
一日の違いではあるが、一昨日から昨日にかけて紀伊半島の和歌山県に滞在しており、猛スピードで迫ってきた台風17号は、現在(午後6時20分)愛知県に上陸する直前となっており、しばらくは激しい風雨にさらされるのを我慢の時間となります。
手前味噌な発言と思われるのは本意ではありませんが、何度も愛知県を台風が通過しているものの、最近は我家のはるか南の太平洋側を通過しており、大型台風の直撃を受けながら津島市の被害は最小限にとどまっています。
ただし、他市よりも面積の小さい津島市内であっても、私の住む旧神守村は田園地帯のため冠水しませんが、旧市内は度々水があふれており、本日も車の通行には心配となる道路状況になっていました。
さて、本日は朝から町内のゴミ拾いがあり、時間を間違えて30分遅れて参加したため、最後の集合時間まで自宅周辺を拾い集めていると雨が降り出し、集合場所にたどりつくと全員が散会して(責任者は居ましたが)おり、私がゴミ拾いをやっている姿を見た人はなく、人の嫌がる仕事には来ないイメージだけを残したかもしれません。
一方で、本日の午後に春日井市で開かれる予定であった歩き遍路友の会東海の総会も、台風の進路と重なるだけでなく、再接近の時間まで重なるために前日中止のメールと電話が入り、一年に一度の情報交換の場が無くなってしまいました。延期との話なので後日連絡はあると思いますが、会場確保も難しい事から役員さんは大変と思います。
また、私の都合が悪い事から、横井庄一記念館へ家内が出向く約束となっていましたが、台風の襲来のためお役御免となり、午後は相棒と休息の一日ともなりました。
幸いにして、現在(午後9時)は風雨は完全に収まり、近隣の市町では用水が水で溢れ避難勧告も出ているようですが、私の済む地域は台風とは無縁のような状態で、大型で超スピードの台風情報が朝から流されていた割には一瞬の出来事に終わったようです。
9月30日の一言


こんな無責任で、事前の下調べも無い発言で車を離れましたが、急な坂道を10分ほど登った先にあった参門に、「本堂まで30分」の案内板を発見し、カサどころか運動靴にも履き替えない革靴のままの自分を後悔するとともに、本日中に予定していた7番寺までの参拝は「絶対に無理」と確信することとなりました。






絵描きが4割で、おしゃべりが6割としている画伯との時間はあっという間に過ぎ去り、一緒に近くの小梨食堂に出向いて昼食タイムになりましたが、上高地で出会った人々との交流が粗末なテント生活を支え、時間や約束に縛られないうらやましい自遊人の生活が続きます。




もっとも、崔子玉が残した座右の銘を自身の銘とされていた空海(弘法大師)は、左のように見事な草書体で座右の銘を書き残されており、比較すれば恥ずかしいの一語となりますが、もっちょっと我流で頑張ってみたいと考えています。






我家には私の趣味とする旅行の旅先や、セカンドライフとしている四国遍路関係の手紙などが届き、上高地や四国へ思いを巡らせますが、我家には家族の一員となっている「相棒」リマ宛の手紙も届けられてきます。






華々しい春の花がリレーのように花を咲かせ、サクランボやアンズの実が庭を彩っていた頃から、過酷な夏を乗り越えた時には、1本を残して枯れてしまったホワイトセージや、挿し木から順調に成長した挙句に虫に食われてしまったアップルミントなど、賑やかな庭が歯抜けのようになってしまいました。







