大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2012年07月

甲子園代表校野球部員の不祥事が報じられ

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本日開催されたボランティアコーディネーター養成講座の様子
 
 昨日の一言に、愛知県の甲子園代表に愛工大名電が決まったと記しましたが、広島県の代表校となった県立広島工業高校の野球部員の男子生徒(16)が、強制わいせつの疑いで再逮捕されたと報道されました。
 
広島工野球部員、わいせつ容疑で逮捕 夏の甲子園出場校
 
 朝日新聞の記事を参考にすると、2年生の野球部員は広島大会でベンチ入りしておらず、日本高校野球連盟は「個人の不祥事で、対外試合は禁止されない」と判断していると報じられている。
 
 記事は広島県の代表校として出場は問題がないとの論調であり、私も個人的な犯罪であって甲子園出場の是非を問おうとは思わないものの、この生徒は5月17日の夜に廿日市市内の路上で、歩いて帰宅中の高1の女子生徒を押し倒し、胸や下半身を触ったと犯行を本人が認めており、今度は7月19日の夜に同市内の路上で同様の事件を犯して強制わいせつ致傷などの疑いで緊急逮捕されている事から、初犯後の警察や学校の指導に問題があったことは確実で、高校野球も学校教育の一環である事から、犯した罪に対する指導や教育の不備を感じられずにはおれません。
 
 それにしても、この時期になると必ず甲子園に出場する高校野球部員の犯す不祥事が問題提起され、事件を隠したり、大会後に処分されたりしますが、甲子園に出場する可能性のある高校や出場校なら、野球部員の行動を予め節制させられない事の方が教育機関としては問題でもあろう。
 
 京都で免許運転により多数の被害者を出した少年も無免許運転の再犯であり、今回の高校生も2ヵ月後に強制わいせつ事件を犯すなど、一度問題を起した学生や少年が繰りかえし罪を犯す事件が続いている事から、少年と言えども再犯防止のため親だけでなく地域の厳しい監視も必要かもしれません。
 
 さて、本日も暑い一日となり、夜には毎週定例となっている書道会が開かれたものの、参加者が少なかった事から、終了後に近くの喫茶店に出向いて、私は今年初めての「カキ氷」を食しました。明日から2日間は、栃木県鹿沼市と、千葉県成田市へ街づくりの視察に出向きます。
 
                                     7月31日の一言

愛知県から愛工大名電が甲子園へ

 第94回全国高校野球選手権大会の愛知県大会では、昨日に岡崎市民球場で決勝戦が行われ、延長戦にもつれ込んだ接線の末に、愛工大名電高校が東邦高校を下して、5年ぶり10回目の夏の甲子園出場を決めました。
 
 試合は8回まで東邦が2点をあげて一方的にリードし、2日間温存した東邦のエースに名電はヒットも出ない状況の中で、最後の9回の連続安打で無死二、三塁とし、投手の暴投により2点をあげて同点とする綱渡りのような試合でもありました。
 
名電 こじ開けた扉
東邦 すり抜けた夏
 
 昨年の愛知大会決勝戦は、連投の浜田投手を温存して甲子園を逃した名電だが、昨秋の神宮大会準優勝から春の選抜8強入りを果たし、浜田投手は高校ビック3の投手と評され全国から注目を集めていました。
 
 一方で、東邦のエース丸山選手は8回まで完璧に名電打線を抑えており、自分でも「8回まで完璧な投球だった」と語り、9回の2点は自分の2度の暴投によるものだけに、目前の甲子園を逃した悔しさは尋常ではないと思います。
 
 さて、我家の3人の息子達は全員が愛工大名電の卒業生ですが、甲子園行きが決まったら寄付金を出すと三男が公言しており、仕事の休みと重なれば甲子園へ行く気満々のようです。無関心な長男と、第三者のような次男とは好対照です。
 
 我家の息子達は全員が中学時代に陸上選手でしたが、走り高跳びで高記録を出して陸上部の監督から誘われて入学した長男と、借り出されて出場した相撲の成績から相撲部監督に誘われた次男に比べ、三男は誘われる事もなく、選抜大会優勝直後の20倍を超える入試に挑戦し、身体が小さい事からハンデを克服するために自転車競技部に入り全国を目指しました。
 
 全くの個人競技の走り高跳びと、少数の団体戦と個人戦の相撲。個人競技ではあるものの、集団で練習し、競技も風よけの先行と連携してゴールを目指す自転車競技とのそれぞれの特性が、そのまま息子達から感ずるのは私の身勝手な感想かもしれません。
 
 私も議員になってから縁遠くなっていた高校野球ですが、息子達がお世話になった高校の甲子園出場だけに、仕事の合間を縫ってでも観戦したいと思います。高速道路で2時間もあれば到着する距離にあり、四国遍路に出かける気力があれば、十分に可能でしょうが、気力を出すには仲間が必要なことから、近隣の方々の同志を募りたい心境です。
 
                                    7月30日の一言
追伸
明日も朝から愛知県のボランティアコーディネーター養成講座が開かれます。

炎天下に地域を廻って

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神守中学校の至誠の碑
 
 添付した碑は、同窓会によって昭和末期の60年代に建てられた「至誠」の碑で、私の母校神守中学校では学校が創立された20年代から「至誠」を校訓として、現在まで引き継がれてきました。
 
 本日は8月19日に開催される同窓会総会の案内文を、校区内にある全町内の各家庭に配布してもらうため、校区内全町内会の自治会長さんのお宅へ会報を届けに廻ったものの、猛暑の中でエアコンが効かない車ゆえにサウナ状態でもありました。
 
 簡単な仕事のように思ってきましたが、約40軒のお宅を探して走っていくだけでも大変な仕事で、若い知人に運転を依頼して、住宅地図で目的地を探すのに老眼鏡を使用しても番地が読み取れず、拡大鏡が必要になってきました。
 
 かつては新聞販売店を生業とし、住宅地の名前を見るだけで見当がついたものですが、議員になって13年が経過しており、道路は変わっていないものの、家と名前がかみ合わずに苦戦する半日仕事となりました。
 
 さて、車で地域を廻るだけでもこんなに大変なのに、我家の田んぼは草だらけとなっており、こんな暑い環境でも草刈りが求められており、「近いうちにやってよ」と家内に言われても、家主だけに「嫌だ」とも言えない辛さがあります。
 
                                      7月29日の一言

ボランティアのため押し売り参拝へ

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本日町内の人々を送迎した一畑山薬師寺
 
 本日は町内のご婦人(後期高齢者)たち6名に依頼されて、朝から岡崎市にある一畑山薬師寺へ送迎しましたが、私の母親も含まれていた事から無料奉仕のボランティアとし、皆さんがお寺で祈祷と昼食や入浴する時間に、私と家内は近くの「わんわん動物園」へ出向きました。
 
※ 一畑山薬師寺 へリンクします
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 本日は岡崎市民球場で高校野球の準決勝が行なわれており、私は観戦したかったものの、この夏最高ともなる炎天下の高熱地獄から家内が納得せず、テレビコマーシャルで名前を知っていたことから犬が主役となっている「わんわん動物園」を訪れたものの、真夏の灼熱地獄の中で屋外に展示される犬たちの環境は最悪で、大型犬の呼吸音が遠くから聞こえ、ショウタイムで演技させられる犬たちが可哀想になり、途中で退出してきました。
 
 春とか秋ならば問題とも思いませんが、真夏の屋外への展示には限界があり、我家の相棒リマのために冷房をかけたまま外出してきたのに、同じポメラニアンが日陰とはいえ柵の中でへばって大の字になっている姿は、ペットショップで飼い主を求めている犬よりも可哀想に思え、犬たちもあまりの暑さから我々に愛想も見せません。
 
 
 半月前には相棒リマを連れて家内と四国に出かけ、人間の赤ちゃん連れと同じ感覚で行動し、それでも夏に犬と出かけるのは可哀想と思っていただけに、真夏に見世物として展示され、ショーで演技する犬たちの姿は、動物園が開園した当初は先進的だったかもしれませんが、家庭内で人間と一緒に生活するのが当り前となった現代社会では動物虐待としか思えません。せめて、捨てられて薬殺される運命の犬ばかりを集めているのであれば評価もできますが…
 
イメージ 3 本日はただ単に岡崎市の一畑山薬師寺へ人々を送迎するだけで、無償ボランティアと決めていた事から、高速道路は使わず国道1号線を黙々と走り続け、途中で知立市にある藤田屋の「大あんまき」のお店に立ち寄りました。
 
藤田屋大あんまき http://henjoin.com/
 
 藤田屋の「大あんまき」は江戸時代から歴史が続いているようですが、さすがに老舗だけあって味は近くのスーパーで売られているあんまきとは一味違うと実感させられたものの、かつては観光バスが必ず立ち寄った名店も、最近は高速道路の開通によって随分と寂れてしまいました。
 
 さて、時間とか燃料費などを考えると、個人的趣向ですが京都か上高地まで走っていた方が良かったと思われ、無償どころかサービスの押し売りで知立市は「三弘法」で有名なため、「遍照院」を探してお寺を訪れました。
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 縁起によれば、弘仁年間(810年代)に、弘法大師が関東地方に御巡錫の途中、当地へ約1ヶ月の間御逗留になり、布教に勤め衆生済度を実践され、佛道の社会的実践の場として当山を建立され、出立の際には庭前の赤目樫の木をもって御自身の座像を三体刻まれ、当山の御本尊とされたと記されています。
 
 お寺の縁起にある「810年代に弘法大師が関東地方に御巡錫の途中」については、私は弘法大師の年譜からこの間に四国八十八ヶ所霊場や高野山が開創されているため疑問にしか思えませんが、弘法大師の「般若心経秘鍵」か嵯峨天皇の「般若心経書写」が届けられた可能性は否めず、本日訪れた一畑山薬師寺とは比べようのない古刹として町ぐるみの歴史を実感させられる参拝となりました。         
                 弘法山遍照院 http://henjoin.com/
 
 本日は私の住む津島市でも川祭りが開催されていますが、名古屋市と津島市をつないでいる我家前の県道も車の通行が普段と変わらず、車が渋滞で動かないと言う桑名市や一宮市と比較すると淋しい夜にもなりました。
 
 炎天下で一日中動かし続けた車の燃料はカラになり、眩しい朝日と夕陽に向かって運転を続けた私の視力も限界で、本日訪れていた孫に「ジーちゃん」と言われても、疲れて相手もできない寝込む夜ともなりました。
 
                                   7月28日の一言

日頃の不勉強を実感する夜に

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 今年1月に家内が200円で買ってきたランですが、花が咲き終わった後に庭の草の茂みに置いた記憶はあったものの、昨日に茂みの中で花を咲かせているのを発見して、家の中に持ち込みました。
 
 動物と違って何も言わぬ植物の管理は難しく、一昨日に水不足と思って水を与えたハーブのホワイトセージが翌日に枯れており、まさか一日で枯れてしまったことにびっくりですが、忘れて放置してあったランの花が咲いていたのも皮肉です。
 
 さて、所用で母校の中学校を訪問すると、用意してあった資料に不備があり、学校に対応して処理してもらうより、自分が教育委員会に出向いた方が早い事から、連絡して市役所に戻ることになりました。
 
 用件は簡単に済んで雑談が長くなりましたが、本来は中学校がやるべき仕事で、私が議員の職にあることから、電話で用件が済んでしまいましたが、明日が土曜日で市役所と学校が休みであるため、手っ取り早く済ませてしまったものの、こんな前例は学校のためにもなりません。
 
 「話が長くなるから…」と言われながらも雑談が長くなりすぎ、本日の夜には名古屋市で開催された公共交通問題の勉強会に出向く必要があった事から、そのまま会場まで車を走らせたものの、夕食抜きのままに帰宅は10時を廻っていました。
 
 勉強会は桜花学園大学の森田教授を中心に開かれていますが、参加者の多くは交通問題の専門家ばかりで、提供された資料を読むだけでも大変ですが、今年3月に私が視察した和歌山電鉄の報告も、メンバーが全てを知っているのではないかと思うと、説明も十分にできていないように思えてなりません。
 
 久しぶりの勉強会で、持ち帰った資料を読むだけでも大変なことから、議員としての日頃の不勉強も実感する夜になりました。
 
                                   7月27日の一言

今となっては懐かしい高校野球に

 全国から高校野球の熱戦の模様が伝えられ、愛知県でも本日準々決勝が行われ、愛工大名電をはじめ4校がベスト4に名乗りをあげ、28日に準決勝、29日に岡崎市民球場で決勝戦が行われます。
 
準決勝 28日(土) 岡崎市民球場
  東邦 x 西尾東 [10:00開始予定]   豊田西 x 愛工大名電 [12:30開始予定]
 
高校野球 愛知大会 準々決勝の結果  http://www2.asahi.com/koshien/94/aichi/
 
 私は議員になる前の職業が朝日新聞販売店主であったことから、議員になる前年の平成10年までは、愛知大会の会場となっていた津島市営球場が販売エリアにあったため、球場の設営から維持(朝日新聞社の社旗の保持など)で毎日球場に出向いており、高校野球の写真展を開催した年は、県内各地の球場へ撮影に出かけました。
 
 「大鹿君、高野連は何とかするから、新聞社を何とかしてくれ」と、当時高野連の役員で津島高校の野球部長を務めておられた剣先生に言われ、津島市営球場を地方大会の会場にするため、当時の豊田市や春日井市など、津島市より大きな市を相手に誘致運動を繰り広げて獲得した会場でした。
 
 販売店主とは言っても、当時大学を出たばかりの新米店主でしかなく、武器は「販売部数増」を旗印に名古屋本社に訴え、駅から交通の便の悪さを克服するため、当時の井桁市長が名鉄バスによる無料輸送を決断して勝ち取った会場でもありました。
 
 この津島球場から勝ち残って甲子園へ出場した選手には、大リーガーとしてニューヨークヤンキースに移籍したイチロー選手(愛工大名電)もおり、春の選抜大会で優勝投手となった東邦高校の山田喜久夫選手も存在します。
 
 
 当時の東邦高校は奈良県の強豪天理高校と練習試合を行っており、その会場には津島市営球場が使われ、当時は鬼の監督と言われた阪口監督に緊張しながら記念撮影に収まったのも懐かしい思い出となりました。
 
 議員となって疎遠となり、数年前からは老朽化した球場の改善もできない事から、愛知大会の会場からも外されてしまい、それまで当り前と思っていた高校野球とも無縁となって開催されていることも忘れてしまいそうなこの頃となりました。
 
 「大鹿さん、久しぶりですね。高校野球の時は…」との一言は、今月に開催された津島市の協議会に出席された津島北高校の校長先生で、かつては野球部長として津島球場の担当として顔をあわせていた懐かしい再会も、今年いっぱいで定年退職と聞き、よけいに寂しさを覚えてしまいました。
 
 「汗と涙の高校野球」と、宣伝カーにスピーカーを積んで県内各地へ高校野球の宣伝(朝日新聞の宣伝でもありました)に廻ったのも懐かしい思い出となりました。
 
 偶然ですが、土曜日に町内のご婦人たち(超高齢)から、岡崎市にある一畑山薬師寺に連れて行って欲しいと言われ、運転手役で出かける予定にあることから、息子たちの母校となる愛工大名電の試合を観戦できるかも知れません。
 
                                7月26日の一言 

同級生の父親の訃報に

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毎日食卓に上がるトマトの予備軍です
 
 我家の畑からトマトが採れだしてから1ヶ月ほど経ちますが、これから完熟する青いトマトもまだまだ残っており、高齢になった私の母親が育てているものの、野菜は元気一杯で次々と我家に持ち帰られてきます。
 
 私は畑には行ったこともなく、もっぱら母親が毎日の仕事として、朝と夕方に出かけて行きますが、ろくに歩く事もないままに足腰が弱り、肥満体質となった私が体調維持に苦慮しているなかで、高齢とは思えぬ元気な毎日を送っており、こんな環境が一日も長く続くように思います。
 
 本日は同級生の父親が亡くなり、今晩通夜が行なわれましたが…
 
 「大鹿さん、今から車を頼めますか?」
 「本日は予定があるんですが…」
 「体調が悪いので病院に行きたいんですが」
 「い、今からですか?」
 
 知人の奥さんから突然の電話で、私は都合が悪いため、タクシーを依頼してもらう話となったものの、通夜は遅れても行けるため、体調不良の奥さんを優先して病院に同行しましたが、知人が夜勤のため子供を連れて点滴を受ける姿に、後ろ髪を引かれる心境で病院を後にしました。
 
 同級生の父親は90才になられていたとの話ですが、私が昭和63年より始めた朝日旅行友の会のバス旅行の常連で、御夫婦で参加されるものの、一人でカメラを持ってマイペースで黙々と歩いておられた姿が今でも思い浮かんできます。
 
 故人は、私の父親の兄で沖縄で戦死した伯父と同級生で、戦死していたかもしれない命と口癖にされていたようですが、私の伯父を知る人もほとんどいなくなっていく現実とともに、戦争を語れる人も無くなっている現実も実感させられます。
 
                                  7月25日の一言

警察官から寸借詐欺で男性逮捕の報に

 警察署員から現金をだまし取ろうとしたとして、名古屋市緑区大高町の職業不詳69歳男性が詐欺未遂の疑いで三重県警大台署に逮捕された。
 
警察署員から現金詐取の旅 3カ所目、未遂容疑で御用
 
 「財布をなくした」と遺失届を提出して、「名古屋まで帰るガソリン代を貸してほしい」と偽り、警熊野署を訪問。同4時半ごろには尾鷲署も訪れ、同じような手口で両署員からそれぞれ現金5千円ずつをだまし取った疑いがあり、同じ手口で現金をだまし取ろうとした大台署で逮捕されている。
 
 容疑者は「だますつもりはなかった」と容疑を否認しているようだが、遺失届を複数の警察署に提出して、警察官から現金を借りていることから、否認しても容疑は固いものの、同様の事態は全国各地で起きているのではないか。
 
 だいぶ以前の話となりますが、津島市役所の福祉課窓口を通りがかりの人物が訪れ、「無一文」を訴えて支援を求め、職員が3千円を手渡すのを目撃し、借用書は書き込んだものの、他人になりすましたり、架空の名前を書き込んでも証拠もないことから、こんな手口で各地を渡り歩いている者もありそうに感じました。
 
 今晩テレビで放映された「開運なんでも鑑定団」においても、借金の肩代わりとして預かった美術品が、全くの偽者で騙されているケースが毎回のように放映されている事から、罪として裁かれないものの、人の情につけ込んだ詐欺は身近にも存在します。
 
 議員になる前に仕事としていた新聞販売店では、新聞拡張員(営業)から架空の購読契約書(業界用語でテンプラカード)を高額で引き受けたり、拡販用サービス品を持ち逃げされることもありました。議員になった当初は、卒業以来一度も顔を合わせていなかった同級生が訪れ、生活苦から一家離散の危機を訴え借金を求められた事もありました。
 
 それらの金品は戻ってはきませんが、「騙すより騙される人」でありたいと自己を納め、知人については「一度は騙されても良い」覚悟でしたが、その場その場は少額でもあわせるとその額はかなり高額になっていきます。
 
 一方において、テレビの「鑑定団」では、時として借金の額を大幅に上回る名品が借金の換わりに差し出されているケースも存在する事から、人生は捨てたものでもないと感心していると、添付した少額の詐欺事件も後を絶ちませんね。
 
                                   7月24日の一言

忘れようにも四国からの縁が届いて

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我家の畑で育っているキュウリです
 
 本日より四国遍路を忘れて、平常の生活に入りましたが、夕方に帰宅したポストに四国八十八ヶ所霊場第46番門前の旅館「長珍屋」さんから書中見舞いが届いており、忘れてはいても思い出してしまう環境が当り前になっています。
 
 先週に四国遍路で満願を果たし、高野山に御礼参りに訪れたメンバーが、今秋には西国三十三ヶ所めぐりに連れて行って欲しいとの依頼に、十年前に一度訪れた記憶を呼び覚ますものの、四国のように時間と行程が浮かんできません。
 
 平成13年10月から翌年の5月にかけて、四国遍路を結願した18名がそのまま西国巡礼を進め、3回目の平成15年6月に結願しています。このメンバーは、15年秋から翌年の春に坂東三十三ヶ所めぐりを結願して、平成16年5月に17名が秩父観音霊場を結願し、日本百観音の満願を果たしました。
 
 四国から、西国、坂東、秩父と、何も判らない私に先導されて廻ってしまったのですから、一緒に同行した人々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 
 「大鹿さん、白衣はどうしましょう?」
 「そんなものは気持ちですから」
 「袈裟は買った方が良いかな?」
 「そんな物にこだわらなくても良いでしょう」
 
 今にして思えば、無茶苦茶な応対をしていたと反省しかありませんが、満足な下準備も無いままの巡拝は、もう一度やり直すことが大変なだけに、観音霊場について勉強してから巡拝を進めたいと思います。
 
西国三十三ヶ所めぐり 平成14年から15年
○14年10月2日 (前夜発)  1番寺から11番寺まで マイクロバス 2泊3日
   宿泊・1日目、和歌山・国民宿舎湯浅城・2日目、長谷寺・大和屋、参加者18名
 
○14年11月20日  12番寺から27番寺まで マイクロバス 2泊3日
   宿泊・1日目、大阪・大日ターミナルホテル・2日目、三田市・ホテルメルクス、参加者18名
 
○15年6月26日  28番寺から33番寺まで マイクロバス 1泊2日
   宿泊・天橋立・仁風荘、参加者18名    27日に満願
 
 さて、明日からは名古屋市の愛知県社会福祉会館で、ボランティアコーディネーター養成講座がスタートし、午前午後とも私は津島市に不在となることから、依頼されている仕事が何もできないストレスが、月末から8月前半まで続いていきます。
 
                                    7月23日の一言

北海道産サクランボが店頭に並んでおり

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 我家のサクランボが庭から姿を消したのが、5月18日の一言に「最後のサクランボ」と記してありますが、それから2ヶ月が経過した今になっても、近くのスーパーには北海道産のサクランボが売られており、本日は懐かしい気持ちにされました。
 
 佐藤錦が1パック598円と格安で売られていましたが、我家では4月に花を咲かせ、5月の連休頃に実が熟し、大量のムクドリの群れとの戦いの中で口にする事を考えると、感慨深いものがあり、我家では来年の春まで待たなければ見る事ができません。
 
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 さて、最近の我家の庭ではブルーベリーが最盛期を迎えており、葉の陰となっている裏側には完熟した実がついていますが、植えた頃には珍しかったブルーベリーも最近ではホームセンターに普通に並べられ身近な果物となっています。
 
 一方で、かつて我家の畑にも存在したキューイフルーツについては、成長して実が付いた当初は感動したものの、木が生長を続け、樹の上に巣を作ったキジバトのヒナを蛇が食べるなど散々な結果となり、知らぬ間に伐採されてなくなりました。
 
 梅雨が空けて夏が到来していますが、北海道ではサクランボが実る春の5月頃の環境にあると考えると、冬の沖縄から夏の北海道まで、狭いと言われる日本列島もかなり広いようにも感じさせられます。
 
 北海道の空気を感じたい時に訪れるコニ-さんのブログには、6月25日の一言に山形産の佐藤錦の初物が紹介されており、春が確実に日本列島を北上していることも実感させられます。
 
シベリアンのやさしい時間
 
 四国遍路から高野山行きが続きましたが、明日からは平常の日程になるものの、明日は朝一番に胃がん検診が予約してあり、山積した仕事がお盆の直前までスケジュール表を埋めているため気分を引き締める必要を感じています。
 
                                    7月22日の一言

高野山で清々しい一日を体感して

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高野山・奥の院
 
 本日は四国八十八ヶ所霊場と別格二十霊場を結願した御礼参りに、高野山の金剛峯寺と奥の院に参拝し、午後には金剛峯寺で開催されていた阿字観を体験し、高野山大師教会で授戒を授けられました。
 
 最近では四国遍路を満願になった同行者に、高野山の結縁灌頂や、阿字観や授戒を体験するように参拝していますが、空海(弘法大師)と真言宗の聖地高野山だけに、真剣に考えると一日では時間が足りません。
 
 以前の一言でも記してありますが、高野山を含む一体が世界文化遺産に指定されたことで、物見遊山の観光客が増加して、金剛峯寺前の駐車場は大型観光バス用の駐車枠や身体障がい者用スペースに乗用車が停められるだけでなく、枠外の通行スペースにも駐車されるため大型バスは路上駐車となり、神聖な参拝の場で運転手の険悪な眼光が突き刺さります。
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 一方で、多くの墓標が立ち並ぶ奥の院の参道で、2匹の犬を引き連れた観光客とすれ違いましたが、私も相棒(犬)を連れて廻りますが、せめてオムツ位は付けるか、抱き抱えて入る配慮を見せて欲しいものです。
 
 恐れ多くも織田信長や豊臣秀吉など、天下人も奉られる奥の院は、弘法大師が眠られる神聖な聖地であり、犬が石碑や太い大杉にオシッコをかけても知らぬふりで歩き去る観光客の存在は不快にさせられます。
 
 そんな思いで参拝から戻る途中に、ペットを供養する墓地を見つけて、飼い主のペットに対する深い愛情に心温まるとともに、宗派にこだわらず来る者を拒まない高野山の寛容な気持ちに触れたように思いました。
 
 阿字観や授戒については、高野山金剛峯寺のネットでの案内を添付したので、参考に読んでいただき、内容をご理解されると同時に、機会があれば一度は体験して欲しい儀式で、ちょうど阿字観を体験した同時刻に、私の住む津島市越津町の弘盛寺(真言宗)でも阿字観が開かれていました。
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ちょっと一息 阿字観体験
授戒(じゅかい)
結縁潅頂(けちえんかんじょう)
 
(左) 授戒を受けた高野山大師教会
 
 私にとっては、高野山は四国遍路の延長から、自身の自己反省と同時に、汚れの無い人間への再出発の場となっておりますが、必ず立ち寄る墓地も存在しています。
 
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南無阿弥陀仏 鶴田浩二さん
 
                     南無大師遍照金剛  7月21日の一言
追伸
本日は我家に帰ってきました。

四国遍路が満願となり

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私にとっては九回目となる四国遍路が満願となりました。
今回は四人の巡拝ですが、四国八十八ケ所と別格20霊場を結願し、明日高野山へ参拝となります。

本日は、鳴門の渦潮を鑑賞し、大阪の犬鳴山七宝瀧寺に参拝してから宿に入りました。

四国との縁に感激する夜に

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栗林公園内をすすむ和舟です
 
 本日は7時に第86番志度寺に参拝し、しばらく逆打ちで第83番一宮寺まで参拝し、10時頃に高松市の栗林公園に入り、今月から始まった和舟による遊覧をする予定でしたが、予約客が午後まで続いており、舟に乗れなければ入場しなければ良かったと思っていましたが…
 
 「良かったらご案内いたしましょうか?」
 「えっ、良いんですか?」
 「はい、私達はボランティアで案内しています」
 
 過去に何度も栗林公園を訪れていますが、ボランティアのガイドさんに声をかけられたのは初めてで、言われるままに公園内を案内してもらい、掬月亭で抹茶をいただき、予定時間を大幅に上回ったものの、案内されたガイドの和田さんのお蔭で、過去に無く栗林公園の魅力を実感させてもらいました。
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 さて、本日は朝から遍路客も存在せず、3軒目の屋島寺まで我々がはじめての参拝となり、栗林公園から別格19番香西寺、87番長尾寺、満願の88番大窪寺を迎えましたが天候不順で雷鳴が轟ろき、空が真っ黒となっていたことから、同行者たちは満願の感激よりも早く車に戻ることしか頭になかったらしく、急いで別格20番を目指しました。
 
 時間的に余裕があったものの、栗林公園で時間をかけ過ぎたことから、最後の第1番霊山寺を明日に残し、別格20霊場の念珠を依頼するために、第10番切幡寺に近い「須見光栄堂」に立ち寄り、本日の遍路は終わりとしました。
 
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 第83番一宮寺の本堂に参拝した時、見慣れたお地蔵様が本堂前に並べられていたことから、記録してきましたが、昨年秋に歩き遍路で疲れ果てていた私に、「お遍路さーん」と大声で呼びかけ、親子で走って追いついてこられた第77番道隆寺近くの松井さんの手によって焼かれたお地蔵様で、懐かしく拝見することとなりました。
 
 
 
イメージ 4 昨晩からほとんど眠っていないことから、通常であればそのまま宿で食事後に眠っていますが、本日は徳島市の眉山の麓にある「阿波おどり会館」で、踊りの鑑賞に出向き、気が付いたら私も舞台に上って踊っていました。
 
 過去の遍路では考えられない展開ですが、徳島県の阿波藩主を務められた蜂須賀公は、私の住まいから10分の距離にある、旧美和町の蜂須賀村の出身のため、徳島県の方言と尾張弁は共通するものが多く、「あるでよ徳島」と記されたチケットの「あるでよー」は、徳島県の方言と言うよりも、我々の尾張弁であることから、500年前の先人に思いをはせるとそのまま帰る気持ちになれず、そのまま居酒屋で同行者と店主も一緒になって花を咲かせてきました。
 
 明日は、1番寺から鳴門の渦潮見物に出向き、観光三昧の一日となりますが、午後からは高野山の近くまで移動します。
 
                                    7月19日の一言

身勝手なボランティア考に

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 本日はボランティアである福祉有償運送だけの一日となりましたが、ボランティアで市民病院に送迎した会員さんから、視力が悪いことからガイドボランティアの申請をされたことで質問され、私が議員であることから何でも判ると思った質問でしたが、詳細が判らないため市役所の福祉課に問い合わせると、民間の担当する関係者からの説明に大きな誤解を生むことが判りました。
 
 会員さんは障がい者手帳を持っておられますが、非課税世帯ではない事から、多少の負担が必要になりますが、無料と勘違いする説明がされており、移送のための交通費は自己負担と説明されていましたが、ヘルパーさんが会員さんのお宅に通う通勤費も必要と伝わっており、ヘルパー自身の運転で同行できないかとの期待を抱かせる説明となっていました。
 
 我々の行っている福祉有償運送については、最小限の対価を必要としているものの、津島市と愛西市に認められた有償ボランティアでありますが、ガイドボランティアの関係者は我々をタクシー事業者と同様に見ているらしく、自分の知り合いの移送事業者と一緒に来たいのかもしれません。
 会員さんはボランティアの言葉に惑わされているものの、ガイドヘルパーには公的税金が時間給で支給されており、我々のように公的税金や補助金を一切受け取っていないボランティアにとっては、ヘルパーの受け取る対価があまりにも大きいことから、自分本位のボランティア意識は迷惑なものです。
 
 さて、愛知県では、今月24日から平成24年度愛知県ボランティアコーディネーター養成講座が開催されますが、ボランティア活動の領域や内容が多様化していることから、ボランティアの自発性や主体性、目的を尊重しつつ、援助を必要としている人々と繋げる調整役が必要になってきています。
 
 私も対象者となっており、既に愛知県の養成した防災ボランティアのコーディネーターにはなっているいるものの、ボランティア全般へのコーディネーターだけに、判らない分野のボランティアを知る良い機会にもなりそうです。
 
 本日は、これから夜11時に津島市を出発し、明日に四国八十八ヶ所と別格20霊場の満願を目指します。「またー、帰ってきたばっかりだろう」と言われても、明日からのボランティアを依頼していかないと安心して遍路ができません。
 
                                     7月18日の一言

津島名物「あかだ」と「くつわ」を

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津島市役所の神守支所です・旧神守村役場から継承されています。 
 
 最近出かけた四国の写真が連続し、「何所の議員だ」との批判が届きそうですが、本日はボランティアで七宝町(現あま市)の整形外科医院と、自分自身の健康診査の予約に地元の彦坂外科を訪れ、市役所から神守中学校、神守支所、津島神社前の土産物店に走り、夜は書道会と中々自宅に入れません。
 
イメージ 2 私が訪れた土産物店は、松屋儀左衛門で、店主が元市職員から市議会議員を永く務められた先輩のお店で、本日は名物の「くつわ」と「レンコンの砂糖漬け」を購入し、店主は不在だったものの、ついでに観光用「うちわ」も(2種類は贈答用、1種類は自分用です)買い求めてきました。
 
 「くつわ」は、「あかだ」と並んで、津島市では古くからの名物で、「歯が折れないように気をつけて食べて下さい」と申し添えないといけないほど硬い食べ物です。
 
 津島名物を紹介しているのですが、「あかだ」については、弘法大師が当地を訪れた時に、津島神社に悪疫退散の祈願をこめて、米粉の団子を油で揚げて、神前に供えて参詣人に授けられたのが基と伝承されています。
 
 けっして美味しいものとは言えませんが、「これを食すればこの年は疫病に罹らない」と言われており、「くつわ」については、「あかだ」の原料に砂糖を混ぜて茶菓子風にしたもので、こちらも硬くて口の中にしばらく含んでから噛まないと本当に歯が折れてしまいそうな菓子です。
 
 
 「あかだと「くつわ」については、添付した資料を参考にしていただくとして、本日訪れた 松儀屋さんも創業は天明(1781~89)の中ごろと伝わり、津島神社の前には3軒の土産物店が残っているが、店の歴史と伝統を守っていくのは大変で、せっかく日本三大川祭りや藤祭りに多くの観光客を呼び込んでも、地元の土産物店で津島名物を購入してもらう仕組みを考えないと存続も危ういものがあります。
 
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 さて、左に添付したのは、本日購入してきた「うちわ」ですが、記されている尾張津島天王祭りは、今月28日(土)の夜に宵祭が開催され、翌日の29日(日)に朝祭が開催されます。
 
 伝承によれば、織田信長も観覧しており、優雅で貴族の遊びとも言われる津島天王祭りに、近くの方々にはお出かけいただければ幸いに思います。
 
宵祭 7月28日(土)18:00~     朝祭 7月29日(日) 8:40~
尾張津島天王祭り
 
 自分にとっては当り前と思っている地元の話題も、今後は添付して記していきたいと考えていますが、明日の深夜にも四国遍路に旅立ち、「またー」と言われそうですが、木曜日に満願となり、土曜日には高野山へ参拝予定となっています。
 
                                      7月17日の一言

我家のブルーベリーが、蜘蛛が…

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我家のブルーベリー 今週から続々と熟します
 
 先週には緑色だったブルーベリーが、真夏日に反応して大きくなるとともに、部分的に紫色に変り、今週からは口に入るようになりそうです。我家の庭では秋の柿が熟すまでの最後の果実となります。
 
 我家のサクランボやアンズなど、果実についてはそれぞれの由来がありますが、このブルーベリーについてははっきりせず、私が買ってきたと言われますが、私は父親が残したと思っており、いつから植わっているのかも判りませんが、数年前から当り前に花を咲かせて実を付けています。
 
 本日は仕事で出て行った家内が昼には戻ってきて、「熱中症で倒れるから」と休暇を取ってきましたが、当地方と言うよりも全国的に昨日より真夏日となっており、節電とか考えていると倒れかねません。
 
 報道によれば、歌手の桑名正博さんが脳幹出血で救急搬送されたが、回復の見込みもないばかりか手術もできないと報じられていますが、私と同じ年齢であることが判り、他人事とは思えぬ心境にさせられました。
 
桑名正博 脳幹出血で意識不明「積極的治療法ない」
 
 脳幹出血に限らず、脳梗塞や脳溢血などは日頃の高血圧や、飲酒や喫煙など生活習慣が大きく影響しますが、自覚症状が出ていても倒れるとまでは思わず、倒れてから「あの時に…」と反省することになります。
 
 私も議員になる前から血圧が高く、議員になってからは定期的に医師の診察を受けていますが、肥満と睡眠については改善ができず、食生活や生活リズムを変える事は難しいことは自覚しているものの、水曜日の夜には四国遍路へ人々を案内する事から、体調管理は自分だけの問題ではありません。
  
脳出血の予防や再発防止 http://www.saechika.net/kbk/main1/nou/NSK-yobou1.html
 
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 さて、左に添付したのは、私の車の後部に網を張っていた蜘蛛ですが、四国に出向く前から付いていた可能性が高いことから、四国から付けたまま走ってきたもので、本日我家の庭に放してやりました。
 
 それにしても丈夫な蜘蛛で、四国から1200キロを越える道中には、道を川に変えたような豪雨にも耐え、我々が触ることもできない高熱の車体に網を張っていたのですから、頑張って我家の庭で繁殖して欲しいものです。
 
 この蜘蛛のナワバリは、私の車を停める場所にある柚子の木と、添付したブルーベリーの周辺ですが、最近では粘着力の強い網を持つ蜘蛛が存在せず、子供の頃には大きな蜘蛛の粘っこい網の糸を使って蝉を採っていたことが懐かしく思い起こされます。
 
                                     7月16日の一言

久々に横井庄一記念館を訪れて

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本日の横井庄一記念館の庭です
 
 四国から帰ったら愛知県は真夏となっており、国の進める節電なんて言っていたら頭痛となりそうな環境のため、エアコン全開の一日となりましたが、3日間の留守によって我家の庭も夏模様となっていました。
 
 四国に滞在中にグアム島で発見された故横井庄一さんの夫人から連絡があったので、本日は久しぶりに記念館に走りましたが、記念館の庭は記念館が開館するずっと以前の庄一さん存命中と変わらぬままの姿で、我家から移設したマキの木も時間が停まったままの姿で迎えてくれました。
 
 記念館が開館した平成18年から、昨年までボランティアとして毎週日曜日に眺めていた庭ですが、そのままの姿で維持するのは大変なことで、夫人がもらう僅かな年金が充てられています。
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 さて、夫人にとっては念願となる「鎮魂の旅路」が昨年発行されており、副題に「横井庄一の戦後を生きた妻の手記」と記されていますが、この本を読めば日本に帰国後の横井さんの素朴な姿と心境が偲ばれてきます。
 
 親族である私が推薦するのも説得力がありませんが、夫人が人生最後の仕事として出版した本となるだけに、マスコミから伝わる偶像のような横井庄一ではなく、本人の語った正直な心境や言葉が散りばめられており、関心のある方には是非とも購入して読んで欲しい一冊です。
 
 記念館は毎週日曜日に開館しており、気丈にも80代となった夫人が独りで案内していますが、夫人の年齢を考えると今後の維持運営を真剣に考えることも急務となっており、本日も夫人や私が居なくなった後への記念館継承が話題となりました。
 
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 左に添付した花は、我家の庭で一斉に花を咲かせはじめたオニユリで、昭和の末から平成初期に家族で出かけた揖斐高原の1泊旅行の帰りに、近くの水田の畦道に咲いていた1本の花を持ち帰ったものです。
 
 球根だけでなく、枝の付け根に付いたムカゴによって多くの子孫に受け継がれており、持ち帰った時には平成5年に亡くなった私の父親も一緒だったことから、大切にしてきた花でもあります。
 
 横井記念館には我家から移植した2本のマキがありますが、大正から昭和初期に、庄一さんと私の祖母が一緒にタネを撒いて育てたマキの木で、我家の玄関の正面にも並べられています。ただし、この話を聞いた叔父が母親の形見と所望して、叔父の娘の家にも移植されましたが、子供達に処分されて捨てられてしまいました。
 
 こんな姿を見ると、横井庄一記念館や、私の事務所2階のミニ記念館も、主が居なくなった後が心配になってきますが、家族の苦難の歴史を忘れないためにも、土地や建物だけでなく草木も大切に保存することを家訓にしていきたいと思っています。
 
                                   7月15日の一言 

悠々とした四国の3日間

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相棒と鳴門ドイツ館前の道の駅で 
 
 今回の四国行きの目的は、愛媛県松山市にある、四国八十八ヶ所霊場第52番太山寺のご住職が今年から霊場会の会長になられた事から、それを縁として公認先達から権中先達に昇補する申請書を提出するためで、いつもなら独りで走りますが、最近では家内が心配するため、家内と相棒リマも同行する初めての四国行きとなりました。
 
1日目 11日23時津島発…弥富IC…御在所SA…三木SA…瀬戸中央大橋…豊浜SA(仮眠)…石鎚山SA…松山IC…太山寺…松山城…りんりんパーク-四国屋(食事)…西条港弘法水…三島の湯(四国中央市)…道の駅とよはま 夕食(ぴんぴんや・ゆたか丸)
 
2日目 別格13番仙龍寺…別格14番椿堂…山内うどん…別格18番海岸寺・奥の院…八十場清水屋(ところてん)…高松ぽかぽか温泉…大川オアシス(さぬき市)…道の駅・鳴門市第9の里
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3日目 鳴門市ドイツ館…四国第1番霊山寺…鳴門北IC…淡路島南IC…いざなぎ神宮…津名一宮IC…淡路SA(昼食)…土山SA…弥富IC…
 
 2年後に四国霊場が開創されて1200年となり、3年後は高野山が開創されて1200年を迎えることから、太山寺の吉川住職は任期中の四年間に大きな仕事が重なりますが、私を四国霊場会の公認先達に気持ち良く推薦していただいた吉川住職が会長になられたことも、私にとっては良きご縁として四国遍路の大きな転機としたい心境です。
 
 「四国遍路へ案内した人が50人を超えました」
 「そう」
 「最初は観光だったんですが
 「それなら講でも創ったらどうです」
 「講ですか…」
 
 今まで考えたことも無かった話だけに何も思いつきませんが、最近は自分の寿命を考え、議員生活についてもやるべき道筋を立てて消極的でしたが、新たな仕事を提案されると人間は意欲がみなぎってきます。
 
 家内と2人だけの旅行も学生時代の新婚旅行以来で、長年の希望だった愛犬と一緒の旅立ちから、親子3人のような新しい旅行体験で、ご住職のご好意で仙龍寺では相棒を抱えて本堂まで入れてもらい、松山城では相棒と一緒にリフトに乗りました。
 
 「お遍路はしない」約束の四国行きでしたが、結局は日頃から親しみを感ずるお寺を訪れており、最後は家内の新しい白衣を購入していました。
 
 一方で、車中泊の旅行者は多くなり、乗用車で犬と車中泊の旅人も多く遭遇したことから、私は今回の旅行に犬用の携帯ケージとケージカバンを持ち込み、食事や水の飲料も我家と変わらぬ環境(相棒に座席3席分)としましたが、閑古鳥の観光施設も犬を連れては入れない事と、犬と衛生的な旅行を楽しむために飼い主のマナーや施設の配慮もあれば共に有効と思いました。
 
 「お父さん、上高地はいつ行くの?」と、相棒と親子3人の旅行気分に浸っていると、娘と孫から電話で、三男も自分達で上高地へ行く計画を立てており、四国に居ても市役所や同窓会行事の連絡が入り、全く音信不通の旅行には至りませんでした。
 
                                   7月14日の一言
追伸
現在一緒に四国遍路へ出ているメンバーとは、来週に満願を終えて高野山へ走ります。四国三昧は変わりません…

四国で悠々と、二日目

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四国二日目は、道の駅とよはまの海岸で朝食タイムからスタートとなりました。
しかし、やっぱり遍路になってしまい、仙龍寺、椿堂へ走り、ご住職との雑談になり、山内うどんから別格海岸寺億の院、八十場清水屋のトコロテンとなりました。
明日は帰ります。
                                                7月13日
追伸
3枚目の写真は、床に下ろさない条件で、相棒も本殿前まで入れていただいた仙龍寺。4枚目は海岸寺奥の院の前ですが、この後カサもさせない豪雨が降り始めました。

四国で悠々と

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本日は、愛媛県松山市の太山寺のご住職に所用があって、昨晩に自宅をでました。
家内と相棒リマが一緒ですが、松山城はリフトに乗って天守閣までリマと上りました。写真では判りませんが、リフトの家内の前の黒いバッグにリマが入れられています。
遍路にとらわれない四国を堪能しています。
                                              7月12日
追伸
上から3枚は太山寺、1番下は松山城のリフトですが、高所恐怖症の私と一緒だった登りは相棒も恐怖から暴れましたが、下りはおとなしかったことから、抱かれる飼い主の心境が伝わるんでしをうね。

庭に大量のアマガエルの赤ちゃんが

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生まれてまもない我家の家族 アマガエル
 
 今年も一年の半分が経過し、7月もまもなく半分が過ぎますが、年のはじめに植えたホワイトセージ(ハーブ)の生育が思わしくなく、ポリジも枯れ、春に花を咲かせていたサクランボやアンズの実の収穫が遥か昔の話のようになりました。
 
 パンダの赤ちゃんが死んだと報じられていますが、植物は音や声も発しないだけでなく、我々が気付いた時には、回復させるために何をして良いのかも判らず、動物と違って埋葬するわけでなく、そのまま朽ちていってしまいます。
 
 上高地が好きなことから、高山市の知人の山から持ち帰ったカラマツやイチイの木も枯れてしまい、今でこそ2階まで達している朴の木についても、過去には大木になりながら枯らした経験があり、今回の朴の木は白馬の知人が掘り出してくれた遺品になった事から、真夏の建物の照り返しから守っていく必要があります。
 
 これまで多くの観葉植物をもらってきても枯れさせてしまい、水槽で飼っていたコイやカメも次々と姿を消していく中で、うっとおしい梅雨空の下で、多くのアマガエルが誕生して元気に動き回っています。
 
 さて、私は本日の深夜から家内と相棒リマとともに、愛媛県の松山市まで車を走らせます。今までは自分一人で走っていきますが、年齢から一人では安心して出してもらえず、家内だけでなく相棒も監視役で同行となり、激しい降雨が続いている中だけに大変な道中になりそうです。
 
 2年後に四国霊場が開創されて1200年となり、3年後は高野山が開創されて1200年を迎えることから、遍路だけでなく四国や高野山に走る機会も増えそうです。明日からは四国からの発信となります。
 
                                  7月11日の一言
追伸
久々に横井庄一記念館の夫人から連絡が入り、夫人の出版した本や、近々NHKラジオの深夜番組で横井庄一さんがテーマとなることから、私の写真が宣伝に使われることなどから、足を運んでホームページも増強する話になりました。

大津のイジメ問題から我が身を振り返って

 大津市立中学2年の男子生徒が昨年10月に自殺した問題では、自殺した生徒が泣きながら担任の教師に電話していたことや、教師がイジメを知りながらイジメていた生徒に「やりすぎんなよ」と語っていた事実が判明し、事実を隠せば隠すほど学校と教育委員会へ全国から批判が殺到しています。
 
「見て見ぬふり、ごめん」 大津自殺、悔いる生徒たち
 
 そもそもイジメが全く無い学校は存在せず、強い者が弱い者をイジメるのは人間だけでなく、動物や自然界においても当り前の行為との現実から、イジメを全否定することよりも、イジメが続かないことと、特定の生徒に集中したり、連続しないことを考えた方が現実的かもしれません。
 
 私の小学生の時にもイジメは存在し、私自身も女子をイジメた(私はイジメとは思っていませんでしたが…)として、昼食抜きで担任の教壇の横に座らされたこともあり、特定の生徒にはグループで暴力をふるってイジメていたこともありますが、それは場当たり的で連続はしませんでした。
 
 「あんたには、いつもイタズラされて怖かった」と、大人になって学校のPTA会長になった時に同級生の母親から言われたこともありますが、そんな私も学校の外で悪いことをしてくると、増長しないように数人からイジメを受けたこともあり、素行の悪い生徒は生徒なりに自己防衛を考えます。
 
 私は中学1年生の時から行い(素行)が悪く、イジメを受けたことはありませんが、担任の教師には学年主任の教師と一緒になって理不尽な注意(イジメ)を受けつづけ、非教育的な仕打ちを受け続ける中で、3年生になる直前に右足の骨髄炎で入院しました。
 
 ここから真面目にやり直そうとした頃まで、5年近い歳月を必要とし、成績はあるものの志望校に進学させてもらえず、高校では入院と非行が続き2度の落第を経験しました。
 この頃に誰よりも幅を利かすために、不良なら名古屋では誰もが名前を知る知人と友人となっていましたが、非行に走って学校で幅を利かせたところで、不良仲間も卒業していってしまえばイジメられる対象になってしまうかもしれません。
 
 そんな時に、私の前には救いの手を差し出してくれた教師や、不良仲間、元暴力団の大先輩まで多くの人々が存在しました。
 
 「喧嘩は絶対に弱いものとしてはいけない」と教えてくれたのは、大阪の〇〇会の暴力団に殴りこんで、背中に大きな刀傷を負った津島市の任侠の先輩でした。暴力団の親分を襲って負けても笑われないが、そこらのインテリにボールペンで目を突かれるとシャバを歩けないと実体験のアドバイスは骨身に凍みました。
 
 高校を2度も留年し、担任から退学すると勝手に処遇されていた私の前に現れたのは、「大鹿がいつも問題を起こすのは、やりたい事が思ったようにできないからじゃないか」と、不良の私を1年1組46番にイスを運んで、「一からやり直してみないか」と担任になってくれた恩師の存在がありました。
 
 非行から闘病生活、非行から高校一年からやり直し、成人式後に高校を卒業した不勉強の私に、恩師は大学進学を強く勧めてくれ、私の人生は大きく変わりました。
 
 思いつきで書き込んでしまいましたが、今年の母校の卒業式の前日に一部の(かつての私のような)生徒達に語りかけたことで、私の非行体験が間違った方向に走った生徒や、不登校の生徒の役に立つと校長に言われていたことを思い出しました。
 
 一度には書ききれませんし、当時の高校5年生の体験から、卒業後に恩師に言われて不登校や留年した生徒のもとに何度も走った経験を忘れないためにも、記して残してみたいと思っています。
 
                                    7月10日の一言

現職警察官の飲酒事故が報じられ

 育児休暇中の警視庁組織犯罪対策5課の巡査長(32)が、7日(土)午後6時40分頃飲酒運転で事故を起こし、追突された車の運転手の110番通報で駆けつけた亀有署の警察官による飲酒検知を避けるため、生後5か月の乳児を抱いて逃走するという前代未聞の事件が報道されています。
  
育休中の女性警官、飲酒で事故 逃げて転んで…乳児捨て再び逃げた 
 
 一部のメディア報道では、警察官の不祥事を報道されにくくするため、警察署が意図的に発表を遅らせ、月曜日には新聞が休刊日で発行できないことを意図的に利用したとの発信もあります。
 
 月曜日に発行されるスポーツ紙が小さな記事として伝え、テレビ各社がワイドショーやニュースとして報じていますが、女性警官は「育児ストレスで夫に隠れ、酒を飲んでいた」と供述し、警視庁は「極めて遺憾で、厳正に対処したい」とコメントしているものの、最近問題となっている飲酒運転を現職警官が犯した事件だけに救いようのない事件でもある。
 
警察官等不祥事 2012年
 
 一方において、警察官の引き起こす事件や事故も多く、添付したネット情報を見るとびっくりさせられますが、ネット運営者は「これらの犯罪は、彼らが発表しても構わないと判断した、いわば微罪にすぎず、国民に知られたくない、国民から強い非難を受けるような犯罪は隠されていると思われます」と記しており、国民を取り締まる権限を持つ警察官の不祥事には厳しい視線と厳罰が必須です。
 
 昨日の一言にも愛知県北名古屋市の元議員のひき逃げ事故を添付しましたが、逮捕されたのは今月7日であるものの、事故は4月27日に発生しており、今となっては何も証拠は無いでしょうが、賠償保険が存在するなかで人身事故から逃げることは、飲酒運転か無免許運転などの発覚を隠すことと疑われて当然の行為で、ひき逃げ事故にも最高刑を課すくらいの予防策が必要に思われます。
 
 本日は、ボランティアの合間に、車の点検とオイル交換にカー用品の「ジェームス」出向きましたが、目新しいカー用品を目にしながら、カメラに1枚も収めなかったことから、昨日の繰り返しのような一言にしてしまいました。
 
                                     7月9日の一言

元議員のひき逃げ報道を目にして

 昨日の新聞報道に、愛知県の北名古屋市で、北名古屋市に合併前の元西春町の町議会議員が小学生をひき逃げする事件があり、軽トラックで小学生を轢いて重症を負わせながら、現場で小学生たちを怒鳴って走り去ったとあります。
 
小学生ひき逃げ容疑で元町議逮捕 児童ら「怒鳴られた」
 
 引退したとは言え、自分が議員を務めた地域の子供を怒鳴りつけてひき逃げした心境にもびっくりですが、我が身に置き換えて考えると、一度議員となると引退しても命がある限り公人並みに報道される宿命を負っていくことになります。
 
コミック誌購入、経済誌名で政調費請求 減税日本の市議 名古屋
 河合市議をめぐっては、昨年末に所属していた経済水道委員会の視察に、事前の申請のないまま女性を同伴させていた問題が先月に発覚。視察費約5万2千円を議会に返還している。
 
政調費減額案提出へ 維新市議団、定数減も検討 大阪
 
 名古屋市では、政務調査費を使って女性コミック誌やゲーム雑誌を購入した議員が問題となって報道されていますが、この議員は前年度の所属委員会の視察に知人女性を同伴させており、河村市長の主導する政党から突然立候補した市民とは言え、議員としての資質に大きな疑問が残ります。
 
津島市政務調査費
2007年4月の私の一言 政務調査費について
 
 最近ではあまり問題ともされていなかった政務調査費ですが、昨年4月の統一地方選挙で多くの新人議員が登場したこともあって、政務調査費の不適切な支出が全国各地で問題となっており、一年度分の報告書に対する市民やオンブズマンの厳しい審査も続きます。
 
 5年前にもこの一言で政務調査費について論じており、名古屋市のように月額55万円の予算と比べ、津島市は年額15万円であることから、一緒のように誤解されて市民から批判されることへの嫌悪感はありますが、この財源が市民の税金であることの認識が希薄になっている反省は必要です。
 
 残された議員活動において、交通事故や不法行為を指摘されない生活に徹したいと思う一日ともなりました。
                                 7月8日の一言

四国遍路から意識を脱原発へ

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愛知県に出没した将軍様の息子?
 
 「ディズニーランドに行きたかった」と、不法入国した某国将軍様の長男の事件もありましたが、我家の近くの喫茶店に登場したのは、某国の将軍様でも、将軍様の長男でもなく、私の中学時代の同級生で、私の後援会の看板を掲げてもらっている知人で、ネット上には初登場の津島市の将軍様です。
 
 「ねえー、見た?」
 「うん、見た、見た!!
 「びっくりしたねぇー」
 「本当に本物かと思っちゃった!!
 
 自宅前に立っていると、通り過ぎた中学生が笑い、旅先ではすれ違った観光客が添付したような会話を交わします。彼の出向く喫茶店でも、常連客が「将軍様」とか「キム君」と声をかけることがあるようですが、彼の名誉のためにも彼はれっきとした日本人であり、名古屋市にある豊田家(自動車)の広大な墓地の隣に大きな墓地を所有する立派な先祖の血をひく家柄の人物です。
 
 こんな風貌(失礼)ですが、仕事を早期退職しており、現在は高齢者や病人を病院や買い物に送迎するボランティアで活躍しています。私にとっても同級生と言うよりも、議員になってからは運転手役であり、会報(ビラ)配布にも尽力する相棒でしたが、彼は大の犬嫌いで、私の相棒リマ(本当に小さい)が私の相棒(事務局長)になってからは事務所にも入ってきません。
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 彼の悩みは古くなった家電製品の買い替えや、不具合や故障が連続する生活用品の修理などですが、年々負担が多くなる公的負担によって、のんびりボランティアをしていられる心境ではなく、増税や原発再稼動などへの国の対応にも不満を口にするものの、某国の将軍様のような立場にはありませんから念のために…
 
 さて、来週はこの相棒リマと一緒に松山市まで行く予定をたてていますが、こんな平和な生活がいつまでも続いて欲しいものです。
 
 6日夜に首相官邸前で行われた大飯原発再稼働への抗議活動について、主催者側の発表した15万人と、警視庁調べの約2万1千人との大きな差について、本日の朝日新聞が記事にしていました。
 
原発抗議行動、人数どっち? 主催者と警視庁発表に大差
 
 関係者によると、会場の混み具合から単位面積あたりの人数を推定し、会場全体の面積を掛け合わせて人数を算出している。「身動きが取れないほどの混雑なら1平方メートルあたり8人」など、基本となる人数の推定には様々なノウハウがあるというが、外部には公表していないという。
 
 6月29日の抗議行動についても、主催者発表の15万~18万人と、警視庁調べの約1万7千人に大きな差があるが、私の住む津島市で開催される尾張津島天王川祭りについても20万人から25万人の観光客数が発表されます。
 
 津島市の数字についても、市民の声ではプロ野球の名古屋ドームの混み方から、「6万人はいるだろうな」とも語られますが、数字を大きくしたい主催者の気持ちを考慮しても、公開されている映像を見るかぎりでは、警察発表には意図的な過少申告がされているとしか思えません。
 
 主催者発表の数字を「話半分」としても、10万人程度は参加しており、この数字は組織的動員がされずに、大々的な予告もない中で集まった自発的参加者の数字だけに、原発稼動に反対する国民の熱意が伝わってきます。
 
 「ところで、東京の抗議行動にはいつ行くんですか?」の一言は、本日深夜の午後11時29分にかかってきた電話で、「来週は松山で、再来週は高松で…」と、四国遍路ばかりに意識が行っておりましたが、私の政治行動にも関わりそうな雲行きともなってきました。
 
                                      7月7日の一言

栗林公園に和船の遊覧が始まり

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 香川県高松市にある栗林公園で、 庭園内の池を遊覧する和船「千秋丸」が5日より就航している。四国遍路のついでに、栗林公園を訪れたことはあるが、立派な庭園ではあるが、広大な敷地内を歩くために、歩き疲れている遍路の同行者には不評で通り越しているものの、日本庭園を和船で遊覧する機会は今まで無かったことから、今月の遍路日程の中(19日から21日)に入れてみたいと思っています。
 
栗林公園 船遊び 
 
お殿様気分で舟遊び 栗林公園で和船就航  動画です
 
 今年は4月から毎月四国に出かけていますが、あと一日あれば四国八十八ヶ所と別格二十霊場が満願となります。
 
 「一泊で高野山まで行きましょうか」
 「二泊にしましょう」
 「一泊で終わりますよ」
 「最後だから、観光もしましょうよ」
 
 こんなやりとりから、2日目は鳴門の渦潮見物だけでなく、一日を観光にあてることとなったものの、四国ではお寺からお寺を走ることしか眼中にありませんから、徳島の眉山から夜景を見て、阿波踊りの鑑賞などを予定していましたが、新たな観光名所の登場はタイムリーとなりました。
 
 四国遍路に訪れる人は増加の一途をたどっていますが、行けども行けども初めて体験することが多くあります。
 添付した栗林公園の「舟遊び」についても、四国情報に敏感でなければ見過ごしてしまったと思いますが、四国から発信されてくるブログやネット情報のお蔭で、次々と目新しい情報が集まってきます。
 
 一方において、遍路遍路の自己満足から、初めての体験記を自費出版する人も存在し、不十分な情報や間違った口コミも雑音として聞こえてきます。便利な世の中になり、愛知県からも高速バスを使った週末遍路や、無理のない公共交通と併用する歩き遍路など、四国も身近な存在となっています。
 
 今月は四国遍路に旅立つ前に、家内と相棒リマと一緒に松山市まで走る予定もたててあり、「孫とお遍路」とはなりませんが、愛犬と一緒の四国を初体験してきます。
 
                                   7月6日の一言

無残にも虐殺されていた我家のミツバチたち

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 世の中に腹がたつ事ばかりですが、我家にも本当に腹がたつことがあり、添付した防虫剤が私の可愛い「ミツバチ」の出入り口に差し込んであり、ハチの姿が見当たらない事から、巣を出ていってしまったか、薬剤のために死んでしまったのか…
 
 犯人は家内であることは確実で、私が機会をみて巣箱に移し変えようとしている事を知りながら、「ミツバチ」とは言えとんでもない大量虐殺がしてあり、私に黙って行った行為は離婚級の怒り心頭の一日となりました。
 
我家のミツバチ関連記事  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46233419.html
※我家に生息する日本ミツバチは人を刺さず、きわめておとなしいハチです。
 
 こんな時に新聞を読むと、消費増税と原発再稼動の野田首相や民主党は勿論だが、陰に隠れて便乗した自民党や公明党など、民意を無視した馴れ合いの国会議員には非常に腹がたってきます。
 
 公約にも民意の裏づけもない消費税の増税を、民主党内の十分な議論と集約もせぬままに、自民党や公明党の賛成を見込んで政治生命をかけて議決し、民主党から大量離党者を出したことから、今後は自民党や公明党の協力無くして国会運営は成り立たないが、そもそも民主党だけで絶対多数を握っていた野田首相は、民主党を割ってまで増税にこだわった真意が馬鹿馬鹿しくて理解できません。
 
 本日の新聞やテレビニュースでは、『大津自殺、文科省が教委の聞き取り調査へ』の大きな見出しで、昨年10月、大津市の市立中学2年の男子生徒(当時13)が飛び降り自殺した問題で、文部科学省は5日、大津市教委から事後の対応など事実関係を聞き取る方針を決めたと報道されています。
 
大津・中2自殺、父の被害届3回断る 警察「難しい」
 
「原因はいじめ、学校に責任」大津の中2転落死で両親が提訴
 
 一方で、生徒の父親が自殺直後に警察署を訪れ、被害届を出すため大津署に3回にわたり相談したものの、被害届が受理されていなかったことが関係者への取材でわかったとも報じられています。
 
 こんな事を記すと、暴力団擁護と勘違いされても困りますが、私の過去の経験の中でも、警察に相談しても「民事には介入できない」と無視され、警察官の適当な対応で困った市民が、暴力団に関係すると思われる人に相談して交通事故のトラブルを解決した例があり、全ての警察官を無責任とは思わないが、現実には全く頼りにもできない現実を実感させられます。
 
 また、自殺後の学校の調査から、昼休みなどに「毎日自殺の練習をさせられていた」、「自殺のやり方を練習しとくように言っていた」などと回答した生徒が15人いたことも報じられており、いじめていた生徒達も実際に自殺するとは考えていなかったとは思うが、学校も事前に知り得た可能性も高く、失った命は還ってこないものの、再発防止のためにも徹底的な検証といじめの再発防止を徹底したい。
 
 私は中学時代から横道に入り、高校の落第や非行体験もありますが、自分の過去の非行体験や落第経験は、今に至っては、中学校を不登校になっている生徒や、高校を退学する生徒の歯止めになれる可能性がありながら、教育現場からは必要とされておらず、今年はそんな生徒の役に立ちたいと母校の校長先生に語ったものの、未だに忙しさから出向いていない反省もする一日となりました。
 
                                   7月5日の一言

素朴で感動する書道展を拝見して

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茜屋を会場にして書道展を主催する榊原さん
 
 本日は津島市議会の防災に関する議員研修会が開催され、愛知県防災局災害対策課の丹羽主幹を講師にして、「愛知県の防災体制について」をテーマにした勉強会が行われました。
 
 災害が起こったときに、災害の規模によって愛知県がどのように対応し、地元市町村との連携と支援はどうなっているのかの説明と、最近大きな被害を受けた竜巻についても、気象庁の資料をもとに説明がなされました。
 
 私も愛知県の養成した防災ボランティアコーディネーターや防災カレッジを終了した防災リーダーとして、最近無関心となっていた感がある防災行政について、改めて確認する機会となったとともに、私の無関心についても、愛知県の財源不足によって防災行事が減らされている県職員の本音も聞くこととなりました。
 
イメージ 2 さて、冒頭に添付した写真は、津島市西愛宕町にある喫茶茜屋さんで、今月2日から今週末の7日(土)まで『あるがまま書道展』を開催されている榊原昭治さんで、会場には30点に近い書道作品が展示されています。
 
 中には右の作品のように個性ある書も出展されており、想像していたより見どころがあり(大変失礼な表現ですが)、是非とも皆さんにも鑑賞していただきたく紹介した次第です。
 
 我家の事務所2階でも平成6年より書道会が開催されており、毎週火曜日の夜に書道の練習が行われています。今年も9月に茜屋を会場とした書道展を開催することが決まっていますが、初めての書道展に一人で会場いっぱいの作品を発表された榊原さんには頭が下がります。
 
 普通の書道展では誰もが見せるために見栄えの良い作品を出展するなかで、この書道展では主催者が書を楽しんでいることと、背伸びせずに思いのままに書き込んでいるのが判り、私などは真似もできないものです。近隣の方で、津島市を通るついでがある方は、是非お立ち寄りくだされば幸いです。
 
 「最近お顔を拝見していませんね」と行き着けとしているお店で言われ、四国遍路で家を空けたことや、市議会の行事が連続しているなかで、次男の車が故障したり、孫の子守に出かけていた忙しい現実を実感させられました。
 
 明日からも、しばらくはこんな生活が続いていきます。
                                  7月4日の一言

ジジーは孫の子守役へ

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 「お父さんに行ってもらうから…」と、私の都合も聞かずに勝手に決められたのは、孫が熱を出して保育所を休んでおり、母親(娘)がどうしても休めない仕事があるために、私が孫に付き添うことになった次第でした。
 
 「突然だけど、今日良いかなァ?」
 「今から市役所に行くので…」
 「終わってからで良いから」
 「それからは孫がァ…」
 
 本日は早朝より雨が激しく降っており、市民病院に行ったものの、帰る足がない会員さんからの電話で、少しでも早く孫のもとに走りたい私と、市役所とボランティアの狭間で、何時に終わるかもしれない病院の診察時間が優先することとなりました。
 
 過去にも孫の子守は何度も経験しており、孫も私には懐いでいるものの、幼児とは言え病人の付き添いは病気に感染する可能性もあり、半年前にも孫に感染させられた胃腸風邪によって、真冬の上高地で大変なことになったことがよみがえってきます。
 
孫の風邪が家族に蔓延し http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45905387.html
 
 到着したのは昼になっていましたが、最近では孫のお気に入りの「ジーちゃん」となっていることから、娘も「行ってくるね」と堂々と外出できるものの、半年前には寝かせてからでないと出かけられませんでした。
 
 もっとも、自分の子供すら子守した経験がない私ですから、孫の見せてくれる写真アルバムを見ている最中に眠ってしまい、気がついた時には孫も隣で眠っており、慌てて掛け布団を探しますが、娘とは言え他人の家ですから大変です。
 
 朝から病院に連れて行ったものの熱が下がらない孫の子守ですから、娘が帰ってきたときに重症化していては大変で、汗をかく孫にバスタオルをかけますが、熱のせいもあって嫌がるのと、起きてしまうと面倒なので大変なことになりました。
 
 添付した写真は、孫のアパートの近くにある戸田川緑地公園に出向き、ジュースとポールを購入し、無料で公開されていた昆虫展の会場に入りましたが、全く関心がないため公園内を連れまわしたものの、これからは私の車にひとりで乗ってくることから、時間稼ぎができることが判りました。
 
 「一緒に居れて良かったでしょう」と、帰宅後の家内に言われましたが、病気で熱がある孫の子守ですから疲れるとともに、本日が私の父親の命日であったことから、いずれはこの孫に見守られて最後を迎えるのかと神妙な気分となる子守にもなりました。
 
                                     7月3日の一言

我々より生命力のある花々に

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 今年は花が咲かないかもしれないと諦めていた「パイナップルリリー」から、本当に小さいものの花芽が出たので、今後の成長に期待したいものの、昨年にはもっと太く大きな花芽であったことと、あまりにも小さいため気をつけないと折れてしまうのかもしれません。
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 右の写真は、昨年7月11日の一言に添付したパイナップルリリーですが、昨年にも記した繰り返しとなるものの、私の中学時代に弟が買ってきたもので、我家で40年以上経っています。
 
 数年前までは全く放置されており、一度に二株の花を咲かせたこともありますが、無関心でいれば枯れていても不思議ではなく、我家の花では最年長となる存在だけに、来年はもっと太く大きい花が咲くように努力したいと思います。
 
 こうして写真を添付し、過去の書き込みを振り返ることで、植物や木々の生命力の強さに感心させられますが、我々が手をかけず庭に直に植えれば、我々の生命よりも永遠に花を咲かせ続けることを考えると、人間よりもうらやましい一面も感じます。
 
 本日は民主党の小沢一郎氏らが離党したと大々的に報道されていますが、過去最低と思われる野田首相と対比され、まともな発言が選挙目的と言われてしまうことは残念なものの、これも自業自得であり、子供でも判るウソを国会で堂々と語る野田首相は詐欺師であり、こんな者の道連れは国民も堪りません。
 
野田首相のウソツキ映像 http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo
 
 3日前に添付した映像ですが、多くのブログに添付されているのを拝見し、改めて本日も添付しましたが、脱原発で自発的に集まる国民の姿に、市外のことと無関心で通してきた自身の反省と、自分のできる事を真剣に考える機会にもなりました。
 
                                    7月2日の一言

一週間前の四国遍路を振り返り

 先週日曜日の早朝に四国遍路より帰り、3日間は一言に追加分を添付したものの、市議会の委員長報告をまとめたり、本会議や協議会が続いたことから、四国から持ち帰った土産や頂いた御札などを、本日やっとのことで眺めることができました。
 
 私達は今月の中旬に八十八ヶ所の結願(満願)を迎える予定ですが、その後訪れる高野山では「授戒」を受ける予定としています。一時は、結願後に高野山で行われる結縁灌頂を受けていましたが、結縁灌頂は5月と10月に3日間しか行なわれないことから、同行者をそれまで待たせられません。
 
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 さて、四国から持ち帰ったパンフレットに「高雄灌頂」の広告があり、今年は10月に京都の神護寺において「弘法大師空海灌頂1200年記念」の灌頂が開催されるとあり、参加しようと考えましたが、残念ながら公的日程と重なっているため参加できません。
 
□弘法大師空海 灌頂1200年記念       高雄灌頂  http://www.sogotour.co.jp/jingoji/
  平成 高雄灌頂
  場所 神護寺 金堂
  日時 平成24年10月25日(木)~27日(土)(一般参加は26日(金)・27日(土))
 
 善通寺からいただいてきた供え物には、ばいこう堂の和三宝糖が入っており、このまま見ないままにしまい込むと食べられない可能性が高く、同封されていた「御守護」とともに粗末に扱ってあったことに反省です。 
 
『和三宝』 ばいこう堂 http://www.baikodo.com/
 
 今月は18日深夜に四国へ出発し、21日には高野山に到着する予定ですが、それまでに家内と2人で松山市の四国八十八ヶ所第52番太山寺まで走る予定もあり、四国遍路三昧の一ヶ月ともなります。
 
 連続して巡拝する遍路は9巡り目ですが、これだけ走っても四国の地理が不案内のままで、「そんな筈は無いでしょう」と言われますが、やっと地図とお寺の位置は理解されているものの、工事で迂回すると迷子になり、歩き遍路を行なった場所が地元のように感じることから、そんな機会を増やしたいと思います。
 
 幸いにして、名古屋から四国四県へは長距離バスが毎日運行していることから、車中で睡眠をとり、夜行で日帰り遍路も可能で、早くも一年の半分が経過してしまったものの、秋の空いた日程に歩き遍路へ挑戦です。ゆっくりとした時間の余裕が、四国情報も蓄積できる一日としてくれました。
 
                                   7月1日の一言
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