愛知県の常滑市で、「うんか送り」という伝統行事が行われたとの記事を読み、私の住んでいる町内でも昭和30年代まで、「虫送り」として行われており、私の出生地である旧祖父江町(稲沢市)では現在も行われておりますが、ひじょうに懐かしく思い出されました。
矢田の虫送り、 祖父江の虫送り
私の家では当時麦が栽培されており、収穫された後の麦藁などを竹に巻きつけ、夕方からこれに火をつけて村中が一団となって隣村まで虫を送り、最後に大人は「酢の物」を肴にして酒を酌み交わして解散です。
「虫送り」は、昭和30年代までは毎年の年中行事として、日本各地のほとんどの村々で行われていたと思われますが、農薬の普及によってほとんど姿を消しており、愛知県でも常滑市と稲沢市に残されている程度で、伝統行事として残してもらいたいものの、農地にも宅地が点在する事から、火災の危険性を考えると難しい現実が存在します。
鞍馬の火祭りや奈良・若草山の山焼きなど、全国から観光客を集める火祭りは多く存在しますが、いずれも冬の風物詩となっており、梅雨から夏にかけた暑い時期の「虫送り」は、火を手にする人だけでなく、ついていく者も汗にまみれ、蚊に刺されて大変な記憶しか残っていない事から、懐かしさだけでは復活もままなりません。
さて、本日で6月議会が閉会され、気分的には開放感を覚えましたが、本日で一年の半分が経過してしまった事と、明日からのスケジュールを考えると、素直に喜べる環境にはありませんが、ホッと一息の心境です。
「おい、上高地にでも行ってくるかい」と、今年は一度も訪れていない上高地行きを話題にしていると、本日は震度5の地震が松本市で起こっているとの報です。数日前の土石流と地震の連続に、心静まらぬ予感がします。
6月30日の一言



昭和36年と言えば、私が8才の時で、国鉄中央線を蒸気機関車(SL)に乗って、到着した木曽福島駅からバスに乗り換え、ふもとにある霊神場に建つ日の出滝旅館に1泊し、ここから登山をはじめて途中の八合目あたりで1泊してから頂上にたどり着き、翌日も二の池か石室に宿泊してから下山しており、当時は3泊4日か、5日がかりの御嶽山登頂であったように思います。

さて、私は高野山参拝時には必ず一の橋にある『鶴田浩二』さんのお墓(写真・左)を訪れていますが、この菩提所の大円院の先代住職が鶴田浩二さんと同期であった事から、海軍第十四期飛行予備学生や戦没学徒慰霊碑の「あゝ同期の桜之塔」も建立されており、鶴田さんの奥にも多くの慰霊碑が建てられています。本日は慰霊塔の碑文を添付します。







本日は海部地方総合防災訓練が行われ、私はボランティア支援本部立ち上げ訓練に参加しましたが、総勢1,200人の参加との報告ながら、こんな時に市民は真面目に参加しているものの、炊き上げ訓練で作られた食材(参加者に配布)が我々の訓練終了時には既に片付けられていました。









