東海大橋・西側(岐阜県)から愛知県へ入る
本日は家内の母親の49日法要が行われ、昼食会場は木曽川を渡った岐阜県海津市にありましたが、法要に参列した近所の人々の会話を聞くと、地域周辺には理髪店が無いことから東海大橋を渡って岐阜県側に通っているようである。
家内の里は稲沢市(旧祖父江町)にありますが、愛知県の一番西(木曽川沿い)に位置している事から、周辺にはお店どころかコンビニも珈琲屋さんも無く、救急車もなかなか到着しないだけでなく、自転車で走れる場所にお医者さんも存在していません。
しかし、田舎になっていくものの、東海大橋を渡って岐阜県に入ると、前記した理髪店や珈琲屋、焼肉店が道路に並んでおり、今まで不思議に思ったこともありませんでしたが、岐阜県側から見れば、名古屋市に一番近いのが東海大橋周辺となる事から、店が集中して集客が図れている様子です。
東海大橋の東側は愛知県の西の端ゆえに店どころか何もありませんが、西側の岐阜県側は店が並んで、愛知県民が橋を渡ってまで利用している現実を聞き、びっくりとする一日となりました。
さて、愛犬モモの死が未だに重く圧し掛かっており、「あの時に…」とため息がつかれ、一人(1匹)残されたリマも存在するはずの大きな先輩の不在は、精神的にも大きな不安材料になっているのか、夜になっても我々の近くから離れません。
27日の夜に、病院に行くため家内に抱かれて、私の方を見ていたモモの残像が頭を離れず、あの時に無言で別れた後悔と、我々の決断した手術で痛い思いをさせてあの世に送ってしまった後悔は言わないものの続きます。
一週間後が9才の誕生日で、人間の50代にあたる年齢で肝臓の末期ガンとの死因に、我家の4年間に我々が受けるべき痛みを総てモモが身代わりとなっていったようで、降り出した雨が余計に身に堪える夜となりました。
4月30日の一言