大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2011年04月

本日は義母の49日法要に

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東海大橋・西側(岐阜県)から愛知県へ入る
 
 本日は家内の母親の49日法要が行われ、昼食会場は木曽川を渡った岐阜県海津市にありましたが、法要に参列した近所の人々の会話を聞くと、地域周辺には理髪店が無いことから東海大橋を渡って岐阜県側に通っているようである。
 
 家内の里は稲沢市(旧祖父江町)にありますが、愛知県の一番西(木曽川沿い)に位置している事から、周辺にはお店どころかコンビニも珈琲屋さんも無く、救急車もなかなか到着しないだけでなく、自転車で走れる場所にお医者さんも存在していません。
 
 しかし、田舎になっていくものの、東海大橋を渡って岐阜県に入ると、前記した理髪店や珈琲屋、焼肉店が道路に並んでおり、今まで不思議に思ったこともありませんでしたが、岐阜県側から見れば、名古屋市に一番近いのが東海大橋周辺となる事から、店が集中して集客が図れている様子です。
 
 東海大橋の東側は愛知県の西の端ゆえに店どころか何もありませんが、西側の岐阜県側は店が並んで、愛知県民が橋を渡ってまで利用している現実を聞き、びっくりとする一日となりました。
 
 さて、愛犬モモの死が未だに重く圧し掛かっており、「あの時に…」とため息がつかれ、一人(1匹)残されたリマも存在するはずの大きな先輩の不在は、精神的にも大きな不安材料になっているのか、夜になっても我々の近くから離れません。
 
 27日の夜に、病院に行くため家内に抱かれて、私の方を見ていたモモの残像が頭を離れず、あの時に無言で別れた後悔と、我々の決断した手術で痛い思いをさせてあの世に送ってしまった後悔は言わないものの続きます。
 
 一週間後が9才の誕生日で、人間の50代にあたる年齢で肝臓の末期ガンとの死因に、我家の4年間に我々が受けるべき痛みを総てモモが身代わりとなっていったようで、降り出した雨が余計に身に堪える夜となりました。
                                  4月30日の一言

心を癒すために知人とお寺へ

 今週は選挙や愛犬モモの死など、私にとっては久しぶりに心に堪える週間となり、事務所に座っていても心が落ち着かず、台所に座れば余計にモモの居ない事で、ポッカリと心に大きな穴が空いています。
 
 「モーモー」と孫も喜んでいたモモの姿が無いだけでなく、来客があってもモモが居ないことでリマの声も途切れて、甲高いモモの声はもう二度と聞く事ができません…
 気持を切り替えても、「2日前まではここにモモが居た」とか、「あの時はこうだった…」などと仕事にも手がつけられません。
 
 「〇〇さん、今なにをしていますか?」と、一宮市に住む知人に連絡すると相手も何も手につかない憔悴感でぼんやりしており、知人の関わっていた選挙で結果を残せなかった候補者とともに気分転換に知多半島へ遠出することとしました。
 
 知多半島の先にある南知多町山海には、私が心のよりどころとする「宝球寺」があり、しばらく訪れていない事から、知人とともに訪れることとなりました。
 
 「大鹿さん、昼食はどうするの?」と、私は食事よりも参拝が先の心境ですが、「せっかく知多まで来たんだから」と、海の幸を希望する知人の声で立ち寄った食事場所は、2100円が最低となる高級料理店でした。
 
 「入る所を誤ったな」と3人で呟いたものの、それまで痛んでいた私の胃の痛みはなくなり、3人ともため息はつくものの満腹感で目的地にたどり着きました。
 「ここにも連れてきてやれば良かったナ」と、見える風景にもモモの姿が重なり、「モモは家にいるんだ」と、庭に眠る現実を自答し続けました。
 
 宝球寺の住職は不在でしたが、奥様が対応していただいている間に戻ってこられ、選挙や愛犬の死など話しながら、住職の話を聞くうちに少しは気が楽になり、思いつきの訪問でしたがここが私の居場所である事も実感させられました。
                                   4月29日の一言
追伸
本日の訪問は家内や家族には内緒のため、写真は一切ありません。

我家の愛犬モモ逝く

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平成19年・5才のモモ
 
 本日午後2時25分に我家の愛犬モモが、名古屋市の動物病院で死亡しました。一年前から私の相棒リマの登場で、人(犬)一倍甘えん坊で、淋しがりやだっただけに、随分と悲しい思いをさせていたかもしれません。
 
 頭が良く、「お手」、「おすわり」、「おあずけ」、「おねんね」、「ゴロン、ゴロン」だけでなく、「大鹿モモちゃん」×「ワン」や、「お父さん好きか」×「ワン」など言葉も聞き分けられ、「お父さん嫌いか」×「…」もできました。
 
 平成14年5月8日生まれで、まもなく9才になるところでしたが残念でなりません。このモモは、その前年の7月に生後3ヵ月で自宅前の道路で轢かれた先代モモの妹で、事故に遭わぬよう大事にしてきましたが、最後は肝臓ガンの末期でした。
 
 「お父さん、このままだと2、3日の命らしいけど、手術に賭けてみる?」と、前日連れていった病院から深夜の電話で、このままより回復に期待して手術を依頼したものの、奇跡的な回復どころか痛い思いをさせ、可哀想な結果となりました。
 
 先月は家内の母親も亡くなり、明後日に法要が行われますが、病院から死亡の連絡があったものの家内に知らせると交通事故でも起こすと困るので知らせておらず、帰宅するとびっくりすることでしょう。そして、昨日2回も病院に連れていった三男も…
 
 さすがに暴君リマも、モモの死亡が判っているようで、ゲージの中で寂しそうにうずくまっており、これからは一匹となったリマも心配です。
 
  
イメージ 2  最後の写真となった今月12日の予防接種に行ったモモですが、この時には食欲が落ちており、こんな体調の時に狂犬病の注射を打った事も確実に寿命を縮めたと思われます。
 
 肝機能が働かず、黄疸が出て、肺炎を起こしていたものの、一週間前から通院した病院が病名を確定できず、場当たり的に処方した薬もモモを苦しめ、その悲鳴すら上げずに苦しい日々を送っていたモモが哀れです。
 
 もっとも、結果論ですが、最後に奇跡的回復を期待して手術を決断した私も、人(犬)生最大の痛みを味あわせた事への反省も大きく、名古屋から2人の車中で、モモの名前を連呼したものの奇跡は起こりません。
 
 久しぶりのペットとの別れとなりますが、隣のお寺に供養をしてもらい、明日の晩までそのまま安置して、先代モモの眠る木の向かい側に埋めてやろうと考えています。皆さん、ペットは大切にしてやって下さい。
                                 4月28日の一言

またもや防災ボランティアに行けず

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 本日は当選証書の付与式が行われ、選挙管理委員会委員長より市長及び市議会議員一人一人に当選証書が手渡されました。今回の選挙では、新人が5人当選(定数20人)し、70代が2人、60代が6人となったものの、30代3人、40代2人を含めて、確実に市議会が若返りました。(50代は7人、私も名簿の上から7番目となりました)
 
 今後は5月2日に新しい会派届けが提出され、10日に各派代表者会議を経て、16日と17日に開かれる臨時議会で、正副議長や常任委員会の割振りや、正副委員長が選任されると、30日に6月議会の運営委員会が開催されます。
 
 さて、2年前に認可を受けた『福祉有償運送』についても、7月に津島市と愛西市の運営協議会が開催される予定で、5月中旬には提出書類を揃える必要があり、NPO法人が4月決算である事から、こちらも愛知県へ事業報告書と収支報告書の提出が必要となります。
 
 こんなスケジュールを考えると、選挙前の予定よりも忙しくなる事は確実で、選挙のみに専念できた1週間が懐かしく思えるとともに、議会とボランティアの日程を書き入れる手の日焼け跡が生々しくも思えてきます。
 
 以前の一言に書き入れた記憶もありますが、かつて行政視察に訪れた宮城県へ、今月末から連休の終わりまでボランティアに出向く予定をたて、本日は朝一番より連絡をとっていましたが、連休中はボランティアが過剰となる予測から、被災地から受け入れ拒否(やんわりと)の模様です。せっかくの志が、またもや空回りとなりますが、必要としている地域もある事から、他地区への案内によりボランティアの有効活用は考えられなかったかと残念でなりません。
 
 まあよく考えてみれば、5月臨時議会や6月議会も控えている事から、自分の足元を見つめなおす事も重要で、やるべきことをやれとの天命と考えることとしました。
                                  4月27日の一言
追伸
選挙期間中に体調不良で近くの獣医さんにかかっていたモモが今晩極度に衰弱した事から、長男が信頼する名古屋市の獣医師に連れていったところ肝臓ガンと肺炎でこのままでは危険と言われたとの連絡です。手術もできず、このまま連れて帰っても数日の命との話で、「どうする」と問われても…
 
続・追伸…
このままでは死を待つのみのため、今すぐ手術をする決断をして、三男の電話は切れましたが…
 
続・続・追伸
家族(家内、長男、三男)と入れ替わりに、私が病院に走り、手術が終わる(午前1時30分)のを見届けて帰宅となりました。

人助けの依頼が深夜まで続き

 選挙が終わり、明日は当選証書の付与式が開かれますが、選挙戦の1週間が空白となった事から、昨日から待っていたように人々の訪問を受け、選挙前からの約束や今後のボランティア活動の打ち合せとなりました。
 
 こんな人気が選挙前の津島市民であったならばと思うような笑い話となりますが、逆に選挙が思わぬ苦戦だっただけに過去3回の選挙では感じなかった人々の温かさも実感しながら時間が経過しました。
 
 今回の統一地方選挙では、平成7年に全国の不登校生徒や高校中退者のために開校された、三河の黄柳野高校の設立運動に関わったボランティア仲間も当選しており、久しぶりの会話から教育ボランティア時代の活動を思い出しました。
 
黄柳野高校 ←検索クリック
 
 考えてみると、私のボランティア活動は教育が原点であり、PTA会長引退後に「大鹿さんが代表だよッ」と勝手に任された黄柳野高校設立のため、地域の代表として募金活動やフリーマーケットを行ったのがボランティア活動の始まりでした。
 
 教育から防災、福祉と関わるボランティアは変わったものの、人のために働く喜びは格別であり、議員活動にも通じるだけにボランティアに関われることも議員冥利に尽きると感謝すべきかもしれません。
 
 今回の選挙後には、四国遍路を通じて知り合った市外の知人からのメールも多く、本日も知人の遍路中に別格13番仙龍寺の住職から私の名前が出て、「宜しく伝えて欲しい」と言われたと記してあり、落選していたら連絡もできなかっただろうとホッとさせられました。
 
 こんな展開でこの一言を書き終わろうとしていた夜11時になった時に携帯電話が鳴り響き、「大鹿さん、何とかして下さい」とSOSです。
 
 奥さんが救急車で病院に搬入され、病院に行こうにも保育所に通う子供を一人で置いていくわけにもいかず、子供を朝まで預かって欲しいとの話ですが、子守りをした経験もない私ですから、家内に頼んで家中が大変な夜となりました。
 
 本日は夜9時にも家の前で車のガソリンが無くなった人から救援を頼まれ、自宅まで送り、ガソリンタンクを持ってガソリンを買いに走る人助けもあり、選挙直後の忙しさにびっくりの展開です。毎日こんな展開で人助けが続くと、4年後には2920人の人助けとなり、安全に当選できる訳ですが、我家が大変どころか崩壊することは確実です。
                                   4月26日の一言

薄氷の当選ですが…②

 昨日に投開票された選挙では、「落選」を覚悟する厳しい結果となり、こんな時に事務所で最後まで私を囲んでいただいた人々の温かさと、儀礼的に訪れておられた人々との違いを四度目の選挙で初めて味わいました。
 
 過去3回の選挙が上位当選であった事(1回目4位・定数25、2回目6位・定数25、3回目6位・定数23)から、「大鹿さんは大丈夫」と誰にも言われ、前回選挙から選挙用チラシを作らず、選挙の事前運動を一切行わないと宣言し、8年間一度も「選挙には大鹿を」と街角を事前に歩かなかったツケで、今回は定数20人中17位と薄氷の選挙結果に終わりました。
 
 「何故、地域を廻らないの?」の一言に、「公職選挙法に触れるから」と素直に人の言うことを聞かず、法律や理想を盾に「我が道を貫いた」わがままな行動に徹して、世代交代の危機感を持たなかった正直な結果でもありました。
 
 「電柱や犬でも頭を下げる」のが選挙や政治と言われますが、私は1人として人に頭が下がっていなかった訳ですから、横着と思われても仕方なく、街頭演説で偉そうな票にもならない話ばかりを続けていたのでした。(これは大反省)
 
 多くの新人候補が立候補している危機感もなく、12年前の支持者を頼りの選挙戦で、電話をかけると支持者は物故者となっていたり、転居して連絡がつかない人ばかりで、新規開拓が全く無いわけですから当然と言えば当然の結果に…
 
 「真面目に政治活動を行って落選するはずが無い」と開き直り、票を減らす事は覚悟の選挙戦ではありましたが、これほど減らすとは正に天罰で、「落選」したつもりで心機一転の出直しとなります。
 
 福祉有償運送の維持拡大や、ぎっしり書き込まれた手帳を眺め、早々に市長の訪問を受け「おめでとう」と言われても信じられず、青ざめた昨晩の悪夢を忘れずに四年間のスタートとなりました。
                                  4月25日の一言

薄氷の当選ですが…

有り難うございました。
 
 
  過去にない薄氷の当選でしたが、反省とどん底からの再出発です。  大鹿一八

静かすぎる市議選告示前日が過ぎ

 告示前日となり、2日間のあまりにも長い休養から、余計に身体のいたるところに鈍痛が走り、寝不足で走り回っていた方が快調かと思っていると、私の会報配布を手伝ってくれる知人も、先週の県議会選挙時から会報の配布が公職選挙法に触れる危険性から(実際には法に触れる会報ではありませんが)休みとなった事で身体が不調になったと言います。
 
 「珈琲屋に行ってこようか?」の一言に、「そんな事してて良いのか」との返事で、4年前なら支援者に叱られるところですが、今回は孤立無援で『自我』を通しており、事務所も静かな平日と変わりません。
 
 それでも私の不在時に選挙事務所の看板を覆う紙がはがれ、私の名前が見えていたこと(告示前に名前が見えると選挙違反となります)から、通りかかった知人が修復してくれたとの話に、自分一人ではないとの小さな実感も湧きました。
 
 さて、選挙区から遠く離れた私の出生地であり、私の母校のある旧祖父江町から高校時代の同級生が駆けつけてくれ、「頑張れ」とジュースの差し入れ(津島市の人から受け取ると選挙違反です)です。遠く離れた私を訪れても何のメリットもないのに走って来てくれた事に大感謝です。
 
 日中には、脳溢血で生死の境をさまよい、半身不随となって25年経過する親族が日光川を越え、2キロ近い道路を歩いて訪問され、夕方には隣の愛西市より『朝日旅行友の会』のメンバーと言っても、80歳を迎える高齢となっておられるのに、自ら乗用車を運転して娘さんと我が家を訪ねて下さいました。
 
 昨日も書道の恩師となる愛西市在住の後藤毅先生が、雨の降る道中をわざわざ自転車で訪れていただきましたが、市外の人々との日頃のお付き合いから、津島市を越えた交流と同時に、愛西市も含めた広域の政治活動に移行していきます。
 
 明日から一週間…
      また、このブログに登場できるように頑張ってきます。お元気で… 
                                   4月16日の一言

街宣車の予備検査が行われ

 本日は、午前中に街宣車の予備検査が津島市役所駐車場で行われ、私も4回目の選挙で初めての経験ですが運転手と同行しました。
 
 過去の予備検査は津島警察署で行われていましたが、津島市外の選挙も同日のため街宣車が集中し、警察署の前の道路が予備検査を待つ車輌の待機で渋滞しており、今回は警察官の出張でスムーズな検査となりました。
 
津島市長選に元市職員出馬へ 選挙戦に 2011年04月12日
                http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001104120002
 
 津島市では、市長選への立候補が現職市長のみと予測されており、無投票の可能性が高いことから、地元紙も現職議員に市長の採点などアンケートを実施していましたが、直前になって対抗馬が現れました。
 
 選挙の勝ち負けは別問題として、首長選挙が無投票になることは、首長候補からの公約も語られない可能性が高く、市民に対するサービスの拡大や改善も見込めない可能性から、首長選挙の意義が語られていました。
 
 「大鹿くん、市長選に出ろよッ」
 「僕なんかダメですよ」
 「どうしてだ」
 「出たって落選ですよ」
 「落ちたって良いじゃないか」
 「そんな無責任なッ」
 「じゃー、大鹿は何を目指すんだ」
 
 引退した先輩議員は現職市長をあまり評価しておらず、このまま無投票のままで信任されることの弊害を説き、市長選の無投票阻止のために、私とこんなやりとりになった次第ですが、言われるまで無投票の弊害について私は真剣に考えたこともありませんでした。
 
 結果的には今回出馬を決断した候補者が最適とは思えないものの、本来は我々議員も無投票阻止のために対立軸を造らなかった反省も重要で、落選しても市民を交えた激論に発展させることが市政発展につながったかもしれません。
 
議員定数削減 市民の声どう届ける 2011年04月14日
               http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001104140005
 
 さて、昨日の新聞に『議員定数削減』について記載があったので添付しました。議員定数削減が当り前のように叫ばれる風潮がありますが、議員に代わる組織を立ち上げて議員にとって代わるだけなら意味もなく、削減すれば政党に所属する候補者以外は議員になれません。名古屋市についても、市民の代弁者ではあるものの、河村市長の率いる『減税』に属さない無所属では当選もできず、その『減税』で当選した議員が自身の受け取る報酬で揺れています。
 
 津島市にとっては、先週の県議選に続き、明後日から市長選と市議会選挙が告示されます。市民にとっては貴重な意思表示のできる機会ですが、4割を切った県議選の低投票率が気になります。
                                  4月15日の一言

本当に選挙前の一日かなァ

 本日は毎日続けてきた会報『津島の風』の配布も最終日となり、印刷した会報全ての配布が終わり、届けられなかった支援者の皆さんのもとには郵便局経由ではありますが、明日には郵送で届けられる予定です。
 
 孤立無援で清掃を続けていた事務所には、午前中にはるばる一宮市から駆けつけていただいた知人2人により、選挙事務所の大きな看板が備え付けられ、午後には街宣車も届きました。もっとも、はるばる一宮市から応援が来ているのに、地元の不人気を象徴するように、事務所には選挙責任者と、私の手足役を買って出る同級生の2人だけで、選挙を重ねるごとに準備の人手が減っている事は、自業自得とは言え私の不徳でもあります。知人2人は、一宮市議会に立候補している先輩議員の後援者で、揃って勝利の美酒を味わえると幸いなんですが…
 
 「こんな暢気な事で大丈夫かァ」と他人事のような一言ですが、四年前も同じような書き入れ(下記添付)をしており、やっていることは変わりなく思いますが、ボランティアを必要とする人々は選挙どころではなく、私の愛車も朝から病院を往復しており、この愛車は23年選手とは言え、会員さんには「大鹿の車ですよ」と叫ばないと私の存在も忘れられて闘病生活の真っ最中にあります。そして、勿論(残念ですが)選挙にも行けません。 
 
大鹿さん、痩せたんじゃない?(選挙前々日) http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/17963806.html
ウルサイのはかなわんからナァ (選挙前日) http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/18026397.html
 
 さて、12年前に初めて立候補した際には、「靴を3足履き潰せ」と海部代議士の秘書(弟さん)に言われ、自分が「有力新人」と報じられている当人とも知らずに、素直に言われるままに走っていました。
 
 4年後には「2回目が危ない」と言われたものの選挙用のパンフレットは一切作らず、3回目からは事前運動も止めた選挙となり、それは今回も一緒ですが、一抹の心配は私の環境の違いから、忙しくて会報の配布地域が限られている事です。
 
 「あの人にも」、「あの家にも」と、届けていない家々を考えると「後の祭り」ですが、多くの知人や恩人が鬼籍に入って不在になっている事を実感すると、地方議員の悲哀を感じて『うつ状態』に陥ります。
 
 最後になりますが、明後日の一言を最後に、告示となる日曜日から一週間は、この一言も休眠状態となります。前回は息子(三男)の代筆となり、前々回は「ほっこり庵」こと名古屋市の大川氏に代筆を依頼しました。
 
 今回はどうするか?
 
 私のブログや一言は、私の政治目的や選挙目当てのために記載を続けてきたものではなく、その日の思いつきで書き入れており、選挙法に触れない記載は可能と思われますから、その範囲内で記載も可能かもしれません。今晩しっかり睡眠をとってから考えたいと思います。
                                   4月14日の一言

今日は限界スレスレです

 午前3時起床の会報配布は相変わらずですが、睡眠時間が一時間も無いことからコタツからの起床で、帰宅後に会報の準備、朝食、コタツとなりましたが、仮眠直後に『福祉有償運送』のボランティアの始動に、私の相棒が吠えまくり、お寺の月参り、9時から御嶽教の神主さんによる事務所の『お祓い』が約束してある事から、ほとんど徹夜状態で昼を迎え、睡魔に意識が途切れますが、午後は後援会役員さんの登場に夜まで眠れぬだけでなく身体中が痛みます。
 
 明日は午後から事務所に選挙用看板の設置があり、街宣車がレンタカー会社から入り、いよいよ選挙戦突入が実感させられますが、最後の最後まで会報配布を優先させたいと思います。
 
 ウグイス嬢を依頼せず、私の街頭演説のみの選挙戦ですが、愛用の自転車は埃にまみれ、選挙時だけしか登場しない電動自転車ですが、放置期間が長いことから電池が放電状態で、まさに頼りは自分の足しかありません。
 
 さて、本日訪問された人から、「私の在所の〇〇にも声をかけてよ」と告げられ、数年前に亡くなった叔父(母親の兄)が、現職議員の自宅の隣に私の応援を依頼していたエピソードを披露してくださりました。
 
 知らないのは私だけで、私一人のために多くの人々の関わりがある事を実感すると、選挙で勝つだけでなく、実際に人の役に立つ行動が求められるとともに、後ろ向きのグチも封印が必要です。
                                  4月13日の一言 

余裕の無い中にもホットな気持ちに

 毎日の日程となった朝3時起床の会報配布は当然の仕事となっていますが、市議会議員選挙の告示を数日後にひかえて、私の思いどおりには進捗せず、会報配布を手伝ってくれる知人の足裏に水ぶくれができたと聞き、明日の朝が最終日となりそうです。
 
 もっとも、四年間最後の任期となる最後の会報が届いていない支援者も多く、とても自分の手では配布できない事から、郵送することにしましたが、最新鋭のプリンターを導入したものの一度も封筒の宛名印刷をしたことがないために、思うように印字ができずにパソコンの先生を依頼することとなりました。
 
 選挙を控えて過去12年間に蓄積した支援者や後援会員の名簿についても、一枚の中に総て表示されない事から、これもパソコンの達人が訪問してくれ、総て解決となりましたが、告示後は私が自由にならないことから、突然の119番となる可能性が高いと2人に言われました。
 
イメージ 1 さて、本日は午後から愛犬の予防接種が行われており、私の愛車に2匹と家内を乗せて、会場の市役所・神守支所まで出向きました。
 
 モモは過去にもここを訪れておりますが、リマは初めての経験となり、そもそも2匹が一緒に車に乗る事も初めての経験で、私の助手席を占有するリマも、後部座席で家内と同席するモモに嫉妬して吠え続けます。
 
 本日は地域の犬たちが次々と会場に訪れており、最初は2匹がいがみ合っていましが、注射を打たれて他の犬のあげる悲鳴に、尋常ではない雰囲気を察知したようです。
 
 予想に反して私に抱かれたリマが最初に注射を打たれて大きな悲鳴をあげたことから、モモは後ずさりするもののこちらも獣医さんに捕まり沈黙です。
 
 こんな被害者意識から2匹が仲良くなれば幸いですが、選挙が終わったら2匹を一緒に乗せて出かけてやりたい心境になりました。帰宅後の2匹は、さすがに注射がショックだったのか、それぞれのゲージとマットから出てきません。
 
 慌しい一日の中で、唯一私の心が和む一瞬でした。来客は深夜まで続き、議会では同一会派となるU議員(市議会最年少)の訪問を受け、お互いがポスター掲示で連携して協力し合って貼ることとなりましたが、選挙ではライバルとはなるものの、協力できるところは協力した方がお互いが楽な事から初めての試みですが、信頼できる同僚議員の存在にホットな夜にもなりました。
                                   4月12日の一言

選挙が迫り憂鬱な時間に

 本日は午前3時に起床して会報配布後に仮眠のためコタツに入りましたが、来客のため起きて当り前のように家族に起されて事務所に出たものの、身体が鈍感となって反応しません。
 
 「おい、事務所開きはいつにするの?」
 「決まっていないけど…」
 「だって、選挙やるんでしょう?」
 「えっ、ええー、そうだけど…」
 「どこも、済んでいるよッ」
 
 他所はどうであれ、当方は事務所の掃除中ですが、水曜日に『お祓い』はしてもらうものの、事務所は一年中開放中であり、改めて『事務所開き』をする必要はないように感じますが、第三者の親切心からの言葉ゆえに否定もできません。
 
 「大鹿クン、出陣式は何時にしたの?」
 「うーん、決まってないけど…」
 「やるんでしょう?」
 「ウーン、…」
 
 午後に通りかかった書道仲間に問われても返答ができず、結局は家内と一緒に珈琲屋に行ってもらい、郵便局から中学校、市役所へと出発しようとすると、わざわざ一宮市から訪問客があり、時間の余裕は無かったものの家内達が出向いた珈琲屋を訪れると、木曜日に事務所の看板立てに訪れていただけることとなりました。
 
 予定の日程をこなして帰宅し、会報の折込作業の後に夕食のため座り込むと急激な睡魔が襲いウトウトしていると、今度は稲沢市からの来客で、こちらも選挙の話題となりましたが、気力が湧いてきません。
 
 4年に一度の選挙は、議員にとっては避けられないものですが、4年間一生懸命働いた政治活動の成果と、選挙間際の効率的選挙運動が比較されると、第三者には公平な比較もできない事から、事前運動は何もしないと公言してきたものの後悔も無いと言えばウソになります。
 
 明日も3時起床となります。投票日まで2週間をきっており、一日一日が綱渡りの毎日となります。
                                     4月11日の一言

近辺に交通事故が多発して

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 最近は家庭内の事故を繰り返して記していますが、2日前に軽自動車が仰向けになった事故現場奥の空き地へ、本日は大型トラックが入って前輪が完全に埋まって動けなくなりました。
 
 昔から事故現場に走る『野次馬根性』旺盛な私ですが、最近は近所に必ず現れた野次馬仲間が不在(亡くなり)となり、2日前の事故現場にも出向いていたことから、本日は愛犬リマの散歩を理由に現場に出向きました。
 
 「後ろから引っ張ってくれれば大丈夫」
 「いやー、それではダメでしょう」
 「大丈夫だよ」
 「だって、荷物満杯なんでしょう」
 
 後ろから貨物に引っ張ってもらえば簡単に脱出できると言う運転手と、物好きな野次馬の会話に飛び入りですが、日曜日の夕方の事故ゆえに簡単に考えると、脱出は深夜に及ぶことから、過去の例(昨年10月下記添付)を出して話したものの、大げさな話は迷惑らしく退散しましたが、結局は午後10時過ぎの脱出になった模様です。
 この空き地では、以前にも同様の事故が連続しており、地主さんに伝えてあるものの、土地の管理者が何も対策を講じないことから、繰り返して事故が起こります。
  
2010/10/18(月)の一言 何事も後の祭りとなって
                   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44170874.html
 
 さて、この交差点では、事故が何度も発生しており、一昔前ならば近所から複数の人々が飛び出したものですが、最近は誰も覗こうとせず、野次馬が無責任な邪魔者であっても、今回のトラックは山口県ナンバーである事から、救助を依頼する連絡も取れません。
 
2009/2/14(土)の一言 飼い主の事故現場から戻った愛犬
                   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/38868896.html
 
 最後になりましたが、統一地方選挙の投票が終わり、東京都は石原知事の当選が決まりましたが、かんじんの地元の情報が伝わらず、全国的な民主党離れから予想はするものの、結果は明日の朝刊に頼りたいと思います。
                                 4月10日の一言

明日からの一週間は長いか、短いか…

 本日は久々の雨になり、昨日から雨となっていたことから、朝の会報配布も久々の休みとなったため、朝まで目覚めることのない熟睡となりました。もっとも、、朝の朝食後に仮眠をとる新聞販売店の習慣に身体が染まっており、午前中も休養としてしまいました。
 
 さて、今月17日に市議会選挙の告示を控えて、各陣営から選挙のための後援会報やパンフレットが配布されておりますが、私は選挙の事前運動は一切しない政治活動のみを公約としてきましたので、本日になってやっと選挙の推薦ハガキやポスターが完成して届けられました。
 
 ただし、告示まで一週間しかありませんので、その間にポスター張りの分担や地図の確認とか、選挙事務所前の看板取り付けなど、それぞれに打ち合わせが必要となり、家内任せではありますが、いよいよ選挙の正念場を迎えていきます。
 
 「選挙前に一度も集まらないの?」
 「えッ、ええ、そうですが」
 「じゃー、事務所開きはいつにするの?」
 「決まっていないので、そのままに…」
 「街宣車の運転は?」
 「看板は?」
 
 私は数年前に後援会長が亡くなっており、会長の代わりを誰にするかとの他陣営のウワサ話が嫌だった事と、会長の息子が「退職したら会長になって応援してやる」と語った事(退職はあと3年後)から、前回の4年前から会長不在となっていますが、選挙を心配する長老から問われても何一つ答えが出せません。
 
 「まだ、一週間ある」の一言は、「もう、一週間しか無い」のでもあり、この一週間はよほど計画的に進めないと、選挙期間中に仕事の手配をする可能性も高く、自分1人で選挙区を走る覚悟が必要です。
 
 明日は愛知県議会選挙の投票日ですが、東日本大震災による自粛ムードにより、街宣車や候補者の声を聞いたのは新人が1回だけで、こんな小さな津島市の選挙区でまったく盛り上がらない選挙の結果はどうなるでしょうか。(ちょっと無責任な一言ですが…)
                                    4月9日の一言

三男まで事故で救急車に

 本日は久々に市役所に出向き、仕事を済ませて帰宅すると、愛知県庁から電話で昨年度の地域セミナーの書類に不備がある事から、当方を訪れるとの話だが、選挙を控えて忙しいため市役所に被けると、結局は月曜日に県から市役所に出向いてくる事から、私も市役所に出向く悪循環となりました。
 
 明るい話題は、月曜日に交通事故に遭遇した娘婿が退院して元気な声を聞いた事で、気分一新して帰宅すると我家の目前で車が仰向けになっており、道路を封鎖した事故現場で警察官が交通整理の最中でした。
 
 野次馬根性で尋ねると、直進する軽自動車へ普通乗用車が横から突っ込んだのが原因と判りましたが、真新しい軽自動車は全損扱いで、ワイヤーで吊られてレッカー車に乗せられていきました。
 
 一緒に出向いた知人と、「こんな時に軽自動車は嫌だなァ」と、私の持論である経費や維持費が安くとも、事故に遭遇した際の損傷の大きさから、軽自動車は避けた方が良いとの話になりました。
 
 さて、本日は事務所の大掃除にかかっていましたが、夜になってから、私の三男が事故に遭遇して顔を切ったことから、救急車で運ばれると学校から電話が入り、これまた事故の発生に、夕食どころではなくなり、選挙のお祓いに御嶽教の先達さんを依頼してありましたが、家族の加持祈祷もしてもらう話になりました。これは13日の朝の予定です。
 
 三男のケガは自転車競技で度々大事故に遭遇していることから、ケガそのものは大した事故ではありませんが、眉間を切って出血が止まらぬ事から救急車が呼ばれ、幸いにもすぐに出血が止まったことから、稲沢市の救急車が我家に近い津島市民病院まて走ってくれたようです。
 
 息子の話では、ケガよりも病院での縫合で出血し、昨年まで研修医の先生が焦って大慌てでベテランの先生を呼ぶなど大げさとなり、帰宅も遅くなりましたが、三男の顔は腫れあがっており、近辺に事故が繰り返している事から私へ要注意の警告かもしれません。
                                   4月8日の一言

自分にできるボランティアを考える

 今晩の番組で被災地で奮闘するボランティアの様子が放映され、防災ボランティアコーディネーターとして何もできない「役立たず」の自分と、愛知県よりコーディネーターとしての養成を受けたにも関わらず、何も変わっていない現実に自己嫌悪でもある。
 
 NGO団体「ピースボード」の呼び掛けで、5人一組で1週間単位で被災地に出向き、被災地の流出土砂の搬出にあたる若者の映像から、「自分には何ができるのだろうか」と考えると、数年前に現地からボランティアを断られた悪夢が甦ってきました。
 
 平成16年10月に飛騨高山地方が水害に襲われ、鉄道や幹線道路が寸断されたが、直後に名古屋市の団体に所属する知人からボランティアとしての参加を誘われながら、現地の市職員に確認の電話をすると、身勝手な押しかけボランティアである事が判りました。
 
詳しくは当時の内容を読んでください↓↓ 
3年ぶりにJR高山線が復旧し 平成19年9月
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/24966606.html
 
 ボランティアを断られた経験を知った津島市の関係者から、ボランティアコーディネーターの養成講座を薦められて受講したものの、現実には災害被災地はコーディネーターではなく体力に自信のある若者が求められ、「高血圧」の薬を常用する私は足手まといになる現実と、コーディネーターになって7年近く経過して、益々不要となる年齢になっている事から、自分の役立つボランティアを確立する必要も感じました。
 
 さて、防災ボランティアについては、コーディネーターになった直後に、オートバイや二輪車によるボランティアグループの設立を仲間と目指していたものの、私の忙しさからそのままになっており、改めて早期の結集を図ることと、自分の利害に関しない他地域での純粋なボランティアとして実際に参加したいと思います。
 
 現実には「福祉タクシー」車輌を所有しており、被災地の人々の移送ボランティアに関われる事から、選挙後の話となりますが、現地に走って「狼少年」から脱却したいと考える夜となりました。
                                  4月7日の一言

久々に頼もしい警察官と出会い

イメージ 1
 本日は小学校の入学式が行われ、私は地元で母校となる神守小学校を訪れましたが、入学したばかりの新一年生の手足は細く小さく、こんな可愛い子供たちが交通事故に遭えば大変なことになると実感させられました。
 
 写真は、式終了後に津島ライオンズクラブの役員さんから、新入生に寄付された黄色いカサが披露された場面で、私の子供たちはユズの木をもらっていましたが、防犯ブザーから最近はカサに替わってきました。
 
 来賓で招かれた津島警察署の若い警部補さんから、2つのお願いとして交差点等での安全確認と、知らない人に付いて行かない事の注意がなされ、こういった場面は初めてとの話でしたが、「助けて!!」との大声の見本に会場は一瞬静まりかえり、やさしいばかりでなく厳しい一言から久々に警察官らしさを感じさせられました。
 
 さて、どんな展開だったかは思い出せませんが、昨年10月に転勤してきたばかりの警察官ですが、若くして警部補になっているだけあって見どころを感じ、偶然にもオートバイを趣味にしている事から話が盛り上がり、私のオートバイが復活したら一緒にツーリングに行く話となり、3年前にもオートバイを趣味とする警察官とツーリングの約束がしてあった事から名刺を交換して再会を約束しました。
 
 年々年老いていく我が身において、若い人々と一緒に語れる機会は元気とやる気を甦らせてくれます。
 
 こんなことから、本当は間近に迫ってくる選挙の準備に頑張る必要がありますが、市内の老人施設の事務長さんを訪ねて、市内の現状や世間話に花を咲かせ、「何もしていなかったの」と、事務所の清掃が進んでいない事を家内から非難される夜となりました。ただし、充実した一日でした。
                                  4月6日の一言

増加する一方の生活保護に

 生活保護を申請する受給者数が昭和27年以来の水準となり、東日本大震災による申請者を含めると200万人突破は確実と報じられている。
 
生活保護200万人に迫る 1952年度以来の水準
                http://www.asahi.com/national/update/0405/TKY201104050264.html
 
死者1万2321人、不明1万5347人 5日10時
                http://www.asahi.com/national/update/0405/TKY201104050185.html
 
 かつての生活保護は、働ける健康な人には支給されなかったが、最近は健康でも失業して収入がない人には支給されており、支給されている人の条件を当てはめると生活保護の対象となる人は無尽蔵に増加する。
 
 今から10年ほど前には、無収入で無年金の高齢者であっても、自宅と農地を所有することを理由にして、生活保護は簡単に受給できなかったが、最近では土地を売る手配と相続する子息の念書を出す事で受給されている。しかし、現実には農地は売れない事と、受給者が亡くなっても子息に受給分の返済義務はなく、受給者もそんな事を見越している。
 
 びっくりとするのは、生活保護を申請する市役所窓口に弁護士と訪れて、受給用件を満たしていることから、担当職員に嫌味の一言を聞く事もなく、当り前に生活保護費を受給する人が存在することで、毎月の生活保護費から弁護士費用が支払われると聞くと、真面目に働いて10万円程度の報酬で細々と生活する人は報われない。
 
 昨年の議会で税金を安くするために「世帯分離」をする例を質問したが、世帯分離や離婚などあらゆる手法を利用すれば、税金や公共料金の節税になるばかりか、生活保護の受給も可能になり、何でもありの現代社会ではやりたい放題がまかり通る。
 
 東日本大震災の直後に石原東京都知事の不適切な発言があったが、現実には世の中が腐りきっており、真面目に努力しても浮かばれない人がある半面で、無気力でも行政を頼りに生きる人々もそんざいする。
 
 今回の地震と津波による過酷な条件にある被災者の存在を考えると、現在受給中の人々の再確認も重要で、このままでは日本中に生活保護世帯が増加し続け、その原資は真面目に働く人々の税金と考えると原点に回帰したいものである。
                               4月5日の一言

娘婿の入院の報が伝わり

 本日は久しぶりに市役所の会派控え室で同室のU議員と雑談に花を咲かせていると、「○○ちゃんが交通事故で!!」と家内から電話が入り、娘婿が通勤途中で事故に遭遇して病院に運ばれているとの話である。
 
 「通勤なら何で今頃に?」
 「市役所って言っていたから…」
 「それでどんな具合なんだ?」
 「指を骨折して手術しているらしい…」
 
 本日は市役所に行く予定を伝えてあった事から、大事な会合かもしれないと、朝の事故を夕方まで伏せてあったとの話で、命に別状はないものの指の折れ方が悪く、緊急手術を受けることになったとの話であった。
 
 市役所から看板屋さんに寄って、帰宅してから印刷を再開してと、県議会議員選挙が行われている事から、暫し休戦のゆっくりした時間で行動していた私にとって、びっくりする連絡となり、入院先の病院から帰宅したのは深夜になっていました。
 
 さて、指の骨折くらいと軽く考えていましたが、骨折が治るのに2ケ月もかかり、それからリハビリにかかるとの話で、事故の際に土や雑菌が傷口に入っている事から、感染症の心配がなくなるまで数日間の入院が必要で、指なら即日退院と軽く考えていた目論見が消えました。
 
 「お父さん、ビデオ撮ってくれる?」の一言は、明日が孫の保育園への入園式である事から、新調したビデオカメラで孫の姿を撮って欲しいとの話ですが、4人も子供がありながら一度も入学式に行った事のない私には無理な話です。
 
 「恥ずかしい」
 「ビデオ持ってるだけだから」
 「年寄りのお父さんと思われないかなァ?」
 「そんな訳ないわッ」
 「お爺さんと判るでしょう」(家内)
 
 突然の事故で孫の入園式のビデオが撮れませんが、地震と津波で家や家族を亡くされている人を考えればそれくらいはハプニング程度で、私は恥ずかしいばかりではなく、忙しいことから明日は次男に協力を依頼して、会報の印刷と事務所の掃除に着手したいと思います。もっとも、事故の際に娘婿が乗っていたバイクは、私が譲ったバイクだけに、娘婿のご両親に申し訳ない心境です。
                                  4月4日の一言

静かゆえに不気味な選挙戦に思えて

 春を迎えて最近は暖かい日々が続いていた事から、足元の電気カーペットが連続からタイマー切に替えられており、あまりの寒気に軽い風邪の兆候を実感し、「本日は事務所の掃除をしよう」と考えていると、「横井さんに届けて」と多くの『フキ』が持ち込まれたため、午後から『横井庄一記念館』に走る一日となりました。
 
 愛知県では現在県会議員選挙が展開されていますが、時節がら街宣者の大音量が響いてこない事から、静かな選挙戦となっており、2週間後の市議会議員選挙を控えていることから議会日程もなく静かな日々が続いています。
 
 ただし、水面下では県会議員選挙に乗じて自分をアピールする候補者の存在も耳にする事と、街中のポストには選挙用パンフレットが溢れている事から、今回少なめに発行予定だった会報を3千部増刷する事を決め、今晩より印刷を再開しました。
 
 過去の選挙をふり返ると、選挙前の今頃には支援者が心配して事務所を覗いてくれますが、無愛想で不人気のせいか訪れる人も少なく、「こんなことで大丈夫か」と自問自答しながら日々が経過していきます。
 
 「私は17日(告示日)は行けないけど、18日には行くからねッ」と横井夫人に云われ、「どうやって来るのかな」と内心思いながらも、横井庄一不在となった横井家の責任を果たそうとする83歳となった夫人の気骨に元気をもらって帰宅する事となりました。
 
 ただし、県会議員選挙が告示され、暫し休戦状態となったことから、久しぶりに新聞各紙を読む時間ができ、四国遍路や上高地など最近は考えた事もなかったセカンドライフをブログから体感することができる一日ともなりました。
 
 明日は自分の残した仕事の処理と、選挙の当落も考えずに届けられている無情の行事案内を受け取りに市役所に走りますが、静かに迫り来る選挙がひしひしと迫っている事が独りになった深夜の事務所から実感させられます。
                                  4月3日の一言

珈琲屋にたどり着けない一日に

 本日は土曜日である事と、昨日から愛知県議会選挙が告示されている事から、日中はゆっくりとした一日が経過していましたが…
 
 「お父さん、オイルのランプが付いたんだけど…」
 「じゃー、ジェ〇ム〇に行ってこいよ」
 「行った事が無いから…」
 「とにかく電話してみろよ」
 「オイル交換に電話がいるの?」
 「土曜日だから混んでいるだろう」
 「オイル交換が混んでるの?」
 
 こんなやりとりから連絡すると1時間待ちの状態で、家内は1時間の時間がもったいないとの話ですが、私も印刷用紙や封筒を買いに走る必要があることから、「ついでに珈琲屋でも行ってこようか」と話して2台で出かけました。
 
 現実には買い物を終えて時間を確認すると1時間が迫っており、珈琲屋さんはお預けでカーショップに戻ると直後にオイル交換は終わったものの、日頃から家内は車を粗末に扱っている事から、バッテリー交換や各部の異常が指摘されました。
 
 帰宅すると知人が待っており、2週間後に迫った市議会議員選挙のポスター貼りの確認ですが、自分の事とは言え、過去の選挙の役割分担については何も知らない事から家内の説明を聞いていると、私の思いとは随分違います。
 
 「初日の弁当は30食用意しようか?」
 「30食も誰が来るのか?」
 「手伝ってもらう町内の人もあるでしょう」
 「弁当が必要な者は運転手と数人だろう」
 「ポスター貼ってもらった人はどうするの?」
 「貼ったら帰っちゃうだろう…」
 
 ポスター貼りを手伝ってくれる知人を前に、「帰っちゃう」とは大変失礼な会話ですが、朝1時間もすればポスター貼りも終わってしまい、事務所の留守番も指を折る程度しか浮かばず、家内の考える選挙とは大きな違いが存在し、このままでは家庭争議に発展する事から「珈琲屋に行ってくる」と退散ですが…
 
 「今から〇〇さんを…」と『福祉有償運送』の連絡が入り、当日の受付は厳禁と伝えてあったものの、珈琲屋に出かけるついでに指定された〇〇駅に到着するも、待ち続けても依頼者の姿が見当たりません。
 
 「何時に〇〇駅に到着するの?」
 「さぁ、次の電車かなぁ」
   … …
 「今の電車も不在だけど、本当に〇〇駅なの?」
 「メモしてあるから間違いないヨッ」
 
 この直後に私の携帯電話の電池切れで通話が不通となり、連絡の方法がなくなり、メモしてあった依頼者の電話番号を頼りに知人の携帯電話からコールを続けると、「ただ今電話に出る事が出来ません」の繰り返しです。
 
 夕陽も傾きかけた頃にやっと依頼者に連絡がついたものの、約束した場所が〇〇駅ではなく、駅近くの銀行の前で待っているとの話で、何時まで待っても無駄な時間を私も依頼者も苦痛となって待っていたわけです。
 
 こんなお粗末な『福祉有償運送』の現状に、まもなく選挙を控えて大変な時期に周りが何の危機感も持たない現実を実感するとともに、同行した知人は珈琲屋にも行けずに車中で雑談後に散会となり、ゆっくりと経過したはずの一日が暗転してしまいました。
                                    4月2日の一言

エイプリルフールの一言

 今日はエイプリルフールなんですね。なんかこの日の存在をずいぶんと永い間忘れていたように思います。そして、この日くらいは、何を言っても許される余裕も日本から無くなっているのかも知れません。
 
 「よし、突然だが半月後の市長選に出馬するぞッ」
 「エーッ、本当か!?
 「マジ本気!!早速、準備だー」
 
 こんな冗談を記しても、「何を言ってるの(笑)、エイプリルフールじゃないですか」とは言えない雰囲気があり、不謹慎とか「問題発言」と言われそうな日々が続き、東日本大震災ばかりとは思えない日本の苦難を実感させられます。
 
 ここまでは全く冗談で記しておりますが、他人事として自分の事として考えた事も無かった市長選について、現状では無投票となりそうなことから、首長選挙の無投票が市政運営に与える影響を最近は真剣に考えるようになりました。
 
 今年2月に愛知県安城市で行われた市長選挙では、3期目の再選を果した神谷市長が、18才まで医療費を無料化する公約を掲げて戦い、来年1月から実施する事が議会の議決を経て決まりました。
 
 津島市でも11年前の市長選で、当選した水谷市長が「巡回バスの実現」を公約として掲げ、「選挙目的の公約」とか「赤字確実」との強い批判はあったものの、それまでバス路線の廃止により買い物や通院の足に悩む住民の貴重な足が実現しました。
 
 かつて津島市は政争の激しい土地柄と言われ、市長選が無投票となったことは記憶にありませんが、選挙戦が厳しければ厳しいほど、善し悪しは別として「住民サービスの拡充」か図られてきた歴史を考えると、選挙は必要不可欠のようにも思えます。
 
 名古屋市や愛知県知事選で旋風を起した「減税」について、津島市長は否定的な答弁を繰り返していますが、税金については市民の生活に直結する大問題でもあり、その事が津島市では何も論点にされない事と、私自身も感じている重税感が当り前とされるのは困ります。
 
 「おまえの政治は何を目指しているんだッ」と、昨日訪問した先輩議員の一言に対して、「市民の声の代弁」などと答えていましたが、私自身に地域全体の将来像を描いて政治目標とする強い決意が欠乏していた感は否めません。
 前半はエイプリルフールで、後半は真剣な本音でもあります。
                               (もう)4月1日の一言
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