大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2012年10月

社会教育審議会に出席して

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 本日は津島市役所で社会教育審議会が開催され、市役所の社会教育施設の今後の活用方法についてをテーマに議論を深めました。
 
 会議室に入り、審議会のメンバー表を見て、今から20年ほど前の話となりますが、平成5年に私がPTA連合会の代表として社会教育審議会に臨んだ時の様子が時を越えてよみがえってきました。
 
 当時の審議会会長を努めておられた木村輝夫さんと、かつてPTA連合会の先輩として市議会議員になっておられた水谷俊夫さんが、「これからの社会教育については、若い大鹿君の意見を聞いてみたい」と言われ、私を主役のようにして言いたい放題のように発言させていただいたことがありました。
 
 本日は議員として発言もさせていただきましたが、20年前の私の体験を紹介してから、「PTA連合会の会長を務めている那須さんの意見を聞いてみたい」と、当時の先輩たちに発言の機会をいただいたのと同じ体験をしました。
 
 20年の歳月が経過し、木村さんは数年前に他界され、水谷さんは9年前に議員を引退されていますが、そうやって考えると私の寿命もしばらくはありそうなものの、明らかに世代交代が繰り返されている実感を持つ一日となりました。
 
 さて、添付した写真は大阪市の夕暮れの様子で、大阪駅の近くの運転席から撮影した写真ですが、明日に開催される四国別格20霊場の先達研修会に参加するため、午後に家を出発し、国道1号線や名阪国道など一般道のみを走って大阪から神戸を通過して、現在は姫路市のインターネットカフェで一言を記しています。
 
 目的地の愛媛県四国中央市まで一般道のまま走るのは常識外れのようですが、いつもは高速道路の上を走り抜けてしまう、三重県や奈良県、京都府など季節を体感して走り、神戸では明石海峡大橋の上から眺めている町並みから、海を隔てた淡路島の明かりとクルーズ船の見事な輝きを見ることができました。
 
 交通事故を心配する家内は、日中に仮眠を取ってから、ゆっくりと出発してほしかったようですか、人々が働いておられることを思えば、苦痛どころか贅沢な体験をしており、大学時代にやみくもに車を走らせたような感覚がよみがえってきました。
 
 ここからは200キロを切っており、岡山まで一般道を走り、瀬戸中央大橋から四国入りしますが、広島県福山市に住む大学時代の友人が闘病中で、姫路の病院まで治療に訪れている話を思い出し、立ち寄りたいものの病状が落ち着くまでの約束がしてあったことから、回復を祈って無言で立ち去って行きます。
 
 まだまだ、四国まではありますが…
                                     10月31日の一言

明日は夕方から四国遍路へ

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 私が家に帰る前に気分転換に訪れる喫茶店「スプーンベル」の、アイスコーヒーとサービスで付いてくるシュークリームです。かつては、仲間と一緒に訪れていましたが、最近は午後5時過ぎに一人で訪れて、漫画や雑誌を読んで帰ってきます。
 
 この喫茶店は、朝8時に開店して夜7時まで営業していますが、午前中は12時までモーニングサービスが付き、午後1時からは添付したシュークリームが閉店まで付きます。最近では昼のランチの昼食も人気で、午前中は並ばないと座れない人気店です。
 
スプーンベルが記されたブログ http://blogs.yahoo.co.jp/nouminn26327/27590174.html
    店の住所 〒496-0009  愛知県津島市葉苅町北町16 愛知県 津島市 葉苅町北町16
 
 当初の予定では今晩には四国へ走る予定でしたが、明日に市役所で社会教育審議会が開催されることになったため、審議会に出席した後に四国へ出発することにしたものの、一人の旅立ちは家族に心配をかけます。
 
 今回の四国行きは11月1日(木)に四国中央市で開催される、四国別格二十霊場の先達研修会に参加するためですが、週末まで独りで四国に居座り、弘法大師と言うよりも空海の心境に浸りたいと考えています。
 
 家内は万が一(交通事故)を心配し、1日早い出発を希望していましたが、一人での長距離は孤独とは言え、私の車は車中泊でも疲れない装備と食料も積んであり、携帯電話やテレビもあることから、インターネットカフェと日帰り温泉を利用すれば家に居るのと変わりません。
 ちなみに、仕事も携帯電話を酷使すれば何とかなり、車にパソコン環境を整えれば最強となりそうです。
 
 さて、最近のことですが、一緒に西国観音巡礼に同行している知人の100歳になられた義母が亡くなられ、葬儀会場で焼香の作法が説明されていましたが、私は浄土真宗の門徒ではないため、説明された二回の焼香ではなく三度の焼香を行いました。
 
 この三度の焼香には意味があり、三密と言われる身(からだ)と口(ことば)と意(こころ)に供養するためで、簡素化してはならないと思いますが、最近では浄土真宗の僧侶が簡素化した作法を正しい行為として他の宗派の我々まで押し付けるようになりました。
 
 我家は浄土宗の檀家ですが、私が四国を巡拝している事から、真言宗の作法がそのまま優先されているものの、基本的な作法を忘れたり無視していることも多く、今回の四国行きでは読経の仕方から初心に返って巡拝してこようと考えています。
 
                                   10月30日の一言

決算審査調査特別委員会が終了し

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 週末の土曜日と日曜日は、上高地と奥飛騨を訪れていましたが、家内や娘夫婦も一緒ながら、私の助手席は自分の場所とばかりに、私の相棒リマが助手席に座っており、今年から旅行には同行させており慣れた様子ですが、相棒の存在によって我々の宿泊できる場所は限られ、テントも購入してキャンプ場や車中泊覚悟で、食事場所も入れないため自炊のためガスコンロも積んであります。
 
 今回は北アルプスも初雪が残る銀嶺となっており、この時期に上高地のキャンプは小さな孫も一緒では難しく、ケビンは前日に閉鎖されていることから、私の好きな車中泊となり、相棒リマも娘の連れてきたテツ(チワワ)も、我々と全く一緒の生活となりました。
 
 本日は月初めより続いていた決算審査調査特別委員会の最終日となり、審査した市民病院の中に、1千283万8299円の不納欠損金(取立てを諦めた医療費)が報告され、最高額は平成18年度に259万円も医療費を支払わず、取立てが不能と判断して不納欠損金として処理された人物が存在することが明らかになりました。
 
 人間の常識として、200万円を超える医療費を支払わないままに病院で診察を受けるのは異常で、一度関わった患者を見捨てられない医師と病院の志は心強いものの、赤字続きの市民病院だけに何らかの対策も必要です。
 
 一方で、不納欠損金全体の約半分は津島市外に住む市外の住民で、津島市から10億円を超える市民の税金が投入されている事を考えると、医療に垣根は無いと言われるものの、地域エゴであっても納得ができない現実と、評判の良い弥富市の海南病院(厚生連)では医療費を支払わない患者は診察しない現実を声を大にして叫びたい心境となりました。
 
 もっとも、津島市から市民病院に繰り入れされている税金の半分以上は、国からの補助金も投入されており、公立病院として医療費を支払えない患者さんも見捨てない覚悟は忘れてはなりません。
 
 さて、不景気と就職難の中で、国民健康保険の保険税も支払えない無保険者も存在し、保険証が無い事から病院の診察も受けられず、市販の薬で身体の痛みをしのいでいた市民があり、生命に関わる事態に陥って、私が強制的に保険を申告して入院した市民も存在しました。
 
 「今どき無保険者なんて」と、市民を愚弄した関係者がありましたが、無保険を自覚する真面目な人だからこそ、病院にも行かずに市販薬でしのいで我慢しており、その人の立場にならないと無責任に善悪を告げられません。
 
 「仕事が無いと生活ができない」と、私が不在となっている我家の母親に、「何とか仕事を紹介して欲しい」との電話が朝からあり、深刻な話を聞いた母親が、委員会室の中で電話に出られないことも知らず、何度も電話をかけてきました。
 
 昼休みに同級生の市職員と食堂で雑談中の話ですが、家庭の問題を隠そうともせずに必死で訴えてこられる市民の電話があり、上高地や四国遍路ばかり考えている不謹慎な私ですが、議員としてやるべき事が多い現実も実感させられる一日となりました。
                                   10月29日の一言

雨のため上高地から奥飛騨へ

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奥飛騨クマ牧場でエサをねだる月の輪グマ
 
 本日の上高地は、未明より激しい雨が降り出したため、私一人なら上高地に踏みとどまってビジターセンターや、帝国ホテルでモーニング珈琲などを考えて滞在し続けますが、娘夫婦と3才になったばかりの孫が一緒のため、朝から外に目的地を変更しました。
 
 2日前より乗鞍スカイラインが冬季閉鎖となっており、岐阜県方面より長野県の松本方面を目指そうと思いましたが、最近は高山市や旧丹生川村も上高地の通過地点となっている事から、とりあえず奥飛騨温泉郷にあるクマ牧場に出向きました。
 
 私がクマ牧場を訪れたのは20年ほど前の話で、その時のイメージはクマよりもクマの糞の汚さが残り、その後仲間と訪れた時も入場しなかったくらいですが、孫と娘は行った事がないため、心新たにして入場しました。
 
 20年の歳月は短いようで長く、糞まみれだった園舎はきれいになっており、月の輪グマの可愛い事にびっくりし、いつのまにか10年ほど前に訪れた、北海道の登別にあるクマ牧場の汚さとヒグマの凶暴さも増幅してイメージとしていました。
 
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 最近ではクマが人の住む住宅地や駅前にも出没し、猟友会が射殺した事例も最近ありましたが、本日の訪問で月の輪グマとヒグマを一緒に論じてはいけない事と、20年前のイメージのままに思い続けていた事と、写真がフイルムからデジタルに変った事に対応して、小熊を抱っこした記念撮影ができ、待たされることなくその場で写真が手渡される事など、日々改善されていることと、孫と一緒の写真で目じりの下がった自分がありました。
  
奥飛騨クマ牧場 http://www.nande.com/kuma/
 
 こんな体験ができるのも、娘夫婦が家族だけで出かければできない話で、「どこかに連れてって」と言われるのも、私が青ナンバーのジャンボタクシーを個人所有しているからで、「来年は家族全員で行こう」との話で盛り上がっていました。
 
 さて、天候は一日中雨が降り続けていましたが、上高地や奥飛騨地方の紅葉は最高の状態で、クマ牧場からそのまま自宅方向へ走っていましたが、久しぶりに「平湯大滝」も立ち寄ろうと平湯へ戻りました。
 
イメージ 3 この平湯大滝についても、過去に何度か立ち寄ったことがありますが、最初に訪れたときに無料だった駐車場が有料となり、滝までの上り坂も結構きつかった記憶があり、本当に久しぶりの訪問です。
 
 「お客さん、10年ほど来てませんね」の一言は、駐車場の近くのロータリーに停まっていたマイクロバスの運転手さんの言葉で、駐車場から滝の近くまで100円で運行しています。
 
 「犬も乗せてもらえますか」の一言に、「大丈夫ですよ」の返事があり、私の相棒リマと、娘の愛犬テツ(チワワ)も一緒に乗せてもらいましたが、運転手さんの話では8年前からバスが運行したとの話でした。
 
 そういえば、駐車場の上のそば打ち道場もお店も過去の記憶からは浮かんできませんが、随分と楽になったもので、大きくなった駐車場には観光バスも入っていました。
 
 過去に素通りしてきた場所についても、営業努力によって新たな観光資源が生まれており、過去のイメージのままに語ることは禁物と思う一日ともなりました。
 そんなことから、平湯大滝入り口の日本料理屋さんで昼食をとり、余裕で自宅へ車を進め、途中の関サービスエリアでみたらし団子やぼた餅を食し、我家で待つ家族分の夕食も購入して7時前に帰宅しました。雨によって高速道路の渋滞もなく、日中は小雨だったことも幸いとなりました、
 
 昨日は携帯電話からメールで写真を添付して上高地からこの一言に送信しましたが、そんな情報を知った知人からの電話もあり、閉山式後の12月に上高地へ行く約束もしてしまいました。上高地には毎月でも訪れるだけの魅力があり、特に冬の無音状態の魅力も、体力と引き換えとなりますが、捨てがたいものがあります。
                                  10月28日の一言 

上高地から

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本日は家族で上高地へ来ています。
私のお気に入りとしているアルプス観光も本日で営業が終わりで、小梨平も一段と寂しくなっていきます。
渡辺画伯は、昨日上高地から白馬経由で千葉県に帰り寂しくなりました。

さて、本日は娘夫婦と孫も一緒のため、明日は天候を見て行き先を決めたいと思います。

紅葉の見頃は今週が最後となりそうですね。

小心者の買い物体験談です

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 添付したのは、火曜日に薬局で購入した風邪薬に付いた特別優待券ですが、安売りで売られる値段から、更に11パーセント値引きになるため、とりあえず安い商品を購入してから、この優待券を受け取ってから使えば得になるものの、その日の券をそのまま使う度胸が私にはありません。
 
 その下に持っているのは相棒リマのドッグフードですが、ホームセンターで省資源のためビニール袋を辞退してテープを張ってもらったものの、その後にも店内を廻ってから退店する時になり、「お客さん、ちょっと」と万引きの疑いで声をかけられる心配をして帰る羽目になりました。
 
 最近まで、買い物は家内任せで、買い物やカード決済に慣れておらず、買い物の度に何か戸惑いを感ずることが多く、昨日はカー用品の「ジェームス」に出向いたものの、平日のオイル交換時に貰えるはずのティッシュ3箱が出てきません。
 
 「ジェームスに行くなら、トヨタカードで支払えばポイントが貯まりますよ」との助言から、カード決済で支払ったことから、現金でないと貰えないかもしれないと、待ち時間にクーポン券の案内書を読むと、どうもそうではありません。
 
 「クーポン券を出さないと貰えないかも…」と、再度クーポン券を持って受付に行くと、「出さなくてもジェームスカードで同じ割引をしています」と言われ、肝心のティッシュを貰っていないことを言い出せないまま休憩室に戻ります。
 
 「オイル交換が終了時に言おう」と、オイル交換が終わって受付にいきましたが、親切に説明する整備士の話を聞いていると言い出せず、「もしかしたら、助手席に置いてあるかも」と気持ちを切り替え、車に戻ったらやはり期待はずれとなりましたが、たかだかティッシュ如きではありますが、「貰ってない」の一言が言えずに帰ってきました。
 
 私の行きつけとしている珈琲屋さんは、珈琲にシュークリームがサービスで付いていますが、時々忘れられる事があり、気付いてくれれば幸いですが、「何とか気付いて欲しい」と期待していても、時間が経過していくと食べた都度皿が片付けられている事から、完全に食べてしまったと思われてそのまま出てはきません。
 
 私にはこんな事が多く、サービス目当てと思われるのが嫌で、結構我慢してしまう事が多く、若いときから買い物は家内任せによる経験不足により、対応の仕方が下手なんでしょうね。
 
 本日も決算審査調査特別委員会が開催され、帰宅後は稲刈りが終わっていることから、米が届けられた際に置ける場所を準備し、夜7時から予定されていた同級生が出演する演劇鑑賞に仲間と名古屋市まで出向きました。
 
 さて、私はこれから家内や娘夫婦や孫と、愛犬も2匹(娘の犬も)連れて上高地を目指そうと考えています。明日と明後日は、上高地と周辺の紅葉を鑑賞してきます。
 
                                   10月26日の一言

てんかん患者の運転免許に罰則強化へ

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 添付したのは、今月21日の夜に私の事務所の窓の外にへばりついていた「ヤモリ」ですが、その後到来した低気圧による寒波により、この日以降は姿を見せておらず、今年はこのまま冬眠に入ることになりそうです。
 
 我家の「ヤモリ」は10年ほど前から目撃するようになり、春から夏にかけては夜限定ではありますが、連日事務所の窓にへばりつき、灯りに寄ってきた昆虫を食べているのでしょうが、来年まで見られないと考えると寂しさも覚えます。
 
 我家には数組の「ヤモリ」が生息しており、今年は台所にも現れて家族をびっくりさせたものの、「ヤモリ」は家にとって有難い存在と聞かされている事から、家の守り神として厳しい冬を生き抜いてもらいたいものです。
 
運転免許虚偽申告に罰則導入へ てんかん患者らの事故で 
記事の続き… 
 25日に有識者会議が国家公安委員長に提出した答申は、危険な病状にあることを自覚しながら、申告しないで免許を取ったり、更新したりした人への罰則を設けることを提言した。罰則の具体的な内容については今後、警察庁が検討する。
 一方、免許を取り消される人の負担も考慮し、3年以内に免許を再取得する際には、学科と技能試験を免除する制度を設けることを盛り込んだ。
 また、交通事故を起こす可能性が高い状態にありながら運転を続けている人がいた場合には、医師の判断で公安委員会に通報できると法律に明記することも求めた。通報が医師法の守秘義務に触れることを心配する医師が多いため、医師の免責を明確にするという。通報の範囲などを示すガイドラインも医師側が作るとしている。
 事故の遺族などからは、医師による通報の義務化を求める意見が強かったが、診療への影響を懸念する医師や患者団体からの慎重意見もあり、医師の任意の判断に委ねる方向だ。
 持病のある運転者の免許制度については、栃木県鹿沼市で昨年4月、クレーン車を運転していた男がてんかんの発作を起こして小学生6人をはねて死亡させた事故で問題化。その後も島根県や広島県でてんかん発作が原因の事故が相次ぎ、再発防止を求める遺族の要望を受けて警察庁が今年6月、有識者会議を設けて検討を進めていた。
 
 「てんかん」などで運転に支障がある病状にありながら故意に申告しなかった運転免許取得者に対し、罰則を設けるべきだとする提言が警察庁の有識者会議でまとまり、来年の通常国会に道路交通法改正案を提出する方針と報じられている。
 
 この問題について、罰則に強く反対する立場の知人が存在するものの、交通事故で被害者となった人や家族にとっては当然の判断と思われ、「てんかん」患者の多くが生活するためにてんかんを隠して就業してきたことにもメスを入れるべきで、正直に公表して堂々と生活できる社会を目指すべきでもあります。
 
 今から20年ほど前の話となりますが、私より1歳年下の高校時代の後輩が仕事が見つからずに困っており、肉体労働は出来ないとの話から、車を与えて営業や集金などの仕事で雇用した経験がありました。
 
 真面目と思っていた後輩は、身体が弱くて無理が利かず、仕事も半人前で我慢して使っていましたが、しばらくすると車を田んぼに落とす事故を起こし、この時は何事もなかったものの、その後度々車を傷つけて帰るので小言が続き、高校時代の後輩だけにクビにもできないままに2ヶ月程度が経過していきました。
 
 この頃から、精神的な異常も疑いましたが、ある時に事務所の前で突然痙攣を起こし、泡を吹いて床に大文字になって倒れてしまい、明らかに「てんかん」と思ったものの、本人が断固否定するため恐る恐る雇用を続けていました。
 
 こうなると何事も無く一日が過ぎるとホッとするようになり、厳しく注意すると倒れる事もあり、仕事どころではなくなりました。そして、最後は車を全損する事故で入院し、解雇する事無く自ら仕事を辞めていきました。
 
 この後輩は、その後病気が悪化して、仕事どころではなくなり、現在介護施設に入ったままで音信不通となっていますが、頑なに「てんかん」を隠して生活するために、周りの人々も理解しようがなく、結局は社会から邪魔者とされていきます。
 
 一方で、今回のような罰則強化によって、「てんかん」などの病気を隠す人が増えるとの指摘もあるが、前記したように隠す事で大変な事態も招く事から、「てんかん」でも公表して仕事を続けられるような社会の仕組みと理解も重要と思います。
 
                                    10月25日の一言

船橋市職員が住民情報を漏洩して逮捕へ

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本日買ってきたイチゴ 蜜香
 
 今年春に二種類のイチゴの苗を買ってきましたが、「宝交早生」は案内にあったように多くのランナーを出し、来春には多くの子孫が実をつける可能性が高いものの、「草姫」は卵くらい大きな実ができるとの案内を裏切り、総て枯れてしまいました。
 
 本日訪れたホームセンターでは、来春用のイチゴの苗が大量に並べられており、その中に唯一赤い実をつけた苗を見つけ、ダメで元々と開き直って買ってきました。また孫をびっくりさせたいと思います。
 
住民情報、漏洩した疑い 千葉の市職員逮捕へ 愛知県警
記事の続き…
 システムは市独自のもので、他の自治体の住民情報は含まれない。女性職員はシステムの閲覧権限を与えられていた。西岡被告はこの情報を依頼者に売り渡していたという。
 住民基本台帳はかつては公開されていた。しかし、05年に個人情報保護法が施行された後、06年11月に、原則として住民基本台帳の閲覧が禁じられた。
 探偵業界関係者によると、個人の住所は身元調査や浮気調査などに使われ、最も需要がある。一部の業者は職権で戸籍謄本や住民票を取得できる司法書士、行政書士など「士業者」の名義を借りて不正取得を続けてきたとされる。こうした情報は業者間で1件数万円で売買されていた。
 県警は昨秋から、探偵業者に頼まれて戸籍情報を不正取得したとして、東京の司法書士や行政書士らを逮捕してきた。今回の事件で、自治体職員も探偵の協力者になっていたことが明らかになった。
 西岡被告は携帯電話大手のKDDI(au)の顧客情報を転売したとして、不正競争防止法違反(営業秘密侵害)の疑いで9月に逮捕、その後起訴された。
 
 住民票や戸籍謄本の情報が、一通数万円もの金額で売買される現実に驚かされますが、それだけの報酬を支払う探偵業がいかに高額な費用となるかを実感させられるとともに、浮気の代償がいかに高額になるかも実感させられます。
 
 ちょうど一年前に、「興信所を紹介して欲しい」と依頼され、そういった関係者と今まで関わったことがない事と、人の弱みを握られる事になるため、簡単には相談に訪れる事もできずにストレスを溜めていたことが思い出されます。
 
 よく判らないことは、携帯電話会社の顧客情報を大量に入手して、高額な手数料を支払うメリットがあるとは思えず、高額な情報料がどのように利益を生んでいくのか種明かしが欲しいところです。新聞に報道されたように、もっとも需要があると記された個人の住所が、身元調査や浮気調査にどのように生きるのかも判りません。
 
 しかし、司法書士や行政書士が悪用される方法はさておき、法に基づいて社会を護るべき警察官や、今回のように地方自治体の職員が、住民の情報を漏洩していた事は驚きで、厳しい防止策を講じるとともに厳罰を科さないと堪りません。
 
 公務員が意図的に仕事上で法を犯した場合には、懲戒免職となり退職金を支払わないだけでなく、公務員として働いて得る老後の公的年金まで剥奪されれば、反社会的行為の抑止となり、我々議員についても、自ら選挙違反を犯した候補者は二度と選挙に立候補できない位の罰則や、微罪でも意図的に法を犯せば辞任する意気込みが求められます。
 
 法律や条令によって、規則正しい社会が構築されてきた中で、法を守るべき最前線の人々の不法行為は、世の中の秩序や公助の精神を阻害しますね。
 
                                    10月24日の一言

父親の日本画の恩師や先輩を懐古して

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私の父親の恩師浅見香城先生の作 五十鈴川
 
 朝日新聞の愛知県内の話題を探していたら、名古屋の地下鉄の駅長さんが画家に転身した話題があり、定年の5年前に退職して22年になる事と、25日から名古屋市中区のギャラリーで「喜寿展」を開く事が記されていましたが、私の父親も鉄道員であり、日本画を習っていただけに重ねて懐古してしまいました。
 
元駅長画家 喜寿の絵筆
 
 私の父親は名古屋鉄道の乗務員をしている昭和30年代に日本画を習い出し、恩師は立派な日本画家で、元名古屋市長や大学教授などが集っており、父も何度か一緒に作品を出展し、一度は高額な値段で作品が買われていったことがありました。
 
 恩師は朝見香城先生といい、名古屋市の千種区か昭和区方面にあったお宅に通う父に同行した記憶がありますが、浅見先生の教え子の中では私の父などが一番の若手となり、先輩方はそうそうたる顔ぶれで、教え子には日展に入選した人も存在するようです。
 
 さて、今から10年程前に、岐阜県養老町にある「珍品センター」に立ち寄ったところ、浅見先生の日本画に20万円程度の値札が付いており、「親父が居ったら買ってくるかもな」と思ったことがありました。
 
 先生は昭和49年に亡くなっておられ、ネット検索しても情報が少なく、私自身も記憶が薄れて行く中で、名前すら出辛かったことから、本日思い出しながら検索し、ここに残しておこうと考えました。
 
朝見香城 (あさみ こうじょう)
明治二十三年(1890)-昭和四十九年(1974) 享年八十四
姫路市の生まれ。はじめ画を森月城に学ぶ。のち京都の西山翆嶂の門に入り花鳥画を極める。
大正元年に名古屋に。新派の画家として活躍し、同四年の文展に出品して初入選。
それ以降帝展・日展に入選して東西にその名を知られた。
中京出品協会理事として名古屋画壇の為に尽力し、昭和三年に渡辺幾春・喜多村麦子らの若手作家と、中京美術院を創設して後進の育成に功績があり同二十五年に愛知県文化功労賞を受ける。
 
 私には無縁であり、直接接したわけでもありませんが、私の父親は朝見先生に集う先輩方に可愛がられており、私が大学に進む際には、当時愛知学院大学の教授を務めておられた大西誠一郎先生が、大西先生の身内として受験する手筈が整えられ、そんな画策が大嫌いな私と父親で大騒動になり、試験会場に出向きませんでした。しかし、金品に関係なく、何とかしてやろうとされた先生の心情には感謝です。
 
 私が学生時代に朝日新聞販売店を起業した昭和52年には、「来る人も、来る人も福の神」の色紙を、元名古屋市長の杉戸清さんが贈って下さりましたが、杉戸さんは朱竹を得意とされ、書の腕前も見事な文人でもありました。
  
 
 朝日新聞の販売店をはじめて間もなく、私は訪れたお宅の玄関に飾ってあった「鯉」の日本画を見て懐かしい気持ちとなり、奥様に尋ねたところ、御主人が絵を習っておられた事が判り、更に話していると浅見先生の弟子である事が判りました。
 
 急いで帰宅して父親に話すと、「鯉を描いたら日本一」と異名のあった三矢七郎(雅号は虹道)さんと判り、父親と一緒に同行して昔話に花を咲かせましたが、三矢さんは元は三菱重工業の企業内学校の先生で、その時には身体をこわしておられ、絵の仲間とは音信不通となっており、皆さんは再会に期待されましたがかなわぬままに他界されました。
 
 我家の事務所の2階には、三矢さんが亡くなられた直後に、奥様から託された画材や所有しておられた貴重な書物が残され、父親の書き残した日本画や書も残されていますが、浅見先生が私の父親に手本として渡された大量の画帳や、仲間の人々と交換した色紙なども残されています。
 
 父親の絵については、人よりは上手という程度で、巧く仕上がった絵については、会社の先輩方の退職記念に差し上げてしまい、残っているのは失敗作ではないとしても、人に渡せない程度の絵しか残されていません。恩師となる朝見先生の絵も、手本として受け取ったものが多く、額に入れるか表装する必要がありますが、今後はネットを通じて紹介するとともに、私の手で完成品として残したいと思います。
  
岐阜県養老町珍品センター http://www.chinpin.biz/index.html
 
                                 10月23日の一言 

久々に委員会が夜まで続き

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 本日は津島市議会の決算審査調査特別委員会が開催され、時間を大幅に超過する午後6時40分まで審議が続き、私の帰宅を待つ相棒(リマ)には寂しい思いをさせましたが、当分は拝命している役職からこんなスケジュールが続きそうです。
 
 市議会には三つの常任委員会があり、それぞれの所管する市役所の部署がそれぞれの委員会に割り振られていますが、決算審査調査特別委員会については市役所の全ての部署の審査を行なうことから、市役所の全てを審議し意見が言えるメリットもあります。
 
 私はちょっと考えが違い、一年に4回開催される定例議会の一般質問に、必ず3件以上の質問を通告することを決めているため、自分が疑問に思う事を公の場所で全てを質問せずに、一般質問用に温存したいという本音があります。
 
 かつて、病院の審査をするために創られた特別委員会で、そこで持っている疑問点を質問せずに、議会の一般質問に残して質問する私を批判する意見もありましたが、発言の重みを考えると、わざわざ委員会まで待たずにその都度質問し、本会議で登壇して質問して答弁につなげたいのが本音となります。
 
 さて、議会行事中に他の事に想いを巡らすのは不謹慎ですが、仕事はストレスも蓄積する事から、休憩中にファイルに入れた四国遍路の行程表を見て、気分を切り替えるようになってから暫く経過しています。
 
 「いつも何を持っているの?
 「あー、これは四国の行程なんだ…」
 「それ持っていると落ち着くのかな?」
 
 本日の昼休みの食堂で、いつも一緒に行動する同級生の市職員からかけられた一言ですが、私が食堂にも持ち歩いているファイルについて問われ、持っているだけで見もしないファイルから、私の本意を見抜いたのは見事で、さすがは同級生だけあります。
 
 四国遍路や真言宗の勤行次第には、ご本尊に対して自分のおかした罪を述べて、許しを請う懺悔文や、十善戒などが続き、少なくとも身体中の汚れを清め、汚れのない身体で帰ってきたいと私は思い、四国遍路は反省の旅でもあり、相反する議員活動の中で、そんな気持ちがお守りのような存在となります。
 
 明日は久しぶりに自分の自由となる時間があります。ちょっと積み残した仕事の整理と、身体の端々に酸素をおくり、私との行動で酷使した車のメンテナンスもしておきたいと思います。
                                    10月22日の一言

お寺に足を向けるのが日常となり

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 連日のブログがお寺の話題になってしまいますが、本日21日も午後から地元のお寺で「阿息観」が行なわれることから訪れたところ、お寺の入り口に隣家の柿が実っており、久々に秋の清々しい時間を実感させられました。
 
 阿息観は阿字観の一種で、禅宗の座禅と同じようなものですが、真言宗では厳しい形に当てはめた座禅とは違って、正しい呼吸方法による瞑想法で、鼻から息を吸って、清々しい新鮮な空気が肺から身体に入り、身体中の老廃物を口から吐きだすイメージで、私は呼吸そのものが思うようにできていません。
 
 
イメージ 2 最近はインターネットでも詳しい解説が紹介されており、私もかつてはネットを参考にして自己流で阿字観を行なっていましたが、紹介されているようには成果も実感できませんでした。
 
 「餅屋は餅屋に」の言葉がありますが、きちっとした修業を積んだ経験者の助言と指導のもとに体験しないと、阿字観の効果は期待できません。
 
 本日は、遠くの市町から訪れられた参加者があり、真言密教や弘法大師への質問があり、僧侶とのやりとりを聞いていましたが、レベルの高い質問と答えにびっくりさせられるとともに、本やネットで理解不能な知識を詰め込んで、判りもしない質問や会話に花を咲かせていた自分を思い出されました。
 
 来月1日には四国別格二十霊場会の先達研修会が行なわれますが、この中の研修内容に、別格第19番香西寺のご住職による「護身法伝授」が入っており、「延寿法」なども真言密教の奥義でも体験できるかと期待してしまいますが、そんな自分のかつての姿を思い出す一日ともなりました。
 
 明日からは久しぶりの決算審査調査特別委員会が開催されますが、今週は同級生の出演する演劇があり、週末は家族と上高地に出向く約束がしてあり、月末まで議会関係の日程が続きます。仕事と趣味の繰り返しがめまぐるしく続きます。
 
                                 10月21日の一言

週刊朝日は売れたものの

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 最近になって今年植えた山椒の木がだんだんと弱り、葉の数が日に日に減っていくので気にはなっていたものの、秋になったせいと思っていましたが、本日よく見ると添付したアゲハの幼虫が付いており、殺すのは可哀想なため柚子の葉に移してあげました。
 
 風前の灯火となっていた山椒の木の葉とは違い、柚子の木には青々とした葉が多く付いていることから、この幼虫には冬までに大きく成長して立派な蝶々になってもらいたいと思っています。今年5月に買ってきた山椒ですが、順調に成長するものの、アゲハの幼虫に喰われて弱り、駆除しても暫くすると喰われる繰り返しで、山椒の栄養と引き換えとなったのが添付した幼虫でもあります。
  
週刊朝日の連載中止 橋下氏巡る不適切な記述で
 
 さて、週刊朝日が10月26日号に掲載した連載記事「ハシシタ 奴の本性」について、朝日新聞出版は不適切な記述が複数あったことを理由に、第2回以降の中止を決めたと朝日新聞が報じ、河畠週刊朝日編集長が橋下氏に謝罪し、次号に「おわび記事」を掲載する考えを表明した。
 
 この記事について、橋下氏はノンフィクション作家の佐野眞一氏らが執筆した週刊朝日の記事について、橋下氏の家族関係の記述が中心テーマになっていると主張し、「政策論争はせずに、僕のルーツを暴き出すことが目的とはっきり言明している。血脈主義ないしは身分制に通じる本当に極めて恐ろしい考え方だ」と非難していた。
 
 作家の佐野眞一氏について詳しくは知りませんが、橋下氏に関する同趣旨の情報が以前から出回っており、公然と語られていた話とは言え、何故この時期に朝日の看板を掲げた週刊朝日が記したのか疑問だらけですが、内容が内容だけに目に見えない圧力も感じさせられます。
 
 私自身は裕福な家庭の出身ではないが、家族のルーツとか血脈については重要と思い、環境の悪さを家を飛び出して逃避して成功を目指すのは共鳴できず、「人殺しは三代祟る」のように、過去の悪行は子孫が背負うべきと思っています。橋下氏についても、努力して現在の地位を築いており、過去のルーツを払拭して世論の支持を得て欲しいと考えます。
 
 しかし、週刊誌とは言え、朝日新聞社の週刊誌が、こんな顛末になる事も知らずに掲載したとは思えず、連載はできなくなったとは言え、橋下人気に大きなダメージを与えたのは否めず、朝日新聞社と週刊朝日は別媒体と弁明しても、朝日新聞社の責任を免れるものとは思えない低俗な掲載となりました。
 
                                   10月20日の一言

心は西国から四国遍路へ

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四国八十八ヶ所 第12番焼山寺の山門
 
 1泊2日の西国巡礼から帰りましたが、10年ぶりの西国三十三ヶ所だった事から当方の「浦島太郎」状態である事は否めませんが、霊場会としての連携不足も見逃せず、第11番上醍醐寺では2日がかりの参拝となりました。
 
 情報化社会になり、西国三十三ヶ所札所会の公式サイトも運営されていますが、第11番上醍醐寺のご本尊の安置場所が変更され、上醍醐寺に参拝しなくとも醍醐寺の参拝だけで朱印が受けられるようになった事が判りませんでした。朱印場所の変更は事前の電話確認によって判っていたものの、健康な私は山上の上醍醐寺まで歩くつもりでした。
 
西国三十三ヶ所札所会公式サイト  http://www.saikoku33.gr.jp/
醍醐寺 納経所の移動のお知らせ http://www.daigoji.or.jp/special_news/news_120928.html
 
 公式サイトでは、拝観時間と朱印が午前9時から4時半と記されていますが、納経所が上醍醐寺ではなく醍醐寺になっている事は記されておらず、醍醐寺のサイトには案内があったものの、出版されている西国関係の本や札所で配布されているパンフレットには、上醍醐寺の情報がそのまま記され、連絡先の電話番号も変更されていないため、カーナビで検索しても醍醐寺ではなく、上醍醐寺に近い山道の峠まで案内が続きます。
 この峠道は、かつてタクシーが近くまで走ってくれた場所で、私はこのまま歩こうかと思いましたが、人の通った形跡が全く無く、遭難するような不安を感じた事から引き返しました。
 
 こんなことは四国遍路では考えられませんが、西国のお寺は大きな本山級の仏閣が多く、観光客が押し寄せることから、駐車場や拝観料の授受はしっかりしている半面で、巡礼者には不親切と思われ、今回最後の参拝となった近江八幡市の第32番観音正寺では狭い山道で対向車が道を譲らず、巡礼者どおしの譲り合いも感じません。
 
 こんなグチを記すようでは人間失格ですが、四国遍路で同行者に巡拝マナーを厳しく話してきただけに、メンバーに観光気分が芽生え、「今度は皆で遅くまでおしゃべりのできる宿にして」と言われて当り前の雰囲気となりました。
 
 さて、添付したのは四国八十八ヶ所の焼山寺ですが、「遍路ころがし」と言われる有数の難所です。来月1日には四国別格20霊場の先達研修会が開かれ、一人で週末まで滞在し、新たな四国遍路の魅力を探してこようと考えています。
 
                                   10月19日の一言

見事な夕暮れに癒された西国巡礼

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 昨日から出かけていた西国巡礼から帰宅しようとした時、一日中曇り空から雨に変わって真っ暗だった近江八幡市の西方が輝きだし、油絵のように見事な夕焼けとニジが現れ、車を停めてメンバー全員(8名)で鑑賞した次第です。日が暮れて、真っ暗になった空が、再び赤く輝くのは感動的で、2日間の雨で苦労した我々へのプレゼントかもしれません。
 
 昨日に巡拝予定であった西国霊場第11番上醍醐寺に拝観できなかった事から、本日は最初に朱印場所の醍醐寺を訪れたところ、午前9時まで駐車場も開門しないとの話で、比較的近くに位置する番外の元慶寺を先に訪れました。
 
イメージ 2 西国三十三観音には三つの番外寺院がありますが、広大な敷地に立派な伽藍が多い霊場の中で、元慶寺は小さな尼寺のようにたたずむお寺で、ご住職の姿が見える納経所は良い雰囲気です。
 
 昨日に訪れた番外の法起院は西国霊場開祖と言われる徳道上人ゆかりのお寺でしたが、元慶寺は観音巡礼の中興の祖と言われる花山天皇ゆかりのお寺で、薬師如来が本尊となっています。
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 10年前、醍醐寺から1時間の行程という山道を1時間半かけて上醍醐寺に参拝しましたが、現在は醍醐寺で朱印が押してもらえて楽で便利な参拝となったものの、観光のようなイメージは否めません。
 
 醍醐寺には国宝の金堂や三宝院など、宝物として保存されている文化財を鑑賞するのも魅力ですが、添付した観音堂への参拝と朱印だけでは勿体無い気持ちにもなりましたが、小雨が降る広大な参道を往復するだけで息が上がり、昨日と2日がかりの参拝に一目散の巡拝です。
 
イメージ 3 本日の予定は、第11番醍醐寺から14番三井寺まで巡拝してから、その後の巡拝予定をたてようと考えていましたが、醍醐寺の出遅れから竹生島の第30番宝巌寺に渡る事にして、今回は今津港から竹生島に渡りました。ただし、一日に4便しかありませんから、時間調整を間違えると3時間以上の時間がかかります。
 
 本日は、12時の出港直前に予定どおり到着し、島の食堂でゆっくりと昼食をとり、2時に今津港に戻れました。
 
 ここから湖西道路を走って、近江八幡市にある第31番長命寺に到着したのは3時半となっており、厳しく長い石段が疲れたメンバーの身体から悲鳴をあげさせますが、次があるので必死に下山します。10年前は、マイクロバスで訪れており、ふもとからの参拝はもっと大変だったと思いますが、10才の年齢差が大きいのは否めません。
 
 今回の巡礼最後となる第32番観音正寺には、自動車通行道の通行が許される午後4時半が迫る中で到着し、ここも長い参道を納経所に辿り着くのが精一杯で、朱印を先に済ませてから急ぎの参拝となりました。
 
 次は来月の14日に出発する日程を打ち合わせましたが、舞鶴市にある第29番松尾寺から天の橋立にある28番成相寺まで足を延ばす予定で、12月に満願を果たした後には、坂東、秩父と百観音へ挑戦となっていきそうです。
 
                                     10月18日の一言

雨中の奈良県から西国巡礼へ

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奈良県桜井市・長谷寺の参道です
 
 本日は津島市を午前6時に出発し、先月に続いて西国参十三ヶ所第8番長谷寺から、6番南法華寺(壺坂寺)、7番岡寺、9番興福寺南円堂と余裕の滑り出しで、最初の休憩地御在所サービスエリアでは朝からモーニング珈琲となりました。
 
 10年ぶりの西国巡礼ですが、道路環境が大幅に改善されており、最新のカーナビを装備しないと不便を感ずる運転となり、台風の影響で雨が降り続く中で、予定を1時間程度遅れた巡拝ですが、余裕の参拝が続きます。
 
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 左に添付したのは、長谷寺の近くにある番外の法起院で、西国霊場の開祖と言われている徳道上人の隠棲の寺と伝承されています。
 
 大きな名刹が多い西国巡礼で、やっと身近なお寺にたどり着いた気分で、西国霊場が総て拝観料や駐車料金が必要な中では有難い無料の駐車場と拝観にホッとさせられます。
 
 さて、四国霊場のように、情報が豊富でない西国巡礼の中では、この法起院のほかに、番外のお寺が京都市と兵庫県三田市に2軒存在しているが、販売されている朱印帳の最後尾に番外のページがある事から、巡拝終盤になって存在に気付く人もあり、注意が必要です。
 
 余裕の巡拝の顔色を変えさせたのは、京都に入った午後4時ちかくなってからで、西国最高の難所である参道が回避でき、下醍醐寺で上醍醐寺の朱印がもらえると聞いていたものの、カーナビの示す目的地は上醍醐寺に近い峠道で、迂回する山道を探しても山の裏側(東側)からアクセスしているため、山の夕暮れは早く真っ暗となったため、本日は諦めて大津市のホテルに向いました。
 
 ここからも大変で、10年前とはずいぶんと交通体系が変っていることと、上醍醐寺でカーナビ不信となっていた事から、簡単に到着する高速道路を回避して最短距離を指定したため、真っ暗の雨中を長時間走り続ける事となりました。
 
イメージ 3 本日の宿泊は大津市の東横インを予約しており、夕食は外に食べに出る予定のため、夜になっても降り止まぬ雨中をメンバー8人で傘をさして歩き出しました。
 
 夕方の不運に包まれていた中で、不幸中の幸いとなったのは、ホテルから数十メートルの距離にアーケードのある商店街があり、閉店間際の鮮魚店に食堂スペースがあり、午後7時までに入ったお客さんなら時間の許すまで営業するとの話です。
 
 おまけに隣は新鮮な魚の並ぶ鮮魚店だけに、海鮮丼の乗せられた素材は最高に新鮮で味もよく、酒の肴も最高の珍味が並べられており、雨中の一日の疲れが吹っ飛ぶ夕食となりました。
 
海鮮市場 摩季詩 http://www.hotpepper.jp/strJ000978973/
   
滋賀県大津市長等2-1-19
    京浜浜大津駅から、電車通り沿い菱屋町商店街の中にあります。
 
 小さなお店ですが、琵琶湖ではなく日本海に面した海鮮料理のような錯覚をしてしまう寿司や定食のスペースでした。こんなお店の人々との出会いも旅の魅力です。
 明日は大津市周辺を巡拝し、順路どおりに京都市には入らず、滋賀県の近江八幡市や湖西の竹生島への船便に乗りたいと(私は勝手に)考えて就寝を迎えます。
 
                                10月17日の一言 

我家の猫の在りし日を懐古して

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 稲沢市の矢合観音さまの参道のお店に置かれた子猫です。この辺りには猫がたくさん居り人にも慣れて暖かい日は道路に寝ていますが、捨て猫を増やさないためにも里親ができるのを期待したいと思います。
 
 「あんたが飼ったらどうだッ」と言われそうですが、我家の前は津島市と名古屋市を結ぶ県道が走っており、議員になってからまもなく「ニャンスケ」が交通事故で圧死し、我家で最後の飼い猫となった「ミミ」ちゃんが車に撥ねられてから9年が経過しています。
 
 実は、この前に飼っていた猫たちも最後は交通事故で死んでしまう事から、我家では猫は絶対に貰わない事に決めていますが、「ニャンスケ」も明らかに血統書付きの凛々しい猫で、避妊手術までしてあったものの、我が家に入ってきて自然に飼い猫のように住みつきました。
 
 ニャンスケは平成5年の春に迷い猫として我家を訪れ、医師に死を宣言されていた父親が病院から外泊した時に、父を飼い主のようにして抱かれていた事から、「飼ってやろう」と家族の一員となり、平成12年位まで生きていました。
 
 「みみ」については、平成15年1月26日に訪れ、あまりにも小さく栄養失調のため近くの動物病院に連れていきましたが、汚れてオスであることも判らない状態であったものの、大きく育って家内の腕に飛びついて抱かれるのが好きで、完全に飼い猫となていましたが、この年の9月28日に車に撥ねられて死にました。
 
 2匹とも、私が外出した祭に、私を探して(家族の話ですが)屋外に出て、車に轢かれています。そんな経過から、我家は捨てられた猫なら飼っても幸せに出来ると考えて、猫が迷い込んできたら絶対に飼うと決めているものの、それ以来一度も猫が入ってきません。
 
 本日、猫の写真を添付してから、2匹の死亡した日時を調べたところ、ニャンスケの遺品とメモが紛失しており、ともに我家の庭に眠ってはいるものの、命日を記したメモが失われていることから、慌しく探すことになりましたが見つかりません。
 
 明日からは一泊で西国観音巡礼に出かける事から、帰宅後に探そうと思っていますが、数年前に死んだと思っていた「みみ」ですら9年前に死んでおり、子供の頃から複数の猫が飼われていた我家の猫不在も永くなりました。
 
                                   10月16日の一言
追伸
本日も決算審査調査特別委員会(文教建設委員会の所管)の一日でした。
明日からの西国巡礼は、奈良県桜井市の第8番長谷寺から、明日香(6、7番)、奈良(9番)を北上して大津市まで近づきます。

本日から決算審査調査特別委員会が開催されて

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 今年は庭の小動物が増えて、2週間前にクモの写真を添付しましたが、本日は今年大量に生まれた我家の「アマガエル」を添付しました。7月に大発生したアマガエルの子供も当時添付していますが、秋を迎えてアマガエルも寂しそうに見えるのは人間の勝手かもしれません。
 
 夏から秋に変ったものの、日中には汗ばむ気候も、夜になると冬を前にしたような冷え込みを感じ、夜になると事務所の窓の外側にへばりついていた「ヤモリ」が、いっせいに姿を消しました。
 そんな想いで庭に出ると、残された夏の日差しを懐かしむようにアマガエルが大量に座っていましたが、携帯電話のカメラを近づけると、飛んでしまって中々コミュニケーションが図れず残念なショットになりました。
 
 さて、本日から津島市議会では昨年度の決算書について調査特別委員会が開催されており、事務所への帰宅は午後5時近くになりましたが、何故か普段はあまりかかってこない携帯電話が鳴り続け、休憩中に連絡して帰宅後には約束したお宅へ走りましたが、忙しい日に限って連鎖反応のように忙しくなるようです。
 
 本日は厚生病院委員会所管の審査が終わりましたが、明日には文教建設委員会所管の審査となり、来週以後も月末まで各委員会や特別会計や企業会計の審査が続きます。
 
 びっくりとしたのは、まだ先の話と思っていた2回目の西国巡礼が明後日の出発となっており、宿泊場所の予約ばかりでなく、私が愛用する白衣もクリーニング店に出したままとなっており、旅行中の傷害保険も保険屋さんを走らせることとしてしまいました。
 
 台風も接近していることから天候も気になりますが、天候の良し悪しによって巡拝順序を変えようと余裕で発言していたものの、紅葉シーズンとなる来月の巡拝を最高にするために、明日の夜は大変な忙しさとなりそうです。
 
 もっとも、先月は9月議会が開かれており、ボランティアとしている福祉有償運送もメンバー任せとしていましたが、今月も西国巡礼や上高地行きを目一杯入れていることから、今月もメンバーに無理をお願いすることとなってしまいましたが…
 
                               10月15日の一言

お寺の受付へ座る一日に

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我家に唯一残ったアシタバ
 
 本日は我家の隣にあるお寺(浄土宗の尼寺)の永代経が開かれ、私は朝から受付に座っていましたが、参加する人の数は変わらないものの、明らかに世代交代が起こっており、受付にロウソク代を届けてそのまま帰る人の増加が気になります。
 
 私の住む地域は浄土真宗を宗派とする人々が多く、本日の参加者もほとんどが浄土宗の檀家と浄土真宗の門徒ばかりですが、双方とも先祖供養だけをお寺の仕事としているため、お寺との縁も高齢になった親が亡くなってから始まります。
 
 隣の尼寺も私の父親が成人した当時は、茶道や華道の指導もしており、当時の社会では家の主である男性がお茶(抹茶)をたてて、訪問者をもてなすのが当然のシキタリとなっており、私の父親も未生流の免許をもらっていました。
 
 最近では一宮市のモーニングコーヒーが全国に宣伝されていますが、津島市も同じように珈琲屋さんのモーニングは当り前となっており、男性が茶道をたしなむ事は無くなり、今や抹茶はお寺の月参りしか必要なくなりました。
 
 さて、我家も父親の命日と先祖供養に月に2回、2人の僧侶が訪れますが、80歳を超えてはいるものの母親が存在するために続けられますが、母親が居なかったら朝の8時前後に僧侶の相手もしておれません。
 
 「留守になるので、お寺の方でお参りしてください」と、忙しい日は断る事もありますが、こんな繰り返しが簡素化となり、永代経もお金だけ届ければ責任を果たせたとなりますし、お寺の食事に期待しているのは高齢者だけとなります。
 
 平成5年の秋から受付に座るようになり、若いと思っていた私も60に近づきましたが、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に導かれるなんて少しも思いませんし、現代人に足を運ばせる新たな役割が求められています。
 
                                    10月14日の一言

本日も午後には名刹巡りとなり

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 本日の我家のポストに四国八十八ヶ所霊場会事務局より手紙が届き、本年12月に予定されている公認先達研修会の案内と、先達審査会において私の権中先達への昇補が内定したとの通知が同封されてきました。
 
 今年から私の公認先達への推薦を頂いている松山市の第52番太山寺の吉川住職が、四国八十八ヶ所霊場会の会長に就任され、四年間の任期中に四国霊場と高野山が開かれて1千2百年が経過するため、私自身も積極的に行事に参加したいと考えている次第です。
 
 通知のあった昇補についても、社会生活を送る中で犯罪を犯したり、霊場会の名誉を傷つけるような悪行は行っていない事から、予定どおりに通知があるものとは思っていても、昨日に届いたとするブログを拝見すると、待ちに待った通知でもありました。
 
 
 今月に送付されてきた四国八十八ヶ所霊場会の会報「へんろ」に、霊場開創1200年記念徒歩錬行が予定されており、来年2月4日に善通寺を出発し、毎月2回2日間ずつ歩いて平成26年5月9日に善通寺で結願する案内が入っていました。何とか参加したいものですね。
 
 来月1日には、四国別格二十霊場会の先達研修会も開催され、前後の日程を久しぶり(と言っても7月末以来ですが)の四国遍路にしたいと考えています。
 
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 さて、本日もヒマそうな娘と孫から連絡が入り、外出をそそのかすと乗ってきたので、我家の家族も一緒に稲沢市の矢合観音まで参拝と昼食に出かけ、その帰り道にある(旧平和町)三宅の長福寺に立ち寄りました。
 
 寺の縁起を拝見すると、天長7年(830年)に創建され、本尊は行基菩薩の手による千手観音とあり、聖徳太子が全国に屯倉御県(みやけみあがた)の制をしいたとき牛頭天王を祭り当寺を建立し、後に津島神社を別院として造営し、別当となるとありますから、門前町として栄えた津島市の津島神社の歴史に匹敵する歴史を有する古刹でもあります。
 
真言宗智山派牛頭山長福寺 http://www.chofuku-ji.org/
 
 本殿に参拝してそのまま帰る予定でしたが、当方の存在に気付かれたご住職に招かれるままに、真新しく造営された会館内を案内され、遺族が宿泊できる葬儀会館や、ペットを供養する動物供養の仏間や、雨に濡れずに車の供養ができるスペースを拝見してきました。
 
 歴史が古いだけでなく、このお寺では葬儀のセレモニーホールだけでなく、ペットの火葬や供養もしており、最新式のお寺の設備と、ペットも家族として人間並みに供養する住職の熱いお話に感動する内容でした。
 
 実は、この住職と私の叔父(浄土宗の僧)とは、アマチュア無線の仲間で親しい事を知っておりましたが、何も知らない家族も一緒だったため、黙って案内をしてもらってから名乗ったことから、体調不良で外出しない叔父の近況や、昔話にも花を咲かせる結果となり、先週の大垣市にある明星輪寺に続く名刹巡りともなりました。
 
                                  10月13日の一言
追伸
明日も隣のお寺(浄土宗)の永代経が開かれ、受付役の一日となります。

土曜日の夕刊が休刊となり

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 本日の朝日新聞夕刊に、「明日の夕刊はございません」との折込広告が入っており、私は休刊日の案内と錯覚していると、今後は土曜日の夕刊が毎週休止されるという内容で、今後は土曜日の夕刊が無くなってしまうんですね。
 
 夕刊には、「月曜~金曜の夕刊は引き続き発行します」と記され、これまで土曜日の夕刊に記されていた小説などは、他の曜日に掲載することと、土曜日のニュースは朝日デジタルの速報と翌日の朝刊を読んでくれとの案内です。
 
 新聞を配達する人々にとっては有難い休刊と思いますが、祭日がある場合は週4日間しか夕刊が無くなることから、今でも朝刊だけを購読する家庭が増えている中で、夕刊離れも気になるところですね。
 
 もっとも、配達する人々にとっては、夕刊が無くなっても翌日の朝刊があり、新聞休刊日でも夕刊の配達がある事から、完全に配達の無い日は一年間に1月2日の一日だけであり、新聞の休刊よりも労務環境の改善によって週休2日を実現させてもらいたいものです。
 
 さて、毎日午後に放映されている「徹子の部屋」で、ゲストの高橋克典さんに「まだ47才ですか」との一言がありましたが、長生きしている黒柳さんだから感ずる一言で、平均寿命を考えると残された年数の方が少なく、「もう47才になってしまったのか」との見方の方が説得力を感じます。
 
 本日の報道では、人気お笑い芸人の母親の生活保護受給をめぐるテレビ報道に放送倫理違反があったとして、生活保護の専門家や弁護士が審議するよう求めていた問題で、放送倫理検証委員会は12日、委員会として問題を取り上げないことを決めたと報じられています。
  
生活保護報道「編集の自由の範囲内」 BPO取り上げず
 
 審議を要請した生活保護問題対策全国会議はこの決定に 、「生活保護制度や受給者に対する偏見をあおり、誤解を広げるばかりの感情的な報道が許されるのか」と批判的なコメントを発表し、審議しない事も批判している。
 
 現行法では、親族による扶養が生活保護の受給要件になっていないものの、実の息子が高額所得を得ていても無条件で生活保護を受け取れる現行法にも問題があり、法を悪用すれば籍を抜いたり別居するだけで簡単に生活保護を受け取れる現実の改善が急務と思います。
 
 一方では、弁護士が生活保護の申請に行政窓口に訪れ、支給された生活保護費から分割で弁護士費用を受け取ったり、「支払った金額が戻ってくる」と、消費者金融と契約した返済金が戻って当然のように思わせるコマーシャルにもメスを入れてもらいたいものでもある。
 
                                     10月12日の一言

世田谷の路上殺人事件にみる世情

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私が愛用しているランニングシューズ
 
 東京都世田谷区の路上で、86歳となる警視庁の元警察官(警視)が隣に住む62歳の女性を日本刀で切りつけ死亡させ、住宅に立てこもる事件が発生し、自身も日本刀で首を切って自殺する事件に日本中に衝撃が走りました。
 
立てこもりは86歳元警視、死亡確認 女性も死亡
 
 事件後のテレビ等の取材から、事件の背景には、隣同士の日頃の生活習慣の違いからトラブルが続いていた事が判り、相談を受けた警察や弁護士が関わっても解決できなかった現実から、真剣な対応と検証が急務と思います。
 
 身勝手に当事者の心境となれば、加害者となった元警察官からは、警視まで務めた自分を年寄りとしてバカにする新参者の女が隣人であり、被害者にしてみれば年寄りのくせに口うるさい頑固爺だったのかも知れませんが、こんな事でお互いの命を落とすなんて想像もできなかったと思うとともに、加害者は相手を殺して自分も死ぬと前々から公言していた事から、事前に抑止できなかった事は残念です。
 
 実は、今週の3連休の最終日は上高地の明神池におりましたが、私は明神池のお船祭りをカメラに収めるため、一時間前に現地に到着し、池の入り口にある穂高神社奥の宮の神事が始まる時間から待機して、神事が終わった神官が船に乗るのを待ち構えていたものの、その直前に小さなコンパクトカメラを手にしたオバサンが私の前に足を踏み入れ、正面と左側(右は池です)をカベとしてしまいました。
 
 「このババア、何考えとるんじゃッ」
   あくまで心の中の叫びです
 「俺は1時間も前から待っていたんだぞッ
   あくまで心の中の叫びです
 「この野郎、池に落としてやろうか」
   あくまで心の中の叫びです
 
 カメラ撮影の常識からして、大きな一眼レフカメラを構えたマニアの前に割り込む人は有り得ませんが、そのご婦人は思いつきなんでしょうが、躊躇することもないままに私の前に陣取ったのでした。
 
 こんなことが日常的におきても咎められない世の中になっているんです。中国人の観光客が京都観光で当り前のように行う腹立たしい行為ですが、清々しい上高地で日本人の女性による行為だったんです。
 
 こんな事で腹をたてて怒鳴っては神聖な穂高神社奥の宮と明神池に申し訳ないという気持ちと、市議会議員としてトラブルが話題にされても困るため、何事もないように注意もしませんでしたが、1年に一度の行事をカメラに収めるために出向いていた本心としては、怒鳴って池に落としたい(落ちて欲しい)心境でした。
 
 カメラにフイルムが入れられない人が多く、カメラは一部の人々の高尚な趣味だった時代から、今では誰でも簡単に撮影できるだけでなく、携帯電話でもカメラやビデオ撮影ができる時代になった事から、日常生活のなかでも見直すべきマナーが必要になっています。
 
 実は、今年4月27日に開催された上高地の開山式においても、式が始まる1時間前から河童橋の最前列に陣取りましたが、開始直前にその前へテレビ局や新聞社のカメラマンが大型の三脚を当り前のように持ち込み、私の眼前をカベにしてしまいました。
 
 仕方なく、開山式を立ち上がって撮影すると、「立ち上がったら見えんだろー」との罵声が後ろの観光客から響き、満足な撮影ができませんでしたが、同じ事が今年招かれた中学校の体育祭でも行われ、13年ぶりに座った来賓席の前にビデオカメラを持った生徒の保護者が押しかけますが、同様なケースが最近では当り前となってしまいました。
 
 時代とともに人と人との対応も変わって当然とは思いますが、第三者や隣人に不快な思いをさせないマナーを忘れ、自分本位な行動を容認する社会が、今回の事件の背景にも存在する事を、我が身の最近の心境からも実感させられる一日ともなりました。
 
                                   10月11日の一言

出動しなかった救急車によって

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挿木で根付いた我家のパイナップル
 
 昨年10月に、 山形市で一人暮らしの男子大学生が、119番通報をしたのに救急車が出動しなかったため死亡したとして、母親が山形市に損害賠償を求めて裁判となっている問題で、市側は対応は適切だったとして、全面的に争う姿勢を示した事が報じられています。
 
 昨夜の書道会終了後の雑談の中で、参加メンバーから聞いた時の印象では、「若い大学生ゆえに救急車を依頼した大学生の応対にも問題があったのではないか」との話になり、「津島市では決してそんな事は無い」との話となりました。
 
「救急車が出動せず」大学生死亡 母親、山形市を提訴 
 
 本日の朝日新聞夕刊にも記されていますが、アサヒコムには大学生が救急車を依頼した祭の録音テープが添付されており、これを聞く限りでは電話で応対した山形市の消防本部職員に「何とか救いたい」との危機感は感じられず、津島市の救急車の現場到着時間を当てはめると、電話応対に要した時間に救急車が到着しています。
 
 大学生は、その9日後に自室で遺体で発見されたが、死体検案書で死亡推定日は通報翌日の11月1日ごろとされ、死因は「病死疑い」とされていることから、遺族の心境としては「何故にあの時」となるのは当然である。
 
 山形市は、「対応は適切だった」と全面的に争うとの事だが、市民の救急車の要請を適当にあしらい、何とかしようと考えなかった事に、市民の税金で雇われて、市民のために働く公務員として自覚が足りなかったことは否めません。
 
 津島市議会の中でも、市長答弁の中に、「救急車をタクシー代わりに要請して、市民病院へのコンビニ受診は迷惑」と発言されたことがあるが、一部の横着者の存在はあるものの、大多数の一般市民にとって119番へ電話することは大変な覚悟が必要で、病院どころか救急車に乗りたいとは思っておらず、真剣な対応と絶えず危機感を持った受付が重要です。タクシー代わりとかコンビニ受診の一言は、真面目な住民の存在を考えると禁句とする位の対応も必要に思います。
 
 さて、本日は夏に挿木したパイナップルを添付しましたが、今年になって大量の花を咲かせていた四国椿堂ゆかりの椿が、わずか4日ほど目を離した結果、瀕死の状態となっており、我家の庭に残された植木鉢を数えれば、多くの植物が枯れてしまった事を物語っており、現存する物言わぬ花々や木々の保護も重要に思う一日となりました。
 
                                    10月10日の一言

御嶽山の先達と百草丸の普及について

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 我家では子供の頃から胃腸の常備薬となっている「百草丸」です。昨日の一言にも記しましたが、私の祖父(母親の父)が御嶽山の先達をしていた事から、当り前のように百草丸が置いてあり、百草丸と「正露丸」があればほとんどの腹痛は治ります。
 
 我家の百草丸は日野製薬の製品で、子供の頃は真っ黒の板状の百草を切って飲まされるものの、苦いだけでなく独特な臭いがあるため飲めませんでしたが、最近では細かい丸薬として飲みやすくなっています。
 
 
 日野製薬のホームページを見ると、百草丸の主原料は生薬ではオウバクで、オウバク(黄柏)は、ミカン科の落葉高木キハダの周皮を除いた樹皮と記され、日本では漢方が伝来するはるか以前の縄文時代から薬として用いられていた事と、考古学上確認された日本最古の生薬との説明があります。
 
 日野製薬の歴史には、「百草は、江戸時代末期、木曽御嶽山に祀られる御嶽大権現の宣託を受けた修験者が、御嶽山ろくに自生するキハダの内皮を煎じて薬とすることを村人に伝授したのが始まりとされています」とあり、御嶽山の修験者が、御嶽信仰の信者に「御神薬」として御嶽信仰の全国的な隆興を背景に、江戸・尾張・大阪へと広がっていった事が記されています。
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 昨日の思いつきの御嶽山参拝で立ち寄った黒沢口の里宮(一番麓にある御岳神社)のむかえにも日野製薬の里宮店があり、かつては創業家の「おばさん」と言う人があり、私の祖父と知り合いだった事から、いつも割引きしてもらっていました。
 
 その方がいつに亡くなったかは知りませんが、祖父(の所属していた御嶽教の「明栄講へ組」の名前か、祖父の名前を出すと定価から何割かは値引きしてもらえる仕組みも、百草丸の歴史を見るとなるほどと思いますが、今では恥ずかしくて言えないような前時代的な懐かしい思い出となりました。
 
 さて、私の子供時代には蒸気機関車でしたが、小学校時代には祖父江町だけでもバスを何台も連ねて信者が御嶽山の頂上を目指しており、車中で大量の百草丸や「そば饅頭」の注文を取っていました。最近では先達そのものがいなくなり、バスの募集もなくなっているのが寂しいかぎりです。
 
 御嶽山の先達は、四国霊場会の先達とは違って、身体的に厳しい修業が必要となる事から、私なんかは問題外ですが、御嶽山の先達が百草丸を全国に広めた歴史からも、人々の関心が病気や健康を願っていた宗教の共通点も感じます。
 
 私が四国遍路で買い求めてくる「千枚どおし(病気の時に飲む護摩札)」についても、入手したい人から求められる時がありますが、今年の別格20霊場会の先達研修会でも、「延寿法」の講習が入れてあった事から、四国遍路にも御嶽山と共通する歴史を実感させられます。
 
 残念なことは、昨日の里宮店で販売されていた白衣のズボンが4千円もした事(四国では3千円以下)から、四国では多くのお遍路客が巡拝し、公認先達も増加している半面で、御嶽山の壊滅的となっている先達や信者の激減が気になります。
 
 私の祖父の家(母親の実家)も、祖父の孫(私の従兄弟)が御嶽教の廃止を宣言しており、祖父の石碑の維持も心配となりますが、御嶽山の先達は80歳を超えた高齢者も3千㍍を超える頂上まで加持祈祷を続けて案内していた姿が懐かしく思い出されます。
 
                                 10月9日の一言

晴天の上高地と明神池お船祭りへ

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 本日午前中の鏡のように静寂な大正池に写る焼岳です。本日の午前中は雲一つ無い晴天で、こんな好天に恵まれたのは久しぶりのことですが、昨日の夕方に高山市に入る手前から小雨に降られていたため、昨晩は平湯温泉に入り、安房トンネルの前で車中泊としたことを後悔する朝となりました。
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 津島市・7日午後2時発…尾西IC…ひるがの高原SA…休憩・飛騨清見IC…高山IC…平湯温泉
 
 東海北陸道に入る前に、上高地のホームレス画泊こと、小梨平でテント生活を続ける千葉県の渡辺氏に連絡し、差し入れの食品を購入しましたが、空は真っ黒で小雨が降りだしたため、家族は平湯温泉に入り、私と相棒リマは車で留守番です。
 
 今回の上高地入りの目的は、毎年10月8日に明神池の入り口にある「穂高神社奥宮」で開催される『明神池お船祭り(穂高神社奥宮例大祭)』を鑑賞するためで、家族4人と相棒リマも一緒に明神池を目指しました。私だけは、渡辺氏のテントに出向き、お茶をいただいてからカメラ片手の散策です。
 
イメージ 4 この神事は、安曇野にある穂高神社の奥の宮として、日本アルプス総鎮守、海陸交通守護の神として、奥穂高岳頂上に祀られている御祭神の「穂高見命」を鎮める神事であり、明神池にある2艘の船に神主さんや関係者が乗って池を清めます。
 
 奥の宮の大祭が始まる午前11時から明神池お船祭りが終了する11時30分までは、いつもは300円の拝観料が必要ですが、この日は無料で開放され、多くの人々が祭りをカメラに収めていました。私も最高の場所に陣取りましたが、私の前に続々とオバサンカメラマンが立ってしまい、絶好のシャッターチャンスは失ってしまいました。
 
イメージ 3 本日は明神池を後にして、河童橋の前にあるレストラン小梨で遅れた昼食を摂り、3連休の最終日のため渋滞に巻き込まれるのを避け、奈川ダム経由で中仙道御嶽山にある祖父の石碑の立つ霊神場を目指しました。
 
 祖父の石碑は、国道19号線の木曽福島宿から入った御嶽山黒沢口の日の出滝の隣にある、明栄講の霊神場にあります。
 
 祖父は御嶽講明栄講の先達で、この霊神場には尾西市(現一宮市)や祖父江町(現稲沢市)の先達さんを中心に、津島市の先達さんの碑もあります。
 
 本日は午後3時に上高地を発ち、霊神場の麓にある里宮に参拝し、日野製薬の売店に立ち寄っていたことから、祖父の石碑に到着したのは午後5時を廻っており、何とか足元が明るかったものの、新しい霊神場にある祖母の石碑の周りにはサルの大群に占拠されており、危険なため車中で手を合わせて通過です。
 
 普通であれば、国道19号線を走り、中津川ICから中央高速経由としていますが、本日は高速道路が大渋滞しているため、このまま国道を走り続け、春日井市で夕食を摂ってからの帰宅となりました。
 
                                     10月8日の一言
追伸
上高地の猿です
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上高地へ

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本日は午後から上高地に向かって家族で出発しました。

幸いにして、高山市方面へ向かう車は少ないものの、反対車線は清見インターから渋滞しており、明日の帰りが心配となる旅立ちとなりました。

写真は車が満車状態のひるがの高原サービスエリアです。

役行者創建の古刹を訪れて

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 本日は3連休の初日で、私の身勝手な予定では上高地に出かける予定でしたが、明日の日曜日にはお寺の永代経だけでなく、秋祭りに合わせて町内の行事がある事と、孫の保育園の運動会がある事から、本日の午後になってから岐阜県大垣市にある「こくぞう」様に向いました。
 
 実は昨日の名古屋テレビ(メ~テレ)で、タレントのウド鈴木サンが主演で街を訪れる旅番組「旅してゴメン」が(再)放送され、濃尾平野を一望する景観と同時に、空海よりも前の役行者小角(えんのぎょうしゃおづぬ)が持統天皇の勅願により朱鳥元年(686年)に創建したお寺と判り、本尊虚空蔵菩薩が本堂奥の岩屋に安置されている姿が放映されました。
 
真言宗金生山明星輪寺 http://www.mirai.ne.jp/~kinsyou3/
 
 岐阜県の西部には歴史のある名刹が多く、養老山脈にも行基菩薩(668~749)が開基した行基寺がありますが、本日訪れた明星輪寺はそれよりも古い役行者小角(生没年不明)が創設したお寺ですから当地方でもびっくりの歴史です。
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 大垣市役所を北上し、近鉄揖斐線の赤坂駅が近づくと、左手にいかにも霊山の雰囲気のある岩山が見え、「こくぞう」の案内板が見え、急勾配の坂道を登ると蛇王権現(蔵王権現の宮)の本殿があり、その下に明星輪寺の本堂が建っています。
 
 本殿で読経後にご住職さんにお話を伺っていると、「奥にも上げてもらったら」と近所の信者さんが言われ、ご住職の案内でご本尊様のある岩屋前まで通され、お寺の歴史や縁起についてお聞きしました。
 
 「空海(弘法大師)来山し、諸堂を再建修復す」の縁起について、実際には弘法大師が訪れていない事についても、ご住職が正直に話されたことは、実際に歴史のある古刹ゆえの話で、愛知県の知多半島の八十八ヶ所霊場のお寺が実際にはあり得ない弘法大師がお寺を訪問した話を史実のように語って(騙って)いるのとは大違いです。
 
 私はあり得ない作り話を史実(事実)のようにお寺が語るのは大嫌いで、史実に忠実な案内と同時に、檀家が一軒もない環境下で、真言密教本来の行事によって維持されている姿に感動して再度の訪問を約束してお寺を後にしました。
 
 「お坊さん、ありがとうございました」と、3才になったばかりの孫が手を合わせて挨拶していましたが、本日はロウソクや線香も持参して、手抜きのない参拝をする中で、お茶を勧められ、自然体で家族と住職が語れたことに久々の感動です。近くにこんな立派なお寺があった事も知りませんでしたが、まだまだ世間知らずだった自分を自覚するとともに、お寺を孫と一緒に訪れられた事に感謝する一日ともなりました。
 
                                     10月6日の一言
追伸
虚空蔵菩薩の真言
のうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか
意訳 虚空蔵菩薩に帰命し奉る。怨敵・貧欲を討ち滅ぼすものよ、悟りを成就あらしめよ

長野で子グマが射殺されて

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春にタネを採ったポリジが花を咲かせました
 
 3月に苗を買ってきたポリジですが、開花後にタネを採って蒔いたものが、本日は花を咲かせていますが、私が育てた花のタネから発芽して花を咲かせたのは初めての体験でもあり、しばらくは植物の輪廻に挑戦したいと思います。
 
3月に記した私の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46116207.html
 
 ポリジはハーブティーとしてもさわやかな香りがするそうで、薬効としても鎮痛効果や利尿作用などがあると紹介されていますが、今年は虫に食べられ続けた事から、嫌々ではあるものの殺虫剤をふりかけてあるため口にはできず、それは次の楽しみにしたいと思います。
 
長野駅にクマ出没 中心部で目撃情報5件、捜索続く
      http://www.asahi.com/national/update/1005/TKY201210050205.html 
記事の続き…
 警察官や猟友会員ら40人余りが周辺を捜索。午後4時すぎ、河川敷のやぶからクマが頭を出しているのを発見して射殺した。4、5歳のオスのツキノワグマで、体長約1メートル30センチ、体重80~90キロだったという。もう1頭、別のクマがいるという情報もある。
 
 本日の報道では、長野駅や長野市の中心部にクマが出没し、朝からテレビでも映像が映されており、動向が気になっていましたが、午後3時過ぎに警察官や猟友会の人々に射殺されたとの報に寂しさを覚えました。
 
 テレビ映像を見た限り凶暴なイメージよりも成獣になっていない(子グマとの報道もあり)感じで、人々に危害を及ぼしていない事から、私は麻酔銃で眠らせて山に放たれるものと考えていましたが、テレビカメラからは猟銃を抱えてクマを追いかける猟友会の人々の姿が映っており、実際に夕方に射殺されたとの報に、射殺の機会をうかがっていたとしか思えず、素人考えかもしれませんが悲しい現実を実感させられました。
 
 本日の新聞報道にも「千葉の団地に袋詰めの遺体」や、栃木県では「ダンプ運転手、撃たれ重傷」など、残酷な事件が連日のように起こっているが、反面ではペットを家族として生活するのが当り前の世の中になっており、所得の格差ばかりでなく生活様式の差も大きくなっているのかもしれません。
  
 
 私は朝日新聞の夕刊に発信されてくる「かぞくの肖像」を読んで、犬を人間と同じような家族としても何ら可笑しくないと思うようになりましたが、未だに猟銃を手にして動物を射止める人々の存在が必要なのか疑問にも思います。
 
 現実には木々の新芽を食べ尽くすシカや、田畑の穀物を食い荒らすイノシシなど、生活に害となる動物の存在もありますが、イルカをたたき殺す漁師が批判されるなど、確実に世の中の変わっている中での小グマの射殺には驚かされました。
 
                                    10月5日の一言

牛レバーの規制後に豚レバーが出現し

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本日の相棒リマ(ポメラニアン雄4才)
 
 7月に生食用の牛レバーの提供が禁止され、代用となるコンニャクレバーが話題になった事もありますが、一部の飲食店で出されている豚の生レバーについて、厚生労働省は4日、加熱を飲食店に指導するよう都道府県などに通知したと報じられている。
 
豚レバーの生食は危険 厚労省「牛の代用」に警鐘
 
 常識問題として、牛の生レバーによって死亡する人が出たことに対して、生食用の牛レバーの提供が禁止された訳だが、牛が豚に変わっただけで、豚の生レバーについても牛と同じ危険があることは議論する余地もありません。
 
豚レバ刺し、危険な人気 牛禁止で注目、細菌感染の恐れ
記事の続き…
 記者が店に足を運んだり、店のホームページなどで調べたりしたところ、豚の生食料理を出す店は少なくとも都内で70軒、全国で計100軒を超えると見られる。「刺し身で食べられる豚肉」を通信販売する業者もある。
 焼き肉の歴史に詳しい鄭大聲(チョンデソン)・滋賀県立大名誉教授によると、「日本での豚レバ刺しは戦後、在日朝鮮・韓国人の家庭で食べていたのを焼き肉店などで出したのが起源とみられ、高度成長期に広まった」という。その人気は、バブル後のB級グルメブームで定着したようだ。
 だが、豚の肉や内臓には、病原性のあるウイルスや細菌、寄生虫が一定の割合でいることが、研究者らの調査でわかっている。
 北海道北見市では2004年、焼き肉店で豚のレバーなどを食べた男性が劇症肝炎にかかり死亡した。十分に火が通らない状態で食べたため、E型肝炎ウイルス(HEV)に感染したとみられる。02~03年に道内で市販の豚生レバー363点を調べたところ、7点(2%)からHEV遺伝子が検出された、という報告もある。
 08年には東京都内のもつ鍋店で、表面を軽くあぶった豚レバーを食べた客4人が、下痢や発熱などの症状を起こした。カンピロバクターによる食中毒と断定された。
 一般に「無菌豚」と誤解されがちな「SPF豚」も、生で食べるのは危険だ。SPF豚は特定の数種類の病原菌を持っていないが、決して無菌状態ではない。東京農大の村上覚史教授(家畜衛生学)によると、肝臓の内部などから大腸菌やサルモネラ菌などがよく見つかるという。村上教授は「衛生的な環境で飼育し、清潔な施設で処理しても、腸から菌が肝臓などに移行することがある」と話す。
 「豚の肉や内臓は、よく加熱しないと危険」というのが、専門家らの共通した意見だ。これに対し、生で食べさせる複数の店は「厳選した素材を新鮮な状態で出せば問題ない。現に、多くの店で食中毒は起きていない」と話す。
 厚生労働省は、生食用の牛肉について、昨年10月から表面の加熱を義務づけ、今年7月から牛生レバーの店での提供を禁止した。一方、豚の生食は規制がない。厚労省が都道府県に注意を通知し、保健所がそれぞれの店に自粛を指導するだけにとどまる。
 厚労省基準審査課は「豚は生食しないのが常識。現時点で規制は考えていない」とする。だが食の現場では、豚の生食の危険性は常識でなくなりつつある。
 村上教授は「豚の生食は、時に命にかかわる危険な行為となることを知ってほしい。国は規制などの対策を考えるべきだ」と話す。(本山秀樹)
 
 牛の生食用レバーが禁止されても食べたいと主張する人の存在にもびっくりさせられるが、牛の生レバーの代用品として豚の生レバーを提供しようとする飲食店の存在にも驚かされ、顧客の要請なのか飲食店の知恵かは判りませんが、人の命に関わる危険な行為に国の規制が無い事にも驚かされます。
 
 戦後の食糧難の中で、その日の食材の確保が第一とされた世の中が、高度成長によって食べたい食材が四六時中入手できるようになり、近年ではそれまで人々が口にしなかった爬虫類や獣の肉が珍重されるようになってきました。
 
 さて、コンビニが24時間営業し、寿司屋も回転寿司が一般的となり、飲食店も24時間営業されるのが当り前となっている中で、食事風景が養鶏場や養豚場のようにも感じられ、食事ではなく「餌」になっているようにも感じています。
 
 毎月自宅のポストに届けられる地元の真言宗のお寺が発行する「弘法さんだより」に、今月は施餓鬼について記されており、その中に「私達は毎日、肉や野菜など、あらゆる命をいただいて生かされています。その多くの命を奪っている際に感謝を忘れると、ご先祖様かもしれない餓鬼が苦しむと同時に、私達も餓鬼道に落ちるといわれております」と書かれていました。
 
 牛はもちろんですが、豚もニワトリも、人が育てて食材にしていますが、野に放たれれば自由に生きて行くことが可能で、海を自由に泳ぐタイヤマグロも、人間に捕獲されなければ自由に泳いでおるはずで、その命を奪って食している自覚を持ちたいと思う一日ともなりました。
 
                                      10月4日の一言

障がい児も普通学級へ行かせたい

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 この蜘蛛(クモ)は、最近私の事務所周辺に網を張る蜘蛛ですが、今年7月に我家から四国まで1200キロを走った時に私の車に網を張っていた蜘蛛か、同種の仲間でしょうが、蜘蛛の巣が張って庭が歩きにくいものの、四国を一緒に同行した仲間と思うと大切な家族のようになり、こんな気持ちが通じたのか大きくなってきました。
 
7月に記した蜘蛛の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46452190.html
 
 本日偶然にもテレビ放映された「ナニコレ珍百景SP」で、愛知県日進市の愛知牧場でも大量発生している「ジョロウグモ」が紹介され、我家も一緒の種類と判りましたが、害虫をどんどん捕って共存共栄が図れれば幸いですね。
 
 来年春に小学校入学を控え、重度のハンディを持つ小牧市の女児(6)と蟹江町の男児(6)の両親が2日、普通学級への入学を求める要望書を愛知県教育委員会に提出しているが、2人とも、入学後は看護師や一定の研修を受けた介護士らによるケアが必要になる事から、義務教育の理想と現実の狭間で、愛知県の教育力が試されています。
 
「普通学級入学を」
 
 女児の父親は、「地域の子とともに学び、成長し合うことが不可欠」と言い、男児の父親も「子どもの成長には友達が欠かせない」と訴えているが、添付した朝日新聞の記事と写真を見比べれば、2人の身体状況には大きな差があり、2人一緒の記者会見で一緒の結論を求めるのは酷な選択でもあります。
 
 一方では、「改正障害者基本法」の存在と、他の自治体で同様の児童が普通学級に入学した例が記されていますが、寝たきりで改善する可能性のない児童への義務教育の限界と、一緒に生活するクラスメートの教育環境にも影響を及ぼす事が対象となる保護者に認識されているのか疑問でもあります。看護師や介護士の介助なしに保護者が対応する覚悟があるかも判りませんが、義務教育だから行政が対応して当り前との訴えなら再考も必要です。
 
 平成17年の話となりますが、歩行困難な愛西市の幼稚園児の母親が出産するため、園児の幼稚園への送迎をお願いしたいと福祉関係団体から依頼され、家内が毎日の送迎を始めましたが、普通学級の小学校への入学については受け入れられず、遠くの養護学校へ進学することとなりました。
 
 この子供の場合は今回の子供たちよりも軽度と思われ、何とか近くの小学校に入学できないかと思いましたが、親の負担と「子供が将来自立するため」が優先されて、私は「今までの家内の頑張りは何だったのか」と不本意に思いましたが、厳しい現実に遭遇しました。
 
 この厳しさが、現在のNPO法人の設立と「福祉有償運送」の実現になりましたが、昨年には養護中学に進学する児童の関係者から、自宅からスクールバスの乗降場所までの送迎を打診され、「両親はできないのですか」と断ったことがあり、ボランティアと言えども制度が確立されると利用して当り前とされてしまいます。
 
 状況が判らないので善し悪しは判りませんが、津島市では障害を持った児童が普通学級への進学を希望すれば、可能な限り受け入れており、障がい児に対応するための小学校へのエレベーター設置の予算が9月議会でも認められました。
 
                                      10月3日の一言

4人に1人が65歳以上となり

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我家で咲き誇っている西洋アサガオ
 
 かつては事務所横の樹木にからんで、主役のように青い花を咲かせていた西洋アサガオが、一昨年前に家族に根元から伐採され、やっと細々と育てていたものの、今春には雑草と一緒に抜かれて捨てられ、ゴミ袋から拾って瀕死の状態から生き延びた結果、現在では朴の木にからんで事務所の2階まで成長して花を咲かせるようになりました。
 
 
 一晩にして枯れてしまうハーブなどとは違い、同じ花を咲かす一年草のアサガオとも違って、土中に根をはりめぐらせ、多年草で丈夫な西洋アサガオではありますが、根こそぎ抜き取られてしまっては成長もできず、木々にツルを張って刈り取れない事から嫌われ物でしたが、私の声を大にした保護宣言によって見事再生しました。
 
 さて、本日の朝日新聞では、世界中で2億人が求職中の失業者で、就業をあきらめた成人は20億人にのぼると、世界銀行が発表した「世界開発報告」を報じている。
 失業者のうち、25歳未満の若者は約7500万人で4割弱を占め、先進国の景気回復が遅れているため、とくに途上国の若者や女性が職をみつけにくい状況に陥っているとも報道されている。
 
世界の失業者2億人、25歳未満が4割 世銀が報告
 
 一方では、2050年には世界の60歳以上の人口が20億人を超え、15歳未満の人口を初めて上回るとの国連の報告も報道されています。
 それによると、60歳以上の世界人口は12年現在で8億1千万人で、全人口の約12%。今後10年以内に10億人に達し、50年には20億人を超えて世界人口の22%を占めるようになると予測している。
 
60歳以上、2050年に20億人 途上国でも高齢化
記事の続き… 
 将来の高齢者人口が圧倒的に多いのはアジアで、50年で12億5千万人になる見通し。うち世界一の人口大国である中国では、人口の33.9%にあたる4億3900万人が60歳以上になる。インドも3億2300万人で、人口の19.1%を占めるようになる。60歳以上が30%以上を占める国は現在、31.6%の日本だけだが、50年には韓国やタイなどを含む65カ国に増えるとみている。
 現在は高齢者の3人のうち2人が途上国で暮らしているが、50年には5人に4人近くになる。高齢化への対応として報告書は、高齢者が経済的に自立できる年金制度や、手頃な料金で受けられる保健・医療サービスが欠かせないと指摘している。だが報告書によると60歳以上で年金を受給できているのは5人に1人にすぎず、国連の貧困対策に高齢化問題を組み入れる必要性もUNFPAは指摘している。
 オショティメイン氏は「高齢化は未来ではなく現在の課題で、強力な政策が必要だ。日本の社会保障制度やサービスは途上国に参考になる」と述べた。(小暮哲夫)
 
 総務省統計局が最近発表した65歳以上の「高齢者」については、65歳以上人口は3000万人を超え、高齢者の総人口に占める割合は24.1%で過去最高となった事が先月に報じられているが、これまで60歳以上が4人に1人と認識していた高齢者が、65歳以上が4人に1人となったのでもあります。
 
 「定年になったらゆっくりとしたい」という一言が当り前と思っていましたが、高齢者のうち65~69歳の就業率は、男性が46.2%、女性が26.9%と聞くと、60歳になったらのんびりするなんて現実的ではなく、年金で悠々自適なんて過去の話である事が実感させられます。
 
 本日は我家の2階で平成6年から続いている書道会、「神守丈友会」の書道展の反省と恩師への慰労を兼ねた食事会が開かれ、市内の「やじろべえ」という食事処で「松茸土瓶蒸し膳」を食べてきました。久しぶりの生ビールの相手があり、心地よい「ほろ酔い気分」での帰宅ともなりました。
 
                                    10月2日の一言

交通事故死ワーストワン愛知が報じられ

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 この花は一年前の一言に、「ビロード虎の尾」として紹介したハーブですが、今年も同じように花を咲かせたので添付しましたが、春から夏にかけて色々と紹介してきた我家の花や木々も、夏が終わり水不足ややり過ぎで枯らせてしまった花も多く、春先に植えたハーブだけでなく、四国の椿堂から頂いてきた椿も瀕死の重傷になっています。
 
昨年10月18日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45665191.html
 
 さて、本日の朝日新聞には、秋の交通安全運動中だった昨日までの10日間に、愛知県では13人の交通事故死亡者が発生した事が報じられており、今年になってからの死者数164人は、昨年の同時期と比べて9人多いと記されています。
 
 我家の周辺でも今年に入って2人の歩行者がはねられて死亡しているが、2人とも横断歩道上で深夜に事故にあっていますが、偶然にも2人とも知っている人で、1人は度々我家を訪れていただけに他人事には思えません。
 
 今年の秋の交通安全運動中の10日間の犠牲者13人のうち、8人が歩行者や自転車に乗った人だった事から、歩行者や自転車の安全確保を真剣に考えると同時に、歩行者や自転車の側も四方に目を配らないと道路は危険と自覚させられます。
 
母娘はねられ死傷、男性も巻き添え 運転手を逮捕 愛知
 
 本日の夕刊には、津島市の隣となる蟹江町の国道1号線の車道で、2匹の犬と散歩中の母娘が乗用車にはねられ23才の娘さんが亡くなる事故が報じられていますが、事故は昨夜の11時半に起こっていることから、昨晩に通過していった台風直後に散歩に出かけ、水たまりの歩道をさけて、車道を歩いて被害に遭遇しているため、加害者として逮捕された28才の男性にも同情したいとともに、被害者となった側にも注意が必要だった事故と思われます。今年も3ヵ月しか残されておらず、毎年続く交通事故死ワーストワンを何とか回避したいものです。
 
                                   10月1日の一言
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
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  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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