大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2012年08月

車に走らされた一日となり

イメージ 1 本日は財布を落とした次男の運転免許証の再交付のため、愛知県の運転免許試験場のある名古屋市の平針まで突然のアッシー君役となりました。
 
 こんな時に限って用件が入るもので、車を運転中の携帯電話は違反になるためイヤホンがセットしてあったことから事無きを得たものの、ボランティア仲間に迷惑をかけることになりました。
 
 幸いにして約束してあった市役所との打ち合わせには間に合ったものの、一日の予定が大幅に変りました。
 
 変りついでにと、車のオイル交換に出かけようと考えていると、仕事から帰ってきた家内が「車から気になる音がするから」と言った事から、トヨタのディラーに連絡すると、「手一杯だから、来月の4日にしてもらえませんか」と言われ、自分の車検の約束も6日と決めて電話を切りました。
 
 「4日にしてくれだってョ
 「それまでどうするの」
 「だって、空きが無いと言ってる」
 「故障した時に見てもらえないなんて可笑しくない
 
 車の不調を感じた時に持ち込んでも対応できないメーカーのディラーも問題ですが、こんな時に私ならまずガソリンスタンドに聞きますが、家内は安いセルフのスタンドを利用しており、ディラーにも知り合いがありません。
 
 「オイル交換でもしろよ」
 「車検の時したから…」
 「いつ車検は受けた?」
 「去年の7月かな…」
 
 毎日通勤に利用し、和歌山や広島まで長距離運転をしており、一年間もオイル交換がしていないのにはびっくりですが、安いからとセルフのスタンドばかり利用しているため、車のケアが何もされていません。
 
 自分の車は1年車検のため、あっと言う間に車検となりますが、オイル交換はこまめに行なっており、本日はジェームスに持ち込みましたが、オイル交換後のエンジン音が確実に静かになる事から、一年間も交換していない家内の車は確実に改善されると思います。
 
 「交換したら静かになったぞ」
 「本当、私も行こうかな」
 「時間がかかるぞ」
 「すぐにできるんじゃないの」
 
 こんな調子では、今までオイル交換をしていたとは思えませんが、ジェームスではドリンクサービスとマッサージ器が2台置いてある事から、私は身体のリフレッシュと考えて待っていますが、明日も家内の車に同行することになりました。
 
 最近では右手と肩が不調で、春から足の脛のむくみもとれず、身体の各所から悲鳴が出ていますが、自分で判断できる人間とは違い、車は人間に使われるままに動きますから、車から出る悲鳴にも耳をすませたいものです。
 
                                     8月31日の一言

相棒の成長を実感して

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上高地のテントの中で、ボストンバックに入った相棒です
 
 今年は7月に3日間四国に相棒(リマ雄ポメラニアン)を一緒に連れていき、先週の3日間も上高地に連れていきましたが、これまで相棒も同行できるホームセンターや、近くのドライブには同行した事があるものの、泊り込みの宿泊は初めての経験だった事から、相棒も学習したのか犬用の旅行バック(ケージ)ではなく、我々のリュックサックや旅行カバンに入って自分の存在をアピールするようになりました。
 
イメージ 1 我家は家族が多い事から、これまでも犬を一人(一匹)だけ留守番にした事はありませんが、昨年亡くなったモモ(右)が子犬の頃は我々が旅行に行く時に「ヒィー、ヒィー」と鳴き続け、出かけるのに苦労した経験があり、大きくなってからは出かける我々に背を向けて見ないふりをしていました。
 
 もっとも、帰宅時には部屋中にフンが撒き散らされていましたが、最近の相棒リマも家族が仕事に出かける時には必死で吠えており、置いていかれる寂しさを感じていたようで、我々のリュックサックやバックに入ったり、くっ付いていれば自分も一緒に連れていってもらえると確信している様子です。
 
 私は相棒リマを「暴君」とか「事務局長」などと表現してきましたが、私の事務所や部屋では自分が一番偉いと思っている感が強く、私の車の助手席も指定席と思っており、家族以外の知人や第三者と一緒になると小さい身体で必死に吠え続けます。
 
 2回の旅行だけですが、旅行は自分の縄張りの外で多くの人々と接するため、暴君もわきまえておとなしくしており、旅行中は我々の横や家内の腕の中で眠ることから、これまで以上に人間の言葉と意思を理解したように思われます。
 
 このブログを読んだ知人が、愛犬と一緒に一日中上高地でボーとしていたいと発したことから、「今度テントを持って一緒に行こうか」と夢中で話しましたが、当分は忙しくて時間がとれず、上高地は9月には寒くなることからボーとしてはおられるかどうか判りませんが、相棒に癒される日々が続きます。
 
                                 8月30日の一言
追伸
昨日に相棒を記録した携帯電話のSDカードが紛失し、相棒たちの写真をブログから移動させましたが、本日は写真からブログにスキャンしてみました。

書道展の作品を名古屋の表装店へ

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 本日は9月に予定されている神守丈友会の書道展に出品する作品の表装を依頼するため、名古屋市の栄にある書道用品と表装の「キョー和」まで、恩師と女性2人の4人で走りました。
 
 「店の前に停めておけは良いだろう」
 「いやー、ちょっと…」
 「大丈夫だわァ」
 「ウーン、そうはいかないんですよ」
 
 昨晩に開かれた書道教室の会話ですが、店の駐車場に車高のある私の車は入れず、名古屋の中心地だけに近くに駐車場がなく、路上駐車で違反キップでも切られたらたまりませんが、高齢となった恩師には何を言っても通じません。
 
 私は運転免許を取得してから現在まで無事故を続けていますが、若い時はスピード違反や駐車違反も犯したものの、最近は何事もなかったものが、数年前の大晦日に京都で駐車違反を犯し、元旦早々に反則金を支払い、免許証に2点の減点も付きました。
 口惜しい事は、交通事故を起しても物損事故(軽微な人身事故でも)には罰金も減点もないのに、駐車違反は2万円の罰金だけでなく2点の減点も取られる事で、免許証の色も変わり、任意保険のゴールド割引きも無くなります。
 
 一方で、運転者が真面目に警察署に出頭すると罰金と減点がありますが、放置しておくと車の所有者に罰金の支払いが求められるものの、減点は付きませんから、真面目な人ほど制度を知らずに出頭してしまいますが、制度の不備は否めません。もっとも、出頭せずに所有者として反則金を支払えば減点はありませんから、このままで良いとも思いますが…
 
 結局は私が車で留守番し、3人がお店に入っていきましたが、午前中に市役所に出向く事ができないため携帯電話で連絡すると、電話で要件が済んでしまい、市役所職員の誠実な対応によって、相談されていた市民の方からお礼を言われる展開となりました。議員になって13年間が経過しましたが、これまで直接口頭で訴えていた事がウソのように、電話で事足りてしまう現実に空しさも覚えましたが救われました。
 
 「今日はこのまま帰るの?」
 「えっ、さぁ…」
 「お昼はどうするの?」
 
 名古屋まで行ったから昼食くらいはと思う昔ながらの恩師には申し訳ないものの、午後も人との約束があるため、サービスの良い珈琲屋さん経由となりましたが、愛知県のモーニングサービスは珈琲代だけで上高地の洋食ランチのボリュームがあります。
 
 のんびりとしていましたが、まもなく9月議会が始まる事と、書道展も半月後に迫っている事から、案内手紙の印刷や発送も必要となり、7月に四国遍路を結願した人々とは「西国三十三ヶ所」の巡礼も約束してある事から、今まで以上に忙しい9月になりそうです。
 
                                      8月29日の一言

無茶苦茶な事ばかりが目について

 本日は朝から津島市議会の議会運営委員会が開催されましたが、7月から継続して開催されてきた愛知県の主催するボランティアコーディネーター養成講座も最終日となっており、本日の遅刻や欠席はコーディネーターの認定がされない事から、時間ギリギリで同じ会派のY議員にバトンタッチする綱渡りの一日となりました。
 
 先週末の上高地の3日間についてブログに記している事から、帰宅後に犬と一緒の旅行について連絡が続き、昨日からは9月議会に提案される議案について、委員長となっている私に事前に連絡するため各課から電話が続いた事から、電話には着信履歴が大量に残されるだけでなく、帰宅時には電池切れ寸前の状態となっていました。
 
 さて、昨日の一言に、同級生の市役所職員の父親が亡くなり、本日の葬儀に議会や愛知県の日程を優先するため参列できず、家内が参列すると記しましたが、書道仲間と一緒に参列しただけの私の家内が議員の私の代役として来賓席に座ることになり、来賓焼香までしたとの話にびっくりです。
 
 「大鹿さんは何で来ないんだ」と家内は恩師に言われ、議会日程があるからと答えると、「じゃー、〇〇議員は何故来ているんだ」と聞かれると弁解にもならず、夜には書道会があり、9月の作品展の締切日になっているものの、全く練習不足の作品を提出する不本意な結末となりました。
 
母親が生活保護「道義的責任」と議員辞職 徳島の市議
 
 本日の朝日新聞には、母親が生活保護を受給していた徳島市議が、「政治家として道義上のけじめをつけた」として議員を辞職したと報道されています。詳しい内容は判りませんが、我々議員は住民の納めた税金から報酬をいただく身であるため、断絶状態とは言え母親が生活保護を受けて知らぬ顔はできないでしょうね。
 
「市内で10日は野宿しないと」 生活保護申請の男性に
 
 本日の朝日新聞にはもう1件、生活保護に関する記事が掲載され、不適切な説明をした関係者が生活保護の申請に訪れた男性に謝罪すると記されていますが、男性が前日まで他市に生活していたとある事から、詳細は判らないものの、対応した大津市の生活福祉課の男性副参事の心境も良く判り、「男性が翌日、勤務先の退職証明書を持参して別の職員に申請を依頼すると、受理された」との報にも、こんな簡単に保護される仕組みにも疑問が湧いてきます。
 
 生活保護については、オリンピックでメダルを獲得したハンマー投げの室伏選手の母親が生活保護を受けていたと発信されており、受給に対する賛否両論が論議されているものの、離婚したから実の母親も赤の他人と割り切り、何をやっていても関係無いと言い切れる事が、子供の教育上には大問題であり、こんな親子が国の英雄のように報じられ、教育機関に関わって生活している事が悲しくなってきます。
 
 最後になりますが、我家より明らかに資産が多く、自宅も御殿のような農家の高齢者から、「年金がかけてないから生活ができない」と言われ、生活保護を希望する相談を受けた事がありますが、後継者は親元を離れて新しい住宅を購入して優雅に生活しており、こんな環境でも真剣に相談に乗らざるをえない行政職員と矛盾を感じたこともありました。
 
 もはや、恥も外聞も無いのが当り前のような社会になっており、社会制度の見直しは急務であり、増税しても真面目な国民が負担した貴重な税金が、ザルのように一部の国民にながれていくだけで、「減税」とまでは言わないが増税だけは阻止して、不適切な支出も阻止したいものです。
 
                                    8月28日の一言

人は死んでも遺徳は残ります

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今は家内のマイカーになっていますが…
 
 「はい、大鹿ですが」
 「〇〇だけど…」
 「うん、何んだったかな」
 「実は、…」
 
 上高地から自宅を目指す私の車に入った携帯電話の内容は、小中学校の同級生で、現在も一緒に書道教室で学んでいる市役所の職員からで、「親父が亡くなった」と自分の父親の死を告げるものだった。
 
 彼の父親は私の父親より2学年若かったが、ガンで最後の通告を受け65才で死んでいった私の父親とは違って、何度も何度もガンの宣告を受けながらも、手術を繰り返して不死身のように回復され、病気の悲壮感を全く顔に出さずに笑顔が絶えなかった人だけに、調子が悪いとは聞いてもまさか死に至るとは信じられない訃報でもありました。
 
 私の父親の葬儀の際には、彼は我家の通夜や葬式の受付に座ってくれましたが、最近は葬儀が葬儀場で行なわれる事と、葬儀が行なわれる明日には議会運営委員会が開催され、その足で愛知県庁に走る予定が入っており、葬儀には参列できない事が心を痛めます。
 
 「お父さんが行けないのなら、私が行くから」と家内の口から一言が発せられました。私の同級生の家族の訃報も度々経験したものの、家内が会社を休んでまで私の代役で葬儀に参列するのは初めての事で、びっくりとしていると「私の車は〇〇さんのお父さんの車だったんだものね」と、私がすっかり忘れていた言葉が続きました。
 
 そうだったのですね。彼のお父さんが高齢と病気のため、家族から車の運転を咎められ、永く駐車したままの車はバッテリーが切れて、タイヤの空気も減って動かす事ができなくなってから私へのSOSがありました。ブースターが届かず苦労はしたもののエンジンがかかり、新しいものの放置されたままで錆びが見え、そのままガラクタのように廃車されるのが忍びなく、「俺の家内に貰おうかな」の一言から、家内のマイカーになった経緯をすっかりと忘れていました。
 
 結果論ですが、彼の親父さんの車で今晩は家内とともに通夜へ出向き、明日は私の代理で家内は書の恩師を乗せて葬儀場に走ります。人の命は限界がありますが、人の残した遺産や真心はそのまま残される事を実感するとともに、この車も大切に限界まで乗り潰したいと思う夜になりました。
 
                                  8月27日の一言

相棒も同行する出会い旅

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本日26日朝の穂高連邦 小梨平梓川から
 
 今年の夏休み最後となる上高地となりました。たった3日間の滞在ですが、相棒リマ(ポメラニアン雄)と一緒に過ごすため、今年はテントを購入して出発しましたが、私だけの予定だったものの、テントと宿泊場所が離れるデメリットから、家族6人全員(私の母親も私の孫も一緒に)が私のテントの隣に常設のテントを借りました。
 
イメージ 5イメージ 4 1日目の夜こそ雷雨に遭遇したものの、3日間とも好天に恵まれ、1日目は3才の孫も一緒になって明神池まで歩き、2日目は家族は田代池まで散策し、私は相棒リマとテントで留守番となったものの、私と家内については学生時代以来のテント生活で、こんな楽しみ方がまだまだできる事を実感しました。
 
 「また、山に行くかぁー?」
 「お山、また行くゥー」
 
 3才になたばかりの孫がどこまで記憶に残すかは判りませんが、たった3日間とは言え、家族6人がテント生活を送るためには持ち込んだ備品も多く、車まで運ぶのが億劫になり、リヤカーを借りて小梨平からバスターミナルまで運びました。
 
 実は写真では見にくいものの、リヤカーの最後部の家内の前に相棒がカバンから頭を出しており、出会う人々やバスターミナルで待機するタクシーの運転手さんが集まりペット談義に発展し、一緒に滞在していた外国の御夫人のカメラに収まったり、相棒のお陰で中々の人気者にされています。
 
イメージ 2 上高地には番地が無く、仕事で滞在する人はあっても住民は一人もありません。しかし、ここに1年間に100日は滞在しているのが油絵を描く千葉県の渡辺画伯で、私にとっても貴重な友人となっていますが、氏は自分の仕事を後継者に任せて小梨平のテントで生活して穂高や焼岳を描き続けておられ、上高地の渡辺画伯(写真の左側)で郵便物も届けられる有名人となっています。
 
画伯の関係記事
上高地・世界の交差点
 
 金曜日には地元新聞社の取材も受けておられましたが、氏によれば「ホームレスの画伯」として、私がこのブログに紹介したことによって、全国の人々に知られるようになったと語られ、「ブログと言うのはすごいなァ」と言われて、もっと真剣に紹介しておくべきだったと反省していますが、こんな歳になって(私5?才、渡辺氏7?才)意気投合する出会いと魅力が上高地にはあります。
 
イメージ 3 本日は乗鞍スカイラインを走り、乗鞍岳の畳平のレストランで昼食にする事にしましたが、こんなに上高地や乗鞍岳が身近になったのは、私が青ナンバーのタクシー車輌を所有したからで、タクシー事業主として運輸局の試験をクリアして、高額な車輌を買い込んだのも上高地の魅力があったからです。
 
 高速道路の普及によって、かつては長野県の松本から入っていた上高地も、高山市を経由するようになり、日帰りが可能となりました。しかし、マイカー規制がある事から、バスやタクシーに乗り換えるのは費用も時間も大変で、自由に上高地に出入りできるようになった事が、私を上高地の隣人にしてくれました。
 
イメージ 6 さて、今年になって相棒を四国遍路に同行させたところ、自分も一緒に行く事が当然のように感じたか、連れて行って欲しいためか、出かける前に旅行カバンやリュックサックの上に座り込むようになり、一緒に行くためにアピールするようになり、我家では暴君でありながら、旅行先では可愛い子犬のようにおとなしくなりました。
 
 一方で、我家ではケージの中が指定席となっているものの、旅先では助手席か私の腕の中が指定席となり、夜は家内の腕の中を指定席とするようになり、こうなると我が子と同じように感じてしまうことから不思議ですね。
 
 淋しい話題は、上高地からの帰路に必ず立ち寄るようにしていた旧丹生川村の琴水苑が休業中となっており、持参した土産をそのまま持ち帰ることになった事で、休業の理由は訊ねないものの、年齢を考えればそんな体験も増えていきます。9月の再会を約束している画伯の健康も心配する夏休みともなりました。
 
                                8月26日の一言
追伸

上高地二日目

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上高地二日目は、朝食後に明神池まで歩き、午後は家族が温泉に行っている間はテントの相棒リマと留守番です。日本酒雪紫が腹にしみわたります。ただし、テント生活で隣り近所となった上高地の有名人渡辺画伯とゆっくり雑談ができましたので、私個人にとっては本当の夏休みとなったように思います。画伯の話では、私が発信した氏の世界の交差点は反響があり、知人から連絡があったとの話です。

明日は乗鞍スカイラインを走ってから帰路となりそうです。

相棒と上高地へ

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夏休みの家族サービスで上高地へ来ました。
今年は相棒リマが一緒に来ているため、テント持参ですが、家族も近くが良いからと、全員がテントになりました。
天気にも恵まれ、絶好の夏休みになりそうです。

横井庄一の体験を活かせ

 昨日の一言に、15年前に愛知県で起こったストーカー殺人犯の少年が反省もなく犯した蒲郡市の再犯事件と、大津市のイジメ事件に関わる少年の犯した事件を添付して、私の所感を書き込みましたが、本日の朝日新聞には問題の中学校で起こったその後の事件で隠匿されていた新たな事実が公表され、学校も教育委員会も、加害者とされる中学生も全く反省せず、真剣に対応されていない事を実感させられました。
 
同級生の担任、小指以外にも4カ所けが 大津中2自殺
 
 昨日の記事では、加害者とされる中学生が、転校した中学校でも他の中学生に集団で暴力を振るっていたが、今回の記事では、加害者とされる別の中学生が今年5月に担任の女性教諭に暴力をふるい、教諭が手の小指の剥離骨折のほか、腹や胸などの4カ所にけがを負っていたことが報じられています。
 
 自分達のイジメが原因で自殺したと遺族に摘発され、大津市だけでなく日本中の教育者や識者を巻き込み、国民全体の社会問題となっているイジメ問題の当事者が、何事もなかったかのように暴力を振るい続けている現実は、暴力を売り物とする暴力団と一緒と思え、関係者の対応が悪いと言うのは簡単だが、加害者と思われる生徒とその家族環境について知りたくもなってくる。
 
 さて、昨年の東日本大震災の被災地にボランティアに出かけた人々から、「こんな悲惨な例は見た事がない」と「歴史上最悪の災害」と言われたことがあるが、規模の大小に違いはあるものの、自然災害の現場は何所も同じで、地震や台風で毎年のように多くの人々の命が奪われています。
 
 被災地の仮設住宅で孤独死する高齢者や自殺する人の存在が気になりますが、世の中にはもっと悲惨な環境で歯を食いしばって生きている人々も多く、イジメられて死んでいく少年や少女については、過去の戦争や災害から立ち直って生き延びた人々の体験をもっと知らしめる必要も感じます。
 
 グアム島で戦後28年間にわたって一人で生き延びてきた横井庄一さんは、母親が離縁されて我家に預けられ、小学校では大鹿庄一の名前をもじって「オーシかツンボかしょういちか」とイジメられた事が自叙伝に記されています。
 
 
 名古屋弁ではオーシは口のきけない障がい者で、ツンボは耳が聞こえない障がい者を指し、当時は出戻った事は生きていけない位の仕打ちを受け、肩身の狭い生活から口数の少ない無口な子供時代だった事から、周りからイジメられ続けられて、女の子たちとしか遊ばなかったと「明日への道」に記されています。
 
 火曜日に、四国遍路のメモ書きが紛失している事が判り、本日は四国遍路の記録をパソコンの「朝日旅行友の会」に追記し、更新されていない「津島の新しい風」や、「横井庄一」関係のHPにも書き入れており、横井庄一さんの戦争で生き残り、一人で洞穴で生き延びた人生を考えると、最近の東日本大震災や、イジメで命を絶つ人々もやり直す前例になれると思いました。
   
明日への道・横井庄一記念館 http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage201.htm
 
 横井庄一夫人から、「主人の味わった戦争の苦しさを考えると…」と言われ、私は「横井さんは生きて帰れたから良いが、私の伯父は沖縄から遺骨も戻っていないし、戦死した場所も判らない」と返したことがあります。
 
 戦争や原爆、空襲で、多くの旧日本兵や民間人が命を奪われ、生き残った人々は歯を食いしばって家を建て直し、世界の先進地と肩を並べる日本になりました。
 愛知県も伊勢湾台風で多くの人々が犠牲になりました。多くの先例を見本として、イジメによる自殺や孤独死から犠牲者を減らしたいものです。
 
 最近は足が遠ざかっている横井庄一記念館ですが、悲惨な戦争を繰り返さない事だけでなく、イジメに負けない命の尊厳と、生きていく原動力になれる例として、新たな発信を続けていく気持ちにもなりました。
 
                                 8月23日の一言
追伸
明日からの3日間は、家族で夏休みの上高地行きとなりますが、今年は相棒も一緒のため、優雅とは言えないサバイバルの3日間ともなります。

反省もなく繰り返される少年犯罪に

 15年前に、愛知県西尾市で同級生だった女子高校生を殺害し、殺人などの罪により実刑判決を受けて服役した元少年(現在30才)が、今月、蒲郡市内で見ず知らずの女性に包丁を突きつけて引き倒し、けがをさせる事件を起こして逮捕され、蒲郡署は19日、元少年を銃刀法違反容疑で現行犯逮捕し、傷害容疑を加えて身柄を送検したと発信されている。
 
ストーカー殺人の元少年、女性への傷害容疑で送検 愛知
 
 被害者となった家族や、三河地方の女性や住民にとっては許しがたい犯人だが、少年として法律に守られ、名前すら特定できないままに元少年は数年前に出所して、蒲郡市内でアルバイトをしていたというが、全く罪への反省と更生が図られておらず、今回の現行犯逮捕についても、30才になっているものの元少年として新聞報道でも実名が報道されていない。
 
 こんな人間は名前を公表して、地域社会の厳しい監視下に置かなければ、微罪で裁かれても再度犯罪を犯す可能性も高く、元少年の保護者としての関わりも検証し、ストーカーや性犯罪の再犯率が高い事から、出所後の対応についても検証すべきと思われます。
 
転校先で傷害容疑、家裁送致 大津いじめ自殺の同級生
 
 大津市の中学生のいじめ自殺に関係し、自殺した男子生徒の遺族から暴行など六つの容疑で告訴されている中学生3人の1人が、事件後に転校した他の中学校で、別の中学生を集団暴行したとする傷害容疑で京都府警から書類送検されており、京都地検は今月14日、少年を京都家裁へ送致したと報じられている。
 
 大津のいじめ事件は日本中に注目され大きな問題となっているが、被害者が自殺に追い込まれた可能性のある少年が、転校によって野放しにされ、同じような事件を起している現実は、学校関係者が何ら真剣に対処していない事と、少年の保護者の監督責任にも疑問が生じ、自殺した生徒の親の心境を考えると許しがたいものがある。
 
 少年が罪を犯すと、家庭裁判所の審判においても、保護者の存在によって保護者の監視下で反省して更生するよう指導される場合が多いが、限られた時間では保護者の資質や本人の反省度も判らない場合も多く、保護者の中には少年を「厄介払い」にして放任しているケースも見受けられます。
 
 添付したストーカー殺人の少年も、大津市の転校先での傷害事件も、保護者や更生させる関係者の監視下にあったとは思えず、対象者を地域から遠ざけて放任しただけで、反省もしなければ再犯も起こってきます。大津市の問題も、教育委員会や学校関係者ばかりが注目されていますが、一番重要な加害者の親の存在が見えてきません。昔の隣組とか一族郎党などと言えば前時代的にも思われますが、個人情報によって犯人が隠匿され、ノウノウと犯罪を繰り返す悪例も地域から払拭したいものです。
 
                                8月22日の一言

四国遍路の閻魔帳を紛失して…

 本日は愛知県の主催するボランティアコーディネーター養成講座のため、朝から夕方まで名古屋の一日となりましたが、こんな日に限って多くの電話が集中し、夜には書道教室があったものの、途中で電話があり、筆を持つ気分にもなれず、明日は繰り越した約束と仕事が夜まで続きます。
 
 「大鹿さん、四国遍路も安く行けるんですね」の一言が、帰宅後の私をびっくりとさせる事態に追い込みました。
 
 パソコンから「安い」と聞いた阪急交通社のバスツアーを検索し、確かに1回目の2980円は日帰りとはいえびっくりとする値段ですが、名古屋から日帰りで遍路ができるはずがなく、その日は3ケ寺だけで帰り、2回目は約8千円ほどが、7回目には6万1300円となり、全体では32万6360円から37万6860円の料金に膨らみ、満願に至るのに10ヵ月の歳月を要します。
 
 四国八十八ヶ所霊場会の先達の要件には、四国を何度も廻った経歴だけでなく、「金と時間と健康」が必須となっており、自由になる時間があり、余裕のある経済状況と同時に、健康なる身体でなければ務められないと記されています。
 
 いくらバスツアーと言えども安いはずがなく、最初の安さに惹かれて参加すると、白衣や金剛杖と納経帳など必要な備品が必要となり、一ケ寺300円の朱印も重なると小銭が飛んでいってしまいます。
 
 何も知らないほど恐ろしい事はなく、私が四国遍路を始めた10年前には、マイクロバスのレンタカーを借りて、2万円の会費で2泊3日を4回の巡拝(8万円)で満願と高野山まで巡拝していました。
 
 さすがにこんな会費では赤字が出て追加料金が必要になりますが、最近ではジャンボタクシーを使用して、同じ4回でも四国八十八ヶ所だけでなく別格20霊場も一緒に高野山まで巡拝し、毎回観光コースも併設し、名古屋から四国までの高速バス料金分と会費3万円(総額約17万円位)で巡拝しています。※ちなみにタクシーの営業ではなく、個人の趣味の会費制です。
 
 3千円を下回るバスのツアー料金の是非は論じませんが、安さから衝動的に参加しても、10回の日程全ての都合が合わないと、翌年に持ち越しとなり、誰も知らない人々の中で孤独な遍路となる事から、そのまま遍路を中断したままの人も多く、せめて気の合う知人を誘うか、ご夫婦での遍路を勧めたいものです。 
 
阪急交通社 四国遍路 名古屋発着
クラフツーリズム 四国遍路 名古屋発着
 
 さて、びっくりして汗が滝のように流れる事態はこの値段の事ではなく、私の四国遍路の「閻魔帳」とも言える巡拝の記録とメモ書きが紛失した事で、平成13年から書き込んで蓄積した資料が見当たらず、バスツアーとの比較ができません。
 
 「何処かに置いてあるから、そのうち出てくるわァ」の家内の一言は慰めにもならず、自分の過去が消えてしまったようで、筆を持ってのんびり書道どころではありません。
 しかし、探せば探すほど、書類や積んだ場所が変わってしまい、余計に判らなくなるばかりで、「自分の頭から絞り出せば…」と開き直ってみますが、失ったものは戻ってきません…
 
 本日の講座で講師の先生が、ネット情報の更新をこまめにしないと、誰も見なくなってしまうとの一言がありましたが、私の管理するHPはほとんどが更新されておらず、朝日旅行友の会の行き先リストも昨年から追加されていないため、自分の記録と資料としても不備を実感する夜となりました。
 
                                  8月21日の一言  
追伸
 少しずつでも更新したいと思います。

法治国家を返上した野田外交によって

 香港の活動家が上陸して社会問題となっている尖閣諸島へ、日本人の地方議員や活動家が上陸した事で、中国各地で反日デモが起こり、日本車や料理店が破壊される暴徒と化し、両国の緊張関係は最高潮に達しそうである。
 
尖閣上陸同行議員「政府は毅然と」 地元「過熱が怖い」
記事の続き…
 慰霊祭の船団に加わった前横浜市長の中田宏・大阪市特別顧問は上陸行動について「気持ちはよくわかるが、外交のカードがないまま、こういった形で物事が進むのは感心しない」と話した。自民党の新藤義孝衆院議員は「正式に上陸を求めても断られるのだから、国策の変更を求めなければいけない」と語った。
 第11管区海上保安本部(那覇市)の保安官は現場海域で、10人が戻った船に立ち入り調査をした。船舶安全法に基づいて船長らにも事情を聴き、船体を調べたが、「違反なし」と判断したという。
 一方、沖縄県警は対応に苦慮した。幹部によると、慰霊祭などを主催したグループに上陸しないよう、事前に念を押していた。幹部は「なるべく早く任意で事情を聴き、事実を確認したい。逮捕するような事案ではない」と語った。
 10人の上陸を受けて、中国や台湾は相次いで抗議の意思を示している。民主党の長尾敬(たかし)衆院議員は「尖閣諸島はわが国固有の領土。政府は毅然(きぜん)と対応すればよい」と語った。東京都は魚釣島などの購入を計画しており、小礒明都議は「すばらしい景観。有人化を段階的に図るべきだ」と訴えた。
 船団が戻った石垣漁港を孫娘(3)と散歩していた新垣静枝さん(64)は「『中国が上陸するならやり返せ』という印象。上陸合戦が過熱していくのが怖い」。水産加工業の男性(58)も「よその人に島がひっかき回されている。地元がぎくしゃくしなければいいが」と心配する。
 石垣島には台湾からのクルーズ船も訪れる。土産物販売業の男性(42)は「東シナ海が緊張し、敬遠ムードが出ないか。沖縄は中国や台湾とうまく共存してきたのに」と話していた。
 
 太古の歴史はさておいて、歴史上も明らかに日本固有の領土である尖閣諸島を中国の領土と主張し、国民の違法行為を追認する中国政府も問題だが、明らかに領海を侵犯して上陸する違法行為に、法的に取るべき処置を先送りした日本政府の対応のまずさが、今回の日本の国益に反するかもしれない日本人の行為にも断固たる対応が取れない無法状態を作ったと言わざるを得ない。
 
 中国人が国境を犯しても、取り調べることもなく即無罪放免にした判断を、「妥当な行為」と論じた識者もあるが、法治国家である以上は法律に基づいて公明正大な対応をすべきで、今回の日本人の上陸についても取り調べる事もできない前例を作ってしまい、今後も領海侵犯は留まらないし、逮捕すれば更なる反日デモが拡大するのは確実であろう。
 
 外国に不法侵入した極悪人であるはずの香港の活動家は、帰国後に英雄のように迎えられ、再度尖閣諸島に上陸すると宣言しているが、今後起こりうる領海侵犯への対応が気になるところです。
 
 一方で、今回尖閣諸島に上陸した日本人についても、個人の身勝手な行為のように扱われているが、「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の国会議員たちが主導して参加している事から、何故に中国の海賊のような行為と張り合うように、同じ土俵に乗るような国益とならない上陸を許したか、自民党の山谷えり子参院議員ら国会議員8人の無責任な行為の責任も問う必要がある。無責任だ。
 
 不法入国を犯した悪者を法によって裁けない政府と、国益も考えない無責任な国会議員や地方議員の行為…
 国民に増税しないと何もできない国会議員と、国益も考えず海賊と張り合う地方議員…
 
 東日本大震災にびっくりしているが、それ以上に悲惨な太平洋戦争によって、日本全土が焼け野原になり、原爆によって直視できない人的被害を受けながらも、死んでいった仲間や家族のために、生き残った先人たちは必死で働いて世界一の先進国に導いた過去がむなしくなるような野田政権の無関心ぶりは最悪としか表現する言葉が見当たらない。
 
                                   8月20日の一言

同窓会総会と物故者法要が終わり

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 本日は、私の母校である神守中学校の同窓会総会と物故者法要が行われ、午前10時より母校で総会を行い、午前11時過ぎに近くの徳応寺で卒業生でもある藤井住職の読経により、卒業生と恩師で物故者となられた人々の供養を行いました。
 
 私が同窓会役員になったのは、平成5年にPTA会長や、一緒に拝命していた小中学校の各種の役職を辞任したことから、町内で同窓会役員を務める先輩から声をかけられたのが最初でした。
 
 会長から、「同窓会報の記事や原稿で協力を願いたい」と言われ、会報や恩師たちと卒業生のバス旅行を企画するなどしていましたが、翌年には「会長をお願いしたい」とびっくりの決断を迫られました。
 
 後日談となりますが、私の前任となった会長は、自分が会長を迫られたときに、「後任が見つからないから」と固辞したそうですが、私がPTAの役員を引退したら役員にして会長を継がせるからと前任の会長から言われて引き受けており、知らないところで早くから私を会長にする話が決まっていたようです。
 
 前任の会長より、「最低でも十年は」と言われて覚悟して引き受けた会長職も、役員会に誰も出席してこない環境では後任を見つける事も難しく、会長になって15年の歳月が経過し、今年になって私を指名した前任の会長も鬼籍に入られてしまいました。
 
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 さて、毎年参加者が少なく、総会が近づくとストレスを溜めており、今年も毎年参加していただく恩師の欠席や、卒業生の欠席の連絡を受け続けましたが、幸いにして連絡した同級生の女性軍が声をかけあって参加してくれ、先輩方や恩師の出席があって、「今年は人数が多いのでゆっくりと来て下さい」と、昼食の準備をする会場から言われる(少し)盛況の総会となりました。
 
 右に添付した写真は、私の恩師で音楽を担当しておられた小林先生が、我々のためにフルートの演奏を披露して下さいました。
 
 物故者法要には、亡くなられた卒業生と恩師の名前を記名する立派な掛け軸が残されており、お寺で披露して供養をしていますが、記名が物故者の家族や同級生からの自己申告だけに事足りているものの、全員の記名を考えると新たな記名帳を考えていく必要に迫られています。
 
 総会への出席は少ないものの、学年によっては盛大なクラス会や学年会が開催されており、同窓会と学年会を上手く連携させれば、参加者の増加も見込めそうに感じますが、何もせぬままに一年が経過して反省を続ける繰り返しで、今年も何とか責任が果たせたようにも思いますが…
 
                                   8月19日の一言

「雪紫しか飲まない」の一言について

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京都で買い求めた日本酒「雪紫」4種です
 
 京都で16日に購入してきた日本酒「雪紫」は4種で、一番左が夏季限定で販売されている雪紫純米吟醸原酒・生貯蔵酒で、二本目が雪紫純米吟醸です。
 
 一番右の酒は雪紫純米大吟醸ですが、右から二本目の西陣特別純米酒はネッイメージ 2ト上の「雪紫総本舗」から見当たらないので、右に添付しましたが、西陣織の布が巻いてあり、京都の土産らしいお薦めの一本です。
 
 この雪紫が販売されているのは、大徳寺の門前にある山国屋・細見酒店ですが、この店に初めて立ち寄った年は判らないものの、議員になった平成11年からは、「私は雪紫しか飲みません」と宣言し、毎年立ち寄るようになりました。
 
 それは雪紫を飲んで気にいったのではなく、この雪紫は細見酒店だけで販売されている日本酒だったからです。
 
 私は若い時から酒が強く、友人と出かけると朝まででも飲みつづけ、居酒屋で日本酒を一升5合以上飲んでも、話す相手があるうちは酔い潰れたこともありません。初当選した際には、縁側が沈むくらいお祝いの日本酒が届き、人に差し上げても飲みきれず、仕事を廃業して議員専業になった事で、時間の余裕と飲む機会も増えて不摂生な日々が続きました。
 
※ちなみに、議員に金品を届けることは公職選挙法に違反し、議員から金品を受け取るだけでなく、届ける事も法律に反します。私の事務所も受け取ってはいませんので念のために… 
また、私は議員としての宴席は一切参加しないと宣言しています。
 
 後援会長は私の父親の幼馴染で、「町内の大酒飲みは全員が早死にした」と、私の父親も65才で亡くなっていることから、私に酒を慎むように助言されたものの、届けられる酒を断る事もできず困っている時に「雪紫」と出会いました。
 
 地元にも醸造されている日本酒があり、周りから「そんなことを言っていたらダメだ」と言われたものの、「雪紫しか飲まない」の一言によって、雪紫は京都の細見酒店しか存在しない事で、日本酒が届けられる事もなくなり、私の健康面にも大きな貢献をしてくれました。
 
 私は日本酒は大好きですが熱燗が嫌いで、冷やしてそのまま飲むために、ちょっとが5合になってしまいますから、こんな生活を続けていたら大変な事になります。議員になった当初は飲む機会が増えたものの、飲めない人と長い時間を一緒にいると、飲める人間の体に入る酒量はびっくりとなります。
 
 本日も16日の続きとなってしまいましたが、「何故に地元の酒でなく、京都の酒なんだ」の一言に応える一言になりました。
 
                                    8月18日の一言
追伸
明日は神守中学校の同窓会総会と物故者法要が行なわれます。

昨晩の京都送り火の追記です

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成長著しい我家の西洋アサガオ
 
 今年5月には家族に捨てられ瀕死の状態であった我家の西洋アサガオが見事な花を咲かせるようになりました。元々が丈夫な植物で、庭の木々を伝って2階の屋根まで花を咲かせ、ハサミでも切れないくらいに太くなる事から、家内に嫌われて切られ続けて昨年から今年春には枯れる一歩前の状態に陥っていました。
 
瀕死のゴミ状態から回復した西洋アサガオに 今年5月
             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46310433.html
 
 このまま放置すると、支柱代わりになっている「朴の木」を占領してしまうので注意が必要になりますが、大きな朴葉と競うような大きな葉となり、植物は可愛がれば可愛がっただけ成長していく事が実感させられます。
 
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 さて、添付した写真は、昨日に京都の「送り火」鑑賞に出かけた際に立ち寄った新京極と寺町通りを散策中に一服する同行の知人で、牛と狸の置物ではありません。
 
 歩くのは限界で、涼しい場所か座れる場所が優先されてしまい、こんな時にも疲れを考えず歩き廻る私とは温度差があり、「送り火は前に見たから、見えても見えなくても良い」なんて言われますから、関心を持続してもらうのも大変です。
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 右に添付した写真は、京都で涼しい場所を求めて立ち寄った「イノダ珈琲三条店」のカウンター席ですが、カウンター席といってもソファーは大きくゆったりとしており、カウンターだけでも二十数席もあって、カウンター内では4人の店員さんが黙々とコーヒーを出しています。さすがに京都では珈琲の老舗だけに一度は訪れたいお店です。
 
イノダ珈琲三条店  http://www.inoda-coffee.co.jp/shop/3jo.html
 
 肝心の「五山送り火」ですが、私が初めて送り火を鑑賞したのは平成3年に嵯峨野から鳥居形の送り火で、以後数年前の1年を除いて毎年(21回)訪れており、一番のお薦めは船岡山から観る左大文字ですが、隠れた特技は車による嵯峨野以外の「四山鑑賞」でもあります。船岡山からも嵯峨野以外の全ての送り火が鑑賞できますが、1時間前の午後7時には到着して場所を確保しないと人の陰で見られません。
 
朝日旅行友の会行き先リスト
 
 「暑いから車で頼むわ」と依頼された車での送り火鑑賞でしたが、渋滞を見越して「大文字」、「妙」、「法」、「舟形」、「左大文字」と車で間近から涼しく鑑賞が可能です。 
 ただし、昨日は、「見る前に食事」と言われ、「いつも大丈夫だから」と言われて食事後に慌てて走りましたが、大渋滞に巻き込まれて消えかけの鑑賞となってしまいました。
 
 車で嵯峨野の鳥居形以外の送り火を鑑賞したい人は、午後7時45分頃に京都御所の北側の今出川通に車を待機させ、午後8時の大文字点灯直後に大渋滞で動かない「加茂大橋」の上に到着するように車を進めます。加茂大橋の両側で背伸びして鑑賞する人々を尻目に、渋滞していることから真正面からゆっくりと大文字が鑑賞できます。
 
 そのまま車を走らせ、「百万遍」知恩寺の交差点を左折し、そのまま北上を続けて「高野」交差点を左折して北大路通を走ると「高野橋」に至り、ここで「妙と法」が右手に鑑賞でき、そのまま走ると「舟形」が右手に見え、そのまま進めば正面に「左大文字」が鑑賞できます。
 
 午後9時には消えてしまう事から、大徳寺から船岡山周辺で車を停めたいところですが、警察に注意されるだけでなく、乗用車では通行する車が邪魔で見えない事から、このまま直進して左に曲がっていく辺りから金閣寺を通過した周辺で車を安全に停止できるスペースを見つけて、歩道から見上げると真上に左大文字が見えます。ここでは燃える音まで聞こえそうな迫力です。
 
 時間調整を巧く行なえばこんな感じですが、途中で欲を出して車を停車させたり、百万遍交差点を越えて大文字の近くまで行こうとすると、大渋滞に巻き込まれて最後まで到着できない可能性もあります。
 
 こんな努力をするのも大変ですから、嵯峨野の鳥居形も全ての送り火を鑑賞したい人は、西陣織会館の屋上に上がれば簡単に鑑賞できますし、観覧席やホテルで食事をしながら鑑賞するのも一手です。貧乏人の私とは無縁の鑑賞ですが…
 
 本日は朝から夕方まで愛知県庁近くでカンヅメの講座受講です。出席者が少なく毎年ストレスを溜める中学校の同窓会総会と物故者法要を日曜日に控え、会長として何とか面子のたつ情勢が整い一安心の夜にもなりました。
 
                                   8月17日の一言 

京都五山送り火へ

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京都町屋麦酒風飲料(ノンアルコールビール)です
 
 本日は、午後から知人2人を誘い、私の家族と5人で京都を目指しました。目的は夜に開催される「五山の送り火」ですが、例年だと年末の大晦日に八坂神社の「をけら参り」にも訪れますが、今年は訪れておらず、一年ぶりの京都行きとなり、昨年の送り火は大徳寺門前の細見酒店さんの屋上から鑑賞させていただいた御礼もしていないことから、まずは御礼を兼ねた訪問です。
 
 こんな出だしで書き入れる予定が、帰路の第二名神や東名阪が事故によって大渋滞で、ハンドルを握ったままで17日を迎えそうになり、慌てて携帯電話からブログに発信したものの、帰宅時に確認すると、添付した写真も記事も残されておりませんでした。
 
イメージ 2 今回は日本酒4種類と、添付した京都限定のノンアルコールビールや、右に添付したのはワンカッフの日本酒ですが、常温では左のように緑色のカップが、冷蔵庫で冷やすと右のような青色に変わって、大文字の五山の送り火が赤く浮かびあがるという珍しい酒も購入してきました。
 
 上に添付した京都町屋麦酒風飲料(ノンアルコールビール)は、運転手のため飲酒が許されない私へお店からの差し入れですが、買い求めて人に勧めたくなる形状のビール瓶に入っています。
 
 さて、ゆっくりと記したいものですが、明日は朝から夕方まで愛知県の仕事が入っている事から、明日に先送りとします。
 
                                  8月16日の一言
追伸
帰宅後に、何度見直してもブログに発信済みとなっていますが、消えてしまった送信内容の行方が判りません。高速道路の事故は、多くの車輌に多大な迷惑をかけることから、車間距離をとらずにブレーキばかり踏む運転や、無理な割り込みは防止する啓蒙が必要に思いました。

67年目となる終戦記念日を迎え

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長福寺(津島市葉苅町)に建つ我家のお墓
 
 戦後67年目となる終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下が出席される中で全国から遺族約4600人が参列した。
 
 「参列予定者は世代交代が少しずつ進んでおり、今年は戦後生まれが全体の1割を超えた。戦没者の妻は最年長の島倉ふみさん(98)ら24人で、全体の0.5%と過去最少になった。戦没者の子は3162人で全体の3分の2を占める」と朝日新聞は報じている。
 
 一方で、67年前に起きた沖縄の地上戦で負傷した住民や遺族ら40人が、国に総額4億4千万円の損害賠償と謝罪を求め、那覇地裁に15日提訴しており、当時の国や旧日本軍が住居近くに陣地をかまえて島を要塞化する一方、国際法で認められていた非武装地帯の設置を怠り、多大な住民被害をもたらしたと訴えている。
 
 この訴えを受理した司法がどんな判断をするかは不明だが、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が訴えている旧日本軍による従軍慰安婦の問題についても、同じような戦争被害だけに裁判の行方が気になります。
 また、未だに遺骨が戻っていない旧日本兵が113万人も残されており、戦没者の子息も高齢になっていることから、遺骨収集は益々困難となっていきます。我家も沖縄戦で戦死した伯父の遺骨が戻っていませんが、伯父と面識のある親族が高齢となった叔父1人しか存在せず、戦死した場所すら特定できません。
 
終戦67年、なお戻らぬ遺骨113万人 行き詰まる収集
記事の続き…
 地域別では、帰還した遺骨が最も多かったのはフィリピンの約1万6千人。09~10年度だけで約1万4千人に上ったが、10年に現地の住民の遺骨混入疑惑が発覚。収集は中断している。
 フィリピンに残る遺骨は約37万人と全体の3割。厚労省は昨年10月、フィリピン側に収集再開に向けた覚書の締結を打診したが、返答はないという。
 旧ソ連は約1万4千人。1991年以降、シベリア抑留者の名簿や埋葬地に関する書類が日本側に引き渡され、収集が続いている。
 インドネシアでは、国内法で遺骨が文化財とみなされ、持ち出しが禁じられている。このため収集できたのは、特例で認められた2009年度の10人だけだ。日本政府はNPO法人に遺骨の所在調査を委託し、インドネシア政府に収集を認めるよう求めている。
 戦争を経験した世代が高齢化するなか、厚労省は「確たる情報があった場合に収集を実施する」(社会・援護局)との立場で、劇的な進展は望みにくい状況だ。(北沢拓也)
    ◇    
 〈戦没者の遺骨収集〉 厚生労働省によると、沖縄と硫黄島を含む在外戦没者の遺骨は終戦直後、計94万人を日本軍や帰還兵が持ち帰ったり、米軍が送還したりした。
 1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、日本政府が調査、収集を開始。大規模収集は75年度で終わったが、その後も遺族会や戦友会、NPOに調査を任せる形で続けている。2006年度からは、帰還率が低いフィリピンなど4地域、10年度からは硫黄島での収集を強化している。03年度には個人の特定にDNA型鑑定も導入した。
 
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 右に添付した植物はバジルで、6月末にタネを蒔いたものがやっとこんな状態となりました。バジルの育て方を調べると、新芽をつまんで食すると、横から次々と新芽が出てくるとあり、挿し木でも簡単に発芽する事から、栽培そのものは難しくありませんが、人間が好むものは虫からも好かれ、一緒に植えられているレモンバームやアップルミントも忘れていると虫に食べられて茎だけにされてしまいます。
 農薬を使えば簡単な事なんでしょうが、食べる目的で栽培しているハーブですから、安易に薬を使いたくありませんが、一日中見張っているわけにもいかず、本日は室内へ一時避難させました。虫が嫌って寄り付かないハーブもあることから、一緒に置いて防虫対策にしたいと思います。
  
7メートルのヒマワリ、大輪咲かす こつこつ育て26年
 
 大阪では、26年前からヒマワリを栽培し、毎夏、その年に最も高くなった花の種を植えるのを繰り返し、7メートルを超える高さになるまで、こつこつ育ててきた人の記事が紹介されていますが、こんな苦労を聞かされると初心者を実感させられました。
 
                                    8月15日の一言

泥沼化する日韓関係と野田腑抜け政権

 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が10日、竹島に上陸した問題について、野田首相は会見で「竹島が歴史的にも国際法上も我が国固有の領土であるという我が国の立場と相いれず、到底受け入れられない」と批判し、武藤駐韓大使を一時帰国させた。
 
 日本政府が領有権問題解決のため国際司法裁判所への提訴を検討すると表明したことについて、韓国報道官は、「盗っ人たけだけしい」などと批判しているが、国際司法裁判所への提訴は日本だけでなく韓国の同意がないと受付けられない事から、政府の対応についてもどこまで本気か理解に苦しむ。
 
関係する朝日新聞記事
竹島巡り北朝鮮、日韓を批判 「政治劇」「ヒステリー」 14日
竹島訪問動機は「慰安婦問題」 李大統領 13日
尖閣へ香港の抗議船が出航 民間団体、韓国の竹島に言及 12日
韓国大統領、竹島に上陸 野田首相「極めて遺憾」 10日
 
 韓国の歴代大統領の中では、日本と友好関係を続けてきた李明博大統領が突然竹島に上陸したことに対して、身辺の支持率低下を払拭するための「政治ショー」とも言われているが、大統領は日本が真剣に解決しようとしない従軍慰安婦問題を竹島上陸を決断した動機に挙げている。
 
 日本軍慰安婦問題は、昨年末に開催された日韓首脳会談で韓国より問題提起されており、野田首相は「過去に解決された案件」と応じたが、慰安婦への個人補償も求められるものの、両国の問題として話し合う事まで拒絶する必要はなく、友好関係を考えれば共通の話題にしても良かったのではないか。
  
私のお気に入りブログからの発信です
       日本の政治家は腰抜けばかり  http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/29946218.html
      ※承諾を受けぬまま勝手な転載です。皆さんご容赦くださいね。
 
 竹島について、日本政府は「我が国固有の領土で、韓国は不法占拠している」との立場をとっているが、韓国は「韓国固有の領土で、領有権紛争は存在しない」と主張するだけでなく、島には住民2人のほか約40人の警備隊員らが駐留しており、事実上韓国に実効支配されている現実を放任してきたのも歴史となっていく。
 
 さて、野田政権は、国会議員の超党派でつくる「日本の領土を守るため行動する議員連盟」が3日に上陸許可を申請していた尖閣諸島への上陸許可申請を認めないと通告した。
 議員連盟は、申請理由を「太平洋戦争末期に尖閣諸島で亡くなった人たちの慰霊祭のため」としており、野田政権は「尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持管理の観点から、そぐわない」と判断したものの、尖閣諸島こそ完全なる「我が国固有の領土」であり、個人が所有している土地に自由に上陸させない事の方が問題ではないか。
 
 尖閣諸島については、中国と台湾も領有権を主張しており、今回も台湾の抗議船が上陸を試みたが、中国漁船や軍艦も度々領海を脅かしており、野田政権の事勿れ主義や先送り政治では国益を損なっていく。
 
 本日の報道では、韓国の李明博大統領は14日、「天皇が韓国を訪問したがっているが、心から謝るなら来なさいと言った」と述べたと発信されており、オリンピックの領有看板事件も収まるどころか日本側を刺激する発信も出され、日本国民も韓流スターを追っかけている場合ではありません。
 
                                    8月14日の一言

風化していく盆の供養に

 今年もお盆の時期となりましたが、東日本大震災の被災地も2度目の盆を迎え、新聞やテレビを通じて各地から話題が届けられてきますが、深夜から未明にかけて行なわれていたオリンピックによって生活パターンを変える必要に迫られています。
 
被災地に2度目の盆 岩手・大槌に朝市
 
 本日は朝から隣の尼寺から住職が訪れ、午前中に檀家となっているお寺の住職が、僧職にある叔父と共に訪れ、2人で読経後に昼食を共にしてから、住職は檀家廻りに走り、私は叔父を送りました。
 叔父と住職がお盆の13日に我家で昼食をとる習慣は、2人が小僧時代の戦後まもなく始まり、2人で自転車を使って檀家を廻るものの、お寺から距離があることから、叔父の生家である我家で昼食と休憩を取り、再度檀家廻りに出発していた事の続きで、叔父の体調不良で風前の灯火となっているものの、一度も途絶えることなく続いてきました。
 
 食事の準備も大変で、昔のように家にあるものを出すわけにはいかず、相手をしていた父親も亡くなっており、叔父は盆行には出なくなり、住職も私の町内は廻らないことから、こんな習慣は止めたらと思った時期もありましたが…
 
 しかし、こんな習慣は叔父の体調と年齢を考えると長くは続かないし、住職も昼くらいは自宅に戻ってゆっくりとした方が楽な中を、わざわざ叔父を迎えに走ってから来られることから、最近は一年でも長く続くように祈るようになりました。
 
 さて、我家では13日からお盆が始まり、15日にはお寺で施餓鬼法要が行なわれますが、市役所や公務員は平生どおりに仕事をしており、夕方訪れた今年が父親の初盆となる知人(公務員)は、浄土真宗では盆の供養も何も無い事を不思議に語っていました。お盆は先祖供養と思っていましたが、最近は盆休みでしか無いのかもしれません。
 
 さて、先月に徳島市の阿波踊り会館を訪れ、阿波踊りの魅力を体感してきましたが、本日の朝日新聞(アサヒコム)には記事だけでなく映像も添付されていた事から、ここに転載するとともに読み直して阿波踊りを体感したいと思います。
 
                                      8月13日の一言
 
延べ10万人が「踊る阿呆」に 徳島の阿波踊り開幕
  
阿波踊り開幕 84歳「踊る阿呆」の真骨頂 
朝日新聞記事の続き… 
 「うちわを強弱をつけて振る、あの動きができない」。他の踊り手がうらやむのが、四宮さんの独特の手さばきだ。コツを尋ねられると「自分の好きに動かしているだけやけんね」と煙に巻く。
 「あの人が連に入ったころは踊りがごっつい下手で、やめーと言われたと聞いたことがある」
 そう語るのが19歳の時、娯茶平に入り、鳴り物一筋57年の松下宗二郎さん(76)。松下さんによると、四宮さんは自分の店にあった全身を映す鏡を居間に持ち込んで毎晩練習をし、今のようにうまくなったという逸話がある。
 三味線を弾く者にとって、四宮さんの踊りは「弾きがいがある」という。松下さんは、踊りを瞬時に見て、踊り手がどう弾いてほしいかを読み取る。ところが、四宮さんは踊りの最中に、足さばきを変え、踊りを少しずつ崩してくる。松下さんも負けじと弾き方を変える。
 「努力したんよ。努力の中から踊りのセンスがしみ出してきて今の踊りがある。みんなで踊りを合わせることが大事とされる今の時代、あんな踊り手は少なくなった」
■「心磨く」根は一緒
 昨年5月、徳島市の姉妹都市の米国ミシガン州サギノー市。交流会の会場で、訪問団の一員だった四宮生重郎さんが阿波踊りを1曲踊った。すると100人を超える観衆が総立ちになって拍手。曲は米国人におなじみのマイケル・ジャクソンの「スリラー」だった。
 「行った先の音楽で踊ると、踊りの楽しさがより伝わる」。阿波踊りの「表芸」と「裏芸」を使い分ける四宮さんの真骨頂だ。
 四宮さんの言う「表芸」は、鉦(かね)や笛、三味線などが奏でる「ぞめき」で踊る阿波踊り。戦後、高度成長期とともに阿波踊りの人気が高まり、隣県の高知や愛媛、東北の宮城や沖縄からも夏祭りや結婚式、宴会で踊ってほしいと依頼が舞い込み、海外にも出向いた。
 「阿波おどり振興協会」理事長で「天水連」連長の山田実さん(59)は、そんな阿波踊りの人気の理由を「間口の広さ」という。「鎮魂の踊りでありながら、ぞめきの心が浮き立つようなリズム。十人十色の踊りが許され、誰でも参加できる『にわか』なところが受け入れられた」
 一方で、「踊りを突き詰めれば奥が見えない」。
 四宮さんは、有名連「葵連」の創設者小野正巳さんや「写楽踊り」の姓億(せいおく)政明さん=いずれも故人=とともに、踊りの名手として「三羽ガラス」「三人男」などの通り名がある。その3人を先頭に東京・銀座の通りを都内の連員約100人と踊ったこともある。「四宮さんの踊りはぶれない。ある意味で『堅い』。一方で、いろんな音楽で踊る時の型破りなアドリブは迫力があり、見ていて楽しい」と山田さんは言う。
 1967年、四宮さんらは米国・ロサンゼルス市を訪れ、阿波踊りを在住日本人に披露した。その時、観光で行ったディズニーランドで、ミッキーマウスらが楽器を鳴らして、輪になって踊る場面に出合った。
 「気分が乗ってきて、ぴゃあーと、ついね」。その輪に入り、阿波踊りを踊った。すると、周囲の外国人がアロハシャツ姿の四宮さんに手拍子を送った。
 「外国の人にも阿波踊りがわかるんだなって思って」。「ぞめき」以外の曲でも阿波踊りの魅力は伝わる。40歳を目前にして、そんな「裏芸」の阿波踊りの面白さに気づいた。
 帰国後、裏芸を広げていく。民謡で踊ってみた。かっぽれや東京音頭。リズムが自分に合えば踊れる。ジャズやマンボ、最近では「KARA」などのKポップや米国の人気歌手レディー・ガガの曲でも踊る。
 ただ「表芸」も「裏芸」も大事な点は一緒。「阿波踊りは形があって形がない。だから技を磨くより、心を磨かな、ええ踊りにならん。踊りが人生を変えた、心を変えてくれたな」
■「ずっと踊っていたい」
 四宮生重郎さん(84)の朝は腕立て伏せで始まる。30分のストレッチの後、ひざを床につけて150回。10年以上続ける日課だ。
 裸足で近くにある小学校の芝生の上も走っていた。足腰の低い踊りの姿勢を維持するためだが、裸足なのは「足の裏が気持ちいいから」。冬場も走って冷えてしまい「無理は禁物」と昨年から控えたが、ふくらはぎには力こぶができる。
 それでもこぼす。「若いころはなんもしなくても、いくらでも踊れた。今はあかんな」
 1989年、四宮さんは40年近く籍を置き、連長も務めた娯茶平を退いた。60歳を超え、「還暦も迎えたし、もう一度情熱を持って、阿波踊りをしよう」と考えた。
 高く組まれた桟敷席に囲まれた演舞場。昼間のような明るいライトに照らされた舞台で、四宮さんは舞ってきた。「でも、あの中にパッと入っていって踊るなんてことできないでしょ。あー踊りたいなと思って、すっと踊れるのが阿波踊りの良いところ」
 そんな思いで、その年の7月、立ち上げたのが「娯座留(ござる)」連。自宅のある徳島市南新町を踊り歩く。大人たちが三味線や笛を担当し、子どもらが踊りの輪に加わる街角踊りだ。
 阿波踊りでうたう「よしこの」の名手、お鯉(本名・多田小餘綾〈こゆるぎ〉)さん=故人=に三味線を頼み、5年ほど弾いてもらった。四宮さんは見物客の手を引いて、手足の出し方を教え、踊りの輪に入ってもらう。多い時は100人以上が踊りの輪に加わった。途切れた時期もあったが、今年は復活して7回目。四宮さんが先頭に立って踊る。
 「身の程 知る 過去と歩んだ道」
 四宮さんは、10年ほど前から、書に打ち込むようになった。「踊りに入れ込み、仕事をだめにしたり、色に走ったりした踊り手をたくさん見てきた。まずは仕事や勉強をした上で、踊らんとあかん」
 「人生観の絆 踊る阿呆(あほう)でござる 出会・体験・人鏡」
 書の題材は阿波踊りから得た経験や失敗。「踊りが人と出会わせてくれた。踊りを楽しんで、人に喜びを与えて、それが自分に励みとして返ってくる。その人が鏡のように自分の心を見せてくれる」
 書は毎日、毛筆で短冊やうちわに記す。集中して5時間以上、書き続けることも。作品は連員や踊りで呼ばれた先の人に配る。
 「根っから好きなんやろうね。興味が向くのは踊りのことばかり。ずっと踊っていたい」(山下周平)

縁者の葬儀に参列して

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 本日は叔父の義兄弟(叔母の兄)の葬儀があり、故人は旧甚目寺町の議員を四期務められ、私が初めて選挙に立候補した13年前には先輩として指南していただいた恩人であった事から、甚目寺町(現あま市)まで走りました。
 
 故人は甚目寺観音の前に住まいがあり、宗派も真言宗であったため、私でも判る御経が続き、葬儀そのものの持つ意味が伝わるとともに、我家は浄土宗の檀家ではあるものの、自分も弘法大師と一緒に歩んでいることを実感させられました。
 
 真言宗では即身成仏(そくしんじょうぶつ)を主張し、即身成仏とはこの身このままで仏になれるというものです。
 
真言宗の葬儀の目指すところ
  阿字(あじ)の子が 阿字の古里 立ち出でて
               また立ち帰る 阿字の古里
 空海の作と伝えられるご詠歌が、宇宙の根源を表す「阿(あ)」から私たちは生まれ、「阿」に帰って行くと考えていることを表しています。つまり、生まれ故郷であるところの「密巌浄土(みつごんじょうど)」、あるいは弥勒菩薩の浄土である「都率天(とそつてん)」へと死者を送ることが、葬儀の目指すところとされます。
                               愛昇殿本部の資料です
 
イメージ 2 さて、人間に限らず失われていく命の半面で、新たな生命の息吹も芽生え、今年3月に購入して花を咲かせてから枯れてしまったハーブの「ポリジ」がタネから発芽し、新たな成長を始めました。枯れて無くなってしまったと思っていただけに、大切に育てて次につなげたいと思っています。
 
3月の関連する一言
 
 冒頭に添付した写真は、我家のブルーベリーで、葉の裏側には気づかないだけで多くの実が取り残されていました。今年から始めたハーブや園芸ですが、動く相棒リマ(ポメラニアン)と同じで、愛情をかければかけただけ成長し、次につながっていきます。
 
般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)
        http://www.youtube.com/watch?v=jWGEDpcQjn0   ユーチューブ
 
 添付した般若理趣経は、真言宗の葬儀で読まれ、慈救の呪(じくのしゅ)を唱えます。このお経の内容は古来から秘密にされており、読み方は覚えられても内容までは教えてはもらえないものです。最近は四国遍路に必要な経文しか読みませんが、自身のレベルアップにも挑戦してみたいと思います。
 
                                  8月12日の一言

完全休養日もアッシー君となって

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蟹江町のホームセンター・ジャンボエンチョー
 
 本日は天候が不順で雷光と降雨の繰り返しの一日となり、私にとっても完全休養日となりましたが、夕方に家族で蟹江町にあるジャンボエンチョーへ買い物に出かけました。相棒も一緒でしたが、雷雨が激しかったことから車内で留守番です。
 
 我家の夏休みは、家族で4日間の上高地行きを恒例としていますが、今年は相棒リマを同行させるため、4日間から3日間に減らし、家族とは別に私が車中泊とするか、天候によってはキャンプにするためのテントを購入するのが目的です。
 
 私の住む津島市には大手のホームセンターが存在しない事から、隣接する市町のカーマホームセンターか、バローも見比べて購入しようと一番遠いジャンボエンチョーから走りましたが、私の悪い癖で関係無い物まで見て廻るために時間超過し、他と見比べる事無く購入した頃には外が薄暗くなっていました。
 
 前記したように目的はテントを買うことでしたが、テントで寝ることになれば下のクッションも必要になり、同行する相棒のパンツや、私の車中泊のマットなど、ついつい余分な買い物となり、母親や妹も一緒だったことからこのまま帰宅となりました。
 
 帰宅時には暗くなっており、本日はこのままと思ってパソコンの前に座ると、家内から三男を迎えに走ってくれとの話です。
 
 「どこまで行くんだ」
 「桑名まで…」
 「親バカじゃないぞッ」
 「電車が走っていないんだって…」
 
 三重県北部にも大雨注意報が出され、電車が不通になっているために迎えに走れとの話ですが、こんな日は諦めてアパートに居れば良いと思うものの、親元に帰ってこない子供が多い中で、せっかく帰ろうとしているため夜のアッシー君となりました。
 
 さて、本日は車の厄日で、昼間にもボランティアの福祉有償運送の会員さんから電話で、ボランティアが同行して目的地まで送迎したものの、雨が激しいため自宅まで帰りたいがボランティアと連絡が取れないための依頼で、代役の出動です。
 
 目的地は愛西市の施設で、我家から4キロは離れており、目的地から会員さんの自宅は500メートルしかなく、350円の料金のための突然の代役に社会貢献と気持ちを切り替えて走っていると電話です。
 
 知り合いが乗せて行ってくれる事になったとの連絡です。目的地まであと1キロという時の電話に、押し売りも嫌いなことから、そのままUターンとなりましたが、こんな理不尽なボランティアは無くして欲しいものの、80歳を超えた人々ですからこんな繰り返しとなります。
 
 息子のアッシー君も大変で、渋滞が激しく国道1号線は車が動かず、高速道路も渋滞していることから、自転車で走ってくる息子と落ち合う約束としたものの、弥富市に入ると車が動かず、雨中のコンビニの店先で待つ三男を随分待たせて到着しました。
 
                                     8月11日の一言

虐待された犬から癒しをもらっていたのか

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熱帯魚のエサとして売られていた一匹15円の金魚です
4月に孫のために飼いましたが、最近は私にも馴れてきました
 
 新聞記事によれば、朝の情報番組「ZIP!」で人気の兄弟犬「ZIPPEI(ジッペイ)」が2匹とも死んでいたことが報じられており、飼い主の車の中で2匹がぐったりしているのが見つかり、熱中症の可能性が高いと記されている。
 
 飼い主は他の犬と一緒に車に入れてエアコンをかけたまま車を離れたが、約1時間後に戻ってきた時にはエアコンが止まっていたといい、車中に置かれた9匹のうち、2匹のZIPPEIを含む7匹が死んだと報じられています。
 
日テレ「ZIP!」看板犬、死ぬ 車中で熱中症か
 
 ZIPPEIは、昨年5月に始まった「スマイルキャラバン」のコーナーに週替わりで交互に出演しており、今年2月には、番組への起用前に飼い主の意向で声帯切除の手術を受けていたことが明らかになっていたとも報じられている。
 
 最近はペットブームで、動物を主題とした番組や、動物が一緒に出演するドラマもありますが、テレビに出演させるために犬の声帯まで切除してしまっていたとすると、癒されるどころか残酷な動物虐待に付き合わされていたことになります。
 
 今回の事故は想定外のできごとだったかもしれませんが、いくら大きな車でも9匹もの犬を連れて移動しているのは異常で、死んだ2匹のZIPPEIによって、テレビ局からいくらの報酬をもらっていたのかは判らないものの、他の番組に登場する動物も可哀想に思えてきました。
 
 さて、添付した金魚はホームセンターに1匹15円で売られていたもので、孫を喜ばすために購入し、毎日エサを与えていますが、この金魚は熱帯魚のエサとして大量に購入されて売られていると聞き、生きた金魚がエサとして売られている現実にもびっくりしました。
 
 家の中に犬や猫だけでなくペットも一緒に暮らす事が当り前のような社会となってきましたが、ペットを利用して生活する人々の感覚の中に、金魚を鑑賞魚のエサとして売り買いする現実や、高野山の墓標の並ぶ石塔に足を上げる犬を連れて歩く観光客など、常識外れの人々を見かける例も増えました。
 
 私も相棒(ポメラニアン)を我が子のような感覚で連れ歩き、一般人としては異常と思われているかもしれませんが、今回のようにペットの命を奪ってしまうような事故が起こった背景には、ペットの体や命が軽視されていた事があります。
 
 昨年4月に死んだ愛犬モモは、末期の肝臓ガンで黄疸が出ていたことに気がつかず、狂犬病の注射を打たせ、検査もせずに「農薬の解毒」として動物病院が処方した薬を無理やり与えたことで急変し、私の勝手で緊急手術の翌日に息を引き取りました。
 
 朝の情報番組「ZIP!」が、今後どのように考えているか判りませんが、虐待された動物から視聴者が癒されていた現実を反省する必要があり、今回の事件を我々も他山の石として、不幸な事故を回避していきたいものです。
 
                                    8月10日の一言

他人が見たら変人の社会犬学へ

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本日は半年ぶりの犬(見)学
犬(圏)内散歩に出かけました。
 
「うーん、なんの犬学ですかい」
 「そのまま、じっとしていてくれよッ」
「ふむ、ふむ」
 
 深夜から未明にかけてオリンピックが放映されていることから、昼夜逆転による寝不足と、夜に次男が冷房をかける影響で、体調不良に悩まされていますが、明日には9時から公務が入っているため、夏休み気分を払拭するために自転車で市内へ出かけました。
 
 2日ほど前より夕方は風が吹いて涼しくなっている事から、相棒を連れて歩きたいものの、過保護に生活させていることから、灼熱の太陽に温められたアスファルトや薮蚊から護るためカゴの中からの犬学です。
 
 国会では、自民、公明を除く野党6党が提出した野田内閣不信任決議案が、9日の衆院本会議で民主党などの反対多数で否決されたものの、「近いうちに国民に信を問う」とした8日夜の3党首が合意した衆院解散については、我々が見ても「子供騙し」としか思えず、解散時期を巡って3党幹部の見解は異なっている。
 
 3党で合意した消費税の増税についても、反対する国民の方が多く、自民党内からも3党の密室での話し合いに反発する声も存在しているが、政党の党利党略にうんざりする国民の理解は得られず、土壇場で混乱するくらいなら明日に予定されている消費増税関連法案も先送りしてもらいたいものであった。
 
公費でボウリング大会 奈良の町村会「情報交換の場」
記事の続き… 
■新藤宗幸・千葉大名誉教授(行政学)の話
 外部監査のない町村会の事業だから、抜け道になっていたのだろう。職員の親睦や健康促進は必要だが、ボウリングは職務と無関係で、自己負担ですべきだ。
 
 さて、本日の新聞には、奈良県の4町でつくる北葛城郡町村会が、1970年代ごろからほぼ毎年1回、数万から十数万円の公費を投じて首長や職員らが参加するスポーツ大会を開いていたと報じられています。
 
 同様な問題は、かつては各地で議員の懇親や交流目的で野球大会などが開催されており、公費負担や勤務時間内の行政職員の同行など問題となり、最近ではほとんど行なわれておらず、もし実施したとしても議員の自己負担は当り前であり、今まで問題とされなかった事と、世情をつかんで内部から改善が図られなかった事に驚きを隠せません。
 
 もっとも、我々も予算任せに選挙ポスターを印刷していた歴史があり、津島市に不法行為はなかったものの、他山の石として予算の検証も図りたいと思います。今晩もオリンピックが放映されますが、明日を考えると朝のニュースにしたいものです。
 
                                  8月9日の一言

女性殺害の機会を作った容疑者が執行猶予に

 昨年11月に愛知県の女性会社員が拉致され、今年になって岐阜県御嵩町で遺体が発見された事件で、商談を装って女性を岐阜県輪之内町の自宅に呼び出し、連れ去りを手伝った容疑者に、名古屋地裁は8日、懲役2年執行猶予4年(求刑懲役2年)の判決を言い渡したと報道されている。
 
愛知の女性拉致、幇助の男に有罪判決 名古屋地裁
記事の続き… 
執行猶予とした理由について「計画の詳細は知らされておらず、何らの利益も得ていない」と説明した。
 
3月19日の私の一言
 
 東海市の女性会社員(当時48)が拉致され、遺体が岐阜県御嵩町で見つかった事件では、主導したとされる市川孝之容疑者(45)のほかに6名が逮捕され、全容の解明も近そうだが、会社間のトラブルで犠牲となったのが女性だけに、遺族の心境を考えると厳しい糾弾も必要と思われます。
 報道によれば、事件を主導した経営者は拉致事件前に実行役とされる男3人と打ち合わせをし、「自分が催涙スプレーとスタンガンで襲う」と語ったと報じられており、これでは暴力団と変わらぬ凶悪な犯行としか思えません。
 商談を装って女性会社員を岐阜県輪之内町の自分の会社に呼び出した小川卓美容疑者(53)は、遺体発見後のテレビ取材に対して、被害者の家族を愚弄するような発言をしており、最近では「知らなかった」と弁護士を通じて他人事のように振舞っているが、この容疑者が存在しなかったら被害者は拉致されなかった事から、女性1人を複数の男が待ち構える場所を設営した罪は大きい。自分は実行犯とは違うとの主張は勝手だが、自分の策略によって女性が亡くなった現実に対する反省は皆無で、今から弁護士を通じて弁解するのも責任逃れとか思えない。
 
 遺体が見つかって半年も経過していないが、今回執行猶予の判決を受けた小川容疑者は、逮捕される前のテレビ局の取材に対して、無関係を装うだけでなく、被害者を愚弄するだけでなく、被害者の家族まで誹謗する発言を行っており、自分が事件の発端となった反省や責任が感じられず、無力な女性を多勢の男が連れ去る現場を設定した責任を考えると執行猶予の量刑は信じられません。
 
 新聞社も報道された記事を全部ネット上に残してはおらず、テレビニュースで放映された映像も見直すことができませんが、当時のニュースから流された小川容疑者の発言は、人の命が奪われた責任どころか、鬼畜のような言葉を発しており、逮捕後の容疑者の工場も何事も無かったように操業している様子がテレビに映されており、半年後に執行猶予では被害者や被害者の家族は浮かばれません。
 
 今回の事件は、首謀者と女性が勤務していた会社のトラブルであり、拉致された女性は当事者でもなかっただけに、弱い立場の女性だったことから拉致殺害されたとしか思えず、私は逮捕直後から殺害した首謀者よりも、殺害の機会を作った小川容疑者と、逮捕される前の発言と逮捕後の発言に嫌悪感を感じていました。
 
 裁判は公平に行われるべきで、私の感情や感覚は身勝手な判断でしかありませんが、裁判所の執行猶予とした「何らの利益も得ていない」という理由は理解できず、女性が拉致されれば何事も無い筈がなく、私は司法が厳罰を課さなくとも地域で天罰を科すしかないと思います。
 
 3月にこの事件を記した直後に、「そんなこと何で取り上げるの」と問われたことがありました。3月の一言を下記に再掲しましたが、弱いものが被害者となる構図は、最近の社会問題となっているイジメと同じです。
 
 私は昨年の10月頃、働く女性が働く場所の解雇をちらつかされ、会社の男性上司から性的虐待を受け、家庭が崩壊していく現場から相談され、依頼された興信所や探偵の紹介すら危険を感じて相談先も見つからず、自分も大きなストレスを引きずったまま年を越しました。
 何もできず、女性の家庭は泣き寝入りで壊滅的なダメージを負われました。 会社の経営者でもないのに、上司から理不尽な要求をされた女性のために、会社の上層部に上司を徹底的に訴えたいものの、個人情報や家庭のプライバシーを考えるとえると何もできず、女性の家庭は泣き寝入りで壊滅的なダメージを負われました。
 
                                                   8月8日の一言 

本日もイジメが報道されて

 仙台市の私立高校2年の男子生徒が6日、宮城県警仙台東署に傷害容疑などで被害届を出したと報じられているが、腕に20回以上、たばこの火を押しつけられるなどのいじめを受けており、テレビ画面から発信された腕の画像を見るかぎり、いじめと言うよりも犯罪であり黙視できないものであった。
 
「いじめで根性焼き22回」仙台の男子高校生が被害届
続き…
 7月の三者面談で、担任教諭に腕のやけどの痕を指摘され、生徒は「自分で根性焼きをした」と説明。その後、いじめだったと両親に打ち明けたため、母親が担任に改めて事情を伝えた。だが、高校側は生徒が自分で根性焼きをしたと判断し、退学を促してきたという。生徒は取材に対し、「友達がいなくなるのが怖く、『やられた』とは言い出せなかった。写真も断れなかった」と話している。
 高校を運営する学校法人の事務局長は「生徒からの担任への話や写真シールを撮影していたことから、生徒本人の意思で根性焼きをしたと判断し、『このままでは退学になるかもしれませんよ』と伝えた」と説明。そのうえで「いじめがあったかどうか精査を始めたので、現在は退学の件については保留している」と話した。
 
  報道やネット情報では、男子生徒の母親の話として、同級生がいじめの一部を認めて謝罪したということで、今月3日に学校で話し合いがもたれたものの、その後、学校が「腕の傷によってほかの生徒が動揺する」として、男子生徒に対して、6日までに自主的に退学してほしいと伝えてきたということである。
 
 被害者で救われる必要のある生徒が退学させられるという事態に、世の中は愕然とさせられたと思いますが、被害者の生徒が「自分でやった」と教師に伝えていたことから、事の真意を正しく検証して被害者を救い、私学は加害者を簡単に退学させる傾向にあるものの、是非とも退学させずに更生させてもらいたいものです。
 
 さて、大阪市の橋下徹市長は、いじめ対策として「いじめた側の子どもは学校を移すという方針を打ち出してはどうか」と述べ、いじめの加害者となった児童・生徒を転校させる権限を学校に与える制度を検討するよう要請したと報じられています。
 
「いじめた子は転校」橋下市長、市教委に検討を要請
      
http://www.asahi.com/national/update/0807/OSK201208070109.html
 
 イジメ対策は多種多様な対応が必要と思いますが、現在の学校への通学区は住んでいる住所が基本となっており、学校を卒業後も生活していく場所である事を前提に考えれば、いじめた生徒やいじめられた生徒を転校させて問題を回避するのではなく、いじめは犯罪として対処して再発させない前提が重要に思います。
 
                                      8月7日の一言

夕暮れから広島県が意識されて

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我家から見える本日の夕暮れ風景です
 
 広島に原子爆弾が投下されてからから67年が経過し、広島市中区の平和記念公園で平和記念式があり、松井一実市長は平和宣言で核兵器廃絶の決意を世界に訴えた。 
 平和宣言で松井市長は、昨年3月11日に起きた東日本大震災や原発事故で苦しむ被災者を、67年前のヒロシマの人々と重ね合わせ、「心は共にあります」と呼びかけたとある。
 
広島、67回目の原爆の日 平和宣言、核兵器廃絶訴える 
続き…(記事全文)
 核兵器廃絶をめぐり、北東アジアの不安定な状況を認識し、リーダーシップを発揮するよう政府に要求。併せて、原爆投下後に放射性物質とともに降った「黒い雨」の援護地域を拡大するよう政治判断を求めた。
 関西電力大飯原発の再稼働に踏み切った野田佳彦首相は、「脱原発依存の基本方針のもと、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」とあいさつした。
 被爆者の平均年齢は78歳を超えた。式では、この1年間で死亡が確認された被爆者5729人の氏名を掲載した名簿を、遺族代表と松井市長が原爆死没者慰霊碑に収めた。
 式には約5万人(市発表)が参加した。外国代表は71カ国と欧州連合が集まり、うち初めて参加したのは8カ国。米国は3年連続の参加となり、ジョン・ルース駐日大使が参列。核保有国の英国とフランスの駐日大使が初めて出席したほか、ロシア、事実上の保有国イスラエルも参列した。原発事故で住民約2万1千人が各地に散り散りとなっている福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長も、広島市との交流を求めて参列した。(後藤洋平)
 
広島平和記念式・野田首相あいさつ(全文)
 
 首相官邸周辺で週末に行なわれている「脱原発」の反対運動は収まるどころか拡大し、市民が安心して生活できるエネルギー政策への転換を求める国民の声は無視できない現実となっている中で、広島での首相発言に注目が集まったが、挨拶文を読むかぎり、原爆投下から67年が経過して過去の出来事として風化した感覚のまま読み上げられているようで、昨年の菅首相の「脱原発」発言から後退したものであり、こんな挨拶文を持って参加した野田首相の神経が私には理解ができません。
 
 さて、愛知県の周辺では最近天候が不順で、各地にカミナリや集中豪雨の注意報が出されており、本日も夕方には雷鳴とともに激しい雨が降り注ぎましたが、私の住む津島市にとっては久しぶりの恵みの雨となり、乾燥した田畑には待ちこがれた雨で、私の母親は非常識とも思える雷雨の中で畑に走っていきました。
 
 新聞報道によれば、千葉県市原市で落雷により屋外で草刈り作業をしていた男女4人がやけどなどのけがを負い病院に運ばれていますが、本日の母親を見ていると畑に植えた作物は何よりも重要な存在となっているようです。
 
 最近はタツマキや集中豪雨など異常気象として表現されることも多くなりましたが、見方を変えると我々が自然を軽視しており、雨でも雨戸をしめず、台風でも車で仕事に出かけるなど、災害や天災に対する認識が低下しているのかもしれませんが、添付した見事な夕焼け空に、はるか遠くの広島を意識させられました。
 
                                     8月6日の一言

相棒がフワフワから宇宙人へ

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     昨日 ⇒ 本日
 
 
 
 
 
 
 
 昨日までフワフワモコモコだった相棒リマが、本日は宇宙人のようになって帰ってきました。長い毛がトレードマークの相棒の暑さ対策で、ペットの美容院で夏用に刈り込まれてきましたが、子犬になったようにイメージチェンジです。
 
 実は昨年にも同じ事があり、「珍種になった相棒」として一言に記してありますが、昨年の二の舞が無いように、写真を持たせて行かせたものの、結局は昨年と同じような結果となり、昨日までの逞しい相棒から弱々しい宇宙人になりました。
 
 相棒リマは美容院に行くのが大嫌いで、車で出かけるのは好きですが、連れて行かれた先が美容院では堪りませんが、本日は娘の愛犬テツと一緒ですから、少しは安心していたかもしれません。
 
 
 さて、昨日の草刈りが身体に堪えて寝ていましたが、娘が到着して孫の「ジーちゃん」の声が聞こえたため、何事もなかったかのように飛び起き、一緒に珈琲屋さんに出かけ、孫が帰った夕方までは元気でしたが、孫たちが帰ったあとは半病人状態です。
 
                                    8月5日の一言

身体中に心地よい疲労感が

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 本日は母親の兄(伯父)の七回忌が行なわれ、母親が在所の法要に出かけている間に、家内も姉より連絡が入り、在所に出向いたところ、我家のスイカの2個分はありそうな大きなスイカを持ち帰ってきました。
 
 私の事務所のソファーは来客用ですが、事務局長の相棒リマ(ポメラニアン)のお気に入りの指定席となっており、連日冷え冷えとしたソファーで心地よく寝ているものの、本日は大スイカの登場で耳の毛が逆立って安心できません。
 
 もっとも、明日には大嫌いな犬の美容院が予約してあり、夏用に大幅カットされてきますが、明日は娘の愛犬テツ(チワワ)も一緒に予約してあり、いつもテツに威張っている相棒が震っている姿を想像すると楽しみでもあります。
 
 さて、本日は田んぼの畦道の草刈りと、水田内の草取りが家内と約束してあり、私は草刈り機による草刈りの役目ですが、家内が忘れていれば先送りしたかったものの、さすがに忘れてはおらず、夕方の3時間とはいえ快調な草刈り機とは反対に、私の足腰と腕は限界に達しました。
 
 一年に一度の草刈り(本当はもっと必要ですが)のため、いつもは草刈り機が不調で、始めるまで時間がかかり、1ヵ所でも済めば帰ってきますが、草刈り機が最初から快調でエンジンが廻り、2ヵ所目の田んぼまで移動したため、私の身体とナマカワな精神力が悲鳴をあげ、ガソリン切れを理由にエンジンを切ったものの、夕陽も大きく傾いていました。
 
 草刈り機で畦道の草を刈る私よりも、水田の中に入って草を抜いて畦道まで持ってくる家内の方が疲れているとは思いますが、一度家を出たら仕事が終わるか夕陽が沈むまで止めない性格のため、いかにして自然に止めるかが大変です。
 
 本当は、私の草刈り風景を添付したかったのですが、真夏の草刈りは尋常な仕事ではなく、写真を撮る気力もなく、「写真を撮ってくれ」と言う気持ちにもなれず、帰宅後のビールが美味いとも感じなかったものの、一度仮眠した後に心地よい疲労を実感させられると、久しぶりの労働の心地よさも実感させられました。
 
                                   8月4日の一言

可能性と無力感を感ずる一日に

 本日は名古屋市にある愛知県社会福祉会館で開催されたボランティアコーディネーター養成講座に参加しましたが、知多市から参加された講師役の先生と私のボランティアつながりの知人と極めて近い存在と判り、同じグループとなった常滑市の受講生も、私と一緒に活動したボランティアの代理で受講したと聞き、ボランティア関係者は住まいは遠くとも身近なつながりが多く、ボランティア歴10年にして多くの仲間が存在したことを実感させられる一日となりました。
 
 この講座は、愛知県が主催し、活動が多様化しているボランティアに参加している人々の、自発性と主体性、目的を尊重しながら、ボランティアとボランティアをつなぎ、ボランティアを必要としている人に繋げる調整役を養成しようとしています。
 
 津島市からは私以外に2名の参加者があり、一人は地域コミュニティーの運営部会の部会長を務めておられ、一人は社会福祉協議会の女性職員ですが、共に会場に一番乗りをされて、積極的に発言されている姿に私は後れをとったような存在ですが、講座終了後に3人で何かができそうな手応えも感じさせられます。
 
 本日は講座終了後に参加者の交流会が開かれ、それぞれが名刺交換となりましたが、交流会に残った多くは若い行政職員や社会福祉協議会の職員で、行政区の枠を通り越した交流がボランティアの目的達成に役立つ可能性も実感させられました。
 
 さて、交流会が終わった直後ですが、車の駐車場に向かう県庁南の交差点に2名の警察官が配置され、交通整理をおこなっている最中に、信号を無視した自転車に乗る20代の男性が横断歩道を渡ってきます。
 
 「ちょっと、ちょっとー!!
 「… … …」
 「こらー!! まてー!!
 
 警察官に捕まれた腕を引き払い、表情も変えずに男性は走り去りました。自転車の信号無視程度は罪とも思わず、警察官に向かって走って来て、制止されても強行突破していきますが、我々も他人事のように静観するだけです。こんな時にどんな行動をすればボランティア精神が発揮できるのでしょうか。
 
                                    8月3日の一言

本日は千葉県成田市へ

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成田山新勝寺の仁王門
 
 本日は昨日に引き続き、文教建設委員会の行政視察として千葉県成田市役所を訪れ、成田駅と成田山新勝寺の参道の商店街を復活させる「表参道整備事業」について説明を受け、現地調査の中では「街づくり協議会」の会長さんから事業展開の苦労話も聞かせていただきました。
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 成田山表参道は、仲町(なかのちょう)地区と上町(かみちょう)地区、花崎町地区からなりますが、駅に近い花崎町と上町は電柱の地中化と店舗のセットバックが実施され、成田山に近い仲町は無電柱化と伝統的建築物の景観を保持する整備が図られています。
 
 津島神社の門前町として栄えていたものの、商店街の衰退からシャッター通りとなっている津島市にとっては参考になるはずですが、歴史の古さは勝っていても、そもそも成田山とは参拝客の数に大きな差があり、正月の三が日で一年分を売り上げるという成田山表参道とは集客力が違います。
 
 昨日の鹿沼市の視察は、大手ショッピングセンターが撤退していった跡地利用がテーマとなっていたものの、成田市の表参道は郊外に大手ショッピングモールが形成され、奪われた消費を取り戻す事と、観光客も対象に整備が図られています。
 
 一方で、成田山新勝寺が中心となっているものの、車社会の中で、成田山の駐車場に車を停めて参拝し、そのまま帰ってしまう観光客の方が列車で訪れる観光客より多い事から、駅前整備によって観光バスなど車の観光客にも参道を歩いてもらう事業も展開中です。
 
 私の興味は視察中に訪れた成田山新勝寺にも注がれましたが、本日の視察目的ではない事から、同僚議員が誰も入ってこない入り口までで終わり、不謹慎な歌舞伎役者を広告塔に使うなどあまり好きなお寺ではないものの、開山縁起を読めばお大師(空海)の香りが漂い、立ち寄った観光センターでは「経文香(お経の出る線香)」を買い求めていました。 
 
 
 明日は朝から愛知県の主催するボランティアコーディネーター養成講座に参加し、午後6時過ぎまで帰ってこないことから、やりのこした仕事は来週まで持ち越しとなり、山積した仕事が毎年4日間予定している夏休みを3日間にしていきそうです。
 
                                  8月2日の一言

行政視察に鹿沼市の「まちの駅」を訪れて

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  本日の視察先「まちの駅゛新・鹿沼宿゛」
  本日は津島市議会文教建設委員会の行政視察として、栃木県鹿沼市の「まちの駅」を視察に訪れました。
 
 平成3年にジャスコが撤退して、土地と建物がそのままとなった跡地利用と、空洞化した商店街を活性化するために、中心市街地新拠点整備計画「まちなか創造夢プラン」を策定し、用地買収を進めていたものの、「ハコモノ行政」の見直しを公約とした新市長の登場で、大幅な計画見直しを図られる中で、昨年4月29日にオープンした施設の視察です。
 
 大手スーパーの撤退とか、シャッター通りとなった商店街の活性化は、全国の地方自治体共有の悩みでもあり、中心市街地の活性化は議員だけでなく、首長も行政に関わる職員も共通の課題ともなっています。
 
 道の駅と「まちの駅」の違いは、トイレを24時間開放できるかどうかの違いのようですが、鹿沼市では市内で自分の店や自宅を「まちの駅」になりたい人を募り、トイレやベンチを開放する小さなまちの駅が現在90駅できています。
 
 世界から観光客が訪れる日光市と、都市基盤の充実した宇都宮市の中間に位置し、存在感を示すのに苦労しているようだが、各種イベントや自然環境にも恵まれており、秋の「鹿沼ぶっつけ祭り」には、私の住む津島市の秋祭りよりも多くの人出が集まっていることから、「まちの駅」にも当初の予定を大幅に上回る観光客と、収益をもたらしています。
 
 さて、明日は千葉県成田市の「表参道整備事業」の視察に訪れますが、津島神社の門前町として街が発展してきたものの、郊外の大型ショッピングセンターに客を奪われ、商店街が空洞化している現状は、全国の地方都市に共通する問題でもあり、津島市の参考になるヒントを見出せればとも期待しています。
 
 本日は快晴で、東京に戻る車窓と、成田市に向かう車窓から、「東京スカイツリー」が見事に鑑賞できましたが、こんな金属の塊に人々が目の色を変える世情も理解できません。一度の一見さんではなく、継続して訪れるリピーターへのヒントがあれば幸いですね。
                                      8月1日の一言
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