の契約に走り回る一日となりました。
 
 選挙の告示までに半月ある事から、ポスターや街宣車などはこれからの準備で十分間に合うものの、書面上とは言え明日一日で全てを揃えるのは至難の業で、依頼してあるコピーライターも大変な日曜日となります。
 
 もっとも、その材料を本日一日で準備するのですから、写真館からレンタカー屋などへ出向き、その間に運転するドライバーの契約などを済ませ、「10分で済むから」と、先週より痛む歯の治療に歯医者に立ち寄ってもらいました。
 
 確かに予想通り歯の治療は10分もかかりませんでしたが、診察台を降りると「大鹿さん、こちらへどうぞッ」と奥の応接間に通され、歯科医師のある町内に継続する案件を聞く事となりました。
 
 「ちょっと電話を借りても良いですか」と市役所に電話すると、普段はすぐにつながる電話がコールを続け、「はい、当直です」の一言で、本日が土曜日で市役所が休日である事すら忘れている自分に気づきました。
 
 「大鹿さん、頭はセットしなくて良いの?」
 「大鹿さん、顔が腫れているけど良いの?」
 
 顔が腫れぼったいのは、昨晩までの家内の在所の葬儀で帰宅が遅く、朝3時に起きているためで、「こんな時くらいはゆっくり寝てよッ」と言われても何ともならず、頭も理髪店に行く時間もありません。むしろ、理髪店で切りすぎてあるので、セットする事もままなりません。
 
 さて、明日は隣のお寺の永代経が開かれ、私は受付係としてあてにされていますが、叔父の寺でも同日に永代経が開かれる事から、参拝者全員に差し上げるお供えを届けに走ります。
 
 「お父さん、ついでに」と、東北の被災地の友人に品物を送る三男を宅配便の営業所に降ろし、叔父宅に走っている車中で、今晩6時から町内で開かれている親睦会の総会が開かれている事を思い出し、慌てて帰宅することとなりました。
 
 もっとも、叔父の家では、明日の不在に対するお詫びも訪問の目的でしたが、次の会場に走る必要があり、「毎年、今月末は決まっているだろう」と苦言を聞いても、「すいません」の一言ではなく、「同じ日に永代経を開く隣のお寺に言ってよ」と、同じ浄土宗のお寺だけに不満が口に出ます。
 
 本当に綱渡りで、さすがに明日は3時起床を取りやめとしましたが、会報配布の遅れは確実に私の足を引っ張ります。
                                  3月26日の一言

4年間座り慣れた議席から

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 本日は3月議会の最終日となり、提出された次年度の予算案など、継続審査とした議員提出議案1件を残し、全てを採決し終わり、市議会の活動として午後3時から市内のスーパー店頭で東日本大震災の募金活動を行いました。
 
 私は午前中に行われた家内の母親の葬儀を欠席していた事から、終了直後の午後2時には市役所を後にして家内の在所に走りましたが、市議会の本会議で4年間私の指定席としてきた議席も本日が最後となりました。
 
 「議長、18番」と挙手した私の議席は、偶然ですが名前と同じ18番で、意識はしなかったもののお気に入りの座席で、選挙で勝ち残ったとしても、この席に座る可能性はほとんど無いと思われます。
 
 4月の選挙には27人の立候補予定者が名乗りをあげて(定数20人)いますが、5人の現職が引退を表明しており、本日の議会が最後の議場となる人もあり、議会終了直後には、今月で定年退職となる幹部職員が議員控え室を挨拶に訪れていました。
 
 さて、家内の在所は、義母が亡くなり、義兄が残りますが、子供が無いままに嫁に先立たれており、今後は独りだけの生活となり、後継者もない家の前途を考えると冗談も言えない寂しさが漂います。
 
 6人も子供が存在した家内の里から後継者が無くなる風前の灯火に、我家も3人の息子がいるものの、十年後を考えると他人事では無くなっている可能性も払拭できず、無責任な子供たちにもっと家庭とか家の存在を意識させておくべきだったと反省する夜にもなりました。
                                  3月25日の一言

明日は任期最後の議会最終日となり

 午前3時15分起床、会報配布3時間、会報折込、朝食、仮眠、再起床、事務処理、銀行、市役所、納税、郵便局、帰宅、来客の応対、電話の応対(要望と相談)、義母の通夜、帰宅は午後10時30分、夜食、パソコン前(午後11時30分)
 
 午後2時を1分過ぎ、慌てて市役所の会議室に飛び込み、空いている椅子に座ったものの、聞こえてくる話の内容は何となく場違いの内容で、小声で「ここはボランティアの関係じゃないの?」と問うと、完全なる場違いでした。
 
 担当部所を訪れると、完全なる時間間違いで、手帳の時間を確認すると私の全く記憶違いで、説明会は午前中に終わっており、「姿がないのでおかしいと思っていた」と言われても時既に遅し…
 
 それでも私が議員ゆえか、担当職員に詳しく説明をしてもらって事なきを得ましたが、他の人々と協議ができなかった事は取り返しがつきません。
 
 「それ、作り話でしょう」と議員控え室で笑われ、最後の税金を納税している最中に会議室での私を目撃した職員から、「あれは、何でした(笑)」とからかわれましたが、忙しい日程からこんなボケた行動になった事は間違いがありません。
 
 さて、明日は議会最終日となります。心配していた葬儀が同日となってしまい、「義理の母親とは言え、来年度予算を審議する議場の議席を空白にはできない事から、今晩の通夜が最後のお別れとなりました。
 
 これも昨日の一言にも記しましたが、僧侶が教員のため本日が終業式と重なるために葬儀が一日先に延ばされましたが、本日の通夜は住職の夫人が衣を着て読経されており、訳を聞くと住職は校長職にある事から、夫人が代役となっているようです。
 
 私の叔父は僧職にあり、学校に迷惑をかけることから教員を早期退職しているが、檀家を抱えたお寺の住職が、お寺の仕事より教職を優先しているのは檀家にとっても不幸と思われる。
 
 聞くところによると、先代住職も教職にあり校長職にあった事から、このお寺では学校行事の優先が当り前とされており、夫人の読経で通夜が行われるのも不思議な光景ではないようです。
 
 お寺の住職が学校の先生を兼職している例は昔から当り前のようにされてきましたが、学校の最高責任者である校長職にある事は、当然の事として学校の日程を崩す事ができない事から、お寺の仕事が後回しにされます。
 
 さて、浄土真宗では少子高齢化社会の中で、檀家の減少をくい止め、都市部で大幅な檀家獲得を目標としている報道がされていましたが、お寺が兼職として副業扱いされている現状を見直す事が急務ではないか…
                               3月24日の一言

政治も仏教も本末転倒だ

 本日は朝3時10分に起床し、バイクによる3時間の会報配布に走り、午前10時まで仮眠の予定でコタツに入りましたが、福祉有償運送の申し込み電話が鳴り響き、ボランティアに手配して再び寝入った直後に、事務所の呼び出しベルが鳴り、時間がかかっていると玄関のインターホンが鳴り続けます。
 
 1月から定期便となっているアンケートの返信(郵便)で、結局寝不足のままに中学校の同窓会報の広告集金に走り、ある先輩のお宅でお茶をご馳走になっているとボランティアからの呼び出しです。
 
 ボランティアが依頼者を乗せて歯医者に走っている間に、地元の町内へ会報配布に歩くと帰宅時には足腰がガタガタになったものの、最近私を悩ませていた肩こりは治っており、日頃の運動不足を実感することとなりました。
 
 さて、久しぶりの会報配布となりましたが、配布先のポストには選挙用のパンフレットが配布されており、立派なカラー刷りのパンフレットの脇に自前の粗末な会報を入れていると、後援会の名前を印刷したタオルまで配布されている現場を発見しました。
 
 未だにこんな事が続けられており、タオル一本でも立派な選挙違反になりますが、こんな事に目くじらを立てているとキリがなく、本人が堂々と物を配布している例も耳にしているだけに、市民まで選挙違反に引きずっています。
 
 「大鹿さん、実は協力をお願いしたくて…」
 「はい、何でした?」
 「実は、○○党で、○○町から立候補する事になりまして…」
 「本当、びっくりだけど頑張ってね」
 「そこで、お願いがあるのですが…」
 「僕で役に立つのかなァ」
 「実は、大鹿さんの知り合いの団体や知り合いを紹介してもらえませんか?」
 「えっ、こんな選挙間際になってから?」
 「ハイ、実は3月になって急に決まったので…」
 「でも、○○党なら組織票があるでしょう?」
 「それが、○○町には、今まで○○党議員は不在なんですよ」
 「しかし、僕の知り合いはボランティア団体だから、選挙目当てはダメだよ」
 「紹介してもらえれば、勝手に回りますから…
 
 書き出すと長くなるので、これぐらいにしますが、元々は津島市に住んでいた身元のしっかりした家の子息で、私学の教員を辞めて、不登校の生徒を相手に頑張ってきた人ですが、突然に政治に転出と言われても…
 
 ボランティアに関わる人々は、それぞれにこだわりがあり、政治目的の紹介は過去の関係を打ち壊してしまうため、私は政治とボランティアの区別をしていますが、勝算もないままに政党に利用されては堪りません。
 
 もっとも、○○町には私のブログのお気に入りに、すでに現職議員が存在しており、過去に縁があると言っても、内緒で足を引っ張るような行動は出来ず、自分自身が選挙の事前運動は一切しない公約で、政治活動のままに告示を向かえる事から他人を手伝っておれる立場ではありません。
 
 そんなことより明日は義母の通夜で、明後日は葬儀を控え(私は議会優先で欠席)て、明日は市役所の仕事もある事を考えると、来週月曜日に予定されている選挙の予備審査の準備すら時間がなく、私自身の尻に火がついた状態なんです。
 
 最後になりますが、火曜日(22日)の朝に亡くなった義母の葬儀が金曜日(25日)になった一番の原因が、葬儀を行う浄土真宗の僧侶が教員のため、24日(木曜日)が学校の終業式との話を聞くと、世の中本末転倒だらけで、こんなことで仏は浮かばれません。私も親不孝ですが…
                                 3月23日の一言

家内の母が亡くなり

 昨晩に会報『津島の風』38号が完成し、午前中に市役所で開催される議会運営委員会から帰ったら、地元だけでも配布しようと考えていると、朝から福祉有償運送の依頼で、予約してあるつもりで電話があったものの、予約は入っておらず、大慌てで手配して市役所に走ろうとすると…
 
 「お父さん、いま何やってるの…」
 「何って、なんだ! (怒) !
 「母の様子が…」
 「エッ、様子って、なんだ」
 「在所に走ってくれない…」
 「今から議会だからダメ、ダメ」
 「そう、じゃー良いわッ…」
         ※携帯電話の会話です
 
 今月初めに救急車で運ばれ、回復の見込みなしと言われていた義母が、ついに最後の局面を迎えた様子ですが、突然に議会日程を欠席もできず、市役所から連絡するとやはり亡くなっていました。
 
 さて、今日が火曜日で、明日が通夜で、明後日(木曜日)が葬儀と勝手に手帳を見ていると、家内から葬儀が金曜日(25日)になったと連絡があり、葬儀当日が議会最終日である事と、次年度の予算を採決する本会議のため葬儀には行けません。
 
 親(義理ですが)の最後ぐらいは葬儀を優先したらとの意見もありましたが、市民の税金を報酬として受け取っている以上は欠席できないと家族には伝えてありましたが、本当に議会当日と葬儀が重なってしまいました。
 
 まったく不義理な婿であり、不人情か親不孝も甚だしい話ですが、舞台俳優が葬儀に行かずに舞台に立つのと同じで、平成5年に父親が亡くなった時も仕事中で、死んだと連絡後も黙々と仕事を続けていました。
 
 夕方に在所に走り、慌ただしい台所の手伝いも何もできずに座っていただけで、こんな時に男(私)は何も役に立たず、救急車で運ばれた日と同じ火曜日のため、本日開かれる書道会の準備に家に帰ってきました。
 
 こころ書道にあらず…
 しかし、義母にもあらず…
 明日から全く余裕のない日程と仕事に頭がいっぱいで、明日(今晩)からは朝3時起床の日々が続きます。
                                  3月22日の一言

真実は何かを見極めたい

 東日本大震災が発生して10日が経過したが、二次災害として福島原発の事故処理が大問題となり、放射性物質に汚染された牛乳や農作物など、「大丈夫」と言われても何を信用してよいか判らず、政治不信も増幅させられるばかりです。
 
 「おい、東北に行かなあかんなァ」
 「そうだなァ」
 「これからは良いわなァ」
 「あっちは、全部だからなァ」
 
 知人と待ち合わせた市外の喫茶店で、隣から聞こえてきた会話ですが、一瞬はボランティアの話と思い耳を澄ませたものの、その会話は建設業界らしき人の仕事の無い愚痴話で、義捐金を一生懸命集めている子供たちには聞かせたくない会話です。
 
 近所のガソリンスタンドのガソリン価格は、本日152円になっており、給油制限はされていませんが、全国展開しているスタンドが給油制限している事から、周りのスタンドも追随するウワサと、現実に値上げが実施されています。
 
○今週末で関東地区のガソリン不足が解消されそうです!
               http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/51926265.html
 
○岡原発2号は東海地震に耐えられない   http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/38107584.html
 
 結局のところ、書き入れても金にならないブログに一生懸命記されたいる記事の方が、利害に関係なく信頼できる事から、本日の一言に勝手に引用して、添付してしまいましたが、前記した不謹慎と思われるような会話も、伝わり方と議員の会話なら大問題となります。
 
○もうさ・・・早く民主党は自民と交代しろよ   http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/27473808.html
○この恥知らず!辞職しろ   http://blogs.yahoo.co.jp/anamorura55/60833928.html
 
 さて、私はこの問題は封印して、任期最後の議会と会報配布に専念し、4月の選挙に勝ち残らない事には、ボランティアに参加する余裕も無くなります。今晩完成する会報の印刷が終わると、明日からは会報配布も仕事に加わります。
                                3月21日の一言

10年後の家建築を語る84歳に

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 昨晩はほぼ徹夜状態で印刷を終わらせ、パソコンを久しぶりにゆっくり眺めてからコタツで仮眠に入り、家族の会話も耳に入らず完全に熟睡していると、「お父さん、お客さん」と三男に起こされても身体が動きません。
 
 当方が会報の印刷で徹夜状態であるとは訪問者には解らず、当方の選挙準備が何も手つかずである事から心配しての訪問ですから、文句を言うよりも感謝すべきなんですが、こんな時の訪問は仕事が遅れます。
 
 さて、添付した写真は横井庄一記念館の庭ですが、午前中の来客が目覚まし時計となった事と、来週には隣のお寺の永代経の受付係と、叔父のお寺も永代経がある事から「ずる休み」の予定でしたが顔を出しました。
 
 庭には梅の花が満開で、そろそろ散り始めていますが、寒さに震えていたこれまでと違い、本日は玄関の扉が開放中で、館長(横井夫人)のやる気は80を超えているとは思えません。
 
 この記念館前の道路が拡幅予定で、玄関前まで庭が引っかかるとの話で、館長は「土地が売れたお金で、裏に建て直そうか」と語った事から、「それは何時の話」と問うと、「10年位先になるかなぁ」の一言がありました。
 
 横井庄一さんと夫人の間には子供がなく、夫人が不在後の記念館をいかに継承するか心配しているが、10年後に家を建て直す80(昭和2年生まれ)パワーに驚かされます。
 今晩も徹夜で印刷です。その前に原稿書きが先決ですが…         
                                3月20日の一言

任期最後の会報の印刷を始め

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 本日は三連休の初日ですが、議会報告となる会報『津島の風38号』の印刷をスタートさせた事から、午前中より印刷機の周辺での仕事となりましたが、印刷開始と言ってもA4版8ページのうち3ページの原稿が出来上がっていない事から、明日と明後日は大変な一日となります。
 
 写真はA3版の印刷用紙ですが、最近は文具店ではなくホームセンターで買い求めている事から、好きな時に買いに行けるものの、A3版の用紙は在庫が限られており、大量に必要(今回は1万6千枚・8千世帯分)となる事から、今回も2ヶ所の販売店に走りました。
 
 「もう在庫はありませんね?」
 「そうです…」
 「じゃー、あるだけ買っていくか…」
 「前もって言ってもらえれば必要分揃えますが…」
 
 毎回同じ問答となりますが、かつては文具店から配達してもらっていたものの、原料の値上げにより「ホームセンターの方が安いですよ」と言われ、印刷が遅れると事務所内が荷物置き場と化したままになる事と、長期間経過すると用紙が湿って重ね刷りする事から、印刷する直前に買いに走った方がストレスをためません。
 
 もっとも、仕事を計画的に消化せず、土壇場にならないとできない私の性格に問題があり、本日も印刷中に「今すぐに来てくれない」と依頼があり、印刷を途中で中断して外出した事から、深夜から未明にかけての印刷となりました。
 
 さて、この会報津島の風ですが、議会後の政治報告として発行し、6千世帯から1万2千世帯分を印刷していますが、今回は4月に県議会と市長、市議会の選挙が控えている事から駆け足の配布となります。
 
 「これは選挙違反ではないか?」と、過去にクレームをつけた人がある事から、愛知県の選挙管理委員会に会報を持参し、「これは定期的に発行している議会報告だから問題なし」と言われてきたものの、「選挙前はわずらわしいから早めに配布して下さい」との釘も刺されました。
 
 本来は議員の任期が選挙の投票後まである事から、政治活動として堂々と配布していても法に触れる事はありませんが、誰かが警察などに訴えると、「嫌がらせと判っていても調べる必要がでてくる」らしく、いらぬ詮索と災いは避けたいものの、選挙の事前運動は一切しない公約ですから、会報配布は私の政治使命でもあります。さて、先週も横井庄一記念館を休みましたが、明日はどうしようか…
                                 3月19日の一言

議会運営委員会は持ち越しに

 本日は小学校の卒業式が行われ、校長先生の挨拶のはじめに東日本大震災の死者や不明者の話が出ましたが、全く同じ日本かと思うがごとく、例年と同じような卒業式が淡々と進行されました。
 
 数日前にやっと連絡がついた宮城県の同級生は、現在の赴任先は小学校だが、以前勤めていた高校の体育館が遺体安置所になっている事に心を痛めていた話を思い出すとともに、本日の夕刊にも教室で卒業式を迎える岩手県の様子が記されてきた。
 
 人の寿命と、運不運は予想がつかず、同じ被災者でも長期ローンで家を新築したばかりの人もあり、家が無くなってもローンだけが残って、一生かかってローンを支払い続けなければならない人も存在する。
 
 本日は議会運営委員会が午後から開催され、結論が見いだせられない事から、来週の連休明けに仕切りなおしとなり、任期最後の議会は休会日も返上して委員会が開催されているものの、「今日は何なの?」と市民に言われる始末です。
 
 さて、明日からの三連休は会報の印刷に専念しようと考えていましたが、予定は大幅に遅れる事は確実で、日頃の政治活動として堂々と維持しても法的には問題がないと言っても、差し迫ってくる選挙日程までには済ませて、肝心の選挙準備に入らないと大変な事態を招きそうになってきました。今晩はこのまま熟睡するのが自然です。
                                   3月18日の一言
追伸
今度災害があったら、何も考えずに被災地に走り、ボランティア活動に参加すると以前の一言に記した事がありますが、せっかくの三連休も何の役にもたたぬばかりか、自分の選挙を考えている自分に腹立たしい日々が続きます。

選挙を人任せにして名古屋へ

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 本日は津島市役所で、4月の統一地方選挙の立候補予定者に対する説明会が開催され、10人の新人候補者も含めて会場が満席だったとの話ですが、私は同時間に名古屋市で開催されていた愛知県主催のフォーラムに参加していました。
 
 もっとも、開始時間に遅れ、会場となる名古屋駅前のウインクあいち(愛知県産業労働センター)が一年前の新築のため場所すら判らず、新しいビルが建ち並ぶ名古屋駅東地区で迷子状態で、やっと会場向いの駐車場に1台分だけ空いたスペースを見つけて止めたものの、10分200円の看板に慌てて会場の地下駐車場に移動させました。
 
 「ちょっと、大丈夫かなァ」と入り口で止められ、私の車の車高が高い(226センチ)ために確認ですが、「230センチまでは大丈夫だから…」と言って何とか入りましたが、途中でも別の職員にも停められ、「今まで入った事あるの?」と問われ、複数の監視下で停車となりました。
 
ウインクあいち(愛知県産業労働センター)
 
 私が参加していたのは、愛知県の病児・病後児預かり促進事業として、「どうなる?!病児・病後児保育の行方」と題する、突然の病気や病後の子供達の預かりや保育をテーマに問題提起と事例紹介(上の写真)がされました。
 
 子供が学校で病気になった時に、学校から連絡をもらった母親は、勤務先に休みをもらって学校に走りますが、これが重なると会社に居りづらくなったり、解雇された例もある事から、共稼ぎが当り前となった現代社会では問題ともなっています。
 
 私の所属するNPO法人は、設立趣意書の中に「子育て支援」も含まれていることと、議員として若い世代の人々から訴えられることから、移送を活動のキーポイントとして何らかの力になりたいと考えている次第です。
 
 さて、帰宅後に選挙説明会に出向いてくれた後援者と電話がつながらず、何度コールしても不通のままのため、説明会会場に走って不在の確認後に、やっと市役所前の珈琲屋で一服している事が判り、肝心な選挙情勢は何も判らないままに帰っている事から、なんと不合理な一日と悔やむ帰宅となりました。
                                   3月17日の一言

原発放射能漏れは人災である

 私自身が自分の性格ゆえに自覚していますが、「後ろ向き」とか「回顧主義」と言われる性格のため、災害についても悲惨な情景や、悲しい場面が忘れられませんが、被災地のためにも明日への展開へ切り替える必要がありそうです。
 
地震情報・日本気象協会  http://tenki.jp/earthquake/ 
地震・津波災害に関する情報 http://weather.yahoo.co.jp/weather/2011sanrikuoki_eq.html
原発関連情報・朝日新聞 http://www.asahi.com/special/10005/index_npp.html
 
 連日続く余震とともに、福島県の原子力発電所の放射能漏れが続くが、明日は我が身かも知れない事と、私の義母のように意識の回復もないと宣告され、余命いくばくもない人々は全国に存在する。
 
 本日の朝日新聞夕刊は、「日本の地震対策 08年に不安表明」として、国際原子力機関(IAEA)のスタッフが、日本の原発の地震対策に不安を表明していた事が、英紙・電子版に掲載されている事を報じている。
 
 これが事実とすれば、広島や長崎へ原爆を投下された被害者として、世界各国に核の脅威と核廃絶を訴えている半面で、随分とずさんな対応をしていたこととなり、地震や津波は想定外としても、原発の放射能漏れについては人災との批判は免れないはずであろう。
 
 原子力発電の危険性については、国民の誰もが認識していたと思うが、国策としてクリーンで安全と宣伝し、反対者の声を多数の賛成派により封じてきた原発建設時の責任までさかのぼる必要があるが、反対を貫いても無情にも建設された反対派の人々まで放射能の脅威にさらされるのは無念でもある。
 
 今回の後始末に、米軍のヘリコプターに救援を要請したようだが、原発の最前線に米軍兵士を依頼する前に、原発推進を訴えてきた者や、東電関係者が立ち会うべきで、「こんな時の日米同盟だ」なんて発言するワイドショーの女性評論家の一言を聞くと、無責任極まりない原発関係者と同じである。
 
 さて、津島市議会は本日で常任委員会が終了し、来週末には閉会となりますが、明日は立候補予定者への選挙説明会が市役所で開催され、翌日の小学校卒業式から3連休を迎えますが、いよいよ選挙モードに入っていきます。
                                 3月16日の一言

被災地の生の声を聞いて

 東日本大震災が発生して4日間が経過する中で、本日やっと宮城県在住の知人と連絡がつき、家族全員が無事と聞いて一安心となったが、何事もなかったと言うものの、未だに地域一帯の電気は停電したままで、電話も不通になっていたのである。
 
 「じゃー、何故に話しておられるのか?」と不思議に思ったところ、「我家の電話機は旧式のアナログだから」との一言が返ってきました。停電のため、最近の電話機は使えないらしく、旧すぎる電話機ゆえにつながるとの話に、情報化社会の皮肉な一面を感じさせられました。
 
 我々が、遠く離れた愛知県で、地震発生直後の被災地の様子を、テレビの映像としてリアルタイムで目にしてきた事から、現地にいる知人が知っている前提で話していると、「テレビは映らないから見ていない」との思わぬ現実を知らされました。
 
 どうやら現地での情報は、ラジオと新聞しかないようで、水道管も破裂して水もない生活から、知人は2時間並んで救援物資をもらってきたそうですが、物資を送ろうにも当分は送る事もままなりません。
 
 さて、原子力発電をクリーンな発電として、電力は原子力が支えているような宣伝が流されていましたが、広島や長崎の例から、万が一の場合は放射能によって人々が危険にさらされる事は判っていたはずですが…
 
 クリーンで安全なら都会の真ん中に発電所を造ればよいと思われるが、都会から遠く離れた場所に建設し、事故後の記者会見についても、幹部は現地から遠く離れた都会で現地の伝聞から想定した説明には説得力もありません。
 
 普段着で放射能の検査を受ける被災者の前で、身体中を白い防護服とコーグルに身を包んだ職員が応対する姿と、地域住民を救うべき消防車のポンプが原子炉へ水を供給する不自然さにはびっくりです。
 
 深夜になり、静岡県でも震度6強の地震が発生し、愛知県でも震度3の揺れが続き、「当地方に移ってくるのだろうか」と話していると、地震より心配となるような強風が当地方を襲っています。
                                  3月15日の一言

こんな時こそ政治の出番だが

 本日は3月議会の厚生病院委員会が開催され、来年度予算案をはじめとして議決案件全ての審査が終わった時は、午後6時50分になっており、それまで携帯電話に記録された着信履歴に連絡しながらの帰宅となりました。
 
 午後になって委員会の最中に、サイレンの音が鳴り「地震です」とアナウンスがあった事からびっくりとさせられましたが、ドコモの携帯電話には一斉に緊急速報が入ったようで、委員会も安全を確認後の再開となりました。
 
 帰宅後のポストには、「3号機水素爆発」と「南三陸で1000遺体」の見出しで地震一色の夕刊が配達されており、テレビも福島第一原発の爆発と地震の特集が続いており、しばらくは地震一色の日々となりそうである。
 
 それにしても東京電力は原子力発電の事故による電力不足を、「計画停電」でしのごうとしているものの、国民全体で苦しみを共有する事に異論はないが、不足すれば必然的に停電となるものを、地域住民に周知徹底せぬままに「停電」させる事は、交通信号をはじめとする都市機能を麻痺させ、人工呼吸器など停電が命と引き換えとなる人々への配慮が不足しているのではないか。
 
 計画停電により、交差点の信号の代わりに交通整理する警察官が足りないばかりか、慣れない交通整理にかり出すくらいなら被災地へ派遣して、少しでも被災地の救援と復興に寄与する事のほうが重要でもある。
 
 さて、津島市からも消防車輌と消防職員が被災地に派遣されているが、市長を筆頭にして市役所の義捐金集めが始まっており、市議会でも代表者会議を開催して義捐金を送る段取りとなっている。議員は税金から報酬をいただく立場にあることから、こんな時こそ被災地の役にたちたい気持ですが、議会と4月の選挙を控えて全くの無力でしかありません。
 
 名古屋市ではリコール後の市議会議員選挙が終わり、河村市長の主導する「減税日本」が躍進し、過半数こそならなかったものの、28人が当選して第1党となりました。
 日頃から地元のために頑張ってきた議員が、地元と縁もない突然の立候補者によって落選する姿は自業自得とは思えず、議員ってこんな存在なのかと寂しさも実感させられました。
                                    3月14日の一言

地震漬けの生活が続く

 地震が発生して3日が経過しましたが、知人への連絡は相変わらず不通で、テレビも夜のテレビ愛知(テレビ東京系)以外は緊急特版で地震一色の一日となりました。私が普段から訪れるブログにも参考となる記事があった事から、本日は添付で一言を終えたいと思います。
 
地震発生時緊急マニュアル  http://blogs.yahoo.co.jp/yasudaimonji/34634750.html
 
<東日本大震災>「不屈の日本」 http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/27431233.html
 
バッテリーを宮城県へ http://blogs.yahoo.co.jp/hkroad_eco/22934284.html
 
 夜になってもテレビ画面から500人とか200人の遺体収容のテロップが流されると、不謹慎な一言や震災以外の話題を考えることもできませんが、今回の地震によって先祖代々の家々や木々まで一瞬にして失った人々の心境を察すると、我々も無からやり直す気力が必要です。
 
 さて、「人体への影響はないので大丈夫」と言いながら、原子力発電所の爆発によって放射能に汚染した住民を検査する担当者は、マスクとゴーグルで頑丈に身を護っている姿や、背広姿にヘルメットのアナウンサーの周りの関係者の姿は普段着であると、我々は何を見せられているのかと疑問が残ります。
 
 深夜になって、家族を探す人や、全員が生き埋めとなった現場で立ち尽くす人のインタビューは必要なのか。ましてや、家族を亡くして「独りぼっちになってしまった」と泣き崩れる人へのインタビューは聞くまでもない。
                                               3月13日の一言

歴史的大災害、何もできないものの

 地震発生直後には、世界的な災害史に残る大きな地震で、死者不明1500人と報じられるような災害とは思わず、我家の安否を気にしながらも、自分の住む津島市の被害が無い事を確認してホッとしていたのですが…
 
福島第一原発1号機に海水注入開始 格納容器冷却へ 
               http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY201103120521.html
 
 帰宅後のテレビから流される映像は、被災直後には大規模とは思えなかった阪神淡路大震災と同じで、時間が経てば経つほど被害状況が拡大し、深夜になっても街中が火の海となる映像がながされてきました。
 
【地震】転載お願いします http://blogs.yahoo.co.jp/kirigakiri/32584929.html
【マスコミのヘリを飛ばさないで】
                http://blogs.yahoo.co.jp/yasudaimonji/34631267.html
 
 「津島市の被害は何も無いようです」
 「そうか、良かった、良かった」
 
 市役所で、地元の安全が確認されて何事もなかったように雑談としていましたが、帰宅後に東日本全体となる大災害と判り、自治体全体が壊滅状態となったような報告を聞き、足元に多くの市民が亡骸となって流されてくる報に、昨晩は一睡もしないままに朝を迎えてしまいました。
 
 「現在、電話が大変混み合っています。恐れ入りますが、しばらくたってからもう一度おかけ直し下さい」と、知人の安否を確認するためにかけた電話は繰り返すだけですが、こんな電話も被災した人々や家族、親族に優先されるべきで、水に浸かって停電が続くだけに私は無事を祈る事しかできません。
 
 「独りになっちゃうのー」と言ってテレビカメラの前で号泣されるご婦人の姿や、一緒に逃げた家族が津波に飲み込まれた男性の声を聞くと、悲しみを共有するだけでなく、この気持を忘れずに生きていきたいと思います。
 
 日米同盟を批判する声もありましたが、迷わず空母や艦船を被災地に差し向けた米国や、いち早く日本に支援を表明したタイなど、世界各国から大挙して入国してくる援助隊にも素直に感謝し、未だに大きな余震が続いている事と、当地方も人ごとではない事から、こんな時こそ国民一体となって人命救助と復興に協力したいものです。
                                    3月12日の一言

地震の被害が深夜まで続き

 本日はなんといっても三陸沖の大地震しか話題とできない一日で、私の人生の中でも忘れられない3月11日となりそうです。
 
地震規模はM8.8、世界最大級 沿岸に大津波 
               http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201103110287.html
 
 津島市役所では市議会一般質問が行われており、午後2時45分より15分の休憩に入った直後でしたが、私の頭がクラクラとして吐き気に襲われ、会派控え室の窓に両手をかけて冷静に体調を整えていると、建物自体がゆっくりと大きく揺れている事が判りました。
 
 一般質問は最終登壇者の私を残すのみで、当初は冷え込みが厳しかった事から、緊張と血圧の異常による倒れる前兆のように感じましたが、鉄筋5階建ての市庁舎がまるで舟のようにユラユラと揺れ続けました。
 
 あまりの揺れの大きさ(当地方は震度4)から、議会は5分遅れで再開となりましたが、総務部長から宮城県三陸沖で震度7の大地震が発生した事が報告され、私の登壇中にも議場がきしむ揺れが続き、しばらく発言を中止する質問となりました。
 
 私の人生の中では、平成7年1月に発生した阪神淡路大震災と並ぶ、大きく体感する事になった地震ですが、震源地が遠い宮城県の地震ですから、今回の地震がいかに大きかったかが判ります。
 
 議会は私の質問が終了(4時03分)後、追加議案一件の上程後に散会となり、議会運営委員会が開かれ、本日も午後5時を大幅に廻る激論が交わされました。
 
 帰宅後のテレビ報道を見てびっくりとさせられ、その後はテレビの前から離れられなくなりましたが、明治以降最大という地震により、死者は120名を超し、深夜まで各地で火災が続き、日本全土に津波が押し寄せています。
 
 さて、今回の大震災による火災や津波については自然災害であるが、各地に存在する原子力発電所の被害が報じられ、放射能漏れの恐れから半径3キロ以内の住民に非難命令が出されているが、こんな事態も考えると原子力発電の人災としての危険性を再考したいものである。
 
 私はこんな時に現地に走ってボランティアとして活躍したいと以前のブログにも記した事がありますが、現実には月末まで市議会が開会中であり、4月には統一地方選挙が控えている事から現実には何の役にも立たない無力感のみが残ります。
                                 3月11日の一言
追伸
本日の地震により、私の身体は吐き気と偏頭痛が残り、もしかすると身体の平衡感覚に影響を与える揺れだったのかもしれません。

知らぬ事とは言え…反省です

 本日は午前9時より市議会の一般質問に先立って、今週日曜日に現役のまま病魔に倒れて亡くなった、市民病院事務局長に対する黙祷が行われましたが、痩せていく本人に何度も「精密検査」を進めていた事から残念でたまりません。
 
 亡くなってから膵臓ガンだったとの話を聞き、肝臓ガンや膵臓ガンに驚異的な治療を施す埼玉県の三浦病院の話をした事がある事から、何も知らずに語っていたとは言え、死の直前まで入院せず病院に勤めていた、本人の気持はどうだったかと思うと辛いものがあります。
 
 「おい、今度はスッポカシは無しにしてよッ」が、故人から私が直接聞いた最後の一言で、病院副院長との約束を忘れたままに時間が経過してしまった過去に対する皮肉で、冗談半分だったものの、冗談に思えない印象が残ったのは、この頃に病状はかなり悪化していたか、死を覚悟した生活を送っていたためか…
 
 同僚となる職員の話では、本人は自分の病状をほとんど語っておらず、上司ゆえに聞く事もできなかったようですが、本人が死を意識していたと思われる時期に、私は自分の検査や、お節介にもガンの話をしていた事を思うと、胃が痛くなってきます。
 
 葬儀が行われた時、私は中学校の卒業式で義母が救急車で運ばれたとの連絡を受け、稲沢市(旧祖父江町)の病院に急いでいる途中の交差点に、故人の葬儀を伝える看板があり、「人生とはこんなものなのか」と思いながら、私は逆方向に走りました。
 
 さて、私の父親は定年まで名鉄の職員としてサラリーマン人生を送りましたが、ちょうど私の年齢の頃に膀胱に腫瘍が見つかり、定年退職の直前に足の靭帯を切るケガを負い、64才の時に胃ガンが肝臓に転移しており、余命1ヶ月の診断を受けて半年後に他界しました。
 
 自分が40数年勤めた会社の運営する名鉄病院に入院した事から、自分の先輩や同僚の見舞いを受け、我家にいるよりも多くの知人に囲まれた耐病生活は、父親にとっては幸いだったと思っていますが、局長は定年にも達していない事と、勤めていた病院で最後を迎えた事が不憫に思えてなりません。
 
 本日は、こんな悲しい一言になってしまいましたが、本日の一般質問は5人しか終わっておらず、明日に6人の質問が残されており、一般質問終了後に議会運営委員会が開催予定である事から、明日も市役所閉庁時間を経過する帰宅となりそうです。
                                   3月10日の一言
追伸
私は明日の最終質問となる事から、午後4時頃の質問になりそうです。

電話が連続する苦痛に

 昨日は義母が倒れたことで、夜まで走り回ることとなり、昨日の一言を書き入れたものの平生のようにテレビを見ながら決定ボタン(送信)を押すと、日時はちょうど午前零時ちょうどとなっており、本日の9日付けとなっていました。
 
 朝から晩まで家を空けていたため、議会の一般質問を控えて、私の質問内容を詳しく知りたい市役所職員から多くの資料がファックスで届けられており、この資料をもとに普段は私との会話がありますが、今回は不在のために本日の早朝より電話が続きました。
 
 この電話の中に、NPO法人の会員で、福祉有償運送の利用者となっている私の叔父からの連絡もあり、「今すぐ来て欲しい」の一言がありました。
 
 叔父は一昨年前の年末に叔母を亡くして独り暮らしとなっているが、何でも自分の思うようにしたい願望が強く、当日の依頼は他の会員の移送と重複する事から、前日までの予約を求めているものの、ボランティアに直接連絡して当日の依頼が続きます。
 
 本日も直接ボランティアに電話したものの、連絡が取れなかった事から私に連絡が入ったもので、「当日の依頼は困るので…」の一言も、右から左へ聞こえてはいない様子であり、突然の依頼に「ラッキー」と小遣い稼ぎに走って行くボランティアの感覚も問題です。
 
 福祉有償運送は、津島市と愛西市を対象に陸運局の認可を受けているものの、ごく一部地域を対象に展開しているだけで、全体を対象にサービスを提供しようとすれば、ボランティアの増員が不可欠で、ボランティアの連携を図らないと運営ができません。
 
 叔父のように、こちらがダメならあちらへと連絡されると、複数のボランティアが現地で鉢合わせる気まずい展開を引き起こし、こちらが正論で応対すると耳障りが悪い事から直接連絡し、依頼できないと白々しく私に電話が入ります。
 
 家内の母親は人口呼吸器で生き長らえているものの、回復する可能性もなく、連絡が入れば走って行く事になっており、叔父にその事は伝えてないものの、突然の電話はボランティアどころではない事から、叔父や無責任なボランティアにも不満と苦痛を感じました。
 
 もっとも、有償とは言え、たいした収入にもならない事から、事故でも起せは自分持ちとなるボランティアに責任を押し付けるのは問題ですが、「お互い様」の精神と同時に、ルール無視には断る勇気も必要です。
 
 「今日電話連絡を入れたけど」
 「携帯電話は充電中だった…」
 「叔父も電話している筈だけど」
 「昼に(着信)履歴で気がついた」
 「今後は直接依頼は断ってよ」
 「困っているのに断れない」
 「じゃー、叔父専属でやってよッ」
 「 … … 」
 
 普段都合よく対応しても、都合の悪い日にはだんまりでは、身勝手とは言え依頼する叔父も困り、出動を依頼する当方も困り、突然に走っていくボランティアも困り、身勝手な叔父とボランティアに皆が困る悪循環ですが、NPO法人として専属の受付と公平な分担を考える時期が近づいているのかも知れません。
                                  3月9日の一言
追伸
行政の年度末が、NPO法人の日程にも影響し、書類の提出や参加を要する日程が続きます。

義母が倒れて救急車で

 本日は中学校の卒業式があり、新たに新築された武道場で222人の卒業生が卒業証書を受け取りましたが、式の途中に学校を目指す暴走族の爆音が響き、校門の外では教師が必死に警護していた事が想像されます。
 
 津島市議会では週末の木曜日と金曜日に一般質問を控えており、通告した質問に対する答弁書を用意するにあたり、朝から当方の質問を確認したい電話が続き、卒業式後の連絡を約束していましたが…
 
 「お父さん、母が救急車で病院に…」の一言は、家内の母親が倒れて救急車で病院に搬入され、家内は病院に駆けつける道中からの連絡ですが、「着いた時に命がないかもしれない」との一言で電話が切れました。
 
 校長室でゆっくりしている場合ではなく、慌てて帰宅後に着替えて病院に駆けつけたものの、不謹慎な話で母親の名前が思い出せません。それでも受付で訊ねて搬入された病室にたどり着くと、家内と義兄と義姉が廊下を横切って看護師詰所に入っていくのが見えました。
 
 病室では酸素吸入が装着された義母が横たわっており、あまりにも厳しい状態ゆえに廊下で待っていると、「先生が状態を説明されているので入ってください」と詰所に案内され、家内達と一緒に診断を聞かされました。
 
 結論は、脳卒中で大量に出血した血液が脳を圧迫しており、搬入時には呼吸が止まっていたと聞かされ、蘇生して人口呼吸器により生命を維持している状態で、高齢(90才)のため手術は行わず、意識の回復は絶望的で、今日か明日が山との説明です。
 
 「若い人なら手術も考えますが、手術をしても意識は戻りません」と医師に言われ、「それでも何とか」と言わない家内達に、「俺の時は諦めないでくれよ」と心の中で叫んだものの、CTから出血部分を見る限り、素人でも成す術が無いことが判ります。
 
 さて、意識もなく、回復も期待できない病室は沈痛で、家族や姉妹の話題は葬儀の方法で、そのまま自宅の掃除に走り出し、私は市役所との連絡が残されており、帰宅するとボランティアで知人の相談を依頼した社会保険労務士の2人がバス停(我家の真前)に立っていました。
 
 話し込んでいると市役所の閉庁時間を超えており、明日が締め切りとなっているNPO法人の愛知県への提出書類を印刷し、約束してあった知人宅に走ろうとすると、本日は火曜日で夜は書道会があった事を忘れていました。
 
 慌てて会場に暖房を入れ、机を拭いて恩師を迎えに走りましたが、肝心の書は疲れて思うように筆が走らず、家内が不在のためにお茶も用意できず、書道会終了を待って知人宅に車を走らせました。こんな忙しい一日になるとは全く予測していませんでした。
                                   3月8日の一言
追伸
明日はもっと忙しい一日を迎えます

同窓会入会式に中学校へ

 本日は地元中学校の同窓会入会式が行われ、卒業式の予行練習の後に、同窓会長として明日卒業式を迎える卒業生の前で、10分程度の話をして欲しいとの話で学校に出向きました。
 
 10分程度の話とは言っても、実際には何を話すか決めておらず、昨年は将棋の世界の升田幸三さんと、アジアの鉄人と言われたハンマー投げ室伏選手のお父さん室伏重信氏の講演で聞いた助言を語りました。
 
 昨年と同じ話では能がないが、あくまで昨年の卒業生に話した事で、今年の卒業生や教員には昨年の話は関係がない事から、「まぁ、そんな話かなぁ」と時間まで校長室で教頭先生と雑談に花を咲かしていましたが…
 
 入会式となり、随分話し込んでから気がついた時には、「自分は何でこんな話をしているのか?」と自問自答し、何のために語っているのかと後悔する事となりましたが、私の中学校から高校時代の闘病生活(右足骨髄炎)と、落第生活を話していました。
 
 話し始めてしまってから、自分の落第生活や非行体験などは話さなければ知られなかった過去や、判らなかった良からぬ反省点を曝け出した後悔をしても遅く、「脱線してもやり直しができる」人生の例として話を締めくくりました。
 
 校長室に戻り、「なんで、あんな話をしてしまったのか?」と話すと、「私が明日の卒業式の訓示では話せぬ、生活の注意をしてしまったから…」と校長が話し、「卒業式は終わりではなくスタートだ」と語られた事に感化されて想定外の話を披露してしまったのでした。
 
 「なんだァ、同窓会長は落第生か、元は不良か」と、私の子供に話しても馬鹿にされるような話を卒業生にしてしまいましたが、最近のカンニング事件や、物騒な若者の事件が連続している事から、そんな過ちを犯してもやり直しができると、「高校5年生」から大学を懐古した話を久しぶりにしました。
 
 さて、明日は卒業式があり、午前中は中学校に出向きますが、夜になって明日のボランティアの手配ができず、依頼主の家を代理のボランティアへ教えに走りましたが、「こんな夜になんだッ」と酔っ払って話すボランティアに、「俺は今も明日も、全く無報酬で走っているんだゾッ」と声を荒げたところ、車中は真っ暗になりました。
 
 ボランティアは最初から奉仕精神が求められ、それを覚悟して参加しているものの、突然の依頼や、依頼がしにくい仕事は私が引き受けており、私はこのボランティアに大金をつぎ込んでいる事が忘れられており、そんな事を訴えてボランティアを黙らせてはボランティアの強要やボランティア精神に反する反省ばかりの一日となりました。
                                   3月7日の一言

早朝から出動する日曜日に

 本日は、朝6時50分までに町内の7名様を新幹線名古屋駅まで送る約束がしてあり、目覚まし時計を5時20分にセットしてありましたが、「お父さん、起きて」と5時前に家内に起こされてしまいました。
 
 「大鹿さん、いくらで行ってくれる」
 「そちらの財布に任せますよ」
 「じゃー、千円で…」
 「えっ、千円??」
 「一人千円で、7千円だよッ…」
 「えっ、7千円??」
 「往復だけどッ…」
 
 以前から本日の約束がしてありましたが、料金についてはタクシーメーターがついたタクシー車輌であるものの、私の主導するNPO法人が認可を受けた『福祉有償運送』が低料金でボランティア移送を行っている事から、正規の料金がいただけません。
 
 結局は往復5千円で走る約束としましたが、わずか30分の仕事とは言え、本日は5時に起床し、明日は夜の10時50分に到着する新幹線を出迎えてから自宅まで送迎するわけですから、後から大変だと思っていると、「月末にも同じように行って欲しい」と依頼を受ける事となりました。
 
 改めて考えてみると、バスでも1人千円以上の往復料金となり、夜11時過ぎに乗車できるバスはなく、タクシーでも2台に乗車する必要がある事から、私のボランティアは格安となる事は確実ですが、こんな違法紛いの移送は続けられません。
 
 全国的に格安の旅行企画が大々的に新聞や折込広告から紹介されますが、津島市から集合場所の名古屋市に行く時間と料金を考えると、地方の人々は大変な苦痛も伴う旅行となります。
 
 公共交通や移動する交通手段を考える勉強会や講演などでは、買い物や病院への通院などが深刻に語られますが、そんな話は生活するうえで最低限必要な話で、高齢者であっても生きがいや健康を考えると、旅行や観光まで行きたい所に自由に行ける行程を考える必要性を感じます。
 
 さて、本日は横井庄一記念館で、「子供に横井庄一さんの一から説明して下さい」と言われ、戦争から洞窟に潜んで28年間の生活を話しましたが、確実に世代交代がすすんでおり、「昭和」の年号さえ説明が必要な時代を実感させられました。
                                 3月6日の一言

我家の環境を2匹の愛犬から

 本日は来週の議会や公的日程などを考えると、一般質問の準備にあたるべき一日との認識はあったものの、昨日までの慌しさと明日以降の強行スケジュールを考えると、貴重な休養となる一日に思えて何もしない一日としてしまいました。
 
 3月議会に通告した私の一般質問
               
1件目 津島市の医療について
  要旨・市民病院の現状と今後の目標について
     ・感染症など、国や県との連携について
     ・子どもの医療費助成について
2件目 公共交通及び交通弱者対策について
  要旨・公共交通と巡回バスについて
     ・買い物や通院など、外出困難者に対する展開について
3件目 アイプラザ津島(勤労福祉会館)の移管について
  要旨 改修と供用の具体的タイムスケジュールについて
一般質問 3月10日(木)、11日(金) 質問者11名 私の登壇は11番目(11日昼ころの予定)
 
イメージ 1 暖かい一日となり、家内は愛犬リマを車の助手席に乗せて畑まで走っていきましたが、その姿を我家のもう一匹の愛犬モモ(今年で9才)が淋しそうに見送っている姿がおり、元々はモモが我家本来の愛犬だった事や、交通事故で先代モモ(姉)が死んだ一年後に先代モモと瓜二つの姿で生まれ、貰ってきた当時の可愛い姿を思う浮かべるとほかってはおけず、私が畑まで連れていくことにしました。
 
 モモは甲斐犬の血をひく雑種ですが、人(犬)一倍の淋しがり屋で、かつては我々が外出する度に鳴き続けていましたが、最近はききわけが良いものの、人(犬)一倍の甘えっ子でした。
 
 新参者のリマが暴君のようにモモに吠えまくりますが、何とかの遠吠えでしかあらず、モモはメスではあるもののさすがは甲斐犬の血を引き、一撃でリマを一蹴するものの、最近は歳を重ねたためか我家の二番手に甘んじています。
 
イメージ 2 さて、車に乗せられたままのリマは車外のモモの存在に気づいて大騒ぎとなりましたが、モモにとっては久しぶりの畑となり、私もリマを相棒としてからモモとはゆっくりと散歩に来た記憶もない事から、本当にゆっくりとした散歩となりましたが、暴君となり横着なリマが、すれ違う人にも吠えまくることを当り前としている事から、外では人にもやさしい静かなモモにびっくりとした次第でした。
 
 もっとも、もう少し足を延ばそうと考えていたところ、偶然にも遠方から我家への訪問者と出会い、慌てて帰宅する事になってしまい、今年で9才を迎えるモモとこのような時間がいつまで続くのか感傷的な散歩にもなりました。
 
 明日は朝一番で町内の人々を名古屋駅に送り、午後には横井庄一記念館の留守番となりますが、月曜日からの日程を考えると貴重な一日をボーと過ごした事が良かったのか、仕事を消化すべきだったのかは判りません。
 
イメージ 3 ただ、私の相棒リマにとっては、モモを置いて自分だけ家内と車で出かけた優越感が、私とモモが一緒に畑まで来たことと、家内と私に囲まれたモモの姿がよほどのショックだったのか、帰宅後に私を見つめる態度(左の写真)にありありと体現されており、2人(2匹)が仲良くできない事が残念でなりません。
 
 リマは今年の秋で3才となりますが、とにかく自分が主役でないと治まらない性格となっており、私自身もリマの下僕でも良い位の気持ちで接してきたことから、今更ではありますが、何とかしなければと反省しかありません。
 
 夜になってもリマの暴君ぶりは衰えず、家族からもらったオヤツをうっかりとしている間にモモに食べられてしまい、小さな体を震わせ(抗議のために)必死に吠え続けた挙句に家族に叱られる悪循環です。
 
 こんな時は必ず恐ろしい事が起こります…
 
 私には相棒の習性が判るだけに、他人事のようにテレビを見続けていましたが、夕食後の散歩に家内とモモが出かけた隙を狙って、リマがモモの縄張りとなるカーペットに足を上げて、小便をかけるポーズ(オムツをしているので実害はありません)をとり、ストーブの近くに大便をしたのです。明らかな腹いせです。
 
 「アーッ !!」と、家族に見つかり、私のもとに逃げてきたものの、私の腕の中から、家内に捕まりゲージの中に収監されました。私と母親がケンカになっても、トバッチリはリマにいき、リマが粗相をすると私が原因と言われ、悪いことは私と相棒となる我家の現実を実感させられる夜にもなりました。
                                3月5日の一言

議員控え室からの風景から

イメージ 1
 
  本日は3月議会の一般質問の通告書提出最終日(昼12時まで)にあたり、メールにて事前に議会事務局に送付したものの、私自身は4年間の議員任期最後の議会ゆえに最後の質問(提出順の質問)にこだわり、これは見事に最終ランナーとなりましたが…
 
 ただし、通告した質問のうち1件は、完全に私の前に質問に立つ議員の質問と全く同じ要旨で、もう1件の中の1点も他の議員と完全に重複しているなど、2番煎じの質問は意味もないため、こだわりがリスクともなりました。
 
 もっとも、私自身はそんなケースも当然ありうると想定して、1回の質問に3件の質問を通告しており、元々質問が多すぎて時間超過を心配して質問している事から、他の議員に先を越されても困らないものの、最後の議会で心配が現実となりました。
 
 さて、昨日に添付した写真(携帯電話)は、議会終了後の夜景に近いもので、私の議員控え室から西南(三重県方面)方向を写したものでしたが、本日は東南(名古屋方面)方向にレンズを向け、夕陽に輝く街並みを添付しました。(本日は5時半に市役所を後にしました)
 
 私は議員になった当初の1年間を除いて、翌年から一人会派(新風会)となり、8年前からは二人会派(無所属の会)として、この議員控え室を自分の部屋として使用しており、ここから眺める風景も当り前としてきました。
 
 ただし、4月の選挙で落選となれば、この景色も見納めとなる可能性もあり、57才の年齢は同級生の職員も3年後には定年を迎える事から、この部屋から見える市内の風景も永遠ではない事を妙に実感させられています。
 
 「どう、ちゃんとやっている」
 「それが、何もやってないんだけどネ」
 「えーッ、そりゃー危ないよッ」
 「そーかなァ」
 「人数も減って、激戦なのに」
 「どうしたら良いかなァ」
 「もう、手遅れ、遅い」
 
 このやりとりは、私とは同年となる知人との昼休みの会話で、選挙運動には詳しい事から、違法ではない妙手を年末に指南してくれたものの、私が事前の選挙運動をやらないと決めている事と、妙手とは思っても、性格的にやった事のない事ができない事からこんな会話となった次第です。
 
 「選挙に勝ち残らない事にはただの人になっちゃうんですよ」の厳しい一言でしたが、残業をこなした帰宅前にわざわざ自転車で我家を訪ねてくれた事は、少しは私を心配してくれている長年のお付き合いに感謝しかありません。こんな人もある事から頑張る気力も湧いた一日となりました。
                                 3月4日の一言

最後の本会議は時間延長となり

イメージ 1
 
 本日は津島市議会本会議が開会し、議員提出議案を巡って質疑と議会運営委員会が続き、時間延長の末に議会が終了したのは午後6時を大幅に廻り、議員控え室から見える風景はすっかり夜になっていました。
 
 議会が紛糾した原因は、議員提出議案が3名の署名により提案されたが、議会前の各派代表者会や議会運営委員会で提出は確認されていたものの、できれば全会一致で賛成できる努力を申し合わせておきながら、少数会派は無視したような提案手法と、市民に誤解を与えるような答弁が出た事などから時間延長に至りました。
 
 津島市議会は地元有線放送によって議会がテレビ放映されており、議員の質問や発言が市民に誤解されたままになると、同じ議場に座る議員全体のイメージとも映り、自分の考えが違っても訴えられない事から気になります。
 
 さて、本会議の開会した翌日の正午が一般質問の通告書提出期限となっており、私も今晩に質問内容を書き上げるとともに、質問要旨を羅列して市役所職員とのヒアリングに臨むこととなります。
 
 4年間の議員任期最後の一般質問となり、選挙の洗礼を受けるために3期12年最後の質問となる可能性もありますが、私は議員に転出してから一般質問には3件の質問をノルマとしており、今回も医療と公共交通と今月末で閉鎖され津島市に移管される愛知県の施設の今後を通告予定としています。
 
 3月議会は、議会開催中に中学校と小学校の卒業式があり、税金の確定申告や政治団体の収支報告書の提出も控えている事から、師走と言われる12月より忙しい日程が続きます。1日に発行した中学校同窓会報の協賛スポンサー50軒ほども集金に廻る必要があり、本日がひな祭りである事も忘れており、書き上げると益々地獄のように思えてしまいます。
                                 3月3日の一言
追伸
最後の会報も、議会最終日には仕上げて配布する最後の仕事も残しておりました。

看護学校から市民病院へ

イメージ 1
 
 本日は津島市立看護専門学校の卒業式が行われ、27名の国家試験合格者に卒業証書が授与され、この中の16名が4月から津島市民病院に勤務するとの話を聞き、いずれは自分も世話になる可能性を感じる身近な卒業式に思えました。
 
 津島市民病院も4年前には医師不足による経営難から、せっかく看護学校で3年間養成した看護師さんが他の医療機関に流出していましたが、医師の充足と経営改善によりそのまま津島市の医療に携わってもらえるようになりました。
 
 「看護師は医者の下請けではなく、医療を担う上で医師と対等なパートナーである自覚を持って頑張って欲しい」との校長訓示は感動もので、校歌斉唱の後に退出する卒業生を送る在校生の差し出す花束を受け取る際には涙が光っていました。
 
イメージ 2 鈴鹿の峰の  影冴えて
 流れ豊かに  木曽の川
 名も橘の  清き里
 重き使命に  集い来て
 燃やす若さの  輝きよ
 ああ  津島看護学校  
     われらの誇り
 
 この校歌の作詞者は、塚本文雄先生で、私の高校時代の教頭先生であり、津島市では昭和53年に開校した津島東高校の初代校長を務められたのが縁で、東高校などの校歌とともに当地方の各地に名前が残されており、久々に恩師の顔が思い出され懐かしい気持ちにさせられました。しばらくお会いしておりませんが、健在なので4月の選挙後には一宮市の自宅を訪問したいと思います。
 
 さて、卒業式終了後に、私は学校の隣に建つ市民病院を訪れました。訪れた理由は、私の同級生で市役所職員のN君のお見舞いで、2日前の夜に救急車で搬入されており、昨晩(毎週火曜日)行われた書道会に来れないため、彼は恩師を自宅まで送り届ける担当(私は迎えに行く担当)になっている事から奥さんから連絡がありました。
 
イメージ 3 「おい、顔が曲がっているぞ」
 「そんな訳がないだろう」
 「今日は1日だぞ」
 「そんな馬鹿な(笑)2日だろ」
 「おい、もうすぐ書のメンバー全員が来る(笑)ぞ」
 「わぁー、それは困ったなァ(悲)
 「それは、ウソ(笑)、ウソ」
 
 本当なら昨晩の書道会でメンバーに伝えて、皆でお見舞いに来るべきだったのかもしれませんが、2週間程度で退院予定との話から、言いたいのを必死に堪えて封印したので、願わくば来週も隠し通せればと思っておりました。
 
 ただし、本日早朝から、他の同級生の市職員から入院の知らせがあった事から、他からメンバーに伝わった時に「なぜ知らせてくれなかった」となるため、幸いに元気な事からあえて入院姿を添付して、私の「おしゃべり」は封印です。
 
 先週末より言葉の発声に違和感があり、開業医へ車を運転して出向いたところ「脳溢血」と判明し、救急車を呼ばれてびっくりしたものの、発見が早いのと同時に、極めて軽度の発症だった事から、こんな冗談半分に記しておられるわけでもあります。
 
 もっとも、こんな状態の人に、私は1日付けで発行された中学校の同窓会報を戸別配布させており、本人も自覚していなかったものの、症状が重く後遺症が残っていたら一生の後悔となるところでした。3日前に、我家へ自転車で姿を見せていただけに、突然のびっくり体験となりましたが、年末年始の私の検査を笑っていた余裕が逆転し、私も笑い話にはできない警鐘になりました。
                                 3月2日の一言

国政も首都決戦も異常ではないか

 本日の衆議院本会議で、民主党と国民新党などの賛成多数により、来年度予算案が可決され、参議院へ送付されました。この予算案の議決に対して、民主党の16議員が欠席し、法案が参議院で否決された場合に、衆議院で成立できる3分の2の確保はできなかった。 
 
11年度予算案、衆院通過へ 関連法案は先送り 
               http://www.asahi.com/politics/update/0228/TKY201102280554.html
 菅首相、子ども手当修正に意欲 衆院予算委
               http://www.asahi.com/politics/update/0228/TKY201102280134.html
 
 さて、予算案の年度内成立は何とかなったものの、予算執行のために必要な予算関連法案を先送りにして成立のめどが立っておらず、本会議を欠席した民主党議員への責任論を考えるよりも、協力の欲しい野党の反発はより厳しく、菅政権の運営はより厳しい局面を迎えている。
 
 一方で、民主党の公約であった「子ども手当」について、菅政権では自民党と公明党で実施していた「児童手当」を基本として、所得制限など検討しているものの、マニフェストを捨てて野党に擦り寄るばかりではなく、このままでは子ども手当の支給が滞る可能性もある事から、政権維持のために無責任な制度修正は許されるものではなく、バラマキと批判のあった子ども手当ではあるが、一度支給を決めた手当を政権の都合で身勝手に廃止や減額となれば、支給を心待ちにしている国民に対して責任を取るべきでもある。
 
 もっとも、児童手当を基本とした子ども手当法案の改正は、政権運営に必要な公明党の協力を取り付けるためとの報道が既になされており、本来は先に納得させるべき民主党議員すら一つにまとめられない菅政権のなりふりかまわぬ発言には、政権与党としての一貫性がみられない。
 
神奈川の松沢知事「決断した」 都知事選に立候補へ
 
 本日の報道では、東京都知事選挙に神奈川県の松沢知事が立候補を表明したとの報道があり、引退を表明した東京都石原都知事の後継含みと伝わっているが、神奈川県の現職知事が引退すると同時に、隣の東京都の知事に立候補するする事が、神奈川県民や東京都民には当り前とされるのか。
 
 政治音痴や時代遅れと言われ、批判の対象とされるのかもしれませんが、私には残される神奈川県民が納得できるとは思えず、こんな知事に自分たちの生活を託して満足していたとすれば残念でもあり、こんな知事に次を託さねばならぬ東京都民が哀れとしか思えません。
 
 マスコミに面白可笑しく報じられた愛知県の大村知事や、名古屋市の河村市長は、先の政治展望は別としても、郷土愛に基ずく地元出身の政治家であり、名古屋や愛知から全国に発信しようとしていることを誇りに思える一日となりました。
                                  3月1日の一言
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