大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2011年05月

走らない筆を手にして

イメージ 1 3月から休んでいた『福祉有償運送』のボランティアでしたが、時間が重複する事から朝から眼科医院への出動となり、帰宅して待機中には市民の方からの相談があり、久々に市民の人のための政治活動となったように感じます。
 
 知人の訪問を待ち、修理中の携帯電話の受け取りや、来月開催される展覧会への出展申し込みに走ったものの、書を書く時間もなく、写真も作品が出来ていない事から、大変な半月後になりそうで、本日が書道会の開催日であることも忘れており、夕食抜きで深夜に至った次第です。
 
 添付した色紙は、先週の四国遍路で善通寺の樫原禅澄善管長に頂いてきた『遍照』です。遍照とは南無大師遍照金剛の遍照金剛を略したもので、遍照金剛とは弘法大師(空海)のことです。
 
 色紙に添付された解説によれば、「遍照とは、すみずみまで広くすべてに行きわたるように照らすということ」とあり、「弘法大師さまの永遠の光明が、あまねく世界を照らすというやさしいお心をあらわしている」との説明が添えられていました。
 
 我家を会場とした書道会は平成6年から始まり、私は毎週火曜日に筆を手にしていますが、私がいくら書道を続けても、差し上げる相手もない事や、樫原管長の色紙と違って欲しいとも思われない事から、書の腕前も上がらない筈です。
 
 「弘法筆を選ばず」の諺は、弘法大師のように書に優れている者なら筆の善し悪しは関係ないという意味で使われますが、1週間前に墨を付けたままの筆を放置して、腕も筆も固まった状態では余計に進歩がありません。
                              5月31日の一言

コンビニ弁当が危ないの報道に

 本日は6月議会の議会運営委員会が開かれましたが、来週からは議会日程が月末まで続きます。
 
 2泊3日の四国遍路でしたが、私は昼食の時間がもったいないため、「讃岐うどんが食べたい…」の大合唱を無視して、コンビニに駆け込み、弁当を買い込み、私は運転しながら「おにぎり」か「サンドヴィッチ」が定番となっています。
 
 日頃からコンビニに行く事がほとんど無い事と、コンビニ弁当は品揃えが豊富な事から、本心では「何処かでゆっくりと…」と思う遍路仲間にも、意外に好評なコンビニ弁当となっていますが、このコンビニ弁当が危ないとの発信が前々から存在します。 
 
            http://www.asyura2.com/0505/health10/msg/421.html
 
 福岡県にある西日本新聞の古い記事ですが、福岡県内の養豚農家で、コンビニの弁当やおにぎりを母豚に毎日3キロずつ与えたところ、豚の妊娠期間である114日後のお産で、死産が相次ぎ、やっと生まれた子豚も、奇形だったり虚弱体質ですぐに死に、透明なはずの羊水がコーヒー色に濁っていたという報道がありました。
 
 我々は毎日の食事をコンビニに頼っているわけではありませんが、ネットから発信されている内容だけを鵜呑みにすれば、腐って当然の食材が添付剤によって腐らないコンビニ弁当を食べ続ける事は好ましいとは思えません。
 
 福島原発事故によって、福島産の農産物や食材が放射性物質に汚染され、微量の汚染でも出荷することすら規制されている現状を考えると、食品衛生法の基準はクリアしているとはいえ、コンビニ弁当やスーパーで販売される食品の安全確保と検証は急務と思われます。
 
               http://takedanet.com/2009/05/post_b778.html
 
 添付した記事は、福島原発の事故後のテレビやマスコミに引っ張りだことなっている原子力の専門家である武田邦彦教授のネット発信(平成21年5月10日 執筆)ですが、『とにかく当面、(安全が確認できるまで)コンビニ弁当を買わないことにした。特に子供には食べさせないようにしよう』と公然と記されています。
 
 地方紙とは言え多くの読者を持つ新聞の報道や、科学者として大きな影響力を持つ学者の発信する記事だけに、ネット上の話題や議論に終わらせず、国の威信をかけて安全対策を講じて欲しいものでもあります。
                                 5月30日の一言

三回目の四国遍路

四国遍路第3回目 1回目は昨年11月 2回目は昨年10月
5月25日午後11時出発・市内4名乗車 弥富IC(11時30分)…東名阪…第二名神…名神…中国・山陽道…龍野西SA(休憩)…福山西IC…西瀬戸自動車道…今治市へ
 
第1日目 午前7時第56番泰山寺…57番…58番…59番…別格10番…別格11番…60番…61番…62番…63番…64番…65番三角寺…別格13番(午後5時)…白地温泉・小西旅館
 
 別格10番興隆寺の納経所で別格9番文殊院の住職に遭遇し、別格寺院同士の行き来もあるのかと思っていましたが、別格13番の住職から10番も兼務しておられるとの話をうかがいました。
※別格12番延命寺の千枚通しを買う予定でいましたが、買うどころか帰宅するまで巡拝も忘れていました。別格の朱印は私だけなので、忘れていても誰も気にもしません。別格13番仙龍寺の住職は愛知県と縁もあることから話題が尽きません。
 
第2日目 午前7時15分出発…別格14番椿堂…66番…別格15番…別格17番…67番…別格16番…68番・69番…70番…71番…別格18番…第75番善通寺・いろは会館
 
 前日に引き続き雨の予報でしたが、幸いにも午前中は傘もいらずに巡拝できました。私にとっては印象強い寺院が多く、別格15番箸蔵寺は過去の御利益からケーブルカーを使わずに全員が雨の中を階段を登りました。
※四国遍路で私が唯一宿坊に宿泊する善通寺は、前回夜8時過ぎに到着して迷惑をかけた事と、雨のために早めに切り上げ余裕で到着すると、管長の樫原禅澄師がおられ、偶然にも関西先達会の前会長寺岡進氏とも話ができ、余裕のある巡拝が新たな出会いにつながると実感させられました。
 樫原管長には「遍照」、「壽楽」、「甘露法雨」の書をいただきました。
 
第3日目 午前7時出発 第72番曼荼羅寺…73番…74番…75番…77番…79番…清水屋(休憩)…80番…81番…82番…昼食(讃岐うどん)…別格19番香西寺…83番…84番屋島寺(午後5時) 
 高松東IC…高松自動車道…神戸淡路鳴門自動車道…淡路SA(夕食)…山陽・中国自動車道…名神…第2名神…東名阪…弥富IC…津島市 午後11時着
 
 3日目も小雨が降り、午後からは激しく降り続けましたが、来月に1泊2日で満願を達成後に高野山の巡拝を予定していることから、第80番国分寺まで廻る事を目標としていたので、84番まで廻れた事は来月の巡拝と宿泊場所に余裕ができました。
 
 私にとっては8回目の満願となる遍路ですが、納経帳(朱印帳)の朱印を見ていると、決められた予定以外に四国を訪れていることから、自分が何回四国を廻っているのか判らなくなってきました。久々の遍路でしたが、新たな出会いも演出してくれました。
                                  5月29日の一言 
今回の四国遍路全走行距離 1,324キロ

四国遍路 第三日目


 
 本日は宿泊した善通寺を出発し、第72番曼荼羅寺から第84番屋島寺まで巡拝しました。 (別格は第19番香西寺へ巡拝)
 
 朝から午前中は小雨だったものの、昼には台風の影響で激しい雨と霧で長靴にカッパ姿の巡礼となりました。これだけ降られると半ば諦めもでき、第79番天皇寺の近くにある『八十場名物のところてん』に立ち寄り、コンビニ弁当で通してきた昼食も、本日は讃岐うどんとなりました。
 
 午後5時前に巡拝を終え、鳴門経由で淡路島の淡路サービスエリアで夕食をとった以外では休憩もないままに、午後11時前に津島市に到着し、参加者(4名)を送って我家ににも11時前に車を止める事ができました。
 
 上の写真は、八十場の清水屋で、全員で『ところてん』を食しました。この清水屋の駐車場前にブログのお気に入り登録しているタムさんのお宅がありましたが、運悪く留守のようでお会いすることはできませんでした。
 
 右の写真は、最後となった屋島寺の本堂ですが、霧で遠景は真っ白でした。明日はもっと悪くなる予想だけに、出会った遍路の方々の安全を祈りたいと思います。大阪先達会の前会長さんをはじめ、今回も多くの出会いがありました。
                                  5月28日の一言

四国遍路 第二日目

車でも大変な横峰寺へ、遍路道を山の麓から歩きました。
往復三時間の道程です。



四国遍路二日目は、第六十六番雲返寺から七十一番弥谷寺まで巡拝しました。
 
写真上 別格15番箸蔵寺
写真中 空海が改修したまんのう池
写真下 第67番大興寺

四国遍路 一日目

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本日は、愛媛県今治市の第五十六番泰山寺から六十五番三角寺まで巡拝しました。
最後は別格仙龍寺まで巡拝しました。
久々の四国遍路です。

尖閣諸島ビデオ流出問題について

 本日の夕刊によれば、海上保安庁の外部有識者委員会は、『尖閣諸島沖の漁船衝突事故』のビデオ流出事件について、映像を流出させた海上保安部の元保安官を、「公務員としての基本的な意識や理解が十分でなかった」と断じたと報道されています。 
 
尖閣ビデオ流出、有識者委「公務員としての意識不十分
 
 確かに、海上保安庁の情報管理についての不備は誰しも否定しない現実であったと思われるが、新聞の片隅に「公務員として意識が不十分」との見出しについて、私は元保安官と直接話した事もないが、逆に公務員の立場を十分認識した上で流出させた行為と、自身で責任を取って職を辞していることを考えると、こんな評価で総括した海上保安庁に前時代的な臭いを感じずにはおられません。
 
 「故意や過失があっても情報が流出しない対策が必要」との指摘には同感であるが、最近の福島原発における情報の隠匿や操作を見ていると、本来公開されても良い情報まで公開されない可能性から注視したい問題でもあります。
 
 
 さて、他人のブログの身勝手な添付では、発信者にも迷惑かもしれませんが、国を挙げて安全と宣伝し、原子力の先進国のように啓蒙されていた原子力発電が、いかに危険で、万が一の事故に現状では何とも操作不能となる危険性が発信されており、国の政権の中枢にも伝わらなかった情報を考えると、前記した海上保安庁の問題も、組織としての対策は当然だが、リアルタイムでの情報開示が重要と思われます。
                                  5月25日の一言
追伸
深夜に四国に出発する準備もしていないため、手抜きのような一言と思われたらお許しください。明日から3日間は四国からの発信となります。

外国人に学ぶボランティア精神

 本日は朝から約束が相次ぎ、「何時なら大丈夫?」と問われ、「11時頃なら何とかなるかなァ」と答えてあった事から、わざわざ一宮市から訪ねてくれた知人があり、こんな時間ならと福祉有償運送のボランティアも出動要請です。
 
 午後ならと1時に約束してあったのが、稲沢市と春日井市の社会保険労務士の2人で、彼らは津島市で既に相談を受けるだけでなく、ボランティアとして活動を始めていましたが、本日は津島市の社会福祉協議会へボランティア登録を済ませました。
 
 団体名は『年金カフェ』で、障がい者などの障がい者年金や療養費などの申請や、労働相談などを企業側ではなく、個人の立場になって相談を受けて、地域社会の役にたつために津島市からのスタートです。
 
 本来は社会保険労務士として、ボランティアを主にする必要もないわけですが、「これからは社会に貢献する事が重要」と唆した私に共鳴してくれた2人ですから、今後は春日井市や稲沢、一宮市と尾張全域から信頼されるボランティアに育って欲しいと祈願するだけでなく、金にもならないボランティアを勧めた責任も感じた同行です。
 
歩き遍路、がんと共に オランダ人陶芸家イナさん
                  http://mytown.asahi.com/areanews/kagawa/OSK201105140109.html
フランス人女性、人生思い歩き遍路中 ブログで発信へ
                  http://mytown.asahi.com/areanews/kagawa/OSK201104280083.html
支援募りながら自転車遍路 高知に縁ある英国人2人
                  http://mytown.asahi.com/areanews/kochi/OSK201104230089.html
 
 さて、明日の深夜に四国に向けて出発する事から、宿の予約(1日目小西旅館・2日目善通寺いろは会館)をしましたが、前回と前々回の遍路では2ヵ所とも満室で宿泊できなかった事から、出発する前から予約することにしましたが、大震災の影響か天候の悪さなのか余裕がありそうです。
 
 久しぶりの四国遍路ですが、(添付したように)外国人による四国遍路やボランティア精神に感心させられる話題が続いています。
 自らのガンと闘いながら遍路を続けるオランダ人女性や、未熟児網膜症の研究と東日本大震災支援への寄付を呼びかけながら1400キロを自転車で走る英国人など、遍路も国際的になっている事を実感させられます。
                               5月24日の一言

台風が気になる四国遍路に

 「今週は台風2号の動きに注意してください」…テレビから流された天気予報の一言により、梅雨入りによる雨を覚悟していたものの、フィリッピン近海で昨日に台風2号が発生したことを知りました。
 
 今週は、水曜日の深夜から日曜日の未明まで、昨年11月で休止していた四国遍路を半年振りに再開する予定を立てているだけに、寝耳に水のような台風の発生となりました。
 
 
 事前の選挙運動は行いませんと宣言していたものの、さすがに四国遍路は11月より封印し、4月に開山した上高地や今月開通した乗鞍スカイラインについても、仕事に追われて行けませんでしたが、これからは封印の解除です。
 
 
 さて、四国遍路は26日の午前7時に愛媛県今治市の第56番泰山寺から再開し、2泊3日で香川県坂出市周辺まで巡拝したいと考えています。1日目で愛媛県を済ませ、2日目に第75番善通寺に宿泊の予定をたてていますが、どうなることやら…
 
 半年も遍路と無縁の生活も珍しく、久しぶりの四国行きとなりますが、水曜日まで仕事が山積していることから、行き当たりばったりの四国遍路とならぬように、明日から事前準備に入りたいと考えています。ただし、前日深夜から目的地まで走って遍路をスタートさせる事と、最終日の午後5時過ぎから愛知県に帰る強行スケジュールはそろそろ体力の限界になってきました。
                           5月23日の一言

佐藤由美ピアノコンサート

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 本日は市内西愛宕町にある「茜屋」にて、『音の展覧会』と題する佐藤由美ピアノコンサートが開催されました。(写真は演奏前の奏者)
 
 
 平成15年から8回目のピアノコンサートとなりましたが、午前中から激しい雨が降りしきる環境となりましたが、会場は満席となり、ピアノどころか音楽音痴の私でも熱演が体感できる演奏会となりました。
 
 中学時代に全国大会で1位になり、東京芸大の付属高校から大学院まで進み、モーツァルト音楽コンクールで優勝するなど、ピアノ一筋の人生ですが、更に飛躍を期して、9月には『ぎふサラマンカホール』でリサイタルが予定されています。
 
佐藤由美ピアノリサイタル
2011年9月23日(祝)14時 ぎふサラマンカホール 岐阜市藪田町5丁目
入場料3,000円(全自由席)当日3,500円
 
本日の内容
東日本被災地への想いをこめて
ショパン ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作
       レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ
モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 二短調 KV466より 第2楽章
 
音の展覧会
ドビュッシー 版画 第1曲 塔 第3曲 雨の庭
グリーク ペール・ギュント 第1組曲
        第1曲朝 第2曲オーゼの死 第3曲アニトラの踊り 第4曲山の魔王の宮殿にて 
ムソルグスキー 展覧会の絵
     プロムナード 1、侏儒(地の精) プロムナード 2、古城 
     プロムナード 3、テュイルリーの庭 4、ビドロ( 牛車)
     プロムナード 5、卵の殻をつけた雛の踊り 6、サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
     プロムナード 7、リモージュの市場 
              8、カタコンベ(ローマ時代の墓)死せる言葉による死者への呼びかけ
              9、バーバ・ヤーガ 鶏の足の上に建つ小屋  10、キエフの大門
         
 最後のムソルグスキーについては、音楽の常識を超えて、ピアノとの格闘技と言ってもいいような演奏は、音楽音痴の私の身体から音が伝わってきました。こんな機会はめったにはありません。
                                5月22日の一言

学校で犯人探し-生徒をパンツ一枚に

 鹿児島市の県立高校で昨年末、女子生徒の財布が教室で盗まれた際、放課後に担任教諭らが「身体検査」として、犯人と疑われた男子生徒をパンツ1枚の姿にして調べていたと新聞が報じている。
 
               http://www.asahi.com/national/update/0520/SEB201105200007.html
 
 新聞の限られた記事では詳細が判りませんが、授業後の生徒指導室で教諭3人がこの生徒が関与したと決めつけ、「身の潔白を証明するなら衣服を脱ぐしかない」と強要しており、生徒の家族から苦情があって事件が発覚したとある。
 
 勿論、生徒が否認しているから事件となっているのだが、常識で考えたときに生徒が犯人であれば、現金だけ抜き取ってから、わざわざ自分のカバンに財布だけ隠し持つとは考えにくく、新聞記事には記されていませんが、どうやってこの生徒のカバンから財布が見つかったか想像すると、この教室の担任教師にも問題がありそうである。
 
 我家の向えにも数年前まで書店があり、20年前の話となりますが、万引きを疑われた小学生が店内でハダカにされる事件が起こり、その小学生の保護者から書店へ抗議に同行して欲しいと依頼されたことがありました。近所ゆえに同行はしませんでしたが、子供が疑われた事よりも、小学生とは言え客を万引犯と疑いハダカにした行為は、我が身に置き換えれば許せない行為です。こんな書店ですから、客足も遠ざかり、店舗も家も人手に渡りました。
 
 本日この記事を添付した理由は、私も中学時代に同様の事件で、他の教室で生徒全員が着席する前で教員から取り調べを受けた事があり、その場で身の潔白は証明されたものの、自分のクラスまで潔白は説明もありませんでした。
 
 それよりも、何も事情を知らない私に、授業中に他のクラスに行くよう強く命令した担任は、自分の守るべき生徒を犯人と疑って送り出していた事から、私はこの事件以後はクラブ活動も辞めて、林間学校も「お金が無い」と堂々と欠席し、抗議から非行に走るようになりました。
 
 私の中学時代(40数年前)にはこんな理不尽な犯人探しが度々行われており、「犯人と疑われた」なんて親にも言えず、口惜しい情けない気持と同時に、犯人と疑われて生徒全員の前で調べられた時の、私の背中に刺さる視線が今でも忘れられません。
 
 
 本日の新聞には、中学時代のいじめが原因で4年後に自殺した女子生徒の裁判結果が報じられていましたが、こんな事件が二度と繰り返されないために、関係した生徒や教員への責任を厳格に示して欲しいものです。
                               5月21日の一言

東電も政府も人を見ていない

 『犬を飼うということ~スカイと我が家の180日~』が、昨晩もまもなく(20分後まテレビ朝日)放映されます。私にとっては、愛犬モモを失う前から、相棒リマとの一年前を思い出しながら、本日も涙の視聴となりそうです。
 
 3ヵ月の約束で預かった相棒リマ(ポメラリアン)との別れが近づき、悲しみで夜眠れない日々が続き、結局は私の手元に残ったものの、一年後に愛犬モモ(甲斐犬の雑種)の手術と最後を迎え、人間だけでなく犬も家族の痛みを共有しています。
 
 本日の報道によると、菅首相は消費税を10%に上げる方向を示したようですが、東京電力は赤字が1兆円を超えるとか、数百兆円の損害補填が必要とか、人間1人では何ともできない桁違いの数字を示して今後の展開を説明しています。
 
 しかし、人間では完全に操作もできない原子力発電を安全と偽り、東電も国も一緒になって原子力による発電を推進した挙句に、事故後の情報を隠蔽し、解決できる確証もないままに時間を浪費してきました。 
 
小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
与謝野 福島原発事故は「神の仕業」 阿呆
            http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/27845212.html
 
 
 そして国民が事実と現実に気づいて、ブログにも真剣な記事が記されているのに、国の対応は危機感があるとは思えず、電力各社も原子力によって多くの地域住民の生命が危険にさらされる危険性を考えているとは思えません。
 
 冒頭に記載したドラマ『犬を飼うということ~スカイと我が家の180日~』終わり、愛犬スカイが重病で、飼い主も失業するなど最悪な環境が続きそうです。
 
 我家もそうですが、犬や猫まで人間と同じではないものの、家族の一員として人間と同じように病院に走り、人と同じように接している現代社会において、天災ではなく政治や企業の身勝手で、未だに原発を否定できない人々の存在が、我々人間までが粗末に考えられているようで不快感な日々が続きます。
                              5月20日の一言

ボランティアの一日となり

 携帯電話を修理に出し、昨日から代わりの代替機になっていますが、本日は早朝より聞き慣れない着信音が鳴り響き、何事かと慌てて走ると、3月より休んでいる福祉タクシーの注文で甚目寺町まで走ることとなりました。
 
 テレビの本日の運勢では、私の『いて座』が一番となっており、何事も上手くいくとの事でありましたが、朝から予定もしない運転手で走ることとなり、それは予定外の運賃収入にはなるものの、一日の予定を大幅に変える事にもなりました。
 
 さて、午後からは愛知県の海部総合庁舎において、6月5日に木曽川左岸で開催される海部地方総合防災訓練のために、海部津島地方のボランティアコーディネーターが一堂に集まり、地域ボランティア支援本部立ち上げをテーマに学習しました。
 
 毎年の例年行事となっていますが、災害時におけるマニュアルの復習となっており、ボランティアコーディネーターとして養成された際の過程を思い出す機会ともなりますが、忘れたマニュアルを思い出すだけで、訓練から災害時の緊張感は感じられなくなっており、本日のボランティアが集まってから何をするべきかからの座学は新鮮に感じられました。
 
 現実には、地域ボランティア支援本部立ち上げについてもマニュアルは存在し、それぞれの役割分担についても、それぞれの指南書がありますが、最近のコーディネーター養成時には細かい説明がされていないようで、ベテランと新人のコーディネーターがそれぞれに熱心な発言を続ける事から収拾がつきません。
 
 1年ぶりの顔合わせとなることと、私の誘いで参加された方もあった事から、懐かしさも手伝って議論していると、私をグループのリーダーにして進行することとなり、今まで一市民として無責任に参加していた立場は反転し、終了後も土曜日の防災行事に誘われての帰宅となりました。
 
 ボランティアについては、私は今まで自分の意志で1人で参加してきましたが、毎年顔を会わす仲間だけでなく、私の誘いによって参加した人の存在が、無責任な参加では済まされない責任を実感させられました。
 
 一日のスケジュールが、一日半程度のスケジュールとなり、先週から福祉有償運送のボランティアとの珈琲タイムも無かった事から、帰宅後に待ち合わせると、予定外の知人も偶然に遭遇し、久々に賑やかな一日となりました。テレビの運勢は当たったのでしょうか。
                                5月19日の一言

見事な保護色に驚かされ

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名前は何でしょうかね?
 
 本日見つけた蛾ですが、気付いてから何度も撮り直したことから『蛾』と判るものの、数日前から枯葉と思って見過ごしており、普通では蛾どころか生き物とは思えないほどの保護色となっています。
 
 さて、昨日の一言に津島市の副市長2人制が議会で議決されたと記しましたが、地元紙の中日新聞にも報じられたことから、本日出会った限られた人ではありますが、「無茶苦茶だなー」の大合唱です。
 
 「議員を3人減らしても何にもならないじゃないかァ」は、副市長1人で年間1千500万円の報酬がかかり、4年間に退職金の1千万円を含めて6千700万円が必要となる事を説明した後の一言です。
 
 「天下り」の一言は、昨日に私の帰宅前にこのブログに投稿され、本日も定年退職後の市役所職員を「財政の専門家」と言い切って採用した市長へ、「天下り」との意見が複数寄せられましたが、私が財政の専門家と聞けば「大蔵省」か「日銀」の関係者を連想しますから、「天下り」よりも「天上り」と言うべきかもしれません。
 
 数日前から携帯電話の受話環境が不安定で、電波の関係かと自己診断をしていましたが、聞こえない相手に私の声は聞こえている事から、明らかな故障と確信して購入した販売店を訪問しました。
 
 私の携帯電話は家内の名義になっており、私名義の携帯電話は家内とNPO法人で使われておりますが、こんな時に困るのが家内でないと問い合わせも出来ないことで、委任状を持っての訪問です。
 
 幸いなことに、保証期間は済んでいるものの、購入時に無料で修理ができる安心パックに加入していたことから、代替機をもらって帰ることとなりましたが、「2つの着信メロディは保存できません」の寂しい一言が…
 
 保存できない着信メロディは、鶴田浩二さんの「街のサンドウィッチマン」と「赤と黒のブルース」で、一年前に機種変更した時には「傷だらけの人生」がなくなっており、修理終了後に着信音復活ができるかどうか…
                                   5月18日の一言

津島市の副市長が2人体制に

 本日は臨時議会の時間延長によって帰宅は午後7時を廻り、毎週火曜日に開催している書道会のため恩師を迎えに走り、落ち着かないままに筆を走らせていましたが、知人の電話で書を中座して外出しました。
 
 そして帰宅したのは午後10時半を過ぎていましたが、この一言に本日の議会中継を有線テレビから視聴されていた市民より書入れがあり、議会が『暫時休憩』ばかりだった事と、副市長は1人で十分と副市長2人制に反対するコメントです。 
 
「今日の市議会は暫時休憩ばかりですね。副市長はいらないです。前に市長が副市長は1人で十分って言ってた気がします。副市長の給料があるなら福祉に使って欲しい。福祉手当て削ったくせに」 ºï½ü                            2011/5/17(火) 午後 3:37 [ せいくん ]
 
「やっぱり、2人目の副市長って元職員だったですね。天下りだ~。先生達は知ってたのですか?」ºï½ü
                                        2011/5/17(火) 午後 6:38 [ せいくん ]
 
 名古屋の河村市長が自らの報酬を800万円に引き下げた事は全国に発信されており、三重県知事も報酬を700万円引き下げ1300万円にしたと報じられる中で、津島市は副市長を2人に増員して、副市長1人に年間1500万円の報酬を支払うと言う話ですから、当然の市民感覚と思います。
 
 副市長の定数を1人から2人に増員する条例改正は、1ヶ月前に実施された市長選挙の公約に無かった事や、改正によって4年間で6700万円の報酬が必要になる事、6万都市で2人の副市長が必要かなど反対意見が相次ぎましたが、議決した結果19人(議長を除く)のうち10人の賛成によって僅差ではありますが可決されました。
 
 「天下りだ~。先生達は知ってたのですか?」のコメントですが、今年3月に定年退職した職員に、年間1500万円の報酬と退職時に1千万円の退職金を支給するのは、市民から『天下りだ』との批判にも反論する言葉がありませんし、退職した市職員に名古屋市の河村市長より高額な報酬では市民への説明ができません。
 
 市長選挙の選挙公報に「市役所の人材・組織開発を行い、さらに行財政改革をすすめる」との現市長の記載がありますが、副市長2人制について市民への十分な説明と議論が不足する事は否めません。
 
 新年度早々の臨時議会ですが、改めて議員が行政のチェック機関である事の再認識と、議員となった初心を思い起こす一日となりました。
                                   5月17日の一言
追伸
[せいくん]へ
私はせいくんが津島市民との認識が過去のコメントからできますが、第三者はできません。私だけでも何時でも連絡がとれるように【内緒】で結構ですから、足跡を残してください。

気がつけばサクランボが…

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 本日、夕方強風下のピンボケ写真ですが、空のギャングに食い荒らされてしまい、わずかに残された我家のサクランボです。私はサクランボが好きではないことと、家族も仕事や学業に専念していることから、本日帰宅後にはほとんど鳥の餌にされ、落とされたサクランボが地面に散らばっていました。
 
 本日は臨時議会が開催され、正副議長を選出した後に、常任委員会などの各派議員の振り分けが行われました。
 議員定数が3人減員され、20人の定員で議会が運営され、最大会派が5人という現実から、水面下で多数派工作が行われ、国政では考えられない革新野党議員を副議長とするびっくり選挙が行われました。
 
 政治は数がすべてとも言われますが、過去の議会活動からは考えられない結末を直視し、新人議員から「立候補制の導入」とか、「市民に見える議長選挙」の要望が出されていただけに、信じられない気持ちの一日となりました。
 
 私の会派は3人で、議会や委員会でも議員個人の自由行動を尊重する『勝手党』ですが、この日ばかりは3人の意思統一が図られ、惨敗に終わったものの結束できたことが唯一の誇りでもありました。
 
 さて、このブログでは議会活動について深く踏み込まない事にしているため、この件についてはこのままとしますが、数に任せた多勢に無勢とならぬ議会運営が図られるか市民の皆様の厳しい視線も重要と思います。
 
              http://mytown.asahi.com/areanews/aichi/NGY201105150018.html
 
 添付した記事は、一宮市の話題ではありますが、このような話題が私の住む津島市からはあまり聞こえてきません。選挙前に他都市と接点のあった先進例を訪れて、具体的に実現を目指したいと思います。
                                 5月16日の一言

久しぶりに記念館の一日から

 本日は久しぶりに横井庄一記念館だけの一日となり、午前中に来客があった事から午後からの出動でしたが、記念館で館長(横井夫人)と先週訪れた祖父の里の話や、我家の大正・昭和の混乱期についてゆっくりと話す機会ができました。
 
 夫人は横井庄一さんがグアム島で発見された直後の昭和47年に結婚しており、それ以前の横井家や私の大鹿家についても、横井庄一さんが話した事しか知らされず、ましてや生後3ヶ月から小学校5年まて過ごした大鹿家の話を横井庄一さんは他人には話しません。
 
 この「大鹿庄一」時代については、横井さん自身が発行した『明日への道』に自身が記しており、私自身もこの本によって横井さんが大鹿庄一であった事を知り、私の祖母達と一緒に生活していたことを知りました。
 
 
 さて、横井さんにとっては、母親と出戻った在所に一人残されて生活し、母親の再婚先である横井家でもひどく扱われた事から、幼少から人に言えないような口惜しい体験をしており、私の父親も共通して過去は封印状態でした。
 
 発見された当初は忙しいスケジュールが続いていた事と、私自身が我家の過去に関心も無かったことから聞く事もありませんでしたが、横井さんに時間的余裕ができた事と、自分より若い私の父親が先に死んだ事から、ポツリポツリと過去を語ってくれるようになりました。
 
 貧乏でどん底の生活の中から、耐える精神力を養い、横井さんも洋服屋で独立し、我家も戦後の農地解放で一切の土地を得ずに、少ないながらも先祖伝来の土地を守ってきた自負は共通で、損な性格ではあっても正直に生きてきました。
 
 横井庄一と言う存在によって、夫人は勿論ですが、私も微かな血縁でも汚点を残さない行動に努める覚悟を共有できたことは、当たり前の事ではありますが、久しぶりに仏壇の横井さんの存在を感じさせられました。
                                  5月15日の一言

家族で泣ける金曜日ですが…

 毎週金曜日にテレビ朝日で放映されている、『犬を飼うということ~スカイと我が家の180日~』が昨晩も放映され、我家と同じポメラリアンであることと、我家(と言うよりも私が)も一年前に3ヶ月の約束で預かった犬との別れができなかった経験から、昨晩は他人事に思えず、別れと再会を我が事のように視聴したのでありました。
 
 
 作品は壊れかけた家庭に一匹の犬が拾われてきた事によって、夫婦や親子の葛藤から絆が深まり、人と人との関係や、小さな犬の命によって我々に訴えてきますが、一年前の年末に預かった我家のリマとの3ヶ月、そして一年後の今年4月末に前から飼っていた愛犬モモが末期ガンで緊急手術と死を迎えた事から、一年以上かけて私が流した涙を、このドラマは5回の放映で体験させ、次回にも更なる難題が待ち構えており、「家族で泣ける金曜ナイトドラマ」の看板はウソではありません。
 
 人間(私ですが)とは勝手なもので、他人から預かった犬(リマ)が一生の『相棒』に思え、我が子や孫よりも強い因縁を感じ、返す事もできないままに手中に収め(相手にも預かる事情があった訳ですが)、日々連れ歩くだけでなく生活をともにして、モモが不調になり死を迎えるにあたり、この一年間の2匹の対比から反省してもモモとの過ぎ去った日々は戻ってきません。
 
 人間が80年かけて経験する人生を、犬は10年から15年の寿命で去っていくわけですから、別れの辛さも短期間で体験することとなり、私が人生の相棒と感ずるリマとも、あと10年程度しか残されていません。
 
 この10年間で、愛猫2匹と愛犬1匹が庭に眠りましたが、愛犬が台所で一緒に生活し、病院に通院して手術も受ける環境は、雨の日も外につながれたままだった私の少年時代とは雲泥の差がありますが、この気持が同居する母親に持てない現実に、反省してもなかなか改善できない現実が立ちふさがります。
 
 さて、「家族で泣ける金曜ナイトドラマ」が番組の看板となっていますが、家族の前で涙を見せることはできず、私の涙を見たくない家族も一緒には見ない事から、来週も一人での視聴となりそうです。
                                5月14日の一言

非常識な東電と、三権分立の崩壊に

 本日の午前中に、中部電力浜岡原子力発電所4号機が運転を停止し、明日には5号機も運転停止の作業に入り、15日には浜岡原子力発電所のすべての原子炉が停止するという。
 
 ただし、2年から3年かけて約15メートルの防潮堤を完成させ、再び再稼動させる:計画を公表しており、政府の原子力に対する方針と、立地する地元自治体や住民の民意が問われそうである。
 
①武田邦彦教授の見解(3) http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/38358131.html
②高い放射線量、東電公表せず 3号機、水素爆発前に把握
                   http://blogs.yahoo.co.jp/gkfxq141/28662094.html
③あーあー(;・∀・) やっぱり隠してたんじゃねーか  http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/27801988.html
④東電、1号機「メルトダウン」認める http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/27801741.html
 
↑↑私のお気に入りにしているブログ運営者の参考としたい意見です。
 
 さて、今回の東日本大震災の復興支援は勿論であるが、福島原発事故に対する菅首相をはじめ政府の対応は一貫性に欠けるだけでなく、東京電力に至っては事実の公表を怠り、世界で唯一原爆の被害者となった日本で、地域住民の生命を無視した対応は許されるものではない。
 
 添付したブログでも的を得た意見と、多くのブログが民意に通じた感覚で東京電力や政府を批判する意見を公表していますが、危険を冒して原子炉建屋に放水していた応援の消防職員の存在を考えると、東電の事実を隠匿する体質には怒りを覚えるとともに、真実を知らされないままに対応していた政府の姿から、もはや『三権分立』は崩壊しているとしか思えない。
 
民主党の岡田幹事長が原発地域で取った行動
                http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/52104537.html
 
 被災地の東北地方や福島県の各地を天皇皇后両陛下が訪問され、被災者を元気づけるとともに、心温まる映像が放映されているが、菅首相や大臣の行動は理解しがたく、政治家というよりも人間としても疑問に思われます。
 
浜岡原発止めても電気は大丈夫です http://blogs.yahoo.co.jp/gkfxq141/28654847.html
 
 最後になりますが、浜岡原子力発電所が停止となることで不安を与える報道もありますが、電力需要において安心できる記載を添付し、「原発なんて要らない」と叫んで本日は終わります。
                               5月13日の一言

支えられる人ばかりでは…

本日はNPO法人の『履歴事項全部証明書』(戸籍謄本のようなものです)をもらいに名古屋法務局津島支局を訪れたところ、支局の正面に弁護士事務所が開設されており、開設された広告は目にしていたものの、直接目にしたことで心強く感じて帰宅しました。
  
愛知総合法律事務所・津島事務所 http://www.aichisogo-tsushima.jp/
 
 「津島市では採算が合わない」と、津島市出身の弁護士に言われたことがありましたが、やっと開設された弁護士事務所だけに、身近な存在として事務所が運営され、市民が気軽に相談できることに期待したいと思います。
 
 もっとも、電車で15分もすれば名古屋駅に到着する事と、地元では聞かれたくないから司法書士でも「市内の人はちょっと…」と言われる事を考えると、何でも地元にこだわる必要はないのかもしれません。
 
 1ヵ月前(4月5日)にも、弁護士が生活保護の申請に同行してくる例を記しましたが、手近になった弁護士事務所が生活保護や無責任な自己破産など、公益に反したり、第三者を泣かせる無責任な利用とならないことを祈ります。
 
弁護士までが貧困ビジネスに http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44116354.html 10年10月7日
 
  一方において、本日の朝日新聞夕刊には、生活保護の受給者数が、昭和27年以来初めて200万人を超える事態に、『半世紀ぶりの高い水準にある』と記されています。
 
生活保護、200万人超え確実 半世紀ぶりの高い水準
 
 さて、65才以上の年金を受給できる対照年齢者は、総務省が発表した2010年9月15日現在の推計人口によると、65歳以上の人口は前年より46万人多い2944万人となり、総人口に占める割合は23.1%と報告されている。
 
 
 増え続ける生活保護受給者と、年金を頼りにする高齢者の増加が続く中で、日本の総人口は2年連続減少し、少子化傾向にも歯止めが効かない現実と、低迷する厳しい日本経済とともに、東日本大震災に続き、今後の台風や自然災害を考えると、リーダーシップの示せぬ国政とともに、我々地方議員の奮起も急務です。
 
 新聞報道によれば、4月の統一地方選挙における地域での選挙違反も続々と摘発されており、国政だけでなく地方議員も襟を正し、国の将来を考える必要がありそうです。今晩は添付した人口推計を熟読したいと思います。
                            5月12日の一言

差し上げた茶碗が数万円で里帰りし…

 日曜日の一言に、「30年の時を超えて、作陶して差し上げた抹茶茶碗が宅配便で戻ってきました」と、横井庄一さんが作った陶器が里帰りして、「感激の一日となりました」と締め括りましたが、この里帰りは感激とは言えませんでした。
 
 日曜日は過去から80年以上無縁となっていた、父親の親(私の祖父)の在所を探しだして訪れ感激したものの、横井庄一記念館はその余韻に浸って訪れただけで、里帰りの陶器は夫人が買い戻した茶碗でした。
 
イメージ 1 「横井さんの陶器を売って、そのお金を東日本大震災の被災地に寄付したい」
 「それはどうやって手に入れられた物ですか」
 
 2週間前に北海道の人から記念館にかかってきた電話でしたが、東京のテレビ局で縁のあった人に横井さんが無料で差し上げた茶碗である事は判明したものの、相手は50万円で手に入れたと話しており、いくらでも良いから買い取って欲しいとの電話でした。
 
 「本物かどうかも判らないし、無料で差し上げた物を買えなんて酷い話だ」と私は言いましたが、夫人は「それでも横井の物なら引き取りたい」と話していた陶器が日曜日に宅配便で送られてきたのでした。イメージ 2
 
 茶碗そのものは本物で、箱書きも横井本人の書であることは私でも判りましたが、夫の残した作品を粗末に扱われたくない夫人の気持ちは理解できるものの、元々が無料で差し上げた茶碗を、今年で84歳となる年金生活者に買い取らせる行為や、宅配便に連絡先を知らせる記載は一切無かった事から、本当に寂しい気持ちにさせられました。
 
 私の所有する一流陶芸家の抹茶茶碗でも、最近は値下がりが続いて10万円程度で売買されている事を考えると、少しでも高額で買い取って欲しい相手の『ぼったくり』の金額で、最近は差し上げた人が亡くなって残された家族から、無償で里帰りしてくる現実と比較すると悲しい現実でもある。
 
 それでも、「横井の作品が戻って良かった」と喜ぶ夫人の姿に救われましたが、記念館の開館記念に無料で配布した印刷した色紙が、インターネット上で5千円の希望で売りに出されていた事を考えると、我家にも多くの陶器や色紙などが残されている事から、子孫には他山の石としたいような里帰りともなりました。
                              5月11日の一言

心を鬼にして電話を切り

 「お金が無いんですが、病院へ連れて行ってもらえませんか?」
 
 この一言は、およそ1ヵ月ほど前から、私の事務所の電話から私の携帯電話に転送されてくる女性の声です。
 
 当初は内容が判らず、真剣に応対していたものの、相手は隣接自治体から津島市に転居して、生活保護を受給していた人(現在も受給中かは定かではありません)で、私の予測では受給目的の転居と思われます。
 
 冒頭に添付した一言だけを聞けば無視もできませんし、『福祉有償運送』によって高齢者や障がい者を病院に送迎するボランティア活動をNPO法人として展開中の私には気にもなる一言であります。
 
 ただし、この女性は高齢者でも障がい者でもなく、行政に頼る生活保護者であり、これまでこのような一言を呟いて、行政の助けを借り続けた挙句に、行政の担当者にも厳しく対応され、私のもとに連絡を続ける事になったと推測されます。
 
 相手は私が議員である事を承知しており、「何とかして下さい」と小声で訴え続けますが、そのままでは何時間経っても切られない電話の料金は、転送したことから私の固定電話から私の携帯電話への高額な料金になっていきます。
 
 「病院に行けないので…」の連呼に、「市役所の福祉課に連絡して下さい」と応じると、「そちらは福祉タクシーですよねェ?」と微妙な一言が返され、「福祉タクシーはタクシーと同じ料金です」と応じると、「福祉の運送ですよねェー?」と『福祉有償運送』を意識する一言が返ってきます。
 
 こんなやりとりが延々と続きますが、実は私は相手の事を知っており、過去には市民病院の医師にまとわりつき、「ストーカー」として困っていた人物で、相手も私の事を知ったうえで、知らないふりをしてかけていると思われ…
 
 「もうー、ええ加減にせんかい !! 」と叫びたい心境をおし殺し、精神的に異常も感ずる女性のため、「とにかく、市役所の福祉課で当方のことは聞いてください」と心を鬼にして切ったものの、これで収まるのかどうか…
 
 お金が無ければ足で歩くか自転車で行けば簡単な話ですが、『福祉』の言葉から生活保護の延長にされると堪りません。「ただ働きはしない」のが、NPO法人設立からのこだわりで、利用者のためにも貧困なイメージは払拭したいものです。
 
 福祉有償運送については、認可から2年が経過したことから、7月に津島市と愛西市で構成する『運営協議会』が開催され、私はその更新手続きとなる書類を作成中ですが、口コミの普及から本格的なサービスとしての脱皮も求められています。
                                 5月10日の一言

明日からは議会日程が続きます

 天気予報によると、明日から数日は雨交じりとなりそうで、温かくなったことは幸いですが、晴天でも鉛色となった黄砂に続いて、今週は生暖かい小雨の中の活動となりそうで、私の心もスッキリとはいかない気分です。
 
 明日は統一地方選挙後初めてとなる各会派代表者会が開かれ、来週の臨時議会で正副議長や各委員会の割り振りが決まり、6月議会になだれ込んで行きますが、しばらく封印されていた『上高地』や『四国遍路』への頭の切り替えができません。
 
 5月から卓球を趣味とする愛好会の人々が、私の事務所の2階にある卓球台で月曜日に練習をされるようになり、今週からは木曜日も来られるとの話で、火曜日の書道会と併せて私の事務所は随分と賑やかになりました。
 
 福祉有償運送も連日ボランティアが出入りし、私が不在でも刻々と時間を刻んでいきますが、途中で中断している四国遍路の仲間や、山積している仕事は私自身で処理しないと進捗していきません。
 
 結局は4月いっぱい貯まっていた仕事が残ったままになっており、茫然自失の自分が処理して前進しないことには、何も解決策はなく、東北地方の人々が着々と再建に向けて頑張っている姿を思い浮かべて頑張るしかありません。
 
 こんな愚痴を記しても何もなりませんが、選挙からゴールデンウィークでのんびりしていた気分を一新し、明日の朝からまた走ります。
                                   5月9日の一言

奇縁と奇遇の重なった親族訪問へ

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ここはどこでしょうか?
 曾祖母の五十回忌を明日に控え   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44127263.html
 
 本日は我家の過去の封印を解いて、私の父親も訪れたことのない祖父(父親の父)の実家を探して、三重県員弁郡東員町を訪れました。
※過去に東員町を記した一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43901186.html
 
 添付した一言のように、昭和の初めに子供を置いたまま家を出た祖父は昭和36年に亡くなりましたが、数年前に「横井庄一記念館」を訪問されたMさんが、祖父の実家の近くで老人会の会長を務めておられ、祖父の実家を探し当ててくださった事から、本日の訪問となった次第です。
 
 何の予告もなく、突然の訪問にも関わらず、Mさんが祖父の実家に案内して下さり、私を紹介して下さったことから実現した訪問で、実に80年以上途絶えていた訪問となります。
 
 実家は東員町の六把野新田にあり、冒頭に添付した写真は実家前の畑と倉庫ですが、この左側に実家が建っています。(祖父はこの辺りで子供時代をおくり、亡くなるまで時々訪れていたようです)
 
 突然の訪問と、血縁関係すらはっきりしない事から、残された過去の戸籍謄本を頼りに実家であることの確認をして仏壇に手を合わせ、私の祖父の話をしているうちに、親族しか知り得ない話が出たことから、息子さんも呼んで3人で私の祖父の思い出話と、過去の家庭の事情などに花を咲かせました。
 
 もっとも祖父は私の父の子供の頃に家を出たままで、昭和36年に亡くなったと役場からの知らせで父が駆けつけた時には、既に火葬が済んでおり、遺骨を持ち帰っただけで顔すら知らなかった訳ですが、実家の当主は祖父のオイにあたり、時々訪れていた祖父の話を聞かせていただきました。(回顧するうちに、祖父の葬式で私の父親と一度だけ会われていたようです)
 
 こうして淡々と書き入れると何の感激も伝わらないかもしれませんが、ご主人は私の父親と従兄弟になり、息子さんも私と叉従兄弟になる事から、今まで無縁であった事と、存在すら知らなかった親族の登場は感激の訪問でもありました。
 
 もっと驚いたことは、有名企業の重役となっている息子さんは、我家の親族(旧佐織町・父親の従兄弟)と仕事が一緒であった事から、個人的にも深い付き合いがあり、親族の葬儀にも津島市の葬儀場まで参列していたとの話に、知らぬとは言え私とも同席していた奇縁にもびっくりとさせられました。
 
 「今では従兄弟も少なくなって…」
 「一日も長く元気でいてください」
 
 名残惜しい別れとなりましたが、我家では幼い子供達を捨てて家を飛び出し、酒飲みで無責任な婿養子でしかなかった祖父が、商売上手で色々な商売をしていた話など、憎むより生きている間に父親と会わせたかったと思われ不憫でもありました。
 
 さて、本日は横井庄一記念館を「ズル休み」する予定でしたが、こんな奇遇な体験を黙ってはおられず夕方訪れると、こちらも30年の時を超えて、作陶して差し上げた抹茶茶碗が宅配便で戻ってきました。本当に感激の一日となりました。
                                  5月8日の一言
追伸
奇遇と言えば、祖父の実家にもナンバーが「18」の乗用車があり、私の乗りつけた「18」のナンバーにもびっくりです。

過去を払拭するために

 本日は朝から介護保険の相談を受け、連休で市役所が休みとなっている事から、市役所の職員の知恵を借りる事ができず、市役所のホームページから資料を探し出しての説明となりました。今までに職員の知恵を借りていた案件の多くは、ホームページを引用すれば説明できる事を実感です。(個別の数字までは出せませんが)
 
 さて、自分の心の中で、何事もなければ密かに出向きたい所がありましたが、それは明日に先送りますが、かつて私を私設秘書と称していた落語家『浪漫亭砂九』さんの大学の先輩となる落語家を招いた落語会を、今年の秋に開催する計画が進行中です。
 
 
 砂九さんは平成18年11月に交通事故で亡くなりましたが、私が座談会で地域を廻り出した直後に、私の前座として落語を披露してくれるようになり、36回一緒に廻り、37回目の約束をしたままの別れとなり、私はそれから座談会を開いておりません。
 
 
 議員として怠慢としか思われないでしょうが、2人で廻った残像が残っており、自分だけ何事もなかったように座談会を開く事ができないままに5年近く経過し、市民からの要望により再開を約束したままになっており、今回の選挙の反省から座談会の復活と、砂九さんの灯を津島市に灯し続けたいと思います。
 
 砂九さんは平成10年より西愛宕にある『茜屋』にて、「あかね寄席」をスタートさせ(平成18年まで)、当地方の各地で落語会を開催した事から、現在でも仲間により各地で落語会が開かれています。
 
 ただし、私は砂九さん以外に落語家と接点もなく、砂九さんと一緒に学生時代を過ごした落語家との連絡方法も知らない事から、砂九さんが関西大学卒業後に入門する予定だった桂三枝師匠に手紙をしたためる事になりましたが…
                                 5月7日の一言

生肉食中毒の死者は4人に

 本日は市役所に出向く所用があったものの、市役所が私の事務所に設置しているファックスが不通になっていたことで、朝から議会事務局職員の訪問を受け、市役所から帰宅後にNTTの修理を受け、市役所職員の訪問を受けているとボランティアで活動している「社会保険労務士」の2人の訪問を受け、選挙後では初めてとなる朝から夜7時までの仕事となりました。
 
 ゴールデンウィークの真っ最中でありますが、家内と次男は仕事があり、三男は学校があることから、我家にとっては明日からの2日間が事実上の連休であり、一週間前(4月28日)に死んだ愛犬モモには申し訳ないものの、最後の休日を心のリフレッシュにしたいと考えています。
 
ユッケ食中毒、午後に一斉捜索 肉の出荷元も聴取へ
                  http://www.asahi.com/national/update/0506/OSK201105060013.html
 
 昨日の一言にも記しましたが、ありえないような話で命を落とす事は、亡くなった本人は勿論ですが、その家族にとっても反省しようのない無力感と、怒りをぶつけても戻ってこない故人の命の前で、今回のユッケ食中毒の被害者やご家族の心中は、他人事ながら我が事のように胃が痛みます。
 
 私自身は平成5年に父親がガンによる死の宣告を受けた時から、肉についてはホルモンなどの臓物と、生肉は一切口にしなくなっており、家族にも口うるさくそれらを止めるよう勧めてきただけに、今回の事件をきっかけに改めて進言したいと思います。
 
 父親が末期ガンと判明後に、多くの医学書を読んだ中に、前記したような動物の臓物や生肉は絶対に避けるように訴えた医学者の論文を目にした事から、私は家族にも一般のスーパーでも売られている「レバサシ」も止めるよう訴えてきましたが、「健康に良い」などと聞き入れられず、焼肉についても多少の半焼けでも家族は当り前に食してきました。
 
 今回の事件についても、かつては特殊な職域であった焼肉店が、最近では大衆食堂かファミリーレストランのように安価で立ち並び、生肉まで当り前に食してきた社会の反省も必要と思います。
 
 当地方では当り前のカツオのタタキについて、高知県でカツオが生のまま刺身で出された際に、「タタキは無いの?」と聞いた知人に、「新鮮なのに何故タタキにするの」との返事がありました。
 
 考えて見ると、カツオでも安全に食するために表面を炙るタタキが常識となっている中で、生肉はいかに危険かの認識が希薄になっていた現代の食文化への反省は重要と思います。
                                 5月6日の一言

安全なはずの学校での事件に

 東日本大震災で多くの人命が失われ、悲惨な風景とともに、未だに見つからない家族を探し続けてておられる被災者が存在し、日本国民が心を痛めている反面において、悲惨な事故や事件が後を絶たない現実が寂しくもある。
 
後輩柔道部員の首絞め失神 携帯で動画撮影 福岡の高校 
 
 福岡の高校の柔道部で、タオルで後輩の首を絞めて失神させる事を繰り返していた事件が発覚し、新聞に報道されてきましたが、その都度意識が戻っていたから良かったものの、そのまま死に至る危険性は考えていなかったか高校生の行動にはびっくりとさせられる。
 
 被害にあった部員の父親は「一歩間違えば命を失うところで、一般の人間がやれば殺人未遂になるような行為。到底許せるものではない」と語っているが、新聞記事から加害者やその家族の情報はないものの、本当に反省しているのか疑問にも思われます。
 
野球用ケージ下敷き、高1死亡 突風で倒れる? 東京 
 
 一方において、安全であるべき学校内における事故は後を絶たない。サッカーゴールなど学校施設の安全管理だけでなく、クラブ活動や運動中の事故など、忘れた頃には事故が発生する。
 
 何事もなく朝に登校した子供が、不慮の事故で命を失ったり、ケガを負って帰宅する事態をなくしたいものである。ましてや、第三者によるケガや事故は被害者の保護者には口惜しいものが残る。
 
 かつて続発する交通事故を減らすため(排気ガスの減少も)に『ノーカーデー』が実施された事があるが、『ノーアクシデントデー』を設けて、全国の学校から事故やケガを一掃したいものでもある。
                                  5月5日の一言

久々に自転車で外出し

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 本日は昼から不健康な身体をリフレッシュするために、稲沢市の矢合観音と祖父江町の母の在所まで自転車で出発しました。
 
 矢合観音までは強い迎え風で、サドルと接する臀部が軽く痺れる状態で、せっかくの電動自転車ですが、バッテリーがほとんど不能となっており、このバッテリーの存在を頼りに選挙期間中は利用していた自転車でしたが、どうやら電動は使えない状態だったようです。
 
 矢合観音で身体に良いとされる井戸水を一杯飲み、同級生が主人となっている小玉食堂で昼食をすませ、今度はもっと強い風に向かって西に20分ほど走り善光寺に到着しました。
 
 この寺も20年ほど前には土地を売って岐阜県に移転する話があったほど荒れ果てたお寺でしたが、後継者が頑張って善光寺東海別院として、長野、甲斐、飯田の善光寺とともに四善光寺に加わり、信者が訪れるだけでなく売店や食事場所も整備された人の集うお寺に大変身です。
 
 母の在所はこの善光寺に近く、数年ぶりの訪問でしたが、かつては7人家族だった在所も現在は伯母が独り暮らしとなっており、子息から奉られた御嶽講の祭壇も処分するよう求められているようだ。
 
 在所を後にして、私は大恩のある高校の先輩となるお宅を久々に訪問し、最近の動向や世間話に花を咲かせましたが、気がつくと時計は7時を廻っており、外は薄暗くなっていました。バッテリーが不能のため、電燈もないままに40年前の高校時代を思い出しながらの帰宅となりましたが、帰りは追い風で、身体だけでなく久々に心のリフレッシュにもなりました。
                                5月4日の一言

ボランティアに休日は無し

 本日はゴールデンウィークの真っ最中ですが、家内と次男は仕事に出かけており、そういう私もボランティアが行楽地に出向いている事から、『福祉有償運送』の代役で朝から走り、約束してある雑用に走り、NPO法人の事業申請書への書き込みで一日が経過してしまいました。
 
 幸いにして、NPO法人の役員が生後4ヶ月となる柴犬を連れてきてくれた事で、あの世に逝った愛犬モモの思い出話も、懐かしい子犬時代を思い起こし、残された愛犬リマとともに楽しきひと時がおくれました。
 
 私の身勝手な腹づもりでは、4月29日から5月8日まで、宮城県の被災地へボランティアに出向く意向でしたが、相手側の受け入れに限界があった事から見送った事で、その前日の28日に亡くなった愛犬モモの供養もできました。
 
 ボランティアと残された仕事はあるものの、厳しい選挙や愛犬の死によって心の中にポッカリと空いた隙間を、ゴールデンウィークの自由な時間が、自然な活動に導いてくれそうです。
 
 「大鹿さん、おめでとう」と、私の選挙結果によってはボランティアの存続に関わる事から心配されていた愛西市民も存在し、厳しい選挙結果から「愛西市の事なんかやっているから…」との津島市民の声もあるものの、地域社会に境界線はない事と必要にされる事の有難さも実感する一日となりました。
 
 さて、明日は何をしましょうか…
                                   5月4日の一言

会派が2人から3人となり

 本日は市議会の会派結成届けの提出日となっており、私は同じ会派のU議員に総てを任せてあった事から、自分の要件で市役所を訪れ議員控え室に入ったところ、一緒に活動したい新人議員が存在することが判りました。
 
 早速その議員を招きいれ、お互いの政治活動へ干渉しない事や、議会での議決についても干渉しない事など、これまでの「無所属の会」の決め事を確認した後に、『青風会』と命名し、私を代表者として3人で会派届けを提出しました。
 
 愛犬の死など嫌な事が続いておりましたが、市役所内に入ってしまえばそんな事も忘れて仕事に専念できる事と、いつまでもクヨクヨしておられない事から、しばらくは外出する仕事によって悲しみを封印したいと思います。
 
 しかし、私は愛犬の死を忘れる事がなかなかできず、本日も愛車の中には水やガムを用意し、窓を開けて熱中症にかからぬように日陰に停めて、愛犬リマを同行させておりました。
 
 「何で、可哀想でしょう」と勤務先から家内が怒りましたが、本日は事務所2階へ卓球の同好会の女性が多数訪問して、卓球を楽しんでいたことから、1人(犬)となって番犬となるリマは吠えるものの、モモの不在はかなり堪えている様子で、私の姿がないとモモの不在から鳴きやんでしまいます。
 
 我家の唯一の番犬となり、私の相棒であり暴君であるリマの寂しそうな姿から、しばらくは久しぶりにリマと二人三脚の生活にしたいと考え、散歩も死んだモモのリードと首輪と同行している始末です。
 
 さて、モモの芸達者は以前の一言にも記しましたが、実はリマもそれは影響を受けており、本日は愛犬家の市職員に芸を披露したところびっくりとしており、我家ではモモの芸達者には及びませんが、他の人が見ればびっくりの達人(犬)のようです。
 
 一番びっくりとされたのが『合掌』で、両手(前足)を揃えて「南無大師遍照金剛」を唱えさせる芸で、「お父さん好きか?」×「ワン」はモモの物真似ですが、これもびっくりされたようです。
 
 モモにしてやりたかったと後悔する事を、すべてリマにしてやろうと思いながら、こんなサービス過剰はモモが存在すれば嫉妬で鳴き悲しんだかも知れませんが、しばらくはリマと心の中のモモと『同行二人』が続きます。
                                  5月2日の一言

お金を投げ返してしまい

 本日から5月です。ちょうど1ヶ月前に、4月のエイプリルフールに記した一言では、その後に起こる市議会議員選挙の身も凍るような当選発表や、まもなく9才を迎えるはずであった愛犬モモが死ぬなんて事は全く予想もしていませんでした。3月の初めには家内の母親が救急車で運ばれ、月末の議会最終日が葬式となり、4月最後となる昨日が法要となりました。
 
 わずか1ヶ月ですが、その間には普段の1年分くらいの出来事がありました。胃の痛くなるような日々も、5月となった本日からは町内の側溝清掃の後に横井庄一記念館の一日となりました。
 
 久しぶりの記念館で、入館者との会話も弾み、最後の小田原市から訪れた若い御夫婦とは、仕事や趣味が私の三男とまったく重なる事から、閉館時間を待って名古屋駅まで私が送る約束をして会話がはずみました。 しかし…
 
 名古屋駅に到着して降車される際に、私の後ろから千円札数枚を無理やり手渡され、慌てて返しているもののドアを閉めて降りられてしまわれた事から、返そうにも運転席から降りられれない道路の真ん中に停めている事から、助手席の窓を開けてそのお金を落として慌てて窓を閉め、会釈して別れました。
 
 名古屋駅から自宅に戻る車中で、このお礼の返し方が良かったかどうか判断に困り、車を降りられない現実と、御礼をもらうくらいならタクシーを呼べば済んだことと、返すには窓から手渡したくても受け取られない相手に、窓から落とすしかなかったと納得して帰宅したのですが…
 
 「お金を投げて渡すなんて最低」と家内に言われ、「相手の善意を投げて返すなんて」と子供に言われ、善意で送ってお金は絶対に受け取れない私のこだわりと、お金を投げ返された相手の心境を考えると複雑な夜となりました。
 
 「返すなら車を降りて手渡すべきだ」との三男の言葉はもっともだが、駅前の道路では運転席を降りる事もできず、助手席の窓から落として返すしか方法がなかった事と、知ることのできない相手の心情…
 「お金を投げ捨てる酷い人間」とは思わないで下さい。
                               5月1日の一言
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