大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2012年04月

町内の側溝清掃が行なわれて

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 添付した写真は、我家の近所の道路に残された昭和30年頃に設置された簡易水道の消火栓の蛇口ですが、町内の他の蛇口が一斉に取り払われた祭に、当時の担当者に頼み込んで残してもらった町内唯一の蛇口です。
 
 この消火栓は現在の水道の口径より小さいため、現在の消防署のホースはつなげないことから、町内の水道管を新しく更新した祭に、当時の町内会長が全部撤去するように市役所に伝えたものの、取り付けられるホースを確保して、万が一の祭には自分達で消化活動ができるようにするため私が死守した蛇口でもあります。
 
 その後、この蛇口に合ったホースを100メートル分と、ホースの先につけて放水するための「カンソウ」という道具も入手したので、いざと言う時には役にたつと思われますが、未だ一度も使ったことがありません。
 
 本日は町内のドブ掃除が行なわれましたが、この蛇口とホースを使って水を流す事から、側溝のフタを上げる苦労は伴いますが、側溝の中は綺麗に清掃され、「水泥棒」と言われた事もあるものの、「消化訓練」のお墨付きをもらい、チームワークも良くなりました。
 
 ゴールデンウィークに入っていますが、私にとっては田んぼの除草から、昨日の用水路清掃、ドブ掃除と、外出もままならない日々が連続し、連休後には議会日程も予定されている事から、連休中の楽しみは期待できそうもありません。
 
 ただし、今月は四国遍路や上高地に出向いており、昨日の用水路清掃で足を痛めたものの、心地よい疲労が身体に残されています。
 
                                  4月30日の一言

踏んだり蹴ったりの一日に…

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数万円すると言われるラン…妹からの貰い物です
 
 本日は午前8時より町内の水路清掃(町内の農家だけ)が行われ、用意周到にして参加しましたが、町内の自主的な清掃が功を奏して、ほとんどゴミや臭いのないままの清掃が、コンビニエンスストアーの近くになって一変し、顧客が買い食いした弁当のゴミが水路を占拠しており、店主を呼んで注意を喚起しましたが、ゴミは泥を含んで重量が増すとともに臭いが臭く、ほとんど清掃が終了となる場所で水路を渡りぞこなって転倒し、身体中が泥水とドブ臭さから「もう、帰ったら」とお役御免になりましたが、帰宅後に洗ったもののズボンもシャツも泥で染まって清掃専用になってしまいました。
 
 あまりの臭さと、下着まで真っ黒に汚れていることから、家に入れてもらえず、裏庭でパンツ姿で泥を荒い流し、風呂に入ってシャワーを浴びて身体中を洗いましたが、臭いは一日中消えず…
 
 そして、「えっ…」と、自分自身で驚きとなる異常事態に陥っていました。
 
 シャワー後に見た私の足元には、脛(スネ)の部分がゴルフボール位に腫れあがっており、擦り傷程度に思って痛みも感じていなかったため、相撲部出身の次男に確認すると、脛を打つと腫れ上がるらしく、骨には異常がないものの慌てて氷で冷やすこととなりました。
 
 「大鹿さん、今どこにいますか?」
 「エッ、今は家だけど…」
 「今すぐに来れますか?」
 「行けないことはないけど…」
 
 足が腫れ上がり、骨には異常がないものの、病院に行った方が良いと言う家族の助言を無視して、待ち合わせの場所に走り、人と人とを取り次いでいると、時計は5時近くなっており、慌てて帰宅して、家内と約束してあった庭木の毛虫退治に奮闘すると夜です。
 
 一昨日に上高地で撮りためた写真をアルバムに差し込むと、28枚(27枚フイルム)あるのに24枚しか入らないアルバムであることが発覚し、キタムラに走って交換してもらい、家内に約束してあった車のタイヤ(冬用から)を三男と交換すると9時半です。
 
 一週間に一度しか帰ってこない三男に試乗させて、スタンドで交換すると思って珈琲でもと家内に催促して3人で出かけると11時で、朝には痛みのなかった左足のスネがズキズキと痛み出し、関係のないはずの右腕まで痛み出してきました。
 明日は町内会の側溝清掃があり、足の痛みがどの程度になっているか心配になると同時に、祭日のために開業医は休んでおり、病院まで行く必要はないものの、そのまま放置できる状態でもなく…
 
                                    4月29日の一言
追伸
幸いにして、用水路に落ちた祭に携帯電話には損傷がありませんでしたが、この泥まみれの姿を記録する余裕もなく、せっかくの特ダネ写真を逃していました。

親の残した庭の花を先祖の墓に供えて

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 本日は家内が早朝より田んぼへ除草剤を散布する準備をしたことから、母親も畑に出かける用意を始めたため、気付かぬふりをしていると、「草刈はしてくれるの?」の大声と言うよりも、怒りを込めた一言が響きました。
 
 情けない話ですが、本来は私が主導すべき仕事を家内に言われて、言葉だけでも完全なる命令を受けて草刈をすることになりましたが、一年間も放置してあることから草刈機は勿論のことですが、ガソリンの容器も工具も見当たりません。
 
 我家の草刈機は混合ガソリンを使用するため、目分量でガソリンとオイルを混ぜたことから、燃料の追加後のエンジンが不調となり、私のナマカワな体調不良と重なったため、一時中止で休憩です。周りを見渡していると、田んぼの近くにある車の電装会社のご主人の姿を見つけ、車のエアコンの調子を見てもらうことにしたため、草刈機を車に積んだままで修理をお願いして徒歩で帰宅です。
 
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イメージ 2 さて、午後には、明日に開かれるお寺の本堂落慶式に供える供え物をお寺に届けることと、我家のお墓の掃除と花を供えるために浄土宗の旦那寺を訪れました。
 
 幸いにして最近の我家には花が咲き乱れていることから、庭から刈り取った花を持参して先祖の墓に手向けましたが、中には平成5年に亡くなった父親が植えた花も存在したことから、自分の墓に自分の植えた花の子孫を供えられることほどの親孝行はないと家内に熱弁しますが、親不孝の私には先祖の息吹も感じられません。
 
 最初に添付した写真は、明日の落慶式のため準備されたテント前で記念撮影した家内の後姿です。「記念に撮ってくれる」の一言に、「撮ったら全国に顔が判ってしまうぞ」と、後姿では記念にもなりませんが…
 
 草刈を命令された険悪な夫婦関係も、午後の墓参りと、夜になって訪れた娘夫婦と孫のおかげで関係修復となりましたが、「孫はカスガイ」とか、先祖供養をすると良いことがあるという昔から言われる話の有効性も実感する一日となりました。
 
                                4月28日の一言

上高地開山式へ走りました

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 本日は上高地で開山式が行われ、津島市から5名の仲間と出向きました。昨年の12月に釜トンネル閉鎖後の上高地を訪れているものの、人が自由に出入りできるのは11月の閉山式以来で、快晴に恵まれるなかを多くの観光客が式典を見守りました。
 
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 津島市を6時に出発し、東海北陸道の尾西インターから入り、ひるがの高原で休憩後に、高速道路の通勤割引を利用するため荘川インターを出てから入りなおし、飛騨清見インターから高山市、安房トンネル、釜トンネルを通行し、車を大正池に停めたときには9時になっていました。ここで休憩後にバスターミナル駐車場には9時30分に到着しました。
 
 河童橋の前で行なわれる「開山式」は、午前10時50分から開催されますが、人が殺到して見られない事から、10時には河童橋の階段に陣取って場所を確保ししたものの、せっかく確保した場所の前に、後から到着した新聞社やテレビ局が三脚とカメラを置き、開山式が始まってカメラを構えるとテレビカメラが邪魔となり、後ろの観客からは「見えないから座れ」の声も聞こえ、松本市長をはじめ多くの政治関係者が来賓で呼び上げられる儀式ゆえに、上高地らしい清々しい観覧ができる配慮を考えてもらいたいものです。
 
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 河童橋の近くで焼岳を描いている千葉県の渡辺さんを見つけ、氏の生活空間となっている小梨平に設営されたテントに戻り、久々の再会のため近況報告と、思い出に花を咲かせました。
 
 あえて画伯と呼ばせてもらいますが、画伯は仕事を子息に任せて、1年間に100日を目安に上高地へ滞在し、北アルプスの山々を描き続けており、千葉県の旭市に自分のギャラリーを設置する、上高地では有名な存在となってきました。
 
 渡辺さんの上高地はテント暮らしで、ホームレス画伯(私の勝手な命名)ですが、氏に言わせれば上高地へ自分の車(タクシー)で自由に出入りして、車で野宿できるのは私しかおらず、それイメージ 4ぞれの立場が違っても上高地を愛する人と人との出会いと語らいは心身をリフレッシュしてくれます。
 
 渡辺さんのテントには、「上高地は世界の交差点」とポスターが描かれており、ここに立ち寄って非日常的な時間を共有してみたい。画伯は、絵よりも出逢った人との会話を優先しているが、上高地が閉鎖された冬季にも自宅で上高地の下絵を描いていると言うから、頭の中は一年中上高地となっています。
 
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 さて、開山式では大きなホルンを使った本場スイスのアルプスを連想させる演奏会から始まり、奥穂高神社の神主さんによる神聖な儀式に続き、獅子舞などが披露され、河童橋では樽酒の鏡割りが行なわれて観光客にも振舞われておりましたが、私は運転手のため香りを嗅ぐのみとなります。
 
 
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 本日は小梨平のビジターセンター前でもお酒や焼そばなどが振舞われ、太鼓の演舞も行なわれるなど上高地は祭り一色となり、同じイベントでも明日のない「閉山式」とは全く違って延々とイベントが続けられます。
 
 私は千葉県から御夫婦で訪れていた車イスの女性と話に花を咲かせ、私のお気に入りにしている場所に案内しましたが、千葉県と愛知県の福祉環境の違いも実感し、帰宅後に比較することとしました。彼女は四年前の横縦靭帯骨骨化症の手術で車イス生活となったとのことです。
 
 
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 本日は昨日の雨が信じられないような晴天となり、私の顔と手は日焼けによって真っ赤になりましたが、真冬の衣類を用意したことが笑い話となる温かい一日となりました。バスターミナルを後に帰途につく車窓には鏡のようになった大正池に焼岳が映っており、慌てて車をUターンさせて引き返しました。
 
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 午後からは風もやみ、焼岳は一日中鉛色でしたが、穂高連峰の雲は一掃され、一度は引き返したものの、上高地を出て平湯温泉の足湯に浸かりながら、青空の穂高連峰を眺めて、「もう30分居れば良かったナ」と後悔する好天の一日となりました。
 
 上高地から愛知県までは3時間で到着し、「何か食べていこうか」の声を振り切って、真面目に帰宅したら家族は不在で、私の帰りが遅いと想定して外食で済ませてきました。
 
                                   4月27日の一言

無免許運転は許せない犯罪だ

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我家に咲く本日の名前不明の花です
 
 最近は交通事故によって一度に多数の命が奪われる事件が続いていますが、京都府亀岡市の事故では、当初は無免許運転の少年の起こした事故だったものが、少年が無免許運転の常習者だったことが発覚し、その後に少年の父親に警察署が被害者10人全員の住所や電話番号を教えていたことが判明し、個人情報保護法などに抵触する恐れもあるとみて調査が開始されている。
 
被害者の連絡先、少年の父に漏らす 亀岡事故で京都府警
運転手の少年「無免許運転以前から」 京都・亀岡の事故
登校の列に車、2人死亡 無免許18歳運転 京都・亀岡
 
 事故を起こした少年は、2年前にも無免許運転で警察に検挙され、行政処分を受けていたことも報じられていたが、「無免許運転を以前から繰り返していた」と捜査関係者へ供述しており、「大変なことをしてしまった。申し訳ない」と接見した弁護士に話しているというが、これだけ多くの被害者を無免許運転で起こした後では、反省どころか保護者の責任も含めて厳罰を求めないと被害者も浮かばれない。
 
 さて、今回の事故で新たな問題となっている個人情報保護法であるが、私の過去の経験の中で、死亡事故を起こした直後の対応として、被害者の葬儀に加害者が参列しなかったことで「誠意が無い」と怒った家族もあり、加害者の父親が被害者へ謝罪に訪れようとしたことに悪意はなく、警察に連絡先を聞くのは当然のことで、逆に警察官が、被害者の遺族から加害者の連絡先を問われて、「未成年の少年の事故だから…」と教えない可能性も考えられます。
 我々が事故を起こした際には相互の連絡先を交換するのが当り前となっていることから、警察官の置かれた立場の難しさに同情する反面で、場当たり的な対応でなく、新しい法制度の中で一貫した対応を確立していくべきと考えます。
 
 一方で、交通事故によって、京都では事故が連続して多くの死亡者が出ていますが、今回の事故は「無免許運転」であり、前回は「てんかん」の持病を持つ運転者による死亡事故だけに、運転してはいけない人間の犯した事故と言うよりも事件として考えることが重要で、車が生活の重要な足となっている現実から、安全に心がけていても起こる不可抗力の事故とは切り離して考えることも重要です。
 
 私もこれまでは一度も事故を起こした経験はありませんが、これからも事故を起こさないとは限らず、居眠り運転やスピード超過により、第三者を負傷させたり死亡事故を起こす可能性は否めません。また、運転中に突然、意識を失う病気になる可能性は誰もが持っています。
 糾弾すべきは、運転してはならない「飲酒運転」や、「無免許運転」などで、今後は「てんかん」などの病気や、高齢による運転についても厳しい指導が急務で、事故によって傷ついた被害者や命を奪われた遺族の心境を考えると、車の整備や安全について改めて考えてみたいと思います。
 
 テレビを通じて娘さんとお腹の胎児を奪われ、お孫さんも入院中の祖父(私より若いですが)が怒りの声をあげておられる姿は、私も娘や孫が同じ立場になれば同じ心境となるでしょうが、一方で運転手として見知らぬ人々の加害者ともなりうる可能性から、改めて他人事にはしたくない事件ともなりました。
 
                                4月26日の一言
追伸
明日は上高地の開山式ですが、他人を乗せていくことから、路面の状況も気がかりとなる一日にもなりました。

車と身体のリフレッシュの一日に

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ハナミズキの花・事務所横
 
 本日は車のオイル交換のため「ジェームス」を訪れ、タクシー車輌として使用しているキャラバンの点検とオイル交換の間に、休憩室に置いてあるマッサージ器に座って、私の身体のリフレッシュもさせていただきました。
 
 タクシー車輌は営業車のため車検が1年ごととなっており、3ヵ月点検も義務付けられておりますが、冬季にあまり走らせらなかった事から、半年ぶりの点検となったものの、人間の身体と同じでオイル交換後にはエンジンの音が変ります。
 
 明日はボランティアで市民病院まで走り、明後日は上高地の開山式にあわせて早朝より長野県まで走ります。
 
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イメージ 3 さて、我家の庭には多くの花が咲き誇っていますが、本日の判らない花は、右の植物で、植木鉢から路地植えとなったためにどんどん増えて、綺麗な花を咲かせ続けていますが、我家に来たいきさつも不明なら、名前も判らないままに増殖していますが、家内の話では根に毒のある植物のようです。
 
 上の花は「君子ラン」で、平成16年に亡くなられた知人よりいただいた1鉢が4鉢に増えて、毎年一つは花が咲くようになりましたが、2年前に記した私の一言を読むと、4月5日に開花しており、今年は開花が遅れているのは冬の環境が悪かったからかも知れません。
  
10年4月5日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43147726.html
 
 添付した一言を読んでいただければ判りますが、2年前に5年ぶりに開花したものが、毎年開花するようになったものの、故人はご主人の海外出張から帰国後の昭和53年から健康のために我家の仕事を始められ、私が議員になって仕事を廃業した平成11年からは家内の良き相談相手として、一緒にボランティアに出かけていただけに、この花を咲かせ続けて故人を偲び続けていきたいと思います。
 
 我家の庭には雑木ではありますが、グアム島で発見された横井庄一さんがタネを蒔いて育てた「マキ」が存在し、父親が亡くなった年に発芽した「マキ」も育ち、花が咲き実のなる木々も多数ある事から、しばらくは我家の記録としても添付していきたいと考えています。
 
                                     4月25日の一言

春爛漫の雰囲気を実感する一日に

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続々と働きに出る我家のミツバチたち…ただし、制御不能です
 
 我家の庭に入ると「ウーン」「ブーン」とミツバチの羽の音が響いているために、知らぬ人には近くに工場があるか、自分の頭が異常かと錯覚するほどで、ハチの出入り口の前に立つと次々とミツバチがぶつかってきます。
 
イメージ 2 さて、本日はかつて津島市でラーメン店を経営し、現在は一宮市に住む知人が多度山からタケノコを掘って持参してくれたものの、実は昨日にも家内の在所の裏庭から掘り出したタケノコが届いており、2日続きのタケノコに帰宅後の家内の仕事が大変な作業になりました。
 
 今から20年ほど前までは、オートバイでツーリングに出た時に、タケノコを地主さんの許可もないままに持ち帰ったことがありますが、当時は人の物との感覚も皆無で、泥棒との認識もありませんでしたが、子供時代には我家の近所にもたくさんあった竹やぶが懐かしく、木曽川沿いの砂地のタケノコは柔らかく美味しかったことを思い出す懐かしい頂き物となりました。
 
 
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 昨日の繰り返しとなりますが、我家の庭に咲いている「名前不明」の花で、左の花は数年前に交通事故で亡くなった愛猫「チビ」が眠っている場所に育つ植物ですが、さて何でしょうか? シャガの花だったんですね
 
 右の花は、庭一面に咲き誇っている黄色い小さな花で、これは放置すると足も踏み込めぬようになりそうです。これも何の花なんでしょうか?
 
 本日は、毎週火曜日に行われている書道会が、恩師不在で休みと聞いて(先週私は四国遍路中で、欠席していました)いたものの、メンバーが集まり、近所の珈琲屋さんに出かけて、今後の食事会や旅行の話に花を咲かせ、今週金曜日に開催される上高地の開山祭に行く話が現実になりました。一方で、京都と高遠(長野県・桜の名所)のお土産も頂き、私の事務所は春爛漫の雰囲気になりました。
 
                                   4月24日の一言

花の名前を教えてください?

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満開となった先祖伝来のヤマブキの花
 
 春の一週間は花々の開花により、庭の景色も一変します。久しぶりに裏庭に入ったところ、我家の花だけでなく木々にも花が咲いていることから、今までは近所に出張していたミツバチたちが、我家の庭の花々を飛び回り、「ブーン」という羽音が一日中響いています。
 
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イメージ 3 さて、我家には家内や家族が買ってきた植物も多く、鉢植えから路地植えになって株を増やしていますが、名前が判らないものも増えていきます。
 
 左はハーブ類の花で、葉はミントのようですが、香りがミントとは違います。
 
 右の小さな白い花もハーブですが、こちらは切って置いていくとネズミも近寄らない強い香りを発しており、冬にも枯れない挿し木でも増えそうな植物です。
 
 さて、何という植物なんでしょうか?
 
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 同じく、左の木の花についても、私の父親が植えて、3メートルほどになっていたものが枯れ、根元から出てきた細い木ですが、父親がこの世にいないことから判らないままになりそうです。
 
 右の花は木の花で名前も判っていますが、ここには初登場の花で、喉に良い果実が実ります。これは何か判りますか?  花梨です
 
 今まであまり関心もなかった我家の花ですが、関心を持って見渡すと庭には多種多様な植物が植えられており、今年は全部を紹介していきたいと思っています。
 
                                 4月23日の一言

映画鑑賞と孫の干渉に訪れて

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 昨晩に家内と映画を見に行こうと話していると、「○時○分に駅に着くから」と桑名市の三男から電話が入り、「行ってなくて良かった」と親バカの一言ですが、家内と相棒リマと一緒に迎えに走り、映画がマクドナルドになりました。
 
 そして、本日は昨日に体調不良で我家にやってこなかった孫の顔を見るために、孫の好物の「みたらし団子」を土産に訪れ、娘夫婦のアパートから5分の距離にある、中川コロナワールドへ一日遅れの映画鑑賞に訪れました。
 
 数日前の深夜番組で、少女漫画を映画化して大ヒットしている「僕等がいた・後編」の特集をしていましたが、私たちは前編を見ていない事から、前編の鑑賞に出向いたものの、劇場は最前列と最後部座席に2席しか空いていないことから離れ離れの鑑賞となりました。
 
映画・僕等がいた http://bokura-movie.com/index.html
 
 上映まで4分しかない間際の到着でしたが、上映される2時間20分の間、何も水分を口にしないのは一抹の不安があり、劇場内の自販機に走ったところ、ペットボトルは250円となっており、時間もないことから2人で500円の浪費です。
 
 さて、席は全て指定席のため自分達の席を探すと、家内の座る最前列は少女たちが席に並んでおり、私の座るべき席の隣は若いアベックが座っており、片方の隣には中学生か高校生の少女たちが座っていました。
 
 どうやら子供や少女に混じった映画鑑賞となっており、後ろの席からはポップコーンを食べる少女(子供)たちの紙袋がガサガサと音をたて、アベックと少女に挟まれての鑑賞は、隣に触れぬよう座っていると身体が痛くなってきました。
 
 映画は高校生の恋愛ストーリーのため、オジサンと言うよりもオジーさんとも言うべき私たちには場違いなようですが、家内とは高校も一緒たっただけに、高校時代を思い出しながらの鑑賞も新鮮かもしれません。
 
 この映画は今回鑑賞した前編と、昨日に公開されたばかりの後編に分かれており、どうやら後編に感涙するシーンが連続するようですが、主役の2人が別れ別れになる最後のシーンでは涙が頬を伝い、となりの少女もハンカチを取り出しましたが、私のような老体が涙を流して退場する姿は醜態でしかなかったことでしょう。
 
 この映画館のロビーでは、私の同級生が電話会社の営業に常駐しており、退場後にこの映画は若い人々が鑑賞している話を聞かされましたが、前編だけでは結論が判らないことから、半月後には後編の鑑賞に再度出向くこととなります。
 
                                 4月22日の一言
追伸
映画鑑賞後に娘のアパートを再度訪れ、孫と一緒に「ガスト」に出かけたことから、映画よりも孫のために出かけたような一日となりました。

2会場の議会報告会に臨んで

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 昨年7月に続いて2回目となる津島市議会の「議会報告会」が、本日と明日に津島市内8会場で実施され、本日は神守公民館と文化会館、南文化センターの3ヵ所を会場として開催されました。
 
 私は本日の午前中に開催された神守公民館と、午後に開催された南文化センターが割り当てられており、私を含めて5人の議員で対応しましたが、市政に対する多くの要望だけでなく、議員に対する市民の厳しい意見も聞くこととなり、2度目となり5人のチームワークは最善だっと思うものの、議員個人の考えは出さないルールでしたが、市民の意見に応えるために個人の考えも出さずにはおれませんでした。
 
 「津島市の報酬審議会のメンバーと構成人員は?」の質問に、5人が顔を見合わせ「判りません」と私が答えると、「そんな事も判らずに審議しているの?」と言われ、「議員報酬も削れるのではないか」との厳しい批判が続きました。
 
 私が議員になって13年が経過していますが、この間に議員報酬は削られ続けており、政務調査費も半減して年額15万円になり、議員年金も廃止されましたから、報酬審議会についても世情に合わせて報酬を削るばかりの対極にあると考えて、メンバー全体を把握していませんでしたが、市長をはじめとして市全体の報酬の審議をする機関だけに、無関心だったことの反省と、「議員報酬を削ればまだやれる事があるのではないか」の質問が、手の届く席から発せられたことにはショックでもありました。
 
 議員報告会については、議員個人の考えや意見を封印して、4班で同じような報告内容にしていく事が前提となっており、報告者役として私が説明するものの、自分の意見とは違う議会審議を中立な立場で説明していくことから、不本意に思う事も多く、「私も同感です」と言いたい心境を封印するためにストレスもたまります。
 
 ただし、昨年7月の初めての報告会とは違って、国民健康保険料や介護保険が高額な負担となっている現状の中で、子供医療費の補助などが県下最低になっていることなど具体的な質問や要望が出され、市民病院や在宅医療の不具合も指摘されるなど、議員の存在に期待する意見が多かった事から、個人の考えを封印された報告会に不満もありましたが、市民とともに考える場所として開催される意義も実感する報告会となりました。
 
 明日には市内5会場で報告会が開催されますが、本日だけで受け持ちの2会場が済んだことは幸いで、報告者としての責任が果たせたことと、司会進行役に助けられたことや、メンバーの応答にも助けられて、ストレスを溜めない日曜日が迎えられそうです。
 
                                   4月21日の一言
追伸
本日は娘が孫を連れて帰ってくる話があったことから、帰宅したら何処に連れて行ってやろうかと一目散で自宅を目指しましたが、熱があるので帰ってこないとの話にがっかりさせられました。この気持ちを、新婚宣言した家内のために、夜には映画を見に行こうかと思っていますが…

汚い政治の連鎖が地方まで

防衛・国交相の問責決議案可決 首相は続投させる方針
 
 田中直紀防衛相と前田武志国土交通相に対する問責決議案が20日の参院本会議で、自民、公明など野党の賛成多数で可決されたが、国土交通相の場合は岐阜県下呂市長選の告示前に、国交相名で特定候補への支援依頼書が送られたことが「公職選挙法に触れかねない」として責任を問われたものである。
  
前田国交相が「地位利用」 公選法抵触か、建設業協会に応援文書 
 
 下呂市長選は前田国土交通相の応援した新人の前衆院議員で前愛知県犬山市長の石田芳弘氏が落選しているが、この選挙戦には昨年愛知県知事選挙で自民党の応援を得て立候補して落選した重徳和彦氏も応援に行っており、岐阜県の自民党も怒り心頭となっているようだ。
 石田氏はかつて犬山市長時代は改革派市長として高い評価を得ていた人物だけに、昨年の名古屋市長選に担ぎ出されて落選するなど、私も手腕を高く評価していた市長に不遇な政治活動が続いているように思えてなりません。
 
 
 さて、前田国土交通相については、選挙に大臣の肩書きを利用しようとした民主党議員の責任も大きいと思われるが、私は選挙に担ぎ出されて落選した石田氏の周りの取り巻きの悪さも気になり、石田氏を利用してのし上がろうとする人々にも悪意を感じてなりません。
 
3月22日の私の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46145580.html
 
 上に添付した一言は、私が1ヵ月前に記したものですが、福祉や介護の世界に政治勢力が暗躍する例として、新聞やテレビは好意的な報道をしているが、実は今回の関係者が深く関わっており、高額なサービスを展開して市民の徳にならないシステムが出来上がることに警鐘を鳴らしたいと思います。
 
介護タクシーグループ・アクトすまいる http://www.act-smile.jp/index.php
          利用料金 http://act-smile.jp/info/price.html
          グループ代表のブログ http://blog.kamakura-y.com/?pid=179
           顧問 石田芳弘 元衆議院議員 重徳和彦 愛知学泉大学客員研究員(総務省出身)
 
 添付したアドレスを参考にしてもらえれば判ると思いますが、愛知県で新たな介護タクシーグループを展開する代表者は、昨年の選挙に落選した名古屋市議であり、今回の下呂市長選でも石田氏を応援しているが、経営と生活が安定しない介護タクシーの個人事業主を束ねて、新しい受付システムを仕事にする、私からすれば政治屋の金儲けでしかありません。
 
 このグループの展開する「5キロ30分以内 ¥4,000~」の料金は、私たちが福祉有償運送として展開する基本料金350円で、500mごとに50円加算されるシステムでは、800円程度の料金にしかならず、生活弱者のためになるような報道もありますが、地元の大手タクシーに任せておけば良い仕事でしかありません。
 
 代表者が元議員であっても起業として金儲けと考えれば何も異論がありませんが、石田氏も重徳氏も一緒になって展開されていることと、今回の下呂市長選にも全員が関わっていることは、わざわざ愛知県から岐阜県の市長選に出かけた「田舎芝居」のようで、政治の信用を著しく失墜させている例かもしれません。
 
                                    4月20日の一言

四国遍路から未明に帰り

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第七番十楽寺の石仏
 15日(日曜日)の深夜に津島市を出発して、16日から徳島県の四国霊場一番札所から、3日間で高知県に入った第三十番札所善楽寺まで巡拝し、本日の未明に地元に戻ってきました。
 
 今回も夜行で出発して、朝7時より巡拝をスタートさせ、午後5時まで巡拝を進めて、次の札所の近くの宿に宿泊し、三日目の午後5時まで巡拝後に帰る繰り返しで、四国八十八ヶ所だけでなく別格二十霊場の寺院も一緒に巡拝するパターンで9巡目の遍路となりました。(最近は7ヶ寺巡りや思いつきの巡拝が多く、正確な巡拝数は数えられなくなりました)
 
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 左の写真は、別格3番慈眼寺(じげんじ)の穴禅定の入り口ですが、かつては素通りしていたものの、初めて入った時の感動が忘れられず、最近は絶対に同行者と立ち寄る場所になっています。
 
 ここでは案内される女性(今回はKさん)の指示どおりに行動しないと岩の隙間に挟まったまま動けないばかりか、出てこれない事から、我の強いお医者さんや学校の先生などは悲鳴をあげますが、私のような肥満気味の議員にとっても最悪の条件で、何度も通って「一人でも行けるよ」と言われてていても毎回身体が悲鳴をあげます。
 
 穴禅定は徳島県の天然記念物に指定されており、慈眼寺は四国八十八ヶ所第20番鶴林寺の奥の院でもあります。弘法大師が19才の時に訪れ、穴禅定が行われている鍾乳洞を発見し、邪気祓いの護摩祈祷の修行をされたとあります。
 
 私はこれまで50人以上の人々を連れて四国遍路に出向いていますが、十年前には金剛杖も経本も読経も無いままに巡拝しており、団体のバスを見かけると参拝を手抜きしてでも、朱印のために競争で納経所に走っていました。
 
イメージ 3 「あんたは足が悪いからここで待っていて」と、平成13年の初めての遍路では、階段のある札所の場合に、足腰の弱い人は仲間から「遅れるから」とマイクロバスの座席で待たされていたものですが、親切そうに見えるものの、実に残酷な遍路をしていたのでした。
 
 今回の同行者は「すげ笠」だけは購入していないものの、白衣に輪袈裟姿で、経本を全て読んでから納経所を訪れており、身だしなみと作法の手抜きは一切しない徹底した遍路を心がけています。
 
イメージ 4 左の写真は室戸岬にある「御蔵洞」ですが、弘法大師が19才の時に籠もったと言われる奥行きが20メートル近くある巨大な洞窟で、ここで百万遍の真言を続けて修行した聖地でもあります。
 
 この洞窟の中で、当時「無風」と名乗っていた弘法大師が「虚空蔵求聞持法」を念じて修行していた夜、空から明星が弘法大師の口腔に飛び込む体験をし、宇宙の真理を悟るとともに、眼前に広がる海と空から、後に「空海」と名乗るようになったと言われる伝説の地でもあります。
 
 かつては物見遊山のように巡っていた四国遍路ですが、巡拝を重ねるうちに観光から参拝に衣替えし、「十善戒」の教えを守りながら巡拝を続けています。
 
 さて、来月に高知市の31番札所竹林寺から再開し、4回目の7月には結願を果たして高野山に参る予定となっていますが、夜行のため1日目は徹夜となり、最終日は翌日の未明の帰宅となります。こんな体力勝負もそろそろ限界になっていきます。
 
                                   4月19日の一言

四国第3日目

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三日間で三十番まで巡拝しました。
今回は、最後に四国健康村で風呂と演劇を見てから帰宅いたします。

四国第二日目

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本日は13番から22番まで巡拝しました。
添付した写真は、昨日の宿名西旅館で、後は別格霊場三番慈眼寺の穴禅定の様子です。

本日の一言

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本日は、四国遍路に出かけております。
今日は、1番から12番まで巡拝しましたが朝から雨が降っているため大変な遍路となりました

明日は22番まで巡拝したいと思っています。

我家のミツバチは働き者ですが…

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 明日から半年ぶりとなる四国遍路をスタートさせるために、本日の深夜から出発しますが、昨年11月以来となる四国が、まるで数年ぶりのような感覚に襲われ、準備していても忘れ物ばかりが気になります。
 
 添付した写真は、家内の部屋の縁の下を住処としている我家の「ニホンミツバチ」たちで、暖かくなってきたことから朝から晩まで一生懸命蜜を集めて、女王バチの待つ我家へ一目散にもどってきます。
 
 ニホンミツバチは温厚な性格のため、手で捕まえても刺すことはなく、機会があれば巣箱に入れて本当の意味で私に飼われるミツバチにするとともに、集めた蜂蜜も私が搾取したいと考えています。
 
 「今度の書道会はあるわなぁ?」
 「はい、ありますよ」 (私は不在ですが)
 「先週も休んだから、やらないかんわなぁ」
 「先週?、休んだのは先々週でしたが…」
 「ところで、19日はどうなっているのぉ」
 「えっ? 19日は何ですか?」
 「政治関係なんじゃない?」
 「えっ?何があるんでしょうかね?」
 「国会があれだから、何かやるのかなぁ?」
 
 これは書道会の恩師(中学時代の恩師)から午前中にかかってきた電話ですが、チンプンカンプンの話で、とうとう完全なる認知症にでもなられたのかと思って、訳の判らない会話を続けていたところ、「アッ、これは去年の手帳だわぁ」の一言があり、恩師は昨年の手帳に記された予定表から、私に確認の電話をしておられたのでした。(昨年は統一地方選挙で、我家も選挙期間中でした)
 
 人にもよるのでしょうが、恩師は5年ほど前に胃がんの手術を受け、その後も腸閉塞の手術や抗がん剤の影響で体調は悪かったものの、最近は体調は回復したものの物忘れが激しくなり、予定表は欠かせぬ生活となってなっていますが…
 
 「こらー、誰がやったんだー」と、いつもの私なら家族に大声で怒鳴っているはずですが、今回は孫がやったに間違いがないことから、「挿し木にでもしてみるか」といたって冷静に挿し木用の植木鉢を用意しました。
 
 3月に群馬県桐生市から送ってもらったハーブ(ホワイトセージ)が成長をはじめ、楽しみに見守っていたところ、成長をはじめた見事な若芽が飛び散っており、辺りを見渡すと孫がホウキを振り回して掃除の真似をしています。
 
 「あっ、どうしたの?」と、家内が大声をあげましたが、「挿し木を試してみたかったから」と、せっかく私に懐いてくれた孫に嫌われるのが嫌で、そのままにしましたが、これが我が子であったら大声で叱っていたことでしょう。私も年寄りになりつつありますね…
                                4月15日の一言
追伸
明日から3日間は四国からの発信となります。

孫と朝のモーニングコーヒーが夕方までに

イメージ 1 昨晩より娘が孫を連れて帰ってきているため、本日はコーヒー屋さんへ家族揃って出かけたところ、右に添付したように散りかけた桜の花びらでピンク色となった道路を通り、孫が歓声をあげたことから、このまま足を延ばして稲沢市の矢合観音まで走りました。
 
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 矢合観音はお寺ではなく、在家に鎮座する観音様にご利益があり、かつては参拝者で道路が渡れないほど混み合った場所ですが、最近では参拝客が減少しているものの、ここの井戸から湧き出る井戸水に霊験がある事から参拝客が絶えず、参道の道路には植木屋さんや、土産物店などが軒を並べており、観音様は地元の人々の生活にも恩恵を与えています。
 
 
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 最近になって孫が暗い場所を怖がるようになっており、観音様の本堂に入るのも嫌がり、私たちが参拝している間にも泣き出すため、外に出ていましたが、外にある井戸水の給水所でポンプを押して水を汲んで機嫌を直し、私の同級生の営んでいる食堂に入って好物の「みたらし団子」を食べ、家族の頼んだ「きしめん」と、私の「中華そば」を口にして、すっすり元気を取り戻し、近くを走る新幹線を見せに走った事から、昼寝も忘れて元気一杯の午後となりました。
 左の植木は、日本一の植木の産地でもある矢合観音で本日買い求めた「高野マキ」の幼木を植木鉢に植えました。
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 孫が暗い場所や、お寺や我家の仏間を怖がることから、私が普段から立ち寄るお寺にも入れないことと、娘から「疳の虫」の治療に「鍼医者」に行った話を聞いており、この際お寺で「疳の虫」封じをしてもらうため、稲沢市の大塚町にある真言宗の「せんき薬師」に走りましたが、やはり泣き叫んで本堂の前にも近寄れません。ただし、本堂前の梵鐘や大きな数珠には興味を示したため、何とか孫を本堂に入れたいものです。
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 家内がお願いに入りましたが、家内の在所は浄土真宗の檀家で、お寺は葬式や法要しか縁のないことから、お寺にすがって子供の「疳の虫」を僧侶に治してもらうことに違和感をもっているため、結局は私が入って説明しましたが、控え室には大きなオモチャが並んでおり、本堂にも多くの家族連れと幼い子供たちが遊んでおり、次々と読経が続けられます。
 
 何とか控え室に孫を入れて、私の母親がご住職と御嶽山の話に花を咲かせ、私が御嶽教の先達や四国遍路の話に夢中になっていると、孫も車のオモチャで遊ぶのに夢中になっており、これがチャンスと本堂に入りましたが、孫は正気にもどって再び泣き出しました。
 
 僧侶の読経の後で全員が本尊前で祈祷を受け、泣いていた孫もやっとお寺から解放されて笑顔が戻ったものの、帰りの車中では娘に抱かれて昼寝をはじめたため、そのまま帰宅しようとすると、娘から「起きてから困るよ」の一言が遮りました。
 
 私が孫と約束した「金魚を買ってやる」の一言があったものの、眠ってしまえば忘れるだろうと思いましたが、せっかく私を「ジーちゃん」と気に入ってくれていることから、我が子なら「そんなものは…」と無視してきた私も、孫のためには何でもありのお人好しの「爺」でしかありません。
 
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 ホームセンターに車を停めると、それまで熟睡していたはずの孫の目がぱっちりと開き、金魚や熱帯魚売り場に到着すると元気一杯となりました。金魚や熱帯魚を飼育する水槽や道具は我家にあることから、一匹30円の金魚を6匹買い求めただけですが、帰宅後にはホコリにまみれた水槽の掃除でびしょ濡れとなり、突然の金魚の飼育だけに事務所は水が溢れ、後始末の掃除のため家内に怒られ、肝心の孫は一日の疲れで眠ってしまいましたが…
 
                                  4月14日の一言

水疱瘡の孫に感染する可能性も否定されて

 孫が「水疱瘡」のため保育所を休むことになったが、娘は会社を休めないことから、昼から預かる約束となっていたものの、昼休みにも市役所の食堂に居座ってから帰宅しましたが、孫はいたって元気で、家内とともに庭を走り廻っており、私の車まで私を迎えに走ってきました。
 
 「Gちゃん、Gちゃん !!
 「オー、元気だなァ」
 「あーれ、あーれ」
 「何だ?みたらしか?」
 「みたらし、いく、いく」
 
 子供の成長はめざましく、1ヶ月前には母親から離れなかった孫が、私の手を引っ張って近所の団子屋さんまで歩き、「抱っこ」をせがんで「みたらし団子」が包まれるまでを見物し、帰宅して「みたらし団子」を食べた後は、孫をあやすために約束してあった「新幹線」を見に行かなければなりません。
 
 ここでひらめきました。孫は金魚が好きで、パソコンの画面から金魚の動画を見せていると、私の前に座っておとなしく金魚に見入っていることから、パソコンで電車や新幹線の動画を見せれば、わざわざ新幹線の走る稲沢市まで走る必要もありません。
 
 なぜ、こんな単純なことが判らなかったのか… 孫は私の予想どおりに、金魚よりも喜んでパソコン画面を走っていく電車の姿に歓声を上げ、これまで苦労して面倒を見ていたことがウソのように子守りが続けられます。
 
鉄道動画+画像。(首都圏がほぼ中心。)  http://www.youtube.com/watch?v=nEHhWe5MAg8
 
 
 パソコンの存在と、ユーチューブの存在によって、昨年の夏頃から孫を預かった時には遠くまで新幹線や赤い名鉄電車を見に行き、電車が来るまで孫をあやしていたことが馬鹿らしくなるような省エネの子守となりました。
 
 もっとも、私には4人も子供がありながら、世話は家内任せで幼い子供達と遊んだ記憶もありませんでしたが、それでは孫が近寄ってもくれませんから、事務所の2階で事務用イスを馬に見立てて乗せて走ったり、車イスを押させて運転手ごっこをしたりしたことで、先週位から遊び相手として私に付きまとうようになっていました。
 
 「ジッちゃん、ジッちゃん」、「ジーさん、ジーちゃん」、「Gちゃん、Gちゃん」と、私が便所に行くときも付いてくる孫の姿に家族もびっくりですが、昨年の12月には「胃腸風邪」の孫の子守りによって、孫より強力な「胃腸風邪」に感染して家族に笑われるだけでなく、家族に感染させて迷惑がられたことが脳裏に浮かびます。
 
 週末には三男が帰ってくることから、「感染したら大変だから…」と心配する家内に、「俺も水疱瘡にはなった事がないんだ」と言うと、「お父さんはやってるでしょう」と勝手に免疫があると思われ、仕事に走る娘や家内よりも「暇」と思われている現実への叫びと、孫に気に入られて満更でもない現実を天秤にかける一日となりました。
 
                                    4月13日の一言

警察官の事件にこそ厳しい報道を…

巡査部長がひき逃げ容疑 自転車と接触、通報せず去る
 警視庁昭島署地域課の男性巡査部長(52)が車で自転車と接触事故を起こし、女性にけがを負わせたのに消防や警察へ通報せず、架空の携帯電話の番号を女性に伝えて立ち去っていたことが12日、警視庁への取材でわかった。
 巡査部長は上司の許可を得ずに自家用車で通勤する途中だった。同庁は、巡査部長が事故を隠すため、意図的に架空の番号を伝えた可能性があるとみており、道交法違反(ひき逃げ)の疑いで調べている。
 人事1課によると、巡査部長は3月21日午前6時50分ごろ、東京都世田谷区松原6丁目の丁字路交差点で車を運転中、左側から来た自転車と接触し、乗っていた30代の女性に左手打撲のけがを負わせたという。
                                                  12日 朝日新聞
 本日は福祉有償運送の会員さんを市民病院へ送迎することが、唯一責任ある仕事としていましたが、送迎した会員さんが入院することとなり、再度病院まで送り届ける仕事が増え、普段は玄関で降ろして帰ってきますが、入院時の荷物を持って病院内まで同行していると、4月から病院の課長となった同級生と遭遇し、共に会員さんの後輩となることから紹介して談笑となりましたが、心細い入院生活に入る病人の心の癒しになれば幸いです。
 
組事務所に虚偽の会社を登記 容疑の組幹部ら逮捕
 
 本日は(上に添付した記事)暴力団の関係者が、実態の無い会社を登記して逮捕されたと新聞やテレビから報じられていますが、逮捕された人物や住所が私の住む津島市である事からネットを見ていると、掲示板には心無い書き込みが溢れており、私とは無縁の暴力団や人物ではありますが、記事内容だけでは判りませんが、この事件が身柄を確保してまで逮捕するような悪質な事件には思えません。
 
 暴力団関係者の摘発は警察にとっては当り前の仕事かも知れませんが、これはスピード違反で善良なる市民を捕まえている仕事の延長線上としか思えず、摘発される暴力団関係者も生活のため働く必要があることから、これから仕事をするために会社を設立しても、暴力に依存しているよりはましではないか。
 
 こんな一言を記すと、暴力団の関係者と思われても議員の立場上困りますし、警察に敵対する分子として批判されたり、名前も顔も判らないコメントに返答する気持ちも無いことからここまでとしますが、冒頭に添付した警察官の事件の方が悪意に満ちています。
 
 「自転車と接触事故を起こし、女性にけがを負わせたのに消防や警察へ通報せず、架空の携帯電話の番号を女性に伝えて立ち去っていた」と報じられていますが、加害者は警察官であり、警察や消防署に連絡しなかった「ひき逃げ」は許すことのできない事件で、ウソの電話番号を伝えたことは、責任を逃れるための詐欺事件である事から、これこそ逮捕して住所と氏名を公表するべき悪質事件ではないだろうか。
 
 52才の男性巡査部長の行ったひき逃げ事件は、自転車の30代女性が被害者として存在することからも、氏名公表と懲戒免職は当り前であり、会社の登記で具体的被害者も存在しない津島市民逮捕を大々的に報ずるマスコミにも嫌悪感を感じます。皮肉を込めなくとも、警察官の事件で氏名が公表されない報道が多いと思いませんか。
 
 数日前にも警察官の多発する事件を添付しましたが、我々議員も当然ですが、公職にあって住民や市民の福祉に貢献するべき職責にある者の、期待を裏切るような意図的事件には厳罰が必要になってきています。
 
                                  4月12日の一言

自動車泥棒逮捕の報道の裏側に

ハイエース盗容疑の男2人逮捕 「注文受け約70台」
 トヨタのワゴン車、ハイエースを盗んだとして警視庁は男2人を窃盗の疑いで逮捕し、11日発表した。男は昨年3月から今年1月末までの間、東京・多摩地区と埼玉県で、ハイエースばかり約70台(被害総額約1億円)を盗んだと供述しており、同庁は裏付けを進めている。
 捜査3課によると、逮捕されたのは会社員梅沢佑介(32)=相模原市緑区下九沢=、専門学校生山下祐矢(23)=同区大山町=の両容疑者。「外国人から注文を受けてやった」と話しているという。    11日朝日新聞
 
 本日の新聞報道を添付しましたが、車を盗んだ男2人が逮捕された短い記事の中に、「外国人から注文を受けたやった」と、ハイエースを約70台盗んだ被害総額を1億円と記し、まるで仕事のように窃盗を続けた事件が淡々と記されています。
 
 しかし、1年間もハイエースばかりを狙って70台も盗み続けた事件の裏側では、自動車の窃盗事件が起こっても、警察はほとんど何も捜査をしていない現実だけでなく、車の当て逃げや自転車泥棒も微罪として真剣な捜査や犯人探しが何も行なわれていない現実を考える必要があります。
自転車を窃盗するとどうなるのでしょうか? http://oshiete.goo.ne.jp/qa/525609.html
 
 添付した質問にも様々な意見が述べられていますが、自転車泥棒などは軽微な微罪として執行猶予や起訴もされないと記され、「担当警察官もこのような仕事をしたくないのです」との意見もありますが、私はここに大きな落とし穴があるように思います。
 
 一方で、ハイエース70台分の被害総額を朝日新聞は1億円と記していますが、車を盗まれた被害者の受けた損害はただ単に車1台分の金額ではなく、被害者は盗まれた後の仕事に穴を開けている可能性や、代替えの費用も考えると被害額はもっと拡大すると思われます。
 
 さて、20年ほど前の話となりますが、経営していた新聞販売店の配達用のバイクが盗まれる事件が発生し、警察官に「保管の仕方に問題あり」と注意を受けたものの、保管を厳重にした翌日にも盗まれ、「これ以上、どうやって防いだら良いの」と開き直った事がありました。
 
 盗まれた当日の配達にも困り、2台のバイクを購入しましたが、半月後に盗まれたバイクが川の底から見つかり、犯人も捕まったものの、犯人が少年と言う事で、名前も住所も教えられずに泣き寝入りに終わったばかりか、修理もできず廃車となるバイクを警察署まで引き取りに行きました。
 
 私の娘も名古屋市のアパートに置いてあった自転車を最近盗まれていますが、警察に届けたものの探される事もなく、代わりの自転車を買い換える話と、通勤用だった事から代用として会社の車で帰宅するようになった事で、新たな駐車場を契約したことで予定せぬ出費と夫婦喧嘩に発展したようです。
 
 車については行政から自動車税も取られている財産であり、自転車にしても盗まれた被害者は買い替え費用が必要になるなど、第三者から一方的に受けた理不尽な被害を受けて泣き寝入りでは安心して生活できる社会は成り立ちません。
 
 添付した質問と回答には、「自転車泥棒でいちいち会社を解雇されていたら、日本中無職人の集団になりますよ」などと記されていますが、警察官が日頃の仕事が忙しくて自転車泥棒や車の当て逃げの捜査ができないのであれば、代わりに捜査するか調べるシステムをつくり、微罪であっても計画的犯罪は見逃さない仕組みが必要です。
 
 1年間にわたって70台ものハイエースが同一地域で盗まれ続けていた事実は、管轄する警察の無力を証明するもので、摘発されても場所を代えて犯行が続いている現状を考えると、微罪であっても自転車泥棒から厳罰に処する事が必要で、地域住民の敵として犯人の名前を張り出す位の気持ちと犯人の反省を求めたいものです。
 
                                   4月11日の一言

ここに記す気力も減退する一日です

 今週は市役所関係の仕事から解放されて、やりのこした仕事の残務整理にあたりたいと考えていましたが、昨日に続いて朝から市役所で「議会報告会」の打ち合わせとなり、帰宅した時には午後3時を廻っており、成果もないままに夜を迎えることとなりました。
 
 手帳のスケジュール表は空白が空いてきましたが、実は自分のやるべき仕事は山積しており、やるべき仕事を頭に描いているとストレスとなり、最近は躁鬱病(ではありませんが)だとすると「そう状態」の延長線でしたが、「うつ状態」に向かっていきそうです。
 
 昨年11月以来となる四国遍路の再開を来週に控え、閉山された後に訪れて以来となる上高地も開山式を月末に控え、これまでストレスを発散していた行動が、ストレスとなるような雰囲気に、今年になって時間や日時が超特急で経過しているような実感を覚えています。
 
 今晩行なわれた書道会でも、来週の火曜日は四国遍路中で、主催者となる私が不在時は書道会もお休みが慣例となっているため、来週は休みと宣言すべきでしたが、先週にも低気圧による荒天のため休んだ事から、主不在で開く事となりますが、何も伝えてない事から恩師の送迎なとの手配も先送りとなりました。
 
 こんな心境ではこの一言を記す気力も減退していきますから、今晩はストレスとグチを残すような一言で書き終えていきます。
 
                                   4月10日の一言

警察官も酔いしれて事件に

 昨年に自粛されていた花見に酔いしれる話題が多く、全国各地で急性アルコール中毒により病院に搬入される酔い客が連続しているようですが、犯人を取り締まる警察官の不祥事も報じられています。
 
巡査長、被害届など一時紛失 歓迎会で飲酒後 兵庫県警
 
元警察署長が酒酔い運転容疑で逮捕 仙台、本人は否認
 
セーラー服着て公然わいせつの疑い、警部補を逮捕
 
 本日のアサヒコムには3件の警察官の不祥事が添付されていますが、巡査長の飲酒ミスは事なきを得ていますが、10年前に自分が警察署長を務めた警察署管内で飲酒運転の現行犯で逮捕されたも否認している元署長や、37才で警部補となっている警察官が女子高生に下半身を露出した事件は許す事や同情も許されない事件の発覚です。
 
 一方で、飲酒運転の厳罰化によって飲食店の経営は瀕死の状態となっており、本日同窓会報の広告代金集金に訪れた寿司屋さんでも、夜は8時頃には閉店にしていると聞き、飲酒運転は許されない事は当り前ですが、厳しい現実も実感です。添付した警察官の事件は取り締まる現場の士気にも影響します。
 
 本日は午前中に今月21日に開催される議会報告会の私の班の打ち合わせが行われ、午後にはボランティア活動に参加していると、新たなボランティアの企画について市外からの訪問を受けました。
 
 1円にもならないボランティアのためにはるばる訪れる知人の姿に、あまり関わりたくないと思っていても、ついつい身が入ってしまい、別れる前には相談されるどころか自分が主導者と化してしまっていることも忘れています。
 
                                    4月9日の一言

三男の引越しで桑名市へ

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 本日のマイカーですが、三男の住む事になった桑名市のアパートまで、冷蔵庫や洗濯機などを積んで久々の活躍となりました。24年選手の車だけに、長男の大学卒業時の引越しでは東京から東海道を箱根越しで帰り、次男のアパートから冷蔵庫や洗濯機を持ち帰ったのもこの車です。
 
 そうやって考えると、数年前にはこの車に自転車を乗せて、広島県や大阪のロードレースに出場する三男を乗せて走っており、今回は4月から社会人となった三男の旅立ちへの出場ですが、我家に戻ってくるまで活躍しているでしょうか。
 
イメージ 2 朝9時に津島市を出発して30分で桑名市に到着し、4階にある三男のアパートまで荷物を運び込み、余裕でテレビや洗濯機を設置していると時計は12時に迫っており、本日は1時から参加する行事があるために慌てて津島を目指しますが、帰路は花見や行楽の車が渋滞して動きません。
 
 結局は長島インターから弥富インターまで高速道路を使うことにしましたが、こちらも高速道路に慣れない乗用車が連なっており、24年選手のマイカーが追い越し車線を突っ走っての到着でしたが、本日はもう1件招待されていた「いけばな展」があり、こちらは4時に終了するものの、10分しか参加できないことからご無礼する事にしました。
 
 さて、上に添付した息子のアパートから見たマイカーは綺麗に見えますが、実際には車に当てられた傷や、自転車がぶつかってきた小さな傷が残され、無傷だった10年ほど前に恩師の車にぶつけられた時、「元通りに直してくれ」の言葉に対して、「旧い年代物ですから」と修理を固辞したのを境にして小さな傷が次々に増えていきました。
 
 「あの時に直しておけば…」と後悔しますが、車の年式が旧くなると「きちっと直してくれ」とは言い難く、「気にしないで下さい」とやり過ごした結果で、「もう何年乗るか判らないから」と言いながら、走る事と荷物の移送には最高に働く事から、傷も勲章と思っての運転が続きます。
 
                                 4月8日の一言

ブログの削除と自己責任について

            指定されたブログが見つかりません。
ブログが削除されているか、指定したURLが間違っている可能性があります
 
 私が「お気に入り」登録していたブログが最近更新されていないばかりか、アクセスすると上に添付したようなコメントがあり、過去の記載内容からブログ荒しで廃止されたか、万が一著作権に反して削除されたかと予測していたら、やはりブログは削除されていました。 
 
 
ヤフーに残された足跡  矢嶋武弘のページ
 
 過去にも同じ理由でヤフーブログから消えていった「お気に入りブログ」が存在し、ブログとは言え、人格どころか名前も性別すら判らない発信が許されている中で、本名で過去のプロフィールまで記し、自分に責任を問われる事を覚悟して発信されていた「矢嶋武弘のページ」が突然に総てを削除され、本人の問い合わせに著作権に反したとの理由は判ったものの、過去には理由すら告げられずに削除されたまま消えてしまったブログも存在しました。
 
 私もブログ名に本名を記して、プロフィールには住所や生年月日まで記しており、書庫にある私のHP一覧表を閲覧されれば、電話番号もメールアドレスも判るようになっています。
 「自分の名前を出してしまっては…」と、名前を出す事がネット上では不都合とのアドバイスをいただいた知人もありますが、住まいも氏名も特定されない名称での無責任な発信をしたくない事と、議員である事から発言の責任と批判も受ける覚悟で毎日の一言を記してきました。 
 
 添付したケースを我が身に置きかえれば、私のブログに不手際があれば私個人が責任を負い、法に反すれば私自身が法の罰則を受けるのが前提であり、著作権法に違反していればブログを削除する前に全記事を記録して、私自身が法の罰則と損害賠償を求められるべきで、ブログの削除で法的責任を免れる事事体が問題とも思います。
 
 さりとて、このブログについても、ヤフーから無料でスペースを提供され、最初の規約で決められている規約に反すれば何も文句が言えない立場かも知れません。快適な関係でブログが続けられる環境を維持していきたいものです。
 
 ブログ削除については、明らかに不適切な発信も目にしますが、長年にわたって真面目に正論と信ずる発信を続けてきたブログが、一度の過ちで総てを抹消される事は、そのブログを取り巻いた多くの市民の交信が途絶える事にもなります。一方では、国や企業にとって都合の悪い記事や、考え方の違う意見を封殺する可能性も考えると、言論の自由や表現の自由を守るためにも真剣な議論と検討が必要にも思い、削除された矢嶋さんにもヤフーブログでこの問題を発信して欲しいと願います。
 皆さんの声も寄せてくだされば幸いです。
                               4月7日の一言

津島市の御嶽神社へ

 本日は中学校の同窓会報の発行に協賛していただいている広告主で、PTAでも議員としても大先輩となる部屋を訪れたところ、私にとっては貴重なアドバイスとなる内容の会話となり、議員としても初心を思い起こされました。
 
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 昨日訪れた天王川公園内にある御嶽(おんたけ)神社ですが、かつては私の祖父と同じ御嶽教明栄講の先達で、祖父江町のHさんが通っておられた事がありましたが、最近は津島市内には御嶽教の先達が少なくなっており、本殿横に建つ生活空間もカギがかかったままで最近は不在が続いているようです。立派な神社だけに、留守を守る先達が存在すればと思いますが…
 
御嶽山・御嶽教 http://www.ontakekyo.or.jp/ 
 御嶽信仰の発祥は、その源流をたどれば古代の山岳崇拝の思想に遡る。すなわち、神代の時代に、山そのものを神とあがめて崇拝した古代人の原始宗教に端を発したものであり、その後、大和の役の小角行者(大峰山開闢神変大菩薩)を開祖とする修験道と結ばれ、奈良時代から鎌倉時代にかけて一時代を画したが、やがて修験道の退潮と共に、新たな民間信仰として台頭し、広く世人の信頼を集めて、独自の御嶽信仰の形成をみるに至ったというのが、今日、御嶽信仰の発祥についての定説とされている。
 
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 神社の鳥居をくぐって参道を進むと、参道の真ん中に明治17年3月と刻まれた「百度石」が立っており、過去には多くの信者の人々が本殿との間を行き来して祈願していたと思われます。
 
 本殿の西には初代主管者として「大先達覚了霊神(俗名・加藤民三郎)」と、津島御嶽講社長「大先達覚眞行者(俗名・真野傅左衛門)」の石碑が残されています。
 本殿には福寿講の名前が記されていますが、その流れをくむ明栄講(甚目寺町が本拠)などの先達が、明治から大正、昭和にかけてこの神社に座を立て、多くの信者が集った痕跡が燈篭や石碑に刻まれていますが、これだけ多くの人々の名前を残す神社の現状を見ると淋しい現実があり、放置された銀杏の異様な臭いが漂っていました。
 
 御嶽山の山岳そのものが神であるという信仰に起源すると考えられています。開山は役小角といわれ、大宝2年(702)信濃国司高根道基により奥宮が創建され里宮は文明16年(1484)に創建。
 それ以後入山するものが絶えていましたが、天明年間(1781~89)尾張国の覚明(かくめい)が再開し、次いで武蔵国の普寛(ふかん)などの修験行者が御嶽山神の功徳を説き世人に登山遥拝を勧め、再び御嶽山信仰は世の注目を集めるようになりました。
 
 ちなみに、当地方の信者は明栄講ろ組が多く、我家の新家の先祖は明栄講ろ組の先達ですが、私の祖父(旧祖父江町)は明栄講へ組の先達で、共に木曽の御嶽山の霊神場に石碑が残されているものの、先達不足から風前の灯火になりつつあります。
 
 残されている起源を参考にすると、山岳信仰の先駆者役小角の名前が出ていることや、年代をさかのぼると弘法大師が四国や高野山で多くの霊跡を残された時期と重なりますが、年々訪れる信者が減少し続ける歯止めができません。
 
                                4月6日の一言

忘れていた津島市の史跡を歩いて

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  津島市の天王川公園です。7月には日本三大川祭りとされる「尾張津島天王川祭り」が開催される場所ですが、まもなく桜の開花が迫っていることから、池の西側(左)には屋台が建ち並び、本日は人こそ少ないものの既に営業していました。
 
 本日は福祉有償運送のボランティアが2件あった事から、市役所を出たり入ったりしていましたが、昼休みに天王川公園の駐車場に車を入れて、公園の東にある御嶽神社を訪れたものの、議員になってから日中に公園内を歩いた事が無い事に気づき歩いてきました。
 
 議員になってから13年が経過していますが、それまで立ち寄っていた天王川公園をはじめ、市内の憩いとなる場所にはほとんど行ってはおらず、議員になって外出する機会は増えているものの、目的もなくボーとして市内を歩く事が無くなっていたことを実感しました。
 
イメージ 3 議員になっても自分は何も変わっていないと思っているものの、人が自然に楽しんでいる場所との縁が無くなっていることから、意識をしているわけではありませんが、人が思いのままに自由に歩いている場所を避けていたとすれば、随分と空白の時間を作ってしまっていたこととなります。
 
 添付した写真のように、天王川公園の堤に植えられた桜が色づき、咲きかけて提灯が張り巡らされており、池を取り巻くように建てられた屋台が人々の外出を待っている状況となっています。ここに孫を連れて歩いてみたいものです。
 
津島市観光協会公式サイト http://www.tsushima-kankou.com/
 
 さて、天王川公園は今でこそ池となって市民の集う公園となっていますが、かつては木曽川の支流となる大きな大河だった場所で、大正時代には乳牛が堤に放牧される自然豊かな場所でした。私が中学生の頃には、この場所でオートレースが開催され、爆音を上げる二輪車が砂煙を上げて走り廻っていました。
 
イメージ 4 もっと時代をさかのぼり、今から500年も前には、この辺りは津島湊(みなと)と呼ばれ、勝幡城から清洲城に移って尾張を統一した織田信長が、この湊と商都津島の商人を通して、大阪の堺から鉄砲を買い集めており、混乱した戦国時代を統一する源がこの地であったと考えると、時代の大きな変革と同時に、今では取り残された感の強い津島市の議員として神妙な気持ちにもさせられました。
 
 歴史が好きな私は、昭和48年に高校時代の恩師である樋田豊校長とともに、西尾張の各地の史跡を訪れ、昭和から平成にかけて発行していたミニコミ誌「ふるさとアサヒ」の中で、ランカ堂写真店の高橋来一さんから提供していただいた大正から昭和初期の写真を紹介してきました。資金不足で休刊となっていますが、実は私の心にもぽっかりと大きな穴が開いたままだったんですね。
 
                                  4月5日の一言
追伸
本日訪れた御嶽神社については、明日に紹介する予定です。

今月から四国遍路と上高地へと

 低気圧の通過によって全国から強風による被害が報告されていますが、岐阜県の高山市では雨から雪になって積もり、乗鞍スカイラインは15日の開通を目指して除雪が始まったとの映像もありましたが、上高地は27日が開山式で20日には道路が開通するものの、まだまだ冬の延長である事を実感させられます。
 
 私は4月中旬から四国遍路をスタートするため、日曜日に冬用スタッドレスタイヤを普通タイヤに交換しており、月末の上高地行きを考えると今年は残雪が多く感じる事から心配な上高地行きになりそうです。
 
上高地公式サイト http://www.kamikochi.or.jp/
 
 上高地は5月のゴールデンウィークでも雪に降られた経験があり、4月に釜トンネルから入る場合には普通タイヤでは心配で、ましてや乗鞍スカイラインの雪の壁を通行したい場合にはスタッドレスタイヤは欠かせません。添付した公式サイトは3月5日にリニューアルされたようですが、完全に機能してはおらず、正確な情報発信を待って今年の計画を立てたいと思います。
 
 一方で、四国遍路も15日過ぎからの約束をしていましたが、同行予定の人々と打ち合わせ、16日から2泊3日(15日深夜発)で徳島県からスタートする事が決まりました。私にとっては9巡目の遍路行きとなりますが、夏には満願を果たして高野山に巡拝する予定で、過去とは違う行程や修業にも参加したいと考えています。
  
四国八十八ヶ所霊場霊場会公式サイト http://www.88shikokuhenro.jp/
四国別格二十霊場霊場会公式サイト http://www.88shikokuhenro.jp/
 
 今月から四国に同行する人々は5人ですが、1人が平成17年に私と一緒に巡拝した人で、その後一緒に巡拝した人から「杖が無くても歩けるようになった」とか、穴禅定などを経験した話を聞き、「お遍路に行きたい」と話す知人とともに声をかけられたお蔭で、私も新たな遍路に旅立つ事ができます。
 平成13年よりスタートした四国遍路ですが、遍路を重ねた事から霊場会の公認先達に推薦され、当初の観光と遠足遍路は様変わりしているものの、新たな気持ちになれないと遍路への足が鈍ります。
 
倶楽部88のブログ  http://blogs.yahoo.co.jp/shikoku_club88
 
 今年2月に「倶楽部88のブログ」が開設され、新たな四国遍路の情報が発信された事も、私にとっては大きな励みとなり、昨年とは違う気持ちで新たな人々と四国に旅立つ事になります。こんな繰返しが何歳まで続けられるか…
 
                                 4月4日の一言

除草剤専用のジョウロで水やりをしてしまい

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 四国別格20霊場第14番椿堂でいただいてきた椿の花が咲き始めました。この椿の苗は、平成21年9月に椿堂を訪れた際に、ご住職より「ご接待」として頂いた椿で、翌年から植木鉢ですが多くの花を咲かせています。
 
別格14番椿堂 http://www.bekkaku.com/map/14.html
 
 さて、この苗をもらうきっかけとなったのは、その1年前に椿堂を訪れた時に、私がつり銭を余分に貰い過ぎた事で、心の片隅に「儲かった」との気持ちがあり、その翌日に車をバックさせてブロックにぶつけた反省から、「どうしても返しておきたい」と持参したことに対するご住職の「ご接待」でもありました。
 
 当初は、椿堂の椿は弘法大師ゆかりの木であった事から、弘法大師ゆかりの椿との期待もありましたが、花がピンク色だったため無縁と判ったものの、四国の椿堂から頂いた椿の花として子孫に受け継いでいきたいと考えています。
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 添付した写真(上・右)は昨日に撮影したものですが、本日は台風のような風雨にさらされて、椿は植木鉢を幸いに移動させたものの、右に添付した「アンズ」の花は見事に吹き飛ばされ、ほとんどの花びらが飛ばされており、せっかくの満開を前にして花見もできませんが、花が少なければ「アンズ」の実は大きくなる事から実りに期待したいと思っています。
 
 「アンズ」や僅かに残されていた「サクランボ」の花には気の毒ですが、私は本日の雨に期待しなくてはならない事情がありました。
 
 私は今年からハーブや孫のためにイチゴを鉢植えしておりますが、今まで花や野菜には無関心だった事から、倉庫に置いてあったジョウロを持ち出して、昨日に水をたっぷりと与えましたが、本日の朝になってジョウロは除草剤を散布する専用に使っていた事を聞かされました。
 
 天気予報を見ておれば本日に雨が降る事は明らかでしたが、たまたま目にしたジョウロからハーブやイチゴなどにたっぷりと水を与えてしまい、後悔しても後の祭りとなりましたが、本日の風雨が除草剤の成分を洗い流してくれたことを信じたい心境です。
 
 添付した椿も同様ですが、しばらくは災い転じて福となる事に期待して、花々の成長を見守るしかありません。
 
                                 4月3日の一言

海津の治水神社に立ち寄って

 本日は昨日の一言に記したように、本日から初出勤となる三男を自転車や荷物とともに桑名市の勤務先まで送り届けました。三男は何事もないように車を降りて行きましたが、僅か40分で到着する事から、早く我が家に戻ってきて欲しいものです。
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 桑名市からそのまま戻るのも味気ない事から、寄り道をして木曽三川公園の隣にある「治水神社」を訪れましたが、学生時代には家内と毎週のように訪れていた場所ですが、懐かしさと同時に、現代のように建設機器が全く無かった江戸時代に多くの人々の犠牲によって完成した「千本松原」の治水工事の大変さが偲ばれてきました。
 
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 現在は治水神社の裏に大きな展望台のあるタワーがたち、週末は多くの家族連れや観光客が訪れる名所となっていますが、江戸時代にはこの辺りの河川が度々氾濫し、多くの人々が犠牲となっていた事から、幕府は薩摩藩に命じて長良川と揖斐川の堤防を造らせました。
 
 「治水神社」は、薩摩藩家老平田靱負(ひらたゆきえ)を祭神として薩摩藩士84名を祀る神社です。それまで木曽川を含めた三川は、度々氾濫を起こして多くの犠牲者を出していましたが、江戸中期の宝暦4(1754)年、江戸幕府は薩摩藩主島津重年に木曾三山川の治水工事を命じ、油島の締め切り工事などを行わせた。この工事の完成後に薩摩藩士によって植えられたのが千本松原として現在まで残されてきました。
 
詳しい事は下記を参照して下さい
治水神社・千本松原 http://washimo-web.jp/Trip/Chisui/chisui.htm
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 治水神社の西側には、水上レストランが浮かべられ、多くのレジャー用ボートが係留されており、北側の三川公園では年中イベントが催されて、各地より多くの観光客が訪れています。
 
 揖斐川の西には養老山脈を背景にして、のどかな田園風景が続きますが、今から300年前には洪水によって大変危険な場所だった事と、遥か遠くの鹿児島県に家族を残したまま工事の犠牲者となった先人の存在を後世まで伝えていく責務も実感させられました。
 
 さて、昨年5月の一言に、私の父親とは生き別れになっていた祖父の因縁を記しましたが、その祖父の実家は山並みの南にある多度大社の後方に位置しており、昭和の初期にはこの辺りを通って我が家へ来ていた可能性も考えながら堤から眺めていました。
 
昨年5月8日私の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45033789.html
 
 三男の勤務地が桑名市になった事で、しばらくはこの辺りを通る機会が増えそうですが、旧知の人々も存在する事から、三男の親離れを良い機会ととらえて各地へ足を延ばしてみたいと考えています。
 
                                  4月2日の一言

三男の初仕事と引っ越しに

 本日から四月となりましたが、新しい年度のスタートが日曜日だった事は幸いで、昨日の風邪ぎみの予感が完全な鼻声となり、明日からの仕事にも影響は必死ですが、明日は先送りもできる個人的な仕事が救いです。
 
 本日は今年になって初めてとなる町内の葬式が行なわれ、故人は私のNPO法人の運営する福祉有償運送の会員で、奥さんと眼科や病院に同行していましたが、数年前に私と同級生の娘さんをガンで亡くしておられ、これからは2人を偲びながら奥さんに同行する事となりそうです。ちなみに、我々の福祉有償運送の会員では初めての葬儀となりましたが、故人は娘さんに先立たれているものの、素晴らしい婿さんと血を分けた親子のような生活を送られていたことをお礼の挨拶から実感させられました。
 
 新年度の初めての一言が、私の風邪と葬式では暗いスタートにしてしまいましたが、私の三男にいたっては今年3月の国家試験に合格した事から、明日から柔道整復師として桑名の大きな接骨院で働く事が決まっており、本日も勤務先の近くに借りたアパートに家内と荷物を運び込みました。
 
 私個人としては、家から通勤できる事からアパート暮らしには反対ですが、息子が仕事を覚えるために朝7時30分から夜11時まで働くと言う事から、「それじゃー、労働基準はどうなっているんだ」と叫びたいものの、早く仕事を覚えて独立して欲しいため我慢の一語です。
 
 ただし、「風邪だから明日はゆっくりと…」の一言により、自転車や荷物も積んで私が桑名まで送る事となり、「ゆっくり」だったはずが朝6時30分に家を出発することが勝手に決まりました。
 
 「電子レンジの安いのがあったら教えて」
 「何故?」
 「必要でしょう」
 
 とにかく、明日からしばらくは三男が落ち着くまで桑名と津島を往復する日々が続きそうです。
 
                                    4月1日の一言
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