
添付した写真は、我家の近所の道路に残された昭和30年頃に設置された簡易水道の消火栓の蛇口ですが、町内の他の蛇口が一斉に取り払われた祭に、当時の担当者に頼み込んで残してもらった町内唯一の蛇口です。
この消火栓は現在の水道の口径より小さいため、現在の消防署のホースはつなげないことから、町内の水道管を新しく更新した祭に、当時の町内会長が全部撤去するように市役所に伝えたものの、取り付けられるホースを確保して、万が一の祭には自分達で消化活動ができるようにするため私が死守した蛇口でもあります。
その後、この蛇口に合ったホースを100メートル分と、ホースの先につけて放水するための「カンソウ」という道具も入手したので、いざと言う時には役にたつと思われますが、未だ一度も使ったことがありません。
本日は町内のドブ掃除が行なわれましたが、この蛇口とホースを使って水を流す事から、側溝のフタを上げる苦労は伴いますが、側溝の中は綺麗に清掃され、「水泥棒」と言われた事もあるものの、「消化訓練」のお墨付きをもらい、チームワークも良くなりました。
ゴールデンウィークに入っていますが、私にとっては田んぼの除草から、昨日の用水路清掃、ドブ掃除と、外出もままならない日々が連続し、連休後には議会日程も予定されている事から、連休中の楽しみは期待できそうもありません。
ただし、今月は四国遍路や上高地に出向いており、昨日の用水路清掃で足を痛めたものの、心地よい疲労が身体に残されています。
4月30日の一言



さて、午後には、明日に開かれるお寺の本堂落慶式に供える供え物をお寺に届けることと、我家のお墓の掃除と花を供えるために浄土宗の旦那寺を訪れました。


ぞれの立場が違っても上高地を愛する人と人との出会いと語らいは心身をリフレッシュしてくれます。






さて、我家の庭には多くの花が咲き誇っていますが、本日の判らない花は、右の植物で、植木鉢から路地植えとなったためにどんどん増えて、綺麗な花を咲かせ続けていますが、我家に来たいきさつも不明なら、名前も判らないままに増殖していますが、家内の話では根に毒のある植物のようです。
さて、本日はかつて津島市でラーメン店を経営し、現在は一宮市に住む知人が多度山からタケノコを掘って持参してくれたものの、実は昨日にも家内の在所の裏庭から掘り出したタケノコが届いており、2日続きのタケノコに帰宅後の家内の仕事が大変な作業になりました。



さて、我家には家内や家族が買ってきた植物も多く、鉢植えから路地植えになって株を増やしていますが、名前が判らないものも増えていきます。





「あんたは足が悪いからここで待っていて」と、平成13年の初めての遍路では、階段のある札所の場合に、足腰の弱い人は仲間から「遅れるから」とマイクロバスの座席で待たされていたものですが、親切そうに見えるものの、実に残酷な遍路をしていたのでした。
左の写真は室戸岬にある「御蔵洞」ですが、弘法大師が19才の時に籠もったと言われる奥行きが20メートル近くある巨大な洞窟で、ここで百万遍の真言を続けて修行した聖地でもあります。













昨晩より娘が孫を連れて帰ってきているため、本日はコーヒー屋さんへ家族揃って出かけたところ、右に添付したように散りかけた桜の花びらでピンク色となった道路を通り、孫が歓声をあげたことから、このまま足を延ばして稲沢市の矢合観音まで走りました。





朝9時に津島市を出発して30分で桑名市に到着し、4階にある三男のアパートまで荷物を運び込み、余裕でテレビや洗濯機を設置していると時計は12時に迫っており、本日は1時から参加する行事があるために慌てて津島を目指しますが、帰路は花見や行楽の車が渋滞して動きません。


議員になっても自分は何も変わっていないと思っているものの、人が自然に楽しんでいる場所との縁が無くなっていることから、意識をしているわけではありませんが、人が思いのままに自由に歩いている場所を避けていたとすれば、随分と空白の時間を作ってしまっていたこととなります。
もっと時代をさかのぼり、今から500年も前には、この辺りは津島湊(みなと)と呼ばれ、勝幡城から清洲城に移って尾張を統一した織田信長が、この湊と商都津島の商人を通して、大阪の堺から鉄砲を買い集めており、混乱した戦国時代を統一する源がこの地であったと考えると、時代の大きな変革と同時に、今では取り残された感の強い津島市の議員として神妙な気持ちにもさせられました。












