大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2011年11月

12月議会・私の一般質問

12月議会・私の一般質問
 
1件目 津島市の高齢者施策について 要旨・介護現場の現状と対応について
  市内でどれくらいの人が介護認定を受けて、どれくらいの人がサービスを受けているのか?
  施設に入所している人の現状と、待機状態は?
  施設に入所するのには具体的にどのくらいの費用が必要か?
  あくまで在宅を希望する人に、どれくらいまでサービスが提供できるか?
 
2件目 津島市の障がい児教育について 要旨・障がいを持つ児童や生徒の現状について
  市内の学校で、障がいのある生徒の現状と進路状況については?
  一宮養護学校に通学する生徒や保護者への支援について?
  障がい児に対する義務教育としてあるべき姿を教育長に問う
 
3件目 市民病院の医療について 要旨・薬の院内処方について・時間外診療の応対について
  薬の院内処方の基準や院外処方との割合は?
  時間外診療の具体的事例を紹介し、改善を求める
 
4件目 交通安全対策について 要旨・自転車の安全通行に関して
  市内の交通事故で、自転車の関係する事故の現状は?
  今後の安全対策や自転車の通行に関する改善などを問う
 
 本日は一般質問に通告した内容を再確認する市役所職員の訪問と、福祉現場で一緒に行動する社会保険労務士や知人の訪問を受け、外出する時間もないままに夜を迎えました。
 朝に一年ぶりとなるお気に入りの作務衣を着たことから、着替えたくないこともありましたが、午前中から事務所に事務局長(相棒リマ)が入る間がないままに来客が続き、そのまま夜を迎える一日となりました。
 
 夜まで訪れていた知人と社会保険労務士の3人で、12月23日に冬季閉鎖された釜トンネルを歩いて、上高地に入る話が盛り上がったことから、忙しい中でもストレスを発散する一日となり、疲れも吹っ飛びました。
                                 11月30日の一言

スズメバチから始まり、車中で本格的珈琲まで

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 本日は早朝より長男がスズメバチに刺され、何ともないとは思いながらも、万が一を心配して病院に行くように薦めたものの、長男が電話で時間外診療を依頼した市民病院に受診を断られた事から、家庭内は大騒動となりました。
 
 「眼科の医師しかいない事から、他の病院に行ってください」との受付の返事ですが、市民病院に断られて何処に行けば良いのか。
 
 「それでも良いから診て欲しい」との私の言葉に、「医師か看護士に代わります」と看護士に代わったものの、皮膚科の医師のいる海南病院に行ってくれとの返事で、それでも診て欲しいとの当方の言葉に、傷口を診ることしかできないので、見ても直ぐに近くの皮膚科に行ってもらえるかの確認です。
 
 この間、約10分のやりとりが経過し、こんな医師ではと思っていると、「これから救急車が入ってくるので、その処置後になるので当分待ってもらう事になる」との返事で電話を切りましたが、肝心の長男が通勤途中の皮膚科に行くと出ていってしまいました。そして、こんな医師で救急車で搬入される患者が診られるのか…
 
 患者の万が一を考えて、「とにかく早く」とか、「とりあえず来てくれ」との意識は皆無で、他の病院に行かせることしか受付や看護士の意識がない事と、電話だけで時間が経過していき、これで二次医療機関と思うと医師の善意や志も感じられません。1時間もすれば午前中の診察が始まる事や、民間開業医も考えれば多様な応対がありそうだが…
 
 こんな騒動で朝が始まり、市役所に電子メールで一般質問の通告書を送り、市役所経由で愛西市の施設へボランティアに同行し、再度市役所に戻りましたが、ボランティアと珈琲屋さんに入る時間もない事から…
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 さて、右に添付しましたが、私の車には後部座席にテーブルとともに、ガスコンロや珈琲豆が積んであり、インスタント珈琲は経験がありますが、本日は手作りの簡易珈琲メーカーではありますが、本格的な珈琲を車内でドリップしたのは始めての経験です。
 
 近くの自販機で缶コーヒーを買ってきた方が良かったのかもしれませんが、限られた時間を理由にして、同行したボランティアに珈琲の押し売りとなりました。
 
 ここにケーキかビスケットがあれば最高ですが、とにかく非日常的な行動が魅力で積み込んでおり、私の車にはラーメンや味噌汁、缶詰も積んであり、このままエスカレートするとお茶や抹茶まで持ち込みそうな心理状況です。
 
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 本日は、ペットボトルを二つに切って作った手製の珈琲メーカーを試しましたが、市役所の駐車場てはなく、山の峠か灯台の見える海なら最高で、市内の生活圏なら車内の電気を利用した珈琲メーカーをそのまま持ち込んだ方がイメージが良さそうです。
 
 「それじゃー、キャンピングカーと同じじゃないの」の一言がありましたが、最後部には毛布や寝袋も積んであり、このまま遠出をしても生活ができ、時間に余裕があれば日本一周もできそうにも思えますが、本日も仕事の合間のハプニングのようなもので、議会本来の仕事があったことから、昼食時間も返上して仕事を消化させました。
 
 本来なら、一般質問を通告した日(本日)に、私の一般質問の内容を記しておりますが、スペースを使ってしまったことから、明日に先送りさせてもらいます。議会活動と同時進行で、NPO法人の仕事も国の条例改正によりチャンスとなる可能性と、ボランティアの手足としても忙しい日々が続いていきます。
 
                                  11月29日の一言
追伸
夜は旅行のため先週休みとなった書道会が開催されますが、それこそ一年ぶりとなるストーブが必要になり、慌てて灯油を買いに走る事となりました。

議論伯仲…津島市議会が開会し

 昨日に投開票された大阪府と大阪市の首長選挙では、一騎打ちとなった市長選は、大阪維新の会代表で前府知事の橋下徹氏(42)が、民主、自民両党府連が推す現職の平松邦夫氏(63)に圧勝し、初当選した。知事選は、維新の会幹事長の松井一郎氏(47)が、民・自両党府連の支援を受けた前大阪府池田市長の倉田薫氏(63)、共産推薦の梅田章二氏(61)ら6人を大差で破り初当選し、大阪都構想については、今後4年で実現をめざす結果に府民の期待がかかる。
 
維新の会の橋下氏・松井氏が当選 大阪ダブル選 
 
 一騎打ちとなった大阪市長選挙では、政権与党の民主党だけでなく、自民党や共産党も一緒になって落選した候補を応援した結果だけに、既成政党と住民の意識の乖離を証明する選挙ともなり、今後の大阪府と市民の民意にどのように対応するかが注目される。
 
 本日は津島市では12月議会の本会議が開会し、議案説明と質疑や一部議案の議決も行われたが、本会議休憩中に開催された議会運営委員会では、本日提案された監査委員の選任について激論が交わされる事となりました。
 
 市長から新たに提案された監査委員(弥富市民・63才)が、愛知県の農林水産部長など県幹部であった事から、天下りとの批判が議員から出され、過去の人事案件では行われていない議場で起立採決する事態となりました。
 
 本日の議会に提案された議案については、22日に開催された議会運営委員会に予め提出されており、この議案と教育委員の2件の人事案件が本日突然提出され、県の幹部経験者とは言え、議員に突然同意を求められても評価のしようがなく、この人事案件が本会議最終日(26日)前となる21日に前任者の任期満了となる事から、提出され即日に議決する提出方法は、議員に議論の余裕も与えない議会軽視の提案としか思えません。
 
 議決の結果は、賛成多数(賛成10反対9)となったものの、今年5月の副市長2人制の議決と同じ票数となり、副市長だけでなく市役所の各部所に県幹部経験者が配置されていることから、市民からの天下り批判だけでなく、県職員の再就職の場とされている批判にも反論ができません。
 
 さて、監査委員については、英国人社長の内部告発から、日本だけでなく海外投資家からも司法告発されているオリンパスでも問題とされ、これからは社外監査役を法制化する動きがあるが、市役所の会計監査については、市長や市役所側から推薦された人物ではなく、第三者的な評価のできる人物で、私なら市民公募で人選したいところですが…
 
 明日は、来週月曜日と火曜日に開催される一般質問の通告締切日となっており、議員にとっては忙しい一日でありますが、福祉有償運送のボランティアに同行する事になっており、これも福祉施設が施設入所者の送迎を、入所者個人の依頼のようにしている可能性から出向く訳ですが、行政から1円の補助金ももらっていないのに、行政関係からの問い合わせや報告を求められる事に腹立たしい夜にもなりました。
 
                                 11月28日の一言

四日市市で学ぶ機会に

 本日は三重県四日市市内で開催された「地域セミナー」に参加し、帰宅は夜になっていましたが、昨日の一言に、「御在所岳の夕陽をバックに珈琲を」と記していたものの、セミナー終了時に夕陽は沈んでおり、珈琲タイムも無いままに津島に帰りました。
 
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◇三重会場◇
 期日 11月27日(日) 
 時間 13:30~16:30
 場所 四日市市市民交流会館2階 第1会議室A
 講師 牧野清光氏
    (刈谷市民ボランティア活動支援センター センター長)
    西脇良孝氏 
    (特定非営利活動法人生活バス四日市 理事長)
    藤岡喜美子
    (特定非営利活動法人市民フォーラム21・NPOセンター 事務局長)
 
 我々がセミナーに参加した目的は、行政主導ではなく、住民の自主的な運動によってコミュニティバスを運営している「生活バス四日市」の代表者が講師役になっていた事から、成功の秘訣を学ぶためでしたが、我々NPO法人の運営と可能性のヒントとなるセミナーともなりました。
 
 このセミナーは、これからNPO活動を始めたいか考えている人向けのセミナーで、地域で活動するボランティアを育成するためのセミナーでしたが、定年どころか70近い参加者が今後考えてみたいと発言していた事に、それらの人々はいったい何歳まで生きて働けると考えているのか不思議な感覚となりました。
 
 さて、一方で、私は議員である事から、地域のためにボランティア活動をするのは当然と考えていましたが、議員を辞めてもNPO法人の仕事は残されている事から、今まで関わってきた活動についても引退後も拘束される現実に、NPO法人の後継者を育成していく事も切実に感ずるようになってきました。
 
 本日のセミナーで、発表者となった生活バス四日市の理事長西脇良孝氏が、自身の生活信条を示されましたが、ボランティア精神として参考になるので、添付して本日の一言とします。
    生 活 信 条
1、自分の欲せざることを人に施すな
2、良いと思う事は、すぐ実行せよ
3、やった事に代償を求めるな
4、自分が経験した苦しみ、悲しみ、失敗を人にくり返させるな
5、恩は押し売りすべきではない
6、たとえ誤解が生じようと、正しい事は必ずわかる
7、人の世話は徹底的にやれ
8、時間は割って使え
                               11月27日の一言

明日は四日市のセミナーに走り

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 私が息抜きのため夕方に訪れる珈琲屋さんですが、冬を前に日が暮れるのが早く、夕方と言うよりも夜に帰るような雰囲気となり、車に相棒リマ(ポメラニアン・雄・3才)を乗せては行けないような淋しい雰囲気の帰宅となります。
 
 本日は車に積み込んである珈琲を、よりレベルアップするために、インスタント珈琲ではなく、コーヒーフィルターを使ってドリップする本格的珈琲豆(粉)を乗せ、ガラスの珈琲メーカーは危険なため、ペットボトルを利用した簡易メーカーを作りました。
 
 実はテレビ番組で、俳優の藤岡弘さんが農村で珈琲を入れる場面を拝見し、せっかく景色の良い場所で味わう珈琲もインスタントではと思った次第で、明日にでも外出する機会に友人に勧めてみたいと考え、ついでに簡易テーブルも積み込みました。
 
珈琲道(藤岡弘さん登場)映像 http://www.youtube.com/watch?v=xnWcx0hIj6k
 
 さて、明日は家内の親族の結婚式が四日市市で開かれ、私は名古屋駅から四日市の式場まで関係者を乗せて(運転手役だけです)走りますが、偶然にも午後から四日市市でボランティアに関係するセミナーが開催されている事から、津島市に戻ってからメンバーと再度出向く約束になっています。
 
 このセミナーでは、地域生活の足を確保するためにコミュニティバスを導入し、成功しているNPO法人「生活バス四日市」の代表者が講師役となっている事から、参考にするとともに、我々の活動や今後開催する津島市でのセミナーにも活用したいと考えている次第です。
 
生活バス四日市 http://www.rosenzu.com/sbus/
 
 もっとも、明後日からは市議会の本会議が開会となることから、議案書の確認と自分の通告する一般質問の要旨も書き入れる作業を残しており、本日の余裕が明日からは一変し、来週からは過去に経験のない歩行困難の高齢者を移送するボランティアが走りますから、そちらも心配となる日々となっていきます。
 
 明日の夕方は三重県の御在所岳の夕暮れをバックに、知人と車中の珈琲タイムを楽しんで一言にしたいと考えていますが、せっかくの機会ですから四日市の名店でも探した方が良いのかもしれませんが…
 
                                 11月25日の一言

がん検診は異常がなかったものの…

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 本日は私のかかりつけ医としている病院で、10月に行った特定検診と「がん(胃・肺・大腸)検診」の結果を聞く事と、2ヶ月に一度の定期診察のため院長の診察と説明を受けました。
 
 父親を胃がんで亡くしていることから、一番の心配としている「がん」については異常がありませんでしたが、特定検診については、昨年から3キロ以上体重が増加している事から、中性脂肪の数値が大幅に上昇していました。
 
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 コレステロールの数値は下がっており、「まぁ、心配する事はないでしょう」と医師に言われましたが、肝機能も僅かではあるものの数値が上がり、自分自身が身体の各部にガタがきている自覚もある事から、一年後までに数値を改善する事と、身体を動かす運動は不可欠と思われます。
 
 さて、久しぶりに訪れた珈琲屋さんで、マスターから「1年に一度のスキー場に出かけることで、自分の体力を知るバロメーターにしている」との話があり、私も議員になってから「危険」と後援者から封印されていたスキーですが、上から滑ってくるため体力はいらないため、足腰の強化も兼ねて今年は復活させたいと思いました。
 
 もっとも、スキーに関しては家内の方が経験が長いことから、冬季の上高地行きと一緒に家族をスキー場に連れていけば、家族サービスにもなり、これまで冬眠状態になっていた冬季も活動は広がりそうです。
 
 「大鹿さん、どうされたの?」の一言は、同じ津島市内でかつて私の同業であったご婦人で、久しぶりゆえにお互い廃業した新聞販売店の苦労話に花を咲かせ、薬局では「もしかして、大鹿さんですね?」と、かつて一緒に京都の送り火に同行した懐かしい人とも会話が弾みました。
 
 議員になって忘れていた、議員ではなく知人との遠慮ない自由な会話が続く一日となり、久々にストレス発散となるばかりか、議会直前ではありますが、ボランティアであるNPO法人のため、日曜日の午後に三重県四日市市で開催されるセミナー受講を予約するエキサイティングな一日ともなりました。
                                 11月25日の一言

議員よりもボランティアの依頼が多く

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 数年前から我家の私の事務所横の樹木に絡みつき、2階の屋根まで達して冬になっても花を咲かせていた西洋朝顔(ヘブンリーブルー)が、今年になって初めての花を咲かせました。 あまりにも成長を続けて、ツルが樹木に絡んで処理が大変になった事から、昨年秋に家内が根元から徹底的に切ってしまい、「丈夫だから何所からでも出てくる」と言っていたものの、今年の春先にも切った事から、私が細々と保護していた2本のうち1本がやっと小さな花を咲かせました。
 
 花を咲かせたアサガオは、事務所の基礎部分のコンクリートの隙間から生えており、なんとかツルを延ばして花を咲かせましたが、もう1本は除草中に根元から切られて瀕死の状態から生き延びている状態です。
 このまま年末まで花を咲かせ、年を越しても花が咲き続く事を期待しています。
  
西洋朝顔・ヘブンリーブルー http://www.ohiwafg.com/heavenly%20blue.html
 
 本日は朝から訪問者や電話が続き、ある障がい者団体は愛知県の代表者と日を改めて打ち合わせる話に発展しましたが、あまり話が長くなると福祉有償ボランティアを依頼する人からの連絡にも影響し、本日も午後に依頼があったものの、連絡する余裕もなく私が走る事となりました。
 
 さて、利用料金がタクシーより安い福祉有償運送ですが、大々的な宣伝はしていないものの、最近は施設関係者からの問い合わせが増加し、本日の相談は来春に養護中学校に進学する障がい者の送迎ですが、「週に2、3回」との保護者の希望も、一旦引き受けると毎日となる可能性もある事と、同じ内容の複数の依頼がある事から組織的に口コミで知れ渡っている可能性もあり、ボランティアの限界を越えそうです。
 
 障がい者や高齢者の移送サービスをボランティアの主題にはしていますが、行政や介護保険の対象とならない人の役に立ちたいものの、最近は施設関係者から施設入所者やディサービス利用者の移送を仲介する依頼が続き、我々ボランティアを低料金の便利屋のように思われているようにも感ずる事から、今後は福祉関係者からの依頼は断る必要もありそうです。
                               11月24日の一言

隣の席から聞こえてきた雑言に

 本日23日は勤労感謝の日で、私が朝日旅行友の会のバス旅行を初めて企画したのが、昭和23年の勤労感謝の日だった事から、3年前の平成20年までは毎年バス旅行を企画してきた日でもありました。
 
朝日旅行友の会の行き先リスト 
 
 旅行会社が格安の会員募集を始めたことから、行き先をこだわるのが不利益となり、会員の高齢化によってバスよりもマイクロバス、マイクロよりもタクシー車両となり、今年は何所にも出かけない勤労感謝の日となりました。
 
 さて、夕方に行きつけの珈琲屋さんに出かけて、静かに雑誌を熟読していると、2人のお客さんが入ってくるなり、大きな声で喫煙席の場所を問いかけ、わざわざ私の隣の席に案内されてきました。
 この珈琲屋さんには禁煙席があり表示もされていますが、ほとんどのテーブルには灰皿が置いてあり、大きな声で聞くまでもありませんが…
 
 もっとも、喫煙できる席とは言っても、私自身はタバコを吸わないだけでなく、他人のタバコの煙が漂ってくる事が大嫌いで、吸える席とは言っても禁煙席でないだけの話で、この2人の煙と雑音は迷惑でしかありません。
 
 2人の会話に聞き耳を立てていた訳ではありませんが、この2人は現職の小学校の教員で、真面目に教育を考えている人が聞いたら、ひとこと苦言を呈したくなる内容であったことから途中からは真剣に聴いていました。
 
 「一学年45人だから、23人と22人の2クラスとなって、小さな学校で何事もなくやりづらい」と、少人数学級の不満と、津島市内の小学校名を出して、「(この学校の勤務が)病気になってしまう」と保護者が聞いたら怒りそうな発言もありました。
 
 津島駅伝と蟹江駅伝が同じ日であることや、○○さんとか○○先生などと、教員名が出されて話が盛り上がっていたが、最近はポケットに入る録音機もある事から2人の会話を録音でもされていたら、間違いなく問題とされる内輪の内容です。
 
 津島市の市議会議員としては一言苦言を呈したい内容であったものの、せっかくの勤労感謝の日であることと、この珈琲屋さんは私が平生から無心で座れる場所だけに、何事もなく退散しましたが、教員も公職であるだけに、自分も含めて公の場所での会話には注意も必要です。
 
 それよりも、市議会でも少人数学級を実現するために議論することがありますが、小学校の現職教員から少人数学級を否定するような会話を聞くとは思わなかったことと、過去に聞いた学校の評判を、実際に勤務する教員から聞いたことは今後の参考にもなりましたが…
                             11月23日の一言

織田信長ゆかりの遺構が発見され

 我家から車で10分の距離に、戦国武将の織田信長の出生地と言われる勝幡城があり、かつては尾張有数の商都であった津島と津島湊から、豊富な資金を利用して最新鋭の鉄砲を入手し、尾張を統一して岐阜から全国へ進出していきました。
 
 織田信長は天文3年(1534年)5月12日に生まれ、天正10年(1582年)6月2日に本能寺の変により49歳(満48歳没)の若さで自刃しているが、今から500年前の武将が未だに人気が衰えず、現代社会と比較して語られることに郷土の先人として誇らしく思えます。
 
 さて、本日の新聞報道によれば、奈良県橿原市で、16世紀後半ごろとみられる織田信長ゆかりの遺跡が見つかり、信長と和睦した際、その条件として埋められた可能性がある豪が出土したと記されてきました。
 
信長との和睦で埋めた濠? 奈良・橿原で一部出土 
 
 一方で、戦国武将、織田信長のルーツとされる福井県越前町の剱(つるぎ)神社付近で、信長の十数代前の先祖といわれる「親真(ちかざね)」 (生没年不詳)の没年を記した墓石の銘文が確認されたと月初めには報じられています。
 
「信長平氏説」揺らぐ?墓石で先祖の没年判明 福井
 
 それによれば、 信長の家系図の多くが親真を信長の先祖としているが、親真を剱神社神官の忌部(いんべ)氏の直系とする説と、壇の浦の戦い(1185年)で死んだ平資盛(すけもり)(清盛の孫)の実子で、近江(滋賀県)から剱神社に養子に来たとする説とがあった。
 今回の発見により、信長の先祖は平氏ではなく、剱神社の神官とする説が強まったとしているが、中世の改革派としてのカリスマ性に憧れる現代人も多く、ルーツ探しもロマンを掻き立てる。
 
 さて、本日は12月議会の議会運営委員会が開催され、来週からは議会日程が年末まで続きますが、積み残してきたNPO法人の活動も、来年2月に予定されている地域セミナーの準備が急務となり、夜に役員会も開催されましたが、私の尻にも火がついて正月を越すことになりそうです。
                             11月22日の一言

近所のお寺へ阿字観に走り

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 「阿字観(あじかん)」 に使用される「阿」という梵字
 
「阿字観とは真言密教の瞑想法の一つであり、
瞑想により「世界と自分はひとつである」ことを実感することです。
「阿」という梵字は、梵語の第一字母として、
万物の不生不滅の原理の意味だとされます。
 
 昨日は長野県上田市周辺の古刹を訪れながら、書の恩師の「歩きたくない」の一言で、訪問対象が半減したばかりか、真言宗の古刹「前山寺」においても、弘法大師が開いた(あくまでお寺の勝手な伝承です)と記され、塩田平霊場巡り・四国八十八ヶ所と宣伝されながら、ロウソクや線香立てもない観光客目当ての寺院で、一人本堂に上がらせていただき読経したものの完全なる場違いの見世物にすぎません。
 
 かつて若狭や日本海の古刹を訪れていた頃には、西国三十三観音のお寺が点在した事から、本堂に参拝する環境が整っていましたが、長野県ではせっかくの霊場巡りが宣伝にされていながら、手を合わせる環境が無いことが残念でもありました。
 
 本日21日は弘法大師が高野山で入定された日(命日・3月21日)にあたり、高野山をはじめ真言宗の多くのお寺では行事が開かれており、私も町内のお寺で「阿字観」の体験に参加させていただきました。
 
 21日と判っていても、意識しないと仕事に追われ、本日も訪問された人の応対をしていると、阿字観が始まる10分前になっており、慌てて車に飛び乗り駆け込みましたが、毎月参加しようと決めていても意識しないと時間に流されてしまいます。
 
 1ヶ月に1回の阿字観ですが、せめて1ヶ月に1回位は神妙な気持ちでありたいと思うとともに、いくら人のためと思っても、議員は第三者を批判したり、良からぬ行為もしていることから、自分の反省も込めて近くのお寺に顔を出す事で、私には何とか平常心を維持できると思われます。
 
 さて、阿字観をはじめる前に身体の準備運動として指導される前段が、老化が始まった私の身体には苦痛であり、呼吸法でもある阿字観の最中にも、身体が強張って無駄な力が入っており、瞑想どころのレベルとはなっていませんが…
 
 明日は12月議会の議会運営委員会が開催され、夜にはNPO法人の役員会も開催されますが、ついに今年も僅か一ヶ月で年末になってしまい、判っていた事ではありますが、仕事や課題を山積させたままにしてしまいました。
 
                                 11月21日の一言

上田市から美ヶ原高原まで走り

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ホテルルートインから見る早朝の上田市内
 
 本日は昨日の雨からは信じられないような快晴となり、ホテルを8時30分に出発し、最初に戦国武将の真田一族発祥の地に建つ「真田氏歴史館」へ出かけました。
 
 戦国の世で、武田氏や織田氏に翻弄されながら戦い、豊臣氏方につき、大阪夏の陣で徳川氏と戦い、関が原の戦いまで、この上田から出ていった真田幸村や一族の活躍の足跡を記録する貴重な資料館です。
 
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イメージ 3 本日は上田市の古刹や三重の塔を巡りました。
 
ホテルルートイン…
真田歴史館…
信濃国分寺・三重の塔…
別所温泉前山寺・三重の塔…
             …北向観音…安楽寺・三重の塔(右の写真)
 
 午後は昨日の目的地としていたものの、雨のために回避していた美ヶ原高原へ車を走らせ、美術館や道の駅は15日に閉鎖されていたものの、車に携帯していたガスコンロで湯を沸かせて珈琲タイムとした後、ビーナスラインから下諏訪方面へ下りました。
 
 私自身は、午後3時までの予定で、上田市周辺の三重の塔を全部走破するプランを立てておりましたが、お寺より昼食を優先するメンバーや、歩くより車中の恩師の姿から、昼食後早々に美ヶ原高原を目指すことにした次第です。
 
 別所温泉は8年ぶりで、上田市から美ヶ原高原を越えて諏訪市に走ったのは初めての経験となり、久しぶりに長野県を体感するドライブとなりました。
 
 さて、予定では楽々と6時30分には津島市に到着する腹づもりでしたが、高速道路の事故渋滞が連続し、予定より1時間半遅れの帰宅となりました。帰宅後の津島市は標高2千メートルの美ヶ原高原よりも冷たい寒波が吹いています。
 
                                           11月20日の一言

書道会の親睦に長野県へ

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安曇野豊科近代美術館
 
 本日は平成6年から私の2階で続いている、書道会『神守丈友会』の年に一度の親睦旅行で長野県に来ていますが、朝から続いている雨は止む事もなく、松本から安曇野にかけて、雨で景色も鑑賞できず美術館めぐりと化してしまいました。、
 
津島市 8時発…東名・中央・長野(高速)…松本城…豊科食堂(昼食)…安曇野豊科近代美術館…安曇野・ちひろ美術館…上田市・ホテルルートイン 午後4時30分着
 
 久しぶりの松本城で、城の中なら雨も関係ないと考えていましたが、高齢となる書の恩師は雨の駐車場から歩くのが苦痛で、「もう、見たからここで良いわ」の一言により、城の周りを車を走らせただけで安曇野へ…
 
 安曇野の穂高神社は、15日で閉鎖された上高地の明神池奥の宮で販売されている上高地のカレンダーを入手するための寄り道ですが、在庫分は総て販売元に返したとの話で、こんな時に四国遍路のような思いやりは皆無で、自分で販売元に問い合わせてくれとのつれない返事です。宮司さんの連携は皆無で、上高地のビジターセンターの職員さんが、親切に奥の宮に問い合わせてくれた数日前のやりとりは無となりました。
 
安曇野・穂高神社 http://www.hotakajinja.com/
安曇野豊科近代美術館  http://www.h6.dion.ne.jp/~art-toyo/
安曇野ちひろ美術館 http://www.chihiro.jp/azumino/  
 
 豊科近代美術館は、近代彫刻の巨匠、高田博厚の彫刻作品約200点と、森鴎外ゆかりの画家、宮芳平の絵画作品約2000点を収蔵し、館長から概要の説明までしていただけましたが、彫刻作品を鑑賞する予備知識が乏しく退散です。
 
 さて、ちひろ美術館については、メンバーのリクエストで訪れましたが、広い駐車場には観光バスも停まる大盛況で、さすがに人気のある美術館だけに、館内も熱心なファンが食い入るように鑑賞されていました。私も過去には通り過ぎるばかりでしたが、岩崎ちひろさんの生い立ちと、戦争体験や作品の主張も少し理解できたように感じます。
 
 とにかく雨が降り止まず、綺麗に紅葉している山影も見えず、車を降りるのも億劫となる一日となり、早々に上田市に移動したものの、希望する宿は総て満室で、ビジネスホテルの一泊は、仕事の延長のような一日ともなりました。
 
                               11月19日の一言
追伸
明日は上田市の別所温泉周辺の古刹や古塔めぐりとなります。

瀬戸市で高齢者の買物支援が始まり

 公共交通機関の赤字により、路線バスの廃止や便数の削減が続き、住民の重要な足となっている自家用車も、高齢になって車の運転もできなくなったり、ご主人が亡くなり自転車しか使えない人々は、医療機関への通院だけでなく、買い物に行く方法もなく、外出する機会に大量の食料を買い込み、冷凍庫に保存して切り分けて食べるという前時代的生活が全国で行われており、『買い物難民』という言葉とともに、社会問題として大きな課題にもなっています。
 
 全国各地で、ボランティア意識を持った個人店主の出張販売などが行われるようになり、先進地事例として買い物の代行などが発信されますが、愛知県瀬戸市では地元の商店街活性化として、国や県の援助により、瀬戸市内の二つの商店街と連携した宅配サービスを試験的に始めたと報道されています。
 
 瀬戸市では、大手運送業者である西濃運輸に委託して失業者5人を雇用する本格的な事業で、市内の1割強にあたる約6千世帯を対象にしているが、電話やファクスで注文すると、商品の数量にかかわらず1回300円で配達してもらえるもので、独居老人の安否確認なども組み合わせれば、拡大できる可能性は高く大いに期待したいものであります。
 
宅配サービス開始 瀬戸市
 
 私たちのNPO法人では、津島市と愛西市の推薦を得て、「福祉有償運送」を主題として通院や買い物への移送サービスも展開しており、営業車の「福祉タクシー」も所有していますが、今後の展開として「ヘルパー」による移送サービスも検討していますが、買い物に同行もしている事から、瀬戸市の成果を見守って参考にしたいと思います。
 
 さて、タクシーつながりで記しますが、私がマイカーの通行が禁止されている上高地に自由に出入りしている事で、勘違いをされている方もあり、マイカーで出入りする方法を質問された方が複数存在するので、補足しておきたいと思います。
 
 私はマイカーで上高地に入っておりますが、私のマイカーは陸運局で認可を受けた緑ナンバーのタクシー車両で、タクシーを運転できる2種免許も所有していますから、自分で運転して堂々と通行しているのであります。
 
 そのように説明しても、「それはどんな手を使って…」と問う人もあり、誰でもタクシーを所有して、運転免許があれば行けますと説明しても、何か妙手があると思って質問を続けられます。
 タクシーの認可や購入は現実的ではなく、平湯からバスを使えばシーズン中は安く入れますし、時間のロスを考えればタクシーも定額のため、グループならバスよりも割安となります。
 
 今週の火曜日で上高地は釜トンネルが閉鎖され、来年4月の22日までは釜トンネルは閉め切られていますが、高山や松本から1日6便のバスが運行しており、釜トンネル前の「中の湯」バス停でバスを降りれば、真っ暗な釜トンネルを歩いて入山できます。ただし、積雪は多く、道路は完全に凍結していることから、それなりの装備をしないと、道路わきに転落したり転倒するので覚悟が必要です。
 
 明日から一泊で、書道会の親善旅行がありますが、メンバーの期待する美ヶ原高原は、今月15日に美術館や道の駅も閉鎖され、通行は冬の装備が必要と判り、行程の見直しを迫られるとともに、山岳部へ確実に冬の到来が迫っている現実を実感させられました。
                                 11月18日の一言

北海道の愛犬が飼い主を救った報に

 積雪が残る北海道浦臼町の河川敷で、雪の中で乗用車が横転しているのが見つかり、車内から81才の祖父と3才の孫が見つかったが、気温が零下となる車内で、飼い犬の大型犬が一晩中孫の顔を舐め続け、体温で温めていたことが報じられています。
 
 我家の相棒リマ(ポメラニアン・雄・3才)では考えられない、大型犬ゆえの成果とも言えますが、犬は3日飼われたら恩を忘れないと言う諺どおりに、飼い主と一緒に身体を温めあった愛犬には、発見された晩に特別の食事が与えられたと報じられました。
 
 飼い主の命を守った愛犬の美談だが、同じ新聞の見出しの下には、同級生を全裸にして排泄させるなど、いじめていた中学生の事件と、高校2年生になる自分の息子に熱湯を浴びるよう強要した父親の事件が掲載されています。
  
横転事故の車で犬と身を寄せ一夜 祖父と孫娘、雪の中で 
 
17日アサヒコム 
 
中3男子を全裸にして撮影 同級生3人、強要容疑で逮捕
高2に熱湯浴びるよう強要した疑い 鳥取県警、父親逮捕
 
 殺人事件でなかった事が幸いですが、犬にも劣る事件が連日のように起こっており、かつては交通事故で人が死んでも大々的に報じられていた我々の少年時代とは、人の命に対する考えが全く変わってきました。
 
 さて、犬は盲導犬や介助犬など、人間に飼われるだけでなく、人間の役にもたっていますが、忠犬と言われる話は全国に存在し、「忠犬ハチ公」以外にも、2度にわたり雪崩れから人命救助した新潟県の忠犬タマ公や、日本軍の伝令役として活躍した忠犬テルなど、目頭を熱くする逸話も存在します。
 
 忠犬ハチ公  ウィキぺディア
 
 ネット社会となり、パソコンのキーを押すだけで、過去の事件や歴史を検索できるようになり、悲惨な事件も多い中で、心温まる美談や善行も記録されており、本日は北海道の愛犬の美談から、過去の忠犬秘話を再認識させてもらいました。
 
                                 11月17日の一言

寄り道から雑感を一言に

 本日は孫の定期診断のため、名古屋市北区にある西部医療センターまで、娘と孫のアッシー君で走りましたが、3年前の出産の際に難産で孫が城北病院に転送されたのが縁で、その後大病院に変身した西部医療センターに引き継がれて、定期的に診察を受けています。
 娘夫婦や孫は医療や制度面で、津島市とは格段に違う高いサービスを受けており、このままでは間違いなく地元に戻って来いとは言えませんし、わざわざ低い行政サービスの津島市へ帰って来るはずもありません。
 
名古屋市立西部医療センター http://www.west-medical-center.city.nagoya.jp/
 
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 添付した写真は、昨日の上高地からの帰りに立ち寄った『道の駅・明宝』の正面に建てられた名馬『磨墨(するすみ)』の像で、山に沈む太陽の輝きを背景に勇ましく現代に伝承されていました。
 
参考: 岐阜は名馬の産地 http://www.ccn.aitai.ne.jp/~oken/page025.html
 
 もっとも、名馬『磨墨』の伝説や墓は勿論のこと、磨墨生誕の地は全国に点在しており、岐阜県の郡上地方が生誕地かどうかも正確な事は判りませんが、当地方には約800年前に明宝で生誕し、愛知県の尾州羽黒(現在の犬山市)で没したと伝えられてきました。
 
 鎌倉時代を開いた源頼朝の愛馬となり、梶原源太景季に賜(たまわ)って、宇治川の先陣争い(1184年)で天下にその名を知られた名馬が『磨墨』で、駿河から来た墨のように黒い馬、という意味から「駿(する)墨(すみ)」、或いは摺(す)った墨のように黒いから「摺(する)墨(すみ)」と頼朝公が名付けられたと伝わります。
 
 さて、世の中が不景気のまま低迷し、安い商品が当り前の社会となり、このような立派な像が建てられるような余裕も無くなっていますが、後世に残せるような遺徳や美談も減っており、地域の一体感も無くなってきたように感じられます。
 
 太平洋戦争で亡くなった地元の元日本兵の名前を刻む顕彰碑も、公の施設の改修や改築に併せて居場所を追われ、道端に置かれていた「お地蔵様」ですら移転する世の中で、このような大きな石碑が残されている事は、当り前のように眺めますが、当り前とは思えない世の中になってきました。
 
                               11月16日の一言

上高地の閉山式へ走り

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上高地バスターミナルと私の愛車
 
 本日は上高地の閉山式が行われ、明日からは公園内の施設関係者や、維持管理にあたる工事関係者以外は来年4月まで車で入る事ができず、その間に上高地に行きたい人は釜トンネルから歩いて行くしかありません。
 
 そんな訳で、私自身は前々から最終日に上高地入りする予定であったものの、家族には極秘にしてあった事から、「家出します」と記して午前3時30分に我家を出発しました。
津島市…尾西IC…ひるがの高原SA…飛騨清見IC…高山IC…平湯トンネル…上高地・6時40分到着
 
 大正池で8時までたたずみ、カメラのシャッターチャンスを待ちましたが、雨は上がったものの焼岳も雲に隠れ、穂高連邦は姿も見えないため、車をバスターミナル駐車場に移動して行動開始です。
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  ビジターセンター前です。
 人の姿もありません。私は毎年写真家の中沢義直さんが撮影された上高地のカレンダーを、明神池の穂高神社奥の宮か、ホテル白樺荘で購入しており、一目散で白樺荘を訪れましたが売り切れで、奥の宮まで歩いても品切れでは困る事から、ビジターセンターに確認してもらったところ、在庫分は総て安曇野にある穂高神社に送ってしまったとの話で、郵送も可能との話に後日連絡する手配となりました。
 
写真家・中沢義直さん
 
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イメージ 4 今年最後となる閉山日のためか、小梨平キャンプ場に人の姿はなく、キャンプ場の受付事務所も扉が打ち付けられ、関係者の姿もありません。
 
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 穂高連邦が見渡せる梓川沿いの堤に生えるカラマツですが、正面に穂高の銀嶺が並び、イメージ 6右側に明神岳、左を見れば焼岳が見える絶好の場所で、私はここに置かれたベンチに座ってボーとしているのが好きで、本日も2時間ほど座っていましたが、時々太陽の光が差し込むものの、山々を覆う雲は切れ間がなく、途中から大型旅客機のジェット噴射のような轟音とともに強風が吹き付け、最後には雨交じりのミゾレから吹雪のため退散です。
 
 この頃になってやっと観光客の姿も見られるようになりましたが、小梨平はほぼ無人状態で、これを幸いとして30数年前の学生時代に家内と訪れて木に付けた名前を探したものの、15年前に一度見たものの、本日も何処からも見つかりませんでした。
 
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 さて、本日のメインと言うよりも、今年最後の上高地の閉山式は正午より始まり、穂高神社の神主さんや公園内の施設関係者と来賓の人々が、河童橋の横に作られた祭壇を囲んで厳かに神事が執り行われました。
 私も撮影中の信越放送のテレビカメラからインタビューを受けましたが、放映されても見られない場所のカメラだけに残念でもありました。
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 この頃になると小雨混じりのミゾレは完全なる雪に変わり、吹雪のような突風に見物の我々観光客も濡れ鼠のような様相となり、昨日まで平年より温かかったといわれる上高地は閉山の本日から厳しい冬を迎えていくことになります。
 
 残念だった事は、河童橋の上で行われた神事が、大勢の人の陰となってカメラに収められなかった事で、神事が終了後には河童橋の上に置かれた大きな樽酒が開けられ、観光客にふるまわれました。もっと残念な事は、車で入っている事から勧められても頂けません。
 
 さらに、もっと残念だった事は、団体で訪れていた中国人(と思われる)が大きな自国語で仲間を呼び寄せ、私の前に立ってカメラを撮影した事で、カメラを持って構える前へ堂々と割り込む姿に、こんな観光客に頼っているとしたら悲しい現実です。
 
 我家から上高地は3時間の行程で、松本から一日がかりで上高地入りした学生時代や、沢渡でタクシーに乗り換えていた数年前と比較すると、自分の愛車(タクシー)で自由に出入りできる事から、上高地は日帰りでも楽々の旅程となりました。
 
 上高地をあとにして、平湯峠から旧丹生川村まで走ると、輝かしい太陽の光が差していた事から、このまま帰ってはもったいないので、高山市から郡上八幡市まで「せせらぎ街道」を走り、10年前には観光バスも走っていた街道が、高速道路の延伸によって存亡の危機に瀕している現実を見ながらの帰宅となりました。
 
                              11月15日の一言
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夕方に立ち寄った道の駅・パスカル清見

やっとアシックスのシューズを入手し

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  添付した写真のシューズは、アシックスのランニングシューズで、靴の大手量販店で探しても見つからず、ネット内で検索して注文したところ、私の希望する靴は総ての店が品切れと表示されて入手できなかったもので、本日外出した先でやっと見つけて購入してきました。
 
 私は20年ほど前にスポーツ店で、アシックスのランニングシューズを5千円程度で購入したところ、軽くて足が疲れない事から、仕事でもアシックスの靴を履くようになり、量販店では3千円程度の安価で入手できるようになりましたが、最近では靴の量販店ではアシックスの看板すら見かけなくなり、高価なアシックスシューズしか見かけなくなりました。イメージ 2
 
  そのうちに買えばと思っていましたが、靴底が磨り減ったり、布製ガムテープで補強した靴(右)を旅先には履いていけない事から、今夏に重さや外観の似たスポーツシューズを2千円程度で見つけて購入してきましたが、スリッパ程度に履くのは良いものの、四国で1日履いて歩いたところ、足の裏まで痛くて歩けなくなってしまいました。
 
 「Enist」と記されたシューズをネットで検索したところ、格安の990円のシューズや数百円の靴が紹介されており、こんな安さを売り物にした靴に2千円も払った後悔しかできません。
 
 さて、本日購入したアシックスのランニングシューズについても、私は満足して購入したわけではなく、よく似たアシックスシューズを購入しただけで、帰宅後に靴についたメーカー希望価格の本体価格が3900円と記されているのに、イオンタウン内の大型店で3980円を支払ってきた事から、アシックス製品を履き比べて買いたいと思うとともに、格安のネット販売でも送料を考えると一緒になると自己を納得させる事としました。
 
asicsアシックスランニングシューズ ロードジョグ5【TJG127】  TJG127 1   (ネットの例です)
       3276円  SIZE = 26,0 カラー = 0155ホワイトXデニム 
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 さて、本日は名古屋港から豪華船「飛鳥」で、九州まで3日間のクルーズ旅行に参加された津島市内のご婦人たちを埠頭まで送りましたが、価値観の違いもあるでしょうが、12万円もする会費があればもっと楽しい企画がありそうに思えるものの、高齢になり外出する手段もないと選択は限られてしまいます。
 
 もっとも同額程度の金額で、1ヵ月の老人施設を探している人もあり、健康で自律して生活できる人と、人の介助を必要としたり、病気と同居する立場との違いを実感させられ、健康でありたいと考えさせられる一日となりました。
 
 明日の上高地の閉山式が迫り、出発するならこのまま夜行か早朝に家を出る必要がありますが、家内の反応は極めて悪く、このまま家族が寝込んだ夜中に静かに旅立つしかありません。
 もちろん、携帯電話は「おかけになった携帯は、運転中か電源が…」にして、明日の夕方に元気で帰宅しているのが前提ですが…
 
                               11月14日の一言

地元の自主防災訓練に参加して

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 本日は私の地元となる「神守小学校区」の自主防災訓練が行われ、朝から出席しましたが、町内の人々は全員が自転車で集合し、一部の先輩たちは午前6時から設営に参加していたと聞き、来賓として車で楽々と到着した反省のスタートとなりました。
 
 最近では公的行事があっても、個人的に先約がある場合は、内容にもよりますが「早いもの優先」としている事から、地元の行事への参加も久々で、「お久しぶりですね」と言われても本当に久しぶりの実感が湧いてきます。
 
 開会式の挨拶の後、応急手当や、初期消火、人工呼吸訓練など、担当する防災会の担当者も手馴れたもので、訓練終了後の婦人会による炊き出し試食が終わると昼を過ぎていました。本当に手際よく進捗されるようになりました。
 
 さて、来賓としての立場では、早く帰ってもらいたいのが運営者の気持ちかもしれませんが、町内の役員となる先輩たちがテントや机の後片付けをしているのに帰る気持ちにはなれず、備品の片付けが終わるまで参加しましたが、華やかなイベントの後の片付けが大変である事も実感させられました。
 
 さて、最近では日頃のナマカワが続いているために、身体を酷使すると帰宅後に必ず身体を横たえて休憩が必要となり、本日も立っているだけですが、6時間も立っていると疲れが実感させられます。
 
 昨年の12月18日に、閉鎖された釜トンネルを歩いて、雪中の上高地を7時間歩いてきたところ、数日後の尿にピンク色の血尿が数滴混ざり、血尿は2日間で治まったものの病院の検査は1ヵ月を要しました。
 
今年1月の私の一言  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44608318.html
 
 結果的には、長時間歩いたことによって、「顕微鏡で見ないと判らないような結石(砂粒程度)が下りたことによる血尿だろう」と診断され、何事も無かったものの、今月1日に四国を歩き続けた事で、帰宅した数日後に同じ症状がでました。
 
 今回も2日間だけの血尿でしたが、これが続くようなら再検査も必要で、家内には言ってありませんが、15日に閉山される上高地行きも、その試金石となりそうな老人の入り口状態を身体から実感させられます。
 
 もっとも、どんな言い方で家内に「上高地」と言うかが大問題で、来週の週末は書道会のメンバーと1泊旅行も予定されている事から、日帰りとは言え理由を真剣に考える今晩となりそうです。
 
 昨年と今年の2年間続けて「写真展」を開催し、テーマを上高地としておりましたが、2年前には過去10年間の写真から選び出し、昨年はシーズンを通して上高地へ入った写真を写真展に出品し、今年は完全に品切れ状態に陥っており、内心では閉鎖された上高地を定期的に訪れて写真に収めたいと思っているのですが…
                 
                                11月13日の一言

季節の移り変わりを感ずる一日に

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愛知県と三重県を結ぶ木曽川・尾張大橋
 
 本日の早朝は、三男を乗せて三重県の桑名市まで走りましたが、息子の目的地まで20キロ未満である事から、息子にとっては自転車の通学程度の距離で、帰りは車に乗せていった自転車で帰ってきます。
 
 私にとっては久しぶりの桑名市で、元々が三重県そのものに行く事が大嫌いなため、高速道路で通過するか、奈良や高野山の帰りに通過するだけで、三重県を目的地にした走行は久しぶりであると同時に、街並みの変化にびっくりとさせられました。
 
 もっとも、添付した写真は車を運転中のショットで、手前にレーダー探知機とタクシーメーターが写っていますが、これが飛行機の機長なら、操縦中の写真は事件扱いとなり、国土交通省の注意を受ける事となりますが、朝から爽快な気分となりました。
 
 本日は、昼から行われた知人が出演する演劇を鑑賞するために、午前中から仲間と名古屋市を目指しましたが、私の手帳には本日から「上高地」と記されており、何事も無ければ出発していたと思いますが、明日は防災関係の行事があり、月曜日はボランティアの依頼がある事から、15日で閉鎖される上高地行きは微妙な雲行きとなってきました。イメージ 2
 
 昨年は写真撮影のために機会があれば毎週のように上高地を訪れており、過去20年間でシーズン中に一度も上高地へ入らなかった年はなく、今年は4月に総選挙があった事もあって、4月27日の開山式から一度も入っていない事から、最終日の閉山式には是非とも訪れたいと思っているものの…
 
 私が所有しているタクシー車両は、本来は人を運んで利益を目標にされる車ですが、私はマイカー規制された上高地や乗鞍スカイラインに自由に入るために投資した一面もありますから、何とか閉山式には行きたいものです。                                                                                            名古屋・栄テレビ塔
                                
 そうやって窓を見ると、暖かい間の夜には、窓の外に必ずへばりついていた「ヤモリ」の姿が一匹もなく、いよいよ秋から冬に向かっている季節を実感させられ、名古屋市の栄で繰り広げられていたイベントの大音響や、紅葉を始めた都市公園をゆっくり散策すれば良かったものの、車の駐車料金ばかりを考えて一目散に帰宅した一日の反省ばかりとなりそうです。
 
                                 11月12日の一言
追伸 本日の話題
九州では一番乗り、天山スキー場が開業 佐賀・富士町

命を大切にした時代の旧跡に立ち寄り

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行燈之宮・稲沢市平和町嫁振 
 
 本日は稲沢市(旧平和町)の社会保険労務士Mさんと私の事務所で打ち合わせ後に、「送る帰り道に何か変わった場所はないの?」と聞いたところ、意外な昔話しを耳にした事から車で立ち寄り、ここに添付した次第です。
 
 訪れた場所は行燈(あんどん)乃宮で、稲沢市(旧平和町)嫁振にありますが、小さな鳥居と祠があるだけですから、誰もが知らずに通り過ぎているような所にありますが、小さいながら地元の有志の方々によって綺麗に維持されていました。
 
 「小代ねむる 行燈の池や 七日月」の石碑が、鳥居の左の石碑に刻まれていますが、Mさんによれば、江戸時代にこの辺りにあった行燈池に落ちて死んだ女性を供養する祠との話でした。
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 神社と言うよりも、昔ながらのお宮さんか、祠と言ったほうがピッタリのイメージですが、祠の後方に広々とした水田があり、それは現代でも池の名残りが残り、沼地のような低湿地の水田で、稲刈りに入ったコンバインの轍が小川のように残っていました。
 
 江戸時代に大きな池があったと聞いた事から、祠の後ろを眺めると、当時の池のあった光景が私の脳裏にも浮かびますが、ここで若い女性が池に落ちて死んだという現実と、一人の弔いのために現代まで供養が続けられてきた現実を大切に後世に残したいものです。 
 
行燈池・平和町嫁振(稲沢市むかしばなし) 稲沢市資料
 
 帰宅後にネット検索すると、稲沢市が「むかしばなし」として伝承を保存しており、かつてこの辺りに多数の使用人を雇う長者が存在し、一年に一度お盆の七日に行燈を洗うならわしがあった事と、行燈池は行燈を洗ったのでそう呼ばれるようになった事が記されていました。
 
 「おさよ」と言う女性が池に落ちて亡くなった事を、嫁振の人々は「哀れに思いおさよの霊を慰めるために、池のほとりに小さな祠をたてた」との伝承を、私の住む地域でも多くの人が川に落ちて死んでいる事と、交通事故によって多くの命が失われているものの、事故直後は遺族が悲しんでいても、十年もすれば過去の他人事のように風化してしまう現代社会との大きな違いも実感させられました。
 一方で、この祠の周りの広々とした水田が、これからもこのまま保存されて、昔話しを連想できる環境のままである事を祈って車を発車させました。
 
 昭和から平成に移行する頃、私はミニコミ誌を発行していた事から、地元に残された伝承や史跡も廻って記録していましたが、20年近い空白によって、過去の記録が散逸するばかりではなく、私の記憶も真っ白になっている現実を寂しく思う一日ともなりました。
                                 11月11日の一言

灯台もと暗しを実感し

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我家の庭に実った柿です
 
 我家の庭に実った柿を添付しましたが、この柿の木は私の父親が生前に植えたもので、庭の正面に植えた事から「切ってくれ」と言っていたようですが、親の形見としてそのままにした事から、今や大木となって脚立では実が取れず、家内が棒で引っ張って落としています。
 
 かつては事務所の東側に3本の柿の木がありましたが、駐車場に整地するために移植して残そうとしましたが、柿の木の移植は難しく、全部枯れてしまったことから、今では先祖伝来の甘味が減った古木と、庭の正面の2本になってしまいました。
 
 さて、全国の都道府県で福井県民が一番幸せとの調査結果が法政大大学院の坂本光司教授によって発表され、最下位となった大阪府については、さっそく大阪府知事選挙の材料にも引用されている。
 
日本一幸せなのは福井県、最下位は… 法政大教授が調査
 
 私の住む愛知県は21位であるが、生活するうえで愛知県は便利で、日本の中央部に位置することから、私の好きな場所に行くのには都合が良く、北海道や東北のように雪に閉ざされる事もなく、台風の通り道となる九州や四国のように災害の心配もありません。
 
 もっとも、今や世界経済に影響力を与えている中国人にとっても、高収入となる日本は魅力的で、日本で稼いで仕送る生活は、かつての地方から集団就職していた日本人に成り代ったようで、日本人になりすましていた中国人が逮捕された。
 
偽装結婚、日本人になりすまし治療 詐欺容疑で3人逮捕
 
 偽装結婚については前々から問題となっているが、日本人になって大手コンビニチェーンと契約して店の経営を続け、住宅ローンを組んでマンションも購入していたと言うから、改めて不法就労や不法滞在の確認作業と摘発が急務と思われます。
 
 私の住む地域でも、外国人ばかりが住み着いて困っているアパートの家主も存在しますが、不法就労とか外国人登録証の有無についても、市役所に住民票の届けも出されていない事から、存在そのものが無い事から調べる事もありませんし、事件を起しても逃亡すれば手掛かりもありません。
 
 最近は日本経済の低迷や政治不信から、国の威厳そのものがなくなっているように感じますが、病気になっても6分もあれば救急車が到着(全国の平均値)し、無一文でも生活を保障される恵まれた国である事も再認識させられました。
 
                                11月10日の一言

中身が判らないのに反対するTPP問題

 「TPPは困るわなァ」の一言は、本日のテレビ報道を聞いた私の母親の言葉でしたが、「何故、困るんだ」の問いかけに、「外国から安い米が入ってくるから」と続き、「何故、安い米が入ってくると困るんだ」の問いに、「そりゃー、ウチも農家だから…」と返答が返ってきました。
 
 「農家と言っても、農業で生活していないだろう」の私の一言に、「そりゃー、そうだが…」、「米を買っている人は、安い方が助かるだろう」の問いに、「そうだわなァ」、「ウチは米が売れても売れなくても良いんだ」の一言に、「そういう事だわなァ」と答えましたが、農家だからと言っても、我家のように少しは米を売っているものの、自分が食べる分だけの兼業農家の老人にとっては良し悪しは判りません。
 
 野田首相が参加する意向と伝わるTPP問題も、独善的な決め方は問題かもしれないが、兼業農家ばかりの会員数をバックにしたJAや農業団体の反対ばかりに目を取られずに、総合的な国益を議論して決めて欲しいものである。
 
 「朝日新聞はJAを無視できない」の一言は、JAの末端職員が発した言葉であるが、大学時代から23年間ではあるが朝日新聞を販売してきた私には屈辱的発言で、責任ある立場にない職員の言葉であっても、知らない人が耳にすれば「なるほど」と思わせる一言でした。
 
 それは、農業の権益を守るために日頃から朝日新聞にもJAは広告を掲載している大スポンサーになっているという主張で、偶然にも先週の日曜日に開催された全日本大学駅伝は、朝日新聞よりもJAが主催しているような宣伝がなされていました。
 
駒大、逃げ切り3大会ぶりV 全日本大学駅伝 2位東洋
全日本大学駅伝・朝日新聞 http://daigaku-ekiden.com/
全日本大学駅伝・テレビ朝日 http://www.tv-asahi.co.jp/ekiden/
 
 そんなバカなとは思いますが、確かに世界のトヨタ自動車や三菱UFJ銀行の協賛とは違い、JAは特別協賛となっており、農家の協同組合であるJAが、大学駅伝に巨額な協賛金やテレビの広告費を投入する意味も勘ぐってしまいます。
 
 全日本大学駅伝は、名古屋の熱田神宮から三重県の伊勢神宮をゴールとする駅伝ですが、元々は東海学生陸上競技連盟と朝日新聞名古屋本社が中心となってスタートした駅伝で、私も議員になって販売店を廃業するまでは、第一中継点の設営に関わってきただけに「JAうんぬん」の発言には寂しさも覚えました。
 
 外国人持ち株比率問題が指摘され、韓国ドラマを放映し続けていることから、フジテレビ周辺ではデモ行進まで行われる騒動になっているが、朝日新聞の経営状況も悪化しており、取材すら合理化され、部数の低迷を考えると「朝日もか…」と思わされてしまいます。
 
 あまりにも脱線してしまいましたが、TPP問題については、参加することのメリットと自国の利益を国民に示す必要があり、国民への説明よりも先に国外で日本の公約としてしまった野田首相と、自分たちの権益を守るために反対し続けるJAや医師会も、国や政治家の圧力団体と化している反省は必要だ。
 
                                11月9日の一言

介護施設から名古屋の病院に走り

イメージ 1 本日の夕方になり、自宅のポストを開けると、町内のお寺から『弘法さんだより』が投函されており、今月のおしらせを見ると、本日の午前10時30分から「ほうろく灸」が記されておりました。
 
 今年になってから毎月21日に「阿息観」に参加している事から、檀家でもない私のもとにわざわざ案内していただいたと思いますが、判っていても参加できたか微妙な時間だけに残念であると同時に、「ほうろく灸」に特別な関心は無いものの、健康をテーマにした行事だけに、一度参加してここにご紹介したかったと思うとよけいに残念と思います。
 
      下記を参考にしてください
      ろうそく灸 http://www.geocities.jp/kaikodojp/kouseiji/houroku.htm
 
 
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 本日は朝から市内の介護施設に入所された会員さんを、名古屋市の大病院まで送迎する仕事(ボランティア)があり、施設からヘルパーさんも同行してくれましたが、NPO法人からも2人体制で出向きました。
 
 一人の通院に3人が付き添っていますが、料金はタクシー料金の三分の一程度である事から、これこそボランティアらしい活動ですが、これが介護タクシーになれば運転手だけでも運んでしまう訳ですから、お金よりも安全確保も課題だと思います。 もっとも、次回から私の議会日程が重なっている事から、会員さんの回復を心より祈らなければなりません。
 
 会員さんは右足を痛めて歩けない事から、市内の施設に入所中ですが、短期入所の予定で入所したものの、自宅に帰っても一人暮らしで食事も自炊が必要なため、「ずっと、ここで良い」と言っておられますが、入所費用が高いことからいずれ決断すべき時がやってきます。
 
 数日前には、名古屋市営交通のバス運転手が、乗客を介助するために停車した運転席から離れたところ、バスが動いて乗客にケガ人を出す事故があり、あらかじめ不調な人を運ぶ場合は一人では危険ですが、我々には介護保険から手当てが出ませんから、ボランティアの限界スレスレの移送です。
 
 さて、本日はNPO法人の利用会員となっている私の叔父も、脳梗塞で入院したとの連絡が入り、退院後には自宅療養の予定との話に、病院への移送を担当するボランティアにとっては暗いニュースが増えました。
 
                              11月8日の一言

薬局のカードが廃止と発表され

 今までかかりつけ医の薬局で発行されていたポイントカードが、来年4月から厚生労働省の指導で廃止されると報道されています。医師の処方箋をもとに出される薬(処方薬)を薬局が販売する場合ではあるが、カードの嫌いな私も勧められるままに多くのポイントカードを持っていることから気になる話題です。
 
処方薬へのポイント禁止 厚労省、値引きと認定
 
 私自身はカードそのものが嫌いで、銀行も通帳と印鑑を持参しているような旧いタイプの人間ですが、当初はガソリンのカード1枚だけだったものが、ガソリンも2種類となり、自動車関係が2種、ETCカードも2種となり、カメラのキタムラカードなど、使えばポイントが加算されるカードが次々と増えています。
 
 記事として添付した薬局のカードも、私の持つ1枚は大手のドラッグチェーン店ですが、かかりつけ医の隣にある院外処方の薬局もポイントカードを発行しており、今まで一度もポイントを利用した事はありませんが、このままでは貯め損となります。
 もっとも、医療保険を適応されていても、薬局の選択はどこでも自由なことから、大手チェーン店に対する個人薬局の声で、業界団体の国への訴えではないかと疑問にもなります。
 
 「これはウチでは使えません」と言われてびっくりしたのは、いつも利用しているカメラのキタムラで、間違えてカー用品ジェームスのカードを出していた時で、これだけ多くのカードを持つと間違いも起こります。
 
 一方で、数年前からキタムラカードを使っていながら、このカード1枚が本屋から、ガソリン、洋服、ファーストフード店などでも同一に利用できることを最近まで知らず、コンビニでもポイントが加算することは知りませんでした。
 
 また、最近訪れた四国のネットカフェでも発行されましたが、四国遍路でも利用した温泉などで多くのポイントカードが発行されていますから、今一度カードの所在の確認をしたいと思います。
 
 さて、今年は一度も訪れていない上高地ですが、今月の15日に閉山式が行われる事から、閉山前日に訪れて閉山式を見物したいと勝手に考えておりましたが、前日にボランティアで車を依頼する人があり、他のボランティアに連絡しようと考えたものの、これも天の声と思い、仕事を済ませてから走る事としました。
 
 明日も2人がかりで施設に入所した人を名古屋市の病院まで送迎しますが、本来なら我々ボランティアが出動しなくても、施設が必要と考えて独自に用意すべきと思いますが、これでは保険制度で利益になる事しか考えていないと言われても、入所者のニーズに応えているとは言えません。
                              11月7日の一言

被災地の集落で解散式が行われ

 本日は町内の排水路清掃が行われれましたが、地域では春と秋に2回実施されており、朝まで降っていた雨もあがった事から、総ての家が参加して清掃が終わりました。
 
 町内でも排水路の状況が違い、側溝の重いフタを全部上げなければ清掃のできない場所や、溝の草刈りをする必要のある班もありますが、私の近所の班では廃棄された消防用ホースで水を側溝に流し込むだけで清掃が終わる事から、一番楽をしているのかもしれません。
 
 それでも、10年ほど前は女性がほとんどだったものが、最近は参加者が高齢化したものの男性がほとんどとなり、それぞれの役割も固定化し、地域の連携がスムーズに行くようになったと思われます。
 
 私のポジションは、清掃の終わった側溝から外されたフタをおさめる仕事で、フタそのものがコンクリート製で重いため、人々は2人がかりでおさめますが、2人では力の加減が難しい事から、私一人で持ち上げておさめるのが固定化してきました。
 四国での歩き遍路直後なら筋肉痛で参加できませんが、この体験が本日の準備運動になったようで、身体は絶好調となっていました。
 
 さて、台風12号でほとんどの家屋が流された和歌山県田辺市の奥番(おくばん)地区では、土砂崩れで流れが変わった川に大半の家がのまれ、集落の再建が難しい事から集落の解散式が行われたと報じられています。
 
ふるさとにお別れ 台風被害の集落で「解散式」 和歌山
 
 奥番地区は7世帯10人の集落であり、この解散式に就職で離れた人や親戚ら約200人が集まったと言う事から、我々の地域より確実に地域の絆は強く、先祖伝来の高齢化した集落だけに、集団での移住を実現して欲しかったとも思います。
 
 一方で、現代社会では隣の住人の顔が判らないとか、地域の協力関係や連携が希薄になったと言われて地域コミュニティーが問題となっていますが、自然災害によって地域全体が被災した地域では自然にコミュニティーが復活している事から、このあたりに地域の連携やコミュニティー復活のヒントがありそうです。
 
                                11月6日の一言

上海と長崎を結ぶ航路が復活し

 長崎と中国・上海を結ぶ航路が3日、14年ぶりに復活して約200人を乗せて長崎港を出発し、来年春からは本格的な営業を始め、大部屋のいす席は1万円を下回る格安運賃にして、中国人観光客の取り込みをめざすと報じられていますが、これは飛行機に乗らない日本人にとっても海外に出るチャンスにもになります。
 
長崎―上海航路が復活 いす席は1万円以下
 
 私は学生時代に観光バス会社の車掌や添乗員のアルバイトをしていましたが、何度目かに搭乗した旅客機が広島上空で命の危険を感ずるほど揺れ、以来飛行機は乗らないと宣言しており、北海道でもフェリーで行くしか方法がありません。
 
 名古屋港からは、現在では唯一となった仙台や苫小牧に行くフェリー航路が定期的に航行していますが、かつては大分県と名古屋を結ぶ航路も存在し、数年前までは大阪経由の貨客船が上海まで航行していました。
 
日本から船でアジアへ…国際定期航路
長距離・幹線航路 国内
 
 国内には多くの国際空港が存在し、数時間で海外に到着する旅客機の時代となり、国内航路でさえ廃止されている中で、私のようなこだわりを持つ人間や、客船での旅行を楽しみたい人々には朗報と思える話題です。
 
 隣の韓国・釜山とは福岡から高速船でわずか2時間55分で到着し、1日に5から6便航行し、フェリーも1日2便航行していることから、国内航路と変わらぬ運賃も併せて考えるともっと宣伝されても良いように思える。
 
 ロシアのウラジオストクへの航路についても、エコノミーでは1万円以下の運賃で渡航でき、そのままシベリア鉄道も考えればヨーロッパまでつながっており、貴重な路線として存続される事を願いたい。
 
 一方においては、高速道路の無料化が一時的であっても実施された事によって、航路が廃止された国内航路もありますが、低料金と運転手の休息を考えると、長距離運送や旅行に利用すれば効果的な利用方法もあり、高速道路で大型トラックの居眠り事故が続いている中で注目したいと思います。
 
 暗いニュースが発信され続ける中で、日本と中国を結ぶ航路再開は、私にとっては久々に夢のある話題と思います。
                                11月5日の一言

操作ミスからデータが皆無になり

イメージ 1
アフタヌーン珈琲
 四国から帰った翌日のことですが、いつものようにパソコンに携帯電話の画像を取り込もうとしますが、いつもクリックしていた『リムーバブルディスク』の中にあるはずの「ピクチャー」の項目がパソコンになく、画像が取り込めないために大騒動となりました。
 
 幸いにして私にはパソコンのプロの師匠が存在し、その日に無償のボランティアで駆けつけてもらえるので、万が一の時も困りませんが、情けないので連絡だけして、画像は携帯電話からメールで転送して一言を書き入れました。
 
 さて、私が無い知恵で色々考えた挙句に、四国から3日間はネットカフェから一言を発信していた事から、リムーバブルディスクかSDカードの使用方法が変わってしまったと思っていましたが、師匠が来るなり「SDカードに何も画像が入っていない」事が判りました。
 
 「えっ、そんな筈は…」と、SDカードを携帯電話に差し入れて確認すると、カードの中に何も画像が残っておらず、師匠の話では私が携帯電話の操作を誤り、過去のデータを総て削除してしまったとの指摘です。
 
 以前にも、パソコンのキーボードの上を相棒リマが歩いた事で、一部の文字が書き込めない状態になりましたが、今回は意識せぬままに誤って過去の画像を消してしまったようです。
 
 パソコンや携帯電話の操作ミスで、過去のデータが消えてしまうことは過去にもありましたが、今回は携帯電話で消去していることから、パソコンの「ごみ箱」にも残っておらず、過去と違うのは、相棒リマが我家の来てからの写真と、今年4月に死んだ愛犬「モモ」の写真も消えてしまった事です。
 
 師匠から何度も『バックアップ』する事を勧められながら、どうせこの一言に記してあるからと横着に放置してあった事から自業自得であり、その夜は一言に添付したリマとモモの写真を携帯電話のSDカードにコピーする作業が深夜まで続きました。
 
 たかだか、愛犬の姿が消えた事で大騒ぎとなりましたが、東北の津波被害で写真やアルバムが流され、亡くなった先祖や親の写真が全部消失してしまった人々の落胆は比較できるような問題ではありません。
 
 ましてや仏壇や位牌も消失してしまった人々や、家族全員が被害にあって家そのもの存在が皆無になった家庭もあり、立ち直るには想像ができないエネルギーが必要と思わされます。
 
 私は旧いタイプであり、学生時代から写真は暗室に入って現像していた事から、未だにカメラはフィルムを使っており、フィルムは印画紙に焼き付けて残しているものの、携帯電話で写した画像は総てSDカードに記録されていることから、今後は反省して安全対策も考えたいと思います。
                                   11月4日の一言

民意を無視する九電の横暴に

 東京電力は2日未明、福島第一原発2号機の原子炉内で溶けた燃料が核分裂反応を起こしている疑いがあると発表し、核分裂反応が連鎖的に続く臨界が局所的に起こった可能性もあると説明していたが、本日は原子炉内で核分裂反応が連鎖的に起こる「臨界」はなかったと発表して、通常の原発停止中にも原子炉内で起こる現象と説明しているものの、我々が東電の発表を素直に信じて、そのまま納得していると思っているのだろうか。
 
「臨界なかった」と断定 キセノンは自発核分裂 東電 
福島2号機、小規模臨界の可能性 キセノンを検出
 
 この事について、何も知らない立場からの論評はしないものの、自身の本音を発信し続けておられる中部大学の武田邦彦教授のブログを添付して、正確な情報を確認するとともに、国民の厳しい視点で監視していきたい。
 
福島原発は爆発するのか? http://takedanet.com/2011/11/post_75a7.html
福島2号機の核爆発・・・東電のサボりだが大丈夫
 
 一方で、九州電力が玄海原発4号機の運転再開を発表し、「住民や県民への説明は果たしており、反対があったとは聞いていない」と説明していたが、再開を容認した県、玄海町には市民からの抗議が相次いでいる。
 
 県民への説明責任が十分に果たされない中で強行された再開に、県議会からも批判の声が上がっているが、九電は「運転再開に地元の同意は必要ない」と開き直ったような説明を堂々と発表しており、この問題を九州や九電だけの問題として放置することは、民主国家の日本においては許される行為ではなく、他の原発への影響も必死な事から、国を挙げて厳しい抗議が必要だ。
 
4号機再開 九電・県に抗議次々
 
 政治と選挙や献金によってつながり、政治と一体になって世論を操作し、操作が発覚しても反省や謝罪よりも自己弁護に徹して、最後には世論を無視して独断で原発の運転を再開し、批判が集中すると「民意は関係無い」という展開は、まさに全時代的としか思えず、それでも九電の提供する電力を使うしかない住民の無力感を痛感する。
 
 明日からしばらくは休み感覚も皆無になるが、忙しいことから無関係となってしまう世の中の動向についても、我々は無関心になってはならないと思う。本当に許せない行為には住民の鉄槌も重要だ。
                                    11月3日の一言

讃岐・七ケ寺まいり

古来より、四国八十八ヶ所各霊場第71番札所から第77番札所までの7ヶ寺を一日で巡拝する「七ヶ所まいり」という参り方があります。「四国八十八番寺社名勝」という絵図に「足よはき人は 此印七り七ヶ所をめぐれば 四国巡拝にじゅんずといふ」と、この「七ヶ所まいり」を勧めてもいます。この7ヶ寺には、皆様をお守りくださる本尊様がお祀りされており、お大師さまと共に「同行二人」の信仰をもって巡拝されると福運が授かるといわれています。
 
      讃岐屏風ケ浦・七ヶ所まいり http://www.zentsuji.com/nanakasho/
 
 添付した案内の中に、約16キロと紹介されている事から、これなら日頃から不摂生な生活をおくる運動不足の自分でも歩けると、第71番札所から第77番札所までの7ヶ寺を歩いてみました。平成23年11月1日の顛末記です。
 
イメージ 1 車を道の駅「ふれあいパーク みの」に置いて、第71番弥谷寺を目指しますが、ここで一日歩くために必要と思われるタオルなどをリュックサックに詰め込みます。 出発は8時半
 
 意外に忘れ物があり、私も弥谷寺の本堂に参拝した時に、賽銭と数珠を車に忘れている事に気づき、納経所で輪袈裟をかけていない事が判り、車に戻った時にカメラを置き忘れていた事と、私の身体にとって一番重要な血圧の薬を飲んでいなかった事が判りました。気を取り直して再度参道(石段は本堂まで530段)を登ります。
 
 第71番弥谷寺については、かつてはこの道の駅の隣にある駐車場から徒歩で登っていましたが、最近は車で途中まで登れるようになった事から、参門から上って行く人は少なく、参門前にある茶屋も久しぶりに通ります。このままでは、いずれは…
 もっとも、ここから歩いたことで、竹と竹が重なって「ギー、ギー」と音を立てる事や、風の香りも実感できます。
 
イメージ 2 第72番曼荼羅寺までは細々とした山中の遍路道を下り、途中で日頃は高速で走りぬけていく国道11号を歩き、途中からは車遍路と同じでしたが、約3、8キロを1時間ちょっとで到着します。
 
 第72番曼荼羅寺と第73番出釈迦寺までは300メートルしか離れておらず、車よりも駐車する手間がないために歩き遍路が先行します。
 ここは弘法大師が7才の時に山から身を投じたと言われる奥の院『捨身ケ嶽禅定』がありますが、先が長いため省略(往復2時間はかかります)です。
 
 ここから第74番甲山寺までは約3、2キロあり、ガイドブックで徒歩50分となっていますが、ほぼ車遍路と同じ道程です。ここから第75番善通寺までは1、4キロとなっているものの、あっと言う間に到着です。
 
イメージ 3 善通寺に到着すると、偶然にも記念写真を撮影する広瀬さんと出会い会釈したものの、菅笠をかぶって疲れ果てている歩き遍路を私とは認識されず、話し込む体力も時間もムダにできないため、幸いとして通り過ぎます。
 
 時間はここで午後1時となっていましたが、食欲は無く水分補給だけで十分です。本来は本堂から大師堂の順に参拝しますが、本堂の広大な善通寺を2往復するのは辛いため、御影堂(大師堂)から本堂に参拝してそのまま第76番金倉寺に向います。
 
 車では判りやすい簡単な行程ですが、地図を見ながら細い遍路道を進んだところ、途中で何度も間違えながらも電柱に張られた進路を示すシールを見つけて歩いイメージ 4ていくと、最後には進路が左右両方を示しており、最後は現地の人を頼りに歩く事となりました。
 
 この頃には足が痛く、道路の信号が変わっても走ってわたる脚力もなく、はるか遠くに金倉寺が見えるものの、一向に距離は縮まらず、やっとのことで到着しましたが、迷って遍路道を探すよりも、自分の知っている道を歩いた方が効率が良く、この間は歩道がある事から安全です。
 
 ここから第77番道隆寺までは4、5キロで、案内によれば徒歩で70分となっていますが、足が痛んで棒のようになっており、「ここが最後だから」を連呼して進むものの、一向にたどり着けません。イメージ 6
 
 まもなく道隆寺という所で、背後から大きな声で、「お遍路さーん」と繰り返しながら、手を振って人が追いかけてきます。
 手に握っておられたのは手作りの「お地蔵様」の焼き物で、息子さんの手作りを歩いて巡拝する人が通る度に渡しているとの話に、追いついてきた息子さんの顔を見ると、私の緩んだ涙腺が氾濫しそうな危機です。こんな嬉しい場面は車遍路にはありませんし、疲労でヘトヘトだった身体にエネルギーが補充されました。
 「頼むから住所と名前を教えてください」と手帳に書き込み、私の納め札を手渡して別れましたが、この善意を貰いっ放しにはできません。
 
※写真は道隆寺の近所で、焼き物を頂いた松井さん親子です。掲載する事も伝えてあります。
 
 そうして最後の道隆寺に到着しましたが、そんなことのあった後だけに、正面から見る光景ははじめて見るように新鮮です。
イメージ 5 納経所で朱印をもらい、七ヶ所まいりは終わりましたが、ここから車を停めている弥谷寺まで戻るのは大変な旅程となり、多度津駅から電車を使って戻っても善通寺駅からは大変な距離になる事から、私は観音寺行きに乗車し、海岸寺駅で降車し、別格二十霊場第18番海岸寺に参拝してから戻るコースをとりました。
 
 海岸寺に参拝して朱印をもらったのが午後5時で、すでに薄暗くなっており、夕陽が沈めば真っ暗となるのは必然ですが、住職から、私の歩こうとしている近道は山道のため迷って危険と言われ、「2時間はかかる」と言われる車が連なる道路を歩き、行程は約6キロ弱で途中からは坂道を登っていく事となりました。
 
 ここからが大変で、歩いても歩いても距離は延ばせず、真っ暗になったために大きな標識はあるものの、車が来てライトを照らしてくれないと全く見えず、過去の巡拝で予想はできるものの、間違えて下ってしまえば戻る体力もありませんから、車が来るのをずっと待って看板を確認しながら、車に到着した時には午後6時半になっていました。
 
 真っ暗な茂みから獣の唸り声も聞こえ、捨て犬である事を願いながら、この近くに私の親しい人が住んでいる事から、何度も救いを求めたい気持ちがよぎりますが、自分が自ら決めた事と苦痛に顔をしかめながらの到着です。
 
 反省は靴が悪かった事と、リュックサックに不必要な荷物を詰め込んだ事から重く、朝の出発が8時半であったものの、準備不足で忘れ物を取りに引き返すなど、あと1時間早く万全に出発しておれば、沖に浮かぶ津嶋神社の背景となる瀬戸内海に沈む夕陽もゆっくりと見られたと思います。
 
 簡単に考えていましたが、「四国巡拝にじゅんず」と宣伝されているだけあって、私には久々に身体に堪える苦行となりました。
                                   11月3日の一言

讃岐・七ヶ所参りへ歩き遍路の一日

イメージ 1
道の駅・ふれあいパークみの

イメージ 2
私の影です・こんな姿ですが、想像して下さい

イメージ 3
善通寺・参門と五重の塔
 

イメージ 4
多度津の駅から海岸寺まで鉄道を利用しました。

本日は歩き遍路の一日で、朝8時半から夜6時半まで歩き、あまりにも疲れましたので、携帯からの写真添付だけにしてこのまま休みます。
詳細は後日に書きたいと思います。
 
第71番弥谷寺から、72、73、74、75、76、77番道隆寺まで徒歩での巡拝
別格18番海岸寺から、道の駅・ふれあいパークみのへは徒歩1時間半
ギャラリー
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